<コース> 京阪電鉄は日中10分間隔で運転
淀屋橋駅 → (京阪電鉄) → 光善寺駅 → 徒歩8分 → 光善寺 → 徒歩5分 → 腰掛石 → 徒歩8分 → 御廟

淵埋山 光善寺(浄土真宗大谷派)
本堂の後は寺務所の横の細い通路を抜け、書院と庭園へ。
山門からは広い境内が目に入りますが、隠れた部分にもこんな広い場所があったのかと改めて感心しました。
『本堂に続く書院は520余年前の蓮如上人在住当時の姿を今に伝える貴重な建造物。
石川丈山はこの書院を「萬象亭」と名付けた。当時は池のすぐ傍を淀川が流れ、
三十石船の上り下りの情景や彼方に見える天王山の風景を借景に取り入れた風流な眺めであった。
淀川の堤防が500m以上も西へ移った今となってはその風情も昔話の域である。

書院と庭園への門

門の先にある書院
その奥には本堂屋根が見える。

北側から見た書院

西側から見た書院

書院の窓と廊下
拝観はしていないので外から眺める。

書院内部の様子 (冊子より)
床柱等の主要な柱数本が当時のまま残されている、蓮如上人愛用の書院である。

書院前から門を見返る

書院から庭園を望む

南側から見た書院

書院に続く本堂の裏側
前方と異なり土壁のままになっている。
書院の西側にあるのが石川丈山作とされる光善寺庭園。中央付近にある池は創建当時埋め立てた池の名残である。
また池の周囲には現在では「さいかち」と言う名前で呼ばれる梓(はり)の木が繁茂していたので、
人々は光善寺の事を「梓原堂(しんげんどう)」と呼んでいたと伝わる。今でも境内の北端に梓の大木が残っている。

庭園遠景

創建当時の埋め立てた池の名残り

池に架かる石橋を渡る

池の向こうに見える住宅
ここに住む人は毎日この庭を眺められると思うと羨ましい。

南側の道を抜け池を巡る
この梓には蓮如上人と龍女の伝説がある。
上人が出口で辻説法をしていた頃、毎夜熱心に聴聞する美女が居た。ある夜、
「私はこの池に棲む大蛇です。貴方の説法で功徳を得て昇天できる事になりました。
御礼にこの池を献上しますので、埋め立てて御堂を建立して下さい。」
と言って池の傍の梓から昇天したとされる。
この樹は樹齢200~250年、幹周り2.5m、樹高12m。府下では幹周り2mを超えるものは殆どなく
昭和50年に大阪府指定の天然記念物になった。
唯、老木のため平成25~27年には樹勢回復の治療を受けている。』 とあります。

池の畔の石灯籠

十三重石塔

一応、心字池となってはいるが…。

池越しに見る書院と本堂

池越しに寺務所方面を見る

入口付近からの眺望
石川丈山と言えば、元戦国武将で大坂の陣以降は京都の詩仙堂に隠棲した人物。
詩仙堂の庭と当寺の庭の同一性は分かりませんが、通常の寺院の庭と違い素朴で力強い庭と言ったところでしょうか?
龍女の話は当寺の建立譚に繋がる話。伝説的な内容ですが、恐らく地元の有力者の女性が蓮如に帰依した結果、
この地を寄進したと言う史実があったのでしょう。
そこには梓の木が登場しますが、この樹木は洗剤や生薬としての効用があったと言いますから、
それに拠って富を得たのではと想像が膨らみます。
住職夫人は 「全然手入れが追いつきませんで…。」 と謙遜されていましたが、
私見では北河内にこれ程の庭を持った寺院は未見。
ガイドに載らない名園もあると【再価値】を見出した次第です。

寺務所の裏に建つ経蔵
といってお経を納めているようには見えず、蔵か物置の様。

境内の裏手に生える樹木群

境内の北西にある「さいかちの木」
木に勢いがないのが寂しい。

サイカチ伝説
[参考書]
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