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金龍山 実性院(曹洞宗)
大聖寺巡礼の最後を飾るのは実性院。国道8号線に面し、
寺院群の中で最も南にある寺でもあります。
金龍山実性院(きんりゅうざんじっしょういん)は、
『大聖寺藩の菩提寺である加賀曹洞宗の名刹。境内には様々な草木が植えられているが、
就中秋に可憐な花を咲かせる「白萩の寺」として知られる。
万治3年(1660年)大聖寺初代藩主・前田利治公が逝去に際し、
公の御戒名の院号からその名が付けられた。

入口の案内板

参道の正面に建つ本堂
少し前なら参道両脇には白萩が咲き誇るらしい。

本堂玄関と金龍山の扁額
但し、入口は右手の廊下側から。

玄関前から入口を振り返る
山門から真っすぐ伸びる参道脇には白萩が植えられ、正面には釈迦牟尼仏を祀る本堂が建つ。
その左奥には歴代藩主の御霊屋、右奥には書院が続く。
奥書院と呼ばれるその場所は藩主との謁見の場とされ、
書院造の意匠を凝らした二間の床の間に違い棚を設ける。
また書院からは築山池泉様式の庭園が望め、明暗の趣向と四季の風情を楽しむ事ができる。

受付を過ぎ本堂へ向かう

萩越しに見る本堂

本堂前の廊下
右手は書院へ続く。

本堂内陣の御本尊

御本尊の釈迦如来
手前には九谷焼の狛犬が一対置かれる。

説明はないが、宗祖や中興の祖等の木造か?

大聖寺藩御用窯元の九谷焼
本堂前の道を抜け、右に坐禅堂、左に十六羅漢堂を見て石段を上った場所が前田家廟所。
藩祖から十四代までの墓が祀られている。十万石の外様大名で歴代藩主の廟が一ヵ所に
造られているのは全国的にも珍しく、藩祖の側には殉死した三名の家臣の墓も建つ。
墓石は五輪塔で、宇宙は空輪・風輪・火輪・水輪・地輪の五つの要素から形成される
という仏教の要素を表したもので、日本特有のものとされる。』 とあります。

奥書院
白布の掛けられたテーブルは会議用?

書院造りの意匠を凝らした二間の床の間に違い棚

書院から臨む庭

築山池泉様式の趣向の庭園

縁側から見た池とその畔の老木

書院軒下の構造
白萩の寺と謳っているだけに、土塀や本堂へ続く参道脇には萩が多く植えられていましたが、
さすがに11月であれば花は散った後。花の盛りにはさぞかし云々と想像するに止まりました。
萩は赤白ありますが、白に拘ったのは白山信仰に拠るのでしょうか?

坐禅堂入口

薄暗い坐禅堂内部
ここにも羅漢堂はあり、祀られているのは十六羅漢。ガラス越しの拝観で、
良く出来た作品に見えましたが、全昌寺の五百羅漢と比べるとやはり見劣りがします。
製造年代が違うこともありますが、江戸後期にもなると大名を含めた武士よりも
町人の方が経済力を持っていた証といえそうです。

十六羅漢堂入口

ガラスケース内の十六羅漢
羅漢と同時に文政3年(1820年)に製作された持国天・多聞天が安置されている。
最初に訪れた宗寿寺が旧城主の菩提寺なら、当寺は江戸時代の殆どを納めた藩主の菩提寺。
歴代藩主の廟所は本堂を抜け、高台にある墓地の更に上に。藩主だから当然ではあります。
また奥書院やそこから眺める庭園は他の寺院よりも優れた印象を受けました。

本堂を抜け歴代藩主の墓所へ

大聖寺藩主の墓所(前田家廟所)

墓所山頂広場には初代から14代までの墓が一堂に会す

墓所と五輪塔の説明
本堂内には九谷焼が展示されていましたが、これは単に名産というだけではなく、
初代藩主前田利治公が金山開発の過程で陶土を発見し、九谷焼を興した事に拠るとか。
幕府の眼を逸らすために武よりも文に力を入れた加賀藩の努力が実ったとも言えますが、
町人の力を敢えて抑え込まなかったのは大藩ゆえの余裕でしょうか?
書院の違い棚一つとってもこれが他藩との【違いだな!】と感じた次第です。

実相院説明書

実相院御朱印
[参考書]
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熊谷山 全昌寺(曹洞宗) 五百羅漢堂
江戸初期・中期と全昌寺には特徴的な人物が出ますが、幕末を飾るのが五百羅漢像。
当寺の拝観料は¥500ですが、山口玄蕃の菩提寺、芭蕉と曽良の句碑と言うよりも、
五百羅漢の存在が拝観料を採る理由でしょうが、五百というのも【エン】があります。
羅漢様は本堂ではなく専用の五百羅漢堂に鎮座。

五百羅漢堂正面

羅漢像説明

こちらは本堂内陣に置かれた説明
『五百羅漢は、当寺第十二世・良牛和尚が願主となり、檀家総代吉野家喜兵衛を世話方として
金沢藩及び大聖寺藩の御広敷、武士、町人等の寄進により完成。
尊像作者は京都の仏工・山本茂祐で、慶応3年(1867年)に先ず200体を作製。
以後、明治初年にかけて残り300余体を完成させた。材質は檜で玉眼を入れ、
下地は本堅地塗で極彩色を施している。

羅漢堂内陣
意外にも撮影はOK。

中央に安置された釈迦如来
普賢(左)と文殊(右)の両菩薩が脇侍を務める。

御本尊に近いのは十大弟子か十六羅漢か?

羅漢立像近影(本尊に向かって左側)
安置された位置から見るに古参弟子?
釈迦三尊、四天王、十大弟子、五百羅漢の計517体の仏像が完全に具備し、
夫々に尊像名、施主の紋章や家名が記されている。
更に仏工の仕様書や寄進者を記録した台帳が保管されており、江戸末期の大聖寺領内に於ける
有力な武士や町人を伝える資料として極めて貴重なものである。』 とあります。

羅漢立像近影(本尊に向かって右側)

壁に並べられた羅漢坐像(左)

羅漢坐像(右)
この羅漢像を造るに当り尽力したのが、良牛和尚と吉野家檀家総代。
名前からして牛丼を連想するような名前です。
五百羅漢は参道左手に造られた五百羅漢堂内に鎮座。五百羅漢は各地に残りますが、
石見銀山大森・加西北条・越中長慶寺・川越喜多院は全て野外の石仏。
そのため風雪で摩滅した状態。屋内にあるのは、彦根の天寧寺くらいだったでしょうか?

羅漢座像近影
立像よりも小振りだが丁寧に造られている。

座像の台座には番号が…
堂内は間近まで行って拝観できましが、俗な言い方をすれば非常に濃い表情。
五百羅漢は釈迦の弟子ということですが、釈尊は天竺の方なので、
弟子たちが我々とは異なる風貌なのは現実に即したものと言えます。
屋内と言う事もありますが、ここの羅漢像は保存状態が良いのが特徴。
極彩色の像を見るにつけ、極楽浄土を表そうとしたのでしょうが、
特に青色が印象的。さすが九谷焼の産地だけの事はあります。

青色が映える羅漢像
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熊谷山 全昌寺(曹洞宗) 山門左手に建つ句碑群
山門から境内を左手に進むと一連の句碑が。当寺は、
『元禄2年(1689年)8月、俳聖・松尾芭蕉と曽良が「奥の細道」行脚の途中に立寄った事でも知られる。
山中温泉を出発した芭蕉は大聖寺に着き当寺に宿泊。翌日越前に向かった。
弟子の曽良は師に分かれ一日前にやはり当寺に一泊して伊勢の方に去った。
その時に詠んだ句は後世、句碑として境内に残る。

寺の案内板にも芭蕉の事が記されている

二人を記念する「はせを塚」と「曽良の句碑」が境内に建つ
・庭掃て 出でばや寺に 散る柳 芭蕉
・終夜(よもすがら) 秋風聞くや うらの山 曾良

句碑の解説
これらは大聖寺の俳人二宮木圭(もっけい)らに拠って、
遅くとも明治中期頃には建立されたと言われる。
境内にはその木圭らが詠んだ「全昌寺と柳の句」の石碑や、
大聖寺出身の作家・深田久弥が芭蕉忌に詠んだ句碑が建つ。

奥の細道の部分

大聖寺出身の作家・深田久弥が詠んだ句碑

句碑解説

こちらも地元出身の俳人・二宮木圭の句碑

全昌寺と柳の句
寺宝には兆殿司の作と伝えられる絹本着色釈迦三尊十羅刹女図、太閤秀吉朱印状に加え、
杉風作の芭蕉木像がある。』 とあります。
句碑を過ぎて【奥の細道】を行けば、大聖寺城主山口玄蕃之墓に至り、
その途中には死後の六道を表す六地蔵石幢(せきどう)も鎮座。
江戸初期?の全昌寺を代表する人物が山口玄蕃頭宗永ならば、
江戸中期の全昌寺を代表するのは芭蕉と曽良の奥の細道コンビ。
曽良はここで分かれて旅の空となるので、二人での詠はここが最後と言えます。

句碑の奥の細道

六地蔵石幢

石幢の説明

山口玄蕃の墓所と首塚
奥の細道は江戸を出て奥州街道を北上、仙台藩から平泉を経て奥羽山脈を横断。
象潟から日本海を南下して大垣で結び。非常に長い旅ですが、おおまかな言い方をすれば、
仙台以降の句に名吟が多い印象が。
これは旅の目的が、日光東照宮普請に関わる伊達藩に不審な動きがないかどうかを確かめるという
幕府の命があったからで、仙台での使命を終えて初めて俳句に没頭できたからでしょう。

本堂内にある木造芭蕉坐像は弟子の杉山杉風(さんぷう)作
杉風は関八州の川魚の仲買人の総元締めという職にあった。

本堂と書院の間の中庭
秋海棠(ベゴニア)が有名とある。
境内には二人に肖ってか、二宮木圭・深田久弥など後世の人々が挙って詠んだ足跡が残っています。
また本堂と書院の間には俳句の間がありますが、芭蕉や曾良がその場所で
句をひねったとは考え難く、後世の仮託と言えそうです。
芭蕉と曽良と言う文学史上の巨人が立寄ったのは、寺にとっても【もっけい】の幸い、
泉下の二人は「そら見た事か!」とほくそ笑んでいるに違いありません。

本堂と書院の間の「俳句の間」

いかにもそれらしく芭蕉と曽良の句を掲げる

これは俳句の間というよりも茶室か?
[参考書]
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熊谷山 全昌寺(曹洞宗)
宗寿寺の後は、寺一つ隔てた全昌寺。
広い境内の手前には瓦葺の立派な山門と寺標が建ちますが閉鎖中。
さてはと通用門らしき入口から入って受付を探すも分からず。
どこから入ったものかと、境内をうろついていると、「こっちです!」の声。
危うく無断侵入になるところでした。

道路に面した山門と寺号標
但し山門は閉鎖中で、右側の通用門から入る。

全昌寺由緒
見所は本堂と五百羅漢堂の内部、加えて境内に建つ芭蕉と曽良の句碑の三ヵ所ですが、
拝観者のお目当ては五百羅漢像。但し巡礼の作法に従って、本堂内陣からスタート。
御本尊参拝だけと思っていましたが、西国三十三観音像・十六羅漢像・涅槃図が周りを取り囲み、
書院には駕籠や前田利昌公愛用の甲冑も展示。さながらミニギャラリーの趣です。
前田家から分かれた大聖寺藩なので前田家所縁の品があるのは当然ですが、
当寺はそれ以前の藩主にも深い関りがあります。

境内の眺め
左が本堂、中央に書院、右が受付。

境内から見た山門
熊谷山全昌寺(ゆうこくざんぜんしょうじ)は、
『大聖寺城主・山口玄蕃頭宗永の菩提寺で曹洞宗寺院。釈迦牟尼仏を本尊とする。
元は山代にあったが、慶長2年(1597年)宗永の信仰を得て大聖寺に移転。自らの菩提寺とした。
山口玄蕃頭宗永(げんばのかみむねなが)は天文14年(1545年)、
織田信長に仕えた武将山口秀景の子として生まれた。
豊臣秀吉に仕えた後の慶長2年(1597年)小早川秀秋の付家老となり、
慶長の役、領内の検地では秀秋を補佐。しかし主君の秀秋とは折り合いが悪く、
秀秋が慶長3年に越前へ転封されると大聖寺城の独立大名になった。

正面から見た本堂

本堂玄関
内陣へはこちらから。

玄関の扁額は「熊谷山」ではなく「熊谷峰」

本堂玄関前から見た書院玄関
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宗永は西軍に与したが、そのため金沢城の前田利長の攻撃を受ける。
これは関ヶ原の前哨戦というべきものであったが、2万の前田軍に対し、5百の山口軍は衆寡敵せず。
8月3日に大聖寺城は落城、宗永・修弘父子は自害した。

本堂内陣

内陣に掲げられた「全昌寺」の扁額
江戸時代の大聖寺は、当初は加賀藩の城代、後には郡奉行が支配するが、
寛永16年(1639年)加賀藩二代藩主利常が三男利治に7万石を割いて
加賀藩支藩の大聖寺藩が成立した。
大聖寺藩主は山口家から前田家に代わったが、境内の墓地には山口宗永公の招魂碑、
久谷創始期の奉行・土田清左衛門、大聖寺藩文人・草鹿蓮渓一門、
心陰流達人・関新五右門の墓がある。』とあります。

内陣の御本尊

中央には釈迦如来、脇侍には日光・月光の二菩薩?

御本尊の脇には十六羅漢像(右)

同じく十六羅漢像(左)
山口宗永は一介の武将から大名にまでのし上がった人物。
若い小早川秀秋を補佐して功績があり、それだけの器量を持った人物だったのでしょう。
そんな英傑が戦下手な石田三成、反りが合わない旧主小早川秀秋の属する西軍に
与したのは理解に苦しみますが、彼なりの勝算があったのでしょうか?
唯、隣接する金沢城に居たのが前田利長だったのが不運。
善戦したとはいえ、というよりも善戦したが故に落城の悲劇となったと思います。

本堂に繋がる書院

書院の展示室

前田利昌公の甲冑と達磨の掛軸

本堂内陣手前に吊るされた二駕籠
関ヶ原の前哨戦に敗れた山口玄蕃頭の菩提寺が【ぜんしょう】寺と言うのも皮肉な話ですが、
当寺に参拝しなければ彼を知る事はありませんでした。
成程、歴史を知るには【げんば】を訪れるに如くはありません。

全昌寺説明書

全昌寺御朱印
[参考書]
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大聖寺山ノ下院群
那谷寺参拝を終えて粟津駅に戻ると12時過ぎ。帰宅のサンダーバードまでには
まだ2時間程余裕があるので県境の大聖寺で下車。
以前、吉崎御坊訪問時に駅からレンタサイクルで向かいましたが、
観光案内所で頂いたパンフに拠れば、駅から徒歩圏内に寺院群かある模様。

寺院群の案内板
大聖寺とは
『古くは白山信仰の中心、白山五院の一つに大聖寺があったと言われるが今は地名にのみ残っている。
江戸時代には加賀藩前田家の分家として大聖寺藩前田家が統治。
本家と異なり七万石(後に十万石)の小さな城下町であったが、
独自の文化や美意識が生まれた事でも知られる。

JR大聖寺駅スタンプ
(上) 民営化後1990年代 (下) 2006年JR西日本金沢支社印
駅から南西へ10分程歩いた山麓に広がるのが「山ノ下寺院群」。
外敵から城下町を護るために加賀大聖寺と越前との国境付近に
大聖寺藩が戦略的に寺社を集めたとされる。
神明町から下屋敷町にかけての一帯、熊坂川沿いに七寺院と一社が並ぶ。
移転に際し、浄土真宗の寺は城下の町中に、曹洞宗・日蓮宗・法華宗・浄土宗の寺が
この通りに移された。』 とあります。

寺院群の散策ルート

街並みの石碑
大聖寺という名の寺院はなく、その代りに大小寺が七ヵ寺、神社が一社。
全て巡礼するには駆け足ですが、パンフには拝観料の要る寺院が三ヵ寺と程よい数。
そこで遠くの寺院から近くの寺院へと「遠攻近交策」を採用。
通りの北端付近に巨木が聳えるのが宗寿寺。

道路に面した宗寿寺入口

参道両脇に建つ御題目を彫った石標
久昌山宗寿寺(きゅうしょうざんそうじゅじ)は、
『日蓮宗寺院、法華経の守り本尊として鬼子母神を祀る。
山門の黒門は大聖寺藩の関所門を移築したものである。
山門を過ぎた脇にある巨木はスダジイ。
幹周5.7m、樹高14.5m、枝張りは東西16m、南北19.5mに達する。

山門とその奥に聳えるスダジイ

山門近影
大聖寺藩の関所門を移築した黒門である。

山門の説明碑

境内側から見た山門
このスダジイは地上10~11mの主幹上にスギ・ヤマウルシ・ウメモドキ・タブ・ネズミモチ・
ハイイヌツゲ・ツタウルシの七種の樹木を着生させ、特にスギの癒着は大木となっている。
その実態は珍奇で景観も特異、当地の自然植生を示す貴重な例として
自然保護及び学術上価値が高く、加賀市指定文化財(天然記念物)となっている。
また本堂裏手には池泉回遊式庭園がある。』 とあります。

天然記念物・スダジイの巨木

スダジイ解説
黒門といっても市場ではなく、小さいながらも重厚な造り。関所ならば当然と言えます。
その奥に聳えるスダジイは自然共生の巨木で今風に言えばダイバーシティ。
その実は渋みが少なく、マテバシイと共にあく抜きなしで食用になる貴重なものです。

本堂脇から見た山門とスダジイ

鐘楼近影
この二つは御本尊に参拝せずとも無料で見ることができますが、本堂奥にある庭園は有料。
御朱印を御願いしてその旨を話すと、快く拝観できました。庭園に先立ち本堂へお参り。
右手に鬼子母神が祀られていましたが、住職夫人話では、法華経の守護神が鬼子母神だとか。
下総の法華経寺などで鬼子母神をお祀りしていた理由が分かりました。

山門屋根瓦の梅鉢紋

正面から見た本堂
雪国らしく重厚な木の扉が印象的である。

本堂に掲げられた山号の扁額

本堂内陣の様子
正面奥は宗祖の像か?
本堂手前の境内からは想像できない程広い庭ですが、遠く山と一体化するような造園が
それを強く印象付けるのでしょう。池泉回遊式とありますが池は目立たず、
低く刈られた植込みとその間にある石燈籠、その奥に伸びる紅葉が対照的。
私 ; 「作庭は江戸時代ですか?」
住職夫人 ; 「いいえ先代住職が永年に亘って植えたものです。」
私 ; 「維持管理も大変ですね。」
住職夫人 ; 「中央奥に目立つ楓があったのですが、枯れてしまって…。」
夢窓疎石のように造園に秀でた僧侶も居ますが、分業の進んだ現代では非常に稀な事。
こんな庭を¥200で鑑賞できるのも有難いと感謝した次第です。

庭園(左)
正面奥が枯れてしまった楓の古木。

庭園(中央)
躑躅の刈込の間に低い石灯籠が置かれる。

庭園(右)

宗寿寺御朱印
[参考書]
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自生山 那谷寺(真言宗)
書院拝観に続いてその奥に広がる庭園散策。庫裏庭園とは一味違う趣があります。
『書院奥に広がる庭園は琉美(るんび)園。釈尊生誕の地・ルンビニ園に因む命名である。
作庭は「昭和の小堀遠州」と呼ばれ足立美術館、ボストン美術館の庭園を手掛けた造園師・中根金作。
隧道入口右の石碑の揮毫は第66代首相三木武夫の手になる。

木々のトンネルを抜けると…

琉美園紹介

隧道は普門閣前へ続く

三木武夫元首相の揮毫に拠る石碑

「昭和の小堀遠州」の手になる作庭

こちらは築山を表現?

庭の奥に書院と金堂華王殿が見える
園の中央池にあるのが三尊石。その自然石の岩面が三つに分かれている事から
阿弥陀三尊に譬えられ、三尊石(さんぞんせき)と名付けられた。
この三尊石より滝を落とした庭園が寛永年間1640年に作庭されたが、その後荒廃。
現在の庭は東側に新しい庭園を加えて昭和55年(1980年)に復元されたものである。』
とあります。

池の奥に聳える三尊石

三尊石と庭園の説明板

顔の部分に注連縄が張られている

園内の小川は三尊石前の池から流れ出る

川に架かる石橋
庭自体は造園師の手になるものですが、ここのメインは池の中央に聳え三尊石。
三つに割けた岩面を阿弥陀三尊の顔面に見立てたものですが、阿修羅でなく
阿弥陀に見立てたのがミソと言えます。
庭園も天竺のルンビニへの見立て。書院庭園とはまた違った庭と言えます。
落ち葉も多く掃除も大変でしょうが、ルンバがしてくれるのでしょうか?

琉美園の奥に建つ茶室?

茶室入口

茶室内部の様子

茶室脇の蹲と石灯籠

園内の紅葉

山茶花

岩を覆う苔

杉苔近影
こうして山内の全ての拝観を終えると11時過ぎ。
粟津駅の電車まで1時間あったので、門前の花山亭にて昼食。
店の名は那谷寺と命名した花山法皇の由来でしょう。注文はそのものズバリ「那谷寺そば」。
【ナタ】デココでも入っているかと思いましたが、寺で食される胡麻豆腐付でした。

山門前の花山亭

昼食は「那谷寺そば」 ¥1000
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自生山 那谷寺(真言宗) 重文・書院への入口
金堂華王殿で御朱印を拝受した後は、特別拝観の書院へ。
前回もあった筈ですが、全く記憶になし。当時、拝観はなかったのでしょうか?
『那谷寺が天正の戦乱(1575年)で諸堂伽藍が焼失した際、
先ずその復旧を図り仮御堂として建てたのがこの書院である。

入口からの書院の眺め

畳の上に置かれた由緒書き

由緒書き遠景

衝立とその上に吊るされた駕籠
当山の住職が用いたか?
寛永17年(1640年)、加賀藩主前田利常はこの書院に在って、
山上善ヱ門・後藤祐乗等の名工を多数用いて諸堂再建に当たった。
書院は全て京間造り、南二間は仏間兼対面の間、東は装束の間、
庭に面した北の間を利常公御成の間とし、玄関は土天井になっている。
武家書院造として国の重要文化財に指定されている。

書院廊下

縁側からの中庭の眺望

書院右手奥にあるのが庫裏庭園

書院屋根の紅葉
庫裏庭園は書院建築に伴い寛永年間に作庭されたと認められ、前田利常が小堀遠州の指導を仰ぎ
加賀藩造庭奉行の別部卜斉に命じて造らせた名園である。国の名勝指定園となっている。
元の庭区は広く東方まで広がっていたが、今は書院の北東部のみに縮小されている。
西方を茶室・如是庵、東方を小池に限られた平庭で、東寄りの奥まった所に
三尊石の石組みを立て景の中心とし、庭面には景石を多く配し、飛石を多く打つ。
全体としての構成は簡素であるが、椎の老木や苔に覆われ幽邃古雅な趣を見せている。』
とあります。

縁側より見た書院

庭に面した御成りの間

さすが「花嫁のれん」の加賀だけの事はある

これが説明にある茶室か?
寺院に書院があるのは不思議ではありませんが、ここは再建の拠点として建てられた仮本堂。
仮であれば完成後は取り壊し、無造作に造っても良さそうですが、丁寧な造りとなっていました。
結果的に残されて後世に伝わる事に。贈呈された造庭と言えますが、
その基になったのは百万石のプライドか、職人気質かは分かりませんが…。

書院縁側より見た庫裏庭園

蹲と飛石

庭園の奥まで続く飛石

庭の向こうには金堂華王殿が垣間見える
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自生山 那谷寺(真言宗) 金堂華王殿
護摩堂・鐘楼を見た後は、苔に覆われた細い坂を下り参道へ。
通常ならば境内拝観はこれで終了ですが、今回は特別拝観もあるので、
山門左手に建つ金堂華王(こんどうかおう)殿へ。
多くの参拝者がそちらへ集まっていましたが、特別拝観だけでなく、
御朱印・御守り授与も行う場所と聞き納得。

山門を入って直ぐ左手にある庫裏庭園案内

庭園の解説
『手前右手に建つのは登録有形文化財である普門閣。昭和40年(1965年)、
白山麓旧新保村の春木家の家屋を保存するために移築したもので、
欅造の雄大な豪農の民家様式である。
内部は宝物館、休憩所、ミューゼアムショップとして使用される。

杉木立と苔の庭?
立入禁止とは掲示されていないが、敢て入る人は居らず。

普門閣近影
正面に建つ金堂華王殿は南北朝の戦火で焼失したが、平成2年(1990年)に再建。
京仏師・松久宗琳師の手になる十一面千手観世音菩薩を祀り、全ての法会はここで行われる他、
御朱印、御守り授与、御祈祷、特別拝観受付も金堂内で行われる。
また壁面は郷土出身の作家に拠る神仏習合の白山信仰を表す作品で飾られている。』
とあります。

多くの参拝者が見える金堂華王殿入口
普門院の説明では、内部には入れるとありましたが、生憎閉鎖中。
理由も書いておらず残念ですが【不問】に付す事に。
金堂華王殿に入ると巨大な観音像がお出迎え。
撮影禁止でしたが、西国札所の壷阪寺の御本尊を彷彿とさせる御姿。
昭和・平成生まれの観音様は丈六仏並みの大きさが多いですが、
参拝者の眼にお姿を印象付けるためでしょうか?
当寺の様な千年を越える古刹には、こぢんまりとした堂宇が相応しいとは思うのですが、
参拝者の中には立派な御本尊を有難いと思う人も多いのでしょう。
古刹と新築の【交錯】と言えそうです。

入口の唐破風下に扁額

この後、庭園側から見た華王殿
次いで御朱印を拝受。平成5年に拝受しているので再度になりますが、
加えて絵入り和紙に貫主が墨書されたものも入手。
奇岩を背景にしたものですが、傘寿を越えた貫主が監修ではなく直々に書かれたというのが売り。
以前に拝受していても、【今度、買おうでん!】と言う気持ちにさせる効果があるようです。

那谷寺オリジナル御朱印帳

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自生山 那谷寺(真言宗)
護摩堂への石段を上る
芭蕉の句碑を過ぎると、広い境内も漸く終盤。護摩堂と鐘楼が続きます。
『護摩堂は寛永19年(1642年)、前田利常の建立。昭和16年(1941年)に国宝指定、
昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定された。

護摩堂近影
禅宗様を基調にした軒の曲線美が特徴的。

護摩堂解説
禅宗様を基調に、和様の手法を折衷させた自由奔放な設計。
創建当時の内部には豪華に金の箔押しが施されていた。
壁面には沈思や柔和、雅戯などの八相唐獅子、四面には干支の動物と牡丹を彫刻し、
内陣には不動明王を祀っている。
護摩堂はその言葉通り、護摩を焚いて修法を行う場所であるが、
文化財保護の観点から、現在では護摩祈祷所にて護摩祈祷を実施している。

向拝下にて

軒垂木と組物

蟇股の龍の彫刻

護摩堂側面の浮き彫り

唐獅子と牡丹

護摩堂から見た遊仙境

参道脇の石碑群
鐘楼は寛永年間(1624~1643年)、前田利常の建立。
護摩堂と同様、昭和16年(1941年)に国宝指定、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定された。
入母屋造・檜皮葺の純粋な和様建築で、袴腰の上部まで石造となっているのは全国に類を見ない。
内部に吊るされて居る鐘は元禄13年(1700年)、大聖寺藩主・前田俊直荷よって鋳造寄進されたとあるが、
朝鮮からの招来という説もある。』 とあります。

重文・鐘楼

鐘楼の解説

鐘楼を過ぎてメインの参道へ

参道へとゆっくり坂を下る

メインの参道から鐘楼へ向かう橋

橋の袂の石標

国名勝の杉木立と杉苔

苔の帽子を被った灯篭
護摩を焚く場とは言え、堂を囲む四面には詳細な浮彫が。
誤魔化さず詳細な仕上げは中々堂に入ったものと言えます。
解説では和様折衷とありますが、加えて奔放と詳細の折衷と言っても良いでしょう。
鐘楼も同様、手抜きがないその建築を見ると共に重文になったのも頷けます。
唯、参拝者は殆ど居らず、人気のない木々に囲まれた場所で独り佇んでの拝観でした。
坂を上る事もあり、多くの人は芭蕉塚で引き返すのでしょうが、
折角の名建築を見ずして句碑で幕引きとなると悔いを残す事になります。
那谷寺境内は芭蕉だけの場所ではありません!

色付く満天星

杉苔の上の紅葉

屋根にかかる紅葉
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自生山 那谷寺(真言宗) 芭蕉句碑と翁塚
・石山の 石より白き 秋の風 はせを
山形の立石寺と言えば、みちのくを代表する名刹ですが、ここに観光客が来るのは
天台宗の古刹、慈覚大師の開山が理由ではなく、松尾芭蕉が
・しずかさや 岩にしみいる 蝉の声
という名句を詠んだため。古今集の仮名序ではないですが、文学の力は偉大です。
蟻の熊野詣で知られる那谷寺も芭蕉が冒頭の名句を残しています。
私は長らく石山寺で詠んだと思っていましたが…。

句碑近影
『元禄2年(1689年)に俳聖・松尾芭蕉が当寺に参詣。冒頭の句はその折の詠である。
芭蕉がここを訪れた旧暦8月5日は、新暦の9月5日頃に相当するので、
秋の風も爽やかに感じたと思われる。因みに‘爽やか’とは秋の季語である。
秋の風を白い風と見た芭蕉だが、色彩を四季別にすると秋は白。
那谷寺白山信仰の白の思想とも相通ずるものがある。

句碑解説
俳句に不案内な人にも優しい説明である。
句碑は天保14年(1843年)の芭蕉150回忌に建立したもので、
句碑の文字は大聖寺藩の前田刑部菅原信行であると藩国見聞録に記されている。
また、その脇に建つ翁塚は『奥の細道』の那谷寺の項を記したものである。

句碑の右手に建つ翁塚

翁塚解説
句碑同様、非常に分かり易い。
庚申塚は、古来より村々の辻道に祀られ、村人を疫病から守る神として信仰されてきた。
当寺ではいつの頃からか、この神様を「縁結びの神」として信仰してきた。
その奥に続く細い参道の先には白山神社が祀られている。』 とあります。
俳聖と尊称される芭蕉ですが、私見では俳句を芸術の域まで高めたというのが
一番の功績でしょうか?そのためには、月並みな表現の殻を破る事が不可欠。
この句に関しては、秋の風を白いと表現したのが、それに相当するようです。
詩人北原白秋の名前にもこの句が念頭にあったのでしょうか?

庚申塚

庚申塚解説

塚の前に立つ庚申(青面金剛)石像
17文字中に「し」が三つも使用されている事が、この句に躍動感を与えており、
名句と言われる所以でしょうか?
解説では、秋の四季彩は白とか、白山信仰の思想と相通ずるとか論ぜられていますが、
単純に白い奇岩を見てふと思いついたというのが真相ではないでしょうか?
真偽はさて置き、秋の色を詠んだ斬新さが後世まで伝わる名吟になったことは間違いなさそう。
「風は秋色」という昭和のアイドルの歌にもなる位ですから。
俳諧を完成させた芭蕉ですが、句を詠んだのは彼の感性。後世、評価は様々ですが、
唯【まつだ】けでなく、自ら仕掛けての詠であったら、彼の目論見は【せいこー】。
句碑は残っても悔いは残らなかったに違いありません。

句碑から更に奥へ

奥に建つ若宮白山神社

神社本殿
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自生山 那谷寺(真言宗)(2022.11.5)
本殿の胎内くぐりならぬ隧道を抜け、大池を巡った先に建つのが三重塔。
そこから楓月橋を渡ると鎮守堂の下にある展望台に出ます。

大悲閣に続く大池
境内ではかなり高所にある。
『三重塔は寛永19年(1942年)、徳川家綱の生誕祝に藩主前田利常が建立。
三層とも扇垂木の手法で各層毎に組み立てられており、扉に浮き彫りされた
唐獅子・牡丹と相俟って美麗。安定感と華麗さを併せ持つ塔として知られる。

正面から見た重文・三重塔

三重塔解説
内には胎蔵界大日如来を安置。これは延元3年(1338年)新田義貞軍に拠り焼かれた際に、
白山宗徒達の手で火中より運び出された像である。
この塔は昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、戦後の昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定された。

扇垂木と木鼻等の組物

内に祀られた本尊の説明

塔側面の浮き彫り

唐獅子牡丹の近影
三重塔に続く楓月橋は前田利常が計画、現代になって実現したもの。
橋に続く展望台からの眺めは雄大で、私達の心の奥底に仕舞い込まれている
自然(じねん)智を喜び興す空間。その中心にあるのが奇岩遊仙境である。

三重塔に続く楓月橋

橋の途中にある木組の猿

橋の先にある展望台

展望台から奇岩遊仙境の遠望

奇岩遊仙境の解説
展望台後方上にある鎮守堂では、白山の神・白山妙理大権現を祀っている。』
とあります。
この付近の堂宇には由緒のある仏様が祀られていますが、
来る人の思惑は高台からの奇岩遊仙境の眺望。
樹木の奥に奇岩の全景を眺める事ができるまさに癒しの空間。
秋には木々が紅葉し、気分を高揚ならぬ鎮静させる効用がありそうです。

奇岩と社

遊仙境(右側)

展望台の上に建つ鎮守堂

鎮守堂縁側近影

遊仙境(中央)
どこか無気味な笑い顔に見えるのは私だけ?

遊仙境(左側)

更に左の護摩堂方面
この光景が現代に漸く実現したのは、資金面・技術面の問題があったように思えますが、
もし古に存在していたら、僧侶の心を癒しただけでなく、当寺も違った展望が開けたに違いありません。

紅葉越しに奇岩を望む

紅葉のグラデーション

これは見事な紅葉

色移りゆく葉

下から見上げた展望台と鎮守堂
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自生山 那谷寺(真言宗)
奇岩遊仙境で岩と対面しましたが、洞内に石仏が祀られているとは言え、
ここが本殿であることは【ほら、ない!】。御本殿は岩を過ぎて階段を上った先。
所謂、映えスポットで懸造りの本堂は、駅スタンプや風景印のデザインにもなっています。

那谷郵便局 ; 重文・那谷寺本殿、紅葉、石段、灯篭
『大悲閣への門を潜ると直ぐ左手にあるのが観音霊水。
古来涸れることなく大切に守られて来た霊水で不動明王が守護。
寺内に供えられる供物にはこの霊水が使われている。

本殿への石橋を渡る

本殿への門を潜る

不動明王が護る観音霊水

霊水の解説
当寺は十一面千手観音、白山比咩神、自然の岩山洞窟を本尊とする寺院で、
元より神仏を共に祀って来た。
本殿は岩窟内にあり、古代より人の魂の輪廻転生の場、禊再生、胎内くぐりの聖地にあり、
自然の教えを大切にし、境内を心を癒す天然の道場とした。

霊水脇から奇岩へと続く社
但し、危ないので?立入禁止。

奇岩の上に建つ社
白山信仰の重要な位置にあるものが本殿。一向一揆の兵乱で荒廃したが、
加賀藩主前田利常の庇護に拠り寛永19年(1642年)に再建。
大悲閣・唐門・本殿の3つの重要文化財建造物を総称して「本殿」と呼んでいる。

奇岩を左に見て本殿への階段を上る

途中、岩窟に祀られた石仏を見る

階段下から見上げた本殿

大悲閣説明

大悲殿を支える柱群

横から見た大悲殿床下柱
大悲閣は岸壁に寄って屋根を造らず唐木造、向拝、杮葺きとなって居り、
四方の欄間に山上善右衛門作の透かし彫りが施されている。
昭和16年(1941年)に旧国宝指定を受け、戦後の昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定された。
中には十一面千手観世音菩薩を安置、「生まれ浄まる」を体感できる「いわや胎内くぐり」がある。』
とあります。

大悲殿下から来た山門を振り返る

大悲殿欄間の透かし彫り

欄間に架かる注連縄と木鼻・垂木

大悲殿からの眺望
奇岩で知られる当寺ですが、境内には霊泉が湧出。
これも古代に於いて堂宇が開創される重要な理由の一つといえましょう。
岩と水が特徴的なのは【石川】県だからでしょうか?
本殿は岩場の洞を用いた、【言わば】岩窟寺院ですが、これも古代信仰の一つの形。
岩窟なのは母親の胎内くぐりを連想させるからでしょうか、同様の寺院は各地に見られます。
参拝の後は、岩を刳り抜いた隧道を抜けて次の場所へ向かいましたが、これも胎内くぐりの体現でしょうか?

胎内くぐり解説

これは胎内くぐりではなく、大悲閣に続く大池に向かう道

那谷寺説明書(金沢駅観光案内所で入手)

那谷寺説明書(入山時に受領したもの)

那谷寺御朱印
(左) 平成5年拝受分、(右) 今回拝受分
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自生山 那谷寺(真言宗)
山門を抜け、杉が聳え苔に覆われた参道を進むと、左手の池の奥に奇岩群が見えてきます。
これが那谷寺を代表する名勝・奇岩遊仙境。当寺に参拝する人のお目当ては、この景色ですが、
加えてここに寺院ができた理由でもあります。

参道左手の池

行けの向こうに奇岩が顔を覗かせる
自生山那谷寺(じしょうざんなたでら)は、
『養老元年(717年)、越の大徳と呼ばれた泰澄神融禅師に拠って白山が禅定された。
同時に泰澄は巨大で幽玄な岩が多く残るこの地にお堂を建立し、本尊・十一面千手観世音菩薩を安置。
そのため当初は岩屋寺と呼ばれた。後に吉野山中より自然(じねん)知の教えを齎した。

池越しに見る奇岩遊仙境

参道からの眺望
当寺は十一面千手観音、白山比咩神、自然の岩山洞窟を本尊とする寺院で、
元より神仏を共に祀って来た。本殿は岩窟内にあり、古代より人の魂の輪廻転生の場、
禊再生、胎内くぐりの聖地にあり、自然の教えを大切にし、境内を心を癒す天然の道場とした。
平安時代中期、花山法皇は晩年この地に御幸された際、洞窟内の本尊を拝され「那谷寺」と名を改めた。
西国札所の最初の那智山、結願の谷汲山から一字ずつ採った命名であったとされる。
また法皇は境内全体を観音浄土補陀落の山の如き庭を造られた。

参道脇の満天星

景観の説明
中世には南北朝の争乱で、堂塔は尽く焼失。現在の殆どの建物は
江戸の寛永17年(1640年)加賀藩主前田利常の寄進に拠る。
現在、境内165,000㎡に奇岩遊仙境、大悲閣本殿、三重塔、護摩堂、鐘楼堂、書院等
七棟の国重要文化財建造物と広大な二つの国名勝指定園があり、
四季折々の美しい景観を楽しむ事ができる。
「自然こそ神仏」の教えに拠って大切に守り続けられてきた美しい境内は、
現代人の心を癒す場となっている。』

参道から見える紅葉と奇岩群

紅葉越しに見る奇岩窟
奇岩遊仙境は、
『昔の海底噴火の跡と考えられ、永い年月の間、風に洗われて現在の奇岩が形成された。
奇岩霊石に幾つもの窟が開口する様は、観音浄土補陀落山を思わせ、
自然を通して素朴に生きようと望む心の奥深くの「自然智」を呼び起こす景観である。
平成26年(2014年)に「おくのほそ道の風景地」として国名勝に指定された。
その奇岩山の中腹には稲荷社を祀り、五穀豊穣と豊かな自然を祈願している。』 とあります。

奇岩群遠景
どことなくアメリカ合衆国のラシュモア山の顔面石像にも見えるが…。

髑髏かハロウィーンのカボチャに見える奇岩窟
歯・瞳に見えるのは中に安置された石地蔵。

石塔と階段と奇岩窟
かつてはここまで参拝に行ったものか?
当寺の開山は白山信仰で知られる泰澄大師ですが、大師ならずともこの光景を目にすれば、
その神秘さに堂宇を建てたくなるのは自然の理。古代からの磐座ならぬ洞窟信仰を具現したもの言えます。
平安時代になってここを訪れた花山法皇も感激し那谷寺の名前を賜りますが、
これは西国札所の那智山(一番札所)と谷汲山(結願札所)から一字ずつ採ったとか。
感激ついでに自ら開創した西国札所の名前を付けるとは、意外とちゃっかりしていますが
天上の人とはそんなものでしょう。

高台からの眺望

展望台からの奇岩窟
しかし岩屋寺でなく那谷寺だったからこそ、ここまで有名に【なった寺】と思いますので、
法皇様のネーミングのセンスは抜群。歌人としても知られるだけの事はあります。
尚、この命名は東福寺と同じですが、時代を考えるとこちらが先達になります。
この場所は、奇石の奇跡に驚き、奇岩群に祈願をした人達の軌跡。
そう思いながら奇岩群を眺めていましたが、洞内に置かれた石仏の影響でしょうか、
髑髏がこちらを向いて笑っているようにも、ハローウィンのカボチャにも見えるから不思議です。

上から見下ろした奇岩窟(右手)

上から見下ろした奇岩窟(左手)
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自生山 那谷寺(真言宗)
北陸巡礼三日目は那谷寺。石川県というよりも北陸を代表する古刹で観光寺院。
行政上は小松市ですが最寄駅は粟津。温泉で有名ですが、
駅スタンプの図柄には那谷寺が描かれています。
観光ツアーには必ずと言って良い程入っている名刹ですが、公共交通機関を使うとなると
小松・粟津・加賀温泉からの路線バスは2~3時間毎と極めて不便。
しかしここまで来ながら【逢わず】に帰るのはと思っていると、粟津駅前にレンタサイクルがあることが判明。
寺院までは5㎞、山に向かうとはいえ、歩くよりは遥かに時間短縮できます。

今は無人化されたJR粟津駅スタンプ
(上) 民営化後の1990年代 (下) 2006年JR西日本金沢支社印

バス路線11号線の那谷町交差点に建つ巨大な寺号標
ここから三丁とある。

朱い「せんとく橋」を渡ると寺は直ぐそこ

門前に到着
左手にあるのが入山受付。
駅前の自転車店の開店は9時。1時間毎の北陸線で15分前に到着しましたが、
お店の方の御好意で開店前に貸し出して頂けました。
私 ; 「那谷寺までの道は面倒ですか?」
店主 ; 「この店の前の道をひたすら真っ直ぐ進んで下さい。」
私 ; 「途中、迷いませんか?」
店主 ; 「神社の前の分かれ道を右に、高速を越えたらゴルフカントリーの看板に沿って進めば大丈夫です。」

入口の大木と苔

山門前の紅葉

入口に建つ境内の説明板
余りにも簡単で一抹の不安はありましたが、実際に進むと教えて頂いた通り。
坂道もなく、何と25分で門前に到着。途中、出逢った人はいませんでしたが
門前に着くと既に多くの観光客が。流石に観光名所だけの事はあります。

入山料を払って境内へ
オレンジを着た人はガイドの方。

山門近影

山門に掲げられた「自生山」の扁額

山門の扉に彫られた仁王像(阿像)

同じく吽像

山門の柱の極彩色の彫刻

境内から振り返って見た山門
受付で拝観料を払って入山しましたが、この日は +¥200 で書院と庫裏庭園を特別拝観。
境内【と、区別はイカン!】と言う事もなく、前回には見ることの出来なかった風景を楽しむ事ができました。
平成5年の訪問は真夏の8月でしたが、今回は晩秋。
私 ; 「紅葉には少し早いですかね?」
受付 ; 「いえ、丁度緑から黄・赤に変わるグラデーションが見頃です。」
当所は「ホンマかいな?」と思いましたが、中に入ると言葉通り。
ぐらでーしょんを楽しむ事ができました。これもやはり信号【信仰】の賜物。
加えて地面を覆う杉苔群も見応えが。北陸は湿度が高いことも生育には好都合なのでしょう。
自生山(じしょうざん)の山号の地は植物が自生する場でもありました。

木漏れ日の参道を往く

参道脇の杉と根元を覆う苔群

参道脇の境内、と言うよりも庭と言う表現が似合う

石の上にも苔がびっしり

参道を少し横へ入った場所
[参考書]
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【往路】JR金沢(7:02) → JR西金沢(7:07) → 新西金沢(7:47) → (北陸鉄道石川線) → 鶴来(8:15)
鶴来駅 → 徒歩8分 → 一閑寺 → 徒歩5分 → 白山市観光連盟(鶴来支所内) → レンタサイクル10分 → 日御子〒 → レンタサイクル10分 → 鶴来〒 → レンタサイクル10分 → 道の駅 → レンタサイクル2分 → 旧加賀一の宮駅舎 → 白山比咩神社 → レンタサイクル10分 → 金劔神社 → レンタサイクル3分 → 鶴来別院 → レンタサイクル5分 → 鶴来駅
【復路】鶴来(12:02) → 四十万(12:13) → 四十万〒、富奥〒 → 乙丸(13:16) → 野々市工大前(13:22) → 扇が丘〒、野々市〒 → 北国街道野々市宿 → 徒歩15分 → 押野〒 → 押野(14:25) → 新西金沢(14:28) → 西金沢(14:38) → 金沢(14:43) → レンタサイクル5分 → 金沢西別院

本願寺金沢別院(浄土真宗本願寺派)
金沢駅到着は15時前。郵便局の閉店は17時なので、2時間近くありますが、
その間隙を縫ってこの日最後の巡礼を一院。JR金沢駅東口から真東へ500m。
浅野川近くの住宅街、松と築地塀に囲まれた場所にその寺院はありました。
都市家と松があるのは前田家のお膝元だからでしょうか?

松と築地塀の奥に寺院が
本願寺金沢別院(ほんがんじかなざわべついん)は、
『延元4年(1339年)、本願寺第3代覚如上人は、宗祖親鸞聖人が越後へ流罪になられた道筋を巡錫。
その折に一宇の草庵を設えて本源寺と名付け、第2代如信上人の13回忌を務めたのが当別院の嚆矢とされる。

明治26年建立の山門
本瓦葺き、切妻造りの屋根に四脚門。大きな軒唐破風を付ける。

山門扉の浮き彫り
その後、第5代綽如上人、第7代存如上人の巡化があり、文明3年(1471年)蓮如上人は
吉崎に坊舎を建立して以降、しばしば金沢へも足を運んだ。
天文15年(1546年)、第10代証如上人の時に当院は金沢御堂(尾山御坊)とされ、
阿弥陀如来像・親鸞聖人御影・実如上人影像・金泥名号・親鸞聖人絵伝・聖徳太子絵像・
七高僧絵像を下附した。

山門正面に建つ総欅造りの本堂
嘉永2年、加賀の名工・中川政乗が棟梁となり再建した。

本堂前面と向拝
やがて天下統一の過程で、織田信長と本願寺の石山合戦が起こり、天正8年(1580年)
尾山御坊も佐久間盛政に拠り攻め滅ぼされ、その跡に金沢城が築かれた。
天正11年(1583年)に前田利家が七尾から金沢に入城。天正15年(1587年)に
城の後町(現在の彦三・尾張町付近)に尾山御坊復興の寺地を寄進し本堂が建立された。

本堂内陣へ

本堂向拝下からの眺め

本堂内陣の様子

内陣に並べられた椅子
真宗寺院はどこもこのような感じ。直ぐにでも法話ができるようにか?
慶長16年(1611年)には加賀藩3代利常は石川郡安江村に寺地を寄進、
これが現在の別院の元になったと伝えられる。
その後、堂宇は数度の火災や天災に遭い烏有に帰したが、
加賀・越中・能登の寺院や門信徒の懇念に拠って本堂が再建され、
種々の堂宇も整備され今に至っている。』 とあります。

正面に鎮座する御本尊

襖の奥には御影が

御影近影

内陣手前にある亀の上に載った線香立て
金沢にあった本願寺御坊が破却され、その後に建造されたのが金沢城、
と聞くと石山本願寺と大坂城を連想しますが、同じような事が金沢でもあったようです。

本堂の三屋根
妻部に千鳥破風が二ヵ所あり、比翼とするのが特徴。

旧竹沢御殿の時鐘
文政6年(1823年)、加賀藩が時刻制度を改革した際に造られた二口の内の一口。

時鐘の説明

安政6年建立の対面所
式台(玄関)には見事な彫刻があり、奥に進むと御殿へと繋がる。
江戸時代の加賀の本願寺の発展は、勿論門徒衆の努力に拠るものですが、
藩主前田家が好意だった事も追い風になった様子。
幕府に次ぐ石高を有する加賀藩としては中央から睨まれないためにも、
揉め事を極力起こさない必要に迫られたに違いありません。
これが現在に続く加賀の文化を育んだ訳ですから、
江戸時代の人々の先見には敬意を払うべきでしょう。
尚、後ほど知った事ですが、当院には落雁を奉納する行事があるようで、
菓子文化金沢の一面を見た気がします。

鐘楼

慶応2年建立の経蔵
正面の「転法輪」の扁額は当院20代広如上人筆。

経蔵解説

経蔵近影
真宗寺院のため御朱印はありませんでしたが、代わりにスタンプの【別印】を押印。
専用の冊子を完成させるとお西さん(西本願寺)で昼食が貰えるそうですが、未だ遠い道のり。
ここ別院で金沢市内の巡礼は終了。鶴来と併せてこの日は二別院を訪問したことになります。
朝方の雨も上がり、浅野川からは虹が見えました。金沢最後の夜は、駅ナカで二色丼。
能登牛と加賀豚のコラボで、百万石の優雅さにはチト遠いですが一面を覆うお肉で¥1800はコスパ抜群。
一度で二度楽しめる【二食】丼と言って良い位。御飯も大盛で、奥が深いのは金沢と同じでした。

本願寺金澤別院説明書

別院の別印

浅野川に架かる橋から空に架かる虹を見る

金沢の最後の夜を飾る二色丼
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北国街道野々市宿 (西側からの眺望)
鶴来駅に戻ったのはお昼前。ここから1時間毎の北陸鉄道で西金沢へ向かいますが、
平日なので駅近くの郵便局に立ち寄りながら北上。
野々市工大前で下車して西へ数百mの局を訪問しましたが、
細い道路の両側は非常に風情ある街並みが。本町通りは旧北国街道。

野々市郵便局 ; 霊峰白山、旧北国街道、野々市じょんから祭、市花椿、公式キャラ「のっティ」
『江戸時代には北国街道として、多くの物資や人々が行き交った。
この本町地区は野々市宿として金沢から京都へ向かう最初の宿場町であった。
東に建つ水毛生(みもう)家は、表構えは切妻妻入りとなる農家の形、内部の形は町屋の形となっている。
通りに面するミセノマの屋根は江戸時代特有の板葺屋根造りの緩い勾配となっている。
明治10年(1877年)には主屋を京風に洗練された数寄屋造りに建て替えており、
茶室・庭・土蔵が一体となった「茶の湯」のための空間が形成されている。

野々市宿案内板

東から向かうと先ず目に入る水毛生家住宅

水毛生家住宅解説

通りに面するミセノマ屋根
中程に建つ喜多家住宅は国の重要文化財。喜多家は元々越前の武士であったが、
貞享3年(1686年)野々市に移住し、灯油の製造販売を開始。
代々油屋治兵衛を名乗り、幕末からは酒造業を営んだ。
建物は明治24年(1891年)の大火で土蔵を残し焼失したが、
金沢市材木町にあった醬油屋の主屋を買入れ移築し同年中に復興している。
主屋は建物の構成から1800年代前半の文政から天保年間に建てられたと推測され、
茶の文化に裏付けされた風雅な趣を持つ最上の金沢町屋として貴重である。

重用文化財・喜多家住宅
ここは有料で内部見学可能。

喜多家住宅解説

喜多家玄関近影

これは喜多家の庭園に入る門か?

喜多家ガイド
現在野々市市郷土資料館になっているのが旧魚住家住宅。
魚住家は1970年代までは農業とこんかにしんや肥料などの販売を手掛けた。
この住宅は安政年間に石川郡村井村に建てられた農村の商家を魚住家が買い入れ、
明治33年(1900年)に野々市村西通り(現在本町四丁目)に移築。
その後、二度の移築を経て現在地に至っている。表が前は平入の町屋であるが、
上部に見える三角形の切妻破風から奥の間取りは典型的農家の田の字型で、
このような町屋風農家は金沢近郊の街道筋でよく見られるものであった。』 とあります。

旧魚住家住宅

旧魚住家住宅と北国街道野々市宿の解説

東側から見た旧魚住家住宅
街道沿いに町屋が数軒程残っているのはよく目にしますが、これだけ残るのは珍しいとは言えます。
しかも現役の町屋も多数ありました。
百万石の城下町金沢はひがし茶屋街を筆頭に観光客がひきも切らない状態。
しかし一宿離れただけで、野々市宿では観光客を殆ど目にする事はありませんでした。
この日は、他の目的でスルーする事になりましたが、再度じっくり訪問する必要ありです。
加賀百万石は奥が深いですが、金沢だけにとどまるものではない事を改めて実感した次第です。

旅籠屋の様な造りの町屋

白壁の蔵がある町屋

黒壁と白壁が対照的である

今に残る町屋の多くはこのようなタイプ

喜多家住宅の東に隣接する和菓子店
現役の町屋が多く、店舗になっているのは少ない。
[参考書]
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鶴来別院(浄土真宗大谷派)
高台に建つ金劔宮から坂を下ると、寺院が多く目に入るようになります。
その中でも一際大きく目を惹くのが鶴来別院(つるぎべついん)。
『鶴来の地は、天平時代の古より白山信仰を土徳としながら、
白山を源流として大地を潤す手取川扇状地の要に位置している。
山の民と里の民の交流の要衝として産業経済文化など大いに繁栄してきた。

山門前にて
丁度、法要の最中なので看板が目に付く。

山門の右手に続く塀は石垣

山門の正面に建つ本堂

境内側から見た山門
戦国時代の加賀国四郡では、本願寺第八代蓮如上人の子息が入寺した寺院を 「御山」とよび、
各郡真宗寺院の中枢となっていた。
旧石川郡鶴来には上人の七男蓮悟に拠って 「清沢坊」 が創建され、後に十男実悟入寺に拠って
「願得寺」 を号する等、石川郡の御山として郡内一円門徒の崇敬を集めていた。
しかし享禄4年(1531年) 「享禄の錯乱」 と言われる一向一揆の内紛に拠り焼き討ち廃絶となった。

鶴来別院のあゆみ

本堂は白山市指定文化財

本堂屋根は平成22年(2010年)に全面葺き替え

向拝と前に張出した庇

本堂解説
清沢願得寺廃絶の後、天文年間(1532~1555年)に 「大御坊惣道場」 が建立され、
村落門徒の総意で維持運営される聞法道場が生まれる。
惣道場は明治13年(1880年)4月、金沢別院鶴来支院の公称を契機に新たな本堂建立の願いが起こり、
翌年3月には仮御堂が建てられた。明治24年(1891年)10月に現在の本堂建築が起工され、
明治32年(1899年)に完成。明治36年(1903年) 11月、金沢別院より独立して鶴来別院となった。
当別院は、加賀一向一揆以来500余年に亘り、真宗門徒の篤い御懇念と伝統を継承する
聞法の道場として今日に至っている。』 とあります。

本堂側面

本堂内陣へ向かう

内陣の様子

正面には御本尊を祀る厨子が

本堂の「遠慶宿縁」の扁額は彰如(句仏)上人染筆

本堂の欄間彫刻の天女像
金劔宮の神宮寺ではありませんが、鶴来を代表する寺院であるのは誰しも認める所。
天の真名井が発祥と言える金劔宮に対し、当院は鶴来の要衝としての立地が開創の理由と言えます。
そのため争乱に巻き込まれる事も多く、途中廃絶の憂き目にも遭ったのはそのためでしょう。
現在の鶴来周辺の様子からは想像できません。
草堂から僧堂を経て 「惣道場」 と呼ばれた当院は【騒動場】でもあったようです。

本堂前の大銀杏は火災除けか?

昭和31年(1956年)再建の鐘楼堂
雪国の風雪に耐えるべく12本柱の頑強な造りである。

境内の句碑

鶴来別院説明書
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金劔宮(旧県社) 天の真名井
劔と霊泉で知られる金劔宮ですが、境内にはいくつかのパワースポットが点在します。
『上境内手水舎脇には、三つの石が鎮座。
義経腰掛石は、奥州へ落ち延びる源義経が当社に立ち寄り、
この石に腰掛け眼下に広がる平野や手取川を眺めたとされる。

義経腰掛石

ダブルの石の解説
天忍石(あめのしのぶのいし)は、その昔、神霊がこの石頭に降臨したとされるもので、
その形状から牛石とも呼ばれる。
また亀石は祭神瓊瓊杵尊が海へ修行に行く際に、乗ったとされる石である。』 とあります。

天忍石(牛石)

真名井と天忍石の説明板

牛石近影
ヒビが入っているのが分かる。

石に関する注意事項
いずれもパワースポットとして知られますが、牛に似ているとされる天忍石は兎も角、
亀石はどう見ても石を亀の形に置いたとしか見えませんでした。
もしかすると鶴来なので、亀を持って来たのかもしれませんが。
この後、社務所に向かいましたが、これだけの古社にも拘らず、御朱印はなし。
頂いたパンフが立派だっただけに残念でした。

亀石

金劔宮由緒
参拝後は道路を渡り次の寺院へ向かいますが、なんと道路に接して石段が南北に続き、
その端には金劔宮の鳥居が。北参道は急で男段、少しなだらかな南参道は女段と呼ばれ、
後者の途中には15m余りの不動滝がありました。
『安政年間(1856~1860年)、福田美楯は厳冬時に不動滝が凍結する光景を
「雌坂瀧懸氷」 として鶴来十二勝景の一つに選んだと言われる。
昭和初期に鶴来八景が選定された際も「不動滝氷柱」とされた。』
古くからの景勝地だそう。

南参道途中にある石清水薬師不動尊

祠の脇を流れ落ちる不動滝

不動滝説明
先程、県道に面して直ぐに社殿が出現すると思いましたが、
実際的には劔が【けんどう】に拠って真っ二つに分断。
「鶴来レインボーライン」は分断シュラインでもありました。
参拝は終了したものの、正式な入口が分かったとあっては、
再度、南北参道入口で鳥居に向かって礼拝。【建つ鳥居跡を濁さず】です。

南参道入口に建つ鳥居

北参道入口の社号標と鳥居

北参道入口の鳥居近影
鳥居に続く階段は、確かに南よりも勾配がキツそう。
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金劔宮(旧県社)
広い白山比咩神社の参拝を終えた後は、自転車で表参道から駐車場のある北参道へ回り、
三宮町交差点から県道103号線を北上、鶴来駅方面へ戻りますが、右手に見えたのが金劔宮(きんけんぐう)。
通常は鳥居・参道と続いて社殿がありますが、当社は短い参道の後にいきなり拝殿が出現するパターン。
「鶴来レインボーライン」の愛称のある103号線ですが、周囲は木々が生い茂って暗く、
「これやったら【きけんぐう】やで!」とも言いたくもなります。劔で【けんどう】は当然ですが。

103号線から見た神社

103号線越しに鶴来市街地を望む
金劔宮(きんけんぐう)は、
『崇神天皇三年(紀元前95年)の創建と伝えられ、劔集落の発生と時を同じくして鎮斎せられた。
古くは「劔宮(つるぎのみや)」と称し、明治以降「金劔神社」の社名が用いられた。
金劔神宮、金劔明神、劔明神などとも称される時期もあったが、現在は宮号に復し「金劔宮」と称している。
「鶴来」と言う地名の文字は、江戸時代の元禄以降使用されたものであり、
元来は「劔」又は「剣」と記した事から、社名と地名が一致した代表的な事例と言える。
神社は鎮座地を動くことなく現在に至っている。

由緒記

境内見取り図

境内案内
『白山記』 『源平盛衰記』等に拠れば、金劔宮は古来白山七社の一つに数えられ、
白山本宮、三宮、岩本宮と共に本宮四社とされ、白山第一王子と称されている。
尚武の神、身命守護、生業繁栄の神として信仰が篤く、寿永2年(1183年)木曽義仲が
倶利伽羅谷合戦の大勝を奉謝し、鞍置馬二十頭を寄進している。
また文治3年(1186年)には奥州へ向かう源義経が、金劔宮に参拝し、
夜もすがら神楽を奉納したと『義経記』に記されていて、義経奉納の太刀一口があったとの口伝がある。

正面より見た拝殿

拝殿の向拝下にて

掲げられた「金劔宮」の扁額
明治時代の神社制度確立で、明治28年(1895年)には県社となった。
明治39年(1906年)12月に新町の恵比寿社、古町の大国社、知守町の日吉社、
日詰町の大鳥社の四社が合祀され、同41年、日吉社、井守社、金刀比羅社の境内三社、
大正3年(1914年)12月には日吉町の日吉神社(大山咋命)が合祀されている。
現在、境内には七社が祀られて居り、境内七ヵ所のパワースポット巡りをする人が多い。
金劔宮の神階叙位は、寛弘4年(1007年)に正一位に叙せられている。
この時から「五・七の桐」は当社の社紋として使用されている。
またこの紋は明治維新から伊藤博文が日本政府及び日本国総理大臣の紋章として使用し、
今に続いている。』 とあります。

横から見た拝殿とその奥に建つ本殿

拝殿に続く本殿

拝殿横の狛犬
軟石製で神が宿るとされる。

拝殿横に建つ「悠久の杜」の石碑

悠久の杜 説明
境内奥には入らずの森と呼ばれる県指定天然記念物 「ウラジロガシ林」 がある
当所の「劔」は白山の険しい山容が元になったと考えられ、
中世では武士の崇敬を受けたのは劔に肖ろうとしたもの。
それが江戸時代には鶴来と文字が変わったのは、永く太平の世が続いたから。
それ以降は、尚武に加えて金運アップで訪れる人も多いとか。劔より金に比重が移った結果です。
たかが漢字ですが、その変遷には様々なドラマがあるようでした。
これをドラマツルギーと呼ぶかどうかは定かではありませんが。

乙劔社
境内七社の一つで、彦炎出見尊を祀る。

舞殿
鶴来町の神社といえば、知名度と規模から言って白山比咩神社に先ず指を屈しますが、
白山さんは地元というよりも全国規模の白山神社の総本社。
金劔宮こそが地元に鎮座する古社と言えます。
説明書きにもあるように社名と地名が一致するのは珍しいそうです。
ここに鎮座する理由は、恐らく拝殿脇にある「天の真名井(あめのまない)」。
天平時代から続き、夏も涸れないとされる霊泉です。
古代の人々には珍重された筈で、【雨飲まない】で済んだのもこの井の御蔭と言えましょうか。

天の真名井

「天の真名井」由緒記

真名井からは今も水が湧き続ける

劔と鶴来の関り
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白山比咩神社(白山本宮 加賀一ノ宮)
外拝殿で参拝した後は、お決まりの境内散策。
神門脇には白山奥宮遥拝所があり、神々しい杉木立を背にして静まる社殿群を
ワイドに写し込む撮影ポイントとしても人気の場所。
その手前に御製と書かれた歌碑が鎮座。
昭和55年に当社に御参拝、白山に登拝された昭和天皇が、
百年前に当地を訪れた明治天皇を偲んで詠まれたもの。
79歳の天皇陛下にとって登拝は大変だったと思いますが、
白山信仰よりも明治維新を成し遂げた先達の功績を辿る行為は、
その威信を掛けて成就すべきものだったのでしょう。

御製の歌碑

歌碑の解説

神門前から見た荒御前神社

遥拝所から見た荒御前神社側面

神社横に置かれた盤持石

盤持石説明板

白山奥宮遥拝所

遥拝所から見える白山山系図
紀元前まで遡る古社ながら建物は再建等で真新しく古社という雰囲気はなし。
『当社を特徴的づけるのは神々しい巨木と、彼方此方で湧出する水。
特に後者は、外拝殿横の飲料水、参集殿横を上った先の禊社、
北参道鳥居脇の白山霊水と目立ったものが三ヵ所ある。

拝殿右に連なる遊神殿

更に右手に建つ参集殿
禊社・禊場は平成18年(2006年)に白山の伏流水を使用して造られたもので、
そこにある滝は身体を清め、罪や穢れを洗い流す場。荘厳な雰囲気が漂う場所でもある。
飲料水の横には三本杉の御神木があり、これは昭和58年(1983年)に昭和天皇が
境内の杉の種をお手植えされた苗木を植樹したものである。』 とあります。

境内の南端にある禊社へ

禊場入口

平成18年(2006年)に造られた禊場

白山の伏流水を利用した滝
樹木も水がなければ巨木には育ちませんから、両者は互いに補う関係。
当社の特徴は、水が境内の何ヵ所からも豊富に湧出する点。
それが白山社の総本社となった主な理由でしょう。
飲料はさておき、禊にも用いられているとは水量も多いと推量できます。
この辺りは富山の日石寺にも通じるものを感じます。
このような場所で禊ができるとは、霊験もあったと思いますが、
行をする本人にすれば、冷水を浴びせられたか、ひめーを上げるかの気もしますが…。

滝の脇には「なんじゃもんじゃの木」 別名 ; ヒトツバタゴ

滝を覆う屋根

滝の上から禊池を望む

滝の奥に鎮座する住吉社

正面から見た住吉社
参拝後の禊社訪問と順序は逆になりましたが、こうして巡礼も無事終了。
この後、北へ進んで参道入口とこちらも逆になりましたが、大型駐車場に隣接するだけに、
鳥居・手水舎も新しく立派。
芭蕉の句碑、白山霊水、庭園白光苑もこちら側にありましたが、
ここから入山しなかった悔いは残りませんでした。
参拝はやはり旧参道に軍配が上がります。

北参道脇の芭蕉句碑

芭蕉句碑は昭和36年の奉納

北参道の鳥居

鳥居を過ぎた場所にある手水舎

北参道脇の白山霊水はお持ち帰り可

霊水の奥にある白光苑
池を中心に木々に覆われた庭園を写し込み、静寂な雰囲気に満ちた場所である。

白光苑
侘び・寂の境地とも言えるが、何となく手入れが行き届いていない気も…。
[参考書]
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鶴来駅 → 徒歩8分 → 一閑寺 → 徒歩5分 → 白山市観光連盟(鶴来支所内) → レンタサイクル10分 → 日御子〒 → レンタサイクル10分 → 鶴来〒 → レンタサイクル10分 → 道の駅 → レンタサイクル2分 → 旧加賀一の宮駅舎 → 白山比咩神社 → レンタサイクル10分 → 金劔神社 → レンタサイクル3分 → 鶴来別院 → レンタサイクル5分 → 鶴来駅

白山比咩神社(白山本宮 加賀一ノ宮)
東参道を上り、二の鳥居・三の鳥居を抜けると左手にあるのが神門。ここを過ぎると神殿域に入ります。
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、
『当社は遠く神代の昔、霊峰「白山」を神体山として、生きとし生けるものの「いのち」の祖神と仰ぐ
“白山比咩大神”を奉斎した事に始まる。
その創建は崇神天皇の7年(紀元前91年)と伝えられる延喜式内の名社である。
古来「下白山(しもはくさん)」と称せられた本社は白山の「まつりのにわ」として設けられた「白山本宮」で、
「加賀一ノ宮」としても尊崇され、「白山さん」として遍く親しまれている北陸鎮護の大社である。

三の鳥居脇に聳える大杉
因みにこれは神門ではない。

神門全景
右奥が神馬舎に当たる。

神門脇の句碑
養老元年(717年)、初めて白山に登拝した僧泰澄は、翌年山頂に奥宮を建立。泰澄の登拝以来、
白山信仰は急速に全国へと広まり、各地に白山登拝の拠点となる馬場(ばんば)が設けられた。
その中で、加賀馬場として栄えたのが、白山比咩神社を中心とした白山七社であった。
旧社地は旧北陸鉄道加賀一ノ宮駅前の古宮公園安久涛(あくど)の森であったが、
文明12年(1480年)の大火に拠って四十有余の堂塔伽藍は悉く焼失。
その後は、末社三宮神社の境内である現在地へ遷座し本宮鎮座の地と定めて今日に至っている。

神門近影

神門の正面に建つ外拝殿

神殿域から神門を見返る

正面から見た外拝殿
その奥に屋根が見えるのが幣拝殿。
明治維新の後は、「白山天嶺」を奥宮、「下白山」を本社とし、国幣中社として国家の殊遇を受けたが、
戦後は全国に三千有余を数える白山神社の総本社として白山信仰の中心をなし、
家内安産・延命長寿・五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛・交通安全・縁結び等、広大な御神徳を仰がれている。
白山奥宮1,700haの境内を中心とする国立公園白山は毎年春山(5・6月)、夏山(7・8月)、
秋山(9・10月)の六ヵ月間登拝のため開山される。』 とあります。

外拝殿の向拝の唐破風

向拝下にて

外拝殿の内陣の様子と大注連縄

外拝殿に掲げられた扁額

幣拝殿の屋根

拝殿と社務所を繋ぐ廻廊?
加賀一ノ宮にして全国に数多ある白山神社の総本山。その起源は紀元前まで遡る程の古社ですが、
従来の山岳信仰から更に進んで神社としての体裁を整えたのは奈良時代の泰澄の功績。
宗教家と言うと只管説教を説くように思われ勝ちですが、真に必要な才能は、
信者を増やして教団として纏める能力。
古代の役行者・行基から最澄・空海を経て戦国の蓮如に至るまで、皆そのような才能を持った人物。
その有無が新興宗教で終わるか否かの違いと言えます。

廻廊前にある白山の伏流水

廻廊前にある御神木の三本杉
昭和58年に天皇陛下が境内の杉の種を蒔かれ、苗木になったものを植樹したもの。

御神木の謂われ

白山さんパンフ
金沢駅構内観光案内所で入手したもの。

白山さん御朱印 (平成5年拝受)
墨書も印影も美しいのが印象に残る。
[参考書]
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白山比咩神社(白山本宮 加賀一ノ宮)
鶴来駅前からレンタサイクルで寄り道しながら一ノ宮へ。
旧駅舎訪問の後は手取川に架かる和佐谷橋を渡った道の駅「しらやまさん」にチョット立ち寄り。
川を越えただけですが、神社は白山市、道の駅は能美市と行政区が変わります。
道の駅で野暮用を終えた後は再び橋を渡り旧駅舎前へ出て、案内板にある表参道表示に従い右へ。
もう一方の北参道は徒歩10分ですが、こちらはメインの駐車場前に出るので、
殆どの参拝者は北参道に向かいます。

道の駅スタンプ

手取川に架かる和佐谷橋の能美市側から

和佐谷橋からの眺望

手取川由来

旧駅舎前にある行先表示の看板
門前に付くと駐車場と土産物店が二軒。
門前には一の鳥居と石の社号標が聳えますが、文字は東郷平八郎の揮毫。
どういった経緯かは知りません。対馬沖海戦に先立ち、当社に祈願したのでしょうか?
鳥居に続くのが昔からの参道で、ここからは徒歩になります。

門前にある土産物店
加賀一の宮にしては寂びれた門前のような…。

表参道前にて

門前に建つ社号標
左に元帥伯爵東郷平八郎と彫ってある。
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、
『県内一の大河「手取川」と奥獅子吼山(928m)に挟まれた平坦地に鎮座。
47,000㎡の広大な境内には、天に向かって聳える古木に抱かれる様に社殿が並び、
御力に満ちた神域に相応しい厳かな雰囲気が漂う。
手取川に沿って進むと杉・欅・楓などの樹木に覆われた約250mの表参道が続き、
四季折々の表情を見せている。

愈々一の鳥居をくぐる

神社由緒記

石橋を渡り表参道へ

表参道を上る
参道中程には琵琶滝が流れ落ち、その瀬音は上るにつれて神に近付く荘厳さを感じさせる。
その先の手水舎の横にある老杉は御神木で、根本周り約12m、胸高幹周り約10m、
樹高約42mの巨木で樹齢800年。白山市指定天然記念物となっている。
更に進んだ神門前にも天然記念物の大欅が聳える。』 とあります。

参道左手にある琵琶滝
大した大きさではないが、流れの音は響く。

琵琶滝瀬音

杉の巨木に覆われた参道を往く

参道の遥か先に二の鳥居が見える

御神木の老杉

参道にある句碑

上方から見た老杉
参道を進む間、出逢った参拝者は数名でしたが、境内に入ると結構な人数になっていました。
予想通り、車で北参道駐車場から境内に入る人が大部分の様です。
別段、参拝に厳格な作法はありませんが、やはりそれなりの距離を歩いて神域に入るのがベスト。
自然の声を聴く云々よりも、心を清浄にしてから参拝するという先人の知恵でしょう。
近代以降の人類は時間に追われる毎日ですが、信仰に際しては、ゆったり
【進行】するべきという教えに【さんどう】する方も多いとは思いますが…。

老杉を過ぎた場所にある手水舎

手水舎に続く二の鳥居

参道を上り切ると愈々境内へ

三の鳥居

三の鳥居の奥に聳える大欅

大欅の案内

大欅遠望

日御子郵便局 ; 白山、神影清水、六郎塚一本杉
鶴来郵便局 ; 白山比咩神社神社参道の杉、パーク獅子吼、獅子吼高原ゴンドラリフト
[参考書]
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不動山 一閑寺(浄土宗)
どこかの国のミサイルのお陰で乗り遅れたとはいえ、鶴来駅には8:15着。
レンタサイクル開始までには未だ時間があったので駅から北へ数百m、103号線沿いの寺院を訪問。
敷地や堂宇には取り立てて特徴はありませんが、見るべきものは御本尊。

45号線沿いに建つ参道石標
不動山一閑寺(ふどうさんいっかんじ)は、
『今から1300年前の養老元年、泰澄大師が白山を開山された時、禅定の道すがら当地へ立ち寄り、
この地の自然石に大不動明王像を刻み、地元の人々に信仰する事を勧めて立ち去ったのが嚆矢。
それから970年の間、像は風雪に晒され次第に剥落して行ったが、夜毎崇める人は絶えなかった。
寛永8年(1631年)、金沢市宝町の曹洞宗宝山寺の第五代住職雲堯禅師が当地へ至り、
隠居寺として浄見山一閑院を建立、自ら開山となった。

103号線から見た寺院

由来記
しかし、第十八世住職獨角和尚の天保年間(1830~1843年)に不幸にも炎上。
和尚は寺と不動尊の再建を発願し、石工文助、七右衛門兄弟に命じ、
かつて泰澄大師が刻まれた磨崖仏の復元を計画。そして三年三ヵ月、
寝食を忘れて刻み上げたのが現在の二丈五尺(約8m)に及ぶ大不動明王像である。
これは自然石では東洋一の磨崖仏で、眼病治癒の霊験、商売繁盛、
諸難消除の守護として近郷近在は言うに及ばず、日毎に信者が諸国に広まり、
その名声は加賀百万石の第十三代前田斉泰の耳に達し、加賀中納言として自ら参詣。
新しく扁額を賜り、祖先を菅原道真とする前田家の梅鉢紋を代々一閑寺が佩用する事を許されている。
現在は浄土宗「不動尊一閑寺」として善光寺分身如来を御本尊としてその法灯を護り続けている。』
とあります。

お不動様を祀る本堂

窓に描かれているのは寺紋か?
早朝だった事もあり堂内は消灯状態でしたが、施錠はされて居らず薄暗い中での参拝。
説明にあるように天保年間に炎上した後は、新たに木で仏像を彫るか別の場所から移す方が
遥かに簡単とは思いますが、当寺は背後の岩に再彫刻。
偶々、大岩があったからなのか、あくまで磨崖仏に拘りがあったのかは不詳ですが、
結果的には近隣に知られる寺院となりました。唯、彩色のためか、余り恐ろしい感じはしませんでした。

本堂内陣

不動明王像近影

足元に置かれたお地蔵様
以前に訪問した富山の日石寺も磨崖不動明王で有名なので、この地域の特徴とも言えそうですが、
彩色に関しては首尾【一閑】してはいない様子。
尤も、それで【まがい】物扱いされたり、SNS上で炎上することはありませんが…。
薄暗い境内を見渡すと「御朱印は対応いたして居りません。」の貼り紙が。
個人的には平成5年の参拝時に拝受していましたが、昨今のブームに
逆境するような対応には何か理由があるのでしょうか?

今では入手困難となった一閑寺御朱印
[参考書]
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日本の石仏〈2019 No.169 12月〉特集 近世磨崖仏 新品価格 | ![]() |

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旧加賀一の宮駅舎
雨の残るこの日は、鶴来にある加賀一の宮・白山比咩神社に参拝の予定。
北陸鉄道石川線での移動ですが、海岸方面へ行く浅野川線がJR金沢駅に隣接しているのに対し、
山方面への石川線の起点野町は他の鉄道には連絡せず、JR西金沢駅に隣接する新西金沢駅からの乗車。
金沢駅から僅か1駅ですが、その1駅が曲者。

加賀一ノ宮が描かれている JR西金沢駅スタンプ
(上) 民営化後 1990年代印 (下) 2006年 金沢支社印
待ち時間を少なくするため、金沢駅7時2分の上りにしましたが、
到着が遅れた上に時間が来ても発車せず。説明もなく10分以上も停車した後に漸く発車。
西金沢に着いた時には石川線の電車は出た後。早朝出発にも拘らず、駅で40分待ち。
後にニュースで知った話では、北朝鮮がミサイル発射し北陸地方には警戒警報がでたようで、
そのあおりを食ったようです。
乗客を不安にさせない心配りでしょうが、隣国もとんでもない事をするものです。

新西金沢駅で石川線一日乗車券を購入

新西金沢駅ホーム

乗車した北陸鉄道の列車
終点の鶴来駅にて。
平成5年の訪問時は終点加賀一の宮駅で下車し神社まで歩きましたが、
今は手前の鶴来までしかなく、そこからはレンタサイクル。
鶴来は手取川扇状地に発達した鶴来町の中心地で風格の漂う木造駅舎、
鉄道関係資料の展示がなされ駅員も終日配置で駅スタンプもありました。
併設する車両基地にはラッセル車が。冬場には活躍するのでしょう。

鶴来駅舎内に展示の北陸鉄道関連品

木造洋風の鶴来駅舎入口

鶴来駅全景

車両基地に停車中のラッセル車

鶴来駅スタンプ
駅から徒歩5分の観光連盟で9時にレンタサイクル。途中寄り道しながら、
川を遡る事10分で神社の入口へ到着。そこにはかつて下車した駅舎が御鎮座。
加賀一の宮駅は、
『大正14年(1925年)に設立された金名鉄道の区間延伸に伴い昭和2年(1927年)に開業。
当初は神社前と称した。神社とは駅から徒歩3分の白山比咩神社を指す。
昭和4年(1929年)神社前から鶴来町の区間が金沢電気軌道に譲渡された事に伴い、
金名鉄道と金沢電気軌道石川線の接続駅となった。

今は道路になっているかつての線路跡から

一ノ宮駅改札口
今でも出入りできる。

ホームにある案内板
昭和12年(1937年)12月8日に加賀一の宮と改称、昭和15年(1940年)頃に現在の駅舎が完成した。
昭和18年には北陸鉄道に統合され、金名鉄道の路線は金名線に改称された。
金名線は昭和59年(1984年)12月に橋梁の岩盤崩落の危険性のため休止となり、
昭和62年(1987年)4月28日付で廃止された。
その後は石川線の終着駅として使用され、以前は当駅から白山下までタブレット閉塞式で
あったため永らく駅員配置がされたが、昭和62年11月28日に無人化された。
平成21年(2009年)11月1日に鶴来~加賀一の宮駅間の廃止に伴い、82年の歴史に幕を下ろした。

ホームからかつての線路跡を望む

正面から見た駅舎

駅舎入口は瓦葺・唐破風

旧加賀一の宮駅について
平成25年(2013年)北陸鉄道より駅舎の寄付を受けた白山市では、地域の大切な歴史遺産として
保存するため平成30年(2018年)改修工事に着手、翌令和元年(2019年)5月に完成した。
駅舎は二階建入母屋造、正面左寄りに唐破風の入口を設け、唐破風の妻壁に蟇股、
軒下には舟肘木を付け、柱の下に礎石礎盤を据えるなど社寺建築の細部意匠を取入れ、
白山比咩神社の門前駅であることを意識した表現となっている。
昭和初期の近代和風建築の好例として貴重と評価され、
令和3年(2021年)2月4日、国登録有形文化財とされた。』 とあります。

登録有形文化財の嵌め板

駅舎内部

木目の美しい天井板
説明書きに拠れば前回訪問時は既に無人駅化されていた訳ですが、その記憶は曖昧。
唯、神社風の駅舎のイメージは強烈で、さすが一の宮の門前駅と感心したことを覚えています。
廃止になった区間は鶴来~加賀一の宮の2.1㎞。区間も短く、加賀一ノ宮の最寄り
というよりも門前なので廃止の意味が分かりませんでした。
事前に訪問した日御子郵便局でその話に及ぶと、
局長 ; 廃止区間は殆ど乗る人が居ませんでしたからね。
私 ; 一の宮があってもですか?
局長 ; 地元の人は車で参拝しますから。電車が混むのは正月三が日くらいです。
と聞き疑問が氷解しました。

かつての時刻表も掲示

かつての電車の雄姿と鉄道関連資料

マニアには垂涎の的であろう展示品の数々
再訪した駅舎は綺麗に修復され駅舎内には、時刻表を始めとする鉄道関連資料が展示され
休憩所と記念館を兼ねた施設となっていました。伝統ある駅舎が残されるのは有難い事ですが、
路線が廃止されたのはやはり残念でなりません。
建造物はやはり本来の目的に使用されるのが、良好に保存される条件とか。
尤もたまに来る観光客のためだけに残していたのでは、鉄道会社には
お荷物を抱えるだけになってしまうので、経営判断としては当然の事ではありますが。

廃線時の記念乗車券案内

これは駅舎にある御手洗い
緊張するよりも使うのが勿体ない気が…。
[参考書]
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金沢駅 → レンタサイクル10分 → 宝船路〒・法船寺 → レンタサイクル20分 → 金沢泉丘〒 → レンタサイクル5分 → 大乗寺

東香山 大乗寺(曹洞宗)
仏殿の正面奥に建つ法堂。
仏殿の御本尊参拝に続いて、奥にある法堂へ。位置的には正面ですが、
そこからは入れず、鐘鼓楼、庫裏を通る回廊を抜けての参拝となりました。
東香山大乗寺(とうこうさんだいじょうじ)は、
『寛文11年(1671年)には月舟宗胡が第二十六世住持となり寺を中興、
続く第二十七世卍山道白が延宝8年(1680年)に住持となると、道元禅師の古風を尊重し、
清規を整え、「規矩大乗(きくだいじょう)」の名を天下に知らしめた。

仏殿から延びる廻廊

廻廊から見た境内
仏殿(左)と庫裏(右奥)。

廻廊の曲り角に建つ鐘鼓楼
以後、禅の厳しい修行道場として名を高め、専門僧堂として現在も20余名の僧が修行している。
伽藍は我が国曹洞宗寺院建築の典型的な七堂伽藍の配置を示しており、
仏殿は国の重要文化財、その他は県・市指定の有形文化財となっている。』 とあります。

庫裏玄関

庫裏から法堂へと続く廻廊

法堂入口

法堂内陣

法堂の天井の造り
通り抜けた回廊は典型的な禅宗様式。その先の法堂と言うのは、
仏像を祀る場所ではなく、住職が弟子に法話をする場所と聞いていましたが、
なぜか金色の観音様らしき像が祀られていました。

内陣中央

「大乗護国禅寺」の扁額
月舟書とある。

法堂に祀られた御本尊?の観音様
帰路、庫裏で御朱印を拝受。前回にも一応拝受してはいますが、
お寺では正式な御朱印対応されていないようだったので、満を持しての再訪。
お盆で多くの僧侶は不在でしたが、留守を預かる方から書置きを拝受。
見ると楊柳観世音菩薩の絵が。
私 ; 「御本尊は釈迦牟尼仏と違いますか?」
住職 ; 「これは法堂に祀られている江戸時代に描かれた観音様を図案化したものです。」
との返事。そういえば、回廊の途中に大きな観音様の絵が掛けられていました。
御本尊より有名な仏様があるのは、別段目珍しい事ではありませんが、
御朱印に使用されたのは、今時のインスタ映えを狙ったようにも思えます。

法堂前から見た仏殿

境内の中庭

今回拝受した御朱印(書置き)

御朱印の由来の観音様の絵

総門から左に下るとこのような立派な入口が
[参考書]
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