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JR大富 → 徒歩15分 → 餘慶寺 → 豊原北島神社 → 徒歩15分 → JR大富
【復路】JR大富(11:17) → JR播州赤穂(12:09→12:10) → JR姫路(12:40→12:41) → (新快速) → JR山科(14:21)

豊原北島神社(旧郷社)
神社入口にて。左奥に見えるのが薬師堂。
諸堂が甍を連ねる当寺ですが、境内に隣接してあるのが豊原北島神社。
他にも愛宕社、日吉社などの小さな社も並びかつての神仏習合の伝統を残しています。
神社が建つのは境内の最奥の薬師堂の直ぐ脇。
この位置関係を見るだけでも、かつての神社と神宮寺の関係にあったと知れます。
唯、隣接するとはいえ、桜に彩られ日光が燦燦と降り注ぐ餘慶寺とは対照的に、
樹木に囲まれ静寂に包まれた場所。
豊原北島神社(とよはらきたじまじんじゃ)は、
『飛鳥時代の舒明天皇6年12月、山上の磐座に奉祀したのが開創。
延喜式外の古社旧郷社で、以来備前国屈指の古社として崇敬。

豊原北島神社由緒

二の鳥居
一の鳥居と言いたいところだが、境内南端にあるのが一の鳥居の筈。

二の鳥居に掲げられた扁額

いよいよ社殿の建つ境内へ
手前の注連縄は結界を表す。

境内を囲む塀の手前は杉木立と杉苔が
平安時代は近衛院殿の祈願社、豊原荘の鎮守として繁栄。
源平時代の佐々木盛綱は藤戸合戦奉斎に大鎧等を奉納、
南北朝時代は児島高徳の一族和田射越氏等が氏子から興った。
江戸時代は備前岡山初代藩主池田光政公に拠って中世以来習合の社寺は分離されて旧に復し、
社領寄進・社殿造営が行われた。そのため明治の廃仏毀釈の際には大きな影響を受けず、
7院2坊から6院を残す事に繋がり現在に至っている。』 とあります。

境内から参道を振り返る

正面から見た拝殿

拝殿の庇
丁度、宮司さんが出て来られたところ。

拝殿奥に続く中門(神門?)と本殿

中門近影

本殿近影
開創は寺よりも更に100年前。由緒記にあるように、山上の磐座に【いわく】らがありそうな、
古代の巨石信仰の名残を感じました。
境内を進むと正面に拝殿が建ち、向かって右が社務所。
建物自体は真新しいですが人気はなく、ここも無住で御朱印は無しかと思いましたが、
拝殿前に書置きが置かれ「御朱印料金¥300は賽銭箱に入れて下さい。」との貼り紙が。
料金を入れようとすると拝殿内陣に宮司さんともう一人の姿が見えたので声掛けして料金を手渡し。
無人と思った己の無知を反省です。

境内に置かれた力石(ちからいし)

力石の由来

神社境内から見える餘慶寺堂宇

豊原北島神社御朱印
太平記にも登場する忠臣・児島高徳所縁の場所と言うのも意外で、
境内に児島高徳供養塔がある理由にも納得しました。
高徳は美作の院庄での後醍醐天皇奪回計画が有名ですが、不明な点も多く非実在説もあるとか。
唯、当社の氏子に一門が名を連ねている事から、全くの架空の人物ではなさそうな気がします。
奪回に失敗した高徳が、行在所の庭の木を削って
天莫空句践 時非無范蠡
と書いたのは戦前の教科書にも載った有名なエピソードですが、その木が桜だったのには
桜の名所として知られる餘慶寺との浅からぬ因縁を感じます。

児島高徳供養塔
参道左手、明王院横に建つ。

供養塔建立の由来

児島高徳と和田範長の名が刻まれた供養塔基部

供養塔台座にある児島・和田一族系譜
[参考書]
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
恵亮院山門前にて。寺標には「天台宗 恵亮院」とある。
南北に続く餘慶寺参道途中から西へ入ると塔頭が三院並びますが、
一番奥まった場所に建つのが恵亮院(けいりょういん)。
山門を入った先には蘇鉄が植えられ、玄関は唐破風、塀に囲まれた先の石組みの庭園は
共通ですが、他院との相違点は庭園に入って拝観できる事。

山門からの境内の眺望

本堂玄関の唐破風

境内の前栽と庭園への中門
左手奥には吉井川が遠望できる。

庭園へ中門を潜る
『恵亮院の庭園に置かれていたのが巨大な手水鉢。かつて和田屋敷にあったものを
享保年間に和田兵六が当院に寄進したもの。
また庭園と境内を隔てる塀に欄間彫刻があるのは「透かし欄間の塀」。
装飾と同時に座敷に居ながらに門外の様子が伺える造りになっている。』 とあります。

中門から見た庭園

恵亮院本堂

和田屋敷から寄進された巨大手水鉢
最初は装飾とばかり思っていましたが、外を伺う仕組みとは【門外】漢には分かりませんでした。
【門外】不出の情報を漏らさない役目もあったのでしょうが、開かれた寺院とは言うものの、
徹底した情報管理を行ったのは流石。怪盗【欄間】を断つといった所でしょうか?

塀脇の石灯籠

中門扉の「松に鶴」の透かし彫り

同じく「松に亀」の透かし彫り

塀瓦の直ぐ下の透かし彫り
ここを通して外部を伺ったか?

細道を上って再び参道へ戻る
庭園を見学後は参道へ戻って北へ向かいますが、最も北側にある本乗院へ。
丁度、寺院の方が境内の手入れをされている時に遭遇。
他院と違い参道が長く砂が敷かれていたのが印象的でした。
この院だけ離れているのが不思議ですが、かつては間にも院があった名残でしょうか。
と言う訳で、現存する六院全て参拝修了。余計ならぬ【余景】寺と言うに相応しい場所でした。

本乗院入口

砂が綺麗に敷かれた参道

本乗院玄関と本堂
[参考書]
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
餘慶寺は一山一寺多院制という珍しい伽藍構成を採っていると以前に記しましたが、
『最盛期には7院13坊が山内に存在。現在その数は減ったものの、恵亮(えりょう)院・本乗(ほんじょう)院・
吉祥(きちじょう)院・定光(じょうこう)院・明王(みょうおう)院・圓乗(えんじょう)院の支院6院が現存している。』
とあります。

明王院山門前
閉門中のため外観のみ。

吉祥院山門前にて

山門から見た吉祥院境内

吉祥院本堂?

本堂玄関だがここは閉鎖中

玄関脇の塀の向こうは庭園が…。
但し、ここも拝観はしていない。

吉祥院玄関前から山門を望む

吉祥院境内の山茶花

餘慶寺参道の白壁越しに見た吉祥院
御朱印拝受の際に
和辻;「境内に塔頭があるようですが、拝観はできるのですか?」
住職;「門の開閉はまちまちですが檀家寺という扱いなので、拝観という形は採っていません。」
との返事。但し、開いた山門から内に入るのに問題はないとの事でした。
本堂・薬師堂参拝の後、駐車場まで下って塔頭巡り。
最初に訪れた明王院は閉門中だったので、期待薄でしたが、他の5院は全て開門中。
境内を拝見することができました。

参道から西向きの道へ入ると塔頭が並ぶ


圓乗院境内の様子
玄関は唐破風、塀の向こう側にも庭園がある。

圓乗院玄関先にある前栽

塀越しに見た圓乗院庭園

塀越しに見た圓乗院庭園
同一の山内、宗派なので雰囲気が似ているのは驚くに値しませんが、
山門を入った先には蘇鉄が植えられ、唐破風のある玄関はほぼ共通。
そして塀に囲まれた先に石組みの庭園が見えます。庭園は入る事はできませんが、
どこも丁寧に整備されており、京都の寺院ならば絶対に期間特別拝観をしそうな感じでした。
来る人少ないからかは不詳ですが、それをしないのは素朴な信仰の心故の気もします。

更に西へ坂を下る
遠方に見えるのが吉井川。

定光院山門

定光院玄関と奥に見える聖天堂

玄関の唐破風

定光院書院

聖天堂前の石組みの前栽

前栽と聖天堂
[参考書]
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
本堂の北にある高台には、三重塔と薬師堂を始めとする堂宇が並びます。
『三重塔は旧塔跡に再建されたもので、西幸西村、草井幸右衛門の私財に拠り、
六年の歳月を掛け文化12年(1815年)に完成。
方三間、本瓦葺、総高20.6mの江戸後期の伝統的な塔の形式に従った作風である。
棟札には工匠として宿毛村の田淵市左衛門繁数と田淵宇三郎勝孝の名が残され、
近世邑久大工の系譜や建築様式を知るうえで貴重である。

岡山県指定重要文化財・三重塔

三重塔近影

三重塔説明

塔の欄干、垂木

旧塔の礎石
境内の最も奥にある薬師堂は古くは山の麓にあったと言われる御堂。
享保19年(1734年)の再建棟札が残っており、他の堂宇と比べて簡素な印象を受ける。
本尊は中国地方を代表する傑作とされる薬師如来坐像で平安時代の一木造りで重要文化財。
この本尊を中央にして向かって右に聖観音菩薩、左に十一面観音菩薩が並ぶ。
聖観音菩薩は本尊と同時期の平安前期の作で重要文化財、
十一面観音菩薩は時代が下って平安後期の作である。
薬師如来を祀るため正面の扁額には「醫王窟」と記されている。
古来より眼病など病気平癒の信仰を集め、江戸時代には朝観音、夕薬師と言われる程信仰された。

境内の北端に建つ薬師堂
手前は「遊慶の庭」と呼ばれる本堂から薬師堂への石組み。

薬師堂由緒

薬師堂の外陣部分

当寺所有の文化財仏像
八角堂は開山報恩大師を祀る堂。報恩大師は備前国津高郡波河の生まれ、
15歳で日応寺に入り30歳で吉野山で修業したとされる人物で、備前四十八ヵ寺の建立を始め、
備前・備中の古刹の多くの縁起に名が残される人物。堂内格天井には花の絵が描かれている。
また本堂から薬師堂へは、作庭家・重森三玲氏の弟子である岩本俊男氏に拠り石組みが組まれ、
「遊慶(ゆうけい)の庭」と名付けられている。』 とあります。

開山・報恩大師を祀る八角堂

八角堂内陣

八角堂内陣の格天井(ごうてんじょう)の花の絵

八角堂に続く十三仏堂
亡くなった方の供養のために十三仏の写経を納めることができる。

本堂から薬師堂へと続く「遊慶の庭」
本堂前のこの場所から始まる。

薬師堂前の「遊慶の庭」
餘慶寺を代表する建造物が三重塔ならば、代表する仏像は薬師如来と言えます。
本堂の御本尊が秘仏である事、観音信仰よりも薬師信仰の方が古い事に拠ると言えましょうか。
唯、池田のお殿様の病気治癒に験があったのはお薬師さんではなく観音様なのが不思議です。
幸運にもこの日は薬師如来阿を無料で特別拝観できる日でしたが拝観は11時開始。
夕方の京都での会合に間に合うためには11:17分に乗車しなければならず、なくなく諦め。
納経所で頂いた案内書には「毎年10月に寺宝展が開催され多くの仏像・仏画が公開」とあったので、
寺宝は【次訪】に持ち越しとなりました。

薬師堂前から南を見た所
三重塔と本堂が続く。右側が八角堂。

薬師堂西側にある山王社(手前)、愛宕社(奥)
[参考書]
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
納経所からは、弁天池越しに鐘楼・地蔵堂・本堂が甍を連ねた姿が見えます。
上寺山餘慶寺(うえてらさんよけいじ)は、
『天平勝宝元年(749年)、報恩大師に拠り、備前四十八ヵ寺の一つとして開創。
東方の山から昇る太陽を拝する霊地として、古くは日待山日輪寺(にったいさんにちりんじ)と称した。
平安時代前期に慈覚大師円仁が再興し、自刻の千手観音を祀って本覚寺と改称。
平安後期には近衛天皇の勅願所となり上寺山餘慶寺と改められた。
唯、山号寺号を改めた時期を特定できる資料は見つかっておらず、応仁文明の乱頃とも推測される。
尚、餘慶とは「積善の家には必ず餘慶あり」と言う「易経」の文句に由来する。
源平の争乱により焼失したが、赤松氏や宇喜多氏に拠り徐々に再建。
江戸時代には池田藩主の帰依を受け隆盛。最盛期には7院13坊を数えたとされる。

納経所からの諸堂の眺望

南側から眺めると堂宇が一直線上に並ぶ
手前から鐘楼、地蔵堂、本堂、三重塔、薬師堂。
1270年余りの長い歴史を刻む当寺は貴重な文化財を有する事でも知られる。
重要文化財の本堂(観音堂)は永禄13年(1570年)に建立、正徳4年(1714年)に再建されたもの。
室町末期の密教本堂の特色を色濃く伝えている。
内陣には本尊で秘仏の千手観世音菩薩が祀られ33年に一度の御開帳。
「東向き観音様」として多くの霊験を表して来たと伝えられるが、
中でも岡山藩主・池田継政公に関わる言い伝えが有名。

重用文化財・本堂(観音堂)
東向き観音を祀る。

室町末期の密教建築の特徴を持った本堂

本堂説明書き

本堂正面の向唐破風は江戸後期に付け加えられたもの

向拝と欄間彫刻

向唐破風の屋根の構造
継政公が江戸在勤中に重病に罹った折、夢枕に千手観音が現われ、
「吾は国元、備前の東向き観音なり。病苦を逃れんとするならば、悩む心を祈る心に改め、篤く吾を祈れ」
と告げた。そこで備前の国中を探した所、上寺山に東向きの観音様があるのが分かり、
祈願すると忽ちに病気が治癒したと言う。
この霊験で救われた謝意として、継政公が奉納したと言う直筆の扁額が外陣に掲げられている。

本堂内陣の様子
御本尊の千手千眼観世音菩薩は秘仏。

本堂前から北の薬師堂を見る

本堂の手前には平成14年に中国普陀山から勧請した東向き観音様が

東向き観音由緒

千手観音様近影

北側から見た本堂側面
本堂に隣接するのはかつての十王堂を平成元年に再建したもの。
本尊に地蔵菩薩を祀る事から地蔵堂と改称した。併せて祀られている十王は地蔵菩薩の化身と言われ、
人の死後には忌日にそれぞれの王が裁きをし、亡者を導くとされる。

地蔵堂

地蔵堂由緒
その南にある鐘楼に吊るされているのは「上寺の晩鐘」として知られる梵鐘。
銘文に拠れば、戦国時代の元亀2年(1571年)に明国人が豊後府中の惣道場に寄進したもので、
九州に遠征した宇喜多秀家が戦利品として持ち帰ったと伝えられる。』 とあります。
慈覚大師の自作の真偽はさておき、古いものは御本尊ですが生憎秘仏。
それよりも注目すべきはいつも眺める事ができる梵鐘の来歴。
戦利品として千里の道を来た梵鐘ですが、宇喜多秀家が【凡将】でなかった証と言えそうです。

寺標の先に建つ鐘楼

鐘楼近影

数奇な運命を辿った梵鐘

梵鐘由緒

鐘楼と地蔵堂
堂宇が連なった光景は古刹の雰囲気十分ですが、建造物自体は新たな再建もあって古式に則った復元と言えます。
桜の名所の当寺ですが、最近は蓮の花も楽しめるようにと本堂前には蓮の鉢上が並びます。
これは本尊の千手観音菩薩が蓮華王菩薩と呼ばれる事に因んだもので、赤・白・黄の色彩が境内を彩るとか。
桜だけなら春の一週間だけですが、年間通しての【四季彩】に変わりつつあるようでした。

本堂前の石組み
赤(紅)い石は紅鎭(こうてん)石と呼ばれ厄災を鎭(しず)める効果があるとされる。緑石は波を表すか?

本堂東側にある弁天社
向こうに見えるのが納経所である餘慶寺会館。

本堂から薬師堂への石組は「遊慶の庭」と名付けられた

餘慶寺御朱印 (中国観音霊場)

頂いたお札
これが秘仏の御本尊。
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
この日は夕方から京都で会合の予定。季節的に桜が満開の時期ですが、
蔓延防止も終わって京都市内はどこも混雑と予想。
そこで当初予定していた山陽方面へ西向した後、東向して京都へ行く事に。
大阪駅を出発しJR東海道線と山陽本線を乗り継ぎ、東岡山駅で赤穂線へ乗り換え大富で下車。
山陽本殿にある万富と同じく金運アップの名前で入場券が売れそうですが、
ホームに屋根付き待合室があるだけの無人駅なので期待薄です。
改札を出ると寺への案内板が建ち、その方面に小高い山が見えます。それが目的の寺院の場所。

JR赤穂線大富駅標

大富駅ホームから岡山方面を見る
屋根のある待合室があるだけの簡素な駅。

大富駅改札口と寺社の案内板

駅から見える小高い山が目指す寺院の場所
駅からは寺のある山が望めるので、道に迷う事はなさそう。学校や田畑を横に見ながら進むと、途中から上り坂。
参道の満開の桜を見ながら更に進むと人家が現れますが、人家周辺も花が植えられ綺麗に整備されていました。
かつては寺院だけだったのが開発されたのでしょう。

山に入ると両側は満開の桜

坂の途中の標識
上寺山餘慶寺(うえてらさんよけいじ)は、
『標高60mほどの小高い山の上に建つ。上に寺があるからなのか、山の名前はいつしか寺の山号になり、
餘慶寺は地元では「うえてら」と呼ばれ親しまれている。当寺の特色は一山一寺多院制という伽藍構成で、
これらの堂塔や院の多さは中国地方の中でも珍しく県下屈指の大伽藍と言える。
県内有数の桜の名所として知られ、寺への登り道にも数多くの桜の木が植えられている。
桜の下には山吹も咲き、桜色と山吹色の競演が見られる。
周辺の森は「上寺の森」として里山整備がされ、遊歩道も設けられて居り、野鳥の声を聴きながら散策できる。
山上からは吉井川のゆったりとした流れを望み、対岸には「裸祭り」で知られる西大寺が遠望できる。』
とあります。

境内の桜並木

桜近影

山上の駐車場からの吉井川、その向こうが西大寺
案内板に従って更に進むと、いつしか境内に入り餘慶寺会館前に。
納経所はここなので、お参り前に御朱印拝受する事に。
和辻;「山門を通らなかったのですが。」
住職;「ここを南に下った場所に鳥居と神門がありますが、そこが山門になります。」
一応、正式に参拝するのが筋なので、教えて貰った方へ進むと。神門とその先に石鳥居が鎮座。
南は平地になって居り、かつてはここから参拝したのでしょうが、今は線路が北側なので、ここを登る人は稀。
私が行った時も誰一人階段を登って来ませんでした。

餘慶寺会館
納経所と休憩所、喫茶室も兼ねる。

境内の南側に建つ石鳥居
先に神門が見える。かつてはこちらが正門だった?

石鳥居からの南の眺望

鳥居に続く神門

境内側から見た神門

神門から本堂へ続く道路
神門から参道を上ると左手には駐車場があり、説明書きにあるように吉井川と岡山市内が遠望できます。
左右には「よくこれだけ【植えてら】!」と言うような桜並木が続き、【山容花の寺】は決して誇張ではありませんでした。

餘慶寺説明書

餘慶寺御朱印 (山陽花の寺)

山陽花の寺で拝受した「花法話」と「花札」

御由緒
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【往路】JR大阪(6:00) → (快速) → JR姫路(7:30→7:31) → 東岡山(8:52→9:08) → (赤穂線) → JR邑久(9:20) → JR邑久駅(9:40) → (両備バス) → 牛窓(10:02)
観光センター(瀬戸内きらり館) → レンタサイクル → しおまち唐琴通り → 牛窓神社 → レンタサイクル5分 →疫神社 → レンタサイクル20分 → 遍明院 → 弘法寺 → 東壽院 → レンタサイクル5分 → 寶光寺 → レンタサイクル10分 → 本蓮寺 → 観光センター
【復路】牛窓(15:30) → (両備バス) → JR邑久駅(15:52) → JR邑久(16:20) → JR播州赤穂(17:05→17:07) → JR姫路(17:38→17:41) → (新快速) → JR大阪(18:43)

経王山 本蓮寺(法華宗本門流)
レンタサイクルで牛窓を一回り。返却も兼ねて港へ戻り最後の巡礼先へ。
牛窓港を望む指呼の間にあり、海上からも威容が見える名刹。以前の牛窓訪問で訪れた唯一の寺院でもありました。

牛窓港の向こうに見える三重塔遠景

海遊館前からの眺め
経王山本蓮寺(きょうおうざんほんれんじ)は、
『南北朝時代の正平2年(1347年)、京都妙顕寺の座主・大覚大僧正が西国弘通のため当地へ巡錫。当地の守護職・石原佐渡守
の庇護を受け法華堂(現在の本堂)を創建したのが嚆矢とされる。境内の御廟には日蓮・日隆大聖人の真骨が安置されている。
牛窓は古来より風待ち・潮待ちの港として栄え、江戸時代の朝鮮通信使来日に際しては客殿がその宿泊所に当てられ、
岡山藩が饗応に当たった。客殿の庭園は小堀遠州の手になると言われる。

しおまち唐琴通りに面した入口

石段先の山門

寺院は石垣の上の高台に建つ

山門
通信使は江戸時代に12回来日し日朝友好を深めた。当寺には通信使が詠んだ詩書などが今に残る。
また牛窓では毎年10月第四日曜日に通信使の風俗を模したという「唐子踊り」が少年によって演じられている。
室町時代の明応元年(1492年)に再建された本堂は、番神堂・中門と共に国の重要文化財に指定され、
平成6年(1994年)には「朝鮮通信使遺跡」として境内全体が国重要史跡の指定を受けている。』 とあります。

山門から見た境内

山門正面の客殿

本堂へは更に石段を上った中門の向こうにある

石段途中から見た客殿
書院(謁見の間)と客殿庭園は要予約。

重文・中門(四脚門)
棟門造・本瓦葺き。

中門先の境内

重文・本堂
五間四面規模の寄棟造本瓦葺、柱は白檀である。

本堂前面
牛窓港からも三重塔が見える牛窓のシンボル的存在。海から見える三重塔は全国的にも珍しいそうですが、船で来た
人にとってはこの塔を見るとホッとした事でしょう。
鞆の浦にある対潮楼も朝鮮通信使所縁の場所ですが、共通するのは風光明媚な場所。詩の題材にも相応しい場所です。
通訳は兎も角、一般で朝鮮語を話した人は少なかったと思いますが、漢文に拠る筆談は可能でした。

祖師堂

祖師堂の構造

祖師堂越しにみる三重塔

県指定文化財の三重塔
海辺に映える塔としては全国唯一とされる。

三重塔正面
三間四面、高さ16m。
近代前の東アジア圏では中国を筆頭に李氏朝鮮、越南、日本は漢文で筆談ができました。
漢字の功罪は種々言われますが、会話はできずとも筆談できたのは大きなメリットでした。
牛窓本蓮寺でも李朝の人と日本の文人との間で色々な遣り取りがあった事でしょう。
そこでの饗応が【経王】山という山号になった訳ではないですが…。

重文・番神堂

番神堂の三祠
全国的にも重文指定は三ヵ寺のみである。

三重塔の向こうに見える瀬戸内海

本蓮寺説明書

本蓮寺御朱印
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観光センター(瀬戸内きらり館) → レンタサイクル → しおまち唐琴通り → 牛窓神社 → レンタサイクル5分 →疫神社 → レンタサイクル20分 → 遍明院 → 弘法寺 → 東壽院 → レンタサイクル5分 → 寶光寺

大船山 寶光寺(高野山真言宗)
弘法寺と二塔頭に拝観後は港へ戻りますが、県道28号ではなく大門の北側にある細道を東行。
その途中に寺院があったので参拝。車が1台やっと通れるような道ですが、寺院があると言うことは、
かつては主要道だったに相違ありません。大船山寶光寺(おおふなさんほうこうじ)は、
『孝徳天皇の大化年間に法道仙人の開山とされる。その後、荒廃したが後小松天皇の明徳年間に中興し
虚空蔵菩薩を本尊として祀る。

海に向かって建つ本堂

本堂の「大船山」の扁額
また馬場氏が奉納した不動明王並びに大曼荼羅双福は平安時代の宮廷画家・巨勢金岡の筆になり重文として今に伝わる。』
とあります。
1300年の歴史を数える古刹。弘法寺から道が通じており、境内から港が見える事がここに伽藍が建設された理由でしょう。
唯、兵庫県の古刹を開いた法道仙人が備前まで足跡を残したか、また平安初期の絵画の伝世は疑問が残りますが
【まんだら】嘘でもない気もします。

本堂前から見た境内

境内から港方面を見る
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千手山弘法寺東門坊東壽院(高野山真言宗)
弘法寺跡を参拝?した後は、遍明院の前の道を下り県道28号へ。その手前にあるのがもう一つ残った塔頭の東壽院。
千手山弘法寺東門坊東壽院(とうもんぼうとうじゅいん)は、
『弘法寺の二塔頭の一つ。本尊の阿弥陀如来立像は国の重要文化財。檜の寄木造で建暦元年(1211年)仏師・快慶の
墨書がある。胎内からは納入文書が発見され、それに拠れば承元4年から5年にかけて僧・覚勝(かくしょう)が夢想を得て、
快慶に仏像を作らせるに至った経緯が記されている。但し、火災に遭った形跡が認められ木造の頭部は、面相以外は
桃山時代の補作とされる。』 とあります。

道路越しに見た石垣に浮かぶ東壽院

駐車場脇の寺標
本坊であった遍明院に比べると東門坊と呼ばれるここは境内も大分狭く、建物も新しく古刹という雰囲気はありません。
唯、県道から見ると石垣の高い場所に建っているのが時代を感じます。それよりも快慶作の本尊が残っているのが秀逸。
仏師が各地に仏像を残したのは当然ですが、今まで残るのはかなりの幸運。しかも胎内から文書が出たことで【かくしょう】
が得られた訳です。是非、拝観できればと思いましたが生憎留守。外陣からの参拝で【とうじゅ】を偲びました。

山門から見た境内

本堂と書院
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千手山弘法寺(高野山真言宗)
遍明院参拝の後は、教えて頂いた本堂横の参道を上って弘法寺へ。
千手山弘法寺(せんずさんこうぼうじ)は、
『天智天皇の勅願寺として662年に開創したと伝わる。その後、廃れるが天平年間に報恩大師が報恩山興法寺として中興、
更に弘法大師が留錫し、自刻の千手観音を安置。以降、千手山弘法寺と改称した。

本堂横の参道を上る

上から見下ろした石段

千手山弘法寺境内
鎌倉から室町にかけて最も繫栄して48坊を有し、西の高野とも呼ばれた。足利尊氏が足利直冬討伐の際には当寺で
戦勝祈願し、桃山時代には宇喜多秀家が110石を寄進。江戸時代に入っても岡山藩主池田家の庇護を受けた。
江戸中期には15院3坊の塔頭があったが、明治8年(1875年)の廃仏毀釈で4院に統合された。

昭和42年の火災も免れた常行堂(丈六阿弥陀堂)
天明元年(1781年)の再建で、本尊は阿弥陀如来。

常行堂説明

常行堂の花頭窓と柱

中柱に囲まれた仏座にまします阿弥陀如来坐像
当寺は度々火災に遭遇し、昭和42年(1967年)には本堂、多宝塔など主要な建物が焼失。本尊の千手観音は
運び出された他、高台にあった常行堂・御影堂・一切経蔵・鎮守社は被害を免れている。現在は遍明院・東壽院
の2塔頭が残るのみである。』 とあります。

一切経蔵

御影堂

焼亡した伽藍跡

焼亡を免れた鎮守社
石の参道を上ると山上に平地が開けますが平成18年修復の常行堂の他2堂が残るのみ。本堂跡は僅かに礎石が
残りますが多宝塔は跡形もなし。かつての繁栄を思い起こす事は困難です。
遍明院が継承しているので良しとすべきでしょうが、県道の向こうの大門を見ると
「かつての広大な敷地が、ここまで縮小したのか」
とその【興亡】を思わずにはいられません。

道路の向こうの弘法寺大門(千手山大門)へ

大門
三間一戸八脚門の二重層木造入母屋造本瓦葺、建坪13坪半の県下有数の規模を誇る。

山門の説明

大門脇の池田綱政公の御詠歌

大門の先にある十王地蔵堂
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千手山弘法寺本坊遍明院(高野山真言宗 山陽花の寺二十四ヵ寺第十五番)
県道28号のアップダウンを繰り返しながら20分ほど走ると道の左手に弘法寺の看板が見えてきます。
この辺りの字の千手は、千手観音さまに由来するのでしょうか?そうなると寺と歩んだ集落と言えます。

塔頭から道路を隔てた地に建つ千手山(弘法寺)大門
享保8年の再建で大工・尾形久兵衛作。仁王門棟札は慶安5年。「千手山」扁額は松平宗衍の筆。

楠広場から見た本堂
本坊遍明院(ほんぼうへんみょういん)は、
『古い歴史と数々の文化財を伝える千手山弘法寺(せんずさんこうぼうじ)の塔頭。ここは千手と呼ばれる山間の地で
遍明院はその低山の中腹に位置し、塔頭の中でも中心的役割を果たしてきた。弘法寺本堂火災の後は、本尊を含めて
当院が管理している。
弘法寺所縁の寺宝や古文書も伝わり、奥之院である収蔵庫に安置されている五智如来坐像は12世紀の藤原和様を
伝えるもので国の重要文化財。また鎌倉期の阿弥陀如来の被り仏も伝わり、練供養で使用される。

本堂へ続く石段

不動明王三十六童子八大童子から成る厄除石段

石段の上から見た境内
練供養は鎌倉時代より伝承されており、奈良葛城の當麻寺、岡山久米の誕生寺と共に日本三大練供養に数えられ、
5月5日に盛大に催される。これは中将姫の極楽往生を伝えるもので、人々が諸菩薩に仮装して練り歩き、もう一つの
塔頭である東壽院で中将姫の小像を阿弥陀如来が迎える。
本堂へ向かう石段横には楠の巨木があり、その前は楠広場と呼ばれる。その他、駐車場周辺の桜、参道脇の
石楠花・紅葉・山茶花など山陽花の寺の札所となっている。』 とあります。

昭和51年(1976年)落慶の遍明院本堂

本堂の扁額と欄間の龍の彫刻
牛窓の中心部は海沿いですが、ここは山に入った遍明ならぬ辺境の地。それでも寺院の前の道路には1~2時間毎に
路線バスが走っているのは、かつては主要道だった証拠。
度々火災に遭ったため堂宇は新しいですが、寺宝や古文書が今に伝わっています。古刹の雰囲気が漂うのは天智天皇
勅願寺という由緒故でしょうか?

本堂に続く御成門と書院

正面から見た御成門(向唐門)と上段の間
歴代藩主が年初に参詣する際にくぐった門で、桃山様式で再建された。
古来、港で栄えた牛窓ですが、山岳方面にも大きな勢力があった様子。それが時代と共に衰微していったという事でしょう。
以前に訪れた備前市の福生寺と似通ったものがありました。

書院玄関の唐破風

参道の先に建つ遍照閣
御朱印を御願いすべく寺務所にて拝受。その間に本堂内陣で参拝できました。見ると「山陽 花の寺 二十四か寺」の
ガイドブックが。奥付に2010年発行とあるので、今は絶版の可能性大。古書店で思わず掘り出し物を見つけた気分です。
寺務所で購入すると、
「定価¥1500ですが、古いので¥1000で結構です。」との事。
巡礼では時折、このような事があります。これも仏縁ならぬ物縁と言えましょうか。

本尊・五智如来を祀る奥之院

中庭にある宝篋印塔
寺務所玄関からの撮影。

遍明院説明書

遍明院御朱印

購入した「山陽 花の寺 二十四か寺」
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素戔嗚神社(牛窓神社摂社)
路線バス通りに沿って、県道28号から39号線に右折する場所の丘にあるのが素戔嗚神社。
先程参拝した牛窓神社の摂社という位置付けで、正式には素戔嗚(すさのお)神社ですが、一般には疫神社(やくじんじゃ)
として知られます。道路沿いの急な石段を上がると、正面が本堂。社務所もなく無人の社でした。

急な石段の途中に建つ石鳥居
疫神社は、
『本殿の棟札に1605年とあるので、江戸初期には信仰の対象とされていたとされる。毎年10月第四日曜には秋祭りが
開催されるが、その時に境内で奉納されるのが唐子踊り。異国風の鮮やかな衣装を着けた男児二人が囃子方の小太鼓、
笛、歌に合わせて踊るもので歌も踊りの所作も独特のものである。
踊りの起源については神功皇后の三韓征伐時に連れ帰った子供に由来するという伝説があるが、江戸時代の朝鮮通信使が
江戸への途上、牛窓に寄港して伝えたというのが一般的である。しかし中国との関りがあるという説、地元での創作説もあって
はっきり結論されていないのが現状である。』 とあります。

石段下の駐車場にある由緒記

石段の先に建つ簡素な本堂

本殿正面
今は閑散としていますが、由緒を辿れば風待ち港牛窓と共に歩んだ社。疫神社と言う位ですから疫病退散の御利益が
ありそうですが、説明にはそのような記載はなし。御祭神の素戔嗚命が疫を払うのでしょうか?
それよりもここは唐子踊りの場所。江戸時代の朝鮮通信使が元になった筈ですが、神功皇后の時代説や中国由来など
説は様々。思うに唐子というのが中国の事なので、諸説入り混じったのでしょう。尚、江戸時代には中国の清朝との交易は
長崎一港のみでしたので、牛窓を訪れる事はありませんでした。事実は【諸説】よりも奇なりです。

本殿の扁額と向拝の欄間彫刻

唐子踊り説明

牛窓土産 唐子人形
これは25年以上前の購入だが、現在でも観光センター「瀬戸内きらり館」で販売している。
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牛窓神社(旧県社)
しおまち唐琴通りの東端まで行き、海岸線に沿って進むと、牛窓神社の大鳥居が見えてきます。ここから境内までは
石段を登りますが、途中の平地が境内と思いきや中間地点。しかし見晴らしは抜群でした。さらに登って漸く到着。

一の鳥居に到着
右は牛窓海水浴場。

鳥居脇の社標

一の鳥居

由緒略記
牛窓神社は、
『長和年間(1012~1016年教円大徳に拠って豊前の宇佐八幡宮から勧請されたとあるが、又一説では山城の石清水八幡宮
からとも伝えられる。
備前国有数の古社で、御祭神の神功皇后はかつて牛窓の地にて活躍された牛窓の祖神として称え奉られる神である。
「備前国風土記逸文」には次の話が伝わる。

一の鳥居から続く石段

見晴らしの良い平地に出る
ここに建つのは七五三柱と名付けられた二本の四角い石柱。

句碑の向こうには瀬戸内海

二の鳥居に続く石段
・神功皇后の御舟が備前の海上を過ぎようとした際に、大きな牛が船を覆そうとした。
住吉明神は老翁に化けて、その牛の角を持って投げ飛ばした。そこでその場所を牛転(うしまろび)と呼ぶようになった。
牛窓はそれが訛ったものである。

石段の先にある随神門

随神門近影
扁額は「牛窓神社」

随神門の説明

随神門を守る左大臣・奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)

同じく右大臣・豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)
この地域には縄文・弥生の貝塚や古墳が点在しており、土地の神霊及び氏の祖先神を祀っていた牛窓明神に風土記の
神話に基づいて八幡大神を勧請したとされる。
牛窓の地は石清水八幡宮の所領となり、牛窓神社も石清水八幡宮の備前国における別宮となった。鎌倉・室町期には
幕府将軍より文書を賜わり、社領千石、12の堂塔伽藍が立ち並んだと記録にある。

境内の様子

紀元2600年(昭和15年)に奉納された大型狛犬
奉納は牛窓町内造船所十社とあり、木造船の盛時が偲ばれる。

神輿蔵
しかし戦国時代になり毛利元就と陶晴賢の戦いのさ中、全山焼討ちで焼失。記録・宝物全てを失った。その後、
安土桃山から江戸初期にかけて、牛窓の地は風待ち港、潮待ち港として繁栄し、歴代藩主の崇敬を受けた。
宇喜多・小早川氏は十石、池田氏は二十石の社領を寄進している。加えて飯尾御用大商人や、廻船問屋、船乗り衆の
信仰も集めた結果、明治6年に郷社、昭和15年には県社に昇格を果たした。戦後の困難な時期を乗り越えて牛窓は元より
東備地区の守護神として現在も歩みを続けている。』 とあります。

拝殿正面にて

拝殿前面
昔、TVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」で牛鬼という話があって、ここの神社との関係が気になっていました。ここは「うしおに」、
アニメは「ぎゅうき」。神社の怪物は牛そのものの姿、アニメは蜘蛛のような体に牛の頭を持った怪物と少し違いはありますが、
鬼太郎に取り憑いた牛鬼が最後は迦楼羅さまに退治されるという筋書きは、神に退治されたという伝説に繋がります。

絵馬の裏面の牛鬼図

拝殿に続く幣殿と本殿

幣殿の絵馬は竹久夢二も見て自らの絵の参考にしたと言う
牛は人間の役に立ちこそすれ害は及ぼさない動物。そんな牛の怪物が神功皇后の行く手を阻んだ伝説は何を意味するのか?
昔、この辺り一帯に勢力を持った海上勢力が大和朝廷に反抗したものの、結局屈服させられた事の裏返し。その頭目が
牛鬼と呼ばれるような大男だったとすれば何とか伝説と繋がります。勿論、私の勝手な【モー】想にしか過ぎませんが…。

本殿近影

本殿屋根の装飾
拝殿から裏の本殿に廻って参拝完了。御朱印を御願いすると若い禰宜の方が対応してくれました。
和辻;「牛が悪者と言うのは珍しいですね。宇和島の牛鬼は良い者だそうなので…。」
禰宜;「でも神に投げ飛ばされた牛鬼はバラバラに散って、瀬戸内の島になったそうです。」
悪さをして退治されて終わりでなく、きちんと改心した所まで話すのが昔話。これでめでたしめでたしとなりました。

牛窓神社(八幡宮)由緒略記

社務所で販売されている「牛窓神社物語」 ¥200

牛窓神社御朱印
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牛窓海遊文化館
牛窓千軒と言われる牛窓の中でも、当時の面影を色濃く残すのが「しおまち唐琴通り」。牛窓町の東部(関町~東町)には
1㎞に亘り、江戸時代から昭和30年頃までの町の面影を残しています。
道幅も当時のままで拡張せず、道に沿って白壁土蔵、格子戸、御茶屋跡などが並ぶさまは宛らタイムスリップした模様。
家屋だけでなく街道までもそのまま残っている事で昔の人の生活が間近に感じられます。

しおまち唐琴通り
牛窓バス停から入った場所から西を見る。

高祖酒造発祥蔵
バス停から直ぐの唐琴通りには、「カンゾー先生」ロケ地、旧役場跡、酒蔵が建ちますが、一際目を引くのが長屋門。
旧松屋本家は江戸時代から材木流通業を営み、木造船の材を扱う事で財を成しました。門前に架けられた「牛王宝印」は
新年に寺院から授与される護符。周囲を見渡すと寺院名こそ違え各家には護符が。
農業に比べ自然の影響を受ける事の多い港町ならではと言えましょうか?

明治時代に武家屋敷構えで建てられた長屋門

街角ミュゼ牛窓文化館
大正4年に中国銀行牛窓本店として建てられ昭和55年まで使用された。今は通りの文化を紹介する施設として開放。

文化館の玄関

文化館内部
そんな中に点在するのが、明治以降の洋館。旧警察署、旧銀行、旧郵便局と用途は様々ですが、本来の使命を終えた後も、
資料館・喫茶店として第二の人生?を歩んでいます。
旧郵便局は興味がありましたが、時間の関係で泣く泣くスルー。次回は【きって】ね!に期待です。
メインの海遊文化館は改修中のため休館と、この日は洋館には縁がありませんでした。

洋風建築の商店

喫茶「牛転(うしまろび)」
昭和初期の郵便局の建物で現在は喫茶店。

上之町の井戸
牛窓では飲料水確保のために井戸が重視され、そこを中心に町が発展した。

海遊文化館入口
明治20年に警察署として建てられた洋館は、現在国登録有形文化財。

文化館沿革

文化館玄関脇の大蘇鉄
江戸時代の大庄屋奈良屋の庭にあったもの。
土産はようやく見つけた「きびや菓子舗」で。海産物の店舗は多いですが甘味が少ないのは【しお】待ち港のせいでしょうか?
「むかしは二十軒以上あったのですが、いまは町内でうちだけです。全て手作りなので、数が少なくて…。」
と店の方は言われましたが唐子踊と命名された「かすてら饅頭」とオリーブ羊羹は独自性を出した逸品。
洋館巡りの締めは羊羹とはなりました。

「きびや菓子舗」

唐子踊とオリーブ羊羹

喉が乾いたので観光センターで「オリーブサイダー」

瀬戸内市マンホール蓋

瀬戸内市マンホールカード 配布場所は瀬戸内市立美術館
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牛窓港から東方を望む
丑年の2021年、牛に所縁の天満宮三社にモー出ましたが、今度は牛の名前の付く場所へ行ってみることに。
といっても牛津(オックスフォード)は余りにも遠いので、瀬戸内にある牛窓まで。
前日から家を出るまでは生憎の空模様でしたが、現地へ到着するころには快晴。予報通りではありますが、
この日はJRのダイヤ改正の当日。ダブル【かいせい】で晴男の面目躍如と言った所です。
竹久夢二の故郷である赤穂線の邑久(おく)で下車してバスで海に向かって更に奥に12㎞行った終点。
まさに【夢路より来りて】です。30年前の訪問時、駅は邑久町、終点は牛窓町と全く別の行政区でしたが
平成の合併で瀬戸内市に。合併が必ずしも悪いとは言えませんが、町のイメージが全く変わってしまうのは否めません。

赤穂線JR邑久駅前にある竹久夢二碑

バスの終点 牛窓にて
停まっているのは、前島行きフェリー。
『牛窓の名の由来は、神功皇后の一行が船でここを通りがかった際に、邪魔をしようと現われた牛鬼(うしおに)が
投げ飛ばされたことで、牛転(うしまろび)が訛って牛窓になったことに拠る。
縄文時代から人が住んだ形跡がある昔から重要な場所であった。江戸時代以前は瀬戸内海が国内の物流の
大動脈だったので、牛窓千軒と言われる程の繁栄。江戸時代には朝鮮通信使の受け入れ港でもあった。
今でも街道沿いには古い街並みや寺社が残る。

牛窓バス停前から「古い町並み」へ向かう

「しおまち唐琴通り」案内図

江戸時代の道幅のままの唐琴通り
風待ち、潮待ちの古い港町であるが、近年は「日本のエーゲ海」を前面に押し出している。ヨットハーバーやペンションがあり、
年間を通して若い世代が集まる場所。温暖少雨の地中海に似た気候、波静かな海と島々、オリーブ園と欧風の雰囲気があり、
ギリシアのミティリニ市と姉妹都市提携を結んでいる。』 とあります。

和洋船舶用品商 木崎商店
船で繁栄した場所柄、このような店も。

本町付近の町並み
ここを抜けると船留りへ。

本町の船留り
江戸時代は御茶屋、湊在番所、足軽屋敷等、岡山藩の施設が並んだ。

本町の船留りで西を望む
明治以降は漁師の住いが並んだ場所である。
牛転が訛って牛窓とは落語の様な話ですが、大阪の樟葉にも似たような話が伝わっており、古代の町の由来には
よくある話。決して【誇大】広告ではありません。神功皇后の事は伝説でしょうが、それくらいの古から発展した港町。
最近になって発展した町ではなく、昔からの町の上に新たな街を重ねたと言った方が良いでしょう。
かつての牛窓千軒は今やエーゲ海宣言の町。通常「日本の○○」と言った場合は二番煎じで首を傾げるものも多いですが、
ここはあまり違和感がなし。古いものを徒に破壊するのではなく、古いものを残しながら発展してきた歴史の厚みが
そう思わせるのでしょう。

牛窓燈籠堂跡
17世紀後半に建てられ唐琴の瀬戸を行く船の安全を見守った。堂は明治に無くなったが、かつての石垣の上に昭和63年再建。

燈籠堂跡の説明

燈籠堂の石垣から唐琴の瀬戸を望む
気候風土は兎も角、オリーブ園は昭和15年に小豆島から移植したのが嚆矢とあるので、歴史としては新参。
アテナイは小麦の時給ができず、風土に合った商品価値の高いオリーブを交易することに活路を見出す。そのために
海運が発展し、漕ぎ手であった市民の発言力が大きく民主主義が興った、というのは古代ギリシア史の「いろは」ですが、
牛窓にはそのような歴史の歩みはありません。

唐琴通り東町にある若葉屋(東服部家)
文政年間に梶屋から材木業部門を分家、名主を務めた。750坪の敷地に明治43年から15年を費やし、奥座敷・茶屋・土蔵を配す。

若葉屋に隣接する「うしまど茶屋」
海が迫り耕地は少ないようですが、斜面を利用したレモン栽培が有名。加えて牡蠣や穴子など海の幸にも恵まれた場所。
昼食は案内書で教えて貰った民宿「青島」の1階で穴子重。鰻に比べるとあっさりしたイメージのある穴子ですが、ここで
食べたものは濃厚な味。「厳選肉厚上あなご重」の名に偽りはありませんでした。
早々と体制側に組み込まれ、発展を遂げたのがその理由でしょうか。今でも高台に登れば瀬戸内海が一望できる場所が
多々あり、治める側には【ええ下界!】と見えた事でしょう。

唐琴通りの先、牛窓海水浴場に建つ万葉歌碑
・牛窓の 浪のしおさい 島とよみ よさえし君に 逢はずかもあらむ 伝 柿本人麻呂

牛窓神社への途中、望洋亭からの眺望

昼食は牛窓ヨットハーバーにある民宿「青島」にて

厳選肉厚上あなご重 ¥2880
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駅レンタサイクル20分 → 法界院 → レンタサイクル40分 → 曹源寺 → レンタサイクル20分 → 國清寺 → レンタサイクル10分 → JR岡山駅
【復路】JR岡山(14:12) → JR相生(15:16→15:19) → JR姫路(15:38→15:41) → JR大阪(16:43)

萬歳山 國清寺(臨済宗妙心寺派)
曹源寺参拝の後は岡山駅に戻って帰路へ着きますが、その途中、旭川のたもとの寺院に立ち寄り。
萬歳山國清寺(ばんざいさんこくせいじ)は、
『慶長14年(1609年)、姫路城主・池田輝政の嫡子であった利隆が建立。
異母弟であった岡山藩主・池田忠継が幼少であったため、
利隆が岡山城に入り藩政を代行したのが理由である。
花園の妙心寺から太華本然禅寺を招き寺名を法源寺として開山した。
当時、密教系寺院や日蓮宗寺院が主流であった岡山城下で臨済宗を招いた事は注目を集めた。

寺の沿革

山門の「萬歳山」の扁額

山門を過ぎ紅葉の続く参道を進む
その後、夭折した忠継に代わり弟の忠雄が岡山藩主となった際に竜峰寺と改称。
更に寛永9年(1632年)、利隆の嫡子で鳥取城主の池田光政が岡山に国替えになり、
輝政公の法名・國清寺殿を寺名とし、祖父・輝政と父・利隆の菩提寺とした。
尚、池田家に所縁のある姫路、鳥取、岡山には國清寺と言う名の寺が残っている。

参道右手に建つ鐘楼
この梵鐘は戦時中供出されそうになったが直前で免れた逸物である。

重文・梵鐘の説明

戦後再建された本堂
御本尊の南無釈迦牟尼仏等は奇跡的に戦火を免れ今に伝わる。

境内の植生
岡山市内の繁華街にありながらここだけ自然に囲まれた別世界である。
かつては4500坪を有する大伽藍であったが、戦災で殆どを焼失。
今に残ったのは山門・鐘撞堂・坐禅堂(大愚堂)など極僅かである。
戦後の都市計画で寺域は大幅に縮小されたものの、門を一歩潜ると
そこは凛とした静けさと庭園の広がる場所となっている。』 とあります。

禅の心を表現した庭

境内奥の諸堂に向かう

開山堂
先に訪れた曹源寺もそうですが、ここも藩主池田家のお声掛かり。
切支丹禁制であった近世では驚くには当たりませんが、
主流派を差し置いて新たな禅宗を呼び寄せたのは統治に期待することがあったのでしょう。
戦国時代の武将は、禅僧から学問を習うのが一般的。善は急げ!

戦火を免れた大愚堂(坐禅堂)

檀信徒の位牌を祀る観音堂
大石内蔵助切腹後、実母の実家・天城池田家で密かに作られた文殻観音像も安置されている。

國清寺御朱印
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護國山 曹源禅寺(臨済宗妙心寺派)
法界院参拝の後は後楽園方面へ南下し旭川を越え市電の終点から更に東へ。
岡山市内ではありますが、実際には峠を越える事になるので、西大寺方面。
道路沿いにある案内板に沿って左折すると松並木の続く参道の遥か彼方に寺院が見えます。

松並木の続く参道の遥か先に寺院が
松並木は県の郷土記念物に指定されている。

先ず向かうのは総門

総門前に到着
護國山曹源禅寺(ごこくざんそうげんぜんじ)は、
『元禄11年(1698年)、岡山藩主・池田綱政が高祖父恒興と父光政の菩提を弔うために創建。
造営は家臣の上坂外記に命じ、絶外和尚を開山とした臨済宗妙心寺派の寺院。
同時に自身の菩提寺もここに定めたので、以後の歴代藩主の菩提も弔われる事になった。

総門近影

総門前は蓮が花盛り

白い蓮の花

総門から三門に続く石畳
山を背にして広大な寺域に大伽藍が建つ姿は備前国第一の禅寺と称され、
伽藍脇には天台・真言・日蓮・浄土の各派の塔頭が配されていたが、
今は天台寺、大光院(日蓮宗)の二院を残すのみである。
参道より総門・三門・仏殿が一直線上に並ぶ禅宗様式の配置で、
仏殿の左には経蔵と石段を上った先には三重塔、右側には方丈が建つ。

壮麗な三門
扁額は「護國山」。

三門の天井

三門から総門を見返る

三門の先に建つ仏殿

仏殿正面

仏殿の華頭窓

仏殿の欄間彫刻

方丈前から仏殿と経蔵を見る
方丈奥にあるのが絶外和尚と津田永忠によって元禄14年に築造された池泉回遊式庭園。
津田永忠は後楽園創作奉行であり、江戸時代の庭園に禅宗庭園を取り入れた形式である。』
とあります。

庫裏入口
御朱印はこちらで拝受。異国から来られた僧侶の方々が修行中。

庫裏横を通り奥の「池泉回遊式庭園」へ

庭園の入口
参道の松並木から総門へ至る道すがら禅の境地に近付いた感じ。
境内はコロナの影響もありますが、文字通り伽藍とした状態。
伽藍や堂宇内は拝観謝絶なので、すべて外からの参拝でした。
唯一、見学できるのが庭園で、¥100を料金箱に納めて拝観。
禅宗形式と説明にありましたが、より古い密教形式の庭園のような気もしました。

池泉回遊式庭園全景

庭園の説明

庭園の築島

後方の高台から池を望む
見学の後は、御朱印を貰うべく庫裏で声を掛けました。すると出てこられたのは作務衣を着た外国の方。
それもアジア系ではなくどう見ても西洋系の顔立ち。日本語は理解されているようですが、
御朱印が今一つ分からない様子で、これは無理かなと諦めましたが、
丁度、日本人の僧侶が通りかかられたので、なんとか拝受。
伺ったところ、曹源寺は現在でも修行僧を受け入れており、御住職を除くと全て海外からの方々だそうです。
仏教圏の国ならいざ知らず、キリスト教と思しき国々からわざわざ修行に来られるのは
単なる興味本位だけではないでしょう。

池越しに見た方丈と仏殿

庭から見た方丈

方丈前の杉と苔

方丈横の庭園

庭園近影
明治時代に、新渡戸稲造博士が英文で著した『武士道』は日本人の道徳教育を表したもので、
その影響下から鈴木大拙博士が『禅 ZEN』を英文で表しました。
これらが西洋人と仏教を結び付けた契機になった訳ですが、未知のものを紹介する努力も並大抵ではなかった筈です。
昨今、ロックオフやらソーシャルディスタンスやら不思議な英語が飛び交うのを見るにつけ、そのような感を強くします。
バスの便がないと思い自転車で向かいましたが、途中何度もバスが通過。
時刻表を見ると岡山駅前から西大寺駅へは10分おきに運行されている様子。
しかも寺の近くに停留所もあるようなので、これはしまったと思いましたが【後の祭り寿司】でした。

庫裏の向かいに建つ浴室

正面から見た経蔵
この横を抜けて三重塔に向かう。

丘陵中腹にある三重塔

三重塔からの市内の眺め

鐘楼

曹源寺御朱印
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金剛山 遍照寺 法界院(真言宗単立寺院 中国観音霊場第五番 百八観音霊場第七番)
明治初期に鉄道が敷設されたのは文明開化に向けて物資の輸送がメイン。人の移動は二の次でした。
そんな中で人の移動の主流といえば江戸時代から続く寺社仏閣巡礼。
駅名にもそのような名前が付くのがそれを物語っています。
私の知る限り「寺」の字が付く駅が最多なのは天王寺・久宝寺・王寺・法隆寺と関西本線の4駅ですが、
この日の津山線にも2駅あります。一つは法然上人所縁の誕生寺ですが、もう一つは法界院。
寺が付かない所がポイント、クイズにでも出題されそうです。

JR法界院駅スタンプ
上;国鉄時代 下;JR西日本岡山支社2006年度
寺院は津山線の同名の駅から北東へ1㎞ですが、津山線の列車が1時間に1本以下と非常に少ない。
という訳で岡山駅で駅リンをレンタル。寺は山麓ですがアップダウンもなく20分程で到着。

入口へ到着

江戸時代建立の山門
扁額は「金剛山」

山門の獅子の彫刻

山門の天井画
生阪藩士松田翠涯の筆になる。
金剛山遍照寺法界院(こんごうさんへんしょういんほうかいいん)は、
『天平年間の749年頃、報恩大師が開基。本尊の聖観音像は聖徳太子作と伝えられ重文。
檜の一木造であるが、当初は極彩色であったと思われる。
戦国時代に伽藍を焼失し、天正9年(1581年)に現在の地に移転。
江戸時代前期に傳審和尚が堂舎を再建し中興、学問に秀でた和尚は藩主池田公も帰依された。
池田公は当院より寄進した観音像を安置するために後楽園内に「慈眼堂」を建立。
歴代住職が月参し、三十三年目には再び当院に遷座させ一般庶民の参詣も許した。

山門を過ぎて石段を上る

中門をくぐると境内に
左は大杉。

境内遠景

安政2年(1855年)建立の本堂
正面八間、奥十間。

本堂の庇部分
池田公参勤交代の折、東海道白須賀宿で観音様が夢枕に立ったので、
お告げに従い急いで宿場を出立したので津波の難を免れたと伝えられる。
観音様を篤く崇拝した池田公の元、繁栄したが、しばしば大火に見舞われたため、
本堂は安政年間、山門は嘉永年間となっている。』 とあります。

本堂から大師堂を見る

本堂近影

本堂の屋根瓦
「金」の文字は山号の金剛山に由来。

本堂説明

明治13年建立の大師堂
乾漆の大師像は昭和35年に奈良の宮沢甲輔仏師の作。

大師堂の龍の欄間彫刻
重文の御本尊は秘仏のため外陣から参拝。聖徳太子時代とありますが、
実際は藤原時代の作だそうです。それでも十分古いですが…。
入口は平地ですが、山門から本堂、裏山の八十八ヵ所ミニ霊場と高く続いています。
境内には二大門前の杉の大木始め巨木が屹立。セミが喧しく鳴く横では子供たちが虫取りに興じていました。
裏山からは市内が見渡せるので、そのような位置関係も創設に預かったとも思えます。

昭和13年建立の梵鐘楼堂
霊場へ向かう坂の途中からの眺め。

補陀落山の観音浄土を図絵した梵鐘

坂の上から見た大師堂(手前)と本堂
御朱印を御願いすべくベルを押すと、御住職夫人が御対応。
京都山科日野にも真言宗の法界院があり関係を尋ねましたが、
法界とは大宇宙(マンダラ)の世界、即ち仏の世界を言う一般用語だそう。
直接の関係はなさそうですが、【まんだら】無関係でもないようでした。

本堂前に立つ慶長3年の石灯籠

石灯籠の説明

法界院沿革

法界院御朱印
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萬歳山 安国寺(臨済宗妙心寺派 )
作楽神社参拝の後、鶴山公園に戻る道すがら、
庭園の綺麗な寺があると聞きちょっと立ち寄り。
道を少し北へ入り整備された石畳の先に目指すお寺が…。
萬歳山安国寺(ばんさいざんあんこくじ)は、
『元来、英田郡角南にあった善福寺が、元禄年間に現在地に移転し改名。
本堂裏にある石林園は近世中期に築造されたと言われる禅宗庭園。
ここの第二世列堂和尚の作庭に拠る。境内8,500㎡の内、69%を占めている。』
と言われています。

参道の両脇の松

山門前にて
奥に本堂が見える。
階段を上ると山門、その先に本堂が見えますが、至って簡素な造り。
本堂にお参りした後、本堂裏に回ると、庭園が…。
本堂と客殿の背後にある丘を借景に取り込んだもので、
泉の奇岩が様々な樹種を背景に巧みに配置され趣のある造りとなっている。』
とあります。移転と改名を経てはいますが、
室町初期に足利尊氏・直義兄弟が全国に建立した安国寺の後継寺院。
山門から続く本堂はこじんまりとして簡素な様子。禅宗様というべきでしょうか?
拝見できませんでしたが、御本尊は十一面観音。
永和3年(1377年)の銘がある梵鐘は巡り巡ってここに寄進されました。

本堂正面
拝観していないので外から参拝。

境内にある平沼騏一郎の墓
本堂の裏に庭があるとの事なので足を運びました。
本堂・書院と背景の山に囲まれた空間に池泉回遊式庭園があります。
高い建物と山の間にあって少し日差しが弱いですが、それが却って自然な印象を与えます。
庭の名前は石林園とありますが、確かに石の配置が妙を得ていました。
寺域は後方の山まで続いているようで、チェンソーで樹木を伐採する音が響いていました。
御朱印を御願いすべく庫裏に伺いましたが、生憎不在の様子。
暫くするとチェンソーを持った初老の方が来られたので、伺うと御住職。
御朱印も最近はしなくなったそうで、お礼だけ述べて辞去。
御朱印なしは残念でしたが、思いがけない庭を鑑賞できたことで良しとなりました。

本堂裏の日本庭園

本堂と庫裏の間から見た景色

向かって左側の庭園
池に突き出たものが亀島か?

島に架かる石橋

庭園中央

庭園右側

庫裏と庭園

庭園背後の小山から池と本堂を見る

小山から池と庫裏を望む
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作楽神社(県社)
一之宮参拝に続き、津山城まで南下した後、西へ5㎞の神社へ。
最寄りの姫新線の院庄駅から徒歩15分ですが、
列車(電車ではない!) が非常に少ないので引き続き10㎞の自転車旅となりました。
作楽(さくら)神社は、明治2年(1869年)の創建。
先に訪れた中山神社は言うに及ばず、歴史も150年程と新しい神社。
【さくら】の季節とはいえ何故、このような新しい神社に参拝するのか?

国道179号沿いにある社標

入口に建つ一の鳥居
作楽神社の由緒は
『鎌倉時代に美作の守護職の館である院庄館のあった場所。
元弘元年(1331年)、倒幕に失敗した後醍醐天皇は光厳天皇に譲位させられ隠岐に配流となった。
その途中、ここ院庄館に滞在したが、備前の土豪・児島高徳は帝を奪回しようとして果たせず、
庭の桜の幹を削って次のような十字詩を記した。
天莫空句践 時非無范蠡
(書下文) 天、句践を空しうする莫れ、時に范蠡無きにしも非ず
警固の武士は何の事か理解できなかったが、帝だけはこの意味を悟り、
このような状況下でも自分に心を寄せる忠臣がいたと心を強くした。
この故事は『太平記』にも載った有名な話だが、江戸時代の津山藩家老・長尾勝明は
荒廃していた館跡に碑を建立して高徳を顕彰。
これは湊川神社の「嗚呼忠臣楠子之碑」より4年前で、
南朝忠臣の記念物としては我が国で二番目に古い。
幕末にはここに神社を建設しようという運動がおこり、
国学者・道家大門(どうけひろかど)が中心となって朝廷より「作楽神社」の勅号を賜り、
明治2年の社殿創建となった。
道家大門は宮の造営にあたり、初代の祠官も務めた。』 とあります。

一の鳥居脇の後醍醐天皇御製碑

御製碑近影

御製説明

堀に架かる石橋を渡って拝殿に向かう

参道先の二の鳥居

神社由緒

児島高徳忠義桜碑
平成3年の建碑で参道右に建つ。

二の鳥居の奥に見える拝殿
御朱印拝受に社務所で伺うと、「作楽」の字は桜の万葉仮名だそう。
高徳が漢詩を記した桜に由来するのは言うまでもありません。
現在は、境内の奥にその桜の子孫が植えられていましたが、
地質的な影響か根付くのが遅いそうです。
児島高徳の忠義を顕彰するために建てた神社で、
御祭神も正祀が後醍醐天皇、配祀が児島高徳となっています。
境内も顕彰碑が乱立するような普通とは少し趣を異にする神社でした。
児島高徳はこの故事で有名ですが登場するのは一度きり。
従って架空の人ではないかという議論も以前からありました。
唯、太平記の作者として小島法師という名があり、同一人物ではないかとも言われます。
太平記全文を読めば分かりますが、至るところで中国の故事が引用。
上記の十字詩も史記に記載された春秋時代の呉越の故事に由来しますから、
同一人物である可能性は高いと思います。
境内にある神楽殿は明治の俳優・川上音二郎と貞奴夫妻が寄進した拝殿が元。
児島高徳の史劇を演じて全国行脚した音二郎が神社の荒廃を嘆いたためだとか。

拝殿
入母屋流唐破風向拝付。

拝殿と翼舎

作楽の真名井
拝殿前にある井戸。

井戸横にある神楽殿
川上音二郎が寄進した拝殿が元になっている。

神楽殿由緒

神楽殿の屋根瓦にある神紋 「丸に桜花」
戦前と戦後で教科書内容が大きく変わったのは日本史。
特に戦前は神話から始まり歴代皇室関係の記述が多く、
児島高徳、楠木正成は初等教育を終えた人は皆知っている人物でした。
この詩も臥薪嘗胆の故事を踏まえており、人の琴線に触れるところがあったのでしょう。
尚、明治天皇は光厳天皇の系譜に繋がる北朝の方ですが、
南北朝の正閏論では南朝を正統とされています。
今はその揺り戻しで、記述はカット。
児島高徳、楠木正成の名を知っている人も非常に少ないのが現実です。
確かに荒唐無稽な話もありますが、一方的に省略するのではなく、
どのような事実が潜んでいるのかを検証するためにも載せる方が科学的。
『天、校正を空しうする莫れ、時に反例無きにしも非ず』とも言えるでしょうか?

神楽殿横から東大門桜樹址を見る

児島高徳像
昭和40年寄進の備前焼。台座に十字詩が記される。

建武中興650年記念碑
昭和59年 津山ライオンズクラブの寄進。

日原桜道漢詩碑

院庄六百年の涙雨
井上剣花坊に拠る。昭和7年鶴城吟社建立。

東大門桜樹址
貞享5年(1688年)に長尾勝明が建碑。児島高徳が桜樹を削った館の大門址にある。

天皇陛下の記念植樹

院庄館跡
向こうに一の鳥居が見える。

史跡院庄館跡説明

作楽神社の栞 ¥100

作楽神社御朱印
右; 通常の御朱印 左; 最近出来たもの

津山二宮郵便局 ; 聚楽園、桜の幹に漢詩を彫る児島高徳
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中山神社(美作國一之宮 式内社 旧国幣大社)
城下では「津山さくらまつり」がたけなわですが、
鶴山城を右手にみて鶴山通をひたすら北へ5㎞。
道沿いに流れる宮川が大きく曲がる場所で西に向かい1㎞程で目指す神社。
鳥居前には樹齢800年の祝木のケヤキがお出迎え。

神社前に到着

祝木(いほぎ)のケヤキ
樹齢800年、高さ10.5m。

ケヤキの説明

一の鳥居
「中山鳥居」と称される独特の形式。

「中山神社」の扁額
中山神社は
『文武天皇の慶雲4年(707年)の創建。貞観6年(864年)に官社に列し、
延喜式では美作国唯一の明神大社で一之宮とされ、永保元年(1081年)には正一位を授かる。
「今昔物語」 には中山神社の猿神伝説があり、『梁塵秘抄』でも厳島、吉備津と並ぶ大社としている。
元寇の際には勅命に拠り、全国七ヵ国の一の宮として国家安穏の祭祀を行った。
室町以降の美作は戦乱の巷と化し、永正8年(1511年)、天文2年(1533年)に厄災を受ける。
特に後者では尼子晴久の火責めにより建物・宝物・古文書等を焼失した。
永禄2年(1559年)に社殿が再建されるが、これは尼子晴久の美作平定の戦捷に拠るものであった。
以降、歴代藩主の崇敬篤く明治4年には国幣中社に列した。
現在も農耕牛馬の守護神、採鉱冶金の守護神として広く崇拝されている。』 とあります。

一の鳥居から境内を見る

境内から一の鳥居を見返る
右はムクノキ。

ムクノキの説明

シーサー似の参道の狛犬

参道に続く神門

神門近影
津山城二の丸にあった薬医門を明治初期に移築したもの。

神門前を流れる御手洗川

神門から拝殿を望む

門をくぐり拝殿に参拝

拝殿前面
廻廊で社務所と繋がる。

拝殿前から神門を見返る

塀越しに見た拝殿正面

拝殿と奥に続く本殿

拝殿側面

拝殿と廻廊部分
山の中とまではいきませんが、津山の中心からはかなり北にずれた場所。
和銅6年(713年)に美作国が備前国から分離した際に
吉備中山から勧進を受けたと言う説もあるようなので、
中山の由来としてはそちらのほうがしっくりくる気もします。
主祭神も鏡作神という一風変わった神様、
また鉱山や牛馬の守護神というもの中央ではなく止着の香りがします。

拝殿の奥にある重文・本殿
永禄2年(1559年)尼子晴久により再建された。

本殿横から拝殿を見る

本殿近影
単層入母屋造・檜皮葺で 『中山造』 と呼ばれる独特の様式。

本殿屋根と軒下

境内奥から見た本殿
御朱印を拝受すべく社務所へ。宮司さんが対応して下さいました。
和辻:「美作は一之宮がここで、国分寺が東津山の南で、随分離れていますね。」
宮司:「どちらも移転していませんが、平地で統治の及ぶ範囲だったのでしょう。」
一之宮の方が国分寺よりも創建は前。
国分寺は加茂川・吉井川・広戸川の三川に囲まれた場所なので、
その利便性も考慮された感じがあります。
津山の見所は津山城を中心にした東西2㎞の範囲ですが、
ここは町はずれとは言え、中身ははずれなし。
社殿は檜皮葺で「中山造」と呼ばれ美作の多くの神社の模範となったものだとか。
美作の小京都で【たまさか】荘厳な雰囲気に浸る事ができました。

境内奥の細道を抜け猿神社へ向かう

岩壁に祀られた猿神社
「今昔物語」に登場する。

猿神社近影
手作りの布製の申を奉納する習わしとか。

神門脇の神楽殿と総神殿(右)

中山神社説明書

中山神社御朱印
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【往路】JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR岡山(9:29→9:47) → JR津山(10:53)
【臨時】JR姫路(9:46) → JR播磨新宮(10:22→10:27) → JR佐用(10:56→11:04) → JR津山(12:02)

津山城(鶴山公園)
伝統的街並みや小京都が点在する岡山県ですが、
こと桜となると津山の鶴山公園を逃すわけにはいきません。
姫路からは姫新線経由が距離的に近いですが接続が悪く、行きはいつも岡山経由。
今回もその予定でしたが、山陽本線が線路確認のため姫路は20分遅れ。
岡山経由だと2時間近く遅れそうなので、急遽予定を変更して姫新線での津山入りとなりました。
津山は美作の小京都で津山城の城下町。
津山城の場所には戦国時代に美作守護の山名氏が鶴山城を築きましたが後に廃城。
江戸時代に入部した森氏が城郭を築き津山城と命名しました。
しかし今の城跡はかつての名前で鶴山公園となっています。

JR津山駅前にて
かつてはなかった城下町の街並みを模した造りに。

吉井川に架かる今津屋橋から城址を望む

観光センター横の道から城跡へ続く階段

階段上から

南側石垣にて
丁度、津山さくらまつり開催中。

石垣の上のソメイヨシノ

コロナのため人では少ないが花は例年通りに満開


津山城の始祖は森忠政公。
信長の側近で本能寺の変で命を落とした森蘭丸の弟に当たります。
森家は織田家の家臣ですが、ほかの兄弟は早世するなどで彼に家督が回ってきました。
運に恵まれたとも言えます。世間一般には兄の方の知名度が上ですが、
弟は大名までのし上がった訳ですから有能な人材だったのでしょう。

表門前にある藩祖・森忠政公の像

藩祖の略歴

石垣遠景

宮川に架かる橋付近から城址を望む
あと津山と言えば洋学の町。城東にある出雲街道沿いに街並みが残ります。
交易で栄えた海沿いではなく、内陸の津山に洋学が盛んだった
と言うのも不思議な気がしますが、美作は江戸時代にも牛肉を食した文化があった場所。
新しいものを取り入れる意向は場所よりも人の心掛けという事でしょうか?

城東重要伝統的建造物保存地区
宮川を渡った出雲街道沿いに城下町の姿を残す一帯が続く。


城東地区にある苅田酒造跡
杉玉が吊るしてある。

城西の田町にある旧武家屋敷

城西浪漫館(中島病院旧本館)
大正6年(1917年)築のバルコニー形式の玄関とドーム型の屋根を持つ。

ここも田町の武家屋敷
朝の連ドラ「あぐり」のロケに使われたらしい。

作州民芸館
1909年竣工の銀行の建物を民芸品展示に使用している。

駅前に建つ箕作阮甫の像
幕末の医者で洋学者として活躍した。

駅前に展示された蒸気機関車

駅南側にある「津山まなびの鉄道館」

鉄道館前の八重桜
蜜を求めて蜂が乱舞していた。

津山市マンホール蓋

津山市マンホールカード 配布場所は津山観光センター

津山郵便局 ; 鶴山公園・古城址、児島高徳の桜樹の漢詩、擬宝珠のある木橋
津山田町郵便局 ; 津山城址、桜

津山中之町郵便局 ; 津山城址、町屋造りの商家、松
津山大谷郵便局 ; JR津山駅に隣接して残る扇形機関車庫

JR津山駅スタンプ(JR印は津山線とあるが姫新線が正しい)
上;国鉄時代の「わたしの旅」印 下;JR岡山支社印
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【往路】JR大阪(5:58) →JR姫路(7:30→7:31) → JR岡山(9:26) → JR備前一宮(9:40)
備前一宮駅前 → レンタサイクル20分 → 備中高松城址 → 妙玄寺 → レンタサイクル10分 → 最上稲荷 → レンタサイクル15分 → 吉備津神社 → レンタサイクル8分 → 吉備津彦神社
【復路】JR備前一宮(15:50) → JR岡山(16:07→16:13) → JR相生(17:18→17:19) → JR姫路(17:38→17:41) → JR大阪(18:43)

吉備津彦神社(備前国一宮 旧官幣中社)
吉備津神社から自転車で中山山麓を10分足らずで吉備津彦神社に到着。
焼き物の狛犬が門前にあるのも備前ならではです。
吉備国が三国に分かれた際に、吉備津神社から分霊され備前国一宮となったもの。
起源や御祭神は吉備津神社と同じです。

JR備前一宮駅から線路を渡った場所に建つ一の鳥居
褐色の狛犬は備前焼。

松の参道を進み一の鳥居を見返る
両脇は神池がある。

神池に浮かぶ亀島神社

随神門
元禄10年(1697年)、岡山藩主・池田綱政公に拠り造営された。
かつての国分寺は廃寺になったり規模が縮小したものが結構ありますが、
一宮は今でも大きな規模を保っている場所が殆ど。
そんな中で備前と備中の境とは言え歩いても30分足らずの場所に一宮が並んでいるのは壮観。
古代においてはこの地域が中心であった事の何よりの証拠でしょう。

安政年(1859年)建立の大燈籠
高さ11.5m、笠石八畳の日本最大の石燈籠で、天下泰平を祈願して建立された。

階段の先に見える拝殿

階段上から見た手水舎と大燈籠
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、
『御祭神の大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子。
第十代崇神天皇の御世に大和朝廷から各地に派遣された四道将軍の一人。
後の山陽道である西道に入り各地を平定し平和と秩序を築いた。
桃太郎伝説の由来になった事でも知られる。
神社の場所はかつての大吉備津彦命の住居跡。
そこに社殿が創建されたのが起源と言われる。夏至には鳥居正面から昇った太陽が
神殿の御鏡に入る事から「朝日の宮」とも呼ばれた。
また桃太郎の一宮、備前刀の故郷の一宮とも呼ばれる。
江戸以降は岡山藩主・池田家の崇敬を受けた。』 とあります。

昭和11年再建の拝殿

横から見た拝殿

拝殿横に掛けられた桃形の絵馬

拝殿前の平安杉
龍が宿るという伝説がある樹齢千年の御神木。

右より拝殿・祭文殿・渡殿・本殿と続く

祭文殿

元禄10年完成の本殿
流麗な三間社流造りの社殿で古社の伝統を受け継いでいる。

参拝後、境内を一周して随神門へ向かう

社務所脇の無患子の木
吉備津神社の荘厳さに比べると親しみ易い感が…。
これは後から分霊された事と、藩主の庇護を受けたことが影響していると思います。

吉備津彦神社説明書

吉備津彦神社御朱印

備前一宮郵便局 ; 吉備津彦神社本殿、マスカット、白桃
岡山辛川郵便局 ; 吉備津彦神社本殿、吉備自転車道サイクリング
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備前一宮駅前 → レンタサイクル20分 → 備中高松城址 → 妙玄寺 → レンタサイクル10分 → 最上稲荷 → レンタサイクル15分 → 吉備津神社

吉備津神社(三備一宮 備中国一宮 旧官幣中社)
お稲荷さん参内の後は線路沿いに戻って吉備津駅近くの吉備津神社へ。
吉備の中山の西麓に鎮座する古社で、中山は『枕草子』にも登場し、
神が宿る山とされる神奈備山。線路から続く松並木を走り門前へ。

参道に沿いの吉備津の松並木

北の参道前へ到着

参道脇の矢置岩
吉備津彦が温羅との戦いで射る矢を置いたとされる。

矢置岩の由来

結界を示す注連縄を通り境内へ

石段先に建つ重文・北随神門

北随神門近影
室町中期の再建になる。

本殿への階段を上る

拝殿前から北随神門を振り返る
吉備津神社(きびつじんじゃ)は
『古代より神体山とされた吉備の中山の西麓に鎮座する山陽道屈指の大社。
かつては吉備の総鎮守とされたが、吉備が備前・備中・備後に分かれた後は
備中一宮とされた。そのため三備一宮とも呼ばれる。
備前と備後にはそれぞれ分霊が置かれたが、備前に置かれたのが吉備津彦神社である。
御祭神の大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子。
第十代崇神天皇の御世に大和朝廷から各地に派遣された四道将軍の一人。
後の山陽道である西道に入り各地を平定し平和と秩序を築いた。
その時に築いた茅葺宮が当社の起源とされる。
命が平定した地元の悪党の中に「温羅」がおり、これが後世の桃太郎伝説になった。
また温羅の首を埋めた場所にあるのが御竃殿で、
そこでは釜の鳴る音で吉凶禍福を占う神事が行われている。』 とあります。

本殿の額「平賊安民」

国宝・拝殿(左)と長屋門

応永32年(1425年)建立の国宝・本殿
比翼入母屋造という全国的にここだけの様式である。

本殿の垂木

拝殿と本殿の屋根部分

桜の向こうの本殿屋根
境内は広大で拝殿・本殿は国宝。
その本殿から400mも続く廻廊は境内の摂社末社を繋いでいます。
成程【さんび】されるだけの優美な造り。境内は日の当たる場所にありますが、
なんとなく陰影があるのは温羅伝説や鳴釜神事のためでしょうか?
上田秋成は 『雨月物語』 の中で【器物】ならぬ吉備津の釜で描いています。
大吉備津彦命は【きびつ】を返すことなく反抗する豪族を平定。
温羅が本当に悪党だったかは分かりませんが、物事には【うら】が付き物。
今に残るのは勝者の歴史です。

重文・南随神門に続く廻廊

天正7年(1579年)再建の廻廊

廻廊は全長360m
自然の地形そのままに一直線に建てられている。

廻廊脇のえびす社と椿

廻廊から北へ続く先にある御竃殿

重文・御竃殿
備中早島出身で石見銀山開発に功績のあった安原備中守知種により慶長17年(1612年)に再建。

御竃殿神事の由来

外から見た廻廊と南随神門

廻廊から御竃殿への廻廊分岐点

廻廊脇の桜も未だちらほらと

廻廊と椿

廻廊脇に植えられた牡丹園

廻廊の南端にある本社宮

廻廊南端にある旧社務所長屋門
江戸時代には神領会所として使用された。

社務所横の庭園
御朱印拝受の際に、江戸時代から続く「吉備津こまいぬ」という面白いお守りを発見。
座った犬と立った犬、鳥の三体が土細工で火難・盗難除けに人気があるそうです。
「どうせなら立った犬の代わりに猿を入れれば、桃太郎トリオの完成ではないか」と思いましたが…。

吉備津こまいぬ ¥1,000

吉備津神社説明書

吉備津神社御朱印

岡山吉備津郵便局 ; 国宝・吉備津神社本殿、吉備津のこまいぬ
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【往路】JR大阪(5:58) →JR姫路(7:30→7:31) → JR岡山(9:26) → JR備前一宮(9:40)
備前一宮駅前 → レンタサイクル20分 → 備中高松城址 → 妙玄寺 → レンタサイクル10分 → 最上稲荷

最上稲荷山 妙教寺(日蓮宗 日本三大稲荷)
城址に続き山裾まで真っすぐ伸びた道を2.6㎞走り最上稲荷へ。
日本三大稲荷とありますが、伏見・豊川稲荷は揺るがないものの、
関東では笠間、中国では最上、九州では鹿島祐徳とその土地土地で変わるのが特徴です。
稲荷というからには神社と思いがちですが、ここは日蓮宗の寺院。
豊川稲荷にも共通しますが、かつての神仏習合の名残と言えるでしょう。

JR吉備線の向こうに聳える大鳥居

昭和47年建立の大鳥居
高さ27.5m、柱直径4.6m。この道を直進すると稲荷へ。

平成26年に塗り直された大鳥居
額の「紅柄」は高梁市の西江邸のもの。

二の鳥居前に到着
山麓に境内が広がる。

参道の商店街を抜け仁王門へ

妙教寺山門
仁王門をくぐった右手にあり、ここが寺の中心と思うが参拝する人は稀。

山門正面の根本大堂
明治14年の趣を残し平成18年に改修された。

大堂横の大客殿

大客殿の玄関

客殿の唐破風

客殿前の大銀杏

階段を上り本殿へ向かう
最上稲荷山妙教寺(さいじょういなりさんみょうきょうじ)は、
『天平勝宝4年(752年)、備前四十八カ寺を開基した報恩大師が
磐座に囲まれたこの地で修業。その時に都の孝謙天皇の病気平癒の勅が下った。
大師は八畳岩の岩窟に籠り祈願したが、
満願の日に白狐に乗って降臨した最上位教王大菩薩を感得。
そのお姿を刻み霊殿に安置したところ天皇は無事快癒された。
更に延暦4年(785年)の桓武天皇の病の際にも、勅が下り大師の祈願で病は全快。
その時のお告げに拠って龍王山の麓に建立したのが現在の寺の嚆矢である。
爾来、龍王山神宮寺の名で栄えたが羽柴秀吉の高松城水攻めで堂宇焼失。
本尊のみ難を免れた。新たに領主となった花房氏は熱心な日蓮信者であり、
関東の池上本門寺から日円聖人を招き復興。
慶長6年(1601年)に稲荷山妙教寺として今日に至る基礎が築かれた。』 とあります。

本殿(霊光殿)
「最上三神」が祀られている中心的建造物。

正面から見た本殿
間口・奥行・棟高は共に24m。

本殿前面
大注連縄の総重量は1.5トン。

寺務所前から見た境内

寺務所前の結界廊

本殿脇を抜けて高台に向かう
高所にあるから最上ではなく御本尊の名前由来。
後方の山の中腹には磐座が鎮座しているので、仏教以前の信仰まで遡れるかもしれません。
明治の神仏分離で歴史的遺産を失った寺院は多いですが、
ここには今でもその名残が見られます。
商売繁盛のお稲荷さんだけに寄進も多く、境内は綺麗に整備されています。
仁王門はパゴタ風に見えますが、前面の仁王様はサントリーホールディングス、
後面の狐様は鳥居信治郎氏の寄進。鳥居さん故かどうかは?です。

高台入口の「縁の末社」
「縁結び」「縁切り」の両参りができる。

参道脇の七十七末社
各々に違った御利益がある。

参道の山側

旧本殿(霊応殿)

旧本殿の拝殿屋根
寛保元年(1741年)に再建された。

横から見た旧本殿

旧本殿前から縁の末社を見る

山中腹の霊地・八畳岩へと続く石段
片道30分なので今回はここで参拝。

平成25年改修の仁王門

仁王門正面の黄金の仁王像

仁王門裏の狐像

最上稲荷参詣のしおり

最上稲荷妙教寺御朱印

高松郵便局 ; 最上稲荷仁王門、史跡・備中高松城址清水宗治首塚
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