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タイトル画像

安土城跡 (滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)

2023.01.16(22:25) 1353

下天は夢か(2020.10.8)

<コース>
【往路】JR大阪(6:56) → (快速) → JR近江八幡(8:16)

駅リン君 → レンタサイクル20分 → 長光寺 → レンタサイクル30分 → 沙々貴神社 → 浄厳寺 → レンタサイクル10分 → 安土城址・摠見寺 → レンタサイクル30分 → JR近江八幡

【復路】JR近江八幡(15:09) → (新快速) → JR大阪(16:13)

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安土城跡(特別史跡)

 浄厳(じょうごん)寺にお参りして安土駅まで行くと12時過ぎ。

信長の建てた安土城の城下町で、歴史の教科書にも安土桃山時代で登場。

小学生以上ならば誰でも知っている名前ですが、駅は普通しか停車せず日中は30分毎の運行。

新快速の停車する能登川・近江八幡と比べてもその差は歴然。

駅周辺を見渡しても、駅前ビルや繁華街はなく田圃もチラホラ。

現在の主要都市は近世城下町から発展したものが殆どですが、安土はその恩恵を受けず。

その上、かつては蒲生郡安土町でしたが、今は近江八幡市の一部になっています。

信長の後に城が築かれなかったからと思いますが、

天下統一半ばで横死した信長の無念さの象徴でもあるのでしょうか?

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JR安土駅スタンプ
(上) アーバンネットワーク印 旧・新  (下) 2006年JR西日本京都支社印

 自転車を5分程飛ばしてそんな安土城跡へ向かい30年振りの登城。

駐車場にも自動車が並びこの日の行先では一番の混雑ぶりでした。

関所のような受付で入場料を払い石で舗装された大手道へ。以前は入場料も石段も記憶になかったので、

私 ; 「以前とは階段の雰囲気が違うようですが。」

受付 ; 「あの石段は、ここ10年位前です。」

私 ; 「今日は30年振りですわ。」

受付 ; 「先日、50年振りという方が来られました。」

20年後には、ここに来れるかと言うよりも、果たしてこの世にいるかどうか。

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関所の様な受付

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初めはこのような石段からスタート

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先ず、右手に伝前田利家邸跡が

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前田利家邸跡説明

『安土山は佐々木氏の家臣目賀田氏がよったため目賀田山と言った様であるが、

ここに築城を企てた織田信長は、天正4年(1576年)1月17日、重臣の丹羽長秀を総普請奉行に据え、

標高199mの安土山に築城させた平山城。

岐阜城よりも京都に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった。

 現在は四方とも干拓に拠り陸地となっているが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭内湖・常楽湖)に囲まれ、

南方のみが開けた地形であった。その僅か3年後の天正7年5月に一応の完成を見る。

高さ35m、外観は5層、内部は地階の石蔵を含めて7階、4階は八角形、5階は四角形で、

我が国で最初の本格的天守閣(天主閣)を有する城郭であったと言われる。

瓦には金箔を置き、華やかな狩野派の襖絵や異国の文物が飾られていた事は、

外国人宣教師フロイスの本国への書簡に拠り知られる。

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前田邸より少し上った左手にある羽柴秀吉邸跡

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羽柴秀吉邸跡説明

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邸を支える石垣

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更に上を目指す

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石段途中から受付方面を見る

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更に高台へ

 しかしこの天下の名城も天守完成から3年目の天正10年(1582年)6月2日、

信長が本能寺の変で自刃するや、その混乱の中6月15日未明、天守などを焼失、一夜にして落城した。

焼失の原因については、明智左馬之助光春が一時占拠した後に空城となった時、

土民の放火に拠るもの、次男織田信雄が誤って炎上させた等があり、定説はない。

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天主台への道標

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ここからは両側に木立が迫る

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並んで建つ 織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡

 受付で入場料を支払い、正面に続く大手道を上ると、直ぐ右手に前田利家邸跡、

左手に羽柴秀吉屋敷跡があり、少し上った場所にあった徳川家康邸跡は、現在摠見寺仮本堂となっている。

小石を積み上げた石垣が目を惹く。更に石段を上ると、織田信忠・森蘭丸邸跡の石柱が建つ。

 その後、黒金門跡を抜けると天守閣下へ。天守跡西下の二ノ丸跡にあるのが信長公本廟。

天正11年1月、信長の嫡孫三法師に年賀を表すべく登城した羽柴秀吉が、

翌2月信長公縁の二ノ丸跡に太刀・烏帽子・直垂などの遺品を埋葬して本廟としたもの。

同年6月2日の一周忌には織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行った。

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黒金門跡

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黒金門跡説明

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黒金門を過ぎ曲がった道を往く

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仏足石

 それに続く本丸御殿跡は、その後の調査で京都御所内の清涼殿に酷似した構造になっている事が判明。

天皇を招き入れる「御幸の間」があったと「信長公記」にある。

更に礎石上の柱跡からこの建物が高床式であった事、周囲の三ノ丸や天守取付台と

渡り廊下で繋がっていた事も明らかになった。

 山頂付近にある天主跡は、背丈ほどの高さの石垣に囲まれた東西、南北28メートも台地。

今は礎石が1.2mおきに整然と並ぶだけであるが、この部分は天守の穴蔵(地階の部分)に当り、

その上に更に大きな天主が聳えていた。

イエズス会宣教師ルイス・フロイスに拠れば、5層7階(地上6階地下1階)の天主は

ヨーロッパにもない程の壮大さであったと言い、高さ33mの木造高層建築は、我が国初のものであった。

内部は御用絵師狩野永徳の豪壮な障壁画や装飾を配していた。』 とあります。

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二ノ丸跡と信長廟所

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信長廟所

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門の向こうにある廟所
手前の賽銭箱には「魔王殿」とある。

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廟の門にある織田家の家紋・丸木瓜

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廟所近影

 かつては一気に登れましたが今回は休み休み。やはり四半世紀を超えるギャップは大でした。

石段を進むにつれ、前田利家・羽柴秀吉の屋敷跡が現れ、その上に徳川家康の屋敷跡。

更に上に上り天守閣に近付くと、一門と森蘭丸の屋敷跡が。

一般に、城下町は天守閣に近い程、身分が高い傾向にあって、前田・羽柴は信長の家来、

徳川は小さいながらも同盟者なので、このような扱いになったのでしょう。

一門の屋敷は兎も角、蘭丸の屋敷が近くにあるのは何か【こしょう】があっての事でしょうか?

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本丸跡

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本丸跡説明

 山頂付近にあった天主閣は外国人にも驚きの目で見られた我が国初の本格的高層建築。

その【構想】については様々に言われますが、自らを神に擬えた信長は

キリスト教会の尖塔を取入れる事で神に近付こうと考えたとの説が有力です。

安土城には城下の住民は入場料を払って入る事ができたそうですが、

登城は寺社への参拝の様な心積もりだったでしょうか?

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天主閣跡へ

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天主閣跡説明

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天主閣礎石

 城のあった安土山は標高199mで、隣の繖(きぬがさ)山は433m。

普通に考えると高い方が築城には相応しいように思えますし、六角氏はここに観音寺城を築きました。

しかし安土山にはここから琵琶湖が間近に見えると言う他にはないメリットがあります。

これが築城の明暗を分けたようです。

尾張津島の水運で財を成してのし上がったリアリストの信長らしいですが、

自信の城の【衰運】は予想できなかったようです。

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天主閣跡から南の眺望
遥か向こうに琵琶湖が見える。

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天主閣跡から西の眺望

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天主閣跡から北の眺望

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