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西本願寺 太鼓楼 (京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺)

2024.03.15(20:20) 1757

太鼓番に太鼓判!(2023.12.29)

<コース> 阪急特急は10分間隔で運行
【往路】梅田 → (阪急特急) → 大宮 → 徒歩10分 → 壬生寺 → 徒歩10分 → 西本願寺

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龍谷山 本願寺(浄土真宗本願寺派)

 壬生寺をゆっくりと拝観した後は、毎日4回開催される「お西さんツアー」 11:30開始の2回目に備えて西本願寺へ。

堀川通りに沿って南下すると北東隅に建つのが太鼓楼。そのまま通り過ぎようとして案内板を見て吃驚。

『新選組は元治元年(1864年)の「池田屋騒動」以後は隊士が増え、壬生が手狭になったことから、

慶應元年(1865年)3月10日には屯所を西本願寺に移した。境内には 「新選組本陣」 の看板を掲げ、

北東にあった北集会所と太鼓楼を使用していた。

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境内の北東隅に建つ太鼓楼

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今回の 「お西カード」 はNo.9 の渡り廊下

 新選組の活動期間は6年程で、大部分の隊士が非業の死を遂げた中で、

結成時からの元隊士・島田魁が明治維新後、本願寺の守衛を務め、

終生念仏を唱えながら太鼓番をしたという話が伝わっている。

 明治6年(1873年)、北集会所は姫路市の亀山本徳寺に一部移設されたため、

現在の西本願寺に新選組の足跡を見るのは太鼓楼だけである。』 とあります。

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ツアーはいつもの通り手水舎前

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辰年なので渡り廊下の電燈も撮影スポットに

 新選組の寺を見た後、移動した次の寺院でも遭遇したのは、誠に奇縁と言えそう。

新選組で長寿を全うしたのは三番隊長・斎藤一しか知りませんでしたが、他にも居たと知ってホッとしました。

太鼓を打ってもバチは当たらなかったのは、人間性の故。太鼓判を押してもいいでしょう。

この後は、7月に続き二度目のツアー参に参加ですが、同じコースながらガイドさんが違うので随分違った内容。

前回は建物中心、今回は宗祖親鸞聖人がメインでした。

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木製手摺の補修に見られる紅葉は職人達の遊び心

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御影堂前からの飛雲閣遠望

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板絵には平安朝の絵も

 ツアーに加えて7月には拝観できなかった国宝・飛雲閣の写真を撮る意気込みでしたが普段は非公開。

思わぬ【悲運閣】に後悔すべきでしたが、懇親会の食事の【等級】が上だった事で【腸消し】に。

腸内細菌も活性化されて年始を迎える事が出来そうです。

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会場となるHotel でも押印

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おーどぶる 其の壱

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おーどぶる 其の弐

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京都本派本願寺郵便局 ; 国宝・飛雲閣

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壬生寺 壬生塚 (京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町) <壬生寺 其の伍>

2024.03.14(22:06) 1756

新選組よ 何処にある?(2023.12.29)

<コース> 特急は10分間隔で運行
【往路】梅田 → (阪急特急) → 大宮 → 徒歩10分 → 壬生寺 → 徒歩10分 → 西本願寺

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地蔵院宝幢三昧寺(律宗)  壬生塚の近藤勇胸像と絵馬

 阿弥陀堂には釈迦如来三尊像が祀られていますが、その奥には弁天池(放生池)の中に浮かぶ

島へと渡る朱塗りの橋が。

ここ中の島が新選組関連の遺跡の場所で、境内は無料で拝観できますが、ここのみ有料¥300。

写真撮影禁止とあるので一瞬躊躇しましたが、確認すると禁止は地下の資料館のみで地上の建造物はOK。

迷わず入場しました。

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阿弥陀堂入口を直進すると壬生塚、階段を降りると歴史資料室

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特別拝観券
*撮影は一切禁止です、とあるのは歴史資料室のみ。

 何故、この場所にあるかですが、阿弥陀堂を復興した前川五郎左衛門邸が

新選組の屯所となっていたそうですからその縁でしょうか?

また、阿弥陀堂の御本尊の御朱印もありましたが、現実には京都守護職新選組御朱印。

マニア狙いの感が拭えません。

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壬生寺説明書

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阿弥陀堂御朱印と言うより京都新選組御朱印

 朱色の太鼓橋を渡ると池の中には金属製の龍神像が見えますが、

これは当地で板金業を営む桶本氏が、平成15年(2003年)に奉納されたもの。

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受付を抜け、太鼓橋を渡る

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橋を渡った先から阿弥陀堂を振り返る

クラフトフェア2002年の受賞作で守護神だけでなく芸術作品としても中々なもの。

2024年の干支なので撮影に来る人も多いと思いきや、お一人様独占状態。

灯台モトクロスの完全な穴場でした。

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太鼓橋の上から見た龍神像

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水掛地蔵堂後方からの眺め

『境内東方にある池の中の島へ渡ると、江戸時代初期という壬生官務家の大小二基の

五輪塔に並んで「あゝ新選組」の歌碑、壬生寺歴代住職供養塔が建つ。

更に島の奥に進んだ場所にあるのが新選組遺跡。壬生塚とも呼ばれる新選組関連の遺跡。

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周囲を池に囲まれた夢歩塚

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橋を渡った先にある宝篋印塔、五輪塔と歌碑

 局長・近藤勇の胸像と遺髪塔、屯所で暗殺された局長・芹澤鴨と隊士・平山五郎の墓、

勘定方・河合耆三郎の墓を始め、池田屋騒動で亡くなった隊士3名を含む7名の合祀墓がある。

加えて副長・土方歳三の胸像、新選組顕彰碑も建立されている。

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江戸時代初期の大小二基の五輪塔
平安時代から代々太政官制書記官を務めた壬生官務家小槻家のもの

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三橋美智也のヒット曲 「あゝ新撰組」 の歌碑

 京都の治安維持を目的とした新選組の本拠地である屯所が寺の北側の八木邸に置かれたため、

境内では大砲や剣術、馬術の訓練を行った。元治元年(1864年)の 「池田屋騒動」 以後は隊士が増え、

壬生が手狭になったことから翌慶應元年には屯所を西本願寺に移している。

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参道を進み壬生塚へ向かう

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左手にある壬生寺歴代住職供養塔

 しかし訓練では引き続き当寺も使用され、壬生浪士隊と呼ばれた当初の名前と共に、

その記憶は後世にまで語り伝えられた。

毎年7月16日の池田屋騒動の日には慰霊供養祭が行われる。』 とあります。

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萬葉歌人・柿本人麻呂の灰塚
大正時代の建立で、「火止まろ」 から防火の御利益がある。

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新選組隊士慰霊塔

 地蔵尊と狂言で知られる壬生寺ですが、もう一つ忘れてならないのが、

ここは幕末期に活躍した新選組所縁の地。古刹の地蔵尊に加え壬生狂言でも有名ですが、

何と言ってもここを有名にしたのは幕末の新選組。

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新選組顕彰碑
京都で活動している新選組同好会が会結成20周年を記念し、平成7年に建立したもの。

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顕彰碑裏面に刻まれた局中御法度

 橋を渡った直ぐ先にある往年のヒット曲「あゝ新選組」の歌碑前でストップ。

思わず一節歌ってしまいますが、今の若い人は歌は勿論、三橋美智也も知らんでしょうな!

これも時代の流れと言えばそれまでですが、「新選組よ 何処へ行く♪」 のでしょうか?

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参道正面に建つ近藤勇之像

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胸像近影
写真も残っているので、実物に似せてリアルに作ってある

 正面には局長近藤勇の胸像が建ちますが、その横には副長土方歳三の胸像も。

像の具合から見て土方像は最近の製作と思われますが、イケメンの肖像写真でファンが多いからに思えます。

 確かに近藤の胸像を見るといかつい面構えですが、真っすぐな強い意志が感じられ、

土方とは違った意味でのイイ顔と思うのは私だけでしょうか?

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近藤像の右手に建つ土方歳三之像

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胸像は2023年建立

 北側にある八木邸を屯所としたので、当寺で武芸を磨いたとか、酔って狼藉を働いたなどの逸話が残ります。

常に臨戦態勢にあったので致し方無い面はありますが、芹澤鴨などは酒乱を理由に粛清されています。

【放蕩三昧】することなくもう少し己を【律宗】する心があればと残念です。 

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奥にある隊士達の墓

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芹澤鴨と平山五郎の墓
酒乱の芹澤は隊に拠って粛清された。

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河合耆三郎源義輝之墓

 新選組の歴史的位置については、近代への徒花的解釈がされる事が多いですが、

各隊士の動機は様々でしょうが、農民の【みぶん】を越えた愛国の【大志】があったのは共通で、

それが今日でも根強い人気に繋がっている様に思えます。

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近藤像前から見る太鼓橋

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山茶花の花

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壬生寺 大念仏堂 (京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町) <壬生寺 其の肆>

2024.03.12(20:33) 1755

壬生の皆に念仏(2023.12.29)

<コース>
【往路】梅田 → 大宮 → 徒歩10分 → 壬生寺 → 徒歩10分 → 西本願寺

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地蔵院宝幢三昧寺(律宗)  大念仏堂(狂言堂)

 境内を一巡りした後は、北門付近に建つ大念仏堂へ。一般には壬生狂言が行われる場所として有名です。

『建暦3年(1213年)、信者である平宗平に拠り現在地に移転するが、正嘉元年(1257年)に火災で全焼。

2年後の正元元年に宗平の子である平政平と律宗の僧侶・円覚(えんがく)上人に拠って復興され、

宝幢三昧寺と改称、以後は宗派も律宗となった。円覚上人は融通念仏を行っており、

正安2年(1300年)に彼が始めた「壬生大念仏狂言」が今も伝わる壬生狂言の嚆矢である。

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大念仏堂入口の句碑
入口は閉鎖中。

 これは庶民大衆にも分かり易い方法で仏教を説いたもので、一般の能狂言とは異なり、

身振り手振りの無言劇として布教されたのが始まりである。

 天明8年(1788年)の大火で全山が焼失すると、翌寛政元年(1789年)に新たに大念仏堂が建立された。

これを機に今まで本堂で行われていた壬生大念仏狂言は大念仏堂で挙行。

文化8年(1811年)に本堂が東向きとなって再建された後も、これは変わらず今に至っている。

この建物の二階部分で壬生狂言が演じられる。

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・土蜘蛛は 壬生の若葉に 栖みもせめ
の句は狂言の内容を詠んだものか。作者は?

 現在の大念仏堂は安政3年(1856年)の再建。境内に残る数少ない江戸時代の建造物として

国の重要文化財となっている。

大念仏堂は狂言堂とも呼ばれ、本舞台、橋掛り以外に、能舞台には見られない「飛び込み」や

「獣台」などの特異な構造を持つ、他に類例を見ない建造物である。

壬生狂言は今に至るまで周辺の人々に守り伝えられ、本来の宗教劇以外にも発展し現在は30番の演目がある。

昭和51年(1976年)には国の重要無形文化財の指定を受け、700年の伝統を持つ壬生狂言には

毎年多くの参拝者が訪れる。』 とあります。

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柵越しに見た狂言舞台
これでは余り観客が入らないような気が…。

 芸能史については不案内ですが、室町時代発祥の猿楽から分かれて、

悲劇の面を持ったのが能楽、喜劇の面を持ったのが狂言と私なりに理解しています。

 能楽鑑賞には一定以上の予備知識が必要ですが、狂言にはそのようなものは不要。

それが狂言が広く庶民に受け入れられた所以でしょう。

「壬生さんのカンデンデン」 の愛称で呼ばれるだけに、庶民にも分かり易く布教に用いたのは円覚上人の炯眼。

【馬の耳に念仏】だけは是非とも避けたかったのだと思います。

紀州道成寺の絵解きにも通じるものがあり、多くの人々が【遠隔】から参拝したのも頷ける話です。

現在はレパートリーも広げているようで、いち早くダイバーシティ(多様性)を取り入れた先達とも言えましょう。

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京都壬生松原郵便局 ; 壬生狂言舞台

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壬生寺 塔頭中院 (京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町) <壬生寺 其の参>

2024.03.11(20:01) 1754

注意して今に残った塔頭(2023.12.29)

<コース>
【往路】梅田 → 大宮 → 徒歩10分 → 壬生寺 → 徒歩10分 → 西本願寺

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地蔵院宝幢三昧寺(律宗 洛陽三十三所観音霊場第二壽八番札所)  中院

 江戸時代洛中に広大な境内を持つ当寺には、本坊地蔵院、塔頭中之坊(現在の中院)を始め、

東之坊、西之坊、南之坊、竹之坊、梅之坊、宝蔵坊、福乗坊、安養院、寂静庵、西岸庵と

十一の塔頭があったと言いますが、現在まで残っているのは中院のみ。

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参道左手に建つ中院

 中院(ちゅういん)は、

『壬生寺の塔頭(子院)の一つであり、寛永年間(1624~1643年)に本良(ほんりょう)律師に拠って創建された。

当初は中之坊と言う名であった。

本尊の十一面観音菩薩は鎌倉時代の壬生寺再興時に平政平の発願に拠り新造された一体。

福寿無量の御利益があり、健康長寿に霊験あらたかな観音菩薩として信仰されている。

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正面より見た中院

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前面に掲げられた扁額

 現在の御堂は天明の大火後の文政12年(1829年)の再建で、洛陽三十三所観音霊場第二壽八番札所。

明治時代には律宗の修行道場となり、この頃に中院と呼ばれるようになった。

現在は京都市の老人福祉施設「壬生老人いこいの家」としても利用されている。

また脇には京都十二薬師霊場第四番札所本尊の歯薬師如来も安置されている。

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中院説明書き

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中院御朱印  (洛陽観音霊場)

 江戸以前から続く塔頭は中院のみであるが、明治以降に建てられた千体仏塔、阿弥陀堂、

一夜天神堂、弁天堂、水掛地蔵堂など現在は八棟のお堂がある。

 この地にはその昔、菅原道真が太宰府に左遷される居り、この地の親戚を尋ね、

一夜を明かし別れを惜しんだ伝説が残る。

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表門を入って直ぐ右手に建つ一夜天神

 江戸時代前期、支院・静寂庵(じゃくじょうあん)の開基・託願上人の夢枕に道真公が現れ、

壬生の地に自分を祀る様に命ぜられた。

そこで上人が神像を刻んで建立した社が一夜天神堂(いちやてんじんどう)である。

現在の御社は嘉永5年(1852年)の再建であるが、御神体は上人自刻の一夜天神像であり、

御社前の石鳥居には 「寛文十二年壬子年(1672年)」 「託願建立」 の文字が見え、当時の様子を知ることができる。

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天神前の撫牛

 弁天堂は明治27年(1894年)の再建であるが、江戸中期には既に存在していたとされ、

社前の線香立てには弘化4年(1847年)の刻銘が残る。

本尊の秘仏・辨才天は清水寺の延命院から移された厨子入りの塑像で弘法大師作と伝わる。

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弁天堂

 水掛地蔵は慶安2年(1649年)作の石仏で、水を掛けて祈ると一つだけ願いが叶うという言い伝えがある。

阿弥陀堂は鎌倉時代の建保元年(1213年)に平宗平に拠り創建。その後、災禍に見舞われるが

天保14年(1843年)に前川五郎左衛門の尽力に拠って復興。本尊の阿弥陀如来三尊像もそのころの作とみられる。

彼は後に新選組屯所となった前川家の当主である。

近年、御堂に倒壊の恐れが出たため改築、平成14年(2002年)7月に現在の御堂が完成した。』 とあります。

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水掛地蔵堂

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堂内に祀られている水掛地蔵様

 千年の歴史を誇る古刹にも栄枯盛衰がありましたが、一番の痛手は明治時代。

といっても新選組が新政府に睨まれたからではなく、廃仏毀釈の影響だそうですから

壬生寺に限った事ではありません。

それでも廃寺になる事無く、今に続いているのは京都人を中心とする町衆の力。

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阿弥陀堂

 特に明治天皇が江戸に移られた事で、都の人々に危機感が高まったからに違いありません。

尤も遷都の詔勅は出ていないので、未だに京都は都と言う向きもありますが…。

今も境内には多くの地蔵菩薩あって各種御朱印があるという熱心さ。

一時の劣勢を挽回すべく、未だ京都のパワーは健在です。

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一夜天神の期間限定御朱印と御守り

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壬生寺 本堂 (京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町) <壬生寺 其の弐>

2024.03.10(08:21) 1753

何と!律宗の寺(2023.12.29)

<コース>
【往路】梅田 → 大宮 → 徒歩10分 → 壬生寺 → 徒歩10分 → 西本願寺

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地蔵院宝幢三昧寺(律宗)

 表門をくぐると正面に鉄筋コンクリートの巨大な伽藍が姿を見せますが、これが当寺の本坊(本堂)。

『壬生寺は正式名・地蔵院宝幢三昧寺(じぞういんほうどうさんまいじ)と言い、

奈良唐招提寺を大本山とする律宗寺院。

正暦2年(991年)園城寺の僧快賢が母の供養のために、五条坊門壬生(現在地の東)に創建。

定朝作の地蔵菩薩を本尊とする。

当初は小三井寺と呼ばれ、承暦年間(1077~1080年)の白河天皇の行幸があり地蔵院の名を賜った。

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東の坊城通りに開いた表門

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壬生寺由緒駒札

 建暦3年(1213年)、信者である平宗平に拠り現在地に移転するが、正嘉元年(1257年)に火災で全焼。

2年後の正元元年に宗平の子である平政平と律宗の僧侶・円覚上人に拠って復興され、

宝幢三昧寺と改称、以後は宗派も律宗となった。円覚上人は融通念仏を行っており、

正安2年(1300年)に彼が始めた「壬生大念仏狂言」が今も伝わる壬生狂言の嚆矢である。

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寛政11年(1799年)に完成した表門

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境内側から表門を見上げる

 大永8年(1528年)の地震で被害を受けるが間もなく復興。

江戸時代に入っても庶民信仰は篤く、本坊地蔵院、塔頭中之坊(現在の中院)を始め

多くの塔頭があったが、天明8年(1788年)の大火で全山焼失。文化8年(1811年)に漸く復興した。

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表門から続く参道正面に建つ本堂

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本堂は昭和42年(1967年)の再建

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本堂の向拝下にて

 明治に入ると廃仏毀釈の影響で寺は衰退、塔頭では中之坊のみ残った。

昭和37年(1962年)には放火で本堂他が全焼。昭和42年(1967年)に復興した本堂には

本山の唐招提寺より地蔵菩薩立像を移して新たな本尊とした。

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向拝の奥にある本堂前面
堂内には入れず、参拝はこの場所から。

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本堂に架けられた扁額 「地蔵尊」 は小松宮彰仁親王の筆

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御本尊の重文・地蔵菩薩像

 平成元年(1989年)には創建一千年を記念して千体仏塔が改築。

明治時代に京都市内の各所から集められた石仏を丁度千体用いて安置したもので、

ビルマに多く見られるパゴダを模した構造となっている。』 とあります。

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本堂より見た千体仏塔

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正面から見た千体仏塔

 時代と共に寺院が改修する事は珍しくはありませんが、古い宗派から新しい宗派に変わるのが普通。

その意味では平安仏教(天台宗)から南都六宗(律宗)になった当寺は非常に珍しい例と言えそうです。

 寺務所脇にあるのが明星桜。今から約900年の昔、京の公家浦内淡路守が

松浦党の祖・源久(みなもとのひさし)を頼り肥前国伊万里の浦川内に居を定めた際に、

望郷の念に駆られて取り寄せた桜がここ壬生寺のものであったとか。

この桜は千年の時を経て伊万里から里帰りしたもので、薄紅色の花弁から明星桜と呼ばれます。

古に戻ったのは宗派に加えて樹木にも【裏打ち】されている好例と言えます。

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本堂右手にも宝篋印塔と石仏群が

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寺務所前にある明星桜

 建暦3年(1213年)に今の場所へ移転しますが、その後も正嘉(しょうか)元年(1257年)の火災、

大永8年(1528年)の地震、天明8年(1788年)の大火と御難続き。

【しょうか】で全焼とは洒落にもならず、【天命】を悟ったかもしれません。

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御朱印を拝受すべく寺務所へ向かう

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寺務所玄関の幕には明星桜?

 本堂前からは内陣の大きな地蔵様が垣間見えますが、これが御本尊。

唐招提寺から【請来】されたものですが、昭和37年の放火犯にはどんな意図があったのでしょう。

地蔵菩薩は数ある菩薩の中でも最も人間に近い仏様。

その意味では国家ではなく、庶民の信仰が都度復興したパワーの源泉とも言えます。

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寺務所前の句碑

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手水盤

 千体仏塔はその説明から、恐らくは廃仏毀釈時に破壊されずに留め置かれたものを

ここに集めたものと想像できます。

明治の廃仏毀釈でもめげず、今も境内には多くの地蔵菩薩があるという熱心さ。

正に【泣く子と地蔵には勝てぬ】を地で行く話です。

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壬生寺御朱印 (平成23年拝受の御本尊)

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平成23年に頂いた説明書き

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壬生寺 壬生への道 (京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町) <壬生寺 其の壱>

2024.03.09(02:17) 1752

終い巡礼は楽よう!(2023.12.29)

<コース>
【往路】梅田 → 大宮 → 徒歩10分 → 壬生寺 → 徒歩10分 → 西本願寺

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地蔵院宝幢三昧寺(律宗)

 仕事納めの29日は洛中下京へ。

通常郷務ではなく親睦会も含めた経営計画会議のためですが、開場は13時。

午前中を無為に過ごすのも何なので、こちらも朝から【終い巡礼】。

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阪急大宮駅スタンプ

 事実上の半休を利用して阪急で会場の最寄り駅・大宮で下車して南西へ。向かったのは壬生寺。

四条大宮は繁華街で家屋や寺社が多いのは昔からですが、当寺はこの地域を代表する名刹。

阪急大宮駅スタンプ、JR丹波口駅スタンプのデザインはいずれも壬生寺になっていることからも分かります。

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JR丹波口駅スタンプ  (2006年JR西日本京都支社印)

 阪急なら北門、JRなら南門から境内に入りますが、表門は東に向いており、

そこから入山するのが正式な作法。

南からだと今は根付博物館になっている旧神先家住宅を、

北からだと菓子司「鶴屋」を経営する八木邸を横に見ますが、洛中にも拘わらずどちらも大豪邸。

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南側通りからは千体仏塔が遠望

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南に開いた門

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寺の東側の通りを南から」望む

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旧神先家住宅

 特に後者は新選組の本拠地である屯所が最初に置かれた場所。

これだけの敷地を持っていた事が選ばれた理由の一つであることは間違いなさそうです。

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寺の北側の道

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昔風の町家建築

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寺の東側通りを北から望む

 八木邸の銘菓は「屯所餅」、新選組に因んだ命名ですが、地場産の壬生菜が入っており、

退色を防ぐために冷凍品扱い。昔は【新鮮】でなければ食べられなかった品です。

菓子を食べて居れば問題なかったでしょうが、花街の島原も近く、

どうしても酒が入っての諍いが日常茶飯事だったようです。

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東側取りに面して建つ 御菓子司 「鶴屋」

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銘菓 「屯所餅」

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鶴屋 は今も八木家が経営

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店の横には 「新選組」遺跡」 の石碑が建つ

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「鶴屋」 の奥の屯所となった八木家

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亥の刻の錦市場 (京都市中京区東魚屋町)

2024.03.03(20:57) 1747

洛中で若冲(2024.2.28)

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錦市場西入口

 如月も末の八日、会社でのセミナーを終えて夕方からは中京区の蛸薬師通北で慰労会&親睦会に参加。

「蛸焼くし」 ならぬ洋風の食事がお開きになったのは21時過ぎ。

阪急の駅に向かう途中、錦市場を横切ったので、ちょっと道長ならぬ寄り道。

 錦市場は江戸後期の絵師・伊藤若冲の実家である青物問屋があった場所。

その影響か、市場の店舗のシャッターには彼の絵がデザインされています。

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西入口のもう一方にも若冲を代表する鶏図が

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先ず目に飛び込んで来る 「樹花鳥獣図屏風」
現物は静岡県立美術館蔵

『伊藤若冲は、個性的な絵師が登場した江戸時代後期の京都にあって、

一際輝く強い個性で作品を生み続けた絵師である。

初め狩野派や中国絵画を学習して絵画制作の基礎を気付くが、

後にそこから外れて独自の表現を求めるようになる。

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「糸瓜群虫図」
ヘチマの呼称は、糸瓜(いとうり) → 「とうり」 → 「と」 の変遷を経て、いろはのへとちの間から 「へちま」 となる。

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「双鶏図」 が描かれているのは蒲鉾店

 着彩画に於いてはめくるめくような濃彩、極小の細部にまで拘る緻密な描写、画面全体を

豊饒な色彩が埋め尽くす充填性、更には点描画やモザイク画など空前絶後と言っても良い独創的な表現。

水墨画に於いては墨の滲みを効果的に用いた筋目描や大胆に濃淡を使い分ける表現が、

他の絵師には見られない独自の世界を生み出している。

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「竹虎図」  原画は鹿苑寺蔵
猫の様に見えるのは正伝寺の 「猛虎図」 を写したというより実物の虎を誰も見なかったから。

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「雪中雄鶏図」   原画は細見美術館蔵

 絵画の主題も個性的で、生家の青物商に由来する様々な野菜は、野菜涅槃図と言うような、

それまでの日本絵画史には見られないユニークな絵画を生み出した。

釈迦の入滅を描いた涅槃図に擬えて中央に大根が横たわり、周囲には大根の死を嘆く

様々な野菜や果物が描かれている。これは彼が青物問屋の生まれである故であろう。

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「鷲図」

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「果蔬涅槃図」  原画は京都国立博物館蔵
一般には 「野菜涅槃図」 として知られる、若冲の新境地を開いた傑作。

 また動植物を描くと様々な種を克明に再現した博物学的な表現があると思えば、

空想上のユニークな動物も描く。京都の伏見人形は若冲が一貫して好んだ対象であった。

 様々な技法を自在に使いこなしながら個性的で魅力的な作品を数多く残した若冲は、

真に自らの表現を追究し続けた芸術家であった。

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「菜蟲図」  原画は佐野市立吉澤記念美術館蔵

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「菜蟲図」 (続き)
全長11mにも及ぶ絵巻物で若冲最晩年の傑作。重要文化財に指定されている。

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「菜蟲図」 (続き)
前半に98種の野菜・果物、後半に56種の昆虫が彩色で描かれている。

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「菜蟲図」 (続き)

 従来の若冲は家督を弟に譲り、錦市場で絵画三昧の日々を送ったとされてきたが、

近年、明和8年(1771年)から安永3年(1774年)までの錦市場の動向を記した

「京都錦小路青物市場記録」 が発見され、若冲が錦市場の営業認可を巡り積極的に動いた事が判明。

結果として、彼の働きもあって錦市場は窮状を脱することが出来たという。

絵師となった後も、錦市場の顔役としての面を持っていた何よりの証左である。』 とあります。

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「葡萄図」  鹿苑寺大書院障壁画

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「芭蕉雄鶏図」

 若冲の名を始めて聞いたのは1973年の国際文通週間の切手「軍鶏図」の作者として。その時は

「‘いとうわかおき’ って誰やねん?八百屋さんなら軍鶏やなくて大根やろ!」

と思った記憶があります。実際、大根の絵は「野菜涅槃図」という作品になっていました。

半世紀を経てここまでブームになるとは、泉下の若冲本人が一番驚いているでしょう。

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「鶴図押絵貼屏風」

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「竹林双鶴図」

 カメラのシャッターを押していると、丁度シャッターを下ろしている所に遭遇。

どうしようかと迷っていると、親切にも

店主 ; 「どうぞ、お撮り下さい。」

と嬉しい話、シャッターチャンスをものに出来ました。良い機会なので話を伺いましたが、

私 ; 「以前はありませんでしたよね?」

店主 ; 「はい。錦市場400年記念事業の一環です。」

私 ; 「全てのお店ですか?」

店主 ; 「原則、100年以上続く店に描いています。」

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「群鶏図障壁画」

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「石燈籠図屏風」  原画は京都国立博物館蔵

私 ; 「こちらの店舗の絵は動植物ではないですね。」

店主 ; 「この七体の伏見人形は錦市場の有力者七名を描いたとされます。」

私 ; 「それはまた何故ゆえに?」

店主 ; 「伏見奉行の横暴に対して京都所司代に意見書を届けた史実に拠ります。若冲もその一人でした。」

との事。

 従来の若冲は、家業の青物問屋を弟に譲って絵画三昧の生活を送ったと思われていましたが、

近年発見された史料によって、錦市場のために尽力したことが判明。

家業のバックもあって【青果】はあったのでしょうが、単に絵にかいた当主ではなかったと言えます。

 そんな彼の作品が、通りを歩くだけで見られるのも京都らしく、若冲は【故郷の錦を飾った】事になります。

一方で、買い物客や観光客ではなく閉店後にしか見られないものも如何にも京都的。

これも 「いけず」 な京都人気質のなせる業でしょうか?

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「仔犬に箒図」  原画は細見美術館蔵

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「伏見人形図」

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古知谷阿弥陀寺 弾誓上人石廟 (京都市左京区大原古知平) <阿弥陀寺 其の伍>

2023.12.11(20:56) 1669

怪奇!即身仏となった開基(2023.11.26)

<コース> 京阪特急は10分間隔、京都バスは30分間隔で運行
淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (京都バス) → 大原 → (徒歩25分) → 阿弥陀寺

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光明山 法国院 阿弥陀寺(浄土宗)

 本堂で御本尊と対面した後は、廊下を渡ってもう一つの御本尊ともいうべき開山弾誓上人石廟へ。

池を囲む廊下を廻った先がその場所。

書院入口からは廊下を真っすぐに進んだ突き当りにあります。

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本堂入口から見て正面奥にあるのが石廟

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池の向こうには宝物殿と石廟が続く

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回廊から見た書院

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宝物殿入口から
本堂(左)と書院(右)

『石棺の安置されている岩窟は、上人が入定される1年前に当寺で修行中の僧達に依頼して掘らせたものである。

開基弾誓(たんぜい)上人は当寺に在住して4年後の慶長18年(1613年)5月23日正午、62歳で入定示寂。

穀断ち・塩断ちの末、松の実・松の皮を食べ体質を樹脂質化した後、念仏三昧で

石棺の真下に掘ってある二重の石龕に生きながら入り、念仏の声が聞こえなくなった時を以て

空気穴を密閉。端座合掌の姿で即身仏 (木乃伊仏) となった。

日本では最南端かつ最西端の即身仏とされるが、明治15年に信者に拠って

現在の石棺に納められて以降は一切公開されていない。

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石廟奥に収められた石棺

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弾誓上人画像

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阿弥陀寺説明書

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阿弥陀寺御朱印

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石廟入口から廊下を見る

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石廟前の庭園の石組

 開基弾誓上人に遅れること100年、近江国平子山にあって念仏三昧を続けていた澄禅(ちょうぜん)上人は、

弾誓上人の行跡を慕って当山に入山。本坊から4町程上の岩穴にて常坐不臥称名念仏する事5年、

享保6年(1721年)2月4日に70歳を一期として入定したとされるが、彼の即身仏は現在に伝わっていない。

また澄禅上人の入定した場所は禅公窟と呼ばれるが、そこも今は非公開である。』 とあります。

 石廟で石棺の御本尊に参拝した後は、廊下を戻り書院へ。

必ずしも拝観者向けではありませんが、和の装飾と天竺の衝立が置かれていました。

壁には秋篠宮様の写真があり、今でも皇室との所縁が深いようです。

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澄禅上人画像

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書院の間全景

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床の間

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南洋風の衝立と釈迦像

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鷹と松の襖絵
上には秋篠宮様の写真。

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衝立前から書院を眺める

 我が国で即身仏が見られるのは多くが出羽・越後地方で西日本ではここだけ。

加えて即身成仏というのが空海の教えなので真言宗寺院はあっても浄土宗はなし、

とあらゆる点で珍しいと言えます。尤も宗派は弾誓上人の念仏道場から浄土宗に改宗したようですが。

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本堂前の庭園と奥の紅葉

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本堂前から瑞雲閣と書院玄関を見る

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庭園越しに見る瑞雲閣

 普通ならばこれで終わりですが、百年後に弾誓上人に続く澄禅上人が出たのは予想外。

通説では開山弾誓の徳を慕っての来寺となっていますが、私的には彼への対抗心があった気がします。

 そう思うのは即身仏が今に伝わっていないから。

恐らくは目指したものの目的を達せずに終わった、途中で挫折したというのが真相ではないか。

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舟形石

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崖の手前にある庭園と紅葉

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本堂屋根越しに見る紅葉

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書院屋根越しの紅葉

 僧侶であれば俗世間に対して【超然】とすべきですが、或いは自分にも出来ると安易に考えたのでしょう。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」

というのは 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』 (カール・マルクス) の一節で、

ナポレオン・ボナパルト(一世)とルイ・ボナパルト(三世)の比較。

敢えて酷な言い方をすれば、亜流・二番煎じと言う事でしょうが、即身仏には至らず

【俗人仏】に終わったのはそもそも基礎が違っていたというのも強ち奇想天外な考えでは無いように思えます。

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本堂奥の石仏と鐘楼

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これは如意輪観音か?

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鐘楼奥は歴代住職の墓石

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鐘楼奥の六地蔵

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岩を覆う杉苔群

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古知谷阿弥陀寺 本堂 (京都市左京区大原古知平) <阿弥陀寺 其の肆>

2023.12.10(19:57) 1668

尾張の人が人生の終わりに選んだ故地(2023.11.26)

<コース> 京阪特急は10分間隔、京都バスは30分間隔で運行
淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (京都バス) → 大原 → (徒歩25分) → 阿弥陀寺

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光明山 法国院 阿弥陀寺(浄土宗)

 階段を上りきった先の受付で¥500の入山料を払った後は、瑞雲閣を右に見て

正面に建つ本堂へ参拝。堂内には手前にある唐破風の書院玄関から入ります。

 光明山法国院阿弥陀寺(こうみょうさんほうこくいんあみだじ)は、

『慶長14年(1609年)、弾誓(たんぜい)上人が開いた念仏道場が嚆矢。

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書院入口から本堂、石廟へと続く回廊

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書院玄関の唐破風

 開山・弾誓(たんぜい)上人は、尾張国の海辺の村に生まれた。9歳の時に自ら出家し、

美濃国塚尾の観音堂に参篭し、更に同国武芸の山奥に於いて念仏三昧、二十余年の修行を積み重ねた。

 やがて諸国行脚で各地を巡り苦行修練を重ねた末、遂に佐渡ヶ島の檀特山に於いて生身の阿弥陀仏を拝し得た。

そこで授かったのが他力念仏の深義と、帰命十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀仏という尊号である。

その後、弾誓は信濃国の唐沢山及び相模国塔ノ峰にて法益を進めていたが、

漸く時節が到来して最後の修行の地、古知谷へと赴いた。

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玄関前からの本堂の眺め

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本堂近影

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本堂隅より

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本堂の側面

 古知谷へ入った弾誓上人は山中深く分け入り、岩穴に住まいして念仏三昧の日々を送っていたが、

近江国伊香立村の人達との縁でこの地に一寺を建立。寺の名を 「光明山法国院阿弥陀寺」 と名付けた。

村人が弾誓に永住を懇願した所、彼はその願いを聞き入れ自ら霊木を伐り出し、

草刈鎌で自像を刻んで更に自身の頭髪を植え本堂に安置した。

今でも正面の宮殿に安置されている植髪の尊像がこれである。

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本堂前面に掲げられた 「法國院」 の扁額

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回廊前の石組

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書院廊下を往く
右折すれば本堂、直進すれば石廟へ至る。

 正面右側に安置されているのが当寺御本尊の阿弥陀如来坐像。鎌倉時代の作で、

一説には明恵上人の作とも言われる。戦前は国宝、戦後は重要文化財に指定された。

上品上生の印相で、真実の心で深く信ずる心を以て浄土往生せんと願う人々を迎える姿を表している。

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回廊から見た本堂

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本堂入口から玄関を振り返る

 一般に浄土宗寺院では阿弥陀如来のみを本尊とするが、当寺では阿弥陀と共に

弾誓像も本尊とする事から「弾誓仏一流本山」と称する。

当寺には開山上人が常用された法衣・袈裟・念珠・松掛の鉦に加え、

自筆の経六巻、二十通の起請文など多くの宝物を今に伝えている。

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本堂の内部

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御本尊を祀る本堂内陣

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独特の書体で内陣に掲げられた 「光明山 阿弥陀寺」 の扁額

 また当寺は昔から皇族諸家との御縁が深く、安永年間(1772~1780年)には入江御所から

紺地金襴の掛幡と赤地緞子の打敷を、閑院宮より緋大紋綸子の掛幡と御追資料の寄進を賜った

のを始めとして、その後も度々金品の御下賜、御参拝の栄誉に属している。

各宮家からは尊牌の奉納を受けた他、閑院宮並びに有栖川宮の両家からは祈願所の沙汰も頂いた。

殊に有栖川宮幟仁(たかひと)親王は御母君と共に当寺に於いて宗門の奥義である五重の法脈を

相伝されている。以後も、皇族の方々の参拝の栄誉に浴している洛北の名刹である。』 とあります。

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内陣正面に安置された開山弾誓上人仏

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内陣の向かって右に安置された本尊・木造阿弥陀如来坐像

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阿弥陀如来坐像の右手には宗祖?を始めとする諸像が並ぶ

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壁に掛けられた王朝風の緞帳は何時使用?

開山の上人は尾張の国の生まれ、各地で修行を重ねた末に仏を感得した人。

仏教に対する思い入れが強かった事に加え霊感力もあったのでしょう。

山号寺号も修行中に得た尊号から採っています。

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本堂前から玄関方面を見る

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本堂軒下に吊られた駕篭

 当寺は浄土宗寺院ではありますが、元は弾誓(たんぜい)上人が開いた念仏道場だったものを

後に浄土宗が傘下に加えたもの。

御本尊の阿弥陀様に加えて上人自体が御本尊になっている事からもそれと知れます。

 終の住まいとして当山を選んだのは、この地に霊感を得たに違いありません。

もしかすると【こっちだに。】と呼ぶ声が聞こえたのかもしれませんが…。

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本堂前の庭園と瑞雲閣

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本堂前庭園全景

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書院玄関

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瑞雲閣と書院玄関

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古知谷阿弥陀寺 山口玄洞の事 (京都市左京区大原古知平) <阿弥陀寺 其の参>

2023.12.09(18:23) 1667

言動一致の人(2023.11.26)

<コース> 京阪特急は10分間隔、京都バスは30分間隔で運行
淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (京都バス) → 大原 → (徒歩25分) → 阿弥陀寺

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光明山 法国院 阿弥陀寺(浄土宗)

 渓流に沿って映えるカエデを見つつ、9時過ぎに受付着。

いよいよ入山して御本尊に御対面となる訳ですが、周囲を見渡すと幾つかの建物が。

 拝観前に山手にあるお手洗いに向かいましたが、その左方面には建屋が二棟。

柵に仕切られ近付けませんが堂宇にも書院にも見える構造で、崖から張り出した様は懸造でしょうか?

改装すれば旅館の離れとしても十分活用できるように思えました。

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境内の山手に建つ二棟

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手前は崖から張り出した構造に

 受付を入って直ぐに建つ瑞雲閣は、崖の上に聳える茶室の体。

私 ; 「あちらの瑞雲閣は茶室ですか?」

住職 : 「茶室風に造られた書院部屋ですね。」

私 ; 「と申しますと…。」

住職 : 「建物を寄進された山口玄洞(げんどう)と言う方が、自身が見えた時に泊まっていたそうです。」

私 ; 「以前の、御住職ですか?」

住職 : 「いえ、昭和の実業家の方です。」

私 ; 「こちらの檀家さんとか?」

住職 : 「いいえ、宗派を問わず京都市内の多くの寺院に寄進された有名な方らしいです。」

私 ; 「初耳ですね。」

住職 : 「確か尾道出身で寝具で財を成したと聞いています。」

私 ; 「お寺のパンフには載っていますか?」

住職 : 「パンフには記載されていませんが、ネットには載っている人です。」

ガイドやお寺のパンフにも載らない凄い人というのがその時の印象でした。

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お手洗い前からの眺め

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苔生した岩の散紅葉

 山口玄洞は、

『文久3年(1863年)、尾道で医業を営む山口家に生まれる。9歳の時より対岸の愛媛の漢学塾に学ぶが、

明治10年(1877年)父の急死に拠り帰郷。学業を諦め商売の道へ進む。

 翌年、大阪に丁稚奉公に出たのを皮切りに、明治15年(1882年)に大阪伏見町に独立商店を開業。

輸入モスリンを中心に規模を拡大して行く。

明治29年(1896年)、36歳の時に山口家四代目として代々の家名玄洞を継ぎ、

明治37年には多額納税者として貴族院議員に互選された。

その後、いくつもの企業の経営に携わった後、大正6年(1917年)56歳を以て実業界を引退。

後継者の事業に容喙することなく京都市内の本邸にて余生を送った。

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二棟の建屋近影

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高台の建物は宿泊用か?

 玄洞は大阪で財を成したことから、その財産の多くを関西や故郷尾道の公共事業、

慈善事業や寺社に寄付。大正・昭和に於ける寄付金王とも呼ばれた。

初めは教育・医療や災害への寄付が中心で、後には寺社への寄付へと移った。

寺院への寄付に当たっては、

① 由緒正しい寺院であること

② 景勝の地にあること

③ 住職の人格が優れていること

をその条件として挙げたという。

 こうして当時の金額で事前・公共事業に二百数十万円、寺社へは三百万円を超える寄進を行った

玄洞は昭和12年(1937年)73歳にて死去。戦後の昭和42年には尾道市名誉市民1号に選ばれた。』

とあります。

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山へと続く石段

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山側に生える紅葉と手前に建つ石仏群

 実家は医者とありますからそれなりの社会的地位ですが、丁稚奉公も経験しているので、

立志伝中の人と言っても良いでしょう。

戦前は最高税率も今と違って低かったようですから、実業家で寄付をした人は結構います。

それでも高額な寄付は誰にでもできる事ではありません。

加えて玄洞の寄付には、生きた金の使い方をするという哲学が感じられます。

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受付を過ぎて右側にある苔の石組

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瑞雲閣全景

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瑞雲閣入口と手前に置かれた蹲

 寺社への寄付も、それが地元の人や参拝者に還元される事を見越してのもの。

現在の最高税率は八割方なので、こんな寄付は夢物語。代わりに国が税金で賄っていますが、

後世に名前が残る事はないためその効果を考えずに使う所謂バラマキなので対費用効果が薄いのでしょう。

何でも昔の遣り方が良いとは言えませんが、今一度、先達の行為に立ち返ってみるのも必要かと思います。

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瑞雲閣に続く庭園

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石畳を抜け本堂へ

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古知谷阿弥陀寺 古知谷のカエデ (京都市左京区大原古知平) <阿弥陀寺 其の弐>

2023.12.08(20:22) 1666

大原に映える高雄カエデ(2023.11.26)

<コース> 京阪特急は10分間隔、京都バスは30分間隔で運行
淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (京都バス) → 大原 → (徒歩25分) → 阿弥陀寺

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光明山 法国院 阿弥陀寺(浄土宗)

 山門を過ぎると杉木立に囲まれた坂を暫く上りますが、10分程歩いて高い石垣が見えたら目指す寺院。

左手には渓流が流れ「実相の滝」が眼前に。開創は江戸初期と比較的新しいですが、

この滝があることが、ここを寺に選んだ大きな理由に思えます。

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山門を後に参道を往く

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直ぐに門が出現、ここからは上り坂

『往時とは異なり、六町下の若狭街道(通称;鯖街道)には終日自動車の往来が激しいが、

当寺境内は、開山上人が独坐幽棲の地として選ばれた当時の霊域の趣は損なわれていない。

亭々と聳える老樹が全山を覆っているが、殊に当山の紅葉は有名で、

高雄・嵐山と並び、洛北に秋を告げる名木として有名である。

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途中に建つ阿弥陀様の石像と南無阿弥陀仏と彫られた石碑

 参道南側にある樹齢800年の天然記念物の老木を中心に、

三百近いカエデが江戸時代から古知谷の秋を彩っている。

寺の言い伝えに拠れば、このカエデは開山当時、既に老木であったと言う。

このカエデはタカオカエデ、別名イロハカエデとも呼ばれ、本州では福島県以西、

四国、九州の山の谷間によく見られる落葉高木で、春の若葉、秋の紅葉は特に美しい。

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漸く伽藍の見える場所へ

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「禁葷辛酒肉」 と彫られた石碑
禁じるのは修行中の僧侶の欲望を抑えるためだとか。

 阿弥陀寺周辺の古知谷は紅葉の名所として知られるが、このカエデは数あるカエデの中でも

最大のもので、幹に多数の支根が絡みつく特異な形状と併せて古木の風格を感じさせる。

昭和58年(1983年)6月1日には京都市指定天然記念物に指定された。

 冬になると葉の落ちた小枝に雪が降り積もり、その情景は別世界の趣があるが参拝するには少し厳しい。

四月下旬頃より芽を吹き出した新緑の清々しさを求めて、拝観の人々は山内を上るが、

当時の静寂さは失われる事はない。』 とあります。

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紅葉の奥に聳える伽藍

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苔生した石垣と散紅葉

 紅葉の名刹・阿弥陀寺とされるのがここの紅葉。説明にあるように山の谷間に生えています。

タカオカエデという名は京都の紅葉の名所・高雄に由来するのでしょうが、

特定の寺院の名で呼ぶのが憚られるので、イロハカエデの別名があるのでしょうか?

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渓流と苔生した岩

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本堂方面を望むとこのような紅葉が

 阿弥陀寺は本堂を始め堂宇の内部拝観が有料(¥500)で、階段からカエデを見るだけなら無料。

尤もここまで来て¥500をケチって堂内拝観しない人が居るとは思えませんでしたが、

参拝者の邪魔にならないよう注意書きがあったので、意外とそんな人も多いようです。

 受付で入山料を払った際に、

私 ; 「天然記念物のカエデはどの樹でしょう?」

住職 ; 「残念ながら今年の5月に枯死してしまいまして…。」

との事。僅かの差でしたが、かなりの老木だったでしょうから天寿を全うしたと言えるでしょう。

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渓流に沿って石段を上る

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これが 「実相の滝」

 通常、カエデは漢字で楓と書きますが、「そのような悪例は即刻止めるべきだ。」 と

過激とも言える発言をしているのは、誰あろう牧野富太郎。

著書 『植物一日一題』からの引用ですが、その意味する所は

「楓で書かれる植物名は中国語で、それが指している植物は日本語のカエデとは分類上の別種である。」。

このような例はカエデに限らず、サクラ、スミレやハギにも当て嵌まるそうで、

まさに快刀【らんまん】を断つという明快なものでした。

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古知谷阿弥陀寺 古知谷への道 (京都市左京区大原古知平) <阿弥陀寺 其の壱>

2023.12.07(20:38) 1665

紅葉の寺は、こっちだに?(2023.11.26)

<コース> 京阪特急は10分間隔、京都バスは30分間隔で運行
淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (京都バス) → 大原 → (徒歩25分) → 阿弥陀寺

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光明山 法国院 阿弥陀寺(浄土宗)

 晩秋最後の休日、学生時代に世話になった学生寮でのイベント出席のため洛中へ。

イベント自体は昼なので、この機会を捉えて早朝から洛北大原へ。

京阪終点の出町柳駅始発のバスは大原を通って滋賀の朽木まで行くという休日のみ1日2本の運行。

大原より2㎞先の寺院参拝には好都合と乗りましたが、大原からはまさかの違うルート。

慌てて二停留所先で降りて引き返す羽目に。

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朝7時の鴨川

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若狭路(鯖街道)から西へ一筋入った古知平方面への道

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道の奥に見える紅葉の場所が寺院駐車場

 この日の目的地は大原からバスで二つ先の古知谷。

僅かに二駅ですが、大原の喧騒が嘘のような静かな集落。

土地の字は古知平ですが、お寺は山から流れる川沿いにあるので古知谷。

道路から急な坂道を600m程上った先にあり、積雪時は通行が危険となるので、

1~2月は拝観停止なのだとか。冬は寒いとはいえ、

京都市内で冬に拝観停止の寺社があるとは夢にも思いませんでした。

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駐車場に聳える紅葉の大樹

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駐車場の彼方に見える山門

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山門の前後の参道を彩る紅葉

 道路に面した大型駐車場前には寺の案内板が架けられた大きな紅葉が。

流石に紅葉の名所だけの事はあります。入口は封鎖中でしたが9時前には住職が開門。

急がず焦らず本堂へ向かいますが、その手前に建つのが山門。

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紅葉の参道の奥に建つ山門

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山門からは参道が一直線に伸びる

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山門近影

下層を白漆喰塗り込めとした中国風の楼門で、門前の石柱には 「弾誓仏一流本山」 とあります。

本堂へは徒歩で10分程かかりますが、そこに至るまでで紅葉を最も多く見る事ができるのはこの場所。

道路から楼門への参道に集中していますが、楼門が白い中国風であるために深紅の紅葉が一層引き立ちます。

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山門前に建つ石柱

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山門に架かる 「光明山」 の扁額

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山門下より参道を振り返る
但し、道路に通じる参道入口は閉鎖。

 今まで訪問した寺院の中では宇治の興聖(こうしょうじ)寺の風景がここに似た感じですが、

時代考証をすれば【こっち】が宇治を真似たというのが真相の様。

高尚な趣味は誰しも倣いたいのでしょう。

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山門前の散紅葉

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山門の紅葉の脇には常緑樹と石組が

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参道から駐車場方面の眺望

 紅葉の時期の大原といえば何はさておき三千院ですが、元々観光客が多い上に、

インバウンドの影響で8時にも拘わらず、駐車場には既に大型バスが何台も停車。

路線バスもほぼ満員でした。

デュークエイセスの「おんな一人」は「京都大原三千院♪」で始まりますが、

今や 「京都大原三千人、故地に溢れた女が多数」 の状態。

作詞の永六輔さんが存命ならば【大往生】どころではなかったでしょう。

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楓の根元から石組を見る

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杉苔と散紅葉

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山門を抜けて参道を上る

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西本願寺 国宝・阿弥陀堂 (京都市下京区堀川通花屋町下ル 本願寺) <西本願寺 其の肆>

2023.08.20(19:55) 1562

遊び心の詰まったお堂(2023.7.7)

<コース>
【往路】JR京都(6:37) → (山陰本線) → JR園部(7:21→7:25) → JR下山(7:53)

下山駅前 → 徒歩20分 → 大福光寺

【復路】JR下山(9:40) → JR園部(10:13→10:17) → JR京都(10:53) → 徒歩15分 → 西本願寺 → 京都駅前

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龍谷山 本願寺(浄土真宗本願寺派本山) 国宝・阿弥陀堂

 御影堂参拝に続き、もう一方のお堂の阿弥陀堂へ。移動は渡り廊下を用います。

廊下自体は平面でなく、上に向かって続きますが、これは開祖の目線と阿弥陀様の足元を

同じ高さにする工夫だそうです。

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御影堂から渡り廊下を抜けて阿弥陀堂へ

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傾斜のある渡り廊下を行く

 渡り廊下の左手二階に小さな梵鐘が吊るされていますが、これは境内の打刻を告げる鐘。

その下の一階には木の丸太が吊るされ、若い僧侶が木槌で打撃中。何でも丸太で練習を積んだ

僧侶のみが鐘を撞くのを許される慣わし。たかが鐘と侮ってはいけませんね。

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渡り廊下から見える梵鐘

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梵鐘の下の階にて丸太を打つ若い僧侶

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阿弥陀堂側から見た梵鐘と丸太

 そして阿弥陀堂前の廊下に至りますが、長い廊下の途中で堂内に向かい一礼。

説明では御本尊阿弥陀如来の正面だそうで、上から吊るされた燈明が目印だとか。

成程、分かりやすい目印です。

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阿弥陀堂前の廊下を進む

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上から吊るされたこの燈明が御本尊の正面に当たる

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阿弥陀堂内陣へは北側から入る

 内陣へは正面ではなく北側から入りますが、ここで説明を受けて目を床に落として観察。

所々、板に木が組み込まれた箇所があって、これは老朽化部分の補修跡。

初めは単に埋めるだけでしたが、後には色々な模様を組み込むようになったようで、

寺院が指示した訳ではなく、宮大工職人の遊び心だそう。漆喰壁の鏝絵もそうですが、

ちょっとした場所に奔放な遊び心を入れるのが本邦の職人の矜持なのでしょう。

その中に、富士山、鷹、茄子があったのは家康贔屓の職人でしょうか?

案内の星野師は「私の一押しは鷹です。」との事で、図柄が好みかと思いましたが、

「ホークスファンなので」と意外な答え。中々、【なんかい】な答えでした。

このような作品が残ったのもこの場所の老化が激しいからでしょう。廊下だけに…。

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老朽化の補修跡
これは傘と花模様か?

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これは御神酒を入れる器?

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これが「一富士」

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こちらが一押しの「二鷹」

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これが「三茄子」

 続いて内陣へ入り御本尊を参拝。面積から見ると御影堂よりも一回り程小さい筈ですが、

そんな印象は全くなく非常に広大な感じ。金色の欄間や豪華な襖絵は他の真宗寺院と同様ですが、

やはり本山は一味違います。内陣の撮影自由という所も同じでした。

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参拝者が入れるのは木の柵の手前まで

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右側の鳳凰の襖絵

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左側は孔雀の襖絵

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正面に祀られた御本尊の阿弥陀如来

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柱を護る装飾は獅子の模様

 こうして時間通りにツアー終了。広い境内には未だ見所が残っていましたが、集合時間もあり以降に持ち越し。

一度体験したツアーですが解説が面白いこともあって、次回も参加しようと思います。

唯、残り23種のカードのどれが貰えるかは、あみだくじを引くようなものでしょうが…。

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阿弥陀堂から見た阿弥陀堂門

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北側に建つ経蔵

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北東隅を護る太鼓楼

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発表会に続く親睦会の〆のスイーツ

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西本願寺 国宝・御影堂 (京都市下京区堀川通花屋町下ル 本願寺) <西本願寺 其の参>

2023.08.19(18:31) 1561

「お西のお坊さん」ツアー(2023.7.7)

<コース>
【往路】JR京都(6:37) → (山陰本線) → JR園部(7:21→7:25) → JR下山(7:53)

下山駅前 → 徒歩20分 → 大福光寺

【復路】JR下山(9:40) → JR園部(10:13→10:17) → JR京都(10:53) → 徒歩15分 → 西本願寺 → 京都駅前

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龍谷山 本願寺(浄土真宗本願寺派本山) 国宝・御影堂

 ツアーは星野師の案内で御影堂からスタート。その手前には大銀杏がお出迎え。

樹齢400年の京都市天然記念物で通称「逆さ銀杏」。枝を逆さに植えて成長したのかと思いましたが、

解説では、その形が根っこを広げたような形であるのが理由だとか。

そういわれると、上に高く伸びた銀杏とは形が違っていました。

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星野師の解説でツアー開始

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御影堂前の大銀杏、通称「逆さ銀杏」

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大銀杏近影
確かに通常に比べ枝が四方八方に伸びた感がある。

 御影(ごえい)堂は

『寛永13年(1636年)の再建。東西48m、南北62m、高さ29m。441枚の畳が敷かれ、227本の柱で

約115,000枚の瓦を支える世界最大級の木造建築。内陣中央に親鸞聖人の御真影(木像)を

安置する事から御影堂と称する。』 とあります。

 真宗寺院は御影堂・阿弥陀堂等の巨大堂宇が特徴的ですが、ここは桁違いの大きさ。

加えて、通常の 「みえいどう」 ではなく 「ごえいどう」 と呼ばれるのも特徴的。

やはり本山だから一線を画したのでしょう。関取の様に巨大だから【ごうえいどう】と言うのではなさそうです。

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御影堂の屋根を支える多数の柱

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御影堂前の廊下からの眺望

 本堂の前面には通常の寺院より遥かに多い数の柱がお堂を支えますが、

手前の雨樋受石の四隅には奇妙な姿の生き物が。

これは仏法を妨げる天邪鬼で、従来は苦行として石に敷かれているという説明でしたが、

虐待等が厳しくなった昨今では、石を支える手助けをしているという解釈に代わっているそう。

世の中の流れはこんな所にも影響していました。

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堂前の雨樋受石

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四隅を支える天邪鬼
実際は 「受石の中央下に礎があるので邪鬼の負担は軽い」 とは星野師の談。

 続いて御影堂の内陣へ参拝。どこの真宗寺院でも共通ですが写真撮影は全てOK。

唯、フラッシュと法要など読経中は遠慮して欲しい事と出入りの際は一礼するという二つだけ。

至極常識的な御願いと言えます。内陣に入り、御影の前で合掌。

頭上に掲げられた「見真」の扁額はそれ程巨大には見えませんが三畳分の大きさとか。

御影像の御前には陶器製の仏飯が置かれていましたが、中身は何と米一升分。

伽藍に限らず全てに於いて桁違いの大きさ、御前の御膳はビッグサイズでした。

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御影堂内陣の襖絵

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頭上に掲げられた 「見真」 の扁額

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御影堂正面の御影

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御影近影

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米一升分が入る陶器

 こうして御影堂を無事参拝。ツアーで頂いた「お西カード」は御影堂の大屋根の両端に置かれた瓦。

説明では人間の身長より大きく、重さ1トンもあるとか。通常は鬼瓦ですが、ここでの呼び名は獅子口瓦。

魔除けの意味もあるので、鬼でも獅子でも問題はなさそうですが、鬼瓦を造る職人は鬼師(おにし)と

呼ばれるので、【お西さん】に遠慮したのかもしれません。

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「お西カード」 は No.2

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カードのデザインとなった御影堂屋根

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下から見上げた獅子口瓦

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西本願寺 お西さんへ (京都市下京区堀川通花屋町下ル 本願寺) <西本願寺 其の弐>

2023.08.18(23:58) 1560

堀川通に向いた両門(2023.7.7)

<コース>
【往路】JR京都(6:37) → (山陰本線) → JR園部(7:21→7:25) → JR下山(7:53)

下山駅前 → 徒歩20分 → 大福光寺

【復路】JR下山(9:40) → JR園部(10:13→10:17) → JR京都(10:53) → 徒歩15分 → 西本願寺 → 京都駅前

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龍谷山 本願寺(浄土真宗本願寺派本山)
堀川通越しに見る総門

 伝導院を外から見て、周囲に置かれた石像を触らない様に注意して西を見ると正面の門の向こうに

西本願寺が遠望。このまま進むと、総門→堀川通→御影堂門を経て本願寺境内へ。

 総門と御影堂門の間にメイン通り堀川が走るのも不思議な光景ですが、

道が拡張されて道路になったのは明治以降の事。

江戸時代には門の間を街道が通り人が行き交っただけの事。

それで信徒の事を【門徒】と呼ぶのでしょう。

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総門から見た御影堂門

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御影堂門脇に立つ御法語

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御影堂門扉の透かし彫り

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御影堂門柱の基部の獅子の彫金

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境内より見た御影堂門

 堀川通に面しては大きな門が二つ。いずれも壮麗な門なので、隣接する必要もないように思えますが、

北側の阿弥陀堂門の正面には阿弥陀堂、南側の御影堂門の正面には御影堂と、

参拝者の便宜を図ったのでしょう。それだけ多くの参拝者が居たという証拠でもあります。

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堀川通り越しに見る阿弥陀堂門

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阿弥陀堂門近影

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阿弥陀堂門の向こうに建つ阿弥陀堂

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阿弥陀堂門の透かし彫り

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御影堂門柱の基部は龍の彫金

 龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)は、

『親鸞聖人を開祖とする浄土真宗本願寺派本山。「西本願寺」或いは「お西さん」と通称される。

本願寺は親鸞聖人の娘である覚信尼と聖人を慕う人々が京都東山大谷西に建立した廟堂が起源。

その後、第3代宗主覚如が廟堂を寺院化し、本願寺の礎を築いた。

中興の祖である第8代蓮如の布教に拠って真宗教団が成立。

第11代顕如は大坂の石山本願寺に拠って織田信長に対抗した。

和平に拠って大坂を退去した後、豊臣秀吉から寺地の寄進を受け現在の京都堀川に寺基が定まった。

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門前に建つ沿革

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庶民的な顔ハメ

 現在、境内には国宝の阿弥陀堂・御影堂の両堂を始め、唐門や書院、飛雲閣などの建造物や、

重要文化財の経蔵・手水舎等が残り、平成6年(1994年)に「古都京都の文化財」として

「世界文化遺産」に登録された。』 とあります。

 先ずは、お茶所(総合案内所)でスタンプ押印して、御朱印がなく代わりに

無料の法語(ほうご)を拝受。何でも御仏の言葉だそう。

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お茶所で入手した説明書

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御朱印はない代わりにスタンプが設置

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加えて法語を拝受

 そうこうしていると、

「今から、境内案内が始めるので、良かったら参加下さい。途中で抜けて貰っても大丈夫です。」

と尼僧?の方が仰るので、手水舎前に集合。

申込み不要で無料、1日4回(10:00~、11:30~、13:45~、15:30~)、各回約30分。

“お西さんを知ろう!”というこんせぷとで、総勢30名の「お西のお坊さん」が本願寺の境内を案内するツアーで、

それぞれが個性的な話をするのが売りだとか。事前に調べてもいなかったので、これも棚ぼたでした。

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お茶所に展示されている重文・梵鐘

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手水舎から見た阿弥陀堂

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手水舎から見た御影堂

 話も面白かったですが、参加者には「お西カード」が配布。

ツアー参加者のみに配られる限定カードで、全部で24種。右下には024(おにし)と記されていて、

どれが当たるか分からないそうです。案内頂いた星野師の話では、

「いままでコンプリートされた方は二名いらっしゃいましたが、一人は地元で半年。もう一人は遠方で、4年半かかりました。」

との事。

りぴーたーを狙っての話でしょうが、真宗が日本で一番信徒数が多いのは、こういった事にも理由がありそうです。

 マンホールカードに始まり、歴史カード、ダムカードと続きますが、無料(キャッシュレス?)でカード化するのは

時代の流のようです。私が集めるかどうかは神のみではなく、御仏のみぞ知り給う事でしょうが…。

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手水舎の青銅の龍

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西本願寺 お西さんへの道 (京都市下京区堀川通花屋町下ル 本願寺) <西本願寺 其の壱>

2023.08.15(18:30) 1559

堀川通を挟んだ両門(2023.7.7)

<コース>
【往路】JR京都(6:37) → (山陰本線) → JR園部(7:21→7:25) → JR下山(7:53)

下山駅前 → 徒歩20分 → 大福光寺

【復路】JR下山(9:40) → JR園部(10:13→10:17) → JR京都(10:53) → 徒歩15分 → 西本願寺 → 京都駅前

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龍谷山 本願寺(浄土真宗本願寺派本山) 本願寺伝導院本館

 早朝出発の甲斐あって御朱印ゲットして京都駅に戻ったのが10時53分。

さてあと2時間あるなと思っていると、会場の北には西本願寺があるのを思い出して参拝。

前回の平成4年は世界文化遺産の前だったので、さぞかし観光客が多いのではと思っていましたが、

平日なので、思った程ではありませんでした。

 堀川通りの西に面して建つお西さんですが、一筋東の油小路通りを北上。

観光客や車の混雑を避ける意味もありますが、もうひとつは門前町の雰囲気を味わうため。

 西本願寺の門前は東本願寺の門前と同様に仏具屋さんを主とする町筋。

観光客でごった返す市内の観光名所に比べると人通りはグッと減りますが、

その分落ち着いた気持ちで参拝に向かうことが出来ます。

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右手に法衣店を見て油小路を北上

『約400年前に西本願寺が豊臣秀吉から土地の寄進を受け寺域を定めた際に、

周囲に作られた広範な寺内町が始まり。

通りを北上すると周囲とは一線を画したインド風建築の建物が目に入るが、これが本願寺伝導院。

 これは明治28年(1895年)4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋で、

東京帝国大学教授・伊藤忠太の設計、竹中工務店の施工に拠って明治45年に竣工。

当初は本館に加え、付属屋・倉庫(二棟)・物置・人力車置場・便所・屋根付伝い廊下から成っていたが、

現在残るのは本館のみである。

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正面より見た伝導院本館

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教会風にも見える本館入口

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正面の屋根の建物

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二階の窓部分

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後方の屋根
端に載っているのは擬宝珠?

 伊藤忠太が提唱した石材や鉄に依存しつつも、欧化でも和洋折衷でもない日本建築の木造伝統を進化させる、

所謂「建築進化論」を明確に表現した建物で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、

塔屋の形態などにイスラム様式、日本の伝統的様式が用いられている。

現在は本願寺伝導院として、浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用される。』 とあります。

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石杭の上の龍の彫像

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こちらは象の像

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石像は触れるの禁止!

 伊藤忠太と本願寺と言えば、直ぐ築地本願寺の建物を思い出しますが、こちらも似たインド風建築。

お釈迦さまは天竺の出身なので、問題はなさそうですが、周囲と比べるとチョット浮いた気がします。

【仏具】を醸す事はなかったのでしょうか?

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仏具店の並ぶ通りの奥に西本願寺の門が建つ

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平安神宮 中神苑と東神苑 (京都市左京区岡崎西天王町) <神苑 其の弐>

2023.06.25(20:03) 1509

深遠or深淵な神の苑(2023.6.17)

<コース> 阪急・市バス共に頻発
大阪梅田 → (阪急電鉄) → 京都河原町 → (市バス301系統) → 岡崎神社前 → 岡﨑神社 → 徒歩5分 → 平安神宮・神苑

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東神苑(国指定名勝)

 南神苑から本殿後方の道を抜けた場所にあるのが中神苑。

細い道の脇には水が流れ、「生き物、貝を採らないで」の掲示が。「カワニナでも居るんかいな!」と

覗いてみると、なんと大きなカラスガイが砂から顔を覗かせています。

貝は水の浄化に効果があるとか。そこをを進むと明るい視界が開けます。

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小径を抜けて中神苑に出る

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中神苑の蒼龍池の睡蓮

『中神苑も西神苑と同じく平安神宮創建時に作庭されたもので、七代目小川治平兵衛が手掛けた。

庭の中央には蒼龍池があり、池の東側の大島(珊瑚島)から北岸にかけては、

古石柱や梁を用いた沢飛び「臥龍橋」がある。これは龍が臥す姿を象って名付けられたもので、

使用された石材(向川石)は天正17年に豊臣秀吉が造営した三条・五条両大橋の橋脚である。

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池に造られた臥龍橋
別段、上が臥龍の松という訳ではない。

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珊瑚島へ点々と続く臥龍橋

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南側から見た蒼龍池と臥龍橋

 また光格天皇御遺愛の「折鶴」と言う珍種も含め、池を囲んで杜若が群生し、

水面には睡蓮や河骨が咲き、初夏には風趣に富んだ景色となる。

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池はこのような浅瀬を経て南の池へと続く

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北側から東神苑を望む

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池の中央付近に架かる泰平閣(橋殿)

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池の畔には尚美館(貴賓館)が建つ

 その南に続く東神苑は、明治末期から大正初期の造営。

京都御所から移築された泰平閣(橋殿)並びに尚美館(貴賓館)があり、広大な栖鳳池には

鶴島・亀島の二島を配し、その周囲には八重紅枝垂桜を始め皐・椿など多様な花木が植栽され、

水面に映る花々は格別の風情を醸している。

東山を借景とした神苑は明治時代を代表する庭園である。』 とあります。

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鶴島・亀島の向こうに見える泰平閣

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池の向かいから尚美館を望む

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いよいよ泰平閣を渡る

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泰平閣の屋根裏構造

 入口の池に置かれた飛石は何と近代の代表的作庭家・小川治兵衛(植治)の作。

このような作品をさらっと置いてしまう所も神苑の懐の深さと言えます。

尤も説明を見なければ素通りしてしまう人も多いでしょうから、

説明板が無ければ【臥龍点石を欠く】感は否めませんが…。

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橋上から見た二島と尚美館

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尚美館遠望

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橋上から南側を見る
正面の建物は平安神宮会館(披露宴会場)。

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尚美館の玄関

 西から東へ移動しただけで様子は一転。

広い池の周囲には楼閣が建ち散策するも良し、立ち止まって眺めるのも良し。

植物園主体の西に対して東は庭園が主体。

平安京は右京と左京で趣が異なりますが、神苑もそれを意識しているのでしょう。

生物学の西に対し、東は日本文化史とも言えます。なるほど深淵な池がある深遠な庭でした。

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西側から見た泰平閣

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泰平閣中央の鳳凰閣?

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13時からの公開講座前に生協で軽め?の昼食

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平安神宮 西神苑 (京都市左京区岡崎西天王町) <神苑 其の壱>

2023.06.24(20:00) 1508

神苑に市電!(2023.6.17)

<コース> 阪急・市バス共に頻発
大阪梅田 → (阪急電鉄) → 京都河原町 → (市バス301系統) → 岡崎神社前 → 岡﨑神社 → 徒歩5分 → 平安神宮・神苑

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西神苑(国指定名勝)

 岡﨑神社参拝の後は、西へ歩いて平安神宮へ。

今更、平安神宮参拝もないですが、この日のお目当ては神苑の花菖蒲。

平安神宮は桓武天皇に拠る平安京遷都から1100年に当たる明治28年(1895年)に、

桓武天皇の偉徳を称え京都の祖神として祀るために市民が中心となり建立。

平安京の正庁、朝堂院の様式を復元して同年3月15日に御鎮座。

皇紀2600年に当たる昭和15年10月19日には孝明天皇の御神霊の御鎮座も見ました。

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應天門の内に広がる境内

ですから由緒は120年余り、古社の多い京都市内にあっては新参者もいいところですが、

平安京創始の桓武天皇と最後の孝明天皇という二柱を祀るが故に、京都市民は元より

広く国民に崇敬されるようになりました。余談ですが、遷都に関しては天皇より詔勅が出ますが、

江戸遷都の詔勅は今に至る迄出されていません。京都人が度々口にする言葉です。

大極殿左にある朱色の白虎楼が神苑への入口。この楼閣は東の蒼龍楼と共に平安京朝堂院の様式を模したもの。

屋根は四方流、二重五棟の入母屋造・本瓦葺が施されていますが年代はいずれも明治初期。

それでも国の重要文化財に指定されているのは流石と言えます。

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正面から見た白虎楼

 平安神宮は南の應天門から大極殿までは塀で囲まれていますが、その内側は白砂が敷かれ植物は疎ら。

それが塀を潜ると、いきなり樹木が茂り回遊式池がある日本庭園が出現。全くの別世界になります。

尚、境内参拝は無料ですが、神苑は入場料¥600が必要です。

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入口を過ぎて現れる紫陽花

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順路に従うと北側に池が出現

 神苑は、

『平安神宮の神域を囲む東・中・西・南の四区分され、広さは30,000㎡、明治の代表的庭園として

国の名勝にも指定されている。

本殿に向かって左手にある南神苑は明治28年の創始以来、八重紅枝垂桜の名所として親しまれて来た。

昭和44年(1969年)には孝明天皇百年祭の記念事業として、平安時代の特色である野筋(道筋)と遣水が設けられた。

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白花菖蒲と睡蓮

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花菖蒲は水辺と土の中間付近が多い

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花菖蒲の咲き具合も様々

 また昭和56年(1981年)には代表的文学書である竹取物語・伊勢物語・古今和歌集・

枕草子・源氏物語に登場する草木、約180種を植栽して、

王朝文化を偲ばせる「平安の苑」と名付けた。』 とあります。

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睡蓮も見頃を迎えている

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ピークを過ぎた花菖蒲

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睡蓮のピンクの花

 日光が燦燦と降り注いで暑い位の境内から一転して、涼しく感じる庭へ。

遠くから来た参拝者に癒しを与えてくれるポイントです。

古い京都では創建から130年しか経っていませんが、短期間によくぞここまで整えられたものと感心します。

特に多様な植物は現在のダイバーシティを先取りしたもの。

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こちらは赤色の睡蓮

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これはオモダカ(沢潟)か?

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オモダカの花はこんな色?

 岡崎動物園はありますが、植物園はなし。この神苑を岡崎植物園にする意図があったかどうかは

分かりませんが、結果的にはそのような形になっています。

動物は動き回るので、見ているだけで癒されますが、動く事のない植物は見て想像を廻らす必要が。

種類毎に和歌など古典の引用があるのはその王朝文化に想いを馳せる一助と言えます。

奈良には万葉植物園がありますが、京都では神苑がその役目を果たしている気もします。

勿論、府立植物園もありますが…。

お目当ての花菖蒲ですが、先週くらいがピークだったそう。【深遠】な神苑で花菖蒲を堪能する積りが

花の盛りは短くて…。【勝負】処を間違えたようです。

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花菖蒲近影(その一)

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花菖蒲近影(その二)

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花菖蒲近影(その三)

 その庭の片隅にひっそりとあるのがかつての路面電車。明治44年製造の現存する

国内最古の車両で重用文化財。文化財の駅舎は知っていましたが、電車にも及ぶとは初耳です。

応仁の乱ではなく先の大戦での供出を免れて残っただけでも国宝級ですが、

それが無造作に置かれているのは如何にも京都。【露面】だけに雨曝しも気にしないのでしょうが、

梅小路博物館に展示されないのが旧国鉄の縄張り意識とすれば、再考する必要がありますね。

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展示中?の路面電車は重用文化財でもある

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電車の解説

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岡﨑神社 境内の兎 (京都市左京区岡崎東天王町) <岡﨑神社 其の弐>

2023.06.23(21:41) 1507

兎多いし、彼の山(2023.6.17)

<コース> 阪急・市バス共に頻発
大阪梅田 → (阪急電鉄) → 京都河原町 → (市バス301系統) → 岡崎神社前 → 岡﨑神社 → 徒歩5分 → 平安神宮・神苑

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岡﨑神社(旧郷社)
拝殿の前に鎮座する狛兎(平成23年建立)

 平安京の王城鎮護として創建された岡﨑神社ですが、当社を一躍有名にしたのは境内に置かれた多数の兎。

岡﨑神社は

『桓武天皇の延暦13年(794年)、平安京遷都の際に王城守護のため平安京の四方に

建立された社の一つで、都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称した。

御祭神として素戔嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめ)及びその御子三女五男八柱神を祀る。

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鳥居脇の兎提灯

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神職宅玄関の兎電燈

 また往時背後の紫雲山を始め境内一帯がウサギの生息地であった事から、兎は氏神様の使いと伝えられ、

ウサギが多産であることから子授けの神として祈願信仰されている。

境内には本殿や境内の灯篭・狛兎・斎館等にウサギの彫刻像が数多く見られ、

特に手水屋形にある子授けうさぎ像は参拝者の人気を集め、御祭神が八柱もの御子神をもうけられ、

ウサギが多産である事から子授けの神として祈願信仰されている。』 とあります。

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拝殿手前にある手水屋形と御旅所

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屋形内にある厄除子授兎(やくよけこさずけうさぎ)
昭和55年復元と札に記載。

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子授兎近影
妊娠中の女性は、兎のお腹をさすると安産の御利益があるので何人かが撫でていた。

 国内で兎と言えば因幡の白兎神社、洛南の宇治神社が双璧ですが、最近急速に人気が出て来たのが当社。

神話伝説を持つ前二社に比べ当社にはそのような伝説はなし。しかしその分、真実を伝えている気がしてなりません。

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奥に建つ神職宅?

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玄関の兎紋

 由緒記には境内一帯がウサギの生息地だったからとありますが、鎮座したのが都の東、即ち卯の方角だった

というのが本来の理由の筈。境内に兎が居たと言うのは嘘ではないにせよ後付けの気がします。

すぐ東には白川通りが走り東山も近く、私も学生時代に野兎を何度か見ました。

いまも神社はこぢんまりとした森に囲まれているので、兎を目にする事もあるでしょう。

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拝殿前の舞台には奉納?の兎おみくじが並ぶ

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欄干にも兎が並ぶ

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兎おみくじ ¥500 は社務所にて

 ふと見ると能舞台の横に石碑が建ち、三善清行(みよしきよゆき)卿邸趾の文字が。

清行朝臣は菅原道真とほぼ同時代に活躍した文人貴族。漢詩・儒学の他、歴史・天文学にも精通し、

辛酉革命説に拠って901年「延喜」の改元を実現させました。道真程出世はしなかったにせよ、

最終的には参議に至り平安京で71歳の天寿を全うしたのは道真にはない幸運でした。

そんな彼が棲んだ位ですから、学問に集中できる環境だったのでしょう。或いはパワースポットを感じたのでしょうか?

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参道より見た能舞台?

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能舞台内陣

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舞台脇に建つ三善清行卿邸趾碑

 ところで当社の御祭神は素戔嗚尊。大国主命と兎なら分かりますが、素戔嗚尊なら相手は八岐大蛇。

因幡の白兎はありますが、出雲の白兎と言うのはありません。

そのせいか御祭神と兎は一緒にはならず、境内は専ら兎が占領して、御祭神は絵馬だけ。

兎の像もリアルではなく可愛らしくデフォルメされていましたが、

平成23年と令和元年の建立ならば分かる気もします。

 特に拝殿前には「招き兎」の像がお出迎え。招き猫の兎バージョンですが、

境内に並んだ兎の像を見ると、世田谷豪徳寺の招き猫を彷彿とさせます。

招き猫からは「ひこにゃん」が生まれましたが、当社からは「おかぴょん」でも生まれるでしょうか?

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神職宅前に置かれた母子兎 は平成22年の奉納

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舞台前の狛兎
境内で尤も漫画チックな像。恐らく最新バージョン?

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拝殿に置かれた招き兎

 境内には兎の石像だけでなく兎をあしらったデザインが提灯、社務所の扉、狛犬の台座等

処々に見られます。加えて一羽の兎、二羽が向かい合ったものなどバージョンも多様。

御朱印を御願いすると兎を象った印が押してあったので、

私 ; 「これが、御社の神紋ですか?」

と伺うと、若い巫女さんは分からなかったようで、神職夫人と思われる方が

夫人 ; 「あちらの御旅所の扉の上にある二つがそうです。」

言われるままに行ってみると、三つ巴と丸木瓜と思しき紋が二つ。

兎とは全く関係ありませんでした。

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御旅所前にて

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絵馬に描かれた朱色の図柄は社紋ではなく上の金色が社紋になる

個人的には兎紋にした方が良い様にも思えるのですが、諸般の事情があるのでしょう。

素戔嗚尊、兎と神紋の三つ巴は暫く続く事になりそうで、中々三善とはなりそうもありません。

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岡﨑神社御朱印

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岡﨑神社 (京都市左京区岡崎東天王町) <岡崎神社 其の壱>

2023.06.22(21:04) 1506

スサノオファミリーのお宮(2023.6.17)

<コース> 阪急・市バス共に頻発
大阪梅田 → (阪急電鉄) → 京都河原町 → (市バス301系統) → 岡崎神社前 → 岡﨑神社 → 徒歩5分 → 平安神宮・神苑

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岡﨑神社(旧郷社)

 水無月も中の七日が、13時から京都市内で開催される公開講座のため朝から左京区岡崎へ。

バスを降りた場所は今出川通の北に面して鎮座する岡﨑神社。

この辺りは何度も訪れていますが、未訪どころか名前さえ知りませんでした。

卯年の今年、境内に兎が居る映えスポットとしてマスコミ等で取り上げられて初めて知った次第です。

 年始は参拝者でごった返えするでしょうが、流石に水無月ともなれば沈静化するだろうと

思っていましたが、入口には9時というのに既に大勢の人が。

直ぐに観光バスが来て混雑は解消されましたが、観光コースに入っていたのは驚きでした。

同じ時刻の鴨川の河原が閑散としていたのと対照的です。

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河原にアベックの並ぶ姿も殆どない朝8時台の鴨川

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丸太町通りの北に鎮座

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鳥居の正面に建つ拝殿

 岡﨑神社は、

『桓武天皇の延暦13年(794年)、平安京遷都の際に、王城守護のため平安京の四方に

建立された社の一つで、都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称した。

御祭神として素戔嗚尊・奇稲田姫命及びその御子三女五男八柱神を祀る。

 清和天皇が貞観11年(869年)に造営し、播磨国広峯から祭神(牛頭天王)を迎え祀ったと言われ、

当時当地にあった東光寺の鎮守社の役目を果たした。

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鳥居左手の手水舎とその奥に聳える巨木

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由緒記の駒札

 治承2年(1178年)には高倉天皇の中宮徳子の御産の奉幣を賜った事から、安産の神として祈願する信仰が生まれた。

御祭神の素戔嗚尊が出雲国の簸の川で、八岐大蛇から奇稲田姫命を救うため、十拳の剣を振るい見事退治。

その後、姫と固く結ばれ夫婦神となられたという有名な故事から縁結びの神としての信仰が篤い。

また創始時の王城守護方除けの勅願に拠り、現在も方除厄除神としての信仰が絶えない。

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参道で最初に現れる社務所横の狛兎
本田宮司に拠り令和元年御大礼奉祝で建立。

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こちらは左側の狛兎

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兎に目を奪われがちだが狛犬もきちんと鎮座

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拝殿前の狛兎
左右で阿吽の像となっている。

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狛兎から鳥居方面を見る
この像は平成23年卯年一月に本田宮司が建立したもの。

 元応元年(1319年)には後醍醐天皇に拠って社殿を再建、正一位の神階と神宝を賜る。

また室町中期には足利義政が修造、幕府との関係も深く、平家物語では官幣四十一社に加えている。

しかし応仁の乱の戦禍に遭い寺は焼失、神社のみが残り、慶長年間に現在の社名に改称された。

 明治時代になり郷社に列せられたが、昭和9年(1934年)の第一室戸台風で拝殿は倒壊。

後に再建され今に至っている。』 とあります。

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正面から見る拝殿

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拝殿の唐破風

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拝殿に掲げられた「扁額」

 地名と同じ社名なので、てっきり近年にどこかから勧請されたお宮さんと思っていましたが、

ところがどっこい創建は平安京遷都まで遡り、しかも王城鎮護の役目を担ったという古社。

岡崎地区と言えば何はさておき壮麗な平安神宮ですが、平安神宮が創建130年に対し当社は1230年。

御祭神も平安神宮の桓武・孝明天皇に対し、当社は素戔嗚尊と神話時代。

「社広きが故に貴からず」ではないですが、平安京を本当に守ったのは当社と言っていいでしょう。

 唯、知名度が低いのは社名が東天王社から岡﨑神社に代わったからとも思えるので

安易な改称は疑問です。それで問題が解消する訳ではありませんので…。

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拝殿の脇を抜け後方の本殿へ

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拝殿に続くこちらが本殿か?

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本殿後方の杜
町中にこのような杜があるのは珍しい?

 御祭神は八岐大蛇退治で有名な素戔嗚尊とその家族。御利益が武勇ではなく安産・多産・恋愛とは

ちと不思議ですが、夫婦仲睦まじく子宝に恵まれたのがその理由だそう。

唯、三女五男の計八人の子供は取り立てて多産と言う程ではありません。

末広がりの八なのか、八岐大蛇に由来するのでしょうか?

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岡﨑神社御朱印

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御朱印拝受時に頂いた由緒記

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境内奥に建つ摂社

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摂社前の石碑は「雨社」 と読めるが

 といって境内を見渡しても、スサノオファミリーの痕跡は目にすることはできず、飛び込んでくるのは兎ばかり。

などと思いながら歩くと、漸く絵馬殿で素戔嗚尊と八岐大蛇退治の絵馬に遭遇。

軒を貸して母屋を取られると言うべきか、スッピンオフと呼ぶのかは分かりませんが、

神様の世界も栄枯盛衰はあるようです。

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摂社・宮繁稲荷神社

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絵馬殿

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奉納された素戔嗚尊と八岐大蛇退治の絵馬

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桂地蔵寺 (京都市西京区桂春日町)

2022.04.23(22:15) 1091

カツラの似合うお地蔵様(2021.11.27)

<コース> 嵐山線は日中15分間隔で運転
阪急梅田 → 桂 → 嵐山 → 徒歩20分 → 千光寺 → 徒歩15分 → 法輪寺 → 徒歩5分 → 嵐山 → 桂 → 徒歩5分 → 地蔵寺

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久遠山 地蔵寺(浄土宗 京都六地蔵)

 嵐山から阪急電車に乗り桂で京都線に乗換。但し、この日は桂駅近くの京都通称寺へ立ち寄り。

桂付近で地蔵といえば、上桂の地蔵院が知られますが、この日に向かうのは地蔵寺。

久遠山地蔵寺(くおんさんじぞうじ)は

『平安時代の貴族、桂大納言、源経信、伊勢女等がこの桂の地に山荘を営み、

桂河原で月を愛でたと言うのが寺の嚆矢とされる。

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道路に面した地蔵寺入口

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入口から境内を望む
丁度、通り雨が上がった所。

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本堂への参道
全体的に樹木が少なく、境内が広い印象を与える。

 本尊の地蔵菩薩は平安初期の公卿・小野篁が一度息絶えて冥途へ行き、生身の地蔵尊を拝して甦った後、

一本より六体の地蔵菩薩を刻んだ尊像である。

篁はその六体の像を伏見の六地蔵の地に安置したが、この地蔵を深く信仰した後白河天皇は平清盛に勅命を下し、

保元2年(1157年)に都の街道の入口の六ケ所に六角堂を建てて一体ずつ御尊像を分置した。

これより京都の宗教行事として広く庶民に親しまれる「六地蔵巡り」の風習が起こった。

この内の一つがこの桂地蔵で、世に姉井地蔵菩薩(2.6m)と呼ばれている。

元は八条殿の近く七条西山陰街道にあったが、室町中期に現在の地に移築された。

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参道正面に建つ本堂と客殿(右)

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本堂近影

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本堂の庇と向拝

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本尊の地蔵大菩薩(説明書より)
極彩色、木造、台上八尺五寸の伝小野篁作とあるが…。

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本堂前から入口を見る

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本堂屋根瓦
ここに刻まれているのが寺紋か?

この地蔵尊については次の様な逸話がある。

 その昔、山陰道を毎日普請する白髪白髯の老人が居た。彼は人、牛馬や車が困らぬようにと溝土を上げて穴を埋め道を直した。

村人は不思議に思い、日の落ちるのを待ち後を付けたが、桂地蔵の裏藪で姿が見えなくなった。

村人達はかの老人は桂地蔵の化身と語り、旅の守り仏・交通安全のお地蔵様と呼ばれるようになったと言う。

本堂には地蔵菩薩・薬師如来が祀られ、開基当時のものと思われる石造宝篋印塔、六地蔵尊、

石造小仏群が境内にある。現在の伽藍は平成19年に落慶法要を営み、新たな本堂・客殿・庫裏となった。

客殿中庭には樹齢400年の五色の散椿があり、3月から4月にかけて咲き誇る様は非常に幻想的である。』

とあります。

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鎌倉時代から使われている宝篋印塔

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境内の石像群
左から日比地蔵、子安地蔵、水子地蔵

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石造六体地蔵尊
自然石に地蔵尊六体を刻んだもの。

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稚児養育地蔵尊

 阪急桂駅から桂離宮に向かって進むと左手に大きな門構えが。

そこが目的の桂地蔵ですが、境内の堂宇が真新しいので古刹の雰囲気は感じません。

客殿に続く庫裏で御朱印拝受。京都の通称寺になるので、御朱印対応は速やかでした。

唯、本堂内陣へは入れず窓越しにお地蔵様を拝んだのみ。

また客殿に入る事もできなかったので、中庭の五色椿も拝めず仕舞いでした。

 拝観の有無についてはあくまで寺院独自の対応なので仕方がありませんが、

菩薩の中では最も庶民的な地蔵菩薩様なのでもう少し、庶民目線でも良かったのではないかと思った次第です。

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客殿玄関の唐破風

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客殿前の植込み

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水琴窟

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かつての井戸と水盤

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桂地蔵寺説明書

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桂地蔵御朱印 (京の通称寺)

 参拝後は、俄雨が降り出したので雨宿りを兼ねて昼食探し。

桂川へ向かう途中に離宮と言うオムライスの店がある筈でしたが、どこを探しても見つからず。

やはり四半世紀前のガイドでは無理がありました。

気を取り直して土産の和菓子店へ向かいましたが、幸いにもこちらは営業中。

しかも店内で食事もできるようになっていました。そこでお茶漬けを注文しましたが、

周囲を見ると皆さん、食事と甘味をセットで頼んでいる様子。私も右へ倣えで追加注文。

密を避けた洛西巡礼ですが、最後は蜜で〆とはなりました。

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御菓子司 中村軒
創業明治16年、桂離宮の道路を挟んだ向かいにある。

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店内の様子
御菓子を運ぶ入れ物が展示されている。

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昼食は「鰻茶漬け」

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白玉餡蜜を追加注文

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家族への土産

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麦代(むぎて)餅と猪子餅
麦代餅は田植え時の間食だったため、通常の餅に比べて大ぶりである。

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嵯峨の虚空蔵さん (京都市西京区嵐山虚空蔵山町)

2022.04.22(23:16) 1090

十三参りと針・漆・電気(2021.11.27)

<コース> 嵐山線は日中15分間隔で運転
阪急梅田 → 桂 → 嵐山 → 徒歩20分 → 千光寺 → 徒歩15分 → 法輪寺

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智福山 法輪寺(真言宗五智教団)

 千光寺境内で嵯峨野の眺望を堪能した後は嵐山駅に戻って桂へ向かいますが、その途中にある法輪寺へ立ち寄り。

嵯峨野の寺社の大部分は渡月橋を渡った側にあり、手前にあるのは千光寺と法輪寺くらいのもの。

知恵の虚空蔵さんの流麗な御朱印

で参拝済ではありますが前回(2017.4.30)は春、今回は秋という事でまた違った景色があると言うもの。

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嵯峨街道に面して建つ寺標

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境内へ続く橋
但し、振り返ってはいけないのはこの橋ではない!

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由緒記駒札

 京都市内には法輪寺という名の有名寺院が二ヵ所あるので、区別し易いように通称で呼ばれる事が主。

上京区にあるものは達磨寺、ここ西京区にあるものは嵯峨虚空蔵、嵯峨の虚空蔵さんとして知られます。

会津柳津、伊勢朝熊と並んで日本三大虚空蔵さんと地元では言われていますが、

茨城の東海村は何処へ行ったのでしょうかね。

嵐山駅から歩いてすぐの嵐山中腹にある智福山法輪寺(ふくちさんほうりんじ)は

 『真言宗五智教団の京都本山で、寺伝によれば、和銅6年(713年)元明天皇の勅願で行基が創建した葛井寺

(かづのいでら)が嚆矢。その後、天長6年(829年)空海の弟子道昌(どうしょう)が中興して虚空蔵菩薩を安置。

貞観16年(874年)には伽藍が整備され、寺号も葛井+寺(かづのいでら)から法輪寺に改称した。

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法輪寺山門

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山門脇の紅葉

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土塀前の南天
‘難を転ずる’から植えられえているとか。

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山門に続く階段

 平安時代には清少納言の『枕草子』の寺の段に代表的寺院として挙げられるなど、多数の参詣で隆盛を極める。

その後、応仁の乱や蛤御門の変で兵火を受けるが都度再興、現在に至っている。

 本尊の虚空蔵菩薩は知恵と福徳を授かるため、数えの十三歳の男女が全国から「十三参り」に訪れる。

平安時代に清和天皇が廃針を納めた針堂を建立したことから針供養が行われる他、惟喬親王の故事から

漆寺としても知られる。また境内には電気・電波守護の電電宮社が祀られている。』 とあります。

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電気電波関係者の霊を顕彰する電電塔
左右のレリーフは電波研究者のヘルツ(左)と電気研究者のエジソン(右)。

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電電塔の説明

創建当初の名前は葛井寺(かづのいでら)、五穀豊穣・国家安穏・産業興隆を祈願するように天皇から

【げんめい】があったようです。法輪寺では和服姿の子供が多く十三参りだとか。

密教の秘法に「求聞持法」というのがあり虚空蔵菩薩の真言を唱えると記憶力が飛躍的に伸びるといわれます。

干支が一巡する数え13歳になると虚空蔵さんに知恵を授けて貰うそうで、京の子供達は3月13日から5月13日の間に

渡月橋を渡ってお参りする習わしがあります。確か、好きな漢字を一字書いて貰ったと記憶しています。

帰る際に渡月橋を渡るときに振り返らないのが鉄則。授かった知恵を返してしまうそうで、

洋の東西を問わず振り返る事には禁忌があるようです。

前回は春なので、和服姿の子供が多かったですが、今回は秋なので、参拝者はぐっと減っていました。

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階段途中から山門を振り返る

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階段の先に見える本堂の屋根

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階段を登り詰めた先から
紅葉スポットなので、人混みが消えるまで30分待ち。

 知恵・健康を参詣で願うのは普通ですが、針・漆・電気という普段の生活で必要な物も祀っているとか。

蒟蒻に針を刺す針供養、木地師が開祖と仰ぐ惟喬親王と漆については聞いたことがありますが、

電電社のことは【でんでん】聞いた事もありませんでした。

しかも祀っているのがエジソン・ヘルツと電気の功労者ではあるものの、日本とは余り関係がなさそうな人物。

まさか嵐山なので雷から電気を連想したわけではないでしょうが…。

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明治以降に再建された本堂
前回に比べ人は少ない。

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本堂に掲げられた「智福山」の扁額

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左手にある多宝塔

 春とは異なり着物姿の子供は余り見かけませんでしたが、多くは境内の紅葉が目当ての参拝者。

加えて前回は見過ごしていた見晴らし台からは市内が一望。どこかで見た記憶があると思いましたが、

2時間サスペンス「狩屋親子シリーズ」で最後に犯人が追い詰められた場所。

寺の舞台はミステリーの舞台でもありました。

こうして足早ながら法輪寺参拝も修了。嵯峨の虚空蔵さんは秋にもホーリンラブでした。

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書院玄関と銀杏の巨樹

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境内にある漆の碑

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見晴らし台からの眺望

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法輪寺御朱印

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千光寺 大悲閣 (京都市西京区嵐山中尾下町) <千光寺 その参>

2022.04.21(20:30) 1089

人込み待避の大悲閣(2021.11.27)

<コース> 嵐山線は日中15分間隔で運転
阪急梅田 → 桂 → 嵐山 → 徒歩20分 → 千光寺

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嵐山 大悲閣 千光寺(黄檗宗系単立寺院)
崖に建っている観音堂から比叡山を遠望。

 仮本堂で諸々の仏様と了以の像に参拝した後は、いよいよ千光寺の中心大悲閣へ。

『鐘楼の上に建つ大悲閣は崖に張出した崖造(舞台造り)の建物。

本尊である千手観音像を祀っているので観音堂、または客殿・展望閣と呼ばれる。

尚、大悲閣とは観世音菩薩像を安置した仏堂の事を言い、名前は菩薩の大きな慈悲に由来する。

 大悲閣の縁側からは遠く比叡山、大文字山を初め東山三十六峰、

麓には京都市街が一望できる絶景の場所である。』 とあります。

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参道から見る大悲閣舞台部分

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舞台の土台部分
崖の場所で安定するように工夫がされている。

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土台の奥に置かれた天龍寺村、角倉町と書かれた龍吐水

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本堂拝観後、大悲閣(観音堂)へ
左は角倉了以顕彰碑。

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大悲閣入口
土足厳禁である。

 平地の多い嵐山に在っては遠くまで見通す事ができる数少ない場所。

正面には大河内山荘、その向こうに続く船岡山、比叡山。

眼下には保津川下りの船、トロッコ列車と静と動の眺望が楽しめます。

縁側には椅子が置かれその上、無料の双眼鏡まで備えられているので遠くを見る人が引きも切りません。

といっての渡月橋を渡った嵯峨野の混雑とは段違いの密度。周辺に見所が少ないためか、

ガイド等でも取り上げられる事が少ないからかは分かりませんが、その分ゆったりと眺望に浸る事ができました。

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先ずは入口から縁側に沿って一周

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南の縁側から東へ

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南東隅からの眺望

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大悲閣の南側

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最も眺望の良い東の縁側から
眼下に見えるのは鐘楼と紅葉の波。

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嵐山屈指の眺望

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眼下を流れる保津川と遊覧船

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正面に見えるのは大河内山荘の庭
その向こうは船岡山か?

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紅葉の波に埋もれた鐘楼

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色鮮やかな紅葉

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左下には嵯峨野トロッコ列車の線路が見える

 了以もこの一角に住んだとあるので、さぞ景観を楽しんだかと思いましたが、

了以の念頭にあったのは開削した河川の状況を常に監視する事にあった筈。

了以と言えば、高瀬川が有名ですが、その他にも保津川・富士川・天竜川と開削した川はいずれも

暴れ川として有名な河川。開削後のメンテナンスにも気配りを絶やさなかったのは技術者としての矜持を感じます。

 角倉一族の一人に吉田光由が居り、彼は我が国最初の算術書『塵劫記』を記した人物。

この書籍は明治まで続くベストセラーになりましたが、角倉一門に流れる理系の血がそうさせたのでしょう。

このため、千光寺は数学・理科【専攻】の寺として信仰を集めているようですが。

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東側の縁側より景色を楽しむ人達

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大悲閣の内陣

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内陣に置かれた種々の遺物

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陳列の様子

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大悲閣北の窓からの眺望

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千光寺 角倉了以の寺 (京都市西京区嵐山中尾下町) <千光寺 その弐>

2022.04.20(21:52) 1088

川大名と呼ばれた男(2021.11.27)

<コース> 嵐山線は日中15分間隔で運転
阪急梅田 → 桂 → 嵐山 → 徒歩20分 → 千光寺

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嵐山 大悲閣 千光寺(黄檗宗系単立寺院)

 保津川から山道を二丁登った山門を過ぎ、紅葉に彩られた千光寺境内へ。

嵐山大悲閣千光寺(あらしやまだいひかくせんこうじ)は、

『元、清凉寺の西方中院にあり後嵯峨天皇の祈願所であったが、長く衰頽していた。

慶長11年(1606年)に保津川開削に成功した嵯峨の土倉業者・角倉了以(すみのくらりょうい)が

同19年に河川開削工事に協力した人々の菩提を弔うために現在地に移転、

大悲閣を建立し二尊院の道空了椿(どうくうりょうちん)を請じて中興開山とした。

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受付脇にある楓の巨樹

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楓の下に置かれた蓮台
紅葉を愛でながら茶を嗜むためか?

 本尊の千手観音菩薩は恵心僧都源信の作と伝わり了以の念持仏であったとされ、

了以自身も大悲閣に住み開削した河川の通舟の便益を念じたと言われる。

かつて大悲閣の一室には遺命に拠り造られた了以像が安置されていた。

巨縄を巻いた形の円座に坐し、法衣姿で石割斧を持った右立膝の構え。

今も仮本堂で保津川の安全を見守っている。

 了以は天台宗を奉じていたが、子孫の角倉玄寧が文化5年(1808年)に大顛を迎えて再興した際に黄檗宗となり今に至っている。

明治維新の際には大悲閣を除いた境内や多くの山林を失ったが、漸次諸堂を再建している。

 しかし昭和34(1959年)年の伊勢湾台風に拠る被害は著しく、本堂は1978年に解体され、

大悲閣も暫くは元の状態を取り戻せなかった。大悲閣の改修が終了したのは漸く2012年になっての事である。

本尊や了以像は本堂解体後に建立された仮本堂へ安置されている。』 とあります。

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千光寺仮本堂

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本尊、開山等を祀っている本堂

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仮本堂に掲げられた扁額

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本堂手前に吊るされた木魚
黄檗宗寺院ではよく目にする。

 山腹にあるので境内は狭く、そこに堂宇が犇めいていると言えば良いでしょうか?

正面にあるのは仮本堂らしく仏様達を空間に押し込めた様。中興開山の像も一緒にありました。

御住職に撮影の可否を尋ねると、「どうぞ御自由に撮影下さい。」との返事。随分と開放的な寺院です。

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祀られたというよりも陳列されたという表現がしっくりくる本堂内陣

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正面の御本尊と脇立ちの不動明王と毘沙門天

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御本尊千手観世音菩薩立像

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左側には大日如来と宗祖隠元と始祖達磨大師?

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右側には中興開山の道空了椿(どうくうりょうちん)木像

 そしてその脇には角倉了以の像が。説明に在る通りの姿でしたが、その顔は眼光鋭く、強い意志を持った

人物であろうと想像できます。仏像というものは理想的に描かれるのが常ですが、この像は非常にリアルな印象。

商人と言うよりも冒険家・探検家といった方が相応しいでしょうか?

前近代で何ヵ所も石を穿つ突貫工事をやり遂げた人物は、己の意志を貫く人物でもあったのでしょう。

千光寺の創建が【穿孔】の達人というのも何か因縁めいたものを感じます。

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本尊の脇にある角倉了以木像

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了以木像近影
石割斧を持ち、片膝を立てた法衣姿の坐像である。

 中興の祖とも言うべき角倉了以は土倉業者(金融業者)なので、【隅の蔵】から金銭を拠出することは十分可能。

唯、当時の豪商が権力と癒着したのとは対照的に了以は権力とは一定の距離を置き土木事業に専念。

己の利益に加えて社会貢献も考えていた事が政商とは一線を画します。

加えて千光寺への援助が【先行】の了以一代限りではなく子孫まで受け継がれた事。

創建だけでなく維持管理の重要性を見抜いていたのは、河川改修に携わった技術者故でしょうか?。

まさに千光寺は【良医】に恵まれたと言えましょう。

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遠く安南まで船を出した様子が描かれたもの

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大悲閣説明書

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千光寺御朱印

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了以翁顕彰碑
林羅山が撰文したとある。

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石碑の由緒

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碑文の一部

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千光寺 山門への道 (京都市西京区嵐山中尾下町) <千光寺 その壱>

2022.04.19(20:42) 1087

千光寺 山門への道 (京都市西京区嵐山中尾下町)<千光寺 その壱>

<コース> 嵐山線は日中15分間隔で運転
阪急梅田 → 桂 → 嵐山 → 徒歩20分 → 千光寺

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嵐山 大悲閣 千光寺(黄檗宗系単立寺院)

 大堰川右岸を歩いて向かった先は千光寺。

嵐山大悲閣千光寺(あらしやまだいひかくせんこうじ)は、

『大堰川(保津川)の右岸を渡月橋から約1㎞上流に遡った所に入口があり、松尾芭蕉の句碑

・花の山 二町のぼれば 大悲閣

の句碑が建つ。

更に九十九折の山道を350m登ると眼下に千鳥ヶ渕が見える。

その嵐山の元禄山中腹に位置するのが千光寺である。』 とあります。

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入口手前に建つ由緒記駒札

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駒札の奥には「大悲閣道」の石碑が建つ

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芭蕉の句碑

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入口を過ぎると柴垣が続く

 保津川沿いにある大悲閣道と彫られた石碑から柴垣の山道を上る事に。

その先には黒板で囲まれた小橋が。

なにげなく通りましたが「来遠橋(らいえんばし)」と見掛けに拠らず立派な名前がついています。

途中、参道と書かれた行く手が閉鎖中だったので左手の表参道へ。

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黒板で囲まれた「来遠橋」

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正面の参道は閉鎖中のため左へ迂回

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大悲閣への道

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途中にある歌碑?
摩滅している上、説明板もないが、説明書にある
・うつらうつらに のぼりきて をかのかなたの みやこをぞみる  会津八一
ではないかと。

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参道から見上げた先には鐘楼と大悲閣が

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紅葉と樹木に彩られた参道

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参道は九十九折に

芭蕉は二町と詠みましたが、結局、山門までは300m強の道のり。

山頂までは優に三町はありました。参拝というよりもちょっとした【はいく】でした。

大和と言い、尾道と言い、千光寺と言う名の寺はどうしてこう高い山にあるのでしょうか?

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ここを曲がるといよいよ山門

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千光寺の山門
表面の木目と屋根の草が時代を物語る?

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山門に続く鐘楼

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鐘楼からの絶景
紅葉の奥、下を流れるのは保津川。

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鐘楼から見上げた大悲閣

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大悲閣の横を通り境内へ向かう

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