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船宿寺&九品寺(奈良県御所市)  葛城の花の寺の御朱印

2018.10.31(20:51) 19

[船宿寺] ブログ村キーワード
葛城古道で古代人の鼓動に触れる(2014.10.27)

<コース>
近鉄薬水駅 → 町営バス → かもきみの湯 → 船宿寺 → バス(船路) → 小殿 → 徒歩60分 → 九品寺 → 徒歩30分 → 近鉄御所駅

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九品寺付近の葛城古道から

 大和の古代の道といえば山の辺の道が有名ですが、葛城古道というものもあります。

葛城氏は古代の名族で、金剛山を本拠地として栄えました。居住地から見れば金剛山は西方浄土の方角、

金剛山自身を御神体として崇めたようにも思えます。尤も仏教伝来は未だですが…。

始祖の葛城襲津彦以降、朝廷で重きをなし、仁徳天皇后の磐之媛、履中妃の黒媛、雄略妃の韓媛も輩出しています。

しかし雄略天皇の時代に滅亡、その力を恐れた朝廷の意向であった事は確かでしょう。

後世に葛城氏の末裔と言われる役行者が出て朝廷に属さない活動をしますが、祖先の恨みを晴らしたい怨念を感じます。

彼が開いた修験道の寺を金剛寺(現矢田寺)と呼ぶのも故なしとしません。

余談ですが金剛とは仏教では悪を砕くとされる硬いダイアモンドの事です。

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医王山船宿寺 (高野山真言宗  関西花の寺二十五ヵ所霊場第二十二番)
躑躅とサツキが有名

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船宿寺の回遊式庭園  
説明によると、禅宗、道教、密教を取り入れているとか。

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庭で見たカタツムリ  
最近は目にする事も減りましたが結構、居ました。

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船宿寺本堂  
神亀5年(725年)に夢のお告げにより行基菩薩がここに庵を結び薬師瑠璃光如来を祀ったのが始まりで、祀った場所が船形の大岩だった事が寺名の由来になった。

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船宿寺本堂と庭の樹木

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船宿寺御朱印  
早朝でしたが丁寧に対応頂きました。

 このような血腥い歴史を遥か彼方に追い遣るように今の葛城古道は至って平穏。

人家や店も少なく、ハイキングをする人々とすれ違う位です。

もし今から1500年前にタイムスリップしてもこれとほとんど変わらぬ景色か、今より人が多い位かもしれません。

 今回は、船宿寺と九品寺という古刹を巡礼。船宿寺は山陰に隠れるように、九品寺は陽の当たる場所にと

違いはありましたが、距離が離れている上に交通の便も悪く、ひたすらウォーキング。

古道を歩いて心臓の鼓動が激しくなるという一日とはなりました。

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葛城の旧街道の名柄付近にある葛城酒造  
金剛山の伏流水を使った「百楽門」「葛城の道」が名高い  

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戒那山九品寺山門   
聖武天皇時代に行基が開創、その後空海が再興した古刹だが、今は浄土宗

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九品寺本堂  
本尊は阿弥陀如来で藤原時代の作 
 
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九品寺裏山にある千体仏  
南北朝の動乱時、楠正成公に味方した楢原氏が奉納した。

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九品寺裏山より見た葛城

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御所葛城郵便局 ; 高鴨神社本殿、サクラソウと金剛山   
名柄郵便局 ; 葛城一言主神社、境内の銀杏、金剛山と葛城山
阿倍野松崎郵便局 ; あべのハルカス
 
 九品寺は御住職が檀家周りのため御朱印なし、二年後の再訪で拝受しました。

話の中で私の檀家寺の親戚に当たると聞き驚き。

代金を渡す際に「では心付で」 と仰るので

「小銭¥200しかないですが¥300払います。¥1000でお釣りを下さい」 と言うと、

「御朱印代は御釣りを出すものではありません。¥200で結構です」 と¥200を納められました。

昨今はどこでも料金制になっていますが、本来の姿を改めて感じた一幕でした。

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九品寺御朱印

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鏑射寺&金心寺 (神戸市北区から三田市)

2018.10.30(10:12) 18

[鏑射寺] ブログ村キーワード
秋は三田へどうじょ!(2016.10.22)

<コース>
JR道場駅 → 徒歩20分 → 鏑射寺 → 徒歩20分 → JR道場駅 → JR三田駅 → レンタサイクル → 心月寺 → 金心寺 → JR三田駅

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独鈷山鏑射寺 (真言宗)  
聖徳太子が仏教弘通の道場として鏑矢を奉納。これが駅名と寺名になった。

 この日は丹波綾部行きを計画していましたが、雲行きが気になったので急遽三田方面へ行先変更。

神戸市北区といえ福知山線道場駅は無人。鄙びた田園と山道を1.7㎞歩く事20分で目指す寺院に到着。

 独鈷山鏑射寺(どっこさんかぶらいじ)はこのような山中にあるのが不思議な立派な伽藍。

伝えでは聖徳太子が御生母の里に当たるこの山を気に入り伽藍を建てたのが嚆矢とか。

その時納めた鏑矢が名の由来となっています。

その後、弘法大師が井戸を掘られ独鈷水と称し栄えますが、南北朝・江戸・明治初期と兵火や失火で度々焼失。

昭和になって漸く再建されました。そのような【弘法】があったとは驚きです。

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薬師如来を祀る鏑射寺本堂   

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本堂前から三重塔を望む

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三重塔へと続く道

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虚空蔵菩薩を祀る三重塔  

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鏑射寺不動堂  
聖徳太子命日の22日には早朝から護摩焚きが行われるので、朝から信者の方々の読経が響く。

 鏑射寺を巡礼した後は、三田市内をレンタサイクル巡り。

人口上昇率・路線価格上昇率が高いのと三田牛で有名ですが、元は金心寺(こんしんじ)の門前町。

元々は松山の庄と呼ばれましたが、金心寺の三福田 (敬田・恩田・悲田) に拠り三田と改称。

これは藤原時代作の本尊胎内から出た墨書に記載されていました。

中世には赤松義則の弟義祐が有馬の地頭職となって有馬氏を名乗り三田に居を構えます。

江戸期は九鬼藩城下町として発展。

 開発が進んでいますが、良く観察すればかつての遺構が所々残っていて見つける楽しみがあります。

最後の藩主九鬼隆義は西洋文化に関心があり洗礼を受け、神戸女学院の設立にも関わりました。

建物にも【和洋摂津】の様子が見られます。

途中雨がパラついたので、予定を変更しなければ「あ、やべ!」と「さんだんに」なるとこでした。

後から気付いた事ですが、綾部も三田も同じ九鬼藩、そういうことも【有馬】すかなぁと浅からぬ縁を感じた一日でした。

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武庫川に架かる橋上にて  
旧市街は向こう側?

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昼食は本町にある町屋を改装した御蕎麦屋にて

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地鶏蕎麦 ¥1,100 の自撮り

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蕎麦プリン ¥200

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町屋から坂を上って行った所が武家屋敷通り

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三田藩の蔵があった大蔵坂にある武家屋敷

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清涼山心月院 (曹洞宗)  
1633年九鬼氏が移封された際に当地の梅林院を増築して心月院とし、菩提寺とした。山門のみが梅林院時のもの

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本堂から見た心月院庭園  
塾をされていて生徒は見えたが、関係者が見当たらず御朱印は拝受できず

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歴代藩主の墓所  
但し、境内にある白洲次郎・正子夫妻の墓を訪れる人の方が多いとか。

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白洲家三代  
次郎の祖父退蔵は三田藩儒学者の家系で、藩主九鬼隆義に家老職抜擢された。

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如意山金心寺(真言宗御室派)  
8世紀に鎌足の息子定慧により創建。かつては屋敷町にあり三田はその門前町として発展。

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金心寺本堂  
度々の兵火に会い明治期の再建である。

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金心寺の創建時の礎石  
いまは手水鉢にリサイクルされている。

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高台に上る処にある三田城址  
今は市立三田小学校と県立三田高校になっている。

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旧九鬼家住宅資料館  
三田藩家老を務めた九鬼家の住宅。家老九鬼家は藩主一門ではなく名前を貰った。家紋も藩主の七曜紋ではなく丸に三曜である。震災前までは住んで居られたが、震災後市に譲渡される。

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九鬼家は明治初期に建てられた擬洋風建築(洋風と和風が混在)

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左 ; 金心寺御朱印    右 ; 鏑射寺御朱印 梵字で不動を表すとか

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本日の駅スタンプ  上はJR西日本支社(駅に設置)、下は無人駅に同好会の方が寄贈したもので三田市観光案内所に設置

[参考書]

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妙満寺、圓通寺、実相院&蓮華寺 (京都市左京区)

2018.10.29(12:13) 17

[妙満寺] ブログ村キーワード
京都は洛で叡電!(2015.10.11)

<コース>
叡山電鉄出町柳駅 → 木野駅 → 徒歩5分 → 妙満寺 → 徒歩10分 → 圓通寺 → 京都市バス → 実相院 → 徒歩10分 → 岩倉駅 → 三宅八幡駅 → 徒歩7分 → 蓮華寺 → 徒歩7分 → 三宅八幡駅 → 叡山電鉄出町柳駅

 洛北と言えば高級住宅街として人気がありますが、元々は平安京の守りの地。

自然石を神の降臨する磐座と見立てました。岩倉の名はこれが由来です。

かつては貴族の別荘地、今では国際会議場や住宅が出来たとはいえ、まだまだ自然に恵まれた土地と言えるでしょう。

 この日に巡礼した四ヶ寺は何れも庭園が有名で広々としています。

また関係者も歴史の教科書に登場する人物が多く、今で言うセレブの集う場所だったのでしょう。

隠遁や逼塞した人も居たというのが世の中の栄枯盛衰を象徴していると思います。

木野下車 →妙満寺 →圓通寺 → 実相院 → 蓮華寺 と電車・徒歩・バスを使っての移動。

バスも10分毎と本数が多く【洛】な一日でしたが、昔の人は全て徒歩。

足腰が弱いようでは貴族には到底なれないと言う事でしょうか。

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顕本法華宗総本山 妙満寺  
1389年に日什大正師により烏丸六条に建立。その後、兵火・移転を繰り返しながら昭和43年にここに移る。

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本堂と仏舎利大塔  
安珍・清姫の鐘が、数奇な運命を経てこの寺に【安珍】。そのため紀州の道成寺とは宗派を超えた行き来があるとか。「カネが取り持つエン、鐘は天下の回りもの」である。

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妙満寺本坊にある「雪の庭」
俳人の松永貞徳が造営。時の住職日如上人が貞門派だった為で、他に清水の「月の庭」、北野成就院の「花の庭」も手掛けたとされる。あと「星の庭」「宙の庭」があれば宝塚となるが…。

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右手より見た月の庭  
名前は比叡の峰を借景にした冠雪の眺望が最も美しいとされる事に由来する。

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大悲山圓通寺(臨済宗妙心寺派) 御幸御殿
1639年に後水尾天皇の造営された幡枝離宮の跡地。後水尾天皇は幕府との対立から譲位し八十歳を超え崩御されるまで上皇として過ごされた。

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圓通寺の参道

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圓通寺庭園  
石は紀州の海の産。後水尾院自ら手掛けたとされるが、院の気魄が伝わる様である。

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比叡山を借景にした枯山水平庭  
檜の向こうが比叡山。余りにも有名で室内は撮影禁止だが、一説によると心霊写真っぽいものが写るからとか。

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圓通寺横のリベラにて昼食

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昼食は叡山をバックに  ランチ¥1300

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岩倉にある実相院  天台宗寺門派(三井寺)門跡寺院  
1229年近衛基通の孫・静基を開基とする。この場所には先の戦(応仁の乱)の時に移転した。

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実相院枯山水庭  
小川治兵衛(植治)の直系の小川氏の作庭で檜皮は波を表すとか。

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実相院庭園  
実相院と言えば床に映る青紅葉・赤紅葉が有名だが、撮影禁止。

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蓮華寺  
元来京都駅付近にあった浄土教寺院で、先の戦で荒廃していたのを1662年に加賀藩家老今枝近義がここ上高野に再興した。

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蓮華寺本堂への参道

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蓮華寺庭園  
杉苔の手入れが行く届いている

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池泉式回遊庭園  
造園は石川丈山と言われ、その他、狩野探幽、木下順庵、隠元禅師等が携わったとされる。当時著名文化人が一堂に会した庭園である。

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左 ; 実相院御朱印   梵字は御本尊の「不動明王」を表す    
右 ; 妙満寺御朱印   この書体は髭題目と呼ばれると説明して貰いました

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左 ; 圓通寺御朱印(貼付タイプ)    右 ; 蓮華寺御朱印

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京都岩倉郵便局 ; 岩倉具視幽棲旧宅   
京都静市市原郵便局 ; 小野小町供養塔、北山と梅

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奥津嶋神社&伊崎寺(滋賀県近江八幡市)  琵琶湖と生きる寺社の御朱印

2018.10.28(17:25) 16

[伊崎寺] ブログ村キーワード
海なし県の離島、絶景の寺社と絶品ようかん(2017.10.08)

<コース>
JR近江八幡駅 → 近江鉄道バス40分 or レンタサイクル60分 → 堀切港 → おきしま通船10分 → 沖島漁港 → 徒歩5分 → 奥津嶋神社 → 沖島漁港 → 堀切港 → 徒歩15分 → 伊崎寺 → 近江鉄道バス40分 or レンタサイクル60分 → 近江八幡市街

近江鉄道バス&沖島通船時刻表(H30.10現在) ; 沖島アクセス

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連絡船「おきしま」にて  右奥に見えるのが沖島漁港

・我こそは 巡礼者よ 沖島の 鳰のさざ波 心して立て

 琵琶湖には人の居る島が竹生島と沖島と二つあります。竹生島は寺社関係者のみの駐在なので、実質は沖島唯一つ。

近江八幡駅から10㎞の堀切港から連絡船で10分。

約300名の漁業関係者が住んで居られますが、時間も非常にゆったりした感じ。

次の船まで2時間余りですが、落ち着いて観光できました。島の移動は船しかないので、自然とそうなるのでしょう。

 ここも時代の流れで後継者不足の問題がありますが、小学校はわざわざ他地区から越境して来る人もいるとか。

近江八幡商人の志が生きていると思うと嬉しくなります。

食事は地元の民宿等で、数軒しかありませんが琵琶湖の幸を堪能できます。

私は沖島漁港にて漁協の方が作ったお弁当、予約すれば琵琶湖の天然鰻丼も¥3,200味わえるそうで次回に期待です。

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沖島行き連絡船の出る堀切港  
船は9:15発。ここは市街を流れる八幡堀の終点に当たる

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沖島漁港に到着

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沖島にある奥津嶋神社鳥居  
和銅年間に藤原不比等(淡海公)が建立、扁額も公と言う事だが。

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奥津嶋神社社殿  
只今、氏子さん達の清掃活動中。春祭り・秋祭りは里帰りの子供たちで賑わうとか。

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境内からの眺め  
島内は平地が少ないので崖に張り付く感じである。

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奥津嶋神社御朱印

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島内の路地  
幅が狭く車は酒屋さんの1台のみ。写真の三輪自転車が移動手段である。  

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沖島小学校  
平成7年にこの場所に移転。この雰囲気を体験させたいため子供を越境させる親もいるとか。

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民宿湖上荘付近  
長命寺の向かいにあり琵琶湖に一番近い民宿。釣りをする人も長閑な雰囲気である。

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島内で見られる日常風景

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昼食は漁協の湖島富貴(ことぶき)の会によるお弁当 ¥1,000  
右上の琵琶マスの甘露煮が絶品。

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沖島漁港12:00発「おきしま」で堀切港へ

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近江八幡沖島郵便局 ; 漁師船、沖島遠景と鴨

 船で戻った後は、棹飛びで有名な伊崎寺へ。姨倚耶山伊崎寺(いきやさんいさきじ)は、天台宗延暦寺の支院。

比叡山無動寺、葛川明王院と並ぶ天台修行の三大聖地。長命寺からの山系に連なるため同じ山号となっています。

『伝説では奈良時代の役行者が開祖で、その際に猪が役行者をこの地に導いた事から「猪先」が地名になったとか。

その後、貞観年間(859~876年)に千日回峰の創始者相応和尚(そうおうかしょう)が寺を創建、

自作の不動明王を安置した。』 と伝わります。

江戸時代には伊勢寺と彦根藩が沖島を領有。戦後は千日回峰した阿闍梨が代々住職を務めました。

昭和40年代までは、ここも島だったようで干拓で陸続きに。

山門も湖に向かってありますから、船で訪れるのが主流だったという事でしょう。

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伊崎寺への巡礼道  
駐車場から約1㎞の参道、行く手に見える巨岩は「出迎不動」と呼ばれる。右手下は直ぐ琵琶湖。

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伊崎寺山門  
かつては島だった名残に門は琵琶湖側に向いている。山号は長命寺と同じ「姨倚耶山(いきやさん)」である。

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山門の扁額

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伊崎寺本堂(天台宗)  
文化15年(1813年)の再建、本尊は不動明王で享保17年(1732年)の作。

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本堂前面

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伊崎寺寺務所
御朱印はここで。御住職は不在であったが、御夫人が居られたので拝受。

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伊崎寺棹飛堂と湖上に突き出た棹  
役行者が巨岩を不動明王と感得し堂を建てたのが始まり。正式には護摩堂である。

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棹飛堂の廻廊

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伊崎寺の棹飛び  
8月1日に行われる。かつては一般も参加出来たそうだが、事故死が出て以来、僧侶のみになった。

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伊崎寺山門から望む比良山系

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伊崎寺御朱印

 巡礼を終えて市内中心部に戻って八幡堀のほとりの「あまな」さんで休憩。

丁稚羊羹の「和た与」さん経営のため甘味で〆。往復20㎞自転車という体育の日に相応しい巡礼となりました。

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あまな」入口

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抹茶パフェと桜パフェ  どちらも本店の丁稚羊羹が載っているのが味噌

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関善光寺と新長谷寺(岐阜県関市) 刃物の町の寺院の御朱印とマンホールカード

2018.10.27(23:38) 15

[新長谷寺] ブログ村キーワード
刃物の街にきった観音、風格のある檜皮葺きの七堂伽藍と鰻(2018.10.23)

<コース> *向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR岐阜(8:54) → ⑭乗場 岐阜バス 岐阜関線(9:15) → 関シティターミナル(10:05)

関シティターミナル → 徒歩5分 → 関善光寺 → 徒歩15分 → 新長谷寺

【復路】関シティターミナル(15:20) → JR岐阜駅(16:08) → JR岐阜(16:32→16:49☆) → JR大垣(17:01→17:09☆) → JR米原(17:44→17:47*) →JR大阪(19:13)

 関と言えば、関の孫六に代表される700年の歴史を持つ刃物の街。美濃からは江戸初期に円空という僧が出ます。

生涯に亘り12万体の神仏像を彫ったといわれ、作品は素朴な中にも力強さのこもったもの。

彼の生涯は謎に包まれた部分が多いですが、刃物の産地が近くにあった事も大きかったと思います。

もしかすると刃物の切れ味を試すための工匠が各地を回って彫った事が円空という存在を作り上げたのではないか。

あくまで想像の域ですが…。

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関市マンホール蓋  
デザインは鵜飼と関の刀匠。

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関市マンホールカード ; 関市役所下水道課にて配布

 JR岐阜から高山本線で美濃太田、長良川鉄道に乗り換えて関駅というのが正統派な行き方なのでしょうが、

岐阜以降は極端に列車本数が減るので、今回は岐阜駅から岐阜バスにて現地入り。

日中でも30分間隔で運行しており意外と便利。ローカル線や三セクの客が流れるのは仕方がないとも言えますね。

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長良川鉄道(旧越美南線)を走る列車  
日中は1時間毎の運行(富加駅にて)

 関についたら高台にある関善光寺へ。

1753年に関の新屋広瀬家新太郎が祖父母供養に大仏殿を建立した宗休寺が発祥。

その50年後に長野善光寺大勧進の大和尚が立ち寄ったのを機に、善光寺の名を貰ったようです。

会社で譬えればM&Aでしょうが、宗休寺としても大寺院の傘下に入る方がメリットも多かったのでしょう。

全国善光寺会なるものもあるようで、こうなると一つの宗派の感があります。尤も善光寺は宗派がないそうですが…。

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妙祐山宗休寺(関善光寺)  天台宗

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境内案内図

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善光寺如来堂  
寛政10年(1798年)間善光寺大勧進等順和尚の出開帳が御縁となり約10年を費やし完成。長野善光寺とそっくりであるが本家に敬意を表し大きさは約四分の一である。本尊も同じく一光三尊阿弥陀如来で7年毎の御開帳の秘仏。

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関善光寺大仏殿  
御本尊の丈六阿弥陀如来像は岐阜県下最大の木造仏である。

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横から見た大仏殿

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関善光寺横にある弁慶庵(惟然記念館)  
芭蕉十哲の一人で関出身の「惟然」の住居を復元したもの。

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弁慶庵入口

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弁慶庵内部

 その後は平地に降りて新長谷寺(しんちょうこくじ)へ。

地元では山号を元にした吉田(きった)観音と呼ばれています。「ちょうこく」も「きった」刃物の街には相応しい呼び名ですね。

かつては山門の数百m南に大門があったようで今でも字に残っています。境内に入ると七堂伽藍が。

全て杮葺きというのも重厚な感じ。但し、修行の場という事で山門内は撮影禁止。

残念ですが、そういう所もあるのも寺社巡りの醍醐味でしょうか。

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大門付近から  
遠くに新長谷寺の山門が見える。後堀川天皇勅願は帝の眼病が平癒した事に拠る。

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吉田山新長谷寺(吉田観音)  真言宗智山派   
写真は二王門で宝暦5年の再建。

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新長谷寺総門   
後伏見天皇扁額、豊臣秀吉寄進。この門の中は撮影禁止。

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総門からの撮影  
境内の七堂伽藍(本堂・阿弥陀堂・釈迦堂・大師堂・鎮守堂・三重堂・薬師堂)は重文で杮葺き。正面が本堂で右が三重塔、本堂右奥が鎮守堂である。

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本堂

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左 ; 新長谷寺御朱印     右 ; 関善光寺御朱印

 待ちを歩くと「鰻屋」が数軒。なんでも鮎と並んで関は鰻が名物なのだとか。

東海道の関(亀山市)も鰻が有名ですが、関と言う名は鰻と関係するのでしょうかね。

今回はスルーでしたが次回は是非にと街を後にしました。

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関郵便局 ; 新長谷寺本堂、三重塔と特産刀剣    
関大門郵便局 ; 新長谷寺仁王門、三重塔と古式刀鍛錬

関市内のうなぎ専門店
吉田観音前;角丸
刃物会館前;孫六
関善光寺近;辻屋

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四天王寺&津観音(三重県津市) 伊勢商人所縁の寺院の御朱印

2018.10.26(08:31) 14

[津観音寺] ブログ村キーワード
伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ(2018.10.22)

<コース>
【往路】近鉄上本町(6:00) → 伊勢中川(7:57→7:59) → 津(8:16)

JR近鉄津駅 → 徒歩5分 → 四天王寺 → 徒歩15分 → 津観音 → 徒歩20分 → JR近鉄津駅

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塔世山(とうせざん)四天王寺   

 津といえば日本で一番短い名前で有名ですが、津とは元来は港を持った町の意味。

中世には安濃津の名で、筑前の花旭搭(博多)津、薩摩の坊津と並ぶ日本三津と呼ばれる賑わいだったとか。

しかし明応18年(1498年)の大地震と津波で壊滅的な打撃を受け衰退。

更に20世紀の戦災があり往時を偲ぶものは殆ど残っていません。「安濃」もどさくさでどこかに消えたのでしょうか?
 
 津から少し南に行くと四天王寺があります。

若き日の聖徳太子が戦陣で「四天王を祀るお寺を四寺建立する」 と誓願されたものの1つと伝わります。

大阪以外にあったとは驚きですが、境内からは奈良時代の古瓦も出土しているので古代からあるのは間違いなさそうです。

唯、中世に曹洞宗に宗旨替えしたのが昔と違う所でしょうか。

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入口から山門を望む  
山門(総門)は寛永18年建立。昭和20年の空襲でも焼失せずに残った。

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四天王寺本堂 
空襲により焼失したものを再建。

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境内より山門を望む

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本堂より見た四天王寺境内

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四天王寺御朱印

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津塔世橋郵便局 ;四天王寺山門と塔世橋
 
 その後は四天王寺の山号を冠した塔世橋(とうせばし)を過ぎて安濃川を渡り10分で津観音へ到着。

和銅2年開創の古刹、何でも御本尊は阿漕浦で漁師の網にかかった聖観音とか。

浅草寺はじめこういった謂れは多い気がします。まさか阿漕な考えからではないでしょうけれど…。

朱塗の柱が映えますが人は少なくひっそりしていました。けれど門前町の雰囲気はあり縁日にはさぞ賑わうだろうと思います。

四天王寺に比べやけに明るい感じでしたが、境内を見渡し樹木が殆どない事に気付きました。

お城へも徒歩5分位なので、津の市民の心の拠り所なのでしょう。お寺のパンフにもそう書いてありました。

 ・伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ

というのは有名なフレーズですが、ここではその後に「津観音に詣らねば片参り」と続くのだとか。

いかにも商才に長けた伊勢の人々だけの事はあります。

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門前町の先に山門が見える

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恵日山観音寺(津観音)山門(真言宗醍醐派)

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津観音本堂と五重塔

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本堂正面

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本堂の屋根の反り

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本堂の天井画 
昭和30年代の作。

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五重塔

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護摩堂

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津観音御朱印

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朝熊山金剛證寺(三重県伊勢市) お伊勢参りの〆の御朱印とマンホールカード

2018.10.25(09:05) 13

[金剛證寺] ブログ村キーワード
お伊勢参りのフィナーレを飾る伊勢神宮の鬼門眺望絶景の寺(2018.10.21)

<コース>
近鉄上本町駅 → 近鉄五十鈴川駅 → 参宮バス25分 → 朝熊山金剛證寺 → 徒歩10分 → 奥の院 → 参宮バス25分 → 近鉄五十鈴川駅 → 近鉄上本町駅

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朝熊山金剛證寺(臨済宗南禅寺派)

 秋晴れの空の下、心の故郷のお伊勢さんへ巡礼。地下鉄5時の始発に乗り、上本町6時の近鉄宇治山田行急行で五十鈴川へ。

といっても伊勢神宮は何度も参っているので、今回は朝熊山金剛證寺(あさまやまこんごうしょうじ)。

伊勢志摩最高峰の朝熊山にあって伊勢神宮の鬼門を守る寺院。伊勢参りはここが終着点。
 
金剛證寺は6世紀半ばが創建。その後空海が真言密教道場として中興、1392年には臨済宗南禅寺派寺院となります。

正式名は朝熊岳勝峯山兜率院で本尊は福威智満虚空蔵大菩薩。

会津柳津、茨城東海村と並ぶ三大虚空蔵とか。

今回で全て制覇ですが、何れも由緒が古く規模が大きいので三大〇〇はハッタリではなさそうです。

伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する為、伊勢神宮の鬼門を守るとなったようで、伊勢志摩最大の寺院となりました。

 ・伊勢へ参らば 朝熊を駆けよ 朝熊駆けねば 片参り     (伊勢音頭)

と言われる程で、お伊勢参りが盛んだった戦前にはケーブルカーが開通(大正14年)して賑わいました。

が戦時中の金属供出で廃線、2013年にやっと土日祝日のみバスが運行されるようになりました。

今の方が不便というのはどうゆうわけでしょうかね?

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近鉄五十鈴川駅にて
右後方が朝熊山。

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バス時刻表

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伊勢志摩スカイラインから伊勢湾を望む

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金剛證寺山門
バス停で降りこちらから入る。

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1979年再建の金剛證寺仁王門

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仁王門の垂木

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境内の杉と苔

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弘法大師が掘ったとされる連間(つれま)の池

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1672年創建の連珠橋とその向こうに見える本堂

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連間の池に架かる連珠橋

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説明板

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石段を上り本堂へ

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重文・金剛證寺本堂摩尼殿
1609年 池田輝政により再建、本尊は虚空蔵菩薩で秘仏。

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本堂前の様子

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本堂前の牛と虎の像
伊勢神宮の艮(丑寅)の方角にあるからか?

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本堂横の明星堂
国土安穏智慧成就の明星神を祀る。

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明星堂説明

 奥之院への参道に卒塔婆が林立する脇に戦国武将の九鬼嘉隆の五輪塔があります。

嘉隆は関ケ原の戦いで西軍、子の守隆は東軍に付き家名存続を図ります。

嘉隆自身は鳥羽城を奪う功績を挙げましたが、西軍が敗れたため答志島へ逃れ自刃。

守隆に迷惑が掛からぬ様にと家臣の勧めに従った訳ですが、守隆が家康から嘉隆助命の許しを齎したのはその後の事でした。

怒った守隆は直ちに家臣を斬首したと伝わっています。

少しの時間のずれが悲劇を生んだ訳で、他にもこのような事は結構あったでしょう。【九鬼一髪】と言うのはドラマの話です。

このような心配のない時代に生まれた幸せを【神占める】旅とはなりました。

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奥之院入口の「極楽門」

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参道の卒塔婆群

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奥之院への参道に並ぶ卒塔婆   
関東圏に比べ西は卒塔婆が少ないのでここは珍しい。海の交通の関係か?

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九鬼嘉隆の五輪塔  
嘉隆三男の有慶は父の菩提を弔うため金剛證寺にて出家し、後に第12世となった。

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卒塔婆と参道の先に見える奥之院

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奥之院(呑海院)  
右が地蔵堂で地蔵菩薩を祀る。

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奥之院庭園

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奥之院にある富士見台
残念ながら富士山は見えず。

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金剛證寺から伊勢湾を望む

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左 ;金剛證寺奥之院御朱印          右 ;金剛證寺本堂御朱印

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朝熊郵便局 ; 金剛證寺本堂と連珠橋を描く

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伊勢市マンホールカード ; 伊勢市観光案内所にて配布

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小房観音と秋桜 (奈良県橿原市) 薔薇の寺の御朱印と寺内町マンホールカード

2018.10.24(13:17) 12

[おふさ観音] ブログ村キーワード
バラと秋桜と古代・近世の大和路を行く (2018.10.14)
 
<コース>
近鉄八木西口駅 → 徒歩5分 → 今井町(街並み散策) → 徒歩8分 → おふさ観音 → 徒歩8分 → 藤原京跡 → 徒歩10分 → 八木町(街並み散策) → 徒歩3分 → 近鉄八木駅

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藤原京跡から天香具山を望む

 漸く秋晴れの下、まほろばの国大和へ。橿原市は大阪・京都への通勤圏でベッドタウン。

しかし近鉄八木西口駅から直ぐ西に行けば江戸時代にタイムスリップ。 今井町は興福寺の荘園。

中世には浄土真宗(一向宗)門徒により御坊(称念寺)が開かれ、自衛自治の環濠集落として発展しました。

信長による焼き討ちの危機がありましたが、1575年に明智光秀の仲介で信長に降伏。

朱印状を貰った町は以降、商業都市として発展します。東西600m、南北310mに戸数1,100軒、人口4,000人が居たとか。

経済力を背景にした訳ですが、数字にはちょっと?な気もします。

 駅近で重要伝統的建造物群保存地区の割には人は疎ら。

唯、町屋を利用した食事処は人気なようで、和懐石は10月は予約で一杯。町入口の町屋ハックベリーで洋昼食を頂きました。

以前に比べると食事処も増えましたが、あまり観光地化しないで欲しいと言う気持ちもあります。

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今井町案内板

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今井町本町筋の街並み 
重厚な白壁、虫小窓、卯建(うだつ)が特徴

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今井町の中心となった御坊(称念寺) 
重文の本堂は修復中、明治天皇の行在所となり西南戦争の知らせを受取ったとか

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町の西端にある今西家 
1650年再建。惣年寄筆頭を務め、敷地内では裁判も行われたとか 有料見学可能。

 町並散策後は、おふさ観音まで巡礼。

江戸時代に土地の娘おふささんが亀の背中に乗った観音様を祀ったのが始まり。所謂瑞祥譚でしょうか。

境内の池にはミドリガメばかりが目につきましたが、まさかマリア様ではなかったでしょうね。

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おふさ観音(高野山真言宗別格本山観音寺) 
境内のバラは約3,800。後ろが観音様を祀る本堂

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おふさ観音御朱印

 そのあとは694~710年まで都のあった藤原京へ。

持統天皇に拠る建設。今は復元の柱がある位で跡は秋桜畑、南東に香具山が見えるのも所縁を感じます。

それまでは天皇の代替わりに住居を都にしていた訳ですから180度の転換。

唐の坊条制に倣ったと言いますが、701年には大宝律令が出来る訳ですから、

唐を模倣した国づくりを始める意図があったのでしょう。遣唐使が派遣されるのもその頃です。

持統天皇自身は漢の呂后を見習った所があるようですが、寧ろ、唐の則天武后に近い辣腕政治家だった様に思います。

泣く子と【持統】には勝てませんね。

 藤原京から駅までは途中八木町を散策、午前中の今井町が豪商の町であるのに対し、ここは宿場町。

平城京や伊勢に行く街道が通っています。かつての旅籠平田屋さんは今は交流館となり見学できますが、

八木札の辻と言うだけあって、伊勢街道(横大路)と下ツ道(中街道)が交差する場所にあります。

現在では道幅も狭く感じますが、当時は賑わったのでしょう。

余談ですが、伊勢神宮の崇拝が盛んになったのは天武天皇以後の事、壬申の乱で勝運を祈願した事によるようです。

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八木札の辻交流館の2階にて  
道は下ツ道、向いは親戚で同業の西の平田屋。2階は8畳4部屋、6畳2部屋であったそうな。

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今井郵便局 ; 今西家と駒繋
畝傍郵便局 ; 橿原神宮と埴輪  

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香久山郵便局 ; 天の香具山と舒明天皇の国見歌の萬葉歌碑
纏向郵便局 ; 纏向遺跡の大型建物跡、メクリ地区の木製仮面

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橿原市マンホールカード ; 今井まちなみ交流センター華甍にて配布

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御朱印帳の進化学

2018.10.08(14:16) 11

[御朱印帳] ブログ村キーワード
御朱印帳のあゆみ


 今では信じられない事ですが、私が御朱印を始めた平成4年には、御朱印をしているのは、ごく一部の年配者。

しかも殆どが女性。御朱印と言う言葉すら市民権を得ているとは言い難い状況でした。

その年の秋に訪れた京都の寺院(嵯峨野の二尊院ですが…)で、御朱印を頂こうと、帳面を差し出すと

「これはスタンプ帳!、御朱印は御朱印帳に書くものですよ。」

「御朱印帳って何ですか?」

「和紙が蛇腹式になっている帳面やね。スタンプ帳やと開けて書き難いし墨のノリも悪いんよ。」

と言われ、初めて御朱印帳の存在を知りました。

「では御朱印帳を下さい。」

「いや、ここには売ってない。」

と漫才の掛け合いのような遣り取りの後、スタンプ帳に書いて頂きました。

 その時は事なきを得ましたが、これからの寺社巡りには御朱印帳なるものが必須と分かりました。

当時は置いている寺社が少なく、行く先で購入が出来ない事も茶飯事、前もって購入したものを持参する事が暫く続きました。

寺社だけでなく書店や雑貨店でも売っている今では、時代の流れを感じます。

私の御朱印は地域別にしているため、購入した御朱印帳は20冊を越えます。それを振り返ってみました。

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平成4年に購入した最初のもの
左;園城寺三井寺   右;南禅寺
いずれも、布製紺色で、寺院の名や他の修飾は一切ない。御朱印帳の欄も記入式である

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平成4年以降だが、札所や本山で購入したもの
左上;興福寺   右上;壷阪寺  左下;蓮華王院(三十三間堂)  右下;延暦寺
布製単色ながら、伽藍や塔などその寺院を代表するデザインが記載。また御朱印帳は予め記載してあり、その下に名前を書く

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表面

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裏面
左上;道成寺(和歌山)  右上;慈照寺(金閣寺)  左下;飛騨国分寺  右下;善光寺(長野)
いずれも平成10年以前に購入
布製だが多色になり、裏には寺院の名前が記載されている。デザインもその寺を代表するものが多い。観光寺院で顕著か?

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左;大雄山道了尊  右;深大寺
関東の寺院でも同様の御朱印帳が出ている。これは平成20年代後半に購入したもの。

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左;永源寺(滋賀)  右;長谷寺(鎌倉)
寺院といえば花で有名な所も多いが、それを御朱印帳に反映したもの

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石薬師寺(三重県)
これは見開きにすると歌川広重の東海道五十三次の浮世絵になるもの。東海道の宿場では唯一寺の名が宿場名になった。
細かいデザインであるが、布製の力作である。 

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ここ5年位の間に、老若男女を問わず御朱印ブームになったが、御朱印帳にもそれが反映されている
ゆるきゃら、絵画等、綺麗で可愛いものが主流を占めつつある

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足利織姫神社(栃木)
御朱印は本来寺院で写経をした証に頂くものであるが、神社でも頂くことができる。
寺院に比べ、神社の御朱印帳の方が煌びやかなので、特に若い女性を中心にコレクターが多い
これは縁結びで有名な神社で、男性様は青、女性用は赤となっている。

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御朱印ブームと共に、御朱印帳袋も登場
以前は手製の布製袋に入れる人が殆どであったと思うが、最近はデザインに趣向を凝らしたものがデパート等で販売されている。
一部の寺院ではオリジナルのものを販売しているが、これは妻沼聖天(熊谷)のもの
大雑把に見た感じでは、百貨店に比べ寺社の方が安価な印象がある


これだけ色々とあると、巡礼先でMy御朱印帳やMy御朱印帳袋を見つける楽しみが増えますね。

どのようなものを選ぶかは全く自由ですし、神社と寺院を区別する必要もありません。

唯、御朱印帳に駅スタンプや記念スタンプを押印するのだけは避けて下さい。

昔と違って、そのような帳面には御朱印を拒否される可能性が大ですので…。

[御朱印帳の購入に当たって]
御朱印を始めるに当たってどのような御朱印帳を買ったら良いか悩んで居られる方には下記が廉価でお勧めです。

①表紙;布、  ②中紙;和紙、 ③構造;蛇腹、 ④サイズ;大判 182×121㎜

を満たしています。サイズが小さいと墨書に不便と思いますので…。

一見地味ですが、初めはこれくらいが適切で慣れたら自分の感性に合った御朱印帳を購入すれば良いでしょう。

私の場合は寺院中心、地域で御朱印帳を区別していますので、気に入った御朱印帳があった寺院では都度購入しています。

御朱印帳の値段はピンキリですが、大体¥2,000以下で手に入る事が殆ど。

特別製の表紙や紙に拘る余り、経済的に続かなくなってしまうのは避けるのが肝要かと思います。

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寺院で伺った処、御朱印は亡くなった時に一緒に納棺して貰うのが原則だそうで、それまで保管するのには一ヵ所に纏めて置くのが良いでしょう。余り多くの冊数を入れると重いので1ダースくらいが目安です。

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丹生大師神宮寺 (三重県多気町) 水銀の産地にある空海ゆかりの寺

2018.10.07(17:22) 10

[丹生大師神宮寺] ブログ村キーワード
弘法大師はにうエンジニア (2018.08.06)

<コース>
【往路】JR東京(23:10) → 快速ムーンライトながら → JR名古屋(5:19→5:40) → JR四日市(6:22) → 徒歩15分 → 近鉄四日市(6:46) → 近鉄松阪(7:35)

松阪駅 → 三重交通バス大石行(7:42) → 下茅原(8:22) → 徒歩30分 → 丹生大師 → 町営バス多気行(9:45) → JR多気(10:35)

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女人高野山丹生山神宮司成就院(真言宗山科派)

 お盆の巡礼の先駆けで伊勢の丹生大師まで参拝。松阪駅から三重交通バスで40分の下茅原から徒歩30分、

或は多気駅から町営バスで50分の丹生大師という「至って便利な」場所にあります。

丹生大師の正式名は女人高野山丹生山神宮司成就院(にうさんじんぐうじじょうじゅいん)、

『774年に弘法大師の兄弟子の勤操大徳が開基。

入唐から帰国した空海もここを聖地と定めましたが、後に高野山に移転。

なんでも唐から投げた三鈷がこの地に当たって跳ね返って高野山に届いたとか。色々と政治的なものがあったのでしょう。

女人高野丹生山神宮寺成就院は、奥に鎮座まします丹生神社の寺という位置付けです。

丹生とは「丹」と呼ばれた水銀の産地、「靑丹よし」の丹の事。

花崗岩質の紀伊半島から四国にかけ水銀の鉱脈が走っており、ここから水銀が献上されたと続日本紀にあります。
 
 空海は唐から密教を齎しましたが、各地に残る温泉開湯や溜池を見ると、饂飩、土木事業、鉱山開発の新技術を

習得して帰朝したのではないかと思えます。今の世であっても実業家として名を馳せた事は間違いありません。

最新の鉱山の知識を持ったエンジニアですね。山師と言ったら叱られますが…。

 硫化水銀は仙丹として不老不死の薬として道教では珍重されました。

唐王朝の皇帝の半数以上がこの薬の飲み過ぎで命を縮めたと記録に残っています。

 同時に水銀は古代には金鍍金には欠かせない材料。大仏建立に際しては水銀に金を溶かして大仏に塗布。

その後、中で火を燃やして水銀を蒸発させて金鍍金を施しました。

当然、中毒で多くの人が亡くなった訳ですが、これでは何のために人を救う大仏を作ったのでしょうかね?

 現在の金鍍金はシアン化カリウム溶液に金を溶かして錯イオンとするもの。

言わずと知れた青酸カリですが、人を惹き付けてやまない金にはいつも危険な香りが付き纏っているようです。

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下茅原から櫛田川を渡って丹生大師へ

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境内の池

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丹生大師書院(寺務所)
御朱印はここで頂く。

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鐘楼横を通り本堂へ

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丹生大師本堂(観音堂)  
大師堂へ上がる階段の右手にある。

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大師堂
御本尊の「弘法大師像」は大師42歳の自作とされ、院内の池に御姿を映されてたものを刻んだとか

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大師堂から見た境内
階段が美しいが、工事中。

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丹生大師境内にある空海が姿を映したと言われる池

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丹生大師御朱印

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丹生神社の入り口  
神宮寺の山門は有名であるが、今は他で修復中。代わりにその横の鳥居を撮影。

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境内の鳥居を過ぎ本殿へ

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丹生神社由来

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丹生大師の奥に鎮座する丹生神社 
本来はここが「しゅ」であるが、今は無人。

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かつての門前町の姿を留める家屋

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丹生郵便局;丹生大師山門と門前町

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葛川明王院 (滋賀県大津市) 鯖街道にひっそり佇む修験道古刹の御朱印

2018.10.07(16:01) 9

[明王院] ブログ村キーワード
今日は遠ても九里、鯖街道の古刹と料理旅館比良山荘 (2018.08.14) 

<コース>
【往路】京阪電鉄淀屋橋(6:39) → 出町柳(7:35→7:45) → 京都バス 葛川梅の木 → 坊村(8:41)
京都バス;土日祝盆のみ運行

坊村 → 徒歩5分 → 葛川明王院

【復路】坊村バス停(10:19) → 江若バス 堅田葛川線 → 堅田駅(11:03)

[備考]
公共交通機関を利用の場合、
【往路】JR堅田駅(8:50) → 江若バス 堅田葛川線 → 坊村バス停(9:36)
で行き上記の【復路】で戻るのが定石。

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阿都山葛川寺息障明王院(天台宗)
比叡山無動寺の奥院である。

 古く京の都に海の幸を納めていたのは、若狭と伊勢の国。いまの交通事情では伊勢の方が便利ですが、

地図ではどう見ても若狭小浜のほうが近く「京は遠ても十八里」と言われたそうです。

小浜 → 朽木 → 途中 → 大原 → 京都 は別名鯖街道。

出町柳駅から休日ダイヤのバスに揺られて1時間、京都と小浜のほぼ中間点(35㎞)の葛川へ。

 明王院は、正式名・阿都山葛川寺息障明王院(あとさんかっせんじそくしょうみょうおういん)、

『慈覚大師円仁の高弟相応和尚(そうおうかしょう)が比叡山無動寺の奥之院、回峰行者の修験道場として859年に開基しました。

修行中に霊験を感じた桂の古木に不動明王を刻んで本尊としたとか。

以後、相応は回峰の創始者、明王院は回峰行者の参籠する霊場として現在まで続いています。』

これが葛川(かつらがわ)の謂れなのでしょうか?

 厳かな雰囲気ですが人は疎ら。バスには登山スタイルの人が多く、お寺で尋ねると

「この辺りは武奈ヶ岳や比良山系への登山者が多いので」 との答え。現在の千日回峰といった所でしょうか?

 昔は鯖街道として賑わっていたでしょうから、山系と参詣を両方満たす場所に道場を建てたものと想像できます。
 
 御参りのあとは、これまた本数の少ない江若バスで堅田まで。

この辺りは、古代から平安の名族小野一族の地。

所縁の神社もあり、武運、出世運、金運に肖ろうと思いましたが、生憎33℃の猛暑。

二十代ならいざ知らず、若狭よりも朽木に至る途中の年齢なので、

無理をすれば自宅で【千日介抱】になってしまうと次回に繰り越した次第となりました。

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明王院前のバス停付近  
この辺りはキャンプ場や川魚つかみ取りの施設があり10時過ぎには道路が混雑。安曇川に沿う鯖街道だが、幽谷の道ではなく開けた印象。

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明王院への道 
正面には地主神社、右には料理旅館比良山荘

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比良山荘前を流れる清水
ビールが冷やしてあった。

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明王院へと続く橋  
秋には一面の紅葉になるとか。

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明王滝川に架かる三宝橋

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表門へと続く階段

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政所表門を望む


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政所表門近影
1526年築の切妻・銅板葺の棟門、御朱印はこの奥で頂く。

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本堂(1715年築)へ続く階段、右は護摩堂

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1755年建立の護摩堂
但し、現在は本堂で護摩焚きを行う。

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護摩堂横を通り本堂へ

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明王院本堂
1715年建立で入母屋、鉄板葺。  

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本堂入口

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本堂内にある回峰行者の札
千日回峰された僧侶で存命は5名。

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本堂から見た境内


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明王院御朱印  
本尊は不動明王・千手観音・毘沙門天。明王院は各地にあるため、葛川寺と記すのが習わし。

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道路向かいにあった茅葺の家

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真野郵便局;真野の入江、琵琶湖対岸からの琵琶湖大橋
葛川郵便局;比良山系、登山者、安曇川の鮎
志賀小野駅前郵便局;唐臼山古墳、琵琶湖とローズタウンの街並

[参考書]

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多田神社 (兵庫県川西市)  源氏発祥の地の力強い御朱印

2018.10.05(21:52) 8

[多田神社] ブログ村キーワード
ただのまんぢう (2018.09.28)


<コース>
妙見口 → (能勢電鉄) → 多田 → 徒歩10分 → 多田神社 → 多田 → 川西能勢口 → 阪急梅田

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多田神社(旧県社)

 妙見山からの帰路、少し時間が早かったので能勢電鉄多田駅で途中下車。

駅から西へ10分程歩いた所にあるのが多田神社。由緒記に拠れば

『この地に館を構えた源満仲(912?~997年)により、天禄元年(970年)に息子の源賢を開山として建立した

天台宗系寺院の多田院が前身。これ以降、多田院を中心に多田庄が発展する。

満仲は死後ここに葬られ、清和源氏の霊廟となった。室町期には清和源氏の流れを汲む足利将軍家に、

江戸時代には同じく清和源氏の流れを汲むとされる徳川将軍家により崇拝され次第に寺院よりも神社的な性格を強めた。

最終的に明治の神仏分離令で神社となった。』 とあります。

 境内にある門が寺院の様式なのはその名残。仁王像はありませんが、これは明治になって他の寺院に移されたからだとか。

現在の社殿は江戸時代の建造ですが、これは織田信長の焼討ちに拠ります。

平家を名乗る信長には源氏の氏神は関係なかったようです。

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猪名川に架かる神橋
この橋を渡った場所に神社が鎮座。

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神橋から南門を仰ぐ  
かつての仁王門で、武門の館らしく守りを考え高台に建っている。

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南門近影
仁王像は明治期に市内の満願寺に移された。

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多田神社南門より猪名川を望む  

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境内の鳥居

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拝殿に続く重文・随身門
寛文7年(1667年)の造営で、八脚門、切妻造、瓦葺。

 源満仲は清和天皇の曽孫。天皇の末裔という貴種性が武家の棟梁への後押しとなったと言われますが、

曽祖父の清和天皇の男子は15人、祖父の貞純親王は男子2人、父親の経基王は男子8人、満仲も兄弟が8人。

天皇の4代目ともなればかなりの数になる訳で、それだけで出世は難しかったでしょう。
 
 地方官を転々としていた彼が中央に躍り出たのは969年の安和の変。

満仲が謀反を密告した事で首謀者とされた源高明は大宰権帥に左遷、

これは醍醐天皇皇子の高明の追い落としを図った藤原氏の陰謀というのが定説。

この功績で満仲は正五位下と貴族の末席に連なる事ができました。

この後、地方受領を歴任して巨万の富を蓄え、朝廷にも浸透しようと図ります。

嫡男頼光の娘が藤原道綱(蜻蛉日記の作者の息子)と結婚したものその一環でしょうか。

 多田に移り住んだのはその翌年。邸には多くの武装した従者がいたと「今昔物語」にはありますが、

この時点で彼を頂点とする武士団が形成されていたのかという事には疑問もあります。

それでも「世に並びなきつはもの、ただのまんぢう」 として周囲に恐れられていたことは事実のようです。

源氏を名乗ったのは父親の経基王ですが、実際には満仲が武士の棟梁となる源氏の始祖と言って良いでしょう。

彼の長男頼光が摂津源氏、三男頼信が河内源氏の祖となり、

頼信の系列から源頼朝・足利尊氏・徳川家康?と幕府の創始者が出ました。

 満仲は左大臣派であったと言われ、己の出世の為に主人を裏切った事になります。

同時期に活躍した平貞盛も正五位上に叙せられましたが、これも従兄弟に当たる平将門を討った功績に拠るもの。

どちらもそう褒められる仕儀ではありませんが、そうでもしないと貴族の世界に食い込む事は至難の業だった筈、

未だ侍ふ者にとっては貴族の牙城は遥かな高嶺ではありました。

 武士の棟梁として恐れながら戦で死ぬこともなく、晩年には出家し90歳近い長命を全うしたことでも、

己の境遇に【ただあんじゅう】するだけでない並々ならぬ器量が伺えます。

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寛文7年(1667年)再建の重文・拝殿
入母屋造、檜皮葺。

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拝殿の幕
三つ葉葵は徳川家、笹竜胆は源氏の紋。

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源氏の始祖らしく徳川将軍家の当主の御手植え  
毎年源氏の係累の方々が集まるそうだが、徳川家は来られない由。

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記念式典には、時の横綱2名の植樹が。
曙関はプロレスに転向後、難病に罹り、貴乃花関は協会を退職と言うのも運命か。

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多田神社御朱印

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川西新田郵便局;多田神社南大門、御社橋と釣り人
川西清和台郵便局 ; 源満仲騎馬像、ゆるきゃら「きんたくん」
注) 金太郎こと、坂田金時は満仲嫡男頼光の家臣で四天王の一人。足柄出身と言われるが市内の小童寺に墓があるとか

[参考書]

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2018年10月
  1. 船宿寺&九品寺(奈良県御所市)  葛城の花の寺の御朱印(10/31)
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