<コース>
【往路】JR横浜(6:26) → (湘南新宿ライン) → JR高崎(8:51→8:59) → (上信電鉄) → 上州福島(9:32)
上州福島駅 → レンタサイクル20分 → 小幡
【復路】上州富岡(16:50) → 高崎(17:29→17:33) → JR上野(19:13→19:16) → JR横浜(19:50)

小幡の名勝山楽園
秋晴れとなった29日は高崎駅から上信電鉄に乗車。
沿線では世界遺産となった富岡製紙工場が独り勝ち状態ですが、沿線には上州一ノ宮も鎮座する観光路線。
南蛇井という風変わりな駅名もあります。

今日の出発点、上信電鉄高崎駅
鉄道むすめ「富岡しるく」がお出迎え。

電車の車体
富岡製糸工場とゆるキャラ「ぐんまちゃん」

上信電鉄南蛇井駅舎

ホームの行先案内板
難読・珍名でよく登場する。
この日は世界遺産の富岡の2駅手前の上州福島駅で下車。ここは上州の小京都小幡への最寄り駅。
と言っても城下町までは直線で3㎞程あり、駅周辺は閑散としています。
バスの便もありませんが、駅でレンタサイクルがあったので早速利用。
南に真っすぐ道路を進み、綺麗な水が流れる水路と並木が見えたらそこが目的地。

上州福島駅
城下町小幡への最寄り駅だが、ここから南に3㎞。

小幡への入り口付近
流れるのは雄川堰で、生活用水や灌漑に利用される

雄川堰沿いの養蚕農家群

雄川堰沿いの養蚕農家群

雄川堰沿いにあるかつての養蚕家屋
いまは畳屋さん。

江戸後期に建てられた旧呉服屋
いまは無料休憩所。

甘楽町歴史民俗資料館
かつての倉庫を利用したもので、横の「かかあ天下像」が印象的。

松井家住宅
江戸時代の名主の家を道の駅横に移築。
甘楽町小幡(かんらちょうおばた)は織田信長次男の信雄(のぶかつ)が封ぜられ7代続いた城下町。
信雄は兄信忠死去のあと織田家を統括する立場にありましたが、
家康と組んだり秀吉と和睦したりしている内に、政権は織田家を離れてしまいます。
【ほんのう、じ】かん稼ぎのつもりだったのでしょうか、失った天下は二度と戻りませんでした。
城郭は無く、殿様が造った庭園が中心。周囲には武家屋敷もあり、そこにも庭が。
武家ながら文化にも理解があった織田家だけの事はあります。
街中を川が流れており戦前は養蚕で栄えたようで、そのような造りの家屋が残っています。
唯、観光地化しておらず、静かに息づいている感じでした。ここでも繁盛しているのは道の駅だけ。

雄川沿いの遊歩道

山楽園入口
小幡藩邸の庭園。かつては畑の下であったものを発掘・復元した。名前は「仁者は山を楽しむ」に由来。

小幡の名勝山楽園
織田信長の次男信雄が築いた池泉回遊式庭園。

山楽園高台より庭園を望む

庭園横にある藩邸跡
天守閣は作られなかった。

藩邸横にある土塁と捨九軒長屋(足軽居住)

捨九軒長屋(足軽居住)

山楽園に向かう御殿前通り
右は武士の山田邸、左の黒塀の向こうは第二中学校。

喰い違い郭
戦時の防衛上に造られたが、下級武士が上級武士を避ける為の役目もあったという。

松平家大奥庭
奥方と何人かの腰元が住んでいたと言われる。庭は江戸後期の作庭。

小幡藩勘定奉行を務めた高橋家
武家屋敷の雰囲気が最も残っている。

高橋家の塀

高橋家庭園「心字池」

高橋家庭にある樫の木
勘定奉行なので「貸し」の木を植えたと伝わる。どうせなら「借りん(花梨)」も植えたら完璧だったろうに。

高橋家北東にある中小路
巨大なムクロジと桜が見える。

甘楽町マンホール蓋

小幡郵便局 ; 大欅、織田氏城下町の街並み

道の駅のスタンプ
左;群馬のきゃら「ぐんまちゃん」 右;甘楽のきゃら「かんらちゃん」
ってそのまま!
せっかく甘楽町に来たからには甘を楽しむ予定でしたが、店はなく富岡まで移動する羽目に。
駅ではキャラの「お富ちゃん」がお出迎え。
城下町が「粋な黒塀」なのはこのせいか!と納得した次第です。

富岡のきゃら「お富ちゃん」
女工さんがモデル。

世界遺産&国宝の富岡製糸工場

富岡にある明治8年の町屋カフェ・ドロームにて
右はカラメルが味噌味のプリン、その名も「プリンそこがみそ」。

上信電鉄駅スタンプ
[参考書]
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
【往路】JR横浜(5:53) → JR東京(6:20) → JR上野(6:26) → JR高崎(8:16→8:46) → JR中之条(9:53)
中之条駅(9:55) → (関越交通 四万温泉線) → 四万温泉(10:45) → 徒歩20分 → 日向見薬師堂 → 四万温泉(11:45) → (関越交通 四万温泉線) → 中之条駅(12:25)
【復路】JR中之条(14:53) → JR高崎(15:45→15:55) → JR横浜(18:19)

日向見薬師堂への入口
週末フリー切符2日目は、大雨の予想をよそに上州の四万温泉まで薬師さん巡礼。
四万温泉は草津・伊香保と並ぶ上毛三名湯で、四万の病気に効果があるとか。名湯であることは確かですが、
1時間毎の吾妻線に乗って更に駅からバスに揺られる事50分の山の中にある事を思えば、秘湯である事も確実。
但し、いまは都内から高速バスが出ているので関越道を走れば意外と便利。
却って途中の駅周辺のほうが不便になっています。
温泉街を過ぎましたが、立派な造りの旅館やホテルが目につきました。
山中の温泉は海沿いに比べて鄙びた先入観がありますが、それも昔の話でしょうか?
四万温泉の由来は
『今から1000年ほど前に源頼光四天王の碓井貞光が兵を率いて進軍中、ここで傷ついた兵と野宿をした。
その夢枕に童子が現れて傷を癒す場所を教えた。
目が覚めた貞光がそこへ行くと温泉が湧き出していたので兵士の傷を癒した。』
と言うのが開湯伝説。
後に貞光が薬師如来を祀ったのが日向見薬師(ひなたみやくし)堂の開基と言われます。
日向見とは恐らく貞光が日向守だった事からの命名。山中の日向にあるからではないようです。
日向見薬師堂があるのは温泉街の一番奥まった場所。予報の通り雨脚が強まる中、バス停から坂道を歩いて20分で到着。
薬師堂は間口・奥行三間の和様唐様の折衷様式。
貞光が薬師如来を祀ったのがここですが、今の建物は慶長3年(1598年)の再建。
沼田城主・真田信幸の武運を祈って建立したと言われます。
手前のお堂は「お籠堂」と言って薬師様に願掛けする人が泊まり込みで籠ったとされるもので、慶長19年(1614年)の建築。
薬師堂はかつて国宝でしたが今は重文、お籠り堂は重文ではなし。
文化財か否かはその【けいちょう】に関係はありませんが、それでも茅葺の佇まいは【十分】迫力がありました。
この地も真田所縁の地ということでしたが、唯、ここは寺院ではなく御堂という扱いなので無住、御朱印は無しでした。
事前に管理している寺院に申し出る必要があるようです。

中之条駅からバス45分、終点付近
正面は四万グランドホテル。

温泉旅館積善館
前新・山荘・廊下橋が国登録有形文化財となっている。右の建物が前新。四万暗線では「四万たむら」旅館が有名だが、このような風情のある旅館も捨てがたい。

薬師堂前に建つお籠堂
薬師様に願掛けする人が泊まり込みでお祈りしたと伝わる。

薬師堂から見たお籠堂

日向見薬師堂
1598年真田信幸が領主のときに建立した間口・奥行3間、唐様和様の折衷様式。スズメバチが営巣しており正面だけ。
今でも薬師堂の下から湯が湧き出し、「御夢想の湯」と言う共同浴場になっていますが、人は疎ら。
雨天の事もありましたが、訪れる人はやはり温泉旅館の方に興味があるようです。
バスで駅まで戻り町を散策した後、帰路に着きましたが、この日は殆どが移動時間。
温泉街の寺社は泊まってゆっくり見るべきであるというのが、今回得た結論とはなりました。

薬師堂横にある御夢想の湯

吾妻第三小学校校舎
明治18年10月竣工。いまは歴史と民族の資料館。

校舎説明

四万街道沿いにある町田家

四万郵便局 ; 国宝・四万薬師堂、四万湖、イワナ
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
JR横浜 → JR高崎 → 路線バス 或いは 西口レンタサイクル → 高崎観音・清水観音

華蔵山 弘誓院 清水寺(真言宗豊山派)
白衣大観音様にお参りした後は、少し下った所にある寺院に。
華蔵山弘誓院清水寺(けぞううざんぐせいいんせいすいじ)は、寺伝に拠れば
『大同3年(808年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折、
この地まで軍を進めた時に戦勝と武運長久を祈願するために京都の清水寺から勧進した。』 という古刹。
本尊の千手観音からここが観音山と呼ばれるようになりました。
京都から勧進したのですから名前が同じ筈ですが、ここは「きよみずでら」ではなく「せいすいじ」と読むのが正しいそうで
【肝心】な所で違いがありました。
京都から東北に進む際に高崎を通過するのは今の感覚では不思議ですが、意外と中山道経由だったのかもしれません。
馬に乗って軍を進めたから「群馬」になった訳ではなく、牧があった事に拠るようです。
本堂までは518段の石段があり、下って上るという世の流れを体験する事に。
同じ観音山にありながら、境内は木々に覆われて日光が降り注ぐ慈眼院とは対照的。
田村麻呂も故なく勧進したのではなく、兵の喉を潤す清水を見つけたに違いありません。
階段の両側には紫陽花が植えられていますが、この陽当たりを考えての事でしょう。水無月にはさぞ壮観だろうと想像します。
結局、午前と午後の予定が入れ替わっただけで5回目の青春18きっぷも無事終了しました。
参道では「ふわっとしたかき氷が販売中」、奈良でも聞いたようなネーミングですが、今の流行りなのでしょうかね。

300株の紫陽花に囲まれた518段を上り本堂まで

本堂前に建つ山門
これくらいの高さなら飛び降りる人がいるかも?

風格を感じる観音堂「大悲閣」
本尊は千手観音であるが、白衣観音と違い参拝の人も稀

清水寺御朱印
[参考書]
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
JR横浜 → JR高崎 → 路線バス 或いは 西口レンタサイクル → 高崎観音

観音山 慈眼院(高野山真言宗 別格本山 東国花の寺百カ寺群馬第七番札所)
以前に坂東札所巡礼で白岩観音を電車から見える白衣観音と勘違いしていましたが、
こうなると白衣観音様にも行って見ようと思うのが人情というもの。
始発電車に乗りましたが、熊谷~行田間の人身事故でまさかの運転見合わせ。
幸い1時間10分遅れで再開しましたが、バスに間に合わず。
仕方なしに「他の観光」をして戻ると、丁度昼からのバスに乗れるという具合に。
観音山慈眼院(かんのんやまじげんいん)は、
『学問所として栄えた高野山金剛峯寺の塔頭慈眼院が前身。
鎌倉幕府執権北条義時の三男重時が寛喜年間(1229~1232)に創建。
本尊の聖観世音菩薩は鎌倉由比ガ浜で漁師の網に掛かった尊像である。』
と伝わります。
慈眼院といえば本尊よりも境内に聳え立つ白衣大観音で知られますが、
これは昭和11年に高崎の実業家井上保三郎によって戦没者の霊を慰めるために建立されたもの。
場所は観音様という事で市内の観音山が選ばれました。
慈眼院は昭和初めまで高野山で存続していましたが、昭和16年に高野山別格本山として観音山に移転。
白衣大観音は本尊の前仏という扱いになりました。
慈眼院は有名な白衣大観音を支配下に置き、白衣大観音は寺の傘下に入った訳ですから、
両者にとってメリットがある合併だったと思います。
慈眼院は1250年という長い歴史を持ちますが、元禄時代に火災により資料類は悉く焼失。
本堂も白衣大観音建立50年記念で昭和61年に建てられたものですから、全体的に新しい雰囲気があるのはそのためでしょう。
新しいとはいえ白衣大観音のイメージは強烈で、群馬の寺院と言えば、先ずここを思い浮かべる人も多いとか。
創建時の意向とは少し違った方向ではありますが、先ずもって良しとすべきでしょう。

本堂へ続く太鼓橋越しに見える観音像

橋の向こうに建つ観音像
高さ41.8m、総重量5985トンのコンクリート造り。

白衣大観音を祀る慈眼院境内の様子

本堂(高崎千体観音堂)
昭和61年、白衣大観音建立50周年を記念して建立された慈眼院本堂。名前の通り本尊の聖観音を中心に奉納された観音像が安置されている。

正面から見た白衣大観音
胎内は9階からなっており拝観可能。

慈眼院御朱印
[参考書]
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR横浜(5:25) → JR東京(5:53) → JR上野(6:00) → JR高崎(7:48→8:24) → JR沼田(9:14)
沼田駅前4番乗場(9:20) → (関越交通沼田~迦葉山線) → 迦葉山(10:05) → 徒歩40分 → 迦葉山弥勒寺 → 徒歩70分 → サラダパーク沼田 → 車10分 → 吉祥寺 → 吉祥寺入口(15:17) → (関越交通 沼田~川場循環線) → 沼田駅前(15:56)
【復路】JR沼田(16:10) → JR高崎(16:56→16:59) → JR横浜(19:22)

青龍山 吉祥寺(臨済宗建長寺派 東国花の寺百カ寺群馬十一番札所)
迦葉山巡礼後はバス停まで下り、沼田駅方面へ歩いてサラダパーク沼田で軽めの昼食。
次の川場町にある吉祥寺までは沼田駅からバスがありますが、駅へのバスは遥か2時間後。それならいっそ歩く事に。
パークの売店で係りの人と地元の方に道を聞いて、炎天下を歩き始めると暫くして横に車が止まりました。
見ると売店で道を尋ねた御家族で、「結構距離があるから乗って下さい。」との事。門前まで送って頂きで御礼を述べて下車。
巡礼では時として人の好意に遭遇する事がありますが、今日は本当に感謝しました。

寺へ向かう途中にあった川場ならぬ水場
猛暑の時には非常に有難い。
青龍山吉祥寺(せいりゅうざんきちじょうじ)は、鎌倉建長寺を本山とする禅寺。
南北朝時代の暦応2年(1339年)、建長寺四十二世中巌円月(ちゅうがんえんげつ)禅師を開山和尚とし、大友氏泰が創建。
大友氏は鎌倉御家人で豊後守護ですが、上野利根庄はその領地の一部。
九州に移った後、祖先伝来の関東の地に菩提供養の寺院を建立した事になります。
建長寺派寺院は四百余りありますが、吉祥寺は最北に位置することから北の門として屈指の名刹に数えられます。

吉祥寺山門へ到着

山門脇の円月池

吉祥寺山門より参道を見る

山門を過ぎて本堂へ
写真は釈迦堂。

釈迦堂近影

本堂正面にて
関東では珍しく拝観料が¥500必要ですが、この辺りの水を使った池や滝、本堂前の臥龍庭など十分見応えがあります。
今では東国花の寺として通年花を楽しめる場所となっています。
庭を眺めながら抹茶で一服しながら【吉祥】を感じたものでした。
今日はバスの便が悪く、迦葉山参道で虫に刺されたり散々でしたが、道を尋ねた人に途中まで車で送って貰ったり、お寺の人に薬を貰ったりと皆さんの好意に助けられた一日でした。
己を過信して天狗になったらアカンちゅうことですね。これがハナの二ヶ寺を巡って得た結論でした。

花の寺らしく至る所に植物が
ここには聖観音前に蓮が。

吉祥寺本堂と臥龍庭
縁側に座り眺める習わし。

臥龍庭を見ながら一服 ¥500
砂糖入りの境地?

臥龍庭から本堂裏手へ進む

本堂裏にある昇龍の滝

昇龍の滝

正面から見た昇龍の滝

更に進むと青龍の滝に

正面から青龍の滝を望む

青龍の滝近影

本堂裏の縁側から昇龍の滝方面を見る

窓越しに見る

本堂欄間
これは三国志の関羽か?

本堂の欄間
何となく萬福寺の卍崩しに似ているような気が。

これは沼田の城の風景か?

吉祥寺説明書

説明書裏面
境内と花の案内

吉祥寺御朱印

バス停への途中で見た道祖神

JR沼田駅に停車中のSL水上号
残念ながらこれには乗車できず。

川場郵便局 ; 武尊山、村花・石楠花、迦葉山の天狗の葉団扇
川場温泉郵便局 ; 武尊山、村花・石楠花、リンゴ、村の風景
【参考書】
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR横浜(5:25) → JR東京(5:53) → JR上野(6:00) → JR高崎(7:48→8:24) → JR沼田(9:14)
沼田駅前4番乗場(9:20) → (関越交通 沼田~迦葉山線) → 迦葉山(10:05) → 徒歩40分 → 迦葉山弥勒寺 → 徒歩70分 → サラダパーク沼田

迦葉山 龍華院 弥勒護国禅寺(曹洞宗)
真田丸で湧く信州に行った翌月は、真田所縁の城のある上州沼田へ。
迦葉山(かしょうざん)弥勒寺は鞍馬・高尾と並ぶ日本三大天狗だそうですが、知名度は他の二寺に比べ今ひとつ。
なにせ東京から150㎞。JR高崎からでもJR沼田まで各停で45分、路線バス45分で入口着。更にそこから徒歩40分。
しかも路線バスも平日7本、土日祝日が4本ではアクセスが良いとは言えません。
鞍馬や高尾が軽いハイキングを兼ねた観光程度なのに対し、こちらは一日がかりの修験道コースとも言えます。
沼田駅のバス停には朝から大勢の人が待っていましたが殆どが尾瀬行バスに乗車。
迦葉山への人は稀でした。本堂前まで道路があるので車で行く人が殆どのようです。
迦葉山弥勒寺の正式名称は迦葉山龍華院弥勒護国禅寺(かしょうざんりゅうげいんみろくごこくぜんじ)。
沼田駅の北16㎞にある標高1322mの迦葉山全体が境内で、山麓のバス停から木立に囲まれた参道を40分で本堂着。

朝9時過ぎの上越線沼田駅前
リュックの人は尾瀬行バス待ち。

駅前の天狗像が案内

迦葉山バス停先にある入口
JR沼田駅の北方16㎞。

山門
バス停より徒歩20分、ここから境内までは更に徒歩30分。
観光寺院ではなく、山岳宗教の聖地という表現がぴったりきます。
縁起に拠れば、
『嘉祥元年(848年)、上野国太守であった桓武皇子葛原(くずはら)親王が慈覚大師円仁により護国寺として開山。
円仁は釈迦の後継者迦葉尊者が経典を造られた場所と山並みが似ている事から寺号を迦葉山とする。
戦国時代の康生2年(1456年)には天巽(てんそん)禅師が入山して中興。天台宗から曹洞宗に改宗した。』
とあります。
上野は新王の任国なので武家は上野守ではなく上野介になるのが習わし。
見た事もない山に似ているというもの不思議な話ですが、それだけ幽谷の地だったのでしょう。開山の元号嘉祥を山号にしたのではありません。
天巽禅師は伽藍の整備や布教に活躍しましたが、それを助けた弟子の中峰(ちゅうほう)が後に天狗の化身だった事から天狗信仰が広まったようです。

石段を上り本堂へ

中峰堂
弥勒寺拝殿で鎮守堂。

中峰堂
大きな団扇が特徴。
禅の道場らしく荘厳な境内。御朱印を御願いすると、若い僧侶が対応されました。
「ここへ来るまでは、字は下に固定しなといけないと思っていましたが、不安定な状態でも書けるのが分かりました。」
とは僧侶の談。
日本語は漢字を元に片仮名・平仮名ができますが、公文書など机上での速記に発展したのが片仮名。手に持った状態での速記に対応したのが平仮名だそうです。
本堂へ入ると丈6.5m、鼻の高さ2.8mもある巨大な天狗面がお出迎え。周囲には至る所に天狗の面が…。
なんでも最初に中峯堂から天狗面を借り、祈願成就した次のお参りには借りたお面と参道で買ったお面を奉納し、また新たなお面を借りる習わしだとか。
私も一つ借りましたが、勿論無料。成就しなかったらどうするのか聞きそびれました。
倍返しというやつですが、面白い習慣だなと思いました。「天狗面を貸そう!」から迦葉山になったのではなさそうです。

堂内の大天狗面

日本一の天狗面
顔の丈6.5m、鼻の高さ2.8m。

初めてのお参りはここから小さい面を借りる。

次にお参りの時は、倍返し

今回の「お借り面」

迦葉山御朱印

沼田郵便局 ; 迦葉山の天狗の葉団扇、桔梗、菅沼
沼田駅前郵便局 ; 迦葉山の天狗面、燧岳、沼田城址の城鐘、水芭蕉
【参考書】
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース> 夏の青春18きっぷ
【往路】JR横浜(5:53) → JR東京(6:20) → JR上野(6:26) → JR高崎(8:16) → 高崎駅西口(8:30) → (群馬バス 榛名湖行) → トドメキ(8:54) → 徒歩20分 → 長谷寺 → トドメキ(10:21) → (群馬バス 高崎行) → 北高崎(10:36→11:03) → (群馬バス 伊香保行) → 水沢観音(11:58) → 水澤寺・昼食 →水沢観音(14:22) → (群馬バス 渋川行) → JR渋川(14:45→15:20) → JR高崎(15:45→15:52) → JR群馬八幡(16:00) → 徒歩15分 → 少林寺 → JR群馬八幡(16:54) → JR高崎(17:02→17:12) → JR横浜(19:35)

五徳山 水澤寺(天台宗 坂東三十三ヵ所第十五番札所)
本堂前にて。白く見えるのは線香の煙。
白岩観音の巡礼に続き、群馬でもう一つの札所へ。
バスで高崎まで戻って電車で渋川まで行き、水澤観音を通るバスに乗るのがオーソドックスな行き方ですが、これが大回りで連絡も良くない。
目についたのが高崎からのバス便。一日数本ですが上手くいけばぎりぎり乗れるかと思っていると、途中の北高崎駅で交差することが分かり無事乗車。当然18きっぷは使えず、1時間弱のバス旅でしたが、何とか12時前に水澤観音へ到着。
札所であることは当然ですが、ここは日本三大うどんの一つ、水沢うどん(他は稲庭と讃岐)の地。「水沢うどん街」が1.5㎞に亘って続き、道路の両側には店が並びます。
水澤観音参拝客に振舞ったのが起源と言われる由緒あるうどん。ふつうお寺の門前は蕎麦が多い気がしますが、この辺りは小麦が獲れたのでうどんになったのでしょう。
小麦粉と水と塩だけを原料として手打ちであることが売り。以前、出張時に地元の方に訊いた話では、手打ちにした後、外に1晩干して強いコシを出すのだそうです。
材料がシンプルなだけに腕の見せ所といえます。観音様の近くの清水屋さんで初めての水沢うどん、メニューが「ざるうどんだけ」というシンプルさに惹かれての入店でした。
注文したのは大盛でしたが、うどんの色が白ではなく半透明。コシが強いのはこうなるのかと思いましたが、口に入れると成程コシが強く、まるでイカ刺しの触感。
御主人が家族連れにうどんの説明をされていましたが、御店では薄力粉を手打ちしているとの事。普通、うどんは中力粉ですから、小麦粉のグルテンに頼ら、手打ちの技でコシを出すと言う職人魂ですね。

参道前の道にはうどん屋が並ぶ

今日のお昼はここ「清水屋」。
十七代目、ざるうどんのみのメニュー。

大盛り ¥1,470
水沢うどんは、ざるうどんが多い。この店は平麺、手打ちのため若干透明がかって見える。汁は胡麻たれ。
念願の水沢うどんを食べた後は目的の16番札所へ。
五徳山水澤寺(ごとくさんみずさわでら)は、縁起に拠れば
『推古天皇・持統天皇の勅願により、高麗(高句麗)の高僧恵灌僧正を開基として、国司であった高光中将公の創建。
寺号山号は推古天皇の御宸筆の扁額による。
御本尊は国司高野辺家成公の三女伊香保姫の御持仏であった十一面観世音菩薩で、後世まで神上野国司の菩提寺であった。』
とあります。
渋川市は日本のへそをうたっていますが、水澤観音は江戸、日光、善光寺へといずれも三十六里という中枢の場所だったため、坂東札所屈指の名刹になったとあります。
大部分の人は車でしょうが、午前中の白岩観音に比べるとバスが少ないにも拘わらず、こちらは大勢の人で観光バスツアーも来ていました。
堂宇も度重なる厄災に遭遇しましたが、立派に再建され本堂前には三つ葉葵の家紋が掲げられていました。
勿論、札所として立派な造りなのはそうですが、水沢うどんを目当てに訪れる人も多く、加えてここから3㎞程登ると名湯伊香保温泉。
訪れる人に信心がないとは思いませんが、やはり寺だけでは人を呼ぶのは難しいと見えますね。
観光地に加え、温泉・食い物・芸術体験の三種の神器があれば完璧でしょう。現在群馬の温泉は草津が有名ですが、明治以前は伊香保でした。
関東では熱海と並んで、歓楽街的要素が強かったようです。熱海は「金色夜叉」、伊香保は「不如帰」の舞台でもあり、様々な人間模様があったのでしょう。
前の職場では伊香保に事業所があったのでよく宿泊しましたが、ロビーでコンパニオンの方々をよく見かけましたっけ。

水澤観音への石段

石段を上る

仁王門近影

本堂(観音堂)
本尊は秘仏十一面千手観音。

本堂の彫刻

本堂前面

六角堂
二重塔で六地蔵と大日如来を祀り、下にあるお地蔵様を反時計回りに3度回して願いを込める。輪蔵とも呼ぶ。

水澤観世音縁起

水澤観音説明書

水澤観音御朱印
水澤観音参拝が予定外に早く終わり高崎に戻った時点で少し時間が。
高崎と言えば達磨弁当ですが、その由来となった寺が近くにあるとか。今は分断された信越線に乗り二駅、群馬八幡で下車して歩くこと15分で到着。
少林山達磨寺は黄檗宗で、禅の開祖達磨大師を祀ります。少林寺は菩提達磨が六朝時代に中国に渡り修行した寺の名で、印度伝来の武術も教えたので、後に少林寺拳法となりました。
境内には大阪の篤信者の寄贈による達磨堂もあり達磨尽くし。しかし、いざ御朱印を貰いに行くと「写経をされた方のみに渡しています」との答え。
元来、御朱印は写経の証でしたので正しいのですが、折角来たのにややがっかり。まさに手も足も出ない状態でした。
ここまでの二ヵ寺は順調だったので、欲張りすぎたら行けないという戒めと思い帰路につきました。

少林山 達磨寺 霊符堂

達磨寺縁起
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
【往路】JR横浜(5:53) → JR東京(6:20) → JR上野(6:26) → JR高崎(8:16) → 高崎駅西口(8:30) → (群馬バス 榛名湖行) → トドメキ(8:54) → 徒歩20分 → 長谷寺 → トドメキ(10:21) → (群馬バス 高崎行) → 北高崎(10:36→11:03)

白岩山 長谷寺(金峯山修験本宗 坂東三十三ヵ所第十五番札所)
青春18きっぷでの巡礼三回目は関東地方で最高気温を記録する群馬県に突入。
先ずは15番の長谷寺(ちょうこくじ)観音へ。
場所が高崎市とあるので「高崎駅から見える観音さまか、楽勝!」と思いきや、こちらは白衣観音。今回は白岩観音で全く別の場所。出発前日に分かり慌てて調べ直しました。
白岩山長谷寺(しろいわさんちょうこくじ)は、創建年代が不明な程の古刹。役行者が開で、本尊の十一面観音は行基が刻んだとも言われます。
最初は坂東札所で同じ名前が二ヵ寺あると思いましたが、鎌倉の四番札所は「はせでら」。きちんと区別されています。
最澄・空海の両巨頭も訪れ、戦国武将にも信仰されましたが、武田信玄の侵攻で焼失。天正8年(1580年)に世無道により再興されました。
高崎駅から1時間に1本のバスに半時間のトドメキで下車。降りたのも私一人だけ。
「トキメキどころかトドメを刺された感じやな」
と思いつつ、そこから坂道を20分歩いて途中北陸新幹線の線路も越えてようやく到着。畠と人家があるだけで人も疎らでした。
山門を過ぎると、正面に兜のような本堂が建つというシンプルな境内でしたが柱の朱色が目につきました。御朱印は本堂脇の寺務所で拝受。書くスピードは坂東札所で一番と思う程速く、これも修行のなせる技なのでしょうか?
始めは「何故こんな不便な場所に」と思いましたが、修験道と知り納得。白岩山という山号からして、岩山を御神体にした信仰が元にあったと想像できます。
黒岩さんという名前が多い群馬県で白岩山に会った半日でした。

白岩観音仁王門

白岩観音本堂
本尊は十一面観音だが秘仏なので前立を拝む。

白岩観音御朱印

榛名高浜郵便局 ; 長谷寺本堂、十一面観世音菩薩、特産・梨
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
JR横浜(5:25) → JR東京(5:53) → JR上野(5:58→6:08) → JR大宮(6:33) → JR小山(7:24→7:57) → JR栃木(8:09→北口8:55) → 出流観音(9:57→11:51) → 栃木駅北口(12:53) → JR栃木(13:19) → JR佐野(13:35) → 佐野厄除け大師 → 東武佐野市(14:28) → 館林(14:40) → 徒歩15分 → 茂林寺 → 徒歩10分 → 茂林寺前(16:37) → 東武久喜(17:03→JR17:10) → JR横浜(18:33)

青竜山 茂林寺(曹洞宗)
山門両脇では狸の置物がお出迎え。
厄除け大師のあとは東武電鉄で栃木県から群馬県へ。
館林にある青竜山茂林寺(せいりゅうざんもりんじ)は応永33年(1426年)創建の曹洞宗寺院。
「分福茶釜」の説話が有名で一般に知られる伝説は茶釜から狸が手足を出して芸をして恩を返す話ですが、元になったのは次の様な話です。
『開山の大林正通禅師に随い伊香保から来て代々の住職に仕えた守鶴和尚が、七世月舟和尚の元亀元年に何処からか一つの茶釜を持って来て茶堂に備えた所、いくら汲んでも湯は尽きなかった。
その妙術に衆人は驚き、守鶴はこの茶釜を紫金銅分福茶釜と名付ける。その後十世天南和尚の時代まで161年間、守鶴は茂林寺に居ましたが天正15年に忽然と姿を消した。
後世守鶴和尚は狸の化身であったと人々は噂した。』
と言うもの。
161年間も同じ和尚が寺に居る筈もなく伝説の域を出ませんが、近隣の佐野は鋳物の産地。
当然茶釜も製作していたでしょうから、沸かしたお湯がいつまでも冷めないような逸品の茶釜を寺が持っていたことが茶釜の伝説になったのでしょう。
お湯がブクブク沸く茶釜から分福茶釜、皆が化かされたから狸が出るのは当然の成り行き。狸がいたからここまで有名になったと言えるでしょう。
境内には彼方此方で狸の置物がお出迎え、館林ならぬ【狸ばやし】。本堂には狸の出ない分福茶釜も展示されていますが【本堂】でしょうか?汲めども尽きぬ歴史の面白さです。
関東の夏の最高気温で気象情報にはよく登場する館林ですが日清製粉発祥の小麦粉の町。
狸うどんは見当たりませんでしたが、この日は出流蕎麦、佐野拉麺と粉物巡礼となった一日でした。

茅葺の本堂
本尊は釈迦牟尼仏だが、訪れる人は分福茶釜の方に興味があるそう。

分福茶釜説明書

茂林寺御朱印

館林市マンホール蓋

館林市マンホールカード 配布場所はこちら

館林郵便局 ; 茂林寺の分福茶釜、ツツジ
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
【往路】JR横浜(6:15) → JR東京(6:42) → JR上野(6:47) → JR大宮(7:13) → JR小山(7:53→8:27) → JR佐野(8:58→12:39) → JR足利(12:51)
JR足利駅 → レンタサイクル45分 → 曹源寺
【復路】JR足利(17:08) → JR小山(17:49→快速ラビット17:59) → JR大宮(18:42) → JR上野(19:10)

祥寿山 曹源寺(曹洞宗) 通称「さざえ堂」
円仁所縁の寺院に続いて午後は群馬の寺院へ。場所は太田市で最寄りの駅は東武伊勢崎線韮川駅。
ところが駅からは3㎞、レンタサイクルもないので栃木県の足利駅から往復16㎞の自転車行脚。
午前の大慈寺も栃木市ですが佐野駅から、午後も太田市ですが足利駅からスタート。
もうちょっと近場にレンタサイクルがあれば観光客も増えるのではないかと思った次第です。
祥寿山曹源寺(しょうじゅさんそうげんじ)は、寺伝では
文治三年(1187年)新田氏の祖新田義重公が京都からの養姫である祥寿姫の菩提を弔うために建立した六角堂が起源ですが、
二回の火災で本堂は焼失(1852年)。観音堂のみ残ったのでこれを本堂としています。

さざえ堂入口

さざえ堂山門
入口に立つ石は百観音御砂踏参道を示す。

前から見たさざえ堂

横から見たさざえ堂

正面近影

ここから拝観スタート
観音堂は関東大工の祖と言われる町田兵部栄清により十三年かけて寛政十年(1798年)に【完成】。
外観は二階建てに見えますが内は三階建て。
堂内は同じところを二度通らずに元の場所へ戻れる三匝堂(さんそうどう)と言う構造ですが、
一般には「さざえ堂」の名で通っています。
さざえ堂といえば会津若松のものが有名ですが、関東・東北地域にのみ【新田】様式が見られる建築。
現存するものは六ケ所とか。
江戸中期以降は三十三観音・百観音信仰が庶民の間に広がりますが、
いつの世でも一ヵ所参拝で全部の巡礼を済まそうという手抜きの輩は居るもの。
この寺院も秩父三十四、坂東三十三、西国三十三を模した観音様が安置されています。
場所を取らずに百観音を祀る工夫が「さざえ堂」になったのか、
同じ場所を通らないことで長い距離巡礼した気分にさせたかったのか。そう言ってしまっては【身も蓋】もありませんが。
こうして午前午後で合計31㎞も無事巡礼終了。
足利駅に戻った時は流石に空腹になりましたが、案内所近くにあった甘味処でエネルギー補給。
これも慈覚大師の齎した【蜜教】の恩恵でしょうか。

さざえ堂の本堂
百観音を祀る内、ここは秩父三十四。堂内は回廊式で同じ所を通らずに元に戻るところがサザエの殻に似ていることからこの名が付いた。一つ引き紋は新田氏の家紋。

太鼓橋

2階の坂東三十三観音を祀る部分
左が上りで右が下り

3階の壁に書かれた江戸時代の落書き

拝観終了地点にて

説明板

さざえ堂 説明書

さざえ堂御朱印

足利学校傍の「和Cafeひなたや」にて餡蜜¥580
後ろに見えるのは鑁阿寺
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
【往路】JR横浜(6:26) → JR高崎(8:51→8:53) → JR渋川(9:20)
関越バス渋川駅3番乗場(9:25) → 伊香保温泉(9:44→16:33) → 渋川駅(17:00)
【復路】JR渋川(17:25) → JR高崎(17:50→17:59) → JR上野(19:53) →

伊香保神社(式内社)
温泉の宝庫、群馬と言えば今は草津が有名ですが、伊香保は萬葉集や続日本紀にも登場する古湯。
江戸時代には熱海と並ぶ温泉街で有名な315の石段も天正年間にはできていました。
榛名山中腹の標高750m前後の斜面に約70の旅館が軒を連ねます。
以前の職場では出張で数十回訪れた伊香保ですが、ゆっくり巡った事はなく、気候も良い【榛名】のでちょっと高い所へ巡礼。
伊香保神社は石段街にあり温泉・医療の神様大己貴命・少彦名命を祀っている伊香保温泉を守護する神社。
由来は古く天長二年(825年)の創建ですが、当初は伊香保を含む榛名山一帯の山岳信仰の神社だったようで、
平安時代半ばに伊香保温泉の地に移転したようです。温泉と共に時を刻んだ神社と言えます。

ロープウェイで見晴台からの眺望

萬葉集歌碑

伊香保温泉石段街の最上部付近
上に鎮座ましますのが伊香保神社

伊香保神社本殿

伊香保神社御朱印 書かれた(印刷)ものを拝受

石段の湯
石段登り口付近にある公衆浴場 \400。

旧ハワイ公使別邸
明治初期には独立王国だったハワイ王国の公使の別邸。日本家屋をそのまま用いた。

伊香保関所跡
城崎・有馬もそうですが、日本には温泉文學なるものがあるようで、
伊香保も「不如帰」の徳富蘆花、美人画の竹久夢二の足跡があります。
夢二は夭逝した恋人の彦乃さんの面影を残す作品を多く製作。
写真で見る限り美人というより穏やかな面影で、そこに癒しを見つけたのかもしれません。
温泉の目的は湯治で日頃の緊張から解放されることで、芸術が生まれるのでしょうかね?

伊香保温泉バスターミナル付近にある文学の小径

芭蕉の句碑

竹久夢二記念館 ¥1600
書簡や絵画を多く展示

夢二記念館別館(休館中)
お昼は、かつて出張で御世話になった宿へ向かうと、レストランはほぼ満席状態。
洋食では定評のあった宿ですが当時はランチや日帰り入浴などはなく、時代の流れを感じました。
¥1600のお任せコースの後は利用者特典の¥500入浴。
【赤城】れのが【渋川】の剥けた肌になったかは保障の限りではありませんが…。

松本楼 洋風旅館ぴのん
客室も増えて日帰り入浴もOK。入浴¥1000、食事した人は¥500。

前菜

スープとサラダ

魚の湯葉包とムシパン

デザート3種盛

温泉の定番はこれ

伊香保郵便局 ; 榛名湖、紅葉、伊香保温泉

渋川市マンホールカード 配布場所はこちら
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース> 春の青春18きっぷ
JR横浜(6:50) → JR高崎(9:17) → 上信電鉄高崎(9:25) → 上州一之宮(10:12) → 徒歩10分 → 一之宮貫前神社 → 上州一之宮(11:26) → 上州富岡(11:33) → 徒歩10分 → 世界遺産富岡製糸場 → 上州富岡(16:22) → 上信電鉄高崎(16:59) → JR高崎(17:12) → JR横浜(19:35)

一之宮貫前神社(上野國一之宮 旧國幣中社)
今春の2回目の18きっぷで群馬へ。目的地の前に上州一之宮の貫前(ぬきさし)神社へお参り。
この神社への参拝は大鳥居と総門までは上りで、そこから本殿へは下るというもの。
地形的な理由でしょうが、下った先が本殿というのも不思議な話です。

今日のスタートは上州電鉄高崎駅から
鉄道むすめ「富岡しるく」と「ぐんまちゃん」

参拝は上州一之宮駅で下車

神社へと続く坂道

表参道と大鳥居 急な石段を上がる

大鳥居から街を俯瞰

総門(惣門) 大鳥居の先にあり高低差はなし

総門近影

総門から見た楼門 楼門・社殿へは一転石段を下る。
『上毛かるた』 に
・ゆかりは古し貫前神社
とある位の古社で、貰った説明書に拠ると、
『安閑天皇元年(531年)に物部姓磯部氏が氏神の経津主神(ふつぬしのかみ)をこの蓬ヶ丘綾女谷に奉斎したのが始まり。
延喜式では大社に列せられ、中世以降は武家の崇拝を受けた』
とあります。
御祭神は経津主神と姫大神で武と機織りの神様。
前者は武家の崇拝を受け、後者は地元の産業の守護神として崇められてきたようです。
尤も恋愛祈願して【抜き差し】ならなくなったらどうするのでしょうか、気になる所です。
この神社は531年創建の立派な構えですが乗客参拝客とも疎ら。
今の群馬県は前橋・高崎周辺が中心ですが、古代にはこの辺りが中心だったのでしょうか。
古代においては自然災害の少ない場所が鉄則ですが、ここは信州街道に面した河岸段丘。
都から上州へ入るのは、東海道経由よりも中山道経由がメインだった気がします。
その頃には善光寺の存在も【ぞんざい】には出来ない程、確立されていたと思われますので…。

楼門

楼門近影

拝殿
楼門・拝殿・本殿・回廊は徳川家光の寛永十二年(1635年)の造営

拝殿の彩色
元禄十一年(1689年)、徳川綱吉による修復の際にっ極彩色の漆が塗られた。

本殿

神楽殿

一之宮貫前神社説明書

貫前神社御朱印
続いて世界遺産の富岡製糸工場へ。
1990年代には訪れる人は先ずいませんでしたが、いまや観光客が犇めく状況。
世界遺産の認定については賛否両論入り乱れていますが、絶大な経済効果を考えると地元としては「ぜひうちを認定に…。」
となってしまうのでしょう。
明治の文明開化殖産興業の官営工場第一号として明治5年に操業開始、以後昭和62年まで操業しました。
学校で習ったときは操業中だった訳ですね。
製糸工場といえば「女工哀史」「ああ野麦峠」の悲惨な印象がすぐ浮かびますが、戦前は生糸が国内の輸出の主力商品。
因みに二位は茶でした。
その上、農家の副業としては養蚕が最も換金性が高く製糸工場で働くことで、随分家の助けになった人も多かったようです。
当時の女工さんには工場長の娘や武家の娘がいて、寄宿舎では勉強も教えていたそうですから、巷の説は若干割り引いて
考える必要がありそうです。

昼食は「上州路うどん さくら」にてお切込みうどん。¥1,080

世界遺産富岡製糸場
小学生¥250、中高生¥500、大人¥1,000

製糸工場東置繭所の二階(国宝)
明治5年建築。長さ104m×幅12m×高さ15m。一階が事務所で二階に乾燥させた繭を貯蔵した

繰糸所外観 (国宝)

繰糸所内部
よく教科書に載っている絵がここで、繭から糸を繰る作業を行った。フランス式繰糸器300釜が設置。小屋根は「トラス構造」という建築法。

女工さんの寄宿舎
左:妙義寮、右:浅間寮 一棟16室で2階で32室、各室15畳。

ブリュナ館
指導者ブリュナが明治8年まで家族と住んだ家。320坪。後には女工さんの夜学校として使用された。
工場周辺では「お富ちゃん」がお出迎え。富岡と「お富さん」を引っ掛けた女工さんのゆるきゃらですが、
案外女工さんとして【養蚕】稼いだので懐が「お富さん」になったのではないかとふと思った春の日でした。

上州富岡駅のお富ちゃん
生憎、粋な黒塀と見越しの松はなし。

おやつは、工場前の「カフェドローム」にて
カラメルソースに味噌を使用。その名も「プリンそこがみそ」

お土産の蚕のチョコレート¥280
抹茶とホワイトからできている

富岡市マンホールカード 配布場所は富岡製糸場内北売店
通常カードは無料配布だが、これだけは入場料を払わないとGETできない。 右はおまけの缶バッジ。

一ノ宮郵便局 ; 重文・一之宮貫前神社楼門、蒟蒻芋、上信電鉄機関車、妙義山
富岡郵便局 ; 製糸工場、繭、絹糸、妙義山
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知っておきたい! 日本の「世界遺産」がわかる本 (まなぶっく) 新品価格 | ![]() |

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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
【往路】
浅草(6:19) → 館林(7:51 → 7:59) → 足利市(8:19 → 9:18) → 太田(9:27)
東武太田 → 徒歩20分 → 子育て呑龍さま
【復路】
東武太田(12:21) → 館林(12:47 → 13:58) → 久喜(14:27 → 14:34) → 押上(15:28)

義重山大光院新田寺(浄土宗)
寒さも少し緩んだ二月半ば、ストーブ列車ならぬ東武電車でぶらりと上州路へ。
後三年の役で有名な八幡太郎義家の三男義国が下野の足利荘に封ぜられて、その子の義康から足利氏が、
義重から新田氏が出ます。この両氏意外に仲が悪い。
足利氏が北条氏と縁組する位の有力御家人であったのに比べ、新田氏は低空飛行。
建武の新政では新田義貞が鎌倉幕府を攻め落とす功績を挙げたものの、時代は足利氏の室町幕府となり、
新田氏は守護にもなれず再び苦難の道を歩む事に。

足利市にある史跡足利学校

東武鉄道太田駅北にある新田義貞像
このまま行くかと思いきや、家康が新田氏の流れを汲む徳川(得川)氏を名乗ったので江戸時代には子孫の岩松氏は旗本に。
徳川の源氏は疑問もありますが出身地三河の名門吉良氏(足利氏分家)を味方につけ系譜に連なりました。
清和源氏直系の名門佐竹氏などは「源氏で徳川など聞いたことが無いが」と言ったと言いますが、
天下人になれば強いものです。
足利氏も江戸時代は旗本でしたが、大日本史で南朝が正統とされたため、戦前までは逆賊扱いになったとか。
戦後は復権しましたが、両氏の仲はどうなのでしょうか?
因みにお互いの出身地は接していますが、足利市は栃木県、新田氏の太田市は群馬県となっています

呑龍さんへの参道の門
徳川家の先祖を祀るので立派にしている

基礎には三つ葉葵の紋が…。
義重山大光院は慶長十八年(1613年)、徳川家康が祖先の新田義重を祀るために創建。
新田義重は法然に帰依し、城内に大光院と言う寺を建立した故事に倣い山号寺号としたようです。
招聘したのは浄土宗の僧侶呑龍。
日本酒の様な博徒のような名前ですが、この呑龍は当時貧しく捨てられたり殺されかけたりした子供を引き取り
弟子として育てた人物。なかには国禁を犯そうとした子供も居て幕府から譴責を受けたこともあったとか。
そのため人々からは「子育て呑龍様」と慕われ、いつしか寺の呼び名にもなりました。
境内は広く道も整備され、この付近では初詣に訪れる人も多いといいます。
権力に結び付くと己の栄達を図る輩が跡を絶ちませんが、家康の庇護があったとはいえ、
呑龍の行為はなかなかできる事ではありません。

大光院吉祥門
大坂城落城の日に落成したためこの名が付いた。

大光院境内

大光院境内の臥竜の松

大光院本堂 阿弥陀如来を祀る。

本堂破風

本堂から渡り廊下と講堂を望む

大光院講堂

講堂の扁額

大光院御朱印
予め書かれたものを拝受 ¥200。
参拝を終えると昼前だったので、来る時に見かけた参道「元祖呑龍 山田屋本店」へ。
看板に掲げてある呑龍まんじゅう(1本¥190)を注文すると、
「4~5本はいけますよ!」 と店員さんの言。
1本¥190は安いですが一見五平餅に似ているので、
「これを5本はきついですね。」と言いながら口に入れると、意外とふわふわ。
なんでも小麦粉を元に作ったパンのような生地に醤油と砂糖を付けたものだそうで1個は1口でOK。
急ぎ追加注文しました。大きいまんじゅうをたくさん食べる姿は人目に呑龍に見えたでしょうか。

参道脇にある「元祖呑龍 山田屋本店」

大光院前の山田屋にて呑龍まんじゅう(1本¥190)を注文
帰りも同じく東武に乗り、館林で途中下車して駅前にある日清製粉を見学。かつての社屋を使って博物館にしています。
創業者は正田家、美智子皇后様の御実家ですが、三代目の文右衛門が明治6年に醤油の醸造を始め、
孫の貞一郎が分家して明治33年に製粉事業を創業したとあります。
日本では珍しく群馬県は小麦の生産が多かったからでしょうか。
地元の人達の間では「子供を育てられなかったら、正田様の家に行けば何とかして下さる」との謂いがあるとか。
呑龍の意志は後世まで受け継がれていると言えましょう。

東武館林駅は洋風駅舎

博物館本館は、かつての日清製粉事務所

本館内部

ミュージアムの日本庭園
石は北海道のトラピスト修道会で小麦粉を碾いた臼だとか。

東武太田駅スタンプ

太田郵便局 ; 桜の外枠に、金山、史跡・金山城址、大光院開山堂、国宝・甲の武人埴輪、八瀬川の桜
木崎郵便局 ; 町花・ツツジ、新田義貞とゆかりの生品寺、鳥居
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御朱印でめぐる関東の百寺 坂東三十三観音と古寺 (地球の歩き方御朱印シリーズ) 新品価格 | ![]() |

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上昇桐生!(2017.12.16)
<コース> 冬の青春18きっぷ使用
【往路】JR横浜(6:15) → JR東京(6:40→6:51) → JR上野(6:59) → JR大宮(7:25) → JR小山(8:16→8:27) → JR桐生(9:26)
JR両毛線桐生駅 → レンタサイクル10分 → 桐生神社
【復路】JR桐生(17:25) → JR小山(18:23→18:31) → JR大宮(19:18) → JR上野(19:45) → JR横浜(20:20)

桐生天満宮
冬の青春18きっぷ2回目は上州桐生へ。
駅構内の「桐生観光物産館わたらせ」で借りる電動自転車が無料とあって【上州】気分。
先ずは駅から桐生天満宮に御参り。
社殿は重要伝統的建造物で関東五大天神、風水学上理想の地に鎮座するパワースポット。
本殿向拝には昇運を招く貴龍があり信仰を集めているとあります。
龍は雨を降らし雲に昇るので、昇雲が昇運に、貴龍が桐生に通じるという事でしょう。

天満宮の彫刻

天満宮境内の芭蕉句碑
参拝した後は町を散策。
群馬桐生、栃木足利といえば近世以降絹織物の一大産地ですが、今は世界遺産になった富岡製糸工場が独り勝ち状態。
しかし訪れてみるとノコギリ屋根や洋館が点在するシック【シルク】な街。
米軍の空襲計画が昭和20年8月15日だったのも、大火に合わなかったのも幸運でした。
繊維産業を【いと】なんだ人達が建設した町ですが、ノコギリ屋根は織物製造過程でベルトを天井から吊るすために
この様な造りになったとか。かつて紡績会社に居た頃に年配の方から教わりました。
このような貴重な財産を町全体で守っているのを見ると、心配も【桐生】。
そのうち【上昇桐生】に乗って観光客が押し寄せるかもですね。
桐生の絹織物のルーツは1300年前に都から白滝姫が絹織物の技術を齎したのが始まりとか。
桐生から都に上った青年と恋に落ち「貴方が好きやき!」「こんにゃくしませう」となって桐生に嫁ぎますが若くして亡くなります。
ということで悲劇のヒロインになっていますが、彼女自身は恋愛を成就させたわけで幸せな生涯といえます。
漢の王昭君ではないですが、都から地方へ行くのは全て不幸だという考えはそろそろ止めた方が良いのではないでしょうか?
泉下の姫も 「大きな御世話よ!」 と呆れている気がします。
小麦の産地群馬は関東では珍しく蕎麦ではなく饂飩が有名。水沢うどんは知っていましたが、ひもかわうどんは初見。
織物の町だけに饂飩を反物の形にしたのでしょう。
味も値段もお手頃なので今後伸びていく気がします。饂飩が伸びては駄目ですが…。

群馬大学工学部同窓記念館
大正6年染織と紡績を専門とする桐生高等染織学校 が前身。なんとなく奈良女子大本館に雰囲気が似ている。

桐生本町通りの両側の「桐生新町重要伝統的建造物保存地区」
これは大正三年築の森合資会社事務所。

後藤織物
1870年創業の桐生市内で最も古い織物工場。しかも唯一の現役。帯などを作りテレビ・映画にも登場した。木造三連で昔のメリヤス工場もこんな雰囲気だった記憶が。見学は要予約だが、偶々門前に居られた後藤社長(79歳)の御厚意で見ることができた。

絹撚記念館
大正6年に撚糸会社の事務所として建てられた、県内最古の洋風石造り建築物。いまは郷土資料館を併設。

現在ワイン貯蔵庫に鞍替えしたノコギリ屋根工場。

桐生明治館
明治11年に県衛生所として建てられた擬洋風建築。いまも蓄音機からの音色が聞こえる喫茶室もあり、この日は電子オルガンを聞くことができた。

お昼は藤屋本店にて
ひもかわ(幅広の麺)を使った鳥なんばん¥780。

桐生郵便局 ; 初期の機織り風景、繊維工場、赤城山
桐生本町二郵便局 ; 繊維工場鋸屋根の外枠に本町二丁目の重要伝統的建造物群
[参考書]
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