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神宮山 岩王寺(高野山真言宗)
茅葺の本堂参拝の後は、後方に建つ庫裏へ。住職の住いですが現在は無住で、
午前中に訪れた東光院の御住職が兼務されているのが実情です。
『本堂右側には熊野大権現が祀られた鎮守堂が建つ。
更に本堂の奥には庫裏があり、持仏に大日如来・弘法大師・空也上人が安置されている。
持仏前には龍虎の襖絵があり貴重なものとして評価される。
鎮守堂・庫裏共に江戸時代のものである。

本堂左側から庫裏へと続く参道

庫裏と前栽

本堂裏手より塀越しに見た庫裏

一際目を惹く前栽の紅葉

庫裏全景

庫裏玄関
「かやぶきの山寺」の看板が…

玄関脇にある岩王寺と前庭の説明
本堂裏、庫裏の前庭は岩王寺石を適所に配した流れ山水の小庭。
庭師による作庭ではなく、江戸時代末期の当山住職の指図で作られたものであるが、
格調ある庭として高く評価されている。
またこの庭は茅葺の本堂や庫裏、四季の花とも良く調和する優雅なものである。』 とあります。

庫裏玄関から前栽越しに見た本堂

玄関脇の止まっている鹿威し

庫裏玄関より見た前庭(枯山水の庭)

庫裏縁側から見た前庭全景

奥より見た前庭

前庭左側の石組み

縁側から見た石組み
石組みは滝を表す?
庫裏は古風な造りですが、人が住んでいてもおかしくない状態。
それにも拘らず無住なのは周囲に人家がないからでしょう?
玄関先にあった鹿威しも、水が流れず止まったまま。これでは虚仮脅しにしかなりません。
無住のため庫裏には勿論入れず、持仏前の龍虎の襖絵も拝めず仕舞いだったのが残念でした。
無住とはいえ伽藍に加えて庭園まで整備されているのは、かつては勢力を誇った何よりの証拠。
貴重な岩王寺石を庭に配置した事からも伺えます。
しかし戦国末には七百石の寺領が無くなり、明治以降には硯の原石も採れなくなりました。
米と硯という二石が消えたのが痛手だったようですが、それでも庭石を売ったりしなかったのは不幸中の幸い。
今後の寺院のあるべき姿に一石を投じる事が出来れば良いですが…。

前庭越しに見た本堂

塀越しに見る本堂

玄関脇の楓
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神宮山 岩王寺(高野山真言宗)
舞鶴自動車道を過ぎて300m程行った先にある七百石(しちひゃっこく)町は旧岩王寺村。
この集落から北へ坂を400m上った標高300mの岩王寺山の中腹に建つのが岩王寺。
参道を上り切った先の右手の階段上に、茅葺の山門・本堂が並びその奥に庫裏が建ちます。

境内にある岩王寺縁起
神宮山岩王寺(じんぐうさんしゃくおうじ)は、
『嵯峨天皇より百年後の天暦3年(949年)、都の聖、空也上人がこの地を訪れて
石王子石の産出される傍らの台地に自ら一寺を建てたのが嚆矢。
その際に嵯峨天皇の御言葉をそのまま寺名としたが、
そのとき石よりも岩の方が「ガン」としているので文字は岩王寺と記し、
発音は天皇の御言葉そのままに「しゃくおうじ」とした。これは現在に至る迄変わる事がない。

石段の先に建つ茅葺の仁王門
江戸時代の作で、京都府の登録文化財。

仁王門の奥に見える本堂
仁王門・本堂・庫裏が一直線上に並ぶ。

仁王門右側の阿像

仁王門左側の吽像
盛時には寺僧百人、寺領七百石。これが今の地名の由来である。
山陰随一の聖地にして顕密道場として繁栄、参詣の人々が後を絶たなかった。
その後、衰頽したが、建武元年(1334年)足利尊氏挙兵の際、
上杉兵庫入道の命で戦勝祈願をしたため、その功に拠り田地二町歩を寄進された。仁王門の
しかし豊臣秀吉が天下を平定するや寺領を悉く消失。以後、寺領落失状態で今日に至る。
享保3年(1718年)には住持秀蓮(しゅうれん)が堂宇の修復に尽力している。

仁王門の柱の組物

蟇股の上の龍の彫刻

蟇股には象の彫刻

蟇股の獅子の彫刻

蟇股の鳳凰の彫刻

仁王門軒下の組物

仁王門の屋根裏と茅
階段を上った先の仁王門は三間一戸八脚門で茅葺。
江戸時代の再建で、中には金剛力士像を安置している。
仁王門を抜けた先の正面に建つ本堂も仁王門同様の茅葺。
本尊薬師如来と日光・月光菩薩、その左右には十二神将が安置され、
本尊と共に如意輪観世音菩薩も祀られている。但し、本尊は秘仏である。
享保年間の造営と考えられ、桁行三間、奥行き三間、寄棟造で
正面右上には瑠璃殿と書かれた岩王寺石が掲げられている。

仁王門下からの本堂の眺望

茅葺の本堂
仁王門と並ぶもう一つの茅葺で、京都府の登録文化財。

本堂近影
本尊薬師如来、左右の日光・月光菩薩と共に如意輪観世音菩薩も祀られている。

正面から見た本堂
但し内陣へは入れず、参拝は外陣から。

本堂は江戸期の再建

岩王寺由緒
また本尊の前机である寺宝の「髹漆卓(きゅうしつたく)」は国の重要文化財。
銘に拠り永享4年(1432年)に僧祐喜が施入した事が判明する。』 とあります。
石の寺と銘打ったにしては、仁王門に加え本堂も茅葺。
江戸時代ならば普通でしょうが、いまは維持管理も大変だろうと想像します。

本堂前面

本堂の屋根裏と蝦虹梁

本堂より参道と仁王門を見返る

岩王寺説明書 東光院にて入手

岩王寺御朱印
東光院にて拝受。

本尊の前机である寺宝の「髹漆卓(きゅうしつたく)」は国の重要文化財
現在は奈良国立博物館蔵となっている。

「髹漆卓」の説明
当寺は人里離れた緑の奥に建つ古刹。先に参拝した東光院とは異なり、
花や風鈴に囲まれていり訳ではありませんが、周囲と非常に調和したお寺と言った感じ。
玄人好みの侘び寂びの寺院といえましょうか。

本堂後方に吊るされた駕籠
かつては住職が使用した物か?

本堂側面

本堂脇の熊野権現社
ここは茅葺ではなくトタン葺き。
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神宮山 岩王寺(高野山真言宗)
お蕎麦の昼食後は道路をひたすら東へ向かいインター越え。
七百石という地名が見えたら岩王寺もすぐ?そば。
岩王寺と書いて「しゃくおうじ」と読むのは特殊ですが、それには次の様な経緯があります。

485号線沿いにある七百石バス停
但し、岩王寺はここから更に北に1㎞。
『平安時代初期、この地で採れた石で硯を造り嵯峨天皇に献上。
空海・橘逸勢と共に日本三筆の一人であった天皇はこの硯を非常に好み愛用。
「石の王子であるべし」と絶賛された天皇は石王子と書いて「しゃくおうじ」と発音された事に由来する。
その百年後、空也上人がこの地に堂宇を建立した際に、天皇の御言葉をそのまま寺名としたが、
そのとき石よりも岩の方が「ガン」としているので文字は岩王寺と記し、
発音は天皇の御言葉そのままに「しゃくおうじ」としたのが始まりである。

寺院への坂の入口にある案内板と楓

入口に建てられた岩王寺由緒記
同様の内容は
「丹波の国石王子山に硯石あり、黒色にして白筋あり、その筋陽樹の如く、
すすきの如く、或いは竹の画に似たり、甚だ上品の硯なり。
本朝硯石諸州に出づといえども、文字ヵ関・石王寺に及ぶものなし。
伝え言う嵯峨天皇の勅に石の王子なるべしとて石王子と名づけ給うと。
今の世当山に入ることを禁ず。甚だ得がたく稀にあり、価貴し。」 と 『雲根志』 にある。

寺院へと向かう杉木立の坂道

坂の向こうに階段を仁王門が見える
往時には硯に作る岩王子岩を岩王寺の奥より産し、
その名は天下に広く知られ、この石で作った硯を愛用している書家も多い。
岩王子石の名声は広辞苑にも載るなど今に伝えられているが、
明治維新後の山崩れに拠って今は産出せず、『幻の名硯』 と呼ばれる。』 とあります。

石段とその先に建つ茅葺の仁王門
寺号に岩や石があれば、かつての磐座信仰の名残りかと想像しますが、
当寺の場合は石は石でも硯の産地が理由でした。石を意図的に岩に変えたものの、
発音は嵯峨天皇の御言葉を変えなかったというやや複雑な経緯。
それ程、帝の権威が【ガン】として高かったのか、臣下の【さが】なのか、
【しゃく】に触ったのかは分かりませんが、結果的にはこの読み方が、
世間に広く知られる契機になった気がします。

萩の庭園越しに見た仁王門・本堂、右は鎮守社の熊野権現

仁王門脇の萩の庭園

萩近影
三筆に関しては、空海には
・弘法も筆の誤り
・弘法筆を選ばず
という格言がありますが、他の二人に関しては寡聞にして聞きません。上記の話からは、
・天皇硯を選ぶ
となります。
いずれが正しいかは【三筆】両論あるでしょうが、書道を体験した身には、
筆や硯が悪いと立派な字は書けないと聞いていますので、嵯峨天皇の方が正しいと言えそうです。

綾部の古木サンシュユ
熊野権現前に生える。

サンシュユの説明
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そば処 あじき堂
東光院拝観後は、北東へ10㎞以上離れた岩王寺へ向かいますが、生憎そこは無住。
案内所で確認すると東光院の住職が兼務しているので御朱印の有無を確認すると、
快く引き受けて下さり説明書も頂きました。
御朱印だけならもう行く必要もない訳ですが、巡礼なので参拝は必須。
普通なら駅まで戻って舞鶴線沿いに北上ですが、別の野暮用で西から北へ大回りしてからの参拝となります。
途中、物部・志賀郷と進みますが、平地ながら人家が少しあるだけ。
かつては栄えた集落だったのでしょうが、鉄道・高速から離れたためにこれ以上の人口増がなかったと思われました。

豊里郵便局 ; 私市丸山古墳、綾部ふれあい牧場、風車
物部郵便局 ; 神浪山、犀川、栗、鮎

梅迫郵便局 ; 秀峰・弥仙山、黒谷和紙、安国寺の重文・木造地蔵菩薩半跏像
綾部岡安郵便局 ; 綾部工業団地、太刀振り、太鼓踊り

吉美郵便局 ; 市天文館・パオ、市木・松、市花・梅
綾部大島郵便局 ; 市天文館・パオ、平和の塔、新綾部大橋
そんな農村地帯を走っていると何ヵ所かで 「志賀の七不思議」 の看板が目に入ります。
「ナナフシなら居るやろうけど、七不思議とは何やろ?」
と不思議でしたが、郵便局で押印した風景印がまさにその七不思議。
局員さんの話では、
古代に鬼退治をした麻呂子皇子が志賀郷内の五社を崇拝し、彼の子孫がそこに植えた
5種類の植物(竹・茗荷・柿・藤・萩)と元あった二つの松が奇瑞を起こした、と言うもの。
ここに登場する七不思議は全て身近な植物。勝手な想像が許されるならば、
普段とは異なった自然現象を七不思議として創作。
そこに兵庫県丹波竹田の清薗寺の麻呂子皇子を再登場させた訳ですが、
県が違うとはいえ同じ丹波で直線距離も近い場所なので、うってつけだったようです。

志賀郷郵便局 ; 志賀の七不思議である松・筍・茗荷・柿・藤・萩を描く
さて郵便局で押印したのはお昼時。そろそろ昼食といきたいですが、
このような場所に果たしてあるかと思い尋ねると直ぐ南にお蕎麦屋さんがあるとの情報が。
そこへ向かうと古民家を改装というよりもそのまま使った「そば処 あじき堂」があったのでそこで昼食。
【あじき】ない昼食にならずに済んだのは幸いでした。
とろろそばと炊込みご飯を注文して、〆は蕎麦がきに綾部の蜂蜜をかけた団子と蕎麦茶。
普通の蕎麦茶と違う味でしたが、伺うと韃靼蕎麦いう種類。そう【だったん】か!と納得した次第です。
車も人も少ない場所でしたが、お店は結構な込み具合。
何でも少し離れた場所にはうどん屋さんやカフェもあるそうで、私にはそっちの方が不思議でした。

そば処 あじき堂
赤い自転車はこの日の相棒

とろろそば&炊込み御飯

蕎麦茶&そばがき団子
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菅谷山 法隆寺 東光院 (書院内部)
参拝を終えて紫陽花・風鈴を堪能したあとは、書院で休憩。
風鈴祭りの拝観料は¥300ですが、冷茶・お菓子付きとなっているので、実質的には無料みたいなもの。
拝観者にとっては嬉しい限りですが、お寺の運営は大丈夫なのかとチョット気になります。

境内から見た書院

書院の軒先にも風鈴が

書院入口から風鈴棚と本堂を見る
境内から見た書院は受付、寺務所も兼ねており、風鈴を眺める事ができるように戸も開放。
一見しただけでは書院には見えませんが、中に入ると紛れもない書院。
これも遊び心の一つでしょうか?
書院の内陣は席が用意され、境内の風鈴を眺めながらの一服でした。
内陣を見渡すと正面の本尊前には御簾が掲げられ、高貴な気持ちになります。
また最奥は写経場で狭いながら水墨画に囲まれていました。

入口を上がった場所から書院を見渡す
左に置かれた床几と座布団で庭の風鈴を聞きながら一服する。

書院の御本尊前に提げられた御簾

書院の欄間彫刻

書院天井から吊るされた風鈴
扇風機で風を送っている様子。

書院最奥の写経場

拝観券と冷茶引換券

冷茶と地元の銘菓
どちらもさっぱりとした味わい。

冷茶で一服しながら風鈴を愛でる
毛氈の上の、団扇と豚の蚊取り線香の取合せが面白い。

紫陽花越しに本堂を眺める
そしてふと入口正面を見ると、鴉の襖絵が四幅。
落款を見ると「一禾」と読めそうなので、御住職に尋ねる事に。
和辻;「この絵は長井一禾(ながいいっか)ですか?」
住職;「はい、長井一禾の作です。」
和辻;「楞厳寺の襖絵と同じ画家ですよね。ここに来られたのですか?」
住職;「来歴は不明ですが、一禾の作なのは間違いありませんね。」
和辻;「鴉の図案は同じですね。」
住職;「楞厳寺さんは春夏秋冬各四福ですが、ここは各一幅ですが…。」
枚数は少ないとはいえ、歴とした一禾の真筆。前調べではどこにも記載はなく、思わぬ邂逅。
御願いすると間近で拝観でき、写真撮影もできました。
4月に楞厳寺に参拝しましたが、御住職の体調が思わしくなかったので、結局襖絵は拝観できず。
今回同じ綾部市内で、眼にすることができたのも仏縁だったのでしょう。

入口正面の長井一禾の襖絵(春夏秋冬)と「鳳凰楼」の額

鴉と梅(春)

鴉と魚篭(夏)

鴉と柿(秋)

鴉と冬枯れの樹(冬)

書院に続く別棟に展示中の「地獄屏風」
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菅谷山 法隆寺 東光院 (高野山真言宗)
紫陽花は参道の両脇で拝観無料。境内の風鈴祭りは ¥300ですが、
書院で冷茶+お菓子の接待付なので、実質無料みたいなもの。
『風鈴の原型となった風鐸(ふうたく)は、平安時代に唐から我が国へ伝えられた
仏堂や仏塔の四隅に吊るされる青銅製の鐘型の鈴。邪鬼除けの意味で付けられており、
この音が聞こえる範囲は聖域であるので災いが起こらないと言われる。

本堂前の棚にずらりと吊るされた風鈴

風鈴の奥に建つ書院

書院前からの眺め

書院の中から蓮台越しに見た風鈴
その後、鎌倉末期に風鈴が作られ、江戸時代に庶民の間に広がった。
邪鬼除け(厄除け)として軒先に吊るし、その涼しげな音色と共に
夏を乗り切るお守りの役目も果たしたとされる。』 とあります。
冷涼感を出す風鈴ですが、これだけ並ぶと風が吹くと一斉に鳴るので眠気も吹っ飛び。
尤も風鈴は寺院の軒下に吊るされた風鐸に由来し邪鬼を払う目的があるので、これが正しい使用法。
風鈴本来の【すがたに】接する【ふうりゅう】寺という事が、【投稿】インした理由です。

風鈴近影

金魚が描かれた風鈴

紫陽花が描かれた風鈴

風鈴の原型・風鐸の展示

風鐸の由来

風鈴の説明
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菅谷山 法隆寺 東光院 (高野山真言宗)
参道を進みながら紫陽花を堪能しましたが、巡礼の本元は参拝なので御本尊にお参り。
菅谷山法隆寺東光院(すがたにさんほうりゅうじとうこういん)は、
『高野山真言宗に属する古刹で御本尊は薬師如来。

ふうりん祭り開催中の境内へ階段を上る
ここから先は有料で、9時30分~16:30。

山門脇の百日紅の巨木

階段を上った先に吊るされた風鈴
天武天皇の白鳳2年(673年)、理趣仙人に拠って開創。
仙人が鳳凰に乗って百済国に往来の途中、当山谷に燦然と輝く光明を発見。
仙人が山上に降りると谷一面に菅(茅)が繁茂しており、そこへ神童が現れたのを見て仙人は礼拝。
その言に、「桧木医薬師仏 一歩一見 諸群生 現世安穏得長生 後生無量寺仏国」
とあったので、この場所が薬師霊場であることを知った。
そこで山上の桧木一幹を材とし、刀々三礼して薬師如来・日光・月光菩薩及び
十二神将を彫刻し草庵に安置し七堂伽藍を整備したのが嚆矢である。

境内の遠望

風鈴棚の先に建つ本堂

風鈴棚の向こうに見える石像と石塔

宝篋印塔と弘法大師像

弘法大師は巡礼姿

大師像の台座に刻まれた東光院御詠歌
寛弘2年(1005年)聖楽上人が中興し、坊舎二十一坊を備えて隆昌したが、
応仁の乱に続く延徳の兵乱(位田の乱)で焼失、
更に明暦年間(1655~1657年)にも火災に遭って炎上した。
その後、九鬼家祈願所となり九鬼式部少輔隆晃公が信仰心篤く
本堂・鎮守社・内仏堂・仁王門・書院・庫裏・土蔵等が再建され今に至る。』
とあります。

お薬師さんを祀る本堂

本堂屋根の鬼瓦

東光院由来

本堂内陣の様子

本堂側面
谷で菅の群を見た事が山号の由来ですが、起源は斑鳩の法隆寺の荘園に由来するとは言え、
開創は余り関係なさそうな理趣仙人。
三河鳳来寺山を開いた人となっていますが、仙人とはいえ鳳凰に乗るなど超現実的な人物。
法隆寺という寺号を有しているならば、聖徳太子辺りを開山に持って来た方が余程、
現実的に思えますが、一体どんな意趣があったのでしょうか?

本堂横から川辺に迫り出した休憩所

休憩所からの眺望

本堂前からの眺望

本堂前から見える摂社

摂社近影

坂本龍馬とお龍の仲人・知足院無覚上人の揮毫碑

上人の説明

東光院御朱印
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菅谷山 法隆寺 東光院 (高野山真言宗)
今回の東光院参拝の目的の一つが紫陽花。紫陽花といえば福知山方面へ二駅行った
石原にある観音寺(関西花の寺一番札所)が有名ですが、
当寺も紫陽花で知られ案内所では「あじさい祭り」のパンフが用意されていました。
丁度、この時期(6/4~7/3)は紫陽花に加え風鈴祭の二本立て。
これから売り出し中といった感じです。

パンフレット
紫陽花の寺は境内ないし庭園に紫陽花を植えて入場料を取る場所が多いですが、
当寺の紫陽花は参道の両脇で拝観無料。
風鈴祭りのみ境内で拝観料が必要と非常に良心的でした。
本堂までの参道に沿って富緒川が流れており、
水分が多く必要で直射日光を避ける傾向のある紫陽花には相応しい環境と言えます。
植えられた紫陽花は計2,500株。
‘色が濃くなる雨上がり あじさいが織りなす梅雨の小旅行’
のパンフのコピー宛らの参拝でした。

案内板に従いアスファルトの参道を行く
富緒川(菅谷川)は右を流れる。

川沿いの紫陽花遠景

川沿いの紫陽花近影
花の形からガクアジサイ(蕚紫陽花)か?

どことなくハート型に見える青・紫の紫陽花
アスファルトの参道を暫く行くと、寺標と重厚な仁王門が正面に。
説明板等は全くありませんが、多くの伽藍は江戸時代綾部藩九鬼家の庇護の下で再建とあり、
この仁王門もその一つ。年代を感じさせる柱や扁額にもそれが伺えました。
門を抜けて振り返ると屋根の下にスズメバチの巣の残骸が。
普通はもう少し離れた場所にありそうなものですが、車道が仁王門脇を通っているため
門下を通る人が少ないせいでしょう。そんな【もんか】と納得。

寺標と仁王門

江戸時代再建の仁王門

正面から見た仁王門

年代を感じる「菅谷山」の扁額

右側にある金剛力士阿像

左側にある金剛力士吽像

仁王門屋根下のスズメバチの巣の残骸
仁王門を過ぎると、本格的な紫陽花参道。
花の形を見ると普通の紫陽花や蕚紫陽花(ガクアジサイ)と思しきものなど
品種も様々なようでしたが、植物園とは異なり名札もなく、
見る本人も学がないので、はっきりとは分かりませんでした。
また紫陽花は生えている土壌のpHで色が変わる事でも有名。
酸性土壌で青色、アルカリ土壌で赤色とリトマス氏とは反対になります。
見渡すと青色が優勢なようで、この辺りは酸性土壌なのでしょう。
お寺だからアカ【閼伽】とはならないようです。

仁王門を抜けた参道脇の紫陽花

紫陽花は主に参道左手に植えられている

これはガクアジサイ?

ガクアジアイ近影

これはハート型

これもガクアジサイ

多彩な色合い

変形のハート型?
こうして紫陽花ロードは東光院門前まで続きました。
後に参拝した境内にも紫陽花はありますが、やはり富緒川沿いが圧巻。
唯、本堂脇には川に迫り出した休憩所が設けてあり、そこから眺める紫陽花も
また別の趣がある事も付け加えなければなりません。
紫陽花はお寺の方が植えたそうなので、参拝者に無料で楽しんで頂くという心遣いを感じました。

紫陽花越しに見る東光院

紫陽花の向こうは弘法大師像と書院

紫陽花越しに見る本堂

川の向こうの休憩所

富緒川の上流方面

お寺の向かいの斜面

本堂前の紫陽花

境内で見た紫陽花

弘法大師像下の紫陽花
紫陽花の品種は色々ありましたが、どこも網で囲まれています。後で、御住職に伺った所、
和辻;「網は盗難除けですか?」
住職;「いえ、鹿除けです。地上部分を皆食べてしまうので。」
和辻;「猪ではないのですね。」
住職;「猪は根元を掘って虫を食べるので紫陽花は枯れてしまいます。」
和辻;「網の効果があったのですね。」
住職;「一時は壊滅状態でしたが、漸くここまで回復しました。」
との話。
紫陽花は人間が食べると(特に食べる人が居るとは思えませんが)中毒を起こすので、
同じ哺乳類の鹿が食べる事が意外でした。胃袋に解毒の細菌でも飼っているのでしょうか?
そんなに多くの鹿が居るのかと不思議でしたが、この後、畦道を走っていると
小鹿が横切る姿を見たので、鹿害が急に現実味を帯びました。

休憩所からの眺望

休憩所から川向こうの斜面を見る

休憩所の紫陽花近影
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【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)
あやべ駅前観光案内所 → レンタサイクル5分 → 綾部大島〒 → レンタサイクル5分 → 東光院 → レンタサイクル10分 → 豊里〒 → レンタサイクル30分 → 物部〒 → レンタサイクル20分 → 志賀郷〒 → そば処 あじき堂 → レンタサイクル30分 → 岩王寺 → レンタサイクル20分 → 梅迫〒 → レンタサイクル15分 → 岡安〒 → レンタサイクル15分 → 古墳 → レンタサイクル10分 → 吉美〒 → レンタサイクル10分 → 綾部本町〒 → あやべ駅前観光案内所
【復路】JR綾部(15:06) → JR園部(16:14→16:16) → JR京都(16:52→16:59) → JR大阪(17:29)

菅谷山 法隆寺 東光院 (高野山真言宗)
梅雨の晴れ間の17日は休暇を取って京都丹波路へ。
前日の16日は高槻駅の信号機故障で京都線ダイヤは大幅に乱れたので心配でしたが、
この日は始発から正常運転。6:56に大阪駅を出発、京都で乗り換えて8:25分に無事綾部駅着。
江戸時代には綾部九鬼藩の城下町、山陰線と舞鶴線の分岐点で今はグンゼを初め
多くの工場で知られますが、人里離れた場所に古刹が点在する所でもあります。
観光案内所等では「森の寺」と題した冊子を配布しており、寺社巡りにも力を入れている様子。

冊子「森の寺」
唯、どこも駅から距離があるのがネックですが、そこは良くしたもので
駅前の観光案内所では電動も含めたレンタサイクルを実施。
時間も8時半から17時半までなので、かなりの距離を移動できます。
この日、8時半にレンチャリして向かった先は西南西3㎞、289.8mの甲ヵ岳の南麓に建つ東光院。
紫陽花といえば二駅向こうの関西花の寺一番札所観音寺が有名ですが、
ここは紫陽花と風鈴の二刀流。
正式名は菅谷山法隆寺東光院(すがたにさんほうりゅうじとうこういん)と言います。
法隆寺と聞くと奈良ですが、斑鳩の法隆寺も当寺にも記録は残っていませんが、
どうやら深い関係がある様子。

JR綾部駅&観光案内所で配布の東光院 「綾部あじさい風鈴祭り」 パンフレット
『奈良斑鳩の法隆寺は各地に荘園を有し、その年貢米を経営基盤としていた。
当寺も数ある荘園の一つであったと考えられる。
両寺共に本尊は薬師如来であり、奈良の法隆寺の場所は斑鳩。
当寺の地名も旧何鹿(いかるが)郡で字こそ違えども呼び方は同じ。
奈良の法隆寺には西院の伽藍、東院の伽藍があるが、
当寺にも西の伽藍(現東光院)、東の伽藍(現旦寺)があった。

東光院由緒記

法隆寺との関り
また奈良の法隆寺の近くには富雄川が流れるが、当山の境内を流れる川の名も
富緒(とみお)川と漢字は異なるが呼び名は同じである。
このように共通点が多い事から奈良の法隆寺とは無関係とは考え難い。
当寺には平安時代から室町時代に書写された大般若経が約三十巻残っており、
最古のものは仁平2年(1152年)の奥書で、又他にも志万庄法隆寺の奥書があるものがあり、
当時は法隆寺と呼ばれていた事が分かる。』 とあります。

駐車場に続く富緒一之橋を渡る

橋の架かる菅谷川(別名、富緒川)

菅谷川を遡り東光院境内へ

参道脇を彩る紫陽花

石垣の上に建つ東光院全景
人が移住した場合、新しい場所に元の地名を付けるのは洋の東西を問わずよくある話。
荘園管理に来た人が奈良の法隆寺を偲んで名付けたに違いありません。
斑鳩の法隆寺も山の南麓ですか余計にそう思った人も多かったでしょう。
などと考えながら参道を進むと門前に錦鯉の池があり、鯉のえさ1回¥100の看板が。
「鯉の餌¥100と書いたら池に百円玉を投げ込む人がいた」
とは桂文珍師匠の枕の話ですが、PL法も考慮するとこう書かざるを得ないのでしょう。
尚、寺名は鯉の【放流時】に由来する訳ではありませんので念のため。

お寺の手前にある錦鯉池
M-1が聞ける訳ではない。

鯉のエサやりの案内

こちらは錦鯉の養殖池
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広島駅 → レンタサイクル20分 → 不動院

新日山 安国寺 不動院(真言宗別格本山)
境内にはお堂に加えて鐘楼もあって楼門と共に重文に指定されています。
その後は、境内を見渡す高台の墓地へ。
『金堂の右手、不動堂の前にあるのが永享5年(1433年)の建立の鐘楼。
屋根は入母屋造、杮葺きで桁行三間、梁間二間、重層袴腰付の建物。
架けられている銅製梵鐘は、安国寺恵瓊が朝鮮より持ち帰ったとされる
高麗王朝初期の梵鐘で、鐘楼と共に重要文化財になっている。

重要文化財・鐘楼
朱色が鮮やかであるが、室町時代の永享5年(1433年)建立。

正面より見た鐘楼
金堂の左手、放生池の間の坂を上ると墓地に至るが、一般の墓に混じって
・豊臣秀吉遺髪塔
・福島正則供養塔
・武田刑部少輔墓
・安国寺恵瓊墓
の四基が建つ。
当山中興の祖である安国寺恵瓊は鎌倉以来の安芸国守護武田氏の一族。
大内氏との戦いで武田氏が滅亡した際には、安国寺に身を寄せ12年間仏道修行に励んだ。
時に恵瓊4、5歳であったとされる。
笠雲恵心(じくうんえしん)に師事した恵瓊は上洛し東福寺へ入山。
35歳で安芸安国寺の住持になり、後に東福寺、南禅寺の住持を兼ねた。

金堂と放生池の間の道を上り墓地へ向かう

坂の途中から見た楼門と金堂

一般の墓地の中央には十三重石塔が建つ
下で支えるのは亀。

墓地から境内を望む
安国寺住持になった頃から毛利氏の外交僧として手腕を発揮。
豊臣秀吉との交渉に当たった事から、秀吉の直臣として6万石の大名に取り立てられる。
毛利家の顧問を兼ねながら朝鮮出兵でも渡海するなど武将としても働いた。
大名になって以降も住持は手放さず、当寺をはじめ京都の東福寺、
建仁寺の再建等にも多大な功績を残している。
秀吉没後の関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗北。
捕虜となった石田三成・小西行長と共に京の六条河原で斬首された。享年63歳。
当寺の墓所には恵瓊の首塚が現存する。』 とあります。

墓地の一角を占める戦国期の武将の墓四基

武田刑部少輔墓

豊臣秀吉遺髪塔と安国寺恵瓊の墓

福島正則供養塔
最後にお参りした墓所で偶然出会った四人の墓。
いずれも戦国武将ですが、秀吉以外は余り良い最期とは言えません。
恵瓊も毛利の外交僧であった故に処刑されたと思われがちですが、
当時の僧侶・連歌師等が外交・スパイに関わっていたのはほぼ常識。
恵瓊の場合はその自出に加えて外交能力が際立ったためでしょう。
毛利氏も滅ぼした武田の末裔をよく己の陣営に取り込んだものだと思いますが、
それを補って余りあるものがあったと考えるべきです。
関ヶ原の戦いでは、毛利家当主の輝元は西軍の総大将に立ちますが、
そこに持って行ったのは恵瓊。毛利、徳川両家にとっては危険な存在だった訳ですから、
死んでホッとしたところでしょう。
尤も恵瓊にしてみたら、一度は底辺に沈んだ身からのし上がることができた訳ですから
死んでも悔いはのこらなかったに違いありません。

安国寺恵瓊像 (不動院案内より)

寺務所で販売中

広島城址
戦前は国宝であった。

隅櫓

大手門

復元された天守閣
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新日山 安国寺 不動院(真言宗別格本山) 不動堂
当寺の御本尊は金堂に安置されている平安時代作とされる重文薬師如来坐像。
それにも拘らず不動院と呼ばれるのは何故か?
『当寺の復興に尽力した安国寺恵瓊は、毛利の外交僧として関ヶ原の戦いで西軍に属した。
そのため戦後、恵瓊は石田三成、小西行長と共に京都六条河原で斬首、
毛利氏も中国九ヶ国から防長二国に減封となり、寺領は没収され寺運は衰退して行く。
その後、福島正則が芸備四十九万石の大名として入国、
正則の祈祷僧である宥珍(ゆうちん)が当寺に入り住持となった。
その際に禅宗から真言宗に改宗、不動明王を本坊に移して本尊とし本坊を不動院と称した。
当寺全体を不動院と称するようになるのはこれ以降の事である。

寺務所前から境内を見る
正面が鐘楼、その奥が金堂。右奥が不動堂。

正面から見た不動堂
酒どころらしく酒樽が奉納されている。

前方に張出した不動堂の向拝

不動堂は金堂と異なり内陣で参拝可能
福島正則の治世は二十年足らずで終わり、替わって浅野氏が入国。
以後、藩政時代を通じて歴代藩主の庇護を受け、概ね安定した時期が続く。
明治になり当寺は権力者の手から離れ庶民の信仰の場となった。』 とあります。

堂内に安置された御本尊の不動明王

御本尊を説明する簡素な駒札

不動堂前にある水掛不動尊

不動堂前からの眺め
鐘楼の奥が寺務所。

不動院御朱印 (不動明王)
不動堂は廊下で書院と繋がっていますが、書院の入口には「全国安国寺会」の看板が。
事務局や宿泊所も兼ねているのでしょうか?
境内では目立たない不動堂ですが、裏手には庭園があり山に続いている様子。
案内図には強いて記載されていませんが、池泉回遊式の立派なもの。
加えて天籟滝と呼ばれる滝もあって書院に加えて更に奥に在る茶室からも眺める事ができそうです。

不動堂から書院へと続く渡り廊下

書院玄関
「全国安国寺会」の看板が掲げられる。

不動堂裏手の池泉回遊式庭園
堂の直ぐ裏手には柵があり、入れない。

庭園奥の築山部分
中央奥に滝が見える。
不動明王の安置された本坊は今の不動堂でしょうが、金堂とは比べ物にならないくらい小さな方形。
扉が開いていたので内陣を見ましたが、不動明王を本尊にする理由は分かりません。
しかし堂前に掲げられた札に
「不動明王 智證大師作 豊太閤念持仏」 とあったので納得。
秀吉の子飼いの武将であった福島正則らしい対応と言えます。
正則は幕府の陰謀に近い形で改易になりますが、その後に入国した浅野氏も北政所の縁続き。
不動明王は廃棄される事もなく、幕府も別段咎める事もありませんでした。
福島家は断絶しましたが、現在まで不動の状態を保っているのを知ればあの世の正則も【本坊】でしょう。

書院裏にある庭園
書院脇を抜けると庭園が間近に見られる。

杉苔と楓

庭園奥の石組み

茶室前から見た書院と庭園

境内の端にある茶室

庭園の奥にある天籟滝
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新日山 安国寺 不動院(真言宗別格本山) 国宝・金堂
重要文化財の楼門を潜ると正面に建つのが国宝の金堂。不動院金堂は、
『天井に描かれた天女と龍の絵に天文九年(1540年)の賛があり創建もこの頃と考えられる。
入母屋造、杮葺き、一重裳階付の建物で、桁行三間、梁間四間の身舎(もや)の周囲に裳階を廻らしている。
二階建ての様に見えるが構造的には一重裳階付で、裳階は正面一間通りを吹き流しとしている。
この構造は我が国では珍しく大陸的な正式の手法と考えられる。

楼門とその奥に建つ金堂

楼門下からの眺望

不動院の歴史

境内の略図
当寺は密教系の天台宗であるが、金堂の建築様式は中世の本格的な禅宗様式(唐様)であり、
内部は土間床の一室、中央を鏡天井とし周囲に隙間なく組物が並ぶ構成、
桟唐戸・花頭窓・礎盤付柱・扇垂木等に本格的な禅宗仏殿の形式が見られる。
天井高は8.6mに達し、現存する唐様の建築物として国内最大を誇る。
この堂は当初からここにあったものではなく、戦国末期の天正年間(1573~1592年)に
住職の安国寺恵瓊が山口市内にあった香積寺(現在の瑠璃光寺)から移築したものである。

正面より見た金堂

斜め前方より

側面より見た金堂

斜め後方より見た金堂

金堂裏側
昭和20年(1945年)8月6日、原爆投下に拠って被爆。
当寺は爆心地から3.9㎞の位置にあり、金堂の屋根の一部が吹き飛び、
本堂の柱の1本が折れたものの奇跡的に倒壊は免れている。
当時は市内中心部からの避難する被爆者の受け入れ先として機能した。
昭和33年(1958年)には金堂が国宝に指定、
平成5年(1993年)には広島市に現存する被爆建物リストに登録。
一瞬にして多くの文化財を失った広島にとって、幾世紀にも及ぶ風雪に耐え、
昔の栄華を今に伝える貴重な存在となっている。』 とあります。

金堂前面にて

金堂屋根の扇垂木

向拝柱と蝦虹梁

金堂正面入口
但し内陣へは入れず、参拝は外陣から。

花頭窓
正面に建つと、昨日見た功山寺の仏殿を彷彿とさせる典型的な唐様の堂宇。
国内最大かどうかは分かりませんが、今まで見たなかでは紀州の興国寺に匹敵するでしょうか?
唯、内陣は公開していない様子で御本尊の御薬師様も隙間からの拝観。
近くで参拝できなかったのと、天井画を見ることが出来なかったのが心残りではありました。

金堂内陣に安置された御本尊薬師如来坐像

重文・木造薬師如来坐像 (説明書より)
高さ1.4m、檜材寄木造で、定朝様藤原時代の秀作。

金堂細部の組物
三手先の組物、頭貫の木鼻が見える。
古来より中国地方の中心であった広島を一瞬にして壊滅させたのが昭和20年8月6日の原爆。
その後、市民の努力もあって広島市は奇跡的な復興を遂げますが、失った過去の遺物は元に戻りません。
そんな中で、ここ不動院と対岸にある三滝寺がほぼ無傷で残ったのは、まさに奇跡。
どちらも野戦病院として機能したことを考えても御仏の加護を思わずにはいられません。

現代家屋風の寺務所
ここで御朱印を拝受。

不動院案内

不動院オリジナル御朱印帳(紺と赤)

赤色を購入 (大判;175×120㎜)

不動院御朱印

広島東郵便局 ; 国宝・不動院金堂、原爆ドーム、比治山
広島東郵便局は、移転・改称のため現在この風景印はない。
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