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安養寺 参道を往く (滋賀県栗東市安養寺) <安養寺 其の弐>

2023.01.02(20:36) 1339

名神のトンネルを抜けると…(2022.10.1)

<コース>
【往路】JR大阪(6:56) → (快速) → JR草津(7:57→8:02) → JR手原(8:09)

手原駅(8:30) → (こんぜめぐりちゃんバス) → 金勝寺(9:10) → 金勝寺 → 徒歩20分 → 道の駅こんぜの里りっとう(11:40) → (こんぜめぐりちゃんバス) → 手原駅(12:10)

栗東市観光協会 → (レンタサイクル7分) → 鈎の陣跡 → (レンタサイクル5分) → 安養寺 → (レンタサイクル10分) → 萬年寺 → (レンタサイクル5分) → 旧和中散本舗・六地蔵尊 → (レンタサイクル5分) → 新善光寺 → (レンタサイクル10分) → JR手原

【復路】JR手原(16:12) → JR草津(16:17→16:21) → JR大阪(17:12)

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東方山 安養寺(真言宗泉涌寺派)

 鈎の陣を見た後、名神高速を目指して走りますが、高速を越える場所は限定的。

偶々、目の前にあったトンネルを抜けると安養寺の寺標。川端康成を地で行く話です。

 東方山安養寺(とうほうざんあんようじ)は、

『栗東インターチェンジの南700m、安養寺山の北麓に建つ古刹。

寺伝に拠れば、天平12年(740年)聖武天皇の勅願に拠って良弁僧正が開創。

同時代にできた金勝寺二十五箇別院の一つであったとされる。

本尊が薬師如来であることから、東方浄瑠璃山安養寺の勅額を賜った。

その後、承和元年(834年)藤原良房の本願に拠って弘法大師が伽藍を再興、真言宗に改宗した。

 その後荒廃するが、鎌倉時代後期の弘長3年(1263年)に亀山天皇が当山を勅願所とされ、

七堂伽藍を初め二十余の僧坊が立ち並ぶ大伽藍を建立し、弘法大師御作の愛染明王像を下賜されたという。

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名神を越えた場所に建つ寺標

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鬱蒼とした木々に囲まれた参道を往く

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参道に続く階段を上り山門へ

 室町時代後期の長享元年(1487年)、9代将軍足利義尚が佐々木六角高頼を征伐の際に、

当山の僧坊中ノ坊に約1ヵ月本陣を構えたが、この時の戦乱に拠り僧坊は半数になり堂塔も荒廃した。

その後、復興したものの元亀元年(1570年)織田信長の兵火に拠り、

本尊薬師三尊等の一部の宝物を残し全山焼失した。

 その後の百年間、伽藍は復興されず、焼け残った仏像は草堂に安置され村人達に拠って護られた。

江戸時代の貞享元年(1684年)に領主の上州前橋藩主酒井雅楽頭忠挙、

京都の樋口氏を始め多くの人々の後援を受け、京都から招かれた

戒山慧堅(かいざんえけん)和尚に拠って復興されたのが、現在まで残る寺である。

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山門前に到着

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塀の前の石碑

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当寺所有の文化財

 正徳元年(1711年)6代将軍徳川家宣より徳川幕府の祈願所として、

永く天下安泰の祈祷を修するよう命ぜられ葵の御紋の幕を賜っている。

享保3年(1718年)には後西天皇皇女で寶鏡寺門跡の理豊宮より、

父帝後西天皇の御位牌を納め永く菩提を弔う事を命じ、「東方山」「安養寺」「放光院」という

当山の山号・寺号・院号の御真筆の額と菊華御紋章の幔幕・提灯を賜った。

 明治初期の廃仏毀釈、戦後の農地解放等に拠って大打撃を被ったが、

歴代住職はじめ檀信徒の尽力に拠って今に至っている。

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山門に続く参道

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境内奥には四国八十八ヵ所霊場も

 樹木に囲まれた境内には、薬師堂・観音堂・客殿始め諸堂が建ち、

八十八ヵ所巡礼道も設けられているが、目に付くのは薬師堂前に建つ十三重石塔。

高さは約4mで、作風より弘長年間よりやや遅れる鎌倉時代後期の作とされる重要文化財。

現在は九・十・十一重を欠失しているが、当初は十三重あったとされる。

塔身には四方四仏が刻まれ、上面に返花を表した基礎の三面に格狭間、

正面の一面は二区に分けて二体の比丘形を彫り出すと言う珍しい形式の層塔となっている。』

とあります。

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十三重石塔

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石塔(寶塔)の解説

 明治以降の文明開化に伴う交通網の発達は、昔からの建造物に影響を与えます。

鎌倉の円覚寺や興津の清見寺などは境内を鉄道が走りますが、

人に拠っては「景観が良い」「インスタ映えする」との意見もあります。

しかし(高速)道路沿いの寺社ではそのような話を耳にする事は稀。

当寺も山を借景とした境内と、入口から表山門までの樹木に囲まれた参道は

非所に良い雰囲気を出していますが、それも道路により半減。

風景に溶け込む鉄道と、風景を遮断する道路の違いでしょうか?

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役行者石像

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不動明王石像

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鐘楼堂

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