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要眼寺 (大阪府貝塚市近木町) <要眼寺 其の壱>

2024.02.29(20:35) 1744

御坊から近き子院へ(2023.12.16)

<コース> 急行は日中15分間隔で運転
【南海電鉄】 難波(12:08) → (空港線・急行) → 貝塚(12:37) → 徒歩3分 → 感田神社 → 徒歩2分 → 貝塚御坊願泉寺 → 徒歩3分 → 要眼寺

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近木山 要眼寺(浄土真宗本願寺派)

 寺内町の中心の御坊参拝後は中之町通りを渡って直ぐの子院へ。町名も山号も近木という

文字通り【近き】寺ですが、正しくは「こぎ」と読むのだそう。

偶然、前日に見たFACEBOOKで紅葉の特別拝観の案内を見たので急遽参拝とはなりました。

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門を過ぎると本堂(左)と庫裏が

 受付で拝観料¥200を払いましたが、偶々拝観者が私一人だったので、

有髪の若い御住職が自ら案内して下さると言う幸運に恵まれました。

 近木山要眼寺(こぎざんようげんじ)は、

『寛正年間(1460~1466年)、豊前国中津の郷士であった文内が蓮如上人の弟子となり、

松柵の法名を授けられ現在の堺市内に居を定めた。

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庫裏から廊下を渡って本堂へ

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渡り廊下の脇の内庭

 三代目松柵(善正)に至り、近木ノ荘の加治村(現在の貝塚市加神)に道場を建立、

要眼寺の寺号を賜ったのが嚆矢である。四代目松柵(正善)の天正年間(1573~1592年)、

貝塚寺内町に門徒共々転居。貝塚御坊願泉寺の子院として現在の場所に道場を構えた。

江戸時代は寺僧と呼ばれる地頭卜半(ぼっかん)家の家来の一寺院であった。

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本堂内部の様子

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正面から見た内陣

 江戸時代に入り九代目に立正が入寺、以後今の十七代に至るまで横井家が代々住職を務める。

昭和20年の空襲で本尊・山門を残し全焼するが、昭和40年に本堂、昭和48年に庫裏を再建している。』

とあります。

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「近木山」 の扁額

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金色の厨子の中に鎮座する御本尊(釈迦如来?)

 古刹の雰囲気はない鉄筋コンクリート製の伽藍でしたが、本堂中央に祀られた御本尊は年代仏のようでした。

「写真は何処を撮って頂いても大丈夫です。」

との御住職の言葉に甘えて各所を撮影しましたが、宗祖や浄土七祖など初めての参拝者にも

分かり易い絵画で表していたのは、この後の宗教の進む方向性を示したとも言えます。

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宗祖・親鸞聖人の御影

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中興の祖・蓮如上人の御影

 日本の仏教界の黎明期を支えた聖徳太子は父用明天皇を見舞う14歳の孝養像で描かれています。

浄土七祖というのは宗祖・親鸞が選定した天竺・唐・日本における他力念仏の伝統を支えた

浄土教の祖師七高僧を言うのだそう。龍樹・世親が天竺、曇鸞・道綽・善導が唐、源信・法然(源空)が本朝と

バランスもとれており、日本人の世界観を表す三国と言う概念もここに由来します。

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聖徳太子14歳の孝養御影と浄土七祖の軸

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浄土七祖の御影軸
上から下へ天竺、唐、日本と時代が下る。

 40歳過ぎの若い有髪の住職は、宗教学ではなく数学を専攻されたそう。

帰納的な話し方はその影響でしょうか?また若い頃はドラムと歌に没頭した時期もあったようで、

そのことが今の木魚とお経の声明に生かされていると言えます。

この拝観も閉塞的な世にあって少しでもお寺に興味を持つ人が増えれば良いと思って

昨年度から始めた企画だそう。【児戯】に類する等と思ってはいけません。

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こちらは宗祖の一代記を描いた掛け軸

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内陣から見た外陣の様子
いつでも利用できるように椅子が並べられている。

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貝塚御坊 (大阪府貝塚市中町)

2024.02.27(22:28) 1743

ぼっかんさんが治めた町(2023.12.16)

<コース> 急行は日中15分間隔で運転
【南海電鉄】 難波(12:08) → (空港線・急行) → 貝塚(12:37) → 徒歩3分 → 感田神社 → 徒歩2分 → 貝塚御坊願泉寺 → 徒歩3分 → 要眼寺

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金凉山 真教院 願泉寺(浄土真宗本願寺派)

 感田神社参拝を終え、表門から出て道路に沿って北西へ300m、道路に面した大きな瓦屋根の寺が願泉寺。

寺院が多く集まった寺町地区にあっても一際大きな伽藍です

「貝塚ならゴボーやなくてニチボーやろ!」となりそうですが、貝塚は

浄土真宗本願寺派寺院願泉寺(貝塚御坊)を中心に発展した環濠集落寺内町。

多くの環濠は埋め立てられましたが、線路沿いの感田神社境内にその跡が残ります。

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中之町通りからも本堂の屋根が遠望できる

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感田神社に今も残る環濠

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中之町通りから御坊築地塀と表門を見る

『貝塚寺内町は南北800m、東西500mの広さを持つ環濠城塞都市。西は大阪湾、北は北境川、

南は清水川を濠と見立て、これを繋ぐ形で東に濠を巡らしていた。慶安元年(1648年)の町絵図に拠れば、

濠の内側には土塁が築かれ、六カ所の町の入口には番所が置かれていた。後年拡幅された中の町通りと、

府道堺阪南線を除けば街路はほぼ当時のまま、現在も使われている。』

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表門脇には寺内町の地図が

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築地塀

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築地塀の奥には荘厳な表門が聳える

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表門を過ぎると山号の彫られた燈篭と太鼓楼が現れる

 貝塚御坊願泉寺(がんせんじ)は、

『金凉山真教院(きんりょうざんしんぎょういん)と号し、阿弥陀如来を本尊とする。

寺の起源は行基が建てた庵から始まり、本尊も行基の作と伝わる。

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延宝7年(1679年)再建と言う重文・表門

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欄間の龍の彫刻

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門扉の牡丹の透かし彫り

 応仁年間(1467~1469)に蓮如が紀伊・和泉を布教した時に、この草庵に逗留。

天文14年(1545年)には住民の要請で紀州根来寺より卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)が

住持として招かれ、貝塚村の門徒と協力して道場を再興。1550年には石山本願寺下の寺内に取り立てられた。

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表門の向こうには目隠塀と本堂が建つ

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重文・目隠塀

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境内側から見た目隠塀と表門

 天正5年(1577年)、織田信長軍により寺内の建物は悉く焼き払われ住民は離散したが、

天正8年、石山合戦の和平が成り新たに本堂を建立。天正11年には紀州鷺森(さぎのもり)に

下向していた本願寺法主顕如・教如らが貝塚に移り、ここを2年余り本願寺御堂とした。

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寛文3年(1663年)再建の重文・本堂

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本堂近影
老朽化のため平成16年(2004年)から同23年まで半解体修理が行われた。

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巨大な屋根を支える多くの柱は本願寺の特徴

 天正13年、顕如ら一行は大坂天満の新堂へ移ったが、この間、当寺は貝塚本願寺とも呼ばれて

本願寺教団の一大拠点となり、家も人も増え寺内町繁栄の基礎となった。 

慶長12年(1607年)、西本願寺の准如から願泉寺の号を授けられ、慶長15年、

二代目了閑(りょうかん)は徳川家康から寺内諸役免除の黒印状を与えられている。

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本堂前面
一般の本願寺と違って内陣参拝は出来ず。

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本堂前面の蔀戸

 その後、歴代の将軍から同文の免許状を得ている。

願泉寺の住職は貝塚寺内町を支配していたため、

その建物の規模や客室の設備などは他の寺院と大いに異なっており、

政庁として卜半役所があり代々卜半氏が世襲した。

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前面の蟇股彫刻は鳳凰

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本堂より表門方面を見る

 明治の神仏分離令に拠って御堂敷地を残し大部分の土地・建物は取り除かれた。

現在の建物の内、本堂は寛文3年(1663年)、表門は延宝6年(1678年)の造営である。

南隅にある銅鐘は貞応3年(1456年)に鋳造された大和国大福寺の梵鐘であったが、

康正2年(1456年)に水間寺に買い取られ、天正13年、豊臣秀吉の紀州攻めの際に水間寺も被災。

卜半斎に買い取られたものである。』 とあります。

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横より本堂を見渡す

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本堂奥にある板絵には桜と雉が描かれる

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本堂前の向拝

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向拝の屋根に置かれた亀の鬼瓦

 願泉寺は貝塚御坊の通称で呼ばれる他、地元では 「ぼっかんさん」 と呼ばれるとか。

初めは何の事か不明でしたが、紀州根来寺から招かれた初代住職が卜半斎了珍と知って納得。

江戸時代には代々住持と地頭を兼務し明治以降は住職を世襲。我が国唯一の卜半姓として今に至っているそう。

坊様と殿様の二刀流ですが、【牧歌的】雰囲気には程遠い並々ならぬ苦労があったのでしょう。

広大な伽藍は今も健在ですが境内には人気はなく、会館と書かれた寺務所も閉鎖中。

次に訪れた寺院で訊いた所、当寺の住職は京都西本願寺での業務が多く不在が多いとの事。

あまり京都に重心が移ってしまうと【没関西】にならないか心配です。

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享保4年(1719年)建立の重文・太鼓楼

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太鼓楼の窓

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文政元年(1818年)建立の井戸屋形は大阪市指定有形文化財

 境内は綺麗に整備されており、そのようには感じませんが至る所に重文が目白押し。

一時的とはいえ本願寺御堂になったので未曾有の事と言えます。

しかし建造物の内部には一切入れず全て外からの拝観のみ。真宗寺院と言えば

自由に内陣まで入れて写真撮影もOKという所が多かったので余計に残念でした。

どことなく固く殻を閉じたように思えたのはここが貝塚だからでしょうか?

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貞享5年(1688年)再建の経蔵も大阪市指定有形文化財

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元禄15年(1702年)築の重文・鐘楼は貝塚市森の青松寺の鐘楼を移築したもの

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境内遠望

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感田神社 (大阪府貝塚市中町)

2024.02.26(22:20) 1742

環濠が残る神社(2023.12.16)

<コース> 急行は日中15分間隔で運転
【南海電鉄】 難波(12:08) → (空港線・急行) → 貝塚(12:37) → 徒歩3分 → 感田神社 → 徒歩2分 → 願泉寺(貝塚御坊) → 徒歩3分 → 要眼寺

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感田神社(旧郷社)
社殿の向こうの架線は空港線。

 12月半ばというのに20℃越えの雨模様の今日は、野暮用で和泉の貝塚御坊へ。

南海本線貝塚駅の西側から線路沿いに北へ進むと、踏切の横に建つのが感田神社。

駅から徒歩だったので南側に開いた門から境内へ入りましたが、こちらは裏門。

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中之町通りに面した裏門

正式には西に開いた門が表門の扱いですが、今は南側から境内へ入る参拝者が大部分を占めています。

外観からはそうは見えませんが、市内を代表する古社だそう。

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西側に開いたこちらが表門(神門)

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楼門へ続く参道と両脇に並ぶ石灯篭

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境内に唯一残る江戸時代建築の神門

 感田神社(かんだじんじゃ)は、

『創建は明らかではなく、天照大神、素戔嗚尊、菅原道真を祭神とする。

貝塚寺内町の産土神で、元は寺内町の東端にあり周郷のある神社であった。

慶安元年(1648年)の最古の絵図には境内の周りが濠で囲まれた形で描かれている。

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神門下から西の鳥居を振り返る

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神門から見た境内
正面に見えるのが拝殿。

 寺内町の町民の多くは、それぞれ出身の村に帰って氏神祭りを行っていたが、

寺内として氏神を祀る必要を感じたため、天正15年(1587年)宗福寺二代目住僧円海が、

近村の牛頭天王・天満宮を勧請し、天照大神を中心に三神を祀る陶製の祠を神田の地に建立。

それまで「河原」と書いていたのを「瓦」に替えて神田大明神と称した。

その後、岸和田藩主が神徳を感じて神領を寄進したことから

「神」の字は「感」に改められ、感田瓦大明神と呼ばれるようになった。

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舞殿と拝殿(右)

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正面から見た拝殿

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拝殿奥に建つ本殿には覆いが…

 慶安元年(1648年)に社殿が再建、以後、宗福寺(そうふくじ)住職が社僧として祭祀に当たる事となり、

神社としての景観が整って行く。

 慶安3年には和泉式内六十二座の列に準ぜられ、明和3年(1766年)大明神の号を授けられた。

文化10年落雷に拠って社殿が焼失したが、文化11年に社殿再営を果たした。

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拝殿南にある摂社・海幸戎神社

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海幸戎神社前から境内を見る

 明治の神仏分離に拠って神職が置かれ、明治5年(1872年)には郷社に列し感田神社と改称した。

明治40年には神饌幣帛料供進社に指定され、同時に海幸戎神社を合祀した。

昭和20年(1945年)の空襲で神門を残して全て焼失、戦後再建された。

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拝殿の北に連なる舞殿と書院
書院の手前に濠が流れる。

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濠に架かる石橋上から東を望む

 神門(表門)は安永9年(1790年)、大工種子島源左衛門に拠って建てられたもの。

神馬は宝暦8年(1758年)、細工人岸上武左衛門の作である。

毎年、海の日前日の日曜日の例祭には神輿渡御が行われ、7台の太鼓台が担ぎ出される。

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橋上から西を見る

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社務所へと向かう橋

 近代以降、寺内町の環濠は埋め戻されたり、蓋をして暗渠となるなど、町中で目にする事は無くなったが、

当社の境内大阪側には、当時の様子を残す濠が現存する。濠の両側には石垣が積まれており、

和歌山側は江戸時代の布積み、大阪側は近代の谷積みという方法で積まれている。

現在、貝塚寺内町の環濠の雰囲気を残す唯一の物として貝塚市の史跡に指定されている。』

とあります。

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社務所前から見た濠
見えているのは江戸時代の布積み。

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社務所方面の濠は近代の谷積み

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濠の中に建つ石は陽仏崇拝の名残か?

 神田大明神と聞くと直ぐ東京のど真ん中の神社を思い出しますが、

あちらは将門の「身体」を祀った事に由来する「かんだ」なので関係はないようでした。

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境内から見た神門

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神門手前にある住吉(四之社)・神明(三之社)・春日(五之社)

 貝塚は和泉でも城下のあった岸和田に近く、先の大戦も含めて大きな被害がありましたが、

そんな中にあって神門が唯一江戸時代の建築。

また寺内町を囲む多くの環濠が消えた中でここだけに残っているのも奇跡的とさえ思えます。

寺に残らなかった環濠が神社に残ったのは、ここが聖なるホーリー【濠】な場所だからでしょうか?

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感田神社御由緒

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感田神社御朱印

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両子寺 大講堂と奥の院 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の参>

2024.02.25(20:08) 1741

御本尊も両子?(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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足曳山 両子寺(天台宗別格本山 六郷満山総持院 六郷満山霊場第三十一番札所)  奥の院

 「しぐれ紅葉」と歌碑を見た後は、階段を上り奥の院へ。その際、狭いながらも渓流を渡りますが、

紅い欄干橋のすこし上流には一枚岩が架けられています。

『奥の院に向かう際に渡るのが鬼橋。昔、千徳坊と言う大力僧が

一枚の大石を引き下ろして架けたという伝説をもつ。

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朱色の橋上から見た鬼橋

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鬼橋の近影
欄干がなく幅も狭いが距離が短いので渡る事はOK。

 橋を渡ると県内屈指の古さをもつ仁王像と朱塗りの稲荷堂が建つが、石段の上に見えるのが大講堂。

五間四方の宝形造り、銅板葺きで平成3年の再建で本尊の阿弥陀三尊・四天王を祀る。

中央の阿弥陀如来坐像は高さ84㎝、鎌倉末期の作で、講堂再建に当たり、

京都の仏師に拠り解体修理を行い、脇侍の観音・勢至菩薩は京都にて新刻した。

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橋を渡った先にある稲荷堂とその上の大講堂
県下屈指の古さを誇る小さい仁王像は左の階段下に。

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階段を上り大講堂へ

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入口に建つ石標

 三尊仏後方の壁画は高野山の国宝阿弥陀聖衆来迎を前衛画家である風倉匠師が

1年余りで描いたもの。内陣裏には釈迦三尊及び天台知者、伝教両祖師像を安置している。

一般的に大講堂は仏法の教義宣布、僧侶の教学論争の道場であるが、

国東半島では旧正月修正鬼会の儀式を執り行う場となっている。

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大講堂前面

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大講堂内陣の御本尊  (堂内撮影禁止のため説明書より引用)

 大講堂への道を反対側に進むと国東塔、山王社の石鳥居が建つ。

「両子山大権現」と刻まれた鳥居の扁額は神仏習合の名残を今に伝える。

鳥居に続く石段を上り、更に細い参道を進むと絶壁の下に建つのが奥の院。

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国東塔を左に見て参道を進む

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山王社の石鳥居

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岩壁下の参道を抜け奥の院へ

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参道の先に見える奥の院

 奥の院は岩壁の前に張出した懸造り構造。「護国殿」の扁額の奥の内陣中央には

本尊の十一面千手観音と脇には両子大権現が祀られている。

千手観音は総高204㎝余りで、楠の一木造りである。

奥の院の後方には奥の院岩屋洞窟があり、石像の千手観音と不老長寿の霊水がある。』

とあります。

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絶壁の下に建つ奥の院と岩屋洞窟

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懸造りの構造

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外陣にて参拝

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奥の院の御本尊  (解説書より)

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手前の欄干からの眺望

 広大な境内を持つ両子寺ですが、巨大な岩壁に洞窟がある事から本来の御本尊を祀ったのは

この奥の院と思われます。建物はその拝殿として後に建てられたものでしょう。

時間の都合で今回は訪問できませんでしたが、ここから更に奥に進むと

「針の耳」「鬼の背割」「鬼のツメ跡」と七不思議の中で岩石に由来する名所もあります。

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奥の院の左奥から岩屋洞窟へ

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洞窟内に祀られた石像群

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「針の耳」 と百体観音  (解説書より)

 となると典型的な磐座信仰となりそうですが、参道の仁王像を始め、

この日参拝した寺院に石像があったのもその証ではないかと。

奥の院に祀られているのが不老長寿・子授けの観音さまですが洞窟が胎内を連想させるのでしょう。

生まれてくるのが【双子】かどうかは分かりませんが、岩壁が【安産】岩なのは間違いなさそうです。

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両子寺解説書

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両子寺御朱印  (六郷満山第三十一番札所)
これは紅葉と仁王像がデザインされた限定版 ¥500

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両子寺 しぐれ紅葉 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の弐>

2024.02.24(20:41) 1740

六郷満山の七不思議(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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足曳山 両子寺(天台宗別格本山 六郷満山総持院 六郷満山霊場第三十一番札所)  書院・客殿

 仁王門から紅葉散り敷く参道を上ると、行く手には再び石垣が聳え、その上には伽藍が見えます。

こうして漸く両子寺境内へ到着。受付の正面に建つ現代風の建物は本堂ではなく書院・客殿。

人が居られるのは受付とここだけなので御朱印、御守り等は全てこちらで頂く事に。

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石垣下に建つ真新しい寺号標

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寺号標に続く十三重石塔
手前の僧侶は仁聞菩薩像?

 足曳山両子寺(あしびきさんふたごじ)は、

『養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創された六郷満山の中山本寺で、

修行の中心地として栄えた。江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、

六郷満山の総持院として満山を統括する立場にあった。

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受付前より見た境内
書院(左)と護摩堂(右)

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書院・客殿玄関の唐破風
御朱印等は全てここで拝受。

 その右手に建つのが護摩堂。山岳修行の根本道場にして本尊不動尊を始めとする諸仏を祀る。

明治2年(1869年)焼失後、同25年に原型通り再建された。四方宝形、扇垂木、二段化粧の構造である。

不動明王は鎌倉時代の作で、両子の名の通り子授けの霊地として名高い。

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書院横を抜け護摩堂へ

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護摩堂へは参道に面した側面より入る

 護摩堂から更に先に進むと橋を渡って奥の院へ至るが、その手前一帯は

両子山七不思議の一つ「しぐれ紅葉」の場所。その謂れは、

この紅葉の下に立ち上を見上げると、晴天の日でも雫が顔に落ちる事からの命名である。

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正面から見た護摩堂

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護摩堂より見た鐘楼と受付

 しぐれ紅葉の周辺には

・山川の 音は父母の 愛に似て かわることなし たゆることなし

・世の中の 正しき道を 一筋に 進みて御国の 末を開かめ

歌碑が建つ。

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金田一京助の歌碑

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重光葵歌碑

 前者は言語学者金田一京助が昭和44年5月14日に参拝時の、

後者は大分県出身の政治家重光葵がモスクワに向かう時に詠んだものである。

 その傍らには瀧澤馬琴顕彰碑が建つが、これは馬琴が当寺を題材にして

『両子寺累客縁起 豊後州国埼郡』 という読本を記した事に拠る。』 とあります。

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瀧澤馬琴顕彰碑

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両子寺を詠んだこのような歌碑も建つ

 六郷満山の総持院と言うだけあって広大な敷地には堂宇が点在。

素人目には【掃除】するのも大変そうです。場所的には国東半島のほぼ中央、

最高峰両子山の中腹と言う位置もそうですが、もう一つここには霊水走水観音が湧出。

これほどの高所で霊泉が湧くと言うのが建立された所以と言えそうです。

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霊水走水観音 (説明書より)

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両子山七不思議の一つ 「しぐれ紅葉」 の看板

 前述した「しぐれ紅葉」同様、「走水観音」も両子山七不思議の一つ。

本堂西方1.5㎞にあって常に一定量湧出し、冬温夏冷と言うのがその理由だそう。

この他、無明橋・鬼橋・針の耳・鬼の背割・鬼のツメ石と続きます。

唯、これだけの境内で35分の滞在は時間的に無理があり、見る事の出来たのは

書院→護摩堂→大講堂→奥の院 のルートにあった3不思議のみ。

霊泉も含め脇に外れた場所には行く事ができませんでした。この辺りはツアーの負の面と言えます。

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「しぐれ紅葉」 と渓谷に架かる 「鬼橋」

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しぐれ紅葉の先にある石碑群
七不思議 「針の耳」 「鬼の背割」 「鬼のツメ石」 は更に進んだ奥にある大岩群に。

 参拝途中の「しぐれ紅葉」には幾つかの歌碑が建つのは紅葉の名所のため。

金田一京助と重光葵の歌碑は全く異なった内容で、どちらが良いという【可否】を問うものではありません。

重光葵と言えばミズーリ号上での降伏文書に署名した事で知られますが。

彼の立場や責任が伝わって来る内容です。彼は外交官出身の政治家ですが、

今の政治家が果たしてこのような歌を詠めるかどうかは疑問です。

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護摩堂後方の石塔群

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神仏習合を感じる門
受付以前はここから参拝したと思われるが今は閉鎖中。

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両子郵便局 ; カエデの葉の外枠に梅園の里・天体望遠鏡、両子寺護摩堂、ブンゴウメ

[参考書]

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両子寺 参道の仁王像 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の壱>

2024.02.23(17:57) 1739

匂うが如く今盛なり(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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足曳山 両子寺(天台宗別格本山 六郷満山総持院 六郷満山霊場第三十一番札所)

 熊野摩崖仏を拝観後は、この日最後の巡礼地へ。観光バスなので気になりませんが、

向かう先は国東半島の中央、最高峰721mの両子山の中腹にある両子寺。

六郷満山札所としても第三十一番特別札所なので、国東半島巡りのフィナーレには相応しい寺と言えます。

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石垣の上から顔を出す紅葉

 駐車場で降りると行く手には高い石垣の上に紅葉が見えますが、

境内はここを過ぎて参道を上った更に先にあります。

『駐車場から進むと小さな流れに朱塗りの反り橋が架かる。これは無明橋と呼ばれ、

橋の下に観音を祀り、不信心者もこの橋を渡れば信仰心が湧き、牛馬が通れば落橋すると言う。

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渓流に架かる朱色の無明橋

 橋を渡ると両側に巨大な仁王像が建つが、これが仁王門。総高245㎝、像高230㎝の

国東半島最大級の石像仁王で、見事な均整美を保っている。文化11年の再建で、

境内では本堂裏の鬼橋に佇む二体の仁王像が半島でも屈指の古さを誇る。

仁王門に続く石段の後方には山門、更に続く参道の両側は坊舎の跡である。

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仁王像とその先に建つ山門
観光客が途切れた時間に素早く撮影。

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直ぐに多くの観光客が殺到

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右側の阿形像

 両子寺境内は瀬戸内海国立公園の西端に位置し、その森は「森林浴の森」として日本百選にも

指定されている。紅葉の時期にはとりわけ美しく九州の紅葉の名所としても知られる。

広大な境内には両子寺七不思議が点在する他、子授け寺として四季を通じて多くの参拝者で賑わう。』

とあります。

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左側の吽形像

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背中側から見た阿形像

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吽形像の奥には紅葉が続く

 反り橋を過ぎた先には両子寺を代表する仁王像が建ちますが、門はないもののここが仁王門の扱い。

更に石段を登った先に建つのは山門の扱いでした。手元のガイドブックには

山門は茅葺と書かれていますが、実際は銅板葺き。四半世紀は遥か彼方です。

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石段の先に聳える山門

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山門前に建つ地元出身の歌人・財前國雄歌碑
・嬉しきとき 悲しきときに わが対ふ 両子嶺ばかり 親しきはなし

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紅葉散り敷く参道を振り返る

 有名な場所なので写真撮影する人で混雑し、日本語ではないアジア語が飛び交っていました。

ガイドさんの解説では

「身体の良くなって欲しい場所に触れると効果があります。頭と顔は手が届きませんよ。」

との事。あちらの国の方もそれを聞いたのでしょうか?

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山門を見上げる

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神仏習合の名残を感じる注連縄

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内側から見た山門

 昔話の記憶では、仁王さんは日本一の怪力で、中国一の怪力「どっこい」と力比べをしようとして

海を渡る途中に鎖で引き寄せられてしまいます。その時、東大寺の僧から貰ったヤスリで難を逃れたので、

日本に帰ってからはお礼に東大寺の門番を長く勤め、これが後の仁王像に繋がります。

蛇足ついでに言うと、日本では重いものを持ち上げる時に「どっこい」と言い、

中国では「におう!」と言うのだとか。かなりネタっぽい話ですが、子供には分かり易い話です。

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山門を抜け石畳の参道を往く

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右手に見える池

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かつての塔頭跡はトレッキングセンターに

 紅葉の名所として知られる両子寺ですが、境内と並んで紅葉が多く見られるのがここ。

特に山門から境内の間が鮮やかです。仁王像の両側は杉の巨木に囲まれているので、

無明橋から仁王門、山門と朱色、深緑、深紅と色の移り変わりを楽しむことができました。

まさに【青丹良し】の場所と言えます。

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伽藍の建つ境内へは左側の受付から

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石垣の上には護摩堂が建つ

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胎蔵寺 (大分県豊後高田市田染平野) <熊野 其の弐>

2024.02.22(20:38) 1738

銀ピカの御仏(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏・胎蔵寺(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

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今熊野山 胎蔵寺(天台宗 六郷満山霊場第六番札所)

 磨崖仏と階段の先に建つ熊野神社の参拝も時間内に終えて駐車場へ戻りますが、

少し時間があったので寺院にも参拝。

 磨崖仏の本家でもあり、六郷満山の札所でもありますが、

観光コースではないため境内には私一人でした。

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左へ進むと胎蔵寺、右へ進むと摩崖仏

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寺標と幟のある簡素な参道

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小っちゃな仁王様を越えると境内

 今熊野山胎蔵寺(いまくまのさんたいぞうじ)は、

『養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創された六郷満山の寺院の一つ。

本尊には阿弥陀如来を祀る。

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階段の正面には護摩堂

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その奥に続くのが本堂兼寺務所

平安時代になり山岳宗教が盛んになり、12世紀には熊野修験が当地方まで広がった。

紀州の熊野権現を奉じる修験の勢力と結びついて独自の神仏習合の山岳修験道場として発展。

建武2年(1337年)に熊野権現を勧請している。』 とあります。

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窓から見た本堂内部の様子

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胎蔵寺御朱印  (六郷満山第六番札所)

 短い階段を上ると目の前に簡素な本堂が見えますが、

それよりも驚いたのは境内に立つ銀を貼られた仏像群。

説明板に拠れば、近年、宝くじが当たると評判になった様で、

七福神、不動様に持参のシールを貼る、「貼り七福神」「貼り不動」を実施中でした。

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護摩堂前に一際目立つ 「貼り不動」

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本堂前には 「貼り七福神」

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お願いシールの案内板

 けばけばしいようにも見えますが、銀を貼る事で仏像の輪郭が鮮明になるのも事実。

実際、多くの仏像で銀が貼付途上なのがその証左と言えそうです。

「箔をつける」と言うのはまさにこの事を言うのでしょうが、

布袋様の場合は【貼りぼてい】にならないように注意も必要です。

金色の仏像やお札を貼った仏様は見たことがありますが、銀色の仏像は初見。

まさか参拝者に【シルバー】世代が多いからではないでしょうが…。

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貼付途中の石仏群

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こちらは貼付を待つお不動様

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こちらは布袋様

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本堂前から境内を見渡す

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熊野摩崖仏 (大分県豊後高田市田染平野) <熊野 其の壱>

2024.02.21(21:20) 1737

紛い物ではない摩崖仏!(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

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今熊野山 胎蔵寺(天台宗 六郷満山霊場第六番札所)

 真木大堂で仏像と石造を見た後は、六郷満山の写真にも登場する熊野摩崖仏へ。

観光ガイドの写真や駅スタンプの図柄にも取り上げられる国東を代表する史跡。

平安後期の作とされ国内最古にして最大級の摩崖仏で国の重要文化財にも指定されています。

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JR宇佐駅スタンプにも熊野摩崖仏が

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胎蔵寺の右手に摩崖仏への山道が

 観光バスは田染にある田原山(鋸山)山麓に建つ胎蔵寺前で停車し、御朱印は入口の待合所で拝受。

六郷満山第六番札所は胎蔵寺ですが、ここではそれに加えて摩崖仏御朱印も頂くことができました。

胎蔵寺へは左の道ですが、摩崖仏へは寺院脇右手の急な参道を上る事に。

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熊野摩崖仏解説書

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熊野摩崖仏御朱印
摩崖仏の墨書に国東熊野権現の朱印。

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ここから山道スタート

 ガイドさんからは

「足に自身のない方は、ここで休んで下さい。」

と親切なアドヴァイスがありましたが、こちらは意地でも拝まずには居られません。

真木大堂の滞在時間は35分でしたが、ここでの滞在は55分。

山道の往復時間も含まれるからでしょう。

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始めは渓流添いのなだらかな坂道を往く

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続いて階段が出現

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左の石垣はかつての坊跡か?

 途中、鳥居から摩崖仏まで続く石段は鬼が築いたとか。

鬼の霍乱は聞きますが、鬼の石段は初耳でした。

『胎蔵寺から山道を約300m登ると、鬼が一夜で築いたと伝えられる自然石の乱積石段に掛かり、

この石段を登った左方の巨岩壁に刻まれているのが日本一雄大な大日如来と

不動明王の石仏であり、これらが熊野摩崖仏である。

熊野とはこの石段を登り切った先に鎮座する熊野神社に拠る。

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途中、山道を振り返る

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行く手に石鳥居が見えると鬼の石段は直ぐ

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柱の上の輪は神仏習合の名残り

 伝説では養老2年(718年)、宇佐八幡宮の化身仁聞菩薩の作と伝えられ、

近くの山中には「御所帯場」と呼ばれる作業時の宿泊跡がある。

この石仏の造立年代資料となる「六郷山諸勤行等注進目録」や「華頂要略」等の

安貞2年(1228年)の項に「大日石屋」「不動石屋」の事が記されているので、

鎌倉初期には大日、不動両像の存在が明確である。

また胎蔵寺が記録に現れるのは仁安3年(1168年)の「六郷山二十八本寺目録」であるので、

摩崖仏の造立は藤原末期と推定される。

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・信心を 石段で見る 摩崖仏  
鳥居脇に建つ大分出身の川柳家・内藤凡柳の碑
 
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鳥居前から上って来た山道を振り返る

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鳥居の先が 「鬼の石段」

 向かって右に位置するのは高さ6.8mの大日如来。高さ約8mの龕の中に彫り出されている。

螺髪等の造形的特徴から不動明王像よりも製作年代が遡ると推定される。

頭部上方の三面に刻まれている種子曼荼羅は鎌倉時代の追刻である。

脚部を掘って見ると石畳が敷かれ、地下に脚部が埋没していない半立像である。

尊名は大日如来と言われているが、宝冠もなく印も結んでいないので

薬師如来ではないかと見る向きもあるが、やはり大日如来の古い形と思われる。

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右手に聳える大日如来像
手前にあるのは賽銭箱か?

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大日如来像近影

 左に位置するのは総高8mの不動明王。大日如来と同じく半立像で下部はあまり人工の手を

加えていない。右手に剣を持ち巨大かつ勇壮、左側の弁髪は捻じれて胸の辺まで垂れ、

両眼球は突出し鼻は広く牙を以て唇を噛んでいるが、一般の不動の様な憤怒相はなく、

却って人間味のある慈悲の相を備えた優しい顔である。

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不動明王像全景

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柵があるので摩崖仏には近付けない

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穏やかな表情の不動明王像

 昔から文人墨客に好まれ、佐々木信綱は

・山椿 花咲きしだり 荘厳す 大き岩にえれる この摩崖仏

と詠んだ。

 厚肉彫の雄大、荘厳な摩崖仏であるため、国指定史跡でありながら美術工芸品としての

価値が高いとして国の重要文化財指定を併せて受けたものである。』 とあります。

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磨崖仏参拝の後は更に上を目指す

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最高所に鎮座する熊野神社拝殿

 幸いにも時間内に摩崖仏と熊野神社まで往復できましたが、あの高所まで行き、

なおそこで岩壁に仏像を刻んだ先達には脱帽するしかありません。

 中世には宗教が民衆の心を広く捉えた時代ですが、

一方の宗教家にもそれだけの気概があったのもまた事実。

これほどの仕事を成し遂げるには鋼の意志があったのでしょう。

「鬼の石段」とはもしかすると彫った職人をあらわすのかもしれません。

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拝殿前面の向拝下にて

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拝殿の奥にある本殿は崖に抱かれた形

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拝殿前の御神木は熊野杉?

 通常は御本尊の大日如来が主の筈ですが、ここでは不動明王の方がスケールも大きく表情も豊か。

これは安山岩質の硬い岩壁に造られたために彫り口がやや浅くなったためと記されていますが、

私的には彫刻師の心が反映された作と考えたいです。

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こちらも熊野ゆかりの梛(なぎ)の御神木

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崖に穿たれた岩龕と石塔

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真木大堂 石像文化財 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の参>

2024.02.20(21:37) 1736

庫に仏像、庭に石造(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

405-10-1.jpg
馬城山 傳乗寺(天台宗 六郷満山霊場第五番特別札所)  古代公園

 旧本堂と収蔵庫の仏像に参拝したら真木大堂の拝観は一通り終了ですが、

加えてもう一つが境内に置かれた石造群。ガイドの方の話では「古代公園」と呼ばれる場所です。

405-10-2.jpg
入口に建つ石柱には摩滅した仏像?

『国東半島には六郷満山文化の遺産として宝塔、宝篋印塔、五輪塔、板碑、石仏等

多くの石造文化財が残されている。

これらの文化財は半島全域の寺院や山岳地に散在しているため、手軽に鑑賞することができないので、

主に市内田染や河内の方々の協力で本園地に遷仏したものである。

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入口にある典型的な国東塔
通常はこれくらいの大きさが多い。

 なかでも国東塔と呼ばれる宝塔はこの半島だけにある荘重華麗な石造宝塔で、

他の宝塔とは異なる特徴として基礎が二重または三重に組み立てられ、

塔身を台座の蓮華座に乗せ相輪の先端の宝珠を囲んで火焔が刻まれている。

塔身を空洞に穿ち納経孔を持つのが特徴で、即ち経文(法華経)を納める事を目的として造立された。

京都帝国大学の天沼俊一が富貴寺を訪れた際に、その特異な形状を見て 「国東塔」 と命名した。

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境内で最も大きい龍泉寺国東塔

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初心者のための国東塔図解
と言っても詳しい人は非常に少数と思うが…。

 国東塔の造立が始まるのは、二度の元寇に拠って世情不安が高まった鎌倉後期に当たっている。

造立の目的は仏法興隆、寺院の隆盛等「祈願」や「追善供養」、

或いは死後の安楽を願う 「逆修塔」 であり、また墓標としても造られた。

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どことなく異国風な庚申塔

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こちらも初心者向け庚申塔図解

 庚申塔は、60日に一度巡る庚申の日の夜、就寝した人間の身体から抜け出した三尸虫が

天帝に悪口を告げて命を縮める事を防ぐために徹夜する庚申講に因み造立。

庚申講を一定期間続けた記念に建立されることが多い。

多くは悪疫調伏の青面金剛明王やその使いの三猿を刻むが、

文字庚申や猿田彦神を刻むものなど、多様な形式を見せる。

庚申信仰は中国より伝来した道教に由来し、江戸時代初期に民間信仰として発達した。

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境内奥には様々な石塔が並ぶ

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庚申塔と石幢

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こちらは文字庚申塔

 宝篋印塔は宝篋印陀羅尼というお経を納めたもので、笠の四隅の飾り突起が直立していると言う

方形の塔であり、五輪塔は平安後期から「供養塔」「墓標」「舎利塔」として用いられた。

 板碑は五輪塔形式を簡略化した一種の卒塔婆で、塔には梵字を刻んだものも多く卍を刻んだものもある。

また、石殿、石祠など六郷満山文化を伝えるこれらの貴重な遺産は土地の人々と先祖の深い絆であり、

「くにさき」の風土をこよなく美しいものに彩っている。』 とあります。

405-10-11.jpg
今上天皇陛下が皇太子時代に植樹されたもの

405-10-12.jpg
庭園の遥か彼方にはこの日のゴール両子山が遠望

 最初は、「一つのお寺に、こんなにあるのか!」と驚きましたが、各所のものを一ヵ所に集めたと知って納得。

遺跡は本来の場所にあるのが良いのは勿論ですが、こうして集める事で、多くの眼に触れるもの事実。

伝統文化を忘れず後世に【でんしょう】する上では有効と言えます。古代公園の命名は決して誇大ではありませんでした。

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古代公園を一望

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公園奥にはかつての遥拝所へと続く道が
但し、滞在20分のため泣く泣くスルーする羽目に…。

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真木大堂 重文・仏像群 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の弐>

2024.02.19(19:46) 1735

旧態を留める九体の仏像(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

405-9-2.jpg
馬城山 傳乗寺(天台宗 六郷満山霊場第五番特別札所)   受付横の看板

 先に訪れた富貴寺の目玉が国宝大堂であるならば、当寺のメインは収蔵庫に収められた重文の9躯仏。

『真木大堂は養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創され、

悲陀の匠が建立したと伝わるが、堂内の仏像は作風から見て平安時代のものと考えられている。

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入口正面に建つ収蔵庫

 仏像群は傳乗寺の各寺坊が衰退した事を受け本尊を一堂に集めたもの。

現存する9体の仏像には、全霊を捧げ尽くして造られた方々の魂がこもって居り、

人々の篤い信仰と守護の元に難を免れて今に至っている。

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旧本堂参拝後、収蔵庫で仏像に御対面

 大正7年(1918年)に国宝指定、昭和4年(1929年)に大修理、昭和25年に改めて重要文化財に指定。

平成20年収蔵庫改修と同時に仏像も修復された。

 中央に安置された本尊阿弥陀如来坐像は丈六坐像で檜の寄木造り、

地方に於ける定朝様式の先駆け的作品と評される。

その須弥壇の周りには等身大の四天王立像が四方を守護している。

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解説書裏面の重文・仏像群
収蔵庫内は撮影禁止のため仏像は説明書等からの引用。

 大威徳明王は神の使いである水牛に跨る六面六臂六足の像で、大威徳明王像としては

日本一の大きさで、動物の木彫としても珍しく、九州に残る密教彫刻の大作として注目される。

 不動明王像は木造としては国内最大級で、右脇には慈悲の矜羯羅童子(こんがらどうじ)、

左脇にはやんちゃな制吒迦童子(せいたかどうじ)を従える三尊形式である。』 とあります。

405-9-4.jpg
真木大堂を代表する大威徳明王像

 全て重文の9体仏ですが、注目されるのは中央の本尊阿弥陀如来ではなく、

左端の大威徳明王。大きさも勿論ですが、何よりも仏像から発散される迫力に圧倒。

今風に言えば、オーラが尋常でないとなるでしょうか?

他の仏像がその【遺徳】に肖っているようにも見えます。

405-9-6.jpg
御本尊に加え 「大威徳明王」 御朱印も拝受

 傳乗寺の伽藍は無くなりましたが、戦乱を経て仏像がここに残っただけでも奇跡的。

通常は広い伽藍に置かれますが、ここの9躯仏は収蔵庫に【きゅうくつ】に鎮座されます。

それが迫力を倍増しているとすれば、演出効果も中々ですが…。

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田染郵便局 ; 国宝・富貴寺大堂、真木大堂の重文・大威徳明王像、重文・熊野磨崖仏

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真木大堂 旧本堂と菊花紋章 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の壱>

2024.02.18(19:57) 1734

広大な伽藍【でんしょう】を持つ寺院(2023.12.2)

<コース>
【往路】JR大分(8:00) → JR宇佐(8:50)

(国東半島ツアーバス) 宇佐駅前(10:15) → 宇佐神宮(滞在50分) → 富貴寺・昼食(滞在60分) → 真木大堂(滞在20分) → 熊野摩崖仏(滞在55分) → 財前墓地(車窓見学) → 両子寺(35分) → 大分空港(16:00) → 別府駅東口(17:05) → 大分駅前北口(17:30)

【復路】大分駅前(20:20) → (近鉄高速バス) → 大阪駅前(7:20)

405-8-1.jpg
馬城山 傳乗寺(天台宗 六郷満山霊場第五番特別札所)  旧本堂

 いきなり国宝大堂に参拝したあとは、次なる場所へ。

途中、道沿いに建つ石の鳥居の前で、ガイドの方から

「鳥居の柱の上側に輪がありますが、これが神仏習合時代の名残です。」

との解説。この輪っかが無ければ神仏分離後の建造と判断できます。

このように現地でないと【わっか】んない話を聞けるものツアーの長所。

そうこうする内に10分足らずで門前へ到着。

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寺院の近くに建つ神仏習合時代の鳥居

 真木大堂(まきのおおどう)は、

『養老2年(718年)、仁聞(にんもん)菩薩に拠って開創された六郷満山六十五ヵ寺の内、

本山本寺八ヵ寺の一つ馬城山傳乗寺(まきさんでんじょうじ)の堂宇の一つであったと伝えられる。

405-8-3.jpg
バスは門前にて停車

 傳乗寺は六郷満山の長講所(学問所)として田染地区に三十六坊を有した幻の最大の寺院であったと言われ、

往時は広大な境内の中に七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院であった。

しかし約700年前の火災で伽藍は焼失、史料も今に伝わらない。

現在の真木大堂は、傳乗寺の各寺坊が衰退したので本尊をこの一堂に集めたものである。

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入口の仁王像は今は御意見箱に変貌

 付近には随願寺、成願寺、釈迦堂、芝堂、閻魔堂、黒草堂、城山四面仏等々があり、

畦畔には石碑、石塔等も散乱している事からも、かつての寺坊が各所に散在した事を示している。

境内に残るのは、江戸時代に再建された小規模な旧本堂と

昭和40年代に建造された収蔵庫のみで、9体の仏像が収められている。

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受付(左)と収蔵庫(右)の間を抜け、先ずは旧本堂に参拝

 旧本堂は長年に亘り仏像を安置した場所で、正面の朱塗りの扉には菊花の紋章がある。

約700年前の蒙古襲来の時、鎌倉幕府は教書を発し、豊後守護職の大友氏は

これを受けて六郷満山の寺寺院に対して異国降伏の祈祷を行うよう施行状を発した。

405-8-6.jpg
かつては仏像を安置した旧本堂

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旧本堂前にてガイドの方から解説を聞く

 六郷満山の中枢であった馬城山傳乗寺では長期に亘り異国降伏の大祈祷が行われ、

その恩賞として弘安8年10月16日に将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が下賜された。

これは全国的にも類例を見ない珍しいものである。

 今、往時を想起するときに誠に感無量であり、近年の各地からの参拝者や関係者からも

真木大堂を往時の傳乗寺の姿に復元して欲しいとの熱望が寄せられている。』 とあります。

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旧本堂内陣前に建つ仁王像

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扉に菊花紋章が彫られた旧本堂内陣

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堂内に掲げられた 「傳乗寺」 の扁額

 【伝承】では広大な敷地・伽藍を持つ六郷満山最大寺院であったとありますが、

今は境内も狭く伽藍も旧本堂のみ。由緒も古いだけに【末期】に至ったのでしょう。

旧本堂に掲げられた菊花の紋章だけが往時の繁栄を示しているように思えます。

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後方から見た旧本堂

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入山時に頂いた真木大堂解説書

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真木大堂御本尊御朱印  (六郷満山第五番札所)

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富貴寺 大堂の壁画 (大分県豊後高田市田染字蕗) <富貴寺 其の参>

2024.02.17(20:02) 1733

ふき曝しになった壁画(2023.12.2)

<コース>
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蓮華山 富貴寺(天台宗 六郷満山霊場第四番特別札所)  重文・大堂壁画

 国宝大堂の内陣には重文の御本尊が鎮座ましますが、もう一つ見逃してはいけないのが壁画群。

『内陣後壁には浄土変相図、四壁には五十仏、四天柱には胎蔵界曼荼羅の中心部が描かれている。

浄土変相図の裏面は彩色が剥落しているが、十九面千手観音像の跡が窺える。

 外陣長押は一枚板で、東は薬師浄土、南は釈迦浄土、西は阿弥陀浄土、北は弥勒浄土で、

堂内には三千仏が描かれていると言われる。

 絵画の才もあった福岡出身の俳人・野見山朱鳥は、

・壁画見て 秋風を聞く 大扉かな

と詠んだ。

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南側壁画 (説明書より)

 遺品の少ない平安絵画の貴重な例として国宝大堂の一部である壁画は、絵画部門の重要文化財になっている。

長い年月を経た事に拠る傷みや、第二次世界大戦における空襲被害に拠り、

ほぼ全ての絵具が剥落しているが、創建当時は極彩色で彩られていた。

大分県立歴史博物館には、創建当初の壮麗な姿がほぼお堂と同じ大きさで復元された模型も展示されている。

創建当初にこの堂に足を踏み入れた人が目にしたのは苦しい現実世界ではなく、麗しき極楽浄土であった。

人々はその中で浄土を体験し、往生を遂げるように祈りを捧げたのであろう。』 とあります。

405-7-19.jpg
南側壁画 (説明書)

 平安時代の木造建築も稀ですが、同じ時代の壁画となると遥かに少ない印象。

古墳内部と違って四六時中、外気に晒されているので保存が困難なのは当然。

堂内では、照明を落とした中で、御住職の解説の声が響き渡ります。その中で、

「山の向こうに工場があったため、昭和20年に裏山に爆弾が落ちて屋根の一部が吹き飛びました。」

「終戦後もお金や物がなくて昭和23年に修理が始まるまで、ここは雨曝しでした。」

という話に胸が詰まりました。

405-7-20.jpg
須弥壇の復元図

 屋根が壊れた事も勿論ですが、三年も修復できなかった事は余りにも悲惨。

千年の間に壁画が経年劣化したのは仕方ありませんが、雨曝しの三年間に

それを越える劣化が進んだのは想像に難くありません。

私でなくとも【烈火】の如く怒りが込み上げますが、爆弾を落とした米軍はキリスト教徒。

キリシタンに改宗した大友宗麟の破壊は免れましたが、西洋のキリスト教からは逃げられませんでした。

405-7-21.jpg
大分県立博物館にある須弥壇全体復元

 古代ユダヤの地で誕生し古代ローマでは当初迫害されたキリスト教も、

313年にコンスタンティヌス大帝のミラノ勅令で漸く公認。

392年にはテオドシウス大帝に拠って国教に昇格します。

その後は、古代ギリシア・ローマの芸術・学術は否定され1000年以上に亘って開催された

オリンピアの祭典も中止。19世紀の近代オリンピックまで長い冬の時代に入ります。

これを一神教のせいにするか迫害の反動ととるかは意見の分かれる所でしょう。

405-7-22.jpg
昼食は駐車場横にある「榧の木」 にて

405-7-23.jpg
入口のメニュー看板と国東塔

 キリスト教では「キリストの受難」という事がよく言われますが、歴史的に見れば

「キリスト教に拠る受難」 の方が多かったと感じるのは、強ち仏教徒の偏見でもないように思えますが…。

405-7-24.jpg
看板にあった「だんご汁定食」 ¥1200

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2024年02月
  1. 要眼寺 (大阪府貝塚市近木町) <要眼寺 其の壱>(02/29)
  2. 貝塚御坊 (大阪府貝塚市中町)(02/27)
  3. 感田神社 (大阪府貝塚市中町)(02/26)
  4. 両子寺 大講堂と奥の院 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の参>(02/25)
  5. 両子寺 しぐれ紅葉 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の弐>(02/24)
  6. 両子寺 参道の仁王像 (大分県国東市安岐町両子) <両子寺 其の壱>(02/23)
  7. 胎蔵寺 (大分県豊後高田市田染平野) <熊野 其の弐>(02/22)
  8. 熊野摩崖仏 (大分県豊後高田市田染平野) <熊野 其の壱>(02/21)
  9. 真木大堂 石像文化財 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の参>(02/20)
  10. 真木大堂 重文・仏像群 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の弐>(02/19)
  11. 真木大堂 旧本堂と菊花紋章 (大分県豊後高田市田染真木) <真木大堂 其の壱>(02/18)
  12. 富貴寺 大堂の壁画 (大分県豊後高田市田染字蕗) <富貴寺 其の参>(02/17)
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