FC2ブログ

アットセミナー

タイトル画像

往馬大社(奈良県生駒市)

2020.08.11(20:28) 676

生駒に行こうま!(2020.7.5)

<コース>
梅田 → (谷町線) → 谷町九丁目 → 上本町 → (近鉄奈良線) → 生駒 → (生駒線) → 一分 → 徒歩5分 → 往馬大社

245-1-1.jpg
往馬坐伊古麻都比古神社(式内社 旧県社)

 ここ暫く、コロナの影響で河内西国巡礼が主体でしたが、

欲を出して生駒山系を越えて生駒市へ。

 大阪から近鉄電車で奈良方面に向かうと奈良県最初の駅。山腹にありますが

大阪への通勤圏内で、標高も高いですが価格も高い場所となって久しいです。

 生駒で巡礼と言えば駅からケーブルで一駅上った生駒聖天さんですが、

今日は王寺行きに乗り換えて二駅目の一分で下車。その名も往馬大社(いこまたいしゃ)に巡礼。

245-1-2.jpg
道路沿いの社務所を抜けて神社へ

245-1-3.jpg
路に面して建つ鳥居

245-1-4.jpg
御由緒書

 正式名は往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)ですが、

往馬大社あるいは生駒神社の通称で呼ばれています。由緒に拠れば、

『創建年代は定かではないが非常に古い神社で、生駒谷十七郷の氏神として鎮座。

県下では大神大社や石上神宮と同様に生駒山(神奈備)を御神体として祀られたものである。

245-1-5.jpg
鳥居に続く駐車場
四方には座が建てられている。

245-1-6.jpg
駐車場の西に建つ高座

245-1-7.jpg
石段を上り本殿へ
途中に見えるのが楼門。

245-1-8.jpg
楼門近影

 文献での初出は『総国風土記』の雄略天皇3年(458年)、正倉院文書にも記述が見られる。

この時代の本殿は伊古麻都比古神(いこまつひこのかみ)・伊古麻都比賣神(いこまつひめのかみ)と

産土神の二座であり、火を祀る神として信仰されてきた。

天皇の即位式及び大嘗祭の火燧木(ひきりぎ)は代々ここの社が献上する習わしであった。

鎌倉時代に武家の守護神である八幡信仰が興隆し、五座の八幡神を合わせ祀り現在は七座となっている。

245-1-9.jpg
石段の先にある拝殿

245-1-10.jpg
拝殿全景

245-1-11.jpg
拝殿とその後方に鎮座する本殿

245-1-12.jpg
現在、本殿は七座

245-1-13.jpg
本殿と手前にある祝詞舎

245-1-14.jpg
本殿の鰹木

 また神社の境内を覆う鎮守の杜はツブラジイを優占種とする照葉樹林で、

20mを越える樹木も多く「往馬大社の社叢」として天然記念物となっている。』 とあります。

 生駒山と言えば河内の住人にとっては奈良との県境をなす山。

天気が良ければ鮮やかに見えるので、毎日仰ぎ見る人も多いでしょう。

 毎年10月第二日曜日の例祭は「生駒の火祭り」として有名。

火の神様を祀るので当然でしょうが、境内の周囲に生育している樹木が

火燧木の材質に適当だったのかもしれません。

245-1-15.jpg
最も北に建つ観音堂

245-1-16.jpg
上溝桜
天皇陛下の大嘗祭の神事で使用された御神木。

245-1-17.jpg
南の戎神社前から本殿方面を見る

245-1-18.jpg
天然記念物 「往馬大社の社叢」
ツブラジイを優先種とした照葉樹林。これは境内から社務所へと向かう道。

 生駒の語源については、応神天皇の御世に百済から献上された馬を

この地に放牧した事に由来するとありますが、放牧地にしては少し土地が狭い気がします。

それよりも神社の南には大和から暗峠を通り難波に抜ける街道が通っているので、

「馬で往く」から往馬となったのではないか?

暗峠も「鞍借り峠」が変化したという説があるので、こちらの方が良さそうな気もしますが、

火祭りのように明らかとはいかないようです。

245-1-19.jpg
往馬大社説明書

245-1-20.jpg
往馬大社御朱印

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,320から
(2020/8/11 20:26時点)



奈良県謎解き散歩 (新人物往来社文庫)

新品価格
¥880から
(2020/8/11 20:26時点)



生駒の火祭り

新品価格
¥1,100から
(2020/8/11 20:27時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村
スポンサーサイト




和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

白毫寺(奈良市) 高円山の麓の椿の寺

2020.03.25(16:30) 575

志貴皇子の死期を詠んだ四季の寺(2020.3.17)

<コース> 大和路快速は日中15分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (大和路快速) → JR奈良

JR奈良駅前 → レンタサイクル15分 → 大安寺 → レンタサイクル30分 → 帯解寺 → レンタサイクル30分 → 白毫寺 → レンタサイクル15分 → JR奈良

【復路】JR奈良 → (大和路快速) → JR大阪

220-3-1.jpg
高円山 白毫寺(真言律宗 関西花の寺二十五霊場第十八番札所)

・石はしる 垂水の上の 早蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも    

                                 志貴皇子

 このところの暖冬で季節感はないですが、この頃に相応しい詠み。

植物が萌える様子と、「の」を多用した音の軽快さが

詠者の完成された感性を表しているともいえます。

 帯解寺の後は、山の麓の道を北上して白毫寺へ。

若草山・春日山の南に連なる高円山の西麓にあり高台からは市内が一望できます。

220-3-2.jpg
途中の道標

220-3-3.jpg
ここから寺へ向かうが未だ古刹の雰囲気はない

220-3-4.jpg
山門へと続く石段参道

220-3-5.jpg
石段の散り椿

220-3-6.jpg
山門近影

220-3-7.jpg
山門から参道と奈良市内を見る

220-3-8.jpg
山門から受付へ向かう

220-3-9.jpg
受付後、登って来た道を見返る

 高円山白毫寺(こうえんざんびゃくごうじ)は

『空海の師である勤操がこの地域に建立した岩渕寺の一院と言われるが、

それ以前にはここには天智天皇第七皇子・志貴皇子の山荘があり

皇子の没後の霊亀元年(715年)にここを寺としたのが始まりとされるが

詳細な記録は伝わらない。

 その後、鎌倉中期に西大寺で真言律宗を興した叡尊がここを復興。

弘長元年(1261年)には弟子の道照が宋から一切経を持ち帰って

転読を行った事が記録に残り、これが白毫寺の初見とされる。

戦国時代には戦乱で、堂宇は焼失。

江戸時代の寛永年間に興福寺の学僧・空慶により再興されるが、

その後も火災に見舞われ、建造物は全て後世の再建。

但し、仏像は都度避難され平安・鎌倉時代の重文が今に伝わる。』 とあります。

220-3-10.jpg
本堂近影
江戸初期の再建。

220-3-11.jpg
本堂正面

220-3-12.jpg
本堂前の椿

220-3-13.jpg
本堂前面の庇と向拝

220-3-14.jpg
向拝部分

220-3-15.jpg
本堂横の庇

220-3-16.jpg
本堂から境内を見る

220-3-17.jpg
本堂前の五色椿
実際に五色咲く訳ではない。五色は仏教思想の影響か?

220-3-18.jpg
五色椿の説明板

 白毫寺の名は中世以降しか登場しませんが、

もと志貴皇子の山荘があった可能性は大。境内には、笠金村が詠んだという

・高円の 野辺の秋萩 徒に 咲きか散るらむ 見る人無しに

の歌碑があります。

萬葉集で最も多く詠まれた花は萩ですが、有名なのはこの歌くらい。

その昔、古典の問題で 『作者の心情を書け』 とありましたが、

『作者でないので分かりません!』とも書けず、四苦八苦した記憶が残ります。

これは皇子が逝去された際に詠まれた挽歌に対する反歌とありますから、

高円の萩を皇子が愛でた事を偲んでいるのでしょう。

亡くなった後も名歌で送られるとは志貴皇子も歌人冥利に尽きると言えます。

220-3-19.jpg
境内にある「笠金村」万葉歌碑

220-3-20.jpg
万葉仮名で記載
揮毫は犬養孝博士。

220-3-21.jpg
歌の説明

220-3-22.jpg
多宝塔跡

220-3-23.jpg
白毫椿と命名された古木
多宝塔横にあり、赤に白い斑入りがあるのを白毫に見立てたからだとか。

220-3-24.jpg
不動明王

220-3-25.jpg
石仏の道にて

220-3-26.jpg
石仏の道から見た御影堂(手前)と宝蔵

220-3-27.jpg
石仏の道

220-3-28.jpg
石仏の道入口の十王地蔵

220-3-29.jpg
開祖を祀る御影堂

220-3-30.jpg
宝蔵
正面に祀られているのが本尊の重文・阿弥陀如来
他に重文が6点展示されている。閻魔像が有名。

220-3-31.jpg
宝蔵前の五色椿
本堂前の椿から挿し木されたもので、開花状態はこちらの方が良好。

220-3-32.jpg
境内端の石庭

220-3-33.jpg
石庭からの眺め

220-3-34.jpg
展望台から見た市内
中央右が興福寺五重塔。

 万葉歌人として知られる皇子ですが、政治的にも重要なキーパンソン。

壬申の乱以降の皇位は全て天武天皇の系列ですが、

称徳天皇崩御の後、皇位に就いたのは白壁王。志貴皇子の皇子に当たります。

志貴皇子は歌に、白壁王は酒に韜晦して乱世を生き抜きましたが、

それが100年振りに天智天皇の系列に皇位を戻すことに繋がりました。

 このようなエピソードに彩られる白毫寺ですが、今回は萩ではなく椿が見頃。

乱世を生き抜いた萬葉人をつらつら考えた春日となりました。

220-3-35.jpg
本堂裏手の椿

220-3-36.jpg

220-3-37.jpg
散り椿

220-3-38.jpg

220-3-39.jpg

220-3-40.jpg
杉苔の上の散り椿

220-3-41.jpg

220-3-42.jpg

220-3-43.jpg

220-3-44.jpg

220-3-45.jpg

220-3-46.jpg

220-3-47.jpg
白毫寺説明書

220-3-48.jpg
白毫寺御朱印(関西花の寺版)

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,320から
(2020/3/25 16:25時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン

新品価格
¥1,408から
(2020/3/25 16:27時点)



大和の古寺〈4〉新薬師寺・白毫寺・円成寺・大安寺

新品価格
¥3,850から
(2020/3/25 16:28時点)



日本の古寺仏像DVDコレクション 63号 (般若時/海龍王寺/白毫寺) [分冊百科] (DVD付)

中古価格
¥648から
(2020/3/25 16:28時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,078から
(2020/3/25 21:14時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

帯解地蔵(奈良市) 安産祈願の寺

2020.03.23(16:02) 574

令和に清和所縁の寺院にお参り(2020.3.17)

<コース> 大和路快速は日中15分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (大和路快速) → JR奈良

JR奈良駅前 → レンタサイクル15分 → 大安寺 → レンタサイクル30分 → 帯解寺

220-2-1.jpg
子安山 帯解寺(華厳宗)

 大安寺に続き、桜井線沿いに南下して帯解へ。

JRの駅名にもなっていますが、この中心にあるのが帯解寺。

220-2-2.jpg
JR桜井線(万葉まほろば線)帯解駅
JR奈良から二駅だが、無人駅。

220-2-3.jpg
帯解寺遠景
駅から線路沿いに北へ行った場所から。

220-2-4.jpg
門前の通り
かつてはこの通りがバス路線であった。

220-2-5.jpg
山門前にて

220-2-6.jpg
山門
江戸初期の建築。元は楼門造りであったが、今は簡素な四脚門造りとなっている。

子安山帯解寺(こやすさんおびとけでら)は、略縁起に拠れば

『空海の師である勤操(ごんぞう)大徳が開基となった巌渕(いわぶち)千坊の一院で霊松庵が嚆矢。

その後、長く世継ぎに恵まれなかった55代文徳天皇の后・染殿皇后(藤原明子)が、

ここに祈願した所、無事御懐妊され惟仁親王(清和天皇)を無事安産。

 文徳天皇は天安2年(858年)に勅願により伽藍を建立、勅命で帯解寺となった。

その後、子授け・安産の祈願寺として朝野の信仰を集めた。

江戸時代には、三代将軍家光公の御楽の方が本尊に祈願され、

目出度く竹千代丸(四代家綱)を御安産。

六代将軍・家宣公の右近の方、東山天皇の女御、伏見邦家親王の御息所等、

いずれも祈願、御安産された。 明治以降も、

美智子皇后、秋篠宮妃紀子様、皇太子妃雅子様も祈願された事で知られる。』

とあります。

220-2-7.jpg
本堂
江戸時代に2代将軍秀忠の援助で再建された本堂は安政の大地震で倒壊し、安政5年(1858年)に再興された。

220-2-8.jpg
本堂前面の庇と蔀戸の掛け金

220-2-9.jpg
本堂屋根の造り

220-2-10.jpg
本堂から山門を望む

 長く世継ぎに恵まれなかった染殿皇后(藤原明子)に皇子が生まれた

天皇の喜びはひとしおではなく、それが帯解寺の由緒となったのはあり得る話。

この寺の門前も市をなす状態になったそうで、それが今市の町名になっています。

 関西で安産祈願と言えば西国札所の中山寺が有名。

由来としてはこちらの方が古いですが西国札所の中山寺に水をあけられました。

♪今は中山、今は閑♪ といった所でしょうか。

安産祈願を前面に出さないのも好感が持てます。

 ここは皇室所縁の寺とばかり思っていましたが、徳川将軍家も祈願に訪れた事には驚き。

ガイドの方の話では、勅命を受けたのが清和天皇の出生に拠るとかで、

清和源氏の人々の崇拝を受けたそうです。

 安産祈願の女性は鎌倉時代の木造・地蔵菩薩の前まで行き拝むのが習わし。

寄木造りのお地蔵様は腹帯を巻いた姿に彫刻されています。

 この日は秘仏公開という事で、本堂と奥の清和閣を拝観。

本尊のお地蔵さまは勿論ですが、清和閣に置かれた秘仏の三面六臂の大黒天。

大きさは50㎝程でしょうが、前身真っ黒の文字通りの大黒天。

ここ半年の間に泉涌寺の走り大国、圓徳院の三面大国と計3体拝観。

景気の【今市】な時節、これで上向きになって呉れればと思います。

220-2-11.jpg
石庭の向こうに見える清和閣

220-2-12.jpg
清和閣から本堂を望む
本堂の奥(左側)には防火設備の整った収蔵庫兼内陣部が付設された。

220-2-13.jpg
清和閣から見た境内

220-2-14.jpg
寛文2年(1662年)に徳川家綱公より寄進の手水鉢

220-2-15.jpg
本堂側面

220-2-16.jpg
十三重石塔

220-2-17.jpg
平成20年完成の御影堂

220-2-18.jpg
御影堂側面の釈迦誕生のレリーフ

220-2-19.jpg
寺の北側を流れる地蔵院川
かつての寺の雰囲気を伝える。

220-2-20.jpg
帯解寺略縁起

220-2-21.jpg
帯解寺御朱印
帯解子安地蔵尊と墨書。

220-2-22.jpg
帯解郵便局 ; 重文・帯解地蔵菩薩、サツキ、大和青垣国定公園遠景

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,320から
(2020/3/23 15:57時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,078から
(2020/3/23 15:59時点)



百寺巡礼 第一巻 奈良 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2020/3/23 16:00時点)



五木寛之の百寺巡礼 ガイド版 第一巻 奈良 (TRAVEL GUIDEBOOK)

新品価格
¥1,980から
(2020/3/23 16:00時点)



神と仏の道をたどる 神仏霊場 巡拝の道 公式ガイドブック

新品価格
¥1,650から
(2020/3/23 16:01時点)



清和天皇

新品価格
¥2,200から
(2020/3/23 17:07時点)



天皇の歴史3 天皇と摂政・関白 (講談社学術文庫)

新品価格
¥1,274から
(2020/3/23 17:08時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大安寺(奈良市) 南都七大寺の一つ

2020.03.22(22:18) 573

南都にあった何と大きな大安寺(2020.3.17)

<コース> 大和路快速は日中15分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (大和路快速) → JR奈良

JR奈良駅前 → レンタサイクル15分 → 大安寺

220-1-1.jpg
大安寺(高野山真言宗)

 巷はコロナで騒然としていますが、そんな時こそ巡礼で心を落ち着かせるべきと

勝手な理屈を並べて古都まで。

 奈良は京都と異なってJRから近鉄奈良駅を経て春日大社までの東西に

古刹が集中していますが、少し離れると途端に少なくなります。

 この日は、奈良駅から桜井線に沿って二駅南下。といっても電車は30分間隔の運転なので、

時刻表に左右されえないようにJR奈良駅からレンタサイクルで訪問。

 奈良駅から1㎞程南下しただけで商業施設は疎らになり人家と畑が点在。

そんな一角にあるのが大安寺。大安の翌日の拝観となりました。

220-1-2.jpg
入山は南門から

220-1-3.jpg
門前の寺標

220-1-4.jpg
南門近影
興福寺の旧一条院の門を移築したもので、南大門の基礎の上に建っている。

『大安寺(だいあんじ)は、聖徳太子が「天下泰平・万民安楽」の願いで

斑鳩の南東に建立した熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が嚆矢。

639年には太子の遺言に従い舒明天皇が百済川のほとりに移転し百済大寺となり、

以後、673年には高市に移転し高市大寺、677年には藤原京に移転し大官大寺と改名。

平城遷都に伴い現在地の南に移転し、大安寺と名を改めた。

 我が国最初の官寺であり、東西両塔の間に

南大門、中門、金堂、講堂が一直線上に並ぶ伽藍配置。

境内面積は25万㎡と現在の25倍、七重塔は70mにも達したという。

東大寺、西大寺に対して南大寺と呼ばれる程の大寺院で南都七大寺の一つに数えられた。

 遣唐僧・道慈律師により整えられた大伽藍は888名の学僧が居住する仏教の総合大学であり、

その中には大仏開眼の天竺僧・菩提僊名、越南僧・仏哲、新羅僧・審祥などの外国人僧侶、

我が国では即位前の白壁王、空海等も居住した記録が残る。

 平安遷都後は空海が別当になったが、仏教の主流が密教に移ったため振るわず、

災害もあって次第に衰退。

伽藍は全て江戸期以降の建造であるが、奈良時代の仏像9体が今に伝わる。

 現在は癌封じの寺として知られ、またここにしばしば詣で

竹を切って酒を注いで温め風流を楽しんだ白壁王が

62歳という高齢で帝位に就いたことから健康長寿を祈願する人も多い。』 とあります。

220-1-5.jpg
境内から見た南門

220-1-6.jpg
南門の先にある中門跡

220-1-7.jpg
手水鉢と竹林の先に見える本堂


220-1-8.jpg
本堂
天平時代の重文・十一面観音を祀る。

220-1-9.jpg
本堂正面
癌封じはここで行われる。

220-1-10.jpg
本堂前から境内を見る
左奥は木彫り仏を収蔵する讃仰殿。

220-1-11.jpg
本堂脇を抜けてお堂に参拝
左は寺務所で御朱印はここで拝受。

220-1-12.jpg
本堂と竹林

 大安寺は山号もなく移転と改名を繰り返したとはいえ、それだけ古くからある寺院という事。

学僧888名などは余りにも出来過ぎた数で、疑問も残りますが話半分としても相当なもの。

本堂には秘仏の十一面観音立像、奥の嘶堂には同じく秘仏の馬頭観音が祀られており何れも重文。

本堂は癌封じの御本尊ですが、嘶堂は日本競馬会の信仰が篤いとか。

これも時代の流れでしょうか?

220-1-13.jpg
一面六臂の馬頭観音を祀る嘶堂

220-1-14.jpg
護摩堂

220-1-15.jpg
本堂奥には竹を植えた一角が

220-1-16.jpg

220-1-17.jpg
手水鉢にも竹が使用されている

220-1-18.jpg
いのちの小径(竹林)への入口

220-1-19.jpg
笹酒用に植えられた竹か?

220-1-20.jpg
いのちの碑

220-1-21.jpg
美流孔(みるく)塚
女性の乳癌封じを祈るものか?

 現在に伝わる光仁会・癌封じ笹酒祭りは、白壁王の故事に由来しますが、

王は酒浸りになって政争に明け暮れる朝廷から身を守ったと言えます。

称徳天皇没後に藤原氏に拠って【後任】の天皇に【公認】されたのも、

決して御し易い人物だからではなく、王の慎重さに依るものでしょう。

 東大寺と西大寺は今に伝わりますが南大寺は残らず。

長い風雪を経たとはいえ後世まで名を残す事は【難題】。

天平の法灯を今に伝えることができたのは、規模が小さくなった事が幸いしたと言えそうです。

白壁王の処世術を髣髴とさせるようで面白いですね。

220-1-22.jpg
境内の南にあるかつての塔跡

220-1-23.jpg
大安寺説明書

220-1-24.jpg
大安寺御朱印

220-1-25.jpg
大安寺郵便局 ; 楊柳観音立像、光仁会の笹酒

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,320から
(2020/3/22 22:12時点)



大和の古寺〈4〉新薬師寺・白毫寺・円成寺・大安寺

新品価格
¥3,850から
(2020/3/22 22:14時点)



大安寺の歴史を探る: 大安寺歴史講座2

新品価格
¥1,540から
(2020/3/22 22:16時点)



弘法大師空海の寺を歩く?高野山、四国霊場…空海ゆかりの地へ (楽学ブックス 古寺巡礼 10)

新品価格
¥1,760から
(2020/3/22 22:16時点)



奈良傑作美仏大全 (エイムック 4301)

新品価格
¥1,980から
(2020/3/22 22:17時点)



大安寺伽藍縁起并流記資財帳を読む (大安寺歴史講座)

新品価格
¥1,650から
(2020/3/22 22:17時点)



語りだす奈良 ふたたび

新品価格
¥1,568から
(2020/3/22 22:15時点)



神と仏の道をたどる 神仏霊場 巡拝の道 公式ガイドブック

新品価格
¥1,650から
(2020/3/22 22:18時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,078から
(2020/3/22 22:21時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

コスモス寺(奈良県奈良市) コスモスと白鳳秘仏の御朱印と絶品牧場ソフト

2019.10.17(20:06) 450

花よりソフト?(2019.10.14)

<コース> 快速・快速急行は日中10分間隔で運転
近鉄難波 → 近鉄奈良 → 徒歩30分 → 般若寺

177-5-1.jpg
法性山 般若寺(真言律宗 関西花の寺二十五霊場第十七番)

 秋晴れではなく秋曇りの三連休の最終日、高校の同窓と近鉄奈良駅から北町商店街を通って奈良坂まで秋桜ハイクング。

先ずは地元の同窓お勧めのごはんと小鉢の「ごはんの間」で昼食。

中身にも価格にも大満足したあと、奈良女子大、佐保川、聖武天皇陵を経て般若寺へ。

今でこそ、観光ルートからは外れていますが、ここは平城京から平安京に至る京街道の通る要衝。

戦国の梟雄・松永弾正久秀はこの重要性に着目し、標高115mの眉間寺山に多聞山城を築城。

大和支配の拠点としました。そのため戦火にまみれましたが、今も多門は町名に残っています。

 更に上ると、眼前に聳え立つのが、旧奈良少年刑務所。1908年の竣工から2016年の廃庁まで100余年活躍した後、

2017年に「旧奈良監獄」として重要文化財になりました。

設計は薩摩出身の山下啓次郎、帝国大学で東京駅を設計した辰野金吾に師事。

ジャズピアニストの山下洋輔氏は孫になります。

ロマネスク様式の正門や本館(庁舎)は赤レンガ造り。

この辺りは東京駅にも通じるものがありますが、明治期の流行でもあったのでしょう。

刑務所といえば監獄。それにしては立派な造りですが、

若者の更生を考慮しての事だそうで江戸期の牢獄とは一線を画しています。

「人は家を造り、家は人を造る」

と言ったのは英国首相チャーチル。これは明治政府の西洋文化採用の影響を感じます。

老朽化により廃庁となったあとは改装して2020年にホテルになるとか。

刑務所に泊まるのは遠慮したいですが、ホテルならば泊まってみたい気はします。

西洋文化の導入で廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた奈良ですが、ここでは刑務所が更生して【後世】まで残ってくれました。

177-5-2.jpg
ならきたまち通りの「ごはんの間」にて昼食

177-5-3.jpg
天ぷら定食 ¥800
天ぷら定食とコロッケ定食から選ぶ。

177-5-4.jpg
聖武天皇陵(佐保山南陵)
佐保川北の橋の袂にある。

177-5-5.jpg
旧奈良少年刑務所
「旧奈良監獄」として重要文化財になった。

177-5-6.jpg
ロマネスク様式の表門(正門)

177-5-7.jpg
1908年竣工の庁舎(本館)

177-5-8.jpg
北山十八間戸
鎌倉時代に西大寺の忍性がハンセン氏病患者の病棟として建てたもの。十八間に仕切られ、一室四畳。

 刑務所を過ぎると目的の寺はすぐ隣。

古道に沿って建つ法性山般若寺(ほうしょうざんはんにゃじ)は、寺伝に拠れば、

『舒明天皇元年(629年)、高句麗から来朝し慧灌が創建。

平城京に都が移った後は都の鬼門を守る寺として般若寺の寺号を聖武天皇より賜った。

平安時代には学問寺として栄えたが、治承4年(1180年)の平重衡の南都焼き討ちで全焼。

鎌倉時代には西大寺の叡尊によって七堂伽藍が復興され今に至るまで真言律宗の寺院である。

戦国時代にも天災や松永弾正の兵火で大きな被害を受け江戸時代に復興。

明治の廃仏毀釈でまた衰退と時代毎に浮沈を繰り返すが、戦後になってようやく今の状態に整備された。』

とあります。

 鬼門を守るので鬼女の面「般若」と名付けたのかと思いましたが、

「大般若経」を基壇に納め卒塔婆を建てたのが名前の由来。

「般若」とは梵語で智慧の事。鬼女の面「般若」は面の作者般若坊に由来するそうで、寺名とは関件なし。

もう一つ付け加えると、仏教では酒の事を「般若湯」と呼びますが、これは飲む事で智慧が得られる有難い湯と言う意味。

へべれけに飲んで帰宅すると山の神が般若の形相になるという事ではありません。

 伝説では飛鳥時代まで遡りますが、記録に現れるのは平安以降。

それでも十分古いですが、残っているのはごく僅か。平重衡の南都焼き討ちで全焼。

その後、再建しますがまたもや兵火で大部分が消失。

今に残る鎌倉時代の再建の楼門は国宝、一切経蔵と石造りの十三重石宝塔と笠塔婆が重文となっています。

177-5-9.jpg
般若寺西側の入口に到着

177-5-40.jpg
国宝・楼門
鎌倉時代の文永4年再建の廻廊西門。元は南大門が正門であったが兵火で焼失。京街道に面したこの門のみ残った。

177-5-10.jpg
楼門近影
和様に天竺様を取り入れた様式で、楼門遺構としては日本最古。門前の花はキバナコスモス。

177-5-11.jpg
拝観入口を過ぎた場所にある石仏群

177-5-13.jpg
境内から見た楼門
かつてはここを通って入山できたが、今は閉門。

177-5-42.jpg
楼門付近から見た境内

177-5-17.jpg
重文・十三重石宝塔
建長5年(1253年)、宋人石工・伊行末、行吉の手で再建。高さ14.2mの日本を代表する石塔である。

177-5-18.jpg
石造相輪
鎌倉時代製造の初代。地中に埋められていたのをここに建てた。

177-5-41.jpg
石造相輪の説明

177-5-19.jpg
十三重石宝塔と石造相輪の間から本堂を望む

177-5-20.jpg
十三重石宝塔基部の顕教四仏
東西南北の四方に彫刻されている。これは南の釈迦如来。

177-5-21.jpg
これは西面仏

177-5-31.jpg
重文・笠塔婆
弘長元年(1261年)、宋人石工・伊行吉が父・伊行末の一周忌に当たり供養のため建立。下部に石工の事績を記した264文字の銘文がある。

 またここは歴史文学の舞台としても知られています。

境内にひっそりと佇む藤原頼長供養塔。保元の乱で敗れた崇徳上皇側のナンバー2。

戦乱の中、流れ矢で負傷し興福寺に落ち延びる途中で薨去しました。

関白藤原忠実の次男としてその博識を父親に愛され、日本一の大学生とまで称賛されましたが、

性格に酷薄なところがあり、結局それが命取りになりました。

中国で例えるならば春秋時代の智伯と言った処。智伯の事例は『史記』『資治通鑑』に記述があり、

博学な彼ならば目にした筈。歴史の教訓を生かすことができなかった好例です。

 重文・一切経蔵は、鎌倉討幕の大塔宮(だいとうのみや)護良親王が幕府に追われた際に唐櫃に隠れて難を逃れた場所。

太平記には

「大塔宮と思ったら大唐般若経であったか!」

と追手の台詞が書かれています。

このような親父ギャグを記載するのは、太平記は民衆の間で講釈された物語であった証拠です。 

 十三重石塔からは昭和39年の解体修理の際、中から多数の宝物が見つかり、

中でも阿弥陀如来は白鳳期のもので秘仏。この日は運よく秋の特別公開で+¥200で拝観。

ガラス越しで拝見したお顔は、以前に深大寺で拝見した白鳳仏と酷似。

同一人物の作かどうかは?ですが、この時代の特徴だったのでしょう。

177-5-32.jpg
本堂前にある藤原頼長の供養塔

177-5-22.jpg
重文・一切経蔵
鎌倉時代建立の元版一切経を収納する経蔵。本尊は室町時代の十一面観音。

177-5-23.jpg
コスモス越しに見る一切経蔵
大塔宮が唐櫃に隠れたと『太平記』にあるのがここ。

177-5-24.jpg
境内の百日紅脇に建つ大塔宮を詠んだ句碑

177-5-25.jpg
カンマン石
ここに背中と腹を付けると健康になるとか。どことなく魚に見える。

177-5-27.jpg
カンマン石上の不動明王越しに本堂を望む

177-5-28.jpg
寛文7年(1667年)再建の本堂
入母屋造で外陣は吹き放しの古様式。御朱印はここで拝受。

177-5-30.jpg
本堂東側の西国三十三ヵ所石仏

177-5-33.jpg
般若寺説明書

177-5-34.jpg
般若寺「関西花の寺」御朱印
2010年に拝受したもの。

177-5-35.jpg
白鳳秘仏特別公開説明書

177-5-36.jpg
白鳳時代の秘仏阿弥陀如来 (説明書より)
昭和39年(1964年)の大修理の時、十三重石宝塔の五重目より出現。聖武天皇が平城京鬼門鎮護のため奉納したと伝わる。

177-5-37.jpg
白鳳秘仏の御朱印

 このように建物、仏像で見るべきものはありますが、現在の般若寺は「関西花の寺二十五霊場」の一つ。

丁度コスモスが見頃を迎えており、皆の関心はコスモスにあるようです。

秋桜と書きますが外来種で、食用・薬用等の用途もなく田畑の地力回復に植えられることが殆ど。

花の寺も戦後新たにできた霊場で、栄枯盛衰を経た般若寺もコスモスで【寺力】の回復を目指しているのでしょう。

ここへの道もコスモス街道と改称すればよさそうですが、そうすると「あずさ2号」で来ないといけませんが…。

 参拝の後は、お寺の向かいの植村牧場で一服。牛舎もあり本格的。そこで頂いたソフトクリームは農耕な味わいでした。

花よりソフトと言う訳ではありませんが、参拝者は皆さんここに立ち寄っている様子。

牛乳自体は飛鳥時代に日本に入ってきていますが、平城京の隅に牧場とは驚き。ふと道を見ると【やぎゅう】街道とありました。

177-5-12.jpg
ハッピーリング品種
拝観入口の石仏群にて。

177-5-14.jpg
本堂横より十三重石宝塔と一切経蔵を望む
黄色は世界発の黄色いコスモスであるイエローガーデン品種。

177-5-15.jpg

177-5-16.jpg
キャンパス・オレンジ品種

177-5-16-1.jpg
ピコティ品種
石仏群の前にて

177-5-16-2.jpg
オータムビューティ・ピンク品種

177-5-26.jpg
オータムビューティ・ホワイト品種

177-5-27-1.jpg
本堂前のコスモス

177-5-38.jpg
般若寺西隣の植村牧場
これは牛舎。数十頭のホルスタインが飼われていた。

177-5-39.jpg
植村牧場のソフトクリーム ¥450

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,320から
(2019/10/17 22:02時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

円成寺(奈良市忍辱山町) 若き運慶の大日如来のある御朱印

2019.06.16(20:30) 317

美女と柳生(2019.6.14)

<コース>
JR大阪(6:22) → JR奈良(7:19→7:24) → (奈良交通バス) → 柳生(8:19) → 徒歩15分 → 芳徳禅寺 → 柳生花しょうぶ園 → 徒歩30分 → 南明寺 → 徒歩50分 → 円成寺 → 忍辱山(13:35) → (奈良交通バス) → JR奈良(14:12)

136-5-1.jpg
忍辱山 円成寺(真言宗御室派)

 柳生の里の散策を終えて、バス時刻を見ると2時間後。少しでも先を目指し柳生街道を奈良方面へ。

 途中の阪原にあるのが南明寺(なんみょうじ)。奈良時代の槙山千坊の一つを移築したと言われ、本堂と堂内の釈迦・阿弥陀・薬師如来は重文。

 しかし拝観は予約しないといけないので今回は不可。せめて御朱印だけでもとベルを押しましたが、「ここでは致していません」との事。

 文化財を目の前にして残念でしたが、寺としては対応に手が回らない面もあるのでしょう。奈良といっても観光寺院だけではないのを実感しました。

 この地は芳徳禅寺初代住職だった列堂の母お藤の里。この地でお藤を見初めた柳生宗矩が妻にしました。

 近くには所縁の井戸もあるようですが結局見つからず仕舞い。そのロマンスとは次のようなものでした。

或る日ここを通りがかった宗矩が、洗濯中のお藤に「桶の中の波の数は」と問うた処、

お藤は「波(七×三)は二十一」と即座に答え、逆に「ここまでお出でになった殿様の馬の足跡の数は」と返したとか。

 剣豪が娘に一本取られた訳ですが、その機転に感心して妻に迎えたとあります。てっきり井戸で顔を洗った美しい顔を気に入ったのかと思いましたが…。

 阪原から柳生へ向かう峠は『もう帰ることのないように』と母親が嫁ぐお藤を見送った場所、その故に「かえりばさ峠」と呼ばれるようになったと伝わります。

136-5-2.jpg
阪原の庄の柳生街道沿いに建つ南明寺

136-5-3.jpg
南明寺境内
左が本堂、正面が庫裏。

136-5-4.jpg
重文・南明寺本堂
鎌倉中期の建造で本尊は薬師如来、両脇は釈迦如来・阿弥陀如来でいずれも等身大。

136-5-5.jpg
本堂外陣の化粧屋根裏と室町期十三重石塔

 再び歩いてバスよりも30分早く目的地へ到着。

 忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)は街道沿いの古刹。寺伝に拠れば

『天平勝宝8年(765年)、聖武・孝謙両天皇の勅願により唐僧虚瀧(ころう)和尚の開創と伝えられるが、史実的には万寿3年(1026年)命禅(みょうぜん)上人が十一面観音を祀ったのが始まり。京都の円成寺を移したとされる。

 その後、天永3年(1112年)迎接(こうしょう)上人が阿弥陀如来を祀り、仁平3年(1153年)仁和寺の寛遍(かんぺん)僧正が東密忍辱山流を創始し繁栄。1466年応仁の兵火に会うも後に復興した。』

とあります。

 ここも戦乱の被害を免れる訳には行きませんでしたが、幸運にも比較的早くに復興したので国宝、重文が残っています。

 寛遍僧正が築いたとされる庭園は浄土式と船遊式を兼ねた寝殿造系。その大部分を占める池には楼門が影を落とし俗界から離れた古刹の雰囲気があります。

 重文・楼門は応仁2年(1468年)の再建、いまは閉門ですが美智子皇后さまが紀宮さまと来られた際にはここを通られたそうです。

 それまでは池と楼門の間の道をバスが通っていましたが、その時に池を越えた今の場所に変更されたとか。昔は来るのにも一苦労だった場所のようです。

136-5-6.jpg
円成寺東門
忍辱山バス停、柳生方面からだとこちらから入る。

136-5-7.jpg
平安時代の名残を残す浄土式庭園を左に見ながら山門へ向かう

136-5-8.jpg
池を半周して山門へ

136-5-9.jpg
円成寺寺標
池から坂を上った所にあり、こちらが正門か?

136-5-10.jpg
庭園越しに重文・楼門を望む

136-5-11.jpg
水面に映える楼門

136-5-12.jpg
新緑に映える楼門

136-5-13.jpg
下から見た楼門
普段は閉門している。

136-5-14.jpg
楼門の西の石段を上り境内へ

 文化財の中でも有名なのは国宝・木像大日如来坐像。本堂の本尊は阿弥陀如来なので、こちらは多宝塔の御本尊。

 修理の際の墨書から安元2年(1176年)に20代の運慶により造られた事が判明。日本史を代表する仏師の作ですが、それが人里離れた場所に残っているのも凄い。

 多宝塔は後白河上皇の寄進。上皇は運慶の父・康慶とも親しい関係にあったとされ、若い運慶に白羽の矢が立ったとも考えられます。

 注文を受けてから完成するまで十一ヵ月と通常よりも長い期間を掛け、父・康慶や先人の手法を悉く研究して完成させた作品と言えるでしょう。

 若いだけに洗練されていない面もあったでしょうが、己の名を知らしめるために一世一代の作品に仕上げるという気迫があったのは確かです。

かつては博物館に出張していた大日如来も、今はお寺に戻り宝物殿である相應殿に安置され間近で見ることが出来ます。分【相應】な場所に映ったと言えます。

 一方、本尊がいなくなった多宝塔には東京芸大の方が作製した金箔の大日如来が眩しい状態で入って居られます。当時はこんな感じだったのでしょう。

 この付近は忍辱山という変わった名前ですが、仏教の菩薩行六波羅蜜の一つ。

 他にも大慈仙(だいじせん)、誓多林(せたりん)、鹿野園(ろくやおん)、菩提仙(ぼだいせん)と天竺で釈迦が修行した聖地に由来する名前が春日山の周辺には多く、古代に天竺から日本に渡来した僧侶がこの付近に居住した名残だという説もあります。

 国際的な話ですが、平城京からここまで随分離れているので京内に住めない事情があったのでしょうか?

 御住職に尋ねた処、忍辱とは「耐え忍ぶ」という梵語の漢訳らしいですが、都までの道のりを耐え忍ぶであったなら随分な話です。いまならネットで大【円成】でしょうが…。

136-5-15.jpg
多宝塔
近年の再建で内陣には復元した大日如来と壁画が描かれており、正面のガラス越しに拝観できる。

136-5-16.jpg
現代の名工により復元された大日如来と内陣

136-5-17.jpg
国宝・運慶作 木造大日如来坐像
撮影禁止なので、これは円成寺の冊子からの引用

136-5-18.jpg
多宝塔付近から見た境内

136-5-19.jpg
本堂前から見た楼門
応仁2年(1468年)の再建で三間一戸入母屋檜皮葺。

136-5-20.jpg
楼門上層の垂木

136-5-21.jpg
下層出入口の上にある花肘木

136-5-22.jpg
楼門から円成寺庭園を望む

136-5-23.jpg
重文・円成寺本堂(阿弥陀堂)
文正元年(1466年)栄弘阿闍梨が旧本堂と同じ規模と様式で再建。桁行三間梁間五間の入母屋造・赤銅葺。中央一間の階段の上に屋根から葺き下ろした縋破風。本尊の阿弥陀如来と四天王像は重文。

136-5-24.jpg
非常に長い本堂の庇

136-5-25.jpg
本堂より見た楼門と多宝塔

136-5-26.jpg
国宝・春日堂・白山堂
安貞2年(1228年)奈良春日大社造営の際に旧社を寄進したもので、全国で最も古い春日造社殿。

136-5-27.jpg
春日堂・白山堂は寺の鎮守社
表は入母屋、裏は切妻、檜皮葺。

136-5-28.jpg
重文・宇賀神本殿
室町時代の建築で一間社春日造。

136-5-29.jpg
拝殿前から見た境内

136-5-30.jpg
名勝庭園が有名だが境内には萩を初め草木も多い

136-5-31.jpg
希少種のヒメユリ

136-5-32.jpg
円成寺説明書
表紙は阿弥陀如来光背

136-5-33.jpg
「忍辱山 圓成寺」 冊子 ¥600 
「柳生みち」と共に受付で販売。

136-5-35.jpg
円成寺御朱印
御本尊の阿弥陀如来一種類である。

136-5-36.jpg
昼食は池の畔の「里」にて

136-5-37.jpg
とろろ定食 ¥1,500

136-5-38.jpg
小倉抹茶アイス

136-5-39.jpg
「里」の店先のヒメユリ
ゴルフ場開発の時にここに移植したもので、これが本当の「里」山の自然。

136-5-40.jpg
池を巡りてバス停へ向かう

136-5-41.jpg
去り際にもう一度楼門を拝む

136-5-42.jpg
大柳生郵便局 ; 太鼓踊り、休耕地に植えられるコスモス

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/7/29 17:55時点)



奈良 歴史探訪ウォーキング

新品価格
¥1,728から
(2019/7/29 17:56時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/6/16 20:14時点)



大和の古寺〈4〉新薬師寺・白毫寺・円成寺・大安寺

新品価格
¥3,780から
(2019/6/16 20:22時点)



週刊 原寸大 日本の仏像 No.30 円成寺 大日如来 と柳生の石仏

中古価格
¥246から
(2019/6/16 20:23時点)



奈良傑作美仏大全 (エイムック 4301)

新品価格
¥1,944から
(2019/6/16 20:24時点)



運慶・快慶と慶派の美仏 (エイムック 4166)

新品価格
¥1,620から
(2019/6/16 20:28時点)



柳生みち

中古価格
¥3,200から
(2019/6/16 20:29時点)



「柳生みち」 は円成寺にて販売 ¥500

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

芳徳寺(奈良市柳生町) 剣豪柳生一族菩提寺の御朱印

2019.06.15(20:11) 316

剣豪の里で新陰流とショウブ(2019.6.14)

<コース>
JR大阪(6:22) → JR奈良(7:19→7:24) → (奈良交通バス) → 柳生(8:19) → 徒歩15分 → 芳徳禅寺 → 柳生花しょうぶ園

136-4-1.jpg

 未だ梅雨入り前の一日、JR奈良駅からバスに揺られる事55分。山を越えて小さな盆地へ入ると柳生の里。

 徳川将軍家剣術指南を務めた柳生一族の地です。大和の中心部から15㎞離れた山里ですがここにも戦国の荒波は押し寄せ、小領主だった柳生氏も幾度も存亡の危機に直面します。

 そんな折、柳生石舟斎宗厳(むねよし)は新陰流の上泉伊勢守信綱と出会います。三度の試合で悉く敗れた宗厳はその場で信綱に師事、後に新陰流の奥義を授けられます。別れ際に信綱の語った無刀の剣を極め、柳生新陰流を創設しました。

 柳生氏が大きく飛躍する契機となったのは五男宗矩(むねのり)が徳川家康に仕えて以降。剣術と言えば殺伐としたものを想像しますが、柳生新陰流の活人剣が家康の意向に叶ったとも言えるでしょうか?

 宗矩は1万石の大名、大目付になり幕藩体制確立に尽力、子孫は将軍家剣術指南として幕末まで続きます。一方、宗厳の長男厳勝(よしかつ)は尾張徳川家に仕え石高は低いながらも尾張柳生として柳生新陰流の正統を伝えました。

 大名の柳生家と剣術の柳生家が別系統だったのは初耳でしたが、これも生き残りの戦略だったのでしょう。余談ですが、泰平の世に袋竹刀を導入したのも柳生新陰流の功績です。

 柳生の里は一族の歴史が刻まれ、質実剛健な気風が見えます。旧家老屋敷は幕末に足軽からその経理の才能で3,000石の国家老まで出世した小山田主鈴の隠居所。高台にある石垣と自然を借景にした庭園は武人の風格が漂います。

 屋敷は小山田氏から一時、作家山岡荘八氏の所有となり、後に市に寄贈されました。小説『春の坂道』の構想はここで練られたとか。創作には環境が大きくものを言うようですね。

136-4-2.jpg
柳生バス停から見る十兵衛杉

136-4-3.jpg
石垣の上に聳える旧柳生藩家老屋敷

136-4-4.jpg
家老屋敷表門

136-4-5.jpg
家老屋敷の庭と家屋

136-4-6.jpg
花しょうぶ園の傍の高台にある柳生藩陣屋跡

136-4-7.jpg
陣屋の遺構

 打滝川を渡り、坂を上ると柳生一族の菩提寺の神護山芳徳禅寺(じんごさんほうとくぜんじ)。

 寛永15年(1638年)柳生但馬守宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のために建立。宗矩と親交のあった沢庵和尚が開山となり、宗矩の四男列堂義仙和尚が初代住職になりました。

 列堂時代の堂宇は宝永8年(1711年)に焼失しますが正徳4年(1714年)に再建、明治期に再び衰退しますが尾張柳生の末裔の基夫氏の寄進により大正11年(1922年)に復興。一門の結束は健在のようです。

 遠くから見ると城塞のようですが、ここは柳生家の最初の城だった山王台という場所、坂の途中には正木坂道場があるのは剣術の里ならではと言えます。

136-4-8.jpg
南側から芳徳寺への坂を上る

136-4-9.jpg
坂の途中にある正木坂剣禅道場
昭和になって橋本定芳住職が建設した。

136-4-10.jpg
山門前の碑

136-4-11.jpg
神護山 芳徳禅寺(臨済宗大徳寺派)

136-4-12.jpg
山門から境内を見る

136-4-13.jpg
大正時代再建の本堂
本尊は薬師如来で、宗矩公と沢庵和尚の木像が両脇に安置される。

136-4-14.jpg
本堂裏の柳生一族の墓所

136-4-15.jpg
神護山 芳徳禅寺説明書

136-4-16.jpg
芳徳禅寺御朱印

 菩提寺の後は、その奥にある花しょうぶ園へ。休耕田を利用し約1万㎡に62品種が植えられています。

 個人経営なので一時は閉鎖の話もあったようですが、地元の方の支援もあって存続。「尚武」に繋がると言う事で柳生の里に相応しいとなったのでしょう。てっきり「勝負」と思っていましたが…。

 同じ市内でも随分と違った印象ですが、平成の大合併以前から奈良市内。剣術の里だけに【しない】なのかと納得した次第。

136-4-17.jpg
花しょうぶ園入口付近から全体を見渡す

136-4-18.jpg

136-4-19.jpg

136-4-20.jpg

136-4-21.jpg

136-4-22.jpg

136-4-23.jpg

136-4-24.jpg

136-4-25.jpg
「嵐山」

136-4-26.jpg
「水玉星」

136-4-27.jpg
「邪馬台国」

136-4-28.jpg
「桜獅子」

136-4-29.jpg
「白妙」

136-4-30.jpg
「ピンクフロスト」

136-4-31.jpg
「吉野太夫」

136-4-32.jpg
「仙女の洞」

136-4-33.jpg
「追風」

136-4-34.jpg
「立待月:左&「紀州若波:右」

136-4-35.jpg
「白露」

136-4-36.jpg
「千早城」

136-4-37.jpg
「潮来」

136-4-38.jpg
「紅姫」

136-4-39.jpg
「碧濤」

136-4-40.jpg
「信濃路」

136-4-41.jpg
「源氏蛍」

136-4-42.jpg
「大和姫」

136-4-43.jpg
「鬼ヶ島」

136-4-44.jpg
「青岳城」

136-4-45.jpg
「牛若丸」

136-4-46.jpg
「中禅寺湖」

136-4-47.jpg
「霓裳羽衣(げいしょううい)」

136-4-48.jpg
柳生郵便局 ; 旧柳生藩家老屋敷表門

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/7/29 18:05時点)



奈良 歴史探訪ウォーキング

新品価格
¥1,728から
(2019/7/29 17:56時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/6/16 16:21時点)



柳生宗矩の人生訓 徳川三代を支えた剣豪、「抜群の智力」とは?

新品価格
¥1,728から
(2019/6/15 20:13時点)



武蔵と柳生新陰流 (集英社新書)

新品価格
¥778から
(2019/6/15 20:08時点)



決定版 日本の剣豪 (文春新書 1107)

新品価格
¥918から
(2019/6/15 20:10時点)



禅と武士道―柳生宗矩から山岡鉄舟まで (ベスト新書)

中古価格
¥121から
(2019/6/15 20:05時点)



素顔の剣豪たち (歴史紀行)

中古価格
¥6から
(2019/6/15 20:00時点)



柳生への道 (1971年)

中古価格
¥1,800から
(2019/6/15 20:02時点)



柳生みち

中古価格
¥3,200から
(2019/6/15 20:03時点)



「柳生みち」は円成寺で¥500にて販売中

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

璉珹寺(奈良県奈良市) 裸形阿弥陀仏の御朱印

2019.05.07(19:29) 263

今日ばてで、秘仏に恋情(2019.4.28)

<コース>
JR大阪(8:12) → JR奈良(9:05→9:08) → JR柳本(9:28) → 徒歩15分 → 長岳寺 → JR柳本(12:34) → JR京終(12:55) → 徒歩10分 → 璉珹寺 → 徒歩20分 → JR奈良(16:31) → JR大阪(17:24)

121-4-1.jpg
常光山 璉珹寺(浄土真宗遣迎院派)

 長岳寺巡礼後は万葉まほろば線の京終(きょうばて)で下車。

以前に駅前で見かけた看板に

・「秘仏開扉 女人裸形阿弥陀仏」5月1日~31日

とあったので紀寺町にある璉珹寺(れんじょうじ)を訪問。

平城京の南東端にある小寺で、普段は閉門していますが5月だけは秘仏を公開するとの事。

何やら興味をそそられるお名前ですが、看板の御像を見る限り別段【紀を寺った】訳ではないようです。

 本堂に祀られている御本尊はほぼ等身大、鎌倉時代に白檀で作られた木造白色の裸形像で下には袴を着装されています。

この袴は50年毎に取り換えられるそうで京都の西陣織の御店の製作とか。

50年経つと知る人や職人も居なくなってしまうと思いますが、代々その御店で伝統が継承されているそうです。

古都ならではと感心しました。

 写真では白色の印象でしたが眼前に見ると木地の色が強い印象。劣化を避ける為に光を極力落とした堂内のせいかもしれません。

非常に清楚な仏様で【恋情】を抱くなどという不謹慎な気持ちは起こりませんでした。

御本尊のモデルは光明皇后、仏教説話には必ず登場される方です。

現地で聴いた説明では上東門院彰子(道長娘)が恵心僧都の浄土の教えに感銘を受け製作するように依頼したとか。

余談ですが如来には男女の区別はありません。

 寺伝によれば天平時代に聖武天皇の勅願で行基が開創、平安時代になり紀有常によって再興され伽藍が建立されたといます。

江戸時代には徳川家康から朱印地20石を賜ったので、三つ葉葵の紋を頂いています。

宗旨も法相宗、浄土宗、天台宗を経て現在は浄土真宗と【しゅうし】一貫していませんが、この辺りが紀寺と言う地名なので元々は紀氏の寺だったと言う説が有力視されています。

121-4-2.jpg
道路脇にある案内板

121-4-3.jpg
付近の住所も紀寺町

121-4-4.jpg
璉珹寺(れんじょうじ)山門

121-4-5.jpg
山門の先にある中門

121-4-6.jpg
秘仏を収める本堂
太陽光を避ける為かなりの暗がりでの拝観となる。

121-4-7.jpg
秘仏「女性裸形阿弥陀仏」
当然撮影禁止なので、これは案内板の写真。

 紀氏といえば和歌の貫之・友則が有名ですが、飛鳥時代に遡る名族で政権でも重要なポストに就いています。

壬申の乱では大友皇子側でしたが、うまく立ち回り天武天皇下でも政権の一翼に。

孝謙女帝の後に皇位に就いた光仁天皇の母が紀氏だった事もあって桓武朝では度々公卿を輩出。

しかし徐々に藤原北家に押され気味になり紀有常の時代に政権首座の藤原良房と皇太子を巡って対立、自身の甥の惟喬皇子を推しますが、良房の孫にあたる惟仁皇子が幼くして皇太子になります。

これが清和天皇で有常は18年間昇進できず。

有常としては次期天皇によって【紀氏回生】といきたかった所でしょうが、力の差は如何ともし難かったと言う事です。

続いて起こった応天門の変で紀夏井が関わったとして配流され、最終的に中央政界からはじき出される事となりました。

 以来、紀氏は表舞台から去ったというのが定説ですが、鎌倉時代に大仏再建の勧進を行った重源も紀氏出身だそうで、有常が国司を務めた周防から経済的援助を受けた形跡もあるようです。

また竹取物語の作者を紀貫之とする説は以前からありますが、かぐや姫に求婚する5人の貴族が大宝律令制定時の朝堂の首班がモデルとは初めて聞きました。

文武朝の首班は6名でうち一人が紀氏出身。求婚者は紀氏以外の5名を使っているそうです。

一番嘲笑される車持皇子ですが、不比等の母が車持氏であったため一族の恨みを込めて描いたのでしょうか?

武士に比べ軟弱なイメージのある貴族ですが、したたかに生き残っています。柳に雪折れなしですね。

121-4-8.jpg
本堂から庫裏へと続く廊下にて

121-4-9.jpg
廊下より見た境内

121-4-10.jpg
内庭

 それから璉珹(れんじょう)と言う聞いたことも見た事もない漢字。お寺の方が御存じで、仏教で一番大切なものを収める器らしい。

王偏の漢字は琥珀・珊瑚・瑪瑙など舶来の貴石が多いので再確認すると、玉(ぎょく)の事で史記にも載っている話とか。

それでは完璧の使者の話かと半時間近く廉頗藺相如列伝の話で盛り上がりました。

 拝観の後は駅舎にUターン。ここでも駅舎が改築され「ハテノミドリ」という名の駅舎カフェに。

柳本駅同様の無人駅の有効利用ですが、果たして利用する人が居るのか?と言う意見もあったとか。

しかし20年前は観光客などついぞ見かけなかった奈良町が大勢の観光客が押し寄せる場所になっている事を見ると、大いに期待できそうです。

尤も【えきしゃ】といっても占い専門ではないので、当てにはなりません。

 最初で最後の10連休でしたが遠出はせず令和由来の大和で終了。

近場の割には疲れましたが、下車駅が【今日ばて】だったせいかは疑問です。

121-4-11.jpg
庫裏で一服 ¥300
これは甘木茶と胡桃饅頭(金沢銘菓)。 璉珹(れんじょう)とは何かという事で三人で30分議論を。

121-4-12.jpg
璉珹寺(れんじょうじ)の栞
年間1月のみの拝観だが栞を用意してあるのは流石。

121-4-13.jpg
璉珹寺(れんじょうじ)御朱印
浄土真宗では通常御朱印はなしだが、ここは書いたものを貼付するタイプ。

121-4-14.jpg
改築されたJR京終駅舎

121-4-15.jpg
今年2月にオープンした「ハテノミドリ

121-4-16.jpg
トーストセット¥850

121-4-17.jpg
カフェ「ハテノミドリ」では窓の向こうに電車が見える

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 16:57時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)



京都・奈良 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/7 18:32時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

釜口大師長岳寺(奈良県天理市) ツツジの花に囲まれた寺の御朱印

2019.05.07(11:22) 262

サツキに咲いたツツジの花に超愕!(2019.5.5)

<コース>
JR大阪(8:12) → JR奈良(9:05→9:08) → JR柳本(9:28) → 徒歩15分 → 長岳寺 → JR柳本(12:34)

121-3-1.jpg
釜ノ口山 長岳寺(高野山真言宗 関西花の寺二十五霊場第十九番札所)

 令和の出典ということで萬葉集が売れているそうですが、こちらは国のまほろば大和へ巡礼。

万葉まほろば線(桜井線)はGWにも拘らず通常通りの混雑でした。

 駅から東へ徒歩10分の崇神天皇陵に参拝してから長岳寺にお参り。

釜ノ口山長岳寺は、天長元年(824年)淳和天皇の勅願で空海が大和(おおやまと)神社の神宮寺として創建したという古刹。

日本最古の道と言われる山の辺の道の真ん中付近で龍王山の麓に位置しています。

皇室にも所縁の寺という事で昨年は愛子様も修学旅行の自由行動でおいでになられたとか。

お忍びならば菊の御紋の印籠でも示されたのでしょうか?

 鎌倉時代には興福寺大乗院門跡が門主になり最盛期には四十八坊を数える【幸福時】もありました。

が戦国時代の文亀3年(1503年)の兵火で伽藍焼失、豊臣秀吉による寺領没収と苦難の時代を迎えます。

大和は戦国の梟雄松永弾正が勢力を張った場所だけに戦火が絶えなかったのでしょう。戦では【降伏時】の見極めを誤ったとも言えそうです。

漸く慶長7年(年)徳川家康により再興を果たし江戸期には二十坊まで回復しますが、明治の廃仏毀釈で大打撃。

敷地面積も最盛期の七分の一程度の4万㎡に減ってしまいます。

廃寺になっても不思議ではなかったですが、現在に至るまで法灯を守っているのは驚異的。

訊く所では明治維新後は衰退の極にあった寺を先代の住職が色々な方法で立て直しを図ったそうです。

檀家さんがいる筈ではと伺った所、「十軒程度なので厳しいです」との返事。

お寺の維持管理にはお金が掛かるので避けて通る訳にはいきません。【がま口山】の山号も伊達ではない様子。

121-3-2.jpg
崇神天皇陵
第十代でハツクニシラススメラミコト

121-3-3.jpg
天理トレイルセンター」横を通り長岳寺前へ

121-3-4.jpg
1640年再建の大門
ここからなだらかな坂を下る。

121-3-5.jpg
入口へ向かう参道は両脇にヒラドツツジが

121-3-6.jpg
ヒラドツツジ

121-3-7.jpg
受付に到着
左の建物は重文・延命殿

121-3-8.jpg
受付後は左手にある重文・旧地蔵院へ

121-3-9.jpg
重文・旧地蔵院
当山48坊の内、唯一残ったもので室町時代の書院造の様式。今は庫裏として使用し、右奥では食事ができる。

121-3-10.jpg
大和葺の屋根を持つ旧地蔵院

121-3-11.jpg
大和葺の屋根の裏側

121-3-12.jpg
杮葺きの屋根を持つ旧地蔵院玄関

121-3-13.jpg
旧地蔵院書院内部

121-3-14.jpg
書院の襖絵

121-3-15.jpg
書院の廊下

121-3-16.jpg
書院の庭園越しに見える玄関

121-3-17.jpg
廊下から見た庭園

121-3-18.jpg
庭園
池の石組が亀を岸の松が鶴を表す。

121-3-19.jpg
廊下の先にある旧地蔵院本堂(延命殿)

121-3-20.jpg
重文・旧地蔵院本堂(延命殿)
普賢延命菩薩を本尊とする庫裏の持仏堂で二間四面の桃山風小堂。

121-3-21.jpg
延命殿の本尊
普賢菩薩なので象に乗って居られる。

121-3-22.jpg
延命殿の垂木部分にも象の彫刻が

121-3-23.jpg
延命殿全景

121-3-24.jpg
旧地蔵院から楼門へ向かう途中にて

 1200年近い歴史を有するので文化財も多く建造物4棟、仏像5体が重文。境内では地元のボランティアの皆さんに拠る説明を聞くことができました。

本堂の阿弥陀三尊像は仁平元年(1151年)の銘があり運慶の父・康慶の作と言われているとか。

中央の阿弥陀如来は坐像ですが、両脇持の観世音菩薩、勢至菩薩は外側の脚を蓮華座から垂らした珍しい御姿。

説明では製作当時の流行だったようです。3体の御眼は【なんとなくクリスタル】な感じでしたが、やはり水晶。

年代が分かる日本最古のものというのが目玉だそうです。

 また本堂では伝狩野山楽筆の地獄絵図(複製)の絵解きをされていましたが、これは江戸時代に文字の読めない庶民に仏教の説明をしたもので道成寺などと同じ趣旨。

三途の川、六道、六地蔵、六文銭、一蓮托生と数字のついた言葉が多いですが、全て意味があるとか。

死者が六道に入る際に、お地蔵さんが各道にあって、一体毎に一文銭を置く事から三途の川の渡し賃は六文になるそうです。

信州真田家の家紋ですね。

 ここはヒラドツツジが有名な関西花の寺第十九番霊場。時期的には見頃の筈でしたが、この日は八分咲き。

『花の盛りは短くて来る日しことのみ多かりき』とピークに遭遇するのに一苦労。

一面にツツジが咲く姿はさぞ【超愕寺】でしょう。但し杜若も咲き始めていたので両方見ることができたのは幸運でした。

121-3-25.jpg
重文・鐘楼門
日本最古の鐘楼門で、下層は室町時代、上層は平安時代とされる。かつてはこの上層に鐘を吊っていた。

121-3-26.jpg
本堂側からの鐘楼門近影

121-3-27.jpg

121-3-28.jpg
ツツジ越しに見る鐘楼門

121-3-29.jpg
ツツジ越しに見る本堂

121-3-30.jpg
本堂
天明3年(1783年)の再建で阿弥陀三尊像と多聞天・増長天を祀る。地獄絵解きはここで行われる。

121-3-31.jpg
本堂前面の修飾
蟇股も個々に柄が異なるとか。

121-3-32.jpg
本堂前の柱にある阿吽の象

121-3-33.jpg
本堂前にある放生池
ツツジ、杜若、スイカズラが共演。

121-3-34.jpg
池の杜若

121-3-35.jpg
コデマリに似ているがスイカズラ属の別種

121-3-36.jpg
本堂奥にある拝堂

121-3-37.jpg
拝堂の奥にある大師堂
正保2年(1645年)の建築とされ、開基空海像を安置する。

121-3-38.jpg
石段の先にある大石棺仏

121-3-39.jpg
放生池越しに見る鐘楼門と本堂

121-3-40.jpg
本堂と杜若

121-3-41.jpg
池を巡って鐘楼門へ戻る

121-3-42.jpg

121-3-43.jpg
長岳寺説明書

121-3-44.jpg
長岳寺御朱印

 境内拝観の後は、飛び地にある五智堂を見て再び柳本駅へ。

かつての無人の駅舎は改装されピクトンという地域観光センターが4月27日からオープン。

食事処もあったので、山の辺の道定食という名の日替わり定食とデザートを【五智堂】になりました。

電車は30分間隔、山の辺の道周辺も食事処が少ないので、これから重宝されると思います。

長岳寺同様、地域活性化の一貫ですが、長岳寺境内の重文・旧地蔵院庫裡でも三輪そうめんが頂けるので競合して共倒れにならないよう注意しないといけませんが…。

121-3-45.jpg
重文・五智堂
大門から1㎞程西へ行った飛び地にある。かつてはここまでが長岳寺の寺域だった可能性が…。

121-3-46.jpg
五智堂近影
その形状から傘堂、或いは眞面堂とも呼ばれ、中央の太い心柱で全ての重量を支える。

121-3-47.jpg
五智堂説明板

121-3-48.jpg
五智堂屋根裏部分

121-3-49.jpg
心柱上部にある四佛の梵字
全体で五智如来を表す。

121-3-50.jpg
改築されたJR柳本駅舎

121-3-51.jpg
駅舎内に入っている観光施設「ピクトン」

121-3-52.jpg
「ピクトン」で山の辺定食を ¥700

121-3-53.jpg
アイス最中+コーヒー ¥300

121-3-54.jpg
柳本郵便局 ; 重文・長岳寺鐘楼門、平戸ツツジ

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:04時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

當麻寺 中之坊(奈良県葛城市)  中将姫の剃髪のお寺の御朱印

2019.05.06(20:02) 261

姫に惹かれて中之坊参り(2019.5.3)

<コース> 電車は15分間隔で運転
JR大阪 → JR天王寺 → 近鉄阿部野橋 → 二上神社口 → 徒歩15分 → 石光寺 → 徒歩15分 → 當麻寺 → 徒歩15分 → 当麻寺駅 → 阿部野橋 → JR天王寺 → JR大阪

119-7-1.jpg
當麻寺 中之坊(真言宗)

 中之坊は當麻寺の中でも最古を誇る塔頭。

なんでも役行者が開いた道場を當麻寺別当の実雅が住居として「中院」としたのが由来とか。

庫裏では役行者が処方したとされる「陀羅尼助丸」を製造した大釜も展示してありました。

弘仁時代には空海が中之坊実弁を弟子にして【こうにん】、以後真言宗になっています。

 それよりもここの本堂は中将姫が剃髪した事で有名で、平安時代に姫の守り本尊である十一面観音を刻み本尊としたので「導き観音」と呼ばれます。

本尊は道に迷った時に進むべき道を示して下さるそうで、進学・就職・縁談の時に訪れる人が多いとか。

中将姫関連という事で妙齢の女性の参拝が多いのが特徴だそうで、そうなると益々集まる人が増える訳ですね。

私も以前に拝観したので迷いましたが観音様の導きで拝観することに決めました。そんな大げさなものではありませんが…。

119-7-2.jpg
中之坊の向こうに見える東塔

119-7-3.jpg
塀の外側から見た本堂(中将姫剃髪堂)

119-7-4.jpg
中之坊山門

119-7-5.jpg
山門近影

119-7-6.jpg
山門正面の庫裏
御朱印はここで拝受するが拝観コースでは最後になる。

119-7-7.jpg
本堂(中将姫剃髪堂)
奈良時代に中将姫が剃髪した授戒堂で桃山時代の再建。本尊は「導き観音」。

119-7-8.jpg
本堂奥の茶筅塚前より

119-7-9.jpg
岐阜より移植された中将姫誓願桜
庭園入口にある

119-7-10.jpg
説明板

 本堂参拝の後、庭園を拝観。香藕園(こうぐうえん)は鎌倉時代に期限を持ち、桃山時代に完成。

更に江戸初期に後西天皇を迎えるために片桐石州によって改修された大和三名園の一つ。

他の二園は竹林院と慈光院ですが、慈光院も石州の手になるものなので似た雰囲気に見えるのでしょう。

庭に書院・茶室を建てるのも同じ。また茶室「知足庵」が二畳中板と狭いのも慈光院に通じるものがありました。

天皇は殊の外喜ばれたと言いますが、普段のお住まいである御所の広大な空間と対照的な所がお気に召した気もします。

マリー・アントワネットがプチトリアノンを好んで滞在したのと同じでしょうかね?

 庭を巡った後は牡丹園を見て終了。園に隣接する客殿の天井画は近代絵画の巨匠の作品が150枚。

通常は外から窓越しでしか見ることはできませんが、写佛・写経を申し込めば絵画の下で見ることができます。

なかなか商売上手ですね。

119-7-11.jpg
香藕園(こうぐうえん)入口付近

119-7-12.jpg
庭園から見上げる東塔

119-7-13.jpg
庭に面した茶室「丸窓席」
片桐石州が庭園の整備と共に造営したもの。

119-7-14.jpg
「丸窓席」内部
大胆な大円窓が特徴の四畳半の茶室である。

119-7-15.jpg
庭園の山側より見た書院(左)と茶室「丸窓席」

119-7-16.jpg
庭園の心字池

119-7-17.jpg
茶室「知足庵」
一対一で客人をもてなすために石州が特に好んだとされる二畳中板の名席。

119-7-18.jpg
ツツジの向こうに見える客殿
ここの天井画の下で写経が行われる。

119-7-19.jpg
牡丹園から見た客殿

119-7-20.jpg
牡丹園

119-7-21.jpg
藤・ツツジ、牡丹の共演

119-7-22.jpg

119-7-23.jpg
當麻寺 中之坊説明書

119-7-24.jpg
中之坊御朱印

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:12時点)



新版 古寺巡礼奈良〈7〉當麻寺

新品価格
¥1,728から
(2019/5/5 22:05時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン



中将姫物語

中古価格
¥800から
(2019/5/4 20:41時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

當麻寺 護念院(奈良県葛城市)  中将姫の住んだ寺の御朱印

2019.05.06(14:46) 260

一年を二十日で過ごすイイお○(2019.5.3)


<コース> 電車は15分間隔で運転
JR大阪 → JR天王寺 → 近鉄阿部野橋 → 二上神社口 → 徒歩15分 → 石光寺 → 徒歩15分 → 當麻寺 → 徒歩15分 → 当麻寺駅 → 阿部野橋 → JR天王寺 → JR大阪

119-6-1.jpg
當麻寺 紫雲山 護念院(浄土宗)
これは客殿から見た双塔園

 西南院の拝観を終えて仁王門へ向かって歩くと、隣接する塔頭前に牡丹の拝観の看板が…。

紫雲山護念院は、以前に訪問した際にはお参りしていませんが、當麻寺の中核を担う由緒ある寺院。

當麻寺は真言宗と浄土宗が共存していますが、真言宗の西南院と中之坊、浄土宗の奥院と護念院が1年毎に持ち回りしているとか。

これはスルーする訳にはいかないとすかさず拝観。

 境内にある本堂は中将姫がお住まいになられた家で扁額にもそのように記載。護念院は姫の棲身旧跡寺院として信仰を集めるようになります。

最高の貴族の家柄に生まれながら、世を儚んで出家。29歳で極楽往生を遂げたという話を聞くにつけ、人の幸福とは一体何なのだろうと考えさせられます。

庶民には伺い知れない悩みがおありだったのでしょう。

天皇が譲位され新天皇が即位されて令和に改元となった月に僭越ながら思った次第です。

 院内は西塔・東塔を借景とする池泉回遊式庭園があり、西塔・東塔を身近に観賞できる事から双塔園の呼び名があります。

初めは牡丹を期待していましたが、それにも増してツツジが花盛りで両塔と映えていました。牡丹とツツジとの【両とう使い】です。

119-6-2.jpg
護念院山門前にて

119-6-3.jpg
山門からの眺め
左が庫裏、正面が客殿。

119-6-4.jpg
本堂と西塔

119-6-5.jpg
本堂前にて
ここが中将姫棲身旧跡寺院。

119-6-7.jpg
本堂の扁額

119-6-6.jpg
本堂前から庫裏を見る

119-6-8.jpg
客殿横を通って庭園に向かう

119-6-9.jpg
池泉回遊式庭園前にて
正面にあるのは樹齢300年の山桜。

119-6-10.jpg

119-6-11.jpg
庭園内の道より西塔を望む

119-6-12.jpg
反対方向に見える東塔

119-6-13.jpg
庭園から客殿(左)と庫裡(右)を望む

119-6-14.jpg
ツツジと東塔

119-6-15.jpg
八幡山展望台より正面に見える客殿

119-6-16.jpg
庭園の花の向こうに見える西塔

 庭園の後は客殿でお抹茶を一服。他に比べて新築に見えましたが耐震構造補強をした後との事。

でも昔の造りそのままで補強したという事ですから、古の雰囲気を感じるのには十分でした。

客殿の双塔園側は広く開いており、庭園をバックにした光景は絵画の様。一幅の絵を鑑賞しながら一服できたのは予想外でした。

 當麻寺練供養会式は中将姫所縁の行事で奥院が中心となって執り行われると思っていましたが、

拝観時に対応頂いた御婦人(住職御夫人?)の話では、会式の主体となる菩薩講の運営、二十五菩薩面や装束の管理をするなど開催中は楽屋として一切を管理するそうです。

「会式は99%ここが対応しています」とは御婦人の談。

因みに拝観者の対応も、抹茶の接待も全て一人で対応されてました。ここにも外部には伺い知れない御苦労があるようです。

119-6-17.jpg
抹茶はこの客殿で頂く

119-6-18.jpg
客殿入口から本堂方面を望む

119-6-19.jpg
客殿前の枯山水庭園

119-6-20.jpg
客殿内の様子

119-6-21.jpg
抹茶はここで

119-6-22.jpg
宛ら一幅の絵画を見るように抹茶で一服

119-6-23.jpg
客殿から見た双塔園

119-6-24.jpg
頂いた抹茶と姫餅
春陽堂謹製でこの日は限定30食。

119-6-25.jpg
護念院拝観券  
裏に説明書きがある。

119-6-26.jpg
護念院御朱印

119-6-27.jpg
参道にある當麻蹶速塚

119-6-28.jpg
姫餅の製造元の春陽堂
蹶速塚の向かいにある。

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:12時点)



新版 古寺巡礼奈良〈7〉當麻寺

新品価格
¥1,728から
(2019/5/5 22:05時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン



中将姫物語

中古価格
¥800から
(2019/5/4 20:41時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

當麻寺 西南院(奈良県葛城市)  牡丹の花のお寺の御朱印

2019.05.06(07:15) 259

色は匂へど散りぬるを(2019.5.3)


<コース> 電車は15分間隔で運転
JR大阪 → JR天王寺 → 近鉄阿部野橋 → 二上神社口 → 徒歩15分 → 石光寺 → 徒歩15分 → 當麻寺 → 徒歩15分 → 当麻寺駅 → 阿部野橋 → JR天王寺 → JR大阪

119-5-1.jpg
當麻寺 西南院(真言宗 関西花の寺二十五霊場第二十一番札所)

 奥院に続き西南院(さいなんいん)へ。

用明天皇第三皇子麻呂子親王に拠って河内国に草創された萬法蔵院が嚆矢。

白鳳12年親王の孫の當麻真人国見によって百済の僧正恵灌を導師に迎えこの地に遷されます。

その時に坤(ひつじさる;裏鬼門)の守り寺院として創建されたのが西南院の始まり。

鬼門ゆえ災難が降りかかるから【さいなんいん】とは出来すぎた話ですが、これは単に方角の西南を呉音で発音しただけに過ぎません。

鬼門が艮(北東)の方角なのは、中国に於いて北方騎馬民族匈奴がこの方角から長安に侵入してきたのが原因。

それでは何故北東からなのかと言えば地形的にこの方角からしか侵入できなかったからという単純な理由。

地形の異なる日本に当て嵌める事自体疑問に思いますが、何故か現在までそのようになっています。

余談ですが、艮が鬼門という事で鬼の格好は牛の角と虎の褌をするのが習わしです。

 その後、弘仁14年(823年)に空海が当地に参籠した際に曼荼羅堂にて「いろは歌」を想い付いたとか云々。

この時以来真言宗になり、現在に至るまで法灯を守り続けています。

 入口を入った直ぐの場所が牡丹園になって居り、そこから庫裏周辺にかけて咲き誇っています。

今回の本門目的の牡丹観賞はここがメインだけの事はあります。

 更に本堂横から裏手に回ると池泉回遊式庭園が。狭いながらも山裾を利用して起伏に富んだ作りになって居り心字池には西塔が映る仕組み。

また途中には水琴窟もあってその音色は深山に分け入った感覚に捕らわれます。花の観賞は時期がありますが、音色は年中無休。

視覚だけでなく、聴覚にも訴えることで訪れる人を癒そうという趣旨なのかと思った次第。

弘法大師の「いろは歌」については俗説とも言われますが、その意味する所は実践されている様に思えました。

119-5-2.jpg
當麻寺塔頭 西南院入口

119-5-3.jpg
入口を入った所にある牡丹園

119-5-4.jpg
花の女王様の乳母日傘
直射日光を避けるために簾と日傘をかけて保護している。

119-5-5.jpg

119-5-6.jpg

119-5-7.jpg
二つ目の門をくぐり庫裏と本堂へ向かう。
左奥には西塔が。

119-5-8.jpg
西南院本堂

119-5-9.jpg
本堂前から境内を望む
右は石楠花の花

119-5-10.jpg
本堂横を通り見晴台から
西塔・東塔の両方が視界に入るが、手前の西塔が改修中だったのが残念。

119-5-11.jpg
見晴台からの景観

119-5-12.jpg
池泉回遊式庭園と西塔

119-5-13.jpg
池に映る西塔

119-5-14.jpg
回遊のスタート地点

119-5-15.jpg
回遊の最も高台地点
正面が西南院書院で、抹茶を頼めばこの庭を鑑賞しながら一服できる。

119-5-16.jpg
回遊の終盤

119-5-17.jpg
東の水琴窟付近からは西塔が間近に望める

119-5-18.jpg
西塔の垂木部分

119-5-19.jpg
庭園回遊のゴールでも牡丹がお出迎え

119-5-20.jpg
書院前の牡丹

119-5-21.jpg
當麻寺 西南院説明書

119-5-22.jpg
西南院オリジナル御朱印帳 ¥1,500

119-5-23.jpg
西南院御朱印
御本尊(左)と関西花の寺(右)

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:26時点)



新版 古寺巡礼奈良〈7〉當麻寺

新品価格
¥1,728から
(2019/5/5 22:05時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン



中将姫物語

中古価格
¥800から
(2019/5/4 20:41時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

當麻寺 奥院(奈良県葛城市) 練供養と浄土庭園の御朱印

2019.05.05(22:01) 258

残り物には福がある?(2019.5.3)

<コース> 電車は15分間隔で運転
JR大阪 → JR天王寺 → 近鉄阿部野橋 → 二上神社口 → 徒歩15分 → 石光寺 → 徒歩15分 → 當麻寺

119-4-1.jpg
當麻寺 奥院(浄土宗)

 當麻寺塔頭奥院はその名の通り當麻寺の一番奥まった場所にありますが、石光寺から歩いて行くと先ず行き着くのがここ。

 頂いた説明書によれば、

『知恩院第20世誓阿普観上人が、知恩院本尊として安置されていた法然上人像を応安3年(1370年)に後光厳天皇の勅を得て戦乱続く京都から当地に遷座したのが始まり。

当初は往生院と呼ばれた。』

とあります。

  當麻寺の創建時は三論宗、その後空海によって真言宗になりましたが、浄土宗が興ると真言宗と共存する事になります。

本地垂迹というのもある訳ですから別段驚くには当たりません。

後で来たからか場所は寺の奥まった場所、しかし現在では最も広大な敷地を有する塔頭になっています。

 浄土信仰が盛んになったのは當麻寺が中将姫所縁の国宝・綴織當麻曼荼羅を有するのがその理由。

姫が蓮から採った糸を使って一夜で織り上げたとされますが、

蓮の権威大賀博士曰く 『蓮から糸を採るのは困難』 という事で、

調査してみると絹糸だったとか。天平時代の国宝は秘仏ですが、同じ技法で再現された奥院本が年に10日間特別に公開されています。

 その他にも浄土信仰と言う事で、阿弥陀浄土を再現した庭園や、花鳥浄土を表した襖絵、牡丹の庭園など、庶民が見ても楽しく感じるように工夫がされています。

日々の生活が苦しいから宗教に縋る訳ですから、そんな人には難しい学問や侘び寂びを述べるよりも、極楽浄土を体現するのが心に訴えるものがあるからでしょう。

宗教の【浄土】手段と言えそうです。

119-4-2.jpg
西口から大方丈の横を抜ける

119-4-3.jpg
慶長17年(1612年)建立の重文・大方丈
仏間には慶長年間に描かれた牡丹の天井画があるが、庭共々非公開。

119-4-5.jpg
大方丈の「二河白道の庭」

119-4-4.jpg
庭西側

119-4-6.jpg
庭東側

119-4-7.jpg

119-4-8.jpg
大方丈玄関

119-4-9.jpg
大方丈の玄関から見た内庭
右奥には茶室がある。

119-4-10.jpg
奥院庫裡

119-4-11.jpg
庫裡から本堂を望む

119-4-12.jpg
重文・本堂(御影堂)
慶長9年(1604年)の建立で、本尊は円光大師(法然)像。

119-4-13.jpg
本堂から見た大方丈玄関と庫裡

119-4-14.jpg
本堂に続く阿弥陀堂
この日は丁度法要中。

119-4-15.jpg
重文・奥院楼門
正保4年(1647年)の建立で奥院の南側にあるが閉鎖されており通行不可。

119-4-16.jpg
楼門前の牡丹

119-4-17.jpg
楼門脇から西塔・東塔を望む

119-4-18.jpg
楼門近影

119-4-19.jpg
横から見た阿弥陀堂
ここを通り浄土庭園へ向かう。

119-4-20.jpg
白藤と赤牡丹の共演

119-4-21.jpg
石に刻まれた倶利伽羅不動尊
奥院所蔵の国宝「倶利伽羅竜蒔絵経箱」に拠るものか?

119-4-22.jpg
浄土庭園
現世を石組と渓流で表現している。

119-4-23.jpg
宝池奥に鎮座される阿弥陀如来石仏
大小の自然石と牡丹は大小の菩薩を表しているとか。

119-4-24.jpg
細道を通り庭園奥へ
正面は阿弥陀堂

119-4-25.jpg

119-4-26.jpg
宝池前にて

119-4-27.jpg
池脇の牡丹


119-4-28.jpg
庭園側から見た本堂(左)と阿弥陀堂(右)

119-4-29.jpg
宝物館へ向かう

119-4-30.jpg
本堂へはこの道を通って向かう

119-4-31.jpg
當麻寺 奥院説明書

119-4-32.jpg
奥院御朱印
法然上人(左)と浄土変相(右)

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:26時点)



新版 古寺巡礼奈良〈7〉當麻寺

新品価格
¥1,728から
(2019/5/5 22:05時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン



中将姫物語

中古価格
¥800から
(2019/5/4 20:41時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

當麻寺(奈良県葛城市) 天平・白鳳の古刹の御朱印

2019.05.05(06:59) 257

たいまいはたいて古刹巡礼(2019.5.3)

<コース> 電車は15分間隔で運転
JR大阪 → JR天王寺 → 近鉄阿部野橋 → 二上神社口 → 徒歩15分 → 石光寺 → 徒歩15分 → 當麻寺 → 徒歩15分 → 当麻寺駅 → 阿部野橋 → JR天王寺 → JR大阪

119-3-1.jpg
二上山 當麻寺(高野山真言宗 浄土宗 新西国三十三ヵ所第十一番札所)

 石光寺に続いて徒歩で當麻寺入り。聊か物騒な名前ですが當麻寺は南大和の古刹。

大和の寺院といえば奈良市内に集中していて、その他は単独が大部分。

他で集まっているのは斑鳩・吉野・飛鳥など数か所ですがここもその一つ。

都が置かれた訳でもなく有力者の屋敷があった訳ではないのですが、竹内街道に沿った場所に加え、飛鳥・藤原京から見ると西方浄土に当たるのが理由でしょうか?

 當麻寺の創建は推古20年(612年)、用明天皇の第三皇子麻呂子親王が河内国に建立した万法蔵院が嚆矢。

その後白鳳12年に新王の孫に当たる當麻真人国見が役行者所縁のこの地に移転、當麻寺と呼ばれるのはそれ以降のようです。

当初は南都六宗の一つ三論宗の一大拠点だったようですが、弘仁14年(823年)に空海が参籠して真言宗に。

その時に曼陀羅堂で作ったのが「いろは歌」と言われています。

更に時代が下り浄土宗が興ると當麻曼荼羅を中心とする信仰により浄土宗も併設するようになります。

 良く言えば鷹揚、悪く言えばいい加減ですが、お寺の方の話では宗派の併設は昔には結構あったらしく

『和を以て尊しと為す』という聖徳太子の精神が生きているようにも思えました。

多くの寺院が兵火の被害を受ける中でここは白鳳・天平時代の建造物が残っており、国宝・重文も多く見応え【じゅうぶん】。

東塔・西塔が共に残っているのは我が国ではここだけ。

必要以上に宗派で論争をしなかったからともいえます。まさに【はくほう】を踏む思いだったのではないでしょうか?

119-3-2.jpg
楼門(仁王門)から見た参道
近鉄当麻寺駅から1㎞に渡って続く。

119-3-3.jpg
楼門(仁王門)

119-3-4.jpg
楼門近影

119-3-5.jpg
由緒

119-3-6.jpg
境内より見た楼門

119-3-7.jpg
楼門付近から境内を望む
後ろは二上山。

119-3-8.jpg
国宝・梵鐘
銘はないが創建当時の作とされ日本最古の梵鐘の一つ。

119-3-9.jpg
正面の曼荼羅堂に向かう

119-3-10.jpg
重文・金堂
鎌倉時代の建造で、単層入母屋造り。当初はここが本尊を祀っていた。

119-3-11.jpg
重文・講堂
鎌倉時代の建築で寄棟造り。

119-3-12.jpg
国宝・曼荼羅堂(本堂)
平安時代の建造で寄棟造りの大堂。本尊は厨子いっぱいに収まる3.8m四方の文亀曼荼羅。

119-3-13.jpg
本堂から見た境内
講堂(左)と金堂(右)

119-3-14.jpg
境内の中将姫像
思わず手を合わせたくなる御姿。

119-3-15.jpg
説明板

119-3-16.jpg
弘法太子堂

119-3-17.jpg
唯一、外にある薬師堂

119-3-18.jpg
當麻寺御朱印

 同時にここは関西花の寺にもなって居り、今回は牡丹・芍薬を鑑賞するための訪問。

寺院ながら華やいだ雰囲気を感じるのは、古代の大伯皇女と中将姫というセレブ女性に所縁があった事、歴代に尼僧が続いたからとも言えそうです。

大麻とヘロインならぬ當麻とヒロインが結びついた成果ですかね?

 當麻寺は真言宗と浄土宗の塔頭が数ヵ寺あって、その中の西南院が花の寺ですが、訪れてみるとどこもかしこも牡丹の拝観中。

塔頭ごとに入山料が必要とあって迷いましたが、『これが最後かもしれない』と思い全て拝観。一ヵ所で四ヵ寺巡礼になりました。

また御朱印も以前に比べると期間限定や七福神などが増えており、帰る頃には當麻寺だけで五ヵ寺分ページを使用。

その分財布も薄くなった訳で【たいま】いはたいて寺の名前の通りになってしまいました。

 寺巡りの最中にお昼になり門前へ行くと、食事処が何軒かありましたが、どこも『本日は売り切れました』の貼紙が…。

13時過ぎとは言えGW中に品切れとは流石にこちらも逆切れしそうでしたが、このような大らかさがまほろばの良い所かと自分に納得させました。

唯、商売については當麻寺のやり方を見倣った方が良いのかなといらぬ御節介を考えた次第です。

巡礼四ヵ寺についてはまた後程…。


119-3-19.jpg
門前の釜めしの店「玉や」
文化財だが、早々と売り切れ。

119-3-20.jpg
玉やの壁にある鏝絵

119-3-21.jpg
葛城市マンホール蓋

119-3-22.jpg
葛城市のゆるきゃら「蓮花ちゃん」
中将姫に由来か?

119-3-23.jpg
香芝郵便局 ; 国宝・當麻寺東塔と西塔、二上山
長尾郵便局 ; 国宝・當麻寺東塔と西塔、牡丹、二上山、「蓮花ちゃん」

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:39時点)



新版 古寺巡礼奈良〈7〉當麻寺

新品価格
¥1,728から
(2019/5/5 22:05時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)


神と仏の道をたどる 神仏霊場 巡拝の道 公式ガイドブック

新品価格
¥1,620から
(2019/8/21 17:34時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン



中将姫物語

中古価格
¥800から
(2019/5/4 20:41時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

石光寺染寺(奈良県葛城市)  中将姫所縁の牡丹のお寺の御朱印

2019.05.04(20:42) 256

古代史上の悲劇のヒロイン(2019.5.3)

<コース> 電車は15分間隔で運転
JR大阪 → JR天王寺 → 近鉄阿部野橋 → 二上神社口 → 徒歩15分 → 石光寺

119-2-1_201905041928362ea.jpg
慈雲山 石光寺(浄土宗 関西花の寺二十五霊場第二十番札所)

 平成最後の4月に「国のまほろば」大和へとお参りしましたが、令和に改元されたのを機に再び大和へお参り。

と理由を付けていますが 「単に出かける口実やないの!」 とは家族の談。

 近鉄南大阪線の二上神社口で下車して徒歩15分、二上山の麓にある石光寺(せっこうじ)に到着。

周囲は緩やかな丘の上に田園地帯が広がりますが、古代においては難波と大和を結ぶ竹内街道沿いの要衝でした。

石光寺の創建については、

『670年頃ここで霊光を放つ大きな石が見つかり、天智天皇の勅命でこの石に弥勒菩薩を彫って祀ったのが始まり。

役行者を開基とした。』 とあります。

寺名もここに由来。鎌倉時代に描かれた「當麻曼荼羅縁起絵巻」にもその図があるとかで、【まんざら演技】でもなさそうです。

 この光る石ですが本場のインドならばダイアモンド(金剛石)が出ても不思議はないですが、日本では先ず出ません。

すると作り話なのかという事ですが、伺った所、光るとは信仰の光を指すのであって、実際に光沢があると言う事ではないとの事。

都合の良い解釈のような気もしますが信仰とは本来そのようなものでしょう。

 実は平成3年に弥勒堂建替え中に弥勒菩薩の石像が出現してこの話が裏付けられました。

日本最古の石仏として今回の巡礼では特別展示期間中でしたが、二上山の凝灰岩に丸彫りしたとの説明。

寺名のように【セッコウ】で作ったものではないようです。事実は伝説よりも奇なりを地で行く話ではあります。

 花の寺としては牡丹が第一ですが来るのが少し遅かったのが残念。続いて芍薬がピークを迎えていました。

唯、アメリカシャクヤクだったので日本古来の花が外来に押されていたのは少し【しゃくやく】な気分でした。

 石光寺は中将姫所縁の伝説もあり、曼荼羅を織る際に蓮糸を染めた井戸跡と糸を掛けた桜があります。

石光寺の別名は染寺、地名も染井、表札を見ると御住職の苗字も染井。

お寺の方に伺った所、現在は7代目ですが染の井に由来するとの話。伝説が今に息づいていました。

 境内の牡丹も最初は薬用に植えられたらしく漢方薬メーカー㈱ツムラの創業者は大和出身。

実家には中将姫から伝わった「中将湯」というという薬の製法が伝わっていたとか。

境内に関連の碑がありましたが、そのためかと妙に納得。

中将姫は右大臣藤豊成の娘、美しく聡明でしたが継母に嫌われて捨てられ後に仏門に入り29歳で極楽往生を遂げたと言われます。

父豊成は不比等の孫で実在の貴族ですが、中将姫は伝説的な要素が多く平安以降に「當麻曼荼羅」と共に広まったというのが定説です。

『青丹よし』 と言いながら奈良時代は権力闘争で多くの血が流れた時代。

豊成の弟の仲麻呂も朝廷のトップに君臨しながらやがて乱を起こして敗死しています。

中将姫も全くの作り話ではなく悲劇的な生涯を送った女性をモデルにしたものと思えます。

寺から仰ぐ二上山には大津皇子の墓がありますが、姉の大伯皇女は彼の死後、

・うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟世と我が見む

と詠んでいます。

父は天武天皇、母は天智天皇の娘大田皇女という古代では最高の血筋を持ちながら、政治に翻弄され独身のまま41歳で亡くなった皇女が中将姫の生涯と重なって見えました。

119-2-2_20190504192837001.jpg
長閑な田園地帯の向こうに見える堂宇

119-2-3_20190504192839181.jpg
門前に到着

119-2-4_20190504192840668.jpg
山門の向こうに見えるのは弥勒堂

119-2-5_2019050419284252b.jpg
山門横の景色

119-2-6_20190504192843bd0.jpg
山門脇の牡丹

119-2-7_20190504192845bbb.jpg
正面から見た阿弥陀堂(常行堂)
本尊は木造阿弥陀如来坐像。

119-2-8_2019050419284642f.jpg
弥勒堂より山門を望む

119-2-9_20190504192848e5a.jpg
弥勒堂
かつての金堂跡で、ここから白鳳石仏が出土。

119-2-10_20190504192849eb1.jpg
日本最古の弥勒石仏
弥勒堂改築に伴う発掘調査で発見。正月と4月20日~5月20日に開帳される。拝観料¥400に含まれる。

119-2-11_20190504192851884.jpg
弥勒堂にある中将姫山居像

119-2-12_20190504192852c21.jpg
染の井・糸掛桜

119-2-13_201905041928542f3.jpg
糸掛桜と碑

119-2-14_20190504192856d2c.jpg
糸掛桜の古株と染の井

119-2-15_20190504192857346.jpg
牡丹越しに見る弥勒堂

119-2-16_20190504192858ffe.jpg

119-2-17_20190504192900b64.jpg
境内奥の牡丹園に向かう

119-2-18_201905041929018fe.jpg
牡丹の庭の文学碑 与謝野晶子
・初春や 当麻の寺へ 文書けば 奈良の都に 住むここちする

119-2-19_201905041929031a0.jpg
牡丹の庭の文学碑 与謝野鉄幹

119-2-20.jpg
書院(僧坊)前にて

119-2-21.jpg

119-2-22.jpg
書院では陶胎・石胎漆器の展覧会が開催中

119-2-23.jpg
書院から庭を眺める

119-2-24.jpg
牡丹と藤の共演

119-2-25.jpg
鐘楼前のアメリカシャクヤク

119-2-26.jpg

119-2-27.jpg

119-2-28.jpg

119-2-29.jpg
牡丹園を鑑賞して入口へ戻る
正面が寺務所。

 拝観の後、御朱印を拝受ですが何と全部で11種類。

平成5年に訪れた時は「御朱印を」と言っただけで書いて頂いたので1種類だったのでしょう。

御本尊の他に期間限定や七福神などが増えており、昨今のブームに便乗した感があります。

今回は中将姫のものと、これに続いて行く予定の傘堂のものを頂きました。

御朱印とは本来数を競って集めるものではないとは思いますが、お寺の名前に【染寺】といった所でしょうか?

119-2-30.jpg
石光寺説明書

119-2-31.jpg
26年前に頂いた御朱印

119-2-32.jpg
今回の参拝での御朱印見本

119-2-33.jpg
中将姫を拝受

119-2-34.jpg
脇を通り次へ向かう
これは閉鎖中の南門だが横のツツジが盛り。

119-2-35.jpg
途中にある高雄寺観音堂跡
修験道の開祖・役行者が開基の古刹だが、今は跡のみ。

119-2-36.jpg
傘堂遠景
二上山に上る途中の當麻山口神社近くにある。

119-2-37.jpg
傘堂(影堂、位牌堂)
延宝2年1674年に郡山藩主・本多政勝が位牌堂として建立した心柱1本で屋根瓦を支える総欅造りの堂。左甚五郎の弟子の作と言われるが…。

119-2-38.jpg
傘堂御朱印
勿論、無住なので石光寺で頂く。

119-2-39.jpg
當麻寺に向かう途中にある大伯皇女の歌碑

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:39時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 20:56時点)



関西花の寺二十五カ所の旅 エコ旅ニッポン



中将姫物語

中古価格
¥800から
(2019/5/4 20:41時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

百済寺(奈良県北葛城郡広陵町) 奈良にあるかぐや姫伝説の里

2019.05.04(01:00) 255

こうりょうの町の立派な三重塔(2017.5.1)


<コース>JR大阪 → JR王寺 → 近鉄田原本 → レンタサイクル30分 → 百済寺

118-3-1.jpg
百済寺(高野山真言宗)

 GWの谷間はJRと近鉄の路線の谷間にある広陵町を散策。

といっても鉄道の駅からは遠いので隣接する田原本町観光案内所からレンタサイクル。

かつての馬見丘は真美ケ丘と改名されてニュータウンになっていますが、葛城川・高田川周辺は昔のまま。

丘陵地帯が竹林でかぐや姫伝説の地だとか、今日初めて知りました。竹取翁(讃岐造)縁の讃岐神社もあります。

118-3-20.jpg
広陵町マンホール蓋

 観光ルートから外れ人も疎らですが、かつての繁栄を表すかのように古墳・古刹が点在。

百済寺は聖徳太子の建立した百済大寺の系譜を引くと言われますが伝説の域を出ず、この辺りが百済と呼ばれた形跡もないようです。

 寺伝では弘仁14年(823年)空海がこの地にとどまり三重塔を建立、本堂を修理し仏像を安置し梵字池を掘ったとあります。

一説には源頼朝が熊谷直実の息子に命じて三重塔を建立させたとも言われており、こちらの方が信憑性が高そうです。

池は今も残っていますが果たして事実はどうなのでしょうか?

 町のシンボル的存在の百済寺の三重塔は鎌倉時代の建立で重文ですが無住のため御朱印は貰えず。

但し管理は當麻寺西南院がしているという事で御朱印は當麻寺での拝受となります。

ここの本堂は大織冠と呼ばれ談山神社の古社殿を移築したものですが、これは室町以降多武峰領に属していたのがその理由だとか。

 寺は春日若宮神社と同じ境内にあり神社の管理下のようですが、神社も無人の様子。

檀家や地元の方々の力で維持されており本来の信仰を垣間見た気がします。

唯、劣化も激しく盗難・火事の恐れもあるので、何らかの手は打たないといけないでしょうね。

かぐや姫は月に帰りましたが、土に返さないように後世にまで伝えるのが第一ではないかと思った次第です。

118-3-2.jpg
百済寺公園の向こうに寺が見える

118-3-3.jpg
後方から見た本堂

118-3-4.jpg
本堂側面

118-3-5.jpg
本堂正面
江戸時代の建立

118-3-6.jpg
本堂正面の修飾

118-3-7.jpg
境内近影

118-3-19.jpg
由緒書

118-3-8.jpg
重文・三重塔
鎌倉時代の建立。全高23.27m。

118-3-9.jpg
三重塔
本尊には大日如来坐像を安置。

118-3-10.jpg
三重塔の垂木部分

118-3-11.jpg
鳥居と三重塔が混在

118-3-12.jpg
春日若宮神社拝殿

118-3-13.jpg
拝殿から三重塔を望む

118-3-14.jpg
境内にある空海が掘ったとされる梵字池

118-3-15.jpg
境内にある山部赤人歌碑

118-3-16.jpg
歌の説明

118-3-17.jpg
百済寺説明書

118-3-18.jpg
百済寺御朱印

 その後、唐古・鍵遺蹟前の道の駅で昼食を採り駅に戻ると駅前では市のイベント準備中。何故か桃太郎伝説の幟が。

訊いてみると桃太郎はこの地で生まれて岡山に行き鬼退治をしたそうです。色んな説があるのですね!

118-3-21.jpg
田原本駅前にて

118-3-22.jpg
唐古・鍵遺跡

118-3-23.jpg
遺蹟にて

118-3-24.jpg
道の駅にて

118-3-25.jpg
田原本町マンホール蓋

118-3-26.jpg
田原本町マンホールカード     配布場所はこちら

118-3-27.jpg
広陵真美ケ丘北郵便局 ; 竹取公園
瀬南郵便局 ; 百済寺三重塔

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 17:55時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/5/4 01:00時点)



京都・奈良 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/5/4 00:59時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町) 世界最古の木造建築の御朱印

2019.04.30(19:29) 251

和食を以て尊しと為す(2017.5.4)


120-5-0.jpg
法隆寺(聖徳宗総本山)

 千光寺・金勝寺に参拝後、平群の同窓と合流。先輩・師匠と呼ばれて居りますが、それらしき事は何一つして居りません。

が地元と言うことで案内して頂ける事になりました。

 先ずはお勧めの「玄米庵」で昼食。

奈良は繁華街を外れると食事場所を探すのが大変ですが、流石地元だけあって満足の行くお店でした。

米に拘ると言うお店のスタンスは心のまほろばを感じます。

120-5-12.jpg
お昼は法隆寺東の「玄米庵」にて

120-5-13.jpg
珍しく竈(おくどさん、へっつい)で炊くという拘り
熱源は楢の木とは奈良、楢では!

120-5-14.jpg
本日の昼食
これは甘味+飲み物で¥2000

120-5-15.jpg
左上:玄米餅
左下:大豆を原料にして鶏肉に似せたもの、触感も唐揚げそのもの。

120-5-16.jpg
玄米ブリン

120-5-17.jpg
これは抹茶アイス

 その後は、中宮寺→法隆寺→藤ノ木古墳と巡礼。

法隆寺は焼失した後の再建とはいえ世界最古の木造建築。

最初に世界遺産認定を受けましたが、仮に受けずとも日本を代表する偉大な文化遺産であることに変わりません。

GWなので観光客が多く時間が掛かりましたが全て拝観。法隆寺の御朱印は30分待ち、これも時代の流れでしょうか。

後輩には

・師を以て尊しと為す

・篤く先輩を敬え

と最後まで付き合って頂き感謝です。帰宅してからもこれは【夢殿】でない事を確認してあらためて同窓の絆を感じた一日でした。

120-5-1.jpg
中宮寺の藤棚
中宮寺は聖徳太子母の穴穂部間人皇后の御所。1602年以降は門跡尼院となり今も門跡が居られるとか。

120-5-5.jpg
法隆寺五重塔と金堂
上からぶら下がっているのは避雷針。世界遺産というよりも世界最古の木造建築と言ったほうが適切ではないか。

120-5-2.jpg
法隆寺五重塔の肘木

120-5-3.jpg
法隆寺廻廊(国宝)
飛鳥時代の建築。教科書に載るエンタシス様式。

120-5-4.jpg
990年再建の法隆寺大講堂(国宝)

120-5-6.jpg
法隆寺略縁起

120-5-7.jpg
法隆寺御朱印(以和為尊)
ブームを反映して3人がかりでも30分待ち。だがこの繊細な字体を同じ筆で書く筆遣いは見るに値する。

120-5-8.jpg
斑鳩町ゆるきゃらパゴちゃん
法隆寺と柿の合体

120-5-9.jpg
法隆寺町マンホールカード    配布場所は「法隆寺ⅰセンター

120-5-10.jpg
法隆寺西にある藤ノ木古墳

120-5-11.jpg
藤ノ木古墳入口
被葬者については、崇峻天皇、穴穂部皇子、物部氏、平群氏等諸説あり。

120-5-18.jpg
法隆寺郵便局 ; 国宝・法隆寺金堂、五重塔、瓦の唐草模様
斑鳩興留郵便局 ; 柿の外枠に町花・山茶花、斑鳩の名前由来の鳥イカル

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 19:38時点)



新版 古寺巡礼 奈良1 法隆寺

新品価格
¥1,728から
(2019/9/25 21:43時点)



聖徳太子 本当は何がすごいのか

新品価格
¥1,620から
(2019/4/30 19:33時点)



聖徳太子 (岩波新書)

新品価格
¥799から
(2019/4/30 19:34時点)



飛鳥の都〈シリーズ 日本古代史 3〉 (岩波新書)

新品価格
¥510から
(2019/4/30 19:34時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/4/29 08:36時点)



最近発売された書籍だが、奈良県下の寺院を2頁に亘り記述。巡礼好きには見逃せない一冊。

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

金勝寺(奈良県生駒郡平群町) 竜田川沿いの行基の古刹の御朱印

2019.04.30(08:58) 250

シデの郷のまがい仏(2017.5.4)

<コース> 近鉄生駒線は日中20分間隔で運転
JR大阪 → JR王寺 → (近鉄生駒線) → 元山上 → 徒歩40分 → 千光寺 → 徒歩40分 → 金勝寺 → 徒歩5分 → 元山上

120-4-1.jpg
椣原山 金勝寺(真言宗室生寺派)

 千光寺から元山上駅に戻ると少し時間に余裕があったので、竜田川沿いまで下ることに。

 椣原山金勝寺(しではらさんきんしょうじ)は、天平18年(746年)行基が春日大社のお告げを受け、椣(しで)の木に薬師如来を刻んで堂宇を建てたのが始まりと言う古刹。

すぐ前を流れる竜田川の龍神が行基を迎えたという伝承もあるようで龍神を祀る場所も兼ねたのでしょうか?

椣の木に彫ったのは寺院の字が椣原という事から分かるように付近に密生していたからという単純な理由。

死出の旅に向かうという意図はないようです。

信仰というのは特別なものではなく、ごく普通のものを崇めることから始まるものなのでしょう。

 金勝寺も最盛期には七堂伽藍、36僧坊を数えたようですが、戦国の梟雄松永弾正の焼き討ちで全焼。

今の本堂は寛文5年(1665年)に再建されたものですが、焼け跡から木材を運んで再利用するなど苦労したとあります。

明治にも再度火災に合い、現在の門等の建造物はそれ以降のもの。

昔のものを伝えるのは困難ですが、西側の岸壁に残る磨崖仏は室町期の貴重な遺産です。

そういえば近江の金勝寺(こんしょうじ)も狛坂磨崖仏があり、【よみ】は違っても『金勝』には磨崖仏が付き物なのでしょう。

まさか【まがい】物ではないでしょうが…。

120-4-2.jpg
寛文5年建立の本堂
境内では唯一の江戸時代の建造物。

120-4-3.jpg
境内奥の磨崖仏へ向かう

120-4-4.jpg
金勝寺摩崖仏
1586年、茶々という女性の供養として建立。茶々は淀君という説もあったが最近は島左近の夫人の説が有力。

120-4-5.jpg
磨崖仏説明板

120-4-6.jpg
金勝寺御朱印

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 19:38時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/4/29 08:36時点)



最近発売された書籍だが、奈良県下の寺院を2頁に亘り記述。巡礼好きには見逃せない一冊。

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

元山上千光寺(奈良県生駒郡平群町) 修験道の聖地の御朱印

2019.04.29(23:18) 249

大峰山にせんこうした修験道のお寺(2017.5.4)

<コース> 近鉄生駒線は日中20分間隔で運転
JR大阪 → JR王寺 → (近鉄生駒線) → 元山上 → 徒歩40分 → 千光寺

120-3-1.jpg
鳴川山 千光寺(真言宗醍醐派別格本山)

 午後から後輩と斑鳩で会う前に足を伸ばして生駒山麓を一巡り。

 近鉄元山上駅から川に沿って上ること40分、緑深い山中にある鳴川山千光寺は、役行者が白鳳12年(684年)に開いた修験道の地。

後に修験道の場は大峰山中に移りますが、それまでの修行の地という事で元山上と呼ばれています。

役行者の母・白専女(しらとうめ)もここを訪れ修行し、女人禁制の大峰山に対し女人高野として現在までも女性の修行が絶えません。

 千光寺という名からして役行者が山に光るものを見つけてここを選んだのが濃厚、大峰山に【せんこう】したからではないようです。

山深く静寂に包まれた場所で修験道にはお誂え向きとは思いますが手狭なのが難点、多方面の修行を目指して大峰山に鞍替えしたのだと思います。

 現在の千光寺は大部分が江戸時代の建造物ですが、山門から観音堂を経て行者堂までの階段を歩むと心が落ち着く所。

お寺もユースホステルや永代供養墓に力を注ぐなど、多方面の経営を目指しているようでした。

120-3-2.jpg
千光寺へと続く鳴川地区

120-3-3.jpg
鳴川清瀧にある摩崖仏

120-3-4.jpg
千光寺総門

120-3-5.jpg
元山上千光寺(真言宗)の全景
左がユースホステルになっており宿泊+修行が体験できる。

120-3-6.jpg
山門

120-3-7.jpg
寺務所にて  
御朱印はここで拝受。ユースホステルもここから。

120-3-8.jpg
観音堂への石段

120-3-9.jpg
千光寺観音堂への階段横にある役行者石像
全国より寄進されたもので、数十体あり個々に表情が異なる。

120-3-10.jpg
観音堂(本堂)

120-3-11.jpg
観音堂付近の景観

120-3-12.jpg
更に上にある行者堂への階段

120-3-13.jpg

120-3-14.jpg
行者堂より下を望む

120-3-15.jpg
最上にある行者堂
この横に鉄の下駄と錫杖があり、女性は下駄を履いて三歩、男性は錫杖を三度持ち上げると良縁に恵まれるとか。

120-3-16.jpg
千光寺説明書 というよりも永代供養墓案内書

120-3-17.jpg
千光寺御朱印

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 19:38時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/4/29 08:36時点)



最近発売された書籍だが、奈良県下の寺院を2頁に亘り記述。巡礼好きには見逃せない一冊。

京都・奈良 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/4/29 08:35時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

吉祥草寺(奈良県御所市) 役行者出生地に建つ寺の御朱印

2019.04.29(08:39) 248

修験道と製薬は【縁の業者】?(2016.5.4)

<コース>
南海電鉄難波(9:11) → 御幸辻(10:01) → 徒歩25分 → 子安地蔵寺 → 御幸辻(11:48) → 橋本(11:51→JR12:07) → JR玉手(12:54) → 徒歩5分 → 吉祥草寺 → 徒歩40分 → 九品寺 → 徒歩30分 → JR御所(16:00) → JR王寺(16:40→16:32) → JR大阪(17:09)

120-2-1.jpg
茅原山 金剛寿院 吉祥草寺(本山修験宗)

 子安地蔵寺参拝の後は橋本で南海高野線から和歌山線へ乗り換え葛城入り。

 JR玉手周辺の茅原(ちはら)はかつて茅が生い茂っていた所から名付けられたと言われ、修験道の開祖役行者(役小角)の誕生地。

舒明天皇の時代に役行者を開基として建立されたのが吉祥草寺とされます。

 延喜2年(902年)には醍醐寺の開山理源大師聖宝が勅を奉じて再建。

京都市内の聖護院を本山とする修験宗の寺院として中世には境内に49寺院を擁する程隆盛を極めます。

が、貞和5年(1349年)南北朝の動乱で全て焼失。現在の本堂は応永年間に再建されました。

 毎年1月14日の左義長は「茅原の大とんど」として雌雄の大松明を焼き尽くす行事。

二月堂もそうですが、度々兵火に合いながら火を燃やす行為を続けるのは不思議な気がします。

枯れ草を焼き翌年に備えるという農村行事が修験道を結びついたとも言えそうです。

「大とんど」は大勢の人で賑わいますが、それ以外は【とんと】人が居らずいたって平穏。

JRも1時間毎と交通のネックが大きいのでしょう。

 寺の名前の吉祥草とは「釈迦が悟りを開いたとき菩提樹の下にこの草を敷いて座した」と言われます。

花が咲けば植えている家に吉事があると伝えられる植物で、役行者が伊豆配流から許され帰郷した時に咲き乱れたとされます。

唯、私にはむしろ役行者が薬に精通していたらしい事、修験道では薬が必須な事、御所周辺では今でも製薬業が盛んである事から考えて、和薬に由来する気がします。

葛城山系は薬草も多いそうですから、修験道の製薬の一大拠点としての位置付けだったかもしれないと想像を逞しくしています。

和漢胃腸薬の陀羅尼助丸は役行者が作ったそうですから…。

120-2-2.jpg
吉祥草寺本堂
この前庭で茅原の大とんどが行われる。

120-2-3.jpg
境内の碑
葛城は薬の発祥とされる。修験道に加え、葛城山系に薬草が豊富だったからではないか?

120-2-4.jpg
吉祥草寺御朱印

 吉祥草寺に続いては西方の九品寺へ再訪。丁度、躑躅が見頃でした。

九度山は大河「真田丸」の影響で混雑したでしょうが、少し離れるだけで嘘のように静かになります。

南海高野線急行、JR和歌山線ともに混雑も無く、ゆったり古代人の鼓動を感じながら古道を巡った一日。

GWは花の見頃が多いのを改めて知った次第です。

120-2-5.jpg
葛城山麓にある戒那山九品寺(浄土宗知恩院派)

120-2-6.jpg
九品寺本堂

120-2-7.jpg
本堂からみた葛城盆地

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/14 19:53時点)



奈良百寺巡礼 (京阪奈新書)

新品価格
¥1,058から
(2019/4/29 08:36時点)



最近発売された書籍だが、奈良県下の寺院を2頁に亘り記述。巡礼好きには見逃せない一冊。

京都・奈良 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内

新品価格
¥1,728から
(2019/4/29 08:35時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

慈光院 (奈良県大和郡山市) 茶の湯の寺の御朱印

2019.04.25(19:37) 244

厄除の後は事故多いん?(2016.5.1)

<コース>
JR大和小泉 → 徒歩40分 → 松尾寺 → 徒歩30分 → 慈光院

118-2-12.jpg
円通山 慈光院(臨済宗大徳寺派)

 松尾寺参拝の後は大和小泉駅へ戻りますが、途中少し慈光院へ寄り道。

慈光院は寛文3年(1663年)大和小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が父貞隆の菩提寺として建立。

開山には大徳寺百八十五世大徹明應禅師を迎えています。片桐石州はまた家綱以降将軍家の茶道となった石州流の祖でもあります。

 石州の伯父は賤ケ岳七本槍の武将片桐且元。豊臣秀吉に仕え秀吉死後は豊臣と徳川の間で奔走した政治家でもあります。

唯、豊臣家を存続させることはできず大坂夏の陣の直後に病没。覚悟の最期だったようにも思えます。

石州には伯父の生涯がどのように映ったでしょうか?

 『茶道は狭い空間に一対一で対峙する。それは相手の心を読む為である。

戦国の世は家来といえどもいつ裏切るか分からない。

そのような相手を見定めるために大名は挙って茶道を催し、高い報酬で一流茶人を雇い入れたのだ。』 と。

出典は失念しましたが、鎌倉時代に広まった喫茶から何故戦国時代に茶道が大成したのか、この説が正鵠を得ているように思われました。

保身のためとは身も蓋もない話ですが、そうだからこそ茶道を芸術の域まで高めることが出来たとも言えます。

 慈光院自体も境内全体を一つの茶席になるように演出されているとか。

表門や玄関までの道、座敷や庭園、そして露地を通って小間の席という茶の湯で人を招く場合に必要な物が一つ揃え残されています。

確かに通常の寺院とは違った雰囲気で、拝観料¥1000で庭園と抹茶の接待付でした。

118-2-1.jpg
境内入口

118-2-2.jpg
茨木門
石州の出生地である摂津茨木城の楼門を貰い受けたもので屋根は書院を合わせるために茅葺にした。

118-2-3.jpg
茨木門から見た境内

118-2-4.jpg
重文・書院
農家風の外観を持つ慈光院の中心的な建物。入母屋造茅葺屋根。

118-2-5.jpg
廊下より見た茨木門

118-2-5-1.jpg
砂庭から見た書院

118-2-6.jpg

118-2-7.jpg
渡り廊下より見た茶室(三畳)
逆勝手の道安好みの席で「閑茶室」とも呼ばれる。躙り口ではなく廊下からの貴人口で入る。

118-2-8.jpg
正面(本堂)より見た茶室(三畳)

118-2-9.jpg
中庭

118-2-10.jpg
本堂への渡り廊下から見た中庭
左が茶室(三畳)、中央が五葉松、右が寺務所廊下

118-2-11.jpg
書院から望む庭園
砂庭とツツジの刈込

118-2-12.jpg
書院と庭園

118-2-13.jpg
書院から見た庭園
抹茶はここで。

118-2-17.jpg
お抹茶とお菓子
菓子は片桐家の家紋矢羽を模ったもの。横の妙齢の女子二人が「あー、飛行機だぁ」と仰ったのが印象的。

118-2-14.jpg
書院 十二畳

118-2-15.jpg
高林庵茶室

118-2-16.jpg
片桐家の家紋矢描かれた器具(提灯入れ)

118-2-18.jpg
慈光院説明書

118-2-19.jpg
慈光院御朱印

 慈光院のすぐ近くに片桐の表札と石州流の看板を挙げたお屋敷があったので、御住職に「藩主の末裔でしょうか?」と尋ねた処、どうもそうではない様子。

「茶道は元来、人との会話の席での手段の一つ、現在の様に流派を名乗り教えるものではない筈」

という御住職の言葉が耳に残りました。

仏教の宗派についても然りとのこと、要は原典に戻れという事ですかね。お茶なら「利休にたずねよ」でしょうか?

 床の間にてお茶の後は奈良市内に移動して「ことのまあかり」にて昼食。

蘇は初めてでしたがチーズのような触感で大宮人の原点に触れた気がします。

あまり高い注文はしませんでしたが少しはお店に【孝謙】できた気がします。

次に来る時は「天氷美人の橘三千代」をねラテいます。

118-2-0.jpg
慈光院の傍にある石州流看板のある片桐家

118-2-20.jpg
ことのまあかり」にて昼食
飛鳥ルビーと蜂蜜のコンビでホットケーキセット

118-2-21.jpg
古代人のグルメの蘇

118-2-22.jpg
大和郡山市マンホールカード    配布場所はこちら

118-2-23.jpg
大和郡山郵便局 ; 郡山城址、桜、特産・金魚、赤膚焼
大和郡山小泉郵便局 ; 重文・慈光院書院、庭園

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/15 16:16時点)



片桐石州の生涯―徳川四代将軍茶道師範

新品価格
¥2,571から
(2019/4/25 18:40時点)



中世の喫茶文化: 儀礼の茶から「茶の湯」へ (歴史文化ライブラリー)

新品価格
¥1,836から
(2019/4/25 19:36時点)



茶道の歴史 (講談社学術文庫)

新品価格
¥1,015から
(2019/4/25 19:36時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(2) | [EDIT]
タイトル画像

松尾寺(奈良県大和郡山市) 日本最古の厄除霊場の御朱印

2019.04.24(20:30) 243

怒った顔の大黒様(2016.5.1)

<コース>
JR大和小泉 → 徒歩40分 → 松尾寺

118-1-4.jpg
松尾山 又は補陀落山 松尾寺(真言宗醍醐派 別格本山)

 青葉薫る五月、JR大和小泉駅からひたすら西へ坂を上ること40分、北惣門から石段を煩悩の数だけ108段登ってようやく目指す本堂へ到着。

 松尾寺は松尾山中腹にある修験道の古刹。

山号は松尾山又は補陀落山とそのままで、その素朴さが由緒の古さを物語っているように感じます。

寺伝では、

『舎人親王が養老2年(718年)、自身の42歳の厄除と日本書紀編纂の完成を祈願して建立した。』

とあります。

舎人親王は天武天皇の皇子の一人。皇位には就けませんでしたが、日本書紀編纂の総裁として活躍し60余歳で没。

政治面でのマイナスを文化面の活躍で【そうさい】した立派な生涯だったと言えます。

寺伝は慶長年間の成立とされるので疑問も残りますが、『続日本紀』に名前が出る事、この付近から瓦や遺跡が出土する事から奈良時代まで遡るのは確かのようです。

以来、日本最古の厄除霊場が売り、書物編纂は御利益にはないようです。

 お寺の人に勧められるままにお金を払って七福神堂で大黒天立像を拝観。見ると十二神将のような黒い怒った顔の仏様が睨んで居られます。

和辻;「これが大黒様ですか?もっと優しい顔をしてはるのと違いますか?」

僧侶;「これは初期の大黒様でインドの武神マハーカーラの面影を写しています。」

大黒様がえびす顔をする必要はありませんが本家の憤怒顔が伝播途中で角が取れたとも思えます。

尚、大黒様は鎌倉時代の作で重文。但し、お寺のパンフには弘法大師作とあるので何か不思議な気もします。

 中世以降は興福寺一乗院の支配を受け、また法隆寺の別院とも呼ばれましたが、いまは真言宗。

醍醐三宝院を本山とする修験道当山派の拠点となったためでしょうが、

親寺の興福寺が 「年貢を今まで通り納めてくれたらそれで宜し!」 といったので真言宗に改宗したとはお寺の人の談。

なかなか鷹揚な話ですね。

118-1-2.jpg
北惣門
大和小泉方面からはこちら。一間の藥医門で本堂へは108の石段を上る。

118-1-1.jpg
本堂から見た景色
左から阿弥陀堂、三重塔、神霊石の大岩。

118-1-3.jpg
階段から見た本堂と奈良盆地
本堂は入母屋造、本瓦葺で中世真言宗本堂の典型とされる。

118-1-7.jpg
重文・本堂  本尊は千手千眼観世音菩薩。

118-1-5.jpg
神霊石の大岩
本堂背後の磐座で修験の山の様相を残す。

118-1-6.jpg
三重塔
後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩を祀る。正徳年間の再建か?

118-1-8.jpg
南惣門
法隆寺側からの参道に建ち本瓦葺総檜造りの四脚門。文久2年(1862年)興福寺一条院宮により造られた。

118-1-9.jpg
南惣門の浮彫彫刻 雷神

118-1-10.jpg
南惣門の浮彫彫刻 風神

118-1-11.jpg
大本山 松尾寺説明書

118-1-12.jpg
松尾寺御朱印

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/15 16:16時点)



奈良県謎解き散歩 (新人物文庫)



御朱印でめぐる関西の百寺 西国三十三所と古寺 (地球の歩き方 御朱印シリーズ 13)

新品価格
¥1,620から
(2019/4/24 20:29時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

橿原神宮(奈良県橿原市) 紀元二六七八年の記載のある御朱印

2019.02.11(14:08) 134

紀元節の起源説(2019.2.11)

<コース>
JR加茂(13:45) → JR奈良(14:00) → 徒歩15分 → 近鉄奈良(14:23) → 大和西大寺(14:29→14:35) → 近鉄橿原神宮前駅(15:13) → 徒歩5分 → 橿原神宮

73-3-1.jpg
橿原神宮(旧官幣大社)

 山城巡礼を昼過ぎに終えて奈良方面へ。

折角の建国記念日なので関西在住ながら今まで未訪だった橿原神宮へお参り。

 橿原神宮は皇室初代の神武天皇と皇后が祭神。皇室所縁の神社で格式も高い訳ですが創建は新しく明治二十三年(1890年)。

記紀に記載の神武天皇の宮があった畝傍橿原の地に陵墓を指定し、ここに神社を営んだとの事。

 紀元二千六百年もこの地で盛大に執り行われました。唯、考古学的には神武天皇陵とされる墳墓は時代が新しいとされており、

また神武天皇の実在についても疑問視する向きも多くあります。

 概して、戦前は皇国史観で記紀の記録は真実、戦後は唯物史観のため神話時代は全て虚構、これも時代の【畝傍】のようです。

確かに在位76年、崩御127歳と言うのは生物学的に見ても疑問ですが、全く何の関係もない人名や数字を記載したとも

思えません。

 古代中国王朝の殷・周でも史記に記載された系譜は疑問視されていましたが、

甲骨文字の出現で実在が確認された人物もいます。文献学的には既に限界ですが、

考古学的には今後資料が出現する可能性もありそうです。

 尚、建国記念日を二月十一日とする理由ですが、記紀にある辛酉一月一日を現在の暦に換算した日。

かつては紀元節(きげんせつ)と呼ばれていましたが、こちらの方が意味が分かり易いと思います。

 記紀の記載を信じる、建国記念を祝う、は個人の自由ではありましょうが、

少なくとも建国記念日の【磐余】くらいは知らないといけないと思った次第です。

73-3-2.jpg
大和棟の建物を模した近鉄橿原神宮前駅

73-3-3.jpg
参道の最初の鳥居

73-3-4.jpg
参道から本殿へ向かう

73-3-5.jpg
橿原神宮本殿    
祭神は神武天皇と皇后で明治期に創建。境内15万坪。

73-3-6.jpg
廻廊の灯     ¥100万円の寄進で1個。

73-3-7.jpg
境内にある「さざれ石」

 建国記念日ということで境内では記念揮毫が行われており、力強い筆遣いを間近で見て感激。

御朱印の墨書もこうあって欲しいと思いましたが、神社なので押印と日付のみ。

しかし禊をすませた気分になって夕方の会合に向かう事ができました。

73-3-8.jpg
境内での記念揮毫が開催
これは「以和為貴」で欧陽絢の書体

73-3-9.jpg
揮毫が終わり最後の仕上げ

73-3-10.jpg
終了の法螺貝の合図

73-3-11.jpg
完成図
「以和為貴」;欧陽絢書体
「掩八紘而為宇」;王義之行書体
「世界平和」;北魏の書体

73-3-12.jpg
橿原神宮御朱印   紀元が燦然と輝く。

73-3-13.jpg
隣の近鉄畝傍御陵前駅
こちらも大和棟の造り。畝傍御陵が神武天皇陵に当たる。

9-10.jpg
今井郵便局 ; 今西家、駒繋
畝傍郵便局 ; 橿原神宮、埴輪、畝傍山


[参考書]

奈良県の歴史散歩〈下〉奈良南部

新品価格
¥1,296から
(2019/8/23 07:06時点)



奈良県謎解き散歩 (新人物文庫)



神と仏の道をたどる 神仏霊場 巡拝の道 公式ガイドブック

新品価格
¥1,620から
(2019/8/23 07:10時点)



神と仏の道を歩く―神仏霊場巡拝の道公式ガイドブック (集英社新書 ビジュアル版 10V)

新品価格
¥1,440から
(2019/8/23 07:12時点)



神と仏の明治維新 (歴史新書)

新品価格
¥972から
(2019/8/23 07:12時点)



関西の神社をめぐる本 (エルマガMOOK)

新品価格
¥950から
(2019/2/11 14:15時点)



マンガでわかる日本の神様: 起源や個性を知って、もっとご利益を!

新品価格
¥1,404から
(2019/2/11 14:17時点)



神さまと繋がる神社仏閣めぐり - 神仏がくれるさりげないサイン

新品価格
¥1,728から
(2019/2/11 14:18時点)



一生に一度は参拝したい全国の神社めぐり

新品価格
¥745から
(2019/2/11 14:19時点)



愛と涙と勇気の神様ものがたり まんが古事記

新品価格
¥1,512から
(2019/2/11 14:20時点)


 

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

圓福寺(奈良県生駒市) 古街道沿いにある古刹

2018.11.26(18:31) 56

[圓福寺] ブログ村キーワード
皆道を往く(2015.11.22)

<コース>
近鉄一分駅 → 徒歩10分 → 往馬大社 → 竹林寺 → 圓福寺 → 徒歩70分 → 暗峠 → 徒歩50分 → 近鉄枚岡駅

35-13.jpg
龍華山圓福寺(真言律宗)

 霊山寺参拝の後は、行基さんの足跡を辿るコース。

往馬大社は458年の記述があるこの辺り屈指の古社。

現在は生駒と書きますが、昔の字を見ると、馬の往来が頻繁にあったのでしょうか?

35-14.jpg
往馬大社本殿   
延喜式にも見られる古社

 続く竹林寺は8世紀に行基が開き、行基の墓所がある由緒ある寺ですが、明治以降は廃寺同然となり現在も無住。

境内が整備されているのがせめてもの救いでした。

その後少し歩き生駒山中腹にあるのが圓福寺。

ここも行基が8世紀に開いた古刹ですが、度々火災に遭った為、本堂と庫裡を残すのみ。

現在、この辺りは人家も疎らですが、昔は主要道だったので兵火に見舞われたのでしょうか。

35-15.jpg
竹林寺   
行基が開祖で境内には彼の墓もあるが無住。

35-16.jpg
圓福寺境内の宝篋印塔   
鎌倉時代の作で重文

35-17.jpg
竹林寺同じく行基開祖の圓福寺   
本堂は鎌倉時代の再建で本尊十一面観音像は藤原時代の作。

35-18.jpg
圓福寺御朱印   
庭仕事中の住職夫人に書いて頂きました、感謝です。

 その後は山道を行き暗峠へ到着。平城京三条大路から難波を結ぶ最短ルートであった暗越奈良街道の峠です。

暗峠とは暗い名前ですが、樹木が鬱蒼と茂っていたのでそう呼ばれたと【鬱蒼】のような本当の話。

唯、私には峠を越える際に馬の鞍を借りたので 「鞍借り」 が訛ったと言う異説に惹かれます。

事実ここは直線で勾配がきつく石畳が50mに亘り敷かれている国内唯一の国道。

生駒の名前も馬ですから峠も馬に関わりがあると考える方が無理が少ない気がします。

 平城京の時代は奈良側から大阪に抜けるのが主流でしたが、平成の今は逆方向がメイン。

ハイキングコースなので人が多いと想像していましたが、意外に少ないのに驚き!

やっぱりランチやカフェが少ないのがネックなのかと考えた【信貴】です。

35-19.jpg
歩く事60分で到着の暗峠から見た大和側   
手前から生駒市、矢田丘陵、奈良盆地。黒い建物は山小舎カフェ「遊友由」

35-20.jpg
遊友由での一服

35-21.jpg
暗峠   
大和と難波を結ぶ最短の道で標高455m。手前の家のすぐ後ろが県境でよく写真に出て来る場所である。

35-22.jpg
暗峠の道標   
このすぐ後ろが奈良県側になる。

 13時過ぎの生駒越えは大阪側の坂には苦労しましたが最後は枚岡神社を通ってゴール。

急勾配の後には【紅梅】がお出迎え。暗を通り明るい内に無事に大阪側に到着できました。

35-23.jpg
大阪側の急な坂道を下る   
向こうに見えるのは東大阪市

35-24.jpg
街道沿いにある芭蕉の句碑   
・菊の香に 暗がり上る 節句かな  はせを
この句の後、御堂筋沿いで亡くなったので絶句ではないにせよ最晩年の作。

35-25.jpg
生駒郵便局 ; 生駒山上飛行塔、テレビ塔、桜   
南生駒郵便局 ; 暗峠の石畳、往馬大社、生駒山   

35-26.jpg
枚岡郵便局 ; 枚岡公園の桜、枚岡梅林、生駒山   
高山郵便局 ;茶筅と高山サイエンスプラザ

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/9/19 18:11時点)



暗越奈良街道ガイドブック2012

新品価格
¥1,543から
(2019/9/19 18:16時点)



暗越奈良街道を歩いた旅人たち (河内の街道を歩く4)

新品価格
¥1,080から
(2019/9/19 18:17時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

霊山寺(奈良県奈良市) バラと温泉がある古刹の御朱印

2018.11.26(09:04) 55

[霊山寺] ブログ村キーワード
地名も世につれ(2015.11.22)

<コース>
近鉄富雄駅 → 徒歩30分 → 霊山寺

35-1.jpg
登美山・鼻高山霊山寺(霊山寺真言宗大本山)

 帰阪した翌日、【南都】なく思い【立田】ので紅葉を見に出掛けました。

 登美山・鼻高山霊山寺(とみさん・びこうさんりょうせんじ) は奈良市西部の富雄にある古刹。

この辺りの地名は古事記では登美、日本書紀では鳥見と記載されており景色が美しく鳥の猟に適した場所だったと思われます。

35-2.jpg
富雄川に架かる霊山寺橋を渡った場所にて

35-3.jpg
正面入口にある朱塗の鳥居    
寺院であるがこれは信仰の中心となっている大弁財天堂への入口を示すもの。

 寺の由来には次のようになっています。

『小野妹子の息子の小野富人は壬申の乱で敗者側にあったため右大臣を辞職、この地に隠棲。

薬師如来を祀り、その地で薬草を栽培して薬湯を施した。そのため彼は登美仙人、鼻高仙人と呼ばれ尊敬を受けた。

その後、聖武天皇の皇女(後の孝謙女帝)の病がここに祈願して治癒した事から、聖武天皇の勅願を受け行基が創建。

来日した印度の高僧菩提僊那が故郷の霊鷲山に似ていることから霊山寺と名付け山号を賜った』

 端的に言えば政争に敗れ負け組になった人が、別の事業を興し成功したという事ですが、

どこまで真実を伝えているのでしょうか?

 小野妹子の遣隋使は607年、壬申の乱は672年ですから、年代的には長すぎる気はします。

それよりも小野富人と言う名は記録にはなく恐らく架空の人物。

鼻高仙人と呼ばれたという伝承から印度・波斯の出身で、医療に秀でた人が国際交流の先駆けの小野氏を使った

というのが、案外真相に近いのではないでしょうか。

 創建時の事は多分に伝説のベールに包まれていますが、平安末期には確実に存在したと考えられ、

その後戦乱に会う事が少なかったので昔日の面影を伝えています。

 現在ではバラ園・温泉・レストラン・ゴルフ練習場・宿坊と多角経営を展開。

寺院としては異色ですが、お寺の経営も厳しいと言われる昨今、生き残る術としては有効でしょう。

伝説の開祖の生き方を継承しているとも言えます。

現在の地名は富雄、近鉄沿線では高級住宅街として知られているので名も相応しくなったのでしょうかね。

35-4.jpg
薬師湯殿    
左手が食事処「仙人亭」で、向かいには宿坊がある。

35-5.jpg
薬師湯の説明書

35-6.jpg
宿坊へと続く階段   左;天龍閣、 右;聚楽殿

35-7.jpg
本山寺務所の一角にて   
御朱印はここで拝受

35-8.jpg
国宝霊山寺本堂   
鎌倉時代1283年建立、入母屋造り・本瓦葺き、本尊薬師三尊像(重文)は秘仏。

35-10.jpg
富雄川支流の湯殿川を渡った所にある三重塔(重文)   
高さ17m、檜皮葺き、谷を挟んで本堂の向かい側にある。

35-9.jpg
霊山寺境内の紅葉

35-11.jpg
霊山寺バラ庭園   
1957年に開設、世界のバラを集めていることで有名。今回は少し時期が外れた。

35-12.jpg
霊山寺御朱印

[参考書]

奈良県の歴史散歩〈上〉奈良北部

新品価格
¥1,296から
(2019/9/19 18:30時点)



神と仏の道をたどる 神仏霊場 巡拝の道 公式ガイドブック

新品価格
¥1,620から
(2019/9/19 18:31時点)



白洲正子 十一面観音の旅 奈良・大和路篇 (別冊太陽 太陽の地図帖 1)

中古価格
¥737から
(2019/9/19 18:33時点)



古寺巡礼奈良〈12〉霊山寺 (1979年)

中古価格
¥465から
(2019/9/19 18:32時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


奈良県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
奈良県
  1. 往馬大社(奈良県生駒市)(08/11)
  2. 白毫寺(奈良市) 高円山の麓の椿の寺(03/25)
  3. 帯解地蔵(奈良市) 安産祈願の寺(03/23)
  4. 大安寺(奈良市) 南都七大寺の一つ(03/22)
  5. コスモス寺(奈良県奈良市) コスモスと白鳳秘仏の御朱印と絶品牧場ソフト(10/17)
  6. 円成寺(奈良市忍辱山町) 若き運慶の大日如来のある御朱印(06/16)
  7. 芳徳寺(奈良市柳生町) 剣豪柳生一族菩提寺の御朱印(06/15)
  8. 璉珹寺(奈良県奈良市) 裸形阿弥陀仏の御朱印(05/07)
  9. 釜口大師長岳寺(奈良県天理市) ツツジの花に囲まれた寺の御朱印(05/07)
  10. 當麻寺 中之坊(奈良県葛城市)  中将姫の剃髪のお寺の御朱印(05/06)
  11. 當麻寺 護念院(奈良県葛城市)  中将姫の住んだ寺の御朱印(05/06)
  12. 當麻寺 西南院(奈良県葛城市)  牡丹の花のお寺の御朱印(05/06)
  13. 當麻寺 奥院(奈良県葛城市) 練供養と浄土庭園の御朱印(05/05)
  14. 當麻寺(奈良県葛城市) 天平・白鳳の古刹の御朱印(05/05)
  15. 石光寺染寺(奈良県葛城市)  中将姫所縁の牡丹のお寺の御朱印(05/04)
  16. 百済寺(奈良県北葛城郡広陵町) 奈良にあるかぐや姫伝説の里(05/04)
  17. 法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町) 世界最古の木造建築の御朱印(04/30)
  18. 金勝寺(奈良県生駒郡平群町) 竜田川沿いの行基の古刹の御朱印(04/30)
  19. 元山上千光寺(奈良県生駒郡平群町) 修験道の聖地の御朱印(04/29)
  20. 吉祥草寺(奈良県御所市) 役行者出生地に建つ寺の御朱印(04/29)
  21. 慈光院 (奈良県大和郡山市) 茶の湯の寺の御朱印(04/25)
  22. 松尾寺(奈良県大和郡山市) 日本最古の厄除霊場の御朱印(04/24)
  23. 橿原神宮(奈良県橿原市) 紀元二六七八年の記載のある御朱印(02/11)
  24. 圓福寺(奈良県生駒市) 古街道沿いにある古刹(11/26)
  25. 霊山寺(奈良県奈良市) バラと温泉がある古刹の御朱印(11/26)
次のページ
次のページ