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安国寺(岡山県津山市) 静寂の日本庭園

2020.04.21(20:44) 596

姫新線沿いの寄進された梵鐘と庭園(2020.4.7)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR岡山(9:29→9:47) → JR津山(10:53)
【臨時】JR姫路(9:46) → JR播磨新宮(10:22→10:27) → JR佐用(10:56→11:04) → JR津山(12:02)

津山駅観光案内書 → レンタサイクル25分 → 中山神社 → レンタサイクル35分 → 作楽神社 → レンタサイクル20分 → 安国寺 → レンタサイクル15 分 → 鶴山公園 → 城東重要伝統的建造物群保存地区 → レンタサイクル10分 → 観光案内所

【復路】JR津山(16:27) → JR佐用(17:27→17:34) → JR播磨新宮(18:02→18:11) → JR姫路(18:42→18:56) → JR大阪(19:58)

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萬歳山 安国寺(臨済宗妙心寺派 )

 作楽神社参拝の後、鶴山公園に戻る道すがら、

庭園の綺麗な寺があると聞きちょっと立ち寄り。

道を少し北へ入り整備された石畳の先に目指すお寺が…。

 萬歳山安国寺(ばんさいざんあんこくじ)は、

『元来、英田郡角南にあった善福寺が、元禄年間に現在地に移転し改名。

本堂裏にある石林園は近世中期に築造されたと言われる禅宗庭園。

ここの第二世列堂和尚の作庭に拠る。境内8,500㎡の内、69%を占めている。』

と言われています。

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参道の両脇の松

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山門前にて
奥に本堂が見える。

 階段を上ると山門、その先に本堂が見えますが、至って簡素な造り。

本堂にお参りした後、本堂裏に回ると、庭園が…。

 本堂と客殿の背後にある丘を借景に取り込んだもので、

泉の奇岩が様々な樹種を背景に巧みに配置され趣のある造りとなっている。』

とあります。移転と改名を経てはいますが、

室町初期に足利尊氏・直義兄弟が全国に建立した安国寺の後継寺院。

山門から続く本堂はこじんまりとして簡素な様子。禅宗様というべきでしょうか?

拝見できませんでしたが、御本尊は十一面観音。

永和3年(1377年)の銘がある梵鐘は巡り巡ってここに寄進されました。

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本堂正面
拝観していないので外から参拝。

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境内にある平沼騏一郎の墓

 本堂の裏に庭があるとの事なので足を運びました。

本堂・書院と背景の山に囲まれた空間に池泉回遊式庭園があります。

高い建物と山の間にあって少し日差しが弱いですが、それが却って自然な印象を与えます。

庭の名前は石林園とありますが、確かに石の配置が妙を得ていました。

 寺域は後方の山まで続いているようで、チェンソーで樹木を伐採する音が響いていました。

御朱印を御願いすべく庫裏に伺いましたが、生憎不在の様子。

暫くするとチェンソーを持った初老の方が来られたので、伺うと御住職。

御朱印も最近はしなくなったそうで、お礼だけ述べて辞去。

御朱印なしは残念でしたが、思いがけない庭を鑑賞できたことで良しとなりました。

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本堂裏の日本庭園

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本堂と庫裏の間から見た景色

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向かって左側の庭園
池に突き出たものが亀島か?

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島に架かる石橋

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庭園中央

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庭園右側

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庫裏と庭園

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庭園背後の小山から池と本堂を見る

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小山から池と庫裏を望む

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作楽神社(岡山県津山市) 院庄にある忠臣・児島高徳ゆかりの神社

2020.04.20(16:19) 595

花の季節にさくら神社(2020.4.7)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR岡山(9:29→9:47) → JR津山(10:53)
【臨時】JR姫路(9:46) → JR播磨新宮(10:22→10:27) → JR佐用(10:56→11:04) → JR津山(12:02)

津山駅観光案内書 → レンタサイクル25分 → 中山神社 → レンタサイクル35分 → 作楽神社

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作楽神社(県社)

 一之宮参拝に続き、津山城まで南下した後、西へ5㎞の神社へ。

最寄りの姫新線の院庄駅から徒歩15分ですが、

列車(電車ではない!) が非常に少ないので引き続き10㎞の自転車旅となりました。

作楽(さくら)神社は、明治2年(1869年)の創建。

先に訪れた中山神社は言うに及ばず、歴史も150年程と新しい神社。

【さくら】の季節とはいえ何故、このような新しい神社に参拝するのか?

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国道179号沿いにある社標

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入口に建つ一の鳥居

 作楽神社の由緒は

『鎌倉時代に美作の守護職の館である院庄館のあった場所。

元弘元年(1331年)、倒幕に失敗した後醍醐天皇は光厳天皇に譲位させられ隠岐に配流となった。

その途中、ここ院庄館に滞在したが、備前の土豪・児島高徳は帝を奪回しようとして果たせず、

庭の桜の幹を削って次のような十字詩を記した。

天莫空句践 時非無范蠡

(書下文) 天、句践を空しうする莫れ、時に范蠡無きにしも非ず

 警固の武士は何の事か理解できなかったが、帝だけはこの意味を悟り、

このような状況下でも自分に心を寄せる忠臣がいたと心を強くした。

 この故事は『太平記』にも載った有名な話だが、江戸時代の津山藩家老・長尾勝明は

荒廃していた館跡に碑を建立して高徳を顕彰。

これは湊川神社の「嗚呼忠臣楠子之碑」より4年前で、

南朝忠臣の記念物としては我が国で二番目に古い。

 幕末にはここに神社を建設しようという運動がおこり、

国学者・道家大門(どうけひろかど)が中心となって朝廷より「作楽神社」の勅号を賜り、

明治2年の社殿創建となった。

道家大門は宮の造営にあたり、初代の祠官も務めた。』 とあります。

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一の鳥居脇の後醍醐天皇御製碑

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御製碑近影

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御製説明

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堀に架かる石橋を渡って拝殿に向かう

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参道先の二の鳥居

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神社由緒

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児島高徳忠義桜碑
平成3年の建碑で参道右に建つ。

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二の鳥居の奥に見える拝殿

 御朱印拝受に社務所で伺うと、「作楽」の字は桜の万葉仮名だそう。

高徳が漢詩を記した桜に由来するのは言うまでもありません。

現在は、境内の奥にその桜の子孫が植えられていましたが、

地質的な影響か根付くのが遅いそうです。

 児島高徳の忠義を顕彰するために建てた神社で、

御祭神も正祀が後醍醐天皇、配祀が児島高徳となっています。

境内も顕彰碑が乱立するような普通とは少し趣を異にする神社でした。

 児島高徳はこの故事で有名ですが登場するのは一度きり。

従って架空の人ではないかという議論も以前からありました。

唯、太平記の作者として小島法師という名があり、同一人物ではないかとも言われます。

太平記全文を読めば分かりますが、至るところで中国の故事が引用。

上記の十字詩も史記に記載された春秋時代の呉越の故事に由来しますから、

同一人物である可能性は高いと思います。

 境内にある神楽殿は明治の俳優・川上音二郎と貞奴夫妻が寄進した拝殿が元。

児島高徳の史劇を演じて全国行脚した音二郎が神社の荒廃を嘆いたためだとか。

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拝殿
入母屋流唐破風向拝付。

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拝殿と翼舎

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作楽の真名井
拝殿前にある井戸。

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井戸横にある神楽殿
川上音二郎が寄進した拝殿が元になっている。

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神楽殿由緒

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神楽殿の屋根瓦にある神紋 「丸に桜花」

 戦前と戦後で教科書内容が大きく変わったのは日本史。

特に戦前は神話から始まり歴代皇室関係の記述が多く、

児島高徳、楠木正成は初等教育を終えた人は皆知っている人物でした。

この詩も臥薪嘗胆の故事を踏まえており、人の琴線に触れるところがあったのでしょう。

尚、明治天皇は光厳天皇の系譜に繋がる北朝の方ですが、

南北朝の正閏論では南朝を正統とされています。

 今はその揺り戻しで、記述はカット。

児島高徳、楠木正成の名を知っている人も非常に少ないのが現実です。

確かに荒唐無稽な話もありますが、一方的に省略するのではなく、

どのような事実が潜んでいるのかを検証するためにも載せる方が科学的。

『天、校正を空しうする莫れ、時に反例無きにしも非ず』とも言えるでしょうか?

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神楽殿横から東大門桜樹址を見る

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児島高徳像
昭和40年寄進の備前焼。台座に十字詩が記される。

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建武中興650年記念碑
昭和59年 津山ライオンズクラブの寄進。

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日原桜道漢詩碑

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院庄六百年の涙雨
井上剣花坊に拠る。昭和7年鶴城吟社建立。

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東大門桜樹址
貞享5年(1688年)に長尾勝明が建碑。児島高徳が桜樹を削った館の大門址にある。

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天皇陛下の記念植樹

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院庄館跡
向こうに一の鳥居が見える。

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史跡院庄館跡説明

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作楽神社の栞 ¥100

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作楽神社御朱印
右; 通常の御朱印  左; 最近出来たもの

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津山二宮郵便局 ; 聚楽園、桜の幹に漢詩を彫る児島高徳

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中山神社(岡山県津山市) 美作國一之宮

2020.04.19(16:41) 594

今は中山、次はサル!(2020.4.7)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR岡山(9:29→9:47) → JR津山(10:53)
【臨時】JR姫路(9:46) → JR播磨新宮(10:22→10:27) → JR佐用(10:56→11:04) → JR津山(12:02)

津山駅観光案内書 → レンタサイクル25分 → 中山神社

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中山神社(美作國一之宮 式内社 旧国幣大社)

 城下では「津山さくらまつり」がたけなわですが、

鶴山城を右手にみて鶴山通をひたすら北へ5㎞。

道沿いに流れる宮川が大きく曲がる場所で西に向かい1㎞程で目指す神社。

鳥居前には樹齢800年の祝木のケヤキがお出迎え。

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神社前に到着

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祝木(いほぎ)のケヤキ
樹齢800年、高さ10.5m。

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ケヤキの説明

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一の鳥居
「中山鳥居」と称される独特の形式。

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「中山神社」の扁額

 中山神社は

『文武天皇の慶雲4年(707年)の創建。貞観6年(864年)に官社に列し、

延喜式では美作国唯一の明神大社で一之宮とされ、永保元年(1081年)には正一位を授かる。

「今昔物語」 には中山神社の猿神伝説があり、『梁塵秘抄』でも厳島、吉備津と並ぶ大社としている。

元寇の際には勅命に拠り、全国七ヵ国の一の宮として国家安穏の祭祀を行った。

 室町以降の美作は戦乱の巷と化し、永正8年(1511年)、天文2年(1533年)に厄災を受ける。

特に後者では尼子晴久の火責めにより建物・宝物・古文書等を焼失した。

永禄2年(1559年)に社殿が再建されるが、これは尼子晴久の美作平定の戦捷に拠るものであった。

 以降、歴代藩主の崇敬篤く明治4年には国幣中社に列した。

現在も農耕牛馬の守護神、採鉱冶金の守護神として広く崇拝されている。』 とあります。

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一の鳥居から境内を見る

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境内から一の鳥居を見返る
右はムクノキ。

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ムクノキの説明

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シーサー似の参道の狛犬

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参道に続く神門

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神門近影
津山城二の丸にあった薬医門を明治初期に移築したもの。

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神門前を流れる御手洗川

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神門から拝殿を望む

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門をくぐり拝殿に参拝

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拝殿前面
廻廊で社務所と繋がる。

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拝殿前から神門を見返る

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塀越しに見た拝殿正面

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拝殿と奥に続く本殿

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拝殿側面

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拝殿と廻廊部分

 山の中とまではいきませんが、津山の中心からはかなり北にずれた場所。

和銅6年(713年)に美作国が備前国から分離した際に

吉備中山から勧進を受けたと言う説もあるようなので、

中山の由来としてはそちらのほうがしっくりくる気もします。

 主祭神も鏡作神という一風変わった神様、

また鉱山や牛馬の守護神というもの中央ではなく止着の香りがします。

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拝殿の奥にある重文・本殿
永禄2年(1559年)尼子晴久により再建された。

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本殿横から拝殿を見る

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本殿近影
単層入母屋造・檜皮葺で 『中山造』 と呼ばれる独特の様式。

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本殿屋根と軒下

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境内奥から見た本殿

 御朱印を拝受すべく社務所へ。宮司さんが対応して下さいました。

和辻:「美作は一之宮がここで、国分寺が東津山の南で、随分離れていますね。」

宮司:「どちらも移転していませんが、平地で統治の及ぶ範囲だったのでしょう。」

一之宮の方が国分寺よりも創建は前。

国分寺は加茂川・吉井川・広戸川の三川に囲まれた場所なので、

その利便性も考慮された感じがあります。

 津山の見所は津山城を中心にした東西2㎞の範囲ですが、

ここは町はずれとは言え、中身ははずれなし。

社殿は檜皮葺で「中山造」と呼ばれ美作の多くの神社の模範となったものだとか。

美作の小京都で【たまさか】荘厳な雰囲気に浸る事ができました。

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境内奥の細道を抜け猿神社へ向かう

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岩壁に祀られた猿神社
「今昔物語」に登場する。

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猿神社近影
手作りの布製の申を奉納する習わしとか。

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神門脇の神楽殿と総神殿(右)

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中山神社説明書

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中山神社御朱印

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美作の小京都津山と鶴山公園(岡山県津山市)

2020.04.18(16:31) 593

古い町並みと洋学が交差する町(2020.4.7)

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【往路】JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR岡山(9:29→9:47) → JR津山(10:53)

【臨時】JR姫路(9:46) → JR播磨新宮(10:22→10:27) → JR佐用(10:56→11:04) → JR津山(12:02)

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津山城(鶴山公園)

 伝統的街並みや小京都が点在する岡山県ですが、

こと桜となると津山の鶴山公園を逃すわけにはいきません。

 姫路からは姫新線経由が距離的に近いですが接続が悪く、行きはいつも岡山経由。

今回もその予定でしたが、山陽本線が線路確認のため姫路は20分遅れ。

岡山経由だと2時間近く遅れそうなので、急遽予定を変更して姫新線での津山入りとなりました。

 津山は美作の小京都で津山城の城下町。

津山城の場所には戦国時代に美作守護の山名氏が鶴山城を築きましたが後に廃城。

江戸時代に入部した森氏が城郭を築き津山城と命名しました。

しかし今の城跡はかつての名前で鶴山公園となっています。

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JR津山駅前にて
かつてはなかった城下町の街並みを模した造りに。

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吉井川に架かる今津屋橋から城址を望む

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観光センター横の道から城跡へ続く階段

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階段上から

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南側石垣にて
丁度、津山さくらまつり開催中。

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石垣の上のソメイヨシノ

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コロナのため人では少ないが花は例年通りに満開

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 津山城の始祖は森忠政公。

信長の側近で本能寺の変で命を落とした森蘭丸の弟に当たります。

森家は織田家の家臣ですが、ほかの兄弟は早世するなどで彼に家督が回ってきました。

運に恵まれたとも言えます。世間一般には兄の方の知名度が上ですが、

弟は大名までのし上がった訳ですから有能な人材だったのでしょう。

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表門前にある藩祖・森忠政公の像

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藩祖の略歴

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石垣遠景

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宮川に架かる橋付近から城址を望む

 あと津山と言えば洋学の町。城東にある出雲街道沿いに街並みが残ります。

交易で栄えた海沿いではなく、内陸の津山に洋学が盛んだった

と言うのも不思議な気がしますが、美作は江戸時代にも牛肉を食した文化があった場所。

新しいものを取り入れる意向は場所よりも人の心掛けという事でしょうか?

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城東重要伝統的建造物保存地区
宮川を渡った出雲街道沿いに城下町の姿を残す一帯が続く。

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城東地区にある苅田酒造跡
杉玉が吊るしてある。

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城西の田町にある旧武家屋敷

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城西浪漫館(中島病院旧本館)
大正6年(1917年)築のバルコニー形式の玄関とドーム型の屋根を持つ。

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ここも田町の武家屋敷
朝の連ドラ「あぐり」のロケに使われたらしい。

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作州民芸館
1909年竣工の銀行の建物を民芸品展示に使用している。

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駅前に建つ箕作阮甫の像
幕末の医者で洋学者として活躍した。

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駅前に展示された蒸気機関車

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駅南側にある「津山まなびの鉄道館」

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鉄道館前の八重桜
蜜を求めて蜂が乱舞していた。

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津山市マンホール蓋

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津山市マンホールカード   配布場所は津山観光センター

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津山郵便局 ; 鶴山公園・古城址、児島高徳の桜樹の漢詩、擬宝珠のある木橋
津山田町郵便局 ; 津山城址、桜

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津山中之町郵便局 ; 津山城址、町屋造りの商家、松
津山大谷郵便局 ; JR津山駅に隣接して残る扇形機関車庫

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JR津山駅スタンプ(JR印は津山線とあるが姫新線が正しい)
上;国鉄時代の「わたしの旅」印    下;JR岡山支社印

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吉備津彦神社(岡山県北区)

2020.04.06(15:11) 584

命の屋敷跡に建てられた社(2020.3.24)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:58) →JR姫路(7:30→7:31) → JR岡山(9:26) → JR備前一宮(9:40)

備前一宮駅前 → レンタサイクル20分 → 備中高松城址 → 妙玄寺 → レンタサイクル10分 → 最上稲荷 → レンタサイクル15分 → 吉備津神社 → レンタサイクル8分 → 吉備津彦神社

【復路】JR備前一宮(15:50) → JR岡山(16:07→16:13) → JR相生(17:18→17:19) → JR姫路(17:38→17:41) → JR大阪(18:43)

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吉備津彦神社(備前国一宮 旧官幣中社)

 吉備津神社から自転車で中山山麓を10分足らずで吉備津彦神社に到着。

焼き物の狛犬が門前にあるのも備前ならではです。

吉備国が三国に分かれた際に、吉備津神社から分霊され備前国一宮となったもの。

起源や御祭神は吉備津神社と同じです。

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JR備前一宮駅から線路を渡った場所に建つ一の鳥居
褐色の狛犬は備前焼。

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松の参道を進み一の鳥居を見返る
両脇は神池がある。

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神池に浮かぶ亀島神社

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随神門
元禄10年(1697年)、岡山藩主・池田綱政公に拠り造営された。

 かつての国分寺は廃寺になったり規模が縮小したものが結構ありますが、

一宮は今でも大きな規模を保っている場所が殆ど。

そんな中で備前と備中の境とは言え歩いても30分足らずの場所に一宮が並んでいるのは壮観。

古代においてはこの地域が中心であった事の何よりの証拠でしょう。

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安政年(1859年)建立の大燈籠
高さ11.5m、笠石八畳の日本最大の石燈籠で、天下泰平を祈願して建立された。

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階段の先に見える拝殿

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階段上から見た手水舎と大燈籠

 吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、

『御祭神の大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子。

第十代崇神天皇の御世に大和朝廷から各地に派遣された四道将軍の一人。

後の山陽道である西道に入り各地を平定し平和と秩序を築いた。

桃太郎伝説の由来になった事でも知られる。

 神社の場所はかつての大吉備津彦命の住居跡。

そこに社殿が創建されたのが起源と言われる。夏至には鳥居正面から昇った太陽が

神殿の御鏡に入る事から「朝日の宮」とも呼ばれた。

また桃太郎の一宮、備前刀の故郷の一宮とも呼ばれる。

江戸以降は岡山藩主・池田家の崇敬を受けた。』 とあります。

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昭和11年再建の拝殿

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横から見た拝殿

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拝殿横に掛けられた桃形の絵馬

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拝殿前の平安杉
龍が宿るという伝説がある樹齢千年の御神木。

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右より拝殿・祭文殿・渡殿・本殿と続く

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祭文殿

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元禄10年完成の本殿
流麗な三間社流造りの社殿で古社の伝統を受け継いでいる。

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参拝後、境内を一周して随神門へ向かう

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社務所脇の無患子の木

 吉備津神社の荘厳さに比べると親しみ易い感が…。

これは後から分霊された事と、藩主の庇護を受けたことが影響していると思います。

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吉備津彦神社説明書

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吉備津彦神社御朱印

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備前一宮郵便局 ; 吉備津彦神社本殿、マスカット、白桃
岡山辛川郵便局 ; 吉備津彦神社本殿、吉備自転車道サイクリング

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吉備津神社(岡山県北区) 吉備津彦命と桃太郎伝説

2020.04.05(14:05) 583

歴史のうら側は?(2020.3.24)

<コース>
【往路】JR大阪(5:58) →JR姫路(7:30→7:31) → JR岡山(9:26) → JR備前一宮(9:40)

備前一宮駅前 → レンタサイクル20分 → 備中高松城址 → 妙玄寺 → レンタサイクル10分 → 最上稲荷 → レンタサイクル15分 → 吉備津神社

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吉備津神社(三備一宮 備中国一宮 旧官幣中社)

 お稲荷さん参内の後は線路沿いに戻って吉備津駅近くの吉備津神社へ。

吉備の中山の西麓に鎮座する古社で、中山は『枕草子』にも登場し、

神が宿る山とされる神奈備山。線路から続く松並木を走り門前へ。

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参道に沿いの吉備津の松並木

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北の参道前へ到着

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参道脇の矢置岩
吉備津彦が温羅との戦いで射る矢を置いたとされる。

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矢置岩の由来

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結界を示す注連縄を通り境内へ

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石段先に建つ重文・北随神門

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北随神門近影
室町中期の再建になる。

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本殿への階段を上る

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拝殿前から北随神門を振り返る

 吉備津神社(きびつじんじゃ)は

『古代より神体山とされた吉備の中山の西麓に鎮座する山陽道屈指の大社。

かつては吉備の総鎮守とされたが、吉備が備前・備中・備後に分かれた後は

備中一宮とされた。そのため三備一宮とも呼ばれる。

備前と備後にはそれぞれ分霊が置かれたが、備前に置かれたのが吉備津彦神社である。

 御祭神の大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子。

第十代崇神天皇の御世に大和朝廷から各地に派遣された四道将軍の一人。

後の山陽道である西道に入り各地を平定し平和と秩序を築いた。

その時に築いた茅葺宮が当社の起源とされる。

 命が平定した地元の悪党の中に「温羅」がおり、これが後世の桃太郎伝説になった。

また温羅の首を埋めた場所にあるのが御竃殿で、

そこでは釜の鳴る音で吉凶禍福を占う神事が行われている。』 とあります。

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本殿の額「平賊安民」

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国宝・拝殿(左)と長屋門

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応永32年(1425年)建立の国宝・本殿
比翼入母屋造という全国的にここだけの様式である。

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本殿の垂木

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拝殿と本殿の屋根部分

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桜の向こうの本殿屋根

 境内は広大で拝殿・本殿は国宝。

その本殿から400mも続く廻廊は境内の摂社末社を繋いでいます。

成程【さんび】されるだけの優美な造り。境内は日の当たる場所にありますが、

なんとなく陰影があるのは温羅伝説や鳴釜神事のためでしょうか?

上田秋成は 『雨月物語』 の中で【器物】ならぬ吉備津の釜で描いています。

 大吉備津彦命は【きびつ】を返すことなく反抗する豪族を平定。

温羅が本当に悪党だったかは分かりませんが、物事には【うら】が付き物。

今に残るのは勝者の歴史です。

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重文・南随神門に続く廻廊

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天正7年(1579年)再建の廻廊

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廻廊は全長360m
自然の地形そのままに一直線に建てられている。

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廻廊脇のえびす社と椿

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廻廊から北へ続く先にある御竃殿

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重文・御竃殿
備中早島出身で石見銀山開発に功績のあった安原備中守知種により慶長17年(1612年)に再建。

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御竃殿神事の由来

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外から見た廻廊と南随神門

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廻廊から御竃殿への廻廊分岐点

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廻廊脇の桜も未だちらほらと

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廻廊と椿

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廻廊脇に植えられた牡丹園

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廻廊の南端にある本社宮

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廻廊南端にある旧社務所長屋門
江戸時代には神領会所として使用された。

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社務所横の庭園

 御朱印拝受の際に、江戸時代から続く「吉備津こまいぬ」という面白いお守りを発見。

座った犬と立った犬、鳥の三体が土細工で火難・盗難除けに人気があるそうです。

「どうせなら立った犬の代わりに猿を入れれば、桃太郎トリオの完成ではないか」と思いましたが…。

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吉備津こまいぬ ¥1,000

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吉備津神社説明書

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吉備津神社御朱印

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岡山吉備津郵便局 ; 国宝・吉備津神社本殿、吉備津のこまいぬ

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最上稲荷(岡山県北区)

2020.04.04(17:24) 582

日本三大稲荷に参内!(2020.3.24)

<コース>
【往路】JR大阪(5:58) →JR姫路(7:30→7:31) → JR岡山(9:26) → JR備前一宮(9:40)

備前一宮駅前 → レンタサイクル20分 → 備中高松城址 → 妙玄寺 → レンタサイクル10分 → 最上稲荷

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最上稲荷山 妙教寺(日蓮宗 日本三大稲荷)

 城址に続き山裾まで真っすぐ伸びた道を2.6㎞走り最上稲荷へ。

日本三大稲荷とありますが、伏見・豊川稲荷は揺るがないものの、

関東では笠間、中国では最上、九州では鹿島祐徳とその土地土地で変わるのが特徴です。

稲荷というからには神社と思いがちですが、ここは日蓮宗の寺院。

豊川稲荷にも共通しますが、かつての神仏習合の名残と言えるでしょう。

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JR吉備線の向こうに聳える大鳥居

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昭和47年建立の大鳥居
高さ27.5m、柱直径4.6m。この道を直進すると稲荷へ。

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平成26年に塗り直された大鳥居
額の「紅柄」は高梁市の西江邸のもの。

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二の鳥居前に到着
山麓に境内が広がる。

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参道の商店街を抜け仁王門へ

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妙教寺山門
仁王門をくぐった右手にあり、ここが寺の中心と思うが参拝する人は稀。

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山門正面の根本大堂
明治14年の趣を残し平成18年に改修された。

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大堂横の大客殿

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大客殿の玄関

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客殿の唐破風

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客殿前の大銀杏

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階段を上り本殿へ向かう

 最上稲荷山妙教寺(さいじょういなりさんみょうきょうじ)は、

『天平勝宝4年(752年)、備前四十八カ寺を開基した報恩大師が

磐座に囲まれたこの地で修業。その時に都の孝謙天皇の病気平癒の勅が下った。

大師は八畳岩の岩窟に籠り祈願したが、

満願の日に白狐に乗って降臨した最上位教王大菩薩を感得。

そのお姿を刻み霊殿に安置したところ天皇は無事快癒された。

更に延暦4年(785年)の桓武天皇の病の際にも、勅が下り大師の祈願で病は全快。

その時のお告げに拠って龍王山の麓に建立したのが現在の寺の嚆矢である。

爾来、龍王山神宮寺の名で栄えたが羽柴秀吉の高松城水攻めで堂宇焼失。

本尊のみ難を免れた。新たに領主となった花房氏は熱心な日蓮信者であり、

関東の池上本門寺から日円聖人を招き復興。

慶長6年(1601年)に稲荷山妙教寺として今日に至る基礎が築かれた。』 とあります。

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本殿(霊光殿)
「最上三神」が祀られている中心的建造物。

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正面から見た本殿
間口・奥行・棟高は共に24m。

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本殿前面
大注連縄の総重量は1.5トン。

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寺務所前から見た境内

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寺務所前の結界廊

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本殿脇を抜けて高台に向かう

高所にあるから最上ではなく御本尊の名前由来。

後方の山の中腹には磐座が鎮座しているので、仏教以前の信仰まで遡れるかもしれません。

明治の神仏分離で歴史的遺産を失った寺院は多いですが、

ここには今でもその名残が見られます。

商売繁盛のお稲荷さんだけに寄進も多く、境内は綺麗に整備されています。

仁王門はパゴタ風に見えますが、前面の仁王様はサントリーホールディングス、

後面の狐様は鳥居信治郎氏の寄進。鳥居さん故かどうかは?です。

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高台入口の「縁の末社」
「縁結び」「縁切り」の両参りができる。

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参道脇の七十七末社
各々に違った御利益がある。

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参道の山側

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旧本殿(霊応殿)

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旧本殿の拝殿屋根
寛保元年(1741年)に再建された。

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横から見た旧本殿

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旧本殿前から縁の末社を見る

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山中腹の霊地・八畳岩へと続く石段
片道30分なので今回はここで参拝。

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平成25年改修の仁王門

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仁王門正面の黄金の仁王像

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仁王門裏の狐像

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最上稲荷参詣のしおり

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最上稲荷妙教寺御朱印

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高松郵便局 ; 最上稲荷仁王門、史跡・備中高松城址清水宗治首塚

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妙玄寺(岡山市北区) 秀吉備中高松城水攻めゆかりの寺

2020.04.02(11:06) 581

武士の鑑、胸張る!(2020.3.24)

<コース>
【往路】JR大阪(5:58) →JR姫路(7:30→7:31) → JR岡山(9:26) → JR備前一宮(9:40)

備前一宮駅前 → レンタサイクル20分 → 備中高松城址 → 妙玄寺

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高松山 妙玄寺(日蓮宗 最上稲荷高松城支院)

 2020年の大河「麒麟がくる」の終盤のクライマックスは光秀と秀吉の山崎の戦いでしょうが、

その伏線になるのが、秀吉の中国大返し。今日は、その所縁の地を訪問。

 天正5年(1577年)織田信長から中国地方の覇者毛利氏との戦を任されたのが羽柴秀吉。

天正8年に播磨の三木城、翌年には因幡の鳥取城をいずれも兵糧攻めで落城、

天正10年には最前線の備中高松城で対峙しました。

城はJR吉備線、別名ももたろう線の備中高松駅から北へ1㎞程の場所。

三木・鳥取と異なった地勢に攻めあぐねていた秀吉ですが、

軍師・黒田官兵衛の進言で「水攻め」を敢行。

2.7㎞の堤防を突貫工事で築き、足守川の水を引き入れ城を湖の孤城の状態に。

 水攻めは驚天動地の奇策とされ海外でも、オランダと中国の二箇所。

中国春秋末に晋の智伯が韓・魏と共に趙を水攻めした事が『史記』『資治通鑑』にあります。

このときは趙の策略で逆に智伯が逆襲されて滅亡の憂き目に。

 一方、国内でも三箇所しかなく、しかも成功したのはここだけ。

武蔵の忍城を水攻めした石田三成も敢え無く敗退。それだけ困難な戦法と言えるでしょう。

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吉備線の線路から100m程にある高松城水攻めの築城跡

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高松城址に向かう途中にある舟橋

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舟橋の上から
右奥の木々の場所が城址

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高松城址の案内板

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かつての三の丸跡
城跡の南東にあり現在は駐車場になっている。

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二の丸脇より本丸を望む

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本丸跡遠景

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本丸跡説明

 援軍の毛利勢も城を遠巻きにしている所へ本能寺の変が起こります。

この時、光秀から毛利勢に宛てた密書が秀吉方の手に落ちたのが、分かれ目。

秀吉は信長の死を隠して毛利と和睦を行い、中国大返しする事になります。

 秀吉が講和の条件にしたのが城主・清水宗治の切腹。

その代わりに城下の兵と家族5千名の命は保証されました。

秀吉は宗治の切腹を確認して撤退後に宗治を 『宗治は武士の鑑である。』 と称えています。

講和を急いだ秀吉とすれば、なにか得るものがなければいけないと考えたのでしょうが、

孤立した城を死守する武将の誇りに訴えたとも言えます。

武将としての器量はありましたが、もう少し策士としての才が必要だったかもしれません。

 城跡は公園となっており、かつて激戦があった感はありません。

しかし本丸跡には宗治公の首塚が祀られており、地元の方々から崇拝されています。

6月第一日曜には本丸跡で「宗治祭」が行われ、公園内の蓮は宗治蓮の名で呼ばれます。

敗れたとは言え【胸張】る偉人に違いありません。

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本丸跡の清水宗治首塚
宗治切腹の後、秀吉が家臣に供養塔を作らせたもの。明治になってこの場所に移された。

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首塚脇にある宗治公の辞世
・浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して

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清水宗治胴塚
宗治切腹後、家臣が城内に埋めた。公園から少し北の人家の脇にある。

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本丸から蓮池、公園を見る

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池にある宗治蓮

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公園内を散策

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公園から本丸、二の丸方面を見る
蔵造りの建物は高松城址公園資料館(入館無料)

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資料館内の展示
水攻めの布陣。

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資料館にある清水宗治公の像

 宗治公が自刃した場所に建つのが高松山妙玄寺(こうしょうざんみょうげんじ)。

慶長5年(1600年)高松知行所の領主・花房職之に拠り花房家の菩提寺として建立。

花房家は宇喜多氏の重臣でしたが秀吉陣営に属し水攻めにも参戦しています。

自らの菩提寺ですが職之公は清水宗治の生き様に敬意を表し、ここに祀ったといいます。

境内には供養塔もありますが、これは昭和38年に時の住職が建立したものでした。

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妙玄寺遠景

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本堂正面

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寺の由緒碑

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境内にある説明板

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境内にある自刃の池

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寺の南にある「ごうやぶ」
宗治切腹の前に家臣二人がここで刺し違えたと伝わる。

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「ごうやぶ」の説明

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妙玄寺説明書

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妙玄寺御朱印

 昼前になったので本丸横の清鏡庵(せいきょうあん)へ。清鏡は宗治公の戒名に由来。

売れ筋は「宗治饅頭」「水攻め饅頭」といずれも歴史に名を取ったもの。

コロナの影響で【せいきょう】ではありませんでしたが、【あん】は秀逸。

小ぶりで素朴な外見ですが、一口食べると皆に好まれているのが実感。

しかも税込み¥89と驚きの価格。

宗治公は武士の鑑と称えられましたが、この饅頭は菓子の鑑と称えるべきでしょうね。

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清鏡庵にて

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宗治饅頭(上)と水攻め饅頭

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JR吉備線 備中高松駅スタンプ(岡山支社印)

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備中国分寺(岡山県総社市) 風土記の丘に聳える古刹

2020.03.31(17:58) 580

日の当たる場所の国分寺(2020.3.19)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:58) → JR姫路(7:30→7:31) → JR清音(9:44)

清音(9:48) → (井原鉄道) → 矢掛(10:07) → 徒歩7分 → 矢掛宿 → 矢掛(10:40) → 三谷(10:43) → 徒歩5分 → 圀勝寺 → 三谷(11:37) → 吉備真備(11:45) → 徒歩10分 → 吉備寺 → 吉備真備(13:18) → 総社(13:30) → レンタサイクル15分 → 総社宮 → レンタサイクル20分 → 備中国分寺

【復路】JR総社(16:24) → JR倉敷(16:35→16:49) → JR姫路(18:43→18:56) → (新快速) → JR大阪(19:58)

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日照山 備中国分寺(真言宗御室派)

 総社宮に続いて備中国分寺へ。

総社宮から吉備路サイクリングロードを通っていくと

行く手の小高い丘の上に一際目立つ五重塔が。ここが目指す寺院。

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橋の向こうに見える五重塔

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入口へ到着

 日照山備中国分寺(にっしょうざんびっちゅうこくぶんじ)は、

『聖武天皇の勅願により天平13年(741年)に全国に建立された国分寺の内、

備中国分寺の後継寺院に当たる。

 当初の国分寺は今の場所とほぼ重なり、周囲を古墳に囲まれた丘の南面。

直ぐ南には平城京と大宰府を結ぶ山陽道が通り、

丘を越えると備中国府があると言うまさに備中の中心に当たる。

 奈良時代には荘厳な伽藍を誇った国分寺も平安以降は衰退し、やがて廃寺になった。

国分寺が再興されるのは江戸中期の享保2年(1717年)。

備中清水山惣持院住職の増鉄和尚が領主の蒔田氏などの援助を受けて

伽藍を整備し、ほぼ現在の形になった。但し、五重塔は更に100年後の建立である。』 とあります。

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創建時の南門跡
現在の山門よりも手前にあり、昭和46年の調査で判明した。

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山門と寺標

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山門正面にある勅使門

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江戸時代再建の本堂
本尊は薬師如来。

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正面から見た本堂

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本堂前面の庇

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前面の龍と獅子の彫刻

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本堂からの眺め
左は大師堂。

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大師堂近影

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江戸時代建築の客殿

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同じく江戸時代建築の庫裏
御朱印はこちらで拝受。

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庫裏の前から境内を望む

 全国に建立された国分寺も今まで法灯を守っているのはその一部。

しかも規模は遥かに縮小し、「これが国分寺?」と言う程目立たない寺院も多いですが、

ここは場所と言い、規模と言い、国分寺と言うに相応しい場所。

 日照山の山号通り風土記の丘にある上に、重文の五重塔の存在が際立っています。

『山高きが故に尊からず』 とは言いますが、寺はやはり広くて高い方が威厳があるようです。

 観光写真では五重塔をバックに菜の花、蓮華を撮影したものがありましたが、

この日は菜の花が満開。しかも畑の一か所だけ菜の花がありフォトスポットなのでしょう。

多くの人がそのアングルで撮影していたので、私も同乗しました。

 唯、どこの駅からも遠いのがネックですが、説明書を見て、

この辺りがかつての山陽道の要衝と知り納得。今の知識で判断する愚を思い知りました。

今の山陽本線は随分海沿いを走っていますが、これはやはり山手は起伏が激しい事、

海沿いは船に拠る物資の輸送に適していたからでしょうか?

珍しく参拝者も多く、吉備風土記の丘にある事も人が多く来る理由になっているのでしょう。

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吉備路のシンボル、重文・五重塔
江戸末期の弘化年間の再建。五智如来を祀る。

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木造本瓦葺き
県内唯一の五重塔で高さ34m。

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塀越しに見る五重塔

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菜の花の向こうに聳える五重塔
この一角にのみ菜の花が植えられていた。

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菜の花近影

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備中国分寺パンフレット ¥100

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備中国分寺御朱印
薬師如来(瑠璃光如来)を祀るので瑠璃殿となる。

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山手郵便局 ; 重文・備中国分寺五重塔、蝙蝠塚古墳

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総社宮(岡山県総社市)

2020.03.30(17:30) 579

国中の社を集めたそうじゃ!(2020.3.19)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:58) → JR姫路(7:30→7:31) → JR清音(9:44)

清音(9:48) → (井原鉄道) → 矢掛(10:07) → 徒歩7分 → 矢掛宿 → 矢掛(10:40) → 三谷(10:43) → 徒歩5分 → 圀勝寺 → 三谷(11:37) → 吉備真備(11:45) → 徒歩10分 → 吉備寺 → 吉備真備(13:18) → 総社(13:30) → レンタサイクル15分 → 総社宮

 真備町から再び井原鉄道に乗ってJRに合流し、総社へ。

市名と駅名にもなった総社ですが、そういう神社が何処かにある筈。

調べて見るとJR東総社駅が最寄りですが、吉備線は30分間隔なので、駅からレンタサイクル。

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備中国総社宮(旧県社)

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社に似せた造りのJR総社駅舎

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神社を囲む堀
JR吉備線沿いの道路からはこの堀を越える。

 総社の由来は、

『仁徳天皇の皇妃八田皇女の名代として設置された八田部に遡る。

大化の改新に拠り、吉備国は備前・備中・備後に分かれるが総社には備中の国府が置かれた。

 当初は国司が中心となって祭政一致の政治を行ったが、平安末期になると豪族の力が強まった。

国中の三百四社を巡拝するのが国司には困難となったので、

国府の近くに社を建てて神々を合祀し総社と名付けた。

 その後、天正10年(1582年)兵火で焼失し、慶長13年に再建。

貞享4年(1687年)に本拝殿を改築したが、昭和52年に再び火災で本殿を焼失。

2年後に再建を果たし今に至る。』 とあります。

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西側にある石鳥居
ここから参拝するのが正式?

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参道右手の家屋
かつて神官が居住したか?

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二の鳥居の先に廻廊入り口が見える

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廻廊は拝殿へと続く

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随神門から続く廻廊

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昭和54年再建の本殿

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拝殿前に掲げられた備中神楽面

 きっかけは国司の力が衰えたと言う消極的な理由ですが、

国中の三百余社を1年で巡拝すると言うのも随分非合理的な話。

それだけ社会が進歩したとも言えます。

 古いものは残っていませんが、境内の庭園は三島式庭園と呼ばれる古代の様式。

後楽園造園の際に参考にされたと伝わります。何度も焼失・再建を繰り返しますが、

社が集まったためにここが門前町として発展して今の総社市に繋がる訳ですから、何が幸いするか分かりません。

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前庭の三島式庭園

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廻廊から見た三島式庭園
後楽園造園の際に参考にされたと言う。

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総社の由来

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総社宮御朱印

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鳥居前にある総社市まちかど郷土館 (入館無料)
明治43年に建築された旧総社警察署を使用している。

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郷土館入口の雛人形

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1階展示室にて

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常盤郵便局 ; 総社宮本殿、回廊、三島式庭園

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吉備寺(岡山県倉敷市) 吉備真備公の菩提所

2020.03.29(22:30) 578

七転び八起きの生涯(2020.3.19)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:58) → JR姫路(7:30→7:31) → JR清音(9:44)

清音(9:48) → (井原鉄道) → 矢掛(10:07) → 徒歩7分 → 矢掛宿 → 矢掛(10:40) → 三谷(10:43) → 徒歩5分 → 圀勝寺 → 三谷(11:37) → 吉備真備(11:45) → 徒歩10分 → 吉備寺

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鏡林山 吉備寺(真言宗御室派)

 三谷から列車に乗り真備(まび)町で下車。

現在は倉敷市に属していますが2005年までは独立した行政区。

奈良朝の政治家・吉備真備(きびのまきび)所縁の地ですが、

何故「まきび町」と呼ばなかったのか。余所者には不思議でなりませんでした。

ここに疎開していた横溝正史ならばどのような推理をするでしょうか?

駅名もそのものズバリ「吉備真備」。

国鉄時代には駅名に人名は付けられないというのが規則でしたが、

唯一の例外が伯備線の方谷駅。

地元出身で備中松山藩の財政を立て直した山田方谷に由来しますが、

鉄道省からの要請に対し「字にもなっているから。」と言う理由でクリアしたという経緯が。

岡山県内には他に宮本武蔵駅もあるので、

郷土の偉人を駅名にすると言うDNAは未だに生きていると言えましょう。

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吉備真備駅の上りホーム

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ホームの表示板

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駅前の案内板と休憩所
休憩所の外観は中国風の造りになっている。

 駅から北に1㎞程先に建つのが吉備寺。

鏡林山吉備寺(きょうりんざんきびじ)は、

『飛鳥時代にこの地にあった箭田廃寺の跡に建立された寺院。

境内からは飛鳥時代の古代瓦が出土し重文に指定されている。

古代に於いてこの地方の豪族であった下道氏の一族吉備氏の氏寺。

江戸時代までは真蔵寺と呼ばれたが、元禄以降に吉備寺と呼ばれるようになった。

建物自体は近世以降のものだが、付近には真備公の墳墓、産湯井戸、館址が残り

寺院周辺は「まきび公園」として整備されている。』 とあります。

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まきび公園入口

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吉備寺標

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吉備寺山門

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山門近影

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山門に掲げられた縁起
木製で観光地化していないのが良い。

 武士が登場する以前に家柄に拠らず学問だけで大臣位に上った人間は

菅原道真と吉備真備の二人だけ。

その上、道真が晩年大宰府に左遷されて失意の内に世を去ったのに対し、

真備は81歳と言う当時としては稀な長命を保ち、最後まで朝堂に重きをなしています。

郷土の偉人として顕彰するのは当然と言えましょう。唯、その歩みも順風満帆ではありません。

霊亀2年(716年)22歳で遣唐留学生となり、翌年入唐。

共に入唐した者には阿倍仲麻呂・玄昉がいました。天平7年(735年)に玄昉と共に帰国。

その後、橘諸兄に重用され順調に出世しますが、藤原氏の策謀で九州へ左遷。

その間、天平勝宝4年(752年)に遣唐副使となり再度入唐し、翌年には鑑真を伴い帰朝。

後に都に呼び戻されます。

それまで権力を振るった藤原仲麻呂が謀反を起こした際には平定に貢献。

仲麻呂が誅殺された後は、出世の階段を上り右大臣に上ります。

辞職を願い出て許された時、真備は77歳になっていました。

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境内から見上げた山門

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山門から境内を望む

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本堂へ

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本堂近影
本尊は薬師如来で秘仏。

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本堂から書院へと続く廻廊

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書院

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山門正面にある庫裏へ向かう

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庫裏近影
ベルを押すと年配の御住職が対応下さった。

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山門脇では木蓮が満開

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吉備寺御朱印
書置きを拝受。

 初めの入唐は22歳ですが、二度目は当時としては高齢な57歳。

人生の黄昏期に左遷されもう一度入唐する熱意は一体何処から来たのかと感心します。

入唐した真備に関しては、唐人からの漢詩や史書についての問いに淀みなく答えた、

囲碁の名人と互角の勝負をした等の記録が伝わります。

元来の知識に加えて在唐の期間に更に多くの知識を習得した事は確実。

帰国時には多くの書物も招来しました。日本の国家形成には何が必要か?

という事を分かっていたと言えます。

いわば七転び八起きの人生ですが、都度復活できたのは彼の能力が必要とされたからに他なりません。

視察と称して物見遊山に行った訳ではありません。尤も当時の入唐は命懸けではありましたが…。

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寺の南にある吉備公墳へ上る道から吉備寺を見返る

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公墳の前に建つ神社
地元では「吉備さま」と呼ばれている。

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「吉備さま」からの眺め

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社の後方にある公墳へ

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吉備公墳

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吉備公墓碑

 仲麻呂や諸兄と異なり外向きの政治ではありませんが、

未だ唐から律令制度を取り入れ国家形成の途上にあった奈良朝には

彼のような才が不可欠だったと思われます。

同じ頃に活躍した政治家に和気清麻呂がいますが、彼も浮沈を経験しています。

清麻呂も備前の出身、吉備の人には逆境にも屈しない気概が備わっているのでしょうか?

2年前の西日本豪雨からの復興を見てもそのような感を深くした次第。

いつの時代にあっても彼の生き様は大いに参考になりましょう。

私も彼の【きび】に付したいものです。

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まきび公園の円窓

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公園の六角亭と池
西安に昭和61年に真備公の記念碑と日本風庭園が建立されたのを記念して同年に開園。

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吉備真備公顕彰碑

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顕彰碑
桓武天皇が延暦3年(784年)の勅で真備公を称えた文である。

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顕彰碑の現代語訳

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まきび記念館
唐の役所風の建物。入館無料で撮影OK。

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吉備真備公肖像
但し後世の作品。

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奈良時代の遣唐使船の十分の一の復元

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昼食は公園内の「たけのこ茶屋」にて
特産・タケノコ、古代米とうどんのセットで¥700。

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真備公産湯の井戸
公園から数百m東にあり、小田川に注ぐ子洗川の上流にある。

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産湯の井戸の説明

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井戸脇の吉備公館址

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真備町マンホール蓋

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箭田郵便局 ; 吉備真備像、猿掛城址、特産のタケノコ・ブドウ

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圀勝寺(岡山県小田郡矢掛町) 椿の寺

2020.03.28(16:34) 577

上つ道の先にある下道氏所縁の寺(2020.3.19)

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【往路】JR大阪(5:58) → JR姫路(7:30→7:31) → JR清音(9:44)

清音(9:48) → (井原鉄道) → 矢掛(10:07) → 徒歩7分 → 矢掛宿 → 矢掛(10:40) → 三谷(10:43) → 徒歩5分 → 圀勝寺

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神遊山 圀勝寺(真言宗)

 宿場見学の後は井原鉄道で一駅上った三谷で下車。

郵便局に向かうと「椿の寺 圀勝(こくしょう)寺」の案内板が入口に。

伺うと徒歩5分位程道を上った先にあるお寺で自由に拝観できるとか。

「【こくしょう】ならば椿やなくて小百合やろ!」

などと思いながら案内に沿って歩くと、すぐに目指す寺院に到着。

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井原鉄道三谷駅舎

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人家の脇を通り入口へ到着

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寺標と山門

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山門近影
門は閉まっているので横の扉から中に入る。

 神遊山圀勝寺(しんゆうざんこくしょうじ)は、山門前の供養碑に拠れば、

『この付近には古代豪族の下道(しもつみち)氏の古墳が点在すると推測され、

その遺骨を納めた云々。』 とあります。

 上つ道の先が下道氏の領地というのも面白いですが、

高台から一帯を見渡せる場所が重要視されたのでしょう。

近辺には磐座も見えず、おそらくかつての下道氏の墳墓を寺にしたと想像できます。

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山門前から見た寺の遠景

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下道氏所縁一切精霊之供養塔

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山門前の椿

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門前の散り椿

 圀勝とは珍しい寺号ですが、これは吉備真備の父親であった下道朝臣圀勝に由来し、

彼は藤原京を警護する役職に就いていました。

息子の真備は22歳の時に遣唐使となり、以後中央政界で活躍します。 
 
圀勝寺の建立は天平勝宝8年(756年)という寺伝があるので、

それならば開基は真備の可能性が大。

彼が父親への感謝で建立した寺院とも言えます。

父親の名は国勝でしたが、寺号は圀勝。

「圀」は則天文字なので、遣唐留学生だった真備が使用しても違和感はないでしょう。

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境内遠景

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本堂正面

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御本尊はガラス窓越しに拝む

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本堂前の椿

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塀の傍の散り椿

 このように吉備氏所縁の古刹ですが、境内の椿が有名。

最も有名なのは樹齢300年とされる八重椿。

最盛期には木の下が一面深紅の絨毯を敷き詰めた様になるそうですが、

残念ながらこの日は、蕾も開いていませんでした。

しかし境内には他の椿もあり咲き誇る様を楽しむことができました。

御朱印を拝受しようと呼びかけても返事なし。

たまたま門前の家の方が外で作業されていたので尋ねると、

ここは他の寺の住職が兼務されているとの事。それにしては境内も建物も綺麗。

恐らく地元の偉人の寺という事で【維持】されているのでしょう。

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本堂奥にある八重椿に向かう

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圀勝寺きっての八重椿の巨木
樹齢300年以上で、最盛期には地面が赤い絨毯を敷き詰めたようになる。

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八重椿の説明

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塀の外から見た八重椿

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境内に咲く椿

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三谷郵便局 ; 吉備真備像、圀勝寺の椿、館址亭

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三谷駅スタンプ

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矢掛宿(岡山県小田郡矢掛町)

2020.03.27(20:49) 576

旧山陽道はイバラの道!(2020.3.19)

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【往路】JR大阪(5:58) → JR姫路(7:30→7:31) → JR清音(9:44)

清音(9:48) → (井原鉄道) → 矢掛(10:07) → 徒歩7分 → 矢掛宿

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旧山陽道矢掛宿

 春分の前日は、春も盛りの山陽道へ。

JR山陽本線から伯備線を経て、井原鉄道に乗り換え。

18きっぷの使えない三セクですが、お目当ては矢掛町。

 備中で古い町並みと言えば、倉敷、備中高梁や吹屋が有名ですが、

ここ矢掛も知る人ぞ知る街並み保存地区。

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井原鉄道矢掛駅前
ホームは橋上。宿場町風駅舎と時計台。

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街道脇の宿場の道標

 何故、鉄道幹線から外れた場所にこのような街並みができたかですが、

実はここは古代以来、都と大宰府を結ぶ山陽道が通った場所。

山陽道は現在の国道2号線に引き継がれていますが、

倉敷から福山にかけては旧山陽道ではなく、海沿いの浜街道を通ることになり鉄道も同様。

鉄道敷設に関しては、この区間は最短距離を採用したとされていますが、

瀬戸内の港からの物資の移動も念頭にあった気もします。

井原鉄道が開通したのは平静11年1月11日という1尽くしの日。

当初は清音と神辺というJRの支線同士をなぜ結ぶのか不思議でしたが、

街道の歴史を知った後は納得。却って遅きに失した感もありました。

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矢掛宿説明板

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街道の南に建つ重文・矢掛本陣石井家住宅
寛永12年(1635年)から幕末まで200年以上本陣職を務めた石井家は庄屋であると共に酒造業も営んだ豪商、大地主。

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本陣の御成門

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本陣石井家の説明
有料で拝観可能。

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本陣東にある矢掛屋本館
江戸時代は庭瀬藩の金融業。2015年から和風旅館として営業。

矢掛の小田は古代の駅家も置かれた場所ですが、宿場として知られるのは室町時代以降。

九州探題となった今川貞世が赴任する際に泊まった「屋蔭」という名が嚆矢。

江戸時代に今の場所に移りました。山陽なのに蔭とは不可思議ですが、

古代には山の南斜面を陰面、北斜面を背面と記したとありますから、これに由来するのでしょう。

余談ですが古代中国では山の南が陽、北が陰。川では逆に北が陽、南が陰となります。

宿場は駅から南に500m程言った場所。旧山陽道を挟んで南に本陣・石井家住宅、

北に脇本陣・髙草家住宅が完璧に残りどちらも重文。

しかも空き家ではなく現役で活躍している様子。

脇本陣横では髙草商店の看板も上がっていました。

その他、妻入り五軒並びや醸造業、時折見える洋風建築も街道にアクセントを添えています。

伝統的建造物群保存地区にたがわず、ここも食事処、土産物店、

宿泊施設になった建物も多いですが、故意に造られた感はなく自然な感じになっていました。

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和風と洋風建築

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季節の和菓子を販売する お菓子処 清邦庵

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街道北側にある妻入り五軒並び

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斎藤邸付近
江戸時代は因幡屋と号し問屋を営んでいた。

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斎藤邸から北へ続く道

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重文・矢掛脇本陣高草家住宅
脇本陣は矢掛では7~8軒の商家が交代で務めた。高草家は庭瀬藩の会計方であった。

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脇本陣の御成門

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高草家説明板

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脇本陣の西隣の高草商店
お酒、野菜を商う。

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新聞販売店も宿場風

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大高草小路
脇本陣の東にあり焼板壁と海鼠壁に挟まれた小路で細い用水路に続く。

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焼板壁に囲まれた屋敷

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脇本陣裏通り
矢掛の町と村を分けた境で水路と脇本陣の米蔵に挟まれた細い道が続く。

 明治以降は幹線から外れてしますが100年以上経ってから井原鉄道を開通させます。

平成の大合併でも周囲の市に編入される事なく、

小田郡矢掛町のままで通したのは古代からの誇りでもあったのでしょうか?

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矢掛町マンホール蓋

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矢掛町マンホール蓋   配布場所は「やかげ町家交流館」

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矢掛駅スタンプ

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矢掛郵便局 ; 矢掛宿本陣の重文・石井家住宅

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福生寺(岡山県備前市) 山中に建つ奈良時代創建の寺伝を持つ古刹

2020.03.14(16:29) 567

かかとに来る山寺(2020.3.3)

<コース> 春の青春18きっぷ
JR大阪 → (新快速) → JR姫路(7:56→8:01) → 東岡山(9:19→9:35) → JR西大寺(9:43) → 徒歩15分 → 西大寺 → JR西大寺(12:12) → JR香登(12:28) → 徒歩45分 → 福生寺

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大滝山 福生寺(高野山真言宗)

 西大寺参拝を終え播州赤穂に向かう途中、無人の香登(かがと)駅で下車。

一駅手前の長船は刀剣の里、一駅向こうの伊部は備前焼の里ですが、

ここは無人で観光地らきしものはなし。

しかし伊部に向かう途中から、山間に2㎞入った場所には奈良時代創建の寺伝を持つ古刹が。

これは是非お参りしなければなりません。

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線路沿いにある醤油屋さん

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山道を2㎞歩いた先にある仁王門
応永4年(1398年)足利義満により建立された。

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仁王門の「大瀧山」の扁額

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仁王門の説明板

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仁王門に続く境内
右が福生寺、左が塔頭の福寿院、その奥が西法院。

 大滝山福生寺(おおたきさんふくしょうじ)は、元禄時代に書かれた縁起書に拠れば

『天平勝宝6年(754年)に鑑真に拠り創建。

その後、報恩大師が備前48ヵ寺を整備した際にその一つに加えられた。

 その後、真言宗に属し堂宇伽藍は栄えたが、万寿元年(1024年)の大火で焼失。

足利尊氏の発願により観応年間に再興し僧院33坊を数えた。

尚、今に残る仁王門は応永4年(1398年)に足利義満に拠り、

三重塔は嘉吉元年(1441年)に足利義教に拠って建立。

これ以外の堂宇は康正年間の赤松・山名氏の争いに拠り全て焼失した。

 本堂は岡山池田藩二代藩主・池田綱政に拠って天和2年(1682年)に再建され、

明治初期までには山内に13坊が残った。現在、福生寺は宗教法人を有せず、

山内の実相院、西法院、福寿院の子院に拠り維持管理されている。』 とあります。

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石段の先にある福生寺境内

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福生寺本堂

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本堂は天和2年(1682年)、岡山藩主・池田綱政に拠って再建された

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本堂前面の廂

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本堂より見た境内

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本堂側面

 寺へは線路沿いに1㎞程、東へ向かった後、北へ2㎞。途中から人家も無くなり、

山道を行く事30分で到着。山間を抜ける谷川沿いに佇んでいました。

山号の大滝山は境内にある滝に由来します。

仁王門、本堂、三重塔は互いに距離があるので、かつては広大な敷地があったと想像できます。

都から離れていますが、足利将軍家の庇護が篤かった様子。

三重塔からは平地が一望でき、寺へ続く道を進むと熊山城址。

南北朝期には足利氏は各地を転戦したので、その際に拠点としたという事もあったのでしょうか?

 参拝の後は御朱印を拝受すべく二院に伺いましたが、

お互いに相手が今年の持ち回りと言われるだけで、結局拝受出来ず仕舞い。

恐らく参拝される人も少ないので、きちんと伝わっていなかったのでしょう。

 西法院は山陽花の寺第十四番なので、紫陽花の季節に【再訪】になりそうです。

「御朱印御願いします!」 を繰り返す羽目になりましたが、

これが【復唱】寺のせいかどうかは定かではありません。

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本堂裏手の経堂

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本堂脇の大師堂

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境内の横を通り三重塔へ
本堂(左)と大師堂(右)。

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三重塔へと向かう道から境内を見下ろす

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高台から見た三重塔

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重文・三重塔近影
嘉吉元年(1441年)、足利義教の命で建立。

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三重塔説明

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三重塔から見た境内
手前が本堂屋根、奥が西法寺。

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香登郵便局 ; 重文・大滝山福生寺三重塔、大滝山、松、楓

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西大寺(岡山市東区) 奇祭裸祭りの寺

2020.03.13(16:30) 566

会陽はエエよう!(2020.3.3)

<コース> 春の青春18きっぷ
JR大阪 → (新快速) → JR姫路(7:56→8:01) → 東岡山(9:19→9:35) → JR西大寺(9:43) → 徒歩15分 → 西大寺

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金陵山 観音院 西大寺(高野山真言宗 別格本山)

 弥生も初めの三日。18きっぷで岡山へ。

西大寺といえば誰しも大和西大寺を思い浮かべますが、岡山の西大寺も古刹。

どちらも駅名になっていて大和は近鉄、岡山はJR。

行事は大和は大茶盛り、岡山は裸祭りと対照的な事も可笑しいです。

今は数少なくなった赤穂線の有人駅から歩くこと15分で吉井川河畔の大伽藍に到着。

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赤穂線西大寺駅前の裸祭りのモニュメント

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元文5年(1740年)再建の仁王門
裸祭りの入場に相応しい県下最大級の三間一戸の楼門である。

 金陵山観音院西大寺(きんりょうざんかんのんいんさいだいじ)は、

『天平3年(751年)、周防国玖珂郡に住む藤原皆足姫(ふじわらみなたるひめ)が、

金岡の荘(現在の西大寺金岡)に草庵を開基し、千手観音を祀ったのが始まり。

 その後、宝亀8年(777年)に大和長谷寺で修行していた安隆(あんりゅう)上人が

「備前金岡荘に観音堂を修築せよ。」

との夢のお告げを受け金岡に向かう。

 児島の槌戸ノ浦に差し掛かった時、犀角を持った龍神が現れて

「この角を持って観音の聖地に堂宇を移し給え。」

と告げられた。

そこで聖地に堂宇を建立して開山されたのがこの寺院である。

寺号は「犀角を戴く寺」の意味で犀載寺(さいだいじ)と呼ばれたが、

承久の変(1221年)で後鳥羽上皇が執権北条義時への祈願を込めた

御宸筆に拠って「西大寺」と改められた。

 正安元年(1299年)に堂宇を焼失するが、その時には本堂、三重塔、鐘楼、

仁王門等を備えた備前屈指の大刹であったと記録にある。

備前の要港として栄えた吉井川河口に位置していたので、庶民信仰を集めた。

旧暦1月に行われる新年の祈祷である「会陽(えよう)」は安隆により伝えられたが、

永正7年(1510年)以降、褌姿の男衆が宝木を奪い合う現在の裸祭りの形になった。』 とある。

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仁王門の一階の和様の四手先

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二階の禅宗様の尾垂木

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仁王門屋根にある鬼瓦の鳥衾
鳥が鬼瓦に止まらないように休ませる場所。

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仁王門より見た三重塔
延宝6年(1675年)の再建で大日如来を安置する。

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仁王門脇の高祖堂
安永9年(1780年)の建築。開祖弘法大師を祀る。

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仁王門から見た本堂

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文久3年(1863年)再建の本堂
御朱印はここで拝受。

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本堂正面

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本堂横の龍の彫刻

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本堂前から見た三重塔と仁王門

周防国から備前まで藤原の姫が移動した訳ですが、

これは古代から海上交通の要衝であったためでしょう。

祀ったのが漢方薬として珍重された犀角だったというのも秀逸。

きっと【犀角】ある人だったに違いありません。

 それよりもここを有名にしたのは宝木を奪い合う「裸祭り」。

駅周辺の案内も全てこれを用いています。

参加者は男子限定ですが開催は二月第三土曜日の夜22時から。

暖冬になったとはいえ、厳寒の二月に裸で参加はつらいでしょうが、

毎年1万人が参加、観客も3万人いるとか。

広い境内とはいえ、ここに4万人もの人がはいるのかと疑問に思いますが、

お寺の発表なのでそうなのでしょう。男だけの参加でジェンダーとも思われますが、

開始を告げる太鼓や男衆が水垢離をとる場所で祈祷するのは女性となっています。

 今とは違って当時は娯楽が少なかったでしょうから、

民衆の良いリクリエーションになったに違いありません。

またここで男女の出会いもあった事は想像に難くありません。

勿論、女性は褌ではなく白衣での参加ですが…。

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文政2年(1819年)建築の石門
竜鐘楼で寄進者名は頼山陽の筆になる。

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石門の向こうにある垢離取場
裸祭りでは裸群がここで身を清める。

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JR西大寺駅ホームにある表示板
裸祭りの写真のパネルになっている。

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裸祭り(会陽)のポスター
会陽は先月終了したが、市内には未だ貼られていた。

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18世紀建築の鐘楼門
客殿・千手堂へ続く。

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鐘楼門の重文・龍鐘
高麗時代初期に朝鮮半島で鋳造されたと推定される。

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金陵山西大寺縁起

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西大寺御朱印 中国一番札所

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西大寺マンホール蓋

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西大寺郵便局 ; 西大寺本堂、三重塔、裸祭り
西大寺中郵便局 ; 西大寺本堂、三重塔、西大寺会陽と会陽冬花火

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JR西大寺駅スタンプ
上;私の旅印(国鉄時代)、下;JR西日本岡山支社印(現在)

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因幡街道 大原宿(岡山県美作市) 武蔵の里の宿場町

2019.08.19(20:44) 379

ちずを頼りにこい山形へ(2017.8.12)

<コース> 智頭急行は2017年度のもの
JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR上郡(8:36→8:40) → (智頭急行) → 平福(9:06→9:54) → 宮本武蔵(10:05) → 徒歩30分 → 大原宿 → 大原(11:36) → 恋山形(12:01→12:21) → あわくら温泉(12:33→13:13) → 上郡(14:12→14:34) → JR相生(14:46→14:48) → 姫路(15:08→15:11) → JR大阪(16:13)

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因幡街道 大原宿

・はくとだに ちずを頼りに 往きていなば こひ山形に さよ時雨降る

 平福の後は、宮本武蔵駅で下車。

かつての国鉄の人名駅は伯備線方谷のみでしたが、3セクの登場で人名駅が増えました。

郷土の偉人を知ることは大切なのでいい傾向だと思います。井原鉄道の吉備真備もそうですね。

 剣豪宮本武蔵の生誕の地という事で、駅名以外にも資料館・道場を併設するなど町興しをしています。

しかし武蔵の生誕地は兵庫県高砂市も名乗りを上げており、考証学的にはこちらが有利な様子。

表立って揉めていないので二刀流も時には良いという事でしょう。

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智頭急行宮本武蔵駅
無人駅ながら剣豪のような質朴さが。フルネームを使ったものでは全国初か?

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宮本武蔵駅前の像

 駅から街道沿いに次の駅に向かうと因幡街道大原宿。

平福と並んで智頭急行線内では有数の宿場町。特に古町地区は街並み保存地区になっています。

本陣・脇本陣に加え、酒造屋・銀行などが残り、因幡街道の面影を今に伝えています。

美作の小京都と言えば津山ですが、城下町とはまた違った味わいがあります。

 平福同様、観光施設は少ないですが今も現役で活躍しているのが凄い。観光客も殆どいないのが不思議でした。

小京都には入っていないようですが、強いて入らなくても良いという考えなのでしょう。

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大原宿の古町街並み保存地区
南側から見た光景。街並みとしては中々の物だと思うが、観光客は見当たらなかった。

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説明板

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大原宿本陣(有元家)
寛政年間(1789~1801年)に完成したとされる。鳥取藩池田侯が最も多く利用した。有元氏の表札が掛り今も現役。内部見学はできず外からのみ。

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本陣の説明

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本陣横の有元家
本陣の続きにあるが、親戚?

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有元家の瓦
鬼ではなく帆掛け船。建武の新政の名和長年(伯耆守)の紋が帆掛け船だったとこと関係がある?

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旧中国銀行(現:司法事務所)
大正浪漫漂う建物。中には金庫が現存。右の家はうだつ(説明では袖壁とある)が顕著。

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田中酒造場
明治18年建築の大原で唯一の造り酒屋。「武蔵の里」「白梅」の清酒を販売。

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店頭に展示された日本酒

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町家の説明

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大原宿脇本陣
屋号米屋。1825年以降の造りで長屋門が残るのは珍しい。

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脇本陣説明

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脇本陣の北に隣接する難波邸
築100年の民家を改築し、ジュエリー販売や外国人対象の宿泊を行う。

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消防器具庫の外観
消防というより火消しと呼ぶ方がしっくりくる。

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理容店もこんな感じ
入ったら丁髷になりそう?

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駅前にて昼食

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大原宿説明書

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智頭急行大原駅
宿場の家をデザイン。右奥は車両基地。

 その後は、恋山形とあわくら温泉駅へ。日本で恋の字が付くのは4駅だそうですが、ここはその一つ。

駅舎もそれらしい造りになっています。派手というよりもけばけばしい気もしますが、異論はないようです。

因幡なので縁結びに掛けた命名でしょうか。

無人駅ですし、このような事がないと降りる人も居ないでしょうから、

JRと違って如何に人を呼び込むかという3セクの苦労が伺えました。

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智頭急行あわくら温泉駅
狸が見つけた温泉?

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智頭急行恋山形駅ホーム
恋が成就するように駅も凝った造りとなっている。

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ホームにあるモニュメント

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絵馬とスタンプと旅ノート

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智頭急行 鉄道むすめ「宮本えりお」

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智頭急行スタンプ その1
あわくら温泉駅は新設置。

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智頭急行スタンプ その2
この3駅は今回新たに設置。

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大原郵便局 ; 宮本武蔵生誕地碑、武蔵武道館、竹山城跡
山形郵便局 ; ハートの外枠に恋山形駅とスーパーはくと、普通列車、杉と紅葉

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圓通寺(岡山県倉敷市)  良寛ゆかりの茅葺の古刹の御朱印

2018.12.21(00:20) 85

[圓通寺] ブログ村キーワード
洋館の倉敷で良寛のお寺(2018.12.18)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(5:58) → JR姫路(7:30→7:31*) → JR岡山(9:08→9:11*) → JR鴨方(9:47) → 徒歩10分 → 明王院 → JR鴨方(11:35) → JR新倉敷(11:44)    *向側ホーム

JR新倉敷駅 → レンタサイクル20分 → 圓通寺

【復路】JR新倉敷(16:07) → JR岡山(16:33→16:44) → JR姫路(18:08→18:11) → JR大阪駅(19:13)

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補陀落山圓通寺(曹洞宗)

 以前、新倉敷駅でスタンプを押印したら「良寛さまゆかりの云々」という記載が…。

良寛は越後出雲崎の人なので不思議でしたが、なんでもこの地に修行した寺がある模様。

地図で見ると駅から随分と離れていますが、新倉敷駅観光案内所にはレンタサイクルがあるようで、これなら大丈夫。

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新倉敷駅スタンプ    上;国鉄・民営化初期、 下;21世紀設置

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里見川に架かる昭和橋を渡った所にある道標   ここから勾配が急になるので徒歩がお勧め。

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圓通寺入口

 玉島にある補陀落山圓通寺(ふだらくさんえんつうじ)は

奈良時代の行基菩薩の開基で行基作と伝えられる星浦観音を祀っています。今でこそ周囲は工業地帯ですが、

昔は寺の直ぐ近くまで海が迫る場所。星浦という名前も恐らくは船人が頼りにする星と港の浦に由来、

地元の人々から連綿と信仰されていたものを行基に仮託したのでしょう。

 連綿として続いていた信仰も後には廃れましたが、金沢大乗寺の前住職徳翁高和和尚が住民を纏めて寺社奉行所に

嘆願し堂宇を再興、元禄十一年(1698年)の事です。ここに補陀落山圓通寺の再興は成りました。

 その後、ここでは弟子の教育に力を入れ多くの高僧が輩出。特に十世大忍国仙和和尚の門下からは俊英が出ますが、

その中に越後生まれの良寛が居ました。彼の修行は22~33歳の十年間、その後全国行脚して聖僧と慕われますが、

その基礎はここで培われたと言えるでしょう。

ここからは本山永平寺のトップになった僧も出ましたが、やはり歴史の教科書に載る人のほうがインパクトは強く、

良寛さま所縁の寺として観光に一役買っています。

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前にある石庭

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境内にある若き良寛の托鉢像   宮本隆・作

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圓通寺本堂   星浦観音を祀る

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庫裡から見た境内

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白雲閣

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良寛堂   本来は圓通寺に修行に来た者達が寝起きする衆寮であった。

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友松亭   良寛堂に接して後世の寄付で築造された。

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高台にある観音堂

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観音堂から東へ瀬戸内を望む   水島臨海工業地帯

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観音堂付近から境内を望む

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圓通寺正面

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圓通寺説明書

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圓通寺御朱印

 駅までの往復は自転車でしたが、港と工業地帯と思っていた玉島に昔の家が残っていて驚き。

江戸初期までは名前の通り島が点在する遠浅の海だったのが、1600年代に備中松山藩主水谷氏の干拓事業により

広大な新田となりました。港に通じる里見川と溜川周辺には今も商家があります。

その一つ、西爽亭は柚木氏の邸宅で玉島を領有した備中松山藩の御座所にもなったもの。

慶応4年に家老の熊田恰(くまだあたか)が最期を迎えたのは次の間でした。

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昭和橋から見た里見川沿いの商家

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新町通りにある西綿屋   左に続くのは米屋である。

 幕末の松山藩は藩主板倉勝静が老中を務め幕府側として戦います。

熊田恰はその親衛隊長として活躍しますが、新政府軍は松山藩を征伐。恰は部下の助命を条件に自刃します、享年44。

これにより玉島は戦火を逃れることができました。

一説には恰の才能を恐れた新政府が恰の命と引き換えでないと承知しなかったと言いますが、榎本武揚の例もあるように

新政府でも活躍できたに違いありません。新しい時代の幕開けに有能な人材を無駄に死に追いやった事は残念な気がします。

地元では恩人として今でも崇拝され祀られているとか。

大河ドラマの主人公ではないですが、その陰にはこのような「ラストサムライ」が居たという事は忘れるべきではないでしょう。

 良寛と熊田恰、時代と活躍の場に違いはありますが、己を捨てたその生き様には共通するものを感じました。

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西爽亭表門   旧柚木家で天明年間に建築、命名は神辺の儒学者・菅茶山。

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西爽亭御成門

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次の間から上の間を見る

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西爽亭の庭   右手に見えるのは茶室

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熊田恰の肖像写真

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玉島富田郵便局 ; 圓通寺良寛堂、名産桃、桃の花
玉島郵便局 ;沙美の浜、圓通寺公園・童と良寛の石像

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倉敷市マンホールカード A ; 倉敷物語館にて配布
倉敷市マンホールカード C ; 玉島観光案内所にて配布

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明王院(岡山県浅口市)  最澄と円仁ゆかりの大伽藍の御朱印

2018.12.19(20:53) 84

[明王院] ブログ村キーワード
備中の山岳仏教を辿る (2015.12.18)

<コース> 冬の青春18きっぷ使用
JR大阪(5:58) → JR姫路(7:30→7:31*) → JR岡山(9:08→9:11*) → JR鴨方(9:47) → 徒歩10分 → 明王院
*向側ホーム

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真岳山大護寺明王院(天台宗)

 山陽本線も新倉敷過ぎると福山まで牧歌的な風景が続きますが、その途中の鴨方駅から南に向かった先にその古刹はありました。

 明王院は真岳山長泉寺明王院と言い、伝教大師最澄が入唐求法の途次に立ち寄った場所。

その後、承和年間(834~848年)に師の足跡を訪ねた慈覚大師円仁が秘密灌頂の道場を開設したことに始まります。

 何故この地にと【明王】に気になりますが、この辺りは瀬戸内海と入江に挟まれ神功皇后も通られたと言う交通の要衝で

14世紀頃までは大型船も通ったとか。案外駅名も水鳥の棲む『鴨潟』が由来でしょうか。

東の玉島付近は江戸時代の干拓の為に陸地が増えましたが、この付近も例外ではないようです。

寺の付近は大島という高台で、近くには遥照山405mの霊峰があり山岳仏教のまた備中国学問の中心として栄えます。

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明王院山門   阿吽の仁王像がお出迎え。

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山門を過ぎて坂を上る

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木々のトンネルを抜けると境内へ

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明王院境内へ到着

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池泉回遊式庭園の放生池越しに明王院を望む

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中国地方の天台宗学寮として使われた建物

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護摩堂   入口正面にあり不動明王を祀る

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明王院本堂

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多宝塔   新本堂に先駆け1988年に完成。檜一枚板を使用するなど1000年前の様式を再現。

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多宝塔から本堂を望む
   
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かつては向かいの山に寺院群はあった

 永長元年(1096年)、白河上皇の第一皇女媞子内親王(郁芳門院)が21歳の若さで夭逝されると上皇は菩提を弔う為に

内親王の御所を六条院と言う寺院にします。すると平忠盛は明王院付近の荘園を六条院に寄進し、本堂の前に

地蔵堂(今の大仙堂)を建て供養の場所としたとか。明王院付近の字にその名残があります。

 親と臣下の心温まる話ですが、忠盛にすれば寄進で朝廷との結びつきたいと言う意図があったのは明白でしょうし、

歴代皇室屈指の美女であったとされる内親王は上皇も自分の野心の為の持ち駒にと思ったに違いありません。

ドロドロした政治の世界からは無縁ではない訳で、それを見ずに亡くなった事は内親王にとっては不幸中の幸いかもしれません。

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大仙堂    平忠盛が白河上皇に寄進した地蔵尊堂が起源

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明王院説明書

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明王院御朱印

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鴨方郵便局 ; 岡山天体物理観測所、温泉マーク

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