日暮し門、鳥棲まずの門(2022.9.9)
<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:21) → (快速) → JR京都(6:54→7:00) → (湖西線) → JR近江今津(8:06→8:14) → (湖西・北陸線) → JR大土呂(9:41) → 徒歩5分 → 大土呂〒 → JR大土呂(10:20) → JR鯖江(10:27)
鯖江観光案内所 レンタサイクル → 3分 → 植田家長屋門 → 旭町〒 → 誠照寺 → 3分 → 桜〒 → 西山公園 → 5分 → 中道院 → 鯖江〒 → 神明〒 → 鳥羽町〒 → 吉江〒 → 15分 → 朝日〒 → 20分 → 糸生〒 → 15分 → 大谷寺 → 吉川〒 → 10分 → 豊〒 → 10分 → 西山公園
【復路】JR鯖江(17:01) → (北陸線) → JR敦賀(17:36→17:49) → (新快速;北陸・東海道線) → JR大阪(20:13)

上野山 九品院 誠照寺(浄土真宗誠照寺派本山)
長屋門や武家屋敷を見た後、西に向かうと福井鉄道の線路の手前に塀越しに
見るからに大伽藍が聳えます。これがこの辺りの最大級の寺院。
東西に走る道路に面しても南に向いた門がありますが、これは小さく脇門。
正式には商店街を北に抜けた場所に広い入口と寺標が建ちます。

東西に走る417号線から塀越しに見える大伽藍

こちらは南に開いた脇門
これが誠照寺(じょうしょうじ)で、福井の専証寺・横越の證誠寺と共に、越前三門徒の中心寺院として繁栄。
現在に繋がる鯖江町形成の基となりました。この入口に東向きに建つのが一際大きな四足門。
伽藍の多くが明治の再建の中にあって、唯一の江戸時代の建築でもあります。

東に開いたのが正式な門

門前に建つ巨大な寺標
『この門は文正元年(1466年)、後土御門天皇の勅許に拠り建立されたが、
天正11年(1583年)北ノ庄落城の兵火に遭い焼失した。
現在の門は安永8年(1779年)の再建。一樹一材の総欅造りで全体のバランスも良く、
後世の改造も殆ど見られない。越前の近代寺社建築を代表する建造物である。
形式は一間一戸の四脚門で、正面柱間7.08m、側面柱間4.67mの規模を有し、
四脚門としては県内最大規模である。

四足門近影
当寺唯一の江戸時代建築である。

四足門説明
禅宗様を基調とする折衷様式を持ち、優れた彫刻装飾が各所に見られる。
特に本柱の紅梁南北の両端にある「駆け出しの龍」及び「蟇股の唐獅子」は
二代目・左甚五郎作と伝えられ、その見事さから北陸の日暮し門とも、鳥棲まずの門とも別称されている。
駆け出しの龍は文久2年(1862年)の大火災の際、水を吐いて門を守ったと伝えられている。』
とあります。

南側の彫刻装飾

南側の「駆け出しの龍」

北側の彫刻装飾

木鼻と象の彫刻

北側の「駆け出しの龍」

これが「蟇股の唐獅子」か?
真宗寺院では山門・御影堂初め巨大伽藍が犇めくというのが定番ですが、
こと当寺に関しては山門に当たる四足門が突出。
これは単に大きさだけでなく芸術性に拠るのでしょう。
左甚五郎は有名ですが実在も含めて伝説半ばする人物。左というのは左利きだったからと言われますが、
飛騨の匠の「ひだ」に由来するとの説もあります。飛騨の匠は都にも聞こえた大工集団。
飛騨と北陸は隣接地で街道で繋がっており、欄間で知られた井波は越中の南。
私には飛騨の一流の彫刻家が代々名乗ったのだと思います。
日暮し門は一日中見ても飽きないから、鳥棲まずの門とは鳥が龍を実物と誤って近寄らないという事が
恐らくは命名の由来。蜩が鳴いたり、取りすました人が通るからではありません。
それだけ写実的と言う事ですが、駆け出しの龍は駆け出しの彫刻家には彫れそうにないとは思いますが…。

四足門の天井と透かし彫り

門扉の彫刻

天井と欄間の彫刻
[参考書]


ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング

御朱印ランキング

にほんブログ村

にほんブログ村
<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:21) → (快速) → JR京都(6:54→7:00) → (湖西線) → JR近江今津(8:06→8:14) → (湖西・北陸線) → JR大土呂(9:41) → 徒歩5分 → 大土呂〒 → JR大土呂(10:20) → JR鯖江(10:27)
鯖江観光案内所 レンタサイクル → 3分 → 植田家長屋門 → 旭町〒 → 誠照寺 → 3分 → 桜〒 → 西山公園 → 5分 → 中道院 → 鯖江〒 → 神明〒 → 鳥羽町〒 → 吉江〒 → 15分 → 朝日〒 → 20分 → 糸生〒 → 15分 → 大谷寺 → 吉川〒 → 10分 → 豊〒 → 10分 → 西山公園
【復路】JR鯖江(17:01) → (北陸線) → JR敦賀(17:36→17:49) → (新快速;北陸・東海道線) → JR大阪(20:13)

上野山 九品院 誠照寺(浄土真宗誠照寺派本山)
長屋門や武家屋敷を見た後、西に向かうと福井鉄道の線路の手前に塀越しに
見るからに大伽藍が聳えます。これがこの辺りの最大級の寺院。
東西に走る道路に面しても南に向いた門がありますが、これは小さく脇門。
正式には商店街を北に抜けた場所に広い入口と寺標が建ちます。

東西に走る417号線から塀越しに見える大伽藍

こちらは南に開いた脇門
これが誠照寺(じょうしょうじ)で、福井の専証寺・横越の證誠寺と共に、越前三門徒の中心寺院として繁栄。
現在に繋がる鯖江町形成の基となりました。この入口に東向きに建つのが一際大きな四足門。
伽藍の多くが明治の再建の中にあって、唯一の江戸時代の建築でもあります。

東に開いたのが正式な門

門前に建つ巨大な寺標
『この門は文正元年(1466年)、後土御門天皇の勅許に拠り建立されたが、
天正11年(1583年)北ノ庄落城の兵火に遭い焼失した。
現在の門は安永8年(1779年)の再建。一樹一材の総欅造りで全体のバランスも良く、
後世の改造も殆ど見られない。越前の近代寺社建築を代表する建造物である。
形式は一間一戸の四脚門で、正面柱間7.08m、側面柱間4.67mの規模を有し、
四脚門としては県内最大規模である。

四足門近影
当寺唯一の江戸時代建築である。

四足門説明
禅宗様を基調とする折衷様式を持ち、優れた彫刻装飾が各所に見られる。
特に本柱の紅梁南北の両端にある「駆け出しの龍」及び「蟇股の唐獅子」は
二代目・左甚五郎作と伝えられ、その見事さから北陸の日暮し門とも、鳥棲まずの門とも別称されている。
駆け出しの龍は文久2年(1862年)の大火災の際、水を吐いて門を守ったと伝えられている。』
とあります。

南側の彫刻装飾

南側の「駆け出しの龍」

北側の彫刻装飾

木鼻と象の彫刻

北側の「駆け出しの龍」

これが「蟇股の唐獅子」か?
真宗寺院では山門・御影堂初め巨大伽藍が犇めくというのが定番ですが、
こと当寺に関しては山門に当たる四足門が突出。
これは単に大きさだけでなく芸術性に拠るのでしょう。
左甚五郎は有名ですが実在も含めて伝説半ばする人物。左というのは左利きだったからと言われますが、
飛騨の匠の「ひだ」に由来するとの説もあります。飛騨の匠は都にも聞こえた大工集団。
飛騨と北陸は隣接地で街道で繋がっており、欄間で知られた井波は越中の南。
私には飛騨の一流の彫刻家が代々名乗ったのだと思います。
日暮し門は一日中見ても飽きないから、鳥棲まずの門とは鳥が龍を実物と誤って近寄らないという事が
恐らくは命名の由来。蜩が鳴いたり、取りすました人が通るからではありません。
それだけ写実的と言う事ですが、駆け出しの龍は駆け出しの彫刻家には彫れそうにないとは思いますが…。

四足門の天井と透かし彫り

門扉の彫刻

天井と欄間の彫刻
[参考書]
新品価格 | ![]() |

新品価格 | ![]() |

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング

御朱印ランキング

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト