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大鳥大社(大阪府堺市) 日本武尊所縁の和泉國一之宮御朱印と神紋

2019.01.31(19:47) 124

和泉國の鳳の大鳥神社の大鳥居(2019.1.30)

<コース>
JR大阪(11:08) → (紀州路快速) → JR鳳(11:42) → 徒歩10分 → 大鳥大社

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大鳥大社(和泉國一之宮)

 永年、大阪に暮らしていると国分寺や一之宮が何処かなどという事は碌に考えもしません。

これを灯台下暗しと言うのでしょうね。

 和泉の方に所用があり、昼前に少し時間があったので和泉國一之宮に初参拝。

大鳥大社は駅から徒歩10分、JR線からも広い森が見えます。

元は八町四方ありましたが度重なる戦火で焼失、現在の本殿は1909年の再建。

建築は「大鳥造」と言って「大社造」が「住吉造」に移る過渡期の様式だそう。

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大鳥大社大鳥居   西側に建つ。

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説明板

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拝殿    見事な造りだが、台風の影響で補修中なのが痛々しい。

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本殿遠景   中には入れないのでここまで。

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本殿前の門

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本殿脇の大楠

 ところで駅名は鳳で大社は大鳥、一体どちらが本家なのか。神職に尋ねると

「大鳥が古く、昔の地名表記は全てこちらでした。」。 また

「大鳥とは鳳ではなく八尋の白鳥と呼ばれるもので今は神紋にもなっています」 との事。

 頂いた大鳥大社由緒略記に拠れば、

『日本武尊は東国平定の帰路に伊勢の能褒野で亡くなります。そこに陵を作り皆が悲しんでいると、

そこから八尋の白鳥が飛び立ち舞い降りたのが、大和の琴弾原(御所市)、河内の古市(羽曳野市)、そして最後がこの地であった。

その時、白鳥が再び舞い上がれない様に、一夜にして樹木が生い茂ったのでその神域を千種の杜と呼び、

八尋の白鳥故に大鳥大社と称した』 とあります。

そういえば古市には誉田山古墳(伝応神天皇陵)初め古墳が多く、白鳥伝説もあったと思い出しました。

白鳥が最後に降りた地がここだったと今になって知った次第です。

 日本武尊は第十二代景行天皇皇子で第十四代仲哀天皇の父とされますが自らは皇位に付かなかった人物。

仲哀天皇皇子の応神天皇から歴史的事例が多く出現する事から、伝説的な存在と捉える事が多いそうです。

古代史の泰斗上田正昭氏も「タケルという名は各地に居た群雄の長に付けられた名なので、

そういった英雄像が日本武尊に収斂されたのではないか」と書かれていたように思います。

同じく古代史の石母田正氏による「日本に英雄時代はあったか?」の英雄にあたるかもしれません。

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境内の様子

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日本武尊の像

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拝殿前のオガタマノキ
招霊木と書き、榊の無い場所ではこの木が代わりに使われる。

 祭神が日本武尊であるのは勿論ですが、もう一柱の祭神の大鳥連祖神(おおとりむらじのみおやかみ)は、

この地方の豪族大鳥氏の祖先神、どうもこちらの神が本来のような気がします。

文武の神として武家の崇拝も篤く、平安末には平清盛・重盛親子が参拝。その時に詠んだ歌が碑になっています。

熊野詣の隙を突いて都で政変(平治の乱)が起こったためですが、無事帰還して勝利。武の神として御利益の賜物と言えます。

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平清盛歌碑   
歌碑よりも富岡鉄斎が明治期に宮司を務めていた事に驚き。

 また境内の別の場所には与謝野晶子の歌碑もあります。

堺の老舗和菓子屋駿河屋の三女として生まれた晶子は生まれた町の神として終生大鳥大社を崇拝していたとか。

「君死にたまふことなかれ」で反戦を歌った晶子が大鳥大社を崇拝していたのも皮肉な話ですが、

歌人・作家として大成した訳ですから文の神として御利益があった事になります。

余談ですが晶子の本名は鳳(ほう)志よう、偶然にしては出来過ぎと思うのは私だけでしょうか?

 こうして2019年1月のオオトリは大鳥大社の大鳥居で〆とはなりました。

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与謝野晶子の歌碑   筆は田辺聖子氏による。

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東出口へと向かう

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東側から見た本殿

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大鳥大社由緒略記

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大鳥大社御朱印   右上の金色が神紋である八尋の白鳥

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浄泉寺(愛知県豊川市) 廣重の描いた蘇鉄と棒鼻と御対面

2019.01.30(20:39) 123

♪歩きたいのよ三宿 思い出語って赤坂♪(2019.1.9)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09→名鉄10:15) → 御油(10:27)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

名鉄御油駅 → 5分 → 御油宿 → 松並木資料館 → 東林寺 → 御油松並木 → 徒歩15分 → 赤坂宿 → 名電赤坂(12:29) → 藤川(12:59) → 徒歩5分 → 藤川宿 → 藤川(15:25) → 名鉄刈谷(15:54)

【復路】JR刈谷(16:07) → JR大垣(17:01→17:09☆) → JR米原(17:44→17:47*) →JR大阪(19:13)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

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赤坂宿高札場

 御油から松並木を通り、旧東海道を歩くと15分ほどで次の赤坂宿へ。

今でも高札場跡や江戸時代から続く曲わっぱ細工の尾崎屋があります。

特に大橋屋(旅館鯉屋)は芭蕉も泊まったとされる老舗旅館で驚くなかれ平成27年まで現役の旅館として営業されていました。

いまは補修工事を行って4月からの新たな開業に向け準備中とか。

旅籠としては無くなりますが、当時の遺構として残して貰うのは有難い事です。

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尾崎屋(江戸時代の屋号は村田屋)
築200年、民芸品を扱う

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尾崎屋の玄関

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旅籠・大橋屋(江戸時代の屋号は鯉屋)
芭蕉が宿泊し、廣重が描いた歴史の生き証人だが現在は修復中。

 浄泉寺は宿場にある寺院。本尊は薬師如来ですが境内の石の観音様で知られます。

また廣重の浮世絵に描かれた蘇鉄が移植されている寺でもありますが、生憎関係者が不在のため御朱印拝受できませんでした。

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玉清山医王院浄泉寺(浄土宗西山深草派)

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浄泉寺境内

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本堂   薬師如来を祀る

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大橋屋から移植されたと言う大蘇鉄、後ろに石の観音像が並ぶ

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赤坂のマンホール蓋   
行政区では豊川市だが独自の図案。但し、マンホールカードは未発行。

 続いて藤川駅で下車して宿場を散策。

廣重では宿場外れにある棒鼻が描かれていますが、現在東西に復元したものが残っています。

棒鼻とは宿場の出入り口で大名が通る際には役人がここまで迎えました。

一見して分かりますが【棒】っとしていると由来も分からずに通り過ぎてしまう感じです。

 藤川は岡崎市内ですから八丁味噌が名産ですが、もう一つが「むらさき麦」。

古くから食用・染織用に栽培され芭蕉も詠んだ宿場の名産となっていました。しかしいつしか作られなくなり消滅。

それを地元の人々が栽培を復興しました。お菓子や麺に使用して売り出し中だそうです。名産が復活する日も近いでしょうか?

 御油から藤川まで三宿訪れましたが、東海道とはいえ道沿いには集落はあるものの商業施設は殆ど見当たらず。

昔の幹線だったのが信じられない雰囲気です。やはり旧国鉄が避けた事が大きなネックになったのでしょうかね。

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藤川にある西棒鼻   廣重の絵を元に復元

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宿場を示す碑   前の道が旧東海道、奥が脇本陣跡。

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脇本陣跡   現在は藤川宿資料館(無料)となっている。

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本陣跡にある高札場

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秋葉山常夜灯

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商家 旧銭屋    旧東海道の南側にある。

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旧野村家住宅(米屋)
天保年間の築で米穀商として地域経済の中核を担ってきた。戦後は薬局となったが内部はそのままで保存。現在は新ARATAという看板を上げ古民家 活・改・修 まちおこし・よろず相談 としての業務を行っている。

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宿場の東にある粟生人形店
この付近はやや坂道となっている。

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西棒鼻の西の十王堂境内の芭蕉句碑
・ここも三河 むらさき麦の かきつばた

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音羽郵便局 ; 東海道赤坂宿大橋屋、浄泉寺の蘇鉄、東名音羽蒲郡インターチェンジ
藤川郵便局 ; 藤川宿棒鼻(宿場外れ)、街道往還図、歌川豊廣の句碑、ムラサキ麦

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赤坂宿では宿場での旅籠の客引きの様子が、藤川宿では寺院の描写が少ないことから始まり江戸時代の寺請制度から庶民の寺院に対する意識まで話題が及ぶ。

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東林寺(愛知県豊川市) 松並木と宿場を見守ったごゆ観音の御朱印

2019.01.29(18:42) 122

御油より歩き赤坂や(2019.1.9)

<コース> 冬の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(6:33) → JR米原(8:01→8:03*) → JR大垣(8:37→8:40☆) → JR名古屋(9:14) → JR豊橋(10:09→名鉄10:15) → 御油(10:27)
*向側ホーム  ☆階段を渡ったホーム

名鉄御油駅 → 5分 → 御油宿 → 松並木資料館 → 東林寺 → 御油松並木 → 徒歩15分 → 赤坂宿

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関川神社にある芭蕉の「夏の月」の句碑

・夏の月 御油より出でて 赤坂や  はせを

 御油は東海道35番目の宿場、名の謂れについては持統天皇に椿油を献上したとか伝わりますが、詳しい事は分かりません。

菜種や胡麻を栽培していた事に拠るものではなさそうです。今は街道沿いの松並木が有名です。

35番目の御油と36番目の赤坂の間は僅かに1.7㎞。ほぼ二里半毎に置かれた東海道の宿場の中でも

群を抜いて短くなっています。ここに挙げた芭蕉の句もその様子を詠んだものでしょう。

 御油は本陣4軒、旅籠62軒と小さな宿場にしては大規模。これは互いに宿泊の機能を持たせたことに拠るもので、

御油と赤坂の間では客を巡って強引なやり方もあったようです。

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御油の松並木
慶長九年(1604年)徳川幕府の道路政策として奉行の大久保長安により植えられた。

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松並木は御油宿を過ぎた辺りから赤坂宿までの約600mに亘って約300本の松の大木が並ぶ。

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街道沿い御油宿の家屋

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東海道の両側にある「イチビキ株式会社」の味噌・醤油工場
明治44年の建設で日本最大級の味噌仕込桶がある。

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街道沿いの「御油本店 おふく」の黒松最中
老舗の和菓子屋だが洋菓子にも力を入れている模様

 廣重の五十三次の作品を見ると、

御油は旅人が恰幅の良い留女に引き留められている図、

赤坂では宿に入って寛ぐ客とそれをもてなす宿の人間が描かれています。化粧をしているのは飯盛女でしょうか。

 風景画を主とする廣重がこのような風俗を描くのは余程、この辺りの印象が強かったからに他なりません。

事実、吉田・御油・赤坂・藤川は遊興地のイメージが強く、

・御油や赤坂 吉田がなくば 何のよしみで江戸通い

と言う俗謡が物語っています。人間の性と言うのはいつの世でも変わらないようで…。

 明治になって東海道本線が敷設されますが、吉田から宮(熱田)までは東海道を避けて海沿いを走ります。

一説によれば風俗上良くないので避けたとまことしやかに言われていますが、勾配がきつかったから避けたのが実情の様です。

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歌川廣重 東海道五十三次(保永堂版)の御油と赤坂   
郵政省発行の東海道五十三次絵葉書から

 宿場にある通称「ごゆ観音」は白蓮院招賢山東林寺(びゃくれんいんしょうけんざんとうりんじ)と言う古刹。寺伝では、

『永享年間(1429~1441年)に龍月日蔵和尚により創建、

八十年後の永正年間(1504~1521年)に伽藍を整えた。』

と有ります。本尊は阿弥陀如来ですが地元ではごゆ観音の名で親しまれています。

三河時代の徳川家康が二度立ち寄ったこともあり江戸期には繁栄、芝増上寺の管長も訪れる程になりました。

唯、本堂は三年前に修復されたので古刹の雰囲気はありません。

 御朱印を拝受する際に、お寺の方から飯盛女の墓があると聞きました。そこへ行くと戒名も摩耗して読み難くなった墓石が5基。

なんでも4人一度に入水したとかで、宿場繁栄の陰にはこのような歴史があったのも事実です。

江戸時代のブラック企業ですが、これもいつの世でも変わらないようです。

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白蓮院招賢山東林寺(浄土宗西山派)   通称ごゆ観音

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東林寺境内

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東林寺本堂

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飯盛女の墓にも御参り

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東林寺御朱印

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御油郵便局 ; 御油赤坂宿、天然記念物・松並木

[参考書]

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御油・赤坂では当時の宿場の人間模様を描写しており、旅籠と旅人の当時の駆け引きが分かる。


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相模国分寺(神奈川県海老名市) 国分寺の法灯を継ぐ雄渾な御朱印

2019.01.28(22:37) 121

[相模国分寺] ブログ村キーワード
相模で宮仕えのさが見!(2017.1.28)

<コース> 私鉄無料急行は日中10分間隔で運転
相鉄横浜(12:10) → 相鉄海老名(12:43) → 徒歩10分 → 相模国分寺 → 徒歩3分 → 相模国分寺跡

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東光山醫王院(高野山真言宗)

 横浜に来て2年。相模國一之宮は行きましたが国分寺は未訪。調べるとどうも海老名にある様子。

 海老名と言えばサービスエリアが有名ですが、ペーパーなので相鉄にて。

海もないのに海老名とは不思議ですが、大昔ここまで入り江があった名残だそうで海の生き物の化石も出土するとか。

 相模国分寺こと、東光山醫王院(とうこうさんいおういん)は寺伝に拠れば、

『天平九年(737年)行基がこの地に七つの精舎を建て、薬師如来及び日月大士像を自ら刻んで祀ったと言われます。

聖武天皇の勅願はそれよりも遅れて750年以降と言うのが定説です。

その後、衰退復興を三度繰り返しますが、明治期になって漸く今の状態に落ち着きました。

最初の建立は今の寺院から北に100m程の場所、そこから疎石などの遺跡が見つかっています。

戦国時代に旧国分寺の伽藍が焼失したため高台にあった薬師堂を移転したのが今の相模国分寺。

本堂も含め新しく再建され古いものは鎌倉時代の梵鐘くらいですが、

場所が変わったとはいえ国分寺の法灯は受け継いでいます。』

 駅から徒歩10分で山門下に到着。高野山真言宗国分寺の碑と大欅が目に入ります。

説明書によれば、かつて船繋ぎ用に杭として打ち付けたものが発芽して大木になったとあります。

「後悔(航海)の悔(杭)は残らないが気(木)になった」 と言う事ですかね?

御朱印を御願いするためベルを押すと住職夫人と思しき方が出て来られました。話し方から

鉄丈「関西の方ですか?」

夫人「高野山です。あなたは大阪ですか?」

鉄丈「そうです。大阪です。高野山なら本家本元ですね。」

としばらく関西弁で世間話をしました。結婚されてこちらに来られたそうです。

奈良朝の僧侶は国家公務員ですから言わば転勤族。現代のお寺の方も勤め人で大変だと実感した次第です。

鉄丈「随分、たくさんの猫を飼って居られますね」

夫人「いいえ、皆ここに捨てに来るんです。保健所に連絡しても殺処分されるのが分かっているので、

寺としては殺生を避けるために境内に置いているのです」

 それを聞いて複雑な気分になりました。奈良の猿沢池もミドリガメを捨てに来る人が跡を絶たないとか。

私が子供の頃は犬猫に贅沢をさせる人は居ませんでしたが、最期まで家族同様に面倒を見ていました。

今は気に入った時には非常に可愛がりますが、興味がなくなれば知らぬ顔。

物質的な豊かさと引き換えになにかを失った気がします。

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海老名の大欅
かつて船繋ぎ用の杭を打った所から発芽してここまでになったとか。

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国分寺本堂左手前にある重文の梵鐘
正応五年(1292年)に海老名氏の一族国分季頼が尼寺に寄進したもの。鋳物師は鎌倉円覚寺や金沢称名寺の鐘を製作した物部国光。

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国分寺本堂
平成6年の再建。本尊は薬師如来で寅年の10月12日のみ御開帳される。

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境内の様子

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境内の梅

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相模国分寺説明書

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相模国分寺御朱印

 参拝の後は、奈良時代の国分寺跡へ。

今は公園として整備されていますが、東西160m、南北240mに講堂・中門・金堂が置かれ七重塔を要する大伽藍だった事が判明。

国分寺では武蔵国分寺に次ぐ第二位の規模だったようです。東国の要衝だったと言うことでしょう。

復元資料は道の向かいの市立郷土資料館温故館で展示。国分寺も資料館も見学は無料ですが、

いずれも立派なパンフレット(無料)を用意されており、観光地ではないもののかつての国府だった誇りを感じた次第です。

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相模国分寺跡
天平13年(741年)の詔で建立。なんでも国分寺跡としては国の史跡第一号だとか。

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国分寺跡横にある市立郷土資料館温故館
かつての海老名村役所を移築。

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資料館にある国分寺の再現と七重塔

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龍峰寺仁王門
かつての国分尼寺に隣接していた勅願寺の流れを汲む

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海老名郵便局 ; 市花・サツキ、龍峰寺仁王門、大山、富士山

[参考書]

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道明寺天満宮(大阪府藤井寺市) 鷽替神事と霊験あらたかな御朱印

2019.01.27(13:59) 120

[道明寺天満宮] ブログ村キーワード
初天神鷽替え祭(2019.1.25)

<コース> 準急は日中10分間隔で運転
近鉄阿部野橋(14:14) → (準急) → 近鉄道明寺(14:32) → 徒歩3分 → 道明寺天満宮道明寺

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道明寺天満宮(旧郷社)
祭神:天穂日命、菅原道真、覚寿尼

道明寺参拝に続き天満宮へ。元々は土師神社の一角でしたが、いまはこちらがメイン。

行事も道明寺ではなく、天満宮が主体となっています。

入り口脇には道真公が四十歳の時に滞在し水を汲んだ「夏水井」の跡が残っています。

また使用した日用品が六点伝わっており国宝に指定。公が自ら彫った本尊様よりも現実的な気がします。

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道明寺天満宮神門

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注連柱

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拝殿へ向かう参道

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撫で牛   
道真公の棺を牽いた牛車が太宰府天満宮の本殿の場所で止まった事に由来?

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梅園入口   開花は2月中旬~3月上旬頃

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梅園から拝殿を望む

 この日は天満宮で15時から鷽替え祭りが開催。

江戸の鷽替え神事は神職が寝食を忘れて彫った鷽を購入するものですが、ここは参加者に小型の鷽が入った紙袋を配って

周りの人と次々に交換しいていくもので鷽替神事の原型をとどめて居ます。

 最初は面倒に思いましたが、いざ始まると結構面白い。見ず知らずの人に声を掛けて交換してお辞儀をして結局

参加者に袋が生き渡るまでに百人を越える人と交換しました。

参加者は全部で500人位だったでしょうか。神職の太鼓の音で交換は終了し袋を開封。

木彫りの鷽の底に金・銀・木と書いているものは、十八金(十八禁ではない!)、純銀、木製の鷽と交換して貰えます。

(森永チョコボールみたいですが…)。

当たりは非常に少ないですが、欲しい人は社務所で買う事もできますし、なにも記載していない人も小型の鷽は貰えるので

家に帰って御守りにします。

イソップ寓話のように木を金・銀と偽る不届きな人もいないようです。

 入山料や参加費用もなく良心的、参加できるのは中学生以上ですが、地域の交流の祭りのようなものでしょうか。

最近はこのような行事が減っているので新鮮に感じました。

 これで亀戸天満宮(2017年)、湯島天満宮(2018年)、道明寺天満宮(2019年)と三ヶ所に参拝。

あとは本家の大宰府天満宮を残すばかりとなりました。

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15時に鷽替神事が開始
拝殿の神職&巫女さんから小型木製鷽の入った袋を受け取り。

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神職がマイクを使って神事の進行を説明中

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開始15分後  神事も佳境に

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袋の中の木製鷽に当たりが出たら能楽殿にて交換

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左; 神事に使う小型木製鷽と袋
右; 景品の木製鷽  但し、当たらなくても社務所で購入可 ¥1,500

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神事が終った後の拝殿前

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神門を通り帰路へ

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道明寺天満宮 略記

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道明寺天満宮御朱印

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道明寺南郵便局 ; 菅原道真、市花・菊、市木・梅

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道明寺(大阪府藤井寺市) 学業成就の御朱印とマンホールカード

2019.01.26(20:55) 119

[道明寺] ブログ村キーワード
道明寺で菅公自作の国宝十一面観音と対面(2019.1.25)

<コース> 準急は日中10分間隔で運転
近鉄阿部野橋(14:14) → (準急) → 近鉄道明寺(14:32) → 徒歩3分 → 道明寺天満宮道明寺

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蓮土山道明寺(真言宗御室派尼寺)

 大阪市内の所用が昼過ぎに終わったので、足を伸ばして道明寺へ。

 垂仁天皇の三十二年(西暦3年?)相撲の祖と言われる野見宿祢が「埴輪」を作って殉死に代えます。

その功績により「土師」の姓とこの辺り一帯を所領として賜わり土師郷と呼ばれるようになりました。

近鉄土師ノ里駅の名前もそれに由来。土師氏はそこに土師神社を建て遠祖天穂日命を祀り、

仏教伝来後の推古二年(594年)には聖徳太子の発願で土師八嶋が自宅を喜捨して土師寺を建立とあります。

 唯、そこまで遡ることは難しく、4世紀末の応神朝の頃に古市古墳群の造営に関わる土師部の族長として台頭してきたのだと

考えられています。

応神天皇陵とされる誉田山古墳は直ぐ南、この辺りからは窯跡も見つかっていることから良質の土が得られたのでしょう。

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天満宮山門横にある土師窯跡

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登り窯の復元

 平安時代になって土師氏は菅原へと改姓し、後に菅原道真公が出ました。

土師氏から菅原氏へ【どうみょうじ】を変えたかですが、河内の土師の里から大和の菅原の地へ移住したのがその理由だとかで

河内には寺社関係者が残ったと言われます。

 土師寺には道真公の叔母に当たる覚寿尼が住まわれており、公も度々当地を訪れました。

道真は五十七歳の時に九州に左遷されますが、淀川を下る船の中で

・世につれて 浪速入江も にごるなり 道明らけき 寺ぞこひしき

と詠まれ土師寺で叔母と対面を許されました。別れに際して

・鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからむ里の 暁もがな

と詠んだ歌は「菅原伝授手習鑑」で殊に有名で、そのためこの辺りでは鶏を飼わなかったとか。

 道真は延喜三年(903年)に筑紫にて五十九歳にて薨去されますが、後に名誉回復し天神様として祀られるようになりました。

この土師寺も村上天皇の天暦元年(947年)に道真の号の「道明」から道明寺と改称。

その後、土師神社内には天満宮が建てられます。

本堂には十一面観音立像が祀られており国宝。伝承では道真公自らの作製とかで、それならば国宝も頷けますが

土師氏の末裔である公は陶芸だけでなく彫刻もされたのでしょうか?

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道真公が滞在された折に使用されたとされる夏水井

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道明寺参道   坂を上った所にあり両脇には梅がある。

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道明寺楼門

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道明寺境内
真言宗であるが禅宗様式に砂が整備されている。

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楼門正面にある大師堂

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本堂
正面に道真公自作の十一面観音立像を祀る。榧の一木造りで98㎝、彩色を施さない仕上げ。25日は月2回の開帳の日に当たる。

 道真所縁の地という事で学問の社寺として信仰を集めるようになりますが、明治の神仏分離で分かれ

寺院も天満宮の西側に移転し現在に至っています。

小さいながらも余計なものがなくすっきりとまとまった寺院といった感がありました。

帰りには藤井寺市はマンホールカードも入手。道真公ゆかりの御朱印とマンホールカードが揃えば落ちる心配はなさそうです。

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河内国 道明寺 略縁起

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道明寺御朱印

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藤井寺市マンホールカード    配布場所はこちら

[参考書]

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川越大師喜多院(埼玉県川越市) 小江戸・川越の古刹の御朱印と蔵の街マンホールカード

2019.01.25(22:58) 118

[喜多院] ブログ村キーワード
山吹の伝説にどうかん?(2018.1.27)

<コース>
横浜駅(8:42) → 東急東横線 → 副都心線 → 東武東上線 → 東武川越(9:58) → 徒歩15分 → 蔵の街並み → 徒歩10分 → 喜多院

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川越のシンボル時の鐘
川越大火翌年の明治27年の再建である。

・七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき

後拾遺集にある兼明親王の歌。親王は醍醐帝皇子で学問的にも優れた人物でしたが勅撰集入首はこの一首のみ。

当然知名度も低い筈ですが、この歌は非常に有名です。

 江戸城築城で有名な太田道灌が若い頃、狩りに出て急に雨に降られました。近くの農家に立ち寄り、若い娘に

「蓑を貸して貰えないか?」

と頼んだ処、娘は家の奥から、山吹の花を取って来て、無言で道灌の前に置きました。

 「はて、蓑を貸せと言ったのに、何故花など?」

と怒りながら館に帰った道灌が家来にその話をした所、家来は兼明親王の歌を引き合いに出して、

「山の茅ぶきの家なので、蓑がないのが悲しいです」と言いたかったのだと説明しました。

 領民の若い娘が知っていることを領主の己が知らなかった事を恥じた道灌は勉学に励み、文武両道の武将になったとか。

 下総に出陣し夜半に海岸沿いを通る際に

・遠くなり 近くなるみの 浜千鳥 鳴く音に汐の 満ち干をぞ知る

という古歌から引き潮を知ったとか、

また軍を返して利根川に夜に至った時には

・そこひなき 淵やはさわぐ 山川の 浅き瀬にこそ あだ波は立て

という歌から浅瀬を見つけ渡ったと言われます。

 昔は国語の教科書に載るほどの有名な話ですが、道灌は父親の代から関東管領扇谷上杉家の家宰(家老)を務めた家柄。

ある程度の武将は幼少期から禅宗の僧侶に教育を受ける習わしですから、これは間違いなく作り話。

学問の大切さを教える教訓と言うのに【どうかん】です。

 近世築城の祖であり文武に優れたが故に、主君に猜疑心から謀殺された悲劇の武将でもありました。

親子共々湯殿で謀殺された時の最期の言葉は「御家滅亡」だったとか。

道灌亡きあとの扇谷上杉家は下り坂となり北條氏康の河越夜合戦で滅亡と予言は的中。

一方、道灌の子孫は家康に仕え掛川城主として幕末まで生き残りました。

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市役所前に立つ太田道灌像    これは鷹狩りの装束。

 川越は道灌が居城しただけあって江戸の北の要衝。江戸時代には譜代大名が置かれ埼玉県下で最初に市制が敷かれます。

県庁は浦和に持って行かれますが蔵と洋館の街並みが残る埼玉第一の観光地には変わりありません。

昼食をはさんで蔵の街を散策した後は、南に向かって洋館通りへ。

メイン通りに面した蔵の街並は観光客がひっきりなしですが、洋館通りは人が疎ら、これからと言ったところでしょうか?

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大沢家住宅(重文)
寛政4年(1792)近江屋半右衛門が建てた川越最古の商家。呉服太物を扱った。

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川越元町郵便局も蔵造り

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亀屋
天明3年創業の川越最古の和菓子司で川越藩御用達。

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亀屋の亀どら    左:芋餡、右:漉し餡 各¥230

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昼食は「手打ちそば百丈」にて
会津の山都で修行した先代が大正時代にできたビルで開業。市役所前にありメインから少し離れているので穴場。

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温とろろそば ¥972

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菓子屋横丁の光景
この日も修学旅行生でごったがえしていたが、合間を縫って撮影。売れ筋は、芋味のソフトクリームと芋けんぴがのったソフト。寒さもどこ吹く風と言った雰囲気。

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川越市マンホールカード   川越まつり会館にて配布

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埼玉りそな銀行川越支店
大正7年保岡勝也が設計した第八十五銀行本店。ネオ・ルネサンス様式。

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蔵造りの街と並ぶ大正浪漫夢通り

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シマノコーヒー 大正館で一服    昭和8年築の洋風建築。

 町並散策を終え夕方になって漸く目的地の喜多院へ。

喜多院は天長七年(830年)、淳和天皇の命で慈覚大師円仁が建立した無量寿寺が始まりで、

・永仁四年(1296年)には伏見天皇が元三大師を祀る関東天台宗本山とする

・正安三年(1301年)に後伏見天皇が東国580ヵ寺の本山とする勅を下す

・後奈良天皇が「星野山の」勅額を下す

と発展しますが天文六年(1537年)には北条VS上杉の合戦で炎上します。

 その後、慶長四年(1599年)には徳川家康のブレーンだった天海僧正が住職となり喜多院と改名。

以後幕府の庇護の元に発展しますが寛永十五年(1638年)の川越大火でまたしても消失。

しかし将軍家光の命により直ちに復興し今に至ります。

まさに達磨の如く七転び八起きの寺院ですが、それだけ地理的にも重要視されたと言うことでしょう。

 広大な敷地内には客殿・書院初め重要文化財が多々ありますが、面白いのは境内にある五百羅漢。

近郷農民の関根仙右ヱ門が安永六年(1777年)に40体を作製。

その後、喜多院の学僧がその意思を受け継ぎ近隣より寄進を集め、文政八年(1825年)に完成されたもの。

全部で538体が鎮座されています。その表情が何とも人間的でした。

 無量寿寺とは言うものの拝観は有料。関東では鎌倉以外は拝観料無料の寺院が多いのですが、

【きたいん】に違わず【重文】な内容、残雪ながらも朝から夕方まで充実した一日でした。

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星野山 無量寿寺 喜多院(天台宗)

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本堂(慈恵堂)

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多宝塔

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五百羅漢を拝観(別料金)

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内緒話する羅漢

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考える羅漢

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読書する羅漢

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ちょっとお行儀の悪い羅漢

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客殿渡り廊下にて

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喜多院庭園    小堀遠州の作庭。

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喜多院庭園
23日の雪の名残と、氷柱が印象的。

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川越大師喜多院説明書

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喜多院御朱印

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夕食は天保3年(1832年)創業の店舗「いちのや」にて、ひつまぶし¥3050

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川越元町郵便局 ; 時の鐘、重要伝統的建造物群保存地区・蔵造りの町並み
川越松江町郵便局 ; 県文化財・喜多院多宝塔、市文化財五百羅漢、だるま市、

[参考書]

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湯島天満宮(東京都文京区) 学問の神様の霊験あらたかな御朱印

2019.01.23(20:46) 117

[湯島天満宮] ブログ村キーワード
天神様はウソ付き?(2018.1.25)


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湯島天満宮(旧府社)

・寄った湯島の天神で新たなウソが買えるのよ♪

 昨年の亀戸天神の鷽替神事に続き、今年は湯島天神の鷽替神事へ。

この日は午前中に東京で研修があり午後から休暇を取っての参拝となりました。

 江戸における代表的天満宮とはいえ、高々500年程の歴史と思っていましたが、

神社としての創建は何と雄略天皇二年(458年か?)という古社。

南北朝時代の正平十年(1355年)に住民の要請で菅原道真を招聘、以後天満宮となったとか。己の無知を反省です。

 江戸時代には徳川家の庇護のもと繁栄、加えて湯島に昌平坂学問所が設立。

明治以降には帝国大学が置かれるなど文京区は日本の学問の中心となり、

湯島天満宮も学問の中心として確固たる地位を占めるようになりました。

 鷽(ウソ)は天神様所縁の鳥、漢字で鷽は学+鳥なので学問の神様のお使いに相応しいのでしょうか?

元々は鷽を交換する事で、自分の嘘を真に替える習わしですが、限定販売なので過熱気味。

とは言え昼過ぎでも購入はできました。尚、1月25日は道真公の命日だそうです。

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表鳥居   
寛文七年(1667年)建立の都指定文化財。千代田線湯島駅から向かうと表鳥居に至る。

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拝殿

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本殿横の寒梅    七割が白梅とか。

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本殿に続く廊下

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境内の残雪

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境内の奇縁氷人石
嘉永三年(1850年)に江戸で初めて建てられたもので迷子の伝言板のようなもの。

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鷽替神事の案内板

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鷽替神事の場所
訪問は13時半だったが行列もなく、直ぐ購入。

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子ウソ¥500と大ウソ¥700

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湯島天満宮御朱印

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こちらの門から退出

 天神様といえば梅ですが、開花にはちと早く2月の梅まつりに期待。

道真公の頃には家紋は未だ登場していませんが、平安末になって採用。

子孫の唐橋家・東坊城家の家紋となっていますが、梅鉢紋といえば百万石の前田家。これには次のような話が…。
 
 江戸初期に幕府が各大名家に家系図提出を命じました。

ある日、登城したある大名が前田の殿様に

「加賀宰相殿の所は?」

と問い掛けました。勿論、藩祖利家の自出を知った上でしたが、前田の殿様少しも騒がず

「御存じの通り、当家は始祖が卑賤からのし上がった身、家系図は全て学者の方にお任せしております。」

と返答したとか。百万石の面目躍如ですね。

結果として菅原家になりましたが、本家の唐橋家等からは一切苦情はなかったようです。

「御先祖を偉くするには己が出世する事」という諺を思い出しました。天神様もうそには寛大なようです。
 
 前日に降った雪がまだ残っている状態でしたが、門前にある「茶房松緒」で休憩。湯島の白梅ならぬ白玉で〆となりました。

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門前の「茶房松緒」にて休憩

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天神様の横でホッと一息¥700

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茶房松緒」の昼食
翌2月18日に関東在の同窓と寒梅の観梅に来た時にて。昼膳¥1,000.

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同じく「茶房松緒」の昼食。おばんざい手まり膳 ¥1,400。

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湯島四郵便局 ; 湯島天満宮、表鳥居、絵馬、梅
湯島二郵便局 ; 湯島神社表鳥居、奇縁氷人石、絵馬、銀杏

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六道珍皇寺(京都市東山区) 鬼才小野篁所縁の寺の能筆な御朱印

2019.01.22(20:17) 116

[六道珍皇寺] ブログ村キーワード
この世とあの世を往来した小野篁(2015.1.25)

<コース>
JR・京阪東福寺 → 徒歩10分 → 泉涌寺 → 徒歩20分 → 六道珍皇寺

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大椿山六道珍皇寺(臨済宗建仁寺
山門と門前にある「六道の辻」の碑

 楊貴妃観音堂へお参りした後は、再び四条方面へ戻り六道珍皇寺へ。

六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人道・天道の六つの冥界で

人は死後、因果応報によりこの六道を輪廻転生すると言われています。

この道ごとにお地蔵様が1体ずついて、転生する人は1体に一文銭を一枚ずつ置くのが習わし。

三途の川の渡し賃の六文銭はこれに由来しているそうです。

 六道珍皇寺の創設は古く、開基についても弘法大師、弘法大師の師の慶俊僧津、参議小野篁等諸説があり一定していません。

唯、境内からは奈良時代の瓦が出土することから平安以前に遡ることは間違いないようです。

 平安期のこの辺りは鳥辺山の麓で葬送の地だったので、生死の界という事で寺院が営まれたのだと思います。

その意味からはこの一帯に居住していた鳥辺氏の寺院が元になったというのは有力な説ではないでしょうか。

 平安期には東寺の末寺として繁栄しましたが、中世の戦乱で荒廃。

南北朝期の貞治三年(1364年)に建仁寺の住持であった聞渓良聴により再興されて今は臨済宗の寺院になっています。

 京都ではお盆の精霊迎えに参詣する寺として知られますが、普段は境内を眺めるだけ。

今回は非公開文化財特別公開(平成27年1月10日~3月16日)ということで足を運びました。

普段は入れない堂内へ行くと寺伝の説明があり、期間限定の御朱印も頂けます。

この場所は小野篁旧宅があったと言われ、絵巻物を見ながら小野篁の生涯を追いました。

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六道珍皇寺の庭園   堂内は撮影禁止のため縁側より見る。

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庭から井戸方面を見る

 小野篁(おののたかむら 802~852年)は平安初期の文人で政治家。

遣隋使小野妹子の末裔、父の岑守も著名な漢学者と言う家に生まれました。

180㎝を越える長身であった篁は父の任地の陸奥で弓と乗馬に明け暮れる青春を送りましたが帰京後もそれを止めず、

嵯峨天皇が 「あの岑守の子とあろうものが」 と嘆いたとか。

これを聞いた篁は一念発起して学問に取り組み漢学者として大成、試験にも合格。

漢文・法令に詳しいキャリアとしての道を歩む事になります。この辺りが凡人とは違う所でしょうか?

 ある時、嵯峨帝は遣唐使で招来された白氏文集の詩の一節 「空しく望む」 という字句を 「遥に望む」 と変え御製と偽って

篁に意見を求めた事がありました。

篁が申す様 「素晴らしい出来ですが、『遥』を『空』にすれば一層素晴らしい出来栄えと存じます」。

これを聞いた嵯峨帝は驚き

「これは元来白楽天の詩で戯れに空を遥に変えたもの。君の才能は白楽天にも及ぶのか」

と絶賛されたと伝わります。

また宮中で嵯峨帝から 「子子子子子子子子子子子子」 を何と読むかと問われ、

即座に「猫の子、子猫、獅子の子、子獅子」と答えて一同の喝采を浴びたこともありました。

 その反骨精神から 「野狂」 と称されますが、篁の頭の良さに加え当代きっての能書家でもあり誰もが一目置きました。

白楽天も篁の噂を伝え聞き会うのを楽しみにしていたと言われます。そしてその機会が巡ってきました。

篁が838年の遣唐副使に任ぜられたからです。しかし篁が唐に渡ることは有りませんでした。

遣唐大使藤原常嗣が自分の乗船は水が漏るため副使の篁の船と交換させる事件が勃発。

曲がった事が大嫌いな性格でもあった篁は、これに激怒。

乗船を拒否した上、『西道謡』 と題した漢詩で朝廷のことをボロカスに貶すという挙に出ます。

今度はそれに嵯峨帝が激怒、死罪は免れたものの、全ての官位を剥奪され隠岐に流罪と相成りました。

その時に詠んだのが

・わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり舟
[参議篁   古今集]

で小倉百人一首にも採用されている有名な歌です。

まさに海へと漕ぎ出す勇壮な気持ちを詠った風に聞こえますが、実際は流罪の身の上。

そのような状況下でこんな歌を詠むとは余程の大人物か底抜けの脳天気かとしか思えません。

歌には【航海】の念など全く感じられず、嵯峨帝の【隠岐】に召すままといった境地だったのか、

野狂の面目躍如と言ったところでしょうか。

 これで政治生命も絶たれたかに思えましたが840年には罪を許され中央にカムバック、再びキャリアを重ね最終的には参議に。

末席ではあるが閣僚クラスまで登りました。篁の才能が必要とされたため召喚された訳で、まさに芸は身を助くを地で行く話です。
 
 六道珍皇寺の庭には篁が冥界と行き来したと言われる古井戸があります。

昼間は朝廷で官吏として仕事をした篁は、毎夜この井戸を通って冥界に行き閻魔大王の傍で死者の裁判に従事したという

奇々怪々な伝説が残っています。また境内の閻魔堂には篁作という閻魔大王と篁の木造が鎮座しています(撮影禁止)。

平安京はその名前とは裏腹に怨霊に満ち溢れた世界で人民にとって冥界は現実的に感じられた事でしょう。

篁の地獄耳的な知識と問題を【冥界】に解決する智慧に畏敬の念を抱いた民衆が作り上げた虚像でしょうが、

西洋ならば魔女として焚殺となるところ。

そのような異才も受け入れる所などは八百万の神々を信仰する我が国の懐の深さが伺えます。

 篁が出羽の女性との間にもうけた子供が小野小町であるとか。

系図では孫になりますが、年代的には親子程の年の差で有力な説と言えます。柳に蛙で有名な日本三蹟の小野道風は彼の孫。

また華道の池坊家は小野氏を遠祖とし本家は池坊ですが分家は小野を名乗る仕来りだそうです。

平成の世まで雅を伝える小野一族、その一端に触れた午後でした。

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庭にある「冥土通い」に使ったと言われる井戸

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「冥途通いの井戸」   冥界への入り口である。

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「黄泉がえりの井戸」   
冥界よりの出口。旧境内から平成になって発見された。冥土からの帰路は嵯峨の福生寺(現在は廃寺)と言い伝えられてきた。

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「黄泉がえりの井戸」の説明

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六道珍皇寺説明書

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六道珍皇寺御朱印
特別拝観時のみ拝受。紺色金泥御朱印や紅葉紙金泥御朱印もあったが、ノーマルに墨書を¥300で拝受。能書家だった篁を彷彿とさせる書体と言える。

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泉涌寺(京都市東山区) 楊貴妃観音堂の典雅な御朱印

2019.01.20(20:15) 115

[楊貴妃観音堂] ブログ村キーワード
麗人を尋ねて東山に泉涌!(2015.1.25)

<コース>
JR・京阪東福寺 →徒歩10分 → 退耕庵 → 徒歩10分 → 泉涌寺

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御寺泉涌寺(真言宗泉涌寺派)  大門から境内を望む

 小野小町ゆかりの寺の後は足を伸ばしてもう一人の麗人に御対面。

泉涌寺は空海が庵を結んだ事に始まり、鎌倉時代に宋朝より帰国した俊芿(しゅんじょう)が再興。

歴代天皇の墳墓があるので御寺(みてら)と呼ばれています。

 大門をくぐると直ぐ右手に清少納言の歌碑が。字は摩滅が進んで分かりませんが小倉百人一首の「夜をこめて…」の歌。

でも今回の麗人は彼女ではなく門の左手へ。そこには小さな観音堂がありました。

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重文・泉涌寺仏殿   寛文八年(1668年)徳川家綱により再建された一重裳階付入母屋造りの唐様建築

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仏殿前にある清少納言歌碑

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「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 夜に逢坂の 関は許さじ」

 ここに祀られている観音菩薩坐像は俊芿の弟子の湛海が寛喜二年(1230年)南宋より持ち帰ったものですが、

玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで等身に彫らせたものだと言われ楊貴妃観音堂と呼ばれています。

国際色が豊かであった唐王朝では豊満な女性が好まれたと言いますが、安置されているふくよかな坐像に対面すると

絶世の美女と謳われた楊貴妃の面影が偲ばれます。

彼女は安史の乱の756年に玄宗皇帝が蜀へ逃げる途中、馬嵬で命を絶たれます。傾国などと揶揄される事も多い彼女ですが、

政治に影響を与えたことは殆どなく彼女もまた時代に翻弄された一人で会ったと言えそうです。

「唐王朝は道教が国教だった筈では」などと余計なことを考えずに、お参りするのが礼儀です。

 半日で小野小町・楊貴妃と対面し「クレオパトラが傍に居たら完璧!」と思いながら六道の辻にある寺を訪れると

閻魔大王が物凄い形相で睨んでおり、己の不徳を反省した次第です。

 楊貴妃は享年37、クレオパトラは享年39、小町は何歳だったのでしょうかとあらためて考えさせられました。

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大門左手にある楊貴妃観音堂    楊貴妃観音像は重文。

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泉涌寺説明書

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楊貴妃観音堂御朱印

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京都本町郵便局 ; 重文・泉涌寺仏殿、東山

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退耕庵(京都市東山区)  小野小町の寺とゆかしい御朱印

2019.01.19(17:43) 114

[退耕庵] ブログ村キーワード
東山に麗人を尋ねて(2015.1.25)

<コース>
JR・京阪東福寺 →徒歩10分 → 退耕庵

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退耕庵(臨済宗東福寺派塔頭)

 平城京に行った翌日、小野小町の縁の寺があると先輩から聞いていたので平安京に来ました。

臨済宗東福寺派大本山には歴代住職の住まいした塔頭が多々ありますが、その中の一つが退耕庵(たいこうあん)。

貞和二年(1346年)に東福寺第四十三世性海霊見(しょうかいれいけん)により創建されましたが、なんでも小野小町所縁の寺とか。

謎に包まれたとはいえ小町は平安期の女性、室町期創建の寺院に何故?となります。

 境内に地蔵堂ある地蔵堂、別名小町堂には小町100歳の像と玉章地蔵尊があります。

玉章地蔵尊は東山区渋谷越えにあった小町寺から移築されたもので小町宛の恋文を納めたとか。

井戸の水に映る姿を見て

・おもかげの かはらでとしの つもれかし たとえこの身に 限りあるとも

と詠んでいます。御住職の話では、この歌は小町作と言い伝えられているとの事でした。

死ぬのは構わないが容貌の衰えは避けたいという内容で、相当なナルシストの様にも思えますが、

誰しも大なり小なりこのような願望はある訳で、小町が特別だったのではありません。

 深草の少将を振った話等、美しさを鼻にかけた嫌みな面が強調され、百歳まで生き永らえ卒塔婆小町となったとか、

死後には野晒しの髑髏となって在原業平に供養されるとか、若い頃との落差が強調されてきましたが、

ここに安置された地蔵様の話ではそのような事は関係なさそうな気がします。

 退耕庵は応仁の乱で衰退しますが安国寺恵瓊の庇護で再興、幕末鳥羽伏見の戦いでは長州藩の陣が置かれるなど

政治色が強い寺でしたが、今は至って平穏。

静かな佇まいの中に小町も漸く安住の地を得たと言ったところでしょうか?

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退耕庵山門
石碑の揮毫は現首相の祖父に拠る。

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退耕庵の前庭
派手さはないが、小町の終焉の地には相応しいように思える。一般拝観はしていない。

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玉章地蔵尊と100歳小町像を祀る小町堂
昔、不心得者が前者の中を見たら石の五輪塔があったとか。北政所の右筆の小野於津宇(小野氏苗裔)が納め直したと伝わる。

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平成4年訪問時はすべて判子の御朱印であった

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平成27年時の御朱印   墨書になっている。

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待乳山聖天(東京都台東区) 商店の町の聖天様の御朱印

2019.01.17(17:50) 113

[待乳山聖天] ブログ村キーワード
庶民の町の待乳山にある商店に囲まれた聖天さま(2017.1.24)

<コース>
東武亀戸 → 曳舟 → 東武浅草 → 徒歩5分 → 待乳山聖天

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待乳山本龍院(聖観音宗)

 鷽替神事の後は、東武で浅草まで。駅から隅田川沿いを行くと小高い丘が見えますがここが待乳山。

推古天皇三年(595年)に地中から忽然と出現し、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。

その六年後の601年この地が大旱魃に見舞われた時、十一面観音様が大聖歓喜天に姿を変え万民の苦しみを救われた事で、

ここに祀られる事になりました。浅草寺山号の金龍山はこの伝説に由来するもの。

本龍院は浅草寺の支院の扱いですが、元来は周囲を見渡せるこの場所が信仰の中心だったに違いありません。

 ここだけは昔から地面がしっかりしていた事から「真土」、これが待乳に変化したと言われます。

子供に少しでもお乳を与えることが出来るようにとの願いだったのでしょうか。

 場所も下町にあることから庶民にも親しまれ江戸名所にも登場しました。

境内には大根と巾着をあしらった図柄が見られますが、これは大根で心の毒を消し巾着で商売繁盛を表すとか。

あくまで庶民の寺院のようです。

 その後は、浅草界隈からレンタサイクルで足を伸ばして吉原大門まで。かなり【台東】な一日でした。

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聖天さん本堂  御朱印はここで拝受。

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入口付近の築地塀   江戸時代の建造で延長45.5m。

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境内の河津桜

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本堂付近からの眺め

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聖天さん庭園

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待乳山聖天説明書

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待乳山聖天御朱印

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吉原大門付近の見返り柳

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吉原大門交差点付近にある天麩羅の老舗
かつての吉原はこんなんだった?

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台東聖天前郵便局 ; 桜橋、サクラ、浅草流鏑馬
台東清川郵便局 ; 妙亀塚、白髭橋

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