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出口御坊 蓮如上人の御廟 (大阪府枚方市北中振) <光善寺 其の伍>

2022.06.11(18:09) 1138

御坊から御廟へ(2022.2.11)

<コース> 京阪電鉄は日中10分間隔で運転
淀屋橋駅 → (京阪電鉄) → 光善寺駅 → 徒歩8分 → 光善寺 → 徒歩5分 → 腰掛石 → 徒歩8分 → 御廟

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淵埋山 光善寺(浄土真宗大谷派)
御廟は墓地の一角にある。

 光善寺の巡礼の〆は上人の御廟へ。と言っても境内から【5秒】で行ける所ではありませんでした。

『光善寺から東へ1㎞。京阪電鉄の線路を越えて更に高台に登った場所にあるのが蓮如上人御廟。

中振と言う地の丘の上に建ち、御廟の当たりからは、淀川の流れを見下ろす眺望千里の風景を

眺める事ができる。』 とあります。

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道路脇に建つ石碑

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御廟へと続く階段

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御廟全景

 善光寺は周囲よりも少し高いと言うものの、町全体を見渡すには不向き。

それに対し御廟の場所からは、寺内町全体を見渡すことが出来、死しても町を見守るという上人の意志を感じました。

 しかし廟自体は加工した花崗岩を積み重ねただけの簡素なもの。

立派な造りの墓よりもその位置に拘ったのは、民衆目線に立った上人の教えであったのかもしれません。

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御廟正面

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石を積み上げただけの簡素な御廟

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後方にある御廟への石段

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後方からの御廟近影

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御廟前からの眺望

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出口御坊 蓮如上人の腰掛石 (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の肆>

2022.06.10(20:43) 1137

腰掛の積りでは…(2022.2.11)

<コース> 京阪電鉄は日中10分間隔で運転
淀屋橋駅 → (京阪電鉄) → 光善寺駅 → 徒歩8分 → 光善寺 → 徒歩5分 → 腰掛石 → 徒歩8分 → 御廟

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淵埋山 光善寺(浄土真宗大谷派)
山門前に建つ腰掛石への案内。ここより二丁とある。

 参拝を終えた後は駅に向かいますが、府下の富田林や久宝寺程ではないものの

町並みには寺内町の香りが漂います。

所々に水路があるのは、寺内町を護る環濠に思えますが、説明がないので分からず仕舞い。

せめて案内板でもあればと思うのは私だけでしょうか?

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当寺から腰掛石に向かう途中にある蔵

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寺内町の面影を残す町並み

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この水路は環濠跡か?

 寺から数百メートル南下した場所にあるのが「蓮如上人腰掛石」。

『上人が出口に来た時は、『御文』に「九間在家」とあるように僅か九戸の村落であったが、

その様な村の中央部で、上人は石に腰掛け人々に親しく仏法を説いた。

出口では今でもこの「腰掛石」の御遺跡の場所を上人が居られるように「蓮如さん」と呼んでいる。

 出口ではこの腰掛石の形に因んだ「出口だんご」が作られ、この地の名物となっている。

以前はどこの門徒の家庭でも出口だんごを作ったが、今では稀になっている。』 とあります。

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腰掛石の向かいにある上庄南之口樋跡

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蓮如上人腰掛石への入口

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石碑の後方の石で囲まれた場所が腰掛石

 蓮如はこの地で布教に従事しますが、結局三年で京都へと移る事に。

文字通り腰掛になってしまった訳ですが、【公善事】を積み重ね民衆の心は掴んだのは確かで、

今でも親しみを込めて呼ばれるのがその証拠。

収奪だけ行って去ってしまう為政者も多い中、蓮如の行為は際立っています。

政治に携わる人間が心すべき事でしょう。

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腰掛石近影

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脇に建つ蓮如上人御腰掛石之碑
明治40年建立で内容は漢文。

 その後は、石より団子と言う事で国道1号線を越えた場所にある和菓子店へ。

目的の団子はかつては多くの店で作られたようですが、今は遠州屋さん一軒のみ。

所謂、かた団子で、餡子の周りを餅で巻いたもの。

日持ちはしませんが、素朴な味わいは昔ながらといえそうです。

コロナ禍で営業時間は短縮でしたが、お店は開店中。但し、目指す団子は売切れ御礼。

15時過ぎと言う時間が遅かったのでしょう。土産には「さいかちの木」と銘打った饅頭を購入しましたが、

でぐち団子を食べるためにはお店を訪れる【再価値】はありそうです。

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遠州屋さん外観
唯一残った「でぐち団子」のお店。

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団子が売切れだったので、「さいかちの木」を土産に

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出口御坊 光善寺庭園 (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の参>

2022.06.09(20:16) 1136

上段にある丈山の庭園(2022.2.11)

<コース> 京阪電鉄は日中10分間隔で運転
淀屋橋駅 → (京阪電鉄) → 光善寺駅 → 徒歩8分 → 光善寺 → 徒歩5分 → 腰掛石 → 徒歩8分 → 御廟

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淵埋山 光善寺(浄土真宗大谷派)

 本堂の後は寺務所の横の細い通路を抜け、書院と庭園へ。

山門からは広い境内が目に入りますが、隠れた部分にもこんな広い場所があったのかと改めて感心しました。

『本堂に続く書院は520余年前の蓮如上人在住当時の姿を今に伝える貴重な建造物。

石川丈山はこの書院を「萬象亭」と名付けた。当時は池のすぐ傍を淀川が流れ、

三十石船の上り下りの情景や彼方に見える天王山の風景を借景に取り入れた風流な眺めであった。

淀川の堤防が500m以上も西へ移った今となってはその風情も昔話の域である。

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書院と庭園への門

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門の先にある書院
その奥には本堂屋根が見える。

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北側から見た書院

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西側から見た書院

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書院の窓と廊下
拝観はしていないので外から眺める。

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書院内部の様子 (冊子より)
床柱等の主要な柱数本が当時のまま残されている、蓮如上人愛用の書院である。

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書院前から門を見返る

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書院から庭園を望む

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南側から見た書院

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書院に続く本堂の裏側
前方と異なり土壁のままになっている。

 書院の西側にあるのが石川丈山作とされる光善寺庭園。中央付近にある池は創建当時埋め立てた池の名残である。

また池の周囲には現在では「さいかち」と言う名前で呼ばれる梓(はり)の木が繁茂していたので、

人々は光善寺の事を「梓原堂(しんげんどう)」と呼んでいたと伝わる。今でも境内の北端に梓の大木が残っている。

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庭園遠景

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創建当時の埋め立てた池の名残り

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池に架かる石橋を渡る

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池の向こうに見える住宅
ここに住む人は毎日この庭を眺められると思うと羨ましい。

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南側の道を抜け池を巡る

 この梓には蓮如上人と龍女の伝説がある。

上人が出口で辻説法をしていた頃、毎夜熱心に聴聞する美女が居た。ある夜、

「私はこの池に棲む大蛇です。貴方の説法で功徳を得て昇天できる事になりました。

御礼にこの池を献上しますので、埋め立てて御堂を建立して下さい。」

と言って池の傍の梓から昇天したとされる。

この樹は樹齢200~250年、幹周り2.5m、樹高12m。府下では幹周り2mを超えるものは殆どなく

昭和50年に大阪府指定の天然記念物になった。

唯、老木のため平成25~27年には樹勢回復の治療を受けている。』 とあります。

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池の畔の石灯籠

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十三重石塔

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一応、心字池となってはいるが…。

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池越しに見る書院と本堂

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池越しに寺務所方面を見る

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入口付近からの眺望

 石川丈山と言えば、元戦国武将で大坂の陣以降は京都の詩仙堂に隠棲した人物。

詩仙堂の庭と当寺の庭の同一性は分かりませんが、通常の寺院の庭と違い素朴で力強い庭と言ったところでしょうか?

 龍女の話は当寺の建立譚に繋がる話。伝説的な内容ですが、恐らく地元の有力者の女性が蓮如に帰依した結果、

この地を寄進したと言う史実があったのでしょう。

そこには梓の木が登場しますが、この樹木は洗剤や生薬としての効用があったと言いますから、

それに拠って富を得たのではと想像が膨らみます。

住職夫人は 「全然手入れが追いつきませんで…。」 と謙遜されていましたが、

私見では北河内にこれ程の庭を持った寺院は未見。

ガイドに載らない名園もあると【再価値】を見出した次第です。

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寺務所の裏に建つ経蔵
といってお経を納めているようには見えず、蔵か物置の様。

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境内の裏手に生える樹木群

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境内の北西にある「さいかちの木」
木に勢いがないのが寂しい。

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サイカチ伝説

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出口御坊 本堂と内陣 (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の弐>

2022.06.08(20:10) 1135

蓮如の意向と二世以降の伝統(2022.2.11)

<コース> 京阪電鉄は日中10分間隔で運転
淀屋橋駅 → (京阪電鉄) → 光善寺駅 → 徒歩8分 → 光善寺 → 徒歩5分 → 腰掛石 → 徒歩8分 → 御廟

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淵埋山 光善寺(浄土真宗大谷派)

 山門の正面に建つのが本堂。真宗寺院に相応しく境内で一際目を惹く堂々とした造りです。

真宗寺院は門徒以外にも【門戸】を開いているのが常ですが、御堂の前には柵があり内陣には入れず。

仕方なく外陣からの参拝となりました。

 その後、念のために北側にある寺務所へ伺い御朱印の可否を尋ねると、住職夫人が対応に出られ、

意外にも拝受できる事に。

加えて平成9年に発行された説明書も頂きました。説明書と言うには余りにも立派な30頁の冊子です。

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天明2年(1782年)再建の本堂(御堂)
21.5m四方の入母屋造、本瓦葺で江戸時代後期の真宗本堂の特徴を良く示している。

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本堂の壮麗な屋根
屋根の勾配が美しい。

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屋根の鬼瓦の玄武?

和辻;「真宗では御朱印の無いのが一般的と聞いていましたので有難いです。」

夫人;「お参りに来て頂いた方には書かせて頂いています。」

和辻;「本堂内とお庭は拝観していないのですね。」

夫人;「拝観という形式は採っていませんが、良ければ御案内しますのでどうぞ。」

と言う事で、思いがけなく本堂内陣・書院・庭園を拝観できる事に。

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境内北側にある寺務所
御朱印はこちらで拝受。

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出口御坊 光善寺 御朱印

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御好意で頂いた冊子
平成9年10月25日初版発行と奥付にあるが、売価が記載されておらず非売品の可能性も。

『天明2年(1782年)に再建された本堂は間口十一間、奥行八間の大きさ。

入母屋造、本瓦葺で江戸時代の真宗本堂の特徴を良く表しているものである。

内陣に祀られている御本尊は阿弥陀如来。両側には開祖親鸞と中興の祖蓮如の御影が掲げられている。

蓮如の後を受けた初代住職の順如(じゅんにょ)は42歳で早世したので、蓮如は外孫の光淳(こうじゅん)を

順如の養子として二代目住職とした。

彼に続く光善寺の系譜は、七世准玄(じゅんげん)が西本願寺の学寮の初代学長、

大谷派に転じた後の十世一玄(いちげん)、十一世真玄(しんげん)が著述・講義で活躍するなど

光善寺は教学重視の系譜を残している。』 とあります。

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長く突き出た庇が特徴的な本堂前面

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本堂前から南側の会館を見る

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本堂の向拝と扉

和辻;「歴代の御住職は親鸞・蓮如上人の血筋ですか?」

夫人;「途中、跡継ぎが居らず井波から住職を迎えた事もありましたが、親戚なので細々とですが血は繋がっているようです。」

和辻;「というと御住職の苗字は大谷さんですか?」

夫人;「いえ、藤原です。」

 親鸞聖人は平安貴族日野資業の六世の子孫、日野氏は藤原北家ですから、遠祖の姓に戻ったと言う事でしょう。

本堂の欄間は見事な出来でしたが、かつて井波の瑞泉寺から住職を迎えたことから、欄間の職人と技術も

伝わったに違いありません。

開祖と彫刻の血脈は300年経った今でも受け継がれている様子。これも信仰の力でしょうか?

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本堂内陣の様子
お寺の御好意で撮らせて頂いた。

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正面には御本尊の阿弥陀如来像

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内陣の見事な欄間彫刻
これは孔雀図。

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本堂前から山門方面を望む

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本堂前から南側の鐘楼を望む

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出口御坊 山門から境内へ (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の壱>

2022.06.07(21:23) 1134

出口を布教の入口にした話(2022.2.11)

<コース> 京阪電鉄は日中10分間隔で運転
淀屋橋駅 → (京阪電鉄) → 光善寺駅 → 徒歩8分 → 光善寺 → 徒歩5分 → 腰掛石 → 徒歩8分 → 御廟

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淵埋山 光善寺(浄土真宗大谷派)

 大阪市内から京都市内へ乗り入れる鉄道は新幹線を筆頭にその殆どが淀川右岸にあり、唯一左岸を走るのが京阪電鉄。

大阪駅に直接乗入れていない事、関西の私鉄では唯一プロ野球チームを持たなかった事で関西以外での知名度は

【今市太子橋】ですが、最近は沿線の守口出身の中川家礼二さん、伏見稲荷出身の西村和彦さん等の紹介で

知名度も上昇中だとか。

 京阪電鉄京都線沿線には石清水八幡宮・伏見稲荷等の神社、成田山不動尊等の寺院がありますが、

意外に穴場なのが光善寺。そのものズバリ光善寺駅が最寄りですが、特急・急行も通過駅なので、

来る人も少ないのでしょうか?

私も普通の寺院と思い込んでいましたが、戦国時代に吉崎御坊を退去した蓮如が次に目指した

歴史的にも重要な寺院であると知ったのは最近の事。地元では出口御坊の名で親しまれています。

守口大根、門真蓮根は知っていましたが、出口ゴボウは初耳でした。

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高い塀に囲まれた御坊

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山門
四脚門形式で、切妻造・本瓦葺。17世紀中頃(慶安・寛文時代)の建築とされる。

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山門脇に建つ堂々とした寺標

 淵埋山光善寺(えんまいざんこうぜんじ)は、

『文明7年(1475年)、61歳で越前国吉崎御坊を退去した本願寺八世法主蓮如上人が京へ戻る途中、

ここ河内国茨田郡出口に草坊を営んだのが始まり。

当時の出口は僅か九戸の寒村であったが、蓮如はこの地で近畿一円の教化を図った。

当時この地にあった二丁四方の大きな池を埋め立てて諸堂を建立した事から山号を淵埋山、

建立に当り近在の有力門徒であった御厨石見(みくりやいわみ)入道光善が尽力した事に拠って寺号は光善寺となった。

 当時は応仁文明の乱も収束に向かい、また蓮如は守護富樫正親の争いで吉崎を退去した事に鑑み

出口では門徒の反体制的行動を戒めたため報恩講には各地から大勢の人が参集、

出口には寺内町が形成された。『御俗姓の御文』『白骨の御文』は出口時代の作とされる。

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山門の北側に続く脇門と太鼓楼

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脇門近影
医薬門の形式で、山門と同時代の築。妻飾りや屋根の架橋に特徴が見られる。

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境内から見た太鼓楼
入母屋造、本瓦葺で下層板張りの二層構造。天明7年(1787年)の建築だが、妻飾りの木連格子などは寛政頃の様式とされる。

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山門正面に見える本堂(御堂)

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光善寺由緒記

 この地で3年間布教をした後、文明10年(1478年)本願寺建立のため山科へ移住。

後継者には長男順如(じゅんにょ)を大津から迎え光善寺初代住職とした。

同時に蓮如は出口御坊を近畿一円の筆頭御坊としたので、光善寺は教学の根本寺院として発展する。

 しかし天文3年(1534年)、火災に拠り焼失。一時は淀川の対岸の摂津国島下郡鳥飼や

河内国茨田郡大場等に移転を余儀なくされたが、ようやく慶長年間に出口に戻って再建された。

現在の敷地は約三千坪、広大な寺域には17世紀の山門及び脇門、江戸中期の数寄屋風書院があり、

天明2年(1782年)の御堂、同7年の太鼓楼等があり近世建築の伽藍を有する寺内町の核としての

風格を有する寺院である。』 とあります。

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境内の遠景
本堂の奥には会館が建つ。

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本堂前の石碑

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蓮如上人落歯懐紙

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石碑に記された内容

 8月21日に吉崎を退去した上人は船で若狭の小浜に着き、そこから丹波・摂津を抜けて9月5日に出口に到着。

住んでいる人は僅かでしたが、淀川の南岸に接する出口は京都と大阪の中間地点で、水陸交通の要衝。

同じく交通の要衝であった越前の吉崎に御坊を開いた蓮如には、ここの地形はこれからの発展を期待できる場所と

映ったに違いありません。

応仁文明の乱は日本史上のターニングポイントですが、丁度その頃に土地の生産性が向上し、

人々の定住が始まるようになったのも追い風でした。

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蓮如上人坐像
立ち姿は多く目にしているが、坐像は珍しい。

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笠と杖が描かれた碑

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鐘楼
入母屋造、本瓦葺で一般的な鐘楼に比べ柱高が高く、屋根勾配が強い縦長の形状となっている。

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南無地蔵尊
塀の近くに安置された石の地蔵群。

 この後、蓮如上人は京都山科に移りますが、彼に続く門主の時代には淀川河口に石山本願寺を築く事になります。

これも出口時代に淀川の持つ重要性に気付いたからに他なりません。その素地は、ここ出口時代に培われたと言えるでしょう。

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書院玄関の唐破風

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寺務所入り口も唐破風
御朱印はここで拝受した。

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本堂の前庭

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天田神社 (大阪府交野市私市)

2022.06.06(20:00) 1133

物部から住吉へ(2022.1.29)

<コース>
【往路】JR北新地 → (学研都市線) → JR星田

JR星田 → 徒歩15分 → 星田神社 → 星田寺 → 徒歩15分 → 星田妙見宮 → 徒歩20分 → 天田神社 → 徒歩5分 → JR河内磐船

【復路】JR河内磐船 → (学研都市線) → JR北新地

321-7-1.jpg
天田神社(旧村社)

 交野の三ツ星を参拝、MHCもゲットした後は、余裕があったので交野線の線路を越えた所に鎮座する天田神社へ。

天田神社(あまたじんじゃ)は、

『私市、森両集落の氏神社で住吉四神を祀る。

古代この地方は土地が良く肥えて、作物が豊かな野であったので甘野、川は甘野川、田は甘田と呼ばれた。

その甘田に田の神を祀って建てた甘田宮が天田神社の起源とされる。

 交野は肩野物部氏の所領で、その祖先とされる饒速日尊が長く交野の祭神であった。その物部氏が

577年に敏達天皇の皇后であった豊御食炊屋姫(後の推古天皇)にこの地を献上、私市部(きさいちべ)となった。

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道路を挟んで建つ一の鳥居

321-7-3.jpg
正面から見た古風な拝殿

 平安時代になると都の宮廷貴族がしばしば狩猟に来ては和歌を詠み、

当地の七夕伝説に因んで甘野川は天野川、甘田は天田と書くようになった。

その頃、住吉信仰が流行し始めるに伴い磐船の神も海に関係すると考えられるようになり、

更に物部氏の衰頽もあって祭神は饒速日尊から和歌の神である住吉神に代わり、今に至っている。

 境内からは土師器が出土、また周辺には物部氏のものと見られる古墳群も見つかる等、

歴史の古さを感じさせる。』 とあります。

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拝殿の奥に建つ本殿

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塀越しに見た本殿屋根

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横より見た拝殿(右)と本殿

 物部氏から皇室へと所有が変わり、祭神もそれにつれて変わったと言う事。

古代より人が居住した場所なので、農耕に適した場所であったのはそうでしょうが、

甘いと言う表現にはやや違和感が…。私には「あまた」と聞くと雨田を想像してしまいます。

一方の「ほしだ」は干田。要は水はけの良い場所と悪い場所を表す言葉であったのが、

後世、七夕伝承に拠って天田・星田に変化したと思うのですが、根拠のない甘い説か、

妙な意見(妙見)か判断の難しい所です。

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人の気配が全くない社務所

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境内にある自然林
参拝者は殆どいなかったが、バードウォッチングには10人程いた。

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星田妙見宮 北斗七星 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の肆>

2022.06.05(16:47) 1132

北斗の圏(2022.1.29)

<コース>
【往路】JR北新地 → (学研都市線) → JR星田

JR星田 → 徒歩15分 → 星田神社 → 星田寺 → 徒歩15分 → 星田妙見宮 → 徒歩20分 → 天田神社 → 徒歩5分 → JR河内磐船

【復路】JR河内磐船 → (学研都市線) → JR北新地

321-6-1.jpg
星田妙見宮(星田神社摂社)

 星田妙見宮で最も神聖で大切な場所は、頂上の拝殿にある影向石(織女石)ですが、

妙見信仰の基礎となる北斗七星を祀る場所も境内に点在。

『境内には貪・巨・禄・文・廉・武・破で表される七星塚が如意輪観音曼荼羅の形で置かれ、

参拝者は各自の本命星・元辰星に礼拝し厄除開運を願う慣わしである。

 また当宮には北斗七星霊符など多数の霊符が伝わるが、太上神仙鎮宅(たじょうしんせんちんたく)

七十二霊符は中国皇帝に最高の守護符として尊ばれた秘法の霊符である。』 とあります。

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境内案内図

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七星塚

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境内の七星の場所を表した曼荼羅

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階段の上り口にある貪狼星(一番目)

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絵馬堂前にある巨文星(二番目)

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絵馬堂を過ぎた場所にある禄存星(三番目)

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階段の先にある烏枢沙摩明王を祀る祠
因みにこの反対側にお手洗いが建つ。

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烏枢沙摩明王の奥にある文曲星(四番目)

 宗教と言うものは洋の東西を問わず来世を願うものですが、道教はひたすら現世利益を願うもの。

その辺りが他の宗教との違いですが、いかにも現実的な中国らしいとも言えます。

 階段を上って拝殿に参拝して帰り路を行くと七星塚にもお参りできる仕組み。オリエンテーリングを彷彿とさせますが、

寺院で見かける四国・西国札所のお砂踏みの神社バージョンと言った所でしょう。

そういえばJRの豪華観光列車の名前は「ななつぼし」と言いましたっけ。

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五番目以降は帰り道にてお参り

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坂道途中にある廉貞星(五番目)

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坂を下りた石舞台脇にある武曲星(六番目)

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最後に鎮座まします破軍星(七番目)

 坂の下にある「登龍の滝」は滝壺に隕石が落ちたという説もあるとか。

中国の登竜門は出世に関する話ですが、我が国ではドツボに落ちてしまわないか心配です。

登竜門は後漢末の文官と宦官の清濁の争いの中で生まれた話ですが、

それが西晋時代の星団ならぬ清談に繋がっていく訳ですから、ここにも道教の匂いを感じます。

 我が国には教団としての道教は定着しませんでしたが、その痕跡は残っているようです。

分野の権威を表す泰斗という言葉は泰山北斗に由来していますし、葛飾北斎の北斎は北斗七星の事。

そうして見ると八百万の神々を祀る神道も道教的と言えなくはありません。

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結界の向こうにある登龍の滝

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滝の石碑

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御神水
参拝前に浄めるか?

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登龍の滝の前にて

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登龍の滝の由緒

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登龍の滝近影

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滝の下に祀られたお不動様

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滝の脇に建つ祠と石板

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「鯉の滝登り」の石板

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石舞台とあるが護摩壇では?

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星田妙見宮御朱印(七星塚版)

 境内を一巡したあとは、1月15日発行MHC入手のため河内森駅方面へ。

旧第四学区の市は全てMHCを発行していますが、二種類発行は交野市が初でした。

 こうして「星に願いを」かけた後は「まんぼーる」で〆。オミクロン菩薩様は不在でしたが、密を避けて三ツ星。

パワーを貰ったと感じた一日でした。

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交野市マンホール蓋

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交野市マンホールカード
配布場所は交野市水道局

[参考書]

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星田妙見宮 七夕伝承 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の参>

2022.06.04(19:57) 1131

星に願いを(2022.1.29)

<コース>
【往路】JR北新地 → (学研都市線) → JR星田

JR星田 → 徒歩15分 → 星田神社 → 星田寺 → 徒歩15分 → 星田妙見宮 → 徒歩20分 → 天田神社 → 徒歩5分 → JR河内磐船

【復路】JR河内磐船 → (学研都市線) → JR北新地

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星田妙見宮(星田神社摂社)
一の鳥居付近にある七夕伝説の説明板。

 星田妙見宮は七夕祭でも有名。毎年7月6・7日には参道が飾られ、近隣はおろか遠方からも多くの人が訪れます。

一の鳥居の脇には大伴家持が詠んだ歌碑が建立されていました。

『当宮には伝統的な七夕祭祀が伝わる。『河内名所図会』には、

「妙見祠、妙見山にあり。神躰巨石三箇、鼎の如く岐ちて、岡の如し。(中略)土人、織女石(たなばたいし)とも呼ぶ。」

と七夕の織姫を祀る石の記述がある。

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大伴家持歌碑

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歌碑の解説

また貝原益軒の『南遊紀行』にも

「此谷のおくに、星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也。」

と当宮の事が記載されている。

 当宮を含む現在の交野市、枚方市辺り一帯は平安時代以前より、羽衣伝承・七夕伝承が伝わり、

銀河に例えられた天野川が流れる。そして星や七夕に所縁の在る地名や場所が点在する。』 とあります。

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余呉湖の羽衣伝説と交野の七夕伝説の関り

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拝殿の奥にある影向石(別名織女石)

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影向石近影

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織女石説明

 京阪電車の交野線の終点私市には、在原業平が交野ヶ原で惟喬親王の狩猟の供をした際に詠んだ

・狩り暮し 棚機津女(たなばたつめ)に 宿借らむ 天の川原に 我は来にけり

という 『古今和歌集』 にある歌碑が建っています。

業平は平安時代ですが、家持の歌は天平10年(738年)。平安時代以前というのも嘘ではありません。

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拝殿前に建つ常夜燈

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妙見宮 七夕御朱印

 地名についても、交野市には星田・天田が、枚方市内には北極星に由来する中宮、天の川に所縁の在る

鵲橋が残っています。これらについてはこの地を本拠とした百済王氏(くだらこにきし)に拠る古代朝鮮文化の痕跡、

古代道教信仰の名残といわれますが、どちらもあり得る話。

 唯、渡来人の居住地であっただけではなく、加えてそこに星が降ったという歴史的事実が一役買ったのは確実です。

言わば隕石落下という【棚ぼた】が七夕をこの地に七夕信仰を定着させるのに一役買ったと言えるでしょうか?

321-5-12.jpg
かつてのJR交野駅スタンプ
片町線(現;学研都市線)の表記が懐かしい。

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星田妙見宮 妙見信仰 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の弐>

2022.06.03(20:45) 1130

星は何でも知っている(2022.1.29)

<コース>
【往路】JR北新地 → (学研都市線) → JR星田

JR星田 → 徒歩15分 → 星田神社 → 星田寺 → 徒歩15分 → 星田妙見宮 → 徒歩20分 → 天田神社 → 徒歩5分 → JR河内磐船

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星田妙見宮(星田神社摂社)

 それでは当宮の信仰の中心となっている妙見とはどのような神なのでしょうか?

『妙見信仰は、北極星が不動の星として北の天の中心に位置する高貴な星と崇め、

北極星とそれを補佐し万物に恵みを与える北斗七星を神格化したもの。

妙見神は諸星諸神、方位方角を支配する尊い星神とされ、人の星(運命)を司る神と伝えられる。

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拝殿に向かう階段

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階段を上り切った場所に建つ拝殿

 信仰の淵源は紀元前数千年前の古代バビロニア、その後、インド・中国を経て仏教と共に我が国へ伝わった。

これについては次の様な話が伝わる。

「推古天皇3年、百済の聖明王の第三王子琳聖(りんしょう)太子は夢のお告げに拠り法を伝えるべく日本に渡る決心をする。

同じ年、我が国にも大星降臨し「三年後に百済の第三子が来朝する」とのお告げがあった。

 推古天皇5年、琳聖太子が来朝。秦河勝の案内で難波宮にて聖徳太子と会見。

太子が目指す政治・宗教の実現に向け、北斗七星剣と十七条憲法制定の基となる妙見信仰の調和の心、

太上神仙鎮宅七十二霊符神を伝えた。その後、我が国で初めての北辰星供が盛大に行われた。

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拝殿の前面部分

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何故かここにも「おもかる石」が…

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拝殿前の狛犬

 延暦5年(785年)には桓武天皇が当地交野ヶ原に郊祀壇を設け、我が国初の北辰祭祀に拠る天神の祀りをされた。

 享和元年(1801年)刊行の『河内名所図会』には

「妙見尊は神道家には天之御中主尊と称し、陰陽家には北辰星と言ひ、日蓮宗徒には妙見菩薩と仰ぎて、近年おおいに奉信す」

と当宮が記述される。

古くより北辰(北極星)信仰の霊場として、神道・仏教・陰陽道・道教等様々な宗教が混淆した信仰形態で祭祀された。』

とあります。

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拝殿前からの眺め
下にあるのが社務所。

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遠く交野市内を見渡す

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枚方市方面の眺望

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狛犬の脇を抜けて更なる高台へ

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先ずは青龍大明神

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大明神から仰ぎ見た拝殿

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横から見た拝殿

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影向石に続く巨石群

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青龍社から稲荷社へ
旗も青から朱へと変わる。

 百済の聖明王は我が国に仏教を伝えた人物ですが、その第三王子琳聖太子が伝えたとされるものは、

どうやら仏教とは違った道教色の強いものだったようです。琳聖太子自身もやや伝説的な人物ですが、

このような人物を持って来たのは聖明王との関係から仏教側の反発を和らげようとの思惑であった気もします。

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最も高所に建つ豊臣稲荷大明神

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更に奥に建つ豊正豊玉龍王社

 日本は大陸から多くのものを取入れたが、科挙と宦官だけは取入れなかった。とは歴史上良く言われますが、

王を放伐する革命思想と教団としての道教もそうだったとは学生時代に国史学で学びました。

 唯、銅鏡があれほど渡来した状態で道教が全く伝わらなかったというのも不思議な話。

その教義や習慣は伝わったと見た方が自然でしょう。

それでも教団が組織されなかったのは、周りの宗教に溶け込んでしまったから。

その点ではうまく【どうきょ】したと言えるでしょう。

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戻って社務所で御朱印拝受

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4種類のオリジナル御朱印帳

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星田妙見宮 参拝の栞

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4種の内、この図柄を購入 (大判サイズ 175×115)
右上の山頂の人物は弘法大師。

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星田妙見宮御朱印
これは一般的なもの。

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星田妙見宮 降星の里 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の壱>

2022.06.02(20:55) 1129

星降る街角(2022.1.29)

<コース>
【往路】JR北新地 → (学研都市線) → JR星田

JR星田 → 徒歩15分 → 星田神社 → 星田寺 → 徒歩15分 → 星田妙見宮 → 徒歩20分 → 天田神社 → 徒歩5分 → JR河内磐船

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星田妙見宮(星田神社摂社)

 星田神社、星田寺に続き三ツ星に参拝すべく坂を上って妙見さんへ。山全体に境内が広がり、

パワースポットとして参拝者も多い神社ですが、社格では先に訪れた星田神社の摂社の扱い。

 降星の里、七夕伝説で有名で、付近は星田も含めてそのような地名が多く見られます。

平安時代に付近に住んだ渡来人の影響、道教信仰等がよく言われますが、

由緒書を見ると弘仁2年(816年)にこの山に隕石が落下、星が降臨したとありました。

星降る里というのは嘘ではないようです。

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参道入口の一の鳥居
左が駐車場となっている。

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妙見宮御由緒

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参道脇の社標には「小松神社」と彫られている

 星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)は、

『嵯峨天皇の弘仁年間(810~823年)、交野へ来た弘法大師が獅子窟寺吉祥院の獅子の窟にて佛眼仏母尊

(ぶつげんぶつもそん)の秘法を唱えたところ、天上より七曜の星(北斗七星)が三ヵ所に分かれて地上に降りた。

大師は自ら「三光清岩正身の妙見」と称し、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」

として祀った。

 この伝説は当地に残って居り、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの星の森、

もう一つが星田乾にある降星山光林寺境内、そして今一つがこの当宮とされる。

現在も降臨したと伝わる磐座を影向石(織女石)として祀っている。

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二の鳥居へ進む

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参道脇の降星伝説の説明板

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隕石落下の記録

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巨木に囲まれた参道を往く

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参道右手にある親子杉への参道

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親子杉近影
立入禁止は、木の皮を剥ぐ人が絶えないからだとか!

 平安時代には「神禅寺」と称されており、河内長野市の金剛寺の古文書には

「嘉承元年(1106年)九月二十三日、星田神禅寺」の記載が残る。

また天文4年(1535年)の神明帳には小松大明神と記されている。

後世には淳和天皇、白河天皇、後醍醐天皇を始め楠木正成、加藤清正など多くの崇拝を集めた。

 古くから七夕祭祀が行われており、享和元年(1801年)の『河内名所図会』、栢原益軒の『南遊紀行』にも記述が見える。

平成28年(2016年)には創建1200年を記念し「星田妙見宮鎮座1200年奉祝大祭」が開催された。』 とあります。

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本殿へは親子杉の反対側の参道を上る

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妙見宮鎮座1200年奉祝大祭賛歌

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親子杉脇にある庚申(禰宜)社

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三の鳥居
右奥の手水舎で浄めてから参拝。

 隕石といえば科学的ですが、流星といえばロマンティックな響きが。しかしそれは日本の話。

1066年のノルマンコンクェストの前にハレー彗星が出現するなど西洋などでは流星は不吉とされ、

それに従うと為政者が己の不徳で【いんせき】辞任をしたり、国が【隆盛】から【衰勢】に向かうところですが、

そんな「ねがちぶ」な考えを神が降臨した「ぽじちぶ」に考えた先人に敬意を表します。

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鳥居を抜けて石段を上る

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石段の途中に建つ絵馬堂

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絵馬堂の内部
「天尊山」の扁額は神仏習合の名残り?

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絵馬堂を過ぎて拝殿へ更に石段を上る

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星田寺 (大阪府交野市星田)

2022.06.01(21:30) 1128

時の流れに身を任せ(2022.1.29)

<コース>
【往路】JR北新地 → (学研都市線) → JR星田

JR星田 → 徒歩15分 → 星田神社 → 星田寺 → 徒歩15分 → 星田妙見宮 → 徒歩20分 → 天田神社 → 徒歩5分 → JR河内磐船

【復路】JR河内磐船 → (学研都市線) → JR北新地

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三宅山 華岳院 星田寺(東寺真言宗 北河内観音三十三番札所)

 星田神社参拝に続き隣接する二つ目の星へ。立派な山門の向こうに綺麗な伽藍が建ちますが、

碑や説明板に平成5年とあるので、その時期に再建されたのでしょう。由緒は古いが新しい建物です。

 三宅山華岳院星田寺(みやけさんかがくいんしょうでんじ)は、

『寺伝では長暦年間(1037年)に開基、創建。河内長野市の金剛寺の史料には、

長治2年(1105年)6月16日に当寺院で金剛界大灌頂次第が書かれたとある。

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星田寺入口にて
右手に建つのが星田神社。

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山門前の仁王像

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由緒記の様なもの

 江戸時代末期までは北側に隣接する星田神社と深い関係があったが、明治初年の神仏分離令以降、

神社との関係はなくなった。

境内には江戸中期の寛永元年に建立された堂があったが、平成になって250年振りに改築された。

御本尊は不動明王、周囲には弥勒菩薩、大黒天、毘沙門天、弘法大師を祀る。

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山門近影
奥に見えるのが本堂。

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境内全景
左から、庫裏、本堂、観音堂。

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山門下からの眺望

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正面から見た本堂
不動明王を祀るが参拝は外陣から。

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本堂の「華岳院 星田寺」の扁額

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本堂前からの眺め

 その手前にある観音堂では十一面観音を祀る。

この観音像は、かつて星田村の東南山中に在った真言律宗小松寺(こまつでら)の根本草堂に祀られていたもの。

江戸の元禄年間に小松寺は伽藍の老朽化で廃寺となり、その際に十一面観音像は星田神社境内に移転。

更に明治初年の神仏分離令に拠って当寺に移され現在に至る。

平安時代の作と言われ平成2年に交野市文化財に指定された。』 とあります。

 人気のない境内に入って本堂と観音堂へ。いずれも施錠されていたので外陣からの参拝、

お不動さんは遠目でしたが、観音様は間近で見る事が出来ました。

平安時代造で重文になっていないのは十分とは言えませんが、説明にあるように補修や復元を受けているからでしょう。

寺院の盛衰は星の流れならぬ時の流れですが、うまく乗り切った事で今の御姿があるのでしょう。

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観音堂

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観音堂の「三室山」の扁額
小松寺から移転したので、山号も小松寺のものになっている。

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祀られている十一面観音菩薩さま

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十一面観音像由緒記

 その後、庭と沓掛不動さんを見て次に向かう予定でしたが、もしやと思いベルを鳴らすと運よく御在宅。

書置きですが御朱印拝受できました。その後、御住職に伺うと

和辻;「お寺の呼び方は“ほしだでら”ではなく“せいでんじ”ですよね。」

住職;「正式には“しょうでんじ”です。でも私を含めて皆“ほしだでら”と言うてますけど。」

和辻;「隣の神社とは神宮寺の関係ですか?」

住職;「ええ、かつてはそうでした。歴史はこちらの方が遥かに古いですが…。」

和辻;「観音堂の扁額に三室山とありますが、こちらの山号は三宅山ですよね。」

住職;「あれは観音様を祀っていた小松寺の山号をそのまま使っているのですよ。」

和辻;「いまから妙見さんに行くのですが、途中にある小松寺さんがそうですか?」

住職;「あそこは“しょうしょうじ”さんと言う法華宗のお寺です。かつての小松寺とは全く関係ありません。」

と、いきなり来た参拝者にも快く丁寧に対応下さいました。加えて縁起も頂く事に。

こちらも事前に調べてから動きますが、余程の有名寺社でない限り書物やネットには限界があります。

今回は、半信半疑で御朱印を御願いしましたが、結果的には有り余る成果を得る事ができました。

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境内の池と手水鉢
奥に見えるのが庫裏と寺務所。

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池を含めた前庭風景

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水かけ明星お不動さん

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お不動さん近影

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星田寺の縁起(由来)

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星田寺御朱印

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星田神社 (大阪府交野市星田)

2022.05.31(21:50) 1127

交野で三ツ星(2022.1.29)

<コース>
【往路】JR北新地 → (学研都市線) → JR星田

JR星田 → 徒歩15分 → 星田神社 → 星田寺 → 徒歩15分 → 星田妙見宮 → 徒歩20分 → 天田神社 → 徒歩5分 → JR河内磐船

【復路】JR河内磐船 → (学研都市線) → JR北新地

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星田神社(村社)

 1月も終わりですがオミクロンが猖獗を極める状況下。

何とか神仏のパワーを貰って収束をと、全く勝手な理屈で星田妙見宮へ。

北河内では有名なパワースポットですが事前に調べると社格では星田神社の摂社とか。

【拙者】も今回初めて知りましたが、それなら先ずは本社へとお参りせねばなりません。

学研都市線(片町線)星田駅から南東へ少し行くと星田神社。

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石橋を渡り境内へ

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石橋の上から見た放生池

星田神社は、

『現在、本殿には住吉四柱を祀っているが、それより遥か以前に一本の大杉があり、そこに当地の

交野物部氏の御祖・饒速日尊(にぎはやひのみこと)を氏神として祀った交野大明神が嚆矢とされる。

交野大明神は延喜式に見える式内社。平安から鎌倉にかけての序列では一の宮であったとも言われ、

天文4年(1534年)の神名帳にその名が記載されている。

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階段脇の狛犬

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正面から見た拝殿

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拝殿入口の唐破風

 その後、宝永年間(1704~1711年)に近隣の村の惣社であった磐船神社と宮座を争い、住吉大神として

祀られていた分霊を遷した。それに及んで交野大明神よりも大きな神殿が建立され、以後交野社は古社とされ、

また大杉も枯死したのでその芯を御神体として祀るようになった。

 住吉神については謎が多いが、物部氏が蘇我氏との争いに敗れた後、祭神の饒速日尊を隠す必要から、

物部系の津守氏の奉祭していた住吉大社の神を表の祭神とした。』 とあります。

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拝殿に掲げられた「星田神社」の扁額

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拝殿の内部の様子

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拝殿後方にある本殿

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塀越しに見た本殿

 放生池を過ぎ、階段を上ると鳥居の正面が拝殿。その奥には本殿が建ち周囲には摂社が。

集落に囲まれた境内は広く明るい雰囲気。地元の氏神様と言う表現がぴったり来ます。

 境内を見回しても人は不在。運よく社務所前に置かれてあった由緒書と書置き御朱印を頂きました。

妙見宮の本社とはいえ、摂社に比べて参拝者も少ないのは場所柄にも拠るのでしょう。

スピンオフは企業ですが、飾りのないそのままの当社は差し詰め【スッピンオフ】でしょうか。

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境内奥にある摂社群
左から交野社、八幡社、恵比寿社。

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交野社脇にある「おもかる石」

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星田神社由緒書

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星田神社御朱印

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三島神社 薫蓋樟 (大阪府門真市三ツ島) <三島神社 其の弐>

2022.04.30(22:33) 1098

樟ノ木は残った!(2021.12.25)

<コース>
梅田 → (大阪メトロ御堂筋線) → (大阪メトロ長堀鶴見緑地線) → 門真南 → 徒歩15分 → 三島神社


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三島神社(郷社)

 三島(みつしま)神社の境内には数本の楠がありますが、その中でも特に有名なのは何といっても本殿前にある大楠。

遠くから眺めてもそれと分かる巨木です。

『この大楠の木は薫蓋樟(くんがいしょう)と命名されており 

薫蓋樟の名は、幕末から維新にかけて活躍した公家の千種有文の

・薫蓋樟 村雨の 雨やどりせし 唐土の 松におとらぬ 樟ぞ此の楠

と言う歌に由来。有文は村上源氏久我家の裔で左少将、代々和歌の家として知られる。

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南側からの眺望
住宅の間から姿を見せる大楠。

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四方八方に張出した枝

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神社本殿側(後方)からの眺め

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鳥居付近の別の楠

 昭和13年には国の天然記念物に指定され、昭和48年には門真市の木に、平成5年には

「大阪みどりの百選」の第一位に選定された。

 推定樹齢は1000年以上。樹高24m、幹回り13m、枝張り東西40mと環境庁の調査に拠って

「大阪府最大の木」と認定されている。

 根元は瘤が多く、そこから四方八方に枝が張り出しており、かつては境内を越え周囲の人家や道路にまで及んでいた。

大正時代に電灯を設置する際に電柱の邪魔として枝を切ったが、その人物が腹痛を起こしたので取り止めたと言う逸話もある。

 以来、切る人は居なくなったが、昭和9年の室戸台風などの暴風雨の影響でかつての樹勢は無くなっている。

かつては根元に毎年四斗樽の酒を蒔いて肥料にするのが慣例であった。』 とあります。

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社務所の上まで伸びた枝

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薫蓋樟の説明

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天然記念物の碑

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大阪みどりの百選

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樟の説明

 境内に入ると正面に大楠が聳えますが、唯高いだけでなく、根元から張り出した枝が伸びる様は宛ら動物。

昔の人々もその姿に生きた神の姿を見たのでしょう。

 大阪府下の天然記念物の樹木は4件ですが、知名度ではここの楠に勝るものはなし。

それには千種有文が歌を詠み「薫蓋樟」などと言う雅な名前を付けた事も与っています。

建武の新政の際に後醍醐天皇の側近として権勢を振るった「三木一草」とされる人物がいましたが、

楠木正成や千種家の祖とされる千種忠顕もその一人。

千種有文が楠の歌を詠んだというのも因縁めいたものを感じます。

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13mとされる幹周り

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左少将の詠

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樹齢1000年以上とされる幹の表面

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拝殿前より梢を見上げる

 楠自体は南方系の樹木ですが、河内にはここや萱島駅にも楠の古木が残っています。

いずれも人工的なものではなく、自然に生えて成長したものを周囲の人々が崇めるようになったと思われます。

楠学問という諺を出すまでもなく、楠は長い年月をかけて巨木になる樹種。

加えて樟脳の効果で虫が殆ど付かないという点も人々には畏敬の念を持たせたのかもしれません。

 訪れた日は丁度クリスマス。樅ノ木に飾り付けをしてケーキを食べる家が多いですが、

こちらは楠を訪ねたクスリマスとはなりました。

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中門上に伸びた枝

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梢の様子

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門真郵便局 ; 茨田堤碑、天然記念物・三島神社の薫蓋樟

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三島神社 三ツ島と社 (大阪府門真市三ツ島) <三島神社 其の壱>

2022.04.29(19:29) 1097

水の島に建つ神社

<コース>
梅田 → (大阪メトロ御堂筋線) → (大阪メトロ長堀鶴見緑地線) → 門真南 → 徒歩15分 → 三島神社


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三島神社(郷社)

 最近、テレビで大阪府の市町村を取り上げた番組がありましたが、そこでライバル関係No.1になったのが

守口市と門真市。隣接し、面積、人口、生活レベルもほぼ同じというのが余計にライバル心を掻き立てるのでしょう。

 守口の由来がはっきりしないように、門真の由来も曖昧。潟沼が訛って門真となった、

船溜まりを意味する門間から生じた、寺社の門前を門間と読んだ事に由来、と諸説ありますが、

未だ決定打には至っていません。

【事実は諸説よりも奇なり】、意外とそれ以外の怪体な由緒がいきなり登場するかもしれません。

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遠くからでも分かる樟の巨木
これは南側から見た所。

 今月の4日に訪れた守口市の難宗寺は大銀杏で有名ですが、門真市にもそれに匹敵する巨木がちゃんと存在。

クリスマスの25日は樅ノ木に飾り付けをしてケーキを食べる家が多いですが、ちょっと趣向を変えて楠を訪ね三ツ島へ。

三ツ島は、

『村の起源は藤原期に遡るとされるが、木曽義仲四天王の一人、樋口次郎兼光の一子勝太郎が

当所の福島勝右衛門に養われたのが発展の始まり。

 樋口家に拠って村の水辺に燈籠台が建てられた結果、漁獲高が増え村が富み栄え福島の名が起こった。

更に河内八ヵ庄の中で、今の大東市の氷野・赤井と共に水嶋庄と称せられた。

その後、氷野・赤井は湖の南岸陸続きとなって村を形成したが、最後まで島として残ったのが当村で、

江戸時代に入り上下の三ツ島に分かれたが、長く一村として村役も共通であった。』 とあります。

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三ツ島の町並み
正面奥に見えるのが第二京阪道路。

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町内を流れる水路
桜の季節にはここを和船で遊覧するとか。

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門真市マンホールカード   配布場所はこちら

 その場所に鎮座するのが三島(みつしま)神社、

『古来、山王権現と称したが、明治3年4月に今の社名に改称した。

創建時期は不明であるが、近隣の鶴見神社の史料には、

「後白河院の御代、近江国辻村の農民十七名が多数の人夫を随えてこの地に下向。

開村の時、日吉大社より分霊を勧請したのに始まる。」 と記されている。

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道路に面した神社入口

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石鳥居近影

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「三島神社」の扁額
一応、三島神社が正式だが、こちらは三嶋と記載。

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御祭神と由緒記

 当社の史料にはないが宮座関係者には近江国の農民移住が語り伝えられており、

また安政3年の神社改築時の棟札には、近江の山王総本宮日吉大社からより分霊を勧請とあるので、

近江との関りは確実とされる。

 山王社は素戔嗚尊と大巳貴命(即ち大国主命)を祀るが、明治5年郷社に列し、明治41年には

稗島(ひえじま)にある垣根神社を合祀したので、御祭神は天照大御神を加えた三柱となっている。

 境内には大石燈籠があるが、これは明治初期に当村が大阪の石屋から購入したもので、

大正期までは当地の樋口家が燈明をあげていた。』 とあります。

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大楠の奥にある拝殿

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拝殿前から見た張出した大楠の枝と参道

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拝殿の中門からの眺め
正面が石鳥居で、左は社務所。

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拝殿全景

 今でこそ、この付近は平地ですがかつては淀川水系が作った河内湖が広範囲を潤していました。

門真の名産とされる蓮根、慈姑もその地形を利用したもので、今でも一部には水路が残っています。

加えて付近の地名に三ツ島、二島、稗島など島の付く字が、遠く萱島まで見られるのは、

そこが湖若しくは湿地帯に浮かんだ島だった名残ではないでしょうか?

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拝殿の垂れ幕に描かれた社紋
中央は「山王」の山を象ったものか?

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大楠の根元に建つ朱い鳥居の稲荷末社

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境内に建つ大石燈籠

 家を建てるには不向きな場所ですが水運をうまく利用すれば、活発な経済活動も可能。

中世以降発展してきたのも、この地勢に拠るもの。

湿地を使って【失地】を、水運を利用して【衰運】を克服したと言えるでしょうか?

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神社裏手の様子
左の石垣に沿って建つのが本殿で、右は代々神社を護った旧家に見える。

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三島神社の案内と神社暦

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三島神社御朱印
正に青丹よしである。

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守口宿 (大阪府守口市本町)

2022.04.28(22:56) 1096

東海道を往く(2021.12.4)

<コース>
東梅田 → (大阪メトロ谷町線) → 守口 → 徒歩3分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤
或いは
淀屋橋 → (京阪本線) → 守口市 → 徒歩8分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤

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京街道 (東海道五十七次 五十七番宿)

 守口の東西御坊に参拝し、この日の巡礼は終了。

しかし、すぐそばを東海道が通っているので、スルーするに忍びず、最後に宿場巡礼。

『文禄堤は文禄3年(1594年)に伏見城を築いた豊臣秀吉が、京都と大坂を最短距離で結び、

かつ降雨量が多い時なども使用可能な陸路が人様になった事から、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の

三家に淀川左岸の改修を命じて文禄5年(1596年)に完成させたもの。完成後は堤の上に京街道(大坂街道)を通した。

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難宗寺からは文禄堤までは石段を登る

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石段を登った先にある東海道(京街道)

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東海道から石段を見る
かつてあった寺院に因み来迎坂と呼ばれる。

 築造当初の堤の長さは枚方市から大阪市長柄までの27㎞。

安全な交通路としてまた淀川の氾濫から河内平野を守る役割を果たした。

しかしその後の淀川の改修や市街地の発展に拠りその大部分は消滅し、

今はここ守口に720mの堤が残るのみである。

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街道脇に建つ説明板

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文禄堤の説明

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文禄堤と東海道の位置関係

 堤の上を走る京街道は後に東海道の一部となり、元和2年(1616年)に守口には東海道五十七次の

最後の宿場が置かれた。56番目の枚方から約3里、枚方と異なり船付を持たず馬継もないが、

守口宿は東海道と奈良街道の分岐を成す要衝であった。難宗寺の傍に問屋場・本陣が置かれた他、

多数の旅籠や茶屋が立ち並び、当時の面影は今も文禄堤上に残っている。

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徳永家
街道沿いの代表的な旧家。

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徳永家に見られる袖卯建(そでうだつ)

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代表的町屋の風景
かつては両側に昔風の家屋が並んでいたが…。

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昔風の町屋で営業している「みよし写真館」

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文禄堤の説明

元禄年間のオランダの長崎商館付医師ケンペルは最上の肉桂を作る所と記している。

宿場は南北約1290m、うち文禄堤720m、道幅3.6~4.5m、宝暦2年(1752年)の記録では家数203軒、

人口811人であった。』 とあります。

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町屋を使った食事処「BUNROKU」

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高札場

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街道に架かる本町橋

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橋上から見た京阪電鉄守口市駅

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街道に架かる守居橋の脇には常夜灯が建つ

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宿場及び文禄堤の大坂側の端

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文禄堤から下って大阪方面へ街道は続く

 江戸時代から守口宿は貧乏な片宿と呼ばれ、枚方宿の様な繁栄には無縁。

残っているのは文禄堤と少しの町屋だけという状況。

にも拘わらず、かつて東海道宿場町の総選挙いわゆる「TKD57総選挙」投票をした時には、

並み居る強豪を抑えて堂々の4位入賞。下手な細工をせずに、身の丈に合った状態を保持しているのが

理由のようで、何が幸いするか分かりません。

 ここも時代の流れには逆らえず、取り壊された家屋も多いですが、一部は食事処として

第二の人生ならぬ家生を歩んでいます。今は文禄堤で舌鼓と言った所です。

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文禄堤にある日本料理の店「茶味

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来迎坂を下った場所にあるカレー店「うぺぽ
店名はスワヒリ語で風という意味だそう。

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守口市マンホール

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守口市マンホールカード   配布場所は「守口市役所

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守口東御坊 (大阪府守口市浜町)

2022.04.27(22:53) 1095

幻の大阪遷都ゆかりの寺(2021.12.4)

<コース>
東梅田 → (大阪メトロ谷町線) → 守口 → 徒歩3分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤
或いは
淀屋橋 → (京阪本線) → 守口市 → 徒歩8分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤

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盛泉寺 (浄土真宗大谷派 東本願寺)

 西御坊に参拝したら東御坊にも参拝しないと画竜点睛を欠くと言うもの。

町名は変わりますが、難宗寺から京都方面に100m程行った場所にあるのが守口東御坊盛泉寺。

盛泉寺(じょうせんじ)は

『当寺は守口東御坊と称する東本願寺末寺。慶長11年(1606年)教如上人の創建で阿弥陀如来を本尊とする。

戦国末期の本願寺東西分裂に際し、肝煎りの高岡又兵衛の提言で町を二分し、それまであった御坊に対し

東御坊を建設、本尊は東に坊舎は西に、住民全員いずれかに所属するように図った事に拠る。

東本願寺別院となったのは慶長16年(1611年)の事であった。

元和元年(1615年)の大坂夏の陣で伽藍は焼失。現在の堂宇は天保11年に再建されたものである。

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山門に相当する大門(福正昭門)

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由緒記

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大門前に建つ内侍所奉安所碑

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大門脇の塀重門
お羽車はここを通した。

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大門近影

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明治天皇聖蹟の碑

 慶応3年12月に王政復古が実現、明くる慶応4年1月3日、鳥羽伏見の戦いに敗れた旧幕府軍は大坂城に敗走。

新政府軍はそれを追う形で天皇を戴き3月20日に京都を出発。

淀で一泊した後、22日の夜9時頃、雨の中を難宗寺に到着しここを行在所とした。

これに先立ち新政府の参与・大久保利通は人心を一新するため大阪遷都の急務を進言。

副総裁・岩倉具視は公卿が異議を唱える事は必然と考え、表向きは大阪親征とし、

密かに遷都の意志を持った行幸と言う立場を採った。親征軍には文武百官も同行し、

三種の神器は当寺本堂前に賢所を作り奉安。

天照大御神の御霊代として神鏡を祀る内侍所が置かれ、盛泉寺は一時仮宮殿となった。

その折に大門の横に塀を重ねて塀重門を造り、お羽車を通したが、これは今も残っている。

しかし4月11日に江戸城の無血開城が実現したため大阪遷都論は幻と化し、一転して江戸遷都となった。

その由緒故に梵鐘は太平洋戦争時に弾丸になる運命を免れたという逸話が残る。』 とあります。

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境内の様子

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本堂
但し、参拝は外陣からのみ。

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内侍所碑

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石灯籠に彫られた「守口御所」碑

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本堂前から書院玄関を見る

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書院玄関

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書院玄関の唐破風

 明治維新は一種の革命ですから遷都論が出るのは当然の事。

大久保の考えは都を京都にすれば因習に縛られ天皇親政に支障がある、かといって江戸は未だ幕府の影響が強い

とのことで都市の規模は大きいが政治色の薄い大阪に白羽の矢を立てたのでしょう。

 しかし勝海舟と西郷隆盛の会談に拠って江戸が無傷で【かつ回収】できた事で、大久保も江戸遷都に大きく傾いたようです。

これを後押ししたのが前島密。後に郵便の父と呼ばれるだけあって地勢や海外の情勢についての知識がものを言ったのでしょう。

これが【ゆうせい】となって東京遷都となる訳ですが、議論が【密か】に行われた事は言うまでもありません。

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戦時中の供出を免れた梵鐘

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境内の銀杏

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東御坊説明書

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守口西御坊 天然記念物の大銀杏 (大阪府守口市竜田通) <難宗寺 其の参>

2022.04.26(20:12) 1094

黄葉の絨毯(2021.12.4)

<コース>
東梅田 → (大阪メトロ谷町線) → 守口 → 徒歩3分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤
或いは
淀屋橋 → (京阪本線) → 守口市 → 徒歩8分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤

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難宗寺 (浄土真宗本願寺派 西本願寺)

 境内にあるのが樹齢500年の老木。竜田通りならば楓ですがここは銀杏。紅葉ではなく黄葉でした。

大銀杏で知られた寺院だけに、周囲のどこからでも目にすることができます。

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北側の道路からの眺望

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長屋門越しに見た大銀杏

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西の山門越しに見た大銀杏

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境内から見た大銀杏

『この銀杏は樹齢約500年、樹高25m以上、南北直径1.5m、枝張り28m、根は100m以上離れた八島交差点に届くと言われる。

由緒に関しては来迎寺開山の実尊上人のお手植え、蓮如上人のお手植え等の説があるが詳細は不明である。

この銀杏は雄木で実は成らず、燃え難いので防火用に植えられている。』 とあります。

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大阪府指定天然記念物「難宗寺のいちょう」

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500年の樹齢を感じさせる幹の表面

 銀杏の樹木が植えられている寺社は多いですが、これは有事にギンナンを食用にすると言うよりも、

木に水分を多く含むので類焼をくい止める役割に期待したから。

これは葉も同様で、葉っぱを集めても燃えが悪いので焼き芋は無理。

その代わり弾力があるので境内では小さい子供が銀杏の絨毯で遊んでいました。

落葉は掃き清められるのが常ですが、当寺では暫くの間、そのままにしてあります。

子供も含め参拝者への配慮な訳で、秋の風物詩にもなっているようでした。

【落葉が寺価を高める】と言った所です。

銀杏は雌雄異株ですが、ここに在るのは雄株だったのが幸いしたようです。

もし雌株だったらギンナンは採れますが、その匂いに思わず【難臭寺】となったに違いありません。

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御殿前から見た大銀杏

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山門周辺に散り敷いた黄葉

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長屋門から本堂を見る

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長屋門(左)と庫裏(右)方面の景色

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生垣の上の黄葉

 一通り大銀杏を見た後、境内を散策しましたが、何と本堂と御殿の後方に日本庭園が。

更にその先には茶室と思しき建築物もありました。こちらは落葉と違って常緑の庭。

頂いた案内書や境内の看板にも一切記載されていませんが、庭も茶室も綺麗に整備されており、

十分鑑賞に値するもの。気が付けば境内を【なんしゅう】も巡っていました。

観光寺院としての知名度は低くても、このような寺社があるのが古い町の強みと言えますね。

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本堂南側を抜けて御殿裏へ

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御殿(書院)裏にある庭園

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庭園の先にある茶室

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茶室の看板

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境内北側に建つ茶室
中央付近に見えるのが躙り口か?

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茶室前から入口を見る

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大銀杏越しに見る本堂屋根

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大銀杏越しに見る太鼓楼

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大阪市営地下鉄 谷町線守口駅スタンプ
図柄は地下鉄車両と難宗寺。当寺の最寄駅でもある。

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守口西御坊 蓮如上人所縁の寺 (大阪府守口市竜田通) <難宗寺 其の弐>

2022.04.25(21:51) 1093

守口ゴボウ(2021.12.4)

<コース>
東梅田 → (大阪メトロ谷町線) → 守口 → 徒歩3分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤
或いは
淀屋橋 → (京阪本線) → 守口市 → 徒歩8分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤

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難宗寺 (浄土真宗本願寺派 西本願寺)

 真宗八代目の蓮如上人は越前の吉崎御坊を退去後、山科本願寺へ移るまでの3年間を

枚方の光善寺で過ごしましたが、淀川を利用してここに立寄ったことで真宗に改宗したのが始まり。

 東海道沿いにある真宗寺院の内、西にある難宗寺を守口西御坊、東側の盛泉寺を守口東御坊と呼ぶ習わしです。

『この付近は淀川水路の船着場があり、当寺の西側の道が野崎から奈良への街道であった。

元の寺地は融通念仏宗の実尊上人に拠って1347年に創建された来迎寺の跡地。

来迎寺は住職が代わる度に移転することで知られ、現在は市内の北端の佐太中町にあるが、

難宗寺の西側には今でも来迎町の名が残る。

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美しい左右対称の本堂
明和2年(1765年)の募財開始から弘化3年(1846年)の完成まで80年を掛けた大事業である。

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真宗寺院らしく長く伸びた勾配を持つ瓦屋根

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本堂前面
本堂再建は摂津富田の本照寺住職慧光院が監督。彼の墓は本堂裏手の墓地にある。

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本堂は優雅な二重廊下の造りとなっている

 文明7年(1475年)、越前吉崎を退去した蓮如上人は山科本願寺に移るまでの3年間を枚方の光善寺で過ごした。

その間、淀川水系を利用し河内・大和・和泉の布教に専念。守口に立寄った同9年(1477年)に

坊舎ごと真宗に改宗したのが始まりとされる。

 戦国時代末の本願寺の東西分裂は、当寺にも大きな試練となった。

この時は肝煎りの高岡又兵衛の提言で町を二分し東御坊を建設、本尊は東に坊舎は西に、

住民全員いずれかに所属する東西御坊並立の時代に入る。

当寺が本願寺掛所(本山別院)として西御坊と呼ばれるようになったのは慶長16年(1611年)の事であった。

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本堂前からの境内の眺望

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本堂から大銀杏と黄葉の敷かれた地面を見る

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床紅葉ならぬ床銀杏
これは本堂内に掲げられた宣伝用の写真から。

 元和元年(1615年)ので伽藍は焼失するが、戦後には本格的な復興が始まり、

寛永13年(1679年)に本堂が再建された。その後、度重なる風水害で老朽化したため

明和2年(1765年)に再建募財を開始、文化4年(1807年)に完成したのが現在に伝わる本堂。

引き続き御殿・長屋門・太鼓楼・鐘楼・外塀等を改修し全て終了したのが弘化3年(1846年)の事である。

この本堂の平面は完全な左右対称で典型的な真宗寺院本堂の形式を採っており、

鐘楼・太鼓楼・山門の配置も市内の真宗寺院として最も整った構えが残されている歴史的建造物である。

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二重廊下から見た山門

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本堂内陣の様子
御好意で撮影させて頂いた。

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御本尊と御影を祀る内陣奥
勿論ここは立入禁止である。

 大坂夏の陣後の再建は元村上水軍の武将で豊前中津浄喜寺住職であった村上良慶師に拠って進められ、

村上家は代々留守居役を勤め茨田郡29ヵ寺掛所として明治に至った。明治以降は本山制度改革に拠って

一般の末寺に、また村上慶応師に嗣子がなかったため、住職は本山から入寺して今に至る。』 とあります。

 守口大根、門真蓮根は知っていても守口ゴボウは初耳ですが、これは難宗寺という落ちが付きました。

真宗の法主は他の宗派と異なり代々世襲なので、真宗寺院が世襲であっても不思議ではありませんが、

江戸時代以降の再建に功のあった住職が村上水軍の末裔とは驚きでした。

石山合戦で毛利方から援助を受けた石山本願寺ですが、木津川河口の合戦で活躍したのは

村上水軍を主力とする部隊。江戸時代には水軍を怖れた徳川家康に拠って、各地の水軍は海から離されたので、

村上水軍も旋回して新たな生き方を見つけたと言えるでしょうか?

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本堂の「遍照十方」の扁額
‘遍く十方を照らす’意味か?

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本堂内陣の欄間彫刻(右)

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本堂内陣の欄間彫刻(左)

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守口西御坊 難宗寺案内
観光寺院という意識はなかったので、このような立派な説明書があったのは驚き。

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守口西御坊 明治天皇行在所 (大阪府守口市竜田通) <難宗寺 其の壱>

2022.04.24(21:15) 1092

ほんの一瞬だけの帝都(2021.12.4)

<コース>
東梅田 → (大阪メトロ谷町線) → 守口 → 徒歩3分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤
或いは
淀屋橋 → (京阪本線) → 守口市 → 徒歩8分 → 難宗寺 → 盛泉寺 → 文禄堤

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難宗寺 (浄土真宗本願寺派 西本願寺)

 12月最初の休日は去り行く秋を求めて師走の街へ疾走。行先は守口駅前の竜田通。

竜田ならば楓となるところですが、この日のお目当ては難宗寺の大銀杏。紅葉ならぬ黄葉でした。

難宗寺は浄土真宗中興の祖である蓮如上人に遡る名刹で、長い築地塀の向こうに大きく枝を張った銀杏が遠望。

大阪メトロならば長屋門か山門、京阪電鉄ならば南門から境内に入ります。

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南側の塀越しに本堂が見える

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京阪電鉄で下車すると南門が近い

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南門屋根の鬼瓦

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西側に開いた長屋門
奥に見えるのは太鼓楼。

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太鼓楼近影
文化7年(1810年)頃の完成か?

 お目当ての大銀杏は山門を抜けたすぐ奥ですが、その手前には明治天皇守口行在所の碑が。

『慶応4年1月3日、鳥羽伏見の戦いに敗れた旧幕府軍は大坂城に敗走。

新政府軍はそれを追う形で天皇を戴き3月20日に京都を出発。

淀で一泊した後、22日の夜9時頃、雨の中を難宗寺に到着しここを行在所とした。

西本願寺門主は水路到着し出迎えたと伝わる。

軍には文武百官も同行し、三種の神器は同じ真宗で東にある盛泉寺の賢所に奉安された。

この親征には大坂遷都の計画があったと言われ、守口は一夜の帝都となった。

翌23日は晴天の下、新政府軍は出発し大坂の北御堂に入ることとなる。

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北西隅に建つ行在所等の碑

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長屋門近影

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西に開いた山門正面
弘化3年(1846年)の再建。奥に見えるのが本堂。

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由緒記

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山門脇に建つ「明治天皇守口行在所」碑

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塀越しに見る鐘楼

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天保10年(1839年)完成の鐘楼
梵鐘には天和2年(1682年)の銘が残り、境内では最も古い什器である。

 明治43年10月4日、皇宮殿下(後の大正天皇)が淀川旧河川敷での演習御観覧のため、

京阪電車の貴賓車で御来阪。当寺に御仮泊された。

これは若き日の父帝の御苦労を偲びたいとの御希望であったと言われる。境内には今お手植樹の碑が残る。

当時は大逆事件の直後であったので、厳重な警備が敷かれ境内はアーク灯で昼間の如く照明された。

これが守口での電灯照明の嚆矢となる。

昭和13年には行在所跡は文部省史跡に指定され、3月22日は町の祝日となった。現在は解除されている。』

とあります。

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山門と銀杏の先に見える本堂

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境内に散り敷いた銀杏の葉

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境内遠景

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本堂前から大銀杏、山門を見る

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本道前に建つ明治天皇聖跡碑

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本堂と庫裏の間に建つ御殿

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御殿玄関正面

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御殿に建つ唐破風上の瓦

 明治天皇は全国行脚され、足跡は至る所にあります。そこを行在所とするのも各地で見ましたが、

ここ守口に関しては実際大阪遷都計画があったので行在所と名乗るのも理由のある事。

唯、東海道の宿場だったとはいえ、どうせ遷都するならば大阪市内と普通は考える所です。

 それでも明治末に皇太子が仮泊される等、皇室との所縁が深いのには驚きました。

それが電灯照明の始まりに繋がったのも不思議な縁。アーク灯で【悪党】を防ぐためでしょうが、

昭和の皇太子御成婚を機に一般家庭にテレビが普及したことを思い出しました。

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東宮殿下行啓記念松

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屋根に置かれた鬼瓦

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猩々緋菊紋船印

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堺と和菓子 (堺市堺区神明町東)

2022.02.22(19:52) 1048

お茶の町の町屋でチョット抹茶(2021.11.3)

<コース> 阪堺電車は12分間隔で運転
【往路】天王寺駅前(8:18) → (阪堺電車) → 御陵前(8:56)

御陵前 → 徒歩5分 → 臨江寺 → 南宗寺 → 大安寺 → 徒歩5分 → 少林寺 → {かん袋} → {河合堂} → 徒歩7分 → 千利休屋敷跡 → 徒歩5分 → 顕本寺 → 祥雲寺 → 徒歩3分 → 開口神社 → 徒歩10分 → 妙国寺 → 徒歩3分 → 本願寺堺別院 → {つぼ市製茶} → 徒歩3分 → 神明

【復路】神明(15:18) → (阪堺電車) → 天王寺駅前(15:49)

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紀州街道に沿って老舗和菓子店が並ぶ

 利休の縁で茶道も有名な堺ですが、菓子の町でもあります。茶道には和菓子が付くので当然ですが、

未だ砂糖が高価であった戦国期に海外貿易で砂糖や異国の珍味を入手できた影響もあったのでしょう。

 堺出身の与謝野晶子の実家も駿河屋という老舗の和菓子店でした。

今でも市内のあちこちには洋菓子店と並んで和菓子店が点在。

行った先の近くにあると言う事、値段が手頃というのが、大きな特色でしょうか?

 午前中は、南宗寺拝観の後、新在家東の「かん袋」で一服。

『かん袋は、鎌倉時代末期の元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋と言う商号で御餅司の店を開いたのが始まり。

五代目の忠兵衛が明国より堺に入荷した農作物を利用して、塩味で挽き合わし餅を包んで茶菓子を創案。

久留美(くるみ)餅と名付ける。

その後、呂宋(るそん)から輸入された砂糖に拠り甘味が加えられ現在のくるみ餅が出来上がった。

豊臣秀吉の時代の当主・徳左衛門は文禄2年の春に堺衆の一人として築城中の大坂城へ招かれるが

腕力に自信のあった徳左衛門は天守閣の瓦を次々と屋根に向かって放り上げた。

紙袋が舞い上がる様な光景を見た人々は感嘆し、それを見た秀吉は

「かん袋が散る様に似たり。以後、かん袋と名付けよ。」と命じた。

これが和泉屋の商号が「かん袋」となった経緯である。現在まで二十七代を数える。』 とあります。

 創業690年の老舗ながら敷居の高さは感じられず、気軽に入店できるのも魅力です。

茶の湯文化の堺で草庵で用いる菓子を【創案】したもの成程ですが、商号の由来にもあるように

伝統から思い切った飛躍をする歴代当主の行動にも感心します。持ち帰りの壺入くるみ餅が有名ですが、

店内でも食する事ができ、1皿5個で¥400、10個で¥800がメイン。リーズナブルも魅力でした。

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かん袋」外観
少林寺から阪堺電車に向かう中間程に建つ。

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かん袋名物・くるみ餅
これは5個 ¥400のもの。

 開口神社には、かつて境内で「大寺餅」というあんころ餅が売られていましたが、

今は販売されていません。

そこで阪堺電車の線路を渡り、製造元の少林寺町西の「大寺餅 河合堂」へ。

店内で食べる事はできないので、土産用を3個¥500で購入。

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大寺餅 河合堂」 外観

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店内にある大寺餅由緒記

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土産は「大寺餅」3個入りを購入

 別院参拝後は、阪堺電車で帰路につきますが、線路東の九間町東にある「茶寮 つぼ市製茶本舗 堺本館」で3時のおやつ。

 大通りに面していますが、元禄時代の町屋をリノベーションした趣のある店舗となっています。

ここのメインは抹茶なので酷暑の時期なら抹茶金時を注文する所ですが、今回は特選抹茶パフェ(¥990)を注文。

坪庭を見ながら【まっちゃ】りしたひと時を過ごしました。

 この日は三軒でしたが、甘味処はどこも結構な来客。下火になったとはいえ、この時期にとは思いましたが、

どこも【蜜】を避けてくるみ・餡子・抹茶だったので安心しました。 

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紀州街道に面した「茶寮 つぼ市製茶本舗 堺本館

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特選抹茶パフェ ¥990

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北の御坊 (堺市堺区神明町東)

2022.02.20(12:05) 1047

市内最大の木造建造物(2021.11.3)

<コース> 阪堺電車は12分間隔で運転
【往路】天王寺駅前(8:18) → (阪堺電車) → 御陵前(8:56)

御陵前 → 徒歩5分 → 臨江寺 → 南宗寺 → 大安寺 → 徒歩5分 → 少林寺 → 徒歩7分 → 千利休屋敷跡 → 徒歩5分 → 顕本寺 → 祥雲寺 → 徒歩3分 → 開口神社 → 徒歩10分 → 妙国寺 → 徒歩3分 → 本願寺堺別院 → 徒歩3分 → 神明

【復路】神明(15:18) → (阪堺電車) → 天王寺駅前(15:49)

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本願寺堺別院(浄土真宗本願寺派)

 妙國寺から北東に数百m行くと、一際大きな伽藍が目の前に。

『堺御坊・北の御坊と呼ばれる本願寺堺別院は、別名樫木屋(かしぎや)御坊の遺跡と言われ、

南北朝時代の道祐二(どうゆう)の創建。道祐は足利義氏の四男で堺に来住し出家、

初め天台宗を学んだが本願寺3世覚如に帰依して浄土真宗に転じた。

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宝暦2年(1752年)建築の山門
切妻造・瓦葺、桁行一間の四脚門である。西向き。

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由緒記

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山門の北にある御成門

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御成門の北に続く太鼓楼
外観三層の入母屋造・本瓦葺、江戸時代後期の造りとされる。

 道祐5世道顕(どうけん)は文明8年(1476年)、本願寺8世蓮如の住居として境内に信証院(しんしょういん)を

建立し御坊とする。それに対し蓮如は開基道祐の影像を免許した。

 文明11年(1479年)堺の坊舎は、前年から造営に取り掛かった山科本願寺に移転。

堺の坊舎が再建されたのはかなり後になっての事である。

更に13世乗珍(じょうちん)に至り、寛文3年(1663年)寺地を西本願寺に寄進、以来別院となった。

明治4年(1871年)には当院を堺県庁に貸与、翌々年には宿院町東の今井屋敷跡地に移転したが、

1881年の堺県廃止に伴い復帰した。

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山門の扉の菊の彫刻

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山門正面に建つ本堂
本願寺御大工水口一門の手になる。

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北側からの本堂近影
前の向拝は本山に準ずる三間、桁行9間、梁間11間の規模は堺市内最大。

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本堂の前面

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本堂の庇部

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本堂前より山門方面を望む

 本尊阿弥陀如来像は元聖徳太子作と伝えられ、江戸築地本願寺に移された。

現在の仏像は本願寺12世准如作とされ、彼の時代に本堂も再興された。

 現在の本堂は寛政10年(1798年)に焼失の後、第19世本如の文政8年(1825年)に再建されたもので、

京都西本願寺と全く同じ設計である。

昭和20年の堺空襲にも奇跡的に焼け残り、木造建築物としては堺最大の規模を誇っている。

境内の建物は歴史的価値が高く、平成13年には梵鐘が、平成31年には本堂を始めとする9棟が

堺市指定文化財となった。』 とあります。

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本堂の南側を通り蓮如堂へ

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本堂南廊下から見た蓮如堂拝殿

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正面から見た蓮如堂拝殿
奥に見えるのが蓮如堂。

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拝殿唐破風の彫刻

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蓮如堂

 真宗の寺院が大きいのは各地で目にしているので驚きませんが、堺では周囲の寺院が小さいので

その大きさが一層際立つのでしょう。明治に入り堺県庁に貸与されたのもその立地と壮大な伽藍故。

しかも先の大戦での被害を免れているのも市内では貴重。

信者ならずとも境内や堂内を自由に拝観できるのも他の真宗寺院と同じでした。

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1798年の火災を免れた方一間の鐘楼
梵鐘は大坂夏の陣後の堺奉行・長谷川藤広が念仏寺(開口神社神宮寺)に寄進したもので、元和3年(1617年)の銘がある。

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山門脇の経蔵

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本堂屋根の獅子?の鬼瓦

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山門下に建つ堺県庁址の石碑

 本堂の内陣は煌びやかに装飾されていましたが、その奥には獄彩色の襖絵が。

内容は戦国時代の堺の南蛮貿易を描いたもの。信徒と思しき家族がその前で記念撮影をしていたので、

堂内に居られた若い僧侶に撮影の可否を尋ねるとOKでした。

ガイド等には載っている事の少ない寺院ですが、堺観光の締めを飾るに相応しい参拝となりました。

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煌びやかな本堂内陣

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内陣の扁額は「信證殿」

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内陣の欄間彫刻は金色の牡丹と極彩色の天女

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向かって右側の襖絵

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堺港に入る南蛮船と灯台

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南蛮人の服装

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向かって左側の襖絵

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本願寺 堺別院 説明書

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妙国寺 土佐十一烈士の墓 (堺市堺区材木町東) <妙国寺 その弐>

2022.02.19(08:00) 1046

堺事件始末記(2021.11.3)

<コース> 阪堺電車は12分間隔で運転
【往路】天王寺駅前(8:18) → (阪堺電車) → 御陵前(8:56)

御陵前 → 徒歩5分 → 臨江寺 → 南宗寺 → 大安寺 → 徒歩5分 → 少林寺 → 徒歩7分 → 千利休屋敷跡 → 徒歩5分 → 顕本寺 → 祥雲寺 → 徒歩3分 → 開口神社 → 徒歩10分 → 妙国寺

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広普山 妙国寺(日蓮宗)

 妙國寺は蘇鉄に加え、幕末の堺事件の舞台としても知られます。

『慶応4年(1868年)2月15日、フランス軍艦デュクプレス号が堺沖に回港し、数十名が上陸した。

当時の堺の町は土佐藩の兵士が警備していたが、フランス人水兵を船に戻すべく説得しようと出勤した。

しかし言葉が通ぜず、水兵が隊旗を奪う等したため11名を殺傷する結果となった。

 諸外国はこれに強く抗議、下手人である隊長以下隊員全員の斬首、土佐藩が15万ドルの賠償金を支払う等、

5項目の要求を明治政府に要求。その結果、箕浦・西村両隊長以下20名が妙國寺で切腹する事になった。

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妙国寺駒札に記載された「堺事件」

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妙国寺北側に建つ「ひらがな書き」の石標

 切腹には日仏代表が立ち会ったが、凄惨を極める光景となり、11名が切腹した所でフランス側も遂に

残りの者の助命を乞うて引き上げた。

切腹した11名は妙國寺の筋向いの宝珠院に埋葬され、残った9名は土佐に流罪となった。

 後日、山内容堂は宝珠院に十一基の墓を建て、法名・実名・行年・辞世を刻して追悼している。

大正5年(1916年)に仏首相クレマンソーは、戦死仏兵の碑を並び建てる事を条件に、十一士の顕彰碑を

妙國寺に建てる事を承諾。十一士は靖国神社にも合祀されている。』 とあります。

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道路を挟んだ石標の北側には宝珠院が建つ

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宝珠院由緒記駒札
こちらの寺院は拝観しておらず。

 堺事件に関しては大正3年(1914年)に森鴎外が発表した『堺事件』が有名で、これが史実に近いとされますが、

大岡昇平は、それに疑問を持ち『堺港攘夷始末』を書いています。

 鴎外の本業は医学者、大岡も日本地質学会会員でしたのでデータ史料の扱いは【知悉】していた筈。

果たしてどちらが真実に迫っているのかは、どちらに無理が少ないかで判断すべきではないでしょうか?

 切腹の場面では武士道の潔さを体現した土佐藩士と、途中で退席したフランス兵が対照的ですが、

両方の死者が11名に達したので取り止めたという判断も可能です。

唯、安政条約で不平等条約を結ばされた我が国としては、単に諸外国の言いなりになるのではなく

一矢報いたいという気概があったとは言えそうです。

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妙国寺境内にある土佐烈士供養塔

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供養塔近影
向かって左に土佐烈士、右に仏蘭西将兵の供養塔が建つ。土佐烈士の方が若干大きい。

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妙国寺 霊木・大蘇鉄 (堺市堺区材木町東) <妙国寺 その壱>

2022.02.17(19:55) 1045

真説・夜泣きの蘇鉄(2021.11.3)

<コース> 阪堺電車は12分間隔で運転
【往路】天王寺駅前(8:18) → (阪堺電車) → 御陵前(8:56)

御陵前 → 徒歩5分 → 臨江寺 → 南宗寺 → 大安寺 → 徒歩5分 → 少林寺 → 徒歩7分 → 千利休屋敷跡 → 徒歩5分 → 顕本寺 → 祥雲寺 → 徒歩3分 → 開口神社 → 徒歩10分 → 妙国寺

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広普山 妙国寺(日蓮宗)
西門より本堂を望む

 商店街で昼食を済ませた後は、もう一つの拝観寺院妙國寺へ。

阪堺電車には「妙国寺前」という駅がありますが、お寺はそこから南東に300m程。

広普山妙國寺(こうふさんみょうこくじ)は、

『永禄4年(1561年)、摂河泉を領した三好義賢(実休:じっきゅう)が京都頂妙寺の日珖(にっこう)に帰依。

一族を日蓮宗に改宗させ、東西3丁・南北5丁の土地、寺領五百石、及び阿波より移植した蘇鉄の大株と共に

寄進した事に始まる。日珖は堺の油を扱う豪商伊達常言(じょうごん)の次男で、頂源寺(現在の長源寺)にて出家。

京都・奈良に遊学しその該博な知識と徳行で知られた高僧である。

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由緒記駒札

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北側に建つ「土佐烈士の案内石碑」

しかし翌永禄5年、義賢は久米田の戦で志半ばにて戦死、日珖はその死を悼み懇ろに供養した。

境内には義賢の墓がある。因みに義賢の戒名は妙國院殿光徳實休と言う。

永禄9年(1566年)、日珖は父常言から寄進を受け、兄常祐の協力も得て伽藍造営に着手、

義賢念願の寺は同11年(1568年)にその完成を見る。日珖は頂源寺開祖の院号から広普山妙國寺と名付け開山となり、

学問所を設立して法華経と天台教学を講じた。天正11年(1583年)頃には壮大な寺観を呈した。

 また日珖は天正7年(1579年)に織田信長が命じて安土の浄厳院で行われた所謂安土の宗論に

法華宗側代表として参加し、浄土宗側と問答した人物である。この宗論は日蓮宗側の敗北に終わったが、

これは勢力を広げていた日蓮宗の弱体化を狙った信長の策謀とされる。その経緯は「安土問答」に詳しい。

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北側から山門越しの本堂の眺望

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山門と両脇の仁王像

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山門近影
元皇室勅願所のため菊の御紋が掲げられている。

 天正10年(1582年)の本能寺の変には、徳川家康が穴山梅雪と共に堺に滞在。一度は信長の同盟者として

切腹しようとしたのを思い止まり、当寺で茶を一服してから伊賀越えを経て三河に帰ったと伝えられる。

また1585年、豊後の大友宗麟が四国征伐の秀吉を助けた時、ここで宿泊した。

 妙國寺は開創以来二度の戦火に見舞われている。

元和元年(1615年)の大坂夏の陣では豊臣方武将の大野治胤が堺に火を放った為に寺院町屋一万戸が焼失。

妙國寺も堂宇伽藍が悉く灰燼に帰した。

戦後、幕府は長崎奉行の長谷川藤広に堺奉行を兼務させ、家臣風間六右衛門が地割を担当。

妙國寺は北之庄の寺領から現在地に移転、庫裏が元和2年(1616年)、寛永4年(1627年)に本堂、

万治元年(1658年)に三重塔、寛文2年(1662年)に表門、同5年(1665年)に書院、元禄9年(1696年)に宝蔵、

正徳元年(1711年)には客殿と鐘楼がそれぞれ再建された。

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正面より見た本堂
朱塗りの堂々たる造りだが、昭和48年(1973年)の再建。

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南側から見た本堂

 寛永年間の記録では十坊があったと記され、明治の明細帳に拠れば寺域は3151坪であった。

江戸時代には靈元天皇の勅命に拠って、江戸末期まで歴代貫主が勅願所として国土の安穏と天皇家の長久を祈った。

その伽藍も昭和20年(1945年)7月10日未明の堺の大空襲で大部分の伽藍が再び灰燼に帰す。

現在の本堂は昭和48年(1973年)に客殿と共に再建されたものである。

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本堂右手に建つ宇賀徳正龍神を祀る徳正殿

 当寺には創建時に寄進された蘇鉄が今も境内に植生しており、高さ7m・周囲17mの大蘇鉄で国の天然記念物。

天正4年(1576年)、織田信長は噂に名高い妙國寺の大蘇鉄を完成したばかりの安土城に運ばせ、

諸大名と酒宴を開き悦に入っていた。

しかし数日後、夜な夜な蘇鉄の株から「妙國寺に帰りたい!」と声が聞こえるようになった。

信長は激怒し、家臣に切り倒す様に命じたが、切り付けると幹から鮮血のような液が流れ家臣が苦しみ出した。

この光景を見た信長は直ちに蘇鉄を妙國寺に返したと言う。

 堺に戻った蘇鉄は傷だらけで枯死寸前であったが、日珖上人が蘇生を願って日夜法華経を読経、

その夢枕に宇賀徳正龍神現れ鉄分を埋めるように告げたので、それに従った所、蘇鉄は見事に蘇生したと言う。

現在、本堂の奥にある大蘇鉄の周囲には新たに十数本の蘇鉄が植えられ、岩組と白い敷砂利が

枯山水風に配されている。』 とあります。

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天然記念物 妙国寺の大蘇鉄
本堂の廊下の南側に見えるが撮影禁止。これは境内の案内板から。

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妙国寺庭園
こちらは本堂の東側にある。これも案内板から。

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境内西側の客殿脇にも蘇鉄が

 妙國寺には三好・織田と戦国を代表する武将が登場しますが、前者が日蓮宗に帰依したのに対し、

後者はあくまで敵対とその関わり方は正反対。ここ妙國寺について信長はあくまで悪者で三好は善者。

古い気質を持っていた三好と、合理的でなければ古いものを容赦なく破壊した信長の差とも言えましょう。

下克上の典型の様に言われる三好ですが、堺の町衆の印象は良好なようです。

これも本人よし・町衆良し・世間体良し、と言った【三好】の政を実践したからでしょうか?

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境内に建つ開祖・日蓮上人像

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蘇鉄越しに見た本堂と徳正殿

 三好以上に有名なのが霊木・大蘇鉄。

「夜泣き蘇鉄」として夙に有名ですが蘇鉄が話す筈もなく、太宰府の飛梅と同様の伝説でしょう。

案内して頂いた方は、蘇鉄の内部の空洞に風が当たった音が「堺に帰りたい!」と聞こえたのではないかとの事。

 私的には

『大蘇鉄を安土に持って来たものの、直ぐに飽きてしまった信長が「用なき蘇鉄じゃ、返して参れ!」と堺に戻した。

堺の人にとっては喜ぶべき事でしたが、飽きられて返されたというのも癪に障る話。

そこで「用なき蘇鉄」を「夜泣き蘇鉄」としたうえで、信長が蘇鉄の怨念に怯えたと言う話を脚色した。』

と天下統一の権力者にも屈しなかった堺の反骨精神の表れと勝手な想像をしてしまいますが…。

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本山 妙国寺縁起

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妙国寺御朱印

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堺材木町郵便局 ; 堺旧式灯台、妙国寺の蘇鉄

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開口神社 (堺市堺区甲斐町東)

2022.02.15(20:06) 1044

堺の街と海を守護る大寺さん(2021.11.3)

<コース> 阪堺電車は12分間隔で運転
【往路】天王寺駅前(8:18) → (阪堺電車) → 御陵前(8:56)

御陵前 → 徒歩5分 → 臨江寺 → 南宗寺 → 大安寺 → 徒歩5分 → 少林寺 → 徒歩7分 → 千利休屋敷跡 → 徒歩5分 → 顕本寺 → 祥雲寺 → 徒歩3分 → 開口神社

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開口神社(式内社 旧府社)
これは東側の朱の鳥居

 枯山水庭園を見たあとは、丁度昼時。堺山之口商店街に良い店があるそうなので、そちらへ向かいましたが、

宿院駅の東側、旧堺の中心山之口筋に位置するのが開口神社。

堺の総氏神として「大寺さん」の通称で広く親しまれています。

 私は朱塗りの鳥居の建つ東側から境内に入りましたが、本来は石の鳥居の建つ西側から参拝するのが正統。

海に所縁の神様なので海側からお参りするのは当然です。

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山之口商店街に面した石の鳥居
こちらが正面。

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石の鳥居向こうに見える朱の鳥居

 開口神社(あぐちじんじゃ)は、

『神功皇后が三韓より石津浜に上陸され、塩穴松原にて忍熊王(おしくまのみこ)の反乱を平定すべく

戦勝祈願の祈祷をした折、老漁師が赤目魚(鯛)を献上した事を吉祥の証と喜ばれ、

「八重潮路に向かう地に、塩土老翁神(しおつちおじのかみ)の御魂をお祀りせよ」

との詔に拠り創建。

 この神はそれまで口を開けた事がなかったが、神功皇后が神撰を奉ったところ初めて口を開いたと言われ、

神社の名はこの伝説に由来するとされる。

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由緒記と御祭神

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北側からの境内の眺望

 平安後期にはここ開口村の家並みも増え、天永4年(1113年)に木戸村の素戔嗚神、原村の生国魂神を合祀。

三村の神社の併合に拠り、三村宮または三村明神と称され信仰も広まった。

 祭神の塩土老翁神が住吉大社と関係があった事から、住吉奥之院・外宮と呼ばれる程、両社は深い繋がりを持った。

境内には住吉大神が降臨された場所と言い伝えのある影向石が今も残る。

朝廷に拠って20年毎に式年遷宮が行われる他、6月晦日には住吉大社の神輿が堺の浜に出御、御祓いが行われる。

その仮宮が宿院頓宮である。

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南側より見た本殿
昭和36年(1961年)の再建。

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東から見た本殿

 天平18年(746年)、行基に拠り密乗山念仏寺が建立、神仏習合の霊地となった。

当社を「大寺さん」とも呼ぶのもこれに由来する。

その後、室町時代の応永32年に朝廷の祈願所、同34年には幕府の祈願所にもなり堺の町と共に発展した。

太平洋戦争の空襲で焼失するまでは、三重塔を始めとする建物も多く残っていた。

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扇塚(芸能神)
11月初旬に芸事、習い事の上達を願い使い古した扇を供養する扇まつりをこの塚前で行う。

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歌塚(敷島会歌碑)

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影向石
御祭神の開口大神が御影向の際に、ここに腰掛けたと言われる。

 古来よりの勅願所のため公武の崇信篤く寄進された宝物も数多い。土佐光起筆の大寺縁起絵巻、

伏見天皇宸翰御歌集冬百種、粟田口派の刀工藤四郎吉光銘の短刀はいずれも重要文化財となっている他、

中世以来の古文書は開口神社文書として重要な歴史資料となっている。

 この他、境内入口には金龍井(海会寺井)が、更にかつて境内に設置された女紅場(現泉陽高校)、

府立第二尋常中学(現三国丘高校)、私立堺幼稚園の発祥の碑が建つ。』 とあります。

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茶室「無礙庵」 (再建)
千利休の師、武野紹鷗好みの茶室である。

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本殿奥(北側)にある薬師如来を祀る薬師社と摂社

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西側にある金龍井

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金龍井と湧き出す水

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泉陽高等学校発祥之地

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三国ケ丘高等学校発祥之地

 今は左程感じませんが、かつては広大な境内を有していた神社。

いまは他所にある旧制中学・女学校が境内にあった事実でもそれが分かります。

旧街道に近い場所にこれだけの社域を持つからには、町の崇拝を一身に集めたからに他なりません。

 境内には様々な建物や碑がありましたが、気になったのは社紋。初めは三つ巴と思いましたが、良く見ると三つ茄子。

何でも白鳳年間に氏子より一つの蕚に茄子が三つできたものを瑞祥として奉納されたものだそう。

 徳川家康の好んだものに、「一冨士、二鷹、三茄子」がありますが、徳川嫌いが多い大阪でそれはなし。

泉州は水茄子で有名ですが、堺は三つ茄子に変わるのかもしれません。

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開口神社(大寺さん)由緒書

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開口神社御朱印
秋の特別バージョンだそう。

 またここは歌人与謝野晶子の生家に近く、幼少期にはよくこの神社で遊んだとか。

その縁で晶子が詠んだ歌で恋の行方を占う「晶子恋歌みくじ」が用意されています。

これが【みくじヶ丘】の由来とは思いませんが、御神籤のパワーは凄い人気の様子。

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境内に建つ与謝野晶子の歌碑

 私も御利益にといきたい所ですが、参拝後は商店街にある「れすとらん浪花亭」へ。

昭和20年から続く老舗でハンバーグが絶品ですが、味とボリュームの割にはりーずなぶるな値段。

やはり色気は食い気には勝てないようです。

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れすとらん浪花亭

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この日の昼食

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祥雲寺 (堺市堺区大町東) <祥雲寺 其の弐>

2022.02.13(13:17) 1043

大徳寺に似た枯山水庭園(2021.11.3)

<コース> 阪堺電車は12分間隔で運転
【往路】天王寺駅前(8:18) → (阪堺電車) → 御陵前(8:56)

御陵前 → 徒歩5分 → 臨江寺 → 南宗寺 → 大安寺 → 徒歩5分 → 少林寺 → 徒歩7分 → 千利休屋敷跡 → 徒歩5分 → 顕本寺 → 祥雲寺

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龍谷山 祥雲寺(臨済宗大徳寺派)

 歴史のある祥雲寺ですが、境内の建物は戦後の復興で古いものはなし。

戦火を免れた絵画も普段は公開していない様子。

そんな中で、唯一と言える見所が方丈前にある枯山水庭園。

『当寺の庭園は京都大徳寺方丈南庭を造った当山二世の天祐禅師の作。大徳寺の庭と類似する点が多く、

背後の土塀は俗に「屏風塀」と呼ばれる。空襲で焼失したが、残った岩組みを元に一耕師が再現整備した。

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山門脇に建つ名勝「祥雲寺庭園」の石標

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西側入口から見た枯山水庭園と方丈(左)

 石組みは冨士石を初め鶏冠石・霊芝石・臥牛石・枯滝等を配し、江戸初期の特色を持った

禅院枯山水庭園として名高い。最も古い部分は、向かって左側にある二つの集団石組で、

左は須弥山形式、右は冨士石を中心とした蓬莱山形式をとり、そこに観賞の重点を置いている。

このような集団石組は室町末期から桃山時代にかけて全盛を見た様式である。』 とあります。

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枯山水庭園近影

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向かって左にある最も古い集団石組
左は須弥山、右は蓬莱山形式とある。

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庭園と背後の屏風塀

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向かって右側の集団石組と蘇鉄の植込み

 木々に囲まれた参道を抜けると正面に建つのが本堂(方丈)。その右手(南側)が庭園のようですが、

勝手に見て良いものかどうか。迷っていると礼服姿の人が行き交って、法要を執り行う様子。

運よく、お寺の関係者らしき女性が通られたので尋ねると、

夫人;「どうぞ御自由にご覧下さい。」

と法要にも拘らず快諾して下さいました。

和辻;「御朱印も御願いできますか?」

夫人;「書置きですが、日付を入れて直ぐお持ちします。」

と嬉しい返事。御住職が直接持って来られたので、

和辻;「法要の最中に申し訳ありません。」

住職;「いいえ。零細寺院ですからお気遣いなく。」

繊細な心遣いに感動しました。

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東側からの庭園の眺望と方丈(右)

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方丈東側からの眺望

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方丈の東側にて

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方丈北側の「亀の庭」

 ついでにお寺の説明書も頂き、それと比べながら庭を鑑賞できたのは言うまでもありません。

瓦を埋め込んだ塀が庭園を引き立てていると改めて感心しました。

唯、塀の向こうには高いビルが林立。堺の中心部なので当然とは言えますが、

その辺りが京都の寺院の借景との違いかと良い【借景】勉強になりました。

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祥雲寺説明書

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祥雲寺御朱印

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  1. 出口御坊 蓮如上人の御廟 (大阪府枚方市北中振) <光善寺 其の伍>(06/11)
  2. 出口御坊 蓮如上人の腰掛石 (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の肆>(06/10)
  3. 出口御坊 光善寺庭園 (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の参>(06/09)
  4. 出口御坊 本堂と内陣 (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の弐>(06/08)
  5. 出口御坊 山門から境内へ (大阪府枚方市出口) <光善寺 其の壱>(06/07)
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  7. 星田妙見宮 北斗七星 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の肆>(06/05)
  8. 星田妙見宮 七夕伝承 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の参>(06/04)
  9. 星田妙見宮 妙見信仰 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の弐>(06/03)
  10. 星田妙見宮 降星の里 (大阪府交野市星田) <妙見宮 其の壱>(06/02)
  11. 星田寺 (大阪府交野市星田)(06/01)
  12. 星田神社 (大阪府交野市星田)(05/31)
  13. 三島神社 薫蓋樟 (大阪府門真市三ツ島) <三島神社 其の弐>(04/30)
  14. 三島神社 三ツ島と社 (大阪府門真市三ツ島) <三島神社 其の壱>(04/29)
  15. 守口宿 (大阪府守口市本町)(04/28)
  16. 守口東御坊 (大阪府守口市浜町)(04/27)
  17. 守口西御坊 天然記念物の大銀杏 (大阪府守口市竜田通) <難宗寺 其の参>(04/26)
  18. 守口西御坊 蓮如上人所縁の寺 (大阪府守口市竜田通) <難宗寺 其の弐>(04/25)
  19. 守口西御坊 明治天皇行在所 (大阪府守口市竜田通) <難宗寺 其の壱>(04/24)
  20. 堺と和菓子 (堺市堺区神明町東)(02/22)
  21. 北の御坊 (堺市堺区神明町東)(02/20)
  22. 妙国寺 土佐十一烈士の墓 (堺市堺区材木町東) <妙国寺 その弐>(02/19)
  23. 妙国寺 霊木・大蘇鉄 (堺市堺区材木町東) <妙国寺 その壱>(02/17)
  24. 開口神社 (堺市堺区甲斐町東)(02/15)
  25. 祥雲寺 (堺市堺区大町東) <祥雲寺 其の弐>(02/13)
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