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両子寺 大講堂と奥の院 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の参>

2024.02.25(20:08) 1741

御本尊も両子?(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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足曳山 両子寺(天台宗別格本山 六郷満山総持院 六郷満山霊場第三十一番札所)  奥の院

 「しぐれ紅葉」と歌碑を見た後は、階段を上り奥の院へ。その際、狭いながらも渓流を渡りますが、

紅い欄干橋のすこし上流には一枚岩が架けられています。

『奥の院に向かう際に渡るのが鬼橋。昔、千徳坊と言う大力僧が

一枚の大石を引き下ろして架けたという伝説をもつ。

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朱色の橋上から見た鬼橋

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鬼橋の近影
欄干がなく幅も狭いが距離が短いので渡る事はOK。

 橋を渡ると県内屈指の古さをもつ仁王像と朱塗りの稲荷堂が建つが、石段の上に見えるのが大講堂。

五間四方の宝形造り、銅板葺きで平成3年の再建で本尊の阿弥陀三尊・四天王を祀る。

中央の阿弥陀如来坐像は高さ84㎝、鎌倉末期の作で、講堂再建に当たり、

京都の仏師に拠り解体修理を行い、脇侍の観音・勢至菩薩は京都にて新刻した。

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橋を渡った先にある稲荷堂とその上の大講堂
県下屈指の古さを誇る小さい仁王像は左の階段下に。

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階段を上り大講堂へ

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入口に建つ石標

 三尊仏後方の壁画は高野山の国宝阿弥陀聖衆来迎を前衛画家である風倉匠師が

1年余りで描いたもの。内陣裏には釈迦三尊及び天台知者、伝教両祖師像を安置している。

一般的に大講堂は仏法の教義宣布、僧侶の教学論争の道場であるが、

国東半島では旧正月修正鬼会の儀式を執り行う場となっている。

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大講堂前面

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大講堂内陣の御本尊  (堂内撮影禁止のため説明書より引用)

 大講堂への道を反対側に進むと国東塔、山王社の石鳥居が建つ。

「両子山大権現」と刻まれた鳥居の扁額は神仏習合の名残を今に伝える。

鳥居に続く石段を上り、更に細い参道を進むと絶壁の下に建つのが奥の院。

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国東塔を左に見て参道を進む

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山王社の石鳥居

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岩壁下の参道を抜け奥の院へ

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参道の先に見える奥の院

 奥の院は岩壁の前に張出した懸造り構造。「護国殿」の扁額の奥の内陣中央には

本尊の十一面千手観音と脇には両子大権現が祀られている。

千手観音は総高204㎝余りで、楠の一木造りである。

奥の院の後方には奥の院岩屋洞窟があり、石像の千手観音と不老長寿の霊水がある。』

とあります。

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絶壁の下に建つ奥の院と岩屋洞窟

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懸造りの構造

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外陣にて参拝

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奥の院の御本尊  (解説書より)

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手前の欄干からの眺望

 広大な境内を持つ両子寺ですが、巨大な岩壁に洞窟がある事から本来の御本尊を祀ったのは

この奥の院と思われます。建物はその拝殿として後に建てられたものでしょう。

時間の都合で今回は訪問できませんでしたが、ここから更に奥に進むと

「針の耳」「鬼の背割」「鬼のツメ跡」と七不思議の中で岩石に由来する名所もあります。

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奥の院の左奥から岩屋洞窟へ

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洞窟内に祀られた石像群

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「針の耳」 と百体観音  (解説書より)

 となると典型的な磐座信仰となりそうですが、参道の仁王像を始め、

この日参拝した寺院に石像があったのもその証ではないかと。

奥の院に祀られているのが不老長寿・子授けの観音さまですが洞窟が胎内を連想させるのでしょう。

生まれてくるのが【双子】かどうかは分かりませんが、岩壁が【安産】岩なのは間違いなさそうです。

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両子寺解説書

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両子寺御朱印  (六郷満山第三十一番札所)
これは紅葉と仁王像がデザインされた限定版 ¥500

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両子寺 しぐれ紅葉 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の弐>

2024.02.24(20:41) 1740

六郷満山の七不思議(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

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【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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足曳山 両子寺(天台宗別格本山 六郷満山総持院 六郷満山霊場第三十一番札所)  書院・客殿

 仁王門から紅葉散り敷く参道を上ると、行く手には再び石垣が聳え、その上には伽藍が見えます。

こうして漸く両子寺境内へ到着。受付の正面に建つ現代風の建物は本堂ではなく書院・客殿。

人が居られるのは受付とここだけなので御朱印、御守り等は全てこちらで頂く事に。

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石垣下に建つ真新しい寺号標

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寺号標に続く十三重石塔
手前の僧侶は仁聞菩薩像?

 足曳山両子寺(あしびきさんふたごじ)は、

『養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創された六郷満山の中山本寺で、

修行の中心地として栄えた。江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、

六郷満山の総持院として満山を統括する立場にあった。

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受付前より見た境内
書院(左)と護摩堂(右)

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書院・客殿玄関の唐破風
御朱印等は全てここで拝受。

 その右手に建つのが護摩堂。山岳修行の根本道場にして本尊不動尊を始めとする諸仏を祀る。

明治2年(1869年)焼失後、同25年に原型通り再建された。四方宝形、扇垂木、二段化粧の構造である。

不動明王は鎌倉時代の作で、両子の名の通り子授けの霊地として名高い。

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書院横を抜け護摩堂へ

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護摩堂へは参道に面した側面より入る

 護摩堂から更に先に進むと橋を渡って奥の院へ至るが、その手前一帯は

両子山七不思議の一つ「しぐれ紅葉」の場所。その謂れは、

この紅葉の下に立ち上を見上げると、晴天の日でも雫が顔に落ちる事からの命名である。

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正面から見た護摩堂

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護摩堂より見た鐘楼と受付

 しぐれ紅葉の周辺には

・山川の 音は父母の 愛に似て かわることなし たゆることなし

・世の中の 正しき道を 一筋に 進みて御国の 末を開かめ

歌碑が建つ。

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金田一京助の歌碑

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重光葵歌碑

 前者は言語学者金田一京助が昭和44年5月14日に参拝時の、

後者は大分県出身の政治家重光葵がモスクワに向かう時に詠んだものである。

 その傍らには瀧澤馬琴顕彰碑が建つが、これは馬琴が当寺を題材にして

『両子寺累客縁起 豊後州国埼郡』 という読本を記した事に拠る。』 とあります。

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瀧澤馬琴顕彰碑

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両子寺を詠んだこのような歌碑も建つ

 六郷満山の総持院と言うだけあって広大な敷地には堂宇が点在。

素人目には【掃除】するのも大変そうです。場所的には国東半島のほぼ中央、

最高峰両子山の中腹と言う位置もそうですが、もう一つここには霊水走水観音が湧出。

これほどの高所で霊泉が湧くと言うのが建立された所以と言えそうです。

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霊水走水観音 (説明書より)

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両子山七不思議の一つ 「しぐれ紅葉」 の看板

 前述した「しぐれ紅葉」同様、「走水観音」も両子山七不思議の一つ。

本堂西方1.5㎞にあって常に一定量湧出し、冬温夏冷と言うのがその理由だそう。

この他、無明橋・鬼橋・針の耳・鬼の背割・鬼のツメ石と続きます。

唯、これだけの境内で35分の滞在は時間的に無理があり、見る事の出来たのは

書院→護摩堂→大講堂→奥の院 のルートにあった3不思議のみ。

霊泉も含め脇に外れた場所には行く事ができませんでした。この辺りはツアーの負の面と言えます。

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「しぐれ紅葉」 と渓谷に架かる 「鬼橋」

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しぐれ紅葉の先にある石碑群
七不思議 「針の耳」 「鬼の背割」 「鬼のツメ石」 は更に進んだ奥にある大岩群に。

 参拝途中の「しぐれ紅葉」には幾つかの歌碑が建つのは紅葉の名所のため。

金田一京助と重光葵の歌碑は全く異なった内容で、どちらが良いという【可否】を問うものではありません。

重光葵と言えばミズーリ号上での降伏文書に署名した事で知られますが。

彼の立場や責任が伝わって来る内容です。彼は外交官出身の政治家ですが、

今の政治家が果たしてこのような歌を詠めるかどうかは疑問です。

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護摩堂後方の石塔群

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神仏習合を感じる門
受付以前はここから参拝したと思われるが今は閉鎖中。

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両子郵便局 ; カエデの葉の外枠に梅園の里・天体望遠鏡、両子寺護摩堂、ブンゴウメ

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両子寺 参道の仁王像 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の壱>

2024.02.23(17:57) 1739

匂うが如く今盛なり(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

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【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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足曳山 両子寺(天台宗別格本山 六郷満山総持院 六郷満山霊場第三十一番札所)

 熊野摩崖仏を拝観後は、この日最後の巡礼地へ。観光バスなので気になりませんが、

向かう先は国東半島の中央、最高峰721mの両子山の中腹にある両子寺。

六郷満山札所としても第三十一番特別札所なので、国東半島巡りのフィナーレには相応しい寺と言えます。

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石垣の上から顔を出す紅葉

 駐車場で降りると行く手には高い石垣の上に紅葉が見えますが、

境内はここを過ぎて参道を上った更に先にあります。

『駐車場から進むと小さな流れに朱塗りの反り橋が架かる。これは無明橋と呼ばれ、

橋の下に観音を祀り、不信心者もこの橋を渡れば信仰心が湧き、牛馬が通れば落橋すると言う。

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渓流に架かる朱色の無明橋

 橋を渡ると両側に巨大な仁王像が建つが、これが仁王門。総高245㎝、像高230㎝の

国東半島最大級の石像仁王で、見事な均整美を保っている。文化11年の再建で、

境内では本堂裏の鬼橋に佇む二体の仁王像が半島でも屈指の古さを誇る。

仁王門に続く石段の後方には山門、更に続く参道の両側は坊舎の跡である。

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仁王像とその先に建つ山門
観光客が途切れた時間に素早く撮影。

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直ぐに多くの観光客が殺到

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右側の阿形像

 両子寺境内は瀬戸内海国立公園の西端に位置し、その森は「森林浴の森」として日本百選にも

指定されている。紅葉の時期にはとりわけ美しく九州の紅葉の名所としても知られる。

広大な境内には両子寺七不思議が点在する他、子授け寺として四季を通じて多くの参拝者で賑わう。』

とあります。

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左側の吽形像

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背中側から見た阿形像

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吽形像の奥には紅葉が続く

 反り橋を過ぎた先には両子寺を代表する仁王像が建ちますが、門はないもののここが仁王門の扱い。

更に石段を登った先に建つのは山門の扱いでした。手元のガイドブックには

山門は茅葺と書かれていますが、実際は銅板葺き。四半世紀は遥か彼方です。

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石段の先に聳える山門

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山門前に建つ地元出身の歌人・財前國雄歌碑
・嬉しきとき 悲しきときに わが対ふ 両子嶺ばかり 親しきはなし

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紅葉散り敷く参道を振り返る

 有名な場所なので写真撮影する人で混雑し、日本語ではないアジア語が飛び交っていました。

ガイドさんの解説では

「身体の良くなって欲しい場所に触れると効果があります。頭と顔は手が届きませんよ。」

との事。あちらの国の方もそれを聞いたのでしょうか?

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山門を見上げる

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神仏習合の名残を感じる注連縄

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内側から見た山門

 昔話の記憶では、仁王さんは日本一の怪力で、中国一の怪力「どっこい」と力比べをしようとして

海を渡る途中に鎖で引き寄せられてしまいます。その時、東大寺の僧から貰ったヤスリで難を逃れたので、

日本に帰ってからはお礼に東大寺の門番を長く勤め、これが後の仁王像に繋がります。

蛇足ついでに言うと、日本では重いものを持ち上げる時に「どっこい」と言い、

中国では「におう!」と言うのだとか。かなりネタっぽい話ですが、子供には分かり易い話です。

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山門を抜け石畳の参道を往く

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右手に見える池

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かつての塔頭跡はトレッキングセンターに

 紅葉の名所として知られる両子寺ですが、境内と並んで紅葉が多く見られるのがここ。

特に山門から境内の間が鮮やかです。仁王像の両側は杉の巨木に囲まれているので、

無明橋から仁王門、山門と朱色、深緑、深紅と色の移り変わりを楽しむことができました。

まさに【青丹良し】の場所と言えます。

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伽藍の建つ境内へは左側の受付から

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石垣の上には護摩堂が建つ

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胎蔵寺 (大分県豊後高田市田染平野) <熊野 其の弐>

2024.02.22(20:38) 1738

銀ピカの御仏(2023.12.2)

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今熊野山 胎蔵寺(天台宗 六郷満山霊場第六番札所)

 磨崖仏と階段の先に建つ熊野神社の参拝も時間内に終えて駐車場へ戻りますが、

少し時間があったので寺院にも参拝。

 磨崖仏の本家でもあり、六郷満山の札所でもありますが、

観光コースではないため境内には私一人でした。

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左へ進むと胎蔵寺、右へ進むと摩崖仏

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寺標と幟のある簡素な参道

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小っちゃな仁王様を越えると境内

 今熊野山胎蔵寺(いまくまのさんたいぞうじ)は、

『養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創された六郷満山の寺院の一つ。

本尊には阿弥陀如来を祀る。

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階段の正面には護摩堂

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その奥に続くのが本堂兼寺務所

平安時代になり山岳宗教が盛んになり、12世紀には熊野修験が当地方まで広がった。

紀州の熊野権現を奉じる修験の勢力と結びついて独自の神仏習合の山岳修験道場として発展。

建武2年(1337年)に熊野権現を勧請している。』 とあります。

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窓から見た本堂内部の様子

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胎蔵寺御朱印  (六郷満山第六番札所)

 短い階段を上ると目の前に簡素な本堂が見えますが、

それよりも驚いたのは境内に立つ銀を貼られた仏像群。

説明板に拠れば、近年、宝くじが当たると評判になった様で、

七福神、不動様に持参のシールを貼る、「貼り七福神」「貼り不動」を実施中でした。

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護摩堂前に一際目立つ 「貼り不動」

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本堂前には 「貼り七福神」

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お願いシールの案内板

 けばけばしいようにも見えますが、銀を貼る事で仏像の輪郭が鮮明になるのも事実。

実際、多くの仏像で銀が貼付途上なのがその証左と言えそうです。

「箔をつける」と言うのはまさにこの事を言うのでしょうが、

布袋様の場合は【貼りぼてい】にならないように注意も必要です。

金色の仏像やお札を貼った仏様は見たことがありますが、銀色の仏像は初見。

まさか参拝者に【シルバー】世代が多いからではないでしょうが…。

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貼付途中の石仏群

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こちらは貼付を待つお不動様

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こちらは布袋様

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本堂前から境内を見渡す

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熊野摩崖仏 (大分県豊後高田市田染平野) <熊野 其の壱>

2024.02.21(21:20) 1737

紛い物ではない摩崖仏!(2023.12.2)

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(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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今熊野山 胎蔵寺(天台宗 六郷満山霊場第六番札所)

 真木大堂で仏像と石造を見た後は、六郷満山の写真にも登場する熊野摩崖仏へ。

観光ガイドの写真や駅スタンプの図柄にも取り上げられる国東を代表する史跡。

平安後期の作とされ国内最古にして最大級の摩崖仏で国の重要文化財にも指定されています。

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JR宇佐駅スタンプにも熊野摩崖仏が

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胎蔵寺の右手に摩崖仏への山道が

 観光バスは田染にある田原山(鋸山)山麓に建つ胎蔵寺前で停車し、御朱印は入口の待合所で拝受。

六郷満山第六番札所は胎蔵寺ですが、ここではそれに加えて摩崖仏御朱印も頂くことができました。

胎蔵寺へは左の道ですが、摩崖仏へは寺院脇右手の急な参道を上る事に。

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熊野摩崖仏解説書

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熊野摩崖仏御朱印
摩崖仏の墨書に国東熊野権現の朱印。

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ここから山道スタート

 ガイドさんからは

「足に自身のない方は、ここで休んで下さい。」

と親切なアドヴァイスがありましたが、こちらは意地でも拝まずには居られません。

真木大堂の滞在時間は35分でしたが、ここでの滞在は55分。

山道の往復時間も含まれるからでしょう。

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始めは渓流添いのなだらかな坂道を往く

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続いて階段が出現

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左の石垣はかつての坊跡か?

 途中、鳥居から摩崖仏まで続く石段は鬼が築いたとか。

鬼の霍乱は聞きますが、鬼の石段は初耳でした。

『胎蔵寺から山道を約300m登ると、鬼が一夜で築いたと伝えられる自然石の乱積石段に掛かり、

この石段を登った左方の巨岩壁に刻まれているのが日本一雄大な大日如来と

不動明王の石仏であり、これらが熊野摩崖仏である。

熊野とはこの石段を登り切った先に鎮座する熊野神社に拠る。

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途中、山道を振り返る

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行く手に石鳥居が見えると鬼の石段は直ぐ

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柱の上の輪は神仏習合の名残り

 伝説では養老2年(718年)、宇佐八幡宮の化身仁聞菩薩の作と伝えられ、

近くの山中には「御所帯場」と呼ばれる作業時の宿泊跡がある。

この石仏の造立年代資料となる「六郷山諸勤行等注進目録」や「華頂要略」等の

安貞2年(1228年)の項に「大日石屋」「不動石屋」の事が記されているので、

鎌倉初期には大日、不動両像の存在が明確である。

また胎蔵寺が記録に現れるのは仁安3年(1168年)の「六郷山二十八本寺目録」であるので、

摩崖仏の造立は藤原末期と推定される。

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・信心を 石段で見る 摩崖仏  
鳥居脇に建つ大分出身の川柳家・内藤凡柳の碑
 
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鳥居前から上って来た山道を振り返る

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鳥居の先が 「鬼の石段」

 向かって右に位置するのは高さ6.8mの大日如来。高さ約8mの龕の中に彫り出されている。

螺髪等の造形的特徴から不動明王像よりも製作年代が遡ると推定される。

頭部上方の三面に刻まれている種子曼荼羅は鎌倉時代の追刻である。

脚部を掘って見ると石畳が敷かれ、地下に脚部が埋没していない半立像である。

尊名は大日如来と言われているが、宝冠もなく印も結んでいないので

薬師如来ではないかと見る向きもあるが、やはり大日如来の古い形と思われる。

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右手に聳える大日如来像
手前にあるのは賽銭箱か?

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大日如来像近影

 左に位置するのは総高8mの不動明王。大日如来と同じく半立像で下部はあまり人工の手を

加えていない。右手に剣を持ち巨大かつ勇壮、左側の弁髪は捻じれて胸の辺まで垂れ、

両眼球は突出し鼻は広く牙を以て唇を噛んでいるが、一般の不動の様な憤怒相はなく、

却って人間味のある慈悲の相を備えた優しい顔である。

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不動明王像全景

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柵があるので摩崖仏には近付けない

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穏やかな表情の不動明王像

 昔から文人墨客に好まれ、佐々木信綱は

・山椿 花咲きしだり 荘厳す 大き岩にえれる この摩崖仏

と詠んだ。

 厚肉彫の雄大、荘厳な摩崖仏であるため、国指定史跡でありながら美術工芸品としての

価値が高いとして国の重要文化財指定を併せて受けたものである。』 とあります。

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磨崖仏参拝の後は更に上を目指す

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最高所に鎮座する熊野神社拝殿

 幸いにも時間内に摩崖仏と熊野神社まで往復できましたが、あの高所まで行き、

なおそこで岩壁に仏像を刻んだ先達には脱帽するしかありません。

 中世には宗教が民衆の心を広く捉えた時代ですが、

一方の宗教家にもそれだけの気概があったのもまた事実。

これほどの仕事を成し遂げるには鋼の意志があったのでしょう。

「鬼の石段」とはもしかすると彫った職人をあらわすのかもしれません。

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拝殿前面の向拝下にて

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拝殿の奥にある本殿は崖に抱かれた形

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拝殿前の御神木は熊野杉?

 通常は御本尊の大日如来が主の筈ですが、ここでは不動明王の方がスケールも大きく表情も豊か。

これは安山岩質の硬い岩壁に造られたために彫り口がやや浅くなったためと記されていますが、

私的には彫刻師の心が反映された作と考えたいです。

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こちらも熊野ゆかりの梛(なぎ)の御神木

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崖に穿たれた岩龕と石塔

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真木大堂 石像文化財 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の参>

2024.02.20(21:37) 1736

庫に仏像、庭に石造(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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馬城山 傳乗寺(天台宗 六郷満山霊場第五番特別札所)  古代公園

 旧本堂と収蔵庫の仏像に参拝したら真木大堂の拝観は一通り終了ですが、

加えてもう一つが境内に置かれた石造群。ガイドの方の話では「古代公園」と呼ばれる場所です。

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入口に建つ石柱には摩滅した仏像?

『国東半島には六郷満山文化の遺産として宝塔、宝篋印塔、五輪塔、板碑、石仏等

多くの石造文化財が残されている。

これらの文化財は半島全域の寺院や山岳地に散在しているため、手軽に鑑賞することができないので、

主に市内田染や河内の方々の協力で本園地に遷仏したものである。

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入口にある典型的な国東塔
通常はこれくらいの大きさが多い。

 なかでも国東塔と呼ばれる宝塔はこの半島だけにある荘重華麗な石造宝塔で、

他の宝塔とは異なる特徴として基礎が二重または三重に組み立てられ、

塔身を台座の蓮華座に乗せ相輪の先端の宝珠を囲んで火焔が刻まれている。

塔身を空洞に穿ち納経孔を持つのが特徴で、即ち経文(法華経)を納める事を目的として造立された。

京都帝国大学の天沼俊一が富貴寺を訪れた際に、その特異な形状を見て 「国東塔」 と命名した。

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境内で最も大きい龍泉寺国東塔

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初心者のための国東塔図解
と言っても詳しい人は非常に少数と思うが…。

 国東塔の造立が始まるのは、二度の元寇に拠って世情不安が高まった鎌倉後期に当たっている。

造立の目的は仏法興隆、寺院の隆盛等「祈願」や「追善供養」、

或いは死後の安楽を願う 「逆修塔」 であり、また墓標としても造られた。

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どことなく異国風な庚申塔

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こちらも初心者向け庚申塔図解

 庚申塔は、60日に一度巡る庚申の日の夜、就寝した人間の身体から抜け出した三尸虫が

天帝に悪口を告げて命を縮める事を防ぐために徹夜する庚申講に因み造立。

庚申講を一定期間続けた記念に建立されることが多い。

多くは悪疫調伏の青面金剛明王やその使いの三猿を刻むが、

文字庚申や猿田彦神を刻むものなど、多様な形式を見せる。

庚申信仰は中国より伝来した道教に由来し、江戸時代初期に民間信仰として発達した。

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境内奥には様々な石塔が並ぶ

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庚申塔と石幢

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こちらは文字庚申塔

 宝篋印塔は宝篋印陀羅尼というお経を納めたもので、笠の四隅の飾り突起が直立していると言う

方形の塔であり、五輪塔は平安後期から「供養塔」「墓標」「舎利塔」として用いられた。

 板碑は五輪塔形式を簡略化した一種の卒塔婆で、塔には梵字を刻んだものも多く卍を刻んだものもある。

また、石殿、石祠など六郷満山文化を伝えるこれらの貴重な遺産は土地の人々と先祖の深い絆であり、

「くにさき」の風土をこよなく美しいものに彩っている。』 とあります。

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今上天皇陛下が皇太子時代に植樹されたもの

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庭園の遥か彼方にはこの日のゴール両子山が遠望

 最初は、「一つのお寺に、こんなにあるのか!」と驚きましたが、各所のものを一ヵ所に集めたと知って納得。

遺跡は本来の場所にあるのが良いのは勿論ですが、こうして集める事で、多くの眼に触れるもの事実。

伝統文化を忘れず後世に【でんしょう】する上では有効と言えます。古代公園の命名は決して誇大ではありませんでした。

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古代公園を一望

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公園奥にはかつての遥拝所へと続く道が
但し、滞在20分のため泣く泣くスルーする羽目に…。

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真木大堂 重文・仏像群 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の弐>

2024.02.19(19:46) 1735

旧態を留める九体の仏像(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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馬城山 傳乗寺(天台宗 六郷満山霊場第五番特別札所)   受付横の看板

 先に訪れた富貴寺の目玉が国宝大堂であるならば、当寺のメインは収蔵庫に収められた重文の9躯仏。

『真木大堂は養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創され、

悲陀の匠が建立したと伝わるが、堂内の仏像は作風から見て平安時代のものと考えられている。

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入口正面に建つ収蔵庫

 仏像群は傳乗寺の各寺坊が衰退した事を受け本尊を一堂に集めたもの。

現存する9体の仏像には、全霊を捧げ尽くして造られた方々の魂がこもって居り、

人々の篤い信仰と守護の元に難を免れて今に至っている。

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旧本堂参拝後、収蔵庫で仏像に御対面

 大正7年(1918年)に国宝指定、昭和4年(1929年)に大修理、昭和25年に改めて重要文化財に指定。

平成20年収蔵庫改修と同時に仏像も修復された。

 中央に安置された本尊阿弥陀如来坐像は丈六坐像で檜の寄木造り、

地方に於ける定朝様式の先駆け的作品と評される。

その須弥壇の周りには等身大の四天王立像が四方を守護している。

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解説書裏面の重文・仏像群
収蔵庫内は撮影禁止のため仏像は説明書等からの引用。

 大威徳明王は神の使いである水牛に跨る六面六臂六足の像で、大威徳明王像としては

日本一の大きさで、動物の木彫としても珍しく、九州に残る密教彫刻の大作として注目される。

 不動明王像は木造としては国内最大級で、右脇には慈悲の矜羯羅童子(こんがらどうじ)、

左脇にはやんちゃな制吒迦童子(せいたかどうじ)を従える三尊形式である。』 とあります。

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真木大堂を代表する大威徳明王像

 全て重文の9体仏ですが、注目されるのは中央の本尊阿弥陀如来ではなく、

左端の大威徳明王。大きさも勿論ですが、何よりも仏像から発散される迫力に圧倒。

今風に言えば、オーラが尋常でないとなるでしょうか?

他の仏像がその【遺徳】に肖っているようにも見えます。

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御本尊に加え 「大威徳明王」 御朱印も拝受

 傳乗寺の伽藍は無くなりましたが、戦乱を経て仏像がここに残っただけでも奇跡的。

通常は広い伽藍に置かれますが、ここの9躯仏は収蔵庫に【きゅうくつ】に鎮座されます。

それが迫力を倍増しているとすれば、演出効果も中々ですが…。

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田染郵便局 ; 国宝・富貴寺大堂、真木大堂の重文・大威徳明王像、重文・熊野磨崖仏

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真木大堂 旧本堂と菊花紋章 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の壱>

2024.02.18(19:57) 1734

広大な伽藍【でんしょう】を持つ寺院(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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馬城山 傳乗寺(天台宗 六郷満山霊場第五番特別札所)  旧本堂

 いきなり国宝大堂に参拝したあとは、次なる場所へ。

途中、道沿いに建つ石の鳥居の前で、ガイドの方から

「鳥居の柱の上側に輪がありますが、これが神仏習合時代の名残です。」

との解説。この輪っかが無ければ神仏分離後の建造と判断できます。

このように現地でないと【わっか】んない話を聞けるものツアーの長所。

そうこうする内に10分足らずで門前へ到着。

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寺院の近くに建つ神仏習合時代の鳥居

 真木大堂(まきのおおどう)は、

『養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創された六郷満山六十五ヵ寺の内、

本山本寺八ヵ寺の一つ馬城山傳乗寺(まきさんでんじょうじ)の堂宇の一つであったと伝えられる。

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バスは門前にて停車

 傳乗寺は六郷満山の長講所(学問所)として田染地区に三十六坊を有した幻の最大の寺院であったと言われ、

往時は広大な境内の中に七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院であった。

しかし約700年前の火災で伽藍は焼失、史料も今に伝わらない。

現在の真木大堂は、傳乗寺の各寺坊が衰退したので本尊をこの一堂に集めたものである。

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入口の仁王像は今は御意見箱に変貌

 付近には随願寺、成願寺、釈迦堂、芝堂、閻魔堂、黒草堂、城山四面仏等々があり、

畦畔には石碑、石塔等も散乱している事からも、かつての寺坊が各所に散在した事を示している。

境内に残るのは、江戸時代に再建された小規模な旧本堂と

昭和40年代に建造された収蔵庫のみで、9体の仏像が収められている。

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受付(左)と収蔵庫(右)の間を抜け、先ずは旧本堂に参拝

 旧本堂は長年に亘り仏像を安置した場所で、正面の朱塗りの扉には菊花の紋章がある。

約700年前の蒙古襲来の時、鎌倉幕府は教書を発し、豊後守護職の大友氏は

これを受けて六郷満山の寺寺院に対して異国降伏の祈祷を行うよう施行状を発した。

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かつては仏像を安置した旧本堂

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旧本堂前にてガイドの方から解説を聞く

 六郷満山の中枢であった馬城山傳乗寺では長期に亘り異国降伏の大祈祷が行われ、

その恩賞として弘安8年10月16日に将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が下賜された。

これは全国的にも類例を見ない珍しいものである。

 今、往時を想起するときに誠に感無量であり、近年の各地からの参拝者や関係者からも

真木大堂を往時の傳乗寺の姿に復元して欲しいとの熱望が寄せられている。』 とあります。

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旧本堂内陣前に建つ仁王像

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扉に菊花紋章が彫られた旧本堂内陣

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堂内に掲げられた 「傳乗寺」 の扁額

 【伝承】では広大な敷地・伽藍を持つ六郷満山最大寺院であったとありますが、

今は境内も狭く伽藍も旧本堂のみ。由緒も古いだけに【末期】に至ったのでしょう。

旧本堂に掲げられた菊花の紋章だけが往時の繁栄を示しているように思えます。

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後方から見た旧本堂

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入山時に頂いた真木大堂解説書

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真木大堂御本尊御朱印  (六郷満山第五番札所)

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富貴寺 大堂の壁画 (大分県豊後高田市田染字蕗) <富貴寺 其の参>

2024.02.17(20:02) 1733

ふき曝しになった壁画(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

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蓮華山 富貴寺(天台宗 六郷満山霊場第四番特別札所)  重文・大堂壁画

 国宝大堂の内陣には重文の御本尊が鎮座ましますが、もう一つ見逃してはいけないのが壁画群。

『内陣後壁には浄土変相図、四壁には五十仏、四天柱には胎蔵界曼荼羅の中心部が描かれている。

浄土変相図の裏面は彩色が剥落しているが、十九面千手観音像の跡が窺える。

 外陣長押は一枚板で、東は薬師浄土、南は釈迦浄土、西は阿弥陀浄土、北は弥勒浄土で、

堂内には三千仏が描かれていると言われる。

 絵画の才もあった福岡出身の俳人・野見山朱鳥は、

・壁画見て 秋風を聞く 大扉かな

と詠んだ。

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南側壁画 (説明書より)

 遺品の少ない平安絵画の貴重な例として国宝大堂の一部である壁画は、絵画部門の重要文化財になっている。

長い年月を経た事に拠る傷みや、第二次世界大戦における空襲被害に拠り、

ほぼ全ての絵具が剥落しているが、創建当時は極彩色で彩られていた。

大分県立歴史博物館には、創建当初の壮麗な姿がほぼお堂と同じ大きさで復元された模型も展示されている。

創建当初にこの堂に足を踏み入れた人が目にしたのは苦しい現実世界ではなく、麗しき極楽浄土であった。

人々はその中で浄土を体験し、往生を遂げるように祈りを捧げたのであろう。』 とあります。

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南側壁画 (説明書)

 平安時代の木造建築も稀ですが、同じ時代の壁画となると遥かに少ない印象。

古墳内部と違って四六時中、外気に晒されているので保存が困難なのは当然。

堂内では、照明を落とした中で、御住職の解説の声が響き渡ります。その中で、

「山の向こうに工場があったため、昭和20年に裏山に爆弾が落ちて屋根の一部が吹き飛びました。」

「終戦後もお金や物がなくて昭和23年に修理が始まるまで、ここは雨曝しでした。」

という話に胸が詰まりました。

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須弥壇の復元図

 屋根が壊れた事も勿論ですが、三年も修復できなかった事は余りにも悲惨。

千年の間に壁画が経年劣化したのは仕方ありませんが、雨曝しの三年間に

それを越える劣化が進んだのは想像に難くありません。

私でなくとも【烈火】の如く怒りが込み上げますが、爆弾を落とした米軍はキリスト教徒。

キリシタンに改宗した大友宗麟の破壊は免れましたが、西洋のキリスト教からは逃げられませんでした。

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大分県立博物館にある須弥壇全体復元

 古代ユダヤの地で誕生し古代ローマでは当初迫害されたキリスト教も、

313年にコンスタンティヌス大帝のミラノ勅令で漸く公認。

392年にはテオドシウス大帝に拠って国教に昇格します。

その後は、古代ギリシア・ローマの芸術・学術は否定され1000年以上に亘って開催された

オリンピアの祭典も中止。19世紀の近代オリンピックまで長い冬の時代に入ります。

これを一神教のせいにするか迫害の反動ととるかは意見の分かれる所でしょう。

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昼食は駐車場横にある「榧の木」 にて

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入口のメニュー看板と国東塔

 キリスト教では「キリストの受難」という事がよく言われますが、歴史的に見れば

「キリスト教に拠る受難」 の方が多かったと感じるのは、強ち仏教徒の偏見でもないように思えますが…。

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看板にあった「だんご汁定食」 ¥1200

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富貴寺 国宝大堂 (大分県豊後高田市田染字蕗) <富貴寺 其の弐>

2024.02.16(20:19) 1732

最古の木造建築は最高!(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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蓮華山 富貴寺(天台宗 六郷満山霊場第四番特別札所)  国宝・大堂

 御朱印拝受後は、修復中の本堂の裏手を抜けて阿弥陀堂で皆と合流。

堂内では御住職の解説が始まったばかりでした。

『国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂で九州最古の和様建造物。

宇治平等院鳳凰堂・奥州平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂の一つである。

内陣中央には本尊の重文阿弥陀如来坐像が安置され、

堂内の壁画は平安三壁画の一つに数えられる。

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左より紅葉を背景にした大堂

富貴寺大堂は平安後期、浄土思想阿弥陀信仰全盛期の建立で、総素木(榧)造りである。

柱の間が三つと四つの三間四間の建物で、周囲に廻縁(まわりえん)がある。

大面取りの方柱に舟肘木をのせ、その上に単層宝形造りの屋根を載せ、行基瓦葺二重繁垂木になっている。

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阿弥陀堂らしさが感じられる正面

 簡素な形、優美な屋根の線がどっしりとした安定感を与えている。

内部は板敷で四天柱で内陣が区切られ、阿弥陀如来像が安置されている。

須弥壇の格狭間の線はふっくらと優しい形をしており、小組格天井は端正である。

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右から銀杏越しに見る

 戦国末期の天正年間(1573~1592年)、キリシタン大名であった大友宗麟の時代に

多くの仏教寺院が破壊されたが、富貴寺大堂は難を免れ、平安時代の阿弥陀堂の姿を今に伝えている。

大堂はこれまで四度の大修理が加えられ、文和2年(1353年)の墨書のある棟木の一部が残る。

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大堂前面から見る紅葉と石像群

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大堂前面の垂木と廻縁

現在のものは昭和23年(1948年)から25年に大修理されたもので、昭和40年には行基葺に改修された。

大堂は明治40年(1907年)に特別保護建造物に指定され、昭和27年以降は国宝として保護されている。

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大堂への入口は左右に一ヵ所ずつあり、こちらは右側入口

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後方から見た左側入口

 大堂本尊の阿弥陀如来坐像は大正7年に国宝に、戦後の昭和25年に重要文化財に指定されている。

高さ85㎝の榧材寄木造り、螺髪で二重円光(後補)を背負う。

蓮華座の上に結跏趺坐し、上品上生の印を結んでいる。

現在は素木であるが、当初は華麗な漆箔像であったようで螺髪にその痕跡が見られる。

伏し目がち、半開の眼差し、ふくよかな相貌をしており、藤原時代末期の作と推定されている。

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宇佐駅前で見た富貴寺の看板
実際はこのように前扉を開放することはないのだそう。

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重文・阿弥陀如来坐像 (説明書より)

 堂内には阿弥陀三尊像が安置され、阿弥陀如来坐像は高さ88㎝、

観世音菩薩と勢至菩薩は共に立像で103㎝、藤原時代末期の秀作で

平成14年の修復を経て、現在は県指定有形文化財となっている。』 とあります。

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本堂安置の阿弥陀三尊像 (説明書より)

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大堂内部 (説明書より)
写真は御本尊のみだが実際には阿弥陀三尊像が御本尊の前に安置されている。

 日本三大阿弥陀堂とされる平等院、中尊寺の二寺に比べると、規模と豪華絢爛さでは劣るものの

奈良京都を除けば西日本最古の木造建築で、今回のツアーの目玉なのも当然といえます。

紅葉に囲まれた境内にどっしりと建つ堂宇には、単なる大きさ・豪華さでは表せない風格さえ感じます。

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左側入口から裏山を見る

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左側から見た大堂

 堂内では御住職の解説を聞くことができたのはツアーの特権。

平安時代の建造ばかりが強調されますが、後世の修復もあって

板の色調や表面の仕上げ状態で違いが分かるのだそう。

加えて仏像の手を丸めているのが阿弥陀様の特徴とか。

こう言った内容は、現地でしか聞けない貴重なものと言えます。

参拝者としてはできれば解説書に記載して貰えるのが理想ですが、

まさか【言質】を取られるのを警戒していたとも思えませんが…。

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入山時に頂いた解説書

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富貴寺御朱印  (六郷満山第四番札所)
梵字は阿弥陀三尊を表している。

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富貴寺 富貴への道 (大分県豊後高田市田染字蕗) <富貴寺 其の壱>

2024.02.15(21:21) 1731

人は富貴を目指す(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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蓮華山 富貴寺(天台宗 六郷満山霊場第四番特別札所)

 六郷満山の中心である宇佐神宮を一通り巡った後は、バスで次の巡礼地富貴寺まで移動。

山中の古刹を想像していましたが門前には広い駐車場があり、陽光が燦燦と降り注ぐ場所。

横には昼食予定の食堂もありました。

 九州最古の木造建築の国宝・大堂を有し、六郷満山では外せない場所なのでしょう。

皆、富貴を目指す事に変わりはありません。

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石段の先に建つ仁王門

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石段の秋桜

 参道の上り口に建つ石幢(せきどう)は石灯籠に似ていますが火袋のないのが特徴で、

高さ215㎝、六面に六地蔵を刻んだ江戸時代の作。

その脇の石殿はがっちりした造りで十王を刻んで売り事から十王石殿とも呼ばれる室町時代の作です。

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参道入口にある石幢と石殿

 石段を上るとこぢんまりとした仁王門が建ち、阿吽の仁王様がお出迎え。

経年のためか、どことなく可愛らしい印象です。

そう言えば上り口手前のバス停に「千と千尋の神隠し」のキャラが置かれているのも御愛嬌ですが、

並んで撮影に興じる人も。これでは仁王様もカオナシもとい形無しです。

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正面から見た仁王門

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右の仁王(阿像)

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左の吽像

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食堂前から入口を見る
バス停では観光バスガイドさんが休憩中。

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ベンチに座る 「千と千尋の神隠し」 の案山子?

 蓮華山富貴寺(れんげさんふきじ)は、

『六郷満山の中で満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つで天台宗に属する。

寺伝に拠れば、養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩の開基と言われる。

 昔この地に高さ970丈もある榧の大木があった。その影は数里を越え、

朝は隣村の河内の塔御堂、夕には反対側の田原の釜割まで届いたそう。

竹田番匠が、この榧の一木で大堂を造り仏像を刻み、余材で牛を刻んだが、未だ余ったので、

刻んだ牛に余材を乗せて熊野に運んだところ、途中で牛が動かなくなり、

その地に建てたお堂が真木大堂であると言い伝えられる。

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仁王門の先の階段を進み本堂へ

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階段を上った両側に聳える御神木

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左側にあるのが昔話にも登場する榧(かや)の巨木

 平安時代は宇佐神宮宮司家の祈願所、蕗浦阿弥陀寺(現在の富貴寺大堂)の別当として

宇佐宮司家の保護の下、九つの坊を擁し鎌倉初期までは権勢を誇ったが、

武士の台頭や戦国時代の混乱で衰退。江戸時代に入ってから徐々に復興し、

除災招福・五穀豊穣を祈願する寺として今日まで法灯を伝えている。

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右側にあるの大銀杏の御神木

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大堂前から見た御神木

 国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂で九州最古の和様建造物。

宇治平等院鳳凰堂・奥州平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂の一つである。

内陣中央には本尊の重文阿弥陀如来坐像が安置され、堂内の壁画は平安三壁画の一つに数えられる。

その他、境内には国東塔、石殿、板碑、笠塔婆、仁王像、梵字石などが多数残る。』 とあります。

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大堂から境内を彩る紅葉を見る

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注連縄が張られているのは欅?

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富貴寺は紅葉名所でもある

 ツアーなので団体行動ですが、御朱印帳に書いて貰うために、受付を過ぎると別行動で寺務所へ。

途中、修復中の建物を過ぎて向かった先には 「仮本堂」 の札が掛かり、

その場所で住職夫人から御朱印を拝受。

私 ; 「仮本堂とありますが、国宝大堂は修理中ですか?」

夫人 ; 「いいえ、覆いが掛かっているのが本堂で、国宝は阿弥陀堂になります。」

私 ; 「という事は、御本尊は?」

夫人 ; 「阿弥陀堂の御本尊は阿弥陀如来ですが、本堂は不動明王になります。」

との事。必ずしも国宝・重文が本堂・本尊ではないという好例でした。

そうなると御朱印は御本尊で拝受ですが、ここは六郷満山札所なのでやはり阿弥陀堂で拝受。

墨書は梵字で阿弥陀如来と勢至・観音の両菩薩を表したものでした。

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御朱印拝受のため仁王門から右手の寺務所へ

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覆いが掛かり修復中の本堂

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不動明王が移されている仮本堂で御朱印拝受

 木造建築が有名な富貴寺ですが、境内の石像美術も中々なもの。

『参道左側の板碑は延文6年(1361年)の銘を持つ祐禅大徳七回忌の造。

五基の笠塔婆は鎌倉時代の僧侶広増に拠る建立で、最も古いものは仁治2年(1241年)である。

また大堂左手には正徳6年の八臂弁財天(宇賀弁財天)、造立年代不明の文殊菩薩が並ぶ。

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笠卒塔婆 (説明書より)

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八臂弁財天石像

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文殊菩薩石像

 石塔、石仏の宝庫と言われる国東半島を特徴付ける石造物は宝塔の一種である国東塔。

国東塔は塔身下に「請け花」「反り花」の蓮華座を設けた特異な形態を持っている。

鎌倉時代後期から南北朝前期にかけて六郷満山寺院に大型のものが建てられた。

塔身上部には奉納孔があり、経典を治める宝塔として建てられたのが本来の姿であるが、

後世には墓標化してゆく。隣の小さな国東塔は墓標として建てられ慶長8年(1603年)の銘が残る。』

とあります。 

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国東塔

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隣接する小さな国東塔は墓標

 国宝が有名な富貴寺は紅葉の名所。少し時期は過ぎたものの、大堂全体が赤色に染まった感じでした。

大堂前に聳えるのは伝説にもなった榧の巨木。

何でも仁聞菩薩が榧を伐ろうとしましたが、切っても切っても翌朝には元に戻ってしまい困り切っていた所、

ヘクソカズラが「伐った大鋸屑をその日の内に燃やしてしまうと切り倒せます。」と教えたので無事伐る事ができたとか。

かつて「おんぶお化け」でも似た話を聞いたので、霊木には霊力が宿るという昔話では良くある話なのでしょう。

それにしても同じ植物に裏切られるとは榧も気の毒な話です。

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大堂左側には紅葉と共に石像群が並ぶ

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石垣の上の石像群

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説明書に拠れば石像の中に奪衣婆坐像もあったが急ぎの拝観で気付かず

 九州最古の木造建築である国宝・大堂を有する富貴寺ですが、

仁聞菩薩が開創したというのも伝説の域です。

由緒について確実な記録は宇佐大宮司の到津(いとうづ)家に伝わる貞応2年(1223年)の古文書に

「蕗浦(ふきうら)阿弥陀寺は当家歴代の祈願所」 と記されたのが最初だそう。

 当寺の場所が田染(たしぶ)で字が蕗ですから、元々は蕗にあって蕗寺(ふきじ)と呼ばれていたものが、

六郷満山の信仰が広まるにつれてその中に取り込まれ、より御利益のありそうな

富貴寺と改称したように思えます。人が富貴を目指すのは昔も今も変わりないので…。

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境内奥に並ぶ五輪塔

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更に奥には奥の院 薬師岩屋がある
但し、ツアーのためか誰も行った人は居らず。

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宇佐宮 弥勒寺跡 (大分県宇佐市南宇佐) <宇佐神宮 其の伍>

2024.02.13(20:50) 1730

神仏習合の証(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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宇佐神宮(式内社 豊前国一宮 旧官幣大社 別表神社 勅祭社)  弥勒寺跡

 国東半島は神と仏が複雑に絡み合う独特の文化が発展した場所。

その文化は六郷満山(ろくごうまんざん)と呼ばれています。

国東半島中央に聳える両子山から放射状に伸びる谷筋に沿って開けた

国東(くにさき)・武蔵(むさし)・安岐(あき)・田染(たしぶ)・来縄(くなわ)・伊美(いみ)を六郷と呼び、

そこに築かれた寺院群を満山と呼んだ事に拠ります。

宇佐神宮は仏教伝来時にいち早く仏教を取り入れて寺院を建立しますが、

ここ六郷の大部分は九州きっての大領主であった宇佐神宮の荘園となり六郷満山と言う、

仏教文化の華を咲かせました。

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弥勒寺跡には春宮神社(右)と祓所(左)の間を往く

『明治維新までは、この場所には弥勒寺と言う神宮寺が存在していた。

弥勒寺金堂の御本尊は延命長寿・病気平癒をもたらす薬師如来で、

その守護神として寺院の脇に須佐之男命を祀る八坂神社が建てられた。

須佐之男命は別名を牛頭天王と称し、疫病鎮静のために創建された京都の八坂神社と共に

疫厄消除の御神徳で知られる。神仏習合に於ける須佐之男命の本地仏が薬師如来である。

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春宮脇、弥勒寺跡に建つ八坂神社

 宇佐神宮関係の資料に725年に八幡伸を現在の小椋山に移した際、

東方の日足の地に弥勒禅院を建てた記録が残る。また738年に金堂・講堂を建立しており、

そのころ着手して奈良時代に完成したものと考えられている。

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今に残る礎石はかつての金堂跡

 西参道の南側に保存されているのがかつての寺院の中心遺構。

発掘調査に拠り金堂・講堂を南北中軸線上に配し、金堂前面に東西二基の塔を並べた

所謂薬師寺式の伽藍配置である事が確認されており、境内全体の規模は

東大門と西大門の間で約150m、南北もほぼ同じ長さであったと推定される。

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かつての弥勒寺の境内

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社務所で拝受した弥勒寺御朱印 (六郷満山第二番札所)

 西参道を進むと寄藻川に架かる呉橋に至るが、かつては弥勒寺の仁王門へと続く橋であった。

鎌倉時代以前からあった事が知られ、昔、呉の国の人が架けたと言うのが名前の由来となっている。

境内にある社殿同様の檜皮葺、唐破風の屋根に覆われた豪華な橋は県の有形文化財に指定されている。

通常は閉鎖されているが、10年に一度の勅使祭の時だけ扉が開かれる。』 とあります。

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弥勒寺跡脇の西参道の奥に呉橋が見える

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呉橋近影

 かつて国東半島に28の寺院を開き、6万9千体の仏像を造ったとされる仁聞(にんもん)菩薩という

伝説的な人物が居ますが、彼こそ宇佐八幡神が姿を変え人格化された姿であると考えられています。

この日のツアーで訪れる寺院群はいずれもガイドに載る名所ですが、全て宇佐神宮の傘下にあったとは驚き。

ツアーに先立ち宇佐神宮へ参拝しますが、これは駅から距離的に近いだけでなく、

全ての寺院を統括する神宮に敬意を表したものと言えるでしょう。

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檜皮葺、唐破風の呉橋

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隙間から見た呉橋内部

 六郷満山31霊場巡りというのがありますが、一番札所は宇佐神宮。

そして二番札所は境内にあった弥勒寺跡と続きます。

札所の最初が神宮というのも凄いですが、今はない寺院跡が札所となっているのも壮観。

果たして御朱印はどこで拝受できるのか疑問でしたが、宇佐神宮の神宮庁が対応。

【宇佐】のような本当の話ですが、【遠くて近きは寺社の中】を地で行く話です。

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神橋の上から眺めた呉橋全景

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呉橋の向こうには西参道入口の鳥居が建つ

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呉橋袂から神橋を望む
今は神橋を通行する仕来り。

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宇佐神宮 上宮本殿 (大分県宇佐市南宇佐) <宇佐神宮 其の肆>

2024.02.12(18:37) 1729

八幡宮の総本山へ(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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宇佐神宮(式内社 豊前国一宮 旧官幣大社 別表神社 勅祭社)  西中門前にて

 下宮参拝の後は左手の鮮やかな朱塗りの鳥居を潜りますが、これが上宮本殿へと続く亀山を上る表参道。

今までの参道と異なり石畳に拠って舗装されていますが、その上部に敷かれているのが夫婦石。

一人ならば両足で、夫婦やカップルならば手を繋いで一緒に踏むと幸運に恵まれるというもの。

勿論、自然石ではなく人工的に造られたものですが、今や映えスポットとして人気急上昇中だとか。

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上宮への石段に建つ朱の鳥居
大鳥居から数えて二番目。

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上り口左手に力石が置かれていたが、持ち上げようとした参拝者は見当たらず

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石段を上る

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途中にある夫婦石
何となく水鳥の脚にも見えるが…。

 その先に建つのが宇佐鳥居。宇佐神宮独特の鳥居で額や額束がなく、

柱の上部に黒い台輪が置かれているのが特徴です。

そこを進むと愈々国宝・上宮本殿、有形文化財の西大門や南中楼門が鎮座。

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更に石段を上る

 宇佐神宮は、

『全国に四万社余りある八幡社の総本宮。八幡大神は応神天皇の御神霊で

欽明天皇の32年(571年)に初めてこの宇佐の地に御示現になり、

「吾は誉田天皇広幡八幡麻呂なり。我名をば護国霊験威力神通大自在王菩薩と申す。」

と告げられた。

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石段の先に建つ宇佐鳥居
大鳥居から数えて三番目。

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修復中の西大門に代わって写真パネルがお出迎え

 神亀2年(725年)には宇佐亀山に一之殿が造営され、以後、天平元年(729年)に二之殿、

弘仁14年(823年)に三之殿が造営され現在の形式の本殿が出来たと考えられる。

母神として神功皇后が祀られているのは三之殿である。

 元より、この宇佐は神代に比売大神が天降られて早くから開けた場所で、

宇佐の国造はこの神を奉祀してきた。

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正面より見た西中門
この奥に一、二、三之御殿が鎮座。

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西中門右手の八子神社と大楠

また神武天皇の東征の皇軍を迎えた聖地でもあった。

天平12年(740年)の藤原広嗣の乱の際には、官軍大将軍の大野東人が決選前に先勝祈願をした。

天平15年の東大寺造営に際しては宮司が託宣を携えて上京、造営を支援した事が中央の結びつきを強めた。

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南中楼門も修復中でパネルが代役

 神護景雲3年(769年)には宇佐八幡宮託宣事件、所謂道鏡事件では皇室の継承にまで

容喙する程の実力を有し、伊勢神宮に次ぐ皇室の宗廟として崇拝の対象となり、繁栄し信仰を集めた。

 清和天皇の貞観2年(860年)、僧行教に拠り平安京の鎮護として宇佐の御分霊を祀った

石清水八幡宮を創立し、源頼朝は鎌倉幕府の鎮守として鶴岡八幡宮を建てるなど、

全国に四万社余りの分社が続々と祀られるようになった。』 とあります。

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境内の最奥にある祈祷殿と御神木の大楠

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南仲楼門の正面にある百段
人食い鬼の力と八幡大神の知恵が激突した伝説を持ち南大門へと続くが急勾配のため立入禁止。

 全盛期には九州の25%の荘園を傘下に持ち、称徳天皇の神護景雲3年(769年)には

弓削道鏡を天皇位に就けるという宇佐八幡託宣事件で皇位継承にも関与しています。

現在、あらゆる願いを受容れる宇佐八幡宮ですが、「天皇になりたい!」 と言う願いだけは駄目だとか。

これも道鏡事件の【うさ】晴らしでしょうか?

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重文・若宮神社に参拝して帰路へ

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宇佐郵便局 ; 宇佐神宮の大鳥居、勅使門

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宇佐神宮 祓所から下宮へ (大分県宇佐市南宇佐) <宇佐神宮 其の参>

2024.02.11(20:47) 1728

御食つ場所を見つけた話(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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宇佐神宮(式内社 豊前国一宮 旧官幣大社 別表神社 勅祭社)  下宮

 神宮庁を進むと手水舎、応神天皇の御子神を祀る春宮(とうぐう)神社と続き祓所(はらえど)へ。

名称からも、また水を湛えた池からも禊をする場所であろうと想像するのは容易です。

参拝に先立ち、心も身体も綺麗にせよとの事でしょう。

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春宮神社

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祓所

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祓所を囲む紅葉

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祓所の池

 そこから上宮本殿へは左折しなければなりませんが、そのまま直進すると突き当りに建つのが下宮。

『下宮は嵯峨天皇の弘仁年間(810~824年)に朝廷より造宮使が遣わされ、上宮の御分神を鎮祭し創祀。

古くは御炊殿(おいどの・みけでん)とも言われ、神前に供える食事を調理する場であった。

農業・漁業を始めとする一般産業の発展充実を守る神である。

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階段を上り下宮へ

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下宮由緒記

 上宮と同様に歴代の皇室を始め国民の崇敬篤く、特に宇佐地方では 「下宮参らにゃ片参り」

と称され親しまれている。境内には兆竹(さましだけ)が植えられており、

これはかつて若宮神社の内庭で亀卜を行う際に用いられた竹である。』 とあります。

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鳥居を潜った先に建つ高倉

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更に進むと神門へ

 由緒を見る限り上宮の御分神を勧請したとありますが、以前は食事を司る場所。

南側を流れる川の水は調理に用いられたため御食(みけ)川の名で呼ばれます。

ここで思い出すのは伊勢神宮。内宮が皇祖神の天照大御神、外宮が食を司る神様豊受大御神を祀っています。

この関係は宇佐神宮と同じで、その意味では伊勢神宮の内宮と下宮と似た関係と言えます。

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境内から見た神門

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下宮拝殿

 天皇家の祖先神とされる伊勢神宮ですが、意外と宇佐八幡宮の配置が引用されたのでは?と考えてしまいます。

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下宮本殿

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宇佐神宮 大鳥居から菱形池 (大分県宇佐市南宇佐) <宇佐神宮 其の弐>

2024.02.10(20:27) 1727

八幡大神が現れた霊池(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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宇佐神宮(式内社 豊前国一宮 旧官幣大社 別表神社 勅祭社)  大鳥居

 寄藻(よりも)川に架かる朱塗りの欄干の橋を渡って参道に入ると行く手に大鳥居が聳えますが、

その手前右に黒男(くろお)神社が鎮座。景行天皇から仁徳天皇まで五代の天皇に240余年仕えたとされる

武内宿禰(たけのうちすくね)を祀る社で、長寿・忠誠・奉仕などの御神徳を授けてくれるそうです。

五代の天皇に仕えたとは凄いですが、少ねぇ苦労はあったと想像できます。

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黒男(くろお)神社

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間近で見上る大鳥居は’マジか’と言う程の大きさ

『大鳥居をくぐり表参道を進むと右手に宝物殿、初沢池があり、奈良の猿沢の池、京都の広沢の池と共に

日本三沢の池として夏には薄紅色の原始蓮が咲き乱れる。

その奥には神宮庁が控え、奥の下宮、上宮本殿へと続く。

表参道の左には大尾山参道が伸び、御神幸祭の中日にはここで流鏑馬が挙行される。

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表参道から大鳥居を振り返る

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国宝・重文等を多数所蔵する宝物館
夏の池には原始蓮が咲き誇る。

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表参道から左手に伸びる大尾山参道は流鏑馬神事が行われる場所でもある

 参道を進むと絵馬殿が建つが、その奥にあるのが菱形池。

約15万坪の境内のほぼ中央に位置し、八幡大神の顕現に纏わる霊池である。

古くから歌枕としてその名が記されてきた。

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絵馬殿を抜け能楽殿へ向かう

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奉納された絵馬の先には能楽殿が見える

 その菱形池の南東側、上宮が鎮座する亀山の北麓に「御霊水」と呼ばれる三つの霊泉があり、

大神比義(おおがのひぎ)が祈願する事3年、欽明天皇32年(571年)2月初卯の日に

八幡大神が出現された説話が伝わる。

御霊水の最奥にある八角の影向石には、八幡大神が神馬を召されて天駆けたという馬蹄の跡が残る。

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絵馬殿から見た菱形池と朱色の反り橋

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反り橋の上からの眺望

 平安時代の末には、宇佐神宮に奉仕した社僧の神息が御霊水の前に三つの井戸を掘り、

八幡大神の神威に拠るその水で刀を鍛えたと言われる。これが御霊水を別名「御鍛冶場」と

称する所以であり、その刀「神息」は社宝として当神宮に伝えられている。』 とあります。

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橋を渡って能楽殿へ

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能舞台前にて
この日は琴城流 大正琴 琴好会演奏会 の会場として使用予定

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絵馬殿より見た能楽殿全景

 全盛期には九州の25%の荘園を傘下に持ったと言うだけあって、

境内も広いですが由緒も古い。

今に伝わる話が全て真実を語っているとは思えませんが、

何某かの歴史的事実を伝えたものと考える事は可能です。

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表参道右手に建つ神宮庁 勅使斎館
御朱印はこちらで拝受。

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拝受した宇佐神宮由緒

 こんな神宮なので大宮司の力も絶大。古より宇佐一族が務めてきましたが、

継承をめぐって揉め事が耐えなかったそうです。最近でも平成18・20年に騒動が起こりました。

九州の仏教文化の中心で、スタートにあたり宇佐神宮の御朱印帳を購入しましたが、

果たして御利益はあるのでしょうか?

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宇佐神宮オリジナル御朱印帳  120×180㎜  ¥2000  
九州地区の御朱印はここからスタート。

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宇佐神宮御朱印   ¥500
六郷満山第一番札所でもある。

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宇佐への道 (大分県宇佐市大字岩崎) <宇佐神宮 其の壱>

2024.02.09(20:54) 1726

邪馬台国はウ〇だった?!(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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JR宇佐駅

 二日目は、国東半島の

宇佐神宮 → 富貴寺 → 真木大堂 → 熊野摩崖仏 → 両子寺

をバスツアー。

バスは大分駅前が始発ですが野暮用のために早朝からJR宇佐駅まで移動し駅前から乗車。

別府駅ホームから西に見える山は薄っすらと雪化粧。大分県で雪が降るとは驚きましたが、

同じ西九州でも南国宮崎とは大分(だいぶん)緯度に違いがあるそうで、余所者の無学を改めて思い知った次第。

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JR別府駅ホームからの眺め

 宇佐駅舎は八幡宮への最寄り駅らしく朱塗りの建築と巫女さんの看板や神輿の顔ハメがお出迎え。

加えて駅前には国東半島の案内板も。宇佐駅は国東半島観光のターミナルの役目も果たしている様子でした。

唯、国風文化の地の割に駅名表記は「USA」、デザインまで星条旗に見えるのは気のせいでしょうか?

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普通列車は1番線に入線

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巫女さんキャラクターがお出迎え

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星条旗を彷彿とさせる駅名表示板

 待ち時間が1時間半あったので、宇佐神宮まで足を伸ばすことを考えましたが、駅からは4㎞と聞き断念。

普通、神社の総本社へは参拝者の事を考慮して、近くまで鉄道が敷設されているものですが、

昭和40年まで走っていた路線も今は昔。全国八幡宮の総本宮としては残念の極みです。

電車も特急と普通が1時間に各1本停車するのみで、神宮前を通るバスも1時間毎の運行では、

参拝者が自動車に傾くのも自然の流れと言えます。

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JR宇佐駅改札 (有人駅)

405-1-7.jpg
朝の野暮用の宇佐駅スタンプ 

『明治28年(1895年)に日豊本線が柳ヶ浦まで開通した際、柳ヶ浦は長洲を名乗り、

開業から半年後の明治31年3月1日には宇佐と改称した。

その後、鉄道国有後の明治42年、当時大分線と呼ばれたこの線路が南に延伸し、

現在の宇佐駅が開業する直前に柳ヶ浦と改称している。

宇佐駅は宇佐神宮の最寄り駅。

宇佐の中心である宇佐神宮に近く、また国東半島への交通の拠点でもある。

以前は当駅から宇佐神宮へも、国東半島の付け根の豊後高田へも

宇佐参宮鉄道の軽便鉄道の線路が伸びていた。

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朱塗りも鮮やかな駅舎入口

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観光客を【見越し】ての 「神輿発祥の地」 の顔ハメ とミニチュア版神輿

 宇佐参宮線は大正5年(1916年)3月に開業、昭和40年(1965年)8月に廃止となるまで

半世紀に亘って参拝者を運ぶ役割を果たした。この路線では蒸気機関車が活躍、

現在、神社駐車場脇には当時活躍した26号機関車が展示されている。

これは明治24年にドイツ・ミュンヘン市のクラウス社が製造。

明治27年に国鉄の全身・九州鉄道㈱が購入して活躍していたが、

昭和23年に機関車の大型化に拠り大分交通㈱に譲渡され、以後参宮線の主役となった。

実に71年間活躍した車両である。』 とあります。

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国道10号線に面して建つ大鳥居

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表参道に展示中の26号蒸気機関車(クラウス号)

 歩くと遠い道のりもバスだと5分で到着。国道10号線沿いの広い駐車場には

朝から自家用車や大型バスが停車中。降りる人の話を聞くと日本以外の方も多そう。

古代より九州は大陸からの文化の玄関だった事を思い出します。

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表参道の先には正参道鳥居が建つ
神社へはこの先を右折する。

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道路沿いには(恐らく複製の)国東塔も

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何故か二天一流の碑も建つ

 境内は寄藻(よりも)川が巡る小高い丘に広大な敷地を持つ場所。古墳の上に築かれたとされ、

昭和16年の社殿造営の折に、三之御殿下から大きな石棺が出土したとか。

これに勢い付いて地元では邪馬台国宇佐説を唱える人も多いと言います。

 邪馬台国に関しては魏志倭人伝 (正式には三国志魏書東夷伝) の記述、現地での出土品という

文献学・考古学の両方からのアプローチがされていますが、いずれも決定的なものがなく百家争鳴の様相。

何がしかの大きな発見がなければ、動かない気がします。

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正参道鳥居近影

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鳥居脇の 「宇佐神宮御由緒」

・古代の都市は自然災害の少ない場所を選ぶ

・日本の古代の書籍『古事記』『日本書紀』には卑弥呼の名は一切出ない

という点は不可欠。二番目からは

・卑弥呼は大和朝廷の直系ではない

という説が有力です。「邪馬台国は【うわさ】だった。」 ならまだしも

「邪馬台国は【うそ】だった!」 とはならないようにせんと(遷都)いけません。

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寄藻川に架かる神橋を渡り神宮内へ

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神橋の上から見た寄藻川
見た目【よりも】神々しさを【加味】されている。

 神社と神宮の違いは、後者は皇祖神を祀るという事。

例外は菅原道真を祀る天満宮と徳川家康を祀る東照宮の二例のみ。

九州には神宮が多いので、皇室(大和朝廷)の起源も九州と考える方が無理の少ない気がします。

では宇佐八幡宮の位置付けは何か?

勝手な説を述べると、九州一円に勢力を持った宇佐八幡宮の一族が日向から船出したのが神武東征。

その後、大和を基盤にして勢力を伸ばした大和朝廷が出身地である九州を急襲し【吸収】したとすれば、

何とか関係が繋がります。

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この日の御供の六郷満山冊子2種

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東別府駅舎 (大分県別府市)

2024.02.08(21:47) 1725

別府でハッとうした話(2023.12.1)

<コース>
【往路】大阪駅前(21:30) → (近鉄高速バス) → 中津サンライズホテル前(6:31)

JR中津(11:18) → (日豊本線) → JR杵築(12:05→12:36) → (大分交通バス) → 杵築市商工会前(12:43) → 杵築〒 → 南台武家屋敷 → 塩屋の坂 → 杵築本町〒 → 酢屋の坂 → 北台武家屋敷 → 杵築ふるさと産業館(MHC) → 杵築バスターミナル(13:39) → 杵築駅前(13:50→14:07) → (日豊本線) → JR別府(14:37) → (徒歩25分) → 別府浜脇〒 → (徒歩5分) → JR東別府

【復路】JR東別府(16:35) → (日豊本線) → JR大分(16:46)

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東別府駅本屋(別府市指定有形文化財)

 坂の城下町杵築を駆け足で上り下りした後は、日豊本線で下って別府駅下車。

九州屈指というより日本を代表する温泉地で、湧出量は日本一だそう。

最近は駅名にやたらと「〇〇温泉」を付けるのが流行りですが、別府ではそんなことはありません。

別府で下車したなら是非とも別府八湯巡りと行きたいところですが、

平日のこの日は街中の郵便局散策。同じ‘ゆ’でも‘ゆ’違いでした。

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市内を2時間歩いた成果

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別府浜脇郵便局 ; 別府八湯・浜脇温泉、湯都ピア浜脇、温泉マーク
JR東別府駅の最寄りの温泉地だが、周りは民家が密集。

 八湯に一つ足りない七局して大分行の電車に乗るべく、向かった先が東別府駅。

『東別府駅舎は明治44年11月1日に豊州本線(現日豊本線)の浜脇停車場として開業。

大分県下の木造駅舎としては開業当時の面影を最も残している。

 当時の浜脇温泉は別府温泉と並ぶ大温泉地で多くの浴客で賑わった。

その隆盛を誇った浜脇温泉の交通の拠点として貴重であると共に、

東九州の鉄道の歴史を知る上でも貴重な建造物である。

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坂を上った先に建つJR東別府駅舎

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駅入口に建つ記念碑

 大正初期に浜脇駅、昭和9年には東別府駅と改称され、また大正14年にプラットホームを

砂面からコンクリートに変更、平成16年3月には開業当時の姿を残しながら全面改修された。

平成15年2月5日に別府市指定有形文化財となった。』 とあります。

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駅舎入口

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風情の残る待合室

 同じ明治44年の開業ながら、かたや鉄筋コンクリートの高架駅、一方は木造の地上駅と差は歴然。

同じ別府八湯とは言え、観光の中心地と外れの地との違いでしょう。

普通ならそれで終わりですが、そんな木造駅舎も今は貴重な文化遺産となっています。

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木目も鮮やかな天井

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かつての駅窓口と改札

 このような駅舎が注目されたのは肥薩線の嘉例川駅が嚆矢。

このような駅が九州で注目されたのは、かつて炭鉱で栄えた町が閉山で寂れた後、

残された施設を文化遺産として再評価した先例があったからと思えます。

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古い駅舎ながらICカード対応済
因みに九州地区はSUICAではなくSUGOCA(すごか!)と言うのだとか。

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駅ホームにて電車待ち

 定刻通りに来た電車でこの日の宿泊先のJR大分駅へ。

17時前だったので、駅内郵便局で押印して滑り込みで八局クリアできました。

県庁所在地とはいえ20年前と比べ近代的な駅舎へと変貌を遂げた大分駅でしたが、

駅前の大友宗麟の像はそのままでした。

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大分駅内郵便局 ; 府内城址、ザビエル像
大分中央郵便局 ; 高崎山、サル、市花・山茶花

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大友宗麟銅像

 大友氏は初代義直が源頼朝から豊後守護に任命されて以来、400年続きましたが、

宗麟の子・22代義統(よしむね)が朝鮮出兵で戦線離脱したため秀吉に拠り改易。

九州版関ヶ原の戦いでも黒田官兵衛に敗れ返り咲きはなりませんでした。

それでも駅前に銅像が建つのは、キリシタン大名等として知名度が高いからでしょう。

その意味では武田信玄、上杉謙信にも通じるものがあります。

宗麟の洗礼名はドン・フランシスコ、横にフランシスコ・ザビエル像が建つのは、その繋がりでしょうか?

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切支丹の服装の大友宗麟

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向かいにはザビエル像が

 南蛮貿易で巨万の富を得、幕府に献金して九州探題の地位を得たとあるように、経済感覚にも優れた

戦国大名だった様子。戦に強いことも大事ですが、経済的センスが欠落していたら元も子もありません。

戦国大名として九州全土を覆う勢いながら島津氏に敗北。

それがキリスト教に改宗した後なので、仏教・神道側からは神罰が下ったと言っているようですが…。

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大分市マンホール蓋

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大分市マンホールカード 2種

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城下町杵築 北台武家屋敷 (大分県杵築市) <杵築 其の参>

2024.02.07(20:38) 1724

酢屋の坂で呑みてぇ!(2023.12.1)

<コース>
【往路】大阪駅前(21:30) → (近鉄高速バス) → 中津サンライズホテル前(6:31)

JR中津(11:18) → (日豊本線) → JR杵築(12:05→12:36) → (大分交通バス) → 杵築市商工会前(12:43) → 杵築〒 → 南台武家屋敷 → 塩屋の坂 → 杵築本町〒 → 酢屋の坂 → 北台武家屋敷 → 杵築ふるさと産業館(MHC) → 杵築バスターミナル(13:39) → 杵築駅前(13:50→14:07)

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北台より酢屋の坂を見下ろす

 南台から坂を下って商家群を見た後は、再び坂を上り北台へ。

こちらにも南台と同じく武家屋敷が残ります。

商家から北台武家屋敷へと至る坂はひとつ屋・紺屋町・岩鼻・酢屋の坂と呼ばれていますが、

何と言っても一番の見所は酢屋の坂。杵築を代表する撮影スポットですが、

南台に続く塩屋の坂と共に台へと続く最も長い坂がここで繋がっていることも大きいでしょう。

名の由来となった酢屋は味噌屋に転業しましたが、酢でなくとも良い【塩梅】なのは間違いのない所です。

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バス通りから酢屋の坂を見上げる

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酢屋の坂の上は北台武家屋敷が東へ続く

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酢屋の坂から塩屋の坂へと続く

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塩屋の坂の向こうは家老丁

『酢屋の坂を上った先にある北台武家屋敷は両側に土塀が続き、南側には上席家老大原邸、

松平の分家能見邸や藩主の休憩所から武家屋敷になった磯矢邸が現存する。

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坂の上の北台武家屋敷

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黒塀と黄土色の土塀が映える上席家老大原邸長屋門

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大原邸長屋門前にて (見学は有料)

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門から見た大原邸茅葺屋根

能見家は杵築藩主松平家の出身地三河国能見を姓とし、5代藩主親盈(ちかみつ)の9男幸之丞を初代とする。

現存する屋敷は「居宅考」に拠ると、以前は三百石の岡藤家の屋敷で火災に遭った後は、

楽寿亭の御用屋敷に加えられ菜園場となり、その後、能見氏が入ったと考えられる。

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大原邸の東側に続く能見邸 (見学は無料)

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能見邸屋敷門
左には甘味喫茶 「台の茶屋」 の案内板。

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能見邸書院玄関

建築年代を示す資料はないが、様式から幕末期のものと推定され、武家屋敷の旧態をよく留めている。

平成19年に能見家子孫より市に寄贈され、保存解体修理を経て平成22年より一般公開されている。

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能見邸門脇の植え込みと紅葉

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門を潜り左手には庭園が広がる

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能見邸前庭

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書院裏手の庭

 北側には杵築藩の藩校「学習館」の門が残り、東の勘定場の坂に続いている。

この坂は歩幅の広い緩やかな石段が53段あるが、これは騎馬でも上れる様に

との配慮からである。』 とあります。

普通、南北に分かれた町ならば何かしら違いがあるものですが、ここでは規模・家格ともほぼ同じ。

揉めないように上手く棲み分けられていると言えます。

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西側の大原邸との境界付近

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能見邸の塀の植え込み

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杵築藩の藩校 「学習館」 の門
大原邸・能見邸の向かいに建つ。

 今回は平日のため続いて別府へ向かうので、城下での滞在は1時間。

有料施設や寺社見学なしの足早拝観となりました。

最後にふるさと産業館でMHCを入手してバス乗車の予定でしたが、

最後の最後でまさかの品切れ状態。

入手のためには再訪が必須ですが、今回見る事ができなかった場所を

再度訪れるきっかけになったと前向きに考える事にしました。

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東側から見た北台武家屋敷

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武家屋敷の北側、北浜口番所に続く 「番所の坂」

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杵築本町郵便局 ; ミカンの外枠に杵築城、酢屋の坂

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杵築市マンホール蓋
守江湾に生息する天然記念物・カブトガニ

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城下町杵築 南台武家屋敷 (大分県杵築市) <杵築 其の弐>

2024.02.06(21:26) 1723

着付けの町、杵築(2023.12.1)

<コース>
【往路】大阪駅前(21:30) → (近鉄高速バス) → 中津サンライズホテル前(6:31)

JR中津(11:18) → (日豊本線) → JR杵築(12:05→12:36) → (大分交通バス) → 杵築市商工会前(12:43) → 杵築〒 → 南台武家屋敷 → 塩屋の坂 → 杵築本町〒 → 酢屋の坂 → 北台武家屋敷 → 杵築ふるさと産業館(MHC) → 杵築バスターミナル(13:39) → 杵築駅前(13:50→14:07)

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きものが似合う歴史的町並み (観光パンフレットより)

 バスは商工会前で下車。バス通りは城下町の底部を走るので、ここから南へ少し坂を上ります。

九州の小京都の中でも江戸の街並みがそのまま残ることで知られます。

杵築城を中心に、南北の高台には勇壮な武家屋敷が、

その谷間には商人の町を挟んだ「サンドイッチ型城下町」は日本唯一と言われ、

全国初の 「きものが似合う歴史的町並み」 にも認定された絶景の城下町です。

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杵築市商工会前でバスを下車

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塩屋の坂から向こうの酢屋の坂を望む
観光パンフレットにも使用された杵築を代表する映えスポット。

 城下町杵築は

『八坂川と高山川に挟まれた台地に開かれた城下町。守江湾頭に臨む台山には三層の天守閣が聳える。

鎌倉時代にこの地方を治めた木付(きつき)頼直が応永元年(1394年)、竹の尾からこの場所に城を移し、

以来180年間と共に栄えた。

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杵築郵便局 ; 杵築城、名産・ミカン、お茶

 しかし東九州一帯に勢力を誇った大友氏の改易に拠り木付氏も滅亡、その後、

城主が何人も変わった末、正保2年(1645年)に松平英親が3万2千石の城主として入城した。

木付が杵築と変わったのは6代将軍家宣の朱印状に杵築と書かれて以降。

松平家は幕末まで227年間この城を守ったが明治以降は荒廃、

現在の天守閣は昭和45年に再建されたものである。

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南台よりミカン越しに杵築城が遠望できる

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杵築城跡に建つ模擬天守

 杵築の城下町は北台と南台に武士が住み、二つの台地に挟まれた谷町に細長く商家が続いている。

武家屋敷と商人の町は坂で繋がれ、飴屋(雨夜)の坂・塩屋(志保屋)の坂・酢屋の坂と言った

優雅な名が付けられている。

殊に商人町を真ん中に南北に延びる塩屋(志保屋)の坂・酢屋の坂は時代劇・ドラマ・CM撮影で使われる

絶好の撮影スポットである。平成29年には重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

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天神坂を上った場所にある案内板

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案内板の立つ場所

 南台から南に伸びる寺町は有事の際には武士が集結する西の砦の役目を持ち、

通りの西側には藩主の菩提寺である養徳寺、日本一の鉄製の仏像が鎮座する正覚寺、

九州の枯山水の白眉とまで言われる長昌寺庭園と五ヵ寺が並ぶ。

その入口には武家屋敷風門のある杵築カトリック教会があるのも城下町ならではである。

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武家屋敷風の門が特徴的な杵築カトリック教会

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案内板の北側には城下町風の杵築市役所が建つ

 市役所の南側に当たる裏丁は南台で最も昔の面影を残す場所。

高い石垣の上に土塀や長屋門が並び、今も江戸時代の風情が漂う。(工藤邸)

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裏丁を東へ向かう

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今に残る武家屋敷門

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赤茶色の土塀に門が映える

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石垣の上に黒塀と白壁が鮮やかな工藤邸
但し、今でも居住されているので外観のみ。

 裏丁から東へ進み塩屋の坂を南に上がる通りは家老丁と呼ばれ藩の重臣達の武家屋敷が並ぶが、

その中で公開されているのが中根邸。ここは9代目家老中根源右衛門の屋敷で、

中根家は杵築藩初代藩主松平英親の祖父・能見松平五代目重忠に召し抱えられ、

以後藩主と共に移り正保2年に杵築に永住して以来続いた家である。

現在の建物は平成の解体修理の際に発見された棟札等から主屋が文久2年(1862年)、

長屋門が慶應3年(1867年)の建築と判明した。』 とあります。

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家老丁に並ぶ武家屋敷

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無料公開されている中根邸の長屋門

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中根邸前庭

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中根邸玄関

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玄関前の眺め

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中根邸書院

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後方より見た中根邸

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落ち着いた雰囲気の裏庭

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中根邸縁側と庭

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裏口より見た中根邸

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裏口の先には竹林と紅葉も

 全国に小京都を名乗る町は50余りありますが、その中には尾道や函館の様な坂の町もあります。

しかし杵築が異なるのは、一方通行の坂ではなく下ってから再び上るというその独特の地形。

これは他では見る事ができない光景です。

杵築の名に掛けて着付けが似合う着物の町をアピールしたとは思いませんが、

ロケや写真の映えスポットであるのは確かです。

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飴屋(雨夜)の坂

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塩屋(志保屋)の坂

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バス通りから塩屋の坂を見上げる

 商家から南台武家屋敷へと上る坂は、天神・飴屋・塩屋の坂、

北台武家屋敷へと至る坂はひとつ屋・紺屋町・岩鼻・酢屋の坂と呼ばれています。

これは坂の登り口にかつて飴屋、塩の商店、酢の醸造店があったことからの命名とか。

今は残っていませんが、かつての酢屋は今では 「綾部みそ店」 として営業していました。

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塩屋の坂から酢屋の坂を見る

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酢屋の坂の上り口に建つ商家群

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かつての酢屋が転業した綾部みそ店

 飴屋は雨夜、塩屋は志保屋と別の漢字でも呼ばれますが、これは商人と一線を画したい

武士或いは俳諧や和歌に通じた文人に拠る命名に思えます。

しかし城下の人達には元の呼び名の方がしっくりくるようで、それが今まで残った所以でしょう。

武家が高台に、低地に町人が住まいするのは武士の優越感を満たしたでしょうが、

商人にとっては低地の方が商売には向いている筈。意外と苦にした様子はなかったと思います。

我々が思う程、庶民は抑圧されていた訳ではなさそうです。

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バス通りは商人の町

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食事処・備後屋

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城下町杵築 杵築への道 (大分県杵築市) <杵築 其の壱>

2024.02.05(20:21) 1722

城下町へはバスで行く!(2023.12.1)

<コース>
【往路】大阪駅前(21:30) → (近鉄高速バス) → 中津サンライズホテル前(6:31)

中津駅前(7:22) → (大交北部バス) → 青の洞門(7:47) → 青の洞門 → (徒歩10分) → 羅漢寺橋 → 羅漢寺〒 → (徒歩15分) → 耶馬渓〒 → 耶馬渓橋 → 下曽木入口(9:38) → (大交北部バス) → 中津駅前(10:02) → 観光案内所 → (レンタサイクル10分) → 福澤諭吉旧居・福澤記念館(MHC) → 中津福沢通り〒 → JR中津(11:18) → (日豊本線) → JR杵築(12:05)

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城下町をイメージしたJR杵築駅舎

 中津から電車に乗って杵築で下車。一つ手前の中山香からは8.8㎞と旧国鉄の駅間としては離れていますが、

ここを始発・終着とする列車も多く、ここが豊前と豊後の境になるのでしょう。

 豊後の小京都と呼ばれる城下町へは駅から東へ4㎞。駅舎もそれを意識した

風格を感じさせる造りで開業も明治44年、駅前にはスタンプに描かれた国東塔が置かれています。

城下への玄関であるのは今も昔も変わらんようです。

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JR杵築駅スタンプ
(上) 旧国鉄時代の「わたしの旅」印  (下) 今回押印したJR印

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駅前に置かれた国東塔

 歩くには遠いので、駅の観光案内所でレンタサイクルを借りようと思いましたが、

「城下町へは坂を上るので、自転車よりバスに乗るほうが便利ですよ。」

と窓口の人からは【まさか】の返事。

 列車は特急・普通共に1時間毎、バスも1時間毎となっているのは連絡を意識しての事でしょう。

30分待って乗ったバスに揺られて10分で城下町入口へ到着。

確かに受付の方の仰る通りでしたが、それではレンタサイクルは何のために使うのでしょう?

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駅入口脇に置かれた顔ハメ

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バスを待っていると下りの特急がホームへ入線

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青の洞門 (大分県中津市本耶馬渓町曽木)

2024.02.04(19:57) 1721

晩秋の彼方に(2023.12.1)

<コース>
【往路】大阪駅前(21:30) → (近鉄高速バス) → 中津サンライズホテル前(6:31)

中津駅前(7:22) → (大交北部バス) → 青の洞門(7:47) → 青の洞門 → (徒歩10分) → 羅漢寺橋 → 羅漢寺〒 → (徒歩15分) → 耶馬渓〒 → 耶馬渓橋 → 下曽木入口(9:38) → (大交北部バス) → 中津駅前(10:02)

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青の洞門と山国川

 中津駅前から早朝の耶馬渓へ。以前は、中津から耶馬渓に行く大分交通の耶馬渓線が【大分】前に廃線。

今はバスが唯一の公共交通機関となっています。少し時期は遅いですが九州を代表する紅葉の名所。

加えてその名前から邪馬台国のあった場所とも言われますが、耶馬渓の名は邪馬台国からの命名で全く逆でした。

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JR中津駅スタンプ ( 「わたしの旅」印 )

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山国川に面して聳える全長約1㎞の岩峰・競秀峰

『耶馬渓は本耶馬渓、深耶馬渓、奥耶馬渓から成る広大な地域。文政元年1818年5月、

長崎に遊学した頼山陽は12月に耶馬渓を探勝、その様を『耶馬渓図巻記』に於いて激賞している。

その理由は耶馬渓の岩や川が伝統的な山水画を髣髴とさせるものだったからであろう。

以来、耶馬渓は長らく九州一、というよりも日本を代表する景勝地となった。

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本耶馬渓を通る212号線

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道路脇まで岩峰が迫る (「青の洞門駐車場」から「青の洞門」の区間)

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途中、競秀峰探勝道が分かれていたが、今回はスルー

 本耶馬溪には山国川に面して聳える全長1㎞の奇岩峰が続き、高さを競い合っている様に見えることから

競秀峰(きょうしゅうほう)と呼ばれる。山国川の対岸から眺めると、白い凝灰岩の帯岩が川面に影を落とし、

耶馬渓第一の景勝となっている。その反面、かつてこの場所は 「鎖渡し」 という難所であった。

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駐車場横に建つ禅海和尚の像

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像の裏面は菊池寛の肖像レリーフも

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禅海和尚鑿道碑

 江戸時代の享保20年(1735年)、この地に至った越後の旅僧・禅海が人馬交通の難渋を救うために

洞門開削の大悲願を起こし独力で着手。

30余年の歳月を掛けて185mに及ぶ青の洞門を自らの鑿と槌で完成させた。

開通後は通行する人から料金を取ったため日本初の有料道路とされる。

菊池寛の小説『恩讐の彼方に』は、この事実を脚色したものである。

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駅スタンプの図柄にもなった青の洞門入口

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岩峰を貫く212号線トンネル
但し、これらは近代になって掘られたもの。

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道路脇には今も禅海和尚の手掘り洞門が残る

 その後、洞門は機会に拠り2回の改修を行ったため当初の姿は失ったが、

国東トンネルの出口下には旧洞門の明り採りの窓、掘り違いの地点には

鑿の跡が見られ当時を偲ぶよすがとなっている。

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手掘り洞門の途中にある最初に彫られた明かり窓
窓の向こうは山国川。

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洞門内に安置された地蔵石仏は旅行者の安全を祈るものか?

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洞門内にも禅海和尚の像が

 青の洞門の前後には石造りの橋が架かるが、下流の耶馬渓橋は大正12年(1923年)に造られた

8連アーチの石橋。全長116mと日本一の長さを誇り、長崎の石橋によく見られる石積み工法を

採用しているため 「オランダ橋」 と呼ばれる。

 上流にある羅漢寺橋は大正3年(1914年)12月、耶馬渓鉄道が柿坂まで開通し羅漢寺駅が

開設された際に架橋されたものである。』 とあります。

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下流に架かるのは日本一の長さを誇る石橋 「オランダ橋」
修復中のため欄干が途中から無く現在通行止め。

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上流に架かる羅漢寺橋も同じく石橋

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山国川を渡り羅漢寺橋を振り返る

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橋の袂に建つ日田往還中津街道の道標

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羅漢寺橋上からの山国川と競秀峰の眺望

 観光名所として有名な耶馬渓ですが、紅葉は奥耶馬渓で手前の本耶馬渓は青の洞門と

赤と青で棲み分けをしています。青の洞門を有名にしたのは勿論、文豪・菊池寛の小説。

私の記憶では禅海がモデルとなった人はかつて人を殺めた【ヤバ系】の人で、

全国を逃げ回り辿り着いたこの地で僧侶となって人々の苦難を救うべく洞窟を掘り始めます。

そこへ殺めた人の息子が仇を探してここにやって来ますが、穴を掘る姿に心打たれて、

一緒に掘り進み完成させた、と言う粗筋だったと記憶しています。

『青の洞門』ではなく『恩讐の彼方に』という命名にもセンスが伺え、中津の人達は、

菊池寛の出身である香川県には足を向けて寝られないというのも穿った話です。

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洞門を通り入口へ

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洞門の彼方に

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隧道脇の歩道を往く

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本耶馬溪マンホール蓋
但し、MHCは未発行。

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耶馬渓郵便局 ; 耶馬渓、青の洞門

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福澤諭吉旧居・福澤記念館 (大分県中津市留守居町)

2024.02.03(19:45) 1720

夜行のすゝめ(2023.12.1)

<コース>
【往路】大阪駅前(21:30) → (近鉄高速バス) → 中津サンライズホテル前(6:31)

中津駅前(7:22) → (大交北部バス) → 青の洞門(7:47) → 青の洞門 → (徒歩10分) → 羅漢寺橋 → 羅漢寺〒 → (徒歩15分) → 耶馬渓〒 → 耶馬渓橋 → 下曽木入口(9:38) → (大交北部バス) → 中津駅前(10:02) → 観光案内所 → (レンタサイクル10分) → 福澤諭吉旧居・福澤記念館(MHC) → 中津福沢通り〒 → JR中津(11:18)

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JR中津駅構内に置かれた福澤諭吉夫妻のパネル

 大山寺で大参事?に遭って一月も経たない内に豊後路へ。

骨折に続いて【おおいた】とはギャグにもなりませんが、それと言うのも

既に「定期観光バス 国東半島史跡めぐり」という¥4100の格安ツアーに申込済だったため。

 久しぶりの九州なので、少しでも【吸収】してやろうと前日の大分入り。

最終のぞみで小倉乗換えの「ドリームにちりん」という特急があったのも今は昔。

夜行バスでの九州入りとはなりました。

 九州最初の降車は中津駅前。日豊本線下りでは大分県最初の駅ですが、

かつては豊後ではなく豊前だった事から、今でも県庁の大分よりも福岡県との結びつきが強い街です。

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夜行バスを下車して向かったJR中津駅

 中津といえば、福澤諭吉の出身地。

『福澤諭吉は天保5年1834年、大坂の中津藩蔵屋敷で生まれた。

父・百助は13石2人扶持の廻米方であったが、帆足万里の教えを受け学問好きの家風であった。

 諭吉2歳の時に父が死去、諭吉らは豊前の中津に帰る。

12歳の頃、母親の実家橋本家に移るが、そこがこの旧居である。

横の土蔵は安政元年1854年、19歳で長崎に遊学するまで彼が勉学に励んだ場所である。

福澤記念館には彼の遺品、遺墨、著作等を展示し、映像でその一生を辿ることができる。

また壱万円札の第一号券も展示されている。』 とあります。

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ただいま修復中の福澤諭吉旧宅入口

 中津藩士でありながら生まれは今の大坂福島区。大阪駅から環状線で1駅ですが、

地下鉄御堂筋線で1駅行くと同じ中津駅かあるのも何か所縁を感じます。

江戸時代の豊前・豊後は小藩が犇めく場所で、最大でも中津藩の十万石止まり。

明治以降も九州西側のような大都市は生まれませんでした。

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茅葺屋根と黄土色の土壁が映える旧宅

 そんな中にあって三浦梅園・広瀬淡窓・帆足万里とその時代の日本を代表する学者が出たのはまさに壮観。

藩の力が弱いために、却って個人の才能が伸びることとなったのでしょう。

加えて三人とも江戸・大坂・京都などの大都市へは行かず、この地で学問を教えた事が大きな特徴です。

江戸時代は幕藩体制ですが、我々が思う以上に地方には力があったようです。

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中津市MHCは福澤記念館にて配布中

そのバランスが崩れるのが明治維新。福澤諭吉も豊前ではなく、江戸・東京に出てから

大きく活躍する事になります。その意味で維新は地方分権から一極集中への分水嶺に当たったと言えるでしょうか。

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中津福沢通り郵便局 ; 中津城、独立自尊碑

 この日は早朝の耶馬渓観光から戻った後、列車待ちの間に旧宅まで自転車で飛ばしてMHCを無事入手。

武士とは言え簡素な家で、諭吉が学問に志したのも分かる気がします。

駅の構内にも写真や彼の言葉が掲げられており、町を挙げてアピールしています。

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駅構内に掲げられた 『学問ノススメ』 の有名な一文

 みどりの窓口にも彼の肖像画があるのは、一万円札を使って貰いたいというおまじないでしょうが、

合理主義者の諭吉が泉下で知ったらきっと苦笑するに違いありません。

現在、全国で「みどりの窓口」の閉鎖が急速に進んでいますが、

利用者の利便を考え【閉鎖のススメ】は避けたいものです。

尤も令和6年には澁澤栄一に交代するので、地元としてはダメージ大。

字面からは「渋」より「福」の方が良さそうですが、経済活性化には慶應義塾創設者の肩書よりも、

明治維新の経済の立役者の方が【ええ位置】に居るようです。

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JR中津駅の「みどりの窓口」 にも諭吉の肖像画が

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神門寺 境内の諸堂 (島根県出雲市塩冶町) <神門寺 其の弐>

2024.02.02(19:53) 1719

堂々と墓碑巡り!(2023.11.4)

<コース>
【往路】JR米子(6:05) → JR出雲市(7:20)

駅東駐輪場 → (レンタサイクル20分) → 勝定寺 → (レンタサイクル5分) → 馬木不動尊 → (レンタサイクル10分) → 神門寺 → (レンタサイクル5分) → JR出雲市(10:37)

【復路】JR出雲市(10:37) → JR松江(11:25→12:25) → JR米子(13:06→14:45) → (高速バス) → 大阪梅田(18:35)

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天應山 神門寺(浄土宗 中国観音霊場第二十三番札所)

 本堂は閉鎖中のため外陣から参拝しましたが、御本尊は阿弥陀如来なので中国霊場の御本尊とは別。

神門(かんど)寺の霊場の御本尊は観音堂(かんのんどう)に鎮座されているので、お参りすべく境内を巡ることに。

『手前に建つのは弘法大師堂、当山三世が弘法大師であったので、ここは「出雲西国壱番」の札所となっている。

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大銀杏の根元にひっそりと建つのが大師堂

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弘法大師堂近影

 それに続くのが観音堂。この御堂には秘仏十一面観世音菩薩像が安置されているが、

平安朝初期の慈覚大師円仁の御作ではないかと言われており、

その威厳のある優しさには限りない大慈大悲の御心が感じられる。

 かつては上朝山にあった当山末寺岩根寺に祀られていたもので、御詠歌の

・岩根共 心の内は 知られまし 唯御仏を 頼むばかりぞ

と共に、古来当地方の人々の信心篤く、出雲札所五番の観音様として親しまれてきた。

近年は中国観音霊場二十三番札所として遠方からの参詣者も多い。

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本堂の向拝下より観音堂を望む

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中国観音霊場第二十三番札所の観音堂

 また当山には著名人の墓があることでも知られる。山門を入って左側の五輪塔は

南北朝の頃、出雲国主であった塩冶判官高貞の墓と伝える。

彼は出雲・隠岐両国の守護で、初め南朝方に味方したが、後に足利氏に従う。

やがてまた南朝方に通じたという事で追討を受け、宍道町まで帰ったところで自刃した。

これはその墳墓と言われる。この他、塩冶氏一族の墓と言われる宝篋印塔が本堂の西に多数存在する。

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塩冶判官高貞の墓とされる五輪塔

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本堂の奥、西側にある佐々木・塩冶一族の墓

 山門を入って右側には塩冶開学の祖・伊藤宜堂(ぎどう)の墓と顕彰碑が建つ。

宜堂は通称俊蔵、寛政4年鳥取県日野郡江尾宿の生まれ。江戸に出て14年間研学に努め、

帰郷後、米子その他で塾を開き諸生を教えたが、天保6年出雲神門郡上塩冶村に有隣塾を開き、

28年に亘って近隣町村の子弟を教育した。多くの門弟を養成し明治7年、郷里にて没した。

 幕末から明治初年にかけての山陰屈指の儒者であり、門人達が生前碑石を神門寺境内に用意し、

没後爪髪をその下に埋めて墓碑とした。顕彰碑の碑文は三島中州の撰である。』 とあります。

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伊藤宜堂の墓と顕彰碑

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著名人の墓の案内板

 由緒記では観音様は元、末寺に祀られていたものを当寺に集約したようなものですが、

御本尊に比べ由緒が古く、人々の信仰が篤かった事が札所になった理由のようです。

 境内には著名人の墓が多く残りますが、印象に残ったのが守護塩冶氏。

南北朝の動乱で帰趨を誤ったために衰退という数奇な運命を辿りますが、

現在も当寺の字に名が残っている事などから、この一帯を含め

かなりの範囲を勢力下に置いていたように思います。

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天正年間建立の鐘楼

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本堂右手にある寺務所(庫裏)

 民衆の受けも良かったのでしょうか、続く尼子・毛利の名が残っていないのと対照的。

単に治世が長いから後世に名が残るものではないようです。

家が滅んでは元も子もありませんが、「それで、ええんやないか!」 と泉下の一族の声が聞こえそうです。

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神門寺由緒記

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中国観音霊場御朱印と御札

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神門寺 (島根県出雲市塩冶町) <神門寺 其の壱>

2024.02.01(20:36) 1718

その由緒に感動!(2023.11.4)

<コース>
【往路】JR米子(6:05) → JR出雲市(7:20)

駅東駐輪場 → (レンタサイクル20分) → 勝定寺 → (レンタサイクル5分) → 馬木不動尊 → (レンタサイクル10分) → 神門寺 → (レンタサイクル5分) → JR出雲市(10:37)

【復路】JR出雲市(10:37) → JR松江(11:25→12:25) → JR米子(13:06→14:45) → (高速バス) → 大阪梅田(18:35)

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天應山 神門寺(浄土宗 中国観音霊場第二十三番札所 出雲観音霊場第五番札所)

 馬木不動尊に続いて出雲駅方面へ戻り島根医科大のキャンパスを北へ。

出雲市での三ヵ寺目で中国観音霊場の札所ですが、駅から徒歩圏内の割には

駅に案内もなく、余り期待はできそうにありません。

しかし道を北上すると巨樹に覆われた広い敷地が出現し、向かうとそこが目的地。

立派な山門と巨大な本堂に思わず【感動】しました。

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南側の入口付近から山門を遠望

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参道の先に山門と緑色の本堂屋根が見える

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山門近影

 天應山神門寺(てんのうざんかんどじ)は、

『光仁天皇の勅願所として天応元年(781年)宋肇菩薩に拠って創建、この年号を以て山号としている。

神門寺と言うのは 『出雲国風土記』 の神門郡の項にある神門臣(かんどのおみ)の造った新造院が

この付近にあったためと考えられ、現在本堂の北東に古い塔の礎石が残る。

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風土記に登場する古代の新造院を示す標識

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本堂裏手の立入禁止区域に残る塔の礎石 (由緒記より)

 二世は伝教大師(最澄)、三世は弘法大師(空海)であり、弘法大師がここで

「いろは歌」を作られたという事から、当山は「いろは寺」とも呼ばれている。

以来、法嗣は永く密教を厳修していたが、38世良空上人が法然上人の専修念仏に帰依して上洛、

七条の袈裟と六字名号を授かって帰り、山陰地方における最初の念仏弘通の霊場となった。

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本堂全景

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前方に張り出した唐破風の向拝

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堂内へは入れないので向拝下にて参拝

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向拝欄間の龍の彫刻

 その後、京都清浄華院の開山証賢上人の門弟明照房が来て塩冶(えんや)氏の外護を受けてから、

当山は尼子氏や毛利氏の外護も受けながら、山陰に於ける浄土宗の中心道場となった。

16~17世紀にかけて69世玄休上人や72世定譽上人は寺門の興隆と教勢の拡大に努め大きな功績を残した。

 明治から大正・昭和にかけての86世勧学桑門秀我正僧正は、宗教大学の教授や

浄土宗の執綱(宗務総長)を務め、宗門の信望も篤かった。現在の89世に至るまで、

1200年の法灯が歴代住職の努力に拠って連綿と受け継がれている。』 とあります。

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本堂の御本尊阿弥陀如来坐像 (由緒記より)

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向拝下より山門を振り返る

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本堂を右手に進むと寺務所(庫裏)

 神門と書いて‘かんど’ですが、途中渡った川も神戸と書いて‘かんどがわ’。

字は違っても全て同じ由来であろうとは私でも想像できました。

 神門の由緒については古代にここが神門郡だったためとありますが、

神門と聞いてすぐに思いつくのは北側にある出雲大社。

とすると当地は大社参拝の入口に相当した訳で、重要視されたのも分かります。

最もここは寺院なので寺名は神門(かんど)でも、山門は神門(しんもん)とは呼ばないのは言うまでもありませんが…。

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榧の巨木の向こうが本堂裏に繋がる

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本堂側面の構造

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本堂後方

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本堂裏手に残る影向石

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馬木不動尊 不動堂 (島根県出雲市馬木町) <光明寺 其の弐>

2024.01.31(20:18) 1717

守護神 不動明王(2023.11.4)

<コース>
【往路】JR米子(6:05) → JR出雲市(7:20)

駅東駐輪場 → (レンタサイクル20分) → 勝定寺 → (レンタサイクル5分) → 馬木不動尊 → (レンタサイクル10分) → 神門寺 → (レンタサイクル5分) → JR出雲市(10:37)

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不動山 光明寺(日蓮宗)

 本堂内陣で参拝は済ませましたが、名前の由緒となった不動尊への参拝を欠く訳にはいきません。

不動堂へは案内板の横の階段を上りますが、その手前に鎮座するのが水かけ不動尊。

『不動明王の全身怒りに満ちた力と闘志満々たる姿、また泉から永遠に変わらず

涸れることなく湧き出る水にも同様の力強い生命力を感じる。

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不動堂への石段

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石段の手前にある水かけ不動尊と二童子

 不動明王には三十六童子と大勢の従者があるが、

ここには矜羯羅(こんがら)童子と制多迦(せいたか)童子が脇侍として控える。

 不動明王に水をかける行為は、不動明王の生命力と水の生命力が感応道交する事で

自己内面の悩み・苦しみを顕わにし、未来に対して生きる道を見出す事にある。

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不動堂へ石段を上る

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石段両側に燈篭が並ぶ

 階段を上った先に建つのが不動堂。

本堂寄り一回り小振りであるが、同じ石州瓦の落ち着いた御堂である。

当山の守護神は不動明王。右手には「降魔の剣」、左手には「方便自在の縄」を持ち、

我々の心のうちに在る三毒 (貪・瞋・癡) を断ち切り正道へと導く忿怒の姿を現す。

奉安する不動明王は行基作とされ、仏身157㎝・総高295㎝の一木彫の座像である。

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石段の先に建つ不動堂

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正面から見た不動堂
時間内は自由に拝観できる。

 普段は御簾の後方であるが、毎月1日と不動明王の縁日である28日、

正月と盆の時期は、その御姿を拝むことができ、古来より多くの人々の信仰を集めて来た。

 現在も「諸願成就の霊験あらたかな不動明王の霊場」として、仏日益々輝きを増している。』

とあります。

 不動堂内陣へは自由に入れましたが、御本尊は御簾の奥。

三日前ならば御尊顔を拝することが出来ましたが、これは別段日程のミスではありません。

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不動堂の内部と壁に掛けられた不動明王の絵

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御本尊は御簾の向こう側

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御本尊の不動明王 (説明書より)

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「竹に虎」 の欄間も御本尊と同様に黒光り

 堂内には地元の小学生や画家の奉納された御本尊の姿が掲げられていましたが、

中に目を引いたのが「不動心」の扁額。中々の達筆ですが元総理大臣の岸信介氏の揮毫でした。

この後、光明寺寺務所で御朱印を拝受しましたが、待つ間に周りを見ると、ここにも同氏の扁額(複製)が。

御住職に伺うと、

住職 ; 「私は未だ小学生でしたが、昭和54・57年と二度お見えになりました。」

私 ; 「こちらの檀家さんですか?」

住職 ; 「いいえ、檀家の方がこちらまで連れて来られたようです。」

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堂内に掲げられた 岸信介元首相の扁額

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馬木不動尊 説明書

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馬木不動尊 光明寺の御朱印

私 ; 「残されたのは額だけですか?」

住職 ; 「階段の登り口にお手植えの枝垂桜と記念碑がありますね。」

と、拝受してから確かめるとその通りでした。

 岸元首相は長州ですから選挙区の地元という訳ではなく、恐らく後援会の方に請われての

訪問だったのでしょう。政治家も体力がないと務まりません。

尤も【ふどう】票を見込んでの参拝であった可能性もありますが…。

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不動堂からの眺め

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不動堂から本堂を見下ろす

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石段上り口にあるお手植えの枝垂れ桜

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桜の根元に置かれた植樹碑

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馬木不動尊 (島根県出雲市馬木町) <光明寺 其の壱>

2024.01.30(20:29) 1716

旧松江藩祈願所(2023.11.4)

<コース>
【往路】JR米子(6:05) → JR出雲市(7:20)

駅東駐輪場 → (レンタサイクル20分) → 勝定寺 → (レンタサイクル5分) → 馬木不動尊 → (レンタサイクル10分) → 神門寺 → (レンタサイクル5分) → JR出雲市(10:37)

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不動山 光明寺(日蓮宗)

 ツツジの寺・勝定寺で庭園を拝観した後は、神戸川に架かる馬木吊橋を再び渡り右岸へ。

勝定寺の字も馬木ですが、次に向かう場所は同じ馬木でもバス停に馬木の標識が建ちます。

184号線の右手に朱色も鮮やかな門が見えたら目的地。一瞬、鳥居にも見えますが紛れもない寺院です。

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184号線沿いの案内板
駅からの撮影なので左手になる。

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朱色の山門前にて

 山門を潜り、公園のように整備された境内を抜けると、光明寺。

出雲馬木不動尊と彫られた寺号標が両側に建ちます。

その正面に建つ石州瓦の朱色も鮮やかな建物が光明寺本堂。

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山門の次は小さな反り橋

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参道の正面は石州瓦も鮮やかな本堂

 不動山光明寺(ふどうさんこうみょうじ)は、

『当山の草創は、733年成立の『出雲国風土記』に記載されている朝山郷内の

新造院に遡るとされる。中世初頭は真言宗に属し、後に禅宗に転じ、

更に江戸初期の寛永8年(1631年)に日蓮宗に改宗し現在に至っている。

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参道脇には不動明王の石像も

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寺号標の向こうの本堂
左は寺務所。

 江戸時代には松江藩主松平氏の祈願所として尊崇を受け 「宝刀」 「葵紋付長柄傘」 「馬具」 等の寄進を受けた。

又藩士の信仰も厚く、殊に 「弓術師範堀氏以下日置流(へきりゅう)一門」 は熱心に祈願に訪れたと伝わる。

 近くには光明寺古墳群があり、特に平成10発掘された光明寺三号墓は全国的に珍しい遺跡として、

県文化財の指定を受けた。また裏山には「シイの木の原生林」が自然のままの姿を保ち続けている。』

とあります。

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本堂前には御題目と釈迦如来石像が

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本堂全景

 光明精舎と書かれた扁額の下から本堂内陣へ。本堂に祀られているのは宗祖日蓮上人と御題目で、

不動明王はここではありませんでした。

入山時に見た光明寺、出雲馬木不動尊と彫られた寺号標が両側別個に建っていた事からも分かるように、

元々不動尊を祀る寺であったものが、時代と共に改宗して今は日蓮宗。

光明寺と言う日蓮宗の寺が、古からの不動尊も管理しているというのが真に近いでしょうか?

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やや下から見上げた本堂

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「光明精舎」 の扁額に一礼して本堂内へ

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本堂内陣に祀られているのは親鸞聖人像と御題目

 また当寺は松江藩の祈願所。徳川幕府が統治に用いたのは天台宗と浄土宗なので、

親藩である松江藩も同じ宗派になりそうですが、所願成就の霊験に加えて、

昔から地元で崇敬を受けた事で敢えて日蓮宗の当寺を祈願所としたのでしょう。

江戸時代の藩主は意外にも民衆に気を使っている事が分かります。

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本堂向拝下から不動堂への階段を見る

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本堂と右の高台に建つ不動堂

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勝定寺 庭園 (島根県出雲市馬木町) <勝定寺 其の弐>

2024.01.29(20:52) 1715

高低のある後庭(2023.11.4)

<コース>
【往路】JR米子(6:05) → JR出雲市(7:20)

駅東駐輪場 → (レンタサイクル20分) → 勝定寺 → (レンタサイクル5分) → 馬木不動尊 → (レンタサイクル10分) → 神門寺 → (レンタサイクル5分) → JR出雲市(10:37)

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四面山 勝定寺(臨済宗妙心寺派)

 御本尊参拝に続いて裏庭を拝観。観光ガイドにも記載されている名園です。

山門を潜った時点では9時前という事もあり人気はなし。

「これでは、御朱印も庭園も無しかぁ!」と観音堂の前で諦めていると、

住職夫人と思しき方が、ゴミ袋を持って境内を横切る姿が視界に。

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本堂前から庫裏に続く石畳

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御朱印拝受のため玄関へ

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頂いた説明書

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勝定寺御朱印

 慌てて走って呼び止めて、庫裏玄関で御朱印と解説書を無事拝受。しかし駆け出した際に

敷石に躓いて右肩から地面に落下。検査して鎖骨骨折と判明したのは帰宅し二日後の事でした。

仕事で骨を折らずに遊びで骨折りとは洒落にもなりませんが、敷石や岩でなかったのは

御仏の御加護と前向きに考える事にしました。

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本堂左手が庭園入口

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入口の案内板

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入口を過ぎて左手には敷き砂、岩と植え込みが上に続く

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右に曲がると本堂裏の庭園

 本堂の御本尊にも参拝して愈々庭園拝観。住職夫人に教えて頂き本堂左側の入口から入園しました。その際に、

夫人 ; 「このところ裏山から猪が来て庭を掘り返してしまって…。」

との話が。最近は熊被害が多いですが、ここは猪。【しょうじょうじ】ならば狸の気もしますが。

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本堂近くにある心字池と猪が掘り返した地面

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心字池の奥には睡蓮池が

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心字池に続く枯山水庭園

 入口には

「庭園保存整備のため入園料 大人50円、子供(小学生以上)10円 願います」

の札が。値段を見ただけで保存整備には到底足らないのは明白、用もなく庭園に入るのを制限しているのでしょうが、

駅から離れた場所まで用もなく来る人が果たしているものか?答えは庭園もとい永遠の謎です。

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枯山水庭園近影

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枯山水庭園の場所から池を見る

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枯山水庭園の先には池、山と続く

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竹の柵に沿って後方の山へ

『十四代革堂和尚の時、拡張整備して現在の堂宇及び庫裏の原形が整えられた。

また、同和尚は庭園の築造にも意を注ぎ、前庭には数百株のツツジを移植して庭石古松を拝し、

後庭には「心字池」「枯山水」を中心とする幽玄・枯淡な禅宗庭園を築いた。

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庭園を右に見て山へ

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高台への道

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上った先に建つ四阿で一服

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山の脇には竹林も

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巨木の下は苔が鮮やか

 その後も、今日に至るまで歴代の住職に拠り整備が進められ、境内には

鎮守・多聞・観音・地蔵の四堂を配し、境内全域に配植された約千株のツツジに拠り、

古くから「ツツジの寺」として多くの参拝者に親しまれている。』 とあります。

 入口を入ると左手には白砂の奥に木々と置石が。本堂裏に回ると心池の周りに禅宗庭園が造られ、

池の左側の道を上ると東屋に至ると言う、見て良し散策して良しの庭園。

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睡蓮の池越しに見た本堂と庫裏

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水面をびっしり覆う睡蓮

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池の向こうは山に続く

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睡蓮の池の畔も猪の被害に

 唯、夫人が言われた様に池の周囲の地面が抉られていたのは猪の仕業。

泥浴びをする「ぬた場」にしては小さいので、餌のミミズなどを穿り返しているのでしょう。

寺の後方には塀がなく、山から庭まで餌を求めて降りるのでしょうが、山には餌が不足気味なのでしょうか?

 猪の被害はあるものの、後庭(裏庭)を引き立たせているのは間違いなく背後に延びる山。

高低差を歩く行程が前庭とは一味違った趣を添えていました。

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心字池と本堂

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枯山水(禅宗様)庭園越しに見る本堂

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池越しに見る庫裏

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心字池近影

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庫裏の奥はこんな庭

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