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本山専修寺(三重県津市) 国宝・御影堂と如来堂

2020.08.24(21:04) 682

開祖の【しんねん】は【いしんでんしん】!(2020.7.25)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR天王寺(5:35) → (関西本線) → JR加茂(6:54→6:55)→ JR亀山(8:16→8:23) → (紀勢本線) → 伊勢市(9:56→10:20) → JR鳥羽(10:38) → 徒歩15分 → 金胎寺 → JR鳥羽(12:02) → JR伊勢市(12:15) → レンタサイクル10分 → 中山寺 → レンタサイクル15分 → 松尾観音寺 → JR伊勢市(15:56) → JR一身田(16:16) → 徒歩5分 → 専修寺 → JR一身田(17:25) → JR亀山(17:41→17:43) → JR柘植(18:08→18:11) → (草津線) → JR草津(18:58→19:06) → JR大阪(19:57)

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高田山 専修寺(浄土真宗高田派本山)

 寺内町散策の後は、いよいよその中心へ。本丸ならぬ本山です。

高田山専修寺(たかださんせんしゅうじ)は、

『浄土真宗十派の一つである高田派の総本山。

元々の専修寺は、嘉禄元年(1225年)開祖・親鸞聖人が関東各地を教化中に

下野国芳賀郡(真岡市)に一宇を建立し、専修念仏の根本道場としたのが始まり。

起源については、明星天子の夢のお告げと伝わるが、実際は真岡城主・大内氏の依頼に拠るとされる。

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西の桜門跡から寺内を望む

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西口から寺内町通りを見る

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寺内町通り西にある重文・唐門
如来堂正面に建つ四脚門で、檜皮葺屋根の正面・背面共に大きな唐破風があるのが由来。天保15年(1844年)の建築で、完成までに35年を要した。

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唐門説明

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境内から見た唐門の組物と彫刻

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唐門扉の牡丹の彫刻

 その管理を任されたのが親鸞直弟子二十四輩の第二座にあった真仏(しんぶつ)上人であったため、

真岡を中心とした教団は関東でも有力となり「本寺」として全国から崇拝を受けた。

 この教団は高田専修寺の第十世の真慧(しんね)上人の時代に一段と飛躍する。

寛正5年(1464年)、真慧がこの伊勢の一身田に無量寿院を建立。

戦火で焼失した高田専修寺に代わり、東海北陸地方の布教の中心とした事が、

高田派の、強いてはこの町の発展に繋がった。記録に残る最古の資料は天正20年(1592年)のものである。

唯、下野の専修寺も元寺と言う事で本寺、一身田は本山と呼ぶのが定着した。

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唐門下から見る国宝・如来堂

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御影堂の正面に立つ重文・山門
宝永元年(1704年)築の入母屋造・本瓦葺の二階建ての門で専修寺の総門。寺院の門としては最高の格式で楼上には釈迦三尊像を安置する。

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山門の説明

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山門脇には明治天皇行在所の碑が

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境内から見た山門
「指肘木」などの大仏様の建築様式を取り入れている。

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山門下から見た国宝・御影堂

 その頃の寺域は現在の半分位であったが、天正8年(1580年)、正保2年(1645年)と

二度に亘り伽藍が焼失。

万治元年(1658年)津藩二代藩主・藤堂高次の四女・いと姫が専修寺の門主に輿入れする際に

土地の寄進を受けたことで約9万㎡の広大な寺域を得、

町へ入る赤門・黒門・桜門を整備するなど寺内町の形成を行った。

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広大な境内

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寛延元年(1748年)建築の国宝・如来堂
隣接する御影堂の半分の広さだが教義上はここが本堂で、「証拠の如来」と呼ばれる重文・木造阿弥陀如来立像が本尊。

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側面から見た如来堂の外部組物
御影堂とは右側の通天橋で繋がっている。完成2年(1800年)建築の通天橋も重文。

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寛文6年(1666年)建築の国宝・御影堂
親鸞聖人の木像、歴代上人の画像を安置する。入母屋造・本瓦葺の純和様で内部は780畳の広さを誇る。

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御影堂前面の組物

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御影堂前面にある欄間の麒麟の彫刻

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横から見た御影堂と屋根の装飾

 寛文6年(1666年)には全国屈指の大きさを誇る御影堂が、同12年(1672年)に御廟、

宝永元年(1704年)に山門、寛延元年(1748年)に如来堂と、幕末に至るまで

境内には種々の建物が造営され伽藍の形式を整えた。

 明治以降は廃仏毀釈の余波で多くの寺域を失うが、環濠がほぼ完全な形で残り、

多くの寺院や古民家の佇まいを今に伝える。

平成29年には御影堂と如来堂が国宝に指定された。』 とあります。

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山門を入ってすぐ右手にある重文・茶所
入母屋造で西側正面に唐破風造りの向拝を設けている。今でも茶の接待が受けられる。

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重文・鐘楼
梵鐘は慶安5年鋳造の銘が残る。今は御堂の勤行前に撞かれるのが習わし。

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鐘楼と梵鐘の説明

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御影堂から続く進納所

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御影堂の北東に位置する重文・大玄関
天明3年(1783年)の火災後再建。明治11年に現在地に移転した。

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重文・御対面所
大玄関の東に続く。大正元年までは法主が檀信徒に対面する場所であった。

 真宗は派が多いのは知っていましたが、派に拠り特色があるのには吃驚。

【十派一絡げ】にするわけにはいかないようです。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、

廃れた元寺を本寺として敬意を表している?事には感心。

このような懐の深さも民衆には受け入れられた理由にはなったかと思います。

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食堂(じきどう)
僧侶が食事するのか、檀家が食事をするのか?

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婦人会館

 それよりも境内の広大さと伽藍は壮大の一言。かつて訪問した京都の西本願寺に似た印象でした。

それでも観光客の違いは雲泥の差。駅で降りた人も地元の人が数人、観光バスも入山している様子はなし。

観光よりも檀家の方々の場所と言った所。

25年前には気付かなかった店もちらほらと…。早速食べる処ですが、時刻が15時過ぎだったため殆どの店が閉店。

 県庁所在地の津駅から一駅ですが、鉄道が1時間おきというのがネックなのでしょう。

これだけ国宝と重文が多いと今回で【じゅうぶん】とはいかず。次はもう少し早く来ようと

一日【専修】の思いに。お寺も【三重へどう?】と言ってくれる気がしますが…。

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寺の東にある重文・太鼓門
左右に長屋が付く四重の楼門で、かつては町の人々に時刻を知らせる太鼓が打たれた。

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太鼓門説明

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外から見た太鼓門

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境内の蓮池

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専修寺説明書

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専修寺御朱印(平成7年拝受)
現在では真宗寺院は御朱印をしない所が多いが、専修寺は例外的に多種類を行っている様子。

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一身田寺内町(三重県津市)

2020.08.23(12:02) 681

西方浄土の地を再訪(2020.7.25)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR天王寺(5:35) → (関西本線) → JR加茂(6:54→6:55)→ JR亀山(8:16→8:23) → (紀勢本線) → 伊勢市(9:56→10:20) → JR鳥羽(10:38) → 徒歩15分 → 金胎寺 → JR鳥羽(12:02) → JR伊勢市(12:15) → レンタサイクル10分 → 中山寺 → レンタサイクル15分 → 松尾観音寺 → JR伊勢市(15:56) → JR一身田(16:16) → 徒歩5分 → 専修寺

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一身田寺内町散策マップ

 伊勢の寺巡りを終えた後は紀勢本線で亀山まで戻りますが、

夕刻には1時間程度余裕があったので一身田駅で途中下車。

 ここは浄土真宗高田派の大本山専修寺があり平成7年に訪問済。

なんでも最近国宝に指定されたそうで、これは再訪しないといけません。

当時は有人駅でしたが、今は無人化。県庁所在地の津から僅か1駅下っただけですが、

最寄りのJRの運行も1時間に1本というのがネックで乗降客も殆どなしでした。

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JR一身田駅舎(JR東海)
大正12年(1923年)建築。瓦葺の屋根の前面に回廊のような庇を持ち寺院を連想させる造りとなっている。

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平成7年押印のJR一身田駅スタンプ
下は国鉄時代の「わたしの旅」シリーズ、上はそれ以前のもの。

 寺院参拝に先立ち町内散策。ここは専修寺の門前町として寺内町が形成されています。

一身田寺内町は

『奈良時代の723年に発令された『三世一身の法』の中にある、

その身一代に限って与えられた田と言うのが一身田の地名の由来。

 以降は農村地帯として発達したが、大きく変わる契機になったのは戦国時代。

栃木県にあった高田専修寺の第十世の真慧上人がこの地に無量寿院を建立。

戦火で焼失した高田専修寺に代わり、東海北陸地方の布教の中心とした事が、

高田派の、強いてはこの町の発展に繋がった。記録に残る最古の資料は天正20年(1592年)のものである。

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環濠に架かる朱の橋を越えて寺内町へ
町の西口に当たり桜並木があったため桜門と呼ばれた。左奥にあるのが専修寺。

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寺内町全図

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専修寺のすぐ南を東西に走る寺内町通り

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玉保院
通りを隔てて専修寺山門前に立つ。通称「東院」

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智慧光院
同じく山門前に立つ。こちらは通称「西院」。

 その後、正保2年(1645年)に伽藍が焼失したが、伊勢藤堂藩より土地の寄進を受けたことで

万治元年(1658年)伽藍を復興。それに伴い専修寺を中心に環濠を巡らし、

町へ入る赤門・黒門・桜門を整備するなど寺内町の形成を行った。

 濠で囲まれた範囲は東西500m、南北450mであり、幅は狭くなってはいるものの、

総延長は江戸時代の記録に一致している。

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石橋と釘抜門
専修寺山門の南にあり、これを境に寺内(聖域)と地下(庶民の生活域)に区切られた。

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説明文

 寺内町は三つの門で管理されており、明け六つ(午前6時)に開き、

暮れ六つ(午後6時)に閉門されたと伝えられる。

 明治以降は、境内と墓地以外の多くの寺領を失い、

明治7年には山門も売りに出された記録が残る。

しかし現在でも、環濠がほぼ完全な形で残り、専修寺を中心に

多くの寺院や昔の人家の街並みを残している。』 とあります。

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寺町通りに面した下津家長屋門

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慈智院
専修寺の東に建つ。一身田で最も古い建築とされる。

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慈智院説明

 25年前の訪問では専修寺の大伽藍は覚えていますが、街並みは殆ど記憶になし。

大きく変わってはいない筈ですから、自身に興味と知識がなかったからでしょう。

 商業施設の記憶もないですが、門前には洒落た喫茶・食事のできる店ができており、

そこそこの繁盛ぶり。私のように鉄道を利用する人は殆どいませんが、

自家用車やマイクロバスでの来場が多いようです。

 寺内町の東には案内所があったので早速訪問。

係の方が居られたので、パンフ類は頂きましたが、15時閉鎖のため見学はできず。

一般の観光地は16時まで開いている施設が多いので、油断してしまいました。

環濠は残っているものの、観光はまだ途上のようです。

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道標

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環濠に架かる橋
この付近がかつての黒門跡

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環濠の説明

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寺内町通りから一筋南の通り
商家が軒を連ねる。

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松尾観音寺(三重県伊勢市) 日本最古の厄除観音

2020.08.20(22:02) 680

各所に龍が現れる寺院(2020.7.25)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR天王寺(5:35) → (関西本線) → JR加茂(6:54→6:55)→ JR亀山(8:16→8:23) → (紀勢本線) → 伊勢市(9:56→10:20) → JR鳥羽(10:38) → 徒歩15分 → 金胎寺 → JR鳥羽(12:02) → JR伊勢市(12:15) → レンタサイクル10分 → 中山寺 → レンタサイクル15分 → 松尾観音寺

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龍池山 松尾観音寺(単立寺院 伊勢西国三十三ヵ所第三番札所)

 中山寺参拝の後は参宮線沿いに東へ向かい、神宮徴古館を過ぎ、

倉田山と呼ばれる丘陵地を上り野球場を過ぎた所にあるのが目指す寺院。

赤い橋を目印に左折すると、山門はなく石段の上に堂宇がありました。

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朱い橋がお寺の目印

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石段の上に境内が広がる

 龍池山松尾観音寺(りゅうちざんまつおかんのんじ)は、

『和銅4年(712年)、行基が伊勢参宮の折に、夫婦の龍神が棲むと言い伝えられる「二つ池」を訪ね、

自ら十一面観音菩薩、毘沙門天、地蔵菩薩の三尊像を刻み池の畔に堂宇を建立し安置したのが始まり。

その後は、伊勢国司北畠家の祈願所として崇拝され、末裔の木造(こつくり)家が代々守護し現在に至る。

創建以来、本山も末寺も檀家も持たず、いずれの既成宗派にも属さない単立寺院という立場を守り続けている。

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境内全景

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鉢植えの蓮の向こうにある納経所
コロナのため書置きで対応との事。

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本堂
本尊は十一面観音坐像だが、秘仏。火災に遭ったから火仏か?

 応永10年(1403年)、寺院が火災に遭った際には二つ池から夫婦の龍が現れ、

雄龍は炎を飲み込みながら観音様を自らの体で幾重にも巻き付け、

雌龍は何度も池の水を吹きかけ三尊像と本堂を守った。

それ以来、厄除け・縁結び・子授け等の祈願で多くの参拝者が訪れるようになった。

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本堂正面

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本堂前面の造り

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写経を納めた本堂屋上の擬宝珠
昭和29年の大改修の際に、一万巻の般若心経が発見された。

 昭和57年(1982年)には龍神伝説に因み、本堂脇に300本のキリシマツツジを昇龍の形に植えた。

これは龍神庭園として春には紅白の花を咲かせ親しまれている。

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本堂横を抜け龍神庭園へ

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昇龍の形に植えられたキリシマツツジ
頭と思いきやこちらは尻尾

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龍神庭園説明

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境内の最奥に建つ聖観音堂(護摩堂)
宝を授けて下さると言う聖観音様を祀る。

 また平成18年(2006年)に本堂の床板を新しくしたが、

1年ほどしてから龍に似た模様が現れるようになった。

今では床龍神(撫で龍)として新たな龍神名所となっている。』 とあります。

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本堂正面欄間の彫龍(説明書より引用)
欅の一刀彫。

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本堂床の床龍神

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床龍神の説明

 子授け祈願は木造(こつくり)家の故でしょうか?厄除けに限らず、あらゆるご利益がありそうですが、

これも葬儀・供養等を一切行わない「祈願寺」という特異な形態をとっていることもあるようです。

 龍は架空の動物ですが、寺院の東側に二つ池が仲良く並んでいる事、

家事の際にはそこから水を汲んで消火活動を行ったことが、龍神伝説になったので【しょうか】?

地元の夫婦が消火活動に当たったとも言えますが、二人ではやや不足の感があります。

 庭園は人工的なものですが、床板は偶然の要素が強いでしょう。

本堂内陣は撮影禁止ですが、ここだけはOK。近くで見ると龍に見えるから不思議です。

犬にも見えますが、そこは見る人の心掛けに拠るのでしょう。龍もここまで揃うと圧巻です。

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松尾観音寺説明書

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松尾観音寺御朱印

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中山寺(三重県伊勢市) 円空仏のある古刹

2020.08.19(20:22) 679

全てが中間のお寺(2020.7.25)

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【往路】JR天王寺(5:35) → (関西本線) → JR加茂(6:54→6:55)→ JR亀山(8:16→8:23) → (紀勢本線) → 伊勢市(9:56→10:20) → JR鳥羽(10:38) → 徒歩15分 → 金胎寺 → JR鳥羽(12:02) → JR伊勢市(12:15) → レンタサイクル10分 → 中山寺

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神護峯 中山寺(臨在宗妙心寺派 伊勢西国三十三ヵ所第五番札所)

 鳥羽から伊勢市まで列車で戻ると丁度昼過ぎ。

今日は土用の丑なので「う」で始まる三文字で腹ごしらえ。

美味し国と呼ばれる伊勢ですが、美食は多いものの値段もそれ相応。

こんな時には、出来上がりも早く財布にも優しいものは貴重と言えます。

 食後に立ち寄った観光案内所には「伊勢なのに寺巡りツアー」のパンフがあり、

伊勢市内の札所三ヵ寺をバスで巡るもの。伊勢市に来る観光客の大部分は伊勢神宮参拝でしょうが、

これからは違った趣向も準備しているようです。この後、レンタサイクルで札所巡り。

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JR伊勢市駅舎
落ち着いた和風の造りだが新しい。

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近鉄宇治山田駅舎
もう一方の伊勢路の玄関で、こちらはレトロな洋風建築。文化財指定。

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JRの直ぐ前にある店にて昼食

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伊勢うどん&松坂牛しぐれ巻(4貫) ¥1,200 

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寺巡りツアー案内

 神護峯中山寺(しんごほうちゅうざんじ)は、

『慶安4年(1651年)、伊勢亀山藩主・石川昌勝が願主となり、神宮の外宮・内宮の中間の地に創建。

妙心寺第137代住持の愚堂東寔(ぐどうとうしょく)を招き開山とした。

 明暦2年(1656年)創建とされる本堂は、本瓦葺・寄棟造で古式方丈建築の

様式を残しており、堂内には開山、二代目の木像及び円空仏4体を祀る。

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中山寺入口
外宮前の御木本道路から少し中に入るとこの静けさ。

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中山寺沿革

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文化財である山門

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山門前の仁王像

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山門に掲げられた山号の扁額

 山門正面にあるのは釈迦八部衆の一人である乾達婆神(けんだつはじん)

を祀る乾達婆堂で、小児の疳封じに300年の伝統を誇る。

 本堂と乾達婆堂の間にあるのが観音堂と地蔵堂で、明治初期に廃寺となった

蓮台寺の十一面観音菩薩を迎えたことから伊勢西国第五番札所となった。

本堂と山門、経堂が文化財に指定されており、宗派県下第一の古刹である。』 とあります。

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境内の様子

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山門正面にある乾達婆神(けんだつはじん)を祀る乾達婆堂

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乾達婆堂に架かる「降魔殿」の扁額
小児の疳封じに300年の伝統を誇る。

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横から見た乾達婆堂

 場所は駅から南へ行った小高い丘にありますが、地図を見ると外宮と内宮のほぼ中間。

寺号は中間の山由来、山号は宮を守護する寺だからでしょう。

 金胎寺が荒れて少し寂しいのに対し、中山寺は整備されて落ち着いた印象。

鳥羽と伊勢の差に拠るのか、立地条件に拠るのかは不詳です。

 西国巡礼札所なので観音様が居られる筈ですが、観音様は間のお堂にひっそりと祀られていました。

外宮と内宮の中間にある寺院ですが、西国御本尊も本堂と乾達婆堂の中間にある中間づくしの札所でした。

中庸という仏の教えでもあるのでしょうか?中途半端なら困りますが…。

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正面から見た本堂
円空仏もここに祀られているはずだが、年1回しか拝観できず。

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本堂前から観音堂・地蔵堂を見る

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観音堂(左)と子安地蔵堂

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一番奥に建つ天神堂

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境内の桔梗

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中山寺御朱印

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金胎寺(三重県鳥羽市)鳥羽湾を望む高台に建つ古刹

2020.08.18(20:44) 678

目指すお寺は丘の上のあこや!(2020.7.25)

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【往路】JR天王寺(5:35) → (関西本線) → JR加茂(6:54→6:55)→ JR亀山(8:16→8:23) → (紀勢本線) → 伊勢市(9:56→10:20) → JR鳥羽(10:38) → 徒歩15分 → 金胎寺

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慈眼山 金胎寺(真言宗御室派 伊勢西国三十三ヵ所第六番札所)

 コロナの影響で近場にある河内西国札所を巡礼していますが、

以前に三重で貰ったパンフに伊勢西国札所もある様子。

調べてみると平安時代前期まで遡り、その後、再編成を経て今に続いています。

神の宿る地として有名な伊勢ですが、そのような古刹があるのも意外でした。

 大阪から伊勢へは近鉄電車を利用するのが定石ですが、

この日は夏の青春18きっぷで大回りしながら終点の鳥羽からスタート。

リアス式海岸で知られる海の街ですが、駅から徒歩で15分程南西に歩き、

道路沿いの案内板に従って細い石段を上った山麓に札所は鎮座。

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道路から続く細い石段が入口

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不安になりつつも幟に従って更に奥へ

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最後の石段を上ると境内へ

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石段を上った先から市内を見下ろす

慈眼山金胎寺(じげんざんこんたいじ)は

『天長年間、弘法大師が伊勢両宮、朝熊山金剛證寺に参禅された後、この地に杖を留めたのが嚆矢。

 天正年間には鳥羽領主であった九鬼嘉隆が鳥羽城築城の際に鍋ヵ崎から観音堂を移築。

観音山に堂宇を建立した。朝鮮出兵の際には武運・航海安全の崇拝篤く、

江戸時代の寛文5年(1665年)には領主・内藤忠政に拠り二の丸余材を用いて本堂が再建された。

慈眼山観音院と名が改められたのはこの時である。

 明治維新後は大山祇神社にあった金胎寺、潮満寺を当院に合祀。

名も慈眼山金胎寺と改称。本尊は黄金の秘仏を腹蔵した一丈一尺の千手観音である。

しかし平成7年に原因不明の火事で本堂、仏像、古文書等を悉く焼失。

再建に向けて現在は仮本堂で参拝を行っている。』 とあります。

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石段正面に立つ仮本堂

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仮本堂前面と扁額
御朱印の書置きはここで拝受。

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かつての本堂の跡地
再建に向けて準備中との事。

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仮本堂の奥を抜けて八十八ヵ所巡礼へ

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高台にある八十八ヵ所

 境内では年配の男性が清掃中。御住職かと尋ねると、地元のボランティアの方で、

御住職は他寺と掛け持ちなので常駐ではありませんでした。

 焼失した本堂跡は再建に向けて準備中との事でしたが、雑草が生えており

もう少し時間が掛かりそう。代わりに仮本堂と裏手の新四国八十八ヵ所を巡って来ました。

 寺域は山に続いていますが、境内はむしろ狭い状態。

しかし境内からは鳥羽湾を見渡すことが出来、海の寺という印象を強めました。

真珠と海女さんで有名な鳥羽ですが、金胎寺と言う名は真珠を育むアコヤガイの姿を現すような気がしました。

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高台から見た仮本堂

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高台から見た本堂跡

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お大師様の石像もマスク姿

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境内から見た市内と鳥羽湾

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金胎寺御朱印
右が伊勢西国巡礼のもの。

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桑名の聖天さん 大福田寺(三重県桑名市)

2020.02.25(16:58) 555

その手は桑名の焼き〇〇(2020.2.20)

<コース> 近鉄大阪線急行は1時間毎、名古屋線急行は15分毎に運転
【往路】上本町(6:00) → (近鉄大阪線急行) → 伊勢中川(7:53→7:59) → (近鉄名古屋線急行) → 桑名(8:58→9:25) → (養老鉄道) → 多度

多度駅レンタサイクル → 10分 → 多度大社 → 多度(12:02) → 桑名(12:18) → 観光案内所レンタサイクル → 5分 → 大福田寺 → 市内散策

【復路】桑名(15:42) → 伊勢中川(16:38→16:42) → (近鉄急行) → 上本町(18:36)

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神宝山 法皇院 大福田寺(高野山真言宗)

 多度大社の後は桑名まで戻って市内散策。それに先立ち聖天さまにお参り。

神宝山法皇院大福田寺(じんぽうざんほうおういんだいふくでんじ)は、縁起に拠れば、

『飛鳥時代に聖徳太子が南勢山田に創建。

その後、天武・持統・聖武・淳和天皇の御臨幸を仰ぎ、聖武天皇に拠り勅願寺と定められた。

 平安時代には弘法大師が修行、宇多法皇が延喜年間に閑居されるなど

皇室との所縁が深く、今に至るまで菊の御紋の使用を許されている。

 その後、衰微するも後宇多天皇の建治年間(1275~1278年)に勅命に拠り

忍性上人、額田部実澄公が桑名市大福に再興。

赤須賀の浜に所縁の阿弥陀如来を本尊としたが、戦国時代に殆ど焼失。

漸く江戸時代の寛文2年(1662年)に桑名松平家の援助で現在の尾野山に移り堂宇を造営。

文政年間に松平定信公の念持仏の歓喜天の寄進を受け聖天堂を建立。

以来神宝聖天尊として日本三大聖天の一つとなっている。』とあります。

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道路に面した大福田寺入口
左が聖天堂、右が本堂へ続く門

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山門前にて
ここを潜ると本堂へ。

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山門近影

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縁起

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山門から本堂を見る
三重四国八十八ヵ所の第一番札所だそうな!

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庫裏と玄関
山門を入った右手にある。

 多分に伝説的な面もありますが、この縁起には

山号・院号・寺号のすべての謂れが描かれています。

尤も寺号は地名由来の福田寺に足利尊氏が大の字を加えたとの説もあるようですが…。

 寺が飛躍したのが宇多法皇の時で、衰退後に再興したのが

後宇多天皇というのもなにやら因縁めいています。

 本尊は阿弥陀如来で鎌倉期、歓喜天は江戸期と後塵を拝していますが、

現地では聖天さまの方が人口に膾炙しています。

本尊より他の仏様が有名になった寺院は各地にありますが、

それだけ実際的な御利益があった故。

なんでも昭和20年のアメリカ軍の空襲で70ポンドの焼夷弾が聖天堂に落下しましたが、

御厨子の宝珠が発火栓を塞ぎ爆破を免れたとか。近辺の人々の喜びは想像に難くありません。

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境内から見た本堂と聖天堂(奥)

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本堂前の大銀杏

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江戸時代に再建された本堂

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本堂正面
阿弥陀如来を祀る。

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本堂の扁額「神宝山」

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南側の門から見た聖天堂
両脇に石灯籠が並ぶ。

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聖天堂近影

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聖天堂の扁額

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聖天堂前から
奥に見えるのが本堂。

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大福田寺略記

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大福田寺御朱印

 参拝の後は市内を散策。

江戸時代には蛤で全国的に有名でしたが、最近は漁獲高が年間1トン程度に激減。

代わりに泉鏡花の『歌行燈』由来のうどんで町興しをしています。

店を探していると思わぬところに炭焼き「新城」の看板が…。

 三重県では津や志摩が有名ですが、これは【くわな】い手はありません。

どちらも「う」で始まる長いものなので問題はないでしょう。

 シラスウナギの漁獲減で価格がうなぎ登りですが、

昼間には¥2300とリーズナブルな値段の「ひるまぶし」「新城丼」のメニューがあり丼を注文。

甘いタレと関西風のパリッとした食感が絶妙でした。

 支払いの時に、若い店員さんが

店員:「大阪の方ですか?」

和辻:「そうですが、どうして分かりました。」

店員:「株主優待券が見えましたので。私も淀屋橋で働いていました。」

和辻:「すると板前修業で?淀屋橋なら柴藤・志津可が有名ですね。」

店員:「いいえ、全然別の仕事で。」

和辻:「ご出身がこの近くですか?」

店員:「いえ、この店が実家です。」

和辻:「跡を継がれる訳ですね。それは素晴らしい!」

価格高騰の為に長く続いた老舗を閉める話が多いですが、

鰻料理の伝統を守り続ける店があるのは心強い次第。

いつかその手は桑名の…となる日が来るのを祈りたいと思います。

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新城」前にて
桑名駅の南、市役所東にある。

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新城丼 ¥2300

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食後は和菓子処「寿恵広」にてアイス饅頭を購入
尚、ここの御店の奥様も大阪出身というのも奇縁。

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桑名市マンホールカード    配布場所はこちら

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桑名市マンホール蓋(その1)

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桑名市マンホール蓋(その2) 

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多度大社(三重県桑名市) 上げ馬神事の古社

2020.02.23(17:04) 554

養老山系の麓に参詣したど!(2020.2.20)

<コース> 近鉄大阪線急行は1時間毎、名古屋線急行は15分毎に運転
【往路】上本町(6:00) → (近鉄大阪線急行) → 伊勢中川(7:53→7:59) → (近鉄名古屋線急行) → 桑名(8:58→9:25) → (養老鉄道) → 多度

多度駅レンタサイクル → 10分 → 多度大社 → 多度(12:02)

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多度大社(式内社 旧国幣大社)

 青春18きっぷが仕えない時期ですが、近鉄株主優待券で三重県へ。

多度駅は二度目ですが、前回はここも近鉄だったので1枚の切符でOK。

しかし今回は桑名以遠が養老鉄道になったので別料金が必要となったのは

【ようろう】しくありません。しかし路線が残った事は感謝すべきでしょう。

余談ですが前回は多度町だった行政区も今は桑名市。

鉄道は分割されたが市町村は合併したと言う訳です。

 多度駅から格安¥100のレンタサイクルで多度川を5分程遡ると目指す神社。

途中、道の両脇には昔ながらの家屋が並び、清めの池もあり、

古より人々の信仰の場所だった事がひしひしと感じられます。

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多度駅ホームの駅名表示板

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養老鉄道多度駅舎
神社を模した造りとなっている。

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多度川に沿った道路を西へ
行く手に見えるのが養老山系の多度山。

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道路の左側にある宮川清めの池

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池の説明板

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道に沿って昔の家並みが続く

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東の鳥居に到着

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鳥居前の太鼓橋

 多度大社は伊勢の北端、養老山系の多度山の麓に鎮座。

1500年の歴史を有する古社です。

神が宿る神体山として信仰を集めたものでしょう。略記に拠れば、

『雄略天皇の時代に社殿が造営。天平宝字7年(763年)には神宮寺も創建。

延喜式にも登場し、後一条天皇の御代には東海道六社の内の一社に数えられた。

南北朝時代の暦応年間には上げ馬神事も始まり、皇室からも度々幣帛が献ぜられた。

 平安末には伊勢平氏の、中世には伊勢国司の北畠氏の庇護を受けたが、

元亀2年(1571年)織田信長の兵火に拠り焼失。美濃の赤坂山に御動座になり、

江戸時代になり桑名藩主本田忠勝の寄進を受けこの地に再興した。

また伊勢神宮との関係も深く、近世以降は

「お伊勢参ればお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」

とも言われる程賑わった。』 とあります。

 桑名市に編入されたとはいえ、それ程人口の多い場所ではありません。

それでも古代より信仰の場所となったのは、

御神体の多度山と境内を流れ多度川に注ぐ宮川があった故。

大河である揖斐川からどんどん川を【たど】り行き着いた先に宮を建てたのでしょう。

それで多度大社と呼ばれるようになったかは知りませんが…。

伊勢神宮との関りですが、多度の他にも近江の多賀大社、伊勢朝熊山にも

同じような事が伝わっているので伊勢との関係を強調する意向だったのでしょう。

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正面入り口より境内方面を見る
左にあるのが上げ馬神事に使用する上げ坂。

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上げ坂脇にある楠の御神木

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石段を上った光景
左の参道を行くと本宮へ至る。

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参道右手の神楽殿

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奥の本宮への参道
行きは左、帰りは右の道を行くそう。

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左の参道を行く

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石灯籠の向こうに鳥居と門が見える

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於葺門
この門を過ぎると本宮・別宮へ。

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於葺門の扁額「多度両宮」
本宮と別宮があるため。

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於葺門から来た道を振り返る

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神橋を渡った場所から於葺門を見る

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神橋上から宮川の源流を見る

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本宮 多度神社
天津彦根命(天照大御神の御子神)が御祭神。

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別宮 一目連神社
天目一箇命(天津彦根命の御子神)が御祭神。

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於葺門脇の美御前社

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帰りの参道
左が宮川で奥に見えるのが神楽殿。

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参道右の松尾芭蕉句碑

 それよりもここを有名にしたのは毎年5月の御礼祭に行われる「上げ馬神事」。

以前に見たニュースでは、学生が武者姿で馬に跨り、

石段横の坂を駆け上がり最後に土壁を乗り越えていました。

祭りと言うのは若者の有り余ったエネルギーを発散させる目的もあり、

全国には結構荒っぽい危険な祭りも多いですが、ここの祭りもその例に漏れません。

 さて実際に神事の場所に来て見ると思ったよりも坂が急。

しかも土壁が2m程もあり、人や馬が怪我をする事もあるとか。

まさに壁高く馬越える春です。

階段の先には神馬舎があり「錦山号」という白馬がいました。

普通は神馬の模型ですが、ここは本物。

 御朱印を拝受する際に神職に伺った所、

神職;「血統書付きの名馬ですが、怪我をしたのでここへ来ました。そのままだと、馬刺しになってしまうので…。」

との話。神事で乗る馬ではないようです。

怪我をしたのは不運でしたが、御蔭で良い場所で余生が送る事が出来ました。

万事塞翁が馬ですね。

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多度祭の説明

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石段左の上げ坂
奥の建物は多度祭御殿。ここで見学するのか?

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下から見た上げ坂

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上げ坂近影
近くで見ると急勾配が分かる。

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先の土壁は高さ2m程もある

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土壁の上から見た上げ坂

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境内から石段を見返る
これだけの高さを馬で一気に駆け上がる。

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神馬舎の錦山号

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これは購入しなかったが、代わりにニンジンをあげた

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入口右手にある重厚な門

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道路から見た長屋風家屋
神職の住居か?

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入口左手の家屋
表札が上がっていたので現在の住居はこちらか?

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多度大社略記

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多度大社御朱印

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御朱印とオリジナル御朱印帳の案内

 その後、訪れた南多度郵便局でも

局員;「神事の馬は、時期になると地区ごとに借りてきて世話をしています。」

和辻;「ニュースでは中高生が参加していましたが、おっさんは?」

局員;「若い人だけですね。」

和辻;「女性は参加しないのですか?」

局員;「女人禁制で、我々女性は馬の世話もさせて貰えませんね。」

との事でした。

 ジェンダーであるとか、外部からは動物虐待という苦情もあるようですが、

地元の方の話からは別段それを気にもしていない様子でした。

色々な意見もあるでしょうが、それも祭りの一つの在り様とも言えます。

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参詣後は南へ
多度川沿いにある大鳥居と「だるまうなぎ」の店。生憎開店前だった。

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桑名市(多度)マンホール蓋
かつては多度町だったのでオリジナルがある。

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多度郵便局 ; 多度祭・上げ馬神事、千本松原、イヌナシ

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南多度郵便局 ; 多度祭・上げ馬神事、多度山、多度峡みそぎ滝
七取郵便局 ; 多度祭・上げ馬神事、町木・梅

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岡寺観音(三重県松阪市) 日本最初の厄除観音

2020.01.13(20:46) 531

仏の教えの継承時(2020.1.6)

<コース> 冬の青春18きっぷ使用
JR天王寺(5:35) → JR奈良(6:19→6:39) → JR加茂(6:54→6:55) → JR亀山(9:18→9:23) → JR松阪(9:23) → 徒歩5分 → 継松寺

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岡寺山 継松寺(高野山真言宗)

 令和最初の正月は、お伊勢さんに行くべきだろうと、自分勝手な解釈で伊勢路へ。

と言っても伊勢市ではなく少し手前の松阪で下車。

蒲生氏郷公が城下町を整備した伊勢商人の発祥の地。

本居宣長の出身地で、今も町中には当時の面影が残ります。

加えて最高級の牛肉とされる松阪牛の産地でもあります。

こんな風に観光客には人気のスポットですが、寺院は意外に知られていません。

この日は駅から徒歩圏内の古刹にお参り。

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駅から向かうと本堂裏手に出るがここの朱塗門は閉鎖。

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岡寺観音山門
参宮道に向かって門が開いている。

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説明板

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山門の「岡寺山」の扁額

岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)は、

『天平15年(743年)創建と伝わる古刹。聖武天皇の命に拠って

行基が大仏建立の祈願のために伊勢地方に四箇所建てた中で今に残る唯一の寺院。

場所は今より海岸線に2㎞程行った飯高郡石津郷にあった。

本尊の如意輪観音は聖武天皇が厄年の際に宮中で祈願した後、

行基に命じてここに戻し「如意輪院」の勅額を下賜した。

岡寺観音は日本最初の厄除霊場として今に至るまで信仰が絶えない。

 天平勝宝2年(750年)には洪水で堂宇が流出。

二見ヶ浦の住人が出家して継松法師と名乗り寺を再興した。これが後に寺号になる。

 延暦21年(802年)には弘法大師が岡寺観音に逗留し本尊の脇立ちを刻み祀った。

当寺院が真言宗になった経緯はこれに拠る。

後に蒲生氏郷公の城下町整備に伴い現在の場所に移転した。』 とあります。

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山門下から境内を見る

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境内から山門を見返る

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境内中央の香炉堂とその向こうに見える本堂

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本堂拝殿中央の「継松寺」の扁額

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拝殿奥には「如意輪院」の扁額が
右手は納経所。

 毎年3月の初午大祭は人手で賑わうようですが、普段はいたって静寂な場所。

駅から5分が信じられないくらいです。尤も周辺の牛の店は賑わっていますが…。

 駅から向かうと朱塗りの門が迎えますがここは閉鎖。反対側にあるのが正門になります。

駅からは大回りになるので不便ですが、御住職の話では

「この辺りの寺院は全て参宮街道に向かって正門が開いていますよ。」

との事。現代の感覚で考えては駄目ですね。

 御朱印帳を開くとここは平成5年の9月に参拝。

同じ御朱印を二度貰うのも芸がないので不動尊を拝受しました。

平成5年に拝受したものは御本尊の「厄除観音」。これを見た納経所の方は

「これは先代の書ですよ!写真に撮っても良いですか?」

と興奮気味。

何でも、今と異なり御朱印がマイナーだったので先代の御朱印はないそうです。

正月早々思わぬ邂逅となった様でした。

 今回の御朱印を墨書された御住職は私と同年。

人は変わってもきちんと【継松】されている事を改めて感じた年の初めでした。

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拝殿は人手を考慮して広くとられている

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庫裏の唐門と書院

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岡寺山継松寺案内

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岡寺観音御朱印(本尊の如意輪観音で平成5年拝受)

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岡寺観音御朱印(お不動様で今回拝受)

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松阪市マンホール蓋

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松阪市内マンホールカード   配布場所はこちら

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松阪朝日郵便局 ; 岡寺観音、旧国道松阪大橋

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朝田の地蔵さん(三重県松阪市) 松阪市内最古の牡丹寺の御朱印

2019.09.23(18:33) 418

お地蔵様と松阪商人(2017.9.18)

<コース>
【往路】大阪上本町(7:10) → (近鉄急行) → 松阪(9:14)

松阪市観光情報センター → レンタサイクル35分 → 伊勢国分寺 → 岩内瑞巌寺 → レンタサイクル60分 → 朝田寺

【復路】松阪(16:33) → (近鉄急行) → 大阪上本町(18:40)

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光福山 延命院 朝田寺(天台宗延暦寺派)
本日、参拝したなかで唯一の有人寺院。

 山沿いの無人の古刹を参拝したあとは、町まで下り更に線路を通過。

田畑の中にこんもりと森が見えて来たのが目指す寺院。

 光福山延命院朝田寺(こうふくさんえんめいいんちょうでんじ)は、縁起に拠れば、

『延暦15年(796年)、練公(ねりきみ)長者の発願により弘法大師が創建。

鎌倉時代には伏見院の院宣により七堂伽藍を建立されるが、信長の伊勢攻めで焼失。その後現在地に移転した。

本尊の地蔵菩薩は空海の作とされ重文、世間では朝田の地蔵さんと呼ばれる。

江戸時代には曽我蕭白が来訪し、作品を残している。』

とあります。

 近寄りがたい雰囲気がないのは本尊が地蔵菩薩さまだからでしょう。菩薩の中では最も人間に近いとされる所以。

いまは境内に牡丹の花が700株程植えられているので、季節になると訪れる人で賑わいます。

 松阪市内最古の寺と呼ばれるだけの事はありますが、駅からは少し不便な田圃の中。

昔はこの辺りが栄えていたのでしょうが、国分寺や瑞巌寺のように無人にならずに済んだのは幸いです。

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目指すお寺が彼方に見える

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山門

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本堂(左)と庫裏

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正面から見た本堂

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境内の様子

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朝田寺御朱印
住職夫人から悪筆なので日付は書いて欲しいといわれたので、この箇所は私の自筆。

 その後は駅に戻り街並みを一巡。

三井家・松坂屋に代表される伊勢商人ですが、質素倹約など厳しい家訓も【かくんあるんか】と思いました。

 また国学者本居宣長の故郷でもあります。

かつて賀茂真淵との松阪の一夜は師弟関係のエピソードとして教科書にも載っていましたが、今はサッパリ見ませんね。

なんでも昔が良いとは言えませんが、残すべきものは【本居】残してほしいものです。

松阪といえば松阪牛ですが、休日で混雑していたのと、伊勢商人の家訓に従い、駅弁という質素倹約なものとはなりました。

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本町通の旧長谷川邸

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本町付近にある三井家発祥の地

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本居宣長旧宅

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本居宣長旧宅内部

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松阪商人の館(小津家)

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金物店

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本町通にある「牛銀 本店
松阪牛の店では和田金が有名だが、ここも老舗。すき焼き・ステーキは諭吉さんが1人要るが、「洋食屋 牛銀」では英世さんが2~3人でOK。でも1時間待ちなのでスルー。

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昼食の松阪牛ステーキ弁当¥1350

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松阪のマンホール蓋
カードの図案は見当たらず、ほとんどがこの駅鈴タイプ。

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松阪市マンホールカード     配布場所はこちら

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岩内瑞巌寺(三重県松阪市) 伊勢国の古刹の変遷

2019.09.23(00:38) 417

無住の寺院に無常を見た話(2017.9.18)

<コース>
【往路】大阪上本町(7:10) → (近鉄急行) → 松阪(9:14)

松阪市観光情報センター → レンタサイクル35分 → 伊勢国分寺 → レンタサイクル10分 → 岩内瑞巌寺

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伊勢国分寺

 台風一過、ようやく出歩けるようになったので巡礼再開し伊勢の松坂へ。

松阪は本居宣長の出身地で商人の町。駅から城跡にかけては、武家屋敷や商人町が残っています。

が、今回は駅前から西の山麓にある古刹まで片道8㎞の道のり。

途中、国分寺があって敬意を表してお参り。

古代に於いては海沿いを避けて自然災害の少ない場所が選ばれたのはここも同じ。駅からは随分遠い場所にありました。

説明板に拠ると聖武天皇により建立されたものを受け継ぐ寺院。本堂の屋根の形はいかにも時代を感じるものでした。

ところが寺務所が見当たらず。山門の横にある家で伺うと、ここは無住で地元の皆さんの好意で維持されているとの話。

御朱印もなしでした。

全国に設置された国分寺ですが、廃寺になった寺院も多く、残っているだけでも良いと言えますが、

やはり維持管理は難しいものです。

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駅の観光案内所にて

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伊勢国分寺入口

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国分寺本堂
屋根の形に時代を感じる。

そこから更に山に向かって上ると益々人家が減り、三重塔、本堂が目に入りました。

妙法山瑞巌寺(みょうほうざんずいがんじ)は、その場所から岩内(ようち)瑞巌寺とも呼ばれ、

『空海が開基とされる真言宗の古刹。本尊は石仏十一面観音。堀坂山麓にあり境内を観音川が流れる。

戦災や地震で荒廃したが、江戸の寛政年間(1789~1801年)に門超上人が再興し、浄土宗知恩院派に改宗。

本堂、庫裏、三重塔は江戸後期に再建された。

境内には文化9年(1812年)から15年かけて造園された瑞巌寺庭園があり国の名勝に指定。

またここには江戸時代は松阪を領していた紀州藩主が絶賛した紫蘇飯が有名である。』

と手持ちのガイド(1993年度版)にはあります。

唯、どこを見ても人気はなし。自転車で周囲を回ると農家の方が作業されていたので「瑞巌寺」の場所を尋ねると

「朱塗りの建物があったでしょ。あれがそうです。だいぶん前から寺の人は居ませんね。」

との事。

先に訪れた国分寺と同じ。三重塔からは市内から伊勢湾まで見渡せますが、周囲の人家もはるかに少ない状況でした。

名勝庭園もありましたが、荒れるにまかせた感じで知らなければ通り過ぎてしまいそう。

ガイドは20年程前ですが、時代が移るとこうなってしまうのかと仏教の行く末も楽ではないなと

無住の寺院に無常を感じた次第です。

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三重塔から伊勢湾を望む

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瑞巌寺三重塔
三重にあるから三重ではないと思うが…。

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妙法山岩内瑞巌寺(浄土宗知恩院派)
市内西の堀坂山麓にある。空海が開基で、真言、浄土と変わった。が今は荒廃している。

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瑞巌寺庭園
国の名勝という事だが、ここも荒れた印象。

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庭園内部

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石薬師寺(三重県鈴鹿市) 宿場の名にもなった石薬師様の御朱印と超絶御朱印帳

2019.06.21(23:09) 322

東海道鈴鹿四宿盛衰記(2017.6.23)

<コース>
JR天王寺(5:35) → JR奈良(6:19→6:39) → JR加茂(6:54→6:55) → JR亀山(8:19→8:40) → JR河曲(8:54) → 徒歩40分 → 石薬師寺 → 徒歩60分 → 庄野宿 → 徒歩20分 → JR加佐登(11:58) → JR亀山(12:09) → 徒歩20分 → 亀山宿 → JR亀山(13:14) → JR関(13:21) → 徒歩5分 → 関宿 → JR関(15:21) → JR加茂(16:35→16:45) → JR大阪(18:09)

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高富山 瑠璃光院 石薬師寺(真言宗東寺派)

 国道1号は東海道沿いですが、国鉄東海道線は宮(熱田)からはかつての中山道回り。

当時は鈴鹿の山脈を貫く技術がなかったからと言われます。その後、旧東海道は

関西本線+草津線となりますが幹線から外れたためか、却って昔の雰囲気を残しています。

石薬師(44番)と庄野(46番)はわずか4㎞ですが、どっちも駅からちょっと遠い。

なんでも駅を誘致する際に「お茶が汽車の煙で枯れる!」といって地元が猛反対したのが理由とか。

鉄道が通れば駅があろうとなかろうと結局は同じことですが…。

 無人駅の多い関西本線の河曲で下車して石薬師宿まで徒歩40分。

途中、本陣や佐々木信綱生家を見て国道1号線沿いに下ると、

自動車がひっきりなしに通る直ぐ脇に寺院が。

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石薬師小沢本陣跡
宿帳には浅野内匠頭の名もあるとか。

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石薬師宿にある佐々木信綱生家
萬葉集の第一人者で第一回文化勲章受章。俵万智さんもこの流れを汲む。

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生家内部

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生家横にある佐々木文庫

 石薬師寺は宿場の名前にもなった古刹。歌川廣重の保永堂版東海道やゴッホの絵にも描かれています。

高富山瑠璃光院石薬師寺(たかとみざんるりこういんいしやくしじ)の寺伝に拠れば、

『聖武天皇の神亀3年(726年)、白山開山で知られる泰澄が、

この地で大地が鳴動し巨石が出現する事象に遭遇。

これは薬師如来が衆生利益にため「金輪際」から示現されたと悟り、草庵を設けたのが嚆矢。

その後、空海が巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行ったので、人々の信仰が篤く、

嵯峨天皇は勅願寺とし高富山西福寺瑠璃光院と称した。

 その後、天正年間には織田氏の兵火に会い焼失。

漸く江戸時代になって神戸城主一柳氏により諸堂が再建。

元和2年(1616年)には東海道の宿駅の名から石薬師寺と改称した。』 とあります。

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1号線沿いにある石薬師寺裏門

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本堂へ向かう参道

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廣重が描いた寛永6年(1629年)再建の薬師堂(本堂)
石に薬師さんを彫ったとか。薬師さんだけに医師には関りがある?

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東海道五十三次石薬師(保永堂版)

 山号の高富山は廣重の絵で寺の後方に描かれている山。

昔は高飛山と書き、これは当地で亡くなった日本武尊が白鳥となって飛び立った事に由来します。

三重の語源も日本武尊が疲労から足が三重になったことから来ていますから、

三重県は日本武尊には縁があるようです。

尤も皇室の祖先神の天照大御神を祀るのが伊勢神宮ですから不思議ではありません。

 寺の名前から宿場名が出来たと思いましたが実際は逆。本尊は巨石に刻んだ薬師如来なので、

こちらの方が断然分かり易く良いと思います。

石でできたため兵火にも耐え今も秘仏として祀られており年に一回御開帳されているとか。

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本堂と石塔

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本堂より見た石薬師寺境内

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境内の植え込み

 新緑に覆われた境内を散策して御朱印を拝受。

ここのオリジナル御朱印帳は廣重の図案でしかも刺繍製 (¥1,700)。

御朱印帳も残り少なくなってきたこともあり購入しました。

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石薬師寺説明書

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石薬師寺オリジナル御朱印帳 ¥1,700
布製・大判で見開きにすると廣重の絵になる。

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石薬師寺御朱印

 そのあとは庄野までウォーキング。石薬師同様、駅からの距離がネックです。

庄野は廣重の作品では傑作の呼び声が高いですが実際は簡素な宿場町。

廣重の浮世絵で有名になったとも言えましょう。

鉄道が敷設されなかった故に都市化しなかったと言えますが、国道1号が通って居り

宿場町の雰囲気を残すのは資料館周辺くらいでした。

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東海道沿いにある造り酒屋
銘柄も庄野

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庄野宿資料館
江戸時代の油問屋だった旧小林家の主屋の一部を創建当時の姿に復元。

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廣重の傑作とされる「庄野宿・白雨」

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高札の内容
麻薬や毒を売るなとか、贋金を作るなとか、今も昔も変わらない。

 庄野宿から歩いて加佐登駅まで行き電車で亀山まで。

江戸時代は鈴鹿越えを控えた東海道の要衝で、譜代大名が代々治めた城下町。

城址や武家屋敷が残っているので、観光客が多いかと思いましたがさにあらず。

街並みでは次の関が余りにも有名なので、亀山は通過点なのでしょうか?

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亀山お城見庭園
駅からは坂を上る。

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加藤家屋敷跡
江戸後期亀山城主石川家の家老職、前の道が東海道。

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現役で居住されているここも武家屋敷?

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亀山城隅櫓
廣重の絵でも描かれている。

 亀山に続いて列車で一つ先の関へ。

関の名前は古代に設置された鈴鹿の関に由来しますが、現在まで交通の要衝は変わらず。

鉄道では一駅ですが、名古屋~亀山までは電化でJR東海の管轄。

一方、関は非電化でJR西日本管轄と亀山が分岐点になります。

 関は有松と並んで旧東海道伝統的建造物群が残る場所。

何度も訪問しているので、今回も軽い散策でしたが、同期に教えて貰った名店「初音」にて遅めの昼食。

2時間待ちが出る程の店ですが、平日なのですぐOK。

 30℃を越える暑さのせいでバテ気味でしたが、これで蘇りました。

値段も首都圏よりも安く特製でも¥3,600。わたしにはその程度の贅沢が関の山。

余談ですが「関の山」とはここ関宿の山車を都のものと比べた事に由来しています。

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非電化区間のJR関西本線関駅

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関宿街並み
中央は東海道。

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関宿にある山車の蔵
「関の山」の語源である。

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関の銘菓「関の戸

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銀行も街並みに合わせて。
平成9年度三重県まちづくり賞を受賞。

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かつての高札場は今は郵便局に

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関宿眺関亭より見た西側
大きな屋根は地蔵院。

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関宿1号線沿いの「初音」にて  ひつまぶし¥3,600

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汽車を待つ間に…。
カキ氷¥200、白玉2個¥180

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駅スタンプ

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鈴鹿石薬師郵便局 ; 歌人・佐々木信綱生家、歌川廣重「東海道五十三次・石薬師宿」
鈴鹿庄野郵便局 ; 歌川廣重「東海道五十三次・庄野宿」

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四天王寺&津観音(三重県津市) 伊勢商人所縁の寺院の御朱印

2018.10.26(08:31) 14

[津観音寺] ブログ村キーワード
伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ(2018.10.22)

<コース>
【往路】近鉄上本町(6:00) → 伊勢中川(7:57→7:59) → 津(8:16)

JR近鉄津駅 → 徒歩5分 → 四天王寺 → 徒歩15分 → 津観音 → 徒歩20分 → JR近鉄津駅

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塔世山(とうせざん)四天王寺   

 津といえば日本で一番短い名前で有名ですが、津とは元来は港を持った町の意味。

中世には安濃津の名で、筑前の花旭搭(博多)津、薩摩の坊津と並ぶ日本三津と呼ばれる賑わいだったとか。

しかし明応18年(1498年)の大地震と津波で壊滅的な打撃を受け衰退。

更に20世紀の戦災があり往時を偲ぶものは殆ど残っていません。「安濃」もどさくさでどこかに消えたのでしょうか?
 
 津から少し南に行くと四天王寺があります。

若き日の聖徳太子が戦陣で「四天王を祀るお寺を四寺建立する」 と誓願されたものの1つと伝わります。

大阪以外にあったとは驚きですが、境内からは奈良時代の古瓦も出土しているので古代からあるのは間違いなさそうです。

唯、中世に曹洞宗に宗旨替えしたのが昔と違う所でしょうか。

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入口から山門を望む  
山門(総門)は寛永18年建立。昭和20年の空襲でも焼失せずに残った。

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四天王寺本堂 
空襲により焼失したものを再建。

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境内より山門を望む

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本堂より見た四天王寺境内

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四天王寺御朱印

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津塔世橋郵便局 ;四天王寺山門と塔世橋
 
 その後は四天王寺の山号を冠した塔世橋(とうせばし)を過ぎて安濃川を渡り10分で津観音へ到着。

和銅2年開創の古刹、何でも御本尊は阿漕浦で漁師の網にかかった聖観音とか。

浅草寺はじめこういった謂れは多い気がします。まさか阿漕な考えからではないでしょうけれど…。

朱塗の柱が映えますが人は少なくひっそりしていました。けれど門前町の雰囲気はあり縁日にはさぞ賑わうだろうと思います。

四天王寺に比べやけに明るい感じでしたが、境内を見渡し樹木が殆どない事に気付きました。

お城へも徒歩5分位なので、津の市民の心の拠り所なのでしょう。お寺のパンフにもそう書いてありました。

 ・伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ

というのは有名なフレーズですが、ここではその後に「津観音に詣らねば片参り」と続くのだとか。

いかにも商才に長けた伊勢の人々だけの事はあります。

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門前町の先に山門が見える

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恵日山観音寺(津観音)山門(真言宗醍醐派)

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津観音本堂と五重塔

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本堂正面

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本堂の屋根の反り

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本堂の天井画 
昭和30年代の作。

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五重塔

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護摩堂

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津観音御朱印

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朝熊山金剛證寺(三重県伊勢市) お伊勢参りの〆の御朱印とマンホールカード

2018.10.25(09:05) 13

[金剛證寺] ブログ村キーワード
お伊勢参りのフィナーレを飾る伊勢神宮の鬼門眺望絶景の寺(2018.10.21)

<コース>
近鉄上本町駅 → 近鉄五十鈴川駅 → 参宮バス25分 → 朝熊山金剛證寺 → 徒歩10分 → 奥の院 → 参宮バス25分 → 近鉄五十鈴川駅 → 近鉄上本町駅

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朝熊山金剛證寺(臨済宗南禅寺派)

 秋晴れの空の下、心の故郷のお伊勢さんへ巡礼。地下鉄5時の始発に乗り、上本町6時の近鉄宇治山田行急行で五十鈴川へ。

といっても伊勢神宮は何度も参っているので、今回は朝熊山金剛證寺(あさまやまこんごうしょうじ)。

伊勢志摩最高峰の朝熊山にあって伊勢神宮の鬼門を守る寺院。伊勢参りはここが終着点。
 
金剛證寺は6世紀半ばが創建。その後空海が真言密教道場として中興、1392年には臨済宗南禅寺派寺院となります。

正式名は朝熊岳勝峯山兜率院で本尊は福威智満虚空蔵大菩薩。

会津柳津、茨城東海村と並ぶ三大虚空蔵とか。

今回で全て制覇ですが、何れも由緒が古く規模が大きいので三大〇〇はハッタリではなさそうです。

伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する為、伊勢神宮の鬼門を守るとなったようで、伊勢志摩最大の寺院となりました。

 ・伊勢へ参らば 朝熊を駆けよ 朝熊駆けねば 片参り     (伊勢音頭)

と言われる程で、お伊勢参りが盛んだった戦前にはケーブルカーが開通(大正14年)して賑わいました。

が戦時中の金属供出で廃線、2013年にやっと土日祝日のみバスが運行されるようになりました。

今の方が不便というのはどうゆうわけでしょうかね?

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近鉄五十鈴川駅にて
右後方が朝熊山。

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バス時刻表

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伊勢志摩スカイラインから伊勢湾を望む

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金剛證寺山門
バス停で降りこちらから入る。

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1979年再建の金剛證寺仁王門

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仁王門の垂木

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境内の杉と苔

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弘法大師が掘ったとされる連間(つれま)の池

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1672年創建の連珠橋とその向こうに見える本堂

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連間の池に架かる連珠橋

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説明板

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石段を上り本堂へ

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重文・金剛證寺本堂摩尼殿
1609年 池田輝政により再建、本尊は虚空蔵菩薩で秘仏。

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本堂前の様子

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本堂前の牛と虎の像
伊勢神宮の艮(丑寅)の方角にあるからか?

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本堂横の明星堂
国土安穏智慧成就の明星神を祀る。

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明星堂説明

 奥之院への参道に卒塔婆が林立する脇に戦国武将の九鬼嘉隆の五輪塔があります。

嘉隆は関ケ原の戦いで西軍、子の守隆は東軍に付き家名存続を図ります。

嘉隆自身は鳥羽城を奪う功績を挙げましたが、西軍が敗れたため答志島へ逃れ自刃。

守隆に迷惑が掛からぬ様にと家臣の勧めに従った訳ですが、守隆が家康から嘉隆助命の許しを齎したのはその後の事でした。

怒った守隆は直ちに家臣を斬首したと伝わっています。

少しの時間のずれが悲劇を生んだ訳で、他にもこのような事は結構あったでしょう。【九鬼一髪】と言うのはドラマの話です。

このような心配のない時代に生まれた幸せを【神占める】旅とはなりました。

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奥之院入口の「極楽門」

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参道の卒塔婆群

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奥之院への参道に並ぶ卒塔婆   
関東圏に比べ西は卒塔婆が少ないのでここは珍しい。海の交通の関係か?

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九鬼嘉隆の五輪塔  
嘉隆三男の有慶は父の菩提を弔うため金剛證寺にて出家し、後に第12世となった。

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卒塔婆と参道の先に見える奥之院

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奥之院(呑海院)  
右が地蔵堂で地蔵菩薩を祀る。

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奥之院庭園

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奥之院にある富士見台
残念ながら富士山は見えず。

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金剛證寺から伊勢湾を望む

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左 ;金剛證寺奥之院御朱印          右 ;金剛證寺本堂御朱印

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朝熊郵便局 ; 金剛證寺本堂と連珠橋を描く

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伊勢市マンホールカード ; 伊勢市観光案内所にて配布

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丹生大師神宮寺 (三重県多気町) 水銀の産地にある空海ゆかりの寺

2018.10.07(17:22) 10

[丹生大師神宮寺] ブログ村キーワード
弘法大師はにうエンジニア (2018.08.06)

<コース>
【往路】JR東京(23:10) → 快速ムーンライトながら → JR名古屋(5:19→5:40) → JR四日市(6:22) → 徒歩15分 → 近鉄四日市(6:46) → 近鉄松阪(7:35)

松阪駅 → 三重交通バス大石行(7:42) → 下茅原(8:22) → 徒歩30分 → 丹生大師 → 町営バス多気行(9:45) → JR多気(10:35)

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女人高野山丹生山神宮司成就院(真言宗山科派)

 お盆の巡礼の先駆けで伊勢の丹生大師まで参拝。松阪駅から三重交通バスで40分の下茅原から徒歩30分、

或は多気駅から町営バスで50分の丹生大師という「至って便利な」場所にあります。

丹生大師の正式名は女人高野山丹生山神宮司成就院(にうさんじんぐうじじょうじゅいん)、

『774年に弘法大師の兄弟子の勤操大徳が開基。

入唐から帰国した空海もここを聖地と定めましたが、後に高野山に移転。

なんでも唐から投げた三鈷がこの地に当たって跳ね返って高野山に届いたとか。色々と政治的なものがあったのでしょう。

女人高野丹生山神宮寺成就院は、奥に鎮座まします丹生神社の寺という位置付けです。

丹生とは「丹」と呼ばれた水銀の産地、「靑丹よし」の丹の事。

花崗岩質の紀伊半島から四国にかけ水銀の鉱脈が走っており、ここから水銀が献上されたと続日本紀にあります。
 
 空海は唐から密教を齎しましたが、各地に残る温泉開湯や溜池を見ると、饂飩、土木事業、鉱山開発の新技術を

習得して帰朝したのではないかと思えます。今の世であっても実業家として名を馳せた事は間違いありません。

最新の鉱山の知識を持ったエンジニアですね。山師と言ったら叱られますが…。

 硫化水銀は仙丹として不老不死の薬として道教では珍重されました。

唐王朝の皇帝の半数以上がこの薬の飲み過ぎで命を縮めたと記録に残っています。

 同時に水銀は古代には金鍍金には欠かせない材料。大仏建立に際しては水銀に金を溶かして大仏に塗布。

その後、中で火を燃やして水銀を蒸発させて金鍍金を施しました。

当然、中毒で多くの人が亡くなった訳ですが、これでは何のために人を救う大仏を作ったのでしょうかね?

 現在の金鍍金はシアン化カリウム溶液に金を溶かして錯イオンとするもの。

言わずと知れた青酸カリですが、人を惹き付けてやまない金にはいつも危険な香りが付き纏っているようです。

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下茅原から櫛田川を渡って丹生大師へ

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境内の池

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丹生大師書院(寺務所)
御朱印はここで頂く。

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鐘楼横を通り本堂へ

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丹生大師本堂(観音堂)  
大師堂へ上がる階段の右手にある。

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大師堂
御本尊の「弘法大師像」は大師42歳の自作とされ、院内の池に御姿を映されてたものを刻んだとか

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大師堂から見た境内
階段が美しいが、工事中。

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丹生大師境内にある空海が姿を映したと言われる池

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丹生大師御朱印

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丹生神社の入り口  
神宮寺の山門は有名であるが、今は他で修復中。代わりにその横の鳥居を撮影。

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境内の鳥居を過ぎ本殿へ

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丹生神社由来

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丹生大師の奥に鎮座する丹生神社 
本来はここが「しゅ」であるが、今は無人。

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かつての門前町の姿を留める家屋

8-1-16.jpg
丹生郵便局;丹生大師山門と門前町

[参考書]

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