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越前国分寺(福井県越前市) 紫式部所縁の越前国府の御朱印

2019.08.13(20:28) 373

越の国分寺で来し方を偲ぶ(2019.8.9)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR東京(23:10) → (快速ムーンライトながら) → JR大垣(5:45→5:53) → JR米原(6:27→6:50) → JR敦賀(7:36→7:41) → JR福井(8:38→9:08) → JR越前大野(10:05)

(駅レンタサイクル) → 善導寺 → JR越前大野(11:29) → JR福井(12:22→13:12) → JR武生(13:32) → レンタサイクル → 寺町・越前国分寺 → 今立・越前和紙の里

【復路】JR武生(17:06) → JR敦賀(17:36→17:49) → JR大阪(20:13)

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金光明四天王護国寺(天台宗)

 今は合併で越前市と言う名前ですが、以前は武生市。近世城下町の前は越前国府でした。越路の入口として古くから栄え、弥生時代の遺跡も見つかっています。

 平安時代には紫式部が父親の関係で一時期居住した事があり、式部の町としてアピール。

当時の越前は今の加賀まで行政区に含んだ大国で、国分寺の規模も国内屈指のものだったようです。

 当時の名は金光明四天王護国寺と呼ばれ、聖武天皇御宸筆の金光明最勝王経を七重三塔に納めたと言われます。

薬師如来は行基菩薩の一刀三礼の御作で、聖武天皇御礼拝の故事により天拝と称されました。

 行基も古代史上の仏教界のヒーローですが、その姓は高志。越の国に所縁があったと考えるのが普通なので越前国分寺に仏像があっても荒唐無稽とは言えません。

 駅の西方に寺町が集中していますが、その一角に非常に狭い敷地を持った場所が探す国分寺。すぐ南には総社があります。

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駅西側の寺院が林立する地区

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道路から見た国分寺

 往時の面影はない程に小さくなっていますが、紛れもなく律令時代の後継寺院で越地域の文化に寄与したのは明らか。

 若い御住職の話では、度重なる火災で堂宇は烏有に帰した上に場所も移動しているようでした。現在の本堂と庫裏は大正末期の建築との事。

 それでも行基作の薬師如来が難を免れたのは奇跡的。今も本堂中央に祀られていますが50年に一度の御開帳なので目にする機会は少ないでしょう。

 寺内町の一番奥にあるのが一際大きな引接寺(いんじょうじ)。天台真盛(しんせい)宗の別格本山で江戸時代の武生はこの寺の門前町として発展をしてきたとの話でした。

 同じ天台宗ながら国分寺を差し置きトップにのし上がった訳ですが、天台真盛宗の本山西教寺に次ぐ格式を有したことが大きかったのではないでしょうか。

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本堂近影

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由緒書

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本堂の扁額

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国分寺説明書

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越前国分寺御朱印
年配の御住職の書。

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越前市東方にある岡本郵便局
越前和紙の里の中にあり街並みにならった造り。

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越前市マンホール蓋

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越前市マンホールカード    配布場所はこちら

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今立郵便局 ; 桜の名所・花筐公園、越前和紙手漉き風景
岡本郵便局; 重文・紙祖神の大滝神社、越前和紙手漉き風景

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武生深草郵便局 ; 市花・菊の外枠に日野山、龍泉寺越前東照宮の三木像、菊の花
武生桂郵便局 ; 市花・菊の外枠に松並木、町用水

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善導寺(福井県大野市) 奥越の小京都の名水の里で寺巡り

2019.08.12(21:29) 372

しょうずの町から水が出る(2019.8.9)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR東京(23:10) → (快速ムーンライトながら) → JR大垣(5:45→5:53) → JR米原(6:27→6:50) → JR敦賀(7:36→7:41) → JR福井(8:38→9:08) → JR越前大野(10:05)

(駅レンタサイクル) → 善導寺 → JR越前大野(11:29) → JR福井(12:22)

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光明山 悟慎院 善導寺(浄土宗知恩院派)

 東京から臨時快速に乗って帰阪。大垣着5:45と早朝なので米原から北陸に抜けて10時過ぎに越前大野へ。

 土井氏の城下町として知られる奥越の小京都、金森長近が天正4年(1576年)に城郭と街づくりを開始。長近転封後の天和2年(1682年)には土井利房が城下町を整備しました。

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JR越美北線越前大野駅舎
奥越の小京都に相応しい落ち着いた造り。

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駅清水
駅を出てすぐ右手にある名水スポット。散策の始めはここで喉を潤す。

 70mの亀山に聳える越前大野城は宛ら空に浮かぶ城。天空の城と言えば但馬の竹田城が独占していますが、ここと備中高梁の松山城もその名に恥じません。

 唯、35℃を越える気温のため今回は断念。霧が発生する秋が見頃でしょうか?

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空に浮かんだ大野城

 このあたりでは「おしょうず」と呼ばれる清水が湧出。町を歩くと至る所に水場があって猛暑の時期にはありがたい存在です。

 イトヨの里を訪問した後、七日町通り、寺町通と巡礼。武家屋敷は城の周囲に、寺は東側に南北方向に配置。その間に町家がある構造になっています。

有事の際には境内に兵を駐屯させる防衛上のためでしょうか?

 そのうち外堀にある旧内山家と旧田村家は大野藩家老の屋敷。

幕末時点ではどこの藩も借金を抱えていましたが大野藩は無借金。これは全国250余りの藩でも唯一だそうで、藩政に携わった人間に人材を得たといえるでしょう。

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七間通り(七日町)
大野城に続く大手道でかつての街並みが残る。また400年続く朝市が開催される場所でもある。

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七間通りの南部酒造場
登録文化財の造り酒屋で「奥越前の水」も販売

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南部酒造脇の七間清水
ここでも一服。

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大野藩札両替所と郵便発祥の跡

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石碑

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武家屋敷近くにある水舟清水
奥に見えるのは平蔵。

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武家屋敷旧内山家

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内山家門

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武家屋敷旧田村家

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田村家住宅

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内山家裏手を流れる水路
市内にはこのような水路があちこち流れる。

 観光ガイドに載っている寺院は市街地から5㎞以上離れており、今回は街中巡礼。街並みに溶け込んだ伽藍が並びますが、藩主の菩提寺に敬意を表して参拝。

 光明山悟慎院善導寺は寺町の北方面の寺院。寺町の寺院はどれも広い敷地と門が特徴ですが、ここは一際立派で上級武士の屋敷のような感じでした。

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寺町通り
北から南を眺めた所。両側には9宗派16カ寺が並ぶ。

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長勝寺(浄土真宗)
石灯籠通りと寺町通りの交わる場所にあり長い塀が特徴的。

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長勝寺門前にある親鸞聖人像

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善導寺山門
長勝寺と寺町通を挟んだ向かいにある。

 御住職に伺った話では、はじめ筑後に開かれた善導寺が嚆矢で名前を貰ったようです。

善導の名は唐時代に浄土宗を開いた善導大師に由来すると思っていましたが、生半可な知識は怖いですね!

縁起に拠れば、

『室町時代の永禄元年(1558年)、筑後の善導寺より布教に来た大誉鏡山(だいよきょうざん)和尚が大野で説法を行った所、

地元の領主土屋正明の帰依を受け、逗留するために堂宇を建てたのが始まり。』

とされます。

 創建の地は本願清水付近でしたが、その後現在地に移転。殿様の寺として親しまれましたが、奥越で浄土宗はこの一ヵ寺のみ。
北陸は曹洞宗や浄土真宗が強い土地柄だからでしょうか?

 為政者が信仰する宗派を人民に押し付けたり、人民が殿様の宗派に改宗したりすることはありませんでした。

これが日本で悲惨な宗教戦争が殆ど起こらなかったとすればこれも御仏の【善導】と言えるでしょう。

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山門近影

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山門から見た善導寺境内

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善導寺本堂

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本堂正面

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本堂の扁額

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一際大きな境内の梵鐘

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境内の開祖法然上人像

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善導寺説明書
自家製の由。

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善導寺御朱印

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大野市マンホールカード   配布場所はこちら

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おやつは名産「水まんじゅう」

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大野元町郵便局 ; 天然記念物・イトヨ、名水百選・御清水、市花・コブシ、大野城
大野春日郵便局 ; 天然記念物・イトヨ、イトヨ生息地碑、市花・コブシ

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一乗谷朝倉氏遺跡 (福井市)  朝倉氏一乗谷とマンホールカード

2018.09.26(20:28) 5

[一乗谷・朝倉氏遺跡] ブログ村キーワード
つはもの共が夢の跡、越前に花開いた朝倉文化 (2018.8.30) 

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪 → JR京都(7:00) → JR近江今津(8:07→8:13) → JR福井(9:47)

福井駅東口(10:00) → (京福バス 一乗谷東郷線) → 復原街並(10:28)

一乗谷には上記路線バスに加え 「一乗谷朝倉特急バス」もある

【復路】JR一乗谷(12:06) → JR福井(12:22) → 市内散策 → JR福井(16:45) → JR敦賀(17:36→17:49) → JR大阪(20:13)

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一乗谷朝倉氏遺跡 入場料¥210
復原町並の中央を南北200mに亘って続く道路。

 8月最後は北陸へ。

戦国時代に都以外に栄えたのは、山口の大内文化、駿府(静岡)の今川文化と一乗谷(福井)の朝倉文化。

福井市街の東南10㎞、足羽川支流の一乗谷川に沿って幅500m、南北5㎞に亘り城下町が形成され

最盛期には1万人もの人が住んだと伝わります。

山に囲まれた要害の地で交通の便はそれなりに良いのですが城下町の規模としてはこれ以上の発展は難しい。

そんな場所に何故城下町を作ったかですが、守護大名の大内・今川と違い、朝倉氏は守護斯波氏、守護代甲斐氏から

下克上で支配者になった一族。周囲には豪族・一向宗が犇めく状況。一乗谷から徐々に制覇を狙ったのでしょうかね。

初代孝景(敏景)は家訓「朝倉英林壁書」を作り、5代目の義景は京都から将軍一族や文人を迎え文化的にも発展しますが、

守勢に入るとそれ以上の発展も難しくなるのもまた事実。1573年に織田信長によって滅亡。

一乗谷は信長方の平泉寺衆徒に拠り灰燼に帰しました。

1471年に初代孝景が一乗谷を築いてから義景まで103年の栄華ではありました。

 一国の興亡は政治的な発展の後に文化が発達するというのが一般的パターン。

上記の3政権も全国統一を前に文化的爛熟を迎えたため、近世大名として残ることはありませんでした。

 大内、今川文化は政権が変わってもその場所が近世城下町→県庁 と続きますが、

一乗谷は柴田勝家が北ノ庄に城を築いたため衰退。北ノ庄は勝家が滅んだ後も城下町として発展。

但し「北」の字には負ける・背くという意味があるため「福が居る」という福井に改められ今日に至ります。

一乗谷は江戸時代には農地となりましたがそのため保存状態も良好。日本のポンペイ遺跡みたいなもの。

城下町として残らなかったが故に、戦国の遺構が残ったとも言えます。

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福井駅構内にある写真撮影用のモニュメント
国鉄時代より福井駅といえば「永平寺」であったが、今は寺よりも恐竜の方が集客を見込めるからか?ちなみに恐竜博物館があるのは勝山市。

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巡礼スタートの福井駅西口
駅前には恐竜のモニュメントがあり、北陸新幹線開通を見越してか以前に比べて広く綺麗になった。

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一乗谷入口付近の下城戸跡  
長さ38m、高さ4m。石を組合せ見通せないように矩折状に造られている 

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一乗谷川の流れ  
この川に沿って城下町が築かれた。

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復原町並入口よりの眺め
これまでの発掘調査により町割りが復元した。

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町並北橋より南を望む
左に有るのが武家屋敷。

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復原街並武家屋敷の庭

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復元甲冑の展示

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武家屋敷の復元内部
将棋をしている図。遺跡から将棋の駒(酔象)が出土したと「街道を往く」にあった。武将が床几に腰掛けるのならばいざ知らず、将棋に夢中とは無精な…。

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武家屋敷での炊事の様子(台所)

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復原町並 
これは小規模な職人等の町屋の復元

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復元町家と庭

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武家屋敷に比べ質素な町屋内部

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町屋外観
屋根は板葺きでごろた石を置く。

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諏訪館跡庭園
5代義景が妻の「小少将」のために造ったと言われる一乗谷で最大の池泉回遊式庭園。

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諏訪館跡庭園近影

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中の御殿跡
義景の母高徳院の屋敷跡と伝わる。土塁に囲まれ山側には2mの空堀も。

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湯殿跡庭園
高台にあり4つの庭園のうち、最古とされる。やや荒々しい造りに特徴がある。

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上から見た義景館跡
敷地6,500㎡、奥には唐門が見える。三方が土塁、残りが山という要害の地。主殿の他、茶室・厩・花壇まであったとか。

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朝倉館跡と庭園

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朝倉館跡庭園
京都の庭園の影響があるとされる。

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朝倉館跡を巡る土塁

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朝倉館跡入口にある唐門(朝倉館跡西門)
江戸中期に、朝倉義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の三門

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滅多に来ない越美北線の列車
これは12:05の福井行。次の登りは15:46。

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JR一乗谷駅前のマンホール蓋
朝倉遺跡唐門から顔を出す「朝倉ゆめまる」。

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福井市一乗谷マンホールカード     配布場所はこちら

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東郷郵便局 ; 一乗谷朝倉氏遺跡の松雲院山門、諏訪館跡庭園
一乗谷郵便局 ; 一乗谷朝倉氏遺跡の松雲院山門

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一乗谷の後の越前の中心は北ノ庄・福井へ移る。
現在の城址は県庁。

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福井市内大通りのマンホール蓋
空襲と戦後の地震から奇跡的の復興を遂げた福井を表すフェニックスをデザイン。

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福井市マンホール蓋    配布場所はこちら

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  1. 越前国分寺(福井県越前市) 紫式部所縁の越前国府の御朱印(08/13)
  2. 善導寺(福井県大野市) 奥越の小京都の名水の里で寺巡り(08/12)
  3. 一乗谷朝倉氏遺跡 (福井市)  朝倉氏一乗谷とマンホールカード(09/26)