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瀬戸の花屋敷と報徳神社(神奈川県足柄上郡開成町&小田原市)

2020.02.19(14:15) 552

快晴の下で雛祭(2017.2.19)

<コース>
横浜 → (相模鉄道) → 海老名 → (小田急電鉄) → 開成 → (臨時バス) → 瀬戸屋敷 → (臨時バス) → 開成 → (小田急電鉄) → 小田原 → 徒歩10分 → 報徳神社

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開成町瀬戸屋敷  2/18~3/5
期間中は小田急開成駅から臨時バスが出る。¥210、10分

法華経寺に続き、ひなまつり第二弾は藤沢在の同窓も参加して頂き、神奈川西部にて。

開成町は神奈川最小の町。目立った観光地はないですが、

富士山系の伏流水と知る人ぞ知る米どころ。昭和天皇への献上米もここで作られたとか。

その町のかつての名主瀬戸家を使ってのお雛様展示。

駅からはそこそこ距離がありますが、イベント時のみ小田急開成から臨時バスが。

十年ほど前から始まったイベントだそうです。むかしの土蔵に【どうぞ】と人形が展示。

享保雛から平成の段飾りまでありましたが、珍しいのは吊るし雛。

関西ではまず目にすることはありません。

伊豆地方では有名ですが、ここも河津地域から伝わった様子。

地元の婦人会の方々が総出で作製されたそうで、買わずに済んだとの事。

集まった雛人形も壮観でしたが、敷地内の梅も含め

屋敷が周囲の風景と一体となっていたのが魅力でした。

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小田急電鉄開成駅改札外の案内

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バス停より見た瀬戸屋敷外観

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屋敷前の長閑な田園風景
今時こんな案山子も珍しいが、どうも観光用に設置されている様子。右上には幽かに富士山が…。

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門では可愛らしいお雛様がお出迎え

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土蔵外観
昔は米を保管。雛人形はここがメイン。

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展示中の雛人形
これは現代版か?

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雛壇の横の吊るし雛

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こちらは瀬戸家に伝わるお雛様
200年以上前の物という話。

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調度品も今と異なり、時代を感じさせる

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雛人形と言うより市松人形?

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享保雛
地元の蔵から出て来た300年前のもの。

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享保雛近影
典型的な瓜実顔。

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これは現代風、子供雛か?

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土蔵二階では地元の方が琴を演奏

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二階の展示雛

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土蔵内に飾られた吊るし雛

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吊るし雛近影

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瀬戸屋敷母屋か?

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母屋縁側に置かれた造花

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屋敷内の人出

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屋敷内は梅も見頃

 その後は、小田原で城下町を散策しながら昼食。外郎本店では甘味も頂きました。

 小田原城の周辺に報徳神社があったのでお参り。二宮尊徳(金次郎)を祀っています。

小学校にある薪を背負って本を読んでいる像が有名ですが、

彼は没落した家を復興させ、その手腕を買われて藩の財政を立て直した財政家でした。

彼の言葉に

『小人には小欲あり、大人には大欲あり。』 というのがありますが、

小欲とは己のみが望むもの、大欲とは万人が望むものだそうです。

学問だけでなく、実践に生かしたところが偉大なのでしょう。

内村鑑三博士は『代表的日本人』で取り上げていますが、

今の日本にはこのような事を述べる人がいるのでしょうか?

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季節のスイーツセット¥600
苺のムースと抹茶。

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報徳神社へと続く参道

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参道脇の二宮金次郎像
小学校にある典型的な像。余談だが、読んでいるのは四書の『大学』

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像の説明

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二宮尊徳翁像
大柄で体格が良かったと記録されている。

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翁像の説明

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報徳神社拝殿

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小田原城の堀にてカワセミを発見
このあと石垣方向に飛んで行って姿を消した。石垣の隙間に巣を作っているのだろう。

[参考書]

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浦和&蕨宿&浦和宿(埼玉県さいたま市&蕨市)

2020.02.17(16:16) 551

1日中山道にはない中山道宿場(2016.02.25)

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蕨城址
今は公園となっている。渋川氏の居城。横には和楽備神社があるが、漢字としては蕨の方が古いと思われる。

25日は研修会。二十三区と思いきや、何故かさいたま新都心。

ここも武蔵国と己を納得させましたが、折角なのでふらふらと中山道をば散策することに。

蕨はかつて足利一門の渋川氏の居城。

いまはベッドタウン化していますが、街道沿いには昔の名残が見られます。

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蕨城址公園

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蕨宿一の本陣跡
旧中山道沿いに昭和48年モニュメントを復元した。

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本陣跡説明板

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昔風にリニューアルしてある街道沿いの民家

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蕨市立歴史民俗資料館入口

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かつての織物の買い継ぎ商人の家屋
今は蕨市立歴史民俗資料館別館。

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別館にある本屋

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本屋の庭

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分館の説明

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蕨宿復元模型

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江戸末期の蕨は綿織物(双子織)の生産地
職人の作業着「青縞」が有名。

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蕨宿の店
蕨は街道沿いの整備に力を入れている

 いまでこそ県庁となった浦和ですが、元々は小さな宿場で

明治初期に県庁の建物を建てる余裕があったから選ばれたとか。

山口・宮崎と並んで昭和9年にようやく市に昇格したと言うから今昔の感があります。

 名物には縁遠いと思われがちな両市ですが意外なことに江戸期より鰻が名物。

故やなせたかし氏デザインの「浦和うなこちゃん」がマスコットキャラとなっています。

なんでも蕨より先、江戸方面には鰻屋がなく「腹が減って元気が出ないよう~」

と言った旅人は浦和・蕨で精をつけて「元気百倍!」と江戸に向かったとか。

尤も次の板橋宿は遊郭で有名だったので「元気千倍…」と

向かった旅人も多かったのは想像に難くありませんが…。

 研修後の夕食は浦和老舗御三家の中村屋(江戸期創業)にて。

昨今の鰻の高騰で高くなったものの江戸よりは大分安め。

平成のサラリーマンはそのあと板橋には行かず、北区を通って帰宅の途につきました。

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JR浦和駅前に建つマスコットキャラ

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中村屋
旧中山道から少し西にある。

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今日の夕食
お重は、¥1900(並)、¥2900(中)、¥3900?(上) これは中。

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街道沿いにある山崎屋(江戸期創業)

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同じく満寿屋(明治創業)
かつては昔風建物だったが、改装された。チョット残念。

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中山道蕨宿にある鰻屋

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たなべ不動尊(大阪市東住吉区) 平家所縁の古刹

2020.02.15(18:04) 550

小松殿の寺と田辺大根(2020.2.12)

<コース>
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 田辺 → 徒歩5分 → たなべ不動尊

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紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派大本山)

 大阪市内での所要が昼に終わったので、少し足を延ばして東住吉まで。

谷町線はしょっちゅう利用しますが、梅田を過ぎると天王寺か阿倍野までで下車することが殆ど。

ここを過ぎると他社の鉄道との乗換駅がない事、人家は多いですが

駅周辺に観光地があるのが平野近辺くらいと言うのがその理由。

 唯一?の例外と言えそうなのが田辺駅近くにあるお不動様。近畿不動尊にもなっている古刹です。

不動産の駅近くは?もありますが、お不動さんは本当に徒歩5分。

以前、出張時に御朱印は拝受しましたが写真撮影はなし。

御朱印帳を持参しながら何故カメラを持っていなかったのか

忘れようとしても思い出せませんが、今回は撮影のための再訪となりました。

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案内図

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西側の塀越しに境内を見る

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正門は南側に
天然記念物の大楠が見える。

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法楽寺入口

紫金山小松院法楽寺(しこんざんこまついんほうらくじ)は、真言宗泉涌寺派の大本山。

荘厳な名前ですが、地元では「たなべのお不動さん」で通っています。由緒に拠れば、

『治承2年(1178年)、平清盛の嫡男、平重盛公が創建。

日頃から深く仏法に帰依された重盛は黄金三千両で

宋国の阿育王山の方丈、仏照禅師から仏舎利二顆を招来。

この仏舎利を奉じて平治の乱で敗死した源氏の棟梁・源義朝を初め

源氏・平家の菩提を弔う寺を摂津の田辺に建立した。

山号は紫金に輝く二顆の仏舎利、院号は小松内大臣と呼ばれた重盛公に因む。

これが法楽寺の濫觴で、その壮麗な伽藍は戦国末の元亀の頃まで、

「殿堂壮麗にして巍巍たり」という状態で維持された。

 しかし元亀2年(1571年)の織田信長の摂津攻めで寺院は全焼。

正徳元年(1711年)になって漸く、河内の野中寺より洪善普摂律師が晋山し本格的な復興を開始。

大和大宇陀の松山藩織田家の殿舎を譲り受けたのが、現在に残る山門と本堂である。』 とあります。

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山門近影
享保年間に大和松山藩織田家より寄進された。

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山門から見た境内
正面には平成の三重塔が見える。

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境内から山門を見返る

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鐘楼と大楠

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楠大明神として崇拝されている大楠
天然記念物で高さ26m。

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注連縄、天狗面と二宮金次郎も

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大楠脇の水かけ不動
言うまでもないがこれが御本尊ではない。

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平成の三重寶塔
命名は三笠宮殿下御夫妻に拠る。

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平成8年落慶法要で、本尊は大日如来

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本堂側から見た三重塔

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塔の頂上の相輪
全長8m。

 創建840年になる古刹。創建した平重盛は清盛の嫡男でありながら父に先立ち逝去。

人格者であり人望もあったと言われますから、もし彼が清盛の跡を継いでいたら、

その後の源平の流れも違ったものになっていたでしょうか?

現在の場所からは想像もつきませんが、

かつては熊野から難波宮跡まで続く難波大道に面した場所。

このような場所にありながら戦国期まで堂宇が保たれたのは奇跡ですが、

焼失した後も元の場所で復興したのもまた奇跡的と言えます。

 殿舎を寄進した大和松山藩は信長の次男・信雄を始祖とする家系。

織田氏は清盛の孫の資盛の子を始祖とする平家の末流。

境内の瓦には平家の揚羽蝶の紋が至る所に見られます。

平家の本家が建立し、その子孫が焼討ちした伽藍をその末裔が復興するというのも、

因縁の不思議さを感じます。重盛の遺徳のお蔭でしょうか?まさに【所業無常】の響きありです。

 伽藍は江戸時代以降ですが、境内の大楠は樹齢800年。創建時からの興亡の生き証人でもあります。

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三重塔の瓦の揚羽蝶紋

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本堂正面

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本堂も大和松山藩織田家より寄進

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御詠歌と御本尊の扁額

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本堂の屋根瓦の揚羽蝶紋

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本堂西側の新しい大師堂

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客殿と庫裏

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庫裏と前庭

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前庭のアヤメ?

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前庭の紅梅も見頃

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紅梅と大楠越しに見る三重塔
梅木学問と楠学問の対比か?

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本堂裏にある庭園と茶室
立入禁止なので外から撮影。

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本堂移築の際の一連の瓦を展示

 またこの地域は江戸時代には「田辺大根」の産地。

土質が大根栽培に向いていたらしく、当時の西門に因み「横門大根」の名で知られました。

境内には碑も残り、周辺では栽培もされているとか。

和辻;「地図では北側に大根畑があるみたいですが…」

住職;「年末に全部抜いてしまうので、今はないですね。」

和辻;「何に使われるのでしょう?」

住職;「毎年12月28日の終い不動で、参拝者に振舞います。」

和辻;「一杯、千円くらいですか?」

住職;「いえ無料です。唯、少ししか用意できないので、すぐに無くなってしまいますが…。」

京都市内での大根炊き「振舞い」は一杯千円が相場なので、こちらが本来の振舞い。

大阪人の気質と言っては何ですが、損して得獲れと言う事を実践している模様。

大根炊きに朝から並ぶ気はしませんが、無病息災に一度くらいは食べてみたいものです。

 大根は空振りでしたが、駅前の銘菓処「松屋」には「田辺大根」を象った銘菓が。

かるかん仕様の間に大根の葉を練り込んだ餡を挟んだもので、しっとりとした味わいでした。

大根はジアスターゼの為、食べてお腹をこわす人は居ないので

「当たらない」役者を大根役者と言うそうですが、

この伝統野菜の復興は是非当たって欲しいと思いました。

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田辺大根はこのような形
本堂横のオブジェ。

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境内にある田辺大根の碑

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法楽寺縁起(左)と略記(右)

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法楽寺御朱印

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寺の北側の大根畑
僅かに抜き残った葉が見える。この他にも栽培されているが、旬の時期に地元の店に並ぶくらいの貴重品。

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創業70年を越える銘菓処「松屋
谷町線田辺駅の出口の向かいにある。

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郷土銘菓「田辺大根」
日持ちは10日くらいか?

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東住吉田辺郵便局 ; 法楽寺の大楠、重文・絹本着色不動明王二童子像

[参考書]

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洛北 小町寺(京都市左京区) 男女歌仙ゆかりの寺院

2020.02.13(16:26) 549

花の色は…(2015.12.31)

<コース> 特急は10分間隔、叡山電鉄は15分間隔で運転
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 出町柳 → (叡山電鉄) → 市原 → 徒歩3分 → 小町寺

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如意山 補陀洛寺(天台宗延暦寺派尼寺)

 大晦日に洛北に所要があってので、少し寄り道して巡礼。

出町柳駅から鞍馬行きに乗車し、殆ど人が下りない市原で下車。

人も疎らな駅周辺から線路沿いに南に戻った道沿い、

崖の上にひっそりと建つのが小町寺こと補陀洛寺。

 人気も無く物寂しい雰囲気ですが、それもその筈、古代には付近一帯の葬礼の地。

昭和二十年代までは幽霊が出ると言う噂で地元の人も近づかなかったとか。

 如意山補陀落洛寺(にょいさんふだらくじ)は、

『平安時代中期、天台僧・延昌(えんしょう)が修行中に一夜の宿を借りた老夫婦の願いにより

再興した明興寺が嚆矢。清原深養父が建立したとされる。

その後、後白河法皇の大原詣で立ち寄ったと言われるが、時代が下るに従い衰微。

焼失した後に清原深養父が大原に住んだ補陀落寺を移した。』 とあります。

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1999年再建の本堂
鞍馬寺の護摩堂を移築。本尊は阿弥陀如来。

 清原深養父 (きよはらのふかやぶ 889年以前~945年以降)は、

908、923、930年の任官の記録が残る程度で詳しい事績は伝わりません。

清原氏は舎人親王(天武天皇皇子)の末裔、父は清原房則(海雄、通雄とする系譜もあり)。

孫に清原元輔、曾孫に清少納言がいますが年齢差から元輔(908年生)を深養父の子とする説も有力。

清少納言は枕草子の冒頭で「夏は夜」と書いていますが、この歌が念頭にあったのかもしれません。

月のおもしろかりける夜、暁がたに詠める

・夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

[百人一首第三十六番  古今集・夏]

(訳) 夏の夜はなんと短いのか。未だ宵と思っていたのにもう明けてしまったじゃないか。
    これでは沈む間もない月は雲のどの辺にいることやら。

小倉百人一首でも有名な歌。深養父は勅撰集に41入首するなど

存命中は紀貫之・凡河内躬恒等に次ぐ高い評価を受けた歌人です。

しかし三十六歌仙の撰者の藤原公任にはあまり評価されず【いずこに宿る】状態でしたが、

藤原俊成により再評価され【宵ながら明けぬる】となりました。

古今集で尊ばれた機知や諧謔が後世の人に受け入れ難かったのでしょう。

深養父の弾く琴を聞きながら兼輔と貫之が詠んだ歌が後撰集に入手しており、

貫之・躬恒・藤原兼輔といった当時の歌壇の重鎮とも親交があったようです。

晩年は洛北の大原に補陀洛寺を建て「女ひとり」ならぬ男ひとりで隠棲したと伝わります。

ふ【堕落】した生活を送った訳ではなく、自然と音楽を愛する優雅な余生であったといえましょう。

この辺の出所進退は蝉丸に似ているとも言えます。

寺はその後焼失し静市市原に再建され、その名を現在に伝えることとなりました。

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本堂内にある小町老衰像

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境内にある「小町姿見の井戸」

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小野小町の「花の色は…」の歌碑

しかしここは深養父よりも小野小町が晩年を過ごした寺として有名。

一説には小町が晩年を過ごし、昌泰3年(900年)に八十余歳で亡くなったと伝わります。

本堂内には「小町老婆像」が祀られていますが、

右手に杖、右足を岩座に置いた晩年の姿を表した鎌倉時代の作。

絶世の美女との落差を感じない訳にはいきませんが、人々の嫉妬がこのような伝説を生んだのでしょうか?

唯、御住職の話では、

「確かに老ではあるが決して「衰」ではない!」

そうで、そうすると己に対する自身の表れともいえそうです。

綺麗に齢を取るというのは現代でも大いに参考になると思います。

尚、小町寺として有名な補陀落寺ですが、小町の方が時代的には深養父よりも前。

「小野道風の書いた和漢朗詠集」の様に中世史では時々このようなことが起こるのも不思議。

【小町】ってしまいますが、真相は【深養父】の中です。

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補陀洛寺御朱印

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即成院(京都市東山区) 聴いて極楽、見て極楽

2020.02.11(21:14) 548

極楽の願いが的へ(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺 → 新善光寺 → 戒光寺 → 即成院

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光明山 即成院(真言宗泉涌寺派塔頭)

 戒光寺で大仏を拝観した後、境内の総門前にある即成院を通ると「極楽浄土」の看板が。

冬の特別公開の範疇には入っていませんが、

極楽浄土の音楽を展示しているらしいので、またぞろ参拝。

 光明山即成院(こうみょうざんそくじょういん)の歴史は、

『正暦3年(992年)に恵心僧都が伏見に建立した光明院が嚆矢。

その後、関白・藤原頼通は宇治に平等院を建て極楽往生を願い、

その子・橘俊綱も寛治元年(1087年)に伏見桃山に広大な山荘を営み

光明院を阿弥陀堂として移設した。

但し、恵心僧都は伝説で実際は一世紀後の橘俊綱が創始者とされる。

 当時は浄土信仰が盛んになり、臨終に際しては阿弥陀如来と

二十五菩薩のお迎えで極楽浄土に行く事が理想とされた。

そのため寺院の本尊も阿弥陀如来と二十五菩薩であり、

平安時代の定朝と弟子の作とされる。

 当院では毎年10月第三日曜日にお練り法要が開催されるが、

それを先導するのは大地蔵菩薩に導かれた二十五菩薩である。

 寺院自体は豊臣秀吉の伏見城築城により深草に移転。

明治の廃仏毀釈により廃寺となるが、仏像は泉涌寺の塔頭・法安寺に引き取られ、

昭和16年に寺号の即成院が復活した。』 とあります。

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山門と拝観の案内

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屋根の上の鳳凰
開山が平等院を造った頼通の息子の為か?

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門扉の彫刻も鳳凰

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山門から見た境内

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書院
ここは拝観なし

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本堂正面
拝観はここから。

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本堂前から見た境内

 この寺院も彼方此方を転々とする経緯を経ていますが、

最終的には泉涌寺に落ち着きました。明治の廃仏毀釈は各地の寺院には痛手でしたが、

皇室所縁の泉涌寺だったからこそ、この窮地を乗り切ることができたのかもしれません。

 また、即成院は源氏方の武将・那須与一所縁としても知られ、

与一が隠棲し境内に葬られた場所でもあります。

一説では那須氏の本貫地が即成院に寄進されたとか。

那須与一と言えば屋島の戦いで扇の的を射た事で有名ですが、

的を射るという事で願いが叶うとされています。

那須氏にとっては【良い地】であったことになります。

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与一の手洗い所
といっても与一がここで手を洗った訳ではない。

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本堂奥にある那須与一の墓

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本堂内の那須与一の展示 
ここは無料で拝観できる。

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絵馬も的タイプ

 御本尊と二十五菩薩、与一の墓は無料で拝観できますが、

折角なので¥500で内陣から本尊にお参り。

いずれも非常に大きな像で、功徳が大きくなるようにと願った結果と言われます。

 内陣脇ではお練り法要の楽器と面が一式展示。

御住職から「撮影も、持って頂いても構いません。」

と伺ったので早速体験。木製と思いきや紙製なので意外と軽い。

これなら法要の間も疲れないでしょう。

尤も参加者は寺院の関係者なので部外者は見学だけと言うのが残念ですが…。

 寺院では静かに参拝するのが礼儀ですが、音楽とは切っても切れない関係があります。

天台宗の声明がお経になってそこから音楽が生まれます。

これはキリスト教の讃美歌、イスラム教のアザーンでも同じ。

少し違いますが、萬葉集の挽歌もこれと似たものでしょう。

まさか亡くなった人の怨霊を【音量】で鎮めようというのではないでしょうが…。

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内陣のお練り供養面の展示

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お練り供養面の近影
紙を張ったもので、頭の飾りのみ金属製。

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法要での楽器の展示

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琵琶、琴、鞨鼓、篳篥など

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阿弥陀如来と二十五菩薩
撮影禁止のため、これは境内の案内板。

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即成院説明書

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即成院御朱印

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令和元年 JR東海ツアーズ限定御朱印

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令和2年 JR東海ツアーズ限定御朱印

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遅めの昼食は時計台前のカンフォーラにて

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丈六さん 戒光寺(京都市東山区) 御身代わりになった釈迦如来

2020.02.06(16:22) 547

生身の大仏様に邂逅(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺 → 新善光寺 → 戒光寺

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東山 戒光律寺(真言宗泉涌寺派塔頭 準別格本山)

 新善光寺参拝を終えて帰りの参道を歩いていると、

「重要文化財(鎌倉時代) 運慶・湛慶父子の大作

釈迦如来   十メートルの木造の大仏様です  ご参拝下さい」 の看板が。

当初の予定ではありませんでしたが、無料拝観の様なので、この機会にと参拝する事に…。

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泉涌寺参道脇の山門と釈迦如来拝観案内板

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戒光寺由緒

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山門前の「丈六釈迦如来」の寺標

東山戒光律寺(ひがしやまじょうこうりつじ)は、

『安貞2年(1228年)、後堀河天皇の勅願寺として猪熊八条の地に創建。

開山は南宋から帰朝した浄業曇照で、本尊には運慶・湛慶父子の合作である

丈六の釈迦如来立像を安置。巨大な伽藍を持つ戒律復興の道場とされた。

 皇室・庶民の尊崇を集めていたが応仁の乱で焼失。

本尊だけは難を逃れて一条戻橋付近に戻った。三条河西に移築の後、

正保2年(1645年)に後水尾天皇の発願で泉涌寺塔頭となり今に至る。』 とあります。

 境内に入ると、本堂がありその奥に更に高い堂が付けられています。

前で拝んだ御本尊は身の丈5.4m、台座から後背まで入れると10mという巨大なもの。

以前に参拝した中では、大和と鎌倉の長谷寺の御本尊が似た雰囲気ではないでしょうか?

仏像は必ずしも大きければ良いというものではないですが、

多くの人に信仰されるにはやはり大きい方が効果的なようです。

伽藍が焼失した際に、このような大仏をどうして避難させたのか不思議ではありますが、

泉涌寺へは祇園祭りの山鉾のように台車で曳かれて移られたとか。

いずれにせよ、今に残った事は幸いです。

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山門から見た本堂(右)と庫裏

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本堂正面

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本堂と奥に続く本尊を安置する堂

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この中に御本尊が祀られている

 以前に見た京都の仏像巡りの番組で、

俳優の渡辺大さんと仏女の政田さんがこのお寺を訪問されていました。

御住職から、

「お釈迦様の身長は丈六尺だったと記録されています。

ですので、この御本尊は同じ大きさで作った生身の仏様です。」

と説明があって、大さんと政田さんは驚いた様子。

 白髪三千丈の誇張とはいえ、いくらなんでも生物学的に5.4mの人間はあり得ません。

勝手な推論ですが、記録に丈六尺とあるのは一丈六尺ではなく

身の丈が六尺という意味だったのではないでしょうか?それならば違和感はありません。

記録の読みにはより【しんちょう】を期すべきでしょう。

更に続いて、

「本尊の首筋に見えるのは血の跡で、後水尾天皇が東宮時代に争いに巻き込まれ

暗殺者に首を斬られた際に、身代わりになり付いた血の跡です。」

と説明がありましたが、これだけ大きな仏様を身代わりにするのも難しい話。

一体どんな事情があったのでしょうね?

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境内の案内図にある御本尊

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書院の立花

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戒光寺

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戒光寺御朱印

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新善光寺(京都市東山区) 善光寺様式の御本尊

2020.02.04(20:57) 546

こいの奥にある愛染明王(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺 → 新善光寺

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一條殿 新善光寺(真言宗泉涌寺派 準別格本山)

 札所に続いて、もう一つの特別公開寺院を拝観。

新善光寺(しんぜんこうじ)は

『寛元元年(1243年)、後嵯峨天皇の勅願により一条大宮の地に創建。

本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同じ様式で鋳造された鎌倉時代の作。

天皇は、都の内外万民が信濃への国へ行くには遠き山路を越え、

また志あれども思うにまかせざる者の為に建立し新善光寺の名を賜った。

 応仁年間に兵火に掛かるが、文明5年(1473年)に後土御門天皇の勅に拠って

泉涌寺境内に移された。』 とあります。

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泉涌寺参道から下った所にある新善光寺
左奥には泉山幼稚園があるので、表門前にはママチャリが停まっている。

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表門

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由緒

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表門から見た境内

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枝垂桜

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客殿玄関と中門

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大方丈縁側と庭園

 要は、都人が信濃への国へ行くには幾多の困難が伴う事から、

都にて善光寺の本尊を拝む事ができる様に都に持って来たと言うもの。

武田信玄が甲斐善光寺を建立したのとは意味合いが異なります。

 今でも全国観音霊場百カ所巡礼を終えた人は善光寺に参るそうですが、

近代以前にも善光寺は全国から多くの巡礼者を呼び寄せる力があったようです。

善光寺の一光三尊像は勅命に拠り絶対秘仏ですが、

見る事のできない御本尊にどうしてこれほど人が集まったのか?

見れない故の信仰なのか、今後考える余地がありそうです。

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大方丈の窓から見える枝垂桜
ここの中庭には降りる事ができない。

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大方丈の襖絵 玄宗と楊貴妃図
撮影禁止の為、案内図にて。

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大方丈縁側から見た本堂

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本堂前の石塔と碑

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大方丈から本堂へ続く廊下

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本堂への途中

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これも悟りの窓か?

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礼拝後の本堂前にて

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本堂前から見た池と愛染堂

 そういえば善光寺は天台宗と浄土宗。泉涌寺は真言宗なので新善光寺も真言宗。

和辻;「善光寺を名乗りながら宗派が違うのはおかしくないですか?」

ガイド;「いえいえ、全国には善光寺と名のっている寺院は百を越えますが、宗派はバラバラですよ。」

との事。よく言えば宗派に寛容、悪く言えばいい加減な感じではあります。

唯、お参りする人もそこまでは気にしなかったでしょう。

現在は御朱印ブームですが、巡礼する寺の宗派を知らずに

書いて貰う人が結構いるようですから、推して知る可です。

 新善光寺は室町以降、庶民の信仰を受けて栄えたとありますが、

本尊の阿弥陀如来に加えて愛染明王さんの信仰が盛ん。

愛染明王は恋愛成就・夫婦円満の御利益に加えて武運の神様でもあって、

戦国武将・直江兼続が兜の前立に「愛」を用いたのは愛染明王の信仰によるものだそうです。

 庶民の信仰が深いとありますが、方丈内はやはり皇室所縁の優雅な造り。

狩野派に拠る白楽天、玄宗と楊貴妃の襖絵や長恨歌を題材にした絵巻物などは芸術性が高いと感じました。

戦前には長恨歌は皇室の醜聞を描いたと言うことで不敬に当たったそうですが、

近世の方々はそのような事に拘りはなかったようです。

そんな事を言えば、源氏物語も没になってしまうでしょう。

 展示品には螺鈿の煙草盆もあって、皇族の方がキセルで喫煙していたと言うのが驚きでした。

かなり捌けた方々も多かったのではないでしょうか?

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本堂より見た大方丈

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庭園の様子

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庭園より見た大方丈

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庭園より見た本堂

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十三重石塔近影

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池の鯉と愛染堂

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愛染堂近影

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愛染堂から見た境内

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新善光寺説明書

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新善光寺御朱印

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今熊野観音寺(京都市東山区) 葬礼の地の壮麗な伽藍

2020.02.02(14:52) 545

西国霊場たっちゅうの!(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺

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新那智山 観音寺(真言宗泉涌寺派塔頭 西国三十三ヵ所第十五番札所)

 雲龍院に続き次の特別公開寺院に行く途中に西国札所があったので、ちょっと立ち寄り。

場所的には参道から坂を下って再び上った場所。

かつての本堂は今よりも奥にあったとされ、地形的にも霊が集まるような場所だったのでしょう。

平安時代には鳥辺野と呼ばれる貴族の葬送の地でしたが、

葬礼や法要の多くを観音寺が行っていた事がそれを証明しています。

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泉涌寺参道の左にある入口
看板に「頭の観音様」とある。

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由緒記

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朱塗りの鳥居橋を抜けて境内へ
付近は桜と紅葉の名所である。

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参道を通り境内へ

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何故か閉まっているお茶所を横に見て階段を上る

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子護大師
開創された弘法大師を祀る最初にお参りする場所。

 新那智山観音寺(しんなちざんかんのんじ)は、由緒記に拠れば

『平安初期の825年頃、嵯峨天皇の勅願に拠って空海が開創。

東山から光が出ているのを見て当地に来た空海は、熊野権現の化身の老人に出会う。

その際に老人は1寸8分の観音像を渡し「この地に堂宇を建てて観音を祀るように」と告げて去った。

空海はその像を自ら彫刻した十一面観音の胎内仏として祀った。これが観音寺の起こりである。

 白河法皇の時代になると、紀伊熊野三山に対しこの地を今熊野と呼ぶようになった。

後白河上皇の永暦元年(1160年)には、この地に熊野権現を勧請し、

新那智山の山号と観音寺の寺号を賜った。

以後、西国札所として幾多の戦乱に逢いながらも現在まで隆盛を誇っている。』 とあります。

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境内遠景

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正徳2年(1712年)建立の本堂
本尊は十一面観音菩薩で、西国札所として左側で御朱印を貰う。

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書院玄関

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玄関脇にある創建当時の三重石塔

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大師堂とぼけ封じ観音
不動明王、愛染明王に加え伽藍を寄進した左大臣藤原緒嗣の像を祀る。

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醫聖堂
本堂東側の山上に聳える平安様式の多宝塔。総欅造り、高さ16m。

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醫聖堂前から見た本堂

 今では泉涌寺の塔頭ですが、応仁の乱までは広大な寺域を誇った場所。

泉涌寺道もかつては観音寺道と呼ばれていたそう。

本堂も泉涌寺の塔頭・別院の中では異例な大きさ。

やはり葬礼には壮麗な伽藍が要るという事でしょうか?

月輪山麓の自然豊かな場所で、藤原定家が詠んだように

郭公の声が聞こえる格好の場所でしたが、いまは稀。

 御本尊は元来智慧を授ける観音様でしたが、その後、頭痛にも霊験があるようになり、

最近はボケ防止としても知られるようになりました。

伽藍は縮小しましたが御利益は拡大しているようです。

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今熊野観音寺説明書

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今熊野観音寺御朱印

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京都今熊野郵便局 ; 国宝・三十三間堂、国宝・十一面千手観音坐像

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雲龍院(京都市東山区) 皇室ゆかりの写経道場

2020.01.31(22:53) 544

潜入時に見てら!(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院

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瑠璃山 雲龍院(真言宗泉涌寺派 別格本山)

 夕方の会合前に特別公開の寺院に参拝。

公開寺院は市内に散らばっていますが移動が少ない方が楽なのは勿論。

偶々東山の泉涌寺の塔頭三寺院が特別公開していたのでそちらを訪問。

 京都市内には幾多の塔頭を持つ本山寺院が多く、

それ自体は珍しくありませんが、多くは平地にあって明るい雰囲気。

それに比べると泉涌寺は東山三十六峰の一つ月輪山麓にあり、

かつての葬礼の地に壮麗な寺院が建ちます。

参道を進むと畏敬の念を抱くのはそのような事も影響しているのでしょう。

鎌倉・江戸時代の歴代皇族の菩提寺として御寺(みてら)と呼ばれた場所。

皇室所縁の御寺(みてら)ですが、【見てら!】という程、見ていないのでじっくり拝観。

 大門を左に見て参道を進み奥まった高台に上った場所にあるのが瑠璃山雲龍院(るりさんうんりゅういん)。

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泉涌寺総門

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泉涌寺由緒記

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泉涌寺特別公開の案内

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御寺なので皇室の方々の御陵が
朝彦親王、淑子内親王、守脩親王(左から)とある。

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雲龍院正門(不明門)

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正門横の勅使門

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正門から参道を見る

由緒に拠れば

『応安5年(1372年)、後光厳天皇の思し召しに拠り竹巌聖皐が創建。

同時に皇子・後円融院はここを如法写経場とするため寺領を寄進し龍華院を建立。

続く後小松、称光天皇もこの寺院を崇拝された。

そのため北朝四天皇の分骨所が営まれており、その位牌堂に当たるのが霊明殿である。

これらの建物も文明2年(1470年)の乱で焼失。後光厳、後円融天皇の尊像のみが残った。

徳川時代になり如周正専が中興の祖となり再建。雲龍院の中に新たに龍華殿を建て合併した。

これを聞いた後水尾天皇から写経道場再建のための費用が下賜され、

併せて百点余りの仏具も寄付され寛永19年に再興を遂げた。

 皇室との所縁も深く、天保14年以降皇妃、皇女が葬られ玄関、方丈、勅使門を賜る栄誉に浴した。

霊明殿も幕末から明治2年にかけて孝明天皇、明治天皇、英照皇太后の思し召しで再建した。』 とあります。

 玄関と霊明殿には龍の水墨画が。

共に現代画家の作品なので、雲龍という名前に肖って描かれたものでしょう。

いずれも横綱級の作品でした。

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参道から見た重文・龍華殿(本堂)
寄棟、杮葺きで寛永年間の再建。

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庫裏

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受付正面の雲龍図
清浄の間の前に架かる。

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受付横の内庭

 最初に拝観したのは庭園に面した部屋。

蓮華の間からは雪見障子の四角いガラス越しに四枚の違った景色を眺める事ができ、

続く大輪の間からは庭園を一望することができる仕組になっています。

同時になぞかけの掛け軸もあり禅宗の香りがしました。

 廊下を渡ると霊明殿。今に続く写経道場の様で、拝観した際にも何人かが写経されていました。

【こうひつ】ゆかりの写経と言ってもペンではなく筆。

道場なので華やかさはないですが書院の窓からの景色は見応えがあります。

借景を見ながら写経するという方針なのでしょうかね?

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蓮華の間の雪見障子
四枚の窓からは椿、灯篭、楓、松が眺められる。

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窓から見た庭園

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蓮華の間の襖絵

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大輪の間入口

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大輪の間全景

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大石内蔵助の「龍淵」の書
討ち入り前の山科隠棲時に、親戚の当山塔頭来迎院の住職を屡々訪ねたとか。

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大輪の間の「なぞなぞ掛け軸」
左;禁酒、右;稚児の酒もいつつ飲みたや

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大輪の間の縁側から見た庭園

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庭園

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庭園の庭石の上には菊の御紋の瓦が

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庭園に聳える杉
随分前に落雷に合った。上の枝を龍に見立てるとも言われる。

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霊明殿前面
皇族の位牌堂で、明治元年の再建。

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霊明殿の前庭
砂で菊の御紋を描く。灯籠は徳川慶喜の寄進で、幕末動乱時に孝明天皇陵から移したと伝わる。

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霊明殿前から見た龍華殿

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龍華殿の廂
中央の高野槙は秋篠宮家若宮悠仁さまのお印。

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「龍華殿」の扁額

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龍華殿から勅使門を直視

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龍華殿の廻廊を抜け再び書院へ

 また書院の端の部屋には丸と四角の窓があって、

ガイドの方の説明では丸が悟り、四角が迷いの窓との事。

洛北の源光庵が有名ですが市内では二ヵ所しかないそうです。

 源光庵は禅宗ですが、ここは真言宗。

和辻;「真言宗で禅の悟りとは不思議ですね。」

ガイド;「以前ここは天台・真言・曹洞・浄土の四宗兼学道場だったので、その名残ですね。」

和辻;「宗派が違って揉めなかったのでしょうか?」

ガイド;「なんだかんだと言っても元は同じところですからね。凄惨な争いはなかったようです。」

宗教の違いにより争いが起こることは珍しくないですが、

日本ではそれほどではなかったのはせめてもの救いでしょう。

かつての兼学道場を【見学】できる幸福を改めて感じます。

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書院横から見た庭園

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水琴窟「龍淵のさやけし」

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庭園の楓

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庭園の向こうに見える「大輪の間」

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月窓(げっそう)の間
ここを通った光が中の壁に月影を描くように工夫されている。

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悟りの間にある悟りの窓
下の襖には桜が描かれ、窓の向こうには梅が植えられている。

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「悟りの窓」近影

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隣接する「迷いの窓」

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雲龍院説明書

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雲龍院御朱印(龍華殿)

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雲龍院御朱印
西国四十九薬師霊場開創三十周年記念「金紙薬宝院」

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あびこ観音寺(大阪市住吉区) 日本最古の観音寺院

2020.01.29(20:18) 543

家康、難を逃れる!(2020.1.21)

<コース>
新大阪 → (御堂筋線) → なかもず → 徒歩15分 → 百舌鳥八幡宮 → 徒歩45分 → 家原寺 → 徒歩15分 → JR津久野 → JR我孫子町 → 徒歩5分 → あびこ観音 → 徒歩3分 → あびこ → (御堂筋線) → 梅田

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吾彦山 大聖観音寺(観音宗総本山)

 家原寺から阪和線津久野駅に行き阪和線で天王寺へ向かいましたが、

少し時間があったので、我孫子町で下車。東へ進むと西門に至ります。

大阪ではあびこ観音寺として知られる有名寺院ですが、思ったより境内は狭い。

 それもその筈、江戸時代には36の塔頭を数える大寺院でしたが、

明治14年(1881年)火災で焼失。9年後に再建を果たしますが、

折からの廃仏毀釈で往年の規模を取り戻せなかったのでしょう。返す返すも残念な話です。

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南東から寺域を見る

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西側入口に建つ寺標

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石畳の参道

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参道先にある西門
こちらが正門に当たる。

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西門近影

 正式名は吾彦山大聖観音寺(あびこさんだいしょうかんのんじ)。寺伝に拠れば、

『欽明天皇7年(546年)の創建。難波の阿比古(あびこ)浦の有力者で

百済と交易していた依網吾彦(よさみのあびこ)は聖明王から1寸8分の観音像を贈られる。

当時は、未だ正式な仏教受領前だったので阿比古浦に草庵を設けて観音像を安置した。

 60年程経った推古天皇13年(606年)に、聖徳太子が阿比古(あびこ)浦を訪れて観音像と対面。

費用を下賜され吾彦山観音寺を建立した。

 天平17年には聖武天皇の病気回復を行基が吾彦山観音寺の本尊に祈願すると病気は平癒。

以降、天皇家や武家から厄災を防ぐ観音として崇拝を受けた。

 応仁の乱に際しては本尊は高野山に難を避けたが、

後北条氏に仕えた東三郎左エ門が高野山で出家して快敬と名乗った僧侶が

高野山から本尊を観音寺に戻し、自身もそこの住職となった。

 大坂夏の陣では真田幸村に追われた徳川家康が、

吾彦山観音寺に逃れて難を避けたので、戦後は寺を復興。

快敬の息子・助左エ門も旗本となった。快敬の入寂後は助左エ門が盛長上人として寺を継承。

以後、明治に至るまで東氏の血統が法灯を受け継いだ。

歴代皇室・徳川家や諸大名の信仰も篤く、全国有数の観音霊場として隆盛を極める。』 とあります。

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西門を過ぎた場所にある大楠

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夕暮れ時の境内

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南門前にある樹齢700年の大楠

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庫裏

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本堂

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本堂前面
内陣で参拝できる。

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本堂前から見た境内
左側にあるのが庫裏。

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本堂横の池の錦鯉
オリジナル御朱印帳は錦鯉がデザインされている。

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南門から

 駅名が我孫子という漢字にも拘らず寺名はあびこと平仮名。

その理由が分かりませんでしたが由緒を読んで納得。

開基には仏教界のスーパースターが登場するのが常ですが、

依網吾彦と言う他には登場しない人物が関わっているのは、かなり真に近いものがあるのでしょう。

 大阪人にとっては大坂の陣で家康を救った寺というのは微妙な位置づけですが、

そのために今まで残ったというのは幸いだったと言えます。

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あびこ山観音寺物語

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あびこ観音御朱印

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住吉我孫子郵便局 ; あびこ観音寺

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家原寺(大阪府堺市西区) 行基生誕地に建つ智慧の文殊

2020.01.27(20:37) 542

合格祈願のハンカチ寺(2020.1.21)

<コース>
新大阪 → (御堂筋線) → なかもず → 徒歩15分 → 百舌鳥八幡宮 → 徒歩45分 → 家原寺

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一乗山 清凉院 家原寺(行基宗単立寺院)

 百舌鳥八幡宮参拝の後、阪和線に平行に道路を鳳方面に3㎞行くと行基の生誕地。

一乗山清凉院家原寺(いちじょうざんせいりょういんえばらじ)は、

『慶雲元年(704年)、行基が畿内に49の寺院を建立するのに先立ち、

父の菩提寺として生かに草堂を建立したのが嚆矢。

後に行基は聖武天皇の信任を得て天平2年730年に伽藍が整備され32坊を有する様になった。

家原寺の寺名は家を原(もと)とした事に由来する。

 その後衰えるが寛元3年(1245年)に叡尊が再興。

戦国期には兵火で衰退するが江戸時代には徳川御三卿の田安家の帰依を受け復興。

明治の廃仏毀釈でまた荒廃と浮沈を繰り返す。 

しかし空襲は免れ、慶安元年(1648年)再建の本堂は今も威容を誇っている。

 本尊は行基作とされる文殊菩薩で、白毫には天竺の菩提僊那が招来した1寸8分の黄金仏を納める。

尚、文殊菩薩が本尊となったのは家原寺が初。

元来は勅願寺として国家鎮護・仏法興隆を祈願する寺院であったが、

合格祈願の寺として受験生が絶えない。

以前は本堂の壁に直接願い事を書く「落書き寺」として有名であったが、

諸般の事情で¥500ハンカチに記入したものを本堂の外壁に張り付ける形式に変わった。

今では「ハンカチ寺」と呼ばれている。』 とあります。

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南大門(仁王門)
駅からは反対側だがこちらが正門。

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南大門の仁王像

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仁王門に続く駐車場
駐車料金¥500が事実上の拝観料となっている。徒歩の人は志納。

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入口脇の不動堂

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参道から境内を見る

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池の南側から見た景色
正面の釣鐘堂は修復中。

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池の東側

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慶安元年(1648年)再建の本堂
行基作とされる文殊菩薩が本尊で、別名文殊堂。

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本堂近影

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本堂周辺には合格祈願のハンカチがいっぱい

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本堂前面

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本堂より境内を望む

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本堂側面

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本堂裏もハンカチがびっしり

 ハンカチ王子は聞いた事がありますが、ハンカチ寺とは初耳。

落書きとは【ぎょうぎ】が良くないのでハンカチとなったのでしょうか?

 行基は和泉国出身と訊いていましたが、和泉でも河内、摂津の境に近い場所とは初めて知りました。

時代を動かす偉人は異文化の接する付近の出身が多いという一般論は行基の場合にも当て嵌まるようです。

 行基は、王仁の後裔と伝えられる百済系渡来人の系列で高志氏の一族。

父は高志才智、母も渡来系の蜂田首虎身の娘・古爾比売で、

行基は668年に和泉国家原で生まれました。

幼名・法貴丸、俗名・高志貞知と言い、15歳で出家。

受戒までの10年間を葛城山で修行したとされます。

 行基は全国行脚しながら民衆を教化しましたが、同時に井戸・池・橋・堤などの土木工事、

無料宿泊所などの社会事業を行った事でも有名です。

 宗教家に加えて技術者の面も持っていた訳ですが、

彼が渡来人の系列であった事が大いに与ったと思います。

後の空海もそうですが、単に宗教を説くだけでは民衆の心を掴めないと分かっていたのでしょう。

パイオニアはあらゆる事に精通しなければなりません。

 初めは行基を白眼視した朝廷も最終的には彼を政権に取り込みましたが、

彼の技術に期待したからでしょう。まさに芸は身を助くです。

 家原寺も当初は高野山真言宗でしたが、2018年からは行基宗という単立寺院に改宗しています。

法隆寺も聖徳太子宗ですから、それだけ行基の功績が大きかった証左でしょう。

 合格祈願にも効き目がありそうですが、全勝ではなくてハンカチ(半勝)と言うのがちと気になりますが…。

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本堂裏の経堂

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本堂南側にある行基菩薩誕生塚

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誕生塚にある堂

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塚の北にある開山堂
行基の他、弘法大師、叡尊も祀る。

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境内の看板

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薬師堂とヤマモモの木

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家原寺の子院の中院と三重塔

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平成元年再建の三重塔

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東門付近から見た境内

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家原寺説明書

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家原寺御朱印(本尊文殊菩薩)

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家原寺御朱印(西国薬師霊場)
薬壺型の金紙特別朱印。西国薬師霊場開創30周年記念。

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百舌鳥八幡宮(大阪府堺市北区) 古墳を見守った八幡宮

2020.01.26(20:53) 541

古墳の主の人徳は?(2020.1.21)

<コース>
新大阪 → (御堂筋線) → なかもず → 徒歩15分 → 百舌鳥八幡宮

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百舌鳥八幡宮(旧府社)

 所要が昼に終わったので、新大阪駅から御堂筋線の終点なかもずまで。

この付近は昨年世界遺産に登録された百舌鳥古墳群の場所。

世界最大の大山古墳(伝仁徳天皇陵)、陵山古墳(伝履中天皇陵)はJRの西側ですが、

東側にも古墳が点在しています。

 そんな中に鎮座するのが百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)。

石の鳥居から石の参道を過ぎ、階段を上ると境内。

堺は空襲を受けましたが、享保11年(1726年)建立の本殿、

文政13年(1830年)建立の拝殿、本殿前の樹齢800年の大楠は戦火を潜り抜けました。

八幡神は武運の神なので御利益があったのでしょう。

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参道入口の石鳥居
あかもず駅からは反対側になる。

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参道の向こうに見える二の鳥居

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石段の先にある二の鳥居

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八幡宮の扁額

社伝に拠れば、

『神功皇后が三韓征伐の帰路、後の応神天皇であると皇子と共にこの地に至り、

天下泰平民万人を守ると言う御請願を立て、この地を万代(もず)と名付け死後この地に葬られた。

そして欽明天皇の御世に八幡神の宣託に拠ってここに神社を創建した。

唯、延喜式等の記録には見えず、仁平2年(1152年)の『宮寺縁事抄』に記載された

「万代別宮」が最初とされる。同じ時期に鋳造された

滋賀県長浜市の勝福寺の梵鐘も元来はこの神社の梵鐘であったとされる。

 後白河天皇の時代には当社が石清水八幡宮の別宮となっていた記録があり、

南北朝時代には深勝親王が参籠、和泉の領主であった大内氏も梵鐘を寄進した。

 このように公武の崇敬を集めたが、大内氏の兵乱、大坂夏の陣で兵火を被り往時の栄華を失った。

しかし江戸時代になり各所からの寄進で復興を遂げ、

大坂城代が交代する際には、ここに参拝するのが習わしとなった。』 とあります。

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百舌鳥八幡宮由緒

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社前の大楠
樹高25m、幹周5.2m、樹齢800年の神木。

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文政13年(1830年)建立の拝殿

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拝殿の幕には百舌鳥の図柄が

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拝殿と奥にある本殿(左)

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二の鳥居横の絵馬殿

 百舌鳥耳原地区の中心となる社。

鳥の百舌鳥が耳に飛び込んだ事が地名の由来と思っていましたが、

もずの漢字は「毛受」「毛須」「万代」とも書いたそうで、

そうなると耳に鳶込んだ話は後から付け足した可能性もあります。

 御祭神は応神天皇ですが、伝応神天皇陵はここではなく古市。

子供の仁徳天皇の陵墓のすぐそばに父が祀られているのも面白いですね。

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百舌鳥八幡宮略記

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百舌鳥八幡宮御朱印

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百舌鳥郵便局 ; 世界遺産・百舌鳥古墳群、百舌鳥八幡宮のふとん太鼓

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光照院門跡(京都市上京区) 旧常盤御所

2020.01.25(19:58) 540

高尚な貴族趣味の寺院(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺 → 京阪三条 → (地下鉄) → 烏丸御池 → 徒歩5分 → 六角堂 → (地下鉄) → 今出川 → 徒歩5分 → 三時知恩寺 → 徒歩3分 → 光照寺

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佛日山 光照院(浄土宗 尼門跡寺院)

三時知恩寺に続き少し北にある門跡寺院へ。

佛日山光照院(ぶつにちざんこうしょういん)は、

『南北朝時代の延文元年(1356年)に、後伏見天皇の皇女・進子(ますこ)内親王に拠って創建。

ここは鎌倉時代の歴代上皇の仙洞御所となった持明院統の邸宅があった場所である。

進子内親王は自身が華道に堪能であったため、常盤未生流の家元となり、

以後、歴代の門跡は家元を兼ねる状態が続いている。』 とあります。

 残念ながらここも入口より先は撮影禁止なのは同じ。

正面にある常盤会館、本堂、書院が拝観できる場所でした。

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特別公開の看板
写真は常盤会館内部

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由緒書

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山門脇の仙洞御所跡碑

 常盤会館は昭和3年11月に京都御所で行われた即位大典の際の大嘗宮朝集所を移築したもの。

寺院らしさはないですが、継ぎ目のない絨毯がスケールの大きさを表しています。

 本尊は鎌倉時代の清凉寺式と呼ばれる釈迦如来立像。

規模は小さい御本尊ですが、衣の部分に菊の金細工が施されるなど細かい技術が見られます。

 最後の書院は京都御苑の旧桂宮御殿の一部を移したもの。

北側の庭園には歴代門跡が御手植えの五葉松が現在までも枝ぶりを伸ばしています。

 こうして門跡寺院の参拝も終了。

いずれも御所の近隣ですが、なぜ門跡寺院があったのか?

平安時代などは宗教勢力の力を取り込むべく、皇族や摂関家が子弟を送り込みましたが、

この時代に送り込んだのは女性が多く、

後継者以外の子女が政治的に影響を与えないように考慮した感じがします。

そういった意味では幽閉に近く門跡も政治の被害者だったといえるのではないでしょうか?

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屋根瓦にある菊と重ね菱の紋

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山門正面に建つ常盤会館
右は臨時の受付。

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光照院説明(特別公開ガイドブックより)

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光照院御朱印

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俵屋吉富 菓子資料館前
特別拝観3箇所で、1回の抹茶接待が受けられる。

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抹茶接待
銘菓「雲龍」と抹茶

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三時知恩寺(京都市上京区) 旧入江御所

2020.01.23(20:50) 539

狩野永納と円山応挙の絵画に賛辞(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺 → 京阪三条 → (地下鉄) → 烏丸御池 → 徒歩5分 → 六角堂 → (地下鉄) → 今出川 → 徒歩5分 → 三時知恩寺

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三時知恩寺(浄土宗 尼門跡寺院)

 西国札所巡りに続いて御所の北側に地下鉄で移動。

「京の冬の旅」という企画で特別拝観している門跡寺院を二ヵ所拝観。

『三時知恩寺(さんじちおんじ)は、室町時代に後光厳天皇の皇女・見子(けんし)内親王が、

伯父の崇光天皇の旧御所・入江殿を寺院として創建。入江御所と呼ばれた浄土宗尼門跡寺院である。

 その後、室町幕府三代将軍・足利義満の息女覚窓性仙尼(かくそうしょうせんに)が入寺。

知恩寺と号したが、「宮中で行う六時勤行のうち昼の三時の勤行をここで行うべし」

との後柏原天皇の勅命に拠って名を三時知恩寺と改めた。

 明治維新まで代々皇女や摂関家の姫君が入寺され、特に近衛家との所縁が深い。』 とあります。

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山門と特別公開の看板

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由緒記

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境内から見た山門
向こうに見えるのは同志社大学別館。

 同志社大学の別館と道を挟んである閑静な住宅街。

広大な伽藍ではなく、加えて各所から移築された建造物が殆どですが、

小さい中に当時の宮中文化を凝縮した造りとなっています。

 寺院は天明の大火で焼失しましたが、本堂は大徳寺山内の学問所を移築。

書院は桃園天皇女御・恭礼門院の御殿を賜りました。

木造の建造物が多い我が国では建物の焼失は致し方ありませんが、そのような場合、

新築するのではなく古いもの或いは不要になったものを移築する事が往々にしてあります。

せこいといえばそうですが、経済的にも文化財を後世まで残す面でも秀逸な方法であったと思います。

 唯、残念な事に拝観入口から内部は室内・庭園に関わらず全て撮影禁止。

己の記憶のみに焼き付ける結果となりました。

 本堂の六曲一双の花鳥図屏風は狩野永納(えいのう)の作品、

山鵲(さんじゃく)という名の鳥が描かれています。

実物の写真もありましたが、日本にはいない鳥のようです。

三尺下がって見ると写実的で思わず「えいのう!」と言ってしまいました。

続く書院「三の間」の襖絵は円山応挙の魞漁図(えりぎょず)が。

琵琶湖を背景としたものですが、実際に見た様子を描いたものでしょうか?

門跡寺院にはやや似合わない気もしますが、入江御殿という名前故に魞を描いたのかもしれません。

勿論、襟を正して描いたに違いありませんが…。

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玄関の唐破風

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山門脇の庭
ここは撮影可能。

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境界付近のススキ

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三時知恩寺の説明(京の冬の旅 ガイドブックより)

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三時知恩寺御朱印

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六角堂(京都市中京区) 京都のへそにある生け花発祥の寺

2020.01.22(16:44) 538

お参りするのは池の方?(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺 → 京阪三条 → (地下鉄) → 烏丸御池 → 徒歩5分 → 六角堂

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紫雲山 頂法寺(天台宗単立寺院 西国三十三ヵ所第十八番札所)

 西国札所は僻地にある所が多いですが、六角堂は京都市中京区の繁華街。

『紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)は、用明天皇二年(587年)創建の伝説を持つ古刹。

物部氏に勝利した聖徳太子が四天王寺建立のために用材を求めて小野妹子とこの地を来訪。

水浴中に木の枝に掛けた持仏の如意輪観音が動かなくなり、

お告げでこの地に六角の御堂を建てたのが始まり。

これが本邦初の伽藍建立とされ頂法寺の名の由来となった。

 平安末期から巡礼者で賑わい門前町が形成されるようになり、

室町期には京都で最も人口の多い場所となった。

境内には京都のへそ石とされるものも存在する。

 聖徳太子が沐浴した傍らに小野妹子が坊を建て、

毎朝花を供えたのが華道の始まりとされる。』 とあります。

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六角通の北側にある表門

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寺標
西国札所と華道発祥の地と記載。

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六角堂由緒

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表門から見た本堂
右にあるのは縁結びの六角柳

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本堂前のへそ石
本堂古跡の石とも京都の中心とも言われる。

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へそ石の説明

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へそ石の向こうに建つ本堂

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明治10年建立の本堂
手前に入母屋造、千鳥破風の屋根の礼堂を設け、奥に六角の堂を付けた構造。

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礼堂の「頂法寺」の扁額

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東側から見た本堂
右奥のビルは池坊会館。

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北側から見た六角堂

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東側にある六角堂御幸桜越しに本堂を見る

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御幸桜由緒

 聖徳太子伝説は兎も角、平安京の中心に長きに亘り存在するのは事実。

度々戦火に見舞われたようですが、都度京都の町衆の力で再建されてきました。

道を挟んで飛び地に鐘楼がありますが、町の人々が金を出して人を雇い

鐘を撞いて貰ったという代物。七転び八起きの心意気を感じます。

 一方、華道の方はお寺に付随して始まったようですが、今はこちらが主流。

頂法寺の住職が華道池坊の家元も兼ねています。

太子沐浴した池の傍らにあった事から池坊を名乗った訳ですが、小野妹子の末裔とされます。

但し、池坊を名乗ることができるのは宗家のみで分家した場合は小野を名乗るのが習わし。

現宗家は46代目だそうですが、小野妹子は7世紀の人ですから、

世代が少ない気もします。華道としての記録が残るのは

室町時代の12世池坊専慶以降ですから、歴史的に遡るのはそのあたりでしょうか?

しかし由緒はどうあれ、巡礼に文字通り花を添えるものとして【頂法】されたのは事実のようです。

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御幸桜の奥に建つ親鸞堂

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現代的な十六羅漢像

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太子堂
本堂背後の人工池に面して建つ。

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太子古跡の説明

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境内にある池坊専好の立花像

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立花の説明

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太子堂前の立花

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隣のビルの展望エレベーターから見た本堂屋根(6階付近)

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隣のビルの展望エレベーターから見た本堂屋根(最上9階付近)

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鐘楼堂
六角通を隔てた飛地境内にあり、秀吉家臣の堀尾吉春の嫡男・忠氏が寄進した。

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六角堂頂法寺説明書

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六角堂御朱印

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六波羅蜜寺(京都市東山区) 

2020.01.20(22:48) 537

市井と共に生きる姿勢を貫いた人(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺

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補陀落山 六波羅蜜寺(真言宗智山派 西国三十三ヵ所第十七番札所)

 京都での会合前に清水五条で下車。

祇園の宮川付近を通って暫く行くと、どこからか線香の香りが漂ってきます。

目指す寺は周囲を家々に囲まれた場所。

補陀落山六波羅蜜寺(ふだらくさんろくはらみつじ)は寺伝に拠れば

『天暦5年(951年)の空也上人により創建。

この年に都に悪疫が流行したため、上人は十一面観音を刻み車に乗せて巡行。

念仏を唱えながらお茶を振舞い疫病の退散を願ったと言う。この本尊を祀った西光寺が嚆矢とされる。

尚、このとき振舞った茶は梅干しと昆布を入れたもので、村上天皇も召し上がった事から皇服茶と呼ばれた。

上人の没後、弟子の中信が天台寺院として伽藍を整備し、仏教用語の六波羅蜜を採り寺名とした。

平安時代末にはこの辺りに平清盛の屋敷が営まれ栄えたが、

寿永2年(1183年)の平家没落時に兵火を受け焼失。本堂のみ難を逃れた。

鎌倉時代には幕府の六波羅探題が置かれる。

 桃山時代には真言宗智山派に改宗、度々の戦火に見舞われながらも

時の権力者に拠って復興されたが、明治の廃仏毀釈で寺領は縮小。今に至る。』 とあります。

難所が多い西国札所にあって街中の楽な場所。それ故、【ふだらく】山と言う訳ではないですが…。

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駅から宮川を通り札所へ

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本堂前の石標準
但し、ここからは入れない。

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入口はこちら

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本堂

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本堂近影

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本堂前の廂

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本堂の「六波羅蜜寺」の扁額

 開基の空也上人は、醍醐天皇の皇子という説もありますが、生地・出身共に謎が多い人物。

天台座主から大僧正名を受けながら空也の名を通し、

架橋・井戸掘り・病人救済と市井の人々と生きる姿勢を貫いた人。

その業績はかつての行基・空海に、御落胤云々は後の一休禅師に通じるものがあります。

 空也という名前からして名誉欲が少なかった気がしますから、

御落胤ないし高貴な自出というのは恐らく本当でしょう。

【くうや】喰わずの人ではなかったようです。

 寺名は仏教用語に由来するというのが定説ですが、この付近は葬送の地。

鳥辺野、六原とも呼ばれていたと言いますから、六原に由来するとも言えそうです。

そういえば六道珍皇寺や六道の辻があるのもこの辺りです。

 本尊の十一面観音は秘仏で国宝。辰年の十一月の期間のみの御開帳。

それよりもここには空也上人像、平清盛像といった教科書に載るような文化財も多く有しています。

知名度では勝るものの、国宝ではなく重要文化財であるのが意外でした。

尤も、空也上人も名誉を求めなかった人ですから、国宝にならずとも何ら問題はなさそうですが…。

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境内にある洛中最古という七福神

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本堂脇の石仏
この奥は墓地になっている。

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有名な平清盛坐像
これは宝物館の案内。

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六波羅蜜寺御寶暦
表紙はこれまた有名な空也上人立像。南無阿弥陀仏と唱えると仏の姿になったとか。

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六波羅蜜寺御朱印

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霊鑑寺門跡(京都市左京区) 谷の御所

2020.01.19(20:55) 536

後生大事に受け継がれた品々(2020.1.10)

<コース>
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 祇園四条 → 徒歩10分 → 知恩院 → 徒歩20分 → 霊鑑寺

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円成山 霊鑑寺(臨済宗南禅寺派 尼門跡寺院)

 知恩院の後は岡崎に向かい、この日から特別拝観の始まった谷の御所へ。

円成山霊鑑寺(えんじょうさんれいかんじ)は、

『承応3年(1654年)、後水尾天皇が皇女浄法身院宮宗澄を得度入寺させ、

円成山霊鑑寺の山号と寺号を勅許したのが始まり。

以来、明治維新まで5人の皇女・皇孫が入寺し、霊鑑寺尼門跡、谷の御所と呼ばれた。

 本尊の如意輪観音は恵心僧都の作で、かつては東の山中の如意寺の本尊。

南北朝の戦乱で焼失し荒廃していたのを後水尾天皇が霊鑑寺の本尊とした。

本尊の台座に霊験あらたかな鏡があることから霊鑑寺の名の由来である。

 創建当初は現在の南の谷間にあったが、貞享3年(1686年)に後西天皇の皇女

普賢院宮宗栄が当寺二世であった時に後西天皇の院御所旧殿のうち

御休息所及び御番所を賜って現在地に移築された。

現在の本堂は寛政6年(1795年)に11代将軍徳川家斉の寄進に拠って

完成したものである。』 とあります。

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入口にある特別公開の案内

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由緒記

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山門

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玄関の横を通り拝観へ

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玄関奥に描かれた絵画
但し、ここは外からの拝観のみ。

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庭園への門

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参道を通り庭園へ向かう

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書院外観

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池泉観賞式庭園
江戸時代中期の作庭で、石灯籠と石組の調和を巧みに用いている。

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書院横から見た庭園
東山連峰の大文字山からの稜線を利用し書院の南側に作庭されている。

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書院内部 上段の間(撮影禁止のため説明書から)

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書院から本堂へ続く廊下

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庭園横の石段を上り本堂へ

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本堂
寛政6年(1795年)将軍・徳川家斉の寄進に拠り建立。

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本尊・如意輪観音像(説明書より)
台座の鏡が寺名の由来。

 京都の特別拝観は、高額な拝観料を取る割には見所の少ない寺社もありますが、

ここは¥600にしては見応え十分でした。しかも場所毎に説明してくれるのも有難い。

谷に建っていないのに谷の御所とはかつては谷間にあったからとか、

10代将軍家治の子供家基公が急死されたので輿入れが決まっていた皇女が門跡として入寺、

そのため11代将軍になった家斉が本堂を寄進したとか、興味深い話を聞くことができました。

書院の上段の間には、御所から移された狩野永徳と元信の襖がありました。

和辻;「御所の襖を移すと、御所の襖が無くなって困るのでは?」

ガイド;「天皇の代替わりに建て替えをするので、それを移築する訳です。」

天皇の代替わりに建て替えというと勿体ない気もしますが、

種々の儀式を行う御所ならばいつまでも古いものを使う訳にもいきません。

成程それならば廃棄することも無く有効利用と言えそうです。

 寺宝の中には、カルタや御所人形もあります。

なんでも10歳未満で入寺した尼門跡もいたとかで、日々の楽しみでもあったのでしょう。

門跡は勿論生涯独身。世間一般の生活レベルに比べると裕福ではありますが、

自由と言う点では伊勢の斎宮に通じるものがあります。

高貴な身分の方々には下々には分からない苦労があるようです。

 見応え十分なのは書院の襖絵と庭園ですが、120種余りの椿も有名だそう。

どうせなら3月下旬に【あんこ】ーる訪問をしたいものです。

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本堂の前庭

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本堂を通り椿の咲く庭へ向かう

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紅八重侘助

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有楽

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庭奥にある楓の高木

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石段を下りて書院へ
地面には苔が繁茂している。

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白椿の落花

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霊鑑寺門跡説明書

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霊鑑寺御朱印 その1
御本尊の観世音

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霊鑑寺御朱印 その2
紅霞亭、紙は書院の襖絵

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会合前に時計台前で一服
ケーキセット

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知恩院(京都市東山区) 法然上人の墓所に開かれた大伽藍

2020.01.18(16:56) 535

東山は土地多いん?(2020.1.10)

<コース>
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 祇園四条 → 徒歩10分 → 知恩院

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華頂山 知恩教院 大谷寺(浄土宗総本山)

 夕方から市内の会合に出席するために少し早めに出て、お寺巡りに。

前回訪れた長楽寺は木曜日が休館。今回は金曜日で大丈夫と期待していましたが、

門前に来るとまさかの休館。一体、いつならば開いているのでしょうかね?

 このまま岡崎に向かおうと思いましたが、途中、知恩院の前を通ると大きな看板が…。

自分の家は知恩院の末寺の檀家になるので、年始なので取り敢えず参拝することに。

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国宝・三門
元和7年(1621年)、徳川秀忠公の命で建立。五間三戸・二階二重門・入母屋造本瓦葺で高さ24m、幅50m。
扁額の「華頂山」は畳二畳分ある。

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三門から境内へ続く階段

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石段から山門を見返る

 知恩院の正式名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)、

『比叡山を下りた法然上人はこの東山に庵を結び

「念仏を唱えれば極楽往生できる」 という浄土宗の教えを人々に広めた。

この教えは人々に受け入れられたが旧勢力からは異端視され、

法然と弟子の親鸞は遠島。遠島を許されて都に戻った翌年に法然は80歳で没する。

後に法然の弟子達が現在地に勢至堂を建立。

江戸時代に浄土宗に帰依した徳川家康公が

ここを京都における菩提所と定めた事から寺領が拡大。

華頂山の麓が切り開かれ広大な伽藍が築かれた。

御影堂と三門は国宝に指定されている。』 とあります。

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御影堂前から

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国宝・御影堂(本堂)
寛永16年(1639年)に徳川家光公の命で建立。間口45m、奥行き35m、外縁3mを巡らした壮大な伽藍である。

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御影堂軒下近影

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宝物殿

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重文・経蔵
元和7年(1621年)の建立で、秀忠寄進による宋版大蔵経を安置している。

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経蔵の説明

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多宝塔

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阿弥陀堂

 御影堂は修理中で外からのみ。それに続いて高台にある開祖の御廟まで参拝。

元来はここが発祥の場所となる筈ですが、108段の階段のためか訪れる人は疎らでした。

 遠足等で何度も足を運びましたが、改めてじっくり見渡すとすべての建造物のスケールが大きい。

御影堂の大きいのは勿論ですが、渡り廊下の高さは2.5m。手を伸ばしても届きません。

三門は高さ24mで日本一、日本三大梵鐘の一つとされる鐘は70tで

大晦日には僧侶が17人がかりで撞くという代物。

境内の広い寺院は古代からありますが、建物自体が大きいのは大仏殿位のもの。

やはり浄土宗と浄土真宗は個人よりも大衆を相手にしたのでこのような巨大な建物を造り、

結果として大きな教団に発展したとも言えるでしょうか。

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御影堂脇を通り本廟へ

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廟への108段

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勢至堂入口

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重文・勢至堂
享禄3年(1530年)建築の境内最古の建造物。勢至菩薩像を祀る。

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勢至堂前から

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勢至堂前から御廟方面を望む

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御廟前の拝殿

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拝殿の軒と蔀戸

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御廟前面の装飾と三つ葉葵

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重文・唐門(勅使門)
大方丈玄関に通じる門。

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御影堂を過ぎて北門へ
渡り廊下の高さも2.5m。

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北側にある黒門

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知恩院案内書(無料)

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知恩院冊子 ¥500

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知恩院御朱印(平成6年拝受分)
宗祖・法然上人で、当時はこれが一般。

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知恩院御朱印
勢至堂のもの。知恩院御朱印は、この二つ以外は御詠歌のみ。

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京都知恩院前郵便局 ; 国宝・知恩院三門

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美濃国分寺(岐阜県大垣市) 天平の法灯を受け継ぐ国分寺

2020.01.16(22:52) 534

土中で難を避けた薬師さま(2020.1.9)

<コース> 日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (新快速) → JR米原 → JR垂井

北口観光案内所→ レンタサイクル10分 → 真禅院 → レンタサイクル5分 → 南宮大社 → レンタサイクル15分 → 美濃国分寺 → レンタサイクル10分 → 北口観光案内所

【復路】JR垂井→ JR米原 → (新快速) → JR大阪

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金銀山 瑠璃光院 美濃国分寺(高野山真言宗 準別格本山)

 一之宮に続いて国分寺へ参拝。

JR垂井を中心に丁度、一の宮と反対側になります。

線路を越えて中山道に沿って東に向かうと、道路沿いに広大な広場が出現しますが、

そこが美濃国分寺跡。

その南から北を望むと山麓にやや現代的な造りを見せるのが美濃国分寺。

聖武天皇の勅願に拠って全国に建立された国分寺ですが、

中には寺院跡しか残っていないものも多々あります。

そんな中で、後継寺院が残り、しかも一之宮も近くにあるというのは稀有な例と言えるでしょうか?

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史跡・美濃国分寺跡
右奥に見えるのが現在の国分寺。

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国分寺の礎石

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美濃国分寺入口

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「やくしばし」を渡り山門へ

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山門(仁王門)近影

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阿形の仁王像

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御縁起

金銀山瑠璃光院美濃国分寺(きんぎんざんるりこういんみのこくぶんじ)は、

『天平9年(737年)、聖武天皇の勅願に拠って行基がここ青野ヶ原に至り、

欅の大木に一丈六尺(約4m)の薬師如来を刻み安置したのが始まり。

 その後、奈良の良弁僧正が第二世、弘仁年間には弘法大師が第三世、

その弟子の智泉が第四世と美濃最古の霊場として栄えた。

 隆盛を極めた堂宇も仁和3年(887年)に焼失。

後に再建されるが、平安末期には衰退に入ったとされる。

 復興したのは江戸初期、元和元年(1615年)に真教上人が土中から薬師如来を彫りだし、

現在の地に草葺の草堂を建て本尊を安置して以降である。』 とあります。

 伝説的とはいえ行基、良弁、空海と仏教界のヒーローが住持を務めたというのは異例の事。

それだけ重要視された証でもあります。

山号寺号も金銀瑠璃と金属・鉱山に関係しているのは南宮大社との関りもあるのでしょうか?

マンガンが採れたので西美濃三十三霊場の満願札所になったとは思えませんが…。

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山門から見た境内
正面が本堂。

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階段を上り本堂へ参拝

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本堂近影

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現在御本尊は本堂後方の奥之院に祀られている

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奥之院へは本堂横を通って向かう

 「やくしはし」を渡り、仁王門を過ぎると正面に本堂が。

外から参拝した跡、御朱印を御願いすると丁度、若い御住職が戻って来られました。

和辻;「御本尊は本堂ですか?」

住職;「いえ。今は奥の院にお祀りしています。本堂は御前立です。」

という事で、御朱印拝受の間に奥の院までお参りすると、説明通りの巨大な薬師様でした。

和辻;「もの凄く大きな仏様ですが、これが埋まっていたのですか?」

住職;「胴体の一部は朽ちていて補修しましたが、埋まっていたそうです。」

私も各地で、戦乱を逃れた仏像を目にしましたが、その中でも大きさはトップクラス。

埋めるだけでも大変でしょうから、身の危険を顧みず

仏像を守った名も知られぬ人々が大勢居たという事でしょう。

和辻;「戦後、濃尾地震があったと思いますが、この辺りの被害はどうだったのでしょう?」

住職;「生まれてはいませんが、この付近は被害が殆どなかったと聞いています。」

やはり、美濃でも国府、国分寺等は自然災害の少ない場所を入念に調査したようです。

その当たりの危機管理は現代も参考にする必要がありそうです。

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奥之院への階段から境内を見る
左が本堂の屋根。

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奥之院の本尊前から

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奥之院から国分寺跡を望む

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奥之院にある御本尊・薬師如来(説明書より引用)
600年の風雪に耐えた御姿。国分寺本尊は薬師様が多いとか。

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高台に建つ納骨堂と観音堂

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鐘楼

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本堂、奥之院と大師堂

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境内右手にある庫裏

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美濃国分寺説明書

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美濃国分寺御朱印

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南宮大社(岐阜県不破郡垂井町) 鉱山・金属の総本宮

2020.01.15(22:37) 533

動かざること大社の如し(2020.1.9)

<コース> 日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (新快速) → JR米原 → JR垂井

北口観光案内所→ レンタサイクル10分 → 真禅院 → レンタサイクル5分 → 南宮大社

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南宮大社(美濃国一之宮、旧国幣大社、式内社)

 真禅院参拝の後は、本家の一之宮に参拝。

通常は駅から南に新幹線を越えると鉄製の21mの朱の大鳥居が目に入ります。

そのまま南へ行くと目指す神社。

唯、今回は真禅院の前の道をそのまま東へ向かい大社の横へ。

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新幹線を越えて見える大鳥居
東海有数のスケールを誇る。左にはうなぎ店も…。

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大鳥居と新幹線線路

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神社入口へ到着

南宮大社は、

『社伝では崇神天皇に遡る古社。延喜式では美濃国一之宮とされた。

南宮山の麓に鎮座するが、国府の南にあった事が南宮大社の名の謂れ。

祭神は鉱山を司る神である金山彦命で、全国の鉱山・金属業の総本宮として今も崇拝を集める。

 慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では境内全てが焼失。

寛永19年(1642年)に春日局の願いに拠って三代将軍・徳川家光が再建。

境内にある江戸時代の神社建築の遺構十八棟が重要文化財になっている。』

とあります。

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橋を渡って楼門へ

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重文・下向橋
一番下手にあり参拝者が行き帰りに渡る橋。

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一つ上手のこの橋も通行可

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重文・輪橋
楼門前に架かる神様が渡る太鼓橋。

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楼門前から見た輪橋
神様が渡るので人間の通行は禁止。

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境内から見た重文・楼門
随神像と狛犬が参拝者を見守る。

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楼門正面の重文・高舞殿
舞楽を奉納する社殿である。

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高舞殿とその向こうに見える拝殿

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拝殿前から高舞殿と楼門を見る

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高舞殿近影
四方の蟇股に十二支が彫刻されている。

 初めは南宮山に由来する社名と思っていましたが、

神社の名が山の名になったと考えるのが良さそうです。

ここの祭神は金物に所縁がありますが、この辺りでは石灰岩、マンガンが採掘されています。

唯、古代に於いて金属が産出したという記録は聞きませんし、

境内には朱塗りの建造物が多いですが丹生の地名もなさそう。

なぜ金属の神として崇拝されたのか謎は残ります。

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重文・拝殿
南宮造を構成する一棟で、参拝者はここで御祭神を拝す。

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拝殿の後方に見えるのが重文の本殿と幣殿

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重文・神輿舎
入母屋造・本瓦葺で神輿10基が収納されている。

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重文・神官廊
神仏習合時代の神官の控所だった建物。唯、今は前にある仮の社務所の蔭に隠れている。

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重文・勅使殿
入母屋造、妻入、銅板葺。

 南宮山は関ヶ原合戦では西軍の吉川広家、安国寺恵瓊が陣を構えた場所ですが、

吉川広家は家康の意向を受け兵を動かしませんでした。

動かざること山の如しを地で行った訳ですが、結局西軍が敗戦濃厚になると戦線から離脱。

これで大丈夫と思ったでしょうが、毛利家は大幅に領地を削減される羽目になりました。

また陣地となった南宮大社としては兵が動かなかったので

被害はないと予想したのでしょうが、全て灰燼に帰しました。

吉川広家も南宮大社も考えは【大海人】だったようです。

 唯、江戸時代になり幕府の力で再建にこぎつけたのは、

徳川からの罪滅ぼしの意味もあったかもしれません。

こうして令和2年初の一之宮参拝も無事終了。

個人的には鉱山・金属には縁はなくとも、金に円があればと思った次第です。

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参拝を終えて北側の門から帰路へ

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南宮大社御由緒

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南宮大社略誌

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南宮大社御朱印

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垂井郵便局 ; 垂井祭の曳き山車、重文・南宮大社楼門
表佐郵便局 ; 南宮大社、表佐太鼓通り

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朝倉山真禅院(岐阜県不破郡垂井町) 美濃一之宮の神宮寺の変遷

2020.01.14(23:05) 532

美濃一つだに無きぞ悲しき(2020.1.9)

<コース> 冬の青春18きっぷ使用   日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (新快速) → JR米原 → JR垂井

北口観光案内所→ レンタサイクル10分 → 真禅院

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朝倉山 真禅院(天台宗)

 年末に行けなかった美濃を再訪。

今でこそ、美濃の中心は岐阜市を中心とした地域ですが、

これは織田信長が岐阜城を築城して以降の話。

 それ以前の、美濃の中心はそれよりも西に拠った不破郡。

大垣市以外は垂井・関ヶ原と総て町ですが、ここには国府、国分寺、

国分尼寺、一之宮まで置かれたとあるので中心であった事は間違いありません。

濃尾平野の位置で見ると随分西にありますが、

ここから名古屋方面に平野が一気に広がるという開始点でもあったようです。

 古代の三関である不破の関が置かれた場所。

古代には壬申の乱で大海人皇子、近世では江戸幕府を決定的にした

関ヶ原合戦と歴史の分岐点になった場所でもありました。

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竹中半兵衛重治公の像
JR垂井駅北口にある。

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吉川広家陣跡
西軍に属しながら合戦には加わらなかった。

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行く手に境内が見える

 駅の南側には美濃一之宮の南宮大社が鎮座しますが、

その前の道を西に向かい朝倉山の麓に建つのが真禅院。

『朝倉山真禅院(あさくらさんしんぜんいん)は、

天平11年(739年)行基が自ら刻んだ阿弥陀如来を祀るべく開創した

象背山宮処寺(ぞうはいさんぐうしょじ)が嚆矢。翌年には聖武天皇の行幸という僥倖もあった。

 延暦年間の790年頃、勅令により最澄によって南宮神社と神仏習合され神宮寺と改名。

その後は平将門、安倍貞任の追討の祈願が行われた。

 文亀元年(1501年)の火災で諸堂は焼失、美濃守護・土岐政房の尽力で10年後に再建を果たすが、

慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦で再度焼失。寛永19年(1642年)に徳川家光に拠り再建された。

 明治になり廃仏毀釈の波を受けたが、神宮寺の僧侶・秀覚法印と村人たちの熱意に拠り、

南宮大社境内から移築。4年後に朝倉山真禅院として新たな歴史を刻んでいる。』 とあります。

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寺院入口の階段

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石標には朝倉山南神宮寺
南宮大社の神宮寺を略した形。

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小さな山門
神宮寺であったことから独自の大きな門は持たなかった?

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山門を過ぎて見える木立と鐘楼

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正面に見える重文・本地堂
阿弥陀如来を本尊とし、寛永19年(1642年)に再建された。

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本地堂近影

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本地堂の南方面

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釈迦堂(右)と最勝寺観音堂

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薬師堂

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本地院の前を抜け北側に

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来し方を振り返る
本地堂の向こうは護摩堂。

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観音堂
南宮大社奥之院高山社の本地仏「高山観音」を祀る。

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御朱印は観音堂にて拝受

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境内の北側

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鐘楼

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重文・梵鐘
奈良時代に奈良で鋳造された県下最古の梵鐘である。

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鉄塔を納める堂
北条政子が源頼朝の菩提を弔うために寄進したもの。

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重文・三重塔
大日如来を本尊としている。寛永20年(1643年)の再建。

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三重塔正面

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庫裏から三重塔を見る

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庫裏前の庭

 昔からの交通の要衝ですから戦乱に会うのは仕方がありませんが、

一番の危機は明治の廃仏毀釈だったというもの皮肉なもの。

幸いに人々の努力で無事移転しましたが、その背景には後に重文となった三重塔や

本地堂を後世に残したいといった現実的な事だったようです。

 信仰心とは少し違いますが、後世に伝わった事で良しとすべきでしょう

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三重塔前から垂井町内を見る
手前の建物は県立不破高校。

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真禅院説明書

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真禅院御朱印

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岡寺観音(三重県松阪市) 日本最初の厄除観音

2020.01.13(20:46) 531

仏の教えの継承時(2020.1.6)

<コース> 冬の青春18きっぷ使用
JR天王寺(5:35) → JR奈良(6:19→6:39) → JR加茂(6:54→6:55) → JR亀山(9:18→9:23) → JR松阪(9:23) → 徒歩5分 → 継松寺

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岡寺山 継松寺(高野山真言宗)

 令和最初の正月は、お伊勢さんに行くべきだろうと、自分勝手な解釈で伊勢路へ。

と言っても伊勢市ではなく少し手前の松阪で下車。

蒲生氏郷公が城下町を整備した伊勢商人の発祥の地。

本居宣長の出身地で、今も町中には当時の面影が残ります。

加えて最高級の牛肉とされる松阪牛の産地でもあります。

こんな風に観光客には人気のスポットですが、寺院は意外に知られていません。

この日は駅から徒歩圏内の古刹にお参り。

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駅から向かうと本堂裏手に出るがここの朱塗門は閉鎖。

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岡寺観音山門
参宮道に向かって門が開いている。

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説明板

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山門の「岡寺山」の扁額

岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)は、

『天平15年(743年)創建と伝わる古刹。聖武天皇の命に拠って

行基が大仏建立の祈願のために伊勢地方に四箇所建てた中で今に残る唯一の寺院。

場所は今より海岸線に2㎞程行った飯高郡石津郷にあった。

本尊の如意輪観音は聖武天皇が厄年の際に宮中で祈願した後、

行基に命じてここに戻し「如意輪院」の勅額を下賜した。

岡寺観音は日本最初の厄除霊場として今に至るまで信仰が絶えない。

 天平勝宝2年(750年)には洪水で堂宇が流出。

二見ヶ浦の住人が出家して継松法師と名乗り寺を再興した。これが後に寺号になる。

 延暦21年(802年)には弘法大師が岡寺観音に逗留し本尊の脇立ちを刻み祀った。

当寺院が真言宗になった経緯はこれに拠る。

後に蒲生氏郷公の城下町整備に伴い現在の場所に移転した。』 とあります。

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山門下から境内を見る

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境内から山門を見返る

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境内中央の香炉堂とその向こうに見える本堂

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本堂拝殿中央の「継松寺」の扁額

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拝殿奥には「如意輪院」の扁額が
右手は納経所。

 毎年3月の初午大祭は人手で賑わうようですが、普段はいたって静寂な場所。

駅から5分が信じられないくらいです。尤も周辺の牛の店は賑わっていますが…。

 駅から向かうと朱塗りの門が迎えますがここは閉鎖。反対側にあるのが正門になります。

駅からは大回りになるので不便ですが、御住職の話では

「この辺りの寺院は全て参宮街道に向かって正門が開いていますよ。」

との事。現代の感覚で考えては駄目ですね。

 御朱印帳を開くとここは平成5年の9月に参拝。

同じ御朱印を二度貰うのも芸がないので不動尊を拝受しました。

平成5年に拝受したものは御本尊の「厄除観音」。これを見た納経所の方は

「これは先代の書ですよ!写真に撮っても良いですか?」

と興奮気味。

何でも、今と異なり御朱印がマイナーだったので先代の御朱印はないそうです。

正月早々思わぬ邂逅となった様でした。

 今回の御朱印を墨書された御住職は私と同年。

人は変わってもきちんと【継松】されている事を改めて感じた年の初めでした。

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拝殿は人手を考慮して広くとられている

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庫裏の唐門と書院

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岡寺山継松寺案内

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岡寺観音御朱印(本尊の如意輪観音で平成5年拝受)

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岡寺観音御朱印(お不動様で今回拝受)

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松阪市マンホール蓋

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松阪市内マンホールカード   配布場所はこちら

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松阪朝日郵便局 ; 岡寺観音、旧国道松阪大橋

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高津宮(大阪市中央区) 高津の富と崖っぷち散歩

2020.01.12(20:56) 530

古代の都のこうず(2020.1.4)

<コース>
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 四天王寺前夕陽ヶ丘 → 徒歩5分 → 四天王寺 → 徒歩20分 → 高津宮

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高津宮(旧府社)

 四天王寺から上町台地を北上し、寺町群の北端にある高津宮(こうづぐう)へ参拝。

この日は同窓が大阪市内の高低差を歩いて体験という事で、

上町台地を高津宮から四天王寺まで南下する事に。

ひと昔前までは、このような企画など考えもつきませんでしたが、

これも「ブラタモリ」の影響でしょうか?

尚、大阪人には自明の事ですが「たかつ」ではなく「こうづ」と重箱読み。

重箱の隅を楊枝でほじくるような事ですが、初めての方のために念のため…。

神社自身は由緒正しい古社。案内記に拠れば、

『御祭神は浪速の地に皇都・高津宮(たかつのみや)を定められた仁徳天皇。

清和天皇が貞観8年(866年)、勅命に拠って旧都の遺跡を探索し社殿を築いたのが始まり。

以後、歴代皇室や人々の崇拝を受けたが、天正11年(1583年)豊臣秀吉の大坂城築城に際し現在地に移転した。

昭和20年の空襲で焼失するが昭和36年に復興、今に至る。』 とあります。

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表参道から梅の橋を通り境内へ

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石段を上った先にある本殿

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境内から参道を見返る

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境内にある「高津の富亭」
名前から寄席かと思ったが喫茶店であった。

 仁徳天皇は先頃世界遺産に登録された百舌鳥古墳群の大仙古墳の被葬者とされます。

日本書紀の仁徳天皇の紀には百舌鳥に葬られたとあるので、

仁徳天皇陵と言われてきましたが今は伝仁徳天皇陵。

中国と異なり墓銘碑がないので仕方がないとは言えますが、それなりの記録もあるのでどうでしょう?

仁徳天皇は高殿に上り人家の竈からの煙が少ないのを見て人民の窮乏を知り税を止めたとか。

清和天皇が神社建立を思い立たれたのはその仁政を慕ったものでしょう。

高津宮が何処にあったかですが、古代には今の河内は大きな内陸湖で、

南から北に上町台地が突き出している地形。

神社の西側は急な坂になって居り、昔はここまで海が来ていたのでしょう。

瀬戸内海を通って浪波に入って来る舟からは、百舌鳥古墳群、住吉大社が眼前に現れる仕組み。

高津という名前から想像すると港の近くの高台にあったことになります。

唯、古代の都は自然災害の少ない場所に造られるという鉄則からすれば、

個人的にはもう少し内に入った場所だった気もしますが…。

古代人はどんな都の【構図】を描いたのでしょうね。

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境内の西側に建つ絵馬殿
江戸時代は展望の名所で茶店もあった。

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西坂(旧縁切り坂)
明治初期まで形状が三下り半になっていたので俗に縁切り坂と呼ばれた。今では悪縁を断つ坂として密かな人気だとか。

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西坂の由来と西側の崖

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西坂を降りた道路から境内を見る
神社自体が高台にあるのが顕著に分かる。

古典落語の 『高津の富』 はここが舞台。なけなしの金で富くじを買った男が千両を当てたものの、

それが気になって夜も寝られない。結局、泥棒に盗まれて

「これで、ようやくぐっすり寝られる!」 と言うのがオチ。

分不相応な金は身につかないという教訓でしょうが、

そのような大金を手にしたことが無い人間には今一つピンと来ないところもあります。

 富くじは元来、寺社の修理資金を集めるのが本来の目的。

当たり札は境内で衆人環視の元、神職が箱の中の番号札を槍で突き刺したとか。

神仏の前では不正はないということでしょう。

決してギャンブルではありません。尤も胴元の取り分を寺銭と言いますが…。

富くじは今では宝くじと名を変えますが、一般人が行う事は不可。その法律は「富くじ禁止法」となっています。

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高津宮案内記

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高津宮御朱印

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四天王寺(大阪市天王寺区) 聖徳太子所縁の本邦初の寺院

2020.01.11(22:43) 529

聖徳太子の視点(2020.1.4)

<コース>
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 四天王寺前夕陽ヶ丘 → 徒歩5分 → 四天王寺

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荒陵山 四天王寺(和宗総本山 新西国三十三ヵ所第一番札所)

 2020年の最初の巡礼は新西国一番の四天王寺。

我が国最古の建築は世界遺産にもなった法隆寺ですが、

最初の仏教寺院となると大和の飛鳥寺とここ四天王寺。

飛鳥寺が蘇我馬子の建てた氏寺ですから、官立としては四天王寺となるのでしょう。

 荒陵山四天王寺(あらはかさんしてんのうじ)は、

『推古天皇元年(593年)に造営開始。聖徳太子は物部氏との戦において、

「この戦に勝利したら四天王を祀る寺院を建立する。」

と祈願を立て、勝利したのでその言葉通りに建立した。

各地には太子建立の伝説のある寺院は多いが、実際に創建に関わったのは、

法隆寺と四天王寺のみである。』 とあります。

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四天王寺前夕陽ヶ丘駅からだと西側の中之門から入る

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正式には南大門へと続くこの鳥居から

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南大門

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中門(仁王門)

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阿像
京都の仏師である松久朋琳・宗琳の作。

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吽像

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中門の説明

 日本仏教の祖・聖徳太子所縁の寺院という事で、身分・宗派を問わず崇拝を集めてきましたが、

度重なる自然災害や戦争で創建当時の建物は残っていません。

それでも都度、再建されてきたのは、人々の信仰に拠るもの。

やはり【たいし】た影響力だったと思います。

 広大な境内には伽藍が並んでいるので昔は何が何だか分からずに右往左往。

平成6年には参拝して御朱印を拝受しましたが、

どこで貰うかサッパリ分からず、とうとう本坊まで伺いました。

今回伺うと納経所が一棟あり、そこで種々の御朱印を拝受できるようになっていました。

本坊の極楽浄土の庭や五重塔や金堂のある場所は有料拝観。

昔から有料だったのかは忘れようとしても思い出せませんが、

ここ数年の御朱印ブームの影響もあるのでしょう。

なにか一大テーマパークに来たような錯覚を覚えます。

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中門前から見た中心伽藍

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西重門の向こうに見える五重塔
昭和34年(1959年)再建の八代目。

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中心伽藍廻廊
この中は¥500で拝観。

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阿弥陀堂

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西大門(極楽門)
昭和37年松下幸之助氏の寄贈により再建された。

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夢殿にも見える南鐘堂
別名・太子引導鐘、天井裏に鐘があり参詣者は自身で撞く事ができる唯一の堂。

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聖霊院太子殿

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太子殿前殿から見た中心伽藍

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かつての遺構か?

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納経所

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何やらレストランのメニューのような…。

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北の果てにある元三大師堂

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重文・元三大師近影
前には知の輪くぐりが。

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無縁塔

 大阪を代表する古刹で便利な場所にあるので、子どもの頃からよく行きました。

祖母に連れられ出掛けた時などは、池の前で団子を食べながらじっと亀を眺めていました。

今でも池はありますが、亀がミドリガメになっているのが半世紀前と違う所でしょうか?

 尚、四天王寺創建に際しては、新羅から来朝した三名の技術者が建築に携わりました。

彼らはその後も寺院建築に携わる『金剛組』として存続、ギネスにも載る世界最古の会社となっています。

 聖徳太子は歴史の世界では右左を問わず悪口を言われない人物として有名です。

我が国の仏教に貢献したというよりも、時代の先端を行く

技術・政策を積極的に採り入れた現実的な人だったと思います。

令和の新年は令と和に相応しい太子の巡礼で幕開けとなりました。

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重文・石舞台と同じく重文・六時堂

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石舞台の説明

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亀の池と六時堂

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六時堂前から見た太鼓楼(右)と亀井堂(左)

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丸池

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丸池の説明

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四天王寺御朱印(平成6年拝受)

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谷町筋に建つ「金剛組」
20世紀初めまで、金剛氏一族が50代に亘って経営に携わった。

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四天王寺郵便局 ; 重文・四天王寺舞台、舞楽
天王寺郵便局 ; 桃の花の外枠に、救世観音菩薩像、四天王寺五重塔、金堂

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生田神社(神戸市中央区) 繁華街に鎮座する生田さん

2020.01.10(23:36) 528

幾多の変遷を経た生田さん(2019.12.29)

<コース>
JR大阪 → JR兵庫 → 徒歩8分 → 能福寺 → 徒歩30分 → 長田神社 → 高速長田 → 高速神戸 → 徒歩5分 → 湊川神社 → JR神戸 → JR三ノ宮 → 徒歩8分 → 生田神社

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生田神社(式内社 旧官幣中社)

 神戸一番の賑わいを見せる三宮駅から徒歩6分。緩やかな坂の先にあるのが生田神社。

略記に拠れば、

『201年、神功皇后の三韓征伐の帰路、兵庫の沖合で船が進まなくなったので占った所、

稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れ、

「私を活田長狭国(いくたながおのくに)に居りたい。」 と申されたので、この地に祀った。

大同元年(806年)には朝廷より当社を守る家として44戸を賜った。

この家が神戸(かんべ)と呼ばれ今に伝わる神戸の謂れとなった。

元来は、新神戸駅の北の砂子山(現布引山)にあったが、洪水のため現在地に移転。

生田神社の名は延喜式や枕草子にも登場する古社である。』 とあります。

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繁華街の先に建つ二の鳥居
一の鳥居は遥かに遠く電車の線路よりも南側にある。

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楼門

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拝殿に並ぶ行列
年末29日にも拘らずこの人出。

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拝殿近影

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拝殿の後方に建つ本殿

 神功皇后や神戸の名前の由来を見ると、先に巡礼した長田神社と酷似しています。

どちらかが他方を引用したというよりも、由来が分からないくらい古いという事でしょうか?

 中世には北の山裾から三宮駅まで鬱蒼と樹木が茂っていたとか。

今の周辺の繁華街からは想像もできないような【うっそう】のような話です。

 今でも境内の北には源平合戦由来の「生田の森」として残っています。

源平以降も、14世紀の湊川の戦い、16世紀の織田信長の花隈城攻め等、

【いくた】びかの戦乱の舞台にもなりました。

近世以前は境内から海辺にかけては桜の名所ですが、

明治以降は外国人居留地となり桜もいつしか消滅。

遺跡が消滅するのは戦ばかりでないと言う事です。

 こうして忘年会までに神戸三社詣りも無事終了。

いずれも「長田さん」「楠公さん」「生田さん」と親しみを込めて呼ばれる社。

文字通りの【さん】社巡りとはなりました。

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本殿西側の生田の池

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社殿北側に広がる「生田の森」
枕草子にも記された古の面影を残す鎮守の杜。

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生田の森の神木

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生田の森にある縁結びの水占い
ここだけ行列が…。

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生田神社略記

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湊川神社(神戸市中央区) 市民に親しまれる楠公さん

2020.01.10(00:40) 527

人物評価は難航?(2019.12.29)

<コース>
JR大阪 → JR兵庫 → 徒歩8分 → 能福寺 → 徒歩30分 → 長田神社 → 高速長田 → 高速神戸 → 徒歩5分 → 湊川神社

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湊川神社(旧別格官幣社)

 神戸三社として知られ、神戸市内の初詣では一番の参拝者を集める神社ですが、

長田・生田両社が古代より鎮座するのに対し、ここは明治期の創建。

湊川の戦いで戦死した楠木正成の墓所に明治5年に創建されたもの。

要は戦死した場所に大楠公を祀った訳ですが、周辺は楠公一色。

前を通る道路も楠公の幼名「多聞」が付けられています。

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多聞通りの向こうに神社が見えるが凄い交通量である

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神社の西側の通りはモニュメントが置かれ静かな佇まい

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表神門

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神門の扁額

由緒記に拠ると

『後醍醐天皇に仕えた楠木正成(大楠公)は建武3年(1336年)5月25日、

九州から都に攻め上った足利尊氏の大群と戦い奮闘空しく戦死。

死に際して弟の正季以下一族の人々と共に「七生滅賊」を誓って刺し違えたと伝わる。

 その後、地元の人々によって大楠公の塚とされる場所が守られて来た。

太閤検地に際しては免訴地とされ、

江戸時代には尼崎藩主・青山幸利公に拠って松と梅が植えられ、五輪塔も建立された。

 元禄5年(1692年)には水戸光圀公が家臣の佐々介三郎を遣わし、

大楠公墓碑 『嗚呼忠臣楠子之墓』 が建立された。文字は光圀の揮毫、

裏面の賛文は光圀の師に当たる明の儒学者・朱舜水に成るものである。

 やがて幕末に至り、この墓所は維新回天への精神的支柱となり、

討幕の志士達の多くがここを訪れる事となった。

 明治元年(1868年)の4月、明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、

神社創祠の御沙汰を下され、明治5年(1872年)の5月25日に別格官幣社として湊川神社が創建された。

創建に当たっては神戸にあった伊藤博文の請願も与ったとされる。

 戦前は国鉄神戸駅の直ぐ北という事で賑わい、太平洋戦争で焼失したものの、

昭和28年には復興。港神戸の大社としての地位を今も保っている。』 とあります。

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拝殿正面

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拝殿近影
屋根には楠公の菊水紋がある。

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拝殿前から灯籠を見る

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拝殿左の楠公御殉節の地へ

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御殉節地
1336年に楠公と弟以下一族が戦没された場所とされる。

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殉節地は入れないので外から撮影

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表神門右手の大楠公墓所

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門を過ぎ墓所に向かう

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墓所前の石標
正三位を贈与されている。

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嗚呼忠臣楠子之墓

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墓所横の水戸光圀公像
昭和30年完成。平櫛田中の作。

 歴史上の楠木正成は従来の兵法を凌ぐ戦法を取り入れた事で新時代を開いた武将ですが、

負けると分かっていながら後醍醐天皇に最後まで忠節を誓った事が人の心を打つのでしょう。

明治天皇は北朝の系列ですが、正閏論で南朝を正統としています。

  神社を創建するまでになったのは楠公の歴史的評価が時代を下るにつれて高まりを見せたため。

楠公自身には身に覚えのない事ではあります。

私見では大楠公は英雄と呼ぶに値する人物とは思いますが、

それを余りにも政治的に利用するのはどうかと言う気も致します。

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境内にある大楠公一代記
この大観の大楠公の肖像は宝物館常設。楠公祭600年記念に時の宮司が大観に頼み込んで描いて貰ったとか。

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参集殿にある桜井の子別れの図
尚、桜井は大阪三島郡の地名。

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湊川神社略記

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湊川神社御朱印

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長田神社(神戸市長田区) 神戸三社の一つ、長田さん

2020.01.08(19:54) 526

長田さんと楠公さんの奇縁(2019.12.29)

<コース>
JR大阪 → JR兵庫 → 徒歩8分 → 能福寺 → 徒歩30分 → 長田神社

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長田神社(式内社 旧官幣中社)

 能福寺参拝の後はJR兵庫へ戻り、西へ向かって長田神社へ。

JRの最寄駅は新長田ですが、名前の通り神社からは少し遠い。

最寄りは高速長田か地下鉄長田駅ですが、JRからそこまで移動する位ならと、

そのまま徒歩で向かいました。

 地下鉄の駅から北に向かうと商店街に神社の大きな看板が見え、

それに沿って歩くと東門へ到着。

交通機関を使うとこのルートになりますが、立派な正門は反対側の西門。

 何でも神社の左を流れる川沿いの道が古来の参道だったそうです。

と言う事で朱塗りの橋を渡り西門から参拝しましたが、こちらから来る人は殆ど見かけませんでした。

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商店街入口には長田神社の石標が

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商店街入口の鳥居

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東門へ到着
29日だが、元旦に向けて準備中。

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朱塗橋の向こうに見える西門

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西門近影

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西門の木造鳥居

 長田神社の由緒は、

『201年、神功皇后の三韓征伐の帰路に、武庫の水門で船が進まなくなった。

占った所、「吾を御心長田の国に祀れ」 という事代主神の神託に拠り、

生田神社、西宮の廣田神社と共に創建された。この伝承の為に境内は入船形に造られている。

 古来より神社に奉仕する家41戸は神戸(かんべ)と呼ばれ、これが現在の神戸の名の由来である。

節分の日に行われる追儺式は中世より続く行事である。』 とあります。

 神功皇后に由来する程の古社でありますが、

歴史学者の津田左右吉はこの縁起には否定的です。

一説には、大和の豪族長柄首、和泉国の長公と同族の長氏の神と言われ、

長田の名を考えると人名に由来する方が無理のない気もします。

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西門鳥居下から境内を見る

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神門

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神門の装飾

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境内から神門を見返る

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長田神社縁起

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拝殿正面

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拝殿後方の本殿

 現在の神戸の中心は三宮から元町にかけてですが、昔は兵庫が港の中心。

古代には武器庫があり、平清盛はここを通して日宋貿易を行いました。

港を抑える場所として山麓の長田神社が鎮座したというのは飛躍しすぎでしょうか?

 建武の新政では、領地を巡る問題から長田神社は足利尊氏に与しました。

そのため湊川の戦いでは、会下山に布陣する楠木正成の退路を断つために

尊氏軍と共に鵯越えに陣を敷いたと伝わります。

 結果的に楠木勢は湊川で討死する事になりましたが、

神戸三社として知られる両社にこのような経緯があったとは奇縁と言えるでしょう。

600年経ってもその恨みが【消えん】かどうかは分かりませんが…。

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歌舞伎役者・中村時蔵奉納の石灯籠

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長田神社由緒記

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長田神社御朱印

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