<コース>
【往路】JR天王寺(7:45) → JR王寺(8:03→8:06) → JR五条(9:01)
駅前観光案内所 → レンタサイクル5分 → 金剛寺 → レンタサイクル25分 → 念仏寺 → レンタサイクル45分 → 大澤寺 → レンタサイクル25分 → 栄山寺 → レンタサイクル8分 → 新町通り
【復路】JR五条(15:30) → JR王寺(16:22→16:30) → (大和路快速) → JR大阪(17:09)

学晶山 栄山寺(真言宗豊山派)
大澤寺参拝の後は、山を一気に下ってJR五条まで。そこから吉野川を遡って川の畔の寺院を目指します。
五条では金剛寺と並ぶ有名な観光寺院で、しかも吉野川沿いの絶景ポイントとあって、
途中は食事処等が点在。この日に訪問した他の寺院とは随分違った道のりとなりました。
吉野川に架かるその名も栄山寺橋を過ぎると目的地。
奈良時代築の国宝を初め文化財の宝庫ですが、外観からは古刹という雰囲気はなく、
川沿いの平地に堂宇が点在している様子。川沿いに門があり、ここが山門の様ですが、閉鎖中。
改めて戻って入口を探しているといつの間にか境内に。
慌てて左側の受付で入山手続きをする羽目に。そんな長閑な寺院です。

吉野川の絶景とそこに架かる栄山寺橋

川沿いに建つ山門
正面奥には本堂が建つが閉鎖中。入口は北側との矢印が…。

こちらが現在の山門に相当
学晶山栄山寺(がくしょうざんえいざんじ)は、
『養老3年(719年)、藤原不比等の長男である武智麻呂が創建したと言われ、
当初は前山寺(さきやまでら)と呼ばれた。
その後、武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代まで繁栄。
南北朝時代には南朝の後村上・長慶・後亀山天皇の行在所が置かれた。
当寺は役小角の修行地とされ、修験道にも関係が深かったが、
戦国時代には八角堂を除く堂宇を焼失。後に本堂、阿弥陀堂、塔ノ堂が再建された。

山門を過ぎて直ぐ左手にある鐘楼

鐘楼に吊るされた国宝・梵鐘
山内では八角堂と並ぶ国宝である。

梵鐘の説明駒札

参道右手に建つ重文・七重石塔婆
重文とは思えぬ程、自然に建っている。

石塔婆解説

石塔婆に続く塔之堂(大日堂)

塔之堂からの眺望
栄山寺橋が遠望できる。

境内に建つ句碑
説明がないので作者・内容は不詳。
元来は興福寺の末寺であったが、江戸初期に一時無住となり、
その後、泉涌寺別院の末寺、東京護国寺の末寺を経て現在は大和長谷寺の末寺である。
奈良時代より現在まで法灯を伝える南大和の名刹であり、八角円堂・梵鐘の両国宝を初め、
本尊・十二神将、石灯籠・石塔婆を始めとする重要文化財を有する文化財の宝庫である。』 とあります。

由緒記

重用文化財・本堂(薬師堂)
御本尊は室町期作とされる木造薬師如来坐像である。

本堂前に建つ重文・石燈篭

石燈篭説明

本堂に掲げられた「學晶山」の扁額

本堂前面
撮影禁止だが、内陣へ入って参拝可能。仏像に加え、資料やパネル展示もある。

本堂前よりかつての山門を見る
大和の西端にあるとはいえ、藤原南家の菩提寺であったとは初耳。
南家は不比等長男の系列で仲麻呂の時に頂点を極めますが、孝謙上皇と道鏡に反旗を翻し敗死。
以後、衰退の一途を辿ったと思っていましたが、意外にも後世まで影響力を持った様子。
己の【無知麻呂】を反省です。
また南朝の行在所としては市内の賀名生が有名ですが、
ここにも置かれていたのは同じ南繋がりだったのかと勝手な妄想が膨らみます。

栄山寺説明書

栄山寺御朱印 (平成6年正月拝受分)

今回拝受の御朱印
同じ御本尊の筈だが、平成6年とは差異が見られる。
[参考書]
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