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報恩寺(和歌山市吹上)

2021.02.28(21:09) 832

紀州藩奥方が眠る墓所(2021.2.13)

<コース> 南海電鉄は20分間隔、JRは15分間隔で運転
【往路】なんば → (南海特急・急行) → 和歌山市

南海和歌山市駅 → (和歌山バス) → 玉津島神社前 → 徒歩3分 → 玉津島神社 → 鹽竈神社 → 徒歩5分 → 海禅院多宝塔 → 徒歩15分 → 和歌浦天満宮 → 徒歩3分 → 紀州東照宮 → 徒歩8分 → 五百羅漢寺 → 秋葉山 → (和歌山バス) → 日赤医療センター前 → 徒歩5分 → 報恩寺 → 徒歩5分 → 真砂町 → (和歌山バス) → JR和歌山駅

【復路】JR和歌山 → (紀州路快速) → JR天王寺

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白雲山 報恩寺(日蓮宗 由緒寺院)

 五百羅漢に対面した後は和歌山城まで戻りますが、少し手前の赤十字病院前で下車。バス通りを東に進むと

寺院が犇めく一角が。地元では寺町と呼ばれているそうですが、城の南を防御する役割があったのでしょうか。

観光寺院はありませんが、紀州家菩提寺があるというので敬意を表するために参拝。

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国道42号から東に1筋入った道に面した入口

 白雲山報恩寺(はくうんざんほうおんじ)は、

『慶長14年(1609年)に建立された要行寺が嚆矢。その後、寛文6年(1666年)に紀州徳川家藩主頼宜公夫人・

瑤林(ようりん)院の追善菩提のため、息子の二代藩主光貞公が要行寺を報恩寺と改名。

一ヵ所本山として寛文9年に寺領250石を寄進、小西檀林化主・日順上人を招き開山導師とした。

日順は朝廷より権大僧都の位を賜り参内を許された高僧であった。

 以来、紀州徳川家の菩提寺として、また和歌山城下唯一の『武士寺』として繁栄。最盛期には末寺六ヶ寺、

寺域2万5千坪を有する紀州随一の日蓮宗寺院であった。

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山門近影

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山門から続く参道
中央は御成門なので左に進み境内へ。

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門扉に三つ葉葵のある参道正面の御成門
紀州徳川家藩主を始めとする貴人が参詣された際に使用された。現在は当山貫主の入山及び葬送の際のみ開門される。

 しかし明治元年(1868年)の勤皇運動に拠って諸堂が破壊され、時の貫主で当山17世の日偵上人も佐幕藩士に

惨殺されるなど、苦難の時代を迎えた。

 20世紀に入っても昭和20年(1945年)7月の和歌山大空襲で伽藍は焼失。第25世日環上人が再興を果たすが、

昭和36年の放火に拠って焼失と厄災が続いた。現在の本堂は平成11年に大改修を経て落慶したものである。

しかし紀州徳川家御廟所や鐘楼は焼失を免れ紀州の歴史を今に伝えている。』 とあります。

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平成11年落成の本堂
鉄筋製の白亜の殿堂である。外陣より参拝。

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戦災を免れた梵鐘
開山・日順上人が寛文12年(1672年)に二代藩主・光貞公の娘、光姫の供養の為に寄付したもの。

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本堂脇を抜けて御廟所へ

 周囲に森や山がないので門前に建つと非常に明るい印象。参道を抜けた本堂も鉄筋製と古刹という雰囲気はありませんが、

矢印に従って坂道を上った先の御廟に来ると流石に歴史に圧倒されます。唯、御廟の説明板がなかったので、どれが

誰やらサッパリ分からず。取り敢えず参拝だけして本堂へ戻ると、御住職が歩いて来られたので御朱印を拝受出来ました。

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御廟所への階段

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紀州徳川家御廟所入口

和辻;「ここは紀州藩菩提寺とありますが、下津の長保寺もそうですよね。」

住職;「あちらは藩主の菩提寺。ここは藩主の奥方の菩提寺になります。」

和辻;「宗派も違いますよね。」

住職;「向こうは天台宗で、ここは日蓮宗になります。」

和辻;「瑤林院さんは加藤清正公の娘と説明にあったので、それで日蓮宗ですか?」

住職;「実を言うと初代・頼宜公の御生母・養珠院さまが非常に熱心な日蓮宗の信者で、

「我が家の嫁は尽く日蓮宗に帰依せよ!」との御遺言がありましたので…。」との事。

 奥方故に寺の奥に御廟がある訳ではありませんが、藩主と奥方で菩提寺が別とは思いませんでした。

昨今、夫と同じ墓に入りたくないという女性も多いようですが、これはその走りでしょうか?

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御廟所奥の三基
手前から初代頼宜夫人・瑶林院、二代光貞夫人・天真院、五代吉宗夫人・寛徳院の墓。

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北の駐車場から全体を見る

 同じ家で宗派が異なるのは西洋の王侯貴族では先ず考えられませんが、日本では結構ある話。

徳川将軍家でも歴代将軍は、天台宗の寛永寺と浄土宗の増上寺に墓所が分かれています。これを寛容と見るか、

いい加減と見るかは各人各様ですが、特定の宗派の政治的影響力を排除する目的があった事は否めません。

我が国では近世以降、宗教が政治に容喙することは非常に少なかった気がします。

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報恩寺説明書

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報恩寺御朱印

 養珠院とは徳川家康の側室・お万の方で紀州頼宜、水戸頼房の生母。御三家の内二家の始祖の実母ですから

大したものです。お万の方は義父・蔭山氏の影響で熱烈な日蓮種の信者だったようで、宗論を巡って日蓮宗僧侶・日遠が

家康から死罪を命じられた際には、己の命を懸けて助命を勝ち取ったほどの人物。これには後陽成天皇も感激し

「南無妙法蓮華経」の文字を下賜されています。

てっきり初代藩主の奥方の信仰と思っていましたが、実母では従わざるを得なかったのでしょう。

これ程の人物ならば、子孫にこんな遺言を残しても「そんなこともお万なぁ」となりそうです。

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報恩寺の直ぐ北にある吉宗公誕生の地

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昼食は城北橋の北側にある「麺屋ひしお本店」にて

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五百羅漢寺(和歌山市和歌浦東)

2021.02.26(19:48) 831

秋葉山の麓に建つ羅漢さんと紀州青石群の寺(2021.2.13)

<コース> 南海電鉄は20分間隔、JRは15分間隔で運転
【往路】なんば → (南海特急・急行) → 和歌山市

南海和歌山市駅 → (和歌山バス) → 玉津島神社前 → 徒歩3分 → 玉津島神社 → 鹽竈神社 → 徒歩5分 → 海禅院多宝塔 → 徒歩15分 → 和歌浦天満宮 → 徒歩3分 → 紀州東照宮 → 徒歩8分 → 五百羅漢寺

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護國山 五百羅漢寺(曹洞宗 大本山永平寺直末)

 和歌の浦で四社参拝の後は城下まで戻る事に。東照宮の傍には権現前という停留所がありますが、

多方面からのバスが合流する和歌浦口までバス通りに沿って北上。そのバス停の少し先に五百羅漢寺の案内が…。

 車が1台辛うじて通れる道に面して重厚な仁王門が聳えます。左右の仁王様は阿吽像ですが、面白いのは

その前にある足型。説明では仁王様の足跡だそうで、その上に乗ると足腰が丈夫になりますとありました。

仁王像は今まで山のように見てきましたが、足跡は初めてでした。

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バス通りに建つ案内石標

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細い道の向こうに壮麗な仁王門が

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仁王門近影
「護國山」の扁額が掛かる。道が狭いので全体が写る場所はなさそう。

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左側の仁王様(吽像)

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仁王様の前の力石

 護國山五百羅漢寺(ごこくさんごひゃくらかんじ)は、

『明和元年(1764年)、紀州徳川家八代藩主・重倫(しげのり)公の祈祷寺として建立。初代住職には

大本山永平寺の46世・真空妙融禅師を招き、その縁で永平寺の直系寺院となった。

 堂内には重倫公の像が安置されている他、公が使用した座布団や御膳、木沓、菓子台を収蔵。

本尊の釈迦如来は公の母・清信院が寄進したものである。

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仁王門の正面に建つ本堂
一応、内陣から参拝可能。

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本堂向拝の龍の彫刻

 本堂を取り巻く多くの羅漢像は1837年から4・5年の歳月を掛けて、西浜御殿の女中や商人が祖先供養のために

再興奉納された仏像である。本堂には御本尊、十六羅漢、五百羅漢とお釈迦様の四人の弟子が祀られている。』

とあります。

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本堂内に並ぶ羅漢様
極彩色のものは修復済。

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境内の梅越しに見た本堂

 寺の裏にあるのは秋葉山。これは城下を火災から守るために防火の秋葉三尺坊大権現を祀る鎮守堂が建立された

事に由来します。建立の経緯や壮大な仁王門・本堂を見るにつけ、建立当時は広大な寺域を有したと想像できますが、

時代と共に衰微したのでしょう。

 仁王門と本堂とは対照的に境内は狭いですが、樹木を始め綺麗に整理されていました。

特に目に付いたのが石碑や滝に見立てた多数の石組み。良く見ると粉河寺の蓬莱庭園で見た紀州青石の様子。

戦国以降、庭石として珍重され高値で取引されたものですが、地産地消の走りとも言えそうです。

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梅越しに見た仁王門

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本堂前から見た境内

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青石で組まれた龍門の滝

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境内には青石の石碑が多く建つ

 御朱印を御願いしている間に本堂に参拝。「堂上には上がらないで下さい。」と記載されていたので遠くからの拝観。

有料拝観している様子もありませんが、折角の作品を間近で見られないのは残念。対応して頂いた重職夫人の話では

少しずつ修復中なので完成待ちといった所でしょうか?次回は「どうじょう、御覧下さい。」となれば良いですが…。

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紀州東照宮(和歌山市和歌浦西)

2021.02.25(20:09) 830

関西の日光と称された社殿(2021.2.13)

<コース> 南海電鉄は20分間隔、JRは15分間隔で運転
【往路】なんば → (南海特急・急行) → 和歌山市

南海和歌山市駅 → (和歌山バス) → 玉津島神社前 → 徒歩3分 → 玉津島神社 → 鹽竈神社 → 徒歩5分 → 海禅院多宝塔 → 徒歩15分 → 和歌浦天満宮 → 徒歩3分 → 紀州東照宮

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紀州東照宮(県社)

 天満宮から道を戻り、御手洗池横に大きな駐車場のあるのが紀州東照宮。その前には「令和3年400年」の幕が

掲げられています。駐車場の奥には鉄筋の紅白の派手な建物が。社務所かと思いましたが実は東照宮会館、

結婚式やイベントが行われる場所でした。が受付があったので御朱印はここで拝受できました。

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東照宮入口

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東照宮会館正面

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開館階段の奉納石碑
紀州家の奥方かと思ったが、「宗家のお嬢様です。」とは社務所の方の談。

 本殿は右奥にある参道を抜けて石段を登った先。急勾配ですが、先程の天満宮と異なり両側には樹木が

迫っているので怖さは感じませんでした。石段は108段、神社ですが煩悩の数にしているのでしょうか?

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東照宮ヘはこの石の鳥居を進む

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境内案内図

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木漏れ日の参道を行く

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楼門へ続く108段の侍坂

紀州東照宮は、

『元和7年(1621年)、南海道(現在の和歌山・三重の一部・四国)の総鎮守として紀州徳川家初代・頼宜に拠って創建。

風光明媚な和歌の浦を鎮守地として徳川家康公を東照大権現として祀り、国や人々の安寧と平和を祈念する聖地とした。

翌年には、家康公の御霊を慰め天下泰平を願う和歌祭も開始された。

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重文・朱塗りの楼門

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楼門下から和歌の浦方面を望む

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境内から見た楼門と廻廊
右にあるのが社務所で、拝観料はここで。

 楼門の朱塗極彩色は関西随一。権現造の社殿廊下は本漆塗りで左甚五郎作とされる欄間彫刻が、

本殿は狩野・土佐の両派に拠り荘厳な佇まいが描かれている。』 とあります。

 東照宮があるのは雑賀山。和歌の浦を眼下に見下ろし、西に天満宮、東に玉津島神社を控えた要衝の地。

私見では見晴らしは天満宮に譲りますが、目の付け所は流石といえましょう。

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楼門の正面にある唐門とその奥に建つ拝殿
唐門から先は撮影禁止になっている。

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唐門前の青銅製の燈籠

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社殿にある左甚五郎の鶴亀の彫刻
これは案内板の写真を引用。

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社殿正面の左甚五郎作と伝わる龍の彫刻
拝観時にチケット代わりに貰った絵葉書から。

 楼門より先は有料(¥300)で、唐門より内側は撮影禁止。写真は残念でしたがゆっくり鑑賞できたのは幸いでした。

左甚五郎の作品は龍。初代・頼宜が南龍公の神号で呼ばれた事に由来するそうです。

日光、久能山もそうですが東照宮はどこも豪華絢爛。関西でここまで派手なものは見た記憶がありません。

苦労人の家康にしては以外な気もしますが、戦乱のない世にしたという矜持でしょうか?

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境内にある吉宗公所縁の楓の木

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東照宮の案内

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紀州東照宮御朱印

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和歌浦天満宮(和歌山市和歌浦西)

2021.02.24(20:34) 829

和歌浦を見渡す日本三菅廟の一つ(2021.2.13)

<コース> 南海電鉄は20分間隔、JRは15分間隔で運転
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南海和歌山市駅 → (和歌山バス) → 玉津島神社前 → 徒歩3分 → 玉津島神社 → 鹽竈神社 → 徒歩5分 → 海禅院多宝塔 → 徒歩15分 → 和歌浦天満宮

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和歌浦天満宮(天満神社)

 妹背山から和歌の浦を眺めた後は、再び三断橋を渡り次なる参拝へ。鹽竈神社、玉津島神社を横に見て

市町川を遡りますが、途中にはレトロな旅館や食事処が並んでいます。景勝地なので宿泊所は当然ですが、

それに加えてお洒落なカフェやスイーツの店が多いのが特徴。観光客だけではなく地元の人も利用しているとか。

右手に古民家らしき建物がありましたが、地元の大学で教鞭を執っている同級生に拠れば、純喫茶リエールといって

地元でも評判の店。前もって訊いておればと思いましたが、後の祭りでした。

川の突き当りの御手洗池公園の横に大きな朱の鳥居と紅い柱の建物が見えますが、そこは東照宮。

天満宮は池の横の道を更に200m奥に行った場所でした。

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天満宮に到着

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一の鳥居

和歌浦天満宮は、

『延喜元年(901年)、菅原道真が太宰府に配流の途中、風雨を避けここ和歌浦に立寄った。

その際、地元の漁民が急拵えの座で公を迎えたとされる。道真は船出の時に

・老いを積む 身は浮き船に 誘われて 遠ざかり行く 和歌の浦波

・見ざりつる いにしえまでも 悔しきは 和歌吹上の 浦の曙

の二首の歌を詠じたと伝わる。

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鳥居からみた石段と楼門

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石段前の木製牛もコロナ対策

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急勾配の石段

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石段と石垣
どちらも紀州青石か?

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急勾配が苦手な人には左に緩い坂がある

 康保年間(964~968年)になり文章博士・橘直幹が和歌浦を訪れ道真を追慕して御神霊を勧進したのが嚆矢とされる。

その後、江戸時代の慶長5年(1600年)に紀州の藩主となった浅野幸長が慶長6年頃から造営を始め

慶長11年に社殿が完成、現在に至る。本殿や楼門は紀州根来の塀内吉政・正信親子の建築である。』

とあります。

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慶長10年(1605年)建立の重文・楼門
入母屋造・本瓦葺き。

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楼門の説明板

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楼門からの眺望
鳥居の奥に御手洗池、更に先には和歌の浦が広がる。

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楼門から見た前拝殿

 天満宮と名の付く神社は全国に多々ありますが、ここは福岡の太宰府、京都の北野と並んで菅公所縁の場所。

単なる【かんこう】地ではなく三菅廟と呼ばれるのも故なしとはしません。

 鳥居から楼門までは紀州青石が敷かれた急な石段を登りますが、楼門に立つと遠く和歌の浦まで見渡せます。

ここに立った道真公は己の将来よりもこの国の行く末を憂いたのでしょうか? 

彼の死後、ここに社を建てたのはそんな菅公の思いを忖度したからに違いありません。

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境内から見た楼門
左側は社務所で、御朱印はここで拝受。

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本殿の説明

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前拝殿とその奥に建つ重文・本殿
慶長11年(1606年)の建立。

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前拝殿近影

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前拝殿の唐破風と本殿の千鳥破風
どちらも檜皮葺である。

 江戸時代に建てられた東照宮はこの東側。眺望を考えると天満宮の方に軍配が上がりますが、

移転させなかったのは天神信仰の賜物。社殿も一流の作となっています。

説明書によれば子の塀内正信は寛永9年(1632年)に江戸幕府の作事方大棟梁に就任。全国の大工の頂点に立ちます。

ここの作品はまさにその【とうりょう門】だったと言えましょうか。

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本殿の脇に建つ重文の多賀大社本殿(末社)

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末社天照皇太神宮前の御神木

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和歌浦天満宮 参拝のしおり

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和歌浦天満宮御朱印

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海禅院多宝塔(和歌山市和歌浦中)

2021.02.23(19:26) 828

唯一残った島・妹背山(2021.2.13)

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南海和歌山市駅 → (和歌山バス) → 玉津島神社前 → 徒歩3分 → 玉津島神社 → 鹽竈神社 → 徒歩5分 → 海禅院多宝塔

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海禅院(日蓮宗)

 二社を参拝した後は、唯一残った島へ渡ることに。玉津島の六の岩山の先頭にあるのが妹背山。

『慶安2年(1649年)、紀州徳川家初代・頼宜の母の養珠院(お万の方)が家康33回忌の供養に山内に経石を埋納。

暦元年(1655年)には頼宜が母親を偲びその上に多宝塔を建立。また民衆が自由に干潟の景色を楽しめるように

三断橋と観海閣を設け妹背山を整備した。』 とあります。

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あしべ橋上より妹背山遠望

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頼宜が建設した三断橋
妹背山に続く県内最古の石橋である。現在修復中なので右の仮橋を利用。

 養珠院が唯一残った島に経石を埋めたのは、この世と冥界を繋ぐという位置付けでしょうか?

紀州徳川家初代の頼宜は家康の十男。和歌の浦の北西にある権現山の中腹に父を祀る東照宮を、

干潟に浮かぶ妹背山に母を偲ぶ多宝塔を建立しています。“父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し”と

思ったかどうかは知りませんが、バランスの取れた配置であることは確かです。

島に続く三断橋は県内最古の石橋。優雅な造りは中国景勝地の西湖堤を模したものだとか。

島に渡り観海閣に行くと真東には和歌の浦越しに紀三井寺を望むことができます。

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和歌の浦に面して建つ観海閣

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観海閣から東の遠望
山腹にあるのは紀三井寺。

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海禅院多宝塔
妹背山の中腹に建つ。

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多宝塔近影

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多宝塔屋根瓦にも三ツ葉葵が

 それよりも墓域に一般人も入れるようにしたのは非常に画期的。紀州藩は親藩のため近隣の諸藩より

年貢がきつかったとはよく聞く話ですが、これなどは庶民の目線に立った政治と言えます。

 島を巡ると寺らしき建物が。海禅院多宝塔というからにはここが寺院なのでしょうが、人の気配は全くなし。

入口にも集会所とありました。無住なのでしょうが折角の景勝地なので【かいぜん】の余地があるかと思った次第です。

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多宝塔の横から山頂に向かう

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妹背山山頂から不老橋・あしべ橋方面を望む

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山頂から見た和歌の浦
浦とあるが干潟、遥か向こうに見えるのは海南の和歌山マリーナシティ。

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海禅院?
山頂から多宝塔の反対側に降りた場所に建つ。掃除はされている様子だが、人気はない。

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鹽竈神社(和歌山市和歌浦中)

2021.02.22(17:56) 827

海沿いにある洞窟の社(2021.2.13)

<コース> 南海電鉄は20分間隔、JRは15分間隔で運転
【往路】なんば → (南海特急・急行) → 和歌山市

南海和歌山市駅 → (和歌山バス) → 玉津島神社前 → 徒歩3分 → 玉津島神社 → 鹽竈神社

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鹽竈神社

 玉津島神社参拝に引き続き鹽竈神社へ。歩いても150m程度ですが、玉津島神社のある奠供山ではなく、

別の鏡山の麓にあります。

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鏡山と神社遠景

 鹽竈神社は

『玉津島山の一つ鏡山の麓、波に削られた洞窟に潮の満ち干や製塩から安産・子授けを司る鹽槌翁尊(しおづちおじのみこと)

が祀られている。尊は古事記の「海幸彦・山幸彦」に登場する鹽椎神で、山幸彦に海神の所へ行くようにと教えた神。

その結果、山幸彦は龍宮の豊玉姫と結婚し御子を授かったと伝わる。

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洞窟への入口にある拝殿

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拝殿の脇にある和合の松

 潮の満ち引きが出産に関係し、また塩が人々の食生活に不可欠であることから全国を巡り十三ヵ所に製塩法を伝授。

和歌浦の鹽竈はその内の一つとされる。かつては紀ノ川上流の丹生都比売神社から、浜降り神事で渡った神輿が

置かれたため輿の窟(こしのいわや)と呼ばれた。』 とあります。

 山の麓とありますが波をもろにかぶりそうな場所。岩に空いた洞窟を胎内と見做して崇拝したのでしょう。

玉津島神社の祓所から神社に昇格したとも言われます。

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洞窟の奥にある拝所

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鹽竈神社御朱印
これは玉津島神社で拝受した。

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洞窟の上にも山部赤人の歌碑が建つ

 神社の向かいにあるのが不老橋。嘉永4年(1851年)に十代藩主・治宝の命で和歌祭の御成橋として建造されたもの。

和歌祭とは家康を祀る東照宮の例大祭で徳川家や東照宮の人々が通るためだそうです。

アーチ形の石橋でアーチ部は肥後熊本の石工が、勾欄部の雲をあしらった彫刻は紀州湯浅の石工と当時の一流を

集めたようです。当時は幕末で黒船来航の2年前。国難に対して家康に頼ろうという心情は分かりますが、

その後17年で幕府が終焉した事を考えると、あまり効果はなかったとも言えます。

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不老橋の北側にて

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あしべ橋上から見た不老橋全景
下を流れるのは市町川、朱の鳥居は玉津島神社の西参道口。

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あしべ橋から見た鹽竈神社全景

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玉津島神社(和歌山市和歌浦)

2021.02.21(20:20) 826

和歌の聖地に建つ社(2021.2.13)

<コース> 南海電鉄は20分間隔、JRは15分間隔で運転
【往路】なんば → (南海特急・急行) → 和歌山市

南海和歌山市駅 → (和歌山バス) → 玉津島神社前 → 徒歩3分 → 玉津島神社

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玉津島神社(旧村社)

 この日は気温も上がる予想なので「梅も開花するやろ。」と思い立って和歌山まで【きしゅう】攻撃。

行先は和歌浦。市内というよりも県下を代表する景勝地。電車の駅からはやや離れていますが、

JR・南海の駅からはバスが頻発しているので不便はありませんでした。

バスを玉津島神社前で下車すると東参道口で鳥居が見えます。もう一つ先の不老橋で下車して

市町川に面した鳥居を行くのが西参道口。大回りにはなりますが、どうもこちらからの参拝が正式な様でした。

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西参道口に建つ鳥居

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二の鳥居
正面に見えるのは拝殿。

 玉津島神社は

『神功皇后が海外出兵の際、玉津島の神である稚日女尊(わかひるめのみこと)が霊威を表された事で篤く尊崇。

後に皇后自身も卯の年・卯の月に因み合祀された。

その後、五十八代・光孝天皇の夢枕に第允恭天皇の后である衣通姫尊(そとおりひめのみこと)が現われ

和歌の浦を詠まれたので勅命により合祀。三柱となった。

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由緒略記

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二の鳥居に続くのは小野小町の袖掛けの塀
ここに服を掛けると美心になるという噂があり実行する人が後を絶たないとか。

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和歌浦状

 神亀元年(724年)、聖武天皇は若ノ浦に行幸。その景観に感動し玉津島と明光浦の霊を祀る詔を発したのが

玉津島の初見である。当時の紀ノ川は河口を和歌の浦に大きく開き六つの小高い島山があり、引き潮時には

陸続きであるが満潮時には恰も玉のように海中に存在していたことから玉津島六山と呼ばれたのが由来である。

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拝殿近影

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拝殿前に建つ紀州頼宜公寄進の石灯籠

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境内にあるオオタニワタリ
南方系のシダ植物である。

 その行幸に従った宮廷歌人の山部赤人は若ノ浦と玉津島の神々を讃えた長歌と二首の反歌を詠んだが、その反歌が

・若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 芦辺をさして 鶴鳴き渡る

である。 紀貫之が『古今和歌集』で赤人を取り上げた事から、和歌の聖地となって神が祀られる事となった。

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拝殿奥にある山部赤人の万葉歌碑 これは右側に建つ長歌
・やすみしし わご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に
 風吹けば 白波騒ぎ 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ尊き 玉津島山

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左側の反歌二首 (揮毫はいずれも犬養孝)
・沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠り行かば 思ほえむかも
・若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

 天正13年(1585年)、紀州平定した豊臣秀吉が当社に参詣、1606年には紀州に入部した浅野幸長により社殿が修復、

それに続いた紀州徳川家初代・頼宜に拠って本格的な整備がなされた。

頼宜は和歌名人36人を描いた「三十六歌仙額」を奉納している。

古は「若の浦」だったのが「和歌の浦」となって今の県名にまで続くことになった。』 とあります。

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拝殿横の根上がり松
中世の頃、玉津島に根上がり松の巨木があった事に因み、大正10年に和歌山市高松から移されたもの。

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拝殿の右を抜けて奠供山登り口へ

 隣県ながらこれまでゆっくり見た記憶はありませんが、来てみると成程、詠われるだけあって風光明媚な場所。

それよりも和歌の浦は干潟で、かつては六島あったとは初耳でした。現在、妹背山、鏡山、奠供(てんぐ)山、雲蓋山、

妙見山、船頭山と呼ばれていますが、妹背山のみを海上に残して後は全て陸地化しています。

『奥の細道』にもあるように松島や象潟など海に島々が点在する姿が詩情を生むのでしょう。

和歌の聖地はかつての島々の場所でもあったようです。

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山道の途中から見た本殿

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奠供山頂上に建つ遥拝所の碑

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頂上から南方を望む
不老橋の向こうに和歌浦干潟が広がる。

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頂上から東方を望む
山腹に見えるのは紀三井寺。

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頂上から西方を望む
和歌浦漁港と奥に見える雑賀崎。

 付近は寺社が多く「距離的に近いのに何故?」と思ったのは、かつての島毎に祀った名残でしょうか。

玉津島神社があるのは奠供山(てんぐさん)。聖武天皇の詔勅の文に由来する名前です。石段を登った先からは

和歌の浦が一望でき、紀州10代藩主・治宝(はるとみ)は遥拝所を造営。明治43年(1910年)には眺望のため

30mの昇降機が設置されたそうですが、今に残るのは碑のみ。何事も【てんぐ】になってはいけないという教訓でしょうか?

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玉津島神社由緒記

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玉津島神社御朱印

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天満の天神さん(大阪市北区天神橋)

2021.02.20(20:26) 825

天神祭と学問の社(2021.2.11)

<コース>
大阪駅 → 徒歩15分 → 成正寺 → 徒歩5分 → 寶珠院 → 徒歩7分 → 大阪天満宮

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大阪天満宮(旧府社)

 寶珠院参拝の後は天神橋筋を南下し、この日のメインの天満宮へ。

中之島に架かる天神橋から北へ直線で2.3㎞、天神橋筋商店街は日本一長い商店街というのが売り。

天神さんへの参詣客相手に立った市が長い年月を経てこの商店街に至ったようです。

商店街には色々な店が軒を連ね古書店も多いですが、人気があるのは寿司屋さん。

天満卸売市場が傍にあるので大阪の中心にしては安く、その上、早朝から営業しているのが理由でしょう。

かなり食指が動きましたが、ここは参拝のために次回に持ち越し。南下すると北門から参拝ですがここは脇門、

正式には南から入る表大門になります。

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天神橋筋商店街のアーケード

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北門前にて
左には繁昌亭が建つ。

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北門にある南高梅
南部梅林・岩代大梅林からの献梅である。

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南側にある表大門

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門扉の釘隠しは梅紋

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門扉の鳳凰の彫刻

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大門天井の大注連縄と方位板

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屋根瓦にも梅鉢紋が

 大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、

『白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際に、その北西に守護神として創建された大将軍社を嚆矢とする。

 延喜元年(901年)、太宰府に左遷された菅原道真が大将軍社に参詣、旅の安全を祈願している。

道真は延喜3年(903年)配流先の太宰府で没したが、その直後から天神信仰が始まる。天暦3年(949年)には

大将軍社の前に松が生え霊光を放ったという奇瑞が朝廷に達し、村上天皇の勅願に拠りこの地に天満宮が創建された。

それに伴い従来の大将軍社は摂社となった。

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拝殿前にて
この右手には参拝の人がずらりと並んでいた。

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拝殿前の松、梅とその前にある竹垣

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拝殿に続く社殿

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社殿にある登龍門

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登龍門の説明

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唐破風の彫刻

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鯉と龍の図柄の金燈籠

 享保9年(1724年)の大火では建物が全焼。その後、復興するが天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱で又も全焼と

大坂の中心部にあるため度々火災に遭遇している。天保14年(1843年)には現在の本殿が再建、昭和20年(1945年)の

大阪大空襲は奇跡的に免れた。

 7月24~25日の天神祭りは日本三大祭りの一つ。大川(旧淀川)を渡る船渡御、2000発の奉納花火は

浪速の夏を彩る一大イベントである。』 とあります。

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社殿奥の本殿

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北側より見た本殿

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表大門脇にある天満天神の水

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天満天神の水の説明

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天神様所縁の撫で牛

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和魂漢才碑
紀継貞の需に応え菅公の遺誡を東坊城総長が揮毫したもの。

 何度かの火災の中に大塩平八郎の乱があったのは初耳。直ぐに鎮圧されたと思っていましたが、

結構被害は大きかったようです。陽明学者であった彼が天神様を焼討ちしたとは思えませんが…。

この時期は学問の神様を祀る神社に相応しく受験祈願の人で境内は混雑。コロナ下とはいえ、

受験生にとってはそれどころではない筈。私も同じ立場ならきっとお参りしたでしょう。

「梅が咲く天神様に参拝して桜咲く」になればと、こちらも皆さんの検討をお祈りして帰路につきました。

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顕彰碑脇の白梅

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参集殿前の紅梅

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星合池(亀の池)の畔の白梅

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星合池畔にて

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大阪天満宮御朱印

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寶珠院(大阪市北区与力町)

2021.02.19(21:33) 824

道真公所縁の天満宮の神宮寺(2021.2.11)

<コース>
大阪駅 → 徒歩15分 → 成正寺 → 徒歩5分 → 寶珠院

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菅原山 天満宮寺 寶珠院(真言宗御室派 摂津八十八ヵ所第十番札所)

 大塩平八郎のお墓にお参り後は道を東進。かつて一帯は東寺町と呼ばれた寺院の密集地域。

いずれも南向きに門が開いた寺院が六ヵ寺並びます。その中程にあるのが目的地。

現代的な造りで宝珠が刻印された青銅製の門扉の前に建つと、寺院というよりもどこかの社長宅に来た感じ。

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西方面から東寺町に向かう
写真は善導寺の門前。

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寶珠院門前にて

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寺名の寶珠が描かれた門扉

菅原山天満宮寺寶珠院(すがわらざんてんまんぐうじほうしゅいん)は、

『弘法大師空海が高野山の開創に当り、しばしばこの地を通行。ある時、土地の古老から

「江北野に毎朝光り輝き紫雲たなびく処あり」 と聞き、

天長2年(825年)如意珠院という草庵を建てたのが嚆矢。

その後、大和室生寺の堅恵大徳が当院に入った際に、寶珠院と改名した。

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鉄筋製の本堂

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本堂の扁額

 貞観年間(859~877年)、菅原道真は弘法大師の聖跡を深く追慕し、加えて住職の恵澄法印とは

比叡山での学友であったので、しばしば当山に来詣。太宰府への左遷に際しては、念持仏や写経他を納められた。

延長2年(924年)、当山の恵岳上人に「大般若経を転読せよ」との道真公のお告げがあり、境内に菅公殿を建て尊像を安置。

天満天神社が造営されたのもその時とされる。尚、転読は連綿と今日まで続いている。

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本堂前に建つ護摩堂

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護摩堂内陣の正面には沓掛不動様が

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護摩堂の裏手に回るとこのような感じに

 応永3年(1396年)には、当山の霊験は天朝に達し、大和・摂津に二郡寺領の宣下があり「菅原山天満宮寺」の勅号を賜った。

安土桃山時代の住職・大村由己梅庵は太閤秀吉のお伽衆の一人で祐筆も務めた人物。『天正記』の著書があり、

出雲阿国を世に出した人とも伝わる。当時の寶珠院は現在より東の大川に面した場所にあったが、

大坂夏の陣の後、大坂城代・松平忠明は多くの寺院を集めて寺町を作った際に、現在の場所に移転。

移転後も「近在にその比を見ず」と称えられた伽藍であったが、昭和20年の大阪大空襲で土蔵のみを残して灰燼に帰した。

昭和42年(1967年)に本堂庫裏が鉄筋コンクリートで再建され今に至っている。

本堂には戦火を免れた弥勒像や鎌倉期の仏像を安置している。』 とあります。

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天神堂と奥にある弁財天堂
右には大黒天堂が控える。

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油掛大黒天堂

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油掛大黒天様
京都には油掛地蔵様が居られたが…。

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境内の東側を望む
手前が身代地蔵尊、奥が十一面観音堂。

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観音堂内の十一面観音菩薩

 由緒を辿れば天満宮の神宮寺という位置付けだったようですが、「今は全く関係ないですね。」とは

御朱印に対応頂いた住職夫人の談でした。

ここも先の大戦は免れなかったようで、門扉や堂宇も重厚な造りになっていました。本堂は外からの参拝のみですが、

境内には観音堂。地蔵堂・護摩堂・天神堂・弁天堂・大黒天堂の諸堂が建ち、それぞれ参拝できます。

境内の西端には石組みを背にした沓掛不動尊が屹立していますが、手前の護摩堂の前面から覗くと

窓越しにお不動様が見える仕組み。大黒天堂は油を満たした盤に乗った大黒様に参拝者が油を掛けると言う参拝方法。

遊び心と言ったら怒られそうですが、色々な参拝ができるように工夫を凝らしているのが分かります。

私も、沓掛、油掛けをしてから願掛けしました。

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観音堂前から西方面を見る

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境内の紅梅

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寶珠院縁起

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寶珠院御朱印
書置きを拝受。

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大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島 (歴史散歩 27)

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成正寺(大阪市北区末広町)

2021.02.18(19:27) 823

中斎は時の氏神(2021.2.11)

<コース>
大阪駅 → 徒歩15分 → 成正寺

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讀誦山 成正寺(日蓮宗)

 晴天に恵まれた建国記念の日、そろそろ梅も見頃と予想して大阪市内の天満宮へ巡礼。

最寄りはJR大阪天満宮駅ですがJR大阪から歩いても1㎞程なので、徒歩で目的地へ。

その途中に「大塩平八郎の墓」の碑がある寺院があったので、急遽立ち寄り。

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東西の通りに面した山門
中斎大塩平八郎墓所の碑が建つ。

讀誦山成正寺(どくじゅさんじょうしょうじ)は、

『慶長9年(1604年)、増長院日秀が開山となり創建。身延山久遠寺の直属の寺院である。

昭和20年3月の大阪大空襲で悉く焼失。伽藍を含め境内は全て戦後の再建である。

幕末の大塩平八郎の菩提寺であった由縁で境内には大塩平八郎の墓がある。』 とあります。

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山門の正面に建つ本堂
戦後の再建である。

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本堂の前に戦後建てられた大塩平八郎親子の墓
格之助は養子に当たる。

 戦後再建された鉄筋の堂宇と墓碑を眺めていると、丁度御住職が出掛ける所。

住職;「どうぞ、ゆっくり見て行って下さい。」

和辻;「大塩平八郎は日蓮宗だったのですか。」

住職;「そうです。ここが大塩家の菩提寺になります。」

和辻;「与力町という地名もあるので、この辺に役所があったのですか?」

住職;「この辺は旧寺町で与力町は東です。役所は今の造幣局辺りにあったそうです。」

和辻;「扁額の讀誦山とは何と読むのですか?」

住職;「“どくじゅ”と読みます。法華経にある言葉で、法華経を唱えてそれを実践するという意味です。」

とすべて的確な回答が帰ってきました。

大塩平八郎は陽明学者、知識を学ぶだけではなく実践を行うという教えと共通するものがあります。

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本堂の扁額「讀誦山」

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救民 大塩の乱に殉じた人びとの碑
本堂前に建つ。平八郎の子孫はいないが関係者が今でも参拝されるよう。

 学者であり、代々大坂町奉行を務めた家の人間が幕府に反乱を起こすのには余程の訳があったとしか

言いようがありません。謀反人ではありますが、墓や乱に殉じた人の碑がある所を見ると、共感する人も多かった筈。

乱は幕府によって鎮圧されましたが、その後30年足らずで大政奉還。同じ反乱でも由井正雪の乱、

島原の乱が幕府の安定化に寄与したのとは対照的です。

住職;「この辺は大阪大空襲で全焼しました。私も小学生でしたが境内の防空壕に飛び込んで助かったのです。」

としみじみと話されました。戦乱が無関係な人々を不幸に巻き込むのは古今東西変わらず。

学者としての功績があるだけにもっと別の対応がなかったのかと思うと残念でなりません。

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境内の裏にある大塩家の墓
但し、遺骨は納められていない。

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百万塔陀羅尼のような供養塔

[参考書]

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紫雲石(京都市左京区黒谷町)

2021.02.16(19:55) 822

法然上人の聖石に宗厳が開いた荘厳な寺院(2021.2.6)

<コース> 京阪電車は10分間隔で運転
京阪淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → (準急) → 清水五条 → 徒歩5分 → 世継地蔵 → 徒歩15分 → 日限地蔵 → 徒歩10分 → 目疾地蔵 → 徒歩10分 → 赤穂義士の寺 → 徒歩30分 → 大文字寺 → 徒歩10分 → 紫雲石

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紫雲石 萬日寺 西雲院(浄土宗大本山 金戒光明寺山内)

 留守の大文字寺参拝を終えて白川通りを南下。西に坂を上って真如堂境内を過ぎ、金戒光明寺の

北門前にある案内板に従って、細い上り坂を5分。墓地の向こうに小さな東門が見えると西雲院。

大文字から向かったので北側の細道でしたが、金戒光明寺境内から三重塔を見て石段を行くのが正式ルート。

【今回】は【巧妙】に迷わず辿り着けました。

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会津墓地に面した東門
今回はここから境内へ。

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金戒光明寺の境内から東へ向かう上りの石段
眼下には蓮池に架かる極楽橋、その向こうに山門が見える。

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石段の先に建つ三重塔
目指す寺院はこの先を左折。

 紫雲石萬日寺西雲院(しうんせきまんにちじさいうんいん)は、

『元和2年(1616年)、宗厳(そうごん)に拠り創建。宗厳は秀吉の朝鮮出兵の折、彼の地より連れて来られた人物。

初め秀吉の妻おねに仕え、その後家臣の姫に仕えたが姫が17歳で突然夭逝。世の無常を感じて出家した。

 念仏聖となった宗厳は金戒光明寺にある姫の墓参をしていた所、御法主の了的上人に認められ、

法然上人由来の「紫雲石」を賜り当院を創建したと伝わる。

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こちらが正式な山門(南門)

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境内の様子
並んでいるのは蓮の鉢。

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西雲院縁起

 紫雲石の由緒は次の通り。

開祖法然上人が43歳の時、比叡山を下り当地のこの石に腰掛けていた。夕日の中、念仏を唱えていると

前方の谷から紫雲が沸き上がり、金色の光と芳香が漂ってきた。法然は「これぞ念仏有縁の地なり。」として

浄土宗を開いたので、この山を紫雲山、石を紫雲石と呼ぶようになった。

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本堂正面

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本堂の「西雲院」の扁額

 宗厳は不断念仏行を唱え、千日の別時念仏を修して寛永5年に没するが、その後も「万日」の別時念仏は

代々受け継がれ四万日に及んだ。そのため紫雲石萬日寺と呼ばれる事もあった。幕末には黒谷一山が

京都守護職に任じられた会津松平侯の本陣となり、当院は会津戦没者の墓地を預かっている。』

とあります。

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紫雲石を祀る堂

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堂の中に祀られた紫雲石

 黒谷さんは法然上人所縁の地ですが、この紫雲もその一つ。比叡を下りて思案はしたでしょうが、

紫雲が現れたかどうかは永遠の謎と言うべきでしょう。

 それよりも朝鮮から連れて来られた宗厳に紫雲石を賜った方が驚き。単なる戦争捕虜ではなかったでしょうが、

異国のしかも新たに出家した人物に特異な才能を見たのでしょう。紫雲石は宗厳への試金石だったのでしょうか?

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西雲院説明書

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西雲院御朱印

 境内には本堂と並んで紫雲石を祀るお堂があるのは縁起からすると当然ですが、

境内が四季の花に包まれていたのはここに来て初めて知りました。訪れた時は梅が咲いていましたが、

頂いた説明書には「花の暦」として春の桜、初夏の牡丹、夏の蓮花、秋の紅葉と写真も掲載。

「これは訪れる時期を誤ったかな?」と思いましたが、再び足を運ぶ事に期待です。

法然上人所縁の地は花の豊年の場所でもありました。

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東門脇に咲く梅

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説明書にある「花の暦」

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大文字寺(京都市左京区銀閣寺町)

2021.02.15(21:45) 821

じしょう寺の入口の通称寺(2021.2.6)

<コース> 京阪電車は10分間隔で運転
京阪淀屋橋 → (京阪特急) → 丹波橋 → (準急) → 清水五条 → 徒歩5分 → 世継地蔵 → 徒歩15分 → 日限地蔵 → 徒歩10分 → 目疾地蔵 → 徒歩10分 → 赤穂義士の寺 → 徒歩30分 → 大文字寺

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清泰山 浄土院(浄土宗知恩院派)

 抜けてしまった義士の寺を抜け東大路を北上。百万遍から今出川通を東へ向かい白川通りを過ぎ

「哲学の道」に入ると行く手には大文字山が視界に入ります。

 この辺りは春の桜、秋の紅葉は言うに及ばず年間を通じ【哲学の密】状態ですが、このところのコロナでがら空き。

今出川通りから銀閣寺に進むとようやくパラパラと人が歩いている状況でした。

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白沙山荘前の哲学の道と関雪桜
前方に「大」の文字が見える。

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疎水と哲学の道
こんな人が少ないのは眼にしたことはない。

 この辺りで寺院を拝観する人の殆どのお目当ては銀閣寺。足利義政が建てた東山文化を代表する国宝ですが、

今回の目的寺院はその入口に隠れるように建つ寺院。正式には浄土院ですが、大文字の送り火の御本尊を安置する

精霊送りの寺なので通称が大文字寺(だいもんじでら)。【じしょう寺】銀閣の横に通称寺があるというのも仏縁でしょうか?

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浄土院前にて

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山門前にて
右は銀閣寺への参道。

 清泰山浄土院(せいたいざんじょうどいん)は、

『この地には浄土寺という天台寺院があったが、文明14年(1482年)の東山殿(後の銀閣)造営に際し相国寺西へ移転。

その跡に残された草堂を泰誉浄久(たいよじょうきゅう)が浄土宗の寺として復興。浄土院と名付けた。

その後、享保17年(1732年)随誉(ずいよ)に拠り堂宇が再建され今に至っている。

 本尊の阿弥陀如来像は浄土寺にあった藤原仏で黒本尊と呼ばれるものと、義政の持仏であった慈覚大師作の仏像。

 五山送り火の一つ「大文字」を儀式する事から大文字寺と呼ばれ、毎年8月16日には精霊送りと

山上の弘法大師前での読経が行われる。』 とあります。

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由緒記

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山門から境内を見る
右が寺務所だが、生憎不在。

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奥にある本堂

 山門から本堂までの参道脇には蝋梅が植えられ綺麗に整備されていましたが、失礼を承知で言うと

真夏の京の夜空を彩る送り火を主催する寺院がこのような小さな堂宇であったとは思いませんでした。

しかし移転した寺院の跡地と考えると、広大な寺域は無理というもの。加えて臨済宗である銀閣の真横に

浄土宗の寺院を再興したのは、開山・泰誉浄久に並々ならぬ政治力があったと考えるのが普通でしょう。

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本堂の扁額と龍の彫刻

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本堂前の仏足石

 境内を回るとガラスの向こうに十二単を来た平安女性の像が。

説明によるとこの寺域に山荘を持っていた高階栄子、通称は丹後局の木像。

後白河法皇の側近であった平業房の妻でしたが、夫が殺害された後、法皇の寵妃となり内親王を産み、

政治的にも活躍した女性。法皇死後は出家して二位尼と名乗りこの付近で余生を送ったとありました。

世継地蔵の阿茶局といい、丹後局といいこの日の参拝寺院には政治力を持った女性が登場しました。

日本史上の有名な政治家は圧倒的に男性ですが、実質的に動かしたのは案外女性だったのかもしれません。

そういえば銀閣寺を建てた足利義政の妻は日野富子でしたっけ。

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本堂前に置かれた丹後局木像

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説明文

 寺務所は留守だったので御朱印は次回に持ち越しとなりました。

 参拝を終えて銀閣寺道を下ると杉養蜂園の看板があったのでちょっと一服。

蜂蜜入ソフトクリーム+メープルシロップで¥320は、1杯数千円のブランド苺パフェからすると質素ですが、

にも財布にも優しい逸品。このような密ならば許されるでしょうか?

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境内の蝋梅

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ソフトクリームで一服

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