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美濃国分寺(岐阜県大垣市) 天平の法灯を受け継ぐ国分寺

2020.01.16(22:52) 534

土中で難を避けた薬師さま(2020.1.9)

<コース> 日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (新快速) → JR米原 → JR垂井

北口観光案内所→ レンタサイクル10分 → 真禅院 → レンタサイクル5分 → 南宮大社 → レンタサイクル15分 → 美濃国分寺 → レンタサイクル10分 → 北口観光案内所

【復路】JR垂井→ JR米原 → (新快速) → JR大阪

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金銀山 瑠璃光院 美濃国分寺(高野山真言宗 準別格本山)

 一之宮に続いて国分寺へ参拝。

JR垂井を中心に丁度、一の宮と反対側になります。

線路を越えて中山道に沿って東に向かうと、道路沿いに広大な広場が出現しますが、

そこが美濃国分寺跡。

その南から北を望むと山麓にやや現代的な造りを見せるのが美濃国分寺。

聖武天皇の勅願に拠って全国に建立された国分寺ですが、

中には寺院跡しか残っていないものも多々あります。

そんな中で、後継寺院が残り、しかも一之宮も近くにあるというのは稀有な例と言えるでしょうか?

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史跡・美濃国分寺跡
右奥に見えるのが現在の国分寺。

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国分寺の礎石

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美濃国分寺入口

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「やくしばし」を渡り山門へ

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山門(仁王門)近影

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阿形の仁王像

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御縁起

金銀山瑠璃光院美濃国分寺(きんぎんざんるりこういんみのこくぶんじ)は、

『天平9年(737年)、聖武天皇の勅願に拠って行基がここ青野ヶ原に至り、

欅の大木に一丈六尺(約4m)の薬師如来を刻み安置したのが始まり。

 その後、奈良の良弁僧正が第二世、弘仁年間には弘法大師が第三世、

その弟子の智泉が第四世と美濃最古の霊場として栄えた。

 隆盛を極めた堂宇も仁和3年(887年)に焼失。

後に再建されるが、平安末期には衰退に入ったとされる。

 復興したのは江戸初期、元和元年(1615年)に真教上人が土中から薬師如来を彫りだし、

現在の地に草葺の草堂を建て本尊を安置して以降である。』 とあります。

 伝説的とはいえ行基、良弁、空海と仏教界のヒーローが住持を務めたというのは異例の事。

それだけ重要視された証でもあります。

山号寺号も金銀瑠璃と金属・鉱山に関係しているのは南宮大社との関りもあるのでしょうか?

マンガンが採れたので西美濃三十三霊場の満願札所になったとは思えませんが…。

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山門から見た境内
正面が本堂。

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階段を上り本堂へ参拝

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本堂近影

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現在御本尊は本堂後方の奥之院に祀られている

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奥之院へは本堂横を通って向かう

 「やくしはし」を渡り、仁王門を過ぎると正面に本堂が。

外から参拝した跡、御朱印を御願いすると丁度、若い御住職が戻って来られました。

和辻;「御本尊は本堂ですか?」

住職;「いえ。今は奥の院にお祀りしています。本堂は御前立です。」

という事で、御朱印拝受の間に奥の院までお参りすると、説明通りの巨大な薬師様でした。

和辻;「もの凄く大きな仏様ですが、これが埋まっていたのですか?」

住職;「胴体の一部は朽ちていて補修しましたが、埋まっていたそうです。」

私も各地で、戦乱を逃れた仏像を目にしましたが、その中でも大きさはトップクラス。

埋めるだけでも大変でしょうから、身の危険を顧みず

仏像を守った名も知られぬ人々が大勢居たという事でしょう。

和辻;「戦後、濃尾地震があったと思いますが、この辺りの被害はどうだったのでしょう?」

住職;「生まれてはいませんが、この付近は被害が殆どなかったと聞いています。」

やはり、美濃でも国府、国分寺等は自然災害の少ない場所を入念に調査したようです。

その当たりの危機管理は現代も参考にする必要がありそうです。

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奥之院への階段から境内を見る
左が本堂の屋根。

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奥之院の本尊前から

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奥之院から国分寺跡を望む

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奥之院にある御本尊・薬師如来(説明書より引用)
600年の風雪に耐えた御姿。国分寺本尊は薬師様が多いとか。

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高台に建つ納骨堂と観音堂

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鐘楼

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本堂、奥之院と大師堂

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境内右手にある庫裏

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美濃国分寺説明書

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美濃国分寺御朱印

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南宮大社(岐阜県不破郡垂井町) 鉱山・金属の総本宮

2020.01.15(22:37) 533

動かざること大社の如し(2020.1.9)

<コース> 日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (新快速) → JR米原 → JR垂井

北口観光案内所→ レンタサイクル10分 → 真禅院 → レンタサイクル5分 → 南宮大社

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南宮大社(美濃国一之宮、旧国幣大社、式内社)

 真禅院参拝の後は、本家の一之宮に参拝。

通常は駅から南に新幹線を越えると鉄製の21mの朱の大鳥居が目に入ります。

そのまま南へ行くと目指す神社。

唯、今回は真禅院の前の道をそのまま東へ向かい大社の横へ。

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新幹線を越えて見える大鳥居
東海有数のスケールを誇る。左にはうなぎ店も…。

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大鳥居と新幹線線路

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神社入口へ到着

南宮大社は、

『社伝では崇神天皇に遡る古社。延喜式では美濃国一之宮とされた。

南宮山の麓に鎮座するが、国府の南にあった事が南宮大社の名の謂れ。

祭神は鉱山を司る神である金山彦命で、全国の鉱山・金属業の総本宮として今も崇拝を集める。

 慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では境内全てが焼失。

寛永19年(1642年)に春日局の願いに拠って三代将軍・徳川家光が再建。

境内にある江戸時代の神社建築の遺構十八棟が重要文化財になっている。』

とあります。

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橋を渡って楼門へ

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重文・下向橋
一番下手にあり参拝者が行き帰りに渡る橋。

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一つ上手のこの橋も通行可

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重文・輪橋
楼門前に架かる神様が渡る太鼓橋。

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楼門前から見た輪橋
神様が渡るので人間の通行は禁止。

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境内から見た重文・楼門
随神像と狛犬が参拝者を見守る。

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楼門正面の重文・高舞殿
舞楽を奉納する社殿である。

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高舞殿とその向こうに見える拝殿

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拝殿前から高舞殿と楼門を見る

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高舞殿近影
四方の蟇股に十二支が彫刻されている。

 初めは南宮山に由来する社名と思っていましたが、

神社の名が山の名になったと考えるのが良さそうです。

ここの祭神は金物に所縁がありますが、この辺りでは石灰岩、マンガンが採掘されています。

唯、古代に於いて金属が産出したという記録は聞きませんし、

境内には朱塗りの建造物が多いですが丹生の地名もなさそう。

なぜ金属の神として崇拝されたのか謎は残ります。

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重文・拝殿
南宮造を構成する一棟で、参拝者はここで御祭神を拝す。

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拝殿の後方に見えるのが重文の本殿と幣殿

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重文・神輿舎
入母屋造・本瓦葺で神輿10基が収納されている。

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重文・神官廊
神仏習合時代の神官の控所だった建物。唯、今は前にある仮の社務所の蔭に隠れている。

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重文・勅使殿
入母屋造、妻入、銅板葺。

 南宮山は関ヶ原合戦では西軍の吉川広家、安国寺恵瓊が陣を構えた場所ですが、

吉川広家は家康の意向を受け兵を動かしませんでした。

動かざること山の如しを地で行った訳ですが、結局西軍が敗戦濃厚になると戦線から離脱。

これで大丈夫と思ったでしょうが、毛利家は大幅に領地を削減される羽目になりました。

また陣地となった南宮大社としては兵が動かなかったので

被害はないと予想したのでしょうが、全て灰燼に帰しました。

吉川広家も南宮大社も考えは【大海人】だったようです。

 唯、江戸時代になり幕府の力で再建にこぎつけたのは、

徳川からの罪滅ぼしの意味もあったかもしれません。

こうして令和2年初の一之宮参拝も無事終了。

個人的には鉱山・金属には縁はなくとも、金に円があればと思った次第です。

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参拝を終えて北側の門から帰路へ

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南宮大社御由緒

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南宮大社略誌

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南宮大社御朱印

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垂井郵便局 ; 垂井祭の曳き山車、重文・南宮大社楼門
表佐郵便局 ; 南宮大社、表佐太鼓通り

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朝倉山真禅院(岐阜県不破郡垂井町) 美濃一之宮の神宮寺の変遷

2020.01.14(23:05) 532

美濃一つだに無きぞ悲しき(2020.1.9)

<コース> 冬の青春18きっぷ使用   日中30分間隔で運転
【往路】JR大阪 → (新快速) → JR米原 → JR垂井

北口観光案内所→ レンタサイクル10分 → 真禅院

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朝倉山 真禅院(天台宗)

 年末に行けなかった美濃を再訪。

今でこそ、美濃の中心は岐阜市を中心とした地域ですが、

これは織田信長が岐阜城を築城して以降の話。

 それ以前の、美濃の中心はそれよりも西に拠った不破郡。

大垣市以外は垂井・関ヶ原と総て町ですが、ここには国府、国分寺、

国分尼寺、一之宮まで置かれたとあるので中心であった事は間違いありません。

濃尾平野の位置で見ると随分西にありますが、

ここから名古屋方面に平野が一気に広がるという開始点でもあったようです。

 古代の三関である不破の関が置かれた場所。

古代には壬申の乱で大海人皇子、近世では江戸幕府を決定的にした

関ヶ原合戦と歴史の分岐点になった場所でもありました。

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竹中半兵衛重治公の像
JR垂井駅北口にある。

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吉川広家陣跡
西軍に属しながら合戦には加わらなかった。

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行く手に境内が見える

 駅の南側には美濃一之宮の南宮大社が鎮座しますが、

その前の道を西に向かい朝倉山の麓に建つのが真禅院。

『朝倉山真禅院(あさくらさんしんぜんいん)は、

天平11年(739年)行基が自ら刻んだ阿弥陀如来を祀るべく開創した

象背山宮処寺(ぞうはいさんぐうしょじ)が嚆矢。翌年には聖武天皇の行幸という僥倖もあった。

 延暦年間の790年頃、勅令により最澄によって南宮神社と神仏習合され神宮寺と改名。

その後は平将門、安倍貞任の追討の祈願が行われた。

 文亀元年(1501年)の火災で諸堂は焼失、美濃守護・土岐政房の尽力で10年後に再建を果たすが、

慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦で再度焼失。寛永19年(1642年)に徳川家光に拠り再建された。

 明治になり廃仏毀釈の波を受けたが、神宮寺の僧侶・秀覚法印と村人たちの熱意に拠り、

南宮大社境内から移築。4年後に朝倉山真禅院として新たな歴史を刻んでいる。』 とあります。

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寺院入口の階段

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石標には朝倉山南神宮寺
南宮大社の神宮寺を略した形。

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小さな山門
神宮寺であったことから独自の大きな門は持たなかった?

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山門を過ぎて見える木立と鐘楼

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正面に見える重文・本地堂
阿弥陀如来を本尊とし、寛永19年(1642年)に再建された。

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本地堂近影

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本地堂の南方面

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釈迦堂(右)と最勝寺観音堂

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薬師堂

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本地院の前を抜け北側に

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来し方を振り返る
本地堂の向こうは護摩堂。

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観音堂
南宮大社奥之院高山社の本地仏「高山観音」を祀る。

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御朱印は観音堂にて拝受

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境内の北側

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鐘楼

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重文・梵鐘
奈良時代に奈良で鋳造された県下最古の梵鐘である。

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鉄塔を納める堂
北条政子が源頼朝の菩提を弔うために寄進したもの。

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重文・三重塔
大日如来を本尊としている。寛永20年(1643年)の再建。

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三重塔正面

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庫裏から三重塔を見る

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庫裏前の庭

 昔からの交通の要衝ですから戦乱に会うのは仕方がありませんが、

一番の危機は明治の廃仏毀釈だったというもの皮肉なもの。

幸いに人々の努力で無事移転しましたが、その背景には後に重文となった三重塔や

本地堂を後世に残したいといった現実的な事だったようです。

 信仰心とは少し違いますが、後世に伝わった事で良しとすべきでしょう

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三重塔前から垂井町内を見る
手前の建物は県立不破高校。

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真禅院説明書

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真禅院御朱印

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飛騨国分寺(岐阜県高山市) 飛騨第一の古刹の御朱印

2019.03.28(00:20) 188

法灯をたくみに守った話(2019.3.24)

<コース> 春の青春18きっぷ
【往路】JR東京(23:10) → 快速ムーンライトながら → JR岐阜(5:32→5:37) → JR高山(8:44→9:40) → JR飛騨古川(9:57)

JR飛騨古川駅 → 徒歩10分 → 三寺参り → JR飛騨古川(10:51) → JR高山(11:13) → 飛騨国分寺桜山八幡宮 → 上三之町 → 高山陣屋 → 飛騨国分寺 → JR高山

【復路】JR高山(14:49) → JR美濃太田(17:32→17:35) → JR岐阜(18:07→18:21) → JR米原(19:09→19:18) → JR大阪(20:42)

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醫王山 飛騨国分寺(高野山真言宗)

 櫻山八幡宮に続き、街並みを見ながら飛騨国分寺へ巡礼。

上三之町から下二之町にかけて人が多いのは昔も今も変わりなく別段驚きません。

が、外国からの観光客が多く、中でもタイとイスラエルからの人が増えているのだとか。

街を行くとワイドビューならぬワールドビューと言った雰囲気。

杉原千畝さんが岐阜出身という事も理由だそうですが、それだけではなさそうです。

地道に観光誘致に努力してきた以外にも、日本に住んでいる人間には分からないこともまだまだあるような気がしました。

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上三之町付近

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上三之町付近

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上三之町付近

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下二之町付近
右が老舗和菓子の「分隣堂

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おやつはみたらし¥90×2本
高山は【屋台】が有名。

 最後は駅近くの国分寺へ。

高山市内の寺院は東山山麓に集中していますが、国分寺だけは駅の近く繁華街のド真ん中にあります。

それだけ歴史が古いという証でしょう。寺伝に拠れば、

『天平十三年(741年)、聖武天皇の国分寺建立の詔勅が出された後の天平十八年(746年)に行基により建立された』

と言われます。

当初は七重塔を持った壮大な伽藍でしたが、その後焼失と再建を繰り返す中で三重塔になりました。

半分以下の高さになった訳ですが、文化四年(1807年)に再建した塔は高山の名工・水間相模の手になるもの。

新しいからと言って価値が下がるものではありません。

 また境内の大銀杏には孝女八重菊の悲話が伝わっています。

『天平の大塔が建った時、大工の棟梁は誤って柱を短く切ってしまい困っていたところ

、娘の八重菊が桝組で塔を補うことを教えたので塔は無事完成した。

後になって棟梁は秘密を守るために娘を殺し境内に埋め、傍らに銀杏を植えた。

銀杏は薄命の八重菊に代わって樹齢1200年経った今でも生き続けている。』

と言うもの。

 柱の寸法を間違えるとは匠とは思えない失敗ですが、京都の千本釈迦堂にも「おかめさん」にまつわる似た話があり、

時代的には飛騨の話が前ですが実際はその焼き直しのような気がします。

『地獄変』ではないのですから秘密のために娘を殺すというのはどうしたものか。

実際に早世した娘がいて、それを哀れに思った人が作り上げた伝説といった所でしょうか?

また戦国時代に焼失した本堂は、元和元年(1616年)金森氏が三上郷山田村から薬師堂を移築して再建。

鐘楼門は高山城からの移築と経費を抑えながら再建に着手しています。

近世以前は記録が殆どない飛騨地方でさえ、戦乱の波は押し寄せたと言うことでしょう。

開創当初のものは七重塔の礎石、行基作と言われる本尊薬師如来、本堂前の大銀杏くらいですが、

各地の国分寺跡を見ているだけに法灯を今に伝えた事に敬意を表したい思いです。

ここにも飛騨の【巧み】な手腕を感じます。

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飛騨国分寺入口

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山門

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鐘楼門
重層入母屋造りで下層は高山城から移築。

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重文・本堂
室町時代の建築様式を誇る単層入母屋造りで、内部には行基作とされる重文・薬師如来と春日仏師作の重文・聖観世音菩薩がある。

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樹齢1200年とされる大銀杏
乳の出ない婦人に授乳の効果があると信仰される。

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寺務所   御朱印はここで拝受。

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三重塔

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三重塔の垂木部分
飛騨の匠の技術が生きる。

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山門横の庚申堂

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高山と言えばやはりこれ

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飛騨国分寺 説明書    拝観券を兼ねる。

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飛騨国分寺オリジナル御朱印帳
四半世紀前は青色だけだったが今は赤系列もある。

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飛騨国分寺御朱印

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高山郵便局 ; 重文・国分寺三重塔、屋台、中部山岳

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櫻山八幡宮(岐阜県高山市) 高山祭で知られる神社の御朱印とツツジのマンホールカード

2019.03.26(20:45) 187

下二之町から桜山へ(2019.3.24)

<コース> 春の青春18きっぷ
【往路】JR東京(23:10) → 快速ムーンライトながら → JR岐阜(5:32→5:37) → JR高山(8:44→9:40) → JR飛騨古川(9:57→10:51) → JR高山(11:13)

JR高山駅 → 徒歩10分 → 桜山八幡宮

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櫻山八幡宮

 飛騨古川巡礼の後は高山に戻って街並みを散策。

一般には飛騨高山として知られますが、市名・駅名共に高山。同じ名の行政区がなかったからでしょうね。

 古代より飛騨地方の中心、1970年代国鉄のディスカバー・ジャパンでは多くの旅行者を引き寄せました。

飛騨の小京都の威力は今も健在。

今回来て駅舎の変貌ぶりに先ず驚きましたが、海外からの観光客に備えての事でしょうか?

 そんな高山ですが、古代から中世にかけて公の記録に「何もなし」という記載が長く続いたとか。

目ぼしい産業がなかったからでしょうが、山に囲まれた立地条件が逆に「飛騨の匠」を生む素地になったとも言えます。

高山祭は屋台が町を廻りますが、屋台に仕掛けられた 「からくり」 が見物、紛れもなく飛騨の匠の技です。

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JR高山駅舎
かつては平屋で瓦だった気が。

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下二之町
布引橋を北に渡った通り。

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吉島家住宅
右上部に立ち上がっている袖壁は防火用の塗塀で火垣と言うもの。一般には「卯建(うだつ)」と呼ばれる。

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宮地家住宅

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宮地家での雛祭の展示

 宮川の東側にある三町筋は黒光りする連子・千本格子飛騨の匠の伝統が生きた街並み。

その下二之町を通って向かった先が櫻山八幡宮。

 秋の高山祭で知られ、鬱蒼とした森を背景に桜山の麓に鎮座しています。宮前橋を渡って鳥居をくぐる事3回。

総檜造りの社殿に至ります。社伝に拠れば、

『その昔、飛騨地方を支配していた両面宿儺を誅伐した武振熊命が応神天皇を祀った』

というのが始まり。
神話時代に近いですが、1000年以上の伝統があるのは間違いないようです。

その後、江戸時代に領主だった金森氏が高山城の北の守護神として再興、天領時代を経て今に至ります。

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宮前橋を渡った所にある三の鳥居

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八幡宮表参道

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二の鳥居

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八幡宮境内へ向かう

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一の鳥居

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神門を通りいよいよ社殿へ

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櫻山八幡宮拝殿
総檜造りで本殿はこの奥に鎮座。

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神門にある桜の神紋

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拝殿から見た境内    分社がある。

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神門前の庭

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櫻山八幡宮御朱印

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昼食は駅前の蕎麦「小舟」にて

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飛騨牛せいろ蕎麦 ¥1,550

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〆は山菜御飯 ¥230 と蕎麦湯

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高山祭で屋台が通る中橋から陣屋方面を見る

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高山市政記念館

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高山陣屋

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高山市マンホール蓋

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高山市マンホールカード    配布場所はこちら

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高山上一之町郵便局 ; 高山祭神楽台、古い町並
高山八幡郵便局 ; 高山祭の屋台・布袋台、重文・旧日下部家住宅

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円光寺・真宗寺・本光寺(岐阜県飛騨市) 三寺まいりの御朱印録と街並みマンホールカード

2019.03.26(18:32) 186

余命見立ての三寺まいり(2019.3.24)

<コース> 春の青春18きっぷ
【往路】JR東京(23:10) → 快速ムーンライトながら → JR岐阜(5:32→5:37) → JR高山(8:44→9:40) → JR飛騨古川(9:57)

JR飛騨古川駅 → 徒歩10分 → 三寺参り → JR飛騨古川(10:51)

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円光寺・真宗寺・本光寺(浄土真宗西本願寺派)

 関西在住だと、同じ岐阜県でも美濃は近いけれども飛騨は遠い所。

青春18きっぷのみで行くと乗り継ぎの悪さもあって高山は15:27着となり現実的ではありません。

 ところが東京から「ムーンライトながら」に乗った場合、早朝に現地に行けることが判明。

利用しない手はないと夜行の疲れを気にしながら一路飛騨路へ。

 高山の先の飛騨古川は高山を一回り小さくした街。

16世紀に金森可重(ありしげ)が増島城主となり、高山に似せた町割りをしたので似ているのも道理。

古い町並みが三町筋あるのも同様です。

街を流れる瀬戸川には白壁土蔵が影を落としていますが、ここは町人と武士の住まいの境界でもありました。

優雅な眺めの中にも厳しい現実があるようです。

かつてJR大阪駅から通勤する時に向かいのホームに急行「たかやま」飛騨古川行というのがいつも止まっていました。

四半世紀前に行った時は、水路と土蔵が映える街並みでしたが観光客は殆ど居らず。

今回は映画「君の名は」の舞台になったとかで聖地になって居りましたが、それでも観光客は少ない方。

やはり東京や大阪から行き難いのがネックなのでしょう。

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白壁土蔵を模した飛騨古川駅舎
四半世紀前と変わらず。

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まつり広場にある飛騨古川起し太鼓
¥100で打つのが可能

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瀬戸川と白壁土蔵群
円光寺横にある渡辺酒造店の土蔵。瀬戸川は400年前に増島城の濠を利用し水田開発のために引かれたもの。川の西側が町人街に当たる。

 街中には大きな寺院が三ヵ所あるので、急ぎお参り。

 照曜山円光寺(しょうようざんえんこうじ)は駅から最も近く瀬戸川沿いにあるお寺。

開基は1514年で山門は増島城の城門の移築、本堂は寛文七年(1667年)の再建で室町様式の名残を留めています。

本堂の軒下には水呼びの亀の彫刻があって明治37年の大火の際には類焼を防いだとか。

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瀬戸川を通り円光寺へ

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円光寺山門     朝市の様子。

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円光寺本堂
「水呼びの亀」の彫刻がある。

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瀬戸川の続きにある蒲酒造場

 続いて宮川と荒城川の合流付近に行くと朝光山真宗寺(ちょうこうざんしんしゅうじ)に。

開基は1502年ですが、1589年に国守金森氏から境内地が寄進され現在の場所に移りました。

当初は東本願寺系でしたが、宝永二年(1705年)西本願寺派へ転派しました。

藩主所縁の寺ですが、明治の古川町大火で経蔵のみを残して全焼したのが惜しまれます。亀の彫刻がなかったせいでしょうか。

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真宗寺

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真宗寺山門

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山門近影
平成の建造だが飛騨の匠の技は健在。

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真宗寺本堂

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麒麟・龍・亀が素晴らしい本堂の彫刻

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真宗寺鐘楼

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荒城川に架かる今宮橋から見た真宗寺

 赤い欄干の宮川橋を眺めつつ、荒城川を遡ると次の橋の袂に佇むのが、白豹山本光寺(はくひょうざんほんこうじ)。

1532年開基となっていますが、一説では親鸞聖人開基と言う故事のある古寺。

そのためか山門脇には開祖の銅像が建っています。こちらは宝永三年(1706年)大谷派から西本願寺派への転派です。

境内を囲む玉垣には野麦峠を越え信州へ出稼ぎに出た女工さん達の寄進の名前が刻まれています。

そして川向いの八ツ三旅館は彼女達の宿泊した宿だとか。調査不足で今回はスルーしてしまったのが悔やまれます。

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本光寺

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本光寺山門

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ここにも飛騨の匠の技が

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本光寺山門横にある開祖親鸞聖人像

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本光寺鐘楼

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本光寺本堂     明治37年の大火で焼失後の再建。

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本光寺屋根の装飾

 三寺共に浄土真宗西本願寺派、大きな山門と大伽藍の本堂と鐘楼が特徴の大きな寺院でした。

真宗寺でたまたまお寺の方が、境内に居られたので話を伺いましたが、北陸の浄土真宗との関連は分かりませんでした。

浄土真宗なので御朱印はなし、玄関には「御朱印対応は致しかねます」の張り紙も。昨今のブームで来る人も多いのでしょう。

 立ち去ろうとすると門前の「飛騨古川さくら物産館」に三寺参り朱印¥520の張り紙が。

印刷したものに判を押したものですが、折角なので購入。これも【円結び】でしょうかね。

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三寺まいり 御朱印録
真宗寺横の「飛騨古川さくら物産館」にて

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飛騨古川三寺の御朱印セット
但し、縦に長いので下を切らないと御朱印帳に貼れないのが難点。

 それよりもここは二百年続く1月15日の三寺(みてら)参りが有名です。

この日は開祖親鸞聖人の遺徳を偲び参拝する訳ですが、通りには蝋燭が灯されるのが習わし。

『嫁をみたての三寺参り、髷を結わせて礼まいり』

と唄われたように明治・大正期には信州に出稼ぎに行った女工さんが一年の奉公を終えて年末に帰省、

お参りしたので良縁が多く生まれたと言われます。

 蝋燭の明かりの効果もあったでしょうが、男たちが【見てら】と思った女性たちは精一杯着飾った事でしょう。

古川は勇壮な起し太鼓でも有名ですが、これも男女の出会いの場だった可能性が大。

古代の歌垣で男女の恋が芽生えたように、近世でもそのような出会いは地域で積極的に作っていたように思います。

映画の聖地の背景にはこんな歴史もあったのですね。

 女工さんと聞くとすぐ女工哀史が思い浮かびますが、繊維は国家の基幹産業で農家の副業としては換金性が最も良いことで有名でした。

彼女たちが宿泊した宿も当時とは内容が変わってはいるでしょうがネットで調べると「飛騨古川 料理旅館 八ツ三館」として今も運営しています。

そのことを考えると野麦峠・女工哀史も割引いて考える必要があるのではないでしょうか?

 こうして1時間足らずでしたが三寺参り完了。尤も私の場合は「嫁をみたての」ではなく【余命見立ての】ではありましたが…。

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飛騨市マンホール蓋

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飛騨市マンホールカード    配布場所はこちら

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両界山横蔵寺(岐阜県揖斐川町)  美濃の紅葉の絶景寺院の御朱印

2018.11.16(17:13) 41

[横蔵寺] ブログ村キーワード
美濃の正倉院、紅葉の橋に彩られた絶景スポット(2018.11.15)

<コース>
【往路】JR新大阪(ひかり6:18) → JR米原(6:43→6:46) → JR大垣(7:19→養老鉄道7:46) → 揖斐(8:10→バス8:14) → 揖斐川町コミュニティバス25分 → 谷汲山(8:41→10:26) → 揖斐川町コミュニティバス15分 → 横蔵(10:41)

【復路】横蔵(11:32) → 揖斐川町コミュニティバス42分→ 揖斐(12:14)

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両界山横蔵寺(天台宗)

 道の駅で昼食を摂った後は、再びバスで横蔵寺へ。こちらは谷汲と違って山間の谷間。

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医王橋から横蔵寺方面を望む(上神原バス停付近)   
寺院は二つの山に挟まれた谷間の奥

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両界山横蔵寺入口付近

 両界山横蔵寺(りょうかいさんよこくらでら)の伝承には次のようになります。

『伝教大師最澄が、比叡山の持命上人が天竺から持ち帰った赤栴檀の木で根本中堂の本尊を彫り、余材で尊像を作りました。

その尊像を祀る場所を求めて諸国行脚中、当地で三輪次郎大夫藤原助基と言う老人の杣小屋に一夜の宿を借りました。

翌朝、尊像は横になったまま動かなくなり、「仏の意志ならばここに安置致しましょう」という最澄の一言でここに祀ります。

これが801年の事、桓武天皇の勅願も受けました。

四方の山が両界曼荼羅の構えで、尊像が横になった事から、両界山横蔵寺と名付けた。』

 以上が、縁起に記載されている内容ですが、何故か午前中の谷汲山と似たエピソード。

谷汲山同様、御本尊を最澄と結びつける事で、天台宗との縁を強調したかったのだと考えられますね。

実際比叡山との関わりも深く、平安・鎌倉時代はこの地域の本山として学問の中心となり、数多の僧坊も有しています。

信長の比叡山焼き討ちで延暦寺が灰燼に帰した際には、ここの本尊が

「同じ霊木から作られた最澄自作の仏」 という事で、里帰りしました。

本家が断絶したので分家が跡を継いだ形ですが、それだけここの格式があったと言うことでしょう。

尚、ここの本尊には洛北深泥池の畔に祀られていた薬師如来を持って来たそうで、まさにドミノ【泥美濃】式ですね。

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飛鳥川に架かる瑠璃橋    
横蔵寺の紹介ではここが良く使われる絶景ポイント。今年の紅葉まつりは11月18日(日)

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瑠璃橋を渡って境内へ    
滑るので注意と但し書きが…。

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寺の石垣と紅葉   
城のような造りであるが、それだけ兵火が多かったことの反映か?

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飛鳥川によって削られた地形に建つ

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石垣に付いた落ち葉も趣を誘う

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瑠璃橋を渡り山門へ進む

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紅葉の向こうに山門が見えて来た

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横蔵寺山門(仁王門)

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仁王門   
和様、二重、三間二間の檜皮葺の楼門で二階は鐘楼を兼ねる。1675年完成。

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香堂と本堂

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横蔵寺本堂   
和様、一重、方五間の檜皮葺の入母屋造。1671年に完成。本尊は薬師如来坐像。

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本堂から仁王門方面を望む

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横蔵寺三重塔   
和様、三重、方三間の檜皮葺で1663年に完成。元来仏舎利を祀るものだが、近年まで大日如来坐像を安置していた。

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飛鳥川沿いから見た本堂

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飛鳥川に架かる山王橋と観音堂
 
 幾度も兵火に遭遇しながらも木造十二神将を始め中世の仏像が残る事から美濃の正倉院とも呼ばれますが、

もう一つ不思議なものが即身仏。即身仏は空海の「即身成仏」を体現し、真言宗で名前には「海」が付くのが特徴。

ここは天台宗で名前も妙心上人と「海」がないのは岐阜県だからでしょうかね?

出羽・越後と日本海の北側に多いので美濃にあるのは珍しく、拝観できる仏としては最南端最西端だとか。

なんでも上人はここ横蔵の出身で、善光寺で修行の後、各地を回り36歳で山梨の都留で入定。

いくら昔とは言え、その年でどのような考えがあったのでしょうか。

その後、山梨や各地を巡って見世物にもなってようやく故郷にお戻りになられました。

寺が正倉院ならば、数奇な運命を辿った即身仏はさしずめ「美濃のミイラっす」ね!

コミュニティバスは空いていましたが、駐車場には大型バスが4台。大阪・奈良のプレートもありました。

御本尊は秘仏ですが、即身仏に加え中世の十二神将が拝観可能。

尤も入山者のお目当ては仏像よりも紅葉だそうで、谷川、石垣、赤い橋に紅葉は良く映えて居り、三脚を建てている人も。

目的はどうあれ、お寺の経営【即身】に寄与するならと【両界】した次第です。

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妙心上人の即身仏(舎利仏)を安置する舎利堂    
神将は向かいの瑠璃殿に安置。この両者で拝観¥500

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仁王門脇にある横蔵寺客殿   
立派な造りだが、ここは見学に来る人は少ない

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寺門付近から見た仁王門

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昼前には団体客が来ます

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横蔵寺御朱印    
書いたものを拝受ですが、2枚1組で¥600

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谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐川町)  西国札所結願の御朱印

2018.11.16(09:41) 40

[谷汲山華厳寺] ブログ村キーワード
現在・過去・未来、迷い道、紅葉のトンネルが美しい結願寺(2018.11.15)

<コース>
【往路】JR新大阪(ひかり6:18) → JR米原(6:43→6:46) → JR大垣(7:19→養老鉄道7:46) → 揖斐(8:10→バス8:14) → 揖斐川町コミュニティバス25分 → 谷汲山(8:41)

谷汲山 → 徒歩15分 → 華厳寺

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谷汲山華厳寺 西国三十三カ所満願結願の寺(天台宗)

 快晴となった霜月半ば、西美濃の谷汲山へ。

ここは平成7年8月20日に訪れています。

樽見鉄道谷汲口はお寺まで遠く、その頃は岐阜から谷汲まで名鉄が運行していたのでそれで訪問。

路面電車とはいえ、ほぼ1時間毎に運行していたので便利でしたが、惜しい事に2001年に廃止に。

現在の御朱印ブームがもう少し早かったら残ったのではと悔やまれます。

今回は大垣駅から養老鉄道に乗換え終点揖斐駅で揖斐川町コミュニティバスを利用ですが、

目的地まで行くバスは凡そ2時間後、そこで途中止まりのバスで先ずは華厳寺へ。

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養老鉄道揖斐駅  
かつての近畿日本鉄道揖斐線

 谷汲山華厳寺 (たにぐみさんけごんじ) は西国三十三カ所の満願結願の天台宗寺院。

『その由来は古く798年に会津の豪族大口大領という人が都の仏師に彫って貰った十一面観音を持ち帰ろうとしたところ、

ここで動かなくなったのでお堂を建てて祀りました。

その後、大口は山中で修行中の豊然上人と協力して寺を建てたのが始まり。

801年には桓武天皇の勅願となり、917年には醍醐天皇から谷汲山の山号と華厳寺の扁額を賜ったと由来にはあります。

谷汲は近くの山から汲めども尽きぬ程油が噴出し燈明に不自由しなかったからだとか。』

 大口大領、豊然上人共に伝記が伝わっていない上に目出度い文字の名前です。

蓋し、大きな領地を有する大口のパトロンが自然豊かなこの地にお堂を建て、勅願と扁額を貰うために、

このような目出度い人物像を作り上げたと言うのは考えすぎでしょうか。【汲めども尽きぬ】歴史の面白さではあります。

 このような来歴を持ちながら重苦しさはなく、いたって庶民的な場所。

平地の端で太陽がさんさんと注いでいるものそれらしい感じです。双門から1㎞の参道を歩きますが、

上は紅葉のトンネル、左右には店が軒を連ねる状態で煩悩があると辿り着くのに時間が掛かります。

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谷汲双門   
バスはここを過ぎて谷汲山バス停まで

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山門までほぼ1㎞、この様な紅葉のトンネルが続く
紅葉まつりは11月11日なので文字通り後の祭り。春は桜のトンネル。

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このようなお店も数軒   
結願所ゆえでしょうか? それにしても大サービス…。

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谷汲山仁王門   
宝暦年間に再建。仁王像と大きな草鞋が特徴。

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本堂へと続く階段

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華厳寺本堂   
明治12年の再興。本尊は十一面観音、脇立ちは不動明王と毘沙門天だが秘仏。御朱印はここの右奥で拝受。

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本堂から続く回廊

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子安観音堂(左)と笈摺堂(右)   
観音堂には涎掛け、笈摺堂には折鶴が。

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笈摺堂   
ここは来世を表すのだそうで、折鶴は笈摺の洒落。

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階段を上った先にある満願堂   
ここは過去を表すのだそうな。

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奥之院への入り口にある3狸  
猿なら「見ざる聞かざる言わざる」で良いが、狸ではどうなるのでしょう?

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奥之院への山道から華厳寺を望む

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本堂脇の紅葉

西国巡礼の御朱印は既に頂いていたので今回はお不動様を拝受。平成7年8月20日の訪問時は、

鉄丈:御朱印3つで¥300ですか!

お寺:いえいえ、3つで¥900です。

鉄丈:1つでいいのですが…。

お寺:結願は御朱印3つという決まりになっていますので。

といった遣り取りの末、御朱印3つ拝受。

その時は深く考えませんでしたが、後で調べると3つの御朱印は現在・過去・未来を表しているのだとか。

来世で「迷い道くねくね」に入らないようにという仏心でしょうか?

 今回はその3つを表す本堂・満願堂・笈摺堂を抜かりなく参拝。23年越しにきちんと達成と言う漫画のような満願でした。

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平成7年に拝受した御朱印   左;笈摺堂(未来)、中;満願堂(過去)、右;本堂(現在)

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今回は脇立ちのお不動様で拝受

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谷汲郵便局 ; 谷汲山華厳寺本堂、谷汲踊り      
揖斐北方郵便局 ; 揖斐川の川口橋、鮎    
揖斐川郵便局 ; 揖斐祭りの山車、簗場、鮎、揖斐峡  
養基郵便局 ; 脛永橋、揖斐川の鮎、坪井信道誕生碑

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小腹が空いたので西へ1.5㎞行った所の道の駅「夢さんさん谷汲」にて、みょうがぼちを購入
茗荷の葉で包んだ素朴な饅頭。葉っぱが食べれるか聞こうとして失念、茗荷のせいでしょうか?

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関善光寺と新長谷寺(岐阜県関市) 刃物の町の寺院の御朱印とマンホールカード

2018.10.27(23:38) 15

[新長谷寺] ブログ村キーワード
刃物の街にきった観音、風格のある檜皮葺きの七堂伽藍と鰻(2018.10.23)

<コース> *向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR岐阜(8:54) → ⑭乗場 岐阜バス 岐阜関線(9:15) → 関シティターミナル(10:05)

関シティターミナル → 徒歩5分 → 関善光寺 → 徒歩15分 → 新長谷寺

【復路】関シティターミナル(15:20) → JR岐阜駅(16:08) → JR岐阜(16:32→16:49☆) → JR大垣(17:01→17:09☆) → JR米原(17:44→17:47*) →JR大阪(19:13)

 関と言えば、関の孫六に代表される700年の歴史を持つ刃物の街。美濃からは江戸初期に円空という僧が出ます。

生涯に亘り12万体の神仏像を彫ったといわれ、作品は素朴な中にも力強さのこもったもの。

彼の生涯は謎に包まれた部分が多いですが、刃物の産地が近くにあった事も大きかったと思います。

もしかすると刃物の切れ味を試すための工匠が各地を回って彫った事が円空という存在を作り上げたのではないか。

あくまで想像の域ですが…。

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関市マンホール蓋  
デザインは鵜飼と関の刀匠。

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関市マンホールカード ; 関市役所下水道課にて配布

 JR岐阜から高山本線で美濃太田、長良川鉄道に乗り換えて関駅というのが正統派な行き方なのでしょうが、

岐阜以降は極端に列車本数が減るので、今回は岐阜駅から岐阜バスにて現地入り。

日中でも30分間隔で運行しており意外と便利。ローカル線や三セクの客が流れるのは仕方がないとも言えますね。

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長良川鉄道(旧越美南線)を走る列車  
日中は1時間毎の運行(富加駅にて)

 関についたら高台にある関善光寺へ。

1753年に関の新屋広瀬家新太郎が祖父母供養に大仏殿を建立した宗休寺が発祥。

その50年後に長野善光寺大勧進の大和尚が立ち寄ったのを機に、善光寺の名を貰ったようです。

会社で譬えればM&Aでしょうが、宗休寺としても大寺院の傘下に入る方がメリットも多かったのでしょう。

全国善光寺会なるものもあるようで、こうなると一つの宗派の感があります。尤も善光寺は宗派がないそうですが…。

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妙祐山宗休寺(関善光寺)  天台宗

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境内案内図

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善光寺如来堂  
寛政10年(1798年)間善光寺大勧進等順和尚の出開帳が御縁となり約10年を費やし完成。長野善光寺とそっくりであるが本家に敬意を表し大きさは約四分の一である。本尊も同じく一光三尊阿弥陀如来で7年毎の御開帳の秘仏。

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関善光寺大仏殿  
御本尊の丈六阿弥陀如来像は岐阜県下最大の木造仏である。

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横から見た大仏殿

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関善光寺横にある弁慶庵(惟然記念館)  
芭蕉十哲の一人で関出身の「惟然」の住居を復元したもの。

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弁慶庵入口

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弁慶庵内部

 その後は平地に降りて新長谷寺(しんちょうこくじ)へ。

地元では山号を元にした吉田(きった)観音と呼ばれています。「ちょうこく」も「きった」刃物の街には相応しい呼び名ですね。

かつては山門の数百m南に大門があったようで今でも字に残っています。境内に入ると七堂伽藍が。

全て杮葺きというのも重厚な感じ。但し、修行の場という事で山門内は撮影禁止。

残念ですが、そういう所もあるのも寺社巡りの醍醐味でしょうか。

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大門付近から  
遠くに新長谷寺の山門が見える。後堀川天皇勅願は帝の眼病が平癒した事に拠る。

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吉田山新長谷寺(吉田観音)  真言宗智山派   
写真は二王門で宝暦5年の再建。

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新長谷寺総門   
後伏見天皇扁額、豊臣秀吉寄進。この門の中は撮影禁止。

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総門からの撮影  
境内の七堂伽藍(本堂・阿弥陀堂・釈迦堂・大師堂・鎮守堂・三重堂・薬師堂)は重文で杮葺き。正面が本堂で右が三重塔、本堂右奥が鎮守堂である。

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本堂

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左 ; 新長谷寺御朱印     右 ; 関善光寺御朱印

 待ちを歩くと「鰻屋」が数軒。なんでも鮎と並んで関は鰻が名物なのだとか。

東海道の関(亀山市)も鰻が有名ですが、関と言う名は鰻と関係するのでしょうかね。

今回はスルーでしたが次回は是非にと街を後にしました。

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関郵便局 ; 新長谷寺本堂、三重塔と特産刀剣    
関大門郵便局 ; 新長谷寺仁王門、三重塔と古式刀鍛錬

関市内のうなぎ専門店
吉田観音前;角丸
刃物会館前;孫六
関善光寺近;辻屋

[参考書]

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