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常勝寺(兵庫県丹波市) 追儺式で有名な山南屈指の紅葉の古刹

2019.11.30(20:30) 495

鬼こその古刹へようこそ!(2019.11.20)

<コース>
【往路】JR大阪(7:13) → JR谷川(8:54→9:00) → JR久下村(9:03)

JR久下村 → 徒歩30分 → 石龕寺 → 徒歩30分 → 奥之院 → 徒歩50分 → 常勝寺

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竹林山 常勝寺(天台宗)

石龕寺の紅葉を午前中に終え、次の紅葉は慧日寺。

バスの便もないため、谷川駅の西方面から東方面へ10㎞近く歩く事に。

直行する事も可能でしたが、途中に山南屈指の古刹があるので、紅葉に関わりなく立ち寄りました。

 加古川を渡り、パルプ工場を右に、役所を左手に見て暫く行くと山門下へ到着。

今の季節は境内が赤色に染まり、遠くからでも山全体が燃えているのが分かります。

 見上げるような仁王門ですが、そこから本堂までは三百六十余段の石段が一直線上に続き、

両脇には堂宇、樹木も下から上へ紅葉から巨木と移り変わっています。

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山裾に見える常勝寺全景
北側から見た所で、山全体が燃えるように赤い。

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入口にある山号石碑と普門橋

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仁王門と「常勝寺」扁額を見上げる

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山門から本堂へ一直線に続く石段の参道
普門橋から本堂まで三百六十余段を上る。

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参道脇の説明板

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参道半ばに建つ慈眼閣

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参道半ばには両側に紅葉が

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参道上部には両脇に巨木が聳える

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参道の上りにある石仏群

竹林山常勝寺(ちくりんざんじょうしょうじ)は、

『大化の年間、天竺より渡来した法道上人が七尾七谷のこの山に七堂伽藍を建立。

永保3年(1083年)の大火で伽藍は悉く焼失するが、泉州槇尾山の浄意上人が再興。

しかし天正3年(1575年)の明智光秀の丹波攻めで全山焼失。

当山の智光法印が再興に着手するが志半ばで遷化。

元禄10年(1697年)に良海法印が本堂を修造し漸く再興が成った。』 とあります。

 大化年間の古刹ですが、度々の大火に会っています。【大過】なくとはいかないようです。

山南きっての古刹ですが、ここで毎年2月11日に開催される追儺式は別名「鬼こそ」。

法道上人に扮した童子の後に、大きな面を付けた赤鬼青鬼4人が本堂の周りを巡るもの。

四鬼は上人の徳に感化され五穀豊穣を祈るもので、駅スタンプ等でも取り上げられる名物行事だそうです。

紅葉めぐり寺院には入っていませんが、参道の紅葉も鑑賞には十分。無料拝観も魅力でした。

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参道の上に広がる境内
薬師堂(左)と本堂。

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薬師堂
鎌倉時代初期の重文・薬師如来を祀る。

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元禄10年(1697年)建築の本堂
間口五間、奥行四間半、総欅造りで銅板葺。鎌倉初期の重文・千手観音菩薩を祀る。

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本堂上の龍の彫刻

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本堂前面の柱彫刻

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本堂前に建つ顕彰碑

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絵馬のデザインも「鬼こそ」

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「鬼こそ」の説明板

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JR谷川駅スタンプ

 参拝後は参道半ばにある庫裏で御朱印を御願い。

ベルを押すと、傘寿を過ぎたと思しき御住職が対応して下さいました。

和辻:「紅葉めぐり寺院には入っていませんが、見応え十分ですね。」

住職:「かつては入っていましたが、階段が急で危ないので止めました。」

和辻:「宗派が関係しているとか?」

住職:「それは全くありませんわ!」

との遣り取り。私よりも一世代年配ですが、テンポが良く楽しい受け答えでした。

拝受した御朱印も達筆。意識も身体も良好な状態で齢を重ねるのは大変ですが、それを実践されている様子。

【じょうしょう】志向を持って居られるためか、或いは「鬼こそ」効果でしょうかね?

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参拝後、参道を下る
参拝中、見かけた人は写真中央の紅葉を撮影している一人だけ。

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参道半ばまで下る

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納経所周辺の紅葉

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庫裏入口
御朱印はこちらで拝受。

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御朱印の間、庫裏玄関から参道方面を見る

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庫裏玄関の窓

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参道脇の紅葉

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駐車場へと続く道にも紅葉のトンネル

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常勝寺説明書 
¥100だが、御朱印¥300を御願いすると無料になる。

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説明書裏面の仏像写真

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常勝寺御朱印

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谷川駅前郵便局 : 常勝寺の奇祭・鬼こそ、丹波栗

[参考書]

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石龕寺(兵庫県丹波市) 仁王像が守る足利氏ゆかりの岩窟の古刹

2019.11.29(22:10) 494

奥の岩屋から引っ越した毘沙門様(2019.11.20)

<コース>
【往路】JR大阪(7:13) → JR谷川(8:54→9:00) → JR久下村(9:03)

JR久下村 → 徒歩30分 → 石龕寺 → 徒歩30分 → 奥之院

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岩屋山 石龕寺(高野山真言宗)

 17日の丹波市もみじツアーでは氷上、青垣地域の四ヵ寺の紅葉を楽しみましたが、

この日は少し南の山南三山を巡礼。

 いずれもJR谷川駅からですが駅付近にはレンタサイクルがなし。

仕方がないので、加古川線の久下村駅の最寄りの石龕寺からスタート。

最寄りといっても駅から4㎞余り、但し石龕の名前の割には平坦な道を徒歩30分で到着。

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寺へと続く道沿いには紅葉が

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山号と寺号の石標
手前の駐車場横の受付で入山料¥300 を支払い参道を進む。

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石標に続く紅葉のトンネル

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紅葉のトンネルから石標方面を振り返る

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散り積もる紅葉の向こうに見える仁王門
この右手には地元の方が営業している青空カフェがある。

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仁王門へ到着
明智光秀の丹波攻めでも焼け残った。

 岩屋山石龕寺(いわやさんせきがんじ)は、縁起書に拠れば、

『用明天皇の587年、聖徳太子の開基とされる。

太子は自ら刻んだ毘沙門天の尊像を兜に頂き物部守屋に大勝したが、尊像は空中に飛散。

太子は諸国を巡り、この山に瑞雲がたなびくのを目にする。

その山の石窟に毘沙門天があるのを発見し、堂宇を建てたのが始まり。

その後、村上天皇が多くの伽藍を建立した。

室町時代には足利尊氏の帰依を受け、弟直義との観応の擾乱で

尊氏が京都から播磨に逃れる際に、嫡男義詮をこの地に逗留させた記録が残る。

天正7年(1579年)には明智光秀の丹波攻めで一山悉く焼失。仁王門のみ難を逃れた。

その後、寛永3年(1626年)明覚法印が開山となり徐々に復興、

現在は境内の紅葉が有名となり丹波の紅葉寺として知られる。』 とあります。

 山内に入ると、紅葉のトンネル、苔生した石垣、石段と古刹の雰囲気は十分ですが、

建物自体は新しく、仁王門のみが古い印象。

両脇の仁王像は慶派の肥後法橋定慶に拠り仁治3年(1242年)に製作された重文で、

石龕寺を代表する建造物となっています。

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重文・木造金剛力士像
これは左側にある吽像。

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同じく重文・木造金剛力士像
右側にある阿像。

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小野道風書と伝える仁王門の「石龕寺」の扁額

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仁王門に続く参道も紅葉のトンネル

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参道から仁王門を見返る

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門横に建つ太宰春台の漢詩

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参道脇の石仏群

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参道の奥に見える仁王門

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参道横の車道も紅葉の蔭(シャドウ)が

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参道左手の本坊多聞院への石段

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本坊の持仏堂
右にあるのは水琴窟庭園。

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本坊の庭
左奥が庫裏で納経所となっている。

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本坊の塀と紅葉

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岩屋谷川に架かる橋上から
左が本堂への階段、右が奥の院への参道。

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本堂への石段
左に聳えるのはコウヨウザン(廣葉杉)の巨木。

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本堂(毘沙門堂)
元、奥の院にあったが宝暦13年に焼失、安永7年(1778年)に現在地へ移転した。三間三面単層屋根入母屋造で向拝の軒に唐破風を付ける。

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本堂左の薬師堂

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薬師堂屋根と紅葉

 龕(がん)とは仏像などを安置する窪みの事。

本堂から700m山に入った所にある奥之院の石龕が寺号の由来になっています。

元来はここが本堂でしたが、今は本尊を下の本堂に移しているとか。

 庫裏で御朱印を御願いすると、住職夫人が

夫人:「住職は、所用で出掛けていますので、書置きになります。」

と書置きを拝受。

奥之院の事を尋ねると、

夫人:「奥之院はかつての本堂で、ここから歩いて30分です。」

という事でしたので、これは是非とも行かねばならぬと思い更に山道を行く事30分で到着。

 奥之院拝殿には石龕があり、毘沙門天が祀られていました。

由緒記は多分に伝説的な所がありますが、

よくもこのような山奥の石龕に気が付いた人が居た事が驚きです。

 更に奥には足利義詮邸跡もありましたが、すぐ横は崖。

邸というよりも逃げて隠れた場所ではないでしょうか?

 父尊氏、子義満の間に立って存在の薄い二代目将軍ですが、

負けても再起を期すのは武将として不可欠の条件。

その意味では義詮も立派な将軍だったと言えるでしょうか。

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奥の院参道入口
右の道を只管上る。

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奥の院参道入口付近から見た本坊

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紅葉を見ながら奥の院へ

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途中から参道も険しく

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奥の院の鐘楼堂からの眺め

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鐘楼堂と由緒

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奥の院拝殿への参道
両脇には石灯籠が18基並ぶ。

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奥の院拝殿
石龕のある石龕寺発祥の地で平成6年に復興整備された。

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拝殿の扁額

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毘沙門天を祀る拝殿の奥にある石龕

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拝殿から見る紅葉と谷

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紅葉近影

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拝殿奥にある足利将軍屋敷跡
直ぐ向こうは崖になっている。

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奥の院説明板
但し、これは仁王門脇に建つ。

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奥の院拝殿と紅葉

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石龕寺説明書

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石龕寺御朱印

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山南小川郵便局 : 石龕寺町石、重文・金剛力士像、岩屋山

[参考書]

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高山寺(兵庫県丹波市) 頼朝ゆかりの紅葉のトンネルの寺

2019.11.28(20:42) 493

頼朝の天下取りを予言した御本尊(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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弘浪山高山寺(真言宗大覚寺派 別格本山)

 達身寺の後は、ツアー最終の寺院へ。

 弘浪山高山寺(こうろうざんこうざんじ)は、

『天平宝字5年(761年)、天竺から来朝した法道上人により、弘浪山頂に開創。

その後、衰退しますが鎌倉時代に源頼朝の命により東大寺の重源が復興。

平治の乱後に伊豆に配流された頼朝は源氏の再興を願い、日夜観音に願を掛けていた。

或る夜、観音が夢枕に立ち、

「お前は天下を治める将軍になる。その暁には丹波の高山寺を復興せよ」 と言った。

平家を滅ぼし鎌倉幕府を開いた頼朝は高山寺の事はすっかり失念していたが

「高山寺を復興せよ」 と夢枕に再度観音様が立ったので再興を命じた。

昭和33年(1958年)に山頂から現在地へ移った。』 とあります。

とすれば高山寺とは山頂にあったことに拠る寺名でしょうか?

麓に移転したために高山とは言い難いですが、

移築した仁王門から本堂への参道両側に植えられた紅葉のトンネルが高山の雰囲気を出しています。

法道上人は丹波の古刹を多く創建した伝説的な僧侶。

彼を開山に持って来た事は、それだけ歴史が古いからですが、

何故かマスコミ等で【ほうどう】される事がないのが不思議です。

復興については頼朝が重源に命じた事実が、このような伝説を生んだと採るのが妥当。

観音様を討幕の【こうろう】者にした訳ではないようでした。

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仁王門(11.7 撮影)
先には本堂へと紅葉の参道が続く。

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仁王門天井の龍の画
力強い作風だが、製作は新しい。

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境内の木立の先に見える仁王門

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参道脇の紅葉

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参道脇のカエデと地上の杉苔

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参道に並ぶ石灯籠
夜はライトアップされる。

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参道から仁王門を見返る
紅葉のトンネルは未だ少し先になる模様。

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本堂前からの景色
両側は満天星。

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狛犬と本堂
古代インドでは寺の門前に釈迦が堂々と説法される姿を表した一対の獅子を置く習慣があり、それが狛犬になった。

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本堂
本尊は十一面観音菩薩。

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本堂前から見た境内

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高台から本堂横を見る

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唐破風のある庫裏
御朱印はこの奥で拝受する。

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高山寺御朱印
11月7日に書置きを購入したもの。

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達身寺(兵庫県丹波市) 丹波の正倉院の御朱印

2019.11.27(20:08) 492

仏像工房の興亡(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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十九山達身寺(曹洞宗)

 圓通寺に続き達身寺へ。

今回は紅葉ツアーですが、この寺院は丹波の正倉院といわれるだけあって仏像がメイン。

十九山達身寺(じゅうくさんたっしんじ)は、寺伝に拠れば、

『行基が開いた密教系の寺院が嚆矢。

始めは北に聳える十九山の一つの峰にあったとされ、山岳仏教の聖地として繁栄した。

その後の記録は乏しいが、明智光秀の丹波攻めで寺院は焼失。仏像は辛うじて谷底に運び下ろされた。

仏像は暫く放置されたらしく、天正・文禄年間の記録に達身(たるみ)堂、垂水(たるみ)堂とあるのは

仏像を安置した場所と考えられる。

 その後、元禄8年(1695年)に疫病がはやり多くの村人が亡くなった。

占いの結果「仏罰である。」と言われた為、放置された仏像をここに集めた。

正徳2年(1712年)には曹洞宗に改宗、圓通寺の末寺となった。

十九山の達身堂を本堂としたので山号寺号とした。』 とあります。

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駐車場から見た寺院全景

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霊場石碑を前に中央が本堂。左が収蔵庫。

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門前の巨木と寺標

 バス駐車場の正面に建つ寺院は小さな茅葺の本堂。

村人に守られた古刹という表現がぴったりくる外観です。といって本尊は本堂にはなく、すべて収蔵庫に。

重文の仏像が12躯あるので当然とは思いますが、

これだけ本尊級の多くの仏像があるのは、付近一帯の寺院から集めたというのも頷けます。

時代的には10~12世紀、総て木彫りで大半が一木造り、3体が寄木造り、

仏像の腹がふくらんだ様式である事など、共通の特徴が見られます。

 最近では、多くの寺院の仏像を集めたのではなく、この地には仏像の工房があったのではないか

という説も郷土史家から提出されているそうで、仏像の謎は深まるばかりです。

 寺の場所も山あり谷ありですが、仏像の工房も様々な興亡があったようです。

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茅葺の本堂
いかにも古刹の雰囲気で拝観はここからスタート。

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本堂玄関から境内を望む
古刹ながら境内は意外と狭い。

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収蔵庫への廊下から見た本堂屋根

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境内の庭園

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庭園越しに見る裏山の紅葉

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裏山へと続く道から本堂を見返る

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達身寺説明書

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裏面の仏像の説明
右下が御本尊の阿弥陀如来坐像。

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達身寺御朱印 「稲麻殿」

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成松郵便局 ; 達身寺の重文・阿弥陀如来、安全山

[参考書]

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丹波 達身寺―木彫仏像の原郷

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圓通寺(兵庫県丹波市) 将軍・関白ゆかりの紅葉の名刹

2019.11.26(21:29) 491

光秀の丹波攻めも切り抜けた古刹(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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永谷山圓通寺(曹洞宗)

 道の駅で買い物、昼食を終えた後は再び南に向かいます。

途中から田圃の中を西へ向かい山裾に佇むのが圓通寺。

バス停から歩くとまるで森全体が赤くなっているようにも見えます。

永谷山圓通寺(ようこくざんえんつうじ)は、

『永徳2年(1382年)、後円融天皇の勅命により建立。

開山の英仲法俊(えいちゅうほうしゅん)は足利尊氏の四男、

幼少期より夢窓疎石に参禅し摂津永澤寺(ようたくじ)にて出家。

二世の牧翁性欽(ぼくおうしょうきん)は関白近衛通嗣の三男、

5歳で出家し英仲に師事し、師の没後二代目住職を継いだ。

室町から江戸末まで二百余りの末寺と一千石を越える寺領を有し、

丹波のみならず但馬・播磨・摂津の諸寺に君臨する大寺院になった。

明智光秀の丹波攻めでも圓通寺は標的になりましたが、

豪士・荻野喜右衛門が光秀の本陣に赴き必至の説得をした結果兵火を免れた。』 とあります。

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向こうの山裾に境内全体が赤く見える
駐車場から寺へ向かう道から。

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圓通寺石碑
寺の入口にあり、この横で拝観受付 ¥300 をする。

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寺標横から境内へ続く紅葉のトンネル

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紅葉の坂を上った所にある寺標

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参道の紅葉

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境内へ続く参道
向こうに見えるのは御神木の一本杉。

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塀越しに見える紅葉と方丈屋根

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石段の先に見える山門

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山門と永谷山の扁額

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山門の左には持国天

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山門の右には広目天

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山門からの眺め
左右にあるのは放生池で中央の階段で本堂へ向かう。

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放生池越しに見る境内

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樹齢700年の一本杉
光源氏のモデルとされる源融が建立した「賀茂大明神」の御神木である。

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階段の上にある鐘楼

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階段脇の紅葉

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階段を上った先から放生池と紅葉のトンネルを見返る

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塀越しに放生池周囲の紅葉を見る

 バスガイドさんの話では永澤寺の永を山号に、後円融天皇の円を寺号にしたそうです。

 創建時に武門と公家の最高位の子弟を送り込んだのも凄いですが、

創建に際しては甥の将軍足利義満より大いに庇護を受けましたし、

応永30年(1423年)に火災で諸堂が焼失した時も10年以内に再建しています。

住職の実家からの援助があった確実でしょう。

ここは当時の主流であった夢窓疎石の一派からは距離を置いた厳しい宗派ですが、

有力者をパトロンに持つという方針は変わらないようです。

 光秀も豪士の説得で焼討ちを思いとどまったと寺伝にはありますが、

足利と近衛という名家に敬意を表したとも言われます。信長に仕えたとはいえ、

名門土岐氏を本家に持つ貴族的な光秀ならば十分在り得る話です。名家故の【えんつうじ】でしょうね。

 境内は紅葉に囲まれた坂を上り放生池を過ぎた高台にあり、

正面の二段屋根の本堂と右手の庫裏は江戸時代の再建ながら堂々とした風格。

納経所の方に伺った話では、

「かつては曹洞宗の道場として【そうとうすう】の若い僧侶が修行されていましたが、今は全くないです。」

との事。禅宗の世界でも一極集中化が進んでいるようです。

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塀の五本線と足利氏家紋

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家紋と五本線の説明

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境内遠景
左が本堂、右が庫裏。左には榧の巨木が聳える。

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紅葉越しに見る庫裏
和傘と長椅子は休憩所。

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庫裏の玄関
かつては道場として使われた名残か?

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本堂
別名は施無畏殿。本尊は如意輪観世音菩薩で施無畏とは観音の異名である。

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本堂の扁額「施無畏殿」
唐風を連想させる二段屋根となっている。

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本堂前面の麒麟の彫刻
これは阿像。

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本堂柱にある「近衛牡丹紋」

 本堂裏手には泉が湧出して居り、長らく茶道の水として利用されていたといいます。

境内の石垣や伽藍に眼が向きがちですが、寺院建立の理由はこの豊かな湧き水であった可能性が大です。

 こちらも地面は豊かな杉苔が生えていました。さぞ手入れが大変でしょうと訊くと、

「いえいえ、苔の手入れは全くしていません。」との話。

丹波盆地特有の霧と周囲を山に囲まれた地形が美しい苔を育むのでしょう。

紅葉がクローズアップされる丹波ですが、京都・奈良であれば苔で十分観光客が呼べるレベルです。

 古刹が多い丹波ですが、地元では昔のものを守るという意識が強いのでしょうか?

ふと横を流れる川を見ると【かこ川】と書いてありました。

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本堂前に建つ躍年遠挙の碑
黙仙禅師の功績を禅師と親交のあった剣豪山岡鉄舟が揮毫したもの。

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本堂前の水琴窟

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境内の榧の巨木

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本堂左脇の不動明王の泉

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本堂裏にある茶湯泉
かつてはこれで茶を立てていたとか。

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本堂裏手の樹齢200年のイトザクラと樹齢300年のタブノキ

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本堂と庫裏の裏手の庭

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圓通寺説明書

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圓通寺御朱印

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高源寺(兵庫県丹波市) 天目楓が美しい丹波の紅葉名所

2019.11.25(21:42) 490

高源の紅葉よ、さようなら♪(2019.11.17)

<コース>
【往路】JR大阪(6:43) → (福知山線) → JR柏原(8:22)

【バスツアー】JR柏原駅(8:40) → 高源寺(9:20) → 道の駅あおがき(10:30) → 道の駅たんばおばあちゃんの里(11:15) → 圓通寺(12:45) → 達身寺(13:55) → 高山寺(15:00) → JR石生駅西口(16:15)

【復路】JR石生(16:30) → (福知山線) → JR篠山口(17:06→17:08) → 大阪(18:17)

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西天目瑞巌山高源寺(臨済宗中峰派本山 関西花の寺二十五ヵ寺第四番札所)

 近畿で紅葉シーズンとなると京都と奈良が賑わうのは言わずもがなですが、

それ以外でも紅葉の名所が各地にあります。丹波地方もその一つ。

京都・奈良と異なり点在しているのがやや難点ですが、見応えのある古刹が多々あります。

11月7日に丹波を訪れましたが、紅葉はフライング状態。

見頃は1週間以上先かと落ち込んでいると観光案内所で「丹波もみじめぐりバス2019」なるツアーを発見。

福知山線柏原駅から4ヵ寺を巡るツアーで往復の交通費と食費は自腹ですが拝観料込みで¥2400はお得。

予定の空いている最終日に申し込んで今シーズン2度目の丹波路となりました。

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JR柏原駅からツアーバスに乗車

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駐車場から坂の上の寺院に向かう

 朝一番で拝観したのは丹波で紅葉随一の名所とされる高源寺。

関西花の寺二十五ヵ寺にも紅葉の寺で登場しています。

 西天目瑞巌山高源寺(にしてんもくずいがんざんこうげんじ)は、由緒に拠れば

『開祖の遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師は地元青垣の山垣城主足立遠政の曽孫。

嘉元2年(1304年)に19歳で出家後、元に渡り杭州天目山の中峰国師の元で修行し10年後に帰朝。

正中2年(1325年)、故郷の青垣の地に堂宇を建て中峰の宗旨を広めた。

翌年、後醍醐天皇より高源寺の寺号を、後柏原天皇の御世に勅願時となった。

しかし天正年間の織田信長の丹波攻めで全山焼失。

享保年間に天岩明啓(てんがんめいけい)和尚が一部再建。

天明4年(1784年)に弘厳玄猊(こうがんげんけい)和尚が入寺。

柏原藩主織田信憑(のぶより)と住民の協力を得て、

寛政11年(1799年)に現在の建物が完成した。』 とあります。

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寺標前にて
左の薄緑の服はガイドの方

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惣門
明智光秀の焼討ち後、柏原藩織田家より寄進された。

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惣門の扁額「丹丘勝處」は弘厳玄猊の書

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参道の天目楓

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参道の紅葉のトンネル

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山門へ石段を上る

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山門前の「禁葷酒」の碑

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1790年頃、弘厳玄猊によって再建された山門
別名「紫鳳楼」と言い、階上には釈迦如来と十六羅漢を祀る。

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山門の扁額は伏見宮貞義親王の真筆

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山門正面に建つ仏殿
1720年頃、天岩明啓により再建。本尊は恵心僧都作とされる釈迦如来坐像。別名「法王殿」。

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仏殿前の「幽霊もたれの松」址

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心字の池
寺の庭園の中心をなす。光秀の丹波攻めで荒廃したが、天岩明啓、弘厳玄猊の両禅師により再興した。

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池の横の石段を上り納経所へ

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階段途中の石地蔵
苔の生育に適した環境なので帽子状に生えている。

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納経所前の杉苔に積もった紅葉

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納経所に続く方丈
住職の住まいで庫裏も兼ねる。開山堂には歴代住職の位牌、開祖、中興祖の像が安置されている。

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方丈玄関

 寺の山号の天目は修行した元の山に由来しますが、

ここ高源寺は西天目、甲斐の栖雲寺は東天目と呼ばれます。

それは開山の業海本浄が遠谿禅師と同じく元で同じ師匠の元で修行したことに拠ります。

開山が元から持ち帰ったのが天目楓。

通常のイロハカエデよりも葉の切れ込みが深く早く紅葉するのが特徴ですが、

そのためここでは長い時期に亘って紅葉を楽しむことができます。

 紅葉の時期には全山が燃えると言われる程の景観を作り出し、

「ここは鬼気せまる禅機がみなぎり、身をおいただけで、胆を洗われる生気があるように思える。」

とは水上勉の評です。

尚、城主の足立姓は明治以降一般にも広まり、住民の4割は足立姓とはガイドさんの話。

信長の兵火では建物が燃えてしまいましたが、

再興に尽力したのが信長の子孫の柏原藩織田家と言うのも妙な仏縁を感じます。

再興した今は紅葉で山が燃えています。

青垣という地名は山に囲まれた盆地に由来。

境内で上を向くと赤の色彩ですが下を見ると至る所に杉苔が。

これが紅葉との見事なコントラストを成しています。

盆地特有の霧や湿度が苔の生育に好都合なのでしょう。

そういえば丹波の丹の字は赤い意味があります。

紅葉ばかりが言われる高源寺ですが『青丹良し』 の枕詞がより相応しい古刹。

思わず、萌え~!となりました。

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画僧雪舟が造園したとされる「大痩嶺」
中国の大痩嶺を象って樹木岩石が配置されている。

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境内最古の天目楓
開山が中国から持ち帰ったもの。

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虎溪泉に架かる三笑橋を渡り多宝塔へ
橋の名は中国虎溪にて三法師が虎の咆哮に大笑いした故事に由来し、大笑いして渡るとか。

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1790年に弘厳玄猊により再建された多宝塔(三重塔)
輪蔵という造りで毘沙門天を祀る。かつては中の階段を上ることができたが、いまは閉鎖。

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多宝塔近影
裳階が二重になっている。

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多宝塔を見上げる

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紅葉公園に続く坂から多宝塔を見返る

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坂の途中から境内を見る
正面の建物は食事処の「丹丘荘」。

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境内の紅葉公園のカエデ

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道を挟んだ向かいは満天星

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紅葉公園

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境内の石に生えた杉苔と紅葉
このような光景が至る所に見られる。

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境内の食事処「丹丘荘」
予約すれば精進料理が頂けるが、ツアーではスルー。

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高源寺説明書
これは道の駅「あおがき」にて入手。

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高源寺説明書
これは拝観時に頂いたもの。

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高源寺御朱印
これは7日に拝受した若い住職の墨書。ツアー当日は行列で15~20分待ちであった。

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神楽郵便局 ; 朝来連山、高源寺桧倉三重塔、浄丸の滝
青垣郵便局 ; 翁三番叟、紅葉

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昼食は道の駅たんばおばあちゃんの里にて

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西教寺(滋賀県大津市) 明智氏ゆかりの紅葉の寺院

2019.11.24(21:08) 489

最強メンバーと「麒麟が来る」の近隣、西教寺へ(2019.11.16)

<コース> JRは日中15分間隔で運転
JR大阪 → JR京都 → JR比叡山坂本 → 徒歩10分 → 日吉大社 → 徒歩10分 → 西教寺

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戒光山 兼法勝 西教寺(天台真盛宗総本山)

 日吉大社参拝の後は、北に700m程歩いて西教寺へ。

戒光山兼法勝西教寺(かいこうざんけんほっしょうさいきょうじ)は、

『聖徳太子が恩師の高句麗僧慧慈の為に創建。

その後、慈恵大師良源・恵心僧都源信が念仏道場とした。

その後荒廃したが、文明18年(1486年)に真盛上人が入寺し

恵心僧都の天台浄土教を発展させ天台真盛宗の本山とした。

信長の比叡山焼討ちでは災禍を被ったが、明智光秀・紀州徳川家に拠って再興された。』

とあります。

 明智光秀は2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公。私が子供の頃の50年前には、

明智光秀、石田三成と言えば戦国武将の中でも極めて評判が悪かった武将。

共に戦に弱かった事が原因でしょうが、今では共に善政を敷いた武将として評価が高まっています。

明智光秀は坂本に城を築いており、境内には一族の墓も。

おそらく坂本の持っている地政学的利点、加えて城壁には欠かせない穴太衆を擁する地だった事が理由でしょう。

知性がなければできない事ですが、このことで良い治世を行う事ができたとも言えます。

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総門

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総門前にある沢庵和尚の碑

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総門から続く紅葉のトンネル
春には下のサツキが花盛りになる。

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参道を上った先から総門方面を望む
両側には塔頭が並ぶ。

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塀越しに見る紅葉
境内の石垣も穴太衆か?

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参道正面にある勅使門

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勅使門脇の寺標
明治11年(1878年)建立。

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寺院の由緒記

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十三重石塔

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勅使門周辺の庭

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階段を上り本堂へ向かう

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重文・本堂
元文4年(1739年)落成の桁行七間、梁間六間、総欅入母屋造。用材は紀州徳川家からの寄進。

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明智光秀の塔
後方は二十五菩薩来迎群像。

 その後は、¥500を払って本殿、客殿、書院を拝観。

以前に来た時は、これほど広いイメージはなかったのですが、

そういえば拝観料を払わずに境内散策だけと思い出しました。

 本殿は江戸時代、客殿は桃山時代と時代の技術の粋を集めたものですが、それに加えて庭園が見事。

近江出身の小堀遠州作庭ですが、石積みも近江の穴太衆。これも地産地消というのでしょうかね。

 西教寺は来年の大河『麒麟が来る』 に所縁があるので、

地元出身の漫画家唐々煙(からからけむり)氏の劇画も展示。

光秀直筆の書面もありましたが、戦死した人の遺族には全て同じ額を贈っています。

こういう事からも光秀の性格が分かります。大河が評価の見直しに繋がると良いですが…。

 こうして日吉大社、西教寺の順に参拝。紅葉は少し早いかとおもいましたが、見応え十分。

特に紅葉と穴太衆の石積みや白壁とのコントラストが良かったかと思います。

樹木も気分も【こうよう】した一日でした。

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客殿を巡る板塀と唐門

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本堂廊下より見た重文・客殿
元、伏見城の客殿で慶長3年の寄進。桁行二十間、梁間八間、杮葺重屋根で南面を入母屋、北面を切妻とした桃山様式。

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中心伽藍の間の枯山水

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伽藍を結ぶ回廊から見た本堂(左)と客殿(右)

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小堀遠州作の客殿庭園
裏山の急傾斜の山畔部を巧みに利用し、丸刈・角刈の刈込を駆使した観賞庭園。

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客殿庭園
中央の池泉は琵琶の姿を取り入れた瓢型で小丘城を築いた二つの石組で構成されている。

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穴太衆庭園

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本坊廊下より見た穴太衆庭園

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裏書院庭園

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大本坊庭園
江戸初期の枯山水庭園。

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大本坊庭園
右奥に見えるのが本堂。

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大本坊庭園説明板

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宗祖大師殿
真盛上人を祀る。

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宗祖大師殿唐門

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唐門前から琵琶湖を望む
湖の奥に見えるのが三上山。

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参道へ階段を降りる

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階段途中から石垣と参道を見る

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西教寺説明書

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西教寺御朱印
「不断念仏」と墨書。

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日吉大社(滋賀県大津市) 世界遺産の比叡山麓に鎮座する紅葉の名所

2019.11.23(20:41) 488

秋の日良しに大社巡り(2019.11.16)

<コース> JRは日中15分間隔で運転
JR大阪 → JR京都 → JR比叡山坂本 → 徒歩10分 → 日吉大社

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日吉大社(山王総本宮)

 快晴の16日、高校の同窓と世界遺産の比叡山坂本へ。

昼食は「鶴喜そば」、超の字が着く人気店で10時台に早くも行列。

駅に早めに到着した方に順番待ちをして貰ったので待たずに入店できました。

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JR京都駅で湖西線に乗り換え
個性的な忍者トレイン。唯、忍者は湖西線ではなく草津線であるが…。

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昼食は鶴喜本店にて「にしん蕎麦」 ¥1,030
味は一番、電話は二番、店は角から三軒目、がキャッチコピー。

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食事の席から窓越しに見える庭園

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庭園近影

 食事の後は、西に進み突き当りの日吉大社へ。社伝に拠れば、

『崇神天皇7年に創祀された、全国3800余りの分霊社(日吉・日枝・山王神社)の総本宮。

東本宮の祭神は比叡山の山の神・大山咋神、西本宮は奈良の三輪山から迎えた大己貴神で、

大和朝廷と近江豪族の融和を意図した神社である。

平安遷都の際には、ここが都の鬼門にあたり、また最澄が比叡山に延暦寺を開創した事から、

神仏習合の聖地として崇拝を受けた。

信長の焼討ちに拠って灰燼に帰したが、その後復興して現在に至る。』 とあります。

 境内には猿が多く祀られていますが、猿は日吉大社の神のお使い。

「魔が去る、何物にも勝る」という言葉のゲン担ぎのようです。

以前に参拝した時には、塀の上を猿が走っていまいしたが、この日は見かけず。

その代わり、境内では猿回しのパフォーマンスが行われていました。

 大社の開創は地方との融和を図るというものですが、平安末期には度々都に強訴を繰り返し、

また権門特権を利用して利益を貪った事が、信長の焼討ちにつながったとも言えます。

 長く続く宗教は、創世記の形を変えることは珍しくありませんが、

初心を忘れるとしっぺ返しを食らうのも珍しくはないようです。

尚、秀吉の幼名は「日吉丸」として知られており、

猿顔に由来するのかと思いましたが、両者に【エン】はないようです。

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朱塗りの二の鳥居
この奥から拝観料 ¥300 が必要になる。

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山王鳥居
合掌鳥居とも呼ばれ神仏習合の信仰を表す独特の形をしている。

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重文・西本宮楼門

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国宝・西本宮本殿
天正14年(1586年)建立。日吉造という独特の形で、床下にはかつて仏事を営んだ「下殿」と呼ばれる部屋がある。

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境内での猿回しのパフォーマンス
これから最後の大技、八艘跳びに挑む所。

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鬱蒼とした樹木に囲まれた境内

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国宝・東本宮本殿

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日吉大社説明書

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日吉大社御朱印

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東本宮御朱印

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篠村八幡宮(京都府亀岡市) 足利高氏旗挙げの神社

2019.11.22(21:13) 487

源氏の崇拝篤い神社(2019.9.26)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺 → レンタサイクル20分 → 神蔵寺 → レンタサイクル20分 → 鍬山神社 → レンタサイクル15分 → 篠村八幡宮 → レンタサイクル15分 → 駅前レンタサイクル

【復路】JR亀岡(16:20)→ JR京都(16:49→16:59) → JR大阪(17:27)

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篠村八幡宮(祭神応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)

 鍬山神社参拝の後は、JR馬堀方面まで移動。

篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)は、社伝に拠れば

『延久3年(1071年)、勅宣によって河内国誉田八幡宮の神霊を都守護のために勧進したのが始まり。

元弘3年(1333年)、足利高氏が鎌倉幕府に叛旗を翻し六波羅探題を攻める際に、当社に願文を納めた。

これは今も現存している。

その時源氏の白旗を楊に掲げ、境内には諸将の納めた矢が塚の如く積み上げられたと

太平記にあるが、旗立楊や矢塚が境内にある。

室町時代は歴代足利将軍の庇護で栄え、明智光秀の丹波攻めで損害を受けたものの復興し、

江戸時代には歴代亀山城主の祈願所となった。』 とあります。

 創建翌年の延久4年の源頼義の寄進状が残って居り、

加えてこの地は頼義の荘園であった事から、勧進したのは源頼義とするのが妥当。

頼義直系の足利氏が旗揚げをこの地でしたのも、こうした理由ならば当然であったでしょう。

 歴史的上、ターニングポイントとなった場所ながら人は疎ら。加えて社務所も無人の様子。

歴史を偲ぶには十分ですが、やはり花がないといけないようです。

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9号線沿いにある案内板

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八幡宮入口

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八幡宮鳥居

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境内の様子

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拝殿

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本殿

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後方から本殿を見る

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本殿西側にある矢塚

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八幡宮北端にある旗立楊

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鍬山神社(京都府亀岡市) 亀岡随一の紅葉の名所の御朱印

2019.11.21(20:46) 486

鍬入れで湿地を回復(2019.11.15)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺 → レンタサイクル20分 → 神蔵寺 → レンタサイクル20分 → 鍬山神社

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鍬山神社(延喜式内社)

 神蔵寺に参拝後、市街地へ戻り昼食を摂った後、鍬山(くわやま)神社へ。

『和銅2年(709年)の創建。大己貴命(大国主命)を祀る鍬山宮と

誉田別命(応神天皇)を祀る八幡宮の二棟の本殿から成る。

 神代の昔、丹波亀岡は泥海であったため、大己貴命が自ら鍬を取って水を抜き沃野となった。

そこで命を祀り鍬山神社とした。』 とあります。

 現在地の場所からは想像できませんが、かつては西の竜ヶ尾山北麓の医王谷にあったそうなので、

それならば辻褄は合います。平安時代の医師丹波康頼が崇拝した神社でもありました。

 ここの祭礼は室町期から有名で明智光秀の入部で禁止となりますが、

慶長15年(1610年)に社殿が移築、延宝9年(1671年)には祭礼も復活。

今も【えんぽう】から人が訪れます。

 それよりもここは亀岡きっての紅葉の名所だそうで、

この時期だけは拝観料が必要ですが、多くの人が訪れていました。

境内は楓だけでなく満天星も真っ赤に紅葉しており、神社の朱塗りとともに赤づくし。

気分も【高揚】する参拝とはなりました。

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神社の石鳥居
但し、ここは社から1㎞程度離れた場所にある。

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道路に面して建つ鳥居と社標
社への入口はここから徒歩3分。

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神社入口
全体が燃えるような赤色に染まる。右手が駐輪場。

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赤一色の参道の入口

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地面に近い場所は満天星の赤色

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参道を進む

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参道風景
行く手の右手が神社

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神社正面の鳥居

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拝殿もみじ

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拝殿もみじ

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紅葉のトンネルの向こうに見える拝殿

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拝殿近影

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拝殿横から本殿を望む

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鍬山宮本殿

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本殿後方の紅葉のトンネル

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本殿後方の紅葉のトンネル

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八幡宮本殿側面の彫刻

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本殿後方の石灯籠の上の苔

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八幡宮前面の彫刻

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本殿周囲を巡る塀

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塀越しに見る紅葉

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境内の紅葉風景

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池端の紅葉

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池に掛かる紅葉

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安産石と大紅葉

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御朱印拝受中に社務所より拝殿を見る

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境内の紅葉近影

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鍬山神社由緒記

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鍬山神社御朱印

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昼食は神社近くの「うな一」にて

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上うな重 ¥2,700
関西風で注文を受けてから焼く。肝吸、骨煎餅、う巻付。

[参考書]

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神蔵寺(京都府亀岡市) 源頼政ゆかりの紅葉の古刹の御朱印

2019.11.20(22:45) 485

菰にくるまれ籠った佐伯の薬師様(2019.11.15)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺 → レンタサイクル20分 → 神蔵寺

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朝日山 神蔵寺(臨済宗妙心寺派)

 千手寺参拝後、山を下って「湯の花温泉」の看板を右に見て更に進んで山裾へ。

朝日山神蔵寺(あさひざんじんぞうじ)は、由緒記に拠れば、

『延暦9年(790年)、最澄が開創。比叡山で修行中であった最澄は、

西方に紫雲たなびき朝日に映じたこの山を望み、自ら来て一寺を建立したと伝わる。

 その後、治承4年(1180年)の以仁王の挙兵では、神蔵寺の僧兵も加わったため、

乱後は平氏により所領を没収。その際に源頼政の首はこの寺へ葬るべく持ち帰ったが果たせず、

途中に葬られたのが市内の頼政塚である。

後の嘉禎元年(1235年)に天台僧達玄(たつげん)僧都が来て7年越しに再興した。

 戦国時代には明智光秀の丹波攻めで焼失。唯、本尊の薬師如来と両菩薩は

村人が菰に包んで山奥の岩屋に隠したため難を逃れた。

承応2年(1653年)に願西に拠る再建で天台宗から浄土宗へ改宗。

更に延宝7年(1679年)には亀山城主松平忠昭が

妙心寺の高隠玄厚(こういんげんこう)を中興開山として招き臨済宗となった。』

とあります。

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駐車場から神蔵寺谷川に架かる見返り橋を渡り本堂へ

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山門脇の寺標
境内奥には紅葉のトンネルが続く。

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紅葉に包まれた山門

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山門から見た境内
正面の階段を上ると本堂

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紅葉越しに庫裏を見る
御朱印はこちらで拝受。丹波庫裏と呼ぶべきか?

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庫裏と紅葉の巨木

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納経所から境内を見る
前日の14日まで紅葉のライトアップがあったので観賞用の椅子が用意されている。

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本堂を巡る石垣

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本堂への石段を上る

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石段を上った先からの景色

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塀越しに紅葉を見る

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深紅の紅葉と庫裏の屋根

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本堂前から見た景色

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本堂周辺の庭園
紅葉の赤に加え杉苔の緑が映える。

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正面から見た本堂
但し、苦難を乗り越えた本尊と両脇立ちは平成8年竣工の「東方閣」へ移された。

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本堂前の賽銭箱

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賽銭箱の由来

 まさに【こういん】矢の如しと言う位の目まぐるしい変遷ですが、

標高460mの朝日山は比叡山の真西。

また湯の花温泉の源泉もある事から霊水として注目されたのでしょう。

横を流れる神蔵寺谷川から境内にかけて紅葉の名所。

加えて地面には杉苔や地衣類が繁茂しています。

伺った所では苔の手入れは一切されていないそうで、

盆地に囲まれ霧や水蒸気に拠る高湿度が生育にプラスになっているようです。

京都市内では苔の手入れは手間が掛かるという話ですから、

山一つ越えただけで随分と印象が変わるものだと実感しました。

無【じん蔵】とはいかないようですが…。

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本堂脇から紅葉のトンネルが続く

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本堂脇を抜けて高台へ
右手に流れるのが神蔵寺谷川。

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トンネルの上り始め

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トンネルから山門方面を望む

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谷川の両側の紅葉

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谷川に架かる朱塗り橋

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橋上から谷川上流を望む

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橋を渡ると山門脇へ出る

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境内各所に見られる杉苔上に落ちた紅葉

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神蔵寺由緒記

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神蔵寺御朱印

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千手寺(京都府亀岡市) 空海所縁の山中の古刹の御朱印

2019.11.19(20:57) 484

投げた独鈷はどこに?(2019.11.15)

<コース>
【往路】JR大阪(8:22) → JR京都(8:51→8:58) → JR亀岡(9:26)

駅前レンタサイクル → レンタサイクル40分 → 千手寺

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獨鈷抛山千手寺(臨済宗妙心寺派)

 九月に来年の大河『麒麟がくる』 に所縁の【近隣】の亀岡へ参拝しましたが、

走っている途中に気になる看板が…。

その時は時間切れで駄目でしたが、帰って調べると紅葉の名所の様子。

どうせならという事で霜月の中旬に亀岡再訪。

 湯の花温泉街入口にある薭田野神社の横の道を山に向かって走ると、

行く手の山中に山門らしきものが目に入りました。

 舗装道の先に寺標があり、そこから細道を更に1.2㎞。

相当な上りでしたが10分で山門下に到着。これも電動自転車の普及のお蔭。有難い事です。

 獨鈷抛山千手寺(とこなげさんせんじゅじ)は、縁起に拠ると

『大同2年(807年)の創建。空海が唐から帰朝の際、明州の海上から日本に向かって投げた独鈷が、

春日明神の神託でこの地にある事が判明。

白鹿が空海を独鈷の落ちた場所に案内して姿を消した場所に建立したのが始まり。

地名も鹿谷となった。祀られているのは空海作とされる千手観音。これが山号・寺号の由来である。

 開創後は真言密教の霊場として栄えたが、天慶の頃(938~947年)に戦乱のため焼失。

応永10年(1403年)になり蘭渓道隆の法孫止庵(しあん)が中興して臨済宗に改宗。

更に天正5年(1577年)、明智光秀と争った内藤備前守の陣となったため再び焼失。

明暦3年(1656年)に妙心寺の禅岩(ぜんがん)が再興し妙心寺派となった。』とあります。

 石段を上り山門前に立つと眼下に市街が見渡せます。

境内は名所と言われるだけあって紅葉は多くありましたが、本堂前の大銀杏が黄色の彩を添えています。

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行く手の山の中腹に見えるのが山門

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一般道の先にある寺標

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このような山道を1.2㎞上る

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石段下へ到着

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石段横は紅葉のトンネル

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自動車は紅葉のトンネルを通り寺務所前まで行く事ができる

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山門
入母屋造、一間一戸の鐘楼門

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山門近影
これは明治5年(1872年)に愛宕大権現の白雲寺の鐘楼門を移築したもの。

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山門説明書

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山門下から亀岡市曽我部地区を望む

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由緒記

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山門下から境内を望む

 境内を探すと御住職と思しき人が軽トラに乗って居られてので、御願いして無事御朱印拝受。話を伺うと、

和辻:「紅葉の名所と聞きましたが、観光客は少ないですね。」

住職:「不便な場所なので、滅多に来られないです。鹿がしょっちゅう現れて、境内の葉っぱを食べてしまうので…。」

空海を導いた白鹿の伝説があるように鹿は多いようでした。

唯、独鈷伝説については懐疑的で

住職:「高野山の三鈷の話の焼き直しでしょう」 との事。

台風被害を伺うと、

住職:「境内は無事でしたが、途中の道路が土砂で埋まって陸の孤島です。

なのでパワーショベルを運転して土砂を除かないと駄目ですわ!

道路も行き違いができないので、拡張したいんですが、私有地なのでなかなか…」

どこでも人出の少ない所は人手が足りないのは共通。観音様の千手も借りたい状況でした。

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境内の堂宇
手前から、虚空蔵堂、薬師堂、観音堂。

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観音堂前の大銀杏
樹齢は数百年らしい。

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大正10年(1921年)建立の観音堂
本尊千手観音を祀る。左の工事中の建物は旧観音堂で今は開基・弘法大師を祀っている。

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観音堂前の彫刻

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書院と思いきやここが本堂らしい

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杉苔と紅葉
山に囲まれた盆地のため湿度が保たれる。

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寺務所前の紅葉越しに山門を見る

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紅葉のトンネルと石垣

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千手寺説明書

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千手寺御朱印

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2019年11月
  1. 常勝寺(兵庫県丹波市) 追儺式で有名な山南屈指の紅葉の古刹(11/30)
  2. 石龕寺(兵庫県丹波市) 仁王像が守る足利氏ゆかりの岩窟の古刹(11/29)
  3. 高山寺(兵庫県丹波市) 頼朝ゆかりの紅葉のトンネルの寺(11/28)
  4. 達身寺(兵庫県丹波市) 丹波の正倉院の御朱印(11/27)
  5. 圓通寺(兵庫県丹波市) 将軍・関白ゆかりの紅葉の名刹(11/26)
  6. 高源寺(兵庫県丹波市) 天目楓が美しい丹波の紅葉名所(11/25)
  7. 西教寺(滋賀県大津市) 明智氏ゆかりの紅葉の寺院(11/24)
  8. 日吉大社(滋賀県大津市) 世界遺産の比叡山麓に鎮座する紅葉の名所(11/23)
  9. 篠村八幡宮(京都府亀岡市) 足利高氏旗挙げの神社(11/22)
  10. 鍬山神社(京都府亀岡市) 亀岡随一の紅葉の名所の御朱印(11/21)
  11. 神蔵寺(京都府亀岡市) 源頼政ゆかりの紅葉の古刹の御朱印(11/20)
  12. 千手寺(京都府亀岡市) 空海所縁の山中の古刹の御朱印(11/19)
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