【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR甲斐大和(7:39)
甲斐大和駅 → 徒歩45分 → 栖雲寺 → 天目(9:29) → (栄和交通 大菩薩上日川峠線) → 甲斐大和駅(9:45) → JR甲斐大和(10:22) → JR甲府(10:52) → レンタサイクル → 積翠寺 → 円光院 → 大泉寺 → 甲斐善光寺 → 東光寺
【復路】JR甲府(15:38) → JR猿橋(16:36) → 徒歩15分 → 猿橋 → JR猿橋(17:58) →JR八王子(18:52→18:54) → JR横浜(19:52)

日本三奇橋の猿橋
甲府巡礼を終えて中央線で八王子方面に向かう訳ですが、途中前から気になっていた駅で途中下車。
猿橋駅は、桂川に架かる名橋・猿橋に由来。かつては中央線の車窓から見えたそうですが、
昭和43年の複線電化に際し線路が移動して見えなくなったと宮脇俊三氏が書いていました。
もし残っていたら絶景ポイントになること請け合いです。
橋を見に行くには、駅から国道20号に沿って15分程。
桂川の幅は思った程広くないですが、渓谷は深く切り込まれており、橋桁を架けるのは困難。
その場合は吊り橋という方法がありますが、ここは別の刎橋(はねばし)という技法を用いています。
この起源は定かではありませんが、伝説では
『推古天皇の御世に百済から来朝した志羅呼(しらこ)という技術者が、橋の建設を頼まれたが、何度試みても上手くいかない。
或る日渓谷をぼんやり眺めていると、猿の群れが繋がりあって対岸へ渡る姿を目撃。
着想を【えて】橋を架けることができ猿橋と呼んだ。』 とあります。
唯、記録に残るのは戦国時代以降だそうで、間の千年は謎です。
岩国の錦帯橋を架ける際には、担当者がここまで見に来たとの逸話も。
廣重も名所として浮世絵に残しています。
現代のものは昭和59年(1984年)に嘉永4年(1851年)の資料を基に復元したもの。
それでも往時の様子は十分伝わってきます。
この付近には猿橋の他、鳥沢・犬目という地名があり、桃の産地も手伝って桃太郎伝説の地とあります。
まあ鬼はこのような山奥より都会が相応しいような気もします。渡る世間は鬼ばかりと言いますからね。
橋を見てから再び電車に乗りましたが、途中電車が事故で遅れ。
人身と思いきや、狸と衝突したとのことで狐につままれたような日でした。

新猿橋から見た猿橋

南側から見た猿橋

橋脚を使わず、四層のはね木で支えられている

猿橋の上
錦帯橋と違い、渡るのは無料。毎年5月には橋上会としてここで琴演奏がされるとか。高所恐怖症にはちと辛い。

猿橋上から新猿橋を望む

猿橋の上からの光景
下を流れるのは桂川。手前は八ツ沢発電所施設一号水路、42.7mの鉄筋コンクリート製で、当時は国内最大。奥の赤いのは国道20号線。

桂川の深い渓谷

お土産の猿橋まんぢう
白餡を皮で包んだ素朴な味。

名勝・猿橋説明書

猿橋郵便局 ; 日本三奇橋・猿橋、桂川渓谷の断崖
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【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR甲斐大和(7:39)
甲斐大和駅 → 徒歩45分 → 栖雲寺 → 天目(9:29) → (栄和交通 大菩薩上日川峠線) → 甲斐大和駅(9:45) → JR甲斐大和(10:22) → JR甲府(10:52) → レンタサイクル → 積翠寺 → 円光院 → 大泉寺 → 甲斐善光寺 → 東光寺

法蓋山東光寺(臨済宗妙心寺派)
甲斐善光寺の後は、近くの東光寺へ。東光寺は大きな伽藍がなく、道に迷った末に漸く到着。
善光寺の山門や伽藍は遠くからでも目につくので参拝の順序を間違ったと後悔。
法蓋山東光寺(ほうがいさんとうこうじ)は、
『保安2年(1121年)、甲斐源氏の始祖・新羅三郎義光が祈願所として釈迦如来を安置した興国院を建てたのが始まり。
鎌倉時代になり、建長寺の開山・蘭渓道隆は一時元のスパイ容疑で甲州の当山に配流。
その縁で密教系寺院から臨済宗になり、以後甲州の禅宗寺院の中心的存在となった。
室町以降は守護武田氏の、江戸時代は柳沢氏の庇護を受けた。
明治の廃仏毀釈で背後の法蓋山始め多くの寺域を失い、空襲でも被害を受けたが、
室町期の仏殿は残り庭園・伽藍が整備され今の姿になった。』 とあります。
今まで参拝した甲府市内の寺院は全て無料でしたが、ここの拝観は有料。
と言っても【法蓋】な値段ではなく、200円で重文の仏殿や池泉観賞式の庭が拝観できました。
禅宗の庭と言えば夢窓疎石が思い浮かびますが、ここは蘭渓道隆の作庭。
大和絵式とは違った北宋山水画式で、池を小さくする代わりに大小の石や奇石を用いるのが特徴とか。
美術の観点は良く分かりませんでしたが、京都や鎌倉に比べ樹木が少ないのは分かりました。素人にはこの程度です。
この寺院は、武田義信の墓があります。
信玄の嫡男でありながら謀反の疑いで廃嫡され非業の死を遂げた人。
義信の妻は今川氏の出身で、今川義元の死後の駿河侵攻を企てた信玄と対立したのが原因と言われます。
残された記録ではひとかどの人物だったとあり、もし彼が武田家を継いでいたら滅亡は回避できたかもしれません。
義信の墓の横には諏訪頼重の墓も。
彼は信玄の妹を妻としていましたが信玄の策略を見抜けず、領土は併合され家は取り潰されました(江戸時代には復帰)。
義信といい諏訪頼重といい、己に非がなかったとは言えませんが、
いかに戦国期でも信玄の謀略には素直に共感できない面があります。
東京駅丸の内は三菱が犇めいていますが、甲斐では四菱が至る所に…。
400年も統治したので無理もありませんが、実際統一したのは、信虎・信玄・勝頼の約60年間。
それでもインパクトが強いのは家康を翻弄したことや、武田の流れを汲んだ真田氏が活躍したことに拠ると思います。
2017年の大河の井伊氏も武田の遺臣を多く召し抱えたことで有名なので2年連続武田氏の流れ。
【甲斐】があったというものです。
これで甲府五山も無事参拝と思っていたら、五山は積翠寺ではなく長禅寺と帰宅後判明。
思わぬ【誤算】となりましたが、また参拝する楽しみが残りました。

山門

重文・仏殿
天文年間(1532~1554年)、信玄の援助で再興。信長による焼討ち、甲府大空襲も免れた。本尊の薬師如来も安置されており薬師堂とも呼ばれる。

仏殿の屋根
入母屋造、一重裳階付きで檜皮葺の禅宗様式。

庭園越しに見た仏殿

境内の植木
武田氏家紋の四菱をかたどる。

名勝・東光寺庭園
蘭渓道隆による作庭。本堂と庫裏背後の山斜面を利用した池泉観賞式庭園。

庭園
中国の「竜門瀑」を自然石で表し、前方の池には舟を象った人工石が並ぶ。

禅宗様式の砂模様

東光寺説明書(冊子)

東光寺御朱印

甲府東光寺郵便局 ; 重文・東光寺仏殿、甲州ブドウ、富士山

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定額山浄智院善光寺(浄土宗)
重文・山門は重層建築。
駅前で昼食を摂った後は、市内を東へ進むと非常に大きな朱塗りの門が出迎え。
定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)は、
『永禄元年(1558年)、川中島合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れた武田信玄は
御本尊始め諸仏を甲州に移し建立。本堂は信濃善光寺と全く同じ大きさとした。
武田氏滅亡後は、御本尊は織田・徳川・豊臣を転々とし、慶長3年(1598年)に信濃へ帰還。
甲府では新たに前立を御本尊とした。』 とあります。
戦場になったとはいえ御本尊を持ち出すとはけしからん話と思いますが、
上杉謙信も仏像を越後に持ち帰り堂宇を立てています。
移しただけでなく大きさもそっくりの【写し】なのは対抗心もあったのでしょう。
この辺りの感覚は現代人には分かりませんが、持ち帰った仏の場所には参詣者が訪れ
門前町ができたと言いますから、領国を繁栄させる意図があったのは明らか。
唯、折角建立した七堂伽藍も宝暦4年(1754年)の門前の失火で全焼。
現在の山門・金堂は寛政8年(1796年)に【完成】したもの。
戦国時代を生き延びて、平和な江戸時代に焼失とは皮肉です。
信玄も【善行】をしたと自負はあったでしょうが、大名武田氏は滅亡してしまったので、移動した【甲斐】はなかったようです。

重文・金堂
寛政8年の再建で、善光寺建築に特有の撞木造。総高27m、総奥行49m。

金堂正面
この下には「心」の字をかたどるお戒壇巡りがある。

金堂欄間の龍の彫刻

甲斐善光寺説明書

甲斐善光寺御朱印

甲斐善光寺門前にて信玄アイスを。
桔梗信玄餅と同じ、きなこ&黒蜜をトッピング。
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萬年山大泉寺(曹洞宗)
円光院から愛宕山の裾を少し南に行くと大泉寺へ到着。
萬年山大泉寺(まんねんざんだいせんじ)は、
『大永元年(1521年)、甲斐守護・武田信虎を開基、天桂禅長禅師を開山として招いて創建。
信虎実弟・吸江英心和尚が二代目を継ぐ。
武田氏の菩提寺として知られ、武田氏滅亡後は甲府城を築いた浅野家の菩提寺になり、
後には柳沢家も帰依した。』 とあります。
開基信虎の墓所でもあり、孫の勝頼もここに葬られました。
信虎は14歳で家督を継ぐや甲府に進出し甲斐一国を統一、戦国大名としての基礎を築きました。
その一方で、残酷な面もあったようで息子の晴信(信玄)の策謀で駿河に追放。
亡くなるまで甲斐に戻れませんでした。信虎の性格等について作為や誇張が見られますが、
追放後も甲斐で揉め事がなかった事実から領民に慕われる主ではなかったようです。
信玄も領国の為とはいえ、実父を追放したわけですから、褒められたことではありませんが。
寺は500年の歴史がありますが、空襲で焼失。戦後復興しました。
新しい中にも門や石垣に特徴的なデザインが見られます。
ここの重文は信虎肖像画。実物は拝見できませんが、御朱印を御願いすると、肖像画の絵葉書を頂きました。
信玄の弟信廉の作で晩年の法体姿を映したもの。
当時の肖像画としてはリアリティに富む、やや異形な顔でした。これを手紙で貰った人はさぞ驚くことでしょう。

大泉寺にある信虎肖像画(頂いた絵葉書から)

大泉寺略記

大泉寺御朱印

山梨といえば「ほうとう」
駅前の小作にて昼食。
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瑞岩山円光院(臨済宗妙心寺派)
続いて神社の方へ戻りその東にある円光院へ。
瑞巌山圓光護持禅院(ずいがんさんえんこうごじぜんいん)は、戦国期に武田信玄が制定した甲府五山の一つ。
始祖源清光が石和に創建した清光寺が前身で、種々の変遷を経て永禄3年(1560年)甲府に移った経緯があるようです。
境内や建物は新しく整備されており、甲府を見渡す特別な場所にありますが、
ここは信玄正室の三条夫人の墓所として知られます。
夫人は摂関家につぐ清華三条家の出身、戦国大名とはいえ信玄にとっては格上の女性だったでしょう。
子供に恵まれますが、嫡男義信は謀反の疑いで廃嫡、信之は夭折、信親は失明の為に家督を継げず、
今川氏に嫁いだ黄梅院は離縁と家庭的には恵まれませんでした。
家督は側室の生んだ諏訪勝頼が継ぎますから、夫人としては踏んだり蹴ったりです。
小説やドラマでの三条夫人は嫉妬深い女性として描かれていますが、
ここまで来れば後世の人がそう考えても不思議ではありません。
境内には「三条夫人のお人柄の真実」という看板があり、これでもかと美点を挙げて記入しています。
信玄としては内心忸怩たるものがあったのでしょうが、
死後褒められるよりももう少し生前になんとか手を打つべきだったでしょう。
因みにこの文は恵林寺の快川紹喜の作。「心頭滅却すれば火もまた涼し」で有名ですが、
本当に熱くなければこんな言葉は言わない筈。こちらもやや誇張された感じがします。
「心頭滅却すれば〇〇もまた美し」ではないでしょうが、
名僧と呼ばれるにはこれぐらいのコピーが必要と言うことでしょうか?

境内にある掲示板
この語を作ったのは「心頭滅却すれば火もまた涼し」の快川紹喜。名僧と言われるためにはこれくらいできんとあかんと言う事か。

円光院御朱印
[参考書]
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【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR甲斐大和(7:39)
甲斐大和駅 → 徒歩45分 → 栖雲寺 → 天目(9:29) → (栄和交通 大菩薩上日川峠線) → 甲斐大和駅(9:45) → JR甲斐大和(10:22) → JR甲府(10:52) → レンタサイクル → 積翠寺

万松山積翠寺(臨済宗妙心寺派)
甲斐大和から電車で甲府に着くと11時前。ここからの参拝は点在しているので、駅近くのレンタサイクルを利用。
最初に武田神社の更に奥にある信玄所縁の寺へ。万松山積翠寺(ばんしょうざんせきすいじ)は、
『行基のより開創された古刹。本堂の西側に清流が滝を作っていたため石水寺と呼ばれたが
中世以降は積翠寺という表記になった。
鎌倉末期に夢窓疎石の弟子・竺峰和尚により中興され臨済宗妙心寺派に改宗。
背後の要害山には武田信虎が要害城を築くが、大永元年(1521年)に今川との争いの最中、
信虎夫人は要害城に避難の途中、この寺にて男子を出産。その男子が後の武田信玄である。』
とあります。
駅から武田神社まで坂を1.5㎞、寺院は更に山側に1.5㎞程進んだ標高530mの場所にあり自転車20分で到着。
参道から見ると古刹の雰囲気がありますが、本堂を含め伽藍は比較的新しく【積翠ハウス】と言ったところ。
禅寺風の庭と伝世品でそれと分かるくらいでした。
御朱印を御願いすると
「住職が留守なので申し訳ございません」との事。
山梨では神様のように崇められている信玄誕生の寺という事で人出を想像していましたが観光客は私一人。
大勢の参拝者がいた武田神社とは対照的でした。

寺標と庫裏(書院)

積翠寺と背後に聳える要害山

境内にある信玄公産湯の井戸

書院から庭園を望む

夢窓疎石による築庭

積翠寺説明書
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【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR甲斐大和(7:39)
甲斐大和駅 → 徒歩45分 → 栖雲寺 → 天目(9:29) → (栄和交通 大菩薩上日川峠線) → 甲斐大和駅(9:45)

天目山栖雲寺(臨済宗建長寺派)
久し振りの快晴の週末、「秩父プリン」の後は今年5度目の中央線で「ふーりん火山」の地へ。
以前に武田氏滅亡の地にある景徳院に参拝した折、その4㎞程先に勝頼所縁の寺院があると仄聞。
これは是非訪れなければと思いつつ今日まで伸びてしまいました。
駅から山道を数キロ歩く覚悟で、朝早く駅に着くと大勢の登山客がバス停に。大菩薩峠へのハイクングの人達でした。
「こちらの行先には関係ないな!」と歩き出して暫くすると満員のバスが横を通過。
このバスに乗ると目的の寺の前で留まると分かったのは寺に着いてから。出だしから調査不足を痛感しました。
「日川渓谷沿いを歩いて綺麗な景色が見れた」と負け惜しみを言いながら45分で標高1050mにある目的の寺へ到着。

天目山へ向かう竜門峡入口
ここから徒歩45分。

竜門峡にある炭焼窯跡

竜門峡の流れ


奇岩・平戸の石門

木賊の石割欅
欅が岩を割って生えている。木賊は天目山の古名。

日川渓谷の滝

天目山より見た富士山
遊歩道を終え門前のバス停付近から。
天目山栖雲寺(てんもくさんせいうんじ)は、
『貞和4年(1348年)、甲斐国守護武田信満公を開基、業海本浄を開山として創建。
業海は元の天目山にて普応禅師の教えを受け9年後に帰国。
この地にあった木賊山が天目山に似たという理由で創建したのが天目山護国禅寺、栖雲寺の前身である。
業海は室町期に主流であった夢窓疎石の一派を批判し、臨済宗幻住派として厳しい禅風を確立。
業海と共に元に渡った遠渓祖雄は丹波に高源寺を建て業海と同じ教えを実践。
栖雲寺を東天目、高源寺を西天目と呼ぶのはこのためである。
信満は死後ここに葬られ栖雲寺も武田氏の菩提寺として大いに栄えた。
戦国時代の武田勝頼は織田軍に敗北後ここを目指したが果たせず、寺も兵火で焼失した。
復興したのは江戸時代に徳川家の庇護を受けるようになってからである。』
とあります。
甲斐守護の武田氏が何故、栖雲寺を庇護したか?
武家として幻住派に対する共感もあったでしょうが、武田氏は新羅三郎義光を祖とする源氏の直系。
八幡太郎義家を祖とする足利将軍家に対する対抗意識もあったように思えます。
大名武田家最後の勝頼がここを頼ったのは理解できますが、
ここに逃げたからと言って次の戦略がなければ捲土重来は無理。
名門故に祖先の重みに押し潰された悲劇と言えます。
普段は公開されませんが寺には武田氏所縁の品々が。
また死の直前、勝頼公が住職に行った言葉が代々伝わっているようで、有料の法話で伺えるようです。
死後もお寺の運営に貢献しているとは菩提寺ならではでしょう。

栖雲寺本堂
武田勝頼が最後に目指し辿りつけなかった寺。右に続くのは庫裏。

本堂近影
本尊は釈迦如来

本堂の扁額

境内にある「蕎麦切発祥の地」の碑
それに加えて、ここを有名にしているのは石庭。
京都や鎌倉の禅寺の庭とは全く異なり、急斜面に巨石が並ぶ豪快なもの。
開山の業海が巨石に座り、同じく巨石で坐禅を組む弟子達をチェックしたとか。
相当な荒行で、こんなことが出来るのは巨石ならぬ奇石ですね。
と言う具合に境内と庭園を見た後、表に出ると丁度大菩薩峠からのバスが来る時間。
朝に乗らなかったバスが折り返してきたようです。9時台なので乗客は私一人。予定外に早く駅に戻れたのは【奇石】でした。

栖雲寺庫裡東側にある石庭
京都・鎌倉と異なり、自然の巨岩からなる。通常¥300だが御朱印をお願いしたので無料で見学出来た。



栖雲寺説明書

栖雲寺御朱印
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徳川家康と武田氏: 信玄・勝頼との十四年戦争 (歴史文化ライブラリー) 新品価格 | ![]() |

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<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR大月(7:19) → JR甲府(8:09) → JR塩崎(8:24) → 徒歩5分 → 光照寺
【復路】JR塩崎(10:37) → JR高尾(12:45)

朝輝山 光照寺(曹洞宗)
何度も巡礼した山梨ですが、中央本線塩崎駅直ぐに重文のお堂があると聞き早速足を運ぶことに。
駅の北側へ歩く事5分。

道路から入った隘路が入口

朽ちた石段の先に目指す堂が
朝輝山光照寺は、信玄の父・武田信虎が永正7年(1510年)に団子新居の地から岩森村坊沢に移転したもの。
多くの坊を有し隆盛を極めましたが、天正10年(1582年)の織田勢の侵攻により焼失。僅かに薬師堂だけが難を免れました。
その後、現在地に移転して現在に至ります。
武田氏も他国に侵攻する際には数々の焼討を行っておりので、因果応報と言えなくもありません。
境内は無住で隣接する本堂も施錠してあり、会合の時だけ人が集まる様でした。
それでも朽ちることなく維持されているのは、地元の方の力に拠る所が大。よくこれだけでも残ったというのが正直な感想でした。

重文・薬師堂

薬師堂正面
方三間の宝形造り、室町後期の建築。

薬師堂と厨子の説明板

屋根の反りが美しい

垂木部分

薬師堂奥にある堂

薬師堂の脇を通り高台へ

墓地のある高台から薬師堂(奥)を望む

檜皮葺様銅板葺の薬師堂屋根

高台から市内を望む

JR塩崎駅にある甲斐市マンホール蓋

マンホール蓋の説明

甲斐市マンホールカード 配布場所はこちら

双葉郵便局 ; 重文・光照寺薬師堂、市花・ツツジ、グライダー、富士山

昼食は中央本線上りの車中で

甲州牛とアワビ散らし寿司
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<コース> ☆ 階段を渡ったホーム
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→☆6:33) → JR大月(7:19) → JR勝沼ぶどう郷(7:45) → 徒歩30分 → 大善寺 → 大善寺バス停(9:40) → 市民バス甲州市縦断線 → 景徳院入口(10:01) → 景徳院 → 徒歩25分 → JR甲斐大和(12:29) → JR塩山(12:40) → レンタサイクル → 清白寺 → 向獄寺
【復路】JR塩山(15:34) → JR笹子(15:57→16:21) → JR高尾(17:08→17:30) → JR八王子(17:36→17:39) → JR東神奈川(18:34)

塩山 向嶽寺(臨済宗向嶽寺派)
木立の向こうに見えるのが中門
塩山向嶽寺(えんざんこうがくじ)は南北朝時代の永和4年(1378年)に抜隊得勝(ばっすいとくしょう)が高森に建てた草庵が嚆矢。
康暦2年(1380年)には守護武田氏から塩ノ山に土地を寄進され向嶽元中禅寺となりました。海のない山梨で塩山とはこれ如何にですが、「塩の山」は「四方の山」が訛ってできたものだそう。これなら納得できます。
その後、信玄の要請に拠って現在の名になりました。以来、武田・徳川と庇護を受け、塔頭40余、末寺も700余を数える隆盛を誇りました。
しかし度重なる火災で堂宇は焼失、法華堂、大庫裏、大悲閣、勅使門と中門付築地塀を残すのみで、しかも非公開。
国宝・絹本着色達磨図や重文・大師像、国師像も所有していますが見る事ができるのは重文・中門だけ。残念ではありますが素人が強いて実物を見る必要も無い訳で、後世に無事伝えるのであれば非公開もまた良しとすべきでしょう。
禅宗らしい静寂の中に凛とした力強さを感じることができたのはそのためかもしれません。文書も多数所有しているそうですが【向がく】のためでしょうか?

山門

向嶽寺中門付築地塀
中門は切妻・檜皮葺の室町中期の四脚門で重文。寺内における唯一の中世建築物である。

名勝・向嶽寺庭園
かつて40もの塔頭があったという広大な敷地にあるが、現在、マツクイムシの駆除作業中。

仏殿

向嶽寺御朱印
既に書いたものを拝受。
その後は塩山駅に戻って重文・旧高野家住宅を見学。享保時代建築の民家で幕府より薬草の甘草の栽培を命じられていたので甘草屋敷と呼ばれます。
境内には甘草が栽培されており、てっきりユリ科の花の咲くノカンゾウの仲間と思っていましたが、マメ科の全く別の種類と知りました。今でも需要があるそうで、製薬会社と共同で栽培を行っているそうです。
見学すると桃が出ましたが、食べると結構硬い。訊くと、この辺りでは硬い桃を食べ、柔らかい桃は捨ててしまうのだとか。高価なものを勿体ない話ですが、ところ変われば品変わるを実感しました。
こうして予定通り4ヵ寺巡礼も無事終了し、帰りには笹子餅もゲット。早朝から繰り出した【甲斐】がありました。

JR塩山駅北にある重文・旧高野家(甘草屋敷)

屋敷入口

建物の切妻部分

甘草栽培の説明

甘草近影
ユリ科のエゾカンゾウと違い、マメ科の植物。

塩山駅前にある信玄の像
有名な肖像画を元にしているが、最近その肖像画は別人との説が有力。

名物「笹子餅」
かつての駅弁?も今は、笹子駅近くの「みどりや」本店で購入。¥860/10個。これは本日の最後の1箱だった。

笹子郵便局 ; 矢立の杉、市花・ヤマユリ
塩山駅前郵便局 ; 重文・高野家住宅甘草屋敷、楯無鎧、甘草、塩ノ山
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース> ☆ 階段を渡ったホーム
【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→☆6:33) → JR大月(7:19) → JR勝沼ぶどう郷(7:45) → 徒歩30分 → 大善寺 → 大善寺バス停(9:40) → 市民バス甲州市縦断線 → 景徳院入口(10:01) → 景徳院 → 徒歩25分 → JR甲斐大和(12:29) → JR塩山(12:40) → レンタサイクル → 清白寺

海涌山 清白禅寺(臨済宗妙心寺派)
武田氏終焉の地の後は中央線を甲府に向かい塩山で下車。
甲斐の寺社は駅から遠い所が多く、1ヵ所訪問するだけでも疲れるので、ここでレンタサイクルを借りて巡礼。
勝沼はブドウ畑の間を通っての参拝でしたが、ここ山梨市はブドウに加え桃畑の間を縫っての参拝。丁度、収穫時期なので芳香の中を彷徨。農家の方が居たら安く分けて貰えないかと期待しましたが、結局会えず仕舞い。

清白寺入口
ブドウ畑(左)と桃畑(右)の間の参道を行く

山道左のブドウ畑
巨峰か?

山道右の桃畑
桃も今がシーズン。
そんな畑の中にあるのが海涌山清白寺(かいゆうざんせいはくじ)。正慶2年(1333年)足利尊氏が国家安泰戦勝祈願所として創設。
開山は夢窓礎石で、二世には礎石の法嗣の清渓通徹が就いています。甲斐の国には夢窓礎石により創設された寺院が多く、夢窓派が主流でしたが、江戸時代には妙心寺派に鞍替えしています。
伽藍は、天和2年(1682年)の火災で仏殿以外を焼失しましたが、唯一残った仏殿は国宝。応永22年(1415年)の再建で方三間裳階付入母屋造、檜皮葺と唐様の特徴を備えています。
また総門~放生池~三門~仏殿~本堂と一直線になっているのも禅宗形式。鎌倉円覚寺や東村山正福寺地蔵堂に似た雰囲気がありますが、同じ宗派だからでしょうね。

国宝・清白寺仏殿

重文・庫裏
元禄年間に再建された江戸時代中期の禅宗様式。

境内遠景
庫裏の左側が本堂。

清白寺説明書

清白寺御朱印

昼食は畑の道沿いにて蕎麦を頂く。

山梨郵便局 ; モモの外枠にモモ、ブドウ、笛吹川フルーツ公園
山梨三ケ所郵便局 ; 特産・モモの外枠に国宝・清白寺仏殿、ブドウ
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天童山 景徳院(曹洞宗)
バス停正面にある総門
甲斐の国は平安末より400年間武田氏が統治。寺社もその庇護下にあった所が多く、立派な伽藍と広大な敷地を持っています。戦時ともなれば軍が駐留するので当然の事。
武田の末期、信玄は天下に号令をかける直前で死去。子の勝頼が後を継ぎますが、最後は家臣にソッポを向かれ滅びます。
大善寺に住んだ信玄の従妹の手になる「理慶尼記」に拠れば、
『木曽義昌が織田方に就いたため、織田の勢力が武田領内に侵攻してきた。勝頼殿は家臣の小山田の勧めで韮崎の御館から都留の岩殿山に移ることになったが、小山田が変心したため都留には入れなくなった。』
とあります。
日川渓谷沿いの地で武田勝頼は織田・徳川の連合軍と激突。武田方の秋山・小宮山・阿部の諸将は織田方の滝川一益と戦いますが衆寡敵せず激戦の末敗北、この鳥居畑の戦いが事実上の武田家滅亡となりました。
勝頼親子は甲州街道を東へ天目山を目指しますが、力及ばす途中の田野集落で一族自刃。天正10年(1582年)3月の事、本能寺の変の3か月前の事でした。
都から離れた甲州の地にも拘らず織田信長が執拗に武田氏を滅ぼそうとしたのは気になりますが、勝頼に信玄の影を見たのでしょうか。そうなると『死せる孔明生ける仲達を走らす』にはなりますが…。
武田氏の後の甲斐には徳川家康が入国しますが、家康は天正10年に勝頼一族終焉の地に堂宇を建立し勝頼と家臣の冥福を祈らせました。
これが天童山景徳院(てんどうさんけいとくいん)で、開山として鳥居畑の戦いの小宮山内膳正友信の弟を招いています。武田氏400年の治世を考えての事でしょう。
完成までに29年掛けたとありますが、落ち着いた中にも哀愁が漂うのは武田氏の悲劇的な最後のためでしょうか?
別段【ほうとう】者でもなく、家族が最期まで従うような常識人だったと思いますが、偉大な父の名声に押し潰された感じでしょうか。父親を越えるには戦に【勝より】他はなかったでしょうから気の毒ではありました。
武田の滅亡については色々な説がありますが、未だ中世的領主制から脱却できなかったのが一番の理由であったように思います。
甲斐がそれなりに統一されたのは信玄の時代。彼のカリスマ性で保っていた感もあるので、彼の死と共に瓦解するのは必然だったように思われます。
信玄は「わしが死して後は謙信と和睦せよ。そして必ず当家のほうから頭を下げよ」と【進言】したと巷間では言われています。

唯一創建当時から残る山門

幕の四つ菱が哀愁を誘う本堂

武田氏所縁の遺品を保存する甲将殿

境内にある武田勝頼公、北条夫人、信勝公の辞世

景徳院 案内書

景徳院御朱印

JR甲斐大和駅(旧初鹿野)駅前にある勝頼像

大和郵便局 ; 日川渓谷の竜門峡、景徳院山門、特産・新鞍馬石の灯篭
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信玄が勝頼に残した遺言はここが出典
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柏尾山 大善寺(真言宗智山派)
海の日の三連休、何故か山はあっても山梨県へと繰り出しました。
中央線も大月を過ぎると笹子トンネルを経て甲府盆地へ向かいますが、勝沼あたりに差しかかると車窓からもブドウ畑が眼下に見えてきます。その勝沼ぶどう郷駅で下車し、ブドウ畑の中を歩くこと30分、中央自動車道が見えてきたら左手にあるのが大善寺。

中央線の車窓より

JR勝沼ぶどう郷駅
ここから大善寺へ向かう

ブドウ畑の案内に従って歩く

たわわに実った甲州ブドウ

大善寺へは下り坂が続く
柏尾山大善寺(かしおさんだいぜんじ)は、寺伝に拠れば
『養老2年(718年)、行基が日川渓谷岩上で薬師如来を夢に見て、薬師如来と日光・月光菩薩を刻んで安置したのが始まり。聖武天皇の御代には鎮護国家の勅額と寺山号を賜り五十二堂三千坊を教える隆盛を見た』
とあります。
白髪【三千坊】の誇張はあるでしょうが、有力な寺院であったのは確か。薬師堂は天禄2年(971年)に三枝守国が建立し、鎌倉時代の弘安9年(1286年)に再建。関東最古の木像建造物として国宝になっています。
また甲斐の守護武田氏とも所縁が深く信玄の従妹と言われる理慶尼が出家後に居住し、武田家の最期を記した「理慶尼記」が伝わります。
現れた薬師如来がブドウを持っていた事から、仏像もブドウを持ち、行基が甲州の人々にブドウの栽培を教えたという伝説が生まれたと言います。そのため別名ぶどう寺。
ブドウの産地として出来すぎた話の気もしますが、ブドウ自体は古代には伝わっていた事、栽培には日当たりのよい斜面という条件が良い事などを考えると何某かの関りはあったと言うべきでしょう。
今でもその影響か、境内にはブドウ畑があり寺院で作ったワインを販売しています。御茶の接待もここはブドウジュースとまさにブドウ尽くし。
キリスト教ではイエスの血という事でワインは必須ですが、仏教で酒は珍しい気がします。尤も日本酒を般若湯と呼ぶくらいですからあっても不思議ではないのでしょうか?ワインなら魔女湯とでも呼ぶのでしょうかね。

寛政10年(1798年)に再建された重厚な山門
三間一間の二重門で、再建は武田家家臣であった土屋氏の子孫土浦7代藩主土屋英直に拠る。

山門から本堂へ続く参道
両脇には紫陽花が。

山門横のブドウ畑
寺で栽培してワインまで醸造して販売。

下から見上げたブドウ棚

参道の上に建つ楽屋堂
ここから先は有料 ¥500

楽屋堂(左)と稚児堂

楽屋堂から下界の高速道路を望む

弘安9年(1286年)築の国宝・大善寺本堂(薬師堂)
行基開山と伝わる。日本で最初に葡萄栽培を手掛けたとされ、本尊薬師如来は右手に葡萄を持っておられる。

国宝・本堂
流麗な線を持つ檜皮葺の屋根は鎌倉時代の力強さを表す。

本堂脇にある行者堂

大善寺裏の庭園へ

大善寺庭園
江戸初期の三枝守全に拠る作庭。右手が亀出島、左手鶴石組。

この庭園は立石手法が採用されている

通常は抹茶接待だが、大善寺はそれに加えワイン(白・赤)、葡萄ジュース接待もある。 拝観料+¥300

大善寺の物品販売コーナー
土産に赤ワインを購入。

大善寺説明書

大善寺御朱印

勝沼郵便局 ; 国宝・大善寺本堂柏尾薬師堂、ブドウ、富士山
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北口本宮冨士浅間神社
河口湖で1時間余りの滞在の後、富士急行で富士吉田へ。
かつての富士吉田駅も今は富士山駅。
世界文化遺産になった事で内外からの観光客を狙っての改名でしょうが行政区は富士吉田市と変わらず。
富士山は頂上付近を境に北が山梨県、南が静岡県なので流石に富士山市は無理があるのでしょうね。

富士急行富士山駅
出入り口には鳥居があるがここに参拝して済ませる訳ではない。
駅東側の大鳥居から早くも参道が始まり、傾斜を登ること15分。
鬱蒼とした木立の中に北口本宮冨士浅間神社は鎮座。社伝では、
『第十二代景行天皇40年(110年)、日本武尊の御東征のみぎり、箱根足柄より甲斐酒折宮に向かう途次、
当地で富士山の神霊を御遥拝され大鳥居を建てさせた後、富士の山は北方より登拝せよ、と勅されて祠を祀った』
事が始まりとあります。が、登場人物や年代も多分に伝説的。
延暦7年(788年)に富士山噴火の鎮護を願って甲斐守紀豊庭(きのとよひろ)が神殿を建てたのが創建と言われています。
境内は巨木に囲まれており、陽の当たる場所の多い富士宮市の浅間神社とは対照的。
最奥の鳥居は富士山への吉田口登山道の入口になっています。
我々他県のものには富士山は静岡側から登るイメージが強いですが、これは新幹線の影響。
元来はどちらが正面と言う事はありません。
富士登山の人は頂上で夜明けと共に御来光を拝むのが目的だそうです。
そうすると前に太陽が見える北口からの登山の方が理に叶っているとも思われます。

富士山駅東側に聳える大鳥居

木立を抜けて

途中にある「角行の立行石」

立行石の説明

金鳥居の向こうには苔むした182基の石灯籠が並ぶ

大鳥居の向こうに見える重文・随神門

随神門正面の重文・神楽殿

拝殿より見た神楽殿(左)と重文・手水舎(右)

重文・拝殿

拝殿屋根の装飾

拝殿の向こうにある太郎杉

拝殿の向かって右手にある夫婦杉

拝殿前の桜

北口本宮冨士浅間神社説明書

北口本宮冨士浅間神社御朱印
ここのもう一つの見所は御師の街並み。
江戸時代の富士山信仰『富士講』信者のための道場兼宿坊を御師と呼ぶとありますが、従事する人も御師と呼ばれました。
御師は浅間神社の神職の資格を持ち自らの住居を宿坊として提供して信者を宿泊。
翌朝に富士山内へと導く役目を負いました。文字通り【寝食】を忘れて世話をした訳です。
今で言う民泊とツアコンを一緒にしたものですが、最盛期には金鳥居から浅間神社までの参道に86軒もの御師坊があったとか。
今はその名残を残すのは20軒程で、宿泊できるのは更に少なく数軒。
その中で唯一公開されている外川(とがわ)家へ。【そとがわ】だけでなく、内側も説明を聞きながら見学できました。
講とは信仰を共有する団体のことですから、団体の付き合いや信心が希薄になった現在では絶滅危惧種。
その代わりに昔を体験したい、人と異なる旅行をしたい人には人気があるのかもしれません。
無くなるのは【御師】いですが、信仰も【新興】のものに代わるのは時代の流れではありますね。

御師 中雁丸
金鳥居から浅間神社まで南に1㎞ほど通りに沿って御師街が続く。

御師 大黒屋(田辺家)

御師 菊谷坊(秋山家)

小佐野家住宅

唯一公開している御師旧外川家住宅 ¥100

旧外川家入口
式台玄関から座敷に続く

宿泊者の食器類
参拝者(富士道者)は講ごとに宿泊施設を決めていることが多いので、専用の器具を用意していた。

裏座敷の広間(左)と御神前(右)

御神前

御師や行者の衣装

宿泊する座敷

富士吉田郵便局 ; 中央高速道路、新倉公園五重塔、富士山
富士吉田本通郵便局 ; 吉田の火祭り、富士山
[参考書]
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日本の神社 55号 (浅間神社・北口本宮冨士浅間神社) [分冊百科] 新品価格 | ![]() |

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【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR大月(7:19→7:26) → 冨士急行 → 河口湖(8:21) → 徒歩20分 → 冨士御室浅間神社 → 河口湖(9:55)

富士山を背にする富士急行河口湖駅
ここから三島・御殿場方面へのバスが出ており観光客で溢れている。
少し遅めの桜を求めて中央本線を西へ下り、いままで通過するだけで未乗車の富士急行線で終点の河口湖で下車。
西湖と共に行楽地として有名ですが、河口湖畔に浅間大社があると知り急遽お参り。
駅周辺にはレンタサイクルがありますが、いずれも9時開始。30分待ちならばと湖に向かって歩くこと20分。
人家を過ぎて桜の古木が並木を作る長い参道を抜けると檜の林を背に社殿が。
境内もさして広くなく素朴な造りですが、由緒は意外に古いようです。
文武天皇三年(699年)に藤原義忠公が冨士二合目へ奉斎。
そして富士山中最古の神社(本宮)の里の拝殿として958年に建立されたもの。
二合目の本宮は大同2年(807年)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の御礼として社殿を創建しますが、
噴火などの影響で荒廃再興を繰り返し昭和49年にこの地へ遷祀となりました。
本宮も里宮も武田、小山田、徳川家から手厚い庇護を受け現在に至ります。
現在も流鏑馬神事が行われているのはその名残でしょうか?
ここの御祭神は木花開耶姫命、次の移動のため駆け足の巡礼ではありましたが、
桜の終盤の時期に相応しく湖畔の喧騒とは一線を画した静寂の中の巡礼となりました。

富士急行の「フジサン特急」号

木立の向こうに見える冨士御室浅間神社 随身門

里宮社
958年に建立され現在の宮は明治22年の再建。千鳥破風入母屋唐拝造で銅板屋根を持つ。

冨士御室浅間神社説明書

冨士御室浅間神社御朱印

河口湖郵便局 ; 河口湖に映る逆富士
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【往路】JR横浜(5:22) → JR東神奈川(5:25→5:36) → JR八王子(6:30→6:33☆) → JR大月(7:19) → JR甲府(8:09)
*向側ホーム ☆階段を渡ったホーム
甲府駅(9:15) → 山梨交通バス → 昇仙峡口(9:44→9:51)→ 昇仙峡渓谷乗合バス→ 昇仙峡滝上(9:58) → 昇仙峡ロープウェイ → 山頂 → 昇仙峡ロープウェイ → 滝上 → 昇仙峡遊歩道 → 昇仙峡口(14:51) → 山梨交通バス → 甲府駅(15:21)
【復路】JR甲府(16:53) → JR八王子(18:52→18:54) → JR横浜(19:53)

御岳昇仙峡の主峰・覚円峰
晴天で気温が高くなる予報があったので、思い切って行く機会がなかった昇仙峡へ。
荒川の上流にある紅葉の名所として有名ですが、見所は何と言っても4㎞に及ぶ奇岩怪石の渓谷。
秋には木々の後ろに隠れてしまいますが、この季節は未だ葉も疎らなので、奇岩本来の美しさを楽しむ事ができました。
【祈願】した【甲斐】があったと言うべきでしょう。
昇仙峡で有名なのは写真にも載っている主峰・覚円峰。
昔、覚円という僧侶がこの頂の上の八畳の広さの所で修行したとか。
いまは危ないので通行止めですが、よくこのような場所で修行したものだと感心します。
また昇仙峡の中程には羅漢寺と言う寺院もあり、山岳宗教の修行場だった真言宗の古刹です。
そんな訳で仏教色の強い場所を創造していましたが、いざ行ってみるとロープウェイ山頂には和合権現、
滝上には夫婦木神社と寺よりも神社の方が隆盛。
羅漢寺は無住となっており、完全に立場は逆転している模様。
甲斐の国は水晶や金と鉱石が多いのでパワースポット的な魅力があるのでしょうが、時代の流れには逆らえないという事でしょう。
神社はどちらも和合に御利益があるようですが、【ほうとう】の郷だけに和合が重要視されるのでしょうか。
権現社には男性・女性に似た御神木、夫婦木神社には樹齢1000年を越えるトチの巨木の幹に似た空洞があり、
男女の参拝客がお参りしていました。
これで【神木】を図ろうと言うことでしょう。熾烈な【昇仙】を繰り広げているのですね。
お昼はロープウェイ乗り場の年配の男性に教えて貰った覚円峰を望む金渓館で昼食。
麺は手打ちで、まさに伝家のほうとう。岩魚の塩焼きも絶品で「こら、いいわな」と【水晶】の逸品でした。。

乗合バス終点の昇仙峡滝上からロープウェイで山頂へ
奥に見えるのが荒川湖。

昇仙峡ロープウェイ頂上から富士を望む
「浮冨士広場」の看板そのままだが、私の写真ではここまで。実物は遥かに迫力があった。

山頂から見た南アルプス(赤石山脈)
おそらく北岳付近か?

山頂にある和合神社
奥に御神木が幽かに見える。

敬意を込めて御神木に参拝

遊歩道前にある夫婦木姫(めおとぎ)神社

夫婦木神社御朱印 神功皇后と墨書。

遊歩道初めにある仙娥(せんが)滝
仙娥とは中国の女仙人で月に行ったと言われる。落差30m

石門
巨大な花崗岩が歩道を囲む状態だが、先端は僅かに離れている。

石門付近の荒川渓谷

昇仙峡の主峰・覚円峰
その昔、覚円という僧侶がこの頂の上の八畳の広さの所で修行したとか。いまは危ないので通行止め。

左から夢の松島・覚円峰・天狗岩
訊く処、全て1枚岩(花崗岩)というのが凄い。

天狗岩
烏天狗に似ているとかいないとか

昼食は覚円峰を望む絶景の「金渓館」にて
甲州といえばこれ ¥1200。

渓谷で採れた岩魚 ¥800
一切れ残さず完食。

味噌田楽
お店を教えてくれた男性の名前で貰った。

再び荒川に沿って下る

途中で咲いていたミツバツツジ

夢のかけ橋を渡り羅漢寺へ

荒川の対岸にある羅漢寺
かつては隆盛を誇った古刹も今は無住。

えぼし岩
ここまで来ると昇仙峡口は近い。

昇仙峡郵便局 ; 昇仙峡の覚円峰、仙娥滝
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【往路】JR横浜(5:28) → JR小田原(6:21→6:22*) → JR熱海(6:45→6:49☆) → JR富士(7:29→7:45) → JR身延(9:01)
*向側ホーム ☆階段を渡ったホーム
身延駅(9:08) → 山梨交通バス → 久遠寺(9:20→9:45) → 山梨交通バス → 身延駅(9:57) → JR身延(10:33) → JR下部温泉(10:45→12:11)

身延山 久遠寺(日蓮宗)
首都圏の桜もピークを迎えブログやFBでもアップされています。
私も開業90周年の身延線で富士山の麓まで出掛けてみよう思いましたが、どうせ行くならと早めに出て身延まで。
身延線は富士身延鉄道と言う私鉄が母体。
久遠寺はじめ寺院があるので巡礼者を目当ての開業でしょうが、私鉄なので駅間が短く、とにかく良く停車します。
鈍行だと甲府までの90㎞を2時間半、特急でも1時間45分。関西ならば新快速で60分の距離です。
日蓮宗総本山身延山久遠寺は路線名にもなった古刹。日蓮宗の総本山で文永十一年(1274年)、日蓮の開山。
日蓮宗の大本山は各地にありますが、ここは大本山より格上だそうで、
日蓮が生前に自分で選んだ場所だけに他の寺院も畏れ多いと言う事でしょう。
三門までは土産物屋が並びますが、三門をくぐると荘厳な雰囲気。ここが俗界と聖界の境でしょうか。
これに続いて標高差100m、287段の菩提梯を登って本堂へ、更に奥之院へと続いています。
四半世紀前に訪れた時は、菩提梯をやっとの事で登り本堂へお参り。
この山中にこれだけの伽藍を建てた事自体、深い信仰の証ではないかと思ったものでした。
本堂の枝垂れ桜を初め桜の名所ですが、この日は次の予定の為、門前で引き返し。
けれど桜に彩られた久遠寺を見ただけでも山梨まで来た【甲斐】があったと言うもの。
早起きは【三門】の得とはよく言ったものです。

JR身延駅周辺の桜と後ろを流れる富士川

バス停から徒歩3分で久遠寺三門へ

総欅造り、高さ21m、奥行き21mの三門

身延山扁額と桜

三門前の桜

久遠寺御朱印
日蓮宗以外の宗派の御朱印があると「妙法」と書く習わしだとか。これは25年前の2月訪問時で、翌二月十二日は雪で中央線が止まった記憶が。

三門前にある身延山郵便局

スイーツは身延駅前で購入した「みのぶまんぢう」¥65
次に向かった下部温泉は信玄の隠し湯。
駅周辺にホテル・旅館が並ぶ姿を見ると隠し湯と呼ぶのも変ですが、
ここは信玄がこっそり入浴した場所ではなく兵士の野戦病院として用いられていたようです。
戦上手として知られる信玄ですが、戦のフォローも抜かりがなかった訳ですね。
ここから徒歩1時間の山奥にある毛無山(1964m)は湯之奥金山があった場所。
信玄の軍資金であった隠し金山に相当するのでしょうか。
なんでも隠すとはセコい感じがしますが、『兵は詭道なり』と孫子の兵法にもあります。
信玄は戦に強い戦術家ではなくより広い視野を持った戦略家と言うのがより現実に近い姿かと思います。

5年前より無人となったJR下部温泉駅

桜の向こうに見える下部温泉郷

駅から徒歩10分の湯之奥金山博物館

湯之奥金山博物館の金山復元模型

駅前の下部郵便局
風景印の説明書きが表にあるのは珍しい。

身延山郵便局 ; 宗紋の枠内に祖師堂、奥之院思親閣、真骨堂
下部郵便局 ; 下部温泉郷、信玄公の隠し湯を表すマーク

昼食は駅前にて「桜」と「紅葉」の「馬鹿丼。「うまかどん」と読み「ばかどん」ではない。¥800
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