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慈恩寺(岐阜県郡上市) 静寂と清水の中で涼を感じる

2020.09.29(21:41) 709

名勝荎草園(2020.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR岐阜(8:53→9:09) → JR美濃太田(9:44→9:56) → (長良川鉄道) → 郡上大和(11:38)

郡上大和駅 → 徒歩10分 → 道の駅 古今伝授の里 → 郡上大和(13:10) → 郡上八幡(13:27) → 駅観光案内所レンタサイクル5分 → 宗祇水 → 大乗寺 → 慈恩寺 → 郡上八幡駅

【復路】郡上八幡(16:01) → (長良川鉄道) → 美濃太田(17:22→17:36) → JR岐阜(18:07→18:21) → JR米原(19:09→19:18) → JR大阪(20:42)

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鍾山慈恩護国禅寺(臨済宗妙心寺派)

大乗寺参拝の後は吉田川に架かる宮ケ瀬橋を渡り、立町・川原町と東進し

寺標の前を右折すると目指す寺院。

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川原町付近の街並み

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川原町沿いに建てられた寺標を奥に進む

 鍾山慈恩護国禅寺(しょうざんじおんごこくぜんじ)は、

『慶長11年(1606年)、八幡城主・遠藤但馬守慶隆が開基となり、京都花園妙心寺の円明国師を勤請。

その高弟・半山紹碩禅師を迎え釈迦如来を本尊として創建された。

境内には遠藤慶隆公・智勝院殿・高松院殿及び金森台近公の各霊廟が建立されている。

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正面の総門は屋根改装中なので駐車場横から入山

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慈恩寺全景

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中門をくぐり境内へ

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中門扉の彫刻

 元文3年(1738年)、「護国」の称号と青蓮院宮一品親王の勅額を下賜され、

また棠林和尚の代には修行道場として禅堂が開かれた。

 明治26年(1893年)には裏山が豪雨に拠り土砂崩れを起こし、山門のみを残し

伽藍全てが埋没した。この災害は後に慈恩寺崩れと呼ばれる事になる。

明治天皇より勅使・片岡侍従が遣わされ御見舞いを賜り三年後に再建。現在に至る。

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中門から見た寺院
正面が書院玄関で、左が本堂、右が寺務所(拝観受付)。

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書院玄関
中に見える曲線状のものはオブジェではなく、欅の古木を使った結界だそう。

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鐘楼と本堂

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鐘楼と地蔵菩薩

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本堂正面

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本堂前の勅旨岩
明治26年の水害に際し、明治天皇より御見舞いに遣わされた片岡侍従が腰掛けた岩。

 書院の奥にある「荎草園(てっそうえん)」は創建半山禅師の作庭。

雄大な岩山を背景とし、静寂の中に絶えず響き渡る滝の音が、

幽玄で豪爽な雰囲気を醸し出す室町様式の庭園である。』 とあります。

尚、荎草(てっそう)とはサネカズラの中国名。木蓮科の蔓草で、

男性が調髪に用いたことから美男カズラとも呼ばれるものだそうです。

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書院奥から庭園を拝観

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書院の大広間
ここに座してじっくり庭を眺める。

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書院の床の間
左に紅葉の頃の庭園の写真が貼ってある。

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書院の縁側越しに池を見る

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西側から見た庭園

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庭園から書院を見る

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庭園には紅葉が多い

 御朱印帳の記録を見ると平成5年に訪問済。しかしお城は覚えているものの、

寺院や庭は全く記憶に残っていませんでした。

 受付でその旨を話すと、住職夫人と思しき方が仰るには

夫人;「庭はそのままですが、建物内は改修したので、違った印象だと思います。」 との事。

 表札に「東」とあったので、

和辻;「東常縁公と縁続きなのですか?」

夫人;「世襲ではないので、血縁は御座いません。明治になって、常縁公に所縁の地なので東(とう)と名乗りなさい、とお上から言われたようです。」

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池に架かる橋

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庭園を抜け本堂へ

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庭園の隅にある水琴窟

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廊下から見た庭園と書院

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欅の古木を用いた結界

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本堂手前の中庭

 拝観してみるとやはり記憶に残っておらず。今ほど庭に興味がなかったのか、

時間がなく駆け足だったのかも不明。いずれにせよ拝観して損はありませんでした。

ついでに御朱印も27年前とは随分違ったカラフルなもの。庭園に倣ったものかどうかは不明ですが、

これも拝受して正解。何事も、訊いてみる、試してみるのが【てっそう】くです。

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総門脇にある烏枢沙摩(うすしま)明王
下半身を護って下さる仏様だそう。

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明王説明

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慈恩寺説明書

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26年前に拝受した慈恩寺御朱印
当時はこの一種類しかなかった筈。

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今回拝受した御朱印

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大乗寺(岐阜県郡上市) 小駄良川沿いの紅葉の名所

2020.09.28(22:18) 708

鮎があれば大乗寺(2020.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR岐阜(8:53→9:09) → JR美濃太田(9:44→9:56) → (長良川鉄道) → 郡上大和(11:38)

郡上大和駅 → 徒歩10分 → 道の駅 古今伝授の里 → 郡上大和(13:10) → 郡上八幡(13:27) → 駅観光案内所レンタサイクル5分 → 宗祇水 → 大乗寺 → 慈恩寺 → 郡上八幡駅

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清水山大乗寺(日蓮宗)

 郡上八幡は長良川の支流吉田川に沿って形成された城下町ですが、

さらにその吉田川に流れ込む小駄良川という川沿いにはいくつかの寺院があります。

城下町の地図を見ても職人町等はありますが寺町の記載はなし。

城下町に拠っては防御の為に寺院を一ヵ所に集める所もありますが、郡上八幡は三方を山に、

西を長良川という大河に囲まれた要害の地なので、その必要がなかったのでしょう。

尤も平地が少なかったという理由もあり得ますが…。

職人町を北へ抜けて西へ小駄良川に架かる橋を渡った山麓にあるのが大乗寺。

山門前に立つと積翠城と呼ばれる郡上八幡城が真東に聳えます。

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職人町を北から望む

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小駄良川に架かる大乗寺橋の向こうに寺院が見える

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大乗寺橋の上から小駄良川を南方向に見る

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山門前から見える郡上八幡城

清水山大乗寺(せいすいざんだいじょうじ)は、

『越前朝倉家の落ち武者の清水三右衛門尉が、小駄良郷中桐村に茅舎を結び法華坊と呼んだのが嚆矢。

彼は天正年間に京都の日蓮宗妙覚寺の第二十世日乾上人に随身し日了と改名。

寺も妙覚寺の末寺となり大乗寺と号した。

 日了の後を継いだ日能上人の慶長8年(1603年)、城主遠藤但馬守慶隆(よしたか)に拠って信仰され

現在の地に堂宇を寄進された。これは慶隆にとって浅井・朝倉との戦は初陣であった事、

加えてここが当郡一寺の日蓮宗であった事に拠るとされる。

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大乗寺入口

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大乗寺由緒

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山門(鐘楼門)近影
享和3年(1803年)の落成。扁額は「清水山」。

 享保15年(1730年)2月の火災に拠り尽く消滅。元文元年(1736年)京都の本山より

本尊の一塔二尊大曼荼羅を勧進。享和3年(1803年)には諸堂が再建された。

 大正8年(1919年)7月16日の大火によって周辺の江戸時代の建造物は殆ど焼失したが、

山門である鐘楼門と鬼子母神堂のみ焼失を免れ江戸時代の面影を今に伝えている。

 山門正面には鬼子母神堂、右奥には仁王像の鎮座する本堂、明治時代創建の庫裏など諸堂があり、

秋には境内が赤く染まる紅葉の名所でも知られる。』 とあります。

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山門正面に建つ鬼子母神堂

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享和3年(1803年)建築の鬼子母神堂
毎年8月1日には朝顔市が開かれる。

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本堂前から見た鬼子母神堂

 伝統的な街並みに比べて古刹の印象が薄い郡上八幡市内ですが、最も古刹の雰囲気を伝えるのがここ。

裏山には戦国時代の尾壺城跡もあり、中世より重要視されたのが分かります。

 珍しいと思ったのが鬼子母神堂。関東の日蓮宗寺院では珍しくないですが、以西では少ない。

おまけに朝顔市まで開催されるとあっては、江戸の三大鬼子母神との関りもありそうです。

 非常に清閑な趣の寺院。山門前に「御朱印は本堂横へ」とあるので、ベルを押せども返事はなし。

諦めて次の場所へ向かう事にしました。

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本堂全景

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正面から見た本堂
内陣で参拝できる。

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本堂前から見た境内
木立のためか昼尚、薄暗い印象。

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紅葉の名所だけに境内には紅葉の巨木も

 この日の巡礼が終わって駅に向かう途中に再訪すると御住職夫人が対応。

殆ど期待しなかったので、砂漠にオアシスに出会った気分。伺うと庭掃除されていたとの事。

早速御朱印を御願いして、その間に本堂内陣で参拝もさせて頂きました。

 山号の由来を尋ねると、

夫人;「せいすいざんと言いまして、境内の山手から清水が湧出した事が由来です。」

和辻;「今でも湧き出していますか?」

夫人;「はい、細々とですけど…。」

てっきり開山の俗名清水三右衛門尉に由来すると思っていましたので己の無知を反省した次第です。

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古今伝授の里と郡上踊りの里(岐阜県郡上市) 奥美濃の小京都へ

2020.09.26(01:38) 707

清水とGJ8マン(2020.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR岐阜(8:53→9:09) → JR美濃太田(9:44→9:56) → (長良川鉄道) → 郡上大和(11:38)

郡上大和駅 → 徒歩10分 → 道の駅 古今伝授の里 → 郡上大和(13:10) → 郡上八幡(13:27) → 駅観光案内所レンタサイクル5分 → 宗祇水

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宗祇水
水の町郡上八幡のシンボルで日本名水百選の第一号。

 まだ残暑が厳しい夏の青春18きっぷ最終は奥美濃郡上八幡へ。長良川に沿ってかつては

国鉄越美南線が走っていましたが昭和61年に第三セクター長良川鉄道に引き継がれました。

本州最長の三セク鉄道で国鉄時代の古い駅舎も多く、川の流れと景色をのんびり見【ながら】の列車旅。

唯、線路は頻繁に川を渡るので、川を眺めるには頻繁に座席を左右に移らなければならないのが難点でしょうか?

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JR美濃太田駅に併設された長良川鉄道の駅からスタート
これは9:56分発の「ゆら~り眺めて清流列車 1号」で、湯の洞温泉口から郡上八幡間の景勝地で徐行運転する。

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長良川に架かる鉄橋から
太公望の姿もチラホラと…。

 鮎と清流で知られる郡上八幡ですが、もう一つの顔は古今伝授の里。

勅撰和歌集の「古今和歌集」の解釈を秘伝として師匠から弟子に伝えたもの。

平安末期から公家を中心に伝わっていましたが、室町中期の大和町の城主・東常縁(とうつねより)が

秘伝を悉く伝授された事で彼が一大権威になりました。

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レトロな郡上大和駅舎
喫茶店「NAGARA」を併設。道の駅 古今伝授の里の最寄り駅。

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郡上市大和地区マンホール蓋

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道の駅にあった顔ハメ

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道の駅 スタンプ

 文明3年(1471年)、常縁が大和町の明建神社で連歌師飯尾宗祇に古今伝授を行った事で、

郡上八幡は古今伝授の里となった次第。郡上八幡の町中には宗祇が常縁から和歌を学ぶために

泉の畔に草庵を結び愛用した清水が今に伝わります。

これが宗祇水で昭和60年に全国名水百選の一番手として指定されました。

大和から市街地までは10㎞程離れていますが、中世の人はさぞ健脚だったのでしょう。

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こちらもレトロな郡上八幡駅舎

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郡上おどりの提灯も今年は中止で虚しい
待合室に見えるのが駅スタンプ。

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郡上八幡駅は登録有形文化財になっている

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待合室でスタンプ押印
尚、郡上八幡駅は戦前の復刻版。

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郡上八幡の町中にある建物
橋本町付近の旅館・食事処。

 宗祇に伝わった古今伝授は弟子の牡丹花肖柏と公家の三条西実隆に伝えられます。

実隆の後は代々三条西家に伝えられたものが最も権威あるものとされました。

戦国武将であった細川藤孝(幽斎)は三条西家から伝授を受けた当時唯一の人。

関ケ原の戦いでは少数で田辺舞鶴城で籠城しますが、古今伝授を絶える事を惜しんだ朝廷が勅使を派遣し、

彼の身柄を保護して開城させるという【調停】にこぎ着けたのは有名な話です。

「芸は身を助く」を地で行く話ですが、このようなことは【古今】に例はありません。

尚、後に幽斎は八条宮・三条西実条・烏丸光広に伝授を行い、この系列は御所伝授と呼ばれるようになりました。

 尤も、古今伝授については本居宣長が『石上淑言(いそのかみのささめごと)』で

完全な作り事であると一刀両断にしている事も付け加えて置きます。

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メインの新町通り商店街

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やなか水のこみち
新町通りから中に入った場所にあり、宗祇水と並ぶ撮影スポットでもある。

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水のこみちにある湧水
飲用可能。

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水のこみちから新町通り方面を見る

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新町通りのレトロな家屋

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郡上八幡旧庁舎記念館
今は観光案内所、土産、食事処となっている。

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吉田川に架かる新橋上から見た旧庁舎記念館

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新橋上から吉田川の向こうの長良川方面を見る
よくここから子供たちが川に飛び込む写真があるが、事故が多いので休止中?

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川を越えて重要伝統的建造物群保存地区の本町通りへ
写真は酒屋。

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桜間見屋
明治20根創業の肉桂玉製造販売元。

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店の前には肉桂なのになぜか杉玉が吊ってある

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桜間見屋の脇を抜けると宗祇水へ

 郡上八幡は長良川の支流吉田川沿いに開けた城下町で、夏は郡上おどり一色ですが今年は中止。

コロナの影響はここにも出ています。

そんなことが影響してか、長良川鉄道の駅舎はレトロな文化財で、古い町並みも残っています。

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石段を下ると宗祇水
左は小駄良川に架かる清水橋。

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上から見た宗祇水
水を貯める場所が区切られているのは、水のきれいな順位に拠る。

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清水橋の上から

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小駄良川沿いの民家郡

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職人町・大工町の古い街並み

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古い街並みの向こうに見える郡上八幡城


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城へ向かう大手町通り沿いの家屋

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洋風建築の医院

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大手町の東端にある安養寺
ここから城へと登る。

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宮ケ瀬橋の上から見た吉田川

 文化の香りに加え鮎や鰻の香りも漂ってきますが、レンタサイクル返却が16時なので泣く泣く断念。

先に郡上大和で道の駅で道草を食ったのが尾を引きました。

その代わり時間に余裕があった道の駅で「ほう葉みその定食」。

郡上八幡なら当然【ミノ】ですが、この日は飛騨牛。大いに【ほおば】る事ができました。

たまには【つねより】違ったものも良いものです。

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道の駅にある「安食里」にて
これは「ホウ葉定食」 ¥1350

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同じく道の駅にある「みちしる」にて
ひるがのイチゴソースシャーベット ¥350

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郡上市マンホール蓋

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郡上市マンホールカード 2種類
配布場所はこちら

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郡上八幡郵便局 ; 郡上踊り、八幡城、吉田川と鮎

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大和郵便局 ; 古今伝授の里、東氏記念館、梨
八幡小野郵便局 ; 郡上踊り、八幡城、三日月

 自転車を駅に返して帰りの列車に乗ると、車体には見慣れないキャラが。

さくらももこさん作の「GJ8マン(ジー・ジェイ・エイトマン)」とありました。

初めは不思議な名前と首を傾げましたが【ぐじょうはちまん】をアルファベットと数字で表したものと分かり納得。

文字通りGood Jobです。車内の説明には、作者が頼まれもしないのに勝手に考えてみたとあるので、

余程この町が気に入ったのでしょう。司馬遼太郎も『街道を往く』で日本で最も美しい山城と書いています。

それにしてもこれだけ思いが強いのは、さくらさんが【清水】出身だからでしょうね。

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帰りの列車の車体

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このキャラは「ちびまる子ちゃん」のキャラに似ている

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車内の説明

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運転席横には専用スタンプも設置

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定光寺(愛知県瀬戸市) 尾張家始祖の廟がある寺

2020.09.23(21:01) 706

尾張の瀬戸際に建つ寺院(2020.8.29)

<コース> 夏の青春18きっぷ
JR大阪(5:55) → JR米原 → JR大垣 → JR岐阜(10:45) → JR多治見(11:24) → 多治見レンタサイクル15分 → 永保寺 → 修道院 → JR多治見(14:45) → JR定光寺(14:53) → 徒歩20分 → 定光寺 → JR定光寺(16:15) → JR名古屋(16:50→17:00) → JR米原(18:09→18:17) → JR大阪(19:42)

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應夢山 定光寺(臨済宗妙心寺派)

 多治見訪問の後はJRで名古屋まで戻りますが、少しだけ時間があったので途中下車。

駅の名前は付近の寺院に由来する以前から気になっていた定光寺(じょうこうじ)。

岐阜県から愛知県に入って最初の駅ですが普通しか止まらない無人駅。

駅名の如く人の姿が見えるのは【乗降時】だけです。

しかも30分間隔で運転なので、帰りの時間を確認してから出発。

 駅は春日井市ですが川を越えると瀬戸市。名古屋市内では緩やかに流れる庄内川もこの辺りでは急流。

駅も山際にへばりつくような感じで、場所的にも尾張の瀬戸際と言うのがぴったりです。

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JR中央線定光寺駅上りホーム
停車しているのは名古屋行普通電車。

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庄内川に掛かる城領橋を渡り春日井市から瀬戸市へ
向こうに見えるのは旅館「應夢亭」で定光寺の山号から採った。

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城領橋から見た庄内川の眺め

 城領橋を渡りそのまま道路を直進。支流の御手洗川に沿って東行しますが、

たまに喫茶店があるくらいで樹木と渓流に囲まれた「尾張の嵐山」と呼ばれる景勝地だそう。

風景は兎も角、人が少なく活気がないのはコロナのせいでしょうか?

遡る事20分で入口があり更に石段を上って境内到着。

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道路に面した寺院入口
続く石橋は直入橋と呼ばれ、承応2年(1653年)尾張藩二代・徳川光友の命で奉行・熊谷政実が架橋した。

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直入橋に続く参道

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更に上って境内へ

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山門に到着

 應夢山定光寺(おうむざんじょうこうじ)は、

『建武3年(1336年)覚源禅師の創建。覚源は千葉氏で肥後の出身。

9歳で出家して鎌倉建長寺で修業後、54歳の時尾張の国々を遊歴。

水野郷で坐禅修行をする傍ら住民の帰依を受けた。5年後、本堂を建立するに際し、

その場所から「定光仏」と言う霊像を掘り出した夢を雲水一同が見たので、寺号を定光寺、山号を應夢山とした。

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山門前の観光案内

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重文・本殿(仏殿)
無為殿と通称される。

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本殿の側面

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本殿の花頭窓と禅宗様式の格子

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本堂に架かる「無為殿」の扁額

 本尊には地蔵菩薩を安置し、開山と因縁深き霊仏として深く信仰されてきたが、江戸初期に

ここに立ち寄った尾張徳川家初代義直公が、その風光を賞せられ自らの墓所をここと定めた。

慶安3年(1650年)義直公が没すると、寺域に隣接する山林に義直公廟、所謂源敬公廟が造営され

尾張徳川家の庇護を受けた。』 とあります。

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本殿脇の敬霊閣
納経はこの左側で拝受。

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本殿と納経所の間を抜け藩祖義直公廟へ

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源敬公廟の説明

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廟入口
通常¥100だが、御朱印を御願いしたので無料で拝観させて貰った。

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廟の説明

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源敬公略歴

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廟の案内図

 駅から歩いて行けるとはいえ、人も少ない山道。

境内は桜と紅葉の名所とありますが、今は青紅葉。晩秋はさぞ壮観でしょう。

 御朱印を御願いすべく、ベルを鳴らすと住職夫人が対応。書置きを拝受しました。

和辻;「お城からは随分離れていますが、何故ここを墓所に選んだのでしょうか?」

夫人;「義直公はよく鷹狩りに来られたそうですが、ここから名古屋市が一望できる事が選んだ理由とも聞いています。」

和辻;「成程、政治的な理由があった訳ですね。」

 父の家康も鷹狩りを好みましたが、これは軍事練習が目的。義直の場合は政治的な見地から。

同じ狩りでも意味合いが異なりますが、それだけ時代を見る目があったとも言えるでしょう。

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廟の途中にある獅子の門
元禄12年(1699年)の建立。獅子の彫刻は左甚五郎とあるが外側を覆われているので、よく分からない。

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廟は築地塀で囲まれ中央の龍の門から出入りする

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龍の門の彫刻も左甚五郎

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龍の門の屋根部分

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門の先にある焼香殿
承応元年(1652年)の建立。右にあるのは宝蔵。

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焼香殿の屋根にある鯱と三つ葉葵の家紋

 徳川家の菩提寺にはなりませんでしたが、尾張徳川家十九代義親公の時、

江戸時代に造営した墓所を廃して、義直廟脇に納骨堂を集約。

ようやく300年を経て纏まった事になります。

義親公はマレーに行った虎狩の殿様として知られる方ですから、

鷹狩りを好んだ義直に共感するところがあったのかもしれませんが…。

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唐門とその奥にある源敬公墓

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唐門扉にある三つ葉葵

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廟所右手にある敬公に殉じた九名の墓

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定光寺説明書

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定光寺御朱印

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永保寺(岐阜県多治見市) 国宝の堂宇が連なる禅宗寺院

2020.09.22(20:43) 705

土岐は今、汗が滴る 多治見かな(2020.8.29)

<コース> 夏の青春18きっぷ
JR大阪(5:55) → JR米原 → JR大垣 → JR岐阜(10:45) → JR多治見(11:24) → 多治見レンタサイクル15分 → 永保寺 → 修道院 → JR多治見(14:45)

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虎渓山永保寺(臨済宗南禅寺派)

 8月最後の土曜は暑さから逃れるべく清流の流れる奥美濃へ。

と言う訳でJR大阪駅始発の快速に乗りましたが、5:46分頃発生した吹田駅での人身事故のため運転見合わせ。

45分程して漸く動き出しましたが信号待ちやら何やらで、乗り換えてJR美濃太田駅に着いた時には

長良川鉄道の列車は出発した後。

次の列車を待っていては到底間に合わないので、急遽予定を変更して太多線で多治見駅へ。

計画もなにもあったものではありませんが、それでも向かったのは【なじみ】のある場所だったからに他なりません。

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中央本線の線路東側から坂道を上る

 国宝の本堂で有名な虎渓山永保寺は駅から北へ2㎞余り。

27年前に訪問したときも8月、自転車がなく炎天下を30分以上あるいて寺院へ向かいましたが、

今回は駅北の駐輪場でレンタサイクルを利用。

25年目前のように歩いていたら熱中症でダウンしていた可能性が大でした。

 線路沿いに北上し、線路を越えて舗装された坂道を上ると目指す寺院。

入口は山の中腹でしたが、寺院はそこから参道を下った土岐川畔にありました。

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西参道入口
虎渓公園展望台の向かいにあり、ここから寺へは坂を下る。

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坂を下った先にある石橋を渡り境内へ

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永保寺遠景
この一連を「水月場」と呼んでいる。

 虎渓山永保寺(こけいざんえいほうじ)は、

『正和2年(1313年)、夢窓国師により開創され佛徳禅師を開山とする寺院。

寺伝ではこの付近で道に迷った疎石が、白馬に乗った女性に道を尋ねた所、

女性は観音菩薩の化身であったので、岩場に観音堂を建立したのが嚆矢と言われる。

 実際には鎌倉で修業中に、ここの領主の土岐頼貞の知遇を得て招かれたとされ

庵を結んだ場所も頼貞の別邸があった場所とされる。

虎渓山の山号は虎渓三笑の話で有名な中国廬山の虎渓に肖って名付けられた。

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光明天皇勅願所の碑

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池に掛かる無際橋と観音堂

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池に映える無際橋

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無際橋越しに見る観音堂
境内は紅葉の名所でもある。

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橋上の屋根と扁額

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「無際橋」の扁額

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橋の上から方丈、坐禅堂を望む

 建武の新政には後醍醐天皇の帰依を受けた永保寺であったが、南北朝時代の

暦応2年(1339年)北朝の光明天皇の勅願所となり基盤が確立した。

 南北朝時代に建立された観音堂と開山堂は檜皮葺で共に国宝。

観音堂は水月場とも呼ばれ池と無際橋を含む庭園は国の名勝に指定されている。

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橋の上の眺め

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梵音巌の上に建つ六角堂

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六角堂説明

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国宝・観音堂(本堂)
別名・水月場と言い南北朝時代の建立。入母屋造檜皮葺の仏殿である。

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一重裳階付きの観音堂屋根

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軒反りが強い屋根の形状は禅宗様式が強いが和様も見られる

 広大な境内には三つの塔頭を持ち、また雲水の修行道場も併設している。

平成15年には方丈・玄関・庫裏が火災で焼失したが、平成19年には庫裏が、

平成23年には方丈と玄関が再建された。』 とあります。

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池畔から見た方丈と庫裏

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平成23年竣工の方丈・華蔵庵
一般にはここが本堂と言われる。

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唐破風の大玄関
こちらも平成23年の竣工。専門道場とあるが道場は反対側にある。

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平成19年再建の庫裏

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庫裏の前から方丈を見る

 多治見の観光名所と言えばここ永保寺。国宝の建造物2棟と言うのも凄いですが、

それらがいつでも無料で拝観できるのは京都・奈良では考えられません。

尤も内陣の寺宝を公開するのは毎年3月15日のみですが、雲水の修行場という立場からすると

境内だけでも公開しているのは良とすべきでしょう。

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庫裏の前の大銀杏

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庫裏の前にある鐘楼

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鐘楼前から見た観音堂

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坐禅堂・虎渓僧堂

 御朱印は27年前に拝受済。丁度お盆の12日だったので、ベルを鳴らすと対応されたのは

私くらいの若いお坊さん。寝起きだったようで、

「皆、出払っていますが、私でも良ければ書きますが。」と言われたので、

「御願いします。」と私。

御朱印帳を渡したものの、大丈夫かなと不安が残りました。しかし拝受した墨書は予想外の達筆。

第一印象で判断するのは【よそうかい】と反省した事でした。

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勅使門跡

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池の周囲に植えられた紅葉

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池の脇を抜けて開山堂へ

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国宝・開山堂
南北朝時代の建築で入母屋造檜皮葺。

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開山堂の説明

 この日は、庫裏に居られた年配の御婦人が対応。

「今なら、夏季限定ですね。」と言われたので、それを拝受。青色の限定でしたが、値段は同じ¥300。

ついでに墨書の「水月場」の説明も受けました。優しい心遣いを感じます。

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東側にある黒門

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黒門横を流れる土岐川

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虎渓山永保寺 ご案内
これは寺務所で頂いたもの。

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虎渓山永保寺案内
これは多治見駅観光案内所で貰ったもの。

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永保寺御朱印

 参拝後は坂を東に下った先の多治見修道院を見学。見所がいずれも宗教施設でしかも他宗教と言うのも面白い話です。

多治見と言えば焼き物の町ですが、観光案内所で訊いた話では加えて「蒲焼き」も名物だそう。

生憎、参拝修了後はどこも準備中でしたが、次回に楽しみが増えたと【えいほう】に解釈して帰路に着きました。

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多治見修道院

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多治見郵便局 ; 永保寺、神言会多治見修道院、陶器

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多治見上野郵便局 ; 神言会多治見修道院
多治見高田郵便局 ; 虎渓山永保寺、高田徳利

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高田寺(愛知県北名古屋市) 道風と円空所縁のお薬師様

2020.09.20(22:22) 704

尾張良ければ全て良し(2020.8.22)

<コース> 夏の青春18きっぷ
JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:15) → (名鉄犬山線) → 西春 → 名古屋空港行バス5分 → 高田寺北 → 徒歩5分 → 高田寺 → 徒歩20分 → 徳重・名古屋芸大 → (名鉄犬山線) → JR名古屋(15:00) → JR米原(16:09→16:18) → JR大阪(17:42)

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醫王山 寂照院 高田寺(天台宗 東海四十九薬師霊場第二十一番札所)

 この日は、名古屋駅から名鉄に乗って北名古屋市へ。名前から場所はすぐに想像できますが、

この辺りは師勝とも呼ばれていましたからもう少し名前に工夫をして欲しかった気がします。

寺院は西春駅から東へ2㎞弱。歩くと20分掛かりますが、駅から空港行きバスが30分毎に。

確認するとお寺の直ぐ北に停まるのですかさず乗車。便利の良い場所にあるので

巡礼と言うよりもお盆の墓参りと言った感じでした。

 62号線のバス停から南に歩くこと5分。全くの平野で周囲を住宅に囲まれた一角に目指す寺院はありました。

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寺院入口
南向きなのでバス停から行くと反対側にでる。

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仁王門跡の説明
古刹なのに山門が欠落しているのは戦乱に拠る。

 醫王山寂照院高田寺(いおうざんじゃくしょういんこうでんじ)は、

『創建は奈良時代に遡る。壬申の乱で功を挙げた高田首新家(たかだのおびとにいのみ)の菩提を弔うため、

その子首名(おびな)が養老4年(720年)行基菩薩を請じて建立したと伝わる。

「続日本紀」第二十四巻、淳仁天皇天平寶字七年(763年)の条が高田寺の記録に登場する嚆矢である。

その後、大同年間(806~810年)、伝教大師最澄が東国巡錫の折、天台宗となった。

 かつては末寺が十六ヵ寺、創建以来七堂伽藍十二坊を擁した大寺で室町時代に

最盛期を迎えたとされるが、現在まで残るのは重文・薬師堂(本堂)のみ。

建築様式から鎌倉末期或いは室町初期の建立と推定され、旧国宝に指定された理由に

「尾張一の美建築と言って差し支えない。」と言われたほどの美しい建造物である。

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仁王門跡から境内を見る

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参道の先にある重文・薬師堂

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香炉越しに見る薬師堂

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薬師堂近影

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寺院に所縁の重文の説明

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屋根の反りが美しい薬師堂

 その後、寛永年間(1624~1644年)に明正天皇の病気平癒を祈り、

その験があって塔頭の実相坊円忠大徳に薬函を賜ったと言う。

 本尊の薬師如来像も重文で養老4年創建当時の仏と言われる。

普段は秘仏で五十年毎に御開帳を行う。』 とあります。

 由緒は古いですが、寺院全体としては新しい建物。その中にあって

唯一時間が止まったように見えるのが薬師堂。

尾張一かどうかはさておき、優美な建物であるのは間違いありません。

尾張は戦国時代には中心的役割を果たした場所ですから、戦禍に遭うのは

避けられなかったでしょうが、よくぞ残ったものです。

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薬師堂壁のポスター
秘仏も開創1300年で特別開帳の筈が、五輪同様にコロナで来年に延期。

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薬師堂の扉と屋根の構造

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横から見た薬師堂

 参道脇には古筆を納めた筆塚がありますが、平安時代の日本三蹟の一人、

小野道風は春日井市の出身で高田寺との関係も深かった事に由来します。

道風公は眼病平癒や書道上達を薬師如来に祈願し、

本堂修理に寄付をしたり自筆の扁額「醫王山」を奉納しています。

今でも彼に肖って祈願する人が後を絶たないようです。柳に蛙の像はありませんでしたが…。

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薬師堂前から仁王門跡を見る

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薬師堂の「醫王山」の扁額
道風の筆か?

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参道脇の筆塚

 薬師堂を外から参拝した後は、御朱印を拝受すべく参道右にある本坊へ。

綺麗に樹木が植えられた庭を抜けると、手前から書院、観品殿と続き、

その奥にある寺務所で書置きを拝受。伺った所、書院は宿泊研修施設も兼ねているようでした。

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御朱印を拝受するため本坊へ向かう

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研修宿泊施設である書院と聖観世音菩薩を祀る観品殿

観品殿とは何だろうと思い、たまたま庭を掃除されていたお寺の方に伺うと、

住職;「あれは“かんほんでん”と言いまして観音様を祀っている場所です。」

和辻;「一般の方はお参りできないのですか?」

住職;「はい。ここは檀家の方々が法事で使用される場所で、一般の方は薬師堂にお参りして頂いています。」

との話。

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観品殿の扁額

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高田寺由緒記

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高田寺御朱印

 てっきり“かんぴんでん”と読むと思っていたので己の無知を反省。上品下品の“ほん”でした。

【すかんぴん】ではお寺も大変、きちんと棲み分けがなされているようでした。

何処でもお金は【師勝】問題。【香典時】だけに頼っては駄目です。

 御本尊は50年毎の御開帳ですが、今年は開創1300年の特別開帳。しかしコロナのため、来年に延期。

こういった危機こそお薬師様にすがって病気平癒を願うべきと思うのですが、

馬耳【道風】とならない事を祈るばかりです。

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西春郵便局 ; 桜の外枠に高田寺、永遠の塔

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北名古屋市マンホール蓋
マンホールカードはコロナの影響で配布休止中。

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洞光寺(島根県安来市) 尼子氏の菩提寺

2020.09.19(21:08) 703

遥か富田城を望む尼子氏の菩提寺(2020.8.15)

<コース>
JR松江(7:24) → JR安来(7:52) → 駅前レンタサイクル25分 → 雲樹寺 → レンタサイクル10分 → 清水寺 → レンタサイクル40分 → 月山富田城址 → 城安寺 → 巖倉寺 → 城下町 → 洞光寺 → レンタサイクル40分 → JR安来(15:50)

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金華山 洞光寺(曹洞宗)

 昼食の後は、広瀬でこの日最後の巡礼。

川沿いから四筋内に入った道から少し山手に行った所が目指す場所。

金華山洞光寺(きんかざんとうこうじ)は、

『文中年中(1468年)、尼子清定公によって備後国高野山金尾に開創されたのが嚆矢とされるが、

清定公或いは経久公が月山富田城北麓の小山を旧地金尾を名付け

高野山より移築したのを文明年中(1469~1488年)に移築したという記録もある。

更に明応8年(1499年)経久公に拠り亡父清定公の墓地を寺内に設け、

洞光寺を尼子氏菩提寺としたとする説もある。

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寺の駐車場から見た全景
城塞の如く石垣の上に建つ。

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階段を上り境内へ

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入口正面にある本堂

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本堂の「金華山」の扁額
左にあるのは尼子氏の四ツ目紋。これは主家の京極家(近江源氏佐々木氏)と同じである。

 経久は伯耆国定光寺第四世大拙真雄和尚に帰依し、軍務の暇を見ては参禅し教えを乞うていた。

洞光寺開創に際し、経久は大拙和尚に請い開山第一世とした。以後、尼子義久公が

毛利の軍門に下り富田城を明け渡すまで四代に亘って定光寺より住持僧を迎える事となった。

慶長16年(1611年)、堀尾吉晴の時代に富田から松江に移城の際、洞光寺も移転。

松江松平家初代藩主・直政公の次男近栄公が広瀬藩を開く際に、

再び金尾の地に移り清定・経久両公の墓所を護ることとなった。

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寺務所から見た本堂と向こうに見える坐禅堂

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同じく寺務所前に広がる庭と鐘楼

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本堂からの眺め
正面の遥か向こうに聳えるのが月山富田城跡。

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境内に建つ尼子氏歴代追悼碑

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碑の由緒記

 金尾洞光寺は度重なる大洪水に被害を受け、寛永年間(1624~1643年)に現地へ移転を余儀なくされた。

明和6年(1769年)の火災に拠って伽藍・古記録を全て焼失。その後、寛政元年(1789年)に現在の本堂が落慶。

八代広瀬藩主・松平直寛公に『山陰の禅窟』と謳われる程、曹洞の禅風を今に伝えている。』 とあります。

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裏手の墓地の中央にある尼子清定・経久両公の墓所

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墓所の説明

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墓所から見た本堂と坐禅堂

 この寺も移転を繰り返していますが、それも城主の変遷の余波。

本堂正面からは遥かに富田城が見渡せます。色々と理由はあるでしょうが、

富田城に拠り山陰一帯を支配下に置いた尼子氏に敬意を表したとも言えましょうか。

 難攻不落と言われた名城も遂には毛利に下る事になりましたが、

まさか【投降時】という名前のせいではないでしょうが…。

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墓所から遥か月山富田城跡を望む

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城跡遠望

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洞光寺説明書

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洞光寺御朱印

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月山富田城下町(島根県安来市)

2020.09.17(20:44) 702

山陰の鎌倉と称される町(2020.8.15)

<コース>
JR松江(7:24) → JR安来(7:52) → 駅前レンタサイクル25分 → 雲樹寺 → レンタサイクル10分 → 清水寺 → レンタサイクル40分 → 月山富田城址 → 城安寺 → 巖倉寺 → 城下町

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飯梨川沿いの道路から見た月山富田城跡遠景

 月山富田城は標高190mの月山を中心に、飯梨川(富田川)に向かって

馬蹄形に伸びる丘陵上に多数の防御施設を配した戦国屈指の山城。

 戦国大名となった尼子氏居城として栄えた後は、毛利・吉川氏が在城し、

関ヶ原合戦の後に入城した堀尾氏が慶長16年(1611年)に松江に移るまで出雲の中心として栄えた。

 寛文6年(1666年)に未曾有の大洪水に見舞われるが、同時期に松江藩支藩の広瀬藩が置かれ陣屋町として再び蘇った。

創業300年の酒蔵や老舗の割烹、伝統工芸品や和菓子の店が今も面影を留める場所となっている。』とあります。

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富田橋の上から富田城跡を望む
欄干の彫刻は山中鹿介に所縁の三日月。

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城下町南端の新町付近
右の建物は創業300年の老舗割烹「荒島屋」。山菜料理が自慢であるが要予約。

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レトロな街並み
中央は明治3年から続く藍染の紺屋。要予約で藍染体験も可能。

 城下と街並みが離れているのは普通ですが、飯梨川を挟んで右岸が城、

左岸が町屋と綺麗に分けられているのも戦国時代の特徴でしょうか?

 町屋を走るとレトロな街が続きます。ここに富田城が築かれたのは、

山城として要害の地であった事に加え、飯梨川の水運が大きかったと思えます。

城下町が松江に移った後、普通ならば、旧城下町は衰頽するものですが、

江戸時代になって陣屋が置かれたのは、未だに広瀬が重視されたからに相違ありません。

地理的には出雲ではかなり山間になりますが、江戸時代には

中国山地からの物資の集散地としても役割が大だったのでしょう。

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城下の中央にある吉田酒造
文政9年創業の老舗蔵元で、煉瓦の煙突が目印。

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吉田酒造脇の「お茶の水井戸」
島根名水百選の一つで、毎日やかんを持った人が水汲みに訪れる。

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吉田酒造入口
杉玉と銘酒「月山」の名前が。

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石州瓦と海鼠壁

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酒造前のレトロな街並み

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酒造の看板「月山」の向こうに月山富田城跡が見える

 正午を過ぎましたが、ここで昼食。ところが、案内図にある食事処は軒並み閉店かテイクアウトのみ。

お盆なのか、コロナなのかはわかりません。

唯一、開いていたショッピングセンター内の食堂「川西屋」でチャーシュー麺を注文。

汗だくで走ったので、これで生き返りました。〆はフルーツパフェ。

和菓子で有名な松江なので、塩分と糖分を両方補給。

【あまご】所縁の場所なので当然ですが、これで【とうぶん】いけそうです。

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城下町で糖分補給

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安来駅まで戻って老舗料亭前にて

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国登録有形文化財「山常楼
明治の頃から現在まで続く老舗料亭。

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趣のある山常楼玄関
昼の定食「鰻」とあったが、今回は断念。

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山常楼説明

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安来市マンホール蓋

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安来市マンホールカード   配布は安来市観光協会(JR安来駅構内)

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巌倉寺(島根県安来市)月山富田城の南を守る朱塗門

2020.09.16(20:19) 701

出雲霊場のだぶる御朱印はアカンのん?(2020.8.15)

<コース>
JR松江(7:24) → JR安来(7:52) → 駅前レンタサイクル25分 → 雲樹寺 → レンタサイクル10分 → 清水寺 → レンタサイクル40分 → 月山富田城址 → 城安寺 → 巖倉寺

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睡虎山 巌倉寺(高野山真言宗 出雲観音霊場第十八番札所)
月山富田城の入口に建つ赤門

 城安寺巡礼を終えて、富田の町に移動すべく道を行くと、富田橋の袂に赤門が。

と言っても東大ではなく、城へ登城する菅谷口にある城安寺に対し、

もう一方の御子守口にあるのが巖倉寺。

こちらの方が急斜面、境内も狭く城を守る位置にあるのが分かります。

ここを寺で守れば城に【おこもり】するのも容易なのでしょう。

睡虎山の扁額を通り、車も通れない参道を上ると石垣の上にお寺が。

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坂を上り仁王門を潜るといよいよ境内

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参道から見上げる石垣
この上に本堂がある。

 睡虎山巌倉寺(すいこさんいわくらじ)は、

『神亀3年(726年)、行基菩薩に拠って開かれたのが嚆矢。当初は山佐の地にあったが、

出雲・隠岐の守護となった佐々木義清が現在地に移転、祈願所とした。

 守護の祈願所となった事で最盛期には十五ヵ寺を有する大寺となったが、

その後度重なる兵火で衰頽した。

 本尊の聖観音像は平安時代初期の作で脇立ちの帝釈天像と共に重文。

檜の一木造で出雲様式と呼ばれるものである。

 境内には初代松江藩主・堀尾吉晴の墓碑と尼子忠臣・山中鹿介の供養塔がある。

加えて、第十九番札所観音寺の御堂も同じ境内にある。』 とあります。

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巖倉寺本堂
鄙びているが風格を感じる造りである。

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本堂の「睡虎山」の扁額

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本堂からの眺め

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横から見た本堂

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巖倉寺御朱印  
出雲観音巡礼札所。冊子形式なので次の札所の説明と御詠歌の頁が付いている。

 寺号はかつての磐座信仰の名残でしょうが、山号は睡虎山。酔虎ならば酔っ払いですが、

睡虎と言うからには、この城は普段は眠っているが怒ると恐ろしいという意味も含めたのでしょう。

権謀術数で出雲守護にまでのし上がった尼子氏らしいと言えますが、

そんな月山富田城も近世城郭として残る事は出来ませんでした。

 そんな城を思ってか、寺院は庭園等もなく本堂が佇むのみ。

寺務所で御朱印を御願いすると、御住職が書置きを出して下さいました。

場所柄、あまり訪れる人もいないと思いますが、準備万端なのは流石。

やはり札所だからでしょうか?私の方も、抜け目なく十八&十九と二ヵ寺拝受しましたが。

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泰平山観音寺
巖倉寺本堂の奥にひっそりと建つ。札所と言ってもこの観音堂のみ。

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観音寺御朱印

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城安寺(島根県安来市) 極彩色の四天王と雪舟様の庭園

2020.09.14(22:05) 700

城に伴い引っ越しを繰り返した寺院(2020.8.15)

<コース>
JR松江(7:24) → JR安来(7:52) → 駅前レンタサイクル25分 → 雲樹寺 → レンタサイクル10分 → 清水寺 → レンタサイクル40分 → 月山富田城址 → 城安寺

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雲龍山 城安寺(臨済宗南禅寺派)

 清水寺参拝を終えるとお昼前。ここから安来に戻っても、夕刻の米子からの高速バスにはちと早すぎ。

もう一つの観光地月山富田城は駅から15㎞、清水寺からでも12㎞位あります。

お盆の炎天下に自転車はきつそうですが、えいままよ!と城址へ。今は安来市内ですが、

かつては広瀬町として独立した行政区。松江に城が移るまで、ここが出雲の中心地でした。

 清水寺から伯太川を渡り飯梨川にぶつかった所で川に沿って南下。

しばらく走ると川の左手山上に山城らしきものが見えたら広瀬地区。

城の様子は播但線から見える竹田城や平福の利神山城に酷似。これも戦国時代の山城に共通する造りなのでしょう。

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広瀬地区から見た月山富田城

 雲龍山城安寺(うんりゅうざんじょうあんじ)は

『正和年間(1312~1317年)、古愚(こぐう)和尚が創建。創建時は現在の福祉センター付近にあった。

慶長5年(1600年)月山富田城主となった堀尾吉晴は春龍和尚を招き寺を再興、菩提寺とした。

三代・忠晴の時に城が松江に移ると城安寺も松江に移転した。

 堀尾家断絶後、松江を治めた松平家の寛文6年(1666年)、松平近栄が本藩から広瀬藩を分知。

元覚和尚に拠り城安寺を菩提寺として尼子氏居館跡に移転。かつての寺跡には広瀬藩邸が建設された。

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由緒記

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石段の先にある山門

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境内から見た山門
広瀬松平家九代・直涼の寄進に拠るもの。

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山門から見た境内

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本堂正面
重文・広目天、多聞天を祀る。内陣拝観は可能だが、生憎修理中のため拝観できず。

 更に明治19年には火災や洪水の被害を受け、隣接する現在地へ移転。寺跡は墓地となった。

唯一被害を免れた山門は、広瀬松平家九代・直諒(なおあき)の寄進に拠るもので、扁額も彼自身の書。

また本堂に安置されている木造・多聞天像と広目天像は鎌倉時代の作で重文。彩色された像として有名である。

 その他、絵巻物等も所有するが、書院奥の日本庭園は明治中頃の作庭で有名。

益田にある万福寺の庭園を似せたとも伝わり、「雪舟写しの庭園」と呼ばれる。』 とあります。

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本堂前の欄間の彫刻と扁額

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本堂から見た庭と山門

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書院入口に掛かる松平家の家紋

 寺は城へ上る菅谷口手前にあります。由緒から城の変遷に伴い数々の引っ越しをしていますが、

これは城を安んずるという名前が好まれたのでしょうか?

 火災を免れた山門を越えると本堂が正面に。御朱印を御願いすると、御住職夫人が対応されて、

夫人;「住職は所要で外出して居りまして…。」

和辻;「書置きなどはあるでしょうか?」

夫人;「そういったものも置いてなくて、申し訳ございません。」

和辻;「彩色された四天王像は何処でしょう?」

夫人;「これも修理中で、見れないのです。」

とすべて空振り。

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書院奥の日本庭園へ
屋根の石州瓦が映える。

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庭園全景

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庭園左側

唯、庭園は拝観可能。通常、予約と拝観料が必要なようですが、お金は取られませんでした。

御朱印と四天王像が駄目だったので、気を遣われたのでしょうが、却ってこちらが恐縮。

すべてを【がっさん】すると【とんだ】事にはなりませんでした。

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池と築島の見える庭園中央

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庭園右側

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樹木に彩られた庭園

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安来清水寺(島根県安来市)

2020.09.13(12:01) 699

湧水と紅葉と羊羹の寺(2020.8.15)

<コース>
JR松江(7:24) → JR安来(7:52) → 駅前レンタサイクル25分 → 雲樹寺 → レンタサイクル10分 → 清水寺

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瑞光山 清水寺(天台宗 中国観音霊場第28番札所)

 27番札所に続き28番札所へ。雲樹寺の前の道路を走り四つ角を右折して細い道を進むと大門下の駐車場へ。

観光地らしく広い駐車場に自転車を停めて参道へ。

晴天のため強烈な日差しを怖れましたが、参道の両脇の樹木が日除けとなってくれました。

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駐車場に停めて参道へ向かう

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108の石段を上り大門へ

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大門に到着

 樹木には千年杉もありますが主流はモミジ。昨日訪れた鰐淵寺同様、紅葉の名所としても有名です。

本堂に向かう途中には松琴館紅葉館と二軒の料理旅館があり精進料理が目玉。

手頃な値段でもあり期待しましたが開店は11時過ぎ、今回は素通りとなりました。

参道を上り少し広い場所に出ると石垣の上に根本堂が聳えます。

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木々に囲まれた参道を抜け本堂へ向かう

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境内の老舗旅館・紅葉館
参道を右に入った場所にあり、境内を通した三重塔の眺めと精進料理が自慢の宿。

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石段を上った先にある開山堂

 瑞光山清水寺(ずいこうざんきよみずでら)は、

『用明天皇2年(587年)、尊隆上人が開基。その後、衰頽するが

大同元年(806年)平城天皇の勅旨を受け盛縁上人が再興した。

承和14年(847年)には入唐から帰朝した円仁が立ち寄り光明真言会が創設、天台宗に帰依した。

その後、火災と復興を経て、現在の寺域が定まったのが明徳4年(1393年)頃。

最盛期には四十八坊を有する山陰屈指の天台宗寺院となった。

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石段の上から見た境内全景
中央の高燈籠の向こうが根本堂、奥が三重塔。左手の店が休憩所の黒田千年堂。

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高燈籠を左に下りた場所に建つ光明閣
清水寺寺務所を兼ね、松江藩歴代藩主が参拝の折に使った「お成りの間」、広大な庭園がある。

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光明閣の庭を囲む塀

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塀の隙間から見た光明閣庭園

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光明閣からの眺め

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石段を上り根本堂へ

しかし戦国時代の尼子・毛利氏の兵火に遭遇し根本堂を除く建物を焼失。

後に毛利氏・松江松平氏に拠り復興が計られ、安政6年(1859年)には三重塔が建立された。』

とあります。

 場所は山腹ですが、ここに清水が湧き出ていたのが名前の由来。

根本堂で平成3年に井戸が見つかり今も聖水が湧出。

その奥にある三重塔に向かう右手にあるのが薩雲若(そうにゃ)池で明礬水が湧き出ると言われます。

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石段を上った先にある護摩堂と根本堂

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護摩堂前にある千年杉
境内屈指のパワースポットとして有名。

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明徳4年(1393年)建立の重文・根本堂
「黒馬」「弁慶のねじり桜」「尼子十勇士」の絵馬が奉納されている。

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根本堂近影
平成3年に井戸が見つかり今も聖水が湧出している。

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根本堂前の清水寺縁起

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根本堂脇から見た千年杉

 用明天皇時代の創建は多分に伝説的なものがありますが、

境内から湧く清水に目を付けた僧がここに創建したのはほぼ確実と思われます。

 四十八坊には及びませんが、今も二十を超える坊が立ち並ぶ大伽藍。

根本堂下の蓮乗院・光明閣は書院・庭園が有名で是非とも拝観したいと思いましたが今は拝観停止。

訊いたところコロナの影響ではなさそうでした。拝観できなかったのは残念ですが、

重文・根本堂から三重塔に続く境内は見応え十分。しかも拝観料不要というのも魅力的でした。

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根本堂脇の毘沙門堂
慶長年間に米子藩主の寄進に拠るもので、弓で射た金剛仏を納めた毘沙門天を奉納したと伝えられる。

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根本堂と毘沙門堂の間を抜け三重塔へ

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薩雲若(そうにゃ)池
池の水に二人の姿を映せば、二人の未来はハッピーになるという縁結びスポット。ハート型で明礬水の湧き出る池である。

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石垣の上に建つ三重塔
山陰唯一の三重塔で、清水寺のシンボルでもある。

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登楼することもできる三重塔
安政6年(1859年)から住職二代・大工三代が心血を注ぎ33年の歳月をかけて完成した。

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三重塔の木鼻と垂木部分

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三重塔の垂木と彫刻

 御朱印拝受を終え一服。見ると西村堂・黒田千年堂・深田豊隆堂と休憩所が三軒あり、いずれも清水羊羹の看板が。

伺った所、羊羹は清水寺名物だそうで今でも四店舗が製造販売しているとか。

隣接した黒田千年堂・深田豊隆堂で二個ずつ購入。いずれも素朴な味でした。

 巡礼者が糖分補給するのに丁度良いというのが理由でしょうか、帰りには土産に購入。

安来節と違って荷物にはなりましたが、値段が【安来】なので良しとした次第です。

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土産に購入した清水羊羹

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清水寺説明書

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清水寺御朱印

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安来中郵便局 ; 清水寺三重塔、十神山、安来節踊り
安来郵便局 ; 清水寺三重塔、十神山、安来節踊り、桜、温泉マーク

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雲樹寺(島根県安来市) 山陰屈指の禅宗寺院

2020.09.12(12:48) 698

すくいを求めて観音巡礼(2020.8.15)

<コース>
JR松江(7:24) → JR安来(7:52) → 駅前レンタサイクル25分 → 雲樹寺

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瑞塔山 雲樹寺(臨済宗妙心寺派 中国観音霊場第27番札所)

 巡礼四日目の最終日は、安来市内を散策。

安来と言えば、どこの県かは知らない人でも「どじょう掬い」は知っています。

ドジョウはほぼ全国に棲息し、左程珍しい魚でもありません。

それなのにここ安来でのみドジョウ掬いが生まれたのか?

 ドジョウ掬いは男踊りと女踊りがあり、有名なのは男踊り。で男がザルを持ってドジョウを追い駈ける訳ですが、

この動きは、たたら製鉄に従事する人が砂鉄を選り分ける動きが元になったという説があります。

出雲地方は長らく日本のたたら製鉄の伝統が続いた場所。

それならば、どじょう掬いが安来で生まれたのにも頷けます。

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JR安来駅前にて
石像はドジョウ掬いのキャラ「あらえっさ」君。小学生とか。

 ♪出雲名物荷物にゃならぬ♪と謳われた安来節ですが、市内には荷物にならない名物がまだいくつか存在しています。

 唯、名所は駅から徒歩圏内とはいかないので、駅前でレンタサイクル。

八時半からの営業ですが、御好意で早めに借りる事が出来ました。

 巡礼先は足立美術館と並ぶ安来の観光名所清水寺ですが、

同じく中国観音札所が傍にあると言う事なので、先ずはそちらから巡礼。

 駅で教えて頂いたように9号線を伯太川に沿って南下すると、交差点に大きな「雲樹寺」の案内が。

松に彩られた参道を行くと重文・四脚門。鎌倉末期から室町前期の禅宗様式を留めた貴重な文化財だそう。

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伯太川沿いの交差点に建つ寺標石
左奥が雲樹寺境内になる。

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坂を下り松に彩られた参道を行く

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重文・四脚門

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木鼻、肘木の近影

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四脚門説明

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四脚門の各部位の説明

 瑞塔山雲樹寺(ずいとうざんうんじゅじ)は、寺伝に拠れば

『元享2年(1322年)に孤峰覚明(こほうかくみょう)禅師が開山。覚明は元に渡り天台山で修業、帰国後、雲樹寺を創建。

元弘の役で後醍醐天皇は船上山に禅師を招き受戒、雲樹寺は勅願寺となり、国済国師の号を賜る。

後に後村上天皇からも三光国師の号を賜り、晩年は和泉に大雄寺を建てて隠棲した。

 南北朝を代表する名僧を開山に持ち、南朝所縁の寺院と言う事で隆盛を誇り、

最盛期には塔頭二十余院、僧侶500人が居住した山陰を代表する禅寺となった。

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参道から四脚門を振り返る

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参道から見た山門
ここから山門・仏殿・方丈と伽藍が一直線上に並ぶ。

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山門近影

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仏殿側から見た山門
江戸文政年間の火災の被害も免れた。

 周辺は木々に囲まれた湿地帯であったが、開山は湖沼を干拓し参道を整備。

江戸の天文から元禄年間に伽藍の修復が行われ枯山水庭園も整備された。

 文政3年に火災に遭うが、四脚門・大門・薬師堂・庭園は難を逃れた。

江戸末期より仏殿・方丈・開山堂を再建し今に至る。』 とあります。

 参道を左折すると山門・仏殿・方丈が一直線に並んでいます。禅宗寺院としては典型的な様式ですが、

この地期では珍しいとの事。山陰屈指の禅寺の名に恥じませんでした。

 仏殿に向かう途中の右手に小さな祠が。見ると中国観音霊場の観音堂で

祀られているのは「子授け・子育て観音」。札所の割には小さいのが印象的でした。

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山門から仏殿方面を見る

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参道左手の薬師堂

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参道右手の観音堂
札所の御本尊はここ。

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正面に建つ仏殿は江戸後期の再建

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仏殿側面

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仏殿の先にある御成門

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御成門近影

 正面に建つ仏殿は、本来本尊を祀る場所ではなく説法をする場所ですが、ここは拈華微笑仏が鎮座。

本堂を兼ねた形式になっています。

 その上にあるのが寺務所と方丈・開山堂。ベルを押して御朱印を拝受しました。

コロナ感染者には縁のない出雲地方ですが、対策はここでも大変なようでした。

 枯山水の庭と新羅時代の梵鐘があるようですが見当たらず。

そのまま次の巡礼に向かいましたが、後で調べると¥500で有料拝観があった様子。

どこにも案内表示がなかったので、ついうっかり見過ごし。

京都・奈良の寺社ではこのようなことは決してなかったでしょう。

観光化していないと言えばそれまでですが、非常におおらかな気質でした。

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仏殿脇を抜け寺務所・方丈へ

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方丈の建つ境内

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方丈(右)と開山堂(左)

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開山堂近影

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寺務所前の庭

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雲樹寺御朱印

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