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穴太寺(京都府亀岡市) 二つの本尊のある西国札所の御朱印

2019.10.02(23:11) 432

種々の逸話と庭園に彩られた札所(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

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【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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菩提山 穴太寺(天台宗 西国三十三ヵ所第二十一番札所)

 山寺に参拝し、午前中に留守だった寺社を再訪した巡礼の〆は西方浄土の札所へ。

 菩提山穴太寺(ぼだいさんあなおうじ)は、縁起に拠れば

『慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂によって薬師如来を本尊として建立。

当初は穴穂寺、菩提寺とも称された。

 本尊は「身代わり観音」と呼ばれるが『扶桑略記』にはその説話が載る。

郡司・宇治宮成は粗暴で貪欲な男であったが妻は信心深い女性であった。

その妻の勧めで応和2年(962年)に宮成が仏師感世(かんぜ)に木彫りの聖観世音菩薩を造らせ奉納。

その礼として愛馬を与えたが、宮成は惜しくなって帰り道で感世を射殺。

馬を持ち帰った宮成が聖観音を見ると胸に自分の矢が突き刺さっている。

人をやって確かめると、感世は盗賊に襲われたが観音様の加護で難を逃れたとの由。

宮成は己の非を悔い、仏道に入り傷ついた観音様のために穴太寺を建て安置した。』 とあります。

 開基・中興と二人出て来る訳ですが、真実はどうなのか?

大伴古麻呂は遣唐使として入唐し鑑真を連れて帰国した人物。

後に橘奈良麻呂の変に連座して「杖下に死す」となりましたが、我が国の仏教界に与えた功績は大です。

一方「身代わり観音」の伝説は「今昔物語」ありますが宮成・感世の名はなし。

恐らく大伴古麻呂は後からの付け足しで、宮成とされる人物が事実上の開基。

無名なために箔を付けるために身代わり観音の霊験譚が出来たと考えるのが無理がなさそうです。

 本尊はその後盗難にあったとかで、今は模刻。仏師の身代わりになった観音様も盗人は防げなかったようです。

穴太という名から石積みの穴太衆と関係があるかと思いましたが、訊くと無関係でした。

 寺が飛躍するのは花山法皇が西国札所として以降ですが、天正年間と享保年間には罹災し、

多くの建物はその後の再建となっています。

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途中の栗園に咲く曼殊沙華

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穴太寺仁王門
南から真っすぐに街道が突き当たる場所に建つ。17世紀中頃の再建で三間一戸の八脚門。

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仁王門から見た境内

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文化元年(1804年)再建の多宝塔
亀岡市内で唯一の木造塔で、内部には釈迦如来と多宝如来を安置。

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享保20年(1735年)再建の本堂(観音堂)
本尊は薬師如来と聖観世音菩薩。

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本堂の瓦屋根は三間向拝がつく。

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本堂前の扁額

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本堂前は札所らしく広い吹き放しの外陣が

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本堂右手の納経所(御朱印所)
札所なので二人が対応されていた。

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納経所横の念仏堂
宝永2年(1705年)建立の寄棟造で、本尊・阿弥陀如来坐像を安置。

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地蔵堂と宇治宮成の墓所と言われる石造物

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地蔵堂前の庭

 このように創建時・中興時と逸話に彩られますが、明治以降にもこんな話が。

『明治29年、娘の病気平癒を願う大阪に住む女性が夢に穴太寺の釈迦涅槃像を見た。

女性は穴太寺に赴き住職に夢の話をするが、そんな仏様はどこにもない。

不思議に思って寺中を探すと本堂天井裏から夢に現れた釈迦涅槃像が見つかった。

女性が娘の着物で像をなでると病は快癒した』 と言われます。

 昔ならば奇跡譚で片付けられますが、明治時代の事なので全くの嘘とも言い切れません。

恐らく、病気の平癒と涅槃像の発見が偶然重なったので、このような伝説となったのでしょう。 

 本堂の二体の御本尊は秘仏ですが、釈迦涅槃像は本堂最奥に安置。

自分の病気の箇所と同じ涅槃像の個所を撫で、自分の身体をさすり返すと御利益があるとか。

布団が掛けてあるのは快癒した方からの奉納だとか。結構御利益があるのでしょうか?

 参拝と御朱印拝受の後は西側にある円応院の庭園拝観。26年前に参拝した時は庭園には全く気付かず。

受付の方に尋ねると昭和時代から拝観しているそうで、私が気付かなかっただけでした。

唯そういった人は多いそうで、納経所は人がいましたが庭園拝観していたのは私だけ。

当時は訪れても何も考えていなかったのだと、【あな往時】を回顧することになりました。

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本堂西にある円応院を拝観
方丈及び庫裏を併せた呼び名。

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玄関車寄
ここから左手が方丈に当たる。

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円応院入口から本堂へ続く渡り廊下
右の表門は宝永2年(1705年)建立の薬医門。

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渡り廊下から本堂を見る

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渡り廊下からみた多宝塔と表門

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本堂内陣への入口

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本堂横からの眺め

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数奇屋風味の方丈の主座敷

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方丈の襖絵
これは穴太寺の境内を描いた狩野派の絵画の複製。

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書院造の部屋より西の露地庭を望む

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西の露地庭の向こうにある茶室

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書院の南にある名勝・穴太寺庭園
多宝塔を借景として築山を設けており、左より水が流れ出る。

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庭園の中央部
園池の背後には段状に二列の石組みを配し横長の石を水平に置くことで安定感を出している。

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方丈廊下から見た庭園西側
池岸には舟付があり、沖合に向け出舟の形式がとられている。

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境内遠景

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穴太寺説明書

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今回拝受した穴太寺御朱印
薬師如来の別名「醫王善逝」と墨書。

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26年前に拝受した西国札所御朱印
余りにも達筆だが、「聖大悲殿」と墨書してある。

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南条郵便局 ; 西国二十一番札所・穴太寺多宝塔、蓮

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金輪寺(京都府亀岡市) 神尾山城跡に建つ修験道の古刹

2019.10.01(22:12) 431

駅から遠い【きんりん】寺(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

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【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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神尾山 金輪寺(本山修験宗系単立)

 桔梗寺に続き、いよいよ山中の寺へ巡礼。

麓の郵便局で尋ねると、「横のみちを真っすぐですが、結構な距離の山道ですよ。」 との事。

地図で見ると1㎞程度に見えましたが、実際に登り口に行くと「この先2.2㎞」の表示。といって今更引き返すのも嫌なので、

「山道を行けるところまで自転車で行き、残りを歩く」 と決めて出発。

ところがいざ走り出すとどんどん上っていき、気が付くと山門前に。こういった場合、電動自転車は本当に便利で役に立ちます。

 神尾山金輪寺(かんのおさんきんりんじ)は、寺伝では

『延暦2年(783年)西願上人によって天台宗寺院として創建。

本尊・薬師如来は奈良時代の作といわれ、本朝最初の医学書『医心方』を著した丹波康頼の念持仏とされる。

その後、一時衰退するが寛治年間(1087~1093年)に栂尾高山寺の明恵上人により再興、境内には多くの堂宇が並んだ。

戦国時代には明智光秀の丹波平定の居城の一つ神尾山城が山の続きにあり、

波多野氏兄弟が人質として連れて来られたのがここと言われる。

幕末の黙仙和尚は勤皇僧で安政の大獄で処刑された頼三樹三郎の供養塔がある。』

とあります。修験道の道場でありますが、時代毎に政治的な動きをしています。

僧侶は俗世とは縁を切った筈ですが、なかなかそうとはいかないようです。

 石段を上った左には鎌倉時代作の重文・石造五重塔があり大きな屋根の本堂が正面に控えます。

凛とした境内には人も居らず、開いていた扉から本堂へ入り本尊参拝。

本堂内には大きな仁王像があり、由緒記にあった正安3年(1301年)仏師定有作の金剛力士像がこれでしょうか。
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金輪寺へと続く山道
このような道を2.2㎞上る。

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入口へ到着

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寺標

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金輪寺説明板

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本堂へ続く石段

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境内の様子

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本堂正面

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屋根の勾配が美しい

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本堂前面
鰐口は永徳2年(1382年)とある。

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花型の窓の向こうに仁王像が置かれている

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本堂から境内を見る
天文3年(1534年)の銘がある梵鐘は左の鐘楼のものか?

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右は鎌倉時代の五重石塔、左は江戸時代の九重石塔

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正応5年(1292年)建造の重文・五重石塔

 その後、寺務所へ伺い御朱印を拝受。御住職の話では

「ここは観光寺院ではないので、観光設備は一切ございません。今年になって来られた方はあなたが初めてです。」との事。

本堂へお参りした話をすると、部外者は入れないそうで扉を閉め忘れていたとの話。

怒られるかと思いましたが、そんな事はありませんでした。檀家さんが160家程あるそうで、それで寺を維持しているそうです。

 「来て頂いても何も見て頂くものはないので」と御住職は仰いましたが、私的には見所は多いと感じました。

観光を謝絶している訳ではないですが、呼び込む事はしていないという事でしょう。

修験道ならばそれが本筋ではありますが…。

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寺務所の前庭

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寺務所からの景色
御住職の話では標高340mほど。

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本堂裏にある西国三十三ヵ所のお砂踏み
ここを巡礼すると三十三ヵ所に参拝した功徳があると言う。右奥は頼三樹三郎の墓碑。

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境内に生えるオオモミジ
イロハモミジの自然変種。

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半国山への道
神尾山城があったとされる。

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金輪寺御朱印
本尊・薬師如来を表す梵字「えい」。

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亀岡宮前郵便局 ; 木造金剛力士立像、重文・金輪寺五重石塔、半国山

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桔梗寺(京都府亀岡市) 光秀所縁の水色桔梗の御朱印

2019.10.01(08:15) 430

ききょうした光秀の魂(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

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【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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清瀧山 谷性寺(真言宗大覚寺派)

 薭田野神社参拝後、湯の花温泉を通り過ぎて更に進むと「ききょうの里」の看板が。

清瀧山谷性寺(せいりょうざんこくしょうじ)は、由緒記に拠れば、

『平安時代の創建と伝わる真言宗の古刹。本尊の不動明王は丹波亀山城主明智光秀公が崇拝し、

本能寺の変では本尊に祈願を掛け見事本懐を遂げたと伝わる。

天正10年(1582年)光秀公が山崎の合戦後、無念の死を遂げると、従者が公に所縁の当寺に墓碑を建立。

更に安政2年(1855年)には志士により首塚ができた。』

とあります。

境内や門前には桔梗が植えられ谷性寺は桔梗寺、周辺はききょうの里と呼ばれますが、

これは光秀公の家紋の桔梗に由来。明智家の家紋「水色桔梗」は明智氏本家の土岐家の家紋。

土岐家発祥の地は、桔梗の咲く場所で桔梗の古語「岡ととき」が氏の由来だそう。

光秀もこの紋に誇りを持っていたようで、当時としては珍しい色付きの家紋だったようです。

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道路から見た「ききょうの里」
右奥の赤い屋根が谷性寺。丁度、稲刈りの最中。

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谷性寺入口
山門前の三本の枝垂桜が見事。

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寺の由緒記

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山門へと続く石段
右の生垣はお茶らしい。

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山門近影

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山門の扉にある桔梗紋

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寺の右手にある明智山門
丹波亀山城の門を移築したものか?

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明智山門から境内を見る

 午前中に訪れた時は不在で御朱印は頂けませんでしたが、帰り道に伺うと住職が居られ御朱印を無事拝受。

明智に倣い水色桔梗の印でした。

御住職の話では、訪れる人は殆ど自家用車で、駅から自転車で来た人は私が二人目。

もう一人は台湾からの観光客との事。台湾でも光秀はブームなのでしょうか?

 境内の草木の説明もして頂きました。桔梗と言えば秋の七草と思っていましたが、

この辺りの桔梗は初夏が見頃。丁度農閑期に当たっているそうです。

その時に咲いた花を切ると秋には再び花を咲かせますが、農家では稲刈りが忙しくて対応できないそうです。

勿体ない話ですが、米作優先は致し方ありません。

境内には水色桔梗が咲いていましたが、他にも白色、斑入りや八重があるそう。初夏にはさぞ壮観でしょう。

 桔梗が有名ですが、その他にもツワブキ、ヒオウギ、牡丹、木蓮、茶があり、茶には今時珍しいカラスウリが。

御住職の話では種が大黒様の形をしているので、引き抜かずにいるとか。

子供の頃は赤い実をぶつけて遊びましたが、これは初耳でした。

圧巻は山門前の3本の枝垂桜。満開の時期は艶やかでしょうが、場所のためか来る人も少ないようです。

草木の管理もさぞ大変でしょうと言うと、

「お寺の予算では松の木の対応が精一杯で、草花は全てこちらで管理です。私が寺に来た時は庭も荒れ放題で、

引き抜こうと思ったのですが、先代住職のたっての願いで管理しています」との事。

どこのお寺も維持管理は大変ですが、ここも例外ではない様子。

 首塚ができたのは300年近く後ですから、実際に光秀の首が葬られた可能性は小。

地元への貢献度が高かったという証拠でしょう。

私が日本史を始めて習った当時は、戦国武将では明智光秀は主人殺しの大悪人、

石田三成は主家を滅ぼした奸臣と【こくしょう】されていました。

それが最近はその政治的手腕が見直されていることを思えば、人物の歴史評価は棺桶を覆っても未だ定まらない感があります。

志半ばで無念の死を遂げた光秀ですが、その魂は【土岐】を越えて、領地に【桔梗】した事で安住の地を得たと言えそうです。

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不動明王を祀る本堂

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正面から見た本堂
幕にも桔梗紋が。

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境内の様子
カイヅカイブキの向こうが山門

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光秀公首塚

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鐘楼付近から見た境内

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境内の桔梗

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境内の桔梗

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谷性寺御朱印

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薭田野神社(京都府亀岡市) 五穀豊穣を祀る奈良時代の古社

2019.09.30(23:21) 429

薭田野、あれ?(2019.9.26)

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薭田野神社(延喜式内)

 長月も末の六日、10月からの消費税値上げを前に来年の大河『麒麟がくる』に所縁の【近隣】の亀岡へ。

京都の奥座敷と呼ばれる温泉街で、かつては雄琴・芦原と並ぶ歓楽街。

しかし今は雄琴と同様に女性客をターゲットとしたしっとり落ち着いた温泉に脱皮しています。

 温泉街は駅から5㎞程離れていますが、今回の行先は更に7㎞奥にある修験道の古刹。

かつては駅からの移動手段はバスと徒歩のみでしたが、いまは駅前にレンタサイクルがあり早速利用。

最近はレンタサイクルを設置する駅が増えていますが、これも電動自転車の普及のお蔭。有難い事です。

その途中、大石酒造や立派な家屋が並ぶ街道を抜けると奈良時代創建の古社に到着。

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京都の奥座敷 湯の花温泉
これは西側入口で奥に猪像が建つ。

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駅から温泉へと続く街道には趣のある家屋が続く

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㈱西田寒天商店とあったから、寒天を商う会社か?

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これは佐藤医院とある

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ここは大石家とあるから酒造の家か

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大石酒造
丹波の地酒を造って居り、資料館併設、見学もできる。

 温泉入口にある薭田野神社(ひえたのじんじゃ)は、奈良時代創建という古社。由緒記に拠ると、

『約三千年前に、この地に住み着いた人々が、現在の社殿の奥に土盛りをして食物の神、野山の神を祀ったと伝わる。

その後、和銅2年(709年)丹波国守大神朝臣狛麿が朝廷の命で、土盛りの前に社殿を造営。

佐伯郷の産土神として国家安泰と五穀豊穣を祀ったのが神社の起こりである。

更に貞観元年(859年)5月の大雪の際に清和天皇が勅使を遣わし稲の生育を祈らせ、

寛喜元年(1229年)には後堀河天皇が御所灯籠5基を下賜して豊作を祈らせた。

これが現在まで伝わる佐伯灯籠の起源になっている。』

とあります。

 古来より、五穀豊穣の神として敬われた事が分かります。

御祭神は三柱ですが、筆頭は保食命(うけもちのもこと)。この名からも食物神であることは明白。

8月14日の灯籠祭りでは1基の台灯籠が町を練り歩き、雛人形のような小さな人形浄瑠璃が演じられるとか。

これはお盆の精霊送りの流れでしょうか?

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平安神宮大鳥居に次ぐ京都府下で二番目に大きい鳥居

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駐車場から見た境内

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正面から拝殿を見る

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神社由緒記

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前拝殿(舞殿)

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左から前拝殿、拝殿、本殿と続く

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拝殿横の「石の環くぐり」
願い事を念じながらくぐると願い事を達成する体力を授かるとされる。

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京式八角石燈籠
源義経奉納と伝わる鎌倉時代を代表する石像美術品。

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必勝願掛石
自分が最後までやりきる気力を授かる。表面には大小の白蛇の図柄が見えるとか。

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鎌倉時代の本殿の礎石

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境内にある「癌封治瘤の木」
この瘤を一心こめて撫でると癌に罹病しないとの御利益があるそう。

 午前中は、社務所は閉鎖でしたが、2カ寺巡礼後の昼過ぎに再訪すると神職が居られ、御朱印も拝受。

神職からも貴重なお話を伺うことができました。

「昔は、“日恵田神社”と記載したようで、五穀を祀ったのは間違いないでしょう」

稗田阿礼との関りを尋ねると、

「阿礼はこの地の生まれという事で、御祭神とは関係ないのですが、1300年記念に祀っています。」との事。

稗田阿礼の稗は神社と異なり草冠がありませんが、この字は奈良朝以降に登場するようです。

神社の名前に遠慮して変えたのかもしれません。

来る前は、神社と人名の漢字の違いに【あれ?】と思いましたが、これで疑問も氷解です。

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境内奥の稗田阿禮社
古事記編纂に功績のあった稗田阿礼がこの地に住んだという伝説によりできたもの。

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稗田阿禮社の祠

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稗田阿禮の説明

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和銅禊の池
創建当時の里人がここで禊して豊作と無病息災を祈ったと伝わる。

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境内の大シラカシ

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境内に広がる鎮守の森

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薭田野神社由緒記

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薭田野神社御朱印
書かれたものを拝受。

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佐伯郵便局 ; 佐伯灯籠(人形浄瑠璃)、さくら石、湯の花温泉の街並み

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古事記とは何か 稗田阿礼はかく語りき (集英社文庫)




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一言寺観音(京都市伏見区) 一言だけ願いが叶う寺院

2019.09.26(23:18) 423

御願いは一言たっちゅうの!(2019.9.20)

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋 → 中書島 → 京阪六地蔵 → 徒歩5分 → 地下鉄六地蔵 → 石田

石田駅 → 徒歩15分 → 日野薬師 → 徒歩5分 → 日野誕生院 → 徒歩15分 → 一言寺 → 徒歩20分 → 石田駅

【復路】石田 → 地下鉄六地蔵 → 徒歩5分 →京阪六地蔵 → 中書島 → 京阪電鉄淀屋橋

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金剛王院(真言宗醍醐派 別格本山)

 日野の地でお参りを済ませて地下鉄の駅に向かいましたが、一言寺という案内板があり、名前に惹かれてまたもや寄り道。

 一言寺(いちごんじ)は、

『平安末期、藤原信西の娘で、建礼門院に仕えた阿波内侍の創建になると言われる。

後には衰退したが、明治8年に醍醐寺の塔頭の金剛王院が移され復興した。』

とあります。

 由緒のある寺院ですが、ここも衰退の波は避けられなかったようです。

近くに醍醐寺という名刹があった事が、復興の後押しにもなったのでしょうか?

今後大い【金剛王院】に繁栄するかどうかは、お寺次第でしょう。

 一言寺とは一風変わった名前ですが、御本尊にお参りする際には願い事を一言だけ言うのが習わしとか。

大和にも一言主神社があり 『過ぎたるは猶及ばざるが如し』 で、欲張ると水の【阿波内侍】になってしまうという戒め。

本堂には観音様の御詠歌

・ただたのめ 仏にうそは なきものぞ 二言といわぬ 一言寺かな

の額が掲げられています。それでも守らない人がいるのでしょうね。

尚、『ただたのめ』とは一心に頼めという事で、無料でという意味ではありません。

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道路沿いの寺標

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門前下に到着

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山門

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山門前より町を見下ろす

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山門脇の説明板

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山門から見た境内

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本堂伽藍
屋根の勾配が美しい。

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本堂前面の彫刻

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本堂横にある観音様の御詠歌

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本堂前から境内を望む

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本堂横

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山門横のヤマモモの古木

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ヤマモモ幹部の空洞

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紫陽花の碑

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周囲は竹藪
「明智藪」とは呼ばないそうであるが。

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昼食はJR六地蔵駅前の「しお富」にて
これは半切重定食 ¥1,750

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八幡巻と出汁巻も付く

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日野誕生院(京都市伏見区) 親鸞聖人御誕生の地のお寺

2019.09.26(07:20) 422

古建築様式の新しいお寺(2019.9.20)

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋 → 中書島 → 京阪六地蔵 → 徒歩5分 → 地下鉄六地蔵 → 石田

石田駅 → 徒歩15分 → 日野薬師 → 徒歩5分 → 日野誕生院 → 徒歩15分 → 一言寺 → 徒歩20分 → 石田駅

【復路】石田 → 地下鉄六地蔵 → 徒歩5分 →京阪六地蔵 → 中書島 → 京阪電鉄淀屋橋

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本願寺 日野誕生院(浄土真宗本願寺派)

 法界院に行く途中に誕生院という寺標もあり、すぐ横にあるとの事で予定外ですが、こちらも参拝。

日野誕生院は親鸞聖人所縁の寺。

『承安3年(1173年)、皇太后宮大進正五位日野有範を父に、八幡太郎義家の孫の吉光女を母として法界寺で誕生。

9歳で得度するまで幼年時代を過ごした。

文政11年(1828年)には西本願寺20代門主がここに有範堂を建立。

明治11年(1878年)には21代門主が日野別堂と改名。更に23代門主は昭和に大改築を実施。

昭和6年(1931年)に完成した際に日野誕生院と再び改称した。』

とあります。

 開祖親鸞聖人が生まれた法界寺は真言宗。

浄土真宗としては開祖生誕の地に自宗の寺を建てたいという悲願があったのでしょう。

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法界寺の土塀横を通り誕生院へ向かう

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日野誕生院遠景
手前にあるのは誕生院保育園で、丁度運動会の練習中。

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門前の碑

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日野誕生院説明板

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石段を上り藤棚奥の本堂へ
因みに藤は浄土真宗の家紋。

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境内の様子

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境内にある親鸞聖人誕生地の碑

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境内にある聖人幼少の頃のお姿を模した童形像

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親鸞が得度に当たって詠んだとされる歌碑
・明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の ふかぬものかは

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いよいよ本堂へ

 丁度、寺の方が本堂を片付けて居られたので、伺った所、

「出来たのは新しいですが、建立に際しては平安時代の建築様式を取り入れました。」

とあって納得。今まで見てきた真宗寺院とは趣が異なり、聖人の育った家を復元する目的もあったように思えます。

 門徒の方々には聖地ですが、一般の観光客が訪れることはあまりなさそうに思えます。

それでも参拝者への対応はきちんとされていて、こちらから御願いする前に、説明書を持って来て下さいました。

 今回は予備知識なしでの参拝。親鸞の父方が日野氏、母方が清和源氏と初めて知りました。

紛うことなく貴種の出ですが、聖人の目線には常に庶民があったと言う事でしょう。

現在、日本の仏教宗派で最大門徒数は浄土真宗ですが、それも理由のあることだと思った次第。

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廻廊の奥に本堂が

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本堂正面

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本堂内陣の様子
鶴は日野家の家紋。

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廻廊横から本堂を望む
丁度、若い僧侶の方が片付け中。

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平安様式で再建した本堂

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廻廊の構造

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本堂への上り口

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本堂前の白砂

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日野誕生院説明書

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日野薬師(京都市伏見区)  名族日野氏の氏寺の御朱印

2019.09.25(21:00) 421

国宝・阿弥陀如来のある本尊・薬師如来の古刹(2019.9.20)

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋 → 中書島 → 京阪六地蔵 → 徒歩5分 → 地下鉄六地蔵 → 石田

石田駅 → 徒歩15分 → 日野薬師 → 徒歩5分 → 日野誕生院 → 徒歩15分 → 一言寺 → 徒歩20分 → 石田駅

【復路】石田 → 地下鉄六地蔵 → 徒歩5分 →京阪六地蔵 → 中書島 → 京阪電鉄淀屋橋

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東光山 法界寺(真言宗醍醐派 別格本山)

 彼岸の三連休にまたもや台風が襲来しそうな彼岸の入りの日に思い立って京都市伏見区にある日野に巡礼。

 東光山法界寺(とうこうざんほうかいじ)は、

『弘仁13年(822年)、藤原北家の流れを汲む家宗が領地であったこの地に、

慈覚大師円仁より贈られた最澄自刻と伝わる薬師如来の小像を祀ったのが嚆矢。

一門は代々この薬師如来を信仰するが、永承6年(1051年)に子孫の資業が薬師如来像を造って従来の小像を胎内に収め、

薬師堂を建立して氏寺とした。

これが法界寺の始まりで資業以降は、家名も日野と名乗るようになった。』

とあります。

 日野氏は平安から鎌倉室町と中央で活躍した名族。

応仁の乱の頃に活躍した日野富子が有名ですが、他にも日野俊朝や俊基など一癖のある人物が出ています。

 法界寺の由緒は家宗まで遡るのは難しいですが、資業から以降はほぼ確実でしょう。

平安末期には浄土思想の影響で阿弥陀堂も建立され阿弥陀如来も祀られました。

本尊が胎内仏であるため子供を宿す婦人の姿として日野薬師、乳薬師とも呼ばれますが、

他にも多くの堂宇が並ぶ壮大な伽藍だったようです。

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道路沿いにある寺標
ここから更に徒歩10分。

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門前に到着
白壁の向こう側が境内。

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山門

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山門から見た境内
竹柵の向こうから拝観料¥500が必要。

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阿弥陀堂(手前)と本堂・薬師堂

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阿弥陀堂遠景

 ところが後世まで残ったのは阿弥陀堂で、阿弥陀堂は鎌倉時代の建築。

阿弥陀如来坐像は平等院と同じ定朝様式で共に国宝となっています。

本尊の薬師如来と薬師堂は小ぶりで重文、薬師堂は室町時代の作ですが、

明治37年に奈良県竜田の伝燈寺本堂を移築したものなので、ここでは外様。

大きさでも製作年代でも阿弥陀堂が薬師堂を凌いでいます。

 それでも開創以来の御本尊とあって、お詣りする人は本堂へ行くのが習わし。

私が訪れた時も、薬師堂には赤ん坊の前掛けを模った願掛けが至る所に奉納されており、

女性の方が熱心に参拝されていました。

願掛けする人にとっては国宝であろうがなかろうが、御利益があることが大切というごく当たり前の理由でした。

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国宝・阿弥陀堂
御住職に開けて頂き、この扉から内陣に参拝する。

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阿弥陀堂入口付近
周囲の廂は一間である。

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四面の蔀戸
天井からの鉤型は戸を引っ掛けるため。

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阿弥陀堂の廊下から境内を望む

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国宝・阿弥陀如来坐像 (説明書からの引用)
平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様式。丈六、寄木造で光背の透彫の飛天や天蓋も当初の物。

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国宝・阿弥陀堂
平等院鳳凰堂と同時代の建築。五間五面の檜皮葺、宝形造。

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阿弥陀堂近影
屋根の勾配が緩やかな事が軽妙温雅な印象を与えるとある。

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奥の薬師堂への道

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重文・薬師堂
重文・薬師如来を祀る。内陣に架けられた白布は前掛けを模したもの。

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阿弥陀堂廊下より見た薬師堂
棟木に康正2年(1456年)の銘がある室町期の作で、明治期に奈良より移築された。

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薬師堂から見た阿弥陀堂

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薬師堂から見た阿弥陀堂と奥に見える庫裏
御朱印はここで拝受。

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境内の様子

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苔庭の向こうに見える阿弥陀堂

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蓮池越しにみた阿弥陀堂

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境内の説明

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法界寺説明書

 こうして参拝を終えましたが、御朱印は平成6年に拝受済なのでなし。

御朱印帳を見るとその日は山科方面で七ケ寺巡礼ですが、法界寺は殆ど記憶に残っていませんでした。

当時はほぼ徒歩での移動、若さ故の体力があったからでしょうが、

訪れた場所の内容を碌に覚えていないのは若気の至りとしか言いようがありません。

今回は、体力が衰えたがために却ってじっくり見ることができました。齢を重ねるのも悪い事ばかりではありませんね。

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法界寺御朱印

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道路から塀越しに見る阿弥陀堂

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道路から見た薬師堂

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京都石田郵便局 ; 国宝・法界寺阿弥陀堂及び阿弥陀如来坐像

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丹後国分寺(京都府宮津市) 雪舟の描いた国分寺の御朱印と天橋立マンホールカード

2019.09.01(09:59) 393

戦乱と災害を乗り越えた古刹(2019.8.26)

<コース>
JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08) → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺 → 天橋立 → 籠神社丹後国分寺 → 宮津(16:29) → 福知山(17:25→18:11) → JR大阪(20:12)

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護国山 国分寺(真言宗単立寺院)

 天橋立を渡った場所から阿蘇海北岸を西に1㎞行った高台にあるのが丹後国分寺。

現在の宮津の中心は鉄道の通る南岸ですが、古代では国府・国分寺・一之宮と全て北岸にあった事が分かります。

現在の寺から海に少し下がった所にある旧国分寺跡が創建時の場所。

創建年代ははっきりしませんが、聖武天皇の勅命から時を経ず建立されたのは確かなようです。
 
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天橋立から国分寺方面を望む

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高台に建つ丹後国分寺全景

 その後、衰退しますが住職であった円源坊宣基が再興に着手。嘉暦3年(1328年)には盗難にあった本尊も買い戻し、

建武元年(1334年)には盛大な金堂上棟式を行ったと記録にあります。

雪舟の「国宝・天橋立図」に描かれた本堂と五重塔はこの時のものです。当時は鎌倉幕府が滅び室町に移行する乱世。

そんなさ中に再興した宣基の手腕は大したものですが、仏像を盗む輩がいた事は今も昔も変わらないようです。

 戦国時代の永正年間に一色氏と若狭武田氏の兵乱で焼失しますが、すぐに再建。

しかし江戸時代の天和3年(1683年)の山津波で流失。再建は少し高台の現在地に移りました。

観光寺院ではないので訪れる人もいませんでしたが、場所は変わっても天平の国分寺の法灯を継ぐ寺院であるのは確か。

境内に立つと正面に天橋立が横一文字に見えます。天橋立同様、丹後国を見守り続けた事を感じます。

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石段を上り山門へ

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山門近影

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山門上から見た阿蘇海
旧国分寺跡は下の畑?の右手にある。

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境内より山門を振り返る

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山門より境内を見る

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正面より見た本堂
本尊は薬師如来。

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本堂前欄間の龍の彫刻
成相寺の龍は左甚五郎作とされるが、ここは違う模様。

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本堂より見た阿蘇海と天橋立

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境内より見た天橋立

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丹後国分寺御朱印

参拝後は宮津駅へ。江戸時代は城下町と港で栄えて町には三上家はじめ旧家が残ります。

また湊町ならではの遊郭があった事でも有名。

・丹後の宮津でピンと出た 縞の財布が空になる♪

の宮津節はこのことを歌ったものでしょうか?

という訳で一日三ヵ所巡礼も無事終了。文字通り日本参詣とはなりました。

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宮津駅近くの大手川に架かるヨット型橋梁

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江戸時代、商業で栄えた宮津に残る街並み

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重文・旧三上家住宅
元結屋の屋号で酒造業と廻船問屋を営んだ豪商。主屋は天明3年(1783年)の建築。

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京都丹後鉄道(KTR)宮津駅舎
商家を模した造り。KTRはその場所に関係のある個性的な駅舎が多い。

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宮津湾流域下水道マンホール蓋
天橋立とオオミズナギドリ(京都府の鳥)

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宮津湾流域下水道マンホールカード     配布場所はこちら

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元伊勢籠神社(京都府宮津市) 伊勢の元になった神社の御朱印

2019.08.31(21:10) 392

遠い海から来た神様(2019.8.26)

<コース>
JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08) → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺 → 天橋立 → 籠神社

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籠神社(丹後国一宮 式内社 旧国幣中社)

 知恩寺から3.3㎞の天橋立を渡った反対側にあるのが元伊勢籠(もといせこの)神社。

その創建は古く、

『上代の創建で、初め豊受大神を祀り、雄略天皇の時代に天照大神を伊勢に祀る前にここに祀った。故に元伊勢と呼ぶ。

大化の改新の後は籠神社と称し、10世紀以降は丹後一宮と呼ばれた事が六国史から分かる。

その間、養老3年719年に現在地に移転した。』

とあります。

 伝説時代はさておき、古代から人々の崇拝の対象となっていたのは確か。

ここの神職は代々海部(あまべ)氏が務めており現代84代目。

断絶を避けるために今でも親子で同じ飛行機には乗られないという徹底ぶり。

その系譜が残っており国宝。海部氏はその字から想像するに海に所縁のある一族で、その首長が祭祀を行ったと考えられます。

 鎮座される場所は天橋立を挟んで知恩寺の向かい側。宮津湾の入り口を抑える場所に当たります。

古代には更に高台の奥宮・真名井神社に豊受大神が鎮座されていたそうですから、港を一望できる場所だったでしょう。

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廻旋橋が回って船が航行中

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廻旋橋説明

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廻旋橋上から阿蘇海、府中方面を見る

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天橋立から見た知恩寺境内

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天橋立から宮津湾方面を望む

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天橋立の中を行く

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傘松方面へ近づく

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元伊勢籠神社一の鳥居

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二の鳥居

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二の鳥居近影

 陸伝いにはやや不便ですが、海の移動を考えると立地条件は良好。

古来より海人族を率いた海部氏ならではの選択と言えそうです。

 丹後半島の奥には舟屋で有名な伊根がありますが、そこには浦島伝説の神社もあるとか。

海を渡って来た民族の神が一旦この地に留まり、その後伊勢に移ったとすれば、元伊勢の由来も朧気ながら分かる気がします。

古代においては文化の一大中継地点だったのでしょう。

 信州にも安曇という地名が残っていますが、この一族も海伝いに来た一族。

日本海は今以上に古代では交通の大動脈だったと考えられます。

その理由ですが、海岸沿いに対馬海流が規則正しく流れており風と異なり航海の時間が読める事が重宝されたと考えられます。

魏志倭人伝の邪馬台国に 「水行十日」 とあるのは瀬戸内海と考える事が多いですが、日本海と考えると全く別のルートが

浮かび上がります。とする途中の「ツマ」国は「イヅモ」の訛ったものかと想像が膨らみます。

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神門前の阿形の狛犬
凝灰岩製の(神社には鎌倉時代とあるが…)桃山時代の作で重文。尚、この狛犬の右足には鉄輪がはめられているが、これは悪事を働いたために天正年間に石見重太郎に斬られた跡と伝わる。

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狛犬説明

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神門
ここより先は撮影禁止。

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神社由緒

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籠神社御朱印

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宮津市マンホール蓋
神社の前の道に設置

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天橋立駅前郵便局 ; 文殊山から見た天橋立・飛龍観、可動橋・廻旋橋、知恵の輪灯篭
天橋立郵便局 ; 天橋立

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知恵の文殊堂(京都府宮津市) 天橋立に建つ文殊様の御朱印

2019.08.30(20:33) 391

山陰寄れば文殊の餅(2019.8.26)

<コース>
【往路】JR大阪(5:55) → JR福知山(8:19→8:29) → JR東舞鶴(9:23→11:23) → JR西舞鶴(11:29→11:37) → (京都丹後鉄道) → 宮津(12:08)

宮津 → 徒歩10分 → 道の駅 海の京都 → レンタサイクル → 知恩寺

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天橋山 知恩寺(臨済宗妙心寺派)

 台風の影響で雨が多く家に籠る日が多かったですが、久しぶりの晴天予報を聞き夏場らしく丹後へ。

 福知山から舞鶴線で終点の東舞鶴下車。

舞鶴湾は天然の良港ですが、西は城下町で漁船や客船が着く場所。東は役所と軍港と棲み分けができています。

 戦前は旧帝国海軍の鎮守府が置かれた軍港で東郷元帥も日露戦争前は舞鶴鎮台の職にありました。

戦後は「岸壁の母」の舞台となった引揚船の港と歴史を刻んでいます。

今は、海軍ゆかりのカレーと海軍施設の赤レンガ倉庫群で町興しをしていますが、西と【とうごう】するのは難しそうです。

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舞鶴赤れんがパーク
旧帝国海軍の倉庫として明治35~36年に建設された。今は記念館やレストランが入っている。

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自衛隊桟橋付近にて

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舞鶴市マンホール蓋
赤れんがパーク横の国道27号線付近に設置。

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舞鶴市マンホールカード    配布場所はこちら

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舞鶴北吸郵便局 ; 舞鶴引揚記念館、望郷慰霊の碑
中舞鶴郵便局 ; 海上保安学校校舎、舞鶴湾の戸島

 赤れんがと軍港を見た後は西舞鶴からKTRで宮津へ。道の駅でレンタサイクルを借りて栗田半島方面へサイクリング。

途中、雪舟が国宝・天橋立図の構図にしたと言われる場所がありましたが、やや標高が足りず。

他にはそのような場所は無く、結局彼は想像であの絵を描いたのだろうと結論しました。

写実も勿論ですが、想像力も芸術家には不可欠だという事です。

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栗田半島から見た天橋立

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栗田半島から遠く伊根方面を見る

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雪舟が描いた絵の場所とされる所にある稲荷社

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社の高台から見た天橋立
後方の阿蘇海が辛うじて見えるくらいで、構図はもう少し高い場所か?

 その後は知恵の文殊さまへお参り。
ここを訪れるのは5回目ですが、橋立観光の起点に近く宿泊・食事施設が集中しているので観光客が多いのはいつもの事。

 唯、御朱印を貰う人は確実に増えておりブームが衰えていないのを実感しました。

天橋山知恩寺(あまはしさんちおんじ)は、寺伝に拠ると

『起源は神話時代に遡り、イザナギ・イザナミの二神が、この地に棲む悪龍を教化するために中国五台山より知恵の文殊菩薩を

迎えた事に始まるとされる。

歴史的には大同3年808年に平城天皇が悪夢により当地に来て勅願により建立したと言われ、山号・寺号は延喜4年(904年)に

醍醐天皇に拠るとされ勅額は醍醐天皇のものである。』

とあります。

 天橋立は全長3.3㎞の砂嘴で『丹後国風土記』ではイザナギが天に渡るべく架けたとされるもの。

そうでなくともこの自然の驚異を目にする人は必ず神秘性を感じたに違いなく、昔から多くの人を惹き付けてきました。

 天橋立を訪れる人は先ずこの寺に詣でるのが常で、寺伝もそのような歴史が堆積したものでしょう。

平安時代は国司が補修に携わっています。


 鎌倉時代に禅宗となり、室町期には将軍・守護大名も保護に努め、明徳4年に足利義満、応永29年には足利義持が

参詣したと伝わります。

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知恩寺山門(楼門)
明和5年(1768年)建造の禅宗様式で三間三戸二重門は丹後地方最大。楼上には釈迦如来、十六羅漢を安置する。

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山門正面
上の扁額は「黄金閣」。

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境内から見た山門

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山門を入って左手の重文・多宝塔
一色氏の武将府中城主延永春信が病気全快を感謝して明応9年(1500年)に寄進したもの。塔内には大日如来を安置。

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本堂前から境内を望む

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山門正面にある宝形造の本堂(文殊堂)
文殊菩薩降臨の地と云われ、本尊は重文・木像文殊菩薩像。

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本堂近影
内陣の四本柱を特に神建の柱と呼び、神代建立の伝説を持つ江戸中期の建築。

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本堂側面
前面二間を吹放しの外陣、四囲は吹放しの化粧軒天井になっている。

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庫裏に続く楼門

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鐘楼

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本堂側面

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本堂横の無相堂

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何故か扇子の形のおみくじが

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境内にある石造宝篋印塔
何時の頃からか和泉式部の歌塚と伝えられる。

 今でも観光客は多く、参拝者は海辺に建つ知恵の輪くぐりをする習わし。

尤も元来は港に入る船の燈台の役目をしていたそうですから、知恵者がいたのでしょう。

天橋立は知恩寺とは完全に陸続きにはなっておらず廻旋橋でつながっています。

その場所の切戸から寺の別名・切戸文殊堂が来ています。

 山門前には「知恵の餅」の店が四軒。

真夏なのでスルーかと思っていたら、「知恵の餅付きかき氷」の看板が目に入ったので早速立ち寄り。

値段も¥500と良心的でした。

三島大社もそうですが、猛暑にはかき氷とコラボするのが良作。ここにも文殊の知恵が生きていました。

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阿蘇海の岸に建つ 「知恵の輪」

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「知恵の輪」 説明

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知恩寺川と天橋立川を繋ぐ廻旋橋
船が通るときに動く仕掛けである。

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知恩寺説明書

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知恩寺御朱印
四半世紀以上前に拝受したものだが、現在までこれ一種類を守っているのが素晴らしい。

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知恩寺オリジナル御朱印帳
今は同じ図柄でこれより一回り大きなタイプも販売されている事に時代の流れを感じる。

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門前の彦兵衛にて一服
左の自転車がこの日の相棒。

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知恵の餅入りかき氷 ¥500

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禅定寺(京都府綴喜郡宇治田原町) 重文・藤原時代の十一面観音様の御朱印

2019.07.06(17:35) 336

日本茶の里で観音様に対面 (2019.7.5)

<コース> 京都京阪バスは日中60分間隔で運転
【往路】京阪電鉄淀屋橋(7:40) → 京阪宇治(8:41→8:54) → (京都京阪バス30分) → 維中前(9:24) → 徒歩30分 → 禅定寺

【復路】維中前(13:04) → (京都京阪バス30分) → 京阪宇治(13:34→14:39) → 京阪電鉄淀屋橋(15:33)

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白華補陀落山 観音妙智院 禅定寺(曹洞宗)

 夏も近づく八十八夜もとっくに過ぎ去った7月上旬、宇治の更に奥にある宇治田原町に巡礼。

 ここは15年の苦心の末、元文3年(1738年)に緑の煎茶の製法を発明した永谷宗円の誕生の地。日本橋の豪商山本嘉兵衛が売り4年後売茶翁(ばいさおう)が風流道からそれを広め80年程かけて全国に広まりました。

 地元では茶祖として崇拝されており宗円なくしては今の日本茶はなかったでしょう。尚、宗円の子孫の永谷嘉男が大正時代に創業したのがお茶漬け海苔の「永谷園」です。

 今は宇治駅からも京田辺駅からもバスが1時間に1本という地域ですが、その昔は山城から近江の信楽・瀬田に抜ける道で、平安京以前には宇治田原越え禅定寺越えと東海道に通じる古道でした。

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バス通りから見た茶畑
山裾に茶畑が広がるのはと変わらぬ風景だが、山上にニュータウンが広がっているのは現代風。

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お寺へ向かう山道

 洛南の宇治は平安時代の中期からは都の貴族、特に藤原一族の別荘として注目されるようになります。頼通が作った平等院はその典型ですが、禅定寺地区はその先駆けになります。

 田原川の支流禅定寺川に沿って北に行った山麓は山岳宗教の行場として桑在寺(くありじ)がありましたが、それを前身として正暦2年(991年)東大寺53代別当平崇(へいそ)上人が頼通の祖父兼家の帰依を受けて建立したのが禅定寺本堂。

 造営に要したのは5年、本尊として十一面観音を安置しました。

 その後、長保3年(1001年)には田畑1千町歩を施入。道長始め摂関家の保護を受け平安末には平等院の末寺になりますが武家の時代になり衰退。楽あれば【くあり】。

 しかし寺領が広大であったため住民との関係が深まり、寄人が中心となって寺に維持に務めました。

 戦国期に兵火で焼失しますが、江戸時代に延宝8年1680年に加賀大乗寺の月舟宗胡(げっしゅうそうこ)禅師が【えんぽう】から入寺、加賀藩家老本多政長の援助で再興し曹洞宗になりました。

 兵火に遭遇しながら本尊は災難を潜り抜け、藤原時代の姿を保っています。その他、四天王像など重文が計9点。都から距離があったとはいえ、これだけのものを守り通した努力は大したものです。

 お寺は道路から石段を上がった場所、仁王門をくぐると紫陽花、紅葉、竜胆等が植えられた禅宗風の庭があり、今の御住職が熱心に作庭されたとか。

 また本堂の裏手の墓地の壁には大涅槃図が描かれており、中央の釈迦涅槃図は画家に拠るものですが、周囲の絵は地元の有志の作。中世時期に村で寺院を守った伝統が今に至るまで生きているようでした。

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禅定寺入口
ここまでは町内コミュニティバスが運行されている。

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石段の先にある山門

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顎紫陽花の向こうに見える仁王門

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仁王門近影
江戸期の建築。

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仁王門から山門を振り返る
右にあるのが重文の仏像等を納める宝物殿。

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仁王門の扁額

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仁王阿像と大草鞋

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仁王門を過ぎた場所に立つ五輪塔

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五輪塔付近から見た仁王門

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禅定寺境内

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茅葺の傾斜が美しい江戸期建築の本堂

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本堂近影
茅葺と思っていたが御住職の話では琵琶湖のヨシだそう。

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本堂の屋根

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本堂の扁額
藤原氏所縁の寺院だが、菊の御紋が。

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本堂裏の禅宗様内庭

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平成の大涅槃図
本堂裏の墓地の塀に描かれている。

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本尊の重文・十一面観音
高さ286㎝の観音様。撮影禁止なので「南山城の古寺」より抜粋。

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本堂前庭

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庫裏より見た境内

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紫陽花
青・紫色系列の花を中心に植えているとの事。

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池越しに見る本堂

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十八善神堂

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禅定寺略縁起

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禅定寺御朱印

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宇治田原町マンホール蓋

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カラーマンホール蓋は上下水道庁舎に展示

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宇治田原町マンホールカード   配布場所は宇治田原町 上下水道庁舎

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宇治橋の袂の「通圓」にて抹茶パフェ ¥850
向こうに見えるのが宇治川。

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宇治田原郵便局 ; 茶祖・永谷宗円の生家と碑、茶摘み、茶壺
郷之口郵便局 ; 茶祖・永谷宗円翁の碑、茶摘み、茶、茶壺

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大御堂(京都府京田辺市) 天平時代の国宝十一面観音の御朱印

2019.07.02(21:03) 332

田圃の中の国宝探訪(2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺 → 寿宝寺 → 観音寺

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息長山 観音寺(真言宗智山派)
睡蓮池越しに見る本堂。

 本日の三番目は国宝仏を拝観。JR三山木駅から西へ2㎞、細い川を渡ると田畑の向こうに堂宇が見えます。

 息長山観音寺(おきながさんかんのんじ)は、天武天皇の勅願により義淵僧正が建立した親山寺(しんざんじ)が前身。釈迦仏と薬師如来を祀り、天平16年(744年)聖武天皇の勅願で義淵門下の良弁が伽藍を増築して十一面観音を安置。

 良弁僧正の高弟で東大寺二月堂の御お水取りを始めた実忠和尚が第一世に。法相三論華厳等を兼学し息長山普賢教法寺として世の尊崇を集めました。諸堂十三、僧坊二十余を数え、その壮大さから「筒城の大寺」と呼ばれました。

 筒城は仁徳天皇の磐之媛皇后と継体天皇が宮を置いた場所。天平14年といえば聖武天皇が恭仁、信楽と都を移動していた頃なので、大寺の建設も遷都の一貫だったのでしょう。

 東には木津川が流れ支流に普賢寺川もある交通の要衝という点が重視された気がします。

 当時ここは南都の勢力範囲で、親山寺は北院として重視されました。度々の火災にも延暦13年(794年)には藤原良房、平重衡の南都焼討のあった治承4年(1180年)には近衛基通の力で再建。

 摂関家の庇護を受けた事が大きく、特に近衛基通はここに隠棲し普賢寺殿の名で葬られています。

 しかし戦国期になって貴族の力が衰えると衰退、永享9年(1437年)の火災で大部分が消失。再建された大御堂と小御堂も永禄8年(1565年)に罹災して大御堂のみが再建されています。

 明治期には南山城一帯の寺院は衰退し殆ど無住になったとか。いまの浄瑠璃寺や岩船寺からは想像もつきませんが、それほどまでに仏教には試練だったとの証拠です。その後、真言宗智山派がこの地域に入り今に至ります。

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観音寺全景

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境内へ続く参道
春には両脇に桜が満開となる。

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参道の先にある本堂(大御堂)

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本堂前にある睡蓮池

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池から見た本堂

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本堂正面

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ここから入って御本尊を拝観 ¥400

 大御堂はかつての諸堂の中の普賢寺に相当しますが、本尊から観音寺と呼ぶのが一般的。

 この本尊こそ、数々の苦難を乗り越えて天平時代から現在まで伝わった【息の長い】観音様。木心乾漆造という独特の手法で、我が国では奈良桜井の聖林寺の観音様と並ぶ天平の国宝となっています。

 同時代とはいえ聖林寺よりも湖北の十一面観音と似た雰囲気、修復の具合で新しく見えるのでしょうか?

 聖林寺の観音様よりも高い評価をする人もいるようですが、白洲正子さんは、それが却って短所でもあると書いています。まあ巡礼は美術品の評価をするものではありませんが…。

 拝観では三神住職が説明をされましたが、後の定朝・運慶・快慶などの仏師と異なり、天平時代は漆職人が製作に携わり、加えて漆は国家統制されていたので、民間でなく国家プロジェクトだったとの事でした。

 当時の仏教は個人救済ではなく国家鎮護なので十分考えられる話です。しかし、そのため当時の技術の粋を集めたものが出来た訳ですから、後世の人は感謝しないといけませんね。

 見学者は数名でしたが、寺の略記に加えて仏教に関わる語源も説明。

 煩悩が108あるのは四苦八苦(4×9+8×9=108)由に由来するとか、油を足すのを忘れると法灯が消えることから「油断」が生じたとか、このような話を聞くことで仏教がより身近に感じられました。

 尚、広大な堂宇は無くなりましたが、今はその後に同志社大ができています。

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本堂内陣にある般若絵心経
江戸時代に文字の読めない人の為に盛岡で作られたもの。

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般若絵心経の刺繡
東京の吉田判子店から奉納されたとか。

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内陣の説明書
意外にも国宝・十一面観音は七体しかない。ここの御本尊は左から二番目

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国宝・天平時代の十一面観音
撮影禁止なのでこれは購入した冊子より抜粋。

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本堂前から

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本堂から睡蓮池を望む

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本堂の裏は山に続く

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ここからお水取りの松明の竹を切り出すらしい
第一世実忠との関りからか?

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「南山城の古寺」  ¥500
寺の概説と写真が掲載。一般の概説書やガイドが少ないので重宝される。

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観音寺略縁起

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観音寺御朱印

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寿宝寺(京都府京田辺市) 十一面千手千眼観世音菩薩の御朱印

2019.07.01(17:50) 331

千の手と眼で開運? (2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺 → 寿宝寺

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開運山 寿宝寺(高野山真言宗)

 法泉寺に続きJR三山木駅東にある壽寶寺へ。

 開運山壽寶寺(かいうんざんじゅほうじ)は、文武天皇の慶雲元年(704年)の創建。

 古くは「山本の大寺」と呼ばれ、現在地より300m程東の木津川河岸近くにあり七堂伽藍を備えていましたが度重なる木津川の氾濫で移転を繰り返し、享保17年(1732年)に今の場所へ移ったとされます。

 あたり一帯の呼び名は山本郷。和銅4年(711年)に大和から山陰道へ向かう山本駅が置かれ、寺院横に「山本駅旧跡」の碑があるのはその名残です。

 中世以降の東海・山陽・山陰道は平安京から分かれていますが、古代においてはこの南山城付近が分岐点。のちには廃れますが、本能寺の変の際に堺に居た徳川家康がこの道を通って木津川を渡り伊賀越えをしました。

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山門の東側にある「山本駅旧跡」の碑

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府道生駒・井出線より寺の一口に向かう

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寿宝寺山門

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山門正面の本堂
1997年に堂宇の大改築が行われたので新しい。

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本堂の扁額

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本堂前から境内を見る

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境内の庭

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本堂遠景

 ここの本尊は十一面千手千眼観世音菩薩立像。昭和になり近隣の寺院を合併した際に佐牙神社の神宮寺からここに移って来ました。

 藤原時代中期の様式を備えた平安時代の作で重要文化財。通常の千手観音の手は40本ですが、この仏像は実際に千手を備えて居られ全ての掌に眼が、大阪葛井寺、奈良唐招提寺の千手観音と並ぶ三大名作だそうです。

 仏像拝観は予約制でしたが、偶々お寺の方が庭掃除をされており開帳して頂ける事に。小さなお堂ですが多くの方が来られており、柴門ふみ、白洲信哉さんの色紙がありました。

 急な訪問だったので御住職の説明はありませんでしたが、説明書に眼を通して拝観するだけで十分でした。

 唯、本堂には既に大日如来が祀られているので、新たな御堂を造ってそこに祀られるようになったとか。【千手】必勝とはならなかった様ですね。

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重文・十一面観音を祀るお堂
雨の日は閉鎖して仏像の劣化を防止。

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壽寶寺説明書 ¥100

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説明書裏面の重文・十一面千手千眼観世音菩薩立像
御本尊は撮影禁止。ほぼ等身大。

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壽寶寺御朱印

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田辺三山木郵便局 ; 重文・寿宝寺千手千眼観音、茶摘み風景

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法泉寺(京都府京田辺市) 戦火を潜り抜けた石塔のある御朱印

2019.06.30(20:46) 330

草の中から出た観音様 (2019.6.28)

<コース> 電車は日中15分間隔で運転
JR北新地(8:43) → JR京田辺(9:30) → レンタサイクル → 法泉寺

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中嶋山 法泉寺(真言宗智山派)

 夕方から京都市内で会合があり。午前中の合間を縫って京田辺市へ。

 今は京都府に属する南山城ですが、古代においては平城京の北端という位置付け。そのため南都の影響を受けた古刹が木津川沿いに点在します。

 平城京を建設する際に、近江の田上山から切り出した材木は宇治川から巨椋池、木津川を遡って、伊賀・笠置からの材木は木津川を下って都に近い場所で陸揚げ。そこが木津と呼ばれるようになりました。

 現在の木津川は水量も周辺人口も少なくキャンプ場とカヌーのイメージですが、古代には暴れ川と言われる程で、交通の大動脈として活気に満ちていたようです。

 中嶋山法泉寺(なかじまさんほうせんじ)の創建は明らかではありませんが、大きさ5~6寸の十一面観音の金像が付近の草叢から出現。

 関東では海から出た例が多いですが、ここは海から遠いので草の中。以来、この付近は草内(くさうち)と呼ばれています。何故か郵便局だけ同じ漢字で「くさじ」の読みなのが不思議です。

 天長年間(824~833年)の旱魃で本尊に祈願した所、清泉が湧出したので法泉寺と号したとか。雨乞い祈願の農耕守護仏として信仰されるようになりました。本堂は永禄2年(1559年)の戦火で焼失。元禄12年に再建されています。

 門を入って左手にある十三重石塔は弘安元年(1278年)猪末行作の銘。法泉寺は室町時代までは奈良興福寺の支配下で、鎌倉時代に西大寺の叡尊に拠る水害対策・渡しの整備があり、その供養記念として建てられたと言われます。

 作者の猪末行は東大寺再建に際し、中国より来朝した石工。本堂東隅の三宝大荒神石塔は明応7年(1498年)と、石造りの御蔭で戦火を潜り抜けたようです。

 急な訪問で御住職は不在でしたが、夫人が本堂を開帳して下さり、御本尊を拝観できました。

和辻;「この御本尊が草叢から出た仏様ですか?」

夫人;「いいえ、初めの御本尊は明治の頃行方が分からなくなって、今は後世の仏様です。」

和辻;「本堂は江戸期の様ですが、御本尊はもう少し古い気がしますが…。」

夫人;「はっきりとは分かりませんが、鎌倉・室町期の様ですね。」

 この場所も戦火を受けましたが、旧御本尊は廃仏毀釈のあおりでどこかへ行ってしまったのでしょう。本堂横の室町様式の枯山水庭園もやや荒れた気がします。

 檀家も居られないとの話でしたし、観光寺院とは違うので、法灯を伝えていくには並々ならぬ苦労があったと思います。

 御朱印を拝受して辞しましたが、

和辻;「これから大御堂観音寺に向かいます。」

夫人;「観音寺は住職の実家で、あそこは常駐されているので拝観は大丈夫です。」

との事でした。

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草内小学校の北側にある法泉寺入口

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重文・十三重石塔
花崗岩を加工した高さ6m、四方に石仏彫を配している。

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長い戦乱を潜り抜けてきた法泉寺境内
右のカイヅカイブキ(コノテガシワ)はその生き証人?

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法泉寺本堂

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本堂右の三宝荒神王碑
元来神社のもので寺院の一角に祀られているのは珍しい。

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復元された室町様式の枯山水庭園

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中嶋山法泉寺略縁起

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法泉寺御朱印

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草内郵便局 ; 重文・法泉寺十三重石塔、山城大橋

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雪舟寺(京都市東山区) 雪舟庭園の御朱印

2019.06.29(18:47) 329

山水をふんだんに採り入れた庭園(2018.7.3)

<コース> JRは15分間隔、京阪電鉄は10分間隔で運転
JR大阪 → (新快速) → JR京都 → JR東福寺 → 徒歩10分 → 東福寺  或いは
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → 東福寺

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雪舟庭園 芬陀院(臨済宗東福寺派 塔頭寺院)

 天得院に続いて、通路を挟んでほぼ向かいにある芬陀院(ふんだいん)を拝観。

 元亨年間(1321~1324年)に関白一條内経が東福寺開山聖一(しょういち)国師の法孫にあたる定山祖禅(じょうざんそぜん)を開山として創建、以来一条家の菩提寺として現在に至ります。内経の法号「芬陀利華院」を採って院号になりました。

 その後、衰退しますが元禄年間に一条兼照により再興、宝暦5年(1755年)の火災で焼失しますが、桃園天皇の后・恭礼門院の計らいで御所の一部を移築。

 更に明治には昭憲皇太后からの御内帑金により改築されたものが現在の建物です。恭礼門院は旧名一条富子、昭憲皇后は一条美子と共に一条家の出身。

 江戸時代の京都の公家は経済的には幕府から冷遇されたと言いますが、これらを見る限りなかなかの物。腐っても鯛といっては怒られるでしょうか?

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芬陀院山門
元亨年間に関白一條内経が定山祖禅を開山として創建。ここは特別拝観ではない。

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参道から続く参道

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大玄関と唐門
唐門は恭礼門院の御所より移築されたもの。

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屋内の屏風

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内庭全景

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手水鉢と崩家形灯籠

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内庭と縁側
縁側は木と竹を交互に使用。

 ここでもう一人有名なのが画僧の雪舟(1420~1506)。雪舟が幼年期を過ごした備中の宝福寺は東福寺の末寺で在京の折にはここへ逗留したと言われます。

 当時の芬陀院の大檀徒は文人として著名な一条兼良、彼の所望により作庭されたのが南庭「鶴亀の庭」。寛正・応仁期の作で京都では最古の枯山水庭園と言われ、苔と石を【ふんだんに】採り入れたものです。

 庭には石組の亀がありますが、出来上がった夜に和尚が傍を通るとその亀の石組みが動いたとか。涙で描いた鼠の絵の焼き直しですが、それほどリアルだったという事でしょう。

 この庭も二度の火災で荒廃しますが、昭和14年(1939年)に作庭家重森三玲により復元、その時に新たに作庭されたのが東庭でした。

 パトロンの一条家としては指図をしたかったかもしれませんが、作庭の名人に全て任せたのが、今に至るまで名声を保っている理由ではないでしょうか?まさに摂政と雪舟により完成した庭と言えます。

 御朱印を拝受しましたが、帰宅して確認すると平成4年に拝観・拝受済。全く記憶にありませんでしたが、覚えていないのであれば拝観しても問題はないと悟った次第です。

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東庭と図南亭
奥が鶴島、手前が亀島。

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東庭は作庭家・重森三玲に拠る

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図南亭(となんてい)
宝暦の火災で焼失したが、昭和44年に復元。一条家第十四代昭良公がここで茶を嗜んだとされる。

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図南亭の内部

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図南亭の窓から東庭を望む

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「図南」の扁額は石川丈山の揮毫

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雪舟の作庭による南庭

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南庭の鶴島(左)と亀島(右)

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雪舟庭園 芬陀院説明書

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芬陀院御朱印
失念していた平成4年拝受の分

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芬陀院御朱印
今回拝受したもの

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天得院(京都市東山区) 桔梗の寺の御朱印

2019.06.28(23:04) 328

帰京して桔梗!(2018.7.3)

<コース> JRは15分間隔、京阪電鉄は10分間隔で運転
JR大阪 → (新快速) → JR京都 → JR東福寺 → 徒歩10分 → 東福寺  或いは
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → 東福寺

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萬松山 天得院(臨済宗東福寺派 塔頭寺院)

 大本山東福寺には多くの塔頭がありますが、この日は特別拝観の天得院へ。

 萬松山天得院(ばんしょうざんてんとくいん)は南北朝時代の正平年間(1346~1370年)、東福寺第三十世住持・無夢一清(むむいっせい)禅師により開創、東福寺五塔頭の一つとして栄えます。

 その後、一時衰退しますが、大機慧雄(だいきえゆう)禅師が中興の祖となり再興されました。

 慶長十九年(1614年)には東福寺第二二七世・文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住持となり、五山の学僧として豊臣秀頼から優遇を受けますが、秀頼の依頼を受けて撰文したのがかの有名な方広寺の「国家安康、君臣豊楽」の一文。

 これが徳川家康の怒りを買い大坂夏の陣で豊臣家は滅亡、天得院も取り壊される憂き目を見ます。

 五山の僧侶にしては【誤算】があったと思いますが、もし家康の意を汲んで故意に銘文を選んだのであれば、とんでもない策士であった事になります。これは推理小説の世界ですが…。

 その後、天明九年(1789年)に堂宇が再建され、明治元年(1868年)に山内の塔頭本成寺と合併したものが今に至っています。

 栄枯盛衰も【天命】でしょうが、庭園は桃山時代の作庭とされる枯山水。杉苔に初夏の桔梗と秋の紅葉のコントラストが見事です。

 桔梗は本来秋ですが、ここでは初夏から秋にかけて順番に開花する品種だそう。秋は紅葉で人が多いので、少ない時にも集客できるという事なので、なかなか商売上手です。これも天徳ではなく【天得】という名のなせる業でしょうね。

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萬松山天得院山門
南北朝時代に創建。現在のものは1789年再建。

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特別拝観入口

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山門から見た前庭

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いよいよ桔梗の庭へ

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廊下より庭の桔梗を見る

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天得院西庭の桔梗と杉苔

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桃山時代作庭の枯山水庭園

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青桔梗

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青桔梗近影

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青白乱れ咲き

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白桔梗近影

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西庭に続く北庭

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華頭窓から見る庭
逆さに見ると花の形になるという。

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廊下の突き当りにはこのようなものが

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西庭を眺めながら一服 ¥800
お菓子は東福寺門前の鶴屋弦月の作と聞いたので買って帰ろうと思ったら休み。

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室内から西庭を眺める人々

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室内の飾り付け

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天得院説明書

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天得院御朱印
書かれたものを拝受

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東福寺(京都市東山区) 京都五山の御朱印

2019.06.27(22:28) 327

通年通れる通天橋(2018.7.3)

<コース> JRは15分間隔、京阪電鉄は10分間隔で運転
JR大阪 → (新快速) → JR京都 → JR東福寺 → 徒歩10分 → 東福寺  或いは
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → 東福寺

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慧日山 東福寺(臨済宗東福寺派大本山 京都五山第四位)
六波羅探題の遺構を移したとされる重文・六波羅門。寺内最古の建造物である。

 京都市内で所用があって少し時間が余ったので東福寺へ。

 鎌倉時代に摂政関白藤原(九条)道家が九条家の菩提寺として造営したのが始まり。京の都の「新大仏寺」として高さ15mの大仏立像を安置すべく1236年から19年掛けて仏殿を完成させた大寺院。

 南都の東大寺と興福寺から「東」「福」の二文字を貰って寺号に。二ヶ寺の良い処取りを狙ったようですが、欠点ばかりだったら【くじょう】でも言ったでしょうか?

 開山には宋から帰朝した聖一国師を招き、当初は天台・真言・禅宗の三宗兼学として壮大な堂塔伽藍を誇りました。中世から近世を通じて栄え、高僧も輩出しますが、度々火災に合い、諸堂を焼失。良い名前を持って来ても火災は防げなかったようです。

 明治期には廃仏毀釈に会いますが、それでも25の塔頭寺院を擁する大本山。境内の散策は無料ですが、通天橋から開山堂へは有料。

 紅葉のシーズンにはニュースでも取り上げられ、通天橋に上るのに1~2時間待ちはザラ。今回も境内の散策で済まそうと思いましたが、人も少ないので通天橋に入場。

 紅葉ではなく、青紅葉と紫陽花でしたが、地面の苔とも相俟ってなかなかいい雰囲気でした。『秋は通天と誰か言いけむ』です。

 途中、幼児を連れた夫婦に声を掛けられました。中国の方で10年以上前に京都で勉強していた縁での再訪だそう。

 禅宗は中国から渡来しましたが、今本場では仏教も大っぴらに活動できないので、日本の方がかつての雰囲気を感じる事ができるのでしょう。「ここは静かでいいですね。」との言葉が耳に残りました。

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本堂(仏殿兼法堂)
明治19年の焼失後、昭和9年の再建。重層入母屋造の大建築。

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重文・東司(通称百雪隠)
禅僧には用便も修行だとか。室町前期の遺構。

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東司の内部

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境内の紫陽花

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臥雲橋から見た通天橋

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通天橋にある貼紙
ここは六甲か?

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通天橋へと続く

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青紅葉と苔

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通天橋から臥雲橋方面を眺める

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通天橋から見た方丈
明治23年の再建。

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開山堂への道

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重文・開山堂(常楽庵)
聖一国師(1202~1280)を祀る。

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開山堂近影

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開山堂から方丈・書院を見る

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開山堂前の庭園

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普門院前から庭園を望む

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庭園の杉苔

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普門院廊下から開山堂山門を見る

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東福寺説明書

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東福寺御朱印
平成4年に拝受。墨書も印。

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京都赤十字病院内郵便局 ; 紅葉、東福寺、十三重石塔
京都今熊野郵便局 ; 国宝・三十三間堂、国宝・十一面千手観音坐像

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丹州観音寺(京都府福知山市) 紫陽花に囲まれた古刹の御朱印

2019.06.19(21:02) 320

紫陽花寺にいざ、行かんのん?(2019.6.18)

<コース> 電車は日中1時間毎に運転
JR京都(6:37) → JR石原(8:33) → 徒歩15分 → 丹州観音寺 → JR石原(10:58) → JR福知山(11:03→15:54) → JR園部(17:12→17:16) → JR京都(17:53)

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補陀落山 観音寺(真言宗 関西花の寺の二十五ヵ所霊場第一番札所)

 世間では紫陽花が見頃を迎えているので花を求めて丹波へ。

 地元の人と思しき3人のみ下車した無人の石原(いさ)駅から東へ徒歩15分。古刹の多い丹波地方ですが大部分は駅から5㎞以上の場所。ここは未だ近い方かと思いつつ目的地に到着。

 補陀落山観音寺(ふだらくさんかんのんじ)、寺伝に拠れば、

 『養老4年(720年)、天竺の渡来僧法道上人が十一面千手観音菩薩を刻んで祀ったのが始まりで、応和元年(961年)に空也上人が七堂伽藍を整え再興。

平安末には塔頭十余を数え、鎌倉時代には執権北条氏の、室町時代には将軍足利氏や丹波守護細川氏の庇護を受け繁栄するが、明智光秀に逆らったため天正4年(1576年)に仁王門を残し全山焼失。3年後に再建された。

江戸時代には歴代福知山藩主の庇護を受けるが徐々に衰退した。』

とあります。

 法道上人は丹波地域の寺を創建したとされる伝説的な僧侶。真偽は兎も角、古くから信仰を集めた寺院であったのは間違いないようです。

 情け深い君主と言われる光秀ですが戦略のためには容赦しませんでした。ここも時代の荒波を受け浮沈を繰り返しますが、関西花の寺二十五ヵ寺の第一番札所になった事が上昇の契機に。

 関西には西国及び新西国三十三ヵ所がありますが、花を前面にアピールしたのが功を奏したと言えます。山号の補陀落山は西国一番の青岸渡寺と同じなので一番になったのでしょうか?

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道路から道を中に数百m入ると観音寺

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簡素な山門

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仁王門前にて
9時前なのでテレビ局(関西TV)の方が撮影中。

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寺標

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仁王門近影
創建当時の物は明治29年(1896年)に倒壊し、昭和6年(1931年)に鎌倉様式で再建。

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仁王阿像

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仁王吽像

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仁王門を過ぎ受付(右奥)に向かう

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紫陽花越しに仁王門を振り返る

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受付から仁王門を望む
拝観¥350 は9時からであるが15分前でも入れて貰えた。

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参道を通り庫裏(右手)へ

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庫裏への階段前から入口を望む

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正面の庫裏へ向かう

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石段下で清める

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庫裏への門

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庫裏にある大聖院(左)と寺務所(右)
御朱印はここで拝受し、その間に山内を巡礼。

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大聖院の縁側から紫陽花の咲く庭に対す

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紫陽花の間の七観音霊場を通り「嘆きの展望台」へ

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霊場途中からみた大聖院

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「嘆きの展望台」に到着
書かれた文には思わず笑ってしまう。

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展望台から本堂へ向かう道にて

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かっぱ池の周囲にて

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 境内には至る所に紫陽花が植えられていますが、歴史は新しく戦後になって植えられたもの。本堂で伺った話では、眼病平癒を願って回復した人がそのお礼に紫陽花を植えたのが嚆矢で、その後植える人が続いたとか。紫陽花は挿し木で増えるので選ばれたのでしょうか?吉野山の桜に通じる話です。そういえば眼病に御利益のある長岡京市の楊谷寺も紫陽花寺。観音寺の説明書では、眼病が治り再び光明を得た御礼に七色に変化する光の花・紫陽花を植えたとありますが、偶然ならば目をみはる話です。

 本尊の御利益で面白いのは「財宝観音」。大金持ちではなく日々の小遣い銭を得るには効果があるとか。「西方観音」がいつしか訛って「財宝観音」になったそうですが、老後資金¥2,000万円は難しいですが、日々の小遣いがあれば何とか【至近】のやりくりはできると言うもの。「人生に必要なのは少々のお金」とはチャップリンの言葉だったでしょうか?大金を持つと碌な事にはならないようなので私もしっかり御願いしてきました。

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寛政7年(1795年)に完成した本堂(観音堂)

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本堂前面の垂木に「一番札所」の看板が

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本堂前から弁天池を見る

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本堂内陣の欄間彫刻
作者は中井権次。丹波氷上の出身で柏原藩の宮大工。神社仏閣の彫刻を得意とした。初代から9代に亘るが、6代目以降は権次を名乗ったのでだれに相当するかは分からず仕舞い。

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本堂前の慈母観音

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本堂右手の「観音杉」

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観音杉越しに見た本堂

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本堂前の紫陽花

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弁天池畔にて

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不動堂脇にて

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本堂境内の紫陽花

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本堂から向かいの庫裏へ

 ここの小藪実英住職は高野山で教務について居られたそうで、境内には自作の絵や言葉が掲げてあります。決して上から目線ではありませんが読むと妙に納得するのが不思議。庫裏の前庭には珍しい紫陽花も栽培されて居り、訪れる人が熱心に見入っていました。企業に勤めても企画や営業で業績をあげたのではないでしょうか?
 どこのお寺も待っているだけでは駄目で、人を呼び込む努力をしないといけないとの教えでしょう。

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寺務所前にある「あじさい園」

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あじさい園には珍しい品種が植えられている
一般に比べて、小ぶりなものが多い。

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あじさい園を散歩する「小国鶏」のつがい
餌を貰おうと出てきたところ

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拝観を終えて入口へ

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仁王門を出る

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仁王門前の畑にある紫陽花
地元の農家により育成されており、観音寺の紫陽花が枯死したらここのものを移植するとか。

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観音寺説明書

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観音寺オリジナル御朱印帳
紫陽花が刺繍されている

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23年前に拝受した関西花の寺の観音寺御朱印

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今回拝受した紫陽花期間の御朱印
小藪住職に拠るデザイン

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福知山石原郵便局 ; 福知山城、戸田橋、アジサイ
福知山郵便局 ; 福知山城、福知山おどり、三岳山、由良川

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聖護院(京都市左京区) 不動明王を表す梵字の御朱印

2019.06.09(09:41) 307

山伏の総本山へ正午イン!(2019.6.8)

<コース> 電車は10分間隔で運転
京阪電鉄淀屋橋 → 神宮丸太町 → 徒歩10分 → 聖護院

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聖護院門跡(本山修験宗 総本山)

 午後から学生時代の友人と会合があったので、その前にいつも前を通り過ぎるだけだった寺院に参拝。

 聖護院(しょうごいん)の宗派は山伏である本山修験宗。寛治4年(1090年)に大納言藤原経輔の子息で天台宗僧侶であった増誉(ぞうよ)大僧正が開基。

 白河上皇が熊野本宮に参詣の折に先達を務め、その功によりこの地に一寺を【贈与】され、全国の修験者の統括を命ぜられたのが始まりです。後に『聖を護った寺』と言う意味の名に変わりました。

 その後、後白河天皇皇子の静恵(じょうえ)法親王が宮門跡として第四代に入寺されて以降門跡寺院として皇族25名、摂関家12名を数えます。

 度々火災に見舞われ移転を繰り返しますが都度復興。不動明王を祀っているのに移転するのはどうかと思いますが責任者は【問責】されなかったのでしょうか?

 現在の建物は延宝4年(1676年)後水尾天皇の皇子道寛法親王の時の再建、天明8年(1788年)と安政元年(1854年)の御所炎上時には仮皇居としても使われる等、皇室とは縁の深い寺院です。

 皇族や摂関家で後継者以外の人は、仏門に入る例が多々ありました。端的に言えば厄介者払いですが、修験道の持つ超能力や山伏のネットワークを利用しようとした意図が大きかったと思います。

 建武の中興で功績のあった大塔宮護良親王も山伏の力をフルに活用しています。

 役行者が開いた修験道は日本古来の山岳信仰・自然崇拝に仏教・道教が融合したもので理論よりも実践に主眼を置くことに特徴があります。

 今でも余暇にスポーツ等で体を鍛える人の方が机に座って勉強する人よりも圧倒的に多いので、高貴な人々も心を捉えたのも、机上で学問をするよりも体を動かすことが好まれたと言うのは言い過ぎでしょうか。

 この日は参拝だけで終了。文化財の拝観は秋季だけなので、重文の書院や襖絵は持ち越しですが御朱印は拝受。なんでも不動明王を表す「カーン」という梵字だそうで【凡人】には?でした。

 終わった頃には修験道の姿をした団体も到着、いまでも根強い人気があります。全国から来る人のために奥には宿泊施設もありましたが、『聖護INN』ではなく『御殿荘』と言う名前でした。

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正面入り口
この西側には「聖護院八ツ橋」の老舗が軒を連ねる。

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山門
延宝3年の大火で全焼したのち創建時の今の場所に再建された。特別拝観時には菊の御紋入りの紫幕が掛かる。

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境内にて

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大玄関と松
山門正面にある宸殿への入口。内部は狩野派の桃山絵画があるが拝観は秋のみ。¥800

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大玄関の破風
ここも特別拝観時には菊の御紋入りの紫幕が掛かる。

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本尊参拝の途中の中庭

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本堂外観
昭和43年の建て替えで、1階で御朱印を拝受する間に2階の本尊を参拝する。

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長屋門
門としての役割はなく、土間・納戸として使用された。

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西側門
宿泊の人がここから入る

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境内から西側門を見る

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聖護院説明書

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聖護院御朱印

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京都聖護院郵便局 ; 重文・聖護院書院、大文字山

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楊谷観音(京都府長岡京市) 独鈷水と紫陽花の御朱印

2019.06.07(18:18) 306

紫陽花巡りで目の保養を(2018.6.17)

<コース>
JR大阪 → JR長岡京 → 臨時バス → 楊谷観音

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立願山 楊谷寺(西山浄土宗 新西国三十三ヵ所第十七番札所)

 水無月の中の七日、洛中の紫陽花は混雑が予想されるので洛西の古刹へ。

 普段はバス停から30分以上歩きますが毎月17日の縁日には門前まで臨時バスが出ます。

 偶々日曜だったので同窓にも声を掛けましたが、初っ端からJRが架線の点検で遅れ。

 寺までの臨時バスは待ち行列でピストン運行と一時はどうなるかと思いましたが、予定の10:00より10分程度遅くなっただけでクリア。 「日頃の行いの賜物やね!」と皆で安堵したものです。

 立願山楊谷寺(りゅうがんざんようこくじ)は大同元年(806年)の開創。清水寺を開山した延鎮僧津が夢のお告げで西山に入り、柳生い茂る渓谷の岩上に十一面観音菩薩を見つけて堂宇を建てて安置したのが始まり。

 寺号を「楊谷寺」としたのは観音発見の経緯に因んだものですが、一般には楊谷観音、「やなぎださん」で呼ばれています。

 延鎮が清水に帰った後は乙訓寺の別当を命じられた空海が度々ここを訪れますが、弘仁2年(811年)境内の水で子猿の傷んだ眼を洗った親猿を発見し祈祷したら満願の日に子猿の眼が開いたとか。

 空海は眼病に効く霊水「独鈷水(おこうずい)」として広めました。ここでは延鎮を一世、空海を二世とする習わしです。

 その後、廃絶していたのを慶長年間(1596~1615年)に芳室土筌が再興し元禄年間(1688~1704年)に浄土宗に改宗されました。

 眼病に苦しむ霊元天皇がこの水で平癒、【霊験】があった訳ですがこれを機に明治まで歴代天皇へ献上される栄誉を担います。

 更に次の東山天皇の妃が本尊に祈願した結果、誕生したのが中御門天皇で天皇自作の観音像が奥之院に奉納される事になりました。

 三代の帝に御利益があったために人々から篤く信仰されていますが、今は眼病に効く霊水よりも紫陽花の寺として有名に。思わず霊水は【独鈷】にある?と探してしまいました。

 お寺は本堂横から回廊を通って奥ノ院まで行き、眼力と愛力さんを拝んで巡礼。前者は年配者、後者は若者向きですね。今日のメンバーは勿論〇者。

 境内には紫陽花が多く植えられていましたが水盤や蹲の水にも紫陽花があり、やはりインスタ映えは強いという事でしょう。

 御朱印も各種ありましたが極めつけは季節の押し花御朱印講座。

 書院の一室で参拝者が墨書済みの御朱印に押し花をする体験ですが本日分は満員。グルメ・温泉・体験が人を惹き付けるのはどこも同じのようです。

 13時過ぎのバスで戻るまで、御朱印も含め待ち時間が多いツアーでしたが、話題は尽きない一日でした。

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JR長岡京駅前にて
今日はここからスタート。

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右側通行の山門

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山門右の紫陽花

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本堂前の水盤
花手水と呼ぶらしいが、参拝者は手や口を漱がずに皆撮影に没頭。

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紫陽花が溢れんばかりだが水の色は変わらない?

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独鈷水へと続く道

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独鈷水

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霊水を汲むのはこちら

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独鈷水に並ぶ人達

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本堂

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本堂前にて
御本尊は十一面千手千眼観世音菩薩で縁日の17、18日に御開帳。この日は拝観可能。

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本堂軒下

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本堂奥から書院へ向かう

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書院脇の蹲にも紫陽花が

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書院から見た名勝庭園・浄土苑
左の部屋では紫陽花押し花付き御朱印を参拝者が一心不乱に作製中(本日分は満員)。

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浄土苑
江戸中期の作庭で浄土宗だが禅宗的な感じもする。

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上書院へと続く回廊

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回廊脇の蹲

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回廊から浄土苑を望む

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書院の屋根

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水琴窟だが、ここでは心琴窟と呼ばれる

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回廊を奥之院へ向かう

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回廊脇の紫陽花

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奥之院 
中御門天皇縁の子宝寺、提灯が白となっている。

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奥之院から眼下に市街を望む

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モリアオガエルの卵
この下の池に生息している。

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愛染堂 あいりきさん に御参り

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愛染堂の石板を前から見る

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愛染堂のベンチ

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奥之院から紫陽花参道を抜けて阿弥陀堂へ向かう

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奥之院からの帰路
阿弥陀堂(手前)と本堂を望む

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紫陽花越しに見える山門

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奥之院からの参道沿いに咲く紫陽花

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江戸時代建立の阿弥陀堂

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護摩堂
この奥に淀殿弁天堂、親眼力稲荷と続く。

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正一位親眼力稲荷の御朱印の行列
最終バス時刻13:40のため、ここは断念。

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色んな商売があると感心!

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楊谷観音説明書

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楊谷観音御朱印
左:奥之院(菊御紋入) ¥400、   右:本殿 ¥300

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17日縁日限定御朱印 紫陽花押花入 ¥500

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長岡京海印寺郵便局 ; 楊谷観音、キリシマツツジ、タケノコ

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両足院(京都市東山区) 半夏生の寺の御朱印

2019.06.05(04:53) 302

知足過ぎて両足となる(2018.6.11)

<コース> 特急は日中10分間隔で運転
京阪電鉄淀屋橋 → (特急) → 祇園四条 → 徒歩10分 → 建仁寺

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建仁寺塔頭 両足院(臨済宗建仁寺派塔頭)

 臨済宗の開祖栄西に拠り都に初めて禅寺が建立されたのは建仁2年(1202年)、元号が寺号となりました。

1215年の栄西入寂後、その墓所は弟子達によって守られますがその寺院が両足院の前身である知足院。

龍山徳見和尚が開山となりました。1358年に徳見和尚が示寂するとその墓所は栄西の墓所と区別して現在の寺域が確立します。

また徳見が元から帰国する際に同行した弟子の中国僧林浄因が饅頭を齎し、その後国内で饅頭の製造を行いました。

なので両足院は「饅頭始祖の寺」。その系列はいまも続く築地の塩瀬総本家です。

 知足院は1536年の火災後に、也足軒と合併し両足院となりました。

黒田長政所縁の塔頭でもあり彼は毘沙門天を兜に入れて戦場に功績を挙げたとか。明治期になって黒田侯爵家から像が寄進され毘沙門堂に祀られています。

 その後も、度々災害に見舞われ現在の方丈は1850年から数年かけ再建されました。

豪商白木屋大村彦太郎の寄進に拠ったとあります。飲み屋ではなく江戸三大呉服店白木屋当主の事でしょう。

書院前庭の北側にある六帖席の茶室「臨池庵」も高台寺にあった大村梅軒の茶室を昭和元年に移築したもの。元は近江の材木商だったそうですから、この時代の商人の底力を感じます。

 書院の前は池泉回遊式庭園。池畔にある草木から「半夏生の庭」の呼び名が。

半夏生はドクダミ科の多年草。夏の開花時期には花の周囲の葉が縁から白くなり、開花が終わればまた元の緑に戻ります。

これは花粉を媒介する虫を惹き付けるための植物の戦略ですが、その変化の特性が仏教の輪廻を想像させるのでしょう。

分類ならばリンネでしょうが…。元は仏教用語の「半化生」でしたが、今は「半化粧」とも書くようです。

 以前の塔頭は拝観謝絶の所が殆どでしたが、ここ数年は増加気味。

虫を惹き付ける半夏生が今は人を惹き付けている状態です。御朱印ブームも相俟って収入減に悩む寺院にとっては【一挙両足】となりそうです。

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両足院の前にある毘沙門堂
黒田長政は兜に毘沙門天像を入れ闘いに臨んだと言われ、明治になり黒田家より寄進され堂が建立された。

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両足院中庭

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両足院本堂にて
本尊は阿弥陀如来立像。

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両足院の枯山水庭園
竜安寺などと異なり、小石ではなく苔で山水を表す。枯れるのを防ぐために散水が欠かせないとか。

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本堂内の屏風
長谷川画伯とあった。江戸時代の人かと思ったら現役で御活躍の方。

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本堂から大書院へ向かう

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大書院前庭にある池泉回遊式庭園と茶室

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大書院廊下から見た池泉回遊式庭園
池の畔にあるのが半夏生。

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半夏生(ドクダミ科の多年草)
白いのは葉っぱで、その上にあるのが花。虫を惹き付けるために花の近くだけ白く変色するとか。

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池の畔の半夏生
植物の名は「半夏生」だが、本来は「半化生」という仏教用語が由来。「半化粧」と書くこともある。

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大書院廊下から本堂方面を望む

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庭園の茶室

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茶室近影
左;水月庵は国宝如庵の写し    右;臨池庵は白木屋(呉服店)より寄進

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書院の床の間の半夏生

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両足院説明書

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両足院御朱印

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中央卸売市場まで歩いて遅めの昼食
これは平日限定のおまかせ丼¥900。

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禅居庵(京都市東山区) 摩利支尊天の御朱印

2019.06.04(06:34) 301

いい歳して亥年にお参り(2018.6.11)

<コース> 特急は日中10分間隔で運転
京阪電鉄淀屋橋 → (特急) → 祇園四条 → 徒歩10分 → 建仁寺

 霊源院の拝観後、次の塔頭に向かうべく広い建仁寺境内を移動。

境内にはお茶の碑があります。建仁寺を創建した栄西は中国から茶を齎し、これが栂尾の明恵上人を経て宇治に伝わりました。

それ以前にも茶は日本に伝わっていましたが、本格的な喫茶が我が国で広まるのはこれ以降。栄西が茶の始祖と言われる所以です。

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建仁寺の伽藍を見ながら移動

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建仁寺境内

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建仁寺境内のお茶の碑
開山栄西は宋より茶を齎し、これが栂尾の明恵上人を経て宇治に伝わった。

 移動途中に亥年の御利益があるとの看板があったので、寄り道してお参り。

禅居庵は元の僧侶大鑑清拙正澄(だいかんせいせつしょうちょう)禅師と言う漢詩みたいな長い名の和尚が開山。

日本と元との関係といえばすぐに元寇が思い浮かびますが、この時代には仏教関係者が多く来朝。民間も含めて交流は長きに亘ったようです。

続く明代には交戦はなかったものの倭寇が跋扈する訳ですから、政治とは別の見方が必要です。

 本堂の本尊とは別に鎮守を祀り、その一つが摩利支天です。摩利支天は梵語で陽炎を意味する「マリーチ」が語源。

摩利支天自身の姿は見えませんが、猪車に乗って立つという事から猪を眷属として従えています。

日本では害獣として和気清麻呂と猪の関係以外は目にしませんが、天竺や波斯では崇拝される面もあったのでしょう。

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建仁寺塔頭 禅居庵(臨済宗建仁寺派塔頭)
開運と勝利の摩利支天を祀る。

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摩利支天は亥年に関わりがあるので…。

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摩利支天説明書

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摩利支天御朱印

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霊源院(京都市東山区) 甘茶のお寺の御朱印

2019.06.03(20:18) 300

甘茶のちゃちゃちゃ(2018.6.11)

<コース> 特急は日中10分間隔で運転
京阪電鉄淀屋橋 → (特急) → 祇園四条 → 徒歩10分 → 建仁寺

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建仁寺塔頭 霊源院(臨済宗建仁寺派塔頭)

 折角の休日と思いきや、朝から天気は今ひとつ。そんな時には紫陽花でも見るべし、と一路京阪電車で京都へ。

 京都五山の一つ、建仁寺は栄西(ようさい)が開山の京都最古の禅寺。

本坊の拝観は四半世紀以上前に行きましたが、今回は初夏の特別拝観の塔頭、霊源院と両足院を見学。

 霊源院は大きく二つの流れから成っています。延文3年(1368年)に中厳圓月和尚が京都五山の一つ萬寿寺に「妙喜世界」を建立。

4年後に建仁寺に移築され和尚が示寂した1378年に「妙喜庵」と改名します。これが一つ目。

 次に応永年間の1394年両足院開基の龍山徳見和尚を勧進開山として弟子の一庵一麟が建仁寺内に開いたのが「霊泉院」。

これが二つ目で、霊泉院は「霊源院」と名を改め、明治期になって妙喜庵を併せて「霊源院」に。火災や廃仏毀釈を経ての再出発でした。

 要は寺院でもM&Aがあった訳ですが、同じ宗派とはいえ近場の東福寺にも同名の塔頭があるので、何故違う名前にしなかったのかと疑問は残ります。

 中厳圓月は五山文学で活躍した僧なので、設立当時の霊原院からは学問に優れた僧が排出。今川義元が出家したのもここだった気が。

一休宗純に漢詩を教えた慕哲龍攀もここの出身。一休宗純も種々の漢詩を残しています、中には際どい内容のものもありますが…。

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霊源院は一番南側に位置するため、このような道を通っていく

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霊源院入口
1394年龍山徳見和尚により開山。

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拝観受付
1368年に中巌圓月和尚が建立した「妙喜世界」の扁額が。

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入口付近の杉苔

 塔頭は建仁寺の南端で駅から徒歩10分で霊源院に到着。禅宗風の入口を入って拝観受付。

和辻;「甘茶の寺とありますが、どこにありますか?」

受付;「すぐそこです。」

といって指の方角を見ると紫陽花が。

和辻;「あれは紫陽花でしょ。」

受付;「いいえ、あれが甘茶の木です。顎紫陽花の仲間でそっくりですが…。」

 写真を見て顎紫陽花と思っていたのが、甘茶と知って驚き。

てっきりお茶の仲間と思っていた、己の【顎】の無さと考えの【甘茶】を反省した次第。

これなら簡単に育てられると思いましたが、なかなか市場には出回らないようで、栽培者に直接交渉して貰うしか手段がないそうです。

塔頭では販売していないとの事ですが、そのうち要望が多くなれば売り出すだろうと思い待つことにしました。

唯、近縁の紫陽花に毒があるので間違って飲まないように十分注意する必要はありそうです。

 訊く所では甘茶は10年程前に植え始めたようで、特別拝観もここ4~5年の事。

今まで禅宗寺院本山の塔頭は拝観謝絶が殆どでしたが、最近の観光ブームが追い風となっているのは明らか。

どうせなら建物だけではなく草木があった方が良いのも頷けます。

本堂から眺める「甘露庭」は仏陀の生誕から入寂までを表現した枯山水庭園。隣接する茶室「也足軒」で甘茶と和菓子を頂きながら庭を見るのが定番となっています。

 本山の建仁寺は日本に茶を伝えた栄西所縁の寺。その塔頭で甘茶を植えている所があるのも何かの縁を感じました。

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霊源院入口にある甘茶
奥に布袋さんが隠れているが見えない。

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甘茶近影
顎紫陽花と同じ仲間で外見も区別が付かず。花に見えるのが顎で、青い粒が花。

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霊源院の庭から見た景色

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成長した甘茶

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甘茶近影

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写真の右上から左下に向かって甘茶の花が成長している

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地面に落花した甘茶

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植えて2年目の甘茶

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屋内から庭を見たところ

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茶室「也足軒」

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扁額

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床の間

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甘茶の生け花

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一服はここで

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御抹茶ならぬ甘茶を頂く¥500
口に含んで暫くすると甘味が広がる、といって砂糖のような後に残るものではない。落雁には大徳寺納豆が入っている。

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お茶のセット

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拝観券 ¥500

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拝観券裏の説明
霊源院は説明書なし

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霊源院御朱印

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甘茶期間限定御朱印
昨今のブームに乗って期間限定や押し花が登場。このような御朱印は本来の趣旨に反すると言う説もあるがつい買ってしまう。

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鞍馬寺(京都市左京区) 尊天様の御朱印

2019.05.01(21:48) 253

馬と牛と烏と天狗に所縁のお寺(2018.5.4)

<コース>
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (叡山電鉄) → 貴船口 → 京都バス5分 → 貴船 → 徒歩10分 → 貴船神社 → 徒歩50分 → 鞍馬寺 → 徒歩5分 → 叡山電鉄鞍馬 → 出町柳 → (京阪特急) → 京阪電鉄淀屋橋

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鞍馬山 鞍馬寺(鞍馬弘教総本山 新西国三十三ヵ所第十九番札所)

 貴船神社参拝の後は昼前。貴船といえば川床料理ですが、通常¥5,000<というのが相場。

しかし探してみると意外にもリーズナブルな値段で食事できる場所があり、今回は「かつら」で昼食。

旅館ではなく大人数が入れないという事でこのような値段でもいけるのでしょう。

食事は定食¥2,500の一種類ですが、若く大柄な御主人が作る料理は絶品。リピートしたくなるお店でした。

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川床料理の店「かつら」にて
貴船と言えば川床ですが、ここはリーズナブルな価格。

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席から貴船川が見える

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昼間の食事はこの定食 ¥2,500のみ

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鞍馬寺西門へ向かう

 その後、鞍馬寺へ向かいますが、叡電に戻って電車で1駅は時間が勿体ないと思ったので、木の根道を通り寺へ。

地図では1㎞程ですが予想外に時間が掛かりました。

そういえば清少納言が 『枕草子』 で 「近くて遠いもの」 で挙げていたのをすっかり失念していました。

『少しの事にも先達はあらまほしき事なり』です。

 鞍馬寺は鑑真和上の高弟鑑禎(がんてい)により宝亀元年(770年)に創建、平安京以前から市内にある数少ない寺院の一つ。

以前に聞いた話では、馬に鞍を載せ歩いて行くとある場所で馬が動かなくなったので、そこに寺を建てたとありました。

が寺の由緒には記載がなく、いつどこで聴いたのか天狗につままれたような話です。

本尊は毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊の三尊が三位一体となったもので 『尊天』 と呼ばれています。

キリスト教のアタナシウス派とは関係なさそうですが…。

ここは源義経が牛若丸時代に修行した事でも知られ、山に住む烏天狗が剣術・兵法を伝授したと言われます。

彼の鬼神のような戦法に対する意見の念がそのような伝説になったのでしょうが、おそらく平家の眼を逃れた源氏の一党が密かに教えたというのが実際の所でしょうか。

日本三大天狗の一つとして知られ観光客も途絶えませんが、調子に乗って天狗にならないようにしないといけませんね。

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木の根道を通り本殿へ
台風の影響で倒木している。

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不動堂

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山からの眺め

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本殿金堂

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明治44年再建の仁王門(山門)

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鞍馬の火祭で有名な由岐神社

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由岐神社、鞍馬寺御朱印

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門前で休憩

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叡山電鉄鞍馬駅にある天狗像

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鞍馬駅舎

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貴船神社(京都市左京区) 水の御祭神の御朱印

2019.05.01(09:36) 252

人生は水もの?(2018.5.4)

<コース>
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (叡山電鉄) → 貴船口 → 京都バス5分 → 貴船 → 徒歩10分 → 貴船神社 → 徒歩50分 → 鞍馬寺 → 徒歩5分 → 叡山電鉄鞍馬 → 出町柳 → (京阪特急) → 京阪電鉄淀屋橋

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貴船神社(官幣中社)
右が本殿、左は貴船川を望む休憩所「龍船閣」

 GWに遠方から友人が帰阪したので、ハイキングを兼ねて京都の貴船へ。

鞍馬・貴船は真夏でも気温は市街地より10℃程低い上に交通の便も良く、京都の奥座敷として知られています。

叡山電鉄の終点から一駅手前で下車してバスに乗ること5分で鴨川源流の地へ到着。

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バス停から北山杉を見ながら神社に向かう

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道の両側に料理旅館や料亭が並ぶ

 貴船(きふね)神社は、神武天皇の皇母玉依姫命が黄船に乗り、大阪湾から淀川、鴨川を遡り現在の奥宮の地に水神を祀ったのが創建とされます。

何分神話時代の話ですが、平安遷都以前の鴨川の水を祀る場所として信仰を集めたのは確かなようです。

社名は「黄船」に由来し、その船が奥宮の船形石だとか。

神社で頂いた略記には「氣生根(きふね)」とあり気の生まれる根源が由来とありますが、

鞍馬へ続く木の根道の様子から「木から生ふる根っこ」から来たのではないかと勝手な想像をしています。

 平安京以降は歴代朝廷の篤い尊崇を受けますが、日照り・洪水などの自然災害を克服するためなのは言を俟ちません。

白河上皇も「朕の意のままにならないものの一つとして賀茂の流れ」と豪語されていますので。

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神社への石段

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境内の由緒書

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本殿

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参拝者の列

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水占い

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本殿脇の石庭
貴船石を使った昭和40年の作庭。

 今は専ら男女の縁結びのパワースポットとして絶大な人気。この日もそれらしいカップルを多く目にしました。

和泉式部がここに詣でて歌を詠み夫の愛を繋ぎとめた事に由来しますが、一方では貴船の奥は丑の刻参りの場でもあります。

これは宇治の橋姫が相手を呪い殺すために詣でたのが始まりとされます。

可愛さ余って憎さ百倍ではないですが、所詮恋愛は【水物】と言うことなのでしょうかね?

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奥宮へと貴船川を遡る

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奥宮への参道

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奥宮にある天乃磐船

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思ひ川に架かる橋

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思ひ川 説明板

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和泉式部歌碑

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歌碑説明

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連理の杉(御神木)
これは珍しい杉と楓が一緒になったもの。

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氣生根略記

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貴船神社御朱印
本宮(右)と奥宮(左)

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