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三河の小京都・西尾(愛知県西尾市)

2019.09.19(20:56) 413

三河万歳の地は見所満載(2017.9.15)

<コース>
JR横浜(5:48) → JR小田原(6:42→7:04) → ひかり501号 → 豊橋(7:59→8:05) → JR蒲郡(8:17→8:40) → (名鉄蒲郡線) → 吉良吉田(9:06) → レンタサイクル10分 → 金蓮寺 → 吉良吉田(10:45) → 上横須賀(10:49) → レンタサイクル10分 → 華蔵寺 → 上横須賀(12:45) → 西尾(12:57) → レンタサイクル15分 → 城址公園 → 西尾(16:00) → 新安城(16:18) → JR安城(17:01) → JR米原(18:40→18:48) → JR大阪(20:13)

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西尾城丑寅櫓
三重で基部が約6m、上部が4.4mと狭いが見通しは良い。

 古刹二ヵ寺を拝観の後は町の中心の名鉄西尾で下車。

西尾は大給(おぎゅう)松平氏の六万石の城下町。三河の小京都と呼ばれますが、ガイド等に載ることは殆どありません。

 しかし城下町には街並みが残り、平成8年には西尾城も復元されました。

小京都には観光を前面に出す所も多いですが、西尾にはそのような印象はなく却って好感が持てました。

家康の好きな五文字と七文字の言葉は「下を見よ」「身の程を知れ」。

江戸に出てからは武士も贅沢になったようですが、三河では質実剛健の気質が生きている感じでした。

 地元の方々も「何もない所で…」と謙遜されましたが、意外な発見が…。

鰻の産地がこの辺りとは聞いたことがありましたが、茶の産地とは訪問時まで気付かず。

特に明治以降は抹茶の生産地として全国シェアを占めるようになったそうで、

そう思うとどことなく町全体が抹茶色に見えて来るから不思議です。

どちらも町興しに一役買っていますが、最近は抹茶スイーツの伸びが著しいようです。

私も一役買う事にして、身の丈にあったもので済ませて帰路につきました。

今回は駆け足でしたのでまた来ようと思います。見所満載、食事も【身皮】満載の旅でした。

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本町通りにある町屋

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昼食は三河の名産をここで

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かつての一色町は鰻の産地 ¥2150
ここの鰻は関西風。

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城下町当時の面影を残す順海町付近

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西尾城址前の民家。門はかつての武家屋敷門か?

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西尾城址鍮石門
二ノ丸御殿への表門。かつて真鍮が使われた事に拠る命名か?

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西尾市歴史公園案内図

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西尾城址

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西尾城丑寅櫓と濠

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丑寅櫓への入口

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城址にある旧近衛邸
京都の近衛家にあった書院と茶室が壊されるとなったときに移築

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旧近衛邸玄関

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近衛邸内から見た庭

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邸内茶室

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尚古荘
明治期に米穀商によって建てられた。

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尚古荘庭園

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尚古荘庭園

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尚古荘庭園

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尚古荘横にある伝想茶屋
明治21年創業の抹茶の老舗あいやがまちやを利用したCafe(支店)。残念ながら今月末で本店に統合されるとか。

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抹茶を使ったアフォガード  (伝承茶屋にて¥700)
アボカドではなくイタリアの珈琲の抹茶版。西尾市は特産の抹茶を使ったスイーツの店が此処彼処にある。

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西尾郵便局 ; 三河万歳、茶壺
西尾永楽郵便局 ; バラの外枠に、重文・西尾城址の御剣八幡社、みどり川沿いの桜

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華蔵寺(愛知県西尾市) 吉良家菩提寺の御朱印

2019.09.18(21:26) 412

真相・吉良上野介(2017.9.15)

<コース>
JR横浜(5:48) → JR小田原(6:42→7:04) → ひかり501号 → 豊橋(7:59→8:05) → JR蒲郡(8:17→8:40) → (名鉄蒲郡線) → 吉良吉田(9:06) → レンタサイクル10分 → 金蓮寺 → 吉良吉田(10:45) → 上横須賀(10:49) → レンタサイクル10分 → 華蔵寺 → 上横須賀(12:45)

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片岡山 華蔵寺(臨済宗妙心寺派)

 金蓮寺拝観の後は1駅進んで上横須賀下車。ここにも駅前に無料のレンタサイクル赤馬号があったので利用。

 片岡山華蔵寺(へんこうざんけぞうじ)は、

『吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために慶長5年(1600年)に創建した臨済宗寺院。

その後、吉良家の菩提寺になり吉良家ゆかりの文化財が残されている。』

とあります。

 ここは鎌倉時代に足利長氏が吉良地方の守護となり着任、吉良氏を名乗ります。

徳川家康が「源氏の裔という事」で征夷大将軍になる際には吉良氏の功績が大きかったとか。

その末裔が忠臣蔵で有名な吉良上野介義央(よしひさ)。

歴史書の記述がどうあれ出身地では英雄視されるものですが義央は本当の名君だったようです。

元禄時代に幕府の隠密による全国の大名・旗本の調査記録が残っていますが、義央は最上級の評価を受けています。

一方の浅野内匠頭は最低の評価だそうで、忠臣蔵の【吉良】われ役とは随分違いますね。

事実は小説より何とかの典型でしょうか?

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華蔵寺入口
名鉄上横須賀から北へ1.5㎞。

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山門の「片岡山」の扁額

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華蔵寺の沿革

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境内の案内

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本堂

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吉良御影堂
ここに義央公の木像が収められている。

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境内にある吉良家墓所

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華蔵寺境内の句碑

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頂いたパンフレット(無料)
A4サイズ、全30頁。

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華蔵寺御朱印

 領民の為、堤防を築き愛馬の赤馬に乗って領内を巡視したと言われています。

いまでもお菓子にその名が残りますが、変わった所では郷土玩具「吉良の赤馬」。

義央公が領内を巡視した故事に拠るものですが、昔はお菓子のおまけに入れられていたとか。

木の粉を固めて製造するようですが、ここでも絶滅危惧種。観光案内所で伺うと、今は1軒だけになっていました。

電話してみると「全て受注生産で時間が掛かりますが」との事。時間は掛かっても入手できるのであればと早速注文しました。

自宅に送られてきたのは12月初旬、討ち入り前に間に合いました。

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華蔵寺前の吉良上野介義央公の像
愛馬の赤馬で巡視した。

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駅から華蔵寺への途中にある赤馬像

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赤馬像の裏に書かれた由来記

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郷土玩具「吉良の赤駒」
右が昔ながらの吉良公の乗った赤駒(¥1,500)、左は新しくできた白駒(¥1,000)。

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吉良吉田郵便局 ; 幡頭神社、正法寺古墳、尾崎士郎文学碑

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金蓮寺(愛知県西尾市) 国宝阿弥陀堂と“ほのぼの御朱印”

2019.09.17(20:47) 411

きらと光る金蓮寺(2017.9.15)

<コース>
JR横浜(5:48) → JR小田原(6:42→7:04) → ひかり501号 → 豊橋(7:59→8:05) → JR蒲郡(8:17→8:40) → (名鉄蒲郡線) → 吉良吉田(9:06) → レンタサイクル10分 → 金蓮寺 → 吉良吉田(10:45)

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青龍山 金蓮寺(曹洞宗)

 台風接近の三連休、大阪に帰 (けえ) ろうの日となりましたが、豊橋から海沿いを大回りして

平成の大合併で西尾市になった吉良町の古刹巡り。

 青龍山金蓮寺(せいりゅうざんこんれんじ) は名鉄吉良吉田から北に2㎞程行った所にある古刹。

駅前に無料のレンタサイクル「赤馬号」があったので利用。

【来んれんじ】にはならず、自動車運転の出来ない身には本当に助かります。

寺伝に拠れば、

『創建は平安時代に遡り、幡豆郡司の娘が金蓮寺を氏寺としたという記述が初出。

その後、源頼朝の命により三河守護の安達盛長が建立した「三河七御堂」の一つにも数えられるが不明な点も多く、

足利尊氏がこの地に移した暦応3年(1340年)がほぼ確実と言われる。

江戸時代にはこの地を治める幕府旗本吉良氏の帰依を受けた。

始めは真言宗であったが、寛政年間(1789~1801年)に曹洞宗になった。』

とあります。

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青龍山金蓮寺入口
遠くからでも阿弥陀堂は直ぐ判る。

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本堂
御朱印はここで拝受

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ここは不動堂

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境内の巨木

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お不動産の名水

 本尊は秘仏の不動明王で「饗庭のお不動さん」として親しまれていますが、ここでの必見は国宝の金蓮寺阿弥陀堂。

鎌倉中期の建立とされ、その姿から遠くからでもそれと分かります。

 平安時代の末法思想から阿弥陀信仰が広がりますが、その頃建立された阿弥陀堂の流れを汲む建造物。

特に平安貴族の住宅建築の雰囲気を伝えており、蔀戸(しとみど)・縋破風(すがるはふ)に内裏で用いられた建築と

共通の特徴があるとの事。

 このような洗練された様式から建築には都の大工が携わったと考えられますが、

今日まで修理を重ねながら残った事は、領主始め地元民の篤い信仰心の賜物でしょう。

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国宝・阿弥陀堂遠景

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正面から見た阿弥陀堂
内陣には阿弥陀三尊像を祀る。

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手前に伸びた孫庇が美しい阿弥陀堂
檜皮葺きは昭和29年の解体修理で瓦葺から改められた。

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阿弥陀堂の縋破風

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阿弥陀堂説明

 拝観の後は御朱印を頂くため寺務所へ。ベルを押すと、御高齢の住職がニコニコしながら出て来られました。

「御朱印を御願いします。」と言うと無言で頷かれ、奥で書かれた後、持って来られました。

御朱印代¥300をお渡しした後、奥に戻られましたがどうも足が悪い様子。

申し訳ない事をしたかと思いましたが、終始にこやかな顔を崩されませんでした。

 拝受した御朱印を見ると、文字の上にお地蔵様がほほ笑んだ絵柄が。

いままで色々な御朱印を頂きましたが、このようなものは初めて。

形式的ではなく、真心のこもった御朱印とはこういうものを指すのでしょう。

お地蔵様の顔が先程迄の御住職の顔と重なって見えました。

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金蓮寺説明書

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阿弥陀三尊像
説明書に掲載されたものを引用。

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金蓮寺御朱印

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吉良町郵便局 ; 国宝・金蓮寺阿弥陀堂、吉良義央木像、尾崎士郎生誕地碑

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吉良町マンホール蓋 (汚水用)

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吉良町マンホール蓋 (雨水用)
蔦は吉良家の家紋。

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前田速念寺(愛知県名古屋市中川区) 前田家発祥の地にある寺院

2019.09.08(20:59) 402

百万石を育んだ土地(2019.9.6)

<コース>
JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14→9:31) → (近鉄電車) → 伏尾(9:41) → 徒歩10分 → 前田速念寺
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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岡部山 速念寺(浄土真宗大谷派)

 愛知県は信長・秀吉・家康と戦国の三傑が出た場所。彼らが戦国時代を終息させ江戸の泰平を迎えた訳ですが、

同じ地区から後の近世大名が輩出しました。

 加賀前田家といえば百万石、将軍家に次ぐ石高ですが、その発祥の地が今の名古屋市中川区。

この地域の土豪であった前田利昌の四男利家が信長に仕えて功績を挙げ、大名に出世しました。

当初は兄の利久が家督を継ぎましたが、信長の命で利家が家督を継承。

利家が信長の小姓だったからともいわれますが、家の存続を図るために力量のある者を据えたというのが本音でしょう。

ここには前田城があり、利家はここで生まれ7歳の時に荒子城に移ったと伝わります(異説もあり)。

 前田速念寺(まえだそくねんじ)は前田城旧跡に建立され、利家叔父の意休法師(前田利則)の時に天台宗から浄土真宗に改宗。

本尊・阿弥陀如来は利家が寄進しました。

信長家臣の岡部氏が速念寺に帰依し家紋・寄付等を寄進したことが山号の由来になっています。

 本堂の屋根は特異な形ですが、利家の鯰尾兜を模したもの。他にも梅鉢紋が各所に見られます。

境内の伽藍は新たに再建されたものが多く古刹の雰囲気は少ない様子。

唯、門前の前田城址碑と歴代の墳墓に歴史を垣間見ることができます。

 兄を差し置いて当主となった利家ですが利久を兄として敬う態度は終生変わる事がありませんでした。

金沢の前田家墓所でも自分よりも高い場所に墓を築いています。

戦国の世を勝ち抜き大名になった利家ですが、武功だけではないという事でしょう。

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門前の寺標の横には旧跡と記載

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山門の扁額は「梅廼寺」

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境内から山門を見返る

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速念寺本堂
屋根は利家の鯰尾兜を模したもの。

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本堂の扁額は「速念寺」

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境内には前田家の墳墓が三基

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寺務所横の碑

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名古屋助光郵便局 ; 速念寺山門と本堂、五輪塔

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大須観音(名古屋市中区) 下町情緒のある観音様の御朱印

2019.07.05(20:21) 335

尾張名古屋は〇〇で持つ (2015.7.13)

<コース>
JR名古屋 → (地下鉄鶴舞線) → 大須観音

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大須観音へと続く商店街
布は繊維の中京工業地帯を象徴?

 午後からの研修参加のため名古屋入り。午前中の合間を縫って大須観音へお参り。

 大須観音こと北野山真福寺宝生院(きたのさんしんふくじほうしょういん)は、元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が長岡庄大須郷(今の岐阜県羽島市)に創建した北野天満宮の別当寺として僧能信が開創。

 その後、後村上天皇の勅願寺となり戦国の世にも栄えますが、慶長17年(1612年)に度重なる木曽川の氾濫と徳川家康の名古屋経営のためにこの地に移されました。

 永らく中部地方の真言宗寺院の中心であったので古文書も多く、国宝・古事記写本や重文の古書1万5千冊は真福寺文庫に保管されています。

 と言うと堅苦しい寺院を想像しますが至って庶民的。以後ここを中心に芝居興行や露天商が集まり町が発展していく事になります。

 羽島からの移転は大正解だった訳で、家康は武将としてだけでなく、城下町造りでも才能を発揮したと言えます。若い頃、苦労して人には何が必要か?という確たるビジョンがあったのでしょう。

 後の名古屋人の派手な性格はこの時期に萌芽が見られるともいえるでしょうか?余談ですが、尾張四観音と呼ばれるものには大須観音は入っていません。

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北野山 真福寺 宝生院(真言宗智山派 別格本山)
仁王門

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昭和45年に再建の本堂
街のど真ん中にしては規模が大きい。雰囲気は浅草寺に似ている?

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大須観音略縁起

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大須観音御朱印

 参拝後は合同庁舎まで移動。途中、県庁と市役所の横を通りましたが、何とも印象的な建物でした。どちらも名古屋城をデザインしたようで県庁は重要文化財となっています。

 伝統的と見るか、そんな鯱張らんでもと見るか、おお好かんのう !と採るかは様々でしょうが名古屋人の拠り所なのは間違いありません。

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愛知県庁本庁舎
昭和13年竣工。余談であるがこの年、名古屋城の金の鯱の鱗が盗まれた。

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名古屋市役所本庁舎
昭和8年竣工。一般公募から採用された。

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名古屋市役所本庁舎
中央は時計塔で四方睨みの鯱が載っている。

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名古屋中郵便局 ; 金の鯱、大須観音、テレビ塔

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無量壽寺(愛知県知立市) 業平の愛した燕子花のお寺の御朱印

2019.05.11(22:10) 268

歌人業平は恋も「い知立」で有松(2019.5.10)

<コース> 名鉄本線は日中10分間隔、名鉄三河線は15分間隔で運転
名鉄名古屋駅 → (名鉄特急) → 知立 → 三河八橋 → 徒歩5分 → 無量壽寺

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八橋山 無量壽寺(臨済宗妙心寺派)

 GW10連休も終わった10日、ふと思い立って【とうか】いどうを東へ。

江戸時代の東海道は現在の東海道線に引き継がれていますが豊橋から名古屋までは名鉄本線になっています。

途中遊郭が多かったから国鉄は鉄道誘致を避けたと誠しやかに言われていますが、勾配がきつかったのが原因とか。

白須賀(32番)付近と同じ理由のようです。

 知立(ちりゅう)は東海道39番目の宿。京都から行くと尾張を終わり三河に入った場所になります。

知立の古い表記は池鯉鮒、池や河川が多く存在し湿地帯だったのでこのような表記になったのでしょう。

初めて見たときは読めませんでしたが、こちらのほうが断然味があります。

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東海道池鯉鮒宿本陣跡
廣重の絵にあるように馬市が有名であった。

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東海道沿いにある和菓子店
看板の池鯉鮒の文字に時代が感じられる。

それよりも知立と言えば在原業平所縁の歌枕として有名。名鉄知立駅から豊田方面に2駅行くと三河八橋駅。

業平が伊勢物語第九段東下りで、ここ八橋で燕子花の歌を詠んだ事で一躍有名になりました。

 「かきつばた」という五文字を句の上にすえて

・からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ

と詠みました。折句という手法ですが、伊勢物語の白眉と言われています。

私も負けじと 「かきつばた」という五文字を句の下にすえると

・やつはしか ちりふあんまき つまみつつ いえをおもへば たびぞらのした

という感じでしょうか?

 八橋とは川筋がいくつもあった湿地帯に地元の人が架けた橋と思っていましたが、母に会うために川を渡ろうとした二人の子供が溺れたという悲しい出来事が元にありました。

それを悲しんだ母は出家して夢のお告げにより流れ着いた木材で八つの橋を架けたとか。

 言い伝えではありますが当時はあちこちでこんな事があったのでしょう。

この話を伝え聞いた京都の西尾家はお菓子を作り販売。これが今に続く八ツ橋の起こりです。

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八橋かきつばた園(無量壽寺)の入口
神仏習合の名残で無量寿寺と日吉山王社が敷地内に同居。

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園奥にある在原業平像

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かきつばた園にある業平歌碑

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伊勢物語の解説

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園入口右にある石碑
京都 本家西尾八ツ橋からの寄進。

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境内にある八橋伝説二児供養塔

 この八橋の中心寺院が八橋山無量壽寺(やつはしざんむりょうじゅじ)。

江戸時代の神仏習合も名残か境内には神社も併設している開放的なお寺でした。寺伝によれば、

『奈良時代の慶雲元年(704年)の創建の東海山慶雲寺が前身。

できた当時は真言宗で弘仁12年(821年)に密円法師が住持し東海山無量壽寺と改名。

延喜2年(902年)に八橋へ移り山号も八橋山になった』

とあります。

 業平の故事でもあるように燕子花の名勝地でしたが、江戸時代の宝永8年(1711年)に臨済宗妙心寺派になった頃には見る影もなく衰退。

文化9年(1812年)にここに来た方巌売茶翁(ほうがんばいさおう)というお坊さんはそれを嘆き、寺院を再興し庭園も整備。

同時に燕子花庭園も完成しました。今に続く燕子花は売茶翁の努力の賜物と言う訳です。

 現在でも燕子花園の維持管理は地元のボランティアが中心で、燕子花の季節でも拝観料なし。

お寺の話では「塀もなく、どこからでも入れるので」との事ですが、その心遣いが有難いです。

【むりょう】壽寺の寺名は伊達ではありません。

知立では毎年ミス燕子花を4名選ぶそうですが、燕子花園にあるお茶室ではかつての方々からお茶を頂きました。

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入口右横の「かきつばた園」

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無量壽寺入口
屋根の付いた山ではない。

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境内遠景

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庫裏

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庫裏横の業平竹

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本堂前の芭蕉連句碑
安永6年(1777年)に芭蕉が立ち寄った際の句を下郷学海が建立。

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八橋古碑(亀甲碑)
荻生徂徠の弟子が在原業平の故事を書き付けたもの。

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無量壽寺本堂
本尊は聖観音。

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杜若姫供養塔
業平を追ったが想い叶わず自害したとされる小野篁の娘杜若を祀る。

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業平の井戸

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茶室:燕子庵

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茶室内

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頂いたお菓子「かきつばた」
名古屋の老舗「両口屋」の作

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茶室入口からかきつばた池を見る

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池越しに見る本堂

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池越しに見る庫裏と本堂

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かきつばた池(心字池)

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池越しに見る茶室

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最も奥のかきつばた池
周囲に樹木が少ないので陽当たりが良い。

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密生して咲いている燕子花

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八橋山無量壽寺説明書

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無量壽寺御朱印

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昼食は園内の売店で
うどん¥450+あんまき¥170

 無量壽寺以外にも近くには鎌倉街道沿いに業平所縁の史跡があり徒歩で巡礼。

業平が何故、八橋の燕子花を見に行ったかですが、いずれ菖蒲か燕子花と言う位ですから女性に会いに行ったのが本音だったような気がします。

都の妻を詠むというのもわざとらしいですし、なにか心に【八橋い】事があったに違いありません。

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在原寺(ざいげんじ)
寛平年間(889~897年)に業平塚を守る人の御堂として建立。その後、法灯が途絶えたが文化6年(1809年)に方巌売茶翁が再興した。

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在原寺本堂
代々庵主様が守っていたが今は無住で、無量壽寺の管轄。

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業平供養塔
高さ10m程の丘の上にある宝篋印塔。鎌倉末から室町初期の製作。

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根上りの松
街道沿いにあり多くの浮世絵に描かれた。

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落田中の一松
業平が「かきつばた」の歌を詠んだ場所と伝わる。

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知立市マンホール蓋 その1

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知立市マンホール蓋 その2

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知立郵便局 ; 無量寿寺のカキツバタ、八橋
知立本町郵便局 ; 東海道39番目池鯉鮒宿、市花・カキツバタ、重文・知立神社多宝塔

 知立の後は名鉄で名古屋市内へ移動。

有松は絞りで有名ですが切妻・中二階・漆喰塗り込め・虫籠窓が特徴の伝統的建造物保存地区。

旧東海道でしかも政令指定都市でこれだけ街並みが残っているのは奇跡的です。

元来、池鯉鮒と鳴海の間の宿と言う位置づけでした。しかし廣重が描いた鳴海は有松宿でしたし、残ったのも有松というのも皮肉なものです。

1794年に大火に見舞われましたが藩の援助もあり復興。豪壮な街並みが形成されました。

その後は災害にも会わず現在に至ります。火事も【商家】には歯が立たなかったのでしょうね。

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有松宿の東海道
緩やかに蛇行しているのが分かる。正面の二階建ては味噌煮込みうどんの寿限無庵。

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井桁屋服部孫兵衛家(絞り問屋)
1784年の大火後の建築。母屋の端にあるのは本卯建で右の白壁蔵も所有。

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江戸後期築の山田家(絞り問屋)

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竹田嘉兵衛家(笹加)
江戸後期の築、一階の屋根にガス灯が載る。

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有松宿の西端にある小塚家(商家)

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宝泉寺(愛知県瀬戸市) 陶工の郷の御朱印と陶器柄マンホールカード

2019.04.03(19:38) 202

陶工の街の投稿(2019.4.2)

<コース>
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR大曾根(9:37→9:46) → 名鉄瀬戸線 → 瀬戸(10:11)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

名鉄瀬戸駅 → 徒歩15分 → 宝泉寺 → 瀬戸(12:09) → 大曾根(12:32)

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大昌山 宝泉寺(曹洞宗)

 午後から名古屋市内に所用があったので花見がてら少し早めに出て名鉄瀬戸線で終点へ。

瀬戸といえば六古窯の一つ、今では陶器の代名詞、日用雑貨を初めとして多くの生活雑器が生産されたことの証でしょう。

 今は町の中心は西側に移りましたが、かつての瀬戸の中心はここ。

宮前橋を渡った場所に鎮座するのが奈良時代創建という深川神社。

ここには陶祖・加藤四郎左衛門景正(通称;藤四郎)の作とされる陶製の狛犬が安置されています。

藤四郎は曹洞宗開祖となる道元と共に貞応2年(1223年)に入宋、焼物の技術を学び帰国します。

その後、製陶に適した土を求めて全国行脚し仁治3年(1242年)に瀬戸の祖母懐(そぼかい)に良土を発見、

この地に窯を開きました。瀬戸焼の始まりです。

唯、最古の伝記記録は延享5年(1748年)であり、謎の多い生涯ではありますが、

地元では陶祖として崇められ深川神社の東側には藤四郎を祀る陶彦社が文政7年(1824年)に創建されました。

 駅から東へ1㎞行った洞地区は焼物生産が行われた場所。二つの山が迫った谷間で斜面を利用して登り窯が築かれました。

いまも窯元がありますが、町を歩くと「窯垣」が至る所にあり「窯垣の小径」と呼ばれています。

これは大量に発生した窯道具の廃材を垣根初め建物の基礎に用いたもの。

なるほど良い【配剤】といえますね。肥前ではトンバイ塀と言うそうですが、発想は同じです。

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瀬戸記念橋
瀬戸川に架かる橋にはこのように陶器のモニュメントが見られる。

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宮前橋を渡った所にある深川神社鳥居

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深川神社拝殿の屋根の装飾    これも陶器か?

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陶彦社
深川神社の境内東にあり陶祖・藤四郎を祀る。

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神社西側の法雲寺にある陶製梵鐘
戦時中の金属供出を受けて製造されたと言うが、陶器で良い音色が出るものか?

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窯垣の小径入口付近
洞地区に全長400m程続く細く曲がりくねった道。不要になった窯道具を積み上げて築いたもの。

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窯垣の小径に沿って歩く

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窯垣の小径ギャラリー
江戸時代に建てられた窯元の邸宅を利用したもので、地元の若手作品が鑑賞できる。この日は生憎休館。

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窯垣の小径資料館での本業タイルの展示
資料館は窯元旧寺田家の邸宅を改修。本業タイルは銅板転写で絵付けをした近代量産タイル第一号と言われるもの。

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小径からメインの陶の路へと続く細道

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窯元が軒を連ねる洞地区の遠望

 小径を引き返し瀬戸川に架かる公園橋の袂にあるのが宝泉寺。大昌山宝泉寺は建長4年(1252年)、雲水山神宮寺として創建。

場所が近いので深川神社の神宮寺という位置付けでしょうか。その後300年間の来歴は不明で慶長元年に大火に合い焼失。

寛永10年(1633年)に赤津の雲興寺15世の興南和尚により曹洞宗の禅刹大昌山宝泉寺として再興されました。

この地は洞、古瀬戸、祖母懐に通じる要衝で現在に至るまで瀬戸焼を見守ってきた事になります。

本尊は釈迦牟尼仏ですが、本堂内にある十六羅漢は陶製、天井画は陶磁器の絵付職人によるもの。

陶器とともに歩んだ寺院の面目躍如です。

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宝泉寺全景

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山門
全国でも珍しい上下二重構造の竜宮造りで、階上部分はかつては鐘楼として使用された。

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本堂
本尊は釈迦如来。本堂前を改修工事中。

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庫裡
御朱印はここで拝受。工事中のため本堂へは左側の入口から。

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本堂の天井絵(拝観無料)
瀬戸の陶磁器絵付職人により描かれたもの。慶長元年(1596年)伊の火災で一部焼失、再建時に再度描かれる。現在新旧併せて約200枚。

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本堂にある陶質十六羅漢塑像
天保14年(1843年)に加藤善右衛門により制作。一般には木製が多い中、陶器で造られている。

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宝泉寺中庭
後方にあるのは杢工庵

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山門左手にある鐘楼
梵鐘は戦時中に供出されたが、昭和27年に檀家の寄進で再建。

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鐘楼の天井画「天女の図」
作者は丹羽郡大口村桂林寺住職赤堀禅稲画伯とある。

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首なし地蔵
山門を入るとすぐ左手にある。江戸時代に役人が隠れキリシタンを探す目的で切り落としたと伝わる。

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宝泉禅寺説明書

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宝泉禅寺 写真冊子(無料)

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宝泉寺御朱印

 その後は、瀬戸公園にある陶祖公園を経て巡礼終了。2時間足らずの間に瀬戸物の歴史を駆け足で巡る事ができました。

残念ながら花見に関しては低温と桜が少なかったことで空振り、そのまま大曾根へ直行となりました。

陶器の釉薬として椿を植えるのが多かったようです。

和歌の一つでもひねって【瀬戸の花詠み】と思っていましたが、【大曾根無情】となりました。

瀬戸だけに【磁器】を外してしまったと後悔です。

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陶祖公園

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公園内にある六角陶碑
藤四郎の業績を称えるため慶応3年(1867年)に名工加藤清助が中心となり建立。大小29個の焼物が組合さった陶碑は高さ4.1m、総重量2トン。

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公園入口にある竹露庵   

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瀬戸市マンホール蓋

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瀬戸市マンホールカード    配布場所はこちら

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瀬戸元町郵便局 ; 磁祖・加藤民吉の像、登り窯
瀬戸記念橋郵便局 ; 陶磁資料館、陶磁器

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かぼちゃ寺 ハズ観音(愛知県西尾市) かぼちゃ寺の御朱印

2019.03.29(09:20) 191

かぼちゃの開眼物語(2019.3.27)

<コース>
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09) → 新豊橋10:15) → 三河田原(10:50)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

三河田原駅 → レンタサイクル → 田原城址 → 池ノ原公園 → 城宝寺 → 三河田原駅(14:02) → 新豊橋 → JR豊橋(14:50) → 蒲郡(15:01→名鉄15:11) → 東幡豆(15:27) → 徒歩5分 → はず観音 → 東幡豆(16:11) → JR豊橋(16:32→16:46)

【復路】JR蒲郡(16:46) → JR米原(18:41→18:47*) →JR大阪(20:12)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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性海山 宝樹院 妙善寺(浄土宗西山深草派)

 田原の後は東海道の蒲郡から名鉄で東幡豆まで。

私の持っているガイドには「かぼちゃ寺幡豆観音」とありますが、現地表記はハズとカタカナ。

「そんなハズは」と駅から歩くこと3分で到着。

 ハズ観音こと性海山宝樹院妙善寺(しょうかいざんほうじゅいんみょうぜんじ)は三河湾が目の前に迫る海岸に建つ古刹。

なんでも寺伝によれば天平年間に行基が開創した寺院が始まり。

その後は天台宗の寺院でしたが、安土桃山時代の天文年間に利春僧都が再興して西林寺と名を変え、

更に江戸時代の寛政年間に妙善寺となり今に至ります。

政争に巻き込まれ易い土地柄だったので隆盛衰退を繰り返し、都度寺名や宗派が変わっていったのでしょう。

「ハズ」と表記する理由をお寺の方に尋ねると、「幡豆だとバンズとかハタマメと読まれるので…。」との事でしたが、

全国にはもっと難読の寺名もあるので、これくらいの読みは問題ないとは思いますがどうなのでしょうか?

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無人の名鉄東幡豆駅にある案内板

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ハズ観音の門前に到着

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山門

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山門から外を見ると三河湾がすぐそこに迫る

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境内遠景

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本堂

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本堂の扁額

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境内のイヌマキの巨木

 「かぼちゃ寺」の名前については門前の看板に由来があって、

『利春僧都が住職の時に観音様のお告げで門前の浜に打ち上げられたかぼちゃを得た。』

とあります。

 かぼちゃの原産地は中南米で南蛮貿易の時代に日本に伝来。

1541年にポルトガル船が豊後の大友宗麟に伝えたのが最初とされます。

別名を唐茄子・南京瓜と言う位ですし「かぼちゃ」もカンボジアが訛ったものなので南から来たという意識があったのでしょう。

時代的には合致しますが、椰子の実と違って皮が柔らかいので遠くの海から流れ着くものかどうか?

人間は食文化に関しては保守的ですから、栽培が容易で栄養価も高いかぼちゃを広めるために観音様のお告げを持ち出した、

というのが真相ではないでしょうか。

そう言ってしまえば身も【ヘタ】もないですが、結果的にはこの作物の御蔭で人が救われるようになったのですから、

お告げは【ハズ】レではなかったと言えますね。

 お寺も冬至の日に全国かぼちゃサミットを開催するなどカボチャを積極的に前に出しています。

本堂前には「かぼちゃ茶」なる接待も。成人病や中風の予防にも効果があると言うことなので、

これからの高齢化社会に向けて益々繁盛するのではと思います。

 かぼちゃが馬車になることはないでしょうが、地元の檀家さんに還付金(パンプキン)があるかもしれません。

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かぼちゃの由来記

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本堂内から
右手に「かぼちゃ茶」の接待が。

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冬至の日にはこの場所で「かぼちゃしるこ」の接待がある

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庫裡(くり)の前にあるかぼちゃ

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ハズ観音 説明書

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ハズ観音御朱印

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東幡豆郵便局 ; アサリ、槙の木、兎島と猿島、三河湾

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城宝寺(愛知県田原市) 渡辺崋山所縁の御朱印と花の天井絵画

2019.03.28(21:03) 190

崋山の遺志(2019.3.27)

<コース>
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09) → 新豊橋10:15) → 三河田原(10:50)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

三河田原駅 → レンタサイクル → 田原城址 → 池ノ原公園 → 城宝寺 → 三河田原駅


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辨天山 長昌院 城宝寺(浄土宗)

 最近は江戸の時代小説がブームで、出版社の宣伝月刊誌にも1冊に1~2話掲載されています。

そのなかで江戸後期の作品にしばしば渡辺崋山の名が登場します。

 教科書で習った記憶では国宝「鷹見泉石」を描いた画家で、蛮社の獄に連座して悲劇的な生涯を終えた芸術家ですが、

調べてみると三河田原藩士で家老職まで至った政治家だそうです。

 田原なら日帰りで行ける距離なのでその足跡を辿るべく繰り出しました。

が、生憎人身事故等で遅れ三河田原到着は11:50と予定より1時間遅れ。

しかし駅に無料のレンタサイクルがあったのでそれを利用、電車の遅れを自転車で取り戻すことができました。

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豊橋鉄道新豊橋駅ホーム
日中は15分間隔で運転と旅行者には非常に便利である。

 崋山は田原藩士の子として江戸で生まれましたが、子供の頃は家が貧しく勉学にも苦労したようです。

唯、絵画の才能があったので絵を売って家系の足しにしていたとか。

武士が絵を売って生活するのは幕藩体制から見るとあまり宜しくないですが、古い因習に捕らわれない考えがあったのでしょう。

その後は少しずつ出世し四十歳で家老に就任、藩政改革に乗り出します。

当時は江戸初期の米中心の経済がほぼ限界に達しており、商品流通を中心とした新たな経済を考える必要がありました。

が諸藩には【諸般】の事情があり思うようにはいきません。

そんな中、崋山は商品作物の導入や武士の内職を奨励しています。

特に報民倉と呼ぶ食糧備蓄庫を準備していたことで天保の大飢饉(1836年)では藩内に一人の餓死者も出さず、

全国で唯一幕府から表彰を受けるという栄誉を得ます。

 鎖国についても否定的な意見で諸外国との交易で利益を得ようと考えていた節があります。

しかし絵画を通じて知り合った蘭学者とも交流があった事、著作『慎機論』が幕府批判と見做された事、

と悪いことが重なり田原藩に謹慎。謹慎中に絵画を描いて売った事が咎められそうになり自ら命を絶ちました。

何事にも先駆者には悲劇がつきものですが、崋山の切腹はペリー来航の僅かに十二年前。

もし存命であれば国の方針に寄与する事もあったでしょうが運が悪かったとしか言いようがありません。

 後世、城の傍らに崋山神社ができますがこれは地元民の要望によったとか。

思うに単に【鷹見】に立って【譴責】するのではなく、領民目線を持って行動した事が偉い所であったように思います。

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田原城惣門横にある報民倉(食糧備蓄庫)

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報民倉の説明

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大手公園にある渡辺小崋(崋山次男)の絵画の複製

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渡邊小華の肖像
崋山が死んだ際には7歳であったが、兄の死を受け家督を相続、家老職に就いた。絵画でも才能を発揮。

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公園内の宿木
常緑のため好まれるが、元来寄生植物である。

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田原中部小学校横に立つ藩校跡の碑

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田原城址
文明十二年(1480年)に戸田宗光により築城。当時は城の周りが海に囲まれその湾の形から「巴江城」と呼ばれた。江戸中期からは三宅藩1万2千石の居城。石垣・堀・土塁が残る。

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復元された桜門(大手門)

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復元された二の丸櫓
この奥は田原市博物館となっているがこの日は展示替えのため休館であった。

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城内に鎮座する巴江神社

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桜門向かいにある田原市民俗資料館

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城横にある崋山神社
昭和8年に地元の人によって創建。

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池ノ原公園
崋山が晩年過ごした屋敷跡、東屋、散策路がある。

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池ノ幽居跡
崋山が天保十一年(1840年)二月十六日より翌十二年十月十一日に切腹するまで家族と住んだ住居を1955年に復元。

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公園内の崋山の像

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公園にある椿の小径

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田原まつり会館にて祭りの山車を展示

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田原まつり会館にて大凧を展示
田原の凧は他と異なり横型長方形である。

 田原散策の〆は駅近くの城宝寺へ。寺伝によれば

『ここには渥美半島最大の古墳があり、弘仁二年(811年)、空海がここに立ち寄った際に弁財尊天造りをその頂上の堂に祀った』

のが始まりとされます。

 かつては田原城近くまで海が迫り、城の南のこの辺りも海があり所縁の弁天様を高い場所に祀ったと言えそうです。

しかし伝説の域で、『応永二年(1395年)に讃誉空山上人が浄土宗に改宗、同五年に幸徳法印により創設』

というのが実際のように思えます。

永禄七年(1546年)には徳川家康により田原城の鎮護の寺として城宝寺と改称。

この付近には四ヵ寺集まっており、有事の際には兵を駐屯させる意図があったのでしょう。

 渡辺崋山もここを墓所としており、本堂奥には崋山の霊牌堂があります。

その天井には有名な日本画家による55枚の花の絵があります。

画家としての崋山に敬意を表したもので、¥200で名画を鑑賞することができました。

お寺の方に伺ったところ全て作者からの寄進との事、これも崋山の遺徳の一つと言えそうです。

彼のような生き方は我々凡人には真似できないでしょうが、これを【他山の石】にと言ったら泉下の崋山に怒られますかね?

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城宝寺入口
樹木が生い茂っている場所が城宝寺古墳。

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山門

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山門近影

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古墳の横穴石室

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古墳の上に建つ弁天堂

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弁天堂からの眺め

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弁天堂を下りて本堂へ

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城宝寺本堂

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本堂より弁天堂を望む

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本堂奥にある崋山霊牌堂

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側壁の作品

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天井画

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城宝寺御朱印

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田原郵便局 ; 田原城二の丸旧櫓、渡辺崋山像、田原凧祭の大凧

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岩屋観音(愛知県豊橋市) 車窓から気になる観音様の御朱印と二川宿雛祭

2019.03.11(08:22) 165

ふたかわ向けた雛祭り (2016.3.12)

<コース> 春の青春18きっぷ
【往路】JR横浜(5:28) → JR小田原(6:21→6:22*) → JR熱海(6:45→6:49☆) → JR浜松(9:19→9:23) → JR二川(9:51)

JR二川 → 徒歩10分 → 二川宿 → 徒歩20分 → 岩屋観音

【復路】JR二川(14:10) → JR浜松(14:39→14:50) →静岡駅(16:01→16:05) → JR熱海(17:27→17:37) → JR横浜(18:46)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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亀見山 大岩寺 岩屋堂(曹洞宗)

 雛祭は先週で終わりですが、13日までしている場所があると聞き2度目の18切符で二川へ。

33番目の宿場なので雛祭かと思いきや地元で訊くとそうではないそうで己の短慮を後悔!

 東海道線の駅が宿場から離れていたこともあり、江戸時代の雰囲気を感じる街です。

東海道で本陣が残るのは草津とここのみ。加えて商家と旅籠が揃っているのは二川だけということです。

【二本陣】には郷愁を感じる場所なのでしょう。

二川は江戸文化圏ですが、地元曰く「三河の文化が江戸文化となった」。言われてみれば確かにその通りです。

 2015年、草津宿の掛け声で、東海道57次の人気投票(TKD57総選挙)があり二川は堂々の第一位・センターを獲得しました。

本命と目された草津は3位。当然トップを獲れると思っていたので結果に【草津】ってしまったに違いありません。

第二位は枚方宿。五六市の影響か大健闘。それより守口宿が第四位というのには驚きで思わず我が目を擦りました。

尤も宿場の雰囲気は文禄堤付近に少しあるだけなので、得票を伸ばしたのは安い割に美味しいものがあるとか、

人口の割に美人が多いとか別の要因の気がします。真相はともかく、守口宿もこれを機に活性化すれば良いですが…。 

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JR二川駅にある説明板

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二川宿本陣資料館
1807~1870年まで馬場家が本陣職を務めた。宿泊は西国大名が多く、特に福岡藩黒田家は江戸期を通じ57回宿泊している。

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本陣内部の雛飾り

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同じく本陣内部     吊し雛が特徴。

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昭和20~30年代の町屋の雛飾り

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本陣にて
京雛(左)と江戸雛(右)、雛段の並びが逆。

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京雛 持っているのは箒・塵取・熊手

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これは江戸雛   持っている小道具が京雛と異なる。

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本陣にある上段の間

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本陣の釘隠し     模様は蝶の図案?


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本陣脇の旅籠「清明屋」
これは江戸の旅人の復元。

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旅籠の食事の再現

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東にある商家駒屋
江戸期には米穀商・質屋を兼ねた田村家の経営

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駒屋内部
これは供養の終わった雛人形の再雇用で演奏風景。

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同じく百人一首風景

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西駒屋
ここは今でも醸造業を営む

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街道沿いの和菓子屋と喫茶店

 宿場見学の後は、以前から気になっていた場所を訪問。

電車で東海道を上るときに豊橋を過ぎて暫くすると、左手の小高い山上に観音像が見えます。

 寺伝によれば天平2年(730年)行基が全国行脚の途中に、1尺1寸の木造千手観音を彫り岩穴に祀ったのが岩屋観音の始まり。

天正十三年(1585年)の火災で観音堂は焼失、元文三年(1738年)になってようやく再建されました。

観音像はさらに遅れて明和二年(1765年)に江戸の講によって建立されましたが戦争末期に金属供出に合い、

戦後1950年に再び建立されるという、波乱万丈の沿革を辿りました。

これだけ不運が重なると御利益は【あ観音】と違うかと思いますが、どうでしょう。

 かつて観音堂には六塔頭がありましたが、岩屋山麓にあった大岩寺のみが残り岩屋観音を管理することに。

その間、元和八年(1622年)には真言宗から曹洞宗へ改宗しています。

 電車からだと近くに見えますが、歩くと結構な距離。

しかも傾斜が急で山というよりも岩を上るのでしんどいよりも危ない感じでした。

ようやく参拝を終えて御朱印をお願いしようとしましたが観音堂は無人。

説明では宿場にある大岩寺が管理しているという事で再度歩いて、ようやく拝受。西へ東へ歩き回って【も大岩】でした。

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二川宿から西へ

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ようやく観音様の下に到着
岩屋山78.2mの上に立つ。

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頂上付近にて
正観音は2.9mで、覆いがなく濡れ仏と呼ばれる。

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岩屋堂(観音堂)

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大岩寺まで戻り御朱印を拝受

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昼食は「うな広」にて
三河といえば鰻、味・価格ともお得、宿場と反対側にある。

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二川郵便局 ; 二川宿本陣、市花・ツツジ

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津島神社(愛知県津島市) 信長所縁の神社の御朱印

2019.03.08(18:39) 162

木曽川水運に家の基礎と衰運を賭けた男(2019.3.5)

<コース> 春の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR尾張一宮(9:04→名鉄9:07) → 名鉄国府宮(9:14)

名鉄国府宮 → 徒歩5分 → 国府宮 → 徒歩30分 → 美濃街道 → 徒歩30分 → 性海寺 → 徒歩30分 → 名鉄大里(13:13) → 名鉄津島(13:59) → 徒歩15分 → 津島神社

【復路】名鉄津島(17:08) → 名鉄一宮(17:38→JR17:42) → JR米原(18:40→18:47*) →JR大阪(20:13)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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津島神社(全国天王総本社)

 この日2ヵ所の巡礼の後は名鉄で津島神社へ。由緒書きに拠れば、

『欽明天皇元年(540年)に建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が西国対馬より、

現在の居森社の地に御来臨されたのが始まり』

とされます。

対馬の旧名が津島なので、そのまま社名に。なかなか【壱岐】な事をなさる神様です。

 その後、天平元年(757年)に柏樹社の地に動座、天暦二年(984年)に現在の地に動座されました。

その間弘仁元年(810年)に嵯峨天皇より正一位と日本総社の号を、一条天皇の正暦年間(990~994年)に天王社の号を賜わる

という栄誉を得ました。まさに【動座】と言ったところでしょうか?

 由来については伝説的な所があるとはいえ古くから貧富を問わず崇拝されているのは確かで、

東海地方を中心に総数3千社ある津島神社・天王社の総本社で津島信仰として知られています。

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東側にある大鳥居

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重文・楼門
天正十九年(1591年)豊臣秀吉の寄進。神社建築上は脇門であるが、江戸時代まで天王川が神社東側を流れここから神輿の渡還御が行われたため壮大な門になった。

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南門
慶長三年(1598年)豊臣秀吉の病気平癒のため秀頼により寄進。本来はここが正門である。

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拝殿と廻廊   
どちらも切妻造で、回廊は文政の大改修の際に檀家が寄進。

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拝殿正面
拝殿は本殿建立に合わせて建てられたと考えられている。

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境内遠景
本殿以下諸祭殿が左右対称に配置された尾張造と言う形式である。

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重文・本殿(右)と社務所
本殿は慶長十年(1605年)清洲城主松平忠吉(家康四男)の健康祈願のため室の政子が寄進。

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本殿脇の分社

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本殿側から見た楼門

 街中には木曽川の支流佐屋川・天王川が流れ、川港を擁し遠く伊勢湾まで至る交通の要衝。

戦国時代の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康からも篤い信仰を受けますが、特にこの近辺で生まれた信長は【幼少】の頃から

津島の経済的重要性に気付き、ここを拠点に勢力を拡げました。

神社への寄進も行っており織田家の家紋木瓜紋は神紋と同じです。

 信長が戦国大名から抜きんでた理由については色々あるでしょうが、未だ農業生産が中心の時代にいち早く貨幣経済の

重要性に気付いた所だったと思います。『これからの世は銭だがね!』 と言ったかどうかは知りませんが。

 桶狭間の戦いで今川義元を奇跡的に破って大ブレイクしますが、戦の勝利の陰には情報収集に秀でた部下の活躍があった

ようで【木曽】天外でもなかったのですね。

金儲けには情報を把握するのが【常法】、今の世にいてもベンチャー企業の社長となるのは確実でしょうね。

 名古屋が派手になったのは享保時代の尾張藩主徳川宗春の影響と言われますが、信長ならば 『元祖は俺だなも』 と

【むねはる】事でしょう。

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楼門横の池   かつての川の名残か?

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鳥居前にある御神木の大銀杏

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津島神社説明書

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津島神社御朱印     
社印の上に描かれているのは天王祭の松明

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神社南にある天王川公園
中央の池は江戸時代に木曽川三川工事の際に堰き止められたもの。

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天王川公園
かつてはここから伊勢湾まで船が通じていた。

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津島市観光交流センター
津島にあった銀行の一つで昭和四年の建築

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本町筋にある古い町並み   手前は糀を扱う店

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津島郵便局 ; 津島祭りの川船、津島神社
津島門前郵便局 ; 重文・津島神社楼門、藤の花

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性海寺(愛知県稲沢市) 紫陽花寺の御朱印

2019.03.07(17:41) 161

紫陽花の寺をしょうかい!(2019.3.5)

<コース> 春の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR尾張一宮(9:04→名鉄9:07) → 名鉄国府宮(9:14)

名鉄国府宮 → 徒歩5分 → 国府宮 → 徒歩30分 → 美濃街道 → 徒歩30分 → 性海寺
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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大塚山性海寺(真言宗智山派)

 国府宮から美濃路を南下して40分。

 大塚山性海寺(しょうかいじ)は、

『弘仁九年(818年)空海が東寺から熱田神宮に参詣の途中、老翁の教えに拠り大きな塚を造り金銅の歓喜天を埋めて、

国家安泰を祈願。同時に愛染明王を本尊として創建した。』

と有ります。

 境内の西には大きな塚があり付近の字、寺号の由来となっていますが、空海が古墳を造ったのか疑問は残ります。

各地で池や温泉を掘った人ですから造れないことはなかったでしょうが、元来古墳のあった場所に寺を造る際に伝説と

結びついたのでしょう。

 承久三年には浄蓮源延上人が善光寺本尊を模写し、阿弥陀如来一光三尊仏を本尊としました。

善光寺の本尊は開創以来勅命で絶対秘仏ですが、どうして模写できたのか?【もしや】盗み見たのか、謎は深まります。

 建長五年(1194年)には第二代大塚城主長谷部源政が大檀越として熱田大宮司家の良敏上人を開山として中興、

七堂伽藍が完成されました。

また弘安三年(1280年)の蒙古襲来では、尾張の中心として異賊降伏の先勝祈願を行っています。

この後も足利・織田・浅野・松平・徳川の庇護を受けましたが、端的に言えばこの地域を治めた人物には逆らわず従ったと

言うことになります。「世俗を離れた者が」と言う向きもあるでしょうが、戦乱の世を生き抜く術として非難すべき事でもないでしょう。

潔く散るよりも耐え忍んで残る方が遥かに困難であるのは言を俟ちません。

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性海寺入口

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山門    十七世紀の建築

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境内

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護摩堂

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重文・多宝塔    
室町期の建築で本尊に愛染明王を祀る。

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重文・本堂
慶安元年(1648年)の建立。入母屋造杮葺で周囲に縁を廻らす。内部の須弥壇は弘安四年(1281年)の墨書がある。

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唐破風造の本堂正面の向拝

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灌頂堂か?

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本堂から境内を望む

 現在は境内にある古墳の周辺を歴史公園として開放し、約90種1万株の紫陽花を植えています。

紫陽花の寺として知られますが、境内とはいえ公園内に植えてあり、本堂・多宝塔の周囲に咲いている訳ではありません。

古刹の名だけでは人を呼ぶのは難しいですが、花があると訪れる人も増えると言うもの。

時代の波を乗り切った先人の知恵は今も息づいている様です。

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名前の由来となった大塚

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塚横の景色

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大塚の頂上から寺域を見る

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大塚性海寺歴史公園
六月には紫陽花が咲き誇るが、今は閑散期。

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大塚山 性海寺説明書

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性海寺御朱印

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稲沢奥田郵便局 ; 性海寺多宝塔、紫陽花

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国府宮神社(愛知県稲沢市) はだか祭の御朱印と「いなッピー」マンホールカード

2019.03.06(19:50) 160

古来より伝わる【なうい】神事(2018.3.5)

<コース> 春の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR尾張一宮(9:04→名鉄9:07) → 名鉄国府宮(9:14)

名鉄国府宮 → 徒歩5分 → 国府宮 → 徒歩30分 → 美濃街道
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ 尾張総社)

 今日の18きっぷは2回目ですが尾張へ。

 稲沢市は愛知の西端ですが、かつては国府があった古い町。

濃尾平野ではほぼ中央、稲沢という地名から判断すると農耕に適した場所だったのでしょうか?

 鎮座する社も名鉄駅も国府宮となっています。

名鉄国府宮駅から北東に5分ですが、鳥居は随分南まであるようで、次の巡礼に向かう途中で見て驚きました。

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木像の三の鳥居
名鉄国府宮駅から徒歩で向かうとここに至る。

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一の鳥居
神社より1㎞ばかり南の美濃路から分かれる場所にある。

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重文・楼門   足利初期の建立。

 神社で頂いた説明書に拠れば、

『大昔、我々の祖先がこの地方に移住をして住居を構え生活を始めた時、日々の生活の糧を生み出す根源である国土の

偉大なる霊力を神として敬い日常生活の守護と感謝の心の拠り所としてお祀りした』

とあります。

 要は土地の人々の生活と直接結びついた神様、呼び名が「おわりそうじゃ」であっても、当初から崇められました。

今から千三百年前に国衙が置かれた時には国司によって祀られ神社であったようです。

拝殿と本殿に接する場所に五個の大きな自然石が置かれ神聖視されています。

これは磐境(いわくら又は、いわさか)と呼ばれ、神殿以前の祭場を表しているとか。祭場には【最上】の場所だったようです。

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境内遠望

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重文・拝殿    徳川初期の建立。

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拝殿の奥に見えるのが本殿

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本殿

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本殿と拝殿の間にある磐境

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東南にある別宮六社

 広い境内は「はだか祭り」の場所として有名。

これは正式には儺追(なおい)神事と呼び、選ばれた神男(儺負人)を巡って裸の男たちが揉み合いを繰り広げ、

触れれば厄落としができると言うもの。期限を辿ると神護景雲元年(767年)の称徳天皇の勅名による悪疫退散に遡るとか。

折しも建物の一部が工事中で、通りがかった若い巫女さんに訊くと

巫女A「あの建物は儺追殿(なおいでん)で、はだか祭りの時だけ前面に庇を作るのですが、終わったので取り外している所です」

鉄丈「毎年の事で大変ですね。」

また社務所で御朱印を拝受するときにもう一人の巫女さんに祭りの参加者について尋ねると

巫女B「地元の氏子の人が多いですが、決まりはありません。」

鉄丈「余所者も参加できるのですか?」

巫女B「参加はできますが褌の種類や装束の問題があるので、地元の旅館で指導して貰う必要がありますね」

鉄丈「なるほど、褌を締めてかからんとイカン訳ですね!」

と裸の話で盛り上がりました。こういう神事ではセクハラにはならないようです。

似た名前で追儺(ついな)という厄除け行事がありますが、これは宮中行事で節分の元になったもの。

どういう繋がりがあるのか気になる所です。

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儺追殿

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社務所前の楠の神木

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南面道路より

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尾張総社 国府宮説明書

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国府宮神社オリジナル御朱印帳
拝殿とはだか祭り

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国府宮神社御朱印

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稲沢市マンホールカード    配布場所は一の鳥居近くの名古屋文理大学文化フォーラム

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稲沢国府宮郵便局 ; 国府宮はだか祭り、市木・黒松、市花・紅山茶花

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美濃街道沿いの家屋

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野間大坊(愛知県美浜町) 野間大坊と大御堂寺の流麗ダブル御朱印

2019.02.06(19:53) 129

悲劇の武将源義朝と節を守った平康頼(2018.2.9)

<コース>
JR横浜(5:48) → JR小田原(6:42→7:04) → ひかり501号 → JR豊橋(7:59→8:06) → こだま697号 → JR三河安城(8:19→8:25) → JR大府(8:46→8:50) → JR武豊(9:28) → 徒歩10分 → 名鉄武豊(9:47) → 名鉄野間(10:03) → 徒歩10分 → 野間大坊

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鶴林山無量寿院大御堂寺(真言宗豊山派)

 週末の帰阪に一日休暇を取って、途中下車で知多半島へ。

野間にある野間大坊、鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざんむりょうじゅいんおおみどうじ)は、

『天武天皇の時代に役行者が開いたと言伝えのある古刹。

承暦年間(1077~1081年)には白河上皇の勅願で「大御堂寺」の名を賜った。』

と言われています。

但し正確な記録はなく、多分に伝説的な面が濃厚。

昔から港で栄えた地にあった寺院に後世箔を付けたというのが実際の所でしょうか?

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大御堂寺大門
源頼朝により建久元年(1190年)に創建。父義朝の法要に伴い境内に伽藍が建立されたのに伴う。

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大御堂寺本堂
大御堂寺一山の根本堂で宝暦四年(1754年)に鎌倉様式に則り再建。本尊は阿弥陀三尊像。

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鐘楼堂
鎌倉幕府五代将軍源頼嗣寄進の梵鐘で、建長二年の銘がある。

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客殿へと続く道にあるお砂踏み

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客殿とお砂踏み
伏見桃山城の一部を寛永年間に移築したもの。御朱印と「源義朝公最期の絵解」はここで。

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客殿前の庭園

 野間は源頼朝の父、義朝の最期の地で境内には彼の墓が残っています。

平治の乱に敗れた義朝は随行した家臣鎌田政清の舅である野間の長田忠致・景致を頼りますが、

平家の恩賞に目が眩んだ長田忠致は助けると見せかけて入浴中の義朝を謀殺しました。

『我に木太刀の一本なりともあらばむざむざ討たれはせむものを』

が最期の言葉と伝わっています。

 長田忠致は恩賞に与りましたが、義朝の墓は荒れ放題の状態だったとか。

丁度、尾張国に赴任していた平康頼は余りのひどさに見かねて、堂を建て土地を寄進し、僧侶に供養させたと言います。

 平家の世にあって義朝は謀反人ですが、この行為には清盛初め平家一門も『武士の鑑である』と褒め称え、

後白河上皇もこれを良しとして康頼を近重に取り立てました。

 後に康頼は平家に対する陰謀「鹿ケ谷の変」に関わったとされ鬼界ヶ島に流されますが、後に許され帰京。

理由は様々に言われますが、義朝の墓を弔った行為があった事は否めません。

 その後、鎌倉幕府を開いた頼朝は康頼を阿波国の在庁官人に任命し、その恩に報いています。

一方、恩賞の為に主君を売った長田忠致・景致は後に頼朝によって野間の地で磔にされました。

古今東西、主君を裏切った輩に碌な末路はありません。

 こうして戦乱の世に生きた康頼は承久二年(1220年)に74歳で大往生しました。

戦乱の世にあっても己の信ずる所に従った生き方をした康頼が頼朝、清盛よりも長生したのも運命だったのでしょうか?

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本堂横にある義朝公墓所

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説明板

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墓所には木太刀を供える習わし
といっても木太刀など簡単には手に入らないのでちゃんと売っている。

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木太刀が供えられた墓所
木太刀は時期が来ると焼却して供養すると思うが、表面を少し削ると再利用できそう。

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大門横にある血の池
主君を討った長田忠致は義朝の首をこの池で洗ったと伝える。又、国家に一大事があると池の水が赤くなると言い伝えられている。

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義朝の墓所を供養した平康頼の供養塔
平家物語の『鹿ケ谷の変』の平判官康頼である。

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大御堂寺 野間大坊 説明書

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野間大坊と大御堂寺御朱印

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野間大坊から野間駅に行く途中にある「長田父子磔の松」

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松の説明

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野間郵便局旧庁舎
洋風と和風建築を組み合わせた様式で昭和六年の築。

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野間郵便局 ; 野間海岸、史跡・源義朝墓
美浜郵便局 ; 野間崎灯台、重文・大御堂寺梵鐘、カワウ

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浄泉寺(愛知県豊川市) 廣重の描いた蘇鉄と棒鼻と御対面

2019.01.30(20:39) 123

♪歩きたいのよ三宿 思い出語って赤坂♪(2019.1.9)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09→名鉄10:15) → 御油(10:27)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

名鉄御油駅 → 5分 → 御油宿 → 松並木資料館 → 東林寺 → 御油松並木 → 徒歩15分 → 赤坂宿 → 名電赤坂(12:29) → 藤川(12:59) → 徒歩5分 → 藤川宿 → 藤川(15:25) → 名鉄刈谷(15:54)

【復路】JR刈谷(16:07) → JR大垣(17:01→17:09☆) → JR米原(17:44→17:47*) →JR大阪(19:13)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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赤坂宿高札場

 御油から松並木を通り、旧東海道を歩くと15分ほどで次の赤坂宿へ。

今でも高札場跡や江戸時代から続く曲わっぱ細工の尾崎屋があります。

特に大橋屋(旅館鯉屋)は芭蕉も泊まったとされる老舗旅館で驚くなかれ平成27年まで現役の旅館として営業されていました。

いまは補修工事を行って4月からの新たな開業に向け準備中とか。

旅籠としては無くなりますが、当時の遺構として残して貰うのは有難い事です。

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尾崎屋(江戸時代の屋号は村田屋)
築200年、民芸品を扱う

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尾崎屋の玄関

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旅籠・大橋屋(江戸時代の屋号は鯉屋)
芭蕉が宿泊し、廣重が描いた歴史の生き証人だが現在は修復中。

 浄泉寺は宿場にある寺院。本尊は薬師如来ですが境内の石の観音様で知られます。

また廣重の浮世絵に描かれた蘇鉄が移植されている寺でもありますが、生憎関係者が不在のため御朱印拝受できませんでした。

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玉清山医王院浄泉寺(浄土宗西山深草派)

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浄泉寺境内

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本堂   薬師如来を祀る

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大橋屋から移植されたと言う大蘇鉄、後ろに石の観音像が並ぶ

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赤坂のマンホール蓋   
行政区では豊川市だが独自の図案。但し、マンホールカードは未発行。

 続いて藤川駅で下車して宿場を散策。

廣重では宿場外れにある棒鼻が描かれていますが、現在東西に復元したものが残っています。

棒鼻とは宿場の出入り口で大名が通る際には役人がここまで迎えました。

一見して分かりますが【棒】っとしていると由来も分からずに通り過ぎてしまう感じです。

 藤川は岡崎市内ですから八丁味噌が名産ですが、もう一つが「むらさき麦」。

古くから食用・染織用に栽培され芭蕉も詠んだ宿場の名産となっていました。しかしいつしか作られなくなり消滅。

それを地元の人々が栽培を復興しました。お菓子や麺に使用して売り出し中だそうです。名産が復活する日も近いでしょうか?

 御油から藤川まで三宿訪れましたが、東海道とはいえ道沿いには集落はあるものの商業施設は殆ど見当たらず。

昔の幹線だったのが信じられない雰囲気です。やはり旧国鉄が避けた事が大きなネックになったのでしょうかね。

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藤川にある西棒鼻   廣重の絵を元に復元

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宿場を示す碑   前の道が旧東海道、奥が脇本陣跡。

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脇本陣跡   現在は藤川宿資料館(無料)となっている。

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本陣跡にある高札場

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秋葉山常夜灯

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商家 旧銭屋    旧東海道の南側にある。

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旧野村家住宅(米屋)
天保年間の築で米穀商として地域経済の中核を担ってきた。戦後は薬局となったが内部はそのままで保存。現在は新ARATAという看板を上げ古民家 活・改・修 まちおこし・よろず相談 としての業務を行っている。

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宿場の東にある粟生人形店
この付近はやや坂道となっている。

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西棒鼻の西の十王堂境内の芭蕉句碑
・ここも三河 むらさき麦の かきつばた

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音羽郵便局 ; 東海道赤坂宿大橋屋、浄泉寺の蘇鉄、東名音羽蒲郡インターチェンジ
藤川郵便局 ; 藤川宿棒鼻(宿場外れ)、街道往還図、歌川豊廣の句碑、ムラサキ麦

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赤坂宿では宿場での旅籠の客引きの様子が、藤川宿では寺院の描写が少ないことから始まり江戸時代の寺請制度から庶民の寺院に対する意識まで話題が及ぶ。

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東林寺(愛知県豊川市) 松並木と宿場を見守ったごゆ観音の御朱印

2019.01.29(18:42) 122

御油より歩き赤坂や(2019.1.9)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09→名鉄10:15) → 御油(10:27)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

名鉄御油駅 → 5分 → 御油宿 → 松並木資料館 → 東林寺 → 御油松並木 → 徒歩15分 → 赤坂宿

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関川神社にある芭蕉の「夏の月」の句碑

・夏の月 御油より出でて 赤坂や  はせを

 御油は東海道35番目の宿場、名の謂れについては持統天皇に椿油を献上したとか伝わりますが、詳しい事は分かりません。

菜種や胡麻を栽培していた事に拠るものではなさそうです。今は街道沿いの松並木が有名です。

35番目の御油と36番目の赤坂の間は僅かに1.7㎞。ほぼ二里半毎に置かれた東海道の宿場の中でも

群を抜いて短くなっています。ここに挙げた芭蕉の句もその様子を詠んだものでしょう。

 御油は本陣4軒、旅籠62軒と小さな宿場にしては大規模。これは互いに宿泊の機能を持たせたことに拠るもので、

御油と赤坂の間では客を巡って強引なやり方もあったようです。

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御油の松並木
慶長九年(1604年)徳川幕府の道路政策として奉行の大久保長安により植えられた。

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松並木は御油宿を過ぎた辺りから赤坂宿までの約600mに亘って約300本の松の大木が並ぶ。

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街道沿い御油宿の家屋

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東海道の両側にある「イチビキ株式会社」の味噌・醤油工場
明治44年の建設で日本最大級の味噌仕込桶がある。

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街道沿いの「御油本店 おふく」の黒松最中
老舗の和菓子屋だが洋菓子にも力を入れている模様

 廣重の五十三次の作品を見ると、

御油は旅人が恰幅の良い留女に引き留められている図、

赤坂では宿に入って寛ぐ客とそれをもてなす宿の人間が描かれています。化粧をしているのは飯盛女でしょうか。

 風景画を主とする廣重がこのような風俗を描くのは余程、この辺りの印象が強かったからに他なりません。

事実、吉田・御油・赤坂・藤川は遊興地のイメージが強く、

・御油や赤坂 吉田がなくば 何のよしみで江戸通い

と言う俗謡が物語っています。人間の性と言うのはいつの世でも変わらないようで…。

 明治になって東海道本線が敷設されますが、吉田から宮(熱田)までは東海道を避けて海沿いを走ります。

一説によれば風俗上良くないので避けたとまことしやかに言われていますが、勾配がきつかったから避けたのが実情の様です。

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歌川廣重 東海道五十三次(保永堂版)の御油と赤坂   
郵政省発行の東海道五十三次絵葉書から

 宿場にある通称「ごゆ観音」は白蓮院招賢山東林寺(びゃくれんいんしょうけんざんとうりんじ)と言う古刹。寺伝では、

『永享年間(1429~1441年)に龍月日蔵和尚により創建、

八十年後の永正年間(1504~1521年)に伽藍を整えた。』

と有ります。本尊は阿弥陀如来ですが地元ではごゆ観音の名で親しまれています。

三河時代の徳川家康が二度立ち寄ったこともあり江戸期には繁栄、芝増上寺の管長も訪れる程になりました。

唯、本堂は三年前に修復されたので古刹の雰囲気はありません。

 御朱印を拝受する際に、お寺の方から飯盛女の墓があると聞きました。そこへ行くと戒名も摩耗して読み難くなった墓石が5基。

なんでも4人一度に入水したとかで、宿場繁栄の陰にはこのような歴史があったのも事実です。

江戸時代のブラック企業ですが、これもいつの世でも変わらないようです。

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白蓮院招賢山東林寺(浄土宗西山派)   通称ごゆ観音

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東林寺境内

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東林寺本堂

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飯盛女の墓にも御参り

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東林寺御朱印

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御油郵便局 ; 御油赤坂宿、天然記念物・松並木

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御油・赤坂では当時の宿場の人間模様を描写しており、旅籠と旅人の当時の駆け引きが分かる。


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豊川稲荷(愛知県豊川市)  お稲荷さん御朱印&マンホールカードと別品鰻

2019.01.09(23:50) 107

[豊川稲荷] ブログ村キーワード
一之宮からお稲荷さんへ

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09→10:12) → 三河一宮(10:30→11:28) → JR豊川(11:32)

JR豊川駅 → 徒歩5分 → 豊川稲荷 → JR豊川(12:10) → JR豊橋(12:23→14:02)

【復路】JR名古屋(14:58→16:49) → JR大垣(17:32→17:37☆) → JR米原(18:11→18:17*) →JR大阪(19:42)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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円福山豊川閣妙厳寺(曹洞宗)

 続いて豊川駅で下車してお稲荷さんへ。日本三大稲荷の一つで三河地方の初詣はここがトップ。

なのに何故ここが一之宮ではないかと言うと、ここは正式には妙厳寺という曹洞宗の名刹で、

境内の秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」が稲穂を担いだ姿から稲荷と呼ばれるようになったとか。

 稲荷は元々「稲生」と書き五穀豊穣を願う渡来人の信仰が元で、稲を食い荒らすネズミを食べてくれる狐をお使いとしています。

従って神社ではないのですが神仏習合で寺に稲荷を加えてしまう処など、我が国の信仰のよく言えば大らかさ、

悪く言えばいい加減さに拠るものでしょう。

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山門

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御本殿

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本殿右横の庭園

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万燈堂

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奥の院への参道

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霊狐塚

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塚の上の御狐さま

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豊川いなり略縁起

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豊川稲荷(妙厳寺)御朱印

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豊川駅前郵便局 ; 妙厳寺本殿、狐面

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豊川市マンホールカード   配布場所はこちら

 参拝を終えた後は東海道本線に戻って豊橋へ。今日は七草粥なので菜飯で有名な店を訪ねると生憎休みの模様。

近くの本陣跡「丸よ」に行くと意外と待たずに入店、念願の別品鰻と御対面と相成りました。

これもお稲荷様のお導きの賜物でしょうか。七草粥は✖でしたが、三河地方の名産で〇よ!となり幸先良い年初にはなりました。

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豊橋市公会堂

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聖ハリストス教会

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旧本陣に建つ「丸よ

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丸よ」の上鰻丼

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「あんまき」は列車移動中に

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砥鹿神社(愛知県豊川市)  関西日帰り寺社 ; 本宮山を仰ぐ三河國一之宮御朱印

2019.01.08(21:33) 106

[砥鹿神社] ブログ村キーワード
咎が無き様に砥鹿参り

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09→10:12) → 三河一宮(10:30)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

JR三河一宮駅 → 徒歩5分 → 砥鹿神社

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砥鹿神社(三河國一之宮)

 昨年の初詣は尾張國一之宮へ行きましたが、平成最後の初詣は【おわり】より更に先の三河へ。

豊橋から飯田線に乗って三河一宮下車。駅から東へ5分歩くと三河國一之宮の砥鹿神社(とがじんじゃ)。

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飯田線三河一宮駅   神社を模した駅舎になっている。日中は1時間毎の無人駅。

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西参道石鳥居   
駅から歩くとこちらに出る。天保十三年(1842年)に奥宮の遙拝所として旧市田村に建てられたものを1956年に現地へ移築された。

 由来は古く、『但馬続風土記』 に拠れば、

『国土を開拓された大己貴命(大国主命)が三河国に至った時に、

本宮山に留まってこの山を永く神霊を止め置く「止所(とが)の地」とされたのに始まる。』

とあります。

 その後、文武天皇の大宝年間に天皇の病気平癒の為に草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)卿が遣わされ、

山から現れた老翁の導きで祈願を達成。山麓にも里宮を定めることになりこれが現在の砥鹿神社となっています。

由来には有りませんが、草鹿砥公宣の名前から砥鹿の表記ができたのでしょう。それにしては漢字が逆なのが気になりますが…。

 本宮山はここから車で40分程行った所にあり、東三河地方では有名な孤峰。筑波山神社や大神神社のように

昔は山や自然それ自身を御神体にした所が多かったものと思えます。境内は杉木立の中にあり、重厚な雰囲気。

物見遊山な参拝ではないのは御参りする方の真剣な表情からも伺えます。参道に出店が全くないのにも驚きでした。

奥之院のある本宮山までは距離があり今回は行けませんでした。

取り敢えず里宮に御参りできた事で【とが】を受ける事はないでしょうね。

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石鳥居を過ぎると参道に

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再び石鳥居が

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神門をくぐると神殿域に入る

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砥鹿神社本殿

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社務所   並んでいるのは御朱印ではなく、御守りを購入する人達。

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表神門

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本殿横のえびす社

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砥鹿神社と本宮山の説明書

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砥鹿神社御朱印   書かれたもの(正しくは印刷されたもの)を購入¥300。

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三河一宮郵便局 ; 流鏑馬、県立本宮山自然公園・牛の滝、天然記念物・枝垂桜

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真清田神社(愛知県一宮市)  関西日帰り寺社 ; 尾張國一之宮の繊細な御朱印

2019.01.05(02:11) 102

[真清田神社] ブログ村キーワード
今年の初詣は尾張一宮(2018.1.4)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR尾張一宮(9:04→名鉄9:21) → 須ヶ口(9:33→9:36) → 甚目寺(9:38) → 徒歩3分 → 甚目寺(12:00) → 須ヶ口(12:03→12:05) → 名鉄一宮(12:18)

名鉄一宮 → レンタサイクル10分 → 真清田神社

【復路】JR尾張一宮(17:11) → JR大垣(17:32→17:37☆) → JR米原(18:11→18:18*) →JR大阪(19:42)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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真清田神社(尾張国一宮)

 尾張一宮と言う位ですから、どこかに一之宮がある筈。市内で郵便局を訪れた際に職員の方に尋ねると

「さぁ、どこでしたっけね?」

すると順番待ちの年配の女性が

「それなら真清田(ますみだ)神社だわ!」と教えてくれました。

「ここから近いですか?」と訊くと

「歩いても10分位かな。行けば大きいからすぐに分りますよ。」という御返事。

ガイドに載らない場所へは地元の方の情報が何よりの頼り。

郵便局はそういった面からも重宝できる場所だと改めて感心しました。

 レンタサイクルで走ると、大勢の方で賑わった場所があり立派な山門が。

尾張一之宮の真清田神社は神武天皇三十三年の鎮座。

歴史年代では縄文時代かと思いますが、我が国の開拓と日を同じと伝わっています。

この地域は木曽川の水田地帯として栄えたので、治水を司る神様として祀られたのが由来でしょう。

真清田と言う呼び名にもそのことが想像できます。

 その後も国幣の名神大社として崇拝、順徳天皇が奉納された舞楽面も伝わっています。

一之宮とは国になかで最も格式が高く、国司が赴任した際に最初に巡拝する社。

そのような神社の名前すら知らなかった自分が恥ずかしいですが、荘厳な佇まいに気分一新の初詣となりました。

 「おわり」で「ん」なしとゲンの悪いスタートと思いきや、マイナス×マイナスで結果的にはプラス。

まだまだ未知な(無知?) 場所はいっぱいあったと悟った年初の旅でした。

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真清田神社本殿参拝の行列   4日であったが、参拝の列が100m位続いていた。

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境内の大楠   着生した苔・羊歯類が年月を物語る。

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真清田神社説明書

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真清田神社御朱印

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一宮市マンホール

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一宮市マンホールカード   一宮市観光案内所にて配布

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一宮大志郵便局 ; 真清田神社、一宮七夕飾り、特産・織物
一宮松降郵便局 ; 真清田神社、一宮七夕飾り、特産・織物
一宮泉郵便局 ; 真清田神社、一宮七夕飾り、特産・織物

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妙興寺(愛知県一宮市)  木立に囲まれた巨刹の御朱印と妙興寺蕎麦

2019.01.04(00:22) 101

[妙興寺] ブログ村キーワード
尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺(2018.1.4)

<コース>冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR尾張一宮(9:04→名鉄9:21) → 須ヶ口(9:33→9:36) → 甚目寺(9:38→12:00) → 須ヶ口(12:03→12:05) → 名鉄一宮(12:18)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

名鉄一宮 → レンタサイクル10分 → 妙興寺

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長嶋山妙興報恩禅寺(臨済宗妙心寺派)

 甚目寺を終え午後に尾張一宮に戻った午後は、南にある妙興寺へ。

名鉄妙興寺駅から徒歩5分の場所ですが、尾張一宮駅でレンタサイクルを借りて向かいました。

 名鉄の車窓からも樹木が茂った様子が伺えますが、訪れて見るとここだけ異空間の状態。

奈良時代から古代寺院があったようですが後に廃絶。

貞和四年(1348年)に尾張国人中島蔵人の次男滅宗宗興(めっしゅうそうこう)が39歳の折に帰郷し、

父母への報恩のために創建したのが始まりとされています。

 南北朝時代には北朝勢力の拠点となった事で隆盛を極め、延文元年(1356年)には後光厳天皇より勅願の綸旨を、

貞治三年(1364年)には二代将軍足利義詮により鎌倉五山と同格に列せられました。

以後も十代将軍義稙まで歴代将軍の庇護のもと尾張随一の巨刹となり栄えます。

籤引き将軍として有名な六代足利義教は駿河下向の際にここへ立ち寄り、肖像画を残しています。

 応仁の乱を境に足利家の庇護を失い衰退しますが、秀吉の時代に京都花園の妙心寺から招聘された僧が再興に尽力、

江戸時代には尾張藩の庇護を受けることに。

 決して観光地ではありませんが、禅宗様式の境内と厳格な戒律を守っている事を肌で感じる事ができました。

またここは江戸初期の1608年に『蕎麦覚書』という調理本が書かれた記録があり妙興寺そばとして町興しに一役買っていますが、

甚目寺で食べたので今回は【ツルー】です。

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妙興寺入口   駅から500m程だが、修行の道場らしい凛とした雰囲気がある。

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妙興寺境内の庭

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境内の杉苔

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勅旨門へと向かう道
貞和四年(1348年)の創建当時の唯一の建造物で切妻一間一戸四脚門。

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重文・勅旨門   勅額「国中無双禅刹」が掛かっている。

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道場入口   御朱印はここで拝受。

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三門    明治十一年(1878年)の再建で三解脱門を略して三門と呼ぶ。

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妙興寺佛殿
須弥壇に釈迦三尊像が祀ってある。扁額の「妙興報恩禅寺」は室町六代将軍足利義教筆。尚、非公開だが、重文・足利義教像もこの寺院が所有。

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妙興寺説明書

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妙興寺御朱印

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一宮郵便局 ; 重文・妙興寺勅使門、特産・織物、七夕飾り

[参考書]

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甚目寺観音(愛知県あま市)  尾張四観音御朱印と門前の手打ち蕎麦

2019.01.03(09:46) 100

[甚目寺観音] ブログ村キーワード
年初の「尾張」には「ん」がなし?(2018.1.4)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR尾張一宮(9:04→名鉄9:21) → 須ヶ口(9:33→9:36) → 甚目寺(9:38)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

名鉄甚目寺 → 徒歩3分 → 甚目寺観音

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鳳凰山甚目寺(真言宗智山派)

 2018年頭の巡礼は尾張四観音で唯一残った愛知県へ。

 尾張一宮駅から津島方面へのローカル線沿いですが10~15分毎と非常に便利な場所。

津島は物流の要衝として信長の父信秀が目を付けた場所でもありました。

 そこにある鳳凰山甚目寺(ほうおうさんじもくじ)は、由緒に拠れば、

『585年に物部氏により海中に捨てられた三尊仏の一つが、巡り巡って597年に伊勢甚目(はだめ)村の漁夫龍麿の網に

かかったのが由来とか。尚、呼び方は「じもくじ」と「ん」は無し。

仏は黄金の聖観音像で歓喜した漁夫はお堂を建て祀った。』

と伝わります。

捨てられた残り二体の仏像の行方も気になりますが、無事に拾われ信濃の善光寺、太宰府天満宮の安楽寺に祀られた

とあります。

法隆寺や四天王寺に次ぐ古刹となる訳ですが、仏教伝来の60年後というのも奇跡的。

考古学的には奈良朝以前にも存在が確認されるという事ですので、このような縁起に結び付いたのでしょう。

浅草寺や飯沼観音(銚子)にも似た経緯があるので、観音様は海から現れるのがお好きなようです。

ビーナスの誕生のようなものと言ったら不謹慎ですかね?

 天智天皇から宝鏡を下賜され、天武天皇からは鳳凰山の額を勅賜され栄えます。

天治元年(1124年)の大地震で被害を受けましたが、鎌倉初期の建仁元年(1201年)に再興。

その後も歴代藩主と庶民の信仰を受け尾張四観音として今に至ります。

為政者の保護もさることながら、衰運に至らなかったのは近隣の水運関係者の篤い信仰心がその原動力だった気がします。

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重文・甚目寺東門   
駅からだとこちらから入山。寛永十一年(1634年)建造の銅板葺・四脚門・切妻造りで、桃山時代の様式。

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重文・甚目寺仁王門(南大門)
建久七年(1196年)、源頼朝の命で梶原景時が普請して再建した杮葺・入母屋造。仁王像は運慶作と伝わる。

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重文・三重塔
江戸の寛永四年(1623年)建築の本瓦葺・高さ28m。名古屋両替商吉田半十郎政次の寄進に拠った。

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南大門から本堂を見る

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本堂
平成四年の新築。入母屋造で正面上部は千鳥破風、向拝部は唐破風の造り。

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本堂の扁額

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本堂横の大師堂

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甚目寺観音のしおり

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甚目寺御朱印   本道にて拝受。

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あま市のマンホール   甚目寺境内の風景が描かれている。

 巡礼後は11時過ぎでしたが、門前のそば処 和照居(わしょうい)にて昼食。

正月らしく栗赤飯と蕎麦セットを注文。手打ちとアレンジに御店の方のこだわりが感じられました。

食後には蕎麦茶とアイス付き。これは「あま市」だったからかどうかは定かではありませんが…。

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昼食は駅北側のそば処「和照居」にて

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栗赤飯と蕎麦セット   寺なのでクリなのかは不明。

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セットを注文すると後で、蕎麦茶とアイスが付く

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甚目寺郵便局 ; 重文・甚目寺観音仁王門、仁王像
富塚郵便局 ; 福島正則誕生地石碑、樫の木

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東海道五十三次 舞阪&吉田宿(静岡県浜松市&愛知県豊橋市) 豊橋マンホールカード有

2018.12.31(09:52) 96

[吉田宿] ブログ村キーワード
吉田通れば別品鰻が招く (2015.12.30)

<コース>
JR横浜(5:28) → JR小田原(6:21→6:22*) → JR熱海(6:45→6:49☆) → JR浜松(9:19→9:23*) → JR舞阪(9:32) → 旧東海道 徒歩110分 → JR弁天島(11:13) → JR豊橋(11:37) → 徒歩15分 → 吉田城 → JR豊橋(13:03) → JR大垣(14:31→14:41☆) → JR米原(15:16→15:18*) → JR大阪(16:42)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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舞阪の松並木   旧東海道の両側に700mに亘って続く。

 仕事の都合で年末帰省の「のぞみ」が前もって予約できず、そうかと言って混雑した自由席で帰るのもいまいちなので

東海道線での帰阪と相成りました。

 東海道53次のど真ん中は袋井(27番目)ですが、大阪まで延長した57次では浜松(29番目)になります。

江戸の旅人に倣い七つ立ち(4時起床)で始発に乗って舞阪9:32着。

年末で施設は軒並み休みですが、舞阪(30番)から新居(31番)方面への旧東海道は両側に700m松並木が続き、

常夜灯や脇本陣も残って居り、江戸時代の旅人の気分が味わえます。

かつて浜名湖は遠淡海と呼ばれた淡水湖で遠江の語源にもなっていましたが、明応七年(1498年)の地震で海と繋がり

その場所は今切と呼ばれる事に。そのため東海道の陸路も今切渡しから海上を一里半船で行くことになりました。

江尻(18番目;清水)以降では久し振りの海の見える景色で、廣重も浮世絵では今切の景観を描いています。

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街道沿いの秋葉常夜灯   奥に一里塚跡碑が建つ。

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舞阪宿脇本陣
脇本陣としては東海道に唯一。天保9年のものを復元、大正時代には役場として使われた経歴を持つ。

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脇本陣説明板

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浜名湖今切の渡しにある北雁木、1661年作
雁木とは階段状の船着き場の事。北雁木は大名や幕府公用役人が使用したもので、水際まで約18mの石畳が敷かれている。尚、ふつうは「がんぎ」だがここでは「がんげ」と呼ぶ。

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舞阪宿の西端
1498年の地震で浜名湖が外海と繋がり、今切と呼ばれるようになった。以降、東海道は舞阪~新居を船で行く習わしである。

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宿場案内の高札

 今切の渡しを電車で越えた後は愛知県の吉田宿(34番)へ。

永正二年1505年に牧野氏が築城して以来の城下町で県下第二の都市。

豊川に架かる「豊橋」は吉田大橋と呼ばれ、岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋と並び三橋と称されました。

明治の版籍奉還に伴い町の名前になっています。

 戦災と開発で宿場の遺構は少なくなりましたが、鍵曲道や老舗に昔の面影を見ることができます。

本陣跡に行くと、そこは鰻屋「丸よ」に。

江戸時代にここで供される鰻が殊の外美味しく「別品」の名前で売り出しましたが、江戸に伝わる内に美婦人のことも別嬪と

呼ぶようになったとか。お店の看板にも由来が書かれてあります。

尤も「美」の語源は『大きく美味しそうな羊』だそうですから、強ち曲解とも言えませんが。

 以前見たテレビで江戸の鰻屋さんでも似たような話があったようですが、江戸は三河の文化が移ったものですし、

派手好きな県民性も併せてこちらが元祖のような気がします。

「吉田歩けば二階から招く…」といった別嬪の艶っぽいことはありませんでしたが、

代わりに別品の蒲焼の香りに引き寄せられました。

 その後、乗り継いで大阪16:42着、新幹線の二時間半には遠く及びませんが、意外と早く着くものだと改めて感じました。

江戸時代には二週間かかった訳ですからね。

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豊橋公園にある吉田城隅櫓
後ろには豊川と吉田大橋が控える。岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋と共に東海道三大大橋とされる。

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街道沿いにある江戸時代から続く和菓子屋「若松園

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豊橋市公会堂   ロマネスク様式で昭和6年竣工。

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吉田宿本陣跡
いまは鰻屋「丸よ」となっている。なお、別嬪の語源はここで出した鰻が元だとか。江戸の前川でも同じような話があったが真相は?

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舞阪郵便局 ; 弁天島温泉、灯台、松、名産・鰻
舞阪駅前郵便局 ; 旧東海道松並木、和船、名産・鰻
豊橋下地郵便局 ; 豊川、吉田大橋、吉田城
豊橋市役所前郵便局 ; ロマネスク様式の豊橋公会堂と豊橋鉄道路面電車

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豊橋市マンホールカード A ; 豊橋情報プラザにて配布
豊橋市マンホールカード B ; 豊橋市役所にて配布
豊橋市マンホールカード C ; こども未来館にこにこにて配布

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瑞泉寺(愛知県犬山市)  関西日帰り寺社 ; ひっそり佇む古刹の凛とした御朱印

2018.12.30(09:18) 95

[瑞泉寺] ブログ村キーワード
戌年の終りの尾張犬山 続き(2018.12.27)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03) → JR大垣(8:37→8:40) → JR名古屋(9:14) → JR刈谷(9:35→名鉄9:39) → 名鉄碧南(10:07) → 名鉄北新川(11:49) → 名鉄刈谷(12:07→JR12:23) → JR名古屋(12:42→名鉄12:53) → 名鉄犬山(13:18)

名鉄犬山駅 → 成田山尾張別院&瑞泉寺 → 徒歩10分 → JR鵜沼

【復路】JR鵜沼(16:07) → JR岐阜(16:32→16:49) → JR大垣(17:01→17:09) → JR米原(17:44→17:47) →JR大阪(19:13)

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青龍山瑞泉寺(臨済宗妙心寺派)

 成田山から名鉄犬山遊園駅に向かって歩いていると、何か趣のあるお寺があったので立ち寄り。

 青龍山瑞泉寺(せいりゅうざんずいせんじ)は日峰宗舜禅師が創建した妙心寺派の古刹。

本尊は伊勢国朝熊山金剛證寺の虚空蔵菩薩を勧進したと有ります。やはり寺院は歴史と本尊が【勧進】なのでしょう。

歴代住職からは高僧が輩出し本山の妙心寺の長になった僧侶もいるとか。

最近なられた管長の写真が掲げてありましたが、あまり宣伝しすぎるのもどうかと言う気がします。

応永22年(1415年)に大伽藍が出来たとありますから犬山市内に現存する中では屈指の古刹でしょうか。

永禄八年の兵火で焼失しますが、信長から朱印状を貰い再建。秀吉・家康からも庇護を受けたと言いますから、

政治手腕に長けた僧侶が多かったともいえます。尤も当時の武将は幼い頃は僧侶に教育を受け、

長じてはブレーンになった人も多いと言いますから、珍しい話ではないのでしょうが…。

塔頭も最盛期は24ヵ院ありましたが、今は6ヵ寺と四分の一。隣接する成田山の陰に隠れひっそりとした佇まいを見せています。

これを栄枯盛衰と捉えるかは判断が難しい所。境内に入ると凛とした雰囲気が感じられますが、訊けば禅宗の道場との事。

俗世間から距離を置いた感があるのは、この故だったのかと思いました。


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名鉄の踏切を越えた所にある山門   犬山城の門を移築したもの。

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瑞泉寺入口   道場の看板がある。さあ、どうじょう と言う訳ではないが…。

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鐘楼   明応三年(1494年)の建立と伝わる。左甚五郎作の三猿があるとか。

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境内のイヌマキ   創建当時からあるとされ樹齢600年。

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本堂   観光寺院ではないが砂が禅宗式に整備されている。

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本堂脇から境内を望む

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瑞泉寺御朱印   2種類ありこれは¥300。

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犬山市マンホール   国宝犬山城と木曽川の鵜飼、駅西口交差点に設置。

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碧南市&犬山市のマンホールカード
2018.12.14に第9弾として発行された。いずれも市役所下水道課で貰った。

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犬山成田山(愛知県犬山市)  お城も驚く木曽川沿いの大伽藍

2018.12.29(17:24) 94

[犬山成田山] ブログ村キーワード
戌年の終りの尾張犬山(2018.12.27)

<コース>
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03) → JR大垣(8:37→8:40) → JR名古屋(9:14) → JR刈谷(9:35→名鉄9:39) → 名鉄碧南(10:07) → 名鉄北新川(11:49) → 名鉄刈谷(12:07→JR12:23) → JR名古屋(12:42→名鉄12:53) → 名鉄犬山(13:18)

名鉄犬山駅 → 徒歩15分 → 犬山成田山

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大本山成田山名古屋別院大聖寺(真言宗智山派)

 以前から気になっていましたが国宝犬山城から見ると向かいの山に広大で派手な寺院が見えます。

地図を見ると成田山とあるのでちょっと御参り。

 千葉の成田山の分院なら地元の香里園にもあるので、別段珍しくもないですが、それにしては規模が大きい。

駅で貰った案内に拠ると千葉の成田への参詣が遠距離で大変なので、この愛知県に造った別院だとか。

となると格式もそれなりに高いのでしょうね。

 創建は昭和28年と新しく境内を見ても現代的。創建に際しては名鉄グループの寄進があったそうで、

交通安全祈願の成田山だけに納得。加えてトヨタグループもあり愛知県にこれだけ大きい伽藍ができたのも頷けました。

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正面参道に到着

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明王門   成田山の建物はどこも大きい。石段下に「名鉄百貨店」とあるのが妙に気になる。

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明王門を過ぎたこの石段を登った先が本堂

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石段右手の庭園「憩いの場」にある五大明王と童子達

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石段左手下にある交通安全・自動車祈祷殿   あおり運転者には不動明王の剣を、となりますかどうか。

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本堂   御朱印はこの右手の総受付で拝受する

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本堂からの眺め

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本堂付近から見た犬山城   心なしかお城の方が小さく見える。

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犬山成田山説明書

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犬山成田山御朱印

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犬山郵便局 ; 国宝犬山城、明治村の重文・聖ヨハネ教会堂
城東郵便局 ; 国宝犬山城、温泉、犬山ライン下り

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妙福寺(愛知県碧南市)  ショウブの町で毘沙門詣り

2018.12.29(09:30) 93

[妙福寺] ブログ村キーワード
菖蒲の街の勝負の神様(2018.12.27)

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【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03) → JR大垣(8:37→8:40) → JR名古屋(9:14) → JR刈谷(9:35→名鉄9:39) → 名鉄碧南(10:07)

碧南駅 → 徒歩10分 → 妙福寺

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多聞山妙福寺(浄土宗西山深草派)

 平成30年も残り僅かとなり、今年の〆の御参りに。

正月に御参りするのに年末にわざわざ行く意味があるのかとも思いますが、逆にこの時期なら

① 正月に向けてどこの寺社でも大掃除をしているので、綺麗な状態で御参りできる。

② 年末は忙しいので行く人が少ない。

③ 年末30日まで郵便局は営業している。

とメリットもあります。

 そこで冬の寒さがマシな場所という事で、行先は東海地方へ。

 矢作川河口の碧南市は古くからの港。

多聞山妙福寺(たもんさんみょうふくじ)の歴史は古く、寺伝に拠れば

『仁寿二年(852年)に荘司の志貴周亮が毘沙門天を祀ったのが始まり。毘沙門天は聖徳太子の作と言われます。』

太子の墓所の叡福寺の近くに志貴と言う地名があったように思いましたが調べたら喜志の間違い。

聖徳太子は伝説の域でしょうか?

当初は天台宗でしたが、江戸期には浄土宗に宗旨替え。それに伴ったかどうかは分かりませんが、

後から持ってこられた阿弥陀如来が御本尊になり古くからある毘沙門さまは脇の毘沙門堂に祀られることに。

後から来たのに追い越されと気の毒ですが、地元ではいまだに初詣や祭りも志貴の毘沙門さまという事で通っており

信仰の根強さを感じました。

 そういえば碧南の市花はハナショウブ、勝負の神様の毘沙門さまには相応しいと思いますが、これは関係ないでしょうね。

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妙福寺山門   旧刈谷城の城門を移築したとか。

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阿弥陀如来を祀る本堂   御朱印を書いて貰っている間に中に入って御参り。

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本堂左脇の毘沙門堂

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毘沙門堂扁額  外からは分かり難いが本堂奥の廊下を進んで御参りできる。

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妙福寺御朱印

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碧南棚尾郵便局 ; 妙福寺山門、棚尾大橋、市花・ハナショウブ
碧南郵便局 ; 衣浦湾、大型船、三州瓦、市花・ハナショウブ
碧南新川郵便局 ; 市文化財・山車
碧南北新川郵便局 ; 鬼瓦、明石公園の観覧車、市花・ハナショウブ

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碧南市マンホールカード ; 配布先はこちら

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愛知県
  1. 三河の小京都・西尾(愛知県西尾市)(09/19)
  2. 華蔵寺(愛知県西尾市) 吉良家菩提寺の御朱印(09/18)
  3. 金蓮寺(愛知県西尾市) 国宝阿弥陀堂と“ほのぼの御朱印”(09/17)
  4. 前田速念寺(愛知県名古屋市中川区) 前田家発祥の地にある寺院(09/08)
  5. 大須観音(名古屋市中区) 下町情緒のある観音様の御朱印(07/05)
  6. 無量壽寺(愛知県知立市) 業平の愛した燕子花のお寺の御朱印(05/11)
  7. 宝泉寺(愛知県瀬戸市) 陶工の郷の御朱印と陶器柄マンホールカード(04/03)
  8. かぼちゃ寺 ハズ観音(愛知県西尾市) かぼちゃ寺の御朱印(03/29)
  9. 城宝寺(愛知県田原市) 渡辺崋山所縁の御朱印と花の天井絵画(03/28)
  10. 岩屋観音(愛知県豊橋市) 車窓から気になる観音様の御朱印と二川宿雛祭(03/11)
  11. 津島神社(愛知県津島市) 信長所縁の神社の御朱印(03/08)
  12. 性海寺(愛知県稲沢市) 紫陽花寺の御朱印(03/07)
  13. 国府宮神社(愛知県稲沢市) はだか祭の御朱印と「いなッピー」マンホールカード(03/06)
  14. 野間大坊(愛知県美浜町) 野間大坊と大御堂寺の流麗ダブル御朱印(02/06)
  15. 浄泉寺(愛知県豊川市) 廣重の描いた蘇鉄と棒鼻と御対面(01/30)
  16. 東林寺(愛知県豊川市) 松並木と宿場を見守ったごゆ観音の御朱印(01/29)
  17. 豊川稲荷(愛知県豊川市)  お稲荷さん御朱印&マンホールカードと別品鰻(01/09)
  18. 砥鹿神社(愛知県豊川市)  関西日帰り寺社 ; 本宮山を仰ぐ三河國一之宮御朱印(01/08)
  19. 真清田神社(愛知県一宮市)  関西日帰り寺社 ; 尾張國一之宮の繊細な御朱印(01/05)
  20. 妙興寺(愛知県一宮市)  木立に囲まれた巨刹の御朱印と妙興寺蕎麦(01/04)
  21. 甚目寺観音(愛知県あま市)  尾張四観音御朱印と門前の手打ち蕎麦(01/03)
  22. 東海道五十三次 舞阪&吉田宿(静岡県浜松市&愛知県豊橋市) 豊橋マンホールカード有(12/31)
  23. 瑞泉寺(愛知県犬山市)  関西日帰り寺社 ; ひっそり佇む古刹の凛とした御朱印(12/30)
  24. 犬山成田山(愛知県犬山市)  お城も驚く木曽川沿いの大伽藍(12/29)
  25. 妙福寺(愛知県碧南市)  ショウブの町で毘沙門詣り(12/29)
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