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【往路】上田駅(6:50) → (上田交通) → 別所温泉(7:19)
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宝珠山 龍光院(曹洞宗)
歴史に翻弄された若武者に思いを馳せながら境内を巡った後は正面の本堂へ参拝。
北条から方丈へ移った事になります。本堂は特に拝観している様子はありませんが、
扉を開けて外陣から御本尊に参拝することができました。堂内を見渡すと目を惹くものが一点。

本堂内陣の正面

御本尊 釈迦如来に参拝
『寺宝には狩野永琳筆の六曲屏風があり本堂に展示している。作者の狩野永琳は
西前山の保科氏の生まれで、江戸に出て中橋狩野派・狩野高信の門に学び、
文化5年(1808年)師の代理として京に赴き、御所で龍の絵を製作中に死去したと伝えられる。
所蔵の作品は花鳥8枚、人物4枚の計12枚の絵を六曲一双の屏風に仕立てたもの。

富士山?の衝立の奥は書院へ続く

本堂脇の座敷
それぞれの屏風は両端に花鳥、その内側に人物を二人向き合わせ、
中央の二枚は共に同じ季節の草花と鳥や蝶を描いている。
写実を基本とした画風は力みが無く、温和な纏め方をしている。
人物は中国の「竹林の七賢人」のうちの四人を描いたものとされ、
「紙本花鳥人物屏風」として上田市指定文化財となっている。
また参拝者のために寺の周囲や畑などで採れた山菜を用いた精進料理を供して居り、
禅の心を活かした料理として人気を博している。』 とあります。

何気なく置かれた「紙本花鳥人物屏風」

これは竹林の七賢

こちらは花鳥図 「牡丹の鷹」か?
裏手に回ってみると山なのでここが事実上の行き止まり。
本堂脇には坐禅堂が建ち、寺務所脇には木魚の原型とも言える
開梆が(かいぱん)が吊り下がっており禅宗寺院らしさが漂う場所でした。

山が間近に迫る本堂裏手は庭の様な雰囲気

本堂脇に建つ坐禅堂

「選佛場」の扁額

時刻を知らせる 開梆が(かいぱん)
塩田北条氏の菩提寺というのが当院の売りですが、本堂内の屏風や精進料理など、
そこで終わらなかったのが凄い所。
尤も寺務所で伺った所では、コロナのために精進料理は休業中との事。
りーずなぶるに加えて彩も鮮やかで非常に残念ではありますが、
中先代のようにもう一花咲かせてくれる事を期待したいものです。

寺務所で頂いた説明書
精進料理だけカラー版。

龍光院御朱印 (平成10年拝受)
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宝珠山 龍光院(曹洞宗)
塩野神社から道を東へ暫く行くと黒門が現れますが、これが次の巡礼先の龍光院。
但し、黒門よりも両脇に聳える欅と榧の巨樹の方が遥かに大きく、門は申し訳程度に見えます。
寺へは黒門脇の道路を行くのがメインのようですが、徒歩の私は黒門を潜り参道へ。
道路と違ってこちらは両側から刈込が迫る狭い道。この差は何なのでしょうね。

門前右側に聳える大欅

こちらは左側の大榧
宝珠山龍光院(ほうじゅさんりゅうこういん)は、
『塩田北条氏二代国時に拠り、父義政の菩提を弔うために建立。
当初は仙乗寺と言い、鎌倉建長寺の末寺であった。
北条義政は鎌倉幕府三代執権北条泰時の弟、重時の第三子で建治3年に出家し、
この塩田の地に閑居したが、4年後の弘安4年、40歳で没した。

正面から見た黒門

茅葺の黒門屋根を保護するため現在はトタンで覆われている

参道道路側から見た黒門と両巨樹
塩田北条氏は三代五十余年この地で繁栄するが、元弘3年(1333年)新田義貞の鎌倉攻めに対し、
応戦に馳せ参じ悲劇的な最期を遂げた。現在、参道中程に初代義政の墓が、
当院東方の山を隔てた塩田城跡に国時・俊時父子の供養塔が残る。
塩田北条氏滅亡後、二百余年を経た慶長6年(1601年)、
龍光院は曹洞宗の禅寺として再興され現在に至っている。』 とあります。

黒門に続く狭い参道

参道先の右手に山門がお出迎え

塩田北条氏の所縁を示す石碑

駐車場入り口に掲げられた沿革
風雨に晒され錆びた様子が侘び寂びを誘う。
別所温泉は信州の鎌倉と呼ばれる地ですが、それも鎌倉時代に執権北条氏の一族がこの地に居を構えたから。
尤も居るだけでは駄目で、この地に鎌倉文化を積極的に扶植した事がそう呼ばれる理由でしょう。
言わば最先端の【りゅうこうじ】を取り入れた事になります。
その鎌倉も幕府の滅亡と運命を共にしますが、今一度歴史の表舞台に躍り出ます。
それが幕府最後の得宗家北条高時の遺児・時行に拠る中先代の乱。
信濃に潜伏し諏訪氏の援助を受けた時行は鎌倉を奪回しますが、
再び足利尊氏に敗れ数年後に捉えられて一生を終わります。
言わば鎌倉幕府最後のあだ花と言っても良いですが、【苦労モン】に加え
十代の若武者だった事もあって漫画にも取り上られ一躍有名になりました。

山門から境内を一望
正面奥が本堂、左が坐禅堂。

山門を過ぎて左手には観音堂

堂内に祀られている観音様
短期間とは言え、このような事績が可能だったのは、信濃の地に地盤を持っていたからに他なりません。
戦略的な目の付け所は良かったのですが、如何せん、中山道沿いだけでは勢力が少な過ぎたのでしょう。
鎌倉から各地に伸びた街道沿いにもう少し勢力があれば違った展開になっていたかもしれません。
しかし結果的に敗れたとは言え僅か十代でこのような大勝負に出たとは【泣かせんどう!】とはなりますね。

こちらは右手の新しい羅漢堂

お釈迦様の脇に控える高位?の羅漢像

こちらは入口付近
全部で十六羅漢ある。
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塩野神社(式内社 旧県社)
中禅寺の前の道路から東を見ると杉木立の間に細い道が。これが塩野神社の参道ですが、
道路の西側には大きな木造の鳥居が。ここが神社の一の鳥居で、杉並木までの距離が
218mと長いのは、かつてここで流鏑馬が行われていた名残りだそうです。

道路の東側にある神社参道

道路の西には大きな木造の一の鳥居が建つ

流鏑馬の解説
何故か中禅寺入口脇に建つ
塩野神社(しおのじんじゃ)は、
『塩野川の水源にある独鈷山の鷲ヶ峰に祀ったのが嚆矢と社伝にあるが、
歴史的には「日本三大実録」「延喜式」に登場するのが初見。
上田・小県に於ける式内五座の一つに数えられる信濃の名社である。
大宮または大明神とも称され、古来この地方の信仰の中心であった。
鎌倉時代の塩田北条氏、戦国時代には武田信玄、真田昌幸・信之等の信仰を集め、
中でも永禄11年(1568年)の武田信玄の祈願状や、天正15年(1587年)の真田昌幸の寄進状が有名で、
いずれも上田市の文化財に指定されている。
また60年に一度の「甲子祭」で舞われる「前山三頭獅子」等、多くの文化財を現在に伝えている。

深い木立に囲まれた参道を往く

参道右手にあるかつての御神木の名残り

かつての社務所か?
今は扉が打ち付けられ人の気配すら感じられない。

二の鳥居を潜りいよいよ社殿へ
拝殿は勅使殿ともいわれ、棟札に拠り建築は江戸中期の寛保3年(1743年)、
作者は上田市房山の名工・末野忠兵衛と分かる。
楼門形式の拝殿は現在のところ県内では諏訪大社と当社に確認されるのみで建築史上貴重である。

二の鳥居に続く鞘橋
下には渓流が流れる。

鞘橋の奥には拝殿が見える

正面より見た拝殿

楼門形式の拝殿
何となく不安定に見えるのは私だけ?
本殿は一間社流造で、建築は寛延3年(1750年)、作者は本殿と同じ末野忠兵衛である。
各所に雲・天女・寅・牡丹・龍等の彫刻が施され、この時代の地方作品としては
彫刻が多く用いられた作品であり、当時の様式を良く伝えている。
かつては神宮寺も付属していた大社であり、武田信玄は二十貫文の朱印地を奉献していたと言われる。
境内の森厳さは定評があり、また太鼓橋の構築、拝殿の楼閣造り、本殿の彫刻等見るべきものも多い。
社殿脇の神が降りる磐座と境内を流れる塩野川は異空間に迷い込んだような錯覚を覚えさせる。』
とあります。

拝殿の奥に建つ本殿
彫刻と組物に特徴が見られる。

本殿向拝の欄間彫刻
兎が駈けている図か?

端に突き出した龍の彫刻
神社建立の契機となったのは、境内にある磐座と山から流れ出る塩野川と言う典型的な自然崇拝。
木々に覆われた境内を行くと一層厳かな感が強まります。
しかしそんな古社も今は無人状態、中禅寺が管理しています。
明治の廃仏毀釈は仏教界にとっては激震でしたが、神社に関して有利だった筈。
これが無住になってしまったのは何故か?考えても【しおの】ない事ではありますが…。

境内の奥には様々な摂社が

中禅寺で拝受した塩野神社御朱印
こちらもロゴ入り ¥500
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龍王山 延命院 中禅寺(真言宗智山派) 重文・薬師堂
本堂参拝後は、いよいよ奥の薬師堂へ。寺の御本尊は本堂の地蔵尊ですが、
ここを訪れる人のお目当ては薬師堂と薬師如来。特異な山容を見せる独鈷山を背景に、
桜の林の中に中部日本最古の木造建築といわれる薬師堂が建っています。

本堂から参道へ戻り奥の薬師堂へ向かう

薬師堂へは仁王門を潜る
『木造金剛力士像は阿形(右)と吽形の二体で、それぞれ高さは207㎝と金剛力士像としては小振りであるが、
全体のバランスが良く怒りの表情も誇張を抑えた都風の典雅な感覚が表現されている。
この作風は平安時代後期の醍醐寺像や峯定寺像など五ヵ寺に残り、腰帯やポーズの取り方、
指の開き方などに平安後期様式の特徴があり12世紀末頃の製作と考えられる。
かつて塩田平は都と密接に繋がっていたとされ、京都より峯定寺像系の仏師を招いて
造られた事を伝える具体的な資料として貴重な像である。

仁王門を護る木造金剛力士像(長野県宝)
こちらは右側の阿像。

こちらは左の吽像
仁王門の奥には重文・薬師堂が建つ。この堂は藤原時代の「方三間阿弥陀堂形式」という造りで、
東西南北どの方向から見ても柱が4本立って居り、間が三つある様式である。
堂内中央に4本の丸い柱(四天柱)があり、その中央に本尊の薬師如来を安置しているが、
これは岩手県の中尊寺金色堂と同じ形である。

仁王門の先に建つ重文・薬師堂

後方より見た薬師堂
どの面から見ても柱が4本立っている造りである。
扉は正面に三ヵ所、残りの三方には一ヵ所ずつあり、あとは全て板を横に張った板壁になっている。
茅葺屋根の頂上には宝珠、その下に四角の台(露盤)を置き、真上から見る屋根は正方形で宝形造と呼ばれる。
このような形式は平安時代の終わり頃に行われた形式で、中尊寺金色堂などに代表される。
以上の特徴から薬師堂の建立は平安時代末から鎌倉時代初期と考えられ、中部日本では最も古いお堂と言われる。

正面の三ヵ所の扉と側面の一ヵ所の扉

宝形造りの薬師堂屋根
後方の高台にある墓地からの眺め。
本尊の薬師如来坐像は像高97.8㎝、桂材を用いた寄木造で、白鳳年間に塩野神社の本地仏として
造立された伝承を持つ。平安時代後期に隆盛した和様を基本にした造りで、
顔の表情や身体全体の表現は穏やかで丸みを帯びている。
しかし、肩や膝の張りが強く、衣の襞の彫りも深く、また両眼や唇も明快に刻まれるという
鎌倉彫刻の特徴も見られる事から13世紀鎌倉時代初期の製作と考えられている。
顔は円満で慈悲に満ちながら凛とした気品が漂う。
左手に薬壷を持つのは病に悩む衆生を救う御利益を持つ。
本尊脇に附するのは木造神将立像。像高68.2㎝、檜材の寄木造で薬師如来の眷族として
本来は十二体であるが現存するのは一体のみ。頭上の支獣を欠くため尊名は不明である。
焔髪・瞋目・忿怒の表情を露わにし、鎧を纏った武将の姿で、14世紀末の製作と考えられている。
薬師堂内の二像はいずれも国の重要文化財に指定されている。』 とあります。

薬師堂前面近影
内陣へは入れないが、扉の間から御本尊を参拝できる。

扉の隙間から参拝した本尊・薬師如来坐像と眷族の木造神将立像
いずれも国の重要文化財である。
寺院自体が山の麓にあるので当然ですが、周囲には寺院以外の人工建造物はなく、
茅葺のお堂はゆったりと佇んでいます。薬師様は人々を病気から救う仏様ですが、
薬に拠る治療だけでなく精神的な治療もあった筈。
ここに参拝した病人は、山懐に抱かれたお堂に癒された事でしょう。
そのような【心象】を持つことが出来ただけでも治癒には【じゅうぶん】だったと思われます。

平成10年に拝受した御本尊薬師如来の御朱印

薬師堂から本堂・事務所方面を見るとこんな景色
[参考書]
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龍王山 延命院 中禅寺(真言宗智山派)
独鈷山の麓に山号寺号標が建つ。
レンチャリでの塩田平巡礼は最も西の中禅寺からスタート。上田市塩田平の南方、独鈷山の麓にあります。
古刹と言うと山深い幽谷を想像しますが、山の麓ではあるものの太陽が燦燦と降り注ぐ場所。
加えて境内は花も植えられており、一見、植木市か造園の様にも見えます。
知らずに来た参拝者は花の寺と間違えそうで、いい意味で期待を裏切る寺院と言えそうです。
開門時間は過ぎていましたが受付は無人。これは困ったと思い、寺務所と思しき玄関で尋ねると、
「申し訳ありません!」と急いで走って来られました。準備中だったようで、却ってこちらが恐縮。

入口から真っすぐ続く参道の右手に建つ本堂

本堂への道はツツジが満開

ツツジの脇の庭園
その奥には巡礼姿の大師像が建つ。
龍王山延命院中禅寺(りゅうおうさんえんめいいんちゅうぜんじ)は、
『天長年間(824~834年)、弘法大師が当地を巡行した際、旱魃に苦しんでいた民衆を救うため、
草庵を結び雨乞いをしたのが始まりとされる。
山号の龍王山は独鈷山の支峰にあり、雨乞いの八大龍王が祀られている。

本堂近影
形は古風だが材質は新しい。

どことなくログハウス風な本堂前面の山号寺号の扁額

本堂内陣にお参り
その後、源頼朝や塩田北条氏の庇護を受け栄えるが、永享・寛文・享保年間に三度の火災に見舞われ
記録の多くは失われた。享保19年(1734年)になり祐精法印が中興し、現在の本堂が再建された。
本堂に祀られているのが本尊の延命地蔵尊。桂材で右手に悪霊を振り払う錫杖、
左手には願いが全て叶えられる宝珠を持つ半跏像。総体に量感があり、衣文が流れるように
下がり膝を覆っていることや、面部に張りがあるなど地方仏師の造像と思われ、
平安時代の作像と思われる貴重な本尊である。

内陣奥の御本尊は簾のため御顔は見えず

説明書にある御本尊

入山時に頂いた中禅寺説明書

今回拝受した日本遺産のロゴが入った御朱印 ¥500
境内には弘法大師修行像、水子地蔵尊などの諸仏や石造五輪塔などが安置されている。
また枯山水の庭園を始め、四季折々の草木が境内には植えられている。
令和2年には日本遺産【レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~】
を構成する文化財として、薬師堂・薬師如来座像・木造金剛力士像が指定された。』 とあります。

本堂前の内庭
その奥が寺務所。

本堂前から見た薬師堂

本堂と薬師堂の間に置かれた釈迦如来坐像
境内にあった檜の老木からチェンソーで造られたもの。

釈迦如来坐像の由緒
先に塩野池の章でも述べましたが、修行の場として独鈷を埋めた事と雨乞いの祈祷を行ったのが
ここに寺院がある主な理由。山号の龍王・院号の延命もそれに関する名前。
今でも溜め池がある位ですから、古代の人々が如何に水を手に入れるのに苦心した跡が覗える話です。

薬師堂前にある枯山水庭園全景

枯山水に描かれた波紋

波の上に置かれた岩と石灯籠

庭園越しに見える仁王門と薬師堂へ
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下之郷駅で下車
早朝から別所に向かった甲斐あって、9時過ぎには別所温泉駅に戻る事ができ次の行先は塩田平。
長野県では盆地の事を平と呼びますが、ここは上田盆地の西半分に相当します。
別所温泉は徒歩圏内ですが塩田平は最寄りの駅からはいずれも3~4㎞程。
前回は別所温泉からタクシーで向かい、三ヵ所拝観後は只管駅に向かって40分徒歩移動する羽目になったので、
以前の轍を踏むまいと今回は中之郷駅から無料レンタサイクル。
レンタサイクルは連休明けにシェアサイクルに変わるそうで、滑り込みセーフでした。
下之郷駅は上田駅以外では唯一の有人駅。かつては西丸子線が分岐したほか、行き違いも可能。
構内にはかつての車両も停まっています。
駅舎は神社風の朱塗り柱ですが、これは生島足島神社の最寄駅のようです。
神社は後回しにして只管西行。建造物が殆どなく田畑の間を走るので道に迷う事はありません。

朱塗りの柱が鮮やかな駅舎
駅員配置駅だが、残念ながらスタンプはなし。

分岐した線路の先にはかつての車両が展示中
塩田平には中禅寺・龍光院・前山寺と古刹が並びますが、温泉の湧く別所と異なり、
何故ここに寺院群があるのでしょう?と走っていると途中、塩野池という溜め池に遭遇。
『塩野池があるのは西前山と接する東前山の小字市来(いちらい)。
ここから離れた内村境に市峠があることから遠く内山の方から市に来たとの説がある。
この付近一帯には塩野川・塩野神社があることから塩野池と名付けられたと考えられる。
塩野池は宝永元年(1704年)2月の築造、正徳4年(1714年)には土手を5尺に上げる工事をしていた。
付近は日本のため池百選に選ばれる程、ため池群の多い場所。
しかし塩野池だけは標高560mの山の斜面に造られている。
独鈷山の沢筋から湧き出る水が集まり塩野川となり、塩野神社の境内を通り塩野池に注いでいる。
雨乞いの山・独鈷山の水だけを集めてできたため池である。』 とあります。

高みから塩田平を遠望

塩野池(全国ため池百選)
ここに記されているは雨乞いの山・独鈷山なのでまさに【純水】。
地図で見ると最も西にある中禅寺の奥の山。後に前山寺で訊いたところ、
「昔、弘法大師が修行場を求めて99窟まで見つけましたが、どうしてもあと一つが見つからない。
そこで持っていた独鈷を山に埋めたのが山名の由来だそうです。」 と教えて頂きました。
これが寺院群のある理由としては最も無理がありません。
解説書や案内板の何処にも記載されていない答えは【独鈷】にあったと言うオチです。

独鈷山登山口から独鈷山を望む
[参考書]
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金剛山 照明院 常楽寺(天台宗別格本山 北向観世音本坊 別所三楽寺) 寺務所
本堂参拝を終えてお堂を出ると眼前には見事な枝ぶりの松が。
これが御舟の松で祈りの別所五木として極楽浄土へ導く木とされます。
最初に参拝した北向観音で祈りの別所五木の案内を見ましたが、これで四木を拝観。
参拝する寺院境内の目立つ場所にあったので、別途訪れる必要がなかったのも幸いしました。
その後は、本堂脇の山道を抜けて裏山へ。当寺唯一の重要文化財石造多宝塔を見るためですが、
本堂・本尊を差し置いて何故多宝塔なのか?

本堂前の祈りの別所五木 極楽浄土へ導く「御舟の松」

裸子植物の松の花
『重要文化財・常楽寺石造多宝塔は、総高274㎝の安山岩製。
銘文に拠れば、天長2年(825年)火焔の中から北向観音がこの地に出現。
そこで木造の宝塔を建立したが寿永年間(1182~1184年)に焼失。
その後、弘長2年(1262年)本塔を造立し、金銀泥で書かれた一切経一部を奉納したとある。
石造多宝塔の類例は全国的に見ても少なく、特に重要文化財となると本塔以外は滋賀県の小菩提寺にあるのみである。
本塔は笠や裳階が鎌倉時代の多宝塔の典型を示しており、全国的にも大変珍しい遺例である。

本堂左の石段を上り石造多宝塔へ

多宝塔は高台の墓地の最も奥に
その両脇には一回り小さい石造多層塔が置かれ、総高163㎝の安山岩製。
大正13年(1924年)に温泉旅館裏の水道工事の際に出土したもので、
その後散逸していたものを昭和56年(1981年)故郷の地に再建されたものである。
各部位のバランスや形は古様をよく留め、多宝塔と同様、鎌倉時代の作とされる。
こちらは上田市指定文化財の扱いとなっている。』 とあります。
苔生した多宝塔と多層塔を見ただけでは「ほう、そう!」くらいしか言葉がでませんが、
ここは別所温泉の寺院の由来となった観音様が出現した神聖な場所。本堂より高台にあるのも頷けます。
古ければ良い訳ではありませんが、外見だけで中身を判断するのが危険なのは文化財も人間も共通するようです。
尚、観音様がここに「来て迎えた」から北向観音と呼ばれるようになった訳ではないので念のため。

石造多宝塔とそれを囲む石造多層塔群

石塔図解
多宝塔から辞去するに際し、本堂方面を見ると裏庭が。
説明書や案内板には全く記載がありませんが、道が続いていたので近くまで行き見学。
後ろの山を借景にした池泉回遊式庭園で、池の畔にはミツバツツジやボケが咲き
本堂の茅葺とも良いコントラストとなっていました。
本堂の内からこの庭を見るとまた違った趣を楽しむことができそうですが、
まだその時期ではないというのがお寺の判断なのでしょう。

本堂裏にある池泉回遊式庭園

池の畔はミツバツツジが花盛り
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【往路】上田駅(6:50) → (上田交通) → 別所温泉(7:19)
別所温泉駅 → 徒歩8分 → 北向観音 → 徒歩5分 → 安楽寺 → 常楽寺 → 別所温泉(9:25)

金剛山 照明院 常楽寺(天台宗別格本山 北向観世音本坊 別所三楽寺)
安楽寺で国宝を見た後は、黒門まで戻って三楽最後の常楽寺へ。
寺へ続く「さるすべりの小道」からは塩田平が一望できる見晴らしの場所、数分で常楽寺前に至ります。
拝観順にこのようなルートを採りましたが、駅から将軍塚を右折して進むのが本来の表参道。
この道に従って進むと両側に小さな祠が二基。傍らの説明板には常楽台寺の表参道を荘厳・守護していた
かつての仁王堂を再建したという由来が書かれていました。ここから見ると寺は遥か先に僅かに見える程度。
この距離を見るだけで、かつては壮大な山内を誇ったと想像できます。

「さるすべりの小道」 から塩田平を一望

将軍塚から右折すると道の両脇に祠が建つ

祠近影と説明板

祠の行き止まりには寺院への階段が
金剛山照明院常楽寺(こんごうさんしょうみょういんじょうらくじ)は、
『平安時代の天長2年(825年)、慈覚大師円仁に拠り創建。
当時、ななくり(七久里)の湯と呼ばれた別所温泉に観音菩薩が出現、
それを安置するために建立された別所三楽寺(長楽・安楽・常楽)の一つである。
鎌倉時代には塩田北条氏の庇護の下、鎌倉仏教や禅宗文化が栄えた事で、
塩田は信州の学海と呼ばれるようになった。
その中で当寺は天台教学の道場や信仰の場としてその中核を担い、
創建当時から名僧高僧がここに錫を留めている。三楽寺の一つである安楽寺の開祖
樵谷惟仙(しょうこくいせん)が16歳まで当寺で天台教学を学んだ。
また相模の称名寺の僧侶が正応5年(1292年)信濃国塩田別所常楽寺で書写されたと
記述のある「十不二門文心解」が金沢文庫に残されている。

寺院入口に到着

入口に建つ由緒記

階段を上った先に本堂の茅葺屋根が見える
正面に建つ本堂は寄棟造・茅葺で正面中央に唐破風の向拝を設けている。
御本尊は宝冠を頂いた珍しい阿弥陀如来像で、妙観察智弥陀如来と呼ばれている。
寺の分限帳に拠れば本堂(客殿)・庫裏・本尊の建立は当山46世翁玄の時代(1710~1738年在住)とあり、
本尊には享保10年(1732年)の墨書がある事から、本堂再建も本尊入仏と同じ享保17年頃考えられる。
本堂の間取りは前側に細長く広縁を採り、中央に外陣・内陣、その両脇に部屋を配置する構成で
内陣の左脇の部屋が上段の間となっている。この間取りは当初からのもので殆ど変更されていない。
間口10間は県下の江戸後期密教系寺院本堂としては屈指の規模を誇る。

正面より見た本堂

本堂から張出した向拝

茅葺屋根の端
建物の様式は、虹梁・組物・欄間が17世紀後半の比較的古い様式を残す一方、
柱が一間毎に立たないという18世紀中期以降の特色が混在しており、
享保末~元文期の再建説を裏付ける。
唯、唐破風の向拝部分のみは本堂の様式とは異なっているため後世に付け加えたとされる。
本堂の意匠は彫刻的な装飾は少ないが、これは江戸中期の本堂の特色で、
その意味で常楽寺本堂は江戸中期後半の特色を今に伝える貴重な建築と言える。
江戸時代に長楽寺が廃寺となると、北向観音は当寺の伽藍の一部として
所有・管理をするようになり今に至っている。』 とあります。

唐破風の向拝は後世に付け加えられたもの

茅葺屋根に置かれた鬼瓦

本堂の前面に掲げられた扁額
常楽禅寺ではなく常楽台寺となっている。

内陣の奥に鎮座する御本尊
上って参拝できないので外陣から参拝。

説明書に載る御本尊
北向観音で頂いた説明書にもあるように当寺が本坊で、しかも塩田平の仏教興隆の中心になった名刹。
本堂の前に建つと茅葺の屋根には趣を感じますが、全体に清潔で古びた感じがしないので、
古刹を巡るという印象は希薄。これが、前に訪れた二ヵ寺に比べ参拝者が少ない理由の様な気がします。
説明では本堂の意匠に装飾が少ないとありますが、現在、本堂の天井板には花鳥図が描かれている事に加え、
左脇の部屋には大正13年月岡耕魚筆の能楽紅葉狩の衝立、佐久出身の書家比田井天来の六曲十二双屏風、
昭和62年傅益瑶作の別所古刹風光の襖絵が置かれ堂内に彩を添えています。

本堂の天井画

本堂横の書院
手前の衝立は月岡耕魚筆の「能楽紅葉狩」 (大正13年)。

佐久出身の書家比田井天来の六曲十二双屏風

昭和62年傅益瑶(ふえきよう)作の別所古刹風光の襖絵

最も奥の襖絵
説明書きはなし。
思うに常楽寺は過去の遺物を修復して護るよりも、新たなものを取入れる方針のようで、
境内に常楽寺美術館を開設したのも同じ考えと思います。これをどう判断するかは個人の判断ですが、
長楽寺が廃寺となって北向観音堂が常楽寺の傘下に入ったというのが一つの答えになります。
唯、安楽・常楽という名に比べ、長楽が凋落に通じたことが廃寺に繋がった可能性も否定できませんが…。

北向観音で購入した常楽寺説明書

無料配布の説明書

常楽寺御朱印
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崇福山 護国院 安楽寺(曹洞宗)
本堂参拝の後は、いよいよ国宝の八角塔に御対面。別所温泉というよりも信州を代表する建造物で
別所温泉の案内にも必ずと言っていい程取り上げられています。
本堂入口脇の受付で¥300を払い入山。安楽寺自体の拝観は無料で有料なのはここだけ。
しかも8時から拝観できるのも有難い話です。これも八の縁でしょうか?
塔は本堂の裏を池の横の石段を上った先、山の中腹の高台にあり、
上っている途中からでもその姿を見ることができます。
周囲の松の緑に映えて、重厚な佇まいがどっしりと空間を支えていると言う表現がぴったりです。

本堂脇の池を右に見て八角塔への階段を上る

階段途中から見上げた塔

屋根の裏側を見上げる
『この塔の建立年代については、従来鎌倉時代末期或いは室町時代初期と言われてきたが、
平成16年に奈良文化財研究所に拠る三重塔用材の年輪年代測定法の結果、
伐採年代は正應2年(1289年)と判明。
1290年代鎌倉末期には建立された我が国最古の禅宗様建築であることが証明された。
これは信州一円に威を張った塩田北条氏が館を構えていた時代(1277~1333年)で、
当寺には宋より来朝した幼牛禅師が住職として住持していた時代に当たり、
歴史的な説が科学的な調査で裏付けられた好例である。

八角塔の下より上って来た参道を見返る

至近より見上げた塔

塔の一階部分と裳階
塔は本来釈迦の遺骨である仏舎利を奉安したものであるが、
中世以降は特定の人物や戦死者の供養のために建てられる事が多く、
この塔も北条氏の供養塔として建てられた可能性が高い。
建築様式は当時の中国宋代の先進技術であった唐様(禅宗様)で、
扇垂木・弓形連子・詰組など和様の塔とは異る重厚な佇まいを見せている。
全高は18.75m、構造形式は八角三重塔で、初重裳階付、杮葺。
四重塔にも見えるが一番下の屋根は庇に相当する裳階であるので、実際は三重塔である。
八角塔は奈良・京都などに記録として残されているが、それらが失われた今日、
我が国に残された唯一の八角塔であり、禅宗寺院に残る塔としても極めた貴重な遺構である。
平成23年には約60年振りに杮葺屋根の全面葺き替え、及び約90年ぶりに
塔頭部の相輪の補修が行われた。

裳階の裏側と組物

少し離れて見上げた塔全景

同じ目線で見るとこうなる

八角堂を詠んだ窪田空穂句碑
塔から石段を下ると開山・二世の二像を安置する傳芳堂が建つ。
二像共に嘉暦4年(1329年)の墨書銘があり鎌倉時代を代表する頂相彫刻。
当時の禅宗の地方分布の経緯を知る上で貴重であり重要文化財となっている。
更に下がった池の畔には、寛政6年(1794年)萬福寺から購入した鉄眼一切経を納めた経蔵が建つ。
方三間・塗り込め・宝形造・銅板葺でこの種の建物の代表的な物。
内部には一切経の他、傅大師に拠って考案されたと言われる輪蔵が納められ、
これを回転することで誰しも看経と同じ功徳に預かる事ができると言われている。』
とあります。

傳芳堂全景

堂内に安置された開山(右)と二世禅師の像
但しガラス張りなので、これは掲示された写真。

二像の解説

島木赤彦歌碑

歌碑の解説
八角塔が建つのは境内で最も高台ですが、説明板に拠れば塔というものは
本来下から見上げるべきもので、上から見下ろすものではないそう。
元来、塔は釈迦の遺骨である仏舎利を納めたものですから当然ではありますが、
あらためて塔の参拝の作法を知る事ができました。
かつては幾つかあったとされる八角塔ですが今や国内ではここだけ、貴重な存在と言えます。
飛鳥・奈良時代の法隆寺・薬師寺・當麻寺等の塔は全て四角。
また戦国時代以降も四角で、八角は中世の一時期のみに見られるようです。
唯、何故八角なのかについての記述はありません。

上田市指定文化財の経蔵

経蔵内に置かれた輪蔵
八角塔に関しては、契丹(キッタン・キタイ、中国名では遼)の遺跡として見た記憶があります。
契丹は北方の遊牧民族でモンゴル高原に加え、華北も領土に加えて初めて二面統治を行った国家。
その遊牧的建造物が中国に伝わり、入宋した僧侶に拠って最新の流行として本朝に伝播。
二面統治は契丹から金へと続き、モンゴルで完成。
しかしその後を受けた明王朝は遊牧民族と北方に追い遣り中華を復興する建前を採ったため、
遊牧的な文化も廃れざるを得なかった、と言うのが私見です。
八角も四角も方位が関わっているように思いますが、その理由は残念ながら思い付かず。
いずれ誰かの研究で【発覚】することを【キタイ】したいですが…。

安楽寺説明書

安楽寺御朱印 (平成10年拝受)

朱印にいくらか変化が見られた今回拝受の安楽寺御朱印
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崇福山 護国院 安楽寺(曹洞宗)
北向観音堂の後は来た道を引き返すと、七草の湯を過ぎた場所に建つのが黒門。
寛政4年(1792年)安楽寺13世南冲仏鯤和尚の時代の建立とあり 「崇福山」 の扁額が掲げられています。
これが次に目指す安楽寺の入口ですが、ここから境内までは畑を横に見てそれなりの距離。
寺院には寺号と並んで山号がありますが、古くは市街地を離れた山の中に寺は建てられた訳で、
山号は境内だけでなく寺域全体を表すそうです。
かつては広い境内だったのでしょう。信州最古の禅寺というのも伊達ではありません。

安楽寺への入口に建つ黒門

黒門に掲げられた「崇福山」の扁額

駐車場脇に立つ案内板
崇福山護国院安楽寺(そうふくざんごこくいんあんらくじ)は、
『天平年間(729~749年)の行基の創建、天長年間(824~834年)の創建とも伝わるが
いずれも伝説の域を出ずはっきりしない。平安末期には律宗寺院であったとも伝わっている。
安楽寺の記録が歴史に登場するのは鎌倉時代、樵谷惟仙(しょうこくいせん)が当寺に住持して以降の事。
惟仙が実質的な開山である。彼は信濃国に生まれ臨済宗の僧侶として13世紀半ばに入宋。
後に鎌倉建長寺開山となる蘭渓道隆が来日するに際し、同じ船で寛元4年(1246年)に帰国。
同じ船には後に惟仙を継いで安楽寺二世となる中国僧である幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)も乗っていた。

案内板から山門へと真っ直ぐに続く参道

階段の先にある山門

階段の左手にはアスナロ(翌桧)の巨木が聳える

山門前へ到着

山門からの眺望
正面に見えるのが本堂。
蘭渓道隆の記した大覚禅師語録の一節に
「建長(鎌倉)と塩田(安楽寺)は各々一刹により、或いは百余衆或いは五十衆、
皆これ聚頭して仏法を学び、禅を学び、道を学ばんことを要す云々」
とあり、安楽寺は鎌倉時代中期には既に相当の規模を持った禅寺であり、
信州学海の中心同情であった事が覗える。
鎌倉北条氏の外護に拠って栄え、多くの学僧を育てていた当寺も、
北条氏滅亡以後は、寺運も傾いて正確な記録も残らないが、
国宝・重要文化財等数多くの鎌倉時代の文化遺産を蔵して、
信州最古の禅寺の面影を今に伝える。

先ず左手に十六羅漢堂が見える

ガラス越しに見る十六羅漢像
木札には塩田平四国霊場勧請仏とある。

躑躅の生垣を抜けて本堂へ

祈りの別所五木「高野槙」 は希望の木

参道右手に建つ鐘楼
安土桃山時代になると、勅特賜・大光智勝禅師高山順京和尚に拠り再建。
以後、曹洞宗寺院として現在に至っている。
境内には本尊の薬師如来を祀る本堂の他、十六羅漢堂・坐禅堂・鐘楼が建ち、
国宝・八角三重塔のエリアには萬福寺から購入した鉄眼一切経を納めた経蔵、
開山・二世の二像を安置する傳芳堂が並ぶ。
二像は鎌倉時代を代表する頂相彫刻として重要文化財になっている。
また参道左手の高野槙は希望の木として別所五木の一つである。』 とあります。

左手にある坐禅堂

正面より見た安楽寺本堂

本堂の右側は庫裏

本堂の左側は受付・納経所
八角三重塔へはここから入山。
それにしても広い寺域で、先般の北向観音が高台で陽当たりの良い場所だったのに対し、
こちらは鬱蒼とした木々に囲まれた場所。
参道の先には釈迦如来を祀る本堂、その左手には修行のための坐禅堂が建ちます。
坐禅堂は外陣からでしたが、本堂は内陣で静かな心で御本尊に参拝することができました。
修行道場としてはそちらの方が好ましく、余り多くの参拝者が来ると修行の妨げになるからでしょうか?
特に冬場は雪に覆われて厳しそうな予感。苦労モンに安楽時が訪れる事は難しいようでした。

本堂内陣へ

内陣遠望

内陣に祀られている御本尊(釈迦牟尼仏)

欄間の菊水の透かし彫り

本堂横は書院か?
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北向山 北向観音(天台宗常楽寺支院 坂東三十三ヵ所番外札所)
温泉街の山道を抜け石段を上った場所に建つのが別所温泉のシンボルの一つ北向観音堂。
直ぐ近くに源泉が湧き、川を渡った辺りから当たり一面には温泉特有の硫黄の香りが漂います。
寺院自体は常楽寺を本坊としますが、その場所から別所温泉の寺院の中心的存在。
温泉はここの門前町として発展したに違いありません。
境内に着いた時点で時刻は未だ朝の7時台でしたが、寺は既に開門され参拝客もそこそこの人数。
電車の乗客は私を含めて二人だけでしたが、温泉宿泊客が朝から散歩を兼ねて訪れる事が多いのでしょう。
ここでは時間がゆったり流れる気がします。

境内の伽藍群

早朝から参拝者が絶えない本堂(観音堂)

年代を感じる説明板
北向山北向観音(きたむきさんきたむきかんのん)は、
『平安初期の天長2年(825年)、比叡座年略字座主の慈覚大師円仁に拠って、常楽寺と共に開創された霊場。
常楽寺の境内に金色の光明が出現、お堂の建立を告げたという伝承が今に残る。
常楽寺を本坊とし、現在でも北向観音は常楽寺の伽藍の一部として同寺が管理している。
9世紀に火災の記録が残り、安和2年(969年)平維茂は一山を修理し、三楽寺・四院・六十坊を増築したと伝えられる。
寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曽義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失。
源頼朝の命の下で伽藍復興が行われ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時に拠り再興された。

先ずは観音堂へ参拝

正面から見上げた観音堂
江戸時代の正徳3年(1713年)に火災に遭い、享保6年(1721年)に現在の堂宇が再建された。
その後、幾度かの修復を経て昭和36年(1961年)に増改築を施し、最終的には善光寺本堂と同じ撞木造りとなった。
北向観音と言うのは本堂が北に向いている事に由来するが、そのような堂は我が国でもほとんど例がない。
その由来は観世音菩薩出現の際、
「北斗星が世界の依怙(よりどころ)となるよう我も又一切衆生のために常に依怙となって済度を為さん」
と言うお告げに拠るものと言われている。

観音堂内の様子

観音堂内陣

右方より本堂裏へ

後方より見た観音堂
本堂に安置されている御本尊はあらゆる衆生の悩み・苦しみを救済する千手観世音菩薩で、
南面する善光寺阿弥陀如来と相対している事から古くから「厄除観音」として知られている。
厄除観音として南面する善光寺に詣で「未来往生」、北向観世音に参詣し「現世利益」を祈願しなければ
「片詣り」になるとされる霊場である。

横から見上げた観音堂

受付で購入した説明書
常楽寺の管轄なので、常楽寺説明書の裏面が北向観音説明となっている。

北向観音御朱印 (平成10年拝受分)
現世利益の厄除観音として昔から日本全国の人々の信仰を集め、二年詣りや
節分には数万人の善男善女で賑わう。
芸能人の参拝も多く、境内には本堂である観音堂の他、温泉薬師堂・愛染堂・不動堂などに加え、
松尾芭蕉・北原白秋の碑、新派俳優花柳章太郎の供養塔などが建つ。

不動堂全景

格子窓の隙間から見た不動堂内陣の様子
普段は外陣からの参拝である。
鐘楼の脇に聳えるのが長野県天然記念物の愛染桂の巨木。当地方では稀に見る桂の巨木(雄株)で
樹齢1200年、樹高22m・目通り周囲5.5m・枝張り14mで、樹勢は極めて旺盛である。
北向厄除観音の霊木として数々の信仰と伝説に覆われている。
伝説では天長2年の大火の際に、どこからともなく現れた千手観音がこの樹木の上から
犇めき合う避難民を救ったと伝わり、以後観音菩薩の影向した霊木として信仰されて来た。
葉がハート型をしており、作家川口松太郎はこの桂の木と境内東隅にある愛染明王堂に因み「愛染かつら」を執筆。
戦前に上原謙・田中絹代主演の日活映画「愛染かつら」として上映され人気を博した。
今では縁結びの霊木として老若男女に親しまれている。
別所温泉には他にも、北向観音の夫婦杉が夫婦円満、薬師堂のねじり紅葉が素直な心、
常楽寺の御船の松が極楽浄土への導き、安楽寺の高野槙が希望と、
それぞれ御利益を持った霊木があり、別所五木として親しまれている。』 とあります。

不動堂の向かいに建つ鐘楼堂

不動堂脇に聳える天然記念物 「愛染かつら」

別所五木に数えられる「愛染かつら」

ハート型の葉

本堂脇の夫婦杉
観音様を祀る本堂は善光寺と向い合せだそうで、現世利益を求めて参拝者が絶えません。
信濃と言えば善光寺と言う位に有名な古刹ですが、他の寺院はそれと対立・張り合うことなく
結びつく事で自らの繁栄を図ったのでしょう。当寺・布引観音・元善光寺しかりです。
これも一つの賢い選択と言えます。

温泉薬師堂
不動堂の奥の崖に造られている。

薬師堂の前に建つ北原白秋歌碑

石碑前から見上げた薬師堂

これは芭蕉句碑

新派の花柳章太郎丈供養塔
レリーフは女形か?
境内の堂宇にも劣らないのが愛染桂の巨木。私の年代は映画 「愛染かつら」 の主演二人を
リアルタイムで知る最後の世代でしょうが、その原作がここで生まれたとは驚き桃の木桂の木。
樹木自体は大昔から聳えていた訳ですから、それに着眼したのは間違いなく作者の才能。
まさか川口浩探検隊が調査に入ったとも思えません。

境内の端に建つ絵馬殿

絵馬殿内部にある仁王像

絵馬殿に続く札所観音堂
私も一場面を見た記憶がありますが、戦時中にも拘らずこのような恋愛映画が上映できたのも奇跡的。
これも観音様の現世利益の御蔭でしょうか?こうして朝7時台の参拝も無事終了。
月の比叡なく、ホロホロ鳥も鳴かず、夜風に独り行く事もない巡礼ではありました。

階段を上った左手にある愛染堂

堂内に祀られた愛染明王

観音堂前から
正面にあるのが愛染堂。
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正面の案内所右手の道路を行くと信州最古の温泉地・別所温泉
上田交所で下車すると温泉街までは一直線。別所温泉は
『夫神(おがみ)岳と女神岳の山裾に広がる温泉地。日本武尊が東征の折に発見し、
“ななくりの湯”と名付けたと言う伝説が残るが、実際は時代が下った平安時代の開湯とされる。
それでも我が国屈指の古湯で信州最古の温泉地である事は揺るがない。

駅の階段を上った先にはこのような道祖神が

別所温泉マンホール蓋
残念ながらカードは未だなし。
別所温泉駅から南に向かうと交差点にあるのが将軍塚で別名維茂(これもち)塚。
冷泉天皇の安和2年(969年)、信州戸隠山に「紅葉」と名乗る鬼女が棲み近隣住民を苦しめていたので、
勅を奉じた余吾将軍平維茂が北向観音に戦勝祈願した後、首尾よく鬼女を討ち滅ぼした。
これが将軍塚と呼ばれる所以であるが、実際は古墳時代後期に築造された当地方の有力豪族の墓とされる。

将軍塚全景

将軍塚説明板

塚の上部

墓石と石塔?
塚の向かいには地蔵堂・観音堂と小さなお堂が二つ建ち、七苦離(ななくり)地蔵堂と日本武尊の
伝説由来の名が付けられている。
相染川(湯川)に沿ってなだらかな坂を行くと温泉街。川を挟んで「かしわや本店」「中松や」などの
純和風の木造旅館が並び落ち着いた雰囲気がある。宿泊者だけに限らず、
一般観光客も利用できる天然の岩風呂をそのまま浴場とした石湯をはじめ
大師湯・大湯・相染閣の四つの共同浴場もある。
泉質は単純硫化水素泉で美肌の湯として知られ飲泉も可能である。

交差点を挟んで将軍塚の向かいにある七苦離地蔵堂と観音堂

堂内のお地蔵様

観音堂の中に建つ石造りの観音様
北向観音堂の下から湧き出る温泉は御利益のある良質の湯として、
今日まで地元の人を始め、多くの観光客に愛されて来た。
この北向観音の他、その本坊である常楽寺、国宝八角三重塔を有する安楽寺など、
周辺には鎌倉~室町時代に建立された寺社仏閣が多い事から「信州の鎌倉」とも呼ばれている。』
とあります。

道路を上った先の栄屋酒店の壁に架かる案内板

左手に進むと北向観音参道へ

温泉街を流れる湯川に架かる橋上から北向観音方面を見る

橋上から見た湯川
源泉に近付き川を渡る頃には、辺り一面に異様な硫黄の香り。
これ程の硫黄を感じたのは鳴子温泉くらいでしょうか。
いかにも温泉らしい佇まいですが、この辺りに古刹が集中しているのは、
仏教説話風に言えば源泉の湧き出す場所に仏を感得した事になるのでしょうが、
治療効果もある当地に湯治効果を見出したのが現実的です。
共同浴場には真田幸村の隠し湯・木曽義仲所縁の葵の湯と地元の有名人と並んで大師湯も。
普通、大師の湯と聞けば弘法大師ですが、ここは慈覚大師円仁。珍しいだけに
却って真実を伝えているのかもと思った次第です。

湯川の畔に湧く慈覚大師の湯

湯川に面した共同浴場 大師の湯
慈覚大師円仁が好んだことが名の由来。

参道先の階段を上り北向観音へ

別所郵便局 ; 国宝・八角三層の塔、北向観音堂、別所温泉
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温泉の日本史 - 記紀の古湯、武将の隠し湯、温泉番付 (中公新書) 新品価格 | ![]() |

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