
鎌倉宮(旧官幣中社)
荏柄天神に続き鎌倉宮を参拝。御祭神は大塔宮(おおとうのみや)護良(もりよし)親王。
護良親王は御醍醐帝第一皇子、僧となり門室を大塔(おおとう)と言ったので大塔宮と呼ばれます。
天台座主にもなりますが、後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐を計画すると還俗して護良と名乗り、楠木正成らと呼応して幕府を翻弄。
その後、足利や新田により幕府は滅亡します。
親王は当初から討幕に加わった功労者で建武の新政では征夷大将軍・兵部卿になりますが、父帝にあまり愛されず、
足利尊氏・直義との政争に敗れて鎌倉配流となり東光寺に幽閉。
その後、建武二年(1335年)北条時行が鎌倉に乱入した中先代の乱の際に、足利直義の命で淵辺義博により殺害されました。
唯、剛毅な親王も容易くは討たれず相手の太刀を咥えて折ったなどと言う伝説も残しています。
尤も太平記は中国の古典からの引用がやたら多く、これも干将莫邪(かんしょうばくや)の剣の故事を踏まえたものと思えます。
武士に生まれていればまた違った道も開けたでしょうに、皇族という身分が足枷になるとは。
その悲劇的生涯は親王の思慮不足とも言えますが、功績があった実子を見捨てるようでは
建武の新政が数年で破綻するのも当然な気がします。
鎌倉宮は明治二年(1869年)に明治天皇によって創建された新しい神社。明治天皇の御代に唯一創建されたお社だそうです。
北朝の系譜を引く天皇が南朝方の護良親王を祀るのも奇妙ですが、後の南北朝正閏論でも南朝を正統とした天皇の事、
自身の系譜ではなく己の意志で時代を切り開こうとした人間に共感したのかもしれません。
或は薩長による明治維新が始まったばかりで自分の政治位置を歯痒く思われたのでしょうか。

鳥居前の桜

鎌倉宮本殿
護良親王に因み獅子頭が飾ってある。丁度、雪が降って来たところ。

鎌倉宮御守り獅子頭 これは中型¥1200。
護良親王が戦に際し、これに似たものを兜に付けたことに由来するとか。類似のものが鶴岡市にあるので、そちらが由来という説も。災いの方角に口を向けて災難を食べる。

鎌倉宮説明書

鎌倉宮御朱印 20代の神職の書。

御成町にある甘味処「雲母(きらら)」の庭
住宅街にあり、普通の住宅を店にしている雰囲気。

抹茶白玉クリーム餡蜜¥850
普段食べている白玉とは食感が全く違い、コシはあるが柔らかい感じ。また冷たくなく温かいこと、漬物と昆布茶があるのもGood。
[参考書]
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大塔宮の記述があるのは全六冊の内、一、二分冊まで。
幕府を相手に戦った記述は、第五巻(第一分冊)
・大塔宮大般若の櫃に入り替はる事
・大塔宮十津川御入りの事
最期の様子は、第十三巻(第二分冊)
・兵部卿親王を害し奉る事
・干将莫邪の事
に詳しい。
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