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大池寺(滋賀県甲賀市) 小堀遠州作の蓬莱庭園の御朱印

2019.06.14(23:33) 315

だいちを覆うサツキの庭園(2019.6.12)

<コース>
JR大阪(7:03) → JR草津(7:55→8:02) → JR貴生川(8:33→8:50) → (甲賀市コミュニティバス土山地域) → 田村神社バス停(9:19) → 田村神社 → 土山宿 → 田村神社バス停(13:35) → (甲賀市コミュニティバス土山地域) → 綾野(13:56) → 徒歩15分 → 大池寺 → 綾野(16:03) → (甲賀市コミュニティバス土山地域) → 貴生川(16:13 → 16:31) → JR草津(17:03→17:06) → JR大阪(18:00)

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龍護山大池寺(臨済宗妙心寺派)

 土山宿の後は、次の宿場水口まで移動。

 龍護山大池寺(りゅうごさんだいちじ)は、天平14年(742年)諸国行脚中の行基菩薩がこの地を訪れた際に、農民のための灌漑用水として「心」という字の形に池を掘り、その中央に邯鄲山青蓮寺を建立、自刻の釈迦如来坐像を安置したのが始まり。

 伝説の域ですが、いまでも周囲には「しょうぶ・びくに・弁天・今」の四池があり、宿場も水口という位ですから、そのような史実があったのでしょう。

 当初は八ヵ寺を数え七堂伽藍を備える天台宗寺院でしたが鎌倉時代に東福寺開山聖一国師の孫弟子無才智翁禅師が入寺して臨済宗になりました。

 戦国時代には戦乱で全山が焼失し、残ったのは仏像のみ。しばらくそのままでしたが、寛文7年(1667年)花園妙心寺の慈航禅師が再興、周囲の池に因み「龍護山大池寺」と改名しました。寺ではこの年をもって中興の年としています。

 翌10年には当地の地頭であった織田正信が再建のため多くの寄進を行い、大池寺の開基となりました。正信は信長の甥、そのため寺紋は織田家の木瓜となっています。

 戦乱を潜り抜けた本尊は高さ2.4m。櫟野寺、十楽寺と並び甲賀三大佛に数えられるもの。いまでも信仰を集めていますが、今、人を集めているのは書院の蓬莱庭園。

 江戸の寛永年間に小堀遠州が作ったとされるもので、サツキの大刈込鑑賞式枯山水庭園。同じ禅宗なので京都の寺院を髣髴とさせ、【ためいけ】の出るような美しさです。

 白砂の中に浮かんだサツキの刈込が船や大海原を表していますが、遠州の庭にしてはやや人工的かと感じます。
 サツキも見頃でしたが拝観者は殆どなし。

 不思議に思って庭を眺めていると団体客が来られて住職が説明。そして写真を撮るとすぐに移動されました。私が庭を眺めている間に来られた団体さんは2組。

 ツアーのメリットは楽に多くの場所に移動できることですが、急ぎ足だと結果【蓬莱】とはいかないようです。

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大池寺入口
心字池の中央に建つ。

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山門前の右手に広がる廻遊式琵琶湖庭園

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琵琶湖庭園を右手に眺めつつ山門へ向かう

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山門前の左手にある心池庭

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大池寺山門

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山門の向こうには仏殿が見える

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甲賀三大佛の釈迦如来坐像を祀る仏殿(本堂)

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山門から見た境内
市木・イヌマキ(左)や開山臥龍の松(右)がある。

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境内を通り庫裏へ
ここから先の建物内見学が有料 ¥400

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庫裏の前庭

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庫裏の中から見た前庭
ここで拝観の説明を聴く。

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庫裏の廊下からのが眺め

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廊下から前庭を見る

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中庭にある仏母井

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書院奥の湖南堂

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土蔵と湖南堂の間にある蓬莱山庭園

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蓬莱山庭園

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書院奥にある枯山水蓬莱庭園

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柱の向こうの庭は一幅の絵画に見える

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小堀遠州作庭の蓬莱山庭園

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奥の二段刈込は大洋の大波・小波を表し、手前の刈込は宝船と七宝・七福神を象徴している

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宝船右端のサツキ

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刈込による亀島

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書院の眺め

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書院廊下から庭園を見る

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亀島付近からの眺め

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鹿威しと庭

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蓬莱庭園を眺めながら抹茶一服

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団体客が見学に来た所

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人が去った後の静寂
団体の庭園見学は住職の説明も含め最大10分程度。

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大池寺説明書

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説明書裏面
御本尊は撮影禁止なので、これで代用。

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大池寺御朱印(平成7年度)

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大池寺御朱印(令和元年度)
平成7年度の物を見せると、今は御本尊の墨書もするようになったとの事だったので拝受。

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水口北脇郵便局 ; 大池寺蓬莱庭園、横田渡常夜灯、鎌ヵ岳

[参考書]

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田村神社(滋賀県甲賀市) 征夷大将軍所縁の御朱印

2019.06.13(17:17) 314

あいの土山あめを売る(2019.6.12)

<コース>
JR大阪(7:03) → JR草津(7:55→8:02) → JR貴生川(8:33→8:50) → (甲賀市コミュニティバス土山地域) → 田村神社バス停(9:19) → 田村神社 → 土山宿 → 田村神社バス停(13:35)

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田村神社(県社)

 ♪坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る ♬

 鈴鹿馬子唄にもなった土山は東海道49番目の宿場。江戸からだと鈴鹿の難所を越えた所にあります。

 古くは伊勢に下る斎王もここを通り頓宮に宿泊。今は京都から伊勢に行くには近鉄特急ですが、長きに亘り伊勢・尾張・江戸への交通の要衝でありました。

 明治になって敷設された東海道本線は名古屋からは主として中山道経由、旧東海道に当たる場所は関西本線、草津線になり土山も当然鉄道が通る筈でしたが、地元の猛反対で鉄道誘致はなくなり草津線はかなり南を通ることに。

 49番目の土山、50番目の水口は国鉄から外れ51番目の石部で漸く鉄道と合流することになりました。なんでもお茶を栽培している農家が機関車の煙に反対したとの事ですが、この辺りの事情は三重の石薬師・庄野と同じですね。

 国道1号線は旧東海道沿いに造られバスも1時間毎。草津線の貴生川~柘植間も日中は1時間毎の運転ですから、遜色ないとは言えますが、輸送力の差は歴然としているので、やはり鉄道を通した方が良かったのでしょうか?

 その一方で土山宿は旧東海道の雰囲気が色濃く残り、宿場整備も進んでいるのを見ると鉄道が来なかった故とも思えます。結論は、これから先になるでしょう。

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国道1号線沿いにある道標
土山宿は東海道でも有数の2.2㎞の長さを誇る。

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旧東海道沿いに残る松並木
数も減り衰弱も激しいがかつての雰囲気を伝える。

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茶畑の向こうに見える垂水斎王頓宮址の杜

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平成万人灯
宿場の中央付近の1号線沿いに建立された高さ9.33mの復元燈篭。夜はライトアップされる。

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街道沿いの前田製茶本舗

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土山宿本陣
寛永11年(1634年)に三代将軍家光の上洛に際して設けられ歴史上の有名人が多く宿泊した。今も子孫の土山氏が居住されている。

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問屋宅跡

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本陣付近か江戸方面を見た図

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かつての庄屋地平家を用いた東海道伝馬館
問屋場を再現し観光案内の拠点ともなっている。

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伝馬館外観

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伝馬館内部

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鴎外土山訪問の碑
鴎外祖父の白仙は津和野藩御典医であったが土山で急死しここに葬られた。

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扇屋伝承文化館
今は休憩所だが、この日は休み。

 さてJR貴生川駅から出たバスは土山宿の東端で終点。道路北側に雄大な森を有し鎮座するのが田村神社。

 由緒に拠れば、

『昔、鈴鹿山に一人の鬼人が住み、この道を通る旅人の姿が鏡岩に映る度に捕まえて食べていた。

 弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途中ここに立ち寄り、鏡岩に現れた悪鬼に矢を放ち討伐、旅人の難を助け一路平安を確保した。

 田村麻呂が亡くなった弘仁3年(812年)に、その遺徳を偲びこの土山の地に嵯峨天皇の勅願所として高座田村大明神として祀った。悪鬼を退治した2月18日を挟んだ前後3日間は厄除大祭が行われる。』

とあります。

 悪鬼といっても鬼ではなく中央に反抗する人々。征伐といっても立場が違えば独立を護るという大義名分があるわけですが、この地域は都からも近い場所。恐らくは旅人を狙う山賊であったのでしょう。

 田村麻呂を祀ったのも上からの命令だけではなく、地元民の感謝の意もあったと思います。

 今でもお茶の産地で、最近はお茶を使ったスイーツも登場。変わった所では「かにが坂飴」。

 なんでも山中に3mにもなる蟹が住み人々に危害を加えていたのを僧侶が退治、その血が固まって飴となって食べた人には厄除に効果があったとか。

 【飴喰って血固まる】で、なにやら田村麻呂の鬼退治の焼き直しのようですが、田村神社の門前で売られています。砂糖と水飴を混ぜて茣蓙の上で固めたと思われる昔ながらの製法で添加物なしの素朴な味。

 いまでは「道の駅」他でも販売でされており、自然食ブームもあって売り上げも【横這い】から上向くと感じました。

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1号線の向こうに見える田村神社

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一の鳥居

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二の鳥居まで木立の中を行く

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二の鳥居前に到着

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二の鳥居の扁額

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境内入口

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社務所(左)と拝殿

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拝殿

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拝殿の扁額の説明

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拝殿後方の三の鳥居

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石橋を叩いて本殿に渡る

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本殿へ続く石段

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三間社流造の田村神社本殿

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本殿奥の様子

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本殿への参道

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本殿前の矢竹
田村麻呂が鬼を退治した時の矢がこの地に落ち、竹藪になったとか。

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本殿左から田村川へと続く道
禊ぎなどで使うとは神主さんの話。田村川は野洲川支流で神社を取り囲むように流れている。

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田村川に架かる海道橋
廣重の絵に描かれた橋を再現したもの。

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廣重「東海道五十三次 土山 春之雨」
渡っているのが田村川である。

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田村神社説明書

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田村神社御朱印

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名物「かにが坂飴」

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道の駅「あいの土山」にて昼食
その名も「常夜灯天丼」 ¥1,200

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食後は抹茶饅頭と抹茶ういろう

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土山大野郵便局 ; 茶壺、茶の花、野洲川の鮎
土山郵便局 ; 旧東海道の松並木、鈴鹿峠の万人講燈篭

[参考書]

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中山道武佐宿(滋賀県近江八幡市)

2019.06.01(22:30) 298

明治の猛者、伊庭貞剛(2019.5.30)

<コース> 新快速、近江鉄道は30分間隔で運転
JR大阪 → (新快速) → JR近江八幡 → (近江鉄道) → 武佐

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街道沿いの武佐宿跡
享保年間に来日した象もこの道を通ったんだぞう!

 江戸から京へ行く道は東海道と中山道。前者は海沿い、後者は内陸なので、接点は少ないですが、両方通るのが近江。

明治以降は鉄道沿いが発展しますが、いまでも鳥居本や武佐にはかつての面影が見られます。

近江八幡駅から近江鉄道で一駅の武佐が最寄り。先ずは牟佐神社に参拝。

境内の説明に拠れば、

『この地は古の牟佐村主の古地なれば、平安時代に位を授けられた』

とあります。

元は高市大明神と呼ばれましたが後に地名を冠した名前に変更。

無住ながら地元の人々の手で維持されていました。尚、地名については当初「牟佐」「身狭」の字を使いましたが、江戸時代には現在の武佐になります。

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近江鉄道武佐駅(無人)

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廣重の木曽街道六十九次「武佐」

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中山道沿いにある牟佐神社鳥居

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牟佐神社境内

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由緒記

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本殿

 中山道に沿って行くと武佐駅を越えた場所に公園が。ここは武佐出身の伊庭貞剛の生家のあった場所。

弘化4年(1847年)に生まれた伊庭は近江源氏佐々木家に繋がる名家で、幕末は勤皇家として活躍し明治以降は判事として大阪に赴任しますが裁判所が肌に合わずに辞任。

そのまま故郷に帰るつもりでしたが、叔父の広瀬宰平の誘いで明治12年(1879年)大阪住友に入社しました。

広瀬は当時住友総理事、十代で丁稚奉公に上がってから住友一筋に三十年。幕末・明治の動乱期にドル箱の別子銅山の近代化を推し進め住友家を財閥にのし上げた功労者です。

それだけに住友内に敵も多く伊庭の入社は甥への政権譲渡の布石と反感を持った人間も多かったと言われます。

 明治27年には満を持して本丸の別子銅山支配人として赴任。別子では経営者側と山で働く労働者側が一触即発状態で互いに相手を【蔑視】する状態でした。

現地に乗り込んだ伊庭は山の男たちの手荒い歓迎を受けますが、すぐには動かず双方をじっくり観察。

そして争いの原因が互いの意思疎通不足である事に気づき、意見交換することで解決に向けて動き出しました。

 住友内の問題以上に別子銅山からの煤煙が付近の山林や農作物に甚大な被害を与えている現実がありました。

伊庭は煤煙の影響については認めませんでしたが、精錬所を沖合の四阪島に移転、加えて別子銅山付近の山々に植林をするという壮大な計画を立てます。
殖産興業一辺倒の時代にあって企業の社会責任の先駆と言え、足尾鉱毒事件を批判した田中正造も伊庭のこの行為を称えています。

そして5年後に漸く目途がたったのを見届けて伊庭は別子を離れますが、送別では地元が一体となって見送ったと言われます。

尚、この時の植林が後の住友林業の設立に繋がりました。

 その後、伊庭は広瀬の後を受け明治33年に54歳で住友総理事に就任。別子での功績が認められた故ですが、広瀬の眼に狂いがなかった事がこれで証明されました。

その後、58歳になったときに伊庭は全ての職を辞して滋賀の石山に隠棲、80歳で大往生を遂げました。

最高のポストに就いた人間は永らく留まるべきではないと言う強い信念に従っての事でしたが平均寿命が今とは異なるとはいえ、見事な引き際と言わざるを得ません。

「事業の進歩発展に害を為すのは青年の過失ではなく老人の跋扈である。」というのが住友を辞するに当たり伊庭が残した言葉でした。

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旧八幡警察署武佐分署庁舎
明治19年建築の登録文化財。

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武佐宿本陣
旧下川家、かつては広大であったが一部が右の武佐郵便局の敷地になった。

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伊庭貞剛生誕地跡
いまは「いば eco 広場」となり開放されている。

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広場遠景
楠の大木が象徴的、事業も時間を掛けて大きくせよと言う事か?

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武佐郵便局 ; 本陣跡、花ノ木、ムシャリンドウ、瓶割山

[参考書]

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苗村神社(滋賀県蒲生郡竜王町) 東西に神殿のある神社の御朱印

2019.06.01(09:54) 297

古墳と国宝・重文に囲まれた古社(2019.5.30)

<コース> 新快速は30分間隔、バスは60分間隔で運転
JR大阪(7:45) → (新快速) → JR近江八幡(8:56→9:15) → (近江鉄道バス) → 川守(9:31) → 徒歩10分 → 龍王寺 → 徒歩30分 → 苗村神社 → 川守(12:07) → 近江八幡南口(12:30)
又は
JR近江八幡 → レンタサイクル45分 → 龍王寺 → レンタサイクル10分 → 苗村神社

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苗村神社(近江國 式内社)

 龍王寺参拝に続いては苗村(なむら)神社に。

 鏡山の東麓にある苗村神社は、延喜式神名帳に長寸(なむら)神社として列座された創建年代不詳という古社。

道路を挟んで西本殿と東本殿に分かれていますが、東本殿周辺には古墳が多く祖霊信仰に始まる神社が東本殿として初めに出来ます。

その後、稲作が盛んになって来た安和2年(969年)に吉野金峯山から国狭槌命(くにのさづちのみこと)と呼ばれる土地の開拓神が西の杜に御遷座され西本殿が加わりました。

 近郷33ヵ村の総社として崇められ、西本殿は徳治3年(1308年)再建で国宝、東本殿も室町時代の建造で茅葺の楼門と共に重文となっています。

 社名も、初めは新羅王子天日槍の條にある吾那邑(あなのむら)から那牟羅(なむら)へ、更に最高位を表す長と、村の古字の寸を用いた長寸と変更。

寛仁元年(1017年)の正月以来、朝廷に門松の松苗を献上する栄誉に浴したので後一條天皇から「苗村」の称号を賜り今に至っています。

 苗村の謂われは門松ですが、この辺りは平地で川も流れる肥沃な場所。農作にも適していたと思われ稲村から来たと考えることもできるのではないでしょうか?

新羅王子に由来とあるので古代には渡来系の人民が多数生活しており大陸の先進文化で土地の開拓に携わった事がこの地の農耕の繁栄に結び付いたというのが【濃厚】です。

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行く手に苗村神社東本殿の杜が見える

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入口へ到着
こちらは西本殿側

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先ずは東本殿に参拝
鳥居の額は「長寸神社」と古い表記になっている。

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東本殿への参道を行く

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東本殿は古墳群に囲まれて鎮座

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東本殿
左は佐々貴社、右は天神社。

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重文・東本殿
一間社流造で室町時代の建築。

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東本殿説明板

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東本殿参拝後は西本殿へ向かう

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重文・楼門
三間社一戸楼門入母屋造の茅葺で応永年間(1394~1427年)の建築とされる。

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楼門の垂木構造

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境内から見た楼門

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楼門脇の碑
水に感謝する雨乞いの文言で古より苗村郷の唱える言葉として伝承されてきたもの。

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西本殿境内

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御祭神の子守乃像と重文・神輿庫

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横から見た神輿庫
室町時代の建築。

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正面から見た拝殿

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国宝・西本殿
三間社流造で鎌倉時代の1308年の再建。

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西本殿の内部
左が国宝・西本殿、右が室町時代建造の重文・十禅師社本殿

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左側から見た西本殿

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正面は室町時代建造の重文・八幡社本殿

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境内にある弁天池

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重文・不動明王立像を収める堂
神仏習合時代に境内の僧坊にあったものを移したとされる。8月15日のみ御開帳。

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頂いた説明書にある不動明王立像
鎌倉時代の作。

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苗村神社説明書(無料)

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苗村神社説明書 ¥100

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苗村神社御朱印

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竜王川守郵便局 ; 重文・苗村神社楼門、重文・龍王寺梵鐘
竜王郵便局 ; 希望の丘自然公園、青年の城、義経元服の地

[参考書]

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龍王寺(滋賀県蒲生郡竜王町) 大蛇由来の鐘のある寺の御朱印

2019.05.31(21:42) 296

龍王無人(2019.5.30)

<コース> 新快速は30分間隔、バスは60分間隔で運転
JR大阪(7:45) → (新快速) → JR近江八幡(8:56→9:15) → (近江鉄道バス) → 川守(9:31) → 徒歩10分 → 龍王寺
又は
JR近江八幡 → レンタサイクル45分 → 龍王寺

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雪野山 龍王寺(天台宗)

 竜王町は鉄道が通っていませんがバスの便は良く1時間毎の運転。ダイハツの工場があるからですが、昔から琵琶湖から東へ道が通じる要衝でもありました。

町はずれにある雪野山は標高308mのハイキングコースですが、東からはなだらかな稜線が見えます。

その麓、日野川近くにあるのが雪野山龍王寺(ゆきのさんりゅうおうじ)、町の名前にもなった古刹。

ぜんそくに効果がある「へちま寺」として【ぜんこく】に知られています。

 創建は古く、和銅3年(710年)に元明天皇の勅願で行基が開山、当初は雪野寺の名で「野寺」とも呼ばれました。白洲正子「近江山河抄」でも雪野寺で登場しています。

境内からは奈良時代の遺跡が出土するのでここにあった事は確実。現在の本堂の奥がその跡地と考えられています。

 境内には「野寺の鐘」として知られる梵鐘があり奈良時代の製造として重文。加えて次のような伝説が。

『この地に住む小野時兼が一人の美女と契ったが、女は平木(八日市)の沢の主であると言って玉の箱を残して姿を消した。

時兼が平木の沢を訪れると女は大蛇の姿で現れたので、驚いた時兼が帰って玉の箱を開けると鐘があったので雪野寺に寄進した。

そのためこの鐘の竜頭は白布で包まれ人目に触れさせない。』

梵鐘をどうやって箱に入れて持って来たかはさておき、これも竜神伝説の一種。

この梵鐘は火災時に水を放出したり旱魃時に雨乞いをすると慈雨に恵まれたりと霊験もあらたかだったようです。

そのため、寛弘4年(1007年)に一条天皇が「龍寿鐘殿」の勅額を下賜され、雪野寺から龍王寺に寺号も改められました。

 境内を散策後、御朱印を拝受すべく呼び鈴を押すと御住職夫人が出て来られました。

和辻;「拝観¥400とありますが…。」

夫人;「住職が本堂内で説明するのですが、外出中で申し訳ありません。」

和辻;「御本尊が拝観できるのでしょうか?」

夫人;「御本尊の薬師如来は秘仏でお盆の日だけですが、脇立ちの十二神将像は御覧になれます。鎌倉時代の作で表面の彩色も残っています。一般の観光寺院とは違うので申し訳ありません。」

和辻;「戦火は無かったのでしょうか?」

夫人;「この付近は戦乱が多く伽藍は焼失しましたが、仏像は持ち出して何とか無事でした。」

 御朱印は墨書済のものを購入。

納経所には十二神将の写真があり、それぞれ頭上に十二支獣を載せています。大きさも等身大よりも少し小さいので傍で見たらさぞ壮観だったでしょう。

「田舎なので全て自前です。」との話ですが、境内も綺麗に整備され杉苔が美しい状態。

拝観できなかったのは残念ですが、無人で廃寺にある寺院が多い中、今まで仏像が無事に守られている事は有難い事です。

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龍王寺山門

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山門から正面に本堂を望む

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本堂近影
本尊は薬師如来。

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本堂屋根瓦

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本堂脇の宝篋印塔
この奥がかつての雪野寺跡

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雪野寺跡地

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重文の梵鐘を収める鐘楼と宝物館

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鐘楼近影

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重文・梵鐘
鐘楼手前の窓から撮影。

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梵鐘の説明板

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宝物殿付近から見た境内

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境内の池から鐘楼と本堂を望む

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御朱印を拝受すべく庫裏へ向かう

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庫裏から本堂を見る

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庫裏の前庭の杉苔と幼松

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龍王寺御朱印 ¥300

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石塔寺(滋賀県東近江市) アショーカ王の石塔寺の御朱印

2019.05.29(21:00) 294

村先のアショーカ王の石塔に参るや!(2017.6.6)

<コース>
JR大阪(5:55) → JR草津(6:53→6:59) → JR貴生川(7:25→7:40) → (近江鉄道) → 桜川(8:23) → 徒歩35分 → 石塔寺 → 桜川(10:12) → 八日市(10:23) → レンタサイクル → 八日市(14:18) → 日野(14:41) → レンタサイクル → 日野街並み → 日野(17:08) → 貴生川(17:27→17:33) → JR草津(18:00→18:06) → JR大阪(18:57)

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阿育王山 石塔寺(天台宗)

 出張の谷間の火曜日、早朝から近江鉄道へ。石塔寺(いしどうじ)の山号は阿育王山「あいいくおう」ではなく「あしょかおう」と読みます。

寺伝によれば

『創建は推古天皇の御代で聖徳太子が近江に建立した48ヵ寺の満願寺として本願成就寺と呼ばれた。

 その後、平安中期の長保3年(1003年)比叡山の僧寂照法師が入宋の折、清涼山の僧侶から次の様な話を聞いた。

・インドのマウルヤ王は仏教に帰依し八万四千の仏舎利塔を造り全世界に撒いた。その二基が日本に飛来し、一つは琵琶湖に沈み、もうひとつは近江の渡会山中に埋まっている。

と。寂照法師はこのことを手紙で日本に送り、三年後手紙を入手した播州随願寺の義観僧都が一条天皇に奏上。

帝が探索された所、現れたのが三重石塔で、喜んだ一条天皇は勅願寺とし、阿育王山石塔寺の山号を賜った。』

とあります。

 天竺と日本の仏教界の大立者が登場する壮大な話ですが宋の僧侶が日本の詳しい地理を知っていたとも思えません。

近江のこの地域には聖徳太子の伝承が多いので、太子と何らかの繋がりがあったとは思えますが、所詮伝説の域を出ないと考えます。

 伝説はさておき東近江は白村江の戦のあと鬼室集斯など百済人が700名余り移住してきた地。

この石塔も7世紀頃の作とされ日本の様式とは異なり朝鮮半島の様式に類似し渡来した百済人により建立されたというのが定説のようです。

唯、伝説の力は凄く鎌倉時代には、石塔・石仏が境内に多数奉納されることになりました。

この寺も戦国時代には兵火により全山焼失する憂き目を見ますが、石塔群は残り現在に伝わることになりました。

 本堂には聖観世音菩薩が祀られますが秘仏、通常は御前立の十一面観音菩薩を拝みます。

石塔は本堂とは別の坂を上った場所にあり有料。本堂が無料なのとは対照的ですが、長い風説を耐えてきたことを想えば当然かもしれません。あ、しょーか!

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石塔寺への途中にて
刈り取った麦の跡を焼いている。

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宮中新嘗祭献上穀斎田
江州66万石の面目躍如といった所か。

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ようやく石塔寺前に到着

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石塔寺門
下馬の碑がある程、格式が高かった。

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山門前にて
本堂はこの左奥に。

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本堂
江戸時代以降の再建である。

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本堂正面
御本尊は聖観世音菩薩で秘仏。

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山門を出て右手の石塔へ
屋根のあるのが受付 ¥400。

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階段前の躑躅

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阿育王塔へ続く石段

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石段横の石塔

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階段の石仏に止まるコオニヤンマ

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石塔寺阿育王塔(重文)
高さ7.5m。写真で見ると分からないが実物はかなり威圧感がある。

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重文・三基
左:宝塔 1302年、 中:五輪塔 1304年、 右:五輪塔 1349年。

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近世以前に奉納された五輪塔と石仏

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奉納された五輪塔

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奉納された石仏

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阿育王山 石塔寺説明書

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石塔寺御朱印
親よりも年配の女性の墨書。

「茜さす…」の歌もこの蒲生の地で詠まれたと言われ、当時国際的な先進地域だったのでしょう。

後世、近江は我が国屈指の石高を誇りますが、その基礎はこの時代までに遡れるかもしれません。

 このあと近江商人の故郷日野へ。駅からレンチャリで3㎞でしたが、生憎の休館日。

火曜なので大丈夫と【大海人】な考えが裏目、抜かったのう君【額田王】と萬葉人に笑われたでしょうが、ここが【蒲生】の為所と自戒の念を込めて【しめの】となりました。

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近江鉄道八日市駅前レリーフ
・大海人皇子と額田王。「茜さす…」 の歌を表す。

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八日市にある市辺押磐皇子の墓

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日野まちかど感応館
かつての日野商人の行商の主力商品の合薬「万病感応丸」の創始者正野法眼玄三の薬店。いまもこの薬は日野製薬㈱で製造販売している。1粒:¥400~500と高価なので効果がありそう。

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感応館内部

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日野の街並み

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近江日野商人館は休館

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蒲生郵便局 ; 重文・石塔寺三重石塔、宮川けんけと祭り、布引山
近江日野郵便局 ; 蒲生氏郷像、町花・本石楠花、綿向山

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太郎坊宮(滋賀県東近江市) 磐座に鎮座する厳めしい筆致の御朱印

2019.05.28(20:52) 293

勝敗は運か努力か?(2017.6.4)

<コース>
JR大阪(6:21) → JR近江八幡(7:39→7:45) → (近江鉄道) → 太郎坊宮前(8:00) → 徒歩20分 → 太郎坊宮 → 太郎坊宮前(10:17) → 近江八幡(10:31→10:52) → JR米原(11:19)

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太郎坊・阿賀神社

 この日は午後から米原で友人達と会合。その前に以前から気になっていた神社に参拝。

 太郎坊宮の創建は今から約1400年前、鎮座する赤神山(太郎坊山)は遠くからでも露出した岩石が見え、神秘的な霊山として古代より祭祀が行われていたとあります。

本殿前にある夫婦岩を中心に一帯が磐座(いわくら)、奥宮・辺宮・里宮という古代信仰の形を完全にとどめているとか。

 延暦18年(799年)にここを訪れた最澄は阿賀神社の霊験に感じ薬師如来を本尊とする成願寺を創建、阿賀神社の神宮寺としました。

神仏習合で60余坊を有する程、発展し薬師如来の縁日である八日に市が立つようになった事で八日市の町が発展してきます。

戦国時代には織田信長と六角義賢の合戦で炎上、阿賀神社は速やかに復興しましたが、成願寺は寛永17年(1640年)に漸く再興、かつての隆盛は戻らず明治になって阿賀神社と完全に分離しました。

赤神山から正式名は太郎坊・阿賀神社ですが一般には修験者を表す太郎坊天狗の名を取って太郎坊宮と呼ばれます。

太郎坊大権現は役行者の眷属48天狗の随一で勝運の神様として崇拝された事が影響しているのでしょう。

織田信長を狙撃したことで有名な杉谷善住坊も一時期ここに滞在していたとか。太郎坊宮の力にすがる気持ちがあったのでしょうが、その甲斐なく狙撃は失敗。

ギャンブルはさておき、囲碁・将棋やスポーツは神頼みよりも本人の努力のほうが大きいとは思うのですが、訪れた時にもオリンピック選手やボクシング世界チャンピオンの色紙がありました。

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参道入口
近江鉄道駅からは約800m。

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一の鳥居を過ぎた場所にある御神田
太郎坊宮に供えるお米を収穫する田圃か?

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階段下まで到着
中腹に見えるのは参集殿

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階段を上る

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社務所へ近づく

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社務所前の飯尾宗祇の句碑

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御利益のある天狗さん

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本殿前にある夫婦岩
高さ数十mの二つの巨岩。大神の神力で巨岩を左右に開いたと言われるパワースポット。

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夫婦岩
高さ12m、幅80㎝の間を通る。

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夫婦岩説明板

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本殿への階

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本殿から見た東近江市

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本殿横の夫婦岩

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本殿から裏参道(女坂)を下る途中にある弁財天

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願かけ道にある天狗像

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同じく願かけ道にある役行者像

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太郎坊・阿賀神社説明書

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太郎坊宮御朱印

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赤神山成願寺(せきしんざんじょうがんじ) 天台宗
神宮寺として明治までは太郎坊宮と一体だったが、今は分離してひっそりとした佇まいである。

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成願寺御朱印
墨書済を貼付するタイプ。

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八日市郵便局 ; 無形民俗文化財・八日市大凧、太郎坊宮
八日市市辺郵便局 ; 裸まつり、市辺押磐皇子の陵墓

 そのあとJRに戻りで米原へ、友人に訊くと彦根でブルーインパルスの飛行があるとか。

食事中に抜け出して皆で見学、轟音と高速の為、写真に収めるのが精一杯。空みたことか!といった感じでしたが早速勝機に恵まれました。

浜松自衛隊から飛来して帰るそうで、彦根の井伊家の発祥の地井伊谷から転封された地まで【龍潭】を飛んで来たようです。

30分程の飛行ショーの後、東へと帰還。強風で列が乱れたかも知れませんが、浜松に着くまでには【直虎】でしょうね。

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エクジブ琵琶湖より眺めたブルーインパルス

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瑞竜寺(滋賀県近江八幡市) 秀次所縁の門跡寺院の御朱印

2019.05.08(22:36) 265

名君を暴君とは殺生な!(2018.5.5)

<コース> 新快速は日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪(8:30) → (新快速) → JR近江八幡(9:35)

JR近江八幡駅 → 日牟礼八幡宮 バス10分orレンタサイクル15分or徒歩25分 八幡山ロープウェイ → 瑞龍寺

 洋館巡りの後は昼食。八幡堀沿いに建つ喜兵衛は270年続いた肥料問屋を改装した郷土料理の店。

映画のロケでも度々登場し「人生の楽園」でも放送されました。

近江八幡は近江牛が有名ですが、ここでは地元の産物を使った郷土料理がメイン。

特に店の方が太鼓判を押すだけあって鯉の甘露煮が絶品でした。

かつての商家の座敷で庭を見ながらの食事は、味良し・値段良し・眺め良しの三方良しと近江商人の美学そのままでした。

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八幡宮から堀を湖方面へ

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昼食は八幡堀沿いの「喜兵衛」にて
270年続いた肥料商で、安政4年建築。

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喜兵衛玄関

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喜兵衛の庭

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ここで庭を見ながら食事

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食事の始まり

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喜兵衛御膳
赤蒟蒻、近江牛や琵琶湖の幸が入って¥2,500

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琵琶湖の鯉の煮付けも絶品

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喜兵衛の前の八幡堀を行くカヌー

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新緑の八幡堀を進む船

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八幡宮へ渡る橋にて

 食事の後は八幡宮奥のロープウェイで八幡山山頂へ。

瑞竜寺は標高286mの八幡城跡にある尼寺。八幡堀を作った秀次は清州に転封後、秀吉の怒りを買い高野山で切腹。

妻子も連座しますが、母の智(秀吉の姉)は出家して日秀尼となり慶長元年(1596年)に息子の菩提を弔うために京都嵯峨の村雲の地に日蓮宗瑞竜寺を建立。

昭和37年に秀次所縁の当地に移築されました。

村雲御所と呼ばれるのは日蓮宗で唯一の門跡寺院だからで、これは後陽成天皇が寺領を寄進したため。

代々皇女や貴族の女性が門跡を務めましたが今は男性になっているそうです。

境内は縁結びと恋人の聖地となっていますが門跡寺院だからでしょうか?

 殺生関白などと呼ばれることもある秀次ですが地元では英雄、数々の悪行や秀吉に【問責】された事も誇張されたような気がします。

境内は狭いですが、ここからの市内、琵琶湖の眺めは絶景。泉下の秀次公も満足していると思われます。

 山から下ると15時過ぎ。近江八幡の甘味は「たねや」が第一で、八幡宮境内にもお店がありますが、今回は趣向を変えて八幡堀横の石畳にある「あまな」にて。洋館巡りの最後は丁稚羊羹で〆とはなりました。

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八幡山ロープウェイ(近江鉄道経営)で山頂へ
山頂から見た干拓地。

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八幡山の城跡

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村雲御所瑞竜寺門跡(日蓮宗)

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今は恋人の聖地に

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近江八幡市街を望む

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瑞龍寺御朱印

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八幡宮前にある和菓子処「たねや」
向かいには洋菓子のクラブハリエがあってどっちも長蛇の列。

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「たねや」にて、つぶら餅製造風景
一見、たこ焼きに見えた。

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あまな」にて休憩
丁稚羊羹の老舗「和た与」が経営する甘味処。

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竹皮に包んだ羊羹が添えてある
左;宇治抹茶パフェ ¥840   右;朝宮ほうじ茶パフェ ¥840

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近江八幡市マンホール蓋

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近江八幡馬淵郵便局 ; 福寿寺庭園、供養塚古墳
武佐郵便局 ; 本陣跡、花ノ木、ムシャリンドウ、瓶割山

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日牟礼八幡宮(滋賀県近江八幡市) 近江商人の信仰する神社の御朱印

2019.05.08(08:02) 264

丁稚羊羹の町で洋館巡り(2018.5.5)

<コース> 新快速は日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪(8:30) → (新快速) → JR近江八幡(9:35)

JR近江八幡駅 → 日牟礼八幡宮 バス10分orレンタサイクル15分or徒歩25分

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日牟礼八幡宮
境内から鳥居を見る。奥にあるには八幡宮前の観光案内所「白雲館」

 GW終盤の子供の日は、近場の近江八幡へ。

名前の由来にもなっている日牟礼八幡宮は源頼朝が近江守護佐々木定綱に銘じて八幡山麓に造営させたもの。

武神の八幡神を勧進したのだと思いますが、それ以前の延喜式内社大島神社に代わって中世以降は近隣の信仰を集めるようになります。

 近江八幡の次の飛躍は天正18年(1585年)豊臣秀吉の甥秀次の八幡城築城。

山麓の低地を開削し八幡堀と呼ばれる内堀とし、南からの敵の攻撃を防ぐと共に水運を利用し琵琶湖から城下町まで船で往来できるようにしました。

秀次の死後、変遷を経て城下町は大津に移りますが残った人々に商業の町に。

後には五個荘・日野と並ぶ近江商人の町と呼ばれるようになります。

八幡宮も商人の崇拝を集め、海外貿易に従事した商人の奉納した絵馬や左義長祭りを主催するまでに。

戦後の高度成長期、八幡堀は埋め立ての危機に瀕しますが市民の手で守られ現在では古い商家の町並みと共に観光の目玉となっています。

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白雲館から見た八幡堀前に立つ鳥居

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八幡宮楼門

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拝殿

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拝殿横から楼門を望む

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本殿に参拝

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本殿全景

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境内の石楠花

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日牟礼八幡宮略誌

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日牟礼八幡宮御朱印

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八幡宮に向かう橋の上から見た八幡堀

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永原町通りの商家
醤油の看板がある。

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永原町通りの屋敷
醤油店の向い。

と言えば街並み巡りとなるところですが、今回は商家ではなく市内に残る洋館を巡り。

 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)は1905年に滋賀県立商業学校の英語教師として来日。

布教のかたわら、建築家、メンソレータム(近江兄弟社)の設立と活躍、昭和16年には日本に帰化し一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名しました。

米国から来て日本に留まるという意味、一柳はヴォーリズ夫人旧小野藩主一柳子爵三女満喜子に由来しています。

戦中には一時期スパイとみられた事もあったようですが、終戦時には天皇とマッカーサー元帥の会見にも尽力、戦後は近江八幡市初の名誉市民になり近江八幡で生涯を終えました。

 建築家としての作品は市内に20数軒、国内では1,600を数えますが、今回は市内の半数程を見学できました。

秀次の流れをくむ商家群とヴォーリズ由来の洋館と、古今の和洋が混在。【でっち】を見ても楽しむことが出来る町です。

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バス通りにあるヴォーリズの等身大像

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市立八幡小学校正門
かつての朝ドラ「はっさい先生」のロケに使われた。いまでも現役。

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池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築)
大正時代に手掛けた初期の作品で、アメリカ開拓時代の「コロニアルスタイル」という様式。

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ウオーターハウス記念館(池田町)
早稲田講師として来日したウオーターハウスの邸。近江ミッションに加入し、琵琶湖畔伝導船「ガリラヤ丸」船長としても活躍した。

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池田町にある「吉田悦蔵邸」
ヴォーリズの商業学校の教え子で、共に近江ミッションを支えた。

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ダブルハウス(池田町)
コロニアスタイルの二世代住宅。

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旧八幡郵便局
大正期のヴォーリズ建築。現在はNPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動「一粒の会」により保存・修復がされている。

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アンドリュース記念館
ヴォーリズの大学時代の親友ハーバート・アンドリュースを記念し、1907年竣工のヴォーリズ建築第一号。

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近江八幡教会牧師館(旧近江兄弟社地塩寮)
1940年築。

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旧岩瀬医院
街並み保存地区の永原町通りにある。

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旧ヴォーリズ宅(慈恩寺町通り)
1931年に幼稚園教員寄宿舎として建築。

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ヴォーリズ学園玄関

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八幡池田郵便局 ; 重文・西川利右エ門旧宅、池田町洋館街並み、八幡山
近江八幡出町郵便局 ; 重文・安南渡海船頭の絵馬、安土八幡の水郷、八幡山

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蓮華寺(滋賀県米原市) 聖徳太子と南北朝古戦場所縁の寺

2019.03.28(09:42) 189

鎌倉幕府滅亡悲話(2015.3.28)

<コース> 春の青春18きっぷ
JR大阪(6:33) → JR米原(8:00) → 徒歩30分 → 蓮華寺 → 徒歩30分 → 醒ヶ井

 米原から旧中山道(1日中やまみちではない)を通り、JR醒ヶ井駅まで徒歩巡礼。

途中、名神沿いにある中山道番場宿に寄り道。

長谷川伸の戯曲「瞼の母」に登場する番場の忠太郎で知られます。

幼い頃に生き別れた母と再会をする話ですが、作者の長谷川伸自身も幼くして母と生き別れ、

作家として名が出て以後に母と再会するという小説宛らな数奇な運命を辿っています。

その忠太郎地蔵があるのが古刹蓮華寺。

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米原駅東口付近からスタート

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徒歩30分で番場宿に到着

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八葉山 蓮華寺(浄土宗本山)
名神高速の傍に佇む。

 その由来は古く、厄1400年前に聖徳太子に拠って創建され当初は法隆寺と称していましたが、建治二年(1276年)落雷で焼失。

その後、弘安七年(1284年)にこの地の地頭である鎌刃城主土肥三郎元頼が法然の法曾孫に当たる一向上人に帰依して再興。

以後、時宗一向派本山の念仏道場として栄え、後には浄土宗に宗旨替えして現在に至ります。

 それに加えこの寺は鎌倉幕府滅亡時に六波羅探題の北条仲時以下430余名が進退窮まって自刃した所。

元弘三年(1333年)5月7日の京都合戦に敗れた北条勢は北朝の光厳天皇・後伏見、花園の二上皇を奉じて中山道を下りますが、

番場の宿で南朝方の京極(佐々木)道誉らに包囲されてその武運も尽きました。

 太平記(第二巻)にはその名前が列挙してありましたが、

寺には時の住職同阿上人が彼らの姓名と年齢を記した過去帳が展示してあり、裏山には彼らの墓碑もありました。

戦乱の世にあってもこのような勇気ある行動を採った人が居た事を我々は忘れるべきではないでしょう。

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山門(勅使門)

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蓮華寺説明板

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本堂
この前庭で、北条一門が自刃したと伝わる。本尊は阿弥陀如来と釈迦如来。

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蓮華寺庭園

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裏山にある北条仲時一行供養の墓碑
今でも、子孫に当る方々が供養されているとの事。その名簿を見ると、赤橋・土肥といった当時の御家人の名前があった。

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番場の忠太郎地蔵
長谷川伸の「瞼の母」の主人公。親子を巡り合わせるべく昭和33年に建立。長谷川伸も幼い頃、実母と別れ後年数奇な再開を果たしている。

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蓮華寺説明書
御朱印は住職不在の為、後日を期すことに。

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番場宿の街並み

 その後は歩いて醒ヶ井まで。

名前はその昔、日本武尊が伊吹の大蛇の毒気に苦しんでいるときに、その水を飲んだら治ったことに由来するとか。

番場も醒ヶ井も血腥い歴史を持っていますが、いまは想像もつかないような静かな町。

日本の名水にもなって居り、梅花藻やハリヨが泳ぐ姿も見られます。

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醒ヶ井宿
地蔵川に架かる橋。

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旧醒ヶ井郵便局
近江八幡の建築家ヴォーリズが設計。

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醒ヶ井宿に残る問屋場
今の問屋ではなく、街道を行く大名等の事務的な仕事をしたところとある。

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地蔵川と梅花藻(キンポウゲ科)
5月には水面に花が咲く。藻の周囲には水生昆虫が集まりそれを食べる「ハリヨ」が生息している。

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醒ヶ井清水の源泉付近

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説明板

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日本武尊の像

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醒ヶ井宿場の街並み

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阿自岐神社(滋賀県豊郷町)  古式ゆかしき庭のある神社の御朱印

2018.12.22(23:49) 87

[阿自岐神社] ブログ村キーワード
古代の池と庭園、渡来した人のトライした事(2018.12.20)

<コース>
JR大阪(6:18) → JR草津(7:18→7:28) → JR貴生川(7:57→信楽高原鉄道8:04) → 信楽(8:29) → 雲井(8:51) → 徒歩10分 → 紫香楽の宮跡 → 徒歩10分 → 紫香楽宮跡(9:55) → 貴生川(10:09→近江鉄道10:28) → 豊郷駅(11:26) → 徒歩15分 → 阿自岐神社 → 徒歩15分 → JR河瀬


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阿自岐神社(式内社)

 紫香楽の宮跡の後は【甲賀】的に列車を乗り継いで豊郷駅へ。

『三方善し』で知られる近江商人ですが、この町からは後の伊藤忠商事、丸紅の創業者になる伊藤忠兵衛が出ています。

伊藤忠は人名由来ですが、丸紅の紅は紅花由来と初めて知りました。

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伊藤忠兵衛を記念する「くれなゐ園」

 豊郷町は滋賀県下では一番狭い行政区ですが、1999年から足掛け5年間、豊郷小学校を巡って全国的に話題になった町。

老朽化・耐震面から取り壊しを推進する町長とヴォーリズ設計の歴史的建築物を残そうとする地元町民の間で【町長】発止の

遣り取りがあった事は記憶に新しい所。

結局の所、小学校は新たに建て、旧小学校は豊郷小学校旧校舎群として町の観光施設として残す事に落ち着きました。

当時の町長はひたすら敵役にされた感がありますが、改築費用が馬鹿にならない事、多くの子供が使用する場としては

取り壊しという選択だったのでしょうが、三方善しとはいかなかった様です。

 アメリカ人設計者ヴォーリズが、直ぐに立替えが必要な物を作ったとは思えませんが、西洋と違い日本の住居は100年

持つことは少ないと言うのが根底にあったと思います。

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豊郷小学校旧校舎群   
丸紅専務の古川鉄治郎氏の寄贈とヴォーリズ氏の設計により昭和12年竣工、「東洋一の小学校と言われた」。

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本館の階段付近   手摺にはイソップ寓話の兎と亀の像が…。

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本館の渡り廊下   床が木製なのが珍しい。

その後は、JR方面へ歩いて阿自岐神社へ。

応神天皇の御代、百済から渡来した阿直岐氏の人々が定住した跡と言われています。

社域5700坪の内、犬上川からの伏流水が湧き出る池が1690坪を占める池泉回遊式庭園。

東西の池には出島があり池泉多島式庭園と呼ばれるとか。本殿は池に囲まれる形になって居り、生活に不可欠の水を

祀る社が起源だったのでしょうか。庭園と池の形式としても古い形を留めているそうです。

唯、神社の方に伺った所、この付近に住まわれている方は渡来人の子孫ではないようで、

大陸から日本に技術を伝えた功績が残ったのではないでしょうか。

小さな町に残るものが、百済・アメリカといずれも外からの人に拠るものだったのも奇しき縁。

新たな事にトライする近江商人の気質を見た気がします。

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阿自岐への参道   道路沿いに灯籠が並ぶ。

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阿自岐神社正面

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太鼓橋を渡り本殿へ

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拝殿

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本殿

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東側にある池   池泉回遊式庭園で上代に建築されたと伝わる。

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阿自岐神社御朱印

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豊郷郵便局 ; 阿自岐神社内の池泉多島式庭園、参道

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豊郷町マンホールカード ; 豊郷町観光案内所(豊郷小学校旧校舎群)にて配布

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甲賀寺跡(滋賀県甲賀市) 天平人の見た夢

2018.12.22(09:01) 86

[甲賀寺跡] ブログ村キーワード
夢消した聖武帝の都(2018.12.20)

<コース>
JR大阪(6:18) → JR草津(7:18→7:28) → JR貴生川(7:57→信楽高原鉄道8:04) → 信楽(8:29) → 雲井(8:51) → 徒歩10分 → 紫香楽の宮跡 → 徒歩10分 → 紫香楽宮跡(9:55) → 貴生川(10:09)

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甲賀寺跡

 戦国時代に近江で逃げ込む先として格好の場所だったのが甲賀地域。

山に囲まれ平地が少ないという特徴が【甲賀】的だったのでしょう。忍者の発祥の地と言うのも頷けます。

信楽はそんな甲賀にある高台の地。いまはユーモラスな狸が出迎えてくれますが、奈良時代には都が置かれた事も。

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信楽駅前にて   大狸もクリスマス仕様でお出迎え

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信楽高原鉄道雲井駅   無人駅。右の公衆トイレは宮殿を模ったか?

 聖武天皇の時代、742~745年に掛けて造営され滞在された場所。

高台にある東西90m、南北110mの丘陵地が紫香楽宮跡とされますが発掘された礎石からここは僧房で、

宮殿は更に北に1㎞程行った宮町付近だったと言われています。

 天皇は平城京から山城の恭仁京へ、更に紫香楽へと段々内陸深く移動。唯、この地で度々放火が発生した事で

平城京への帰還を余儀なくされました。遷都を繰り返した天皇という事で精神的に不安定であったと噂されますが、

平城京では光明皇后、藤原氏や寺社勢力の影響が強く、それを避ける政治目的があったとも考えられます。

時期尚早だったのでしょうかね。

元祖「せんとくん」ですが【光明】に政治的意図を隠していたのならば、聖武天皇もなかなかの狸ですね。

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甲賀寺跡(紫香楽宮跡)入口

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寺跡への参道

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礎石跡と紫香楽神社

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金堂跡   大仏の骨組みとなる体骨柱を建てたとされる場所。

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信楽駅スタンプ   今年シャチハタ式に新調された。

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栗東郵便局 ; 重文・安養寺の薬師如来像、栗東トレーニングセンター
雲井郵便局 ; 修験道の飯道神社、宮跡から出土の「阿佐可夜」木簡、山百合

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奥津嶋神社&伊崎寺(滋賀県近江八幡市)  琵琶湖と生きる寺社の御朱印

2018.10.28(17:25) 16

[伊崎寺] ブログ村キーワード
海なし県の離島、絶景の寺社と絶品ようかん(2017.10.08)

<コース>
JR近江八幡駅 → 近江鉄道バス40分 or レンタサイクル60分 → 堀切港 → おきしま通船10分 → 沖島漁港 → 徒歩5分 → 奥津嶋神社 → 沖島漁港 → 堀切港 → 徒歩15分 → 伊崎寺 → 近江鉄道バス40分 or レンタサイクル60分 → 近江八幡市街

近江鉄道バス&沖島通船時刻表(H30.10現在) ; 沖島アクセス

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連絡船「おきしま」にて  右奥に見えるのが沖島漁港

・我こそは 巡礼者よ 沖島の 鳰のさざ波 心して立て

 琵琶湖には人の居る島が竹生島と沖島と二つあります。竹生島は寺社関係者のみの駐在なので、実質は沖島唯一つ。

近江八幡駅から10㎞の堀切港から連絡船で10分。

約300名の漁業関係者が住んで居られますが、時間も非常にゆったりした感じ。

次の船まで2時間余りですが、落ち着いて観光できました。島の移動は船しかないので、自然とそうなるのでしょう。

 ここも時代の流れで後継者不足の問題がありますが、小学校はわざわざ他地区から越境して来る人もいるとか。

近江八幡商人の志が生きていると思うと嬉しくなります。

食事は地元の民宿等で、数軒しかありませんが琵琶湖の幸を堪能できます。

私は沖島漁港にて漁協の方が作ったお弁当、予約すれば琵琶湖の天然鰻丼も¥3,200味わえるそうで次回に期待です。

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沖島行き連絡船の出る堀切港  
船は9:15発。ここは市街を流れる八幡堀の終点に当たる

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沖島漁港に到着

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沖島にある奥津嶋神社鳥居  
和銅年間に藤原不比等(淡海公)が建立、扁額も公と言う事だが。

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奥津嶋神社社殿  
只今、氏子さん達の清掃活動中。春祭り・秋祭りは里帰りの子供たちで賑わうとか。

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境内からの眺め  
島内は平地が少ないので崖に張り付く感じである。

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奥津嶋神社御朱印

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島内の路地  
幅が狭く車は酒屋さんの1台のみ。写真の三輪自転車が移動手段である。  

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沖島小学校  
平成7年にこの場所に移転。この雰囲気を体験させたいため子供を越境させる親もいるとか。

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民宿湖上荘付近  
長命寺の向かいにあり琵琶湖に一番近い民宿。釣りをする人も長閑な雰囲気である。

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島内で見られる日常風景

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昼食は漁協の湖島富貴(ことぶき)の会によるお弁当 ¥1,000  
右上の琵琶マスの甘露煮が絶品。

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沖島漁港12:00発「おきしま」で堀切港へ

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近江八幡沖島郵便局 ; 漁師船、沖島遠景と鴨

 船で戻った後は、棹飛びで有名な伊崎寺へ。姨倚耶山伊崎寺(いきやさんいさきじ)は、天台宗延暦寺の支院。

比叡山無動寺、葛川明王院と並ぶ天台修行の三大聖地。長命寺からの山系に連なるため同じ山号となっています。

『伝説では奈良時代の役行者が開祖で、その際に猪が役行者をこの地に導いた事から「猪先」が地名になったとか。

その後、貞観年間(859~876年)に千日回峰の創始者相応和尚(そうおうかしょう)が寺を創建、

自作の不動明王を安置した。』 と伝わります。

江戸時代には伊勢寺と彦根藩が沖島を領有。戦後は千日回峰した阿闍梨が代々住職を務めました。

昭和40年代までは、ここも島だったようで干拓で陸続きに。

山門も湖に向かってありますから、船で訪れるのが主流だったという事でしょう。

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伊崎寺への巡礼道  
駐車場から約1㎞の参道、行く手に見える巨岩は「出迎不動」と呼ばれる。右手下は直ぐ琵琶湖。

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伊崎寺山門  
かつては島だった名残に門は琵琶湖側に向いている。山号は長命寺と同じ「姨倚耶山(いきやさん)」である。

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山門の扁額

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伊崎寺本堂(天台宗)  
文化15年(1813年)の再建、本尊は不動明王で享保17年(1732年)の作。

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本堂前面

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伊崎寺寺務所
御朱印はここで。御住職は不在であったが、御夫人が居られたので拝受。

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伊崎寺棹飛堂と湖上に突き出た棹  
役行者が巨岩を不動明王と感得し堂を建てたのが始まり。正式には護摩堂である。

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棹飛堂の廻廊

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伊崎寺の棹飛び  
8月1日に行われる。かつては一般も参加出来たそうだが、事故死が出て以来、僧侶のみになった。

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伊崎寺山門から望む比良山系

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伊崎寺御朱印

 巡礼を終えて市内中心部に戻って八幡堀のほとりの「あまな」さんで休憩。

丁稚羊羹の「和た与」さん経営のため甘味で〆。往復20㎞自転車という体育の日に相応しい巡礼となりました。

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あまな」入口

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抹茶パフェと桜パフェ  どちらも本店の丁稚羊羹が載っているのが味噌

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葛川明王院 (滋賀県大津市) 鯖街道にひっそり佇む修験道古刹の御朱印

2018.10.07(16:01) 9

[明王院] ブログ村キーワード
今日は遠ても九里、鯖街道の古刹と料理旅館比良山荘 (2018.08.14) 

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋(6:39) → 出町柳(7:35→7:45) → 京都バス 葛川梅の木 → 坊村(8:41)
京都バス;土日祝盆のみ運行

坊村 → 徒歩5分 → 葛川明王院

【復路】坊村バス停(10:19) → 江若バス 堅田葛川線 → 堅田駅(11:03)

[備考]
公共交通機関を利用の場合、
【往路】JR堅田駅(8:50) → 江若バス 堅田葛川線 → 坊村バス停(9:36)
で行き上記の【復路】で戻るのが定石。

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阿都山葛川寺息障明王院(天台宗)
比叡山無動寺の奥院である。

 古く京の都に海の幸を納めていたのは、若狭と伊勢の国。いまの交通事情では伊勢の方が便利ですが、

地図ではどう見ても若狭小浜のほうが近く「京は遠ても十八里」と言われたそうです。

小浜 → 朽木 → 途中 → 大原 → 京都 は別名鯖街道。

出町柳駅から休日ダイヤのバスに揺られて1時間、京都と小浜のほぼ中間点(35㎞)の葛川へ。

 明王院は、正式名・阿都山葛川寺息障明王院(あとさんかっせんじそくしょうみょうおういん)、

『慈覚大師円仁の高弟相応和尚(そうおうかしょう)が比叡山無動寺の奥之院、回峰行者の修験道場として859年に開基しました。

修行中に霊験を感じた桂の古木に不動明王を刻んで本尊としたとか。

以後、相応は回峰の創始者、明王院は回峰行者の参籠する霊場として現在まで続いています。』

これが葛川(かつらがわ)の謂れなのでしょうか?

 厳かな雰囲気ですが人は疎ら。バスには登山スタイルの人が多く、お寺で尋ねると

「この辺りは武奈ヶ岳や比良山系への登山者が多いので」 との答え。現在の千日回峰といった所でしょうか?

 昔は鯖街道として賑わっていたでしょうから、山系と参詣を両方満たす場所に道場を建てたものと想像できます。
 
 御参りのあとは、これまた本数の少ない江若バスで堅田まで。

この辺りは、古代から平安の名族小野一族の地。

所縁の神社もあり、武運、出世運、金運に肖ろうと思いましたが、生憎33℃の猛暑。

二十代ならいざ知らず、若狭よりも朽木に至る途中の年齢なので、

無理をすれば自宅で【千日介抱】になってしまうと次回に繰り越した次第となりました。

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明王院前のバス停付近  
この辺りはキャンプ場や川魚つかみ取りの施設があり10時過ぎには道路が混雑。安曇川に沿う鯖街道だが、幽谷の道ではなく開けた印象。

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明王院への道 
正面には地主神社、右には料理旅館比良山荘

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比良山荘前を流れる清水
ビールが冷やしてあった。

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明王院へと続く橋  
秋には一面の紅葉になるとか。

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明王滝川に架かる三宝橋

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表門へと続く階段

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政所表門を望む


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政所表門近影
1526年築の切妻・銅板葺の棟門、御朱印はこの奥で頂く。

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本堂(1715年築)へ続く階段、右は護摩堂

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1755年建立の護摩堂
但し、現在は本堂で護摩焚きを行う。

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護摩堂横を通り本堂へ

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明王院本堂
1715年建立で入母屋、鉄板葺。  

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本堂入口

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本堂内にある回峰行者の札
千日回峰された僧侶で存命は5名。

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本堂から見た境内


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明王院御朱印  
本尊は不動明王・千手観音・毘沙門天。明王院は各地にあるため、葛川寺と記すのが習わし。

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道路向かいにあった茅葺の家

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真野郵便局;真野の入江、琵琶湖対岸からの琵琶湖大橋
葛川郵便局;比良山系、登山者、安曇川の鮎
志賀小野駅前郵便局;唐臼山古墳、琵琶湖とローズタウンの街並

[参考書]

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