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久安寺(大阪府池田市) 紫陽花に囲まれた花の寺の御朱印

2019.06.22(18:15) 323

大たくさんの花に囲まれて(2019.6.21)

<コース> 電車は日中10分間隔、バスは30分間隔で運転
阪急電鉄梅田駅(7:27) → (急行宝塚線20分) → 池田(7:47) → 西のりば4番(7:53) → (阪急バス20分) → 久安寺(8:13) → 久安寺 → 久安寺バス停(10:58) → (阪急バス20分) → 池田(11:20) → 阪急電鉄梅田駅

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大澤山 久安寺(高野山真言宗 関西花の寺二十五霊場第十二番)

 未だ梅雨入り発表のない蒸し暑い6月下旬、涼を求めて摂津から丹波亀岡に抜ける街道沿いへ。

 この付近は池田市街地からやや高台の伏尾台という場所。元来は山ですが、最近は山を開いて住宅地ができているので、阪急池田の駅前からは30分毎にバスが運行。比較的行きやすい場所です。

 大澤山久安寺(だいたくさんきゅうあんじ)の歴史は古く、寺伝によれば

『神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願を受け行基が開創した安養寺が前身で、天長年間(824~833年)に空海が真言密教の道場として中興。

保延6年(1140年)火災に拠り諸堂は焼失するが仏像は被害を免れ、久安元年(1145年)に近衛天皇の勅願所となり賢実上人が伽藍を整備、以後は久安寺と呼ばれる。

安土桃山時代には豊臣秀吉がここで月に茶会を開き、江戸中期には歌人平間長雅が移り住んだ。往時は49院の坊舎があったが、今に残るのは本坊の小坂院のみである。』

とあります。

 畿内の寺院の例に漏れず、戦乱の被害を受けましたが、いまに至るまで【堅実】に時を刻んでいるようです。

 バス停で降りると山越えの道沿いに優美な楼門が、寺内で唯一室町時代の建築で重要文化財。入山はここではなく横の扉からとなっています。

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バス停から楼門へ
入山は横の格子扉から

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重文・仁王門
応永時代の建築で、「水平のない軒反り」という技法を用いている。

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楼門から参道を見る

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楼門を振り返る

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紫陽花が通路まではみ出ている参道

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参道の紫陽花

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参道から楼門を見返る

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本坊横の参道を通り受付へ

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本坊前にて
かつてあった49坊の内、唯一残った小坂坊が本坊になった。明治以降、住居・寺務所を兼ねる。

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本坊薬医門

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本坊前庭
茶室「雅千庵」「住心庵」「喜楓亭」を持つが拝観不可。

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水盤越しの本坊

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水盤に入れられた紫陽花
花の日持ちは3~4日程度らしい。

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水盤の向こうの受付
右は榧の老木。

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受付正面の榧の老木
秀吉が茶会の際に手植えしたもので、今でも実を多く付ける。

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受付横の手水場
ここにも紫陽花が。

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紫陽花越しに受付を望む

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鐘楼前にて

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鐘楼の周辺にて

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品種「スミダノハナビ(墨田の花火)」

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品種「ウズアジサイ」

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御影堂(遍照殿)への石段

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御影堂前の紫陽花

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御影堂から本堂へ

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久安寺本堂
本尊は秘仏・千手観音。

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本堂より境内を見る

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本堂から見た三十三所堂
西国観音霊場を祀る。奥は阿弥陀堂。

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三十三所堂前にある普供養の庭

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普供養の庭

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本堂から三十三所堂前に至る回廊

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三十三所堂前の紫陽花

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三十三所堂前から本堂を望む

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紫陽花の細道を抜ける

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行く手に本堂が見える

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紅葉が美しい本堂と回廊付近

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回廊から見た本堂裏庭

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裏庭から回廊を見る

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バン字池と本堂

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両果の道へ

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境内最奥の舎利殿へ続く両果の道
左が庭園・虚空園、右はア字山

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虚空園の顎紫陽花

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前方に舎利殿が見える

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寺の発祥となった朱雀池と地蔵堂

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開基行基像

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舎利殿涅槃堂(仏塔)
大正時代まで本堂のあった地で、6.4mの涅槃石像を祀る。

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舎利殿脇の沙羅双樹
天竺の沙羅とは別所で和ナツツバキと呼ばれるもの。

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地面に落ちた沙羅双樹の花

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両果の道を戻る

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朱雀池畔にて

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豊臣秀吉が茶会で腰掛けた石

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薬師堂(瑠璃光殿)前にて

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本堂前

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本堂前の「カシワバアジサイ」

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カシワバアジサイの向こうにある薬師堂

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カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)

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鐘楼横の顎紫陽花

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受付の榧の老木前に戻る

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本坊の塀と石垣

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ウズアジサイ(渦紫陽花)

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楼門前の塀

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久安寺説明書

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久安寺御朱印(関西花の寺)
華菩提と墨書。但し、菩提は梵字。

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4年前の御朱印(本尊)

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池田市マンホール蓋

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池田市マンホールカード     配布場所はこちら

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新たに登場した池田市マンホール蓋
秋にはカードが発行されるという話も…。

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池田伏尾台郵便局 ; 重文・久安寺楼門、市マスコット・ウォンバット
池田郵便局 ; ウォンバット、五月山の大文字、大一文字

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七宝瀧寺(大阪府泉佐野市) 温泉郷にある修験道の御朱印

2019.05.25(22:25) 290

裏のお山でポチが鳴く(2018.6.3)

<コース>
南海電鉄難波(10:25) → 泉佐野(11:02→11:10) → (南海バス21~24系統) → 犬鳴山(11:44) → 徒歩40分 → 七宝瀧寺 → 徒歩40分 → 犬鳴山(16:50) → (南海バス21~23系統) → 泉佐野(17:24→17:38) → 南海電鉄難波(18:21)

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犬鳴山 白雲院 七宝瀧寺(真言宗犬鳴派 役行者霊蹟札所)

 猛暑の中、涼を求めて和泉まで。犬鳴山は府内唯一の温泉郷のある大阪の奥座敷で、パワースポットとしても知られます。

寺院は宿坊もありますが途中食事処はないので、バス停付近にある温泉旅館で昼食。

本来はゆっくり宿泊すべきなのでしょうが日帰り入浴は果たしました。

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昼食は「み奈美亭」で夏の懐石コース

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和泉は海の幸が豊富

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これは「猪豚」?

 目指す寺院はJR日根野からバス34分の終点から犬鳴川に沿って山道を1.5㎞。

犬鳴山白雲院七宝瀧寺(いぬなきさんはくうんいんしっぽうりゅうじ)は、寺伝によれば

『661年、修験道の祖である役小角により開山、これは大峰山開山の6年前であり元山上と呼ばれる。』

とあります。

この辺りは古くは葛城と呼ばれ、その中でもここは根本道場。役行者は奥の滝を神聖なものと見たのでしょう。

歴史を【かいざん】したのではないようです。

 山中には大小48滝があり、その中でも両界の滝、塔の滝、弁天の滝、布引の滝、古津喜の滝、千手の滝、行者の滝の

七滝が有名で、それぞれを宝として七宝瀧寺と淳和天皇が命名されました。

一時衰えますが、正平17年(1362年)に紀州粉河寺の渓閑和尚が土丸城主橋本正督の援助を受け再興、

隆盛を極めるも天正13年(1585年)秀吉の根来攻めで諸堂は焼失、寺領も失いました。

 江戸時代の1652~1662年にかけ諸堂再建、1667年に岸和田藩主岡部氏より寺領が寄進され漸く旧に復しました。

明治初年度には修験道禁止となったため明治7年(1874年)に高野山金剛峰寺末寺となりますが、

戦後は葛城系修験道の復興を目指して真言宗犬鳴派として昭和25年(1950年)に独立して今に至ります。

紆余曲折を経ましたが、ようやく【今後無事】となりそうです。

 犬鳴山とは燈明ヶ岳や天狗岳などの峰々の総称ですが、ここが犬鳴山と呼ばれる様になったのには次のような伝説が…。
 
『寛平年間の頃、紀州の猟師が獲物の鹿を追ってこの辺りに来た時に、猟犬が頻りに吠え立てました。

どうしても止めないので、怒った猟師は鉈で犬の首を切ったところ、首はそのまま猟師の頭を越え、

猟師を呑もうとしていた向こうの木に居た大蛇に噛み付きそのまま息絶えたとか。

猟犬の心根に打たれた猟師は修行者となり自分の田地を不動堂に寄進し猟犬の供養をしました。

このことを伝え聞いた宇多天皇から山号を犬鳴山とするように勅を賜りました。』

昔話で聴いた幽かな記憶がありますが、大阪の話だったとは。

 一時の怒りに任せて【良犬】である猟犬を殺すとは【料簡】の狭い話、我々にも教訓になる話です。

遠いこともあって山道を行く人は疎ら。尤も行者堂の近くまで自家用車で行けるので多くの人はこのルートのようです。

路は貴船のような雰囲気ですが、温泉もあって【秘湯】味違った場所でした。

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参道入口
バス停徒歩5分の一の橋を過ぎた大師堂の先からは霊域に入る。

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犬鳴川に沿って山道を行く

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修験道なので所々にこのようなものが

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途中の滝

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両界の滝

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瑞龍門(行者迎えの門)

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犬鳴山の謂れの義犬の墓

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塔の滝

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社務所の庭にたつ不動明王
本尊は倶利伽羅大滝不動明王で本堂内。

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終点の不動堂
滝に打たれる人はこのお堂の下で白衣に着替える。

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着替えた人は赤い橋を渡り行者の滝へ

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行者の滝遠景

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行者の滝横の役行者像

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行者の滝

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鎖を伝って上まで行くことが可能

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七宝瀧寺御朱印

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駅まで戻って英国屋にて一息

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野崎観音(大阪府大東市) 歌に詠われた野崎詣りの御朱印

2019.05.14(10:13) 272

野崎詣りは○○○で参ろう!(2019.5.11)

<コース> 学研都市線、おおさか東線は日中15分間隔で運転
JR大阪 → (大阪環状線) → JR京橋 → (学研都市線)→ JR野崎 → 徒歩10分 → 野崎観音 或いは
JR大阪 → (おおさか東線) → JR放出 → (学研都市線) → JR野崎 → 徒歩10分 → 野崎観音

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福聚山 慈眼寺(曹洞宗)

 今のように観光が主流ではなかった江戸時代にあって、お詣りと言うのは庶民の一大娯楽でした。

家を離れて羽を伸ばせる事で非日常が体験できたからに他なりません。各地で門前町が発達したのも頷けます。

 大阪で有名なお参りの一つが野崎参り。東海林太郎の「野崎小唄」、三代目桂春団治の十八番「野崎詣り」で全国的に有名です。

かつては  『♪野崎詣りは屋形船で参ろう♬』

と歌詞にあるように天満橋の八軒家浜から寝屋川を遡り深野池まで船で行くもの。

そのとき船に乗った人と丘を歩く人が口喧嘩をするのが落語の粗筋。

枚方の「くらわんか船」でも売り手が買い手に悪口を言うとあるので「北河内は始終口喧嘩をしているのかい!」となりますが地元の会話を喧嘩と勘違いした旅人の話が誇張され、そのようなスタイルができたのでしょう。

 最近は八軒家浜から淀川を遡るツアーも人気なようですから、もし江戸時代の屋形船を再現できれば結構な客寄せになるでしょうが、寝屋川は今でもありますが残念ながら深野池はなし。

通常は大阪市内から学研都市線で行きますが、今春開通したおおさか東線を使えばJR新大阪駅からも便利になりました。

地元の私は自宅から自転車。情緒も何にもあったものではないですが、それでも40分で目指す野崎観音へ到着。

正式名を福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)といいます。

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JR野崎駅東の朱塗橋を渡り参道へ
久作とはお染久松の登場人物

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真っすぐ伸びた道の向こうの山の中腹が目指す野崎観音

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大東市マンホール蓋
江戸時代の野崎詣りをデザイン

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大東市マンホールカード     配布場所はこちら

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ここから上り坂になる

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本堂へは更に石段を上る

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西側にある山門
こちらが正門か?

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南側にある楼門
写真に使用されるのがこちらで奥に見えるのが本堂

『福聚山慈眼寺の創建は今から1300年前、天平勝宝年間に大仏開眼のために来朝した婆羅門僧が

「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いたハラナ(鹿野苑)に似ている」

と話すのを聞いた行基が観音様を刻んで安置したのが始まり。

一条天皇の頃、淀川右岸に住む遊女・江口の里の長者が病を長谷観音に祈願して治ったお礼に現在地に移して再興。

永仁年間(1293~1298年)には入蓮僧正が秦氏の協力を得て伽藍を大修復するも三好・松永の永禄の乱で本尊を残して残らず焼失。

元和2年(1616年)に青巌和尚により三度復興を果たした。近世には近松の浄瑠璃『新版歌祭文』のお染・久松で有名になった。』

と言うのが説明書にある寺伝です。

 生駒山地の中腹にあって大阪平野が一望でき、飯盛山を経て大和へも抜ける位置にあった事から古代から修験道の場所として重視されたのでしょう。

生駒山の西麓に沿って古刹や古社が続くことがそれを物語っているように思います。

寺伝の登場人物は想像の域でしょうが、文学に題材を採ったために、関係のある人物を後付けで持ってきた感があります。 

 かつては5月1~10日の無縁経法要期間中は近隣にない盛況だったとは地元の年配の方々の談。

今もGW期間中は大勢の参拝客が押し寄せます。

市内から離れた山裾にありますが『山椒はピリリと辛い』が似合うお寺と言えそうです。おっと、小粒を落としたので探さないといけませんな。

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楼門近影

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楼門から境内を望む

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本堂へ石段を上る
本堂は昭和25年(1950年)、日下大龍寺観音堂を譲り受け解体移築したもの。

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本堂近影
本尊は十一面観世音菩薩で白檀の一木彫り。

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本堂前天井に吊るされた安産祈願の張子の犬

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御朱印は本堂右横にて拝受

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本堂裏手の鐘楼
梵鐘は宝永5年鋳造で「枚方住田中河内大目藤原家成」の銘がある。

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裏山から見た本堂(左)と三十三所観音堂

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裏山の高台に建つ観音像

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高台にある石造九重層塔
永仁2年(1294年)に沙弥入蓮と秦氏により建立された北河内最古の層塔。

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高台から境内を見下ろす

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見晴台へ向かう

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見晴台から見た市内

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本堂前の十六羅漢像
『野崎観音十六らかん、うちの親父は働かん』と北河内の子供に歌われる程であったが、昭和26年の土砂崩れで羅漢堂は崩壊。現在、再建寄進中である。

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本堂隣の江口の君堂
当山中興の祖、江口の君を祀る。女性を守る仏さまとして信仰が篤い。

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庭園にある「お染久松の塚」
近松の作品で知られる。

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境内の会館にあるお染の文楽人形

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お茶席・無庵から見た庭園

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のざき観音説明書

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野崎観音御朱印

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大東郵便局 ; 屋形船で行く野崎詣り、お染久松の碑、お染の人形
大東野崎郵便局 ; 屋形船で行く野崎詣り、お染久松の碑、お染の人形

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浦江聖天(大阪市福島区) 商店街にある聖天さんの御朱印

2019.05.03(00:09) 254

令和のハジメは藤な【のだ】!(2019.5.2)

<コース> JR福島駅 → 徒歩10分 → 浦江聖天

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如意山 了徳院(東寺真言宗)

 皇位継承も恙無く終わり令和がスタート。昨日とは打って変わって晴天になったので、聖天さまにお参り。

 如意山了徳院は福島区にある古刹。洪水で記録は失われていますが、この辺りが浦江と呼ばれていた頃に漁師の網にかかった十一面観音(大聖歓喜天)を本尊とするので浦江聖天と呼ばれています。

 古代のこの辺りは古大和川と淀川が入り組んだ場所。聖天さま境内もその影響で水辺に杜若が自生しここを訪れた芭蕉も句を詠んでいます。

またその両川が運んできた土砂が堆積し、そこに流れ着いた藤が自生して長い年月を経て繁茂したと言われ「野田の藤」として和歌や日記にも記されています。

現在野田藤は福島区の花、聖天さんや阪神野田駅前など20ヵ所以上で見ることができます。

ここの本尊は子宝・縁結びに御利益があるそうですが、それに藤・杜若が花を添えることで一挙【了徳院】なのかもしれません。

 藤はマメ科で蔓性植物、自ら大木にはなりませんが、大木に寄り添って大きくなります。

また生命力が強く、先端を切っても別の場所から芽が伸びます。

聖天さんも度重なる洪水や空襲に見舞われる悲劇に合いますが都度復興。まるで藤の生命力のようです。

御住職の話では、戦後の復興期に国鉄環状線の周辺の四不動参詣としてこの聖天さんを加えたそうですが、それをリードしたのが当時の鉄道省局長の佐藤栄作。

ここにも藤に繋がる縁があったとは考えすぎでしょうか?

と言う訳で令和の花見は野田藤で始まり。

天智天皇は中臣鎌足の最期に当たり大職官の位と藤原の姓を賜ったと言います。

以来藤原氏は1400年歴史の表舞台に登場する訳ですから天智天皇の眼に狂いはなかったと言えます。

新帝の即位に当たり、ふと思いついた次第です。

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阪神電鉄野田駅前にて
駅員さんの話でが4月25日頃がピークだったとか。

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藤棚近影

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福島の商店街を抜け聖天様へ

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浦江聖天(了徳寺)入口
石の鳥居は神仏習合の名残か?

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江戸時代再建の山門
先の空襲も免れた。

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山門の「子持ち龍」の彫刻

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山門から見た境内

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本堂

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本堂(左)と不動堂(右)

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境内の藤棚

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野田藤は写真程の長さでストップ

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境内の弁天池
かつての湿地帯の名残か?

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池脇にある芭蕉の句碑

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浦江聖天御朱印

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大阪福島郵便局 ; 福沢諭吉誕生地碑、区花・野田藤

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松尾寺(大阪府和泉市) 役行者に縁のあるお寺の御朱印

2019.04.27(07:36) 246

和泉来とてか(2017.5.3)

<コース>
御堂筋線中百舌鳥 → 泉北高速鉄道 → 和泉中央→ 南海バス3番乗場 → 美術館前 → 徒歩20分 → 松尾寺 → 徒歩20分 → 美術館前 → 和泉中央

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泉北交通和泉中央駅にて鉄道むすめがお出迎え

 同じ山号や寺名を持った寺は多いですが、松尾寺もその一つ。今まで訪れたのは

平成5年5月3日  青葉山 松尾寺(舞鶴)

平成28年5月1日 松尾山 松尾寺(大和郡山)

といずれも5月初旬。

 今回も後半の初日、大阪南部のローカル鉄道のイベントに参加するついでに巡礼しようと計画すると行先は和泉市にある松尾寺となりました。

決して意識したわけではないですが青葉山という山号がそうさせるのでしょうか?

 阿弥陀山松尾寺は672年に当地で7日間修行した役行者が霊木に如意輪観音を彫って祀ったのが始まり。

その後、白山開山で知られる泰澄が中興し、中世の鎌倉室町期に繁栄します。

祈祷祈願所としては源頼朝、後醍醐天皇、足利義満と最高権力者が名を連ねており、政治的手腕があったのでしょう。

戦国期の織田信長からも天正5年(1577年)に庇護を受けますが、4年後の天正9年の紀州高野山攻めでは松尾寺も焼き討ちに合い全焼という憂き目を見ます。

信長の心が読めなかったのか、信長が気まぐれだったのかは分かりませんが…。

 その後、豊臣家の財産を減らそうと言う家康の目論見でしょうか、豊臣秀頼の寄進により再建。

境内の建造物は全て江戸時代以降となります。

 境内を一巡した後、御朱印を拝受。住職夫人と思われる年配の方に墨書して頂きました。

和辻;「これから水間寺に行く予定です。今東光さんが昔住職をされていましたね。」

夫人;「主人も若い頃はよく水間寺に手伝いに行きましたので、今さんには随分と世話になったみたいです。」

との話。亡くなって、というよりも遷化されて40年ほど経ちますから貴重なお話を聞くことができました。

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松尾寺へと続く橋

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松尾寺山門

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松尾寺本堂
信長の焼き討ちに遭った後、豊臣秀頼が1602年に寄進したとある。

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松尾寺御朱印

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和泉市マンホールカード    配布場所はこちら

 水間寺の後は貝塚駅周辺に戻り散策。駅周辺は寺内町となっており、そこかしこに昔の名残が見られます。

近畿は城下町が少ないのですが、富田林・橿原今井など寺内町に見るべき処が多いようです。

御多分に漏れず維持管理は大変なのはここも同じでした。

 宅地開発が進む両市ですが、寺院近辺は開発も少なく昔の状態のまま。その為バスの本数も少なく時ならぬ【健歩記念日】とはなりました。

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水間鉄道 水間観音駅

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新緑の水間寺
桜の名所だが新緑の頃も趣がある。

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願泉寺(貝塚御坊)浄土真宗
貝塚の寺内町はここを中心に発達

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貝塚駅西側にある寺内町
左は文化財の並河家。

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堀之町筋の山田家

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堀之町筋の利齋家

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御下筋と堀之町筋の交差点

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御下筋の岡本家

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府道1号線沿いに立つ宇野家
唯、無人で手入れされていない様子。

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延命寺(大阪府河内長野市) 躑躅の咲く高齢化社会に相応しい寺名の御朱印

2019.04.26(21:43) 245

なんこうふらくの南河内(2018.5.1)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
南海電鉄難波(7:04) → 美加の台(7:40→7:44) → 南海バス → 神ヶ丘口(7:51) → 徒歩10分 → 延命寺 → 徒歩30分 → 南海電鉄三日市町

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薬樹山 延命寺(真言宗御室派)

 巷ではメーデーですが、何故か思い立って南河内へ。

延命寺は弘仁年間(810~824年)に空海が当地を訪れた際、地蔵菩薩を刻んで堂宇を建立したのが始まり。

その後、寛永16年(1639年)に当地に生まれた浄厳和尚が高野山で20年修行の後、延宝5年(1677年)に当寺を中興。

山号を伽羅山から薬樹山に、本尊も地蔵菩薩から如意輪観音に改めました。

空海から浄厳までは800年の開きがありますが、事実上江戸期に現在の寺院が確立したと言って良いでしょう。

 薬樹山とは古来この辺りに薬草が多かった事に加え、浄厳の父道雲が医術により難病を治療したからだと言われます。

山号も寺号もこれからの高齢化社会に相応しい【伽羅】です。

境内にも多くの樹木がありますが、使い方によっては薬になるものも多いのではと思われます。

 浄厳には悉曇学の復古者というもう一つの顔があり、相伝よりも原典を重んじる科学的な研究態度を採った事でも知られます。

彼の方法は弟子の契沖に受け継がれ萬葉集研究として大成しました。

 この付近は、古代には近つ飛鳥として高向玄理や聖徳太子所縁の地ですが、何と言っても南北朝に活躍した楠木正成一族の地。

明治以降の移転ですが延命寺境内にも正成の叔父に当たる和田和泉守橘正遠の墓碑があります。

大楠公は寺社の重要性を理解しており、この地域の寺社が各地に分散しているのも戦略の一つでしょうが、巡礼するのには一苦労。

千早城は難攻不落でしたが、巡礼は【楠公不楽】ですね。

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鬱蒼と茂る木々の向こうに見える山門

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山門から参道の躑躅を見る

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山門脇の和田氏菩提所の石碑

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境内から山門を望む

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庫裡と前庭
御朱印はここで拝受

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前庭の躑躅と庭石

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境内の躑躅

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鐘楼と宝物館

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境内遠景

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境内にある池

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本堂  
本尊は如意輪観音、脇仏は地蔵菩薩と十一面観音。

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本堂(左)と毘沙門堂
毘沙門堂には金剛山多聞堂より移した楠公の念持仏とされる毘沙門天(5尺2寸)を祀る。

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境内の躑躅

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薬樹山延命寺説明書

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延命寺御朱印

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河内長野駅から東へ徒歩15分にある河合寺
蘇我入鹿開基という南河内の古刹だが何故か閉門。

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駅から北へ徒歩10分の錦渓山極楽寺(融通念佛宗)
聖徳太子に遡る古刹だが建造物は新しい。

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極楽寺御朱印

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河内長野は遣唐使高向玄理の出身地

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くろまろの郷にて

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河内長野市マンホール蓋
楠公所縁の楠をデザイン

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蛸地蔵(大阪府岸和田市) 蛸が救った多幸な寺の御朱印

2019.04.21(23:03) 237

一日泉州、藤の花(2018.4.29)

<コース>
南海電鉄難波駅(10:10) → 蛸地蔵(10:43) → 徒歩5分 → 天性寺 → 蛸地蔵(11:45) → りんくうタウン(12:02→12:10) → JR和泉砂川(12:29) → 徒歩15分 → 梶本邸・角谷邸

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護持山 朝光院 天性寺(浄土宗)

 GWに入りましたが、どこもかしこも人の山なので、却って近場という事で和泉へ。

南海本線蛸地蔵駅で下車し西へ徒歩5分、駅名にもなった寺は街道沿いにありました。

 護持山朝光院天性寺は記録が天保年間に焼失したため詳細は不明ですが、一説には元亀元年(1570年)の創建と言われます。

天性寺には阿弥陀如来と地蔵菩薩と本尊が二体あり、後者が蛸地蔵と呼ばれるので寺の別名になったといいます。

その謂われを辿ると、

『建武年間、和田和泉守が岸和田に在城の折、大津波が起こったが大した被害がなく終わった。

人々が浜に出ると、地蔵菩薩の木造が蛸に取り囲まれて上がっていた。

これは岸和田の守り本尊であるとして城に持ち帰り祀ろうとしたが、戦乱の世なので包んで城の濠に隠しておいた。

時代は下り天正12年(1584年)、松浦肥前守が城主の時、紀州根来の軍勢が攻め寄せ城は危うくなった。

すると、どこからか無数の蛸に乗った白法師が現れ敵を撃退した。戦後、法師を探しても見つからない。

すると城主の夢枕に法師が現れ、自分は地蔵菩薩の化身である。と告げた。

言い伝えを頼りに濠から地蔵菩薩を探し出し、お祀りした。』

と言うものです。

 法師が【奉仕】することはあっても蛸が戦に加勢することはないので、勿論作り話。

法師が僧兵を連れて来て敵を撃退したのを蛸に見立てたのでしょうか。

岸和田は海に近く蛸も獲れますし、蛸は【多幸】に繋がるから伝説にしたのか、全ては墨に隠れて分かりません。

しかし日本一大きな地蔵堂で祀られている事から、御利益はあるようですね。

 巡礼の後は市内を散策しながら駅へ。岸和田城は楠木正成の家臣和田氏が岸という場所に築城したのが始まり。

江戸時代は譜代の岡部氏が5万石で入国。紀州藩の監視も兼ねていたと言いますから任務重大ですね。

尚、岡部の殿様の末裔は現在江戸住まいですが和田氏の末裔はいまでも岸和田市内在住とか。

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南海電鉄蛸地蔵駅
普通しか止まらないが、洋風な建築。

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蛸地蔵前の紀州街道沿いの邸宅
かつての本陣か?

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紀州街道から蛸地蔵を望む

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蛸地蔵山門

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日本一大きいと言われる地蔵堂

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地蔵堂と蘇鉄

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蛸地蔵天性寺説明書

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「天性寺聖地蔵尊縁起絵巻」から
大蛸が敵勢に墨を吹き付けている様子が描かれている。

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蛸地蔵天性寺御朱印
珍しく御詠歌が墨書。

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岸和田市内紀州街道沿いの阪口邸
19世紀初めに建造された町家。

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岸和田城

 その後、南海本線とりんくうタウンでJR乗換、和泉砂川で下車。

この辺りに意外と多いのが藤の花。梶本邸では個人宅に植えた大きな藤を鑑賞。

これだけ大きいのも珍しいですが、二階から藤棚を眺めるというのも珍しい体験でした。

 またここは紀州街道信達(しんだち)宿。

本陣の角谷(つのや)家は紀州徳川家の参勤交代時の藩主の定宿で敷地は1,000坪。名字帯刀を許され現在28代目の旧家です。

残念ながら藩主が泊まった間は取り壊されてありません。

宿泊は泊まるのと竈を借りるだけで食事も全て自前。そのため随行員が2,000余名いて、一度の参勤交代に900両掛かったとか。

説明では藩主の毒殺を恐れたためだと言われています。角谷家では藤の花に合わせて内部を公開。

いずれも観光地としては余り知られていないので、人も少なく入場料¥100で藤と豪邸を堪能できました。

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和泉砂川にある梶本邸
個人宅で植えた藤の木を鑑賞できる。協力金¥100

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梶本邸の入口付近の藤棚
ちょっと終わりかけか?

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藤の花(野田藤)

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野田藤の幹
植えてから38年でここまで成長。

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二階から見た藤棚

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信達宿紀州街道沿いの常夜灯

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信達宿本陣(角谷家)
現在28代目という旧家で、藤の花に合わせて一般公開。¥100

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角谷家前庭

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母屋入口
駕篭は女性用か?

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本陣床の間と屏風
正面にあるのは最後の紀州藩主の奥方から拝領した葵御紋重箱

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角谷家中庭

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泉南市マンホールカード     配布場所は「泉南市観光協会観光案内所」「泉南市下水道整備課」

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隠れキリシタンの里・千提寺(大阪府茨木市)

2019.04.21(09:59) 236

里山バイキング (2019.4.20)

<コース>
阪急茨木(8:40) → 阪急バス忍頂寺線 → 千提寺口(9:27) →徒歩15分 → 千提寺集落センター(10:00) → ハイキング90分 → 千提寺集落センター(12:00) → 昼食 → 千提寺口(13:33) → 阪急バス忍頂寺線 → 阪急茨木(14:20)

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茨木市立 キリシタン遺物史料館 入場無料

 同窓の紹介で「隠れキリシタンの里・千提寺(せんだいじ)」というツアーを知り、天気も良好なのでギリギリ前日申し込みで飛び込み参加。

 隠れ切支丹といえば、長崎・島原・天草など九州がすぐに思い浮かびますが、北摂の茨木は山奥に300年余り密かに信仰を守った稀有な土地。

隣接する高槻はキリシタン大名高山右近の城下町なのでキリシタンがいても不思議はありませんが、

慶長19年(1614年)に右近がマニラに追放となり記憶から忘れ去られた事、

長崎「浦上四番崩れ」のような弾圧がなかった事が、知名度の低さになっていると思います。

 この地区の信仰は一子相伝で他には漏らさないものだったと聞きました。

職人の秘伝並みですが、当時キリシタンの密告は銀300枚だったそうなので、そとに漏れるのを【きりしたん】でしょう。

千提寺と寺の地名というのも不思議ですが漢字の一部に十字が入っているとか。

隠すのに【くるす】る訳ですが、「改宗は【せん、だいじ】に信仰を守る」との決意だったのかどうか。

 いまでも信仰を守って居られるのかと思いましたが大正時代の三名が最後の信者。

信仰が自由な時代というのは得てしてそのようなものなのでしょうか

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千提寺バス停から集合場所へ向かう

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千提寺集落センターにて10時スタート時の説明

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愛と光の家
キリスト教の研修施設でスタート地点から徒歩3分。

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光の家の門前の高山右近像
江戸時代にはこの辺りは高槻藩領。

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キリシタン遺物史料館
教会入口を意識した作りか?

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史料館パンフ

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史料館で購入した冊子¥500

 阪急茨木駅から47分のバス停から徒歩15分の集落センターを10時にスタートし、坂を上ったキリシタン遺物資料館を先ず見学。

大正8年に旧家の寺山にあった「マリア墓名碑」を隠れ切支丹研究の僧侶藤波大超に見せた事で隠れキリシタンの存在が外部に知られました。

大正15年にはバチカンの大司教が訪れています。大正時代にはこの千提寺・下音羽地区でキリシタン遺物が続々発見。

教科書にも載っている有名な「聖フランシスコ・ザビエル肖像画」は資料館隣の旧家・東家から1920年に見つかったものです。

母屋の梁の上にあった「あかずの櫃」を開けると出現、1622年のザビエル列聖以後西洋画を学んだ日本人により描かれたものだとか。

江戸時代の画法とはかなり異なるので、てっきり異国の人の作と信じていましたがそういって見ると秋田蘭画の手法に似ている気もしますが。

 肖像画を売って欲しいと言う収集家が何度も来るので、東家では法外な値段を言った処、その金額を持ってきたので売るはめになったそうです。

今は巡り巡って神戸市博物館蔵。これらは参加された同窓から聞いた話ですが、同じ職場に旧家の子孫が居られ直接聞いたとの事でした。

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キリシタン遺物が発見された旧家・東家

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記念碑

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史料館入口から見た東家
土蔵があるが、遺物が発見されたのはそこではないとの話。

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東家より発見されたザビエル肖像画 (資料館での冊子¥500からの引用)

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発見された遺物の数々

 この後は、新名神高速道路付近を一回りして帰還。途中クルス山を通りましたが新名神のため山は大幅に変形。

戦争よりも開発で過去の遺産が失われるのは古今東西変わりがありません。

 昼食はお弁当と思っていましたが、見ると地元の皆さんが総出で調理中。

採取した山菜を使った和え物や天婦羅のコースで食べ放題。食後のデザートも地元産と地産地消を有言実行していました。

名前を知っているだけのものも多く魅力【満菜】でした。「食事をお目当てに参加される方が多いので」という説明に納得した次第です。

秋にもあるようなので、春は葉物、秋は実物と年に【倍キング】できそうです。

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大正時代に建造された天主堂の跡
昭和16年に時局柄廃止となったが残っていれば観光名所になったかも。

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新名神の向こうに見えるクルス山

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旧家所有の寺山にあるキリシタン墓碑

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「上野マリア」墓名碑(複製)
慶長8年の年代が彫られている。地元の人が力比べで持ち上げていたらしい。この碑により隠れキリシタンが明るみになった。

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三島独活の栽培ハウス
栽培農家は今はここだけ。

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スタート地点で地元野菜の販売

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調理場にて 山菜の天婦羅

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昼食は地元産物のバイキング

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主な山菜天婦羅
タラの芽、コゴミ、独活、ハルジオン、椿花

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デザートも地産地消
黒豆汁ぷりん、手作りあられ、土筆砂糖菓子

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釘無堂(大阪府貝塚市) 鎌倉時代の国宝のある御朱印

2019.04.06(20:04) 208

「釘使うな」とくぎを刺す(2019.4.5)

<コース> 日中、南海電鉄急行は15分毎、水間鉄道は20分毎運行
南海電鉄難波(12:08) → 関西空港行急行 → 貝塚(12:37→12:55) → 水間鉄道 → 水間観音(13:09) → 徒歩7分 → 水間観音 → 徒歩10分 → 釘無堂

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慈眼山 大悲院 孝恩寺(浄土宗)

 水間寺参拝の後は、近木川をさかのぼって少し高台にある寺へお参り。

孝恩寺(こうおんじ)の開創は不明、元禄7年(1694年)に再建された記録がある程度。

1914年には廃寺となっていた隣接する観音堂(観音寺)を合併しています。

 親寺とは対照的に観音寺の由緒は古く、聖武天皇の勅願により神亀3年(726年)に行基が創建。

自作の観音像を安置したと言われます。行基は和泉国(堺市)出身。

民衆の支持を受け架橋・灌漑などを行い、奈良西部・大阪南部の多くの寺院を開創したと言われます。

観音寺も行基建立四十九院の一つで、この辺りに寺院を建設する木材を積んだことから「木積」の字ができました。

 観音寺は天正年間の秀吉の紀州攻めで観音堂だけを残し焼失。

その際に仏像を薬師池に沈めて守ったと地元の人々の間では語り継がれています。

行基の作った池は灌漑だけでなく非常事態にも役に立った訳です。

江戸時代には岸和田藩主の庇護を受けましたが明治22年に廃寺となりました。

 残された観音堂は方5間・単層寄棟造・本瓦葺で鎌倉時代の作。

釘を一本も使用していないことから釘無堂と呼ばれ国宝に指定されています。

今ではここの名前が有名になっていますが、当時は釘を使用しない建築法が結構あったようです。

木の柱に釘を使用するとそこから錆びて劣化するらしい。

家屋と違い永年に亘る寺社建築では嵌め込み・組み継ぎは【こうおんじ】に湿気の多い日本の風土に合った方法と言えそうです。

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近木川沿いの高台に建つ釘無堂
周囲は住宅地なので通り過ぎてしまう。

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塀向こうに見える観音堂

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山門から境内を見る

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山門横にある縁起

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国宝・観音堂
写真に撮影されるアングル。写真では小さく見えるが実際は大きく迫力がある。

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観音堂正面

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観音堂右側

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真横から見た観音堂

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壁の彫刻と屋根部分

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観音堂垂木部分

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境内遠景

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境内脇の五輪塔
砂岩製で高さ110㎝。北朝の年号貞和4年の銘があり、南朝方の多かったこの地域では珍しい例である。

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孝恩寺御朱印

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貝塚市マンホール蓋

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貝塚市マンホールカード     配布場所はこちら

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貝塚三ツ松郵便局 ; 国宝・孝恩寺観音堂、近木川、永寿池、和泉葛城山

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水間観音(大阪府貝塚市) 観音様と恋人の聖地の御朱印

2019.04.06(11:02) 207

桜を求めて満開電車!(2019.4.5)

<コース> 日中、南海電鉄急行は15分毎、水間鉄道は20分毎運行
南海電鉄難波(12:08) → 関西空港行急行 → 貝塚(12:37→12:55) → 水間鉄道 → 水間観音(13:09) → 徒歩7分 → 水間観音

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龍谷山 水間寺(天台宗別格本山 新西国三十三ヵ所第四番札所)

 入学式も終わり気温も高くなった週末、満開の桜を求めて南海電車と大阪南部のローカル鉄道を乗り継ぎ終点へ。

 水間寺は作家の今東光さんが住職をされていた寺で平成6年と29年の二度巡礼済。

流石に「来んとうこう」と思いましたが、貝塚駅前観光案内所で桜の名所と聞いたのを思い出し急遽巡礼へ。

 水間鉄道の終点からスタート。かつては水間駅と言いましたが今は水間観音駅、水間寺モデルにした寺院風駅舎。

かつてはJR奈良駅、JE長野駅が寺院風駅舎でしたが改修され現代風に。未だに残っているここは貴重と言えます。

やはり寺院風は【改宗】すると変わってしまうのでしょう。

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水間観音駅ホームにて

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寺院風の水間観音駅舎

 駅から道沿いに歩く事7分で門前に到着。

龍谷山水間寺は近木(蕎原)川と秬谷(きびたに)川の合流点に建てられた古刹。

二つの水の間にある事が寺名の由来となっています。

 天平年間に聖武天皇の勅願で行基が開創。寺伝によれば、

『42歳の聖武天皇が病気になり、夢のお告げにあった観世音菩薩を行基に探させた所、

この地の滝で仙人から菩薩を授けられ、仙人は龍となって昇天。

観音像によって天皇の病気は全快し、出現した地に観音を祀る堂を建てた。』 とあります。

ここの本尊は一寸八分(約6㎝)の聖観世音菩薩で絶対秘仏。

本堂の裏手にはそのときの「降臨の滝」があり祀ってありますが、

多分に伝説的で古代の人が水の合流地点という立地にパワーを見出したのでしょう。

そう思ってお寺の方に尋ねると

「ここは下が岩盤で、耕作に向かなかったから寺を建てたのと違いますか。」

と非常に現実的な答え。事実は小説よりも奇なりです。

 その後、豊臣秀吉の紀州攻めでは焼き討ちに合い焼失しますが、

江戸時代には岸和田藩岡部家の庇護を受け元禄年間(1688~1704年)には復興。

天明4年1784年の火事でまた焼失して文化8年(1811)年に再建と紆余曲折を経て現在に至ります。

色々大変だったでしょうが、西鶴の『日本永代蔵』に「泉州水間寺利生の銭」とある程なので金儲けに長けた寺だったのでしょう。

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寺の南に架かる龍谷橋にて

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厄除橋と水間寺

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厄除橋の入口の桜

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水間寺入口

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厄除橋から龍谷橋方面を望む

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厄除橋から北を望む

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境内

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本堂
天正13年の根来攻めで焼失し、文政10年岸和田藩主岡部長慎により再建。

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本堂回廊より

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本堂裏手に流れる川

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降臨の滝
ここから聖観世音菩薩が出現したとある。

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大阪府下唯一の三重塔

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三重塔の彫刻

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本堂向かいにある経堂

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三重塔と本堂

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観音院前から

 もう一つ、ここには愛染堂があり、地元出身で身分の違いを乗り越えて結ばれたお夏・清十郎を祀っています。

「恋人の聖地」として認定されパワースポットにもなっている様子。

寺院の裏は桜の公園となっていますが、そこにも愛染橋があり写真撮影するカップルがたくさん。

いまは観音様よりも愛染様に移ってしまった感がありますが、商売上手な伝統は変わらない様子。

 御朱印は以前に拝受しましたが、帰りに納経所を覗くとオリジナル御朱印帳が…。

大阪版は2冊目半ばでしたが、気に入ったので思わず購入。

♪買った男が馬鹿なのか 買わせたお寺が上手いのか♬

と思わず昭和歌謡の一節を口ずさんでしまった或る春の午後でした。

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愛染堂
縁結びの仏様の愛染明王を祀る。

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おみくじを結ぶ場所もこの通りハート形

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愛染堂前のお夏・清十郎の墓
話の原型は江戸時代の姫路城下での駆け落ちなのでここでの話とは随分異なる。

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足利織姫神社で見たのと同じものが

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上通店橋を通り水間公園へ

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開山堂(行基堂)
公園入口にあ行基菩薩像を安置。

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公園の池に架かる愛染橋

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愛染橋の看板

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昼食は愛染堂横の「茶房一会」にて

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これは清十郎そば¥750(具は山菜)

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お夏ぜんざい(冷)¥850
餡+白玉+珈琲味

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水間寺説明書

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お夏・清十郎説明書

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オリジナル御朱印帳 ¥2000

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水間寺御朱印(1回目参拝で拝受したもの)

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水間寺御朱印(今回拝受した御本尊のもの)

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貝塚郵便局 ; 特産・水茄子の外枠に水間寺三重塔、貝塚市ロゴマーク
水間郵便局 ; 近木川の渓流、水間寺堂宇

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弘川寺(大阪府河南町) 西行法師所縁の御朱印と花と寺内町マンホールカード

2019.03.31(08:10) 196

西行法師の最期の地(2012.4.14)

<コース>
【往路】
御堂筋線梅田(8:49) → 御堂筋線天王寺(9:04) → 近鉄阿部野橋(9:14) → 近鉄富田林(9:44) → 金剛バス河内線(10:05) → 河内(10:25) → 徒歩2分 → 弘川寺

【復路】弘川寺河内(11:30) → 富田林(11:55) → 徒歩5分 → 寺内町

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竜池山弘川寺(真言宗醍醐派準別格本山)

 夕方に梅田で同窓の集まりがあり、その前に少し足を伸ばして南河内まで。

弘川寺は名峰葛城山の麓にある古刹。由緒によれば

天智天皇四年(665年)役行者に拠り開創された葛城六坊の霊場。

白鳳五年(676年)天武天皇は請雨の祈願を命ぜられ、三年後の春に行幸され勅願寺となります。

その後、天平九年には行基が修行、宝亀年間には光意が修学、

弘仁三年(812年)には空海が嵯峨天皇の命で中興し密教の霊場と定められました。

 寺に到着した時は丁度開館の時間で、私独りだったので御住職から話を伺いました。

住職「山桜に比べてソメイヨシノは70年位、人間の寿命と変わらないです」

鉄丈「意外と短いのですね。ところで表札は御住職のものですか?」

住職「ええ、そうですが」

鉄丈「あの苗字は行基さんと同じではありませんか」

住職「以前の住職が行基さんの法灯を受け継いだという事で氏を貰ったと聞いています」

こんな所で歴史の跡が見つかるとは驚きです。

役行者は葛城氏出身、行基は和泉国出身ですので強ち伝説でもないように思います。

後鳥羽天皇が病気になられた文治四年(1188年)には当寺座主空寂上人が宮中で病気平癒の祈願をして天皇は無事回復。

天皇の窮地を救ったことで奥の院「善成寺」建立と寺号の勅額を賜ったとか。

歴代の我が国仏教界のスターのパワーが効いたのでしょうか?

 室町以降も天皇・皇族の行幸が度々ありますが、戦火にも晒されました。

南朝の忠臣で楠公の後胤弘川城主の隅屋(すや)与市正高卿は、この境内で奮戦しましたが最期は桜の下で自刃。

その後には「すやざくら」が咲いています。

 寛正四年(1463年)、河内守護畠山氏の争いではこの寺に本陣が置かれたため伽藍は焼失。

応仁の乱の前哨戦で【全焼】の悲劇。唯、本尊・大師像・扁額は難を逃れたので現存しています。

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護摩堂横に咲く隅屋(すや)桜
楠公の末裔で南朝の忠臣隅屋与一正高が自刃した場所にある。正面が本堂。

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境内の説明板

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本坊(拝観料必要)から見た海棠(天然記念物)

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本坊より庭を望む

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本坊より見た庭園

 それよりもここは漂泊の歌人西行法師が最期を迎えた場所で有名。

本名佐藤義清(よしきよ)、藤原秀郷の七代目で富豪、父康清も検非違使として活躍する武家の名門。

義清も徳大寺家の家人、北面の武士として鳥羽天皇に仕えるエリートでしたが、二十三歳で家督を弟に譲って突然出家。

妻と二人の子がいたが父を慕い寄って来た四歳の娘を縁側から蹴り落として家を出たと言われます。

 彼の出家は当時も話題で、友人の頓死に無常を感じた、高貴な女性との叶わぬ愛のためであった、

というのが文学の立場から解釈されていますが、社会的な家を巡る争いから逃れるためという解釈が最近浮上しています。

当時は宗教家が輩出しましたが法然、栄西、重源など全て武家出身であることを考えると有り得る事だと思います。

彼の後,出家遁世をする人間が増えたのも事実ではありますが…。

 出家以後は嵯峨野付近に庵を構え、四国・中国地方へ【西行】、陸奥へ東行しますが、

晩年の文治五年(1189年)にここを訪れます。空寂上人の徳を慕ったと言うことですが、草庵を結んで

・麓まで 唐紅に 見ゆるかな さかりしぐるる 葛城の峰

・訪ね来つる 宿は木の葉に 埋もれて 煙を立つる 弘川の里

・願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

と詠を残しています。

そして翌文治六年二月十六日に七十三歳で入寂。都人の間では歌通りの生涯だったと噂になったとか。

 江戸時代には西行を慕う歌僧似雲法師が西行の墳墓を発見。

西行堂も建立し西行を顕彰、今に至るまで、歌人・文人の訪問が跡を絶ちません。

役行者・行基・空海というスターよりも隠棲した西行を求めて訪れる人が多いとは、泉下の彼はどう思っているでしょうか?

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西行記念館

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西行記念館横のソメイヨシノ

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本堂奥にある西行堂
実際に西行が棲んだのではなく、江戸時代に彼を慕う似雲法師が建立。似雲は藤原俊成の歌集『長秋詠草』によって西行終焉の地を知り、81歳で亡くなるまで西行の顕彰に尽くしたと言う。

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西行堂を通り西行の墳墓へ向かう

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西行法師古墳

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墳墓奥の西行桜山付近からの眺め

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弘川寺と西行記念館説明書

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弘川寺御朱印

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河南町マンホール蓋      中学校横に設置

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河南町マンホールカード     配布場所はこちら

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バス始発の富田林駅周辺を散策
写真は寺内町の中心寺院。

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富田林寺内町の街並み
近畿では富田林と今井町(橿原市)がこのような地内町がよく保存されている。

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富田林寺内町で唯一公開(有料)されている杉山家
明治半ば、この家の長女として生まれた杉山孝(タカ)が歌人石上露子。

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富田林市マンホール蓋

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富田林マンホールカード    配布場所は富田林市役所下水道課

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西行の出家を巡る経緯については上掲「岩波新書 シリーズ 日本中世史①」の84~87頁に記載がある
 
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西方院(大阪府太子町) 聖徳太子所縁の三尼の御朱印

2019.03.10(18:43) 164

篤く三尼公を敬へ(2019.3.9)

<コース> 近鉄電車は日中15分間隔で運転
【往路】
御堂筋線梅田(8:07) → 御堂筋線天王寺(8:22) → 近鉄阿部野橋(8:34) → 近鉄喜志(9:01)

金剛バス太子線喜志駅前(9:15) → 太子前(9:24) → 徒歩2分 → 叡福寺西方院金剛バス太子線太子前(10:47) → 喜志駅前(10:56) → 近鉄貴志(11:12) → 富田林(11:15) → 徒歩10分 → 寺内町

【復路】
近鉄富田林(15:47) → 阿部野橋(16:17)

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南向山法楽寺喜多院(浄土宗 新西国三十三ヵ所 第八番)

 叡福寺に続いて道を挟んだ向かいに寺があったので予備知識なしに向かうと新西国三十三ヵ所とあったので急遽御参り。

 ここ西方院(さいほういん)は聖徳太子の死後、太子の乳母だった三人が出家した尼寺。

当初は叡福寺の塔頭の法楽寺として太子自作の阿弥陀如来像と遺髪を納めたと言われます。

その三人の自出ですが、日益(蘇我馬子の娘)、月益(小野妹子の妹)、玉照(物部守屋の妹)と歴史の教科書に出て来る有名人。

 『聖徳太子伝』 に拠れば、

「百人の美人の中から齢十七~十九の容顔美麗の三人を選んだ。」 とありますが、

名門の娘というのが第一条件であったのでしょう。

かつての敵方であった物部氏の女性を乳母にした度量も凄いと思います。

まさか【守屋】の娘だから守役に選んだ訳ではないでしょうが…。

 太子の死後は三名とも六十台後半と当時としては高齢。

日本史上の最初の尼とありますが、その善信・禅蔵・恵善と言う名は「日本書紀」では司馬達等・錦織壺の娘とあり縁起と矛盾。

このような内容を堂々と記録するのも不思議な話で、太子の乳母と出家した女性は全く別だった可能性もありますね。

縁起を担いだのかもしれませんが考えが【尼】かった気が。と言って太子の評価が下がるものではないですが…。

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西方院へ向かう途中にある隔夜堂
本尊は石仏の阿弥陀如来

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西方院へ石段を上る

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石段途中から振り返ると叡福寺が正面に
晩秋にはこの参道に紅葉が敷かれた状態になる。

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西方院前景

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西方院入口

 住職夫人と思しき方に御朱印を書いて頂いた後は、中庭も見せて頂きました。

外から見ただけでは小ぶりな寺院といった感じですが、書院があって奥行きがありました。

浄土宗ながら庭も茶室(壽観庵)もあり禅宗に似た印象でした。

鉄丈:「三人の女性は太子の側室ではないのですね」

住職夫人:「養育に携わった方ですから、乳母のような人です。外に三名の廟がありますのでご覧になって下さい。」

鉄丈:「叡福寺に太子の御廟所がありましたが、ここにも遺骨があるのですか?」

住職夫人:「納骨堂は太子の遺髪を納めておりまして、希望される方は納骨もされています。」

鉄丈:「宮内庁の管轄ではないのですね。檀家の方がされるのですか?」

住職夫人:「当寺は檀家がないので、希望があればとなっています。」

 他の宗派でも受け入れる所は「和を以て尊しと為す」に通じるかもしれません。

尤もお寺も経営がかかっていますから、そんな事は言って居れないとは思いますが…。

 家に帰り本を調べると、西方院は今でも尼寺で蘇我氏を名乗って居られる事。遠く飛鳥の末裔と話ができました。

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本堂   
現在の寺は寛永十六年(1639年)の蓮誉寿正尼による再建。本尊の阿弥陀如来が中央で左に太子二歳の木造、三尼公の木造を安置。

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本堂前の扁額と常行念仏最初の道場の説明板

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太子の遺髪を納めた納骨堂

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観音堂
新西国札所なので十一面観音を祀る

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鐘楼堂

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書院から庭を望む

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庭園と茶室・壽観庵

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庭園右側

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三尼公御廟所

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前面から見た三尼公御廟所
中には石が、「石の上に三人」ではないか!

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西方院縁起  無料

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南向山 西方院 説明書    ¥50

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西方院御朱印

 その後は富田林に戻り、寺内町の雛祭りを見学。

関東のように派手さはないですが、かつての商家を中心に、自宅の雛人形を部屋や家の外に飾って居られます。

殆どの家が今も住まわれているので、生きた町並が体験できます。

お昼は町家を改装したお店で海草入り蕎麦を食べ、そのあとは公開している町家で野点を一服。

地域で行っているので値段も安く、安心でした。

 和服の女性や子供も多いと思ったらレンタルもしている模様。一人歩きに相手のレンタルはないのでしょうかね?

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地内町の中心にある興正寺別院の門前

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堺筋にある田守家
かつては木綿問屋を営んでいた。丁度、当主の方が居られ丁寧に説明を受けた。

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田守家の雛人形
左上から右下に、明治・大正・昭和・平成の作となる。右の台上は各地の雛人形(郷土玩具)

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無料公開の旧田中家住宅にて

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同じく旧田中家にて

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田中家中庭での野点   抹茶・菓子付き ¥400
茶道の心得がなくてもOK。これは雛人形を象った生菓子で駅前の柏屋本店の製造。

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商家の軒に並べた雛人形

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四つ角に並んだ雛人形
写真では分からないが、右奥にはPLの塔が見えていた。

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昼食は「八町茶屋」にて蕎麦を

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八町茶屋」で頂いた赤ねこ餅
小麦を粉にせず押し潰して食感を出した逸品

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大阪府の歴史散歩 下 河内・堺・和泉 (歴史散歩 27)

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叡福寺(大阪府太子町) 聖徳太子の御朱印とマンホールカード

2019.03.10(09:12) 163

輪を以て覆いとなす(2019.3.9)

<コース>
【往路】
御堂筋線梅田(8:07) → 御堂筋線天王寺(8:22) → 近鉄阿部野橋(8:34) → 近鉄喜志(9:01) → 金剛バス太子線喜志駅前(9:15) → 太子前(9:24) → 徒歩2分 → 叡福寺金剛バス太子線太子前(10:47) → 喜志駅前(10:56)

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磯長山叡福寺(真言宗単立寺院 太子宗)

 今日は富田林に出掛ける予定でしたが、少し早めに出て一つ手前の喜志駅から太子町へ。

太子町の名は聖徳太子に由来。大和川と石川の合流点に当たる地域は河内で最も早く文化が開けた場所で、

これに加えて南の河内飛鳥川に囲まれた地域は河内飛鳥(近つ飛鳥)と呼ばれたようです。

・あすか河 黄葉(もみじば)流る 葛城の 山の木の葉は 今し散るらし  作者未詳

大学の国史学の講義で 『大和の明日香川ならば、葛城山の紅葉が流れ込む筈はないから、これは河内の飛鳥川である。』

と上田教授がこの萬葉集の歌の説明をされたのは三十年以上前の事。

 河内飛鳥は5~7世紀にかけ多くの渡来系文化人や技術者が移り住み、渡来人の第二の故郷と呼ばれるようになったとか。

「あすか」 の語も古代朝鮮語の安宿(あんしゅく)からの転化とも百済の混伎王の一族名「飛鳥部」から来たとも言われています。

渡来人がここに居住した理由ですが、大和が飽和状態であった事よりも河の水利を用いた利便性に着目したからでしょう。

聖徳太子の側近であった秦河勝も賀茂川沿いの太秦を本拠地としています。

その辺りの着眼は渡来人の方に一日の長があったと言うべきでしょうか。

 太子は渡来系の人々を側近・家来にしていますが、その辺りの事情は桓武天皇とは異なり、

純粋にその人の持つ能力に期待したからに違いありません。

 磯長山叡福寺(しながさんえいふくじ)は聖徳太子御廟所、遺命によりここ磯長の里に葬られたと日本書紀は記載。

太子廟には前年に亡くなった母・間人皇后と太子と同時に亡くなった膳手妃の三名が埋葬され「三骨一廟」と呼ばれています。

後に推古女帝により僧坊が置かれ、神亀元年(724年)には聖武天皇の勅願で七堂伽藍が整えられたと言われますが、

伝説的な所も多く平安時代まで下るという説もあるようです。


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南大門への階段

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南大門
天正二年(1574年)の兵火で焼失し慶長年間に再建。腐朽のため昭和三十三年に再再建という沿革を持つ。

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南大門の扁額
内閣総理大臣「岸信介」というのが時代を感じる

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南大門から見た境内

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重文・宝塔
承応元年(1652年)の再建。本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊、西面に大日所来を安置し、四方の柱には四天王像を描く。

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金堂
享保十七年(1732年)の再建。本尊は如意輪観音で、太子の本地が観世音菩薩であるという平安朝以来の信仰に基づく。

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重文・聖霊殿(太子堂)
桃山末期の建築様式で、太子十六歳植髪等身大像と南無仏太子二歳像が安置される。前者は文治三年(1187年)後鳥羽天皇より下賜されたもの。

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聖霊殿正面

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二天門
二天が祀られ、この先に御廟所がある。元禄元年(1688年)丹南藩主・高木主水正による寄進。


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御廟所にて

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正面から見た御廟

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御廟の造り

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上の御堂
御廟の左にあり太子摂政像が祀られている。丹南藩主の寄進。

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浄土堂
御廟の右手にあり、慶長二年(1597年)、伊藤加賀守秀盛の再建。

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御廟所から境内を望む

 聖徳太子御廟所という事で歴代皇室に重んぜられ、また仏教関係の空海・親鸞・日蓮・一遍等が参籠した寺でもあります。

日本の仏教の興隆に貢献したからでしょう。

このように由緒ある寺ですが南北朝期には高師泰に、戦国期には織田信長によって全焼。

宗教心の薄い彼等には【太子】て効果がなかったようで、今の建物は全て江戸時代以降のものとなっています。

 広い境内には、重文の太子堂・宝塔が並び、一番奥の御廟に御参り。

聖徳太子といえば飛鳥の法隆寺が有名ですが、竹内街道を通ればすぐ近く。

当時は大和に比べ河内の重要度が劣るものではなかった気がしますが、今では訪れる観光客の数は桁違い。

見応え【重文】ではありますが、江戸期の再建のためか奈良の知名度に拠るのか…。

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見真大師堂
明治45年建立で親鸞聖人坐像を本尊とする。

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弘法大師堂
本尊の60歳弘法大師像は大師自ら三鈷を以て刻まれたと伝わるが…。

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念仏堂
本尊は阿弥陀如来像で、善光寺48願所中の第13番札所。

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客殿
天正年間に、当国高屋城が陥落した際の古材で建てられた。

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聖光明院
太子に仕えた調子麻呂が太子の葬送後も留まって菩提を弔った場所に建てられた。

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宝塔近影

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宝塔の垂木

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金堂と宝塔

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高台ににある御廟所と浄土堂

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叡福寺と聖徳太子 説明書  ¥50

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叡福寺御朱印

 町内のマンホール蓋は太子所縁の図柄がデザインされています。

下水の蓋に畏れ多いとも言えますが、「和を以て尊しとなす」という意向からは外れていない気がします。

きっと下水の【法隆寺】には活躍してくれる筈。

 生前の推古二十八年(620年)に太子はここを陵墓の地と定め、自ら人夫督励して墳墓を造営したとあります。

最初は 「聖徳太子ともあろう人が…」 と思いましたが、よく読むと自分の子孫が続かず断絶させるためだったとか。

「名臣・名君と呼ばれた人も必ず不肖の子がでて碌な最後にならない」 と中国の歴史書を読んで分かっていたのでしょう。

その予想通り、太子の死後皇子の山背大兄王一族は蘇我氏との抗争により滅亡しました。

「徒然草」にあるエピソードです。

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太子町マンホール蓋
但し、カラー版は観光交流センターにある1つだけ

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太子町マンホールカード    配布場所はこちら

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意賀美(おかみ)神社(大阪府枚方市) 梅の香りに包まれた神社の御朱印

2019.02.27(17:59) 149

梅を拝みに意賀美神社(2019.2.24)

<コース> 日中は10分間隔で運転
京阪電鉄淀屋橋(9:40) → 枚方市(10:01 → 交野線10:05) → 宮之阪(10:07) →徒歩5分 → 百濟王神社 → 徒歩20分 → 意賀美神社 → 枚方市(12:02) → 淀屋橋(12:23)

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意賀美神社(式内社)

 百濟王神社の後は、線路伝いに意賀美神社へ。線路横にある万年寺山への坂を上ります。

元来、ここには長松山万年寺があり、開祖の聖宝上人が貞観十四年(872年)に須賀神社を勧進。

意賀美神社はここより南の伊香色男・色女の邸内にあったと伝えられます。

字面を見ると凄い名前ですが、どんな夫婦だったのでしょうか興味が湧きます。

 万年寺は明治三年に廃寺、その後明治四十二年に意賀美神社は手狭になったので須賀神社及び近隣の日吉神社を合併。

須賀神社のあったこの地に遷座しました。神社にもM&Aがある訳ですが、なぜ意賀美神社の名を採用したのかの謎は残ります。

 拝殿に行きましたが境内は狭く山の上に乗っている感じ。

どうせならもう少し広い所を選んだ方が良かったのではと思いましたが、山上という立地が好ましかったのでしょうか?

 意外と人が多いと思ったら 「食と暮らしのフェスティバル」 で出店が多く出ている模様。

自家製のパンやら小物やらで観梅よりも観買の方が多かったかもしれません。

お腹が空いたので何か買おうと思いましたが【完売】でした。

枚方市は五六市など集客できるイベントを率先して行っているようで、東海道五十七次の宿場で人気No.2になっただけの

ことはあります。

 梅林を通り抜けて神社に参りましたが、専ら家族連れで【梅林ギャル】は居らず。

名前が 「若意賀美神社」 なら今度の 「おけいはん」 の様な女性が来るのでは?

などと【百濟】ない事を考えながらの巡礼とはなりました。

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京阪本線横にある万年寺山参道

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神社手前にある梅林   入園無料。

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二の鳥居

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長松山萬年寺石標と十三重石塔
この付近は『万年寺山の緑陰』として枚方八景になっている。

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社殿
第一室戸台風で大破した旧殿に代わり昭和10年に建造された。

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社殿奥の本殿

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旧社殿
第一室戸台風で倒壊したものを立て直し神楽殿として使用したが、いまは旧社殿としてのみ残る。前は、衣類の販売。

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旧社殿の彫刻
これだけでも残す価値はあった。

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竜虎の彫刻

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式内 意賀美神社略史

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意賀美神社御朱印

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梅林横にある秀吉築の御茶屋御殿跡から淀川を望む

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枚方宿の面影を伝える「鍵屋資料館

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枚方公園駅前郵便局 ; 意賀美神社の梅、十三重石塔

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百濟王神社(大阪府枚方市) 天野川を望む高台にあるロマンチックな神社の御朱印

2019.02.26(21:00) 148

枚方に渡来人の跡を尋ねて(2019.2.24)

<コース> 日中は10分間隔で運転
京阪電鉄淀屋橋(9:40) → 枚方市(10:01 → 交野線10:05) → 宮之阪(10:07) →徒歩5分 → 百濟王神社

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百濟王神社

 「京阪沿線 梅の名所」というパンフが駅にあり貰って眺めると、枚方市駅の傍に梅園がある模様。

気候も良いので観梅がてらに出掛けました。

 天野川近くに来ると百濟寺跡があったと思い出し、礎石でも見ようと言ったところ、そこは百濟王(くだらおう)神社がありました。

地元にいて全く知らずにいたのも情けない話ですが、早速御参り。

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百濟王神社への階段   中宮交差点から直ぐの道路沿い。

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階段を上った所に立つ鳥居

 この神社の由緒を貰ったパンフで見ると、

『天智天皇二年(663年)白村江の戦いで日本・百濟の連合軍は唐・新羅に敗れて百濟は滅亡。多くの百濟人が日本に移住。

持統天皇七年(693年)に百濟第三十代義慈王の子・善光(禅広)は「百濟王(くだらのこにきし)」という氏族名を賜り、

百濟の亡命貴族等を率いて朝廷に仕えた。

聖武天皇の御代に陸奥守であった百濟王敬福(善光の曽孫)が東北で見つけた黄金を大仏塗金の為、900両献上。

その功績に拠り敬福は従三位・河内守に任ぜられ、河内國交野郡中宮に領地を貰い移り住み、

その後、百済寺と神社を建立した。』

とあります。恐らく事実を伝えているのでしょう。

 平安京遷都の桓武天皇は母高野新笠が百済系で家臣にも百濟王の一族を取り立てており、

坂上田村麻呂も渡来人の系譜に連なります。この地を訪れることも度々で 『百濟王は朕の外戚なり』 との詔勅も発しています。

傍系から天皇の位に就いた事で宮中に気の許せる臣下が少なかったからでしょうか。

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神社東側にある百濟寺跡の礎石
ここは西塔で金堂は左手と推定されている。

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西塔跡から神社方面を見る

 その後、嵯峨・仁明天皇の時代は一族の女性を天皇家に送り込みますが、藤原氏の時代となり百濟王氏も衰え、

平安中期には百濟寺も焼失。いまは神社を残すのみとなっています。

神社の御祭神は百濟王(くだらおう)と進雄命(すさのうのみこと:牛頭天王)。

 唯、神社も古代から継続していた訳ではなく、江戸中期の1700年頃にこの辺りを新田開発した人々が土地神である

百濟王神(くだらおうがみ)と進雄命を祀ったと地元では考えられているとか。

百濟王族の誇りと、戦で国を失ったという意識からではないようです。

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鳥居正面にある拝殿   平成十四年の建築。

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拝殿奥の本殿

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神社の説明板

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鳥居右手にあるかつての拝殿

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旧拝殿内には地元の方々が不要の雛人形を奉納

 対応して下さった妙齢の権禰宜の話では、

権禰宜:「神社の記録は氏子の家に保管されていましたが、戦時中の昭和14年3月1日の火薬庫の爆発事故で殆ど焼けてしまいました。」

鉄丈:「お寺を再建する話はあるのですか?」

権禰宜:「再建しようにも記録がないので難しく、また宗派の問題もあって遺跡のままにしています。」

鉄丈:「中宮や宮之阪の地名はこの神社由来でしょうか?」

権禰宜:「よくわからないのですが、桓武天皇はこの辺りの宮で祈祷を行っていたと言う話を聞いた事があります。」

 修羅場を潜り抜けて皇位についたものの怨霊に悩まされ続けた帝らしい話です。

鉄丈:「埼玉県日高市に高麗神社というのがありますが。」

権禰宜:「時々、こちらにもお見えになります。それから韓国からの修学旅行生が結構ここを訪問する事が多いです。」

鉄丈:「色々と知って居られますね。」

権禰宜:「仕事ですからね。」

時代は移っても、歴史は【韓流】しているという事でしょう。

 枚方・交野周辺には王仁博士の墓など渡来人の旧跡と、星・妙見信仰も見られます。

教団としての道教は日本では発達しませんでしたが、これは道教の影響ではないかと大昔に大学の講義で習った事を

思い出しました。

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特別史跡 百濟寺跡  百濟王神社 説明書

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百濟王神社御朱印

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枚方郵便局 ; わが国初指定史跡公園・百濟寺公園、市花・菊
枚方宮之阪郵便局 ; わが国初指定史跡公園・百濟寺公園、桜

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楠妣庵観音寺(大阪府富田林市) 楠公夫人の隠棲した庵の御朱印

2019.02.25(17:30) 147

南北朝時代に於ける一夫人の生涯(2019.2.23)

<コース>
御堂筋線梅田(10:07) → 中百舌鳥(10:40 → 南海電鉄10:45) → 河内長野(11:05) → 南海バス3番乗場(11:15) → 観心寺(11:25) → 観心寺 → 徒歩30分 → 楠妣庵観音寺金剛バス東條線 東甘南備(14:10) → 富田林(14:30) → 近鉄富田林(14:43) → 近鉄阿部野橋(15:17)

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峰條山楠妣庵観音寺(臨済宗妙心寺派)

 入麺を食べた後は入念に地図を見て、河内長野から山を越えて富田林へ徒歩30分。

峰條山楠妣庵(ほうじょうさんなんぴあん)観音寺の寺伝では、

『楠木正行(小楠公)が1339年に吉野の行宮で崩御した後醍醐天皇のために河内の峰條山の一角、

甘南備に帝の念持仏千手観音を祀ったのが始まり。

 その後、四条畷の戦いで正行・正時が戦死した後、母親で正成正室の久子がここに草庵を結び余生を過ごした。』

と言われます。

久子は甘南備の豪族南江氏の出身。二十歳で正成に嫁ぐまで兄から厳格な教育を受けました。

嫁いでからは六子を設け、正成征戦の折は留守を預かり子供を教育してその功を称えられたと言います。

湊川の戦いで敗れた正成の首級が届けられた際には、自害しようとする正行を諭して留めた女性でもありました。

隠棲後は名を敗鏡尼と改め、一族の菩提を弔い在住十六年にして正平十九年(1364年)六十一歳で生涯を終えたと言われます。

 現在と単純に比較はできませんが、当時としては長命であり夫に加え我が子も戦で亡くした後の十六年間の余生は

彼女にとって人生の半ばを過ぎるものであったのではと思います。

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観心寺から歩くとこちらの裏門入口へ

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甘南備バス停にある石標   こちらが正門

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山門   
山梨県恵林寺塔頭青松軒にあった四脚門を昭和39年の夫人六百年祭に移築。右にあるのは大楠公石像

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山門前にある楠母子像
夫人久子が正行を持仏堂で訓戒の像で、大楠公六百年祭り(昭和10年)に竣工。久子の詠は
・世の憂きも 辛きも忍ぶ 思いこそ 心の道の 誠なりけり

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境内の遠景

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観音寺本堂   大正十一年に完成。

 その後、明治六年に廃寺となりますが、大正時代に篤志家加藤鎮之助が購入。

建築家伊東忠太により南北朝様式の観音堂・草庵が再建されました。本堂から階段を上がった墓所の地です。

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観音堂への階段

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再建に尽力した加藤鎮之助像

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階段上から本堂を望む

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夫人久子が十六年隠棲した草庵
大正四年に伊東忠太により南北朝時代の様式で再建。大正六年には東宮であった昭和天皇が行啓された。

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草庵横の庭

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観音堂
草庵同様、伊東忠太により再建。

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観音堂横の久子夫人の墓

 近くには昭和天皇と秩父宮様が大正時代に植樹された楠がありますが、秩父宮様の楠の方が大きくなっているのが不思議。

天皇家にとって楠木氏は忠臣だからでしょうが、それでは足利氏とは不仲なのかというと、足利家先代当主の

足利惇氏(あつうじ)氏は学習院時代に昭和天皇の御学友だったそうです。

また氏の夫人は足利義教を弑逆した赤松氏の流れを汲む有馬家の姫ですので、高貴な方々の事は庶民には理解し難いです。

カーナビが無いと不便な甘南備にありますが、楠木氏に【観心】のある人にはお勧めの寺院です。

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昭和天皇御手植えの楠

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秩父宮様御手植えの楠    日当たりが良好か?

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左が観音堂への石段

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楠妣泉
裏門を出た所にあり、今も清泉が湧き出ているとか。

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楠妣庵観音寺説明書 ¥100

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観音寺御朱印

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観心寺(大阪府河内長野市) 梅の期間限定御朱印と菊楠マンホールカード

2019.02.24(17:34) 146

皆の関心事は楠公・梅(2019.2.23)

<コース>
御堂筋線梅田(10:07) → 中百舌鳥(10:40 → 南海電鉄10:45) → 河内長野(11:05) → 南海バス3番乗場(11:15) → 観心寺(11:25) → 観心寺

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槇尾山観心寺(高野山真言宗 遺跡本山 関西花の寺二十五ヵ寺第二十五番霊場)

 二月も半ばを過ぎ世間の関心事は梅の開花。そこで南河内の観心寺へと繰り出しました。

 河内長野にある槇尾山観心寺(まきおさんかんしんじ)は大宝元年(701年)役行者が開創した雲心寺が始まり。

その後、空海が大同三年(808年)に北斗七星を勧請し、更に弘仁六年(815年)に自ら彫刻した如意輪観音を安置し

寺号を「観心寺」としたとあります。

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観心寺山門

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山門脇の梅

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山門を通り左にある梅園にて

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 弘法大師も井戸や温泉を掘るだけではなく彫刻もして大忙しですが、本尊の国宝如意輪観音の製作年代は空海よりも

少し時代が下るので、これは伝説の域。

事実上の開基は天長四年(827年)空海の直弟子の実恵とされます。

但し観心寺には奈良時代の仏像も数体伝来するので、平安以前の開基というのは案外本当かもしれません。

 古い由来にも増して、ここが有名なのは中世に政治の舞台に登場するようになった事。

金剛山周辺は楠木氏の勢力範囲で、観心寺は楠木氏の菩提寺でもあります。

境内には楠木正成(大楠公)の学問所跡もありました。

歴史上『悪党』と記録される正成ですが、千早城の興亡も孫子の兵法に通じた面があり学問を修めたひとかどの人物で

あった事が分かります。

 正成は後醍醐天皇の命を受け金堂造営に着手、また建武の新政の成功を祈願して三重塔の建立を計画しましたが、

湊川の戦で討死。塔は建築が中断され建掛塔として今に伝わりました。

尚、正成の首級は足利尊氏によってここに届けられ境内に祀られています。

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楠公学問所 中院
奥の中院では写経と土日には瞑想が開かれる。

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金堂への階段

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常夜灯にも菊水紋が

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池越しに拝殿を望む

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重文・訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)

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訶梨帝母天堂の裳階部分

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重文・恩賜講堂

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境内にある星塚
北斗七星を祀る日本で唯一の寺なので七つの星塚が境内にあり巡る習わしである。

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国宝・金堂
正平年間(1346~1370年)の建立。和様と禅宗様の混在した折衷様式。

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金堂前にある大師の礼拝石

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本尊の国宝・如意輪観音は4月17・18日のみ特別開帳

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金堂全景   よく写真に使われるアングルである。

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建掛塔
三重塔の一重目だけが造られた未完成の建築。

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建掛塔垂木部分

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建掛塔と金堂

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御影堂

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開山堂

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開山堂横にある大楠公首塚

 また楠木氏との関係からここは吉野・賀名生に続く南朝の行在所(あんざいしょ)にもなり、境内には後村上天皇陵があります。

仮の都とは言えなぜここに行在所を持って来たかですが、高野山・吉野へは山伝いに行けば意外と近く、

修験者の勢力を恃んだものと思えます。

行を「あん」と発音するのは中国宋王朝時代の音で、鎌倉時代に禅宗と共に伝わった呼び方。

仏教伝来時は「ぎょう」、遣唐使時は「こう」と音読みも三通りあります。

『東方見聞録』でマルコ・ポーロが南宋の首都杭州を「キンザイ」と発音しており、長らく由来が不明でしたが、

桑原隲蔵(じつぞう)博士が仮の都の行在に由来する説を唱え定説となりました。

 室町以降は管領畠山氏の庇護を受けますが、信長に拠り寺領没収。

豊臣秀吉・秀頼親子によって再度庇護を受けるという浮沈を経験します。

江戸時代には槇本院檀家の甲斐荘(かいのしょう)氏が中心となって伽藍を維持しました。

甲斐荘氏は徳川光圀に拠り旗本に取り立てられた楠木正成の子孫で、日本画家の甲斐荘楠音(ただおと)も一門に連なります。

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後村上天皇御旧跡(旧惣持院跡)

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後村上天皇陵への石段

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後村上天皇陵

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山門前の大楠公銅像

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観心寺子院 旧槇本院
いまは「創作料理 KU-RI」 として使用され月・火・水 限定20食(¥2,500)の完全予約制。二か月前からの予約だが早々と完売になるようである。

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旧槇本院

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観心寺説明書   拝観料¥300を払うと頂ける

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観心寺御朱印    梅の期間限定版

 昼食は門前の「阿修羅窟」で入麺を注文。凄い店名ですが店内のも仏教や民族関係の品々が飾られていました。

会計の時に年配の女性に尋ねると

鉄丈:「こちらのお店の方は仏教に関係があるのですか?」

女性:「亡くなった主人がお寺の出なもので。」

鉄丈:「この辺りのお寺ですか?」

女性:「目の前です。」

鉄丈:「観心寺の方でしたか。」

女性:「兄が先々代の住職で、今は御孫さんがされています。六人兄弟で五人がお坊さんになり主人だけが違う道に進みました。」

鉄丈:「会社員をされていたのですか?」

女性:「仏教の研究をしていてよく印度を訪問していました。そこに晩年の著作がありますよ。」

と本を見ると佐藤任(たもつ)著とあり、空海や密教を研究された著名な方のようです。

唯、本の内容はまだ難しそうなのでもっと【入麺】に学ぶ必要がありそうです。

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昼食を摂った「阿修羅窟」

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店内の様子

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入麺 ¥700

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河内長野市マンホールカード    配布場所は「道の駅 奥河内くろまろの郷

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河内長野郵便局 ; 重文・天野山金剛寺多宝塔、観心寺建掛塔、天然記念物・夕照の楓
河内長野高向郵便局 ; 花の文化園・ピラミッド型大温室、梅、サクラソウ

[参考書]

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八尾地蔵尊(大阪府八尾市) 盆踊りの寺の御朱印と木綿のマンホールカード

2019.02.20(23:25) 143

庶民のパワーと河内音頭(2019.2.18)

<コース> 近鉄電車は日中10分間隔で運転
JR大阪 → JR鶴橋 → 近鉄鶴橋 → 近鉄八尾 → 徒歩5分 → 八尾地蔵尊

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初日山常光寺(臨済宗南禅寺派)

 大阪府は旧国名では摂津・河内・和泉の三国。河内に住んで随分になりますが、本来の河内と呼ぶのはどの辺りでしょうか?

 いまはJR環状線周辺が栄えていますが、江戸時代以前は大阪湾に続く巨大な内陸湖があったようで中心は現在より東側。

藤井寺に旧国府跡があって、誉田山古墳(応神天皇陵)などの古市古墳群もあり古代より重視されたのが分かります。

 この日は藤井寺の北の八尾に所用があり、空き時間を見つけてちょっと立ち寄り。

初日山常光寺(しょにちざんじょうこうじ)は近鉄八尾駅から直ぐにあります。

寺伝によると、聖武天皇の勅願で行基が創建。

奈良時代の弓削道鏡は河内の出身なので開祖にしても良いとは思いますが、政治的に微妙な立場にあり、

【道鏡】の人よりも【行基】の良い人に軍配が上がったのでしょうかね?

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外から見た常光寺三門(楼門)
江戸時代末期から明治初期にかけ建築

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境内から三門を見る

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境内の様子

 弘仁年間(810~824年)には六道の辻でお地蔵さまに出会ったと言う小野篁が木造等身大の地蔵菩薩を作り安置した

と言われます。お地蔵さまに会うのもなかなかのものですが、現世と冥界を行き来した篁ならではの伝えと言えましょう。

 狂言の演目に『八尾』というものがあって、地獄に落ちる筈の人間が八尾のお地蔵様の力で極楽にいく話です。

これも篁の伝説からの発送でしょうか。誰も【冥界】な答えは見つけていないようですが…。

 平安時代の寛治二年(1088年)には白河法皇が熊野詣の途中に立ち寄るなど、都にも知られた寺でしたが、

南北朝時代に南朝方になったため兵火で焼失。

その後、至徳二年(1385年)に藤原盛継の手で復興し翌年には将軍足利義満から「初日山」「常光寺」の扁額を寄進されています。

尚、現在の地蔵菩薩はこの頃に造られたもののようです。

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本堂    天明二年(1782年)築の入母屋造り。

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阿弥陀堂   明和九年(1772年)築の宝形造り。

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庫裡と方丈   御朱印はここで拝受。

 1615年の大坂夏の陣では一帯は激戦地になりましたが、寺は家康の政治顧問の以心(金地院)崇伝の配下にあったため無事。

南北朝の教訓が生きたと言えますが、家康が『寺を荒らすな!』と言った事が【以心伝心】伝わったのが大きかったと思います。

 唯、ここでは藤堂高虎と長曾我部盛親の激戦があり多くの死傷者が出ました。

勝者の藤堂側も一門や多くの家臣を失いましたが、これは徳川方に二心のない事を示す為だったとか。

主君を渡り歩いた事で戦国武将としての評判は芳しくない高虎ですが、家臣を抱える身としては辛い所があったのでしょう。

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方丈横の庭園
禅宗らしく砂で波紋が描かれている。この奥に藤堂藩の戦死者の墓がある。

 以後、江戸時代は平穏で特に後半は河内木綿の一大産地として栄えます。

その肥料が蝦夷地のニシン粕でしたので、北前船を通して全国に繋がっていました。

どこの人も【北前】という開放的な町となります。

 大阪人にとって八尾といえば河内音頭ですが、その原型は南北朝時代に再建された常光寺での木遣り歌

「流し節正調河内音頭」とされています。お盆の供養の時に関係者の間で歌われたものが、外に広がったものです。

『こんなオモロイもの、寺だけに独占させる事あらへん!』 と言った感じでしょうか。

その後、歌詞に色々な要素を取り入れることで全国的に。

大坂夏の陣以降、大阪人は徳川嫌いなので、御政道批判の歌詞などが一層拍車をかけた様です。

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山門脇にある河内音頭発祥の碑
塩川正十郎書というのが時代を感じる。

今でも8月23・24日に地蔵盆踊りが開催されていますが、お寺の方に伺った処、

『常光寺は檀家がなく、どなたでも参加OK』

との事でした。

地域の活動が衰退している昨今ですが、有り余った力を発散できる場としても見直す必要があるのではないでしょうか。

何事も【木綿】ないのが一番と思った次第です。

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盆踊りにはこの境内が人であふれる

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本堂前の大楠    盆踊りではこの辺りが櫓か?

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常光寺説明書

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常光寺御朱印

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駅近くにある「與兵衛桃林堂
代々河内木綿の問屋で、大正期に板倉家が移り住み、菓子屋を営む。

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八尾市マンホール蓋

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八尾市マンホール蓋(市制70周年)

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市役所西館にある説明

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八尾市マンホールカード    配布場所はこちら

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八尾郵便局 ; 河内音頭、高安山気象レーダー観測所
八尾駅前郵便局 ; 府天然記念物・楠、綿、高安山

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獅子窟寺(大阪府交野市) 獅子の口に似た巨石のある寺院の御朱印

2019.02.17(20:48) 140

獅子の岩屋に籠った話(2019.2.16)

<コース> 日中15分間隔で運転
JR北新地(13:29) → JR河内磐船(14:00) → 徒歩40分 → 獅子窟寺

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普見山獅子窟寺(高野山真言宗)

 節分に磐船神社に参拝しましたが市内にはもう一ヵ所岩で有名な寺院があり、画竜点睛を欠くので2週間後に再び交野市へ。

平成5年の正月にJR河内磐船駅で押印したスタンプの図柄が獅子窟寺。この寺の名を知ったきっかけですが、

どのような所か気になったので平成6年10月10日に訪れています。今回はそれ以来の再訪となりました。

JR河内磐船駅から徒歩10分で案合板の前。後は勾配のきつい山道を20分歩いて境内に到着。

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JR西日本アーバンネットワークのスタンプ
平成5年1月3日押印。スタンプマニア(押し鉄)の間では評判は今ひとつだが、個人的には気に入っている。

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獅子窟寺案内板

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このような坂を20分只管登る    因みに自動車通行可能。

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約15分で寺の道標に到着

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かつての仁王門跡   再建予定はなさそう。

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仁王門を過ぎて左手にある「お大師さまの水」

 普見山獅子窟寺(ふけんざんししくつじ)は、伝承に拠れば

『文武天皇の頃に役行者が開き、聖武天皇の勅命で行基が諸堂を建立。

獅子窟とは獅子の咆える口に似た岩窟のことで山岳信仰の場であった。

更に平安時代には空海がここで修法を行った。』

とあります。

獅子の口の岩窟の前で 「喰うかい?」 と言ったかどうかは知りませんが、仏教界の御三家が関わっているのも凄い話です。

全国に足跡のある三名ですが、役行者は葛城、行基は和泉、空海は讃岐出身で都に東寺を開いていますから、

信憑性は高いと思います。

 中世は多くの伽藍が並んでいましたが、大坂夏の陣で豊臣方につくのを拒否したため焼き払われます。

日本仏教史上のスーパースター3人の力も通じなかったのでしょうか。

 本尊の薬師如来坐像は大和に難を逃れ寛永年間に戻って来ました。1m足らずですが榧の一木造りで平安時代の作で国宝。

収納庫にしまわれて拝観できないと聞いていましたが、予約すれば拝観できるとの事、調査不足が悔やまれます。

御参りの人は少なく、すれ違ったのは殆ど年配のハイキングの人々でした。

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境内の様子

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本堂(瑠璃殿)   江戸時代の再建。薬師如来を祀るが国宝なので収蔵庫に保管。

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本堂横の天福岩
災い転じて福となすとの謂いで、この岩に抱き着いて1回だけ願いをする習わしだそう。天福ではなく転福と思うが福が転んで逃げるのを防ぐためか?

 本堂横の階段を上がっていくと巨石群がありますが、石段が崩落の危険があり上から迂回して参拝。

斜面が急なのと高い所にあるので、ここに籠る修行は厳しいと感じました。

生駒山系には巨石が多く、磐船神社も獅子窟寺も同じような起源でしょうか?

またこの道を登って行くと奈良県に入るので、大和と河内を結ぶルートとして栄えたとも思えます。

 25年前に訪れた時は河内森駅から徒歩30分以上歩いた記憶はありますが、ここまで坂道が急だった記憶はなし。

やはり四半世紀は体力の衰えを感じるのは十分な時間でした。

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本堂横の石段を登ると巨石群へ至る

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横から見た獅子の岩(女岩)
左の石段が崩壊寸前なので、岩の上を過ぎて獅子の口に行く

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獅子の岩の丁度上を通過

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獅子の岩に到着
岩の下は丁度人が籠れる位の広さである。

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正面から見た獅子の岩

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巨石群へ向かう山道から見た本堂

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巨石群の中で最大とされる八丈岩

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境内に戻って市街地を見渡す
標高は200m余りだそう。

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獅子窟寺御朱印   25年前のもの

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交野市立教育文化会館(市内の見所その1)
昭和四年に交野無尽金融株式会社の社屋として建造。現在国の登録文化財。

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北田家住宅表門(市内の見所その2)
通常、代官屋敷と呼ばれる。北田家は南朝北畠氏の子孫で江戸時代にはこの辺りの代官を務めた。1714頃の建築。

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山野酒造株式会社(市内の見所その3)
交野に二つある酒蔵の一つで「片野桜」が有名。

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JR河内磐船駅にある交野市マンホール蓋
カラー版はここだけ。

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交野市マンホールカード    配布場所は交野市役所

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交野郵便局 ; 国宝・獅子窟寺薬師如来像、源氏の滝

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石切劔箭神社(大阪府東大阪市) 剣と矢を祀る神社の切れ味鋭い御朱印とラグビーの町マンホールカード

2019.02.15(17:28) 138

ラグビーの町にあるでんぼの神社 (2019.2.13)

<コース>
JR大阪(10:06) → 鶴橋(JR10:22 → 近鉄10:24) → 区間準急 → 近鉄枚岡(10:42) → 徒歩3分 → 枚岡神社 → 近鉄石切 → 徒歩15分 → 石切神社

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石切劔箭神社(式内小社)

 枚岡神社参拝の後は、近鉄電車で生駒方面へ二駅の石切で下車。

ここから石切劔箭神社(いしきりつるぎや)まで1㎞余り下ります。

 細い参道の両脇には93軒もの店が並び、

『古き良き「昭和」の人情と文化に触れる、こころが元気になれる通り』 というのが謳い文句です。

 今では近鉄けいはんな線新石切駅が開業して駅から徒歩5分で神社に着きますが、

歩く距離は長くとも石切駅経由の方がノスタルジーに浸りながら参拝できるのでお勧めと思います。

 食べ物や漢方薬の店以外に占いの店が十軒。大阪人として占いはあまり信用しない人が多いと思っていましたが、

ここは例外なのでしょうか?

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石切参道商店街を下り三之鳥居前へ

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二之鳥居
けいはんな線の新石切駅から向かうとこちら

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絵馬殿

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三之鳥居

 古社ながら大阪では「でんぼ(腫物)の石切はん」と庶民的な神社、御神体は剣(劔)と矢(箭)でどんな痛みも

この剣矢で治してくれると信仰されています。腫れ物に触るような扱いはないようです。

また本殿と神社前の百度石を回るお百度参りが有名で、参拝した時も大勢の方が右回りにお参りされていました。

 石切劔箭神社は

『神武天皇二年に生駒山中に可美真手命(うましまでのみこと)が父である饒速日尊(にぎはやひのみこと)を祀ったのが始まり。

その後、崇神天王の御代に可美真手命を現在の本社に祀った。』

と社伝にはあります。

 但し、歴史的には神話の時代で確実な記録は延喜元年に成立した『日本三大実録』が初めとなります。

その後の記録は足利時代に消失してしまったとそうです。

 枚岡神社同様に生駒山の山岳信仰が母体にあって、後世になって創建の記録が加わったのでしょう。

そういえば交野市の山中にある岩船神社の祭神も饒速日尊ですので、河内東部には饒速日尊を崇拝する物部氏が

勢力を持っていたからと想像は膨らみます。

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本殿   お百度参りの人々が

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社務所ではお百度グッズも販売

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本殿横の御神木の楠

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本殿横の橋

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後ろ側から見た本殿

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神楽殿

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授与所奥にある庭園

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石切劔箭神社 参詣のしおり

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石切劔箭神社御朱印 ¥300    二十代と思しき神職の墨書。

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東大阪市マンホール蓋   市役所東側にある。

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東大阪市マンホールカード    東大阪市下水道計画総務室 にて配布

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枚岡神社(大阪府東大阪市) 生駒山麓の河内國一之宮の御朱印

2019.02.14(17:32) 137

生駒西麓に佇む河内國一之宮 (2019.2.13)

<コース>
JR大阪(10:06) → 鶴橋(JR10:22 → 近鉄10:24) → 区間準急 → 近鉄枚岡(10:42) → 徒歩3分 → 枚岡神社 → 近鉄石切 → 徒歩15分 → 石切神社

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枚岡神社(河内國一之宮 旧官幣大社)

 河内に長らく住んでいて各地の一之宮に参拝しながら地元の一之宮にお参りしないのは流石にどうかと思ったので

遅まきながら枚岡(ひらおか)神社に参拝しました。

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金鉄枚岡駅を出て坂を上った所にある二の鳥居

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参道広場

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拝殿への階段入口

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拝殿への階段

 場所は河内東部の生駒西山麓に西向きに鎮座されています。頂いた御由緒によれば、

『神武天皇が即位された皇紀前三年。東征の砌、天児屋根命・比売御神の二柱を本殿背後の神津嶽に祀られたのが始まり。

その後、孝徳天皇白雉元年(650年)に中臣氏の一族枚岡連が現在の位置に移し、

更に宝亀九年(778年)に経津主命・武甕槌命の二柱を加えて四神となる。

和銅年間には藤原不比等によって天児屋根命・比売御神の二柱が春日大社に分祀された事から元春日とも呼ばれる。』

とあります。

 皇紀前三年は縄文時代なので多分に伝説がかっていますが、神津嶽の名前から山岳信仰のあったものを

中臣氏が氏神とした時に結びつけたものでしょう。

 当初は平岡神社であったのが後に枚岡となったようです。府下には枚方市もありますが、ここも「平潟」が由来とか。

枚数を数える時に「ひとひら、ふたひら」と呼ぶ雅語を持って来たのでしょう。

なかなか昔の河内人は優雅なセンスを持っていたようです。

 その後、中臣氏・藤原氏の庇護を受け河内國一之宮として揺るぎない地位を築きました。

場所的には難波の外れですが高台にあるため大阪湾に至るまで一望に見渡せるのが利点。

 為政者にとって人民の動きを把握するのは不可欠だったからでしょう。宗教の発展には権力と結びつくのが近道です。

尚、明治までの神官は中臣氏子孫の水走(みずはや)氏が務めていたそうです。

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拝殿

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社務所   御朱印はこちらで拝受

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拝殿と奥にある本殿
四柱を祀るが工事の為、見えず。

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巽参道を通り梅林へ

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楠木正行公(小楠公)所縁の井戸
高師直の軍勢との四条畷の戦いの一部と言うが…。

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梅林から市街地を望む

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枚岡神社由緒記 ¥100

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枚岡神社御朱印 ¥500

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枚岡郵便局 ; 枚岡公園の桜、枚岡梅林、生駒山
東大阪花園郵便局 ; 花園ラグビー場、ラグビー選手、生駒山

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忍頂寺(大阪府茨木市) 平安より続く山岳修行寺院の御朱印

2019.02.12(21:26) 135

隠れ切支丹の里と山岳修行寺院の盛衰 (2019.2.12)

<コース>
阪急梅田(7:37) → 阪急茨木(7:55) → 阪急バス忍頂寺線(8:10) → 忍頂寺(9:01) →徒歩5分 → 忍頂寺 → 徒歩45分 → 阪急バス 団地入口(10:48) → JR茨木(11:15)

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賀峰山寿命院忍頂寺(高野山真言宗)

 大阪府下には面積が広く端の方は山間地という市が幾つかあります。摂津地区では茨木・高槻がそうですが、

その茨木市に忍頂寺(にんちょうじ)というバス停があって調べてみるとその名前の寺もある模様。

一体どのようなお寺なのか気になって訪れることにしました。

 阪急茨木駅からのバスは朝という事もあって渋滞もありましたが、市街地を抜けると人家も少なくなり

すれ違いも難しい細い道路を50分、目的地に到着。

 賀峰山寿命院忍頂寺(かぶさんじゅみょういんにんちょうじ)は、

竜王山(別名忍頂寺山、標高510m)の麓に位置する高野山真言宗の古刹。寺伝によれば

『聖武天皇の御代に行基が創建した。』

とありますが、百年後の仁寿元年(851年)勝尾寺三世の証道上人の弟子三澄が開基したと言うのが実際の所のようです。

 当初は神岑山寺(かぶさんじ)と言っていましたが、貞観二年(860年)に清和天皇より忍頂寺の名を贈られ勅願となりました。

いまでも山号は賀峰山(かぶさん)ですし、高槻市郊外には神峰山寺がありますから名前が【かぶさん】ように変えたのでしょうか?

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山門への階段    途中に栗が落ちていた。

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山門    忍頂寺の山額が架かる

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境内から見た山門

 全盛期には23もの寺坊を有する山岳修行の聖地で、付近の地名や山の名前にも残る位でしたが、

今は支院の一つであった寿命院が忍頂寺として残っているだけでした。

 栗は落ちていましたが庫裡はなく寺務所も見当たらないので本堂脇にある御自宅と思しき場所を訪問。

住職夫人と思われる年配の女性が対応して下さいました。

夫人「よくこんな所まで見えられましたね。」

和辻「かつては大きな寺院だったと聞いたもので。檀家は居られるのでしょ。」

夫人「いいえ、この寺は檀家はなしです。」

和辻「境内にお墓がありますが…。」

夫人「あれはこの辺り一帯に散らばっていたものをここに集めただけですから」

和辻「お寺も大変ですね。」

夫人「この辺りは皆大変です。幼稚園と中学も無くなって1時間に1本のバスで市街地に出ています。

小学校も全校27人ですから、どこまで続くか…。」

 御朱印を拝受して御礼を述べて失礼しましたが、このような場所まで限界集落になってしまうのかと唖然とした気持ちでした。

 路線バスが1時間来ないので道路を市街地に向けて下る事40分、目の前に住宅地が出現。

一戸建てでしたが丘を切り開いて大規模に造営した様子。

 バス停に行くと駅へ向かうバスは20分毎で乗客も多く主要な路線と思われます。

徒歩で40分なので大した距離ではないのでもう少しバスを延長するとか方法はないものでしょうか?

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本堂    薬師如来を本尊として祀る。

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観音堂   聖観音が本尊。

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説明板

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鐘楼    梵鐘には「寛文四年三月三日鋳鐘」の銘が。右脇は小織姫明神の碑が。

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本堂裏手にある五輪塔    花崗岩製2.3mで元亨元年(1321年)の建立。

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五輪塔の説明

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五輪塔から境内を望む

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本堂東にある鎮守社の八所神社    勿論、無住である。

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階段を上った所にある八所神社本殿

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忍頂寺と竜王山はみどりの百選に選ばれている

 忍頂寺も寺院の例に漏れず時代の動乱を受け焼失を繰り返しますが、キリスト教の影響で寺院を焼かれ、キリシタン大名の高槻城主高山右近に寺領を没収されたのが痛手だった気がします。

 江戸の寛永年間には石橋院栄尊が復興を図り、領主も支援したようですが再び衰退。江戸時代には禁制の切支丹でしたが周辺の千提寺・下音羽地区は隠れ切支丹の里と呼ばれた場所、住民が仏教に冷淡であったのが影響したのだと思います。

 文化的遺物が破壊されるのは戦争よりもそこで生活する人間に拠る方が多いとは洋の東西を問わず言われる事です。尚、教科書にも載っている有名な「聖フランシスコ・ザビエル肖像画」はここ千提寺の旧家から大正時代に発見されたものである事も付け加えておきます。

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忍頂寺御朱印

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見山郵便局 ; 竜王山、龍仙の滝、忍頂寺スポーツ公園のテニス
大岩郵便局 ; 伝統芸能・大岩太鼓、竜王山

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磐船神社(大阪府交野市) 船形巨石御神体とどっしりした御朱印

2019.02.03(21:05) 127

今年の恵方は磐船神社(2019.2.3)

<コース> 京阪電車は日中10分間隔で運行
京阪淀屋橋(9:50) → (京阪特急) → 京阪枚方市(10:11→10:15) → 京阪私市(10:28→10:39) → 京阪バス → 哮橋(10:47) → 徒歩5分 → 磐船神社 → 哮橋(11:32) → 京阪私市(11:40)

【田原台一丁目方面バス】土・休日のみ運行
京阪私市 → 哮橋;(10:39→10:47) (16:09→16:17)
哮橋 → 京阪私市;(11:32→11:40) (17:02→17:10)

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磐船神社

 節分の今日、恵方が東北東らしいので朝からそっち方面にお出掛け。

京阪私市駅から自転車で30分、坂道を登って奈良との県境付近に神社は鎮座されていました。

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1つ手前のバス停「鮎返しの滝」
滝も見えず、天野川には鮎は居ない筈なのに?

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ここから右が磐船神社への道

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この道を5分程行くと神社

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神社入口

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鳥居を過ぎた処の石庭   赤い橋を渡ると社務所

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御朱印を拝受した後、御神体へ

 天野川の渓谷を跨ぐようにして横たわる高さ12m、長さ18mの巨石が御神体。

創建は不明ですが、饒速日命が天の河内磐船に乗って河内国河上哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨された

と先代旧事本紀にあるそうです。

 物部氏は神武東征以前に祖先饒速日命が大和に降臨したと言う伝説を持っているので、物部氏の一族肩野物部氏が

この一帯に勢力を伸ばした折に、船形をした自然の巨石を御神体として始祖伝説に結び付けたのでしょう。

境内には御神体の他にも巨石が多くあって岩窟巡りが体験できるとか(¥500)。人間の体内回帰の体験でしょうね。

 巨石は拝殿を圧し潰すかの様な形ですが、船は霊を運ぶものと言う考えがあったので、古代の人々には

特別な思いがあったのだと想像します。

 また船に似た巨石は住吉神も連想させたようでここには住吉四神も祀られています。

余談ですが頂上付近には「加藤肥後守清正」と大坂城築城に際し搬出を試みた跡があります。

随分罰当たりな話ですが、加藤家改易もそのせいでしょうか?

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御神体へ向かう

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右が御神体の船型巨石で左が拝殿   本殿というのはなし

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正面から拝殿と御神体を拝む

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拝殿と御神体

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御神体の横にある巨石群

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御神体左奥にある岩窟めぐりの入口

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境内にある維新の先駆者伴林光平の歌碑

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歌碑説明

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磐船神社略記

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磐船神社御朱印

 神社の前の道を登って行くと奈良県に至りますが、古代は枚方までが入江になっていたそうで(枚方は平潟が語源とも)、

この地の天野川を遡るのは大和への主要道でした。

今は京阪電鉄支線、JR学研都市線と幹線からは外れていますが、古代には大和・山城・難波からほぼ等距離の地。

交通や政治的にも重要だったようです。

 現在の国道168号線も自動車は通りますがバスは土曜・休日に2本のみ。

食事処も道路沿いに二軒ありますが一軒は休み、もう一軒は11時に漸く開店。

ロケーションは良いので少し便利ならばと言った処。かつてのメイン街道も今はハイキングコースとなっています。

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参道沿いにあるログハウス風レストラン  11時前に御店の人が開店

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同じく参道沿いの地鶏すきの店  和風の良い雰囲気の店だがなぜか休み

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交野市マンホールカード ; 交野市役所にて配布

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大鳥大社(大阪府堺市) 日本武尊所縁の和泉國一之宮御朱印と神紋

2019.01.31(19:47) 124

和泉國の鳳の大鳥神社の大鳥居(2019.1.30)

<コース>
JR大阪(11:08) → (紀州路快速) → JR鳳(11:42) → 徒歩10分 → 大鳥大社

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大鳥大社(和泉國一之宮)

 永年、大阪に暮らしていると国分寺や一之宮が何処かなどという事は碌に考えもしません。

これを灯台下暗しと言うのでしょうね。

 和泉の方に所用があり、昼前に少し時間があったので和泉國一之宮に初参拝。

大鳥大社は駅から徒歩10分、JR線からも広い森が見えます。

元は八町四方ありましたが度重なる戦火で焼失、現在の本殿は1909年の再建。

建築は「大鳥造」と言って「大社造」が「住吉造」に移る過渡期の様式だそう。

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大鳥大社大鳥居   西側に建つ。

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説明板

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拝殿    見事な造りだが、台風の影響で補修中なのが痛々しい。

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本殿遠景   中には入れないのでここまで。

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本殿前の門

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本殿脇の大楠

 ところで駅名は鳳で大社は大鳥、一体どちらが本家なのか。神職に尋ねると

「大鳥が古く、昔の地名表記は全てこちらでした。」。 また

「大鳥とは鳳ではなく八尋の白鳥と呼ばれるもので今は神紋にもなっています」 との事。

 頂いた大鳥大社由緒略記に拠れば、

『日本武尊は東国平定の帰路に伊勢の能褒野で亡くなります。そこに陵を作り皆が悲しんでいると、

そこから八尋の白鳥が飛び立ち舞い降りたのが、大和の琴弾原(御所市)、河内の古市(羽曳野市)、そして最後がこの地であった。

その時、白鳥が再び舞い上がれない様に、一夜にして樹木が生い茂ったのでその神域を千種の杜と呼び、

八尋の白鳥故に大鳥大社と称した』 とあります。

そういえば古市には誉田山古墳(伝応神天皇陵)初め古墳が多く、白鳥伝説もあったと思い出しました。

白鳥が最後に降りた地がここだったと今になって知った次第です。

 日本武尊は第十二代景行天皇皇子で第十四代仲哀天皇の父とされますが自らは皇位に付かなかった人物。

仲哀天皇皇子の応神天皇から歴史的事例が多く出現する事から、伝説的な存在と捉える事が多いそうです。

古代史の泰斗上田正昭氏も「タケルという名は各地に居た群雄の長に付けられた名なので、

そういった英雄像が日本武尊に収斂されたのではないか」と書かれていたように思います。

同じく古代史の石母田正氏による「日本に英雄時代はあったか?」の英雄にあたるかもしれません。

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境内の様子

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日本武尊の像

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拝殿前のオガタマノキ
招霊木と書き、榊の無い場所ではこの木が代わりに使われる。

 祭神が日本武尊であるのは勿論ですが、もう一柱の祭神の大鳥連祖神(おおとりむらじのみおやかみ)は、

この地方の豪族大鳥氏の祖先神、どうもこちらの神が本来のような気がします。

文武の神として武家の崇拝も篤く、平安末には平清盛・重盛親子が参拝。その時に詠んだ歌が碑になっています。

熊野詣の隙を突いて都で政変(平治の乱)が起こったためですが、無事帰還して勝利。武の神として御利益の賜物と言えます。

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平清盛歌碑   
歌碑よりも富岡鉄斎が明治期に宮司を務めていた事に驚き。

 また境内の別の場所には与謝野晶子の歌碑もあります。

堺の老舗和菓子屋駿河屋の三女として生まれた晶子は生まれた町の神として終生大鳥大社を崇拝していたとか。

「君死にたまふことなかれ」で反戦を歌った晶子が大鳥大社を崇拝していたのも皮肉な話ですが、

歌人・作家として大成した訳ですから文の神として御利益があった事になります。

余談ですが晶子の本名は鳳(ほう)志よう、偶然にしては出来過ぎと思うのは私だけでしょうか?

 こうして2019年1月のオオトリは大鳥大社の大鳥居で〆とはなりました。

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与謝野晶子の歌碑   筆は田辺聖子氏による。

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東出口へと向かう

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東側から見た本殿

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大鳥大社由緒略記

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大鳥大社御朱印   右上の金色が神紋である八尋の白鳥

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道明寺天満宮(大阪府藤井寺市) 鷽替神事と霊験あらたかな御朱印

2019.01.27(13:59) 120

[道明寺天満宮] ブログ村キーワード
初天神鷽替え祭(2019.1.25)

<コース> 準急は日中10分間隔で運転
近鉄阿部野橋(14:14) → (準急) → 近鉄道明寺(14:32) → 徒歩3分 → 道明寺天満宮道明寺

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道明寺天満宮(旧郷社)
祭神:天穂日命、菅原道真、覚寿尼

道明寺参拝に続き天満宮へ。元々は土師神社の一角でしたが、いまはこちらがメイン。

行事も道明寺ではなく、天満宮が主体となっています。

入り口脇には道真公が四十歳の時に滞在し水を汲んだ「夏水井」の跡が残っています。

また使用した日用品が六点伝わっており国宝に指定。公が自ら彫った本尊様よりも現実的な気がします。

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道明寺天満宮神門

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注連柱

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拝殿へ向かう参道

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撫で牛   
道真公の棺を牽いた牛車が太宰府天満宮の本殿の場所で止まった事に由来?

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梅園入口   開花は2月中旬~3月上旬頃

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梅園から拝殿を望む

 この日は天満宮で15時から鷽替え祭りが開催。

江戸の鷽替え神事は神職が寝食を忘れて彫った鷽を購入するものですが、ここは参加者に小型の鷽が入った紙袋を配って

周りの人と次々に交換しいていくもので鷽替神事の原型をとどめて居ます。

 最初は面倒に思いましたが、いざ始まると結構面白い。見ず知らずの人に声を掛けて交換してお辞儀をして結局

参加者に袋が生き渡るまでに百人を越える人と交換しました。

参加者は全部で500人位だったでしょうか。神職の太鼓の音で交換は終了し袋を開封。

木彫りの鷽の底に金・銀・木と書いているものは、十八金(十八禁ではない!)、純銀、木製の鷽と交換して貰えます。

(森永チョコボールみたいですが…)。

当たりは非常に少ないですが、欲しい人は社務所で買う事もできますし、なにも記載していない人も小型の鷽は貰えるので

家に帰って御守りにします。

イソップ寓話のように木を金・銀と偽る不届きな人もいないようです。

 入山料や参加費用もなく良心的、参加できるのは中学生以上ですが、地域の交流の祭りのようなものでしょうか。

最近はこのような行事が減っているので新鮮に感じました。

 これで亀戸天満宮(2017年)、湯島天満宮(2018年)、道明寺天満宮(2019年)と三ヶ所に参拝。

あとは本家の大宰府天満宮を残すばかりとなりました。

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15時に鷽替神事が開始
拝殿の神職&巫女さんから小型木製鷽の入った袋を受け取り。

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神職がマイクを使って神事の進行を説明中

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開始15分後  神事も佳境に

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袋の中の木製鷽に当たりが出たら能楽殿にて交換

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左; 神事に使う小型木製鷽と袋
右; 景品の木製鷽  但し、当たらなくても社務所で購入可 ¥1,500

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神事が終った後の拝殿前

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神門を通り帰路へ

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道明寺天満宮 略記

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道明寺天満宮御朱印

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道明寺南郵便局 ; 菅原道真、市花・菊、市木・梅

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  21. 枚岡神社(大阪府東大阪市) 生駒山麓の河内國一之宮の御朱印(02/14)
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  24. 大鳥大社(大阪府堺市) 日本武尊所縁の和泉國一之宮御朱印と神紋(01/31)
  25. 道明寺天満宮(大阪府藤井寺市) 鷽替神事と霊験あらたかな御朱印(01/27)
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