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信達神社 本殿 (大阪府泉南市信達金熊寺) <信達神社 其の壱>

2022.06.12(19:12) 1139

金熊寺の鎮守社(2022.2.26)

<コース> 紀州路快速は15分間隔で運転
【往路】JR大阪(8:38) → (紀州路快速) → JR和泉砂川(9:53)

泉南市観光協会 → レンタサイクル20分 → 信達神社 → 金熊寺 → 金熊寺梅林 → レンタサイクル20分 → 泉南市観光協会

【復路】JR和泉砂川(14:51) → (紀州路快速) → JR大阪(15:58)

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信達神社(旧金熊寺大権現宮)

 ことしは少し寒いので、梅の開花も遅いとの情報ですが、2月最後の土曜は梅を求めて泉南へ。

泉南市の市花は梅、これは市内にある金熊寺(きんゆうじ)梅林に由来しています。

 金熊寺はJR和泉砂川駅の南東3㎞。なんでこのような山側にと思いましたが、この道は標高216mの

風吹峠を越えて和歌山の根来寺の西へ出るという根来街道。周辺に古刹があるのも納得です。

 歩くにはすこし距離があるので、駅近くの観光案内所でレンタサイクル。

滑瀬橋でその名も金熊寺川を渡り阪和道を越えて20分程で目的地。

途中、岩出駅行きの南海バスが追い越して行き、改めて根来街道を往くのを実感sました。

街道から右の細道を入ると遥か向こうに伽藍が見えますが、その手前に神社が鎮座。

順序としてはこちらに参拝するのが筋と言うものです。

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JR和泉砂川駅舎
昭和5年に阪和電鉄の信達駅として開業。当時の駅舎が三角屋根として今も残る。

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滑瀬橋上から見た金熊川
向こうに見えるのが阪和道。

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根来街道から右へ続く細道
突き当りに伽藍が遠望できる。

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正面に金熊寺、右手に信達神社

 信達神社(しんだちじんじゃ)は、

『その昔、泉南樽井の海岸に神武天皇の尊像が漂着。

それを神意と思った里人等が像を引き上げ、樽井の地に祀った樽井権現社が始まり。

更に神意を得て現在の地に社殿を建て遷座した。

 この御鎮座地は神武天皇の東征に際し、男之水門より紀伊釜山に至る途中、

しばし休息されたとされる尊い高地で、当社にある神池は御兄五瀬命の矢傷を洗ったとされる。

 その後、天武天皇の白鳳10年、役小角が金峯・熊野の両神を勧請し本殿に合祀したので

金熊寺大権現宮と呼ばれ、当時の信達荘十三ヵ村の鎮守・産土神の役割を果たした。

御祭神の「金」「熊」の二字を採って、この里を金熊寺と呼ぶようになったのは、それ故である。

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入口に建つ一の鳥居

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鳥居に続く参道
ここから先は両側に樹木が迫る。

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参道脇の御由緒

 天正年間に織田信長、豊臣秀吉の根来征伐の兵火で炎上。

社殿は焼失したが、御神体は幸いにして無事であった。

江戸初期の正保4年(1647年)、この地の豪族神主・矢野和泉守家次が東西に奔走。

桁行五間梁間二間の本殿を再建した。その矢野神主に

「この地に梅木を植えなば、神領益々隆昌ならん。」

との神託があり、一族で相議して梅木を植林した。これが現在の金熊寺梅林の始まりである。

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太鼓橋を渡って本殿へ向かう

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拝殿へと続く階段

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階段の上から参道を振り返る

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拝殿内部の様子
行事に使用すると思しき鞨鼓が置かれている。

 明治元年(1868年)の神仏分離令に拠り、金熊寺から分離独立。信達神社となって今に至っている。

この地区では

① 権現様の秋祭り
② 林昌寺の躑躅の花見
③ 師走小晦日の市場歳の市

が信達郷の三大行事として知られ、近郷近在の人々が集まり大変な賑わいであったという。

この権現様の秋祭りが金熊権現宮の祭礼で、御輿渡御神事と国市座(庄宮座)が盛大に行われた。

明治の初期頃には国市座の参加者が三千人を数えたという。

 室町幕府以降、各村連合の惣が出来、惣社が置かれるようになった。信達庄(郷)は13ヵ村で構成され、

この惣社が当社であった。今の信達郷共有林野組合はこの流れを継ぐものである。』 とあります。

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本殿への中門

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本殿は更に一段高い石垣の上に建つ

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中門前から拝殿を見下ろす

 寺院の由緒で仏像が海中・土中から出たというのは良くありますが、神社でしかも天皇像が漂着したとは

何とも不思議な話。唯、神武天皇東征途上で立ち寄った云々とあるので、その事が像の漂着に変形したのでしょうが、

天皇像を海に流すことに抵抗はなかったのでしょうか?

 修験道の開祖・役行者が勧請した両神に因み改称したとありますが、両方の良い所採りで繁栄を願うのは

東大寺と興福寺に因む東福寺等ありそうな話。【きんゆう】だけに【かんじょう】高い所がありそうです。

 その由緒ある社名も明治以後は信達神社に改称。信達は字の名前なので当然とも言えますが、

神仏分離は仏教側に厳しかった令なので、寺を改称して金熊寺大権現宮のままでいく選択肢はなかったのか?

地域の先達が信達になったのには何か【辛辣】な事情でもあったのでしょうか?

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眼も鮮やかな朱色の本殿
桁行五間梁行二間(五間社流造)の社殿である。

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本殿正面の唐破風と彫刻群

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本殿左側
極彩色の蟇股と垂木が見える。

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本殿右側
修復中なのは末社か?

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本殿から石段を下る

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弁財天を祀る境内社

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