<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:21) → (快速) → JR京都(6:54→7:00) → (湖西線) → JR近江今津(8:06→8:14) → (湖西・北陸線) → JR大土呂(9:41) → 徒歩5分 → 大土呂〒 → JR大土呂(10:20) → JR鯖江(10:27)
鯖江観光案内所 レンタサイクル → 3分 → 植田家長屋門 → 旭町〒 → 誠照寺 → 3分 → 桜〒 → 西山公園 → 5分 → 中道院 → 鯖江〒 → 神明〒 → 鳥羽町〒 → 吉江〒 → 15分 → 朝日〒 → 20分 → 糸生〒 → 15分 → 大谷寺 → 吉川〒 → 10分 → 豊〒 → 10分 → 西山公園
【復路】JR鯖江(17:01) → (北陸線) → JR敦賀(17:36→17:49) → (新快速;北陸・東海道線) → JR大阪(20:13)

上野山 九品院 誠照寺(浄土真宗誠照寺派本山)
誠照寺(じょうしょうじ)御影堂内陣参拝の後は、境内の多くの伽藍を巡りますが、
その前に宗務所と呼ばれる寺務所へ向かい説明書を入手。
門徒以外にも門戸を開いているのは流石真宗寺院ですが、見ると書置き御朱印がある様子。
受付の方の話では、
「真宗は原則御朱印はなしですが、ここは希望者にお渡ししています。」 との事。
早速頂いた御朱印は、通常よりも二回り程の大きさ。真宗寺院は御朱印もビッグサイズなのでしょう。

境内北側に建つ宗務所(寺務所)
門徒以外にも門戸が開かれている。

誠照寺説明書

誠照寺御朱印
その後は説明書に従い、堂宇を堂々巡り。御影堂以外は全て外陣からの参拝。
南接する阿弥陀堂は御本尊の阿弥陀如来木像を安置しているものの、ここも入れず。
せめて阿弥陀堂位は入れないかと期待しましたが駄目でした。

御影堂に南接する阿弥陀堂

阿弥陀堂説明板
『御影堂の南に隣接する阿弥陀堂は御影堂と同じく、
江戸末期の文久2年(1862年)に焼失後、明治20年に再建された。
入母屋造、桟瓦葺で開山を安置する御影堂に対し、
本尊の阿弥陀如来の木造を安置する阿弥陀堂は小さい傾向にあるが、
それでも桁行12間、梁間10間の堂々たる大規模建築である。
組物は禅宗様で尾垂木付の二手先。向拝の組物は出三斗組で、
特に胴体をU字にくねらせた木鼻の龍は特徴的である。

阿弥陀堂正面

阿弥陀堂の向拝柱

胴体をU字にくねらせた木鼻の龍(左)

胴体をU字にくねらせた木鼻の龍(右)
鐘楼は弘化3年(1846年)の築、当寺では数少ない江戸時代の建物。
四本柱形式の鐘楼で、袴腰形の切石積基壇の上に建つ特異な形式である。
柱間4.19mと四本柱形式では県下最大を誇る。
上部は四周に二手先の腰組で支えられた高欄付の切目縁を廻らし、
円柱上部には棕を設け台輪を回す。
この上に二手先組物を載せ、二軒扇垂木で入母屋造桟瓦葺の屋根を支えている。
全体的に禅宗様を基調とした折衷様で、細部には彫刻装飾もバランス良く配置され、
江戸時代後期の優れえた特徴を伝えている。

宗務所前から御影堂を見る

御影堂に北接する対面所

唐破風と千鳥破風を組合わせた対面所玄関

鐘楼全景

鐘楼説明板
鐘楼に吊るされた梵鐘は洪鐘とも呼ばれ宝暦6年(1756年)作の銘がある。
市内にある鐘の中で戦前からのものはこれのみで、戦時中に一時供出されたが、
門徒らの強い希望で返されたという経緯を持っている。』 とあります。

梵鐘(洪鐘)説明
境内には、御影堂・阿弥陀堂・対面所・大庫裏・無碍光堂・御経堂・鐘楼堂・
忠霊堂と諸堂が並びますが、説明があったのは阿弥陀堂と鐘楼堂のみ。
理由は様々でしょうが、この二堂以外は全て最近の建造物であると言うのが大きいと感じました。

近代的な無碍光堂

御経堂

忠霊堂
唯一の例外は、境内の塔頭の慈雲山法林院。これは建物と言うよりも、
明治期に住職を務めた小泉了諦師が鯖江を代表する宗教家だったためですが、不勉強で知りませんでした。
それよりも本堂に掲げられた扁額の末尾に袁世凱と書かれている方が気になりました。
了諦師にとっては【辛亥】でしょうが…。

塔頭の一つ、法林院

法林院本堂に掲げられた扁額

明治期に住職を務めた小泉了諦師
[参考書]
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