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岩屋堂 (新潟県上越市名立区岩屋堂)

2024.01.12(20:39) 1698

一番札所へ大一番!(2023.10.9)

<コース>
【往路】JR柏崎(6:58) → JR米山(7:12)

米山駅前 → (徒歩40分) → 大清水観音堂 → JR米山(9:13) → JR直江津(9:41) → (徒歩15分) → 五智国分寺 → JR直江津(10:45) → 名立(11:01) → (徒歩20分) → 岩屋観音堂 → 徒歩8分 → 納経所 → 名立

【復路】名立(12:31) → 糸魚川(12:58→13:27) → (はくたか561号) → JR金沢(14:17→14:20) → (サンダーバード28号) → JR京都(16:37)

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岩屋堂観音堂 円明庵(曹洞宗 越後三十三観音霊場第一番札所)

 直江津からえちごトキめき鉄道に乗って名立下車。

前回のお盆の巡礼で道の駅と郵便局を訪問済ですが、その時、局長さんから

「線路の南側に岩屋堂と言う建物があって、風景印のデザインにも使われています。」

との願ってもない情報が、加えて名立の観光マップも頂きました。

通常、郵便局は巡礼とは独立して行動していますが、観光ガイドにも載っていない内容を

入手できたのは地元の人に接したお蔭といえます。

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名立郵便局 ; 鳥ヵ首岬灯台、日本海、岩屋観音堂

 お盆は電車時刻がありスルーした岩屋堂に今回リベンジ。

頂いたマップの内容から検索すると、何と越後観音霊場第一番。これは是が非でも行かねばなりません。

名立駅で下車すると次の電車は90分後、お堂までは何分かかるか不明でしたが、

地図を見ると何とか間に合いそう。

 名立駅から南に線路を越えて名立川沿いを南下し、バス停「名立中学校入口」を過ぎた地点で左折。

バス停「岩屋堂」は一つ先なので不思議でしたが、取り敢えず案内板に従っての行動。

暫く車道を上ると、

左;岩屋堂     右;納経所

とお馴染みの分かれ道。迷わず左へ進むと5分と掛からずお堂入口に。

そこのある案内板に従い階段を上った先に岩屋堂が鎮座。

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名立川に沿って道路を南下

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車道を上ると休憩所の前に案内板が立つ

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道路から参道へ

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大きく掲げられた案内板

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観音堂へは更に石段を上る

 岩屋堂観音堂円明庵(いわやどうかんのんどうえんみょうあん)は、

『大宝2年(702年)、白山開山で知られる越の大徳・泰澄大師がこの地に住まいし、

自ら彫刻した聖観世音菩薩像を安置したのが始まり。

その後、弘仁2年(年)に弘法大師がこの岩屋に籠り、御本尊の霊験を世に知らしめるべく、

観音堂の横に覆いかぶさる大岩に投筆して梵字を書いたとされ、その跡が現在も岩壁に残る。

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石段を上りきった先にみえる観音堂と大岩

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越後一番札所 岩屋堂観音堂

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観音堂近影
但し、扉は閉まっており、内陣を伺うこともできず外陣よりの参拝。

 康元元年(1256年)には北条五代執権最明寺入道時頼が諸国回国の折、

その霊感に打たれ越後三十三ヵ所観音霊場一番札所に定めた。

御本尊は鎌倉前期の製作とされ50年に一度御開帳される。

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観音堂の奥には大岩が迫る

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観音堂に覆い被さるように見える大岩

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大岩表面
弘法大師が梵字を書いたとされるが、何処にあるのかは凡人には分からず。

 春日山城を築いた頃の上杉家も厚い信仰を寄せた。

永禄元年(年)、一族の上杉(長尾)小四郎景直が欧州征伐に従った折、敵将に切り付けられたが、

日頃信仰していた観世音菩薩が刀の前に立ち塞がり身代わりとなって身を救った。

その時の傷跡が今も観音像の肩先に在るという。

境内には景直が亡き母のために建てた「円明院秀琳大姉」の墓も残る。

このお堂、御本尊と境内は名立区の文化財第一号に指定されている。』 とあります。

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大岩の手前には清水が湧く

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湧水近影

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湧水の脇から斜面を見上げると墓石が遠望できる
これが説明にある「円明院秀琳大姉」の墓か?

 泰澄・空海の事績はやや伝説的なので、御本尊の年代と合わせて

鎌倉時代頃から巡礼が盛んになったのでしょう。

お堂を建てた理由は、岩屋堂の名でも分かるようにお堂の脇にまで迫っている巨岩。

典型的な磐座信仰と言えそうです。加えて、巨岩の足元には水が出ており、

これが湧出水であるならば、寺院建立の強力な理由になったでしょう。

境内は山の中腹に堂宇や石仏が所狭しと並び、旧斜面に建つ円明院の墓は

下から見上げるしかありませんでした。

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観音堂前にある石仏群

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六地蔵の祠の後ろには石仏群が雑然と並ぶ

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素朴なお顔の三体仏

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説明はないが、これは干支の仏像か?

 参拝の後は御朱印拝受のため山の麓の集落まで。案内板では岩屋堂へ上る階段を

そのまま下ると集落へ行くようですが、階段は山道とあり見下ろすと雑草が繁茂。

これでは午前中の大清水観音堂の二の舞になるので引き返して右手の道路へ。

こちらも5分掛からず集落へ到着。事前に納経を担当されている方に連絡すると

集落の下手にある赤い屋根の集会所にあるとの由。

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岩屋堂への石段を下ると集落へ行くとあるが先が見えず

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集落の集会所が納経所になっている

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納経所には 「自分で押して下さい。」 との貼り紙が

私 ; 「御朱印帳には書いて頂けますか?」

担当者 ; 「判子は集会所にあるのを押して下さい。」

私 ; 「墨書はどうでしょう?」

担当者 ; 「それは我々では対応できないので、他所のお寺で書いて貰って下さい。」

との事。以前に、美濃の札所でも同じような事がありました。

「また判子だけか!」 と思って集会所へ行くと、書置きの御朱印が1部だけ残っていました。

地獄に仏とはまさにこの事を言うのでしょう。

同じ場所に「越後三十三観音詳細地図」も販売してあり¥1000で購入。これも一番札所だからでしょうか?

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奇跡的に一部だけ残っていた書置き御朱印

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札所の御札も入手

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越後三十三観音詳細地図  ¥1000

 御朱印拝受の後は駅まで戻りますが、来た道をまた戻るのかと面倒でしたが、

集会所の先には名立川が。下っていくと川沿いに出て「岩屋堂」のバス停が目の前に。

 最初、一つ手前で左折したのが不思議でしたが、これは自動車での参拝だった訳で、

昔はこの場所から集落を上って参拝していたのだと悟りました。

徒歩巡礼にはこちらが正統ですが、往復で違うルートを体験したのもある意味では貴重と言えます。

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納経所をそのまま下ると名立川沿いの道路へ出る

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下った先が 「岩屋堂」 バス停

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五智国分寺 三重塔 (新潟県上越市五智) <国分寺 其の弐>

2024.01.11(20:11) 1697

歴史の生き聖人(2023.10.9)

<コース>
【往路】JR柏崎(6:58) → JR米山(7:12)

米山駅前 → (徒歩40分) → 大清水観音堂 → JR米山(9:13) → JR直江津(9:41) → (徒歩15分) → 五智国分寺 → JR直江津(10:45)

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安国山 華蔵院 国分寺(天台宗 越後国分寺)

 広い国分寺境内には本堂に加えて種々の建造物が。

『参道西側に建つ経蔵は棟札から元禄6年(1693年)の建立。蔵内には元禄5年の寄進銘を持つ

「鉄眼版一切経」 が納められ、建築年代の特定できる建造物では市内最古にある。

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宝形型の経蔵

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白山神社神輿殿

 その北には白山神社の神輿のお旅所・松尾芭蕉の句碑・千代垣素直の狂歌碑と続く。

芭蕉の句は元禄2年7月8日に高田の医師・細川春庵を訪れた折のもので、

その庭の薬草園を詠じた句であるが、当時の国分寺境内も一面薬草の茂る草原だったようで、

それに因んだ句碑の建立である。』 とあります。

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・薬欄に いづれの花を くさ枕    芭蕉翁
但し摩滅が進み判読し難いのが難点。

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芭蕉句碑解説

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千代垣素直の狂歌碑

 それよりも参道東側には国分寺を代表する三重塔が。

3セクになる前のJR時代の直江津駅スタンプの図柄は三重塔と親鸞聖人。

風景印のデザインにも描かれているので、直江津を代表する建造物と誰しも認めるものだからでしょう。

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参道から見た三重塔

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JR直江津駅スタンプ (JR東日本新潟支社印)

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五智郵便局 ; 史跡春日山城址碑、国分寺三重塔、直江津港、灯台
直江津郵便局 ; 直江津港、国分寺三重塔、親鸞聖人像

『五智国分寺三重塔は上越地方では唯一残る塔で、寛政6年(1794年)に焼失した後、

安政3年に再建に着手。20年の歳月を掛けて現在の姿になった。

高さ28.85m、間口4.8、奥行4.8m。但し今でも高欄等は未完成の扱いである。

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三重塔全景

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下より塔を見上げる

 再建は宮大工曽武川常右衛門、江崎の長三郎の手になり、塔の心礎を鎖で吊って

固定しないという江戸時代後期から現れる手法を採用している。

また壁面には高田の住人石倉(後藤)正義銘の十二支と二十四考の中から選んだ

十二考の彫刻が嵌め込まれている。新潟県指定文化財の塔である。

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三重塔壁面の十二支彫刻
左より、丑、子、亥

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同じく、辰、卯、寅

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こちらは、戌、酉、申?

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屋根の垂木と組物

 塔の奥には親鸞聖人像と、聖人が越後へ流罪になった際に住まいしたとされる

竹之内草庵が建ち、伝親鸞聖人座像を安置する。』 とあります。

 古代国分寺の継承寺院とは言うものの、度重なる火災で江戸時代以前の建築は

三重塔を含めごく僅かしかありません。そんな中にあって親鸞聖人はここに足跡を残しています。

歴史の証人は決して今に残る物だけではありません。叡山で学んだとはいえ、

他宗派の宗祖の像を境内に置くなど、我が国の仏教は随分と他派に寛容なようです。

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境内に立つ親鸞聖人像はJR印の図柄?

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東口付近にある竹ノ内草庵

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草庵内に安置された伝親鸞聖人座像

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五智国分寺 (新潟県上越市五智) <国分寺 其の壱>

2024.01.10(20:42) 1696

越後の国府に建つ古刹(2023.10.9)

<コース>
【往路】JR柏崎(6:58) → JR米山(7:12)

米山駅前 → (徒歩40分) → 大清水観音堂 → JR米山(9:13) → JR直江津(9:41) → (徒歩15分) → 五智国分寺 → JR直江津(10:45) 

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安国山 華蔵院 国分寺(天台宗 越後国分寺)

 雨の中早朝巡礼した甲斐あって米山駅9:13の電車で直江津下車。

JR切符はここまでで、ここから先は3セクのえちごトキめき鉄道へ乗換え。

電車の連絡は数分でしたが、予定より早いので、1本遅らせて市内散策。

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えちごトキめき鉄道 直江津駅スタンプ
3セクになっても交通の要衝としての位置は変わらないが、新幹線が停車しないのが玉に瑕。

 直江津駅から県道468号線(旧8号線)を西へ1㎞ほど進むと国分寺のある五智地区。

国分寺は海岸近くの雑木林の中にあり、県道のバス停北には親鸞が姿を映したという鏡ヵ池が、

南側には朱塗りの裏門がある、と案内書にはありますが、途中から細道に入った私は東口から境内へ入る羽目に。

国分寺に対してこれは失礼なので、改めて南側にある仁王門から一礼して入山。

朱塗りの柱の仁王門は天保6年(1835年)の再建、阿吽の仁王像は翌7年の作だそう。

山門正面に架かる「安国山」の扁額、仁王門から本堂までの長い距離は、

かつての広大な境内を想像するに十分でした。

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あらためて南側に建つ朱塗りの仁王門から入山

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右側に安置された仁王(阿像)

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左側に安置された吽像

 安国山華蔵院国分寺(あんこくさんけぞういんこくぶんじ)は、

『天平13年741年、聖武天皇は詔に拠って各国に国分寺・国分尼寺を建立するように命じた。

この時、越後の国分寺が建立された場所は未だに明らかではなく、本長者原廃寺跡、

岩殿山奥の院に比定する説の他に、海岸浸食で水没したとするものもある。

 平安時代の 『延喜式』 には寺料2万束との記述があり、中世には伊豆走湯山別当密蔵院の末寺の

真言宗寺院とも伝わる。

承元元年(1207年)、親鸞が越後国に流罪になった際には、境内に草庵を結び住まいしたとされる。

室町時代には当地を訪れた万里集九が境内の様子を 『梅花無尽蔵』 に描写している。

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仁王門から真っすぐ進むと再建された本堂に至る

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本堂全景

 その後、戦乱もあって衰退したが、永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地に移転・再興。

境内は土塁に囲まれている事から、移転前は豪族の居館であったと考えられている。

謙信以降も後継者の景勝は当寺を崇敬し、また江戸時代には幕府から朱印地200石が与えられた。

慶安元年(1648年)には天台宗に改宗していたとされ、現在に至るまで五智国分寺は

越後国分寺の後継寺院として位置付けられている。

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本堂へは正面の入口から入る

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本堂の向拝下にて

 本堂に祀られた本尊は大日・釈迦・宝生・薬師・阿弥陀の5体の五智如来で、ここから

「五智」の地名が起こったという。堂宇は元禄2年(1689年)と寛政6年(1794年)の火災で全て焼失。

その後、再建・修復されたが、昭和63年(1988年)1月に失火で本堂と本尊が全て焼失。

有志の浄財に拠って平成9年1997年に本堂が完成し、2003年には新たに制作された5体の如来を安置した。』

とあります。

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本堂入口に向かう

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本堂奥に安置された五智如来

 当寺は平成7年GWの【僕の細道】旅行で最後に観光した場所。

当時は1日2本だけ運行されていた新潟~大阪間の特急雷鳥の時間待ちの間でした。

しかしいざ訪問してみると伽藍はなくガランとした境内に三重塔が建つのみ。

ボランティアの女性の話では、数年前のホームレスの失火で本堂は全焼、再建に向けて準備中でした。

御朱印は無理だと諦めましたが、女性が駆け回って書置きを持参下さり感激した記憶があります。

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五智国分寺御朱印 (平成7年拝受)

 今回は、再建された本堂に無事対面することが出来ましたが、本堂前には不在の貼紙が吊るされ

内陣へは入れず外陣のみの拝観。正式な御朱印も持越しになりました。

駅前観光案内所で頂いたパンフでは同じ五智地区の西に国分寺奥の院に当たる明静院があって

重文・大日如来を祀っているそう。次回は奥の院とセットで国分寺巡礼を計画せねばなりません。

同時にMHCも発行されれば【なお、えぇっつ】事は言うまでもありませんが。

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本堂前に吊るされた無情の札

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入口から見た本堂内部

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柱の前に鎮座する 「撫で仏」 は御賓頭盧様?

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大清水観音堂 飯縄社と木喰堂 (新潟県柏崎市大字大清水) <大泉寺 其の参>

2024.01.09(20:33) 1695

鎮守社はちょっと上すぎ?(2023.10.9)

<コース>
【往路】JR柏崎(6:58) → JR米山(7:12)

米山駅前 → (徒歩40分) → 大清水観音堂 → JR米山(9:13)

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東山 大泉寺(真言宗豊山派 越後三十三観音霊場第三番札所 越後新四国八十八ヵ所霊場第四番札所)
飯縄社本殿

 重文・観音堂を十分堪能したあとは、境内の他の建造物へ。

『境内に隣接する飯綱社本殿は新潟県指定文化財。室町時代に大泉寺境内の鎮守として創建されたと伝わる。

一間社流造りの社殿に見世棚造りとし、茅葺以上の屋根を欠いている。

元はそのまま露出していたものを、近世になってから覆いの屋根を造って社殿を保護するようになった。

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観音堂前に建つ鳥居と飯縄社へと向かう石段

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正面から見た飯縄社本殿

 屋根を支えている柱上部の斗や肘木の組物や、戸口の両側と上の三方に取り付ける

額縁状の部材である幣軸の曲線などの細かい所に和様と禅宗様を取り混ぜた跡が見られ、

室町時代の様式をはっきりと残している。』 とあります。

 説明文を読んだだけでは分かりませんが、実際に間近で見た仁王門・観音堂・飯縄社は

一見すると同じ時代・同じ作風に思えます。唯一、飯縄社だけが少し【上過ぎ】の感はありますが…。

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本殿前に聳える杉の御神木と奥に見える観音堂

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鳥居の左は本堂と庫裏への道

 観音堂と鳥居の間の石畳を抜けると本堂と庫裏。仁王門や観音堂と異なりずっと後世の建築の様でした。

本来はここがメインの筈ですが、参拝時は留守で本堂扉も閉まったまま。

本堂の向拝の彫刻が見事だっただけに、内陣を見る事ができなかったのは心残りでした。

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庫裏へと続く石畳

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石畳の左手に大泉寺本堂が

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本堂全景

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正面から見た本堂

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本堂向拝欄間の彫刻群

『また境内には漂泊の僧木喰(もくじき)ゆかりの品も残る。木喰は全国を旅し千体の仏像を造ることを発願。

55歳から93歳で遷化するまで「木喰仏」と呼ばれる仏像を彫り続けた。

彼は享和2年(1802年)から文化2年(1805年)にかけて越後に滞在し、仏像造りに心血を注いだ。

木喰仏は柏崎市西港町の潮風園や関町の十王堂などに存在するが、

既成の技法に拘らない表情豊かで、観る者の気持ちを温める不思議な存在感に満ちている。

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留守の貼紙のあった庫裏

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庫裏の向かいにある木喰堂

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堂内に安置された子安地蔵尊
木額は分からずじまい。

 当寺境内の大銀杏の下にも木喰堂があり、木喰88歳の折に彫られた子育て地蔵と木額が残る。木額には

・いさきにも 心にかけて 頼みくる たのむ人こそ むなしかるまじ    文化二年三月 天一自在法門 木喰五行菩薩

と記されている。

多くの仏像を残した木喰も自刻の版木や木額の類は少なく希少価値のあるものとして注目されている。

とりわけ上人の所信が吐露された歌額は稀で貴重な資料である。』 とあります。

観音堂がメインとはいえ、それ以外にも様々な建造物があるのは古刹ならでは。

唯、境内に点在しているのに加え、説明等も少ないので、訪れる人には穴場になっているようです。

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石碑と宝篋印塔

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歌碑だと思うが説明なし

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参道脇の石仏群

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大清水観音堂 重文・大泉寺観音堂 (新潟県柏崎市大字大清水) <大泉寺 其の弐>

2024.01.08(19:54) 1694

上杉氏ゆかりの寺(2023.10.9)

<コース>
【往路】JR柏崎(6:58) → JR米山(7:12)

米山駅前 → (徒歩40分) → 大清水観音堂 → JR米山(9:13)

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東山 大泉寺(真言宗豊山派 越後三十三観音霊場第三番札所 越後新四国八十八ヵ所霊場第四番札所)

 観音堂へ向かう歩道から漸く山頂に辿り着くと、右手には仁王門、左手には観音堂を始め諸堂が建ちます。

先ずは仁王門へ向かう事に。

『仁王門は天正7年(1579年)、上杉景勝に拠り建立。内部の左右には阿吽の仁王像が置かれ、

「稲刈り仁王」の名で呼ばれる。昭和61年に柏崎市指定文化財となった。

しかし平成19年7月16日の中越沖地震で仁王門は全壊。各方面の方々の支援を受けて

平成21年12月に修復を完了した。』 とあります。

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歩道を上った右手に建つ仁王門

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仁王門震災復興之記

 近くに拠ってみても新築の【匂う】事がないのは全焼ではなく全壊であったため。

【前回】と同じ旧材を再利用できた事が大きかったと言えます。照明がないものの、

稲刈り仁王像にも対面。但し右側の阿像のみで、左側の吽像は不在状態。

傷みがひどく修復完了にはもう少し時間が必要な様子でした。

その後は参道を挟み仁王門の向かいにある境内へ。

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明かりの無い暗闇の中で仁王阿像を見上げる

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仁王吽像の修理中貼紙

 東山大泉寺(とうざんだいせんじ)は、

『朱鳥元年(686年)、持統天皇の発願で泰澄大徳に拠り創建されたと伝わる。

観音堂はかつて八幡太郎義家が参拝したとされ、歴代武将の尊崇を受けた。

戦国時代には越後守護上杉房能、国主上杉謙信、その養子の上杉景勝が参詣し

武運長久を祈願する等、この地方の信仰の中心であった。

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歩道左手奥に観音堂が見える

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参道脇には六地蔵が鎮座

 観音堂は永禄2年(1559年)5月に落雷に拠って焼失、現在の観音堂は文禄2年(1593年)の再建である。

堂内には年号が書かれた「肘木」が保存され、後に重文に追加指定を受けている。

慶長2年(1597年)の越後絵図に「大清水観音」と記されているように、

地名から大清水観音と呼ばれるのが常である。

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重文・大泉寺観音堂

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観音堂近影

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観音堂の正面と側面

 堂は桁行三間、梁間四間、寄棟造りの茅葺屋根で禅宗様建築、簡素な構造ではあるが

再建以前の室町時代の形式や手法が見られる。

堂内の丸柱中一本の萩の柱は日本一の萩の柱と確認されている。

昭和4年(1929年)に国宝、昭和25年には文化財保護法の制定に拠り重要文化財と改称。

その格調高い手法は斯界に驚嘆されている。

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苔生した茅葺屋根

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緩やかなカーブを描く向拝

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正面向拝下にて

 堂内の前立仏・銅造千手観音菩薩坐像は新潟県文化財指定である。

また堂から下がった所に「新潟の名水」に指定された清水が湧き出ている。』 とあります。

 当寺のメインは重文の観音堂。写真を見る限り簡素で小ぢんまりとした堂宇の印象ですが、

実際にその前に建つと予想外の大きさに圧倒されました。

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閉鎖中の正面扉

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観音堂正面に掲げられた 「大悲閣」 の扁額と蟇股の梵字

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正面右側に回ると貼紙が

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観音堂内へはここから参拝

御朱印を拝受すべく向かった寺務所には不在の貼紙が。

「巡礼札所で不在とは【どうない】なっとるんや!」と思いましたが、

越後の霊場は住職不在で近隣の集落の方が管理している札所も【多いと(大糸)】か。

そうなると不在の貼紙は臨時ではなく常態化している可能性が大です。

折角の早朝参拝で御朱印なしとはショックですが、観音堂の扉には御自由にお参り下さいとの表示が。

堂内へ入ると、書置き御朱印・霊場札・巡礼パンフが置かれており、堂内参拝と併せて合わせ技一本でした。

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観音堂内部

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外陣に置かれた御朱印・御札等

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扉の隙間から見た内陣
御本尊は厨子の中に安置され、御前立と四天王像が鎮座。

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外陣には修復された賓頭盧尊者が

 堂から下がった場所に湧く清水は寺名の由来にもなった名水。

是非拝むべく探しましたが、結局見つけることは出来ず。

最早、枯渇したのか否かは分かりませんが、水が枯れると人も枯れるのは道理。

思わず冷水を浴びせられた気分になりました。

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拝受した書置き御朱印 (越後観音札所)

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札所の御札  各¥100

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越後三十三観音霊場パンフも入手 (無料)

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大泉寺解説

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観音堂前に建つ宝篋印塔
その向こうからは頸城三山の絶景が見える。

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歩道を進んで下ると霊水があるらしいが結局見つからず

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大清水観音堂 大清水への道 (新潟県柏崎市大字大清水) <大泉寺 其の壱>

2024.01.07(23:08) 1693

200mの山頂からの展望絶景!(2023.10.9)

<コース>
【往路】JR柏崎(6:58) → JR米山(7:12)

米山駅前 → (徒歩40分) → 大清水観音堂 → JR米山(9:13)

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東山 大泉寺(真言宗豊山派 越後三十三観音霊場第三番札所 越後新四国八十八ヵ所霊場第四番札所)

 越後巡礼三日目はお盆と同じくJR柏崎駅からスタート。宿泊先も朝食も全く同じでした。

違うのはお盆が平日だったのに対し、この日は日曜。お盆には巡礼を休止してまで

一日郵便局巡りをしましたが、今日は一転して巡礼三昧。

唯、天気は朝から生憎の雨模様。どうせなら郵便局巡りが雨なら良かったのですが後の祭り。

昨日の出雲崎の芭蕉園で【曾良見たことか!】の影響でしょうか?

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有人駅時代(1994年)に押印したJR米山駅スタンプ

 早朝6時に朝食を摂って朝一の電車に乗り米山駅で下車。

かつての有人時代の駅スタンプには三階節の一節が書かれ、駅名からも米山薬師への最寄り駅と

思われがちですが、交通の便では次の柿崎駅が便利。

 実は米山駅の旧名は鉢崎と書いて「はっさき」、いかにも越後らしい響きに

海に面した位置が意識できたものですが、民謡の三階節で有名な山の名に改称。

知らない人には酷な話であることを思うと改悪とも言えます。地元ネタになりますが、

門真市自動車試験場の最寄りが門真市駅ではなく古川橋駅になるようなものでしょうか。

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鉢崎郵便局 ; 日本海、米山、米山大橋

 JR米山駅から国道8号線に出て上越方面へ1.2㎞、15分程歩くと左手に観音堂への道標が屹立。

道路からもよく見えるように設置しているのは、目的地が越後観音霊場札所だからでしょう。

 ここからは舗装された二車線の上りが続きますが、暫く行くと看板が立ち、

左;車の道 1500m、

右;歩く道 500m、約15分

という運命の分かれ道。

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国道8号線沿いに建つ道標

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徒歩にも車にも分かり易い表示

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上り始めはこのような舗装二車線

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暫く行くと道は左右に分かれる

 そういえば事前に調べた観光ガイドには駅から徒歩30分と55分と随分差がある記載がありましたが、

これはどちらの道を採るかの違いだと納得。早朝出発とはいえ、時間が惜しいので迷わず右に進みましたが、

獣道ではないものの、入り口付近には雑草が繁茂し水溜まりも点在する状態。

蜘蛛の巣を払ったのも一度や二度ではありませんでした。

というとお盆の国上寺への参拝を思い出しますが、今時、徒歩巡礼は絶滅危惧種に近い状況なのでしょう。

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徒歩路の初め

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いよいよ佳境へ

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途中、見晴らしの良い場所からの日本海の眺望

 漸く前方に建物らしきものが見えた時はホッと安心。熊に遭遇しなかっただけでも感謝です。

ぬかるんだ道に運動靴をとられながらも時間は看板通り15分で到着しました。

標高216mの山上にある境内からは火打山、妙高山、黒姫山や日本海の眺望が素晴らしいとありましたが、

生憎の雨。全く期待できませんでしたが、到着してみると見事なまでに見渡すことが出来ました。

雨でも視界が遮られないような風向きなのでしょう。これは普段の行い云々ではないようです。

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漸く、仁王門へ到着

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境内からの頸城三山遠望

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頸城三山のパノラマ解説

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良寛記念館と夕日の丘公園 (新潟県三島郡出雲崎町米田)

2024.01.03(03:37) 1692

郷土で【たいせつ】にされる良寛さま(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

ホッと情報館陽だまり → (レンタサイクル20分) → 道の駅 越後出雲崎 天領の里 → 代官所跡 → 獄門跡 → 旅立ちの丘 → 北国街道妻入りの街並 → 光照寺 → 円明院 → 良寛堂 → 芭蕉園 → 良寛記念館と夕日の丘公園 → ホッと情報館陽だまり

【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

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良寛と夕日の丘公園 (にいがた景勝百選の一位)

 天領出雲崎を一通り見たあとは、レンタサイクル(4時間)と数少ない電車に合わせてJR出雲崎駅へ。

北国街道から352号線へすすみ丘を登った場所に二施設があったので、この日最後の立ち寄り。

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公園の入口にて

『良寛記念館は、出雲崎出身の郷土史家である佐藤吉太郎(号;耐雪)の呼びかけで、

出雲崎町全町民から寄付を募り、財団法人美術館として1965年に開館。

建物は文化勲章受章者の谷口吉郎の手になり、生家橘屋所縁の虎岸ヵ丘に

優美な回廊から成る和風建築として完成。平成28年には国登録有形文化財の指定を受けている。

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良寛記念館入口に建つ 「耐雪庵」

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庵の奥に置かれた良寛さま木像

 記念館の入口に茅葺の庵が立つが、これは昭和63年に東京と名古屋で開催の良寛遺墨展で、

五合庵を模して展示されたもので、展覧会終了後、主催者の朝日新聞社から寄贈された。

名前は良寛記念館の開設に尽力した佐藤吉太郎の号より耐雪庵と名付けられた。

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公園高台に建つ 「にいがた景勝百選の一位」 の石碑

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良寛歌碑の向こうには日本海

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歌近影

 記念館の並びにあるのが「良寛と夕日の丘公園」。子供と遊ぶ良寛像と良寛の詩歌碑が建つ

「にいがた景勝百選の一位」に選定された公園である。』 とあります。

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こちらは良寛詩碑

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詩の近影

 時刻も17時前で日没も随分早くなりましたが、何と外観だけは一見。

記念館は時間切れでしたが、夕日の丘では文字通り夕日を拝することが出来ました。

丘の上には何人かの観光客が居て日本海を背景に撮影。景勝百選の一位は伊達ではありませんでした。

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公園から見る出雲崎の街並み、日本海と佐渡島

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出雲崎港

 若い頃に出雲崎から【雄飛】した良寛ですが、中年以降には越後へ戻りこの地で生涯を終えました。

そんな故郷を【たいせつ】に思う気持ちが同郷の人の琴線に触れるのでしょう。

決して【金銭】ずくではありませんでした。

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公園の良寛像

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出雲崎郵便局 ; 良寛記念館、日本海、佐渡島

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芭蕉園 (新潟県三島郡出雲崎町住吉町)

2024.01.02(15:37) 1691

天河伝説(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

ホッと情報館陽だまり → (レンタサイクル20分) → 道の駅 越後出雲崎 天領の里 → 代官所跡 → 獄門跡 → 旅立ちの丘 → 北国街道妻入りの街並 → 光照寺 → 円明院 → 良寛堂 → 芭蕉園 → 良寛記念館と夕日の丘公園 → ホッと情報館陽だまり

【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

398-14-1.jpg
芭蕉園全景

 良寛さんの生家と菩提寺に続き、すぐ西にあるのが芭蕉園。

ここには橘屋の後に名主になる町年寄敦賀屋があり、その跡が芭蕉園になっている。

ここも尼瀬町との境という事で大木戸が設置され、羽黒町までが本町と呼ばれていた模様。

『元禄2年(1689年)、この北陸路に奥の細道の行脚をしていた芭蕉は出雲崎の旅人宿大崎屋に一泊している。

同行した門人の曾良は『曾良旅日記』の7月4日の記述の中に

「四日快晴、風(中略)同晩、申ノ上刻、出雲崎着宿ス、夜中、雨強降」

と記している。

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旅姿の芭蕉像

 この夜、海辺の窓を押し開けて大宇宙を観じた芭蕉は天下の名吟

・荒海や 佐渡によこたふ 天河

の霊感を得たに違いない。尚、旅人宿大崎屋はこの芭蕉園の街道向かいにあった。

昭和29年(1954年)7月、芭蕉真筆の天河の序を刻んで句碑にし、

周囲に庭園を整備し「芭蕉園」と名付けた。』 とあります。

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境内に建つ 『奥の細道』 の句碑

 『奥の細道』 は紀行文というよりも文学作品で、曾良の旅日記と比較しても

虚構が散見されるというのは良く知られた話。

 唯、佐渡に至近の港とはいえ、海岸から見る日本海は比較的波も穏やかですし、

波が荒ければ金銀の運搬にも支障を来すのは道理。

そのため、この句もお定まりの虚構かと思いましたが、曾良日記の内容に照らし合わせると、

夜の大雨に着想を得たというのが本当の所の様です。

別段、虚構であっても名吟の価値が下がるものではありませんが、

読者としてはやはり事実を詠んで欲しいもの。【曾良】見た事か!というのが正直な感想でした。

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句碑と一説

 それにしても『奥の細道』の中でも、日本海側で詠まれた中で最も人口に膾炙したのがこの句。

その昔、瀬戸内を舞台にした金田一耕助シリーズの映画で、三木のり平演じる村人が

・荒海や 瀬戸に横たふ 天の川

と言う句を詠むシーンがありましたが、直ぐ盗作とばれるのがポイント。それ程、知られた句と言えます。

映画の題名は「獄門島」、作者の横溝正史がその着想を出雲崎の地で得たかどうかは分かりませんが、

「八つ墓村」始め、実際の事件に題材を採る事の多かった原作者ならあってもおかしくない話です。

それなら、記念碑でもありそうですが…。

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『奥の細道』 の部分

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圓明院 (新潟県三島郡出雲崎町住吉町)

2024.01.01(18:18) 1690

良寛生家の菩提寺(2023.10.8)


<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

ホッと情報館陽だまり → (レンタサイクル20分) → 道の駅 越後出雲崎 天領の里 → 代官所跡 → 獄門跡 → 旅立ちの丘 → 北国街道妻入りの街並 → 光照寺 → 円明院 → 良寛堂 → 芭蕉園 → 良寛記念館と夕日の丘公園 → ホッと情報館陽だまり

【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

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孤岸山 圓明院(真言宗豊山派)
北国街道に南面して山号・寺号標が建つ。

 良寛堂が生家跡ならば生家の菩提寺に相当するのが圓明院。

北国街道を少し西へ戻り右手の山側に建つのが目指す寺院。

街道沿いに建つ寺号標からお堂まで参道と階段が一直線に伸びます。

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階段の先に建つ堂宇

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階段脇には寺号標と地蔵様が二体

 孤岸山圓明院(こがんざんえんめいいん)は、

『良寛の生家橘屋の菩提寺。良寛の生家は代々に亘り名主役を務め橘屋と号し、姓を山本と言った。

良寛の母秀子は佐渡相川の人で、長男の良寛が26歳で備中玉島の圓通寺で修業中、

四男三女の七人の子供と夫以南を残して49歳で病没、当院に葬られた。

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階段を上った先に建つ伽藍

 以南の三男の宥澄(ゆうちょう)は生家の菩提寺の縁で、当院住職に入った。

宥澄は大和長谷寺で学問を修め碩学を謳われ後に圓明院第十世を継承、

法灯を護っていたが、寛政12年(1800年)正月5日31歳で夭折した。

 良寛は43歳になっていたが、

・おもかげの 夢に見ゆる かとすれば さながら人の 世にこそありけれ

という歌を詠んで宥澄の早世を悼んだ。』 とあります。

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階段を上った右手に建つ良寛歌碑

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歌碑解説

 名主の長男に生まれながら良寛は出家、その弟も出家します。

天皇家や高級貴族では家の安寧と口減らしを兼ねて一族の誰かを仏門に入れることが

ままありましたから、名主の家で同様の事があっても不思議ではありません。

唯、長命を保った良寛はさておき、宥澄は早世、実家の橘屋も没落して名主を外れることになり、

仏の効果はなく【こがん】での【えんめい】とはいきませんでした。

余りにも【ゆうちょう】に構え過ぎたのが災いしたのでしょうか?

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百日紅の下に並ぶ石仏群

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境内から見た出雲崎の街並みと日本海の向こうに浮かぶ佐渡島

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良寛堂 (新潟県三島郡出雲崎町石井町)

2023.12.31(16:57) 1688

良寛生誕の地(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

ホッと情報館陽だまり → (レンタサイクル20分) → 道の駅 越後出雲崎 天領の里 → 代官所跡 → 獄門跡 → 旅立ちの丘 → 北国街道妻入りの街並 → 光照寺 → 円明院 → 良寛堂 → 芭蕉園 → 良寛記念館と夕日の丘公園 → ホッと情報館陽だまり

【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

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良寛生誕地 橘屋跡(新潟県史跡)

 JR出雲崎駅から国道352号で山を越え、北国街道に交わるすぐ東にあるのが良寛堂。

北国街道からでも全体が見渡せます。出雲崎観光では真っ先に取り上げられ、

写真にも載る名所ですが、厳密にはお寺ではなく生家の跡地というのが正式名。

近所の家族連れが遊ぶ姿も見え、史跡よりも公園・休憩所と言った方がしっくりきます。

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北国街道から見た良寛堂

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入口に建つ石碑

『この史跡は良寛の生家橘屋山本家の屋敷跡。良寛は宝暦8年(1758年)、

出雲崎町名主山本以南の長男としてここに生を受けた。橘屋は町内の石井神社の神職も務めていた。

元の屋敷は現在地の約二倍の広さで、ここは幕府の御触れを告げた高札場であったという。

最初の代官所は同じ町内の秋田屋敷(現在の石地屋)にあり、橘屋から最も近い代官所として

力を持っていた。また遊郭もあり当時は殷賑を極めたという。

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敷地内に建つ解説板

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境内に建つ句碑
解説等が一切ないため詳細不明。

 道路脇から真っすぐ石畳が伸びる先、広い敷地の中に人間一人がやっと籠れるような

小ぢんまりしたお堂が良寛堂。

良寛堂は地元の郷土史家佐藤吉太郎(号:耐雪)が計画、日本画家の安田靫彦の設計で

大正11年(1922年)9月に建立。後に出雲崎町に寄贈された。

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正面(南側)から見た良寛堂

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良寛堂側面
残念ながら内部拝観はできず。

 堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に

・いにしえに かわらぬものは ありそみと むかひにみゆる さどのしまなり

の良寛自筆の歌が刻まれている。

良寛の母の故郷佐渡ヶ島を背景に日本海に浮かんで見えるように設計された浮御堂で、

小堂の裏側には佐渡ヶ島を見つめる良寛の座像が彼の心境を物語り感慨深いものがある。』

とあります。

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良寛堂の北側(海側)にある良寛像

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良寛像近影

 説明板は入口脇にあるだけであとは一切なし。天領出雲崎にしては珍しいですが、

観光する人にはここに立って佐渡ヶ島を眺めながら各自で想像を巡らして欲しいという

心積もりなのでしょう。というよりも良寛の心の内に分け入るのは困難。

実写版「英雄たちの選択」を体験することになりました。

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母の故郷の佐渡島を見つめる良寛さんの像

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出雲崎港郵便局 ; 良寛和尚誕生之地碑、良寛堂、佐渡島
信越郵政局で発売された出雲崎の「ふるさとはがき」 に郵頼で押印したもの。左下は郵便貯金の局名ゴム印。

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光照寺 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)

2023.12.30(22:08) 1687

良寛和尚出家の寺(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

ホッと情報館陽だまり → (レンタサイクル20分) → 道の駅 越後出雲崎 天領の里 → 代官所跡 → 獄門跡 → 旅立ちの丘 → 北国街道妻入りの街並 → 光照寺 → 円明院 → 良寛堂 → 芭蕉園 → 良寛記念館と夕日の丘公園 → ホッと情報館陽だまり

【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

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海嶽山 光照寺(曹洞宗 越後三十三観音霊場第十九番札所)

 北国街道を西から東へ向かうと所々に南の山側に登る細道があって、

そこからは町と日本海の向こうに遠く佐渡を望むことができます。

 尼瀬から諏訪本町に入ると町家造りの休憩所の向かいにはやや広い坂が。

手前には東京藝術大学の学生が描いた街並みのスケッチが掲げられているのは

風光明媚な場所の筈。という事で自転車を降りて坂の上へ。

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細道に掲げられた東京藝術大学生のスケッチ

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坂の上から街並み、日本海、佐渡島を遠望

 期待に違わぬ眺望でしたが、同時に「出雲崎おけさ」「孝婦ゆり」の石碑があり、

訪れる銘々が越しの歴史自然ルートを楽しむ仕組みになっています。

その直ぐ上手からは、柵越しに山羊が二頭顔を覗かせて 「めぇーめぇー」 鳴いていました。

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おけさ発祥の地の碑

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碑の解説

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孝婦ゆりの碑

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ゆり小伝

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柵の間から顔を出す二頭のヤギ

 石碑から東へ道を行くと幾つかの寺院が建ちますが、もっとも山側にあるのが光照寺。

寺へ至る光照寺坂の石段右手には石碑が建ち 「良寛禅師剃髪之寺」 文字が。

これは昭和5年(1930年)に良寛百回忌を記念した建碑で、

揮毫は糸魚川出身の詩人相馬御風の手になるもの。裏面には

良寛禅師をしぬびまつりて

・ももとせの 昔は昔今の世に 在さば如何にと 思ほゆるかも   御風

の歌も刻まれていました。達筆で解説なしでは読めませんでしたが…。

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寺院への階段登り口

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良寛禅師剃髪之寺の碑

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碑の裏面の相馬御風の歌碑

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階段脇の石仏

 坂を上った先には狭い境内に堂宇がお出迎え。海嶽山光照寺(かいがくさんこうしょうじ)は、

『白河天皇の承保年間、蛇崩沖に終夜光るものがあり人々は恐れた。

荒木甚助と名の強士が小舟に棹して近づき、拾い上げると三尊正観世音菩薩であり、

不思議な事として霊験が人々の知る所となり、当国霊場の19番札所となった。

 戦国時代に春日山太守であった上杉謙信公の母君、光照坊の信を得て本堂建立、

当寺の開基となった。天正年間に果翁良珊和尚が光照寺と改称し開山となった。

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階段を上った先から境内を見る

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本堂の向拝前にて

 仏殿の奥に建つのが善宝寺。庄内の善宝寺の分かれで、北辰妙見大菩薩を祀る。

「海上安全」「大漁」「商売繁盛」で現在に至るまで多くの信者を持ち、海岸町には相応しい守り堂である。

善宝寺の開基は江戸中期と伝わるのみで一切不明。内陣には明治の船絵を五面保存している。

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向拝下にて

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本堂前面に掲げられた扁額

 また当寺は良寛の出家した寺としても知られる。良寛は出雲崎で代々名主役を務めてきた

橘屋山本家の長男「山本栄蔵」として宝暦8年(1758年)に生まれた。

父は以南の号を持つ俳人、母秀子は良妻賢母型の婦人であったと伝わる。

彼の出家に関しては汗牛充棟の如く説があるが、絶え間ない家の揉め事と

跡目相続に嫌気が差したと一般には考えられている。

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本堂内部の様子

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本堂に掲げられた扁額

 安永4年(1775年)、発心して仏門に生きる道を求め、町内にある光照寺で

十二世玄乗破了和尚の元で剃髪。名を良寛と改め自らは大愚と称した。

当時の寺領は裏山を越えて中山にまで伸びており、若い良寛は寺内の行持は言うに及ばず、

中山の山林や茶畑で働くこともしばしばであったという。西照坊は丁度この頃に出来た尼堂で、

良寛はここに妙喜尼を何度か訪問している。尚、現在に残る西照坊は昭和54年の再建である。

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仏殿奥に建つ善宝寺

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越後出雲崎代官・石上彦五郎碑

 当寺で4年間修行後の安永8年、破了和尚の師である備中玉島の圓通寺十世の大忍国仙和尚が

当寺に来たが、22歳の良寛は和尚の帰山に従い玉島へ赴き、以後12年に亘り玉島で修業した。

出発に当たり父母に別れを告げ、心に誓った当時の心境を後日長歌に詠っている。

この長歌は150回忌を記念して昭和55年(1980年)に境内に大歌碑が建碑されている。

また出雲崎を旅立つ時、町外れの蛇崩れの丘で家族・友人に別れを告げたとされ、

今は旅立ちの丘として良寛の詩碑が建っている。

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本堂前の 「おねがい地蔵」

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良寛の大歌碑

 寛政3年(1791年)、死の床での国仙和尚の言葉に従い諸国を巡礼、寛政7年の暮に出雲崎に帰郷している。

その際には当寺に草鞋を脱いだと考えられ、良寛は争いの渦中におかれた生家が没落するのを

目の当たりにしながらしばしばここに仮住した。その様子にさぞや心を傷めたことと思われる。』 とあります。

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本堂正面上にある 「月の兎」 の装飾(左側)

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同じく、「月の兎」 の装飾(右側)

 創建は平安時代末まで遡り、越後三十三観音の札所にもなっている名刹ですが、

訪れる人の目的は良寛さんの剃髪した寺院だから。

これは東北の古刹を代表する立石寺に参拝する人の目的がその由緒云々よりも

芭蕉が名句を詠んだ場所だからというのにも繋がります。

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寺務所前からの眺め

 出家するならば実家の菩提寺と考えるのが普通。

それを寺も違えば宗派も異なる当寺で敢えて行ったのは何故か?

その後の良寛の生き様を見ると、単に俗世に嫌気が差したという消極的理由というよりも、

禅の教えに一生を捧げようという積極的な理由の様な気が。禅に共感して良寛が生まれた訳ですが、

名主の跡取り息子が十八歳という年齢で仏門に入ったのは、【禅は急げ】の意識だったのか。

橘屋にとっては悲劇でしょうが、そのお蔭で出雲崎の観光名所が一つ増えたのは良しとすべきと言えそうです。

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光照寺説明書

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光照寺御朱印 (越後三十三観音霊場)

 旅立ちの丘は獄門跡の西にある町外れ。蛇崩れという名と周囲の様子からも

何処となく物悲しい印象でした。付近には良寛の詩碑が建っていましたが、

・西出良寛無故人 (西のかた、良寛出ずれば 故人なからん)

という句はなかったようです。

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宿場の西外れにある旅立ちの丘

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官軍総代の墓と歌碑

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孝婦の碑を詠む

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碑の解説

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北国街道出雲崎宿 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)

2023.12.29(23:18) 1686

妻入りの街並み(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

ホッと情報館陽だまり → (レンタサイクル20分) → 道の駅 越後出雲崎 天領の里 → 代官所跡 → 獄門跡 → 旅立ちの丘 → 北国街道妻入りの街並 → 光照寺 → 円明院 → 良寛堂 → 芭蕉園 → 良寛記念館と夕日の丘公園 → ホッと情報館陽だまり

【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

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北国街道出雲崎宿 妻入りの街並

 今回の訪問の目的の一つは妻入りの街並み。山越えの高台や坂付近でも

それらしい町並みを遠望できますが、何と言っても一押しは街道沿いの眺望。

『国道352号線の山手側に平行して延びるのが旧北国街道である。

平成8年(1996年)に建設省「歴史国道」、同年新潟県「景観形成推進地区」に選定され、

住民も参加しながら街並みの整備活動が行われてきた。

全長約3.6㎞、700戸余りの妻入りの家々が立ち並び、北前船の寄港地と

旧北国街道要衝の宿場町として栄えた様子を伺うことが出来る。

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駅前観光案内所 「ホッと陽だまり」 で入手した街並のパンフ

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宿場へ入る高台からの街並

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高台から坂を下る

 妻とは端を意味し建物では大棟と直角な壁面、即ち長手方面の端を「妻」と呼び、

一方の大棟に平行な壁面を「平」と呼んで区別した。従って建物の平側に玄関を設けた造りは「平入り」、

妻側に設けたものは「妻入り」と呼ぶ慣わしである。街並みの所々に案内・説明版が設置されており、

散策パンフレットが道の駅の観光案内所や商店に置かれ散策には便利である。

尚、国道352号線は出雲崎で日本海沿岸から内陸部へと向かい長岡方面へ、

寺泊方面へは国道402号線が旧北国街道沿いに延びて行く。

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いよいよ街並みへ入る

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宿場西端の尼瀬付近

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宿場入口に建つ妻入りの説明板

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看板設置場所

北国街道は出雲崎から江戸へ佐渡の金を運ぶ道として利用され、

信州追分宿から中山道を経て江戸に通じていた。

この間百里で間の宿場は15宿、16~20日かけて歩いた。北国街道は会津街道・三国街道と合わせて

「佐州三路」と言われる内の一つの街道で、多くの人や物資の往来があった。

 幕府は佐渡の金銀を重視し金山の開発に当たらせたため、北国街道は佐渡で産出された金の輸送や、

佐渡奉行や巡見使の通行等、江戸と佐渡を結ぶ主要幹線として再編成され、

東海道等の五街道に次ぎ重要視された。

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宿場の街並みと佐渡からの金の輸送

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尼瀬付近

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休憩所の公園横には漁村風の板塀の家屋が建つ

 江戸時代の出雲崎は北国街道の宿場町として越後一の人口密度を誇った。

当時は家の間口に拠り税金が掛けられていたことから、家の「妻」の部分が通りに面した

「妻入り」という建築様式を持った二間から二間半の長屋が数多く立ち並んでおり、

この「妻入りの街並」が約3.6㎞にも及び、今なおその面影を残す全国的にも珍しい地域である。』

とあります。

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尼瀬から諏訪本町へ

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街並みにフィットした休憩所

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菓子司 「大黒屋」
良寛が求めた和菓子 「白雪羔(はくせっこう)」 を再現している。

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諏訪本町へ

尼瀬 ; 間口三間前後の商家やかつて桶屋・大工を生業としていた町家が纏まって残る
諏訪本町 ; 連続した街並みが最もよく残っている商家を中心とした町建
伊勢町 ; 本町の名主橘屋に対抗する尼瀬の名主京屋屋敷がある
稲荷町 ; 廻船問屋だった熊木屋の広い敷地が残る
岩船町 ; 出雲崎でも有力な廻船問屋「泊屋」があり、海側には荷上場が現存
住吉町 ; 橘屋の後に名主となった町年寄敦賀屋があり今は芭蕉園。尼瀬町の境の大木戸が設置された
石井町 ; 名主である良寛生家の橘屋の地でその跡は現在の良寛堂。最初の代官所が置かれ遊郭もあり賑わった。
羽黒町 ; 享保9年(1724年)稲荷町の陣屋が山崩れでこの地に移転。宝暦13年(1763年)までこの地にあった。
鳴滝町 ; 村々の年貢を納める郷蔵が4棟あった場所
木折町 ; 漁師の家が多く、寛永15年(1638年)に新田として屋敷割が始まる
井鼻 ; 農村と町場の中間的な地区で、様々な種類の家が見られた

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伊勢町にある堀部安兵衛住居跡

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羽黒町付近

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鳴滝町

 妻入りの街並みは現役なので部外者は外から眺めるだけですが、街道沿いに内部を見られる施設があるとの話。

稲荷町のほぼ中央に「出雲崎寄港地の町家」の看板を掲げた妻入り町家があり、

北前船に関する模型・資料を展示とありましたが、何故か扉は閉まったまま。

「来たまえ!船と言いながら何やねん!」と思いましたが、隣接する妻入り会館は会館中。

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稲荷町にある 「出雲崎寄港地の町家」 は閉館中

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隣接する 「北国街道妻入り会館」 は開館中

『妻入り会館は、江戸時代からの伝統的な妻入り家屋の間取りを再現した建造物。館内では

妻入り建築様式及び簡易的な観光名所の説明を聞くことが出来る休憩所や交流の場となっている。』

とあります。町家にしては柱などが新しく感じたのは復元のためですが、

外観しか見れないと思っていたので嬉しい誤算と言えます。

他にも「歴史や五郎兵衛」という町家が拝観可能でしたが、時間切れでこちらも閉館中。

午前中に彌彦神社に参拝したのが後々まで尾を引いたようで、

やはりこの地は【いつも先】に来るべき場所と実感した次第。

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妻入り開館内部
天井からは地場産の紙風船が吊るしてある。

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最も奥の部屋

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床の間

さて北国街道に沿って西から東へ移動しましたが、観光写真に撮られている街並みが見える場所は

なかなか分からず。「絶対に何処かに看板が出ている筈」と自転車を走らすと

漸く「妻入りの街並み展望広場」と書かれた場所が。いつの間にか東端付近の鳴滝町まで来ていました。

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展望広場へ向かう途中

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更に高みへ

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展望台への途中から街並みを見る

 展望広場というものの、舗装された細道を上った先に少し平坦な場所があるだけで、

他に人も居らず観光地と言える雰囲気ではありませんでした。

しかしその場所からは写真に違わぬ眺望が見えるビュースポット。

時刻も日没間近だったので滑り込みセーフでしたが、【なるたき】余裕を持って来たいものです。

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展望台からの眺望

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展望台からの絶景

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出雲崎代官所跡と獄門跡 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)

2023.12.28(22:35) 1685

天領の光と影(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

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【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

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道の駅の向かいに建つ歴史国道常夜灯

 道の駅で野暮用と昼食を摂った後は、352号線を渡って旧北国街道へ。

道の駅の向かいには巨大な歴史国道常夜灯がありそこから【奥の細道】で旧街道へ抜けます。

『出雲崎は、室町時代の文明年間に上杉家に拠って佐渡征伐の拠点と海岸鎮護のために

陣屋が置かれたのが嚆矢。

それを受け徳川幕府は元和2年(1616年)には七万石の江戸幕府直轄地となり出雲崎代官所が置かれた。

広く越後の300ヵ村を治めたうえ、越後の大名家の監視も兼ねていたという。

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天領佐渡からの御用金の輸送路

以後の出雲崎は唯一佐渡からの金銀輸送の要地として繁栄した。代官所は町内の石井町、

羽黒町、稲荷町と移転し、文化5年(1808年)最終的に出雲崎代官所跡石碑が立つ尼瀬に移転。

以後、明治に至るまで存続した。

歴代の代官の中には教育や港湾の築造に力を振るった名代官も居たという。

このような代官所も幕末の慶應4年(1868年)5月に戊辰戦争で惜しくも焼失。

今でも松の大木や屋敷神社稲荷社が往時を物語っている。』 とあります。

 左程大きいとは言えない出雲崎が何故天領になったのか最初は不思議でしたが、

佐渡の金銀の港と知って納得。貨幣の鋳造は幕府の専売でしたから、

これは是が非でも幕府が抑えなければなりません。

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出雲崎代官所跡

 代官所跡から北国街道を西へ向かうと、左手に石油井戸跡が。

これは世界最古と言われる綱掘式石油井戸C-2号で、明治30年から昭和60年まで

使用されていたという優れもの。坑内の深さは649.45mあったとか。

唯、今は施設保存のため地下部を密閉、井戸芯を9m残した状態で櫓とポンプを復元していました。

新潟県の石油の歴史は古く、『日本書紀』 の天智7年668年に燃ゆる土と水が天皇に献上された

との記録があり 「くそうず」 と呼ばれました。

私はてっきり臭水と書くと思っていましたが、正しい表記は草生水。

昔の人は石油が何から生じるか知っていたのでしょうか?

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世界最古と言われる綱掘式石油井戸C-2号

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井戸の解説とポンプ

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出雲崎尼瀬郵便局 ; 我が国の石油機械掘第一号井の図と記念碑

 中を見られずに「くそーず!」と思いつつ更に西へ向かうと周囲が物寂しくなって

街並みの外れへ至りますが、そこにあるのがこれまた寂しさを倍増させる獄門跡。

尼瀬獄門跡は、

『代官所が置かれた尼瀬町には付属機関として牢屋も作られたが、ここは罪人の処刑を執行する刑場であった。

恐らくは幾千もの斬首が行われ、人々は恐る恐る通行していたと想像できるが、

特に重罪人の首は浜辺の方に晒されたと伝えられている。

若き日の良寛は名主見習い時に、処刑の立会いが嫌で出家したとも言われている。

供養塔は天明年間の建立であり、数体の地蔵尊と老欅は当時を偲ばせるものがある。

地元では現在でも毎年9月1日に供養祭を行っている。』 とあります。

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宿場の西端にある出雲崎宿の道標

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街道の南にあるのは獄門跡

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獄門跡入口

 代官所跡は未だ町の中ですが、獄門跡は明らかな村外れ。鎌倉の龍ノ口もそうですが、

処刑場とは現世と来世の境界地に設ける事が多くこのようになったのでしょう。

 時代劇等を観ると江戸時代には犯罪が多いように思えますが、

実際には当時の諸外国に比べると治安も良かったのが実情。

しかも天領の年貢は四公六民と諸藩に比べて低く抑えられていたので、

一揆や暴動などもなく代官所には僅かな人数しかいませんでした。

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入口の供養塔は天明年間の建立

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供養塔近影

 となると立札に多くの罪人が処刑されたというのはフィクションとなりますが、

ここは佐渡の金銀が集積される場所。

金銀の誘惑は武家庶民に差はないので、それに纏わる犯罪や汚職があったのではないか?

特に窃盗よりも金銀の横流しなど汚職に関わった犯罪が主な処罰対象だった様に思えます。

当時は十両盗めば首が飛ぶとされた時代。一両を現在の幾らに換算するかは意見の分かれる所ですが、

凡そ10万円程というのが相場。ならば百万円で死罪という事になります。

現在の我が国では金を盗んで死刑は考えられませんが、当時はそれが普通でした。

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供養塔の脇の祠にある石仏群

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処刑された人を供養する地蔵菩薩石像

 世界史的に見ると汚職に対する処罰は明らかに西高東低。

古代ローマではその何倍もの罰金刑を課され、中世ヴェネツィアでは死刑でした。

一方、東洋では緩く、旧中国では科挙に合格した高級官僚でも朝廷からの報酬は僅かで、

任地の民衆からの献上に頼っていたのが実情。献上と言う名を借りた収奪に他なりませんが、

民衆もある程度までは容認していたらしく、そのような官僚を清官、

余りにも収奪が酷く暴動や逃散を引き起こすのが濁官と区別していました。

今も中国を含め東洋で汚職が常態化しているのは、こんな背景があるようです。

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更に奥に建つ祠

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祠の石仏群

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処刑を見つめてきた老榎

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出雲崎 天領の里 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)

2023.12.27(20:38) 1684

道の駅はいつも先(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14→11:49) → JR吉田(11:58→12:32) → JR出雲崎(13:06)

ホッと情報館陽だまり → (レンタサイクル20分) → 道の駅 越後出雲崎 天領の里 → 代官所跡 → 獄門跡 → 旅立ちの丘 → 北国街道妻入りの街並 → 光照寺 → 円明院 → 良寛堂 → 芭蕉園 → 良寛記念館と夕日の丘公園 → ホッと情報館陽だまり

【復路】JR出雲崎(17:25) → JR柏崎(18:01)

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天領出雲崎時代館(道の駅 越後出雲崎)
海の向こうは佐渡島の遠影。

 午前中の彌彦神社参拝に続き午後は天領出雲崎へ。

弥彦行電車の運行本数も大概少ないですが、越後線出雲崎行の電車もいい勝負。

吉田方面から出雲崎着の電車は日中9:14、13:06、16:21の僅か3本。

しかも3本目では観光は無理なので、実質は2本だけ。

実を言えば出雲崎には1994年のお盆に訪問済。正確な時刻は分かりませんが、当時の時刻も今と似たり寄ったり。

その時には新潟駅を朝出発して9時過ぎに出雲崎に到着。当時は未だ有人駅で、

お盆の時期だったので汗だくになりながらレンタサイクルで山を越えて港まで行った事を覚えています。

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宝形寺院風の出雲崎駅舎

 信越本線に比べ日本海沿いを走る越後線ですが、出雲崎前後は一山超えて内陸側へ。

どうして港を避けたのか疑問でしたが、後で訊いた話では、漁業関係者が強硬に反対したからだとか。

港からの水産物の運搬には便利だとは思うのですが、蒸気機関車を嫌ったのは農業だけではなかったようです。

当時、出雲崎に行ったのは、

① 駅スタンプ押印

② 良寛さんの生まれた地

③ 松尾芭蕉が奥の細道で訪問

とガイドにあったのが理由。しかしいざ行って見ると一通り見たら時間を持て余し、

昼過ぎに駅に戻る結果に。観光地としては今一つ力を入れていないと感じました。

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有人駅時代に押印した出雲崎駅スタンプ (JR東日本新潟支社印)

しかしその後、出雲崎には

④ 徳川時代には天領

⑤ 北国街道沿いに妻入り街並みが残る

⑥ 近代石油産業発祥地

⑦ 紙風船生産高日本一

という面もあることを知り今回再訪。

④~⑦について以前からあった事なので、これは観光にも力を入れ始めたからでしょう。

それにしては電車の本数も相変わらずで、しかも駅は無人化。これではレンタサイクルもままなりませんが、

代わりに駅前に観光案内所「ホッと陽だまり」が出来て電動レンタサイクルも取り扱い。

取り敢えずは【ホッと】しました。

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レンタサイクルのオマケは地場産の紙風船
イチゴは越後の洒落か?

『出雲崎は、戦国時代に上杉謙信が軍事・経済上の重要性から直轄地として陣屋を置いた地である。

元和2年(1616年)には佐渡の金銀輸送の要地として江戸幕府直轄地となり、出雲崎代官所が置かれた。

代官所は数度移転し、最終的には現在の石碑が立つ尼瀬の出雲崎代官所跡に移され幕末を迎えたが、

慶應4年1868年5月に戊辰戦争で焼失している。

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小高い丘の上から出雲崎の街並みを一望
左奥の建物が 「道の駅」

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街並みを描いた東京藝術大学生のスケッチが各所に置かれる
この絵は、上の写真の場所を描いたもの。

 国道352号線出雲崎夕日ブリッジの袂に建つのが道の駅「越後出雲崎天領の里」。

観光物産センターや公園は多くの観光客で賑わっている。

併設されている天領出雲崎時代館には妻入りの街並みや代官所が再現され、

佐渡から金銀を運搬した御奉行船を復元・展示している。

佐渡金山や北前船について簡単に学べる展示もあり、

また地元の紙風船・凧作りの実演も楽しむことが出来る。

日本のエネルギー産業の黎明期を担った出雲崎の石油産業を紹介する

コーナーも設けられている。』 とあります。

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道の駅にある良寛さまと子供の像

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出雲崎代官所の復元

 真っ先に向かったのは海岸沿いの西にある道の駅。前回訪問時にはありませんでした。

出雲崎駅で下車したのは、私も含め3名でしたが、道の駅の駐車場は車やバイクでほぼ満杯。

特に、佐渡を遠望する海岸沿いに革ジャン姿のライダーが多かったのが印象的でした。

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人の波が途切れるのを待って撮影した 「道の駅」 に隣接する海岸

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駐車場にある出雲崎マンホール蓋

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道の駅で配布中のMHCと 「道の駅」 スタンプ

 先ずは野暮用のMHCを入手して、2階へ向かうとレストラン「陣や」が閉店ギリギリのラストラン。

陣や御膳・海鮮丼は売り切れで、唯一残った「生姜焼き定食」を注文。

出雲崎に来て生姜焼きとは【トン】でもない話ですが、豚はこの付近の名産なのだとか。

唯、閉店間際とあって時間が掛かり、時代館見学はお預け。【しょうが】ない話です。

【冬が来る前にもう一度巡り合いたい】と思うのは紙風船の町だからでしょうか?

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遅めの昼食は生姜焼き定食

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日本海と佐渡を眺めながらの昼食

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寶光院 弥彦の婆々杉 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <寶光院 其の弐>

2023.12.26(20:16) 1683

鬼婆、天女になる(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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紫雲山 龍池寺 寶光院(真言宗智山派 弘法大師越後十三番霊場)  「弥彦の婆々杉」

 寶光院では阿弥陀堂と本堂の両御本尊に参拝しましたが、見落とせないのが境内奥の裏山に聳える婆々杉。

阿弥陀堂と本堂を繋ぐ回廊の下を潜ると両側に杉の大木が迫りますが、これではなく、

更に墓地と石仏を横目に見て石段を上った先に出現するのがそれ。

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境内に建つ 「婆々杉」 案内標

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阿弥陀堂と本堂の間の参道

 樹齢千年、樹高40m、幹周10mの杉の巨木は昭和27年に天然記念物に指定され、

当山に安置されている妙多羅天女(みょうたらてんにょ)に纏わる伝説から、

俗に「婆々杉(ばばすぎ)」と呼びならわされている。

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参道両側から迫る杉木立

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参道脇の石仏群

 越後の民話の中でも異彩を放つ妙多羅天女縁起は、

『承暦3年(1079年)、彌彦神社の造営工事が斎行された時、上棟式の奉仕の事で

工匠(大工棟梁)と争って負けた鍛冶匠の黒津弥三郎の母が憤懣やるかたなく

恨みの念が昂じて遂に鬼女と化し、形相物凄く雲に乗って飛び去った。

その後、佐渡の金北山、蒲原の古津(現新津)、加賀の白山、越中の立山、信州の浅間と

諸国で悪業の限りを尽くし 「弥彦の鬼婆」 と世人に恐れられた。

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石段の先に杉の巨木が聳える

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「婆々杉」 近影

 保元元年(1156年)、弥彦で高僧の評判高かった典海大僧正が弥彦の大杉の下で鬼婆を説得し

秘密の印璽を授け 「妙多羅天女」 の称号を与えたところ見事に改心。

その後は神仏、善人、子供の守護に尽くしたので、村人はこの大杉を婆々杉と呼ぶようになった。

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杉の梢を見上げる

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幹に巻かれた注連縄

 杉の横には

・世の中の 悪を正して 諸人を 救わん誓い 南無妙多羅天

の歌碑、少し離れて良寛の歌碑が建つ。また阿弥陀堂へと続く参道脇には芭蕉の句碑も建っている。

同行した曾良の日記では、奥の細道の途中、元禄2年(1689年)7月3日に彌彦神社に詣で、

この地で宿泊したとある。』 とあります。

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杉の手前に建つ 「南無妙多羅天」 を詠んだ歌碑

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その横にある良寛上人歌碑
・水鳥の 鴨の羽の色の 青山の 木梢去らずで 鳴くほとゝぎす

 鬼が仏教の教えで改心するのは鬼子母神と釈迦、鬼と聖徳太子等が有名ですが、当寺もそれに類する話。

唯、一般に伝わる鬼に比べて非常に人間的。今でいうクレーマーに似た事実があったのでしょう。

そのような揉め事を丸く収めるのも住職の務めと言えますから、それだけでは伝説にはなりません。

要は改心して人のために尽くしたという所がミソ。

「このように立派な人間になりなさい。」 という願望を込めたものだったのでしょう。

このような教訓は何度語っても【多すぎ】る事はありません。

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阿弥陀堂と本堂、二つの参道の間の庭園

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天鵞絨の様な苔の絨毯

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観音様石像

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観音様の足元の龍
これが湧水ならば、ここに寺院がある有力な理由になりそう。

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寶光院 阿弥陀堂と本堂 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <寶光院 其の壱>

2023.12.25(20:32) 1682

神仏集合のお寺(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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紫雲山 龍池寺 寶光院(真言宗智山派 弘法大師越後十三番霊場)
山門の代わりに建つ山号標、左手は弥彦競輪。

 一宮に参拝し、競輪場を見た後は、唯一今に残る一宮の神宮寺へ。

「この【方向】で良いのか?」 と【彷徨】することなく、競輪場の直ぐ脇に寺の入口が。

紫雲山龍池寺寶光院(しうんざんりゅうちじほうこういん)は、

『建久6年(1196年)8月8日。征夷大将軍源頼朝の発願に拠って大日如来を本尊として開基された。

 鎌倉幕府から弥彦に派遣された地頭僧禅朝が薬師堂を弥彦山麓北谷薬師平に移した紫雲山龍池寺は、

12の房舎と山門を持った堂々たる伽藍を有し修行者の修練道場になったという。

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山号標を進んだ先にある境内入口

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石段の先は阿弥陀堂への参道

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阿弥陀堂右手には本堂への参道が

 その後、大いに繁栄するが延徳3年(1491年)に取り壊された。寶光院はその末寺に当たり

廃仏毀釈で衰退するが、隣接する競輪場内にあったかつてのお堂は、大正2年(1913年)に現在地へ移り復興。

阿弥陀堂は明治26年(1893年)当時のもので他はその後新築されたものである。

現在当院に安置されている諸仏の中には廃寺となった諸寺から移されたものが多く、

本堂の御本尊の大日如来は明治2年に廃寺となった真言院より移されたもの。

製作年代は不詳であるが、その気品に溢れる御姿で、参詣者の心を和ませてくれる。

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阿弥陀堂参道前に建つ御本尊 「上品上生阿弥陀如来」 の碑

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阿弥陀堂前から見た参道

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本堂前から参道を振り返る

 阿弥陀堂の御本尊は上品上生の阿弥陀如来で鎌倉時代の常長の作と伝わる。

彌彦神社とも深い繋がりがあり中世に於いては彌彦大明神の本地は阿弥陀如来とされ、

弥彦の地は安養九品の荘厳があると喧伝された。

明治2年(1869年)に廃寺となるまでは彌彦神社の神宮寺の本地仏であり、

また明治維新までは住職が神社に仕える社僧として神社に出仕していた。

彌彦神社に参拝する人の中には神社だけでは片参りとなるので、

当寺の阿弥陀如来に詣でる人も多かったという。

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寶光院由緒記

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俳聖芭蕉句碑
元禄2年(1689年)7月3日に当山に一泊したという。

 阿弥陀如来の頭部に斧で数回打ち付けられた跡が見られるのは、神仏分離の際に焼却しようとしたもの。

幸いに同如来は信者の願いによって焼却は免れ、三島郡出雲崎の民政局へ送られ、

その後西蒲原郡西川町曽根の土堤に仮堂で安置されていた。

明治26年、寶光院兼龍池寺住職の海傳和尚は神宮寺再建を意図し

同30年に現在の堂宇を落成し阿弥陀如来を入仏している。

尚、如来頭部に斧を振り下ろした者は、後に蒸気船の機械に巻き込まれて死亡したと伝わっている。

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阿弥陀堂正面

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阿弥陀堂向拝下から内陣へ参拝

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御本尊阿弥陀如来 (解説書より)

 薬師如来は全盛期には越後・奥州・佐渡の三国の別当を務めたといわれる龍池寺の御本尊で、

山門には毘沙門天を安置し、十二神将は十二坊の一坊一坊に奉安。修行者の修練道場であったと言われる。

毘沙門天は鎌倉時代の作、高さは六尺一寸九分(190㎝)で厳めしく胸を張り脚を踏ん張った木像で、

胸の内面には梵字三文字が、背面には「嘉暦三年(1328年)八月一日龍池寺住人律師頼円」と墨書されている。

十二神将には天正5年(1577年)鈴木門之助に拠り修理された旨が記されている。』 とあります。

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阿弥陀堂から廊下で続く本堂

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横から見た阿弥陀堂

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正面から見た本堂

 越後一宮である彌彦神社には多くの寺院が付随していたようですが、明治の廃仏毀釈で全て廃寺に。

唯、仏像群は有志の方々の努力で各地を転々とした後に、所縁の当地へ戻って来ましたのは不幸中の幸い。

 寺務所へ伺うと御住職は不在でしたが、対応下さった夫人から書置きの綴じ込み式御朱印を拝受、

同時に説明書も頂きました。その説明書に曰く

私 ; 「紫雲山龍池寺寶光院がこちらの正式名称なのですね。」

夫人 ; 「えぇ、そうですか?」

私 ; 「ここにそう書いてありますけど」

夫人 ; 「まあ、本当ですね。」

と、夫人でも名前の事は良く御存じではないようでした。

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本堂の山号 「宝光院」 の扁額

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本堂の御本尊 「大日如来」 (解説書より)
実際に拝観すると意外に小さい。

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本堂向拝下から阿弥陀堂を望む

 正式名称の紫雲山龍池寺寶光院は、廃寺となった寺院の名前に由来。

鵺(ぬえ)とかキメラと言うと怒られますが、言わば寄せ集めのようなもの。

仏さまを集めたので名前も合体したのでしょう。

ややこしくはありますが、由来が分かり易い面も確かにあります。

神仏分離でバラバラになった仏さまが【神仏集合】で一ヵ寺に祀られているのも奇縁といえます。

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庫裏(寺務所)玄関から見た本堂と阿弥陀堂

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寶光院解説書

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寶光院御朱印 (弘法大師越後第十三番霊場)

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境内並びに施設 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の陸>

2023.12.23(19:52) 1681

神の降臨から自転車の後輪へ(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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彌彦神社(式内社 越後国一宮 旧国幣中社 別表神社)
舞殿(左)と参集殿(右)の奥に見える十柱神社。

 列車が少ないことからゆっくり参拝した彌彦神社とも愈々お別れ。行きとは別の東参道を抜けて

次の場所へ向かいますが、4万坪の境内と60万坪にも及ぶ社叢林には数多くの施設が建てられています。

 摂社・末社から向かうと、舞殿(ぶでん)・楽舎(がくしゃ)とその向かいに建つ旧拝観所である参集殿。

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参集殿前から見た舞殿全景

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張り出した舞台

『舞殿に用いられた扇状形式垂木は唐の建築様式であり、舞楽が唐から伝来した事への拘り・敬意とも考えられる。

当社の舞楽は三種より成り、第一は神歌楽・天犬舞、第二は大々神楽、第三は小神楽(乙女舞)、

いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されているが、この舞殿で奉奏されるのは大々神楽だけである。

この舞殿の北脇に建つ参集殿は間口十一間、奥行三間半、幅四尺廊下を付けたもので、

多くの大々神楽講員の拝観に供する場となっている。』

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舞台前から参集殿を遠望

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舞殿学舎
演じる人の楽屋か?

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参集殿全景

 更に旧勅使館である斎館(さいかん)を経て宝物殿へ至りますが、その前にあるのが旧本殿址。

『明治45年3月、当社は門前町から起こった大火に類焼して、この地点にあった本殿までも炎上。

再建に当たり故実を調べ、将来の災害を避けるために本殿は現在地に移設。

その旧地に元本殿の礎石を据えて記念とした。

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参集殿の奥に建つ十柱神社

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斎館は旧勅使館

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宝物殿の前には旧本殿址が

 更に進むとお盆に奉納相撲が開催される相撲場(土俵)が現れ、万葉の昔を偲ぶ鹿苑(しかえん)には

十数頭の鹿が、鶏舎には天然記念物に指定された蜀鶏(とうまる)を始めとする十数種の在来種の鶏が

飼育されている。』 とあります。

旧地の跡を残すことで、窮地に陥った時代を偲ぶよすがとしたのでしょうが、

歴史が古く面積も広い割には新潟県下には最近まで国宝がなかったのは、

火災に拠る所が大きいのでしょう。

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帰路は東参道から

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東参道脇の相撲場
夏の奉納相撲はこの場所で挙行か。

 春日大社を持ち出すまでもなく鹿と神社の関りは深いですが、『萬葉集』にある

・伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ 皮衣きて 角つきながら

は彌彦神社を詠っているので繋がりは深いと言えます。

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鹿苑で憩う鹿たち

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鶏舎で飼育中の鶏

 鹿苑・桜苑を抜けて弥彦参道杉並木を行きますが、神社とこれから向かうかつての神宮寺の

寶光院の間にあるのが村営の弥彦競輪場。競輪場が何故一宮の直ぐ横にあるのか不思議ですが、

神社にお参りした御利益があるのでしょう。

弥彦山に降臨された御祭神も競輪までは予想できなかったと見えます。まさか【後輪】繋がりとは思いませんが…。

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弥彦参道杉並木

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弥彦競輪入場口

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宝光院前に隣接する競輪場

 会場警備の人の御厚意でチケット購入なしで兼学がてら見学させて貰いました。

勿論、競輪を見るのは生涯初。日曜でしたが観客はガラガラ。電車といい勝負でした。

警備の人の話では、この日は男子競輪のみ。

「場所が弥彦村ならば、人が少なくてもしょうがないか!」 と思いましたが、

帰ってからテレビで近々三笠宮杯のレースがここで開催されると知って吃驚。

最近は 「ガールズケイリン」 も開催されているそうです。

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客席から見た競輪場

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レースは6人か?

 知人のお嬢さんが最近デビューしたので、帰宅後、尋ねると

『国内唯一の村営で初めてレースに参加する人は、「本当にここでいいの?」と不安になるそうですが、

お米は美味しいし、お土産には名人のお婆ちゃんの笹団子を、夏にはレアな枝豆を届けて呉れました。』

との事。

村営には村営の良さがあるようです。男子ならば越乃寒梅でも届けてくれるのでしょうか?

勿論、自転車でも立派な飲酒運転なので試合前はNGです。尤も、賞金が越後名産の米と酒という事はないでしょうが…。

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レースを終えて退場する選手

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MHCの発行が期待される弥彦村マンホール蓋

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十柱神社 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の伍>

2023.12.22(23:34) 1680

拙者は摂社を接写する(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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彌彦神社(式内社 越後国一宮 旧国幣中社 別表神社)  重文・十柱神社

 本殿に参拝したら一先ず目的は達成。後は次へ移動ですが、

ここで見落としてはならないのが参道右奥に建つ摂社・末社。

普通、このような付随の社は見過ごされがちですが、

本殿に参拝して帰路にお参りする方の姿もチラホラ見えます。

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随神門の手前を右折し摂社・末社へ

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境内各社と各柱の説明板

 入口に掲げられた説明板に拠ると、

『摂社は、左手奥から武呉(たけくれ)・船山・草薙・今山・勝(すぐる)・乙子(おとご)神社と右手前に続く。

祭神はいずれも御祭神である天香山命(あめのかごやまのみこと)の子孫神で後継一代から六代に及ぶ。

越後の開発は、御祭神の子孫が六代に亘って継承し産業文化の基礎が築かれた。

更に二十二所・八所・十柱の末社へと続き、更に妃神を祀る妻戸神社等が鎮座する。』 とあります。

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石段を上った場所から摂社・末社を眺める

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本社側から見た摂社・末社全景

 六祭神を摂社で祀るのは、越後の開発には相当な年月がかかったという歴史的事実があったのでしょう。

並んでいる社の数は記されている御祭神と合いませんが、

船山神社の様に境外にも鎮座されている神が居られるためでした。

その中でも注目すべきは最も下手に鎮座する十柱(とはしら)神社。

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最も本社側に建つ武呉神社

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武呉神社に摂社が続き、突き当りに十柱神社が鎮座

『十柱神社は、元禄7年(1694年)長岡藩主牧野忠辰は和霊のために奉建したもの。

入母屋造・単層・茅葺で、間口二間半、奥行三間である。

江戸時代中期の造営であるが、蟇股・虹梁の彫刻に桃山時代の手法が見られる。

本来は大己貴神(おおなむちのみこと)のみを祀る社であったが、

奉建の際に牧野氏に関わる四神を合祀して社殿が建てられ五所宮とされた。

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下手に鎮座する重文・十柱神社

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十柱神社を見上げる

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向拝と茅葺屋根

 明治6年(1873年)信濃川分水工事中止の際、同工事のため民部省土木司の石湊に創建させる神社祭神を祀る。

明治8年には燕市渡部の十柱から合祀して牧野氏の四神を除き、以後は十柱神社と称した。

明治45年(1912年)の弥彦大火の際にも難を逃れ、昭和25年に重要文化財の指定を受けた。』 とあります。

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向拝正面から参拝

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茅葺屋根と屋根の組物

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蟇股の牡丹の彫刻

 通常、摂社は本殿に付随しているので、参拝する人も少ないものですが、ここだけは別。

重文になっている事もありますが、それは【十分】条件ではなく、昔の社の様式を留めている理由が大。

神様の名前だけ持ってきて、新たに祠を建てたものとは根本的に異なります。

祠は小さくても独立した立派な御祭神、【とはしら】なかったと言う参拝者が殆どでしょうが。

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向拝と蝦紅梁

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年代を感じさせる苔生した茅葺屋根

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摂社の後方から接写!

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彌彦神社 本殿 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の肆>

2023.12.21(20:23) 1679

おやひこさま(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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彌彦神社(式内社 越後国一宮 旧国幣中社 別表神社)

 二の鳥居を過ぎ参道両脇の老杉・古欅の鬱蒼とした樹林を抜けると随身門が目の前に。

精悍な表情の阿吽の狛犬に黙礼して門を潜ると、急に広々とした視界が開け、

越後平野の中央に聳え立つ御神体弥彦山を背に堂々とした拝殿が正面に鎮座します。

これが古くから“おやひこさま”の敬称で親しまれている越後国一宮。

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二の鳥居を抜け随神門へ

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階段の上に聳える随神門

『御祭神の天香山命(あめのかごやまのみこと)は、天照大神の曽孫。

高天原より天孫降臨の際に一緒に降り、紀州熊野に在住。

神武東征の際には韴霊(フツノミタマ)の剣で大功を立てた。

 神武天皇が大和橿原で即位した4年後に越後地方開拓の詔を受け、日本海の波濤を舟で渡り、

越の野積浜に上陸。その地で漁民に漁撈・製塩法を伝授し、更には弥彦に宮居を定め蛮族を平定。

住民に稲作や酒造りの術を指導したという越後開拓・産業文化の始祖神である。

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随神門の唐破風

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回廊前の狛犬(吽像)

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狼を彷彿とさせる狛犬

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門の右手の阿像狛犬

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境内側の随神門に願懸絵馬を架ける参拝者

 当社の由緒は社記に拠れば、第十代崇神天皇の御代に勅命により社殿を造営したとあり、

創建は2千年以上前に遡る。

和銅4年(711年)、詔に拠り神域を広げ社殿を造り改め、続日本紀天長10年の条に「名神に預る」とあるように

延喜の制では名神大社に列し、村上天皇の天暦元年(947年)には正一位に進んだ。

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正面から見た拝殿

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流石に越後一宮は参拝者が絶えない

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拝殿の背後には御神体の弥彦山が聳える

 古来より朝廷の崇敬篤く、江戸時代には越後高田藩主松平忠輝が500石の社領を寄進、

朱印地となった。社家は越の国造の流れを汲む高橋氏が明治時代まで世襲している。

本殿を始めとする諸社殿は明治45年(1912年)に門前町から出た大火に拠る焼失後に、

東京帝国大学教授であった近代建築の泰斗・伊東忠太の設計に拠り

5年の歳月を掛けて大正5年(1916年)に再建されたものである。

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拝殿の向拝前にて

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拝殿屋根の唐破風と千鳥破風

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山の上のロープウェイ山頂駅を遠望

 本殿は三間社流造向拝付、回縁高欄、脇障子を具えた銅板葺き。祝詞舎は20坪両流箱棟造りで、

それに続く拝殿は50坪で入母屋造、向拝、裳階付きの銅板葺きである。

平成10年(1998年)には造形の規範となっている建造物として有形文化財に登録された。』 とあります。

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拝殿から回廊に続く場所は修復中

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拝殿脇の隙間から見た本殿

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社殿を巡る回廊

 由緒記には天香山命が御祭神と記されていますが、元は背後に聳える弥彦山を御神体とするもの。

この辺りは大和一宮である大神神社と同じで、古代の神社信仰に通じるものがあります。

天香山命は神武天皇との血縁が述べられていますが、恐らくは全く別の神様。

後に大和朝廷の勢力が越後まで及んだ時に組み込まれたと思います。

糸魚川の奴奈川姫には翡翠を介して出雲地方との交流があったとか。距離的には離れていますが、

古代の越には出雲に匹敵するような強大な勢力があったとしても不思議ではありません。

 6世紀に男系の天皇(大王)が断絶すると、入婿の形で後を継いだのは

越の国出身の継体天皇であることを考えると、古代の越後の底力に驚きを感じます。

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社殿全景

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彌彦神社解説冊子 ¥200

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彌彦神社御朱印

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橋を渡り二の鳥居へ (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の参>

2023.12.20(20:02) 1678

絵馬と石と神木と(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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彌彦神社(式内社 越後国一宮 旧国幣中社 別表神社)  
参道を左折すると二の鳥居。

 一の鳥居を進むと二の鳥居を過ぎて社殿へ向かう事になりますが、

本殿以外にも種々の建造物群が点在するのが彌彦神社の特徴。二の鳥居に至るまでにも、

神符授与所・手水舎・絵馬殿・神木石柵と4点の国登録有形文化財があります。

神符授与所には神社関係者が居られたので御朱印をお願いしましたが、拝受は拝殿前との事。

私 ; 「この辺りは積雪が多いと思いますが、年末年始はお休みですか?」

神職 ; 「いいえ、どんな大雪でも当社は365日開けています。」

との心強い返事。一宮なら当然とも言えますが、神職の寝食を忘れて取り組まれる姿勢に大いに感謝です。

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先ずは手水舎で身を清める

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四つ角にある井戸?

 神符授与所で参道は四つ角になって社殿へは左折、直進すると宝物殿に至ります。

わざわざ参道を曲げるとは不思議でしたが、なんでも明治の大火に遭うまでは

本殿は宝物殿前に建っていたとか。それなら理由が分かります。

 四つ角には井戸、米俵の記念碑がありますが訪れる人は稀。

しかしその奥の石には人だがりがしていて近寄ると「重軽の石」。

別名「津軽の火の玉石」と言うのは津軽藩が奉納したと伝わる石占(いしうら)で、

持ち上げた時の重量感で吉凶を占うというもの。神社では良く見かける光景ですが、

奉納が津軽藩ならば皆軽いとなりそうですが。

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米どころらしい記念碑?

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こちらは力石ではなく重軽の石

 手水舎の奥に建つ絵馬殿は休憩所も兼ねた場所のようで、歴史を感じる絵馬が奉納されていましたが、

面白いのは鰐の剥製と思しき絵馬。説明書きでは軍艦の乗組員が遠洋航海記念に大正時代に奉納したもの。

旧日本海軍とはいえ実物の鰐とは勇壮ですが、どのような効果を狙ったものでしょうか?

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手水舎の奥に建つ絵馬殿

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奉納された牡丹の絵馬

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勇ましいのは義経か

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するとこちらは弁慶?

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これはリアルな 【鰐の庭】 ではなくて絵馬

 愈々二の鳥居から社殿に向かおうとすると右手に御神木の看板が。

『彌彦神社の神が越後国開拓のため、この地にお出ましになった際に、携えられた椎の杖を地中に挿し、

「この世が自分の住むべき土地ならば繁茂せよ。」

と仰せられたところ、芽を出し根を張りたちまち大木になった。

地面に立てた杖が繁茂して大樹になったことから彌彦神社の位置が定まったと伝わる。

文字通りの御神木で樹種は椎の木である。御神木を囲む石柵は国登録有形文化財である。

手前には良寛作とされる御神木讃歌が掲げられている。』 とあります。

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石の柵に囲まれた高台にあるのが椎の御神木

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良寛さまの御神木讃歌

 御神木といえば千年杉のような巨木を想像しますが、そのようなものは見当たらず。

参道両脇に吊るされた簾の前で作業中の方に尋ねて漸く石柵に囲まれた枝振りの木がそれと判明。

神様や開山が地面に突き刺した杖から大木が成長したという伝説は間々ありますが、

椎の木というのは珍しいパターン。太古の昔に食用であった椎の実に敬意を表したとも言えそうですが、

これで【親睦】を図ることが出来たかは疑問です。

 両脇の簾は屋台の出店準備かと思いましたが、11月1~24日に開催される弥彦菊祭りの準備だそう。

紅葉まつりも含めて参拝が一ヵ月フライングでした。

今年は無理ですが、いずれ霜月に再訪せねばなりません。何せ見ると【きく】とは大違いですから。

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柵には錠が掛けられ御神木を守っている

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二の鳥居を過ぎて本殿へ
鳥居の両側の簾は弥彦菊祭りの準備。

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御手洗川に架かる二橋 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の弐>

2023.12.19(20:34) 1677

神は【たいこ】から、二橋道や!(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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彌彦神社(式内社 越後国一宮 旧国幣中社 別表神社)
神社通りの突き当りに建つ一の鳥居

 神社通りの突き当りには正真正銘の朱塗りの一の鳥居が屹立。電車から遠望した大鳥居のモデルで、

左の制札台に掲げられた由緒記に目を通してから、鳥居前で一礼して直進。こちらが表参道になります。

参道の行く手には石橋を渡りますが、その下を流れるのが御手洗川。御神体の弥彦山から流れ出る清流です。

橋の直ぐ左には川へ降りる階段があり、川の名前から想像するに禊をする場所に思えましたが、

後で神社の関係者に伺うと、やはりかつては禊を行っていたようでした。

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一の鳥居脇に建つ壮大な社標

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参拝はここからスタート

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御由緒

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正面から見た一の鳥居

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鳥居に掛けられた扁額

 橋の上から上流に目を遣ると半円形の朱塗りの太鼓橋が。川沿いに近付くと、

石橋が人の渡る橋であるのに対し、太鼓橋は神の渡る橋で玉の橋、

御神橋(ごしんきょう)の別名でも呼ばれています。

『玉の橋(御神橋)は、当社古記録に拠れば和銅4年(711年)勅命により

宮殿が改められた境内建造物の中に御池「玉の橋」が記載されている様に、

古くから参道中程に「御神橋」があり、室町時代の境内古地図にも描かれている。

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御手洗川に架かる石橋(祓川)を渡る
奥の朱塗りは玉の橋。

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石橋横の石段を下りると禊の場所

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石橋上からの眺望

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石橋上から玉の橋を見る

 「玉の橋」について古伝は、

「今の人心の玉の橋を求めて神慮に通わしめて真の道を得る心なり」

と述べている。

 明治45年(1912年)の弥彦大火の際には、社殿始め境内建造物を焼失した中で、

明治29年(1896年)改築の玉の橋だけは難を免れた。

その後の境内拡張、社殿立替え事業に際しては外苑弥彦公園に一時移転されていたが、

昭和60年(1985年)の御遷座70年奉祝を機として霊峰弥彦山の清流御手洗川に修理復元された。』

とあります。

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覆いも含めた玉の橋全景

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朱塗りが鮮やかな玉の橋

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神様はこんな急な橋をお渡になられるのかしらん?

 玉の輿はしばしば聞きますが、玉の橋は初耳。人と神は厳正に区別されるべきと言う考えが、

このような別橋の建造となったのでしょう。御神体は弥彦山なので、【太古】の昔に御手洗川に沿って

下って来た神は人よりも上流で社殿のある境内へ入られたのでしょう。

神様は万能の筈なので、わざわざこのような手順を踏まずとも良さそうなものですが、

そこが当社御祭神の人間的な魅力とも言えます。

まさか人間に【たいこ】う心を燃やした訳ではないでしょうが、神様の【御心境】は不可解です。

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駐車場から境内へ入る朱塗りの橋

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橋から玉の橋を遠望

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弥彦郵便局 ; 彌彦神社大鳥居、ロープウェイ、弥彦山

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彌彦神社への道 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の壱>

2023.12.18(21:21) 1676

村の鎮守は一宮(2023.10.8)

<コース>
【往路】JR燕三条(7:44) → JR吉田(7:58→8:06) → JR弥彦(8:14)

弥彦駅前 → (徒歩15分) → 弥彦神社 → 徒歩5分 → 寶光院 → JR弥彦(11:49)

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JR弥彦駅舎(JR東日本新潟支社)

 越後路二日目は早朝からお盆にスルーした越後一宮へ。宿泊したのが燕三条だったので

列車は余裕の7時台出発で8時14分に弥彦駅に到着しました。燕三条駅の改札には

越後一宮の扁額が架かった朱の鳥居が出迎え、いかにも一宮への玄関口駅と言った雰囲気。

列車を吉田で乗り換えた後は、一駅先の矢作駅手前右手に大鳥居が鎮座。

お盆にレンタサイクルをした際にも遠望できる巨大なもの。

てっきりこれが一の鳥居かと思い込んでいましたが、これは昭和57年(1982年)の

上越新幹線開通に合わせて建立されたもので、一の鳥居には当たらないのだとか。

但しモデルは彌彦神社の一の鳥居で、拡大したその大きさは親柱の直径2.2m、

高さ30.16m、笠木幅38.5m、掲げられた社号額は畳12枚敷を誇っています。

恐らく新幹線の車窓から見える事を想定しての建立でしょうが、

参拝者には遠望できようができまいが関係ないように思えますが…。

大鳥居を過ぎた矢作駅舎も無人ながら朱塗りの柱が鮮やかで参拝者に配慮した構造となっています。

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JR燕三条駅改札に建つ朱の鳥居

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弥彦線の車窓から見える大鳥居

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弥彦駅の一つ手前の矢作駅舎も神社仕様

 そして終着の神社風の駅舎に列車は入線。一面ながら長いホームと

初詣等の乗客が多い時に使用される臨時の改札口もありました。

距離的には僅か12.9㎞ですが、燕・三条市が中越なのに対し弥彦は下越、

行政区でもいずれの市にも属さず弥彦村で頑張っています。

後で訊いた所、歴代首長が合併で弥彦の名が消えるのを惜しんだからだとか。

奈良の明日香村でも似た話があり村長が名前を【尊重】したのは一宮のプライドと言えましょう。

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弥彦駅ホームに入線した列車
尚、降りた人数は私も含めてこれだけ。

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乗客が出た後の閑散としたホーム

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改札は有人だがICカードにも対応済

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初詣時の臨時改札も

 越後一宮の弥彦神社はブラタモリにも登場した由緒ある神社で、弥彦線終点から徒歩15分ですが

電車はガラガラ。そのくせ神社へお参りする人は多数。

自家用車に加えて門前は弥彦温泉がある繁華街なので宿泊して早朝参りの人も多い様子。

弥彦駅は勿論、有人駅で、

『大正元年(1912年)8月25日、越後鉄道に拠って新潟-吉田間が開業。

弥彦線は彌彦神社への参宮線として同5年10月16日に開業した。

弥彦駅舎は彌彦神社を模した造りである。

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お手洗いも朱塗り

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JR弥彦駅待合室

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JR弥彦駅スタンプ
(上) 旧国鉄時代の 「一枚のキップから」 印   (下) JR東日本新潟支社印

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向拝風の造りの弥彦駅玄関

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墨書された弥彦駅看板と千鳥破風の屋根

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弥彦駅舎全景

 彌彦神社は延喜式に列せられる古社で越後一宮、駅から徒歩15分で一の鳥居に至る。

背後に聳える標高638mの弥彦山を御神体としアメノカゴヤノミコトを祀っている。

神社の後方からはロープウェイで山頂駅に登ることができ、

山上からは北に佐渡島、南に新潟平野を一望することができる。

また駅を出て左に向かうと神宮外苑の弥彦公園があり、

もみじ谷では10月下旬から11月下旬までライトアップされる。』 とあります。

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駅前から弥彦山を遠望

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駅前に掲げられた巨大な案内板
広い範囲なので便利である。

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駅を後ろに見て停車場通りを100m

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続いて外苑坂通りを300m
左の人だかりは参拝ではなく、弥彦山ハイキングに参加の人達。

 著名な神社への最寄りとなる駅舎には、三島・那智など社をデザインしたものが見られますが、

その規模と芸術性から見ても弥彦駅舎はトップクラス。しかも駅の正面には御神体の弥彦さんが聳え、

一宮までも徒歩圏内という鉄道で移動する者には理想的な条件です。

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途中、祥立堂の温泉まんじゅうで一服

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外苑坂の終点には朱塗りの御遷宮橋が

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神社通り左にある御旅所
普通、本殿から離れて拝む場所だが、ここは神事で神様が休憩される場所。

 駅を出て停車場通りを100m、左の外苑坂通りを300m。

信号を右折して朱塗りの大森橋を渡ると一の鳥居まで神社通りが300m。

その間、道の両側には土産店や食事処が並びますが、神社通りに入ると昔ながらの風情の旅館が立ち並び、

門前町に加え温泉街として発展してきたことがこのような街並みとなったのでしょう。

紅葉には未だ1ヵ月先ですが、神社に近付くにつれて気分も高揚。これも温泉の効用の一つと言えそうです。

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右折して大森橋を渡りいよいよ神社通りへ
300m先に一の鳥居が鎮座する。

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老舗の多い神社通りになかでも一際目立つ御菓子処 「米納津屋」

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帰りの電車では米納津屋の銘菓 「雲がくれ」 を頂く

 列車の乗客は私も含めて20名程でしたが、神社への参道は遥かに多くの人出が。

登山の格好の男女も多く目にしましたが、これは弥彦山登山のイベント参加者でした。

それでも一の鳥居に着く頃には大勢の参拝客の姿を見ましたが、殆どの人が車での参拝。

時代の流れとは言え折角の弥彦線が十分に活かされていないと思うのは私だけでしょうか?

と思ってガイドを見るとここは旧国幣【ちゅうしゃ】、車が多いのはそのせいかと、妙に納得しました。

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住吉神社の蛸ケヤキ

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弥彦公園脇にある湯神社温泉源泉

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源泉解説

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笹川流れ (新潟県村上市桑川)

2023.12.17(20:36) 1675

イヨボヤの町でヤボヨウ(2023.10.7)

<コース>
【往路】JR新大阪(6:00) → (のぞみ200号) → JR東京(8:23→9:12) → JR新潟(10:41)

JR新潟(10:48) → (いなほ3号) → JR新発田(11:12→12:22) → JR坂町(12:44) → 荒川区公民館(MHC1) → JR坂町(13:19) → (いなほ5号) → JR村上(13:27→13:43) → JR桑川(14:03) → 道の駅(MHC2)・笹川流れ → JR桑川(14:32) → JR村上(14:52) → (レンタサイクル5分) → おしゃぎり会館(MHC3) → JR村上(15:14) → JR岩船町(15:18) → (徒歩15分) → 道の駅 神林(MHC4)

【復路】JR岩船町(16:10) → JR新潟(17:22→17:50) → (とき340号) → JR燕三条(18:02)

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JR村上駅1番線の顔ハメ

 下越の城下町新発田の駅周辺を見て回った後、1時間後の電車で村上市へ。

越後最北の地で、越後では最古の城下町、鮭と堆朱でも知られる観光地でもあります。

 唯、観光地は駅から離れているので、じっくり観光するにはレンタサイクルが不可欠。

しかしこの日は急に雨脚が強まるような天気なので、市内観光は次回へ持越し。

市内で配布中のMHC入手に特化することになりました。

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JR坂町駅スタンプと公民館で入手したMHC
坂町からの米坂線は未だ不通で代行バス状態。

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村上市荒川区(旧荒川町)マンホール蓋

 配布五ヵ所の内、四ヵ所は駅から徒歩圏内なので雨でも問題ありませんが、全て下車駅が異なり、

しかも列車の運行本数が少なく、移動よりも時間待ちに多くを割く羽目になりました。

幸いにも駅から配布先に移動中は雨にも降られず、四ヵ所全てクリアできましたが、

その半面観光らしき事は殆どなし。

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道の駅神林スタンプと入手したMHC

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JR村上駅スタンプと入手したMHC

そんな中にあって下車したJR桑川駅では唯一「笹川流れ」の景勝を堪能。

『村上市の海岸線の最北端、旧山北町鳥越山の岬から狐崎までの約11㎞の海岸線が「笹川流れ」の奇勝である。

日本海の沖合から吹き付ける強風と怒涛に浸食されてできた奇岩と岩礁、洞窟の連続で、

その荒々しい風景は国の名勝・天然記念物に指定されている。

海岸線は羽越本線と国道がほぼ並行して走り、陸地側では国道と遊歩道、

海からの眺めには遊覧船もある。』 とあります。

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羽越本線の車中から見た日本海

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羽越本線の車中から見た日本海

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無人のJR桑川駅前の看板

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道の駅笹川流れ夕日会館スタンプと入手したMHC

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村上市笹川マンホール蓋

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笹川流れ観光案内図

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線路脇の句碑

 笹川流れのある区間の羽越本線の駅は全て無人ですが、桑川駅のみは

駅舎に道の駅が隣接しているので観光するのに不便はありませんでした。

MHCを入手後は電車待ちの30分間で付近を散策、今にも振り出しそうな雲行きでしたが、

それがまた「笹川流れ」を一層引き立たせていました。

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道路の向こうは日本海

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海の彼方に粟島が遠望できる

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海に降りる階段

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ロマンチック海道345

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岩に当たって砕ける波濤

 日本海の向こうに島影が見えたので、道の駅の方に尋ねると

私 ; 「向こうに見えるのは佐渡ですか?」

職員 ; 「あれは粟島です。200人位が住んでいます。」

との事。

 淡島千景は知っていましたが、粟島島影は初耳でした。芭蕉も奥の細道でこの地を通った筈ですが、

・荒海や 粟に横たふ 天の川

という句は詠みませんでした。私的には荒海はこの場所にこそ相応しい気もしますが、

俳聖の感性は凡人とは違うのをあらためて実感した次第です。

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この日の宿泊先の燕三条まで移動して夕食

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〆のデザート

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諏訪神社 (新潟県新発田市諏訪町)

2023.12.16(20:06) 1674

新発田総鎮守(2023.10.7)

<コース>
【往路】JR新大阪(6:00) → (のぞみ200号) → JR東京(8:23→9:12) → JR新潟(10:41)

JR新潟(10:48) → (いなほ3号) → JR新発田(11:12) → 観光情報センター(MHC1) → 徒歩3分 → 足軽長屋・清水園 → 徒歩3分 → 寺町たまり駅(MHC2)・福勝寺・寶光寺 → 徒歩5分 → 諏訪神社 → JR新発田(12:22)

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諏訪神社(旧郷社)  交差点の奥に建つ楼門

 寺町を巡り新発田駅に戻る途中、正面に鮮やかな鳥居が建つのが新発田近郷の総鎮守諏訪神社。

と言うよりも駅から西へ200m、寺町へ向かう途中、塀の向こうに壮麗な社殿が現れたので

「これは是非とも参拝しなければ…」 と急遽立ち寄る事になったのが実情でした。

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寺町へ向かう途中、14号線の北側に見える社殿

 諏訪神社は社伝に拠ると

『大化4年に大和朝廷が北夷の来襲に備え、渟足(現在の沼垂)と磐舟(現在の岩船)の二柵の造営に関連して

信濃国の人民を柵戸として多く移住させた。移民は土地を去る際に、諏訪大社から遠ざかる事を嘆き

大祝部家に懇請し御神陵一角の浄砂を御分璽と賜り、同族の社家を随従させて二柵の中間浜山に

安置したのが嚆矢。現在の聖籠(せいろう)町大字諏訪山がその跡地とされ無格社諏訪神社が鎮座している。

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楼門の唐破風と扁額

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楼門に続く石橋

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石橋の奥に聳える朱の鳥居(一の鳥居)

 溝口氏新発田入封の後、市内中曽根町などを経て現在の地に遷ったのが元禄元年(1688年)、

本殿は宝暦6年(1756年)に造営された。

主祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)で藩祖溝口秀勝も祭神となっている。

市民に親しまれた本殿は平成13年(2001年)に焼失、3年後の2004年に再建された。

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参道正面に建つ社殿(拝殿)

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参道右手に建つ御柱

 毎年8月27~29日の祭礼は賑やかで、特に各町内から曳き出された台輪が

町内に帰る29日の 「帰り台輪」 の夜は、台輪が先を争ってぶつかり合い

「けんか台輪」 の異名をとる壮観なものである。』 とあります。

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春宮御柱の立札

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新発田の 「御柱祭」 の解説駒札

 楼門を過ぎて石橋を渡り朱の鳥居の向こうに壮麗に佇むのが本殿。

平成の再建とあるように柱も真新しい雰囲気でした。

その手前、右手には大きな御柱と 「諏訪大社春宮一之御柱」 の札が建っています。

成程これは紛れもない諏訪大社の分社ですが、説明の駒札には平成16年に当社が再建された際に、

秋宮二之柱がお祝いとして下賜されたのが始まりとか。

以後、大社の御柱祭の開催に合わせ6年毎に建て替えられる予定だそう。

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拝殿近影

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拝殿の向拝欄間彫刻

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拝殿からは幣殿、本殿と奥に向かう

 お祝いならば御柱よりも金銭が良いと思うのは素人考えなのでしょう。

駒札には新発田にも御柱祭があるように記してありますが、神職に伺った所、

信州のように大勢で山から御柱を下すものではなく、城址公園から当社境内まで大勢で曳くものでした。

尤も周囲には相応しい山もないので少し考えれば当然ではあります。

 私的な印象では新潟県人は穏やかな印象がありますが、ここの台輪は勇ましい様子。

これも諏訪大社の神人であった祖先の遺伝子を受け継いだものかもしれません。

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幣殿に続く本殿

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社殿全景

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諏訪神社由緒

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諏訪神社御朱印

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寶光寺 藩主溝口家墓所 (新潟県新発田市諏訪町) <寶光寺 其の弐>

2023.12.15(19:50) 1673

墓場放浪記!(2023.10.7)

<コース>
【往路】JR新大阪(6:00) → (のぞみ200号) → JR東京(8:23→9:12) → JR新潟(10:41)

JR新潟(10:48) → (いなほ3号) → JR新発田(11:12) → 観光情報センター(MHC1) → 徒歩3分 → 足軽長屋・清水園 → 徒歩3分 → 寺町たまり駅(MHC2)・福勝寺・寶光寺 → 徒歩5分 → 諏訪神社 → JR新発田(12:22)

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廣澤山 寶光寺(曹洞宗)
面積1157㎡ の新発田藩溝口家墓所。

 壮麗な山門を潜り、城東桜を見た後は内陣を拝観。前回訪問した平成7年には見た記憶はなく、

わざわざ拝観料¥200をケチったとも思えないので、余程時間が切迫していたのでしょう。

 本堂内陣は撮影禁止ですが、御本尊の阿弥陀如来、勝軍地蔵を間近で拝観。

それに続いて再び外へ出て歴代藩主墓所へお参り。

『新発田藩主溝口家墓所は寶光寺本堂の北東に位置する。かつては墓所の前方に庭園があり、

池に架かった石橋を渡って霊域にある墓所に入る形式を採っていた。

昭和48年(1973年)の中央町都市計画事業に拠って、墓所の前に広がっていた浄土庭園がなくなり、

墓域の縮小、幾つかの墓基が墓所内での移転を余儀なくされた。

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初代秀勝公墓所

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初代の駒札解説

 墓塔は初代秀勝から十代直諒(なおのり)までの藩主の墓塔十基、二代から十一代までの夫人等の墓塔十基と、

子供等の墓十七基が現存する。藩主及び夫人の墓塔は全て笠塔婆と宝篋印塔である。

初代秀勝の墓塔後方にある五輪塔は、加賀大聖寺時代からの御用商人である

中村藤蔵家初代の彦左衛門の墓塔で、溝口家墓所では唯一民間人の墓塔である。

 初代秀勝は慶長15年(1610年)に没し、遺体は五十君野(いじみの)で荼毘に付されて埋葬され、

後に旧寺町の寶光寺に改葬された。他の藩主の墓には遺品や遺髪等が埋葬されている。

また江戸で没した藩主等の墓所は東京駒込の吉祥寺にあり、和歌山県高野山にも供養塔がある。

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二代宣勝公墓所

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二代の駒札解説

 溝口家は外様大名でありながら初代秀勝入封から明治の廃藩置県に至るまでの270年間

国替えがなく、十二代に亘って新発田藩主を務めた。溝口家墓所は墓所が各地に散在することなく、

当寺にほぼ纏まって存在しているため、墓塔の形式の変遷を見ることが出来る貴重な遺構である。』

とあります。

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別段、奥にある訳ではない二代奥方墓所

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二代奥方の駒札解説

 本堂内陣には仏像に加えて新発田藩歴代藩主肖像画も展示中。初代から十代藩主までと

八代藩主の世子、そして七代藩主直温の筆になる初代藩主の肖像画の合計十二幅。

初代の肖像画は絵所左京徳悦、八代直養の肖像画は幕府の奥絵師法印狩野養川院の、

その他はお抱えの或いは江戸在住の狩野派の絵師の筆になるとか。

いずれも衣冠束帯の正装で描かれていました。

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典型的な笠卒塔婆

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こちらは典型的な宝篋印塔

 溝口家は戦国時代の戦でも名を聞かずしかも外様でしたが、

国替えや減封される事もなく明治維新まで続きました。武人派でなかったものの、

肖像画から分かるように文治に力を入れた君主が多かったように思えます。

また将軍の戒名を憚って藩主の戒名を改名するなど、幕府への気配りを怠らなかった事、

加えてお家騒動には無縁であった事も大きかったと思えます。

お家騒動が葉表沙汰になると即改易・減封に繋がりますが、

そのような兆がないので幕府に付け入る隙を与えなかったのでしょう。

歴代藩主の肖像画が残る事、墓所が一ヵ所に纏められているのもその表れといえそうです。

唯、藩主の墓塔が一ヵ所に【こうたくさん】あっては、お参りする側も隙がない気もしますが…。

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並立する墓所

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笠卒塔婆と宝篋印塔が並ぶ

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新潟県
  1. 岩屋堂 (新潟県上越市名立区岩屋堂)(01/12)
  2. 五智国分寺 三重塔 (新潟県上越市五智) <国分寺 其の弐>(01/11)
  3. 五智国分寺 (新潟県上越市五智) <国分寺 其の壱>(01/10)
  4. 大清水観音堂 飯縄社と木喰堂 (新潟県柏崎市大字大清水) <大泉寺 其の参>(01/09)
  5. 大清水観音堂 重文・大泉寺観音堂 (新潟県柏崎市大字大清水) <大泉寺 其の弐>(01/08)
  6. 大清水観音堂 大清水への道 (新潟県柏崎市大字大清水) <大泉寺 其の壱>(01/07)
  7. 良寛記念館と夕日の丘公園 (新潟県三島郡出雲崎町米田)(01/03)
  8. 芭蕉園 (新潟県三島郡出雲崎町住吉町)(01/02)
  9. 圓明院 (新潟県三島郡出雲崎町住吉町)(01/01)
  10. 良寛堂 (新潟県三島郡出雲崎町石井町)(12/31)
  11. 光照寺 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)(12/30)
  12. 北国街道出雲崎宿 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)(12/29)
  13. 出雲崎代官所跡と獄門跡 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)(12/28)
  14. 出雲崎 天領の里 (新潟県三島郡出雲崎町尼瀬)(12/27)
  15. 寶光院 弥彦の婆々杉 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <寶光院 其の弐>(12/26)
  16. 寶光院 阿弥陀堂と本堂 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <寶光院 其の壱>(12/25)
  17. 境内並びに施設 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の陸>(12/23)
  18. 十柱神社 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の伍>(12/22)
  19. 彌彦神社 本殿 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の肆>(12/21)
  20. 橋を渡り二の鳥居へ (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の参>(12/20)
  21. 御手洗川に架かる二橋 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の弐>(12/19)
  22. 彌彦神社への道 (新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦) <彌彦神社 其の壱>(12/18)
  23. 笹川流れ (新潟県村上市桑川)(12/17)
  24. 諏訪神社 (新潟県新発田市諏訪町)(12/16)
  25. 寶光寺 藩主溝口家墓所 (新潟県新発田市諏訪町) <寶光寺 其の弐>(12/15)
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