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高蔵寺(宮城県角田市) 重文・阿弥陀堂の御朱印

2019.10.13(21:52) 444

ロケットの町にある茅葺の阿弥陀堂(2017.9.23)

<コース>
JR仙台(7:53) → (ロケットの町にある茅葺の阿弥陀堂(2017.9.23)

<コース>
JR仙台(7:53) → (阿武隈急行) → 角田(8:40) → レンタサイクル50分 → 高蔵寺 → 角田(11:50) → 福島(12:54→13:00)) → 角田(8:40) → レンタサイクル50分 → 高蔵寺 → 角田(11:50) → (阿武隈急行) → 福島(12:54)

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勝楽山 高蔵寺(真言宗智山派)

 宮城最終日は、仙台から福島まで移動。といっても新幹線や東北本線ではなく、阿武隈急行。

未踏路線でもあり、伊達氏の始祖の地でもありますが、

途中の角田市内に非常に興味がそそられる古刹があるのがその理由。

 駅から西に8㎞と距離がありますが、駅内観光案内所にレンタサイクルがあったので早速利用。

国道から田畑の道を通り渓流沿いを進み50分で到着。三方を山に囲まれた清閑な場所にありました。

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阿武隈急行の列車
福島駅にて、左が阿武隈急行ホームで右が福島交通ホーム。

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ロケットをデザインした阿武隈急行角田駅

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角田市ロケット広場

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角田市武家屋敷
角田は伊達家の家臣石川公の領地で、政宗次女の牟宇姫(むうひめ)が輿入れした。

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武家屋敷近くにある店

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角田市郷土資料館
無料で見学できるが、何故か本日(23日)は休館日。

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郷土資料館の邸

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国道113号から高倉川に沿って高蔵寺へ

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本堂近くの池

 勝楽山高蔵寺(しょうらくさんこうぞうじ)は、縁起に拠ると、

『弘仁10年(819年)、徳一上人が開創。

その後、平安末期の治承元年(1177年)に聖円によって阿弥陀堂が建立された。

本尊には阿弥陀如来像が祀られたが、これは藤原秀衡とその妻が作らせたと言われる。』 とあります。

 徳一は会津の慧日寺を初め東北地方に寺院を開いた碩学。

慧日寺は磐梯山を御神体と見て創設したと思われますが、高蔵寺にもそのような自然の力を感じたのでしょうか?

 阿弥陀堂は現在まで残っていますが、平安時代の建造物は全国で26。阿弥陀堂では七カ所だけ、

東北地方では中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂と共に三ヵ所のみとなっています。

 訪れた寺務所や本堂は新しい建築でしたが、杉木立の中の阿弥陀堂はそこだけ時間が止まった様。

 写真で見ると大きさが実感できませんが、実際に前に立つと思ったよりも遥かに大きな御堂。

中尊寺や白水阿弥陀堂が国宝になっているのにここだけ重文なのが不思議でした。

 角田市はロケットの町、時代の最先端と千年前のものが共存する町でした。

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本堂
先ずここにお参りした後、左の寺務所で御朱印を拝受。

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本堂横から阿弥陀堂へ向かう

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重文・高蔵寺阿弥陀堂
宮城県最古の木造建築。9.3mの茅葺宝形造。

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阿弥陀堂近影

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茅葺の屋根

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重文・阿弥陀如来坐像 (説明書より)
像高 2.7m の寄木造り、光背を入れると全高5.18m。

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木立の向こうの阿弥陀堂
写っている人間から堂の大きさが分かる。

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参道にある榧の木

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相生の御神木

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境内の曼殊沙華

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重文・旧佐藤家住宅
江戸時代の中期に建てられた仙台藩領の中規模農家。高蔵寺境内に移築された。

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高蔵寺説明書

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高蔵寺御朱印

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角田市マンホール蓋

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角田市マンホール蓋 (高倉地区)

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角田郵便局 ; 台山公園のH-Ⅱ型ロケット模型、重文・高蔵寺阿弥陀堂
西根郵便局 ; 重文・高蔵寺阿弥陀堂、白鳥、栴檀の木

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角田駅にて電車待ちの間に「むうアイス」を
梅ジャム+アイスクリーム。政宗の息女は五六八(いろは)姫とか牟宇(むう)姫とか時代を先取りしたものが多い気が…。

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輪王寺(仙台市青葉区) 仙台随一の庭園の御朱印

2019.10.12(20:19) 443

伊達家と共に六遷(2017.9.22)

<コース>
JR仙台駅 → レンタサイクル → 北山五山・輪王寺

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金剛寶山 輪王寺(曹洞宗)

 満勝寺に続いて、庭園で有名な輪王寺へ。

金剛寶山輪王寺(こんごうほうざんりんのうじ)は、寺伝に拠れば

『嘉吉元年(1441年)、伊達家九代政宗(独眼竜とは別人)夫人、蘭庭明玉禅尼の願により十一代持宗が福島県梁川に創建。

禅尼は幕府将軍足利義満の叔母に当たるため、六代将軍義教が後花園天皇に奏請して宸筆の額を賜った。

その後、伊達家の居城と共に、梁川・西山・米沢・会津・岩出山・仙台と移転を繰り返し、

現在の地に移ったのは十七代政宗の慶長7年(1602年)の事。

以降、伊達氏の庇護の下、奥州の曹洞宗の一大叢林として300年間栄えた。

しかし明治以降は、伊達の庇護を失い、更に明治9年(1876年)の火災により仁王門を残して焼失。

大本山の永平寺と総持寺は、無外和尚を住職にして復興を図り大正4年(1915年)にようやく完成した。』

とあります。

 農業生産が安定化する戦国末期までは民衆は移住を繰り返しましたが、戦国大名や寺社もそれは同様。

戦国期は日本史上で真に大きな分水嶺だったようです。

 輪王寺も六遷を経ていますが、法灯を伝えるにはそれくらいの大きな試練を受けなければならないのでしょうか?

 復興に務めた無外和尚は伽藍に加え庭園建設にも意を注ぎ、いまに残る名園となりました。

名前は無外ですが、無害どころか輪王寺にとっては非常に有益な和尚と言えるでしょう。

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輪王寺本堂
明治9年(1876年)、野火により焼失し、大正4年(1915年)の再建。

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本堂の裏にある禅庭園へ

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禅庭園入口から蘭庭堂と三重塔を望む

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三重塔(宝楼閣)
昭和56年(1981年)、開山五百回大遠忌を記念し建立された。

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蘭庭堂

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五重塔
昭和15年(1940年)に自然石を用いて建立された。

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禅庭園
池泉回遊式庭園で仙台有数の名勝とされる。

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池越しに本堂を望む

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高台から見た禅庭園

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池の畔で休憩

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輪王寺説明書

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輪王寺御朱印

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仙台北山郵便局 ; 輪王寺・大願寺の山門、東昌寺のマルミガヤ
仙台荒巻郵便局 ; 輪王寺仁王門、水の森公園、泉ヶ岳

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北山五山と仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区) 

2019.10.12(07:41) 442

天下を狙った伊達氏のDNA(2017.9.22)

<コース>
JR仙台駅 → レンタサイクル → 北山五山

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當午山 満勝寺(臨済宗東福寺派)

 昼からは仙台に戻り北山へ。ここには

① 政宗と共に移って来た東昌寺
② 政宗の師の虎哉和尚が開山の覚範寺
③ 支倉常長の墓のある光明寺
④ 始祖朝宗公を祀る満勝寺
⑤ 紫陽花で有名な資福寺

と伊達政宗に拠って置かれた臨済宗の五刹があります。

青葉城の北側に当たる城の守りとして、また有事の際には軍を駐屯させる思惑もあったのでしょう。

 今回は、その中で満勝寺にお参り。

當午山満勝寺(とうごさんまんしょうじ)は、伊達氏初代朝宗公の菩提寺として、

弘安6年に伊達氏四世政依公が福島県伊達郡桑折町に開創した寺院が始まり。

政依は他にも四寺を建て京都・鎌倉に倣い伊達五山と称したといいます。

遥か陸奥の地に都を造ろうというDNAはこの頃にはもう伊達家にあったようです。

 江戸時代には十七世政宗により元和3年(1617年)に北山に満勝庵を建立し、

二十世綱村公により寛文7年(1667年)に現在の地を賜りました。

 初代朝宗公は藤原山蔭流で、源頼朝とは母方の従兄弟。奥州征伐に際しては出家していたので息子四名を従軍。

彼らが軍功を挙げて陸奥国伊達・信夫郡を拝領した後、伊達氏を名乗ることになります。

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満勝寺庫裏
御朱印はこちらで拝受。

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満勝寺説明書

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満勝寺御朱印

 その流れを汲む伊達政宗は地方の戦国大名というにはスケールの大きな人物で天下を狙える位置だったにも拘わらず、

豊臣秀吉には会津召し上げ、徳川家康には関ヶ原の恩賞100万石のお墨付きを反故にされます。

猿と古狸に独眼竜がして遣られた訳ですが、天下人との一世代の差は如何ともし難かったのでしょう。

それでも家光の代になって家康のお墨付きをちらつかせましたが、

若き老中・井伊直孝(直政の子)が伊達藩江戸屋敷に単独で乗り込み、政宗の目の前でそれを破り捨て百万石は水の泡に。

頼山陽が「日本外史」で述べています。

 その後は、天下を直接狙う事は諦めたようで、豪華な仙台東照宮を造営したりしています。

徳川家に対するジェスチャーなのは言うまでもありません。

奥州派遣された支倉常長一行も帰国後は闇に埋もれたまま。折角の欧州派遣も【奥州覇権】には至りませんでした。

 晩年は実質石高も100万石になり、江戸の人口は伊達米で持つと言われる程になりました。

政治的には天下を取れませんでしたが、経済的には天下を制した訳ですから、泉下の政宗も持って瞑すべしでしょうね。 

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重文・仙台東照宮
幕府に睨まれた伊達家なので将軍家にも気を使ったのか?

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仙台東照宮説明書

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仙台東照宮御朱印

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仙台宮町郵便局 ; 重文・東照宮随身門
仙台上杉六郵便局 ; 重文・東照宮鳥居

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仙台中江郵便局 ; 重文・東照宮随身門
仙台小松島郵便局 ; 重文・東照宮随身門

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榴岡天満宮縁起

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榴岡天満宮の見開き御朱印

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仙台二十人町郵便局 ; 榴岡天満宮の拝殿、枝垂桜
仙台榴ケ岡郵便局 ; 榴岡天満宮の石段、鳥居、噴水、ツツジ

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伊達政宗が百万石を反故にされた逸話は、「日本外史 巻之二十二 徳川氏正記 徳川氏五」に記述がある

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鳴子温泉郷(宮城県大崎市) 

2019.10.11(19:10) 441

いおうな香りとこけしの里(2017.9.22)

<コース>
JR仙台(6:00) → JR小牛田(6:44→7:04) → JR鳴子温泉(8:18) → 温泉郷 → JR鳴子温泉(10:06) → JR小牛田(11:04→11:08) → JR仙台(11:55)

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駅周辺の公衆電話

 彼岸の二日目は仙台市内巡礼ですが、その御先に朝から大崎市へ。

陸羽東線に載ってJR鳴子温泉駅で降りると、硫黄の異様な匂いが。

温泉郷では珍しくはないですが、駅まで漂って来たのは初体験。それだけ湯量が豊富な温泉という事でしょう。

【陸羽湯泉】は伊達ではないようです。

 もう一つ勇有名なのが鳴子こけし。こけしで有名な宮城県ですが、場所によって微妙に差があるようです。

眼と髪の描き方に特徴があるように思いましたが、首の嵌め込み式が特徴だそうです。

音が【鳴子】になるように工夫したのでしょう。

 列車の本数が少ないので昼前に駅に戻りましたが、温泉郷は宿泊しないと良さが分からないもの。

【鳴子と鉄道には勝てぬ】を恨めしく思ったものでした。

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陸羽東線鳴子温泉駅
ホームに降りたとたん、硫黄の異様な匂いが一面に漂う。

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鳴子温泉郷
温泉を掘っている箇所。

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源泉から湯を引く

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源泉かけ流しの足湯
もちろん無料。

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温泉郷の顔ハメ

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温泉街らしい町並み

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鳴子郵便局のこけしポスト

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鳴子郵便局 ; 鳴子ダム、鳴子こけし

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大きなこけしが目印の鳴子こけし資料館

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10時前まで待ったが開かず

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鳴子マンホール蓋

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陸羽東線駅スタンプ

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弘誓寺(宮城県名取市) 片倉家の城下町と弘法大師の古刹の御朱印

2019.10.10(21:05) 440

伊達のイケメンと温麺(2017.9.21)

<コース>
JR東京(6:04) → (やまびこ41) → JR福島(7:39→8:07) → JR白石(8:40) → 徒歩15分 → 白石城・城下町 → JR白石(12:06) → JR名取(12:40) → 徒歩20分 → 弘誓寺 JR名取(15:19) → JR仙台(15:34)

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白石城天守閣

 昨年の彼岸に続き、悲願の飯坂・白石・鳴子・仙台と芭蕉の足跡巡り。かなりの広範囲ですが全て伊達藩領。

 移動初日は、白石からスタート。新幹線白石蔵王駅がありますが、町の中心から外れており、

福島で在来線に乗り換え白石下車。在来線から離れた新幹線駅の宿命です。

 米沢で生まれた伊達政宗ですが、家督を継ぐと近隣を次々と征服。

最終的には福島では相馬藩を除くすべてを制圧、石高は200万石にも及びました。

しかし秀吉の奥州仕置きの為、会津は没収され蒲生氏郷へ。

更に関ヶ原では百万石のお墨付きを貰い家康側に付きますが、戦後は反故にされ62万石止まり。

 そんな政宗を支えた家臣の中で群を抜いていたのが片倉小十郎景綱。

片倉家は神官でしたが、景綱が政宗の懐刀と言われる知恵者で、戦国を乗り切り近世大名へと伊達家を導きました。

 かれは最終的には白石城主となり1万石の大名になりました。大河ドラマでは西郷輝彦さんが演じていたので

戦に強い男前のイメージがありますが、実際は肥満気味で戦というよりも外交に優れた手腕を発揮したようです。

その代わり後を継いだ二代目片倉小十郎がイケメンで、大坂夏の陣で活躍したそうです。

事実は小説よりも奇なりを地で行く話でしょうか。

 今の白石城は木造によって復元され周囲には武家屋敷もあり、歩くには手頃な城下町でした。

尚、現在片倉家の子孫の方は神職をされているそうで、元の職種に戻った事になります。

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JR白石駅前

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白石にある酒蔵

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白石城
伊達家家臣片倉小十郎(1万8千石)の城下町。一国一城令にも拘わらず存続が認められた稀有の城。他は、三重と伊賀上野くらいか。平成になって木造にて再建。

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天守閣への道

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白石城大手門

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天守閣の石垣

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天守閣へ登る

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天守閣内部構造

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天守閣からの眺め

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大手門、白石市街を望む

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天守閣に続き資料館へ

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白石城の復元模型

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復元甲冑

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片倉小十郎景綱
神官の家に生まれ政宗の参謀として活躍後、白石城主に。敵の真田幸村から幼子を託されて守り通した至誠の人でもある。

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片倉家の家紋と旗印

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片倉家中武家屋敷小関家
白石城を取り巻く水路沿いにあり、美しい景観を成している。

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武家屋敷小関家
敷地は300坪と広いが、石高は数十石だった。いまも裏手に御子孫がお住まい。

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小関家玄関へ向かう

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小関家の庭

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家屋外観

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縁側
武家の質素な造り

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家屋内部

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縁側から庭を見る

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屋根の内側の造り

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白石市マンホール蓋(その1)

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白石市マンホール蓋(その2)

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白石市マンホールカード    配布場所はこちら

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白石郵便局 ; 伝統こけし、白石城、三角櫓
白石南郵便局 ; 白石城三階櫓、大手門、蔵王連峰

 その後は仙台まで移動ですが、名取で途中下車。

王朝時代の実方中将の史跡があって芭蕉も訪れていますが、遠いのでスルー。

街道沿いを歩いているとそれらしい寺院があったのでお参り。

 金剛遊山弘誓寺(こんごうゆうさんぐせいじ)は、

弘仁年間(810~824年)空海が創建したと言われ、その後の寛喜2年(1230年)に良賢が再興したと言う古刹。

江戸時代には仙台藩から寺領を与えられ16カ寺もの末寺も持っていました。

その割には新しい伽藍ですが、昭和61年に放火で焼けて再建したそうです。なんとも残念な話でした。

物見遊山に続き金剛遊山にお参りしての仙台入りです。

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金剛遊山弘誓寺

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弘誓寺御朱印

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名取市マンホール蓋

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宮城舘越郵便局 ; 弘誓寺観音堂、山囲古墳の頭椎太刀、桃の花
名取大手町郵便局 ; 奥の細道句碑、中沢家住宅、タケノコ

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龍島院 (宮城県村田町) 紅花で栄えた蔵の町村田と名勝庭園の御朱印

2019.10.09(21:54) 439

これが村田だ!(2016.9.24)

<コース>
【往路】県庁市役所前(8:50) → (宮城交通バス) → 村田町役場前(9:30) → 龍島院・蔵の街並み

【復路】村田町役場前(13:02) → (宮城交通バス) → 仙台駅前(13:39)

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西湖山 龍島院(曹洞宗)

 宮城最終日は、仙台を高速バスで30分南下して村田町へ。

宮城の小京都として伝統的建造物群にも登録された町ですが、仙台駅からは車で40分と結構距離があります。

行くのは難しいと思っていましたが、仙台の初日に観光案内所で村田を通る高速バスがある事が判明。

予定外に訪問することができました。初日の登米といい、今回の巡礼は幸運に恵まれていました。

バスに乗って道の駅の横にある「未来のゲート」を下って蔵造りを模した「歴史のゲート」をくぐるといよいよ村田町。

町内には高い建物などはなく、ここだけ異質な空間を醸し出していました。

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道の駅にある村田町出身の三宅義信選手の像

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蔵造りを模した「歴史のゲート」をくぐり蔵の町へ

 観光に先立ち、北側にある寺院にお参り。

西湖山龍島院(せいこざんりゅうとういん)は、寺伝に拠れば

『室町時代の天授年間、越後村上の耕雲寺七世審岩正察和尚を開山として開創。

その後八世洲山鱗芸和尚の寛永3年(1627年)、京都にて二十歳で永眠した伊達宗高公の遺骸を葬った事から、

伊達家の菩提寺になり寺領を得るに至った。』 とあります。

 宗高公は伊達政宗の七男、慶長18年(1613年)七歳の時、柴田刈田三万石の村田城主になりました。

寛永元年(1625年)の蔵王山大噴火の折、公は政宗公の名代として蔵王に上り

「我が命尽きるとも噴火を鎮め、民の危難を救い給え」

と祈願されました。

 この甲斐あって噴火は鎮まり領民からは「生神さま」と敬愛されたと言われます。

祈願と鎮火と夭逝とは直接因果関係はない筈ですが、公が二十歳で亡くなった事で一気に神格化されたのでしょう。

 またここは池泉観賞式庭園が有名です。庭園の奥に福寿・無量の霊泉が湧出し龍化瀑へと流れ落ち、

これが龍門滝となって臥龍池へと注ぐという造りになっています。

 龍島院という名もここから来ているのでしょう。庭園拝観は有料ですが僅か¥100。

おまけにお寺の方から、お話を伺いお茶まで頂きました。これではお寺が赤字ですね。

頂いた説明書には名勝・龍島院庭園とありますが、決して名前負けしていません。【龍島蛇尾】にならない所が流石です。

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龍島院山門前にて
初代藩主伊達宗高公墓所。

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龍島院庭園からの眺め

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臥龍池

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庭園の高台から庫裏(左)と本堂を望む

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池泉観賞式庭園

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龍島院説明書

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龍島院御朱印

 続いて街並みを散策。歩いても十分ですが観光案内所で無料レンタサイクルを拝借。

町の中の数百mの両脇に蔵造りの家が20余あります。今、蔵を建てると1棟4~5億円するそうで、

いかに繁栄しかたが分かります。年間売り上げも30億円程あったとか。

同じ苗字(大沼氏)が多いので皆屋号で呼ぶのも時代を感じました。

 一体何で儲けたのか?案内所の方に尋ねると即座に「紅花です。」との答え。

紅花は山形の専売特許と思っていましたが、仙台にもあったとは初耳。

しかし考えると山形市と仙台市は隣接しているので、同じ産物があっても不思議ではありません。

江戸時代には紅花で栄え、その後養蚕も加わり繁栄。鉄道敷設を打診されましたが、

養蚕に悪影響がでるという事で、誘致されず変わって大河原に駅が出来ました。

関西で言えば、篠山・出石パターンですね。

 今は町のままですが、なかなか活気があり布袋まつりは有名で大勢の人も来るそうです。

写真を見ると頭の長い人形があってこれが布袋との事。七福神の福禄寿に似ているので

地元の方に確認してみましたが、「これが布袋ですよ」との返事。

レンタサイクルと言い、布袋さんと言い、商売をするには細かい事を気にしない大らかな考えが必要なのかと納得。

後継者がいない、修理が大変等問題はありますが、将来に残して欲しい街ではあります。

 ここもバスや観光客は疎らで、道の駅に車が満車状態でした。訪れる人は観光よりも【歓購】に目が向いているようです。

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観光の起点はここヤマニ邸
もと呉服商で今は寄贈され観光案内所に。前の人形は、ゆるきゃら「くらりん」

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ゆるきゃら「くらりん」

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蔵造りの通り

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やましょう記念館
大沼家本家で紅花商人。子孫が寄贈し村田町所有。

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やましょう記念館母屋

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記念館内部

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記念館内部

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記念館奥に続く蔵。全部で4棟

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カクショウ大沼邸(左)とカネショウ大沼邸(右)
右は現在雑貨店で私設博物館を兼ねている。

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カクショウ大沼邸の門と欄間の透かし彫り

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私設博物館の2階
テレビは昭和39年製。

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ヤマジュウ大沼邸
酒造店で「乾坤一」が銘柄。

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ヤマジュウの看板
「上もろはく」と記載。

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カネキチ大沼邸
ここも紅花商人。

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ヤマシン山田邸
今は医院。ここの蔵が唯一江戸期。

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カネカ山家邸
いまはCafeとして営業。

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ヤマセン山田邸
今は山専酒店。

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屋根下の彫刻

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蔵造りの家は全て間口3間1尺(税金対策)で、南側に家の通路を作る。したがってウダツがなくても防火対策になっている。

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唯一のこる武家屋敷

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町の南にある願勝寺
山門は村田館の館門で貞享年間の建築。

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観光案内所で購入した「ほていこけし」

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村田郵便局 ; 蔵の町むらた布袋まつりの布袋人形、白壁土蔵、蔵王連峰

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陸奥国分寺(宮城県仙台市若林区) 仙台に先代から佇む国分寺薬師堂の御朱印

2019.10.08(20:52) 438

奥の舗装道(2016.9.23)

<コース>
JR仙台 → JR高城町 → 徒歩15分 → 松島 → JR松島海岸 → JR本塩釜 → 徒歩15分 → 鹽竈神社 → JR本塩釜 → JR多賀城 → 徒歩10分 → 多賀城址 → JR多賀城国府 → JR仙台 → レンタサイクル10分 → 陸奥国分寺

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多賀城政庁跡

 一之宮の後は国分寺ですが、その前に多賀城で下車。

いまの宮城県の中心は伊達政宗が築いた仙台ですが、古代では多賀城府。

奈良時代初期に陸奥国府と鎮守府が置かれました。駅から坂を上った高台にあります。

随分高い場所にある感じですが、これも地震や津波を考えての事。現地でボランティアガイドに伺った所、

969年の貞観の大地震の際にも、津波は多賀城府の下までしか来なかったとか。古の人の危機管理能力も大したものです。

 南門跡には壺の碑(つぼのいしぶみ)が。芭蕉も『奥の細道』で「羇旅の労を忘れて泪も落つるばかり也」と感動しています。

高さ2m程の石板碑で坂上田村麻呂の蝦夷征伐の折に造られたと言われますが詳細は不明。

ガイドの方から頂いた資料では、碑に刻まれているのは

『多賀城 去京一千五百里… 此城神亀元年歳次甲子…』

と設置場所とその謂われ。

別段、涙を流すような内容ではないですが、芭蕉にとっては碑に古代人の声を聞いたのでしょう。

所詮、凡人には分からない世界です。

 見学の後は、新しくできた多賀城国府駅に移動して仙台へ。国府を象った駅舎でこれから多賀城の玄関になるでしょう。

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高台にある政庁跡に向かう

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多賀城政庁跡
松島から続く丘陵地帯の端の高台にある。昔の都は平野に造ることは少なく貞観の大津波(969年)の時も波はここには及ばなかった。

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松林を抜け碑のある場所へ

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壺の碑
建立は762年(天平宝字六年)藤原恵美朝臣朝狩による。朝狩(仲麻呂の子息)が謀反人となった後に碑は倒され、江戸初期に再発見され現在の位置に建てられた。

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多賀城市のマンホール蓋
壺碑をデザイン。

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JR東北本線国府多賀城駅
国府をイメージした駅舎。21年前はなかったので、多賀城へは行き易くなった。

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国府多賀城駅スタンプ

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下馬郵便局 ; 多賀城政庁跡、おもはくの橋、市花・アヤメ
多賀城郵便局 ; 多賀城址、壺の碑、覆堂、市花・アヤメ

 仙台からは雨も上がり市内をレンタサイクルで国分寺へ。

護国山医王院国分寺(ごこくさんいおういんこくぶんじ)は、

聖武天皇の発願によって741年に建立されたと言われる陸奥国分寺の後継寺院。

国府の多賀城からは離れているので、後世に移転したかと思いましたが、境内から遺蹟が出土したので【移籍】でないようです。

どのような事情があったのでしょうか?

 当初の国分寺もその後、頼朝の奥州征伐で焼失。これを再建したのも伊達政宗です。

鹽竈神社といい、国分寺といい随分と物入りでしたが、奥州探題の名は伊達ではなかったようです。

 こうして1日で国府と国分寺を巡礼。細道ならぬ舗装道でしたが、

結構疲れたので夕食の牛タン定食の麦飯をお代わりしたというおまけ付きでした。

・鹽竈の カマより旨き タンの味

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護国山医王院国分寺(真言宗智山派)

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茅葺の仁王門
慶長12年(1607年)建立の三間一戸の八脚門で入母屋造。

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重文・陸奥国分寺薬師堂
慶長12年(1607年)建立の入母屋造、本瓦葺。

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宝形造の准胝観音堂
伊達吉村夫人の貞子による願いを受け、伊達宗村が延享2年(1745年)に再建。

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仙台新寺郵便局 ; 新寺通りの街並み、政岡の墓、市花・ミヤギノハギ
仙台薬師堂郵便局 ; 陸奥国分寺薬師堂仁王門、芭蕉句碑

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しおがまさま(宮城県塩竃市) 陸奥国一之宮のダブル御朱印

2019.10.07(21:41) 437

鹽竈神社の御朱印にギョギョ!(2016.9.23)

<コース>
JR仙台 → JR高城町 → 徒歩15分 → 松島 → JR松島海岸 → JR本塩釜 → 徒歩15分 → 鹽竈神社 → JR本塩釜

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海岸からの松島の眺め

 雨が降りそうな中日の23日は先達の足跡を辿って松島へ。

東日本大震災では甚大な被害を受けた松島ですが、ほぼ復興していました。

奥の細道の冒頭で、あれほど松島を見ることを願望していた芭蕉ですが、松島では句を詠んでいません。

余程感動したのか、良い句が浮かばなかったのかは謎ですが、

「松島は笑ふが如く象潟は恨むが如し」 と述べた彼の人間的一面を見たようです。

・松島や 雨にうつむく 芭蕉かな

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仙石線電車
地元出身の石ノ森章太郎氏にちなむ。他、サイボーグ009、ロボコン、さるとびえっちゃん等があった。

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仙石線JR松島海岸駅

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駅スタンプ

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松島町のマンホール蓋
五大堂をデザイン。

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松島五大堂

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松島を望む観瀾亭入口

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松島郵便局 ; 国宝・瑞巌寺本堂及び庫裏、僧侶、松島
松島海岸郵便局 ; 重文・瑞巌寺五大堂

 その後、仙石線で本塩釜下車。

東北本線でも松島・塩釜駅がありますが、観光地にはやや遠く、仙石線で下車するのが常道。

鉄道の敷設は人の移動よりも物資輸送を第一に置いたという明治初期の国策でしょうね。

塩釜はマグロで有名な漁港。松島湾の海上にある金華山沖は、暖流と寒流が合流する潮目と呼ばれる場所。

世界三大漁場とも呼ばれる漁業の宝庫となっています。

ここへ来たからにはと駅から歩いて鹽竈神社(しほがまじんじゃ)へお参り。言うまでもなく陸奥国一之宮ですが、

表記が塩釜・塩竈・鹽竈と色々あってややこしいですが、頂いたパンフに従うと「鹽竈」になります。

由緒は分からないくらい古いですが、社伝では

『武甕槌神と経津主神が陸奥国を平定した際に、両神の道案内をした鹽土老翁神がこの地に留まり、

人々に塩づくりを教えたのが始まり。』 とあります。

伝説とはいえ平安時代の『弘仁記』にその名が出る古社。海上安全・大漁・家内安全・延命長寿・安産守護と

願い事も何でもござれですから、地元の人々から大きな信仰を受けていたのは明らかです。

社務所で御朱印を御願いすると、

「ここは鹽竈神社と志波彦神社の二社になります。」

という事で、2頁見開きで拝受。思わずギョギョとなりました。

志波彦神社は古来より東山道から多賀城国府に入る要衝に鎮座されていましたが、明治に鹽竈神社に遷祀されたようです。

神社のM&Aですが、仙台市も周辺を合併して政令指定都市に昇格した訳ですから似たようなものでしょうか。

現在の社殿は仙台伊達家によって建てられたもの。四代藩主綱村公の元禄8年(1695年)に着工、

五代藩主吉村公の宝永元年(1704年)に竣工しました。金色に輝いた豪壮な雰囲気ですが、

伊達家としては幕府に睨まれないように財力を減らして建造したと思わせる必要があったのでしょう。

 そういえば芭蕉の『奥の細道』紀行も、日光東照宮の普請を命じられた仙台藩に【ふしん】な動きがないかどうか、

幕府の土木技術者として調査に赴いたというのが裏にあったとか。

嵐山光三郎さんが「芭蕉という修羅」で書いています。成程という感じです。

文学や文化も裏を返せばドロドロとしたものがあるようですね。

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鹽竈神社門前

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鹽竈神社表参道
社殿までは200段の石段を上る。

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鹽竈神社(国幣中社 陸奥国一之宮)
石段先にある随身門

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鹽竈神社の右宮左宮の拝殿
もう一つ、別宮もあるが造りは同様。

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しおがまさま説明書

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しおがまさま御朱印
志波彦神社と鹽竈神社の二組で一体。¥500

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塩釜郵便局 ; 塩竈神社随身門、東洋一の設備を誇る魚市場、マグロ
塩釜西町郵便局 ; 塩竈神社随身門、サクラ

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登米(宮城県登米市) 北上水運で栄えた宮城の明治村と絶品鰻

2019.10.06(23:39) 436

登米に来たか見!(2016.9.22)

<コース>
【往路】県庁市役所前(9:15) → (東日本急行 高速乗合バス) → とよま明治村(10:50)

【復路】とよま総合支所(15:20) → (東日本急行 高速乗合バス) → 仙台駅(16:52)

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とよま明治村
奥の細道で芭蕉も一泊している。

 平成28年のお彼岸は休暇を取って陸奥仙台へ二泊三日の旅。目指すは宮城県下にある小京都二ヵ所。

初日の22日は宮城北部にある明治の村、登米(とよま)へ。

江戸時代は仙台伊達家の支藩が置かれ、すぐそばを流れる北上川水運で栄えました。

町にはかつての武家屋敷や商家が軒を連ねたと言います。

 廃藩置県後の明治2年には登米(とめ)県が置かれますが、僅か2年で仙台県に編入。その後【衰運】に向かいました。

東北本線瀬峰からの私鉄も昭和43年廃線。国鉄の瀬峰・田尻・柳津駅からはいずれもバスで1時間前後と、

文字通り陸の孤島になってしまった感があります。

北海道から九州まで全国に小京都は多々ありますが、飛行機や新幹線で主要都市に着いてしまえば、

そこからは比較的行き易い場所が殆ど。

そんな中で、登米は容易に訪問者を寄せ付けない孤高の姿を誇っている様にも見えます。

 古生物学的な化石は、生物が死んだあと急速に埋没して酸素から遮断され、加えて石化されることが生成の条件。

登米は県庁が置かれたものの直ぐなくなり、交通が不便になった故に明治が保存されている、そんな町でしょうか。

 このように訪れるにも一苦労の町でしたが、最近仙台からの高速バスが1日7本出るようになり、

片道90分かけて行けるようになりました。

 でもバスは10人足らず。途中で降りる人も居て終点まで乗った人は5人。明治村に着いたものの、観光客もちらほら。

折角できた高速バスが廃止にならないか心配です。

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とよま総合支所の脇にある仙北鉄道跡
東北本線瀬峰駅から登米まで敷設された。今あれば新たな観光に使えそうだが。

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登米の反映を支えた北上川

 着いたのは11時前でしたので早目の昼食をと、バス停から近い鰻の有名店「東海亭」に。

すると、これがどこから来たのかと驚く程、車が止まっており行列で1時間待ち。

今は観光よりも歓口の方に重点が移っているのでしょうか?

そこですこし離れたもう一つの店に行くと、ここはすぐ入店できました。実はこちらの方が老舗で落ち着いた雰囲気。

メニューに北上川天然鰻とあったので、訊いてみるとこれは前日までに予約が必要だとか。

天然ではありませんでしたが、ゆっくりと鰻を堪能できました。天然物も¥5000程度だそうで、次回に期待して来たいですね。

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北上川の横にある「清川」
登米にあるのはここと、「東海亭」の2軒。北上川の天然鰻が売りだが生憎予約で完売。

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うな重
ボリューム満点で、¥3600。

 明治村と銘打っていますが、明治の建物は県庁・警察署・小学校の三ヵ所。

武家屋敷と商家がそれにアクセントを添えて独特な街並みになっています。

決して宣伝している風ではなく、そこかのんびりした雰囲気は伊達家よりも南部家の気風に近い気がします。

こうして一通り散策して15時過ぎのバスで仙台へ。半日で回れるのに丁度良い範囲でした。

 戊辰戦争の影響で明治時代は東北地方にとって逆境でしたが、それをばねにして活躍した人物が多かった気がします。

恵まれた環境が必ずしも偉人を出すとは限らない例ですね。先の3.11の復興にも生かされていると感じました。

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街のシンボル重文・旧登米高等尋常小学校
明治21年建設の純木造二階建て。昭和43年まで現役で今は教育資料館となっている。

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小学校の2階バルコニー
校舎の中央に位置している。

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2階バルコニーから見た廊下

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吹抜け廊下と洋風欄干

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当時の教室風景
子供の頃もこんな感じだった?

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これは裁縫(家庭科)の部屋

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警察資料館
明治22年~昭和43年まで登米警察署。洋風バルコニーは小学校と同じ。

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当時の留置場。
中に入ったが重苦しい感じ。

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警察の制服

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当時の取調室
というよりもお白洲と言った方が適切では?

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玄昌石の館
北上川下流に産する黒色粘板岩・玄昌石の生産工程を展示。とよま玄昌石は東京駅の屋根にも使用された高級石材であった。

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水沢県庁記念館
明治4年~明治8年まで水沢県庁として使用。冠木門と入母屋屋根とこれは純和風建築だが、内部には洋風を取り入れている。

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県庁記念館内部

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蔵造り商店街

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これは醸造元

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伊新薬局
江戸期から続く商家で明治27年の建築。左奥の蔵は町内最古。

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海老喜商店
味噌・醤油の醸造元で1833年創業。蔵資料館併設。

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登米郵便局

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高台院御霊屋

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説明板

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伝統芸能伝承館の森舞台

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舞台の床下に設置された甕
共鳴をさせる目的だが、微妙な向きが重要。

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蔵造り通りから1本中に入った武家屋敷通り

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清野邸の棟門

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熊谷邸の四足門
中世の豪族葛西氏邸の裏門を移築したもの。

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武家屋敷の門の説明

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今は医院となっている武家屋敷

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菅野邸は代表的な長屋門

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中町通りに面した武者隠しの家。
玄関が道に対して鋸の歯のようにジグザグになって居り、敵が攻めてきたときに足軽が迎え撃つ。

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武者隠しの説明

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旧鈴木家
江戸時代に紀州から移住。屋敷は「直ご家形式」と呼ばれ築400年以上。今は春蘭亭として見学できる。

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春蘭亭で庭を見ながら一服
塩漬けの春蘭を入れた御茶と里芋の形をした和菓子(ねりきり)。¥500

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登米郵便局 ; 重文・旧登米高等尋常小学校校舎、梅の花

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長瀞七草寺霊場(埼玉県秩父郡長瀞町)

2019.10.05(21:45) 435

無くて七草(2017.9.30)

<コース>
【往路】西武池袋(7:05) → (秩父線快速急行) → 西武秩父(8:47) → 徒歩5分 → 秩父鉄道御花畑(8:59) → 和銅黒谷(9:08→9:41) → 皆野(9:44)

皆野駅前(10:25) → (皆野町営バス 日野沢線) → 札所前(10:49) → 徒歩3分 → 水潜寺 → 札所前(11:24) → (皆野町営バス 日野沢線) → 皆野駅前(11:48)

皆野 → 徒歩5分 → 円福寺 → 徒歩15分 → 万福寺 → 徒歩5分 → 親鼻(13:31) → 長瀞(13:37) → 長瀞観光案内所 → レンタサイクル → 宝珠山神社・長瀞七草寺

【復路】長瀞(16:25) →(秩父鉄道・西武直通) → 西武池袋(18:33)

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荒川のライン下り

 長瀞といえばライン下りで有名な川越と並ぶ埼玉県下の観光名所ですが、

寺院に関しては秩父札所も町内にはなく、寺院も小規模で観光的要素が乏しいのが欠点。

そこで観光客誘致に向けて秋の七草を植えた長瀞七草寺霊場が昭和60年(1985年)に正式オープン。

長瀞観光の新名所にしようという地元の悲願が感じられます。

 先ず宝登山神社の左手にある長瀞山五大院不動寺へ。

1975年秩父札所午歳総開帳前に始まった長瀞火祭荒行を契機として1980年に建立された新しい寺院。

ここは撫子が有名となっていました。

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長瀞不動寺 
撫子の寺。無住のため地元の方が維持管理されている。

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境内の撫子(ナデシコ科)

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カーネーションもこの仲間

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不動寺御朱印

 次に橋を渡って野上駅の向こうに行くと、金玉山多宝寺(きんぎょくさんたほうじ)。

お金に関係がありそうな派手な名前ですが、由緒は古く真言宗で元享元年(1321年)の開創。本尊は十一面観音。

住職は幕末まで三峯山観音院の住職を兼ねたという名刹です。

ここは桔梗が有名ですが桔梗の時期は過ぎていたので、別の花を見ました。

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金玉山多宝寺

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多宝寺本堂前の景色
桔梗寺だが桔梗は終了。境内には紫色の花を付ける草木が植えられている。写真は紫苑。

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多宝寺御朱印

 再び長瀞方面へ向かうと、金嶽山法善寺(きんがくさんほうぜんじ)。

文明8年(1476年)の創建で本尊は阿弥陀如来。

天神山城主の藤田康邦が開基とされます。ここは藤袴の寺でした。

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金嶽山法善寺
ここは藤袴と枝垂桜が有名。

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藤袴(キク科)
藤色で、花弁が袴に似ていることが由来。

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境内の藤袴

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藤袴近影

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吾亦紅(われもこう)
束子みたいですが「私も紅色です!」とアピールしているのが名の由来。

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法善寺御朱印

 この日の最後は線路沿いの東谷山真性寺(とうこくさんしんしょうじ)。

真言宗で女郎花の花。漢字で書くとギョッとしますが、由来は美女(おみな)を圧倒する(へし)美しさに由来し、

花言葉は「約束を守る」といたって健全な意味です。

いずれも大伽藍ではなくお堂が中心。住職が不在の場所もありますが、地元の人が中心に維持管理されているのが特徴。

全行程でも18㎞程度で1日で巡礼するのは十分可能ですが、この日は午後という事もあり、長瀞付近の四ヵ寺のみ。

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東谷山真性寺

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女郎花(オミナエシ科)
黄色い花を付ける。

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男郎花(オトコエシ)
こちらは白い花を付ける。

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真性寺御朱印

 丁度秋の七草寺巡りの最終に当たっていたので、駅からレンチャリで4ヵ所巡礼。

秋の萬葉集で山上憶良が詠んだのが有名ですが名前は知っていても実物を見る機会は意外とありません、

というよりも咲いていても気が付かない事が多いのが現実でしょう。この際、しっかりと覚えることにしました。

地味な花が多いですが、撫子・藤袴・女郎花等優雅な名前が多く、詠まれるのも成程と思います。

因みに古今集以降、桜が圧倒的ですが、萬葉集では萩が最多(咲いた)だそうです。

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巡礼を終えて秩父長瀞駅へ

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宝登山神社(埼玉県秩父郡長瀞町) 日本武尊が祀った神社の御朱印

2019.10.04(20:59) 434

皆野から長瀞へ(2017.9.30)

<コース>
【往路】西武池袋(7:05) → (秩父線快速急行) → 西武秩父(8:47) → 徒歩5分 → 秩父鉄道御花畑(8:59) → 和銅黒谷(9:08→9:41) → 皆野(9:44)

皆野駅前(10:25) → (皆野町営バス 日野沢線) → 水潜寺 → (皆野町営バス 日野沢線) → 皆野駅前(11:48)

皆野 → 徒歩5分 → 円福寺 → 徒歩15分 → 万福寺 → 徒歩5分 → 親鼻(13:31) → 長瀞(13:37) → 長瀞観光案内所 → レンタサイクル → 宝珠山神社

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寶登山神社
御社殿の龍の彫刻

 結願札所巡礼を終えと昼前、帰宅には惜しいと巡礼を続行。

長瀞方面へ行く事にしましたが、昼食後は列車まで時間があったので隣の親鼻まで歩きながら町内を散策。

 駅のすぐ西にある平量山円福寺(ひょうりょうさんえんぷくじ)は秩父地方最古の仏跡と言われる古刹。

平将門の創建と伝えられます。敗走した将門は秩父の城峰山に落ち延び、そこで下野国押領使藤原秀郷に

討たれたという伝説が。一説には討たれたのは将門の弟の将平とも言われ

境内には将平と畠山重忠の父重能の墓と言われる二基の五輪塔が残っているとか。

 真偽のほどは分かりませんが、関東の威勢を中央に知らしめた将門と秩父氏の流れを汲む畠山氏を

寺の由緒に結びつけた感はあります。

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平量山 円福寺(真言宗)

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円福寺御朱印

 親鼻駅に近づくと右手にお寺の案内があったのでここも立ち寄り。

西光山万福寺(さいこうさんまんぷくじ)は秩父十三仏の不動尊を祀る寺。

本尊の脇立ちという扱いですが、お不動さん参りの人で賑わいます。

このような由緒ある二寺ですが、建物全体が新しい事と境内が広い事で古刹の雰囲気はありませんでした。

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西光山万福寺山門

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万福寺本堂

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万福寺御朱印

 長瀞駅でレンタサイクルを借り、西へ1㎞ほど坂を上った所に鎮座するのが寶登山神社(ほどさんじんじゃ)。

秩父神社・三峰神社と共に秩父三社の一つ。古くから農商の神・火防盗難除けの神として関東一円の信仰を集めてきました。

唯、神社自体は新しく明治2年(1869年)の再建。本殿・幣殿・拝殿より成る権現造で、

欄間には多くの彫刻が【ほど】こされています。社伝に拠れば、

『日本武尊が東征の折、宝登山玉ノ泉で禊ぎをした後、山に登ると賊の放った火に囲まれた。

その時、巨犬が現れ身を挺して火を消し止め、命を無事山頂まで導いた。

後にその犬が大山祇命の使いであることを知った命は大山祇命と火産霊神を祀った。

これが宝登山神社の由来で、名前は火を止める「火止(ほと)山」、或いは和銅の精錬のあった「火所(ほと)山」に由来する。』

とあります。

 火攻めは古代では有効な戦法。日本武尊は駿河の地でも敵に焼き討ちを受けますが、

その時は持っていた剣で草を掃って危機を脱しました。そこから焼津、草薙の剣の名前ができた訳ですが、

今回剣は使用せず。東征中ならば携行していた筈ですから、なにか使えない事情があったのでしょうか?

 山麓には本殿が、山頂には奥宮は鎮座されていますが、元来は山自体を御神体とする自然信仰の可能性が大。

山麓と山頂に社がある理由として日本武尊の東征と山頂への遥拝の伝説を創ったとも思えます。

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寶登山神社入口へ到着

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長瀞 寶登山神社
110年、景行天皇の御代に創立。御祭神は神日本磐余彦尊(神武天皇)。

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寶登山神社御社殿の龍の彫刻

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二十四孝を描いた欄間

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欄間の説明

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寶登山神社 参拝のしおり

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寶登山神社御朱印

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水潜寺(埼玉県秩父郡皆野町) 日本百観音霊場結願の御朱印

2019.10.03(21:34) 433

ヒガンを越えてマン願成就(2017.9.30)

<コース>
【往路】西武池袋(7:05) → (秩父線快速急行) → 西武秩父(8:47) → 徒歩5分 → 秩父鉄道御花畑(8:59) → 和銅黒谷(9:08→9:41) → 皆野(9:44)

皆野駅前(10:25) → (皆野町営バス 日野沢線) → 札所前(10:49) → 徒歩3分 → 水潜寺 → 札所前(11:24) → (皆野町営バス 日野沢線) → 皆野駅前(11:48)

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日沢山 水潜寺(曹洞宗 秩父三十四ヵ所札所結願札所)

 長月最後の土曜日、残った秩父34ヵ所を巡礼。34番水潜寺は、皆野駅から山道を8㎞行った先。

結願札所は谷間の樹林に囲まれた静かな場所で、神秘的な雰囲気が漂います。

 日沢山水潜寺(にったくさんすいせんじ)は、秩父三十四ヵ所の結願札所。

本堂の右手には「水くぐりの岩屋」と呼ばれる石仏のある岩窟があって湧水が。

巡礼者はここの水で身を清めて巡礼を終えるのが習わし。水潜寺の寺号はここから来ました。

本堂は文化11年(1814年)の再建。信者の供米の売却金を元にしたと言われ、

格子戸の上には極彩色の飛天、天井には花鳥が描かれています。

 本堂前には「お砂踏み」の台があって、昭和29年1954年に当時の住職が全札所を回って集めた砂が入れてあります。

この上で、阿弥陀如来・薬師如来・千手観音を拝めば百観音巡礼した功徳があるとか。

いつの世でも楽をしようとする人は居るものですが、交通機関が未発達の時代は札所巡りも

一生の間に成就できるかどうかの大仕事。今とは違った見方が必要です。

御朱印は本堂横で拝受。若い住職が対応して下さいました。

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秩父鉄道和同黒谷駅ホーム
ここで採掘された銅が最初の貨幣和同開珎に使われたそうで、ホームにはモニュメントが。マンホールではない!

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和銅黒谷駅舎

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秩父鉄道皆野駅前にて
水潜寺へはここからバスに乗車。

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札所前バス停の渓流

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渓流の岩

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日沢山水潜寺入口
秩父34ヵ所結願だけでなく、西国・坂東33カ所も含めた百カ寺の結願。参道では石仏さんがお出迎え。

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入口の寺標

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満願に向けて参道を行く

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水潜寺讃佛堂
ここで若く話上手なお坊さんから御朱印を拝受。

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観音堂(本堂)
方形屋根、四間四面の建物で寛政の頃の建造。手前には百観音のお砂踏みがある。

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観音堂前面

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観音堂前面の彫刻

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水潜寺の奥へと続く道
崩落の恐れがあるため通行禁止。左手にあるのが寺名の由来となった清水の湧く岩屋。

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水潜寺境内の湧き水
岩屋から引いた水潜りの天然水で、これが寺名の由来。右のお不動さんに3回かけて3回願い事をするとか。

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湧き水

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水潜寺境内   
俳句協会会長の金子兜太氏は皆野町の出身なので投句ポストが彼方此方に。

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水潜寺御朱印

 札所までの町営バスは1日5本。【日に沢山】には程遠い数でしたが、このバスに乗って札所前で下車すれば、

巡礼を終えた頃合いに、折り返しのバスで駅に帰る事ができました。難所を予想していましたが、あっけなく成就。

同時に関東地域御朱印帳も3冊目が終了というマンガのような落ちになりました。

 皆野駅に戻ったのは丁度昼前。秩父路の昼は蕎麦で済ますことが多かったのですが、満願したので川魚料理と奮発。

こちらも【鰻願】となった一日でした。

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皆野駅前の「坂本屋」にて「川魚料理」を食べ鰻願成就

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丸1匹入って¥2800で、東京よりも¥1000程安め。

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駅前にはもう1件「川魚料理」の店「吉見屋」もあり次回はこちら?

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皆野町マンホール蓋

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穴太寺(京都府亀岡市) 二つの本尊のある西国札所の御朱印

2019.10.02(23:11) 432

種々の逸話と庭園に彩られた札所(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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菩提山 穴太寺(天台宗 西国三十三ヵ所第二十一番札所)

 山寺に参拝し、午前中に留守だった寺社を再訪した巡礼の〆は西方浄土の札所へ。

 菩提山穴太寺(ぼだいさんあなおうじ)は、縁起に拠れば

『慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂によって薬師如来を本尊として建立。

当初は穴穂寺、菩提寺とも称された。

 本尊は「身代わり観音」と呼ばれるが『扶桑略記』にはその説話が載る。

郡司・宇治宮成は粗暴で貪欲な男であったが妻は信心深い女性であった。

その妻の勧めで応和2年(962年)に宮成が仏師感世(かんぜ)に木彫りの聖観世音菩薩を造らせ奉納。

その礼として愛馬を与えたが、宮成は惜しくなって帰り道で感世を射殺。

馬を持ち帰った宮成が聖観音を見ると胸に自分の矢が突き刺さっている。

人をやって確かめると、感世は盗賊に襲われたが観音様の加護で難を逃れたとの由。

宮成は己の非を悔い、仏道に入り傷ついた観音様のために穴太寺を建て安置した。』 とあります。

 開基・中興と二人出て来る訳ですが、真実はどうなのか?

大伴古麻呂は遣唐使として入唐し鑑真を連れて帰国した人物。

後に橘奈良麻呂の変に連座して「杖下に死す」となりましたが、我が国の仏教界に与えた功績は大です。

一方「身代わり観音」の伝説は「今昔物語」ありますが宮成・感世の名はなし。

恐らく大伴古麻呂は後からの付け足しで、宮成とされる人物が事実上の開基。

無名なために箔を付けるために身代わり観音の霊験譚が出来たと考えるのが無理がなさそうです。

 本尊はその後盗難にあったとかで、今は模刻。仏師の身代わりになった観音様も盗人は防げなかったようです。

穴太という名から石積みの穴太衆と関係があるかと思いましたが、訊くと無関係でした。

 寺が飛躍するのは花山法皇が西国札所として以降ですが、天正年間と享保年間には罹災し、

多くの建物はその後の再建となっています。

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途中の栗園に咲く曼殊沙華

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穴太寺仁王門
南から真っすぐに街道が突き当たる場所に建つ。17世紀中頃の再建で三間一戸の八脚門。

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仁王門から見た境内

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文化元年(1804年)再建の多宝塔
亀岡市内で唯一の木造塔で、内部には釈迦如来と多宝如来を安置。

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享保20年(1735年)再建の本堂(観音堂)
本尊は薬師如来と聖観世音菩薩。

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本堂の瓦屋根は三間向拝がつく。

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本堂前の扁額

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本堂前は札所らしく広い吹き放しの外陣が

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本堂右手の納経所(御朱印所)
札所なので二人が対応されていた。

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納経所横の念仏堂
宝永2年(1705年)建立の寄棟造で、本尊・阿弥陀如来坐像を安置。

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地蔵堂と宇治宮成の墓所と言われる石造物

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地蔵堂前の庭

 このように創建時・中興時と逸話に彩られますが、明治以降にもこんな話が。

『明治29年、娘の病気平癒を願う大阪に住む女性が夢に穴太寺の釈迦涅槃像を見た。

女性は穴太寺に赴き住職に夢の話をするが、そんな仏様はどこにもない。

不思議に思って寺中を探すと本堂天井裏から夢に現れた釈迦涅槃像が見つかった。

女性が娘の着物で像をなでると病は快癒した』 と言われます。

 昔ならば奇跡譚で片付けられますが、明治時代の事なので全くの嘘とも言い切れません。

恐らく、病気の平癒と涅槃像の発見が偶然重なったので、このような伝説となったのでしょう。 

 本堂の二体の御本尊は秘仏ですが、釈迦涅槃像は本堂最奥に安置。

自分の病気の箇所と同じ涅槃像の個所を撫で、自分の身体をさすり返すと御利益があるとか。

布団が掛けてあるのは快癒した方からの奉納だとか。結構御利益があるのでしょうか?

 参拝と御朱印拝受の後は西側にある円応院の庭園拝観。26年前に参拝した時は庭園には全く気付かず。

受付の方に尋ねると昭和時代から拝観しているそうで、私が気付かなかっただけでした。

唯そういった人は多いそうで、納経所は人がいましたが庭園拝観していたのは私だけ。

当時は訪れても何も考えていなかったのだと、【あな往時】を回顧することになりました。

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本堂西にある円応院を拝観
方丈及び庫裏を併せた呼び名。

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玄関車寄
ここから左手が方丈に当たる。

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円応院入口から本堂へ続く渡り廊下
右の表門は宝永2年(1705年)建立の薬医門。

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渡り廊下から本堂を見る

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渡り廊下からみた多宝塔と表門

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本堂内陣への入口

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本堂横からの眺め

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数奇屋風味の方丈の主座敷

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方丈の襖絵
これは穴太寺の境内を描いた狩野派の絵画の複製。

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書院造の部屋より西の露地庭を望む

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西の露地庭の向こうにある茶室

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書院の南にある名勝・穴太寺庭園
多宝塔を借景として築山を設けており、左より水が流れ出る。

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庭園の中央部
園池の背後には段状に二列の石組みを配し横長の石を水平に置くことで安定感を出している。

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方丈廊下から見た庭園西側
池岸には舟付があり、沖合に向け出舟の形式がとられている。

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境内遠景

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穴太寺説明書

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今回拝受した穴太寺御朱印
薬師如来の別名「醫王善逝」と墨書。

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26年前に拝受した西国札所御朱印
余りにも達筆だが、「聖大悲殿」と墨書してある。

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南条郵便局 ; 西国二十一番札所・穴太寺多宝塔、蓮

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金輪寺(京都府亀岡市) 神尾山城跡に建つ修験道の古刹

2019.10.01(22:12) 431

駅から遠い【きんりん】寺(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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神尾山 金輪寺(本山修験宗系単立)

 桔梗寺に続き、いよいよ山中の寺へ巡礼。

麓の郵便局で尋ねると、「横のみちを真っすぐですが、結構な距離の山道ですよ。」 との事。

地図で見ると1㎞程度に見えましたが、実際に登り口に行くと「この先2.2㎞」の表示。といって今更引き返すのも嫌なので、

「山道を行けるところまで自転車で行き、残りを歩く」 と決めて出発。

ところがいざ走り出すとどんどん上っていき、気が付くと山門前に。こういった場合、電動自転車は本当に便利で役に立ちます。

 神尾山金輪寺(かんのおさんきんりんじ)は、寺伝では

『延暦2年(783年)西願上人によって天台宗寺院として創建。

本尊・薬師如来は奈良時代の作といわれ、本朝最初の医学書『医心方』を著した丹波康頼の念持仏とされる。

その後、一時衰退するが寛治年間(1087~1093年)に栂尾高山寺の明恵上人により再興、境内には多くの堂宇が並んだ。

戦国時代には明智光秀の丹波平定の居城の一つ神尾山城が山の続きにあり、

波多野氏兄弟が人質として連れて来られたのがここと言われる。

幕末の黙仙和尚は勤皇僧で安政の大獄で処刑された頼三樹三郎の供養塔がある。』

とあります。修験道の道場でありますが、時代毎に政治的な動きをしています。

僧侶は俗世とは縁を切った筈ですが、なかなかそうとはいかないようです。

 石段を上った左には鎌倉時代作の重文・石造五重塔があり大きな屋根の本堂が正面に控えます。

凛とした境内には人も居らず、開いていた扉から本堂へ入り本尊参拝。

本堂内には大きな仁王像があり、由緒記にあった正安3年(1301年)仏師定有作の金剛力士像がこれでしょうか。
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金輪寺へと続く山道
このような道を2.2㎞上る。

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入口へ到着

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寺標

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金輪寺説明板

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本堂へ続く石段

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境内の様子

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本堂正面

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屋根の勾配が美しい

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本堂前面
鰐口は永徳2年(1382年)とある。

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花型の窓の向こうに仁王像が置かれている

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本堂から境内を見る
天文3年(1534年)の銘がある梵鐘は左の鐘楼のものか?

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右は鎌倉時代の五重石塔、左は江戸時代の九重石塔

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正応5年(1292年)建造の重文・五重石塔

 その後、寺務所へ伺い御朱印を拝受。御住職の話では

「ここは観光寺院ではないので、観光設備は一切ございません。今年になって来られた方はあなたが初めてです。」との事。

本堂へお参りした話をすると、部外者は入れないそうで扉を閉め忘れていたとの話。

怒られるかと思いましたが、そんな事はありませんでした。檀家さんが160家程あるそうで、それで寺を維持しているそうです。

 「来て頂いても何も見て頂くものはないので」と御住職は仰いましたが、私的には見所は多いと感じました。

観光を謝絶している訳ではないですが、呼び込む事はしていないという事でしょう。

修験道ならばそれが本筋ではありますが…。

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寺務所の前庭

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寺務所からの景色
御住職の話では標高340mほど。

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本堂裏にある西国三十三ヵ所のお砂踏み
ここを巡礼すると三十三ヵ所に参拝した功徳があると言う。右奥は頼三樹三郎の墓碑。

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境内に生えるオオモミジ
イロハモミジの自然変種。

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半国山への道
神尾山城があったとされる。

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金輪寺御朱印
本尊・薬師如来を表す梵字「えい」。

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亀岡宮前郵便局 ; 木造金剛力士立像、重文・金輪寺五重石塔、半国山

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桔梗寺(京都府亀岡市) 光秀所縁の水色桔梗の御朱印

2019.10.01(08:15) 430

ききょうした光秀の魂(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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清瀧山 谷性寺(真言宗大覚寺派)

 薭田野神社参拝後、湯の花温泉を通り過ぎて更に進むと「ききょうの里」の看板が。

清瀧山谷性寺(せいりょうざんこくしょうじ)は、由緒記に拠れば、

『平安時代の創建と伝わる真言宗の古刹。本尊の不動明王は丹波亀山城主明智光秀公が崇拝し、

本能寺の変では本尊に祈願を掛け見事本懐を遂げたと伝わる。

天正10年(1582年)光秀公が山崎の合戦後、無念の死を遂げると、従者が公に所縁の当寺に墓碑を建立。

更に安政2年(1855年)には志士により首塚ができた。』

とあります。

境内や門前には桔梗が植えられ谷性寺は桔梗寺、周辺はききょうの里と呼ばれますが、

これは光秀公の家紋の桔梗に由来。明智家の家紋「水色桔梗」は明智氏本家の土岐家の家紋。

土岐家発祥の地は、桔梗の咲く場所で桔梗の古語「岡ととき」が氏の由来だそう。

光秀もこの紋に誇りを持っていたようで、当時としては珍しい色付きの家紋だったようです。

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道路から見た「ききょうの里」
右奥の赤い屋根が谷性寺。丁度、稲刈りの最中。

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谷性寺入口
山門前の三本の枝垂桜が見事。

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寺の由緒記

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山門へと続く石段
右の生垣はお茶らしい。

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山門近影

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山門の扉にある桔梗紋

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寺の右手にある明智山門
丹波亀山城の門を移築したものか?

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明智山門から境内を見る

 午前中に訪れた時は不在で御朱印は頂けませんでしたが、帰り道に伺うと住職が居られ御朱印を無事拝受。

明智に倣い水色桔梗の印でした。

御住職の話では、訪れる人は殆ど自家用車で、駅から自転車で来た人は私が二人目。

もう一人は台湾からの観光客との事。台湾でも光秀はブームなのでしょうか?

 境内の草木の説明もして頂きました。桔梗と言えば秋の七草と思っていましたが、

この辺りの桔梗は初夏が見頃。丁度農閑期に当たっているそうです。

その時に咲いた花を切ると秋には再び花を咲かせますが、農家では稲刈りが忙しくて対応できないそうです。

勿体ない話ですが、米作優先は致し方ありません。

境内には水色桔梗が咲いていましたが、他にも白色、斑入りや八重があるそう。初夏にはさぞ壮観でしょう。

 桔梗が有名ですが、その他にもツワブキ、ヒオウギ、牡丹、木蓮、茶があり、茶には今時珍しいカラスウリが。

御住職の話では種が大黒様の形をしているので、引き抜かずにいるとか。

子供の頃は赤い実をぶつけて遊びましたが、これは初耳でした。

圧巻は山門前の3本の枝垂桜。満開の時期は艶やかでしょうが、場所のためか来る人も少ないようです。

草木の管理もさぞ大変でしょうと言うと、

「お寺の予算では松の木の対応が精一杯で、草花は全てこちらで管理です。私が寺に来た時は庭も荒れ放題で、

引き抜こうと思ったのですが、先代住職のたっての願いで管理しています」との事。

どこのお寺も維持管理は大変ですが、ここも例外ではない様子。

 首塚ができたのは300年近く後ですから、実際に光秀の首が葬られた可能性は小。

地元への貢献度が高かったという証拠でしょう。

私が日本史を始めて習った当時は、戦国武将では明智光秀は主人殺しの大悪人、

石田三成は主家を滅ぼした奸臣と【こくしょう】されていました。

それが最近はその政治的手腕が見直されていることを思えば、人物の歴史評価は棺桶を覆っても未だ定まらない感があります。

志半ばで無念の死を遂げた光秀ですが、その魂は【土岐】を越えて、領地に【桔梗】した事で安住の地を得たと言えそうです。

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不動明王を祀る本堂

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正面から見た本堂
幕にも桔梗紋が。

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境内の様子
カイヅカイブキの向こうが山門

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光秀公首塚

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鐘楼付近から見た境内

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境内の桔梗

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境内の桔梗

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谷性寺御朱印

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薭田野神社(京都府亀岡市) 五穀豊穣を祀る奈良時代の古社

2019.09.30(23:21) 429

薭田野、あれ?(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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薭田野神社(延喜式内)

 長月も末の六日、10月からの消費税値上げを前に来年の大河『麒麟がくる』に所縁の【近隣】の亀岡へ。

京都の奥座敷と呼ばれる温泉街で、かつては雄琴・芦原と並ぶ歓楽街。

しかし今は雄琴と同様に女性客をターゲットとしたしっとり落ち着いた温泉に脱皮しています。

 温泉街は駅から5㎞程離れていますが、今回の行先は更に7㎞奥にある修験道の古刹。

かつては駅からの移動手段はバスと徒歩のみでしたが、いまは駅前にレンタサイクルがあり早速利用。

最近はレンタサイクルを設置する駅が増えていますが、これも電動自転車の普及のお蔭。有難い事です。

その途中、大石酒造や立派な家屋が並ぶ街道を抜けると奈良時代創建の古社に到着。

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京都の奥座敷 湯の花温泉
これは西側入口で奥に猪像が建つ。

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駅から温泉へと続く街道には趣のある家屋が続く

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㈱西田寒天商店とあったから、寒天を商う会社か?

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これは佐藤医院とある

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ここは大石家とあるから酒造の家か

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大石酒造
丹波の地酒を造って居り、資料館併設、見学もできる。

 温泉入口にある薭田野神社(ひえたのじんじゃ)は、奈良時代創建という古社。由緒記に拠ると、

『約三千年前に、この地に住み着いた人々が、現在の社殿の奥に土盛りをして食物の神、野山の神を祀ったと伝わる。

その後、和銅2年(709年)丹波国守大神朝臣狛麿が朝廷の命で、土盛りの前に社殿を造営。

佐伯郷の産土神として国家安泰と五穀豊穣を祀ったのが神社の起こりである。

更に貞観元年(859年)5月の大雪の際に清和天皇が勅使を遣わし稲の生育を祈らせ、

寛喜元年(1229年)には後堀河天皇が御所灯籠5基を下賜して豊作を祈らせた。

これが現在まで伝わる佐伯灯籠の起源になっている。』

とあります。

 古来より、五穀豊穣の神として敬われた事が分かります。

御祭神は三柱ですが、筆頭は保食命(うけもちのもこと)。この名からも食物神であることは明白。

8月14日の灯籠祭りでは1基の台灯籠が町を練り歩き、雛人形のような小さな人形浄瑠璃が演じられるとか。

これはお盆の精霊送りの流れでしょうか?

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平安神宮大鳥居に次ぐ京都府下で二番目に大きい鳥居

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駐車場から見た境内

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正面から拝殿を見る

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神社由緒記

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前拝殿(舞殿)

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左から前拝殿、拝殿、本殿と続く

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拝殿横の「石の環くぐり」
願い事を念じながらくぐると願い事を達成する体力を授かるとされる。

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京式八角石燈籠
源義経奉納と伝わる鎌倉時代を代表する石像美術品。

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必勝願掛石
自分が最後までやりきる気力を授かる。表面には大小の白蛇の図柄が見えるとか。

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鎌倉時代の本殿の礎石

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境内にある「癌封治瘤の木」
この瘤を一心こめて撫でると癌に罹病しないとの御利益があるそう。

 午前中は、社務所は閉鎖でしたが、2カ寺巡礼後の昼過ぎに再訪すると神職が居られ、御朱印も拝受。

神職からも貴重なお話を伺うことができました。

「昔は、“日恵田神社”と記載したようで、五穀を祀ったのは間違いないでしょう」

稗田阿礼との関りを尋ねると、

「阿礼はこの地の生まれという事で、御祭神とは関係ないのですが、1300年記念に祀っています。」との事。

稗田阿礼の稗は神社と異なり草冠がありませんが、この字は奈良朝以降に登場するようです。

神社の名前に遠慮して変えたのかもしれません。

来る前は、神社と人名の漢字の違いに【あれ?】と思いましたが、これで疑問も氷解です。

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境内奥の稗田阿禮社
古事記編纂に功績のあった稗田阿礼がこの地に住んだという伝説によりできたもの。

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稗田阿禮社の祠

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稗田阿禮の説明

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和銅禊の池
創建当時の里人がここで禊して豊作と無病息災を祈ったと伝わる。

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境内の大シラカシ

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境内に広がる鎮守の森

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薭田野神社由緒記

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薭田野神社御朱印
書かれたものを拝受。

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佐伯郵便局 ; 佐伯灯籠(人形浄瑠璃)、さくら石、湯の花温泉の街並み

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建長寺(神奈川県鎌倉市) 鎌倉五山筆頭の御朱印

2019.09.30(08:54) 428

堅調時は続かない!(2015.9.22)

<コース>
JR北鎌倉 → 徒歩15分 → 建長寺

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巨福山建長禅寺(臨済宗建長寺派大本山)
これは唐門。尚、唐門とは屋根が唐破風(湾曲した破風)になっている門の事で、中国風という意味ではない。

 関西から来た人に少しの時間ですが、鎌倉を案内することに。

さて何処にしようかという事で、駅近で五山第一の建長寺へ。

 正式名は巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)、鎌倉五山第一の格式を誇ります。

京都にも五山がありますが、お寺の人の話では五山の称号は鎌倉の方が先んじたそうで、それがお寺の誇りでもあるのでしょう。

『建長5年(1253年)五代執権北条時頼が南宋から招いた蘭渓道隆(大覚禅師)を開山として創建。

創建時の元号を寺号にした。創建した場所は地獄谷と呼ばれた刑場の地。

かつて心平寺という寺があったが、廃寺となり地蔵像を祀る地蔵堂だけが残った。

頼朝の家臣済田左衛門という人が地獄谷で処刑されそうになった時、日頃信仰していた一寸八分の地蔵立像に救われ、

その地蔵立像を地蔵の胎内に納めた。これが建長寺に移され本尊となった。

禅宗の大本山にしては珍しく地蔵菩薩が本尊なのはこのような理由に拠る。』

とあります。死者の魂を鎮魂する目的があったかどうかは分かりませんが、

名執権と言われた北条時頼も幕府御家人三浦氏を滅ぼすなど血腥い面があったのは否めません。

 禅宗自体は以前にも日本に伝わっていましたが、総て他宗派との兼学寺院。禅宗単独はこの建長寺を嚆矢とします。

蘭渓道隆はその後、京都・甲斐と移りますが、再びか鎌倉に戻り弘安元年(1278年)66歳にて入寂。

死後、後宇多天皇より本朝初の禅師号、大覚禅師を賜りました。 

 二代目も南宋から招いた兀庵普寧(ごったんふねい)と中国からの住職が続きますが、

その頃の南宋は北のモンゴルに攻められ末期状態。

日本に新たな開拓の場を求めたか、南宋を救おうと来朝したかは謎ですが、尋常な状況ではなかったのは確かです。

余談ですが、兀庵普寧は論争好きで相手構わず論争を仕掛けたので「ゴタゴタ」の語源になりました。

 伽藍と境内は鎌倉第一に恥じないもので、鎌倉文士であった澁澤龍彦氏も美しい物として建長寺の庭を挙げています。

しかし戦乱・天災で殆どが焼失。建造物が江戸時代以降のものとなっているのは、時代の流れは如何ともし難いと言う事でしょう。

ここで出された精進汁が「建長汁」で後の「けんちん汁」になりました。物は消滅しても名前は残る典型ですね。

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庭園と方丈(龍王殿)
作庭は開山・大覚禅師で日本最古の禅庭園。

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同じく庭園と得月楼

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境内に咲いていた彼岸花
白色は珍しいので撮影。

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鐘楼
国宝・梵鐘は建長7年の鋳造で、大覚禅師による建長禅寺の銘が浮彫りにされている。

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建長寺説明書

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建長寺御朱印

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江ノ島弁天(神奈川県藤沢市) 日本三大弁天の御朱印

2019.09.29(20:42) 427

祈願者に勝たせ江ノ島弁天(2017.9.24)

<コース>
JR北鎌倉 → 徒歩3分 → 円覚寺 → 徒歩10分 → 明月院 → 徒歩15分 → 江ノ電鎌倉 → 江ノ島 → 徒歩20分 → 江ノ島弁天

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江島神社
朱塗りの大鳥居の奥にある瑞心門。ここが神社の入口になる。

 彼岸の〆は江の島へ、17時閉門の直前ギリギリセーフでした。

今は橋で繋がっていますが、かつては陸続き。福岡の志賀島と同じ陸繋島と呼ばれる地形でしたが、

約2万年前の完新世(沖積世)の地殻変動で孤立した島となりました。

 『江ノ島縁起』に拠れば、

『昔、五頭龍が人々を苦しめていた。欽明朝の頃、俄かに天地が揺れ暗雲から天女が、海中からは島が出現。

天女は龍の求婚を受け入れる代わりにおとなしくさせた。これが江の島明神の起源となった。』

とあります。

 養和2年(1182年)源頼朝は平家追討を祈願し弁財天を勧請。江の島明神は神仏混交となりました。

厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁天。弁天様は島が好きなようです。

 建久元年(1190年)には鎌倉幕府初代執権の北条時政が参籠して子孫繁栄を祈願。すると美女が現れ願いを叶えると約束。

北条時政はその美女が竜神の化身であることに気付き、残した三枚の鱗を家紋にしたと伝わります。

これは『太平記』に載る話ですが、北条氏の家紋起原としては出来すぎた話。

恐らく鎌倉時代を通じて崇拝されていた江の島明神を家紋の由来に結び付け家門の格付けを謀ったのでしょう。

 このように鎌倉幕府とも深い縁があった江の島明神はその後も崇拝を受け、江戸時代には庶民の江の島詣でに発展します。

江戸時代にあって参詣は手軽な旅行。現代に続くリゾート地江の島はこの時代に形作られたと言えるでしょうか。

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境内にある石像

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奉安殿(弁天堂)
弁財天が安置される。

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境内から見る江ノ島大橋

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江島神社御朱印

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早目の夕食は江ノ島にて二色シラス丼

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江ノ島大橋からの夕暮れ

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江ノ島郵便局 ; 江ノ島、ヨットハーバー、ヨット、カモメ、富士山

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明月院(神奈川県鎌倉市) 紫陽花寺の超絶御朱印

2019.09.29(09:01) 426

紫陽花寺の有為転変(2017.9.24)

<コース>
JR北鎌倉 → 徒歩10分 → 明月院

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福源山 明月院(臨済宗建長寺派)
これは拝観口を入った所にある茶室・月笑軒

 円覚寺に続き明月院へ。

紫陽花寺で超の名が付く有名寺院ですが、戦後荒廃した境内に住職が紫陽花を植えたのが始まり。

その歴史は新しく紫陽花寺の呼び名も最近のものです。

 福源山明月院(ふくげんさんめいげついん)の由来は複雑で

『元々は五代執権北条時頼が康元元年(1256年)に別邸に創建した持仏堂の西明寺が嚆矢。境内には時頼の墓があります。

時頼の死後廃絶していた寺を文永5年(1268年)息子の時宗が蘭渓道隆を開山として再興。名も禅興寺に改名します。

その塔頭として関東管領・山内上杉憲方が密室守厳を開山として創設したのが明月院。永徳3年(1383年)以前の事とされます。

塔頭としてスタートしますが、戦国時代は後北条氏の庇護もあり本寺を凌ぐ勢い。その後、数多くあった塔頭も消滅。

禅興寺も明治に廃寺となったため、明月院だけが独り勝ちになって残りました。』

と言うのが大まかな流れ。禅興寺の塔頭だったため山号はあっても寺号はないのはそのためです。

子寺が親寺をひっくり返したようなものですが、これはよくある話。

政治の世界でも関東管領が鎌倉公方を凌ぐことがあった訳ですから驚くに足りません。

 北条時頼が登場する謡曲「鉢の木」はフィクションでしょうが、夜中に友人宅を訪れ皿に残った味噌で酒を楽しんだと

徒然草にある位ですから、質実剛健を地で行く人だったのでしょう。

彼も37歳で没。政治と言うものは、人の命を削るものだというのを実感します。

 昼食は、近くの「鉢の木」にて。名前の由来は言うまでもありませんが、鎌倉を代表する食事処。

北条時頼のように質素という訳には行きませんが京料理に比べて質実な内容なのは鎌倉武士の影響でしょうか?

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山門をくぐった正面にある本堂(方丈)・紫陽殿
中に入って参拝可能。本尊・聖観音菩薩、脇に釈迦如来が祀られている。

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明月院方丈の悟りの窓
窓の向こうの後庭園には花菖蒲が咲く。

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開山堂・宗猷殿
開山の密室守厳像が安置されているが密室ではなく開放している。

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開山堂横の切通

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明月院やぐら
平治の乱1159年で戦死した豪族を弔ったもので、間口7m・奥行6m・高さ3mと鎌倉では最大。二仏像と十六羅漢が浮彫りされた仏殿的な墳墓堂である。

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明月院説明書

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明月院御朱印
年配の男性の書。字体に加え全体の構図も芸術的な墨書である。

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昼食は北鎌倉の「鉢の木」新館にて

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円覚寺 佛日庵(神奈川県鎌倉市) 執権北条時宗の眠る塔頭の御朱印

2019.09.28(22:56) 425

元寇に生涯を捧げた北条時宗(2017.9.24)

<コース>
JR北鎌倉 → 徒歩3分 → 円覚寺

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瑞鹿山 円覚興聖禅寺 佛日庵(臨済宗円覚寺派 塔頭寺院)

お彼岸最終日、遠隔地はきついので近隣の鎌倉へ。

鎌倉五山第二位の円覚寺は元寇の死者を弔うために八代執権北条時宗が建長寺の無学祖元を招き弘安5年(1282年)に建立。

弘安の役の年ですが、時宗は二年後に死去。円覚寺に葬られますが、その廟所が塔頭の佛日庵となりました。

後の9代執権貞時、14代執権高時もここに合葬されます。二人は時宗の子と孫で北条得宗家。

他にいくらでも場所はあったでしょうに、わざわざ同じ塔頭に入ったのは、それだけ時宗の功績を評価しての事だったのでしょう。

平均寿命が短いとはいえ、34歳は如何にも早い。

有史以来の国難に向かったので心身ともに疲労困憊だったに違いありません。

まるで元寇のために生まれてきたような走馬灯の様な生涯でした。

 元寇では神風が強調されがちですが、国内の世論をほぼ統一させ外敵に当たったのが一番の勝因でしょう。

無敵と言われたモンゴルも爪哇・越南・埃及では敗退、事前の内部切り崩しが功を成さなかった例ですね。

700年以上前の話ですが、今の困難な御時世にも当て嵌まるのではないかと、過去の英霊の前で思ったお彼岸ではありました。

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佛日庵入口

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北条時宗の廟所・開基廟
文化8年(1811年)の改築。十一面観音と時宗・貞時・高時の木像を安置する。

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開基廟の屋根裏部分

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佛日庵の苔庭

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林家木久蔵師匠の作庭
拉麺だけではなく作庭もできるとは!

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庭で見た紫式部

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開基廟のしおり

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佛日庵御朱印

佛日庵参拝の後は境内を一巡。

向かいの岸壁にある白鹿洞は開山の日に白鹿の大群が現れ祖元の説話を聞いたとか。

【そげん】な事があるのかと思いますが、山号の瑞鹿山(ずいろくさん)はこれに由来するのでしょうね。

因みに寺号は寺の起工の時に地中から円覚経が出土した事が由来。

どちらも偶々出てきたものが名前になった訳ですが、出て来なかった場合はどのような名を付けたのか興味をそそられます。

続いて未訪の高台へ。以前に見た番組で高台にある甘味処を紹介していたという不純な動機ですが、行って見ると店はなし。

その代わり塔頭龍隠庵から方丈他の全景を始めて見渡すことが出来、足を運んだ甲斐がありました。

北条氏家紋「三つ鱗」は龍の鱗を表わしたもの。円覚寺には龍の名の付く塔頭が多いのもそのためでしょう。

円覚寺訪問は4度目ですが今回はゆっくり回ったがために様々な新発見があり、まさに眼から鱗でした。

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佛日庵の向かいにある白鹿洞(はくろくどう)

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塔頭龍隠庵から方丈他を望む

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円覚寺方丈横の彼岸花

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円覚寺唐門の彫刻
東洋の龍は翼がないが、ここは持っている。ドラゴンと言った感じ。

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大方丈への唐門
天保10年(1839年)再建の向唐門。

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円覚寺方丈と庭園
本来は住職の居間であるが、今は多目的に使用されている。

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方丈廊下より見た心字池を中心とする禅宗式庭園

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白い彼岸花

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天井の龍画

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国宝・円覚寺舎利殿
唐様の代表的建造物として教科書にも載っているが、この日は拝観していないので外観のみ。

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円覚寺説明書と拝観券

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円覚寺御朱印

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筑波山大御堂(茨城県つくば市) 名峰筑波山にある札所の御朱印

2019.09.27(20:25) 424

山頂につくばねがガマんのしどころ(2015.9.20)

<コース>
【往路】秋葉原(7:00) → (つくばエクスプレス) → つくば(7:45)

つくばセンター(8:00) → (シャトルバス) → 沼田(8:29) → 徒歩40分 → 大御堂 → 徒歩5分 → ケーブルカー → 筑波山頂 → ロープウェイ → つつじが丘(14:00) → (シャトルバス) → つくばセンター(14:50)

【復路】つくば(15:11) → (つくばエクスプレス) → 秋葉原(15:56)

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筑波山大御堂(真言宗豊山派 坂東三十三ヵ所第二十五番札所)

 彼岸の二日目、悲願のつくば山詣でに行きました。

西の富士、東の筑波と称賛され古より信仰の対象。

標高は千に満たないですが関東平野の広い場所から見えるという事が根底にあるのでしょう。

「山高きが故に尊からず」 がピッタリくる山です。

 雄岳・雌岳があることから古代にはここで歌垣が行われたとか。

端的に言えば古代のナンパですが、そのような開放的な面も人気の所以でしょう。今はないとは思いますが…。

いまはつくばエクスプレスがあるため都内からも直ぐ、しかも「筑波山きっぷ」なるバス・ケーブル込みの切符もありすかさず利用。

関東から手軽に行けるハイキングコースであることが理由でしょうね。

 筑波神社までのシャトルバスもありましたが、早く着いたので手前で降りて歩くことに。

時間は掛かりましたが、その分景色を堪能できました。

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筑波山口から筑波山を望む

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地酒の稲葉酒造の酒蔵
男女川という銘柄で百人一首からの命名。

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つくば参道から見た筑波山

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道端に咲く曼珠沙華

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参道脇にある旧筑波山郵便局

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登って来た参道を見返る

 筑波山大御堂(つくばさんおおみどう)は、

『延暦年間、法相宗の徳一により開創された古筑波山寺が始まり。その後、空海が入山し知足院中禅寺と号した。

 筑波山神社との神仏習合により繁栄し、江戸時代は広大な寺領を有したが、明治の神仏分離で破却。

昭和5年(1930年)に再建された。』

とあります。

 徳一上人は関東・東北に多くの寺院を建立した僧侶。

その場所は、人々が崇めるような自然の場所が多く、筑波山を選んだのも頷けます。

納経所では尼僧の方がマスクをかけて一人で対応。なんでも煙草に対する強度のアレルギーだそうで

「喫煙される方は、御朱印帳を渡して外で待って下さい。」との事。

アレルギーを抱えながら御朱印される姿には頭が下がりましたが、他に代わってあげる人は居ないのでしょうか?

  筑波山神社に参拝する人は多いですが、大御堂にお参りする人は少数。

歴史のある寺ですがロープウェイが神社の境内横にあることを差し引いても廃仏毀釈は痛手だったようです。

 尚、大御堂と寺の名を冠さないのは、ここが文京区の護国寺の別院という扱いだそうですが、

随分遠い別院もあったものです。文京区からも筑波山は見えますが…。

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筑波山神社への大鳥居に到着

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鳥居前から見た関東平野

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大御堂本堂
御朱印はこの左手で拝受。

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本堂脇の鐘楼
大御堂の境内は非常に狭く目につく建造物は本堂とここくらいである。

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大御堂御朱印

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筑波山神社の山門

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筑波山神社の山門と本殿

 札所参拝の後は山頂まで上り雄岳・雌岳にお参り。

山頂には食事処もありガマの油売りの口上も聞くことができました。

山頂から見渡す関東平野はまた格別。ここが宗教的に崇拝されたのは分かる気がします。

往復はケーブルとロープウェイだったので

・筑波嶺の 嶺より落ちて 捻挫して 疲労積りて 不治となりぬる

とならずに済みました。

これで坂東三十三カ所も三十二ヵ所の巡礼を終了。

残すところは最難関の八溝山日輪寺、山道6㎞の往復が待っています。

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男体山山頂

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男体山山頂からの眺め

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山頂の店での昼食
筑波地鶏丼、要は親子丼。

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蝦蟇油の口上
演者は保存会の方。

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御幸ヶ原にある男女川源流
百人一首の陽成院の歌で有名。

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水源横にある紫峰杉

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ブナの大樹。
ブナは橅と書くように柱にも薪にもならないが保水力が著しいので自然界には大いに貢献している。

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ガマ石

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女体山から男体山頂を見る
初めは男体山(871m)の方が高いと思っていたが、女体山(877m)の方が高かった。蝦蟇はメスのほうが大きいからか、女体が男体に見下ろされるのがイヤなのかは詳らかではない。

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女体山頂からの眺め
奥にかすんで見えるのは霞ケ浦。

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筑波山郵便局 ; 筑波山、筑波神社、つくばね
つくば田井郵便局 ; 日本の道百選・神郡街道、筑波山マユ、蚕影山神社の灯籠

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一言寺観音(京都市伏見区) 一言だけ願いが叶う寺院

2019.09.26(23:18) 423

御願いは一言たっちゅうの!(2019.9.20)

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋 → 中書島 → 京阪六地蔵 → 徒歩5分 → 地下鉄六地蔵 → 石田

石田駅 → 徒歩15分 → 日野薬師 → 徒歩5分 → 日野誕生院 → 徒歩15分 → 一言寺 → 徒歩20分 → 石田駅

【復路】石田 → 地下鉄六地蔵 → 徒歩5分 →京阪六地蔵 → 中書島 → 京阪電鉄淀屋橋

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金剛王院(真言宗醍醐派 別格本山)

 日野の地でお参りを済ませて地下鉄の駅に向かいましたが、一言寺という案内板があり、名前に惹かれてまたもや寄り道。

 一言寺(いちごんじ)は、

『平安末期、藤原信西の娘で、建礼門院に仕えた阿波内侍の創建になると言われる。

後には衰退したが、明治8年に醍醐寺の塔頭の金剛王院が移され復興した。』

とあります。

 由緒のある寺院ですが、ここも衰退の波は避けられなかったようです。

近くに醍醐寺という名刹があった事が、復興の後押しにもなったのでしょうか?

今後大い【金剛王院】に繁栄するかどうかは、お寺次第でしょう。

 一言寺とは一風変わった名前ですが、御本尊にお参りする際には願い事を一言だけ言うのが習わしとか。

大和にも一言主神社があり 『過ぎたるは猶及ばざるが如し』 で、欲張ると水の【阿波内侍】になってしまうという戒め。

本堂には観音様の御詠歌

・ただたのめ 仏にうそは なきものぞ 二言といわぬ 一言寺かな

の額が掲げられています。それでも守らない人がいるのでしょうね。

尚、『ただたのめ』とは一心に頼めという事で、無料でという意味ではありません。

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道路沿いの寺標

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門前下に到着

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山門

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山門前より町を見下ろす

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山門脇の説明板

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山門から見た境内

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本堂伽藍
屋根の勾配が美しい。

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本堂前面の彫刻

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本堂横にある観音様の御詠歌

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本堂前から境内を望む

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本堂横

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山門横のヤマモモの古木

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ヤマモモ幹部の空洞

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紫陽花の碑

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周囲は竹藪
「明智藪」とは呼ばないそうであるが。

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昼食はJR六地蔵駅前の「しお富」にて
これは半切重定食 ¥1,750

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八幡巻と出汁巻も付く

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日野誕生院(京都市伏見区) 親鸞聖人御誕生の地のお寺

2019.09.26(07:20) 422

古建築様式の新しいお寺(2019.9.20)

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋 → 中書島 → 京阪六地蔵 → 徒歩5分 → 地下鉄六地蔵 → 石田

石田駅 → 徒歩15分 → 日野薬師 → 徒歩5分 → 日野誕生院 → 徒歩15分 → 一言寺 → 徒歩20分 → 石田駅

【復路】石田 → 地下鉄六地蔵 → 徒歩5分 →京阪六地蔵 → 中書島 → 京阪電鉄淀屋橋

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本願寺 日野誕生院(浄土真宗本願寺派)

 法界院に行く途中に誕生院という寺標もあり、すぐ横にあるとの事で予定外ですが、こちらも参拝。

日野誕生院は親鸞聖人所縁の寺。

『承安3年(1173年)、皇太后宮大進正五位日野有範を父に、八幡太郎義家の孫の吉光女を母として法界寺で誕生。

9歳で得度するまで幼年時代を過ごした。

文政11年(1828年)には西本願寺20代門主がここに有範堂を建立。

明治11年(1878年)には21代門主が日野別堂と改名。更に23代門主は昭和に大改築を実施。

昭和6年(1931年)に完成した際に日野誕生院と再び改称した。』

とあります。

 開祖親鸞聖人が生まれた法界寺は真言宗。

浄土真宗としては開祖生誕の地に自宗の寺を建てたいという悲願があったのでしょう。

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法界寺の土塀横を通り誕生院へ向かう

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日野誕生院遠景
手前にあるのは誕生院保育園で、丁度運動会の練習中。

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門前の碑

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日野誕生院説明板

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石段を上り藤棚奥の本堂へ
因みに藤は浄土真宗の家紋。

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境内の様子

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境内にある親鸞聖人誕生地の碑

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境内にある聖人幼少の頃のお姿を模した童形像

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親鸞が得度に当たって詠んだとされる歌碑
・明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の ふかぬものかは

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いよいよ本堂へ

 丁度、寺の方が本堂を片付けて居られたので、伺った所、

「出来たのは新しいですが、建立に際しては平安時代の建築様式を取り入れました。」

とあって納得。今まで見てきた真宗寺院とは趣が異なり、聖人の育った家を復元する目的もあったように思えます。

 門徒の方々には聖地ですが、一般の観光客が訪れることはあまりなさそうに思えます。

それでも参拝者への対応はきちんとされていて、こちらから御願いする前に、説明書を持って来て下さいました。

 今回は予備知識なしでの参拝。親鸞の父方が日野氏、母方が清和源氏と初めて知りました。

紛うことなく貴種の出ですが、聖人の目線には常に庶民があったと言う事でしょう。

現在、日本の仏教宗派で最大門徒数は浄土真宗ですが、それも理由のあることだと思った次第。

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廻廊の奥に本堂が

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本堂正面

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本堂内陣の様子
鶴は日野家の家紋。

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廻廊横から本堂を望む
丁度、若い僧侶の方が片付け中。

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平安様式で再建した本堂

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廻廊の構造

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本堂への上り口

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本堂前の白砂

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日野誕生院説明書

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日野薬師(京都市伏見区)  名族日野氏の氏寺の御朱印

2019.09.25(21:00) 421

国宝・阿弥陀如来のある本尊・薬師如来の古刹(2019.9.20)

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋 → 中書島 → 京阪六地蔵 → 徒歩5分 → 地下鉄六地蔵 → 石田

石田駅 → 徒歩15分 → 日野薬師 → 徒歩5分 → 日野誕生院 → 徒歩15分 → 一言寺 → 徒歩20分 → 石田駅

【復路】石田 → 地下鉄六地蔵 → 徒歩5分 →京阪六地蔵 → 中書島 → 京阪電鉄淀屋橋

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東光山 法界寺(真言宗醍醐派 別格本山)

 彼岸の三連休にまたもや台風が襲来しそうな彼岸の入りの日に思い立って京都市伏見区にある日野に巡礼。

 東光山法界寺(とうこうざんほうかいじ)は、

『弘仁13年(822年)、藤原北家の流れを汲む家宗が領地であったこの地に、

慈覚大師円仁より贈られた最澄自刻と伝わる薬師如来の小像を祀ったのが嚆矢。

一門は代々この薬師如来を信仰するが、永承6年(1051年)に子孫の資業が薬師如来像を造って従来の小像を胎内に収め、

薬師堂を建立して氏寺とした。

これが法界寺の始まりで資業以降は、家名も日野と名乗るようになった。』

とあります。

 日野氏は平安から鎌倉室町と中央で活躍した名族。

応仁の乱の頃に活躍した日野富子が有名ですが、他にも日野俊朝や俊基など一癖のある人物が出ています。

 法界寺の由緒は家宗まで遡るのは難しいですが、資業から以降はほぼ確実でしょう。

平安末期には浄土思想の影響で阿弥陀堂も建立され阿弥陀如来も祀られました。

本尊が胎内仏であるため子供を宿す婦人の姿として日野薬師、乳薬師とも呼ばれますが、

他にも多くの堂宇が並ぶ壮大な伽藍だったようです。

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道路沿いにある寺標
ここから更に徒歩10分。

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門前に到着
白壁の向こう側が境内。

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山門

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山門から見た境内
竹柵の向こうから拝観料¥500が必要。

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阿弥陀堂(手前)と本堂・薬師堂

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阿弥陀堂遠景

 ところが後世まで残ったのは阿弥陀堂で、阿弥陀堂は鎌倉時代の建築。

阿弥陀如来坐像は平等院と同じ定朝様式で共に国宝となっています。

本尊の薬師如来と薬師堂は小ぶりで重文、薬師堂は室町時代の作ですが、

明治37年に奈良県竜田の伝燈寺本堂を移築したものなので、ここでは外様。

大きさでも製作年代でも阿弥陀堂が薬師堂を凌いでいます。

 それでも開創以来の御本尊とあって、お詣りする人は本堂へ行くのが習わし。

私が訪れた時も、薬師堂には赤ん坊の前掛けを模った願掛けが至る所に奉納されており、

女性の方が熱心に参拝されていました。

願掛けする人にとっては国宝であろうがなかろうが、御利益があることが大切というごく当たり前の理由でした。

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国宝・阿弥陀堂
御住職に開けて頂き、この扉から内陣に参拝する。

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阿弥陀堂入口付近
周囲の廂は一間である。

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四面の蔀戸
天井からの鉤型は戸を引っ掛けるため。

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阿弥陀堂の廊下から境内を望む

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国宝・阿弥陀如来坐像 (説明書からの引用)
平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様式。丈六、寄木造で光背の透彫の飛天や天蓋も当初の物。

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国宝・阿弥陀堂
平等院鳳凰堂と同時代の建築。五間五面の檜皮葺、宝形造。

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阿弥陀堂近影
屋根の勾配が緩やかな事が軽妙温雅な印象を与えるとある。

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奥の薬師堂への道

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重文・薬師堂
重文・薬師如来を祀る。内陣に架けられた白布は前掛けを模したもの。

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阿弥陀堂廊下より見た薬師堂
棟木に康正2年(1456年)の銘がある室町期の作で、明治期に奈良より移築された。

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薬師堂から見た阿弥陀堂

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薬師堂から見た阿弥陀堂と奥に見える庫裏
御朱印はここで拝受。

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境内の様子

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苔庭の向こうに見える阿弥陀堂

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蓮池越しにみた阿弥陀堂

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境内の説明

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法界寺説明書

 こうして参拝を終えましたが、御朱印は平成6年に拝受済なのでなし。

御朱印帳を見るとその日は山科方面で七ケ寺巡礼ですが、法界寺は殆ど記憶に残っていませんでした。

当時はほぼ徒歩での移動、若さ故の体力があったからでしょうが、

訪れた場所の内容を碌に覚えていないのは若気の至りとしか言いようがありません。

今回は、体力が衰えたがために却ってじっくり見ることができました。齢を重ねるのも悪い事ばかりではありませんね。

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法界寺御朱印

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道路から塀越しに見る阿弥陀堂

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道路から見た薬師堂

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京都石田郵便局 ; 国宝・法界寺阿弥陀堂及び阿弥陀如来坐像

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飯泉観音(神奈川県小田原市) 弓削の道鏡が開山の坂東札所の御朱印

2019.09.24(19:48) 420

弓削の道鏡悪人説?(2015.9.19)

<コース>
京浜急行横浜 → 新逗子 → 徒歩5分 → JR逗子 → JR鎌倉 → 徒歩10分 → 海蔵寺 → 徒歩30分 → JR北鎌倉 → JR大船 → JR鴨宮 → 徒歩20分 → 勝福寺

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飯泉山 勝福寺(真言宗東寺派 坂東三十三ヵ所第五番札所)

 鎌倉の後は、神奈川県で唯一残った札所へ。

小田原市ですが、JR小田原駅ではなく普通しか止まらない鴨宮駅で下車したのち、徒歩20分。

 飯泉山勝福寺(いいずみさんしょうふくじ)は、奈良時代に道鏡が開山という古刹。

孝謙女帝の側近であり中央政界で活躍した道鏡が何故となりますが、

女帝死後の政争に敗れた彼は下野薬師寺に左遷される事に。

その下向時に女帝から下賜された十一面観音を足柄郡千代台に弓削寺を建て安置したのが始まり。

平安の世になって本尊のお告げで現地へ移ったとされ、室町以降は勝福寺と号しています。

一説では、観音像は鑑真和上が唐から招来したものともいわれ、由緒の正しい御本尊。今は秘仏となっています。

 ここには曽我兄弟が仇討ちに際して日参して成就したとか、

二宮金次郎が14歳のみぎり、僧侶の読経を聞いて発心したと言った話も伝わっています。

結構、【同郷】の人たちに【孝謙】していることになりますね。

 弓削道鏡といえば皇位を狙った日本史上の大悪人ですが、孝謙女帝に振り回されただけで

彼自身は政治的に策を弄した事はなかったと思います。

奈良時代の権力闘争は激烈で敗者が死を賜る事もごく普通にありました。

そんな中で下野国に左遷位で済んだことは大した政治力がなかったという証拠。

皆さんに【勝福】されるかどうかは?ですが…。

 この日は駅からは1~2㎞ですが、途中の山道が適度なハイキングコースとなりました。

でも帰宅してからは背筋が痛く、足がズシりとしたので、やはり自分もシルバーになってきたのを改めて実感した一日でした。

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人家を抜けると立派な仁王門が眼前に

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朱塗りが鮮やかな本堂
宝永3年(1706年)の再建で江戸初期の様式をとどめる密教寺院独特の建造物。

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境内にある地元出身の二宮金次郎像
薪と読書スタイルが有名だが、これは14歳でお経を聞いて発心した像。尚、彼の読んでいる本は四書の大学だそう。

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飯泉観音御朱印

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日本史上の大悪人と言われた弓削道鏡の真実

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海蔵寺(神奈川県鎌倉市) 花に囲まれた扇ガ谷の古刹

2019.09.24(07:29) 419

啼く子とげんのうには勝てぬ (2015.9.19)

<コース>
京浜急行横浜 → 新逗子 → 徒歩5分 → JR逗子 → JR鎌倉 → 徒歩10分 → 海蔵寺

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扇谷山 海蔵寺(臨済宗建長寺派 東国花の寺百カ寺鎌倉七番)
本堂前に咲く萩の花。

 彼岸の入りに近場の鎌倉の扇ガ谷へ。

観光シーズンのため横須賀線の下りは混雑するので、京急新逗子からJR逗子と逆方向で鎌倉入り。

 西口から線路に沿って歩き、住宅地を通り扇ガ谷の谷間にあるのが海蔵寺。

扇谷山海蔵寺(せんこくさんかいぞうじ)は、

『建長5年(1253年)宗尊新王の命で藤原仲能が開山となり七堂伽藍が建立された事に始まる。

元弘3年(1333年)の鎌倉幕府滅亡と共に灰燼に帰したが、

応永元年(1394年)鎌倉公方足利氏満の命により上杉氏定が源翁(げんのう)禅師(心昭空外)を開山に招き再興した。』

とあります。

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山門へ続く石段
両側には萩の花が。

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海蔵寺仏殿(左)と本堂

 正面には本殿、その左には浄智寺の宝殿を安永6年(1777年)に移築した仏殿が薬師堂としてあります。

薬師堂の本尊は薬師三尊像。

中興した源翁禅師が裏山から子供の泣き声が聞こえるので、掘ったところ薬師様の頭が出土。

それを祀ったところから啼薬師の名で呼ばれるとか。

 また禅師は那須野の人々が白狐が霊となった殺生石に苦しめられているのを聞き、

杖で石を砕いて人々を救ったとも伝わります。

その杖の先が金槌に似ていたので、「金槌の別名を禅師の名をとって玄能と言うようになった。」

とはいささか行き過ぎた話ですが、それだけ禅師が才能に恵まれていたという事でしょう。

今は、伝説よりも東国花の寺としての方が有名。丁度萩が見頃な時期に当たっていました。

四季折々の花が咲き誇りますが有名なのは4月の海棠だそう。

ですが、そのために【カイドウ】寺となった訳ではないので念のため。

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本堂(龍護殿)
関東大震災で倒壊したので大正14年(1925年)の再建。扁額は延宝9年(1681年)霊芝の筆になる。

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木々越しに見る仏殿(薬師堂)

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正面から見た仏殿(薬師堂)
安永5年(1776年)浄智寺から移築。薬師三尊像を本尊とする。

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茅葺が印象的な庫裡
御朱印はこちらで拝受。

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十六井戸
境内南隅の岩窟中にあり今でも湧き出している。この井戸があったために寺院を建てた?

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扇谷山 海蔵寺略縁起

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海蔵寺御朱印

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朝比奈切通からの眺め
JR北鎌倉へ向かう途中の景色。

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朝田の地蔵さん(三重県松阪市) 松阪市内最古の牡丹寺の御朱印

2019.09.23(18:33) 418

お地蔵様と松阪商人(2017.9.18)

<コース>
【往路】大阪上本町(7:10) → (近鉄急行) → 松阪(9:14)

松阪市観光情報センター → レンタサイクル35分 → 伊勢国分寺 → 岩内瑞巌寺 → レンタサイクル60分 → 朝田寺

【復路】松阪(16:33) → (近鉄急行) → 大阪上本町(18:40)

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光福山 延命院 朝田寺(天台宗延暦寺派)
本日、参拝したなかで唯一の有人寺院。

 山沿いの無人の古刹を参拝したあとは、町まで下り更に線路を通過。

田畑の中にこんもりと森が見えて来たのが目指す寺院。

 光福山延命院朝田寺(こうふくさんえんめいいんちょうでんじ)は、縁起に拠れば、

『延暦15年(796年)、練公(ねりきみ)長者の発願により弘法大師が創建。

鎌倉時代には伏見院の院宣により七堂伽藍を建立されるが、信長の伊勢攻めで焼失。その後現在地に移転した。

本尊の地蔵菩薩は空海の作とされ重文、世間では朝田の地蔵さんと呼ばれる。

江戸時代には曽我蕭白が来訪し、作品を残している。』

とあります。

 近寄りがたい雰囲気がないのは本尊が地蔵菩薩さまだからでしょう。菩薩の中では最も人間に近いとされる所以。

いまは境内に牡丹の花が700株程植えられているので、季節になると訪れる人で賑わいます。

 松阪市内最古の寺と呼ばれるだけの事はありますが、駅からは少し不便な田圃の中。

昔はこの辺りが栄えていたのでしょうが、国分寺や瑞巌寺のように無人にならずに済んだのは幸いです。

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目指すお寺が彼方に見える

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山門

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本堂(左)と庫裏

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正面から見た本堂

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境内の様子

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朝田寺御朱印
住職夫人から悪筆なので日付は書いて欲しいといわれたので、この箇所は私の自筆。

 その後は駅に戻り街並みを一巡。

三井家・松坂屋に代表される伊勢商人ですが、質素倹約など厳しい家訓も【かくんあるんか】と思いました。

 また国学者本居宣長の故郷でもあります。

かつて賀茂真淵との松阪の一夜は師弟関係のエピソードとして教科書にも載っていましたが、今はサッパリ見ませんね。

なんでも昔が良いとは言えませんが、残すべきものは【本居】残してほしいものです。

松阪といえば松阪牛ですが、休日で混雑していたのと、伊勢商人の家訓に従い、駅弁という質素倹約なものとはなりました。

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本町通の旧長谷川邸

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本町付近にある三井家発祥の地

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本居宣長旧宅

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本居宣長旧宅内部

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松阪商人の館(小津家)

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金物店

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本町通にある「牛銀 本店
松阪牛の店では和田金が有名だが、ここも老舗。すき焼き・ステーキは諭吉さんが1人要るが、「洋食屋 牛銀」では英世さんが2~3人でOK。でも1時間待ちなのでスルー。

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昼食の松阪牛ステーキ弁当¥1350

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松阪のマンホール蓋
カードの図案は見当たらず、ほとんどがこの駅鈴タイプ。

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松阪市マンホールカード     配布場所はこちら

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