狡兎三窟(2022.11.3)
<コース>
【往路】JR大阪(6:30) → (サンダーバード1号) → JR金沢(9:13→9:27) → 高岡(10:08)
高岡駅前4番(10:43) → (加越能バス) → 国泰寺前(11:03) → 徒歩10分 → 国泰寺 → 徒歩20分 → 雨晴駅前(12:33) → (加越能バス) → 伏木一の宮(12:42) → 徒歩3分 → 越中国分寺跡 → 氣多神社 → 徒歩15分 → 伏木駅前(13:50) → (加越能バス) → 高岡駅前(14:12)

護国摩頂巨山 国泰仁王万年禅寺(臨済宗法燈派大本山 北陸観音霊場第二十四番札所)
文化の日で始まる休日は北陸路へ。
お盆の計画が、度重なる大雨や北陸線運休のため、今回のリベンジ。
秋晴れに恵まれた初日は氷見線沿線を巡礼する事に。
越中一の宮や国分寺跡があるのは以前から知っていましたが、穴場なのが国泰寺。
以前に氷見駅でMHCを貰った際に、観光案内所に置いてあったパンフで初めて知りました。
寺社共に氷見線の伏木・雨晴駅から徒歩で行ける距離ですが、
肝心の氷見線の本数が1~2時間毎の運転と不便を免れません。
もう一つは15分間隔で運行の万葉線に乗って伏木駅まで歩き、駅でレンタサイクルという案ですが、
雨晴まではトンネルを越えるのがネック。

国泰寺バス停付近に建つ大伴家持歌碑
どちらにしようかと悩んでいると、俄かに路線バス案が浮上。
運行本数は2時間毎程度ですが、高岡駅到着後30分で、国泰寺までのバスがある事が判明。
氷見線・万葉線どちらを採用した場合よりも1時間近く早く着きます。
その後の連絡はどうなるか分かりませんが、取り敢えずバスでの現地入りとなりました。狡兎三窟ですね。
氷見方面行の160号線から東へ1本入った細い道路を進み国泰寺前で下車。
停留所には大伴家持卿歌碑が。国司として赴任した越中で歌壇を形成した家持ですが、
ここでも歌を詠んだのでしょうか?

歌碑の向かいにある国泰寺への道標
左の296号線を進む。
道路を挟んで歌碑の向かいに案合の寺標が建っており、それに従い東行。
小高い丘を過ぎて10分程度歩くと視界が開け正面が寺院。
門前には旅館と思しき建家が何軒かありますが、何処も「竹の子料理」の看板を挙げています。
山も間近に迫っていることを改めて感じました。
唯、筍のシーズンは春なので、それだけに頼っていると文字通り竹の子生活に。
氷見線と言えば日本海の幸と加えて氷見うどんが有名なので、そちらに鞍替えするのでしょうか?
そうならこちらも別の意味で狡兎三窟と言えます。

寺院までの296号線はこのような小山を越える

入口に建つ寺号標
後醍醐天皇勅願とある。

門前左側にある竹の子料理旅館

寺号標の奥にも竹の子料理旅館が
摩頂山国泰禅寺(まちょうざんこくたいぜんじ)は、
『北陸路には数少ない臨済宗の道場で、臨済宗国泰寺派の大本山。
開山の慈雲妙意(じうんみょうい)禅師は行脚の時、
ここ二上(ふたがみ)山の幽邃の境に惹かれ山中の草庵で独り坐禅に励んでいた。
偶々、通りがかった弧峰覚明(三光国師)に誘われ、紀伊由良の西方寺(現興国寺)の
無本覚心(法燈国師)に参じて大悟するが、間もなく師の遷化に遭い、
二上山の旧居に戻り修行に励んだ。やがてその禅風を慕って雲水が集まり、
嘉元2年(1304年)に摩頂山東松寺(まちょうざんとうしょうじ)を開創した。

寺号標に続く苔と巨木の参道

総門前の石碑
入口には「後醍醐天皇勅願所」の石碑が一際固く聳える。
これは開山が嘉暦2年(1327年)参内して後醍醐天皇に法要を説いた事で「清泉禅師」の号を賜り、
翌年には「護国摩頂巨山国泰仁王万年禅寺」の勅額を下賜され勅願寺になった事に拠る。
興国3年(1342年)には南朝の後村上天皇より後醍醐天皇の御影が送られ、
「臨幸に代える」との御宸翰あり。天皇殿のある由縁である。更に北朝の光明天皇の帰依も受けた。
康永4年(1345年)6月3日、「天に月あり、地に泉あり」の句を末期として72歳を以て示寂。
光明天皇より「慧日聖光国師」の諡号を受けた。塔を「正脈」と号し、室を「大円」と言う。

改修中の総門をくぐる

総門に掲げられた「国泰禅寺」の扁額

総門下より上って来た参道を見る

境内側より見た総門
勅願碑の脇の坂を上った先にあるのが当山外構えの正門に当たる総門。
現在のものは天保2年(1831年)の造営で、扁額は黄檗山萬福寺五世の高泉性激の書。
総門を過ぎた先に建つ勅使門も同じ天保2年の造営で、
その先にある安永8年(1779年)建立の三門を経て法堂に続く。』 とあります。
総門は生憎、改修中でしたが「国泰禅寺」の扁額と「本派専門道場」の看板はしっかり見ることができました。
最初はこの扁額が下賜されたものと思いましたが、遥か後世の書。

総門から見た境内

総門脇にひっそりと佇む勅使門

鐘楼堂
総門を潜ると脇にひっそり建つのが勅使門。規模に加え目立たない点でも総門に及びませんが、
勅使門からは、三門・法堂・大方丈が一直線に並ぶ典型的な禅宗様式。
現実を【直視】した構造りにしているようでした。

勅使門の正面に建つ三門

三門近影

三門の金剛力士阿像(右)

同じく金剛力士吽像(左)
ここで気になったのは総門前の石碑に刻まれていた「臨済宗法燈派大本山」の文字。
パンフには臨済宗国泰寺派とあったので間違いではないかと思いましたが、後に庫裏で伺った所、
住職 ; 「開山の師である法燈国師に由来する呼び名です。」
私 ; 「では法燈(ほうとう)派でも良いのですね。」
住職 ; 「そうです。因みに「ほうとう」ではなく「はっとう」と読みます。」
との事。己の無知に気付かされ【はっとう】しましたが、
何故、ここだけ【はっとう】なのか?【ほうとうほうとう】【伏木】でした。

三門から勅使門を見る

三門屋根の垂木・木鼻等の組物

三門に造られたスズメバチの巣の残骸
[参考書]


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高岡駅前4番(10:43) → (加越能バス) → 国泰寺前(11:03) → 徒歩10分 → 国泰寺 → 徒歩20分 → 雨晴駅前(12:33) → (加越能バス) → 伏木一の宮(12:42) → 徒歩3分 → 越中国分寺跡 → 氣多神社 → 徒歩15分 → 伏木駅前(13:50) → (加越能バス) → 高岡駅前(14:12)

護国摩頂巨山 国泰仁王万年禅寺(臨済宗法燈派大本山 北陸観音霊場第二十四番札所)
文化の日で始まる休日は北陸路へ。
お盆の計画が、度重なる大雨や北陸線運休のため、今回のリベンジ。
秋晴れに恵まれた初日は氷見線沿線を巡礼する事に。
越中一の宮や国分寺跡があるのは以前から知っていましたが、穴場なのが国泰寺。
以前に氷見駅でMHCを貰った際に、観光案内所に置いてあったパンフで初めて知りました。
寺社共に氷見線の伏木・雨晴駅から徒歩で行ける距離ですが、
肝心の氷見線の本数が1~2時間毎の運転と不便を免れません。
もう一つは15分間隔で運行の万葉線に乗って伏木駅まで歩き、駅でレンタサイクルという案ですが、
雨晴まではトンネルを越えるのがネック。

国泰寺バス停付近に建つ大伴家持歌碑
どちらにしようかと悩んでいると、俄かに路線バス案が浮上。
運行本数は2時間毎程度ですが、高岡駅到着後30分で、国泰寺までのバスがある事が判明。
氷見線・万葉線どちらを採用した場合よりも1時間近く早く着きます。
その後の連絡はどうなるか分かりませんが、取り敢えずバスでの現地入りとなりました。狡兎三窟ですね。
氷見方面行の160号線から東へ1本入った細い道路を進み国泰寺前で下車。
停留所には大伴家持卿歌碑が。国司として赴任した越中で歌壇を形成した家持ですが、
ここでも歌を詠んだのでしょうか?

歌碑の向かいにある国泰寺への道標
左の296号線を進む。
道路を挟んで歌碑の向かいに案合の寺標が建っており、それに従い東行。
小高い丘を過ぎて10分程度歩くと視界が開け正面が寺院。
門前には旅館と思しき建家が何軒かありますが、何処も「竹の子料理」の看板を挙げています。
山も間近に迫っていることを改めて感じました。
唯、筍のシーズンは春なので、それだけに頼っていると文字通り竹の子生活に。
氷見線と言えば日本海の幸と加えて氷見うどんが有名なので、そちらに鞍替えするのでしょうか?
そうならこちらも別の意味で狡兎三窟と言えます。

寺院までの296号線はこのような小山を越える

入口に建つ寺号標
後醍醐天皇勅願とある。

門前左側にある竹の子料理旅館

寺号標の奥にも竹の子料理旅館が
摩頂山国泰禅寺(まちょうざんこくたいぜんじ)は、
『北陸路には数少ない臨済宗の道場で、臨済宗国泰寺派の大本山。
開山の慈雲妙意(じうんみょうい)禅師は行脚の時、
ここ二上(ふたがみ)山の幽邃の境に惹かれ山中の草庵で独り坐禅に励んでいた。
偶々、通りがかった弧峰覚明(三光国師)に誘われ、紀伊由良の西方寺(現興国寺)の
無本覚心(法燈国師)に参じて大悟するが、間もなく師の遷化に遭い、
二上山の旧居に戻り修行に励んだ。やがてその禅風を慕って雲水が集まり、
嘉元2年(1304年)に摩頂山東松寺(まちょうざんとうしょうじ)を開創した。

寺号標に続く苔と巨木の参道

総門前の石碑
入口には「後醍醐天皇勅願所」の石碑が一際固く聳える。
これは開山が嘉暦2年(1327年)参内して後醍醐天皇に法要を説いた事で「清泉禅師」の号を賜り、
翌年には「護国摩頂巨山国泰仁王万年禅寺」の勅額を下賜され勅願寺になった事に拠る。
興国3年(1342年)には南朝の後村上天皇より後醍醐天皇の御影が送られ、
「臨幸に代える」との御宸翰あり。天皇殿のある由縁である。更に北朝の光明天皇の帰依も受けた。
康永4年(1345年)6月3日、「天に月あり、地に泉あり」の句を末期として72歳を以て示寂。
光明天皇より「慧日聖光国師」の諡号を受けた。塔を「正脈」と号し、室を「大円」と言う。

改修中の総門をくぐる

総門に掲げられた「国泰禅寺」の扁額

総門下より上って来た参道を見る

境内側より見た総門
勅願碑の脇の坂を上った先にあるのが当山外構えの正門に当たる総門。
現在のものは天保2年(1831年)の造営で、扁額は黄檗山萬福寺五世の高泉性激の書。
総門を過ぎた先に建つ勅使門も同じ天保2年の造営で、
その先にある安永8年(1779年)建立の三門を経て法堂に続く。』 とあります。
総門は生憎、改修中でしたが「国泰禅寺」の扁額と「本派専門道場」の看板はしっかり見ることができました。
最初はこの扁額が下賜されたものと思いましたが、遥か後世の書。

総門から見た境内

総門脇にひっそりと佇む勅使門

鐘楼堂
総門を潜ると脇にひっそり建つのが勅使門。規模に加え目立たない点でも総門に及びませんが、
勅使門からは、三門・法堂・大方丈が一直線に並ぶ典型的な禅宗様式。
現実を【直視】した構造りにしているようでした。

勅使門の正面に建つ三門

三門近影

三門の金剛力士阿像(右)

同じく金剛力士吽像(左)
ここで気になったのは総門前の石碑に刻まれていた「臨済宗法燈派大本山」の文字。
パンフには臨済宗国泰寺派とあったので間違いではないかと思いましたが、後に庫裏で伺った所、
住職 ; 「開山の師である法燈国師に由来する呼び名です。」
私 ; 「では法燈(ほうとう)派でも良いのですね。」
住職 ; 「そうです。因みに「ほうとう」ではなく「はっとう」と読みます。」
との事。己の無知に気付かされ【はっとう】しましたが、
何故、ここだけ【はっとう】なのか?【ほうとうほうとう】【伏木】でした。

三門から勅使門を見る

三門屋根の垂木・木鼻等の組物

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