<コース>
広島駅 → レンタサイクル20分 → 不動院

新日山 安国寺 不動院(真言宗別格本山) 国宝・金堂
重要文化財の楼門を潜ると正面に建つのが国宝の金堂。不動院金堂は、
『天井に描かれた天女と龍の絵に天文九年(1540年)の賛があり創建もこの頃と考えられる。
入母屋造、杮葺き、一重裳階付の建物で、桁行三間、梁間四間の身舎(もや)の周囲に裳階を廻らしている。
二階建ての様に見えるが構造的には一重裳階付で、裳階は正面一間通りを吹き流しとしている。
この構造は我が国では珍しく大陸的な正式の手法と考えられる。

楼門とその奥に建つ金堂

楼門下からの眺望

不動院の歴史

境内の略図
当寺は密教系の天台宗であるが、金堂の建築様式は中世の本格的な禅宗様式(唐様)であり、
内部は土間床の一室、中央を鏡天井とし周囲に隙間なく組物が並ぶ構成、
桟唐戸・花頭窓・礎盤付柱・扇垂木等に本格的な禅宗仏殿の形式が見られる。
天井高は8.6mに達し、現存する唐様の建築物として国内最大を誇る。
この堂は当初からここにあったものではなく、戦国末期の天正年間(1573~1592年)に
住職の安国寺恵瓊が山口市内にあった香積寺(現在の瑠璃光寺)から移築したものである。

正面より見た金堂

斜め前方より

側面より見た金堂

斜め後方より見た金堂

金堂裏側
昭和20年(1945年)8月6日、原爆投下に拠って被爆。
当寺は爆心地から3.9㎞の位置にあり、金堂の屋根の一部が吹き飛び、
本堂の柱の1本が折れたものの奇跡的に倒壊は免れている。
当時は市内中心部からの避難する被爆者の受け入れ先として機能した。
昭和33年(1958年)には金堂が国宝に指定、
平成5年(1993年)には広島市に現存する被爆建物リストに登録。
一瞬にして多くの文化財を失った広島にとって、幾世紀にも及ぶ風雪に耐え、
昔の栄華を今に伝える貴重な存在となっている。』 とあります。

金堂前面にて

金堂屋根の扇垂木

向拝柱と蝦虹梁

金堂正面入口
但し内陣へは入れず、参拝は外陣から。

花頭窓
正面に建つと、昨日見た功山寺の仏殿を彷彿とさせる典型的な唐様の堂宇。
国内最大かどうかは分かりませんが、今まで見たなかでは紀州の興国寺に匹敵するでしょうか?
唯、内陣は公開していない様子で御本尊の御薬師様も隙間からの拝観。
近くで参拝できなかったのと、天井画を見ることが出来なかったのが心残りではありました。

金堂内陣に安置された御本尊薬師如来坐像

重文・木造薬師如来坐像 (説明書より)
高さ1.4m、檜材寄木造で、定朝様藤原時代の秀作。

金堂細部の組物
三手先の組物、頭貫の木鼻が見える。
古来より中国地方の中心であった広島を一瞬にして壊滅させたのが昭和20年8月6日の原爆。
その後、市民の努力もあって広島市は奇跡的な復興を遂げますが、失った過去の遺物は元に戻りません。
そんな中で、ここ不動院と対岸にある三滝寺がほぼ無傷で残ったのは、まさに奇跡。
どちらも野戦病院として機能したことを考えても御仏の加護を思わずにはいられません。

現代家屋風の寺務所
ここで御朱印を拝受。

不動院案内

不動院オリジナル御朱印帳(紺と赤)

赤色を購入 (大判;175×120㎜)

不動院御朱印

広島東郵便局 ; 国宝・不動院金堂、原爆ドーム、比治山
広島東郵便局は、移転・改称のため現在この風景印はない。
[参考書]
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