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日前神宮・國懸神宮(和歌山県和歌山市) 創建2600年余の神社

2020.08.10(13:16) 675

二社が鎮座する一之宮(2020.7.2)

<コース> 貴志川線は日中30分間隔で運転
JR大阪 → (関空・紀州路快速) → JR和歌山 → (貴志川線) → 伊太祁曽 → 徒歩5分 → 伊太祁曽神社 → 伊太祁曽 → (貴志川線) → 貴志 → レンタサイクル → 貴志 → (貴志川線) → 竈山 → 徒歩15分 → 竈山神社 → 竈山 → (貴志川線) → 日前宮 → 徒歩3分 → 日前神宮・國懸神宮 → 日前宮 → (貴志川線) → 和歌山 → (関空・紀州路快速) → JR大阪

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日前神宮・國懸神宮(紀伊國一之宮 旧官幣大社)

 竈山駅から電車に乗って三社巡りの最終は日前宮(にちぜんぐう)駅で下車。

神社は駅から石を投げると届く程の距離で、神話時代まで遡る創建2600年を数える日本有数の古社。

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)の二社からなります。

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貴志川線日前宮駅ホーム

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濠に架かる太鼓橋を渡り境内へ

社伝に拠れば

『神武天皇の2年、紀国造家であった紀氏の祖神である天道根命が、

八咫鏡に先立って鋳造された日像鏡(ひがたのかがみ)・日矛鏡(ひぼこのかがみ)を賜り、

前者を御神体として日前神宮を、後者を御神体として國懸神宮を創建。

 一つの境内に二社が鎮座しており、両社を総称して日前宮或いは名草宮と呼ぶ習わしである。

御神体の鏡は伊勢神宮内宮の八咫鏡と同等とされ、日前神宮・國懸神宮は準皇祖神の扱いであった。

当初は名草郡に祀られ、垂仁天皇16年に現在地へと遷座されたとされる。

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石鳥居前の常夜灯

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石鳥居から境内を見る

 天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来寺攻めで社殿が破壊、社領も没収された。

江戸時代になって紀州徳川家初代頼宣によって社殿は再興されたが、敷地は大幅に縮小している。

大正8年(1919年)国費に拠り改修が始まり大正15年(1926年)に完成。現在の形になった。』 とあります。

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由緒記

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神楽殿?

 日没の方角で日前というのも不思議ですが、この付近の呼び名は向陽。

日前と同じ意味でしょう。社の西にあるのも向陽高校と言う名前。

ある程度の年齢の人には戦前の海草中学という校名の方がしっくり来るでしょう。

夏の中等野球大会で戦前連覇をした名門ですが、一之宮に肖って改名したのでしょうか? 

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参道の紫陽花

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日前神宮

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國懸神宮

 大和から見て伊勢は日の出の方向、紀伊は日の沈む方向に当たります。

八咫鏡は天照大神の御神体なので、この神社も同等の格式があったと思われます。

天照大神は日神と呼ばれる事もあるので、この神社の日前社という名も

その重要性を表していると考えられます。

 こうしてこの日の目標の三社参りは無事終了。最後は二社だったので実質は四社巡り。

いずれも【かかす】ことの出来ない神社でした。

それにしても紀州は一之宮が三ヵ所、うち一社は二社併祀と誠に【紀伊】な場所でした。

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日前宮御鎮座略記

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日前宮御朱印

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竈山神社(和歌山県和歌山市) 神武天皇の長兄の墳墓にある古社

2020.08.07(22:44) 674

神武天皇長兄の墳墓を朝敬訪問(2020.7.2)

<コース> 貴志川線は日中30分間隔で運転
JR大阪 → (関空・紀州路快速) → JR和歌山 → (貴志川線) → 伊太祁曽 → 徒歩5分 → 伊太祁曽神社 → 伊太祁曽 → (貴志川線) → 貴志 → レンタサイクル → 貴志 → (貴志川線) → 竈山 → 徒歩15分 → 竈山神社

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竈山神社(旧官幣大社 式内社)

 貴志川線は三社参りで知られるように沿線に大社が多いですが、

いずれも駅から近い上に駅名もでもそれと分かります。

この日二社目は、竈山駅で下車。三社のうち唯一駅から1㎞以上ありますが、

道は真っすぐなので迷う事はありません。道路を過ぎて大きな堀に囲まれた森が目指す神社。

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竈山駅に建つ神社への道標

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丈夫(ますらお)橋の向こうに見える一の鳥居
橋は駅から5分程度だが、ここから10程歩く。

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竈山の御陵
神社手前にある彦五瀬命の墳墓。勿論宮内庁管轄。

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御陵の説明

竈山神社(かまやまじんじゃ)は由緒に拠れば

『御祭神は第一代神武天皇の兄君の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)。

命は大和平定の途中、長髄彦との戦いで負傷、雄水門で亡くなられて竈山に葬られた。

命の墓は神社後方にある古墳とされており、墓の造営後直ちに社を奉斎したので

墓と祠が一緒にあると言われる。

延喜式にも名の載る式内社であり、中世以降は鵜飼家が神職を世襲した。

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木々に囲まれた二の鳥居

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二の鳥居前の石の狛犬

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本殿へと続く参道

 しかし天正13年(1585年)の豊臣秀吉の根来寺征伐に拠って社地社領を没収され、

社殿・宝物・古文書一切を焼失。慶長5年(1600年)紀州に入部した浅野幸長により小祠再建、

寛文9年(1669年)初代紀州藩主・徳川頼宣に拠って社殿が再建され、歴代の尊崇を受けた。

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参道脇の神池

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参道脇にある拝所

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参道正面にある神門
茅の輪が設置されている。

 明治18年(1885年)に官幣中社、大正4年(1915年)に官幣大社に昇格。

昭和13年(1938年)には国費及び崇敬者の献費に拠って社殿及び境内を整備し今に至る。』

とあります。

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拝殿

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拝殿前面の造り

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拝殿から神門を見る

 皇室の縁者なので墳墓は宮内庁の管轄。

神武天皇の長兄という事は、もし亡くならなければ天皇になったかもしれない方ですが、

初代天皇には末弟であった神武がなります。

当時に長子相続性があったかどうかは疑問で実力主義の可能性も大です。

北アジア遊牧民では末子相続があるので、騎馬民族説に従えばその影響も考えられますが…。 

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境内社の奥に見える本殿

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神門前の幣殿

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竈山神社由緒

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竈山神社御朱印

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伊太祁曽神社(和歌山県和歌山市)

2020.08.06(22:06) 673

紀の国に鎮座する木の神社(2020.7.2)

<コース> 貴志川線は日中30分間隔で運転
JR大阪 → (関空・紀州路快速) → JR和歌山 → (貴志川線) → 伊太祁曽 → 徒歩5分 → 伊太祁曽神社

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伊太祁曽神社(紀伊國一之宮 旧官幣中社)

 和歌山から乗った電車は9駅目の伊太祁曽止まり。

貴志行きが来るまでに時間があったので、先ずはここに鎮座する紀伊國一之宮にお参り。

 駅名も神社と同じ伊太祁曽ですが駅は「いだきそ」、神社は「いたきそ」と清濁の違いがあります。

単純に考えて神社の名前が古く、地名に用いる際に畏れ多いので読みを変えたという事でしょう。

余談ですが和歌山電鉄本社も伊太祁曽駅舎に入っており、畏敬の念を【いだきそ】うな雰囲気です。

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伊太祁曽駅舎
ここは有人駅。

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駅から南に5分、朱い橋の向こうに一の鳥居が

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一の鳥居近影

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大鳥居の由緒

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参道の紫陽花

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御由緒

 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は、由来に拠れば

『最古の歴史書『日本書紀』に、高天原より新羅に降り立った素戔嗚尊と

その子の五十猛命(いたけるのみこと)は、そこから日本に移動し、

持ってきた木種を五十猛命に蒔くように命じた。

五十猛命は妹神である大屋津(おおやつ)姫命・都麻津(つまつ)姫命と共に

日本国中に種を蒔き、最後にこの場所に鎮座された。

それが木の国で伊太祁曽神社は木の神を祀る神社として広く知られるようになった。

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朱い太鼓橋の向こうに割拝殿が見える

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拝殿へと続く二の鳥居

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池に架かる太鼓橋

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手水舎

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太鼓橋、二の鳥居を振り返る

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割拝殿

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五十猛命を祀る本殿

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本殿の屋根

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妹神の都麻津(つまつ)姫命を祀る社

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同じく妹神の大屋津(おおやつ)姫命を祀る社

 具体的な年号の初見は『続日本紀』の702年。神代の事は不詳であるが、

現在の地に鎮座する以前には日前神宮・國懸神宮の社地に祀られていた。

垂仁天皇16年に日前神宮・國懸神宮が現在の地に鎮座される事になり、

今の場所から500m程南東にある亥の森に遷座。和銅6年(713年)に今の場所へ移った。

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本殿前にある本居大平の歌碑
大平は宣長門弟で後に養子となった国学者。

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こちらは本居宣長の歌碑

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御神木「梛(なぎ)の木」

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梛の木の説明

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本殿脇の遥拝所
橿原神宮を拝む。

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遥拝所前から割拝殿(左)と本殿(右)を見る

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一番奥にある参集殿?

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境内の紫陽花

 延喜式では紀伊國一之宮とされ、中世には根来寺とも深い繋がりを持った。

明治18年(1885年)には国幣中社に、大正7年(1918年)には官幣中社に列せられた。

昭和9年の台風で社殿が著しく損傷したが御下賜金で復旧。昭和12年に竣工した。』 とあります。

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本殿脇の氣生神社
毎年12月12日に例祭が行われる。

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蛭子神社前の龍神の木彫り

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霊石 お猿石
猿の頭の形をしており、首より上の病に霊験があるとか。

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木の俣くぐり
割拝殿にあり、大屋毘古神が木の俣を利用して大国主命を助けた神話に因む。

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チェンソー・カービングによる十二支

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二階建ての社務所

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社務所前にある御神木の杉の木
残念ながら昭和37年の落雷で枯死したが、上部は木の俣くぐりとして生まれ変わった。

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境内至る所に樹木が…。

 紀伊半島は花崗岩質の地盤の上に薄い土砂が覆われ、気候と多雨の影響で樹木が繁茂した場所。

日本三大美林の吉野杉は最も有名ですが、紀の国は元々木の国であった事が分かります。

境内の奥には山中より湧く水が「いのちの水」として祀られていました。

 面白いのは4月第一日曜に行われる「木祭り」。熊野の火祭りは知っていましたが、

木祭りは初耳。日頃の木々の恩恵に感謝する祭ですが、面白いのはチェンソーを使った芸術作品。

チェンソーアートと呼ばれるそうですが、境内には干支を始め、作品が奉納されていました。

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奥にある御井の社へ向かう

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社への参道、と言うより山道

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御井社 「いのちの水」
山中の井戸より湧く水は病人が飲むと活力を得ると伝えられる。

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御井社近影

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伊太祁曽神社説明書

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伊太祁曽神社御朱印

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山東郵便局 ; 自然観察の森のネイチャーセンター、タケノコ

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和歌山電鐵貴志川線

2020.08.04(20:32) 672

ローカル線で詣でる三社の旅(2020.7.2)

<コース> 貴志川線は日中30分間隔で運転
JR大阪 → (関空・紀州路快速) → JR和歌山 → (貴志川線)

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和歌山駅ホームに停車中の「うめ星電車」

 関西二府四県の内、私鉄のイメージが最も希薄なのが和歌山県。

かつての国鉄も敷設されたのは海岸沿いと紀ノ川沿いと限られた場所。

山が多く鉄道を通すには困難が伴ったためでしょう。五条と新宮を結ぶ

五新線が開通していればまた違った発展があったでしょうから残念です。

 私鉄では和歌山駅には大阪から南海電車が乗入れていますが和歌山駅以南はなし。

もう一つの和歌山駅から東に向かう和歌山電鐵貴志川線も14.3㎞で終点と

いずれも和歌山を起点とした近距離のみです。

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うめ星電車の内部
たま駅長グッズが…。

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うめ星電車の内部
さながら観光物産のショーケース。

 貴志川線は和歌山電鐵ですが、これは南海電鉄が所有し廃線予定だったものを

2006年に両備グループが引取り和歌山電鐵の名で継承した路線。

沿線は宅地化が進んでいますが、それよりも昔から沿線に鎮座する

三社へ参詣する「三社参り」という風習が今も残っています。

紀の国の一の宮は三社ありますが、その内の二社がここ貴志川沿線。

三社巡りのための1日乗車券も発売されて居り、巡礼路線と言ってもよさそうです。

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一日乗車券 ¥820

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駅で入手した 『三社参り便利帳』

 この経緯からも経営難なのは予想できますが、御多分に漏れず経営難。

それでも意外な所から救世主が出現。貴志駅で飼われていた猫が

新聞紙上やマスコミで取上げられてブームに火が付きました。

これがタマ駅長で、猫に駅長が務まるか否かはさておき、

NETでの猫画像も追い風になったと思います。

貴志駅舎も猫の顔のデザインとなっていました。

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貴志川線終着駅 「貴志駅」
たまミュージアム貴志駅。猫の顔をモチーフにした檜皮葺で名誉駅長たまの他、たまカフェもある。

 初代タマ駅長は天寿を全うしましたが、二代目のニタマ駅長、四代目のヨンタマ駅長に

引継がれています。この日、貴志駅で会ったのはヨンタマ駅長。駅で飼っている訳ではなく、

一般家庭で飼われている猫を時間決めで駅に連れてきているとの話。

すべて三毛猫だそうですが、それならば「タマ」ではなく

「ミケ」にしなかったのか疑問に残ります。たまたまでしょうか?

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貴志駅で出会った「ヨンタマ駅長」

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伊太祁曽駅前の顔ハメ

 もう一つは南海電鉄から譲渡された車両の模様替え。

2006年以降、いちご電車、おもちゃ電車、たま電車、うめ星電車を導入。

通勤・通学にも使われており、社内には周辺の見所や特産物が展示されています。

まさに観光列車の感がありますが料金は通常と変わらず。

「日本一豊かなローカル線」が貴志川線のキャッチフレーズだそうですが、

如何にお金を掛けずに行うかという点は大いに見習うべきでしょう。

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ホームに停車中の「たま電車」

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伊太祁曽駅で見た「いちご電車」

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文化財となった伊太祁曽駅舎

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プラットホーム及び上屋の説明

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貴志川線の説明

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貴志川郵便局 ; 貴志川、屋形船、川辺の蛍
桃山郵便局 ; 紀ノ川、荒川の桃、竜門山、最初ヶ峰

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長保寺(和歌山県海南市) 紀州徳川家の菩提寺

2020.08.01(15:08) 670

きの国にある花の寺(2020.6.29)

<コース> 紀州路快速は15分間隔、紀勢本線は30分間隔で運転
JR大阪(7:05) → (紀州路快速) → JR和歌山(8:27→8:41) → (紀勢本線) → JR海南(8:55) → 海南市物産観光センター → レンタサイクル40分 → 善福院 → レンタサイクル20分 → 長保寺 → レンタサイクル45分 → JR海南(14:21) → (紀勢本線) → JR和歌山(14:35→14:39) → (紀州路快速) → JR大阪(15:58)

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慶徳山 長保寺(天台宗)

 国宝の釈迦堂を拝観した後は、もう一つの国宝のある紀州徳川家菩提寺・長保寺へ。

紀州の観光名所は駅から距離がある所が多いので、レンタサイクルは【重宝】されます。

最寄りはJR下津駅から東へ2㎞程ですが、自転車ならば善福院から20分程度。

山裾に壮大な伽藍が見えるのが目指す場所。

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大門前の駐車場から

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国宝・大門
室町時代の嘉慶2年(1388年)の再建。

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大門の説明

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大門金剛力士 阿像

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同じく吽像
鎌倉時代の弘安9年(1286年)、湛慶の作と伝わる。

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大門の欄間と垂木

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境内から見た大門

慶徳山長保寺(けいとくざんちょうほうじ)は、

『平安時代の長保2年(1000年)、一条天皇の勅願により慈覚大師円仁の弟子・性空が創建。

年号を取って寺号とした。

寛仁元年(1017年)には七堂伽藍と子院十二坊があったと記録に残る。

 創建時は現在よりも西にあったが、鎌倉時代末に現地へ移転。

今に残る国宝・大門、本堂、多宝塔は南北朝時代までに建築された中世を代表する建築物である。

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受付から本堂へ続く石段
左の受付はコロナのため閉鎖中。

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石段脇の紫陽花

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国宝の本堂と多宝塔

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国宝・本堂
鎌倉時代の1311年の建立。

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本堂前面の庇

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本堂の「世雄殿」の扁額

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紫陽花越しに見る本堂側面

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本堂裏の高台から

 戦国以降は衰頽するが、寛文6年(1666年)に当寺を訪れた紀州徳川家初代

頼宣によって菩提寺に定められ、背後の山の斜面に約1万坪の藩主廟が造営された。

ここには将軍となった5代吉宗、13代慶福(後の家茂)を除く歴代藩主が葬られている。』 とあります。

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境内の紫陽花

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本堂西側の建物

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鐘楼

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阿弥陀堂

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護摩堂

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国宝・多宝塔
室町時代の1357年の建築。

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紫陽花越しに見る多宝塔

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多宝塔の壁面の装飾

 先に訪れた善福院に比べて広大な境内。

「周囲が山に囲まれ要害堅固の地である。」という頼宣の言葉が残っていますが、

これは万が一の際にはここを陣屋として使う意図があったようです。

幕府成立から半世紀を経たとはいえ、未だ戦国の気風が残っていたのでしょう。

幸いにも戦禍に遭遇することもなく、今まで残ったのは幸運でした。

そう見ると山号「慶徳山」は、最後の将軍・徳川慶喜から二字を取った

とも見えますが、彼は水戸家の出身でしたね!

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多宝塔横を通り歴代藩主の御廟へ

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途中から多宝塔を見返る

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御廟の手前にある重文・鎮守堂
鎌倉時代の1295年の建築。

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鬱蒼とした木々に囲まれた御廟所

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二代・光貞卿の墓所

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頼宣卿の墓所

 今はそんな思いはどこへやら、花の寺として癒しの空間となっています。

有名なのは春の桜。江戸に桜を植えるように指示したのが吉宗というのも所縁を感じます。

今は桜の時期ではありませんが、参道や堂宇周辺には紫陽花が花盛り。

歴代藩主に【重宝】された故でしょうか?

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廟門

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納経所
この日は休み。

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客殿横を通り受付へ戻る

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長保寺説明書

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長保寺御朱印

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下津郵便局 ; 国宝・長保寺多宝塔

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善福院(和歌山県海南市) 初期の禅宗様式の釈迦堂

2020.07.30(22:21) 669

広福から善福へ(2020.6.29)

<コース> 紀州路快速は15分間隔、紀勢本線は30分間隔で運転
JR大阪(7:05) → (紀州路快速) → JR和歌山(8:27→8:41) → (紀勢本線) → JR海南(8:55) → 海南市物産観光センター → レンタサイクル40分 → 善福院

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宝遊山 広福寺 善福院 釈迦堂(天台宗)

 梅雨の合間に梅の里の紀州へ。世界遺産となった熊野古道・高野山が有名ですが、

何故か和歌山市のすぐ南の海南市下津地区には国宝が二ヵ寺。

 最寄駅はJRの加茂郷と下津ですが、どちらも駅から数キロある上に電車は30分毎。

それならばとJR海南駅構内の観光センターでレンタサイクル。

和歌山は起伏のある場所が多いですが、それも考慮して電動式。

二駅分の移動でトンネルも何ヵ所かありましたが、途中休憩することなく到着。

加茂郷駅手前を川に沿って東へ行き少し上った所が目指す寺院。

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道路沿いの案内板

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入口に到着

 宝遊山広福寺善福院釈迦堂(ほうゆうざんこうふくじぜんぷくいんしゃかどう)は、縁起に拠ると

『1214年、日本に臨済宗を伝えた栄西禅師により創建された広福禅寺が嚆矢。

室町時代後期にはこの地の豪族であった加茂氏の菩提寺に指定され、

七堂伽藍を有する大寺院として繁栄するが、豊臣秀吉の征伐に拠って加茂氏は没落。

広福禅寺も次第に廃れたので、高野山に頼って真言宗に改宗し寺の再興を計った。

 更に江戸時代、紀州に徳川家が入り、紀州徳川家の菩提寺候補になった際に、

紀州徳川家の命により真言宗から天台宗に改宗した。

 明治の廃仏希釈により衰頽し、子院であった善福院が広福禅寺の本尊及び釈迦堂等、

山内全てを管理する事となり、それ以降、善福院と呼ばれるようになった。

 釈迦堂は嘉暦2年(1327年)に建てられた禅宗様式の仏殿で、

全国で二番目に古く国宝に指定されている。』 とあります。

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石段を上る

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石段の先に見える寺院

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国宝・釈迦堂

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釈迦堂説明

 木々に囲まれた石段を上ると、釈迦堂が正面に。御朱印を御願いすると、

堂内の拝観と御住職が説明して下さいました。(拝観料¥200)

 元々、禅宗様式の建物ですが、他の禅宗様式の仏殿と異なる箇所が多い。

その理由として、日本に禅宗様式が定着する以前の、

中国直系に近い建物なのではないか? というのがその理由でした。

 内外観ともに妙心寺や大徳寺の仏殿に似ていますが、他宗派ながら

萬福寺に似たイメージがあるのはそのせいかと納得した次第。

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釈迦堂前面

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連子格子

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釈迦堂側面

 普通は密教系から禅宗・浄土系に改宗するのが多いですが、ここは逆。

加えて高野山の影響が強かった紀州で禅宗初期の大伽藍が建てられたのも不思議です。

御住職から伺った話では、

住職;「紀伊由良にある興国寺を高野山が再興させる際に、宋から帰朝した法燈国師に依頼したのですが、彼は禅宗の寺として再興しました。」

和辻;「裏切られたようなものですが、よくそれで揉めませんでしたね。」

住職;「むしろ高野山は禅宗を庇護していたようで、敵対はしていなかったようですね。」

和辻;「その影響で、ここにも禅宗の大伽藍ができた訳ですね。」

住職;「ええ。唯、当初は今の和歌山城付近にあったようで、寺名のある瓦が出土しています。」

和辻;「お城からここは離れていますね。辺鄙ですし…。」

住職;「中世以前の和歌山市内は紀ノ川の蛇行で湿地も多かったようです。それにこの下津地区は港として古くから栄えた場所だったので選ばれたのでしょう。」

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釈迦堂の垂木部分

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「廣福禅寺」の文字を表した瓦

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釈迦堂内部の床
禅宗様式の礎盤上に立つ柱。床は石ではなく瓦製である。

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釈迦堂内部の天井
奥に見えるのが火打梁

 宗派が異なると争いばかりしていると考えたのは浅薄。

改宗しても建物を【改修】しないのは寛容さの表れ。【ぜんぷく】の信頼を置いていたのでしょう。

また紀伊国屋文左衛門が船出したのも下津港。今の交通事情で考えてはいけないと言う事です。

ここに国宝が二ヵ寺残っているのも理由がありました。

和辻;「この辺の字は梅田ですか?梅はなくて蜜柑ばっかりですが。」

住職;「昔は梅もあったようです。蜜柑はこの東にある場所が発祥の地で、橘本(きつもと)神社はお菓子の神様として田道間守(たじまもり)を祀っていますよ。今でも菓子メーカーがお参りに来ます。」

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境内からの眺め

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善福院の歴史

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善福院御朱印

 田道間守は垂仁天皇の御世に常世の国から非時香菓(ときじくのかくのみ)を持ち帰った人物。

これが橘の木で蜜柑と言われます。

 田道間守は但馬出身ともされ但馬にも菓子を祀る神社がありますが、

気候的に考えて但馬は蜜柑栽培にはやや不向き。

ここ下津になったのは【お菓子】くも【紀伊】でもないと【すいにん】できます。

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加茂郷郵便局 ; 国宝・善福院釈迦堂、国宝・長保寺多宝塔、ミカン畑

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塩津港

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昼食 しらす丼 ¥650
郵便局で教えて貰った地元塩津のしらす加工工場 「魚与水産」にて。

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闘鶏神社(和歌山県田辺市) 熊野権現ゆかりの世界遺産

2020.01.01(17:34) 519

源平合戦の勝敗を左右したとはケッコーな!(2019.12.11)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR天王寺(6:45) → JR和歌山(7:49→8:06) → JR紀伊田辺(9:51)

観光案内所 → レンタサイクル → 高山寺 → 闘鶏神社

【復路】JR紀伊田辺(13:19) → JR御坊(14:09→14:32) → JR和歌山(15:34→15:36) → JR天王寺(16:53)

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闘鶏神社(県社)

 高山寺の後は、紀伊田辺駅方面に戻り東に向かうと闘鶏神社。

闘鶏神社(とうけいじんじゃ)は由緒に拠れば、

『十九代允恭天皇の419年、熊野権現をこの地に勧進し、

田辺の宮として祀ったのが起源。その後、天武天皇の684年、

白河法皇の1100年、近衛院の1147年と三度に亘り熊野三山の各社を勧進。

熊野権現の三山参詣に替えるという別宮的存在となった。

以来、熊野街道の大辺路・中辺路の分岐点として

皇族・貴族は熊野参詣に際し当社に祈願することとなった。

社名も田辺の宮、新熊野権現社、新熊野雞合大権現と変遷を経て

明治以降は闘鶏神社となった。』 とあります。

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JR紀勢本線紀伊田辺駅前
世界遺産を祝福する垂れ幕が…。

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駅前にある武蔵坊弁慶像
弁慶は田辺の出身。

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木の一の鳥居に続く石の二の鳥居

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二の鳥居にある「闘鶏神社」の扁額

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闘鶏神社の境内にある馬場
幅11m、長さ230m。江戸時代から流鏑馬や競馬が開催されたが危険防止のため昭和39年に中止。残念。

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鳥居から境内を見る

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拝殿

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拝殿の背後にある本殿

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本殿に続く御殿

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右から八百御殿、下御殿、中御殿、上御殿と続く

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上御殿の屋根部分

 闘鶏神社の名を高めたのは源平合戦。

この社の別当であった熊野湛増が紅白の鶏を戦わせ、

白が勝った事から熊野水軍が源氏方に付いたと言うもの。

鶏占いは以前から行われていたようですが、湛増の息子が弁慶とも伝わるので、

源氏側に付くのは既成路線だった可能性も。

唯、熊野水軍内でも意見の不一致があったので神託によって反対意見を封じたと思われます。

 古代ローマでも戦時には鳥占があり、鶏が餌を啄む様子で吉凶を占っています。

指導者が己に都合の良いように鶏を空腹にしていたと言いますから、

熊野でもそのような操作はあったのかもしれません。

 神社や駅から数百mですが、仮庵山(かりほやま)を背景にしたちょっとした密林になっています。

田辺に居住した南方熊楠はここの植生で生態学の研究を行ったのでしょうか?

 境内には天然記念物の楠の巨木が。宮司さんに尋ねた処、

和辻「熊楠の楠はこれでしょう。」

宮司「いえ、熊楠の楠は海南の藤白神社のものです。田辺には晩年に移ってきたので。」

和辻「それでは熊は熊野から採ったのではないのですか?」

宮司「それもはっきりとはしないようです。」

田辺に住んでいたことから、てっきりここだと思いましたが、とんでもない思い違い。

やはりデータを元に【とうけい】を取る必要がありそうです。

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境内にある湛増・弁慶の像

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源平合戦の記

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拝殿前の闘鶏の像

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境内の奥に広がる樹木

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池の畔の弁天様

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祠の背後が仮庵山

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南方熊楠と仮庵山

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境内にある御神木の大楠
市指定天然記念物で、樹齢約1200年。高さ14m。

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闘鶏神社由緒略記 ¥50

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闘鶏神社オリジナル御朱印帳

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闘鶏神社御朱印(平成6年拝受)

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田辺郵便局 ; 天神崎、弁慶像

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田辺大師(和歌山県田辺市) 小高い丘の上の高山寺

2019.12.31(21:09) 518

太子と大師に所縁の大した古刹(2019.12.11)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR天王寺(6:45) → JR和歌山(7:49→8:06) → JR紀伊田辺(9:51)

観光案内所 → レンタサイクル → 高山寺

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正南面山 高山寺(真言宗御室派)

 冬の18きっぷ2回目は暖を求めて南紀へ。

吉野熊野国立公園の制定は戦前ですが、

近年高野山熊野が世界遺産になったため熊野詣の人が増えているようです。

 紀伊田辺は和歌山からの普通電車の終点。

ここから新宮方面への普通は1日5本程度、特急を使わないと極めて不便です。

 駅前から会津川を越え、紀勢線の線路を越えると目の前に小高い丘が。

ここはかつて縄文時代の貝塚があった場所ですが、

その丘の上にあるのが高山寺。飛鳥時代に遡る古刹です。

丘の麓に着くと山門は生憎修理中。

その下を潜り参道を上ると、開けた場所に堂宇が並びます。

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紀勢本線の向こうに森があるのが高山寺
会津川に架かる切戸橋上からの眺め。

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修復中の山門

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山門の彫刻

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山門を過ぎて石段を上る

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階段を上り境内へ

 正南面山高山寺(しょうなんめんざんこうざんじ)の由来は

『推古天皇の御世、牟婁の長者が飛鳥に出掛け聖徳(上宮)太子の教えに感動。

太子の御意を受けた長者は牟婁に戻ると

私財をもってここ南面山に御堂を建立し勧修問寺と名付けた。

 御堂が完成した夜に長者は太子の愛馬「烏の駒」が

薬師如来と上宮太子の御像を運んで来る夢を見たが、

眼が覚めると薬師如来と太子の御像が目の前にあった。

驚いた長者は自らこの二像を御堂に祀ったという。

 弘仁7年(816年)には弘法大師が熊野詣の途中、

この寺に立ち寄り密法を修し自らの像を彫って安置した。

これ以降、寺はこの辺りの文化の中心となり栄えた。

 天正13年(1585年)の秀吉の紀州攻めで伽藍は灰燼に帰したが、

江戸時代になって高野山から空増上人が入山して復興、

江戸時代には寺名が興山寺、更に高山寺と名を変え現在に至っている。』とあります。

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石段を上った左にある不動堂

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高山寺のシンボル多宝塔と本堂

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多宝塔正面
旅僧の悲願の末に文化13年完成。

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多宝塔の裳階部分
扁額は聖徳太子所縁の「上宮閣」

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大日如来を祀る本堂

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本堂正面

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本堂脇に佇む観音堂

 聖徳太子が開基で、弘法大師が中興したというもの凄い話。

飛鳥時代から知られた牟婁の湯ですから歴史があるのは当然。

聖徳太子は伝説でしょうが、弘法大師の事績は高野山の記録にも残っているようです。

 縄文時代の遺跡があるくらいですから、昔から人が居住した場所であるのは確実。

人々の信仰の拠り所だったと想像できます。

大日如来を祀る本堂の前には多宝塔が。

これは江戸中期の旅僧・阿涼は発願し托鉢行脚し、

彼の没後は後を継いだ僧侶に拠って漸く完成したというもの。

山内に多宝塔があるなら一層信仰が深まるという考えだったそうですが、

世代を越えて完成したのは売名行為ではなかったでしょう。

 多宝塔以外にも本堂裏手には観音堂、大師堂、薬師堂が並び庭園となっています。

25年前には庭園にさえ気が付かずに通り過ぎたのは若気の至りではありました。

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本堂裏手の諸堂

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大師堂
言わずと知れた開祖弘法大師を祀る。

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大師堂から池の上の弁天堂を見る

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奥の薬師堂から弁天堂と池を望む

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弁天池と日本庭園

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庭園の紅葉は12月でも未だ見頃

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一番奥にある薬師堂

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日本庭園から見える弁天堂と本堂(左)

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薬師堂と庫裏(右)

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弁天池周辺の紅葉

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高山寺由緒記

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高山寺本尊御朱印(平成6年拝受)

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高山寺観音様御朱印(今回拝受)

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十禅律院(和歌山県紀の川市) 喘息封じと紀州公作庭の御朱印

2019.10.21(17:03) 455

学問所から喘息封じへ(2019.10.9)

<コース>
【往路】南海難波(6:29) → (南海高野線) → 橋本(7:18→7:24) → JR笠田(7:43)

笠田駅前(8:10) →(かつらぎコミュニティバス 天野コース) → 丹生都比売神社 → JR笠田(9:48) → JR粉河(10:01) → レンタサイクル5分 → 粉河寺・十禅律院 → JR粉河

【復路】JR粉河(14:27) → 橋本(14:58→15:06) → (南海高野線) → 南海難波(15:55)

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十禅律院(天台宗安楽律院派)

 粉河寺巡礼を終えましたが、本堂の奥に庭の綺麗な寺院があると聞き引き続き巡礼。

十禅律院(じゅうぜんりついん)は、由来に拠れば

『正暦元年(990年)の春、石崇上人が日吉山十禅師の勅を受け創建。

その後、当地に移住した峯覚上人が土中から銅鐸を発見。古の遺跡としてこの地に堂宇を建立し千手観音を安置。

宝鐸地十禅院として粉河寺の塔頭となった。

江戸時代の寛政12年(1800年)、紀州十代藩主徳川治宝によって安楽律院に改宗した。』 とあります。

竜宮城のような門をくぐると正面に本堂、左に護摩堂。紀州公真筆の扁額と菊の御紋に敬意を表して参拝しました。

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十禅律院入口
粉河寺本堂横を通った先にある。

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入口の寺標

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石段の先にある塗上門(築地門)
竜宮造りと呼ばれる様式。

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塗上門の扁額「宝鐸墜」
紀州十代藩主徳川治宝公の真筆。

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門横のカイヅカイブキの古木

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門から見た境内

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本堂
総欅造りで五間四面の入母屋造、本瓦葺。阿弥陀如来を祀る。

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本堂前面の菊の御紋の彫刻と扁額
扁額「薦福殿」は塗上門と同じく紀州十代藩主徳川治宝公の真筆。

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本堂上の欄間彫刻
司馬温公の甕割り(上)と龍

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本堂扉の唐獅子彫刻

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本堂左の護摩堂
宝形造りで、千手観音、子安地蔵、不動明王を安置している。屋根の宝珠は粉河鋳物師蜂屋正勝作。

その後は庭園拝観のために庫裏へ。ベルを押すと作務衣姿の御住職が境内から見えました。折しも作業中だったようです。

伺った話では、

「元は粉河寺の塔頭で学問所の扱いでしたが、いまは独立して宗派も寺域も別です。」 との事。

「庫裏は紀州藩主がお見えになった際に滞在されました。」 とあるように藩主着座の間もある書院造り。

二百余畳ですが、武士らしく落ち着いた佇まいでした。その先にあるのが洗心庭。

この庭は徳川治宝が御用庭師に拠って築庭した借景枯山水式庭園。

縁側に座れば北には和泉山脈の高峰成高山、南には紀伊山脈の主峰竜門山を一望できる庭園です。

紀州初代藩主徳川頼宣は南龍公と呼ばれたそうですから、

紀州富士と呼ばれる竜門山には格別の思い入れがあったのでしょうか。

 借景と言えば京都の東山に様に寺院から遠くの景色と思っていましたが、

御住職の話では庭園的には隣接する背景を云うのだそう。

 書院の庭園の後は境内を散策。庭にも種々の草花が植えてありますが管理に手が足りないと仰ってました。

札所から独立し、檀家も少ない事で、今は喘息封じの「糸瓜加持」がメインですが維持管理は大変。

なかなか【安楽】とはいかないようです。

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庫裏
正面に見える御成り玄関をはじめ、武家屋敷風の遺構を持つ。

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書院から洗心庭へ

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「洗心庭」越しに本堂を望む

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洗心庭と遠くに和泉山脈が見える
借景とは左の竹林辺りを云うそうな。

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本堂前から見た境内

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参道脇の花
これは自然に生えたもの。

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十禅律院案内記

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十禅律院御朱印
判子が磨滅しているので現在作成中との事。

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巡礼スイーツで休憩 
大門橋の前の「観光物産センター こかわ」にて。三番札所なので、スイーツが3種類あるとか。谷汲ならどうなる!?

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粉河観音(和歌山県紀の川市) 西国三番札所の大伽藍の御朱印

2019.10.20(16:37) 454

縁起を担いだお寺(2019.10.9)

<コース>
【往路】南海難波(6:29) → (南海高野線) → 橋本(7:18→7:24) → JR笠田(7:43)

笠田駅前(8:10) →(かつらぎコミュニティバス 天野線) → 丹生都比売神社 → 笠田駅前(9:39) → JR笠田(9:48) → JR粉河(10:01) → レンタサイクル5分 → 粉河寺

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風猛山 粉河寺(天台宗系粉河観音宗 西国三十三ヵ所第三番札所)

 一之宮の後は、和歌山線を和歌山方面に向かい粉河で下車。ここからは電車も1時間に2本になります。

以前に参拝した平成6年は和歌山~橋本間は30分毎の運転。

和歌山~粉河間は15分間隔だったように記憶していますからほぼ半減。

盲腸線ではないので廃線とはならないでしょうが、【もうちょう】っと何とかならないのかと思います。

 風猛山粉河寺(ふうもうさんこかわでら)は、西国三番札所。

縁起に拠れば、というよりも『粉河寺縁起絵巻』は『信貴山縁起』と並ぶ国宝縁起絵巻。それに拠れば

『宝亀元年(770年)、紀州の猟師・大伴孔子古(おおとものくじこ)は山中に光る場所を見つけて庵を結ぶ。

その後、そこに現れた一人の童子が宿泊の礼として千手観音を刻んで姿を消した。

童子が千手観音の化身と知った孔子古は堂宇を建て観音を祀った。これが粉河寺の開創である。

 更に、河内の長者の娘が思い病床にあった所、どこからともなく現れた童男行者の祈祷で平癒。

長者は多くの御礼を差し出したが、行者は小太刀と緋色袴だけ受け取り立ち去った。

去り際に「私は紀伊国那賀郡に居ります」と言ったので、家族が訪れると千手観音の手に小太刀と袴があった。

長者一家は観音に帰依し、粉河寺は繁栄した。

鎌倉時代には七堂伽藍、東西南北4㎞の敷地、寺領4万石を誇るが、天正13年(1585年)の秀吉の紀州攻めで焼失。

江戸時代になって紀州藩や信徒によって再建された。』

とあります。

 言ってしまえば霊験譚ですが、史実かどうかは不明。唯、『枕草子』『梁塵秘抄』『山家集』にもその記述があるので、

平安時代には都にも知られていた名刹であったのでしょう。なにがしかの史実を反映しているとは思います。

因みに、河内の長者の末裔が大臣を務めた塩川家と言われています。

 粉河寺は駅から15分程北に歩いたどんつきにあって、大門、庭園、拝観無料は覚えていますがそれ以外は記憶になし。

今回の再訪で境内の広さに改めてビックリ、人間の記憶などはいい加減なものであると実感しました。

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駅の南にある龍門山

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駅前にある「創 HAJIME-cafe」 でレンタサイクル
かつて綿織物の取引で財を成した家屋。現在は地域活動の拠点。

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中津川に架かる大門橋
駅北1㎞、奥に大門が見える。

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西国第三番札所粉河寺境内入口へ到着

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重文・大門
宝永4年(1707年)建立の総欅造り。入母屋造、本瓦葺きの楼門で、和歌山県下では高野山、根来寺に次ぐ威容を誇る。

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大門の金剛力士像
仏師春日の作と言われ、用材は桂の巨木。

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境内から大門を見返る

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境内案内図

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不動堂
大門を過ぎて最初にある建造物。弘法大師が爪で彫った不動尊があるとか。秩父の札所にも似た話が…。

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不動堂から本堂方面を望む
右奥の高い堂宇が本堂。

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延宝7年(1679年)建立の童男堂
江戸時代の廟建築を模した正堂と礼堂から成り、粉河寺本尊の千手観音の化身・童男大士を祀る。

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仏足石
文久3年(1863年)の作。

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出現池
童男大士が柳の枝を手に持ち、白馬に乗ってこの池から出現したと伝わる。

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出現池上の三角堂
千手観音像を安置、右の祠に安置されているのは童男大士石像。

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江戸後期建立の念佛堂(光明殿)
総欅造りで阿弥陀如来を安置する。

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参道横を流れる粉河
念佛堂の横からの景色。

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太子堂

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中門前にある盥漱盤(かんそうばん)
荷葉鉢とも呼ぶ。安永4年(1775年)粉河鋳物師・蜂屋正勝の作。

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左から本堂、盥漱盤、中門

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重文・中門
天保3年(1832年)建立の三間一戸の楼門で四天王を祀る。

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中門の扁額「風猛山」
扁額は紀州十代藩主徳川治宝の直筆。

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中門の四天王像

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中門から参道を振り返る

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名勝・粉河寺庭園
桃山時代の枯山水観賞式蓬莱庭園。本堂の前庭と下の広場との約3mの高低差を処理する方法として石組を築いている。

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庭園左端
石は雑賀崎の青石(緑泥片岩)を主とし、琴浦の紫石(紅簾片岩)、龍門石(蛇紋岩)など紀州の名石を使用している。

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庭園中央付近から見た本堂
石組全体は左から右に向かって扱いが軽くなる。

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本堂への石段左側の庭園
石も疎らになり間隙をビャクシン・ツツジ・蘇鉄で埋めている。

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石段の右側の庭園

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庭園越しに見る本堂

 大門を過ぎ参道にならぶ堂を過ぎて更に中門を過ぎるとようやく本堂。西国札所最大級の大きさだそうです。

本尊は絶対秘仏でお前立が置かれていますが、それも秘仏。

秘仏は拝めませんが、本堂内で左甚五郎の虎、粉河寺縁起の模本は拝観できました。

何のためのお前立なのか。「お前たち、考えなさい!」という御仏の問いかけでしょうか?

 山号は風猛山。駅の南には龍門山が聳えますが、これは山号とは別。寺の北側にある山の事を云うそうです。

これは本堂前に食事処を出している「あこ茶屋」の御主人から伺った話。作務衣を着て居られたので、

和辻「お寺の関係者ですか?」 と伺うと、

御主人「私は先代住職の友人で、その縁でここに店を出させて貰っています。」 との事。

御主人「店の東側を流れているのが粉河で、白い粉が流れて来たことが寺名の由来です。」

和辻「白い粉!何か危ない世界ですね。」

御主人「上流で磨き砂を採取していたらしいですが…。」

説の一つではあるでしょうが、ネットや説明書にも載っていなかった寺の由来の謎が解けました。

 このような生き字引の方が居られるのは、大切な事。

・少しの事にも先達はあらまほしき事なり。
・ちちははの恵みも深きこかは寺

を身に染みて感じました。

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名勝庭園の向こうに見える重文・本堂

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本堂は中門の先、3m程高くなった敷地に建つ

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本堂正面
創建以来、造営と改築を繰り返し現在のものは享保5年(1720年)の再建。欅材による建築で西国三十三ヵ所の中では最大の大きさを誇る。

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斜前より見た本堂
本尊を安置する正堂と礼拝のための礼堂を前後に並べた形式で、外観は高さの違う入母屋屋根を前後に並べている。

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本堂前面部分
入母屋造単層、本瓦葺で千鳥破風の前に唐破風造りの向拝を加えた複雑な構成。

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礼堂部分
西国札所として参詣者のために礼堂部分が広くなっている。柱間は正面9間、側面4間で前2間は建具を設けない吹き放しとしている。

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礼堂前の彫刻群

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宝暦10年(1760年)建立の重文・千手堂
本堂左にある宝形造りの三間堂。本尊は秘仏の千手観音。

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六角堂
西国三十三ヵ所の観音像を配している。

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文化3年(1806年)再建の丈六堂
丈六(一丈六尺)の阿弥陀如来を安置している。

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本堂前の湯浅櫻
紀州湯浅の藤原宗永が御本尊の千手観音のお告げにより本堂の巽(東南)に植えたもの。

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本堂裏の大楠

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中門を過ぎた場所にある若山牧水歌碑
粉河出身の早稲田大学の友人を訪れた際に詠んだもの。歌の「遍路」は四国のみに使われるため、牧水が知らなかったか、故意に使ったか学会でも議論が分かれるらしい。

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本堂正面にある「あこ茶屋」にて昼食

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店お勧めの「風猛そば」
ボリュームと紀州の柑橘系が特色?

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粉河寺説明書 
¥50 だが堂内拝観(¥400)すると無料で貰える。

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粉河寺御朱印

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粉河郵便局 ; 名勝・粉河寺庭園、ハッサク

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丹生都比売神社(和歌山県かつらぎ町) 高野を守護する女神の社

2019.10.20(14:12) 453

1700年の歴史を誇るにゅう神社(2019.10.9)

<コース>
【往路】南海難波(6:29) → (南海高野線) → 橋本(7:18→7:24) → JR笠田(7:43)

笠田駅前(8:10) → (かつらぎコミュニティバス 天野コース) → 丹生都比売神社前(8:39) → 徒歩3分 → 丹生都比売神社 → 丹生都比売神社前(9:10) → (かつらぎコミュニティバス 天野コース) → 笠田駅前(9:39)

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丹生都比売神社(紀伊國一之宮 世界遺産)

 晴天に恵まれた神無月、南海高野線で橋本まで行き和歌山線沿線を巡礼。

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は、紀の川を渡り標高450mの天野盆地にある古社。その由緒は古く、

『1700年以上前の創建の天照大御神の御妹神に当たる丹生都比売大神を祀る総本社。

御妹神様は、紀州・大和を巡って農耕を広めこの天野の地に鎮座。

後に応神天皇が紀伊山地の広大な土地を寄進したと言われる。

空海がこの神社の社地の一部を借り受け、高野山を開山。神と仏が共存する神仏習合はこの地に於いて形成された。

高野山に上る際には先ず当社に参拝するのが習わしである。

元寇の際には幕府がこの神社に祈願を掛けたところ、神風が吹き国難を救った事から紀伊国一之宮となった。』

とあります。

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バス停から見た鏡池と輪橋

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輪橋(りんきょう)
神様が渡られるための神橋で、反り橋の形状は淀君が寄進したと言われる。

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外鳥居
屋根と台輪、前後に稚児橋が付属しているのは神仏習合の特色。

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外鳥居右にある社号標

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輪橋を渡る

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輪橋上から見た鏡池と天野の集落
池は不老長寿を得た八尾比丘尼が池に姿を映し、老いない己を嘆き鏡を投入れたという。

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輪橋上から禊橋と中鳥居を望む

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輪橋袂部分近影

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禊橋から中鳥居とその先の楼門を見る
中鳥居も外鳥居と同じ神仏習合の形式である。

 御祭神の「丹」とは水銀化合物の朱砂から採れる朱を表し、古代より魔除け・染色として重宝されて来ました。

鳥居、輪橋、拝殿、本殿と総て朱塗りが出迎えてくれますが、丹の産地であれば当然。

朱は魔除けの意味を持つそうですが、腐敗や虫を避ける効果のためというのが本当のところ。

 全国にある丹生神社は総数百八十社余りを数えますが、それだけ朱が重要視され祀られた事の証でしょう。

 高野山もそうですが、伊勢の丹生大師も空海所縁。

空海は遣唐使として入唐しましたが、現地では仏教だけでなく、様々な技術を習得した可能性があります。

各地に残る弘法大師の湯や溜池もそうですし、讃岐名産のうどんも空海が中国から伝えたもの。

唐王朝では丹から造られた丹薬が不老不死の効果があるとされ、歴代の皇帝がそれにより、悲惨な最期を迎えています。

丹薬は主として道教の道士が製造に携わりましたが、空海は彼らから製法だけでなく、

鉱脈を見つける技術も習得したのではないでしょうか?

丹生都比売神社は容易に行けない山中に鎮座されているので、ここに丹の鉱脈があったと考えるの方が脈のある気がします。

 最近は、御神犬すずひめ号も登場。最近しわじわ人気が出ている紀州犬ですが、

前身真っ白のすずひめ号で【紀州】戦法を狙っているようです。

駅から11㎞の山道、加えてコミュニティバスも少ないとあっては自家用車以外では【比売】が出そうですが、

バスは終点で30分待ち。運転手さんが親切な方だった事もあり、時間のロスも無く乗って来たバスで駅に戻ることができました。

駅名が【かせいだ】だったからでしょうかね?

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1499年建立の重要文化財・楼門
入母屋造、檜皮葺、三間一戸の室町中期の代表的な形式。

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楼門正面
この奥に本殿が鎮座する。

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楼門横から見た本殿・第二殿

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重文・本殿
楼門左の佐波神社横の空き地より望む。左から右に第一、二、三、四殿と並ぶ。

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重文・本殿
室町時代の再建で、檜皮葺。一間社春日造では国内最大規模。

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楼門前から境内の木立を望む

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境内から見た神饌所(しんせんしょ)と楼門

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楼門前から中鳥居を見返る

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参道右手にある社務所
御朱印はここで拝受。

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丹生都比売神社御由緒

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丹生都比売神社御朱印

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かつらぎ郵便局 ; 富有柿の外枠に重文・丹生都比売神社楼門
かつらぎ笠田郵便局 ; 船岡山、万葉の歌碑

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藤白神社(和歌山県海南市) 熊野詣の始まりを支えた神社の御朱印

2019.09.16(21:33) 410

鈴木氏発祥の地に建つ王子と悲劇の皇子(2019.9.10)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:45) → JR箕島(8:38)

JR箕島駅 → 徒歩5分 → 文化福祉センター → レンタサイクル10分 → 浄妙寺 → レンタサイクル25分 → 得生寺 → レンタサイクル20分 → 宗祇旧跡 → JR箕島(13:04) → JR海南(13:24) → 駅構内観光センター → レンタサイクル10分 → 藤白神社 → レンタサイクル20分 → 黒江街並み → 駅構内観光センター

【復路】JR海南(15:51) → JR和歌山(16:05→16:09) → JR大阪(17:43)

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藤白神社

 午後からは海南に戻って熊野古道を徒歩ならぬ自転車で巡礼。

熊野古道に沿って紀勢線の線路を越えた所にあるのが藤白神社。

景行天皇5年の鎮座と言う古社、ほぼ神話時代の話です。

斉明天皇4年に天皇が牟婁の湯に行幸された際に社を創建されたと伝わります。

孝謙天皇が行幸の際に、「日本霊験根本熊野山若一王子三所権現社」と号して以来、

熊野九十九王子の中でも別格とされた五体王子の一つ。熊野詣をする貴人の宿泊地とされました。

境内の権現堂には本地仏が祀られ神仏習合の地。

戦乱により本殿と神宮寺は焼失しましたが、紀州徳川家初代頼宣公が再建して今に伝わります。

境内には楠の古木が聳え宛ら古代の空間。

楠・藤・熊の文字は吉字とされ子供に付けると長命・出世するとかで、両方を貰った南方熊楠は文字通り大成しました。

地域が経済的に困ったときにはこの楠を伐採して凌いだそうですから、文字通り地域の守り神であったと言えます。 

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神社近くの民家

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神社参道から見る紀勢本線

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一の鳥居
右にあるのが宮司氏宅。

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楠に囲まれた境内

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楠の巨木

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旧社務所・茶屋跡
御朱印はここで拝受。

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拝殿

 またここは全国鈴木氏の発祥の地。神社の御祭神の饒速日命を祖とする程、古い氏族で後世に賜った氏ではないようです。

神社の方の話では、鈴木氏は熊野出身でこちらへ移住。修験者を通して熊野信仰を全国へ広めるのに功績があったとの事。

何故、鈴木氏がここまで多くなったかですが、庶民に苗字がなかった時に鈴木氏が分け与えたことが結構あったと伺いました。

 神職も代々藤代鈴木氏が務められているのかと思いきや、今は吉田氏だそうです。

神社の傍らにはかつては鈴木屋敷と呼ばれるものがあったようですが、風雪に拠り劣化。今は再建に向けて準備中でした。

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旧鈴木屋敷跡
老朽化が進んでおり現在再建中。

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鈴木屋敷跡の図

 境内の一角には有間皇子神社が鎮座。

有間皇子は孝徳天皇の皇子。政争に巻き込まれるのを防ぐため病を装っていましたが、

有力な中大兄皇子の意を受けた蘇我赤兄に謀られ、謀反の疑いで捕らえられます。

紀州に行幸中の中大兄皇子の前で問い詰められた有間皇子は

「我もはら知らず。唯、天と赤兄のみ知る」 と言ったと伝わります。
 
・磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む

・家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

この二首は万葉集にある皇子の絶唱ですが、椎の葉に盛るのは自身の食事ではなく、

無事を祈っての神への供物だったと、犬養孝先生が書かれたのを見て納得した記憶があります。

皇子の願いも空しく都への帰路にここ藤白の坂で刑死、享年19歳。

大津皇子と並ぶ古代史の悲劇の人ですが、当時も後世も皇子には同情的でした。

境内にも皇子の死後43年、持統・文武の紀国行幸に同行した人が彼を悼んだ歌を詠んだ歌碑が建っています。

 藤白神社の中に皇子を祀ったのもそれ故でしょうか?

私は初め、藤白神社は皇子を祀って建てられたと思っていました、己の無知を反省です。

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有間皇子神社入口

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由緒記

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境内の歌碑
・藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は 濡れにけるかも

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神社横の熊野古道を通り藤代の坂へ

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藤代の坂にある有間皇子の墓と「家にあらば」の歌碑

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神社の北側の鳥居と子守大楠

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藤白神社御由緒

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御由緒裏面

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藤代神社御朱印

 参拝の後は市内に戻って黒江まで足を伸ばすことに。

江戸時代に漆器産業が繁栄しますが、地形の関係で平行四辺形となった敷地に住居兼工房を建てたため、

「のこぎりの歯状」という独特の街並みが形成されました。

当時としては止むを得なかったのでしょうが、それが却って観光客を呼んでいるのは【うるし】い誤算だったと言えそうです。

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のこぎり歯状の街並み

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漆器店が軒を並べる通り
川端通りから南へ一筋入った場所にある。

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文化財・尾崎漆器店
見学はしていないので外観のみ。

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海南名高郵便局 ; 藤白獅子舞、樹齢700年の大楠
海南黒江郵便局 ; 黒江の街並み、漆器の作業風景

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中将姫寺(和歌山県有田市) 中将姫所縁の寺の御朱印

2019.09.15(22:03) 409

天平版白雪姫の話(2019.9.10)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:45) → JR箕島(8:38) → 徒歩5分 → 文化福祉センター → レンタサイクル10分 → 浄妙寺 → レンタサイクル25分 → 得生寺 → レンタサイクル20分 → 宗祇旧跡 → JR箕島(13:04)

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雲雀山 得生寺(西山浄土宗)

 浄妙寺参拝の後は、有田川沿いを遡って宮原にある古刹へ。

雲雀山得生寺(ひばりさんとくしょうじ)は中将姫所縁の寺。伝説に拠れば、

『姫は天平19年(747年)、右大臣藤原豊成を父とし、紫の前を母として生まれた。

母親が大和長谷観音に願掛けをして授かったと言われる。

才能に恵まれ中将の位を授かるが5歳にて母と死別。継母に憎まれ、父親不在の隙に都を追われ紀伊の雲雀山に捨てられる。

そこに追手の伊藤春時が差し向けられたが、春時は姫の徳に感化され殺害を断念。

後に春時夫婦は剃髪して得生、妙生尼と名を改めて、雲雀山に草庵を結び姫を養育した。

姫は15歳の時に雲雀山で父豊成と再会を果たし、都に戻り當麻寺にて出家。29歳にて大往生を遂げられた。』

とあります。

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国道42号に建つ案内板

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得生寺入口

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参道正面に見えるのは中将姫を祀った開山堂

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駐車場から境内を見る

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参道にある由来記

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境内にある犬養孝揮の万葉集の歌碑
「足代過ぎて 糸鹿の山の 櫻花 散らずあらなむ 帰り来るまで」

 當麻寺でも述べたように豊成は実在の人物ですが、姫は多分に伝説的な人。

それに近い話があったのを仏教的に脚色したのではないでしょうか?

 寺号は春時の法名由来ですが、承平の頃、光勝大徳が中興した際に安養院の号を改め雲雀山得生寺としたと伝わります。

 その後、恵心僧都源信も訪れて千体仏を刻み、享徳の頃に明秀上人による中興を経て浄土宗になりました。

 中将姫の関係から大和の當麻寺との縁もあったのでしょう。

當麻寺は練供養が有名ですが、得生寺も5月14日に大会式が開催され仏面を付けた人が開山堂から玄関まで橋上を歩みます。

この地区では、若い娘たちが着飾って参加するのが習わしで、見合いも兼ねていたとか。

中将姫は薄幸の生涯でしたが、後世の人の幸せの橋渡しになっている事で喜んで居られるのではないでしょうか?

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境内全景

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庫裏(寺務所)

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阿弥陀如来を祀る本堂

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本堂前から開山堂を見る

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開山堂正面

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開山堂に祀られている三像
十五歳の中将姫(中央)、妙生(左)、得生(右)

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開山堂横から続く朱塗りの欄干
命日の五月十四日の中将姫大会(だいえ)式でこの上を行列が歩む。

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欄干越しに本堂を見る

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得生寺由来記

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得生寺御朱印

 寺のすぐ横は熊野古道が通り糸我(いとが)王子社もありましたが、驚いたのは糸我稲荷神社。

由緒記に拠れば孝徳天皇の白雉3年の創建。和銅年間創建の伏見稲荷よりも更に60年も古く「本朝最初稲荷」となっています。

なにがしかの【意図が】あるようにも思えますが、都から離れた場所に本朝初があるとは!

これが【ほんちょう】ならば事実は小説よりも【いなり】です。

 その後は有田川町にある宗祇旧跡まで。

連歌師飯尾宗祇の足跡はあちこちで見ましたが、まさか紀州の有田川出身とは初耳でした。

紀州は古代より人材も多く輩出していますが、紀州を離れて活躍した人が多いと思うのは気のせいでしょうか?

温暖であることに加え、海と山の産物と温泉もあって住むには適した場所ですが、

安楽な場所では人間は大成しないという事なのかとふと思った次第です。

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糸我稲荷神社境内と天然記念物の楠

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熊野詣で使用された輿
稲荷神社横の熊野古道歴史民俗資料館に展示。

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国道42号から見える雲雀山
中将姫が捨てられたと伝わる。

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宗祇屋敷跡
有田川町のミカン畑の横にある。

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宗祇法師誕生の井戸

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屋敷跡にある宗祇の詠

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有田川町マンホール蓋

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有田川町マンホールカード    配布場所は吉備浄化センター 水ホタル

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吉備郵便局 ; 宗祇法師屋敷跡

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浄妙寺(和歌山県有田市) 有田川沿いに佇む古刹の御朱印

2019.09.14(20:42) 408

戦災を逃れた薬師堂と多宝塔(2019.9.10)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:45) → JR箕島(8:38)

JR箕島駅 → 徒歩5分 → 文化福祉センター → レンタサイクル10分 → 浄妙寺

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醫王山 浄妙寺(臨済宗妙心寺派)

 先日、紀州を訪れた際に貰ったパンフに多宝塔の写真があり、調べると有田市内にある模様。

18きっぷは使い切りましたが、有田ならば正規の乗車賃でもさして変わらないので、冬を待たずに早速訪問。

駅から歩いても行ける距離ですが、文化福祉センターにレンタサイクルがあったので借りる事に。

有田大橋を渡り、有田川の南側の山裾にある寺院に到着。35℃の炎天下を歩かずに済みました。

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有田川に架かる有田大橋を渡る
向こうに見えるのが辰ヵ浜地区と箕島漁港。

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浄妙寺入口
ここから舗装された坂を上る。

醫王山浄妙寺(いおうさんじょうみょうじ)の由来は、

『大同元年(806年)平城天皇の国母乙牟漏皇太后の勅願に拠り、唐招提寺の四世如宝律師を開山として創建されたと伝わる。

七堂伽藍の大寺であったが、天正年間(1573~1591年)の兵火で殆どが消滅。

奥の院にあった薬師堂と多宝塔のみがその難を免れた。

紀州徳川家初代の頼宣公により大修理が加えられ、和歌山吹上寺開山圭禅師を中興開山として招き、

以来臨済宗妙心寺派として今日に至る。』

とあります。

 紀州は信長の根来攻め等で寺院は甚大な痛手を受けましたが、逆を言えばそれだけ強大な勢力を保っていたという事。

根来寺の荘園は80万石と言われますから、話半分としても大大名並み。

 浄妙寺の場所は河口近くで港もあり、河川と海上交通の要衝を押さえて経済的に潤っていた可能性が高く、

天下統一を目指す信長としては制圧しなければならない相手だったのでしょう。

今に残る浄妙寺の建造物は平地から高台に上った場所にあったため兵火を免れたようです。

境内を訪れると、美しい芝生とイヌマキの生け垣の中に重文の多宝塔と薬師堂が鎮座されます。

境内の手入れをされていた方に伺うと御住職は外出中との事。

御朱印はなしかと思いましたが、寺務所を開けて書置きを出して頂き、加えて由来記も頂けました。

近所に住んでいるので庭の手入れをされているとの事でしたが、地元の方々の地道な活動で支えられているのを

改めて実感しました。

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坂道を上った所にある鐘楼と庫裏

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イヌマキの生垣の奥に書院が見える

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戦火を免れた多宝塔と薬師堂

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重文・多宝塔
三間二層、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改装。

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正面から見た多宝塔

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多宝塔を見上げる

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垂木部分

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重文・薬師堂(本堂)
方三間、寄棟造、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改装。

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薬師堂正面
本尊は重文・薬師三尊像で鎌倉時代の作。

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側面から見た薬師堂

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多宝塔前から薬師堂、書院を望む
境内は芝生で整備されている。

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浄妙寺由来記

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浄妙寺御朱印
書かれたものを拝受

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箕島郵便局 ; 重文・浄妙寺多宝塔、特産・有田ミカン
有田辰ヵ浜郵便局 ; 辰ヵ浜地区の打瀬船

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施無畏寺(和歌山県有田郡湯浅町) 醤油の町にある明恵上人の寺

2019.09.07(01:11) 400

明恵上人の三宝観(2019.9.2)

<コース>
JR天王寺(6:10) → JR和歌山(7:11→7:23) → JR御坊(8:28→8:34) → (紀州鉄道) → 紀伊御坊(8:39) → 徒歩20分 → 寺内町・日高別院 → 徒歩25分 → JR御坊(11:03) → JR道成寺(11:06) → 徒歩5分 → 道成寺 → JR道成寺(12:58) → JR御坊(13:01→13:03) → JR湯浅(13:27) → 駅前多目的広場 → レンタサイクル20分 → 施無畏寺湯浅街並み → JR湯浅(16:50) → JR和歌山(17:34→17:37) → JR大阪(19:13)

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補陀落山 施無畏寺(真言宗御室派)

 昼過ぎの電車で御坊から紀勢線で湯浅まで移動。

御坊は梅の町ですが湯浅まで来るとそこはミカンの町。少し移動するだけで特産物が変わると言うのは地質や地形の影響も

あるでしょうが、それだけ場所に相応しい良質のものが獲れると言う事でしょう。

駅前から自転車で海岸沿いを走ると栖原地区。南向きの斜面に蜜柑・三宝柑の木が植えられています。

その海岸沿いから少しそれて高台に上った先にあるのが施無畏寺

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熊野古道の立石道標
JR湯浅駅から少し西に下った所に建つ。

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栖原海岸沿いにある施無畏寺標
ここから坂道を上り参拝。

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山門前にて

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山門前から湯浅湾の島々を望む
鷹島(左)と苅藻島(右)。

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山門から見える斜面に植えられた蜜柑

 補陀落山施無畏寺(ふだらくさんせむいじ)は、中世に湯浅地域に勢力を振るった湯浅一族が檀越となり寄進したもの。

その時に導師として招かれたのが明恵上人。

 明恵は承安3年(1173年)有田郡の出身。父は平重国、母は湯浅宗重の四女。

高雄神護寺、東大寺で華厳宗を納め、後世からは華厳宗中興の祖と称される高僧となりました。

彼の真骨頂は学問よりも修行、23歳以降の数年はここ栖原の白上峰で厳しい修行を行い悟りを開いたとされます。

境内からは湯浅湾に浮かぶ苅藻島、鷹島が見えますが、彼はそこに渡って修行した事もあったようです。

 建永元年(1206年)には後鳥羽上皇から栂尾の地を賜り高山寺を開いています。

宋より茶をもたらしたのは栄西ですが、その茶を栂尾に植え民間普及に努めたのは明恵上人の功績。

晩年の寛喜3年(1231年)には故郷の寺の開基に招かれたのも彼の名声に拠るものでしょう。

施無畏とは無畏(おそれ無し)を施すと言う意味だとか。

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山門を過ぎた正面にある庫裏

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入り口部分の破風

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垂木の象と獅子の彫刻

 門をくぐった場所には庫裏と寺務所しかありませんが、上人所縁の建物は少し上った奥之院。

本堂・開山堂・鐘楼・鎮守社があり施無畏寺4棟として文化財になっています。

いずれも明恵上人が亡くなった後に、湯浅一族が建立したもの。

訪れた施無畏寺は高台に建ち湯浅湾の島々が見渡せる場所。その景色が彼の性格にも影響を与えたのは間違いないでしょう。

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山門脇を通り明恵所縁の奥之院へ向かう

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奥之院への途中から見た庫裏と寺務所
後方には湯浅湾、木々は蜜柑。

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奥之院入口から見た開山堂(左)と本堂(右)

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貞享3年(1686年)建立の本堂(観音堂)
千手観音を本尊とする三間堂。

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本堂の「施無畏」の扁額

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明暦元年(1655年)建立の開山堂
明恵上人を本尊とする三間堂。

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正徳3年(1713年)の銘のある鐘楼

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施無畏寺御朱印

 参拝の後は、街並み散策。山田川の南側にある北町通りをメインに「伝統的建造物群保存地区」が広がります。

湯浅は鎌倉時代に宋から伝わった金山寺味噌とそこから派生した醤油発祥の地。味噌の底に溜まった液体を調理に使う事で

和食の幅が一気に広がりました。底に溜まった事から当初はたまり醤油と呼ばれました。

 初めは湯浅が生産を独占してきましたが、江戸時代には関東へ伝わります。

江戸という巨大消費地を控えていた事、関東特産の小麦を使った事で地位が逆転しました。

「かつてはここも“亀甲王”というブランドがあったんやけど、今はキッコーマンの方が有名になってしまって…。」

と地元の方も残念そうでした。せめて【拮抗】する位になれば良いですが。

関東で醤油と言えば千葉の野田と銚子ですが、千葉県には白浜、勝浦といった和歌山の地名が付いています。

房総へ移住した紀州の人々が一役買っていたのは確かです。

 そういえば、和歌山にはJR御坊から紀州鉄道、千葉県にはJR銚子から銚子電鉄と短い鉄道が出ていますが、

これも同じDNAのなせる業でしょうか?

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大仙堀に並ぶ醤油蔵
山田川に沿って醤油の原材料や商品が積み下ろしされた内港。

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北町通りから見た街並み

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北町通にある角長
天保12年創業の醤油醸造元。現在、保存地区に残っている醤油蔵元はここのみ。

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北町通りの太田久助吟製
江戸末期の建築。元は醤油醸造家だったが、現在は金山寺味噌の製造販売を手掛ける。

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北町通りにある加納屋
大正10年の建築で、その頃流行した黒漆喰仕上げを取り入れている。

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津浦家
北町通りの東端にあり、かつては醸造に用いる麹の製造販売を行っていた。主屋は明治11年の建築。

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保存地区にある1日限定1組宿泊の宿

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下新町の小路にある甚風呂
江戸時代から昭和の終わりまで営業していた銭湯。

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甚風呂の男湯
湯浅にあるが、浴槽は結構な湯深である。壁の映画のポスターが懐かしい。

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銭湯の湯の循環装置

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東端から北町通りを眺める

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湯浅中町郵便局 ; 湯浅湾
湯浅栖原郵便局 ;西有田自然公園・栖原港、三宝柑

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道成寺(和歌山県日高郡日高川町) 絵解き説法と宮子姫伝説の御朱印

2019.09.05(21:38) 399

安珍に同情時?(2019.9.2)

<コース>
JR天王寺(6:10) → JR和歌山(7:11→7:23) → JR御坊(8:28→8:34) → (紀州鉄道) → 紀伊御坊(8:39) → 徒歩20分 → 寺内町・日高別院 → 徒歩25分 → JR御坊(11:03) → JR道成寺(11:06) → 徒歩5分 → 道成寺

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天音山 道成寺(天台宗 新西国三十三ヵ所第五番札所)

 御坊散策に引き続き道成寺へ。

JR御坊から僅か1駅、2㎞足らずですが御坊から先は電車が1時間毎となり意外と不便。行政区も日高川町と別。

場合によってはバスの方が便利な位ですが、この日は18きっぷのため少ない電車に合わせて行動。

駅から北に向かい参道の店を通り石段下へ。

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紀勢本線道成寺駅
道成寺の最寄り駅として名前は有名だが無人駅。

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参道入口の寺標
これも寄進に拠るそうな。

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参道に並ぶ店の向こうに寺が見える

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山門下に到着

 天音山道成寺(あまねさんどうじょうじ)は、寺伝に拠れば

『大宝元年(701年)、文武天皇の勅願により開かれた天台宗の古刹。

義淵僧正を開山として紀大臣道成が建立したとされるが、別の伝承では文武夫人・宮子の願いにより天皇が建立したとある。

伽藍自体は奈良朝に存在しており、出土した瓦と本尊の胎内仏は奈良時代に遡る。

平安時代以降寺は繁栄し、現在の本堂は正平12年(1357年)の建築。

しかし戦国時代に入ると衰退し羽柴秀吉の天正13年(1585年)の紀州征伐で堂宇は焼かれ、梵鐘も持ち去られた。

その後、紀州徳川家により徐々に復興されてきた。』

とあります。

 ここも永年の戦乱や荒廃には無縁ではいられなかったようです。

それでも国宝・本尊千手観音像や、重文・本堂、仁王門や仏像が残っており、紀州最古の寺は伊達ではありません。

 それよりもここは能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として有名な「安珍・清姫伝説」の舞台。

醍醐天皇の御世に熊野詣に来た白河の修験僧と地元の庄屋の娘の悲恋が元になったと言われ、

1400年頃に現在の『道成寺縁起』として絵巻物になりました。

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山門下の青銅製灯篭

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重文・山門(仁王門)
元禄13年(1700年)の再建。

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山門の扁額

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山門から参道を見る

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境内から山門を見返る

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境内遠景

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正面から見た重文・本堂
入母屋造・本瓦葺。南北朝時代の建築とされる。

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本堂前面の庇と垂木

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本堂北側(後方)

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宝暦14年(1764年)再建の三重塔

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三重塔近影

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念仏堂は平成の再建

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弘化4年(1847年)建築の護摩堂

 芸能になった事に加え、寺の縁起堂では絵巻物を使った絵解きが開催されます。

道成寺は良縁祈願の御利益があるそうで、坊さんの説教といえば敢えて難しい事を話すのが多いですが、

江戸時代に文字の読めない庶民に「夫婦円満」を説くのが目的。その内容は、

「江戸時代以降絵巻物は10回変更しましたが人間よりもはるかに長い時間頑張っています。巻物がCDならば我々は使い捨ての

CDプレーヤーです。」 と言うマクラに始まり、

「安珍を追いかける清姫の姿が、美しい女性から般若、龍へと変わってきました。」 と聞くと会場には笑いとどよめきが。

追われた安珍が釣鐘に隠れると、「恋の問題をカネで解決しようとしたのが間違いの元」

龍になった清姫に焼かれた安珍の真っ黒な骸骨が釣鐘から転げ出ると、

「昔、流行ったヒット曲にこういうのがありましたね、『骨まで愛して』 とユーモアや洒落も入れて話すのが特徴。

「現在、道成寺には鐘がありません。その代わりに門前の店で釣鐘まんじゅうを売っていて、その中にアン珍が入っています。」

という話で幕。非常に分かり易く、20mの巻物に40分かけて行われる説法もあっという間でした。

 安珍清姫伝説の真偽は兎も角、いつの世にもある男女の問題。

どちらが良いか悪いかという単純なものではなく、このような事に振り回される人間の悲哀を言いたかったのでしょう。

決してを【道成】を引くような事ではありませんが…。

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本堂東側のカイヅカイブキ(ビャクシン)

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二代目の入相桜(エドヒガン)
この場所に梵鐘があったとされる。

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鐘楼の説明

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宝佛殿

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道成寺と謡曲の説明

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道成寺説明書

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説明書裏面

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道成寺御朱印

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道成寺オリジナル御朱印帳

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藤井郵便局 ; 重文・道成寺仁王門、娘道成寺の舞

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昼食は車中にて御坊駅前名産店の「シラス丼」 ¥650

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日高御坊(和歌山県御坊市) 御坊の由来となった寺院と寺内町

2019.09.04(21:57) 398

紀州で真宗の町巡り(2019.9.2)

<コース>
JR天王寺(6:10) → JR和歌山(7:11→7:23) → JR御坊(8:28→8:34) → (紀州鉄道) → 紀伊御坊(8:39) → 徒歩20分 → 寺内町・日高別院 → 徒歩25分 → JR御坊(11:03)

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本願寺日高別院(浄土真宗本願寺派)

 和歌山県に御坊という名の市と駅があります。

御坊と言うのは浄土真宗の寺院の事ですが、行政区に御坊の名前が付いたのは全国でもここだけ。

浄土真宗寺院を中心に町が形成されたとあるので、これは是非とも見てみる必要が。

JR和歌山からJR御坊駅までは電車も30分間隔で運行されていますが、町の中心はここから2.7㎞先。

JR御坊から紀州鉄道という私鉄に乗る必要があります。

 1時間毎の運行の紀州鉄道に乗車。途中には学問駅という受験生に入場券が人気の駅がありますが片面ホームの無人駅。

その1駅先、唯一の有人駅紀伊御坊で下車。案内図を貰って寺内町まで散策。

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御坊駅に停車中の紀州鉄道 西御坊行き列車

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列車側面のロゴ
紀州犬の「きいちゃん」と御坊で生まれた宮子姫

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入場券が人気の紀州鉄道学問駅
無人の片面ホーム

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駅スタンプは唯一の有人駅「紀伊御坊」にて押印

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鉄道むすめ「紀道りんこ」の記念切符とおまけで頂いた鉄道カード

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紀伊御坊駅で入手した寺内町散策マップ

 日高別院は文禄4年(1595年)浅野家重臣佐竹伊賀守の尽力で薗村と島村の荒地四町四方を得て堂宇を建立したのが始まり。

寺院は文政8年(1825年)建立の本堂を中心に、真宗寺院としては紀南最大。周囲には寺内町が発達しました。

日高別院は「御坊所」「御坊様」と呼ばれたので、御坊市の名前の由来になっています。

寺内町には昔の街並みが残っていますが中心になる寺院は思ったより小さく、

以前に訪れた貝塚や富田林の寺院の方が大きな印象でした。

地元の人々の話では「この辺りは浄土真宗の家が多いので」ということでしたが、高野山の地元という事で、

真言宗の影響が強いのかと思った次第。

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日高別院の門前東町の家並み

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北から日高別院正門方面を望む

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日高別院正門(山門)
後ろの大銀杏は樹齢400年で県下第二。

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山門北側の太鼓楼
江戸時代文政年間の建築。

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日高別院本堂
左には別院が経営する幼稚園が隣接。

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別院西側の新町にある堀河屋野村(登録文化財)
ベンガラ格子が際立つ醤油醸造元。

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堀河屋の向かいにある牛乳店もベンガラ格子

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笹野家邸宅(登録文化財)

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中町にある旧町内最古の民家
江戸時代の面影を今に伝える。

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中町にある堀河屋林業(登録文化財)
江戸時代の建築。

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松原通にあるうだつの鏝絵
左官細工に拠る雌雄の鷹

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横町通りに面した旧中川邸
昭和初期の建築。

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正宗屋酒店
昭和3年に完成した鉄筋コンクリート造りの洋風建築。

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御坊西町郵便局 ; けほん踊り、ハマボウ、コギク、クロガネモチ
御坊湯川郵便局 ; 宮子姫みなとフェスタ、亀山

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紀伊国分寺(和歌山県紀の川市) 天平の国分寺の跡に建つ寺院

2019.07.16(11:09) 347

伝家の法灯(2019.7.12)

<コース>
南海難波駅(8:19) → (急行) → 橋本(9:11→9:27) → JR紀伊長田(10:04) → 長田観音 → JR紀伊長田(11:12) → JR下井阪(11:20) → 徒歩10分 → 紀伊国分寺 → JR下井阪(13:09) → JR和歌山(13:36) → JR和歌山市(13:41→14:00) → (特急サザン) → 南海難波(14:59)

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八光山醫王院国分寺(新義真言宗)

 紀伊国分寺は和歌山線下井阪駅から北に徒歩10分。紀の川右岸の段丘上に位置しており天平時代に聖武天皇の詔勅により全国に建立された紀伊国分寺の後継寺院と言われます。

 紀州は南海トラフの影響で地震・津波が発生しやすいので、海からは距離があって段丘上にある自然災害の少ない場所が選ばれたのでしょう。紀の川の水運も寄与したと思われます。

 調査の結果、かつての国分寺の場所もここで現在の本堂は、かつての金堂の位置になるようです。元の国分寺は元慶3年(879年)に全焼しますが直ぐに復帰。

 しかし中世になると衰退して文献から消滅、江戸時代になって現在の国分寺が史料に登場するようになります。その間の400年が不明ですが全く関係のない寺院が同じ場所に建立するのも【きい】なので法灯を受け継いだと考えるのが普通です。

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中門跡から本堂を望む

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国分寺塔跡
塔の基礎に当る基壇と呼ばれるもので16m四方、高さ1.2m。版築という技法に拠る。

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金堂基礎部分

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金堂跡から本堂を見る

 広大な敷地は紀伊国分寺跡歴史公園となって、中央付近に元禄13年(1700年)再建の本堂が建つのみ。かつての姿は想像するしかありませんが、公園の直ぐ南にある歴史民俗資料館で復元されたものを見学できます。

 傍らには紀伊国分寺の寺務所があって御朱印を拝受しようとして訪問しましたが生憎留守。見渡すと一時的な不在と言うよりも、常時不在で時折来られるといった感じ。前もって確認する必要がありそうで、【きしゅう】戦法は駄目なようです。

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元禄13年(1700年)再建の本堂
本瓦葺・入母屋造・重層屋根で、外観は二階建てだが内部は一階である。

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現在の本堂の建つ旧講堂跡の変遷

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北側からの本堂近影

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一番北側にある僧坊の跡

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南門付近から見た紀伊国分寺跡歴史公園全景

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紀伊国分寺の復元図
南に隣接する紀の川市歴史民俗資料館にて展示

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出土した瓦

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資料館で貰った紀伊国分寺歴史公園説明書

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現在の紀伊国分寺寺務所
御朱印はここで拝受できる筈だったが…。

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池田郵便局 ; 紀の川、カヌー、百合山、パラグライダー、史跡・紀伊国分寺

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長田観音(和歌山県紀の川市) 紀の川沿いの厄除観音の御朱印

2019.07.15(16:48) 346

紀州徳川家の祈願寺(2019.7.12)

<コース>
南海難波駅(8:19) → (急行) → 橋本(9:11→9:27) → JR紀伊長田(10:04) → 長田観音 → JR紀伊長田(11:12)

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如意山厄除観音寺(真言宗)

 紀州で寺社と言えば、現在では世界遺産の高野山や熊野が第一に挙がりますが、古くからの寺院があるのは紀の川沿い。

 今の和歌山市は紀州徳川家の近世城下町から発展していますが、古代においてはやや海に近すぎ。国府や国分寺は津波や地震などの自然災害を避けて川沿いの高地に築かれたのでしょう。

 今回は国分寺訪問を兼ねて和歌山線沿線を巡礼。ところが郵便局の人から橋本から和歌山に抜ける途中に大きな寺院があるらしく、無人の紀伊長田で下車。

 如意山厄除観音寺(にょいさんやくよけかんのんじ)は駅のすぐ北側。かつては旧長田庄に属したので通称長田観音と呼ばれます。

 境内も広大で旧初午の日には境内が人で溢れ返るとか。ガイド等にも載って居らず全く知りませんでしたが、このような寺院があるのですね。

縁起に拠れば、

 『延喜21年(921年)念仏上人により開創。本尊は如意輪観世音菩薩で寺号山号は宇多天皇が退位して仏門に入り、寛平法皇となられた時に賜ったもので、同時に御詠歌も賜った。

 勅願寺として壮大な伽藍を持っていたが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の焼討に会い、本尊のみ厄災を逃れて一草堂に安置。
元和8年(1622年)に薩州の沙門道誉尊者により再建。  

 寛永元年(1624年)に紀州初代藩主徳川頼宣公が約1㎞南の現在地に移転させ祈願寺とした。』

とあります。

 寛永3年には本堂を建立、伽藍も順次整えられ他の寺と区別する意味で別所と名付けられました。

 高野山に比べると新しいですが10世紀初頭の開創は古刹としては十分。祈願寺としては和歌山城から距離がありますが、新たに紀州入りした頼宣としては、古くから信仰の対象となった寺院を庇護する事で民の心を掴もうとする意図があったのでしょう。

 厄除観音はただ待っているだけでは駄目という事です。その後、紀州徳川家は断絶・改易されることなく幕末まで続き、将軍も二名出したので祈願寺の効果は十二分にあったとすべきでしょう。

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JR紀伊長田駅下車して直ぐにある参道入口

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寺院入口に到着

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現代風な造りの大門(仁王門)

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大門の扁額越しに境内を望む

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境内に続く石段から大門を見返る

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大門を過ぎた右手にある宇多法皇の御詠歌

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境内遠景

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正面より見た本堂

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本堂越しに寺務所を見る

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本堂前面の龍の彫刻

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下り龍

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本堂脇の薬師堂

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鐘楼堂

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参拝後は寺務所で御朱印拝受

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長田観音縁起

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長田観音御朱印

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真田庵(和歌山県九度山町) 真田親子所縁の寺院の御朱印

2019.06.25(18:38) 325

真田親子の草庵は?(2014.6.24)

<コース>
南海電鉄難波(6:29) → (急行) → 南海橋本(7:18→7:22) → 九度山(7:33) → 徒歩25分 → 慈尊院 → 徒歩15分 → 真田庵 → 九度山(11:48) → 南海橋本(12:00→12:11) → 南海電鉄難波(12:56)

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伽羅陀山 善名称院(高野山真言宗)

 九度山といえばスルー出来ないのが真田親子。
関ヶ原の戦いで敗れた信州の真田昌幸・信繁(幸村)親子は高野山に配流となりますが、家族を伴ったためにここ九度山に蟄居。

 昌幸は1611年にここで亡くなりますが信繁はここを脱出して大坂城に入り、豊臣方として奮戦したのは有名な話。

 真田庵は蟄居時代の草庵跡と思われる場所に、江戸時代の寛保元年(1741年)に大安上人という人が地蔵菩薩を祀ったのが始まり。

 正式には伽羅陀山善名称院と言いますが真田庵で通っています。なにやら蕎麦屋のようですが、傍では蕎麦もあるので、満更間違いでもありません。

 草庵の場所には諸説あるのでやや伝説の域。近くにある真田の抜け穴と言われるものも調べると古墳時代の横穴だったりします。判官贔屓故でしょうが、戦国時代の知将と言われる真田氏のロマンが人を惹き付けるのでしょう。

 前日に【根津】に時刻表・地図を調べたのでほぼ予定通り回れたのは【海野】良い事。高野山の前哨戦とも言えますが、ここから【六連戦】になるかどうかは?です。

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真田庵(善名称院)は尼寺で牡丹が有名

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真田庵御朱印

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道の駅にある「真田幸村」の甲冑の復元

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南海九度山駅前のトイレにも六連銭が

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九度山町マンホール蓋

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高野口郵便局 ; 庚申山、展望台、重文・三彩の壺、桜
九度山郵便局 ; 特産・富有柿、九度山橋、真田六文銭の旗印

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慈尊院(和歌山県九度山町) 世界遺産の女人高野の御朱印

2019.06.24(19:53) 324

母の御恩に「乳」を見た(2014.6.24)

<コース>
南海電鉄難波(6:29) → (急行) → 南海橋本(7:18→7:22) → 九度山(7:33) → 徒歩25分 → 慈尊院

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万年山 慈尊院(高野山真言宗)

 好天に恵まれた6月下旬、新緑の紀州路へ。和歌山と言えば真言宗の総本山、高野山を擁する空海所縁の地ですが、今回は少し手前の九度山で下車。

 今は南海電車終点の極楽橋からケーブル&バスで大門まで直ぐですが、昔は国鉄高野口駅からひたすら山道を20㎞歩いての巡礼でした。随分と楽になったものです。

 九度山から徒歩20分の慈尊院(じそんいん)は高野山表参道にある寺院。

 弘仁7年(816年)に空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、この雨引山麓に表玄関として伽藍を創設したのが始まり。弥勒菩薩を祀り、寺務所・宿坊も兼ねた施設でした。

 空海の母・阿刀氏(あとじ)は息子の開いた高野山を訪れようとしましたが、当時山内は七里四方が女人禁制。そのため麓にあるこの寺に滞在し弥勒菩薩を信仰する日々に。

 それを聞いた空海は月に九度、20㎞を越える山道を越えて母に会いに来たと言われます。これが今に続く高野山町石道(ちょういしみち)。

 母が承和2年(835年)に亡くなった際に、空海は弥勒菩薩と母親の霊を祭る廟堂を建立しますが、これが後に慈尊院と呼ばれる事になります。

 慈尊とは弥勒菩薩の別名、九度山の由来は弘法大師が母親に会うため月に九度下りてきたことによると初めて知りました。

 余りにも出来すぎた話ですが、空海の母の事も相まって女人結縁の寺・女人高野として知られるようになります。有吉佐和子の『紀の川』にも登場、境内には布で作った乳房のお守りが奉納されています。

 願掛けも「乳癌治癒」「安産祈願」といった内容が多く、古来女性命が種々の危険に晒されたためでしょうか。寺院でこのようなものを見るのは珍しいですが、出家した空海も母親の恩は忘れがたいものであったという事でしょう。

 この近くの名手から全身麻酔により乳癌の摘出をした華岡青洲がでたのも何かの奇縁を感じます。

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JR和歌山線高野口駅前に立つ「葛城館」
かつては高野山巡礼の人々の宿泊施設だったが、今は営業せず文化財となっているのみ。保存を考えたらもう少し活用しても良いのでは?尚、いつの間にか和歌山線が1時間に1本になっていた。

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大和街道に立つ前田邸宅
横は高野口郵便局。

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重文・本堂(弥勒堂)
本尊は弥勒仏坐像で秘仏。因みに朝8時撮影。

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1624年再建の多宝塔

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慈尊院の絵馬
女人高野と弘法大師の母が住まれたことに由来。願掛けも「乳癌治癒」「安産祈願」といった内容が多い。

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慈尊院奥にある丹生官省符神社
弘法大師が慈尊院創建時に建立したとされる。丹生は乳と音が一緒だが、古来、丹生は水銀の産地であることが多い。水銀は奈良の大仏の金鍍金に使用された。

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慈尊院御朱印   
弥勒佛の墨書。

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子安地蔵寺(和歌山県橋本市) ふじの花の寺の御朱印

2019.04.27(21:35) 247

ふじ安産のお寺(2016.5.4)

<コース>
南海電鉄難波(9:11) → 御幸辻(10:01) → 徒歩25分 → 子安地蔵寺 → 御幸辻(11:48)

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易産山 護国院 地蔵寺(高野山真言宗 関西花の寺第二十四番)

 雨も上がったので、和歌山県下に唯一ある関西花の寺へお出かけ。

子安地蔵寺は南海電車御幸辻駅から道路を上ること25分。

和歌山といえば蜜柑と梅のように花よりも実のあるものを連想するので、花の寺として新しくできたお寺かと思いましたが、

これがなかなか由緒があって古い。寺伝では

『天平9年(737年)、行基が自ら刻んだ地蔵菩薩を女性の安産・子育て守護のために安置したのが始まり。』

とあります。

 行基はともかく、山号が易産山とあるので安産祈願のお寺として古くから伝統があったのは確かな気がします。

南海電車の九度山には女人禁制の高野山に代わり二尊院があるので、ここもそのような配慮があったのでしょうか?

 天正9年(1581年)の信長の高野山攻めでは地蔵堂を焼失しましたが、本尊は山奥に隠され後に発見されて寺に戻りました。

その場所は「かくれがた」と現在でも呼ばれているそうです。

 焼失した寺院は紀州徳川家初代頼宣公により慶安3年(1650年)に復興、以来紀州藩の庇護を受けます。

財政的に厳しいこともあったかもしれませんが、紀州藩が断絶する事無く、後に二人の将軍を出した事を思えば、十分元は取り戻せたと言えるのではないでしょうか?

 境内は広大とは言えませんが各所に藤棚が設けられ8品種が咲き誇り、その花の下で薫りを楽しむ事ができました。

入り口では藤色の袴を着た地元の藤娘二人がお出迎え。

鼻の下を伸ばして【品種】くを買ったなどと言う事はありませんので念のため。

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御幸辻から歩くこと25分で到着

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山門に藤娘二人がお出迎え  入山料¥300

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地蔵寺本堂
行基が開基、本尊も作と伝わる。本堂では御住職が観光バスツアー相手に説明中。

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池の傍の藤棚にて

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これは若木か?

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紫カピタン

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口紅藤

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口紅藤

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子安地蔵寺説明書

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子安地蔵寺御朱印

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淡嶋神社(和歌山県和歌山市)  お雛様の可愛い御朱印と絶品鯛飯

2018.11.30(16:42) 61

[淡嶋神社] ブログ村キーワード
雛流しの郷と絶品鯛飯(2018.11.29)

<コース>
南海難波(10:20) → 特急サザン → 泉佐野(10:48→10:50) → 紀ノ川(11:29) → 加太(11:50) → 徒歩20分 → 淡嶋神社

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淡嶋神社(式内小社)

 南海本線に乗り終点の一つ手前紀の川駅から2両編成に30分ゆられて終点の加太へ。

鯛の一本釣りで有名な漁港ですが、南端に鎮座ましますのが淡嶋神社。

 少彦名命、大己貴命、息長足姫命(神功皇后)が御祭神で、加太沖合の友ヶ島の内の淡嶋(神島)に祀られたことが名前の由来。

近くに淡路島が見えるからではなかった訳です。

 海上鎮護、婦人病、安産の神として崇められ人形を奉納して祈願するのが習わし。

これは神功皇后が人形(ひとがた)を流した故事に由来するそうです。「ひとかた」から加太の地名になったのかどうか?

毎年3月3日には「雛流し」と言って人形を船に乗せて沖に流す行事で有名です。

人形なら何でもOKという訳ではなく、内裏様とお雛様に限られるとか。他の人形の【内裏】をして貰う訳です。

昔の流し雛ならいざ知らず、こんな大きな雛人形を海上投棄してはイカンだろうと思いますが、

海に流すのは初めだけで、後はきちんと処理するそうで安心しました。参拝する場所に【産廃】は駄目ですからね。

 雛流しだけでなく、境内には約2万体を数える人形が置かれており異様な雰囲気。

これを見たら人形には持主の心が宿り粗末にしてはいけないというのが分かる気がします。

 南紀には補陀落渡海というものがありますが、これも海に流す行為。

日本中で紀州だけにこのような事があるのは、黒潮に洗われる土地柄のなせる技でしょうか?

民俗学的にも興味が湧く話ではあります。

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南海電鉄加太駅のプレート   
何んとなく蒲鉾の板の印象を持つのは私だけ?

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加太駅舎   
明治45年に建てられたレトロな洋風駅舎。

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中村邸   
明治末建築の洋館。昭和39年までは警察署として使用、現在は個人宅。

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加太大橋

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役行者堂    
ここに住み修験道の修行を積んだとされる。

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役行者堂から見た友ヶ島

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淡嶋神社本殿に置かれた人形群

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本殿左の市松人形

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本殿左奥の人形

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地面に置かれた土人形

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古い雛を納めた雛蔵

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紀伊国屋文左衛門が寄進した紀文稲荷   
彼はここ淡嶋の出身である。

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昼食はゑびすやにて 鯛の刺身丼 ¥1,000

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淡嶋神社御朱印    墨書はなし

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南海電鉄加太駅スタンプ   
南海電鉄は殆ど常設駅がないが、ここは例外。

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加太郵便局 ; 沖の島からの神島、松
阪南郵便局 ; 和泉石の石灯籠、山中渓の街並み、紀泉高原自然休養林

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和歌山県
  1. 日前神宮・國懸神宮(和歌山県和歌山市) 創建2600年余の神社(08/10)
  2. 竈山神社(和歌山県和歌山市) 神武天皇の長兄の墳墓にある古社(08/07)
  3. 伊太祁曽神社(和歌山県和歌山市)(08/06)
  4. 和歌山電鐵貴志川線(08/04)
  5. 長保寺(和歌山県海南市) 紀州徳川家の菩提寺(08/01)
  6. 善福院(和歌山県海南市) 初期の禅宗様式の釈迦堂(07/30)
  7. 闘鶏神社(和歌山県田辺市) 熊野権現ゆかりの世界遺産(01/01)
  8. 田辺大師(和歌山県田辺市) 小高い丘の上の高山寺(12/31)
  9. 十禅律院(和歌山県紀の川市) 喘息封じと紀州公作庭の御朱印(10/21)
  10. 粉河観音(和歌山県紀の川市) 西国三番札所の大伽藍の御朱印(10/20)
  11. 丹生都比売神社(和歌山県かつらぎ町) 高野を守護する女神の社(10/20)
  12. 藤白神社(和歌山県海南市) 熊野詣の始まりを支えた神社の御朱印(09/16)
  13. 中将姫寺(和歌山県有田市) 中将姫所縁の寺の御朱印(09/15)
  14. 浄妙寺(和歌山県有田市) 有田川沿いに佇む古刹の御朱印(09/14)
  15. 施無畏寺(和歌山県有田郡湯浅町) 醤油の町にある明恵上人の寺(09/07)
  16. 道成寺(和歌山県日高郡日高川町) 絵解き説法と宮子姫伝説の御朱印(09/05)
  17. 日高御坊(和歌山県御坊市) 御坊の由来となった寺院と寺内町(09/04)
  18. 紀伊国分寺(和歌山県紀の川市) 天平の国分寺の跡に建つ寺院(07/16)
  19. 長田観音(和歌山県紀の川市) 紀の川沿いの厄除観音の御朱印(07/15)
  20. 真田庵(和歌山県九度山町) 真田親子所縁の寺院の御朱印(06/25)
  21. 慈尊院(和歌山県九度山町) 世界遺産の女人高野の御朱印(06/24)
  22. 子安地蔵寺(和歌山県橋本市) ふじの花の寺の御朱印(04/27)
  23. 淡嶋神社(和歌山県和歌山市)  お雛様の可愛い御朱印と絶品鯛飯(11/30)