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上七軒(京都市上京区真盛町)

2021.03.16(19:48) 846

京都最古の花街(2021.2.27)

<コース>
阪急梅田 → (快速急行) → 桂 → (普通) → 松尾大社 → 徒歩10分 → 梅宮大社 → (市バス) → 円町駅前 → 徒歩5分 → 達磨寺 → 徒歩7分 → 椿寺 → 徒歩5分 → 北野天満宮 → 徒歩5分 → 上七軒

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上七軒の御茶屋さん
通りの奥に見えるのが北野天満宮。

 天満宮参拝後はお昼時。神社の周辺に食事処は多いですが多数の参拝者でどこも満席状態。そこで東門から

上七軒通を抜けてバス通りへ。上七軒は、

『今出川通七本松西入から北野天満宮東門に至る両側の地域。町名では真盛町・社家長屋町・鳥居前町に相当する。

足利氏が活躍した頃、北野天満宮再建の残木を用いて七軒の水茶屋を神社東門前に建てた事が、上七軒の名の由来。

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由緒記の駒札

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通りの北側に面した典型的な御茶屋さん

 その後、豊臣秀吉の北野大茶会の折、上七軒の茶屋から差し出された土地の名産・御手洗団子を賞味して山城一円の

茶屋株を与えた。

以降、上七軒のお茶屋では御手洗団子を定紋とし、毎年秀吉を祀る豊国神社に御手洗団子を奉納する慣わしである。

京都五大花街のうち最古の歴史を誇り、4月上旬の「北野おどり」、10月の「寿会」が芸妓衆によって開催される。』 とあります。

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上七軒通りの北側に並んだ店舗
通りに看板が迫り出しているのは食事処、昔ながらの御茶屋さんはそのような看板は出さない。

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上七軒歌舞練場
通りから少し南に下った場所にある。

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二軒並んだ御茶屋さん

 今や殆ど観光地化した祇園に比べ人出は遥かに少ないですが、それが程よい雰囲気を醸し出しているといった所です。

テレビなどで良く見る造りのお茶屋さんもありますが、手軽に食事できる店もあるようです。

ふと見ると軒先には赤いデザインの提灯が。偶々、店の前に出られていた方に伺うと、

「この辺りの組合に入っている店で、かつて参拝者に出していた団子を象っています。」 との事。

天神さまのすぐ傍らに御茶屋さんとは学問の妨げになりそうですが、大阪きっての進学校も歓楽街のすぐそば。

受験生の固い意志を試しているかのようですが、団子ならば問題なし。“花より団子”とはよく言ったものです。

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軒下に吊るされた提灯

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通りを東に今出川通りへ向かう

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通りの東の入口に建つ道標

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歌舞練場の南側の通りはこのように静か

 上七軒で遊ぶ初めてのチャンスでしたが、時間が迫って来たので大学の近くまで戻って昼食。生協は棚卸しで×でしたが、

門前の「かふう」が開いていたので14時に滑り込みセーフ。【ながい】はできませんが、穴子天丼で¥990は学生価格。

寺(てんぷる)巡りの〆は天麩羅で。“かふうは寝て待て”世の中何とかなるもんです。

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大学生門前、吉田神社鳥居前の「かふう
かつてのナカニシヤ書店の跡地か?

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穴子天丼
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北野の天神さん(京都市上京区御前通今出川上る馬喰町)

2021.03.15(20:23) 845

梅の香る天神様(2021.2.27)

<コース>
阪急梅田 → (快速急行) → 桂 → (普通) → 松尾大社 → 徒歩10分 → 梅宮大社 → (市バス) → 円町駅前 → 徒歩5分 → 達磨寺 → 徒歩7分 → 椿寺 → 徒歩5分 → 北野天満宮

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北野天満宮(旧官幣中社 別表神社)

 椿の後は、この日の観梅のもう一つ北野天満宮へ。京都というよりも日本を代表する梅の名所。

北野天満宮は、

『醍醐朝の右大臣であった菅原道真は左大臣藤原時平の讒言で左遷され、延喜3年(903年)配流先の太宰府で没した。

その直後から都では天災や関係者の死が相次ぎ、世間は道真の祟りと噂する。それを怖れた朝廷は道真の左遷を撤回、

官位も復した。没後20年の事である。

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今出川通に面した一の鳥居

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楼門

 天暦元年(947年)には朝廷の命で北野の地に社殿を造営し、40年後の永延元年(987年)には一条天皇から

「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。以降、朝廷からの崇敬を受け、室町期には足利将軍家からも崇拝を受けた。

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重文・中門(三光門)と透塀前の梅

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国宝・拝殿
コロナも何するものぞと、この人出。

 戦国時代に一時衰退するが、豊臣秀吉は天正15年(1587年)に境内で大茶会を催し、慶長10年(1605年)には

豊臣秀頼が片桐且元を奉行として現在に至る社殿を造営している。

太宰府と並ぶ全国天満宮の総社として、また道真所縁の学問の神様として全国の受験生の信仰を集めている。』

とあります。

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透塀前の紅梅白梅

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宝物殿前の梅

 道真公と言えば牛と梅ですが、牛は公の干支で梅は公が愛した花。境内で牛を飼う事は難しいですが、梅ならば大丈夫

という事で境内には2000本の梅苑があります。

境内はかなり密状態でしたが、梅の開花期よりも受験シーズンだから。コロナよりも受験の【頃な】ので致し方ありませんが、

もし自分が受験生でもきっと参拝に来たでしょう。ここにお参りすれば【梅林ガル】の御利益がありそうですが…。

梅林入園も列をなしていたので、今回はスルー。折角、北野に【来たの】に残念ですが、参道からもその花と香りを楽しむ

ことができたのがせめてもの救いです。

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梅苑入口の紅梅

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梅苑遠景

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椿寺(京都市北区大将軍川端町)

2021.03.14(20:26) 844

散り椿で知られる寺院(2021.2.27)

<コース>
阪急梅田 → (快速急行) → 桂 → (普通) → 松尾大社 → 徒歩10分 → 梅宮大社 → (市バス) → 円町駅前 → 徒歩5分 → 達磨寺 → 徒歩7分 → 椿寺

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昆陽山 地蔵院(浄土宗)

 沢山の達磨さんに堪能した後は、紙屋川を北の天満宮の方へ。

天神様の手前にあるのが通称寺の一つ椿寺。開花には少し早いかとも思いましたが、敬意を表して参拝することに。

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北に向いた山門

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山門前に建つ石案内

 昆陽山地蔵院(こやさんじぞういん)は、

『神亀3年(726年)、聖武天皇の勅願に拠り行基が摂津の昆陽池の畔に一寺を建て地蔵院と号したのが嚆矢。

その後、平安時代に衣笠山の南に移されたが、室町時代の明徳2年(1391年)に起こった明徳の乱で焼失した。

これを惜しんだ足利義満は金閣造営の余材で仮堂を建て地蔵菩薩を奉安。天正17年(1589年)には豊臣秀吉の

命に拠り一条紙屋川の現在地へ移転した。

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由緒記駒札

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山門に続く参道
左右に椿、右に枝垂れ桜がある。正面には地蔵堂。

 当院が椿寺と呼ばれる所以は、かつて書院の前に有名な散り椿があった事に由来する。これは加藤清正が

文禄の役の際に蔚山から持ち帰り秀吉に献上した椿を、北野大茶会の時にその一荘とした事から当院に献上。

白・赤・ピンク・絞りなどに咲き分け、花弁が一片一片散る特徴から五色八重散椿と呼ばれた。樹齢4百年の

その一世は昭和58年に枯死、現在は樹齢120年の二世が本堂前に咲いている。

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参道右手にある本堂

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椿の奥に見える本堂

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本堂前の五色八重散椿
秀吉由来の二世である。

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五色八重散椿近影

 当院はもと八宗兼学であったが、寛文11年(1671年)善曳和尚の時に、浄土宗に改宗し知恩院末寺となり本尊を

五劫思惟の阿弥陀如来とした。これは善導大師作で東大寺の重源が招来したと伝わる。一方、以前の本尊は

地蔵尊で高さ六尺の乾漆立像。俗に鍬形地蔵、木納屋の地蔵と呼ばれ安産守護の地蔵として霊験あらたかである。

現在は参道正面の地蔵堂に祀られている。

また境内には赤穂浪士の義挙に参画した堺の商人天野屋利兵衛、俳人与謝蕪村の師である夜半亭巴人の墓がある。』

とあります。

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本堂脇の観音堂

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地蔵堂近影

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参道脇の歌碑?

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地蔵堂前から山門方面を見返る

 境内は左程広くはありませんが、椿寺と呼ばれるには相応しい雰囲気。本堂前の五色八重散椿が枯死したのは

残念でしたが、考えように拠っては都で400年もよく耐えたとも言えましょう。誤植やニセならば嫌ですが、五色の二世で

あれば問題はなさそうです。

椿は花弁ではなく花全体が落下するので武士が嫌ったとはよく聞く話。でも境内に切支丹墓もあるくらいなので、

都人はそのような事は【気にしたん】ではないのでしょう。

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境内の椿

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境内の椿

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境内の椿

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裏手の墓地にある切支丹墓

 墓地の一角にある天野屋利兵衛の墓にもお参り。義商と呼ばれて歌舞伎等では有名な実在の人物ですが、

義挙に深く関わったというのは虚構の様子。内蔵助は本懐を遂げるまで世間から韜晦するために山科などで

遊興に浸ったそうですから、そこで同席した可能性は大。大石内蔵助との関りから飛躍した感があります。

 ある日、芸者を上げて遊んでいた二人はそのまま熟睡。二日酔いで目覚めた内蔵助は芸者と思って

傍らに寝ていた人に抱き着きましたが、それが天野屋利兵衛。吃驚した利兵衛はそこで一言。

「大石殿。天野屋利兵衛は男でござる!」

本当にあっても可笑しくない話です。

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天野屋利兵衛の墓と紅椿

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境内の紅椿

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参道脇の白椿

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椿寺地蔵院 いわれ

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椿寺御朱印

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達磨寺(京都市上京区下ノ下立売通紙屋川東入)

2021.03.12(22:38) 843

両替商が開基の七転八起の禅寺(2021.2.27)

<コース>
阪急梅田 → (快速急行) → 桂 → (普通) → 松尾大社 → 徒歩10分 → 梅宮大社 → (市バス) → 円町駅前 → 徒歩5分 → 達磨寺

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大宝山 法輪寺(臨済宗妙心寺派)

 梅宮大社で梅見の後は市バス1日乗車券を使って、途中達磨寺(法輪寺)、椿寺(地蔵院)に寄って北野天満宮へ。

JR円町(えんまち)で下車して北東へ5分。地下鉄の名前にもなっている天神川に沿って大きな伽藍が見えたら、

そこが目的地。但しこの付近では川の名前は紙屋川。なんでもかつてここに紙問屋があった命名だそうですが、

今は北野天満宮の西を流れるので天神川と呼ばれるのが一般的、天神様も【神や!】と言う事でしょうか?

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JR嵯峨野線(山陰本線)円町駅スタンプ 
2006年設置のJR西日本京都支社印。達磨寺の存在を知ったのはこれが最初。

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紙屋川の向こうに見える伽藍

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北側にある山門
石柱には「三国随一 起上りだるまでら」とある。

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法輪寺駒札

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山門の梁の上には鳳凰と達磨が…

大宝山法輪寺(たいほうざんほうりんじ)は、

『享保13年(1718年)、大愚宗築禅師を開山、荒木光品が開基となり、万海慈源和尚が創建した臨済宗妙心寺派の寺院。

開基の荒木氏は、武家の開基が多い妙心寺派の寺院にあって異色の両替商の出身で、創建には10年を要したと言われる。

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山門から見た境内

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庫裏(右)と衆聖堂

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朱の柱が鮮やかな衆聖堂

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衆聖堂1階に祀られている達磨像

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お札を張り付けられた達磨さん

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天井の達磨画

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衆聖堂の二階にある貴寧磨殿
森繫久彌、森光子、高倉健等の映画スターの位牌を祀る。

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貴寧磨殿から見た本堂屋根

 以来、三度の天災地変に遭う等、寺運も盛衰があったが、市街地にあって約5千㎡の境内には創建当時の

本堂を始め諸堂が並び建つ。昭和8年には第10代伊山和尚が大書院を建立、「白隠和尚全集」の刊行も手掛けた。

加えて和尚は「起き上がり小法師」によって禅の大衆化、生活化を図った事でも知られる。

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廊下を抜け本堂へ
左は「十牛の庭」か?

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本堂前面

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本堂の扁額

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本堂内陣の等身大涅槃像
不断は衆聖堂に祀られているが、この日は本堂に移されていた。

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本堂にある菩提達磨の一代記の襖絵
これは中国に入り梁の武帝(蕭衍)に謁見している図。

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中国での修行

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達磨大師と玄奘三蔵の屏風

 戦後には起き上がり達磨堂、少林寺拳法道場も開設された。達磨堂には奉納された8千体を越える達磨が祀られており、

これが達磨寺の通称となった。

朱塗の衆聖堂の二階は貴寧磨(きねま)殿として我が国映画創業以来の関係者4百人の位牌を祀る。』 とあります。

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本堂から枯山水の庭を見る

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本堂縁側と庭

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枯山水の庭は四十八個の石組みから成る

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東側に置かれた巨石群

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本堂より庭へ降りる

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本堂の頂上にある活眼達磨型鬼瓦

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屋根の庇部分にも達磨型鬼瓦が

 達磨さんといえば置物・玩具を連想しますが、元来は天竺から中国南朝の梁に禅を伝えた歴史上の人物。

梁の武帝は南朝きっての仏教崇拝者だったことも追い風になったようです。尤も晩年にはその弊害で北朝の

武将侯景のため身を滅ぼすことになりますが…。

達磨大師が梁で修行したのが嵩山少林寺。このときインド由来の古武術を境内で僧侶に実践させたのが

少林拳の始まりとなりました。

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十三重石塔

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少林寺拳法根本道場発祥碑

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休憩所と本堂への門
休憩所の窓は円と方形、門の透かしは達磨と全て禅宗風になっている。

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境内に建つ達磨石像と十二支

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起上り達磨堂
JR円町スタンプのデザインはここ。

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達磨堂に掲げられた扁額

 由緒では元々玩具とは関係ない達磨大師を今の形にしたのが、ここの住職。禅宗なので「白隠全集」刊行は普通ですが、

「起き上がり小法師」は教えとしてはかなりの飛躍。しかし大衆化には大いに効果があったことは事実。

布教というノルマ達成に達磨を使ったのもこれも開基が両替商という事も与ったのでしょうか?

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達磨堂入口の達磨

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達磨堂の内陣

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達磨堂の天井画

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奥に祀られている達磨像

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達磨寺の略縁起

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達磨寺御朱印

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梅宮大社 神苑(京都市右京区梅津フケノ川町)

2021.03.11(21:02) 842

梅の郷で詠まれた芦のまろ屋(2021.2.27)

<コース>
阪急梅田 → (快速急行) → 桂 → (普通) → 松尾大社 → 徒歩10分 → 梅宮大社

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梅宮大社(式内社 旧官幣中社)

 大社参拝の後は、観梅のため神苑へ。社名が梅宮なのでてっきり梅園と思っていましたが、梅は勿論の事、

椿・八重桜・躑躅・杜若・菖蒲・紫陽花と四季を通して花を観賞できる場所。

特に咲耶池・勾玉池の周りには杜若等が多数植えられえています。六月が【しょうぶ】時でしょうか?

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梅宮大社境内から神苑への門
ここから拝観料 ¥300 が必要。

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神苑の咲耶池

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池越しに見た神苑の門

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咲耶池に架かる橋を渡る

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今は枯れているが6月は杜若が咲く

 もうひとつ咲耶池の畔には「池中亭茶室」というのが建っています。別名、芦のまろ屋。

『梅津は王朝時代には王公貴紳の別荘が多く、源師賢(もろかた)の山荘もその一つ。

そこに招かれた大納言源経信(つねのぶ)が詠んだのが、

・夕されば 門田の稲葉 訪れて 芦のまろ屋に 秋風ぞ吹く  [大納言経信  金葉集]

(訳) 
夕暮れ時になると、家の前の稔った田圃にもさわさわと音がして…。ああこの芦でできた小屋にも秋風が吹き渡っているのだなあ。

小倉百人一首にも採られた有名な歌である。但し詞書には

『師賢の朝臣の梅津の山里に人々まかりて田家秋風といへる事をよめる』とあり、

題詠であり大納言まで至った彼が芦の家に住んだ訳ではない。

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池之端にある参集殿

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池中亭茶室
芦のまろ屋として、嘉永4年の建築。

 池の島にある池中亭は嘉永4年(1851年)建築。梅津の里にある芦のまろ屋として今に残る唯一の遺構。

風雅な屋根の姿が他に類を見ないものとなっている。』 とあります。

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池之端に建つ歌碑

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歌碑説明

 百人一首の歌が、ここで詠まれたとは初耳。歌枕とまではいきませんが、都人には好まれる場所。梅酢ならぬ梅酒で

観梅しながら乾杯もあったかもしれません。貴族だから【まろ】屋に住んだとは思いませんが、このような建物を好んだ

貴人がいたとしても不思議ではありません。遥か後世の侘び寂びを先取りしたものとも言えるでしょう。そう思って眺めると

神苑も深遠なものに見えてくるから不思議です。

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今は閉鎖中だが、お茶会もできる様子
昭和60年度の「京の冬の旅」わびコースに選ばれて公開された。

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池越しに見る「まろ屋」
屋根の形が風雅というよりも丸い形をしている。

【源経信の事ども】

作者は源経信(みなもとのつねのぶ1016年~1097年)。宇多源氏で俊頼(第74歌)の父。俊恵法師(第85歌)の祖父で、

三代続いての入首である。若き頃より詩歌・管弦・蹴鞠に秀でた多才人であったが、十八歳の時に歌壇の長老であった

藤原公任から歌道の教えを受ける。以後歌人としてもめきめきと頭角を現し、当代随一の歌人として名を成した。

 白河天皇の承保四年(1077年)、嵐山で和歌・詩・音楽の才能をそれぞれの船で競う会があったが、刻限に遅れた彼は

「どの船でもいいから乗せてくれ」 と岸から大声で叫んだという。公任にも同じエピソードがあり、師を意識したのか

或いは天才は同じような行動をとるのか凡人には理解に苦しむところであるが、公任に続く「三船の才」となった。

唯、当時は「わざと遅参しよったな!」と噂する人間も多かったという。

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神苑 勾玉池の向こうに見える梅林

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梅の香りの中から勾玉池を望む

 この万能の天才は1067年参議として公卿に列し、最終キャリアは大納言。別荘が桂にあったので桂大納言、

彼の琵琶を桂流と呼ぶようになった。

公任同様プライドも半端ではなく、自分を差し置いて藤原通俊が「後拾遺集」の撰者に選ばれたので「難後拾遺」という

書物を書いて批判している。余程腹に据えかねたのであろう。 
  
彼は多才ではあるが、物事の本質を単刀直入に言う人であったので、白河帝初め故事先例を重んじる朝廷では

煙たがられた面もあったようである。

才能の割に後世の知名度は今ひとつだが、それは性格的な面よりも、歴史に名を残すのは全てに一流の人間ではなく

唯一つの事に超一流の人間であるという証拠だろう。

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まろ屋の傍の白椿

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同じく紅椿

 この当時は摂関政治の大立者がほぼ鬼籍に入り、続く院政から武家政治への過渡期であった。

彼のような先例に捕らわれない人間がトップに立っていたら武士の世もまた違ったものであったろう。

彼がそれに薄々気付いていたとしたら「秋風ぞ吹く」に込められた思いも違ったものに見えて来る。

源頼朝による鎌倉幕府は彼の死から100年後のことであった。

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出口付近には春を告げる黄水仙も

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梅宮大社(京都市右京区梅津フケノ川町)

2021.03.10(22:52) 841

梅の郷にある橘所縁の社(2021.2.27)

<コース>
阪急梅田 → (快速急行) → 桂 → (普通) → 松尾大社 → 徒歩10分 → 梅宮大社

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梅宮大社(式内社 旧官幣中社)

 学生時代の関係者との会合が夕方あるので少し早めに洛中へ。

それまでの時間で市内巡礼。季節がら「梅見や!」と思い、「そういえば梅宮あんなぁ」と洛西へ。

阪急嵐山線の松尾(まつのお)大社で下車。すぐ左手に大鳥居が見えますがこれは松尾大社。梅宮大社は右手の桂川を

渡って歩く事10分。川の名前が竹ならば松竹梅となりますが、そんな漫画の様には行きません。いままで何気なしに

「うめみや」と読んでいましたが「うめのみや」が正式な呼び名。平安時代以前は人名も地名も間に「の」入れるのが

一般的のようです。門前に漬物屋さんがあるわけではございません。

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一の鳥居
バス通りから北へ歩くと先ずここへ。

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二の鳥居(大鳥居)

 梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、

『奈良時代に橘氏の祖・諸兄公の母・県犬養橘三千代が山城国綴喜(つづき)郡井出寺の中に橘氏一門の氏神として

祀ったのが嚆矢。その後、光明皇后がこれを祀り度々所在を転じた。

平安時代になって52代・嵯峨天皇の皇后の檀林皇后に拠って現在の地に遷座。皇后の本名は橘嘉智子といい

諸兄公の曽孫に当たる。この時、皇后自ら行幸してお祭りされたのが今に続く梅宮祭の起源である。

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随神門と梅の古木

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文政13年(1830年)再建の随神門
三間一戸の楼門で入母屋造・本瓦葺きである。

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由緒記

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境内から見た随身門

 社伝では子供のなかった皇后が梅宮大社に祈願して生まれたのが54代・仁明天皇で、そのため子授け・安産の神として

人々の信仰を集めている。この時、皇后が祈願した石が「またげ石」として本殿脇に今でも祀られている。

 祀られているのは酒解神(さかとけのかみ)、酒解子神(さかとけのこかみ)、大若子神(おおわくごのかみ)、

小若子神(こわくごのかみ)の四柱でいずれも梅宮大社特有の神。酒解神は大山祇神、酒解子神は木花咲耶姫命に

当てられ酒の守護神でもある。

 平安時代には延喜式の名神大社二十二社に、明治4年には官幣中社に列せられた。

現在の社殿は元禄13年(1700年)の再建である。』とあります。

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境内遠景
手前に拝殿、その奥が拝所と本殿

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正面から見た拝殿
桁行三間、梁行三間の入母屋造で屋根は銅板葺き。

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拝殿越しに梅を見る

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随身門脇にある五葉松

 綴喜郡井出に祀られた社の移転した【続き】がここ。唯、由緒記には名前が書いていないので当初から梅宮大社だったか

どうかは?です。

 梅津の名があるように古代から梅の生える場所だったようですが、古代中国より伝来した梅は花の美しさと香りに加えて

実は薬用として珍重されました。御祭神の木花咲耶姫は古代では梅の雅称、加えて梅は産めにも通じるので、神社の神花

は創設以来梅となっているそうです。

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拝殿横から見た拝所と本殿

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拝所と本殿
左には梅と橘が植えられている。

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唐破風造りの拝所

 境内へ入ると屋根瓦には橘紋が。「梅なのに橘とはこれ如何に。」でしたが、橘氏の氏寺として創建されたと知って納得。

橘、梅、檀と木に縁があるのも偶然ではない気がします。

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拝所の屋根にある橘紋

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本殿を巡る塀と白梅

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本殿脇の「またげ石」

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 橘諸兄公は聖武天皇の時代に藤原四兄弟初め多くの貴族が天然痘で命を落とした際にも生き延び左大臣として

朝堂を率いた人物。息子の奈良麻呂は藤原仲麻呂との争いに敗れますが、曽孫の嘉智子が嵯峨天皇の皇后、

仁明天皇の母となる事で橘氏は中興を果たしました。橘諸兄が疫病を生き延び、橘嘉智子は皇后となって皇子を

産むという歴史があるので、神社の御利益は授子・安産に留まらないようです。

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酒の神らしく境内には奉納された酒樽が

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梅宮大社由緒略記

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梅宮大社御朱印

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境内の白梅

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こちらは紅梅

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大空寺(兵庫県伊丹市野間)

2021.03.09(20:06) 840

お地蔵様で延命した古刹(2021.2.20)

<コース> JR、阪神電鉄は共に10分間隔で運転
【往路】大阪梅田 → (阪神電鉄) → 尼崎 → 徒歩5分 → 大覚寺 → 尼崎 → (阪神電鉄) → 杭瀬 →徒歩10分 → 浄光寺 → 徒歩7分 → JR尼崎 → (福知山線) → JR伊丹

JR伊丹駅 → 駅リンくん → 有岡城址 → 伊丹郷町 → レンタサイクル5分 → 金剛院 → 猪名野神社 → レンタサイクル5分 → 安楽院 → レンタサイクル15分 → 大空寺

【復路】JR伊丹 → (福知山線) → JR大阪

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為楽山 大空寺(真言宗御室派 摂津八十八ヵ所第六十三番札所)

 安楽院に続く次の札所は南西に3㎞進み山陽新幹線の線路も越えた場所。

行政区では伊丹市ですが道の向こうは尼崎市になります。

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南側の塀越しに見た境内

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南門前の通り
寺の門前にしては狭いのは、戦後宅地化が進んだためだそう。

 為楽山大空寺(いらくさんだいくうじ)は、

『聖武天皇の御代、行基菩薩に拠って創建と伝わる。この野間地区は奈良時代より集落のあった場所であった。

その後、織田信長の兵火に拠って藤原時代の聖観世音菩薩を焼失。

これを嘆いた当時の住職は、御本尊の脇侍であった延命地蔵菩薩を御本尊とする。

その後、聖観世音菩薩を再興して観音堂に奉安し、脇侍として不動明王、毘沙門天を祀った。

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南門近影

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境内の様子

 太平洋戦争では被害を免れたが、平成7年1月の阪神淡路大震災で鎌倉時代の代表的建造物であった鐘楼が倒壊、

本堂も修復不可能な被害を受けた。鐘楼は平成12年、本堂は14年に再建。

現在は聖観世音菩薩を本尊として本堂へ安置し、脇侍として延命地蔵菩薩、毘沙門天、布袋尊が祀られている。

かつての観音堂は不動明王を祀る不動堂へ変更された。

境内の建造物は新しいが、南門前にある松は樹齢数百年に及び、その横に伸びた枝は仏法を守護する龍の姿にも

見立てられる。』 とあります。

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平成14年再建の本堂
聖観世音菩薩、地蔵菩薩、毘沙門天、布袋尊を祀るが外陣からの参拝。

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本堂の「為楽山」の扁額

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不動堂に変更となったかつての観音堂

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平成12年再建の鐘楼

 奈良時代から集落があった場所だけに、戦乱には無縁では居られませんでした。

戦国時代の御本尊焼失は痛手だった筈ですが、地蔵様を代わりの本尊にした住職の機転には感服。その甲斐あって

寺も消失せず【延命】することができた訳ですから…。

戦乱以外の自然災害も脅威で、鎌倉時代の鐘楼が今に残っていたら貴重な遺産になったに違いありません。

しかしいくら古くても護る人が居なくなれば終焉、建物は新しくとも連綿と続いているのはそれを護ろうとする意志が

今まで続いた何よりの証です。

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南門脇の樹齢200年の松
臥龍の松と言っても相応しい枝ぶりだが、そのような命名はされていない。

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松越しに見た本堂

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大空寺御朱印
丁度、お寺の方々が出掛ける所だったので、滑り込みセーフ。

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安楽院(兵庫県伊丹市千僧)

2021.03.08(20:34) 839

行基が築いた溜池所縁の寺院(2021.2.20)

<コース> JR、阪神電鉄は共に10分間隔で運転
【往路】大阪梅田 → (阪神電鉄) → 尼崎 → 徒歩5分 → 大覚寺 → 尼崎 → (阪神電鉄) → 杭瀬 →徒歩10分 → 浄光寺 → 徒歩7分 → JR尼崎 → (福知山線) → JR伊丹

JR伊丹駅 → 駅リンくん → 有岡城址 → 伊丹郷町 → レンタサイクル5分 → 金剛院 → 猪名野神社 → レンタサイクル5分 → 安楽院

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猪名野山 願成就寺 安楽院(真言宗御室派 摂津八十八ヵ所第六十一番札所)

 続く札所は神社から北西に走り陸上自衛隊駐屯地を回り込んだ場所にありました。

猪名野山願成就寺安楽院(いなのざんがんじょうじゅじあんらくいん)は、

『元明天皇の和銅6年(713年)に創建。縁起では、行基が畿内に四十九院を建立する願を発せられた場所が、

当寺の南方の御願塚で、四十九院の創建が終わり「吾が願すでに成れり」と建立されたのがこの寺と伝えられる。

往時は七堂伽藍が並び塔頭も十六ヵ院を数えた。

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門前に到着

 行基は昆陽池を築造し、千余人の僧を招いて落慶法要を営んだ聖地であることから、寺名を願成就寺、地名を千僧と

呼ぶに至った。聖武天皇に拠り勅願所となり、仁和寺の末寺になった。

 御本尊は大日如来、脇仏は不動明王と愛染明王で、中でも不動明王は智証大師円珍の作で後醍醐天皇の守り本尊。

天皇が隠岐へ配流される途上、昆陽の里にて

・命あれば こやの軒端の 月も見つ またいかならん ゆくすえの空

と御詠が伝わる。

天正7年(1579年)の荒木村重の兵乱で十六の塔頭も灰燼に帰し、現在残るのはこの院のみである』 とあります。

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西方に向いた山門

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山門脇の寺標

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山門の「猪名野山」の扁額

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略縁起

 行基菩薩は、昆陽池、千僧今池、籠池などの溜め池造営に尽力。国家公務員であった官の僧侶と異なり

私度僧であった彼は民衆の心を掴む術にも長けていたようです。今も近隣の地名に行基町、昆陽が残るのは

彼の遺徳がこの地に深く刻まれている何よりの証です。本堂脇には

・水鳥の羽音髙く今池は消ゆ

の碑が建ちます。千僧今池の水利で代々農業を行っていた人達が、土地が必要となった伊丹市に土地を売った

経緯が記載されています。合計で4億5千万円の売り上げがあったそうですが、その一部は寺社に寄進されています。

大昔の行基の功績に対する御礼の意味もあったのでしょう。

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本堂正面

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本堂の「願成就寺」の扁額
仁和寺門跡の筆とある。

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本堂前から山門を望む

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本堂脇の記念碑

 今も寺院の西には周囲500m程に縮小した千僧今池があるようでしたが、御朱印を御願いした住職夫人の話では、

夫人;「市役所が庁舎を拡張するので、一部を埋め立て工事中です。」

和辻;「外からは池は見えませんか?」

夫人;「確か囲いをしていた気がします。」

和辻;「へぇ、そうですか!」

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法蔵閣とある
書庫の一種かしらん?

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安楽院略縁起

 辞して西へ向かうと、確かに塀で周りを囲まれた池が目に飛び込んで来ました。内側が見える場所があったので覗くと、

池は殆ど無くなっている様子。看板には「生き物は全て昆陽池に引っ越しました。」とありましたが、1200年前から人々と

歩んだ遺蹟が無くなってしまうのは非常に残念。思わず【ためいけ】が出ました。

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安楽院御朱印

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埋め立てられている千僧今池の様子

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猪名野神社(兵庫県伊丹市宮ノ前)

2021.03.07(18:38) 838

酒処にある【ののみや】社(2021.2.20)

<コース> JR、阪神電鉄は共に10分間隔で運転
【往路】大阪梅田 → (阪神電鉄) → 尼崎 → 徒歩5分 → 大覚寺 → 尼崎 → (阪神電鉄) → 杭瀬 →徒歩10分 → 浄光寺 → 徒歩7分 → JR尼崎 → (福知山線) → JR伊丹

JR伊丹駅 → 駅リンくん → 有岡城址 → 伊丹郷町 → レンタサイクル5分 → 金剛院 → 猪名野神社

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猪名野神社(旧県社)

 金剛院の後は通りを真っすぐ進み鳥居前へ。

当初は札所のみの積りでしたが、別当寺に行ったからには神社にも敬意を表して急遽参拝。

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宮ノ前通りの突き当りに建つ鳥居

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御由緒記

 猪名野神社(いなのじんじゃ)は、

『孝徳天皇の御代に、猪名寺に創建された社が嚆矢。その後、延喜4年(904年)に現在の場所に遷座。

伊丹郷町の氏神で古くは「野宮」「牛頭天王宮」と呼ばれた。

戦国時代になり荒木村重が伊丹城を総構えを持った有岡城に改築。その際にこの社は最北端の「岸の砦」が築かれた。

しかし武運拙く最後には陥落している。

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一の鳥居近影

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鳥居に続く参道と松並木
有岡城岸の砦はこの辺りになる。

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境内の眺望

 江戸時代の寛文元年(1661年)には近衛家の所領となり、貞享2年(1685年)には近衛基煕が玉垣を再建、

翌年本殿が再建された。

明治2年(1869年)の神仏分離に拠って野宮(ののみや)から猪名野に改称。

観音堂・地蔵堂及び仏教関係の諸記録は全て金剛院に移管された。』 とあります。

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拝殿正面

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拝殿前面の唐破風

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拝殿横にある地元酒造業者の銘酒の酒樽

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横より見た拝殿に続く本殿

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本殿近影

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本殿屋根部分

 猪名寺はJR福知山線で伊丹の一駅手前。何故、他の場所の名前があるのか不思議でしたが、元は猪名寺にあったと

知り納得。

神仏分離があったとはいえ、金剛院に比べると遥かに広い境内。拝殿横には地元の銘酒がずらりと奉納されています。

流石に伊丹郷町の氏寺だけの事はありました。別段【の、のみや】神社と呼ばれた為ではないようです。

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境内に建つ神苑の碑

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境内に建つ鬼貫の句碑
・鳥ハ未 口もほとけす 初桜

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句碑と鬼貫の説明

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句碑裏面の讃
中央に岡田糠人とあるのは重文・岡田家の御先祖かも。

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県社猪名野神社御由緒略記

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猪名野神社御朱印

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金剛院(兵庫県伊丹市宮ノ前)

2021.03.05(21:48) 837

酒処にある【ののみや】寺(2021.2.20)

<コース> JR、阪神電鉄は共に10分間隔で運転
【往路】大阪梅田 → (阪神電鉄) → 尼崎 → 徒歩5分 → 大覚寺 → 尼崎 → (阪神電鉄) → 杭瀬 →徒歩10分 → 浄光寺 → 徒歩7分 → JR尼崎 → (福知山線) → JR伊丹

JR伊丹駅 → 駅リンくん → 有岡城址 → 伊丹郷町 → レンタサイクル5分 → 金剛院

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有應山 善楽寺 金剛院(真言宗御室派 摂津八十八ヵ所第六十番札所)

 JRと阪急の間にある伊丹郷町で昼食と酒蔵見学をした後は再び巡礼に戻って北にある宮ノ前地域へ。

周辺は伊丹市立美術館などの施設も多く商業地域とはまた違った雰囲気です。

神社を正面に見ながら進むと右側に白い築地塀に囲まれたのが金剛院。

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宮ノ前通りの東側に建つ寺院

有應山善楽寺金剛院(うおうざんぜんらくじこんごういん)は、

『延喜4年(904年)3月、宇多法皇が御室の仁和寺に御堂を造営しての後、法皇の勅願で薬師如来を御本尊として

醍醐の聖宝理源大師が勧進した寺院である。

当寺は又の名を野宮(ののみや)寺といい、猪名野神社の別当を務める寺でもあった。

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山門近影

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境内全景

 天正7年(1579年)の荒木村重の兵乱では伽藍の多くが焼失。文禄年間(1592~1596年)に秀吉の命で長照が中興の

祖となり本堂などを再建した。江戸初期には伊丹在郷町が近衛家の領地になったため当寺は近衛家の信仰が篤く、

寛文年間(1661~1673年)には近衛家の祈願所になった。

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参道の途中には神仏習合の名残の鳥居が建つ

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参道の左手にある本堂(持仏堂)
大日如来、薬師如来を祀る。

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本堂入口の唐破風

 明治33年には火災により本堂が焼失。その後、再建され現在の境内には大日如来、薬師如来を祀る持仏堂、

十一面観世音菩薩を本尊とし、地蔵菩薩、御神木の欅からなる不動明王を安置する観音堂、一願一縁成就の

愛染明王を祀る愛染堂が並ぶ。』 とあります。

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本堂に続く観音堂

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参道正面の愛染堂

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本堂前の縁地蔵
その横には十三重石塔と弘法大師像

 神社の手前に建ち、地名も宮ノ前。なので【うおう】左往することはありません。別当を務めたというのも郁子なるかな。

酒の郷故に【の、のみや】寺となった訳ではありません。山門をくぐると正面に鳥居が、これこそかつて別当を務めていた

証拠ではあります。尤も御朱印を頂いた住職夫人に伺いましたが、現在は神社との繋がりはないようでしたが…。

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駐車場横にある弁天池と白梅

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境内の裏手にある庭園
ここまで足を伸ばす参拝者は少ない。

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金剛院説明書

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金剛院御朱印

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酒倉の伊丹郷町(兵庫県伊丹市中央)

2021.03.04(22:35) 836

清酒発祥の地・伊丹(2021.2.20)

<コース> JR、阪神電鉄は共に10分間隔で運転
【往路】大阪梅田 → (阪神電鉄) → 尼崎 → 徒歩5分 → 大覚寺 → 尼崎 → (阪神電鉄) → 杭瀬 →徒歩10分 → 浄光寺 → 徒歩7分 → JR尼崎 → (福知山線) → JR伊丹

JR伊丹駅 → 駅リンくん → 有岡城址 → 伊丹郷町

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伊丹酒蔵通り
手前がブルワリーショップ、奥が酒造博物館・レストランを兼ねた長寿蔵

 JRの西にある有岡城址から阪急伊丹駅まで続く東西の道が“伊丹酒蔵通り”。その名の通り酒蔵が並ぶ伊丹郷町と

呼ばれる酒処伊丹の中心です。伊丹郷町は伊丹・北小路・昆陽口・外城・高畑などの15村が一続きとなった町場。

江戸時代の伊丹郷町は京都の近衛家の領地となり城は置かれませんでした。

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伊丹郷町の案内図

『清酒醸造は近郊の鴻池で山中家により始まった。始祖の幸元は慶長年間(1596~1615年)に濁酒(にごりざけ)でない

澄酒(すみざけ)を発明。鴻池を屋号とした幸元は樽詰めした酒を遠く江戸まで回漕した。当時の江戸は質の良くない

甘口の酒しかなく、辛口で淡泊な伊丹酒は「双白澄酒」として歓迎された。

近衛家の保護もあり郷町で本格的に発展。町の有力酒造家から選ばれた惣宿老や御金方と呼ばれる役人が

近衛家の指導の下に町政を担当した。元禄期には造り酒屋は40軒、江戸に入津した樽数は64万樽に上った。

元文元年(1736年)には伊丹の酒は将軍家の御前酒に指定され「丹醸」と呼ばれて名を高めた。

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長寿蔵とその横に建つ「アンシャンテ」 (昼食はここで)

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重文・旧岡田家住宅
但し、コロナで休館中。

 このような伊丹郷町の豊かな経済は多くの文人墨客が訪れるなど、活発な文芸活動を展開した。伊丹は酒造業の

発展と共に次第に広がり、江戸後期には郷町全体で2,500軒の町屋と10,000の人口を有する都市に成長した。

しかし天保年間1840年、西宮で宮水が発見されて以降は、伊丹は西宮・灘に押されるようになった。』 とあります。

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酒蔵通りに面する伊丹老松酒造

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井戸水「老松丹水」
伊丹老松酒造で使用される酒造用の地下水。容器持参で持ち帰り可。

 山中新六は尼子に仕えた山中鹿介の子(一説では孫)で、尼子滅亡の後、この地の縁戚の山中信直に養われ、

長じて醸造を始めたといわれます。清酒発明のきっかけは「幸元に叱られた使用人がその腹癒せに濁酒の酒桶に

灰を投げ込んだ所、一夜明けると上澄みが清酒となっていた。」という随筆「摂陽落穂集」の話が有名ですが、

清酒は大和の正暦(しょうりゃく)寺でそれ以前にできたというのが定説。そこから杜氏をスカウトした伏見と伊丹で

発展した訳で、【しょうりゃく】されて伝わったのでしょう。

伊丹の酒は下り酒と呼ばれたそうで、そこから安物を「下らないもの」と言うようになったとか。こんな言葉の由来にも

酒が関係していたとは驚きです。

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猪名野神社前に建つ御菓子司「中満」

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酒粕を練り込んだ「酒の露」 1個¥84
一口食べると清酒の香りが広がる。

 昔に比べると造り酒屋は減っていますが、酒蔵の中には文化財として見学できるもの、レストランやブルワリーショップに

なっているものもあります。

 お昼は酒蔵に隣接したアンシャンテにて「有岡コース」。フレンチコースですが、パンとデザートの羊羹に老松酒造の

酒粕を混ぜ込んだ逸品。口に入れただけで清酒の香りが広がりました。やはり伊丹では【さけ】て通れないようです。

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アンシャンテにて「有岡ランチ」
地元の野菜を使った前菜。奥にあるのが酒粕を練り込んだパン。

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蕪のポタージュスープ

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豚肉のビール煮込み

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じゃこと豆御飯

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デザート
酒粕を練り込んだ羊羹「おにつら」が使用されている。

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酒蔵羊羹「おにつら」 \1,500
JR駅観光案内所で購入。普通の羊羹に比べ日持ちが短い。

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有岡城址(兵庫県伊丹市伊丹)

2021.03.03(21:58) 835

戦国の梟雄の城(2021.2.20)

<コース> JR、阪神電鉄は共に10分間隔で運転
【往路】大阪梅田 → (阪神電鉄) → 尼崎 → 徒歩5分 → 大覚寺 → 尼崎 → (阪神電鉄) → 杭瀬 →徒歩10分 → 浄光寺 → 徒歩7分 → JR尼崎 → (福知山線) → JR伊丹

JR伊丹駅 → 駅リンくん → 有岡城址

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有岡城址

 JR伊丹駅の西口を出ると直ぐ前が有岡城址。というよりも旧国鉄の駅が城のすぐ横に築かれたと言った方が正解。

現在の都市は近世城下町から発展したものが大部分なのでこのような事もしばしば。福山城や三原城も駅の直ぐ近くに

ありましたっけ。

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西側から見た城址
右奥に見えるのがJR伊丹駅舎。

『伊丹城の名が歴史に登場するのは文和2年(1353年)が初。鎌倉以来この地に住む伊丹氏は南北朝時代には

終始北朝側に立ち実力を蓄える。応仁の乱以後は度々攻撃を受けるが、落城は僅かに二度という堅固を誇った。

 天正2年(1574年)には信長の命で荒木村重が摂津守護となり池田・伊丹氏を滅ぼし入城、有岡城と改名した。

村重はそれまでの東西150m、南北200mの縄張りを持つ平城を大改修。伊丹台地西側の段差を利用して

猪名野神社から鵯塚にかけて2㎞の防御体を築き、総構えの城を完成させた。この城の壮大な様子は

宣教師ルイス=フロイスも記している。

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南口から城址へ

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石垣跡

 しかし城主の村重は天正6年(1578年)、信長に反旗を翻す。籠城する事10ヵ月、持ちこたえられなくなった村重は、

単身で尼崎城へ逃亡。主を失った城は直ぐ陥落。残された妻子や家臣達は信長勢に拠って死刑になった。

翌年には池田之助が城主になるが3年後に美濃に転封となるに及び廃城となった。』 とあります。

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礎石と井戸の跡

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荒木村重の歌碑

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村重肖像画

 駅前から見た城跡はその一部ですが、実際は遥かに広範囲が城域。最後は落城したと言っても10ヵ月に亘って

籠城できたのは、名城と呼ばれるだけの事はあります。

 このような総構えの城郭を築いた荒木村重の築城家としての力量は並々ならぬものだったでしょうが、

己だけ城を抜けだしたのは頂けません。残された家族は毅然として死地に赴いただけに一層対照的。

村重は後に安芸に逃れ茶人として秀吉に仕えたと言います。道薫と号したと言いますが道糞という異説もあるとか。

戦国の非常時なのでそんなことも【ありおか】とはいえ、彼には胸の【いたみ】はなかったのでしょうか?

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境内にある懐古園の碑

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碑の説明

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