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十輪寺(京都市西京区) 竹の里の業平寺

2020.06.21(23:16) 637

不倫の果ての十輪寺(2020.6.16)

<コース> 阪急電鉄は日中10分間隔、阪急バス66系統は日中60分間隔で運転
梅田 → (阪急電鉄) → 東向日(8:42) → (阪急バス66系統) → 善峯寺(9:09) → 徒歩8分 →善峯寺 → 三鈷寺 → 善峯寺(10:24) → (阪急バス66系統) → 小塩(10:29) → 十輪寺 → 小塩(11:29) → (阪急バス66系統) → 東向日(11:56)

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小塩山 十輪寺(天台宗)

 善峯寺、三鈷寺と二ヵ寺巡礼で2時間。

寺から2㎞東へ下った十輪寺へは徒歩でも25分程度ですが、

丁度駅に向かうバス時刻と重なったので1区間だけ乗車。

小塩という遺跡に縁のある停留所で下車するとすぐ左手に参道が…。

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バス停に着くとすぐ入口が

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入口横の紫陽花

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閉鎖中の石段
上った先が本堂なので、勅使門か?

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山門

小塩山十輪寺(おしおざんじゅうりんじ)の縁起に拠れば、

『嘉祥3年(850年)、文徳天皇御后染殿皇后(藤原明子)の世継ぎ誕生を祈願し、

宗祖伝教大師作とされる延命地蔵を安置したのが始まり。

祈願後、目出度く皇子が誕生し後に清和天皇となられた事から文徳天皇勅願所となる。

その後、応仁の乱で伽藍は焼失し荒廃するが、

藤原北家の流れを汲む花山院家が一統の菩提寺とした事で復興。

寛文年間に21代の花山院定好に拠って再興し、

更に27代花山院常雅によって堂宇が整備されて今に至っている。

また寺伝に拠れば、六歌仙の一人である在原業平が晩年この寺に隠棲したと言われ、

裏山には彼が塩焼きの風情を楽しんだとされる塩竃や、墓とされる宝篋印塔が残る。

中庭の樹齢200年の枝垂れ桜は「なりひら桜」、寺も「なりひら寺」と呼ばれる事が多い。』

とあります。

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納経所兼受付

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いよいよ庭園と堂宇へ

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本堂と高廊下

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寛延3年(1750年)再建の本堂
屋根は鳳輦形と言う御輿を象った非常に珍しい形である。

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本堂の庇部分

寺の起こりは藤原明子の皇子誕生祈願。明子の父で摂政藤原良房の

強い意向で、この皇子が異母兄を差し置いて皇太子になりました。

中央政界はその後、藤原氏の意に沿って動かされるようになります。

その意味では藤原氏の摂関政治の礎となった寺、江戸時代に

花山院家が再興に尽力したのもそのために他なりません。

その花山院常雅が寛延3年(1750年)、本堂再興と同時に造ったのが「三方普感の庭」。

三ヵ所から眺めると見る人に様々な思いを感じさせる癒しの庭という事に拠る命名です。

当時の常雅は右大臣の要職にありましたが、江戸時代の公家は経済的には困窮状態。

平安時代のように豪華な庭園を造るのは夢のまた夢。

それでも小さな空間に様々な趣向を凝らした庭を造りました。

金が無ければ無いなりに芸術的なものを造る。

長らく日本文化を牽引した貴族だからこそ【俯瞰】できたのでしょう。

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高廊下
本殿から業平御殿へと続く。

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本堂から高廊下を見る

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高廊下から見た三方普感の庭
自分が天上界の人となって雲海を見る趣向。正面奥は茶室。

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高廊下の端から
大きな3個の石は過去・現在・未来を表現し、小さな庭に大宇宙を感じる趣向。

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業平御殿から見た三方普感の庭
海底の荘厳な極楽浄土の世界を感じる趣向。中央は樹齢200年の業平桜。

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三方普感庭由来

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本堂裏手の業平遺跡へ

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本堂の屋根の形
鳳輦に似せた形。

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遺跡への道すがら本堂、高廊下と業平御殿が見える。

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業平の墓とされる宝篋印塔

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境内の奥にある在原業平の塩竈の跡。

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塩竈近影

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塩竈の由来

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十輪寺と謡曲「小塩」

 もう一人この寺に彩を添えているのが在原業平。

平城天皇の第一皇子阿保新王の王子でありながら、薬子の変で皇位継承から除外。

天皇の后とも浮名を流した風流貴公子で、失意の彼が都を離れた話が『伊勢物語』になったとか。

かつての恋人であった二条后(藤原高子)が大原野神社参詣の折に、

業平がここで塩焼きし、思いを託したと言われます。

藤原高子は良房の後継者基経の同母妹で、清和天皇に入内した事も因縁めいていますが、

業平の高貴性と失意が庶民の判官贔屓となったに違いありません。

寺は山中に隠れるように建っていますから、業平が晩年に隠棲したと言うのもありうる話。

塩焼きも、源融の逸話にもあるようですから【いつわ】りではないでしょう。

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寛文6年(1666年)建立の鐘楼

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不迷梵鐘
自分で決心がつかず、迷っているときこの鐘を撞くと、不思議と決心がつくとされる。

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大樟樹
樹齢800年、本尊が楠で作られた事に由来する。

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業平御楓

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本堂脇の赤い実の成る樹木。

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高廊下脇にある日本庭園

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池の上にはモリアオガエルの卵が

唯、業平がどこまで世を拗ねて隠遁していたかは疑問。

彼は56歳で無くなり公卿には至りませんでしたが、参議に昇進する直前だったようで、

政界でもそれなりの地保を築いていたようです。貴族は庶民が思う程、軟弱ではありません。

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十輪寺説明書

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十輪寺御朱印

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三鈷寺(京都市西京区) 西山にある西山国師ゆかりの寺院

2020.06.20(22:19) 636

三鈷の例(2020.6.16)

<コース> 阪急電鉄は日中10分間隔、阪急バス66系統は日中60分間隔で運転
梅田 → (阪急電鉄) → 東向日(8:42) → (阪急バス66系統) → 善峯寺(9:09) → 徒歩8分 →善峯寺 → 三鈷寺

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華台山 往生院 三鈷寺(西山宗 総本山)

 善峯寺参拝の後は、釈迦堂前を通り北門から出て隣接する寺院へ。

善峯寺訪問は今回で3回目ですが、いままでは寺院の存在さえ気付かず。

3度目の正直となりました。

鴨瀬山の中腹に建つ寺院で善峯寺同様、関西随一の眺望で知られます。

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善峯寺北門から参道を進む
右手に見えるのが三鈷寺。

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山門

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由緒記

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境内側から見た山門

 華台山往生院三鈷寺(けたいさんおうじょういんさんこじ)は、

『承保元年(1074年)、源算(げんさん)上人が草庵を結んで北尾往生院と号したのが嚆矢。

それに続き二祖観性法橋、三祖慈鎮(慈円)和尚と入寺され、建保元年(1213年)に

法然上人高弟の證空善慧国師、即ち西山(せいざん)上人が入山。

ここを不断如法念仏道場とし寺号を三鈷寺と改名。

これは背後の山並みが仏器の三鈷に見ている事に由来する。

 西山上人は宝治元年(1247年)に入滅するが、遺身は全て当処に埋葬。

上人に帰依した蓮生が塔を建て観念三昧院華台廟と称して歴代法燈され今に至る。

蓮生は俗名を宇都宮頼綱と言い、定家の百人一首の成立にも関わった人物、

死後華台廟に西山上人と共に葬られた。

 中世は浄土宗西山派の根本道場として多くの寺領を有したが、応仁の乱で堂宇が荒廃。

その後、常念仏・再興の綸旨を賜り現在の地に復興するが、かつての勢いは取り戻せなかった。

 昭和26年(1951年)には西山宗本山となり、四宗兼学(天台・真言・律・浄土)

の道場として今に至る。』 とあります。

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渡り廊下に続く庫裏

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正面から見た本堂
本尊は如法仏眼曼荼羅

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西山上人霊廟碑
霊廟は本堂と繋がっている。

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西山上人の霊廟 「華台廟」
後方にあるのが本堂

 開山の源算上人は善峯寺の開山。それに続く二祖・三祖も著名な僧侶なので、

今で言う大寺院の塔頭という扱いだったのでしょう。

山腹に建ち、眺望が素晴らしい事がその理由でもあったのでしょうか?

 三鈷寺を確立した西山上人は、村上源氏で久我内大臣源通親の養子に入った人物。

血の繋がりはないとはいえ道元とは兄弟になります。

 源通親は朝廷の大立者で、鎌倉の源頼朝とも渡り合った人物。

当時の貴族の常として、子弟を僧籍に入れる事は不思議ではありません。

唯、西山上人は学才があったようで、法然の直弟子として師の入滅まで傍に仕えました。

法然一派が後鳥羽院の怒りに触れた「承元の法難」、

延暦寺宗徒から弾圧を受けた「嘉禄の法難」と危機が訪れますが、

いずれも配流は免れています。これも高貴な身分の故でしょう。

御住職から伺った話では、

上人は71歳で亡くなりますが、教えを広めるために各地を巡業。

彼の足跡は遠く東北まで及んでいるようです。いまに残る肖像画も穏やかな顔で、

貴族出身という事で弱弱しい人を想像しましたが、強い信念を持った人だったようです。

 後に彼の教学は浄土宗西山派として三派をなしますが

粟生光明寺、永観堂禅林寺、西京極誓願寺が総本山。

いずれも著名な寺院ですから、浄土宗内でも勢力はあるようです。

「人間至る所に西山在り」となったのも故なしとはしません。

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西山上人御影 (頂いた三鈷寺縁起から)

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本堂横の観音堂

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本堂前にある石段
この付近からの眺望が随一とされる。

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石段横の大銀杏

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本堂と庫裏の間の庭園

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梵字碑

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三鈷寺縁起

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三鈷寺御朱印

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善峯寺(京都市西京区) 洛西の紫陽花寺

2020.06.19(23:02) 635

遊龍の松のある景勝地(2020.6.16)

<コース> 阪急電鉄は日中10分間隔、阪急バス66系統は日中60分間隔で運転
梅田 → (阪急電鉄) → 東向日(8:42) → (阪急バス66系統) → 善峯寺(9:09) → 徒歩8分 → 善峯寺

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西山 善峯寺(善峯観音宗 天台宗系単立 西国三十三ヵ所第二十番札所)

 この日は紫陽花を求めて洛西まで巡礼。

JR向日町、阪急東向日から西山に向かってひたすら【むこう】に西進。

釈迦岳の支峰、良峯の中腹に建つ寺院が目指す札所。

 西国札所は僻地が多いですが、ここも京都盆地の南西の端。

都からの巡礼者にははるばる来た感があります。

大阪方面からは神峯山寺、本山寺からポンポン山を越えて入るルートもあり、

学生時代は研究室のハイキングはこのコースでした。山門で¥500を支払い入山。

境内は迷う程広大ですが、そこは良くしたもので頂いたパンフには

境内地図と順序まで記載されていたので、それに従って巡礼しました。

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バス停から善峯川に架かる一の橋を渡る

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市内を眺めながら阿智坂を上る

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坂を三度曲がると東門

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駐車場の奥には平成11年建立の文殊寺館が

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正徳6年(1716年)建立の山門(楼門)
両脇の金剛力士像は運慶作、源頼朝の寄進と伝わる。

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山門の扁額

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楼上と垂木部分
楼上の本尊文殊菩薩と脇侍二天は寺宝館に奉安。

 西山善峯寺(にしやまよしみねでら)は、

『長元2年(1029年)源算上人に拠る開創。上人が修行中に不思議な翁が現れ、

「我は阿智坂明神なり。速やかに伽藍を建立すべし。」 とお告げがあった。

険しい地形に困惑していると、猪の群れが出現して土地をならしたという。

源算は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事、

47歳で当山に入山し自作の千手観音を本尊として祀った。

 長元7年(1034年)、後一条天皇の勅願所となり 「良峯寺」 の寺号と御詠歌が下賜された。

長久3年(1042年)、後朱雀天皇の勅命で洛東鷲尾寺の仁弘法師作千手観音を

当山に移し本尊、源算作の観音像を脇本尊とした。

 建久3年(1192年)後鳥羽天皇より「善峯寺」の宸額を賜り、現在の寺号に連なる。

白河・後花園天皇より伽藍寄進を受け、後嵯峨・後深草天皇など歴代皇室の崇敬も篤かった。

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山門で入山受付

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山門から本堂へと続く参道
脇には紫陽花が見える。

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観音堂(本堂)
元禄5年(1692年)、桂昌院に拠る建立。納経もここで行う。

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本堂前から山門を見返る

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本堂前から石段を上り多宝塔、遊龍の松へ

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貞享3年(1688年)建立の鐘楼堂
徳川綱吉の厄年に当たり桂昌院が寄進したので厄除けの鐘と言われる。

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鐘楼堂から遊龍の松と多宝塔を見る

 鎌倉時代には慈円和尚や証空上人が住持を勤める。

また西山宮道覚入道親王や青蓮院門跡より多くの新王が籠居され、

更に多数の僧侶の入山に拠って繁栄。室町時代には僧坊52に及んだが、

応仁の乱で大部分の坊が焼失した。

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遊龍の松越しに見る護摩堂
元禄5年(1692年)の建立。

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遊龍の松
これは根本部分。

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遊龍の松
安政4年(1857年)、前右大臣花山家厚公により命名。

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遊龍の松
標石は明治26年、島尾中将の書。

 その後、江戸時代になって徳川5代将軍綱吉の生母である桂昌院が大檀那となり復興に尽力。

現在の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興され、貴重な什器も寄進された。

 西国観音札所に加え光明寺・楊谷寺と共に京都西山の三山として知られ、

山の斜面を利用した広大な寺域からは京都盆地が一望できる。

歴史的建造物に加え樹木も多く、特に多宝塔前にある樹齢600年、

全長37mの五葉松は「遊龍の松」 の名で知られ、「松の寺」 の異称もある。』 とあります。

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紫陽花越しに見る重文・多宝塔
元和7年(1621年)建立。

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宝永2年(1705年)建立の経堂

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経堂脇の桂昌院枝垂れ桜

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経堂奥の階段を上り廟へ

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桂昌院廟への入口

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桂昌院廟
宝永2年(1705年)建立。桂昌院の遺髪を納める。

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明治18年建立の釈迦堂
廟を少し上った場所に建つ。

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釈迦堂から市内を眺める

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釈迦堂脇のサツキ

 良峯に建つ善峯寺ですが恐らく寺の名前が先。良峯とは六歌仙の僧正遍照の俗姓。

同じく六歌仙の在原業平ゆかりの十輪寺が近隣にあり気になりましたが無関係。

眺望が抜群であったところからの命名でしょう。

 千年近い歴史があり、歴代皇室や著名な僧侶に縁があるとはいえ、

現在までこれだけ広い境内を維持しているのには驚愕。

これには江戸時代の桂昌院を抜きには語れません。

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更に高みにある奥之院へ

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青蓮の滝

 京都の住人本庄宗正は当山薬師如来に一女子を得る事を祈願します。

そして寛永4年(1627年)誕生した女子が玉。彼女は江戸城に上がって

3代将軍家光の寵愛を受け、生まれた男子が5代将軍綱吉。

将軍生母の彼女は桂昌院の名を賜り、晩年には女性最高位の従一位に至ります。

まさに名前の通り【玉】の輿に乗った訳ですが、一般に言われるように

堀川の八百屋の娘であったかどうかは定かではありません。

日本一出世した女性が庶民的な八百屋の出身というのは、

非常に共感を得やすいですが、同じ八百屋の伊藤若冲は青果問屋の資産家でしたし、

桂昌院も江戸城へ上がるくらいですから、それなりに裕福な家だった気がします。

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元禄14年(1701年)建立の薬師堂
最も高い場所に建つ堂で、桂昌院出生の由緒から出世薬師如来と呼ばれる。

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薬師堂脇の桂昌院の御詠
・たらちをの 願いをこめし 寺なれば 我も忘れじ 南無薬師仏

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薬師堂からの眺望
六角形の建物は「けいしょう殿」

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正面から見た「けいしょう殿」

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桂昌院像とお犬様

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薬師堂奥の蓮華寿院旧跡庭

出身は兎も角、これだけの伽藍を復興させるのは相当な経済負担だった筈です。

生類憐みの令と並んで無駄な出費と考える向きもありますが、

国家にとって一番の出費は戦争。250年間泰平の世であった江戸時代には、

意外と経済力があったと考えた方が良さそうです。

境内には桂昌院が復興した堂宇が多数ありますが、最高地点にあるのが薬師堂。

父が祈願した事に由来するのでしょうが、すぐ下に「けいしょう殿」として

彼女の銅像が祀られています。横にお犬様があるのも一興。

そこからは彼女の生れた京の都が一望できます。【景勝良いん】場所を選んだのでしょうが、

寺としても最大の功労者に報いたかったのでしょうね。

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歴代親王廟への道

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法親王の御墓

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初期の住持の御墓

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阿弥陀堂は改修中

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本坊

 境内にある堂宇の周辺には紫陽花が多く植えられていますが、

開山堂の北に広がるあじさい苑が圧巻。

品種・色彩は多くはないですが、平面だけでなく立体的な広がりを持った空間で

紫陽花を楽しむ趣向です。洛西の紫陽花名所としておすすめです。

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紫陽花越しに見る護摩堂

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開山堂への道にて

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貞享2年(1685年)建立の開山堂

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眼下に白山 桜あじさい苑が広がる

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苑を一望できる幸福地蔵堂

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地蔵堂から苑を見下ろす

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苑から地蔵堂を見上げる

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善峯寺 説明書

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西国札所御朱印 (平成6年11月7日 拝受)

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西国札所御朱印 (令和2年6月16日 拝受)

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奥之院御朱印

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京都大原野灰方郵便局 ; 薬師如来像、竹林、善峯寺遊龍の松
洛西郵便局 ; 薬師如来像、竹林、善峯寺遊龍の松

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藤森神社(京都府伏見区) 勝運、学問と馬の古社

2020.06.18(21:03) 634

菖蒲ゆかりの藤の森で紫陽花巡り(2020.6.15)

<コース> 京阪電車は日中10分間隔で運転
淀屋橋 → (京阪特急) → 中書島 → (京阪宇治線) → 三室戸 → 徒歩15分 → 三室戸寺 → 三室戸 → (京阪宇治線) → 中書島 → (京阪本線) → 墨染 → 徒歩5分 → 藤森神社

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藤森神社(旧府社)

 三室戸寺参拝を昼に終えて、京阪本線へ戻って伏見区にある藤森神社へ。

関西人にとっては勝負事と駈馬神事で有名ですが、

勝負に縁遠い私が訪れたのは紫陽花園を見るため。

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南門
駅から歩くとこちらから入る。

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南門に続く参道
駈馬神事はここで開催される。左手が第一あじさい園、正面にあるのが拝殿。

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街道沿いに向いた西門
左にあるのが榧の大木。

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西門の先にある二の鳥居

 藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は縁起に拠れば

『平安遷都以前に深草の里に祀られている産土神で、神功皇后が新羅より凱旋後、

軍中の大旗を立て、兵具を納めた塚を造ったのが嚆矢。西暦203年の事とされる。

 本殿の主祭神は素戔嗚尊で、後に加わった日本武尊・応神天皇・武内宿祢他を含め計七柱。

建物は正徳2年(1712年)中御門天皇より下賜された宮中内侍所で現存する賢所としては最古である。

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境内遠景
正面にあるのが拝殿、その奥が本殿。右手奥が第二あじさい園。

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由緒記

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拝殿正面
本殿と共に御所から賜ったもので割拝殿として有名である。

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本殿側から見た拝殿近影

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正面から見た本殿
切妻造り、檜皮葺。

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本殿近影

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側面から見た本殿
千鳥破風の先に唐破風が付いた構造。

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本殿の外側の塀

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本殿東の旗塚
神功皇后が旗を立てたとされる当社発祥の地。

 西殿は延暦19年(800年)に塚本の地に早良新王を祀ったものを、

文明2年(1470年)に藤森に合祀。他に井上内親王、伊予新王を加え三柱とした。

早良新王は陸奥の反乱に征伐将軍として当社に祈願し出陣。

その日が5月5日であった事が、現在の駈馬神事に連なる。

また藤森祭は毎年5月5日に行われ、菖蒲の節句発祥の祭と言われる。』 とあります。

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学芸の祖 舎人新王崇敬碑
舎人新王は天武皇子で日本書紀編集総裁。そのため学問の神として崇拝を受ける。

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本殿前に建つ「菖蒲の節句発祥の地」

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本殿西にある神鎧像
藤森祭の象徴として建立された。

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絵馬舎に掲げられた競馬の絵

藤の森で紫陽花とはこれ如何にですが、伏見区深草にある藤森神社ですが、

最寄り駅は深草でも藤森でもなく墨染なので驚くには当たりません。

古には藤の叢林があったと言いますが、藤尾の地に関係がありそうに思いますが…。

 御祭神は歴史上の有名人が多く、しかも勇ましい人が多いので

勝運の神として参拝される人が多いのでしょう。様々な神社の合祀を経てきましたが、

古い建造物も多く、先に挙げた本殿の他、大将軍社・八幡社は足利義教の造営。

しかも大将軍社は平安遷都に際し、王城守護のために

都の四方に祀られた南面の守護神という由緒がありました。

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本殿北側にある霊験天満宮

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重文・大将軍社社殿
永享10年(1438年)足利義教の造営。

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大将軍社説明

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重文・八幡宮社本殿
大将軍社と同じく永享10年(1438年)足利義教の造営。

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不二の水(御神水)
地下100mから湧き出る水で、二つとない事からの命名。

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斎館と参集殿

5月5日の菖蒲の節句が同じ発音の勝負に繋がり、

そこから競馬になったのかと思いましたがさにあらず。

御朱印を拝受すべく神官に伺った話では

神官;「元来、祭は5月の午の日。加えて神社が平安京の午の方角にあった事に拠るようです。」

和辻;「駈馬神事で走る馬はどんな馬ですか?」

神官;「中央競馬会で走っていた馬が一線を退いたものです。」

和辻;「なるほど、第二の就職先ですね。」

神官;「でもね、サラブレッドは気性が荒いので引退しても扱いが大変らしいです。」

 勝負の世界では負けん気の強さは長所ですが、駈馬神事ではどちらかと言えば短所。

過去の栄光に縛られて身動きが取れないのは、馬も人間も違いはないようです。

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第一紫陽花園から拝殿方向を見る

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第二紫陽花園から本殿方面を見る

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第二紫陽花園から八幡宮社を見る

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第二紫陽花園から見た大将軍社、霊験天満宮

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境内の自販機

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藤森神社縁起略記

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藤森神社御朱印(限定版)

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藤森郵便局 ; 藤森神社本殿、駈馬神事

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曼殊院門跡(京都市左京区)

2020.04.15(21:32) 591

離宮を訪ねよ!(2015.3.15)

<コース> 京阪特急は10分間隔、叡山電鉄は15分間隔で運転
京阪淀屋橋 → (京阪特急) → 京阪出町柳 → (叡山電鉄) → 叡山電鉄一乗寺 → 徒歩15分 → 圓光寺 → 徒歩20分 → 曼殊院

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曼殊院(天台宗 門跡寺院)

 円光寺に続き、八瀬方面へ少し歩いて門跡寺院へ。

曼殊院(まんしゅいん)は寺伝に拠れば

『8世紀に開祖伝教大師(最澄)が比叡山に開いた坊が嚆矢とされる。

その後、天暦元年(947年)に是算(ぜさん)国師の時に西塔北谷に移り東尾坊と称した。

曼殊院では是算を初代とする。彼は菅原氏の出であったので、

北野神社が造営されると勅命に拠り別当職に補せられ、

以後、歴代門主は明治初期まで兼務した。

 天仁年間(1108~1109年)忠尋(ちゅうじん)座主が住持の際に東尾坊を改め曼殊院とした。

竹の内御殿とも呼ばれる。

明応4年(1495年)に後土御門天皇の猶子・慈雲法親王が入山、

以降、門主は皇族が務める事となった。現在の地に移ったのは明暦2年(1656年)で、

門主は桂宮智仁親王の御次男・良尚(りょうしょう)法親王。

親王は桂離宮を造営した八条宮の第二皇子であり、

造園を始め当時の教養に秀でた文化人であった。

親王に拠って曼殊院は現在の姿になり、中興の祖とされる。』 とあります。

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勅使門
普段は閉鎖だが、平成に天皇・皇后両陛下が行幸された際には開かれた。

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拝観はこちらの門から

 皇族なので当然かもしれませんが、良尚法親王ゆかりの古今和歌集や

池坊の立花図、茶室などは単なる趣味人の域を越え、

【後続】の人間に大きな影響を与えたようです。

 江戸時代の皇族・公家は財政的に逼迫していたと言われますが、

それでもこれだけの文化を後世に伝えた矜持にただただ頭が下がりました。

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曼殊院庭園

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曼殊院説明書と拝観チケット

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曼殊院御朱印

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圓光寺(京都市左京区) 足利学校の流れを汲む寺院

2020.04.14(20:48) 590

刊行から観光寺院へ(2015.3.15)

<コース> 京阪特急は10分間隔、叡山電鉄は15分間隔で運転
京阪淀屋橋 → (京阪特急) → 京阪出町柳 → (叡山電鉄) → 叡山電鉄一乗寺 → 徒歩15分 → 圓光寺

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瑞巌山 圓光寺(臨済宗南禅寺派)

この日は昼に八瀬で会合があり、その前に手前の一乗寺をチョット散策。

昔は宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地、最近はラーメン店の激戦区。

大学の傍にある一乗寺ですが、ゆっくり見るのは初めて。

叡電の一乗寺駅を出て東へ徒歩15分。瑞巌山圓光寺(ずいがんざんえんこうじ)は、

『慶長6年(1601年)、徳川家康が下野足利学校第九代学頭だった

三要元佶(さんようげんきつ)禅師を招き、伏見に建立した学校・圓光寺が始まり。

学校には僧俗を問わず入学を許した。

また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行。

これらは圓光寺版と称され、重文となる日本最古の木活字が現存している。

 その後、寺は相国寺山内に移り、更に寛文6年(1667年)に現在地に移転した。

山門を入ると枯山水「奔龍庭(ほんりゅうてい)」が眼前に広がり、

更に中門を進むと「十牛之庭(じゅうぎゅうのにわ)」があり、苔と紅葉で知られる。』

とあります。

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圓光寺山門

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枯山水「奔龍庭」

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「奔龍庭」の白砂
これは説明書からの引用(北奥耕一郎氏撮影)

 開基家康によって建立されたのは、関ヶ原合戦の翌年。

天下人に近付き、これからは武ではなく、文に重点を置こうと言う意図が汲み取れます。

幕府を江戸に開くのは2年後ですが、京都というのも都人に配慮したとも思えます。

禅宗寺院だから全集を刊行したかは分かりませんが…。

「馬上で天下を取っても馬上で天下を治めることはできない」

とはよく使われる言ですが、

家康の頭には天下人への青写真が出来上がっていたに違いありません。

 そんな経緯があっても今は庭園が有名。

「奔龍庭」は白砂を雲海に見立て石組みで天空を奔る龍を表したもの。

通常の禅寺と違い非常な躍動感を与えています。

 その奥の「十牛之庭」は牛を追う牧童を描いた

「十牛図」を題材にした池泉回遊式庭園です。

一般には紅葉の絨毯で有名ですが、仏教的な境地を示しているとか。

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中門の中にある「十牛之庭」
紅葉が美しいそうである。

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紅葉の時期の「十牛之庭」
説明書にある早朝の特別拝観(¥1,000)の写真(北奥耕一郎氏撮影)

 私は禅宗的な哲学は分かりませんが、「奔龍庭」で【本流】の武士階級を、

「十牛図」でそれに【従業】する庶民階級を表していると見るのは深読みでしょうか?

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圓光寺説明書

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圓光寺御朱印

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玉鳳院(京都市右京区) 妙心寺発祥の地

2020.03.18(20:48) 570

法皇離宮だった玉鳳院(2020.3.9)

<コース>
JR京都 → (地下鉄烏丸線) → 今出川 → 大聖寺 → 今出川 → (地下鉄烏丸線) → JR二条 → JR花園 → 徒歩5分 → 妙心寺

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正法山 妙心禅寺 玉鳳院(臨済宗妙心寺派大本山 塔頭寺院)

 大聖寺の後は花園まで移動し妙心寺へ。

JRの駅から北へ徒歩5分で壮大な門前へ出ます。

正法山妙心寺(しょうほうざんみょうしんじ)は、臨済宗妙心寺派大本山。

10万坪という広大な敷地に46の塔頭が並んだ様は壮観。

また日本にある臨済宗寺院6000の内、3500を妙心寺派が占めるとありますから、

敷地でも寺数でも群を抜いた存在といえます。

 今回特別拝観は、仏殿、明智風呂と呼ばれる浴室と玉鳳院ですが、

じっくり玉鳳院のみ拝観。残念ながらここも玄関から先は撮影禁止というもの共通でした。

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丸太町通りにある案内

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妙心寺総門前にて
今から参拝なのだが…。

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特別公開「明智風呂」の案内

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明智風呂外観

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浴室の説明

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浴室内部
これは看板のもの。

このように広大な敷地を持つ妙心寺ですが、その始まりはささやかで、

『建武4年(1337年)、禅宗に深く帰依した花園法皇が離宮を禅刹に改め、

関山慧玄(かんざんえげん)を開山としたのが嚆矢。慧玄は後に無相大師の称号を得た。

その伽藍の横に建てた最古の塔頭寺院が玉鳳院(ぎょくほういん)である。

 以来、関山禅の流れを汲む名僧を輩出し、更に多くの戦国武将の帰依を受けて発展した。

今の境内の西側は仁和寺より譲り受けたものである。』 とあります。

 仁和寺も宇多上皇の離宮でしたから、同じような由来ですが、

寺領まで仁和寺から得たとは知りませんでした。

仁和寺も自分達の不利になる事はしないでしょうから、

妙心寺の歴代僧侶は余程政治力があったと思わざるを得ません。

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仏殿外観

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法堂外観

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境内の塔頭を抜けて…

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これは南北の通り
余りにも広く迷路のよう。

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ようやく玉鳳院門前へ到着

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入口にて

ここ玉鳳院は発祥の地ながら無住、46塔頭の僧侶が交代制で務めることになっています。

一人で守るのは畏れ多いからでしょうか?

 方丈は明暦2年(1656年)の再建で、六室の襖絵は狩野派の作。

一番奥に「麒麟図」があるので大河との関連で今回の公開となったのでしょうか?

 また最奥には開基の花園法皇の木像が安置されていますが、

写真パネルを見る限り、激動の時代を生き抜いた相が尊顔に表れていました。

 方丈から廊下で東側へ向かうと開山堂。

無相大師の木像が安置されており微笑庵(みしょうあん)の別名で呼ばれます。

これは釈迦の「拈華微笑(ねんげみしょう)」に由来。

堂内は電気設備が全くなく、消えることのない燈明(常夜灯)の元でお勤めが行われます。

また堂内には常香盤が置かれ常にお香を焚き占めるのが習わしだそうです。

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特別公開案内板

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山門を過ぎた先の前庭

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前庭の牛石
開山を慕って来た牛に由来する。

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庫裏
ここから先は撮影禁止。

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方丈の伝狩野永真筆の襖絵
これは案内からの引用。

 それからガイドの人の説明で驚いたのは表の唐門二つ。

良く見れば、屋根の向きが違っており、

曲線部が前後にある向唐門(むかいからもん)と左右にある平唐門(ひらからもん)の二つ。

今まで唐門といえば向唐門しか記憶にありませんでしたが、

平唐門の方が由緒が古く公家様だそうです。

 境内には秀吉の夭折した長男・鶴松の御霊屋、

また織田信長・信忠親子、武田信玄・勝頼等4名の墓があります。

信長・秀吉は都に居たので分かりますが、武田の四名は不思議。

なんでも信玄が臨済宗妙心寺派に帰依したのがその理由だとかで、

呉越同舟ならぬ宿敵が同じ場所に祀られているのも死ねば恩讐も消えると言うことでしょうか?

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西側にある向唐門

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向唐門近影

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東側にある平唐門

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平唐門近影

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平唐門の扉に残る応仁の乱の矢傷

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玉鳳院御朱印

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花園会館にて抹茶と菓子の接待
特別公開を三ヵ所拝観したスタンプラリーの特典。

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旧御寺御所 大聖寺(京都市上京区) 歴代24内親王が住持を務めた寺

2020.03.16(15:46) 569

花の御所の一角にある花のある御寺(2020.3.9)

<コース>
JR京都 → (地下鉄烏丸線) → 今出川 → 大聖寺

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岳松山 大聖寺(臨済宗系単立 尼門跡寺院)

 京の冬の旅 特別公開は2020.1.10~3.18ですが、大聖寺のみは3月のみの公開。

光照寺や三時知恩寺の近所ですが、二院拝観時には行けなかったので今回単独での訪問。

残念ながら玄関より先は室内外ともに撮影禁止でした。

 場所は地下鉄今出川を出て直ぐ、同志社大学に囲まれた場所。

御所の北側で室町三代将軍・足利義満が造営した「花の御所」跡の一角にあります。

今でもそうですが当時も一等地。何故このような一等地に寺院を営むことができたのか?

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大聖寺入口
地下鉄を上がった直ぐの場所にある。

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大聖寺 特別公開案内板

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山門近影

 岳松山大聖寺(がくしょうざんだいしょうじ)は、臨済宗の尼門跡寺院。

『光厳天皇の妃・日野宣子は光厳上皇の没後、相国寺二世により出家して

無相定円禅尼(むそうじょうえんぜんに)と名乗る。

日野宣子は義満の正室・日野業子の叔母に当たり、

その縁から義満は花の御所の岡松殿に定円禅尼を住まわせた。

禅尼が永徳2年(1382年)に没した後、岡松殿を寺にしたのが大聖寺の起こりである。

寺号は無相定円の法名に、山号は岡松殿に由来する。

 室町時代から江戸末期までの450年間に24代の内親王が住持を務めた。

また正親町天皇の皇女が入山した際に天皇から「尼門跡第一位」の綸旨を受けた。

以後、御寺御所(おてらのごしょ)と呼ばれる事となる。

 場所は変わらないが、現在に至るまで二度移転。

現在地に戻ったのは元禄10年(1697年)の事。

庭園は江戸中期の作庭、書院は光格天皇の皇女・普明浄院宮が

住持を務めた際に御所より千両拝領して建てられた。

本堂は昭和18年に大正天皇の貞明皇后の御殿を青山御所から移築したものである。』

とあります。開山が天皇の妃で将軍の叔母。

しかも将軍歴代の正室を出した日野氏ともなれば「花の御所」の一角に御殿を拝領し、

後に門跡寺院となるのも故なしとしません。

花の御所の名は将軍が各地の大名から花を献上させた事に由来しますが、

そこにある大聖寺はさながら「花の御寺」というべき存在でしょうか?

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山門に掲げられた華道と煎茶道の看板

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境内の「花の御所」の石碑

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塀越しに見た本堂
ここは写真撮影OK。

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屋根瓦には菊の御紋が

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境内を進み玄関へ
向こうに見えるのは同志社大学。

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玄関の唐門

 書院・本堂は小さいながらも貴族的な造り、そこから眺める庭園は

桜・楓・椿が植えられ四季を通じて風景を楽しむ事ができます。

 ガイドの方の話では、門跡としてここに入ったのは幼年の人が大部分。

最後の内親王は11歳で薨去されたとか。亡くなるまで独身で過ごす訳ですから、

衣食住が保証されたとはいえ門跡はこのような環境で幸せだったのでしょうか?

和辻;「門跡の方には結構辛い日々だったのではないですか?」

ガイド;「そう思われる方が多いみたいですが、意外と楽しまれたようです。御付きの方々もいらっしゃったので。」

和辻;「幼少で入山された方は、門跡の仕事はどうされたのですか?」

ガイド;「古参の方々が指導されました。」

高貴な身分故に政治的に利用されない方策だったのでしょうが、

このような状況下でも門跡としての職務を全うされたのは、

やはり高貴な身分という矜持だったきがします。

国は違いますが、チベットのダライ・ラマ猊下を思い出しました。

明治以降は皇族の入山はなくなりましたが、摂関家等家族の姫が多く入られたそうです。

御朱印を拝受するためベルを押すと、年配の尼僧が来られました。

「御門跡ですか?」と伺うと、「そうでございます。」との御返事。

御門跡直々に墨書頂き、恐縮しましたが、優雅な物腰の方。

今も伝統は継承されているのを強く感じました。

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大聖寺門跡の説明
御朱印を拝受した庫裏玄関に掲示してあったものを撮影。

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書院の間の様子(特別公開の案内板から)
椅子は明治天皇の御椅子と香淳皇后御幼少の頃に使われた御所人形。

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大聖寺書院前の庭園(御朱印を拝受した庫裏玄関に掲示してあったものを撮影)
江戸時代中期に造られた御所風の枯山水庭園。

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大聖寺庭園の説明

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大聖寺御朱印
御門跡の墨書。

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龍源院(京都市北区) 名勝庭園のある洛北の苔寺

2020.03.10(17:41) 564

山内最古の寺院(2020.2.28)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 三条 → (地下鉄) → 北大路 → 徒歩10分 → 大徳寺

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龍源院(臨済宗大徳寺派塔頭寺院)

 大徳寺のトリは総門に戻って龍源院(りょうげんいん)へ。

昔の御朱印帳を見ると平成4年の文化の日に拝観済ですが記憶は全くなし。

覚えていないのならばと今回の再訪とはなりました。

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重文・表門
切妻檜皮葺の四脚門で室町の永正年間の建築。

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龍源院由緒

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境内から見た表門

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表門に続く参道

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参道先の重文・附玄関
別に唐門とも言う。室町永正時代の作で、一重切妻造、檜皮葺。我が国最古のものである。但し、ここからは入れない。

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拝観は庫裏から

由緒に拠れば、

『文亀2年(1502年)、開祖大燈国師から八代の法孫・東渓宗牧(とうけいそうぼく)を

開祖とする大徳寺中で最も古い寺。

創建には能登領主・畠山義元、豊後守護の大友義長、周防の大内義興が名を連ねる。

大仙院を本庵とする大徳寺北派に対し、龍源院は南派の本庵とされる。

寺号は大徳寺の山号「龍宝山」と中国臨済宗の松源崇嶽からそれぞれ一字を採った。

方丈は室町時代の禅宗方丈建築としての姿を完全に留めている唯一のもの。

その周囲を一枝坦(いっしだん)、龍吟庭(りょうぎんてい)、東滴壺(とうてきこ)、

滹沱底(こだてい)と言った独特の庭園が彩り、洛北の苔寺と呼ばれる。 

明治の神仏分離に拠って、大阪の住吉大社にあった慈恩寺と、

高山城主金森長近が大徳寺に創建した金竜院を合併して現在に至る。』 とあります。

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庫裏横の書院に続く滹沱底(こだてい)

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滹沱底の説明

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これは阿の石(凹型)

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こちらは吽の石(凸型)

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東滴壺
庫裏と方丈の間にある庭。

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重文・方丈
永正年間の作で一重入母屋造、檜皮葺。室町期の禅宗方丈建築の遺構を完全に留める。棟瓦も室町時代最古の様式。

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方丈と前庭・一枝坦(いっしだん)

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一枝坦の全景

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一枝坦右側

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一枝坦・亀島

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一枝坦・蓬莱山

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一枝坦・鶴島

最初に拝観した本坊庭園に比べると遥かに小規模ですが、

その分、内容に深みを持たせようと工夫が凝らされているのが分かります。

 それぞれの庭からその様式が【りょうげん】の火の如く広まったに違いありません。

日本最小の庭である東滴壺も勿論ですが、興味を惹かれたのは滹沱底。

その名は中国の河から採られていますが、別名阿吽の石庭。

石の凹凸、陰陽を仏教の阿吽に擬したのでしょう。

阿吽の像は良く目にしますが、阿吽の庭にここで【あうん】とは思いもよりませんでした。

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開祖堂
東渓禅師の塔所で昭和の唐様木造建築。

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開祖堂前の鶏足山?

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方丈北側の竜吟庭
三尊石組から成る須弥山形式の枯山水庭園で、相阿弥の作と伝わる。

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東側から見た竜吟庭
杉苔で大海原を、石組で陸地を表している。

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最後は東滴壺を通り帰路へ

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龍源院説明書

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龍源院御朱印

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瑞峯院(京都市北区) 大友宗麟所縁の塔頭

2020.03.08(15:06) 563

禅宗と切支丹が同居した庭園(2020.2.28)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 三条 → (地下鉄) → 北大路 → 徒歩10分 → 大徳寺

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瑞峯院(臨済宗大徳寺派塔頭寺院)

 高桐院に続いて、庭園で有名な瑞峯院(ずいほういん)を拝観。

『豊後の戦国大名・大友義鎮が、徹岫宗九に(てっしゅうそうきゅう)帰依し、

国師を開祖として創建された寺院。義鎮は22歳で得度し宗麟と改名。

瑞峯院殿瑞峯宗麟居士を以て寺号とした。

 また徹岫宗九禅師は後奈良天皇の帰依を受け大満国師の称号を賜り、

長尾景虎に禅の指導をした事でも知られる。』 とあります。

院号は宗麟の院号に由来し、境内には宗麟夫妻の墓もあります。

ところで墓は【双輪】なのでしょうか?

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瑞峯院入口

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重文・表門
これは創建時のもの。

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境内から表門を見る

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瑞峯院由緒

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参道を進む

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重文・唐門(附 玄関)

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重文・方丈
室町時代の方丈建築の代表。これは南側で前に独坐庭がある。

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方丈前面の扁額「瑞峯院」は後奈良天皇の宸筆

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開山の木像の前にある象の香炉

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方丈の襖絵
近年の野添平米の作で朝鮮の金剛山を写したもの。

境内は大友宗麟一色の感がありますが、ここで有名なのは茶室と庭園。

安勝軒は表千家惺斎宗匠好みで大徳寺山内唯一の逆勝手席。

宗麟公の時代の軒号をそのまま用いています。

餘慶庵(よけいあん)は表千家八代目啐啄斎宗匠好みの写しで【余計】なものを省いた形。

利休忌に因んで毎月二十八日には釜が行われるそうですが、この日は丁度その日。

和服の女性が大勢来られていました。伺うと、初めての方でも参加できるとの事。

今回はスルーでしたが、次回に期待です。

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方丈西側にある餘慶庵

 それよりも有名なのは、方丈前の独坐庭と裏手の閑眠庭。

独坐庭は寺号・瑞峯を主題にした蓬莱山式庭園。

この枯山水は蓬莱山の山岳から半島に続き、

絶え間なく打ち寄せる荒波に独坐している姿を表しています。

 閑眠庭は昭和の作庭家・重森三玲氏の作。名は禅の言葉に由来しますが、

庭はキリシタン灯籠を中心に縦4個、横3個の石組から成ります。

この並びが十字架に組まれており万民の霊を弔っているとか。

晩年にキリシタンになった宗麟公に因んでのものでしょうが、

禅宗の庭に十字架を密かに配置するとはなかなかユーモアがあります。

もう禁教は解かれていましたが、鎖国時代のことを【きりしたん】でしょうね。

 そのように考えると独坐庭の石組も何やら西洋のドラゴンが翼を羽ばたかせながら

玉を追いかけているように見えるから不思議です。真偽のほどはどうなのでしょうか?

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方丈前の独坐庭
蓬莱山の山岳から半島へと独坐している大自然を表す。

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西洋のドラゴンが空を飛ぶようにも見える

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方丈の縁側と独坐庭

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茶庭
方丈と餘慶庵の間にある露地で【余計】なものは一切用いない庭である。

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茶庭前から見た独坐庭

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方丈北側の閑眠庭

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閑眠庭と方丈北側
正面は餘慶庵。

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閑眠庭の石組
7個の石が十字架を表現している。

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茶室・安勝軒入口

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安勝軒の室内

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内庭を通り帰路へ

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瑞峯院説明書

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瑞峯院御朱印

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高桐院(京都市北区) 細川氏所縁の塔頭

2020.03.07(17:06) 562

二才に秀でた三斎(2020.2.28)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 三条 → (地下鉄) → 北大路 → 徒歩10分 → 大徳寺

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高桐院(臨済宗大徳寺派塔頭寺院)

 本坊拝観の後は、常時拝観できる塔頭をはしご。

表門から唐門に続く参道は自然石で両側には苔と樹木が植えられています。

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高桐院への入口
この先に表門がある。

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高桐院由緒

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参道脇の苔と樹木

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自然石の敷かれた参道の向こうに見える唐門

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参道の鍵の手から唐門を見る

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鍵の手にある樹木
丁度、植木職人の方が剪定中であった。

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鍵の手を曲がり中門へ向かう

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中門近影

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中門を通った先に玄関が見える

高桐院(こうとういん)は、

『戦国大名の細川忠興(号:三斎)が、父・細川藤孝(号:幽斎)の為に慶長7年(1602年)に開創。

開山の玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)は藤孝の弟に当たる。

 忠興は正保2年(1645年)に83歳で没し、遺歯が高桐院に埋葬された。

以後、この塔頭は細川家の菩提寺となる。』 とあります。

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庫裏を通り本堂(客殿)へ

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本堂縁側

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本堂前面の扁額「高桐院」
この右奥に公が祀られている。

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縁側より庭園を見る

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本堂と前庭(南庭)

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江戸初期の作庭の前庭
楓樹を主とした野趣に富む庭である。

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西側から見た前庭と本堂
庭は一面の苔に楓のみ植えられている。

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本堂内から見た前庭
中央の石灯籠は鎌倉時代の作。

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本堂内からの庭園風景

 細川藤孝は古今伝授を受けた当時一大の文化人ですが、

関ヶ原の戦いでは東軍として田辺舞鶴城を死守した人でもあります。

大勢の西軍に包囲された藤孝は死をも覚悟しますが、後陽成天皇の勅使で無事開城。

藤孝を失う事を惜しんだ朝廷が【調停】したと言われますが、

弟の玉甫紹琮の奔走があったと言われます。

一方の忠興も利休七哲の一人である茶人、切腹する利休を見送った信念の人でもあります。

文武両道に秀でたというのは細川家の家訓だったのでしょうか。三才ならぬ二才ですが…。

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西側から本堂を見渡す

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本堂の茶室・鳳来

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鳳来の床の間

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本堂から西側庭園へ降りる

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西側庭園奥へ

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庭園に置かれたけ袈裟型の降り蹲(手水鉢)
加藤清正が朝鮮の王城の礎石を持ち帰ったと言う。

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降り蹲の説明

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三斎の井戸越しに本堂を見る

 客殿や茶室も贅を削ぎ落した簡素なもの。

客殿南庭も江戸時代初期の作庭ですが、楓樹を基調にした野趣に富むものでした。

先程見た本坊の方丈庭園を見た後では質素な感が否めませんが、

これも武家としての矜持とすれば理解できます。

尤も、西国の外様大名として常に幕府の目を気にする立場であれば、

いたずらな華美は避けるべきだったとも言えます。

『苦しゅうない。良きに計らえ!などと言っていたらとうの昔に家は潰れていますよ。』

とは先代当主・細川護貞氏の談だったと記憶しています。

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西庭奥にある墓所

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細川忠興・ガラシャ夫妻の墓所

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墓所の説明

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細川家歴代の墓

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墓の説明

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本堂横を通り北西にある書院へ

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利休の邸宅を移築した書院

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書院に続く名茶席・松向軒
寛永5年(1628年)、忠興公により建立。

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松向軒内部
茶室に珍しい黒壁は瞑想の場の感がある。

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高桐院説明書

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高桐院御朱印

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大徳寺 本坊(京都市北区) 茶人と大徳の寺

2020.03.06(21:05) 561

はっとう見て!Good(2020.2.28)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 三条 → (地下鉄) → 北大路 → 徒歩10分 → 大徳寺

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龍宝山 大徳寺(臨済宗大徳寺派大本山)

 この日も、夕方から市内で会合があったので早目に家をでて巡礼。

龍宝山大徳寺(りゅうほうざんだいとくじ)は、京都を代表する禅の名刹。

洛北の紫野の地に広大な敷地と本坊他22の塔頭を有しています。

 しかし常時拝観しているのは僅かに四坊。

境内は無料で自由に通り過ぎる事ができますが、建物は外から見るのみ。

今回は本坊の冬の特別公開という事で【後悔】なきように拝観しました。

 寺院は北大路通りに面していますが、正門は東側にある狭い旧大宮通。

ここから総門、勅使門、山門を横に見て本坊庫裏へ向かいます。

山門は別名「金毛閣」、この二階を千利休が寄進し、雪駄を履いた自らの木像を置いたことで、

秀吉から切腹を命じられたという曰く付きの門。

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旧大宮通に面する総門
手前両脇は広い駐車場となっている。

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広い境内の案内図
赤は今回の特別公開。

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総門を過ぎて勅使門、山門を見る

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重文・勅使門
慶長年間に建築された御所の門を下賜され寛永17年(1640年)に移築されたもの。

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勅使門の彫刻を直視!

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重文・山門(三門)
連歌師・宗長の寄進で下層が享禄2年(1529年)に竣工、上層は天正17年(1589年)千利休により完成し「金毛閣」と名付けられた。

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裏側から見た山門
この楼上に置かれた利休の木像が彼の命取りになった。

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仏殿前の柏槙(ビャクシン、別名;カイヅカイブキ)

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柏槙の後ろにある仏殿
仏殿は無料で参拝できる。

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仏殿正面
寛文5年(1665年)に京の豪商の寄進により建てられた。

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仏殿に安置された阿弥陀如来

 今回の特別拝観は、国宝・方丈と同じく国宝・唐門と重文の法堂(はっとう)と天井龍でした。

唐門は秀吉の聚楽第の門を移築したもので、

日が暮れるまで見飽きない事から日暮門とも呼ばれるそうです。

極彩色の彫刻が見事なので唐門というよりもガラもんと言った方が良いでしょうか?

法堂(はっとう)は仏殿よりも一回り大きく、

本尊を祀るのではなく、僧侶に仏法を説く場所だそうです。

天井には狩野探幽の龍が描かれていますが、龍は法の雨を降らせる。

加えて防火の意味もあるとの話でした。

壇の下で柏手を打つと、見事なまでに音がこだまします。

説法の場所だけに音響効果を図っており、それが「鳴き龍」と呼ばれる所以。

天井の龍は平面ではなく、ドーム型に造っているそうで、共鳴は計算されたもの。

尚、龍の絵は9.5mですが、方形の紙を繋ぎ合わせたもの。【はっとう】身ではありません。

庫裏に入って以降は建物内外・庭園は全て撮影禁止。

折角の拝観にしては残念でしたが、コロナの影響で人も少なく

ガイドの人の案内を聞きながらじっくり拝観することができました。

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本坊前の特別公開案内

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本坊拝観はここから

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庫裏

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大徳寺説明書

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国宝・方丈と前庭
撮影禁止なので説明書からの抜粋。

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国宝・唐門と前庭
これも説明書からの抜粋。

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法堂側面

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法堂外観

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法堂の天井龍
これは特別拝観ガイドブックからの抜粋。

大徳寺の沿革は、

『鎌倉末期に宗峰妙超が紫草の薫る洛北の地に、

大徳という小庵を開いたのが始まり。宗峰は播磨赤松氏の家臣に生まれ、

書写山で天台宗を、鎌倉で臨済宗を学んだ後に京都に居を据えた。

 花園上皇から祈願所とする院宣を受けた正中2年(1325年)が開創の年とされる。

嘉暦元年(1326年)の法堂完成と同時に現在の龍宝山大徳寺と命名。

その後、後醍醐天皇からも帰依を受け京都五山の上に置かれるが、

足利時代になるとそれが仇となり五山から除かれた。

その後の大徳寺は五山から距離を置き、在野の寺院・林下としての道を歩む。

幅広い層から帰依を受け、一休宗純・村田珠光・武野紹鴎・千利休・小堀遠州等の

茶人も大徳寺と所縁を持った。』 とあります。

 開山の宗峰妙超は後に大燈国師と呼ばれますが、

『死後も開山堂を建てるな!』 と遺言した人。

宗教が権力と結びつき本来の姿をなくすことを危惧したのでしょう。

 花園・後醍醐天皇と結びついたことで五山の上に立ったものの、

足利時代になり五山から除外。

大徳寺にしては【誤算】でしたが、国師の予想はずばり的中したとも言えます。

 尤もそのお蔭で一休宗純はじめ【一級】茶人を輩出したとも言えますが…。

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大徳寺境内の梅

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大徳寺御朱印(平成6年拝受)
当時は文字も判子であった。「本朝無双禅苑」は後醍醐天皇の勅。

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今回拝受の大徳寺御朱印
文字は墨書に変わった。

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総門前にある大徳寺納豆の店
糸引き納豆ではなく塩納豆である。

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紫野御所田郵便局 ; 国宝・大徳寺唐門と方丈

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大仙院(京都市北区)

2020.03.01(14:27) 557

宗教と権力の狭間で(2020.2.21)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 三条 → (地下鉄) → 北大路 → 徒歩10分 → 大徳寺

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大徳寺北派本山 大仙院(臨済宗大徳寺派塔頭)

 総見院に続いて特別拝観の法堂に行くつもりでしたが、この日はまさかの拝観休止。

「特別拝観中なのに休みとはなんでやねん!」とは思いましたが、

そのまま会合に向かうには時間があったので、常時拝観している大仙院へ。

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大仙院への道標

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入口の前庭

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山門前にて

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大仙院由緒

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山門から境内を見る
左が本堂、右が庫裏。

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境内から山門を見返る

大仙院(だいせんいん)は、

『永正6年(1509年)、大聖国師・古岳宗亘禅師が開山。

大徳寺塔頭の中でも由緒のある名刹。この系列は後に北派と呼ばれる事になる。

 開山以降も、三世の古渓和尚は千利休の首を加茂の河原からここに持ち帰った人物、

七世沢庵和尚は宮本武蔵とも親交があり紫衣事件で出羽に流された事で有名である。 

方丈と枯山水庭園は室町時代を代表するもので、前者は国宝、後者は重文となっている。』

とあります。

 境内の本堂と庭園は説明通りでしたが、生憎写真撮影禁止。

全て記憶の中にとどめる事に。これも禅の教えでしょうか?

売店に写真が多数販売されているのが気になりましたが…。

 枯山水は室町初期に禅宗の影響で成立した庭園様式。

それまでの自然を取り入れた作庭から抽象的な作庭に変化しました。

これは禅宗の教えでもありましょうが、それまでの支配層が政治的経済的に衰退したため、

従来の天皇貴族的なものから庶民レベルに移行したことも大いに与っています。

庭も小ぶりになり川を石や砂で代用したのもその表れでしょう。

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境内の梅

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梅近影

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国宝・大仙院方丈遠景

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方丈前の玄関

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塀越しに見た方丈の屋根
室町時代の建築でわが国最古の方丈建築である。

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参道を進み拝観入口へ

『日本の今の文化が知りたければ、応仁の乱以後を学べば良い。それ以前は異国の歴史である。』

とは我が国東洋史学の開拓者内藤湖南の言葉。

住居を初め我々になじみ深いものが出現したのも応仁の乱以降になります。
 
 大徳寺は室町初期、一休宗純も修行した場所。

彼も権力に阿る事無く、己の生きざまを貫いた僧でした。

その当時の御政道批判は命がけ。大仙院の歴代住職にもその意志が続いているのでしょう。

現在にはこのような硬骨漢が必要と思いますが、そんな時は『利休に尋ねよ』ですね。

 こうして大徳寺塔頭を二坊訪問。一度に巡礼するつもりでしたが残りは次回に持ち越し。

一休和尚と千利休所縁の場所は、「休み休み」回る他なさそうです。

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庫裏遠景

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庫裏玄関の唐破風

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唐破風近影

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大仙院説明書

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大仙院御朱印
「拈華殿(ねんげでん)」と墨書

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御朱印時に貰った吸取紙

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総見院(京都市北区) 戦国の覇者 織田信長の菩提寺

2020.02.29(15:00) 556

信長の菩提を弔うため創建された寺院(2020.2.21)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 三条 → (地下鉄) → 北大路 → 徒歩10分 → 大徳寺

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大徳寺 総見院(臨済宗大徳寺派塔頭)

 夕方の京都市内の会合前に、紫野の大徳寺へ巡礼。

京都五山にもなった臨済宗大徳寺派の本山で広大な境内には22の塔頭があります。

しかし大部分は非公開で常時公開しているのは四坊のみ。

今回、非公開文化財特別拝観が二ヵ所あったので早速拝観。

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総見院特別公開の案内板

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入口の左の唐門
ここを進むと信長公の廟に至る。

 総見院(そうけんいん)は、

『天正11年(1583年)、本能寺の変に斃れた織田信長の菩提を弔うため羽柴秀吉が建立。

千利休の師に当たる古渓宗陳和尚を開山とした。信長の葬儀もここで執り行われ、

それを主催した羽柴秀吉は天下人への一歩を踏み出した。

 ここの本尊は織田信長坐像。信長一周忌法要に合わせて香木(沈香)で造られたもの。

慶派の仏師・康清の作とされ、衣冠束帯の115㎝の木造。

当時は二体造られた内の一体で、もう一つは棺に入れて荼毘に付されたと伝わる。

江戸時代には200石の寺院であったが、明治の廃仏毀釈で衰退。

大正時代に再興され、境内には三つの茶室が建立、移築された。』 とあります。

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受付を過ぎ、この門を通り境内へ

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参道から見る本堂

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境内に植えられている京都市の木・北山杉

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本堂前の茶筅供養碑

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供養碑の中央は茶碗、両側は茶筅を象っている

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昭和3年再建の本堂

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本堂近影
この奥に木造の信長像が安置されており拝観可能。

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本堂の「総見院」の扁額

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本堂前から見た境内

 境内は広いですが、本堂は比較的小ぶり。西半分が墓地になっています。

本堂横には加藤清正が朝鮮から持ち帰った井戸、

秀吉が利休から譲り受けた「胡蝶侘助椿」もあります。

樹齢400年、日本最古というのも【誇張】ではありません。

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塀の向こうの鐘楼は堀秀政の寄進

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境内西北奥にある織田一族の五輪塔
左から三つ目の大きいものが信長のもの。

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五輪塔の配列

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本堂脇の「掘り抜き井戸」
加藤清正が朝鮮から持ち帰った石を井筒に用いている。

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樹齢400年日本最古の「胡蝶侘助椿」
秀吉が千利休から譲り受けたと伝わる。

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侘助椿の説明板

 信長所縁の物があるとはいえ、これだけならやや殺風景。

これにアクセントを与えているのが本堂奥にある三茶室でしょうか?

いずれも表千家所縁のものが多く、今でも二茶室でイベントが行われているとか。

但し建築としては新しく、「香雲軒」「寿安席」は大正時代、「龐庵」は犬山から移築されたもの。

三者三様ですが12+18畳の「龐庵」はと茶室としては広すぎ。

しかしそのようなものも茶室として利用するのが利休の教えでもあったのでしょう。

 信長の葬儀が行われたから、境内に一族の墓があるのは当然ですが、

本尊まで信長というのには吃驚。

神を目指した信長も仏となってどのような感慨に浸っているのでしょうか?

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茶室へと続く渡り廊下

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廊下の上に置かれた輦台
本尊である信長公の木像を運び込む際に一度使われたとか。

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廊下脇の庭

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渡廊下から茶室を見る

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八畳の茶室「香雲軒」

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「香雲軒」の内部

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犬山から移築された「龐庵」

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「龐庵」の縁側部分
板戸は網代様式。

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入口から見た「龐庵」の縁側

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「龐庵」の茶室

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最も奥にある「寿安席」
大正時代に山口玄洞が建立。

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「寿安席」正面

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「寿安席」茶室の襖に描かれた五七の桐の紋

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「寿安席」の襖絵

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総見院御朱印

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洛北 小町寺(京都市左京区) 男女歌仙ゆかりの寺院

2020.02.13(16:26) 549

花の色は…(2015.12.31)

<コース> 特急は10分間隔、叡山電鉄は15分間隔で運転
淀屋橋 → (京阪電鉄特急) → 出町柳 → (叡山電鉄) → 市原 → 徒歩3分 → 小町寺

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如意山 補陀洛寺(天台宗延暦寺派尼寺)

 大晦日に洛北に所要があってので、少し寄り道して巡礼。

出町柳駅から鞍馬行きに乗車し、殆ど人が下りない市原で下車。

人も疎らな駅周辺から線路沿いに南に戻った道沿い、

崖の上にひっそりと建つのが小町寺こと補陀洛寺。

 人気も無く物寂しい雰囲気ですが、それもその筈、古代には付近一帯の葬礼の地。

昭和二十年代までは幽霊が出ると言う噂で地元の人も近づかなかったとか。

 如意山補陀落洛寺(にょいさんふだらくじ)は、

『平安時代中期、天台僧・延昌(えんしょう)が修行中に一夜の宿を借りた老夫婦の願いにより

再興した明興寺が嚆矢。清原深養父が建立したとされる。

その後、後白河法皇の大原詣で立ち寄ったと言われるが、時代が下るに従い衰微。

焼失した後に清原深養父が大原に住んだ補陀落寺を移した。』 とあります。

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1999年再建の本堂
鞍馬寺の護摩堂を移築。本尊は阿弥陀如来。

 清原深養父 (きよはらのふかやぶ 889年以前~945年以降)は、

908、923、930年の任官の記録が残る程度で詳しい事績は伝わりません。

清原氏は舎人親王(天武天皇皇子)の末裔、父は清原房則(海雄、通雄とする系譜もあり)。

孫に清原元輔、曾孫に清少納言がいますが年齢差から元輔(908年生)を深養父の子とする説も有力。

清少納言は枕草子の冒頭で「夏は夜」と書いていますが、この歌が念頭にあったのかもしれません。

月のおもしろかりける夜、暁がたに詠める

・夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

[百人一首第三十六番  古今集・夏]

(訳) 夏の夜はなんと短いのか。未だ宵と思っていたのにもう明けてしまったじゃないか。
    これでは沈む間もない月は雲のどの辺にいることやら。

小倉百人一首でも有名な歌。深養父は勅撰集に41入首するなど

存命中は紀貫之・凡河内躬恒等に次ぐ高い評価を受けた歌人です。

しかし三十六歌仙の撰者の藤原公任にはあまり評価されず【いずこに宿る】状態でしたが、

藤原俊成により再評価され【宵ながら明けぬる】となりました。

古今集で尊ばれた機知や諧謔が後世の人に受け入れ難かったのでしょう。

深養父の弾く琴を聞きながら兼輔と貫之が詠んだ歌が後撰集に入手しており、

貫之・躬恒・藤原兼輔といった当時の歌壇の重鎮とも親交があったようです。

晩年は洛北の大原に補陀洛寺を建て「女ひとり」ならぬ男ひとりで隠棲したと伝わります。

ふ【堕落】した生活を送った訳ではなく、自然と音楽を愛する優雅な余生であったといえましょう。

この辺の出所進退は蝉丸に似ているとも言えます。

寺はその後焼失し静市市原に再建され、その名を現在に伝えることとなりました。

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本堂内にある小町老衰像

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境内にある「小町姿見の井戸」

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小野小町の「花の色は…」の歌碑

しかしここは深養父よりも小野小町が晩年を過ごした寺として有名。

一説には小町が晩年を過ごし、昌泰3年(900年)に八十余歳で亡くなったと伝わります。

本堂内には「小町老婆像」が祀られていますが、

右手に杖、右足を岩座に置いた晩年の姿を表した鎌倉時代の作。

絶世の美女との落差を感じない訳にはいきませんが、人々の嫉妬がこのような伝説を生んだのでしょうか?

唯、御住職の話では、

「確かに老ではあるが決して「衰」ではない!」

そうで、そうすると己に対する自身の表れともいえそうです。

綺麗に齢を取るというのは現代でも大いに参考になると思います。

尚、小町寺として有名な補陀落寺ですが、小町の方が時代的には深養父よりも前。

「小野道風の書いた和漢朗詠集」の様に中世史では時々このようなことが起こるのも不思議。

【小町】ってしまいますが、真相は【深養父】の中です。

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補陀洛寺御朱印

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即成院(京都市東山区) 聴いて極楽、見て極楽

2020.02.11(21:14) 548

極楽の願いが的へ(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺 → 新善光寺 → 戒光寺 → 即成院

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光明山 即成院(真言宗泉涌寺派塔頭)

 戒光寺で大仏を拝観した後、境内の総門前にある即成院を通ると「極楽浄土」の看板が。

冬の特別公開の範疇には入っていませんが、

極楽浄土の音楽を展示しているらしいので、またぞろ参拝。

 光明山即成院(こうみょうざんそくじょういん)の歴史は、

『正暦3年(992年)に恵心僧都が伏見に建立した光明院が嚆矢。

その後、関白・藤原頼通は宇治に平等院を建て極楽往生を願い、

その子・橘俊綱も寛治元年(1087年)に伏見桃山に広大な山荘を営み

光明院を阿弥陀堂として移設した。

但し、恵心僧都は伝説で実際は一世紀後の橘俊綱が創始者とされる。

 当時は浄土信仰が盛んになり、臨終に際しては阿弥陀如来と

二十五菩薩のお迎えで極楽浄土に行く事が理想とされた。

そのため寺院の本尊も阿弥陀如来と二十五菩薩であり、

平安時代の定朝と弟子の作とされる。

 当院では毎年10月第三日曜日にお練り法要が開催されるが、

それを先導するのは大地蔵菩薩に導かれた二十五菩薩である。

 寺院自体は豊臣秀吉の伏見城築城により深草に移転。

明治の廃仏毀釈により廃寺となるが、仏像は泉涌寺の塔頭・法安寺に引き取られ、

昭和16年に寺号の即成院が復活した。』 とあります。

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山門と拝観の案内

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屋根の上の鳳凰
開山が平等院を造った頼通の息子の為か?

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門扉の彫刻も鳳凰

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山門から見た境内

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書院
ここは拝観なし

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本堂正面
拝観はここから。

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本堂前から見た境内

 この寺院も彼方此方を転々とする経緯を経ていますが、

最終的には泉涌寺に落ち着きました。明治の廃仏毀釈は各地の寺院には痛手でしたが、

皇室所縁の泉涌寺だったからこそ、この窮地を乗り切ることができたのかもしれません。

 また、即成院は源氏方の武将・那須与一所縁としても知られ、

与一が隠棲し境内に葬られた場所でもあります。

一説では那須氏の本貫地が即成院に寄進されたとか。

那須与一と言えば屋島の戦いで扇の的を射た事で有名ですが、

的を射るという事で願いが叶うとされています。

那須氏にとっては【良い地】であったことになります。

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与一の手洗い所
といっても与一がここで手を洗った訳ではない。

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本堂奥にある那須与一の墓

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本堂内の那須与一の展示 
ここは無料で拝観できる。

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絵馬も的タイプ

 御本尊と二十五菩薩、与一の墓は無料で拝観できますが、

折角なので¥500で内陣から本尊にお参り。

いずれも非常に大きな像で、功徳が大きくなるようにと願った結果と言われます。

 内陣脇ではお練り法要の楽器と面が一式展示。

御住職から「撮影も、持って頂いても構いません。」

と伺ったので早速体験。木製と思いきや紙製なので意外と軽い。

これなら法要の間も疲れないでしょう。

尤も参加者は寺院の関係者なので部外者は見学だけと言うのが残念ですが…。

 寺院では静かに参拝するのが礼儀ですが、音楽とは切っても切れない関係があります。

天台宗の声明がお経になってそこから音楽が生まれます。

これはキリスト教の讃美歌、イスラム教のアザーンでも同じ。

少し違いますが、萬葉集の挽歌もこれと似たものでしょう。

まさか亡くなった人の怨霊を【音量】で鎮めようというのではないでしょうが…。

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内陣のお練り供養面の展示

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お練り供養面の近影
紙を張ったもので、頭の飾りのみ金属製。

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法要での楽器の展示

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琵琶、琴、鞨鼓、篳篥など

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阿弥陀如来と二十五菩薩
撮影禁止のため、これは境内の案内板。

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即成院説明書

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即成院御朱印

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令和元年 JR東海ツアーズ限定御朱印

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令和2年 JR東海ツアーズ限定御朱印

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遅めの昼食は時計台前のカンフォーラにて

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丈六さん 戒光寺(京都市東山区) 御身代わりになった釈迦如来

2020.02.06(16:22) 547

生身の大仏様に邂逅(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺 → 新善光寺 → 戒光寺

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東山 戒光律寺(真言宗泉涌寺派塔頭 準別格本山)

 新善光寺参拝を終えて帰りの参道を歩いていると、

「重要文化財(鎌倉時代) 運慶・湛慶父子の大作

釈迦如来   十メートルの木造の大仏様です  ご参拝下さい」 の看板が。

当初の予定ではありませんでしたが、無料拝観の様なので、この機会にと参拝する事に…。

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泉涌寺参道脇の山門と釈迦如来拝観案内板

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戒光寺由緒

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山門前の「丈六釈迦如来」の寺標

東山戒光律寺(ひがしやまじょうこうりつじ)は、

『安貞2年(1228年)、後堀河天皇の勅願寺として猪熊八条の地に創建。

開山は南宋から帰朝した浄業曇照で、本尊には運慶・湛慶父子の合作である

丈六の釈迦如来立像を安置。巨大な伽藍を持つ戒律復興の道場とされた。

 皇室・庶民の尊崇を集めていたが応仁の乱で焼失。

本尊だけは難を逃れて一条戻橋付近に戻った。三条河西に移築の後、

正保2年(1645年)に後水尾天皇の発願で泉涌寺塔頭となり今に至る。』 とあります。

 境内に入ると、本堂がありその奥に更に高い堂が付けられています。

前で拝んだ御本尊は身の丈5.4m、台座から後背まで入れると10mという巨大なもの。

以前に参拝した中では、大和と鎌倉の長谷寺の御本尊が似た雰囲気ではないでしょうか?

仏像は必ずしも大きければ良いというものではないですが、

多くの人に信仰されるにはやはり大きい方が効果的なようです。

伽藍が焼失した際に、このような大仏をどうして避難させたのか不思議ではありますが、

泉涌寺へは祇園祭りの山鉾のように台車で曳かれて移られたとか。

いずれにせよ、今に残った事は幸いです。

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山門から見た本堂(右)と庫裏

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本堂正面

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本堂と奥に続く本尊を安置する堂

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この中に御本尊が祀られている

 以前に見た京都の仏像巡りの番組で、

俳優の渡辺大さんと仏女の政田さんがこのお寺を訪問されていました。

御住職から、

「お釈迦様の身長は丈六尺だったと記録されています。

ですので、この御本尊は同じ大きさで作った生身の仏様です。」

と説明があって、大さんと政田さんは驚いた様子。

 白髪三千丈の誇張とはいえ、いくらなんでも生物学的に5.4mの人間はあり得ません。

勝手な推論ですが、記録に丈六尺とあるのは一丈六尺ではなく

身の丈が六尺という意味だったのではないでしょうか?それならば違和感はありません。

記録の読みにはより【しんちょう】を期すべきでしょう。

更に続いて、

「本尊の首筋に見えるのは血の跡で、後水尾天皇が東宮時代に争いに巻き込まれ

暗殺者に首を斬られた際に、身代わりになり付いた血の跡です。」

と説明がありましたが、これだけ大きな仏様を身代わりにするのも難しい話。

一体どんな事情があったのでしょうね?

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境内の案内図にある御本尊

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書院の立花

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戒光寺

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戒光寺御朱印

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新善光寺(京都市東山区) 善光寺様式の御本尊

2020.02.04(20:57) 546

こいの奥にある愛染明王(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺 → 新善光寺

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一條殿 新善光寺(真言宗泉涌寺派 準別格本山)

 札所に続いて、もう一つの特別公開寺院を拝観。

新善光寺(しんぜんこうじ)は

『寛元元年(1243年)、後嵯峨天皇の勅願により一条大宮の地に創建。

本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同じ様式で鋳造された鎌倉時代の作。

天皇は、都の内外万民が信濃への国へ行くには遠き山路を越え、

また志あれども思うにまかせざる者の為に建立し新善光寺の名を賜った。

 応仁年間に兵火に掛かるが、文明5年(1473年)に後土御門天皇の勅に拠って

泉涌寺境内に移された。』 とあります。

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泉涌寺参道から下った所にある新善光寺
左奥には泉山幼稚園があるので、表門前にはママチャリが停まっている。

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表門

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由緒

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表門から見た境内

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枝垂桜

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客殿玄関と中門

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大方丈縁側と庭園

 要は、都人が信濃への国へ行くには幾多の困難が伴う事から、

都にて善光寺の本尊を拝む事ができる様に都に持って来たと言うもの。

武田信玄が甲斐善光寺を建立したのとは意味合いが異なります。

 今でも全国観音霊場百カ所巡礼を終えた人は善光寺に参るそうですが、

近代以前にも善光寺は全国から多くの巡礼者を呼び寄せる力があったようです。

善光寺の一光三尊像は勅命に拠り絶対秘仏ですが、

見る事のできない御本尊にどうしてこれほど人が集まったのか?

見れない故の信仰なのか、今後考える余地がありそうです。

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大方丈の窓から見える枝垂桜
ここの中庭には降りる事ができない。

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大方丈の襖絵 玄宗と楊貴妃図
撮影禁止の為、案内図にて。

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大方丈縁側から見た本堂

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本堂前の石塔と碑

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大方丈から本堂へ続く廊下

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本堂への途中

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これも悟りの窓か?

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礼拝後の本堂前にて

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本堂前から見た池と愛染堂

 そういえば善光寺は天台宗と浄土宗。泉涌寺は真言宗なので新善光寺も真言宗。

和辻;「善光寺を名乗りながら宗派が違うのはおかしくないですか?」

ガイド;「いえいえ、全国には善光寺と名のっている寺院は百を越えますが、宗派はバラバラですよ。」

との事。よく言えば宗派に寛容、悪く言えばいい加減な感じではあります。

唯、お参りする人もそこまでは気にしなかったでしょう。

現在は御朱印ブームですが、巡礼する寺の宗派を知らずに

書いて貰う人が結構いるようですから、推して知る可です。

 新善光寺は室町以降、庶民の信仰を受けて栄えたとありますが、

本尊の阿弥陀如来に加えて愛染明王さんの信仰が盛ん。

愛染明王は恋愛成就・夫婦円満の御利益に加えて武運の神様でもあって、

戦国武将・直江兼続が兜の前立に「愛」を用いたのは愛染明王の信仰によるものだそうです。

 庶民の信仰が深いとありますが、方丈内はやはり皇室所縁の優雅な造り。

狩野派に拠る白楽天、玄宗と楊貴妃の襖絵や長恨歌を題材にした絵巻物などは芸術性が高いと感じました。

戦前には長恨歌は皇室の醜聞を描いたと言うことで不敬に当たったそうですが、

近世の方々はそのような事に拘りはなかったようです。

そんな事を言えば、源氏物語も没になってしまうでしょう。

 展示品には螺鈿の煙草盆もあって、皇族の方がキセルで喫煙していたと言うのが驚きでした。

かなり捌けた方々も多かったのではないでしょうか?

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本堂より見た大方丈

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庭園の様子

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庭園より見た大方丈

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庭園より見た本堂

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十三重石塔近影

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池の鯉と愛染堂

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愛染堂近影

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愛染堂から見た境内

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新善光寺説明書

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新善光寺御朱印

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今熊野観音寺(京都市東山区) 葬礼の地の壮麗な伽藍

2020.02.02(14:52) 545

西国霊場たっちゅうの!(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院 → 今熊野観音寺

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新那智山 観音寺(真言宗泉涌寺派塔頭 西国三十三ヵ所第十五番札所)

 雲龍院に続き次の特別公開寺院に行く途中に西国札所があったので、ちょっと立ち寄り。

場所的には参道から坂を下って再び上った場所。

かつての本堂は今よりも奥にあったとされ、地形的にも霊が集まるような場所だったのでしょう。

平安時代には鳥辺野と呼ばれる貴族の葬送の地でしたが、

葬礼や法要の多くを観音寺が行っていた事がそれを証明しています。

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泉涌寺参道の左にある入口
看板に「頭の観音様」とある。

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由緒記

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朱塗りの鳥居橋を抜けて境内へ
付近は桜と紅葉の名所である。

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参道を通り境内へ

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何故か閉まっているお茶所を横に見て階段を上る

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子護大師
開創された弘法大師を祀る最初にお参りする場所。

 新那智山観音寺(しんなちざんかんのんじ)は、由緒記に拠れば

『平安初期の825年頃、嵯峨天皇の勅願に拠って空海が開創。

東山から光が出ているのを見て当地に来た空海は、熊野権現の化身の老人に出会う。

その際に老人は1寸8分の観音像を渡し「この地に堂宇を建てて観音を祀るように」と告げて去った。

空海はその像を自ら彫刻した十一面観音の胎内仏として祀った。これが観音寺の起こりである。

 白河法皇の時代になると、紀伊熊野三山に対しこの地を今熊野と呼ぶようになった。

後白河上皇の永暦元年(1160年)には、この地に熊野権現を勧請し、

新那智山の山号と観音寺の寺号を賜った。

以後、西国札所として幾多の戦乱に逢いながらも現在まで隆盛を誇っている。』 とあります。

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境内遠景

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正徳2年(1712年)建立の本堂
本尊は十一面観音菩薩で、西国札所として左側で御朱印を貰う。

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書院玄関

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玄関脇にある創建当時の三重石塔

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大師堂とぼけ封じ観音
不動明王、愛染明王に加え伽藍を寄進した左大臣藤原緒嗣の像を祀る。

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醫聖堂
本堂東側の山上に聳える平安様式の多宝塔。総欅造り、高さ16m。

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醫聖堂前から見た本堂

 今では泉涌寺の塔頭ですが、応仁の乱までは広大な寺域を誇った場所。

泉涌寺道もかつては観音寺道と呼ばれていたそう。

本堂も泉涌寺の塔頭・別院の中では異例な大きさ。

やはり葬礼には壮麗な伽藍が要るという事でしょうか?

月輪山麓の自然豊かな場所で、藤原定家が詠んだように

郭公の声が聞こえる格好の場所でしたが、いまは稀。

 御本尊は元来智慧を授ける観音様でしたが、その後、頭痛にも霊験があるようになり、

最近はボケ防止としても知られるようになりました。

伽藍は縮小しましたが御利益は拡大しているようです。

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今熊野観音寺説明書

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今熊野観音寺御朱印

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京都今熊野郵便局 ; 国宝・三十三間堂、国宝・十一面千手観音坐像

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雲龍院(京都市東山区) 皇室ゆかりの写経道場

2020.01.31(22:53) 544

潜入時に見てら!(2020.1.24)

<コース>
JR京都 → JR東福寺 → 徒歩15分 → 泉涌寺入口 → 雲龍院

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瑠璃山 雲龍院(真言宗泉涌寺派 別格本山)

 夕方の会合前に特別公開の寺院に参拝。

公開寺院は市内に散らばっていますが移動が少ない方が楽なのは勿論。

偶々東山の泉涌寺の塔頭三寺院が特別公開していたのでそちらを訪問。

 京都市内には幾多の塔頭を持つ本山寺院が多く、

それ自体は珍しくありませんが、多くは平地にあって明るい雰囲気。

それに比べると泉涌寺は東山三十六峰の一つ月輪山麓にあり、

かつての葬礼の地に壮麗な寺院が建ちます。

参道を進むと畏敬の念を抱くのはそのような事も影響しているのでしょう。

鎌倉・江戸時代の歴代皇族の菩提寺として御寺(みてら)と呼ばれた場所。

皇室所縁の御寺(みてら)ですが、【見てら!】という程、見ていないのでじっくり拝観。

 大門を左に見て参道を進み奥まった高台に上った場所にあるのが瑠璃山雲龍院(るりさんうんりゅういん)。

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泉涌寺総門

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泉涌寺由緒記

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泉涌寺特別公開の案内

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御寺なので皇室の方々の御陵が
朝彦親王、淑子内親王、守脩親王(左から)とある。

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雲龍院正門(不明門)

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正門横の勅使門

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正門から参道を見る

由緒に拠れば

『応安5年(1372年)、後光厳天皇の思し召しに拠り竹巌聖皐が創建。

同時に皇子・後円融院はここを如法写経場とするため寺領を寄進し龍華院を建立。

続く後小松、称光天皇もこの寺院を崇拝された。

そのため北朝四天皇の分骨所が営まれており、その位牌堂に当たるのが霊明殿である。

これらの建物も文明2年(1470年)の乱で焼失。後光厳、後円融天皇の尊像のみが残った。

徳川時代になり如周正専が中興の祖となり再建。雲龍院の中に新たに龍華殿を建て合併した。

これを聞いた後水尾天皇から写経道場再建のための費用が下賜され、

併せて百点余りの仏具も寄付され寛永19年に再興を遂げた。

 皇室との所縁も深く、天保14年以降皇妃、皇女が葬られ玄関、方丈、勅使門を賜る栄誉に浴した。

霊明殿も幕末から明治2年にかけて孝明天皇、明治天皇、英照皇太后の思し召しで再建した。』 とあります。

 玄関と霊明殿には龍の水墨画が。

共に現代画家の作品なので、雲龍という名前に肖って描かれたものでしょう。

いずれも横綱級の作品でした。

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参道から見た重文・龍華殿(本堂)
寄棟、杮葺きで寛永年間の再建。

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庫裏

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受付正面の雲龍図
清浄の間の前に架かる。

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受付横の内庭

 最初に拝観したのは庭園に面した部屋。

蓮華の間からは雪見障子の四角いガラス越しに四枚の違った景色を眺める事ができ、

続く大輪の間からは庭園を一望することができる仕組になっています。

同時になぞかけの掛け軸もあり禅宗の香りがしました。

 廊下を渡ると霊明殿。今に続く写経道場の様で、拝観した際にも何人かが写経されていました。

【こうひつ】ゆかりの写経と言ってもペンではなく筆。

道場なので華やかさはないですが書院の窓からの景色は見応えがあります。

借景を見ながら写経するという方針なのでしょうかね?

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蓮華の間の雪見障子
四枚の窓からは椿、灯篭、楓、松が眺められる。

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窓から見た庭園

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蓮華の間の襖絵

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大輪の間入口

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大輪の間全景

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大石内蔵助の「龍淵」の書
討ち入り前の山科隠棲時に、親戚の当山塔頭来迎院の住職を屡々訪ねたとか。

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大輪の間の「なぞなぞ掛け軸」
左;禁酒、右;稚児の酒もいつつ飲みたや

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大輪の間の縁側から見た庭園

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庭園

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庭園の庭石の上には菊の御紋の瓦が

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庭園に聳える杉
随分前に落雷に合った。上の枝を龍に見立てるとも言われる。

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霊明殿前面
皇族の位牌堂で、明治元年の再建。

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霊明殿の前庭
砂で菊の御紋を描く。灯籠は徳川慶喜の寄進で、幕末動乱時に孝明天皇陵から移したと伝わる。

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霊明殿前から見た龍華殿

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龍華殿の廂
中央の高野槙は秋篠宮家若宮悠仁さまのお印。

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「龍華殿」の扁額

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龍華殿から勅使門を直視

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龍華殿の廻廊を抜け再び書院へ

 また書院の端の部屋には丸と四角の窓があって、

ガイドの方の説明では丸が悟り、四角が迷いの窓との事。

洛北の源光庵が有名ですが市内では二ヵ所しかないそうです。

 源光庵は禅宗ですが、ここは真言宗。

和辻;「真言宗で禅の悟りとは不思議ですね。」

ガイド;「以前ここは天台・真言・曹洞・浄土の四宗兼学道場だったので、その名残ですね。」

和辻;「宗派が違って揉めなかったのでしょうか?」

ガイド;「なんだかんだと言っても元は同じところですからね。凄惨な争いはなかったようです。」

宗教の違いにより争いが起こることは珍しくないですが、

日本ではそれほどではなかったのはせめてもの救いでしょう。

かつての兼学道場を【見学】できる幸福を改めて感じます。

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書院横から見た庭園

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水琴窟「龍淵のさやけし」

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庭園の楓

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庭園の向こうに見える「大輪の間」

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月窓(げっそう)の間
ここを通った光が中の壁に月影を描くように工夫されている。

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悟りの間にある悟りの窓
下の襖には桜が描かれ、窓の向こうには梅が植えられている。

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「悟りの窓」近影

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隣接する「迷いの窓」

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雲龍院説明書

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雲龍院御朱印(龍華殿)

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雲龍院御朱印
西国四十九薬師霊場開創三十周年記念「金紙薬宝院」

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光照院門跡(京都市上京区) 旧常盤御所

2020.01.25(19:58) 540

高尚な貴族趣味の寺院(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺 → 京阪三条 → (地下鉄) → 烏丸御池 → 徒歩5分 → 六角堂 → (地下鉄) → 今出川 → 徒歩5分 → 三時知恩寺 → 徒歩3分 → 光照寺

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佛日山 光照院(浄土宗 尼門跡寺院)

三時知恩寺に続き少し北にある門跡寺院へ。

佛日山光照院(ぶつにちざんこうしょういん)は、

『南北朝時代の延文元年(1356年)に、後伏見天皇の皇女・進子(ますこ)内親王に拠って創建。

ここは鎌倉時代の歴代上皇の仙洞御所となった持明院統の邸宅があった場所である。

進子内親王は自身が華道に堪能であったため、常盤未生流の家元となり、

以後、歴代の門跡は家元を兼ねる状態が続いている。』 とあります。

 残念ながらここも入口より先は撮影禁止なのは同じ。

正面にある常盤会館、本堂、書院が拝観できる場所でした。

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特別公開の看板
写真は常盤会館内部

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由緒書

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山門脇の仙洞御所跡碑

 常盤会館は昭和3年11月に京都御所で行われた即位大典の際の大嘗宮朝集所を移築したもの。

寺院らしさはないですが、継ぎ目のない絨毯がスケールの大きさを表しています。

 本尊は鎌倉時代の清凉寺式と呼ばれる釈迦如来立像。

規模は小さい御本尊ですが、衣の部分に菊の金細工が施されるなど細かい技術が見られます。

 最後の書院は京都御苑の旧桂宮御殿の一部を移したもの。

北側の庭園には歴代門跡が御手植えの五葉松が現在までも枝ぶりを伸ばしています。

 こうして門跡寺院の参拝も終了。

いずれも御所の近隣ですが、なぜ門跡寺院があったのか?

平安時代などは宗教勢力の力を取り込むべく、皇族や摂関家が子弟を送り込みましたが、

この時代に送り込んだのは女性が多く、

後継者以外の子女が政治的に影響を与えないように考慮した感じがします。

そういった意味では幽閉に近く門跡も政治の被害者だったといえるのではないでしょうか?

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屋根瓦にある菊と重ね菱の紋

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山門正面に建つ常盤会館
右は臨時の受付。

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光照院説明(特別公開ガイドブックより)

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光照院御朱印

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俵屋吉富 菓子資料館前
特別拝観3箇所で、1回の抹茶接待が受けられる。

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抹茶接待
銘菓「雲龍」と抹茶

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三時知恩寺(京都市上京区) 旧入江御所

2020.01.23(20:50) 539

狩野永納と円山応挙の絵画に賛辞(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺 → 京阪三条 → (地下鉄) → 烏丸御池 → 徒歩5分 → 六角堂 → (地下鉄) → 今出川 → 徒歩5分 → 三時知恩寺

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三時知恩寺(浄土宗 尼門跡寺院)

 西国札所巡りに続いて御所の北側に地下鉄で移動。

「京の冬の旅」という企画で特別拝観している門跡寺院を二ヵ所拝観。

『三時知恩寺(さんじちおんじ)は、室町時代に後光厳天皇の皇女・見子(けんし)内親王が、

伯父の崇光天皇の旧御所・入江殿を寺院として創建。入江御所と呼ばれた浄土宗尼門跡寺院である。

 その後、室町幕府三代将軍・足利義満の息女覚窓性仙尼(かくそうしょうせんに)が入寺。

知恩寺と号したが、「宮中で行う六時勤行のうち昼の三時の勤行をここで行うべし」

との後柏原天皇の勅命に拠って名を三時知恩寺と改めた。

 明治維新まで代々皇女や摂関家の姫君が入寺され、特に近衛家との所縁が深い。』 とあります。

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山門と特別公開の看板

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由緒記

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境内から見た山門
向こうに見えるのは同志社大学別館。

 同志社大学の別館と道を挟んである閑静な住宅街。

広大な伽藍ではなく、加えて各所から移築された建造物が殆どですが、

小さい中に当時の宮中文化を凝縮した造りとなっています。

 寺院は天明の大火で焼失しましたが、本堂は大徳寺山内の学問所を移築。

書院は桃園天皇女御・恭礼門院の御殿を賜りました。

木造の建造物が多い我が国では建物の焼失は致し方ありませんが、そのような場合、

新築するのではなく古いもの或いは不要になったものを移築する事が往々にしてあります。

せこいといえばそうですが、経済的にも文化財を後世まで残す面でも秀逸な方法であったと思います。

 唯、残念な事に拝観入口から内部は室内・庭園に関わらず全て撮影禁止。

己の記憶のみに焼き付ける結果となりました。

 本堂の六曲一双の花鳥図屏風は狩野永納(えいのう)の作品、

山鵲(さんじゃく)という名の鳥が描かれています。

実物の写真もありましたが、日本にはいない鳥のようです。

三尺下がって見ると写実的で思わず「えいのう!」と言ってしまいました。

続く書院「三の間」の襖絵は円山応挙の魞漁図(えりぎょず)が。

琵琶湖を背景としたものですが、実際に見た様子を描いたものでしょうか?

門跡寺院にはやや似合わない気もしますが、入江御殿という名前故に魞を描いたのかもしれません。

勿論、襟を正して描いたに違いありませんが…。

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玄関の唐破風

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山門脇の庭
ここは撮影可能。

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境界付近のススキ

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三時知恩寺の説明(京の冬の旅 ガイドブックより)

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三時知恩寺御朱印

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六角堂(京都市中京区) 京都のへそにある生け花発祥の寺

2020.01.22(16:44) 538

お参りするのは池の方?(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺 → 京阪三条 → (地下鉄) → 烏丸御池 → 徒歩5分 → 六角堂

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紫雲山 頂法寺(天台宗単立寺院 西国三十三ヵ所第十八番札所)

 西国札所は僻地にある所が多いですが、六角堂は京都市中京区の繁華街。

『紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)は、用明天皇二年(587年)創建の伝説を持つ古刹。

物部氏に勝利した聖徳太子が四天王寺建立のために用材を求めて小野妹子とこの地を来訪。

水浴中に木の枝に掛けた持仏の如意輪観音が動かなくなり、

お告げでこの地に六角の御堂を建てたのが始まり。

これが本邦初の伽藍建立とされ頂法寺の名の由来となった。

 平安末期から巡礼者で賑わい門前町が形成されるようになり、

室町期には京都で最も人口の多い場所となった。

境内には京都のへそ石とされるものも存在する。

 聖徳太子が沐浴した傍らに小野妹子が坊を建て、

毎朝花を供えたのが華道の始まりとされる。』 とあります。

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六角通の北側にある表門

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寺標
西国札所と華道発祥の地と記載。

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六角堂由緒

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表門から見た本堂
右にあるのは縁結びの六角柳

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本堂前のへそ石
本堂古跡の石とも京都の中心とも言われる。

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へそ石の説明

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へそ石の向こうに建つ本堂

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明治10年建立の本堂
手前に入母屋造、千鳥破風の屋根の礼堂を設け、奥に六角の堂を付けた構造。

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礼堂の「頂法寺」の扁額

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東側から見た本堂
右奥のビルは池坊会館。

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北側から見た六角堂

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東側にある六角堂御幸桜越しに本堂を見る

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御幸桜由緒

 聖徳太子伝説は兎も角、平安京の中心に長きに亘り存在するのは事実。

度々戦火に見舞われたようですが、都度京都の町衆の力で再建されてきました。

道を挟んで飛び地に鐘楼がありますが、町の人々が金を出して人を雇い

鐘を撞いて貰ったという代物。七転び八起きの心意気を感じます。

 一方、華道の方はお寺に付随して始まったようですが、今はこちらが主流。

頂法寺の住職が華道池坊の家元も兼ねています。

太子沐浴した池の傍らにあった事から池坊を名乗った訳ですが、小野妹子の末裔とされます。

但し、池坊を名乗ることができるのは宗家のみで分家した場合は小野を名乗るのが習わし。

現宗家は46代目だそうですが、小野妹子は7世紀の人ですから、

世代が少ない気もします。華道としての記録が残るのは

室町時代の12世池坊専慶以降ですから、歴史的に遡るのはそのあたりでしょうか?

しかし由緒はどうあれ、巡礼に文字通り花を添えるものとして【頂法】されたのは事実のようです。

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御幸桜の奥に建つ親鸞堂

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現代的な十六羅漢像

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太子堂
本堂背後の人工池に面して建つ。

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太子古跡の説明

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境内にある池坊専好の立花像

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立花の説明

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太子堂前の立花

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隣のビルの展望エレベーターから見た本堂屋根(6階付近)

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隣のビルの展望エレベーターから見た本堂屋根(最上9階付近)

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鐘楼堂
六角通を隔てた飛地境内にあり、秀吉家臣の堀尾吉春の嫡男・忠氏が寄進した。

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六角堂頂法寺説明書

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六角堂御朱印

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六波羅蜜寺(京都市東山区) 

2020.01.20(22:48) 537

市井と共に生きる姿勢を貫いた人(2020.1.16)

<コース>
淀屋橋 → (京阪電車) → 清水五条 → 徒歩5分 → 六波羅蜜寺

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補陀落山 六波羅蜜寺(真言宗智山派 西国三十三ヵ所第十七番札所)

 京都での会合前に清水五条で下車。

祇園の宮川付近を通って暫く行くと、どこからか線香の香りが漂ってきます。

目指す寺は周囲を家々に囲まれた場所。

補陀落山六波羅蜜寺(ふだらくさんろくはらみつじ)は寺伝に拠れば

『天暦5年(951年)の空也上人により創建。

この年に都に悪疫が流行したため、上人は十一面観音を刻み車に乗せて巡行。

念仏を唱えながらお茶を振舞い疫病の退散を願ったと言う。この本尊を祀った西光寺が嚆矢とされる。

尚、このとき振舞った茶は梅干しと昆布を入れたもので、村上天皇も召し上がった事から皇服茶と呼ばれた。

上人の没後、弟子の中信が天台寺院として伽藍を整備し、仏教用語の六波羅蜜を採り寺名とした。

平安時代末にはこの辺りに平清盛の屋敷が営まれ栄えたが、

寿永2年(1183年)の平家没落時に兵火を受け焼失。本堂のみ難を逃れた。

鎌倉時代には幕府の六波羅探題が置かれる。

 桃山時代には真言宗智山派に改宗、度々の戦火に見舞われながらも

時の権力者に拠って復興されたが、明治の廃仏毀釈で寺領は縮小。今に至る。』 とあります。

難所が多い西国札所にあって街中の楽な場所。それ故、【ふだらく】山と言う訳ではないですが…。

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駅から宮川を通り札所へ

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本堂前の石標準
但し、ここからは入れない。

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入口はこちら

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本堂

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本堂近影

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本堂前の廂

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本堂の「六波羅蜜寺」の扁額

 開基の空也上人は、醍醐天皇の皇子という説もありますが、生地・出身共に謎が多い人物。

天台座主から大僧正名を受けながら空也の名を通し、

架橋・井戸掘り・病人救済と市井の人々と生きる姿勢を貫いた人。

その業績はかつての行基・空海に、御落胤云々は後の一休禅師に通じるものがあります。

 空也という名前からして名誉欲が少なかった気がしますから、

御落胤ないし高貴な自出というのは恐らく本当でしょう。

【くうや】喰わずの人ではなかったようです。

 寺名は仏教用語に由来するというのが定説ですが、この付近は葬送の地。

鳥辺野、六原とも呼ばれていたと言いますから、六原に由来するとも言えそうです。

そういえば六道珍皇寺や六道の辻があるのもこの辺りです。

 本尊の十一面観音は秘仏で国宝。辰年の十一月の期間のみの御開帳。

それよりもここには空也上人像、平清盛像といった教科書に載るような文化財も多く有しています。

知名度では勝るものの、国宝ではなく重要文化財であるのが意外でした。

尤も、空也上人も名誉を求めなかった人ですから、国宝にならずとも何ら問題はなさそうですが…。

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境内にある洛中最古という七福神

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本堂脇の石仏
この奥は墓地になっている。

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有名な平清盛坐像
これは宝物館の案内。

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六波羅蜜寺御寶暦
表紙はこれまた有名な空也上人立像。南無阿弥陀仏と唱えると仏の姿になったとか。

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六波羅蜜寺御朱印

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霊鑑寺門跡(京都市左京区) 谷の御所

2020.01.19(20:55) 536

後生大事に受け継がれた品々(2020.1.10)

<コース>
京阪電鉄淀屋橋 → (京阪特急) → 祇園四条 → 徒歩10分 → 知恩院 → 徒歩20分 → 霊鑑寺

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円成山 霊鑑寺(臨済宗南禅寺派 尼門跡寺院)

 知恩院の後は岡崎に向かい、この日から特別拝観の始まった谷の御所へ。

円成山霊鑑寺(えんじょうさんれいかんじ)は、

『承応3年(1654年)、後水尾天皇が皇女浄法身院宮宗澄を得度入寺させ、

円成山霊鑑寺の山号と寺号を勅許したのが始まり。

以来、明治維新まで5人の皇女・皇孫が入寺し、霊鑑寺尼門跡、谷の御所と呼ばれた。

 本尊の如意輪観音は恵心僧都の作で、かつては東の山中の如意寺の本尊。

南北朝の戦乱で焼失し荒廃していたのを後水尾天皇が霊鑑寺の本尊とした。

本尊の台座に霊験あらたかな鏡があることから霊鑑寺の名の由来である。

 創建当初は現在の南の谷間にあったが、貞享3年(1686年)に後西天皇の皇女

普賢院宮宗栄が当寺二世であった時に後西天皇の院御所旧殿のうち

御休息所及び御番所を賜って現在地に移築された。

現在の本堂は寛政6年(1795年)に11代将軍徳川家斉の寄進に拠って

完成したものである。』 とあります。

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入口にある特別公開の案内

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由緒記

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山門

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玄関の横を通り拝観へ

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玄関奥に描かれた絵画
但し、ここは外からの拝観のみ。

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庭園への門

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参道を通り庭園へ向かう

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書院外観

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池泉観賞式庭園
江戸時代中期の作庭で、石灯籠と石組の調和を巧みに用いている。

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書院横から見た庭園
東山連峰の大文字山からの稜線を利用し書院の南側に作庭されている。

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書院内部 上段の間(撮影禁止のため説明書から)

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書院から本堂へ続く廊下

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庭園横の石段を上り本堂へ

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本堂
寛政6年(1795年)将軍・徳川家斉の寄進に拠り建立。

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本尊・如意輪観音像(説明書より)
台座の鏡が寺名の由来。

 京都の特別拝観は、高額な拝観料を取る割には見所の少ない寺社もありますが、

ここは¥600にしては見応え十分でした。しかも場所毎に説明してくれるのも有難い。

谷に建っていないのに谷の御所とはかつては谷間にあったからとか、

10代将軍家治の子供家基公が急死されたので輿入れが決まっていた皇女が門跡として入寺、

そのため11代将軍になった家斉が本堂を寄進したとか、興味深い話を聞くことができました。

書院の上段の間には、御所から移された狩野永徳と元信の襖がありました。

和辻;「御所の襖を移すと、御所の襖が無くなって困るのでは?」

ガイド;「天皇の代替わりに建て替えをするので、それを移築する訳です。」

天皇の代替わりに建て替えというと勿体ない気もしますが、

種々の儀式を行う御所ならばいつまでも古いものを使う訳にもいきません。

成程それならば廃棄することも無く有効利用と言えそうです。

 寺宝の中には、カルタや御所人形もあります。

なんでも10歳未満で入寺した尼門跡もいたとかで、日々の楽しみでもあったのでしょう。

門跡は勿論生涯独身。世間一般の生活レベルに比べると裕福ではありますが、

自由と言う点では伊勢の斎宮に通じるものがあります。

高貴な身分の方々には下々には分からない苦労があるようです。

 見応え十分なのは書院の襖絵と庭園ですが、120種余りの椿も有名だそう。

どうせなら3月下旬に【あんこ】ーる訪問をしたいものです。

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本堂の前庭

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本堂を通り椿の咲く庭へ向かう

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紅八重侘助

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有楽

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庭奥にある楓の高木

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石段を下りて書院へ
地面には苔が繁茂している。

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白椿の落花

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霊鑑寺門跡説明書

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霊鑑寺御朱印 その1
御本尊の観世音

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霊鑑寺御朱印 その2
紅霞亭、紙は書院の襖絵

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会合前に時計台前で一服
ケーキセット

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