FC2ブログ

タイトル画像

長勝禅寺(茨城県潮来市) アヤメの郷のお寺の御朱印

2019.05.26(18:58) 291

潮来に行ったろう、チョット間なれば (2016.6.04)

<コース>
【往路】JR横浜 快速エアポート成田(5:39) → JR東京(6:09) → JR千葉(6:51→7:15) → JR成田(7:22→7:26) → JR佐原(7:58→8:10) → JR潮来(8:22)

132-1-3.jpg

♪潮来の伊太郎 ちょっと見なれば♪

 水無月最初は「あやめ祭り」の潮来へ。高校生の橋幸夫さんが着流し姿で颯爽と歌ったのが59年前、この一節のうしろに「あれぇ?」とつけてザ・ぼんち師匠がMANZAIブームの走りとなったのが38年前
と令和の世からは見ると遥か昔の昭和の話ですが、潮来という難読名がポピュラーなのも「潮来笠」「潮来花嫁さん」という昭和歌謡のヒット曲のお蔭。でも昭和30年に美空ひばり主演の映画と主題歌が潮来ブームのきっかけとか。やはり昭和歌謡の女王は一味違います。
 昔は産業が少なく、女性は船頭が主な職だったそうで、「おんな船頭唄」「船頭小唄」など哀調を帯びた歌が多いのもそのような背景があるのでしょうか。
 50年程前は、歌の通りサッパ舟が水郷の交通手段でしたが、その後衰退して【サッパ】り。いまは観光で再現しています。アヤメ・杜若は薔薇と違って派手さでは【菖蒲】になりませんが、落ち着いた雰囲気が水無月には相応しいように思えてきます。ほんに潮来はイイタコどした。

132-1-1.jpg
JR潮来駅で特急あやめ号到着のお出迎え
あやめ娘とゆるきゃら「あやめ」。ポケットの鳥はヨシキリ。

132-1-2.jpg
水郷潮来あやめ園

132-1-4.jpg
黄色は杜若、紫は花菖蒲と説明が

132-1-5.jpg
前川に架かる水雲橋
このたもとから艪舟が出る。

132-1-6.jpg
潮来笠記念碑
どことなく銅像の顔が歌手に似ている気が…。

132-1-7.jpg
「潮来花嫁さん」記念碑

132-1-8.jpg
嫁入り舟
「潮来花嫁さん」そのままですが、バージンロードの水郷版と言ったところ。今年は5月28~6月26日まで、80組の応募から30組を選んだ。舟に乗るのは花嫁と両親と船頭。乗り場に戻るのは良くないので、丘に上がった後、車で新郎の家に向かう。

132-1-9.jpg
艪舟から見た景色
太鼓橋の向こうは思案橋で右に遊郭があったとか。長崎と同じ命名である。

 海雲山長勝寺(かいうんさんちょうしょうじ)は市街地にほど近い稲荷山の麓にある寺院。寺伝では、文治元年(1189年)源頼朝が武運長久を願って建立。本堂は珍しい唐様建築で、本尊は運慶派仏師の作とされる阿弥陀三尊像。その後、荒廃していたのを嘆いた水戸光圀が元禄4年(1691年)、妙心寺の253世太嶽祖清禅師を迎えて中興開山とした』
とあります。大楠公の碑を出すまでもなく、光圀公は埋もれたもの、忘れられたものを発掘するのが得意だったようですが、これも『大日本史』編纂を始めた事がきっかけだったように思えます。余談ですが「いたこ」の読みは徳川光圀公の発案とか。水郷だけに【閘門】さまの出番が必要だったのでしょう。

132-1-10.jpg
海雲山 長勝寺(臨済宗妙心寺派) 正門

132-1-11.jpg
山門(楼門)
元禄13年(1700年)に水戸光圀の命で普門院から移築された。解体時、柱にお布施をした遊女の名前が多数書かれていたのが見つかったと言う。二重二階門で、入母屋造・杮葺型の銅板葺。

132-1-12.jpg
唐様建築の本堂
元禄年間頃の建築とされる。棟上には源氏の定紋「笹竜胆」が。

132-1-13.jpg
鐘楼
元徳2年(1330年)の銘にある銅鐘は重文。

132-1-14.jpg
長勝寺庭

132-1-15.jpg
長勝寺御朱印

[参考書]
茨城県の歴史散歩


週刊 日本の町並み 佐原・潮来 No.29

中古価格
¥280から
(2019/5/26 20:11時点)



関東・甲信越 山の神社・仏閣 札所ガイド 御朱印を求めて歩く

中古価格
¥1,351から
(2019/5/26 20:12時点)



茨城・栃木・群馬 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

中古価格
¥1,300から
(2019/5/26 20:13時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村
スポンサーサイト

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


茨城県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

七宝瀧寺(大阪府泉佐野市) 温泉郷にある修験道の御朱印

2019.05.25(22:25) 290

裏のお山でポチが鳴く(2018.6.3)

<コース>
南海電鉄難波(10:25) → 泉佐野(11:02→11:10) → (南海バス21~24系統) → 犬鳴山(11:44) → 徒歩40分 → 七宝瀧寺 → 徒歩40分 → 犬鳴山(16:50) → (南海バス21~23系統) → 泉佐野(17:24→17:38) → 南海電鉄難波(18:21)

131-1-11.jpg
犬鳴山 白雲院 七宝瀧寺(真言宗犬鳴派 役行者霊蹟札所)

 猛暑の中、涼を求めて和泉まで。犬鳴山は府内唯一の温泉郷のある大阪の奥座敷で、パワースポットとしても知られます。寺院は宿坊もありますが途中食事処はないので、バス停付近にある温泉旅館で昼食。本来はゆっくり宿泊すべきなのでしょうが日帰り入浴は果たしました。

131-1-18.jpg
昼食は「み奈美亭」で夏の懐石コース

131-1-19.jpg
和泉は海の幸が豊富

131-1-20.jpg
これは「猪豚」?

 目指す寺院はJR日根野からバス34分の終点から犬鳴川に沿って山道を1.5㎞。犬鳴山白雲院七宝瀧寺(いぬなきさんはくうんいんしっぽうりゅうじ)は、寺伝によれば
『661年、修験道の祖である役小角により開山、これは大峰山開山の6年前であり元山上と呼ばれる。』
とあります。この辺りは古くは葛城と呼ばれ、その中でもここは根本道場。役行者は奥の滝を神聖なものと見たのでしょう。歴史を【かいざん】したのではないようです。

 山中には大小48滝があり、その中でも両界の滝、塔の滝、弁天の滝、布引の滝、古津喜の滝、千手の滝、行者の滝の七滝が有名で、それぞれを宝として七宝瀧寺と淳和天皇が命名されました。一時衰えますが、正平17年(1362年)に紀州粉河寺の渓閑和尚が土丸城主橋本正督の援助を受け再興、隆盛を極めるも天正13年(1585年)秀吉の根来攻めで諸堂は焼失、寺領も失いました。
 江戸時代の1652~1662年にかけ諸堂再建、1667年に岸和田藩主岡部氏より寺領が寄進され漸く旧に復しました。明治初年度には修験道禁止となったため明治7年(1874年)に高野山金剛峰寺末寺となりますが、戦後は葛城系修験道の復興を目指して真言宗犬鳴派として昭和25年(1950年)に独立して今に至ります。紆余曲折を経ましたが、ようやく【今後無事】となりそうです。

 犬鳴山とは燈明ヶ岳や天狗岳などの峰々の総称ですが、ここが犬鳴山と呼ばれる様になったのには次のような伝説が…。 
『寛平年間の頃、紀州の猟師が獲物の鹿を追ってこの辺りに来た時に、猟犬が頻りに吠え立てました。どうしても止めないので、怒った猟師は鉈で犬の首を切ったところ、首はそのまま猟師の頭を越え、猟師を呑もうとしていた向こうの木に居た大蛇に噛み付きそのまま息絶えたとか。猟犬の心根に打たれた猟師は修行者となり自分の田地を不動堂に寄進し猟犬の供養をしました。このことを伝え聞いた宇多天皇から山号を犬鳴山とするように勅を賜りました。』
昔話で聴いた幽かな記憶がありますが、大阪の話だったとは。
 一時の怒りに任せて【良犬】である猟犬を殺すとは【料簡】の狭い話、我々にも教訓になる話です。
 遠いこともあって山道を行く人は疎ら。尤も行者堂の近くまで自家用車で行けるので多くの人はこのルートのようです。路は貴船のような雰囲気ですが、温泉もあって【秘湯】味違った場所でした。

131-1-1.jpg
参道入口
バス停徒歩5分の一の橋を過ぎた大師堂の先からは霊域に入る。

131-1-2.jpg
犬鳴川に沿って山道を行く

131-1-3.jpg
修験道なので所々にこのようなものが

131-1-4.jpg
途中の滝

131-1-5.jpg
両界の滝

131-1-6.jpg
瑞龍門(行者迎えの門)

131-1-7.jpg
犬鳴山の謂れの義犬の墓

131-1-8.jpg
塔の滝

131-1-9.jpg
社務所の庭にたつ不動明王
本尊は倶利伽羅大滝不動明王で本堂内。

131-1-10.jpg
終点の不動堂
滝に打たれる人はこのお堂の下で白衣に着替える。

131-1-12.jpg
着替えた人は赤い橋を渡り行者の滝へ

131-1-13.jpg
行者の滝遠景

131-1-14.jpg
行者の滝横の役行者像

131-1-15.jpg
行者の滝

131-1-16.jpg
鎖を伝って上まで行くことが可能

131-1-17.jpg
七宝瀧寺御朱印

131-1-21.jpg
駅まで戻って英国屋にて一息

[参考書]
大阪府の歴史散歩 下 河内・堺・和泉(歴史散歩27)


大阪 歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,728から
(2019/5/25 22:17時点)



神と仏の道をたどる 神仏霊場 巡拝の道

新品価格
¥1,620から
(2019/5/25 22:19時点)



大阪・兵庫 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/25 22:21時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


大阪府 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

慈光寺(埼玉県比企郡ときがわ町) 坂東第九番札所の御朱印

2019.05.24(19:38) 289

ときは今、じこうにならず(2015.5.30)

<コース>
東武東上線池袋(7:10) → 高坂(8:00) → バス → 大東文化大学前 → 徒歩3分 → 岩殿観音 → 高坂(9:20) → 東松山(9:23) → 徒歩60分 → 吉見観音 → 東松山(11:20) → 小川町(11:36→11:45) → (ときがわ町路線バス) → せせらぎバスセンター(12:05→12:13) → 慈光寺前(12:22) → 徒歩30分 → 慈光寺 → 小川町(16:30) → 池袋(17:47)

130-3-1.jpg
都幾山 一乗法華院 慈光寺(天台宗 坂東三十三ヵ所第九番札所)
坂を上った所にある山門。奥には阿弥陀堂(本堂)が見え、御朱印はここで拝受。

 吉見観音から徒歩で東松山駅に行き東武電鉄で小川町まで。そこからは町営バスになり、直接山門まで行くバスはごく僅かですが、入口までは意外に本数がある模様。バス停から坂道を上る事30分で到着。途中で参拝を済ませ下ってきた若い人とすれ違ましたが、路線バスで来る若者も居るのかと感心しました。
都幾山一乗法華院慈光寺(ときさんいちじょうほっけいんじこうじ)は、寺伝に拠れば
『白鳳元年(673年)に興福寺の慈訓がこの地に千手観音を祀ったのが始まりで、宝亀元年(770年)に鑑真の弟子釈道忠に拠り開創。貞観13年(871年)頃に天台別院となり以後、天台宗道場として発展。源頼朝の奥州遠征では祈願寺となり、徳川家康からは朱印100石を賜った。』
とあります。今は交通の幹線から外れ、バス停からも更に坂道を上るなど、山奥のイメージがありますが、昔は鎌倉街道が近くを通る要衝。歴代の政権に帰依されたのも分かるような気がします。
 日本国宝三大装飾経の一つ国宝・紙本法華経一品経や重文・大般若経があり、後者には貞観13年(871年)の奥書が。これだけの経を製作する素地がこの寺にあったと言うことでしょう。その他銅鐘など重文も多数ありますが、境内はいたって簡素。いかにも山奥の古刹という雰囲気でした。山門の正面には本堂の阿弥陀堂があって御朱印はそこで拝受するのですが、『12~13時は昼休』との案内が。訪れる人が少ないからかとも思いましたが先客が3名。札所にしては珍しく、時間に追われる今の時代を再考しなさいとの教えでしょうか?

130-3-2.jpg
本堂奥にある観音堂
札所の本尊木造千手観音像を祀る。縁起では開祖慈訓の作とされるが、解体修理の際に天文18年の墨書があったという。

130-3-3.jpg
慈光寺御朱印

 今回の巡礼はいずれも平地ではなく山の岩場。いわば僻地ですが、古代人から見て岩窟内に宗教的なものを感じたのでしょう。壮大な伽藍という訳ではありませんが、信仰の心に触れた気がします。
 御朱印拝受後は坂を下りてバス停までの予定でしたが、御朱印待ちで一緒の年配の方が小川町駅まで車で送って下さいました。乗せて頂いた方はこれから群馬の長谷寺に向かわれるそうで、私も来月には行くつもりですと話が弾みました。元気で巡礼できるのは何よりです。
 小川町に早く戻ったので遅めの昼食。いつもならパンで済ますところですが、今日は川魚料理にした鼓を打ちました。鰻で有名な小川町ですが今回は福助で。横浜朝五時台の電車に乗った甲斐があったというもの、まさに早起きは【山門】の得ですが、その分歩いた距離も長く「武蔵、歩き疲れたぞ!」となりました。

130-3-4.jpg
昼食は小川町にある「女郎うなぎ 福助」にて
安政年間、「友人に頼まれて」吉原の花魁を引き取って面倒をみた先代に、花魁が実家に伝わる秘伝のたれを教えたからとか。

130-3-5.jpg
本日のお昼の鰻丼 ¥2,620
肉厚でさっぱりした味付。

130-3-6.jpg
初挑戦の鯰の天麩羅 ¥1,000
淡泊と聞いていたが意外としっかりした味。

130-3-7.jpg
小川町の割烹旅館「二葉 本店
こちらは15年以上前に出張時に食べた山岡鉄舟所縁の忠七飯が有名。この日は貸し切りで入れず。

130-3-8.jpg
都幾川郵便局 ; 山女魚、重文・慈光寺銅鐘、堂平山の天文台

[参考書]
埼玉県の歴史散歩


坂東三十三ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,782から
(2019/5/22 22:24時点)



坂東三十三カ所めぐり (楽学ブックス)

新品価格
¥1,728から
(2019/5/15 10:07時点)



心いやされる旅 坂東三十三か所めぐり 秩父三十四か所めぐり

新品価格
¥1,296から
(2019/5/22 22:25時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


埼玉県 トラックバック(-) | コメント(2) | [EDIT]
タイトル画像

吉見観音(埼玉県比企郡吉見町) 坂東第十一番札所の御朱印

2019.05.23(20:53) 288

のりよりで、ひたすら歩いて安楽寺(2015.5.30)

<コース>
東武東上線池袋(7:10) → 高坂(8:00) → バス → 大東文化大学前 → 徒歩3分 → 岩殿観音 → 高坂(9:20) → 東松山(9:23) → 徒歩60分 → 吉見観音 → 東松山(11:20)

130-2-1.jpg
岩殿山 光明院 安楽寺(真言宗智山派 坂東三十三ヵ所第十一番札所 東国花の寺百ヵ寺埼玉第五番)

 安楽寺へは高坂駅の次の東松山駅で下車ですが、駅からの距離が6㎞。コミュニティバスも1日数本なので、これはもう徒歩しかありません。この付近は吉見百穴もあるように丘陵地帯の柔らかい地盤を穿ったものが多く、途中でも石仏が多くありました。
 岩殿山光明院安楽寺は行基が聖観世音菩薩を岩窟内に安置したのに始まり、大同元年(806年)に坂上田村麻呂が堂宇を建立したのが開創とされます。この岩窟は「天の岩戸」として【うずめ】られる事無く保存されているとか。いずれも伝説の域ですが平安時代末には大勢の参拝客が訪れていたようです。

 平治の乱(1159年)に敗れた源義朝は尾張で殺されますが、生き残った遺児は各地に潜み源氏再興の機会を待ちました。六男の範頼は稚児僧に身をやつして安楽寺に潜み、その間に48mにも及ぶ三重塔や45m四方の大講堂を寄進したと伝えられます。身を隠しながら寄進などと目立つ行為をするのもどうかと思いますし、一体どこから資金を調達したかの問題もあります。
 それよりも範頼は母の出身地である遠江で成長したという説が有力。幕府創設後、頼朝に疎まれて伊豆に幽閉されますが、そこで亡くならず吉見に逃れて余生を送ったという伝説があります。範頼の妻の祖母は頼朝乳母の比企尼、そのため息子たちはこの地へ移り吉見氏を名乗ったとか。寺から1㎞程南東に範頼館跡があり、範頼の後は吉見氏を名乗った4代の子孫が居館を構えていたと言われるので、幼少の頃に身を潜めたというよりも晩年にここに逃れたと言う方が真に迫っていると思います。
 範頼については義経の陰に隠れて知名度は低いですが、武将・政治家としてもかなりの力量のあった人のようです。身内を切れない政治家は三流といわれますが、頼朝の身内に対する酷薄さは少々度が過ぎた感があります。その点は新居白石も『読史世論』で述べているようで、源氏の将軍が3代で滅び北条氏の世になったのも仕方のないことでしょう。

130-2-2.jpg
吉見百穴
古墳時代後期の横穴式墳墓だが、今回巡礼主体の今回はスルー。

130-2-3.jpg
吉見町マンホールカード    配布場所はこちら

130-2-4.jpg
仁王門

130-2-5.jpg
聖観世音菩薩を祀る本堂
本堂への石段脇はツツジ・サツキが咲き誇る。

130-2-6.jpg
本堂前面の修飾

130-2-8.jpg
「野荒しの虎」
本堂の欄間にある左甚五郎作とされる彫刻。

130-2-7.jpg
蒲冠者源範頼が建てたとされる三重塔
寛永年間の再建。

130-2-9.jpg
吉見観音御朱印
少し年配の御住職の墨書。東松山駅から60分歩いて来たと言うと「それは健脚ですね」と感心された。

130-2-10.jpg
吉見郵便局 ; 史跡・吉見百穴、吉見観音三重塔、市野川の橋

[参考書]
埼玉県の歴史散歩


安楽寺―『吉見』 (さきたま文庫)

中古価格
¥6,300から
(2019/5/23 21:00時点)



東国花の寺百ヶ寺ガイド―関東1都6県花の寺巡り

新品価格
¥1,620から
(2019/5/23 20:58時点)



坂東三十三ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,782から
(2019/5/22 22:24時点)



坂東三十三カ所めぐり (楽学ブックス)

新品価格
¥1,728から
(2019/5/15 10:07時点)



心いやされる旅 坂東三十三か所めぐり 秩父三十四か所めぐり

新品価格
¥1,296から
(2019/5/22 22:25時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


埼玉県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

岩殿観音(埼玉県東松山市) 坂東第十番札所の御朱印

2019.05.22(22:26) 287

火災に見舞われたしょうぼう寺 (2015.5.30)

<コース>
東武東上線池袋(7:10) → 高坂(8:00) → バス → 大東文化大学前 → 徒歩3分 → 岩殿観音 → 高坂(9:20)

130-1-1.jpg
巌殿山 正法寺(真言宗智山派 坂東三十三ヵ所第十番札所)

 坂東三十三カ所も相模がほぼ完了して次の埼玉県へ。埼玉は旧武蔵国で関東平野の続きですが、今回訪れる場所は平野から丘陵にかけての地域。広い埼玉ですが坂東札所は県下で4か所、うち3ヵ寺までがこの地区に集中。場所から比企三ヵ寺と呼ばれていますが、何故この場所なのか?そのこともこの目で確かめる巡礼になりました。
神奈川と違って駅から遠いうえにバスが少なくウオーキング主体は覚悟の上。と言っても昔は皆歩いていたのですから弱音を吐いてはいけません。
 巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)は坂東第十番札所、岩殿観音の通称で知られます。山号と通称で【いわ】の漢字が異なるのが特徴でこれは次の十一番札所と区別するためでしょうか?名前通り岩殿丘陵の端にあるお寺で、さぞ不便だろうと思っていましたが東武高坂駅から直ぐ傍までバスが頻発。巡礼者の便を図っての事かと思いましたが、傍に大学があるため。学生の恩恵を受けることになりました。バス停から寺まではすぐですが脇から入ることになるので巡礼の雰囲気を出すために参道へ回り道して門前へ。かつての旅籠や屋号の看板のある家を抜けると石段の先に山門が現れます。
 養老2年(718年)、逸海と言う沙門が岩窟に千手観音を安置し傍らに正法庵という草庵を結んだのが始まり。桓武天皇の延暦15年(796年)に勅命で伽藍が整えられました。山号寺号は本尊の場所と草庵由来のようです。その後衰微しますが源頼朝の命に拠り比企能員が再興、坂東札所の命を受けます。能員は不運にも政争に拠り自死しますが息子は出家してこの寺を守りました。地名にもあるように比企氏はここに勢力を持っていた可能性が大です。
 室町期には岩殿山一帯に66坊を数える大伽藍に発展しますが、永禄10年(1567年)の松山合戦で全て焼失。天正2年(1574年)に焼失を免れた本尊を元に三度目の復興を果たし、江戸時代には坂東三十三ヵ所第十番札所として繁栄。いまでも寺の東側の参道には当時の門前の雰囲気が濃厚に残っています。
 これで安泰となれば良かったのですが、寛永年間の火災で諸堂を焼失、明治に入っても観音堂焼失と幾度となく火災に見舞われることに。札所の割には新しく文化財が少ないのはそのためでしょう。戦乱時代はともかく、平和時に火災が多いのは何とかできなかったのかと思います。寺号の【しょうぼうじ】も火災には効果がなかったのでしょうかね?

130-1-2.jpg
表参道から仁王門前へ
岩殿丘陵の端にある。左のうどん屋と右の旅館がかつての建造物の姿を伝える。

130-1-3.jpg
旅館丁子屋
門前で江戸時代から昭和初期まで営業していた。

130-1-4.jpg
仁王門と扁額
本堂はこの右手にある。

130-1-5.jpg
仁王門から観音堂へは長い石段を上る
紫陽花が丁度見頃であった。

130-1-6.jpg
石段途中から仁王門方面を望む

130-1-7.jpg
観音堂へ到着
場所も狭く急斜面を切り拓いたといった所か?

130-1-8.jpg
坂東札所の本尊千手観音を祀る観音堂
養老年間の創設だが、寛永・天明・明治と3回再建された。

130-1-9.jpg
石段を上った右手にある鐘楼と銅鐘
銅鐘は元享2年の銘。鐘楼は元禄15年(1702年)に地元の山田茂兵衛の寄進により建立。

130-1-10.jpg
観音堂から見た表参道
参道の家の表札脇にはかつての屋号が記載してある。

130-1-11.jpg
岩殿観音御朱印
年配の住職夫人の墨書。横浜市の南太田から嫁いで来られたとの事で、しばらく京急沿線の話題で盛り上がった。

[参考書]
埼玉県の歴史散歩


正法寺―東松山 (さきたま文庫 (15))

新品価格
¥5,662から
(2019/5/22 22:21時点)



坂東三十三ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,782から
(2019/5/22 22:24時点)



坂東三十三カ所めぐり (楽学ブックス)

新品価格
¥1,728から
(2019/5/15 10:07時点)



心いやされる旅 坂東三十三か所めぐり 秩父三十四か所めぐり

新品価格
¥1,296から
(2019/5/22 22:25時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


埼玉県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

太山寺(神戸市西区) 神戸市内唯一の国宝の御朱印

2019.05.22(10:37) 286

太山迷道せず国宝一件(2016.5.28)

<コース>
JR大阪(6:46) → JR加古川(8:01→8:15) → JR小野町(8:38) → 徒歩50分 → 浄土寺 → コミュニティバス → 神戸電鉄小野(12:15) → 湊川公園(13:14) → 市営地下鉄名谷 → バス10分 → 太山寺

129-2-2.jpg
三身山 太山寺(天台宗 新西国三十三ヵ所第二十五番)

 日本で国宝を一番所有している都道府県は東京都。意外な気もしますが博物館等もあるので大都市に多くあるのも頷けます。そんな中で県下には姫路城、一乗寺等を有しながら直ぐに浮かばないのが神戸市。そんな神戸市に唯一国宝建築があるらしい。一体どこにどのようなものがあるのか、国宝浄土寺の後は、神戸電鉄と市営地下鉄を乗り継いでの国宝を訪ねる巡礼となりました。

 三身山太山寺(さんしんざんたいさんじ)は神戸市西区にある古刹。【さんしん】とか【たいさん】とか某プロ野球ファンには縁起でもない名前ですが別段関係はなし。縁起によれば
『霊亀2年(716年)、藤原鎌足の長男定恵(じょうえ)和尚を開山とし、藤原不比等の三男宇合(うまかい)が建立。宇合が明石浦の温泉療養中、夢に薬師如来が現れ「ここより北東に定恵和尚結縁の地があり定恵は願望を果たせず示寂した。お前はその遺志を果たせ。」と伝えた所、それに従って七堂伽藍を建立した。』
とあります。定恵は不比等の兄で出家後入唐した人物、その生涯は謎に包まれています。不比等が朝堂のトップとして活躍したので、もし存命ならばそれなりに功績が残っているでしょう。恐らくは夭逝したと思われます。寺の創設も考古学的には平安前期頃とされるので、藤原氏の権威を使って箔を持たせたのでしょうか?
 元正天皇の勅願時となり後白河・後宇多・崇光の三天皇の行幸もあり僧兵を擁する大伽藍でした。唯、創世記の建造物は弘安8年(1285年)の火災で全て焼失、永仁年間(1293~1299年)に再建されています。
建武の新政では護良新王の令旨に応じて挙兵、以降南朝方の拠点として活躍。丁度この時期が寺の最盛期で坊も50を越えましたが今は5坊のみ。本堂は当時の繁栄を偲ぶ大規模な造りで神戸市にある唯一の国宝建築物。その他、令旨や武具等この時代のものが重文として残っています。重文17件は兵庫県下随一。
 周囲は「ひょうごの森百選」にもなった風致地区ですが、地下鉄駅から市バス明石行が頻発しているので非常に便利。ガイド等には余り載っておらず観光客も疎らでしたが、寺院・周囲の自然と見応え充分。御朱印を墨書して頂いたお寺の年配の御婦人の話では紅葉の頃に人が多いとか。神戸にもこんな穴場があったのかと、【たいさん】せずしばらく境内で見入る事となりました。

129-2-1.jpg
バス停から直ぐの重文・仁王門
室町中期の建造で入母屋造・本瓦葺・棟高8mの八脚門。元来重層の楼門であったが上層部を撤去し改装、当初の軒組物を復元したものが、写真右のものである。

129-2-3.jpg
太山寺へと続く参道
かっては41の塔頭があったがいまは5つのみ

129-2-4.jpg
中門を過ぎ正面に国宝・本堂を見る

129-2-5.jpg
国宝・本堂
創建時の物が焼失後、永仁年間(1293~1299年)に再建。正面20.82m、側面17.76mと大きく、仏教の大衆化に伴う新しい仏殿の形式が成立した初期の数少ない遺構である。

129-2-6.jpg
本堂正面部分
蔀戸の開閉の様子、本尊は薬師如来と十一面観音。

129-2-7.jpg
三重塔
貞享5年(1688年)の建立で、屋根は本瓦葺、水煙は火焔型。

129-2-8.jpg
貞享5年再建の阿弥陀堂
本来は天台宗の修法である常行三昧の修行堂であったが、堂の本尊である阿弥陀如来信仰が高まるにつれて阿弥陀堂として人々の礼拝の対象となった。

129-2-9.jpg
阿弥陀堂から見た本堂側面

129-2-10.jpg
太山寺川に架かる閼伽井橋
橋を渡ると奥の院で稲荷社・地蔵堂があり地蔵堂下から水が湧き出している。

129-2-11.jpg
塔頭龍象院の前庭

129-2-12.jpg
太山寺説明書

129-2-13.jpg
太山寺御朱印
両親位の年配の女性による達筆。

129-2-14.jpg
伊川谷郵便局 ; 国宝・本山寺本堂、渓流、原生林

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <上> 神戸・阪神・淡路


カラー版 日本の古寺100選 国宝巡りガイド (宝島社新書)

新品価格
¥1,080から
(2019/5/22 10:33時点)



大阪・兵庫 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/22 10:36時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


兵庫県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

浄土寺(兵庫県小野市) 極楽浄土を再現したお寺の御朱印

2019.05.21(20:56) 285

勧進なのは【一柳】の算盤勘定(2016.5.28)

<コース>
JR大阪(6:46) → JR加古川(8:01→8:15) → JR小野町(8:38) → 徒歩50分 → 浄土寺 → コミュニティバス → 神戸電鉄小野(12:15)


129-1-1.jpg
極楽山 浄土寺(高野山真言宗 新西国三十三ヵ所客番)
薬師堂から浄土堂を望む。

 出張の翌日、播磨の東端にある国宝2件を見るため西方へ。
 小野市と言えば関西人には算盤・金物が先ず頭に浮かぶ一柳氏の城下町。JR、神戸電鉄共に1時間毎の運転の落ち着いた街ですが、市街地から北東に4㎞に素晴らしい国宝があるらしい。コミュニティバスも少ないので歩くこと50分で到着。
 かつて小野市の大部分は鹿野原と呼ばれる原野、名前からして鄙びた感じですが、平安末12世紀半ばに東大寺所有の大部庄(おおべのしょう)と言う荘園になりました。それから半世紀後の建久3年(1192年)に、東大寺の重源が弟子を派遣し荘園経営が始まりましたが、その経営の拠点となったのが播磨別所と呼ばれたここ浄土寺。
 紀季重の子として生まれた重源は出家後、東大寺再建の勧進聖として活躍。入宋経験のある建築・工芸にも習熟した技術者でもありました。紀氏出身だったから【木】に詳しかった訳ではなく、中央での政争に敗れたあとの紀氏は任地での経営に専念することで財力・人間関係を築き上げたと思われます。歌を詠んだだけではなかったという事ですね。
 境内に入って拝観と御朱印のため受付を探したものの、どこも無人。あきらめて浄土堂に行くとやっと入口に人が。このあと直ぐに観光バスで団体が見えたのでギリギリセーフでした。
 重源は浄土寺に浄土堂・薬師堂の二堂を建立。浄土堂には阿弥陀三尊を、薬師堂には荘園内で荒廃していた広渡寺はじめ9ヵ寺から仏像を持って来て安置しました。浄土堂、別名阿弥陀堂は東大寺南大門と並ぶ大仏様建築(かつての天竺様)の双璧で国宝。重源が東大寺再建に当たり用いた手法をここにも応用しました。
本尊の阿弥陀三尊も国宝ですが、算盤の町だけに快慶【会計】の作でした。堂内は撮影禁止ですが、本尊の後方から夕陽が差し込む様子はさながら西方浄土の様に見えるとか。重源の設計演出の才能は大したもので、今の世に生まれても経営者として大成したに違いありません。宗教家とはこーでぃねーとアカンと実感した次第です。極楽山浄土寺の名は伊達ではありませんでした。
 拝観を終え表に出ると、滅多に来ないコミュニティバスがタイミングよく到着。大幅な時間短縮となりました。

129-1-2.jpg
駅から歩くこと50分道路からの浄土堂遠景

129-1-3.jpg
国宝・浄土堂(阿弥陀堂)
1192年創建の大仏様(天竺様)建築。外からみると狭く感じるが、柱間が広く屋根に反りがないので内部空間は広く感じる。

129-1-4.jpg
浄土堂にある国宝・阿弥陀三尊像
浄土寺本尊で創建当時に造られ安置されたもので鎌倉時代を代表する名仏師快慶作。本尊530㎝、脇立370㎝の堂々たる木造仏。実物は撮影禁止なので、これは資料館のパネルを撮影したもの。実際の堂内はかなり暗い。

129-1-5.jpg
資料館にて浄土堂細部の三手先挿肘木の再現

129-1-6.jpg
浄土堂断面の説明

129-1-7.jpg
重文・浄土寺本堂(薬師堂)
浄土堂と同じく重源により建立された大仏様建造物であったが、惜しくも室町中期に焼失し永正14年(1517年)に再建された。

129-1-8.jpg
後方の八十八ヵ所霊場うつしから本堂、浄土堂を望む
池を中心に西に西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来、東に東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来を配する。

129-1-9.jpg
境内後方の紫陽花

129-1-10.jpg
極楽山浄土寺説明書

129-1-11.jpg
浄土寺御朱印

129-1-12.jpg
かつての一柳藩陣屋跡、後ろは小学校
最後の藩主の姫は建築家ヴォーリズの奥方。

129-1-13.jpg
陣屋跡に建つ小学校
陣屋をモデルにした立派な造り。

129-1-14.jpg
小野市郷土館

129-1-15.jpg
小野市マンホール蓋
算盤と刃物をモチーフに。

129-1-16.jpg
加古川線粟生駅スタンプ(神戸支社印)
小野郵便局 ; 国宝・浄土寺、鉄塔、鴨池、特産の算盤・鋸・鉋

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <下> 東播磨・西播磨・丹有・但馬


週刊ニッポンの国宝100 32 浄土寺/彦根屏風(ジョウドジ ヒコネビョウブ)[分冊百科] (2018年5/15号)

新品価格
¥680から
(2019/5/21 20:49時点)



カラー版 日本の古寺100選 国宝巡りガイド (宝島社新書)

新品価格
¥1,080から
(2019/5/21 20:51時点)



運慶・快慶と慶派の美仏 (エイムック 4166)

新品価格
¥1,620から
(2019/5/21 20:55時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


兵庫県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

珈琲無礼句

2019.05.21(08:19) 284

<古典の斜め読み>

No-22.jpg

 清の乾隆帝の時代「富春山居図」が皇帝の手に入った。元末四大家とされる黄公望の晩年の作品であり中国水墨画史上傑作とされる。喜んだ帝は早速そこに長文の賛を記した。ところが翌年に全く同じ作品が宮廷に齎される。こちらも見事な出来栄えで先年のものと遜色なし。決定的だったのは真作が一度火中に投じられたという来歴通り焼けた跡があった事。乾隆帝はこちらが真作とはほぼ間違いないと思ったが既に先の作品に賛を書いてしまったので、『模本であるが秀作である』との短い賛を入れただけで終わった。美術史上では有名な話である。
 古来より国家の支配者の発言は一度発言されると訂正する事はできないとされ『綸言汗の如し』と言う格言で表される。出典は『礼記』『漢書』であるが日本でも『平家物語』『太平記』に記述があるところを見ると、昔から軽率な発言や訂正が多かったことの証。上に立つ者程、発言する前には十分に考える事が必要とされる所以である。
 先頃も領土問題の発言で物議を醸した議員がいたが、これも発言前の思慮不足は明らか。最高学府出身のキャリア官僚であるから知識に問題はない筈。日本の最高学府は官僚養成所として出発、そして官僚制度は中国の科挙の焼き直しというのはよく知られた話。「科挙というとアカデミックな印象だが実際は秘密結社のようなものだった」とは東洋史学の泰斗宮崎市定の言である。秘密結社とは極端であるが大学からキャリアまで、まして中高一貫ならぬ塾からも一緒となれば仲間意識は相当なものだったと想像できよう。問題があっても身内の事として処理するという甘えがあった事は間違いない。しかし政治家になると一歩進んだ意識が必要になるのも真実である。
『かつて領土問題でもう一歩のところまで行ったのは橋本龍太郎氏だった。』と外務関係者が話していた。氏は領土問題を切り出す話のツボを心得ていたそうで、それを支えた教養は永年に亘り培ったものであろう。歴代総理大臣の中では大平正芳と橋本龍太郎の両氏が神田古書街の常連だったとかで、いずれも通常のキャリアと異なる出身だったのが自己研鑽に繋がったと言えようか。


























ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


御朱印雑話 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

東海道神奈川宿(神奈川県横浜市) 廣重の描いた風景は?

2019.05.20(09:10) 283

東海道ひとり歩き (2015.5.24)

 単身以降買出しに行く横浜ですが、よく考えると(別に考えなくても)東海道3番目の宿場。歌川廣重の保永堂版東海道での題は「臺の景」、初めは何のことかとおもいましたが、今の台町付近の景色を描いているとの事。

 横浜駅から徒歩5分、駅前の喧騒が嘘のように静かな場所です。ここがかつての東海道で東側に神奈川湊を望む景勝の地でした。街道には茶屋が並んで描かれていますが、坂の上の方にある「さくらや」は高杉晋作やハリスも訪れ、おりょうさんが働いていたという老舗です。いまでも料亭「田中屋」として営業中。幕末の雰囲気十分ですが一人で入るのには敷居が【高杉】でした。

128-1-1.jpg
高級住宅街といった趣の東海道の台町付近
一番高い所から保土ヶ谷方面を望む。

128-1-2.jpg
神奈川台関門と袖ヶ浦見晴所跡

128-1-3.jpg
台町に唯一残る料亭「田中屋」
文久3年(1863年)に、田中家初代が「さくらや」を買い取りスタート。

128-1-4.jpg
田中屋玄関
御店の方に伺った所、昼の部 ¥6,000~、夜の部 ¥10,000~ との事。

128-1-5.jpg
田中屋前の説明板
龍馬の妻、おりょうさんは龍馬なきあと田中屋に住み込みで働いた。月琴、英語に秀で、酒も強く物怖じしない性格が客に評判だったとか。

 開国後は、各国の領事館や宿舎として宿場内の寺院が当てられました。いまもその記念碑が建っています。広い場所が必要だったからでしょうが、異郷で異教の建物で生活するというのもなかなか度胸のいる話です。【読経】の声に驚かなかったのでしょうかね?
アメリカは湾内を一望できる丘の上の本覚寺を選びました。ハリスの抜け目のなさが伺える話です。
 街道沿いには松並木と高札場が復元されています。絞殺場ならば刑事が登場しますが、これはお上の知らせを庶民に掲示する場所です。周囲は住宅地ですが今も現役なのか【考察】の必要がありそうに思いました。
 みなとみらいやベイブリッジに眼を奪われがちですが、良く見ると至る所に歴史の足跡があり過去と未来が混在する町でした。

128-1-7.jpg
アメリカ領事館のあった本覚寺(曹洞宗)
青木橋付近

128-1-6.jpg
本覚寺山門
樹齢200年のスダジイの下にアメリカ領事館跡碑がある。

128-1-8.jpg
フランス公使館のあった甚行寺

128-1-9.jpg
イギリス領事館のあった日蓮宗浄瀧寺

128-1-10.jpg
フランス領事館のあった慶運寺
浦島太郎が竜宮より持ち帰った観音像が祭られているとか。

128-1-11.jpg
亀に乗った浦島の碑

128-1-12.jpg
説明板

128-1-13.jpg
外国宣教師宿舎になった成仏寺
辞書で有名なヘボン博士はここの本堂で寝泊まりした。成仏した訳ではない。

128-1-14.jpg
東海道沿いの復元松並木

128-1-15.jpg
神奈川地区センター横にある高札場の復元

128-1-16.jpg
神奈川郵便局 ; 廣重「東海度五十三次 神奈川宿」、ベイブリッジ、みなとみらい21

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <上> 川崎・横浜・北相模・三浦半島


東海道ふたり旅: 道の文化史

中古価格
¥2,258から
(2019/5/20 09:05時点)



歩いて旅する東海道

中古価格
¥1,422から
(2019/5/20 09:07時点)



東海道五十三次四百年の歴史をあるく

中古価格
¥1,000から
(2019/5/20 09:09時点)



新版・完全 「東海道五十三次」 ガイド (講談社 α文庫)

中古価格
¥198から
(2019/5/20 09:09時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大山不動尊(神奈川県伊勢原市) 関東三不動の御朱印

2019.05.19(22:03) 282

日向から雨降りへ (2015.5.23)

<コース>
小田急伊勢原 → バス → 日向薬師 → 徒歩90分 → 大山寺 → バス → 小田急伊勢原

127-2-1.jpg
雨降山 大山寺(真言宗大覚寺派)

 日向薬師参拝後、バスで伊勢原まで戻って大山行きバスに乗るのが常道でしょうが、時間とお金を節約するため山を横断して大山へ。歩いた時間は凡そ1時間半、途中で手話教室の一行と合ったり鹿を見たり、幸い熊には遭遇しませんでしたが。
 大山は丹沢山地の東端、標高1,252mの山で古くから山岳信仰の対象。頂上には阿夫利神社(あふりじんじゃ)本社が祀られていますが、そこから90分程下った場所にある阿夫利神社下社にお参りするのが常道。「大山」の名称は山頂に大山祇神社を祀ったからですが石尊大権現とも言われます。阿夫利は大山の頂上付近は天候が変わり易い「雨降り山」に由来、雨乞い信仰の対象でもありました。

127-2-2.jpg
日向薬師から大山へ

127-2-3.jpg
見晴台付近から市街を見たところ

127-2-4.jpg
大山山頂1252m

127-2-5.jpg
逢ったら怖いセレナーデ

127-2-6.jpg
大山阿夫利(あふり)神社下社
名水で有名。

127-2-7.jpg
下社境内から市街を見る

 その阿夫利神社の神宮寺として建立されたのが雨降山大山寺(あぶりさんおおやまでら)。縁起に拠れば、
『天平勝宝7年(755年)に東大寺の別当良弁が聖武天皇の勅願を得て開創。大地震に伴う火災で焼失した後、元慶8年(884年)安然により再興するも再び荒廃。鎌倉時代の文永年間に鎌倉大楽寺の願行上人が大小の不動明王を作り安置し復興。』
とあります。成田不動、日野高幡不動と並ぶ関東三不動となり三度目の正直で漸く【不動】の地位を得た事になります。修験道の勢力が後北条氏に与した事で関東入国した徳川家康とは対立しますが、家康が改革を断行し政治的な影響力を排除。江戸時代には庶民の現生利益を目的とした「大山詣で」が盛んになり落語にもなりました。
 明治の神仏分離令で不動堂は廃止され阿夫利神社下社に。不動堂は関東一円から浄財を集めて明治18年(1885年)に現在地に建立、これが今の大山寺です。
 三遊亭円生師匠著「書きかけの自伝」には東京落語協会の大山詣での写真があったので、今でもあるのかと尋ねたところ「見たことないですねえ」というお寺の方の返事。建造物だけではなく、ここでも伝統がまた一つ消えていくのでしょうか?
近くなのに一方は日向、他方は雨降山大山寺とはこれ如何に。巡礼の順番通り天気も晴れから雨に向かうようです。名産は独楽と「あふり餅」ならぬ「大山とうふ」。冷奴¥375と豆乳ソフト¥327が本日のおやつと相成りました。

127-2-8.jpg
大山寺への階段
紅葉の名所なので、秋には壮観。

127-2-9.jpg
雨降山(あぶりさん)大山寺本堂
江戸時代には大山詣で賑わい落語にもなった。

127-2-10.jpg
本堂脇の銅造宝篋印塔

127-2-11.jpg
大山不動尊御朱印

127-2-12.jpg
大山郵便局 ; 阿夫利神社・正子舞の乙女、大山

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <上> 川崎・横浜・北相模・三浦半島


大山詣り (有隣新書79)

新品価格
¥1,080から
(2019/5/19 22:09時点)



大山不動と日向薬師 (1981年)

中古価格
¥2,000から
(2019/5/19 06:35時点)



神奈川 歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,728から
(2019/5/19 06:33時点)



関東・甲信越 山の神社・仏閣 札所ガイド 御朱印を求めて歩く

新品価格
¥1,760から
(2019/5/19 06:33時点)



書きかけの自伝 (旺文社文庫)

中古価格
¥1,000から
(2019/5/20 08:21時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

日向薬師(神奈川県伊勢原市) 茅葺の本堂のある薬師様の御朱印

2019.05.19(06:34) 281

日向から雨降りへ (2015.5.23)

<コース>
小田急伊勢原 → バス → 日向薬師

127-1-1.jpg
日向山 霊山寺(高野山真言宗 東国花の寺百ヵ寺 神奈川七番)

 関東のハイキングコースの大山へ初挑戦。一ヵ寺では勿体ないので、大山寺(おおやまでら)と日向(ひなた)薬師の二寺へ。どちらも伊勢原駅からバスが頻発ですが大山行はバス待ちが大勢、一方日向薬師は殆どいない状態。迷うことなく乗客の少ない日向薬師行きに乗りましたが、同じ巡礼とはいえ何こんなに差があるのか不思議でした。終点のバス停から山道を徒歩10分。
 日向山霊山寺(ひなたさんりょうぜんじ)、通称日向薬師は寺伝によれば
『霊亀2年(716年)、行基が薬師如来の託宣により大山の東方山麓に白髭明神と熊野権現の二神の援助を得て霊木に薬師如来を刻んで一宇を構えたのが始まり。元正天皇の時に勅願となった。』
とあります。朝廷の尊崇も篤く村上天皇、鳥羽院は梵鐘を寄進、後一条天皇は勅額を下賜した記録が。また薬師様の御利益としても名高く平安の女流歌人相模を嚆矢として源頼朝、北条政子、源実朝が眼病平癒・安産のため参詣しています。行基の開創は疑問視されていますが、村上天皇以降の事はほぼ史実とされ10世紀頃には伽藍が整えられていたと想像できるでしょう。
 本尊薬師三尊像は普段は秘仏、鉈彫りの仏像としては弘明寺の十一面観音と並び称されていますが、それで日【なた】薬師と言う訳ではないようです。この日は外からの拝観というよりも博物館へ出張中。【鉈でここ】とはいきませんでした。
 鎌倉公方、後北条氏、江戸幕府と時の権力者からも寄進を受け、かつては12坊を数えたようですが廃仏毀釈等で今は唯一残った宝城坊(ほうじょうぼう)が寺を継承している状態。戦国時代を生き残った寺院が一気に衰退した事を思うと、明治維新はとてつもなく大きな変革だったと改めて思います。
 現在残っている本堂(薬師堂)は巨大な茅葺で写真にもよく登場しますが、訪れた時には修理中で完成は平成28年以降。見ることは叶わずじまいでした。ここは桜と彼岸花の名所でもあるらしいので、再度の巡礼で【悲願】達成と誓った次第です。

127-1-2.jpg
山門の仁王像
1830年焼失したが1833年に再建。

127-1-3.jpg
山門を過ぎると参道
周囲は日向薬師の寺林として県の天然記念物に指定。

127-1-4.jpg
山門から寺院までは500m程歩く

127-1-5.jpg
日向薬師宝物殿。
茅葺の本堂は350年振りの大修理にためここが仮本堂、修復完成は平成28年とか。御本尊は現在金沢文庫へ出張中。

127-1-6.jpg
日向薬師 宝城坊の解説

127-1-7.jpg
日向薬師御朱印

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <上> 川崎・横浜・北相模・三浦半島


大山不動と日向薬師 (1981年)

中古価格
¥2,000から
(2019/5/19 06:35時点)



東国花の寺百ヶ寺ガイド―関東1都6県花の寺巡り

新品価格
¥1,620から
(2019/5/19 06:31時点)



神奈川 歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,728から
(2019/5/19 06:33時点)



関東・甲信越 山の神社・仏閣 札所ガイド 御朱印を求めて歩く

新品価格
¥1,760から
(2019/5/19 06:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

泉龍寺(東京都狛江市) 弁天池のあるお寺の御朱印

2019.05.18(22:15) 280

都会のオアシスを守る地域(2017.5.21)

<コース>
JR横浜 → JR町田 → 小田急狛江 → 徒歩3分 → 泉龍寺

126-3-1.jpg
雲松山 泉龍寺(曹洞宗)
安政6年(1859年)再建の山門。

 6月1日の葉書値上げ(¥52→¥62)のため、在庫の葉書で町田、川崎、狛江と多摩地区を巡りました。風景印がメインでしたが狛江の駅北側にこんもり繁った森がありその中に寺院が。なかなかいい雰囲気だったので道草がてら巡礼。
 雲松山泉龍寺(うんしょうざんせんりゅうじ)は寺伝によれば
『東大寺の開山で伊勢原の雨降山大山寺を開いた良弁僧正が天平神護元年(765年)この地に来て雨乞いをして法相宗・華厳宗の寺として創設したのが始まり。
天暦3年(949年)には廻僧の増賀聖が天台宗に改め、法道上人彫刻の聖観世音菩薩を安置した。戦国時代には衰微し小さな観音堂だけになったが、旅の途中で立ち寄った泉祝和尚が曹洞宗の参禅修行道場として復興。天正18年(1590年)に徳川家康が関東に入国するとこの地は旗本の石谷氏が地頭となった。』
とあります。
 境内には弁財天池と呼ばれる霊泉がありますが、これは良弁僧正が雨乞いの折に湧出したもの。多摩川本流から1㎞離れていますが、地下を通った水流が湧き出したもので昭和30年代まで周辺の田畑や飲料水として利用されていました。不幸にして周辺の乱開発により池は昭和47年に枯渇、掘削することで再生を果たしました。龍神様の怒りとは言いませんが、今まで続いてきた自然現象が消えることは地球が警告を発していると言う発想を持つべきでしょうね。泉龍寺の名前も泉由来、家康が旗本石谷氏を置いたものここの重要性に気付いたからでしょう。
 初代清定は寺域の整備に努めたので中興開基と呼ばれ、続く貞清は島原の乱で活躍、江戸町奉行を務め、慶安事件で丸橋忠弥を捕えた人物。英雄的人物として当時も人気がありました。檀家も四百年も続く土豪やその子孫が多く、境内の落ち着いた雰囲気もそのためでしょう。本堂の扁額の書は元経団連会長石坂泰三氏(東芝会長)、なんでも泉龍寺の檀家の人の幼馴染だったとか。
 御朱印を御願いしましたが代金は受け取られませんでした。25年間の経験でも初めての事。同時に御朱印された方からもお金は取られなかったので、お寺の方針でしょう。
 境内には仏教文庫という図書館(資料館)があり無料で閲覧可能。近所の方にも図書館を自由に利用できるようにして地域密着型を目指している感じでした。佛教・歴史関連の書物中心で普通の図書館では閲覧できないようなもの(発禁本ではない!)が充実。館長の先代住職は東大卒業後、史料編纂所に30年務めた方だとか。
 近世以降の佛教は冠婚葬祭が主となって宗教性は薄れている気がします。檀家制度にどっぷり浸かっていたので軌道修正が必要でしょうね。いまは長寿社会ですが今ひとつ先行きに不安を抱えた人が多いので、宗教の役割も十分あると思います。要はそれだけの気概を持った宗教家が出るかどうかですが…。

126-3-2.jpg
珍しい二層式鐘楼
天保15年(1844年)の再建。90両の寄進により建ったとか。

126-3-3.jpg
本堂の扁額
経団連会長の石坂泰三氏の書

126-3-4.jpg
寺名の由来となった弁財天池
かつては1分間に水量9㎥、水温13℃と一定であった。昭和47年に涸れて以後は掘削して地下70mの井戸から汲み上げている。

126-3-5.jpg
弁財天池説明板

126-3-6.jpg
雲松山 泉龍寺縁起

126-3-7.jpg
泉龍寺御朱印

126-3-8.jpg
狛江市マンホールカード    配布場所はこちら

126-3-9.jpg
狛江郵便局 ; 多摩川の松並木、万葉歌碑、土器

[参考書]
東京都の歴史散歩 <下> 多摩・島嶼


多摩 ぶらり歴史探訪ウォーキング

新品価格
¥1,760から
(2019/5/18 22:00時点)



東京多摩散歩25コース

新品価格
¥1,512から
(2019/5/18 22:11時点)



凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩 多摩武蔵野編

新品価格
¥2,376から
(2019/5/18 22:14時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


東京都 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

清雲寺(神奈川県横須賀市) 三浦一族所縁の女郎花の寺の御朱印

2019.05.18(10:02) 279

花も動乱も踏み越えて(2016.5.21)

<コース>
JR横浜 → JR衣笠 → 徒歩50分 → 衣笠城址 → 徒歩20分 → 満昌寺 → 徒歩5分 → 清雲寺 → 徒歩40分 → 久里浜 → 徒歩60分 → 浦賀 → 京急浦賀 → 京急横浜

126-2-3.jpg
大富山 清雲寺(臨済宗円覚寺派 東国花の寺百ヵ寺神奈川四番)
境内から山門を望む。石灯籠の三つ引きは三浦氏家紋。

 満昌寺参拝の後は、少し歩いて小高い丘の上に立つ花の寺清雲寺へ。
三浦義継が父為継の冥福を祈って建立したと言われ、本堂内の毘沙門天は建保元年(1213年)三浦一族の和田義盛の乱の際に敵の矢を受けた「箭請毘沙門天」として有名。運慶派作と伝わる本尊でしたが今は脇立ち。本尊の滝見観音は三浦の祖、為通が奥州で鎮守府将軍平忠通から拝領したとされる宋代の作品で、大矢部の円通寺から移されたもの。元来の本尊が他所から来た仏様に乗っ取られた訳ですが、これで【おお、やべ!】とはならなかったようです。因みにここも天台宗だったものを円覚寺102世の大雅省音が中興し臨済宗に、花の寺も当初はベニバナミツマタでしたが、今は女郎花と変遷。どこの世界も戦国時代があるのでしょうか?

126-2-1.jpg
滝見観音、毘沙門天が安置されている清雲寺本堂

126-2-2.jpg
境内の草花

126-2-4.jpg
清雲時御朱印

126-2-5.jpg
昼食はここ「うな萩」にて。
珍しく温泉で鰻を育てている。合宿などで利用する人が多いとは御店の人の談。

126-2-6.jpg

 参拝の後は歩いて久里浜から浦賀へ。江戸の平和の後半にペリーが来航、「国を横須賀!」とはなりませんでしたが、再び日本は動乱の世へ。良港があるとはいえ、よくよく三浦は動乱に縁がある所のようです。今は軍港がありますが、のんびりした街に【カレー】なる変身を遂げつつあるように思います。

126-2-7.jpg
ペリー記念公園にある「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」
久里浜湾に面してある。書は伊藤博文。

126-2-8.jpg
公園内にあるペリー記念館 入館無料

126-2-9.jpg
記念館にある黒船の模型

126-2-10.jpg
浦賀の渡し渡船場
浦賀湾は奥まで入り込んでいるので向こう側へ行くには便利。江戸時代から続く交通手段。ブザーを押すと来てくれる。¥150

126-2-11.jpg
西叶神社にある鏝絵(こてえ)
職人が鏝を使って作った芸術。伊豆が有名だが、浦賀でも「左官」に作られた。図は司馬温公(司馬光)の石で水瓶を割る所。

126-2-12.jpg
東福寺にある鏝絵の鶴と亀

126-2-13.jpg
横須賀市マンホール蓋

126-2-14.jpg
横須賀市マンホールカード    配布場所はこちら

126-2-15.jpg
横須賀浦賀郵便局 ; ペリー上陸記念碑、黒船、ペリー記念館
横須賀新町郵便局 ; ペリー上陸記念碑、黒船、ペリー錦絵

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <上> 川崎・横浜・北相模・三浦半島


幕末外交と開国 (講談社学術文庫)

新品価格
¥1,037から
(2019/5/18 09:58時点)



東国花の寺百ヶ寺ガイド―関東1都6県花の寺巡り

新品価格
¥1,620から
(2019/5/18 09:57時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

満昌寺(神奈川県横須賀市)  三浦義明所縁のお寺の御朱印

2019.05.17(21:42) 278

鎌倉幕府創設の【功老者】(2016.5.21)

<コース>
JR横浜 → JR衣笠 → 徒歩50分 → 衣笠城址 → 徒歩20分 → 満昌寺

126-1-1.jpg
大善寺境内にある衣笠城址
山全体を利用した平安末期の典型的な山城である。

126-1-2.jpg
城址説明板

 気候も良いのでJR衣笠駅→久里浜→浦賀 へとハイキング。
衣笠城は豪族三浦氏の居城。桓武平氏から三浦氏を名乗った為通が前九年の役の功績により源頼義から領地を賜ったのが嚆矢。その後、曽孫の義明が治承4年(1180年)源頼朝の平家追討に応じて挙兵します。石橋山の戦いで敗れた頼朝は安房に、三浦一族も衣笠城合戦で敗れ房総へ逃れますが、89歳の義明は踏み止まって戦死。
 満昌寺は建久5年(1194年)、三浦大介義明を開基として源頼朝が建立。義明が没して14年後ですが、頼朝にしてみれば自身の挙兵の折に老齢をも顧みず、城を枕に討ち死にした忠臣の霊に報いる意図があったのでしょう。本堂前のツツジは義明の菩提を弔うために頼朝自らお手植えしたものと言われます。140年後に仏乗禅師が中興開山となり臨済宗建長寺派に。更に宝永2年(1705年)火災で堂宇が焼失した後、寛延2年(1749年)仏心禅師が再建し、その時に山号も雲龍山から義明山に変わったと言われます。境内には重文・三浦義明坐像や襖絵など、見るべきものは多いですが予約や特別拝観のため今回は素通り。その分、説明書の解説が詳細を極めています。
 源氏の世になり、三浦一族は幕府の有力御家人として活躍。義明の流した血は無駄ではなかったと言う事です。しかし5代執権時頼の時に宗家は滅亡、一族は各地へと散らばります。幕府に功績があったとはいえその終焉はあっけないものでした。江戸時代には美作勝山藩主が三浦氏でしたが小藩なのでさして政治的に影響はなかったようです。『かつての功労者に報いない国家は発展する』と言う謂いがあったような、なかったような。

満昌寺の御住職に伺った所
和辻:「お墓参りに一門が見えられますか?」
住職:「会津の戦国大名芦名氏が三浦一門なので見えますが、他は来られませんね」
との事。歌手三浦洸一さんも一族だそうですが、いまは【東京の人】。なかなか昔のような結束は難しいのでしょうかね。
鎌倉・室町は始終内乱があったためネガティブな印象ですが、これもトップとの力の差が小さかった故の気がします。格差社会が言われて久しいですが皆同じレベルと言うのも良し悪しです。

126-1-3.jpg
衣笠山の麓に立つ大善寺
三浦一族の仏教信仰の中心で学問所も兼ねた。

126-1-4.jpg
満昌寺山門
頼朝が三浦義明を弔うために建立。交通量の多い車道脇に建つ。

126-1-5.jpg
満昌寺本堂
江戸時代の再建。本尊は宝冠釈迦如来坐像である。

126-1-6.jpg
本堂前にある頼朝公御手植えの躑躅
建久5年(1194年)の植樹。何時の頃からかこの木の枝先に頭を入れると「頭痛が治る」「頭が良くなる」と言い伝えられお詣りする人が多いとか。

126-1-7.jpg
境内にある御霊神社
建暦2年(1212年)に和田義盛により建立され三浦義明像を祀る。

126-1-8.jpg
御霊神社にある三浦義明坐像
予約制なので見れず。

126-1-9.jpg
義明山満昌寺説明書

126-1-10.jpg
説明書裏面
拝観できない分は取り敢えずこれで…。

126-1-11.jpg
満昌寺御朱印

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <上> 川崎・横浜・北相模・三浦半島


三浦一族の中世 (歴史文化ライブラリー)

新品価格
¥1,836から
(2019/5/17 21:37時点)



新版 砕けて後は、もとの土くれ 相模国豪族・三浦一族鎮魂譜

新品価格
¥648から
(2019/5/17 21:38時点)



相模のもののふたち―中世史を歩く (有隣新書10)

新品価格
¥1,296から
(2019/5/17 21:40時点)



神奈川 歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,728から
(2019/5/17 21:33時点)



関東・甲信越 山の神社・仏閣 札所ガイド 御朱印を求めて歩く

新品価格
¥1,760から
(2019/5/17 21:34時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

近江寺(神戸市西区) 孝徳天皇勅願の古刹の御朱印

2019.05.17(07:21) 277

神戸市山中のきんこう寺へ(2018.5.20)

<コース>
JR三宮 → (神戸市営地下鉄) → 西神中央 → 神姫バス10分 → 性海寺前 → 徒歩3分 → 性海寺 → 徒歩30分 → 近江寺

125-2-5.jpg
近江山 近江寺(高野山真言宗)

 性海寺の後は、田圃や果樹園の横の道を30分。獣の臭いもしたのでこの辺りで牛を飼育しているのでしょう。今まで市内で牛を見た事は皆無ですが、ここも神戸市内なので神戸牛のブランドに偽りはありません。
 漸く到着した山門には孝徳天皇勅願の扁額が。
近江山近江寺(きんこうじ)は大化2年(646年)、天竺から来朝した法道上人が開基したと言われる古刹。山門にもあるように孝徳天皇勅願寺院。本尊の十一面観音菩薩は琵琶湖に浮かんだ桜の木を法道が刻んだと言われ60年に一度の御開帳。山号寺号は御本尊由来の琵琶湖から採ったのでしょうね。法道・琵琶湖の桜云々は多分に伝説的ですが、普段は秘仏という事で見る人は【還暦】した訳ですから平均寿命の短かった時代、秘仏の御開帳は一生に一度の一大イベントの役割を果たしたと考えられます。現在の期間限定の走りですが、その分、お金も多く集まったことは想像に難くありません。
 先刻訪れた性海寺と異なり、山中にひっそり佇む寺ですが、やはり戦火は免れず、羽柴秀吉の三木城攻めで全焼。1662年に本堂が再建されました。古刹自体は無住でその塔頭実相院が管理しているもの性海寺と同じ。由緒等はありませんでしたが、明治には性海寺と同じような歴史を辿ったのでしょう。このような山奥までも及んだという事は文明開化が徹底して行われた事を示しています。集団心理というのは時として途方もない力を生み出します。
 その後、神戸に戻るとやたらと人出が。聞けば神戸祭りだそうで、そうと分かっていたらと思っても後の祭り。世間並みにパレードを見物して、最後は同窓の経営する大丸前という立地も含めてリッチでお洒落な喫茶店で〆。

125-2-1.jpg
性海寺から農園を歩く事30分で近江寺山門へ到着

125-2-3.jpg
1662年再建の本堂

125-2-4.jpg
本堂扁額

125-2-6.jpg
本堂脇の護摩堂

125-2-7.jpg
近江寺塔頭実相院
近江寺は無住のため御朱印はここで拝受。

125-2-8.jpg
実相院庭園
こじんまりとした造りだが、足長蜂には閉口。

125-2-9.jpg
庭園内の池

125-2-11.jpg
庭園内にて

125-2-10.jpg
塔頭から庭園に続く道

125-2-12.jpg
近江寺御朱印

125-2-13.jpg
神戸まつり 48th
これはライオンズクラブの行進。

125-2-14.jpg
ZEF神戸元町にて一服
左:マロンケーキ    右:ロングブラック(エスプレッソと水の順序を逆にして香りを強調)

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <上> 神戸・阪神・淡路


大阪・兵庫 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/16 20:46時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


兵庫県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

性海寺(神戸市西区) 二つの塔頭に守られた古刹の御朱印

2019.05.16(20:49) 276

神戸市山中のお寺をしょうかい(2018.5.20)

<コース> バスは日中10~20分間隔で運転
JR三宮 → (神戸市営地下鉄) → 西神中央 → 神姫バス10分 → 性海寺前 → 徒歩3分 → 性海寺

125-1-4.jpg
高和山 性海寺(高野山真言宗)

 風薫る五月、「休日割引きっぷ」なるものを使い神戸西へ。
神戸といえば港と夜景をすぐに思い浮かべますが、行政区は相当広く北区・西区のような山地も含まれます。最近は開発も進んでいますがグリコピアや著名な工業団地の端から少し歩くと人家も減り静かな場所。目指す性海寺はバス停から徒歩3分。略縁起によれば
『高和山性海寺(たかわさんしょうかいじ)は聖武天皇の御代の天平2年(730年)行基により開山。本尊の如意輪観世音菩薩は天皇より賜った香木を行基自ら刻んだ。』
と伝えられます。
 八幡宮を鎮守とし七堂伽藍を建立、勅願所として栄えますがのちに衰微。白河院の1100年頃、当地に来た如幻上人が、それを嘆き堂宇を再興。数十の僧坊が甍を接する播州の一大伽藍として再び繁栄します。修学の僧侶が諸方より集まり、東大寺・醍醐寺・東寺などの大寺院と地方寺院のパイプ役となりました。その証拠に性海寺版の法華経が東大寺に現存しています。
 戦国期には三木城主別所氏の祈願所として栄えますが、天正7年(1579年)羽柴秀吉の三木城攻略の際に僧兵が別所方についたため全山炎上・領地没収の憂き目を見ました。【みき】だけに頼れると思ったのが間違いだったようです。
 その後、徳川家光の代になって幕府直轄の朱印寺となります。本堂の棟木の銘に万治2年(1659年)とあるので80年目の再興。以後は塔頭も24寺を数えますが明治の廃仏毀釈で再び衰退、多くは焼かれたと言われます。現在の性海寺は本堂・八幡神社本殿を残すものの無住、辛うじて残った二つの塔頭、龍華院・福智院が守って居る状況です。
 この日は当番だった龍華院で御朱印を拝受。戦国の世よりも文明開化の時代に受けたダメージが大きかったというのもどうかと思いますが、無くなることなく今まで続いている事に敬意を表して【しょうかい】しました。

125-1-1.jpg
バス停から直ぐの性海寺への入り口

125-1-2.jpg
本堂遠景

125-1-3.jpg
本堂正面
秀吉の三木城攻略の際に全山炎上し本堂も1659年に再建される。

125-1-5.jpg
本堂側面
無住であるが本尊拝観は可能。

125-1-6.jpg
性海寺境内
本堂もやや痛みが激しい感じ。

125-1-7.jpg
本堂横の八幡神社

125-1-8.jpg

125-1-9.jpg
性海寺塔頭龍華院
性海寺は無住なので御朱印はここで拝受。

125-1-10.jpg
性海寺略縁起(由来)

125-1-11.jpg
性海寺御朱印

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <上> 神戸・阪神・淡路


大阪・兵庫 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/16 20:46時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


兵庫県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

星の谷観音(神奈川県座間市) 坂東八番札所の御朱印

2019.05.16(06:50) 275

星に願いを… (2015.5.17)

<コース>
JR横浜 → JR平塚 → 金目観音 → 秦野 → 本厚木 → 飯山観音 → 本厚木 → 座間 → 徒歩5分 → 星谷寺

124-3-3.jpg
妙法山 持寶院 星谷寺(真言宗大覚寺派 坂東三十三ヵ所第八番札所)

 金目、飯山観音と駅からバスが続きましたが、この日3番目は駅近。
星の谷観音星谷寺(しょうこくじ)は行基に拠る開創。始めは北東400mの本堂山にありましたが焼失したため寛延2年(1749年)に現在地に移転しています。
 移転のため札所の中では新しいですが境内には椿・井戸・化石など星谷寺の七不思議とよばれるものが八つ。七つでないのも不思議な話です。
 そんな中でも古いのは嘉禄3年(1227年)鋳造の銘のある重文の梵鐘。寄進者は銘により「大檀那源朝臣信綱」、平治の乱の落武者であったと言われます。鋳物師は源吉国で源姓鋳物師では県下最古。鐘は平安様式を残しながら鎌倉時代の様式も見られ通常二つある撞座(つきざ)が一つしかないのも特徴です。しかしこれが座間の由来になった訳ではないようです。梵鐘は凡将にも通じるのでどうかと思いますが、信綱なりの考えがあったのでしょうか?星に願いを掛ける程、浪漫チックだったとも思えないので不思議な話です。
 戦国時代には後北条氏の庇護を受け、早雲の曾孫氏照は出陣の際に度々ここを宿舎にしています。それから出典は失念しましたが、武田信玄が関八州を制圧した際にはここを中心にする意図があったらしい事です。高座郡のほぼ中央には位置し相模の国府も近いですが何故ここだったのか。信玄にどのような政治意図があったのかは永久に謎となりました。これも不思議の一つでしょう。
 この日は平塚の光明寺(金目観音)、厚木の長谷寺(飯山)、座間の星谷寺(星の谷観音)、いずれも西国に比べ境内が狭いのと巡礼者が少ないのが印象的でした。本堂の雰囲気も何だか似ています。出発は遅れましたが意外と早く回ることができ、怪我の【光明】というのが【星谷】を得ているように思いました。最後は御朱印で終了ですが、星谷寺では予め利用券を購入する必要が…。私も各地を巡礼しましたがこんな事は初めて。最後も不思議で〆となりました。

124-3-1.jpg
星の谷観音入口
小田急座間から徒歩5分、境内には槇、銀杏の大木が。

124-3-2.jpg
聖観音を祀る観音堂

124-3-4.jpg
観音堂の扁額

124-3-5.jpg
観音堂奥の境内

124-3-6.jpg
七不思議の一つ 星の井戸
昼間でも星が見えると言う。

124-3-7.jpg
星谷寺で御朱印(納経)するには券売機でチケットを購入するのがエチケット

124-3-8.jpg
星の谷観音御朱印

124-3-9.jpg
座間郵便局 ; 丹沢山、重文・星谷寺梵鐘、座間の大凧

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <上> 川崎・横浜・北相模・三浦半島


坂東三十三ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,782から
(2019/5/15 10:06時点)



坂東三十三カ所めぐり (楽学ブックス)

新品価格
¥1,728から
(2019/5/15 10:07時点)



心いやされる旅 坂東三十三か所めぐり 秩父三十四か所めぐり

新品価格
¥1,296から
(2019/5/15 10:08時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

飯山観音(神奈川県厚木市) 坂東六番札所の御朱印

2019.05.15(20:20) 274

【あつぎ】の観音様 (2015.5.17)

<コース>
JR横浜 → JR平塚 → 金目観音 → 秦野 → 本厚木 → (神奈川中央交通18・19・20・21) → 飯山観音前 → 徒歩10分 → 飯山観音 → (神奈川中央交通18・19・20) → 本厚木

124-2-3.jpg
飯上山 長谷寺(高野山真言宗 坂東三十三ヵ所第六番札所 東国花の寺百ヵ寺神奈川六番) 
先に見えるのは仁王門で花の寺らしく両脇には桜や紫陽花が。

 金目観音の後は秦野から小田急で本厚木下車。ここから新宿までは本数も増え通勤圏に入った感じですが、駅からバスで20分の飯山はゴルフ場、温泉やハイキングコースがあるものの駅前の喧騒とは打って変わって静寂の地。この辺りの字に小鮎とあるのを見ても鮎が躍るような場所だったのでしょう。バス停から庫裏橋を渡り400m程進むと飯山観音の石段下。密教系古刹であれば重々しい雰囲気を想像しますが、いたって開放的。日差しと境内に植えられた樹木のせいでしょうか。とくに桜は有名で。厚木市の人にとっての花見の第一の場所だとか。

 飯上山長谷寺(ちょうこくじ)は通称飯山観音。寺伝に拠れば、
『神亀2年(725年)行基が霊水伝説に関わり創建、本尊の十一面観音は行基の作と言われる。その後、弘法大師に帰依した領主の飯山権太夫が伽藍を建立し真言密教の寺として再興。永延2年988年には坂東巡礼札所六番になった。』
とあります。
 本尊の木造十一面観音像は10.6㎝の仏さまですが、楠の一木造りである175㎝の胎内仏となって居り更に厨子に安置された秘仏。行基の作ということで三重に守られていますが、これも【厚着】だからでしょうかね?

124-2-1.jpg
飯山観音への入り口にある朱塗りの庫裏橋
飯山温泉の所にある。大阪の犬鳴山七宝龍寺と似た感じ。

124-2-2.jpg
本堂までの石段

124-2-4.jpg
江戸中期建立の本堂
堂内には本尊に加え鎌倉期の諸仏像が祀られている。

124-2-5.jpg
本堂前面の垂木と彫刻

124-2-6.jpg
本堂前から厚木市内を望む

124-2-7.jpg
飯山観音御朱印

124-2-8.jpg
厚木市マンホールカード     配布場所はこちら

124-2-9.jpg
小鮎郵便局 ; 飯山観音、白山森林公園の桜

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <上> 川崎・横浜・北相模・三浦半島


坂東三十三ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,782から
(2019/5/15 10:06時点)



坂東三十三カ所めぐり (楽学ブックス)

新品価格
¥1,728から
(2019/5/15 10:07時点)



心いやされる旅 坂東三十三か所めぐり 秩父三十四か所めぐり

新品価格
¥1,296から
(2019/5/15 10:08時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

金目観音(神奈川県平塚市) 坂東七番札所の御朱印

2019.05.15(10:09) 273

怪我の光明? (2015.5.17)

<コース>
JR横浜 → JR平塚 → (神奈川中央交通71・74・75・78) → 金目駅 → 金目観音 → (神奈川中央交通71・74・75) → 秦野

124-1-3.jpg
金目山 光明寺(天台宗 坂東三十三ヵ所第七番札所)
右が観音堂(本堂)、左は歓喜堂。

 坂東三十三ヵ所1~4番にお参りしたので次は5番から。ところが地図で調べると今までと違って駅から遠い。さてどうしたものかと思っていましたが、ネットで調べると意外とバスの便があってバス停から近い模様。江戸時代の巡礼は徒歩ですが私にはそのような拘りはないので公共の交通機関は積極的に利用。また順番通りに行くのが常道でしょうが、そんな拘りも捨てて移動に無駄のないルートを選択。
 当日の気象が怪しかったので遅めの起床。JR平塚駅から小田急秦野駅に向かうほぼ中間で下車。
 金目山光明寺(かなめさんこうみょうじ)は金目川沿いに建つ古刹。縁起に拠ると、
『大宝2年702年に、ある漁民が大磯の浜で拾った観音像を、天平年間に行基が彫った新たな観音像の中に収めたところ霊威が盛んになった。』
とあります。
 本尊は寄木造りの聖観世音菩薩立像で平安末期の作。禅宗様式の厨子に安置されており明応7年(1498年)の銘のある前立観音が置かれています。縁起とは年代が異なり【おおうそ】とは思いませんが、坂東三十三ヵ所の寺の縁起でよくある海からの本尊出現譚。海岸に流れ着いた流木を刻んだか、海岸に漂着した光り輝く物体を本尊にしたのか、いずれにせよ【光明】な話です。
 
 鎌倉時代には源頼朝の、室町時代には足利氏や関東公方の庇護を受け繁栄。永享の乱・応仁の乱で一時的に荒廃しますが、明応年間に太田道灌はじめ地域の人々の力で再建。江戸時代には伽藍も復興します。明治期に衰退しますが後に復興と、文字通り七転八起の沿革。境内も広大とは言えませんが平野の真ん中の川沿いで地域の【かなめ】だったのか、【金目】という名前が人を惹き付けたのか定かではありませんが、幾度も衰退したことで却って栄えているのは怪我の【光明】と言えるでしょうか?

124-1-1.jpg
金目(かなめ)川の北岸に建つ仁王門
バス停から直ぐ。

124-1-2.jpg
境内から仁王門を見る

124-1-4.jpg
正面から見た観音堂

124-1-5.jpg
観音堂の屋根

124-1-6.jpg
金目観音御朱印

124-1-7.jpg
平塚西郵便局 ; 富士山、丹沢連峰、金目川、市花・撫子、重文・光明寺本堂内厨子

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <下> 鎌倉・湘南・足柄


坂東三十三ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,782から
(2019/5/15 10:06時点)



坂東三十三カ所めぐり (楽学ブックス)

新品価格
¥1,728から
(2019/5/15 10:07時点)



心いやされる旅 坂東三十三か所めぐり 秩父三十四か所めぐり

新品価格
¥1,296から
(2019/5/15 10:08時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

野崎観音(大阪府大東市) 歌に詠われた野崎詣りの御朱印

2019.05.14(10:13) 272

野崎詣りは○○○で参ろう!(2019.5.11)

<コース> 学研都市線、おおさか東線は日中15分間隔で運転
JR大阪 → (大阪環状線) → JR京橋 → (学研都市線)→ JR野崎 → 徒歩10分 → 野崎観音 或いは
JR大阪 → (おおさか東線) → JR放出 → (学研都市線) → JR野崎 → 徒歩10分 → 野崎観音

123-2-1.jpg
福聚山 慈眼寺(曹洞宗)

 今のように観光が主流ではなかった江戸時代にあって、お詣りと言うのは庶民の一大娯楽でした。家を離れて羽を伸ばせる事で非日常が体験できたからに他なりません。各地で門前町が発達したのも頷けます。
 大阪で有名なお参りの一つが野崎参り。東海林太郎の「野崎小唄」、三代目桂春団治の十八番「野崎詣り」で全国的に有名です。かつては『♪野崎詣りは屋形船で参ろう♬』と歌詞にあるように天満橋の八軒家浜から寝屋川を遡り深野池まで船で行くもので、そのとき船に乗った人と丘を歩く人が口喧嘩をするのが落語の粗筋。枚方の「くらわんか船」でも売り手が買い手に悪口を言うとあるので「北河内は始終口喧嘩をしているのかい!」となりますが地元の会話を喧嘩と勘違いした旅人の話が誇張され、そのようなスタイルができたのでしょう。
 最近は八軒家浜から淀川を遡るツアーも人気なようですから、もし江戸時代の屋形船を再現できれば結構な客寄せになるでしょうが、寝屋川は今でもありますが残念ながら深野池はなし。通常は大阪市内から学研都市線で行きますが、今春開通したおおさか東線を使えばJR新大阪駅からも便利になりました。地元の私は自宅から自転車。情緒も何にもあったものではないですが、それでも40分で目指す野崎観音へ到着。正式名を福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)といいます。

123-2-2.jpg
JR野崎駅東の朱塗橋を渡り参道へ
久作とはお染久松の登場人物

123-2-3.jpg
真っすぐ伸びた道の向こうの山の中腹が目指す野崎観音

123-2-28.jpg
大東市マンホール蓋
江戸時代の野崎詣りをデザイン

123-2-29.jpg
大東市マンホールカード     配布場所はこちら

123-2-4.jpg
ここから上り坂になる

123-2-5.jpg
本堂へは更に石段を上る

123-2-6.jpg
西側にある山門
こちらが正門か?

123-2-7.jpg
南側にある楼門
写真に使用されるのがこちらで奥に見えるのが本堂

『福聚山慈眼寺の創建は今から1300年前、天平勝宝年間に大仏開眼のために来朝した婆羅門僧が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いたハラナ(鹿野苑)に似ている」と話すのを聞いた行基が観音様を刻んで安置したのが始まり。
一条天皇の頃、淀川右岸に住む遊女・江口の里の長者が病を長谷観音に祈願して治ったお礼に現在地に移して再興、永仁年間(1293~1298年)には入蓮僧正が秦氏の協力を得て伽藍を大修復するも三好・松永の永禄の乱で本尊を残して残らず焼失。元和2年(1616年)に青巌和尚により三度復興を果たした。近世には近松の浄瑠璃『新版歌祭文』のお染・久松で有名になった。』
と言うのが説明書にある寺伝です。
 生駒山地の中腹にあって大阪平野が一望でき、飯盛山を経て大和へも抜ける位置にあった事から古代から修験道の場所として重視されたのでしょう。生駒山の西麓に沿って古刹や古社が続くことがそれを物語っているように思います。寺伝の登場人物は想像の域でしょうが、文学に題材を採ったために、関係のある人物を後付けで持ってきた感があります。 
 かつては5月1~10日の無縁経法要期間中は近隣にない盛況だったとは地元の年配の方々の談。今もGW期間中は大勢の参拝客が押し寄せます。市内から離れた山裾にありますが『山椒はピリリと辛い』が似合うお寺と言えそうです。おっと、小粒を落としたので探さないといけませんな。

123-2-8.jpg
楼門近影

123-2-9.jpg
楼門から境内を望む

123-2-10.jpg
本堂へ石段を上る
本堂は昭和25年(1950年)、日下大龍寺観音堂を譲り受け解体移築したもの。

123-2-11.jpg
本堂近影
本尊は十一面観世音菩薩で白檀の一木彫り。

123-2-12.jpg
本堂前天井に吊るされた安産祈願の張子の犬

123-2-13.jpg
御朱印は本堂右横にて拝受

123-2-14.jpg
本堂裏手の鐘楼
梵鐘は宝永5年鋳造で「枚方住田中河内大目藤原家成」の銘がある。

123-2-15.jpg
裏山から見た本堂(左)と三十三所観音堂

123-2-16.jpg
裏山の高台に建つ観音像

123-2-17.jpg
高台にある石造九重層塔
永仁2年(1294年)に沙弥入蓮と秦氏により建立された北河内最古の層塔。

123-2-18.jpg
高台から境内を見下ろす

123-2-19.jpg
見晴台へ向かう

123-2-20.jpg
見晴台から見た市内

123-2-21.jpg
本堂前の十六羅漢像
『野崎観音十六らかん、うちの親父は働かん』と北河内の子供に歌われる程であったが、昭和26年の土砂崩れで羅漢堂は崩壊。現在、再建寄進中である。

123-2-22.jpg
本堂隣の江口の君堂
当山中興の祖、江口の君を祀る。女性を守る仏さまとして信仰が篤い。

123-2-23.jpg
庭園にある「お染久松の塚」
近松の作品で知られる。

123-2-24.jpg
境内の会館にあるお染の文楽人形

123-2-25.jpg
お茶席・無庵から見た庭園

123-2-26.jpg
のざき観音説明書

123-2-27.jpg
野崎観音御朱印

123-2-30.jpg
大東郵便局 ; 屋形船で行く野崎詣り、お染久松の碑、お染の人形
大東野崎郵便局 ; 屋形船で行く野崎詣り、お染久松の碑、お染の人形

[参考書]
大阪府の歴史散歩 下 河内・堺・和泉(歴史散歩27)


歩いて楽しむ大阪 (諸ガイド)

新品価格
¥1,026から
(2019/5/14 10:10時点)



野崎観音の謎 隠れキリシタンの寺か!?

新品価格
¥1,404から
(2019/5/14 10:04時点)



週刊誌記者 近松門左衛門 最新現代語訳で読む「曽根崎心中」「女殺油地獄」 (文春新書)

新品価格
¥810から
(2019/5/14 10:12時点)



お染久松 春小袖門松模様

新品価格
¥1,300から
(2019/5/14 10:06時点)



米朝ばなし (講談社文庫)

新品価格
¥843から
(2019/5/14 10:05時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


大阪府 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

長遠寺(兵庫県尼崎市) 寺町のシンボル多宝塔のあるお寺の御朱印

2019.05.13(07:41) 271

多宝は寝て待て(2019.5.9)

<コース>
阪神電鉄梅田 → 阪神尼崎 → 徒歩7分 → 櫻井神社 → 徒歩5分 → 寺町

122-5-1.jpg
大堯山 長遠寺(日蓮宗)

 かつては20を超える寺院があったと言われる寺町ですが、現在残っているのは11ヵ寺。その中でもパンフレットなどでよく使われるのが多宝塔を見るため本興寺に続いて寺町の西へ。
 大堯山長遠寺(だいぎょうざんぢょうおんじ)は、観応元年(1350年)に永存院日恩に拠り現在の七ツ松辺りに創建されたと伝えられます。700年前は海岸線が今のJR付近だったようで、初めは北にあった寺院も尼崎が南に発展するにつれて南下してきたと考えられています。

 天正6年(1578年)に伊丹城に於いて信長に反旗を翻した荒木村重が追われて長遠寺に拠ったため、信長勢の焼き討ちに会い全山焼失。どういう経緯があったかは分かりませんが寺には大きな痛手です。約20年後の慶長3年(1598年)に再建されますが、
慶長 3年(1598年)  本堂
慶長 9年(1604年)  三光堂(現在の妙見堂)
慶長12年(1607年)  多宝塔
慶長17年(1612年)  庫裏
寛永14年(1637年)  鐘楼
このとき堂宇を寄進したのが甲賀谷又左衛門正長という人。慶長17年まで4回、本人死後は遺言により嗣子貞勝が寛永14年と5度に亘っています。人名辞典にも載って居らず歴史的に名が残るような人ではないようですが、戦国時代にはこれだけの財力を蓄えた人が出たと言う事です。お寺も良い大檀那に恵まれたものだと思います。
 日蓮宗寺院としては京都以西で初めて建てられた寺院で七堂伽藍を有しているものは稀。当初は1万坪の敷地に十六の末寺がありましたが、移転等を経て現在残っているのは1坊のみ。しかし残った本堂と多宝塔は重文となり、広大な本興寺とはまた違った景観を見せています。

 寺町巡礼を終えると15時頃。お腹が空いたので駅に戻ろうとすると通りの向かいにタコ焼きの店が。年配の御夫婦が焼いておられメニューを見ると7個¥100単位で子供は7個、大人は14個から。早速¥200分購入して店先で多宝塔を眺めながらのタコ焼きで〆となりました。

122-5-2.jpg
寺町の西側からの景色

122-5-3.jpg
多宝塔のある景色

122-5-4.jpg
山門

122-5-5.jpg
山門から見た境内

122-5-6.jpg
重文・本堂
元和9年(1623年)の建立の入母屋造・本瓦葺。

122-5-7.jpg
右側より見た本堂
鳥が翼を広げたような屋根の左右の張りは文化庁審議官に絶賛されたとか。

122-5-8.jpg
本堂前から西側を見る

122-5-9.jpg
重文・多宝塔
慶長12年(1607年)の建立で、内部には釈迦如来像を安置。寺町を代表する建築物である。

122-5-10.jpg
ツツジ越しに見る多宝塔

122-5-11.jpg
1627年建立の鐘楼

122-5-12.jpg
横から見た本殿

122-5-13.jpg
本堂から書院に続く廊下

122-5-14.jpg
1668年建立の庫裏(右)と1611年建立の書院(客殿)

122-5-15.jpg
庫裏の前庭

122-5-16.jpg
長遠寺の栞

122-5-17.jpg
長遠寺御朱印
丁度、御住職が戻られたので墨書を拝受。

122-5-18.jpg
通りを隔てた向かいの「たこやき岡」にて ¥200

122-5-19.jpg
尼崎郵便局 ; 復元された尼崎城、重文・長遠寺多宝塔

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <上> 神戸・阪神・淡路


兵庫 ぶらり歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,760から
(2019/5/12 16:49時点)



尼崎百物語 (のじぎく文庫)

中古価格
¥1,720から
(2019/5/12 16:52時点)



大阪・兵庫 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/12 16:54時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


兵庫県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

本興寺(兵庫県尼崎市) 寺町にある巨刹の見開き御朱印

2019.05.12(22:07) 270

工業地帯の中にある寺町へ(2019.5.9)

<コース>
阪神電鉄梅田 → 阪神尼崎 → 徒歩7分 → 櫻井神社 → 徒歩5分 → 寺町

122-4-20.jpg
本興寺(法華宗本門流 大本山)

 阪神尼崎駅から南西へほんの3分も歩くと寺町。
工業都市尼崎にあってここだけ異次元の空間を表しています。町の成立は元和3年(1617年)、尼崎に転封となった戸田氏鉄(うじかね)が尼崎城を築城。その際に城下に散在していた寺院を一ヵ所に集めたのが始まり。
 町から距離を置いて寺院の影響力を弱めると共に厚く高い塀に囲まれた寺院を並べる事で城に対する防御の役割を持たせるという一石二鳥の策ですが、全国の城下町では割合に行われた事なので目新しさはありません。
 工業地帯で駅から至近の立地条件ともなれば、寺域を売って郊外に出る方が寺も余程【りっち】になった筈ですが、そうならずに今まで残ったという事実を評価すべきでしょう。近年は市民の間にも関心が高まっているようで保存・整備にも力を入れているとか。
そんな中でも、一際威容を誇るのが本興寺。応永27年(1420年)、日隆上人の開基。寺伝によれば、
『日隆上人は越中射水の生まれ。18歳で京都明願寺に入るが、日蓮大聖人に立ち返るべく寺を退出、本能寺を創立した。しかし刺客に襲われ尼崎の浜に移りその地で布教、そこで管領細川満元の要請を受け男子誕生を祈願。それが成就したことで寺領の寄進を受けた』
とあります。法華宗門下と喧嘩して飛び出した訳ですから一途な面があったのでしょうが、後に管領の要請を受けている事を思うと人間的にも大きくなった気がします。 

122-4-1.jpg
山門
境内の南側にある。駅からは反対側だが当時は港側が正門だったと思われる。

122-4-2.jpg
門扉の彫刻

122-4-3.jpg
三光堂拝殿
1597年に豊臣秀吉・加藤清正が寄進したものを1746年に再建。法華経信徒守護神を祀る。

122-4-4.jpg
重文・三光堂本殿
慶長3年(1598年)の再建。三間社流造で正面の軒唐破風は桃山時代様式。三光天子とは日・月・星の神である。

122-4-5.jpg
祖師堂
日蓮大聖人の尊像を祀る。嘉永6年(1853年)の再建。

122-4-6.jpg
鐘楼
阪神淡路大震災の時に修復し、戦国期のものと判明した。

122-4-7.jpg
境内にある御霊水
大正時代に上水道が整備されるまで市民の飲料水であった。

122-4-8.jpg
本堂
文政5年(1822年)に焼失、5年後に再建した。

122-4-9.jpg
本堂横の日蓮上人像
平成13年の開眼。

122-4-10.jpg
山門から見た境内の様子

 開創当時は十六坊で地内町を持つほどの勢力でしたが、移転後は八坊になり今に至ります。事務所で伺った話では、京都の本能寺とは兄弟寺で本能寺が布教の道場であるのに対し本興寺は学問修行の道場とされたとか。そのせいか何となく敷居が高い気がしましたが、入って見ると丁寧な対応をして頂きました。
 伺った時間は丁度会議中で関係者が不在。「お昼頃には一度、戻って来られると思うので」と言う事でしたが、11時半過ぎに戻って来られたので御朱印も拝受。未だ若いお坊さんでしたが二頁に亘る見事な達筆でした。境内には重文の建造物もありますが、寺宝も何点かあるようで、毎年11月3日の文化の日には「虫干し会」と開催して無料で拝観できるとか。これは【法華】の幸いと是非一度見に行く価値があると思った次第です。

122-4-11.jpg
境内西側の四塔頭

122-4-12.jpg
重文・開山堂
開山日隆上人木造(重文)を祀る。唐様二重扇垂木母家撞木造りで文正元年(1466年)の建立と伝えられる。

122-4-13.jpg
本堂後方から方丈へ

122-4-14.jpg
重文・方丈
室町時代の書院造の形式で天文17年(1548年)の棟札があり元和3年(1617年)の移転時に改造が加えられたと考えられる。

122-4-15.jpg
方丈入口
庭園は小堀遠州、襖絵は初期狩野派の曽我紹興と高平春卜の手になる。

122-4-16.jpg
鬼子母神を祀る本成院から方丈を望む

122-4-17.jpg
方丈に続く庫裏
前の看板は本興寺のゆるきゃら

122-4-18.jpg
境内の北側にある三重宝塔
最も目立つ建造物だが、昭和49年に納骨堂として建立された。

122-4-19.jpg
北門外から境内を見る
阪神尼崎駅からだとこちらが近い。

122-4-21.jpg
大本山 本興寺説明書

122-4-22.jpg
本興寺御朱印

122-4-23.jpg
阪神尼崎駅前郵便局 ; 復元された尼崎城、本興寺三重塔

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <上> 神戸・阪神・淡路


兵庫 ぶらり歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,760から
(2019/5/12 16:49時点)



尼崎百物語 (のじぎく文庫)

中古価格
¥1,720から
(2019/5/12 16:52時点)



大阪・兵庫 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/12 16:54時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


兵庫県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

櫻井神社(兵庫県尼崎市) 櫻井櫻の神紋がある御朱印

2019.05.12(16:56) 269

尼崎には「じょう」がある(2019.5.9)

<コース>
阪神電鉄梅田 → 阪神尼崎 → 徒歩7分 → 櫻井神社

122-3-1.jpg
櫻井神社

 阪神工業地帯の一角を占める尼崎ですが江戸時代は城下町。この度、尼崎城が四分の三規模で復元され2019.3.29より公開。周辺の郵便局もこれを機に風景印デザインを一新したので【こうかい】することのないように訪問することに。
 尼崎城は大坂夏の陣後の元和3年(1617年)、徳川幕府により命じられた譜代大名戸田氏鉄が築城。三重の堀、四層の天守閣と5万石にしては大きな規模ですが、大坂を直轄地にした幕府としては西の守の要として重視したのでしょう。
 その後、青山氏、櫻井松平氏と城主は変わり明治維新に。廃城によってなくなりましたが、旧ミドリ電化創業者の安保氏が「創業の地に恩返しを」と10億円を寄付された事で再建が実現しました。天守閣の復元については全国でも賛否両論あるようですが、地元では『ジョーのある町尼崎』として活性化に向けているようです。

122-3-2.jpg
復元した尼崎城
庄下川沿いの城址公園に建つ。2019.3.29より公開。

122-3-3.jpg
東側から見た天守
未だ1ヵ月程なので堀の水も透明である。

122-3-4.jpg
城の南側にあるポスト
ここまで鯱張らなくとも良い気がするが。

122-3-5.jpg
城の南にある国文学者契沖の生誕碑
尼崎藩士の子として寛永17年(1640年)に尼崎で生まれた。

 その神社のすぐ南にあるのが櫻井神社。明治15年(1882年)と新しいですが旧尼崎藩士が中心となって城内に建立。昭和36年(1961年)、国道43号線の敷設によって旧三ノ丸跡に移りました。御祭神は櫻井松平家初代信定公から十六代忠興公までの十六柱。神紋は日本で唯一の櫻井櫻、殿様の家紋でもあります。徳川庶家とはいえ領主が神様というのも珍しいように思います。
 櫻井松平家は七代目忠頼公の時に改易となりますが八代目忠重公の地道な努力で大名に返り咲いています。歴代藩主の事績を見ると十二代忠告公は文学的素養で聞こえ、最後の忠興公は西安戦争で敵味方の区別なく負傷者を看護し日本赤十字社の誕生に至ります。華々しい戦場の手柄よりも領内の安定に寄与する事が多かったようで、これもトップに立つ人に必要な器量でしょう。
 最近ではジャニーズやミスチルファンに音楽の聖地としても人気なようです。時代が変わると御利益も変わると言うことでしょう。
 尤も、【嵐】が来て桜が【見ず散る】にならなければ良いですが…。

122-3-6.jpg
道路の向こうに見える櫻井神社

122-3-7.jpg
南(港側)から見た境内

122-3-8.jpg
拝殿

122-3-9.jpg
由緒

122-3-10.jpg
屋根瓦にも櫻井櫻が

122-3-11.jpg
拝殿前にある十二代忠告公の句
尼崎城外堀の石杭に刻まれている。

122-3-12.jpg
幕末の本丸御殿練瓦

122-3-13.jpg
本殿
寄進者の石に桜井忠道とある。宮司氏の話では殿様の末裔は江戸住まいだとか。

122-3-14.jpg
北側から見た本殿

122-3-15.jpg
櫻井神社由緒

122-3-16.jpg
櫻井神社オリジナル御朱印帳
古地図の城と桜なので人気が高いらしい。

122-3-17.jpg
櫻井神社御朱印
私よりも少し年配の宮司氏の墨書

122-3-18.jpg
西へ徒歩7分の尼信会館(後方)と尼信記念館 入館無料
尼崎信用金庫創業80周年の記念事業の一環として平成13年に開設。歴史的資料を展示。

122-3-19.jpg
尼崎市マンホール蓋 その1
阪神尼崎駅北側に設置

122-3-20.jpg
尼崎市マンホール蓋 その2
城の復元に合わせ阪神尼崎駅南側に設置。

122-3-21.jpg
尼崎市マンホールカード     配布場所はこちら

122-3-22.jpg
尼崎大物郵便局 ; 復元された尼崎城、大物主神社

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <上> 神戸・阪神・淡路


兵庫 ぶらり歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,760から
(2019/5/12 16:49時点)



尼崎百物語 (のじぎく文庫)

中古価格
¥1,720から
(2019/5/12 16:52時点)



大阪・兵庫 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/12 16:54時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


兵庫県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

無量壽寺(愛知県知立市) 業平の愛した燕子花のお寺の御朱印

2019.05.11(22:10) 268

歌人業平は恋も「い知立」で有松(2019.5.10)

<コース> 名鉄本線は日中10分間隔、名鉄三河線は15分間隔で運転
名鉄名古屋駅 → (名鉄特急) → 知立 → 三河八橋 → 徒歩5分 → 無量壽寺

123-1-1.jpg
八橋山 無量壽寺(臨済宗妙心寺派)

GW10連休も終わった10日、ふと思い立って【とうか】いどうを東へ。
江戸時代の東海道は現在の東海道線に引き継がれていますが豊橋から名古屋までは名鉄本線になっています。途中遊郭が多かったから国鉄は鉄道誘致を避けたと誠しやかに言われていますが、勾配がきつかったのが原因とか。白須賀(32番)付近と同じ理由のようです。
 知立(ちりゅう)は東海道39番目の宿。京都から行くと尾張を終わり三河に入った場所になります。知立の古い表記は池鯉鮒、池や河川が多く存在し湿地帯だったのでこのような表記になったのでしょう。初めて見たときは読めませんでしたが、こちらのほうが断然味があります。

123-1-2.jpg
東海道池鯉鮒宿本陣跡
廣重の絵にあるように馬市が有名であった。

123-1-3.jpg
東海道沿いにある和菓子店
看板の池鯉鮒の文字に時代が感じられる。

それよりも知立と言えば在原業平所縁の歌枕として有名。名鉄知立駅から豊田方面に2駅行くと三河八橋駅。業平が伊勢物語第九段東下りで、ここ八橋で燕子花の歌を詠んだ事で一躍有名になりました。「かきつばた」という五文字を句の上にすえて

・からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ

と詠みました。折句という手法ですが、伊勢物語の白眉と言われています。

私も負けじと 「かきつばた」という五文字を句の下にすえると

・やつはしか ちりふあんまき つまみつつ いえをおもへば たびぞらのした

という感じでしょうか?
 八橋とは川筋がいくつもあった湿地帯に地元の人が架けた橋と思っていましたが、母に会うために川を渡ろうとした二人の子供が溺れたという悲しい出来事が元にありました。それを悲しんだ母は出家して夢のお告げにより流れ着いた木材で八つの橋を架けたとか。
 言い伝えではありますが当時はあちこちでこんな事があったのでしょう。この話を伝え聞いた京都の西尾家はお菓子を作り販売。これが今に続く八ツ橋の起こりです。

123-1-4.jpg
八橋かきつばた園(無量壽寺)の入口
神仏習合の名残で無量寿寺と日吉山王社が敷地内に同居。

123-1-5.jpg
園奥にある在原業平像

123-1-6.jpg
かきつばた園にある業平歌碑

123-1-7.jpg
伊勢物語の解説

123-1-8.jpg
園入口右にある石碑
京都 本家西尾八ツ橋からの寄進。

123-1-18.jpg
境内にある八橋伝説二児供養塔

 この八橋の中心寺院が八橋山無量壽寺(やつはしざんむりょうじゅじ)。江戸時代の神仏習合も名残か境内には神社も併設している開放的なお寺でした。寺伝によれば、
『奈良時代の慶雲元年(704年)の創建の東海山慶雲寺が前身。できた当時は真言宗で弘仁12年(821年)に密円法師が住持し東海山無量壽寺と名が変わり、延喜2年(902年)に八橋へ移り山号も八橋山になった』
とあります。
 業平の故事でもあるように燕子花の名勝地でしたが、江戸時代の宝永8年(1711年)に臨済宗妙心寺派になった頃には見る影もなく衰退。文化9年(1812年)にここに来た方巌売茶翁(ほうがんばいさおう)というお坊さんはそれを嘆き、寺院を再興し庭園も整備。同時に燕子花庭園も完成しました。今に続く燕子花は売茶翁の努力の賜物と言う訳です。
 現在でも燕子花園の維持管理は地元のボランティアが中心で、燕子花の季節でも拝観料なし。お寺の話では「塀もなく、どこからでも入れるので」との事ですが、その心遣いが有難いです。【むりょう】壽寺の寺名は伊達ではありません。知立では毎年ミス燕子花を4名選ぶそうですが、燕子花園にあるお茶室ではかつての方々からお茶を頂きました。

123-1-9.jpg
入口右横の「かきつばた園」

123-1-10.jpg
無量壽寺入口
屋根の付いた山ではない。

123-1-11.jpg
境内遠景

123-1-12.jpg
庫裏

123-1-13.jpg
庫裏横の業平竹

123-1-14.jpg
本堂前の芭蕉連句碑
安永6年(1777年)に芭蕉が立ち寄った際の句を下郷学海が建立。

123-1-15.jpg
八橋古碑(亀甲碑)
荻生徂徠の弟子が在原業平の故事を書き付けたもの。

123-1-16.jpg
無量壽寺本堂
本尊は聖観音。

123-1-17.jpg
杜若姫供養塔
業平を追ったが想い叶わず自害したとされる小野篁の娘杜若を祀る。

123-1-19.jpg
業平の井戸

123-1-20.jpg
茶室:燕子庵

123-1-21.jpg
茶室内

123-1-22.jpg
頂いたお菓子「かきつばた」
名古屋の老舗「両口屋」の作

123-1-23.jpg
茶室入口からかきつばた池を見る

123-1-24.jpg
池越しに見る本堂

123-1-25.jpg
池越しに見る庫裏と本堂

123-1-26.jpg
かきつばた池(心字池)

123-1-27.jpg
池越しに見る茶室

123-1-28.jpg

123-1-29.jpg

123-1-30.jpg

123-1-31.jpg

123-1-32.jpg
最も奥のかきつばた池
周囲に樹木が少ないので陽当たりが良い。

123-1-33.jpg
密生して咲いている燕子花

123-1-34.jpg
八橋山無量壽寺説明書

123-1-35.jpg
無量壽寺御朱印

123-1-36.jpg
昼食は園内の売店で
うどん¥450+あんまき¥170

 無量壽寺以外にも近くには鎌倉街道沿いに業平所縁の史跡があり徒歩で巡礼。業平が何故、八橋の燕子花を見に行ったかですが、いずれ菖蒲か燕子花と言う位ですから女性に会いに行ったのが本音だったような気がします。都の妻を詠むというのもわざとらしいですし、なにか心に【八橋い】事があったに違いありません。

123-1-37.jpg
在原寺(ざいげんじ)
寛平年間(889~897年)に業平塚を守る人の御堂として建立。その後、法灯が途絶えたが文化6年(1809年)に方巌売茶翁が再興した。

123-1-38.jpg
在原寺本堂
代々庵主様が守っていたが今は無住で、無量壽寺の管轄。

123-1-39.jpg
業平供養塔
高さ10m程の丘の上にある宝篋印塔。鎌倉末から室町初期の製作。

123-1-40.jpg
根上りの松
街道沿いにあり多くの浮世絵に描かれた。

123-1-41.jpg
落田中の一松
業平が「かきつばた」の歌を詠んだ場所と伝わる。

123-1-42.jpg
知立市マンホール蓋 その1

123-1-43.jpg
知立市マンホール蓋 その2

123-1-44.jpg
知立郵便局 ; 無量寿寺のカキツバタ、八橋
知立本町郵便局 ; 東海道39番目池鯉鮒宿、市花・カキツバタ、重文・知立神社多宝塔

 知立の後は名鉄で名古屋市内へ移動。有松は絞りで有名ですが切妻・中二階・漆喰塗り込め・虫籠窓が特徴の伝統的建造物保存地区。旧東海道でしかも政令指定都市でこれだけ街並みが残っているのは奇跡的です。元来、池鯉鮒と鳴海の間の宿と言う位置づけでした。しかし廣重が描いた鳴海は有松宿でしたし、残ったのも有松というのも皮肉なものです。1794年に大火に見舞われましたが藩の援助もあり復興。豪壮な街並みが形成されました。その後は災害にも会わず現在に至ります。火事も【商家】には歯が立たなかったのでしょうね。

123-1-45.jpg
有松宿の東海道
緩やかに蛇行しているのが分かる。正面の二階建ては味噌煮込みうどんの寿限無庵。

123-1-46.jpg
井桁屋服部孫兵衛家(絞り問屋)
1784年の大火後の建築。母屋の端にあるのは本卯建で右の白壁蔵も所有。

123-1-47.jpg
江戸後期築の山田家(絞り問屋)

123-1-48.jpg
竹田嘉兵衛家(笹加)
江戸後期の築、一階の屋根にガス灯が載る。

123-1-49.jpg
有松宿の西端にある小塚家(商家)

[参考書]
愛知県の歴史散歩 <上> 尾張

愛知県の歴史散歩 <下> 三河


東海道ふたり旅: 道の文化史

新品価格
¥2,160から
(2019/5/11 21:45時点)



歩いて旅する東海道

新品価格
¥1,944から
(2019/5/11 21:46時点)



新版 ちゃんと歩ける東海道五十三次 西 見付宿~京三条大橋 +佐屋街道

新品価格
¥1,400から
(2019/5/11 21:46時点)



伊勢物語 (岩波文庫)

新品価格
¥562から
(2019/5/11 22:07時点)



伊勢物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

新品価格
¥778から
(2019/5/11 22:07時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


愛知県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

常楽寺(神奈川県鎌倉市) 建長寺の元になったお寺の御朱印

2019.05.11(00:01) 267

政治家が常楽、泰平になる時(2015.5.9)

<コース>
京浜急行横浜 → 新逗子 → 徒歩15分 → 岩殿寺 → 徒歩30分 → 安養院 → 徒歩60分 → 常楽寺 → 徒歩10分 → 大船観音 → JR大船 → JR横浜

122-2-1.jpg
粟船山 常楽禅寺(臨済宗建長寺派)

 三番札所あとは北鎌倉から常楽寺を経て大船まで行脚。鎌倉から北鎌倉まではよく歩くので【大船】に乗った気で始めましたが終いには足に【逗子】りと来る羽目に。JR三駅分でしたから【常楽寺】とはいきません。
 途中、住宅街の先にあったのが常楽寺で御成敗式目を制定した北条泰時が夫人の母の追福のために嘉禎3年(1237年)建立した粟船御堂がその前身。粟船とは大船の古名で開山供養は退耕行勇。仁治3年(1242年)に泰時が没するとここに葬られる事になり、泰時の法名を採り常楽寺と呼ばれる事になりました。
 初めは密教系、浄土宗系の寺院でしたが、五代目執権北条時頼の時に宋の蘭渓道隆が招かれて住持となり一気に禅宗色が強まることに。後に建長寺が建立されると中心はそちらに移りますが、建長寺の根本という事で重きを置かれることになりました。
北条泰時は三代目執権、父義時の後を受け幕府の基礎を固めました。神皇正統記で承久の乱を暴挙と記載した北畠親房も義時・泰時の手腕をほめています。政治家として多忙を極めたようで、名前のような【泰時】はなかったようです。

・こと繁き 世の習いこそ ものうけれ 花の散るらむ 春も知られず
というのが彼の辞世。後ウマイア王朝のカリフ、アブドル・ラフマーン三世も同じようなことを残していますから、本来政治は花を愛でる暇もないようなものなのでしょう。政治に携わる方々には知って貰いたい話です。

122-2-2.jpg
山門脇の説明板

122-2-3.jpg
山門
十七世紀の建立の茅葺四脚門

122-2-4.jpg
常楽寺の仏殿(右)と文殊堂(左)
仏殿は元禄4年(1691年)の建立で、天井には狩野雪信による「雲龍図」が描かれている。

122-2-5.jpg
常楽寺庭園

122-2-6.jpg
粟船山 常楽禅寺誌

122-2-7.jpg
常楽寺御朱印

 後は、大船駅から電車に乗るだけでしたが、いつも電車の窓から見える白衣観音様が気になり再び横道へ。昭和35年に世界平和を願って建立された新しい仏様ですが、私も平和を願って参拝・御朱印を頂きました。政治家の力だけでは平和は維持できるものではないですから。

122-2-8.jpg
大船観音寺(曹洞宗)の観音様

122-2-9.jpg
観音様は内側も参拝できる

122-2-10.jpg
大船観音寺御朱印

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <下> 鎌倉・湘南・足柄


神奈川 歴史探訪ルートガイド

新品価格
¥1,728から
(2019/5/10 23:54時点)



鎌倉 札所めぐり 御朱印を求めて歩く 巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,728から
(2019/5/10 23:54時点)



北条泰時 頼朝の理想を実現した男

新品価格
¥1,620から
(2019/5/10 23:57時点)



神皇正統記 (岩波文庫)

新品価格
¥842から
(2019/5/10 23:58時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

岩殿寺&安養院(神奈川県逗子市&鎌倉市) 坂東二番、三番札所の御朱印

2019.05.09(22:28) 266

試してがんでん、切通し! (2015.5.9)

<コース>
京浜急行横浜 → 新逗子 → 徒歩15分 → 岩殿寺 → 徒歩30分 → 安養院

122-1-1.jpg
海雲山 岩殿寺(曹洞宗 坂東三十三ヵ所第二番札所)

 関東への単身赴任も一段落。坂東三十三ヵ所なるものがあるので早速行こうと思いましたが、1番札所杉本寺は既に参拝済。当時は坂東札所巡りなど OUT OF 眼中だったのでしょう。それでは正攻法でという事で順番通りに行くことに。
 曇天のため昼前に家を出て京急新逗子から徒歩で2番札所へ。
海雲山岩殿寺(がんでんじ)は養老5年(年)徳道上人が開基、行基が十一面観音を作って安置したと言われる古刹ですが、駅からの道がよくわからず迷った挙句にようやく到着。
 かつては源頼朝が参詣し、徳川家康に拠って再興されましたが、明治の廃仏毀釈で衰退。拝観も入口の無人の箱に志納¥100を入れるだけ。安価なのはありがたいですし、お寺自体は閑静な佇まいですが、裏を返せば人が来ないという事で、すぐ隣の鎌倉の賑わいとは対照的でした。本堂の観音堂へは少し高台に上りますが、そこからは市内が見渡せるので建造したと言うことでしょう。尤も海雲山とは言うものの、雲海が見える程の高さではありません。
 その後は逗子駅に戻るのも面倒なのでそのまま歩いて法性寺の奥から。法性寺は日蓮ゆかりの寺で、扁額は「猿畠山」で二匹の白猿が支えています。帝釈天の使いである白猿に日蓮が助けられたことに由来するとか。帝釈天なら猿やなくて【寅】だろう等と考えているうちに鎌倉の3番札所安養寺へ。名越切通で【湘南】することなく疲れも【猿】事ができました。

122-1-2.jpg
海雲山岩殿寺山門
坂東二番札所、逗子の山の麓にある静かな寺。

122-1-3.jpg
境内から観音堂方面を望む

122-1-4.jpg
岩殿寺観音堂
階段を上った先にある。

122-1-5.jpg
観音堂から見た逗子市内

122-1-6.jpg
岩殿寺御朱印(坂東第二番札所)

122-1-7.jpg
日蓮ゆかりの法性寺。
扁額は「猿畠山」で二匹の白猿が支える。

122-1-8.jpg
法性寺本堂

122-1-9.jpg
名越の切通し

 祇園山安養院は坂東三番札所で前身は尊観が創建した善道寺。北条政子が頼朝の菩提を弔うために長谷笹目に建てた律宗の長楽寺が鎌倉攻めで焼失、善道寺に移ることになり、寺号を長楽寺、院号を北条政子の法名の安養院に改めたとされます。本尊は浄土宗なので阿弥陀如来ですが、その後ろの千手観音は比企ヵ谷の田代寺にあったもの。江戸時代に統合され移ってきました。良縁・出世に御利益があると昔から信仰されています。坂東の札所も本尊ではなく、この十一面観音。後から来たのに追い越すとは【先住】観音の名は伊達ではない模様。執権北条氏の世になって源氏が【ちょうらく】したとは言えども幕府創設期の立役者、皆から【あんよう】に思われているのが伝わってきます。
 安養院はツツジの花でも知られ、意識して来た訳ではありませんが、ツツジの花盛りに遭遇することができました。これで、1~3番札所が終了ですが帰って確認すると以前に田代観音として拝観していたことが判明。ツツジではなくボケが咲き始めたかと【木になった】次第。

122-1-10.jpg
祇園山 安養院 田代寺(浄土宗 坂東三十三ヵ所第三番札所)

122-1-11.jpg
説明板

122-1-12.jpg
安養院本堂
本尊は阿弥陀如来。

122-1-13.jpg
安養院境内
ツツジの寺として知られる。

122-1-14.jpg
重文・宝篋印塔
徳治3年(1308年)の銘がある。

122-1-15.jpg
樹齢700年のイヌマキの大樹

122-1-16.jpg
安養院御朱印(坂東第三番札所)

[参考書]
神奈川県の歴史散歩 <下> 鎌倉・湘南・足柄


坂東三十三ヶ所札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,782から
(2019/5/9 22:25時点)



坂東三十三カ所めぐり (楽学ブックス)

新品価格
¥1,728から
(2019/5/9 22:26時点)



鎌倉 札所めぐり 御朱印を求めて歩く 巡礼ルートガイド

新品価格
¥1,728から
(2019/5/9 22:27時点)



心いやされる旅 坂東三十三か所めぐり 秩父三十四か所めぐり

新品価格
¥1,296から
(2019/5/9 22:28時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


神奈川県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

瑞竜寺(滋賀県近江八幡市) 秀次所縁の門跡寺院の御朱印

2019.05.08(22:36) 265

名君を暴君とは殺生な!(2018.5.5)

<コース> 新快速は日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪(8:30) → (新快速) → JR近江八幡(9:35)

JR近江八幡駅 → 日牟礼八幡宮 バス10分orレンタサイクル15分or徒歩25分

 洋館巡りの後は昼食。八幡堀沿いに建つ喜兵衛は270年続いた肥料問屋を改装した郷土料理の店。映画のロケでも度々登場し「人生の楽園」でも放送されました。近江八幡は近江牛が有名ですが、ここでは地元の産物を使った郷土料理がメイン。特に店の方が太鼓判を押すだけあって鯉の甘露煮が絶品でした。かつての商家の座敷で庭を見ながらの食事は、味良し・値段良し・眺め良しの三方良しと近江商人の美学そのままでした。

121-2-1.jpg
八幡宮から堀を湖方面へ

121-2-2.jpg
昼食は八幡堀沿いの「喜兵衛」にて
270年続いた肥料商で、安政4年建築。

121-2-3.jpg
喜兵衛玄関

121-2-4.jpg
喜兵衛の庭

121-2-5.jpg
ここで庭を見ながら食事

121-2-6.jpg
食事の始まり

121-2-8.jpg
喜兵衛御膳
赤蒟蒻、近江牛や琵琶湖の幸が入って¥2,500

121-2-7.jpg
琵琶湖の鯉の煮付けも絶品

121-2-9.jpg
喜兵衛の前の八幡堀を行くカヌー

121-2-10.jpg
新緑の八幡堀を進む船

121-2-11.jpg
八幡宮へ渡る橋にて

 食事の後は八幡宮奥のロープウェイで八幡山山頂へ。
瑞竜寺は標高286mの八幡城跡にある尼寺。八幡堀を作った秀次は清州に転封後、秀吉の怒りを買い高野山で切腹。妻子も連座しますが、母の智(秀吉の姉)は出家して日秀尼となり慶長元年(1596年)に息子の菩提を弔うために京都嵯峨の村雲の地に日蓮宗瑞竜寺を建立。昭和37年に秀次所縁の当地に移築されました。村雲御所と呼ばれるのは日蓮宗で唯一の門跡寺院だからで、これは後陽成天皇が寺領を寄進したため。代々皇女や貴族の女性が門跡を務めましたが今は男性になっているそうです。境内は縁結びと恋人の聖地となっていますが門跡寺院だからでしょうか?
 殺生関白などと呼ばれることもある秀次ですが地元では英雄、数々の悪行や秀吉に【問責】された事も誇張されたような気がします。境内は狭いですが、ここからの市内、琵琶湖の眺めは絶景。泉下の秀次公も満足していると思われます。
 山から下ると15時過ぎ。近江八幡の甘味は「たねや」が第一で、八幡宮境内にもお店がありますが、今回は趣向を変えて八幡堀横の石畳にある「あまな」にて。洋館巡りの最後は丁稚羊羹で〆とはなりました。

121-2-12.jpg
八幡山ロープウェイ(近江鉄道経営)で山頂へ
山頂から見た干拓地。

121-2-13.jpg
八幡山の城跡

121-2-14.jpg
村雲御所瑞竜寺門跡(日蓮宗)

121-2-15.jpg
今は恋人の聖地に

121-2-16.jpg
近江八幡市街を望む

121-2-17.jpg
瑞龍寺御朱印

121-2-18.jpg
八幡宮前にある和菓子処「たねや」
向かいには洋菓子のクラブハリエがあってどっちも長蛇の列。

121-2-19.jpg
「たねや」にて、つぶら餅製造風景
一見、たこ焼きに見えた。

121-2-20.jpg
あまな」にて休憩
丁稚羊羹の老舗「和た与」が経営する甘味処。

121-2-21.jpg
竹皮に包んだ羊羹が添えてある
左;宇治抹茶パフェ ¥840   右;朝宮ほうじ茶パフェ ¥840

121-2-22.jpg
近江八幡市マンホール蓋

121-2-23.jpg
近江八幡馬淵郵便局 ; 福寿寺庭園、供養塚古墳
武佐郵便局 ; 本陣跡、花ノ木、ムシャリンドウ、瓶割山

[参考書]
滋賀県の歴史散歩 <下> 彦根・湖東・湖北・湖西


近江路散歩 (とんぼの本)

新品価格
¥1,620から
(2019/5/8 07:56時点)



水と祈りの近江を歩く (淡海文庫)

新品価格
¥1,620から
(2019/5/8 07:58時点)



近江商人と三方よし

新品価格
¥2,160から
(2019/5/8 07:59時点)



近江商人の哲学 「たねや」に学ぶ商いの基本 (講談社現代新書)

新品価格
¥929から
(2019/5/8 08:01時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


滋賀県 トラックバック(-) | コメント(2) | [EDIT]
最近の記事
  1. 長勝禅寺(茨城県潮来市) アヤメの郷のお寺の御朱印(05/26)
  2. 七宝瀧寺(大阪府泉佐野市) 温泉郷にある修験道の御朱印(05/25)
  3. 慈光寺(埼玉県比企郡ときがわ町) 坂東第九番札所の御朱印(05/24)
  4. 吉見観音(埼玉県比企郡吉見町) 坂東第十一番札所の御朱印(05/23)
  5. 岩殿観音(埼玉県東松山市) 坂東第十番札所の御朱印(05/22)
  6. 太山寺(神戸市西区) 神戸市内唯一の国宝の御朱印(05/22)
  7. 浄土寺(兵庫県小野市) 極楽浄土を再現したお寺の御朱印(05/21)
  8. 珈琲無礼句(05/21)
  9. 東海道神奈川宿(神奈川県横浜市) 廣重の描いた風景は?(05/20)
  10. 大山不動尊(神奈川県伊勢原市) 関東三不動の御朱印(05/19)
  11. 日向薬師(神奈川県伊勢原市) 茅葺の本堂のある薬師様の御朱印(05/19)
  12. 泉龍寺(東京都狛江市) 弁天池のあるお寺の御朱印(05/18)
  13. 清雲寺(神奈川県横須賀市) 三浦一族所縁の女郎花の寺の御朱印(05/18)
  14. 満昌寺(神奈川県横須賀市)  三浦義明所縁のお寺の御朱印(05/17)
  15. 近江寺(神戸市西区) 孝徳天皇勅願の古刹の御朱印(05/17)
  16. 性海寺(神戸市西区) 二つの塔頭に守られた古刹の御朱印(05/16)
  17. 星の谷観音(神奈川県座間市) 坂東八番札所の御朱印(05/16)
  18. 飯山観音(神奈川県厚木市) 坂東六番札所の御朱印(05/15)
  19. 金目観音(神奈川県平塚市) 坂東七番札所の御朱印(05/15)
  20. 野崎観音(大阪府大東市) 歌に詠われた野崎詣りの御朱印(05/14)
  21. 長遠寺(兵庫県尼崎市) 寺町のシンボル多宝塔のあるお寺の御朱印(05/13)
  22. 本興寺(兵庫県尼崎市) 寺町にある巨刹の見開き御朱印(05/12)
  23. 櫻井神社(兵庫県尼崎市) 櫻井櫻の神紋がある御朱印(05/12)
  24. 無量壽寺(愛知県知立市) 業平の愛した燕子花のお寺の御朱印(05/11)
  25. 常楽寺(神奈川県鎌倉市) 建長寺の元になったお寺の御朱印(05/11)
  26. 岩殿寺&安養院(神奈川県逗子市&鎌倉市) 坂東二番、三番札所の御朱印(05/09)
  27. 瑞竜寺(滋賀県近江八幡市) 秀次所縁の門跡寺院の御朱印(05/08)
次のページ
次のページ