fc2ブログ

中世荘園の様相 (岩波文庫 青N402-1)

新品価格
¥1,353から
(2024/2/10 08:50時点)

タイトル画像

名和神社 (鳥取県西伯郡大山町名和) <名和神社 其の弐>

2024.01.26(20:12) 1712

名和公の名は後世に(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50) → 大山口(11:20→11:50) → JR御来屋(11:56) → (徒歩15分) → 道の駅 大山恵みの里→ (徒歩10分) → 氏殿神社 → 長綱寺 → (徒歩10分) → 名和神社 → JR名和(14:14) → JR伯耆大山(14:28→14:37) → (伯備線) → JR江尾(15:16) → (徒歩15分) → 道の駅 奥大山

【復路】JR江尾(16:28) → (伯備線) → JR米子(17:00)

400-11-1.jpg
名和神社(別格官幣社 別表神社)
丁度、神社の方が掃除中。

 長綱寺から日本海に向かって歩くと大きな杜に囲まれた境内が。

これが付近でも指折りの大社である名和神社。桜の名所としても有名です。

 名和神社(なわじんじゃ)は、

『建武の忠臣・名和長年公を始め、一族42名を祀る神社。元弘3年(1333年)、

名和長年は隠岐の島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。

400-11-2.jpg
一の鳥居に続く注連縄を張った鳥居を抜けると神門

400-11-3.jpg
鳥居を過ぎた右手に建つのは神輿庫か?

400-11-4.jpg
正面から見た神門とその向こうに見える拝殿

 後醍醐天皇はこの年、鎌倉幕府を倒し天皇親政を復活。歴史に言う所の建武の中興である。

名和長年は伯耆守に叙せられ新政権で重用された。

同じく建武政権で重用された楠木正成、結城親光、千草忠顕と並んで 「三木一草」 と呼ばれた。

400-11-5.jpg
神門を見上げる

400-11-6.jpg
神門左に伸びる回廊

400-11-7.jpg
右手の回廊の奥には書院が建つ

400-11-8.jpg
書院玄関
立入禁止に加え人の気配もない。

400-11-9.jpg
玄関の唐破風の蟇股にも帆掛舟の彫刻が見える

 当社は明治16年(1883年)に旧社(現在の氏殿神社)をそのままに新たに建てられたもの。

現在の社殿は、建築界の重鎮伊東忠太の指導の下、明治神宮を造営した角南隆が手掛け

昭和10年(1935年)に完成した。神社の規模としては県内でも最大級の規模を誇る。

明治16年に初めて参道に桜が植えられ、桜の季節には多くの観光客で賑わう。

400-11-10.jpg
神門より拝殿を望む

400-11-11.jpg
拝殿前から神門を振り返る

400-11-12.jpg
神門下に置かれた縦長の駒札?

400-11-13.jpg
拝殿全景

400-11-14.jpg
外陣にて参拝

400-11-15.jpg
向拝下にて

 本殿から日本海を望むと、海を越えた一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。

また境内は名和長年が米蔵を造った場所で、合戦の折にはここを焼き払ったために、

神社の裏からは今でも焼き米が出土する。』 とあります。

400-11-16.jpg
愈々参拝

400-11-17.jpg
幣殿を経て奥の本殿へ繋がる

400-11-18.jpg
幕に描かれた帆掛舟

400-11-19.jpg
拝殿前にて御朱印無人販売

400-11-20.jpg
購入した書置き御朱印
置かれた筆ペンで参拝日を記入するセルフサーヴィス方式。

 由緒記にあるように、規模の割に創建は新しく明治時代になってから。

天皇家の忠臣であった名和氏の氏殿神社が余りにも小さかったので、

新たに大きな社を建てたのでしょう。

同じ南朝の忠臣でありながら湊川神社の楠木正成とは差があります。

400-11-21.jpg
左手より見た拝殿の奥行

400-11-22.jpg
これはヒマラヤスギ?
スギと言う名でもれっきとした松である。

400-11-23.jpg
木立の間に建つのは舞殿か?

 軍略・知略で幕府の大軍を翻弄した正成ですが、長年も近隣に聞こえた弓の名手。

また正成に比べ戦功がないように思われますが、隠岐を脱出した後醍醐天皇を擁して

船上山に立て籠もった功績もそれに劣らず。

特に未だ先行き不透明な段階で後醍醐天皇側に付いた事で天皇の信頼を得ています。

更に長年湊川の戦いで正成を始め一族の多くが討死し、後には嫡男の正行も四条畷の戦いで

若き命を散らせましたが、長年も尊氏軍と京で戦い討死、一族も多くが戦死しています。

400-11-24.jpg
参拝後はJR名和駅へ
鳥居の向こうに見えるのは日本海。

400-11-25.jpg
名和神社へ別れを告げる

400-11-26.jpg
山陰本線の踏切が
駅舎は直ぐ左手にある。

400-11-27.jpg
踏切を越えた場所に建つ社号標

 経歴を比較すると、両者の功績には殆ど差はなく、人間性も含めここまで知名度に差がついた理由は見当たりません。

強いて言えば、正成の出身地が都に近い河内であるのに対し、長年は遠く離れた伯耆の地であることでしょうか?

 長年も正成も物流を生業とした人物ですから、後醍醐天皇の先行きに暗雲が漂うのに気付いたのは確か。

それでも両者とも、船に歩掛けて逃げることなく最期まで付き随ったのが忠臣と呼ばれる所以でしょう。

400-11-28.jpg
後醍醐天皇が着かれたと伝わる海岸

400-11-29.jpg
遠くに島影が見える

400-11-30.jpg
岩の上で休むウミネコ

400-11-31.jpg
JR赤碕駅スタンプ (2006年JR西日本米子支社印)

400-11-32.jpg
御来屋郵便局 ; 隠岐島、御厨海岸、桜

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



北陸・山陰820駅 (JR・私鉄全線各駅停車)

中古価格
¥246から
(2024/1/13 20:01時点)



太平記の群像 南北朝を駆け抜けた人々 (角川ソフィア文庫)

新品価格
¥693から
(2024/1/24 22:41時点)



太平記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)

新品価格
¥1,100から
(2024/1/24 22:44時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村
スポンサーサイト




和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

長綱寺 (鳥取県西伯郡大山町名和)

2024.01.25(20:38) 1711

名和公菩提寺と一族の墓(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50) → 大山口(11:20→11:50) → JR御来屋(11:56) → (徒歩15分) → 道の駅 大山恵みの里→ (徒歩10分) → 氏殿神社 → 長綱寺 → (徒歩10分) → 名和神社 → JR名和(14:14) → JR伯耆大山(14:28→14:37) → (伯備線) → JR江尾(15:16) → (徒歩15分) → 道の駅 奥大山

【復路】JR江尾(16:28) → (伯備線) → JR米子(17:00)

400-10-1.jpg
万歳山 長綱寺(曹洞宗)

 氏殿神社を下って行くと道路沿いに寺の案内板が。ここが名和氏の菩提寺である長綱寺。

万歳山長綱寺(ばんざいさんちょうこうじ)は、

『元徳2年(年)2月、名和長高(後に長年と改称)に拠る開基。長高が父行高の還暦の祝いとして建てた庵を嚆矢とする。

山号を万歳と号し、寺名を長高と称した。天台宗に属し長高庵と呼ばれたが、建武の中興が頓挫し、

足利氏の天下になってからは長高の名を憚り長綱庵と改めるに至った。

400-10-2.jpg
道路脇の六地蔵と案内板

400-10-3.jpg
案内板の先に建つ本堂

 当寺の位置は万歳山中腹にあったが、火災に遭い堂宇悉く烏有に帰したので現在地に移転。

霊電長老に請いて中興第一世とし、同時に曹洞宗に改宗した。

本尊の弥陀三尊はかつて名和長年の念持仏であったと伝わる。

 加えて後醍醐天皇の尊牌を安置している。これは康永年間に児島高徳が名和長年を尋ね弔った後、

持参した元弘帝の御尊牌を長年の上位に置いた。

爾来、帝の御追福を祈り奉り、名和氏累代の冥福を修しに至った。

400-10-4.jpg
本堂の張り出した向拝

400-10-5.jpg
屋根の石州瓦?に刻まれた紋章
左から、桐(豊臣)、帆掛舟(名和)、笹竜胆(宗祖道元の久我家)

400-10-6.jpg
中央の紋は帆掛船

 当寺の紋章は帆掛舟であり、これは戦捷時に後醍醐天皇から名和氏に賜ったものである。

付近には名和氏の屋敷跡もあり、長年からは田畑・山林の寄進を受けている。

400-10-7.jpg
本堂内部の様子

400-10-8.jpg
内陣の欄間彫刻
左は飛天、右は久我家の家紋。

400-10-9.jpg
帆掛舟の彫刻

400-10-10.jpg
こちらも帆掛舟

 裏山に向かう途中には大きな岩があり、名和長年が後醍醐天皇を船上山に奉じた際に、

休息された岩と伝わる。元々、当地の南山中にあり、岩肌に大きな墨壺のある様子から

付近では「後醍醐天皇の硯岩」「弁慶の硯岩」と伝承されていた。

その岩もいつしか行方不明になったが、当寺十四世祥道和尚の夢枕に長年公が現れ、

「名和庄の大切な岩が、皆生方面で粗末に扱われている。直ちに探し出して持ち帰るように」

とのお告げがあった。その後、檀家有志が四方八方手を尽くし、今は境内に鎮座している。

400-10-11.jpg
本堂を抜け名和一族の墓所へ

400-10-12.jpg
本堂の奥に置かれた 「伝説の硯石」

 本堂後方の山頂には長年親子の廟塔を始め、名和一族郎党の墓碑300基が立ち、

建武の忠臣を偲ぶ縁となっている。』 とあります。

 由緒にあるように元は寺院ではなく名和長年の父親の隠居所。

山号は父の長寿を願っての命名、寺号は長年の旧名であることからもそれと知れます。

長年を長年と改名したのは「名が高いのは危ない」との後醍醐天皇の命だったと言いますが、

同じように足利高氏も尊氏と改名しているので、幕府の執権北条高時の諱を避けたのでしょう。

後醍醐天皇は余程、北条氏がお嫌いだった様です。

400-10-13.jpg
名和一族の墓所へと石段を上る

400-10-14.jpg
石段を上った先からは墓所が遠望できる

400-10-15.jpg
大山町指定文化財 「名和一族郎党の墓」

 当寺は元来、名和長年が父親の隠居所として建立しただけあって、小ぢんまりとした印象。

境内及び本堂内陣の参拝も自由でした。

屋根の瓦、本堂欄間には帆掛舟が描かれていますが、これは名和氏の家紋。

海上輸送で財を成した事に由来します。

境内の裏山には室町幕府と戦って討死した一族の墓が多数並びますが、

その辺りの事情は、同じ南朝の忠臣であった楠木正成と軌を一にします。

楠木氏の家紋も菊水で、川の水運などで勢力を得たとされます。

 名和長年や楠木正成は幕府の御家人等ではなく、その支配外にあった所謂 「悪党」 と呼ばれる人物。

このような人物が鎌倉末期には各地に登場しますが、これは社会が大きな変革期に差し掛かっていた証、

日本社会を大きく変える戦国時代の前哨戦であったと言えそうです。

400-10-16.jpg
近くで見る墓碑

400-10-17.jpg
この狭い場所に300基が並ぶ

400-10-18.jpg
墓所の端

400-10-19.jpg
墓所にある高台からの眺望

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



北陸・山陰820駅 (JR・私鉄全線各駅停車)

中古価格
¥246から
(2024/1/13 20:01時点)



太平記の群像 南北朝を駆け抜けた人々 (角川ソフィア文庫)

新品価格
¥693から
(2024/1/24 22:41時点)



太平記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)

新品価格
¥1,100から
(2024/1/24 22:44時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

氏殿神社 (鳥取県西伯郡大山町名和) <名和神社 其の壱>

2024.01.24(22:37) 1710

名和氏の縄張り(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50) → 大山口(11:20→11:50) → JR御来屋(11:56) → (徒歩10分) → 道の駅 大山恵みの里→ (徒歩10分) → 氏殿神社 → 長綱寺 → (徒歩10分) → 名和神社 → JR名和(14:14) → JR伯耆大山(14:28→14:37) → (伯備線) → JR江尾(15:16) → (徒歩15分) → 道の駅 奥大山

【復路】JR江尾(16:28) → (伯備線) → JR米子(17:00)

400-9-1.jpg
JR御来屋駅近くの案内板

 鳥鐵のために下車した御来屋駅から名和駅までは直線で1㎞程ですが、

名和長年所縁の寺社にお参りすべく南に大きく大回り。途中、道の駅があったので昼食。

但し、食堂は満席だったので、地元の 「さざえめし」 を購入してベンチでのランチとなりました。

これで¥500とは道の駅ならでは、まさに 「恵みの里」 を地で行く話です。

 道の駅から240号線に沿って南下すると名和地区。字の名前からして名和氏の本拠地、

というよりも地元の有力者が地名を氏にしたのでしょう。

400-9-2.jpg
案内板の近くには今では珍しい萱が

400-9-3.jpg
道の駅 大山恵みの里 で購入した 「さざえめし」 で昼食
これで¥500 とは

400-9-4.jpg
道の駅に設置された未知のマンホール

 更に進むと所縁の寺社、屋敷跡がある地域に至りますが、ふと見ると道の右手に氏殿神社の立札が。

『江戸初期の承応・明暦の頃、名和長年の名声を慕う地元民に拠って名和邸跡に小祠を建てたのが嚆矢。

 延宝5年(1677年)鳥取藩主となった池田光仲は長年を崇敬し、長年邸跡の東方の山王権現の社地に

新たに社殿を造営して遷座。山王権現を末社として氏殿神社とした。

名和神社の奥の宮という扱いで拝殿と本殿が、傍らには故伯耆守名和君碑が建つ。

400-9-5.jpg
道路脇に隠れるようにある神社入口

400-9-6.jpg
細道を進むと現れる石の鳥居

 正面の碑文は鳥取藩主池田慶徳の自筆になる。裏面の元禄3年(年)8月の碑陰記は水戸藩士

森尚謙の選並書になるが、これを安政5年(年)藩主池田慶徳の命を受けた正牆薫が建碑したものである。

 元禄3年の碑陰記は、水戸光圀に拠る湊川神社のものよりも2年古く、

南朝忠臣の顕彰碑文としてはわが国最古のものと言える。

碑は石質、外観共に堅密、潤沢、美麗な事で定評があり、現在大山町指定文化財になっている

400-9-7.jpg
非常に狭く樹木に遮られた境内

400-9-8.jpg
社殿脇に建つ 「故伯耆守名和君碑」

 また神社を下った場所の道路脇には巨大な岩が置かれ的石と名付けられている。

これは昔、名和公の一族が弓矢の修練に使用した的だと伝わる。

 船上山の合戦に少数の守勢で追手の大軍を打ち破り弓の名人と言われた名和長年は、

五人張りの強弓を引き、一矢で敵兵二人を射倒したという。名和公が武芸の修練に

大変力を入れていたことが伺える逸話である。』 とあります。

400-9-10.jpg
的石

 地元の有志の人々の手で建てられ、藩主が整備したとありますが、目を凝らさなければ

見過ごしてしまいそうな大きさで、藪の奥に人目を憚るように鎮座しています。

室町時代であれば将軍家への配慮も必要だったでしょうが、時は江戸時代。

何もここまで控え目にする事もなかった筈。色々と複雑な事情があったのでしょう。

壮麗な名和神社が建立されたのは明治になってからでした。

同じ南朝の忠臣ながら楠木正成と比べると、随分水をあけられた感があります。

400-9-9.jpg
神社奥に続く本殿

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



北陸・山陰820駅 (JR・私鉄全線各駅停車)

中古価格
¥246から
(2024/1/13 20:01時点)



太平記の群像 南北朝を駆け抜けた人々 (角川ソフィア文庫)

新品価格
¥693から
(2024/1/24 22:41時点)



太平記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)

新品価格
¥1,100から
(2024/1/24 22:44時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

道の駅奥大山 (鳥取県日野江府町大字佐川)

2024.01.23(20:39) 1709

鉄の駅から道の駅へ(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50) → 大山口(11:20→11:50) → JR御来屋(11:56) → (徒歩15分) → 道の駅 大山恵みの里 → (徒歩10分) → 長綱寺 → (徒歩10分) → 名和神社 → JR名和(14:14) → JR伯耆大山(14:28→14:37) → (伯備線) → JR江尾(15:16) → (徒歩15分) → 道の駅 奥大山

【復路】JR江尾(16:28) → (伯備線) → JR米子(17:00)

400-8-17.jpg
町名を冠しているとは思えないような簡素な作りのJR名和駅舎

 その後は、名和氏所縁の寺社を巡って隣の名和駅まで徒歩移動。

下りの列車まで2時間以上あった事が幸いしました。

JR名和駅は御来屋駅より10年遅い明治45年開業ですが、古風な造りでなく非常に簡素な造り。

名和神社へは南へ500m、利用者もそれなりに多いのに不思議ですが、

長く仮駅で戦後に駅に昇格した事も影響しているのでしょう。

400-8-18.jpg
線路一本、ホーム一面のみの名和駅

400-8-19.jpg
ホームからみた日本海
以前に見た出雲崎と異なり家の妻は道と直角。

 名和駅から列車に乗って伯耆大山で乗り換え伯備線の江尾(えび)駅で下車。

全線電化され幹線扱いの伯備線ですが、当駅は米子方面の伯耆溝口駅から9.2㎞の距離。

日野川沿いの山間の地という表現がしっくりきます。

「奥大山チロルの里」と銘打った日野郡江府町の中心で洋風の駅舎で、

オリジナル駅スタンプも設置されていました。

400-8-20.jpg
伯備線普通列車の車窓から見る大山

400-8-27.jpg
チロル風のJR江尾駅舎

400-8-28.jpg
JR江尾駅スタンプ
米子支社管内であるが、スタンプは米子支社仕様ではなくオリジナル版。

 駅を出て気が付くのがアニメ少女のポスター。案内所の方の話では、

地元の伝説に由来する「エビちゃん」というキャラクターなのだそう。

モデルの「エビちゃん」に掛けているのは明白ですが、彼女が新たな町興しの起爆剤になるかどうか?

400-8-29.jpg
駅前の案内所

400-8-30.jpg
案内者扉に貼られた 「エビちゃん」 ポスター

400-8-31.jpg
町の観光案内にも登場

 ここから北へ徒歩15分の「道の駅奥大山」で道の駅印と併せてMHCを入手。

品切れが心配でしたが何とかセーフ。綺麗なカラーマンホールも脇に展示されており、

この日の【有終の江尾】を飾ることが出来ました。

400-8-21.jpg
JR江尾駅からは日野川沿いを北上

400-8-22.jpg
道の駅 奥大山

400-8-24.jpg
道の駅に展示中の江府(こうふ)町マンホール蓋

400-8-26.jpg
江府町マンホールカード

 2006年にJR西日本管内の500余駅に駅スタンプが親切。収集には2年越しを要しました。

しかしその後は、経営の合理化に加えコロナ禍という事で駅の無人化、みどりの窓口閉鎖が相次ぎました。

中国地方でも岡山・広島両支社管内で顕著でしたが、米子支社となると元々無人駅が多かったせいか、

大きな影響はなかった様子。

400-8-23.jpg
この日、押印した道の駅印 2種

400-8-25.jpg
道の駅 大山恵みの里 に設置されていたカラーマンホール

 逆に無人駅に新たな駅印設置や駅記念証を¥300で販売するなど、ローカル線復興に力を入れていました。

但し、購入はJRの駅ではなく道の駅・観光案内所でした。

それはそれで有難いですが、肝心の列車本数が減っては元も子もありません。

「奥いずもおろち号」「芸備線」を廃線にするとかしないとか、前途は多難なようすでした。

かく言う私も夜行バスで移動したので、偉そうなことは言えませんが…。

400-8-32.jpg
鳥鐵 乗車記念 としてこの日訪れた四駅分を購入
価格は御朱印・鉄印と同じで各¥300。

400-8-33.jpg
夕食はJR米子駅にて海の幸ならぬ、何故か牛タン

400-8-34.jpg
〆は大山牛乳?のアイスで

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



北陸・山陰820駅 (JR・私鉄全線各駅停車)

中古価格
¥246から
(2024/1/13 20:01時点)



マンホールカード コレクション 1 第1弾~第4弾

新品価格
¥1,980から
(2024/1/23 20:42時点)



マンホールカード コレクション 2 第5弾~第8弾

新品価格
¥2,090から
(2024/1/23 20:42時点)



マンホールカード コレクション 3 第9弾〜第12弾 特別版

新品価格
¥2,200から
(2024/1/23 20:43時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

JR御来屋駅 鳥鐵の旅 (鳥取県西伯郡名和町)

2024.01.22(20:46) 1708

トリテツのトリセツ(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50) → 大山口(11:20→11:50) → JR御来屋(11:56)

400-8-1.jpg
米子駅で入手した「鳥鐵旅」 のパンフ類

 大山寺巡礼を駆け足で巡礼した後、10時50分のバスで大山口駅へ。このバスを逃すと次は15時20分までありません。

巡礼するには有り余る時間ですが、早朝に大山登山を開始して頂上まで登って下山すると丁度良い頃合。

その次は17~18時ですから、バスの時刻はあくまでも登山者を中心に組まれているのでしょう。

 今回は往復バスを利用しましたが、米子駅では「鳥鐵旅ノススメ」というパンフを配布中。

これが「撮り鉄」のパロディくらいは素人の私でも分かりましたが、そのパンフを手元に

午後は山陰本線・伯備線乗車がメイン。南朝の忠臣であった名和長年所縁の寺社を参拝する事に。

400-8-2.jpg
「鳥鐵ノススメ」 の冊子2種

400-8-3.jpg
JR米子駅で配布中の押印用台紙

 下車したのは御来屋駅。駅名こそ西隣の名和駅に持っていかれましたが、名和町の中心。

隠岐に流された後醍醐天皇を地元の豪族名和長年が迎えた場所で、着船所もこの付近にあったそう。

町の中心は南朝の忠臣の地でもある訳ですが、それよりも当駅を有名にしたのはその駅舎。

明治35年11月1日開業時の山陰最古の駅舎で国登録有形文化財となっています。

400-8-4.jpg
無人の改札口に掲げられた「山陰最古の駅舎」

400-8-5.jpg
のすたるじっく(郷愁)を感じる1番線ホーム

 防腐のため瀝青が塗られた黒光りする柱や壁は、駅舎に限らずかつては多くの建物で見られましたが、

今や絶滅危惧種。待合室は小荷物運賃表が掲げられ切符販売所も健在、今と違い黒の窓口でした。

 当駅はその数少ない歴史の生き証人と言えますが、意図して文化財として残そうとしたのではなく、

改築が後回しになって気が付くと文化財になっていたといった所でしょうか?

類例が地方のローカル線・3セクに集中しているというのもその裏付けと言えそうで、

門司港駅が重文に選ばれたのとは理由が異なります。

400-8-6.jpg
待合室にて

400-8-7.jpg
時代を感じさせる切符販売窓口

400-8-8.jpg
国宝級の小荷物運賃表

 その脇のガラス棚にはかつての鉄道グッズが展示中。往年の駅スタンプもありました。

かつては有人だった当駅も完全な無人駅となって久しいですが、

何と新規に駅スタンプが設置されたとの情報が。駅員に代わって駅印ができた事になります。

400-8-9.jpg
ガラス戸の内にはかつての鉄道グッズが陳列

400-8-10.jpg
御来屋駅の 「DISCOVER JAPAN} 印

400-8-11.jpg
今回、新規に設置されたJR御来屋駅スタンプ (JR西日本米子支社印仕様)

400-8-12.jpg
クリアに押印できたJR御来屋駅スタンプ

 無人駅なので管理はどうなっているのか不安でしたが、待合室に設置状態。

図柄は米子支社印と同じ様式でした。

乗降客が少ない上に押印に来る人が少ないからでしょうか、紛失することもなく押印も克明な状態。

無事クリアできたのは御来屋駅だった故かどうかは?ですが、未クリアにならずにホッとしました。

400-8-13.jpg
御来屋駅舎

400-8-14.jpg
駅舎玄関

400-8-15.jpg
玄関下からの眺め

400-8-16.jpg
駅に隣接した 「みくりや市」 は休業中?

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



北陸・山陰820駅 (JR・私鉄全線各駅停車)

中古価格
¥246から
(2024/1/13 20:01時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大山寺 圓流院 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の伍>

2024.01.21(20:06) 1707

「拝観はイカン!」にゲゲゲの偈(2023.11.3)

【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂・圓流院 → 大山寺バス停(10:50)

400-7-24.jpg
角磐山 大山寺塔頭 圓流院(天台宗 別格本山 中国観音霊場第二十九番札所)

 参拝後、来た道を引き返すと途中には塔頭である圓流院が。

座禅や写経、写佛ができる体験スポットとして知られますが、

何と言っても天井に描かれた水木しげる氏の108枚の妖怪画が有名。

400-7-25.jpg
奥の阿弥陀堂か参道を下り圓流院へ

400-7-26.jpg
案内板

 明治以降衰退の一途であった当寺の復興のために住職が同県出身の水木しげる氏にお願いした所、

快く譲って頂いた妖怪の原画だそう。

以前に放映されたテレビでは、拝観者が本堂の床に寝転んで見る姿が放映されていました。

400-7-27.jpg
境内の様子

400-7-28.jpg
石仏と石碑

400-7-29.jpg
トーテムポールを彷彿とさせる石柱

 こんな見方をするのは信州小布施の岩松院以来ですが、いざ来て見ると

「現在一般公開はしていません」 との無情の貼紙が。

寺の復興が一段落したためとの説明でしたが、せめて阿弥陀堂の御開帳の日だけでも

見る事はできないものでしょうか?

尤も、お寺の経営には他人が【容喙】すべき事ではありませんが…。

400-7-30.jpg
圓流寺本堂

400-7-31.jpg
ガラス張りの本堂入口へ向かう

400-7-33.jpg
【レ・ミゼラブル】な貼紙

400-7-32.jpg
ガラス越しに御本尊は拝観できたが天井画は見えず

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大山寺 阿弥陀堂 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の肆>

2024.01.20(19:27) 1706

山内の堂々巡り(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50)

400-7-1.jpg
角磐山 大山寺(天台宗 別格本山 中国観音霊場第二十九番札所)  重文・阿弥陀堂

 修復中ではあるものの大神山神社奥宮の参拝を終えて山内の参拝は一通り終了ですが、

あと一つ是非とも見ておくべきは大山寺阿弥陀堂。

意外ですが、神社を除く大山寺建造物で唯一の重要文化財でもあります。

400-7-2.jpg
佐陀川に架かる大山寺橋を渡る 「下ワタリ」 の道

400-7-3.jpg
橋の手前の 「モンベル大山」 前にあるマンホール蓋

 地図を見ると大山寺本堂から阿弥陀堂至る「上ワタリ」という道があるようですが、

住職の話では崩落のため不可。大山寺参道市場まで下って佐陀川に架かる大山寺橋を渡るという

「下ワタリ」という大回りルートを採る羽目に。

それだけかつての寺域が広かった証拠ですが、ここにきて8時過ぎに着いたのが活きました。

400-7-4.jpg
大山橋の上から見た佐陀川

400-7-5.jpg
橋を渡って夏山登山口へ

400-7-6.jpg
塔頭の続く参道の奥に目指すお堂が

 大山寺阿弥陀堂は、

『この建物はもと常行三昧堂という 「引声阿弥陀経」 修礼の道場として平安時代初期に建立された

二十四間四面の巨大な御堂であったが、享禄2年(1529年)の大洪水で流出。

その後、敷地造成し流出した残木を利用して天文21年(1552年)に再建されたのが

今に残る五間四面の阿弥陀堂である。

400-7-7.jpg
木立と石段を上った先に建つ重文・阿弥陀堂

400-7-8.jpg
正面から見た阿弥陀堂

 大山寺旧境内で現存最古の建造物で重要文化財。組物や柱など主な部分は鎌倉時代、

三斗組・九柱・間斗束等は弘安頃のものと推定され風格に富んでいる。

400-7-9.jpg
阿弥陀堂全景

400-7-11.jpg
大山郵便局 ; 大山の雄姿、重文・阿弥陀堂

 堂内に安置されている丈六の木造阿弥陀如来は天承元年(1131年)大仏師良圓の作で、

両脇には観音・勢至の両菩薩を安置。本尊・脇侍共に重要文化財に指定されている。

彫刻史上極めて価値が高い優雅な仏像である。

普段は非公開であるが、毎月18日の御開帳には拝観が可能である。』 とあります。

400-7-10.jpg
阿弥陀堂正面の向拝と檜皮葺屋根

400-7-12.jpg
向拝下にて
登山口は一筋向こう側に。

400-7-13.jpg
垂木と花頭窓

400-7-14.jpg
阿弥陀堂側面の様子

400-7-15.jpg
屋根の垂木、肘木等の組物

400-7-16.jpg
本尊・木造阿弥陀如来坐像  (境内のパネルに掲示)

 阿弥陀堂に向かって左手には三基の墓碑があり、手前には殿様墓と札が。

一体誰なのか、解説が無いので分かりませんでした。

また右手には、約800年前の承安の頃、密教の戒律を伝えたという基好上人の墓も。

初めて聞く名前でしたが、臨済宗の宗祖・栄西も師事した高僧だそう。

出藍の誉れの典型か、はたまた私が不勉強なだけなのかは分かりません。

その奥には、「西明院谷派(さいみょうんたには)住職の基地」 と書かれた

札の向こうに歴代住職の墓が、静かな眠りについていました。

400-7-18.jpg
阿弥陀堂の左手には殿様墓が建つ

400-7-17.jpg
「殿様墓」 の前にて

400-7-19.jpg
右手に建つ基好上人の墓

400-7-20.jpg
墓石の台座部分には 「基好上人」 と刻まれている

400-7-21.jpg
上人の墓の奥には歴代住職の墓が並ぶ

 阿弥陀堂の建つ場所は本堂や奥宮と異なり平地としては狭い場所で、

大山寺本堂や奥宮に比べ訪れる人は稀でした。前二者が大山登山道の通り道にあるのに対し、

後者では登山道が一筋東に走っている事も理由としては大きいと思えます。

拝観日であればまた違った可能性もありますが、かつては大山自体が御神体であったように、

参拝者も大山登山がメインという事でしょう。

400-7-22.jpg
上人の墓前から境内を見る

400-7-23.jpg
上って来た石段

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大神山神社奥宮 下山神社 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大神山神社 其の弐>

2024.01.19(20:20) 1705

上に建っても下山社(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50)

400-6-1.jpg
大神山神社奥宮 末社(旧国幣小社 延喜式内社 出雲國神仏霊場第九番)

 山道を15分登って辿り着いた奥宮は修復中、御朱印も10時以降と肩透かしを食らった感がありますが、

流石にそのまま帰る訳にはいきません。

何か在る筈、と目を凝らすと、境内奥に末社があって奥宮と同じ重要文化財。しかも現在、

奥宮の御祭神もこちらに遷座中。大きさは段違いですが社の尊さは規模だけではありません。

400-6-2.jpg
正面より見た重文・下山神社

 下山(しもやま)神社は、

『大神山神社奥宮の末社で、下山大明神として備中浅口郡江原荘の郡司渡邊源五照政の霊を祀る。

備中郡司渡邊日向守一子照政は大智明大権現に毎月欠かさず参詣する尊信し、

数十年度一度も怠った事がなかった。

彼は元徳2年(1330年)参拝の帰路、同国の鈴木某と争って不慮の死を遂げた。

これを哀れんだ寺僧に拠って大山下山の地に葬られ、子祠を建て下山善神 (下山神社) と呼んだ。

400-6-3.jpg
八棟造りの屋根が美しい末社 下山神社

400-6-4.jpg
奥に連なるのが本殿

 その後、塚頭に白狐が棲息、使いとなって

「将来鎮主の末域に連なり永くその守護神となり衆生利益、併せて一山の衆徒を擁護せん」

と伝えたので、利寿権現社の傍にあった「下山善神」は、

文和元年(1352年)に現在の位置に移動して祠を建立した。すると再び

「大権現の右側五尺計りを掘り下げ社を建てよ」

との託宣があり、土を掘り起こすと銅像の十一面観音が出現したと言われる。

400-6-5.jpg
正面の向拝は唐破風と千鳥破風を組合わせた造り

400-6-6.jpg
垂れ幕に描かれた四ツ目紋

 神仏分離令に拠って仏像は大山寺に伝えられ現在は観音堂の御本尊となっている。

当社は多くの戦国大名にも信仰されたが、現在の社殿は代々の信仰が篤かった石州津和野藩主

亀井隠岐守矩賢が文化2年(1805年)に再建、国の重要文化財になっている。

400-6-7.jpg
向拝欄間の龍の彫刻

400-6-8.jpg
こちらは獅子か?

 下山神社は奥宮社殿と同時期の建築で、奥宮社殿と同様、本殿と幣・拝殿が一体化した複合社殿で、

現在の奥宮社殿よりも古い形式を留めていると考えられている。

幣殿の天井に草花の絵を描く他は素木のままとし、本社社殿と差異を見せている。

亀井家の家紋が施された権現造りの社殿は複雑な屋根構造を持ち、華麗で美しい造りを誇っている。』

とあります。

400-6-9.jpg
奥宮と下山神社の間に建つ弁財天社
奥に見えるのが奥宮本殿。

 当社の御祭神は、よく知られた神ではなく、ここを篤く崇敬しながら非業の死を遂げた郡司。

歴史の本に登場するような著名人ではなく武勇伝もなさそうですが、

只管当社を崇敬していたという点が評価されたのでしょう。本当に御利益があれば、

非業の死を遂げる事はない筈ですが、そのような解釈はされません。

恨みを飲んで亡くなった人の霊を神として祀る、なんだか菅原道真と似た話ですが、

恨みの持つ大きな力を利用するという逆転の発想と言えそうです。

400-6-10.jpg
正面より見た弁財天社

400-6-11.jpg
弁財天社内部

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



日本の神社 64号 (宇倍神社・大神山神社・倭文神社) [分冊百科]

新品価格
¥880から
(2024/1/19 20:21時点)



鳥取県神社誌: 昭和10年刊 (昔の神社史)

新品価格
¥540から
(2024/1/19 20:22時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大神山神社奥宮 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大神山神社 其の壱>

2024.01.18(20:22) 1704

寺から神社へ(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 石畳の参道(徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → 下山神社 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50)

400-5-1.jpg
大神山神社奥宮(旧国幣小社 延喜式内社 出雲國神仏霊場第九番)  神門

 🎵行けど切ない石畳♪を抜けると愈々かつての本社のあった大神山神社奥宮(おおがみやまじんじゃおくのみや)。

大神山とは大山の古称で『出雲国風土記』に登場します。中国地方の最高峰で優美な山容を持つ大山は、

古代から山そのものを御神体として崇めたと思われます。このような事は各地に見られ、

大和の大神(おおみわ)神社も三輪山が御神体、読み方こそ違え社名の字も共通になっています。

400-5-2.jpg
参道から神門を仰ぐ
壮麗な神門は元、本坊西楽院の表門。

400-5-3.jpg
神門下からの眺め
階段先の奥宮は残念ながら改修中。

 元来、建物のなかった場所に社殿が出来たのは平安以降。御祭神の大己貴(おおなむち)命に

地蔵菩薩を祀って「大智明権現」の名で神職と僧侶が神仏共に崇めるようになったとか。

『神門は元々、大山寺本坊西楽院の表門であったが、神仏分離令以降の明治8年(1875年)、

寺から神社にそのままの向きで移築された。

そのため扉が開かないようにする閂(かんぬき)が内側ではなく、外側に付いている。

そのため、逆門・後向き門とも呼ばれる。

400-5-4.jpg
奥宮側から見た神門
神門全景が見えるのはこの位置のみ。

400-5-5.jpg
神門の唐破風の彫刻

 この奥宮は標高千m近い高地で、冬は数mの積雪に見舞われるため、

数㎞下がった大神谷に社を建てて冬宮と称し、本来の大山の社は夏宮とした。

その後、三度場所を移して承応2年(1653年)に尾高の地に冬宮を遷宮したのが

現在の大神山神社本社である。

400-5-6.jpg
神門の先に鎮座する阿吽の狛犬
こちらは左手の吽像。

400-5-7.jpg
右手の阿像

 当社は古代、中世に修験霊場として栄えた大山寺の大智明権現社として大山信仰の中心であったが、

明治の神仏分離に拠り大神山奥宮となった。

当地がかつて大山寺の諸堂・諸院が立ち並んでいた地域の最奥に当たっていた事に由来する。

400-5-8.jpg
神門と狛犬に別れを告げて改修中の奥宮へ

 奥宮社殿は寛政8年(1796年)に火災で焼失、文化2年(1805年)に建てられた現在の社殿は、

京都と地元の二人の大工棟梁に拠って建てられ、同じ幅の拝殿・幣殿・本殿に

T字形の翼廊が付くという独特の形をしている。

400-5-9.jpg
改修中の奥宮だが参拝は可能
但し社殿内は撮影禁止。

400-5-10.jpg
本来の奥宮の姿をパネルで展示

 本殿内部は素木であるが、本殿正面の向拝や幣殿内部の天井は漆や金箔、花鳥画で飾られている。

内部は権現造りで、柱・長押には金箔に似せた白檀塗という特殊な技法で彩られ、

側面には天女の壁画、格天井と234枚の天井画が一層華やかさを際立たせる。

400-5-11.jpg
拝殿の右手に張り出したこの建物が翼廊か?

400-5-12.jpg
翼廊の廊下と壁面

 幣殿を飾る白檀塗は厳かな美しさをたたえ、西日本最大級の神輿等見所も多く、

社殿は全国最大級の権現造りで国指定重要文化財となっている。

奥宮は境内の環境も良く、社殿は規模壮大な複合社殿で、意匠・技法も優れた

江戸時代後期を代表する神社建築であり、末社と併せて価値が高い。』 とあります。

400-5-13.jpg
後方より見た翼廊

400-5-14.jpg
拝殿の後方に鎮座する本殿

 石畳に続く神門は立派な造りでしたが、かつての本坊を移築したと知り納得。

但し、逆門というのは後で解説を読んで初めて知りました。

別段不思議には感じませんでしたが、何故、そんな造りにしたのか?

まさか奥宮の神主に遠慮して【かんぬき】を外向きにしたとは思えませんが…。

400-5-15.jpg
拝殿前から上って来た石段を見下ろす

400-5-16.jpg
拝殿向拝の破風の龍の彫刻と神紋の描かれた幕

 重文の社殿は西日本最大の権現造りで大いに期待しましたが、何と修理のため

令和6年9月まで覆いを被った状態。思わず【おいおい】と言いたくなりました。

修理中でも参拝はできましたが、拝殿内は撮影禁止。

それは別段構いませんが、寺務所が開くのは10時過ぎ。

高地のため早起きが苦手なのでしょうが、それまでは照明もなく薄暗い内部のため

天井画などは良く見えませんでした。

400-5-17.jpg
境内のナナカマドの実

400-5-18.jpg
奥宮の奥には大山山上への登山道が3㎞
こちらに行く人が多い。

 勿論御朱印も拝受できず。駅に戻るバスは10時50分で、ここから徒歩15分。

それを逃すと15時までないので、今回は後ろ髪を曳かれる思いで奥宮を後にしました。

【おくみや】でなく【おくやみ】になった訳ですが、書置きを【置くの宮】などの対処はできないものでしょうか?

いくら大山とは言え【ほうき】には惜しい社でした。

400-5-19.jpg
観光案内所で頂いた大神山神社パンフ

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



日本の神社 64号 (宇倍神社・大神山神社・倭文神社) [分冊百科]

新品価格
¥880から
(2024/1/19 20:21時点)



鳥取県神社誌: 昭和10年刊 (昔の神社史)

新品価格
¥540から
(2024/1/19 20:22時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

石畳の参道 (鳥取県西伯郡大山町大山)

2024.01.17(20:32) 1703

石に敷かれて大山寺(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → 日本一長い石畳の参道 (徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50)

400-4-1.jpg
日本一長い 石畳の参道

 大山寺本堂に続いてはかつての本坊、現在は奥宮となっている大神山神社へ。

本堂脇を抜けると参道へ出ますが、仁王門前の左に石造りの鳥居があったので、

あらためてそこから正式に参拝。

400-4-2.jpg
大山寺本堂脇から奥宮への近道はこちらに

400-4-5.jpg
正式には大山寺仁王門を右手に見る参道から往く

『鳥居は石造明神鳥居と呼ばれ国の重要文化財。「大神山神社奥宮」の扁額が架かる。

参道を進むと右手に源平合戦の佐々木高綱の等身地蔵、

志賀直哉の『暗夜行路』ゆかりの地の石碑が建つ。

400-4-3.jpg
参道の入口には重文・石造神明鳥居が建つ

400-4-4.jpg
鳥居に掲げられた年代を感じる 「扁額」

400-4-6.jpg
鳥居を過ぎて直ぐ右手には地蔵・不動明王等の石仏群が並ぶ

400-4-7.jpg
『暗夜行路』 所縁の石碑

 更に進むと杉の巨木の先に小さな反り橋があり、無明の橋と呼ばれる。

これは橋の裏に金剛経が刻まれており、橋を渡ると一切の罪障が消滅することからの命名である。

400-4-8.jpg
杉の根元に小さく 「無明の橋」 が見える

400-4-9.jpg
参道脇の句碑
説明がないので分からないが、自由律俳句の尾崎放哉か?

400-4-10.jpg
「無明の橋」 近影

400-4-11.jpg
橋を渡ると更に参道が続く

 更に大神山神社へは約700mに亘って自然石を敷き詰めた参道が続くが、

これは日本一長い石畳の参道とされる。

両側には杉木立が迫り、その奥には中門院派の僧坊跡が埋もれて居り、

江戸中期の「吉持地蔵」や博労座より移築された銅鳥居など、往時を偲ぶことが出来る。

400-4-12.jpg
参拝者或いは登山者の背中を見ながら石畳を往く

400-4-13.jpg
重文・銅の鳥居が見えると奥宮ももうすぐ

400-4-14.jpg
先ずは御神水で身を清めてから参拝

400-4-15.jpg
御祭神等を記した札

 やがて奥宮神門が近付くと左手に 「本坊西楽院跡」 と書かれた平地が現れるが、

この場所に立っていた西楽院が慶長10年頃より大山寺本坊となり、

以降一山及び領民支配の政庁であり御殿とも呼ばれた。

間口24間にも及び、御成門・出家門・武家門の三門を有する壮大な建造物であったが、

明治8年(1875年)9月30日の大山寺寺号廃絶に拠り建物の維持不能となり四散。

正門のみが奥宮神門となって今に至る。

400-4-16.jpg
石段の先に僅かに見える神門と左手にある本坊跡

400-4-17.jpg
本坊西楽院跡

400-4-18.jpg
本坊跡から銅鳥居を振り返る

 奥宮神門の手前、右側には旧参道が続く。そこを下った場所には佐陀川沿いに大岩が並び金門と呼ばれ、

修験者は「金門」の扁額が掲げられたこの場所から大山本社へ参詣する慣わしであった。

金門の先(南側)は「賽の河原」として信仰された。

400-4-19.jpg
石畳の参道には旧参道も合流

400-4-20.jpg
旧参道を下って行くと 「賽の河原」

 大智明大権現の殿堂を造営する際、大磐石が道に屹立し通行を妨げていた。

僧徒達はこれを取り除こうとしたが、難工事のため途方に暮れていると二羽の烏が飛来して手伝った。

この工事中の孝元天皇52年、金剛鳥が天から飛び来たり

・大仙多宝佛 開輪御金門 應化身垂迹 釈迦両足尊

との偈(げ)を説いたので程なくして竣工した。大山及び金門の名はここより始まったとされる。』

とあります。

400-4-21.jpg
この辺りが金門か?

400-4-22.jpg
石畳の参道とほぼ並行して流れる佐陀川

400-4-23.jpg
川の両側に聳える巨岩

 奥宮まで徒歩15分とあったのである程度覚悟はしていましたが、いざ歩き出すと目的地が見えない上に、

敷き詰めた石の起伏が結構大きく想像以上に疲れました。旧参道はそれこそ山道なので、

石畳参道の方が歩くには向いていますが、何故こんな造りになったのか?

 説明書等を見ると牛馬市の盛んな頃に本社大智明権現社と本坊の西楽院へ向かう道として整備されたそう。

という事は人間よりも牛馬への配慮がこのような道を生んだのかもしれません。

これを牛歩戦術と言うかどうかは定かではありませんが…。

400-4-24.jpg
賽の河原に鎮座するお地蔵様

400-4-25.jpg
大山自然歴史館に展示された 「烏天狗」像

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大山寺 本堂 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の参>

2024.01.16(20:44) 1702

僧坊の興亡(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → (徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50)

400-3-1.jpg
角磐山 大山寺(天台宗 別格本山 中国観音霊場第二十九番札所)

 観音堂で入山料を払い中国巡礼の御朱印を拝受した後は、階段を上って御本尊の祀られている本堂へ。

階段の右手には宝形のお堂が建ちますが、これは護摩堂。

天台密教に拠る護摩供を行う御堂で不動明王が御本尊。

8時過ぎには未だ扉が閉まっていましたが、9時以降は御開帳され御姿を拝むことができました。

その際、お寺の方が 「開け護摩!」 と言ったかどうかは定かではありませんが…

更に階段を上りきった先の平地に建つのが本尊地蔵菩薩を祀る本堂。

400-3-2.jpg
本堂へは観音堂から更に石段を上る
右手に見えるのは護摩堂。

400-3-3.jpg
護摩堂も朝8時には未だ閉まっている

『大山は平安時代末頃には「修験の場」「四方の霊験所」の一つとして知られ、

地蔵信仰の名声は都まで届き、僧兵3千人を擁する勢力として知られた。

天承元年(1131年)制作の丈六の阿弥陀三尊像はその当時の隆盛を物語っている。

400-3-4.jpg
護摩堂が開くのも9時過ぎ

400-3-5.jpg
護摩堂の本尊の不動明王

 中世には盛えた大山寺も承安元年(1171年)には大火災に見舞われ、本尊を始め諸堂悉く焼失した。

その頃、近隣の長者原に一大勢力を持っていた紀成盛(きのなりもり)に拠って御堂が再建され、

金銅の地蔵菩薩像及び鉄製厨子(重文)が奉納され再興を果たした。鉄製厨子の銘板には

再建事業の最高責任者として大山寺最高位にあった基好(きこう)上人の名が刻まれている。

400-3-7.jpg
石段を上った先に建つ本堂

400-3-6.jpg
上って来た階段

 元弘の変では船上山に名和長年が後醍醐天皇を奉ずると、当山の別当職にあった長年の弟

信濃坊源盛は一山の僧兵を引き連れ兄を助けた史実も残る。

室町時代には多くの僧兵を擁し、比叡山・吉野山・高野山に劣らない程の隆盛を極めた。

大山寺は朝廷や幕府・守護・国人領主層、後には守護大名や戦国大名などから庇護を受け、

中国地方を代表する大寺院へ発展。

最盛期には6万石を領し僧坊数は160坊とも14世紀に250坊あったとも伝わる。

400-3-8.jpg
鐘楼堂に吊るされた開運鐘

400-3-9.jpg
開運鐘近影

 戦国時代には戦乱の影響もあり寺院も衰退、近世初期の検地で領地の多くを失い寺領も縮小した。

近世初期には53坊あったものが42坊に減少している。

しかし慶長年間に当寺の座主となった豪円僧正は内に山の法規を定め、

山内の三塔に支院42坊を以て寺運の挽回を計画。幕府に請って三千石の寺領を得る事に成功。

本坊西楽院に拠る一山管理と領民支配が行われた。

400-3-10.jpg
御開帳前の大山寺本堂

400-3-11.jpg
本堂側面

 最高位の大山座主(学頭)となる西楽院主は比叡山の天台座主が兼帯し、

その支配は後に東叡山寛永寺、近江坂本の滋賀院へと移る。

次いで寛永7年(年)から代々皇族が座主に就かれるようになり法幢再び輝くに至った。

僧坊数の減少に伴い、僧坊は主要な参道や堂社の周辺に再配置されたと考えられ、

廃坊となった跡地は時代と共に山林の中に埋もれていった。

現在でも寂静山(じゃくじょうざん)の尾根伝いには40ヵ所以上の僧坊跡が見られる。

400-3-12.jpg
本堂の向拝下にて

400-3-13.jpg
蟇股の鳳凰と梵字の彫刻

 明治初年(1868年)の神仏分離令に拠って事態は一変。当時の座主であった白川能久親王の努力も空しく、

開山以来1200年御本尊を祀った本殿は明治8年に神社に引き渡し、御本尊は大日堂に移すに至った。

寺号も廃絶し、大山寺一帯は急激に頽廃した。

 後に寺号は復興したがそれも束の間、昭和3年(1928年)再び火災に遭い仮本堂は焼失。

以来20年の歳月を経て昭和26年(1951年)に漸く現在の本堂の落慶法要を見るに至った。

400-3-14.jpg
本堂前ではお賓頭盧さまがお出迎え

400-3-15.jpg
9時過ぎには本堂も御開帳

400-3-16.jpg
本堂の御本尊は地蔵菩薩

 昔日の盛観を見る事は出来ないが、現在も尚三堂宇に十ヵ寺の子院を有し、

重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を始め貴重な文化遺産も数多く残され、

山陰の名刹として、天台の鎮護国家の霊場として、更には中国地方一円の人々から

御先祖様に会える寺、人間再生の寺として崇敬を集めている。』 とあります。

400-3-17.jpg
本堂宝形屋根の水煙?

400-3-18.jpg
向拝の唐破風

 先にお参りした観音様もそうですが、ここの御本尊も負けず劣らず波乱万丈。

火災で焼失、再建、戦乱と数々の苦難の後に待っていたのが神仏分離令。

新たに本堂を造る余裕などなく、取り敢えず御本尊だけでも山内の御堂に移すことが出来、

事なきを得た様です。

元々本堂ではなかった大日堂ですが、御本尊が移ったことで本堂に格上げ。

大山寺の境内が広大で、御堂が点在していたのが幸いしたのでしょう。

現在の様子を見ると、仮に移って来たとは全く感じられず、山の中腹に堂々と鎮座されていました。

400-3-19.jpg
本堂のある高台から下山観音堂を見下ろす

400-3-20.jpg
宝篋印塔と宝牛
左の道を行くと阿弥陀堂へ至る筈だが、崩落しているため断念。

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大山寺 下山観音堂 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の弐>

2024.01.15(20:43) 1701

遅れて来た観音様(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り(徒歩10分) → 大山寺観音堂 → 大山寺本堂 → (徒歩15分) → 大神山神社奥宮 → (徒歩30分) → 阿弥陀堂 → 大山寺バス停(10:50)

400-2-1.jpg
角磐山 大山寺(天台宗 別格本山 中国観音霊場第二十九番札所)

 参道を上ると正面に寺院の仁王門、左手に神社の石鳥居が。

かつての神仏習合を髣髴とさせますが、先ずは中国観音霊場から参拝。

仁王門を上って直ぐ左手に寺務所と思しき建物が建ちますが、ここが札所の観音堂。

御朱印もこちらですが未だ閉っていました。

不在時のために書置きは用意してありましたが、登山を兼ねた参拝者への配慮でしょう。

折角なので開く時間まで境内散策、

9時過ぎに戻ると予想通り開いており、拝観料¥300を払って無事に御朱印も拝受。

拝観料とありますが、大山登山の入山料も兼ねているようで、皆さん支払いを済ませて登山道へ向かいます。

不謹慎ですが、お参りはそのついでのようにも見えます。

400-2-2.jpg
石段正面から見上げた仁王門

400-2-3.jpg
仁王門に掲げられた 「角磐山」 の扁額

 角磐山大山寺(かくばんざんだいせんじ)は、『大山寺縁起』に拠れば

『養老2年(718年)、出雲玉造の長者依道(よりみち又は俊方)に拠って開山。

或る日金色の狼を追って大山に分け入った依道は一矢にて射殺そうとしたが、

俄かに矢の前面に地蔵菩薩が出現。信心の心が起こった弓矢を捨てると、

狼は老尼に姿を変え依道に殺生の罪深さを説いた。

依道は速やかに出家して金蓮と名乗り、かの地蔵菩薩を祀る庵を建てたのが嚆矢とされる。

同じような説話は『撰集抄』にも載るが、そこでは狼が鹿になるなど若干の変化が見られる。

尚、玉造温泉では依道の末裔に当たる長谷川三家が老舗旅館を経営され、

現在でも毎年大山寺への参拝をされているという。

400-2-4.jpg
仁王門の天井の組物

400-2-5.jpg
右側に建つ仁王阿像

400-2-6.jpg
左側の吽像

 角磐山の山号については次のような話が伝わる。

天空遥か彼方の兜率天の角が欠けて、大きな盤石が地上に落下。

盤石は三つに割れてその一つは熊野山、二つは金峰山、三つは大山になった。

大山は山岳信仰の対象となり、多くの修行者が入る修験の山として全国に知られた。

その北側の中腹、佐陀川の周辺には中門・南光・西明の三院が成立。

中門院は大日如来、南光院は釈迦如来、西明院は阿弥陀如来を本尊とし、

三院としては地蔵菩薩を信仰の中心とした。

400-2-7.jpg
仁王門を過ぎると山号寺号標が建つ

400-2-8.jpg
観音堂へと続く石段

 平安時代には村上天皇より大山権現(地蔵権現)を大智明菩薩とする詔が下され、

御本尊を本殿権現社 (現在の大神山神社奥宮) に祀り、地蔵菩薩の垂迹である

大智明大権現を核とする山林寺院として大山寺と呼ばれるようになった。

貞観年間には慈覚大師円仁が当山に留錫し顕密両教と共に引声阿弥陀経の秘曲を伝えたため、

当山の行者はこれに帰依、修験道から天台宗へ改宗し今に至っている。 

400-2-9.jpg
石段より仁王門を振り返る

 観音堂の御本尊十一面観音菩薩は大智明大権現 (地蔵菩薩) の末社で、

その祭神は備中浅口郡江原荘の郡司渡辺源五照政の霊を祀る。

照政は大智明大権現を崇信し、毎月欠かさず参詣。数十年度一度も怠った事がなかった。

彼が同国の鈴木某と争って殺された際には、その死を惜しんだ寺僧に拠って下山に葬られた。

400-2-10.jpg
石段を上ると先ず下山観音堂
朝8時過ぎは未だ閉鎖中。

400-2-11.jpg
観音堂の玄関前には神仏習合の名残の狐が鎮座

 その後、塚頭に白狐が棲息、使いとなって「将来鎮主の末域に連なり永くその守護神となり

衆生利益、併せて一山の衆徒を擁護せん」と伝えたので祠を建立した。すると再び

「大権現の右側五尺計りを掘り下げ社を建てよ」

との託宣があり、土を掘り起こすと銅像の十一面観音が出現したと言われる。

 神仏分離令に拠って今は大神山神社の末社となっているが、仏像は大山寺に伝えられ

観音堂の御本尊となり、その霊験著しく多くの参拝者の信仰を集めている。』 とあります。

400-2-14.jpg
玄関唐破風の蟇股

400-2-15.jpg
時代がかった 「下山観音堂」 の扁額

 由緒記にあるように、観音様は大山寺全体の御本尊ではなく、ここ下山観音堂の御本尊。

しかも元は下山神社に祀られていました。

観音堂も普通に見る御堂の形というよりも書院と言う方が相応しい造り。

恐らく神仏分離の際に観音さまを書院にお迎えしてそのまま御堂に横滑りしたのでしょう。

400-2-18.jpg
入山証も兼ねる大山寺説明書

400-2-19.jpg
大山寺御朱印 (中国観音霊場)

400-2-20.jpg
観音霊場お札

 観音堂内へは上れず、外陣よりの参拝。但し秘仏ではなく、唐破風正面に

その御姿を拝むことができました。御朱印時に御住職に伺うと

私 ; 「御本尊は何観音様ですか?」

住職 ; 「十一面観音菩薩様です。」

私 ; 「普段見る十一面観音様とはちょっと違うように見えますが。」

住職 ; 「ここは神仏習合の影響で独特の御姿になっています。」

との事。

400-2-12.jpg
観音堂が開くとこのような人だかりに

400-2-13.jpg
正面奥に鎮座する御本尊

 何となく弁天様を思わせる極彩色にも見えたのはそのためだったのでしょう。

そういえば、唐破風の前には観音様のお使いという白狐が祀られていました。

御姿の名前も聞きましたが聞きなれぬ名前で失念。メモしておかねばなりませんね。 

観音様は幾度もの危機を乗り越え巡り巡ってここに安住の地を見出された事になりますが、

それを思うと物凄く御利益がありそうでした。

400-2-16.jpg
外陣から御本尊を参拝

400-2-17.jpg
観音様

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大山寺への道 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の壱>

2024.01.14(19:26) 1700

そこに寺社があるから(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

大山寺バス停 → 御幸参道本通り (徒歩10分) → 大山寺仁王門前

400-1-10.jpg
JR大山口駅と駅前のバス停

 伯備線が分岐する伯耆大山駅は有人ですが、その先の山陰本線大山口駅は無人駅。

駅前から麓までは緩やかな坂道が真っすぐ13㎞続きます。

7時35分のバスの乗客は3名のみ。私以外の二人は登山スタイルでした。

妙齢の女性に尋ねると、大山頂上まで往復6時間だそう。あーしんど!

400-1-11.jpg
JR伯耆大山駅スタンプ  (2006年JR西日本米子支社印)

400-1-12.jpg
JR大山口駅前から霊峰までは緩やか?で真っすぐな道路が…

 ‘おおやま’ならば神奈川県ですが、‘だいせん’なので鳥取県。山を‘せん’と読むのは

遣唐使以前の南方系の呉音だそうで、古代からこの地域が大陸と交流が深かったことの証です。

 中国地方を代表する名峰ですが、気力・体力・資力の無い‘三ない男’が山内登山をする訳はなく、

目的は中国観音霊場札所への参拝。「そこに山があるから」ではなく「そこに寺があるから」。

尤も寺を山とも言うので似たようなものですが…。

400-1-13.jpg
大山所子郵便局 ; 大山、重文・門脇家住宅
駅から大山方面に200m程行った場所にある局

400-1-14.jpg
思った以上に勾配があったバスからの眺め

 終点の大山寺バス停には8時5分着。遥かに弓ヶ浜が遠望できました。

ターミナルに隣接した大山自然歴史観・大山町観光案内所はいずれも9時開館で閉鎖中でしたが、

駐車場はほぼ満車。殆どの人は早朝に自家用車で来て早朝に登山を開始するようでした。

400-1-15.jpg
終点ターミナルから見た大山自然歴史観と大山

400-1-16.jpg
朝の8時で既に駐車場はこんな状態

400-1-17.jpg
弓ヶ浜の遠望

 バス停からは御幸参道本通りを直進、土産物店・食事処・宿泊施設を進み、

足湯付近に至ると周囲の木々も紅葉し境内に来たという高揚感が。

やがて左手に観證院の看板が見えますが、かつての塔頭は宿坊となっていました。

400-1-20.jpg
参道右手にある足湯

400-1-21.jpg
塔頭・観證院は宿坊・山楽荘に

400-1-27.jpg
参道脇の紅葉

 私が参拝したのは、札所大山寺と大神山(おおかみやま)神社奥宮でしたが、

かつては修験道と神仏習合で一体。大和の大神(おおみわ)神社は三輪山が御神体ですが、

同じ読み方とする当社も元は大山自身が御神体で、奥宮の場所が寺の本堂だったとか。

後程伺った御住職の話では、

「廃仏毀釈以前は、大山には年間定められた二人の人間しか登る事を許されていませんでした。」

との事。

今では信じられない話ですが、それだけ神聖視されたという事になります。

 現在は西洋式登山がメインですが、かつてのヨーロッパでは山には魔物が住むという事で恐れられ、

人々が近付くことはありませんでした。

その辺が、古代より信仰の場として登山が行われた東アジア圏とは異なります。

400-1-18.jpg
足湯の手前に斜めに建つ大山寺郵便局

400-1-19.jpg
大山寺郵便局 ; 大山国立公園の秋と冬の景色

 やがて参道の右手には信濃坊源盛の碑が。彼は南朝の忠臣であった名和長年の弟で

自身も南朝に味方して各地を転戦、最期は八代で戦死した人物。肥後で非業の死を遂げた訳ですが、

その碑が何故ここにあるかと言えば、大山寺の別当を務めていたから。

伯耆の豪族では名和長年の名前だけがクローズアップされますが、

一族挙げて後醍醐天皇に肩入れしたようです。

400-1-24.jpg
信濃坊源盛碑

400-1-25.jpg
手前の説明碑には忠臣と彫られている

 その脇には石碑が。最初は生霊碑かと思いましたが目を凝らして見ると牛霊碑。

生と見たのは牛の間違いでした。忠魂碑や英霊碑は良く見ますが牛の碑は初見。

なんでも御本尊の地蔵菩薩が生き物を全て救う仏様であることから、

平安時代に大山寺の高僧・基好(きこう)上人が、牛馬安産を祈願する守札を配り、

山の中腹での牛馬の放牧を奨励したのが始まり。やがて信仰と結びついて

全国唯一の牛馬市に発展しました。今も続く大山牛乳はこれが始まりだったようです。

牛乳に比べると牛肉の宣伝は少ない気がしますが、

これは生きとし生けるものすべてを救う地蔵様の教えに忠実だからでしょうか?

それなら【求肥】を使った和菓子ならば良さそうですが…。

400-1-23.jpg
牛霊碑

400-1-22.jpg
碑を囲む紅葉群

400-1-26.jpg
後で案内所で入手した旧境内案内図

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



北陸・山陰820駅 (JR・私鉄全線各駅停車)

中古価格
¥246から
(2024/1/13 20:01時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥3,260から
(2024/1/14 19:28時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,571から
(2024/1/14 19:29時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2024/1/14 19:29時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2024/1/14 19:30時点)



百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽 (講談社文庫)

新品価格
¥618から
(2024/1/14 19:32時点)



国立公園大山(上巻): ~百科事典「大山物語」~

新品価格
¥1,000から
(2024/1/14 19:33時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

米子駅から大山口へ (鳥取県西伯郡大山町)

2024.01.13(20:03) 1699

中々来なん列車が来たろう!(2023.11.3)

<コース>
【往路】なんばOCAT(22:50) → (高速バス) → JR米子駅前(4:45→7:02) → JR大山口(7:21→7:35) → 大山寺バス停(8:05)

400-1-1.jpg
JR米子駅ホーム
鳥取行気動車の入線。

 霜月に入って最初の休みの文化の日。別段、皇居に参内する訳もなく一路大山へ。

通常ならば山陽新幹線と伯備線を乗り継ぎますが、早朝入りしたい今回は夜行バスで4:45米子着。

400-1-2.jpg
JR米子駅スタンプ
(上) 国鉄時代の 「わたしの旅」 印   (下) 2006年設置のJR米子支社印

 始発列車やバスまでには時間があるので、どう過ごすか心配でしたが、

米子駅の待合室は早朝4時半から開いており、駅の売店も5時半開店。

お蔭で朝食も無事摂る事ができました。

400-1-3.jpg
乗車する2両目のラッピング

400-1-4.jpg
こちらは1両目

400-1-5.jpg
作者の青山剛昌氏は地元鳥取県の出身
但し、東伯郡北栄町で湖南や江南ではない!

 観光名所らしく大山麓までは米子駅前からバスが出ていますが、

早く着くために始発から二番目の列車に乗り最寄りの大山口駅まで移動。

やって来た列車は「名探偵コナン」のラッピング、暫くして向かいのホームに入線した

境港線の列車は鬼太郎列車。「まんが王国とっとり」 を謳うだけの事はあります。

400-1-6.jpg
出発待ちの間に反対側ホームに鬼太郎列車が入線

400-1-7.jpg
車両前面は鬼太郎がデザイン
作者の故・水木しげる氏は境港市出身。

400-1-8.jpg
側面には鬼太郎に登場するキャラが
彼等?は境港市の風景印にも登場している。

400-1-9.jpg
私の乗った1両目の様子
乗客が少ないから本数が少ないのか、本数が少ないから乗客が少ないのか?

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2024/1/13 20:01時点)



北陸・山陰820駅 (JR・私鉄全線各駅停車)

中古価格
¥246から
(2024/1/13 20:01時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大岳院 境内の墓碑 (鳥取県倉吉市東町) <大岳院 其の弐>

2023.10.26(20:30) 1627

高貴な女性と悲劇の大名(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-12-0.jpg
萬祥山 大岳院(曹洞宗 伯耆三十三観音霊場第三十一番)

 かつての藩主の菩提寺として知られる大岳院ですが、それにも増して

当院を有名にしているのが境内にある墓所。

『また境内には安房館山城主里見忠義の香華院として忠義公と殉死八臣の墓所があり、

更に第百十九代光格天皇の御生母・大江磐代君が当院檀中御出身の故を以て、

磐代君と有栖川宮第六代織仁(おりひと)親王と第七代韶仁(つなひと)親王の御三方の御尊牌を祀り、

有栖川宮御祈願所の指定を受けている。

396-12-1.jpg
本町通り (東仲町)にある案内板

396-12-2.jpg
鐘楼門前に建つ石碑には墓所が記してある

 大岳院檀中からは第百十九代光格天皇の御生母・大江磐代君(1744~1813年)が出た。

倉吉で生まれた磐代(幼名お鶴)は父と共に京へ上り、閑院宮典仁親王の女房となった女性であるが、

当院には磐代の母「林(りん)」の霊廟がある。

 霊廟に隣接して駒姫八幡が鎮座するが、ここは山名氏豊と娘・駒姫を祀っている。

言い伝えでは駒姫の娘が 「おりんの方」 と言われている。』

396-12-3.jpg
鐘楼門の先にある駒姫八幡と磐代の君御生母の霊廟

396-12-4.jpg
正面より見た駒姫八幡

 山門を過ぎて直ぐ左手には駒姫八幡、おりんの方霊廟が並びますが、前者は社、後者は墓所と全くの別物。

それが並ぶのは両者が親子関係にあると言う言い伝えがあるからでしょう。

 駒姫は支流とはいえ、かつては六分の一殿とまで言われた名門山名氏の一門。

その娘となればおりんの方も姫君となりますが、正式にはそのような記載は一切ない様子。

天皇の直系の祖母の自出が高いことはむしろ誇るべきなので、恐らくは想像の話。

地元出身で高い位に上った女性に対する敬愛や願望がそのような伝説を生んだのでしょう。

396-12-5.jpg
御生母 お林の方の墓所

396-12-6.jpg
墓所前の由緒記

396-12-7.jpg
お林の方の墓

 一方、山門の右手にあるのは当地で亡くなった里見忠義と家臣の墓。

馬琴の小説のヒントとなったと言われるものです。

『慶長19年(1614年)、安房館山城主里見忠義は大久保忠隣失脚に連座し倉吉に転封。

しかし打吹城に入る事はなく大岳院門前の神坂村に居住。実質的な流罪と言われた。

当院には忠義が寄進した 「三彩稜花刻花文盤」 が寺宝として現存している。

396-12-8.jpg
里見忠義と八賢士の墓

忠義は後に堀村(現・関金町)に移り、元和8年(1622年)に29歳で病没。忠義の遺言に拠って当院に葬られた。

この時、近臣八名が殉死しており、当院ではその遺骨も埋めて位牌と共に祀っている。

 当院が忠義に付けた法名は 「雲晴院殿心叟賢涼大居士」 であるが、殉死した八名にも

「賢」 の文字が付けらており、そのことから彼らの事を 「八賢士」 と呼ぶようになった。

この事から滝沢馬琴の 『南総里見八犬伝』 の八犬士のモデルではないかと考えられている。

彼らの他にも、忠義の叔父である正木大膳や家老堀江能登守の墓所も当院境内には存在している。』

とあります。

396-12-10.jpg
忠義が寄進した 「三彩稜花刻花文盤」 の説明板

396-12-9.jpg
里見氏の墓所近影

 源氏の一門で、戦国時代にかけて安房一国を治めた大名にしては質素ですが、

ほぼ改易に近い処分では致し方ないとも言えます。

 改易理由については大久保忠隣失脚に連座となっていますが、江戸に幕府を開いた家康としては

小国とはいえ名門の外様大名に東京湾の入口を抑えられるのは是非とも避けたかったのでしょう。

広い関東平野は関所に拠る陸側の守りはほぼ完璧ですが、海からの防御は手薄。

それがこのような処分に繋がったように思えます。場所故の悲劇と言えます。

396-12-11.jpg
御朱印拝受のために寺務所玄関へ

396-12-12.jpg
拝受した書置き御朱印
なんだか無人販売所のような…。

 当地から都へ出て出世した人、名門から当地へ配流され夭折した人と対照的ですが、

それが同じ境内に並んでいるのも因縁的なものを感じます。

唯、知名度が高いのは圧倒的に里見家の墓所の方。判官びいきと言うよりも小説の影響といえそうです。

 小説の舞台は関東ですが、地元としては町興しの一環として 「倉吉八犬伝」 と銘打った

オリジナルキャラクターに拠るプロジェクトが始動しているとか。今後は倉吉の巻き返しに注目です。

396-12-17.jpg
案内所にあった 「倉吉八犬伝」 のパンフ
八犬士の犬塚志信乃 はイケメンだったが、こちらはオールイケメンと美女一人。

396-12-13.jpg
寺務所玄関に置かれたフィギュア群

 大岳院の玄関は無人で御朱印拝受の対応でしたが、すぐ横には仏像のフィギュアが鎮座。

阿修羅像・仁王像・四天王像ですが、販売こそしていませんでしたが、仏像女子も増えている昨今、

御本尊フィギュアの販売をする寺院が出てくるかもしれません。

里見八犬伝のフィギュアは未だ【発見】していませんが…。

396-12-14.jpg
阿修羅像

396-12-15.jpg
阿吽の金剛力士(仁王)像

396-12-16.jpg
こちらは四天王像の持国天

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



里見義堯 (314) (人物叢書新装版)

新品価格
¥2,530から
(2023/10/26 20:35時点)



図説 戦国里見氏

新品価格
¥1,980から
(2023/10/26 20:36時点)



南総里見八犬伝 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/26 20:38時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2023/10/16 20:17時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥1,650から
(2023/10/16 20:17時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,572から
(2023/10/16 20:18時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2023/10/16 20:13時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大岳院 (鳥取県倉吉市東町) <大岳院 其の壱>

2023.10.25(19:59) 1626

街並みの東端に相当する曹洞宗寺院(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-11-1.jpg
萬祥山 大岳院(曹洞宗 伯耆三十三観音霊場第三十一番)

 旧倉吉市街の最後は本町通を東へ進んだ先に建つ大岳院。

街並みの中でほぼ東端に相当し、ここまで来ると白壁土蔵群は減り、よく見る一般的な街並み。

通りに面して広い駐車場があるので、この日訪れたどの寺社よりも広く明るい雰囲気でした。

396-11-2.jpg
通りから二つの門と本堂が一直線に並ぶ

396-11-3.jpg
東側にも広い駐車場があるのはこれだけ来場者が居るから?

 萬祥山大岳院(ばんしょうざんだいがくいん)は、

『豊臣政権三中老で駿府城主であった中村一氏の弟で沼津城主・中村彦左衛門一栄の菩提寺で

慶久寺と称した寺院が嚆矢。慶長5年(1600年)、一氏の子・中村一忠の米子転封に伴い、

一栄は八橋城主となり寺も伯耆八橋に移転した。

1604年に一栄が没すると後を継いだ子の中村伊豆守栄忠は拠点を倉吉に移し、

そのため寺も当地に再度び移ることとなった。

396-11-4.jpg
一番手前に建つ山門
両脇には院号標と山号標が並ぶ。

396-11-5.jpg
山門近影

『伯耆民諺記』に拠れば、移転先の当地には伯耆守護山名氏の一族山名氏豊の館があったとされ、

遡っては山名氏守護所跡とも考えられている。

396-11-6.jpg
山門の奥に控える鐘楼門

396-11-7.jpg
鐘楼門から山門、本町通り方面を見る

396-11-8.jpg
境内側から見上げた鐘楼門

 倉吉(打吹)城主となった栄忠は亡父の一栄を開基とし、一栄の実兄で慶久寺十世孝山智順禅師を

開山に迎え開創。山号と院号は一栄の法名「萬祥寺殿大岳周碩大居士」に由来している。

創建は慶長10年(1605年)であったが、中村氏はその4年後の1609年に改易処分を受けている。

現在の本堂は1995年の改築。曹洞宗寺院として釈迦牟尼仏を御本尊として祀っている。』 とあります。

396-11-9.jpg
鐘楼門から見た本堂と寺務所

396-11-10.jpg
本堂は1995年の改築

396-11-11.jpg
前面に掲げられた 「大岳院」 の扁額

396-11-12.jpg
釈迦牟尼仏を祀る本堂内陣

 由緒記を見ると元は沼津にあり藩主中村氏と共に移転してきた寺院。

それだけ繋がりが深かったと言えます。

中村氏は戦国大名としては余り名前を聞きませんが豊臣政権下ではそれなりの役職に就き、

特に一氏は城を護らせては天下一品と謳われた人物でした。

関ヶ原では東軍に属し、戦後、米子へ転封。17万石なので栄転と言っても良さそうですが、

江戸から遠く、1609年に後継ぎが20歳で急死すると養子を迎えることなく改易となったのは、

やはり豊臣恩顧ゆえに徳川家から煙たがられたのでしょう。

城を護る名手も自家を護ることは出来なかったのは皮肉と言えます。

396-11-13.jpg
本堂左手に建つ小ぢんまりとした観音堂

396-11-14.jpg
本堂前に聳える松は何か謂れがありそうだが…

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2023/10/16 20:17時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥1,650から
(2023/10/16 20:17時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,572から
(2023/10/16 20:18時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2023/10/16 20:13時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

はこた人形工房 (鳥取県倉吉市魚町)

2023.10.24(20:30) 1625

フィギュアの先達(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-10-12.jpg
倉吉の張子 「はこた人形」

 観光案内所やMHCでも分かるように倉吉は最近フィギュアで売り出し中ですが、

今も所々に昔ながらの人形が。これが倉吉を代表する郷土玩具「はこた人形」。

観光案内所にもフィギュアと並んで等身大?のものが入口に鎮座。

博多人形は土人形ですが、はこた人形は紙人形と一字違いで大違い。

多くの郷土玩具が後継者不足等で廃絶する中にあって、

現在も作り続けられているのは貴重な存在と言えます。

396-10-1.jpg
倉吉白壁土蔵群観光案内所入口にて

396-10-2.jpg
倉吉郵便局 ; はこた人形、打吹山、白壁土蔵群

 はこた人形は

『白壁と赤瓦の町並みが続く倉吉に江戸時代から続く張子の人形である。

はこた人形が初めて作られたのは天明年間の事で、備後の国から行商に来た

備後屋治兵衛の創案であると言われる。

治兵衛はこの地方の素朴で慎ましやかな娘子の風情を愛し、これを人形にしたと伝えられる。

製法は桐の木の型に因州和紙を数枚張って良く乾燥させた後に型から抜き、

抜いた箇所は紙で張り合わせ、胡粉で下地を作り赤を主として彩色を施す。

それで 「はこた人形」 は張子、赤ものに属する事になる。

396-10-3.jpg
本町通りを東へ進み人形工房へ

 人形の張子は全国的にも珍しく山陰では倉吉で作られるのみである。

はこた人形は、手足の表現を省略した非常に洗練された姿形の人形で、

60、70年前までは「はーこさん」と呼ばれて幼い女の子の遊び相手として親しまれていた。

「はーこさん」の語源については、おぼこ娘という説、乳幼児の枕元に置き、

厄災を背負わせて厄除けにする形代(かたしろ)であった

「御伽母子(おとぎははこ)」 「御伽這子(おとぎぼうこ)」 が転じたという説がある。

396-10-4.jpg
通りに面した 「はこた人形工房」
食事処 「夢倉(むそう)」 も兼ねる。

 両親は、愛し子に「はーこさん」と遊ばせておけば、怪我や病気をしないで無事に育つ

という願いを込めており、子供の遊び相手であると共に厄除けのお守りの役目も果たしていた。

これは人間の病気や災難を人形に託して流すという「流し雛」の考えにも相通ずるものである。』

とあります。

396-10-5.jpg
工房玄関の看板

 讃岐には同じ張り子人形で「ほうこうさん」と呼ばれるものがあって、個人的には

どちらも「張り子」が「はこた」に変形したものと思っていましたが、語源については種々あるようです。

前回倉吉を訪れた平成6年に1体購入済ですが、どことなく顔の表情が違うので、案内所の方に尋ねると、

案内所 ; 「30年前なら三好さんの作品ですね。」

私 ; 「製作者まで分かるのですか!」

案内所 ; 「今はもうお亡くなりになって、技を受け継いだ方が居られます。」

私 ; 「拝見できますか?」

案内所 ; 「本町通りを東へ行った場所にお店があるので、比べられては如何でしょう?」

との話を聞き、立ち寄った「はこた人形」工房で土産を購入。

396-10-6.jpg
はこた人形の製作工程

396-10-7.jpg
色付けした人形を乾燥

 前回購入した人形の製作者は鬼籍に入られ、今は技を受け継いだ方が1名で製造。

手作りからですが顔の表情にも差異が見られました。これもフィギュアの一種といえます。

 鉄女の村井美樹さんは各地のこけしを蒐集して気に入った1体を旅に同伴するようですが、

流石に私が車中でそれをすると他の乗客にドン引きされるので、開封は自宅でした次第です。

396-10-8.jpg
今回購入した二体の人形と味わいのある包装紙

396-10-9.jpg
包装紙を留める紙テープもこんな感じ

 帰宅してから偶々TVで放映された 「新日本紀行」 を見ると昭和56年放送の 「絣の似合う町~鳥取県倉吉市」。

「はこた人形」 が取り上げられ、当時52歳の三好明氏が御夫婦で製作されていました。

念のため平成6年購入の由緒書きを取り出すと 「鳥取県伝統工芸士 備後屋六代目 三好平吉」 と。

名前が違うのは代替わりされたのか、屋号を継がれたのかは分かりません。

唯、こうして新旧の人形を並べるとやはり時代の流れを感じない訳にはいきませんでした。

396-10-10.jpg
今回購入した「はこた人形」 と 干支に因んだ 「因幡の白兎」

396-10-11.jpg
令和(左)と平成(右)の 「はこた人形」 そろい踏み

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/24 20:20時点)



47都道府県の郷土玩具 3 中国地方・近畿地方

新品価格
¥3,300から
(2023/10/24 20:24時点)



全国郷土玩具ガイド全四巻③近畿・中国篇

新品価格
¥2,310から
(2023/10/24 20:26時点)



おもしろ張り子

新品価格
¥4,410から
(2023/10/24 20:30時点)



知りたい、歩きたい! 美しい「日本の町並み」: この国の「原風景」に戻れる場所 (知的生きかた文庫)

新品価格
¥2,090から
(2023/10/15 16:10時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

玉川白壁土蔵群 (鳥取県倉吉市東仲町)

2023.10.23(20:32) 1624

玉川沿いの東仲町へどうぞ!(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-9-1.jpg
桑田醸造場の裏手の白壁群は絶好の撮影スポット

 山門前から境内を眺めるだけに終わった大蓮寺ですが、山門前に流れる玉川に沿って

細い道が東西に通っています。自動車が1台通れるかどうかも微妙な幅ですが、

この道を東に向かうと目の前に土蔵群が出現。

 バス通りから土蔵群に向かうには、倉吉白壁土蔵群観光案内所、若しくは洋風建築の成徳小学校の

打吹天女モザイク壁画から打吹公園通りを北上。

最初に交差する本町通には商家の表玄関が並びますが、

中でも打吹公園通り右手に建つ桑田醤油醸造場はその中心で今も現役。

396-9-2.jpg
白壁土蔵群地区のマップ

396-9-3.jpg
バス通りから見る洋風建築の成徳小学校舎

396-9-4.jpg
洋風建築に特徴的な玄関の張り出し

『倉吉の町は、室町時代に標高204mの打吹山に築かれた打吹城の城下町が嚆矢とされるが、

文献上に「倉吉」の地名が確認されるのは16世紀後半である。

 江戸時代には鳥取藩家老荒尾家の陣屋が置かれる町に整備され、産業・経済活動が活発となり、

木綿や稲扱千歯などの特産品の販売で繁栄を誇った。

商業活動は町を東西に貫通する本町通を中心に発達し、通りに面した両側には、

間口より奥行が深い短冊形の敷地に商家が整備された。

396-9-5.jpg
打吹天女伝説モザイク壁画

396-9-6.jpg
壁画を背に玉川方面へ

 主屋は、つし二階建て若しくは二階建てを基本とし隣接しながら連続する。

その多くは江戸時代末期から昭和前期にかけて建てられたものが多数を占め、

通りに面した外観は格子・出格子が残り、落ち着いた景観を醸し出している。

396-9-7.jpg
本町通りに面した桑田醤油醸造場は鳥取県指定保護文化財

396-9-8.jpg
通りに開いた醸造場入口には 「しょうゆアイスクリーム」 の旗も

396-9-9.jpg
醸造場の向かいに建つお茶処「淡雪」 とギフト矢吹

 裏の玉川沿いには土蔵が並び、川に架かる石橋と土蔵の白壁が倉吉を代表する独特の景観を残している。

玉川は町人町と職人町を区別する境界線で、その北側は仏具屋・畳屋・桶屋・左官屋・表具屋等職人が多く集まり、

南側には商家が多く建物は細長く裏まで続いていた。

396-9-10.jpg
玉川沿いに並ぶ白壁群

396-9-11.jpg
土蔵群の向かいに建つ食事処 「久楽(くら)」

江戸末期から明治にかけて東仲町を中心とした商家の建物は店舗併用住宅で、

裏には「裏門倉」「裏座敷」「土蔵」等があり、裏口には木戸を設け玉川に石橋を架け通り抜けるようにしていた。

それは冬期には北風を防ぎ、夏期には木戸を開放して風通しを良くするなど、当時の生活の知恵が伺われる。

玉川にうかぶ白壁の土蔵群は、江戸の情緒を漂わせ往時を偲ばせるものとなっている。

396-9-12.jpg
土蔵裏口の木戸と玉川に架けられた石橋

 川運に拠って運ばれた物資を蔵に収め、表通りの店で売り捌く典型的な近世商いスタイル。

玉川に架けられた一枚板の多くの橋が往時の物流の多さを物語っている。

 町の屋根は殆ど石州の赤瓦で埋め尽くされ白壁とのコントラストが美しい。

町の中に九館の「赤瓦館」があり、いずれも昔の建物が活かされ

土産物・食事処・体験工房・観光案内などの役目を果たしている。

外観だけでなく、内観も素晴らしく天井の梁と束柱を格子状に組んだ

五重構造の小屋組みなどは圧巻である。』とあります。

396-9-13.jpg
白壁土蔵群の東端と向かいにある赤瓦一号館

396-9-14.jpg
東端は元帥酒造の裏口

 山陰の小京都と呼ばれる旧倉吉地区ですが、その中でも景観が美しいとされるのがこの場所で、

中でも白壁土蔵群はとりわけ撮影スポットとして人気。倉吉の観光案内の写真でも使われるのは大抵この場所です。

昔の街並みが残る小京都は全国各地にありますが、このように川沿いに白壁土蔵が建つのは

私見では飛騨古川くらいでしょうか?

396-9-15.jpg
白壁の向かいの赤瓦の家はお休み処&ゲストハウス

396-9-16.jpg
土蔵の東端には現役の赤ポストが立つ

 白壁土蔵群だけを見ると分かりませんが、ここは本町通りに面した商家群の続き。

撮影に使用される場所は桑田醤油醸造場に当たります。

本町通りが玄関ですから言って見ればこちらは裏口。

普通、人が出入りする表玄関と異なり裏口は内輪の人間にしか見せないものですが、

そのような場所にまで意識した造りとなっているのは商売人としての矜持に思えます。

倉吉も飛騨古川も日本海側なので、殊更裏を美しくしたと言ったら怒られるでしょうか?

396-9-17.jpg
白壁土蔵群より東側の玉川沿い町並み

396-9-18.jpg
玉川を南に打吹公園方面へ

 街並みでは白壁が強調されますが、説明にもあるように倉吉では赤瓦がもう一方の見所。

雪の多い場所では雪に拠る劣化を防ぐため強度のある赤瓦を使っていますが、

九軒に及ぶ館が街並みに花を添えます。長浜の黒壁スクエアみたいなものでしょう。

396-9-19.jpg
本町通りから見た元帥酒造

396-9-20.jpg
元帥の向かいの洋風建築は現在、射的場として現役

 白壁と揃うと紅白となって目出度い訳ですが、赤瓦は屋根の上なので高所でなければ

散策で目にする事は少ない筈。それが赤瓦が白壁に一歩譲る理由になっている気もします。

或いは赤瓦は石州瓦と呼ばれる事も多いので、他国の名で呼ばれるのを潔しとしないのかもしれませんが…。

396-9-21.jpg
玉川と白壁土蔵群と打吹山の三点が重なる場所
「男はつらいよ」 第44作のロケでも使われた撮影スポット

396-9-22.jpg
倉吉大正郵便局 ; 打吹山、玉川白壁土蔵群、ツツジ

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



豪商列伝 なぜ彼らは一代で成り上がれたのか

新品価格
¥1,300から
(2023/10/20 19:58時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)



日本の原風景 町並

新品価格
¥3,080から
(2023/10/15 16:10時点)



知りたい、歩きたい! 美しい「日本の町並み」: この国の「原風景」に戻れる場所 (知的生きかた文庫)

新品価格
¥2,090から
(2023/10/15 16:10時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大蓮寺 (鳥取県倉吉市新町)

2023.10.22(19:29) 1623

白壁土蔵群の間にある伽藍(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-8-1.jpg
法界山 華到院 大蓮寺(浄土宗)

 本町通を東へ向かうと、北側に弁天参道の赤い幕が掛かり、そのすぐ下には大蓮寺小路の黄色い幕も。

人と自転車くらいしか通れない狭い道ですが、その先にはお寺の山門らしき影が。

「これは一見の価値あり!」と思い、【徒歩(かち)】ではなく自転車を押して路地を北上。

396-8-2.jpg
本町通りにある垂れ幕の掛かった参道

396-8-3.jpg
玉川まで進み参道を振り返る

法界山華到院大蓮寺(ほうかいざんかとういんだいれんじ)は、

『養老年間(717~723年)に打吹山東隣の華到山麓の法界門に創建された大蓮寺が嚆矢とされる。

天正年間(1573~1592年)に善蓮社然誉上人文翁が近郊の三ヵ寺を統合、

自らを開山として玉川沿いの現在地に伽藍を建立した。

396-8-4.jpg
玉川に架かる橋上から壮麗な鐘楼門前を見上げる

396-8-5.jpg
門の右手前に建つ石標

 近代以降は倉吉の文教に関わり、戦前には成徳小学校や倉吉西高等学校の教室として

使用された時期もあった。江戸時代に建立された本堂は昭和17年(1942年)に解体、

戦後の昭和30年(1955年)に現在ある鉄筋コンクリート造のモダンな本堂が再建された。

境内には建武の武将脇屋義助、大坂の豪商淀屋清兵衛や

光格天皇御生母大江磐代君母堂りんの墓所もある。』 とあります。

396-8-6.jpg
楼門の正面に建つモダンな本堂

396-8-7.jpg
「大蓮寺」 の扁額と蓮の花

396-8-8.jpg
楼門下から見た境内とその奥の寺務所

 札所等ではないものの、倉吉の旧市街の中心に建つ伽藍。ここを中心に町が発展した

訳ではなさそうでしたが、町の中心という立地を生かして文教に関わったとありますから、

江戸時代から寺子屋などを通じて町に貢献してきたのでしょう。

著名人の墓所があることからもそれと知れます。

396-8-9.jpg
楼門の右手に祀られている通りの由来にもなった弁財天

396-8-10.jpg
鳥居の奥に鎮座する弁天様
鳥居から先は立入禁止なので、手前より撮影。

 境内には芭蕉が植えられ、正面の本堂は築地本願寺を思わせるような造り。

古刹というには新しいものの、一見の価値はあるだろうと鐘楼門を潜ろうとすると、

・コロナの影響で、檀家の方々以外は境内の立入りを御遠慮下さい

という無情の貼紙が。法界山の山号に結界を張られてしまいました。

396-8-11.jpg
楼門前から西方面に玉川を見る

396-8-12.jpg
楼門前の民家はモダンな建築

396-8-13.jpg
楼門から東へ進むと白壁土蔵群へ至る
左の鳥居は弁財天。

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/22 19:00時点)



28 御朱印でめぐる山陰 山陽の神社 週末開運さんぽ (地球の歩き方 御朱印シリーズ)

新品価格
¥1,430から
(2023/10/22 19:28時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

西町から新町通り (鳥取県倉吉市西町)

2023.10.21(17:54) 1622

町人町の中心地(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-7-1.jpg
豊田家住宅(国登録有形文化財)

 倉吉淀屋から南へ玉川を越えた場所にあるのが、豊田家住宅。

『豊田家住宅は国登録有形文化財。1900年建築の主屋は切妻造・煉瓦葺、

平入・木造二階建てで、倉吉の伝統的な町屋形式を保存している。

396-7-2.jpg
豊田家住宅玄関前の 「西町界隈」 案内板

 この西町界隈は西側と南側の武家屋敷町と町人町が丁度接する場所で、

倉吉から近隣の町へと続く街道の接点でもあった。

また町年寄を務めた有力商人が集まっており、町人町の中心でもあった。

396-7-3.jpg
玉川に架かる橋上から西を見る

 直ぐ北側を流れる玉川の底には当時の陶片が多く残って居り、当時の町の暮らしが偲ばれる。

ここから東へ350m程の本町通りまでは醸造家などの町家が通りに並ぶ。』 とあります。

396-7-4.jpg
本町通り北側の高田醸造
立派な造りで観光地図に記載がないのが不思議なくらいである。

396-7-5.jpg
醸造店先に吊るされた杉玉と何故か木像の狸像

 西町から東西へ続く本町通はバス通りから北へ一筋入った場所。

この場所は町家の中心地ですが、殆どの商家の玄関はこの通りに向いています。

言わば倉吉の顔に相当する訳ですが、通りに面して今も広い間口を見せているのは酒や醤油の醸造業者。

江戸時代は両替商(金融業者)・廻船問屋(運送業+総合商社)と酒屋(醸造業者)が三大金持ちと言われますが、

ここでは酒屋が主流。これも南に打吹山を控え良好な水に恵まれた環境の賜物と言えます。

396-7-6.jpg
時代を感じる造りの 「倉吉ワイナリー」

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)



日本の原風景 町並

新品価格
¥3,080から
(2023/10/15 16:10時点)



知りたい、歩きたい! 美しい「日本の町並み」: この国の「原風景」に戻れる場所 (知的生きかた文庫)

新品価格
¥2,090から
(2023/10/15 16:10時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

倉吉最古の町家建築 (鳥取県倉吉市葵町)

2023.10.20(19:55) 1621

倉吉淀屋物語(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-6-1.jpg
倉吉淀屋(市指定有形文化財 旧牧田家住宅)

 札所と神社の参拝を終えた後は、白壁土蔵群を見学。

玉川沿いに東西400mに亘って町並みが続きますが、先ずは西端にある倉吉淀屋へ。

玉川の北側にあり宝暦10年(1760年)建築という倉吉最古の町家建築として知られています。

396-6-2.jpg
東西の道に沿う重厚な造り

『淀屋の屋号を称する牧田家は、初代仁右衛門(1720年没)から八代孫三郎(1895年)まで続いた

倉吉を代表する商家の一つ。米穀商を営み鳥取藩の藩米取引などで次第に財を築いたと言われる。

町目代や町年寄などの町役人を務めると共に、俳諧や茶道を通して京阪神の文化人と交流を持ったと伝えられる。

二代孫三郎が大坂に店を構え、三代五朗右衛門の次男が初代淀屋清兵衛を名乗り大川町で商業活動を行った。

396-6-3.jpg
黒板塀の上に白壁が映える

 米市を設立するなど大坂が商都として発展する事に寄与した豪商「淀屋」と淀屋清兵衛家との繋がりは

明確ではないが、「淀屋」の跡地に屋敷を構え同じ屋号を称していることから何某かの関係が考えられている。』

とあります。

 大坂の淀屋と言えば、材木商から始め土木工事と米市場で巨万の富を築いた江戸時代を代表する豪商。

加えて単に蓄財しただけでなく、中之島を開拓して日本の経済の中心にするなど大坂の町の基礎を造った大恩人。

今も淀屋橋に名を留めています。

396-6-4.jpg
素朴で豪快な空間であるウチニワ

 五代に亘って栄えた淀屋ですが、宝永2年(1705年)に幕府の命で闕所。

当主の広当(こうとう)も大坂追放の身となりました。余りにも贅沢が目に余ったためと言われ、

没収された金は現在の百兆円規模であったとか。

以上が一般的に知られる大坂淀屋の顛末ですが、ここ倉吉には別の言い伝えが残っています。

396-6-5.jpg
玄関に続くミセ部分

『大坂淀屋四代目の重当(じゅうとう)は、元禄10年(1697年)に没するが、

それに先立ち番頭の牧田仁右衛門に暇を与え生まれ故郷の倉吉に帰した。

淀屋が闕所を受けるのはその8年後であったが、その頃、倉吉では仁右衛門が

屋号のない看板を掲げ少しずつ店の規模を大きくしていた。そして倉吉での五代目の四男が

「淀屋」の看板と淀屋清兵衛を名乗り大坂「淀屋」の再興の悲願を果たした。

396-6-6.jpg
垂木構造の屋根は全国的にも珍しい

倉吉に戻る牧田仁右衛門に対し、重当は

・幕府の目の届かない仁右衛門の故郷で密かに商いを続ける

・その間、淀屋の看板は掲げない

・農民のために鉄製の丈夫な稲扱き千刃を造る

の三箇条を淀屋再建の道筋として手渡した。

 以後、両「淀屋」は協力して栄えるが、安政6年(1859年)大坂淀屋五代、倉吉淀屋八代の時、

両家は突然店を閉鎖、朝廷に資金を献上した後、姿を消した。』 と言うもの。

396-6-7.jpg
ナカミセに続くナカノマ

 年代等に若干違いはあるものの、倉吉淀屋の事績は大坂淀屋から託されたものとする

非常に良くできた話ですが、やや出来過ぎた感は否めません。

唯、豪商淀屋ともあろうものが、危機感が全くなかったとは考え難く、

真ある程度の真実も含まれていると見なければなりません。

396-6-8.jpg
ダイドコロに続くオクノマ

 贅沢ばかりが取り上げられる淀屋ですが、言い伝えでは出処進退の見事さが際立ちます。

武将の器量は攻める際よりも退く際に分かると言いますが、商人にも同じ事が言えます。

歴史上の人物では春秋時代の越の范蠡(はんれい)が良い【範例】でしょうか。まさに

・天、高銭を空しくする莫れ 時に范蠡・反例無きにしも非ず

を地で行く話です。 

396-6-9.jpg
お手洗いはフィギュアが案内

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



豪商列伝 なぜ彼らは一代で成り上がれたのか

新品価格
¥1,300から
(2023/10/20 19:58時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)



日本の原風景 町並

新品価格
¥3,080から
(2023/10/15 16:10時点)



知りたい、歩きたい! 美しい「日本の町並み」: この国の「原風景」に戻れる場所 (知的生きかた文庫)

新品価格
¥2,090から
(2023/10/15 16:10時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

大江神社 (鳥取県倉吉市仲ノ町)

2023.10.19(20:19) 1620

帝の御生母を祀る社(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-5-9.jpg
大江神社

 札所参拝の後は、参道を上って打吹城址に向かうべきですが、麓に自転車を停めているため来た道を引き返す事に。

ここから山の北側のバス通りを西へ向かい町並み拝観となりますが、その手前で神社に立ち寄り。

倉吉神社を過ぎて、ガソリンスタンド脇の「大江神社」の石標を南へ行った打吹公園内に目指す社はあります。

396-5-1.jpg
GSの横に建つ社号標脇の参道を行く

396-5-2.jpg
参道は打吹公園内に入る

 始めはそのまま進んだ先にある神社に参拝しましたが、看板に鎮霊神社とありそこは別の神社。

引き返して途中から南に坂を少し上った所に目指す社は鎮座していました。

町の名を冠した神社を素通りしてまで訪れた大江神社とは一体何か?

396-5-3.jpg
ガイドと違い立派な鳥居と思ったら別の鎮霊神社のもの

396-5-4.jpg
間違ったとはいえ、先ずはお参り

396-5-5.jpg
鎮霊神社本殿

 大江神社(おおえじんじゃ)の由緒記に拠れば、

『御祭神の大江磐代(おおえいわしろ)君は延享元年(1744年)、倉吉湊町に於いて

岩室常右衛門(後の宗賢)を父とし、おりんを母として生誕。幼名をお鶴と言った。

 宝暦2年(1753年)お鶴が9歳の春、父宗賢に連れられ上洛。幼時より怜悧・聡明であったが、

天凛の玉質に加えて研鑽修養の努力を重ね、高い婦徳の備わった女性となるに至った。

明和3年(1766年)閑院宮成子内親王に見込まれ侍女として仕える。

明和7年(1770年)には閑院宮典仁親王に召され女房になり、

翌明和8年には王子祐宮兼仁親王が誕生。お鶴に磐代君の名を賜った。

 安永8年(1779年)、後桃園天皇崩御の後、閑院宮家より祐宮兼仁親王が践祚し

皇位を継いで光格天皇となり、磐代君は天皇の御生母となった。

396-5-6.jpg
引き返して大江神社へ向かう

396-5-7.jpg
由緒記

396-5-8.jpg
鳥居前にある手水舎

 明治35年(1902年)、磐代君に従一位が贈位されると、郷土の有志が相計って

磐代君の遺徳を仰ぎ讃え、大江神社の建立を志した。

大正2年(1913年)4月14日、当地に新築造営成り、世の尊崇を集めることになった。

 以来半世紀を経て社殿の損傷も激しくなり、平成9年(1997年)一旦社殿を撤収清斎したが、

郷土の有志達は改めて再建の意志を結集。平成11年春に大江神社の復興再建を果たした。』

とあります。

396-5-10.jpg
鳥居の先には大きめの阿吽の狛犬と簡素ながら凛とした拝殿が

396-5-11.jpg
拝殿近影

 当社は江戸時代に倉吉で生まれ天皇の生母となった女性を地元の有志が祀ったもの。

古代の信仰に発した古社や、他所から勧請した社とは由緒が異なります。

 天皇の側室に規定があるかどうかは知りませんが、普通に考えると洛中の女性から選ばれる筈。

そんな中で都から遥かに離れた伯耆国から都に上り、天皇の生母に至ったのはまさに立志伝中の人。

地元で顕彰される理由も分かる気がします。

396-5-12.jpg
拝殿前の向拝にて

396-5-13.jpg
拝殿前から鳥居を振り返る

 光格天皇は傍系から天皇家に入られた方ですが、それ以降は今上天皇に至るまで

全て直系の子孫が皇位を継承。それが贈位された最も主要な理由に思えます。

生前の磐代君は政治的に立ち回った様子はなく、贈位は遥か後の20世紀。

天皇の御生母として自主の低い事を気にされたというよりも、自分の立場を良く弁えた女性だったのでしょう。

 親王は天皇に登位し【こうかく】となり、生母は神に昇格。まさに伯耆版シンデレラストーリーと言えます。

と参拝を終えて社殿を振り返ると、太陽が社の真上に来て光を放っている所。

大江磐代君を象徴する出来事の様に思えました。

396-5-14.jpg
拝殿後方に建つ本殿

396-5-15.jpg
参拝後に社殿を振り返ると…

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/19 20:18時点)



28 御朱印でめぐる山陰 山陽の神社 週末開運さんぽ (地球の歩き方 御朱印シリーズ)

新品価格
¥1,430から
(2023/10/19 20:17時点)



光格天皇:自身を後にし天下万民を先とし (ミネルヴァ日本評伝選)

新品価格
¥3,520から
(2023/10/19 20:11時点)



文化史のなかの光格天皇

新品価格
¥11,052から
(2023/10/19 20:11時点)



幕末の天皇 (講談社学術文庫)

新品価格
¥1,012から
(2023/10/19 20:12時点)



光格天皇関係絵図集成

新品価格
¥22,000から
(2023/10/19 20:12時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

長谷寺 厨子と絵馬 (鳥取県倉吉市仲ノ町) <長谷寺 其の参>

2023.10.18(20:35) 1619

えまの寺(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-4-1.jpg
打吹山 長谷寺(天台宗 中国三十三観音霊場第三十番札所)   本堂(観音堂)入口

 仁王門を過ぎるといよいよ本堂。懸造の舞台に参拝します。

『長谷村から当地に移転し、最盛期には寺領三百石、七堂伽藍を構えていたが、時代の流れとともに衰微。

しかし建久4年(1193年)、前年に鎌倉幕府を開いた源頼朝の命に拠って寺運を再興した。

 弘治3年(1557年)、南条元次が打吹山に籠って豊臣秀吉と戦った折、堂宇を始め

寺域一帯は焦土と化したが、不思議な事に観音堂だけは難を逃れたという。

396-4-2.jpg
本堂の入口から舞台を見る

396-4-3.jpg
懸造の舞台を支える柱

 本堂は天正年間(1573~1591年)に造営された後、幾度かの改変を経て

江戸後期に現在見られる形になったと考えられる。

現在確認できる建築部材には不完全な部分が多く、

当初の建築は途中で中断された可能性も考えられる。

396-4-4.jpg
本堂屋根の中央部分
朱色の石州?瓦と菊の御紋が見える。

396-4-5.jpg
入口に掲げられた 「観」 の扁額

 本堂は寄棟造、南側にせり出した懸造で、五間四方の平面に南・西の二面に縁が付き

六間四方の平面を示す。間口三間奥行二間の内陣には重要文化財の厨子を須弥壇上に造り付ける。

間口五間奥行二間の外陣の他、内陣両側面に脇陣、背面に後陣と分ける中世仏堂の典型的な平面を持つ。

現在は両脇陣と後陣を合わせて絵馬堂となっている。

県内では中世に遡ることにできる建造物で、歴史的価値の高いものである。

396-4-6.jpg
無人の本堂外陣は照明がなく自然光を取り込むのみ

396-4-7.jpg
張り出した舞台縁側に立つ

396-4-8.jpg
内陣には入れず外陣から参拝する事に

 当寺の厨子は本堂内陣の仏壇上に造り付けられた本尊十一面観音を安置する禅宗様の厨子である。

幅2m、高さ2.81m、桁行一間梁行一間の大型の厨子で、軸部・組物・軒回り・屋根から構成される。

 軸部は仏像を安置する厨子の本体で、仏壇に組み込まれた土台上に木製礎盤を置き、

両端を細くした円柱を建て、柱と柱を繋ぐ横木で固定している。

扉構えまぐさ材の内側に天正4年(1576年)の墨書があるが、

礎盤や木鼻などの形は室町時代後期の様式であり修理銘と見られる。

396-4-11.jpg
扉の隙間から見た内陣
覆いの幕の後方に厨子が鎮座する。

396-4-10.jpg
境内に展示された厨子全景

396-4-12.jpg
内陣の全面には御本尊の写真も展示

 組物は斗二個分が壁から先へ出て、一番先端に垂木状の太い斜めの材(尾垂木)を

取り付けたものである。軒は上下二段の二軒で、垂木を扇状に配した扇垂木の形式をとる。

屋根は入母屋造・杮葺で上部は内陣の天井を突き抜けて小屋裏へ出ている。

厨子は禅宗様を基調とし、一部後世の補修があるものの、創建当時の姿を残しており、

保存状態も良く、山陰地方では数少ない室町時代後期の建造物である。

396-4-13.jpg
外陣に吊るされた梵鐘

396-4-14.jpg
舞台から外陣を見渡す

 絵馬は、神社・仏閣などに祈願や祈願成就のお礼のために奉納する扁額の一種であるが、

当寺では舞台造りの回廊などに「白馬」「黒馬」を始め「大名行列の図」「地獄極楽の図」「歌舞伎の図」

など60点以上奉納されていた。それぞれの時代の風俗・民間信仰・芸術などを良く表しており貴重である。

古くはギャラリーとしての役割も持ち、「地獄極楽の図」を見ながら話を聞き、善悪を知る教育の場でもあった。』

とあります。

396-4-9.jpg
外陣の天井を見上げると

396-4-18.jpg
最も有名な天文18年奉納絵馬の 「写真」
実物は160×180㎝ の迫力。

396-4-19.jpg
外陣に架けられた鏝絵の絵馬は大正8年の奉納
絵獅子とは言わないのかしらん?

 中国巡礼札所らしく参拝者に開かれたお堂ですが、私の見る限り堂内は自然光を取り入れるのみ。

光に拠る劣化を防ぐためでしょう。また迫り出した舞台からは下界を眺めることができますが、

観光には特化していない様子。参拝本来の姿であるとも言えます。

 内陣に鎮座する厨子は外陣から隙間越しに拝むのみ。写真は提示してありましたが、

前に垂れ幕が下がっており、全体の姿は見えませんでした。

396-4-15.jpg
舞台上にて

396-4-16.jpg
舞台縁側からの眺望

396-4-17.jpg
舞台から見下ろすとこんな感じ

 外陣には小さいながらも外陣には数点の絵馬が架けられていましたが、

近寄ってみると立体的で壁に鏝で描かれたように見えます。

鏝絵と言うのは見たことがありますが、鏝絵馬は見るのも聞くのも初めてでした。

奉納したのは左官職人でしょうか。倉吉は白壁土蔵の町なので、

優秀な左官職人が居ても何ら不思議はなく、かつては【盛ん】に造られていた筈。

【小手】先の技術だけではここまでの物は造れないでしょう。。

396-4-20.jpg
本堂拝観を終えて納経所へ

396-4-21.jpg
本堂入口から仁王門を見る

396-4-22.jpg
分かれ道を右に進み納経所へ

 厨子と並び当寺のもう一つの見所の絵馬ですが、期待の大型絵馬は要予約でしかも拝観料が¥1000。

かなりの高額で、向学のための拝観とはいきませんでした。

折角なので見たい気はしましたが、絵馬を勝手に見て【閻魔】様に下を抜かれては大変なので、

【自戒】の意味も込めて次回に持ち越しになりました。

396-4-23.jpg
納経所前に建つ普陀山南海観音像
伝説的観音浄土である長江河口にある南海に浮かぶ島「普陀山」 の南海大観音像がモデルである。

396-4-24.jpg
長谷寺御朱印 (中国観音札所)

396-4-25.jpg
こちらは平成6年に拝受した御朱印
当時は中国観音霊場を知らずに御朱印とだけ伝えて拝受した。

396-4-26.jpg
倉吉越殿町郵便局 ; 打吹山、長谷寺絵馬、ツツジ

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



絵馬に願いを

新品価格
¥1,760から
(2023/10/18 20:39時点)



願いを叶える 全国の神社・お寺の絵馬

新品価格
¥1,628から
(2023/10/18 20:40時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2023/10/16 20:17時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥1,650から
(2023/10/16 20:17時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,572から
(2023/10/16 20:18時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2023/10/16 20:13時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

長谷寺 崖の上の仁王 (鳥取県倉吉市仲ノ町) <長谷寺 其の弐>

2023.10.17(20:10) 1618

大きなフィギュアがお出迎え(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-3-1.jpg
打吹山 長谷寺(天台宗 中国三十三観音霊場第三十番札所)
懸造の本堂の舞台

 参道を上っていくと急斜面に建てられた柱が見えますが、これが懸造の本堂(観音堂)。

京都の清水に代表される懸造と呼ばれる建築様式ですが、狭い斜面に

平らな場所を少しでも広く作ろうとした先人の労苦が偲ばれます。

柱には十分手の届く場所ですが、本堂内陣には更に上って山門を潜る必要があります。

396-3-2.jpg
参道途中から本堂を見上げる

396-3-3.jpg
ほぼ真下の道から見上げた本堂

 坂を上った先には狭いながらも平地があり更に先へと山道が。地図をみると城跡への道のようで、

この位置を見ても当寺が打吹城防御の一端を担っていたのが分かります。

 打吹山長谷寺(うつぶきさんはせでら)は、

『長谷村から当地に移転し、最盛期には寺領三百石、七堂伽藍を構えていたが、時代の流れとともに衰微。

しかし建久4年(1193年)、前年に鎌倉幕府を開いた源頼朝の命に拠って寺運を再興した。

396-3-4.jpg
舞台近影

396-3-5.jpg
舞台の下の柱の構造

 弘治3年(1557年)、南条元次が打吹山に籠って豊臣秀吉と戦った折、

堂宇を始め寺域一帯は焦土と化したが、不思議な事に観音堂だけは難を逃れたという。

 慶長15年(1610年)、米子城主中村伊豆守一忠が霊像の加護を被ったことで寺の復興を計画。

伯耆大山寺より俊快阿闍梨を迎え再興、同時に天台宗に改宗した。

次いで松平相模守が祈願所に定めた事で隆盛し、その後は荒尾家の庇護を受け明治維新を迎えた。

396-3-6.jpg
参道を上った先は狭いながらも平地が
かつての寺務所(左)と賓頭盧(びんずる)尊者を祀る堂(右)。道は打吹城址へと続く。

396-3-7.jpg
正面から見た賓頭盧堂

 仁王門は延宝8年(1680年)の造営。柱間三間の中央間を通り抜けとする三間一戸の八脚門。

入母屋造で奥行二間を虹梁と小壁で前後二室に分け、中には仁王像を安置する。

屋根材を除き後世の大きな改造もなく、17世紀の姿を今に伝える貴重な建造物である。

396-3-11.jpg
参道の右手に聳える仁王門

396-3-12.jpg
正面から見た仁王門

396-3-13.jpg
右側の仁王(阿像)

396-3-14.jpg
左側の吽像

 梵鐘は、『伯耆民談記』には、市内の久米郡大谷村の水田から掘り出されたとされ、銘文には、

「室町時代の明徳4年(1393年)に作州布施之庄長田村の住民一同が、同所の牛頭天王姫宮に奉納した」

と刻まれている。

高さ85.1㎝、室町時代に鋳造された梵鐘としては頂部に付けられている龍頭が

蓮の花を模った撞座に直交する古い作風を残している。

異色の梵鐘であると共に紀年銘を有する貴重なものである。』 とあります。

396-3-9.jpg
参道を挟んで仁王門の向かいに建つ鐘楼堂

396-3-10.jpg
室町時代鋳造の梵鐘

 仁王門は参道の右手に聳え、門を潜ると正面に本堂が建ちます。

左手の建物はかつての寺務所でしょうか、下方へ移った今は全く使われていない様子でした。

他にも境内には地蔵堂・賓頭盧堂・鐘楼がありましたが全て仁王門の外側。

本来ならば門の内側にあって然るべきですが、延宝8年に造営された際に、この位置になったのでしょう。

城への登り口を配慮したのかもしれませんが、左程【遠方】でもない上に

この頃は打吹城は廃城の筈。一体どのような事情があったのか気になる所です。

396-3-15.jpg
仁王門越しに本堂(観音堂)が見える

396-3-16.jpg
愈々、本堂へ参拝

396-3-17.jpg
本堂へ向かう道には石仏も

 本堂参拝前に、お賓頭盧様にお参りして身体の悪いと思う箇所を撫でてから入山。

賓頭盧尊者も金剛力士像も鮮やかな朱色でしたが、これは厄除けの色でもあるのでしょうか?

今風に言えば、どちらもフィギュアとなりますが…。

396-3-8.jpg
賓頭盧尊者近影

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2023/10/16 20:17時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥1,650から
(2023/10/16 20:17時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,572から
(2023/10/16 20:18時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2023/10/16 20:13時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
タイトル画像

長谷寺 札所への道 (鳥取県倉吉市仲ノ町) <長谷寺 其の壱>

2023.10.16(20:09) 1617

打吹山中腹の古刹(2023.9.9)

<コーズ>
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR上郡(8:04→8:50) (智頭急行) → 鳥取(10:55→11:10) → 倉吉(12:02)

倉吉駅前観光案内所 → (レンタサイクル20分) → 白壁土蔵群 → 円形劇場 → 徒歩8分 → 長谷寺 → 大江神社 → 白壁土蔵群 → 大蓮寺 → 大岳院 → 倉吉駅前観光案内所

【復路】JR倉吉(15:40) → JR鳥取(16:38→16:59) → JR智頭(17:48→17:54) → (智頭急行) → 上郡(19:16→19:24) → JR姫路(19:56→19:57) → JR大阪(20:58)

396-2-1.jpg
打吹山 長谷寺(天台宗 中国三十三観音霊場第三十番札所)
道路沿いに建つ寺号標

 フィギュアミュージアムでMHCを頂いた後は、横の道路を南下し目的の寺院へ。

打吹山山中にある中国三十三観音にもなっている名刹ですが、道路添いに案内の寺号標が建つのみ。

駐車場こそあるものの周りには売店もなく、町興しの一環である「さわやかトイレ」が目につく位でした。

396-2-2.jpg
めいりん通り お手洗い
駐車場の脇にある、さわやかトイレでもある。

 階段の上り口には「いのしし注意!」の看板が。注意したからといってどうなるものでもありませんが、

取り敢えずは【うつぶき】ながら参道へ。打吹山(うつぶきやま)は

『倉吉市街地の南方に聳える標高204mの山。天女伝説のある山で、残された天女の子供が

山の頂で太鼓や笛を吹いて天に帰った母を偲んだとされ、それが名前の由来となっている。

倉吉を代表する山として、箱庭富士・伯耆の小富士の名でも呼ばれる。

396-2-3.jpg
寺号標横の参道からスタート

396-2-4.jpg
右折するとそこから階段を上る

396-2-6.jpg
注意しながら階段を行く羽目に

 南北朝時代の延文6年(1361年)に山名師義が山城を築いたが、大永4年(1524年)に

尼子経久に攻められて落城。慶長14年(1619年)一国一城令に拠って廃城となった。

その後は鳥取藩家老の荒尾氏の領地として明治を迎えた。

 明治37年(1904年)に当時皇太子であった大正天皇の山陰行幸を記念して、

城跡に打吹公園が開かれ、4千本の桜と4万本のツツジが植えられている。

春から初夏にかけては全山が見事に色付き、山頂からは大山から日本海までを

見渡すことができる。』 とあります。

396-2-5.jpg
登り口にある山内案内板

396-2-7.jpg
始めの方の石段

 打吹山長谷寺(うつぶきさんはせでら)は、

『寺伝に拠れば、奈良時代の養老5年(721年)、元明天皇の勅願で法道上人を開基として創建。

本尊に十一面観音を安置したと伝える。長谷の寺号は大和初瀬に因んでおり、

これは観音霊場の代名詞でもある。

江戸時代に記された『伯耆民談記』では、当初は今より西方にある長谷(ながたに)村にあったが、

後に現在の地に移されたという。

境内は打吹山山中、打吹城越中丸跡近くの斜面地にあり、室町時代再建の本堂は

急斜面に対応した懸造の建造である。中世には禅宗寺院であったとされ、

鳥取市内の国英神社蔵の梵鐘に「正安3年(1301年) 伯州久米郷長谷寺鐘」とあるのが、

史料に登場する嚆矢である。』 とあります。

396-2-8.jpg
漸く半ばを過ぎた頃

396-2-9.jpg
寺の手前には荒廃した不動堂が侘しく佇む

396-2-10.jpg
札所の幟が見えたらお堂も間近

 寺伝では西国札所の大和長谷寺との縁が述べられていますが、当初の場所が

長谷村であったことから長谷(ながたに)寺と呼ばれ、後に札所の長谷寺に結び付けられたのでしょう。

その証拠に長谷という名前自体は山間の谷間を表し、読みは様々でも全国に長谷寺は多数あります。

 この地に移転した経緯の詳細は記録されてないようですが、時期的には中世で、

町を睥睨する位置にある事から政治的・軍事的な理由での移転の可能性が大。

平安以前であれば磐座・洞窟・滝・泉などの霊を感得する場所に建てることが多いですが、

残念ながら境内にはそのような痕跡は見当たりませんでした。

打吹山と言うからには、杭を打つと霊水が吹き出すことがあっても良さそうですが…。

396-2-11.jpg
ここが運命の分かれ道、先ずは左へ

396-2-12.jpg
階段の先には懸造の本堂が

396-2-13.jpg
参道途中からの街並みを遠望

[参考書]

鳥取県の歴史散歩

新品価格
¥1,320から
(2023/10/15 16:07時点)



中国観音霊場巡礼の旅―山陽・山陰の名刹37ヵ寺 (歩く旅シリーズ 古寺巡礼)

中古価格
¥886から
(2023/10/16 20:17時点)



百八観音霊場ガイド

新品価格
¥1,650から
(2023/10/16 20:17時点)



観音巡礼~中国路の古寺と仏像~

新品価格
¥1,572から
(2023/10/16 20:18時点)



鳥取県 御朱印巡り 下巻 願いの巡禮

新品価格
¥4,800から
(2023/10/16 20:13時点)



小さな江戸を歩く 西国路編 出石~竹富島(小学館文庫)

新品価格
¥715から
(2023/10/15 16:09時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村

和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


鳥取県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
鳥取県
  1. 名和神社 (鳥取県西伯郡大山町名和) <名和神社 其の弐>(01/26)
  2. 長綱寺 (鳥取県西伯郡大山町名和)(01/25)
  3. 氏殿神社 (鳥取県西伯郡大山町名和) <名和神社 其の壱>(01/24)
  4. 道の駅奥大山 (鳥取県日野江府町大字佐川)(01/23)
  5. JR御来屋駅 鳥鐵の旅 (鳥取県西伯郡名和町)(01/22)
  6. 大山寺 圓流院 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の伍>(01/21)
  7. 大山寺 阿弥陀堂 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の肆>(01/20)
  8. 大神山神社奥宮 下山神社 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大神山神社 其の弐>(01/19)
  9. 大神山神社奥宮 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大神山神社 其の壱>(01/18)
  10. 石畳の参道 (鳥取県西伯郡大山町大山)(01/17)
  11. 大山寺 本堂 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の参>(01/16)
  12. 大山寺 下山観音堂 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の弐>(01/15)
  13. 大山寺への道 (鳥取県西伯郡大山町大山) <大山寺 其の壱>(01/14)
  14. 米子駅から大山口へ (鳥取県西伯郡大山町)(01/13)
  15. 大岳院 境内の墓碑 (鳥取県倉吉市東町) <大岳院 其の弐>(10/26)
  16. 大岳院 (鳥取県倉吉市東町) <大岳院 其の壱>(10/25)
  17. はこた人形工房 (鳥取県倉吉市魚町)(10/24)
  18. 玉川白壁土蔵群 (鳥取県倉吉市東仲町)(10/23)
  19. 大蓮寺 (鳥取県倉吉市新町)(10/22)
  20. 西町から新町通り (鳥取県倉吉市西町)(10/21)
  21. 倉吉最古の町家建築 (鳥取県倉吉市葵町)(10/20)
  22. 大江神社 (鳥取県倉吉市仲ノ町)(10/19)
  23. 長谷寺 厨子と絵馬 (鳥取県倉吉市仲ノ町) <長谷寺 其の参>(10/18)
  24. 長谷寺 崖の上の仁王 (鳥取県倉吉市仲ノ町) <長谷寺 其の弐>(10/17)
  25. 長谷寺 札所への道 (鳥取県倉吉市仲ノ町) <長谷寺 其の壱>(10/16)
次のページ
次のページ