<コース> 京阪電鉄は日中10分間隔で運転
淀屋橋駅 → (京阪電鉄) → 光善寺駅 → 徒歩8分 → 光善寺 → 徒歩5分 → 腰掛石 → 徒歩8分 → 御廟

淵埋山 光善寺(浄土真宗大谷派)
山門前に建つ腰掛石への案内。ここより二丁とある。
参拝を終えた後は駅に向かいますが、府下の富田林や久宝寺程ではないものの
町並みには寺内町の香りが漂います。
所々に水路があるのは、寺内町を護る環濠に思えますが、説明がないので分からず仕舞い。
せめて案内板でもあればと思うのは私だけでしょうか?

当寺から腰掛石に向かう途中にある蔵

寺内町の面影を残す町並み

この水路は環濠跡か?
寺から数百メートル南下した場所にあるのが「蓮如上人腰掛石」。
『上人が出口に来た時は、『御文』に「九間在家」とあるように僅か九戸の村落であったが、
その様な村の中央部で、上人は石に腰掛け人々に親しく仏法を説いた。
出口では今でもこの「腰掛石」の御遺跡の場所を上人が居られるように「蓮如さん」と呼んでいる。
出口ではこの腰掛石の形に因んだ「出口だんご」が作られ、この地の名物となっている。
以前はどこの門徒の家庭でも出口だんごを作ったが、今では稀になっている。』 とあります。

腰掛石の向かいにある上庄南之口樋跡

蓮如上人腰掛石への入口

石碑の後方の石で囲まれた場所が腰掛石
蓮如はこの地で布教に従事しますが、結局三年で京都へと移る事に。
文字通り腰掛になってしまった訳ですが、【公善事】を積み重ね民衆の心は掴んだのは確かで、
今でも親しみを込めて呼ばれるのがその証拠。
収奪だけ行って去ってしまう為政者も多い中、蓮如の行為は際立っています。
政治に携わる人間が心すべき事でしょう。

腰掛石近影

脇に建つ蓮如上人御腰掛石之碑
明治40年建立で内容は漢文。
その後は、石より団子と言う事で国道1号線を越えた場所にある和菓子店へ。
目的の団子はかつては多くの店で作られたようですが、今は遠州屋さん一軒のみ。
所謂、かた団子で、餡子の周りを餅で巻いたもの。
日持ちはしませんが、素朴な味わいは昔ながらといえそうです。
コロナ禍で営業時間は短縮でしたが、お店は開店中。但し、目指す団子は売切れ御礼。
15時過ぎと言う時間が遅かったのでしょう。土産には「さいかちの木」と銘打った饅頭を購入しましたが、
でぐち団子を食べるためにはお店を訪れる【再価値】はありそうです。

遠州屋さん外観
唯一残った「でぐち団子」のお店。

団子が売切れだったので、「さいかちの木」を土産に
[参考書]
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