<コース>
【往路】阪神梅田(7:27) → (直通特急) → 明石(8:32→8:33) → 魚住(8:47)
魚住 → 徒歩10分 → 薬師院 → 徒歩8分 → 住吉神社 → 徒歩5分 → 魚住(10:50)

清冷山 閼伽寺 薬師院(高野山真言宗 播磨八薬師第一番霊場)
御本尊の御薬師様と境内社に参拝した後は、もう一つのメインの牡丹へ。
『明治10年(1877年)には住職が薬用にするために牡丹を植樹。
昭和30年(1955年)には牡丹園及び前庭が拡張整備された。
平安時代以来の臥龍松は昭和20年(1945年)に枯死したが、
現在は2千㎡の庭園に50種、2000株の牡丹が咲くボタン寺として知られる。』
とあります。

境内の前庭の牡丹

白牡丹

ピンクの牡丹

牡丹とは違う花も彩を添える
芍薬では聞いたことがありますが、牡丹も薬用にするとは寡聞にして知らず。
外見も似ているので、根に同じような効用があるのでしょう。
薬用にするのであれば、もっと古い時代から植えられていても良さそうですが、
本格的に植えられたのは明治になってからというのも驚きでした。

前庭全景

境内の北西にある納経所が庭園への入口

納経所脇に建つ不動堂
境内を一巡して牡丹園拝観に向かいましたが、何と入口には開園中止の貼り紙が。
お寺の方が、境内を掃除されていたので尋ねると、
夫人;「コロナが未だ収まらないので、3年続きで中止です。」
和辻;「開花状況はどうでしょう?」
夫人;「丁度、今が見頃です。残念ですが…。」
との事。播磨まで足を運んだものの閉園と聞きがっくり。
境内に植えられた少しの牡丹と塀越しに僅かに見える牡丹園でお茶を濁すしかありませんでした。
お薬師様も外来のウイルスには効き目が薄いのでしょうか?
事前にパソコンで調べた積りでしたが、チェック漏れがあったのでしょう。
とんだ【ボタンのかけ違い】で、来年以降の再訪になりました。

無念の貼り紙

塀越しに見る牡丹園

山門の西側にある牡丹園への門

牡丹園への門から見た牡丹園

牡丹園の西側

牡丹園の東側

山門前の池の睡蓮
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魚住 → 徒歩10分 → 薬師院 → 徒歩8分 → 住吉神社 → 徒歩5分 → 魚住(10:50)

清冷山 閼伽寺 薬師院(高野山真言宗 播磨八薬師第一番霊場)
春の青春18きっぷと共に桜も終了。次に開花するのは牡丹か藤ですが、今年は牡丹に的を絞って訪問する事に。
関西には牡丹で知られた場所は何ヵ所かありますが、自宅からの交通費が片道2千円を越えない場所となると
明石、五条、長岡京くらいのもの。
開花状況はその年の気温に左右されますが、先ずは気温が高いだろうと思われる山陽路の魚住へ。
牡丹の寺・薬師院として歴代の駅スタンプにも描かれている花の寺ですが、付近一帯は住宅地なので
観光地が少ない事もあるのでしょう。
今回は阪神梅田駅から快速特急を利用。JRに比べて時間は掛かり、明石で普通に乗換えなければなりませんが、
寺へはJRより近く乗換時間も1分なので、時間のロスは殆どなしでした。
駅から県道718号に沿って西へ向かい、瀬戸川付近にある案内板に従って少し南へ行くと、
酒造メーカーや地元の工場先にお目当ての寺院が。

JR魚住駅スタンプ
(上)1990年代の神戸支社印 (下)2006年設置の神戸支社印

県道、瀬戸川付近にある案内板

このような細い道を西へ
清冷山閼伽寺薬師院(せいれいざんあかでらやくしいん)は、
『寺伝に拠れば天平2年(730年)、行基が開基。
この地を訪れた行基が錫杖を地面に突き立てると霊水が湧き出し、そこから薬師如来が出現。
そこでその像を祀るために薬師院を創建し、祀ったのが嚆矢とされる。

山門前に到着

門前の池と睡蓮
亀に餌をやらないで!とあるが、飼っていたミドリガメをここに捨てる人も多いのでは?

山門近影

山門の奥に見える本堂
延喜年間には仁和法親王、阿頂僧正がここに止宿。七堂伽藍を整備し、坊舎は二十余りを数えた。
天喜5年(1057年)には臥龍松が植えられ、養和8年(1181年)には天王神社が勧請されるなど隆盛を迎えた。
しかし応仁2年(1468年)に兵火に罹り、堂宇は炎上。
その時に焼けた経類を埋めたのが現在境内に残る経塚とされる。
その後、再建されるが天正7年(1579年)の三木合戦で再び堂宇は炎上。
唯、その際に本尊は天王林に飛び難を逃れたとされる。

山門を潜った先に見える境内

正面から見た本堂

本堂前にも少しの牡丹が…

本堂由緒

本堂に掲げられた「清冷山」の扁額

本堂向拝の欄間彫刻

向拝下部分
江戸時代の元和5年(1619年)に朱印寺となり、明暦3年(1657年)には中興開山の舜恵及び
舜雄法印に拠り再建が始まり、明暦5年に舜雄法印が現在の本堂を建立。
延宝4年(1676年)には舜算法印が本堂屋根を瓦葺とし、鐘楼堂も建立。
元禄8年(1695年)には門前の蓮池に石橋が架けられ今に至る寺容が整えられた。』
とあります。

四国八十八ヵ所御砂踏霊場

鐘楼と石地蔵群

経塚と五輪塔

経塚の説明

臥龍の松

臥龍の松の根元部分

境内にある「閼伽井の庭」

閼伽井の庭
中央奥の井戸が閼伽井か?

御手水も龍吐ではなく牡丹
行基の開創は伝説的ですが、観音信仰・浄土信仰に比べると薬師如来は古い寺院に多いので、
播磨の古刹であることは確実。
山号寺号の清冷・閼伽は霊水に由来する名前で、衛生状態も良くない時代にあって人々に清冽な水を供給した
と考えるのが普通でしょう。信心深い人が聞くと【冷水を浴びせられた】様に思うかもしれませんが…。

本堂から石段を上り天皇神社へ

天王神社の鳥居

天皇神社御由緒

天皇神社拝殿

天王神社から当寺境内を望む

薬師院説明書

薬師院御朱印
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<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部() → JR綾部(8:25→8:51) → JR東舞鶴(9:20)
JR東舞鶴 → 徒歩10分 → 赤れんがパーク → レンタサイクル50分 → 多禰寺 → 赤れんがパーク → JR東舞鶴(13:21) → JR綾部(13:56) → 駅前観光案内所 → レンタサイクル25分 → 楞厳寺
【復路】JR綾部(16:06) → JR園部() → JR京都(17:53→17:59) → JR大阪(18:29)

塩岳山 吉祥院 楞厳寺(高野山真言宗 関西花の寺霊場第二番)
絵と並んで楞厳寺を特徴づけるのが境内を彩る花々。関西花の寺第二番札所とされるもの故なしとはしません。
『楞厳寺境内は往時に比べ狭くなったものの、境内は庫裏の前の池一帯と背後の山まで広がり、
その中に四国八十八ヵ所巡りの小径が続く。
四月初旬のソメイヨシノが散ると、境内は一年で最も華やかな季節を迎える。
池を挟んで庫裏の対岸にある丘全体がミツバツツジの薄紅色に覆われ、水面に淡い紅が照り映える。
八十八ヵ所巡りの小径はミツバツツジの花のトンネルとなり、丘の頂上からミツバツツジと
山桜に包まれた境内の全景を眺めることが出来るのは四月中旬の10日間程である。

境内案内図

ミツバツツジの花

ミツバツツジの丘から池を挟んで山門を見る

ミツバツツジの丘

ミツバツツジの丘全景

境内からの丘の眺望

同じく境内からの眺望
夏の夜明けには境内の池に水面を覆いつくす様に20数種類の蓮の花が咲き誇り、
参拝者を浄土の世界へ誘う。
秋には参道の両側の銀杏の巨木が黄金色に色付き、池を縁取ってミツバツツジとモミジが黄から橙、
赤へと見事なグラデーションを見せる。
丹波が冬を迎えると、山門の傍らにある椿が見頃を迎える。
樹齢400年の古木は、白・赤・ピンクに咲き分け、閑寂な冬に趣を添える。

蓮池

蓮の三徳

山門脇の樹齢400年の「咲き分け椿」

この椿は綾部の名木となっている

椿の根元部分
この椿の他にも境内の三古木と呼ばれる樹木があり、裏参道入口の菩提樹は樹齢500年。
初夏に白い花が咲いた後は球形の実を付け、大きいものは数珠に使用される。
本堂石段を登り詰めた場所にある百日紅は樹齢400年。
一株から初代、二代、三代へとの移り変わりが分かる古木である。』 とあります。

樹齢500年の菩提樹

この菩提樹も綾部の名木百選

樹齢400年の百日紅
中央の涸れた太い幹が二代目、右の細い幹が三代目に当たる。
関西花の寺のパンフにはミツバツツジの寺とありますが、実際は四季を通じて花が楽しめるお寺。
仏教では仏前に花を供える事から、花とは切っても切れない縁があります。単に観光目当てではありません。
残念ながら満開を期待したミツバツツジは咲き始め状態。池の対岸の丘の一部を彩る程度でした。
尋ねた所、昨年のこの時期にはもう満開を過ぎていたそうで、異常気象の影響か花の見極めは
一層難しくなっているようです。

池の畔の桜?

これも桜?

山門前のレンギョウ?

境内八十八ヵ所結願

綾部市マンホールカード 駅前観光案内所にて配布
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【復路】JR綾部(16:06) → JR園部() → JR京都(17:53→17:59) → JR大阪(18:29)

塩岳山 吉祥院 楞厳寺(高野山真言宗 関西花の寺霊場第二番)
舞鶴の多禰寺は電動レンタサイクルの力もあって予定通り巡礼終了。12時過ぎに駅前へ戻る事ができました。
このまま帰宅するのも勿体ない話なので、舞鶴線13時過ぎの電車で綾部まで戻ってもう一ヵ寺巡礼。
以前に訪問した寺院ですが境内のミツバツツジで知られるので、満開を期待しての再訪。
駅から北西に6㎞程なので、舞鶴同様駅前観光案内所で自転車をレンタル。電動にしたのも同じでした。
駅から北へ1㎞北上し、位田橋で由良川を渡り、そのまま西へ3.5㎞。
栗町という場所で再び北上し古墳の連なる丘陵地帯を過ぎると池の向こうに寺院が姿を見せます。

蓮池越しに見る楞厳寺

山門前にて
左手の椿は樹齢400年、咲き分け椿の名で知られる。

垣根越しに見た庫裏
塩岳山吉祥院楞厳寺(えんがくざんきっしょういんりょうごんじ)は、
『聖武天皇の天平4年(732年)、林聖上人が創建。
その後、建武4年(1337年)7月に軍勢が乱入し金銅蔵王像や文書を運び去った後、
火を放ったが戦国時代初期まで寺勢を保つ。
南北朝時代の楞厳寺敷地紛失状に拠れば、寺領はかなり広大であった。
しかし延徳元年(1489年)に起こった位田の乱で再度焼失。
その後、奇瑞があって諸国を勧進し明応6年1497年再建に着手したが三度破却。
寺坊、古記、古文書等の多くが散逸し、歴代住職の事歴も不明なまま、多くの年を経ている。

山門を潜った先に建つ庫裏
本堂に見えるが、本尊薬師如来ではなく千手観音を祀っている。と言う事は観音堂か?

由緒記

庫裏の前から蓮池方面を見る
向こうに見える丘にミツバツツジが植えられている。
元禄16年から宝永5年(1708年)にかけて旧本堂が完成、その建立時の住職盛長法印を中興開山としている。
更に50年後の宝暦8年(1758年)に庫裏が建築され漸く伽藍が整えられた。
旧本堂は主要部分が松材であったため老朽化が進み、平成14年に全面改築に着手、
同15年秋に新本堂が完成した。
本堂内陣は折り上げ格天井で枠数96面の秋田杉の板に岩絵具で着色された花の絵が描かれている。
作者は円山応挙から八代目の直系の円山慶祥氏と弟子の真祥氏で「瑠璃光華曼荼羅」が現出されている。

庫裏東側の階段を上り本堂へ

階段の先に建つ新本堂

上って来た階段

本堂近影

向拝柱と欄間の彫刻群

向拝の彫刻と海老虹梁

本堂に掲げられた「塩岳山」の扁額

御本尊の説明

本堂からの眺望
また当寺は別名を「丹波のカラス寺」と言い、庫裏の座敷を飾るカラスの襖絵が有名。
昭和初期に画家の長井一禾(ながいいっか)が描いた春夏秋冬のカラスで、
一禾はカラスの感覚の鋭さと愛情の細やかさを愛し、只管カラスを描き続けた異色の画家。
明治期に日本美術を再評価したアーネスト・フェノロサへカラス百態を描き分けた画を贈り、
大隈重信首相より「鴉博士」と称された人物である。
当初は一部屋だけを描く予定であったが、俗世から隔絶した静けさと、
庫裏からの眺めが気に入り四座敷に春夏秋冬を完成させた。
境内の弁財山の池の畔には全国各地で使用した筆を納めた筆塚があり、
この事でも一禾の楞厳寺に寄せる思いが伝わって来る。』 とあります。

鴉の襖絵の説明

境内の案内板
鴉絵と言えば、「鴉文晁」の異名を採る谷文晁が直ぐ思い浮かびますが、楞厳寺の絵は別人。
日本ではカラスは不吉な鳥のイメージがありますが、親孝行な鳥として中国では良く画材に使われました。
南画の流れを汲む日本画で用いられるのも驚くには当たらず、異色の画家と言う程ではありません。
尤もカラスは黒色一色ですが…。
ガイド等には襖絵拝観は要予約とあるので、予め観光案内所から電話を掛けましたが、生憎拝観は無理との事。
境内は自由に拝観出来ますが本堂等も全て外陣からの参拝。
納経所を訪れると、御住職が対応されましたが、御高齢に加え足がお悪いようで、
住職;「このような状態なので、申し訳ありません。」
和辻;「ところで楞厳とはどういう意味でしょう?」
住職;「梵語由来で首楞厳に由来しています。意味は健相でしたかな?」
との話。何事も健康が大切と言う事でしょう。
一禾の襖絵に加え、応挙の流れを汲む天井画があるとは正に応挙ならぬ壮挙。
にも拘らず、襖絵に加え、本堂の天井画も見ることができなかったのは残念ですが、これも仏縁。
「まっ、いっか!」と思う事にしました。

説明書にある鴉の四季襖絵

弁財山の池の近くにある一禾画伯の筆塚

納経所はこちら

楞厳寺説明書
これは駅前観光案内所でも入手できる。

楞厳寺御朱印 (関西花の寺)
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醫王山 多禰寺(真言宗東寺派 西国薬師霊場第三十番札所)
多禰寺の別名は「舞鶴はぎの寺」。
『本堂内には創建時のものとされる「はぎの柱」が今も残る。
その由縁で境内には数十本の萩が植えられ萩の寺として知られる。
石段下の庫裏・方丈には桃山時代作とされる古庭園が残る。
本堂側にある阿字池、山門側にある薬師池を囲む形で、それぞれ蓬莱庭園、鶴亀庭園として造られている。

本堂内の萩の丸柱 (説明書より)
内陣へは入れないので、外陣より参拝。

本堂側にある阿字池
蓬莱庭園として中々【あじ】のある造りである。

山門側にある薬師池
これは北側からの眺望。池の水が少ないのが残念。

薬師池 中央部分

薬師池
これが鶴島か?

薬師池
右が亀島?

島の石灯籠

南側からの薬師池の眺望
もう一つの見所は平安鎌倉期の仏像群。
山門にはかつて金剛力士像が安置されていたが、今は宝物殿に保管。鎌倉時代の慶派の作とされ重要文化財。
高さ3.6mは東大寺南大門、清水寺仁王門の仁王像に次ぐ、日本で三番目の大きさである。
その他にも、普賢菩薩騎象像や聖観音菩薩立像等、平安・鎌倉期以降の文化財も多い。
本堂には丹波・丹後を中心に彫物師として活躍した中井権次一統の六代目正貞の龍や象の彫刻も残る。』
とあります。

山門に置かれた仁王像の巨大写真

本物の仁王像は宝物殿にて

宝物殿の展示一覧

重用文化財・木造金剛力士立像 (説明書より)

平安最古の普賢菩薩像 (説明書より)
本堂内陣へは入れず外陣からの参拝だったので、萩の柱も拝めず仕舞い。
納経所の方に尋ねると、当寺の住職は常駐ではなく、金剛院の住職が市内の観音寺と当寺を兼務して居られるとか。
飛鳥に遡る古刹も時代の流れには逆らえないようです。
その代り仏像は宝物殿に安置され¥500で拝観可能。
本尊は秘仏・薬師如来ですが、より知られているのは鎌倉期の金剛力士像。
お寺の説明書では運慶作とありますが、一般的には慶派の作で通っています。
しかし間近で見た躍動感溢れるその姿は運慶の作と言っても間違いではないように思います。
日本で三番目の規模と言う理由もありますが、東大寺の仁王像と共通するものを感じます。
本来、山門に収まるべきではありますが、保管のために移された場所で、【におう】が如く今盛りなり状態でした。
こうして参拝も終了し、赤れんがパークに12時過ぎに無事帰還。
電車までの空き時間で舞鶴海軍カレーの昼食。舞鶴には10回近く訪れていますが、海軍カレーは初。
これも【運慶】の賜物でしょうか。

薬師池に隣接する方丈
更に左の庫裏へと続く。

参道右手にある弁天池

池の中央に祀られた弁天社

舞鶴海軍カレー&肉じゃがコロッケ
赤れんがパークにて。肉じゃがは舞鶴鎮台であった東郷平八郎の発明。
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軍港都市の一五〇年: 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 (534) (歴史文化ライブラリー 534) 新品価格 | ![]() |

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醫王山 多禰寺(真言宗東寺派 西国薬師霊場第三十番札所)
森林文化園から更に坂を上る事3㎞で漸く寺へ到着。
大浦半島の標高556m多禰山の中腹、海抜330に位置し、
駐車場から道を隔てた展望台からは、舞鶴湾を眼下に望むことができます。
駐車場から少し南へ行った先に建つのが山門。山門の先には参道がある筈ですが全く見えず。
レンタサイクルを借りる際に、案内所の方から
「昔は歩いて行ける参道でしたが、今は獣道です。」
と聞いたその通りでした。

駐車場から進んだ場所にある入口

多禰寺案内図

南から見た山門
かつての参拝者はここを通った筈。仁王像が有名だが、今は宝物館。代わりに写真が掲示されている。

山門前の巨木
縄が張ってあり、昔の参道へは下りれないようになっている。

山門に吊るされた梵鐘

梵鐘の打ち方
地獄の沙汰も鐘(金)次第とは言うまい!

北側から見た山門
このような景勝地に建つ多禰寺は、当地に初めて仏教を伝えた飛鳥時代最古の古刹であります。
醫王山多禰寺(いおうざんたねじ)は、
『用明天皇2年(587年)、聖徳太子の異母弟に当たる第三皇子の麻呂子(まろこ)親王が開基とされる。
この元には大江山の鬼退治伝説がある。
用明天皇の時代、英胡・足軽・土熊(土車)と言う三鬼賊が千丈ヵ嶽(大江山)を本拠として暴れ回っていたので、
天皇は麻呂子親王を派遣して彼らを退治させた。親王は退治するに当たり、
自ら7体の薬師如来像を刻んで護持仏とし、鬼退治の後、それらの薬師如来を納める7寺を建立。
大江町の清園(せいおん)寺、加悦町の施薬寺、弥栄町の等楽寺、丹後町の願興寺・神宮寺・成願寺、
それと舞鶴市の多禰寺である。加えて大江町の元伊勢内宮・外宮も親王の創建との説もある。

参道を抜け境内へ

石段を上り本堂へ

石段下にある多禰寺御詠歌

正面に建つ本堂(金堂)

境内全景
左より寺務所、宝物殿、本堂。

本堂は京都府指定文化財
親王は薬師瑠璃光如来を本尊に世の平和、鎮護国家の道場として当寺を創建。
往時は七堂伽藍の甍が山並みに映え、七佛薬師の霊場として香煙が絶えることなく、
門前市が軒を連ねる賑わいであったと言う。
平安時代に栄えた当寺も栄枯盛衰の波は免れず、鎌倉・室町時代の戦乱で崩壊。
しかしかつての壮観さはないものの七佛薬師の信仰は厚く、今に至るまで
目と耳に御利益のある仏として敬われ慕われている。
本堂は文政7年(1824年)の再建。本尊・薬師如来坐像を中央に、両脇には日光・月光菩薩と十二神将、
不動明王と毘沙門天が祀られている。
薬師如来は秘仏で厨子内に収められているが、特別な法要の時のみ開帳される。』 とあります。

向拝柱

下から見上げた向拝

本堂前面
内陣へは入れず外陣より参拝。

欄間の龍の彫刻

本堂に掲げられた「瑠璃殿」の扁額
開基の麻呂子親王ですが、以前参拝した丹波竹田の清薗寺にも登場する人物。
父である天皇の【用命】ですが、ここでも鬼退治が登場します。
注目すべきは大江山の鬼退治。大江山の鬼退治と来ればすぐ思い浮かぶのは
源頼光と四天王に拠る酒呑童子伝説で、時代は平安時代。
共通点が多い伝説がある場合、歴史学的には加上説という便利な説があり、
古いもの程、後世に付け加えられた(加上)可能性が高いと考えられます。

宝物殿前から見た本堂

本堂東側側面

境内東側にひっそりと建つ観音堂

朱の鳥居を潜り境内の摂社へ

熊野権現(左)と稲荷明神

灯籠と宝蔵
宝物殿には北郷美智子さんが描かれた仏画が展示されていますが、彼女の本姓は多禰。
加えて境内には多禰一族の墓所もあって当寺との関連が示唆されます。まさに【目から麻呂子】。
想像するに元は多禰氏が創建した丹後屈指の古刹でしたが、後世に中央との関係を強めるために、
飛鳥時代の麻呂子親王を開基に頂くようになったのではないでしょうか?
そう言う意味で、古代氏族の蒔いた種は、後世大きく開花したと言えるでしょう。

多禰家先祖代々の墓
他の墓地とは区別された一画にある。

境内に建つ句碑

多禰寺説明書

多禰寺御朱印 (西国薬師霊場)
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【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部() → JR綾部(8:25→8:51) → JR東舞鶴(9:20)
JR東舞鶴 → 徒歩10分 → 赤れんがパーク → レンタサイクル50分 → 多禰寺 → 赤れんがパーク → JR東舞鶴(13:21)

醫王山 多禰寺(真言宗東寺派 西国薬師霊場第三十番札所)
写真は寺院へ向かう途中のブリッジ上から見た舞鶴湾。
春の18きっぷ最終は桜も未だ残っている丹後の舞鶴へ古刹巡礼。
『舞鶴湾は人字形をしており、西港と東港に分かれている。
江戸時代の西港は田辺城下の田辺湊として栄え、高野川河口の竹屋町を中心に藩内各地の物産が集まった。
現在も竹屋町あたりの両岸には当時の面影を残す倉庫群が残る。
東港も志楽川河口の市場などが北前船の寄港地となったが、西港程の賑わいは無く、寒村の趣が強かった。
明治になると西港は商港として、東港は軍港として繁栄。明治22年1889年には舞鶴鎮守府の設置が正式に決定、
東港の余部下・長浜・北吸・浜の一帯が国に買収され海軍施設の建設が行われ、軍港都市舞鶴の礎が築かれた。

舞鶴赤れんがパーク遊覧船乗場にて
前に見えるのは海自護衛艦。
一方、西港は民間に開放され1904年に海舞鶴駅ができると若狭・丹後と境港を結ぶ鉄道連絡船の基点となり、
宮津に鉄道が開通する大正13年(1924年)まで続いた。
1906年にはウラジオ航路の寄航港となったのを始め、七つの定期航路の寄航港となった。
昭和18年(1943年)には西港も軍港となっている。
太平洋戦争後、舞鶴港は引揚港に指定され、昭和20年(1945年)10月7日に第一船の雲仙丸が西港に入港。
ソ連からの引揚が始まった1946年12月からは、東港の平桟橋が使用されるようになり、
延べ66万人の人々が祖国への第一歩を記した。
現在も海上自衛隊の軍港として使用されている他、赤レンガや隧道など旧海軍の施設を利用した
観光地として新たな歩みを見せている。』 とあります。

赤れんが2号棟と4号棟の間を行く若き自衛官
訊いた所、新人研修のため全国から自衛官が集まっているとか。
駅から徒歩10分の舞鶴赤れんがパークは旧海軍の火薬庫を利用した施設で重要文化財。
市政記念館、食事処や土産物店が入っていますが、港に隣接しており掃海艇や護衛艦を目にすることができます。
ここの案内所でレンタサイクルを受付。
受付嬢;「どちらまで行かれます?」
和辻;「引揚記念館の先の多禰寺と言うお寺です。」
受付嬢;「あそこは見晴らしのいい場所ですが、山の中腹なので電動がいいでしょうね。」
との遣り取りを経て電動を借りる事に。

舞鶴湾に沿って桜に囲まれた21号線を走る
左に続くのは海上自衛隊舞鶴教育隊。

桜並木をひたすら北へ
舞鶴は古来より知られた天然の良港ですが、港は船での移動がメイン。
陸伝いに移動するのに向いているとは言えません。
地図を見ると駅から直線距離だと近そうですが、海岸線が大きく膨らんでいるので、
結構な距離を走る羽目に。
海沿いに自衛隊の施設、日本板硝子事業所があり、道には桜並木が植えられて居て桜吹雪の中を走る事に。
引揚記念館まで6㎞、そこから橋を渡って坂を登って森林文化園まで5㎞。
途中、湾を跨ぐ橋を越えましたが、その名前は舞鶴クレインブリッジ。斜張橋で日本海側では最大級とか。
二羽の鶴をイメージして設計されたそうで、クレインは鶴を表す英語でもあります。

遥か向こうに見える舞鶴クレインブリッジ
目指す寺院は向こうの山腹。ショートカットのためこの橋を自転車越えすることに。

間近で見るブリッジ

いよいよ橋を渡る
写真の様に車や人は少ないが、高さが半端ではない。

ブリッジ上からの舞鶴湾の眺望
中央奥が東舞鶴港。

橋を渡って北側から見たブリッジ
橋を渡ると人家が減り、日本の里山風景を横目で見て森林文化園へ。
紫陽花の名所だそうですが今は休園中。
コロナのためか、紫陽花期間限定開園かは定かではありませんでした。
更にそこから3㎞行った先が目的地、片道14㎞の道のりでした。
今は電動で比較的楽に移動できますが、昔の人達は【伝道】にも苦労したのでしょうね。

橋を渡った後は、自然文化園までこのような里山風景を行く

休園中の森林文化園から更にこの道を西へ3㎞

やっと着いた寺院前の駐車場からの眺望
はるばる来にけるかな!
[参考書]
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【往路】JR大阪(6:00) → (快速) → JR姫路(7:30→7:31) → JR東岡山(8:57→9:07) → JR大富(9:14)
JR大富 → 徒歩15分 → 餘慶寺 → 豊原北島神社 → 徒歩15分 → JR大富
【復路】JR大富(11:17) → JR播州赤穂(12:09→12:10) → JR姫路(12:40→12:41) → (新快速) → JR山科(14:21)

豊原北島神社(旧郷社)
神社入口にて。左奥に見えるのが薬師堂。
諸堂が甍を連ねる当寺ですが、境内に隣接してあるのが豊原北島神社。
他にも愛宕社、日吉社などの小さな社も並びかつての神仏習合の伝統を残しています。
神社が建つのは境内の最奥の薬師堂の直ぐ脇。
この位置関係を見るだけでも、かつての神社と神宮寺の関係にあったと知れます。
唯、隣接するとはいえ、桜に彩られ日光が燦燦と降り注ぐ餘慶寺とは対照的に、
樹木に囲まれ静寂に包まれた場所。
豊原北島神社(とよはらきたじまじんじゃ)は、
『飛鳥時代の舒明天皇6年12月、山上の磐座に奉祀したのが開創。
延喜式外の古社旧郷社で、以来備前国屈指の古社として崇敬。

豊原北島神社由緒

二の鳥居
一の鳥居と言いたいところだが、境内南端にあるのが一の鳥居の筈。

二の鳥居に掲げられた扁額

いよいよ社殿の建つ境内へ
手前の注連縄は結界を表す。

境内を囲む塀の手前は杉木立と杉苔が
平安時代は近衛院殿の祈願社、豊原荘の鎮守として繁栄。
源平時代の佐々木盛綱は藤戸合戦奉斎に大鎧等を奉納、
南北朝時代は児島高徳の一族和田射越氏等が氏子から興った。
江戸時代は備前岡山初代藩主池田光政公に拠って中世以来習合の社寺は分離されて旧に復し、
社領寄進・社殿造営が行われた。そのため明治の廃仏毀釈の際には大きな影響を受けず、
7院2坊から6院を残す事に繋がり現在に至っている。』 とあります。

境内から参道を振り返る

正面から見た拝殿

拝殿の庇
丁度、宮司さんが出て来られたところ。

拝殿奥に続く中門(神門?)と本殿

中門近影

本殿近影
開創は寺よりも更に100年前。由緒記にあるように、山上の磐座に【いわく】らがありそうな、
古代の巨石信仰の名残を感じました。
境内を進むと正面に拝殿が建ち、向かって右が社務所。
建物自体は真新しいですが人気はなく、ここも無住で御朱印は無しかと思いましたが、
拝殿前に書置きが置かれ「御朱印料金¥300は賽銭箱に入れて下さい。」との貼り紙が。
料金を入れようとすると拝殿内陣に宮司さんともう一人の姿が見えたので声掛けして料金を手渡し。
無人と思った己の無知を反省です。

境内に置かれた力石(ちからいし)

力石の由来

神社境内から見える餘慶寺堂宇

豊原北島神社御朱印
太平記にも登場する忠臣・児島高徳所縁の場所と言うのも意外で、
境内に児島高徳供養塔がある理由にも納得しました。
高徳は美作の院庄での後醍醐天皇奪回計画が有名ですが、不明な点も多く非実在説もあるとか。
唯、当社の氏子に一門が名を連ねている事から、全くの架空の人物ではなさそうな気がします。
奪回に失敗した高徳が、行在所の庭の木を削って
天莫空句践 時非無范蠡
と書いたのは戦前の教科書にも載った有名なエピソードですが、その木が桜だったのには
桜の名所として知られる餘慶寺との浅からぬ因縁を感じます。

児島高徳供養塔
参道左手、明王院横に建つ。

供養塔建立の由来

児島高徳と和田範長の名が刻まれた供養塔基部

供養塔台座にある児島・和田一族系譜
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
恵亮院山門前にて。寺標には「天台宗 恵亮院」とある。
南北に続く餘慶寺参道途中から西へ入ると塔頭が三院並びますが、
一番奥まった場所に建つのが恵亮院(けいりょういん)。
山門を入った先には蘇鉄が植えられ、玄関は唐破風、塀に囲まれた先の石組みの庭園は
共通ですが、他院との相違点は庭園に入って拝観できる事。

山門からの境内の眺望

本堂玄関の唐破風

境内の前栽と庭園への中門
左手奥には吉井川が遠望できる。

庭園へ中門を潜る
『恵亮院の庭園に置かれていたのが巨大な手水鉢。かつて和田屋敷にあったものを
享保年間に和田兵六が当院に寄進したもの。
また庭園と境内を隔てる塀に欄間彫刻があるのは「透かし欄間の塀」。
装飾と同時に座敷に居ながらに門外の様子が伺える造りになっている。』 とあります。

中門から見た庭園

恵亮院本堂

和田屋敷から寄進された巨大手水鉢
最初は装飾とばかり思っていましたが、外を伺う仕組みとは【門外】漢には分かりませんでした。
【門外】不出の情報を漏らさない役目もあったのでしょうが、開かれた寺院とは言うものの、
徹底した情報管理を行ったのは流石。怪盗【欄間】を断つといった所でしょうか?

塀脇の石灯籠

中門扉の「松に鶴」の透かし彫り

同じく「松に亀」の透かし彫り

塀瓦の直ぐ下の透かし彫り
ここを通して外部を伺ったか?

細道を上って再び参道へ戻る
庭園を見学後は参道へ戻って北へ向かいますが、最も北側にある本乗院へ。
丁度、寺院の方が境内の手入れをされている時に遭遇。
他院と違い参道が長く砂が敷かれていたのが印象的でした。
この院だけ離れているのが不思議ですが、かつては間にも院があった名残でしょうか。
と言う訳で、現存する六院全て参拝修了。余計ならぬ【余景】寺と言うに相応しい場所でした。

本乗院入口

砂が綺麗に敷かれた参道

本乗院玄関と本堂
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
餘慶寺は一山一寺多院制という珍しい伽藍構成を採っていると以前に記しましたが、
『最盛期には7院13坊が山内に存在。現在その数は減ったものの、恵亮(えりょう)院・本乗(ほんじょう)院・
吉祥(きちじょう)院・定光(じょうこう)院・明王(みょうおう)院・圓乗(えんじょう)院の支院6院が現存している。』
とあります。

明王院山門前
閉門中のため外観のみ。

吉祥院山門前にて

山門から見た吉祥院境内

吉祥院本堂?

本堂玄関だがここは閉鎖中

玄関脇の塀の向こうは庭園が…。
但し、ここも拝観はしていない。

吉祥院玄関前から山門を望む

吉祥院境内の山茶花

餘慶寺参道の白壁越しに見た吉祥院
御朱印拝受の際に
和辻;「境内に塔頭があるようですが、拝観はできるのですか?」
住職;「門の開閉はまちまちですが檀家寺という扱いなので、拝観という形は採っていません。」
との返事。但し、開いた山門から内に入るのに問題はないとの事でした。
本堂・薬師堂参拝の後、駐車場まで下って塔頭巡り。
最初に訪れた明王院は閉門中だったので、期待薄でしたが、他の5院は全て開門中。
境内を拝見することができました。

参道から西向きの道へ入ると塔頭が並ぶ


圓乗院境内の様子
玄関は唐破風、塀の向こう側にも庭園がある。

圓乗院玄関先にある前栽

塀越しに見た圓乗院庭園

塀越しに見た圓乗院庭園
同一の山内、宗派なので雰囲気が似ているのは驚くに値しませんが、
山門を入った先には蘇鉄が植えられ、唐破風のある玄関はほぼ共通。
そして塀に囲まれた先に石組みの庭園が見えます。庭園は入る事はできませんが、
どこも丁寧に整備されており、京都の寺院ならば絶対に期間特別拝観をしそうな感じでした。
来る人少ないからかは不詳ですが、それをしないのは素朴な信仰の心故の気もします。

更に西へ坂を下る
遠方に見えるのが吉井川。

定光院山門

定光院玄関と奥に見える聖天堂

玄関の唐破風

定光院書院

聖天堂前の石組みの前栽

前栽と聖天堂
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
本堂の北にある高台には、三重塔と薬師堂を始めとする堂宇が並びます。
『三重塔は旧塔跡に再建されたもので、西幸西村、草井幸右衛門の私財に拠り、
六年の歳月を掛け文化12年(1815年)に完成。
方三間、本瓦葺、総高20.6mの江戸後期の伝統的な塔の形式に従った作風である。
棟札には工匠として宿毛村の田淵市左衛門繁数と田淵宇三郎勝孝の名が残され、
近世邑久大工の系譜や建築様式を知るうえで貴重である。

岡山県指定重要文化財・三重塔

三重塔近影

三重塔説明

塔の欄干、垂木

旧塔の礎石
境内の最も奥にある薬師堂は古くは山の麓にあったと言われる御堂。
享保19年(1734年)の再建棟札が残っており、他の堂宇と比べて簡素な印象を受ける。
本尊は中国地方を代表する傑作とされる薬師如来坐像で平安時代の一木造りで重要文化財。
この本尊を中央にして向かって右に聖観音菩薩、左に十一面観音菩薩が並ぶ。
聖観音菩薩は本尊と同時期の平安前期の作で重要文化財、
十一面観音菩薩は時代が下って平安後期の作である。
薬師如来を祀るため正面の扁額には「醫王窟」と記されている。
古来より眼病など病気平癒の信仰を集め、江戸時代には朝観音、夕薬師と言われる程信仰された。

境内の北端に建つ薬師堂
手前は「遊慶の庭」と呼ばれる本堂から薬師堂への石組み。

薬師堂由緒

薬師堂の外陣部分

当寺所有の文化財仏像
八角堂は開山報恩大師を祀る堂。報恩大師は備前国津高郡波河の生まれ、
15歳で日応寺に入り30歳で吉野山で修業したとされる人物で、備前四十八ヵ寺の建立を始め、
備前・備中の古刹の多くの縁起に名が残される人物。堂内格天井には花の絵が描かれている。
また本堂から薬師堂へは、作庭家・重森三玲氏の弟子である岩本俊男氏に拠り石組みが組まれ、
「遊慶(ゆうけい)の庭」と名付けられている。』 とあります。

開山・報恩大師を祀る八角堂

八角堂内陣

八角堂内陣の格天井(ごうてんじょう)の花の絵

八角堂に続く十三仏堂
亡くなった方の供養のために十三仏の写経を納めることができる。

本堂から薬師堂へと続く「遊慶の庭」
本堂前のこの場所から始まる。

薬師堂前の「遊慶の庭」
餘慶寺を代表する建造物が三重塔ならば、代表する仏像は薬師如来と言えます。
本堂の御本尊が秘仏である事、観音信仰よりも薬師信仰の方が古い事に拠ると言えましょうか。
唯、池田のお殿様の病気治癒に験があったのはお薬師さんではなく観音様なのが不思議です。
幸運にもこの日は薬師如来阿を無料で特別拝観できる日でしたが拝観は11時開始。
夕方の京都での会合に間に合うためには11:17分に乗車しなければならず、なくなく諦め。
納経所で頂いた案内書には「毎年10月に寺宝展が開催され多くの仏像・仏画が公開」とあったので、
寺宝は【次訪】に持ち越しとなりました。

薬師堂前から南を見た所
三重塔と本堂が続く。右側が八角堂。

薬師堂西側にある山王社(手前)、愛宕社(奥)
[参考書]
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上寺山 餘慶寺(天台宗)中国観音霊場第二番札所 山陽花の寺第十六番札所)
納経所からは、弁天池越しに鐘楼・地蔵堂・本堂が甍を連ねた姿が見えます。
上寺山餘慶寺(うえてらさんよけいじ)は、
『天平勝宝元年(749年)、報恩大師に拠り、備前四十八ヵ寺の一つとして開創。
東方の山から昇る太陽を拝する霊地として、古くは日待山日輪寺(にったいさんにちりんじ)と称した。
平安時代前期に慈覚大師円仁が再興し、自刻の千手観音を祀って本覚寺と改称。
平安後期には近衛天皇の勅願所となり上寺山餘慶寺と改められた。
唯、山号寺号を改めた時期を特定できる資料は見つかっておらず、応仁文明の乱頃とも推測される。
尚、餘慶とは「積善の家には必ず餘慶あり」と言う「易経」の文句に由来する。
源平の争乱により焼失したが、赤松氏や宇喜多氏に拠り徐々に再建。
江戸時代には池田藩主の帰依を受け隆盛。最盛期には7院13坊を数えたとされる。

納経所からの諸堂の眺望

南側から眺めると堂宇が一直線上に並ぶ
手前から鐘楼、地蔵堂、本堂、三重塔、薬師堂。
1270年余りの長い歴史を刻む当寺は貴重な文化財を有する事でも知られる。
重要文化財の本堂(観音堂)は永禄13年(1570年)に建立、正徳4年(1714年)に再建されたもの。
室町末期の密教本堂の特色を色濃く伝えている。
内陣には本尊で秘仏の千手観世音菩薩が祀られ33年に一度の御開帳。
「東向き観音様」として多くの霊験を表して来たと伝えられるが、
中でも岡山藩主・池田継政公に関わる言い伝えが有名。

重用文化財・本堂(観音堂)
東向き観音を祀る。

室町末期の密教建築の特徴を持った本堂

本堂説明書き

本堂正面の向唐破風は江戸後期に付け加えられたもの

向拝と欄間彫刻

向唐破風の屋根の構造
継政公が江戸在勤中に重病に罹った折、夢枕に千手観音が現われ、
「吾は国元、備前の東向き観音なり。病苦を逃れんとするならば、悩む心を祈る心に改め、篤く吾を祈れ」
と告げた。そこで備前の国中を探した所、上寺山に東向きの観音様があるのが分かり、
祈願すると忽ちに病気が治癒したと言う。
この霊験で救われた謝意として、継政公が奉納したと言う直筆の扁額が外陣に掲げられている。

本堂内陣の様子
御本尊の千手千眼観世音菩薩は秘仏。

本堂前から北の薬師堂を見る

本堂の手前には平成14年に中国普陀山から勧請した東向き観音様が

東向き観音由緒

千手観音様近影

北側から見た本堂側面
本堂に隣接するのはかつての十王堂を平成元年に再建したもの。
本尊に地蔵菩薩を祀る事から地蔵堂と改称した。併せて祀られている十王は地蔵菩薩の化身と言われ、
人の死後には忌日にそれぞれの王が裁きをし、亡者を導くとされる。

地蔵堂

地蔵堂由緒
その南にある鐘楼に吊るされているのは「上寺の晩鐘」として知られる梵鐘。
銘文に拠れば、戦国時代の元亀2年(1571年)に明国人が豊後府中の惣道場に寄進したもので、
九州に遠征した宇喜多秀家が戦利品として持ち帰ったと伝えられる。』 とあります。
慈覚大師の自作の真偽はさておき、古いものは御本尊ですが生憎秘仏。
それよりも注目すべきはいつも眺める事ができる梵鐘の来歴。
戦利品として千里の道を来た梵鐘ですが、宇喜多秀家が【凡将】でなかった証と言えそうです。

寺標の先に建つ鐘楼

鐘楼近影

数奇な運命を辿った梵鐘

梵鐘由緒

鐘楼と地蔵堂
堂宇が連なった光景は古刹の雰囲気十分ですが、建造物自体は新たな再建もあって古式に則った復元と言えます。
桜の名所の当寺ですが、最近は蓮の花も楽しめるようにと本堂前には蓮の鉢上が並びます。
これは本尊の千手観音菩薩が蓮華王菩薩と呼ばれる事に因んだもので、赤・白・黄の色彩が境内を彩るとか。
桜だけなら春の一週間だけですが、年間通しての【四季彩】に変わりつつあるようでした。

本堂前の石組み
赤(紅)い石は紅鎭(こうてん)石と呼ばれ厄災を鎭(しず)める効果があるとされる。緑石は波を表すか?

本堂東側にある弁天社
向こうに見えるのが納経所である餘慶寺会館。

本堂から薬師堂への石組は「遊慶の庭」と名付けられた

餘慶寺御朱印 (中国観音霊場)

頂いたお札
これが秘仏の御本尊。
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