<コース>
【往路】JR大阪(6:56) → (快速) → JR草津(7:57→8:02) → JR手原(8:09)
手原駅(8:30) → (こんぜめぐりちゃんバス) → 金勝寺(9:10) → 金勝寺 → 徒歩20分 → 道の駅こんぜの里りっとう(11:40) → (こんぜめぐりちゃんバス) → 手原駅(12:10)

金勝山 金勝寺(天台宗)
本堂と御本尊参拝を終えたあとは、山内に点在する諸堂を巡礼する事に。
といっても全て回っても15分程度です。
『本堂右手に建つ二月堂には木造軍荼利明王立像を安置。10世紀の作で重用文化財。
頭髪を逆立てて炎髪とし、上歯列で下唇を噛み怒らした目で睨み付ける一面八臂の像で国内最大。
檜の一材で彫られている。

正面より見た二月堂

二月堂内陣の軍荼利明王像

高所から二月堂を見下ろす
二月堂脇の道を上った先にあるのが御香水館。
ここの清水は加持修法をし、毎年正月十五日の九重御祝小豆粥の水として
京都御所に献上する慣わしであったが、明治3年(1870年)の献上物廃止令に拠り今は途絶えている。

御香水館

木扉に貼られた御香水由緒
更に道を上った場所に残るのは大講堂跡。
昭和60年(1985年)の遺跡調査に拠って桁行9間・梁間5間の規模を持った堂舎があったとされ、
古絵図に見える大講堂跡に比定される。
遺存する礎石は12ヵ所以上で、花崗岩を用い直径58㎝の円座を造り出している。
但し、現在露出展示されているものは復元である。

大講堂跡へ向かう

案内板

かつて大講堂のあった場所

遺跡説明

復元された講堂礎石
講堂跡に立ち眼下に見えるのが昭和に新たに建立した虚空蔵堂。
10世紀の作である重文・木造虚空蔵菩薩半跏像を祀っている。
知恵を授ける十三参りの仏様として名高く、藤原手法の優れた古像の一作である。
両脇には10世紀の木造毘沙門天立像と12世紀の木造地蔵菩薩像が安置され
どちらも重要文化財となっている。』 とあります。

大講堂跡から眼下に虚空蔵堂を望む

虚空蔵堂

虚空蔵堂前面の向拝

虚空蔵堂正面

虚空蔵堂前から本堂方面の眺望
本堂から反時計回りで全ての堂宇を参拝して、本坊と書かれた庫裏を通り
霊泉池に架かる「ゆうげんのわたり」橋を渡ると仁王門前。
要した時間は案内通りの15分、巨木と地面の杉苔を眺めながらの正に「幽玄の渡り」でした。
これも山内の豊富な水のお陰でしょう。

本坊と書かれた庫裏
廃屋ではないものの、使用されている雰囲気はなし。

「ゆうげんのわたり」と書かれた橋

霊泉池の奥に見える本堂

霊泉池
標高の高い場所にも拘らず湧水のあるのが開創された理由か?
本堂も含め、境内の諸堂は古くても400年前ですが、そこに祀られている仏像は平安時代のもの。
度々の戦火や失火にも拘らず、命懸けで仏像を守った人達に頭が下がる思いです。
そのような仏像を博物館に寄託せず、本来の場所でしかも至近で拝む事ができる
幸運にも感謝しなければなりません。
久し振りに山寺という謂いが相応しい場所を見て「来んぜ!」どころか、
又時期を変えて来たい思いが強くなりました。

境内を一巡して仁王門前に戻る
正面に見えるのが「ゆうげんのわたり」。

境内を覆う杉林と杉苔
参拝後は、山道を2㎞下って「道の駅こんぜの里りっとう」へ。
バスの待ち時間で早めの昼食。
お勧めの「しし丼 ¥1050」。1日十食の限定でしたが、開店と同時だったので無事GET。
どうせならししの十六食くらいに増やせば良いと思うのは私だけでせうか?

道の駅 こんぜの里りっとう

レストラン メニュー

しし丼 ¥1050 を注文

食事の後は、いちじくソフト

道の駅スタンプ
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金勝山 金勝寺(天台宗)
平安時代には全盛を極めた金勝寺も、時代が下るにつれて時代の波を被る事になります。
『文治元年(1185年)11月15日、金勝寺は失火で焼失し、時の住職正心上人が再興。
大講堂・常行堂・法華堂・二月堂が建立されたと「金勝寺大菩提寺流記」に記されている。
また、その頃までに法相宗から天台宗に転宗していたとされる。
中世になると源頼朝・義経、足利尊氏・義詮ら多くの帰依を受け、
建武2年(1335年)には後醍醐天皇の綸旨に拠り天皇の祈願所となった。
江戸時代に至る間、金勝寺は歴代の天皇、武家将軍から、綸旨、下知状、朱印状を賜っている。

本堂遠望

本堂近影

礼拝のため本堂内陣へ

本堂前面の向拝
往時には山上に36坊を数えた当寺も天文18年(1549年)の大火に拠り諸堂悉く焼失したため、
後奈良天皇は再建の綸旨を下される。慶長14年(1599年)時の住職竜王院清賢法印は、
徳川家康に請願したが時宜を得ず、本格的な再建には至らなかった。
現在の本堂・二月堂は慶長12年(1597年)に建てられた仮堂であり、
排水を考えた山型配石の参道の石垣は延宝2年(1674年)に修復されたものである。
大講堂跡、三重塔跡は本堂の左高台に残っている。

御本尊の解説

本堂内陣の様子

御本尊前に垂らされた御簾
仮堂である現在の本堂に安置されているのは本尊の木造釈迦如来坐像。
檜材の寄木造りで後補であるが漆箔が施されている。
平安時代後期の穏やかな作風を持つ仏師定朝様式の作品で重用文化財に指定されている。
本尊脇には14世紀の不動明王立像、16世紀の良弁坐像・願安坐像を安置している。』 とあります。

御本尊の重文・釈迦如来坐像

金勝寺絵馬
これは通常タイプ。

競馬を外枠としたオリジナル絵馬

本尊脇に安置された16世紀の良弁坐像・願安坐像と馬頭観音像

良弁坐像・願安坐像
仁王門を過ぎた正面には、古びて趣のある本堂が建ちますが、二月堂も含めて仮堂と知り驚き。
400年以上も経てば十分本堂と呼んでも良いとは思いますが、お寺なりの事情があるのでしょう。
寺院で大切なのは御本尊で、堂宇はそれを入れる仮のものと言う考えでしょうか。
御堂はさて置き、安置されているのは平安時代の重文。
このような文化財を間近で拝む事だけでも、ここまで来た価値があると言うもの。
バスガイドさんの話では、本堂では座禅会が催されるようで、このような静寂の地で、
仏像を前に修行すると成程、心が洗われるように思います。
当たり前の事ですが、やはり仏像は博物館よりもお寺が良く【仁王】てます。

後方より見た本堂

金勝寺説明書

金勝寺御朱印
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金勝山 金勝寺(天台宗)
バスの終点で下車すると目の前が金勝寺。道路沿いにある入口は閉鎖中で、
停留所脇の志納所で入山料を納めてから階段を通って拝観する慣わしです。
金勝山金勝寺(こんぜさんこんしょうじ)は、
『天平5年(733年)聖武天皇の勅願に拠り、平城京の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として、
東大寺の初代別当・良弁僧正が開基。良弁は金粛(こんしょう)菩薩と呼ばれた南都の高僧であった。
八世紀の半ばまで、近江の二十五別院を総括する金勝山大菩薩寺として法相宗興福寺の仏教道場であった。

駐車場前の由緒記

金勝寺図略

駐車場からの眺め

道路に面した入口は閉鎖中
奥に見えるのが山門。
金勝(こんぜ)山は単独の峯ではなく、竜王山(605m)、鶏冠山(491m)等の山系を示す名称で、
北東方の阿星山、東方の飯道山と共に金粛菩薩の霊地とされる。
この地域には他にも長寿寺・常楽寺等、金粛菩薩の開基とされる寺院が多数知られ、
当寺も往時は36坊、25別院を有する湖南地域の中心寺院であった。
弘仁6年(815年)、嵯峨天皇の勅願を受け、興福寺の高僧・願安が伽藍を整備し中興。
天長10年(833年)、仁明天皇に拠り、鎮護国家の僧侶を育成する官寺である定額寺(じょうがくじ)に列せられ、
金光明最勝王経の金勝陀羅尼品の「金勝」の勅額を賜り、金勝山金勝寺となった。

志納所(受付)

御朱印案内と蹄鉄絵馬

石段を下り参道へ

参道に建つ由緒記
寛平9年(897年)宇多天皇に拠り、国費支給に拠る学業僧である年分度者二人を、
金勝寺で6年間山を降りず、専修する認可を受ける。
これは国家鎮護を祈願する神宮寺的性格を備えた寺院であった事の証左である。
その後、菅原道真や源頼朝・義経、足利尊氏・義詮ら多くの帰依を受け、江戸時代に至る間、
金勝寺は歴代の天皇、武家将軍から、綸旨、下知状、朱印状を賜り、保護され仏供田三十石を領していた。

参道の向こうに見える仁王門

参道脇の小さな五輪塔

石畳の階段を上り仁王門へ

参道脇の杉木立

杉の根元に繁茂した杉苔
明治の神仏分離令に拠り、仏供田三十石、境内山林は上地となり全くの無禄の寺となった。
これを嘆いた法圓法印は当時の法令に基づき、寺領の一部を金勝村に譲与するという
訴願の提起により下戻され、再興の兆しが見え今に至っている。』 とあります。
道路は信楽まで続いているようですが、周りには人家・施設も皆無、
時々道路をツーリングするライダーの姿を目にする程度。
ガイドの方の話では住職も日中のみで、6㎞離れた大野神社近くの里坊から毎日通われているとか。
そんな場所ですが、というよりもそんな場所故に、静寂と自然に囲まれた聖域。
特に周囲に巨木が多いため日中も直射日光が入らず、久し振りに山寺らしい場所に来たという思いでした。

仁王門前から来た参道を見返る

仁王門近影

仁王門に掲げられた扁額

金剛力士阿像(右側)

金剛力士吽像(左側)

境内側より見た仁王門
道を挟んで寺と反対側に生えるのが「金勝寺の千年杉」とも言われる「良弁(ろうべん)杉」。
開山が植えたそうですから、千年は優に越えており、寺の古さを良弁ならぬ雄弁に物語っています。
そこへ向かう途中、地面には一面に栗の毬(いが)が。
お寺に庫裏があるのは当然ですが、甲賀の郷の門前にまであるとは【いが】いでした。
生憎、中身は空でしたが【栗東】だけに、これ程の数があるのかもと思った次第です。

良弁杉への案内板

良弁杉

良弁杉の途中には、こんなものが…。
[参考書]
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「こんぜめぐりちゃんバス」 パンフレット
10月最初の土曜は久し振りの秋晴れ。
11月7日の立冬には未だ一ヵ月以上ありますが、この日は湖南の栗東へ。
東海道本線(琵琶湖線)に栗東駅があり西に旧中山道が通るものの、ここは栗東市の西端。
知らずに降りると思わず「泣かせんどう!」となります。
町の中心は草津線の手原駅で、旧東海道、国道1号線、名神高速道路と主要道が通り、
栗東インターチェンジも設置された道の町として重要な役割を果たしており、人口も増えているとか。

琵琶湖線(東海道本線) 栗東駅スタンプ
(上) 1990年代 アーバンネットワーク印 (下) 2006年 JR西日本京都支社印

草津線 手原駅舎

観光案内所は駅舎二階
栗東といえば競走馬のトレーニングセンター。
東京ドーム60個分の広さだそうで、バス路線に面した入口に建つのはシンザンの銅像。
唯一の五冠を達成した名馬ですが、それも昭和39年と半世紀以上前の話。
語感から見て【新参】よりも古参と呼ぶべきでしょう。
さて参詣目的地は駅からバス40分の金勝(こんぜ)山系にある金勝(こんしょう)寺。
山と寺で呼び名が違うのは厄介ですが、奈良時代の良弁が建立した古刹です。
白洲正子『かくれ里』を読んで以来、気になった場所。
良い交通手段がなく二の足を踏んでいましたが、最近門前までバスが出ていることが判明。
地方の公共交通が減便・廃止される中で、意外にも秘境の観光地行きの直通バスが開設されたりします。
JR手原駅からの第一便は細い山道を上るマイクロバスで、路線バスながら地元の方の解説付き。
行楽日和なので、混雑を覚悟しましたが、乗客は私を含めて3名のみでした。
それはそれで助かりましたが、折角の路線が廃止にならないか心配になります

「こんぜめぐりちゃんバス」 第一便(8:30発)

車体に描かれた案内

途中の停留所

栗東市観光協会(手原駅二階)で購入した1日周遊フリーきっぷ ¥600
手原 → 金勝寺 が¥500 なのでコスパが良い。

車窓から見えた 栗東トレーニングセンター正門とシンザン像
『大津市の田上山(太神山)から栗東市南部の金勝山にかけての連峰は、湖南アルプスと称され、
風化した巨大な花崗岩が露出し、奇岩怪石の立ち並ぶ天下の絶景である。
古は修験者達の道場であり、仏教文化が通った道でもあったが、
今はハイキングコースとして県内でも有数の優れた景観と眺望に恵まれている事でも知られる。』
とあります。
主峰が標高600mの竜王山でアルプスと呼ぶのも何やら誇大広告の感がありますが、
これは単に高さではなく、その山容に拠るものでしょう。

バス停 「泣き地蔵」 付近の眺め

泣き地蔵の刻まれた巨石

途中、見晴らしの良い場所から
右下の白い線はトレーニングセンター。

道の駅 こんぜの里りっとう からはバスは林道に入る

林道脇の道標
それよりも駅から平地を6㎞行き、更に急な細い坂道を5㎞上る難所。マイクロバスの理由が分かりました。
途中、大野神社、九品の滝、泣き地蔵と見所を通過しましたが、唯一見えたのは「泣き地蔵」。
付近は旅人を泣かせる程の急坂であったので、幕末の1865年に真海と性隋の二僧が
花崗岩に薬師・釈迦・阿弥陀の三如来像を刻んだもの、とはガイドの人の話でした。
今はバスがありますが、昔の人は歩いた訳で、「こんな場所には、二度と来んぜ!」と言ったのも納得でした。

林道脇の杉林

このような勾配の道を2㎞往く

林道からの眺望

途中にある分岐点

矢印に従い左へあと1㎞

あと500mの石標

この寺標が見えたら門前到着
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<コース> 南海ウイングバスは日中60分間隔で運転
【往路】JR大阪(8:24) → (紀州路快速) → JR和泉府中(9:04→9:07) → (阪和線) → JR下松(9:12)
下松駅前(9:25) → (南海ウイングバス) → 道の駅愛彩ランド(9:44) → 徒歩10分 → 積川神社 → 積川神社前(10:46) → (南海ウイングバス) → 池尻(10:58) → 徒歩5分 → 久米田寺 → JR久米田(13:19) → (阪和線) → JR北信太(13:27) → 徒歩5分 → 葛葉稲荷神社 → 徒歩15分 → 聖神社 → JR北信太
【復路】JR北信太(15:27) → (阪和線) → JR天王寺(15:46→15:52) → (大阪環状線) → JR大阪(16:06)

聖神社 信太明神(和泉国三宮 式内社 旧府社)
聖神社の広い境内を順に参拝。
『本殿は慶長9年(1604年)の再建。檜皮葺屋根、正面に千鳥破風、
軒に唐破風を付け向拝を設けた「三間社入母屋造」で、荘厳で雅やかな
安土桃山時代を象徴する極彩色や彫刻が施された大規模な社である。
日光東照宮の創建時には、当社本殿を参考にしたとされる。
昭和12年(1937年)の大修理工事の際には、慶長9年の再建と
江戸期の修理を裏付ける棟札が発見された。

塀越しに見る本殿の千鳥破風と唐破風

本殿の向拝部分

本殿側面

極彩色の組物

蟇股の彫刻は鳳凰か?
三(さん)神社は保食神(うけもちのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、
別雷神(わけいかづちのかみ)が御祭神。通称「奥宮」「信太稲荷」で農耕・産業・食生活を見守る宮。
社殿は安土桃山時代の「三間社春日造」の建築様式である。
瀧(たき)神社は伊邪那岐・伊邪那美の夫婦の神を祀り、夫婦和合・縁結び・子宝の御神徳を持つ。
こちらの社殿も安土桃山時代の「一間社春日造」の建築様式となっている。』 とあります。

境内末社の瀧神社(左)と三神社
いずれも国の重要文化財。

一間社春日造の瀧神社

正面に千鳥破風、軒に唐破風付き向拝を設けた瀧神社

三間社春日造の三神社

三神社の千鳥破風の蟇股彫刻

三神社の檜皮葺屋根

三神社の向拝の彫刻
ここも積川神社同様、重文である社が修復を経て鮮やかに蘇っていました。
御朱印を御願いいした宮司さんの話では、
宮司 ; 「個人的には、檜皮葺よりもスレートあたりにしたかったのですが…。」
私 ; 「高価になりますからね。」
宮司 ; 「檜皮葺だと、鴉が巣の材料に引き抜くのですよ。」
私 ; 「耐久はどれくらいでしょう?」
宮司 ; 「20~30年ですね。」
私 ; 「それでは普通の家と一緒ですね。」
宮司 ; 「檜皮葺のできる業者さんがは全国で数えるほどしかなくて。」
私 ; 「遠方から来られるのですか?」
宮司 ; 「幸い、近畿にも居られたので助かりました。伝統継承は多変ですわ!」
と言った会話。神様も鴉には【クロウ】されているようでした。

境内の北側にある平岡神社

平岡神社説明

平岡神社本殿

こちらは厳島神社
[参考書]
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【復路】JR北信太(15:27) → (阪和線) → JR天王寺(15:46→15:52) → (大阪環状線) → JR大阪(16:06)

聖神社(和泉国三宮 式内社 旧府社)
この日は葛葉稲荷神社で巡礼止めの予定でしたが、葛葉稲荷神社が聖神社から分祀したと聞き、
これは元社にも参拝しないと画竜点睛を欠く、或いは龍頭蛇尾に終わると思い予定を延長。
阪和線の線路を越えて熊野街道筋を南下。新興住宅に囲まれた先の神社と異なり
歴史を刻んだ家並みが続きますが、やがて東側に大きな石の鳥居が出現。
ここが神社の入口で、道を東に進み坂を上って10分程で信太山丘陵の西端にある神社へ到着。

熊野街道沿いに建つ長屋門

同じく街道沿いの重厚な屋敷

街道東側に現れる一の鳥居
ここから東へ上る。

街を見下ろす高台へ
社碑に続く参道を進み左折するとやがて行く手に社殿が。
街道沿いの鳥居からここまで10分程かかりますが、坂を上り木々の間を抜ける事で、
古社への参拝の期待がいやがうえにも高まります。
『聖(ひじり)神社は信太(しのだ)明神とも呼ばれ、静かな森に囲まれた場所に社殿が建つ。
かつてはその神域一帯は信太森と呼ばれる深い森林地帯であったと言う。
創建は天武天皇3年(674年)8月15日、天皇の勅願に拠って信太首が聖神を祀った事に始まるとされる。
当時この付近一帯は荒地で、人々の生活は困難を極めたが、神社を創建するとその御利益で
稲が「信(の)び信び太く」育つようになり、地名も「信太」に、この地の人々も「信太」を名乗るようになった。

坂の上にある社碑と二の鳥居

二の鳥居脇の風化した狛犬

二の鳥居に続く参道

参道を左折した先に見える社殿
この神徳が国家にも認められ、皇室や公家の守護神として、また各地の人々の崇敬を集めた。
延喜式内社で和泉国五大社の内、三ノ宮に当たる。
聖神は「日知り」の神、つまりは暦の神と見做されて、信太郷に住んでいた渡来氏族の陰陽師の信仰篤く、
後に土御門家に属する陰陽師の安倍晴明に関する伝承も多く伝わる。
江戸時代前期の僅かな時期ではあったが、独自の暦を発行していた事もあった。
聖武天皇や後村上天皇からは社領の寄進を受け、宇多上皇は参詣の際に、当社に御衣を奉納。
後白河法皇が参詣の際に宸筆の社額を奉納したものが、社宝として今に伝わる。

境内の南側にも鳥居が建つがこれは脇門扱い

南側から見た境内

由緒記

境内見取図
天正3年(1575年)には織田信長から朱印地の寄進を受け全盛を極めるが、
その10年後の天正13年(1585年)には豊臣秀吉の根来討伐の兵火に拠り社殿焼失。社領も没収された。
秀吉の死後、慶長9年(1604年)には豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として本殿を再建、今に伝わる。
かつて当社の神仏習合を示す別当寺である萬松寺、堂塔伽藍を有した奥之院は
明治初期の廃仏毀釈で廃寺。
上地令に拠る境内縮小に伴い、信太山丘陵(現在の鶴山台)に点在していた三神社、
瀧神社などが境内末社として現在地に鎮座した。』 とあります。

拝殿

拝殿に掲げられた「聖神社」の扁額

向拝の蟇股の彫刻

拝殿前の手水舎
山の中腹の高台に鎮座し、広い境内を有する当社は、和泉三ノ宮に相応しい荘厳さに包まれています。
由緒記にあるようにかつては暦を司っていたそうですが、太陽や星を観察するために高台を選んだのでしょうか。

手水舎から北を望む
右手が拝殿、左手が社務所。

聖神社御朱印
スタンプ形式で、セルフで押印する。
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信太森神社(旧村社)
境内にある葛の葉伝説の石碑
近世以来、葛葉稲荷神社が有名になったのは所謂「葛の葉狐」の伝説のお陰。
『平安時代の朱雀天皇の頃、大坂阿倍野に安倍仲麻呂七代の子孫である
阿部保名(あべのやすな)と言う美丈夫が居た。
彼は讒言によって所領を失っていたので、所領回復と家名復興のために
葛葉稲荷神社に日参していた。

伝説の解説

奉納された絵

山門前左の狐の石像
咥えているのは鍵 or 巻物?

同じく右側の狐の石像
こちらは宝珠を咥えている。
ある日、保名は日参の帰路に猟師に追われた白狐を助けたが、自らは負傷する。
その後、葛の葉と名乗る女性が現れ、負傷した保名の実の身の回りの世話をした。
やがて二人は結ばれ、童子丸という子を授かるが、ある時、我が子に自分の正体を知られる。
葛の葉は保名に助けられた白狐の化身であった。

姿見の井戸

井戸の説明

白狐化身の木

楠木龍王の碑

龍王碑の由緒記

社殿奥に広がる森
葛の葉は父親の言いつけを守るよう我が子を諭し、保名の元を去る。
去り際に、傍らの障子に口に筆を咥えて
・恋しくは 尋ねきて見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
の一首を記した。家に帰った保名はこの歌を見て驚き、
信太の森へ来て見ると、一面に葛が生い茂るばかりであったという。

本殿左手に聳える大楠
花山天皇が「千枝の楠」と名付け、清少納言も『枕草子』に記した名木である。

大楠の由緒記

大楠根元に祀られている楠本大明神
根元が二つに分かれている事から「夫婦楠」とも呼ばれる。

大明神の白狐の神様

南側から見た大楠と本殿
童子丸は長じるに及んで才能を発揮、天皇の病気を治した事で名をあげ、
安倍家は復興を果たす。かれは後の大陰陽師安倍晴明。
この話が江戸前期の古浄瑠璃「しのだづま」以来、浄瑠璃・歌舞伎の題材として広く使われた。
落語「天神山」でも知られる。』 とあります。

境内に繁茂する葛の葉

江戸時代の風景

境内の遠望
文化人類学的には異類婚姻譚というもので、雪女、羽衣伝説と類似のもの。
いずれも後に正体が露見して二人が別れる悲劇に終わるのも同じです。
このような伝説の背景にあるのは、その人物が人間離れした能力を有する場合が殆ど。
安倍晴明の超能力を狐の霊力に求めたと想像できます。ではなぜ狐なのか?

境内南にある社務所で御朱印を拝受
一見、茶店に見えるが、くずもちを売っているので間違いではない。

葛葉稲荷由緒

「信太の森 霊験記 葛の葉姫」 の冊子 ¥500
舞台は異なりますが、『唐代伝奇』には、
中国四大書家の欧陽絢は母親が猿神と交わって生まれたという話があり、
その伏線として政府の壁に掲げられた彼の肖像画を見たある人が
「何故、ここに猿の絵があるのか!」と言ったとか。
今に伝わる清明の肖像画を見ると、彼が狐顔だったので、
このような伝説ができたというのが真相かもしれません。

葛葉稲荷神社御朱印

張子の白狐の御守り ¥700
[参考書]
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信太森神社(旧村社)
岸和田市で道の駅、積川神社及び久米田寺に参拝後、駅に着いたのが13時過ぎ。
流石にそのまま帰るのも芸がないので北信太で下車。北河内の人間が下りる事も稀で、
高3の担任だった先生が信太高校の校長で定年された事をやっと思い出した次第。

簡素なJR北信太駅舎
現在は無人化?

JR北信太駅スタンプ (2006年JR西日本大阪支社印)

駅を出て正面に建つ一の鳥居

南に進むと直ぐある二の鳥居
奥に次の鳥居が見える。

交差点を挟んで建つ三の鳥居と四の鳥居

神社入口に建つ石の鳥居
駅から南西に5分歩くと楠の大樹が目印の葛葉(くずのは)稲荷神社。
信太森(しのだのもり)神社が正式名ですが、葛の葉伝説が有名になったので、こちらの通称で知られます。
信太森(しのだのもり)神社は、
『和銅元年(708年)、元明天皇が楠の御神木の化身である白龍に対して祭事を行った事が嚆矢。
信太森神社はその神木を御神体とした神社として建立されたと言う縁起が伝わる。
また別の言い伝えでは信太首(しのだおびと)の後裔が守護神として聖神社から分祠したとも言われる。

門前にある由緒記

境内案内図と50を越える摂社

門前の狐の石像

神門を通して見た境内

神門の幕に描かれた神紋

神門から続く参道と大楠

手水舎

和泉式部の歌碑

歌碑解説

松尾芭蕉句碑
近世以来、特にこの神社が有名になったのは所謂「葛の葉狐」の伝説に拠る。
大坂阿倍野に住んでいた阿部保名(あべのやすな)と信太の森の狐(葛の葉姫)とが情を交わし、
二人の間に後の大陰陽師となる安倍晴明が生まれた。
江戸前期の古浄瑠璃「しのだづま」以来、浄瑠璃・歌舞伎の題材として広く使われた。

参道に続く石鳥居

社殿正面

鎮座御祭神

社殿の扁額

神紋が描かれた提灯

社殿全景
明治5年(1872年)に村社に列せられ、同40年(1907年)には神饌幣帛料供進者社に指定された。
その後、近在の12社が合祀され、現在も境内には50を越える末社があり、
豊穣・商売繁盛の他、学徳成就・良縁祈願・安産祈願・子宝・夜泣き・交通安全に御利益がある。』
とあります。

横から見た社殿
さて神社に来て見ると、想像よりもずっと小さな境内。
それでも周囲は住宅地に囲まれた中にあって貴重な森を提供しています。
かつては鬱蒼とした森があったそうですが、いまは「うっそー!」という位狭くなっていました。
似た例を挙げれば、梅田の「お初天神」あたりでしょうか?

社殿の彫刻

史跡の一角

利休に拠る「ふくろうの灯台」

子安石

子安石説明

境内の摂社の一つ
さて神社に来て見ると、想像よりもずっと小さな境内。
それでも周囲は住宅地に囲まれた中にあって貴重な森を提供しています。
かつては鬱蒼とした森があったそうですが、いまは「うっそー!」という位狭くなっていました。
似た例を挙げれば、梅田の「お初天神」あたりでしょうか?
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龍臥山 隆池院 久米田寺(高野山真言宗 準別格本山 和泉西国三十三ヵ所第二十三番札所) 塔頭 華厳院
明王院に続き、最後の塔頭の華厳院へ。
華厳院は、愛染明王を祀る寺院。
山門を入って右手に愛染堂が建ち、内陣にて御本尊を拝む事ができました。
これは久米田寺の塔頭では唯一の事。
加えて天井板には1枚毎に植物が描かれており、思わぬ眼の保養になりました。

山門右手に建つ愛染堂

「愛染明王」の扁額

愛染堂内陣の様子

愛染堂の天井画 (その一)

愛染堂の天井画 (その二)

華厳院庫裏

玄関前に建つ不動明王石像
その後、庫裏へ向かいますが、これは愛染さんの御朱印ではなく、
無住である和泉西国札所長光寺の御朱印をここで貰うため。
ベルを押すと、御住職が出て来られ、訳を話すと快く対応下さいました。
待ち時間があったので庫裏と庭を一巡り。窓越しに見る庭も風情がありましたが、
庫裏の部屋と言えば、入口に御簾が掛けられ、黒塗りの椅子とテーブルが。
知らない人が見れば、町屋を改装したレストランに見えたでしょう。
伺った所では檀家さんが居られるようなので、法事などの行事ではここを利用すると思えます。今風の寺院でした。

玄関の「華厳院」の扁額

玄関から続く書院の部屋

書院の襖絵と衝立
その奥に椅子とテーブルが見える。

部屋より見える庭

書院奥に広がる庭園

愛染堂(右)と書院を繋ぐ渡廊下

渡廊下から見た庭

華厳院で拝受した和泉西国札所・長光寺御朱印
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龍臥山 隆池院 久米田寺(高野山真言宗 準別格本山 和泉西国三十三ヵ所第二十三番札所) 塔頭 明王院
大師堂で御朱印を拝受した際に、
「塔頭子院の中で、明王院と華厳院の二院は御朱印対応していますよ。」
との情報を得たので、参拝する事に。
明王院は開山堂の右横、なだらかな石畳を上った先にあります。
山門を過ぎると正面に二体の仁王像がお出迎え。
普通、仁王像は山門に置かれるものですが、融通さんなので、細かい事は気にせず境内へ。

なだらかな石畳の先に建つ山門

明王院山門

山門前に建つ御本尊を示す石標

山門の正面では仁王様がお出迎え
『明王院融通堂は、昭和9年(1934年)の弘法大師御遠忌記念事業として、
先々代蓮舎実静和尚の発願で建立。泉大津市長生寺の本堂を解体移築、
本尊に如意宝珠融通尊を祀り、遠近を問わず、多くの庶民の信仰を集めた。
その後、70余年を経て老朽化が進んだため再建を発願。平成20年11月1日を以て竣工落慶となった。

参道の先に建つ融通堂

正面より見た融通堂
平成20年落慶。

明王院融通堂縁起
本尊の寶生如来は宝を生じ与える仏で、全ての理法を生み出す(万法能生)の徳を司り、
衆生の願いに応じて福徳・財宝を施す与願印の相を示し、如意宝珠(融通尊)を象徴とする。
一般的には『融通さん』と呼ばれ諸願成就・現世利益を施し、特に「金銀財宝意の如く」と称される。
縁日は毎月、1、11、21日で、内11日は融通さん参りである。
天井には和泉市の藤原祐寛画伯に拠る「水龍図」が描かれている。』 とあります。

堂に掲げられた扁額

隙間より見た内陣の様子

天井画の「水龍図」
非常に良く描かれているように見えるが内陣で見れないのが残念。

融通堂の向拝欄間の龍の彫刻
仁王像の右手に堂宇が建ちますが、これは不動堂。
正面の庫裏を右手に参道を左に進んだ先に建つ一際大きなお堂が目的地になります。

融通堂前から山門方向を見る
正面に建つのが不動堂。

不動堂

不動堂近影

不動堂前から融通堂方面の眺望
御本尊の融通尊を祀るお堂は、説明にあるように真新しく
落慶を終えたばかりの様で【ラッケー】でした。
唯、扉が閉まっていたので御本尊は僅かの隙間から拝むのみ。
奉納された「水龍図」も一部が見えただけで全体像は分かりませんでした
ここまで参拝した他の塔頭に比べ広い事に加え、境内の庭園や
置かれた不動明王や四天王?の石造が目を惹きます。
決して古いものではありませんが、綺麗に整備された庭との相性は良いようです。

融通堂前に置かれた像群

百日紅の前は四天王か?

これは童子像

不動明王と石塔

これは初耳
その後で、庫裏で御朱印を拝受した際に伺った所、通常拝観はしていない由。
塔頭の方針ならば致し方ありませんが、どうせならもう少し融通を効かせても
良かったのではないかと思った次第です。

庫裏の縁側

明王院御朱印
[参考書]
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龍臥山 隆池院 久米田寺(高野山真言宗 準別格本山 和泉西国三十三ヵ所第二十三番札所) 塔頭 多聞院
当寺境内には、現在、塔頭子院として五院が残っています。
『東隅に建つ多聞院は、その名の通り毘沙門天王を祀る。続く五大院は大聖不動明王を、
阿弥陀院は阿弥陀如来を祀る塔頭寺院である。
多門院・五大院は、参道正面に本堂が建ち、右手に庫裏、左手に中庭という配置を採っているが、
阿弥陀院は庭はなく直接本堂へ通じる造りである。

山門から見た多聞院境内

多聞院本堂

多聞院本堂に掲げられた扁額

五大院山門

五大院は大聖不動明王を祀る

五大院境内

五大院本堂

本堂向拝欄間の龍の彫刻

五大院庫裏
永禄年中(1560年~)、三好実休、畠山高正の争乱、次いで天正年間(1573年~)の織田信長の
河内、和泉諸寺院への侵攻等、相次ぐ法難に見舞われ堂塔は尽く烏有に帰した。
文禄、慶長に入って一部復興の兆しを見せ、江戸時代の延宝2年(1675年)に至って概ね再興整備された。
現在の堂舎は大部分この頃に建立されたものであるが、元より天平、鎌倉の盛観には及ぶべくもない。』
とあります。

阿弥陀院山門
但し、ここは閉鎖中で、裏に回って入山。

弁財天社

白髭稲荷大明神

白髭稲荷大明神の石碑
塔頭内に入るのはどこでも自由ですが、参拝は全て外陣から。
久米田寺に参拝する人は多いですが、塔頭までわざわざ足を運ぶ人は少ないと言う事でしょうか?

阿弥陀院脇の宝蔵
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龍臥山 隆池院 久米田寺(高野山真言宗 準別格本山 和泉西国三十三ヵ所第二十三番札所) 大師堂
本堂の参道を右に進むと正面に建つのが大師堂。塔頭を除き唯一内陣参拝ができるお堂です。
『大師堂は文政7年(1824年)の再建。宗祖空海(弘法大師)を祀り、不動明王・毘沙門天を脇に従える。
天井には密教を表した絵が描かれている事でも知られる。
その奥には享和3年(1803年)再建の観音堂が建ち、和泉西国札所の御本尊千手観音を祀っている。

正面より見た大師堂

大師堂向拝部分

大師堂に掲げられた「御影堂」の扁額

大師堂内陣

御宝前

大師堂天井画

冊子にある天井画全図
元弘元年(1331年)10月笠置山落城し、次いで楠木城も陥り、後醍醐天皇は京都六波羅に入御されたが、
天皇擁護に奔走する大塔宮護良親王は、元弘2年(1332年)令旨を当寺明智上人に賜る。
これより南朝に味方し、国史の上に一山衆徒の活躍を見る久米田寺衆徒は大塔宮に忠誠を誓った。
建武の中興成るや、当寺寺領を管領すべき令旨を下され、後村上天皇の御代、正平年間には
南北両朝の争乱に乗じて本寺所領についてしばしば不安を感じた事が多かったが、
天皇はあくまで当寺に帰依されて保護を加えられ、先帝後醍醐天皇崩御の後には
塔婆建立料所を寄せられ、先帝の菩提を弔わしめた。

久米田寺説明書
現在は、冊子タイプは無くなった由。

久米田寺御朱印 (和泉三十三観音霊場)

鐘楼越しに見る大師堂

鐘楼とその奥の観音堂

和泉札所の御本尊を祀る観音堂
また、その後、南朝歴代天皇家の帰依も深く、特に楠木正成一門との交渉も密接で、
君臣挙げて」手厚い保護が加えられた。
吉野朝衰退後、当寺の実力を高く評価した足利家は当寺を以て和泉国安国寺にあて、
全国六十六基の随一として塔婆造立の料所を寄進した。これは実に利生塔建立の始めである。
次いで仏舎利を奉納し、光厳院も院宣を以て勅願寺と定めた。
かつして足利直義や義詮、義満から祈祷を懇望されること一再ならず、公家・武家の限りない帰依を受けた。
これは現在、平成15年(2003年)再建の多宝塔に安置されている。』 とあります。

平成15年再建の多宝塔

多宝塔近影

聖天堂付近からの眺望

靖霊殿からの眺望

多宝塔の組物

多宝塔亀腹の垂木・木鼻
本堂より大師堂の方がメインというのも不思議ですが【ほんどう】の話。
由緒記を読む限り行基は登場しますが空海の名は出て来ず。
それでも宗祖である事と、広く民衆に溶け込んだという事が広く受け入れられる由縁でしょうか?

多宝塔の周囲にある八十八ヵ所巡礼

各札所の御本尊が並ぶ
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