<コース>
【往路】梅田 → (大阪メトロ御堂筋線・北大阪急行) → 千里中央
千里中央駅(9:00) → (阪急バス北摂霊園行き) → 勝尾寺前(9:33) → 勝尾寺 → 勝尾寺前(11:31) → (阪急バス北千里行き) → 奥(11:40) → 徒歩5分 → 善福寺 → 徒歩15分 → 帝釈寺

宝生山 帝釋寺(高野山真言宗 摂津八十八ヵ所第五十二番札所)
善福寺に続く札所へは墓地を抜けて農道を南下。暫く行くと畑が途絶え9号線に。ここを更に南へ行くと右手に白壁に
囲まれた寺院と大きな本堂が目印。

農道を抜けて次の札所へ

白壁に囲まれた札所

南側にあるのが正門
宝生山帝釋寺(ほうしょうざんたいしゃくじ)は、
『聖徳太子が四天王寺を造るに際し、その材を当地に求めた。その時、太子の夢枕に八面八臂の鬼人が眷族を伴って現れ、
「この深山の良木伐採の事、ここは我遊戯居住の地なり。拠ってこの地に一院を建立し仏法弘道を志願となせば、
志願成就の繁栄を永劫に奉らん」 と告げられた。
そこで太子は自ら帝釈天王の霊像を一刀三礼して刻したと伝わる。この帝釈天王像が御本尊であり、加えて弘法大師作と
される毘沙門天及び弁財天が各一体ずつ祀られている。これらが奉安されている事から三天寺と呼ばれた時代もあったと言う。

門前に到着

山門近影

山門近影
応仁年間以降、度重なる兵乱で諸堂を焼失したが、慶安2年(1649年)に秀栄法師が中興した。
境内には帝釈天が降臨したとされる樹齢1200年、高さ20mの松の巨木が枝を広げ、御神木として境内を覆っていたが
昭和30年頃に枯死。いまは二代目の松が植え継がれている。
現在では月例の写経会や瞑想会、予約制の修行体験もできる地域密着の寺である。』 とあります。

境内遠望

本堂正面

帝釈天の扁額と龍の彫刻

本堂前の巨大注連縄

本堂の屋根

本堂側面
南に向かう道路からも大きな本堂が望めますが、正式には南門から。正面の本堂へお参りして寺務所で御朱印を拝受。
そこで御住職からかつての松の巨木の写真が本堂内に掲示されている旨を聞き再度本堂内陣へ。白黒写真でしたが
成程巨木と呼ぶに相応しい容姿。地元の人達が松の根元に集合した写真で、御神木の下で【親睦】を図って居られた
のでしょうか?

本堂前の景色


天然記念物のヤマモモの巨木
本堂前の向拝には龍の彫刻がありますが、そこに架かっていたのは結界を示す注連縄。
和辻;「あの注連縄は両端が異様に太いですが…。」
住職;「あれは頭と尻尾ですね。」
和辻;「と言うと龍ですか?」
住職;「まあ、そんな所です。」
成程、そのような【帝釈】もできるのかと感心した次第です。

帝釈天降臨の松

松の説明

鐘楼と山門

帝釈寺御朱印
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歓喜山 善福寺(高野山真言宗 摂津八十八ヵ所第五十三番札所)
勝尾寺では帰りのバスまで2時間あったのでゆっくり参拝。11時代のバスで曲がりくねった道を下る事10分、山中から
町に入った奥というバス停で下車。その名も勝尾寺川に架かる西田橋を渡り、工場を左手に見ながら坂道を上る事5分。
駐車場の横に寺院が見えます。

西田橋から見た勝尾寺川

道路の右手に建つ寺標を進む

途中の坂道から勝尾寺方面を望む
周囲は田園地帯。
但し、そこは脇門なので正式に山門から入るには墓地を抜けてボチボチ進まねばなりません。
歓喜山善福寺(かんきざんぜんぷくじ)は、
『宝亀8年(777年)、光仁天皇の御代に開成(かいじょう)皇子の勅願に拠り勝尾寺が都率浄土の内院として創建された際、
外院として建立された六ヶ院のうち一ヵ院。開創は勝尾寺にも所縁の善仲(ぜんちゅう)とされ、摂津八十八ヵ所第五十三番の
霊蹟である。途中、衰頽した時期もあったが、宝暦年間(1751~1763年)に俊然が中興した。

墓地の先に見える山門

山門近影
ひとたび当山嶺に上るものは摂津河内和泉の眺めを欲しいままにし、心機一転、歓喜踊躍の思いを得る故に歓喜山。
本尊の十一面観音菩薩は霊験あらたかで、七難即滅、七福即生の希求を満たす故に善福寺。これが山号寺名の由来である。
本尊は東向きに鎮座し日の出の方角を見られる珍しい観音様として親しまれ、その誓願の中に、
「大晦日に当山に詣でて我を拝する者は、長く悪趣の苦を離れ頓に諸病の患を抜き給う」
とあり、多数の善男善女の参詣者を集める。

参道の先に建つ本堂

本堂近影
東向観音、聖天さまと二つを祀る。

本堂前より山門を見る
また別徳本尊として祀られているのが大聖歓喜天。これは夢を叶えるゾウとして知られるヒンドゥー教のガネーシャ神が
仏教を護る神となったもの。当山では一福聖天或いは粟生谷聖天と呼ばれその名が示す通り、数ある願いの中でもこれだけ
は叶って欲しいと思うものを祈願するものである。
当山では先ずは十一面観音様に合唱してから聖天様に参るのが仕来りである。』 とあります。

御朱印は寺務所(兼書院?)で頂く

書院玄関
脇門から境内に入り、再度山門から入るというまどろっこしい手順を踏みましたが、一応これが正式な参拝。山門から
本堂まで真っすぐな石畳が続きます。
すぐ左には鎮守として金比羅さんがありましたが、その前には沙羅双樹の木があり地面には落花が見られました。
本堂は江戸時代の再建で北摂地域には多い様式だそう。但し閉まっていたので、御本尊も聖天さんも外陣からの
参拝とはなりました。

寺務所脇から見た境内

金比羅さん前の沙羅双樹
その後、寺務所で御朱印拝受。説明書を尋ねると、
「説明書は作成していないので、HPを御覧下さい。」 と名刺を拝受。
商店のHPはよく聞きますが、聖天さんもHPの時代。ネットに【全幅】の信頼を寄せているのでしょうか?

善福寺御朱印

高台にある山門前から次の札所方向を望む
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應頂山 勝尾寺(高野山真言宗 西国三十三ヵ所第二十三番札所)
勝尾寺の境内は北摂山系の懐に抱かれた8万坪にも及ぶ広大なものですが、
『その最大の見所は国定公園にもなったその自然にある。北摂屈指の紅葉の名所である他、春の梅・桜は元より、椿・躑躅・
石楠花・射干などの花が楽しめる。また境内の参道や建物周辺には紫陽花が植えられ初夏の境内を彩っている。』
とあります。

池と弁天堂越しに見る二階堂

弁天堂の鳥居

弁天堂前にある湧出水

鎮守堂前の紫陽花

紫陽花の向こうに見える本堂

本堂側から見た紫陽花

石垣の上の紫陽花

鐘楼堂脇の紫陽花

土塀の上にはダルマと紫陽花が鎮座

本堂参拝の帰路も紫陽花が

色とりどりの紫陽花

多宝塔を過ぎ坂道を下る
自然に恵まれているのは言うまでもありませんが、建造物とダルマの朱色と紫陽花の青・緑色が良いコントラストを
なしています。
特に、この地は山腹で適度の日影がある事、境内には池を始め湧き水があるのも紫陽花には適した環境と言えそうです。
唯、勝運の寺であるからには、【ショウブ】には拘りが或る筈ですが、境内には菖蒲は見当たらず。
それが不思議と言えば不思議でした。

紫陽花越しの二階堂

蕚紫陽花

ベニガクアジサイ(紅蕚紫陽花)


ハート形にも見えるのは手毬紫陽花?






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應頂山 勝尾寺(高野山真言宗 法然上人二十五霊場第六番札所 )
本堂参拝して横に建つ納経所へ。西国三十三ヵ所開創1200年の御朱印を拝受。
勝尾寺は摂津八十八ヵ所でもあるので、それも御願いすると、
納経;「でも西国と同じ印ですよ。それでもいいんですか?」
和辻;「それなら法然上人霊場にします。」
納経;「霊場の二階堂はここから坂を上った先にあるので、先ずお参りしてきて下さい。」 との事。
通常の巡礼では、参拝と納経の順序について問われませんが、参拝してからの納経が本来の形式。
そこで本堂の右手を北東に200m、境内の最も高台にある霊場にお参りすることに。

紫陽花の咲く坂道を上る

射干の向こうには不動堂が建つ

坂の行く手に二階堂が
勝尾寺二階堂(かつおうじにかいどう)は、
『当山第四代座主・証如上人が建立。上人はこの地で浄土念仏を鼓吹したとされる。
鎌倉時代になり、法然上人が讃岐からの帰途、証如上人の遺徳を偲び当山に4年間止住。念仏三昧の行に入った。
承元4年(1210年)3月21日、法然は二階堂で善導大師の夢のお告げを得、浄土宗本基の戒を授かった。
その時の両祖対面の尊影を映した壁板が二階堂の御本尊となっており、念仏三昧すれば善導大師の御影を拝する
ことができると言われている。』 とあります。

法然上人霊場 二階堂

二階堂近影
正面に張出した唐破風。

破風の下の造り

向拝の彫刻と二階堂の扁額

鶴の彫刻

こちらは唐獅子と牡丹

建物の土台部分
ここが二階建てに見えたか?

二階堂脇の供養塔
鎌倉の二階堂はかつて二階建ての堂宇があった場所ですが、ここの建物は一階建て。
西国札所と法然上人霊場と【二回堂宇】を参拝するからかどうかは定かではありませんが、
「二回どう?」と言われても行ってみたい場所ではありました。

二階堂前からの眺望
遠くに見えるのは山門とお浄め橋。

下の境内より見上げた二階堂
左は修復中の多宝塔。

二階堂御朱印
但し、拝受は他と同じく納経所。
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應頂山 勝尾寺(高野山真言宗 西国三十三ヵ所第二十三番札所)
これは二階堂前から山門方面の眺望。
勝尾寺の境内を歩くと、目に入るのは至る所に置かれた「勝ちダルマ」。
『源氏・足利氏等各時代の覇者達が、以来「勝運の寺」「勝ちダルマの寺」として勝運信仰の歴史を持つ。
今も、勝運・厄除・試験・商売・スポーツ・芸事・病気等、あらゆる勝負の祈願に参拝者が絶えない。
但し、勝尾寺の伝えてきた「勝つ」とは、単に相手を負かす事にあるのではない。転んでも起き、己に打ち勝つと言う
「七転び八起き」の精神であり、それを形に表したものが「勝ちダルマ」である。』 とあります。

勝ちダルマ奉納棚
本堂への石段の右手にある。

奉納棚正面

木の幹に置かれた勝ダルマ
手書きのためダルマの顔は全て異なるという。
信仰の世界に俗な勝負事を持ち込むのは若干筋違いの気がしましたが、由来を知って納得。しかし参拝者の勝負への
祈願は強いものがあるようで、お寺もその辺りは心得ている様子。
近頃は西国巡礼スイーツなるものがあるようですが、ここ勝尾寺は「勝ちグミ」キャンディー。宿坊の應頂閣もホテルと
見紛う程の立派な建物で、極楽をこの世に体現したものでしょうか?

勝尾寺限定販売の巡礼スイーツ「勝ちグミ」

バス停の近くにある宿坊「應頂閣」
かつて勝尾寺の檀家総代をされていたの」が笹川良一氏。ボートレースを合法化した日本船舶振興会の長というよりも、
「一日一善」のCMの方が有名でしょうか?
ボート絡みで総代をされていたと思っていましたが、氏は箕面市出身で地元では庄屋格の家系。古刹の総代を務めても
驚くには当たりませんが、世間一般には勝負師の信仰する寺と思っても不思議ではありません。

本堂の欄干に並んだダルマ

鐘楼の床に一面に置かれたダルマ
この日も、度々祈祷が行われていましたが、祈祷の声がスピーカーを通して境内に響いていました。
勝尾寺がどう考えているかは不詳ですが、そう思って聴くと、祈祷の読経も
「競艇、競艇、ハーラー競艇、争う競艇」 と聞こえるから不思議です。

土塀の瓦の上にもダルマ
雨が降ったらどうするんやろう?

見晴らしの良い高台にも
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應頂山 勝尾寺(高野山真言宗 西国三十三ヵ所第二十三番札所)
お浄め橋を渡り石段を上ると広大な境内。更に左手に進んだ場所に堂宇が並びます。
開成(かいじょう)皇子が日本で最初に感得したという三宝荒神を祀る堂、開祖を祀る大師堂、と続きその奥にある大きな伽藍が
本堂になります。

幅広い参道を行く

堂宇へは参道を上った場所から更に左に進む

堂宇へ行く前に一願不動尊で一つだけお願い

勝ちダルマ奉納棚を右手に見て本堂へ
当山の寺号については平安時代の逸話に残りますが、その詳細は次の様に伝わっています。
『当山六代座主・行巡(ぎょうじゅん)上人は清和天皇から病気平癒の加持祈祷のため朝廷にお召しが掛かった。
勅使が行巡に上洛を命じた所、
行巡;「12年間、特別の修行を積んでいるので、当山を出る訳にはいかない。」 と断る
勅使;「王土を踏みながら朝威を軽んじるのか!」 と責めると
行巡は、空中に一丈ばかり昇り、そこに留まった。
驚いた勅使が天皇に報告すると、天皇は
「山を出なくとも良いから、そこで祈祷して欲しい」 との勅命を伝えたと言う。

最初に見えるのは厄払い三宝荒神社

三宝荒神社近影
開成皇子が我が国で最初に感得したという。

荒神さま由緒

鎮守堂

開山堂
善仲、善算、開成の三像が祀られる。

水掛観音堂

大師堂

大師堂内部の四国八十八ヵ所お砂踏み
その後、病気も平癒した天皇は当寺に臨幸され、行巡を阿闍梨に補任、荘園も寄進された。当山仏法の祈願力には
朝廷の権力も及ばなかった事から、王に勝つ寺「勝王寺」』として清和天皇から寺名を賜ったのはその時の事である。
流石に畏れ多いという事で勝尾寺と改めたが、』 とあります。

本堂
慶長年間に豊臣秀頼の再建。

本堂正面

本堂の前面

本堂の「勝尾寺」の扁額

本堂側面

山号の刻まれた線香鉢
支えるのは邪鬼?。

本堂より見た開山堂(左)と大師堂(右)
以前から「かつおじ」ではなく「かつおうじ」と読むのを不思議に思っていましたが、由緒を聞けば成程と納得。
しかし、初めは朝廷の申し出を断るという態度でしたが、いざ「勝王寺」という寺名を頂くと畏れ多いと勝尾に改名したのは
何故でしょう?
流石に帝の意向に【きょうじゅん】せざるを得なかったのか、それとも上からの示達には悉く反発するという心情だったのか、
証人もいないので上人の心の内は永遠の謎として残りました。
ところで山号の應頂山も王朝とするには畏れ多いので改めたのでしょうか?これは私の勝手な妄想に過ぎませんが…。

本堂の屋根の装飾

鐘撞堂

不動堂
本堂の建つ平地の最も奥に建つ。

本堂脇の納経所

不動堂前から
御神木の楠、納経所、本堂と並ぶ。

勝尾寺説明書と入山券

勝尾寺御朱印(西国三十三ヵ所)
平成7年秋分の日と今回拝受分。
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應頂山 勝尾寺(高野山真言宗 西国三十三ヵ所第二十三番札所)
先々週は河内、先週は泉州の紫陽花巡りをしましたが、大阪北部も行かねばと、せっつかれたように摂津へ。
勝尾寺は大阪の真北に位置し、8万坪の境内に1300年間に亘る部類の聖地とされる場所。未訪であれば
・目に青葉 山ほととぎす 初勝尾
となるところですが、平成7年に訪問済。但し、この時は家族の自動車に同乗しての訪問だったので行程は殆ど記憶になし。
公共交通機関を利用して、結構な山奥にあると知りました。
西国街道から巡礼道を北上するのが正式で、途中に立つ町石は文化財にもなっている遺物。しかし、距離が40丁ある上、
山道の起伏が激しいので徒歩はスルー。

昔の巡礼道
これは門前から少し進んだ場所。
ニュータウンとして知られる箕面市ですが、バスの便が良いのは住宅地だけ。かつては箕面駅から直通バスがありましたが
2017年で廃止。今は北千里・千里中央からのバスが唯一の手段ですが、平日3便、土日祝6便という頻度。路線も奥という
集落を過ぎると、ひたすら人家もない山道を進みますが、10分程度で急に広い境内が見えたと思うとそこが目的地。

バス停脇にある勅使門とその向こうに見える山門

勅使門近影
開成皇子の御命日のみに開錠するとかしないとか!

入口に建つ巨大な寺標
西国以外にも法然上人・摂津国の札所となっている。
應頂山勝尾寺(おうちょうざんかつおうじ)は、
『神亀4年(727年)、摂津国司であった藤原致房の双子の息子で四天王寺に学んだ善仲(ぜんちゅう)・善算(ぜんさん)が
山中に草庵を構え仏道修行を始めたのが嚆矢。
その後、光仁天皇の皇子で桓武天皇の庶兄、開成(かいじょう)が二人に師事して仏門に入り、天平神護元年(765年)に
弥勒寺を開創する。
宝亀11年(780年)、妙観という観音化身の比丘と18人の仏師が、白檀香木をもって7月18日より8月18日までの間、
身丈八尺の十一面観世音菩薩を彫り本尊とした。全国の観音縁日が18日となったのは当山本尊に由来している。
当山六代座主・行巡(ぎょうじゅん)上人は清和天皇の玉体安穏を祈願し効験を現わしたので、帝より王に勝つ寺
「勝王寺」の寺名を賜るが、畏れ多いとして王の字を尾に控え、以来「勝尾寺」と号した。

入口を入ると直ぐに「お迎え地蔵さま」がお出迎え

威容を誇る山門(仁王門)
慶長8年(1603年)に豊臣秀頼に拠り寄進。

山門に掲げられた「應頂山」の扁額
元暦元年(1184年)、源平内乱の戦火に拠り全山焼失するが源頼朝の命で梶原景時・熊谷直実が再建。
以後、各将軍より壮大な荘園の寄進を受け、室町幕府四代将軍足利義持に拠り将軍家の祈願寺とされた。
慶長8年(1603年)には豊臣秀頼に拠って山門が再建され、本堂の浄財も寄進された。
以来、人生全てに「勝つ」寺として日々勝運を願う参拝者が絶えない。』 とあります。

山門に続くお浄め橋

山門とお浄め橋の説明

お浄め橋から山門を見返る
扁額は当初の「勝王寺」となっている。
バス停の横にある勅使門、その奥にある巨大な山門が今までの歴史の重みを体現しています。
何故、こんな山奥にあるのかとは誰しも思うでしょうが、北摂を護る霊峰という位置に加え境内には広い池があり水も
こんこんと湧出。
山門を過ぎた場所にあるのがお浄め橋。境内に湧く水を霧状にして全身に浴びることで身体と心を清めるものですが、
科学的にはマイナスイオン効果になります。山中にありながら清水が豊富な事が、ここに建立された理由でしょうか?
背後の山には磐座もなさそうなので、水を崇める古代信仰の名残と言えそうです。

お浄め橋を進むと広い境内の案内板が
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース> 紀州路快速は日中15分間隔で運転
【往路】JR大阪(8:38) → (紀州路快速) → JR和泉砂川(9:53)
→ 徒歩8分 → 長慶寺 → 徒歩15分 → 海会寺跡 → 徒歩20分 → 紀州街道 → 往生院 → 徒歩15分 → 岡大師
【復路】JR和泉砂川(14:06)→ (紀州路快速) → JR大阪(15:13)

躑躅山 林昌寺(真言宗御室派 和泉西国三十三ヵ所第三十一番札所)
往生院の後は、更に南下してため池、阪和線を過ぎしばらく行くと、坂の向こうに伽藍が見えます。
ここまで来ると人家も少なく、手前はミカン畑、竹林になっています。躑躅の名所と言われるだけあって境内を囲む土塀には
躑躅の刈込が広がっていますが、山門周辺の紫陽花も見応えあり。樹木に囲まれた【林床】故でしょうか?

紀州街道沿いに建つ道標
ここを左折する。

線路を過ぎミカン畑の向こうに伽藍が見える

手前に広がる竹林

参道脇には紫陽花が

紫陽花越しに見る堂宇

土塀の手前に広がる躑躅の刈込

参道を進み山門へ
躑躅山林昌寺(てきちょくざんりんしょうじ)は、
『天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願寺として行基に拠り開創された古刹である。寺伝では行基が天皇の勅を奉じて
各地に相応の場所を求めていた所、或る夜当山の峰に瑞気を認め、山頂で禅坐する内に弥陀の霊瑞を感得した。
これを奏上した所、大いに喜ばれた天皇に拠って勅が下され3院6坊を擁する大寺院が建立。この地の水が鉱質に富む所から、
山号を温泉山、菩提院岡寺と称された。

入口へ到着

山門と寺標

山門の正面には本堂が建つ
平安後期になり堀川天皇が当山に行幸された際に、その見事な山躑躅を源俊頼が
・とりつなげ 玉田横野の 放れ駒 躑躅が岡に あぜみ花咲く
と詠んだので、山号を躑躅山、寺名を法林繫昌の勝地なりとして林昌寺と勅号される事となった。境内からは平安後期の
軒丸瓦が出土し、中世の仏足石が保存されている。
創建当時からの威容を誇った大伽藍は、天正年間の羽柴秀吉の紀州攻めで悉く灰燼に帰したが、寛永18年(1641年)に
真海が再興。現在の諸堂宇は江戸初期から中期にかけて再建されたものである。

山門下から見た境内
左から本堂、庫裏、法林の庭。

本堂正面

本堂近影
御本尊は阿弥陀如来。

本堂に架かる「躑躅山」の扁額

本堂脇の観音堂
こちらの御本尊が和泉西国の如意輪観世音菩薩。
当山は真言宗御室派に属し、泉州地方の弘法大師信仰の中心とされる事から岡大師の別称で呼ばれる。観音堂には
西国三十三ヵ所の本尊が祀られている他、寺内山中には文政10年(1827年)創設の四国八十八ヵ所の分霊場があり、
1時間で順拝できる手軽なハイキングコースとしても知られる。

高台から境内を見下ろす

高台に建つのは地蔵堂

裏山に続く巡礼道

四国八十八ヵ所の分霊場
これは結願の大窪寺か?

分霊場の横にある薬師堂

薬師堂から見た本堂と庫裏

紫陽花越しに見る薬師堂
境内には躑躅の名所として知られる山の斜面には、昭和36年(1961年)重森三玲の手になる「法林の庭」が造られている。
これは阪和西国28番札所である事から和歌山産の青石28個で構成されており、中央に本尊石、全体で極楽浄土を具現する
という意図で作庭された。
また書院の庭園は江戸中期に造られたものを昭和51年(1976年)岩田半之丞氏が改造したものである。』 とあります。

庫裏の前から見た「法林の池」

境内の斜面に造られた「法林の庭」
左奥が地蔵堂で、右が薬師堂。
中世以前の話ではありますが、繁茂していた躑躅を源俊頼が歌に詠み山号になったというのは、それなりに【しゅん頼】
できる話。このエピソードから、後世境内に躑躅が植えられるようになったと想像できます。
加えて「法林の庭」、密教系寺院ながら禅宗系の雰囲気を感じるのは偏にこの庭に拠るのでしょう。用いられているのは
庭園に好まれた紀州青石。隣接した和泉に使用されているのは不思議ではありませんが、紀州青石は地質学的には緑色片岩。
堆積岩や火成岩が熱や圧力に拠って変化した変成岩に分類されます。使用される訳は【お堅石】だからではなく変成岩の美しさ
のため。江戸時代を通じて高価とされる石を庭の【編成】にふんだんに使ったのは、この石の持つ【効果】を狙ったものでしょう。

庭に置かれた青石

青石と躑躅近影

横より見た「法林の庭」と池
御朱印を拝受した際に説明書も頂きましたが、茶室や書院の庭も一見の価値あり。但し、一般公開していない事なので、
後悔を残しつつ辞去した次第です。

林昌寺略記

略記内部に載る非公開場所の写真

岡大師御朱印
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【往路】JR大阪(8:38) → (紀州路快速) → JR和泉砂川(9:53)
→ 徒歩8分 → 長慶寺 → 徒歩15分 → 海会寺跡 → 徒歩20分 → 紀州街道 → 往生院

明王山 大日寺 往生院(真言宗御室派 和泉西国三十三ヵ所第十四番札所)
紀州街道を南下し、JR和泉砂川駅から西へ延びる道を少し過ぎた場所に建つのが十四番札所の往生院。街道に面した
白壁の向こうに寺院が見えます。
明王山大日寺往生院(みょうおうざんだいにちじおうじょういん)は、
『白鳳8年(680年)、天武天皇の勅命で道昭が創建。当地の嗚唹郷(あおごう)は大和朝廷時代から天皇家の直轄地であった。

紀州街道からの全景

山門近影
道昭は百済から渡来した船氏の出身で、船氏は船舶・海運・土木技術で朝廷に仕えた。道昭は遣唐使として入唐、
玄奘三蔵の下で8年間勉学し、帰朝後、飛鳥元興寺の禅院で法相宗の開祖となる。同時に日本全国の港湾、河川の
整備を行うなど国土開発に尽くした。
道昭の創建した当院は五丁四方の広大な寺域と飛鳥寺様式の伽藍を持ち信達を寺領とした。
平安後期には摂政藤原忠実の荘園となり、鎌倉・南北朝まで近衛家が統治したが、足利尊氏が信達荘を根来寺に寄進。
そのため羽柴秀吉の根来寺攻めでは全焼の憂き目に合った。
文禄年間の太閤検地で境内は404坪となり浄土宗に改宗。元禄4年に真言宗へ戻り京都仁和寺を本山とした。』 とあります。

山門前の石碑に記された由緒

境内全景

本堂(観音堂)へ続く書院廊下

正面に建つ樹木に覆われた本堂

書院の屋根と鬼瓦
丁度、着いたのは昼時で、鐘楼の鐘が正午を告げていましたが、良く見ると人影はなし。御朱印拝受の際に伺った所、
自動化されているとの事。コロナのリモートはこんな所にも影響していました。
畿内に古刹があるのは驚くに値しませんが、古代史上の偉人が二人も関係するのは凄い。天武天皇は壬申の乱を
勝ち抜いた英傑、道昭は玄奘三蔵の直弟子というよりもわが国で最初に火葬された人物として記憶しています。

境内にある二面石仏

二面石仏近影
これだけは古の残影か?

玄関前の手水舎
この奥が鐘楼。
天皇領から摂関家の荘園を経て室町将軍と、その時の権力に結び付きながら繁栄しましたが、たった一度の判断ミスから
全山焼失。武力・経済力を持ちながら情報力に欠けたのが敗因と言えますが、名門故の油断もあったのでしょうか?
門前に建っても境内を歩いても古刹の雰囲気が希薄なのは、ここも周囲同様、秀吉の紀州攻めに遭遇したから。それ程、
徹底したものだったという事でしょう。
【どうしょう?】と【おうじょう】したでしょうが、現在まで法灯を伝えているのは、関係者の【健闘し】た証と言えます。

リモートで鳴る鐘楼

御朱印は寺務所にて

往生院御朱印(和泉西国)
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紀州街道信達宿の街道沿いの家屋
海会寺跡を訪問した後は和泉砂川駅方面に戻り、次の巡礼先へ。その時に通った道が旧紀州街道。
『市場は紀州街道信達(しんだち)宿の中心として栄え、時代と共に町並みも変化しつつあるが、本陣跡・旅籠跡・常夜灯が残り、
往時の宿場の様子が偲ばれる。宿場としての記録は古く、永保元年(1081年)の文献に和泉信達庄宿とあるのが嚆矢である。

信達宿本陣跡角谷家
但し、この日は閉館中。

宿場の常夜灯
古い家屋は入母屋造で妻入りのものが多く、街道に面して間口が狭く、奥が深いのが特徴である。また各家屋の屋根が
高低差を持ち、それが独特の景観を見せている。
現在も古い家屋は屋号で呼び習わされており、織屋・紺屋・鍛冶屋等以前の職業で呼ぶ事も多く、宿場としてだけではなく
商工業も発達していたことが伺える。』 とあります。

北から見た紀州街道

巨大な野田藤のある梶谷邸
見頃は4月半ば以降。
いつか歩いたようなデジャブー感がありましたが、帰宅して調べると3年前の昭和の日(2018年4月29日)に訪問済。
「蛸が救った多幸な寺の御朱印」 として投稿もしていました。
その時は、二階より野田藤の鑑賞できる梶本邸、本陣の角谷(つのや)家がいずれも開館していました。どちらもじっくりと
鑑賞した筈ですが、蛸地蔵に由来する表題の為、気付かなかった次第。何度も来る価値があるほど宿場は奥深いという
事でしょうが、単に物忘れがひどくなっただけという【しんだつ】な意見も聞こえてきそうですが…。

街道沿いの白壁家屋

街道沿いの家

泉州らしく玉葱畑の見られる
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→ 徒歩8分 → 長慶寺 → 徒歩15分 → 海会寺跡

海会寺跡
長慶寺参拝後は北側から出て一丘団地を抜け、道路を北東へ。暫く行くと左手に木立が見えますが、ここが長慶寺の
本院に当たる海会寺(かいえじ)跡。
『海会寺跡は東西109m、南北150mの範囲に亘り、東に金堂、西に塔、背後に講堂を配する法隆寺式伽藍である。
神亀年間(724年頃)、行基に拠り開創。永延2年(988年)に焼失し、長徳3年(997年)に再興され室町時代まで存続した。

かつての回廊と復元柱

中門の中にある金堂の基壇

金堂の礎石

金堂から見た講堂跡とそれに続く回廊
和泉国においては17ヵ寺の古代寺院の存在が確認されているが保存状態は悪く、その中で海会寺跡は建立した氏族の
屋敷跡も含めて良く保存されている。
現在の一岡神社拝殿・本殿は金堂跡の上に建てられたもので、礎石を転用している。』 とあります。

公園内にある見取り図

寺院跡の東側に広がるのは豪族屋敷跡

公園の入口に建つ一岡神社

一岡神社の由緒沿革

神社拝殿
立派な造りだが、宮司さんは常駐していない模様。
廃寺の後は宅地や農地に転用されることが多い中で、遺跡だけでも保存されているのは大収穫。公園内には丁寧な
説明版があり、それ見ながら古代人の生き様をしばし偲ぶことができました。まさに【古代妄想】と言えますな。
道路を隔てた向かいに歴史博物館があったので立ち寄りましたが、緊急事態の為こちらも休館。見応えがありそうな
施設だったのに残念。観光案内所も含め今日は休館ずくめですが、コロナ【急患】にならなかったのは勿怪の幸いでした。

海会寺跡の向かいに建つ古代史博物館

阪和線新家駅スタンプ(2006年 和歌山支社印)
ここまで歩くと新家駅の方が近い?

途中にある海営宮(かいご)池
8世紀に行基が開いた灌漑用池とされる。
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金泉山 慈昌院 長慶寺(真言宗泉涌寺派 和泉西国三十三ヵ所第二十八番札所)
長慶寺は行基菩薩が創建した古刹ですが、長い年月の間には天災・戦災を免れる事はできなかったのは前述した通り。
明治以降の衰頽を経て、近年は歴代住職の尽力もあって三つの塔を含めて伽藍は整えられています。
それに加え力を入れているのは、境内の庭園と草木の整備。

石段の両脇の紫陽花の奥に見える仁王門
よく観光のパンフに載るアングルである。

石段右手の紫陽花
この右奥にも紫陽花が広がる。
『境内には桜、藤棚、躑躅、紅葉などが四季折々の風情を醸し出している。中でも仁王門前の100段の石段脇と駐車場脇の
木立の中の紫陽花は圧巻で、六月になると林立した木立の中で、紫陽花が一斉に花を咲かせ、参拝者の目を楽しませている。
その事から近年では泉州の紫陽花寺として名を知られるようになっている。』 とあります。

石段脇の紫陽花

墨田の花火?



参拝者は徒歩であれ自動車であれ、紫陽花の道を通ってから本堂にお参りする事に。寺院の参道は木立に囲まれた場所が
多く、陽の当たる場所よりも湿度の高い日陰を好む紫陽花には好ましい場所と言えるでしょう。
昨今は色とりどりの紫陽花が多いですが、ここはあくまでも青が基調。貴重である事に加え、参拝者の心を清涼にする効果を
狙ったのでしょうか?あるいは土壌に拠って花の色が変わる事を人の心に譬えたのか、想像が膨らみます。

石段奥に広がる紫陽花



仁王門前から石段を振り返る
紫陽花は直射日光に気を付けるくらいで、生育は楽な植物ですが、花が咲いた後の剪定を誤ると大きな花には育ちません。
紫陽花で知られた寺社は拝観料が必要な所が殆どですが、ここは一切なし。泉州のあじさい寺が、【じしょう】か他称かは
知りませんが、【金せん】を取らない姿勢は立派。園芸業者に頼らず自ら手入れをされているからとも言えますが、商業
目的ではなく、訪れる人に喜んで貰いたい矜持を感じます。

境内から紫陽花越しに見た仁王門

鐘楼前の紫陽花

長屋門前にも紫陽花が

境内の参道脇の紫陽花

庫裏(寺務所)前には数少ないが、カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)が

手毬紫陽花

渦紫陽花
庫裏で御朱印を拝受した際、
和辻;「境内に紫陽花が綺麗に咲いていますね。」
夫人;「素人の手入れなのでお恥ずかしい限りです。」
と住職夫人が言われたのが心に残りました。

本堂奥の木立の中に咲く紫陽花


長慶寺オリジナル御朱印帳(大)
紫陽花をあしらった布製。
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