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鞍馬駅から貴船口駅へ (京都市左京区鞍馬)

2021.11.29(22:04) 999

彼岸に悲願の運転再開(2021.9.23)

<コース> 京阪特急は10分間隔、叡山電鉄は15分間隔で運転
【往路】淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (叡山電鉄) → 鞍馬

鞍馬駅 → 徒歩3分 →鞍馬寺 → 徒歩5分 → 鞍馬街道 → 徒歩15分 → 貴船口

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鞍馬駅前の大天狗像

 鞍馬街道を散策して9時半近くになったので、当初の目的地の鞍馬駅へ。

テレビ等でも話題になりましたが2020年7月6日の土砂崩れで不通になっていた市原~鞍馬間が18日に1年振りに復旧。

京都の観光地でもあり大都市からも交通の便の良い場所でありながら、何故復旧までに1年以上も掛ったのか?

 コロナに拠る不要不急の外出の自粛もそうですが、最近の各地での自然災害の多発で資材・人出がタイトになった事も

関係がありそうです。

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叡山電鉄全線運転再開のパンフ

そんな中での全線開通なので、

・風倒木を活用した「木製お迎え看板の設置」

・車両装飾「ラッピング・ヘッドマーク」

・記念乗車券「鞍馬線全線運転再開1日乗車券」

・復旧へのあゆみ「鞍馬PRアニメ上映」

など運転再開記念の取り組みがされていました。普通では先ずない事なので、期待の程が伺えます。

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パンフに記載の1日乗車券案内

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鞍馬駅ホームに架けられた大天狗と烏天狗の面

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鞍馬駅構内の様子

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構内に架けられた大天狗と烏天狗の面

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構内に架けられた鞍馬の火祭に使用する松明

『鞍馬駅は昭和3年の開業時は仮駅であったが昭和4年に本駅に昇格。

現在の駅舎は平成元年の京阪電鉄鴨東線開業時に改築された寺院風の木造入母屋造で近畿駅百選になっている。

駅は叡山電鉄では珍しい駅員配置駅で、構内には鞍馬の案内写真が掲げられ、駅舎の外には天狗像がある。』

とあります。

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鞍馬駅の扁額

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昨年に新調された鞍馬駅スタンプ

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ホーム脇に置かれたかつての車両と車輪

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近畿駅舎百選の鞍馬駅舎

 何度も訪れた鞍馬駅ですが、ふと見ると駅前の天狗像が3年前とは違っています。なんでも積雪の重みで

鼻が折れてしまったとか。降雪量の少ない最近では考え難い気もしますが、経年劣化もあったのでしょう。

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鞍馬駅遠景

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駅前に置かれた大天狗像
前の服装は都度変わるそう。

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叡山電鉄鞍馬駅にある天狗像 2018.5.4 撮影

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鞍馬街道からの鞍馬駅遠望

 鞍馬駅で野暮用を終えた後は一駅歩いて貴船口駅へ。鞍馬と並ぶ観光地貴船への最寄り駅ですが、

バスで5分、歩くと20分程度。しかし降車する人は多く、貴船川に沿って歩く人も多いようです。

かつては無人駅でしたが、今は有人化。駅スタンプも設置されており早速押印。鞍馬駅と共に入場券も販売されていました。

入場券を集める趣味はないのですが、今回はいろいろな成り行きで購入。

¥210×2の硬券を買った事で、叡電の経営にも貢献した次第です。

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貴船口駅入口

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貴船口駅改札
かつての無人駅を知る者にとっては今昔の感が…。

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貴船口駅スタンプ

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貴船口駅ホームにて

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貴船口駅、鞍馬駅スタンプ

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貴船口駅、鞍馬駅の硬券入場券

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貴船口駅から列車「きらら」に乗車

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「きらら」車内の展望席

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「きらら」座席シートには紅葉のデザイン

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二ノ瀬駅ホームから見た山並み

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二ノ瀬駅ホームの案内板

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鞍馬街道 (京都市左京区鞍馬)

2021.11.27(01:11) 998

早朝の街道を往く(2021.9.23)

<コース>
【往路】淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → (叡山電鉄) → 鞍馬

鞍馬駅 → 徒歩3分 →鞍馬寺 → 徒歩5分 → 鞍馬街道

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鞍馬街道

 秋分の日の今日、同窓が出展している毎日書道展を鑑賞すべく洛中岡崎へ。

会場は9:30分開場ですが、この日は6時台の電車で出発。

実は2020年7月6日の土砂崩れで不通になっていた市原~鞍馬間が18日に1年振りに復旧。

それで以前からの懸案事項を片付けるべく出町柳から叡山電鉄で鞍馬へ。

と意気込んで朝8時30分に鞍馬駅に到着しましたが、何と業務開始は9時40分。貴船口駅は10時と1時間半も先。

以前は早朝から駅員さんが居た記憶があり【天狗】になった積りはなかったのですが、再確認を怠ったという【初動】ミスでした。

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朝8時台の鞍馬寺門前の様子

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鞍馬寺入口
もう拝観は始まっている。

『平安京の北にある鞍馬は西には鞍馬山が聳え、東は鞍馬川の清流が逃れる。

若狭街道に沿い、丹波や洛中との中継点として古来より繁栄。往時は“若狭もの”と呼ばれる海産物や地方の産物が

この地を盛んに往来した。鞍馬寺は平安京以前からの古刹で門前に町が発達した。

 鞍馬寺の山門を左手に見て北へ行くと閑静な家並みが数百メートルに亘って続く。

軒を深く保ち、格子造りの虫籠窓を持つ卯建・梲(うだつ)を上げた風格のある家が並ぶ。

かつては薪炭で繁栄し、鞍馬炭は茶用の高級炭として重宝された時代があった。

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鞍馬街道、北からの眺望
弁柄格子の家並みが続く。

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街道に沿って流れる鞍馬川

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町並みの途切れる鞍馬温泉付近から南を望む
左右にあるのは木の芽煮を商う「くらま辻井」。

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「くらま辻井」正面
木の芽煮とは山椒の実や葉を昆布と共に佃煮にしたもので、牛若丸も常食にしたとされる。

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「くらま辻井」の屋根に置かれた鍾馗像と暖簾に描かれた天狗面

 そのような中で瀧沢家は江戸中期の代表駅な民家の遺構。鞍馬の旧家にはそれぞれ屋号があるが、

当家は匠斎(しょうさい)と呼ばれている。創建は棟木に貼付された祈祷札に拠り宝暦10年(1760年)4月と判明している。

 当家の特徴は間口二間を通し土間とし、正面左右の裏には卯建が揚げられている。また表と台所の建具を一本溝で通し、

二階に上がる階段上の天井を「辷り天井」とした天井裏は小屋組に梁を架けて人が動きやすいように工夫されている。

土間には石組みのだるま式井戸と、土と縄で組み上げ磨き漆喰で上塗りした句土がある。家屋の背景には堅牢な

三段の石垣が施され、庭園の借景となっている。

江戸時代中期の町屋の形態を正確に整えた府下唯一の町屋遺構として重要文化財に指定されている。』 とあります。

手元のガイド(1998年版)に拠れば、瀧沢家・匠斎庵では見学と湯豆腐が頂けるとありますが、そんな雰囲気は全くなし。

早朝なのかコロナのせいか、ガイドが古いためかは分かりませんでした。

門前の店も殆どが準備中なので、仕方なく鞍馬街道を【木の芽】気のままに往ったり来たり。

鞍馬には10回近く訪れていますが、全て鞍馬寺の周辺。街道をゆっくり歩く事は初めてでした。

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瀧沢家外観

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瀧沢家(匠斎庵)由緒

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瀧沢家に見える卯建

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鞍馬川に架かる地蔵橋上から
この付近では「天狗水」と呼ばれる天然水が珍重されたとある。

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汗かき地蔵 (長野県木曽郡南木曽町)

2021.11.25(20:00) 997

川から上がった地蔵様(2021.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR中津川(10:39)

中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣 → 寺下 → 光徳寺・汗かき地蔵 → 妻籠(13:51) → (御岳バス) → 南木曽(14:00)

【復路】JR南木曽(14:42) → 中津川(15:16→15:20) → JR名古屋(16:35→17:00) → JR米原(18:09→18:17) → JR大阪(19:42)

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寺下延命地蔵堂
中山道沿いに建つ。

 光徳寺参拝を終えて石段を下りますが、街道脇には延命地蔵堂の案内が。

見ると小さなお堂の中には直径が2m程もある自然石が祀られています。縁起に拠れば、

『昔、妻籠村の光徳寺境内に蘭(あららぎ)川に向かって祀られた地蔵があった。

文化10年(1813年)5月、寺下の蘭川で釣りをしていた飯田の杣人が近くの石に載ったが川中に振り落とされた。

不思議に思った杣人が石を良く見ると、石にお地蔵様の寝姿が現れていた。

「お地蔵様が川中に出現された。」 と木曾の街道筋は大騒ぎとなり、初めは川中で供養していたが、

このままでは畏れ多いと引き上げて供養することになり、村中で相談した結果、光徳寺の門前に堂地を定めた。

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正面から見た延命地蔵堂
左は光徳寺へ続く石段。

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地蔵堂近影

 文化12年、石工に長けていた当時の住職、中外和尚が自ら蓮花台と龍の姿を描いた水舟を刻み、

門前の嵯峨屋小四郎と共に施主になってお堂を建て延命地蔵として祀った。

 毎年4月23~24日の祭の頃には、お地蔵様の全身から汗のように水が染み出し、人々の苦難を一身に受ける

「汗かき地蔵」として地域の人々に親しまれている。』とあります。

 以上は「寺下延命地蔵尊縁起」の記載内容ですが、案内板には「享保10年(1725年)の書き上げに地蔵堂と記されている」

とあるので、元々別の地蔵様が祀られていたが、後に発見された石地蔵に替わったと考えるのが自然です。

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堂内に祀られている自然石のお地蔵様

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延命地蔵堂由緒

 お堂の入口横にあるのが石仏「寒山拾得像」。

『昭和59年の長野県西部地震の際に、崩れた石垣の下から発見されたもの。不思議な像が刻まれているので、

道祖神の一種として祀られてきた。日本石仏協会に拠れば、題材は唐代の奇僧「寒山拾得」で、光徳寺住職で

あった中外和尚の作と推察される。』 とあります。

 石垣自体は安政の大地震で崩壊し積み直されたもので、石仏は鎮魂の意味か補強かは定かではありませんが、

その時に埋められたもの。それが再び地震で出現したのは奇縁としか言いようがありませんが、中外和尚の名を

内外に知らせる結果となりました。

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石仏「寒山拾得」

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「寒山拾得」像の説明

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寺下延命地蔵尊縁起

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光徳禅寺 (長野県木曽郡南木曽町吾妻)

2021.11.23(22:00) 996

高台に建つ寺院(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣 → 寺下 → 光徳寺

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瑠璃山 光徳禅寺(臨済宗妙心寺派)

 宿場中央の桝形付近からは石段が上に続きその先にあるのが宿場唯一の寺院光徳寺。寺下の名もここに由来するのでしょう。

瑠璃山光徳禅寺(るりさんこうとくじ)は、

『明応9年(1500年)、悟渓和尚が開山と伝えられるが、史料「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進帳」に拠って

確認されるのは慶長4年(1599年)である。

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宿場北側から見た光徳寺
石垣の上に建つ。

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中山道沿いに建つ寺標

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石段を上り本堂へ

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由緒記

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石段途中から見た寺下地区

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更に石段を上る

 山門を過ぎて正面に建つのが瑠璃光如来を祀る本堂。創建時は杮葺きであったが、昭和15年に防火の観点から

瓦に葺き替えている。その際に本堂大棟の右側にあった鬼瓦を境内に下し展示している。

重量は120kg程度、形は「京花経ノ巻鬼」と言い九組で構成されている。

 かつては境内に樹齢二百年の枝垂桜があったが今は枯死。庫裏には幕末から明治にかけて住職を務めた

遂応和尚に拠って考案設計された車付駕籠が保存されており、人力車の祖型とされる。』 とあります。

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閉鎖中のこれは御成門か?

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長屋門風の山門
境内にはこちらから。

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境内の眺め

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本堂近影

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本堂正面

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本堂と前庭

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本堂の「光徳寺」の扁額

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本堂屋根の桔梗紋

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本堂前からの眺望

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鐘楼

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鬼瓦

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鬼瓦説明

 町並みより一段と高い台地に建ち、案内書には白壁を巡らせた気品ある寺院とあります。石段からは宿場が

一望できますが、急勾配の坂は崩落危険の看板も。宿場を守る寺院ではありますが、私には城塞にも見えます。

そういえば本堂の屋根にあったのは桔梗紋。東美濃を本拠とした土岐氏の紋ですが、寺院との関係は分からずじまい。

「時は今…」のチャンスを逸してしまったのが心残りでした。

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本堂脇の唐破風玄関

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庫裏に展示の車付駕籠

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光徳寺御朱印
かつて拝受した書置き

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今回拝受の墨書の御朱印

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妻籠宿 上町から寺下へ (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その参>

2021.11.21(20:47) 995

全国町並み保存発祥の地(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣 → 寺下

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妻籠宿 (中山道第四十二番宿)

 本陣・脇本陣を見た後は桝形を抜けて宿場の更に奥へ。江戸時代の始めに制定された宿場は一種の城塞の役割も

持たされて整備されたので、外敵は侵入し難いように必ず桝形が設けられました。

妻籠もそれに倣い、本陣・脇本陣は簡単には見通せないようになっていました。その先にあるのが寺下の町並み。

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寺下地区入口から見た桝形跡
左は下嵯峨屋。

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桝形の説明板

『明治25年には馬籠峠を迂回して新道(国道19号線)が開通、更に明治42年には名古屋・三留野間に鉄道が敷設され、

2年後には中央西線の全通を見た。その結果、三留野駅がこの辺りの交通の起点となり、妻籠は交通の要衝としての

機能を消失。旅籠屋や茶店の経営や荷物輸送に携わった人々も職を失い、僅かに修学旅行生や製紙女工・行商人が

宿泊するだけの寂びれた宿場であった。

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寺町入口付近の町並み
右は現役の宿屋・松代屋。

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妻籠の庶民の住居を代表する下嵯峨屋
当初は長屋であったと言う。屋根瓦でなく、ごろた石を置いているのも特徴の一つ。

 これを打開すべく、旧脇本陣の林亀寿郎が妻籠城跡保存会を組織。自費で道路の補修や絵葉書作成に取り組むが

大正7年に彼の死で実を結ばずに終わる。

漸く軌道に乗り始めたのは戦後、昭和39年に妻籠の刊行観光開発計画が立てられて以降の事である。

 太田博太郎東大教授、小寺武久名大講師が調査指導に当たり、それに県や諸機関、地元住民が協力し、

妻籠宿は全国で初めて集落町並み保存に着手し、昭和43年(1968年)より復元保存工事を始めた。

その時の中心となったのが寺下の町並みであり、江戸時代の宿場の面影を今に伝えている。

昭和51年9月に、妻籠宿は重要伝統建造物群保存地区として、他の六地区と共に全国で初めての選定を受けた。

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寺下地区を通る中山道
妻籠の代表的景観として写真等に使われる場所である。

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町並みの説明

電柱は移設され派手な広告類も一切なく、多くの建物には宿場らしい修景が施されている。

保存地区の面積も旧宿場にとどまらず自然景観地域まで含まれた1,245ヘクタール。

これ程、徹底した復元を行った場所はなく、これに続く保存地区の模範となった。

生活と保存を一体化させる運動を住民と行政、学者の三者一体で始めた事に妻籠宿の特徴がある。

妻籠の人々は町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」を中心とする住民憲章を作り、

ここで生活しながら江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えている。

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町並み近影

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同じく町並み近影

 上嵯峨屋は昭和44年の解体復元で18世紀の木賃宿であることが判明。建築当初の形式を留め庶民の旅籠宿としての

雰囲気を伺うことができる。

 下嵯峨屋は当初、長屋であったものの一戸を昭和43年に解体修理したもので、妻籠宿における庶民の住居を代表する

片土間に並列二間間取の形式を良く留めている。』 とあります。

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上嵯峨屋
18世紀中頃の木賃宿。

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上嵯峨屋の説明

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上嵯峨屋の内部

 妻籠宿を代表する場所としてパンフや写真集に良く使用されているのがこの場所。

遺跡として残すのも大変ですが、職業も限られた街から離れた場所で生活するのはそれ以上の努力が必要。

町並保存地区では、食事処・土産店が軒を連ねるというのが相場ですが、妻籠はそれ程でもありませんでした。

街道から眺めると宿屋と思しき家屋が多く建ちますが、今でも旅館・民宿として営業している店が19軒。

宿場の規模を思うとこれは非常に多いと言えます。

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これは辰巳屋

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昔の典型的な旅籠

 妻籠が木曽街道屈指の宿場として蘇ったのは、町役場職員・小林俊彦氏の存在が大きかったと言います。

宿場が衰退の一途を辿る八方塞がりの状況下では、交通網の整備・主産業の育成・企業誘致を図るというのが

普通のお役所的発想。それを氏は逆手に採って古い宿場を残す事で観光客を誘致するというアイデアを出しました。

丁度高度経済成長期に国鉄のディスカバージャパンキャンペーンが重なり、妻籠は年間百万人が訪れる事に…。

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土産店・ささき

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今風な展示をしている店も

 先例を重視する役所でこのような逆転の発想を出した事が成功の秘訣ですが、今にして思えばコロンブスの卵。

最近、「4Kでよみがえるあの番組」で昭和44年放送「新日本紀行」で「中仙道妻籠宿」が取り上げられていましたが、

そこには町の観光係長として40歳の小林氏が登場しています。そして50年後の2019年の妻籠の現在では、

90歳の氏が矍鑠として「妻籠を愛する会」の一員として尽力されている姿がありました。

 このような功労者でありながら氏は記録にも登場することは殆どなし。妻籠の現在の姿を見るに付け、

古き良き時代の公僕とはかくあるべきという思いが脳裏から去りませんでした。

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寺下地区遠景

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高台より見た寺下地区の家並み

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妻籠宿 中町 (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その弐>

2021.11.19(22:29) 994

妻籠宿本陣と脇本陣奥谷(2021.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR中津川(10:39)

中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場 → 本陣・脇本陣

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妻籠宿 (中山道第四十二番宿)
街道沿いに建つ脇本陣奥谷。

 高札場からスタートした宿場巡りは徒歩5分程で中央付近ですが、中山道を挟んで東西に並ぶのが本陣と脇本陣。

『戦国時代にあった妻籠城は、小牧・長久手の戦いで木曽義昌の家臣山村良勝が徳川軍を撃退した場所。

この時に籠城した中に島崎・林・勝野・鮎沢の諸氏があったが、島崎氏は妻籠宿問屋・本陣、林氏は問屋・脇本陣、

勝野氏は三留野村庄屋、鮎沢氏は三留野村本陣・田立村代官と子孫はいずれも有力者になっている。

尚、妻籠城は元和2年(1616年)に破却となった。

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下町付近から本陣方面へ向かう
左は土産店「いさばや」。

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脇本陣奥谷(おくや)付近の町並み
左手には御菓子処「満寿庵」が。

 妻籠宿本陣は島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣と庄屋を兼ね務めた。

島崎藤村の母の生家であり最後の当主は藤村の実兄の広介、馬籠から伯父の家へ養子に来た。

 本陣は明治になって取り壊され、御料局妻籠出張所が建設されたが後に町に払い下げ。

それを機に島崎家所蔵の江戸後期の絵図を元に平成7年に本陣として復元された。

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妻籠宿本陣前にて
左は人馬会所。

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人馬会所(問屋場)

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人馬会所説明

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会所の想像図

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会所の奥行

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本陣入口

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門の彼方に見える本陣

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本陣の内へ
何故かこの日は無料で拝観できた。

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本陣建家
但し、内部は拝観できず。

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本陣の構え

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本陣内部の様子

 脇本陣は林家が庄屋・問屋を務めた家。現在の建物は明治10年に建て替えたもので、それまでは禁制であった桧を

ふんだんに使い、城郭を模して造られた。明治13年6月28日には巡幸中の明治天皇が小休止されている。

主屋を公開し、裏の土蔵を資料館として脇本地の屋号を付けて奥谷(おくや)郷土館として昭和42年に開館した。

その優れた建築技術が評価され、平成13年には国の重要文化財に指定された。

またこの家には島崎藤村の生家の隣家の大黒屋から嫁いできた、おゆふさんの婚家。

藤村が「まだあげそめし前髪の」と歌った初恋の人と言われる。』 とあります。

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重要文化財・林家住宅(脇本陣奥谷)

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脇本陣前に建つ明治天皇小休所碑

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小休所の説明板

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脇本陣近影
内部は有料拝観できるが、この日はスルー。

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脇本陣付近の町並み
右手の家屋には袖卯建が見える。

 藤村といえば、すぐに馬籠の生まれと思い浮かびますが、隣宿の妻籠にも所縁がありました。本陣の島崎家は

藤村の祖先かと思いましたが、藤村の生家は馬籠城を守った島崎監物の子孫で代官と呼ばれていたとか。

一族で各地に分かれて木曽氏に仕えていたようですが、浪漫主義で知られる藤村の祖先が江戸の【夜明け前】に

籠城したというのも歴史の面白みです。

もし写実主義ならば、「小諸なる古城のほとり」ならぬ「馬籠なる古城に籠り」となった筈ですが、そうならなかったのは

城が【破戒】されたからでしょうか?

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柏屋近影
かつての旅館か?

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本陣付近の中山道遠望

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桝形を通り寺下地区へ
左の阪本屋は現役の宿屋とある。

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妻籠宿 下町 (長野県木曽郡南木曽町)<妻籠宿 その壱>

2021.11.18(20:33) 993

妻籠バス停から高札場へ(2021.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR名古屋(9:14→9:24) → JR中津川(10:39)

中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47) → 徒歩5分 → 高札場

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妻籠宿 (中山道第四十二番宿)
これはJR南木曽駅前のバス乗り場。

 南木曽駅前からバスに揺られる事7分で妻籠入口。中山道きっての宿場町として知られますが、南木曽駅からは3.8㎞。

しかも駅からのバスの便が非常に少なく決して行き易い場所とは言えません。バスに乗車したのも私を含め3人、

妻籠へ向かう人は自家用車かハイキングがメインなのでしょう。

宿場へは車の乗り入れができず、256号線沿いのバス停から細道を上って街道へ。

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バス乗り場に建つ中山道の道標

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妻籠宿には、この御岳バスに乗車

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256号線沿いの妻籠バス停(町営第一駐車場)

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妻籠バス停からこのような細道を抜けて宿場へ

 妻籠宿は、

『中山道から伊那へ通ずる道の分岐点、木曽氏が東美濃へ進出する時の拠点の一つになった。天正12年(1584年)の

小牧・長久手の戦いの際にも、木曽義昌は家臣の山村甚兵衛良勝にここを守らせ、家康配下の飯田の菅沼定利、

高遠の保科正直らを奇策を以て退けている。

慶長6年(1601年)には中山道四十二番目の宿場として整備され、二人の問屋も任命された。度々火災に遭ったが、

天保14年1843年の記録には人口418人、家数83軒、本陣・脇本陣が各1、旅籠屋が31軒あり賑わいを見せたとある。

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宿場入口にある妻籠宿案内板

305-6-7.jpg
妻籠宿案内図

しかし慶応4年(1868年)2月の大火で宿場の中心部は殆ど焼失。明治25年には馬籠峠を迂回して新道(国道19号線)が開通、

更に明治42年には名古屋・三留野間に鉄道が敷設され、2年後には中央西線の全通を見た。

これに拠り三留野駅がこの辺りの交通の起点となり、妻籠は交通の要衝としての機能を消失。宿場は衰頽の一途を辿るが、

昭和43年から始まった街並み保存事業に拠って江戸時代の面影が蘇った。昭和51年(1976年)には国の重要伝統的建造物

群保存地区に選定され、今に至るまで中山道を代表する宿場としての地位を保っている。』 とあります。

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この道の先が妻籠宿下町地区

 先ずは、坂を上がって右手にある観光案内所でパンフレットを入手。南木曽駅にも案内所がありますが

種類はやはりこちらが豊富。もう一つの目的のMHCも入手しましたが木曽路カードも併せてゲット。

柿其(かきぞれ)渓谷の美しい写真ですが、木曽路では名所毎にカードを発行して観光客誘致を【きそ】っているようです。

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下町付近の中山道で北方面を望む
看板が下がっているのは食事処。

305-6-19.jpg
妻籠宿の北側からJR方面へと向かう道
右は茶房画廊「康」。

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木曽路カードと南木曽町マンホールカード
配布はいずれも妻籠宿観光案内所

 案内所のすぐ脇が妻籠郵便局。妻籠で唯一の郵便局ですが、町並みの景観に合う様に出梁形式で復元され

郵便資料館も併設しています。ポストも明治6年開局に合わせた黒色、加えてここでは郵便屋さんも当時の笠に

法被姿で集配に携わっているそうですが、この日は日曜。局も郵便屋さんも見られませんでした。

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妻籠郵便局

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郵便制度が始まった頃の、黒ポストの復元
いまもポストとして立派に現役である。

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郵便局と郵便史料館の説明

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妻籠郵便局 ; 旧中山道妻籠宿の町並、木曽御岳

 パンフを片手に宿場の北の入口へ。

ここは戦国時代から17世紀半ばまで口留番所という関所があり旅人を監視していたそうですが今はなし。

同時に幕府の「官報掲示板」である高札場もあったようですが、こちらは復元されて健在。

名前のように高い場所にありますが、お上が庶民に対する上から目線は今も昔も変わらんようです。

尤も、庶民もいちいちすべてに目を通したかそうかは分かりませんが…。

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宿場の北にある高札場と水車小屋

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高札場近影

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高札場から中山道の南方面を望む

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宿場の最も北側

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三留野宿 (長野県木曽郡南木曽町読書)

2021.11.16(20:24) 992

三留野から妻籠へ(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00) → JR南木曽(12:19→12:40) → (御岳バス) → 妻籠(12:47)

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三留野宿(中山道第四十一番宿)

 中津川で宿場散策をした後、数少ない12時の電車で南木曽駅へ。

ここからはこの日の目的地妻籠宿へ向かいますが、駅周辺には三留野(みどの)宿があるようなのでバス待ちの間に散策。

駅前の道を木曽川に沿って歩きましたが、それらしきものはなし。後で駅の観光案内所で確認すると、中山道は線路の

東側で三留野宿は更に北側でした。

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宿場の雰囲気を出したJR南木曽駅舎
停車しているのは観光タクシー。

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JR南木曽駅スタンプ
(上) 国鉄時代のわたしの旅印  (下)JR東海名古屋支社印

 三留野の地名については、

・木曽氏が飛騨路の敵を防ぐため西方の田立山に砦を構え、館をこの地に築いて一族を置いたので御殿(みとの)と言った。

・古代に木曽開道の時に、ここに宿舎を建て国司官吏の休息の殿とした。

・文明年中に木曽家豊がその官舎の跡地に館を建て、嫡子家範を居らせ御殿と号した。

・古く小木曽庄の内にあった水野保(みずのほ)が転じた。

と様々な説があるようですが、明治7年に与川村・三留野村・柿其(かきぞれ)村が合併。

それぞれの頭文字をとって読書(よみかき)村となり、同年に蘭(あららぎ)村と妻籠村が合併して吾妻村に。

更に昭和36年には読書村・吾妻村・田立村が合併して南木曽(なぎそ)村になって三留野は子字で残るのみになりました。

平成の大合併を持ち出すまでもなく、合併に拠って由緒ある地名が消滅する例は多いですが、木曽地域の行政区は

どんどん軽くなっている感があり、歴史好きとしては【なきそ】うになります。

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線路西側を走る道
ここが中山道と勘違いしていた。

305-5-9.jpg
南木曽郵便局 ; 柿其渓谷、明治中期の服装をした妻籠宿の郵便配達員

 さて木曽路の中山道は、木曽川に沿って並びますが、三留野から落合までの妻籠馬籠の二宿は川と中央線からも

離れた山越えルートを採ります。具体的には、

南木曽駅(標高410m) → 妻籠宿(420m) → 馬籠峠(801m) → 馬籠宿(620m) → 落合宿(330m) と言った具合。

山中に広い盆地があるわけでなく、なぜわざわざ峠を越えるルートを採ったのか。

 ところが歩いていると木曽川に注ぐ川があり、そこに架かる橋に「蛇抜(じゃぬけ)」の名が。

蛇抜とは、木曽地方では土石流の事で、直前に蛇のような匂いがする所の命名だそう。

このような命名があるのは土石流が頻繁に起こったからではないかと想像しました。

 木曽川沿いのルートを避けてまで、面倒な山越えを選んだのにも納得。

明治の鉄道は馬籠妻籠ルートではなく木曽川沿いに敷設されましたが、大雨などで不通になることもしばしば。

そう思うと、先達の先見の明に改めて感心せざるを得ませんでした。

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木曽川に注ぐ川に架かる蛇抜橋

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木曽川に架かる桃介橋
電力王・福沢桃介が水力発電の為に架けた全長247mの吊り橋。近代化遺産として国の重要文化財。

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木曽川沿いの天白公園

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JR南木曽駅付近からの桃介橋遠望

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中津川宿 栗きんとん発祥の地 (岐阜県中津川市本町)<中津川宿 その四>

2021.11.14(12:03) 991

栗きんとん発祥の地(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00)

305-4-1.jpg
中津川宿 (中山道第四十五番宿)
駅前に建つ石碑。

 木曽路のスタートと並び中津川のもう一つの顔は「栗きんとん発祥の地」。駅前にも碑が建ちます。

『栗は縄文時代から重要な食用として知られ、萬葉集では山上憶良の長歌にも登場。

場所に拠っては年貢として納められたという記録も残る。

 山間部であった中津川では山栗が多く収穫され、干栗・焼き栗・栗飯等の他、茹でた栗の中身を取り出し細かくほぐし、

茶巾で絞ったものを食べる事も行われた。これが栗きんとんの原型とされる。

305-4-2.jpg
石碑にある説明文

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石碑脇にあるもう一つの説明文

 加えてこの地方は煎茶が盛んで、近所付き合いに於けるお茶請けとしてこだわりの栗きんとんを出す様になって行く。

明治の中頃になって和菓子店が栗きんとんを商品化、現在に至るまで宿場を代表する銘菓となっている。』 とあります。

 駅前の観光案内所「にぎわい特産館」に拠ると、コロナにも拘らずレジは行列。不思議に思って見渡すと、

三日前に今年の栗きんとんが発売となったばかりでした。

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中山道沿いに建つ老舗和菓子店「すや本店」
右書きの看板に時代を感じる。

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中山道沿いにある「栗きんとん」説明の駒札

305-4-6.jpg
西の横町にある「川上屋本店」

 この季節になるとデパートにも並びますが、やはり産地の拘りがあるのでしょう。

街道沿いでは東新町の老舗「すや本店」が有名ですが、横町の御菓子処「川上屋」でも扱っていました。

 唯、昼食には不向きなので特産館で栗おこわ(¥700)を購入、土産には「焼き栗きんとん」。

これを食べた後に、妻籠の庫裏に向かったのは言うまでもありませんが…。

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昼食は「栗おこわ」

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土産には「焼き栗きんとん」

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中津川宿 四ツ目川から茶屋坂まで (岐阜県中津川市本町)<中津川宿 その参>

2021.11.12(21:44) 990

川を越えて高札場まで(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00)

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中津川宿 (中山道第四十五番宿)
四ツ目川橋上にて、本町から西新町方面を望む。

 本町通りからは川を渡って西新町、東新町、淀川町を経て東入口の茶屋坂へと続きます。

宿場中央を流れるこの川の名は四ツ目川。

『この川は度々氾濫し、四度も川筋を変えたのでその名が付いたと言われ、そのため本陣は少し高い場所に建てられている。

江戸時代の宝暦元年(1751年)、寛政元年(1789年)、文化5年(1808年)に氾濫の記述が見られる他、昭和7年(1932年)には

中津川駅構内まで水が押し寄せ、街中を土砂が埋め尽くす程の被害を出した。しかしその時も本陣付近は被害を免れている。

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四ツ目川の水害について

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四ツ目川付近の道標

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前田青邨画伯生誕之地の碑
東新町で、和菓子店「すや」の向かいに当たる。

 東入口にある高札場は、かつては10m程坂道を上った北側に街道に面して建てられており、その規模は

長さ二間一尺、幅一間余りで8枚の高札が掲げられていたと享和元年(1801年)の記録にある。

中山道はここから大きく曲がり一里先の落合宿へ続く。』 とあります。

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中山道淀川町から茶屋坂を見る

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淀川町にある町屋を改装したカフェ

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茶屋坂に建つ案内板

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茶屋坂にある高札場
中山道はここで大きく曲がる。

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高札近影
言うまでもないが、現代の復元。

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高札場脇の常夜灯他の石塔群

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高札場から中山道を西に見る

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中津川宿概要

 1時間余りの時間でしたが宿場の見所は一通り見学。近隣の馬籠妻籠に比べ宿場のイメージの希薄な中津川ですが

見応え十分。ここを過ぎると贄川宿まで木曽路が続きますが、藤村の言葉を借りるまでもなく街道は山の中。

街道を往還する人々は、中津川で英気を養ってから木曽路に挑んだに違いありません。そういった面では

東海道の小田原・三島に比肩するとも言えそうです。高札場で宿場全体を見渡しながら【考察】した結論です。

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中津川市マンホール蓋

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中津川市マンホールカード  「中津川市観光センター・にぎわい特産館」にて配布

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中津川郵便局 ; 県重要民俗資料・恵那文楽の面、恵那山、落合大橋
中津川駅前郵便局 ; 中山道の石畳、水車の輪

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中津川宿 本町通り(岐阜県中津川市本町)<中津川宿 その弐>

2021.11.11(20:47) 989

本陣、脇本陣が並ぶメイン通り(2021.9.5)

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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00)

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中津川宿 (中山道第四十五番宿)

 横町の桝形を曲がると宿場の中心にあたる本町。

『かつては街道の真ん中を用水が流れており、この用水は野中の黒沢川から取水した第三用水で

宿内の火災に備えて敷設されたもの。用水では物を流すことも洗う事も禁じられたと言う。

そんな用水も明治13年(1880年)、明治天皇の御通行の折に埋め立てられ今に至る。

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本町通りから横町の桝形を見る

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町並みと桝形の説明板

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本町通りから少し南に入った場所にある井戸

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宿場町の用水

 中津川宿は江戸から四十五番目の宿場で、本陣・脇本陣・庄屋と問屋場二ヵ所が置かれていた。

明治天皇行在所跡碑の西には江戸時代中津川村の庄屋屋敷、旧肥田家がほぼ江戸中期のままの屋敷、庭園を今に伝える。

代々「九郎兵衛」を名乗る肥田家の屋号は田丸屋、島崎藤村の『夜明け前』にも登場している。江戸後期から旅館業を営み、

明治26年(1893年)には日本近代登山の父、ウォルター・ウェストンが宿泊。5月11日にここから恵那山登山に出発している。

明治30年代になると曽我家がこの家を譲り受け、中津川で最初の開業医院となった。

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中津川宿 本町の説明板

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明治天皇中津川行在所碑

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中津川村庄屋居宅
旧庄屋の肥田家(田丸屋)の建物で明治中期に曽我家が購入し医院となった。

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旧庄屋居宅正面

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庄屋居宅説明駒札 その1

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庄屋居宅説明駒札 その2

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屋根の卯建

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本町通り(中山道)から南へ延びる道に面した旧庄屋居宅
塀の向こうには江戸時代からの庭園が残るが、一般拝観はない様子。

 庄屋屋敷の向かいが本陣跡。大名・公家など高貴な身分の人が宿泊するためか、宿内でもやや高台にある。

街道に面して六軒分の長屋が並び、非常の折には裏口から西側の大泉寺へ避難できるように作られている。

脇本陣跡地には平成16年開館の中山道歴史資料館が建つが、その裏手には復元された脇本陣が展示されている。』

とあります。

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本町通りの北側に面した本陣跡

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本陣跡説明

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本町通りの南側に面した脇本陣跡
歴史資料館の東に隣接している。

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復元された脇本陣

 宿場のメインストリートとはいえ、他より道幅が広く感じたのは用水を埋め立てた故。

天皇の行幸に合わせての事ですが、幼少の頃は御所近辺の子供と遊び長じても質素な生活を忘れなかった明治天皇が

一時的な行幸のために用水を埋めたとは考え難い。思うに周囲の御付の者たちが権威付けの為にした事でしょう。

後の統帥権の萌芽が見えるとするのは大げさすぎるでしょうか?

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道幅の広い本町通り
ここを用水路が通ったか?

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中山道沿いの町屋
手前の段差が用水路の名残か?

 先の下町と異なり桝形から東の高札場まで中山道はほぼ真っすぐに1㎞程伸びています。本陣を始めとする施設が

集まっているのもここですが、残っているのは庄屋居宅のみ。本陣や脇本陣が残っていればさぞ壮観だったでしょうが、

東海道・中山道を問わず本陣がそのままの姿を留めているのは極めて稀。歴史用語では【本陣衰弱】となりそうです。

それよりも庄屋邸が残っている方に目を見張ります。横町にあった杉本屋・白木屋もそうですが、曽我邸も所有者が交代。

それにも拘らず家屋を取り壊さずに今に伝えているのは、単に自分の家というだけでなく宿場全体の景観を考えての事。

宿場のプライドは健在のようです。

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真っすぐに続く中山道
桝形から本町通りを望む。

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本町付近の略図

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中津川宿 下町界隈 (岐阜県中津川市本町)<中津川宿 その壱>

2021.11.09(20:53) 988

宿場西口の卯建と桝形(2021.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
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中津川駅前 → 徒歩5分 → 中津川宿 → JR中津川(12:00)

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中津川宿 (中山道第四十五番宿)
中山道、横町~下町の桝形。左は間酒造。

 この夏最後の18きっぷの旅は中山道へ。

古くは大化の改新の頃の東山道に始まり、江戸時代の万治2年(1659年)に五街道の一つとして整備されました。

日本の中間の山道という事で「中仙道」と記されたこともありましたが、1716年に徳川幕府が中山道に名称を統一。

今でも両方の漢字が使われるのはこのような経緯からです。

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JR中津川駅スタンプ
上 ; 国鉄時代のわたしの旅シリーズ  下 ; JR東海名古屋支社印

 その中山道の四分の一相当が美濃国、今の岐阜県。128㎞に十七宿がありますが、中津川宿は

『中山道と飛騨街道が交差した交通の要衝。東美濃地区で群を抜く大きな宿場で商業の町として栄えた。

町並みは1,100mに達し、旅籠屋は大小29軒であったと言われる。

現在では中津川を東に渡った下町付近から本町通り、四ツ目川を経て新町を抜け茶屋坂の高札場までの

2㎞がメインの宿場で、江戸時代からの老舗店が残る一方で、古民家を利用した新しい店も登場し賑わいを見せている。

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廣重・英泉 木曽街道六十九次 「中津川宿」の浮世絵

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中津川宿の西の入口 下町界隈

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下町付近の説明板

 宿場の西の玄関口に当たるのが下町界隈で、なだらかな坂を上った先に建つのが「はざま酒造」。

江戸中期からの醸造を始め、霊峰「恵那山」の伏流水を仕込み水に使用した銘酒「恵那山」の蔵元。

併設のギャラリー「酒遊館」では昔の酒造道具を展示している。

 はざま酒造の前の道をそのまま東へ進むと恵那山への道標が建つが、街道はそこから北へ曲がり

横町に入り更に東へ向かい中町へ入る。この界隈には昔ながらの家屋が残っている。

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下町にある丸三間家「間酒造」

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間酒造玄関
銘酒「恵那山」の看板が掛かる。

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玄関に吊るされた杉玉

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桝形付近からの間酒造の眺め

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中山道から恵那山へ向かう道に沿って建つ酒蔵と式内恵那山道標

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「式内恵那山道標」の説明

旧中川家(杉本屋)は中津川村の庄屋であった中川萬兵衛の広大な屋敷の一部で、旧清水町の通りもその頃はなく、

かつては遥か南東まで広がっていた。歌舞伎絵で知られる中川とも画伯は当家の出身。

明治期になって当家は原作吉の手に渡り呉服商、荒物商となったが江戸時代の面影を残す帳場はずっと残り、

映画「青い山脈」のロケが行われた事でも知られる。

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横町にある旧中川家(杉本屋)

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旧中川家説明

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中川家の卯建

向かいの白木屋(横井家)は山科屋遠山林蔵の依頼に拠り、当家の祖先である宮大工・横井弥右衛門が

天保13年(1842年)建築。中二階に四畳程の隠し部屋があることでも知られる。遠山家は明治末に駅前に移住、

家屋は横井家所有となって今に至る。尚、移住した遠山家は駅前でうなぎ屋「山科」を経営している。

この地区は防火壁である卯建(うだつ)が残る数少ない場所であるが、通の端はいずれも桝形で敵の攻撃に対する

防御や退却方法として人為的に造られた。

本陣や脇本陣のある宿駅の中心部が直線的に見渡すことが出来ない工夫である。』 とあります。

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白木屋(横井家)

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白木屋説明

現在でも名古屋から中津川までは中央線快速も30分毎に運転、特急「しなの」も停車します。

市内には地場産業に加え大企業も進出し、周辺の市町村から働きに来る人も多いとか。

長野県にあった馬籠が県を跨いで中津川市に合併されたのは話題になりましたが、これも中津川へ

通勤するサラリーマンで人口が増えたことが背景にあったようです。

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横町にある中山道の看板

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横町の町屋の並び
白木屋(奥)と和菓子店川上屋本店

 江戸日本橋から埼玉・群馬・長野・岐阜・滋賀を経て京都三条大橋に至る道のりは五街道の中でも最も長く

六十九宿、532㎞。それにも拘らず主要街道として栄えたのは、平野で大河が多かった東海道と違い、

高地が多く川留めがなかったためと言われます。

江戸時代の参勤交代では、百万石の前田家が利用した他、幕末の和宮が将軍家に輿入れした時にも中山道経由。

この時は、先頭行列が上松宿で最後尾が恵那宿だったとか。維新に向けて天皇家も【威信】をかけての事だったでしょうが、

旅人【泣かせんどう!】であった事は想像に難くありません。

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松霞堂(可児家)
横町から中町の桝形に建つ表具店。樹齢160年以上の松の木がある。

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可児家前から中山道を東に見る
ここからは1㎞以上に亘り、中山道が真っすぐに続く。

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