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柏原文学散歩(兵庫県丹波市) 田ステ女の足跡

2020.08.27(20:29) 685

俳句と教育の町をハイクで今日行く(2020.8.2)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:43) → (丹波路快速) → JR柏原(8:22)

徒歩5分 → 柏原藩陣屋跡 → 徒歩5分 → 木の根橋 → 徒歩5分 → 柏原八幡宮 → 徒歩10分 → 歴史民俗資料館・たんば黎明館 → 徒歩10分 → JR柏原

【復路】JR柏原(11:38) → JR谷川(11:45→12:10) → JR社町(12:55→13:55) → JR加古川(14:31→14:37) → JR大阪(15:28)

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陣屋前にある幼き頃の田ステ女像と句碑

・雪の朝 二のじ二のじの 下駄のあと

 誰しも一度は耳にした記憶のある俳句ですが、いつ誰が詠んだのかは

意外と知られていない句でもあります。この作者所縁の地がここ栢原。

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柏原歴史民俗資料館(左)と田ステ女記念館
陣屋前にある。陣屋と資料館・記念館共通で¥200。

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記念館横のステ女の石像

 作者は田ステ女(でんすてじょ)

『栢原藩の代官も務めた田季繁(でんすえしげ)の娘として寛永10年(1633年)に栢原に生まれる。

幼少の頃より才能を発揮し、上記の句は六歳の時の作である。

自ら綴った句集『自筆句集』には200以上の句が収められており、貞門派として当時から名の知られた女流俳人。

同じく貞門派であった松尾芭蕉とはほぼ同年代に当たる。

 19歳の時、継母の連れ子の季成(すえなり)と結婚。五男一女をもうけ、その後も夫と共に俳諧を続けた。

42歳の時に夫が死去。ステ女は第二の人生を送ることを決意。

京都で出会った盤珪永琢に弟子入りし、師の寺・龍門寺のある網干に移住。

名も貞閑と改め龍門寺に近い不徹庵の主となり、尼僧達の中心的存在として、

元禄11年(1698年)66歳で世を去った。後に正岡子規は、ステ女を評して

芭蕉門下の園女・智月尼、其角門下の秋色女と並ぶ元禄の四俳女と称賛した。』 とあります。

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像横のステ女句碑

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寺院礎石や道標も展示

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『旅愁』歌碑

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歌碑説明

 上記の句は、中学生の頃に子供が作ったと聞いたので、明治以降の人と思っていましたが、

遥かに古い江戸時代の女性で、芭蕉と同門であったのにも驚き。

生涯を通じて俳諧で活躍したようですから、『栴檀は双葉より芳し』の類でしょう。

 それにしても「ステ女」とは大胆な命名。乳幼児死亡率の高かった近世以前は、

ことさら汚い字を名に付けて死が近寄り難くしたと言うのが一般的ですが、

一族の男性が季の文字で「スエ」と名乗っている事を考慮すれば、

スエからステに変化したとも思えますがどうでしょう?

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碑を過ぎてたんば黎明館へ
柏原の観光名所は陣屋周辺と木の根橋周辺に集中している。といっても両者は歩いて5分とかからないが…。

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黎明館正面
旧氷上高等小学校校舎として明治18年(1885年)に建築。

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黎明館説明

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玄関近影
玄関ポーチは幅3.5m、奥行2.7mで1階は吹放し。イオニア風の柱頭で装飾。

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玄関のステンドグラス

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入口から見た黎明館
多目的ホールの他、1階にはフレンチレストラン「ル・クロ丹波邸」、二階は南欧風ダイニングカフェ「TANBAR」が入る。

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黎明館の階段付近

 それよりも、66歳の生涯の濃厚な事。前半は家族と共に生き、

後半は仏門に生きるという、人生を二度生きた女性。

そのまま楽隠居もできたでしょうが、所詮人生なぞ云々という【諦観】があったのでしょうか?

 駅前には田氏の銅像が立っていますが、彼もステ女の一門。

以前に国会議員をされていた田英夫氏も一族だそうです。

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駅前にある田艇吉像
嘉永5年に下小倉に生まれ政治家を経て福知山線の前身の阪鶴鉄道を作った。

 俳句や和歌の所縁の場所は、いずれも教育熱心な落ち着いた場所。

柏原市内も旧氷上高等小学校である「たんば黎明館」、

旧柏原尋常中学校である「柏陵記念館」のレトロな建造物が今に伝わっています。

ハイクで散策するには丁度良い街と言えましょう。

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県立柏原高校内に建つ「柏陵記念館」

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柏陵記念館説明

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電車待ちの間、駅舎内にあるレストラン「山の駅」にて
これは限定「豚丼」¥1100。

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デザートは丹波ロール ¥400

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柏原のマンホール蓋
木の根橋をデザイン

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丹波市マンホールカードはこちら 
配布場所は木の根橋横の柏原観光案内所にて。

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柏原八幡宮(兵庫県丹波市) 丹波の厄除神社

2020.08.26(20:41) 684

梅雨明けに雨冷え?(2020.8.2)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:43) → (丹波路快速) → JR柏原(8:22)

徒歩5分 → 柏原藩陣屋跡 → 徒歩5分 → 木の根橋 → 徒歩5分 → 柏原八幡宮

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柏原八幡神社(県社)

 江戸時代は織田藩城下町として栄えた栢原ですが、それ以前は柏原八幡宮の門前町として発展。

平地にある陣屋からは鬱蒼と木々の生い茂る入船山の頂上に三重塔が見えます。

てっきりお寺かと思いましたが、そこが八幡宮。いまでは八幡山と呼ばれるその場所には、

町のシンボルでもある木の根橋を渡り、曲がりくねった石段を上る事5分。

 石段を上る途中に社務所がありますが、ここが西の坊と呼ばれるかつての神宮寺。

明治の神仏分離令で神宮寺は廃寺となりましたが、三重塔や鐘楼が今に伝来。

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木の根橋から見た八幡宮への入口
一の鳥居を過ぎ、石段を上り境内へ。

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一の鳥居近影

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石段から一の鳥居を振り返る

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参道の石段
この曲がり角にあるのが旧神宮寺にあたる社務所

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境内入口に到着

 柏原八幡宮の由緒に拠れば

『舒明天皇の御世に出雲連がここ入船山の頂に素戔嗚尊を祀ったのが嚆矢とされる。

その後、万寿元年(1024年)に入船山周辺の三ヵ所から霊泉が湧出。

それを奇瑞とした後一条天皇の勅意に拠り国家鎮護として

京都の石清水八幡宮より御分霊を勧進し、丹波国柏原別宮として創建された。

 万寿元年造営の社殿は、織田信長の丹波攻めの際に明智光秀の兵火に拠り焼失。

現在の社殿は天正13年(1585年)羽柴秀吉の命に拠り家臣の堀尾吉晴が再建したもの。

三間社造りの本殿に入母屋造りの拝殿を連接し、軒唐破風の向拝一間を張出す複合社殿で、

檜皮葺の屋根に箱棟、千木、勝男木を載せる。

本殿と拝殿が分離から複合に移行する過渡期の貴重な遺構で重要文化財に指定されている。

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二の鳥居近影

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二の鳥居から見た境内全景

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柏原八幡宮由緒

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重文・拝殿
入母屋造妻入、正面唐破風、檜皮葺で、安土桃山時代の建築。前の一対の狛犬は「丹波佐吉」の作。

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拝殿正面の唐破風

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唐破風下の亀と鳳凰の彫刻

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拝殿に続く重文・本殿

 福知山線からも見える三重塔は応仁年間に僧秀慶が創建したが火災で焼失。

文化12年(1815年)に再建された。鐘楼の梵鐘は明智光秀が

氷上町の高山寺から取り寄せたもので、康応元年(1389年)の銘が残る。

 御神徳の中でも特に厄除けの御利益が名高く、「丹波柏原の厄神さん」として親しまれ、

2月17・18日の例祭は数万人の参拝者で賑わう。』 とあります。

 ここも御多分に漏れず、戦国期に焼失。かつて御先祖が焼き討ちさせた町に

江戸時代に入部した織田家の人達はどんな心境だったのでしょうか?

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本殿の後方に建つ鐘楼と三重塔
江戸後期1813年築の三重塔は総高23m。

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鐘楼
「難逃れの釣鐘」、これも神仏混淆当時の名残である。

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銅鐘
康応元年(1389年)と天文12年(1543年)の二つの年号が刻まれている。秀吉が大砲を鋳造する材料として集めたものの一つ。

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三重塔の鶴の彫刻
他の三面にも鴛鴦・鷺・雁と鳥が彫られている。

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三重塔説明

 神社境内に塔があるのは全国でも18例しかなく、神仏習合の名残を留めています。

坂を上って神社までは程よいランニングコース。参拝途中もそのような年配者とすれ違いました。

 重文の本殿は言うに及ばず、三重塔も含めた境内はいい雰囲気でしたが、

参拝者は至って少ない。御朱印を御願いする際、宮司さんに伺いましたが、

宮司;「厄除け神社の時は多いのですが、普段は至って静かですよ。」

和辻;「丹波の寺院と同様に、お勧めはやはり秋ですか?」

宮司;「ここは冬に来て頂ければ、また印象が変わると思います。」

との事でした。

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三重塔から見た本殿

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社務所横の社の欄間彫刻
これは司馬光の甕割りの図。

 丹波の名所は駅から離れた場所が多いですが、駅から徒歩10分程度で行けるのは便利。

しかも程よい街なので、食べる場所にも不自由しません。

丹波の小京都といえば篠山ですが、ここはもう一回り小さくした小々京都と言った所でしょうか?

厄除け神社ということで、コロナ退散も祈願。

面白いのは無料で「アマビエ」の厄除け絵画を配っていたので、私も御利益を願って1枚持ち帰りました。

次に冬に来るときにはアマビエの神通力でコロナが終息し、

雨冷えのする城下町でアマエビに舌鼓を打ちたいものです。

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柏原八幡宮由緒

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柏原八幡宮オリジナル御朱印帳
大型サイズ この他に緑、青、金と計四色のバージョンがある。

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柏原八幡宮御朱印

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アマビエ護符

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織田家の城下町(兵庫県丹波市)

2020.08.25(20:48) 683

危機を乗り越え幕末まで続いた名家(2020.8.2)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:43) → (丹波路快速) → JR柏原(8:22)

徒歩5分 → 柏原藩陣屋跡

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柏原のシンボル「木の根橋」

 旧国鉄には駅名を重複させないというルールがあったようで、もし同じ駅名があったなら

旧国名を入れて、郡山(福島県)と大和郡山(奈良県)と言う具合に区別していました。

 にも拘らず「柏原」の表記が三駅あるとは何とも不思議ですが、東海道線は「かしわばら」、

関西本線は「かしわら」、福知山線は「かいばら」と読み方で区別しています。

 福知山線の駅は元来「栢原」だったのが、明治になって難解漢字を変更するという方針で

柏原表記になったそうですが、他の漢字を充てるという考えはなかったのでしょうか?

 三駅はいずれも観光地化していませんが、福知山線の駅が城下町だった事は意外と知られていません。

三万石以下で城もありませんが、城主は織田信長に連なる名家です。

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JR柏原駅スタンプ(JR西日本福知山支社)
上;国鉄最後の「わたしの旅シリーズ」
下;2006年JR西日本管内で設置されたもの

駅を降りて改札を出ると、昔花博で見た山の駅が…。

なんでも花博のあと、開催地の駅舎をJRが譲り受けたそうで、小浜線の大飯駅もそうです。

駅からは案内標識があるので迷うことなく城下町散策ができます。

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花博「山の駅」を移築したJR柏原駅舎

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駅前にある「やぐら公園」
城下町にある太鼓櫓を模したものか?

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櫓上部の太鼓と人形

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国道176号線沿いに建つ新町高灯籠

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高灯籠説明

 栢原藩は、『慶長3年(1598年)、信長の弟である信包(のぶかね)が、

丹波国氷上郡に3万6千石を与えられたのが始まり。

その後、子供の信則(のぶのり)、孫の信勝(のぶかつ)と直系で三代続くが、

慶安3年(1650年)、信勝が嗣子なくして没すると廃絶。領地は旗本の分割する所となった。

 その後、大和松山藩の織田家に御家騒動が勃発し、信長の次男・信雄の玄孫に当たる

信休(のぶやす)は2万8千石から2万石に減封され栢原に国替えとなった。

ここに栢原藩は半世紀ぶりに織田家を当主に頂き、

明治の廃藩置県に至るまで10代に亘りこの地を治めた。』 とあります。

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正徳4年(1714年)創建の長屋門
向かって左が番所、右が馬見所と砲庫になっている。

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長屋門は陣屋の表門に当たる

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長屋門から見た柏原陣屋跡
文政3年(1820年)の再建。

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陣屋玄関の近影

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玄関の欄間にある織田家紋「丸木瓜」

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玄関から内部拝観へ
造営された正徳4年(1714年)の陣屋は二万㎡の敷地に、表・中・奥の三御殿や藩校が存在した。

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陣屋内部
城と言うよりも書院と言った方が相応しい造り。

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上段の間

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陣屋向こうに見える庭園

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陣屋玄関から柏原八幡宮の三重塔を望む

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陣屋前にある藩祖・織田信包(のぶかね)公像

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信包公事績

 城こそありませんが、歴代の織田家が居住した陣屋が今に残ります。

また市内には織田神社や健君神社も祀られていました。

 織田家が治めたと言っても直系ではなく、信包に始まる三代を前の織田家、

信休以降の十代を後の織田家と呼び区別しています。

後の織田家は血筋的にはより信長に近いですが、前の織田家が割合に善政を敷いたのとは対照的に、

後の織田家は財政難や一揆が頻発。

5代目以降に漸く好転しますが、5・6代藩主は細川家、黒田家からの養子。

やはり血筋だけに頼っていては駄目なようです。

それでも改易されることなく幕末まで続いたのは信長の御威光の故でしょうか?

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元禄8年(1695年)創建の建勲神社
織田信長を祀る。陣屋から木の根橋に向かう大手通りにある。

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木の根橋へ向かう
ここら栢原の中心市街地になる。

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木の根橋横にある丹波市柏原支所庁舎
旧柏原町の役場として昭和10年(1935年)竣工。現在は丹波市役所柏原支所として一部観光協会も入っている。

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大欅「木の根橋」
樹齢1000年の高さ21m、幹回り8mの欅の根が幅6mの奥村川を跨いで自然の橋を形成している。

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朱塗橋から木の根部を見る

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木の根橋横の織田神社
柏原藩三代目織田信勝を祀る。

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織田神社由緒

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太鼓やぐら
江戸中期建立の三階建ての櫓。最上階には「つつじ太鼓」という大太鼓があり、時報や火事大水の警報、登城合図に打ち鳴らされた。

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太鼓やぐら説明

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柏原郵便局 ; 木の根橋

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頼光寺(兵庫県川西市) 摂津源氏創建の紫陽花寺

2020.06.28(20:34) 642

摂津源氏の寺へ来行(2020.6.20)

<コース> 阪急電鉄、能勢電鉄は日中10分間隔で運転
梅田 → (阪急電鉄急行) → 川西能勢口 → (能勢電鉄) → 畦野 → 徒歩5分 → 頼光寺

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祥雲山 頼光寺(曹洞宗)

 水無月下旬に入った日は、阪急宝塚線で北上。

途中の池田市にある久安寺は紫陽花名所ですが、今回はスルー。

川西能勢口から能勢電鉄に乗り換えて更に北上。

 畦野(うねの)駅の東側にある寺ですが、道順は駅の西側から線路沿いに歩き、

線路の高架下を潜ると参道の石段。途中山門がなかったので、

線路の高架が山門のようなものでしょうか?

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能勢電鉄の下の隧道?を通り寺へ

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参道から線路を振り返る

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寺標と両側に咲く紫陽花

祥雲山頼光寺(しょううんざんらいこうじ)は、

『一條天皇の長保年間、源満仲夫人である法女尼の発願に拠り、

満仲四男源賢僧都を開基、源頼光四男永寿阿闍梨を開山として創立。

法女尼の念持仏であった地蔵菩薩を本尊とした。

同時に頼光の霊像を安置して冥福を祈る香華院として、

祥雲山頼光寺と号して真言律宗に属した。

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本堂
階段を上った場所からの眺め。

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本堂前面
内陣へは入れないので外から参拝。

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本堂からの眺め

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前庭
禅宗らしい枯山水の造り。

 二世永覚阿闍梨が示寂した後、平安・鎌倉・室町時代には戦乱で衰微。

江戸の寛文11年(1671年)禅僧万愚和尚が中興。

更に延享3年(1746年)丹波国の臨済宗法常寺の末寺となり、

本寺六世実相無相禅寺を中興の祖に請した。文化元年(1804年)に尼寺となる。

天保11年(1840年)、本寺十世普照恵燈禅師は弟子の尼衆の坐禅道場とし、

俊英の者を選んで住持相続させた。

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本堂の手前にあるあじさい苑への入口

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通路から本堂を見る

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更に高台へと続く

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石段を上った場所から
この上は墓地になる。

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本堂の左を通り奥のあじさい苑へ

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紫陽花越しに見る庫裏と本堂

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紫陽花と紅葉

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あじさい苑の向こうを通る能勢電鉄

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奥のあじさい苑の通路

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奥のあじさい苑

 明治の廃仏毀釈の影響で明治8年(1875年)に本寺と合併するが、

建物・本尊等はそのまま引き継がれた。

昭和45年(1970年)、川西市観光協会会長であった多田神社宮司の肝いりで

「あじさい寺」として発足。現在500株の紫陽花が境内を彩っている。

平成2年に曹洞宗に改宗し今に至る。』 とあります。

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本堂裏のあじさい苑
多品種が一ヵ所に植えられえている。

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本堂横にて

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本堂脇の池

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池の端の紫陽花

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本堂裏手の開山・開基の墓所

 「らいこうじ」と聞くと来迎寺と書くのが普通ですが、ここは頼光寺。

創建に関わったのは清和源氏三代。武勇の誉れ高く摂津源氏の祖になった

源頼光を寺名に持ってきたものでしょう。途中の多田が源氏発祥の地で、

そこに鎮座する多田神社は源氏の氏神。

伺った所、神社の神宮寺という扱いではないようでしたが、

路線内に源氏所縁の寺があっても不思議ではありません。

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源氏ならば竜胆ですが何故、紫陽花なのか。

この場所は線路沿いながら小高い丘になって居り、周囲は樹木に囲まれています。

適度な湿度と光を与える事になって紫陽花の生育に相応しい環境になったと思えます。

500株と言う事ですが、【そうとうすう】ある様子。

紫陽花導入に尽力されたのが、源氏所縁の多田神社宮司さんと言うのも良い話。

まさか尼寺だから雨に縁のある紫陽花を選んだ訳ではないでしょうが…。

 途中の衰頽、末寺、廃仏希釈を経ているので、建物自体に古建築はありません。

参拝を済ませた後は、専ら紫陽花鑑賞。ガイドには載りませんが、

近在から人が来てそこそこの人出。紫陽花苑は勿論【ただ】でした。

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墨田の花火

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墨田の花火

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渦紫陽花

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渦紫陽花

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柏葉紫陽花

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半夏生も

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頼光寺説明書

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頼光寺御朱印
書置きを拝受。

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大石神社(兵庫県赤穂市) 大願成就の神を祀る

2020.03.15(14:59) 568

忠臣蔵の中心にある神社(2020.3.3)

<コース> 春の青春18きっぷ
JR大阪 → (新快速) → JR姫路(7:56→8:01) → 東岡山(9:19→9:35) → JR西大寺(9:43) → 徒歩15分 → 西大寺 → JR西大寺(12:12) → JR香登(12:28) → 徒歩45分 → 福生寺 → 徒歩50分 → JR伊部(14:33) → JR播州赤穂(15:06) → レンタサイクル10分 → 大石神社 → JR播州赤穂(16:36) → JR姫路(17:08→17:11) → JR大阪(18:13)

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大石神社(旧県社)

 福生寺参拝の後は一駅先の伊部駅まで徒歩。

備前焼の窯元が並ぶ備前市の中心ですが駅は無人。

最近は岡山支社管内で駅の無人化が進んでいますが、ここも例外ではないようです。

ここから1時間に1本の電車で播州赤穂駅に。岡山方面からの赤穂線電車は全てここが終点。

岡山支社から神戸支社に変わる境界でもあります。

 行政区では兵庫県西端の赤穂市。赤穂と言えば忠臣蔵で全国的に有名ですが、

関西以外では何県か分からない人も多いようです。

他に赤穂と言う駅名がないのに旧国名を駅名に冠しているのはそのためでしょうか?

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大石神社には赤穂城址の門から向かう

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大石良雄宅跡長屋門
この先に神社が鎮座する。

 市内の加里屋地区を中心にかつての街並みが残りますが、

観光の中心はやはり忠臣蔵。旧赤穂城址付近がメインです。

その一角にあるのが大石神社。といっても古社ではなく、

明治期になって大石内蔵助良雄邸跡に建造された神社です。

 大石神社は、

『赤穂事件以降、旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠を建て密かに祀られていたものを、

明治33年(1900年)に明治政府より神社創建を許可され、大正元年(1912年)に社殿が竣工した。

大石内蔵助初めとする四十七義士と萱野三平を主祭神としたが、

戦後になって浅野家三代及び森家七将が加わった。』 とあります。

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長屋門に続く東側入口

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入口の石碑

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南側に当たる鳥居が正式な入口

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参道脇に並ぶ四十七士の石像

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参道の先に建つ神門(義芳門)

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神門近影

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神門(義芳門)説明

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神門右の大石内蔵助像
十一代目の末裔が建造。

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神門左の大石主税石像

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神門脇の神社由緒

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神門から境内を望む

 仮名手本忠臣蔵などで庶民には人気の話ですが、

江戸時代には幕府から処罰されたので大っぴらには顕彰できず、

明治に世になって漸く認められたと言う事でしょう。

 地元を初め、国内では忠臣として知られますが、実際の吉良上野介義英は

足利一門の名家で、義英自身も三河の西尾では名君として知られた人物。

幕府内の人物評価も高かったそうです。

一方の浅野内匠頭は短気で、内蔵助はそれを諫めない駄目な家老というのが

元禄時代の幕府の調査記録に残っています。

内蔵助の昼行灯という評価はここから来たのでしょうか?史実の忠臣蔵は随分と違うようです。

 尤も浅野家が改易になった際には、藩士に給与や退職金を公正に行きわたらせ、

自身は殆ど取らなかったと記録にあるので、やはりひとかどの人物だったのでしょう。

 歴史上の人物評価は難しいですが、そろそろ今までの評価を見直す【塩】時なのかもしれません。

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石段の先に見える拝殿

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拝殿近影

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拝殿前から境内を振り返る

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境内に建つ大石内蔵助石像
これは家老の装束。

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義士宝物殿

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大石邸庭園
閉館だったので外からの撮影。

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神社から見た本丸・二之丸庭園遠景

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大石神社説明書

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大石神社御朱印

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赤穂忠臣蔵郵便局 ; 赤穂城、大石内蔵助、浅野家と大石家の家紋
赤穂元禄郵便局 ; 元禄紬象徴・鳥の羽根、塩田跡地に因む塩の結晶

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昆陽寺(兵庫県伊丹市) 行基の開いたお寺と池

2020.03.05(21:26) 560

民の痛みに耐えかねて(2020.2.27)

<コース>
梅田 → (阪急宝塚線) → 売布神社駅 → 徒歩5分 → 売布神社 → 徒歩15分 → 中山寺 → 徒歩15分 → JR中山寺 → JR伊丹 → 駅レンタサイクル15分 → 昆陽寺

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崑崙山 昆陽寺(高野山真言宗)

 札所巡礼の後はJRで大阪方面に戻って伊丹で下車。

そこからレンタサイクルに乗って西国街道を西へ向かった場所に建つのが昆陽寺。

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道路から橋越しに山門を見る

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明暦年間に建立された山門

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山門は入母屋造・本瓦葺
上層周囲に縁を巡らし、戸口柱を通柱としている。

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山門の扁額「崑崙山」

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山門の仁王像

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境内から山門を見返る
こちらの仁王像は写真パネル。

崑崙山昆陽寺(こんろんさんこやでら)は、

『天平3年(731年)、行基が昆陽池を造成するに際し、貧民救済の目的で昆陽施院を建てたのが嚆矢。

本尊は行基自作の薬師如来とされる。二年後の天平5年には聖武天皇の勅願寺となり、

36坊を数える程発展し、周囲の土地を開墾して荘園とした。

但し、記録では建てた場所は川辺郡山本とあり今の宝塚付近。

その後、現在の場所に移転。行基はその後、大僧正となり寺院も整備された。

度々火災に合い、天正7年(1580年)の織田信長と荒木村重の戦いで灰燼に帰した。

江戸時代になり氏子信者の手で再建されたが、

再び平成7年の阪神淡路大震災で甚大な被害を受ける。しかし本堂は再建。

山門、行基堂、観音堂は解体修理を経て平成10年に復興を遂げた。』 とあります。

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山門下から見た境内の様子

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山門正面に建つ本堂
瑠璃殿、薬師堂とも呼ばれ半丈六の薬師如来を祀る。

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本堂近影
阪神淡路大震災で崩壊したが平成9年に再建。それまで秘仏であった本尊は震災後開帳される。

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本堂の「瑠璃殿」の扁額

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本堂前面に張り出した庇

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本堂前の屋根の構造

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本堂前の梅

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本堂側面

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本堂横から山門方面を見る

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行基堂

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元禄年間に建立された行基堂
行基自作の尊像、普賢・文殊菩薩、四天王を安置する。

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行基堂側面
震災後、解体修理を経て平成10年に完成。

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行基堂の屋根と柱

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境内奥の行基作歌碑

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行基の墓所

 行基の建てた昆陽施院は布施屋と呼ばれるもので、

庸調を運ぶ農民に食料や宿泊所を与えるのが本来の役割ですが、

その後、貧民・病人・孤児の救済も行うようになったものです。

行基は在野で人々を救済したので、朝廷からは疑いの目で見られました。

しかしその後、行基の人々への影響を無視できず、

その力を利用することを考えての事だったのでしょう。

 大僧正の位を得た行基は政権に靡いたと言うよりも、

朝廷の力を借りて事業の推進を図ったともいえるので、

お互い相手を上手く利用したと言えるでしょう。

民衆が行基を敬う気持ちが後々まで続いた事が何よりの証拠、

今も地名に行基の名が残っています。

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観音堂
寛永年間建立の一重寄棟造り。震災後、解体修理を経て平成9年に完成。

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大師堂
真言宗寺院ではどこも大師堂は大きいが、ここは行基堂に遠慮して小ぶり?

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寛永元年(1789年)建立の鐘楼

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鐘楼脇にある近衛文麿公訪問時に植えた楠
伊丹は近衛家の荘園だった所縁で。

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楠に繁茂する羊歯・地衣類

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崑崙山昆陽寺略縁起

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昆陽寺御朱印

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行基が開いたとされる昆陽池
当時は今よりも広大であったとされる。今は寺の北側にある。

 近世以降の伊丹は酒造りの町。

奈良の正暦寺で慶長年間に始まった清酒の製法を発展。

江戸初期には酒造業が発達しますが、その中でも山中鹿之助の次男・幸元は

当時甘口しかなかった江戸に辛口の酒を運び財を成します。

彼は鴻池を屋号とし関西きっての豪商となりました。

 醸造で栄えた伊丹には、その富を背景に様々な文化が栄え

特に俳諧には目覚ましいものがあったとか。

岡田家の当主・岡田利兵衛は酒造業の傍ら芭蕉書簡の研究で名を挙げました。

いまも西国街道沿いにその家は威容を誇っています。

 唯、天保時代に宮水が発見された事で、兵庫の酒造りは伊丹から灘に移ることになります。

やはり栄枯盛衰は【さけ】て通れなかったようです。

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街道沿いの旧家

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旧岡田家

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旧岡田家酒蔵の看板と杉玉

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岡田家で展示中の雛人形

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明治雛

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大正雛

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大正雛最上段

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昭和雛

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岡田家で醸造された銘柄

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酒造りの道具を展示

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蒸す竈

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伊丹寺本郵便局 ; 昆陽池山門
伊丹行基郵便局 ; 行基像、昆陽池と水鳥

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中山観音(兵庫県宝塚市) 安産祈願のお寺と梅林

2020.03.04(16:51) 559

スミレの花咲く丘にある紫雲たなびく寺(2020.2.27)

<コース>
梅田 → (阪急宝塚線) → 売布神社駅 → 徒歩5分 → 売布神社 → 徒歩15分 → 中山寺

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紫雲山 中山寺(真言宗中山寺派大本山 西国三十三ヵ所第二十四番札所)

 売布神社参拝の後は、線路沿いに歩いて中山観音へ。

高台にあるのと五重塔や大願塔など壮大な伽藍があるので

歩いている途中からでも見失うことはありません。

 壮麗な山門を潜ると広い参道の両側に5つの塔頭が並び、

前には綺麗な花が植えられています。更に石段を上った先に目指す本堂が。

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売布神社からの巡礼街道に建つ道標

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山の中腹に大伽藍が見える

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山門へ到着

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山門近影
正保3年(1646年)、徳川家光の再建。

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山門の仁王像

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山門後ろの獅子像
色合いと言いガメラに出て来るジャイガーに似ている。

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山門から境内を見る
左に三坊、右に二坊の塔頭がある。

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塔頭前の椿

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ミズキ科 サンシュユ

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スイカズラ科 ガマズミ

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ツツジ科 リュウキュウアセビ

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参道に続く石段を上ると本堂へ

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石段を上った先から山門を見返る

 紫雲山中山寺(しうんざんなかやまでら)は、

『飛鳥時代に聖徳太子の建立。太子は物部氏の討伐の後、

四天王寺建立のため土地を探していたが天変地異が続き、物部守屋の祟りとされた。

 ある日、太子の夢枕に仲哀天皇妃が現れ

「乾の方向に紫雲たなびく峰があり、そこに寺を建てたならば、守屋の霊魂を鎮めよう。」

とのお告げがあったので、

三山の中の山に紫雲がたなびいていたのを見て建立したのが中山寺である。

推古元年(593年)の事である。

 多分に伝説的であるが、天平勝宝2年(750年)に中山寺が落雷で焼失したと

『続日本紀』にあるので天平時代には大小の堂宇を備えていた事は確実。

 本尊の十一面観音菩薩はインドの王后・勝鬘(しょうまん)夫人の等身大像と伝わり、

本朝で観音像を本尊とした嚆矢。

花山法皇が中山寺に籠られた際には、各地の観音が星となり飛来したと伝わる。

これは毎年8月9日の星下り祭りになり、若者が本堂から梵天を授かり塔頭に配る習わしである。

「極楽中心仲山寺」として徳道上人に拠って開かれた

西国三十三ヵ所観音巡礼の第一番札所。

後に花山法皇の巡礼に従い二十四番になり今日に至る。

 西国札所として賑わったが度々の兵火で焼失。

しかし都度、再建され主要な伽藍は慶長8年(1603年)豊臣秀頼に、

山門は江戸時代に徳川家光に拠り再建された。』 とあります。

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枝垂れ梅の奥に建つ五百羅漢堂
左のエスカレーターに乗ると正面の本堂へ着く。

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五百羅漢前から本堂、大願塔方向を見る

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本堂近影
慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の命で片桐且元が再建。

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本堂正面
極彩色で彩られている。本尊は十一面観世音菩薩。

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本堂前面の鳳凰図

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本堂右面の豹と駱駝?

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本堂裏手から大願塔方面を望む

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本堂左側から大願塔へ続く坂

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後方の高台から本堂を見る

 観音様札所として古来より有名ですが、関西人にとっては、何より安産祈願のお寺。

豊臣秀吉が祈願して淀殿に秀頼が生まれた事で有名になり、

幕末には中山一位局が祈願して明治天皇が生まれました。

そのことから明治天皇勅願所にもなっています。

安産祈願の御利益の寺社は各地にありますが、圧倒的に参拝者が多いのは中山観音。

知名度なのか、有名人がお参りしたからなのかは分かりませんが、

人は多く集まる場所に集うようです。

 私も20年以上前に行きましたが、久しぶりに来ると整備されて綺麗に。

境内は広いですが、バリアフリー、エスカレーター、エレベーターが完備されていて

楽に移動出来ます。レストランや休憩所もあって至れり尽くせりの感があります。

やはり安産祈願に来る人が多いので負担を少なくする心掛けでしょう。

安産祈願に際して夫婦が参道の店で腹帯を買って、

その後の宮参りで母親の両親が腹帯を買って寺に奉納するのが習わし。

お寺にとっては元手が要らないので、儲かる事になります。

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本堂脇の護摩堂と奥に見える五重塔

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平成28年再建の五重塔 高さ28m
仏の智慧と東方を表した青龍をイメージした極彩色の青色だが、余りにも鮮やか過ぎる感がある。

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大願塔への道から

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大願塔へ向かう

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大願塔近影

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大願塔下から五重塔方面を見る
左は鎮守社。

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大願塔脇の小さな庭園

 境内の裏手の斜面は有名な梅林。梅の時期も無料で観梅できます。

安産祈願に来る女性にとっては、美しいものや芳香は胎教にも良いとの考えでしょう。

酸っぱいものが欲しくなるから梅を植えている訳ではないでしょうが…。

 寺社は古い方が有難味がありそうですが、ここは逆。

西国三十三ヵ所札所にしては派手で、箕面の勝尾寺と似た雰囲気。

伽藍の色調が【カゲキ】なのは宝塚にあるからかもしれませんが…。

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境内を上った先にある広場
この向こうの斜面が梅林になっている。

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階段に沿って梅林を下る

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階段下から見た梅林

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再び梅林の坂を上る

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広場から見た梅林

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梅の蜜を吸いに来たメジロ

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中山寺略縁起

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中山寺御朱印

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昼食は納経所下階にある喫茶「梵天」にて

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「蓮ごはん」  うどん並み付きで¥1000

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売布神社(兵庫県宝塚市) 

2020.03.02(14:39) 558

シイの社叢が四囲にある社(2020.2.27)

<コース>
梅田 → (阪急宝塚線) → 売布神社駅 → 徒歩5分 → 売布神社

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売布神社(式内社)

 関西の梅も見頃になって来たので、満開の花を求めて宝塚へ。

目的地は中山寺ですが、阪急で1駅先の売布神社で芸下車して、神社に参拝。

阪急の駅から坂を上っていくと鳥居があり、更に石段を上った所が目指す社。

周りは学校や人家が多いですが、神主さんは不在。

常駐ではなく、行事の時のみ来られるのでしょうか?

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坂を上った場所に建つ石鳥居

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参道とそれに続く石段

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石段下に到着
鳥居には結界を示す縄が。

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目指す神社はかなり高台

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石段脇のシイ樹木

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石段上から来た道を見返る

 売布神社(めふじんじゃ)は1400年前に遡る古社。

『推古天皇18年(605年)に、大国主命の姫君の下照姫神と夫の天稚彦神を御祭神として創建。

当地を訪れた姫は住民が飢えと寒さで困窮しているのを見て、

稲を植え、麻を紡ぎ、布を織る事を教えられた。

そのお蔭で、豊かな生活を送る事ができるようになった里人は姫を神として祀った。

現在まで、食・衣・財の守護神として崇敬されている。

中世以降は貴船大明神と呼ばれていたが、寺社奉行・大岡忠相の命を受けた

並河誠所(なみかわせいしょ)により売布神社と考証された。

拝殿前の「売布社」の社号標石はそのときの元文元年(1736年)のものである。』 とあります。

 社号は縁起の内容そのまま。下照姫神は神話時代でしょうが、

この辺りは標高が高く農耕よりも麻布に向いていたと思えます。

それを指導した人を神と祀ったのでしょう。

現在、宝塚といえば高級住宅地、姫の指導も十分役に立ったといえます。

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石段上から見た境内

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売布神社の由来

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拝殿と元文元年建立の社標石(右)

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拝殿の扁額

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神仏習合の名残が見える

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売布神社御朱印
書置きを ¥300で購入。

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境内を囲むシイの林

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生田神社(神戸市中央区) 繁華街に鎮座する生田さん

2020.01.10(23:36) 528

幾多の変遷を経た生田さん(2019.12.29)

<コース>
JR大阪 → JR兵庫 → 徒歩8分 → 能福寺 → 徒歩30分 → 長田神社 → 高速長田 → 高速神戸 → 徒歩5分 → 湊川神社 → JR神戸 → JR三ノ宮 → 徒歩8分 → 生田神社

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生田神社(式内社 旧官幣中社)

 神戸一番の賑わいを見せる三宮駅から徒歩6分。緩やかな坂の先にあるのが生田神社。

略記に拠れば、

『201年、神功皇后の三韓征伐の帰路、兵庫の沖合で船が進まなくなったので占った所、

稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れ、

「私を活田長狭国(いくたながおのくに)に居りたい。」 と申されたので、この地に祀った。

大同元年(806年)には朝廷より当社を守る家として44戸を賜った。

この家が神戸(かんべ)と呼ばれ今に伝わる神戸の謂れとなった。

元来は、新神戸駅の北の砂子山(現布引山)にあったが、洪水のため現在地に移転。

生田神社の名は延喜式や枕草子にも登場する古社である。』 とあります。

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繁華街の先に建つ二の鳥居
一の鳥居は遥かに遠く電車の線路よりも南側にある。

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楼門

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拝殿に並ぶ行列
年末29日にも拘らずこの人出。

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拝殿近影

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拝殿の後方に建つ本殿

 神功皇后や神戸の名前の由来を見ると、先に巡礼した長田神社と酷似しています。

どちらかが他方を引用したというよりも、由来が分からないくらい古いという事でしょうか?

 中世には北の山裾から三宮駅まで鬱蒼と樹木が茂っていたとか。

今の周辺の繁華街からは想像もできないような【うっそう】のような話です。

 今でも境内の北には源平合戦由来の「生田の森」として残っています。

源平以降も、14世紀の湊川の戦い、16世紀の織田信長の花隈城攻め等、

【いくた】びかの戦乱の舞台にもなりました。

近世以前は境内から海辺にかけては桜の名所ですが、

明治以降は外国人居留地となり桜もいつしか消滅。

遺跡が消滅するのは戦ばかりでないと言う事です。

 こうして忘年会までに神戸三社詣りも無事終了。

いずれも「長田さん」「楠公さん」「生田さん」と親しみを込めて呼ばれる社。

文字通りの【さん】社巡りとはなりました。

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本殿西側の生田の池

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社殿北側に広がる「生田の森」
枕草子にも記された古の面影を残す鎮守の杜。

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生田の森の神木

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生田の森にある縁結びの水占い
ここだけ行列が…。

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生田神社略記

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湊川神社(神戸市中央区) 市民に親しまれる楠公さん

2020.01.10(00:40) 527

人物評価は難航?(2019.12.29)

<コース>
JR大阪 → JR兵庫 → 徒歩8分 → 能福寺 → 徒歩30分 → 長田神社 → 高速長田 → 高速神戸 → 徒歩5分 → 湊川神社

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湊川神社(旧別格官幣社)

 神戸三社として知られ、神戸市内の初詣では一番の参拝者を集める神社ですが、

長田・生田両社が古代より鎮座するのに対し、ここは明治期の創建。

湊川の戦いで戦死した楠木正成の墓所に明治5年に創建されたもの。

要は戦死した場所に大楠公を祀った訳ですが、周辺は楠公一色。

前を通る道路も楠公の幼名「多聞」が付けられています。

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多聞通りの向こうに神社が見えるが凄い交通量である

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神社の西側の通りはモニュメントが置かれ静かな佇まい

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表神門

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神門の扁額

由緒記に拠ると

『後醍醐天皇に仕えた楠木正成(大楠公)は建武3年(1336年)5月25日、

九州から都に攻め上った足利尊氏の大群と戦い奮闘空しく戦死。

死に際して弟の正季以下一族の人々と共に「七生滅賊」を誓って刺し違えたと伝わる。

 その後、地元の人々によって大楠公の塚とされる場所が守られて来た。

太閤検地に際しては免訴地とされ、

江戸時代には尼崎藩主・青山幸利公に拠って松と梅が植えられ、五輪塔も建立された。

 元禄5年(1692年)には水戸光圀公が家臣の佐々介三郎を遣わし、

大楠公墓碑 『嗚呼忠臣楠子之墓』 が建立された。文字は光圀の揮毫、

裏面の賛文は光圀の師に当たる明の儒学者・朱舜水に成るものである。

 やがて幕末に至り、この墓所は維新回天への精神的支柱となり、

討幕の志士達の多くがここを訪れる事となった。

 明治元年(1868年)の4月、明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、

神社創祠の御沙汰を下され、明治5年(1872年)の5月25日に別格官幣社として湊川神社が創建された。

創建に当たっては神戸にあった伊藤博文の請願も与ったとされる。

 戦前は国鉄神戸駅の直ぐ北という事で賑わい、太平洋戦争で焼失したものの、

昭和28年には復興。港神戸の大社としての地位を今も保っている。』 とあります。

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拝殿正面

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拝殿近影
屋根には楠公の菊水紋がある。

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拝殿前から灯籠を見る

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拝殿左の楠公御殉節の地へ

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御殉節地
1336年に楠公と弟以下一族が戦没された場所とされる。

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殉節地は入れないので外から撮影

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表神門右手の大楠公墓所

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門を過ぎ墓所に向かう

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墓所前の石標
正三位を贈与されている。

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嗚呼忠臣楠子之墓

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墓所横の水戸光圀公像
昭和30年完成。平櫛田中の作。

 歴史上の楠木正成は従来の兵法を凌ぐ戦法を取り入れた事で新時代を開いた武将ですが、

負けると分かっていながら後醍醐天皇に最後まで忠節を誓った事が人の心を打つのでしょう。

明治天皇は北朝の系列ですが、正閏論で南朝を正統としています。

  神社を創建するまでになったのは楠公の歴史的評価が時代を下るにつれて高まりを見せたため。

楠公自身には身に覚えのない事ではあります。

私見では大楠公は英雄と呼ぶに値する人物とは思いますが、

それを余りにも政治的に利用するのはどうかと言う気も致します。

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境内にある大楠公一代記
この大観の大楠公の肖像は宝物館常設。楠公祭600年記念に時の宮司が大観に頼み込んで描いて貰ったとか。

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参集殿にある桜井の子別れの図
尚、桜井は大阪三島郡の地名。

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湊川神社略記

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湊川神社御朱印

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長田神社(神戸市長田区) 神戸三社の一つ、長田さん

2020.01.08(19:54) 526

長田さんと楠公さんの奇縁(2019.12.29)

<コース>
JR大阪 → JR兵庫 → 徒歩8分 → 能福寺 → 徒歩30分 → 長田神社

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長田神社(式内社 旧官幣中社)

 能福寺参拝の後はJR兵庫へ戻り、西へ向かって長田神社へ。

JRの最寄駅は新長田ですが、名前の通り神社からは少し遠い。

最寄りは高速長田か地下鉄長田駅ですが、JRからそこまで移動する位ならと、

そのまま徒歩で向かいました。

 地下鉄の駅から北に向かうと商店街に神社の大きな看板が見え、

それに沿って歩くと東門へ到着。

交通機関を使うとこのルートになりますが、立派な正門は反対側の西門。

 何でも神社の左を流れる川沿いの道が古来の参道だったそうです。

と言う事で朱塗りの橋を渡り西門から参拝しましたが、こちらから来る人は殆ど見かけませんでした。

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商店街入口には長田神社の石標が

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商店街入口の鳥居

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東門へ到着
29日だが、元旦に向けて準備中。

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朱塗橋の向こうに見える西門

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西門近影

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西門の木造鳥居

 長田神社の由緒は、

『201年、神功皇后の三韓征伐の帰路に、武庫の水門で船が進まなくなった。

占った所、「吾を御心長田の国に祀れ」 という事代主神の神託に拠り、

生田神社、西宮の廣田神社と共に創建された。この伝承の為に境内は入船形に造られている。

 古来より神社に奉仕する家41戸は神戸(かんべ)と呼ばれ、これが現在の神戸の名の由来である。

節分の日に行われる追儺式は中世より続く行事である。』 とあります。

 神功皇后に由来する程の古社でありますが、

歴史学者の津田左右吉はこの縁起には否定的です。

一説には、大和の豪族長柄首、和泉国の長公と同族の長氏の神と言われ、

長田の名を考えると人名に由来する方が無理のない気もします。

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西門鳥居下から境内を見る

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神門

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神門の装飾

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境内から神門を見返る

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長田神社縁起

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拝殿正面

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拝殿後方の本殿

 現在の神戸の中心は三宮から元町にかけてですが、昔は兵庫が港の中心。

古代には武器庫があり、平清盛はここを通して日宋貿易を行いました。

港を抑える場所として山麓の長田神社が鎮座したというのは飛躍しすぎでしょうか?

 建武の新政では、領地を巡る問題から長田神社は足利尊氏に与しました。

そのため湊川の戦いでは、会下山に布陣する楠木正成の退路を断つために

尊氏軍と共に鵯越えに陣を敷いたと伝わります。

 結果的に楠木勢は湊川で討死する事になりましたが、

神戸三社として知られる両社にこのような経緯があったとは奇縁と言えるでしょう。

600年経ってもその恨みが【消えん】かどうかは分かりませんが…。

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歌舞伎役者・中村時蔵奉納の石灯籠

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長田神社由緒記

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長田神社御朱印

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兵庫大仏(神戸市兵庫区) 平清盛所縁の大仏のある能福寺

2020.01.07(20:05) 525

異人のマスコット、兵庫大仏(2019.12.29)

<コース>
JR大阪 → JR兵庫 → 徒歩8分 → 能福寺

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寶積山 能福護國密寺(天台宗 新西国三十三ヵ所第二十三番札所)

 同窓の忘年会を三宮でする事になり、早めに出て神戸三社巡り。

それに先立ち兵庫駅南にある能福寺を訪問。

以前、この辺りに出張した際に道路から大仏が見えましたが、そこが巡礼先。

奈良、鎌倉の大仏は知っていますが、神戸にあるとは吃驚。

当時は、誰か奇特な御仁が勝手に造ったものと思い込んでいましたが、

後で調べると平安時代に遡る古刹で、新西国札所にもなっているらしい。

これは一度見て見なければと、今回の巡礼となりました。

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本堂前と思しき場所の門は閉鎖中

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兵庫大仏
能福寺のシンボルで、正式名は胎蔵界大日如来像(毘盧遮那仏)

 能福寺は正式名・寶積山能福護國密寺(ほうしゃくざんのうふくごこくみつじ)。

由緒に拠れば、

『延暦24年(805年)、唐より帰朝した最澄がその帰途に兵庫和田岬に上陸。

民衆の請願を受けて堂宇を建立したのが始まり。日本最初の密教教化霊場となった。

本尊は弘仁期に作製された重文・十一面観音である。

 仁安3年(1168年)には、平清盛が能福寺に於いて出家剃髪し浄海入道と名乗る。

更に治承4年(1180年)の福原遷都に伴い平家一門の祈願寺となり、

養和元年(1181年)に清盛が京都で薨去した際には、

住職であった徳大寺家出身の円実法眼が遺骨をここに葬った。

円実法眼に続いて清盛の甥に当たる忠快法印が住職を務め、

平家の都落ちに際しては一門がここに立ち寄っている。

 その後、南北朝時代の1341年に兵火で灰燼に帰した堂宇は

慶長3年(1599年)に明智光秀家臣の長盛法印の努力により再興している。

 江戸時代には京都粟田口の青蓮院門跡の院家として高い格式を誇った。

院家とは幼少の門跡に教育をする役職である。

 しかし明治の廃仏毀釈で寺は大きな痛手を受ける。

その時、兵庫の豪商であった南条宗荘兵衛が発願し明治24年に完成したのが盧舎那大仏で、

居留地の異人達は神戸のマスコットとして頻繁に訪れたという。

当時の住職は高砂出身のジョセフ・ヒコに依頼し、寺の縁起を英文で記した。

これが本邦初の英文碑とされる。』 とあります。

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大仏正面
本体11m、蓮台3m、台座4m。

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台座から境内を望む

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平相国(平清盛)廟
清盛の墓所があるのは国内で唯一。揚羽蝶の紋がはためく。

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瀧善三郎正信顕彰碑

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幕末神戸事件と碑の説明

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大仏の横を抜けて本坊へ

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本坊前の境内の様子

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境内にあるジョセフ・ヒコ能福寺縁起英文碑

 仏教の衰退を食い止めるべく地元の熱意で出来上がった大仏であり、

成金の道楽と思っていた浅薄な考えを訂正しました。

 御朱印を拝受すべく本坊に行きましたが、造りもどことなく古風な感じ。

門跡に教育をする印家という格がそう感じさせるのでしょうか?

 また本堂は、九条家の御殿「月輪影殿」を昭和19年に移築したもの。

大正天皇の貞明皇后は九条家出身ですので歴代天皇も参拝した実績が残ります。

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大仏台座から見た「月輪影殿」

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境内奥に見える月輪影殿

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影殿近影

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「月輪影殿」の扁額と九条家紋「下がり藤」

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影殿前面の装飾

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本坊
御朱印はここで拝受。

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院家の説明

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本坊の屋根には菊の御紋が

 このように皇族・摂関家に関係がありますが、最も所縁があるのが平清盛。

平安末期には築島を建設し、大輪田泊で宋との貿易を行いました。

治承4年(1180年)には京都からここ福原に遷都しています。

 平家と言えば武家で最初に政権を取った事で有名ですが、

のし上がる契機となったのは父忠盛が富裕な国司を歴任し財力を蓄えたから。

決して武力一点張りの人物ではなかったようです。

日宋貿易も経済力という観点から捉えると別の側面が見えそうです。

 唯、福原は僅か半年で京都に帰還。未だ経済を中心にした遷都には時期尚早だったためでしょう。

このような考えは遥か後世の戦国時代。織田信長を待たなければなりません。

 眼を海外に向けたこと、今一歩で天下統一できなかった事も共通ですが、

家紋まで揚羽蝶というのは出来すぎた気もします。

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兵庫大仏説明書

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能福寺御朱印
御住職の話ではこの梵字は観音様を表す「Kya」という文字だそう。

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満願寺(兵庫県川西市) 源氏累代が帰依した寺院

2020.01.02(14:56) 520

満仲が願った満願寺(2019.12.15)

<コース> バスは日中30分間隔で運行
阪急梅田 → 雲雀丘花屋敷(12:16) → (阪急バス) → 満願寺(12:23) → 徒歩3分 → 満願寺 → 満願寺(13:28) → (阪急バス) → 川西能勢口東口(13:45) → 川西能勢口 → 阪急梅田

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神秀山 満願寺(真言宗 新西国三十三ヵ所第十三番札所)

 尼崎と川西での野暮用が昼前に終わったので、そのまま帰るのも芸がないので、市内で道草。

関西でも指折りの高級住宅街の阪急宝塚沿線のしかも雲雀丘花屋敷駅からバスで10分足らず。

「こんなところに、札所があるんかいな?」と思いますが、

終点のゴルフ場前の山裾に目指す寺院はありました。

 札所の看板を過ぎ石段を上ると、一風変わった山門が。

これは明治期に建てられた洋風建築の仁王門で、

阿吽の仁王像は神仏分離により多田院から移設されたもの。

そこから石畳を下って本坊前に行き、再び石段を上ると

本尊をまつる観音堂、阿弥陀如来を祀る金堂に至ります。

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バス停横にあるモダンな満願寺案内板

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入口にある寺標と階段

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明治14年(1881年)再建の現代的な造りの山門
明治初年に多田院(現多田神社)より移された鎌倉末期の阿吽の金剛力士像を安置する。扁額は「神秀山」

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山門を過ぎて振り返る
こちらの扁額は「大悲門」

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山門を過ぎると下り坂

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参道から右手に本坊、正面に金堂を見る

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本坊前にて

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本坊
旧円覚院。普通はここで納経の筈だが、納経所は金堂前に。

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本坊の前庭
美しい庭だが立入禁止。

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本坊を過ぎ金堂へ向かう

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石段を上った場所から境内を望む

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上った参道を振り返る

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石段右手の観音堂
元は奥の院観音堂の本尊であったが、明治時代に御堂と共に移築された。

 神秀山満願寺(しんしゅうざんまんがんじ)は

『奈良時代の神亀年間(724~728年)、聖武天皇の勅願で諸国に満願寺を建設した

勝道(しょうどう)上人が摂津国の満願寺として千手観音を本尊として開創。

本尊は神亀元年、比叡山の麓で村人が不思議な光を尋ねて発見し、

夢のお告げで摂津国に運んだとされる。

また神話時代に素戔嗚尊が高天原から出雲の国に追放になった時に、

この地に降臨したことから神秀山と称した。

 平安時代の安和元年(968年)には、摂津の多田に居館を構えた源満仲が帰依し、

以来源氏一門の祈願所に。正中2年(1325年)には後醍醐天皇により勅願寺に、

室町以降は足利将軍家の祈願所となって最盛期には四十九坊があった。

江戸時代にも多くの坊を持ったが次第に衰微し、

明治以降は唯一残った子院「円覚院」を本坊として今に至る。』 とあります。

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承応2年(1653年)再建の金堂
平安時代末期とされる十一面観音、聖観音の両菩薩立像を安置する。

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金堂前面の龍の彫刻

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金堂より境内を見る
左に見えるのが納経所。

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金堂脇を通り供養塔へ

 神話や本尊発見の由緒はさておき、多田院に拠った源満仲が帰依して以降、

源氏の庇護の下に繁栄したのは事実でしょう。

境内には正応6年(1293年)に源氏一族の法尼妙阿が亡父を供養した九重塔、

満仲の子や家臣を祀る七基の五輪塔がありました。

 満仲が祈願所とした、或いは近くでマンガンが採れたから満願寺と思いましたが、

納経所で伺うとそれはなし。そんな【マンガ】んのようには行きませんでした。

 それから境内の行政区は川西市で周囲は宝塚市と飛び地になっています。

これは多田神社との関りかと尋ねましたが、これはその通りでした。

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重文・石造九重塔
正応6年(1293年)の銘がある。

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源氏の七塔

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毘沙門堂
鎌倉初期とされる毘沙門天を安置する。

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毘沙門堂と金堂

 さらに奥には坂田金時の墓も。金時は金太郎で生まれは相模の足柄ですが、

彼は頼光四天王の一人。美作で亡くなった後、ここに葬られました。

余談ですが、川西市のゆるキャラは彼をモデルにした「きんた君」。

源満仲、頼光の方が良さそうな気もしますが、知名度から金太郎が採用となったのでしょう。

境内の裏は満願寺の自然林で天然記念物。少し下った所には「満願寺里山」とあります。

納経所で伺うと、

「家族で遊んだりピクニックができる施設です。ピザの窯焼きもできます。但し、入場料は要りますが…。」

との事でした。経営の一貫でしょうが、随分開けた考え方です。

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稲荷の奥に続く「満願寺の森」
総面積1.2haで、コジイを中心とした自然林である。

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森の手前にある坂田金時の墓

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金時の兜石と呼ばれるもの
こんな重いものでは戦はできないが…。

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森入口から見た境内

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満願寺里山

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ピザの焼き窯

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里山の向こうに見える廊下と観音堂、金堂

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満願寺説明書

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満願寺御朱印

 参拝を終えると丁度昼頃。境内に、金時蕎麦、喫茶坊「緑」と

食事できる場所があったので、バス待ちの間に「緑」で昼食。

参拝客も殆どいなかったので、安心していたら店内は満員。

地元の野菜を使ったおすすめの「寺定食」も売り切れでした。

「皆、何しに来てるんやろ?」と思いながらカレーを注文。巡礼でカレーは合わない気もしましたが、

お釈迦様はインドの方なのでと納得した次第。

しかし大勢が訪れる人気のある内容なので、是非次回にリベンジです。

尤も「もう、来んとき!」と言われたら駄目ですが…。

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本坊向かいの喫茶坊 『縁』

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この日の昼食 牛すじカレー ¥600

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川西市マンホールカード    配布場所はこちら

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川西市マンホール蓋 (市花・市木型)

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川西市マンホール蓋 (きんたくん型)

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川西市マンホール蓋 (多田神社型)

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川西市マンホール蓋 (黒川地区型)

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慧日寺(兵庫県丹波市) 茅葺屋根と紅葉の庭園が美しい禅宗寺院

2019.12.01(21:02) 496

お寺拝観はカヤの外(2019.11.20)

<コース>
【往路】JR大阪(7:13) → JR谷川(8:54→9:00) → JR久下村(9:03)

JR久下村 → 徒歩30分 → 石龕寺 → 徒歩30分 → 奥之院 → 徒歩50分 → 常勝寺 → 徒歩40分 → 慧日寺

【復路】JR谷川(15:33) → JR篠山口(15:54→16:07) → JR大阪(17:16)

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萬松山 慧日寺(臨済宗妙心寺派)

 この日、三ヵ寺目は篠山川に沿って東に向かい、

大きく右に曲がって杉並木の木立を進んだ先にありました。

 萬松山慧日寺(ばんしょうざんえにちじ)は、縁起に拠れば、

『永和元年(1375年)、室町幕府管領の細川頼之と弟で養子の頼元により建立。

開山は鎌倉円覚寺開山仏光国師の孫弟子の特峰妙奇(とくほうみょうき)、

福知山天寧寺の開祖愚中周及(ぐちゅうしゅぎゅう)の友人に当たり、

中国より帰朝してこの地に庵を結び大衆教化に務めたと言われる。

一説では小浜の八百比丘尼が特峰の噂を伝え聞き来山、

厳しい修行の後に美しさと【若狭】を保ったまま入寂したと伝わっている。

細川家の権威もあり、塔頭十八ヵ寺、末寺四十六を数える一大本山となったが、

天正3年(1575年)の明智光秀の丹波攻めで焼失。

その後、寛永から慶安年間にかけて妙心寺から来山した大愚・別心の両禅師により復興するも、

寛文7年(1667年)の失火で再度全焼。再び妙心寺から生鉄禅師が訪れ、再建に努力。

元禄から享保にかけて、仏殿・方丈・鐘楼が整えられた。』 とあります。

 境内の建物自体は、総て江戸時代の再建ですが、

仏殿は方一間一重裳階付き檜皮葺入母屋造で、ほぼ完全な禅宗様式。

その他、方丈・庫裡・裏門・経蔵と鐘楼は文化財となっています。

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入口に到着
但し寺はまだ見えず杉木立に覆われた参道を進む。

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山門
創建当時の総門として参道の入口に建てられたが再建時に仏殿の前に移された。

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駐車場から境内へ
右が庫裏で受付と納経を行う。奥は仏殿。

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受付から見た仏殿(左)と本殿

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山門脇にある経蔵

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元禄15年(1702年)再建の仏殿

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仏殿説明板

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経蔵前から見た境内

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仏殿前から見た本殿

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本殿正面
ここは本尊ではなく、位牌を祀る。

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拝観は本殿右の玄関から

 拝観料¥300を払うと、ガイドの方が建物内を説明して下さいました。

建物の庭の紅葉が美しいのは当然ですが、書院の間から室内の机に映る床紅葉、

中庭の手水鉢に映る紅葉を観賞する事ができます。

床紅葉は京都の寺院が有名ですが、京都はどこも撮影禁止。

でもここは撮影も自由なうえに気が済むまで観賞することができました。

これも観光客が少ない利点でしょう。

仏殿では龍の天井画を示して

「大火があった時に龍が池の水を飲みこんで火を消そうとしたんですが、水が足りない。

そこで自らの血で消し止めたそうです。この柱に赤い模様があるのがそうです。

まあ、話もこの辺で消し止めといた方が良いですな。」 と落ちまで付きました。

 拝観のメインは庭園と紅葉ですが、方丈と庫裡の茅葺屋根も見応え十分。

湿度の関係で屋根には苔が繁茂し、それが山奥の古刹の雰囲気を醸し出しています

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本殿と書院の中庭にある紅葉の絶景スポット

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紅葉の向こうに廻廊が巡る

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廻廊から書院を見る

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中庭の手水鉢に映る紅葉を観賞

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場所を変えると奥の黄色いカエデが観賞できる

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書院の窓から紅葉を観賞
手前の机には紅葉が映る。

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廻廊から見る本殿奥の庭園
心字池と岩のある禅宗様式。

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心字池と紅葉

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本殿の廊下を通り仏殿へ

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仏殿へ向かう階段と廊下

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廊下の向こうにある弁天社と池

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廊下から弁天池を見返る

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いよいよ仏殿へ
奥に見えるのが山門。

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仏殿近影

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本尊釈迦三尊像
なぜかここは撮影OK。

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仏殿の龍の天井画
柱には龍の血とおぼしき赤い筋が…。

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本殿で歴代の位牌にお参りして拝観終了

 その上、この日は庫裏の屋根を葺き替え中。

7~8名の職人の方の作業を目の前で見る事ができました。

棟梁と思しき方が居られたので、話を伺うことができました。

棟梁:「屋根の葺き替えは14~15年毎ですね。」

和辻:「一度に全部するのですか?」

棟梁:「いえ、片面だけです。」

和辻:「どれくらいの日数が掛かりますか?」

棟梁:「10月に始めましたが、月末くらいには終わるでしょう。」

かつては何処にでも生えている茅を使ったものですが、今は茅不足。

今は現地ではなく、大阪の能勢から購入しているそうです。

 これで山南三ヵ寺巡礼終了。朝から相当距離を歩きましたが、それだけの価値は十分あり。

最後には紅葉に加えて茅葺も拝観することが出来、【ええ日時】とはなりました。

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庫裏の屋根(奥側)の葺き替え中

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茅葺作業の様子
テレビでは見た事があるが、実際は初めて。

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慧日寺説明書

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慧日寺御朱印

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常勝寺(兵庫県丹波市) 追儺式で有名な山南屈指の紅葉の古刹

2019.11.30(20:30) 495

鬼こその古刹へようこそ!(2019.11.20)

<コース>
【往路】JR大阪(7:13) → JR谷川(8:54→9:00) → JR久下村(9:03)

JR久下村 → 徒歩30分 → 石龕寺 → 徒歩30分 → 奥之院 → 徒歩50分 → 常勝寺

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竹林山 常勝寺(天台宗)

石龕寺の紅葉を午前中に終え、次の紅葉は慧日寺。

バスの便もないため、谷川駅の西方面から東方面へ10㎞近く歩く事に。

直行する事も可能でしたが、途中に山南屈指の古刹があるので、紅葉に関わりなく立ち寄りました。

 加古川を渡り、パルプ工場を右に、役所を左手に見て暫く行くと山門下へ到着。

今の季節は境内が赤色に染まり、遠くからでも山全体が燃えているのが分かります。

 見上げるような仁王門ですが、そこから本堂までは三百六十余段の石段が一直線上に続き、

両脇には堂宇、樹木も下から上へ紅葉から巨木と移り変わっています。

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山裾に見える常勝寺全景
北側から見た所で、山全体が燃えるように赤い。

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入口にある山号石碑と普門橋

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仁王門と「常勝寺」扁額を見上げる

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山門から本堂へ一直線に続く石段の参道
普門橋から本堂まで三百六十余段を上る。

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参道脇の説明板

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参道半ばに建つ慈眼閣

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参道半ばには両側に紅葉が

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参道上部には両脇に巨木が聳える

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参道の上りにある石仏群

竹林山常勝寺(ちくりんざんじょうしょうじ)は、

『大化の年間、天竺より渡来した法道上人が七尾七谷のこの山に七堂伽藍を建立。

永保3年(1083年)の大火で伽藍は悉く焼失するが、泉州槇尾山の浄意上人が再興。

しかし天正3年(1575年)の明智光秀の丹波攻めで全山焼失。

当山の智光法印が再興に着手するが志半ばで遷化。

元禄10年(1697年)に良海法印が本堂を修造し漸く再興が成った。』 とあります。

 大化年間の古刹ですが、度々の大火に会っています。【大過】なくとはいかないようです。

山南きっての古刹ですが、ここで毎年2月11日に開催される追儺式は別名「鬼こそ」。

法道上人に扮した童子の後に、大きな面を付けた赤鬼青鬼4人が本堂の周りを巡るもの。

四鬼は上人の徳に感化され五穀豊穣を祈るもので、駅スタンプ等でも取り上げられる名物行事だそうです。

紅葉めぐり寺院には入っていませんが、参道の紅葉も鑑賞には十分。無料拝観も魅力でした。

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参道の上に広がる境内
薬師堂(左)と本堂。

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薬師堂
鎌倉時代初期の重文・薬師如来を祀る。

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元禄10年(1697年)建築の本堂
間口五間、奥行四間半、総欅造りで銅板葺。鎌倉初期の重文・千手観音菩薩を祀る。

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本堂上の龍の彫刻

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本堂前面の柱彫刻

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本堂前に建つ顕彰碑

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絵馬のデザインも「鬼こそ」

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「鬼こそ」の説明板

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JR谷川駅スタンプ

 参拝後は参道半ばにある庫裏で御朱印を御願い。

ベルを押すと、傘寿を過ぎたと思しき御住職が対応して下さいました。

和辻:「紅葉めぐり寺院には入っていませんが、見応え十分ですね。」

住職:「かつては入っていましたが、階段が急で危ないので止めました。」

和辻:「宗派が関係しているとか?」

住職:「それは全くありませんわ!」

との遣り取り。私よりも一世代年配ですが、テンポが良く楽しい受け答えでした。

拝受した御朱印も達筆。意識も身体も良好な状態で齢を重ねるのは大変ですが、それを実践されている様子。

【じょうしょう】志向を持って居られるためか、或いは「鬼こそ」効果でしょうかね?

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参拝後、参道を下る
参拝中、見かけた人は写真中央の紅葉を撮影している一人だけ。

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参道半ばまで下る

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納経所周辺の紅葉

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庫裏入口
御朱印はこちらで拝受。

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御朱印の間、庫裏玄関から参道方面を見る

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庫裏玄関の窓

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参道脇の紅葉

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駐車場へと続く道にも紅葉のトンネル

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常勝寺説明書 
¥100だが、御朱印¥300を御願いすると無料になる。

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説明書裏面の仏像写真

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常勝寺御朱印

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谷川駅前郵便局 : 常勝寺の奇祭・鬼こそ、丹波栗

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石龕寺(兵庫県丹波市) 仁王像が守る足利氏ゆかりの岩窟の古刹

2019.11.29(22:10) 494

奥の岩屋から引っ越した毘沙門様(2019.11.20)

<コース>
【往路】JR大阪(7:13) → JR谷川(8:54→9:00) → JR久下村(9:03)

JR久下村 → 徒歩30分 → 石龕寺 → 徒歩30分 → 奥之院

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岩屋山 石龕寺(高野山真言宗)

 17日の丹波市もみじツアーでは氷上、青垣地域の四ヵ寺の紅葉を楽しみましたが、

この日は少し南の山南三山を巡礼。

 いずれもJR谷川駅からですが駅付近にはレンタサイクルがなし。

仕方がないので、加古川線の久下村駅の最寄りの石龕寺からスタート。

最寄りといっても駅から4㎞余り、但し石龕の名前の割には平坦な道を徒歩30分で到着。

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寺へと続く道沿いには紅葉が

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山号と寺号の石標
手前の駐車場横の受付で入山料¥300 を支払い参道を進む。

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石標に続く紅葉のトンネル

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紅葉のトンネルから石標方面を振り返る

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散り積もる紅葉の向こうに見える仁王門
この右手には地元の方が営業している青空カフェがある。

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仁王門へ到着
明智光秀の丹波攻めでも焼け残った。

 岩屋山石龕寺(いわやさんせきがんじ)は、縁起書に拠れば、

『用明天皇の587年、聖徳太子の開基とされる。

太子は自ら刻んだ毘沙門天の尊像を兜に頂き物部守屋に大勝したが、尊像は空中に飛散。

太子は諸国を巡り、この山に瑞雲がたなびくのを目にする。

その山の石窟に毘沙門天があるのを発見し、堂宇を建てたのが始まり。

その後、村上天皇が多くの伽藍を建立した。

室町時代には足利尊氏の帰依を受け、弟直義との観応の擾乱で

尊氏が京都から播磨に逃れる際に、嫡男義詮をこの地に逗留させた記録が残る。

天正7年(1579年)には明智光秀の丹波攻めで一山悉く焼失。仁王門のみ難を逃れた。

その後、寛永3年(1626年)明覚法印が開山となり徐々に復興、

現在は境内の紅葉が有名となり丹波の紅葉寺として知られる。』 とあります。

 山内に入ると、紅葉のトンネル、苔生した石垣、石段と古刹の雰囲気は十分ですが、

建物自体は新しく、仁王門のみが古い印象。

両脇の仁王像は慶派の肥後法橋定慶に拠り仁治3年(1242年)に製作された重文で、

石龕寺を代表する建造物となっています。

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重文・木造金剛力士像
これは左側にある吽像。

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同じく重文・木造金剛力士像
右側にある阿像。

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小野道風書と伝える仁王門の「石龕寺」の扁額

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仁王門に続く参道も紅葉のトンネル

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参道から仁王門を見返る

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門横に建つ太宰春台の漢詩

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参道脇の石仏群

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参道の奥に見える仁王門

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参道横の車道も紅葉の蔭(シャドウ)が

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参道左手の本坊多聞院への石段

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本坊の持仏堂
右にあるのは水琴窟庭園。

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本坊の庭
左奥が庫裏で納経所となっている。

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本坊の塀と紅葉

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岩屋谷川に架かる橋上から
左が本堂への階段、右が奥の院への参道。

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本堂への石段
左に聳えるのはコウヨウザン(廣葉杉)の巨木。

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本堂(毘沙門堂)
元、奥の院にあったが宝暦13年に焼失、安永7年(1778年)に現在地へ移転した。三間三面単層屋根入母屋造で向拝の軒に唐破風を付ける。

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本堂左の薬師堂

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薬師堂屋根と紅葉

 龕(がん)とは仏像などを安置する窪みの事。

本堂から700m山に入った所にある奥之院の石龕が寺号の由来になっています。

元来はここが本堂でしたが、今は本尊を下の本堂に移しているとか。

 庫裏で御朱印を御願いすると、住職夫人が

夫人:「住職は、所用で出掛けていますので、書置きになります。」

と書置きを拝受。

奥之院の事を尋ねると、

夫人:「奥之院はかつての本堂で、ここから歩いて30分です。」

という事でしたので、これは是非とも行かねばならぬと思い更に山道を行く事30分で到着。

 奥之院拝殿には石龕があり、毘沙門天が祀られていました。

由緒記は多分に伝説的な所がありますが、

よくもこのような山奥の石龕に気が付いた人が居た事が驚きです。

 更に奥には足利義詮邸跡もありましたが、すぐ横は崖。

邸というよりも逃げて隠れた場所ではないでしょうか?

 父尊氏、子義満の間に立って存在の薄い二代目将軍ですが、

負けても再起を期すのは武将として不可欠の条件。

その意味では義詮も立派な将軍だったと言えるでしょうか。

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奥の院参道入口
右の道を只管上る。

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奥の院参道入口付近から見た本坊

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紅葉を見ながら奥の院へ

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途中から参道も険しく

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奥の院の鐘楼堂からの眺め

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鐘楼堂と由緒

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奥の院拝殿への参道
両脇には石灯籠が18基並ぶ。

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奥の院拝殿
石龕のある石龕寺発祥の地で平成6年に復興整備された。

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拝殿の扁額

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毘沙門天を祀る拝殿の奥にある石龕

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拝殿から見る紅葉と谷

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紅葉近影

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拝殿奥にある足利将軍屋敷跡
直ぐ向こうは崖になっている。

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奥の院説明板
但し、これは仁王門脇に建つ。

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奥の院拝殿と紅葉

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石龕寺説明書

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石龕寺御朱印

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山南小川郵便局 : 石龕寺町石、重文・金剛力士像、岩屋山

[参考書]

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高山寺(兵庫県丹波市) 頼朝ゆかりの紅葉のトンネルの寺

2019.11.28(20:42) 493

頼朝の天下取りを予言した御本尊(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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弘浪山高山寺(真言宗大覚寺派 別格本山)

 達身寺の後は、ツアー最終の寺院へ。

 弘浪山高山寺(こうろうざんこうざんじ)は、

『天平宝字5年(761年)、天竺から来朝した法道上人により、弘浪山頂に開創。

その後、衰退しますが鎌倉時代に源頼朝の命により東大寺の重源が復興。

平治の乱後に伊豆に配流された頼朝は源氏の再興を願い、日夜観音に願を掛けていた。

或る夜、観音が夢枕に立ち、

「お前は天下を治める将軍になる。その暁には丹波の高山寺を復興せよ」 と言った。

平家を滅ぼし鎌倉幕府を開いた頼朝は高山寺の事はすっかり失念していたが

「高山寺を復興せよ」 と夢枕に再度観音様が立ったので再興を命じた。

昭和33年(1958年)に山頂から現在地へ移った。』 とあります。

とすれば高山寺とは山頂にあったことに拠る寺名でしょうか?

麓に移転したために高山とは言い難いですが、

移築した仁王門から本堂への参道両側に植えられた紅葉のトンネルが高山の雰囲気を出しています。

法道上人は丹波の古刹を多く創建した伝説的な僧侶。

彼を開山に持って来た事は、それだけ歴史が古いからですが、

何故かマスコミ等で【ほうどう】される事がないのが不思議です。

復興については頼朝が重源に命じた事実が、このような伝説を生んだと採るのが妥当。

観音様を討幕の【こうろう】者にした訳ではないようでした。

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仁王門(11.7 撮影)
先には本堂へと紅葉の参道が続く。

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仁王門天井の龍の画
力強い作風だが、製作は新しい。

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境内の木立の先に見える仁王門

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参道脇の紅葉

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参道脇のカエデと地上の杉苔

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参道に並ぶ石灯籠
夜はライトアップされる。

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参道から仁王門を見返る
紅葉のトンネルは未だ少し先になる模様。

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本堂前からの景色
両側は満天星。

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狛犬と本堂
古代インドでは寺の門前に釈迦が堂々と説法される姿を表した一対の獅子を置く習慣があり、それが狛犬になった。

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本堂
本尊は十一面観音菩薩。

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本堂前から見た境内

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高台から本堂横を見る

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唐破風のある庫裏
御朱印はこの奥で拝受する。

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高山寺御朱印
11月7日に書置きを購入したもの。

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達身寺(兵庫県丹波市) 丹波の正倉院の御朱印

2019.11.27(20:08) 492

仏像工房の興亡(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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十九山達身寺(曹洞宗)

 圓通寺に続き達身寺へ。

今回は紅葉ツアーですが、この寺院は丹波の正倉院といわれるだけあって仏像がメイン。

十九山達身寺(じゅうくさんたっしんじ)は、寺伝に拠れば、

『行基が開いた密教系の寺院が嚆矢。

始めは北に聳える十九山の一つの峰にあったとされ、山岳仏教の聖地として繁栄した。

その後の記録は乏しいが、明智光秀の丹波攻めで寺院は焼失。仏像は辛うじて谷底に運び下ろされた。

仏像は暫く放置されたらしく、天正・文禄年間の記録に達身(たるみ)堂、垂水(たるみ)堂とあるのは

仏像を安置した場所と考えられる。

 その後、元禄8年(1695年)に疫病がはやり多くの村人が亡くなった。

占いの結果「仏罰である。」と言われた為、放置された仏像をここに集めた。

正徳2年(1712年)には曹洞宗に改宗、圓通寺の末寺となった。

十九山の達身堂を本堂としたので山号寺号とした。』 とあります。

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駐車場から見た寺院全景

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霊場石碑を前に中央が本堂。左が収蔵庫。

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門前の巨木と寺標

 バス駐車場の正面に建つ寺院は小さな茅葺の本堂。

村人に守られた古刹という表現がぴったりくる外観です。といって本尊は本堂にはなく、すべて収蔵庫に。

重文の仏像が12躯あるので当然とは思いますが、

これだけ本尊級の多くの仏像があるのは、付近一帯の寺院から集めたというのも頷けます。

時代的には10~12世紀、総て木彫りで大半が一木造り、3体が寄木造り、

仏像の腹がふくらんだ様式である事など、共通の特徴が見られます。

 最近では、多くの寺院の仏像を集めたのではなく、この地には仏像の工房があったのではないか

という説も郷土史家から提出されているそうで、仏像の謎は深まるばかりです。

 寺の場所も山あり谷ありですが、仏像の工房も様々な興亡があったようです。

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茅葺の本堂
いかにも古刹の雰囲気で拝観はここからスタート。

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本堂玄関から境内を望む
古刹ながら境内は意外と狭い。

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収蔵庫への廊下から見た本堂屋根

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境内の庭園

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庭園越しに見る裏山の紅葉

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裏山へと続く道から本堂を見返る

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達身寺説明書

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裏面の仏像の説明
右下が御本尊の阿弥陀如来坐像。

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達身寺御朱印 「稲麻殿」

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成松郵便局 ; 達身寺の重文・阿弥陀如来、安全山

[参考書]

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圓通寺(兵庫県丹波市) 将軍・関白ゆかりの紅葉の名刹

2019.11.26(21:29) 491

光秀の丹波攻めも切り抜けた古刹(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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永谷山圓通寺(曹洞宗)

 道の駅で買い物、昼食を終えた後は再び南に向かいます。

途中から田圃の中を西へ向かい山裾に佇むのが圓通寺。

バス停から歩くとまるで森全体が赤くなっているようにも見えます。

永谷山圓通寺(ようこくざんえんつうじ)は、

『永徳2年(1382年)、後円融天皇の勅命により建立。

開山の英仲法俊(えいちゅうほうしゅん)は足利尊氏の四男、

幼少期より夢窓疎石に参禅し摂津永澤寺(ようたくじ)にて出家。

二世の牧翁性欽(ぼくおうしょうきん)は関白近衛通嗣の三男、

5歳で出家し英仲に師事し、師の没後二代目住職を継いだ。

室町から江戸末まで二百余りの末寺と一千石を越える寺領を有し、

丹波のみならず但馬・播磨・摂津の諸寺に君臨する大寺院になった。

明智光秀の丹波攻めでも圓通寺は標的になりましたが、

豪士・荻野喜右衛門が光秀の本陣に赴き必至の説得をした結果兵火を免れた。』 とあります。

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向こうの山裾に境内全体が赤く見える
駐車場から寺へ向かう道から。

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圓通寺石碑
寺の入口にあり、この横で拝観受付 ¥300 をする。

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寺標横から境内へ続く紅葉のトンネル

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紅葉の坂を上った所にある寺標

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参道の紅葉

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境内へ続く参道
向こうに見えるのは御神木の一本杉。

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塀越しに見える紅葉と方丈屋根

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石段の先に見える山門

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山門と永谷山の扁額

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山門の左には持国天

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山門の右には広目天

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山門からの眺め
左右にあるのは放生池で中央の階段で本堂へ向かう。

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放生池越しに見る境内

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樹齢700年の一本杉
光源氏のモデルとされる源融が建立した「賀茂大明神」の御神木である。

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階段の上にある鐘楼

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階段脇の紅葉

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階段を上った先から放生池と紅葉のトンネルを見返る

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塀越しに放生池周囲の紅葉を見る

 バスガイドさんの話では永澤寺の永を山号に、後円融天皇の円を寺号にしたそうです。

 創建時に武門と公家の最高位の子弟を送り込んだのも凄いですが、

創建に際しては甥の将軍足利義満より大いに庇護を受けましたし、

応永30年(1423年)に火災で諸堂が焼失した時も10年以内に再建しています。

住職の実家からの援助があった確実でしょう。

ここは当時の主流であった夢窓疎石の一派からは距離を置いた厳しい宗派ですが、

有力者をパトロンに持つという方針は変わらないようです。

 光秀も豪士の説得で焼討ちを思いとどまったと寺伝にはありますが、

足利と近衛という名家に敬意を表したとも言われます。信長に仕えたとはいえ、

名門土岐氏を本家に持つ貴族的な光秀ならば十分在り得る話です。名家故の【えんつうじ】でしょうね。

 境内は紅葉に囲まれた坂を上り放生池を過ぎた高台にあり、

正面の二段屋根の本堂と右手の庫裏は江戸時代の再建ながら堂々とした風格。

納経所の方に伺った話では、

「かつては曹洞宗の道場として【そうとうすう】の若い僧侶が修行されていましたが、今は全くないです。」

との事。禅宗の世界でも一極集中化が進んでいるようです。

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塀の五本線と足利氏家紋

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家紋と五本線の説明

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境内遠景
左が本堂、右が庫裏。左には榧の巨木が聳える。

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紅葉越しに見る庫裏
和傘と長椅子は休憩所。

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庫裏の玄関
かつては道場として使われた名残か?

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本堂
別名は施無畏殿。本尊は如意輪観世音菩薩で施無畏とは観音の異名である。

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本堂の扁額「施無畏殿」
唐風を連想させる二段屋根となっている。

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本堂前面の麒麟の彫刻
これは阿像。

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本堂柱にある「近衛牡丹紋」

 本堂裏手には泉が湧出して居り、長らく茶道の水として利用されていたといいます。

境内の石垣や伽藍に眼が向きがちですが、寺院建立の理由はこの豊かな湧き水であった可能性が大です。

 こちらも地面は豊かな杉苔が生えていました。さぞ手入れが大変でしょうと訊くと、

「いえいえ、苔の手入れは全くしていません。」との話。

丹波盆地特有の霧と周囲を山に囲まれた地形が美しい苔を育むのでしょう。

紅葉がクローズアップされる丹波ですが、京都・奈良であれば苔で十分観光客が呼べるレベルです。

 古刹が多い丹波ですが、地元では昔のものを守るという意識が強いのでしょうか?

ふと横を流れる川を見ると【かこ川】と書いてありました。

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本堂前に建つ躍年遠挙の碑
黙仙禅師の功績を禅師と親交のあった剣豪山岡鉄舟が揮毫したもの。

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本堂前の水琴窟

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境内の榧の巨木

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本堂左脇の不動明王の泉

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本堂裏にある茶湯泉
かつてはこれで茶を立てていたとか。

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本堂裏手の樹齢200年のイトザクラと樹齢300年のタブノキ

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本堂と庫裏の裏手の庭

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圓通寺説明書

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圓通寺御朱印

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高源寺(兵庫県丹波市) 天目楓が美しい丹波の紅葉名所

2019.11.25(21:42) 490

高源の紅葉よ、さようなら♪(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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西天目瑞巌山高源寺(臨済宗中峰派本山 関西花の寺二十五ヵ寺第四番札所)

 近畿で紅葉シーズンとなると京都と奈良が賑わうのは言わずもがなですが、

それ以外でも紅葉の名所が各地にあります。丹波地方もその一つ。

京都・奈良と異なり点在しているのがやや難点ですが、見応えのある古刹が多々あります。

11月7日に丹波を訪れましたが、紅葉はフライング状態。

見頃は1週間以上先かと落ち込んでいると観光案内所で「丹波もみじめぐりバス2019」なるツアーを発見。

福知山線柏原駅から4ヵ寺を巡るツアーで往復の交通費と食費は自腹ですが拝観料込みで¥2400はお得。

予定の空いている最終日に申し込んで今シーズン2度目の丹波路となりました。

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JR柏原駅からツアーバスに乗車

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駐車場から坂の上の寺院に向かう

 朝一番で拝観したのは丹波で紅葉随一の名所とされる高源寺。

関西花の寺二十五ヵ寺にも紅葉の寺で登場しています。

 西天目瑞巌山高源寺(にしてんもくずいがんざんこうげんじ)は、由緒に拠れば

『開祖の遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師は地元青垣の山垣城主足立遠政の曽孫。

嘉元2年(1304年)に19歳で出家後、元に渡り杭州天目山の中峰国師の元で修行し10年後に帰朝。

正中2年(1325年)、故郷の青垣の地に堂宇を建て中峰の宗旨を広めた。

翌年、後醍醐天皇より高源寺の寺号を、後柏原天皇の御世に勅願時となった。

しかし天正年間の織田信長の丹波攻めで全山焼失。

享保年間に天岩明啓(てんがんめいけい)和尚が一部再建。

天明4年(1784年)に弘厳玄猊(こうがんげんけい)和尚が入寺。

柏原藩主織田信憑(のぶより)と住民の協力を得て、

寛政11年(1799年)に現在の建物が完成した。』 とあります。

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寺標前にて
左の薄緑の服はガイドの方

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惣門
明智光秀の焼討ち後、柏原藩織田家より寄進された。

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惣門の扁額「丹丘勝處」は弘厳玄猊の書

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参道の天目楓

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参道の紅葉のトンネル

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山門へ石段を上る

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山門前の「禁葷酒」の碑

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1790年頃、弘厳玄猊によって再建された山門
別名「紫鳳楼」と言い、階上には釈迦如来と十六羅漢を祀る。

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山門の扁額は伏見宮貞義親王の真筆

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山門正面に建つ仏殿
1720年頃、天岩明啓により再建。本尊は恵心僧都作とされる釈迦如来坐像。別名「法王殿」。

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仏殿前の「幽霊もたれの松」址

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心字の池
寺の庭園の中心をなす。光秀の丹波攻めで荒廃したが、天岩明啓、弘厳玄猊の両禅師により再興した。

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池の横の石段を上り納経所へ

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階段途中の石地蔵
苔の生育に適した環境なので帽子状に生えている。

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納経所前の杉苔に積もった紅葉

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納経所に続く方丈
住職の住まいで庫裏も兼ねる。開山堂には歴代住職の位牌、開祖、中興祖の像が安置されている。

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方丈玄関

 寺の山号の天目は修行した元の山に由来しますが、

ここ高源寺は西天目、甲斐の栖雲寺は東天目と呼ばれます。

それは開山の業海本浄が遠谿禅師と同じく元で同じ師匠の元で修行したことに拠ります。

開山が元から持ち帰ったのが天目楓。

通常のイロハカエデよりも葉の切れ込みが深く早く紅葉するのが特徴ですが、

そのためここでは長い時期に亘って紅葉を楽しむことができます。

 紅葉の時期には全山が燃えると言われる程の景観を作り出し、

「ここは鬼気せまる禅機がみなぎり、身をおいただけで、胆を洗われる生気があるように思える。」

とは水上勉の評です。

尚、城主の足立姓は明治以降一般にも広まり、住民の4割は足立姓とはガイドさんの話。

信長の兵火では建物が燃えてしまいましたが、

再興に尽力したのが信長の子孫の柏原藩織田家と言うのも妙な仏縁を感じます。

再興した今は紅葉で山が燃えています。

青垣という地名は山に囲まれた盆地に由来。

境内で上を向くと赤の色彩ですが下を見ると至る所に杉苔が。

これが紅葉との見事なコントラストを成しています。

盆地特有の霧や湿度が苔の生育に好都合なのでしょう。

そういえば丹波の丹の字は赤い意味があります。

紅葉ばかりが言われる高源寺ですが『青丹良し』 の枕詞がより相応しい古刹。

思わず、萌え~!となりました。

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画僧雪舟が造園したとされる「大痩嶺」
中国の大痩嶺を象って樹木岩石が配置されている。

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境内最古の天目楓
開山が中国から持ち帰ったもの。

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虎溪泉に架かる三笑橋を渡り多宝塔へ
橋の名は中国虎溪にて三法師が虎の咆哮に大笑いした故事に由来し、大笑いして渡るとか。

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1790年に弘厳玄猊により再建された多宝塔(三重塔)
輪蔵という造りで毘沙門天を祀る。かつては中の階段を上ることができたが、いまは閉鎖。

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多宝塔近影
裳階が二重になっている。

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多宝塔を見上げる

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紅葉公園に続く坂から多宝塔を見返る

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坂の途中から境内を見る
正面の建物は食事処の「丹丘荘」。

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境内の紅葉公園のカエデ

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道を挟んだ向かいは満天星

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紅葉公園

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境内の石に生えた杉苔と紅葉
このような光景が至る所に見られる。

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境内の食事処「丹丘荘」
予約すれば精進料理が頂けるが、ツアーではスルー。

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高源寺説明書
これは道の駅「あおがき」にて入手。

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高源寺説明書
これは拝観時に頂いたもの。

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高源寺御朱印
これは7日に拝受した若い住職の墨書。ツアー当日は行列で15~20分待ちであった。

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神楽郵便局 ; 朝来連山、高源寺桧倉三重塔、浄丸の滝
青垣郵便局 ; 翁三番叟、紅葉

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昼食は道の駅たんばおばあちゃんの里にて

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浅山不動尊(兵庫県丹波市) 独鈷の滝と岩屋の不動尊の御朱印

2019.11.14(19:57) 480

修行の場所はどっこにある?(2019.11.7)

<コース>
【往路】JR大阪(5:55) → (福知山線) → JR柏原(7:45)

柏原(7:59) → (神姫グリーンバス) → 上芦田(8:41) → 徒歩5分 → 道の駅青垣 → (レンタサイクル) → 高源寺 → 岩瀧寺 → 高山寺 → 圓通寺 → 上芦田(16:04) → (神姫グリーンバス) → 柏原(16:59)

【復路】JR柏原(17:39) → (福知山線) → JR大阪(19:22)

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無動山岩瀧寺(真言宗大覚寺派)

 この日は丹波路へ。出発時は二ヵ寺巡礼の計画でしたがどちらも紅葉には少し早めでした。

その代わり観光案内所で入手したパンフには目的地の近くに古刹がもう二ヵ寺ある模様。

高源寺参拝の後、立ち寄った郵便局で

「庵主様が守って居られる鄙びた趣のあるお寺です。唯、未だ台風被害が尾を引いているみたいですが…。」

と言う情報を得て予定を急遽変更。

道を南下していくと道に「独鈷の滝」の大きな看板が。

そこから東へ2㎞程走った山裾にあるのが浅山不動尊、地元では香良の不動さんと呼ばれる岩瀧寺。

入口で入山料を払って坂を上ると川沿いに石段があります。

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花博の山の駅を移築したJR福知山線柏原駅

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道の駅「あおがき」
ここの観光案内所でレンタサイクルを借りて巡礼。

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道路の両脇にある寺標
この先で入山料¥200を支払う。

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石段の先に見える山門

 無動山岩瀧寺(むどうさんがんりゅうじ)は、

『弘仁年間(809~823年)、嵯峨天皇が住吉明神の霊夢により

弘法大師をこの地に巡錫させ七堂伽藍を建立させたのが嚆矢。

岩窟内に祀られた本尊の不動明王は弘法大師の手になると伝わる。

天正年間の兵火で全山焼失したが、慶長年間に領主別所重治公により再興。

更に宝暦年間には領主九鬼隆邑公の発願で護摩堂も再建された。』

とあります。

訊く所では平成26、30年の二度の台風で境内のすぐ傍まで大水が来たとか。

 石段を上ると、木像の山門がお出迎え。二階は鐘楼となっており歴史を感じますが、

大正天皇の即位記念の建立だそうで見た目ほど古くはありませんでした。

 山門をくぐると正面に茅葺の本堂、右手に庫裏があり、そこで庵主様から御朱印拝受。

伺った所、本堂にはお不動様はお祀りして居らず、御本尊は山道を登った不動堂にあるとの話。

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山門近影
木像で古い印象だが大正天皇の即位を記念して建立された。

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山門の「大正門」の扁額

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境内から見た山門
二階は鐘楼になっている。

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山門より見た境内
紅葉には少し早い。

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庫裏
御朱印はこちらで拝受。お茶、甘味、精進料理(要予約)のサービスもある。

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山門正面にある茅葺本堂
観音菩薩、愛染明王を祀るが御本尊はここではない。

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本堂近影

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本堂前面の龍の彫刻

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本堂前から見た境内

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本堂と庚申堂の間を抜け観音堂を通って不動堂へ

 そこで獣除けの網を潜って参道を5分上ると、護摩堂に到着。

そこに向かい合うようにあるのが落差20mの独鈷の滝。

護摩堂の向かいにあるのが不動尊で、岩窟の奥に石像が祀られていました。

 嵯峨天皇の霊夢云々は伝説でしょうが、独鈷の滝とその向かいの岩窟と言う地形は

古代人が畏敬の念を持つのに十分だったでしょう。

 現在の岩瀧寺は、山門、茅葺の本堂が見所となっていますが、本来の場所は独鈷の滝と不動尊。

ここまで来て初めてお参りが完了したことになります。

 郵便局で訊いたように未だ台風の爪痕は残っており、境内の紅葉も大分減っていますが、

独鈷の滝と御本尊がいらっしゃる限り、お寺は【不動】でしょう。

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不動尊への階段と独鈷の滝

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独鈷の滝
落差20mで雄滝と呼ばれる。

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石段の先にある護摩堂

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不動尊のすぐ前にある護摩堂
老朽化のため現在は使用されず。

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岩窟にある不動明王拝殿

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役行者石像

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本尊不動明王拝殿
本尊の不動尊はこの奥にあり、浅山不動尊と呼ばれる。

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洞窟の奥にある本尊不動明王
弘法大師が彫ったとされる石像。

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夫婦杉
樹齢500年の二本が根元で一緒になっている。庚申堂の横にある。

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川沿いから見た庫裏

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岩瀧寺説明書

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岩瀧寺御朱印

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氷上沼郵便局 ; 五台山、独鈷の滝、ツツジ

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本興寺の特別拝観(兵庫県尼崎市)

2019.11.09(20:28) 475

宝物虫干しと刀ガール(2019.11.3)

<コース>
阪神電鉄梅田 → 阪神尼崎 → 徒歩5分 → 本興寺

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本興寺(法華宗本門流 大本山)

 文化の日に尼崎にある法華宗本山・本興寺の宝物拝観に行ってきました。

蔵に保管しているものを年1回に虫干しするという正倉院のような行事ですが、なんと無料。

9~16時という事ですが、8時にはもう100人位が行列。口コミとは凄いです。

 御朱印人気は相変わらずで、境内のテントの下で、僧侶15人が総出で書いて居られました。

近くで見ると皆さん達筆、これも修行の一貫でしょう。

三光堂、方丈庭園、開山堂の開祖日隆上人木像など普段は目に出来ないものを拝観。

唯、開山堂の天井の龍画を見逃したのが残念でした。本木様、朝早くからお疲れさまでした。

 行列には女性が多かったですが、なにやら刀の事を【真剣】に話している人が多い様子。

歴女・鉄女・仏女は聞きますが、とうとう【刀がーるも】出現したようです。

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朝8時前の北門付近
特別拝観は南門なので迂回。

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朝8時の宝物殿前
宝物殿待ちは100名足らず。向こうのテント前の行列は拝観記念品販売。

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宝物殿入口
宝物殿は平成3年建立。瓦の鳥は雁がねで本興寺の紋。宝物は11月3日のみの公開で普段は倉庫に収納されている。

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本堂前のテント下での御朱印拝受の様子
僧侶は計15名。

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三光堂入口唐門

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唐破風近影

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重文・三光堂
年に1度の御開帳だが、拝観できたのは法要を終了するまでの少しの時間であった。

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三光堂説明板

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重文・方丈
元和3年(1617年)にこの地に建立。書院造の様式は客殿と称される。普段は閉鎖しているが、この日は内部拝観可。

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方丈の小堀遠州庭園
本堂瓦屋根の流れを滝に見立てたとされる。

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枯山水の庭園
方丈の中ではここのみ写真撮影可能。

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石の手水鉢と庭園

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昼食は駅前商店街の小籠包ランチ

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清荒神(兵庫県宝塚市) 庶民の信仰、かまどの神様の御朱印

2019.08.23(20:54) 383

きよしこの夏とカゲキマンホール(2019.8.17)

<コース>
阪急梅田 → 清荒神 → 徒歩15分 → 清澄寺

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蓬莱山 清澄寺(真言三宝宗 大本山)

 お盆の帰省を直撃した台風も過ぎ、大文字の送り火も無事終了。翌日の17日は、近場へと巡礼に繰り出しました。

阪急宝塚線に乗って終点の1駅手前で下車。そして参道を15分。両脇には門前町らしく店が並びますが、

参拝客も少ないせいか閉店している所が多い。正月は物凄い人出ですが、お盆は意外と少ないようです。

猛暑の中を歩き中国道を過ぎたあたりから山が迫り幾分涼しくなった模様。そこから5分で門前に到着。

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阪急清荒神駅から徒歩5分にある一の鳥居

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一の鳥居前には有馬街道が通る

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閑散とした商店街を行く
目的地まで950m。

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中国自動車道を越えると大きな石灯籠がお出迎え
ここまで来ると気温も幾分下がる。

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禊祓橋(みそぎばし)を通って急ぎ足に

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山門に到着
向こうには大銀杏が見える。

 蓬莱山清澄寺(ほうらいさんせいちょうじ)は、寺伝に拠れば

『寛平8年(896年)に宇多天皇の勅願で創建。

叡山の高僧静観僧正を開基、東寺の長者益信僧都を導師とした。

益信は荒神尊を祀ったところ、社前の榊に御影が現出。

宇多天皇はこれに感銘を受け、「日本第一清荒神」の称号を下賜された。』

とあります。
 
 天台・真言の有力者を引っ張って来て、しかも霊験により天皇から称号を受ける等、政治的な経緯が見えます。

事実、善隣友好・平和社会・万民豊楽を祈願して作られた所があり、当時の世相を反映しているのでしょう。

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山門近影

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清澄寺略沿革

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山門を過ぎ境内を見る
正面が本堂、左手が荒神さんを祀る天堂へ続く。

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講堂と2本の大銀杏
銀杏は樹齢400年。

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正面から見た講堂

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銀杏を背に石段を上り天堂へ

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天堂(拝殿)
荒神さまを祀る本社の拝殿と浴油堂が続きになったもの。何人たりとも入座は許されない。

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天堂の奥にある神殿造りの護法堂(本社)

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護法堂の奥にある「荒神影向の榊」

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天堂前の鐘楼付近から本堂を望む

当初は山の尾根に清澄寺が、西の谷に荒神社が置かれました。神仏習合の寺だったようです。

そんな寺も源平合戦、戦国期の荒木村重の合戦で炎上となりますが、荒神社のみは兵火を免れました。

場所的に火災を逃れただけのような気もしますが、その霊験のためか今では清荒神という呼び名で通っています。

 但し、ここはあくまで寺院で境内に社がある扱いで、宮司はいないとの事でした。

いまは「火の神」「台所・かまどの神」荒神さんとして庶民の信仰を集めています。

もっとも台所が火の車になってはいけませんが…。

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天堂から宝稲荷への階段を過ぎて本堂へ

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安政年間に棟上げされた本堂

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本堂正面
正面に大日如来、向かって左に不動明王、右に弘法大師を祀る。

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寺務所から本堂へ続く廻廊

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本堂前の石段下の一願地蔵尊
水を掛けながら心に一つだけ御願いすれば叶うとか。

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寺務所
但し、御朱印は本堂受付所で拝受。

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池苑
本堂前の池泉回遊式庭園で江戸時代の作庭。

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池苑
池泉を中心に「蓬莱山」を形象した石組を配した観賞式庭園となっている。

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池苑前から本堂を望む

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境内の百日紅

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清荒神 説明書

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四半世紀前に拝受した御本尊の御朱印

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今回拝受した荒神さまの御朱印

 参拝の後は電車で終点の宝塚へ。言わずと知れた歌劇の街。

駅前にはスミレの花のマンホールがあり、これは宝塚歌劇の歌に拠るのでしょう。

落ち着いたデザインで【カゲキ】なものではないようです。

尤も、舞台の様子をデザインにしたら、ヅカファンからはクレームが殺到する気もしますが。

私にはやや?場違いだったので写真だけ撮って早々と退散となりました。

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阪急宝塚駅前モニュメント

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宝塚市マンホール蓋
銀行前にあり劣化が進んでいるので交換の予定とか。

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宝塚市マンホールカード    配布場所は宝塚市上下水道局下水道課

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因幡街道 平福宿(兵庫県佐用町) 川面に写る後ろ姿が美しい町並み

2019.08.18(23:16) 378

ちずを頼りに播磨路へ(2017.8.12)

<コース> 智頭急行は2017年度のもの
JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR上郡(8:36→8:40) → (智頭急行) → 平福(9:06→9:54) → 宮本武蔵(10:05) → 徒歩30分 → 大原宿 → 大原(11:36) → 恋山形(12:01→12:21) → あわくら温泉(12:33→13:13) → 上郡(14:12→14:34) → JR相生(14:46→14:48) → 姫路(15:08→15:11) → JR大阪(16:13)

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因幡街道宿場町平福
天神橋から見た佐用川沿いの土蔵風景。通常、街並みは玄関(表)がメインだが、ここは裏側がメインというのも面白い。

 お盆の帰省の3日目は昨年に続き因幡街道へ。

智頭急行恒例の夏のスタンプラリー。JRに接続する上郡・佐用・智頭の3駅以外は大原しか有人駅はなし。

それでも今年は新たに4駅(無人駅)に駅スタンプが設置されました。どうせなら一気に設置してくれた方が助かりますが…。

 平福で下車して街を散策。

町の東の標高373mの利神山(りかんやま)に赤松一族の別所敦範が城を築いたのが正平4年(1349年)。

平福はこの山城の城下町として発展します。

 その後、幾度かの変遷を経て慶長5年(1600年)には姫路城主池田輝政の甥の由之が城主になり改築。

雲突城と呼ばれる三層の天守閣を築きました。

 しかし、江戸時代の一国一城令で寛永8年(1631年)に廃城、以後は宿場町としての道を歩みます。

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上郡駅8:40 鳥取行でスタート

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平福駅駅舎
宿場をイメージ、駅舎百選にも選ばれているが無人。

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駅名表示板も木製の味わいのある物

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駅にある顔ハメ
宮本武蔵13歳の時の初決闘の場が近くにある。ツウには受けるか?

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利神(りかん)城への道は険しい
右は智頭急行の隧道。

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利神城跡
池田由之(輝政甥)が373mの利神山に築いたが、わずか30年で廃城。「雲突城」と呼ばれる天空の城跡。

 慶長から元和(1596~1623年)にかけて街並みが形成され、南北1.2㎞と因幡街道随一の宿場町として発展。

300戸余りの家の約8割に屋号が付いた商人の町となり昭和初期まで作用郡の中心として栄えました。

鉄道が作用を通った事で寂れますが、それが智頭急行の開通で再度脚光を浴びるように。

鉄道が通らなかった事で街並みが残ったとも言えそうです。

駅から真っすぐに進み作用川を渡ると旧街道に沿った連子窓・千本格子平入の家々を見ることができます。

 加えてここの特徴は道に面した通りだけではなく、作用川に面した部分。

川に沿った石垣上には白壁の川屋敷・川座敷・土蔵群が並び、その間を人が行き来するという生活スタイルが今も健在。

小京都・小江戸と呼ばれる場所は数々ありますが、後ろ姿の方が有名なのはここくらい。

行って見れば見返り美人のようなものですが、後ろにも気を使うという美意識が素晴らしいと思います。

見学できる施設は非常に少ないですが、今も現役の家屋を見られるのは【脚光】な事ではあります。

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京橋付近から見た土蔵群

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天神橋の直ぐ下流にある瓜生原(うりゅうばら)家
享保年間に津山から移住、代々「吹屋」の屋号で鋳物業を昭和初期まで営む。現在は 「お休み処 瓜生原」 として手打蕎麦を中心とした食事処となっている。

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吹屋小路を挟んで瓜生原家の下手にある家
石垣の一部に川に出る川門がある。

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更に下手の土蔵群

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下手土蔵群遠景

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作用川の下流から見た土蔵群
右端に架かるのが天神橋。

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京橋を渡り宿場のある街道筋へ

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本陣跡
加古郡神吉城落城の折、8歳の神吉宗臣が当地に逃れた事に始まる。関ヶ原合戦後は大年寄りとして700坪の本陣を預かる。

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平福宿にある旅館
旅籠と言った方がいいかも。

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街道沿いにあるお休み処「瓜生原」
平福宿で唯一の登録文化財。こんな店で御蕎麦を食べたら風情がある。

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瓜生原の作用川に面した部分
石垣の通る場所が川門、その左が川座敷、更に左が吹屋小路。

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高台にある陣屋門・代官所跡
廃城後の平福は松平五千石の旗本領、代官支配となった。

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平福代官所跡陣屋門
元治元年(1864年)に代官・佐々木平八郎が建築。現在も個人の持ち物(お代官の末裔ではない)で、8月13~15日にライトアップするらしい。

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作用郵便局 ; 天文台、朝霧の大撫山
平福郵便局 ; 作用川付近の街並み

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法雲寺(兵庫県赤穂郡上郡町) 赤松円心御手植えのビャクシンのある寺

2019.07.29(22:06) 361

赤松の円心力(2019.7.25)

<コース>
JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR上郡(8:36→8:50) → (智頭急行) → 山郷(9:54→10:06) → 石井(10:37→11:53) → 河野原円心(12:17) → 宝林寺 → 河野原円心(13:22) → 苔縄(13:25) → 法雲寺 → 苔縄(14:36) → 上郡(14:41→15:04) → JR姫路(15:39→15:41) → JR大阪(16:43)

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金華山 法雲寺(臨済宗相国寺派)

 河野原円心から一駅の苔縄にあるのが法雲寺。駅から徒歩5分ですが、駅に着くと山麓に大木の見えるのが目指す寺。

 金華山法雲寺(きんかざんほううんじ)は、赤松円心が雪村友梅を開山として苔縄城の麓に建武4年(1337年)に建立した赤松氏の菩提寺。

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智頭急行「苔縄」駅ホームにて
中央奥に見えるのが法雲寺。

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法雲寺入口

 苔縄城は円心が元弘3年(1333年)に護良親王の令旨を奉じて挙兵した城、難攻不落の白旗城と並び赤松の軍事拠点でした。法雲寺も城の守の意味合いもあったのでしょうか?

 境内には、円心御手植えと伝わるビャクシン(柏槙)があり樹齢700年。日本最大級で天然記念物となっています。

 その他は円心の木像を祀った堂がありましたが拝観できず。御朱印もされていないとの事でした。観光には消極的な感じですが、禅宗の修行の場ならば致し方ありません。

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石段下より禅堂を望む

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法雲寺境内

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禅堂前より町を見下ろす
中央奥に走るのが智頭急行の高架線路。

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平成19年に落慶した禅堂
座禅堂並びに開山堂で、開山の雪村友梅像を安置しているが、拝観できず。

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円心御手植えと言われるビャクシン
樹齢700年、高さ33.5m、最大周囲9.8m。

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ビャクシンの表面

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ビャクシンの奥にある「円心堂」

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円心堂近影
円心の木像を祀るが、ここも拝観していなかったので外観のみ撮影。

 司馬遼太郎の『街道を往く』では「赤松氏は播磨の土の臭いのする土豪である」とありますが、御住職から聞いた話では村上源氏で朝廷からはそれなりの高位を貰っていたそうです。唯、系譜には隔たりがあるので不確かな面も多いですが…。

 乱世とはいえ、無からのし上がるのは困難ですから、ある程度基盤があったのでしょう。

 赤松氏の家紋「右三つ巴」は川の流れを表しているそうで、そうなれば赤松氏は千種川の水運を利用して勢力を伸ばした可能性が考えられます。

 楠木氏・名和氏ともに鎌倉幕府からは正統とは見做されない勢力。ようやく広がりつつあった貨幣経済も追い風になったのではないでしょうか。

 室町期には将軍暗殺者を出し、近世大名としては江戸時代には残りませんでしたが、地元では「円心さん」と親しみを込めて呼ばれています。町のゆるキャラも「円心くん」。

 残された木像を見る限り「円心くん」という雰囲気ではないですが、地元にとっては大恩人。やはり何かしら人を惹き付ける【円心力】もとい求心力を持っていた事は確かです。

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法雲寺入口脇にある筆塚

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筆塚説明

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千種川左岸にある白旗城跡
難攻不落の赤松の山城で新田義貞を釘付けにした。

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赤松の興隆を支えた千種川の流れ

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上郡町マンホール

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上郡町マンホールカード    配布場所はこちら
左はゆるキャラ「円心くん」、右は「エイトちゃん」

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「苔縄」駅スタンプ
法雲寺禅堂とビャクシン。

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上郡郵便局 ; 赤松円心坐像、法雲寺のビャクシン

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  1. 柏原文学散歩(兵庫県丹波市) 田ステ女の足跡(08/27)
  2. 柏原八幡宮(兵庫県丹波市) 丹波の厄除神社(08/26)
  3. 織田家の城下町(兵庫県丹波市)(08/25)
  4. 頼光寺(兵庫県川西市) 摂津源氏創建の紫陽花寺(06/28)
  5. 大石神社(兵庫県赤穂市) 大願成就の神を祀る(03/15)
  6. 昆陽寺(兵庫県伊丹市) 行基の開いたお寺と池(03/05)
  7. 中山観音(兵庫県宝塚市) 安産祈願のお寺と梅林(03/04)
  8. 売布神社(兵庫県宝塚市) (03/02)
  9. 生田神社(神戸市中央区) 繁華街に鎮座する生田さん(01/10)
  10. 湊川神社(神戸市中央区) 市民に親しまれる楠公さん(01/10)
  11. 長田神社(神戸市長田区) 神戸三社の一つ、長田さん(01/08)
  12. 兵庫大仏(神戸市兵庫区) 平清盛所縁の大仏のある能福寺(01/07)
  13. 満願寺(兵庫県川西市) 源氏累代が帰依した寺院(01/02)
  14. 慧日寺(兵庫県丹波市) 茅葺屋根と紅葉の庭園が美しい禅宗寺院(12/01)
  15. 常勝寺(兵庫県丹波市) 追儺式で有名な山南屈指の紅葉の古刹(11/30)
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  21. 浅山不動尊(兵庫県丹波市) 独鈷の滝と岩屋の不動尊の御朱印(11/14)
  22. 本興寺の特別拝観(兵庫県尼崎市)(11/09)
  23. 清荒神(兵庫県宝塚市) 庶民の信仰、かまどの神様の御朱印(08/23)
  24. 因幡街道 平福宿(兵庫県佐用町) 川面に写る後ろ姿が美しい町並み(08/18)
  25. 法雲寺(兵庫県赤穂郡上郡町) 赤松円心御手植えのビャクシンのある寺(07/29)
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