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汗かき地蔵 (長野県木曽郡南木曽町)

2021.11.25(20:00) 997

川から上がった地蔵様(2021.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR中津川(10:39)

中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣 → 寺下 → 光徳寺・汗かき地蔵 → 妻籠(13:51) → (御岳バス) → 南木曽(14:00)

【復路】JR南木曽(14:42) → 中津川(15:16→15:20) → JR名古屋(16:35→17:00) → JR米原(18:09→18:17) → JR大阪(19:42)

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寺下延命地蔵堂
中山道沿いに建つ。

 光徳寺参拝を終えて石段を下りますが、街道脇には延命地蔵堂の案内が。

見ると小さなお堂の中には直径が2m程もある自然石が祀られています。縁起に拠れば、

『昔、妻籠村の光徳寺境内に蘭(あららぎ)川に向かって祀られた地蔵があった。

文化10年(1813年)5月、寺下の蘭川で釣りをしていた飯田の杣人が近くの石に載ったが川中に振り落とされた。

不思議に思った杣人が石を良く見ると、石にお地蔵様の寝姿が現れていた。

「お地蔵様が川中に出現された。」 と木曾の街道筋は大騒ぎとなり、初めは川中で供養していたが、

このままでは畏れ多いと引き上げて供養することになり、村中で相談した結果、光徳寺の門前に堂地を定めた。

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正面から見た延命地蔵堂
左は光徳寺へ続く石段。

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地蔵堂近影

 文化12年、石工に長けていた当時の住職、中外和尚が自ら蓮花台と龍の姿を描いた水舟を刻み、

門前の嵯峨屋小四郎と共に施主になってお堂を建て延命地蔵として祀った。

 毎年4月23~24日の祭の頃には、お地蔵様の全身から汗のように水が染み出し、人々の苦難を一身に受ける

「汗かき地蔵」として地域の人々に親しまれている。』とあります。

 以上は「寺下延命地蔵尊縁起」の記載内容ですが、案内板には「享保10年(1725年)の書き上げに地蔵堂と記されている」

とあるので、元々別の地蔵様が祀られていたが、後に発見された石地蔵に替わったと考えるのが自然です。

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堂内に祀られている自然石のお地蔵様

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延命地蔵堂由緒

 お堂の入口横にあるのが石仏「寒山拾得像」。

『昭和59年の長野県西部地震の際に、崩れた石垣の下から発見されたもの。不思議な像が刻まれているので、

道祖神の一種として祀られてきた。日本石仏協会に拠れば、題材は唐代の奇僧「寒山拾得」で、光徳寺住職で

あった中外和尚の作と推察される。』 とあります。

 石垣自体は安政の大地震で崩壊し積み直されたもので、石仏は鎮魂の意味か補強かは定かではありませんが、

その時に埋められたもの。それが再び地震で出現したのは奇縁としか言いようがありませんが、中外和尚の名を

内外に知らせる結果となりました。

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石仏「寒山拾得」

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「寒山拾得」像の説明

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寺下延命地蔵尊縁起

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光徳禅寺 (長野県木曽郡南木曽町吾妻)

2021.11.23(22:00) 996

高台に建つ寺院(2021.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR中津川(10:39)

中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣 → 寺下 → 光徳寺

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瑠璃山 光徳禅寺(臨済宗妙心寺派)

 宿場中央の桝形付近からは石段が上に続きその先にあるのが宿場唯一の寺院光徳寺。寺下の名もここに由来するのでしょう。

瑠璃山光徳禅寺(るりさんこうとくじ)は、

『明応9年(1500年)、悟渓和尚が開山と伝えられるが、史料「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進帳」に拠って

確認されるのは慶長4年(1599年)である。

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宿場北側から見た光徳寺
石垣の上に建つ。

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中山道沿いに建つ寺標

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石段を上り本堂へ

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由緒記

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石段途中から見た寺下地区

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更に石段を上る

 山門を過ぎて正面に建つのが瑠璃光如来を祀る本堂。創建時は杮葺きであったが、昭和15年に防火の観点から

瓦に葺き替えている。その際に本堂大棟の右側にあった鬼瓦を境内に下し展示している。

重量は120kg程度、形は「京花経ノ巻鬼」と言い九組で構成されている。

 かつては境内に樹齢二百年の枝垂桜があったが今は枯死。庫裏には幕末から明治にかけて住職を務めた

遂応和尚に拠って考案設計された車付駕籠が保存されており、人力車の祖型とされる。』 とあります。

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閉鎖中のこれは御成門か?

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長屋門風の山門
境内にはこちらから。

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境内の眺め

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本堂近影

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本堂正面

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本堂と前庭

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本堂の「光徳寺」の扁額

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本堂屋根の桔梗紋

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本堂前からの眺望

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鐘楼

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鬼瓦

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鬼瓦説明

 町並みより一段と高い台地に建ち、案内書には白壁を巡らせた気品ある寺院とあります。石段からは宿場が

一望できますが、急勾配の坂は崩落危険の看板も。宿場を守る寺院ではありますが、私には城塞にも見えます。

そういえば本堂の屋根にあったのは桔梗紋。東美濃を本拠とした土岐氏の紋ですが、寺院との関係は分からずじまい。

「時は今…」のチャンスを逸してしまったのが心残りでした。

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本堂脇の唐破風玄関

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庫裏に展示の車付駕籠

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光徳寺御朱印
かつて拝受した書置き

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今回拝受の墨書の御朱印

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妻籠宿 上町から寺下へ (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その参>

2021.11.21(20:47) 995

全国町並み保存発祥の地(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣 → 寺下

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妻籠宿 (中山道第四十二番宿)

 本陣・脇本陣を見た後は桝形を抜けて宿場の更に奥へ。江戸時代の始めに制定された宿場は一種の城塞の役割も

持たされて整備されたので、外敵は侵入し難いように必ず桝形が設けられました。

妻籠もそれに倣い、本陣・脇本陣は簡単には見通せないようになっていました。その先にあるのが寺下の町並み。

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寺下地区入口から見た桝形跡
左は下嵯峨屋。

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桝形の説明板

『明治25年には馬籠峠を迂回して新道(国道19号線)が開通、更に明治42年には名古屋・三留野間に鉄道が敷設され、

2年後には中央西線の全通を見た。その結果、三留野駅がこの辺りの交通の起点となり、妻籠は交通の要衝としての

機能を消失。旅籠屋や茶店の経営や荷物輸送に携わった人々も職を失い、僅かに修学旅行生や製紙女工・行商人が

宿泊するだけの寂びれた宿場であった。

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寺町入口付近の町並み
右は現役の宿屋・松代屋。

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妻籠の庶民の住居を代表する下嵯峨屋
当初は長屋であったと言う。屋根瓦でなく、ごろた石を置いているのも特徴の一つ。

 これを打開すべく、旧脇本陣の林亀寿郎が妻籠城跡保存会を組織。自費で道路の補修や絵葉書作成に取り組むが

大正7年に彼の死で実を結ばずに終わる。

漸く軌道に乗り始めたのは戦後、昭和39年に妻籠の刊行観光開発計画が立てられて以降の事である。

 太田博太郎東大教授、小寺武久名大講師が調査指導に当たり、それに県や諸機関、地元住民が協力し、

妻籠宿は全国で初めて集落町並み保存に着手し、昭和43年(1968年)より復元保存工事を始めた。

その時の中心となったのが寺下の町並みであり、江戸時代の宿場の面影を今に伝えている。

昭和51年9月に、妻籠宿は重要伝統建造物群保存地区として、他の六地区と共に全国で初めての選定を受けた。

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寺下地区を通る中山道
妻籠の代表的景観として写真等に使われる場所である。

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町並みの説明

電柱は移設され派手な広告類も一切なく、多くの建物には宿場らしい修景が施されている。

保存地区の面積も旧宿場にとどまらず自然景観地域まで含まれた1,245ヘクタール。

これ程、徹底した復元を行った場所はなく、これに続く保存地区の模範となった。

生活と保存を一体化させる運動を住民と行政、学者の三者一体で始めた事に妻籠宿の特徴がある。

妻籠の人々は町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」を中心とする住民憲章を作り、

ここで生活しながら江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えている。

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町並み近影

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同じく町並み近影

 上嵯峨屋は昭和44年の解体復元で18世紀の木賃宿であることが判明。建築当初の形式を留め庶民の旅籠宿としての

雰囲気を伺うことができる。

 下嵯峨屋は当初、長屋であったものの一戸を昭和43年に解体修理したもので、妻籠宿における庶民の住居を代表する

片土間に並列二間間取の形式を良く留めている。』 とあります。

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上嵯峨屋
18世紀中頃の木賃宿。

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上嵯峨屋の説明

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上嵯峨屋の内部

 妻籠宿を代表する場所としてパンフや写真集に良く使用されているのがこの場所。

遺跡として残すのも大変ですが、職業も限られた街から離れた場所で生活するのはそれ以上の努力が必要。

町並保存地区では、食事処・土産店が軒を連ねるというのが相場ですが、妻籠はそれ程でもありませんでした。

街道から眺めると宿屋と思しき家屋が多く建ちますが、今でも旅館・民宿として営業している店が19軒。

宿場の規模を思うとこれは非常に多いと言えます。

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これは辰巳屋

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昔の典型的な旅籠

 妻籠が木曽街道屈指の宿場として蘇ったのは、町役場職員・小林俊彦氏の存在が大きかったと言います。

宿場が衰退の一途を辿る八方塞がりの状況下では、交通網の整備・主産業の育成・企業誘致を図るというのが

普通のお役所的発想。それを氏は逆手に採って古い宿場を残す事で観光客を誘致するというアイデアを出しました。

丁度高度経済成長期に国鉄のディスカバージャパンキャンペーンが重なり、妻籠は年間百万人が訪れる事に…。

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土産店・ささき

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今風な展示をしている店も

 先例を重視する役所でこのような逆転の発想を出した事が成功の秘訣ですが、今にして思えばコロンブスの卵。

最近、「4Kでよみがえるあの番組」で昭和44年放送「新日本紀行」で「中仙道妻籠宿」が取り上げられていましたが、

そこには町の観光係長として40歳の小林氏が登場しています。そして50年後の2019年の妻籠の現在では、

90歳の氏が矍鑠として「妻籠を愛する会」の一員として尽力されている姿がありました。

 このような功労者でありながら氏は記録にも登場することは殆どなし。妻籠の現在の姿を見るに付け、

古き良き時代の公僕とはかくあるべきという思いが脳裏から去りませんでした。

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寺下地区遠景

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高台より見た寺下地区の家並み

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妻籠宿 中町 (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その弐>

2021.11.19(22:29) 994

妻籠宿本陣と脇本陣奥谷(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣

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妻籠宿 (中山道第四十二番宿)
街道沿いに建つ脇本陣奥谷。

 高札場からスタートした宿場巡りは徒歩5分程で中央付近ですが、中山道を挟んで東西に並ぶのが本陣と脇本陣。

『戦国時代にあった妻籠城は、小牧・長久手の戦いで木曽義昌の家臣山村良勝が徳川軍を撃退した場所。

この時に籠城した中に島崎・林・勝野・鮎沢の諸氏があったが、島崎氏は妻籠宿問屋・本陣、林氏は問屋・脇本陣、

勝野氏は三留野村庄屋、鮎沢氏は三留野村本陣・田立村代官と子孫はいずれも有力者になっている。

尚、妻籠城は元和2年(1616年)に破却となった。

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下町付近から本陣方面へ向かう
左は土産店「いさばや」。

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脇本陣奥谷(おくや)付近の町並み
左手には御菓子処「満寿庵」が。

 妻籠宿本陣は島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣と庄屋を兼ね務めた。

島崎藤村の母の生家であり最後の当主は藤村の実兄の広介、馬籠から伯父の家へ養子に来た。

 本陣は明治になって取り壊され、御料局妻籠出張所が建設されたが後に町に払い下げ。

それを機に島崎家所蔵の江戸後期の絵図を元に平成7年に本陣として復元された。

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妻籠宿本陣前にて
左は人馬会所。

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人馬会所(問屋場)

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人馬会所説明

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会所の想像図

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会所の奥行

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本陣入口

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門の彼方に見える本陣

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本陣の内へ
何故かこの日は無料で拝観できた。

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本陣建家
但し、内部は拝観できず。

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本陣の構え

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本陣内部の様子

 脇本陣は林家が庄屋・問屋を務めた家。現在の建物は明治10年に建て替えたもので、それまでは禁制であった桧を

ふんだんに使い、城郭を模して造られた。明治13年6月28日には巡幸中の明治天皇が小休止されている。

主屋を公開し、裏の土蔵を資料館として脇本地の屋号を付けて奥谷(おくや)郷土館として昭和42年に開館した。

その優れた建築技術が評価され、平成13年には国の重要文化財に指定された。

またこの家には島崎藤村の生家の隣家の大黒屋から嫁いできた、おゆふさんの婚家。

藤村が「まだあげそめし前髪の」と歌った初恋の人と言われる。』 とあります。

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重要文化財・林家住宅(脇本陣奥谷)

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脇本陣前に建つ明治天皇小休所碑

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小休所の説明板

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脇本陣近影
内部は有料拝観できるが、この日はスルー。

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脇本陣付近の町並み
右手の家屋には袖卯建が見える。

 藤村といえば、すぐに馬籠の生まれと思い浮かびますが、隣宿の妻籠にも所縁がありました。本陣の島崎家は

藤村の祖先かと思いましたが、藤村の生家は馬籠城を守った島崎監物の子孫で代官と呼ばれていたとか。

一族で各地に分かれて木曽氏に仕えていたようですが、浪漫主義で知られる藤村の祖先が江戸の【夜明け前】に

籠城したというのも歴史の面白みです。

もし写実主義ならば、「小諸なる古城のほとり」ならぬ「馬籠なる古城に籠り」となった筈ですが、そうならなかったのは

城が【破戒】されたからでしょうか?

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柏屋近影
かつての旅館か?

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本陣付近の中山道遠望

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桝形を通り寺下地区へ
左の阪本屋は現役の宿屋とある。

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妻籠宿 下町 (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その壱>

2021.11.18(20:33) 993

妻籠バス停から高札場へ(2021.9.5)

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【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR中津川(10:39)

中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場

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妻籠宿 (中山道第四十二番宿)
これはJR南木曽駅前のバス乗り場。

 南木曽駅前からバスに揺られる事7分で妻籠入口。中山道きっての宿場町として知られますが、南木曽駅からは3.8㎞。

しかも駅からのバスの便が非常に少なく決して行き易い場所とは言えません。バスに乗車したのも私を含め3人、

妻籠へ向かう人は自家用車かハイキングがメインなのでしょう。

宿場へは車の乗り入れができず、256号線沿いのバス停から細道を上って街道へ。

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バス乗り場に建つ中山道の道標

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妻籠宿には、この御岳バスに乗車

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256号線沿いの妻籠バス停(町営第一駐車場)

305-6-5.jpg
妻籠バス停からこのような細道を抜けて宿場へ

 妻籠宿は、

『中山道から伊那へ通ずる道の分岐点、木曽氏が東美濃へ進出する時の拠点の一つになった。天正12年(1584年)の

小牧・長久手の戦いの際にも、木曽義昌は家臣の山村甚兵衛良勝にここを守らせ、家康配下の飯田の菅沼定利、

高遠の保科正直らを奇策を以て退けている。

慶長6年(1601年)には中山道四十二番目の宿場として整備され、二人の問屋も任命された。度々火災に遭ったが、

天保14年1843年の記録には人口418人、家数83軒、本陣・脇本陣が各1、旅籠屋が31軒あり賑わいを見せたとある。

305-6-6.jpg
宿場入口にある妻籠宿案内板

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妻籠宿案内図

しかし慶応4年(1868年)2月の大火で宿場の中心部は殆ど焼失。明治25年には馬籠峠を迂回して新道(国道19号線)が開通、

更に明治42年には名古屋・三留野間に鉄道が敷設され、2年後には中央西線の全通を見た。

これに拠り三留野駅がこの辺りの交通の起点となり、妻籠は交通の要衝としての機能を消失。宿場は衰頽の一途を辿るが、

昭和43年から始まった街並み保存事業に拠って江戸時代の面影が蘇った。昭和51年(1976年)には国の重要伝統的建造物

群保存地区に選定され、今に至るまで中山道を代表する宿場としての地位を保っている。』 とあります。

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この道の先が妻籠宿下町地区

 先ずは、坂を上がって右手にある観光案内所でパンフレットを入手。南木曽駅にも案内所がありますが

種類はやはりこちらが豊富。もう一つの目的のMHCも入手しましたが木曽路カードも併せてゲット。

柿其(かきぞれ)渓谷の美しい写真ですが、木曽路では名所毎にカードを発行して観光客誘致を【きそ】っているようです。

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下町付近の中山道で北方面を望む
看板が下がっているのは食事処。

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妻籠宿の北側からJR方面へと向かう道
右は茶房画廊「康」。

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木曽路カードと南木曽町マンホールカード
配布はいずれも妻籠宿観光案内所

 案内所のすぐ脇が妻籠郵便局。妻籠で唯一の郵便局ですが、町並みの景観に合う様に出梁形式で復元され

郵便資料館も併設しています。ポストも明治6年開局に合わせた黒色、加えてここでは郵便屋さんも当時の笠に

法被姿で集配に携わっているそうですが、この日は日曜。局も郵便屋さんも見られませんでした。

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妻籠郵便局

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郵便制度が始まった頃の、黒ポストの復元
いまもポストとして立派に現役である。

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郵便局と郵便史料館の説明

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妻籠郵便局 ; 旧中山道妻籠宿の町並、木曽御岳

 パンフを片手に宿場の北の入口へ。

ここは戦国時代から17世紀半ばまで口留番所という関所があり旅人を監視していたそうですが今はなし。

同時に幕府の「官報掲示板」である高札場もあったようですが、こちらは復元されて健在。

名前のように高い場所にありますが、お上が庶民に対する上から目線は今も昔も変わらんようです。

尤も、庶民もいちいちすべてに目を通したかそうかは分かりませんが…。

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宿場の北にある高札場と水車小屋

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高札場近影

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高札場から中山道の南方面を望む

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宿場の最も北側

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三留野宿 (長野県木曽郡南木曽町読書)

2021.11.16(20:24) 992

三留野から妻籠へ(2021.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR中津川(10:39)

中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47)

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三留野宿(中山道第四十一番宿)

 中津川で宿場散策をした後、数少ない12時の電車で南木曽駅へ。

ここからはこの日の目的地妻籠宿へ向かいますが、駅周辺には三留野(みどの)宿があるようなのでバス待ちの間に散策。

駅前の道を木曽川に沿って歩きましたが、それらしきものはなし。後で駅の観光案内所で確認すると、中山道は線路の

東側で三留野宿は更に北側でした。

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宿場の雰囲気を出したJR南木曽駅舎
停車しているのは観光タクシー。

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JR南木曽駅スタンプ
(上) 国鉄時代のわたしの旅印  (下)JR東海名古屋支社印

 三留野の地名については、

・木曽氏が飛騨路の敵を防ぐため西方の田立山に砦を構え、館をこの地に築いて一族を置いたので御殿(みとの)と言った。

・古代に木曽開道の時に、ここに宿舎を建て国司官吏の休息の殿とした。

・文明年中に木曽家豊がその官舎の跡地に館を建て、嫡子家範を居らせ御殿と号した。

・古く小木曽庄の内にあった水野保(みずのほ)が転じた。

と様々な説があるようですが、明治7年に与川村・三留野村・柿其(かきぞれ)村が合併。

それぞれの頭文字をとって読書(よみかき)村となり、同年に蘭(あららぎ)村と妻籠村が合併して吾妻村に。

更に昭和36年には読書村・吾妻村・田立村が合併して南木曽(なぎそ)村になって三留野は子字で残るのみになりました。

平成の大合併を持ち出すまでもなく、合併に拠って由緒ある地名が消滅する例は多いですが、木曽地域の行政区は

どんどん軽くなっている感があり、歴史好きとしては【なきそ】うになります。

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線路西側を走る道
ここが中山道と勘違いしていた。

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南木曽郵便局 ; 柿其渓谷、明治中期の服装をした妻籠宿の郵便配達員

 さて木曽路の中山道は、木曽川に沿って並びますが、三留野から落合までの妻籠馬籠の二宿は川と中央線からも

離れた山越えルートを採ります。具体的には、

南木曽駅(標高410m) → 妻籠宿(420m) → 馬籠峠(801m) → 馬籠宿(620m) → 落合宿(330m) と言った具合。

山中に広い盆地があるわけでなく、なぜわざわざ峠を越えるルートを採ったのか。

 ところが歩いていると木曽川に注ぐ川があり、そこに架かる橋に「蛇抜(じゃぬけ)」の名が。

蛇抜とは、木曽地方では土石流の事で、直前に蛇のような匂いがする所の命名だそう。

このような命名があるのは土石流が頻繁に起こったからではないかと想像しました。

 木曽川沿いのルートを避けてまで、面倒な山越えを選んだのにも納得。

明治の鉄道は馬籠妻籠ルートではなく木曽川沿いに敷設されましたが、大雨などで不通になることもしばしば。

そう思うと、先達の先見の明に改めて感心せざるを得ませんでした。

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木曽川に注ぐ川に架かる蛇抜橋

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木曽川に架かる桃介橋
電力王・福沢桃介が水力発電の為に架けた全長247mの吊り橋。近代化遺産として国の重要文化財。

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木曽川沿いの天白公園

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JR南木曽駅付近からの桃介橋遠望

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岩出観音堂 (長野県木曽郡大桑村須原)<定勝寺 その参>

2021.09.24(19:02) 962

県外からも参拝者が来る懸崖造りの御堂(2021.7.23)

<コース>
【往路】JR糸魚川(6:00) → JR南小谷(7:20→7:27) → JR豊科(9:11)

JR豊科 → 徒歩7分 → 法蔵寺 → JR豊科(10:15) → JR松本(10:35→10:40) → JR岡谷(11:13→12:26) → JR塩尻(12:36→13:08) → JR須原(14:22) → 徒歩5分 → 須原宿 → 徒歩5分 → 定勝寺 → 徒歩15分 → 岩井観音 → 徒歩25分 → JR大桑

【復路】JR大桑(16:17) → 中津川(16:51→16:55) → JR名古屋(18:17→18:30) → JR米原(19:39→19:54) → JR大阪(21:17)

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岩出観音堂(臨済宗妙心寺派 定勝寺別地境内)

 定勝寺参拝後は中山道を通り次の宿場の野尻宿というよりもJR大桑駅に向かいます。暫く進むと平地も狭くなり、

木曽川・旧中山道・JR中央本線・国道19号が平行に走ります。

水運・徒歩・鉄道と移動手段は変わっても交通の要衝であることには変わりはありません。

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旧中山道からの眺め
右に向かってJR中央本線、国道19号、木曽川。

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中山道から見た木曽川
中流なので、大きく丸い石が多い。

 寺から西へ1㎞程進むと橋場地区、木曽三大橋の一つ伊奈川橋の番をするために置かれたのが橋場集落の始まりと

言われます。この山腹の岸壁に清水寺を小さくしたような懸崖(けんがい)造りの御堂が岩出観音堂。

『岩出観音は農耕馬として生活に欠かせなかった木曽馬を守護する馬頭観音を祀る。

今から300程前、須原に馬の沓を作り商う一老父がいた。或る日、威厳に満ちた馬上の侍が馬の沓を求めたが、生憎

片方分しかなかった。老父はその旨を伝え、不足分を急いで作り侍を追いかけて渡した。

その場所は今の橋場付近であったと伝わる。

侍は喜び代金を渡そうとしたが、その尊容に打たれた老父は代金を辞退。そこで侍は傍らにあった木に「馬頭観世音」

と書き、「これを祀れば必ずや御利益があるであろう。」と言って立ち去ったと言う。

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観音堂遠望
橋場地区に入ると中山道は左に曲がるが、そこにある中部北陸遊歩道案内板付近から。

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道路から懸崖造りを見上げる

 老父はそれを家に持ち帰り神棚に祀った所、光明を放ったので、恐れおののき橋場の岩出山の岩間に祀った所、

一層の光明を放つようになった。

これが忽ち近郷の評判を呼び、来拝する者が引きも切らなかったので、この木片に観世音菩薩と刻み、京都まで

出向いて妙心寺の名僧・愚堂国師の開眼を受け、この地に堂宇を建て奉安したものである。

別名、伊奈川観音、橋場観音と呼ぶ他、コツパ観音と言うのはこの由緒に由来する。

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懸崖造りの上に建つ御堂

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御堂へと続く細い石段

 木曽日義の岩華観音、開田高原の丸山観音と共に木曽三大観音の一つとして信仰を集めた。堂内には

木曽代官山村家の絵師・池井祐川の絵馬を始め、多くの美しい絵馬が奉納されており、中でも「木曽式伐木運材法」や

「刈手(干し草刈り)」の情景を描いたものは当時の庶民生活を今に伝える貴重な資料となっている。

懸崖宝形造りの堂は江戸時代に一度焼失し、文化10年(1813年)に再建された。舞台の上の堂宇は端麗な美しさであり、

『木曽街道六十九次』の英泉画「伊奈川橋遠景」にも描かれた名勝である。』 とあります。

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石段を抜け御堂に向かう

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観音堂近影
御堂の周囲は狭いので、撮影場所に一苦労。

 成程、街道からは一望でき名勝であると同時に旅人が安全を祈願したのも当然と言えそうです。唯、場所が狭いので

お堂まで上らず、麓から拝んで去った人も多かったでしょう。私はお堂まで上りましたが、足元も狭いのであまりお勧めできません。

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岩出観音説明板

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観音堂の舞台からの眺め
中央付近に白く見えるのが浮世絵に登場する伊奈川橋で、目指すJR大桑駅は正面の山の更に向こう側。

 この後は只管歩き、町役場で所用を済ませた後、大桑駅へ到着。電車の時間には30分以上ありましたが、

駅について暫くすると雷鳴と共に車軸を流すような驟雨が…。あと10分遅かったら濡れ鼠になる所だったので、

まさに【おーこわ!】。これも岩出観音様の御利益さんかと思った次第です。

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伊奈川橋から

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大桑村マンホールカード  配布場所は大桑村役場

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今は無人化されたJR大桑駅のかつての駅スタンプ
平成5年押印。

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定勝寺 鶴亀蓬莱庭園(長野県木曽郡大桑村須原)<定勝寺 その弐>

2021.09.22(20:15) 961

桃山建造物と調和した平成の庭園(2021.7.23)

<コース>
【往路】JR糸魚川(6:00) → JR南小谷(7:20→7:27) → JR豊科(9:11)

JR豊科 → 徒歩7分 → 法蔵寺 → JR豊科(10:15) → JR松本(10:35→10:40) → JR岡谷(11:13→12:26) → JR塩尻(12:36→13:08) → JR須原(14:22) → 徒歩5分 → 須原宿 → 徒歩5分 → 定勝寺

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浄戒山 定勝禅寺(臨済宗妙心寺派)
蓬莱庭園遠景

 定勝寺の本堂、庫裏、山門はいずれも桃山時代の建造物として国の重要文化財に指定されていますが、その庫裏の

前に広がるのが鶴亀蓬莱庭園。

『鶴亀蓬莱庭園は、平成5年(1993年)の造園。右奥には三尊石を中心とした枯滝石組を造り、下の石砂は海を表現している。

全体のイメージは桃山時代末期から江戸時代初期に見られる庭の様式を取入れている。

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庫裏(左奥)の前に広がる庭園

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庭園は樹木の向こう側に

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庫裏の前から参道と庭園(左)を見る

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山門前からの庭園の眺望

 枯滝中央の小さな五石は鯉魚石と呼び鯉が滝を上って昇天する様を表したもの。岬型灯篭や石橋を架けるあたりに

桂離宮など京都の雰囲気を出している。

 左奥にあるのが亀島で、前ヒレを水面より持ち上げて滝に向かって勢いよく泳ぐ姿を表現したもので中心石を据えて

蓬莱島の意味を出している。

手前から点々と一直線上に据えられた石は夜泊石(よどまりいし)と言い、蓬莱島の宝物・不老不死の薬を取りに行く舟を

表したもの。左手前の鶴島は蓬莱島の意味を持つような折鶴をイメージして造ったものである。』 とあります。

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これが枯滝か?

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左奥の亀島

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折鶴を象った鶴島

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岬型灯篭や石橋で桂離宮の雰囲気を出している

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鶴島の向こうに亀島が見える

 桃山時代の建物に対するのは平成の庭園と400年の差を感じさせない所がポイント。重文の建物に対して新たな作庭を

することには賛否両論があったと想像できますが、これだけ違和感なく調和しているのを見ると結果【ホーライ】と言える

でしょうか?

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庭園の奥は高台に続く

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庭園脇から鐘楼へ

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高台に建つ鐘楼

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鐘楼から庫裏を望む

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定勝寺 重文の本堂・庫裏(長野県木曽郡大桑村須原)<定勝寺 その壱>

2021.09.20(19:44) 960

木曽三大寺の最古刹(2021.7.23)

<コース>
【往路】JR糸魚川(6:00) → JR南小谷(7:20→7:27) → JR豊科(9:11)

JR豊科 → 徒歩7分 → 法蔵寺 → JR豊科(10:15) → JR松本(10:35→10:40) → JR岡谷(11:13→12:26) → JR塩尻(12:36→13:08) → JR須原(14:22) → 徒歩5分 → 須原宿 → 徒歩5分 → 定勝寺

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浄戒山 定勝禅寺(臨済宗妙心寺派)

 須原宿の西の桝形を曲がらず、真っ直ぐ進むと寺小路。その左手に建つのが定勝寺。

浄戒山定勝禅寺(じょうかいざんじょうしょうぜんじ)は、

『嘉慶年間(1387~1388年)に木曽家第11代右京太夫源親豊が祖先菩提の為、木曽川辺に開創、初屋(すうおく)和尚を

開山とした。

 その後、文安5年(1448年)の木曽川洪水で流出、第14代右京太夫家賢(いえかた)が再建、香林(こうりん)和尚を以て

中興開山とした。しかし文禄4年(1596年)8月の洪水で再度流損。慶長3年(1598年)犬山城主石川備前守兵蔵光吉が

木曽義在(よしあり)の屋形跡である当地に移築したのが現在の諸堂宇である。

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寺小路に面し定勝寺入口がある

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境内は木曽氏屋形跡の石垣の上に建つ

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入口の脇には湧き水を湛えた水舟が…。

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山号寺号石碑

 寺の敷地は木曽氏の館跡で、裏の愛宕山には城の構えを示す空堀や郭跡がある。木曽氏は義仲六代の孫・家村が

足利尊氏から木曽の地を与えられてから須原城に住したが、家村の子は高遠・安食野・馬場・贄川の諸家を興し、

木曽氏は家村の弟に当たる家道が継いだ。親豊は家道の曽孫であるが、その子信道は福島に興禅寺を、孫の豊方は

福島の長福寺を建立。これを木曽三寺と呼ぶ。

 豊方の曽孫義元が飛騨国司に殺された後、子の義在が継ぎ、天文2年1533年福島への新道を開いた。それまで

福島と須原は木曽氏の両拠点となっていたが、義在の子義康が福島に移ってから須原は廃城となった。

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石段を上り境内へ
左手に「明治天皇行在所」の碑が建つ。

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山門近影
桃山時代の築で重要文化財となっている。

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境内側から見た山門
大きくはないが時代を感じる外観である。

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山門からの境内の眺望
左奥が庫裏。

 本堂、庫裏、山門は桃山時代の建造物として建立時の豪壮な様式を留め、山門の棟板、玄関渡廊下を附けたりとして、

昭和27年(1952年)に国の重要文化財に指定されている。

他にも長野県宝になった木曽義元の画像や歴代和尚の頂相等の絵画もあり、古文書も多く所蔵している。

また金永という人物が、蕎麦切りを振舞ったという我が国最古の記録が残ることでも知られる。

 本堂は六の本堂と言い、間口九間、奥行六間、いずれも京間の禅宗建築。地方寺院としては大規模な入母屋造、

正面と左右の板敷は鶯張りである。入側天井は鏡天井、蝦虹梁の曲線は直線的な堂内の対照的で手法上の意図が

伺える。内部の竹節欄間、吹き寄せ菱欄間、三部屋通し竿の平天井、正面の桟唐戸の透かし彫り等、簡素でしかも

豪壮であるのが特徴である。

299-4-23.jpg
山門の左手にある本堂
手前の閉じた門は御成門か?

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境内から本堂遠景

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本堂と書院の間にある唐破風玄関

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重要文化財・本堂
本尊の釈迦如来は外陣から参拝。

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本堂前の庭

 庫裏は間口17.7m、奥行21.8mの切妻造妻入銅版葺の堂々たる構えで、入口の扉は武家屋敷風の大扉である。

この庫裏は全体として出城とでも言うべきもので、二階の一画が頑丈な踏み天井になっており、武者隠しの用をなしていた

と言われる。

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重要文化財・庫裏

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切妻造りが特徴の庫裏

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庫裏の内部

 庫裏に続く書院の欄間も簡素な中に美しさを持ったもので、千羽鶴の壁画は創建当時のものと推定される。

明治13年(1880年)6月27日、中山道御巡行の明治天皇は当初で御昼宴を召されたことから明治天皇須原行在所となっている。

御休憩は2時間30秒で、次の間には三条実美、伊藤博文、松方正義の明治の元勲が控えていたと記録にある。』 とあります。

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庫裏に続く書院

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書院の欄間彫刻

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明治天皇が休憩された書院

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創建時からの千羽鶴の壁画

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書院から見た中庭

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書院廊下と中庭

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廊下と中庭

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中庭全景

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中庭越しに見える本堂

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書院に続く本堂

 木曽地方は川沿いの僅かな土地に人家が集中した場所。ここもその例に漏れませんが、山に張り付いた寺院ではなく、

京都市内に見られるような平地に建つ巨刹の印象でした。これは恐らく重文となった本堂と庫裏がそのようなイメージを

与えるのでしょう。

普通は本堂の方が立派に見えますが、ここでは庫裏の方が優勢。やはり木曽では【くり】がメインになるのでしょうか?

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定勝寺略縁起

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定勝寺御朱印
これは御本尊で、もう一つ木曽七福神布袋尊霊場の御朱印もある。

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須原宿 (長野県木曽郡大桑村須原)

2021.09.19(21:35) 959

清水と水舟が迎える木曽谷の宿場(2021.7.23)

<コース>
【往路】JR糸魚川(6:00) → JR南小谷(7:20→7:27) → JR豊科(9:11)

JR豊科 → 徒歩7分 → 法蔵寺 → JR豊科(10:15) → JR松本(10:35→10:40) → JR岡谷(11:13→12:26) → JR塩尻(12:36→13:08) → JR須原(14:22) → 徒歩5分 → 須原宿

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須原宿(中山道第三十九宿)

 諏訪湖付近を列車で回った後は丁度昼時。「うなぎの町」として有名な岡谷市ですが、乗換えの都合で泣く泣く塩尻に戻り

中央西線で名古屋まで向かう事に。鰻のようにニョロッと逃げられてしまいましたが、塩尻駅には以前にもお世話になった

蕎麦店の桔梗が健在。30分の待ち時間で昼食を済ますことができました。

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JR塩尻駅構内の桔梗にて「とろろそば」を

 木曽川に沿った線路は旧中山道に沿った道でもあります。塩尻を過ぎて最初の宿場贄川から中津川までが所謂木曽路。

駅名の改称が進む昨今、旧中山道の宿場名を残した駅は貴重な存在ですが、如何せん日中の電車の本数が少ないのが

致命的。

ほとんどの駅が普通した停車せず、2~3時間待ちはざら。前もって拝観と電車の時間の配分を決めておかないといけません。

 この日はJR須原駅で下車して宿場・名刹を見た後、徒歩で次の野尻宿のあるJR大桑駅まで。電車間隔が2時間と程よい

時間でもあったのが幸運でした。

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JR中央本線須原駅舎
無人駅である。

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駅前の道路を大桑方面へ
この先で旧中山道に合流する。

 中山道須原宿は、

『戦国時代には宿場が成立していたが、場所は現在地より低い木曽川の川岸にあった。

正徳5年1715年の洪水で流出したため高台の富岡と呼ばれた現在地に移転。享保2年1717年に完了している。

新しい設計で造られた宿場で町幅五間。中央に用水路を通し、宿場の両端は桝形に曲げている他、中央付近で往還を

くの字型に曲げている。裏山から引いた豊富な湧き水で七ヵ所の水場を設け、十数軒ずつの共同井戸とした。

清水が湧く宿場町として軒先には丸太を刳り抜いた水舟が置かれ、野菜や果物を浮かべる情緒豊かな光景を今に伝える。

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合流地点にある武家屋敷のような立派な門構えの家
この前が旧中山道に当たる。

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上町下付近の清水
飲用できるので暑い時には重宝される。

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本町にある本陣跡
木村平左衛門とある。

 中心部は本町付近で、左手に本陣の木村氏、右に脇本陣の西尾氏があり、問屋と庄屋を兼ねていた。

天保14年(1843年)には宿場内人別は740人、家数は104軒、旅籠屋は24軒あったという。

この辺りは耕地が少なく宿場の諸業務に加え、木材の伐り出しや運材に従事する者が多かった。ここには梅・桃・桜などの

花漬を売る大和屋という店があり、幸田露伴の『風流仏』にも登場する。元は本町右手にあったが、大正期に須原駅前に

移転した。』 とあります。

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脇本陣西尾家は今も健在
醸造業をされている模様。

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脇本陣西尾家沿革

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須原宿石碑と水舟
水舟は木曽五木の一つ、サワラで造られている。

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正岡子規の歌碑

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日本名勝写生紀行の一節

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島崎藤村『ある女の生涯』の舞台となった清水医院跡

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中町付近の町並み

 無人のJR須原駅で下車して木曽川沿いに下りますが、初めての訪問なのに既視感が…。以前に大桑駅から野尻駅まで

中山道を歩いた時の記憶ですが、いずれも木曽川沿いの狭い平地にある宿場なので、似た外観になるのでしょう。

 戦国期には既にあったように木曽谷では最も早くから栄えた宿場町。理由は勿論、豊富な湧き水にあったと思われますが、

そんな由緒ある宿場も木曽川の洪水で移転。【一転】して木曾で一番新しくなったのは皮肉。

宿場の盛衰は【水物】と言うことでしょうね。

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茶屋町付近の家屋

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同じく茶屋町付近

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茶屋町付近から須原駅方面を見た所

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民宿すはらと家の前に置かれた水舟
今でも宿泊できるならば【すはら】しい!

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古い立派な造りの「かしわや」
西の桝形付近にある。

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法蔵寺 庭園(長野県安曇野市豊科新田)<法蔵寺 その弐>

2021.09.18(20:41) 958

庫裏から内庭を内偵?(2021.7.23)

<コース>
【往路】JR糸魚川(6:00) → JR南小谷(7:20→7:27) → JR豊科(9:11)

JR豊科 → 徒歩7分 → 法蔵寺

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周岳山 信楽院 法蔵寺(浄土宗知恩院末寺)

 寺務所で御朱印を拝受した後、パンフも頂きましたが、中には庭園の写真が掲載。

和辻:「こちらの庭園は拝観していないのですね。」

夫人:「拝観はしていませんが、宜しければ御覧下さい。」

と思わぬ庭園拝観。併せて本堂の御本尊も内陣から参拝できました。

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本堂とそれに続く本玄関

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本玄関と庫裏の大玄関

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玄関先の仏足石
何故か亀が背負っている。

 枯山水風の庭を想像していましたが池泉回遊式の立派なもの。有料拝観では割合にありますが、拝観していない

池泉回遊式は記憶に残る限りありません。

勿体ない気もしましたが、地元の檀家の方が法要を行う際には、庭を鑑賞できるそうなので、地元密着型な寺院でした。

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本堂へ続く廊下から見た庭園
奥に見えるのは書院。

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同じく廊下からの眺め

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池に架かる石橋

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池の向こうにある水車

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池の畔にある葉の大きなものは水芭蕉

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法蔵寺冊子 ¥800

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法蔵寺説明書 
こちらは無料のもの。

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法蔵寺御朱印
これは墨書を印刷したもの。日付のみ手書き。

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法蔵寺(長野県安曇野市豊科新田)<法蔵寺 その壱>

2021.09.17(22:06) 957

安曇野の念佛道場(2021.7.23)

<コース>
【往路】JR糸魚川(6:00) → JR南小谷(7:20→7:27) → JR豊科(9:11)

JR豊科 → 徒歩7分 → 法蔵寺

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周岳山 信楽院 法蔵寺(浄土宗知恩院末寺)

 二日目は糸魚川から大糸線で長野県へ。真宗の国から信州の国への移動ですが、糸魚川~南小谷間は非電化区間。

しかも列車が1日5本と、ここで遅れると後が大変なので気合を入れて6時の始発乗車。もうすこし何とかならんのかと

思いますが、この区間はJR西日本管内で南小谷以南のJR東日本管内とは政治的?にも不連続。今後も本数が増える

可能性は低そうです。

 南小谷で乗り継いで安曇野市の中心地、豊科駅に着いたのが9時過ぎ。道祖神で有名ですが、どちらかと言うと

西洋的な雰囲気を持った町。駅舎もそうですが、目的の市役所もホテルに似た外見でした。

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JR豊科駅舎
大糸線はこのようなメルヘンチックな駅が【おおいと】ころ。

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リゾートホテル風の安曇野市役所

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安曇野市マンホールカード
市役所にて配布。

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しかしマンホール蓋は何故かこのデザイン

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豊科郵便局 ; 常念岳、道祖神、神代文学碑

市役所でカードを貰い、郵便局窓口で押印した後は駅に戻るだけですが、ふと横を見ると、安曇野の念佛道場の垂れ幕が。

予定には全く入っていませんでしたが、見ると木々に囲まれた古刹の雰囲気。急遽予定を変更して巡礼することに。

北側にある垂れ幕の門から入りましたが、正式な山門は西側。改めて西から境内へお参りしました。

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市役所側(北側)から見た法蔵寺入口

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正式には西側にある山門から入山するのが習わし

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山門の説明

 周岳山信楽院法蔵寺(しゅうがくざんしんぎょういんほうぞうじ)は、

『今から800年前、松本市平瀬養老坂に天台宗法性寺として草創されたと伝わる。その後、時代は下って永正3年(1506年)、

吉野区梶海渡(安曇野市豊科)に創建。開山は承蓮社傳誉上人で京都の人と伝わる。

 次いで慶長13年(1608年)松本城主石川光長が新田成相の宿場建設に際し、群奉行青山出羽、丸山丹後守、岡村小兵衛、

吉野村の地侍に命じて吉野区梶海渡から現在地に移転。その時の常連社然誉上人が中興開山となっている。

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山門にある欅の白木の彫刻群

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山門から鐘楼門へと続く参道

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鐘楼門遠景

 明治4年、松本藩の廃仏毀釈の為、本堂・庫裏が破壊された。その後、再三復興を計画するが中々実現せず、漸く

昭和25年(1950年)より9ヵ年を経て本堂が落慶した。

 廃仏毀釈以前の建造物としては、寛政元年(1789年)建立の山門と楼門が今に残る。第21世性達大和尚の時で、

上諏訪の大工棟梁伊藤(柴宮)長左衛門矩重の手になる。矩重は江戸時代後期に現れた非常に個性的な工匠であり

「近在に比肩する者なし」と讃えられた。諏訪大社下社春宮幣拝殿を始め、我が国の社寺建築に名作を残している。

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鐘楼門の阿吽の仁王像と錫杖
奥に見えるのが本堂。

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法蔵寺縁起

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鐘楼門脇にある成新学校跡

 山門は銅版葺きの唐風造りの薬医門で正面に相応しい重厚な造りである。この門の最大の特徴は各所に欅の白木の

彫刻で、唐獅子・龍・鳳凰・松・牡丹・梅・雲などが躍動感を持ち見事なまでの調和をしている。

 楼門は二重屋根で、下には阿吽の仁王像、階上には梵鐘が吊るされ、今でも毎昼夕2回安曇野に時を告げる鐘音が

響き渡る。庫裏は徳川時代中期の建物で、間口9間、奥行き11間の信州特有の本棟造りで、正面は白壁蔵造りの重厚な

木造建築である。』 とあります。

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本堂側から見た鐘楼門

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参道の先に建つ本堂

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本堂前の礼拝石?

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本堂の「法蔵寺」扁額と飛天彫刻

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扁額を支える二匹の龍の彫刻

 成程、山門から楼門へ至る参道は古刹の雰囲気十分。唯、それらに比べると本堂が新しい印象でした。

寺務所で対応下さった住職夫人の話では、

夫人:「松本は廃仏毀釈が非常にきつかったので、多くのものが破却されました。」 の事。

善光寺を有する信州は、木曽・伊那・上田・飯山それぞれに名刹がありますが、松本近辺だけは寺院は思いつきません。

こんな経緯があったのかと改めて思った次第です。それにしても県では日本三位の面積を誇る長野だけの事はありますね。

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本堂からの眺望

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本堂前から見た鐘楼門

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境内から見た鐘楼門
晴天の日には後方に北アルプス常念岳が見えるが…。

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徳川時代後期建築の観音堂

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旧制松本高等学校(長野県松本市)

2020.04.27(14:34) 599

教育県信州の学校巡礼(2018.4.2)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → → JR松本(10:16)

【復路】JR松本駅(16:33) → JR大月(19:47→19:54) → JR八王子(20:49) → JR新宿(21:28) →JR東京(21:43)

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旧制松本高等学校

 いつか一人で行く筈だった、春も本番な信濃路へ「あずさ2号」ならぬ在来線乗り継ぎで。

朝5時台出発とはいえ10時16分松本着。大阪からだと新幹線と

特急しなのを乗り継いでも9時半くらいですから、信州は関東圏だと実感します。

 長野県と言えば教育県として有名で、岩波書籍の年間売り上げが最も多いとテレビのクイズでありました。

岩波書店の創業者・岩波茂雄は諏訪出身ですが、

それを割り引いても教育熱心に変わりはありません。

私の出身大学の信州出身の某名誉教授は

「信州は江戸時代には農作物の収穫が低かったので、多くの親は子供に勉強させて知識を身に付けさせた。」

と述べています。

 松本の観光名所と言えば、国宝・松本城と重文・開智学校が先ず挙げられます。

後者は明治9年から昭和38年まで小学校として【校舎】が使われました。

しかし市内にはその他にも旧制松本高等学校と言うものが存在。

学校自体は知っていましたが、建物が残っているとは初耳。

しかも重文らしいので、駅から東にある校舎までサイクリング。

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途中にある中田家住宅

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中田家の説明

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中田家玄関

 『旧制松本高等学校は大正8年(1919年)に9番目の官制旧制高等学校として設立。

一高・二高のナンバースクールに続く地名スクールの最初に当たる。

 戦後の昭和24年に信州大学に移行、翌年に廃止となり実質は30年足らずであったが、

各界に著名人を輩出している。』 とあります。

 校舎が建つのは駅東方1400mの県地区。

設立時は旧制松本中学に間借りしていたそうですが、翌年にここに校舎が竣工。

曲がりなりにも旧制高等学校が中学に間借りするのはまずかったのでしょう。

 現在この辺りは「あがたの森公園」となっていますが、校舎は木造2階建てドイツ風建築。

薄緑色で周囲の樹木と相俟って信州らしさが出ていると感じました。

作家の辻邦夫・北杜夫の両氏も卒業生。特に北杜夫氏は東京出身ですから、

わざわざ信州まで入学したのは学校に惹かれるものがあったに違いありません。

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入口にて  入場無料

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本館

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講堂外観
1920年竣工の洋風建築。

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レンガ造りの記念館

 このような校舎で勉強できるとは羨ましいですが、旧制高等学校の競争率は10倍。

今の旧帝大系国立大学に比べると遥かに高いので、旧制高校生になるのは並大抵ではなかったようです。

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松本市マンホール蓋

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松本市マンホールカード   配布場所はこちら

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松本埋橋郵便局 ; 旧制松本高等学校本館、バンカラ学生、北アルプス
松本清水郵便局 ; 旧制松本高等学校本館、国宝・松本城天守遠望、北アルプス

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長國寺(長野県長野市) 真田家ゆかりの寺の御朱印

2019.09.21(21:29) 415

真田の生き残り戦略(2016.9.17)

<コース>
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR韮崎(8:29→8:37) → (スーパーあずさ1号) → JR塩尻(9:30)

塩尻駅 → 自動車 → 川中島古戦場跡・典厩寺 → 自動車 → 松代・長國寺 → 自動車 → 塩尻駅

【復路】JR塩尻(18:43) → (スーパーあずさ32号) → JR八王子(20:36→20:44) → JR東神奈川(21:39)

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真田山 長國寺(曹洞宗)

 川中島古戦場跡の後は城下町松代へ。

以前は長野電鉄河東線が1時間毎に運行していましたが今は廃線。

JR長野駅からのバスがメインになっていますが、廃線跡や秘境駅ブームがもう少し早ければ存続したのではと悔やまれます。

 松代は真田氏10万石の城下町。川中島合戦の折、武田方が海津城を築いたのが始まり。

大坂夏の陣の後の元和8年(1622年)、上田・沼田から加増され転封されました。

関ヶ原の戦い前夜、真田氏は親子兄弟で東西に分かれて家の存続を図ったのは有名です。

信之は徳川家への功績を認められて加増された訳ですが、徳川家としては二度にわたる上田合戦で

煮え湯を飲まされた真田に対する恐れがあったので、今までの居城の上田から引き離したのが実情でしょう。

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かつての長野電鉄松代駅  
現在は観光案内所となっている。

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旧松代駅   
ホームの壁が残る。

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かつての長野電鉄松代駅スタンプ
平成9年の押印。

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松代城跡(海津城)  
観光客がひっきりなしに来るので途切れた一瞬を撮影。

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松代城大手門

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松代城本丸跡からの眺め

 城の見学に続いて町の東にある真田氏の菩提寺に参拝。

真田山長國寺(しんでんさんちょうこくじ)は、寺伝では

『天文16年(1547年)、信濃の在位領主であった真田幸隆(信之の祖父)が、上野国長源寺から伝為晃運禅師を招き

真田町に建立した真田山長谷寺(しんでんさんちょうこくじ)が始まり。

その後、永禄7年(1564年)に松尾城外へ移転。信之の松代転封の際には共に移転し、寺号も長國寺と改めた。

以後、真田家の菩提寺となり二百石を拝領。信濃の曹洞宗寺院八百ヵ寺を統括する寺院となった』

とあります。

 寺院であると共に禅宗の修行道場でもあり七堂伽藍を擁する巨刹でしたが、度重なる火災で焼失、再建を繰り返します。

唯、藩主の御霊屋は離れた場所にあったため、焼失を免れ文化財として今に伝わります。

一門同様、建物も分散していたのが功を奏したと言える好例です。

 信之は転封の後、城下町の整備に努め今に残る街並みが残りました。

真田氏としても10万石の大藩とはいえ、常に徳川の顔色を伺うという微妙な位置でした。

江戸時代の松代藩で学問が栄えたのはそのような背景もあったのでしょう。

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明治19年(1866年)再建の長國寺本堂
屋根の六連銭と鯱が圧巻。屋根の勾配は雪を落とすためだとか。

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本堂扁額にある「真田山」の山号
山田真と読む人が居たとか!

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裏手にある真田信之(初代藩主)御霊屋
1660年建立で重要文化財。

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正面から見た御霊屋

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御霊屋正面の唐破風にある雌雄の鶴 
左甚五郎作と伝わる。左甚五郎も各地に足跡を残している。

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長國寺説明書

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長國寺御朱印

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旧松代藩鐘楼(電信発祥の地)

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真田家重臣矢沢家表門

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真田邸   
江戸末期に9代藩主幸教が母親の隠居所として建立。最近まで現当主の姉にあたる方が住まわれた。

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真田邸庭   
草の手入れが大変だという庶民的な発想しか浮かばないのが悲しい。

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文武学校  
閉館後だったので、外観撮影のみ。

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松代郵便局 ; 史跡・真田邸、馬印

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典厩寺(長野県長野市) 川中島古戦場跡にある寺の御朱印

2019.09.20(20:29) 414

川中島見ゆき(2016.9.17)

<コース>
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR韮崎(8:29→8:37) → (スーパーあずさ1号) → JR塩尻(9:30)

塩尻駅前 → 自動車 → 川中島古戦場跡 → 典厩寺 → 自動車 → 松代 → 自動車 → 塩尻駅前

【復路】JR塩尻(18:43) → (スーパーあずさ32号) → JR八王子(20:36→20:44) → JR東神奈川(21:39)

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川中島古戦場跡(八幡原史跡公園)にて
余りにも有名な場面な信玄VS謙信一騎打ちの像。但し、軍記物等の記載による。

 台風も近づく3連休の初日、幸い「遣らずの雨」もなく、JR東日本の週末2Dayチケットを使い中央線を一路西へ塩尻9:30着。

といっても今回は一人ではなく、信州在住の先輩と一緒。おまけに自家用車で案内して頂くという幸運に恵まれました。

先ずは、有名な川中島古戦場へ。

 軍記物や頼山陽の漢詩で夙に有名ですが、信濃制覇を目論む甲斐の武田信玄と、

それを阻止すべく越後の上杉謙信が5度にわたって激突した場所。

特に永禄4年(1561年)秋の戦いは総勢2万、死者8千人という激戦。

信玄と謙信の一騎打ちもこの時の話ですが、軍記物の描写だけで史実かどうかは定かでないようです。

 結果的にどちらが勝者かですが、圧勝という事はなく信濃の覇権を手放さなかった信玄の辛勝と言ったところでしょう。

戦場は千曲川と犀川に挟まれた三角形の場所。川中島という名はこれに由来。

戦場になるくらいですから、どれだけ田舎かと思っていましたが平成の合併前から長野市内でした。

今は八幡原史跡公園として整備され市民の憩いの場所となっています。

 公園には博物館や一騎打ちの像もありますが、意外にも佐久間象山の像も。

信州出身で幕末の思想家、坂本龍馬や小林寅三郎の師で、暗殺に斃れた位の知識しかありませんでしたが、

先輩の話では、信州では小学校から佐久間象山に関しては小学校から詳細に教えるそうで、知名度は他府県とは別格。

郷土の偉大な先達を学ぶのは勿論ですが、教育者としての一面も大きいのでしょう。

さすが日本一の教育県だけのことはあると感心した次第。

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逆さ槐(えんじゅ)  
川中島の戦の際、逆さに植えた槐が根付いたとか。

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八幡原公園にある佐久間象山の像 
長野県での知名度は、他府県とは別格だそう。

古戦場跡に続き近くにある合戦所縁の寺を参拝。

 松操山典厩寺(しょうぞうさんてんきゅうじ)は、

『1500年頃の創建で、当時は瑠璃光山鶴巣寺(るりこうさんかくそうじ)と称した。

永禄4年の川中島の戦いでは、信玄の弟・武田信繁はここを本陣として出陣したが、付近で討死。この寺に埋葬された。

60年後、初代松代藩主真田信之が信繁の官職が「左馬助」であった事からその唐名「典厩」を寺名とした。』

とあります。

 真田氏は武田の重臣でもあったからでしょうが、信之の弟の幸村の本名が信繁という事も関係があったと想像できます。

と言うのも武田信繁の墓の横の供養塔は弟真田信繁のものともいわれ、

旧主を祀るように見せながら弟を葬ったのを隠そうとしたのではないでしょうか?

 武田信繁は信玄の弟で歴史上の影は薄いですが、武田の名将として活躍。周囲に恐れられました。

信玄の父・信虎も信繁に跡目相続させようと思っていたようです。

信虎は信玄のクーデターで甲斐の国を追放されますが、信繁はお構いなし。

信繁の方も常に兄を盛り立てる事に徹しました。

情には薄いと言われる信玄ですが、役に立つ有能な人物を見極める力量は確かでした。

そうでなければ戦国時代にあそこまで勢力を伸ばすことはできなかったでしょうが…。

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松操山 典厩寺(曹洞宗)
山門は三代藩主真田幸道の御霊屋の門を移築したもの。

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本堂
本尊は薬師如来。脇に風林火山の旗印が掲げてある。

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本堂の前の閻魔堂  
川中島の戦い300年後に松代八代藩主真田幸貫により戦没者8,000名を供養するため建立。

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閻魔大王  
高さ6m、東洋一大きいとある。

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境内にある懐古の碑
川中島合戦両軍戦死者の慰霊碑である。

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典厩寺説明書

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典厩寺御朱印

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お昼は「梅田屋」にて 
松代は長芋の産地とガイドにあったが、松本付近の山形も名産らしい。

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長野南郵便局 ; 川中島古戦場跡

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中仙道を往く(長野県塩尻市及び木曽郡) 木曽街道は1日中山道

2019.08.28(17:45) 388

栄枯盛衰は世のならい(2016.8.26)

<コース>
【往路前半】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR塩尻(9:53)

【木曽宿】塩尻駅前(10:05) → (塩尻市地域振興バス 楢川線) → 洗馬局前(10:26) → 徒歩10分→ JR洗馬駅(10:54) → JR贄川(11:05) → 徒歩5分 → 贄川関所(11:46) → (塩尻市地域振興バス 楢川線) →木曽くらしの工芸館(11:52) → 徒歩5分 → 平沢宿 → 徒歩20分 → 奈良井宿 → JR奈良井(13:32) → JR藪原(13:38→14:25) → JR宮ノ越(14:32→15:33) → JR大桑(16:17) → 徒歩30分 → JR野尻(17:32) → JR南木曽(17:43)

【往路後半】JR南木曽(17:56) → (ワイドビューしなの20号) → 名古屋(19:05→19:23) → (のぞみ247) → JR新大阪(20:13)

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中央本線洗馬駅(無人)
木曽義仲が挙兵時に馬を洗ったというのは俗説で、平安時代に蓮華王院領として洗馬牧ができた事に拠る。

・木曽路は全て山の中である。 『夜明け前』 島崎藤村

 週末に横浜から大阪に帰阪することとなり、金曜日に休暇を取得。

通常は新幹線ですが、今回は金曜日に休暇を取ったのでルートを変えて中央本線で西へ。

塩尻から名古屋方面はかつての中山道。江戸時代には東海道に次ぐ幹線でしたが、それも昔の話。

 高尾~塩尻~名古屋は中央本線ですが、塩尻でJR東日本から東海へ管轄が変わるため直通は1本もなし。

しかも塩尻での乗り換えの便が悪く、木曽も3宿訪問が限度と想っていましたが、平日には塩尻市のコミュニティバスがある模様。

お蔭で塩尻から木曽福島まで7宿訪問できました。

 最近は由緒ある駅名も現代風に「○○公園」「△△温泉」と変える所が多いと聞きます。

しかし、ここは宿場の名前をそのまま駅名にしており、洗馬・贄川などは字面を見ただけで由来が分かりそうです。

後世に残すのは必ずしも形あるものだけとは限らない例です。中津川から塩尻間では有人駅は南木曽と木曽福島のみ。

そんな利用客の少ない駅舎でも宿場に拘った外観をとっているのは鉄道ファンならずとも心惹かれるものがありました。

今は通過点となった感のある木曾ですが、それ故過去が息づいている感があります。

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中央線贄川駅(無人)
古くは温泉があって「熱川」と書いたが、温泉が涸れると現在の「贄川」と記されるようになった。

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贄川関所
「ここより南、木曽路」とある。奥に見えるのは中央線。

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贄川関所正面
福島の副関で尾張藩の管轄。

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関所の内部
常時駐在は2名。有事の際の武器類が展示してあるが、いかに江戸が平穏だったかが分かる。

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木曾平沢宿下町付近(重要伝統的建造物群保存地区)
漆で栄えたので漆器店が軒を連ねる。

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木曽楢川小学校
木材の町らしい校舎。

  7宿の内では奈良井が有名で観光客も集中していますが、それ以外にも宿場の雰囲気があちこちに残ります。

木曽は高地のため耕地が少なく、江戸時代の石高制では絶望的な状況。しかし内情は裕福な所が多かったようです。

木曽の檜、木曽駒に加えて平沢の漆器、藪原の櫛と特産品も豊富。

宿場ごとに【木曽】った事が、良い結果に繋がった気がします。

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中央線奈良井駅
無人駅扱いだが観光案内所を併設している。

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奈良井川に架かる木曽の大橋
平成3年に完成した33mの太鼓橋。建築に当たっては樹齢250~300年の木曽檜を使用した。

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奈良井宿北側 (重要伝統的建造物群保存地区)
中山道では人気が高く、人気投票でも一位となっている。二位は妻籠。

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奈良井宿の中央付近
左にゑちごや(旅籠)の看板が。

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奈良井郵便局
街道の松並みに【ならい】、このような造りに。

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宮ノ越の本陣 (復元)

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本陣内部

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宮ノ越宿の義仲館にある木曾義仲と巴御前の像
京都では暴れたため評判が悪いが地元では英雄。館内では写真等でその生涯を追っている。巴御前の鉢巻きの展示はなし。

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夕方の野尻宿
写真の建物はかつての旅館だったが今は営業していないとの話。

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南木曽駅(妻籠をモデルにした駅舎)
ここからワイドビューに乗り帰路へ。

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洗馬郵便局 ; おおたの清水碑、平出遺跡出土緑釉水瓶、追分道標、桔梗
贄川郵便局 ; 贄川関所跡、木曽路入口道標

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平沢郵便局 ; 木曽漆器、漆の塗師、檜、御岳
藪原郵便局 ; 鳥居峠、木曽のお六櫛

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野尻郵便局 ; 野尻宿、阿寺渓谷
大桑郵便局 ; 阿寺渓谷、のぞきど高原、アーチェリー、中央アルプス

[参考書]

歩いて旅する中山道



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長野出身の近世史の泰斗による中山道の宿場ごとの詳細な解説。

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布引観音(長野県小諸市) 牛に引かれて善光寺の伝説の御朱印

2019.07.19(18:32) 351

うだつが上がるのは運のもの?(2016.7.23)

<コース> ここに記載のJRバス時刻は2016年時
【往路】JR横浜(5:25) → JR東京(5:53) → JR上野(5:58) → JR大宮(6:25) → JR熊谷(7:04) → JR高崎(9:32) → JR横川(10:05→10:15) → (JRバス関東) → しなの鉄道軽井沢(10:49→11:08) → しなの鉄道滋野(11:41) → 徒歩45分 → 布引観音 → しなの鉄道滋野(10:16) → しなの鉄道大屋(13:59) → 徒歩10分 → 海野宿 → 徒歩15分 →

【復路】しなの鉄道田中(15:30) → しなの鉄道軽井沢(16:04→16:20) → (JRバス関東) → JR横川(16:54→17:20) → JR高崎(17:53→17:59) → JR横浜(20:30)

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布引山 釈尊寺(天台宗)

 青春18きっぷ五連戦の初日は六連銭で湧く信州へ。まずは旅の安全を祈願して布引観音へお参り。

 小諸駅からタクシーに乗るのが常道ですが、徒歩の私は最寄りの滋野駅から千曲川に沿って歩くこと30分で寺院入口、ここから更に本堂まで山道を上る事15分で山の斜面にへばり付く様に建てられた本堂へ到着。

 布引山釈尊寺(ぬのびきさんしゃくそんじ)は、神亀元年(724年)に行基が開山、聖徳太子作の聖観音を祀ったとされる古刹。

 戦国時代には武田信玄の信濃攻めで焼失、永禄元年(1558年)に城主望月氏により再建されますが、享保8年(1723年)に再び火災で焼失。現在の伽藍が整えられたのは江戸後期の事でした。

 そんな中で観音堂宮殿は正嘉2年(1258年)の造営で、鎌倉時代の貴重な建築様式を今に伝えています。岩屋の中にあった事で災難を逃れたのでしょう。

 ここへ来るまでは、なぜこんな断崖にあるのかと思いましたが、その御蔭で今に残った事に感謝しなければいけませんね。

 ここは牛に引かれて善光寺の由来となった場所。

 むかし信心の薄い婆さまが、白布を引っ掛けた牛を追いかけて善光寺まで来て信心に目覚めたとか。ここから46Km離れた善光寺まで追いかけるとはかなりの健脚、余程の執念と言えます。

 その由来から「布引山」「釈尊寺」となったのでしょうが、付近は布引渓谷と呼ばれる場所で滝もあるので、滝の落ちる様から布引の呼び名ができた方がしっくりきますがどうでしょうか?

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しなの鉄道軽井沢駅にて
手前が乗った電車で、その奥がかつての碓氷峠で活躍した牽引車。奥の建屋は新幹線開通前の軽井沢駅

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早目の昼食はおぎのや「玄米弁当」¥500

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千曲川に沿って進む
この山の向こう側に目指す観音様が。

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山麓にある布引観音入口へ到着

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本堂にはこのような山道を上る

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ようやく山門に到着
右奥に見えるのは観音堂宮殿。

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観音堂宮殿を下から見上げた所
岩にはスズメバチの巣が。

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スズメバチの巣の拡大
今は蜂は棲んでいないと思うが。

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真下から見上げた重文・観音堂宮殿

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山道を上った先にある布引観音本堂
御朱印はここで拝受。

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本堂から観音堂宮殿を見る

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観音堂宮殿への途中から本堂を見返る

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小諸市内方面を望む

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観音堂宮殿内より境内全体を見る
正面が本堂で、左下が山門。

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布引観音縁起

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布引観音御朱印

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小諸郵便局 ; 布引山観音堂、桜、浅間山

 続いて北国街道の宿場町、しなの鉄道の大屋と田中の中間にある海野(うんの)へ。ここは平安末から滋野一族・海野氏の発祥の地、真田氏もその一門です。真田十勇士にも海野六郎がいます。

 ここは江戸・明治期の建造物が残りますが、圧巻はそこに造られた「うだつ」(卯建・卯立)。徳島脇町、岐阜美濃市とともに三大うだつの街となっています。

 重要伝統的建造物群保存地区のため電柱はすべて地下埋設、街道沿いを歩くと時代劇のロケ地に迷い込んだ感じです。

 高校の生物の授業で、先生が蚕の説明をするときにこの様な絵を描いて「屋根の上にあるのが養蚕のための気抜き、家の横にあるのがうだつ、うだつが上がらんというのはこういう家も建てられんという事」と言われたのがうだつを知った嚆矢。

 もともと防火設備でしたが、これを作るのに大金が掛かるため金持ちのステイタスにもなった様です。これを機会に私もうだつが上がればと思いますが、これが【海野】尽きとはならんように注意せねばと思った次第です。

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海野宿
大屋駅から東へ1㎞程にある西の入り口。重要伝統的建造物群保存地区のため電柱はすべて地下埋設。

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宿場西端付近

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うだつの街の代表的家屋

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街道の南側の家屋
重厚な造りだが現在も居住されている。

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時代劇の一コマに仕えそうな雰囲気

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袖うだつ:左、本うだつ:右
袖うだつは主に明治以降に造られた。

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街道に沿いある説明板

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福嶋屋(矢島家)
屋根の上の小屋根は養蚕のための気抜き。いまは甘味処として「くるみおはぎ」が食べれる。

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しなの鉄道駅スタンプ
JR時代は設置されなかった駅にも設置された。ここは写実的なデザインが特徴。

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本海野郵便局 ; 海野宿、浅間山
田中(現:東御)郵便局 ; 海野宿、巨峰、烏帽子岳

 帰路も行きと同じルートでしたが長野新幹線開通以来、在来線横川~軽井沢間がバス路線に変更になり本数が激減。18きっぷ利用時はバス時刻に左右されるので、バスに合わせて移動する事になります。

 横川駅に到着してようやく時刻の心配が不要となったので駅前で夕食。

 かつての横川駅は牽引車の付替えのため列車は全て5分間停車しており、その間に駅弁を買う人も多く居ましたが今はそれも過去の話。

その昔、国鉄では山越えを控えた駅に

「岳の釜めし」:水上駅
「九尾の狐釜めし」:黒磯駅
「峠の釜めし」:横川駅

と3種類の釜めしがありましたが、前の二つは消え今も頑張っているのは「峠の釜めし」だけ。

駅だけでなくドライブイン販売などにシフトしたことが大。これで販売終了の【峠】は越えたと思います。

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JR横川駅前にて
「峠の釜めし」のおぎのやは今も健在。

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夕食は「峠の釜めし」¥1000

【参考書】

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・巻頭の「駅は見ている 横川駅の晩秋の午後」
で紀行作家宮脇俊三氏が新幹線開通前の横川駅の表情を描写。

小さな江戸を歩く―日本全国50か所 京都、大阪、東国路 (サライブックス)

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四半世紀前の著述だが、海野宿の街並み概要を述べた良著


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智識寺(長野県千曲市) 花に囲まれた温泉地の古刹

2019.07.04(18:40) 334

坂の上の紫陽花 (2015.07.11)

<コース>
JR松本 → JR姨捨 → 徒歩10分 → 長楽寺 → JR姨捨 → JR稲荷山 → 徒歩50分 → しなの鉄道戸倉駅 → 徒歩30分 → 知識寺

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清源山 智識寺(真言宗智山派)

 篠ノ井線稲荷山駅から、しなの鉄道戸倉駅に向かう途中に稲荷山土蔵群地区はあります。かつては善光寺街道の宿場、のちに商都として発展。

 明治期の善光寺地震の後、火災に強い土蔵が多く建設されたとか。このあたりの事情は川越と似ています。この付近を鉄道が通るときに駅の誘致に猛反対したので、このような街並みが残ったそうです。

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荒町付近の旧料亭松葉屋

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唯一の公開施設「稲荷山宿 蔵し館」
幕末から明治の生糸輸出業で財を成した松林邸。上田藩の御用商人でもあった。

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蔵し館の内部展示

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山丹(旧呉服商)

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旧醸造蔵

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醸造蔵付近から見た善光寺街道

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たまち蔵道
善光寺街道から一本中に入ったところ。

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梅沢屋(旧第六十三国立銀行稲荷山本店)

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蔵造の店舗の高村薬局

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高村別邸

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極楽寺参道脇の土蔵群

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参道脇土蔵群

 昼食の後は戸倉の智識寺へ。清源山智識寺は天平12年(740年)創建、大同2年(807年)には坂上田村麻呂が冠着山に堂宇を改修したとの寺伝を持つ古刹。本尊の十一面観音立像は行基の作とされる一木造りで重文。

 鎌倉時代の建久9年(1209年)には源頼朝により仁王像が寄進、室町時代には領主村上氏の庇護を受けますが、武田氏の信濃攻め以降衰退。慶長14年(1609年)には現在地へ移転し、歴代松代藩主の崇拝を受け大御堂も修復されます。

 有為転変を経ますが堅実に生き残っているわけで、歴代将軍の庇護が大きかったと思います。武門ながら知恵者が多いのは寺号の影響もあるのでしょうか?

 今は6月の紫陽花、10月の女郎花で知られますが、バスの本数が非常に少なく、戸倉駅から30分歩くという文字通り【坂上】の寺でした。

 紫陽花はほぼ終盤、御朱印を御願いすべく事務所に行くと御住職は法事で不在のため拝受できず。事前に連絡して欲しいとの事でした。由緒もあるお寺ですが観光寺院ではないからでしょう。

 地方へ行くほどお寺の経営は大変なようで、衰退するのは戦乱の世だけではないと言う事。【智識】を総動員して生き残りを図って欲しいものです。

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昼食を摂った「しなの鉄道」戸倉駅前にある酒造蔵

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昼食は「とろろ蕎麦」

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智識寺仁王門
室町時代の建立で、安置された木造仁王像も室町期の作。

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茅葺が印象的な重文・大御堂
天文10年(1541年)に再建された禅宗様の仏堂で文政年間に修復。本尊の重文・十一面観音は平安後期の作。

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境内の紫陽花。
ピークは少し過ぎていたか?

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長楽寺(長野県千曲市) 姨捨山の田毎の月の御朱印

2019.07.03(20:34) 333

姥捨と言うた(わ)ごと (2015.07.11)

<コース>
JR松本 → JR姨捨 → 徒歩10分 → 長楽寺

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JR姨捨駅ホームから見た善光寺平

 10日に東京、13日に名古屋で会合という予定なので北陸経由にて帰阪。新宿18時のあずさで松本に泊まり、翌日篠ノ井線を北上。日本三大車窓、スイッチバックで有名な姨捨駅で下車。

 姨捨(おばすて)山は正しくは冠着(かむりき)山。日本には老人を捨てたという記録は正式にはなく、墳墓を表す「小長谷・小初瀬・小泊瀬(おはつせ)」という地名が印度から来た棄老説話とごっちゃになったためとか。

 本当に姨捨の風習があったら、そんな名前はさっさと変えてしまったに違いありません。

 昔話では、隣国からの無理難題を老人の知恵で解決するというストーリーですが、ボチボチ老人の域に達しながら果たして知恵がついているのかは甚だ疑問です。

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JR姨捨駅
スイッチバックで有名だが特急はこのホームに入らない。

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姨捨駅ホーム
景色を見るべく席が設えてある

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南小谷行ハイブリッド列車

 駅から坂を下り長楽寺へ。姥捨山放光院長楽寺(おばすてさんほうこういんちょうらくじ)は、松尾芭蕉・小林一茶・菅江真澄・伊能忠敬等の文人墨客が訪れた名刹。

 さぞかし由緒正しい寺かと思いましたが、明治の廃仏毀釈で記録が消失したため創建は10世紀頃、古今和歌集に記載があるのでそれと知られます。江戸時代の記録には八幡武水別神社の神宮寺の支院とあります。

 境内には高さ15m、奥行き・幅25mの巨岩、通称姥岩が聳え頂上からの善光寺平、月の眺めは絶景と言われます。寺院としての格式は兎も角、ここからの素晴らしい眺望が多くの旅人を惹き付けたのでしょう。

 この岩が捨てられた老婆の嘆きで出来たとされる伝説の姨捨山。かつてはその形態から神格化されていたのかもしれません。

 寺院に続いて田畑へ散歩。この辺りは棚田が多く映る月は田毎の月。正しくは長楽寺の持田である四十八枚田に映るものを呼ぶそうです。

 境内には観月殿・月見堂があるのでそこで月見をしながら吟じたのでしょうが、最近もそのような催しがあるのでしょうかね。

 棚田は稲も伸びており多くの人が作業していましたが、田植えにしては遅いので訊くと草取りだそう。田毎の月は無理でしたが、日本の原風景に接しました。

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長楽寺付近からみた姨捨駅

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姥捨山 放光院 長楽寺(天台宗) 全景

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月見堂
芭蕉翁面影塚の上方に建つ。文化・文政年間の建築。

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長楽寺観音堂
宝暦・明和年間の再建、左にあるのが姨捨山の元になった姥岩か?

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本堂と庫裏
文化文政年間の建築で、本堂に接して観月殿がある。

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長楽寺御朱印

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姨捨の棚田
丁度草取りの最中。

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諏訪大社上社本宮(長野県諏訪市) 上社本宮の御朱印と御柱祭マンホールカード

2019.04.14(18:22) 224

御柱を目指して御走り!(2018.4.13)

<コース> 春の特別乗り放題きっぷ
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR大月(7:19) → JR甲府(8:09) → JR小淵沢(9:02) → JR茅野(9:24)

JR茅野駅 → レンタサイクル15分 → 諏訪大社上社前宮 → レンタサイクル10分 → 諏訪大社上社本宮

【復路】JR茅野(12:45) → JR甲府(13:49→13:52) → JR高尾(15:24→15:31) → JR八王子(15:37→15:42) →JR横浜(16:43)

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諏訪大社上社本宮(信濃國一之宮 式内社 旧官幣大社) 北参道

 前宮に引き続き、2㎞の道を諏訪湖に向かって本宮へ。

通常は主要道路面した北参道がメインですが、自転車なので東参道からお参り。

こちらは前宮と違い拝殿も壮大で参拝客も多々見られました。

鉄道敷設等で上諏訪が栄えるまではこの地が諏訪の中心であったようで、四宮の中で建造物は一番多く残っています。

しかし建造物に派手さがない事は前宮と同じ。

 諏訪大社の歴史は神話時代にまで遡る程古く常陸の鹿島神宮と双璧、古事記の国譲り神話まで遡るとされます。

諏訪湖は信州のほぼ中央で有史以前から人が生活していた痕跡が残っています。

また諏訪湖は浅い湖ですが人々に大いなる恵みを与えた事で漁業関係者の信仰も深かったと言われます。

あくまで神話の話ですが、ここには土着の守矢氏を外来の諏訪氏が従えたという伝説を反映しているように思えます。

尚、近世諏訪高島城主は諏訪氏ですが、大祝とは系列が違うと現地で知りました。

 御神体は下社が御柱、上社本宮が後方の守屋山とされていますが、近代以前は現人神だったとも書いてありました。

御柱はそこに神が降り立つ依り代と言うべきものでしょうが何年に一度建て替えることで神様を降り易くしているようにも見えます。

諏訪の大祝(おおほうり)は諏訪氏ですが、彼は現人神(生き神)であり実際に神事を取り仕切っていたのは神長官の守矢氏等。

いまは守矢氏自宅に資料館が設立されています。

 持統天皇5年(691年)には勅使が遣わされ、また軍神としても崇拝されたと言います。

ここを治めた諏訪氏が武田信玄に下ったので、その効果のほどは疑問ですが。
 
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本社東参道へ到着

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東参道と鳥居

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いよいよ神域へ

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入口御門と二の御柱

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入口御門を過ぎ渡り廊下(布橋)へ

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渡り廊下から四脚門と東西御宝殿を望む

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参拝所から宝物殿を見る

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旧賽銭箱も展示

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一の御柱近影

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一の御柱の位置から塀重門を望む

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渡り廊下横の木立

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境内最古の大欅

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諏訪大社上社本宮御朱印

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法華禅寺山門
廃仏毀釈で唯一残った寺院。

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明治の廃仏毀釈で廃寺となった寺院

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法華禅寺説明書

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茅野市神長官守矢氏自宅

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神長官が祈祷する祈祷殿
明治20年再建、昭和5年改築。

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祈祷殿説明板

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御社宮司みしゃくじ)社と社叢

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神長官守矢史料館
地元出身の建築家藤森照信氏の設計で、これが氏の建築デビュー作となった。

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史料館入口
外装や作りは縄文時代を意識している。

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史料館内の御頭祭の再現
御頭祭は旧暦3月酉の日に行われる鹿の首70頭余りを前宮の十間廊に供える神事。

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長野県(流域下水道)マンホールカード     配布場所はこちら

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中洲郵便局 ; 重文・諏訪大社上社本宮、一の御柱、塀重門

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諏訪大社上社前宮(長野県茅野市) 質朴な諏訪大社上社前宮と力強い御朱印

2019.04.14(08:59) 223

あずさに乗らず未だ春浅い信濃路へ(2018.4.13)

<コース> 春の特別乗り放題きっぷ
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR大月(7:19) → JR甲府(8:09) → JR小淵沢(9:02) → JR茅野(9:24)

JR茅野駅 → レンタサイクル15分 → 諏訪大社上社前宮

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諏訪大社上社前宮(信濃國一之宮 式内社 旧官幣大社)
右は御頭祭を行う十間廊、左は内御玉殿。

 この春はJR東日本が春の乗り放題きっぷなるものを発売。

管内だけですが18きっぷと同じ扱いで、気候も良くなりつつあるので早速購入。

行先は「まだ春浅い信濃路へ」ですが、あずさには乗車できないので普通を乗り継いでの旅。

 諏訪大社は全国に1万社あると言う諏訪神社の総社で信濃國一之宮。

諏訪湖を挟んで南に上社、北に下社がありそれぞれに二社あって計四社になります。

 下社は春宮・秋宮ともに家族で行って諏訪湖遊覧と間欠泉を見てから参拝しましたが、上社は未訪。

神社ならば【かみ】にお参りしないことには【間欠泉】ので、【すわ】一大事との巡礼となりました。

 上社は上諏訪ではなく茅野が最寄り駅。

幸い駅前ビジネスホテルでレンタサイクルがあったので、車の多い道路を行くこと2㎞で前宮に到着。

敷地は広いものの「これが前宮か!」というのが第一印象。大きな社殿でもなく、派手な造りもありません。

平日だったとはいえ参拝者も疎らで、知らない人が見るとどこか田舎の無名な神社と勘違いしそうです。

逆にそのような素朴な場所だからこそ、【茅野】通った古の信仰が今まで生きているとも言えますが。

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道路に面した前宮の石鳥居に到着

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かつての神殿跡

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神殿跡説明板

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御室社を右手に社殿へ向かう

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前宮社殿
諏訪信仰の発祥の謎を秘めた場所。社殿は昭和7年伊勢神宮の古材を使用している。

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社殿近影
「諏訪梶の葉」は上社の神紋で四根である。

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四の御柱
諏訪大社四社のうちで唯一、三と四の御柱の近くまで行くことができる。

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御柱の横を流れる清流「水眼」

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諏訪大社由来略誌

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諏訪大社 四社まいりのパンフ

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諏訪大社上社前宮御朱印

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茅野市マンホール蓋

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茅野市マンホールカード    配布場所は茅野市観光案内所

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長野県
  1. 汗かき地蔵 (長野県木曽郡南木曽町)(11/25)
  2. 光徳禅寺 (長野県木曽郡南木曽町吾妻)(11/23)
  3. 妻籠宿 上町から寺下へ (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その参>(11/21)
  4. 妻籠宿 中町 (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その弐>(11/19)
  5. 妻籠宿 下町 (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その壱>(11/18)
  6. 三留野宿 (長野県木曽郡南木曽町読書)(11/16)
  7. 岩出観音堂 (長野県木曽郡大桑村須原)<定勝寺 その参>(09/24)
  8. 定勝寺 鶴亀蓬莱庭園(長野県木曽郡大桑村須原)<定勝寺 その弐>(09/22)
  9. 定勝寺 重文の本堂・庫裏(長野県木曽郡大桑村須原)<定勝寺 その壱>(09/20)
  10. 須原宿 (長野県木曽郡大桑村須原)(09/19)
  11. 法蔵寺 庭園(長野県安曇野市豊科新田)<法蔵寺 その弐>(09/18)
  12. 法蔵寺(長野県安曇野市豊科新田)<法蔵寺 その壱>(09/17)
  13. 旧制松本高等学校(長野県松本市)(04/27)
  14. 長國寺(長野県長野市) 真田家ゆかりの寺の御朱印(09/21)
  15. 典厩寺(長野県長野市) 川中島古戦場跡にある寺の御朱印(09/20)
  16. 中仙道を往く(長野県塩尻市及び木曽郡) 木曽街道は1日中山道(08/28)
  17. 布引観音(長野県小諸市) 牛に引かれて善光寺の伝説の御朱印(07/19)
  18. 智識寺(長野県千曲市) 花に囲まれた温泉地の古刹(07/04)
  19. 長楽寺(長野県千曲市) 姨捨山の田毎の月の御朱印(07/03)
  20. 諏訪大社上社本宮(長野県諏訪市) 上社本宮の御朱印と御柱祭マンホールカード(04/14)
  21. 諏訪大社上社前宮(長野県茅野市) 質朴な諏訪大社上社前宮と力強い御朱印(04/14)