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善福院(和歌山県海南市) 初期の禅宗様式の釈迦堂

2020.07.30(22:21) 669

広福から善福へ(2020.6.29)

<コース> 紀州路快速は15分間隔、紀勢本線は30分間隔で運転
JR大阪(7:05) → (紀州路快速) → JR和歌山(8:27→8:41) → (紀勢本線) → JR海南(8:55) → 海南市物産観光センター → レンタサイクル40分 → 善福院

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宝遊山 広福寺 善福院 釈迦堂(天台宗)

 梅雨の合間に梅の里の紀州へ。世界遺産となった熊野古道・高野山が有名ですが、

何故か和歌山市のすぐ南の海南市下津地区には国宝が二ヵ寺。

 最寄駅はJRの加茂郷と下津ですが、どちらも駅から数キロある上に電車は30分毎。

それならばとJR海南駅構内の観光センターでレンタサイクル。

和歌山は起伏のある場所が多いですが、それも考慮して電動式。

二駅分の移動でトンネルも何ヵ所かありましたが、途中休憩することなく到着。

加茂郷駅手前を川に沿って東へ行き少し上った所が目指す寺院。

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道路沿いの案内板

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入口に到着

 宝遊山広福寺善福院釈迦堂(ほうゆうざんこうふくじぜんぷくいんしゃかどう)は、縁起に拠ると

『1214年、日本に臨済宗を伝えた栄西禅師により創建された広福禅寺が嚆矢。

室町時代後期にはこの地の豪族であった加茂氏の菩提寺に指定され、

七堂伽藍を有する大寺院として繁栄するが、豊臣秀吉の征伐に拠って加茂氏は没落。

広福禅寺も次第に廃れたので、高野山に頼って真言宗に改宗し寺の再興を計った。

 更に江戸時代、紀州に徳川家が入り、紀州徳川家の菩提寺候補になった際に、

紀州徳川家の命により真言宗から天台宗に改宗した。

 明治の廃仏希釈により衰頽し、子院であった善福院が広福禅寺の本尊及び釈迦堂等、

山内全てを管理する事となり、それ以降、善福院と呼ばれるようになった。

 釈迦堂は嘉暦2年(1327年)に建てられた禅宗様式の仏殿で、

全国で二番目に古く国宝に指定されている。』 とあります。

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石段を上る

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石段の先に見える寺院

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国宝・釈迦堂

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釈迦堂説明

 木々に囲まれた石段を上ると、釈迦堂が正面に。御朱印を御願いすると、

堂内の拝観と御住職が説明して下さいました。(拝観料¥200)

 元々、禅宗様式の建物ですが、他の禅宗様式の仏殿と異なる箇所が多い。

その理由として、日本に禅宗様式が定着する以前の、

中国直系に近い建物なのではないか? というのがその理由でした。

 内外観ともに妙心寺や大徳寺の仏殿に似ていますが、他宗派ながら

萬福寺に似たイメージがあるのはそのせいかと納得した次第。

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釈迦堂前面

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連子格子

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釈迦堂側面

 普通は密教系から禅宗・浄土系に改宗するのが多いですが、ここは逆。

加えて高野山の影響が強かった紀州で禅宗初期の大伽藍が建てられたのも不思議です。

御住職から伺った話では、

住職;「紀伊由良にある興国寺を高野山が再興させる際に、宋から帰朝した法燈国師に依頼したのですが、彼は禅宗の寺として再興しました。」

和辻;「裏切られたようなものですが、よくそれで揉めませんでしたね。」

住職;「むしろ高野山は禅宗を庇護していたようで、敵対はしていなかったようですね。」

和辻;「その影響で、ここにも禅宗の大伽藍ができた訳ですね。」

住職;「ええ。唯、当初は今の和歌山城付近にあったようで、寺名のある瓦が出土しています。」

和辻;「お城からここは離れていますね。辺鄙ですし…。」

住職;「中世以前の和歌山市内は紀ノ川の蛇行で湿地も多かったようです。それにこの下津地区は港として古くから栄えた場所だったので選ばれたのでしょう。」

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釈迦堂の垂木部分

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「廣福禅寺」の文字を表した瓦

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釈迦堂内部の床
禅宗様式の礎盤上に立つ柱。床は石ではなく瓦製である。

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釈迦堂内部の天井
奥に見えるのが火打梁

 宗派が異なると争いばかりしていると考えたのは浅薄。

改宗しても建物を【改修】しないのは寛容さの表れ。【ぜんぷく】の信頼を置いていたのでしょう。

また紀伊国屋文左衛門が船出したのも下津港。今の交通事情で考えてはいけないと言う事です。

ここに国宝が二ヵ寺残っているのも理由がありました。

和辻;「この辺の字は梅田ですか?梅はなくて蜜柑ばっかりですが。」

住職;「昔は梅もあったようです。蜜柑はこの東にある場所が発祥の地で、橘本(きつもと)神社はお菓子の神様として田道間守(たじまもり)を祀っていますよ。今でも菓子メーカーがお参りに来ます。」

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境内からの眺め

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善福院の歴史

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善福院御朱印

 田道間守は垂仁天皇の御世に常世の国から非時香菓(ときじくのかくのみ)を持ち帰った人物。

これが橘の木で蜜柑と言われます。

 田道間守は但馬出身ともされ但馬にも菓子を祀る神社がありますが、

気候的に考えて但馬は蜜柑栽培にはやや不向き。

ここ下津になったのは【お菓子】くも【紀伊】でもないと【すいにん】できます。

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加茂郷郵便局 ; 国宝・善福院釈迦堂、国宝・長保寺多宝塔、ミカン畑

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塩津港

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昼食 しらす丼 ¥650
郵便局で教えて貰った地元塩津のしらす加工工場 「魚与水産」にて。

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布忍神社(大阪府河内松原市) 地名の由来となった神社

2020.07.28(20:56) 668

旧事より御神籤(2020.6.27)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 富田林 → 富田林駅前(8:20) → (金剛バス東條線) → 龍泉(8:35) → 徒歩15分 → 龍泉寺 → 咸古神社 → 龍泉(10:14) → (金剛バス東條線) → 富田林駅前(10:29) → 富田林 → (近鉄南大阪線) → 布忍 → 徒歩5分 → 大林寺 → 徒歩2分 → 布忍神社 → 布忍 → (近鉄南大阪線) → 阿部野橋

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布忍神社(旧村社)

 駅で下車して思ったのが布忍(ぬのせ)の駅名。なかなか「ぬのせ」と読むのは難しい。

その地名の由来という事で、宮橋を渡り布忍神社へ参拝。

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西除川に架かる朱の宮橋

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宮橋を渡った所に立つ鳥居
ここが表と思いきや正門は反対側に…。

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鳥居下から宮橋を見返る

 布忍神社(ぬのせじんじゃ)は、

『創建の年代は定かではないが、ここから北へ2㎞の天見丘から

祭神をここへ白布を敷いて迎えた。

それに拠ってこの地を布忍、村里を向井と呼ぶようになった。

『日本書紀』の景行天皇の条に「布忍入姫命」、

『新撰姓氏録』の河内国皇別に「布忍首」

の記載があり、当社との関連性が指摘される。』 とあります。

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こっちが神門

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布忍神社由緒

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神門に続く鳥居

 「ぬのせ」は平安以前に遡る由緒ある名前、加えて良い意味を持った言葉と言う話でした。

仏像も布に包んだ記録がありますし、海外でも聖画布があるので

宗教的なものを布で包む事は万国共通なのでしょう。

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正面から見た拝殿
手前に結界を示す縄がある。

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拝殿の扁額は宇治萬福寺第五世高泉禅師の揮毫

 地名にもなった古社ですが、駅には神社への道順を記した張り紙が至る所に。

不思議に思いましたが参拝して納得。女性グループやカップルが並んでおみくじを引いていました。

 なんでもここの「恋みくじ」はネット上で評判になり訪れる人が後を絶たないとか。

話題のアーティストとコラボした作品で、ユーモア・辛辣な内容の【濃いみくじ】が受けているようです。

これで皆が【来いみくじ】となれば良いですが…。

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桃山風様式が見られる本殿
修理時に側面に狩野探幽とされる絵が発見された。

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境内遠景

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布忍神社御朱印

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大林寺(大阪府河内松原市) 歴史に消えた大寺院の遺品を受継ぐ寺院

2020.07.27(21:59) 667

今一歩、国宝に手の届かなかった観音様(2020.6.27)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 富田林 → 富田林駅前(8:20) → (金剛バス東條線) → 龍泉(8:35) → 徒歩15分 → 龍泉寺 → 咸古神社 → 龍泉(10:14) → (金剛バス東條線) → 富田林駅前(10:29) → 富田林 → (近鉄南大阪線) → 布忍 → 徒歩5分 → 大林寺

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布忍山 大林寺(融通念仏宗 河内西国三十三ヵ所第五番札所)

 龍泉寺巡礼を終えて、駅前のレンタサイクルを利用して番外札所高貴寺に向かうつもりでしたが

コロナのためまさかの休業。コロナ明けまで待つことに。

 富田林駅から準急に乗って河内松原駅で普通に乗換え、二駅目の布忍で下車。

北に少し向かい西徐川沿いに建つのが目指す札所。

朱塗りの宮橋の向こうは布忍神社という位置になります。

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門前へ到着
朱色の端の向こうは布忍神社。

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山門前にて

 平成12年にリニューアルした堂宇からは想像もつきませんが、平安・室町時代の仏像、

江戸時代の般若心経等、貴重な遺物が残ります。それは何故かと尋ねたら、

 布忍山大林寺(ふにんさんだいりんじ)は、寺伝に拠れば、

『かつて、川の向こうに永興寺(ようごうじ)と言う大伽藍があった。大林寺に残る記録では、

堀川天皇の御願に拠って寛治3年(1089年)に永興律師が建立した布忍寺が嚆矢。

後の弘安年間に中興されと開山の名を採って永興寺呼ばれるようになった。

 その後も元禄3年1690年に再興され衰頽と復興を繰り返すが、

廃仏毀釈で明治6年に廃寺となる。その後、本堂が柏原市法善寺の壷井寺へ、

本尊の十一面観音等いくつかの所蔵品がここ大林寺に移された。

十一面観音立像は永興寺の本尊で、平安後期の檜の一木造である。』 とあります。

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由緒

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山門から見た境内
正面が本堂で左が聖天堂。

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本堂近影

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本堂前面の造り
平成12年にリニューアルされた。

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本堂の屋根瓦
永興寺跡から出土した平安後期の八葉蓮弁の復元である。

 山門を入れば、左手に聖天堂、正面にはすぐ本堂。

御朱印を御願いすると、御住職が対応下さり、本堂の扉を開けて下さいました。

 正面が今の御本尊の阿弥陀如来。左の厨子にあるのが十一面観音立像。

傍まで行き拝観できましたが1.7mの等身大という事もあり阿弥陀様よりも迫力がありました。

時代的にも美術的にも国宝・重文クラスと思いますが、手と足が後世に造られたものだったので指定されず。

しかし河内西国の仏像の中では群を抜いたお姿のため、巡礼掛け軸の中央に描かれているそうです。

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御本尊の十一面観音菩薩(説明書より)

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庫裏の扁額

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聖天堂

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聖天堂横の宝篋印塔

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本堂前の仏足石

 本堂の内陣を拝見すると上には極彩色の欄間が。内容は中国の二十四子孝。

最近の作のように思ったので伺うと、市内の職人さんの作。なんでも松原には

大阪欄間の伝統があって、今でも市内に一軒伝統工芸士の方が居られるとか。

てっきり北陸の井波から来られたとばかり思っていたので驚きでした。

後継者も居られるようなので、今後も楽しみです。

接する堺市には刃物の伝統があるのも大きかったのでしょう。

まさに【快刀欄間を断つ】です。

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本堂内陣の欄間

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本堂内陣の欄間

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大林寺説明書

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大林寺御朱印

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咸古神社(大阪府富田林市) 龍泉寺の鎮守様

2020.07.26(20:16) 666

雨期、我を寂しがらせよ(2020.6.27)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 富田林 → 富田林駅前(8:20) → (金剛バス東條線) → 龍泉(8:35) → 徒歩15分 → 龍泉寺 → 咸古神社 → 龍泉(10:14) → (金剛バス東條線) → 富田林駅前(10:29)

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咸古神社(式内社 旧村社)

 龍泉寺の北側を進み、鳥居の先にあるのが咸古神社。

咸古神社(かんくじんじゃorこんくじんじゃ)は、

『弘仁14年(823年)の創建。空海が龍泉寺を再興する際に、

現れた老人の言に従い牛頭天王を祀ったのが嚆矢。

空海は7日間の祈祷を行ったところ、7日目の夜半に龍が現れて大雨が降り、

明け方には大池と三つの小島が出来ていた。

空海はその島に聖天・弁財天・叱天を祀った。すると再度、地主が樵夫の姿で現れ、

「この後方の、小高い場所が薬師如来の地である。」

と述べたので、その場所に牛頭天王を鎮守とし祀った。

江戸時代までは龍泉寺の鎮守であったが、明治の神仏分離に拠り独立し、

式内・咸古神社となった。』 とあります。

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龍泉寺山門東に建つ鳥居

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寺の北側にある朱の鳥居

 咸古とは「咸(すべて)古い」の意味でしょうが、龍泉寺創建と同じ時期のようでした。

再興に際し牛頭天王を祀ったメインの社ですが、寺院に比べて敷地も狭く無人。

明治の神仏分離は神社には追い風だった筈ですが、あまり影響のなかったところもあったようです。

【困苦】という名前が良くなかったとは思いませんが鴬の鳴き声の響く境内では閑古鳥が鳴いていました。

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正面から見た拝殿

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本殿の屋根部分

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龍泉寺(大阪府富田林市) 山腹に泉が湧き出る古刹

2020.07.25(22:56) 665

古池や龍が棲み込む水の音(2020.6.27)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 富田林 → 富田林駅前(8:20) → (金剛バス東條線) → 龍泉(8:35) → 徒歩15分 → 龍泉寺

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牛頭山 醫王院 龍泉寺(高野山真言宗 河内飛鳥古寺霊場第十一番)

 以前、参拝した瀧谷不動尊は弘法大師が龍泉寺に参籠した際に開いた寺院。

調べてみると龍泉寺は今も富田林市内に残っており、重文の仁王門と庭園がある模様。

そうなると行かねばならぬと言う訳で再度南河内まで巡礼。

 富田林駅から1時間に2本のバスに乗車。行先は甘南備ですが一本道なのでカーナビは不要。

その名も龍泉バス停で下車。周囲の字も龍泉で、この地域きっての古刹だという事が分かります。

道路の西は標高281mの岳山(だけやま)が迫っており、

バス停から西へ800m程坂を上った山腹にあるのが龍泉寺。

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バス停にある道標

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バス停から坂道を上って寺院へ

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山門付近から下界を望む

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入口へ到着
門柱の奥は駐車場で更に奥に参道がある。

 牛頭山醫王院龍泉寺(ごずさんいおういんりゅうせんじ)は、縁起に拠れば

『推古天皇2年(595年)、勅命に拠って蘇我馬子が創建。

昔この地に古池があり、そこにすむ龍が人々に被害を与えていた。

馬子は救済にための修法を行ったので龍は退散。そこで

馬子は聖徳太子と共に寺院を建て仏法の興隆に務めた。

それ以降、奈良時代の後期まで金堂・東西両塔などが整備されたと言われる。

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駐車場にある年期の入った案内図

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龍泉寺参道
手前は躑躅と桜、奥に進むとカエデが広がる。

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参道右手の本坊寺務所

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山門を進み仁王門へ

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仁王門下から参道を振り返る
秋には真紅に染まる。

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重文・仁王門(八脚門)

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仁王門の「牛頭山」の扁額

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鎌倉時代作の金剛力士阿像

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仁王門の妻部分
鎌倉時代の建築だが肘木を突出する奈良時代の様式を踏襲している。

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境内から見た仁王門

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仁王門から見た本堂

 ところがその後、池の水が枯渇し付近にも水が湧かず寺は衰頽。龍の祟りと噂された。

弘仁14年(823年)、この地を訪れた空海の前に老人が現れ

「我はこの地主牛頭天王である。汝はここにとどまり霊地を再興せよ。」

と告げて忽然と消えた。

 空海は7日間の祈祷を行ったところ、7日目の夜半に龍が現れて大雨が降り、

明け方には大池と三つの小島が出来ていた。

空海はその島に、聖天・弁財天・叱天を祀り牛頭天王を鎮守とし、

寺を再興した。この池が今も境内に残る名勝庭園である。

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仁王門から続く参道と本堂
両脇には満天星、百日紅が植えられている。

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龍泉寺由緒記

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本堂近影

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本堂前面
現在修理中とか。

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本堂の扁額

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本堂から仁王門を見る

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横から見た本堂

 天長5年(828年)には淳和天皇の勅願で堂宇が完成、本尊を薬師如来とし龍泉寺醫王院と称したとされる。

建治元年(1275年)には金剛力士像が作られ、それ以前に造られた仁王門(八脚門)に収められた。

 25の堂舎が存在したとされるが、南北朝時代には岳山山頂に龍泉寺城が築かれたため、戦禍に遭遇。

仁王門を残して焼失した。応仁の乱では畠山氏の家督争いのため立ち直りの機会を逸している。

江戸時代になって地元白木藩主石川氏代々の崇敬を受け、ようやく堂宇が整ったが

盛時の勢いには及ばず今に至る。』 とあります。

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本堂から見た聖天堂
現在、仮本堂とある。

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聖天堂近影

 木漏れ日の射す参道を進み階段を上ると本堂。

境内には伝説に由来する池があり、今でも満々と水をたたえています。

参道の左側には躑躅・紫陽花などの庭園が広がっていますが、これも豊富な水の所以でしょう。

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龍泉寺庭園
浄土式庭園として名勝に指定されている。

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庭園説明

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南側から池と島を見る
手前が叱天、中央が弁天を祀る祠がある。

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中央の島には弁天を祀る

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弁天祠
桃山時代の春日造である。

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左側の島は叱天を祀る

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右側の島は聖天を祀る

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北側からの眺め

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池越しに見る聖天堂

 寺院はかなり坂を上った先にありますが、このような高所で水が得られるのは珍しい状況。

元弘2年(1332年)、ここに城を築いた楠木正成は弟の正季(まさすえ)を城主に据えます。

ここの地政学的重要性に注目したのは慧眼。正季は龍泉殿と呼ばれますが、これも水源の重要性故でしょう。

唯、重要性だったために戦火は免れなかったわけで、仁王門だけでも残ったのは奇跡的と言えましょう。

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池の北にある杉の巨木と八大龍王

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八大龍王近影
空海が龍王を祀った「雨乞井戸」である。

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本堂右手の行者堂

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塔の礎石

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紫陽花と観音像

 境内は四季を通じて花に彩られるように作庭されていますが、今の時期は紫陽花。

御住職が掃除をされていましたが、

「国の名勝庭園は専門業者に入って貰わないといかんので、大変ですわ!」

と言われたのが心に残りました。

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伝・尊性法親王御墓
後醍醐天皇皇子で貞治元年この地で逝去。ここにも南北朝の悲劇が…。

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鐘楼

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龍泉寺説明書

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龍泉寺御朱印

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富田林郵便局 ; 重文・龍泉寺仁王門、楠、獄山

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西琳寺(大阪府羽曳野市) 河内古代仏教文化の中心寺院

2020.07.24(16:37) 664

古代の街道の交差点に建つ古刹(2020.6.12)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 滝谷不動 → 徒歩15分 → 瀧谷不動尊 → 滝谷不動 → (近鉄長野線) → 富田林西口 → 徒歩5分 → 浄谷寺 → 徒歩10分 → 富田林 → (近鉄長野線) → 駒ヶ谷 → 徒歩5分 → 大黒寺 → (近鉄南大阪線) → 駒ヶ谷 → 古市 → 徒歩5分 → 西琳寺 → 古市 → (近鉄南大阪線) → 阿部野橋

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向原山 西琳寺(高野山真言宗 河内飛鳥古寺霊場第七番札所 聖徳太子霊跡第四番札所)

 河内巡礼の後は再び古市まで戻って下車。駅から竹内街道を東へ進み、

南北に走る東高野街道と交わった古市四ッ辻を北東へ行くと西琳寺。

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古市四ツ辻に建つ道標

 向原山西琳寺(むこはらさんさいりんじ)は、寺伝に拠れば

『古市寺とも言われ、大臣蘇我稲目が仏寺を建立して向原寺(むこはらでら)と称した、

或いは559年に勅願で文首(ふみのおびと)の阿志古が建立したなどと伝わるが、

同様の内容は大和飛鳥の向原寺(向原山豊浦寺)にもある。

恐らく欽明朝の頃、実力者蘇我稲目の部下であった西文首(かわちのふみのおびと)が

自宅の一部を仏堂として非公式に仏教を信仰していたと一般には考えられている。

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山門前にて
かつての門は南へ開いていたが、現在は西。

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山門前の石標
欽明・桓武天王勅願所とあるのが凄い。

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由緒記

 西文氏は我が国に論語と千字文を伝えたとされる王仁博士の末裔。

彼の一族は河内古市を本拠地とし白鳳時代には西琳寺は西文氏の氏寺として発展した。

天平15年(743年)の資材帳には七堂伽藍を有した大寺であったとあり、

昭和24年の発掘調査でも法起寺式伽藍配置である事が証明された。

 境内は今より遥かに広大で、竹内街道に面して南門が開いていた。

竹内街道は難波から大和飛鳥まで続く交通の要衝であったので、

有力な渡来人は街道沿いに氏寺を建立したと考えられる。

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山門から境内を見る

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戦後再建された本堂

 鎌倉時代に惣持上人らに拠って中興され、弘安4年(1281年)の太政官符では

広大な寺域を指定され非常に反映したが、天正年間の兵火に拠って大半を焼失。

江戸時代には復興し、河内名所図会にも「日本最初の仏教地」と記載されているが、

明治時代の神仏分離の影響で一小堂を残すのみで現在に伝わる。』 とあります。

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本堂前面

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本堂扁額
本尊は薬師如来である。

 今の寺域からは想像もつきませんが、かつてはこの地を代表する寺院。

境内の左手にある巨石は五重塔の心礎、その奥にある五輪塔は

当寺の奥之院に当たる高屋宝生院跡から戦後発見されたもの。

前者は7世紀末、後者は鎌倉時代のものなので伝承の正しさを証明しています。

 南朝の後村上天皇は側近から献上された西琳寺の梅の花に

「再起」の思いを託して歌を詠んでいます。

繁栄している名刹に肖ろうとしたのではありましょうが、寺はその後、衰退し、

南朝も北朝に合併される運命でした。

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本堂より見た境内

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五重塔心礎
地中に埋没していたが戦後発見された。

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高屋宝生院の五輪塔

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五輪塔説明

 御朱印を御願いすると年配の住職夫人が対応下さいました。

和辻;「お寺の説明書はあるでしょうか?」

夫人;「説明書は現在切らしていますが、昔、市立美術館に出したパンフがあると思います。」

と「河内飛鳥古寺 霊場のしおり」を頂きました。

前書きを執筆されているのが先年、百歳で亡くなった直木孝次郎氏で、

大阪市立大学教授という肩書に時代を感じます。

発行は古いですが、内容は今でも十分通じるもの。

当時は、今ほど古寺・巡礼ブームではなかったでしょうから、

これだけ余剰が出たのでしょう。今では考えられない話です。

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河内飛鳥古寺 霊場のしおり

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「霊場のしおり」 の西琳寺の頁

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西琳寺御朱印

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大黒寺(大阪府羽曳野市) 大黒天発祥の寺

2020.07.21(21:09) 663

大黒寺の大告示(2020.6.12)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 滝谷不動 → 徒歩15分 → 瀧谷不動尊 → 滝谷不動 → (近鉄長野線) → 富田林西口 → 徒歩5分 → 浄谷寺 → 徒歩10分 → 富田林 → (近鉄長野線) → 駒ヶ谷 → 徒歩5分 → 大黒寺

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天童山 大黒寺(曹洞宗 河内西国三十三ヵ所第八番札所)

 寺内町を散策後は古市まで北上して橿原神宮方面へ1駅の駒ヶ谷で下車。

古市は石川の西岸にあって大阪府下でも最も早く文化が発達した場所。

堺市と共に百舌鳥古市古墳群として世界遺産に登録されたのも頷けます。

 古墳時代を経て飛鳥時代の遺跡も豊富、駅名の駒ヶ谷も聖徳太子が諸国巡礼の折に

この付近で黒駒を停めて休息した事に由来するそうです。

札所は駅からブドウ畑を左右に見て徒歩5分。石川の東岸の大黒(おおぐろ)と言う字にありました。

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白い塀に囲まれた大黒寺
ブドウ畑を抜けた先にある。

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入口付近にて

 天童山大黒寺(てんどうさんだいこくじ)は、略縁起に拠ると

『天智天皇4年(665年)、役行者が金剛山で修業中に雲の中から大黒天が出現し

「お告げ」をした。役行者はそのお告げに従い桜の木で大黒天を造り、

一筋の光明で示された地に小堂を建て安置したのが始まり。

 初めは修験道であったが空海に拠って真言宗になり、

その後、大乗寺29代・密山道顕和尚に拠り禅宗となった。

以後、河内西国巡礼はもとより日本最古の大黒天の寺として信仰を集めている。』

とあります。歴史のある羽曳野ですが、我が国の大黒天の発祥がこことは初耳。

山門前にはその旨を記した看板が大告示されていました。

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山門近影
コロナの影響で閉鎖中かと思ったが、拝観可能。

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山門前に掲げられた由緒

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山門から見た境内
左が大黒様を祀る大黒堂。

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庫裏と境内に建つ七福神の石像

 境内に入ると、最も奥にあるのが石像の大黒天で、

庫裏手前にはその他の七福神の石像がありました。

いずれも福をもたらす神様で広く庶民に人気のある神様。

その大黒様のお告げの骨子は

・我は天竺のマカキャラ天、日本では大黒天と称す
・左の袋に一切の福徳を納める
・右手の槌は諸々の災難を除き、宝福を打ち出す
・親孝行、子孫繁栄、病気平癒、武運長久、商売繁盛の五福を授ける
・家の中心の柱を大黒天と思い大切にすれば一家が栄える

大黒柱の語源のような記述もありますが、ほぼ良い事ずくめ。

やや出来過ぎた感もありますが、庶民には受け入れやすい素地ではあります。

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大黒堂近影

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大黒堂前面
内陣には入れず外から参拝。

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境内の奥にある石造りの巨大な大黒様

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庫裏の前に立つ七福神の三神

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その向かいに立つ三神

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六福神?の脇にある清代の梵鐘

 役行者が修行したのが金剛山、そこを源として寺の横を流れるのが石川。

甲子の日には大黒様に似た自然石が石川を流れて大黒寺の前に付くという伝承もあるとか。

 役行者の氏である葛城氏の本拠地と石川の水運の関係。そこで出会ったインドからの

渡来僧という史実が大黒天の伝説を生んだというのは飛躍しすぎでしょうか?

 御朱印を御願いすると御住職が対応して下さいました。

和辻;「本堂の大黒様はどんな御顔ですか?大和の松尾寺の大黒様は憤怒でしたが…。」

住職;「丁度、憤怒と笑顔の中間と言った所でしょうか。」

元々インドでは怒りを含んだ怖い表情の神が多い気がしますが、

日本に伝わる際に、表情も優しく変化したのかもしれません。

 ここは河内西国札所なので観音様ですが、大黒様が前面に押し出されて、

観音様は奥に祀られて居られます。それも慈悲の心でしょうか?

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大黒堂の脇を通り講堂へ

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最奥にある観音堂
この向かいにあるのが大黒様の石像

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大黒寺の歴史

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大黒寺御朱印

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興正寺別院(大阪府八尾市) 富田林別院と寺内町

2020.07.20(22:42) 662

大阪府下唯一の重要伝統的建造物群保存地区(2020.6.12)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 滝谷不動 → 徒歩15分 → 瀧谷不動尊 → 滝谷不動 → (近鉄長野線) → 富田林西口 → 徒歩5分 → 浄谷寺 → 徒歩10分 → 富田林

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興正寺別院(浄土真宗興正寺派)
手前にあるのは重文・鐘楼。

 札所参拝の後は富田林駅まで徒歩で向かいますが、少し回り道をして寺内町散策。

寺内町発展の中心となったのが興正寺別院(こうしょうじべついん)。

『戦国末期この場所は、河内古市城主・三好一族の支配下にあった富田芝という荒地であった。

そこに永禄元年(1558年)、京都興正寺の証秀上人が永楽銭100貫文で四町四方の原野を購入。

中央部には毛人谷にあった小堂を移転し、立派な本堂として再営。

近隣の四ヵ村の名主に協力を依頼して開発と区画整理を実施し、

数年後には寺内町を形成。希望者を移住させる事で寺内町として発展してきた。

 現在の表門は伏見城の城門を貰い受けたもので、本堂には

伝春日仏師作・阿弥陀如来像と宗祖・親鸞聖人の御影が安置されている。

 当初の寺内町は周濠を巡らし、町割りは碁盤の目状に区画されていた。

町政を担当したのは四ヵ村から選出された八人衆と呼ばれる町年寄で、

その筆頭が杉山家である。』 とあります。

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伏見城の表門を移築した表門(重文)
工事中のため右側のみ撮影。

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由緒記

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重文・御成門
安政4年(1857年)頃の移築で切妻造り・本瓦葺。

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重文・本堂
寛永15年(1638年)建立で入母屋造・本瓦葺。

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安政3年(1856年)建立の重文・対面所

 真宗の寺院を中心に発展したのは奈良の今井、八尾の久宝寺と同じ。

富田林は大阪府下で唯一の重要伝統的建造物群保存地区になっており、

表門初め重要文化財の建造物も6棟。拝観を期待しての訪問でしたが、

コロナのためまさかの閉門。

門徒も多い真宗は門戸も開かれていますが肺炎には勝てないようでした。

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重文・鼓楼
18世紀後半に建立され、文化7年(1810年)に現在地へ移転。奥に見えるのは杉田家。

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城之門筋北側から興正寺のある南側を望む

 興正寺のある城之門筋は江戸・明治・大正の三時代が混然となった街並みが特徴的。

家の造りの重厚なことも共通でしたが、今井・八尾・富田林は城下町ではなく

江戸時代を通して年貢が四公六民だった事がこのような街並みを残したと言えそうです。

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町の南側にある仲村家住宅

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木口家

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木口家屋根の気抜き

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木口家住宅説明板

 この興正寺を中心に東西400m、南北350mが寺内町で、600軒の町屋の内、

250軒程が伝統的町屋。奈良の今井町と異なり環濠は残っていませんが町割りは健在。

八尾市内の別院が広大な敷地を有していたのに比べると

富田林は少し狭く感じましたが、これは寺内町の大きさに拠るのでしょう。

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杉田家住宅

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町屋を利用したお店

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町屋を利用した御宿
当然、限定〇組と予想できるが最近はこのような宿の人気が高い。

 江戸時代に造り酒屋として繁栄した杉山家は重要文化財。

明星派の石上露子(いそのかみつゆこ)の実家でもあります。

町屋で公開されているのは杉山家のみですが、他の町屋も外来者を拒否する様子は微塵もなし。

私もたまたま田守(たもり)家の御当主が表に出て居られたのでお話を伺うことができました。

元来は外敵から自衛する目的で出来た寺内町の面白さ。

わたしも歴史の街をブラ【田守】した一日でした。

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重文・杉山家住宅
四層の美しい屋根が特徴的。

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杉山家説明板

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石上露子略記
若い頃の写真であるが、夭逝した訳ではない。

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田守家住宅

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田守家住宅説明板

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近鉄富田林西口駅スタンプ

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浄谷寺(大阪府富田林市) 寺内町の一画を占める札所

2020.07.19(11:58) 661

御本尊と二尊が祀られたお寺(2020.6.12)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 滝谷不動 → 徒歩15分 → 瀧谷不動尊 → 滝谷不動 → (近鉄長野線) → 富田林西口 → 徒歩5分 → 浄谷寺

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半偈山 三仏院 浄谷寺(融通念仏宗 河内西国三十三ヵ所第十六番札所)

 瀧谷不動尊巡礼を終えて、電車で富田林寺内にある札所を巡礼。

富田林駅から徒歩で行ける伝統的建造物群ですが、富田林西口駅の方が最寄り。

駅から市役所横を東へ進み、寺内町の一画南会所町に建つのが目指す札所。

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富田林南会所町の家屋

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塀に囲まれた浄谷寺

 半偈山三仏院浄谷寺(はんげいざんさんぶついんじょうこくじ)は寺伝に拠れば、

『弘安9年(1286年)、済戒真證(さいかいしんしょう)上人が毛人谷村に開創。

天正2年(1574年)に現在地に移転、寛文6年(1666年)に総門徒の寄進で再興された。

慶長13年(1608年)「大念佛道場」という記録が残り、平野区にある大念佛寺の末寺である。

 山門を入った右手に二尊堂があり、石像地蔵菩薩と木造観世音菩薩立像が安置。

元来は地蔵堂、観音堂という別寺にあったものがここに移ったもので、

石像地蔵菩薩は応長元年(1311年)の銘が。その他、境内には

永仁元年(1293年)の年号のある笠卒塔婆が残る古い寺院である。』 とあります。

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山門前にて
富田林駅から向かうとこちらで、西口駅からだと反対側に出る。

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由緒記

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山門から見た境内
左が本堂で右が庫裏。庫裏は改装中であった。

 ここは十六番札所だった教興寺が数年前に河内西国から離脱したので替わりに入った寺院。

新しくガイドブックにも載っていないので、あまり期待はしていませんでしたが、

寺域は結構広く伽藍も壮麗、そして何よりも寺内町に溶け込んだ様子が伺えました。

 御朱印を御願いすると住職夫人が対応下さり、御住職が不在なので書置きを拝受。

続いて本堂内と二尊堂の内部も拝観させて頂きました。

本尊と二尊があるので三仏院となったのでしょうか?

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本堂近影

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本堂前面
内陣にて参拝。

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二尊堂前から
こちらも内陣にて参拝。

和辻;「本堂は最近の建造ですか?」

夫人;「数百年前の江戸時代ですが、平成31年に改修しました。」

和辻;「本堂前の欄間は立派ですね。」

夫人;「元は古いのですが、改修の時は職人さんがいなかったので滋賀から来て貰いました。」

和辻;「維持も大変ですね。」

夫人;「白蟻被害が多いので徐々に修繕しないと駄目です。今は庫裏の奥を直しています。」

和辻;「笠卒塔婆は何処でしょう?」

夫人;「二尊堂前です。でも劣化して笠部が落下してしまいました。」

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本堂前にある平成31年落慶記念碑

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本堂前の「半偈山」の扁額と龍の彫刻

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象の彫刻

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鳳凰の彫刻

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笠卒塔婆

 境内は庭園と言う程の規模ではありませんが、四季折々の草木が植えられており、

参拝に彩を添えています。これはお寺の方の趣味だそう。

建物は作るのも大変ですが維持も劣らず大変。現代風に改装すれば楽でしょうが、

昔の姿を留めたまま修理するのはかなりの負担を強いられます。

それでも昔の姿にこだわるのは寺内町を守り続けている住民の矜持でもあるのでしょう。

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本堂前のサツキと百日紅

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境内の紫陽花

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蓮の鉢

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蓮の開花

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萩の花

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ヒョウタンボク
赤い実が瓢箪の形をしているから。

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浄谷寺御朱印
書置きを拝受。

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瀧谷不動尊(大阪府富田林市) 日本三不動の一

2020.07.18(10:51) 660

眼と芽の出る不動様にどうじょ!(2020.6.12)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 天王寺 → 阿部野橋 → (近鉄南大阪線) → 滝谷不動 → 徒歩15分 → 瀧谷不動尊

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瀧谷山 明王寺(真言宗智山派 河内飛鳥古寺霊場 近畿三十六不動尊霊場)

 この日は近鉄沿線での所要が早く終わったので、引き続き巡礼。

その名も滝谷不動と言う駅から府道202号線を東へ1㎞程言った山間にあるのが瀧谷不動尊。

お不動さんに行くから府道を通るかどうかは別にして、目的の寺院は

道の北側に本堂・寺務所・講堂等が、南側に滝と諸堂を有する広大なもの。

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近鉄長野線滝谷不動駅スタンプ

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石川に架かる高橋
瀧谷不動駅を出て東に向かって直ぐの場所にある。

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府道の北側にある山門
右奥にあるのは講堂。

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瀧谷不動尊縁起

 瀧谷山明王寺(たきだにさんみょうおうじ)は、縁起に拠れば

『弘仁12年(821年)、弘法大師が市内にある龍泉寺に参籠した際に、

国家安泰・民衆の幸福を祈るために開かれた道場。大師は一刀三礼で本尊・不動明王

及び脇侍の矜羯羅(こんがら)童子・制多迦(せいたか)童子を刻み堂宇を建立。

その場所は今の境内から南約1㎞の嶽山の中腹にあった。

 南北朝時代の正平15年(1360年)、足利義詮の嶽山・金胎寺攻めに遭い焼失。

この時、本尊と両童子は滝の下に移されて難を逃れた。

その後、どこからともなく盲目の老僧が現れ、御本尊の霊験を説き小堂を建て

人にも勧めて日夜礼拝していたが、たちまち晴眼となって、何処ともなく立ち去った。

人々は弘法大師が御本尊の霊験を教えられたと、眼病平癒の霊像として信仰を集めた。

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北側に建つ堂宇

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お不動さんを祀る本堂
毎月28日の縁日には賑わいを見せる。

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本堂の西にある法楽殿

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法楽殿の西にある観音堂
慶長年間に本堂として建てられた。

 その後、寛正4年(1463年)の畠山政長・義就の嶽山合戦の兵火で再び焼失。

現在の場所に移り慶長年間に本堂(現観音堂)が再建、その後次第に復興した。

古来「日本三不動の一」と呼ばれ、「眼の神様」「芽の出る不動様」「どじょう不動様」

とも呼ばれ広く信仰を集めている。』 とあります。

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観音堂の裏手から鎮守社を通り高台へ

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北側の高台に建つ多宝塔

 寺伝では弘法大師が自ら彫ったとされる御本尊ですが、一説では

楠木正成・正季兄弟が築いた岳山城の守護仏であったともいわれます。

現在の堂宇は岳山城北側の谷間の鞍部状態になった場所にあるので

十分可能性のある話。しかしこうなるとどれが真か【こんがら】がってしまいます。

歴史上の偉人の【せいたかどう】かは定かではありませんが…。

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南側にある西国三十三ヵ所堂へ

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三十三ヵ所惣拝所

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西国三十三ヵ所お砂踏み霊場

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西国三十三ヵ所観音様

 山号の瀧谷山、字の彼方(おちかた)とあるように、滝を御神体として堂宇の場所を選んだのでしょう。

滝行の場所であるのは勿論ですが、盲僧の眼が治癒したのも強ち【妄想】とは言えません。

昔の眼病は衛生状態が悪い事に由来するものも多かったと考えられますから、

清冽な滝の水で洗眼する予防効果を謳ったものと思えます。

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三十三ヵ所堂から三宝荒神堂を望む

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南側の高台に建つ三宝荒神堂

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荒神堂から北側の多宝塔を見る

 眼と芽の霊験は分かりますが、面白いのはドジョウ不動。

瀧不動堂前には「身代わりどじょう」と言うのがあって¥100払って下の川に放流するもの。

いわば放生会でしょうが、ドジョウであるのがミソ。

かつて発生生物学ではドジョウ・ナマズ等の底生魚類は泥中に潜ることが多いので

眼を痛める事が多く、そのため眼の再生能力が著しく高いと教わりました。

眼病に霊験がある事で選ばれたのでしょうか?興味のある方は一度、どうじょ!

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南側にある滝行場へ

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滝への途中にある一顧不動堂

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滝行場と瀧不動堂

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寺名の由来となった「不動の滝」

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不動堂前にある「身代わりどじょう」

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缶の中の「身代わりどじょう」

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瀧谷不動尊説明書

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瀧谷不動尊御朱印

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光明寺(大阪府八尾市) 文教と関りの深い花の寺

2020.07.16(20:32) 659

門徒以外にも門戸を開いた融通の利く寺院(2020.6.7)

<コース> 近鉄電車(普通)は日中10分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 谷町四丁目 → (地下鉄中央線) → 近鉄新石切 → 徒歩5分 →観音寺 → 徒歩15分 → 近鉄額田 → (近鉄奈良線) → 布施 → (近鉄大阪線) → 高安 → 徒歩15分 → 元善光寺 → 徒歩10分 → 梅岩寺 → 徒歩30分 → 常楽寺 → 徒歩20分 → 法蔵寺 → 徒歩10分 → 神宮禅寺 → 徒歩5分 → 光明寺 → 徒歩5分 → 服部川 → (近鉄大阪線) → 上本町

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紫雲山 来迎院 光明寺(融通念仏宗 河内西国三十三ヵ所客番札所)

 神宮禅寺の後は北へ数百m進み、この日の最期の巡礼。

閑静な住宅街を進むと高台に札所の案内が…。

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山門
正式にはこちらが表になるが、広い道に面した南側から境内に入るのがメイン。

紫雲山来迎院光明寺(しうんざんらいごういんこうみょうじ)は、

『元禄4年(1692年)に秀山が中興した融通念仏宗の寺院。

来迎院の名は融通念仏宗の開祖・良忍上人が京都大原に建立した来迎院に由来し、

暖かく迎える心を表す。また光明寺は阿弥陀仏が衆生を尽く済度する事を譬えた

お経の一節から取った寺号で、いつでも誰でも快く迎えると言う意味である。

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南側から見た境内
左が山門で、右が本堂。

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本堂

 明治5年に小学校教育が始まった時には、中高安小学校の前身としてここ光明寺が選ばれ、

歴代住職が勉学を教え校歌を作るなど地域教育に貢献した。』 とあります。

 成程、周囲の環境に恵まれ学校教育には相応しい場所。場所を提供したにとどまらず、

儒学・漢学を教授するなど江戸時代の寺子屋を髣髴とさせます。

諸外国を見ても寺院・教会・モスクが学校となった例は数多。

境内に四季の花が植えられているのも情操教育の一環とも言えるでしょう。

今の学校教育は宗教色を排除する傾向が強いですが、

知識偏重となったが故にいじめ・学級崩壊が生じているとも言えます。

生徒の精神教育として今一度宗教画見直される時期に来ているのではないでしょうか?

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屋根の鬼瓦と寺紋瓦

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本堂前から見た境内

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紫陽花に囲まれた役行者像

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境内に建つ中高安小学校発祥碑

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光明寺御朱印

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神宮禅寺(大阪府八尾市) 地元の長者が開いた禅宗寺院

2020.07.15(21:40) 658

トトロの大木とだんじり門が出迎える寺院(2020.6.7)

<コース> 近鉄電車(普通)は日中10分間隔で運転
東梅田 → (地下鉄谷町線) → 谷町四丁目 → (地下鉄中央線) → 近鉄新石切 → 徒歩5分 →観音寺 → 徒歩15分 → 近鉄額田 → (近鉄奈良線) → 布施 → (近鉄大阪線) → 高安 → 徒歩15分 → 元善光寺 → 徒歩10分 → 梅岩寺 → 徒歩30分 → 常楽寺 → 徒歩20分 → 法蔵寺 → 徒歩10分 → 神宮禅寺

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護法山 神宮禅寺(臨済宗妙心寺派 河内西国三十三ヵ所第十八番札所)

 見晴らしの良い法蔵寺に続いては車もすれ違い難い細道を通り、民家の間の寺院へ。

道が入り組んでいるだけではなく民家と見紛う外観。

西国札所の看板と山門があるので辛うじてそれと知れます。

 門前の太鼓石橋は徒歩でしか通れない狭いもの。

神宮禅寺と言う名前から、門前の神社の神宮寺の扱いだったかとも思いましたが、

大楠大明神は非常に狭くしかも無住でした。

しかし大楠は幹の周囲が6mと八尾市内でも最大級のもの。

その形状から近所の子供には「トトロの木」と呼ばれているとか。

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大楠大明神と大楠
門前の馬洗池に架かる石橋を渡った場所にある。通称「トトロの木」。

 護法山神宮禅寺(ごほうざんじんぐうぜんじ)は、

『この土地の有力者・豊門長者の信頼が篤かった直宗和尚が

丹波の守(万祥院殿四品瑞山紹運大居士)を開基とし、

長者の屋敷跡に創建したのが始まり。和尚が没して300年を越えるが、

門前には当時長者の屋敷に出入りした人々が馬を洗ったと言う馬洗池があり、

太鼓石橋を渡った場所には大楠が二本の大楠稲荷大社が祀られている。

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山門の門扉に彫られた仁王像

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門扉後方の彫刻

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門扉上部
だんじりと同じく高所ほど重い構造のため脚部はボルト固定されている。

 山門は新しいが、だんじりを造っている檀家からの寄進によるもの。

山門に続く庫裏は民家風の造りであるが、その横を通り裏へ向かうと本堂。

その他、線刻地蔵、宝篋印塔、五輪塔が境内にある。』 とあります。

 御朱印を御願いすべくベルを鳴らすと、「庭の奥に回って下さい。」との返事。

庫裏の脇を抜けると意外と奥行きが広く、榧に代表される巨木が植わっていました。

境内というよりも杜と言った方が相応しい場所。ここに立つと大自然の鼓動を感じます。

これが熊野古道に続いているとすれば感慨深いものがあります。

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庫裏の脇を通り境内奥へ向かう

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境内に聳える榧の大木

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榧の奥に建つ本堂
本堂と言っても普通の家屋の造り。

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本堂脇の池

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境内の一角にある「線刻地蔵」
西向きであることから西向き地蔵とも呼ばれる。

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池の脇に建つ宝篋印塔
享保14年の銘が刻まれており、下には経が納められていた。

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五輪塔

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神宮禅寺御朱印

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