<コース> 近鉄1dayおでかけきっぷ(大阪・京都・奈良版;¥1000)使用
【往路】阿部野橋(6:50) → (近鉄電車) → 吉野(8:22)
吉野駅 → 徒歩35分 → 如意輪寺 → 吉野(11:37) → 壺阪山(12:19) → 徒歩5分 → 子嶋寺 → 壺阪山(12:50) → (奈良交通) → 壷阪寺(13:03) → 壷阪寺 → 壷阪寺(14:00) → (奈良交通) → 壺阪山(14:13) → 徒歩5分 → 土佐の町並み

土佐街道散策
壷阪寺参拝を1時間で終えて再びバスで駅前へ。
近鉄壺阪山駅から国道169号線を渡り100m程行くと北西から南東に伸びる道に往時の佇まいが偲ばれます。
『高取町は天領の多い大和国にあって高取藩植村家の城下町。標高583.9mにある高取城は
備中松山城、美濃岩村城に並ぶ日本三大山城の一つで、高取山の頂に築かれ城内周囲は約3㎞に及ぶ。
現在、天守はなく石垣を留めるのみながら往時の栄華を感じられる。平成18年には日本100名城に認定された。

街道入口に掲げられた心得

街道を上って行くとすぐ右手に見える御屋敷
どのような御屋敷かは分からないが【粋な黒塀、見越しの槙】 が見える。

こちらは左手にある漢方薬店
いかにもと言う造りだが、大和は古来より薬産業が盛んである。
その高取藩2万5千石の城下町のメインストリートに当たるのが土佐街道。
高取城の大手筋へ或いは壷阪寺への街道として栄えた。
土佐の名の由来は6世紀初め大和朝廷の都造りの労役で土佐国から召し出されたものの
帰国が叶わずこの地に住まざるを得なかった人々に拠るとされる。
当初は山上の二ノ丸や城内に藩主や家臣の屋敷があったが、時代が下るにつれ麓に移動。
豊臣秀吉が吉野桜見の途次に高取の茶屋に立寄った事が、高取城下の発展に繋がったとされる。

藩主下屋敷門
高取藩下屋敷表門が移築された重厚な門構え。石畳の町筋と共に城下町の雰囲気を醸し出している。

下屋敷門は現在も石川医院の門として現役

門越しに医院の入口を見る
薬箱を持った御典医が現れそうな…。
大手筋へと続く一本道となっている土佐街道の町並みは、全盛期には500軒もの商家が軒を連ね、
現在でも連子格子(出格子)や虫籠窓などの造形を持った二階建ての町屋が往時の繁栄を偲ばせる。
移築された藩主の下屋敷表門や家臣屋敷の長屋門も残されており、旧藩主植村家屋敷も住居として機能。
現在では町屋を活用した施設やカフェが出来ている。
町筋の石畳には阪神淡路大震災の復旧工事で出た石が活用され、薬の産地らしく所々に薬草タイルが
埋め込まれている。』 とあります。

かつての町屋を利用した理容店
と言うよりも江戸時代の髪結床が今も営業している?

街道脇に建つ土佐町由来の高札

高札場付近にあった池田邸屋敷跡

街道沿いに建つ旧増田邸
今はカフェとなっている。

旧増田邸の説明

昼食は三色カレー

街の駅 城跡(きせき)
ここは少し大きめの町屋カフェ。

夢創館(むそうかん)
呉服商を改装した観光拠点。土産販売・休憩・高取城の日本百名城スタンプ押印もここで。

夢創館の裏手にある「くすり資料館」
薬の町高取を道具・看板・置き薬等で展示している。

伊勢屋屋敷跡

伊勢屋屋敷の説明
重文の屋敷は大和郡山に移築してここにはない。

街道沿いにある金剛力酒造

酒造入口と酒蔵
街道の名前が土佐からの移民に由来とは驚き。
律令制の下にあったとはいえ、土佐から海を渡って大和まで行くのは、異国に行くような感覚だったでしょう。
京田辺の大住も古代に大隅半島から来た人に由来するそうですから、古代には今思う以上に人口の移動があったのでしょう。
街道沿いには漢方薬局、医院などレトロな家並みが続き、最も上にあるのが旧家老屋敷。
今は藩主の末裔の住居だそうで、お城に近付く程、上級武士の屋敷になるのを肌で感じました。

松の門
高取城廃城時に土佐小学校に移築、昭和19年に火災で一部焼失。その残存部が児童公園に復元された。

松の門の説明

土佐街道を更に登る

左手には武家屋敷の田塩邸

田塩家長屋門
白壁、腰部に下見坂を張る武家屋敷の長屋門。装飾性と監視・防御を兼ねた出格子窓と与力窓を二つ持つ。

田塩家長屋門の説明

田塩家の出格子窓(右)と与力窓(左)
家の造りで特徴的なのは街道に沿って長く伸びた門が多い事。かつては家の間口一間当たりに税を掛けたので、
京都では鰻の寝床と呼ばれるような家屋が主になりましたが、ここではそのような様子はなし。
税金対策は問題なかったのでしょうか?
所謂長屋門ですが、広いお屋敷が多いのは事実ですが、長く伸びた門のために一層広く感じるのも事実。
果たしていつ頃からあったのでしょうか?もしかすると奈良時代の長屋王まで遡るのかもしれませんが…。

植村家長屋門
高取藩家老・中谷家の長屋門で現在は旧藩主植村家の住居。海鼠壁が特徴の県文化財。

重厚な入口

植村家長屋門の説明

高取土佐郵便局 ; 高取城址、猿石
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吉野駅 → 徒歩35分 → 如意輪寺 → 吉野(11:37) → 壺阪山(12:19) → 徒歩5分 → 子嶋寺 → 壺阪山(12:50) → (奈良交通) → 壷阪寺(13:03) → 壷阪寺 → 壷阪寺(14:00) → (奈良交通) → 壺阪山(14:13)

壺阪山 南法華寺(真言宗 西国三十三ヵ所第六番札所)
壷阪寺の入口に立った第一印象は、西国札所というよりもテーマパークと言った感じと書きましたが、
その一翼を担っているのが境内にある石像群。
『壷阪寺は昭和40年(1965年)よりインドにてハンセン病気患者救済活動に参加。
平成元年には、(財)アジア・アフリカ国際奉仕財団を設立、インド国内各地において奨学金事業、
学校運営助成事業、公衆衛生事業、地域開発事業等様々な国際交流を展開している。
当寺にある多くの石彫文化は、これら日印交流の縁で招来されたものである。

壺阪大仏
平成19年秋に新たにインドより招来された大釈迦如来石像。周囲には四天王も。

天竺渡来大石堂
インドアジャンタ石窟寺院をモデルとし、インド・日本の延べ12万人により組み立てられた総重量1500トンの石の御堂。

大石堂前からの眺望

大石堂を支える部分
中でも、山門脇に四天王に囲まれた阿弥陀大仏もそうですが、最も眼をひくのは台座を含む高さ20m、
重量1200tという大観音像で東大寺大仏よりも更に3m大きい。
昭和61年には釈迦一代記を10場面に刻んだ高さ5m、全長50m、重量300tの石造仏伝図浮彫が贈られたが、
これはインドにて延べ5万7千人の石彫師の手になるものである。
また平成4年にはインド産の石で造られた大石堂が完成するなど仏教誕生地インドとの交流が今も続けられている。』
とあります。

石造仏伝図浮彫

仏伝図浮彫の説明

天竺門を抜け大観音石像へ
日本の寺院では仏像は木造か乾漆像が大部分で石像は非常に稀。
このことが壷阪寺を通常の寺院と違った印象を与えるのでしょう。
何故、インドと日本で仏像の材料が異なるのは、単に身近で手に入る材料の違い。
ギリシャのアクロポリスに建つ大理石造りのパルテノン神殿に日本人観光客は驚嘆しますが、
逆にギリシャ人は法隆寺の木造建築に目を見張るようなもの。
“隣の芝生は青く見える”ではないですが、これ程の木々に恵まれた事にもっと目を向けるべきでしょう。

天竺渡来大観音石像
1983年3月12日開眼。インドの文化勲章受章者シェノイ一門の手になる。

石像近影
全長20m、総重量1200トン。

観音像の下にある天竺渡来大涅槃石像
遥か天竺まで見渡せる訳ないか!

石像群と伽藍のコラボ
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壺阪山 南法華寺(真言宗 西国三十三ヵ所第六番札所)
壷阪寺を全国的に有名にしたのがお里・沢市が主人公の『壺阪霊験記』。
じつは当寺にはもう一つの霊験記もあって、そちらは親孝行の娘が大蛇と共に昇天する「佐用姫伝説」。
唐津に伝わる「松浦佐用姫伝説」と類似の内容で、知名度の高さは歴然としています。

本堂内にある「壷阪霊験記」の説明

本堂脇に建つお里・澤市像
『江戸の寛永年間、高取町土佐に住む盲人の沢市と妻お里が主人公。
沢市は美しい妻が毎夜家を抜け出すのを浮気と疑い後を付ける。
そこでお里は壷阪寺の観音に夫の眼病治癒の願掛けをしていると知る。
それを知った沢市は己を恥じ、裏山の谷に身を投げるが、お里も夫の後を追って飛び降りた。
そこに観音様が現われ、二人の命を救った上に沢市の眼も治して下さった。
この奇蹟譚を浄瑠璃化した江戸時代以降、壷阪寺の名は全国的に広まった。
歌舞伎や浪花節にも登場し近年は演歌の題材にもなっている。』 とあります。

お里・澤市の像の奥にある二人の投身の谷

境内に建つ養護盲老人ホーム「慈母園」
昔から眼の不自由な人の聖地として信仰されてきた当寺が昭和36年より行っている福祉事業の一つ。

境内からの眺望
己が一方的に妻を疑ってかかるとは、【お里】が知れ、眼も当てられぬ話ですが、
火のない所に煙は立たぬの例もあるように、似たような話が実際にあった様。
9世紀の弘仁年間中に盲目の沙弥が壺阪観音の信仰で開眼治癒したと言う話が
『日本感霊録』『壷阪寺古老伝』にあるそうです。
そこから江戸時代の高取土佐の住人「お里・沢市」主人公とする『観音霊場記』が出来て、
更に二世豊沢団平と妻の千賀女が加筆して1879年に大阪にて初演。
浄瑠璃・歌舞伎・浪曲にと国内はもとより海外まで知られるようになりました。
元になる話があったとはいえ、有名にしたのは優れた脚本のお陰。
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」の名調子が観客のツボにハマったと言えます。

土佐街道から少し中に入った高取の街並み

高取にあるお里澤市の菩提所「信楽(しんぎょう)寺」

信楽寺境内に建つ「お里澤市」の墓

由緒記

高取郵便局 ; 壷阪寺の匂いの花園、壺阪霊験記のお里澤市の像
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壺阪山 南法華寺(真言宗 西国三十三ヵ所第六番札所)
多宝塔に続き更に高台へ上ると、右から三重塔・礼堂・本堂が並びます。
三重塔と礼堂の間には巨大なメガネのフレームが置かれ‘合掌して中をくぐって下さい’との案内が。
知恵の和くぐりはよく見ますが、眼病に霊験にある当寺では眼鏡に変わるのでしょう。
三重塔を外陣から参拝した後は、納経所を経て御本尊の安置された本堂へ。

重要文化財の三重塔
明応6年(1497年)の再建。

三重塔前に置かれた巨大眼鏡フレーム

‘合掌してメガネの中を中をくぐって下さい’との文言が
『平安時代には隆盛を極めた当寺も、嘉保3年(1096年)、承元5年(1211年)の火災で堂宇の多くを焼失し、
戦国時代には戦乱にも見舞われた。戦国期以前の建造物で現存するのは室町前期建立とされる礼堂と
明応6年(1497年)再建の三重塔のみで共に重要文化財になっている。

重要文化財の礼堂
室町前期に再建された入母屋造本瓦葺。

三重塔より見た礼堂
江戸時代に大改築され、昭和の修理で室町時代の姿に復元された。

礼堂の説明
慶長年間には豊臣秀長の家臣の高取城主本多俊政が伽藍を復興、続く江戸時代には高取藩主植村家の
庇護も受けた。礼堂に続く本堂は八角円堂で、江戸時代の再建。
西国巡礼の御本尊十一面千手観音菩薩像を祀り、殊に眼病に霊験がある観音様、眼の観音様として
広く信仰を集める。像は素木造りで、口・眼・頭髪等に彩色が施されている。』 とあります。
納経所横の入口を通ると礼堂、本尊を礼拝(らいはい)する場所なので「らいどう」が正しい読み方。
「れいどう」と付和雷同してはいけません。そこに置かれた御神籤が「思う壺おみくじ」というのも洒落ています。

礼堂内陣の様子

内陣に置かれた「思う壺おみくじ」

礼堂に続く八角円堂(本堂)
江戸時代の再建である。
ここからは本堂が続いており正面には大きな千手観音様、文字通り御本尊を礼拝することができます。
御本尊の安置された堂は八角ですが、これは法隆寺の夢殿に関係するのでしょうか?
彩色は説明通りですが、¥1000を払うと御身拭いができるそうで、何人かの参拝者がお坊さんの案内で実行されていました。
御本尊とは言え、お金を払って掃除するのは違和感が【拭えません】でしたが、使用した手拭いは持ち帰ってお守りにするとか。

八角円堂の内陣

本堂に鎮座まします御本尊十一面千手観世音菩薩

今から御身ぬぐいをされる参拝者の方々

本堂の縁側の様子

本堂からの眺望
驚いたのは御本尊を含めて堂内は全て撮影可能だった事。
一体、【どうない】なっとるのか?と思いましたが、眼に御利益のある寺院なので、
視覚には寛容なのでしょう。

壷阪寺説明書

壷阪寺オリジナル御朱印帳

壷阪寺御朱印(西国札所印)
平成6年(右)と今回令和3年分(左)

礼堂脇の紅葉

高台よりの眺め
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壺阪山 南法華寺(真言宗 西国三十三ヵ所第六番札所)
子嶋寺に参拝して駅前まで戻ると、バス出発の5分前。
壷阪寺までは4㎞程ですが、かなり急な坂道を上るので本数が少ないとはいえ路線バスは大助かり。
しかも平日よりも土日祝の方が本数が多いというのもラッキーでした。
途中、行く手の山中に建物が見えると5分程度で到着。終点は札所の入口の前で、塀に囲まれたその場所は
札所と言うよりもテーマパークと言った方が良い感じでした。

バス停から見た壺阪寺入口

壺阪寺縁起

入口を過ぎ最初にある大講堂
堂内は、休憩所兼案内所の様な雰囲気。
壺阪山南法華寺(つぼさかさんみなみほっけじ)は、
『大宝3年(703年)、元興寺の僧弁基がこの山で修業中、愛用の水晶の壷中に観世音菩薩を感得。
その壷を坂の上に安置し観音像を刻んで本尊としたのが嚆矢とされる。
その後、承和14年(847年)長谷寺と共に官寺に準ずる寺、定額寺に列せられ正式寺号を賜った。
平安時代には貴紳の尊崇を集め、高野山を凌ぐ道場として栄えた事が『枕草子』に見える。

階段の先に建つ仁王門
建暦2年(1212年)の建立。

仁王門説明板

一丈一尺の仁王像

山門下に置かれた下駄
足腰を鍛える意味か?
鎌倉時代の記録『壷坂古老記』には金堂・五大堂・灌頂院等、多くの建物の名が記されており、
密教寺院としての堂宇が揃っていた。
中世以降、大峰信仰が盛んになると吉野・大峰に向かう修験者で賑わった。』 とあります。

山門に続く多宝塔エリア

多宝塔近影

多宝塔説明
建立は平成14年とごく新しい。

高みから見た多宝塔

多宝塔から大観音石像の眺望
壺を坂の上に安置したのが寺名の由来ですが、その壷の中に観音様を感得したというのがツボ。
他では聞かない珍しい話ですが、『アラビアンナイト』には「アラジンと魔法のランプ」が、
『唐代伝記』には「壷中の天」という話があるので、それが形を変えて伝わったのでしょうか?

多宝塔に隣接する灌頂堂

灌頂堂説明板
こちらも平成17年建立と新しい。

灌頂堂内陣
伽藍再興に尽力した高取城主本多氏一族を安置。

高台から見た灌頂堂
いよいよ本堂へ向かう。
[参考書]
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吉野駅 → 徒歩35分 → 如意輪寺 → 吉野(11:37) → 壺阪山(12:19) → 徒歩5分 → 子嶋寺

子嶋山 千寿院 子嶋寺(高野山真言宗)
吉野から30分毎の電車に乗り壺阪山下車。次の目的地は西国札所の壷阪寺ですが、駅前からのバスはほぼ1時間後。
駅前で待つのも退屈なので、北側にあるという古刹に立寄る事に。
駅の東側には土佐街道が通り風情ある城下町の景観を醸し出していますが、お寺は城下とは逆の方角。
街道から東の細道に入った畑の奥にありました。

土佐街道の町並み
これは旧町屋を改装した呑み屋さんだったような…。

土佐街道の眺望

畑の向こうに伽藍が見える
子嶋山千寿院子嶋寺(こじまさんせんじゅいんこじまでら)は、
『天平宝字4年(760年)、孝謙天皇の勅願で僧報恩が子嶋神祠の畔に建立した子嶋山寺が嚆矢とされる。
平安初期には長谷寺、壷阪寺に次ぐ大和国の観音霊場として繁栄。子嶋寺二世・延鎮と坂上田村麻呂に拠って
子嶋寺の子坊として開かれたのが京都の清水寺である。
平安中期以降は一時衰退するが、永観元年(983年)興福寺の僧真興が入山して中興。
子嶋寺の子院として山下に観覚寺を建立、真言宗子嶋流を創始し道場として歴史的にも重きを成した。
子嶋寺が法相宗を主として八宗兼学の寺として観覚寺と呼ばれるようになったのはこの頃である。
最盛期には21坊が並び、現在の高取町及び明日香村にまたがる広大な境内地を持っていた。
寛弘4年(1007年)には藤原道長が当寺に参詣したと『御堂関白記』に載る。

入口に到着
山号と寺号が同じというのも面白い。

山門近影
高取城二の門を移築したもので、現存する数少ない高取城の遺構である。

山門越しに見る本堂
平安時代中期作とされる両界曼荼羅図(子嶋曼荼羅)は、中興の祖とされる真興が一条天皇の病気平癒祈願の
功に拠り賜ったとされ国宝。現在は奈良国立博物館に寄託。
東京国立博物館寄託の木造の十一面観音像は重要文化財となっている。
また山門は高取城二の門を移築したもので、高取城の数少ない建築物である。

境内より見た山門

山門の扉と閂

山門屋根近影
そう言われて見るとお城の門に見えるから不思議である。

山門から見た境内
本堂(右)と庫裏(左)
室町時代には戦乱に巻き込まれ衰頽したが、高取藩主の本多氏に拠って再興。
近世以降は子嶋山千寿院として興福寺一条院の支配下に入り、藩主の本多・植村氏の庇護を受けた。
現存する本堂は嘉永元年(1848年)、壷阪寺の僧賢応に拠って再建された。
明治の廃仏毀釈後は庇護者を失い再び衰退、一時無住となったが地元有志に拠って復興。
明治36年(1903年)には千寿院から子嶋寺に復称した。以前は大和七福神の大黒天の寺であったが、
近年になり経営上の理由から大黒天は長谷寺に移管され、それに伴って再び無住となって今に至る。』 とあります。

山門の先に建つ本堂

本堂近影
嘉永元年の再建である。

本堂前面
向拝と蝦紅梁

本堂の扁額は「観覚寺」となっている。
奈良時代まで遡る創建も勿論ですが、子坊に当たるのが京都の清水と言うのもまた凄い話。
寺院の名前や宗派が変わるのは良くある事ですが、有人→無住→有人→無住と変遷し今は無住。
本堂拝観は要予約とありますが、一体どこへ予約するのでしょうか?
人口の少ない場所の寺院の維持はどこも大変と聞きますが、【南都】か廃寺だけは免れて欲しいものです。

境内の茂みに隠れるように建つ十三重石塔

同じく茂みに建つ石仏

塀の向こうの庫裏
無人というのが信じられない程、綺麗に整備されている。
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吉野駅 → 徒歩35分 → 如意輪寺

塔尾山 椿花院 如意輪寺(浄土宗 近畿三十六不動尊霊場第三十番 役行者霊蹟札所)
この時期の如意輪寺は菊まつり期間中。
吉野と言えば桜、寺の院号は椿花なのでちょっと意外ですが、
御霊殿前に菊の鉢が並ぶ光景には全く違和感がありませんでした。
何故菊なのか?丁度、お寺の方に【訊く】事に。
和辻;「もしかして、皇室所縁なので菊ですか?」
婦人;「そうです。それから後醍醐天皇が11月2日の生まれなので。」
との事でした。

書院前に展示された菊

同じく書院前

書院玄関脇に吊るされた菊玉
杉玉はよく見るが菊玉は初。

御霊殿前の菊の鉢
明治天皇の誕生日は11月3日。建武の新政(中興)と明治維新という天皇主導の政権の
二人の誕生日が一日違いと言うもの面白い偶然です。
大化の改新の天智天皇の誕生日が11月1日なら揃い踏みとなる所ですがどうなのでしょうか?
他に菊を浮かべた水盤も設置。紫陽花では良く見る風景ですが、菊で見たのはここが初めて。
もしや小楠公の菊水に由来するのかとも思いましたが、こちらは聞きそびれました。【菊水盤に帰らず】です。

御霊殿と書院の間に並んだ菊を浮かべた水盤

水盤近影(その一)

水盤近影(その二)
闇雲に浮かべるのではなく、品種・色彩で纏めている様子。

水盤近影(その三)
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塔尾山 椿花院 如意輪寺(浄土宗 近畿三十六不動尊霊場第三十番 役行者霊蹟札所)
御霊殿に参拝した後は、更に奥の最も奥の建物群へ。
『権現堂は蔵王権現を祀る。本尊の厨子入木造蔵王権現立像は嘉禄2年(1226年)仏師源慶の作で重要文化財。
それを納める厨子は吉野曼荼羅が描かれている。これは役小角が大峰山にて金剛蔵王権現を感得された様子を右上に、
下方に吉野山の神社、仏閣を描く。当時の吉野山の社寺が偲ばれる貴重なもので、延元元年(1336年)の作。
今はどちらも宝物殿内に別個に安置されている。』 とあります。

御霊殿と書院の間を抜け権現堂へ

御霊殿(左)と書院を振り返る

権現堂
元は後醍醐天皇念持仏の金剛蔵王権現を安置する堂であった。

権現堂(左)を抜け更に奥に
権現堂の先は多宝塔と宝物殿、更に斜面を利用した吉野造りの報国殿が。
桜に囲まれた多宝塔は御本尊阿弥陀如来、総欅造りの納骨堂となっています。
宝物殿には、重文の厨子・権現像に加えて、小楠公が自ら辞世の歌を刻んだ扉、小楠公使用鎧・鞍等が展示。
扉は兎も角、小楠公が戦死した四條畷からここまで遺品の武具を運ぶのは並大抵の苦労ではなかったでしょう。

多宝塔

多宝塔正面

宝物殿
南朝、寺宝を多数収納する。

吉野造りの報国殿
会合・宿泊等で使用されるものか?
途中、此岸から彼岸へと向かう事を譬えた「二河白道庭園」を抜け、斜面には桜が植えられ蔵王堂付近の桜に相対。
寺の案内には桜の木を墓標として遺骨を埋め石碑を建てない桜草ならぬ桜葬の記述が…。
最近は後継者の問題もあってお墓の管理も大変なので、これからはこのような方法が増える気がします。
西行ならずとも人生の最期を迎えるのは大変、往生するという事でしょう。

「二河白道庭園」

阿弥陀如来の石柱が建つ西方極楽浄土(彼岸)

火の河(手前)と水の河(奥)の間を貫く白道を行く

手前に建つ釈迦如来の石柱

二河白道庭園の説明

多宝塔脇にある南桜園

報国殿越しに丹治川を挟んで竹林院付近を望む
[参考書]
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