<コース>
【往路】JR京都(6:37) → JR園部(7:21→7:26) → JR綾部(8:25→8:51) → JR東舞鶴(9:20)
東舞鶴駅 → 徒歩12分 → 赤れんが館 → レンタサイクル20分 → 金剛院 → レンタサイクル15分 → 松尾寺 → レンタサイクル30分 → 東舞鶴駅
【復路】JR東舞鶴(14:28) → (まいづる10号) → JR京都(16:07)

鹿原山 慈恩寺 金剛院(真言宗東寺派 関西花の寺二十五霊場第三番) 小池庭
境内は親王御手植えの千年榧の木、清盛の父・平忠盛お手植えの奉行杉がありますが、
圧巻は数千本と言われるもみじ。
江戸時代以前に丹後の城主であった細川幽斎が植樹したとされ、
境内南西には彼の作庭になる「鶴亀の庭」もあります。

金剛院へ向かう途中に聳える奉行杉
平忠盛の御手植えと伝わる。

金剛院境内の御神木・千年榧
こちらは開山・真如法親王の御手植えと伝わる。
『京都府と福井県の県境近くの山間に位置する金剛院は、
三重塔を彩る紅葉が一際美しい事で知られる。
三島由紀夫の『金閣寺』にも紅葉と共に境内の情景が描写され、
別名「丹後のもみじ寺」と呼ばれる所以である。

三重塔周辺の紅葉
奥に建つのが本堂。

紅葉のグラデーション
山門を過ぎた場所にある「鶴亀の庭」は別名「小池庭」。
庭園中央の池には亀が泳ぐ姿の様に造られた亀島があり、また右手の平地には石組みや鶴石がある。
端の方に建っている細長い石は鶴首石と思われ、長寿や幸せを願う意図を以て造られた庭園と言える。
安土桃山時代の丹後国領主細川藤孝の作庭と伝わり京都府の名勝に指定されている。

伝・細川幽斎作庭の「小池庭」

庭園全景
赤黄緑に彩られている。

庭手前の植込み部分
これらに加えて、境内には高岳親王の御手植えと伝わる千年榧の木、
平忠盛の奉行杉など古木があり、更に椎・樫林等の優れた自然環境に恵まれている。
これは境内を取り囲む周辺林地域が社叢林として保全されてきたためで、
金剛院とその周辺は「京都府歴史的自然環境保全地域」に指定されている。』
とあります。

社叢林

地面を覆う杉苔

赤れんが館で入手した金剛院パンフ
主に自然環境について記載している。
細川幽斎といえば古今伝授を受けた文人大名として有名。作庭の才があっても不思議ではありません。
唯、軟弱なだけではなく、戦の駆け引きも巧みだったと見えて、関ヶ原直前の舞鶴城籠城では、
大軍を長時間に亘り引付け、結果的に関ヶ原への参陣を不可能にさせました。
戦国時代は、生き残りを掛けて皆が鎬を削る時代。いかに実力があっても誰に付くかで
家の浮沈が左右されます。その意味では武力よりも情報力が重視される時代と言え、
細川幽斎の文人趣味も上流階級を通じて如何に正確な情報を得る手段だった気がします。

池とその奥の石組み

一面に紅葉が敷かれた石組み

池の近影

紅葉の奥は椿か?
紅葉の名刹である当院ですが10日前位がピークだったようで、紅葉の絨毯を歩くと
【高岳親王後悔記】になりました。こちらも情報力が重視される事に変わりはありません。

金剛院御朱印 (関西花の寺)
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鹿原山 慈恩寺 金剛院(真言宗東寺派 関西花の寺二十五霊場第三番) 雲山閣
本堂に続いて周囲の諸堂を堂々巡り。
『鳥羽天皇の皇后美福門院得子以後、当山は皇室の篤い庇護も受け、
本坊の金剛院の外に十二坊舎、食堂、浴室なども整備され全盛期を迎えた。
その後の戦国動乱や天災人災にも耐え、江戸時代には田辺藩主の庇護を受け今日に至る。

本堂から雲山閣へと続く渡廊下

渡廊下の本堂側は閉鎖中

本堂前から見た雲山閣
本堂は江戸時代の建築。本堂左手には舞台造の雲山閣が渡り廊下で繋がり、
右手には弁天堂・鐘楼がある。
更に進むと弘法の滝があるが今は枯れ滝。かつての滝壺付近から水が湧くのを見る事ができる。』
とあります。

雲山閣(拝殿)

懸造りの雲山閣

本堂から見た弁天堂と鐘楼

弁天堂近影

銀杏に囲まれた鐘楼

石段から見上げた鐘楼
一面銀杏の黄葉が映える。

鐘楼の脇を抜け奥にある滝へ

地面は銀杏の絨毯

途中から見た三重塔

滝への道
千年以上前の古刹は、岩・洞窟・泉などの自然現象に神が宿るという信仰に
由来するものが多々あります。当院もその例に漏れないと考えると、
最奥にある滝がここに寺院を建てるきっかけになった可能性が大です。
伝説では開山が鹿に導かれて開創したのが当院の由緒となっていますが、
後世それを改竄して鹿に結び付けたのではなどと不謹慎に想像してしまいます。
勿論しかとは分かりませんが…。

滝の近くの景色

境内の最奥にある弘法の滝
かつては注連縄の上から流れ落ちていたか。

間近で見る滝
滝は枯れたが水は今も湧き出でている。
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鹿原山 慈恩寺 金剛院(真言宗東寺派 関西花の寺二十五霊場第三番)
三重塔に続いて、左の急な階段を上った場所に建つのが京都府指定文化財となっている金剛院本堂。
『三重塔から本堂までは105段の石段を上るが、山腹一帯は楓の林が広がり、
鐘楼前にある大銀杏と相俟って秋には赤と黄のコントラストを成している。
これらの楓は細川藤孝(幽斎)の植樹とされ、境内南西にある鶴亀の庭(小池庭)と共に彼の代表作となっている

本堂へと続く石段と紅葉の隧道
三重塔前からの眺望。

階段上り口にある手水舎

石段の先に見える本堂
開山が去った後は荒廃した金剛院であるが、永保2年(1082年)第72代白河天皇の病気平癒祈願のため、
若狭の国から波切不動明王を勧請。帝の病は不動明王の力に拠って忽ち平癒した。
大いに満足した帝は荒廃していた当山を復興。三層の塔を建立して眞如法親王を追善供養し、
勅願寺として「慈恩寺」の寺号を下賜した。
本尊が阿弥陀如来から波切不動明王に代わったのはこの時である。

階段途中からの眺め

階段を上った先にある本堂の唐破風向拝

階段を上り切った場所から
次いで第74代鳥羽天皇の皇后美福門院得子も深く仏法に帰依し、
平忠盛を造営奉行に命じ、久安2年(1146年)新たに阿弥陀堂を建立して
堂塔を修復するなど御願寺として保護した。

本堂近影

本堂説明

本堂前面の向拝下にて

向拝の欄間彫刻
龍(下)と迦陵頻伽(上)。

本堂側から見た向拝の欄間彫刻

向拝下の蝦虹梁
現在、御本尊は山門を抜けた左手に建つ宝物館に保管。
美福門院が帰依した木造阿弥陀如来坐像、快慶作の木造金剛力士像等、多数の重要文化財を収蔵。
中でも深沙(じんじゃ)大将立像は快慶の無位時代のもので1mに満たない像だが力強さと躍動感に溢れる。
『西遊記』の沙悟浄のモデルとされ、全国でも数例が知られるだけでの貴重な像である。』 とあります。

深沙大将立像
入山時に貰った説明書に掲載されたもの。

立像の解説
三重塔が重文なのに対し、本堂が有形文化財止まりなのは江戸時代の再建だから。
しかし、仏像群は軒並み重要文化財の扱いを受けています。
本来、仏像は堂の内陣で拝観すべきものですが、火災に拠る焼失防止に加え、
昨今は夜間の盗難防止のため安全な場所に保管される事が殆どのようです。

金剛院説明書

金剛院御朱印(本尊)
今回拝受分(左)と平成5年拝受分だが、印・墨書の内容は全く同じ。
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鹿原山 慈恩寺 金剛院(真言宗東寺派 関西花の寺二十五霊場第三番)
山門右手の受付を経て紅葉の参道を進むと、目の前に現れるのが重文・三重塔。
境内に加え北側の鹿原公園からも遠望できる、所謂紅葉の映えスポットで、
当院の案内書等には必ずと言って良い程、取り上げられる場所です。
鹿原山慈恩寺金剛院(かわらさんじおんじこんごういん)は、
『平安時代初期の天長6年(829年)第51代平城天皇の第三皇子、高岳親王に拠って創建。
親王は第52代嵯峨天皇の皇太子であったが、父である平城上皇が
薬子の乱で失脚したため廃太子となった。
世の無常を感じて仏門に入った親王は眞如(しんにょ)法親王と称し、空海の十大弟子の一人として
仏教の興隆に尽力した。諸国行脚の途中で鹿に導かれて当地に立ち寄り、
深山の静けさと自然の美しさに心打たれて当寺を建立したとされる。

三重塔を目指して紅葉の参道を往く

参道左手に聳える千年榧
高岳親王の御手植えと伝わる。

榧を拝んで更に奥へ紅葉の隧道を往く
貞観4年(862年)、法親王は83歳の高齢で入唐。更に天竺を目指したがマレー半島南部で客死したと伝わる。
法親王が入唐のために当寺を去ってから寺は荒廃した。
三重塔は永保3年(1083年)、眞如法親王の供養のため創建されたもので、正式名は金剛院塔婆。
現在のものは室町時代の再建で、各層の間を狭くして軒を深く見せた巧みな構造を有する。
方三間・杮葺、初重内部に四天柱と来迎壁・仏壇と言った室町時代の特色が示されている。
塔内には開祖である眞如法親王坐像が安置されている。四季の景色に溶け込む姿は、
三島由紀夫の 『金閣寺』 にも登場し、優雅な三重塔とされる。』 とあります。

紅葉の隧道を抜けた先に見える宝篋印塔と重文・三重塔

三重塔近影

三重塔解説
至高の身分に生まれ皇太子とされながら、父親が政争に【敗退し】たため廃太子となり【交替し】。
高貴な身分に生まれた事が必ずしも幸せとは言い切れませんが、高岳親王の場合、
己の預かり知らない所で、歴史に翻弄された悲劇の人といえるでしょう。
普通なら腐ってしまうところですが、当時の最先端であった空海に師事して仏教を極めようとしたところがエライ!
当寺を開創した後、更に仏教を極めようと80歳過ぎで入唐。
囲碁の名人であった親王は、彼の地で唐の最高位の名人に惜敗したとも伝わっています。
皇族には強烈な個性を持った方も居られますが、高岳親王は極く真面目な方だったのでしょう。
皇族の道楽と言ってしまえば身も蓋もありませんが…。

三重塔に祀られた開基に参拝

塔の内陣に置かれた開基・真如法親王座像

塔の屋根と垂木・木鼻等の組物
マレー半島で志半ばで没した悲運の皇子とされますが、彼自身には後悔などなかったでしょう。
第二の人生を仏教に捧げた【ぶっきよう】ながら見事な【稀】な生き様と言えます。
余談ですが、幻想・異端文学の大家であった澁澤龍彦氏の遺作が『高岳親王航海記』。
還暦を待たずして逝去された氏ですが、高岳親王の生き方に共感するところがあったに違いありません。

本堂への階段から見た三重塔

紅葉越しに見下ろす三重塔

鹿原公園から見る三重塔

三重塔の水煙
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鹿原山 慈恩寺 金剛院(真言宗東寺派 関西花の寺二十五霊場第三番)
昨日は18時に京都市内でのイベントに参加。その合間を縫って市内から少し離れた場所で紅葉狩。
場所は130㎞離れた丹後の舞鶴市。近頃は、丹波の「森の京都」と共に「海の京都」で売り出し中だとか。
東舞鶴駅近くの舞鶴赤れんがパークで電動自転車を借りて二ヵ所巡礼。

右手に現れる奉行杉
平清盛の父忠盛の御手植えと伝わる。

駐車場から見た金剛院
パーク前の27号線を東へ6㎞、鹿原(かわら)と書かれた交差点を鹿原川に沿って
南東に0.8㎞行き右手に巨大な奉行杉が現れたら寺も間近。
鹿原の地名は開山である眞如(しんにょ)法親王が諸国行脚の途中で鹿に導かれて当地に立ち寄り、
深山の静けさと自然の美しさに心打たれて当寺を建立した事に由来。河原に建立したからではありません。

鹿原川に架かる朱塗の端を渡り山門をくぐる
境内への入口はここのみ。

橋の上からの眺め

反対側の景色
紅葉はこの奥に続いている。
川に沿って進み、広い駐車場を挟んで左手に白壁で囲まれた寺院が一ヵ所目の金剛院。
遠くからでも全体が赤く見えるほどですが、それもその筈「丹後のもみじ寺」として関西花の寺
第三番札所になっています。10時前でしたが、車も参拝者もそれなりの数になっていました。
山門を過ぎてほぼ正面が寺務所。御朱印等はここで拝受できますが、
メインの紅葉を見るには山門右手の参道を進む事になります。

境内側から見た山門

先ずは寺務所へ
この周辺だけならば入山料は不要。

寺務所玄関前には赤い実のピラカンサスが

寺務所玄関からの眺め
正面に建つのは宝物館。
楓を植えたのは舞鶴城主だった細川幽斎。理由の記述はないものの、文武に秀でた彼の事、
百人一首の猿丸太夫の歌に着想を得たと想像するのも一興です。
平安初期に遡る古刹ですが【こんごう】は、紅葉の【効用】で多くの人が【来よう!】となるに違いありません。

寺務所の前庭と奥に見える拝観受付

山の借景を見ながら受付へと向かう

受付の先は紅葉の絨毯
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粟津駅前 → レンタサイクル25分 → 那谷寺 → 粟津駅前
[路線バス] 粟津駅前(9:55) → 那谷寺(10:12) → 徒歩5分 → 那谷寺 → 那谷寺(11:30) → 粟津駅前(11:44)
JR粟津(12:11) → JR大聖寺(12:24) → 徒歩10分 → 十二寺院群 → 宗寿寺 → 全昌寺 → 実相院 → 徒歩5分 → JR大聖寺(14:29) → JR福井(14:59→15:08) → サンダーバード28号 → JR大阪(17:06)

金龍山 実性院(曹洞宗)
大聖寺巡礼の最後を飾るのは実性院。国道8号線に面し、
寺院群の中で最も南にある寺でもあります。
金龍山実性院(きんりゅうざんじっしょういん)は、
『大聖寺藩の菩提寺である加賀曹洞宗の名刹。境内には様々な草木が植えられているが、
就中秋に可憐な花を咲かせる「白萩の寺」として知られる。
万治3年(1660年)大聖寺初代藩主・前田利治公が逝去に際し、
公の御戒名の院号からその名が付けられた。

入口の案内板

参道の正面に建つ本堂
少し前なら参道両脇には白萩が咲き誇るらしい。

本堂玄関と金龍山の扁額
但し、入口は右手の廊下側から。

玄関前から入口を振り返る
山門から真っすぐ伸びる参道脇には白萩が植えられ、正面には釈迦牟尼仏を祀る本堂が建つ。
その左奥には歴代藩主の御霊屋、右奥には書院が続く。
奥書院と呼ばれるその場所は藩主との謁見の場とされ、
書院造の意匠を凝らした二間の床の間に違い棚を設ける。
また書院からは築山池泉様式の庭園が望め、明暗の趣向と四季の風情を楽しむ事ができる。

受付を過ぎ本堂へ向かう

萩越しに見る本堂

本堂前の廊下
右手は書院へ続く。

本堂内陣の御本尊

御本尊の釈迦如来
手前には九谷焼の狛犬が一対置かれる。

説明はないが、宗祖や中興の祖等の木造か?

大聖寺藩御用窯元の九谷焼
本堂前の道を抜け、右に坐禅堂、左に十六羅漢堂を見て石段を上った場所が前田家廟所。
藩祖から十四代までの墓が祀られている。十万石の外様大名で歴代藩主の廟が一ヵ所に
造られているのは全国的にも珍しく、藩祖の側には殉死した三名の家臣の墓も建つ。
墓石は五輪塔で、宇宙は空輪・風輪・火輪・水輪・地輪の五つの要素から形成される
という仏教の要素を表したもので、日本特有のものとされる。』 とあります。

奥書院
白布の掛けられたテーブルは会議用?

書院造りの意匠を凝らした二間の床の間に違い棚

書院から臨む庭

築山池泉様式の趣向の庭園

縁側から見た池とその畔の老木

書院軒下の構造
白萩の寺と謳っているだけに、土塀や本堂へ続く参道脇には萩が多く植えられていましたが、
さすがに11月であれば花は散った後。花の盛りにはさぞかし云々と想像するに止まりました。
萩は赤白ありますが、白に拘ったのは白山信仰に拠るのでしょうか?

坐禅堂入口

薄暗い坐禅堂内部
ここにも羅漢堂はあり、祀られているのは十六羅漢。ガラス越しの拝観で、
良く出来た作品に見えましたが、全昌寺の五百羅漢と比べるとやはり見劣りがします。
製造年代が違うこともありますが、江戸後期にもなると大名を含めた武士よりも
町人の方が経済力を持っていた証といえそうです。

十六羅漢堂入口

ガラスケース内の十六羅漢
羅漢と同時に文政3年(1820年)に製作された持国天・多聞天が安置されている。
最初に訪れた宗寿寺が旧城主の菩提寺なら、当寺は江戸時代の殆どを納めた藩主の菩提寺。
歴代藩主の廟所は本堂を抜け、高台にある墓地の更に上に。藩主だから当然ではあります。
また奥書院やそこから眺める庭園は他の寺院よりも優れた印象を受けました。

本堂を抜け歴代藩主の墓所へ

大聖寺藩主の墓所(前田家廟所)

墓所山頂広場には初代から14代までの墓が一堂に会す

墓所と五輪塔の説明
本堂内には九谷焼が展示されていましたが、これは単に名産というだけではなく、
初代藩主前田利治公が金山開発の過程で陶土を発見し、九谷焼を興した事に拠るとか。
幕府の眼を逸らすために武よりも文に力を入れた加賀藩の努力が実ったとも言えますが、
町人の力を敢えて抑え込まなかったのは大藩ゆえの余裕でしょうか?
書院の違い棚一つとってもこれが他藩との【違いだな!】と感じた次第です。

実相院説明書

実相院御朱印
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粟津駅前 → レンタサイクル25分 → 那谷寺 → 粟津駅前
[路線バス] 粟津駅前(9:55) → 那谷寺(10:12) → 徒歩5分 → 那谷寺 → 那谷寺(11:30) → 粟津駅前(11:44)
JR粟津(12:11) → JR大聖寺(12:24) → 徒歩10分 → 十二寺院群 → 宗寿寺 → 全昌寺 → 実相院 → 徒歩5分 → JR大聖寺(14:29) → JR福井(14:59→15:08) → サンダーバード28号 → JR大阪(17:06)

熊谷山 全昌寺(曹洞宗) 五百羅漢堂
江戸初期・中期と全昌寺には特徴的な人物が出ますが、幕末を飾るのが五百羅漢像。
当寺の拝観料は¥500ですが、山口玄蕃の菩提寺、芭蕉と曽良の句碑と言うよりも、
五百羅漢の存在が拝観料を採る理由でしょうが、五百というのも【エン】があります。
羅漢様は本堂ではなく専用の五百羅漢堂に鎮座。

五百羅漢堂正面

羅漢像説明

こちらは本堂内陣に置かれた説明
『五百羅漢は、当寺第十二世・良牛和尚が願主となり、檀家総代吉野家喜兵衛を世話方として
金沢藩及び大聖寺藩の御広敷、武士、町人等の寄進により完成。
尊像作者は京都の仏工・山本茂祐で、慶応3年(1867年)に先ず200体を作製。
以後、明治初年にかけて残り300余体を完成させた。材質は檜で玉眼を入れ、
下地は本堅地塗で極彩色を施している。

羅漢堂内陣
意外にも撮影はOK。

中央に安置された釈迦如来
普賢(左)と文殊(右)の両菩薩が脇侍を務める。

御本尊に近いのは十大弟子か十六羅漢か?

羅漢立像近影(本尊に向かって左側)
安置された位置から見るに古参弟子?
釈迦三尊、四天王、十大弟子、五百羅漢の計517体の仏像が完全に具備し、
夫々に尊像名、施主の紋章や家名が記されている。
更に仏工の仕様書や寄進者を記録した台帳が保管されており、江戸末期の大聖寺領内に於ける
有力な武士や町人を伝える資料として極めて貴重なものである。』 とあります。

羅漢立像近影(本尊に向かって右側)

壁に並べられた羅漢坐像(左)

羅漢坐像(右)
この羅漢像を造るに当り尽力したのが、良牛和尚と吉野家檀家総代。
名前からして牛丼を連想するような名前です。
五百羅漢は参道左手に造られた五百羅漢堂内に鎮座。五百羅漢は各地に残りますが、
石見銀山大森・加西北条・越中長慶寺・川越喜多院は全て野外の石仏。
そのため風雪で摩滅した状態。屋内にあるのは、彦根の天寧寺くらいだったでしょうか?

羅漢座像近影
立像よりも小振りだが丁寧に造られている。

座像の台座には番号が…
堂内は間近まで行って拝観できましが、俗な言い方をすれば非常に濃い表情。
五百羅漢は釈迦の弟子ということですが、釈尊は天竺の方なので、
弟子たちが我々とは異なる風貌なのは現実に即したものと言えます。
屋内と言う事もありますが、ここの羅漢像は保存状態が良いのが特徴。
極彩色の像を見るにつけ、極楽浄土を表そうとしたのでしょうが、
特に青色が印象的。さすが九谷焼の産地だけの事はあります。

青色が映える羅漢像
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熊谷山 全昌寺(曹洞宗) 山門左手に建つ句碑群
山門から境内を左手に進むと一連の句碑が。当寺は、
『元禄2年(1689年)8月、俳聖・松尾芭蕉と曽良が「奥の細道」行脚の途中に立寄った事でも知られる。
山中温泉を出発した芭蕉は大聖寺に着き当寺に宿泊。翌日越前に向かった。
弟子の曽良は師に分かれ一日前にやはり当寺に一泊して伊勢の方に去った。
その時に詠んだ句は後世、句碑として境内に残る。

寺の案内板にも芭蕉の事が記されている

二人を記念する「はせを塚」と「曽良の句碑」が境内に建つ
・庭掃て 出でばや寺に 散る柳 芭蕉
・終夜(よもすがら) 秋風聞くや うらの山 曾良

句碑の解説
これらは大聖寺の俳人二宮木圭(もっけい)らに拠って、
遅くとも明治中期頃には建立されたと言われる。
境内にはその木圭らが詠んだ「全昌寺と柳の句」の石碑や、
大聖寺出身の作家・深田久弥が芭蕉忌に詠んだ句碑が建つ。

奥の細道の部分

大聖寺出身の作家・深田久弥が詠んだ句碑

句碑解説

こちらも地元出身の俳人・二宮木圭の句碑

全昌寺と柳の句
寺宝には兆殿司の作と伝えられる絹本着色釈迦三尊十羅刹女図、太閤秀吉朱印状に加え、
杉風作の芭蕉木像がある。』 とあります。
句碑を過ぎて【奥の細道】を行けば、大聖寺城主山口玄蕃之墓に至り、
その途中には死後の六道を表す六地蔵石幢(せきどう)も鎮座。
江戸初期?の全昌寺を代表する人物が山口玄蕃頭宗永ならば、
江戸中期の全昌寺を代表するのは芭蕉と曽良の奥の細道コンビ。
曽良はここで分かれて旅の空となるので、二人での詠はここが最後と言えます。

句碑の奥の細道

六地蔵石幢

石幢の説明

山口玄蕃の墓所と首塚
奥の細道は江戸を出て奥州街道を北上、仙台藩から平泉を経て奥羽山脈を横断。
象潟から日本海を南下して大垣で結び。非常に長い旅ですが、おおまかな言い方をすれば、
仙台以降の句に名吟が多い印象が。
これは旅の目的が、日光東照宮普請に関わる伊達藩に不審な動きがないかどうかを確かめるという
幕府の命があったからで、仙台での使命を終えて初めて俳句に没頭できたからでしょう。

本堂内にある木造芭蕉坐像は弟子の杉山杉風(さんぷう)作
杉風は関八州の川魚の仲買人の総元締めという職にあった。

本堂と書院の間の中庭
秋海棠(ベゴニア)が有名とある。
境内には二人に肖ってか、二宮木圭・深田久弥など後世の人々が挙って詠んだ足跡が残っています。
また本堂と書院の間には俳句の間がありますが、芭蕉や曾良がその場所で
句をひねったとは考え難く、後世の仮託と言えそうです。
芭蕉と曽良と言う文学史上の巨人が立寄ったのは、寺にとっても【もっけい】の幸い、
泉下の二人は「そら見た事か!」とほくそ笑んでいるに違いありません。

本堂と書院の間の「俳句の間」

いかにもそれらしく芭蕉と曽良の句を掲げる

これは俳句の間というよりも茶室か?
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熊谷山 全昌寺(曹洞宗)
宗寿寺の後は、寺一つ隔てた全昌寺。
広い境内の手前には瓦葺の立派な山門と寺標が建ちますが閉鎖中。
さてはと通用門らしき入口から入って受付を探すも分からず。
どこから入ったものかと、境内をうろついていると、「こっちです!」の声。
危うく無断侵入になるところでした。

道路に面した山門と寺号標
但し山門は閉鎖中で、右側の通用門から入る。

全昌寺由緒
見所は本堂と五百羅漢堂の内部、加えて境内に建つ芭蕉と曽良の句碑の三ヵ所ですが、
拝観者のお目当ては五百羅漢像。但し巡礼の作法に従って、本堂内陣からスタート。
御本尊参拝だけと思っていましたが、西国三十三観音像・十六羅漢像・涅槃図が周りを取り囲み、
書院には駕籠や前田利昌公愛用の甲冑も展示。さながらミニギャラリーの趣です。
前田家から分かれた大聖寺藩なので前田家所縁の品があるのは当然ですが、
当寺はそれ以前の藩主にも深い関りがあります。

境内の眺め
左が本堂、中央に書院、右が受付。

境内から見た山門
熊谷山全昌寺(ゆうこくざんぜんしょうじ)は、
『大聖寺城主・山口玄蕃頭宗永の菩提寺で曹洞宗寺院。釈迦牟尼仏を本尊とする。
元は山代にあったが、慶長2年(1597年)宗永の信仰を得て大聖寺に移転。自らの菩提寺とした。
山口玄蕃頭宗永(げんばのかみむねなが)は天文14年(1545年)、
織田信長に仕えた武将山口秀景の子として生まれた。
豊臣秀吉に仕えた後の慶長2年(1597年)小早川秀秋の付家老となり、
慶長の役、領内の検地では秀秋を補佐。しかし主君の秀秋とは折り合いが悪く、
秀秋が慶長3年に越前へ転封されると大聖寺城の独立大名になった。

正面から見た本堂

本堂玄関
内陣へはこちらから。

玄関の扁額は「熊谷山」ではなく「熊谷峰」

本堂玄関前から見た書院玄関
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宗永は西軍に与したが、そのため金沢城の前田利長の攻撃を受ける。
これは関ヶ原の前哨戦というべきものであったが、2万の前田軍に対し、5百の山口軍は衆寡敵せず。
8月3日に大聖寺城は落城、宗永・修弘父子は自害した。

本堂内陣

内陣に掲げられた「全昌寺」の扁額
江戸時代の大聖寺は、当初は加賀藩の城代、後には郡奉行が支配するが、
寛永16年(1639年)加賀藩二代藩主利常が三男利治に7万石を割いて
加賀藩支藩の大聖寺藩が成立した。
大聖寺藩主は山口家から前田家に代わったが、境内の墓地には山口宗永公の招魂碑、
久谷創始期の奉行・土田清左衛門、大聖寺藩文人・草鹿蓮渓一門、
心陰流達人・関新五右門の墓がある。』とあります。

内陣の御本尊

中央には釈迦如来、脇侍には日光・月光の二菩薩?

御本尊の脇には十六羅漢像(右)

同じく十六羅漢像(左)
山口宗永は一介の武将から大名にまでのし上がった人物。
若い小早川秀秋を補佐して功績があり、それだけの器量を持った人物だったのでしょう。
そんな英傑が戦下手な石田三成、反りが合わない旧主小早川秀秋の属する西軍に
与したのは理解に苦しみますが、彼なりの勝算があったのでしょうか?
唯、隣接する金沢城に居たのが前田利長だったのが不運。
善戦したとはいえ、というよりも善戦したが故に落城の悲劇となったと思います。

本堂に繋がる書院

書院の展示室

前田利昌公の甲冑と達磨の掛軸

本堂内陣手前に吊るされた二駕籠
関ヶ原の前哨戦に敗れた山口玄蕃頭の菩提寺が【ぜんしょう】寺と言うのも皮肉な話ですが、
当寺に参拝しなければ彼を知る事はありませんでした。
成程、歴史を知るには【げんば】を訪れるに如くはありません。

全昌寺説明書

全昌寺御朱印
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大聖寺山ノ下院群
那谷寺参拝を終えて粟津駅に戻ると12時過ぎ。帰宅のサンダーバードまでには
まだ2時間程余裕があるので県境の大聖寺で下車。
以前、吉崎御坊訪問時に駅からレンタサイクルで向かいましたが、
観光案内所で頂いたパンフに拠れば、駅から徒歩圏内に寺院群かある模様。

寺院群の案内板
大聖寺とは
『古くは白山信仰の中心、白山五院の一つに大聖寺があったと言われるが今は地名にのみ残っている。
江戸時代には加賀藩前田家の分家として大聖寺藩前田家が統治。
本家と異なり七万石(後に十万石)の小さな城下町であったが、
独自の文化や美意識が生まれた事でも知られる。

JR大聖寺駅スタンプ
(上) 民営化後1990年代 (下) 2006年JR西日本金沢支社印
駅から南西へ10分程歩いた山麓に広がるのが「山ノ下寺院群」。
外敵から城下町を護るために加賀大聖寺と越前との国境付近に
大聖寺藩が戦略的に寺社を集めたとされる。
神明町から下屋敷町にかけての一帯、熊坂川沿いに七寺院と一社が並ぶ。
移転に際し、浄土真宗の寺は城下の町中に、曹洞宗・日蓮宗・法華宗・浄土宗の寺が
この通りに移された。』 とあります。

寺院群の散策ルート

街並みの石碑
大聖寺という名の寺院はなく、その代りに大小寺が七ヵ寺、神社が一社。
全て巡礼するには駆け足ですが、パンフには拝観料の要る寺院が三ヵ寺と程よい数。
そこで遠くの寺院から近くの寺院へと「遠攻近交策」を採用。
通りの北端付近に巨木が聳えるのが宗寿寺。

道路に面した宗寿寺入口

参道両脇に建つ御題目を彫った石標
久昌山宗寿寺(きゅうしょうざんそうじゅじ)は、
『日蓮宗寺院、法華経の守り本尊として鬼子母神を祀る。
山門の黒門は大聖寺藩の関所門を移築したものである。
山門を過ぎた脇にある巨木はスダジイ。
幹周5.7m、樹高14.5m、枝張りは東西16m、南北19.5mに達する。

山門とその奥に聳えるスダジイ

山門近影
大聖寺藩の関所門を移築した黒門である。

山門の説明碑

境内側から見た山門
このスダジイは地上10~11mの主幹上にスギ・ヤマウルシ・ウメモドキ・タブ・ネズミモチ・
ハイイヌツゲ・ツタウルシの七種の樹木を着生させ、特にスギの癒着は大木となっている。
その実態は珍奇で景観も特異、当地の自然植生を示す貴重な例として
自然保護及び学術上価値が高く、加賀市指定文化財(天然記念物)となっている。
また本堂裏手には池泉回遊式庭園がある。』 とあります。

天然記念物・スダジイの巨木

スダジイ解説
黒門といっても市場ではなく、小さいながらも重厚な造り。関所ならば当然と言えます。
その奥に聳えるスダジイは自然共生の巨木で今風に言えばダイバーシティ。
その実は渋みが少なく、マテバシイと共にあく抜きなしで食用になる貴重なものです。

本堂脇から見た山門とスダジイ

鐘楼近影
この二つは御本尊に参拝せずとも無料で見ることができますが、本堂奥にある庭園は有料。
御朱印を御願いしてその旨を話すと、快く拝観できました。庭園に先立ち本堂へお参り。
右手に鬼子母神が祀られていましたが、住職夫人話では、法華経の守護神が鬼子母神だとか。
下総の法華経寺などで鬼子母神をお祀りしていた理由が分かりました。

山門屋根瓦の梅鉢紋

正面から見た本堂
雪国らしく重厚な木の扉が印象的である。

本堂に掲げられた山号の扁額

本堂内陣の様子
正面奥は宗祖の像か?
本堂手前の境内からは想像できない程広い庭ですが、遠く山と一体化するような造園が
それを強く印象付けるのでしょう。池泉回遊式とありますが池は目立たず、
低く刈られた植込みとその間にある石燈籠、その奥に伸びる紅葉が対照的。
私 ; 「作庭は江戸時代ですか?」
住職夫人 ; 「いいえ先代住職が永年に亘って植えたものです。」
私 ; 「維持管理も大変ですね。」
住職夫人 ; 「中央奥に目立つ楓があったのですが、枯れてしまって…。」
夢窓疎石のように造園に秀でた僧侶も居ますが、分業の進んだ現代では非常に稀な事。
こんな庭を¥200で鑑賞できるのも有難いと感謝した次第です。

庭園(左)
正面奥が枯れてしまった楓の古木。

庭園(中央)
躑躅の刈込の間に低い石灯籠が置かれる。

庭園(右)

宗寿寺御朱印
[参考書]
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自生山 那谷寺(真言宗)
書院拝観に続いてその奥に広がる庭園散策。庫裏庭園とは一味違う趣があります。
『書院奥に広がる庭園は琉美(るんび)園。釈尊生誕の地・ルンビニ園に因む命名である。
作庭は「昭和の小堀遠州」と呼ばれ足立美術館、ボストン美術館の庭園を手掛けた造園師・中根金作。
隧道入口右の石碑の揮毫は第66代首相三木武夫の手になる。

木々のトンネルを抜けると…

琉美園紹介

隧道は普門閣前へ続く

三木武夫元首相の揮毫に拠る石碑

「昭和の小堀遠州」の手になる作庭

こちらは築山を表現?

庭の奥に書院と金堂華王殿が見える
園の中央池にあるのが三尊石。その自然石の岩面が三つに分かれている事から
阿弥陀三尊に譬えられ、三尊石(さんぞんせき)と名付けられた。
この三尊石より滝を落とした庭園が寛永年間1640年に作庭されたが、その後荒廃。
現在の庭は東側に新しい庭園を加えて昭和55年(1980年)に復元されたものである。』
とあります。

池の奥に聳える三尊石

三尊石と庭園の説明板

顔の部分に注連縄が張られている

園内の小川は三尊石前の池から流れ出る

川に架かる石橋
庭自体は造園師の手になるものですが、ここのメインは池の中央に聳え三尊石。
三つに割けた岩面を阿弥陀三尊の顔面に見立てたものですが、阿修羅でなく
阿弥陀に見立てたのがミソと言えます。
庭園も天竺のルンビニへの見立て。書院庭園とはまた違った庭と言えます。
落ち葉も多く掃除も大変でしょうが、ルンバがしてくれるのでしょうか?

琉美園の奥に建つ茶室?

茶室入口

茶室内部の様子

茶室脇の蹲と石灯籠

園内の紅葉

山茶花

岩を覆う苔

杉苔近影
こうして山内の全ての拝観を終えると11時過ぎ。
粟津駅の電車まで1時間あったので、門前の花山亭にて昼食。
店の名は那谷寺と命名した花山法皇の由来でしょう。注文はそのものズバリ「那谷寺そば」。
【ナタ】デココでも入っているかと思いましたが、寺で食される胡麻豆腐付でした。

山門前の花山亭

昼食は「那谷寺そば」 ¥1000
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自生山 那谷寺(真言宗) 重文・書院への入口
金堂華王殿で御朱印を拝受した後は、特別拝観の書院へ。
前回もあった筈ですが、全く記憶になし。当時、拝観はなかったのでしょうか?
『那谷寺が天正の戦乱(1575年)で諸堂伽藍が焼失した際、
先ずその復旧を図り仮御堂として建てたのがこの書院である。

入口からの書院の眺め

畳の上に置かれた由緒書き

由緒書き遠景

衝立とその上に吊るされた駕籠
当山の住職が用いたか?
寛永17年(1640年)、加賀藩主前田利常はこの書院に在って、
山上善ヱ門・後藤祐乗等の名工を多数用いて諸堂再建に当たった。
書院は全て京間造り、南二間は仏間兼対面の間、東は装束の間、
庭に面した北の間を利常公御成の間とし、玄関は土天井になっている。
武家書院造として国の重要文化財に指定されている。

書院廊下

縁側からの中庭の眺望

書院右手奥にあるのが庫裏庭園

書院屋根の紅葉
庫裏庭園は書院建築に伴い寛永年間に作庭されたと認められ、前田利常が小堀遠州の指導を仰ぎ
加賀藩造庭奉行の別部卜斉に命じて造らせた名園である。国の名勝指定園となっている。
元の庭区は広く東方まで広がっていたが、今は書院の北東部のみに縮小されている。
西方を茶室・如是庵、東方を小池に限られた平庭で、東寄りの奥まった所に
三尊石の石組みを立て景の中心とし、庭面には景石を多く配し、飛石を多く打つ。
全体としての構成は簡素であるが、椎の老木や苔に覆われ幽邃古雅な趣を見せている。』
とあります。

縁側より見た書院

庭に面した御成りの間

さすが「花嫁のれん」の加賀だけの事はある

これが説明にある茶室か?
寺院に書院があるのは不思議ではありませんが、ここは再建の拠点として建てられた仮本堂。
仮であれば完成後は取り壊し、無造作に造っても良さそうですが、丁寧な造りとなっていました。
結果的に残されて後世に伝わる事に。贈呈された造庭と言えますが、
その基になったのは百万石のプライドか、職人気質かは分かりませんが…。

書院縁側より見た庫裏庭園

蹲と飛石

庭園の奥まで続く飛石

庭の向こうには金堂華王殿が垣間見える
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