<コース>
淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → 徒歩20分 → 哲学の道 → 法然院 → 徒歩10分 → 熊野若王子神社 → 徒歩3分 → 永観堂 → 徒歩7分 → 安楽寺

住蓮山 安楽寺(浄土宗系単立寺院)
本堂内に安置された両上人と両姫像。
安楽寺は別名・松虫鈴虫寺と呼ばれますが、これは住蓮・安楽上人との悲話に拠ります。
『安楽寺は法然の弟子・住蓮上人と安楽上人の念佛道場所縁の地。
二人の法話の声明は美しく多くの信者を獲得したが、その中に後鳥羽上皇の女官の鈴虫・松虫の二人の姫がいた。
容姿端麗で教養にも恵まれた両姫は上皇からの寵愛も篤く、他の女官達からの嫉妬も相当なものであったと言う。
そのような日常に苦悩した両姫は、いつしか出家を望むようになる。
建永元年(1206年)、後鳥羽上皇が熊野詣の留守中に両姫は夜中に御所を忍び出て、
鹿ヶ谷草庵にて両上人の前で剃髪出家し尼僧になった。時に松虫十九歳、鈴虫は十七歳であった。

境内の南側にある両上人の墓

両上人の墓石

両上人の辞世の詠
(右) 極楽に 生まれむことの うれしさに 身をば佛に まかすなりけり 住蓮上人
(左) 今はただ 云う言の葉も なかりけり 南無阿弥陀仏の み名のほかには 安楽上人
これには後鳥羽上皇が激怒し、専修念仏教団に対し弾圧を掛ける。
上人二人は斬首、75歳であった師の法然を讃岐に、親鸞を越後へ流罪とした。
これは「建永の法難」と呼ばれる。
後に都に戻った法然が二人の上人の菩提を弔うために建てたのが住蓮山安楽寺で、
山号寺号には両上人の名を冠している。
出家した両姫は紀州の粉河寺に逃れた後、瀬戸内海の生口島の光明坊に移り、念仏三昧の余生を送った。
松虫は三十五歳、鈴虫は四十五歳で往生を遂げたと伝わる。』 とあります。

両上人の墓の更に奥にある両姫の墓へ

両姫の供養墓

供養墓入口から参道を見返る
右に建つのが客殿。
これが尼僧になった女官の為に二僧が死罪となった「建永の法難」の顛末。
因みにその時に後鳥羽上皇は27歳でした。
密通を疑ったと言う説が有力で、今も昔も【みっつー】は避けるべきものですが、
若かったとはいえ治天の君としてはかなり過酷な処罰と言えます。
両上人の美声が人々を虜にしたとありますが、両姫も鈴虫・松虫という名前からして
美声を以て帝に寵愛された可能性が大。もし轡虫(くつわむし)や螽斯(きりぎりす)という名前ならば、
ここまで上皇も執着しなかったに違いありません。
後に上皇は鎌倉幕府に対して挙兵して失敗。隠岐の島に遠島となり現地で没しますが、
その遠因にこの法難が関わっていたと考えるのは、歴史の仮設としては【上級の編】に当たるでしょうか?

両姫の供養墓

供養墓近影
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住蓮山 安楽寺(浄土宗系単立寺院)
書院からの日本庭園の眺め。
本堂に続いては、回廊で続いている書院へ。
書院もそうですが、その手前にある内庭も一見に値します。
『書院は数寄屋風造りで、江戸末期に移築されたもの。平成15年には国の登録有形文化財となった。
奥には日本庭園がある。書院は現在華道展示等のイベントで使用されている。
書院から渡り廊下で繋がっているのは平成22年(2010年)築の客殿。
中には喫茶「椛」が入っている。』 とあります。

書院の床の間

床の間からの眺め

書院で開催中の華道のイベント

縁側から見た日本庭園(北側)

日本庭園(北から中央部)

日本庭園(中央部から南)

日本庭園の向こうには客殿が建つ
書院・客殿共に近年新築と思っていましたが、江戸末期の物件。
移築とはいえ、新しく見えるのは、それだけ丁寧に使用された証でしょう。
そのような歴史的建造物をイベントに利用できるのは嬉しい限りでしょうが、
使う事で傷むのを防ぐ効用もあるのでしょう。

渡廊下から見た日本庭園

書院から渡り廊下を抜け客殿へ

客殿から渡り廊下越しに本堂を見る

客殿から見た書院
客殿の「椛」をもみじと読むとは初めて知りました。
書院共々境内を有効利用したと言えますが、値段も一般と変わらないのが参拝者には朗報。
メニューの中には「鹿ヶ谷カボチャ餅入りお善哉」とあるので、中風に効果があるのかもしれません。
その内、「You, 中風に効くぜ!」とユーチューブで流れる日も遠くないでしょうが…。

客殿にある安楽寺喫茶「椛」のメニュー

絵画も展示している喫茶「椛」の店内
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住蓮山 安楽寺(浄土宗系単立寺院)
本堂と手前に植えられた木斛。
地蔵堂の前の参道を進み左手にあるのが本堂。
『本堂は常行三昧堂として使われていた方形裳階造の堂宇を江戸時代後期に移築したもの。
本尊は阿弥陀三尊像で、他に法然上人木造、法然上人張子像が安置されている。
宗派は異なるが法然の弟子と言う事で親鸞聖人の笠も展示されている。
加えて、住蓮・安楽上人、松虫・鈴虫の像も祀られている。』 とあります。

地蔵堂(左)の前の参道を往く

かつては常行三昧堂として使われていた方形裳階造の本堂

正面から見た本堂

本堂前面に張出した庇
堂内拝観はここで履物を脱ぐ。

本堂に続く石畳の参道
堂内へ入ると浄土系寺院に特徴的な煌びやかな装飾があって、その先に御本尊が。
ガイドの方から5分程度の由緒を聞きましたが、堂内はどこでも写真撮影OKとの事。
普通、庭や建物は兎も角、御本尊はNGの場所が多い京都では異例。
一体、【どうない】なっているのかと不思議でした。

堂内の様子
ここは住職が読経する場所。

本尊の阿弥陀三尊像
本堂からは渡廊下で書院へと続きますが、その間の中庭も落ち着いた造り。
本堂内の煌びやかさとは対照的な簡素さが一層、その美しさを際立たせているのかもと感じた次第です。

本堂は渡り廊下で書院に繋がる

左に進むと書院、右へ行くと喫茶椛

書院から見た渡廊下と本堂

書院から見た本堂

書院と本堂の間の中庭
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住蓮山 安楽寺(浄土宗系単立寺院)
茅葺の山門を過ぎて、受付で拝観料¥500を払って境内を散策。
直ぐ左手に納経所があったので先ず御朱印拝受。
通常は拝観中に墨書して貰いますが、ここは書き上がり待ち。
なんでも多くの人の手を経るリスクを減らすのだそうで、そういう考えもあるのだと感心しました。

茅葺門を過ぎいよいよ境内へ

山門下からの眺望は境内と言うよりも整備された庭園

山門に続く寺務所に掲げられた「楽山居」の扁額

左手にある御朱印所

安楽寺案内書
右は鈴虫姫(左)、松虫姫(右)剃髪図。

安楽寺御朱印
両姫の墓所らしく女性に拠る流麗な水茎である。
境内の庭園は池泉回遊式や枯山水ではなく石組みと樹木を組み合わせたもの。
浄土式とは言わないのでしょう。植物の中でも目を引いたのがセンリョウとマンリョウ。
どちらも朱い実を付けますが、庭を整備されていた人に伺うと、
「実が軽くて葉の上にあるのがセンリョウ、重くて下がっているのがマンリョウと区別します。」
とのメイリョウな答えでした。

庭園入口付近の光景

枯死?した巨木の下に植えられたセンリョウ

朱い実を付けたセンリョウ
千両と【軽い】ので実が上を向いている。

こちらも朱い実を付けたマンリョウ
万両と【重い】ので実が下に向いている。

巨木を背に更に庭園を進む
庭園内には仏足石がありましたが、その奥に建つのが地蔵堂。
『祀られているのは「くさの地蔵菩薩」と呼ばれ、古くから皮膚病や腫平癒に御利益があると信仰されてきた。
江戸時代の縁日では参道に多くの出店が並ぶ賑わいであったと伝わる。
平成3年の解体修理で体内の墨書が発見され、鎌倉中期の正嘉2年(1258年)の木造で、慶派仏師の作と判明した。
当寺にはくさの地蔵さまへの願掛けや御礼に柄杓が奉納されており、北斗七生が象られている。
現在の地蔵堂は平成27年の再建である。
また毎年7月25日に、京都の伝統野菜の一つである鹿ヶ谷カボチャを煮炊きしたものを参拝者に振舞い、
中風にならない様にと願う行事がある。』 とあります。

庭園全景

庭園奥には仏足石の碑が建つ

仏足石近影

歩いて来た道を振り返る

本道前の木斛

奥に建つ地蔵堂
「くさの地蔵菩薩」と書かれた提灯が吊るされている。
地蔵堂は真新しい造りですが、祀られているお地蔵さまは古仏。近隣から多くの参拝者が訪れたのは
御本尊を凌ぐものがあったから。それ程、病に苦しむ人々が頼ったのでしょう。
御堂の前には鹿ヶ谷カボチャの沓掛地蔵が置かれ、いつでもカボチャ供養の御利益が授かるようにと
「くさの地蔵様」780歳の誕生日の令和元年5月2日にお披露目されたそうです。
鹿ヶ谷カボチャは中が括れた怪体な形ですが、普通のカボチャよりも鉄分が多いとか。
単に京野菜と言う名前だけではなく実効もあったようです。尤も、最近は生産が減ってきているのは残念です。
お地蔵様と言うよりゆるキャラに見えますが、それを言っても【水掛け】論に終わりそうで…。

地蔵堂の周りに敷かれている庭石・飛石は煩悩の数と同じ108個

鹿ヶ谷カボチャの沓掛地蔵様

沓掛地蔵様近影

奉納された柄杓と鹿ヶ谷カボチャの絵
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住蓮山 安楽寺(浄土宗系単立寺院)
永観堂を拝観しなかったので、このままでは次の予定まで1時間待ち。
どうしようかと迷う所ですが、法然院の南に石段の先に紅葉と茅葺門のある寺があり、
通常は閉門していますが、この日は拝観できる事が分かり再び北へ向かう事に。
9時40分に門前に着きましたが開門は10時と看板が。ここでも20分待って入山。
運よく秋の特別拝観中なのも幸いしました。

静寂な雰囲気が漂う安楽寺入口

入口にある楓の巨樹

由緒記の駒札
住蓮山安楽寺(じゅうれんざんあんらくじ)は、
『平安末の鹿ヶ谷の陰謀から20数年を経た鎌倉時代初期、法然の弟子の住蓮上人と安楽上人は
東山付近を散策中、白鹿に出会う。その姿がかつての俊寛の山荘跡付近で消えたので、
霊感を感じた両上人は、現在の場所より東方に専修念仏の道場として「鹿ヶ谷草庵」を結んだ事に始まる。
その場所で住蓮と安楽は、唐の善導大師の『往生礼讃』に譜曲を附し、六時礼讃声明を完成。
両上人が勤める声明は真に美しく、多くの徴収を魅了したと言われる。
後鳥羽上皇に拠る建永の法難で両上人は刑死し草庵は荒廃するが、師の法然が両名の菩提を弔うために
草庵を復興。住蓮山安楽寺と改称し両上人の追善の寺とした。
その後、天文年間(1532~1555年)に現在地に本堂が再建され今に至る。』 とあります。

階段の先にある茅葺の山門
普段は閉まっている。

階段脇の紅葉が映える

楓の下は苔の緑の絨毯

苔に散り敷く紅葉

脇の築地塀にも趣が
法然院と異なり、隠れの道から直接石段が山門まで続き、両脇には楓が聳え苔の上には紅葉が散り敷く状態。
拝観が無くとも写真撮影には絶好のポジション、開門を待つ間もカメラを構えた人々が頻りにシャッターを切っていました。
皆、私と同じ10時入門組でしたが、合計でも10数名だったので、待たずに入れたのは言うまでもありません。

山門近影
明治25年(1892年)の建立で、平成15年に国の登録文化財に。

山門の茅葺屋根

屋根裏部分

山門下から入口を見る
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聖衆来迎山無量壽院禅林寺(浄土宗西山禅林寺派)
若王子参拝の後は、今日のメイン永観堂へ。京都と言うよりも日本を代表する紅葉の名所。
JR東京駅にも案内が貼付されており、知らない人は東京にあると思うでしょう。
八重洲口のタクシー乗り場で「永観堂まで…」と言った人はいないのでしょうか?
正式には聖衆来迎山無量壽院禅林寺(しょうじゅらいごうさんむりょうじゅいんぜんりんじ)と
一回では覚えられない程長い名前ですが、一般には紅葉の永観堂(えいかんどう)で知られます。

西側の白壁塀と紅葉

西側にある総門(出入口)脇の寺標

総門から境内を見る

総門の先にあるのが中門で、そこから先が有料拝観

永観堂由緒記の駒札

何故か百人一首の歌が
これは奈良での詠と思われるが、この句言に苦言を呈した人がいるのでは?
さて向かった先は9時の開門前に早くも数百人の行列。並んだものの20分経っても少しも進まず、
どうも検温のため入場制限されている様子。
コロナにも拘らず参拝者が多いのは結構な事ですが、密のために検温が必要で悪循環になっています。
これでは次の予定に遅刻なので今回はスルー。前回の平成4年11月30日訪問では紅葉が満開でしたが、
今回は少し早かったようで踏ん切りがつきました。
尤も世間一般には、このようなものを負け惜しみと言いますが。

和(なごみ)の道から見た放生池

道沿いの紅葉

境内のツワブキ

受付の中門まで続く行列

中門前の検温の様子
京都市に住む知人に拠れば、この時期の永観堂は中に入らず、外から眺めるだけで十分だとか。
私も拝観料不要の境内の一部を見て移動。御本尊なら「入観、遅し!」と見返るかもしれませんが…。

塀の外側の満天星(ドウダンツツジ)

こちらは南天の木

永観堂御朱印 (平成4年拝受)
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熊野若王子神社(旧村社)
早朝に法然院参拝の後は、鹿ヶ谷疏水道に沿って哲学の道を南下。
日が高くなる前に紅葉の永観堂を目指した訳ですが、疏水の途切れた場所に社があったので、
ちょっと立ち寄ってお参り。熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)は、
『熊野神社、今熊野神社と並ぶ洛中熊野三山の一つ。

疏水に架かる若王子橋
通りで言えば、東西に走る冷泉通りの東端に当たる。

神社石碑

由緒記の駒札

同志社創設者新島襄の墓所の碑
墓は背後の若王子山頂にある。
永暦3年(1160年)、後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請され祈願所とされた
正東山若王子の鎮守で、明治の神仏分離に拠り当社のみが今に残った。
若王子とは御祭神の一つ天照皇大神の別名・若一(にゃくいち)王子に由来している。
熊野詣を行うにあたり、修験者は先ず当社で身を浄めてから出発したと伝わる。
室町時代には足利尊氏・義政がこの地で花見の宴を開いたとされ武家の信仰を集めた。
応仁の乱で荒廃したが豊臣秀吉に拠り再興。明治になり修築が行われたが、その際、
本宮・新宮・那智・若宮があったが、現在は一社相殿となっている。

神社入口
左の幣を巻いた木が御神木の梛(なぎ)。

当社前全景
恵比須社(左)、拝殿(中央)、社務所(右)と並ぶ。

正面から見た拝殿

拝殿の奥に僅かに見える本殿

拝殿前面
今も本殿裏手の東山山中に瀑布があり、奇岩老樹も多く、夏は納涼地、秋は紅葉の名所として知られる。
御神木である梛(なぎ)の木は暖地に自生するイヌマキ科の常緑高木で高さ15m、葉は榊の代用にもされ、
種々の悩み事をナギ倒すとして喜ばれている。
境内には夷川通りに鎮座されていた恵比須を祀っている。』 とあります。

拝殿の屋根の鬼瓦には八咫烏が

拝殿に掲げられた熊野大権現の扁額
文字の各所に烏がデザインされている。

御祭神の四柱と宝形
宝形はかつて境内にあった地仏堂の屋根の部分。地仏堂には薬師如来が祀られていた。

薬師如来坐像は、国宝として奈良国立博物館が所蔵

恵比須社

祀られている等身大の恵比須様
熊野街道でも王子が起点ですが、哲学の道でも起点になっている様子。
若王子神社の名は度々、聞きますが天照皇大神の別名とは初耳。
進学・良縁の神様として哲学の道を訪れる若い人に人気があるようですが、
これは若王子という名前にもあるのかもしれません。
と言って「わかおうじ」とは読みません。わかおうじならば熊野を越えてマニラまで行ってしまいそうですが…。
梛の木についても詳細は知りませんでしたが「なぎ倒す」だけでなく難儀にも繋がるかもしれませんし、
飛躍すれば那智にも関りがあるのかもしれません。
「なぎ」という言葉自体が大事な訳で、古代の言霊まで遡ることになりそうです。

垣根になっている梛の木

熊野若王子神社由緒

熊野若王子神社御朱印
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善気山 法然院 萬無教寺(浄土宗系単立寺院)
法要をする寺院なので、法然院には檀家があって当然。
寺院に墓地があっても何ら不思議はありませんが、法然院には著名人の墓があることでも有名。
参道の右手の高台に昔ながらの墓地があって、入口には大きな石塔が。
「昔、近江の石塔寺で見た阿育王の石塔に似ているな。」と思いましたが、
基壇に阿育王石塔に似せて造るとありました。

墓所入口に建つ石塔
『境内には、谷崎潤一郎、河上肇、九鬼周造、浜田青陵、福田平八郎、内藤湖南の墓がある。』 とあります。
京都帝大の教授の墓は近場なので分かりますが、江戸っ子の谷崎の墓が何故この地に。
もしかして『卍』の舞台なのでしょうか?
関係者でもないですが、ガイドに従って墓場放浪。記された著名人の墓に一通りお参りしました。
墓地には住友家の墓もあり、鹿ヶ谷に別荘があるので財閥の住友家と勝手な想像をしました。

マルクス経済学者・河上肇夫妻の墓

哲学者・九鬼周造の墓

東洋史学の開拓者・内藤湖南夫妻の墓
東洋史学を越えたシナ学の泰斗と言う方が相応しい。夫人を旧姓にしたのは中国に倣ったものか?
様々な分野の方のお墓ですが、一見して皆同じような外観。
河上肇の墓は『貧乏物語』ではなく、九鬼周造も『いきの構造』ではなし。
財閥の墓(としてですが)も普通の大きさでした。
皇族や大名の墓は大きいものが多いですが、著名人とはいえ墓に拘る気はないのでしょう。
これこそ『いきの構造』と言えましょう。

これは特撮関係のお墓ではなくて…

京大アメフト・ギャングスターズの碑

墓所周辺に置かれた石と苔
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善気山 法然院 萬無教寺(浄土宗系単立寺院)
山門をくぐるといよいよ境内ですが、山門は茅葺で数寄屋造り、屋根に生えた苔が周囲に映えます。
木造の多い関西では珍しく、神社の山門というよりも茶室に向かうと言った感じ。
その先に紅葉が描かれた白砂壇があるのが一層その印象を強めています。
尚、当寺は浄土宗で禅宗ではありません。

正式に南側の山門から入山

山門近影

山門下から上って来た参道を見返る

山門の屋根裏部分

苔生したと言うよりも苔鮮やかな茅葺屋根

山門下から見た白砂壇

白砂壇から見た山門

白砂壇に描かれた銀杏と紅葉

こちらは紅葉と渓流
法然院は
『正式には善気山法然院萬無教寺(ぜんきさんほうねんいんばんぶきょうじ)と言う浄土宗系単立寺院。
鎌倉時代に法然上人が弟子たちと共に六時礼讃行を勤めた草庵に由来する。
その後、寛永年間(1624~1644年)には殆ど廃絶していたものを、延宝8年(1680年)に
知恩院第三十八世・萬無心阿(ばんぶしんな)上人と弟子の忍澂(にんちょう)が中興したものである。

参道に続く放生池に架かる橋

橋の右手に建つ講堂
元は元禄7年(1694年)建立の大浴室だったが、昭和52年(1977年)に改装された。

境内の杉苔

左手に建つ経蔵
元文2年(1737年)の建立。

正面より見た経蔵
本堂は延宝9年(1681年)に客殿として建立。堂内には恵心僧都作の阿弥陀如来坐像と
法然上人自作の木像を安置し、直壇には毎晨朝に二十五の生花を散華する。
方丈は文禄4年(1595年)築の後西天皇の皇女の御殿を貞享4年(1687年)に移築したものとされ、
狩野光信筆の襖絵十四面の「桐に竹図」「若松図」「槙に海棠図」及び屏風の「雪松図」は
いずれも重要文化財に指定されている。』 とあります。

経蔵越しの紅葉

放生池周囲の紅葉

これはセンリョウか?

水盤に浮かべられた菊
境内は6時から無料で開放されており、池の周りの椿や楓、地面の杉苔を眺めながら散策する事ができます。
加えて外観だけですが、元文2年(1737年)建立の経蔵、元禄7年(1694年)建立の講堂も見る事が可能。
講堂は一見そうは見えませんが大浴室として建立されたものを昭和52年(1977年)に改装したものだそうです。

境内を庫裏の方へ進む

参道脇の石組みと杉苔

こちらが玄関
このように境内は自由ですが、肝心の本堂、方丈や襖絵は見れず。御朱印も対応していませんでした。
といっても拝観謝絶ではなく、春と秋の1週間だけ特別拝観。11月30日に御朱印を貰っているので拝観していたのでしょう。
ネット上では寺の一部を定期的に講演会やコンサートに開放しているとあるので必ずしも閉鎖的ではないようですが、
境内には、法要中につき立入禁止の札が架かって居り、建物内には観光客を入れる方針ではなさそう。
これは元、念仏の修行道場だった事にも拠るのでしょう。

参道を更に奥へ

こちらが特別拝観時のみの方丈と本堂

本堂への参道脇に建つ十萬霊塔

境内の樹木
椿と紅葉の名所なのに【ばんぶー】教寺とはこれ如何にですが、
文化財が見れないのは非常に残念ではありました。
尤もそのような事を言っても【〇の耳に念仏】ですぐ【放念】でしょうが…。

東側に建つ石塔

石塔脇のモニュメント

モニュメントの説明

平成4年に拝受した御朱印
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善気山 法然院 萬無教寺(浄土宗系単立寺院)
銀閣寺付近から疎水沿いに南下すると最初に出会う古刹が法然院。
『哲学の道から東へ1本入っただけであるが、通称・隠れの道と呼ばれるだけに山麓の緑濃い
鄙びた風情の中に念仏道場らしい厳粛な空気が境内を支配している。
春は椿、特に中庭の三名椿が素晴らしい。晩秋には茅葺の山門に架かる楓が美しく、
古都の代表的な紅葉風景の一つとなっている。』 とあります。
道に沿って行くと小高い丘に木々が生い茂った場所が目に入り、恐らくここが法然院と推測。
更に進むと道標と参道が続き境内に入れますが、人も少なく寂びれた様子。

北から南下するとこのような場所へ

北側の脇門へと進む

脇門の先に見える境内
正面は元文2年(1737年)建立の経蔵。
平成4年に訪れた時はもう少し広かった記憶があるので不思議でしたが、北側は脇門で
正式には南側から入る慣わし。再度、南に回って正式に参拝。
広い参道と巨樹に囲まれた先に茅葺の山門が見えて来、漸くかつての記憶が呼び戻されました。
借景と言うよりも直ぐ東側が東山連峰なので山寺の雰囲気も十分。
7時台とは言え散策する人もチラホラ。早起きは【山門】の得、ではないですが、西だ来たろう!の甲斐があったと言うものです。

南側にあるこちらが正門

石標

由緒記の駒札

階段を上り境内へ

巨樹に囲まれた石畳の参道を往く

参道の先にある茅葺・数寄屋造りの山門
[参考書]
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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース>
淀屋橋 → (京阪特急) → 出町柳 → 徒歩20分 → 哲学の道

哲学の道
北は銀閣寺付近から始まる。
この日は学生時代に御世話になった下宿の祝祭のため聖護院に正午イン。
昼までに時間があり東山も近いので、早朝から白川通今出川から鹿ヶ谷疎水に沿って南下。
銀閣寺から若王子までの2㎞程の散策道は哲学の道で知られます。哲学の道は
『明治23年(1890年)東山山麓に完成され、明治42年(1912年)に延伸された琵琶湖疎水分水沿いの
桜並木の散策路。若王子橋から浄土寺橋までの1.8㎞を呼ぶ。

晩秋は桜葉も散りこのような様子

紅葉は未だ散らず
哲学者の西田幾多郎らが好んで歩いたことから、“思索の小径”と呼ばれていたが、
哲学の道という呼び方に変わった。桜並木は橋本関雪夫人が植えた事から、関雪桜と呼ばれている。
近隣には世界遺産の銀閣寺初め著名な社寺が点在し、四季を通じて観光客の姿が絶えない。
昭和61年(1986年)には「日本の道百選」に選ばれた。』 とあります。

水路上に大きく張り出した山茶花
京都学派を代表する西田幾多郎が歩いた事からの命名ですが、何故ここを散策したかと言えば答えは簡単、
この付近に住んでいたからに他なりません。
今に比べて交通機関が発達していなかった当時は、職場へ歩いて行ける場所に居を構えた筈。
戦後のギリシア哲学をリードした田中美知太郎の自宅も鹿ヶ谷でした。
なので、思索に相応しい道云々よりも家の近所を散歩しに【きたろう】と言うのが真に近いでしょう。

山茶花の白い花

山茶花近影
昔の大学教授は経済的にも優遇されたと思いますが、大学の傍に一戸建てを構える事ができたのは
大正生まれの人まででしょうか?現在は、東大も含め一戸建てから歩いて大学に通勤するなど夢物語。
ほとんどのサラリーマンと同じく通勤電車に揺られているのが実情。
車内で思考される教授も多いでしょう。かつての哲学は【鉄学】に変貌を遂げているようです。

水路では鴨たちが食事の最中

道沿いにある甘味処「叶匠寿庵」
閉鎖中なのは、単なる休業かコロナの影響か?
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西田幾多郎の哲学=絶対無の場所とは何か (講談社選書メチエ) 新品価格 | ![]() |

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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
<コース> 近鉄1dayおでかけきっぷ(大阪・京都・奈良版;¥1000)使用
【往路】阿部野橋(6:50) → (近鉄電車) → 吉野(8:22)
吉野駅 → 徒歩35分 → 如意輪寺 → 吉野(11:37) → 壺阪山(12:19) → 徒歩5分 → 子嶋寺 → 壺阪山(12:50) → (奈良交通) → 壷阪寺(13:03) → 壷阪寺 → 壷阪寺(14:00) → (奈良交通) → 壺阪山(14:13) → 徒歩5分 → 土佐の町並み → 徒歩5分 → 小嶋神社
【復路】壺阪山(15:50) → (近鉄電車) → 阿部野橋(16:42)

小嶋神社(郷社)
壺阪山駅から土佐街道を高取城跡に向かって南に上って町並みを一巡り。その後は、地元の小嶋神社に参拝。
『『倭漢三才図絵』に拠れば創建は天平宝字以前と考えられる古社で、明治になり橿原神宮に次ぐ郷社として、
その郷中は旧高市郡に及び近郷の崇神を集めた由緒ある神社である。
参道には江戸時代の有力武家の石燈籠が並び、境内は古色蒼然とした根上りの古木などに覆われている。
社殿は廃藩置県に拠り、明治7年に建て替えられている。

南側から見た石鳥居

石畳の参道の両側に建つ石燈籠
右は民家で左は畑。
平成7年に完成した絵馬収蔵庫は、神社に伝わる絵馬三面が修復を終えて保存されている。
絵馬は江戸時代に奈良県下全般で催された雨乞い祈願の「ナモデ踊り」の様子を微細に再現したもの。
ナモデ踊りとは、雨乞祈願やその願いが叶った時に県下で広く踊られた太鼓踊りで「イサミ踊り」とも呼ばれていた。
当社に伝わる大型絵馬三面はこの太鼓踊りの江戸期の形態を三期に亘り描いたもの。
享保8年(1723年)の絵馬は既に落剝が著しい。宝暦2年(1752年)銘の絵馬は高取藩主植村家道に拠り
奉納されたもので、踊りの一団が隊列を整えて神社境内へ練り込む様を活き活きと描いている。
文政4年(1821年)銘の絵馬は神社境内での満願の踊りの様子を表している。

古を感じさせる境内

本殿前にある拝殿

拝殿の奥にある本殿
これらの状況は高取藩士吉川覚兵衛の記した「南無手踊り」の記述とも符合し、大和の民俗芸能として
親しまれてきた太鼓踊りのかつての形態を示す県下唯一の貴重な文化遺産である。』 とあります。
この場所の字が小島なので、土地の氏神様を祀った古社であろうとは想像できます。
先般訪れた子嶋寺も元来はこの場所にあった模様。まさに子嶋に始まり小嶋に終わった壺阪山でした。
それだけの由緒を持った古社古刹でありながら、今はどちらも無住。
寺が移って離れ小嶋になってしまったのも一因かと思った次第です。

収蔵庫前に建つ立派な門

平成7年完成の絵馬収蔵庫

ナモデ絵馬説明書き

宝暦2年奉納の絵馬

文政4年奉納の絵馬
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