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浄瑠璃寺(京都府木津川市) 浄土思想を表した庭園

2020.07.03(22:48) 646

国宝より人気の重文(2020.6.23)

<コース> 大和路快速は日中30分間隔、木津川コミュニティバス当尾線は60分間隔で運転
JR大阪(7:42) → (大和路快速) → JR加茂(9:10) → 加茂駅東口(9:14) → (木津川コミュニティバス当尾線) → 岩船寺(9:30) → 岩船寺 → 当尾石仏 → 徒歩30分 → あ志び乃店 → 浄瑠璃寺 → 浄瑠璃寺前(13:44) → (木津川コミュニティバス当尾線) → 加茂駅東口(14:06) → JR加茂(14:13) → (大和路快速) → JR大阪(15:22)

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小田原山 浄瑠璃寺(真言律宗 関西花の寺二十五霊場第十五番)

 昼食の後は店を出て左に直ぐの山門へ。

国宝、庭園及び花で有名な古刹ですが、拝観料が必要なのは本堂内のみで

庭園や建物外観は無料。

加えて明日からは修理のため暫くの間拝観できないとの事。1日違いに感謝しました。

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山門へと続く道
左右に植えられているのは馬酔木。

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山門

 小田原山浄瑠璃寺(おだわらさんじょうるりじ) は、

『平安時代に多く建立された九体阿弥陀堂を残す国内唯一の寺で

九体(くたい)寺とも称される。草創については、

・天平11年(739年)聖武天皇勅願・行基開創、

・天元年間(978~983年)多田満仲創設、

・当寺「流記」に記された永承2年(1047年)の義明に拠る創設

があるが詳細は不明。

寺伝では、長和2年(1013年)建立の東小田原寺に対し西小田原寺と称し、

東方浄瑠璃世界の教主薬師如来を安置したのでそう呼ぶようになったとある。

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由緒

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案内図

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山門の先にある苑池と本堂
池は興福寺の恵信が掘ったとされる。中央は弁天祠。

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九体仏を祀る本堂(九体阿弥陀堂)

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本堂近影
寄棟造り、本瓦葺き。桁行11間、梁間4間。

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本堂中央部

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本堂前面

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本堂右側
9間の間は板扉である。

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本堂左端
上半を連子窓、下半を土壁としている。

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本堂側面

 草創当時は薬師堂と金堂のみであったが、

嘉承2年(1107年)に阿弥陀堂が建立され9体の阿弥陀仏を安置。

久安6年(1150年)に僧恵信が苑池を掘って、その西岸に阿弥陀堂を移築。

治承2年(1178年)に京都から三重塔を移し、建暦2年1212年に吉祥天女像が安置された。

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本堂拝観へ

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本堂裏側の壁

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九体阿弥陀仏(拝観時に頂いた説明書より)
奥の大きいものが中尊で、他の仏は外観上区別はないとか。

 山門を入ると、正面には中央に弁財天を祀る中島のある阿字池が広がる。

右手は阿弥陀仏を祀る本堂、左手は薬師如来を祀る三重塔。

これは池を間に挟んだ浄土庭園を表しており、

太陽の昇る東方にある浄瑠璃浄土の教主が薬師如来。

太陽の沈む西方にある極楽浄土の教主が阿弥陀如来。

古来より人々は此岸に居られる薬師如来から彼岸に居られる阿弥陀如来に来迎を願い礼拝した。

今でも彼岸の中日には九体仏の中尊の後方に太陽が沈むことが知られている。』 とあります。

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本堂前から池越しに三重塔を望む

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苑池にある弁天祠

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国宝・三重塔
治承2年(1176年)京都一条大宮から移されたもの。

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正面から見た三重塔
御本尊の薬師如来を祀る。

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三重塔の木鼻と垂木

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三重塔から苑池と本堂を望む
よく写真に撮られるアングル。

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苑池と本堂

 浄土思想の庭園と建造物が残っている国内でも稀有な例。

池を前にして見る三重塔と、本堂が景観としては有名ですが、よく使われるのは本堂の方。

いずれも国宝ですが11間×4間という特有な形が好まれるのでしょう。

 この寺で逃すことが出来ないのが吉祥天女像。

公開されている九体仏は国宝で大きさも丈六・半丈六。

一方、秘仏の吉祥天女像は重文で、大きさも九体仏より小型。

しかし九体仏よりも吉祥天女像の方が知名度が高いのは事実で、

駅スタンプや風景印デザインにも使用されているのはこちら。

かつて我が国で最初の1000円切手が発行された時のデザインも吉祥天でした。

極彩色で保存状態も良く、名前も目出度いことがその理由でしょうか?

格付けや大きさで仏像の優劣が決まるものではありませんが…。

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山門脇の鐘楼

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苑池周囲の紫陽花

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本堂前の紫陽花と蓮

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弁天祠と紫陽花

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山門脇の紫陽花

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浄瑠璃寺説明書
本堂拝観をすると無料で頂けるものだが、冊子型の立派なもの。

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秘仏の特別拝観日(説明書より)

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花の寺御朱印

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山城加茂郵便局 ; 国宝・浄瑠璃寺本堂、重文・吉祥天女像
山城南加茂台郵便局 ; 国宝・浄瑠璃寺三重塔、池、花菖蒲

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あ志び乃店(京都府木津川市) 浄瑠璃寺門前の茅葺の家

2020.07.02(22:23) 645

あしびの指して田を渡る(2020.6.23)

<コース> 大和路快速は日中30分間隔、木津川コミュニティバス当尾線は60分間隔で運転
JR大阪(7:42) → (大和路快速) → JR加茂(9:10) → 加茂駅東口(9:14) → (木津川コミュニティバス当尾線) → 岩船寺(9:30) → 岩船寺 → 当尾石仏 → 徒歩30分 → あ志び乃店

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あ志び乃店入口

 当尾の里を歩いて浄瑠璃寺門前へ着いたのが昼前。

寺周辺は人家も少なく当然食事処も無さそうですが、

寺へ近づくにつれて店が増えてきます。

コロナの影響で閉店中の店もありますが営業中もちらほら。

どこにするか迷いながら参道を行くと最も奥に茅葺の人家が。

 一瞬、塔頭かとも思いましたが、良く見ると食事処で営業中。

寺に最も近いのと建物の雰囲気でこの店にしました。

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浄瑠璃寺への山道の左側にある

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入口の門と奥に見える土塀

 あ志び乃店(あしびのみせ)は、

浄瑠璃寺参道で最も早く今から50年以上前に営業を始めた店だそうです。

浄瑠璃寺は参道脇にある馬酔木が有名ですが、それを店名にしたのでしょう。

 建屋も昔の家屋で、テーブルも自然のものを用いています。

メニューも地場産のものが多く、お勧めは「とろろ定食」。私もそれを注文しました。

茅葺だから【きゃらぶき】ではありませんでした。

珍しいのは「精進志ぐれ」。一瞬、貝のしぐれ煮に見えますが、実は生麩でできたもの。

古くから浄瑠璃寺の精進料理の一品であったもので、

貝と見紛うばかりの【逸品】でした。これで¥1100はお得です。

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門から店へと続く道

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紫陽花越しに見る茅葺家屋
但し、見学はできるが食事はできない?

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家屋から庭を眺める

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暖簾の掛かった食事処へ

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食事処入口
晴天の時は外で食べるのもOK。

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とろろ定食 ¥1100

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御自慢の「精進しぐれ」

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土産に購入
浄瑠璃寺境内では販売されていない様子。

 食事後、外に出ると「あ志びの森 遊歩道」の看板が。

なんでも食事なしでも庭を見る事ができるとか。庭内は紫陽花がふんだんに。

決してあじさい苑とは銘打っていませんが、紫陽花苑と呼んで良い位。

浄瑠璃寺の馬酔木は終わりましたが、門前で紫陽花と味彩を堪能することができました。

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食事処入口から「あ志びの森」を見る

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森から家屋を見たところ

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散策スタート

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当尾の石仏(京都府木津川市)

2020.07.02(00:47) 644

とうの昔に本当にあった、まがい仏(2020.6.23)

<コース> 大和路快速は日中30分間隔、木津川コミュニティバス当尾線は60分間隔で運転
JR大阪(7:42) → (大和路快速) → JR加茂(9:10) → 加茂駅東口(9:14) → (木津川コミュニティバス当尾線) → 岩船寺(9:30) → 岩船寺 → 当尾石仏

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岩船寺で購入したMAP

 岩船寺参拝を終え次の巡礼先である浄瑠璃寺へ。

毎時30分岩船寺前初のバスだと9分で着きます。

しかし両寺の間の山道には石仏や磨崖仏が多数あります。

四半世紀前はバス移動でしたので、晴天に恵まれた今回は当尾(とうの)の里を行脚。

距離も2㎞と程よいハイキングコースとなりました。

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岩船寺門前から石仏の道へ

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最初の磨崖仏へ

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一願不動へ石段を下る

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一願不動(不動明王立像)
岩船寺奥之院の修行場の大岩に彫られた不動尊。121cm、弘安10年(1287年)の銘がある。

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畑を抜けてミロクの辻へ

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弥勒仏線彫磨崖仏
大道が交わる道の辻で旅人が健脚を祈った場所。像高170cm。

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弥勒磨崖仏の説明板
石仏の里にはこのような説明が多い。

当尾の地名は、この地に多くの寺院が建立され、三重塔・十三重塔・五輪石塔などの

舎利塔が尾根をなしていたことから「塔尾」と呼ばれた事に拠るとか。

では他では【とうの】昔になくなった石仏群が、どうして当尾の里に残ったのか?

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ミロクの辻から岩船寺への旧道を進む

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鎌倉末期の三体地蔵磨崖仏
道から見上げるような大岩に彫られている。

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三体地蔵磨崖仏近影
六地蔵信仰以前の信仰の一形態で、過去・現在・未来を表す。左手に宝珠、右手に錫杖を持った像高90cm。

『一つは、中世以降、南都の喧騒から逃れたかった修行僧達がこの付近に隠棲。

その時に建てられた多くの寺院跡にその名残として石仏・磨崖仏・石塔が残された。

いずれも大きく丁寧に彫刻がされ、優れた技法によって豊かな表情を持ったものが多い。

当時、奈良に居た名匠の手になるものであろう。加えて花崗岩が豊かで

山肌に現れている地質学的状況もプラスに働いたと思われる。

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わらい仏&ねむり仏遠景
ミロクの辻に戻り浄瑠璃寺へと向かう道沿いにある。

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当尾の代表的な石仏「わらい仏」
上部の屋根石が庇となり風雨の浸食を少なくした。

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わらい仏の正式名称「岩船阿弥陀三尊磨崖仏」

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わらい仏の説明板

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わらい仏の横にある「ねむり仏」

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ねむり仏の説明板

 二つ目は、里人たちの純粋な信仰心の現れ。

戦国時代から農村でも生産力が向上し、力を持ち団結した農民たちが仏を刻んで祀ったもの。

小さく素朴な造りで供養仏の性格を持っている。』 とあります。

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道の分岐点にある唐臼(からす)の壷

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カラスの壺二尊(阿弥陀地蔵磨崖仏)
一つの岩に面を変えて二尊が彫られている。正面は阿弥陀如来坐像。

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左の面の地蔵菩立像

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カラスの壺二尊の説明板

行政区では京都府木津川市ですが、地理的にも奈良市に近く、

興福寺の別所として平安・鎌倉期にかけて多数の寺院や石仏が建立されるなど

仏教文化が花開いた地。先に訪れた岩船寺も山にある磐座信仰が寺名の由来のようです。

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竹藪を通り浄瑠璃寺へ

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道路との交差点

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三叉路に建つ「あたご灯籠」
江戸時代に造られた形式に囚われない灯籠。高さ170cm。

 年代も目的も大きく二つに分かれる訳ですが、自然災害や人間の争乱など

幾度となく厳しい歴史の荒波を乗り越えて来たのは、

懸命に保存に務めた地域の人々の強い意志と努力の賜物。

 巡礼者が古くからの寺院や仏像を前にして自然と頭が下がるのは、

歴史的・美術的な遺物に対してもありましょうが、

それを今まで守り通した人々の熱意に対して。

1時間足らずでしたが、真の信仰に触れた気がします。

決して【まがい】ものではありませんでした。

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藪の中三尊磨崖仏
随願寺の塔頭があった場所と言われる。

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三尊磨崖仏近影
当尾石仏中最古のもの。

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藪の中三尊の説明板

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長尾阿弥陀磨崖仏
浄瑠璃寺から先に続く道沿いにある。

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「ながおのあみだ」の説明板

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鎌倉時代の西小墓地石仏群

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たかの坊地蔵

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地蔵近影

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岩船寺(京都府木津川市) 紫陽花の古刹

2020.06.30(15:17) 643

南都仏教の華が開いた地で紫陽花巡り(2020.6.23)

<コース> 大和路快速は日中30分間隔、木津川コミュニティバス当尾線は60分間隔で運転
JR大阪(7:42) → (大和路快速) → JR加茂(9:10) → 加茂駅東口(9:14) → (木津川コミュニティバス当尾線) → 岩船寺(9:30) → 岩船寺

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高雄山 報恩院 岩船寺(真言律宗 関西花の寺二十五霊場第十五番)

 この日は京都府南端、奈良県境に近い南山城へ。

かつては当尾(とうの)村と呼ばれ、それ以前は小田原とも称された場所になります。

行政区では京都府木津川市ですが、地理的にも奈良市に近く、

平城京の外郭浄土として興福寺や東大寺に居た高僧・修行僧の隠棲の地であり、

真の仏教を目指して瞑想や思索に浸った聖地。平安・鎌倉期にかけて

多数の寺院や石仏が建立されるなど仏教文化が花開いた地でもあります。

この時期は岩船寺の紫陽花が花開いています。

 25年前の6月24日参拝した際にはJR奈良駅から直通のバスがあったと

記憶していますが、今は浄瑠璃寺止まり。

そこで京都府下のJR加茂からコミュニティバスを利用して門前へ。

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入口にて

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山門に続く石段
入山料¥500 は右の受付にて。

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山門近影
花の寺の看板が掛かる。

高雄山報恩院岩船寺(こうゆうさんほうおんいんがんせんじ)は、縁起に拠れば、

『天平元年(729年)、聖武天皇が出雲国不老山神社に行幸の折、霊夢があり、

大和国鳴川の善根寺に籠居していた行基に命じて阿弥陀堂を建立したのが嚆矢。

 その後、空海と彼の姉の子の智泉が、大同元年(806年)に灌頂堂として報恩院を建立。

これが岩船寺の直接の草創とされる。

さらに嵯峨天皇が智泉に勅命して皇子誕生の祈願をさせたところ、

弘仁元年(810年)に正良新王(後の仁明天皇)が誕生。弘仁4年(813年)には

檀林皇后(橘嘉智子)に拠って堂塔伽藍が整備され寺号も岩船寺となった。

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山門から見た境内
よく写真に撮られるアングル。

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参道から山門を見返る
両側には紫陽花が…。

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紫陽花越しに見る本堂
昭和63年(1988年)の再建で、平安時代の阿弥陀如来坐像を安置。

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柏葉紫陽花と本堂
椅子ではお寺の僧侶がHP用の写真を撮影中。

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本堂前から三重塔を見る

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本堂内の御本尊
購入した冊子(¥600)より

 最盛期には東西十六町、南北十六町の広大な境内に39坊を有したが、

承久の乱の兵火で大半を焼失。

再建するも応長元年(1311年)再び兵火にまみれ灰燼に帰した。

江戸寛永の頃には本堂・塔・鎮守社等、十宇を残すまでに衰頽した。

これを嘆いた文了律師が必至で勧進を行い、徳川家康・秀忠らの寄進もあって堂内の整備が図られた。

 鎌倉から江戸末期にかけては南都興福寺一乗院の末寺であったが、

明治初期の廃仏毀釈で無住となった。

明治14年(1881年)に真言律宗西大寺の末寺となって現在に至る。』 とあります。

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阿字池越しに三重塔を見る

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紫陽花越しに三重塔を見る

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十三重石塔と三重塔

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本堂側面

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阿字池の向こうに見える本堂

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阿字池と十三重石塔

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阿字池と開山堂

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身代り地蔵

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開山堂

 平城京に遡る古刹ですが、史実では空海まで時代は下ると思われています。

唯、聖武天皇は度々都を変え、そのなかの一つ恭仁京はJR加茂駅のすぐ北側。

ここ岩船寺とも至近の距離なので、聖武天皇と関りがあったと言うのも

根拠のない話ではなさそうに思えます。

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重文・三重塔
室町時代の嘉吉2年(1442年)の建立。

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高台から見た三重塔

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重文・隅鬼(天邪鬼)
三重塔の四隅の垂木を支えるユーモラスな木彫り。

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重文・隅鬼

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重文・十三重石塔
正和3年(1314年)妙空僧正の建立と伝わる。

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山門の左側の遺物へ

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重文・石室不動明王立像
花崗岩製で、応長年間(1312年)の銘がある。

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厄除け地蔵菩薩堂

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中に祀られている厄除け地蔵菩薩

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重文・五輪塔
東大寺別当平智僧都の墓と伝わる。

 空海の甥の智泉は聡明で知られ、空海も自身の後継者にと考えていたようですが、

天長2年(825年)彼に先立って死去。37歳の若さでした。その時の空海の嘆きが残されていますが、

「悲しい哉」と言う言葉を6回も繰り返しているのは空海の深い悲しみを表して余りあります。

境内の池を【池泉】回遊式ではなく阿字形にしたのは、その影響もあったのでしょうか?

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紫陽花の間を通り高台へ

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鐘楼
ホーンではなく報恩の鐘。

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歓喜天堂前から三重塔を見下ろす

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歓喜天堂

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山頂にある貝吹岩
三十九の坊があった頃、一山の僧侶を呼び集めるために法螺貝を吹き鳴らした場所。

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貝吹岩からの南山城一帯の眺め

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広場の紫陽花

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広場の紫陽花

 寺院は山腹に建っており、三重塔・歓喜天を過ぎた先にある貝吹岩からは

市内が眼下に見渡せます。このような地勢を考えて建立されたのでしょう。

文化財も豊富ですが、建物では石製の物が多く、本堂は昭和63年の再建。

三重塔は嘉吉2年(1442年)の建立ですが平成15年に修理を経ているので

見た目には新しい印象。朱色が鮮やかすぎるきらいはありますが、

三重塔を背景にあじさいを入れると【がんぜん】映えます。

【こうゆう山】を青丹よしと呼ぶのでしょうね。

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境内の紫陽花

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岩船寺縁起

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岩船寺冊子 ¥600

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関西花の寺 御朱印

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十一面観音御朱印

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山門前にある鎌倉時代の石風呂
修行僧が身を清めるための風呂。

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離宮八幡宮(京都府乙訓郡大山崎町) 本邦製油発祥の地

2020.06.25(14:16) 640

離宮に尋ねよ!(2020.6.16)

<コース> 阪急電鉄は日中10分間隔で運転
梅田 → (阪急電鉄) → 東向日 → 大山崎 → 駅前レンタサイクル → 10分 → 山崎聖天 → 5分 → 宝寺 → 離宮八幡宮

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離宮八幡宮(旧府社)

 宝積寺参拝に続き線路を越えてJR山崎駅前へ。

山崎は京都と大阪の境界ですが、JR山崎駅もその四分の一が大阪府に属しています。

駅には線路に加え境界線も通っている事になります。

 駅前直ぐにあるのが臨済宗の妙喜庵。

室町時代に俳諧師山崎宗鑑が隠棲した草庵が元になったと言われ、

書院に隣接した茶室待庵は利休作とされ国宝。

当然、見るべきですが事前予約が必要で、しかもコロナで閉館中。

さぞ【そうかん】だったのに残念でした。

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JR山崎駅前にある妙喜庵

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妙喜庵由緒

 利休が駄目なら離宮で、という訳で駅前の神社へ参拝。

離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)は、

『貞観元年(859年)、清和天皇が見た夢のお告げに拠り、僧行教が宇佐八幡宮の分霊を勧請して

淀川対岸の男山に石清水八幡宮を創建した時、この地に分霊したのが嚆矢。

その際に行教が山崎の津で夜の山に霊光を見、この地を掘ると

岩間から清水が湧き出したので「石清水八幡宮」と命名。

後にここに嵯峨天皇の河陽離宮があった事から離宮八幡宮と呼ばれる事になった。

しかしこれは推定に拠るもので、神社が整備されたのは室町以降とされる。

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JRから進むと東門へ至る

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南側にある惣門(高麗門)
こちらが正式な入口になる。

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境内にある河陽宮故址

 江戸時代は幕府の庇護下、950石の神領、社殿も整備され「西の日光」と呼ばれたが、

幕末の禁門の変では長州藩の屯所となったため会津藩の攻撃を受け焼失。

更に東海道線敷設で社地が削られた。現在の社殿は昭和の建築で、

僅かに南部の築地塀、高麗門、東門が昔日の面影を留める。

 清和天皇の頃、神勅に拠り当社の神官が長木という油絞り器を発明し、

絞った油を神社の灯明に用いた。これが契機となって室町期には

油座の中心として活躍。全国の油販売を一手に行った。

それ故、本邦製油発祥の地として知られている。』 とあります。

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境内の鳥居と中門

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中門(四脚門)

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正面から見た拝殿

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拝殿から中門を見る

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拝殿奥の本殿

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中門を入った左手にある各社

 神社の由来は清水ですが、有名にしたのは後の油。水と油というのは俗説のようです。

神勅に拠って油絞り機を発明した御蔭で生産が【進捗】し大量生産が可能に。

離宮八幡宮に奉祀する神人は油売りとなり各地との交易にも従事しました。

“長崎のザボン売り”は創作ですが、“山崎の油売り”は歴史的事実です。

 かつて全国を油で支配したとは思えないくらいの小さな規模。

御朱印を拝受すべく御願いすると神職の奥様が対応下さいました。

和辻;「拝殿の垂れ幕の神紋は胡麻の木ですか?」

奥様;「いいえ三本杉です。胡麻ではありませんし、ここの油は荏胡麻油です。」

和辻;「胡麻油とは違うのですか?」

奥様;「荏胡麻はシソ科の1年草です。実はこれで、草はその辺に植えています。」

見ると、胡麻と違い粟か芥子の実の様な球形。草は成程、紫蘇(大葉)とそっくりでした。

和辻;「今では作っていないのですね。」

奥様;「江戸時代になって菜種油・綿実油が出て来て衰頽しました。でも健康に良いので、

復活しています。但し、値段は10倍以上しますが…。」

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本邦製油発祥地碑
宮故址の奥に建つ。

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油祖像

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長木と油売りの説明

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長木の復元

 何でも、荏胡麻の栽培は容易ですが収穫時期が短く、すぐ落下してしまうのが欠点だとか。

離宮八幡宮の力は物凄く、荏胡麻の販売には高額の販売料を納める必要があり、

しかも1年ごとの更新だったそう。神社の蔵には金銀がうなるほど蓄えられていたようです。

そうなると密造する人間が出て来るのが常ですが、神社は全国に僧兵を送り、

違反者を打ち据えたと言います。【えごま】る出しですが、博徒の縄張り争いのようなもの。

中世の経済はどこもそのような状況でしょう。

そのような独占が無くなるには織田信長の楽市楽座の出現を待たねばなりません。

 それよりも荏胡麻に代わる作物が出てきたのが痛手。栄枯盛衰は政治の世界だけではありません。

奥様の話では地元にある「大山崎えごまクラブ」で荏胡麻を広めようとされています。

話を聞かずに帰ったら、別の場所で無知をさらけ出す所でした。何事も「離宮に尋ねよ!」です。

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境内で栽培されている荏胡麻の幼苗

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離宮八幡宮 参拝の栞

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離宮八幡宮御朱印

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山崎駅前郵便局 ; 離宮八幡宮正門、本邦製油発祥地石碑、天王山

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大黒天宝寺(京都府乙訓郡大山崎町) 歴史の分岐点となった宝の寺

2020.06.24(20:48) 639

打出と小槌は別の物?(2020.6.16)

<コース> 阪急電鉄は日中10分間隔で運転
梅田 → (阪急電鉄) → 東向日 → 大山崎 → 駅前レンタサイクル → 10分 → 山崎聖天 → 5分 → 宝寺

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天王山 宝積寺(真言宗智山派)

 聖天さんから線路沿いに大阪方面へ向かい、朝ドラで有名になった

サントリー山崎工場の横を山に向かいます。

大した距離ではありませんが勾配が結構キツく上る事10分で門前着。

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石段の上に建つ仁王門
三間一戸、切妻造り。

 天王山宝積寺(てんのうざんほうしゃくじ)は、

『神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願に拠り行基が創建。前年の養老7年、

龍神が唐より伝来した何事も叶う打出と小槌を奉納。その後、天竺より大黒天を招来した。

 また当時、この地あった橋が流出し民衆が困っていると、どこからともなく翁が現れ橋を復元。

その後、翁は山へ上り本堂厨子へ入った。これが本尊の十一面観音菩薩である。

 その後、長徳年間(995~999年)寂照が中興の祖となり天台宗になり、

更に嘉慶2年(1388年)に後小松天皇の勅願所となって真言宗に改宗した。

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重文・金剛力士像
これは仁王門右の阿形像。

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重文・金剛力士像
これは仁王門左の吽像。

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宝積寺由緒

中世は多くの塔頭・子院を持つ大寺で貞永元年(1232年)に火災に遭った際も

直ぐに復興を遂げている。鎌倉末期には鎮守社十五所権現も祀られた。

 室町時代に衰退した後は一条家の管領下に入り、豊臣秀吉の庇護のもと盛時を迎える。

山崎の合戦では秀吉は当寺を本陣とし明智光秀に勝利。

境内の重文・三重塔はそれを記念して秀吉が一夜にして建立したと伝わる。

 江戸時代には再び衰退し、元治元年(1864年)の禁門の変では

尊王攘夷派の陣地となるなど戦禍を被った。

明治維新後は残る4院3坊も無量寿院のみになり現在に至る。』 とあります。

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仁王門から参道を望む

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慶長11年(1605年)改築の本堂
入母屋造、本瓦葺。内陣の厨子に重文・十一面観音を祀る。

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本堂の「天王山」の扁額

 交通と軍事の要衝であったためか歴史上の著名人が【要所】に登場します。

古代の行基に関する寺伝には、橋に関する逸話があります。

行基の事績に拠れば、神亀2年(725年)淀川に山崎橋を架橋。

更に天平3年(731年)当地に山崎院を建立。

本尊の由緒は行基の架橋工事に、寺は山崎院の後身とも思われます。

 お宝として祀られている打出、小槌は元来別物だったようで、

一般に知られているのは小槌に相当するようでした。いずれも土木工事に使うもの。

そういった見方から行基の土木工事の事績が種々の伝説になったとも言えそうです。

龍神や大黒天は、工事に携わった唐・天竺からの渡来人でしょうか?

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大黒天を祀る小槌宮
褐色の屋根瓦が映える。

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閻魔堂
重文の閻魔及び眷族を安置する。

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重文・閻魔大王と眷族御影 (説明書より抜粋)
鎌倉時代の作。

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九重石塔
平成の解体修理で当初は九重層塔と判明。仁治2年(1241年)の年号がある府下最古の層塔。

 戦国時代は豊臣秀吉、と言うよりも天下を取る契機となった天王山で有名です。

三重塔を一夜で造ったというのは伝説でしょうが、墨俣一夜城がここにも拡張されたと

採るべきでしょう。秀吉にとってはこの地は宝の山だったでしょうが、

これは戦術で【打つ手】が良かった事に尽きます。打つ手を間違えたらお先は【大黒】でしょう。

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本堂前の秀吉の出世石
ここに腰掛けて策を練ったとか練らなかったとか。

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重文・三重塔
山崎の合戦時に秀吉が一夜で建立したとの逸話が残る桃山時代の本瓦葺。

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三重塔
内には大日如来を安置する。

 またここは一寸法師物語の地。大阪で生まれた一寸法師は椀の船で淀川を遡り山崎で下船、

宝寺で修業を重ねます。当時、都では鬼が暴れていたので、一寸法師は都に上って鬼退治。

褒美を貰って立派な若武者となり、美しい姫と結婚して幸せに暮らした、と言うもの。

 唯、お伽噺に出て来る桃太郎・金太郎・浦島太郎・かぐや姫に関しては日本各地に

伝説の地がありますが、一寸法師は知名度の割に所縁の地が知られていません。

私も今回の参拝で初めて知った程。お伽噺と変わらない内容ですが、

三川合流と打出と小槌から宝寺と結びついたとも言えます。山崎周辺の物流業者が

京都まで勢力を伸ばした史実を反映しているのかもしれませんが…。

山崎は一寸法師よりも天王山の戦いの方のインパクトが強く、

一寸法師が霞んでしまったのかもしれません。

一寸先は闇ではないですが、お伽噺で出世した人よりも現実に出世した人に

皆の興味が向くのは当然。お宝などと言うものは、天から降って来るようなものではなく、

己の努力で獲得するものである事は庶民も分かっていたに相違ありません。

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宝積寺説明書

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宝積寺御朱印

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山崎郵便局 ; 山崎宗鑑句碑、天王山からの景色、重文・宝積寺三重塔
円明寺郵便局 ; 桜、天王山、三川合流の風景、重文・宝積寺三重塔

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山崎聖天(京都府乙訓郡大山崎町) 天王山山腹に建つ古刹

2020.06.22(16:40) 638

天王山に翻る桔梗紋(2020.6.16)

<コース> 阪急電鉄は日中10分間隔
梅田 → (阪急電鉄) → 東向日 → 大山崎 → 駅前レンタサイクル → 10分 → 山崎聖天

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妙音山 観音寺(真言宗系 単立寺院)

 西山で三ヵ寺参拝し、東向日駅に着いたのが昼前。午後は大阪方面へ戻り、

県境の大山崎駅で下車。昼食後、駅前のレンタサイクルを利用しての巡礼開始。

 山崎は山城と摂津の国境。その名の通り両側から山が迫り、淀川三川も合流し、

街道が通る交通の要衝なのは今も変わりません。

国の分け目ですが、天正10年(1582年)6月にここで行われた山崎合戦は

文字通り明智光秀と羽柴秀吉の天下を掛けた戦い。

大一番勝負を天王山と呼ぶのはこの山から来ています。

天王山は標高270m。軍事上の要地で、武将が布陣したりしていますが、

戦自体はもう少し京都寄りの勝竜寺城付だったようです。

桶狭間同様、地名が独り歩きしたパターンですね。

 駅から線路沿いに西国街道を進むと左手に石鳥居があり、ここが目指す寺の入口。

鳥居があるという事は神仏習合の名残、決してサントリーがあるからではありません。

 ここからJRと阪急の線路の下を潜って、更に石段を2回上ってようやく山門へ。

線路に沿って狭い道路があるだけで、山腹に建つ寺へと続く道は徒歩。

自転車も役に立ちませんでした。

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京街道沿いに建つ鳥居
線路の先に参道が続く。

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二の鳥居
一の鳥居と線路を越えた先にある。

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階段の先に見える山門

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山門近影

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山門の「妙音山」の扁額

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山門を後ろに見て境内に向かう

 妙音山観音寺(みょうおんさんかんのんじ)は、

『開基は寛平法皇(宇多天皇)で、昌泰2年(899年)の創建。

聖徳太子作の十一面千手観音を本尊とした。

その後、衰頽するが江戸時代に箕面勝尾寺の僧であった木食上人以空が再興。

以空は上山藩主土岐山城守頼行の子で、22歳で高野山にて得度、伝法灌頂を授けられた。

木食上人と呼ばれるのは勝尾寺に移った31歳からは五穀断ちをした事に拠る。

 延宝3年(1681年)に、幕府からこの山崎の土地を拝領。翌年には勝尾寺より歓喜天を奉祀した。

宮中でも度々仏法を講じた縁で、明正天皇から「大悲院・浄聖坊・妙音山・観音寺」の

勅命を賜ったのもこの時である。上人は宮中・幕府だけでなく大坂の豪商とも縁が深く、

本堂前の大灯籠は住友家四代友信が寄進したものである。

 以降、商売繁盛、良縁和合の仏として信仰されたが、本尊よりも歓喜天に対する信仰が深く、

世間では「山崎の聖天さん」として親しまれる。

しかし幕末の元治の変(1864年)で本尊と歓喜天を残し全山焼失。明治以降に復興が図られた。

現在の本堂は明治13年に島本村にあった西観音寺の本堂を移築したものである。』 とあります。

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階段を上った右手に建つ庫裏と書院

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境内全景

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手水舎から本堂を見る

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堂の周辺に植えられた紫陽花

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本堂正面
本尊は十一面千手観音菩薩。明治13年西観音寺の本堂を移築したもので、西観音寺の跡地はサントリー山崎工場に。

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本堂前の大燈籠
住友四代友信が元禄10年に奉納。別子銅山で採掘した銅を用いた。

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大燈籠の由来記

 「やまざきしょうてん」と言うと、駅前にあるお店のようですが、

れっきとした古刹。春には桜の名所となります。

 地政学的に戦の絶えなかった場所だけに古いものは残っていません。

以空上人以降は確実でしょうが、それ以前はやや不明。

それでも開創の詳細が分かっているのは、御本尊十一面観音の御首内から出た一軸に

「太子作云々寛平法皇、昌泰二年草創云々」 とあり、

更に発掘された薬師如来の光背に

「妙音山観音寺昌泰二年、寛平法皇草建地云々」 とあった事に拠ります。

どちらも一次資料であり内容が一致しているので事実と言えるでしょう。

戦が多かった場所にしては奇跡的と言えそうです。

 広い境内には本堂と聖天堂がありますが、本堂の方が大きく中央に建っています。

聖天さんはその奥で天王山登山口に続いています。

堂前面の垂れ幕に大根と宝袋紋が描かれているのは聖天さんに共通。

人気があるとはいえ、歴史もある御本尊に遠慮したのでしょうか?

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本堂横にある聖天さんへの鳥居

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聖天さんを祀る天堂
幕には二大根と宝袋紋が描かれる。

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天堂の奥殿

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光明殿
御室仁和寺より拝領したもので、大正13年までは浴油堂と言い、ここで浴油供が修されていた。

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鐘楼堂

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桂昌院が奉納した釣鐘
周りに四仏の種子がある。

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境内の放生池と納経所

 堂宇の周囲は紫陽花が植えられていますが、本堂の幕には桔梗紋が。

納経所に同年代の女性が居られたので、尋ねる事に。

和辻;「ここは光秀に縁があるのですか?彼はここで負けましたが…。」

女性;「いいえ。中興開山の縁故ですね。」

和辻;「成程、ところでその判子は御朱印ですか?」

女性;「そうです。昔は手書きでしたが、最近スタンプ形式にしました。」

 私が訪れた平成6年分は墨書。最近の御朱印ブームで手が回らなくなったのでしょうか?

中興開山の以空上人は土岐氏なので納得。大名の子弟が僧籍に入ったパターンですが、

宮中・大名・豪商から援助を引き出したのは、彼の強いネットワークの賜物でしょう。

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納経所横の柏葉紫陽花

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紫陽花越しに見る書院屋根

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本堂脇から鐘楼堂方面を

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光明殿の横はこのような断崖

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山崎聖天 略縁起

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山崎聖天御朱印
平成6年拝受の墨書タイプ。今となっては貴重【記帳?】。

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三室戸寺(京都府宇治市) お茶の里にある蓮と紫陽花の古刹

2020.06.17(23:53) 633

紫陽花の寺で味彩(2020.6.15)

<コース> 京阪電車は日中10分間隔で運転
淀屋橋 → (京阪特急) → 中書島 → (京阪宇治線) → 三室戸 → 徒歩15分 → 三室戸寺

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明星山 三室戸寺(本山修験宗 別格本山 西国三十三ヵ所第十番札所)

 水無月になり紫陽花も見頃になりましたが、各地の紫陽花名所はコロナの影響で休止が多数。

梅雨入りしてもこのまま見ずに水入りするのもなんなので、拝観できる場所を探しての巡礼。

 京阪電鉄宇治線の終点宇治の一駅手前の三室戸で下車。

遥か古代に神功皇后と忍熊王が戦ったことに由来する戦川を右手に見ながら東へ1㎞。

道がだんだん細く上り坂になった【いくさ】きにあるのが三室戸寺。

かつては明星山と呼ばれた三室戸山の中腹にある西国札所。

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寺標と橋を越えると受付

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受付を過ぎ山門へ
参道の右側は紫陽花。

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参道左側は羊歯が茂る

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朱塗りの山門

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石段を上り本堂へ向かう

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石段を上った先から来た道を振り返る

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石段の上にある水盤
紫陽花を浮かべるのも花の寺に共通。

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本堂前に鎮座する宇賀神(狛蛇)
頭部が人間で胴体が蛇。造られたのは最近の事。

 明星山三室戸寺(みょうじょうさんみむろどじ)は寺伝に拠れば

『奈良時代の宝亀年間(770~780年)、宮中に奇瑞が生じたので、

光仁天皇は右小弁藤原犬養に菟道(うじ)山の奥の探索を命じた。

すると志津川上流の岩淵から1体の黄金仏が出現。

天皇は御所の御室の一部を移築し、仏像出現の地に堂宇を建立し

御室戸(みむろど)寺と名付けたのが始まり。

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蓮の鉢越しに見る本堂
文化11年(1814年)再建の重層入母屋造り。右手にあるのは阿弥陀堂。

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本堂前面の唐破風と彫刻

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本堂庇部分の造り

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本堂の垂木部分

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本堂前の招福兎
ボウリングの玉のような中にある卵型の石を立てると吉。宇治は菟道が語源なのでウサギか?

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本堂前の勝運の牛
口中の玉に触れると勝運が付くとされる。宇治の濁点を取って「うし」なのか?

 唯、実際には十世紀頃の創建とされ、奈良大安寺の行表、

或いは智証大師円珍が開山と言われる。平安時代には隆盛を極め、

三井寺の隆明上人が康和年間(1099~1104年)に中興した際には

山上山下に多くの伽藍が立ち並んだと伝わる。

 文明11年(1479年)に日野富子の宇治明神参拝に関し宇治の橋寺と争って全焼。

長享3年(1489年)に後土御門天皇の尽力で再興。その際に創建の地から現在地に移った。

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本堂から右側を見る

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阿弥陀堂
親鸞の父の墓所に、親鸞の娘が堂を建てたのが始まり。現在のものは江戸時代の建築。

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吹き流し形式の鐘楼
江戸時代の建築。

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元禄17年(1704年)建立の三重塔
三日月村の高蔵寺にあったものを当寺が買い取ったもの。

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鐘楼奥の浮舟の碑

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浮舟の説明

 しかし、天正元年(1573年)の槙島合戦では足利義昭側に付いたため、

織田信長の焼き討ちに遭遇。江戸中期には金蔵院を残すのみであったが徐々に復興。

現在の本堂は文化2年の建立である。

 境内には源氏物語の浮舟に因んだ碑もあるが、

参道右手にある池泉回遊式庭園 「与楽園」 にはツツジ・アジサイが多く植えられ、

境内には蓮の鉢が置かれるなど札所に加えて花の寺で知られる。』 とあります。

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納経所前の芭蕉句碑
・山吹や 宇治の焙炉の にほふ時

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蓮の鉢越しに見える納経所

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赤色の蓮の花

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白色の蓮の花

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本堂奥にある重文・十八神社本殿
長享元年(1487年)建立の三間社流造。

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十八神社から見た本堂

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参道脇のツツジ

 宇治は平安時代に都の貴族が別荘を営んだ場所ですが、

源氏物語の浮舟にもあるように哀調漂う雰囲気があります。

元々、宇治の由来は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の所縁から。

彼は応神天皇に愛された皇子ですが、

兄に皇位を譲るために命を絶ったと言われる人。

このような経緯が根底にあるからでしょうが、

お茶と花で脱却を図っているように見受けられました。

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庭園の石庭

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石庭

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池泉回遊式庭園

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池泉回遊式庭園

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参道よりあじさい園を見る

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遠くに山門が見える

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 前回訪れたのは26年前の6月4日。

唯、紫陽花の記憶が全く残っていないので時期尚早だったのでしょう。

今回、紫陽花は見頃、本堂前の蓮も少し咲いていました。

昔と違うのはスイーツ巡礼。参道右手の紫陽花園の中に

「花の茶屋」というものが出来て居り園内で食事可能。

主食系もありますが周囲の人は「あじさいづくし」の甘味。

私もそれに倣って「あじさいパフェ」。

宇治にある京の飴工房「岩井製菓」製のお菓子と宇治茶のコラボ。

巡礼も紫陽と味彩のコラボとはなりました。

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あじさい園の中にある「花の茶屋」

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スイーツメニュー

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あじさいパフェ

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特製コースター

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三室戸寺 略縁起

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三室戸寺御朱印
26年間に拝受したもの。

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三室戸寺御朱印(西国札所)

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限定御朱印 ¥500

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篠村八幡宮(京都府亀岡市) 足利高氏旗挙げの神社

2019.11.22(21:13) 487

源氏の崇拝篤い神社(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺 → レンタサイクル20分 → 神蔵寺 → レンタサイクル20分 → 鍬山神社 → レンタサイクル15分 → 篠村八幡宮 → レンタサイクル15分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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篠村八幡宮(祭神応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)

 鍬山神社参拝の後は、JR馬堀方面まで移動。

篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)は、社伝に拠れば

『延久3年(1071年)、勅宣によって河内国誉田八幡宮の神霊を都守護のために勧進したのが始まり。

元弘3年(1333年)、足利高氏が鎌倉幕府に叛旗を翻し六波羅探題を攻める際に、当社に願文を納めた。

これは今も現存している。

その時源氏の白旗を楊に掲げ、境内には諸将の納めた矢が塚の如く積み上げられたと

太平記にあるが、旗立楊や矢塚が境内にある。

室町時代は歴代足利将軍の庇護で栄え、明智光秀の丹波攻めで損害を受けたものの復興し、

江戸時代には歴代亀山城主の祈願所となった。』 とあります。

 創建翌年の延久4年の源頼義の寄進状が残って居り、

加えてこの地は頼義の荘園であった事から、勧進したのは源頼義とするのが妥当。

頼義直系の足利氏が旗揚げをこの地でしたのも、こうした理由ならば当然であったでしょう。

 歴史的上、ターニングポイントとなった場所ながら人は疎ら。加えて社務所も無人の様子。

歴史を偲ぶには十分ですが、やはり花がないといけないようです。

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9号線沿いにある案内板

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八幡宮入口

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八幡宮鳥居

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境内の様子

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拝殿

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本殿

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後方から本殿を見る

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本殿西側にある矢塚

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八幡宮北端にある旗立楊

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鍬山神社(京都府亀岡市) 亀岡随一の紅葉の名所の御朱印

2019.11.21(20:46) 486

鍬入れで湿地を回復(2019.11.15)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺 → レンタサイクル20分 → 神蔵寺 → レンタサイクル20分 → 鍬山神社

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鍬山神社(延喜式内社)

 神蔵寺に参拝後、市街地へ戻り昼食を摂った後、鍬山(くわやま)神社へ。

『和銅2年(709年)の創建。大己貴命(大国主命)を祀る鍬山宮と

誉田別命(応神天皇)を祀る八幡宮の二棟の本殿から成る。

 神代の昔、丹波亀岡は泥海であったため、大己貴命が自ら鍬を取って水を抜き沃野となった。

そこで命を祀り鍬山神社とした。』 とあります。

 現在地の場所からは想像できませんが、かつては西の竜ヶ尾山北麓の医王谷にあったそうなので、

それならば辻褄は合います。平安時代の医師丹波康頼が崇拝した神社でもありました。

 ここの祭礼は室町期から有名で明智光秀の入部で禁止となりますが、

慶長15年(1610年)に社殿が移築、延宝9年(1671年)には祭礼も復活。

今も【えんぽう】から人が訪れます。

 それよりもここは亀岡きっての紅葉の名所だそうで、

この時期だけは拝観料が必要ですが、多くの人が訪れていました。

境内は楓だけでなく満天星も真っ赤に紅葉しており、神社の朱塗りとともに赤づくし。

気分も【高揚】する参拝とはなりました。

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神社の石鳥居
但し、ここは社から1㎞程度離れた場所にある。

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道路に面して建つ鳥居と社標
社への入口はここから徒歩3分。

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神社入口
全体が燃えるような赤色に染まる。右手が駐輪場。

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赤一色の参道の入口

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地面に近い場所は満天星の赤色

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参道を進む

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参道風景
行く手の右手が神社

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神社正面の鳥居

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拝殿もみじ

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拝殿もみじ

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紅葉のトンネルの向こうに見える拝殿

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拝殿近影

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拝殿横から本殿を望む

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鍬山宮本殿

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本殿後方の紅葉のトンネル

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本殿後方の紅葉のトンネル

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八幡宮本殿側面の彫刻

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本殿後方の石灯籠の上の苔

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八幡宮前面の彫刻

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本殿周囲を巡る塀

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塀越しに見る紅葉

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境内の紅葉風景

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池端の紅葉

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池に掛かる紅葉

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安産石と大紅葉

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御朱印拝受中に社務所より拝殿を見る

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境内の紅葉近影

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鍬山神社由緒記

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鍬山神社御朱印

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昼食は神社近くの「うな一」にて

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上うな重 ¥2,700
関西風で注文を受けてから焼く。肝吸、骨煎餅、う巻付。

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神蔵寺(京都府亀岡市) 源頼政ゆかりの紅葉の古刹の御朱印

2019.11.20(22:45) 485

菰にくるまれ籠った佐伯の薬師様(2019.11.15)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺 → レンタサイクル20分 → 神蔵寺

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朝日山 神蔵寺(臨済宗妙心寺派)

 千手寺参拝後、山を下って「湯の花温泉」の看板を右に見て更に進んで山裾へ。

朝日山神蔵寺(あさひざんじんぞうじ)は、由緒記に拠れば、

『延暦9年(790年)、最澄が開創。比叡山で修行中であった最澄は、

西方に紫雲たなびき朝日に映じたこの山を望み、自ら来て一寺を建立したと伝わる。

 その後、治承4年(1180年)の以仁王の挙兵では、神蔵寺の僧兵も加わったため、

乱後は平氏により所領を没収。その際に源頼政の首はこの寺へ葬るべく持ち帰ったが果たせず、

途中に葬られたのが市内の頼政塚である。

後の嘉禎元年(1235年)に天台僧達玄(たつげん)僧都が来て7年越しに再興した。

 戦国時代には明智光秀の丹波攻めで焼失。唯、本尊の薬師如来と両菩薩は

村人が菰に包んで山奥の岩屋に隠したため難を逃れた。

承応2年(1653年)に願西に拠る再建で天台宗から浄土宗へ改宗。

更に延宝7年(1679年)には亀山城主松平忠昭が

妙心寺の高隠玄厚(こういんげんこう)を中興開山として招き臨済宗となった。』

とあります。

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駐車場から神蔵寺谷川に架かる見返り橋を渡り本堂へ

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山門脇の寺標
境内奥には紅葉のトンネルが続く。

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紅葉に包まれた山門

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山門から見た境内
正面の階段を上ると本堂

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紅葉越しに庫裏を見る
御朱印はこちらで拝受。丹波庫裏と呼ぶべきか?

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庫裏と紅葉の巨木

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納経所から境内を見る
前日の14日まで紅葉のライトアップがあったので観賞用の椅子が用意されている。

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本堂を巡る石垣

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本堂への石段を上る

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石段を上った先からの景色

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塀越しに紅葉を見る

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深紅の紅葉と庫裏の屋根

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本堂前から見た景色

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本堂周辺の庭園
紅葉の赤に加え杉苔の緑が映える。

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正面から見た本堂
但し、苦難を乗り越えた本尊と両脇立ちは平成8年竣工の「東方閣」へ移された。

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本堂前の賽銭箱

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賽銭箱の由来

 まさに【こういん】矢の如しと言う位の目まぐるしい変遷ですが、

標高460mの朝日山は比叡山の真西。

また湯の花温泉の源泉もある事から霊水として注目されたのでしょう。

横を流れる神蔵寺谷川から境内にかけて紅葉の名所。

加えて地面には杉苔や地衣類が繁茂しています。

伺った所では苔の手入れは一切されていないそうで、

盆地に囲まれ霧や水蒸気に拠る高湿度が生育にプラスになっているようです。

京都市内では苔の手入れは手間が掛かるという話ですから、

山一つ越えただけで随分と印象が変わるものだと実感しました。

無【じん蔵】とはいかないようですが…。

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本堂脇から紅葉のトンネルが続く

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本堂脇を抜けて高台へ
右手に流れるのが神蔵寺谷川。

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トンネルの上り始め

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トンネルから山門方面を望む

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谷川の両側の紅葉

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谷川に架かる朱塗り橋

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橋上から谷川上流を望む

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橋を渡ると山門脇へ出る

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境内各所に見られる杉苔上に落ちた紅葉

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神蔵寺由緒記

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神蔵寺御朱印

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千手寺(京都府亀岡市) 空海所縁の山中の古刹の御朱印

2019.11.19(20:57) 484

投げた独鈷はどこに?(2019.11.15)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺

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獨鈷抛山千手寺(臨済宗妙心寺派)

 九月に来年の大河『麒麟がくる』 に所縁の【近隣】の亀岡へ参拝しましたが、

走っている途中に気になる看板が…。

その時は時間切れで駄目でしたが、帰って調べると紅葉の名所の様子。

どうせならという事で霜月の中旬に亀岡再訪。

 湯の花温泉街入口にある薭田野神社の横の道を山に向かって走ると、

行く手の山中に山門らしきものが目に入りました。

 舗装道の先に寺標があり、そこから細道を更に1.2㎞。

相当な上りでしたが10分で山門下に到着。これも電動自転車の普及のお蔭。有難い事です。

 獨鈷抛山千手寺(とこなげさんせんじゅじ)は、縁起に拠ると

『大同2年(807年)の創建。空海が唐から帰朝の際、明州の海上から日本に向かって投げた独鈷が、

春日明神の神託でこの地にある事が判明。

白鹿が空海を独鈷の落ちた場所に案内して姿を消した場所に建立したのが始まり。

地名も鹿谷となった。祀られているのは空海作とされる千手観音。これが山号・寺号の由来である。

 開創後は真言密教の霊場として栄えたが、天慶の頃(938~947年)に戦乱のため焼失。

応永10年(1403年)になり蘭渓道隆の法孫止庵(しあん)が中興して臨済宗に改宗。

更に天正5年(1577年)、明智光秀と争った内藤備前守の陣となったため再び焼失。

明暦3年(1656年)に妙心寺の禅岩(ぜんがん)が再興し妙心寺派となった。』とあります。

 石段を上り山門前に立つと眼下に市街が見渡せます。

境内は名所と言われるだけあって紅葉は多くありましたが、本堂前の大銀杏が黄色の彩を添えています。

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行く手の山の中腹に見えるのが山門

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一般道の先にある寺標

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このような山道を1.2㎞上る

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石段下へ到着

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石段横は紅葉のトンネル

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自動車は紅葉のトンネルを通り寺務所前まで行く事ができる

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山門
入母屋造、一間一戸の鐘楼門

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山門近影
これは明治5年(1872年)に愛宕大権現の白雲寺の鐘楼門を移築したもの。

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山門説明書

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山門下から亀岡市曽我部地区を望む

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由緒記

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山門下から境内を望む

 境内を探すと御住職と思しき人が軽トラに乗って居られてので、御願いして無事御朱印拝受。話を伺うと、

和辻:「紅葉の名所と聞きましたが、観光客は少ないですね。」

住職:「不便な場所なので、滅多に来られないです。鹿がしょっちゅう現れて、境内の葉っぱを食べてしまうので…。」

空海を導いた白鹿の伝説があるように鹿は多いようでした。

唯、独鈷伝説については懐疑的で

住職:「高野山の三鈷の話の焼き直しでしょう」 との事。

台風被害を伺うと、

住職:「境内は無事でしたが、途中の道路が土砂で埋まって陸の孤島です。

なのでパワーショベルを運転して土砂を除かないと駄目ですわ!

道路も行き違いができないので、拡張したいんですが、私有地なのでなかなか…」

どこでも人出の少ない所は人手が足りないのは共通。観音様の千手も借りたい状況でした。

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境内の堂宇
手前から、虚空蔵堂、薬師堂、観音堂。

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観音堂前の大銀杏
樹齢は数百年らしい。

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大正10年(1921年)建立の観音堂
本尊千手観音を祀る。左の工事中の建物は旧観音堂で今は開基・弘法大師を祀っている。

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観音堂前の彫刻

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書院と思いきやここが本堂らしい

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杉苔と紅葉
山に囲まれた盆地のため湿度が保たれる。

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寺務所前の紅葉越しに山門を見る

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紅葉のトンネルと石垣

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千手寺説明書

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千手寺御朱印

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穴太寺(京都府亀岡市) 二つの本尊のある西国札所の御朱印

2019.10.02(23:11) 432

種々の逸話と庭園に彩られた札所(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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菩提山 穴太寺(天台宗 西国三十三ヵ所第二十一番札所)

 山寺に参拝し、午前中に留守だった寺社を再訪した巡礼の〆は西方浄土の札所へ。

 菩提山穴太寺(ぼだいさんあなおうじ)は、縁起に拠れば

『慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂によって薬師如来を本尊として建立。

当初は穴穂寺、菩提寺とも称された。

 本尊は「身代わり観音」と呼ばれるが『扶桑略記』にはその説話が載る。

郡司・宇治宮成は粗暴で貪欲な男であったが妻は信心深い女性であった。

その妻の勧めで応和2年(962年)に宮成が仏師感世(かんぜ)に木彫りの聖観世音菩薩を造らせ奉納。

その礼として愛馬を与えたが、宮成は惜しくなって帰り道で感世を射殺。

馬を持ち帰った宮成が聖観音を見ると胸に自分の矢が突き刺さっている。

人をやって確かめると、感世は盗賊に襲われたが観音様の加護で難を逃れたとの由。

宮成は己の非を悔い、仏道に入り傷ついた観音様のために穴太寺を建て安置した。』 とあります。

 開基・中興と二人出て来る訳ですが、真実はどうなのか?

大伴古麻呂は遣唐使として入唐し鑑真を連れて帰国した人物。

後に橘奈良麻呂の変に連座して「杖下に死す」となりましたが、我が国の仏教界に与えた功績は大です。

一方「身代わり観音」の伝説は「今昔物語」ありますが宮成・感世の名はなし。

恐らく大伴古麻呂は後からの付け足しで、宮成とされる人物が事実上の開基。

無名なために箔を付けるために身代わり観音の霊験譚が出来たと考えるのが無理がなさそうです。

 本尊はその後盗難にあったとかで、今は模刻。仏師の身代わりになった観音様も盗人は防げなかったようです。

穴太という名から石積みの穴太衆と関係があるかと思いましたが、訊くと無関係でした。

 寺が飛躍するのは花山法皇が西国札所として以降ですが、天正年間と享保年間には罹災し、

多くの建物はその後の再建となっています。

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途中の栗園に咲く曼殊沙華

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穴太寺仁王門
南から真っすぐに街道が突き当たる場所に建つ。17世紀中頃の再建で三間一戸の八脚門。

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仁王門から見た境内

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文化元年(1804年)再建の多宝塔
亀岡市内で唯一の木造塔で、内部には釈迦如来と多宝如来を安置。

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享保20年(1735年)再建の本堂(観音堂)
本尊は薬師如来と聖観世音菩薩。

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本堂の瓦屋根は三間向拝がつく。

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本堂前の扁額

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本堂前は札所らしく広い吹き放しの外陣が

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本堂右手の納経所(御朱印所)
札所なので二人が対応されていた。

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納経所横の念仏堂
宝永2年(1705年)建立の寄棟造で、本尊・阿弥陀如来坐像を安置。

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地蔵堂と宇治宮成の墓所と言われる石造物

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地蔵堂前の庭

 このように創建時・中興時と逸話に彩られますが、明治以降にもこんな話が。

『明治29年、娘の病気平癒を願う大阪に住む女性が夢に穴太寺の釈迦涅槃像を見た。

女性は穴太寺に赴き住職に夢の話をするが、そんな仏様はどこにもない。

不思議に思って寺中を探すと本堂天井裏から夢に現れた釈迦涅槃像が見つかった。

女性が娘の着物で像をなでると病は快癒した』 と言われます。

 昔ならば奇跡譚で片付けられますが、明治時代の事なので全くの嘘とも言い切れません。

恐らく、病気の平癒と涅槃像の発見が偶然重なったので、このような伝説となったのでしょう。 

 本堂の二体の御本尊は秘仏ですが、釈迦涅槃像は本堂最奥に安置。

自分の病気の箇所と同じ涅槃像の個所を撫で、自分の身体をさすり返すと御利益があるとか。

布団が掛けてあるのは快癒した方からの奉納だとか。結構御利益があるのでしょうか?

 参拝と御朱印拝受の後は西側にある円応院の庭園拝観。26年前に参拝した時は庭園には全く気付かず。

受付の方に尋ねると昭和時代から拝観しているそうで、私が気付かなかっただけでした。

唯そういった人は多いそうで、納経所は人がいましたが庭園拝観していたのは私だけ。

当時は訪れても何も考えていなかったのだと、【あな往時】を回顧することになりました。

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本堂西にある円応院を拝観
方丈及び庫裏を併せた呼び名。

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玄関車寄
ここから左手が方丈に当たる。

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円応院入口から本堂へ続く渡り廊下
右の表門は宝永2年(1705年)建立の薬医門。

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渡り廊下から本堂を見る

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渡り廊下からみた多宝塔と表門

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本堂内陣への入口

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本堂横からの眺め

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数奇屋風味の方丈の主座敷

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方丈の襖絵
これは穴太寺の境内を描いた狩野派の絵画の複製。

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書院造の部屋より西の露地庭を望む

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西の露地庭の向こうにある茶室

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書院の南にある名勝・穴太寺庭園
多宝塔を借景として築山を設けており、左より水が流れ出る。

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庭園の中央部
園池の背後には段状に二列の石組みを配し横長の石を水平に置くことで安定感を出している。

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方丈廊下から見た庭園西側
池岸には舟付があり、沖合に向け出舟の形式がとられている。

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境内遠景

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穴太寺説明書

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今回拝受した穴太寺御朱印
薬師如来の別名「醫王善逝」と墨書。

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26年前に拝受した西国札所御朱印
余りにも達筆だが、「聖大悲殿」と墨書してある。

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南条郵便局 ; 西国二十一番札所・穴太寺多宝塔、蓮

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金輪寺(京都府亀岡市) 神尾山城跡に建つ修験道の古刹

2019.10.01(22:12) 431

駅から遠い【きんりん】寺(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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神尾山 金輪寺(本山修験宗系単立)

 桔梗寺に続き、いよいよ山中の寺へ巡礼。

麓の郵便局で尋ねると、「横のみちを真っすぐですが、結構な距離の山道ですよ。」 との事。

地図で見ると1㎞程度に見えましたが、実際に登り口に行くと「この先2.2㎞」の表示。といって今更引き返すのも嫌なので、

「山道を行けるところまで自転車で行き、残りを歩く」 と決めて出発。

ところがいざ走り出すとどんどん上っていき、気が付くと山門前に。こういった場合、電動自転車は本当に便利で役に立ちます。

 神尾山金輪寺(かんのおさんきんりんじ)は、寺伝では

『延暦2年(783年)西願上人によって天台宗寺院として創建。

本尊・薬師如来は奈良時代の作といわれ、本朝最初の医学書『医心方』を著した丹波康頼の念持仏とされる。

その後、一時衰退するが寛治年間(1087~1093年)に栂尾高山寺の明恵上人により再興、境内には多くの堂宇が並んだ。

戦国時代には明智光秀の丹波平定の居城の一つ神尾山城が山の続きにあり、

波多野氏兄弟が人質として連れて来られたのがここと言われる。

幕末の黙仙和尚は勤皇僧で安政の大獄で処刑された頼三樹三郎の供養塔がある。』

とあります。修験道の道場でありますが、時代毎に政治的な動きをしています。

僧侶は俗世とは縁を切った筈ですが、なかなかそうとはいかないようです。

 石段を上った左には鎌倉時代作の重文・石造五重塔があり大きな屋根の本堂が正面に控えます。

凛とした境内には人も居らず、開いていた扉から本堂へ入り本尊参拝。

本堂内には大きな仁王像があり、由緒記にあった正安3年(1301年)仏師定有作の金剛力士像がこれでしょうか。
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金輪寺へと続く山道
このような道を2.2㎞上る。

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入口へ到着

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寺標

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金輪寺説明板

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本堂へ続く石段

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境内の様子

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本堂正面

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屋根の勾配が美しい

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本堂前面
鰐口は永徳2年(1382年)とある。

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花型の窓の向こうに仁王像が置かれている

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本堂から境内を見る
天文3年(1534年)の銘がある梵鐘は左の鐘楼のものか?

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右は鎌倉時代の五重石塔、左は江戸時代の九重石塔

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正応5年(1292年)建造の重文・五重石塔

 その後、寺務所へ伺い御朱印を拝受。御住職の話では

「ここは観光寺院ではないので、観光設備は一切ございません。今年になって来られた方はあなたが初めてです。」との事。

本堂へお参りした話をすると、部外者は入れないそうで扉を閉め忘れていたとの話。

怒られるかと思いましたが、そんな事はありませんでした。檀家さんが160家程あるそうで、それで寺を維持しているそうです。

 「来て頂いても何も見て頂くものはないので」と御住職は仰いましたが、私的には見所は多いと感じました。

観光を謝絶している訳ではないですが、呼び込む事はしていないという事でしょう。

修験道ならばそれが本筋ではありますが…。

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寺務所の前庭

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寺務所からの景色
御住職の話では標高340mほど。

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本堂裏にある西国三十三ヵ所のお砂踏み
ここを巡礼すると三十三ヵ所に参拝した功徳があると言う。右奥は頼三樹三郎の墓碑。

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境内に生えるオオモミジ
イロハモミジの自然変種。

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半国山への道
神尾山城があったとされる。

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金輪寺御朱印
本尊・薬師如来を表す梵字「えい」。

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亀岡宮前郵便局 ; 木造金剛力士立像、重文・金輪寺五重石塔、半国山

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桔梗寺(京都府亀岡市) 光秀所縁の水色桔梗の御朱印

2019.10.01(08:15) 430

ききょうした光秀の魂(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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清瀧山 谷性寺(真言宗大覚寺派)

 薭田野神社参拝後、湯の花温泉を通り過ぎて更に進むと「ききょうの里」の看板が。

清瀧山谷性寺(せいりょうざんこくしょうじ)は、由緒記に拠れば、

『平安時代の創建と伝わる真言宗の古刹。本尊の不動明王は丹波亀山城主明智光秀公が崇拝し、

本能寺の変では本尊に祈願を掛け見事本懐を遂げたと伝わる。

天正10年(1582年)光秀公が山崎の合戦後、無念の死を遂げると、従者が公に所縁の当寺に墓碑を建立。

更に安政2年(1855年)には志士により首塚ができた。』

とあります。

境内や門前には桔梗が植えられ谷性寺は桔梗寺、周辺はききょうの里と呼ばれますが、

これは光秀公の家紋の桔梗に由来。明智家の家紋「水色桔梗」は明智氏本家の土岐家の家紋。

土岐家発祥の地は、桔梗の咲く場所で桔梗の古語「岡ととき」が氏の由来だそう。

光秀もこの紋に誇りを持っていたようで、当時としては珍しい色付きの家紋だったようです。

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道路から見た「ききょうの里」
右奥の赤い屋根が谷性寺。丁度、稲刈りの最中。

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谷性寺入口
山門前の三本の枝垂桜が見事。

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寺の由緒記

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山門へと続く石段
右の生垣はお茶らしい。

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山門近影

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山門の扉にある桔梗紋

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寺の右手にある明智山門
丹波亀山城の門を移築したものか?

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明智山門から境内を見る

 午前中に訪れた時は不在で御朱印は頂けませんでしたが、帰り道に伺うと住職が居られ御朱印を無事拝受。

明智に倣い水色桔梗の印でした。

御住職の話では、訪れる人は殆ど自家用車で、駅から自転車で来た人は私が二人目。

もう一人は台湾からの観光客との事。台湾でも光秀はブームなのでしょうか?

 境内の草木の説明もして頂きました。桔梗と言えば秋の七草と思っていましたが、

この辺りの桔梗は初夏が見頃。丁度農閑期に当たっているそうです。

その時に咲いた花を切ると秋には再び花を咲かせますが、農家では稲刈りが忙しくて対応できないそうです。

勿体ない話ですが、米作優先は致し方ありません。

境内には水色桔梗が咲いていましたが、他にも白色、斑入りや八重があるそう。初夏にはさぞ壮観でしょう。

 桔梗が有名ですが、その他にもツワブキ、ヒオウギ、牡丹、木蓮、茶があり、茶には今時珍しいカラスウリが。

御住職の話では種が大黒様の形をしているので、引き抜かずにいるとか。

子供の頃は赤い実をぶつけて遊びましたが、これは初耳でした。

圧巻は山門前の3本の枝垂桜。満開の時期は艶やかでしょうが、場所のためか来る人も少ないようです。

草木の管理もさぞ大変でしょうと言うと、

「お寺の予算では松の木の対応が精一杯で、草花は全てこちらで管理です。私が寺に来た時は庭も荒れ放題で、

引き抜こうと思ったのですが、先代住職のたっての願いで管理しています」との事。

どこのお寺も維持管理は大変ですが、ここも例外ではない様子。

 首塚ができたのは300年近く後ですから、実際に光秀の首が葬られた可能性は小。

地元への貢献度が高かったという証拠でしょう。

私が日本史を始めて習った当時は、戦国武将では明智光秀は主人殺しの大悪人、

石田三成は主家を滅ぼした奸臣と【こくしょう】されていました。

それが最近はその政治的手腕が見直されていることを思えば、人物の歴史評価は棺桶を覆っても未だ定まらない感があります。

志半ばで無念の死を遂げた光秀ですが、その魂は【土岐】を越えて、領地に【桔梗】した事で安住の地を得たと言えそうです。

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不動明王を祀る本堂

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正面から見た本堂
幕にも桔梗紋が。

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境内の様子
カイヅカイブキの向こうが山門

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光秀公首塚

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鐘楼付近から見た境内

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境内の桔梗

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境内の桔梗

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谷性寺御朱印

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薭田野神社(京都府亀岡市) 五穀豊穣を祀る奈良時代の古社

2019.09.30(23:21) 429

薭田野、あれ?(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル20分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 金勝寺 → レンタサイクル15分 → 谷性寺 → レンタサイクル30分 → 薭田野神社 → レンタサイクル10分 → 穴太寺 → レンタサイクル20分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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薭田野神社(延喜式内)

 長月も末の六日、10月からの消費税値上げを前に来年の大河『麒麟がくる』に所縁の【近隣】の亀岡へ。

京都の奥座敷と呼ばれる温泉街で、かつては雄琴・芦原と並ぶ歓楽街。

しかし今は雄琴と同様に女性客をターゲットとしたしっとり落ち着いた温泉に脱皮しています。

 温泉街は駅から5㎞程離れていますが、今回の行先は更に7㎞奥にある修験道の古刹。

かつては駅からの移動手段はバスと徒歩のみでしたが、いまは駅前にレンタサイクルがあり早速利用。

最近はレンタサイクルを設置する駅が増えていますが、これも電動自転車の普及のお蔭。有難い事です。

その途中、大石酒造や立派な家屋が並ぶ街道を抜けると奈良時代創建の古社に到着。

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京都の奥座敷 湯の花温泉
これは西側入口で奥に猪像が建つ。

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駅から温泉へと続く街道には趣のある家屋が続く

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㈱西田寒天商店とあったから、寒天を商う会社か?

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これは佐藤医院とある

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ここは大石家とあるから酒造の家か

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大石酒造
丹波の地酒を造って居り、資料館併設、見学もできる。

 温泉入口にある薭田野神社(ひえたのじんじゃ)は、奈良時代創建という古社。由緒記に拠ると、

『約三千年前に、この地に住み着いた人々が、現在の社殿の奥に土盛りをして食物の神、野山の神を祀ったと伝わる。

その後、和銅2年(709年)丹波国守大神朝臣狛麿が朝廷の命で、土盛りの前に社殿を造営。

佐伯郷の産土神として国家安泰と五穀豊穣を祀ったのが神社の起こりである。

更に貞観元年(859年)5月の大雪の際に清和天皇が勅使を遣わし稲の生育を祈らせ、

寛喜元年(1229年)には後堀河天皇が御所灯籠5基を下賜して豊作を祈らせた。

これが現在まで伝わる佐伯灯籠の起源になっている。』

とあります。

 古来より、五穀豊穣の神として敬われた事が分かります。

御祭神は三柱ですが、筆頭は保食命(うけもちのもこと)。この名からも食物神であることは明白。

8月14日の灯籠祭りでは1基の台灯籠が町を練り歩き、雛人形のような小さな人形浄瑠璃が演じられるとか。

これはお盆の精霊送りの流れでしょうか?

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平安神宮大鳥居に次ぐ京都府下で二番目に大きい鳥居

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駐車場から見た境内

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正面から拝殿を見る

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神社由緒記

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前拝殿(舞殿)

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左から前拝殿、拝殿、本殿と続く

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拝殿横の「石の環くぐり」
願い事を念じながらくぐると願い事を達成する体力を授かるとされる。

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京式八角石燈籠
源義経奉納と伝わる鎌倉時代を代表する石像美術品。

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必勝願掛石
自分が最後までやりきる気力を授かる。表面には大小の白蛇の図柄が見えるとか。

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鎌倉時代の本殿の礎石

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境内にある「癌封治瘤の木」
この瘤を一心こめて撫でると癌に罹病しないとの御利益があるそう。

 午前中は、社務所は閉鎖でしたが、2カ寺巡礼後の昼過ぎに再訪すると神職が居られ、御朱印も拝受。

神職からも貴重なお話を伺うことができました。

「昔は、“日恵田神社”と記載したようで、五穀を祀ったのは間違いないでしょう」

稗田阿礼との関りを尋ねると、

「阿礼はこの地の生まれという事で、御祭神とは関係ないのですが、1300年記念に祀っています。」との事。

稗田阿礼の稗は神社と異なり草冠がありませんが、この字は奈良朝以降に登場するようです。

神社の名前に遠慮して変えたのかもしれません。

来る前は、神社と人名の漢字の違いに【あれ?】と思いましたが、これで疑問も氷解です。

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境内奥の稗田阿禮社
古事記編纂に功績のあった稗田阿礼がこの地に住んだという伝説によりできたもの。

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稗田阿禮社の祠

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稗田阿禮の説明

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和銅禊の池
創建当時の里人がここで禊して豊作と無病息災を祈ったと伝わる。

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境内の大シラカシ

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境内に広がる鎮守の森

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薭田野神社由緒記

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薭田野神社御朱印
書かれたものを拝受。

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佐伯郵便局 ; 佐伯灯籠(人形浄瑠璃)、さくら石、湯の花温泉の街並み

[参考書]

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丹後国分寺(京都府宮津市) 雪舟の描いた国分寺の御朱印と天橋立マンホールカード

2019.09.01(09:59) 393

戦乱と災害を乗り越えた古刹(2019.8.26)

<コース>
JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08) → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺 → 天橋立 → 籠神社丹後国分寺 → 宮津(16:29) → 福知山(17:25→18:11) → JR大阪(20:12)

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護国山 国分寺(真言宗単立寺院)

 天橋立を渡った場所から阿蘇海北岸を西に1㎞行った高台にあるのが丹後国分寺。

現在の宮津の中心は鉄道の通る南岸ですが、古代では国府・国分寺・一之宮と全て北岸にあった事が分かります。

現在の寺から海に少し下がった所にある旧国分寺跡が創建時の場所。

創建年代ははっきりしませんが、聖武天皇の勅命から時を経ず建立されたのは確かなようです。
 
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天橋立から国分寺方面を望む

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高台に建つ丹後国分寺全景

 その後、衰退しますが住職であった円源坊宣基が再興に着手。嘉暦3年(1328年)には盗難にあった本尊も買い戻し、

建武元年(1334年)には盛大な金堂上棟式を行ったと記録にあります。

雪舟の「国宝・天橋立図」に描かれた本堂と五重塔はこの時のものです。当時は鎌倉幕府が滅び室町に移行する乱世。

そんなさ中に再興した宣基の手腕は大したものですが、仏像を盗む輩がいた事は今も昔も変わらないようです。

 戦国時代の永正年間に一色氏と若狭武田氏の兵乱で焼失しますが、すぐに再建。

しかし江戸時代の天和3年(1683年)の山津波で流失。再建は少し高台の現在地に移りました。

観光寺院ではないので訪れる人もいませんでしたが、場所は変わっても天平の国分寺の法灯を継ぐ寺院であるのは確か。

境内に立つと正面に天橋立が横一文字に見えます。天橋立同様、丹後国を見守り続けた事を感じます。

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石段を上り山門へ

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山門近影

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山門上から見た阿蘇海
旧国分寺跡は下の畑?の右手にある。

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境内より山門を振り返る

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山門より境内を見る

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正面より見た本堂
本尊は薬師如来。

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本堂前欄間の龍の彫刻
成相寺の龍は左甚五郎作とされるが、ここは違う模様。

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本堂より見た阿蘇海と天橋立

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境内より見た天橋立

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丹後国分寺御朱印

参拝後は宮津駅へ。江戸時代は城下町と港で栄えて町には三上家はじめ旧家が残ります。

また湊町ならではの遊郭があった事でも有名。

・丹後の宮津でピンと出た 縞の財布が空になる♪

の宮津節はこのことを歌ったものでしょうか?

という訳で一日三ヵ所巡礼も無事終了。文字通り日本参詣とはなりました。

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宮津駅近くの大手川に架かるヨット型橋梁

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江戸時代、商業で栄えた宮津に残る街並み

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重文・旧三上家住宅
元結屋の屋号で酒造業と廻船問屋を営んだ豪商。主屋は天明3年(1783年)の建築。

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京都丹後鉄道(KTR)宮津駅舎
商家を模した造り。KTRはその場所に関係のある個性的な駅舎が多い。

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宮津湾流域下水道マンホール蓋
天橋立とオオミズナギドリ(京都府の鳥)

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宮津湾流域下水道マンホールカード     配布場所はこちら

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元伊勢籠神社(京都府宮津市) 伊勢の元になった神社の御朱印

2019.08.31(21:10) 392

遠い海から来た神様(2019.8.26)

<コース>
JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08) → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺 → 天橋立 → 籠神社

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籠神社(丹後国一宮 式内社 旧国幣中社)

 知恩寺から3.3㎞の天橋立を渡った反対側にあるのが元伊勢籠(もといせこの)神社。

その創建は古く、

『上代の創建で、初め豊受大神を祀り、雄略天皇の時代に天照大神を伊勢に祀る前にここに祀った。故に元伊勢と呼ぶ。

大化の改新の後は籠神社と称し、10世紀以降は丹後一宮と呼ばれた事が六国史から分かる。

その間、養老3年719年に現在地に移転した。』

とあります。

 伝説時代はさておき、古代から人々の崇拝の対象となっていたのは確か。

ここの神職は代々海部(あまべ)氏が務めており現代84代目。

断絶を避けるために今でも親子で同じ飛行機には乗られないという徹底ぶり。

その系譜が残っており国宝。海部氏はその字から想像するに海に所縁のある一族で、その首長が祭祀を行ったと考えられます。

 鎮座される場所は天橋立を挟んで知恩寺の向かい側。宮津湾の入り口を抑える場所に当たります。

古代には更に高台の奥宮・真名井神社に豊受大神が鎮座されていたそうですから、港を一望できる場所だったでしょう。

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廻旋橋が回って船が航行中

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廻旋橋説明

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廻旋橋上から阿蘇海、府中方面を見る

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天橋立から見た知恩寺境内

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天橋立から宮津湾方面を望む

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天橋立の中を行く

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傘松方面へ近づく

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元伊勢籠神社一の鳥居

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二の鳥居

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二の鳥居近影

 陸伝いにはやや不便ですが、海の移動を考えると立地条件は良好。

古来より海人族を率いた海部氏ならではの選択と言えそうです。

 丹後半島の奥には舟屋で有名な伊根がありますが、そこには浦島伝説の神社もあるとか。

海を渡って来た民族の神が一旦この地に留まり、その後伊勢に移ったとすれば、元伊勢の由来も朧気ながら分かる気がします。

古代においては文化の一大中継地点だったのでしょう。

 信州にも安曇という地名が残っていますが、この一族も海伝いに来た一族。

日本海は今以上に古代では交通の大動脈だったと考えられます。

その理由ですが、海岸沿いに対馬海流が規則正しく流れており風と異なり航海の時間が読める事が重宝されたと考えられます。

魏志倭人伝の邪馬台国に 「水行十日」 とあるのは瀬戸内海と考える事が多いですが、日本海と考えると全く別のルートが

浮かび上がります。とする途中の「ツマ」国は「イヅモ」の訛ったものかと想像が膨らみます。

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神門前の阿形の狛犬
凝灰岩製の(神社には鎌倉時代とあるが…)桃山時代の作で重文。尚、この狛犬の右足には鉄輪がはめられているが、これは悪事を働いたために天正年間に石見重太郎に斬られた跡と伝わる。

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狛犬説明

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神門
ここより先は撮影禁止。

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神社由緒

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籠神社御朱印

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宮津市マンホール蓋
神社の前の道に設置

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天橋立駅前郵便局 ; 文殊山から見た天橋立・飛龍観、可動橋・廻旋橋、知恵の輪灯篭
天橋立郵便局 ; 天橋立

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知恵の文殊堂(京都府宮津市) 天橋立に建つ文殊様の御朱印

2019.08.30(20:33) 391

山陰寄れば文殊の餅(2019.8.26)

<コース>
【往路】JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08)

宮津 → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺

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天橋山 知恩寺(臨済宗妙心寺派)

 台風の影響で雨が多く家に籠る日が多かったですが、久しぶりの晴天予報を聞き夏場らしく丹後へ。

 福知山から舞鶴線で終点の東舞鶴下車。

舞鶴湾は天然の良港ですが、西は城下町で漁船や客船が着く場所。東は役所と軍港と棲み分けができています。

 戦前は旧帝国海軍の鎮守府が置かれた軍港で東郷元帥も日露戦争前は舞鶴鎮台の職にありました。

戦後は「岸壁の母」の舞台となった引揚船の港と歴史を刻んでいます。

今は、海軍ゆかりのカレーと海軍施設の赤レンガ倉庫群で町興しをしていますが、西と【とうごう】するのは難しそうです。

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舞鶴赤れんがパーク
旧帝国海軍の倉庫として明治35~36年に建設された。今は記念館やレストランが入っている。

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自衛隊桟橋付近にて

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舞鶴市マンホール蓋
赤れんがパーク横の国道27号線付近に設置。

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舞鶴市マンホールカード    配布場所はこちら

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舞鶴北吸郵便局 ; 舞鶴引揚記念館、望郷慰霊の碑
中舞鶴郵便局 ; 海上保安学校校舎、舞鶴湾の戸島

 赤れんがと軍港を見た後は西舞鶴からKTRで宮津へ。道の駅でレンタサイクルを借りて栗田半島方面へサイクリング。

途中、雪舟が国宝・天橋立図の構図にしたと言われる場所がありましたが、やや標高が足りず。

他にはそのような場所は無く、結局彼は想像であの絵を描いたのだろうと結論しました。

写実も勿論ですが、想像力も芸術家には不可欠だという事です。

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栗田半島から見た天橋立

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栗田半島から遠く伊根方面を見る

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雪舟が描いた絵の場所とされる所にある稲荷社

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社の高台から見た天橋立
後方の阿蘇海が辛うじて見えるくらいで、構図はもう少し高い場所か?

 その後は知恵の文殊さまへお参り。
ここを訪れるのは5回目ですが、橋立観光の起点に近く宿泊・食事施設が集中しているので観光客が多いのはいつもの事。

 唯、御朱印を貰う人は確実に増えておりブームが衰えていないのを実感しました。

天橋山知恩寺(あまはしさんちおんじ)は、寺伝に拠ると

『起源は神話時代に遡り、イザナギ・イザナミの二神が、この地に棲む悪龍を教化するために中国五台山より知恵の文殊菩薩を

迎えた事に始まるとされる。

歴史的には大同3年808年に平城天皇が悪夢により当地に来て勅願により建立したと言われ、山号・寺号は延喜4年(904年)に

醍醐天皇に拠るとされ勅額は醍醐天皇のものである。』

とあります。

 天橋立は全長3.3㎞の砂嘴で『丹後国風土記』ではイザナギが天に渡るべく架けたとされるもの。

そうでなくともこの自然の驚異を目にする人は必ず神秘性を感じたに違いなく、昔から多くの人を惹き付けてきました。

 天橋立を訪れる人は先ずこの寺に詣でるのが常で、寺伝もそのような歴史が堆積したものでしょう。

平安時代は国司が補修に携わっています。


 鎌倉時代に禅宗となり、室町期には将軍・守護大名も保護に努め、明徳4年に足利義満、応永29年には足利義持が

参詣したと伝わります。

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知恩寺山門(楼門)
明和5年(1768年)建造の禅宗様式で三間三戸二重門は丹後地方最大。楼上には釈迦如来、十六羅漢を安置する。

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山門正面
上の扁額は「黄金閣」。

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境内から見た山門

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山門を入って左手の重文・多宝塔
一色氏の武将府中城主延永春信が病気全快を感謝して明応9年(1500年)に寄進したもの。塔内には大日如来を安置。

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本堂前から境内を望む

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山門正面にある宝形造の本堂(文殊堂)
文殊菩薩降臨の地と云われ、本尊は重文・木像文殊菩薩像。

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本堂近影
内陣の四本柱を特に神建の柱と呼び、神代建立の伝説を持つ江戸中期の建築。

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本堂側面
前面二間を吹放しの外陣、四囲は吹放しの化粧軒天井になっている。

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庫裏に続く楼門

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鐘楼

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本堂側面

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本堂横の無相堂

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何故か扇子の形のおみくじが

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境内にある石造宝篋印塔
何時の頃からか和泉式部の歌塚と伝えられる。

 今でも観光客は多く、参拝者は海辺に建つ知恵の輪くぐりをする習わし。

尤も元来は港に入る船の燈台の役目をしていたそうですから、知恵者がいたのでしょう。

天橋立は知恩寺とは完全に陸続きにはなっておらず廻旋橋でつながっています。

その場所の切戸から寺の別名・切戸文殊堂が来ています。

 山門前には「知恵の餅」の店が四軒。

真夏なのでスルーかと思っていたら、「知恵の餅付きかき氷」の看板が目に入ったので早速立ち寄り。

値段も¥500と良心的でした。

三島大社もそうですが、猛暑にはかき氷とコラボするのが良作。ここにも文殊の知恵が生きていました。

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阿蘇海の岸に建つ 「知恵の輪」

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「知恵の輪」 説明

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知恩寺川と天橋立川を繋ぐ廻旋橋
船が通るときに動く仕掛けである。

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知恩寺説明書

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知恩寺御朱印
四半世紀以上前に拝受したものだが、現在までこれ一種類を守っているのが素晴らしい。

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知恩寺オリジナル御朱印帳
今は同じ図柄でこれより一回り大きなタイプも販売されている事に時代の流れを感じる。

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門前の彦兵衛にて一服
左の自転車がこの日の相棒。

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知恵の餅入りかき氷 ¥500

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禅定寺(京都府綴喜郡宇治田原町) 重文・藤原時代の十一面観音様の御朱印

2019.07.06(17:35) 336

日本茶の里で観音様に対面 (2019.7.5)

<コース> 京都京阪バスは日中60分間隔で運転
【往路】京阪電鉄淀屋橋(7:40) → 京阪宇治(8:41→8:54) → (京都京阪バス30分) → 維中前(9:24) → 徒歩30分 → 禅定寺

【復路】維中前(13:04) → (京都京阪バス30分) → 京阪宇治(13:34→14:39) → 京阪電鉄淀屋橋(15:33)

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白華補陀落山 観音妙智院 禅定寺(曹洞宗)

 夏も近づく八十八夜もとっくに過ぎ去った7月上旬、宇治の更に奥にある宇治田原町に巡礼。

 ここは15年の苦心の末、元文3年(1738年)に緑の煎茶の製法を発明した永谷宗円の誕生の地。日本橋の豪商山本嘉兵衛が売り4年後売茶翁(ばいさおう)が風流道からそれを広め80年程かけて全国に広まりました。

 地元では茶祖として崇拝されており宗円なくしては今の日本茶はなかったでしょう。尚、宗円の子孫の永谷嘉男が大正時代に創業したのがお茶漬け海苔の「永谷園」です。

 今は宇治駅からも京田辺駅からもバスが1時間に1本という地域ですが、その昔は山城から近江の信楽・瀬田に抜ける道で、平安京以前には宇治田原越え禅定寺越えと東海道に通じる古道でした。

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バス通りから見た茶畑
山裾に茶畑が広がるのはと変わらぬ風景だが、山上にニュータウンが広がっているのは現代風。

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お寺へ向かう山道

 洛南の宇治は平安時代の中期からは都の貴族、特に藤原一族の別荘として注目されるようになります。頼通が作った平等院はその典型ですが、禅定寺地区はその先駆けになります。

 田原川の支流禅定寺川に沿って北に行った山麓は山岳宗教の行場として桑在寺(くありじ)がありましたが、それを前身として正暦2年(991年)東大寺53代別当平崇(へいそ)上人が頼通の祖父兼家の帰依を受けて建立したのが禅定寺本堂。

 造営に要したのは5年、本尊として十一面観音を安置しました。

 その後、長保3年(1001年)には田畑1千町歩を施入。道長始め摂関家の保護を受け平安末には平等院の末寺になりますが武家の時代になり衰退。楽あれば【くあり】。

 しかし寺領が広大であったため住民との関係が深まり、寄人が中心となって寺に維持に務めました。

 戦国期に兵火で焼失しますが、江戸時代に延宝8年1680年に加賀大乗寺の月舟宗胡(げっしゅうそうこ)禅師が【えんぽう】から入寺、加賀藩家老本多政長の援助で再興し曹洞宗になりました。

 兵火に遭遇しながら本尊は災難を潜り抜け、藤原時代の姿を保っています。その他、四天王像など重文が計9点。都から距離があったとはいえ、これだけのものを守り通した努力は大したものです。

 お寺は道路から石段を上がった場所、仁王門をくぐると紫陽花、紅葉、竜胆等が植えられた禅宗風の庭があり、今の御住職が熱心に作庭されたとか。

 また本堂の裏手の墓地の壁には大涅槃図が描かれており、中央の釈迦涅槃図は画家に拠るものですが、周囲の絵は地元の有志の作。中世時期に村で寺院を守った伝統が今に至るまで生きているようでした。

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禅定寺入口
ここまでは町内コミュニティバスが運行されている。

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石段の先にある山門

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顎紫陽花の向こうに見える仁王門

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仁王門近影
江戸期の建築。

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仁王門から山門を振り返る
右にあるのが重文の仏像等を納める宝物殿。

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仁王門の扁額

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仁王阿像と大草鞋

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仁王門を過ぎた場所に立つ五輪塔

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五輪塔付近から見た仁王門

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禅定寺境内

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茅葺の傾斜が美しい江戸期建築の本堂

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本堂近影
茅葺と思っていたが御住職の話では琵琶湖のヨシだそう。

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本堂の屋根

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本堂の扁額
藤原氏所縁の寺院だが、菊の御紋が。

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本堂裏の禅宗様内庭

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平成の大涅槃図
本堂裏の墓地の塀に描かれている。

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本尊の重文・十一面観音
高さ286㎝の観音様。撮影禁止なので「南山城の古寺」より抜粋。

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本堂前庭

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庫裏より見た境内

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紫陽花
青・紫色系列の花を中心に植えているとの事。

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池越しに見る本堂

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十八善神堂

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禅定寺略縁起

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禅定寺御朱印

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宇治田原町マンホール蓋

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カラーマンホール蓋は上下水道庁舎に展示

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宇治田原町マンホールカード   配布場所は宇治田原町 上下水道庁舎

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宇治橋の袂の「通圓」にて抹茶パフェ ¥850
向こうに見えるのが宇治川。

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宇治田原郵便局 ; 茶祖・永谷宗円の生家と碑、茶摘み、茶壺
郷之口郵便局 ; 茶祖・永谷宗円翁の碑、茶摘み、茶、茶壺

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大御堂(京都府京田辺市) 天平時代の国宝十一面観音の御朱印

2019.07.02(21:03) 332

田圃の中の国宝探訪(2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺 → 寿宝寺 → 観音寺

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息長山 観音寺(真言宗智山派)
睡蓮池越しに見る本堂。

 本日の三番目は国宝仏を拝観。JR三山木駅から西へ2㎞、細い川を渡ると田畑の向こうに堂宇が見えます。

 息長山観音寺(おきながさんかんのんじ)は、天武天皇の勅願により義淵僧正が建立した親山寺(しんざんじ)が前身。釈迦仏と薬師如来を祀り、天平16年(744年)聖武天皇の勅願で義淵門下の良弁が伽藍を増築して十一面観音を安置。

 良弁僧正の高弟で東大寺二月堂の御お水取りを始めた実忠和尚が第一世に。法相三論華厳等を兼学し息長山普賢教法寺として世の尊崇を集めました。諸堂十三、僧坊二十余を数え、その壮大さから「筒城の大寺」と呼ばれました。

 筒城は仁徳天皇の磐之媛皇后と継体天皇が宮を置いた場所。天平14年といえば聖武天皇が恭仁、信楽と都を移動していた頃なので、大寺の建設も遷都の一貫だったのでしょう。

 東には木津川が流れ支流に普賢寺川もある交通の要衝という点が重視された気がします。

 当時ここは南都の勢力範囲で、親山寺は北院として重視されました。度々の火災にも延暦13年(794年)には藤原良房、平重衡の南都焼討のあった治承4年(1180年)には近衛基通の力で再建。

 摂関家の庇護を受けた事が大きく、特に近衛基通はここに隠棲し普賢寺殿の名で葬られています。

 しかし戦国期になって貴族の力が衰えると衰退、永享9年(1437年)の火災で大部分が消失。再建された大御堂と小御堂も永禄8年(1565年)に罹災して大御堂のみが再建されています。

 明治期には南山城一帯の寺院は衰退し殆ど無住になったとか。いまの浄瑠璃寺や岩船寺からは想像もつきませんが、それほどまでに仏教には試練だったとの証拠です。その後、真言宗智山派がこの地域に入り今に至ります。

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観音寺全景

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境内へ続く参道
春には両脇に桜が満開となる。

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参道の先にある本堂(大御堂)

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本堂前にある睡蓮池

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池から見た本堂

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本堂正面

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ここから入って御本尊を拝観 ¥400

 大御堂はかつての諸堂の中の普賢寺に相当しますが、本尊から観音寺と呼ぶのが一般的。

 この本尊こそ、数々の苦難を乗り越えて天平時代から現在まで伝わった【息の長い】観音様。木心乾漆造という独特の手法で、我が国では奈良桜井の聖林寺の観音様と並ぶ天平の国宝となっています。

 同時代とはいえ聖林寺よりも湖北の十一面観音と似た雰囲気、修復の具合で新しく見えるのでしょうか?

 聖林寺の観音様よりも高い評価をする人もいるようですが、白洲正子さんは、それが却って短所でもあると書いています。まあ巡礼は美術品の評価をするものではありませんが…。

 拝観では三神住職が説明をされましたが、後の定朝・運慶・快慶などの仏師と異なり、天平時代は漆職人が製作に携わり、加えて漆は国家統制されていたので、民間でなく国家プロジェクトだったとの事でした。

 当時の仏教は個人救済ではなく国家鎮護なので十分考えられる話です。しかし、そのため当時の技術の粋を集めたものが出来た訳ですから、後世の人は感謝しないといけませんね。

 見学者は数名でしたが、寺の略記に加えて仏教に関わる語源も説明。

 煩悩が108あるのは四苦八苦(4×9+8×9=108)由に由来するとか、油を足すのを忘れると法灯が消えることから「油断」が生じたとか、このような話を聞くことで仏教がより身近に感じられました。

 尚、広大な堂宇は無くなりましたが、今はその後に同志社大ができています。

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本堂内陣にある般若絵心経
江戸時代に文字の読めない人の為に盛岡で作られたもの。

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般若絵心経の刺繡
東京の吉田判子店から奉納されたとか。

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内陣の説明書
意外にも国宝・十一面観音は七体しかない。ここの御本尊は左から二番目

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国宝・天平時代の十一面観音
撮影禁止なのでこれは購入した冊子より抜粋。

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本堂前から

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本堂から睡蓮池を望む

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本堂の裏は山に続く

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ここからお水取りの松明の竹を切り出すらしい
第一世実忠との関りからか?

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「南山城の古寺」  ¥500
寺の概説と写真が掲載。一般の概説書やガイドが少ないので重宝される。

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観音寺略縁起

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観音寺御朱印

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寿宝寺(京都府京田辺市) 十一面千手千眼観世音菩薩の御朱印

2019.07.01(17:50) 331

千の手と眼で開運? (2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺 → 寿宝寺

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開運山 寿宝寺(高野山真言宗)

 法泉寺に続きJR三山木駅東にある壽寶寺へ。

 開運山壽寶寺(かいうんざんじゅほうじ)は、文武天皇の慶雲元年(704年)の創建。

 古くは「山本の大寺」と呼ばれ、現在地より300m程東の木津川河岸近くにあり七堂伽藍を備えていましたが度重なる木津川の氾濫で移転を繰り返し、享保17年(1732年)に今の場所へ移ったとされます。

 あたり一帯の呼び名は山本郷。和銅4年(711年)に大和から山陰道へ向かう山本駅が置かれ、寺院横に「山本駅旧跡」の碑があるのはその名残です。

 中世以降の東海・山陽・山陰道は平安京から分かれていますが、古代においてはこの南山城付近が分岐点。のちには廃れますが、本能寺の変の際に堺に居た徳川家康がこの道を通って木津川を渡り伊賀越えをしました。

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山門の東側にある「山本駅旧跡」の碑

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府道生駒・井出線より寺の一口に向かう

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寿宝寺山門

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山門正面の本堂
1997年に堂宇の大改築が行われたので新しい。

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本堂の扁額

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本堂前から境内を見る

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境内の庭

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本堂遠景

 ここの本尊は十一面千手千眼観世音菩薩立像。昭和になり近隣の寺院を合併した際に佐牙神社の神宮寺からここに移って来ました。

 藤原時代中期の様式を備えた平安時代の作で重要文化財。通常の千手観音の手は40本ですが、この仏像は実際に千手を備えて居られ全ての掌に眼が、大阪葛井寺、奈良唐招提寺の千手観音と並ぶ三大名作だそうです。

 仏像拝観は予約制でしたが、偶々お寺の方が庭掃除をされており開帳して頂ける事に。小さなお堂ですが多くの方が来られており、柴門ふみ、白洲信哉さんの色紙がありました。

 急な訪問だったので御住職の説明はありませんでしたが、説明書に眼を通して拝観するだけで十分でした。

 唯、本堂には既に大日如来が祀られているので、新たな御堂を造ってそこに祀られるようになったとか。【千手】必勝とはならなかった様ですね。

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重文・十一面観音を祀るお堂
雨の日は閉鎖して仏像の劣化を防止。

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壽寶寺説明書 ¥100

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説明書裏面の重文・十一面千手千眼観世音菩薩立像
御本尊は撮影禁止。ほぼ等身大。

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壽寶寺御朱印

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田辺三山木郵便局 ; 重文・寿宝寺千手千眼観音、茶摘み風景

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法泉寺(京都府京田辺市) 戦火を潜り抜けた石塔のある御朱印

2019.06.30(20:46) 330

草の中から出た観音様 (2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺

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中嶋山 法泉寺(真言宗智山派)

 夕方から京都市内で会合があり。午前中の合間を縫って京田辺市へ。

 今は京都府に属する南山城ですが、古代においては平城京の北端という位置付け。そのため南都の影響を受けた古刹が木津川沿いに点在します。

 平城京を建設する際に、近江の田上山から切り出した材木は宇治川から巨椋池、木津川を遡って、伊賀・笠置からの材木は木津川を下って都に近い場所で陸揚げ。そこが木津と呼ばれるようになりました。

 現在の木津川は水量も周辺人口も少なくキャンプ場とカヌーのイメージですが、古代には暴れ川と言われる程で、交通の大動脈として活気に満ちていたようです。

 中嶋山法泉寺(なかじまさんほうせんじ)の創建は明らかではありませんが、大きさ5~6寸の十一面観音の金像が付近の草叢から出現。

 関東では海から出た例が多いですが、ここは海から遠いので草の中。以来、この付近は草内(くさうち)と呼ばれています。何故か郵便局だけ同じ漢字で「くさじ」の読みなのが不思議です。

 天長年間(824~833年)の旱魃で本尊に祈願した所、清泉が湧出したので法泉寺と号したとか。雨乞い祈願の農耕守護仏として信仰されるようになりました。本堂は永禄2年(1559年)の戦火で焼失。元禄12年に再建されています。

 門を入って左手にある十三重石塔は弘安元年(1278年)猪末行作の銘。法泉寺は室町時代までは奈良興福寺の支配下で、鎌倉時代に西大寺の叡尊に拠る水害対策・渡しの整備があり、その供養記念として建てられたと言われます。

 作者の猪末行は東大寺再建に際し、中国より来朝した石工。本堂東隅の三宝大荒神石塔は明応7年(1498年)と、石造りの御蔭で戦火を潜り抜けたようです。

 急な訪問で御住職は不在でしたが、夫人が本堂を開帳して下さり、御本尊を拝観できました。

和辻;「この御本尊が草叢から出た仏様ですか?」

夫人;「いいえ、初めの御本尊は明治の頃行方が分からなくなって、今は後世の仏様です。」

和辻;「本堂は江戸期の様ですが、御本尊はもう少し古い気がしますが…。」

夫人;「はっきりとは分かりませんが、鎌倉・室町期の様ですね。」

 この場所も戦火を受けましたが、旧御本尊は廃仏毀釈のあおりでどこかへ行ってしまったのでしょう。本堂横の室町様式の枯山水庭園もやや荒れた気がします。

 檀家も居られないとの話でしたし、観光寺院とは違うので、法灯を伝えていくには並々ならぬ苦労があったと思います。

 御朱印を拝受して辞しましたが、

和辻;「これから大御堂観音寺に向かいます。」

夫人;「観音寺は住職の実家で、あそこは常駐されているので拝観は大丈夫です。」

との事でした。

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草内小学校の北側にある法泉寺入口

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重文・十三重石塔
花崗岩を加工した高さ6m、四方に石仏彫を配している。

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長い戦乱を潜り抜けてきた法泉寺境内
右のカイヅカイブキ(コノテガシワ)はその生き証人?

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法泉寺本堂

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本堂右の三宝荒神王碑
元来神社のもので寺院の一角に祀られているのは珍しい。

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復元された室町様式の枯山水庭園

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中嶋山法泉寺略縁起

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法泉寺御朱印

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草内郵便局 ; 重文・法泉寺十三重石塔、山城大橋

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丹州観音寺(京都府福知山市) 紫陽花に囲まれた古刹の御朱印

2019.06.19(21:02) 320

紫陽花寺にいざ、行かんのん?(2019.6.18)

<コース> 電車は日中1時間毎に運転
JR京都(6:37) → JR石原(8:33) → 徒歩15分 → 丹州観音寺 → JR石原(10:58) → JR福知山(11:03→15:54) → JR園部(17:12→17:16) → JR京都(17:53)

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補陀落山 観音寺(真言宗 関西花の寺の二十五ヵ所霊場第一番札所)

 世間では紫陽花が見頃を迎えているので花を求めて丹波へ。

 地元の人と思しき3人のみ下車した無人の石原(いさ)駅から東へ徒歩15分。古刹の多い丹波地方ですが大部分は駅から5㎞以上の場所。ここは未だ近い方かと思いつつ目的地に到着。

 補陀落山観音寺(ふだらくさんかんのんじ)、寺伝に拠れば、

 『養老4年(720年)、天竺の渡来僧法道上人が十一面千手観音菩薩を刻んで祀ったのが始まりで、応和元年(961年)に空也上人が七堂伽藍を整え再興。

平安末には塔頭十余を数え、鎌倉時代には執権北条氏の、室町時代には将軍足利氏や丹波守護細川氏の庇護を受け繁栄するが、明智光秀に逆らったため天正4年(1576年)に仁王門を残し全山焼失。3年後に再建された。

江戸時代には歴代福知山藩主の庇護を受けるが徐々に衰退した。』

とあります。

 法道上人は丹波地域の寺を創建したとされる伝説的な僧侶。真偽は兎も角、古くから信仰を集めた寺院であったのは間違いないようです。

 情け深い君主と言われる光秀ですが戦略のためには容赦しませんでした。ここも時代の荒波を受け浮沈を繰り返しますが、関西花の寺二十五ヵ寺の第一番札所になった事が上昇の契機に。

 関西には西国及び新西国三十三ヵ所がありますが、花を前面にアピールしたのが功を奏したと言えます。山号の補陀落山は西国一番の青岸渡寺と同じなので一番になったのでしょうか?

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道路から道を中に数百m入ると観音寺

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簡素な山門

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仁王門前にて
9時前なのでテレビ局(関西TV)の方が撮影中。

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寺標

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仁王門近影
創建当時の物は明治29年(1896年)に倒壊し、昭和6年(1931年)に鎌倉様式で再建。

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仁王阿像

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仁王吽像

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仁王門を過ぎ受付(右奥)に向かう

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紫陽花越しに仁王門を振り返る

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受付から仁王門を望む
拝観¥350 は9時からであるが15分前でも入れて貰えた。

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参道を通り庫裏(右手)へ

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庫裏への階段前から入口を望む

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正面の庫裏へ向かう

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石段下で清める

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庫裏への門

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庫裏にある大聖院(左)と寺務所(右)
御朱印はここで拝受し、その間に山内を巡礼。

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大聖院の縁側から紫陽花の咲く庭に対す

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紫陽花の間の七観音霊場を通り「嘆きの展望台」へ

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霊場途中からみた大聖院

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「嘆きの展望台」に到着
書かれた文には思わず笑ってしまう。

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展望台から本堂へ向かう道にて

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かっぱ池の周囲にて

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 境内には至る所に紫陽花が植えられていますが、歴史は新しく戦後になって植えられたもの。本堂で伺った話では、眼病平癒を願って回復した人がそのお礼に紫陽花を植えたのが嚆矢で、その後植える人が続いたとか。紫陽花は挿し木で増えるので選ばれたのでしょうか?吉野山の桜に通じる話です。そういえば眼病に御利益のある長岡京市の楊谷寺も紫陽花寺。観音寺の説明書では、眼病が治り再び光明を得た御礼に七色に変化する光の花・紫陽花を植えたとありますが、偶然ならば目をみはる話です。

 本尊の御利益で面白いのは「財宝観音」。大金持ちではなく日々の小遣い銭を得るには効果があるとか。「西方観音」がいつしか訛って「財宝観音」になったそうですが、老後資金¥2,000万円は難しいですが、日々の小遣いがあれば何とか【至近】のやりくりはできると言うもの。「人生に必要なのは少々のお金」とはチャップリンの言葉だったでしょうか?大金を持つと碌な事にはならないようなので私もしっかり御願いしてきました。

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寛政7年(1795年)に完成した本堂(観音堂)

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本堂前面の垂木に「一番札所」の看板が

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本堂前から弁天池を見る

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本堂内陣の欄間彫刻
作者は中井権次。丹波氷上の出身で柏原藩の宮大工。神社仏閣の彫刻を得意とした。初代から9代に亘るが、6代目以降は権次を名乗ったのでだれに相当するかは分からず仕舞い。

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本堂前の慈母観音

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本堂右手の「観音杉」

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観音杉越しに見た本堂

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本堂前の紫陽花

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弁天池畔にて

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不動堂脇にて

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本堂境内の紫陽花

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本堂から向かいの庫裏へ

 ここの小藪実英住職は高野山で教務について居られたそうで、境内には自作の絵や言葉が掲げてあります。決して上から目線ではありませんが読むと妙に納得するのが不思議。庫裏の前庭には珍しい紫陽花も栽培されて居り、訪れる人が熱心に見入っていました。企業に勤めても企画や営業で業績をあげたのではないでしょうか?
 どこのお寺も待っているだけでは駄目で、人を呼び込む努力をしないといけないとの教えでしょう。

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寺務所前にある「あじさい園」

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あじさい園には珍しい品種が植えられている
一般に比べて、小ぶりなものが多い。

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あじさい園を散歩する「小国鶏」のつがい
餌を貰おうと出てきたところ

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拝観を終えて入口へ

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仁王門を出る

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仁王門前の畑にある紫陽花
地元の農家により育成されており、観音寺の紫陽花が枯死したらここのものを移植するとか。

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観音寺説明書

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観音寺オリジナル御朱印帳
紫陽花が刺繍されている

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23年前に拝受した関西花の寺の観音寺御朱印

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今回拝受した紫陽花期間の御朱印
小藪住職に拠るデザイン

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福知山石原郵便局 ; 福知山城、戸田橋、アジサイ
福知山郵便局 ; 福知山城、福知山おどり、三岳山、由良川

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楊谷観音(京都府長岡京市) 独鈷水と紫陽花の御朱印

2019.06.07(18:18) 306

紫陽花巡りで目の保養を(2018.6.17)

<コース>
JR大阪 → JR長岡京 → 臨時バス → 楊谷観音

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立願山 楊谷寺(西山浄土宗 新西国三十三ヵ所第十七番札所)

 水無月の中の七日、洛中の紫陽花は混雑が予想されるので洛西の古刹へ。

 普段はバス停から30分以上歩きますが毎月17日の縁日には門前まで臨時バスが出ます。

 偶々日曜だったので同窓にも声を掛けましたが、初っ端からJRが架線の点検で遅れ。

 寺までの臨時バスは待ち行列でピストン運行と一時はどうなるかと思いましたが、予定の10:00より10分程度遅くなっただけでクリア。 「日頃の行いの賜物やね!」と皆で安堵したものです。

 立願山楊谷寺(りゅうがんざんようこくじ)は大同元年(806年)の開創。清水寺を開山した延鎮僧津が夢のお告げで西山に入り、柳生い茂る渓谷の岩上に十一面観音菩薩を見つけて堂宇を建てて安置したのが始まり。

 寺号を「楊谷寺」としたのは観音発見の経緯に因んだものですが、一般には楊谷観音、「やなぎださん」で呼ばれています。

 延鎮が清水に帰った後は乙訓寺の別当を命じられた空海が度々ここを訪れますが、弘仁2年(811年)境内の水で子猿の傷んだ眼を洗った親猿を発見し祈祷したら満願の日に子猿の眼が開いたとか。

 空海は眼病に効く霊水「独鈷水(おこうずい)」として広めました。ここでは延鎮を一世、空海を二世とする習わしです。

 その後、廃絶していたのを慶長年間(1596~1615年)に芳室土筌が再興し元禄年間(1688~1704年)に浄土宗に改宗されました。

 眼病に苦しむ霊元天皇がこの水で平癒、【霊験】があった訳ですがこれを機に明治まで歴代天皇へ献上される栄誉を担います。

 更に次の東山天皇の妃が本尊に祈願した結果、誕生したのが中御門天皇で天皇自作の観音像が奥之院に奉納される事になりました。

 三代の帝に御利益があったために人々から篤く信仰されていますが、今は眼病に効く霊水よりも紫陽花の寺として有名に。思わず霊水は【独鈷】にある?と探してしまいました。

 お寺は本堂横から回廊を通って奥ノ院まで行き、眼力と愛力さんを拝んで巡礼。前者は年配者、後者は若者向きですね。今日のメンバーは勿論〇者。

 境内には紫陽花が多く植えられていましたが水盤や蹲の水にも紫陽花があり、やはりインスタ映えは強いという事でしょう。

 御朱印も各種ありましたが極めつけは季節の押し花御朱印講座。

 書院の一室で参拝者が墨書済みの御朱印に押し花をする体験ですが本日分は満員。グルメ・温泉・体験が人を惹き付けるのはどこも同じのようです。

 13時過ぎのバスで戻るまで、御朱印も含め待ち時間が多いツアーでしたが、話題は尽きない一日でした。

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JR長岡京駅前にて
今日はここからスタート。

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右側通行の山門

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山門右の紫陽花

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本堂前の水盤
花手水と呼ぶらしいが、参拝者は手や口を漱がずに皆撮影に没頭。

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紫陽花が溢れんばかりだが水の色は変わらない?

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独鈷水へと続く道

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独鈷水

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霊水を汲むのはこちら

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独鈷水に並ぶ人達

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本堂

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本堂前にて
御本尊は十一面千手千眼観世音菩薩で縁日の17、18日に御開帳。この日は拝観可能。

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本堂軒下

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本堂奥から書院へ向かう

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書院脇の蹲にも紫陽花が

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書院から見た名勝庭園・浄土苑
左の部屋では紫陽花押し花付き御朱印を参拝者が一心不乱に作製中(本日分は満員)。

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浄土苑
江戸中期の作庭で浄土宗だが禅宗的な感じもする。

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上書院へと続く回廊

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回廊脇の蹲

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回廊から浄土苑を望む

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書院の屋根

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水琴窟だが、ここでは心琴窟と呼ばれる

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回廊を奥之院へ向かう

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回廊脇の紫陽花

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奥之院 
中御門天皇縁の子宝寺、提灯が白となっている。

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奥之院から眼下に市街を望む

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モリアオガエルの卵
この下の池に生息している。

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愛染堂 あいりきさん に御参り

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愛染堂の石板を前から見る

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愛染堂のベンチ

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奥之院から紫陽花参道を抜けて阿弥陀堂へ向かう

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奥之院からの帰路
阿弥陀堂(手前)と本堂を望む

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紫陽花越しに見える山門

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奥之院からの参道沿いに咲く紫陽花

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江戸時代建立の阿弥陀堂

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護摩堂
この奥に淀殿弁天堂、親眼力稲荷と続く。

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正一位親眼力稲荷の御朱印の行列
最終バス時刻13:40のため、ここは断念。

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色んな商売があると感心!

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楊谷観音説明書

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楊谷観音御朱印
左:奥之院(菊御紋入) ¥400、   右:本殿 ¥300

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17日縁日限定御朱印 紫陽花押花入 ¥500

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長岡京海印寺郵便局 ; 楊谷観音、キリシマツツジ、タケノコ

[参考書]

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