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金蓮寺(愛知県西尾市) 国宝阿弥陀堂と“ほのぼの御朱印”

2019.09.17(20:47) 411

きらと光る金蓮寺(2017.9.15)

<コース>
JR横浜(5:48) → JR小田原(6:42→7:04) → ひかり501号 → 豊橋(7:59→8:05) → JR蒲郡(8:17→8:40) → (名鉄蒲郡線) → 吉良吉田(9:06) → レンタサイクル10分 → 金蓮寺 → 吉良吉田(10:45)

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青龍山 金蓮寺(曹洞宗)

 台風接近の三連休、大阪に帰 (けえ) ろうの日となりましたが、豊橋から海沿いを大回りして

平成の大合併で西尾市になった吉良町の古刹巡り。

 青龍山金蓮寺(せいりゅうざんこんれんじ) は名鉄吉良吉田から北に2㎞程行った所にある古刹。

駅前に無料のレンタサイクル「赤馬号」があったので利用。

【来んれんじ】にはならず、自動車運転の出来ない身には本当に助かります。

寺伝に拠れば、

『創建は平安時代に遡り、幡豆郡司の娘が金蓮寺を氏寺としたという記述が初出。

その後、源頼朝の命により三河守護の安達盛長が建立した「三河七御堂」の一つにも数えられるが不明な点も多く、

足利尊氏がこの地に移した暦応3年(1340年)がほぼ確実と言われる。

江戸時代にはこの地を治める幕府旗本吉良氏の帰依を受けた。

始めは真言宗であったが、寛政年間(1789~1801年)に曹洞宗になった。』

とあります。

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青龍山金蓮寺入口
遠くからでも阿弥陀堂は直ぐ判る。

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本堂
御朱印はここで拝受

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ここは不動堂

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境内の巨木

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お不動産の名水

 本尊は秘仏の不動明王で「饗庭のお不動さん」として親しまれていますが、ここでの必見は国宝の金蓮寺阿弥陀堂。

鎌倉中期の建立とされ、その姿から遠くからでもそれと分かります。

 平安時代の末法思想から阿弥陀信仰が広がりますが、その頃建立された阿弥陀堂の流れを汲む建造物。

特に平安貴族の住宅建築の雰囲気を伝えており、蔀戸(しとみど)・縋破風(すがるはふ)に内裏で用いられた建築と

共通の特徴があるとの事。

 このような洗練された様式から建築には都の大工が携わったと考えられますが、

今日まで修理を重ねながら残った事は、領主始め地元民の篤い信仰心の賜物でしょう。

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国宝・阿弥陀堂遠景

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正面から見た阿弥陀堂
内陣には阿弥陀三尊像を祀る。

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手前に伸びた孫庇が美しい阿弥陀堂
檜皮葺きは昭和29年の解体修理で瓦葺から改められた。

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阿弥陀堂の縋破風

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阿弥陀堂説明

 拝観の後は御朱印を頂くため寺務所へ。ベルを押すと、御高齢の住職がニコニコしながら出て来られました。

「御朱印を御願いします。」と言うと無言で頷かれ、奥で書かれた後、持って来られました。

御朱印代¥300をお渡しした後、奥に戻られましたがどうも足が悪い様子。

申し訳ない事をしたかと思いましたが、終始にこやかな顔を崩されませんでした。

 拝受した御朱印を見ると、文字の上にお地蔵様がほほ笑んだ絵柄が。

いままで色々な御朱印を頂きましたが、このようなものは初めて。

形式的ではなく、真心のこもった御朱印とはこういうものを指すのでしょう。

お地蔵様の顔が先程迄の御住職の顔と重なって見えました。

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金蓮寺説明書

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阿弥陀三尊像
説明書に掲載されたものを引用。

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金蓮寺御朱印

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吉良町郵便局 ; 国宝・金蓮寺阿弥陀堂、吉良義央木像、尾崎士郎生誕地碑

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吉良町マンホール蓋 (汚水用)

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吉良町マンホール蓋 (雨水用)
蔦は吉良家の家紋。

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藤白神社(和歌山県海南市) 熊野詣の始まりを支えた神社の御朱印

2019.09.16(21:33) 410

鈴木氏発祥の地に建つ王子と悲劇の皇子(2019.9.10)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:45) → JR箕島(8:38)

JR箕島駅 → 徒歩5分 → 文化福祉センター → レンタサイクル10分 → 浄妙寺 → レンタサイクル25分 → 得生寺 → レンタサイクル20分 → 宗祇旧跡 → JR箕島(13:04) → JR海南(13:24) → 駅構内観光センター → レンタサイクル10分 → 藤白神社 → レンタサイクル20分 → 黒江街並み → 駅構内観光センター

【復路】JR海南(15:51) → JR和歌山(16:05→16:09) → JR大阪(17:43)

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藤白神社

 午後からは海南に戻って熊野古道を徒歩ならぬ自転車で巡礼。

熊野古道に沿って紀勢線の線路を越えた所にあるのが藤白神社。

景行天皇5年の鎮座と言う古社、ほぼ神話時代の話です。

斉明天皇4年に天皇が牟婁の湯に行幸された際に社を創建されたと伝わります。

孝謙天皇が行幸の際に、「日本霊験根本熊野山若一王子三所権現社」と号して以来、

熊野九十九王子の中でも別格とされた五体王子の一つ。熊野詣をする貴人の宿泊地とされました。

境内の権現堂には本地仏が祀られ神仏習合の地。

戦乱により本殿と神宮寺は焼失しましたが、紀州徳川家初代頼宣公が再建して今に伝わります。

境内には楠の古木が聳え宛ら古代の空間。

楠・藤・熊の文字は吉字とされ子供に付けると長命・出世するとかで、両方を貰った南方熊楠は文字通り大成しました。

地域が経済的に困ったときにはこの楠を伐採して凌いだそうですから、文字通り地域の守り神であったと言えます。 

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神社近くの民家

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神社参道から見る紀勢本線

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一の鳥居
右にあるのが宮司氏宅。

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楠に囲まれた境内

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楠の巨木

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旧社務所・茶屋跡
御朱印はここで拝受。

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拝殿

 またここは全国鈴木氏の発祥の地。神社の御祭神の饒速日命を祖とする程、古い氏族で後世に賜った氏ではないようです。

神社の方の話では、鈴木氏は熊野出身でこちらへ移住。修験者を通して熊野信仰を全国へ広めるのに功績があったとの事。

何故、鈴木氏がここまで多くなったかですが、庶民に苗字がなかった時に鈴木氏が分け与えたことが結構あったと伺いました。

 神職も代々藤代鈴木氏が務められているのかと思いきや、今は吉田氏だそうです。

神社の傍らにはかつては鈴木屋敷と呼ばれるものがあったようですが、風雪に拠り劣化。今は再建に向けて準備中でした。

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旧鈴木屋敷跡
老朽化が進んでおり現在再建中。

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鈴木屋敷跡の図

 境内の一角には有間皇子神社が鎮座。

有間皇子は孝徳天皇の皇子。政争に巻き込まれるのを防ぐため病を装っていましたが、

有力な中大兄皇子の意を受けた蘇我赤兄に謀られ、謀反の疑いで捕らえられます。

紀州に行幸中の中大兄皇子の前で問い詰められた有間皇子は

「我もはら知らず。唯、天と赤兄のみ知る」 と言ったと伝わります。
 
・磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む

・家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

この二首は万葉集にある皇子の絶唱ですが、椎の葉に盛るのは自身の食事ではなく、

無事を祈っての神への供物だったと、犬養孝先生が書かれたのを見て納得した記憶があります。

皇子の願いも空しく都への帰路にここ藤白の坂で刑死、享年19歳。

大津皇子と並ぶ古代史の悲劇の人ですが、当時も後世も皇子には同情的でした。

境内にも皇子の死後43年、持統・文武の紀国行幸に同行した人が彼を悼んだ歌を詠んだ歌碑が建っています。

 藤白神社の中に皇子を祀ったのもそれ故でしょうか?

私は初め、藤白神社は皇子を祀って建てられたと思っていました、己の無知を反省です。

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有間皇子神社入口

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由緒記

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境内の歌碑
・藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は 濡れにけるかも

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神社横の熊野古道を通り藤代の坂へ

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藤代の坂にある有間皇子の墓と「家にあらば」の歌碑

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神社の北側の鳥居と子守大楠

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藤白神社御由緒

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御由緒裏面

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藤代神社御朱印

 参拝の後は市内に戻って黒江まで足を伸ばすことに。

江戸時代に漆器産業が繁栄しますが、地形の関係で平行四辺形となった敷地に住居兼工房を建てたため、

「のこぎりの歯状」という独特の街並みが形成されました。

当時としては止むを得なかったのでしょうが、それが却って観光客を呼んでいるのは【うるし】い誤算だったと言えそうです。

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のこぎり歯状の街並み

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漆器店が軒を並べる通り
川端通りから南へ一筋入った場所にある。

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文化財・尾崎漆器店
見学はしていないので外観のみ。

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海南名高郵便局 ; 藤白獅子舞、樹齢700年の大楠
海南黒江郵便局 ; 黒江の街並み、漆器の作業風景

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中将姫寺(和歌山県有田市) 中将姫所縁の寺の御朱印

2019.09.15(22:03) 409

天平版白雪姫の話(2019.9.10)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:45) → JR箕島(8:38) → 徒歩5分 → 文化福祉センター → レンタサイクル10分 → 浄妙寺 → レンタサイクル25分 → 得生寺 → レンタサイクル20分 → 宗祇旧跡 → JR箕島(13:04)

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雲雀山 得生寺(西山浄土宗)

 浄妙寺参拝の後は、有田川沿いを遡って宮原にある古刹へ。

雲雀山得生寺(ひばりさんとくしょうじ)は中将姫所縁の寺。伝説に拠れば、

『姫は天平19年(747年)、右大臣藤原豊成を父とし、紫の前を母として生まれた。

母親が大和長谷観音に願掛けをして授かったと言われる。

才能に恵まれ中将の位を授かるが5歳にて母と死別。継母に憎まれ、父親不在の隙に都を追われ紀伊の雲雀山に捨てられる。

そこに追手の伊藤春時が差し向けられたが、春時は姫の徳に感化され殺害を断念。

後に春時夫婦は剃髪して得生、妙生尼と名を改めて、雲雀山に草庵を結び姫を養育した。

姫は15歳の時に雲雀山で父豊成と再会を果たし、都に戻り當麻寺にて出家。29歳にて大往生を遂げられた。』

とあります。

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国道42号に建つ案内板

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得生寺入口

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参道正面に見えるのは中将姫を祀った開山堂

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駐車場から境内を見る

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参道にある由来記

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境内にある犬養孝揮の万葉集の歌碑
「足代過ぎて 糸鹿の山の 櫻花 散らずあらなむ 帰り来るまで」

 當麻寺でも述べたように豊成は実在の人物ですが、姫は多分に伝説的な人。

それに近い話があったのを仏教的に脚色したのではないでしょうか?

 寺号は春時の法名由来ですが、承平の頃、光勝大徳が中興した際に安養院の号を改め雲雀山得生寺としたと伝わります。

 その後、恵心僧都源信も訪れて千体仏を刻み、享徳の頃に明秀上人による中興を経て浄土宗になりました。

 中将姫の関係から大和の當麻寺との縁もあったのでしょう。

當麻寺は練供養が有名ですが、得生寺も5月14日に大会式が開催され仏面を付けた人が開山堂から玄関まで橋上を歩みます。

この地区では、若い娘たちが着飾って参加するのが習わしで、見合いも兼ねていたとか。

中将姫は薄幸の生涯でしたが、後世の人の幸せの橋渡しになっている事で喜んで居られるのではないでしょうか?

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境内全景

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庫裏(寺務所)

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阿弥陀如来を祀る本堂

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本堂前から開山堂を見る

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開山堂正面

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開山堂に祀られている三像
十五歳の中将姫(中央)、妙生(左)、得生(右)

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開山堂横から続く朱塗りの欄干
命日の五月十四日の中将姫大会(だいえ)式でこの上を行列が歩む。

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欄干越しに本堂を見る

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得生寺由来記

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得生寺御朱印

 寺のすぐ横は熊野古道が通り糸我(いとが)王子社もありましたが、驚いたのは糸我稲荷神社。

由緒記に拠れば孝徳天皇の白雉3年の創建。和銅年間創建の伏見稲荷よりも更に60年も古く「本朝最初稲荷」となっています。

なにがしかの【意図が】あるようにも思えますが、都から離れた場所に本朝初があるとは!

これが【ほんちょう】ならば事実は小説よりも【いなり】です。

 その後は有田川町にある宗祇旧跡まで。

連歌師飯尾宗祇の足跡はあちこちで見ましたが、まさか紀州の有田川出身とは初耳でした。

紀州は古代より人材も多く輩出していますが、紀州を離れて活躍した人が多いと思うのは気のせいでしょうか?

温暖であることに加え、海と山の産物と温泉もあって住むには適した場所ですが、

安楽な場所では人間は大成しないという事なのかとふと思った次第です。

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糸我稲荷神社境内と天然記念物の楠

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熊野詣で使用された輿
稲荷神社横の熊野古道歴史民俗資料館に展示。

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国道42号から見える雲雀山
中将姫が捨てられたと伝わる。

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宗祇屋敷跡
有田川町のミカン畑の横にある。

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宗祇法師誕生の井戸

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屋敷跡にある宗祇の詠

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有田川町マンホール蓋

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有田川町マンホールカード    配布場所は吉備浄化センター 水ホタル

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吉備郵便局 ; 宗祇法師屋敷跡

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浄妙寺(和歌山県有田市) 有田川沿いに佇む古刹の御朱印

2019.09.14(20:42) 408

戦災を逃れた薬師堂と多宝塔(2019.9.10)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:45) → JR箕島(8:38)

JR箕島駅 → 徒歩5分 → 文化福祉センター → レンタサイクル10分 → 浄妙寺

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醫王山 浄妙寺(臨済宗妙心寺派)

 先日、紀州を訪れた際に貰ったパンフに多宝塔の写真があり、調べると有田市内にある模様。

18きっぷは使い切りましたが、有田ならば正規の乗車賃でもさして変わらないので、冬を待たずに早速訪問。

駅から歩いても行ける距離ですが、文化福祉センターにレンタサイクルがあったので借りる事に。

有田大橋を渡り、有田川の南側の山裾にある寺院に到着。35℃の炎天下を歩かずに済みました。

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有田川に架かる有田大橋を渡る
向こうに見えるのが辰ヵ浜地区と箕島漁港。

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浄妙寺入口
ここから舗装された坂を上る。

醫王山浄妙寺(いおうさんじょうみょうじ)の由来は、

『大同元年(806年)平城天皇の国母乙牟漏皇太后の勅願に拠り、唐招提寺の四世如宝律師を開山として創建されたと伝わる。

七堂伽藍の大寺であったが、天正年間(1573~1591年)の兵火で殆どが消滅。

奥の院にあった薬師堂と多宝塔のみがその難を免れた。

紀州徳川家初代の頼宣公により大修理が加えられ、和歌山吹上寺開山圭禅師を中興開山として招き、

以来臨済宗妙心寺派として今日に至る。』

とあります。

 紀州は信長の根来攻め等で寺院は甚大な痛手を受けましたが、逆を言えばそれだけ強大な勢力を保っていたという事。

根来寺の荘園は80万石と言われますから、話半分としても大大名並み。

 浄妙寺の場所は河口近くで港もあり、河川と海上交通の要衝を押さえて経済的に潤っていた可能性が高く、

天下統一を目指す信長としては制圧しなければならない相手だったのでしょう。

今に残る浄妙寺の建造物は平地から高台に上った場所にあったため兵火を免れたようです。

境内を訪れると、美しい芝生とイヌマキの生け垣の中に重文の多宝塔と薬師堂が鎮座されます。

境内の手入れをされていた方に伺うと御住職は外出中との事。

御朱印はなしかと思いましたが、寺務所を開けて書置きを出して頂き、加えて由来記も頂けました。

近所に住んでいるので庭の手入れをされているとの事でしたが、地元の方々の地道な活動で支えられているのを

改めて実感しました。

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坂道を上った所にある鐘楼と庫裏

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イヌマキの生垣の奥に書院が見える

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戦火を免れた多宝塔と薬師堂

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重文・多宝塔
三間二層、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改装。

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正面から見た多宝塔

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多宝塔を見上げる

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垂木部分

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重文・薬師堂(本堂)
方三間、寄棟造、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改装。

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薬師堂正面
本尊は重文・薬師三尊像で鎌倉時代の作。

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側面から見た薬師堂

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多宝塔前から薬師堂、書院を望む
境内は芝生で整備されている。

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浄妙寺由来記

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浄妙寺御朱印
書かれたものを拝受

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箕島郵便局 ; 重文・浄妙寺多宝塔、特産・有田ミカン
有田辰ヵ浜郵便局 ; 辰ヵ浜地区の打瀬船

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日本三大長谷観音(茨城県古河市) 小京都古河と三大長谷観音の御朱印

2019.09.13(20:20) 407

歴史を騒がせたおのこ達(2016.9.10)

<コース>
【往路】JR横浜(7:27) → JR東京(7:55) → JR上野(8:00) → JR大宮(8:27) → JR古河(8:53)

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鍛冶屋通りにある日光街道古河宿道標
奥にあるのは街角設置スタンプ

「新幹線が通っていて停車駅がない県はどこでしょう?」 というわけで、きょうはその茨城県古河に在来線でやって来ました。

 先ずは城跡南の長谷寺へお参り。

明観山観音院長谷寺(みょうかんさんかんのんいんはせでら)は、縁起に拠れば

『明応2年(1493年)、初代古河公方足利成氏に拠り古河城の鬼門除けとして建立。

その際、鎌倉の長谷寺より観音を勧進、寺号とした。江戸時代には古河藩主の祈願所にもなった。

日本三大観音と称される所以は、大和、鎌倉、古河の長谷観音は一本の楠由来である事。

大和は楠の元木、鎌倉は中木、古河は末木によって彫られたと伝えられる。』

とあります。

 日本三大○○と言う割には他二寺ほど知名度はありませんが、かつて青春時代を過ごした鎌倉を偲ぶために勧進した

というのは十分あり得る話です。真偽のほどはどうなのでしょうか?

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JR古河駅からスタート
新幹線停車駅なみの規模である。

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明観山 観音院 長谷寺(真言宗豊山派)
古河公方足利成氏により建立。

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長谷観音縁起

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長谷観音御朱印

 古くは萬葉集に詠われ戦国時代は古河公方、江戸期は幕府重鎮の土井家の城下町。

文人墨客を輩出し下総の小京都と言われていますが、見学者は疎ら。完全に首都圏の通勤圏だからでしょう。

 足利成氏は鎌倉公方の五代目。父持氏が京都の幕府と関東管領上杉家と対立した永享の乱で敗死した後、

鎌倉公方に就任しますが、またも上杉氏と対立。

30年に及ぶ享徳の乱を引き起こし、ついには鎌倉を引き払い下総の古河に移って初代の古河公方を名乗りました。

伊勢新九郎長氏が伊豆一国を手中に収めたのは成氏の晩年。

その後、長氏は北条早雲と名乗り後北条氏として関八州の統一に邁進します。

 父親と違い敗死はしませんでしたが、彼が権力を己に集中しようとしたことが関東地方を戦国時代に突入させた遠因。

生まれながらの貴公子の我儘が下克上を招いたとも言えるでしょうか?

 尚、彼の後も古河公方は続き、現在の足利家の当主は古河公方の直系にあたります。

町の見所はかつての城付近に集中しており、変に観光地化せず落ち着いた雰囲気、徒歩で十分見学できるのも魅力です。

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古河歴史博物館
旧出城にある。この一体に見所が集中。

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城跡の南にある鷹見泉石記念館(旧宅)
古河藩家老で開国にむけ蘭学や西洋事情を集めた。渡辺崋山の肖像画(国宝)のモデルでもある。

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鷹見泉石旧宅の家屋近影

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旧宅の庭
この裏手には鷹見家子孫の方の家がある。

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江戸期~明治の女流南画家奥原春湖旧宅
埼玉県にあったものを死後、故郷へ移築した。尚、河鍋暁斎も古河の生まれ。

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煉瓦造りの小学校
古河は煉瓦の家屋が多かった気が。

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小学校前の敷石
江戸末期藩主の土井利位(としつら)が雪の研究をして「雪華図説」を書いたのに因む。

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篆刻美術館
江戸町通りにあり、かつての酒屋の蔵を使う。

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杉並通りにある旧武家屋敷

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鍛治町通りにある蔵

 駅近くには作家・永井路子さんの生家が。彼女が歴史小説を書くのは古河で生まれた事が【永享】しているのでしょう。

『歴史をさわがせた〇〇』 シリーズは、成氏の生涯に感化されたのか、と想像が膨らみます。

古河は水の郷を活かした川魚料理が売り。鯰は品切れでしたので昼食には鰻を。

萬葉浪【鰻】に【鯉古河】れた街でした。

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旧石町にある永井路子旧宅
実家はお茶を商っており古河で旧制女学校まで過ごした。

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永井路子旧宅の内部

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庭から見た旧宅

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横町柳通りにある「武蔵屋
創業100余年の鰻の老舗で建屋は国有形文化財。この日は開店前だったので次回はここが目標。

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お昼は同じ老舗の 「たたみ家」 にて

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お昼とはいえ、これで¥1650 はお江戸に比べ断然安い。

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食後のデザート

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古河の施設を8カ所全部回って押印

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入場料は全て込で¥600 と安い

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法幢寺(北海道松前郡松前町) 最北の城下町にある藩主の菩提寺の御朱印

2019.09.12(21:59) 406

新幹線開通前夜の道南はどうなん?(2015.9.10)

<コース>
JR函館 → JR木古内 → 木古内駅前(11:10) → (函館バス) → 松前主張所(12:46) → 松前城・寺町 → 松前出張所(14:22) → (函館バス)→ 木古内駅前(15:58) → JR木古内 → JR函館

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かつての玄関、函館駅
新幹線の車両のモデルが展示中。

 2016年3月に新幹線が津軽海峡を越えます。その前夜の道南の様子はどうなんだろうと思い一泊二日でお出かけ。

函館は新幹線から外れるので寂れると思いきや、新駅函館北斗から到着に合わせてシャトル電車を走らせるとか。

観光客を引き留める苦肉の策のような気が…。

一方の、木古内駅(江差線)は新幹線が止まるので、駅周辺の開発が急ピッチで進んでいました。

いまや江差への列車は無くなり全て路線バスですが、新幹線を期に盛り返したいところでしょうか。

新幹線が【来っこない】ではなく、来ることが分かっていたのですから江差迄の廃線も待った方が良かったのではと残念です

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JR木古内駅
右に見えるのが、来春開業の新幹線駅舎

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JR木古内駅前の様子
写真右には道の駅も建設中。

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松前には海岸沿いを90分走る

 松前は桜で有名な江戸時代の最北の城下町。

松前とは城主の名前でもありますが、意外にも出身は蝦夷ではなく若狭武田氏の流れ。

盛岡の南部氏もそうですが、甲斐源氏の一門は本貫から遠くへ行き大成した人が多いように思えます。

表石高は1万石でも実質は10万石を越えると言われたのは、異国やアイヌとの交易を独占したからでしょう。

しかし本州に近いとはいえ、港としては海岸線が平坦なので今一つ。

後に開港した箱館の方が良港だった事もあり、近代都市にはなれませんでした。

そのため城下町が残ったと言えますが、いかんせん木古内から松前への90分のバスはシンドイ!

津軽海峡を渡った地点に新駅でも作ってくれたら助かりましたが…。

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バス通りから見た最北の城下町松前

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松前城
中は資料館となっている

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松前城と本丸御門

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松前城と堀
至る所に桜が植えてあり季節にはさぞ壮観だろう。

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松前城天守閣近影

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搦手二ノ門

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二ノ門から海を望む

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松前神社
城の北側に鎮座。

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松前神社本殿

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城下通り。
昔風の造りで再現している。

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松前郵便局
家紋は松前氏(安芸武田氏の流れ)の❖

 松前城見学の後は、北側にある寺町へ。日本の都道府県の中で最も寺の印象が薄いのが北海道。

江戸時代には20ヵ寺を越える寺院があった寺町も、火災や箱館戦争を経ていまでは4カ寺程を残すのみ。

しかし寺町付近の様子は他の城下町に比べても遜色なく、一瞬鎌倉に居るような感覚に捕らわれました。

 その中で法幢寺にお参り。大岡山法幢寺(たいこうさんほうどうじ)は、1470年に若狭の僧・宗源和尚により開創。

その後、アイヌとの戦いの中で焼失しますが松前義広(3代)・季広(4代)の力により1546年に復興。松前家の菩提寺となりました。

古い物でも桃山時代までしか遡れませんが、北の大地で風雪を耐えた山門や堂宇には風格が漂います。

歴代藩主の庇護もあったのでしょうが、やはり城下町は城単独ではなく町全体で守るべきものだという感を強くしました。

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松前城北側の寺町へ

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法源寺山門
寺町の奥に佇む總持寺北海道別院。切妻・杮葺きの山門は道内最古の桃山期の建築。

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大岡山 法幢寺(曹洞宗)
500年前の開基で松前氏の菩提寺。

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法幢寺境内の苔

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法幢寺境内から山門を見返る

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法幢寺御朱印

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光善寺仁王門
創建当時は高山寺と呼ばれたが、元和7年(1621年)に後水尾天皇より高徳山光善寺の山寺号、扁額、法衣を賜った。

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光善寺山門の龍の天井画

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松前藩屋敷
幕末人口3万人を数えた城下町松前の栄華を再現した。

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近世の松前屏風

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JR函館本線桔梗駅のメルヘンチックな駅舎

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今回押印したJR駅スタンプ
上磯と七重浜駅は新幹線開通と同時に3セクに移行し無人駅化したので、これが最後のスタンプとなった。

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松前郵便局 ; 松前城本丸御門、天守、弁天島
木古内郵便局 ; ふるさとの森・薬師山の東屋、寒中みそぎ

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菊水寺(埼玉県秩父市) 地層に恵まれた名水の寺の御朱印

2019.09.11(20:06) 405

寺は燃えても名を遺す(2017.9.9)

<コース>
【往路】西武池袋(6:50) → (特急ちちぶ) → 西武秩父(8:14)

西武秩父駅(8:25) → (西部観光バス G2系統) → 栗尾(9:17) → 観音院 → 栗尾(11:05) → (西部観光バス G2系統) → 小鹿野町役場(11:13)

レンタサイクル35分 → 法性寺 → レンタサイクル50分 → 菊水寺 → レンタサイクル10分 → 博物館 → レンタサイクル40分 → 小鹿野町役場

【復路】小鹿野町役場(15:59) → (西部観光バス G2系統) → 西武秩父駅(16:34) → 西武秩父(16:51) → 西武池袋(18:33)

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延命山 菊水寺(曹洞宗 秩父三十四ヵ所第三十三番札所)

 法性寺参拝を終え次の札所へ向かうと、周囲も山から平野になり赤平川に沿った田圃の中を走り目的地へ到着。

前の二ヵ寺が山寺風なのに対し、ここは町の中にある普通のお寺と言った様子。

しかも道路沿いの寺標には何故か「大桜山長福寺」とあります。ここではないのかとお寺の人に尋ねると間違いなくこのお寺。

なんでもかつて菊水寺は小坂下という場所にあり、別当として管理していたのが長福寺。

その後、永禄12年(1569年)に武田信玄の焼き討ちに会い菊水寺は焼失。

本尊だけが無事で長福寺に移されたというのがその理由だそうです。

 延命山菊水寺(えんめいさん きくすいじ)は、

かつての場所に「菊水の井」という名水がありそれが寺号の由来。

延命山の山号もその名水が延命に【効く水】だったからでしょう。

それならいっそ名前を変えれば良いとは思いますが、札所としての歴史があるので簡単には変更できなかったのか、

それとも【長福】を避けたのか…。

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大桜山長福寺とある寺標

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丁度、巡礼ツアーのバスが到着

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1820年再建の菊水寺本堂

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菊水寺御朱印

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菊水寺門前の旧巡礼宿
明治期まで「婦ぢや」の名で営業。

 またこの辺りは「ようばけ」と言われる地層とパレオパラドキシア初め化石の宝庫。

埼玉県は海無し県ですが、かつては海だったようで、【ナンモナイト】思っていたので吃驚。

秩父はセメントの産地ですが、石灰岩は生物の遺骸。意外に思うのが間違いでした。

 昼食は地元小鹿野で採れた鹿肉の丼。いつも蕎麦の巡礼ですが、化石の宝庫だけに、御【地層】にありつけた一日でした。

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「ようばけ」 のある赤平川付近

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ようばけ
赤平川右岸にある。陽の当たる崖が訛ったもの。新生代第三紀の堆積。高さ100m、長さ400m。

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ようばけの拡大
新生代第三紀中新世(1500万年前)の砂泥互層。

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ようばけ説明板

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おがの化石館にて
かつて海だった何よりの証拠。

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おがの化石館のパレオパラドキシア
右下は復元図。昔見たデスモスチルスに似ているが別種だそう。名前は「古代の矛盾」 と言う意味である。

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小鹿野町街道沿いにある旅館の越後屋

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浅見商店
かつては紡績の糸を扱っていたとある。

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常盤屋

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村上酒店

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和菓子司
歌舞伎が盛んな場所柄がポスターにも反映。

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昼食は 「元六」にて  ジビエの鹿味噌漬とフライ+蕎麦(¥1360)
鹿は害獣として駆除されたもの。新聞紙上でも取り上げられており観光の目玉となるか?

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デザート ¥550

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お船観音(埼玉県秩父郡小鹿野町) お船でやって来た観音さまの御朱印

2019.09.10(22:35) 404

秋海棠を周回して堂(2017.9.9)

<コース>
【往路】西武池袋(6:50) → (特急ちちぶ) → 西武秩父(8:14)

西武秩父駅(8:25) → (西部観光バス G2系統) → 栗尾(9:17) → 徒歩35分 → 観音院山門 → 徒歩10分 → 本堂 → 栗尾(11:05) → (西部観光バス G2系統) → 小鹿野町役場(11:13)

レンタサイクル35分 → 法性寺

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般若山 法性寺(曹洞宗 秩父三十四ヵ所第三十二番札所 東国花の寺百カ寺埼玉第三番)

 観音院巡礼を駆け足で終えて、数少ない路線バスで小鹿野町役場下車。

続く札所は離れていますが、比較的平地なので役場でレンタサイクルを借りの巡礼。

休日も対応して頂き感謝ですが、それだけ需要があるのでしょう。

街中から山里を思わせる道を暫く行き、道の両側に秋海棠が咲き誇る場所に来ると寺標が。

更に進むと札所唯一の楼門がお出迎え。

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巡礼道を行くと寺標が

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道沿いには秋海棠が咲き誇る

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法性寺門前の秋海棠の花。
ご住職の話では、植えたものとの事。

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享保4年(1710年)建立の仁王門
秩父札所では唯一の鐘楼門で楼上は化粧屋根になっている。

 般若山法性寺(はんにゃさんほうしょうじ)は、縁起に拠ると

『奈良時代の行基菩薩の創建と伝えられるが、文書に拠る記録は貞永元年(1232年)眼応玄察和尚が最初で、

彼が事実上の開山とされる。江戸時代には智外宗察が曹洞宗に改宗し、現在の形に伽藍を整えた。

山号は、かつて寺を訪れた僧が一夜のうちに膨大な般若経の全てを書き写した事から。

また奥の院にある船型をした巨大な岩石に観音様が祀られていることから“お船観音”と称される。』

とあります。

 説明に拠れば、奥の院の岩は巨大な船の形をしており、その形から観音様が乗って来たという信仰が生まれたと思えます。

交野の磐船神社にも通じる話で、古代人が超自然的な形状のものを崇拝した名残が連綿と受け継がれているという事でしょう。

これは是非とも奥の院参拝と思いましたが、急斜面で1時間半かかると聞き今回は断念。

意志の弱い巡礼者ですが、次回に持ち越しとなりました。

 秩父札所に加え東国花の寺にもなっているだけあって境内には至る所に植物があり、草木の中に建物がある感じでした。

春はミツバツツジ、夏は苔が有名だそうですが、今の季節は秋海棠で山門までの道も含めてピンクの花がお出迎え。

秋海棠を見ながら周回して堂宇を参拝。

秋に入ったばかりですが、見頃な秋海棠で賑わう武州街道ではありました。

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仁王門を過ぎ本堂と寺務所を仰ぐ

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本堂への石段を上る

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観音堂へと続く石段
脇には秋海棠が咲く

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石垣にはイワタバコも

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これは蘭の仲間か?

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境内の萩
花の寺だけに境内には至る所に草花が植えられている。

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木立の向こうに見える観音堂

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観音堂近影
宝永4年(1707年)造営の三間四方の懸崖造り。

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観音堂正面の扁額 「般若堂」

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観音堂奥のお地蔵様
此処も岩盤の下に祀られている。ここのお地蔵さまは子授けの御利益があるとされる。

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法性寺本堂
ここも築300年。

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御朱印はこちらで拝受

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草木に囲まれた境内

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法性寺を代表する秋海棠の花

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法性寺のしおり

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法性寺御朱印

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観音院(埼玉県秩父郡小鹿野町) 両神山の懐に抱かれた岩屋の御朱印

2019.09.09(20:21) 403

観音様を鷲掴み?(2017.9.9)

<コース>
【往路】西武池袋(6:50) → (特急ちちぶ) → 西武秩父(8:14)

西武秩父駅(8:25) → (西部観光バス G2系統) → 栗尾(9:17) → 徒歩35分 → 観音院山門 → 徒歩10分 → 本堂 → 栗尾(11:05) → (西部観光バス G2系統) → 小鹿野町役場(11:13)

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鷲窟山 観音院(曹洞宗 秩父三十四ヵ所第三十一番札所)

・百里を行く者は九十をもって半ばとす 「戦国策」

 この日は重陽の節句。

秩父34ヵ所巡礼も、最初の1日で18ヵ寺、2日目で12カ寺とハイペースで来ましたが、30番目を過ぎた辺りからペースダウン。

私も30過ぎてからは「出歩くペースが落ちた」ので人間も巡礼も30が一つの山という事でしょう。

 今回は秩父市ではなく駅からバスで揺られること50分の小鹿野町。

終点の栗尾バス停から2.7㎞の坂道を上った先にある寺に徒歩35分でようやく到着。

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門前までの途中で見かけた高粱?

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同じく道端の茅

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途中にはこんな店も

 鷲窟山観音院(しゅうくつさんかんのんいん)は、寺伝に拠れば、

『本尊の聖観世音菩薩は行基の作であったが、平将門の乱で所在不明になった。

その後、源頼朝の家臣畠山重忠がこの地で狩猟をした際に、家臣が梢の鷲の巣を射ると矢が跳ね返った。

不思議に思った重忠が巣を調べると、行方不明だった観音像が出たので、奇縁に思い堂宇を建立した。』

とあります。

山号の謂れでもある不思議な話。寺は山中にあり、境内一帯は岩に覆われています。

矢が跳ね返ったのは岩に当たったためで、それを奇瑞に結び付けたのでしょう。

 日本一と言われる仁王石像の山門を潜り300段の石段を上ると本堂に到着。

本堂横の滝の左手の岩場には空海が一夜にして彫ったという千体の磨崖仏があって通称「爪彫りの磨崖仏」と呼ばれます。

超人弘法大師をアピールするためでしょうが、いくら何でも爪で岩を彫るのは困難。却って【まがい】物と思われかねません。

入口の仁王像も石像ですが、余り大きいので門が【しゅうくつ】ではないかと余計な心配をしてしまいます。 

ほかにも境内には石仏群があって、両側が山に迫った場所と石質のため古代より多くの仏様が彫られたのでしょう。

縁起を読む限り、演技ではないかと思われる箇所もありましたが、胎内くぐり・鎖場・展望台もあって秩父札所では

初めて秘境に分け入った感触でした。

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観音院入口にある仁王門

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仁王像近影
台座を入れると4mと日本最大の石造の仁王像で明治元年の作。

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本堂までの296の石段

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石段途中の秋海棠の花

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観音院説明板

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三方を岸壁に囲まれた場所にある観音院本堂
本尊は鷲の巣から再発見された観世音菩薩で堂宇はコンクリートによる近年の再建。

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観音院本堂脇の30mの聖浄の滝

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不動明王

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滝の左の「爪彫りの磨崖仏」

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納経所奥の新生代第三期の地層
花崗岩質砂岩と礫岩が互層になっている。

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東奥の院への参道から本堂と滝を望む

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東奥の院

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東奥の院の岩盤の下にある石仏群
畠山重忠の駒繋ぎとあるがこんな断崖まで馬を乗り入れたとは驚き!

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東奥の院からの眺め

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観音院御朱印

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前田速念寺(愛知県名古屋市中川区) 前田家発祥の地にある寺院

2019.09.08(20:59) 402

百万石を育んだ土地(2019.9.6)

<コース>
JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14→9:31) → (近鉄電車) → 伏尾(9:41) → 徒歩10分 → 前田速念寺
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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岡部山 速念寺(浄土真宗大谷派)

 愛知県は信長・秀吉・家康と戦国の三傑が出た場所。彼らが戦国時代を終息させ江戸の泰平を迎えた訳ですが、

同じ地区から後の近世大名が輩出しました。

 加賀前田家といえば百万石、将軍家に次ぐ石高ですが、その発祥の地が今の名古屋市中川区。

この地域の土豪であった前田利昌の四男利家が信長に仕えて功績を挙げ、大名に出世しました。

当初は兄の利久が家督を継ぎましたが、信長の命で利家が家督を継承。

利家が信長の小姓だったからともいわれますが、家の存続を図るために力量のある者を据えたというのが本音でしょう。

ここには前田城があり、利家はここで生まれ7歳の時に荒子城に移ったと伝わります(異説もあり)。

 前田速念寺(まえだそくねんじ)は前田城旧跡に建立され、利家叔父の意休法師(前田利則)の時に天台宗から浄土真宗に改宗。

本尊・阿弥陀如来は利家が寄進しました。

信長家臣の岡部氏が速念寺に帰依し家紋・寄付等を寄進したことが山号の由来になっています。

 本堂の屋根は特異な形ですが、利家の鯰尾兜を模したもの。他にも梅鉢紋が各所に見られます。

境内の伽藍は新たに再建されたものが多く古刹の雰囲気は少ない様子。

唯、門前の前田城址碑と歴代の墳墓に歴史を垣間見ることができます。

 兄を差し置いて当主となった利家ですが利久を兄として敬う態度は終生変わる事がありませんでした。

金沢の前田家墓所でも自分よりも高い場所に墓を築いています。

戦国の世を勝ち抜き大名になった利家ですが、武功だけではないという事でしょう。

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門前の寺標の横には旧跡と記載

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山門の扁額は「梅廼寺」

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境内から山門を見返る

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速念寺本堂
屋根は利家の鯰尾兜を模したもの。

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本堂の扁額は「速念寺」

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境内には前田家の墳墓が三基

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寺務所横の碑

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名古屋助光郵便局 ; 速念寺山門と本堂、五輪塔

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清瀧観音(茨城県土浦市) 小町の里の観音様の御朱印

2019.09.07(20:57) 401

巡礼も土浦々(2015.9.5)

<コース>
【往路】JR横浜(7:37) → JR東京(8:05) → JR上野(8:10→8:23) → JR土浦(9:32)

土浦駅西口 → 徒歩7分 → 観光案内所「蔵」→ レンタサイクル50分 → 清瀧寺

【復路】JR土浦(17:00) → JR上野(18:05→18:12) → JR横浜(18:46)

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南明山 慈眼院 清瀧寺(真言宗豊山派 坂東三十三ヵ所第二十六番札所)

 秋一番の巡礼は清瀧寺へ。といっても市内から11㎞の土浦市の北部、周囲は畑でバスもなさそう。

途方に暮れていると運よく土浦駅近くの観光案内所にレンタサイクルがあることが分かり、自転車巡礼を敢行。

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駅西口徒歩7分の観光案内所「蔵」
水戸街道に沿って建ち、かつては呉服を商っていた。

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途中にある明治37年建築の旧制土浦中学校本館
現在は県立土浦第一高校構内にある。

南明山慈眼院清瀧寺(なんみょうさんじげんいんきよたきじ)は、寺伝に拠れば

『聖徳太子作とされる聖観音を背後のある竜ヶ峰に祀ったのが始まり。

大同年間(806~810年)に徳一上人により山の中腹に移され、更に現在の場所に観音堂が建てられた。』

とあります。

歴史のある古刹である事は間違いないでしょうが、清瀧の名からするとかつては瀧を御神体にでもしたのでしょうか。

自転車で50分。到着して山門を上り本堂横で御朱印を拝受。

境内は新しいですが、なんでも本堂は昭和44年(1969年)に不審火で焼失したとか。

寺院の管理が難しい場所では往々にしてこのような厄災があります。

訊くと、住職は居らず地元の有志の方が交代で対応されているとの事。頭が下がる思いでした。

 私の他には1人居られただけですが、「早朝土浦駅から歩いて来られた方が今日の一番でした。」と聞いてびっくり。

札所なので驚くことではないのですが、それにしても朝から11㎞ 踏破するとは、上には上が居るものです。

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天保年間(1830~1844年)建築の仁王門
イザナミノミコトが山に鉾を立てたら、清い水が出たのが名前の由来とか。JR土浦駅から11Km、自転車50分。

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仁王門を過ぎた石段を上り本堂へ
右は本日の相棒。

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清瀧寺本堂
左に有るのが納経所、かつては集落の年配者が交代で対応していたとか。

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境内の鐘楼

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清瀧寺御朱印

札所付近は小町という字。

なんでも小野小町がここで亡くなったという言い伝えがあるそうで、小町の里という施設もあり観光客も結構いました。

小町のネームバリューは凄いと思ったら、蕎麦を食べに来る人が殆どだとか。色気より食い気ですね。

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小町の里入口

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小町の里にある水車

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里内の百人一首展示

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三十六歌仙絵巻を元にした作品

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田圃アート
コシヒカリの他、紫大黒、黄大黒、ゆきあそび、べにあそび という稲の品種を植えている。

 巡礼後は市内に戻って散策。土浦市はつくばに出張や研修の時に通る程度でしたが、城下町と蔵がある落ち着いた街です。

観光案内所も蔵の改装でした。

 霞ケ浦の帆曳き舟も有名ですが、やや観光化した感が。

これは1834年生まれの漁師折本良平が明治13年に考案したとありました。

それが明治35~40年に坂本金吉により八郎潟に伝えられ改良されたという事です。

余談ですが、坂本金吉は坂本九の祖父に当たります。

霞ケ浦と言えば年配の方には

♪若い血潮の予科練の 七つ釦は桜に錨♪

の海軍航空隊が浮かぶと思います。

土浦は10月の全国花火大会が有名ですが、これは海軍航空隊の殉職者の慰霊の為に在籍した山本五十六が地元の

神龍寺の住職に働きかけて始まった(大正14年)とか。今回初めて知りました。

山本五十六元帥は花火で有名な長岡出身、不思議な縁を感じました。

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駅前の佃煮(小松屋)での昼食
メニューはこれ一品のみ。¥2700

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かつての藩校郁文館正門
いまは市立第一中学の門として使われている。

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土浦城址の堀と東櫓門

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土浦城址(亀城公園)櫓門

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天麩羅保立本店

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吾妻庵(日本蕎麦)

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蔵「野村」 かつては砂糖を扱っていた。

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野村の裏手の喫茶施設

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野村の奥にあるレンガ倉庫を使った店にて休憩

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土浦市マンホール蓋

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土浦市マンホールカード    配布場所はこちら

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沢辺郵便局 ; 小町の里
山ノ荘郵便局 ; 清瀧寺山門、筑波山、男女の川、ツツジ

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施無畏寺(和歌山県有田郡湯浅町) 醤油の町にある明恵上人の寺

2019.09.07(01:11) 400

明恵上人の三宝観(2019.9.2)

<コース>
JR天王寺(6:10) → JR和歌山(7:11→7:23) → JR御坊(8:28→8:34) → (紀州鉄道) → 紀伊御坊(8:39) → 徒歩20分 → 寺内町・日高別院 → 徒歩25分 → JR御坊(11:03) → JR道成寺(11:06) → 徒歩5分 → 道成寺 → JR道成寺(12:58) → JR御坊(13:01→13:03) → JR湯浅(13:27) → 駅前多目的広場 → レンタサイクル20分 → 施無畏寺湯浅街並み → JR湯浅(16:50) → JR和歌山(17:34→17:37) → JR大阪(19:13)

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補陀落山 施無畏寺(真言宗御室派)

 昼過ぎの電車で御坊から紀勢線で湯浅まで移動。

御坊は梅の町ですが湯浅まで来るとそこはミカンの町。少し移動するだけで特産物が変わると言うのは地質や地形の影響も

あるでしょうが、それだけ場所に相応しい良質のものが獲れると言う事でしょう。

駅前から自転車で海岸沿いを走ると栖原地区。南向きの斜面に蜜柑・三宝柑の木が植えられています。

その海岸沿いから少しそれて高台に上った先にあるのが施無畏寺

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熊野古道の立石道標
JR湯浅駅から少し西に下った所に建つ。

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栖原海岸沿いにある施無畏寺標
ここから坂道を上り参拝。

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山門前にて

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山門前から湯浅湾の島々を望む
鷹島(左)と苅藻島(右)。

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山門から見える斜面に植えられた蜜柑

 補陀落山施無畏寺(ふだらくさんせむいじ)は、中世に湯浅地域に勢力を振るった湯浅一族が檀越となり寄進したもの。

その時に導師として招かれたのが明恵上人。

 明恵は承安3年(1173年)有田郡の出身。父は平重国、母は湯浅宗重の四女。

高雄神護寺、東大寺で華厳宗を納め、後世からは華厳宗中興の祖と称される高僧となりました。

彼の真骨頂は学問よりも修行、23歳以降の数年はここ栖原の白上峰で厳しい修行を行い悟りを開いたとされます。

境内からは湯浅湾に浮かぶ苅藻島、鷹島が見えますが、彼はそこに渡って修行した事もあったようです。

 建永元年(1206年)には後鳥羽上皇から栂尾の地を賜り高山寺を開いています。

宋より茶をもたらしたのは栄西ですが、その茶を栂尾に植え民間普及に努めたのは明恵上人の功績。

晩年の寛喜3年(1231年)には故郷の寺の開基に招かれたのも彼の名声に拠るものでしょう。

施無畏とは無畏(おそれ無し)を施すと言う意味だとか。

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山門を過ぎた正面にある庫裏

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入り口部分の破風

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垂木の象と獅子の彫刻

 門をくぐった場所には庫裏と寺務所しかありませんが、上人所縁の建物は少し上った奥之院。

本堂・開山堂・鐘楼・鎮守社があり施無畏寺4棟として文化財になっています。

いずれも明恵上人が亡くなった後に、湯浅一族が建立したもの。

訪れた施無畏寺は高台に建ち湯浅湾の島々が見渡せる場所。その景色が彼の性格にも影響を与えたのは間違いないでしょう。

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山門脇を通り明恵所縁の奥之院へ向かう

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奥之院への途中から見た庫裏と寺務所
後方には湯浅湾、木々は蜜柑。

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奥之院入口から見た開山堂(左)と本堂(右)

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貞享3年(1686年)建立の本堂(観音堂)
千手観音を本尊とする三間堂。

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本堂の「施無畏」の扁額

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明暦元年(1655年)建立の開山堂
明恵上人を本尊とする三間堂。

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正徳3年(1713年)の銘のある鐘楼

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施無畏寺御朱印

 参拝の後は、街並み散策。山田川の南側にある北町通りをメインに「伝統的建造物群保存地区」が広がります。

湯浅は鎌倉時代に宋から伝わった金山寺味噌とそこから派生した醤油発祥の地。味噌の底に溜まった液体を調理に使う事で

和食の幅が一気に広がりました。底に溜まった事から当初はたまり醤油と呼ばれました。

 初めは湯浅が生産を独占してきましたが、江戸時代には関東へ伝わります。

江戸という巨大消費地を控えていた事、関東特産の小麦を使った事で地位が逆転しました。

「かつてはここも“亀甲王”というブランドがあったんやけど、今はキッコーマンの方が有名になってしまって…。」

と地元の方も残念そうでした。せめて【拮抗】する位になれば良いですが。

関東で醤油と言えば千葉の野田と銚子ですが、千葉県には白浜、勝浦といった和歌山の地名が付いています。

房総へ移住した紀州の人々が一役買っていたのは確かです。

 そういえば、和歌山にはJR御坊から紀州鉄道、千葉県にはJR銚子から銚子電鉄と短い鉄道が出ていますが、

これも同じDNAのなせる業でしょうか?

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大仙堀に並ぶ醤油蔵
山田川に沿って醤油の原材料や商品が積み下ろしされた内港。

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北町通りから見た街並み

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北町通にある角長
天保12年創業の醤油醸造元。現在、保存地区に残っている醤油蔵元はここのみ。

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北町通りの太田久助吟製
江戸末期の建築。元は醤油醸造家だったが、現在は金山寺味噌の製造販売を手掛ける。

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北町通りにある加納屋
大正10年の建築で、その頃流行した黒漆喰仕上げを取り入れている。

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津浦家
北町通りの東端にあり、かつては醸造に用いる麹の製造販売を行っていた。主屋は明治11年の建築。

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保存地区にある1日限定1組宿泊の宿

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下新町の小路にある甚風呂
江戸時代から昭和の終わりまで営業していた銭湯。

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甚風呂の男湯
湯浅にあるが、浴槽は結構な湯深である。壁の映画のポスターが懐かしい。

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銭湯の湯の循環装置

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東端から北町通りを眺める

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湯浅中町郵便局 ; 湯浅湾
湯浅栖原郵便局 ;西有田自然公園・栖原港、三宝柑

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道成寺(和歌山県日高郡日高川町) 絵解き説法と宮子姫伝説の御朱印

2019.09.05(21:38) 399

安珍に同情時?(2019.9.2)

<コース>
JR天王寺(6:10) → JR和歌山(7:11→7:23) → JR御坊(8:28→8:34) → (紀州鉄道) → 紀伊御坊(8:39) → 徒歩20分 → 寺内町・日高別院 → 徒歩25分 → JR御坊(11:03) → JR道成寺(11:06) → 徒歩5分 → 道成寺

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天音山 道成寺(天台宗 新西国三十三ヵ所第五番札所)

 御坊散策に引き続き道成寺へ。

JR御坊から僅か1駅、2㎞足らずですが御坊から先は電車が1時間毎となり意外と不便。行政区も日高川町と別。

場合によってはバスの方が便利な位ですが、この日は18きっぷのため少ない電車に合わせて行動。

駅から北に向かい参道の店を通り石段下へ。

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紀勢本線道成寺駅
道成寺の最寄り駅として名前は有名だが無人駅。

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参道入口の寺標
これも寄進に拠るそうな。

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参道に並ぶ店の向こうに寺が見える

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山門下に到着

 天音山道成寺(あまねさんどうじょうじ)は、寺伝に拠れば

『大宝元年(701年)、文武天皇の勅願により開かれた天台宗の古刹。

義淵僧正を開山として紀大臣道成が建立したとされるが、別の伝承では文武夫人・宮子の願いにより天皇が建立したとある。

伽藍自体は奈良朝に存在しており、出土した瓦と本尊の胎内仏は奈良時代に遡る。

平安時代以降寺は繁栄し、現在の本堂は正平12年(1357年)の建築。

しかし戦国時代に入ると衰退し羽柴秀吉の天正13年(1585年)の紀州征伐で堂宇は焼かれ、梵鐘も持ち去られた。

その後、紀州徳川家により徐々に復興されてきた。』

とあります。

 ここも永年の戦乱や荒廃には無縁ではいられなかったようです。

それでも国宝・本尊千手観音像や、重文・本堂、仁王門や仏像が残っており、紀州最古の寺は伊達ではありません。

 それよりもここは能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として有名な「安珍・清姫伝説」の舞台。

醍醐天皇の御世に熊野詣に来た白河の修験僧と地元の庄屋の娘の悲恋が元になったと言われ、

1400年頃に現在の『道成寺縁起』として絵巻物になりました。

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山門下の青銅製灯篭

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重文・山門(仁王門)
元禄13年(1700年)の再建。

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山門の扁額

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山門から参道を見る

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境内から山門を見返る

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境内遠景

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正面から見た重文・本堂
入母屋造・本瓦葺。南北朝時代の建築とされる。

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本堂前面の庇と垂木

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本堂北側(後方)

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宝暦14年(1764年)再建の三重塔

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三重塔近影

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念仏堂は平成の再建

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弘化4年(1847年)建築の護摩堂

 芸能になった事に加え、寺の縁起堂では絵巻物を使った絵解きが開催されます。

道成寺は良縁祈願の御利益があるそうで、坊さんの説教といえば敢えて難しい事を話すのが多いですが、

江戸時代に文字の読めない庶民に「夫婦円満」を説くのが目的。その内容は、

「江戸時代以降絵巻物は10回変更しましたが人間よりもはるかに長い時間頑張っています。巻物がCDならば我々は使い捨ての

CDプレーヤーです。」 と言うマクラに始まり、

「安珍を追いかける清姫の姿が、美しい女性から般若、龍へと変わってきました。」 と聞くと会場には笑いとどよめきが。

追われた安珍が釣鐘に隠れると、「恋の問題をカネで解決しようとしたのが間違いの元」

龍になった清姫に焼かれた安珍の真っ黒な骸骨が釣鐘から転げ出ると、

「昔、流行ったヒット曲にこういうのがありましたね、『骨まで愛して』 とユーモアや洒落も入れて話すのが特徴。

「現在、道成寺には鐘がありません。その代わりに門前の店で釣鐘まんじゅうを売っていて、その中にアン珍が入っています。」

という話で幕。非常に分かり易く、20mの巻物に40分かけて行われる説法もあっという間でした。

 安珍清姫伝説の真偽は兎も角、いつの世にもある男女の問題。

どちらが良いか悪いかという単純なものではなく、このような事に振り回される人間の悲哀を言いたかったのでしょう。

決してを【道成】を引くような事ではありませんが…。

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本堂東側のカイヅカイブキ(ビャクシン)

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二代目の入相桜(エドヒガン)
この場所に梵鐘があったとされる。

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鐘楼の説明

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宝佛殿

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道成寺と謡曲の説明

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道成寺説明書

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説明書裏面

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道成寺御朱印

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道成寺オリジナル御朱印帳

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藤井郵便局 ; 重文・道成寺仁王門、娘道成寺の舞

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昼食は車中にて御坊駅前名産店の「シラス丼」 ¥650

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日高御坊(和歌山県御坊市) 御坊の由来となった寺院と寺内町

2019.09.04(21:57) 398

紀州で真宗の町巡り(2019.9.2)

<コース>
JR天王寺(6:10) → JR和歌山(7:11→7:23) → JR御坊(8:28→8:34) → (紀州鉄道) → 紀伊御坊(8:39) → 徒歩20分 → 寺内町・日高別院 → 徒歩25分 → JR御坊(11:03)

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本願寺日高別院(浄土真宗本願寺派)

 和歌山県に御坊という名の市と駅があります。

御坊と言うのは浄土真宗の寺院の事ですが、行政区に御坊の名前が付いたのは全国でもここだけ。

浄土真宗寺院を中心に町が形成されたとあるので、これは是非とも見てみる必要が。

JR和歌山からJR御坊駅までは電車も30分間隔で運行されていますが、町の中心はここから2.7㎞先。

JR御坊から紀州鉄道という私鉄に乗る必要があります。

 1時間毎の運行の紀州鉄道に乗車。途中には学問駅という受験生に入場券が人気の駅がありますが片面ホームの無人駅。

その1駅先、唯一の有人駅紀伊御坊で下車。案内図を貰って寺内町まで散策。

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御坊駅に停車中の紀州鉄道 西御坊行き列車

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列車側面のロゴ
紀州犬の「きいちゃん」と御坊で生まれた宮子姫

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入場券が人気の紀州鉄道学問駅
無人の片面ホーム

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駅スタンプは唯一の有人駅「紀伊御坊」にて押印

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鉄道むすめ「紀道りんこ」の記念切符とおまけで頂いた鉄道カード

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紀伊御坊駅で入手した寺内町散策マップ

 日高別院は文禄4年(1595年)浅野家重臣佐竹伊賀守の尽力で薗村と島村の荒地四町四方を得て堂宇を建立したのが始まり。

寺院は文政8年(1825年)建立の本堂を中心に、真宗寺院としては紀南最大。周囲には寺内町が発達しました。

日高別院は「御坊所」「御坊様」と呼ばれたので、御坊市の名前の由来になっています。

寺内町には昔の街並みが残っていますが中心になる寺院は思ったより小さく、

以前に訪れた貝塚や富田林の寺院の方が大きな印象でした。

地元の人々の話では「この辺りは浄土真宗の家が多いので」ということでしたが、高野山の地元という事で、

真言宗の影響が強いのかと思った次第。

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日高別院の門前東町の家並み

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北から日高別院正門方面を望む

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日高別院正門(山門)
後ろの大銀杏は樹齢400年で県下第二。

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山門北側の太鼓楼
江戸時代文政年間の建築。

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日高別院本堂
左には別院が経営する幼稚園が隣接。

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別院西側の新町にある堀河屋野村(登録文化財)
ベンガラ格子が際立つ醤油醸造元。

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堀河屋の向かいにある牛乳店もベンガラ格子

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笹野家邸宅(登録文化財)

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中町にある旧町内最古の民家
江戸時代の面影を今に伝える。

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中町にある堀河屋林業(登録文化財)
江戸時代の建築。

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松原通にあるうだつの鏝絵
左官細工に拠る雌雄の鷹

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横町通りに面した旧中川邸
昭和初期の建築。

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正宗屋酒店
昭和3年に完成した鉄筋コンクリート造りの洋風建築。

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御坊西町郵便局 ; けほん踊り、ハマボウ、コギク、クロガネモチ
御坊湯川郵便局 ; 宮子姫みなとフェスタ、亀山

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清水寺(群馬県高崎市) 田村麻呂が勧進した清水の御朱印

2019.09.04(08:58) 397

白衣大観音の傍らにひっそり佇む観音様(2019.9.3)

<コース>
JR横浜 → JR高崎 → 路線バス 或いは 西口レンタサイクル → 高崎観音・清水観音

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華蔵山 弘誓院 清水寺(真言宗豊山派)

 白衣大観音様にお参りした後は、少し下った所にある寺院に。

華蔵山弘誓院清水寺(けぞううざんぐせいいんせいすいじ)は、寺伝に拠れば

『大同3年(808年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折、

この地まで軍を進めた時に戦勝と武運長久を祈願するために京都の清水寺から勧進した。』 という古刹。

本尊の千手観音からここが観音山と呼ばれるようになりました。

京都から勧進したのですから名前が同じ筈ですが、ここは「きよみずでら」ではなく「せいすいじ」と読むのが正しいそうで

【肝心】な所で違いがありました。

 京都から東北に進む際に高崎を通過するのは今の感覚では不思議ですが、意外と中山道経由だったのかもしれません。

馬に乗って軍を進めたから「群馬」になった訳ではなく、牧があった事に拠るようです。

本堂までは518段の石段があり、下って上るという世の流れを体験する事に。

同じ観音山にありながら、境内は木々に覆われて日光が降り注ぐ慈眼院とは対照的。

田村麻呂も故なく勧進したのではなく、兵の喉を潤す清水を見つけたに違いありません。

階段の両側には紫陽花が植えられていますが、この陽当たりを考えての事でしょう。水無月にはさぞ壮観だろうと想像します。

 結局、午前と午後の予定が入れ替わっただけで5回目の青春18きっぷも無事終了しました。

参道では「ふわっとしたかき氷が販売中」、奈良でも聞いたようなネーミングですが、今の流行りなのでしょうかね。

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300株の紫陽花に囲まれた518段を上り本堂まで

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本堂前に建つ山門
これくらいの高さなら飛び降りる人がいるかも?

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風格を感じる観音堂「大悲閣」
本尊は千手観音であるが、白衣観音と違い参拝の人も稀

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清水寺御朱印

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高崎観音(群馬県高崎市) 高崎市を見守る観音様の御朱印

2019.09.03(17:30) 396

白衣大観音様のM&A(2016.9.3)

<コース>
JR横浜 → JR高崎 → 路線バス 或いは 西口レンタサイクル → 高崎観音

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観音山 慈眼院(高野山真言宗 別格本山 東国花の寺百カ寺群馬第七番札所)

 以前に坂東札所巡礼で白岩観音を電車から見える白衣観音と勘違いしていましたが、

こうなると白衣観音様にも行って見ようと思うのが人情というもの。

始発電車に乗りましたが、熊谷~行田間の人身事故でまさかの運転見合わせ。

幸い1時間10分遅れで再開しましたが、バスに間に合わず。

仕方なしに「他の観光」をして戻ると、丁度昼からのバスに乗れるという具合に。

 観音山慈眼院(かんのんやまじげんいん)は、

『学問所として栄えた高野山金剛峯寺の塔頭慈眼院が前身。

鎌倉幕府執権北条義時の三男重時が寛喜年間(1229~1232)に創建。

本尊の聖観世音菩薩は鎌倉由比ガ浜で漁師の網に掛かった尊像である。』

と伝わります。

慈眼院といえば本尊よりも境内に聳え立つ白衣大観音で知られますが、

これは昭和11年に高崎の実業家井上保三郎によって戦没者の霊を慰めるために建立されたもの。

場所は観音様という事で市内の観音山が選ばれました。

 慈眼院は昭和初めまで高野山で存続していましたが、昭和16年に高野山別格本山として観音山に移転。

白衣大観音は本尊の前仏という扱いになりました。

 慈眼院は有名な白衣大観音を支配下に置き、白衣大観音は寺の傘下に入った訳ですから、

両者にとってメリットがある合併だったと思います。

 慈眼院は1250年という長い歴史を持ちますが、元禄時代に火災により資料類は悉く焼失。

本堂も白衣大観音建立50年記念で昭和61年に建てられたものですから、全体的に新しい雰囲気があるのはそのためでしょう。

新しいとはいえ白衣大観音のイメージは強烈で、群馬の寺院と言えば、先ずここを思い浮かべる人も多いとか。

創建時の意向とは少し違った方向ではありますが、先ずもって良しとすべきでしょう。

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本堂へ続く太鼓橋越しに見える観音像

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橋の向こうに建つ観音像
高さ41.8m、総重量5985トンのコンクリート造り。

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白衣大観音を祀る慈眼院境内の様子

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本堂(高崎千体観音堂)
昭和61年、白衣大観音建立50周年を記念して建立された慈眼院本堂。名前の通り本尊の聖観音を中心に奉納された観音像が安置されている。

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正面から見た白衣大観音
胎内は9階からなっており拝観可能。

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慈眼院御朱印

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鉄舟寺(静岡市清水区) 幕末の英傑・山岡鉄舟所縁の寺

2019.09.02(23:33) 395

寺を苦悩から救った山岡鉄舟(2017.8.30)

<コース>
【往路】JR横浜(6:13) → JR沼津(8:05→8:08) → JR清水(8:50)

清水駅 → レンタサイクル → 龍華寺鉄舟寺

【復路】JR静岡駅(17:34) → JR熱海(19:04→19:09) → JR横浜(20:31)

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補陀落山 鉄舟寺(臨済宗)

 龍華寺参拝後は少し北に向かい鉄舟寺へ。

補陀落山鉄舟寺(ふだらくさんてっしゅうじ)は、寺伝では

『元来、久能寺と言い久能山山頂にあった。

推古天皇の頃、国主・久能忠仁公により創建され、奈良朝の初期に行基菩薩が中興した。

武田信玄の駿河侵攻に際し、久能山頂に城が築かれたので現在地に移転した。

 明治になり無住の廃寺となり衰退したが、山岡鉄舟はこれを惜しみ、今川貞山師を開山に迎え明治16年(1883年)に

再興を図った。

 鉄舟は志半ばで没したが、彼の遺志は引き継がれ堂宇も完成。かつての名刹・久能寺は鉄舟寺として蘇った。』

とあります。

 山岡鉄舟は幕府旗本。維新の際、勝海舟の命で共を一人連れて駿府の薩摩軍に乗り込み総大将の西郷隆盛と直談判。

江戸無血開城は事実上ここで決まりました。加えて将軍慶喜の助命も確約を得ます。

「金も命も名声も要らん、こげな男は扱いづらか!」とは西郷の鉄舟評。

「国滅びて忠臣出づ」とは『老子』の言でしたっけ? 尚、鉄舟を駿河まで送り届けたのが清水の次郎長でありました。

鉄舟の損得を除外視した考えが廃寺を【くのう】から救った訳で、筋の通った考えは直談判時と変わりがありません。

境内は質素ながら落ち着いた雰囲気。御朱印を貰おうとしましたが、関係者不在の為拝受できず。

こちらは次回を期して早々と【撤収】となりました。

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本堂

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鉄舟寺しおり

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龍華寺(静岡市清水区) 富士山の見える観富園のある御朱印

2019.09.01(20:55) 394

富士山に惚れ込んだ僧侶の話(2017.8.30)

<コース>
【往路】JR横浜(6:13) → JR沼津(8:05→8:08) → JR清水(8:50)

清水駅 → レンタサイクル → 龍華寺

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観富山 龍華寺(日蓮宗)

今年の夏の〆は、18きっぷで東海道の江尻(18番)へ。

江尻は今の清水。江尻の名前から連想されるように河口に栄えた港。

漁港というよりも貿易で港としては静岡市の中心。広重も駿河湾遠望で描いています。

駿河湾に突き出した三保の砂嘴が天然の良港を形成していますが、これは海流と土地の岩質に拠るものだとか。

 清水と言えば次郎長ですが、彼の生家跡を過ぎて山裾を南下すると目に入るのが龍華寺。

観富山龍華寺(かんぷさんりゅうげじ)は、由緒記に拠ると、

『寛文10年(1670年)、日近(にっこん)上人が開基。上人は富士山を非常に好み霊峰富士の研究もしていたが、

この地から見える富士山が最も荘厳であるとして53歳の折に甲州身延の大野山本遠寺よりここに移り大野別院とした。

また東山天皇の帰依を受け、ここを皇室祈願寺とし観富山龍華寺と命名した。』

とあります。

 要は富士山に惚れ込んだマニアックな坊さんの話ですが、寺まで移すのは大変。

日近上人は徳川家と縁戚で【じっこん】の間柄だった事から、紀伊頼宣、水戸頼房の二卿から寄進を受けて

本堂を建立させています。

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正面から見た山門
山門より向こうは拝観料 ¥300。

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境内の様子

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行啓門

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茅葺の本堂と庭園
視界の良い日は向こうに富士山が見渡せる。本堂は富士山を見立てたとか。

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祖師堂から見た本堂、仙人掌、蘇鉄

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蘇鉄と本堂

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龍華寺天然記念物大仙人掌
樹齢300年で、根本は木化している。手前の小さいのは果実。一応食用になるらしいが…。

 富士山好きが嵩じて自ら「観富園」という須弥山式の庭まで手掛ける始末となれば趣味の域を超えています。

金持ちの道楽と言ってしまえば身も蓋もありませんが、どうせなら後世まで伝わるものを残したのは立派と言えるでしょう。

「観富園」を造って人々に【還付】した事になりますかね。

 境内には明治の文豪高山樗牛(ちょぎゅう)の墓も。山形出身の樗牛がここに縁があるのは転地療養で訪れた事が理由。

清見潟の景色を気に入った彼は死後の墓をここに指定したそうです。

 樗牛とは「老子」にある役に立たない木と牛の事ですが、それゆえに大きくなったもの。

それを自身の号に選んだ樗牛には上人がここに寺を開いた事に共感したのかもしれません。

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龍華寺大蘇鉄
堺の南宗寺に似た南蛮風な庭。

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大蘇鉄の後ろ側
日本最大最古の雄株で推定樹齢一千百年。根回り6m、枝数58本。

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大蘇鉄全景

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鶴松(後方)と亀松(手前)

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鶴亀松と観冨園

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龍華寺観冨園(須弥山式庭園)
池を駿河湾に、背景を有度山に、本堂を富士山に見立てたとか。

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観富園説明

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本堂の部屋から観富園を眺める

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本堂の欄間

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本堂の天井画

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祖師堂

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龍華寺境内の高山樗牛像
ここの景色が気に入ったので、お墓もここにある。

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龍華寺参観の栞

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龍華寺御朱印

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丹後国分寺(京都府宮津市) 雪舟の描いた国分寺の御朱印と天橋立マンホールカード

2019.09.01(09:59) 393

戦乱と災害を乗り越えた古刹(2019.8.26)

<コース>
JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08) → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺 → 天橋立 → 籠神社丹後国分寺 → 宮津(16:29) → 福知山(17:25→18:11) → JR大阪(20:12)

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護国山 国分寺(真言宗単立寺院)

 天橋立を渡った場所から阿蘇海北岸を西に1㎞行った高台にあるのが丹後国分寺。

現在の宮津の中心は鉄道の通る南岸ですが、古代では国府・国分寺・一之宮と全て北岸にあった事が分かります。

現在の寺から海に少し下がった所にある旧国分寺跡が創建時の場所。

創建年代ははっきりしませんが、聖武天皇の勅命から時を経ず建立されたのは確かなようです。
 
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天橋立から国分寺方面を望む

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高台に建つ丹後国分寺全景

 その後、衰退しますが住職であった円源坊宣基が再興に着手。嘉暦3年(1328年)には盗難にあった本尊も買い戻し、

建武元年(1334年)には盛大な金堂上棟式を行ったと記録にあります。

雪舟の「国宝・天橋立図」に描かれた本堂と五重塔はこの時のものです。当時は鎌倉幕府が滅び室町に移行する乱世。

そんなさ中に再興した宣基の手腕は大したものですが、仏像を盗む輩がいた事は今も昔も変わらないようです。

 戦国時代の永正年間に一色氏と若狭武田氏の兵乱で焼失しますが、すぐに再建。

しかし江戸時代の天和3年(1683年)の山津波で流失。再建は少し高台の現在地に移りました。

観光寺院ではないので訪れる人もいませんでしたが、場所は変わっても天平の国分寺の法灯を継ぐ寺院であるのは確か。

境内に立つと正面に天橋立が横一文字に見えます。天橋立同様、丹後国を見守り続けた事を感じます。

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石段を上り山門へ

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山門近影

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山門上から見た阿蘇海
旧国分寺跡は下の畑?の右手にある。

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境内より山門を振り返る

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山門より境内を見る

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正面より見た本堂
本尊は薬師如来。

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本堂前欄間の龍の彫刻
成相寺の龍は左甚五郎作とされるが、ここは違う模様。

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本堂より見た阿蘇海と天橋立

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境内より見た天橋立

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丹後国分寺御朱印

参拝後は宮津駅へ。江戸時代は城下町と港で栄えて町には三上家はじめ旧家が残ります。

また湊町ならではの遊郭があった事でも有名。

・丹後の宮津でピンと出た 縞の財布が空になる♪

の宮津節はこのことを歌ったものでしょうか?

という訳で一日三ヵ所巡礼も無事終了。文字通り日本参詣とはなりました。

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宮津駅近くの大手川に架かるヨット型橋梁

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江戸時代、商業で栄えた宮津に残る街並み

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重文・旧三上家住宅
元結屋の屋号で酒造業と廻船問屋を営んだ豪商。主屋は天明3年(1783年)の建築。

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京都丹後鉄道(KTR)宮津駅舎
商家を模した造り。KTRはその場所に関係のある個性的な駅舎が多い。

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宮津湾流域下水道マンホール蓋
天橋立とオオミズナギドリ(京都府の鳥)

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宮津湾流域下水道マンホールカード     配布場所はこちら

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元伊勢籠神社(京都府宮津市) 伊勢の元になった神社の御朱印

2019.08.31(21:10) 392

遠い海から来た神様(2019.8.26)

<コース>
JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08) → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺 → 天橋立 → 籠神社

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籠神社(丹後国一宮 式内社 旧国幣中社)

 知恩寺から3.3㎞の天橋立を渡った反対側にあるのが元伊勢籠(もといせこの)神社。

その創建は古く、

『上代の創建で、初め豊受大神を祀り、雄略天皇の時代に天照大神を伊勢に祀る前にここに祀った。故に元伊勢と呼ぶ。

大化の改新の後は籠神社と称し、10世紀以降は丹後一宮と呼ばれた事が六国史から分かる。

その間、養老3年719年に現在地に移転した。』

とあります。

 伝説時代はさておき、古代から人々の崇拝の対象となっていたのは確か。

ここの神職は代々海部(あまべ)氏が務めており現代84代目。

断絶を避けるために今でも親子で同じ飛行機には乗られないという徹底ぶり。

その系譜が残っており国宝。海部氏はその字から想像するに海に所縁のある一族で、その首長が祭祀を行ったと考えられます。

 鎮座される場所は天橋立を挟んで知恩寺の向かい側。宮津湾の入り口を抑える場所に当たります。

古代には更に高台の奥宮・真名井神社に豊受大神が鎮座されていたそうですから、港を一望できる場所だったでしょう。

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廻旋橋が回って船が航行中

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廻旋橋説明

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廻旋橋上から阿蘇海、府中方面を見る

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天橋立から見た知恩寺境内

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天橋立から宮津湾方面を望む

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天橋立の中を行く

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傘松方面へ近づく

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元伊勢籠神社一の鳥居

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二の鳥居

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二の鳥居近影

 陸伝いにはやや不便ですが、海の移動を考えると立地条件は良好。

古来より海人族を率いた海部氏ならではの選択と言えそうです。

 丹後半島の奥には舟屋で有名な伊根がありますが、そこには浦島伝説の神社もあるとか。

海を渡って来た民族の神が一旦この地に留まり、その後伊勢に移ったとすれば、元伊勢の由来も朧気ながら分かる気がします。

古代においては文化の一大中継地点だったのでしょう。

 信州にも安曇という地名が残っていますが、この一族も海伝いに来た一族。

日本海は今以上に古代では交通の大動脈だったと考えられます。

その理由ですが、海岸沿いに対馬海流が規則正しく流れており風と異なり航海の時間が読める事が重宝されたと考えられます。

魏志倭人伝の邪馬台国に 「水行十日」 とあるのは瀬戸内海と考える事が多いですが、日本海と考えると全く別のルートが

浮かび上がります。とする途中の「ツマ」国は「イヅモ」の訛ったものかと想像が膨らみます。

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神門前の阿形の狛犬
凝灰岩製の(神社には鎌倉時代とあるが…)桃山時代の作で重文。尚、この狛犬の右足には鉄輪がはめられているが、これは悪事を働いたために天正年間に石見重太郎に斬られた跡と伝わる。

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狛犬説明

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神門
ここより先は撮影禁止。

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神社由緒

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籠神社御朱印

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宮津市マンホール蓋
神社の前の道に設置

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天橋立駅前郵便局 ; 文殊山から見た天橋立・飛龍観、可動橋・廻旋橋、知恵の輪灯篭
天橋立郵便局 ; 天橋立

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知恵の文殊堂(京都府宮津市) 天橋立に建つ文殊様の御朱印

2019.08.30(20:33) 391

山陰寄れば文殊の餅(2019.8.26)

<コース>
【往路】JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08)

宮津 → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺

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天橋山 知恩寺(臨済宗妙心寺派)

 台風の影響で雨が多く家に籠る日が多かったですが、久しぶりの晴天予報を聞き夏場らしく丹後へ。

 福知山から舞鶴線で終点の東舞鶴下車。

舞鶴湾は天然の良港ですが、西は城下町で漁船や客船が着く場所。東は役所と軍港と棲み分けができています。

 戦前は旧帝国海軍の鎮守府が置かれた軍港で東郷元帥も日露戦争前は舞鶴鎮台の職にありました。

戦後は「岸壁の母」の舞台となった引揚船の港と歴史を刻んでいます。

今は、海軍ゆかりのカレーと海軍施設の赤レンガ倉庫群で町興しをしていますが、西と【とうごう】するのは難しそうです。

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舞鶴赤れんがパーク
旧帝国海軍の倉庫として明治35~36年に建設された。今は記念館やレストランが入っている。

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自衛隊桟橋付近にて

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舞鶴市マンホール蓋
赤れんがパーク横の国道27号線付近に設置。

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舞鶴市マンホールカード    配布場所はこちら

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舞鶴北吸郵便局 ; 舞鶴引揚記念館、望郷慰霊の碑
中舞鶴郵便局 ; 海上保安学校校舎、舞鶴湾の戸島

 赤れんがと軍港を見た後は西舞鶴からKTRで宮津へ。道の駅でレンタサイクルを借りて栗田半島方面へサイクリング。

途中、雪舟が国宝・天橋立図の構図にしたと言われる場所がありましたが、やや標高が足りず。

他にはそのような場所は無く、結局彼は想像であの絵を描いたのだろうと結論しました。

写実も勿論ですが、想像力も芸術家には不可欠だという事です。

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栗田半島から見た天橋立

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栗田半島から遠く伊根方面を見る

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雪舟が描いた絵の場所とされる所にある稲荷社

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社の高台から見た天橋立
後方の阿蘇海が辛うじて見えるくらいで、構図はもう少し高い場所か?

 その後は知恵の文殊さまへお参り。
ここを訪れるのは5回目ですが、橋立観光の起点に近く宿泊・食事施設が集中しているので観光客が多いのはいつもの事。

 唯、御朱印を貰う人は確実に増えておりブームが衰えていないのを実感しました。

天橋山知恩寺(あまはしさんちおんじ)は、寺伝に拠ると

『起源は神話時代に遡り、イザナギ・イザナミの二神が、この地に棲む悪龍を教化するために中国五台山より知恵の文殊菩薩を

迎えた事に始まるとされる。

歴史的には大同3年808年に平城天皇が悪夢により当地に来て勅願により建立したと言われ、山号・寺号は延喜4年(904年)に

醍醐天皇に拠るとされ勅額は醍醐天皇のものである。』

とあります。

 天橋立は全長3.3㎞の砂嘴で『丹後国風土記』ではイザナギが天に渡るべく架けたとされるもの。

そうでなくともこの自然の驚異を目にする人は必ず神秘性を感じたに違いなく、昔から多くの人を惹き付けてきました。

 天橋立を訪れる人は先ずこの寺に詣でるのが常で、寺伝もそのような歴史が堆積したものでしょう。

平安時代は国司が補修に携わっています。


 鎌倉時代に禅宗となり、室町期には将軍・守護大名も保護に努め、明徳4年に足利義満、応永29年には足利義持が

参詣したと伝わります。

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知恩寺山門(楼門)
明和5年(1768年)建造の禅宗様式で三間三戸二重門は丹後地方最大。楼上には釈迦如来、十六羅漢を安置する。

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山門正面
上の扁額は「黄金閣」。

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境内から見た山門

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山門を入って左手の重文・多宝塔
一色氏の武将府中城主延永春信が病気全快を感謝して明応9年(1500年)に寄進したもの。塔内には大日如来を安置。

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本堂前から境内を望む

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山門正面にある宝形造の本堂(文殊堂)
文殊菩薩降臨の地と云われ、本尊は重文・木像文殊菩薩像。

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本堂近影
内陣の四本柱を特に神建の柱と呼び、神代建立の伝説を持つ江戸中期の建築。

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本堂側面
前面二間を吹放しの外陣、四囲は吹放しの化粧軒天井になっている。

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庫裏に続く楼門

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鐘楼

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本堂側面

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本堂横の無相堂

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何故か扇子の形のおみくじが

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境内にある石造宝篋印塔
何時の頃からか和泉式部の歌塚と伝えられる。

 今でも観光客は多く、参拝者は海辺に建つ知恵の輪くぐりをする習わし。

尤も元来は港に入る船の燈台の役目をしていたそうですから、知恵者がいたのでしょう。

天橋立は知恩寺とは完全に陸続きにはなっておらず廻旋橋でつながっています。

その場所の切戸から寺の別名・切戸文殊堂が来ています。

 山門前には「知恵の餅」の店が四軒。

真夏なのでスルーかと思っていたら、「知恵の餅付きかき氷」の看板が目に入ったので早速立ち寄り。

値段も¥500と良心的でした。

三島大社もそうですが、猛暑にはかき氷とコラボするのが良作。ここにも文殊の知恵が生きていました。

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阿蘇海の岸に建つ 「知恵の輪」

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「知恵の輪」 説明

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知恩寺川と天橋立川を繋ぐ廻旋橋
船が通るときに動く仕掛けである。

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知恩寺説明書

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知恩寺御朱印
四半世紀以上前に拝受したものだが、現在までこれ一種類を守っているのが素晴らしい。

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知恩寺オリジナル御朱印帳
今は同じ図柄でこれより一回り大きなタイプも販売されている事に時代の流れを感じる。

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門前の彦兵衛にて一服
左の自転車がこの日の相棒。

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知恵の餅入りかき氷 ¥500

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平林寺(埼玉県新座市) 武蔵野林に囲まれた凛とした禅道場

2019.08.29(22:54) 390

知恵を絞った野火止用水(2017.8.26)

<コース>
東急横浜 → (東急東横線・副都心線・東武東上線) → 東松山 → 徒歩20分 → 岩室観音堂・吉見百穴 → 東松山 → 朝霞台 → JR北朝霞 → JR新座 → 徒歩15分 → 平林寺

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金鳳山 平林寺(臨済宗妙心寺派)

 昼からは東武東上線とJR武蔵野線を乗り継いで新座市へ。

東京都に接した新座市ですが、市内には広大な樹木が茂り武蔵野の面影を留める場所があります。

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JR新座駅前から続く野火止緑地散策路

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水路には泥鰌も!

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平林寺へ向かう

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昼食は平林寺門前の「手のべうどん たけ山」にて

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門前にしては珍しく蕎麦ではなくうどんが有名

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昼食後のデザートは台湾風かき氷

 金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は関東屈指の古刹で禅道場。寺伝では、

『天授元年(1375年)武蔵岩槻城主の太田道真(道灌の父)が石室善玖禅師を開山として岩槻在平林寺村に創建。

戦国時代に伽藍を焼失するが、徳川家康の庇護を受け天正20年(1592年)に鉄山宗純禅師により中興。

後の寛文3年(1663年)には川越藩主松平信綱の遺言に従いの嗣子輝綱が野火止の地に移し、一族の菩提寺とした。』

とあります。

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平林寺総門付近
敷地総面積45haとか!

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平林寺総門前にて
境内全体が平林寺境内林として天然記念物に指定されている。

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拝観入口より見上げた総門
「平林寺専門道場」の看板が。

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扁額「金鳳山」は石川丈山の揮毫
金鳳山とは開山の師が住まいした金陵(南京)鳳台山保寧寺に由来する。

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350年以上の風雪に耐えた平林寺山門
岩槻から野火止に移転した際にも解体され運ばれた。左右の金剛力士像は電力の鬼と言われた実業家松永安左エ門の寄進。

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山門脇の樹齢500年の高野槇

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山門に続く仏殿
茅葺で本尊の釈迦如来像は創建時の物、脇侍は松平信綱の寄進に拠る。扁額は「無形元寂寥」。

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仏殿の先にある中門
この向こうが明治13年再建の本堂で、総門から本堂まで一直線上に配置されている。

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中門から見た仏殿裏側

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仏殿の脇を抜け境内林に向かう

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境内林への入口

 松平伊豆守信綱は、大河内松平家初代。

3代将軍家光、4代将軍家綱に仕え幕政を支え「知恵伊豆」の異名をとった切れ者。島原の乱を鎮めた事でも知られます。

 また川越藩主としても治政を上げましたが、水源が乏しい武蔵野の地に玉川上水から野火止用水を分水した事は

この地域の発展に貢献しました。今も町中を流れる野火止用水に沿って散策できます。

費用と年月のかかる大工事ですが、さぞかし知恵を絞ったことでしょう。

野火と言っても【ドラえもん】が助けてくれた訳ではありません。

 菩提寺となった平林寺境内にも野火止用水が流れますが、加えて43ヘクタールにも及ぶ雑木林があり 「平林寺境内林」

として国の天然記念物に。境内に樹木があるのは珍しくありませんが、これだけの広さは稀。

松平伊豆守が将来に開発で自然が失われる事を想定して確保したとは思えませんが、

結果的に街中にあって武蔵野の自然を今に伝える貴重な場所になっています。

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「島原の乱」供養塔
乱の200年遠忌に犠牲となった人々の為に建立。

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境内を流れる野火止用水

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大河内松平家廟所
三千坪の墓域に160基余りの一門の墓石が並ぶ。

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境内林を散策
武蔵野の風景を象徴する雑木林

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境内林内にある業平塚
東下りでここに来たとか来なかったとか。

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境内林内にある野火止塚
ここから野火を見たとか。

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水路は境内を巡る

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仏殿脇の放生池

 保全のためもあり、拝観料が必要。受付で御朱印を尋ねると住職夫人が

夫人;「以前はしていましたが、ある時他人の御朱印を間違って持って帰った人がいて、それ以降しなくなりました。」

との答え。関東第一の道場を期待していましたが残念。しかし、夫人の言われるには、

夫人;「入場券が御朱印の形なので、そのコピーを貼付して貰えれば大丈夫です。」 との事。

成程、そういえば御朱印に見えるので納得。25年間で初めての経験でした。

それから今でも大河内松平家の方が見えるそうで、生前は女優の河内桃子さんも毎年来られたそうです。

「すらっとした長身でお綺麗な方でした。」とは住職夫人の談。

当時の女性としては長身の170㎝、祖父である理化学研究所創設者大河内正敏氏はいつも一緒に連れて歩いたとか。

 こうして今は農業だけでなく他では見られない武蔵野の自然に触れることができ巡礼も無事終了。

♪夏が過ぎ昼下がり♪

【用水】のお蔭で少年時代を思い出した一日でした。

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平林寺説明書

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御朱印の代わりにと言われた拝観券
「松樹千年翠」とある。

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平林寺総門向かいにある睡足軒
江戸時代は高崎藩陣屋。昭和には財界人松永安左エ門が屋敷を建てる。現在は平林寺所有。

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睡足軒の建屋
三茶人の一人だけに質素な造り。

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野火止用水上流付近
ここは桜並木になっている。

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野火止用水史跡碑

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新座郵便局 ; 平林寺山門、楓、桜、梅

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新座大和田郵便局 ; 平林寺山門、梨
新座片山郵便局 ; 平林寺山門、市花・コブシ、県蝶・ミドリシジミ、クヌギとノコギリクワガタ

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岩室観音堂と吉見百穴(埼玉県比企郡吉見町) 岩盤に彫られた仏様とマンホールカード

2019.08.29(09:35) 389

昔のよしみで穴場を訪問(2017.8.26)

<コース>
東急横浜 → (東急東横線・副都心線・東武東上線) → 東松山 → 徒歩20分 → 岩室観音堂・吉見百穴

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岩室観音堂

週末も天気がいまひとつ。そこで2年前吉見観音巡礼の途中スルーした穴場を訪問する事に。

 吉見町は比企の丘陵地帯。比企丘陵及び吉見丘陵は凝灰岩質で周囲には加工し易い場所が【比企】も切らず、

道脇には石仏などが鎮座されています。

 岩室観音堂は弘仁年間(810~824年)に創建されたと言われ、歴代松山城主の侵攻もとい信仰を受けました。

88体の石仏が安置され四国八十八ヵ所と同じ功徳が得られると言われますが今は無住。堂だけがひっそりと残っています。

未だ崩壊してはいませんが、このままだと朽ち果てる運命なので、何某かの手を打つ必要があるのではないでしょうか?

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東京駅を模したような東武・東松山駅
行先は吉身町だが、東松山市から東へ歩く。

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岩室観音堂山門
風格はあるが風化が進んでいる様子。

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岩窟内のお地蔵様群
境内という広さはなく、自然をそのまま利用したと言う表現がピッタリくる。

 観音堂すぐ北側の吉見百穴(よしみひゃくあな)は江戸時代から知られていましたが、明治期になって本格調査。

帝国大学の坪井正五郎博士がコロボックル住居説を唱えましたが、いまでは古墳末期の墳墓というのが定説です。

百穴と言われますが、全部で219穴。長期に亘って使用されていた事から推測するに住み心地が良く、

【あなーきー】な状態ではなかったということでしょう。

 古墳時代は墳墓として用いられた百穴も戦時中は軍需工場の一部として中島飛行機の地下工場に。

そのため数十基の穴が破壊されました。

工場は終戦後も稼働していたらしく、半島から出稼ぎに来ていた最後の人が辞めると同時に閉鎖。

国へ帰るので送別会を開き、その人が返礼に植えた木が今も残っています。戦時とはいえ心温まる話ではあります。

このように波乱万丈の変遷を経ていますが、いまは観光地として第三の人生?を歩んでいます。

古代の遺跡と現代の戦跡が共存しているのも奇妙なものですが、どちらも目を背ける事のないようにしないといけませんね。

見学後は、マンホールカード貰いましたが、これも穴繋がりでしょうか?

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吉見百穴
実際は219穴ある。右下は軍需工場跡地への入り口

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百穴説明板

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地下軍需工場への入口
中島飛行機の大宮工場を移転したらしい。

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軍需工場跡地
サスペンスドラマや仮面ライダー等の撮影で使われたとか。ああ、しょっかー!

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百穴近影
穴の広さは3㎡程。大化薄葬令の影響か?

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百穴にあるヒカリゴケ
関東では珍しいとされ、国の天然記念物に指定。

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百穴の上から東松山市を望む

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吉身町マンホールカード    配布場所は吉見百穴

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東松山郵便局 ; 史跡・吉見百穴、箭弓神社境内の狐、牡丹

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中仙道を往く(長野県塩尻市及び木曽郡) 木曽街道は1日中山道

2019.08.28(17:45) 388

栄枯盛衰は世のならい(2016.8.26)

<コース>
【往路前半】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR塩尻(9:53)

【木曽宿】塩尻駅前(10:05) → (塩尻市地域振興バス 楢川線) → 洗馬局前(10:26) → 徒歩10分→ JR洗馬駅(10:54) → JR贄川(11:05) → 徒歩5分 → 贄川関所(11:46) → (塩尻市地域振興バス 楢川線) →木曽くらしの工芸館(11:52) → 徒歩5分 → 平沢宿 → 徒歩20分 → 奈良井宿 → JR奈良井(13:32) → JR藪原(13:38→14:25) → JR宮ノ越(14:32→15:33) → JR大桑(16:17) → 徒歩30分 → JR野尻(17:32) → JR南木曽(17:43)

【往路後半】JR南木曽(17:56) → (ワイドビューしなの20号) → 名古屋(19:05→19:23) → (のぞみ247) → JR新大阪(20:13)

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中央本線洗馬駅(無人)
木曽義仲が挙兵時に馬を洗ったというのは俗説で、平安時代に蓮華王院領として洗馬牧ができた事に拠る。

・木曽路は全て山の中である。 『夜明け前』 島崎藤村

 週末に横浜から大阪に帰阪することとなり、金曜日に休暇を取得。

通常は新幹線ですが、今回は金曜日に休暇を取ったのでルートを変えて中央本線で西へ。

塩尻から名古屋方面はかつての中山道。江戸時代には東海道に次ぐ幹線でしたが、それも昔の話。

 高尾~塩尻~名古屋は中央本線ですが、塩尻でJR東日本から東海へ管轄が変わるため直通は1本もなし。

しかも塩尻での乗り換えの便が悪く、木曽も3宿訪問が限度と想っていましたが、平日には塩尻市のコミュニティバスがある模様。

お蔭で塩尻から木曽福島まで7宿訪問できました。

 最近は由緒ある駅名も現代風に「○○公園」「△△温泉」と変える所が多いと聞きます。

しかし、ここは宿場の名前をそのまま駅名にしており、洗馬・贄川などは字面を見ただけで由来が分かりそうです。

後世に残すのは必ずしも形あるものだけとは限らない例です。中津川から塩尻間では有人駅は南木曽と木曽福島のみ。

そんな利用客の少ない駅舎でも宿場に拘った外観をとっているのは鉄道ファンならずとも心惹かれるものがありました。

今は通過点となった感のある木曾ですが、それ故過去が息づいている感があります。

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中央線贄川駅(無人)
古くは温泉があって「熱川」と書いたが、温泉が涸れると現在の「贄川」と記されるようになった。

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贄川関所
「ここより南、木曽路」とある。奥に見えるのは中央線。

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贄川関所正面
福島の副関で尾張藩の管轄。

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関所の内部
常時駐在は2名。有事の際の武器類が展示してあるが、いかに江戸が平穏だったかが分かる。

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木曾平沢宿下町付近(重要伝統的建造物群保存地区)
漆で栄えたので漆器店が軒を連ねる。

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木曽楢川小学校
木材の町らしい校舎。

  7宿の内では奈良井が有名で観光客も集中していますが、それ以外にも宿場の雰囲気があちこちに残ります。

木曽は高地のため耕地が少なく、江戸時代の石高制では絶望的な状況。しかし内情は裕福な所が多かったようです。

木曽の檜、木曽駒に加えて平沢の漆器、藪原の櫛と特産品も豊富。

宿場ごとに【木曽】った事が、良い結果に繋がった気がします。

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中央線奈良井駅
無人駅扱いだが観光案内所を併設している。

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奈良井川に架かる木曽の大橋
平成3年に完成した33mの太鼓橋。建築に当たっては樹齢250~300年の木曽檜を使用した。

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奈良井宿北側 (重要伝統的建造物群保存地区)
中山道では人気が高く、人気投票でも一位となっている。二位は妻籠。

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奈良井宿の中央付近
左にゑちごや(旅籠)の看板が。

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奈良井郵便局
街道の松並みに【ならい】、このような造りに。

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宮ノ越の本陣 (復元)

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本陣内部

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宮ノ越宿の義仲館にある木曾義仲と巴御前の像
京都では暴れたため評判が悪いが地元では英雄。館内では写真等でその生涯を追っている。巴御前の鉢巻きの展示はなし。

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夕方の野尻宿
写真の建物はかつての旅館だったが今は営業していないとの話。

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南木曽駅(妻籠をモデルにした駅舎)
ここからワイドビューに乗り帰路へ。

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洗馬郵便局 ; おおたの清水碑、平出遺跡出土緑釉水瓶、追分道標、桔梗
贄川郵便局 ; 贄川関所跡、木曽路入口道標

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平沢郵便局 ; 木曽漆器、漆の塗師、檜、御岳
藪原郵便局 ; 鳥居峠、木曽のお六櫛

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野尻郵便局 ; 野尻宿、阿寺渓谷
大桑郵便局 ; 阿寺渓谷、のぞきど高原、アーチェリー、中央アルプス

[参考書]

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清水観音(千葉県いすみ市) 森と泉に囲まれた清水の里の御朱印

2019.08.27(22:23) 387

いすみ市のいずみに参拝(2015.8.22)

<コース>
【往路】JR横浜 快速エアポート成田(5:39) → JR東京(6:09) → JR千葉(6:51→6:58) → JR五井(7:15→7:25) → (小湊鉄道) → 上総牛久(7:53)

牛久駅(8:25) → (小湊鉄道バス) → 笠森(8:40) → 笠森観音 → 徒歩30分 → 長南三叉(9:38) → (小湊鉄道バス) → 藻原寺バス停(9:51) → 徒歩5分 → 藻原寺 → 徒歩10分 → JR茂原(11:50) → JR三門(12:18) → 徒歩45分 → 清水寺

【復路】JR三門(15:45) → JR千葉(16:50→17:11) → JR横浜(18:26)

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音羽山 千手院 清水寺(天台宗 坂東三十三ヵ所第三十二番札所)
入口にあるこの仁王門は老朽化のため平成5年に再建。

 藻原寺の後はJRに戻って次の札所へ。外房線は1時間毎の運行。

それだけならまだしも、最寄りのJR三門駅及び長者町駅は無人で駅周辺も施設は皆無。

路線バスもないので、猛暑の中、ひたすら4㎞のアスファルト道を歩く事に。

音羽山千手院清水寺(おとわさんせんじゅいんきよみずでら)は、

『延暦年間(782~806年)、この地を訪れて道に迷った最澄に熊野権現が樵に化けて現れ宿を貸したのが始まり。

最澄はそこに庵を結んだが帰京したので弟子の円仁が大同2年(807年)に師の意思を継いで楠で千手観音を刻み安置。

東征中の坂上田村麻呂が堂宇を建立した』

とあります。

伝説の域ではありますが、由来が古いのは確か。

西国札所の京都清水寺、播磨清水寺と共に日本三清水と言われます。

清水と言う名は多いですが、この地には夏でも涸れない「千尋の池」があることが名前の由来。

加えて太平洋に注ぐ夷隅(いすみ)川河口岬町の山間にあって地形が京都に似ているから同じ山号を採っているようです。

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風神・雷神を祀る四天門
文政5年(1822年)建立、昭和54年に銅板葺に改修。

 古刹・古寺と呼ばれる寺はなにがしか理由があって人が崇める場所に建立されたもの。

適当に建てたら人が来るようになったというものではありません。

 古代にあっては、生活に必須な物、恐ろしく畏敬の念を持つ場所が相当するでしょうか。

清水観音も自然林の中にあり、ここも境内及び山林10ヘクタールは千葉県環境保全地域 「清水観音の森」。

笠森観音もそうですが自然と結びついた古代の人の信仰の様子が伺えました。

清水寺があるのは「いすみ市」。いすみは夷隅ですが、案外清水観音の「いずみ」に由来するかもと思った次第です。

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本堂
文化14年(1817年)再建。本尊・千手観世音菩薩を祀る。

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本堂前面の欄間彫刻

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西国・坂東・秩父札所の御本尊を祀る百体観音と鐘楼堂(奥)
鐘楼堂の左手にあるのが由来となった「千尋の池」。

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清水観音説明書

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清水観音御朱印

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岬郵便局 ; 清水寺山門、岬海岸、岬灯台

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藻原寺(千葉県茂原市) 日蓮門下お題目初唱之霊場の御朱印

2019.08.26(23:59) 386

もっぱらお題目を唱える話(2015.8.22)

<コース>
【往路】JR横浜 快速エアポート成田(5:39) → JR東京(6:09) → JR千葉(6:51→6:58) → JR五井(7:15→7:25) → (小湊鉄道) → 上総牛久(7:53)

牛久駅(8:25) → (小湊鉄道バス) → 笠森(8:40) → 笠森観音 → 徒歩30分 → 長南三叉(9:38) → (小湊鉄道バス) → 藻原寺バス停(9:51) → 徒歩5分 → 藻原寺 → 徒歩10分 → JR茂原(11:50)

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常在山 藻原寺(日蓮宗本山)

 笠森観音参拝後は9時過ぎ。

次の訪問先ですがバスは14時台までなく、営業所の近くまで道を3㎞ばかり歩くことになりました。

札所ならばもう少し交通の便があっても良さそうなもの。

セミの鳴き声が「つくづく惜しい」と聞こえました。ちなみにこの辺りはヒメハルゼミの生息地です。

バスに乗り茂原駅手間で下車。行く手に竜宮城の様な門が見えたらそこが目指すお寺。

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竜宮城のような仁王門
高さ22.7mの唐様と和様の折衷様式。禅宗ではこのような形を見かけるが日蓮宗では初見。

常在山藻原寺(じょうざいさんそうげんじ)は、略縁起に拠れば、

『建治2年(1276年)に、藻原領主・斉藤兼綱が法華堂を建立。日蓮を開山とし、本弟子の日向を遣わしたのが始まり。

それに先立つ建長5年(1253年)、日蓮は鎌倉への途上笠森観音堂に宿泊。

その夜に斉藤兼綱の夢枕に観音様が現れ

「我に日本無双の珍客あり。迎えて供養せよ」

とのお告げがあり、兼綱は日蓮上人を迎えた。』

とあります。

 よくある夢のお告げですが、斉藤兼綱はじめ皆、日蓮の教えに従いお題目を唱えたことから、

ここは「日蓮門下お題目初唱之霊場」と呼ばれることになったとか。初唱の発祥の地という事です。

この辺りは湿地帯で「藻原」と呼ばれたので寺号になり、江戸時代に【もっぱら】茂原と書くようになったようです。

加えて、日向は身延山及び藻原寺の第二祖を兼務したので「東身延」と呼ばれる事になります。

 日蓮宗の寺と言えばすぐに鎌倉が思い浮かびますが、日蓮は千葉の出身。

他国で活躍するよりも先に地元で勢力を蓄える意図もあったのでしょうか?

 山号の常在山もそう考えれば納得です。出身地を大事にしないような人間は大成するのが難しいとは思いますが…。

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「やくよけの祖師」を祀る大堂
ここも極彩色に彩られている。

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藻原寺略縁起

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藻原寺御朱印

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笠森観音(千葉県長生郡長南町) 自然林と巨岩に建つ札所の御朱印

2019.08.25(21:03) 385

樹海で祈願!(2015.8.22)

<コース>
【往路】JR横浜 快速エアポート成田(5:39) → JR東京(6:09) → JR千葉(6:51→6:58) → JR五井(7:15→7:25) → (小湊鉄道) → 上総牛久(7:53)

牛久駅(8:25) → (小湊鉄道バス) → 笠森(8:40) → 笠森観音 → 徒歩30分 → 長南三叉(9:38)

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大悲山 楠光院 笠森寺(天台宗 別格大本山 坂東三十三ヵ所第三十一番札所)

 一都六県の中では海の印象の強い千葉ですが、意外と山深い所もあります。

この日は海水浴に行く人たちに混じってローカル線で房総半島横断の巡礼へ。

 JR五井駅から小湊鉄道に乗って上総牛久で下車。

山中を走るのに小湊鉄道とはこれ如何にですが、十数年前と変わらぬ車体に感激。

ここもローカル線の宿命で大赤字なのでしょうが、小湊バスが頑張っているようです。残して欲しいですね。

駅前からバスに乗ること15分、暖帯林の中に目指す寺を発見。

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JR五井駅に停車中の小湊鉄道

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笠森観音への参道
延暦年間より保護されてきた天然記念物の森。

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門前にある子授楠
この穴を通ると子宝に恵まれるという言い伝え、フロイト的解釈が可能?

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二天門

 大悲山楠光院笠森寺(だいひざんなんこういんかさもりじ)は、寺伝に拠れば

『延暦3年(784年)、開祖の最澄が楠の霊木に十一面観音を彫って山上に安置したのが始まり。

その後、長元元年(1028年)後一条天皇の勅願により観音堂が建立。本尊により笠森観音と呼ばれる。』

とあります。

 それよりもここの圧巻は観音堂の造り。巨岩の上に何十本も柱を組みその土台の上に堂を造ったもので、

見るだけでその特異な姿に圧倒されます。

岩の凹凸の上には長さの異なる61本の柱を建て平面床を造る「四方懸造」という手法で重要文化財。

鳥取県の国宝・投入堂も岩の上に柱を建てていますが、中世にそのような技術があったことに改めて驚きました。

 石段12段、木の階段65段を上ると観音堂で、周囲は樹海が広がりジャングルの中の展望台から眺めている気分になります。

御朱印もここで拝受。

まさに樹海を見ながら【受戒】し、奇岩の上で【祈願】する訳ですが、元来はこの岩が信仰の対象だったのが、

後に上に寺院が建てられたというパターンの気がします。

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二天門を進むと観音堂へ

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重文・笠森観音堂近影
残念ながら創建時の物は焼失し文禄年間1592~95に再建。

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真下から見上げた観音堂

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四方懸造

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階段の基礎部分

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岩の上に長さの異なる柱を建てた構造

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観音堂の床下

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観音堂へ上る
御朱印もここで拝受。

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観音堂より境内を見下ろす

 また周囲の山々は創建当時から伐採が禁じられており今も「県立笠森舞鶴自然公園」として保護されています。

ここの森はスダジイを主体とした関東では少ない残存林。

寺だけではなく周囲も含めて守られてきた訳ですが、結果的に周辺を含んだ大きな生態系が維持されることに繋がりました。

先見の明があったのですね。

暖帯林に囲まれながら団体さんには遭遇せず静かな巡礼。唯、セミの声だけが響いていました。

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観音堂から見た笠森寺自然林

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笠森観音説明書

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説明書裏面
観音堂は歌川廣重も浮世絵で描いている。

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笠森観音御朱印

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帰りの道
両側が切り立った崖となっている。

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長南郵便局 ; 重文・笠森寺観音堂、熊野の清水、蔵持ダム
市原鶴舞郵便局 ; 重文・笠森寺観音堂、鶴、桜

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