年の初めは「さいこう」寺(2017.1.1)
<コース> 宝塚本線&箕面線は日中10間隔で運転
阪急電鉄梅田 → (宝塚本線急行16分) → 石橋 → (箕面線6分) → 箕面
阪急箕面駅 → 徒歩5分 → 西江寺

聖天宮西江寺(高野山真言宗)
元旦というのは家の用事を一通り済ますと意外と退屈な物。近所の神社にお参りして家に帰ってもお昼過ぎ。
夕食までは時間があるので、急に思い立って箕面へと出かけました。
聖天宮西江寺(しょうてんぐうさいこうじ)は658年に役行者が開いたとされる古刹。
光の中から大聖歓喜天が現れたので、この箕面の地を道場としたと寺伝にあります。
阪急箕面線終点から徒歩5分の入口には鳥居があり、かつて摂津国神宮寺と称していました。
この奥2㎞には箕面大滝があり神社や修験道の場としては良好。
滝を御神体とする社を守る位置付けだったのではと思います。神仏習合の名残でしょうね。
大阪中心部から便利な割には自然も豊かな高級住宅地。
紅葉の頃は観光客でごったがえしますが、元日は至って静かなのが印象的でした。

西江寺への道脇の清水
時折、オオサンショウウオも見かけるくらい澄んでいる。ここから俗と聖の境界なんだとか。

西江寺入口 神仏習合の名残か?

西江寺本堂 思いのほかこじんまりしていた印象。

本堂付近からの眺め

西江寺御朱印
納経所には女学生らしき巫女さんが3人居てはりましたが、御朱印をお願いすると年配の女性が書いて呉れました。

箕面市のマンホール 駅前にて撮影。府下有数の観光地なのでカラーマンホールが設置。

箕面市のゆるきゃらマンホール キャラ「滝の道ゆずる」は柚子の顔を持つ。

マンホールカードも箕面市立郷土資料館にて配布

箕面郵便局; 箕面大滝、表示板、赤橋、市木・イロハモミジ、市花・ササユリ、明治の森
箕面西小路郵便局; 箕面大滝、道標、市木・イロハモミジ、市花・ササユリ
箕面如意谷郵便局; 銅鐸、如意谷の山地、市木・イロハモミジ、市花・ササユリ
箕面繊維団地内郵便局; 萱野三平旧邸

途中の店で売られているお土産
紅葉の季節は紅葉の天麩羅と笑い栗が犇めくが正月はこれ
尚、「モンちゃんせんべい」は猿にあげるのものではない。
[参考書]
大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島 (歴史散歩 27) 新品価格 | ![]() |

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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
吉田通れば別品鰻が招く (2015.12.30)
<コース>
JR横浜(5:28) → JR小田原(6:21→6:22*) → JR熱海(6:45→6:49☆) → JR浜松(9:19→9:23*) → JR舞阪(9:32) → 旧東海道 徒歩110分 → JR弁天島(11:13) → JR豊橋(11:37) → 徒歩15分 → 吉田城 → JR豊橋(13:03) → JR大垣(14:31→14:41☆) → JR米原(15:16→15:18*) → JR大阪(16:42)
*向側ホーム ☆階段を渡ったホーム

舞阪の松並木 旧東海道の両側に700mに亘って続く。
仕事の都合で年末帰省の「のぞみ」が前もって予約できず、そうかと言って混雑した自由席で帰るのもいまいちなので
東海道線での帰阪と相成りました。
東海道53次のど真ん中は袋井(27番目)ですが、大阪まで延長した57次では浜松(29番目)になります。
江戸の旅人に倣い七つ立ち(4時起床)で始発に乗って舞阪9:32着。
年末で施設は軒並み休みですが、舞阪(30番)から新居(31番)方面への旧東海道は両側に700m松並木が続き、
常夜灯や脇本陣も残って居り、江戸時代の旅人の気分が味わえます。
かつて浜名湖は遠淡海と呼ばれた淡水湖で遠江の語源にもなっていましたが、明応七年(1498年)の地震で海と繋がり
その場所は今切と呼ばれる事に。そのため東海道の陸路も今切渡しから海上を一里半船で行くことになりました。
江尻(18番目;清水)以降では久し振りの海の見える景色で、廣重も浮世絵では今切の景観を描いています。

街道沿いの秋葉常夜灯 奥に一里塚跡碑が建つ。

舞阪宿脇本陣
脇本陣としては東海道に唯一。天保9年のものを復元、大正時代には役場として使われた経歴を持つ。

脇本陣説明板

浜名湖今切の渡しにある北雁木、1661年作
雁木とは階段状の船着き場の事。北雁木は大名や幕府公用役人が使用したもので、水際まで約18mの石畳が敷かれている。尚、ふつうは「がんぎ」だがここでは「がんげ」と呼ぶ。

舞阪宿の西端
1498年の地震で浜名湖が外海と繋がり、今切と呼ばれるようになった。以降、東海道は舞阪~新居を船で行く習わしである。

宿場案内の高札
今切の渡しを電車で越えた後は愛知県の吉田宿(34番)へ。
永正二年1505年に牧野氏が築城して以来の城下町で県下第二の都市。
豊川に架かる「豊橋」は吉田大橋と呼ばれ、岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋と並び三橋と称されました。
明治の版籍奉還に伴い町の名前になっています。
戦災と開発で宿場の遺構は少なくなりましたが、鍵曲道や老舗に昔の面影を見ることができます。
本陣跡に行くと、そこは鰻屋「丸よ」に。
江戸時代にここで供される鰻が殊の外美味しく「別品」の名前で売り出しましたが、江戸に伝わる内に美婦人のことも別嬪と
呼ぶようになったとか。お店の看板にも由来が書かれてあります。
尤も「美」の語源は『大きく美味しそうな羊』だそうですから、強ち曲解とも言えませんが。
以前見たテレビで江戸の鰻屋さんでも似たような話があったようですが、江戸は三河の文化が移ったものですし、
派手好きな県民性も併せてこちらが元祖のような気がします。
「吉田歩けば二階から招く…」といった別嬪の艶っぽいことはありませんでしたが、
代わりに別品の蒲焼の香りに引き寄せられました。
その後、乗り継いで大阪16:42着、新幹線の二時間半には遠く及びませんが、意外と早く着くものだと改めて感じました。
江戸時代には二週間かかった訳ですからね。

豊橋公園にある吉田城隅櫓
後ろには豊川と吉田大橋が控える。岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋と共に東海道三大大橋とされる。

街道沿いにある江戸時代から続く和菓子屋「若松園」

豊橋市公会堂 ロマネスク様式で昭和6年竣工。

吉田宿本陣跡
いまは鰻屋「丸よ」となっている。なお、別嬪の語源はここで出した鰻が元だとか。江戸の前川でも同じような話があったが真相は?

舞阪郵便局 ; 弁天島温泉、灯台、松、名産・鰻
舞阪駅前郵便局 ; 旧東海道松並木、和船、名産・鰻
豊橋下地郵便局 ; 豊川、吉田大橋、吉田城
豊橋市役所前郵便局 ; ロマネスク様式の豊橋公会堂と豊橋鉄道路面電車

豊橋市マンホールカード A ; 豊橋情報プラザにて配布
豊橋市マンホールカード B ; 豊橋市役所にて配布
豊橋市マンホールカード C ; こども未来館にこにこにて配布
[参考書]
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春秋社の月刊誌「春秋」連載中から話題になった本。東海道を歴史・美術・風俗多方面から解説している。
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戌年の終りの尾張犬山 続き(2018.12.27)
<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03) → JR大垣(8:37→8:40) → JR名古屋(9:14) → JR刈谷(9:35→名鉄9:39) → 名鉄碧南(10:07) → 名鉄北新川(11:49) → 名鉄刈谷(12:07→JR12:23) → JR名古屋(12:42→名鉄12:53) → 名鉄犬山(13:18)
名鉄犬山駅 → 成田山尾張別院&瑞泉寺 → 徒歩10分 → JR鵜沼
【復路】JR鵜沼(16:07) → JR岐阜(16:32→16:49) → JR大垣(17:01→17:09) → JR米原(17:44→17:47) →JR大阪(19:13)

青龍山瑞泉寺(臨済宗妙心寺派)
成田山から名鉄犬山遊園駅に向かって歩いていると、何か趣のあるお寺があったので立ち寄り。
青龍山瑞泉寺(せいりゅうざんずいせんじ)は日峰宗舜禅師が創建した妙心寺派の古刹。
本尊は伊勢国朝熊山金剛證寺の虚空蔵菩薩を勧進したと有ります。やはり寺院は歴史と本尊が【勧進】なのでしょう。
歴代住職からは高僧が輩出し本山の妙心寺の長になった僧侶もいるとか。
最近なられた管長の写真が掲げてありましたが、あまり宣伝しすぎるのもどうかと言う気がします。
応永22年(1415年)に大伽藍が出来たとありますから犬山市内に現存する中では屈指の古刹でしょうか。
永禄八年の兵火で焼失しますが、信長から朱印状を貰い再建。秀吉・家康からも庇護を受けたと言いますから、
政治手腕に長けた僧侶が多かったともいえます。尤も当時の武将は幼い頃は僧侶に教育を受け、
長じてはブレーンになった人も多いと言いますから、珍しい話ではないのでしょうが…。
塔頭も最盛期は24ヵ院ありましたが、今は6ヵ寺と四分の一。隣接する成田山の陰に隠れひっそりとした佇まいを見せています。
これを栄枯盛衰と捉えるかは判断が難しい所。境内に入ると凛とした雰囲気が感じられますが、訊けば禅宗の道場との事。
俗世間から距離を置いた感があるのは、この故だったのかと思いました。

名鉄の踏切を越えた所にある山門 犬山城の門を移築したもの。

瑞泉寺入口 道場の看板がある。さあ、どうじょう と言う訳ではないが…。

鐘楼 明応三年(1494年)の建立と伝わる。左甚五郎作の三猿があるとか。

境内のイヌマキ 創建当時からあるとされ樹齢600年。

本堂 観光寺院ではないが砂が禅宗式に整備されている。

本堂脇から境内を望む

瑞泉寺御朱印 2種類ありこれは¥300。

犬山市マンホール 国宝犬山城と木曽川の鵜飼、駅西口交差点に設置。

碧南市&犬山市のマンホールカード
2018.12.14に第9弾として発行された。いずれも市役所下水道課で貰った。
[参考書]
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戌年の終りの尾張犬山(2018.12.27)
<コース>
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03) → JR大垣(8:37→8:40) → JR名古屋(9:14) → JR刈谷(9:35→名鉄9:39) → 名鉄碧南(10:07) → 名鉄北新川(11:49) → 名鉄刈谷(12:07→JR12:23) → JR名古屋(12:42→名鉄12:53) → 名鉄犬山(13:18)
名鉄犬山駅 → 徒歩15分 → 犬山成田山

大本山成田山名古屋別院大聖寺(真言宗智山派)
以前から気になっていましたが国宝犬山城から見ると向かいの山に広大で派手な寺院が見えます。
地図を見ると成田山とあるのでちょっと御参り。
千葉の成田山の分院なら地元の香里園にもあるので、別段珍しくもないですが、それにしては規模が大きい。
駅で貰った案内に拠ると千葉の成田への参詣が遠距離で大変なので、この愛知県に造った別院だとか。
となると格式もそれなりに高いのでしょうね。
創建は昭和28年と新しく境内を見ても現代的。創建に際しては名鉄グループの寄進があったそうで、
交通安全祈願の成田山だけに納得。加えてトヨタグループもあり愛知県にこれだけ大きい伽藍ができたのも頷けました。

正面参道に到着

明王門 成田山の建物はどこも大きい。石段下に「名鉄百貨店」とあるのが妙に気になる。

明王門を過ぎたこの石段を登った先が本堂

石段右手の庭園「憩いの場」にある五大明王と童子達

石段左手下にある交通安全・自動車祈祷殿 あおり運転者には不動明王の剣を、となりますかどうか。

本堂 御朱印はこの右手の総受付で拝受する

本堂からの眺め

本堂付近から見た犬山城 心なしかお城の方が小さく見える。

犬山成田山説明書

犬山成田山御朱印

犬山郵便局 ; 国宝犬山城、明治村の重文・聖ヨハネ教会堂
城東郵便局 ; 国宝犬山城、温泉、犬山ライン下り
[参考書]
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菖蒲の街の勝負の神様(2018.12.27)
<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03) → JR大垣(8:37→8:40) → JR名古屋(9:14) → JR刈谷(9:35→名鉄9:39) → 名鉄碧南(10:07)
碧南駅 → 徒歩10分 → 妙福寺

多聞山妙福寺(浄土宗西山深草派)
平成30年も残り僅かとなり、今年の〆の御参りに。
正月に御参りするのに年末にわざわざ行く意味があるのかとも思いますが、逆にこの時期なら
① 正月に向けてどこの寺社でも大掃除をしているので、綺麗な状態で御参りできる。
② 年末は忙しいので行く人が少ない。
③ 年末30日まで郵便局は営業している。
とメリットもあります。
そこで冬の寒さがマシな場所という事で、行先は東海地方へ。
矢作川河口の碧南市は古くからの港。
多聞山妙福寺(たもんさんみょうふくじ)の歴史は古く、寺伝に拠れば
『仁寿二年(852年)に荘司の志貴周亮が毘沙門天を祀ったのが始まり。毘沙門天は聖徳太子の作と言われます。』
太子の墓所の叡福寺の近くに志貴と言う地名があったように思いましたが調べたら喜志の間違い。
聖徳太子は伝説の域でしょうか?
当初は天台宗でしたが、江戸期には浄土宗に宗旨替え。それに伴ったかどうかは分かりませんが、
後から持ってこられた阿弥陀如来が御本尊になり古くからある毘沙門さまは脇の毘沙門堂に祀られることに。
後から来たのに追い越されと気の毒ですが、地元ではいまだに初詣や祭りも志貴の毘沙門さまという事で通っており
信仰の根強さを感じました。
そういえば碧南の市花はハナショウブ、勝負の神様の毘沙門さまには相応しいと思いますが、これは関係ないでしょうね。

妙福寺山門 旧刈谷城の城門を移築したとか。

阿弥陀如来を祀る本堂 御朱印を書いて貰っている間に中に入って御参り。

本堂左脇の毘沙門堂

毘沙門堂扁額 外からは分かり難いが本堂奥の廊下を進んで御参りできる。

妙福寺御朱印

碧南棚尾郵便局 ; 妙福寺山門、棚尾大橋、市花・ハナショウブ
碧南郵便局 ; 衣浦湾、大型船、三州瓦、市花・ハナショウブ
碧南新川郵便局 ; 市文化財・山車
碧南北新川郵便局 ; 鬼瓦、明石公園の観覧車、市花・ハナショウブ

碧南市マンホールカード ; 配布先はこちら
[参考書]
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岡部は中山、山の中? (2015.12.26)
<コース> 冬の青春18きっぷ使用
【往路】JR横浜(5:28) → JR小田原(6:21→6:22) → JR熱海(6:45→6:49) → JR藤枝(8:26)
JR藤枝駅 → 静鉄バス藤枝駅前 → バス30分 → 岡部営業所下車 → 旧東海道 徒歩110分 → 柴屋寺 → 徒歩15分 → 丁子屋 → 静鉄バス丸子橋入口 → バス20分 → JR静岡駅
【復路】JR静岡駅(17:34) → JR熱海(19:04→19:09) → JR横浜(20:31)

天柱山吐月峰柴屋寺(臨済宗妙心寺派)
・駿河なる 宇津の山邊の 現にも 夢にも人に 逢はぬなりけり
「伊勢物語 第九段 東くだり」
東海道が整備されたのは江戸開府の頃ですが、宇津ノ谷峠は在原業平も通って居り、途中で都の知人に会い
「びっくりしたなあ、もう!」と書いています。
22番目の藤枝宿は開発で昔の面影が殆ど残っていませんが、21番岡部宿は今でも宿場の雰囲気が濃厚。
鉄道から外れたことが大きかったのでしょう。ジュビロ磐田のゴン中山選手の御実家も宿場風の造り。
このような家を改築するのは新築よりもコストが掛かることが多いので地元の方々の熱意に感謝です。
日本も西洋の様にもう少し建物を大事にする風潮があっても良いのではないでしょうか?
この地は駿河郡司だった藤原清綱が土着して岡部氏を名乗り、頼朝の御家人、今川、徳川の家臣を経て、岸和田城主。
こんな遠くで大阪に縁があるのに驚きです。

岡部宿の入口の松並木

岡部宿の街並み 中央が東海道。

街道沿いにある民家

岡部宿にはサッカー型手毬を軒に吊り下げた家が多い

岡部宿にある大旅籠柏屋歴史資料館 かつての旅籠の様子が分かる

旅人の到着の様子を再現

柏屋の内部
ここは武士の宿泊部屋で原則1名、相部屋になることはなかった。

柏屋で当時の食事を再現
一汁二菜が基本。1泊200文、今で¥6,000位か?

岡部から宇津ノ谷峠に至る旧東海道

峠を越えた所にある宇津ノ谷集落
岡部宿の後は宇津ノ谷峠越え丸子宿へ。江戸時代には鞠子でしたが今は丸子、でも読みは変わらず「まりこ」、
さくらももこさんの出身地でも「まるこ」とは呼ばないようです。
この宿場の西にあるのが連歌師柴屋軒宗長ゆかりの天柱山吐月峰柴屋寺(てんちゅうざんとげつほうさいおくじ)。
1448年島田の刀鍛冶五条義助の子として生まれ18歳で出家、興津清見寺で出会った飯尾宗祇に連歌を師事しその旅に随行。
応仁の乱後は駿河の今川氏親に仕え、師の没後は後継者として連歌界を牽引しました。
その間1504年丸子に喜見庵という草庵を結び1532年に亡くなるまでこの地で過ごします。
ここには駿府の外城として丸子城があり今川氏親と共に10年余り戦塵を逃れた過去があったからでしょう。
これが柴屋寺の由来で、銀閣を模した庭園からは天柱山、丸子富士を望み、月が吐き出すように見える事から吐月峰と
名付けられました。連歌師や俳諧師は各地を回って情報を齎す使命があったと言われますが、宗長の晩年は
いたって穏やかなものだったと思えます。

吐月峰柴屋寺入口 寺院というよりも隠棲した庵と言う方が相応しい雰囲気である。拝観料¥300。

吐月峯本堂
本尊は十一面観音。右に見える山の竹の先から上がる月が竹から吐き出されるように見えたことからの命名。

吐月峰柴屋寺の庭園
ここは連歌師宗長の邸で、庭は京都の銀閣を模している。

柴屋寺説明書

柴屋寺御朱印
巡礼のあとは遅めの昼食を丸子宿の丁子屋で。
・梅わかな 鞠子の宿の とろろ汁 はせを
廣重の浮世絵にも描かれている名物「とろろ飯」は400年の伝統、15時という時刻でも食事ができるのも魅力です。
ケーキ、七面鳥もないクリスマスでしたが、1日遅れの絶品の和食で【宇津】状態を【自然薯】まで持ち越すことなく
【丁字】りを合わせができました。【宗長】に出発したお蔭ですかね?

歌川廣重 東海道五十三次鞠子(保永堂版) 名物とろろ汁
右に描かれているのが丁子屋である。

丸子の看板、丁子屋 慶長元年創業で14代目。

丁子屋の定番、「丸子」膳 御飯の御代わり自由で¥1,400。

静岡丸子郵便局 ; 歌川広重「東海道五十三次・鞠子」より
静岡西郵便局 ; 大崩海岸、富士山、吐月峯柴屋寺
[参考書]
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今年のぼうそうを見返り(2016.12.24)
<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR横浜 快速エアポート成田(5:39) → JR東京(6:09) → JR千葉(6:51→6:58) → JR那古船形(8:41)
JR船形駅 → 徒歩10分 → 那古宿バス停(8:53) → 館山日東バス☆丸線 26分 → 石堂寺前(9:19) → 徒歩100分 → JR南三原駅(12:41) → JR館山駅(13:01) → レンタサイクル → 館山城 → JR館山駅(14:24) → JR安房勝山駅(14:45) → 徒歩30分 → 菱川師宣美術館 → 徒歩20分 → JR保田駅
【復路】JR保田駅(16:40) → JR千葉駅(18:11→18:20) → JR横浜(19:39)

長安山東光院石堂寺(天台宗)
世間ではクリスマスイブですが、神野寺に行った際にバスの運転手さんから石堂寺がおススメと聴き早速巡礼。
長安山東光院石堂寺(ちょうあんさんとうこういんいしどうじ)は南房総きっての古刹。
開山については708年の奈良の僧恵命、726年の行基、851~854年の円仁とまちまちですが、結局の所さっぱり分かりません。
当初は石塔寺と言ったようで近江の石塔寺(現存)、上野の石塔寺と共に日本三大石塔寺と呼ばれたとか。
石塔があったのは事実でしょうから、それをインドのアショカ王(阿育王)と行基に結び付けたのでしょうか?
我々には「あっ、しょーか!」くらいしか言いようがありませんが…。

石堂寺山門

石堂寺山門 長安山の扁額が架かり、左右には阿吽の仁王像がある。

こちらは吽像
1486年に全焼するも地元の丸氏、安房の里見氏の援助により1522年には再興。
更に小弓公方足利頼明の孫に当たる喜連川藩初代頼氏が幼少期を過ごしたことからも重視されていたことが伺えます。
因みに頼氏の幼名が石堂丸だったことから寺名も石堂寺に変わったとか。
本尊の十一面観音坐像は鎌倉前期、多宝塔・本堂は室町期の建築と境内全体が文化財で見応えはありましたが、
バスが1日4本と少なく帰りは南三原駅まで8㎞徒歩。

石堂寺本堂 鎌倉時代前期の十一面観音像を祀る。

多宝塔
天文十四年(1545年)建造の木造三間杮葺き。かつては武志伊八郎信由作の彫刻が壁面を飾っていたが、今は客殿内に移動。

多宝塔から見た境内 左は鐘楼。

高台にある薬師堂

薬師堂から見た境内

旧尾形家住宅 かつての名主の家が境内奥に移築されている。

石堂寺境内の紅葉 師走下旬でもこのように色鮮やか。

石堂寺御朱印

石堂寺からJRへと向かう道にて
水仙というと最近植えたと思っていたが、江戸時代から安房は野生の水仙で有名だったらしい。
続いて八犬伝所縁の館山城へ。昭和48~50年までNHKで放映された辻村ジュサブロー氏製作の人形も3体展示。
大きさは60㎝程度で思ったより小さいことを【八犬】。
坂本九さんの語りもあって面白かったですが、再放送は【南総】でしょうか?
地元では里見氏を大河に…と宣伝していますが、大名としてはややせこい面がある上に南総里見八犬伝の印象が
強すぎて難しい気もします。

館山城 後期里見氏の居城跡に復元。いまは八犬伝博物館。

館山城天守閣より相模を望む

城下の里見茶屋にて
抹茶しること胡桃団子¥500。八犬伝団子という8本セットもあるが、これは難そう!
最後は地元出身の菱川師宣記念館へ。江戸初期に草紙絵だったものを芸術の域まで高めた浮世絵の祖。
というよりも切手収集をしたことのある人には「見返り美人」の作者。
今まで3度図案化されていますが、昭和23年発行の切手趣味週間は翌年の「月に雁」と並んで日本最大の大きさです。
故郷の保田は安房で富士山が見える絶景地。ここで感性を養って芸術を完成させたのでしょう。
題材は江戸二大悪と言われた歌舞伎と遊郭で浮世絵の名称もそこから来たのだとか。
美術はサッパリですが、従来は仏教の炎・血といった色彩に使われた赤(朱色)を採り入れた目の付け所が鋭いと感じました。
春画も手掛けたそうですが、これは展示なし。帰ってから調べることにしました。

安房勝山にある源頼朝上陸の地
石橋山合戦で敗れ安房に逃れた頼朝はここで巻き返しを図った。助けに来た地元の主に「将来、安房一国をやろう」と言ったが、地主は「粟一石なんて別段いらねぇ」と言ったとか。

菱川師宣記念館
道の駅きょなんに隣接。因みにご当地キャラは「見返りちゃん」で、「大天使見返り」と言うのはないそうな。

冨浦郵便局 ; 特産・房州枇杷、太平洋、富士山
丸山石堂郵便局 ; 重文・石堂寺多宝塔、十一面観音、小野忠明の雄姿
勝山郵便局 ; 源頼朝上陸地石碑、東京湾上の浮島
保田郵便局 ; 菱川師宣「見返り美人」、鋸山、日本寺大仏、保田海岸
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羽衣伝説異聞、三保松原からの絶景富士(2017.12.23)
<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR横浜(6:36) → JR熱海(7:59→8:02) → JR清水(9:08)
JR清水駅 → レンタサイクル3分 → 江尻 → 水上バス25分 → 三保 → レンタサイクル20分 → 三保松原
【復路】JR清水駅(17:45) → JR熱海(19:04→19:09) → JR横浜(20:31)

御穂神社(駿河国三宮)
快晴の天皇誕生日、富士山を拝みに名勝三保松原へ。
かつての清水市、今の静岡市清水区は海流によって出来た砂嘴がある天然の良港。
駅から松原までは8㎞程ありますが、バスの本数は多く行くのは楽勝。
しかし今回は水上バスを使ってのレンタサイクルでの訪問となりました。

江尻港から三保港まで水上バスで
今はバスと船しかないが、国鉄時代は盲腸線の清水港線があった。

水上バスから見た富士山 鷗がお出迎え。

三保港へ近づく水上バス

駿河湾に面して建つ清水(三保)灯台
日本最古の鉄筋コンクリート製灯台として明治45年に点灯。2010年に土木遺産に認定。

三保松原遊歩道 このような道が2㎞くらい続く。
清水の次郎長、エスパルス、ちびまる子ちゃんと、キャラの豊富な地域ですが、最も古いのは三保松原。
「暴れん坊将軍」オープニングで馬を駆けるシーンが目に浮かびますが、そこには羽衣伝説が。
<羽衣伝説>
昔々、伯梁(白龍とも)という漁師が釣りをしていると、得も言われぬ香りがしました。
行ってみると松の枝に美しい羽衣が掛かっていたそうな。それを持ち帰ろうとすると女が現れて
女「私は天女です。羽衣を返して下さい、天に帰れなくなります」
男「では返す代わりに舞を見せて下さい」(でもそのまま帰ってしまうかも…。)
女「嘘偽りは人間世界の事で天上界にはないのです」
己を恥じた男は羽衣を返し、天女は舞ながら天に昇っていったとか。
良く知られた伝説は、羽衣を無くした天女が男と結婚し子供も生まれますが、男が隠した羽衣を見つけ天に帰るというもの。
三保には二人が結婚するというのはありません。
羽衣伝説には各地のバージョンがあるようですがこちらの方が古いような気もします。
「舞は駿河舞」と枕草子にあるのにヒントを得、世阿弥は謡曲「羽衣」を完成しました。
イサドラ・ダンカンに師事したフランスの舞踊家エレーヌ・ジュグラリスもこの伝説に惹かれ独自の舞踊「羽衣」を作ります。
世界各地で上演し好評を博しますが白血病のため35歳で夭逝。夫のマルセルは遺髪を持ってここを訪れ記念碑が建っています。
天女の姿に亡き妻の面影を重ねたのでしょうか。

三保松原サイクリングロード

伝説の羽衣の松(三代目らしい)

説明書き

エレーヌ夫のマルセル氏が遺髪を持って1952年三保を訪問した際の碑
御穂神社は駿河国三宮で大国主命(三穂津彦命)と三穂津姫命が御祭神。
創建年は不詳ですが9世紀の記録にあるので古社であることに間違いはありません。
一説には島根の美保関にある御穂埼神社が遷座したと言われますが大国主命は出雲に所縁の神なので
可能性は高いと思います。
漁師が天女に見惚れたのでミホの松原、羽衣が掛けてあった場所はシュミーズ港と呼ばれるようになったのではないようです。
羽衣松から神社に至る参道は神の道と呼ばれていますが、これは海の向こうから神を迎える常世信仰であるとか。
日本海側の羽衣伝説は衣装から想像するに大陸の女性でしょうが、
三保の場合は都か、遠く南方から流れ着いた「まれびと」だったのでしょうか。想像が膨らみます。

松原から「神の道」を通り御穂(みほ)神社へ ここも世界遺産エリアである。

御穂神社本殿
平安時代の書にも記録がのこる古社。夫婦和合、縁結びに御利益があるそうで、見渡すと周囲は殆どアベック(死語)だった。

御穂神社御朱印 書いたものを拝受。

お昼は、三保街道沿いの鐘庵にて
桜えびそば ¥700(大盛りは+¥100)。桜エビは別皿なのでパリパリした食感が味わえる。海老だけ食べるのもOK。

静岡市清水区マンホール蓋

清水区マンホールカード 配布場所はこちら
人気キャラのため、当初用意した2000枚が瞬く間に無くなったとか。

清水三保郵便局 ; 三保の松原、羽衣の松、富士山
清水折戸郵便局 ; 折戸海岸、松並木、富士山
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春秋社の月刊誌「春秋」連載中から話題になった本。東海道を歴史・美術・風俗多方面から解説している。
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福を招く猫(2016.12.23)
<コース>
東急大井町線等々力駅 → 東急世田谷線宮の坂駅 → 徒歩5分 → 豪徳寺

大谿山豪徳寺(曹洞宗)
等々力不動尊に続いて東急を乗り継いで宮の坂駅へ。
大谿山豪徳寺(だいけいざんごうとくじ)は、寺伝に拠れば
『戦国時代の文明十二年(1480年)世田谷城主吉良政忠が叔母弘徳院を弔う為に建立した草庵が始まり。
その後、江戸時代の寛永十年(1633年)に彦根藩3代藩主直孝の時に菩提寺にした。』 と伝わります。

豪徳寺へは東急世田谷線の路面電車で

豪徳寺入口
奥に見えるのが山門。井伊家の庇護を受ける前は、客に出すお茶にも事欠いたと言うが…。

豪徳寺山門

豪徳寺境内
平成29年の大河は井伊直虎なので混雑気味。丁度、浜松の龍潭寺から観光バスが来ていた。

豪徳寺仏殿

豪徳寺本堂
しかし一般に知られるのは次のエピソード。
『俄雨に遭った井伊直孝が雨宿りに立ち寄ったのがうらぶれた豪徳寺。
大木の下に居ると寺で飼われていた猫が頻りに直孝を見ている様子。
不思議に思った直孝が大木を離れた直後、落雷があり危うく難を逃れました。
後日、お礼のため寺に出向いた直孝は帰依して菩提寺としたと言います。
左前だった寺もこれを機に上向きに、猫のお蔭で災難から逃れたので、いつしか福を招く猫の人形ができたとか。』
「持つべきは物くるる人」兼好法師ばりの教訓が頭に浮かびます。
これは「街道を往く」か何かに記載されていた話で、いわゆる招き猫の由来。
実際は井伊家の領地に世田谷が加わり、江戸に近いことから菩提寺にしたのではないかと思いますが、
お寺が宣伝効果を狙ったものでしょう。
かつては知る人ぞ知る話でしたが、「ひこにゃん」が登場して一気に有名になり繁盛しています。
境内に奉納する招き猫も販売されており、猫の手も借りたい忙しさでしょうか。
尚、単なる猫の人形ではなく手招きする形にしたのは福を呼び込む縁起担ぎ、
井伊家が代々掃部守(かもんのかみ)をしていたので、Come on の意味を込めた訳ではありません。

豪徳寺三重塔 四面には十二支が彫ってあるが、立ち入り禁止。

三重塔の猫の彫刻 十二支の子の場所にある。

井伊家歴代墓所 開国の功労者井伊直弼に敬意を表してお参り。

豪徳寺境内の招福亭にある招き猫奉納場

寺務所にて
招き猫を買って奉納する。大きさは百円台から¥5000で、右は¥5000タイプ。

豪徳寺御朱印

豪徳寺駅前郵便局 ; 豪徳寺、招き猫、小田急ロマンスカー
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等々力、驚き、不動の滝(2016.12.23)
<コース>
東急大井町線等々力駅 → 徒歩5分 → 等々力渓谷 → 徒歩10分 → 等々力不動尊

瀧轟山明王院(真言宗智山派 致航山感應院満願寺別院)
東武大井町線等々力駅から徒歩5分にある等々力渓谷は国分寺崖線の最南端で23区内唯一の渓谷だとか。
昔から人が住んでいたらしく古墳や横穴墓がありました。綺麗な飲み水の確保できる場所だったからでしょうか。
かつては五島慶太、児玉誉士夫といった著名人のお屋敷もあったとか。
三菱地所会長等を歴任された方が103歳で亡くなったあと、1200坪のお屋敷(ゼロが1つ多い気が…)が区に寄贈されて
今は日本庭園として無料公開されていたのが【感無料】でした。

駅から3分の渓谷入口

渓谷は谷沢川に沿って1㎞余り続く 手摺がないので気を付けて歩く

渓谷の地層
上からローム層、武蔵野粘土層、礫層、渋谷粘土層、高津互層となる「そう」です。

等々力渓谷3号横穴 昭和48年発見、地元の有力者という説が有力。

ゴルフ橋(昭和36年竣工)
以前は木造。名前の由来はこの先に東急の開発したゴルフ場があったからとか。

日本庭園 昭和48年飯田十基氏が作庭、かつて個人所有の時は大平首相も訪れたとか。

庭園内の家で無料のお茶で一服
その渓谷の一角にあるのが等々力不動尊で正式名は滝轟山明王院(りゅうごうさんみょうおういん)。縁起に拠れば、
『推古天皇の頃、役行者が霊夢を見て不動尊を彫ったのが初めとありますが、時代も会わず多分に伝説的な話。
平安末期に根来寺の覚鑁上人(興教大師)が夢で「武蔵国調布丘に不動尊を祀れ」 とのお告げを受け堂宇を再興した。』
と言われます。唯、覚鑁が武蔵に来た事は疑問です。
今に残る不動の滝は水量が少ないですが、かつては周囲に音が轟いたそうですから、
滝のある場所に祀られていた不動明王を後世になって不動明王に縁のある覚鑁に結び付けた気がします。

等々力不動尊山門 正しくは瀧轟山明王院(真言宗)で、渓谷から行くとここは反対側になる。

等々力不動尊本堂

等々力不動尊御朱印

不動の滝 轟く程の水量ではないが、ここで修行すると推量している。

滝の傍の雪月花にて葛餅を
駅前に戻るとかつての名主の家がレストランに改造されているのを発見。古いものを維持するのは並大抵ではありませんが、
形を変えても後世に伝えようとされている事に敬意を表し、昼食を頂きました。

等々力駅南にある旧鈴木家穀倉
世田谷区の名主で後には材木を扱う。鈴木家は現在、「ざいもく屋」として中華料理の店になっている。オーナーは鈴木家の子孫。

「ざいもく屋」にて昼食 立派な家を伝えて下さったことに敬意を表して¥1500。

世田谷等々力郵便局 ; 等々力渓谷、区花・サギソウ
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古代の池と庭園、渡来した人のトライした事(2018.12.20)
<コース>
JR大阪(6:18) → JR草津(7:18→7:28) → JR貴生川(7:57→信楽高原鉄道8:04) → 信楽(8:29) → 雲井(8:51) → 徒歩10分 → 紫香楽の宮跡 → 徒歩10分 → 紫香楽宮跡(9:55) → 貴生川(10:09→近江鉄道10:28) → 豊郷駅(11:26) → 徒歩15分 → 阿自岐神社 → 徒歩15分 → JR河瀬

阿自岐神社(式内社)
紫香楽の宮跡の後は【甲賀】的に列車を乗り継いで豊郷駅へ。
『三方善し』で知られる近江商人ですが、この町からは後の伊藤忠商事、丸紅の創業者になる伊藤忠兵衛が出ています。
伊藤忠は人名由来ですが、丸紅の紅は紅花由来と初めて知りました。

伊藤忠兵衛を記念する「くれなゐ園」
豊郷町は滋賀県下では一番狭い行政区ですが、1999年から足掛け5年間、豊郷小学校を巡って全国的に話題になった町。
老朽化・耐震面から取り壊しを推進する町長とヴォーリズ設計の歴史的建築物を残そうとする地元町民の間で【町長】発止の
遣り取りがあった事は記憶に新しい所。
結局の所、小学校は新たに建て、旧小学校は豊郷小学校旧校舎群として町の観光施設として残す事に落ち着きました。
当時の町長はひたすら敵役にされた感がありますが、改築費用が馬鹿にならない事、多くの子供が使用する場としては
取り壊しという選択だったのでしょうが、三方善しとはいかなかった様です。
アメリカ人設計者ヴォーリズが、直ぐに立替えが必要な物を作ったとは思えませんが、西洋と違い日本の住居は100年
持つことは少ないと言うのが根底にあったと思います。

豊郷小学校旧校舎群
丸紅専務の古川鉄治郎氏の寄贈とヴォーリズ氏の設計により昭和12年竣工、「東洋一の小学校と言われた」。

本館の階段付近 手摺にはイソップ寓話の兎と亀の像が…。

本館の渡り廊下 床が木製なのが珍しい。
その後は、JR方面へ歩いて阿自岐神社へ。
応神天皇の御代、百済から渡来した阿直岐氏の人々が定住した跡と言われています。
社域5700坪の内、犬上川からの伏流水が湧き出る池が1690坪を占める池泉回遊式庭園。
東西の池には出島があり池泉多島式庭園と呼ばれるとか。本殿は池に囲まれる形になって居り、生活に不可欠の水を
祀る社が起源だったのでしょうか。庭園と池の形式としても古い形を留めているそうです。
唯、神社の方に伺った所、この付近に住まわれている方は渡来人の子孫ではないようで、
大陸から日本に技術を伝えた功績が残ったのではないでしょうか。
小さな町に残るものが、百済・アメリカといずれも外からの人に拠るものだったのも奇しき縁。
新たな事にトライする近江商人の気質を見た気がします。

阿自岐への参道 道路沿いに灯籠が並ぶ。

阿自岐神社正面

太鼓橋を渡り本殿へ

拝殿

本殿

東側にある池 池泉回遊式庭園で上代に建築されたと伝わる。

阿自岐神社御朱印

豊郷郵便局 ; 阿自岐神社内の池泉多島式庭園、参道

豊郷町マンホールカード ; 豊郷町観光案内所(豊郷小学校旧校舎群)にて配布
[参考書]
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夢消した聖武帝の都(2018.12.20)
<コース>
JR大阪(6:18) → JR草津(7:18→7:28) → JR貴生川(7:57→信楽高原鉄道8:04) → 信楽(8:29) → 雲井(8:51) → 徒歩10分 → 紫香楽の宮跡 → 徒歩10分 → 紫香楽宮跡(9:55) → 貴生川(10:09)

甲賀寺跡
戦国時代に近江で逃げ込む先として格好の場所だったのが甲賀地域。
山に囲まれ平地が少ないという特徴が【甲賀】的だったのでしょう。忍者の発祥の地と言うのも頷けます。
信楽はそんな甲賀にある高台の地。いまはユーモラスな狸が出迎えてくれますが、奈良時代には都が置かれた事も。

信楽駅前にて 大狸もクリスマス仕様でお出迎え

信楽高原鉄道雲井駅 無人駅。右の公衆トイレは宮殿を模ったか?
聖武天皇の時代、742~745年に掛けて造営され滞在された場所。
高台にある東西90m、南北110mの丘陵地が紫香楽宮跡とされますが発掘された礎石からここは僧房で、
宮殿は更に北に1㎞程行った宮町付近だったと言われています。
天皇は平城京から山城の恭仁京へ、更に紫香楽へと段々内陸深く移動。唯、この地で度々放火が発生した事で
平城京への帰還を余儀なくされました。遷都を繰り返した天皇という事で精神的に不安定であったと噂されますが、
平城京では光明皇后、藤原氏や寺社勢力の影響が強く、それを避ける政治目的があったとも考えられます。
時期尚早だったのでしょうかね。
元祖「せんとくん」ですが【光明】に政治的意図を隠していたのならば、聖武天皇もなかなかの狸ですね。

甲賀寺跡(紫香楽宮跡)入口

寺跡への参道

礎石跡と紫香楽神社

金堂跡 大仏の骨組みとなる体骨柱を建てたとされる場所。

信楽駅スタンプ 今年シャチハタ式に新調された。

栗東郵便局 ; 重文・安養寺の薬師如来像、栗東トレーニングセンター
雲井郵便局 ; 修験道の飯道神社、宮跡から出土の「阿佐可夜」木簡、山百合
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聖武天皇が造った都―難波宮・恭仁宮・紫香楽宮 (歴史文化ライブラリー) 新品価格 | ![]() |

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