<コース> 阪堺電車は12分間隔で運転
【往路】天王寺駅前(8:18) → (阪堺電車) → 御陵前(8:56)

始発の天王寺駅前の阪堺電車ホームにて
晴天に恵まれた文化の日、府下でも文化の香りのする堺に巡礼。
市内には南海空港線・高野線、JR阪和線が南北に走り、大阪メトロ御堂筋線、泉北高速鉄道が一部をかすめる
交通の要衝ですが、観光には意外と不便で、最も便利なのは街道沿いをのんびりと走る阪堺電車。
府下で唯一の路面電車でもあります。

御陵前付近の光景
道路の中央を走るのがチンチン電車。
『堺は摂河泉3国の境に発達した集落。南北朝時代に入り南朝方の軍事・経済上の要港として注目され、
室町時代には守護大名が相次いで支配した。応永6年(1399年)の記録には戸数1万の、町として栄えたとある。
文明元年(1469年)に中国帰りの遣明船が入港して以来、日明貿易の根拠地となり、黄金期を迎える。
16世紀にはポルトガル・スペインの商船も入港する国際的な貿易港になった。商人も力を蓄え、
周囲に堀を巡らせ、住民の選んだ会合衆の合議に拠り運営された。

道路脇に建つ糸割符会所跡碑

糸割符会所跡説明
明治にはドル箱となった生糸だが、江戸時代は輸入品であった。
安土桃山時代を経て江戸初期まで堺の繁栄は続き、その経済力を重視した幕府は、堺とその周辺を天領としている。
しかし、宝永元年(1704年)の新大和川の開削に拠って土砂が堆積、町も衰頽に入った。
明治の新政府の下、堺県が設置されるが、その後奈良県が独立、残りも1881年大阪府に移された。
現在は大阪市に次ぐ政令指定都市として新たな歩みを見せている。』 とあります。

こちらは商工会議所発祥の地碑
歴史の教科書には中世の自治都市として必ず登場し、西洋のベネツィアとも比較される堺ですが、
観光地としての知名度はいま一つ。それは空襲で多くが失われたからに他なりません。
極端な話、古から残っているのは大仙古墳古墳(伝仁徳天皇陵)くらいでしょうか。

さかい利晶の杜
利休と晶子を通じて堺を体験できる新しいミュージアム

「利晶の杜」の展示
堺と言えば鉄砲衆、さいとうたかお氏も堺市出身。

堺市マンホールカード 配布場所はこちら
最近、令和4年1月15日 堺市第二弾が発行された。
日本の伝統的な街並みの多くは戦国の動乱や自然災害で焼失の憂き目を見ていますが、多くは都度再建。
それに続く江戸の260年の平和が守ったと言えます。
太平洋戦争の被害を免れた京都・奈良と異なり、工業地帯として繁栄したが故の悲劇でした。
市内を歩くと史跡の後は殆どが石碑となって居り、【碑】の目を見ることは少なそう。
京都で先の戦と言えば応仁の乱の事ですが、堺の人が大坂夏の陣を先の戦と呼ぶような状況であったなら
と思うのは思い入れが過ぎるでしょうか?

商店街にある地元出身の偉人の顔ハメ

堺柳之町郵便局 ; 堺旧式灯台、阪堺電車
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