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佐竹寺(茨城県常陸太田市) 佐竹氏所縁の坂東札所の御朱印

2019.07.20(18:19) 352

人生至る所、西山荘有り (2015.7.26)

<コース> 
【往路】JR横浜(5:25) → JR上野(5:58→6:04) → JR水戸(8:00→8:17) → JR常陸太田(8:51) → 常陸太田観光レンタサイクル → 佐竹寺 → 西山荘 → JR常陸太田(12:00) → JR水戸(12:39)

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妙福山 妙音院 佐竹寺(真言宗豊山派 坂東三十三ヵ所第二十二番札所) 山門 

 夏の青春18きっぷ2回目は常陸へ巡礼。常陸といえば江戸時代は水戸が中心ですが、それ以前の中心は常陸太田。上野から水戸までの電車は頻繁にありますが、常陸太田に行く水郡線になると1時間毎の運転。当然、列車(非電化)の時刻に合わせての行動となります。
 全ての施設は駅から数㎞離れており、しかも方角が異なるので大変でしたが駅前の観光案内所にレンタサイクルがありました。自転車は全部で3台でしたが、8時51分に駅に着き案内所開始の9時に無事借りる事ができました。もう少し台数が多い方が良いですね。

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JR水郡線・上菅谷駅にて乗り換え

 当地は平安の末より470年間佐竹氏が統治。佐竹氏は八幡太郎義家の弟新羅三郎義光の孫源昌義を祖とする源氏の名門。昌義が祈願寺に寺領を寄進した際に境内で節が一つしかない竹を見つけ、これを奇瑞として佐竹氏を名乗ったと言われます。

 その祈願寺が妙福山妙音院佐竹寺(みょうふくさんみょうおんいんさたけじ)。寺伝では大同2年(807年)徳一の開創とありますが、寛和元年(985年)に坂東巡礼途上の花山院が随行した元蜜上人に聖徳太子作と言われる十一面観音像を与えて建立させたと坂東霊場記にあるのでそちらの方が信憑性が高そうです。

 創建当時の名は観音寺で場所も今の北西にあったといいますが、天文12年(1543年)に兵火で焼失したので3年後に佐竹氏18代義昭が現在地に再建しました。佐竹城の鬼門除けとしてであったとされます。佐竹寺も坂東三十三ヵ所の札所になったとはいえ、明治期には無住時代も経験しています。現在の山門、本堂には古風な雰囲気がありますが、訪れる人も少ないので一層そのように見えるのかもしれません。

 本堂に参拝した後は横の庫裏で御朱印を。御願いすると年配の女性が『お婆ちゃん、御朱印ですよ』と声がして90歳を過ぎたと思われる御婦人が矍鑠たる筆遣いで書いて頂きました。

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山門の扁額の上にある佐竹氏家紋の扇(五本骨)
頼朝の呼びかけに応じて参陣した際に、家紋のないのを哀れんだ頼朝が『これを家紋にせよ』と持っていた扇を与えたとか。

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天文15年(1546年)再建の重文・佐竹寺本堂
関東の寺院は茅葺が多いが、ここの寄棟造は圧巻。

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佐竹寺御朱印

 佐竹寺は一門の祈願寺ですが、菩提寺は北に数㎞の場所の正宗寺(しょうじゅうじ)。佐竹氏8代貞義の子、月山和尚が開山で境内には一族の墓もあります。広大な敷地を持つ寺院は有事の際には陣を置くこともできるので、祈願寺と菩提寺を分けたのはリスク分散を考えての事かもしれません。
 名門佐竹氏も470年余りの間、上り坂・下り坂を経験しています。秀吉の時代はうまく立ち回って54万石を得ましたが関ヶ原では後手に回って秋田に転封。佐竹氏も関ヶ原の後に【まさか】秋田に行くことになろうとは夢にも思わなかったでしょう。

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萬秀山正宗寺(臨済宗妙心寺派)
佐竹氏の菩提寺で、畑の中に広大な敷地を持つ。

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正宗寺本堂

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本堂正面の扁額

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境内にある佐々宗淳(助さん)の墓

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正宗寺御朱印

 代わって常陸に入ったのが徳川御三家の水戸藩。二代目光圀は隠居を佐竹氏の城下町の常陸太田に決め、西山荘(せいざんそう、”にしさんそう”ではない)を営みました。テレビや時代劇の撮影ではここがそのまま使われたようで、今もその雰囲気が残っています。
 徳川光圀は兄の頼重を差し置いて藩主になった事を生涯に亘り悔いたと言われ、号の「梅里」は史記列伝に由来。光圀の「圀」は則天文字、師は明の儒学者朱舜水と中国の影響を非常に受けた人です。『大日本史』編纂を始めたのは史書を編纂する中国に倣ったのかもしれません。尤もそのため財政難にはなった様ですが…。

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西山荘への裏門
付近の農民がなかに入り易いように配慮したとか。

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西山荘遠景

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西山荘
ここで大日本史の編纂を始めた。

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光圀公の書画

 佐竹氏は駅から北へ延びる鯨ヶ丘と呼ばれる高台に築城しましたが、丘の中央の棚倉街道沿いが昔の街の中心で土蔵が並びます。坂の町と言えば尾道ですが、常陸太田も坂の町、雰囲気は豊後の杵築に似ています。外からの防御には適した地形ですが、町全体の発展には限界があり、そこが近世城下町にならなかった理由でしょう。

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十王坂から西を望む
山腹に見えるのは光圀公が生母の為に建てた久昌寺。

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郷土資料館
昭和11年に建てられたかつての町役場。建設は地元出身の実業家梅津福次郎から3万5千円(当時の金額)の寄付に拠った。

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蔵を使った食事処

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門構えはかつての武家屋敷?

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明治期の酒造屋

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太田名物 「なべや」の粽
光圀公の侍臣儒者佐々宗淳介三郎(助さんのモデル)が大日本史の資料集めのため訪れた北越からの土産の笹団子をもとに作った。何故笹団子としなかったのかは、自分の名字と重なるからか?

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常陸太田郵便局 ; 西山荘、水戸八景・太田落雁の碑、梅、雁
常陸太田栄町郵便局 ; 重文・旧制太田中学校講堂

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布引観音(長野県小諸市) 牛に引かれて善光寺の伝説の御朱印

2019.07.19(18:32) 351

うだつが上がるのは運のもの?(2016.7.23)

<コース> ここに記載のJRバス時刻は2016年時
【往路】JR横浜(5:25) → JR東京(5:53) → JR上野(5:58) → JR大宮(6:25) → JR熊谷(7:04) → JR高崎(9:32) → JR横川(10:05→10:15) → (JRバス関東) → しなの鉄道軽井沢(10:49→11:08) → しなの鉄道滋野(11:41) → 徒歩45分 → 布引観音 → しなの鉄道滋野(10:16) → しなの鉄道大屋(13:59) → 徒歩10分 → 海野宿 → 徒歩15分 →

【復路】しなの鉄道田中(15:30) → しなの鉄道軽井沢(16:04→16:20) → (JRバス関東) → JR横川(16:54→17:20) → JR高崎(17:53→17:59) → JR横浜(20:30)

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布引山 釈尊寺(天台宗)

 青春18きっぷ五連戦の初日は六連銭で湧く信州へ。まずは旅の安全を祈願して布引観音へお参り。小諸駅からタクシーに乗るのが常道ですが、徒歩の私は最寄りの滋野駅から千曲川に沿って歩くこと30分で寺院入口、ここから更に本堂まで山道を上る事15分で山の斜面にへばり付く様に建てられた本堂へ到着。

 布引山釈尊寺(ぬのびきさんしゃくそんじ)は、神亀元年(724年)に行基が開山、聖徳太子作の聖観音を祀ったとされる古刹。戦国時代には武田信玄の信濃攻めで焼失、永禄元年(1558年)に城主望月氏により再建されますが、享保8年(1723年)に再び火災で焼失。現在の伽藍が整えられたのは江戸後期の事でした。
 そんな中で観音堂宮殿は正嘉2年(1258年)の造営で、鎌倉時代の貴重な建築様式を今に伝えています。岩屋の中にあった事で災難を逃れたのでしょう。ここへ来るまでは、なぜこんな断崖にあるのかと思いましたが、その御蔭で今に残った事に感謝しなければいけませんね。

ここは牛に引かれて善光寺の由来となった場所。むかし信心の薄い婆さまが、白布を引っ掛けた牛を追いかけて善光寺まで来て信心に目覚めたとか。ここから46Km離れた善光寺まで追いかけるとはかなりの健脚、余程の執念と言えます。その由来から「布引山」「釈尊寺」となったのでしょうが、付近は布引渓谷と呼ばれる場所で滝もあるので、滝の落ちる様から布引の呼び名ができた方がしっくりきますがどうでしょうか?

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しなの鉄道軽井沢駅にて
手前が乗った電車で、その奥がかつての碓氷峠で活躍した牽引車。奥の建屋は新幹線開通前の軽井沢駅

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早目の昼食はおぎのや「玄米弁当」¥500

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千曲川に沿って進む
この山の向こう側に目指す観音様が。

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山麓にある布引観音入口へ到着

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本堂にはこのような山道を上る

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ようやく山門に到着
右奥に見えるのは観音堂宮殿。

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観音堂宮殿を下から見上げた所
岩にはスズメバチの巣が。

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スズメバチの巣の拡大
今は蜂は棲んでいないと思うが。

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真下から見上げた重文・観音堂宮殿

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山道を上った先にある布引観音本堂
御朱印はここで拝受。

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本堂から観音堂宮殿を見る

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観音堂宮殿への途中から本堂を見返る

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小諸市内方面を望む

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観音堂宮殿内より境内全体を見る
正面が本堂で、左下が山門。

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布引観音縁起

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布引観音御朱印

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小諸郵便局 ; 布引山観音堂、桜、浅間山

 続いて北国街道の宿場町、しなの鉄道の大屋と田中の中間にある海野(うんの)へ。ここは平安末から滋野一族・海野氏の発祥の地、真田氏もその一門です。真田十勇士にも海野六郎がいます。
 ここは江戸・明治期の建造物が残りますが、圧巻はそこに造られた「うだつ」(卯建・卯立)。徳島脇町、岐阜美濃市とともに三大うだつの街となっています。重要伝統的建造物群保存地区のため電柱はすべて地下埋設、街道沿いを歩くと時代劇のロケ地に迷い込んだ感じです。

 高校の生物の授業で、先生が蚕の説明をするときにこの様な絵を描いて「屋根の上にあるのが養蚕のための気抜き、家の横にあるのがうだつ、うだつが上がらんというのはこういう家も建てられんという事」と言われたのがうだつを知った嚆矢。もともと防火設備でしたが、これを作るのに大金が掛かるため金持ちのステイタスにもなった様です。これを機会に私もうだつが上がればと思いますが、これが【海野】尽きとはならんように注意せねばと思った次第です。

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海野宿
大屋駅から東へ1㎞程にある西の入り口。重要伝統的建造物群保存地区のため電柱はすべて地下埋設。

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宿場西端付近

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うだつの街の代表的家屋

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街道の南側の家屋
重厚な造りだが現在も居住されている。

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時代劇の一コマに仕えそうな雰囲気

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袖うだつ:左、本うだつ:右
袖うだつは主に明治以降に造られた。

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街道に沿いある説明板

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福嶋屋(矢島家)
屋根の上の小屋根は養蚕のための気抜き。いまは甘味処として「くるみおはぎ」が食べれる。

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しなの鉄道駅スタンプ
JR時代は設置されなかった駅にも設置された。ここは写実的なデザインが特徴。

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本海野郵便局 ; 海野宿、浅間山
田中(現:東御)郵便局 ; 海野宿、巨峰、烏帽子岳

 帰路も行きと同じルートでしたが長野新幹線開通以来、在来線横川~軽井沢間がバス路線に変更になり本数が激減。18きっぷ利用時はバス時刻に左右されるので、バスに合わせて移動する事になります。

 横川駅に到着してようやく時刻の心配が不要となったので駅前で夕食。かつての横川駅は牽引車の付替えのため列車は全て5分間停車しており、その間に駅弁を買う人も多く居ましたが今はそれも過去の話。
かつての国鉄では山越えを控えた駅に
「岳の釜めし」:水上駅
「九尾の狐釜めし」:黒磯駅
「峠の釜めし」:横川駅
と3種類の釜めしがありましたが、前の二つは消え今も頑張っているのは「峠の釜めし」だけ。駅だけでなくドライブイン販売などにシフトしたことが大。これで販売終了の【峠】は越えたと思います。

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JR横川駅前にて
「峠の釜めし」のおぎのやは今も健在。

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夕食は「峠の釜めし」¥1000

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で紀行作家宮脇俊三氏が新幹線開通前の横川駅の表情を描写。

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滑河観音(千葉県成田市) 坂東三十三カ所第二十八番札所の御朱印

2019.07.18(20:04) 350

すくい上げられた観音様が民を救った話(2015.7.20)

<コース>
JR横浜(5:39) → (エアポート成田) → JR成田(7:22→7:26) → JR銚子(8:53) → 飯沼観音 → JR銚子(10:24) → JR佐原(11:10) → 観福寺 → JR佐原(14:53) → JR滑河(15:10) → 徒歩20分 → 滑河観音 → JR滑河(16:13) → JR千葉(17:11→17:28) → JR横浜(18:41)

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滑河山龍正院(天台宗 坂東三十三カ所第二十八番札所)
文亀年間(1501~1504年)再建の重文・仁王門

 佐原観光の後は本日最後の巡礼になりますが、成田市に入ったとはいえ滑河駅は電車も1時間毎で乗降する人も稀。それなら駅近くにお寺があるかと思いきや、線路に沿って1㎞歩くことに。巡礼なので別段問題はないですが、どうせなら門前に駅を設置する発想はなかったのでしょうか?

 滑河山龍正院(なめがわさんりゅうしょういん)は、承和5年(838年)、滑河城主だった小田将治が発願、慈覚大師円仁が開山したと言われる古刹。
 この年は冷害が酷く穀物が不作で人々は苦しむ事に。見かねた城主将治が法華経を読誦した所、結願の日に少女が現れ彼を小田川に案内。そこには老僧が船を浮かべており、小さな観音像を引き上げて将治に与えました。言われるままに堂宇を建て、像を祀ると気候も回復し人々は救われたと言います。

 今の御本尊の体内に納められている1寸2分の観音様は小田将治が帰依した老僧が小田川水からすくい上げたとされており、飯沼観音、浅草寺の縁起に類似しています。未だ仏教が広がる以前に仏像が川から上がるのも不思議な気がしますが信仰とはそういうことから始まるようです。人々を救うには、すくい上げられた本尊が有効なのでしょう。

 茅葺の仁王門も札所の雰囲気十分で御朱印も待ち時間なしでした。成田市といえば先ず新勝寺が思い浮かびますが、滑河観音では昔の巡礼を肌で感じることが出来ました。これで肌が【滑らか】になれば訪れる人も桁違いに増えるでしょうが…。

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龍正院本堂

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滑河観音御朱印

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下総郵便局 ; 重文・龍正院仁王門

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観福寺(千葉県香取市) 小江戸・佐原の伊能忠敬所縁の寺の御朱印

2019.07.17(10:16) 349

佐原の神は異能の人? (2015.7.20)

<コース> JR佐原へは日中1時間毎に運転
JR横浜(5:39) → (エアポート成田) → JR成田(7:22→7:26) → JR銚子(8:53) → 徒歩20分 → 飯沼観音 → JR銚子(10:24) → JR佐原(11:10) → 佐原観光 レンタサイクル → 観福寺 → JR佐原(14:53)

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JR佐原駅
小江戸に相応しい外観に改装中。

 銚子に続いて総武線を戻り佐原で下車。
 駅から自転車で市街を抜けて静かな木立の中にあるのが妙光山蓮華院観福寺(みょうこうさんれんげいんかんぷくじ)。寺伝に拠れば寛平2年(890年)に尊海僧正が開基という古刹。平将門の守護仏とされる聖観世音菩薩が本尊で当初は千葉氏を初め歴代武将の、近世以降は佐原の伊能一族の帰依を受け境内には伊能忠敬の墓もあります。

 江戸時代には川崎大師・西新井大師と共に関東三大厄除大師と言われますが、これは本堂に大師自ら彫刻した像を安置したためだとか。中世は武士、近世は庶民と信仰の対象は変わりますが寺はしっかりと繁栄、【かんぷく】致しました。

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妙光山 蓮華院 観福寺(真言宗豊山派) 山門

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観福寺本堂 
境内には伊能忠敬の墓もある。

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観福寺御朱印

 参拝の後は市街地に戻り街並み散策。
『お江戸みたけりゃ、佐原にござれ。佐原本町江戸勝り』
『佐原囃子が聞こえてくらぁ、平手御酒も今じゃ博徒の用心棒か~』
 下総の小江戸と呼ばれる佐原は江戸時代、利根川の付け替え以降、水運の中心として栄え、その繁栄ぶりは佐原大祭での各地区の山車の豪華さでも伺えます(高山では屋台と呼びます)。
 明治の大火以降、新たに蔵造の街並みが出来(大火の改新)、現在の観光の目玉となっています。よくロケにも使われるようですが、今も当時の商売を続けている店が多いのに吃驚。佐原は「割烹やまだ」を初め鰻の店が有名ですが、今回は文化財となっている「小堀屋本店」で蕎麦を食べました。

 また佐原は、日本初の実測地図を作った伊能忠敬の町です。十七歳で婿入りし五十歳までの間に、その商才で伊能家(酒屋)の財産を3倍に増やします。そして息子に家督を譲った後に、江戸で数学を学び七十三歳で亡くなるまで日本地図の製作に没頭。数学の素質に恵まれた人だったようです。一生を二度生きたというべきその生き様は高齢化社会の今、大いに参考になるような気がします。その忠敬の旧宅の向かいに現在の当主が住まわれており、その一角の店で大納言アイスのおやつと相成りました。
 ここで謎かけを一つ。
小江戸と掛けて饂飩と説く。そのこころは、
山車(出汁)の良しあしが集客の決め手だが油断すると屋台に持っていかれる。

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小野川に架かる中橋付近から北を望む

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小野川を行く遊覧船

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樋橋(とよばし)。
かつての農業用水を運んだ橋で、今も毎時0分と30分に水が落ちる。別名ジャージャー橋。橋の向こうが伊能忠敬旧宅。

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伊能家現当主の家
遅歩庵(ちぶあん)いのうと言う名前の喫茶店になっている。

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大納言アイス。¥550
小豆は自家製で甘さ控えめ。

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福新呉服店(文化財)
明治28年築。

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小堀屋本店(文化財)
明治33年築。1782年創業の蕎麦屋で日高昆布を練り込んだ黒切り蕎麦が有名。

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黒切り蕎麦 ¥1,050

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正文堂(文化財)
明治13年築。書店。

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中村屋商店(文化財)
安政2年(1855年)築。和雑貨を扱う。

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中村屋乾物店(文化財)
明治25年築。当時の最高技術の防火構造。

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三菱館(文化財)
大正3年築。旧三菱銀行佐原支店本館。

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正上(文化財)
店舗は天保3年築。油屋→醤油製造→佃煮製造販売と変遷。

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文化財ではないが、今も現役の旅館

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三菱館前の商店

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佐原郵便局 ; 柳の外枠に、小江戸佐原の街並み、小野川、伊能忠敬旧宅

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飯沼観音(千葉県銚子市) 網に掛かった観音様の御朱印

2019.07.16(20:07) 348

ちょうしに乗ってしもうさ!(2015.7.20)

<コース>
JR横浜(5:39) → (エアポート成田) → JR成田(7:22→7:26) → JR銚子(8:53) → 徒歩20分 → 飯沼観音 → JR銚子(10:24)

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飯沼山 圓福寺 (真言宗単立寺院 坂東三十三カ所第二十七番札所)
昭和46年再建の仁王門

 坂東三十三カ所も東端の千葉県下総銚子へ。
 飯沼山圓福寺(いいぬまさんえんぷくじ)は、神亀5年(728年)に地元の漁師の網に十一面観音が掛かり、弘仁年間(810~824年)に当地を訪れた空海が開眼したと言われます。中世には地元の豪族、江戸時代には徳川家康から朱印状を賜るなど隆盛を迎えますが、何度となく焼失。そのため本堂付近は新しく派手な雰囲気。納経所付近の古びた雰囲気とは対照的でした。

 弁天様も海の近くに祭られていることが多いので海の近くは派手になるのか、或は【艶福】寺という名前のためかは定かではありません。
 寺院は駅から1㎞で徒歩圏内ですが如何せんこの暑さ、しかも本堂で拝受するつもりであった御朱印も数百m離れた大師堂で受けなければならず走り通し。電車が1時間毎なので仕方がなかったと言えばそれまでですが、やや【房総】気味だったかと悔やまれました。

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飯沼観音本堂 
本尊は728年に夢のお告げにより漁師の網にかかったとされる十一面観音菩薩。てっきり御朱印はここかと思ったら、更に数百m歩いた大師堂。

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本堂前から五重塔を望む 
平成21年竣工で、総高33.5m。

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飯沼観音説明書

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説明書裏面の各エリア案内

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飯沼観音御朱印

[参考書]
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紀伊国分寺(和歌山県紀の川市) 天平の国分寺の跡に建つ寺院

2019.07.16(11:09) 347

伝家の法灯(2019.7.12)

<コース>
南海難波駅(8:19) → (急行) → 橋本(9:11→9:27) → JR紀伊長田(10:04) → 長田観音 → JR紀伊長田(11:12) → JR下井阪(11:20) → 徒歩10分 → 紀伊国分寺 → JR下井阪(13:09) → JR和歌山(13:36) → JR和歌山市(13:41→14:00) → (特急サザン) → 南海難波(14:59)

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八光山醫王院国分寺(新義真言宗)

 紀伊国分寺は和歌山線下井阪駅から北に徒歩10分。紀の川右岸の段丘上に位置しており天平時代に聖武天皇の詔勅により全国に建立された紀伊国分寺の後継寺院と言われます。紀州は南海トラフの影響で地震・津波が発生しやすいので、海からは距離があって段丘上にある自然災害の少ない場所が選ばれたのでしょう。紀の川の水運も寄与したと思われます。

 調査の結果、かつての国分寺の場所もここで現在の本堂は、かつての金堂の位置になるようです。元の国分寺は元慶3年(879年)に全焼しますが直ぐに復帰。しかし中世になると衰退して文献から消滅、江戸時代になって現在の国分寺が史料に登場するようになります。その間の400年が不明ですが全く関係のない寺院が同じ場所に建立するのも【きい】なので法灯を受け継いだと考えるのが普通です。

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中門跡から本堂を望む

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国分寺塔跡
塔の基礎に当る基壇と呼ばれるもので16m四方、高さ1.2m。版築という技法に拠る。

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金堂基礎部分

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金堂跡から本堂を見る

 広大な敷地は紀伊国分寺跡歴史公園となって、中央付近に元禄13年(1700年)再建の本堂が建つのみ。かつての姿は想像するしかありませんが、公園の直ぐ南にある歴史民俗資料館で復元されたものを見学できます。
 傍らには紀伊国分寺の寺務所があって御朱印を拝受しようとして訪問しましたが生憎留守。見渡すと一時的な不在と言うよりも、常時不在で時折来られるといった感じ。前もって確認する必要がありそうで、【きしゅう】戦法は駄目なようです。

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元禄13年(1700年)再建の本堂
本瓦葺・入母屋造・重層屋根で、外観は二階建てだが内部は一階である。

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現在の本堂の建つ旧講堂跡の変遷

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北側からの本堂近影

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一番北側にある僧坊の跡

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南門付近から見た紀伊国分寺跡歴史公園全景

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紀伊国分寺の復元図
南に隣接する紀の川市歴史民俗資料館にて展示

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出土した瓦

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資料館で貰った紀伊国分寺歴史公園説明書

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現在の紀伊国分寺寺務所
御朱印はここで拝受できる筈だったが…。

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池田郵便局 ; 紀の川、カヌー、百合山、パラグライダー、史跡・紀伊国分寺

[参考書]
和歌山県の歴史散歩


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長田観音(和歌山県紀の川市) 紀の川沿いの厄除観音の御朱印

2019.07.15(16:48) 346

紀州徳川家の祈願寺(2019.7.12)

<コース>
南海難波駅(8:19) → (急行) → 橋本(9:11→9:27) → JR紀伊長田(10:04) → 長田観音 → JR紀伊長田(11:12)

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如意山厄除観音寺(真言宗)

 紀州で寺社と言えば、現在では世界遺産の高野山や熊野が第一に挙がりますが、古くからの寺院があるのは紀の川沿い。今の和歌山市は紀州徳川家の近世城下町から発展していますが、古代においてはやや海に近すぎ。国府や国分寺は津波や地震などの自然災害を避けて川沿いの高地に築かれたのでしょう。今回は国分寺訪問を兼ねて和歌山線沿線を巡礼。
 ところが郵便局の人から橋本から和歌山に抜ける途中に大きな寺院があるらしく、無人の紀伊長田で下車。

 如意山厄除観音寺(にょいさんやくよけかんのんじ)は駅のすぐ北側。かつては旧長田庄に属したので通称長田観音と呼ばれます。境内も広大で旧初午の日には境内が人で溢れ返るとか。ガイド等にも載って居らず全く知りませんでしたが、このような寺院があるのですね。
縁起に拠れば、
『延喜21年(921年)念仏上人により開創。本尊は如意輪観世音菩薩で寺号山号は宇多天皇が退位して仏門に入り、寛平法皇となられた時に賜ったもので、同時に御詠歌も賜った。
 勅願寺として壮大な伽藍を持っていたが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の焼討に会い、本尊のみ厄災を逃れて一草堂に安置。元和8年(1622年)に薩州の沙門道誉尊者により再建。  
寛永元年(1624年)に紀州初代藩主徳川頼宣公が約1㎞南の現在地に移転させ祈願寺とした。』
とあります。

 寛永3年には本堂を建立、伽藍も順次整えられ他の寺と区別する意味で別所と名付けられました。高野山に比べると新しいですが10世紀初頭の開創は重文の古刹。祈願寺としては和歌山城から距離がありますが、新たに紀州入りした頼宣としては、古くから信仰の対象となった寺院を庇護する事で民の心を掴もうとする意図があったのでしょう。厄除観音はただ待っているだけでは駄目という事です。その後、紀州徳川家は断絶・改易されることなく幕末まで続き、将軍も二名出したので祈願寺の効果は十二分にあったとすべきでしょう。

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JR紀伊長田駅下車して直ぐにある参道入口

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寺院入口に到着

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現代風な造りの大門(仁王門)

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大門の扁額越しに境内を望む

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境内に続く石段から大門を見返る

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大門を過ぎた右手にある宇多法皇の御詠歌

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境内遠景

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正面より見た本堂

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本堂越しに寺務所を見る

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本堂前面の龍の彫刻

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下り龍

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本堂脇の薬師堂

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鐘楼堂

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参拝後は寺務所で御朱印拝受

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長田観音縁起

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長田観音御朱印

[参考書]
和歌山県の歴史散歩


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巣鴨とげぬき地蔵(東京都豊島区) お婆ちゃんの原宿の御朱印

2019.07.14(19:53) 345

巣鴨のお地蔵様変遷(2015.7.18)

お江戸の三ヵ寺目はおばあちゃんの原宿、巣鴨へ。

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お婆ちゃんの原宿、巣鴨地蔵通商店街

 巣鴨のお地蔵様と言えば「とげぬき地蔵」ですが、元々は中山道を行く左手にある眞性寺(しんしょうじ)の「銅造地蔵菩薩坐像」で、正徳4年(1714年)に江戸市中の賛同を得て建立した江戸六地蔵の一つ。高さ2.7mで大きな笠の下から旅人を300年間見守り続けています。

 一方の「とげぬき地蔵」は萬頂山高岩寺(ばんちょうざんこうがんじ)と言い慶長元年(1596年)の創建。本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)様。当初は神田明神下、その後下谷屏風坂(上野付近)にうつり、明治24年(1891年)に巣鴨に移転と三度引っ越しをされています。縁起に拠れば、
『江戸時代に妻の病の平癒のために夫が地蔵の御影を紙に書いて川に流し全快したので、寺では御影を配布することになりました。その二年後、毛利家の女中が誤って針を飲み込んだ時に地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、御影に針が刺さって吐き出し助かったとか。』
 これが「とげぬき地蔵」の名前の由来で、上野時代も高岩寺門前町として庶民の参拝が絶えませんでした。巣鴨に移ってからもその人気は衰えず、同じ地蔵様という事で本家に取って代わったというのが【眞性】でしょう。本家の方も別段異議申立てをしなかった訳ですから庶民の信仰は鷹揚なものです。

 高齢者の参拝が多いのは、誤飲防止の効果でしょうか?【抗がん】時も効果があれば良いですが…。
とげぬき地蔵の門前の店で遅めの昼食となりましたが、店は元気なおばあちゃん達で一杯。これだけ元気ならお参りに来る必要はないように思うのですが…。
 とげぬき地蔵のご利益に「ボケ防止」とありましたのでしっかりと御願いして帰路に着きました。

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萬頂山 高岩寺(曹洞宗)
通称とげぬき地蔵。巣鴨の名はこの辺りに鴨が多かったからだとか。最近ゆるきゃらの「すがもん」ができた。

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とげぬき地蔵さん縁起

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どげぬき地蔵御朱印

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「巣鴨 歴史めぐり」
案内所で頂いた無料冊子(24頁)だが、巣鴨の歴史を簡潔に記述している。

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門前の 「八つ目や にしむら」にて
日によってはヤツメウナギの入荷があるらしいが、どんな味かは「無顎」なため分からず。

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巣鴨駅前郵便局 ; 桜の外枠に染井吉野発祥の地の碑、桜並木、眞性寺地蔵尊

[参考書]
東京都の歴史散歩 <上> 下町


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上野寛永寺(東京都台東区) 東の比叡山と呼ばれた寺の御朱印

2019.07.14(09:35) 344

庶民のお寺から将軍様のお寺へ(2015.7.18)

続いて西へ向かいJR上野駅から歩いて寛永寺へ。

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東叡山 寛永寺 円頓院(天台宗 関東総本山)

 寛永寺は将軍家所縁の寺。創建は寛永2年(1625年)、徳川家光によって天海を開基として創建されました。江戸にある徳川の菩提寺のうち、増上寺は中世から存在しましたが、寛永寺は新たに創建されたもの。増上寺は浄土宗なので、全ての宗派の元と言う位置付けで天台宗の寺院も必要があったのでしょうか。江戸城の鬼門を守るという事で北東の地に建立。京都の比叡山に対するので東叡山、創建元号を寺号とするのも延暦寺と同じです。
 17世紀半ばからは日光・比叡山も管轄下に置き、歴代住職も皇族が続くなど天台宗本山として強大な権力を持ちました。貫主は輪王寺宮と呼ばれ高い格式と権力を持ちますが、これは宗教の名前を借りて、皇族を幕府側に惹き付けておく戦略だったとすれば納得できます。宗教と政治は切っても切れないものです。
 こうして午前中で江戸の天台宗の二ヵ寺を巡りましたが、浅草寺が庶民の寺なのに対し、寛永寺は将軍様のお寺。当然権威は後者が高い筈ですが、賑わいは断然前者。歴史の重みと言ってしまえばそれまでですが、将軍のお膝元とはいえ江戸庶民の力が【たいとう】していたという事でしょう。

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不忍池
蓮が早朝に咲く時、音がするとかしないとか?

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寛永寺
東叡山と言うだけあって本堂は根本中堂と呼ばれる。

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寛永寺御朱印

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上野郵便局 ; 国立博物館、上野動物園のパンダ、西郷隆盛像、旧寛永寺五重塔、桜
台東桜木郵便局 ; 旧寛永寺五重塔、桜

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東京都の歴史散歩 <上> 下町


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浅草観音(東京都台東区) 都内唯一の坂東三十三ヵ所の御朱印

2019.07.13(20:06) 343

都内最古のお寺へ参拝(2015.7.18)

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金龍山 浅草寺(聖観音宗 総本山 天台宗系単立寺院 坂東三十三ヵ所第十三番)

 東京に出る用事があったので、有名処の三ヵ寺を巡礼。金龍山浅草寺(きんりゅうさんせんそうじ)は浅草というよりも東京を代表する古刹で観光地。創建は飛鳥時代に遡る江戸最古の古刹。寺伝では、
『推古天皇36年(628年)に、隅田川で漁をしていた檜前(ひのくま)浜成・竹成兄弟の網に仏像が掛かり、それを見た主君の土師中知が出家して仏像を祀った。大化元年以降秘仏である。』
とされます。
 仏教伝来から百年足らずの時代に、果たして川から仏像が出現するのか、仏像と分かるほど損傷していなかったのか、と疑問は尽きません。一説では埼玉の飯能にあった寺から洪水で流されたとも言われます。大きな逗子に入って居られる観音像は一寸八分(5.5㎝)、絶対秘仏なので詳細は不明ですが、偶々網に掛かった木片が観音様に似ていたとするのが信憑性がありそうです。

 謂われはどうあれ、信仰はそれに続く人々に拠るもの、以後、中世・近世と為政者、庶民からも信仰を受け現在に続いています。関東大震災では生き残りましたが東京大空襲で焼失。戦後は一時期衰退しますが、地元の熱意で復興。信仰の底力を見た気がします。
 いつでも多くの人で賑わっていますが普段は人混みの浅草寺も朝7時台は仲見世共々閑散としており、本堂でゆっくり拝観できました。

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雷門から宝蔵門まで250m続く表参道にある仲見世通り
常に大勢の人でごったがえしているが、早朝7時なのでぼちぼち数軒の店が開き始めたところ。

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入母屋造の宝蔵門
昭和39年に実業家・大谷米太郎(ホテルニューオータニ創業者)の寄進に拠った。

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浅草寺本堂
普段の御朱印は横の影向堂だが、朝9時までは本堂で貰える。

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五重塔
天慶5年(942年)の創建時は三重塔、その後慶安元年(1648年)に五重塔になり、昭和48年再建。

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浅草寺御朱印

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向嶽寺(山梨県甲州市) 禅宗道場の御朱印

2019.07.12(21:47) 342

しほう山に囲まれた禅宗道場(2016.7.16)

<コース> ☆ 階段を渡ったホーム
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→☆6:33) → JR大月(7:19) → JR勝沼ぶどう郷(7:45) → 徒歩30分 → 大善寺 → 大善寺バス停(9:40) → 市民バス甲州市縦断線 → 景徳院入口(10:01) → 景徳院 → 徒歩25分 → JR甲斐大和(12:29) → JR塩山(12:40) → レンタサイクル → 清白寺 → 向獄寺

【復路】JR塩山(15:34) → JR笹子(15:57→16:21) → JR高尾(17:08→17:30) → JR八王子(17:36→17:39) → JR東神奈川(18:34)

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塩山 向嶽寺(臨済宗向嶽寺派)
木立の向こうに見えるのが中門

 塩山向嶽寺(えんざんこうがくじ)は南北朝時代の永和4年(1378年)に抜隊得勝(ばっすいとくしょう)が高森に建てた草庵が嚆矢。康暦2年(1380年)には守護武田氏から塩ノ山に土地を寄進され向嶽元中禅寺となりました。海のない山梨で塩山とはこれ如何にですが、「塩の山」は「四方の山」が訛ってできたものだそう。これなら納得できます。

 その後、信玄の要請に拠って現在の名になりました。以来、武田・徳川と庇護を受け、塔頭40余、末寺も700余を数える隆盛を誇りました。しかし度重なる火災で堂宇は焼失、法華堂、大庫裏、大悲閣、勅使門と中門付築地塀を残すのみで、しかも非公開。
 国宝・絹本着色達磨図や重文・大師像、国師像も所有していますが見る事ができるのは重文・中門だけ。残念ではありますが素人が強いて実物を見る必要も無い訳で、後世に無事伝えるのであれば非公開もまた良しとすべきでしょう。禅宗らしい静寂の中に凛とした力強さを感じることができたのはそのためかもしれません。文書も多数所有しているそうですが【向がく】のためでしょうか?

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山門

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向嶽寺中門付築地塀
中門は切妻・檜皮葺の室町中期の四脚門で重文。寺内における唯一の中世建築物である。

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名勝・向嶽寺庭園
かつて40もの塔頭があったという広大な敷地にあるが、現在、マツクイムシの駆除作業中。

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仏殿

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向嶽寺御朱印
既に書いたものを拝受。

 その後は塩山駅に戻って重文・旧高野家住宅を見学。享保時代建築の民家で幕府より薬草の甘草の栽培を命じられていたので甘草屋敷と呼ばれます。境内には甘草が栽培されており、てっきりユリ科の花の咲くノカンゾウの仲間と思っていましたが、マメ科の全く別の種類と知りました。今でも需要があるそうで、製薬会社と共同で栽培を行っているそうです。
 見学すると桃が出ましたが、食べると結構硬い。訊くと、この辺りでは硬い桃を食べ、柔らかい桃は捨ててしまうのだとか。高価なものを勿体ない話ですが、ところ変われば品変わるを実感しました。
 こうして予定通り4ヵ寺巡礼も無事終了し、帰りには笹子餅もゲット。早朝から繰り出した【甲斐】がありました。

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JR塩山駅北にある重文・旧高野家(甘草屋敷)

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屋敷入口

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建物の切妻部分

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甘草栽培の説明

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甘草近影
ユリ科のエゾカンゾウと違い、マメ科の植物。

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塩山駅前にある信玄の像
有名な肖像画を元にしているが、最近その肖像画は別人との説が有力。

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名物「笹子餅」
かつての駅弁?も今は、笹子駅近くの「みどりや」本店で購入。¥860/10個。これは本日の最後の1箱だった。

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笹子郵便局 ; 矢立の杉、市花・ヤマユリ
塩山駅前郵便局 ; 重文・高野家住宅甘草屋敷、楯無鎧、甘草、塩ノ山

[参考書]
山梨県の歴史散歩


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清白寺(山梨県山梨市) 国宝の仏殿のある御朱印

2019.07.11(20:04) 341

ブドウと桃に囲まれた国宝の仏殿(2016.7.16)

<コース> ☆ 階段を渡ったホーム
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→☆6:33) → JR大月(7:19) → JR勝沼ぶどう郷(7:45) → 徒歩30分 → 大善寺 → 大善寺バス停(9:40) → 市民バス甲州市縦断線 → 景徳院入口(10:01) → 景徳院 → 徒歩25分 → JR甲斐大和(12:29) → JR塩山(12:40) → レンタサイクル → 清白寺

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海涌山 清白禅寺(臨済宗妙心寺派)

 武田氏終焉の地の後は中央線を甲府に向かい塩山で下車。甲斐の寺社は駅から遠い所が多く、1ヵ所訪問するだけでも疲れるので、ここでレンタサイクルを借りて巡礼。
 勝沼はブドウ畑の間を通っての参拝でしたが、ここ山梨市はブドウに加え桃畑の間を縫っての参拝。丁度、収穫時期なので芳香の中を彷徨。農家の方が居たら安く分けて貰えないかと期待しましたが、結局会えず仕舞い。

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清白寺入口
ブドウ畑(左)と桃畑(右)の間の参道を行く

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山道左のブドウ畑 
巨峰か?

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山道右の桃畑
桃も今がシーズン。

 そんな畑の中にあるのが海涌山清白寺(かいゆうざんせいはくじ)。正慶2年(1333年)足利尊氏が国家安泰戦勝祈願所として創設。開山は夢窓礎石で、二世には礎石の法嗣の清渓通徹が就いています。甲斐の国には夢窓礎石により創設された寺院が多く、夢窓派が主流でしたが、江戸時代には妙心寺派に鞍替えしています。
 伽藍は、天和2年(1682年)の火災で仏殿以外を焼失しましたが、唯一残った仏殿は国宝。応永22年(1415年)の再建で方三間裳階付入母屋造、檜皮葺と唐様の特徴を備えています。また総門~放生池~三門~仏殿~本堂と一直線になっているのも禅宗形式。鎌倉円覚寺や東村山正福寺地蔵堂に似た雰囲気がありますが、同じ宗派だからでしょうね。

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国宝・清白寺仏殿

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重文・庫裏
元禄年間に再建された江戸時代中期の禅宗様式。

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境内遠景
庫裏の左側が本堂。

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清白寺説明書

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清白寺御朱印

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昼食は畑の道沿いにて蕎麦を頂く。

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山梨郵便局 ; モモの外枠にモモ、ブドウ、笛吹川フルーツ公園
山梨三ケ所郵便局 ; 特産・モモの外枠に国宝・清白寺仏殿、ブドウ

[参考書]
山梨県の歴史散歩


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景徳院(山梨県甲州市) 武田家終焉の地の御朱印

2019.07.10(20:43) 340

哀調武田武士(2016.7.16)

<コース> ☆ 階段を渡ったホーム
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→☆6:33) → JR大月(7:19) → JR勝沼ぶどう郷(7:45) → 徒歩30分 → 大善寺 → 大善寺バス停(9:40) → 市民バス甲州市縦断線 → 景徳院入口(10:01) → 景徳院 → 徒歩25分 → JR甲斐大和

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天童山 景徳院(曹洞宗)
バス停正面にある総門

 甲斐の国は平安末より400年間武田氏が統治。寺社もその庇護下にあった所が多く、立派な伽藍と広大な敷地を持っています。戦時ともなれば軍が駐留するので当然の事。

 武田の末期、信玄は天下に号令をかける直前で死去。子の勝頼が後を継ぎますが、最後は家臣にソッポを向かれ滅びます。
大善寺にある「理慶尼記」に拠れば、
『木曽義昌が織田方に就いたため、織田の勢力が武田領内に侵攻してきた。勝頼殿は家臣の小山田の勧めで韮崎の御館から都留の岩殿山に移ることになったが、小山田が変心したため都留には入れなくなった。』
とあります。

 日川渓谷沿いの地で武田勝頼は織田・徳川の連合軍と激突。武田方の秋山・小宮山・阿部の諸将は織田方の滝川一益と戦いますが衆寡敵せず激戦の末敗北、この鳥居畑の戦いが事実上の武田家滅亡となりました。勝頼親子は甲州街道を東へ天目山を目指しますが、力及ばす途中の田野集落で一族自刃。天正10年(1582年)3月の事、本能寺の変の3か月前の事でした。都から離れた甲州の地にも拘らず織田信長が執拗に武田氏を滅ぼそうとしたのは気になりますが、勝頼に信玄の影を見たのでしょうか。そうなると『死せる孔明生ける仲達を走らす』にはなりますが…。

 武田氏の後の甲斐には徳川家康が入国しますが、家康は天正10年に勝頼一族終焉の地に堂宇を建立し勝頼と家臣の冥福を祈らせました。これが天童山景徳院(てんどうさんけいとくいん)で、開山として鳥居畑の戦いの小宮山内膳正友信の弟を招いています。武田氏400年の治世を考えての事でしょう。完成までに29年掛けたとありますが、落ち着いた中にも哀愁が漂うのは武田氏の悲劇的な最後のためでしょうか?

 別段【ほうとう】者でもなく、家族が最期まで従うような常識人だったと思いますが、偉大な父の名声に押し潰された感じでしょうか。父親を越えるには戦に【勝より】他はなかったでしょうから気の毒ではありました。武田の滅亡については色々な説がありますが、未だ中世的領主制から脱却できなかったのが一番の理由であったように思います。甲斐がそれなりに統一されたのは信玄の時代。彼のカリスマ性で保っていた感もあるので、彼の死と共に瓦解するのは必然だったように思われます。
 信玄は「わしが死して後は謙信と和睦せよ。そして必ず当家のほうから頭を下げよ」と【進言】したと巷間では言われています。

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唯一創建当時から残る山門

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幕の四つ菱が哀愁を誘う本堂

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武田氏所縁の遺品を保存する甲将殿

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境内にある武田勝頼公、北条夫人、信勝公の辞世

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景徳院 案内書

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景徳院御朱印

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JR甲斐大和駅(旧初鹿野)駅前にある勝頼像

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大和郵便局 ; 日川渓谷の竜門峡、景徳院山門、特産・新鞍馬石の灯篭

[参考書]
山梨県の歴史散歩


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信玄が勝頼に残した遺言はここが出典

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ぶどう寺(山梨県甲州市) 国宝・ぶどう薬師の御朱印

2019.07.09(20:15) 339

甲州市にある好酒のお寺(2016.7.16)

<コース> ☆ 階段を渡ったホーム
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→☆6:33) → JR大月(7:19) → JR勝沼ぶどう郷(7:45) → 徒歩30分 → 大善寺

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柏尾山 大善寺(真言宗智山派)

 海の日の三連休、何故か山はあっても山梨県へと繰り出しました。
 中央線も大月を過ぎると笹子トンネルを経て甲府盆地へ向かいますが、勝沼あたりに差しかかると車窓からもブドウ畑が眼下に見えてきます。その勝沼ぶどう郷駅で下車し、ブドウ畑の中を歩くこと30分、中央自動車道が見えてきたら左手にあるのが大善寺。

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中央線の車窓より

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JR勝沼ぶどう郷駅
ここから大善寺へ向かう

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ブドウ畑の案内に従って歩く

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たわわに実った甲州ブドウ

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大善寺へは下り坂が続く

 柏尾山大善寺(かしおさんだいぜんじ)は、寺伝に拠れば
『養老2年(718年)、行基が日川渓谷岩上で薬師如来を夢に見て、薬師如来と日光・月光菩薩を刻んで安置したのが始まり。聖武天皇の御代には鎮護国家の勅額と寺山号を賜り五十二堂三千坊を教える隆盛を見た』
とあります。

 白髪【三千坊】の誇張はあるでしょうが、有力な寺院であったのは確か。薬師堂は天禄2年(971年)に三枝守国が建立し、鎌倉時代の弘安9年(1286年)に再建。関東最古の木像建造物として国宝になっています。また甲斐の守護武田氏とも所縁が深く信玄の従妹と言われる理慶尼が出家後に居住し、武田家の最期を記した「理慶尼記」が伝わります。

 現れた薬師如来がブドウを持っていた事から、仏像もブドウを持ち、行基が甲州の人々にブドウの栽培を教えたという伝説が生まれたと言います。そのため別名ぶどう寺。ブドウの産地として出来すぎた話の気もしますが、ブドウ自体は古代には伝わっていた事、栽培には日当たりのよい斜面という条件が良い事などを考えると何某かの関りはあったと言うべきでしょう。
 今でもその影響か、境内にはブドウ畑があり寺院で作ったワインを販売しています。御茶の接待もここはブドウジュースとまさにブドウ尽くし。キリスト教ではイエスの血という事でワインは必須ですが、仏教で酒は珍しい気がします。尤も日本酒を般若湯と呼ぶくらいですからあっても不思議ではないのでしょうか?ワインなら魔女湯とでも呼ぶのでしょうかね。

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寛政10年(1798年)に再建された重厚な山門
三間一間の二重門で、再建は武田家家臣であった土屋氏の子孫土浦7代藩主土屋英直に拠る。

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山門から本堂へ続く参道
両脇には紫陽花が。

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山門横のブドウ畑
寺で栽培してワインまで醸造して販売。

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下から見上げたブドウ棚

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参道の上に建つ楽屋堂
ここから先は有料 ¥500

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楽屋堂(左)と稚児堂

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楽屋堂から下界の高速道路を望む

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弘安9年(1286年)築の国宝・大善寺本堂(薬師堂)
行基開山と伝わる。日本で最初に葡萄栽培を手掛けたとされ、本尊薬師如来は右手に葡萄を持っておられる。

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国宝・本堂
流麗な線を持つ檜皮葺の屋根は鎌倉時代の力強さを表す。

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本堂脇にある行者堂

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大善寺裏の庭園へ

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大善寺庭園
江戸初期の三枝守全に拠る作庭。右手が亀出島、左手鶴石組。

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この庭園は立石手法が採用されている

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通常は抹茶接待だが、大善寺はそれに加えワイン(白・赤)、葡萄ジュース接待もある。 拝観料+¥300

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大善寺の物品販売コーナー
土産に赤ワインを購入。

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大善寺説明書

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大善寺御朱印

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勝沼郵便局 ; 国宝・大善寺本堂柏尾薬師堂、ブドウ、富士山

[参考書]
山梨県の歴史散歩


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手児奈霊神堂(千葉県市川市) 萬葉人所縁の御朱印

2019.07.08(20:14) 338

手児奈麗人堂(2017.7.17)

<コース> 総武線快速は日中12分間隔で運転
JR横浜(13:42) → (総武線快速) → JR市川(14:34) → 徒歩25分 → 手児奈霊神堂

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手児奈堂入口
かつては神仏習合だったので、手児奈霊堂と名前がある。

 夕方からの同窓の集まりに先立ち、少し東に足を伸ばし下総国府の市川へ。
ここは萬葉集にも詠われた景勝の地。江戸川河口は今よりも北に位置し、一帯は真間の浦廻(うらみ)という港がある交通の要衝でもあったといいます。

 そんな真間にあるのが手児奈(てこな)伝説。今から約1300年前に真間の井に水を汲みに行く手児奈と言う絶世の女がいましたが、複数の男性から求婚を受けた彼女は人が争うのを厭って自ら真間の入江に身を投げたと伝わります。
 その後、山部赤人・高橋虫麻呂が歌ったことで都でも有名になりました。高校の萬葉集で習ったのは高橋虫麻呂の長歌と反歌。いつの時代でもこのような例は【真間】あったとは思いますが自死するのはちょっと極端な気も。逃げた事実をその【真間】書いたら変【てこな】ことになるので、脚色したのが真相ではないでしょうか?
 後世の人は手児奈を哀れに思い、天平9年(737年)にこの地に立ち寄った行基は手児奈のために一宇を建て求法寺(ぐほうじ)と名付け、その霊を弔ったと伝わります。100年後の弘仁13年(822年)には空海が訪れて七堂伽藍を再建し弘法寺と改称。

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かつての真間の入江にかかる橋

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真間の浦廻の説明板

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手児奈堂に続く継橋
当時、海岸線はいまよりも北にあり市川台地と砂州を繋ぐために渡された。

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継橋近影

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手児奈が水を汲んだと言う井戸

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手児奈霊堂

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手児奈霊堂境内の歌碑
摩滅して分かりにくいが虫麻呂の反歌のよう。

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説明版
高校では高橋虫麻呂の長歌・反歌を習ったが、赤人の歌も有名らしい。

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境内にある「さだまさしさん」が奉納した縁結びの木

 その後、鎌倉時代には関東天台宗の学匠であった了性法印信尊が住持を務めていましたが、日蓮宗との間に真間問答という論争が起こり、法論に勝利した伊豫阿闍梨日頂聖人によって法華経の道場となりました。争いに勝って手に入れるとはまるで道場破りのようですが、布教のためとはいえ、この寺が重要視された証左でしょう。

 その後も、中世には豪族の千葉氏、江戸時代には徳川家康より朱印状を貰うなど発展していきますが明治の大火で全山焼失。現在のものは以降の再建となっています。
 江戸に近い事で政権も疎かにできなかったと言うのが本音でしょうか?唯、手児奈が地元に寄与しているのは事実のようで、店の名や通りに名を残しています。【てこな】寿司と言うのは未だないようですが…。

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真間山 弘法寺 (日蓮宗本山)
手児奈堂は無住のためここが管理。

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弘法寺への石段の途中にある涙石
作事奉行であった鈴木長頼が日光東照宮の石材を弘法寺の石段に使用した責めを負って切腹した事に拠る。

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仁王門

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仁王門から望む
地元市川高校の生徒が練習中。

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弘法寺祖師堂
屋根は行基葺という手法に拠る。

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客殿前から祖師堂を見る

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太刀大黒尊天堂
日蓮上人が彫刻したという大黒天を祀る真間山の鎮守。

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境内にある樹齢400年の伏姫桜
八犬伝の伏姫と関係が?

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真間山 弘法寺 説明書

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弘法寺御朱印

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市川真間郵便局 ; 梨の外枠に、真間山弘法寺手児奈堂、萬葉集・手児奈の歌

[参考書]
千葉県の歴史散歩




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ブックレヴュー 皇帝フリードリッヒ二世の生涯 塩野七生著

2019.07.07(14:45) 337

“西洋中世の分水嶺”

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 ルネサンスでデビュー、その後古代ローマ人の興亡、中世十字軍と作品を上梓してきた著者による久々の評伝である。フリードリッヒ二世といえば、啓蒙君主としての十八世紀のプロイセン王が有名だが、ここでは十三世紀の神聖ローマ皇帝及びシチリア王で別人である。

 フリードリッヒ二世についてはブルクハルトの「玉座の上の最初の近代人」評が有名である。封建領主時代に強力な王権国家を目指したこと、貨幣経済を推進したこと(この辺りは我が国の織田信長にも似ている)、君主の学問的素養が低かった中世において高い知性を有したこと等が挙げられるが、最も近代的と言えるのは自分以外に対等の他者を認めた点であろう。

 当時のヨーロッパはキリスト教主流の世界であり他は征服して改宗させる対象であった。これはイベリア半島のレコンキスタから南北アメリカ征服を経て、二十一世紀の現在でもその継承国家による世界警察的監視へ連綿と続いている。東アジアを一瞥しても広大な国家を中心とし朝貢国が周囲に存在するという思想の世界である。いずれも自分以外の他者を認めない点では共通しており、この亡霊が現在でも各地で対立紛争を惹き起こしている遠因と言える。この時代に曲がりなりにも他者の概念があったのはイスラム世界くらいであろうか。

 キリスト教以外の古代ギリシア・ローマ時代に価値を見出した運動がルネサンスと呼ばれるのならばフリードリッヒは正にルネサンス人、著者が「惚れた」のも頷ける。著者の言によれば45年前にその構想があったが、時期が来なかったから今まで書かなかったと前書きにある。作品を読みながらその理由を考えてみた。ルネサンスは才人を輩出したがこれは時代の流れと言えなくもない。しかし、その250年も前に近代人フリードリッヒが一人だけ突出して出たのは何故か。45年の歳月は著者にとってその答えを求める期間であったと思う。

 それではフリードリッヒが何故この中世にこのような考え方を持つことが出来たのか。著者によれば彼が多宗教、多民族の坩堝であるシチリアで育った影響も勿論あるが、それにも増して幼年期に彼が受けた教育が大きいといえるのではないか。
 君主ともなればキリスト教高位聖職者が教育に当たるのが常であるが、彼の場合は周囲の事情で放任されていた。いわば「ゆとり」教育であるがこのような場合、人間は大雑把に言うと怠惰に流されるか自身を磨くかに分かれる。彼の場合は後者であった。

 親兄妹もない境遇では独学しかないが、彼は生来旺盛な好奇心に恵まれていたようである。キリスト教、イスラム教の書物に加え自然科学に興味を示しているのが異彩を放つ。ピサのレオナルド(数列のフィボナッチ)を見出したことや当時の学問を網羅するための国立大学を設立したこと、鷹狩りに関する著書の行間から見えるのは統治者ではなく理系人間の顔である。自然科学では観察することから始まる。物事を客観的に見るバランス感覚は自然科学を通して養われたのだと想像できる。

 市井の人として生まれていても彼は名を成したと思うが神聖ローマ帝国皇帝という立場でもその才能は発揮される。その頂点は第五次十字軍であるが、戦闘ではなく外交交渉によって無血で聖地回復するのであるから痛快である。十字軍の主旨からいえば成功裡に終わったと言えるが、ヨーロッパでの評判は必ずしも芳しくなかった。教皇庁とも再三に亘り揉めている。第六、七次十字軍を率いたフランス王ルイ九世が失敗であったにも拘わらず聖人にされたのと対照的である。

 事実ヨーロッパの他国の人々からも「皇帝は異端である」と思われていたらしい。イスラムの太守とは通訳なしのアラビア語で対話し、互いに尊敬の念で結ばれたフリードリッヒであるが、同時代のヨーロッパに理解者を見出すことはできなかった。尤も彼が抜擢した人間は少数の例外を除いて彼に最後まで従っていることから、決して狭量ではなく人間的にも魅力があったに違いないと思うが時代は彼には冷淡であり早く生またことによる悲劇があった。

 彼の死と共に神聖ローマ帝国は大空位時代(1256~1273)に入りスイスの小領主であったルドルフが本命のボヘミア王を抑えて皇帝に選出される。蒼鷹の城主(ハプスブルグ)と呼ばれた彼の登場でヨーロッパは新たな歩みを始める。一方のシチリアでは、フランスのアンジュー家の侵攻でフリードリッヒの家系は断絶する。その後“シシリアの晩鐘”と呼ばれる暴動を経て支配者はイベリア半島のアラゴン家へと代わり植民地化していく。暴動に際し島内の民衆が結束しマフィアを生むという伝説までついた。

 このように彼の統治下にあった場所では彼の思想は生きなかった。フリードリッヒの思想は彼独自のものであり現代以上に個人の資質に国家が左右される中世では彼の死と共に終わる運命であった。皮肉にも彼が支配を目指し最後まで果たせなかった北イタリア諸都市からルネサンスが開花することになる。同類ほど反発するということであろうか。泉下のフリードリッヒがこれを知ったらどのように思うか興味深いところである。

 かつて歴史家堀米庸三はその著「西洋中世世界の崩壊」において“シシリアの晩鐘”を中世後期の分水嶺と捉えた。著者による今回の作品はそれに代わる新たな時代区分の提唱といえる。加えてこの作品により塩野七生によるヨーロッパ史の大循環が達成されたことにもなる。

【参考書】

西洋中世世界の崩壊 (岩波全書セレクション)

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戦後の中世ヨーロッパ史をリードした堀米庸三の名著。


シチリアについての歴史書は少ないが代表的な啓蒙書は次の三点

中世シチリア王国 (講談社現代新書)

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この2点はいずれもノルマン王国を中心に著述したもの

地中海の十字路=シチリアの歴史 (講談社選書メチエ)

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最近発売された古代から現代までのシチリア通史。他民族が共存したと一般に言われるシチリアであるが、異民族・異教間での確執があったことも詳細に記載。

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禅定寺(京都府綴喜郡宇治田原町) 重文・藤原時代の十一面観音様の御朱印

2019.07.06(17:35) 336

日本茶の里で観音様に対面 (2019.7.5)

<コース> 京都京阪バスは日中60分間隔で運転
【往路】京阪電鉄淀屋橋(7:40) → 京阪宇治(8:41→8:54) → (京都京阪バス30分) → 維中前(9:24) → 徒歩30分 → 禅定寺

【復路】維中前(13:04) → (京都京阪バス30分) → 京阪宇治(13:34→14:39) → 京阪電鉄淀屋橋(15:33)

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白華補陀落山 観音妙智院 禅定寺(曹洞宗)

 夏も近づく八十八夜もとっくに過ぎ去った7月上旬、宇治の更に奥にある宇治田原町に巡礼。ここは15年の苦心の末、元文3年(1738年)に緑の煎茶の製法を発明した永谷宗円の誕生の地。日本橋の豪商山本嘉兵衛が売り4年後売茶翁(ばいさおう)が風流道からそれを広め80年程かけて全国に広まりました。地元では茶祖として崇拝されており宗円なくしては今の日本茶はなかったでしょう。尚、宗円の子孫の永谷嘉男が大正時代に創業したのがお茶漬け海苔の「永谷園」です。

 今は宇治駅からも京田辺駅からもバスが1時間に1本という地域ですが、その昔は山城から近江の信楽・瀬田に抜ける道で、平安京以前には宇治田原越え禅定寺越えと東海道に通じる古道でした。

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バス通りから見た茶畑
山裾に茶畑が広がるのはと変わらぬ風景だが、山上にニュータウンが広がっているのは現代風。

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お寺へ向かう山道

 洛南の宇治は平安時代の中期からは都の貴族、特に藤原一族の別荘として注目されるようになります。頼通が作った平等院はその典型ですが、禅定寺地区はその先駆けになります。田原川の支流禅定寺川に沿って北に行った山麓は山岳宗教の行場として桑在寺(くありじ)がありましたが、それを前身として正暦2年(991年)東大寺53代別当平崇(へいそ)上人が頼通の祖父兼家の帰依を受けて建立したのが禅定寺本堂。造営に要したのは5年、本尊として十一面観音を安置しました。
 その後、長保3年(1001年)には田畑1千町歩を施入。道長始め摂関家の保護を受け平安末には平等院の末寺になりますが武家の時代になり衰退。楽あれば【くあり】。しかし寺領が広大であったため住民との関係が深まり、寄人が中心となって寺に維持に務めました。

 戦国期に兵火で焼失しますが、江戸時代に延宝8年1680年に加賀大乗寺の月舟宗胡(げっしゅうそうこ)禅師が【えんぽう】から入寺、加賀藩家老本多政長の援助で再興し曹洞宗になりました。
 兵火に遭遇しながら本尊は災難を潜り抜け、藤原時代の姿を保っています。その他、四天王像など重文が計9点。都から距離があったとはいえ、これだけのものを守り通した努力は大したものです。

 お寺は道路から石段を上がった場所、仁王門をくぐると紫陽花、紅葉、竜胆等が植えられた禅宗風の庭があり、今の御住職が熱心に作庭されたとか。また本堂の裏手の墓地の壁には大涅槃図が描かれており、中央の釈迦涅槃図は画家に拠るものですが、周囲の絵は地元の有志の作。中世時期に村で寺院を守った伝統が今に至るまで生きているようでした。

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禅定寺入口
ここまでは町内コミュニティバスが運行されている。

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石段の先にある山門

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顎紫陽花の向こうに見える仁王門

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仁王門近影
江戸期の建築。

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仁王門から山門を振り返る
右にあるのが重文の仏像等を納める宝物殿。

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仁王門の扁額

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仁王阿像と大草鞋

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仁王門を過ぎた場所に立つ五輪塔

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五輪塔付近から見た仁王門

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禅定寺境内

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茅葺の傾斜が美しい江戸期建築の本堂

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本堂近影
茅葺と思っていたが御住職の話では琵琶湖のヨシだそう。

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本堂の屋根

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本堂の扁額
藤原氏所縁の寺院だが、菊の御紋が。

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本堂裏の禅宗様内庭

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平成の大涅槃図
本堂裏の墓地の塀に描かれている。

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本尊の重文・十一面観音
高さ286㎝の観音様。撮影禁止なので「南山城の古寺」より抜粋。

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本堂前庭

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庫裏より見た境内

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紫陽花
青・紫色系列の花を中心に植えているとの事。

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池越しに見る本堂

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十八善神堂

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禅定寺略縁起

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禅定寺御朱印

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宇治田原町マンホール蓋

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カラーマンホール蓋は上下水道庁舎に展示

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宇治田原町マンホールカード   配布場所は宇治田原町 上下水道庁舎

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宇治橋の袂の「通圓」にて抹茶パフェ ¥850
向こうに見えるのが宇治川。

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宇治田原郵便局 ; 茶祖・永谷宗円の生家と碑、茶摘み、茶壺
郷之口郵便局 ; 茶祖・永谷宗円翁の碑、茶摘み、茶、茶壺

[参考書]
京都府の歴史散歩 <下>


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大須観音(名古屋市中区) 下町情緒のある観音様の御朱印

2019.07.05(20:21) 335

尾張名古屋は〇〇で持つ (2015.7.13)

<コース>
JR名古屋 → (地下鉄鶴舞線) → 大須観音

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大須観音へと続く商店街
布は繊維の中京工業地帯を象徴?

 午後からの研修参加のため名古屋入り。午前中の合間を縫って大須観音へお参り。
大須観音こと北野山真福寺宝生院(きたのさんしんふくじほうしょういん)は、元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が長岡庄大須郷(今の岐阜県羽島市)に創建した北野天満宮の別当寺として僧能信が開創。その後、後村上天皇の勅願寺となり戦国の世にも栄えますが、慶長17年(1612年)に度重なる木曽川の氾濫と徳川家康の名古屋経営のためにこの地に移されました。

 永らく中部地方の真言宗寺院の中心であったので古文書も多く、国宝・古事記写本や重文の古書1万5千冊は真福寺文庫に保管されています。と言うと堅苦しい寺院を想像しますが至って庶民的。以後ここを中心に芝居興行や露天商が集まり町が発展していく事になります。
 羽島からの移転は大正解だった訳で、家康は武将としてだけでなく、城下町造りでも才能を発揮したと言えます。若い頃、苦労して人には何が必要か?という確たるビジョンがあったのでしょう。後の名古屋人の派手な性格はこの時期に萌芽が見られるともいえるでしょうか?余談ですが、尾張四観音と呼ばれるものには大須観音は入っていません。

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北野山 真福寺 宝生院(真言宗智山派 別格本山)
仁王門

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昭和45年に再建の本堂
街のど真ん中にしては規模が大きい。雰囲気は浅草寺に似ている?

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大須観音略縁起

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大須観音御朱印

 参拝後は合同庁舎まで移動。途中、県庁と市役所の横を通りましたが、何とも印象的な建物でした。どちらも名古屋城をデザインしたようで県庁は重要文化財となっています。伝統的と見るか、そんな鯱張らんでもと見るか、おお好かんのう !と採るかは様々でしょうが名古屋人の拠り所なのは間違いありません。

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愛知県庁本庁舎
昭和13年竣工。余談であるがこの年、名古屋城の金の鯱の鱗が盗まれた。

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名古屋市役所本庁舎
昭和8年竣工。一般公募から採用された。

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名古屋市役所本庁舎
中央は時計塔で四方睨みの鯱が載っている。

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名古屋中郵便局 ; 金の鯱、大須観音、テレビ塔

[参考書]
愛知県の歴史散歩 <上> 尾張


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智識寺(長野県千曲市) 花に囲まれた温泉地の古刹

2019.07.04(18:40) 334

坂の上の紫陽花 (2015.07.11)

<コース>
JR松本 → JR姨捨 → 徒歩10分 → 長楽寺 → JR姨捨 → JR稲荷山 → 徒歩50分 → しなの鉄道戸倉駅 → 徒歩30分 → 知識寺

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清源山 智識寺(真言宗智山派)

 篠ノ井線稲荷山駅から、しなの鉄道戸倉駅に向かう途中に稲荷山土蔵群地区はあります。かつては善光寺街道の宿場、のちに商都として発展。明治期の善光寺地震の後、火災に強い土蔵が多く建設されたとか。このあたりの事情は川越と似ています。この付近を鉄道が通るときに駅の誘致に猛反対したので、このような街並みが残ったそうです。

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荒町付近の旧料亭松葉屋

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唯一の公開施設「稲荷山宿 蔵し館」
幕末から明治の生糸輸出業で財を成した松林邸。上田藩の御用商人でもあった。

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蔵し館の内部展示

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山丹(旧呉服商)

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旧醸造蔵

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醸造蔵付近から見た善光寺街道

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たまち蔵道
善光寺街道から一本中に入ったところ。

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梅沢屋(旧第六十三国立銀行稲荷山本店)

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蔵造の店舗の高村薬局

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高村別邸

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極楽寺参道脇の土蔵群

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参道脇土蔵群

 昼食の後は戸倉の智識寺へ。清源山智識寺は天平12年(740年)創建、大同2年(807年)には坂上田村麻呂が冠着山に堂宇を改修したとの寺伝を持つ古刹。本尊の十一面観音立像は行基の作とされる一木造りで重文。
鎌倉時代の建久9年(1209年)には源頼朝により仁王像が寄進、室町時代には領主村上氏の庇護を受けますが、武田氏の信濃攻め以降衰退。慶長14年(1609年)には現在地へ移転し、歴代松代藩主の崇拝を受け大御堂も修復されます。
 有為転変を経ますが堅実に生き残っているわけで、歴代将軍の庇護が大きかったと思います。部門ながら知恵者が多いのは寺号の影響もあるのでしょうか?

 今は6月の紫陽花、10月の女郎花で知られますが、バスの本数が非常に少なく、戸倉駅から30分歩くという文字通り【坂上】の寺でした。紫陽花はほぼ終盤、御朱印を御願いすべく事務所に行くと御住職は法事で不在のため拝受できず。事前に連絡して欲しいとの事でした。由緒もあるお寺ですが観光寺院ではないからでしょう。地方へ行くほどお寺の経営は大変なようで、衰退するのは戦乱の世だけではないと言う事。【智識】を総動員して生き残りを図って欲しいものです。

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昼食を摂った「しなの鉄道」戸倉駅前にある酒造蔵

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昼食は「とろろ蕎麦」

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智識寺仁王門
室町時代の建立で、安置された木造仁王像も室町期の作。

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茅葺が印象的な重文・大御堂
天文10年(1541年)に再建された禅宗様の仏堂で文政年間に修復。本尊の重文・十一面観音は平安後期の作。

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境内の紫陽花。
ピークは少し過ぎていたか?

[参考書]
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長楽寺(長野県千曲市) 姨捨山の田毎の月の御朱印

2019.07.03(20:34) 333

姥捨と言うた(わ)ごと (2015.07.11)

<コース>
JR松本 → JR姨捨 → 徒歩10分 → 長楽寺

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JR姨捨駅ホームから見た善光寺平

 10日に東京、13日に名古屋で会合という予定なので北陸経由にて帰阪。新宿18時のあずさで松本に泊まり、翌日篠ノ井線を北上。日本三大車窓、スイッチバックで有名な姨捨駅で下車。

 姨捨(おばすて)山は正しくは冠着(かむりき)山。日本には老人を捨てたという記録は正式にはなく、墳墓を表す「小長谷・小初瀬・小泊瀬(おはつせ)」という地名が印度から来た棄老説話とごっちゃになったためとか。本当に姨捨の風習があったら、そんな名前はさっさと変えてしまったに違いありません。昔話では、隣国からの無理難題を老人の知恵で解決するというストーリーですが、ボチボチ老人の域に達しながら果たして知恵がついているのかは甚だ疑問です。

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JR姨捨駅
スイッチバックで有名だが特急はこのホームに入らない。

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姨捨駅ホーム
景色を見るべく席が設えてある

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南小谷行ハイブリッド列車

 駅から坂を下り長楽寺へ。姥捨山放光院長楽寺(おばすてさんほうこういんちょうらくじ)は、松尾芭蕉・小林一茶・菅江真澄・伊能忠敬等の文人墨客が訪れた名刹。
 さぞかし由緒正しい寺かと思いましたが、明治の廃仏毀釈で記録が消失したため創建は10世紀頃、古今和歌集に記載があるのでそれと知られます。江戸時代の記録には八幡武水別神社の神宮寺の支院とあります。

 境内には高さ15m、奥行き・幅25mの巨岩、通称姥岩が聳え頂上からの善光寺平、月の眺めは絶景と言われます。寺院としての格式は兎も角、ここからの素晴らしい眺望が多くの旅人を惹き付けたのでしょう。この岩が捨てられた老婆の嘆きで出来たとされる伝説の姨捨山。かつてはその形態から神格化されていたのかもしれません。

 寺院に続いて田畑へ散歩。この辺りは棚田が多く映る月は田毎の月。正しくは長楽寺の持田である四十八枚田に映るものを呼ぶそうです。境内には観月殿・月見堂があるのでそこで月見をしながら吟じたのでしょうが、最近もそのような催しがあるのでしょうかね。棚田は稲も伸びており多くの人が作業していましたが、田植えにしては遅いので訊くと草取りだそう。田毎の月は無理でしたが、日本の原風景に接しました。

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長楽寺付近からみた姨捨駅

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姥捨山 放光院 長楽寺(天台宗) 全景

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月見堂
芭蕉翁面影塚の上方に建つ。文化・文政年間の建築。

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長楽寺観音堂
宝暦・明和年間の再建、左にあるのが姨捨山の元になった姥岩か?

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本堂と庫裏
文化文政年間の建築で、本堂に接して観月殿がある。

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長楽寺御朱印

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姨捨の棚田
丁度草取りの最中。

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長野県の歴史散歩


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大御堂(京都府京田辺市) 天平時代の国宝十一面観音の御朱印

2019.07.02(21:03) 332

田圃の中の国宝探訪(2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺 → 寿宝寺 → 観音寺

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息長山 観音寺(真言宗智山派)
睡蓮池越しに見る本堂。

 本日の三番目は国宝仏を拝観。JR三山木駅から西へ2㎞、細い川を渡ると田畑の向こうに堂宇が見えます。
息長山観音寺(おきながさんかんのんじ)は、天武天皇の勅願により義淵僧正が建立した親山寺(しんざんじ)が前身。釈迦仏と薬師如来を祀り、天平16年(744年)聖武天皇の勅願で義淵門下の良弁が伽藍を増築して十一面観音を安置。良弁僧正の高弟で東大寺二月堂の御お水取りを始めた実忠和尚が第一世に。法相三論華厳等を兼学し息長山普賢教法寺として世の尊崇を集めました。諸堂十三、僧坊二十余を数え、その壮大さから「筒城の大寺」と呼ばれました。

 筒城は仁徳天皇の磐之媛皇后と継体天皇が宮を置いた場所。天平14年といえば聖武天皇が恭仁、信楽と都を移動していた頃なので、大寺の建設も遷都の一貫だったのでしょう。東には木津川が流れ支流に普賢寺川もある交通の要衝という点が重視された気がします。
 当時ここは南都の勢力範囲で、親山寺は北院として重視されました。度々の火災にも延暦13年(794年)には藤原良房、平重衡の南都焼討のあった治承4年(1180年)には近衛基通の力で再建。摂関家の庇護を受けた事が大きく、特に近衛基通はここに隠棲し普賢寺殿の名で葬られています。

 しかし戦国期になって貴族の力が衰えると衰退、永享9年(1437年)の火災で大部分が消失。再建された大御堂と小御堂も永禄8年(1565年)に罹災して大御堂のみが再建されています。明治期には南山城一帯の寺院は衰退し殆ど無住になったとか。いまの浄瑠璃寺や岩船寺からは想像もつきませんが、それほどまでに仏教には試練だったとの証拠です。その後、真言宗智山派がこの地域に入り今に至ります。

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観音寺全景

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境内へ続く参道
春には両脇に桜が満開となる。

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参道の先にある本堂(大御堂)

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本堂前にある睡蓮池

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池から見た本堂

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本堂正面

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ここから入って御本尊を拝観 ¥400

 大御堂はかつての諸堂の中の普賢寺に相当しますが、本尊から観音寺と呼ぶのが一般的。この本尊こそ、数々の苦難を乗り越えて天平時代から現在まで伝わった【息の長い】観音様。木心乾漆造という独特の手法で、我が国では奈良桜井の聖林寺の観音様と並ぶ天平の国宝となっています。
 同時代とはいえ聖林寺よりも湖北の十一面観音と似た雰囲気、修復の具合で新しく見えるのでしょうか?聖林寺の観音様よりも高い評価をする人もいるようですが、白洲正子さんは、それが却って短所でもあると書いています。まあ巡礼は美術品の評価をするものではありませんが…。

 拝観では三神住職が説明をされましたが、後の定朝・運慶・快慶などの仏師と異なり、天平時代は漆職人が製作に携わり、加えて漆は国家統制されていたので、民間でなく国家プロジェクトだったとの事でした。当時の仏教は個人救済ではなく国家鎮護なので十分考えられる話です。しかし、そのため当時の技術の粋を集めたものが出来た訳ですから、後世の人は感謝しないといけませんね。
 見学者は数名でしたが、寺の略記に加えて仏教に関わる語源も説明。煩悩が108あるのは四苦八苦(4×9+8×9=108)由に由来するとか、油を足すのを忘れると法灯が消えることから「油断」が生じたとか、このような話を聞くことで仏教がより身近に感じられました。
 尚、広大な堂宇は無くなりましたが、今はその後に同志社大ができています。

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本堂内陣にある般若絵心経
江戸時代に文字の読めない人の為に盛岡で作られたもの。

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般若絵心経の刺繡
東京の吉田判子店から奉納されたとか。

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内陣の説明書
意外にも国宝・十一面観音は七体しかない。ここの御本尊は左から二番目

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国宝・天平時代の十一面観音
撮影禁止なのでこれは購入した冊子より抜粋。

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本堂前から

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本堂から睡蓮池を望む

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本堂の裏は山に続く

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ここからお水取りの松明の竹を切り出すらしい
第一世実忠との関りからか?

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「南山城の古寺」  ¥500
寺の概説と写真が掲載。一般の概説書やガイドが少ないので重宝される。

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観音寺略縁起

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観音寺御朱印

[参考書]
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寿宝寺(京都府京田辺市) 十一面千手千眼観世音菩薩の御朱印

2019.07.01(17:50) 331

千の手と眼で開運? (2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺 → 寿宝寺

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開運山 寿宝寺(高野山真言宗)

 法泉寺に続きJR三山木駅東にある壽寶寺へ。
開運山壽寶寺(かいうんざんじゅほうじ)は、文武天皇の慶雲元年(704年)の創建。古くは「山本の大寺」と呼ばれ、現在地より300m程東の木津川河岸近くにあり七堂伽藍を備えていましたが度重なる木津川の氾濫で移転を繰り返し、享保17年(1732年)に今の場所へ移ったとされます。

 あたり一帯の呼び名は山本郷。和銅4年(711年)に大和から山陰道へ向かう山本駅が置かれ、寺院横に「山本駅旧跡」の碑があるのはその名残です。中世以降の東海・山陽・山陰道は平安京から分かれていますが、古代においてはこの南山城付近が分岐点。のちには廃れますが、本能寺の変の際に堺に居た徳川家康がこの道を通って木津川を渡り伊賀越えをしました。

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山門の東側にある「山本駅旧跡」の碑

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府道生駒・井出線より寺の一口に向かう

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寿宝寺山門

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山門正面の本堂
1997年に堂宇の大改築が行われたので新しい。

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本堂の扁額

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本堂前から境内を見る

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境内の庭

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本堂遠景

 ここの本尊は十一面千手千眼観世音菩薩立像。昭和になり近隣の寺院を合併した際に佐牙神社の神宮寺からここに移って来ました。藤原時代中期の様式を備えた平安時代の作で重要文化財。通常の千手観音の手は40本ですが、この仏像は実際に千手を備えて居られ全ての掌に眼が、大阪葛井寺、奈良唐招提寺の千手観音と並ぶ三大名作だそうです。
 仏像拝観は予約制でしたが、偶々お寺の方が庭掃除をされており開帳して頂ける事に。小さなお堂ですが多くの方が来られており、柴門ふみ、白洲信哉さんの色紙がありました。急な訪問だったので御住職の説明はありませんでしたが、説明書に眼を通して拝観するだけで十分でした。
 唯、本堂には既に大日如来が祀られているので、新たな御堂を造ってそこに祀られるようになったとか。【千手】必勝とはならなかった様ですね。

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重文・十一面観音を祀るお堂
雨の日は閉鎖して仏像の劣化を防止。

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壽寶寺説明書 ¥100

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説明書裏面の重文・十一面千手千眼観世音菩薩立像
御本尊は撮影禁止。ほぼ等身大。

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壽寶寺御朱印

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田辺三山木郵便局 ; 重文・寿宝寺千手千眼観音、茶摘み風景

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法泉寺(京都府京田辺市) 戦火を潜り抜けた石塔のある御朱印

2019.06.30(20:46) 330

草の中から出た観音様 (2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺

142-3-1.jpg
中嶋山 法泉寺(真言宗智山派)

 夕方から京都市内で会合があり。午前中の合間を縫って京田辺市へ。
今は京都府に属する南山城ですが、古代においては平城京の北端という位置付け。そのため南都の影響を受けた古刹が木津川沿いに点在します。平城京を建設する際に、近江の田上山から切り出した材木は宇治川から巨椋池、木津川を遡って、伊賀・笠置からの材木は木津川を下って都に近い場所で陸揚げ。そこが木津と呼ばれるようになりました。
 現在の木津川は水量も周辺人口も少なくキャンプ場とカヌーのイメージですが、古代には暴れ川と言われる程で、交通の大動脈として活気に満ちていたようです。

 中嶋山法泉寺(なかじまさんほうせんじ)の創建は明らかではありませんが、大きさ5~6寸の十一面観音の金像が付近の草叢から出現。関東では海から出た例が多いですが、ここは海から遠いので草の中。以来、この付近は草内(くさうち)と呼ばれています。何故か郵便局だけ同じ漢字で「くさじ」の読みなのが不思議です。
 天長年間(824~833年)の旱魃で本尊に祈願した所、清泉が湧出したので法泉寺と号したとか。雨乞い祈願の農耕守護仏として信仰されるようになりました。本堂は永禄2年(1559年)の戦火で焼失。元禄12年に再建されています。
 門を入って左手にある十三重石塔は弘安元年(1278年)猪末行作の銘。法泉寺は室町時代までは奈良興福寺の支配下で、鎌倉時代に西大寺の叡尊に拠る水害対策・渡しの整備があり、その供養記念として建てられたと言われます。作者の猪末行は東大寺再建に際し、中国より来朝した石工。本堂東隅の三宝大荒神石塔は明応7年(1498年)と、石造りの御蔭で戦火を潜り抜けたようです。

 急な訪問で御住職は不在でしたが、夫人が本堂を開帳して下さり、御本尊を拝観できました。
和辻;「この御本尊が草叢から出た仏様ですか?」
夫人;「いいえ、初めの御本尊は明治の頃行方が分からなくなって、今は後世の仏様です。」
和辻;「本堂は江戸期の様ですが、御本尊はもう少し古い気がしますが…。」
夫人;「はっきりとは分かりませんが、鎌倉・室町期の様ですね。」

 この場所も戦火を受けましたが、旧御本尊は廃仏毀釈のあおりでどこかへ行ってしまったのでしょう。本堂横の室町様式の枯山水庭園もやや荒れた気がします。檀家も居られないとの話でしたし、観光寺院とは違うので、法灯を伝えていくには並々ならぬ苦労があったと思います。
 御朱印を拝受して辞しましたが、
和辻;「これから大御堂観音寺に向かいます。」
夫人;「観音寺は住職の実家で、あそこは常駐されているので拝観は大丈夫です。」
との事でした。

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草内小学校の北側にある法泉寺入口

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重文・十三重石塔
花崗岩を加工した高さ6m、四方に石仏彫を配している。

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長い戦乱を潜り抜けてきた法泉寺境内
右のカイヅカイブキ(コノテガシワ)はその生き証人?

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法泉寺本堂

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本堂右の三宝荒神王碑
元来神社のもので寺院の一角に祀られているのは珍しい。

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復元された室町様式の枯山水庭園

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中嶋山法泉寺略縁起

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法泉寺御朱印

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草内郵便局 ; 重文・法泉寺十三重石塔、山城大橋

[参考書]
京都府の歴史散歩 <下>


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雪舟寺(京都市東山区) 雪舟庭園の御朱印

2019.06.29(18:47) 329

山水をふんだんに採り入れた庭園(2018.7.3)

<コース> JRは15分間隔、京阪電鉄は10分間隔で運転
JR大阪 → (新快速) → JR京都 → JR東福寺 → 徒歩10分 → 東福寺  或いは
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → 東福寺

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雪舟庭園 芬陀院(臨済宗東福寺派 塔頭寺院)

 天得院に続いて、通路を挟んでほぼ向かいにある芬陀院(ふんだいん)を拝観。
元亨年間(1321~1324年)に関白一條内経が東福寺開山聖一(しょういち)国師の法孫にあたる定山祖禅(じょうざんそぜん)を開山として創建、以来一条家の菩提寺として現在に至ります。内経の法号「芬陀利華院」を採って院号になりました。

 その後、衰退しますが元禄年間に一条兼照により再興、宝暦5年(1755年)の火災で焼失しますが、桃園天皇の后・恭礼門院の計らいで御所の一部を移築。更に明治には昭憲皇太后からの御内帑金により改築されたものが現在の建物です。恭礼門院は旧名一条富子、昭憲皇后は一条美子と共に一条家の出身。江戸時代の京都の公家は経済的には幕府から冷遇されたと言いますが、これらを見る限りなかなかの物。腐っても鯛といっては怒られるでしょうか?

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芬陀院山門
元亨年間に関白一條内経が定山祖禅を開山として創建。ここは特別拝観ではない。

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参道から続く参道

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大玄関と唐門
唐門は恭礼門院の御所より移築されたもの。

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屋内の屏風

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内庭全景

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手水鉢と崩家形灯籠

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内庭と縁側
縁側は木と竹を交互に使用。

 ここでもう一人有名なのが画僧の雪舟(1420~1506)。雪舟が幼年期を過ごした備中の宝福寺は東福寺の末寺で在京の折にはここへ逗留したと言われます。当時の芬陀院の大檀徒は文人として著名な一条兼良、彼の所望により作庭されたのが南庭「鶴亀の庭」。寛正・応仁期の作で京都では最古の枯山水庭園と言われ、苔と石を【ふんだんに】採り入れたものです。庭には石組の亀がありますが、出来上がった夜に和尚が傍を通るとその亀の石組みが動いたとか。涙で描いた鼠の絵の焼き直しですが、それほどリアルだったという事でしょう。

 この庭も二度の火災で荒廃しますが、昭和14年(1939年)に作庭家重森三玲により復元、その時に新たに作庭されたのが東庭でした。パトロンの一条家としては指図をしたかったかもしれませんが、作庭の名人に全て任せたのが、今に至るまで名声を保っている理由ではないでしょうか?まさに摂政と雪舟により完成した庭と言えます。
 御朱印を拝受しましたが、帰宅して確認すると平成4年に拝観・拝受済。全く記憶にありませんでしたが、覚えていないのであれば拝観しても問題はないと悟った次第。

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東庭と図南亭
奥が鶴島、手前が亀島。

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東庭は作庭家・重森三玲に拠る

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図南亭(となんてい)
宝暦の火災で焼失したが、昭和44年に復元。一条家第十四代昭良公がここで茶を嗜んだとされる。

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図南亭の内部

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図南亭の窓から東庭を望む

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「図南」の扁額は石川丈山の揮毫

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雪舟の作庭による南庭

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南庭の鶴島(左)と亀島(右)

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雪舟庭園 芬陀院説明書

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芬陀院御朱印
失念していた平成4年拝受の分

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芬陀院御朱印
今回拝受したもの

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天得院(京都市東山区) 桔梗の寺の御朱印

2019.06.28(23:04) 328

帰京して桔梗!(2018.7.3)

<コース> JRは15分間隔、京阪電鉄は10分間隔で運転
JR大阪 → (新快速) → JR京都 → JR東福寺 → 徒歩10分 → 東福寺  或いは
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → 東福寺

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萬松山 天得院(臨済宗東福寺派 塔頭寺院)

 大本山東福寺には多くの塔頭がありますが、この日は特別拝観の天得院へ。
 萬松山天得院(ばんしょうざんてんとくいん)は南北朝時代の正平年間(1346~1370年)、東福寺第三十世住持・無夢一清(むむいっせい)禅師により開創、東福寺五塔頭の一つとして栄えます。その後、一時衰退しますが、大機慧雄(だいきえゆう)禅師が中興の祖となり再興されました。

 慶長十九年(1614年)には東福寺第二二七世・文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住持となり、五山の学僧として豊臣秀頼から優遇を受けますが、秀頼の依頼を受けて撰文したのがかの有名な方広寺の「国家安康、君臣豊楽」の一文。これが徳川家康の怒りを買い大坂夏の陣で豊臣家は滅亡、天得院も取り壊される憂き目を見ます。五山の僧侶にしては【誤算】があったと思いますが、もし家康の意を汲んで故意に銘文を選んだのであれば、とんでもない策士であった事になります。これは推理小説の世界ですが…。

 その後、天明九年(1789年)に堂宇が再建され、明治元年(1868年)に山内の塔頭本成寺と合併したものが今に至っています。栄枯盛衰も【天命】でしょうが、庭園は桃山時代の作庭とされる枯山水。杉苔に初夏の桔梗と秋の紅葉のコントラストが見事です。桔梗は本来秋ですが、ここでは初夏から秋にかけて順番に開花する品種だそう。秋は紅葉で人が多いので、少ない時にも集客できるという事なので、なかなか商売上手です。これも天徳ではなく【天得】という名のなせる業でしょうね。

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萬松山天得院山門
南北朝時代に創建。現在のものは1789年再建。

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特別拝観入口

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山門から見た前庭

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いよいよ桔梗の庭へ

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廊下より庭の桔梗を見る

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天得院西庭の桔梗と杉苔

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桃山時代作庭の枯山水庭園

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青桔梗

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青桔梗近影

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青白乱れ咲き

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白桔梗近影

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西庭に続く北庭

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華頭窓から見る庭
逆さに見ると花の形になるという。

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廊下の突き当りにはこのようなものが

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西庭を眺めながら一服 ¥800
お菓子は東福寺門前の鶴屋弦月の作と聞いたので買って帰ろうと思ったら休み。

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室内から西庭を眺める人々

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室内の飾り付け

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天得院説明書

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天得院御朱印
書かれたものを拝受

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東福寺(京都市東山区) 京都五山の御朱印

2019.06.27(22:28) 327

通年通れる通天橋(2018.7.3)

<コース> JRは15分間隔、京阪電鉄は10分間隔で運転
JR大阪 → (新快速) → JR京都 → JR東福寺 → 徒歩10分 → 東福寺  或いは
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → 東福寺

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慧日山 東福寺(臨済宗東福寺派大本山 京都五山第四位)
六波羅探題の遺構を移したとされる重文・六波羅門。寺内最古の建造物である。

 京都市内で所用があって少し時間が余ったので東福寺へ。
 鎌倉時代に摂政関白藤原(九条)道家が九条家の菩提寺として造営したのが始まり。京の都の「新大仏寺」として高さ15mの大仏立像を安置すべく1236年から19年掛けて仏殿を完成させた大寺院。南都の東大寺と興福寺から「東」「福」の二文字を貰って寺号に。二ヶ寺の良い処取りを狙ったようですが、欠点ばかりだったら【くじょう】でも言ったでしょうか?
 開山には宋から帰朝した聖一国師を招き、当初は天台・真言・禅宗の三宗兼学として壮大な堂塔伽藍を誇りました。中世から近世を通じて栄え、高僧も輩出しますが、度々火災に合い、諸堂を焼失。良い名前を持って来ても火災は防げなかったようです。

 明治期には廃仏毀釈に会いますが、それでも25の塔頭寺院を擁する大本山。境内の散策は無料ですが、通天橋から開山堂へは有料。紅葉のシーズンにはニュースでも取り上げられ、通天橋に上るのに1~2時間待ちはザラ。今回も境内の散策で済まそうと思いましたが、人も少ないので通天橋に入場。
 紅葉ではなく、青紅葉と紫陽花でしたが、地面の苔とも相俟ってなかなかいい雰囲気でした。『秋は通天と誰か言いけむ』です。途中、幼児を連れた夫婦に声を掛けられました。中国の方で10年以上前に京都で勉強していた縁での再訪だそう。禅宗は中国から渡来しましたが、今本場では仏教も大っぴらに活動できないので、日本の方がかつての雰囲気を感じる事ができるのでしょう。「ここは静かでいいですね。」との言葉が耳に残りました。

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本堂(仏殿兼法堂)
明治19年の焼失後、昭和9年の再建。重層入母屋造の大建築。

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重文・東司(通称百雪隠)
禅僧には用便も修行だとか。室町前期の遺構。

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東司の内部

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境内の紫陽花

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臥雲橋から見た通天橋

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通天橋にある貼紙
ここは六甲か?

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通天橋へと続く

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青紅葉と苔

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通天橋から臥雲橋方面を眺める

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通天橋から見た方丈
明治23年の再建。

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開山堂への道

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重文・開山堂(常楽庵)
聖一国師(1202~1280)を祀る。

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開山堂近影

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開山堂から方丈・書院を見る

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開山堂前の庭園

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普門院前から庭園を望む

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庭園の杉苔

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普門院廊下から開山堂山門を見る

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東福寺説明書

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東福寺御朱印
平成4年に拝受。墨書も印。

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京都赤十字病院内郵便局 ; 紅葉、東福寺、十三重石塔
京都今熊野郵便局 ; 国宝・三十三間堂、国宝・十一面千手観音坐像

[参考書]

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大龍寺(神戸市北区) 空海と龍が再び訪れた寺の御朱印

2019.06.26(17:39) 326

再度山を二人旅(2017.6.24)

<コース>
JR大阪 → JR三ノ宮 → 北神急行 → 谷上 → 徒歩60分 → 森林公園 → 徒歩60分 → 太龍寺 → 徒歩60分 → JR三ノ宮

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再度山 大龍寺(東寺真言宗 別格本山)

 今日の巡礼は神戸市内、と言っても再度山の中腹にある山の中の寺院。
 再度山大龍寺(ふたたびさんだいりゅうじ)は、神護景雲2年(768年)和気清麻呂公の創建。寺伝に拠れば、
『称徳天皇の勅を受けた公が摂津の国に寺院建立の地を求めて当地の山中に来た時、公を暗殺しようと付け狙っていた道鏡の刺客が忽然と現れた大蛇に驚き退散。驚いた公が周囲を見ると大蛇が消えた後に如意輪観世音菩薩が居られ、ここに伽藍を立てて大龍寺と名付けた。
 また延暦23年には入唐する空海が、この山に上って求法を祈り、帰国後に再びこの地に足を運んだので再度山の名が付いた。加えて空海が入唐の時には竜神大蛇が船を守り、帰国後には山中にも現れた。』
とあります。寺号山号の由来ですが竜神が再び登場するのは文字通り【蛇足】、恐らく、空海の伝説が元にあって後で、和気清麻呂の伝説が加上されたのでしょう。あまり【過剰】な伝説も考え物です。

 鎌倉時代の戦火で伽藍は焼失しますが、室町期には摂津守護赤松氏の庇護を受けます。赤松円心は観応2年善妙上人を山主として再興、続く赤松範資・則祐兄弟も尽力したのでかつての姿を取り戻しました。
 乱世の梟雄である赤松氏が寺院を庇護するのも不思議ですが、近くには赤松氏の多々部城もあり軍事的拠点とする思惑もあったのでしょう。この時代に後円融天皇が中風に罹られ、善妙上人が祈願したところ無事平癒されたので、中風除けの寺として知られるようになりました。

 同窓がこの辺りを走って居られるので声を掛けると一緒に来て下さる事に…。通常は駅から山門前までバスですが、今回は北神急行の駅からハイキングコース。ほぼ半日歩き通しでしたが、植物園&布引の滝もゆっくり見物、まさに「少しの事にも先達はあらまほしき事なり」でした。

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谷上駅で鉄道むすめ「谷上弓子(きゅうこ)」がお出迎え

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このようなハイキングコースを行く

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60分歩いて神戸市立森林植物園に到着
これはクヌギの落ち葉で作った今年の干支

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樹齢2000年のメタセコイアの標本された年輪

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植物園内のハナマキ
ガラス器具洗浄ブラシに似ているということで見解が一致。

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植物園内のレストランにて  売れ筋のスパイシカレー¥850

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バス通り沿いにある山門(赤門)

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仁王門前
後ろのバッグは何?

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仁王門を過ぎて見た境内
正面の石段沿いに西国三十三観音が並び本堂へ、左手の鳥居は奥の院に通じる石段の入口。

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本堂(大師堂)

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毘沙門堂

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左から毘沙門堂、本堂、護摩堂

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弘法大師が彫ったと言われる亀の岩

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奥の院から更に上った再度山頂上

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更に歩いて布引の滝へ

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再度山 大龍寺説明書

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大龍寺御朱印

[参考書]
兵庫県の歴史散歩 <上> 神戸・阪神・淡路


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